1 :
:
誰からも注目されなかった日本代表バルセロナ五輪代表。
今だからバルセロナ五輪代表について語りましょう。
2 :
:04/04/11 08:27 ID:.ujkAESY
NHKの総合テレビで深夜に予選の模様が録画中継されてた記憶がある。
まだ当時はサッカーファンじゃなかった。
3 :
2006年まで名無しさん:04/04/11 08:37 ID:TznkoeQU
語る価値なし
4 :
2006年まで名無しさん:04/04/11 18:05 ID:vWHmydqE
バルセロナ五輪予選って、名波や藤田が出てたんだっけ。
Jリーグは始まっていたし、日本代表(A代表)は注目されていたのに、
ほとんど注目されていなかったな。
なんでやろ?
相馬はセンターバック起用だった?
6 :
2006年まで名無しさん:04/04/11 18:13 ID:0M2TsRHQ
バルセロナ行けなかったからだろ
7 :
2006年まで名無しさん:04/04/11 18:22 ID:vWHmydqE
>>6 無論、それは真理なのだが、思い起こせばアトランタのときも、予選なんて
それほど注目されていたわけではない。
五輪予選が大きく注目されたのはシドニーから。
その基になるのは、マイアミの奇跡か、WYの決勝進出か。
前者ならば、西野の、後者ならばトルシエの日本サッカー史に残した足跡は大きいことに成る。
アンチは、いやだろうな。
8 :
2006年まで名無しさん:04/04/11 18:36 ID:AdDuMNcY
日本・韓国・中国・クウェート・バーレーン・カタール
この最終予選の組み合わせはすごいな。
バルセロナ最終予選。トルシエの頃にこれだったら行ってなかったかもね。
9 :
2006年まで名無しさん:04/04/11 18:42 ID:AdDuMNcY
お笑い五輪一次予選組み合わせ(シドニー)
日本・フィリッピン・ネパール・マレーシア・香港
お笑い五輪最終予選組み合わせ(シドニー)
日本・タイ・カザフスタン
インチキ以上のものがあるな(笑
10 :
2006年まで名無しさん:04/04/11 18:44 ID:vWHmydqE
>>9 おい、一次予選のフィリピンって、お笑いじゃあ済まなかったんだぞ。
11 :
2006年まで名無しさん:04/04/11 19:08 ID:0M2TsRHQ
バルセロナ予選はドーハの悲劇前だろ
現在のサッカー日本代表の始まりはあそこからだと俺(20歳)は思ってる
12 :
2006年まで名無しさん:04/04/11 19:10 ID:0M2TsRHQ
それにJリーグも無かった頃だし、サッカー自体まだ日本では微妙な位置だったんじゃない
13 :
2006年まで名無しさん:04/04/11 19:12 ID:4Yq6Tcn6
アメリカ大会
アジア地区最終予選(2枠)
日本・韓国・イラン・サウジアラビア・イラク・北朝鮮
アジア予選史上最強の死の予選はやっぱりこれだな。
これを超える死の予選は五輪でもW杯でも二度とないんだろうな。
スレ違いスンマソン
14 :
2006年まで名無しさん:04/04/11 19:37 ID:whMRlcNw
2000年シドニー
1996年アトランタ
1992年バルセロナ
んー、確かに、Jリーグがなかった頃だった。
15 :
:04/04/11 19:52 ID:Gw8wuXJ6
>>7 俺は、アタランタ予選は全部見たよ。
前園のプレーが随所に光っていた。
廣長も居たなぁ、今はどうしているんだろう、さっぱり顔を見ない・・。
16 :
:04/04/11 20:01 ID:Gw8wuXJ6
そうそう、凄い激闘だった・・。
みんなの足がつり始めて、やばくなってくると、前園の超ゲキが飛んだ。
普通の状態なら震え上がりそうだが、そういう極限状態では、おそらく選手のもうろうとした頭が醒めた。
調子がいいなら今のA代表にも欲しい状態だよなぁ、まったく・・。
あの地獄の予選があったからこそ、守備専にならざるを得ないとはいえ、初優勝狙ってベベト、フラシオコンセイション・アウダイールとA代表のオーバー栄時をそろえてきたブラジルに対してフルU23の日本がマイアミの奇跡を起こせたんだと思うよ。
17 :
2006年まで名無しさん:04/04/11 20:40 ID:m7MiBeyA
やっぱバルセロナで語るのは無理ぽ
18 :
2006年まで名無しさん:04/04/11 21:24 ID:whMRlcNw
前園かぁ。いい選手だったよなぁ。
でも、アトランタあたりから壊れ始めたイメージがあるよ。
フリューゲルスのときは、早くて鋭い、サイドアタッカー。
アトランタの代表あたりから、足が止まり始めて。
ヴェルディにいったら、完全に静止状態で消滅。
19 :
2006年まで名無しさん:04/04/11 21:59 ID:mFUO3T/U
そういえば、バルセロナ予選の時もバーレーンとやったなと思って、今回の予選が終わった後、久々にビデオを見たよ。
感想としては、実況がへたすぎ。それから驚きの選手としては、左SBの名良橋、トップの三浦文丈、CBの相馬。
今回はバーレーンだけに勝てなかったけど、この時はバーレーンにしか勝てなかった。
予選敗退の原因は主力選手のほとんどが、大学生だったことかな。沢登、永井秀樹、名波とか当時からうまかったんだけどね。
A代表の方は、Jリーグ開幕前でも、読売、日産がほとんどプロだったこともあって、91年ごろから強くなっていたからね。
最終予選の6チーム中、3チームが出場できるということで期待はしてたんだけどね。
いろいろ同情できる点はあったな。
20 :
:04/04/11 22:21 ID:Gw8wuXJ6
三浦文丈は清水商で冬に全国制覇した時、藤田と一緒に出場してたね。
三浦は筑波に行った。藤田はそのままヤンマー(磐田の前進)じゃなかったかな。
藤田の直角抜きのドリブルは今も昔も似てると思うよ。
21 :
:04/04/11 22:25 ID:Gw8wuXJ6
相馬はもともと右のサイドバックだったでしょう。
で、サイドバックで起用される。いつから左をやるようになったんだろう?
22 :
2006年まで名無しさん:04/04/11 22:29 ID:0/S7k07c
1970年(昭和45年)生まれの学年には、どうして良い選手が少なかったんだろう?
バルセロナに行けなかったのは、中心年代だった70年生まれの
不作に原因があるように思えてしょうがない。
その後フル代表で活躍した人もいなかったし。
(秋田は70年生まれだが、バルセロナは関係なかったはず)
23 :
:04/04/11 22:39 ID:Gw8wuXJ6
>>22 俺が思っているだけだけど、あの頃は、WINGポジションがあった。
で、高校選手権を見てもWINGポジションのサイドのスピードあるドリブル得意のちょうど石川のような選手が活躍していた。
けど、オーバーラップが重視され、サイドが押しあがり動きながらボールを受けるのが主流になり、単純な平行移動のWINGポジションが無くなった、WINGポジションの選手はSHの位置が起用方法としてあったけど、もともと守備は長けてはいないから消えてしまった。
別に'70だけってことでもないと思うよ。
24 :
2006年まで名無しさん:04/04/11 22:42 ID:whMRlcNw
>>21 話によると、アメリカWC予選で、都並しか左サイドバックがいなかったうえ、それが故障したのを見て、左に切り替えたそうです。
25 :
2006年まで名無しさん :04/04/11 23:12 ID:Y..DAOMI
>>22 70年生まれで、当時うまいと言われていたのは、森山と礒貝。
91年にA代表に選ばれていた。森山は大学サッカーでは別格という感じだった。
でも、年齢の規定が変わって、この時は、9月生まれ以降のみ参加可能とかいう変なものだったはず。
これは結構痛かったみたい。沢登も最近の雑誌で話してた。
おまけに、一次予選でエースとして活躍した山口敏弘が大学リーグ戦の不祥事で長期出場停止になって、最終予選に選ばれなかった。
いろんな運もなかったんだよね。
26 :
25:04/04/11 23:19 ID:Y..DAOMI
ごめん。森山、礒貝は69年生まれだった。
沢登と同学年だけど、沢登は早生まれだった。
27 :
2006年まで名無しさん:04/04/11 23:37 ID:0/S7k07c
最近のダイジェストに永山邦夫が出てて、「おーそう言えばいたなぁ」って感じがした。
ユースからの生え抜き、っていうのがまだまだ少ない時代だった。
28 :
2006年まで名無しさん:04/04/12 03:20 ID:78QQzuMo
沢登がキャプテンだったね。
藤吉がFWだった。
最終予選の韓国戦NHK衛星で深夜放送してたの実家で見た。
当時大学生の俺の一人暮らしのアパートには衛星なかったからよ。
29 :
2006年まで名無しさん:04/04/12 09:09 ID:/R9Boq2I
>>4 Jリーグは始まっていないし、日本代表(A代表)も注目されていなかった
30 :
2006年まで名無しさん:04/04/12 17:31 ID:iTQ7L20U
>>25 磯貝って確か69年4月生まれだったと記憶している。
当時のルールによってバルセロナ五輪の代表チームには入れず
その前のソウル五輪のチームに入るには若すぎ、ということで
才能がありながらも国際大会に出場する機会に恵まれなかった
ことが彼の成長を妨げる要因の1つになったとなにかの本で
読んだことがある。
その後ガンバに入ってからたまにすごいFKとか見せていたけど
単発だったよね。
>>23 その当時の高校選手権て、今のメロンパン屋さんが活躍してた頃じゃない?
31 :
酒代愛読者 :04/04/12 22:58 ID:Y..DAOMI
>>27 「そういえばいたなー」というのはまさにピッタリの表現だと思ったよ。
U23でもマリノスでも存在感薄かったもんね。
この存在感の薄さはミョージンに勝るとも劣らないと思っているのは私だけ?
鞠サポじゃないから、引退報道を聞いて、まだ現役だったんだと気づいたよ。
「さぶっ」のネタにもならないだろな。
ダイジェストの同じ号に永井のインタビューも載ってた。
予選から帰国後、礒貝と「もう一年大学でサッカーしててもダメだろう」と話をして
翌日すぐに、挨拶しにいって大学を辞めたというのは笑えた。
永井のこういうサッカー馬鹿なところは好きだな。
32 :
2006年まで名無しさん:04/04/13 05:39 ID:2zYqRRak
>>7 アトランタの時は予選からめちゃめちゃ注目されていたよ。
1次予選から普通に生中継だし。
注目されだしたのはアトランタから。
出場決めた時はどれもスポーツ新聞の一面だった。
バルセロナはいつ予選があるのかもわからない状態。
アトランタの時とは天と地ほどの差がある。
藤吉がエースFWじゃ、予選突破出来ないのも理解出来るわ
飛び級だった高田って選手はどういう経緯で飛び級したの?
34 :
2006年まで名無しさん:04/04/13 07:56 ID:0/S7k07c
当時のメンバーで現役でやってる選手も少なくなってきてるんだろうな。
藤吉は今でも中国?
永井は大分で肉離れ中か。体のメンテが難しい年代になったということだな。
35 :
2006年まで名無しさん:04/04/13 15:47 ID:1Fs.3Kl2
どんなメンバーだったの?
36 :
2006年まで名無しさん:04/04/13 19:26 ID:Y..DAOMI
》32
高田のメンバー入りの経緯は詳しく知らないけど、持久力など抜群の身体能力を買われたという話はあった。
市船の布監督は、高田が選ばれるとは思ってなかったと言ってた。
ちなみにこの時の年齢制限は今と違っていて、23歳以下といいながら実質は23歳未満のみ出場できた。
学年でいうと、大学4年生の春夏生まれは参加不可で、高校3年生の春夏生まれまでが4年区切りで対象学年となる。
高田と上野(横浜M)は平山のような飛び級ではなかった模様。
》35
GK下川 DF小村 相馬 名塚 MF名良橋 原田 沢登 永井 永山 FW三浦 神野
こんな感じの先発が最終予選の基本だったと思う。名波は交代でよく出てた。
最初は石川が相馬の代わりに出てたけど怪我をしたと思う。
チーム立ち上げ当初から監督は山口芳忠だったが
最終予選から横山謙三が「総監督」に就任し実権を握ったらしい。
横山謙三って悪い話しか聞かないな。
38 :
2006年まで名無しさん:04/04/13 22:02 ID:R1vDTMqM
>>32 現在の年齢制限はアテネで言うと1981年1月1日生まれ。
当時は欧米の学年に合わせた1969年8月1日生まれ。
8ヶ月の差があった。日本の場合4月で区切るので好素材が集中する
4、5月生まれが入れない事になる。これが痛かった。
(実際、小倉、前園もこの規制であわや五輪出場資格が消える所だった)
>>35,36
GKは下川と堀池(元東ガス)もともとは堀池の代わりに大神 が入っていたけど
怪我などの為、最終予選は堀池がサブに入った。
DF、ウィングバックは最初は奈良橋が右に入っていた。
スイーパーに関してはもともと石川康が取り仕切っていたが怪我の為、
緊急で相馬がカバーした。ただ、石川康は登録問題があったから
最初から外れていたらまた違ったチーム作りが出来たかもしれない。
(五輪代表に出場出来たのは日本スタッフ&FIFAのミスらしい)
MF、FWは36の書いた通りかな。後半から藤吉を投入するのがパターン
だったと思う。
39 :
38:04/04/13 22:04 ID:R1vDTMqM
あと、高田は飛び級。その代わり当時は一度五輪予選に出場した選手は
次の予選に出場するのが禁止されていた為、アトランタでは資格が
あったのに予選出場が叶わなかった。もっとももうその時には力が
落ちていたので本戦に出場する事はなかったのだけど。
>>37 横山が総監督になったのは一説では横山に罪を作らせる事で
代表監督を辞めさせる為、なんてのが出てきたくらいだった。
だが、スッポン山口がせっかく作ったチームの雰囲気を
見事に破壊したのは事実のようだ。
40 :
2006年まで名無しさん:04/04/14 23:45 ID:18hl3KRU
原田、高田、服部
そして永井
41 :
2006年まで名無しさん:04/04/15 15:09 ID:tNSC738k
上野(武南)が代表候補だった
>>20 藤田は筑波→磐田だよ。あとみんな知ってると思うけど、磐田の前身はヤマハ発動機
でヤンマーはセレッソ。
この代表はうちの近くに合宿かなんかできてたんだよね。そのときはサッカーに
興味もなかったし、大学で別の所にいたんで後から知ったんだが。
43 :
2006年まで名無しさん:04/04/16 21:17 ID:0Osp/7IA
バルセロナ・オリンピック・アジア一次予選 F組 日本の結果
1991.6.9 (スラバヤ) 2-1 インドネシア 得点:沢登、原田
1991.6.16 (香港) 1-3 香港 得点:藤田
1991.6.23 (台北) 3-0 台湾 得点:沢登、小村、山口
1991.6.29 (大宮) 2-0 台湾 得点:山口2
1991.7.7 (愛媛) 3-0 香港 得点:山口3
1991.7.13 (岐阜) 3-1 インドネシア 得点:仲村、小村、沢登
44 :
2006年まで名無しさん:04/04/16 22:22 ID:GtNBLFTY
一次予選メンバー
監督:山口芳忠
GK下川健一(古河)大神友明(筑波大)
DF石川康(本田)名塚善寛(フジタ)石川健太郎(国士舘大)小村徳男(順天堂大)相馬直樹(早稲田大)
MF永山邦夫(日産)鈴木正治(日産)三浦文丈(筑波大)名良橋晃(フジタ)原田武男(早稲田大)
藤田俊哉(筑波大)沢登正朗(東海大)仲村浩二(順天堂大)
FW池田伸康(早稲田大)藤吉信次(読売)山口敏弘(近畿大)服部浩紀(筑波大)深川友貴(国士舘大)
DFショボイな
もしソウル五輪もU−23でやってたら、日本の予選のメンバーはどんな感じになったんだろう?
ゴンあたりが入るのか?
47 :
2006年まで名無しさん:04/04/17 17:10 ID:PC.5AQMs
48 :
2006年まで名無しさん:04/04/17 17:52 ID:qkceSs46
最終予選のメンバーと成績も教えてぽ
49 :
2006年まで名無しさん:04/04/17 20:41 ID:geg811Hk
バルセロナ・オリンピック・アジア最終予選 日本の結果
1992.1.19 1-2中国 得点者:原田
1992.1.23 1-1クウェート 得点者:小村
1992.1.25 6-1バーレーン 得点者:三浦3、名良橋、神野、永井
1992.1.27 0-1韓国
1992.1.30 0-1カタール
1勝3敗1分け 勝点3 6チーム中5位で敗退
50 :
補足:04/04/17 20:47 ID:geg811Hk
結果だけ見ると全然ダメだったようにも見えるけれども
第4戦韓国戦の後半44分までは、かなり希望があったんだよね。
得失点で有利に立っていた分、韓国戦さえ引き分けに持ち込めれば・・
ドーハみたいな悲劇が起こったのでした。
なお開催地はマレーシア。
51 :
2006年まで名無しさん:04/04/18 13:03 ID:duQ5FOZk
最終予選メンバー
団長=川渕三郎 副団長=藤田一郎 総監督=横山兼三 監督=山口芳忠 コーチ=田村脩
GK下川健一(JR古河)堀池洋充(慶応大)
DF飯島寿久(東海大)石川康(本田)名塚善寛(フジタ)小村徳男(順天堂大)相馬直樹(早稲田大)内田利広(明治大)
MF永山邦夫(日産)名良橋晃(フジタ)池田伸康、原田武男(早稲田大)沢登正朗(東海大)
名波浩(順天堂大)永井秀樹(国士舘大)長谷部茂利(中央大)高田昌明(市立船橋)
FW神野卓哉(日産)藤吉信次(読売)三浦文丈(筑波大)
52 :
補足:04/04/18 13:12 ID:duQ5FOZk
最終エントリーは当初22名の予定が直前に20名に変更されたとのこと。
最初はGK中川とFW服部を含めた22名で発表。その後、中河が負傷で木寺(NKK)が追加されたものの
最終的には木寺と服部は抹消されたとのこと。
サカマガ92年3月号に記載されてました。
このサカマガを押入れから探し出すのに一苦労でした。
53 :
2006年まで名無しさん:04/04/18 15:03 ID:cAr.iOkA
それでバルセロナ五輪に出場したチームはどこだったの?
54 :
2006年まで名無しさん :04/04/18 17:20 ID:Umxajfgg
順位 国名 勝点
1 カタール 8
2 韓国 7
3 クウェート 6
4 中国 6
5 日本 3
6 バーレーン 0
上位3ヶ国が本大会出場(3,4位は得失点差による)
55 :
2006年まで名無しさん:04/04/18 17:30 ID:Umxajfgg
韓国のエースは来日前のノさん。
他にその後の有名選手としては、ソ・ジョンオンとキム・ドフン。
中国にはハオ・ハイドン。
56 :
:04/04/18 19:22 ID:0Jbfl22o
カタール一位だったんだ。今だとびっくりな感じですが、
当時はそういうもんだったんですかね
藤田最終予選入ってないんだ・・・。
こんな昔から縁がないのかよ。
58 :
2006年まで名無しさん:04/04/18 20:40 ID:7RAIgIgY
現在では、東アジアがアジアの覇権を握っているけど
92年にオフトジャパンがアジアカップで優勝するまでは個人的には中東コンプレックスを感じてましたね。
大昔のことはわからないけれども、オイルマネーを背景に70年代後半あたりから中東各国が急激に力をつけて
大きな世界大会の出場権をほぼ独占していた頃もあったそう。
やってるサッカーは全然おもしろくないんだけど、当たりの強さと技術でかなわないというのが
86年と90年のアジア大会で感じたことでした。
このスレッドのおかげで貴重な以前の資料をいろいろ発見したので、そのうちの80年代アジア主要大会成績一覧
というのを、付けときますんでご参考ください。
59 :
2006年まで名無しさん:04/04/18 20:51 ID:7RAIgIgY
五輪予選
1980モスクワ イラク、クウェート、シリアが出場
1984ロス イラク、サウジアラビア、カタールが出場
1988ソウル 中国、クウェートが出場(予選は東西分割) 韓国はホスト国として出場
W杯予選
1982スペイン クウェート、ニュージーランドが出場(アジア/オセアニア予選として開催)
1986メキシコ 韓国、イラクが出場(予選は東西分割)
60 :
2006年まで名無しさん:04/04/18 21:03 ID:7RAIgIgY
アジアカップ
1980クウェート 1位クウェート、2位韓国、3位イラン、4位北朝鮮
1984シンガポール 1位サウジアラビア、2位中国、3位クウェート、4位イラン
1988カタール 1位サウジアラビア、2位韓国、3位イラン、4位中国
アジア大会
1982インド 1位イラク、2位クウェート、3位サウジアラビア、4位北朝鮮
1986韓国 1位韓国、2位サウジアラビア、3位クウェート、4位インドネシア
61 :
:04/04/18 21:26 ID:xfEUui66
おい、ナラハシって確か左サイドだったよな?
んで、絶妙の動きなのでよくパスが来るんだが、
左足で蹴ったクロスの8割がゴールラインを割ってたイメージがあるのは漏れだけ?
62 :
:04/04/18 21:27 ID:xfEUui66
誰かスペインVSコロンビアの試合持ってない?
キコだったかルイス・エンリケだったかの
胸トラップからループシュートが決まった奴うpきぼん
63 :
2006年まで名無しさん:04/04/18 22:19 ID:tvDpqyg6
>>57 大きい展開ができないという理由で横山総監督は藤田を選ばなかったような気がする。
>>61 ものすごいミドルを決めた印象しか残ってないな。
そう言われればそうだったかもしれない。
カタールってバルセロナ五輪本番で4位くらいに入ってなかったっけ?
65 :
2006年まで名無しさん:04/04/19 11:23 ID:ZVe/fZq.
66 :
2006年まで名無しさん:04/04/19 22:44 ID:zxNpUlsE
バルセロナ五輪本大会での成績
カタール 1勝1敗1分けで予選リーグ突破 ベスト8
韓国 3分け
クウェート3敗
67 :
2006年まで名無しさん:04/04/21 19:58 ID:ZVijIYtM
VS中国
GK@下川 DFA小村、D石川、B名塚 MFE永山、N高田(池田O85分)
P原田、F名良橋、I沢登 FWG永井(藤吉K64分)、H神野
戦評(サッカーダイジェスト92年4月号より)
序盤は固さもあって攻め込まれた日本だったが、中国の攻めが単調だったこともあり、次第に
落ち着きを取り戻す。19分には原田の強烈なミドルで待望の先制点。だが、これで引き分け狙い
だったチームに欲が出てしまった。互角の展開に持ち込んだものの守備は薄くなり、37分に同点
ゴールを許し、50分には張軍に逆転ゴ−ル。悪くてもドローの試合を落としてしまった。
68 :
2006年まで名無しさん:04/04/22 22:49 ID:UFvR35Bo
第1戦 結果
カタール 1-0 バーレーン
得点者/7分:ジョハール
韓国 1-1 クウェート
得点者/ク=アルフクディ 韓=ノ・ジュンユン
69 :
2006年まで名無しさん:04/04/22 23:03 ID:Ely0pIro
日本 1-1 クウェート
GK@下川 DFA小村、D石川(相馬Q80分)、B名塚 MFE永山
P原田、F名良橋、I沢登、G永井 FWH神野(藤吉K87分)、J三浦
戦評(サッカーダイジェスト92年4月号より)
第2戦の相手は初戦で韓国と引き分けたクウェート。中東最強と言われたチーム
だったが、負けられない日本は激しく動いて試合の主導権を握り、57分には小村
のヘッドで先制点を奪った。ところが残り時間が20分を切ったあたりから日本の
活動量はガクッと落ち、79分に左からのクロスをアルフダリに頭で決められ、引
き分けに持ち込まれてしまった。
70 :
2006年まで名無しさん:04/04/22 23:14 ID:Ely0pIro
第2戦結果
韓国 1-0 バーレーン
得点者/13分:ノ・ジュンユン
カタール 1-0 中国
得点者/74分:ザイネル
71 :
2006年まで名無しさん:04/04/22 23:28 ID:NfUTUkUw
日本 6-1 バーレーン
GK@下川 DFA小村、Q相馬、B名塚(飯島C74分) MFE永山
P原田、F名良橋、I沢登(名波77分)、G永井 FWH神野、J三浦
戦評(サッカーダイジェスト92年4月号より)
40分、名良橋からのパスを受けた三浦が決めて先制すると、日本の攻撃陣が爆発
43分に名良橋、45分には三浦がPKを決め、前半で勝負を決めた。後半に入っても
日本の勢いは衰えず、48分には三浦がハットトリックを達成し、神野、永井も初
得点。この大勝で3位に浮上した日本は、次の韓国戦を引き分けでもOKという有利な
状況になったが・・・
72 :
2006年まで名無しさん:04/04/22 23:40 ID:zLulmL1o
第3戦
カタール 1-0 韓国 得点者/39分:ムスタファ
中国 1-0 クウェート 得点者/28分:胡志軍
@カタール 6p +3 A中国 4p +1 B日本 3p +4
C韓国 3p 0 Dクウェート 2p -1 Eバーレーン 0p -7
73 :
2006年まで名無しさん:04/04/23 21:51 ID:Drtm23t.
日本 0-1 韓国
GK@下川 DFA小村、Q相馬、B名塚(飯島C74分) MFE永山、P原田
F名良橋、I沢登、G永井(藤吉K87分) FWH神野(名波M66分)、J三浦
戦評(サッカーダイジェスト92年4月号より)
一方的な試合だった。しかし日本は耐えた。負傷で戦列を離れた石川に変わってスイーパー
を務めた相馬が、ストッパーの小村、名塚が、身体を張った必死のプレーで失点を防いだ。
原田が、沢登が、そして永井が、普段の彼らからは信じられないような活動量で韓国選手を
追い回した。だが、時計の向こうに五輪が見え始めた88分50秒、すべては終わった・・。
74 :
2006年まで名無しさん:04/04/23 22:13 ID:Drtm23t.
サッカーダイジェスト92年4月号より
頭の中の血管という血管が、ブチブチと音を立ててちぎれそうな時間が流れていた。
残り時間はあと10分。ナ・スンファに右サイドを切り裂かれた。
残り時間はあと5分。ミドルシュートがバーをかすめた。
防戦一方、などという言葉では足りないぐらい押し込まれる日本。だが、時計の秒針があと数周すれば、歓喜の瞬間がやってくる。(中略)
初戦の中国で逆転負けを喫し、クウェート戦では押し気味に試合を進めながら、一瞬のスキをつかれて追いつかれた。あの時、なかば諦めた
バルセロナへの光がバーレーン戦の圧勝で、再び見え始め、今では完全に輝きを取り戻そうとしている。残り時間はあと2分。猛攻を続ける韓国
選手の表情に、明らかな焦りの色が浮かび上がっていた。女神が、日本に微笑もうとしている。
「よくしのいでいたが……。最後の最後で弱気になってしまった」
数分後、ムルデカのグラウンドには泣き崩れる日本選手と、うつろな表情で横山監督の周りに群がる日本人記者の姿があった。
(略)
高田ってひっそりとソニー仙台で現役続けていたのね・・・
昔の天才いま何処
たしか雨の中の中国戦でしたっけ?
77 :
JPN:04/04/24 02:38 ID:vrWY.b5I
最初の方は、なんちゃってサッカーファンが書き込んでたけど
だんだん本当のサッカーファンが書き込んできてうれしいよ。
高校サッカーでバルセロナの星って服部が騒がれてたけどメンバー
に入れなかった。名波がまたぎのフェイントして相手が思いっきり
ひっかかり観客にうけてたのを覚えている。この予選ってサッカー
好きしか見てなかった。今20代後半以上の年でこの予選見てない
人は、にわかサッカーファンだと思われ。バルセロナ予選って何気に
重要なものさしになってるんだな。
俺は見てなかったな。新聞で結果見る程度だった。
どうせダメだろうと思ってたし。
実際のところ前評判はどうだったのか知りたいな。
当時中学生だった俺も新聞で結果だけ見たよなぁ
本当かどうか知りませんが
24日のオリンピック女子サッカー最終予選・日本VS北朝鮮
北朝鮮は日本人拉致に協力していた朝鮮総連を使い在日朝鮮人を総動員
現段階で6000人、最終的には1万人を集めて国立に北朝鮮大応援団を結成する計画なんだそうだ。
http://ryankigz.blogtribe.org/
81 :
2006年まで名無しさん:04/04/26 00:16 ID:jxyZYh3s
>>78 いろいろな見方はあるだろうけど前評判は高くなかったと思うな。
1次予選は突破したけど、試合内容がまずく、山口の得点能力に救われたという記事はあった。
個人的な意見になるかもしれないけど、このチームの元となった88年アジアユース組は今で言う
谷間の世代なんだよね。86年組は長身の黒崎と最年少の礒貝を攻撃の軸に、井原、ゴン中山を
守備の軸に据えた魅力的なチームだったし、中盤に藤田、名波、FWに山口を擁した90年組は
非常に可能性のあるチームだった。実際、この2つのチームを見た韓国関係者は、「この子たちが
大人になったら日本に勝てなくなるんじゃないか」という心配をしていたそうな。
対象が前後どっちかにずれててくれたらなーというのを当時考えたものだったよ。
あと、対戦相手と自分たちの力関係を読み違えたというのはあると思う。
予選前は、ほんとか嘘か五引き分けを目指すとかいう話もあったけど、
始まってみると意外と日本のサッカーは通じたんだよね。
82 :
2006年まで名無しさん:04/04/26 22:15 ID:KMk.Fu8k
第4戦
中国 3-0 バーレーン
得点者/69分:蔡晟、74分:魏兵、89分:カク海東
カタール 0-3 クウェート
得点者/44分:アルフワディ、68分:アブダラー、80分:マルゾーク
なお日韓戦、韓国の得点はキム・ビョンスI(後にコスモ石油に在籍)
83 :
2006年まで名無しさん:04/04/26 22:30 ID:bmkboJpM
日本 0-1 カタール
GK@下川 DFA小村、Q相馬、C飯島 MFE永山、P原田、 F名良橋(名波M59分)
I沢登、G永井 FWK藤吉(池田O62分)、J三浦
戦評(サッカーダイジェスト92年4月号より)
韓国が中国に敗れ、クウェートが最下位のバーレーン相手に勝点を落とし、かつ日本が勝たなければ
ならない状況。限りなくゼロに近い可能性に、それでも日本は懸命に挑んだ。が、その動きは余りにも
重く、カタールの堅い守りを崩すにはいたらない。結局0-1.6チーム中5位と言う成績で全日程を終了した。
84 :
2006年まで名無しさん:04/04/26 22:37 ID:bmkboJpM
第5戦
韓国 3-1 中国
得点者/韓=3分:ガク・キュングン、5分:ソ・ジョンオン、9分:キム・ギファ
中=79分:カク海東
クウェート 3-0 バーレーン
得点者/不明
85 :
2006年まで名無しさん:04/04/27 23:20 ID:6.EJ7fO.
下川が高校サッカーで出てきたときはあと10年日本はキーパーで悩む事は
無いだろうと言われていた。
このチームでも下川は不動の守護神だった。
何が彼を変えてしまったのだろう。
やはり、あの国立でのキャッチミスだろうか・・・・。
86 :
2006年まで名無しさん:04/04/28 04:57 ID:xe/arQxk
>>85 前川のミスはアジアカップの予選の中国戦だったよね
あのアジアカップ前のキリンカップはまだ深夜放送だったよね。
個人的にはアジアカップではグンゼYGに衝撃受けた記憶がある
87 :
:04/04/28 20:00 ID:nwl5toRY
中山を主軸とか書かれるとなんか胡散臭く感じるな。
88 :
2006年まで名無しさん:04/04/28 21:07 ID:NH.X04ao
中山はDFとして(DFなのに?)SBSカップでMVPを受賞したことがある。
89 :
2006年まで名無しさん:04/04/28 22:23 ID:TuHVeWiE
自分自身、彼らと同世代だったので期待はあったんだが…。
当時サカーを見始めた頃で元日の天皇杯を見て「日本人同士の試合も結構
面白いもんだ」と思いながらTVで観戦。
学生の一人暮らしだったのでBSは入っておらずNHKの地上波のみでしか
見られなかった。たしかバーレーン、韓国戦のみ地上波だったと思う。
解説は松本育男で実況は松本一路。途中、音声が途切れ電話で話しているような
音声に切り替わったことがあった。
韓国戦の終了間際の失点で松本氏が「あーーー」という悲鳴を上げたように
記憶している。
松本一路アナってサッカーもしゃべるんだ。
知らなかった・・・
91 :
JPN:04/04/29 03:28 ID:stkQPPBo
>>86
前川=下川って・・??
キリンカップの深夜放送はウェールズ戦。アルゼンチン戦は生だったよ。
グンゼYG=北澤の事か?彼は当時すでに日本のトッププレイヤーの一人。
彼の力からすれば期待通りの仕事だった。まだ当時全くの無名だった森保
だったり、スパーサブという名をつくった中山に衝撃受けるのはわかるん
だが。
北澤が得点王だなんて知らないんだよ。仕方ない。
92のアジアカップは代表厨の先駆けが発生してるでしょ。
93 :
2006年まで名無しさん:04/05/04 22:15 ID:zQ4w1t.Q
Yeah! No.089 沢登正朗選手のお話
「純粋に力不足。それだけです。個々のレベルが低すぎました」
ちょうど10年前の自分について、彼は淡々と振り返った。
「おもしろいのが、発足したときは元旦で締め切っていた年齢制限が、あるときから、俺たち
69年生まれの人間だけは誕生日が8月以降の人間だけとなってしまったこと。このせいで、礒貝
とか、森山とか、俺たちの年代でうまいといわれていたヤツが抜けちゃったんだよね。それまで
のチームだったら正直、行けるんじゃないかと思っていたんだけど…」
一次予選を突破し、いよいよ最終予選を迎える五輪代表に、異変が起きる。それまで指揮を
執っていた山口芳忠監督をサポートすると言う名目で、急遽、当時フル代表を務めていた横山
兼三が総監督につくことになった。事実上の、監督交代劇である。
「あれ?と思いましたね。チームのメンバーも多少替わったし、無言のプレッシャーを感じた
というか、やっぱり横山さんには、独特のオーラがありましたから」
94 :
93続き:
メキシコ五輪銅メダリストの投入。それは24年ぶりに本大会出場を、と願う協会からの
無言の圧力に感じられた。また、最終予選が近づくにつれてひとり、またひとりとアメーバー
のように増えていくメディアの存在も、これを後押しする。
「正直な話、初めは事の重大さに気づいてなかったんですよ。サッカーとオリンピックという
ものが結びつかなくて。でも、マスコミが増えていくあたりから段々と自覚が強まっていった」
《新しい歴史を俺たちが作ろう》
ロッカールームでは、誰それとなくそんな言葉が口をつくようになった。
最終予選、日本は5位で日程を終えた。
「でもね、不思議なんですよ。あのときの記憶があるからか、韓国とやるときはね、それ以来
異常に燃えちゃうんです」