【光輝蒼天越え】塀内夏子 三国志【覇王の剣】

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誰も突っ込んでいないから書くが。

演義ベースで関羽と張飛の生年を書いていた香具師がいたが、正史には
関羽も張飛も生年は記されていない。
(まあたいていの場合生年はなく、没年と享年から割り出すわけだが、
それが揃っているのさえ少数派)
とはいえ、だいたい演義のそれで正しいのでは、とは言われている。
ただし、あくまで資料はないから、劉備挙兵時にあの年齢であっても
不思議ではない。
もっとも張飛はともかく関羽については劉備陣営に入る前の様子も
ちらっと書いてはあるから、この漫画の設定はちょっと無理かとも思うが
まあ許容範囲。

ダメなのは、互いを関羽とか張飛とか呼ぶのはあり得ないというところ。
名ってのは大事なものだから普通は使わない。親しいものどうしは字で
呼び合う。だから、あの二人の関係なら「雲長」(或いは改字前の長生
でもいい)「益徳」でなくてはね。
長じて官職に就くと官名で呼ばれる。こうなると字で呼ぶことができるのは
余程の親しい人間に限られる。
ちなみに名と字を並べることもない。だから「劉備玄徳」「曹操孟徳」
「諸葛亮孔明」という言い方もない。姓と字を組み合わせることはある。

まとめると、
「関羽」と呼び捨てにするのは処刑直前のホウ徳のように死ぬことがわかっている者。
「雲長」と呼んで良いのは劉備や張飛くらいのもの。
普通の人間は「寿亭侯さま」くらいだな。

それともう一つ、桃園結義は演義のフィクション。
もっとも何も結盟の儀式をしていないとも思えないが。