♪松本図書助で1000レスいくかどうかスレッド♪

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95肝井 尾多駆
図書助が、累代の重臣の家系に生まれ芦名氏の配下に、そして大沼郡船岡城主を務め、1574年安積郡福原にて田村清顕と戦い惜しまれる討ち死にをしたのは皆さんもご存知の通りだと思う。
少々性急だとは思うが、こんな仮説を立ててみた。松本図書助の武将としての強さ、真の恐ろしの一面を37でゲーバラさんが語られている通り、彼は紛れも無い英雄の1人であり、表面上だけの薄っ
ぺらな歴史では、水面下にあったであろう松本図書助の偉大さを捕らえる事は出来なかったと私は確信している。
思うに、彼はその余りある才能を恐れられ盛氏、盛興に遠ざけられていたのではあるまいかと推測する。これは一握りの不遇な名将が辿る典型的なパターンであり、図書助も例外ではなかったわけだ。
続き→
96肝井 :2001/08/16(木) 23:58
 松本図書助と言えばそもそも、芦名氏興亡経過を見てきた家柄である。昔からの重臣なのである。言ってみれば武士のエリートである。にもかかわらず裏切り行為を良しとせず最期まで主君の為に、名を惜しみ命を惜しまず戦った。
この時代の武士であれば少なからず誰もが持っている心構えだが、図書助のそれは別格だったと思われる。
 乱戦の中の戦死とあるが、軍事物資勿論、配下にも恵まれない図書助はおそらく敵中深くまで単身切り込んだのであろう。間違いない。彼の豪傑ぶりを知っていた田村軍は策を練ったに違いない。まともに正面からぶつかっては図書助1人で戦況をひっくり返されかねないからだ。
よって田村軍は兵を伏せ彼を狙撃したはずなのである。これをされてはどんな超豪傑もひとたまりも無い。なぜならば不意打ちに対しては戦闘力、智謀は白紙になるのだがら・・・・。
 私の貧弱な文章では彼を表現するに至らないが大要はこんな感じであろう。
場所・年代を問わず、真の英雄は常に表の歴史から抹殺されるものなのだ。
〜芦名の英雄 ここに死す〜
 以上のことから2074年には松本図書助500年祭なるものが開かれる事はほぼ確実だろう。