例えばここにだよ、
>>1という人がいたと。いいですか。
この
>>1は生まれて今まで功徳を積んでいたので、このままだと天界へ生まれ変わりますと。いいですか、
ここまでは。じゃあ次の条件ね。ところが、この
>>1には慢が生じてきて、糞スレを立てるなど、悪業を積み、
そして寿命尽きるころには、地獄に落ちるほどの悪業を積んで死んでしまうだろうと。いいですか。
こういう条件があったとしましょうと。
じゃ次にだ。この
>>1を、ここに成就者がいたとして、殺したと。この人はどこへ生まれ変わりますか。
天界へ生まれ変わる、そのとおりだね。しかし、この
>>1を殺したという事実をだよ、他の人たちが見たならば、
人間界の人たちが見たならばね、これは単なる殺人と。いいかな。そして、もしだよ、このときに
>>1は死に、
そして天界へ行き、そのときに偉大なる救世主が天界にいたと。そして、その天界にいた救世主が、その人に
真理を説き明かし、永遠の不死の生命を得ることができたとしましょう、
>>1が。いいですか。
このときに殺した成就者は何のカルマを積んだことになりますか。
すべてを知っていて、生かしておくと悪業を積み、地獄へ落ちてしまうと。ここで例えば、生命を絶たせた方が
いいんだと考え、ポアさせたと。
この人はいったい何のカルマを積んだことになりますか。殺生ですかと、それとも高い世界へ生まれ変わらせる
ために善行を積んだことになりますかと。ということになるわけだよね。でもだよ、客観的に見るならば、
これは殺生です。客観というのは人間的な客観的な見方をするならば。
しかし、ヴァジラヤーナの考え方が背景にあるならば、これは立派なポアです。そして、智慧ある人は
-- ここで大切なのは智慧なんだよ。智慧というのは -- わたし先程何て言った? -- 神通力と言ったよね。
智慧ある人がこの現象を見るならば、この殺された
>>1、殺した人、共に利益を得たと見ます。OKかな、これは。