個人技術と戦術は、両方あってはじめてサッカーができるので、分けて考えることはできない。
守備と攻撃も分けて考えてはダメ。
守備の時から攻撃のことを考え、攻撃の時から守備のことを考える必要がある。
これは無論選手の判断に拠るところも大きいが、大まかでも決まりがあれば現場の判断でバランスが崩れた時でも
立ち返る「基礎」があることで持ち直すことができる。
監督が押し付けるダメな基礎もあるが、基礎があることで突発的な行動がより生きる。
良い監督の考える様々な可能性も含めた基礎は、選手が扱いやすいだけでなく、より選手がプレイだけに集中でき、
+αとしての「応用」を行う環境を作ることができる。
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…という過去何度も書いてる一般概論を書いてみたが、ジーコジャパンは基礎が無いとは言わないが非常に少ない上
薄氷のごとき基礎に見える。
選手に安心感を与えるのも監督の仕事だ。
ジーコの言う、そして日本サッカーが求める自由は、本来「応用」を作り出す力であるはずなのだが、そもそも基礎を
与えなければ応用はない。
具体的な戦術や約束事の作成は監督に任せる。
そこからの応用も選手に任せる。
それすらできていないから、批判するしかない。