佐藤タカヒロ「いっぽん!」

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126橋支援
「折られる」
瞬時的に俺はそう思った、いや思ったと言うよりもっと直感的なもの
閃きと言ったほうが近いかもしれない。
「こいつは俺の腕を折る」

他の奴らはこう思ってるだろう
これは試合で本気で折るわけがない。痛めつける程度はするだろう。
いや違う
こいつは、この男は確実に俺の腕を折る。

ぞくり

背中の辺りから頭の先にかけて何かになぞられた感じがした。
恐怖。
様々なイメージが頭の中を駆け巡る。
痛み、熱、軋み、ぶつり、音、痛み、骨、骨組み、筋、ぶちぶち、視覚、痛み。
恐怖…
身体中がその痛みから回避したいと思った。
身体中に今までに無い力がみなぎった気がした。

「ぅわわわわわわわああっっ」
獣のような、奇妙な叫び声が試合会場に響いた。
自分の声とは信じられないような叫びだった。
127橋支援:04/05/30 00:09 ID:w9LZJwIn
圧倒的な力だった。
自分が抱えこんでいた腕が急に、もっとなにか違う馬力のあるモノに変わってしまったの
ではないかと錯覚してしまうほどの力。発せられたおぞましい叫び声。
その圧倒的な力をもってして、抱えていた腕がひきはがされた。
そして、橋はひきはがした勢いでそのまま立ち上がった。
それはちょうど橋が近藤を見下ろす形となった。

近藤は橋の目の中に何か異質なものを感じた。
柔道をやってるときとは違う何か。
もっとドス黒くて、ネットリとした、単純な暴力とも少し違う―殺気

「危ない、この状態は不利だ。」
急いで立ち上がろうと片手を畳についた、その瞬間
近藤の股間で何かがはぜた。
よくわからない感覚がした。
柔道で床に思いきり床にたたき付けられた感覚とは違う
しつこく付きまとった女から食らった平手とも違う
先輩や先生に歯向かって、顔面をグーで殴られた感触とも違う
ぐにょり
と言う感覚。

激痛が襲って来たのはその後だった。
128橋支援:04/05/30 00:11 ID:w9LZJwIn
解放された
解き放たれた。
左腕は自由になった。
そうか、俺は自由になったんだ。
どこに行こうかな
何をしようかな
女の子をナンパしに行こうかな
友達とゲーセンに行くのも良いな。
あれ、そういえば俺は何をしていたんだっけ?
何から解放されたんだ?
ざわめく声、足の下には畳。
足元には近藤がいる。
空中で何かを抱きかかえるような格好をしながら、唖然とした顔で俺の方を見ている。
俺が来てるのは、柔道着。
そうか、そうだった
今、俺は試合の最中だった。
そして、いま、こいつに腕をとられて…
思い出したらなんかイライラしてきたぞ。
ナンパしに出かける場合じゃない、ゲーセンに遊びに行ってる場合じゃない。
今はこいつに、仕返しをしなきゃな。
仕返しを。
二度と俺にたてつかないように徹底的に…
思いきり、蹴りを
こうやってキンタマを蹴り上げる
足の甲にぐにゃりとした感じがした。
129橋支援:04/05/30 00:12 ID:w9LZJwIn
もう止まらなかった。
止める気もなかった。
腰を落とし、全体重を乗せて右の拳を近藤の顔に思い切り打ち込んだ。
それはおおよそ正拳突きなどと呼ばれるような、美しい型をしているモノではなく
子供が喧嘩をする時の様な、ただ相手を殴るだけの拳だった。
そしてそれは股間の痛みのために身を捩じらせていた○のこめかみの部分に当たった。
ゴッ
っと骨がぶつかる音がした。
殴った拳に痛みを覚えたがかまわない、もう一発。今度は左で…
左腕を振りかざす。
と、そこで左腕が止められた。
審判が割って入ってきたのだ。
ええい、邪魔だ。
俺はこいつを、殴るんだ。徹底的に、完膚なきまでに、動かなくなるまでっ!
左腕を強引に振りほどき、打ち下ろす。
もう一発、もう一発…
「やめろ!橋!」
声と同時に今度はもっと大きな力で止められた。
二人がかりで抑えられ、振り解こうとしても無理だった。
そして無理矢理に近藤から離された。
両腕が掴まれているので、最後に右足のカカトでもう一度近藤の股間を蹴った。
じわり、と足の裏に濡れている感触がした。
俺は興奮の余りに涙を流していた。
130橋支援:04/05/30 00:13 ID:w9LZJwIn
「反則負け!」
会場内はざわめいていた。
一人の選手が暴走して、相手を滅多打ちにしたのだ。
それは柔道でもなんでもない。ただの喧嘩だった。
いや、喧嘩でもないだろう。
片方が一方的に殴り続けていただけだ、リンチに近い。

橋の頭の中には様々な言葉が渦巻いていた。

反則、勝ち、失神、喧嘩、柔道、ルール、殴り合い、憎しみ、怒り、死、負け

しかしそれらは単語のまま存在し、決して文章になることはなかった。
ただ、唯一つわかっていることがあった。
それは、さっき自分の中で「何か」が首をもたげて解き放たれたという事だ。
何かが…
なんとなくぼんやりとイメージできる…肉食獣、ライオン…いや違う
狼か?いや違う
熊?違う

「獅子…」
ぽつりと呟いた。
「んん?何か言ったかね!?号令が済んだら早く自分のところに戻りなさい!」
機嫌の悪そうな審判が怪訝そうな顔をしながら半ば怒鳴るかのように言った。
審判の機嫌が悪いのは、さっき止めに入った時に橋から肘うちをレバーに食らったからだ。
回れ右をし、おぼつかない足取りで自分の席に戻っていく。

獅子…

何度も何度も橋の頭の中でその言葉が繰り返されていた。