三国志に関する恥ずかしい話

このエントリーをはてなブックマークに追加
26無名武将@お腹せっぷく
>>25
 赤壁の魏・呉の戦いは、孔明はただの外交官であり、彼が
東南の風を吹かせて、呉を勝利させたというたわごとを、
信じるものはおるまい。
 蜀・漢中攻略においても、孔明は後方で軍政を担当した
だけであって、直接軍事関係の指揮をとってはいない。
 最初に孔明が軍事で活躍したとみなせるのは、南蛮征討
からであり、史実においては、それでも南蛮の叛乱は
納まらず、かなりの部隊が駐屯して、根気よく叛乱を
食い止めてきた。
 そして北伐においては、孔明は連戦連敗。

・・さて、これでも孔明を最高の軍師と呼べるので
あろうか?

 例えば、前田慶次を戦国最強の武将とするフィクション
があるが、実はそれを否定する資料は存在しないと
言っていいくらい、前田慶次についての資料は不足して
いる。しかし、孔明については、最高の軍師である事を
否定する資料には不足しないのである。
 孔明はかなり有能ではあったが、それは政治家と
しての才である。軍師としての才は無い。
 いわば、孔明は張良ではなく、簫何的な存在だった
のである。その「簫何」が「張良」の役目をせねば
ならなかったのは、実は蜀の人材不足以外の何物
でもないのである。