>>950 今回の絵は良かったと思う。
話も好きだな。
>>951 女の登場回数が多い現状じゃ、そう見られるのも仕方ないと思うけど。
♯101にしても。
なんで稲葉さんが八雲のお泊り知ってるんだ?
つーか、八雲はクラス中で大人の仲間入りしたと思われてる訳だ。
ウホ
アシ雇った?別人のように背景書き込まれてる
アニメの方は原作無視です。
>>951 視点を固定した話のほうが多いい気がするのは、おれの気のせいだろうか。
それに萌え漫画という視点なら♯101の方だろ。女キャラの多さといいしぐさといい。
なんていうか播磨嫌いなのかい?
>>956 最近の展開をみて萌え漫画だってのを否定はできないだろ。
101みたいなテンポいい話なら女の子でてきても俺は気にならないんだが。
播磨好きだよ、でも他のキャラも好きなんで
多視点の回でも視点固定した回でもどっちも面白い話があるから
両方楽しめや
>>941 こらこら、上でもやりあってたけど、そういう特定の「くくり」をしようとすることが抗争を呼ぶんだよ。
(今後そんな感じでアニメから入ったファンと対立することが予想される)
漏れは友人からキモがられるほどの病的なファンだが(笑)、
八雲の「こんな男の子は好きです」の回から真面目に読むようになって
体育祭で本格的にはまった訳だし、過去スレでも似た意見の者はいたよ。
「SchoolRumbleを応援し続けてくれた読者の皆さん、
このたびは突然のスクラン終了の件でお騒がせさせてしまい、大変すみませんでした。
終了の理由については、いろいろと憶測が飛び交っているようですが、
原因の元をたどれば、やはり自分自身の力不足であったことに違いありません。
商業誌という大枠の中での連載は、一部の人気だけで支えられているほどないもの(?)ではないですし、
僕自身が何よりそう考えているので、「2年続いた作品だから」という理由での編集部の好意を、
簡単には受け取ることができなかったのです。
それでも、どんなに格好悪くても応援してくれる読者のために、最後まであがくべきだ。
とも考えましたが、それを戦い抜くには、あまりにも心の支えが足りなかった。
ここはやはり、僕自身の力不足。本当に申し訳なく思っています。
さて、ここからが本題。
問題のあのラストですね、「播磨が銀河鉄道に乗って旅に出る」
一見ふざけているようですが、あれは自分なりに考えに考えた、とりあえずの結末です。
ことの流れを追っていけば、スクラン終了の宣告を受けたときには、時すでに遅し。
残りの8週でまとめきれるページは、僕には残されていませんでした。
無理にでもたたもうと思えば、それは、たやすくできたのですが、ダイジェストによっての結論だけが見えるのでは、
そこにはまるで意味がなく、この作品にとって一番大切なことは、そこへ至る過程だと考えたからです。
それはただの、わがままかも知れないけれど、
僕の中には播磨と天満、それに烏丸やみんなの最後のがんばりのイメージが、しっかりとありました。
こればっかりは絶対、省略したくなかったのです。
そうして、中断という道を選ばざるをえなくなったのですが、とりあえずの結末は必要で、
それならまず現状だけは、はっきりさせておこう。という考えに至り、あの形になったわけです。
もちろん簡単には理解できないことだとは、わかってはいるし、実際賛否両論、大いにあったことと思います。
ただひとつ、そこで考えて欲しかったのです。
なぜ旅に出なければならなかったのか。
本当の幸せとは何なのか。
絃子先生も一応の答えは言っています。
でもそれにはどんな意味が込められているのか。
少年漫画誌において、わかりづらい作品を描く自体、問題で、実際中断という残念な形になってしまいましたが、
それは、それを考えてもらう、よい時間ができた。と、とらえることができるかもしれません。
「ものは言いよう」一見イメージの悪い言葉ですが、問題はそれをとらえる自身の中にあります。
言い換えれば、なんだってなんとかなるんです。
「そういう瞬間を一緒に感じたい!お互いにそう思える人がいる・・・
そういう時間を積み重ねていくことがつきあうってコトだったりするんじゃねーのかな・・・」播磨のこの言葉に嘘はありません。
あきらめない限り、起こりえるものなら絶対に。
それでは、長くなってしまいましたが、この作品を応援し続けてくれた皆様、今まで本当にありがとうございました。
いつかどこかで、続きが書けることを願っています。
お元気で。」
天満はまさに播磨の、ということは沢近・八雲の精神に突き刺さった棘。
スクランという作品自体に突き刺さっている一本の棘。
或いは、播磨の身体につけられた一つの傷。
しかし、だからといってこの棘を抜く(ないし傷を治す)ことはできない。
傷は播磨を滅ぼすが、同時に、それは彼に一貫性を与える唯一のものだからだ。
これこそが天満というキャラクターの根本的な逆説だ。天満は、まるで寄生蟲のようにべったりと
播磨、ないしはスクラン世界全体にくっついて「ゲームを台無しにする」が、しかし、
それ(天満)を無くしてしまうと、事態はさらに悪化する。われわれは持てるいっさいを失う。
天満に脅かされながらも破壊されなかったもの(沢近・八雲)ですら失ってしまう。
確かに天満は厄介な問題(Ticklish Subject)を山ほど引き起こす。しかし、それがないと、
もっと厄介な問題、作品全体のカタストロフを引き起こすのだ。これは一見すると、
全くそう思われないかもしれない。しかし、事実は違う。
天満は播磨にとっての―つまり、沢近と八雲にとっても、という意味だ―傷だ。
それは播磨・沢近・八雲の汚れたおぞましい部分の血肉化であり、この3人に永遠に安寧を与えてくれない、
濃縮された生命実体(!)なのだ。
播磨の全存在がこの傷=天満のうちにある。われわれがそれ(天満)を無化したら、彼自身は
そのポジティブな存在論的一貫性を失い、存在しなくなってしまう。
リドリー・スコット監督の映画『エイリアン』を例に引こう。ジョン・ハートの身体から
飛び出してくるおぞましい寄生蟲は、まさしく天満そのものではないだろうか。
それは、播磨の外在化された傷とまったく同じ地位にあるのではないだろうか。
砂漠の惑星に降りた宇宙飛行士たちは、コンピュータが生命体の存在を探知したので、
洞窟に入ってゆく。そこで、ポリープ状の寄生虫がジョン・ハートの顔に貼りつく。
この寄生虫は一種の「享楽の芽」、母親的な「物」の残滓であり、ついで、漂流する宇宙船の
中に閉じ込められた集団の「症候」(享楽のリアル)として機能する。
この症候は彼らを脅かすが、同時に彼らを一つの閉じられた集団として構成する。
この寄生虫的な生き物―つまり、塚本天満―は絶えずその形を変えるが、それはその
アナモルフィック(歪曲遠近法的)な地位を確証しているにすぎない。
それは純粋な見かけの存在なのだ。
「エイリアン」、8番目の“付録的乗客”は、それ自体は何物でもないにもかかわらず、
アナモルフィックな剰余として是非とも付加されなければならない対象なのである。
それは最も純粋な形の「リアル」だ。
それはひとつの見せかけであり、「厳密に象徴的なレベルではまったく存在しない」が、
同時に、映画全体を通じて実際に存在している唯一のものであり、それに対しては
「リアリティ」全体は全く無防備である。
医師がメスで切開するとポリープのような寄生虫から液体が流れ落ち、宇宙船の金属の床を
溶かすという背筋のぞっとするような場面を思い出しさえすればいい。
ーーーーーーーー 俺は旅に出る。あの笑顔を求めて。
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に ヽ! 、 i  ̄ ̄ y' i i ヾ 丶 ヽ
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われわれがここに見出すのは、享楽を満喫する少女がさらに延命し享楽し続けることができるように、自らの死を
望む青年の姿だ。それゆえわれわれは、天満のうちにもっとも純粋に人格化された超自我を見出すのである。つまり、
棺桶に横たわりながらも、<救済者>の血を拝むことによって、純粋享楽の実体によって生き続けている彼女は、
厳密な意味で生ける死体living-deadなのである。また、彼女は決して舞台上には姿を現さない。彼女は自分自身の
享楽の確保のための無条件の命令―――「務めを果たすのよ! 儀式を執り行うのよ!」―――でもって播磨を
迫害する、幻聴の声la voix acousmatique、浮遊する担い手なき声として現われる。それゆえ八雲の「月」の属性は、
厳密な意味で天満の「太陽」の備える超自我特有の猥褻さの相関物なのである。要するに天満とは、播磨に寄生する
一種の死んだ少女living-deadであり、『スクールランブル』において最も猥褻な登場人物であることは疑い得ないのだ。
それゆえ次の点は銘記しておくべきである。スクールランブルを汚す原罪は、恋愛を自分自身の享楽のための手段、
それを崇拝することで与えられる永遠の生命のための手段として用いる少女、塚本天満によって犯されたものである
ということ。スクラン共同体の正常な生命循環life-circuitをかき乱してしまうのは、まさにこの「不自然な」
固着なのだ!! この漫画の数ある謎の内の一つは、播磨の恋の対象が現世でも彼岸でもなく、「二つの死のあいだ」
に棲みついているという事実にある。もはやこの世の生は絶っているのだけれど、死のうちに安息を見いだすことも
出来ない、一種の生ける死者living-deadのように―――そのテキストが仄めかすように、天満は、「娑婆の罪業が
五月の花と咲き誇っていた間に〔自らの華々しい罪のうちに〕消えたのである。それゆえスクランの地に戦争を予感
させるような腐敗せる何事かがあるとするならば、それは単なる普通のラブコメキャラをなぞっている沢近や八雲に
ではなく、播磨の対象、すなわち通常は無邪気で天然少女として描かれる人物像の猥褻な裏面にこそ見出しうるはずである。
この病的で残酷な側面こそが、全く正当にも、キリスト教の立場に立つ解釈者たちが警戒するものなのである。
というのもそれは、『スクールランブル』の本質を表わしているのだから。つまり『スクールランブル』が究極的に
成し遂げたこととは、キリスト教の内容に、異教の儀式という形式を与えることなのだから。しかしながら、もし
ここでのポイントを遺漏なく把握したいとするなら、『スクールランブル』における儀式の観念を、聖なる享楽の
儀式的上演(天満の血)をはるかに超える、より適切な広い観点から捉えねばならない。要するに儀式を正しく
遂行し損ねること、まさにその失敗こそが儀式の一部であるということである。たとえば、播磨の嘆きは、けっして
抑えきれない不幸の自然発生的な爆発ではなく、徹底的に儀式化され「形式化された」演技なのである。この
「非心理学的」性格を証明するのは天満―播磨―八雲のトリニティである。天満による超自我的声が
「八雲と付き合え! おまえは幸せモンなんだぞ! 泣かすな! 浮気したら殺すぞ! 一生面倒見ろ!」
との命令を繰り返した後、抑えきれない不幸は魔術的に消え去り、播磨は必要な動作を何の支障も無く遂行できる。
これはけっして例外ではない。この、失敗した儀式から失敗そのものを儀式的に遂行することへの反省的=反照的
転換は、儀式なる観念そのものを解き明かす鍵を与えてくれる。要するに、「儀式」とはもともとその成り立ちからして
形式化された失敗の反復なのだ。
ジジェク『イラク/ユートピアの埋葬』
この本で一番面白いのは、二章めにあたる「補遺1、犬ヲ犬ト称スルハ、歌ワザルガ故ニナリ」で、ここではラクラウ、ムフ、
スタヴラカキスなどの「(ラディカル)民主主義」(つまり「差異」とその「承認」の政治)が批判されている。
ヨーロッパ的な「民主主義」では、アメリカ的なグローバル資本主義、最強のイデオロギーとしての「反基礎づけ主義」的な
「現実主義」に充分対抗出来ない、と。
批判はいくつかの次元で行われる。民主主義は、社会的な「敵対」の存在は決して解消することがないことを認め、
ユートピアの実現を目指すこと(つまり「革命」)を断念し、敵対する政治的エージェント間の(永遠の)抗争とその調整こそが
「政治」であるとする。ここに、まず形式的な批判として言われるのは、民主主義者は「敵対」を「競技」へと
翻訳しているのであって、ここでの政治的「競技」というゲームの空間から排除されるもののことは考慮されていない、
ということだ。
市民が存在する以上市民の外も存在し、マルチチュードにも「内側」のマルチチュードと「外側」のマルチチュードとがあるのだ、と。
そして、敵対の競技への翻訳を可能にしているのは、形式主義的な「手続き」でしかなく、民主主義者は、民主的な手続きで選出された
「反民主的な政権」を批判できない。
このような批判はしかしありふれており、「民主主義者」にしたところで、この限界を意識していないはずはない。
ただここで問題とされているのは、おそらく「排除の構造」とかそういうことではなく、民主主義者が還元不能な「敵対」を
「競技」へと翻訳し得るという根拠としている「民主的な手続き」を尊重することこそが、ある線引きを固定化させ、
特定のフレームを強化することに繋がってしまうということだろう。
次に、民主主義における「快楽」という次元の欠如。ラクラウやムフは、右派だけが政治的な情熱をもっており、左派はたんに
忠告を与え、行政管理を行っているだけだという不満を漏らしているが、これは左派の戦略的な弱点ではなく、構造的な必然である、と。ユートピア(革命)を断念し、敵対する複数の政治的エージェント間の(フェアな)抗争と調停とを主張する民主主義もまた、
ラカン的な意味で「主人のシニフィアン」なのだが、それは「主人のシニフィアンは存在しない」と語る「主人のシニフィアン」なのだ、と。
つまり民主主義は「スラッシュを引かれた大文字のA(他者)の大文字のS」であって、それにはイデオロギー的な情熱を生じさせ
「新たな動員」を生むようなイマジナリーなものを生産することの出来ず、それは「たんなる行政管理のプロジェクト」でしかない。
ここでジシェクはミレールを引く。
《これは小文字のaが除外されるということだ。つまり、快楽の固有性に左右されるすべてのものが、除外される。スラッシュを引かれた
空虚な民主主義の主体は、自分自身をすべてのものと結びつけることの困難に気づく。すべてのものとは(略)生起し、主体そのものを形成し、振動するもののことだ。》
《民主主義が空虚であればあるほど、それはますます快楽の砂漠になるということだ。そして、それに相関して、快楽はある特定の
要素へとますます凝縮してゆく。(略)それはますます、法の平等主義的民主主義だの市場のグローバル化だのへと、自己自身をその
純粋形態において押しつける。(略)情熱はますます高まり、憎しみは昂進し、原理主義は増殖し、破壊は拡がり...。》
民主主義はイマジナリーなものを欠いているがゆえに、人を政治的な場と疎遠にさせ、あるいはその逆に、人を原理主義的、
全体主義的な方向(シンボリックなものへの傾倒?)へと暴走させる、と。
では、このような空虚(自分自身をすべてのものと結びつけることの困難)としてある「民主主義」と、人はどのようにして
結びつけられるのか。ジジェクはこの結びつきにも欺瞞を見出す。
《イデオロギーとしての民主主義は、原則的に、ヴァーチャルなオルタナティブの空間として機能する。権力が変化しうるという
見通しそのものののために、変化の可能性が漂っているために、われわれは現存の権力関係を堪え忍ぶことを強いられるのだ。
つまり、これらの現存の諸関係は、偽の開放性によって、安定化され、許容されうるものとなっているのだ。》
つまり「変化の可能性」という「誘惑」が、実際には「何もかわらない」ことを保証している、と。これはそのまま「痛みを伴う
構造改革」みたいな話だし、もっと大きく言えば、「禁欲」と「勤勉」によって「欲望」を先延ばしすることで「蓄財=将来の欲望の
実現可能性を大きくすること」へ繋がる、みたいな、資本主義を支えている構造そのものに似ているとも言える。オルタナティブな
ものが「あり得る」という可能性(が「期待」されること)が、実際のオルタナティブの「実現」を潰してしまっているのだ、と。
以上のような批判をふまえてシジェクが主張しているのは、要するに「民主的な(正当な)手続き」などをふまえるということが
既に「罠」にはまってしまうというとなのだから、とにかく「やってしまうしかない」ということであり、その「やってしまう」
行為を根拠づけるのは「~すべき」という理屈ではなく「~せねばならない(しないわけにはいかない)」という二重否定による
要請なのだということだと読める。(「殺すべきだ」「殺すことを許されている」ではなく、「殺さないですむわけにはいかない」。)
《何かを「せねばならない」とき、それが意味するのは、いかにそれがおそろしかろうと、それを行う以外に選択の余地はない
ということだ。》
ジシェクはここで、「すべき」をシンボリックなもの、「せねばならない」をリアルなものへと結びつける。つまりシンボリックな
理想としての「~すべき」は、欲望の弁証法に絡め取られることを避けられないが、「~せねばならない」は、(主体より前にある
ものである)欲動というリアルなものと繋がっているので、それは主体を構成する欲望(の弁証法)からは切り離されており、しかも
その(欲動からの)命令からは逃れることが出来ない。だから欲動のステータスは「倫理的」なものだ。それによって「行為」を、
たんに狂気じみた破れかぶれの恣意的行動から「倫理的なもの」へと区別するのだが、これはかなり強引であるようにもみえる。
民主主義的な行為によって可能なのは、せいぜい現存する象徴的な体系のなかで「可能なこと」をすることでしかないのだが
(ジシェクはその次元では「なにもするな」と言っている)、ジジェクがここで言うラカン的な(アンティゴネー的な)「行為」とは、
それによって「可能なものの配置(つまり象徴的なもの)」そのものを変化させるような「行為」だということになる。
《私が何をなしえず、何をせねばならないかということに関する状況そのものを、行為において、私はまさに変更するのである。》
そしてそのような「行為」は、民主主義が保証するような「オルタナティブの可能性」によって開かれる場所で実現するのではなく、
「可能なもの」の限界の内部ではもはや何も出来なくなってしまったところへ「押し込められ」た者によってこそ開かれるのだ、と。
ぶっちゃけて言えば、進退窮まった者の破れかぶれでキチガイじみた行為のみが(ユートピアとしての)新たな空間(新たな基底材=地)を
創出するのだ、ということだろう。
《「二百万とは言わなくても十人の人民からなる国家機構を、われわれは即座に軌道に乗せることができる」(レーニン)。
その瞬間のこの衝動は、真のユートピアである。》
そして、このような狂気じみた行為によって開かれる空間こそが、(プラトンからサドにまで至る著作が描くような)実現不可能な
形而上学的なユートピアとも、新たな侵犯的欲望と快楽とを商品として果てしなく生み出しつづける資本主義的(リビドー経済的)な
ユートピアとも、どちらとも対置されるべき、その両方を批判し得る、オルタナティブな空間を開くのだ、と。にも関わらず、
このような「狂気」を、民主主義はその(ゲームを維持するための)「手続き主義」によって、あるいは「未来への期待をほのめかす」
によって潰してしまう、という点が、その批判の最大の点ではないだろうか。
この章の最後で、ジジェクは政治における「美的なもの」の次元の重要性に触れる。これは、民主主義が、イマジナリーなものの
次元での生産力を欠いていることへの批判とも繋がるだろう。そしてここでジジェクが、ユートピアとの関連で「フラッシュ・モブ」を
取り上げ、《もっとも純粋な最小限の枠組みにまで還元されたかたちで、美学-政治的抵抗を示しているのではないか》
と書いているのをみて、ジジェクの言う「ユートピア」が、到達すべき理想的な状態のことではなく、現存する社会的空間
(シンボリックなもの)の外へ抜け出て、どこでもない別の空間(地)を、(新たなフレーミングの方法を見出すことによって)いま、
ここで立ち上げようとすることなのだというイメージがみえてくる。
何?このまま40レスも埋め作業なの?
『イラク/ユートピアの埋葬』に書かれていた「行為」について知るため、『汝の症候を楽しめ』の2章め『「女は男の症候である」のはな
ぜか』を読み返してみた。(2章の前半部分のタイトルは『「自殺は成功する唯一の行為である」のはなぜか』というものだ。)ジジェクは次
のように書いている。「行為」とは《象徴的自殺、すなわち「すべてを失い」、象徴的現実から身を引く行為である。》《それは象徴的現
実からの撤退であり、「現実の中で」自殺するのとは正反対のことである。後者は依然として象徴的コミュニケーションのネットワーク内
に囚われている。すなわち、主体は自分を殺すことによって<他者(大文字の他者)>にメッセージを送ろうとする。》《行為は、それを行う
人(媒体)を根底から変えるという点で、積極的介入(行動)とは違う。行為はたんに私が「やりとげる」ものではない。行為の後、私は文字
通り「前の私ではない」。この意味で、主体は行為を「完遂する」というより「経験する」(通り抜ける)》《その最も根本的な次元では、
行為はつねにネガティブである。すなわち消滅・無化の行為である。われわれはその行為によってどうなるかを知らないだけでなく、その
行為の最終的結果は結局のところどうでもいいのであり、純粋行為の「否!」に比べたら間違いなく二の次である。》ここでは「行為」の例
として、ロッセリーニの『ドイツ零年』での少年による「父殺し」や『ストロンボリ』でイングリット・バーグマンが火山のもとで「経験
した」ことなどが挙げられている。
ここで「象徴的現実(=象徴的虚構)」というものをジジェクがどのように捉えているかをみてみる。初期のフロイトは、心的装置は基本的に
は「快感原則」に従っているのだが、しかし自己保存のための現実的な諸条件によって、その断念と「現実原則」への転換が強いられると
いう理論だった。しかし、後期になり「快感原則の彼岸」というと点が導入され、つまり「現実原則」という外側のものの侵入によらなく
ても、心的装置そのものが既に内在的に亀裂(死の欲動)を孕んでいることを指摘した。心的装置そのものの内部に、「十全な満足」に抵抗
するものがある。つまり、主体としての心的装置が構築される前に、既にそこには原初的なトラウマが刻印されている、と。そして心的装
置は、そこに刻まれたトラウマ=亀裂、つまり決して到達できないもの、つねに失われているもの、のまわりをまわることに倒錯的快感をお
ぼえる。この亀裂こそがラカンが名づける<対象a>であり、そのまわりをまわる「苦痛のなかの快感」が「享楽」であり、その循環運動が「
欲動」である。ここから、人間にとっての「現実」は、心的装置=快感原則に対し外在的に(前もって)あるものではなく、心的装置に内在す
る亀裂の効果によって、内在する亀裂を外部へと投影することで(心的装置によって)「つくられた」ものなのだとする。《主体はその内在
的な自己妨害を「拒絶」し、欲動の対立の悪循環を、欲動の要求とそれに対立する現実の要求との「外的」対立へと「外在化」する。》
ジジェクは、この主体に内在する亀裂をヘーゲルの「純粋否定性」(世界の夜)に結びつける。そして、主体が自分自身へと精神病的に引き
こもることとも言える「純粋否定性」という「否定」そのものから、存在(現実)を立ち上げるものが、名づける力としての「言語」であり
、それによる象徴的秩序であるとする。しかし、言語は確かに「欲動の悪循環」を裁ち切り、主体の外側にあるものとしての「現実」を立
ち上げはするが、それは(ラカンのいう)、シニフィアンが《生命体を殺し/非肉体化し、身体を「切り裂き」、それをシニフィアンのネット
ワークの束縛に従属させる力》によるのだ。《言葉は物を「四つ裂き」にし、それらがしっかりと埋め込まれていた具体的コンテクストか
ら引き剥がし、その各部分を、自立した存在をもつ実体として扱う。》《互いに「自然に」結びついているものを切り裂き、生の過程の現
実そのものを象徴的「虚構」にしてしまう悟性の恐ろしい力(...)虚構が現実を服従させるこの逆転こそがむしろ、われわれが「現実」と読
んでいるものが内在的・存在論的に無に他ならない》「精神の生」とは、このような虚構的非実体に支配された生の過程以外の何ものでも
ない、と。例えば、ある共同体の象徴的同一性は、その生活を律する法的・宗教的・その他の価値によって与えられるが、その「虚構」に
は何ら実体的・存在論的な一貫性はなく、それらを「実演」する人々の象徴的儀式という形でしか存在しない。にも関わらず、その「虚構
」によって多くの人が戦争で死んだり失業したりする。例えば「国家」はその現実的な効果のなかにのみ(国家は国民の実際の活動のなかに
のみ、祖国は国民であると自覚している人の愛国的感情とその行動のなかにのみ)存在するにも関わらず、しかし実はそれには還元し切れず
、実際には「祖国」という象徴的虚構があってこそ、それとの関係で個々の行為に意味が与えられる。(この時、象徴的虚構=大文字の他者(
国家)は、プラトン的なイデアのようには存在していないが、唯名論的な個々の実体の群にも還元されない、「死んだ図式」であるにも関わ
らず「有効」なものとされる。逆に言えば、「死んだ図式」だ「虚構」だ、といっても、それでは批判にならない。)
哲学的解釈においては、我々を取り巻いている《対象との実際的・能動的関係の中でわれわれが出会う「現実」はすでに・つねに象徴的媒
介》によって媒介されており、《すべての活動はなんらかの意味の地平に置かれているのであり、この意味の地平のみが活動を可能にする
》のだから、したがって象徴的秩序に対する批判的・能動的な介入や働きかけは、《この象徴的背景に亀裂をもたらす「正しい言葉を発す
る」ことによって、ひとは前と同じように行動しつづける》ことが出来なくなるようにする、ということに求められる。(後期ウィトゲンシ
ュタイン等)しかしジジェクはこれとは違った道筋を見せる。それが「行為」である。行為とは、狂気の行為であり、ヘーゲルの言う「純粋
否定性」に直面することによって、《その日常生活を支えている象徴的虚構のネットワークを棚上げ》することである。「純粋否定性」と
は言い換えれば、主体の原初的な亀裂の場そのもののことであり、つまりそこから象徴的虚構がたちあがる基盤となるような場所でもある
。
ここで「行為」と区別されなければならないものとして、象徴的現実のなかでの(戦略的)「行動」や「自殺」といったものだけではなく、
「犠牲」があげられている。むしろ「犠牲」こそが(死んだ)象徴的現実を支えている。犠牲は、主体を消失させるような行為であり、一種
の象徴的自殺と言えるのではないか。しかし、犠牲の効果は、その犠牲によって満足させられる(犠牲に値する)「大文字の<他者>」が存在
する、ということを示すために行われる。つまり犠牲によって<他者>を存在させることで、主体は<他者>によって救われる(死なない)。《
何かがうまくいかなかったとき、われわれはすぐに失敗の責任を自分の身に引き受けて、革命計画そのものの純粋さを救い、それによって
大義への忠誠心を証明することができる。》(あるいはジジェクは、「罪悪感」を引き受けることが「真のトラウマ」からの逃避であること
もある、とも述べている。)ラカンは、大文字の<他者>は存在しない、それは主体の仮想にすぎない、とする。主体はそれを仮想することに
よって、《自分の経験の究極の意味と整合性を保証してくれる<もうひとつの場所>》を措定しているに過ぎない、と。《たとえば主体が、<
歴史の理性>とか<神の摂理>といった形で大文字の<他者>を措定(仮想)するのは、みずからをその実行者、無意識的な道具と捉えた瞬間であ
る。大文字の<他者>を存在せしめるこの措定(仮想)の行為はおそらく、イデオロギーの基本的な身ぶり》である、と。それに対し、「象徴
的自殺」としての「行為」は、《<他者>を措定(仮想)するというイデオロギーの身ぶりそのものの否定、反転、「取り消し」である。》こ
れは<他者>に呼びかける(<他者に捧げられる>)「犠牲」とは異なり、《犠牲そのものを犠牲にする放棄の行為》であり、ここで得られた自
由は《隣人としての他者をもたないばかりか、<他者>そのものからの保証も得られない》窒息しそうなほど耐え難いものであって《安堵や
「解放」とは正反対のもの》で、ラカンはそれを「主体の困窮」と呼ぶ。
(「解放」とは、良き<他者>=<主人>によって行われる。それは要するにわれわれの重荷を<他者>/<主人>に肩代わりしてもらうことに他なら
ない。例えば精神分析における「自由連想」によって、分析主体は検閲の圧力と束縛から解放されて自由に喋ることが出来るが、それは分
析家が、最後にはその意味と整合性を遡及的に見出してくれるのが保証されているからであり、つまり分析家に依存しているからである、
と。そう言えば、樫村晴香が「遊びは母親の存在によって可能になる」ということを書いていた。対して「行為」によって得られる「自由
」において、全ての重荷は主体の身に戻ってくる。《主体が<他者>からの支えを拒否したからである。》)
正直スクランは今みたいにプッシュされるより
地味にヒッソリやってて欲しかったな
わんるーむとか脳みそプルンとかのようなショートギャグの位置付けで
パラ読みではすぐにページが見つからないほどにマイナーな掲載位置とか。
まあそれでも良かったかな。有名になると色んな厨が沸いて来て気分を害する
し、マターリとはいかなくなるもんなのかもなあ。
だから長文はスルーされると
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○特定の意見を他者に押しつけない。
|| ○特定の意見をスクランファン全体の意見と決めつけない。
|| ○荒らしや煽りに反応して熱くならない。
|| ○新規読者やアニメファンにも親切に。きっかけが違っても同じファン。
|| ○スクランを楽しんでる者は皆ナカーマ Λ Λ
|| 議論は結構ですが貶め合わない。 \ (゚ー゚*,,) キホン。
|| マターリ楽しみましょう。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
~(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧ は~い、先生。
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~(___ノ ~(___ノ ~(___ノ
天満ちゃんは白痴だったが、本当に独特な人間だった。
何故に過去形
天満ちゃんは醜くなかったし清潔だった。異様に清潔だったよ。
それが過度の美術的嗜好ともども、天満ちゃんの白痴の特性だった。
俺にとっては天満ちゃんが唯一の女性的なるものだった。それを守り抜かねばならない。
俺は自分と天満ちゃんを巡って一種の貴種流離譚を作り上げて、従姉妹や弟を含む
自分の家系にひどく拡大した誇りを抱いていた。同情的にみてくれるなら俺はそのようにして、
従姉妹の家に厄介になっている境遇のコンプレックスを撥ね返そうとしていたわけだ。
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おれは天満ちゃんに、自分たちは選ばれた特別の二人なのだから、俺も天満ちゃんも、
お互い同士より他の人間に興味を持つことはありえないし、あってはならないと教え込んだ。
そのような俺たちについて、あいつは白痴女と一緒に寝ているというような噂を立てる、
したたかな大人もいた。俺はそういう連中の家に、投石して報復した。しかし俺はその噂に
逆に暗示を受けてしまってもいたんだ。俺は頭のふにゃふにゃしたファナティックな
17歳の高校2年生で、そうした暗示に弱い孤独家だったんだよ。
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俺はその挙句天満ちゃんと妹さんの家に
一晩世話になることになった。はじめ天満ちゃんは、酔っ払っている俺を面白がって
笑っていたんだ。しかしその日は外がやたらと騒がしかった。路上で乱酔した馬鹿共の
歌や喧嘩が始まるとたちまち怯えてしまった。
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lハ:.l:.l. , '"` r‐-、l:.リ、l:.l
l、 ',〈 !:::! l::::) 〉 ノ:.l
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レ'" /:(::.:.))〈 |:{ ノ:.ト、:.:.:.ヽ
/ ヽ:.:ノ/ l !:.ヽ〈 丶:.:.ヽ
r' i / \ l ヽ /l:./ノ/ ', ` -、
l. l 〈 / ヽ ヽ/ ヽ(/ ', / l
l l > l i l } < / {
〈 l 〈 l _......._ l / / ,'
ヽ ヽ ヽ l r' -‐ ヾ.l. / / i
l\ 〉 i レ7'"} '"´/ / , - 、 l
', l_.. '" l'"´ ノl / l二 ) ,' ぽ
〉 r'" \.,、 /´ l/ l ` - ' ,'
{ >' l _ l i む
ヽ ,、 'i" ni^i^i^L( ヽ -‐‐ ,'
ヽ_ 'i | ! l l. ヽ ) ,' っ
l l ` ‐‐‐‐‐ 'ヽ____/
耳を押さえ込んで目を塞いで鮑のように
身体を伏せて、それでも耐えきれなくて幼児みたいに嗚咽するんだよ。いったん酔っ払って
歌い始めたら、猥褻で野蛮な声を、濁声で真夜中過ぎまで歌い続ける大馬鹿野郎共に俺は
猛烈に腹を立てて、ひどく反社会的な気分だった。そして天満ちゃんをなだめるために身体を
抱えてやりながら、俺は妙な具合に昂奮していた。
そのうち俺は天満ちゃんと性交してしまったんだ。
遅 ) /
っ ) | お 埋
/ / ⌒ ヽ | 嬢 め
!! < l:/ ー‐ 'ヽl | 様 ま
⊃ (| |リ | す
人 ノ ̄ヘ l ル | | か
丿 \__/ ヽ 」\/| | ?
丿丿/ノノ ⌒ゝ _,、-./::\:: /::ヽ- |
:__ :::::::::::::::::/〔 Ж〕ヘ::::::::ヽ\
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:::::::::::::::::::::::::丿 ノソノ|/ ::::::::::/:::::l__::ヽ li |:<:::::::::
::::::::::::::::::::::/ノ丿ノソ :::::::::/::::: /:::ヽ li |::::/ヽ::::::::::
:ヽゞゝゞ::ノ/ ( ::::::::::/:::::::::::\:::リ:l::/イ ⌒):::
::::::::::::::::::\ ヽ ::::::::: ヽ::::::::::::::\:レ::::)/ 丿:::
:::::::::::::::::√ し ゝ :::::::::: l::::::::::::::::::://)/ ::::::::
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ノ丿 へ / :::::::::: :::::::://::::::::::::::l ヽ 〆ミゝ
(( ( / i ニ ヽ://::::::::::::::::::::}  ̄
( ー一-- \__,ツ-一-‐r'´´:::| ば
ヽ \ l::::::::::::::::::l.::..:.:.:.l ん
彡 ) l::::::::::::::::::l.::..::.::.l っ
ノ l::::::::::::::::::l.::..::.:.l.
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はじめて性交した時、酔っ払っていたということはいささかも弁解にならないんだ。
翌日俺は同じ事を素面で繰り返したもんだからね。
おれは天満ちゃんが性交に怯えないように、自宅に隠してあったエロ本やら
エロDVDやらを持ち出してきて、これは結婚した人間がみなやっていることだと説得した。
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しかも俺は、学校で天満ちゃんがその秘密をまわりの親友たちにしゃべることを最も怖れていた。
それで、俺はもしこれを二人でやっている事が他人に知られると、二人とも酷いめに合うんだと
言って、ネットから中世の火刑の画像などを探し出して天満ちゃんに見せたりもした。
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〃::::::::::::;r‐''´:::::::::::::::::::::ヽ::ノ
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名無しさんの次レスにご期待下さい:04/09/28 17:02:16 ID:smQGtmYX
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