諸葛孔明を再評価しません

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1孔明は永遠の名軍師です
しません(´ー`)y-~~
2BLUE BLOOD:01/09/04 12:11 ID:1WdwgaCc
いつかできると思ったんだ、こういうスレ。
皆考えること同じだね。
3無名武将@お腹せっぷく:01/09/04 16:50 ID:CLtowWzQ
治世の能臣、戦の凡人
4:01/09/04 16:53 ID:hu/KyITo
馬ズラなの?がっかり
5無名武将@お腹せっぷく:01/09/04 16:56 ID:K/Qhvg/c
偉大な軍師。終わり
6エノキ:01/09/04 17:02 ID:l0ggZVNM
 北方三国志での孔明は、少々頼りない。
7無名武将@お腹せっぷく:01/09/14 23:19
孔明は軍師や参謀というよりも傑出した軍政家である。流浪の傭兵隊長であった劉備
を、兵站と主計の面で支え地方軍閥とした軍政家の面で評価したい!
8無名武将@お腹せっぷく:01/09/14 23:24
否定なんだか疑問なんだかはっきりしろ!
>>1
……アア、ツラレテシマッタ……
9無名武将@お腹せっぷく:01/09/14 23:27
三国一の苦労人で三国一の薄幸政治家。
国力不足、人材不足、君主が役不足(あれ?)の蜀でよく頑張りました。
最優秀賞ではなく努力賞を与えるべき人でしょう。
10無名武将@お腹せっぷく:01/09/15 01:54
まあ、ここに来てるような、三国志をそれなりに知ってる人にとっては
言うまでも無い事でしょ。
ただし、世間一般的なイメージに関しては・・・、
やっぱ、なかなか変わらんでしょうな。
この間のNHKの番組でもねぇ・・・。
11無名武将@お腹せっぷく:01/09/15 02:05
てっきりネタスレかと思いきやマジレスがちらほらと。
孔明は中国史上最高の軍師です
12無名武将@お腹せっぷく:01/09/15 02:08
晴耕雨読で戦がわかるか!?計が当たったのは運がいいだけ
13無名武将@お腹せっぷく:01/09/15 08:15
ほんとは 大した事なかった
14無名武将@お腹せっぷく:01/09/15 12:18
地方政権の宰相としてはトップクラスの人物でしょう。
15無名武将@お腹せっぷく:01/09/15 12:42
いじめられてると弁護したくなっちゃうね。

三国時代の屈指の名宰相なのは間違いない。
いまだに実在のスーパー軍師なんて堂々と言うやつがいるのは
参るけど。
16無名武将@お腹せっぷく:01/09/15 14:11
正史によると、「赤壁の戦い」では孔明はほとんど活躍してなくて、

呉の小さい船による機動作戦により、勝利したってことだけど。
17無名武将@お腹せっぷく:01/09/15 15:06
民衆に愛されて終わりを全うした法家という珍しい人物。
大体、法家というの新しい君主にも同僚にも家臣にも民衆にも
嫌われてろくな死に方をしないのが中国での相場なのだが、
彼の場合は死後すぐに民衆によって廟が作られたらしい。
不思議な人物である。
18BLUE BLOOD :01/09/15 15:25
俺は>>2に書き込んだ者だ。>>2の時点で終了すると思ってたんだが・・・・・・
マジレスするなよ。
ってか、「しません」っていってるのに評価するなよ
20無名武将@お腹せっぷく:01/09/15 17:43

            ノ ‐─┬       /
          ,イ  囗. |      / _ 丿丿
            |    __|    ―ナ′
                     /  ‐' ̄
              ,‐       /
            ナ' ̄       /   、___
     /      ノ`‐、_
    / _ 丿丿  _メ       | _/
  ―ナ′     〈__         X / ̄\
   /  ‐' ̄               / V   /
   /       \   l       レ ' `‐ ノ
  /   、___  Χ ̄ ̄〉
             \ 丿       /
              \          / _
                    ―ナ′__
     | _/       ̄ ̄〉     /   ,
    X / ̄\       ノ     /  _|
   / V   /             /  く_/`ヽ
   レ ' `‐ ノ  ―――'フ
              / ̄      ┼┐┬┐
               |          〈 /  V
              `−      乂   人

             ┼‐      |  ―┼‐
             ┼‐       |    |
             {__)      |   _|
                        |  く_/`ヽ
21無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 21:59
諸葛氏は三国にそれぞれ一族を配し、伝説では誠実、無欲、有能と言い伝えられて
いるが、したたかな処世が感じられる。司馬氏一族と表裏のようだが似たもの同士!
22ふゆ ◆Oq8Zhosg :01/09/18 22:09
俺の祖先は実は孔明。
23無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 22:12
>>22
す〜げ〜
24無名武将@お腹せっぷく:01/09/19 09:10
>>22
真面目にやりましょう。まあ、本人は真面目に、なんとか言ってみたいと思ってるんかも
しれんが。
25無名武将@お腹せっぷく:01/09/19 13:04
実在のスーパー軍師
26暇人:01/09/25 17:05
人心を得たカリスマ政治家。蜀では劉備よりでかい建物が。
赤壁では同盟の使者だったのは事実。
周ユが曹仁にてこずっている間に南荊州を占領させたのも事実。
軍事面では大きなミスはなく、草櫨対の破壊力は曹操すら
遷都を考えたほど。
部下にミスがなく、彼の思い通りに動いていれば、
魏を倒せたかもしれないので、戦下手だったとは一概には言えない・・。
27無名武将@お腹せっぷく:01/09/25 17:16
まず軍事的才能が無能とはいかないまでも魏や呉の
名将と比べると見劣りする、その代わり政治家としては
有能なのは確か、どっちにせよ蜀の国力では魏を討つの
は不可能、街亭で勝っても蜀にはそこから先を進める
人材も兵力も兵站能力も備わっているとはいえない。
劉邦が北伐を成功させたのは項羽のほうに問題があり
すぎたから、蜀魏の場合はむしろ蜀のほうに問題が多い、
そもそも軍略や実戦指揮はホウ統や法正のほうが上。
28 :01/09/25 17:29
法正に関してはわかるんですが、ホウ統の軍略・実戦指揮が
明らかに上ってのをご教授いただけませんか。
29無名武将@お腹せっぷく:01/09/25 17:31
法正ってなんでしんだんだっけ?
30無名武将@お腹せっぷく:01/09/25 17:48
裏切りで殺されたんとちゃうかなー
31 :01/09/25 17:49
>>29
死因が書かれていないようだ、 まぁ、多分 病死か何か
32無名武将@お腹せっぷく:01/09/25 18:42
>28
劉備がそう判断してるから!
33無名武将@お腹せっぷく:01/09/25 19:33
法正は病死だ。
34夏侯操:01/09/25 19:47
策てきにはじょしょのほうが上?じょしょはかなりの名軍師だと思うけど活躍期間短いし曹仁と戦ったときが初陣ならばすさまじい才能なのでは?諸葛亮君の初陣もすごいけど物を使った戦だから純粋に兵士だけを使ったらどーなんだろうか?
35諸葛亮:01/09/25 19:58
とりあえず、右の林に兵を伏せよ。
旗の合図で打って出よ。
36無名武将@お腹せっぷく:01/09/25 20:29
>>34
このスレってこんなレベルの答えでいいの?
37暇人:01/09/25 20:31
ホウ統に関しては見るべき記述は正史には載っていない。
孔明以上に評価され過ぎ。
38無名武将@お腹せっぷく:01/09/25 20:32
諸葛亮は文句なしの天才将軍・軍師といえよう。古今東西、これほどまで
の才能をもった人物、は諸葛亮をおいて他にいない。残念なのは、彼の無欲
さである。その気になれば、権勢を利用して諸葛一族で蜀漢を乗っ取り、
中国を統一することは、赤子の手を捻るが如く簡単であった。しかし清廉潔白な
諸葛亮はそれを許さず、重厚ではあったが君主としては温厚篤実過ぎる劉禅を
奉じつづけ、その死後、ついには魏の西進を許してしまったのである。
諸葛亮の後にも先にも真の軍師はいない。まさに稀代の英雄であるといえよう。
39無名武将@お腹せっぷく:01/09/25 20:34
>>38
諸葛亮孔明がいれば他はいらない。
軍師はこうでなくては!
40無名武将@お腹せっぷく:01/09/25 20:36
ホウ統ってたぶん戦争できそうな顔だったんだろ。諸葛亮より。
38はネタか?
41無名武将@お腹せっぷく:01/09/25 20:37
諸葛亮孔明だって(藁
42無名武将@お腹せっぷく:01/09/25 20:59
>>41
わはははは!罠にまんまとはまる恥ずかしい奴発見!
43無名武将@お腹せっぷく:01/09/25 21:00
>>40
>>38はテンプレートを使ったコピペだよ。
4441:01/09/25 21:03
なんだ罠か
45無名武将@お腹せっぷく:01/09/25 21:15
なんて単純なやつなんだ。
46無名武将@お腹せっぷく:01/09/25 21:18
孔明が琴を鳴らしてたらビビって入らない>>41たん。
4741:01/09/25 21:19
ごめんよ
48無名武将@お腹せっぷく:01/09/25 21:20
あやまらないで。
49無名武将@お腹せっぷく:01/09/25 21:21
41は悪くない。悪いのは孔明。
50無名武将@お腹せっぷく:01/09/25 21:31
小説の中ではね。三国志演義の中ではまさしく神の知謀ってなかんじだけど、
そのわりには蜀は滅亡しちゃうあたりよく分からんよね。
赤壁の時、曹操殺しておいた方が良かったんじゃあ、とか。
51孔明:01/09/25 21:38
劉備のバカがちゃんと言うこと聞いていれば天下は取れてました。
52無名武将@お腹せっぷく:01/09/25 21:39
一応、孔明の死後二十九年も続いたんだし、
孔明のせいってことはないでしょう。
53無名武将@お腹せっぷく:01/09/25 22:45
まあ孔明の智謀も晋王朝建国の祖・司馬炎にはかなわなったってことだよ。
54無名武将@お腹せっぷく:01/09/25 23:00
このスレのおかげで再評価できました。
55無名武将@お腹せっぷく:01/09/25 23:30
用は張良だけじゃ駄目で韓信的存在が必要だったってことでしょ?
ついでに英布的存在がいればもっと良し。
56孔融:01/09/25 23:40
いったいキョウイはなんの役目を
57夏侯操:01/09/25 23:57
戦争を長引かせて中華の人口を減らす努力をした。
58無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 00:03
俺的には、なんで演義であんなに誇張されたのか、でもって、なんでシナの民衆が
それに喝采したのか、そっちの方が気になる。
59無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 00:06
楽毅とかそう言う人物が好きなんじゃない?
あと、儒教的にあってる人物?
あと、トップの人間としては都合がいい
60無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 00:28
>53

           ?
61無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 00:42
戦において何が一番の功績かっていうと
敵の領土をゲットすることだろ。これこそ実績bP。
篭城したとか退却のしんがりで活躍したとかなんて
たいした戦功ではないし出世もさほどしない。
孔明って領土ふやしたか?田舎の小村2つほどだろ。
戦の実績なさすぎるよ。
62無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 00:51
蜀を手に入れるのは孔明の定めた方針。
63無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 00:56
孔明はやっぱり凄い人だよ。普通は滅亡王朝の人間なんて、
滅ぼした側から味噌糞に貶されて書かれるもの。でも孔明は
それなりの敬意を払われている。陳寿も貶してはいるが対象が
大き過ぎてまったく貶めるところまではいっていないし。「三国志」
は蜀漢が滅びて間もないころ書かれた史書だからなおさら
孔明という存在ががその時代の人間たちにどんなに大きな存在
であったかわかるような気がする。「三国志」では蜀の扱いは
呉より格上だが孔明がいない蜀なら呉と同等かそれ以下だった
かもしれない。
64無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 01:08
諸葛亮はアホの劉禅に対してさえ忠義を尽くした点が、
後の権力者にとって気に入られたみたいだよね。
優秀で勤勉なのに裏切らない臣下の見本的存在として、
後に神格化してしまったのだと思われる。
6561:01/09/26 01:15
>64
同意
66無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 01:18
>62
戦術と戦略の区別に注意しましょう。
67無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 01:29
孔明は戦術家ですか?
戦略をたてるのは功績にならんかね。
68無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 01:32
三国志でのライバル司馬イと中国通史的観点から比べると
孔明の圧勝。諸葛一族と司馬一族を比べても、司馬はいい
ところがないね。蜀漢・魏・呉で要職を占めた諸葛氏だが
清廉潔白非常に爽やかなイメージがある。逆に司馬氏のつくった
晋王朝は内乱続きのあげく匈奴に簡単に蹂躙されて情けなさすぎ。
69無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 01:37
>>68
変った観点だな
70無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 01:45
中国、とくに中原地域は、五胡十六国の時代からずっと異民族に制せられてきたから、漢族の立場は
蜀に近いものがあったんだよね。だから蜀に感情移入しやすい。
陳寿が蜀の出身ということもあるかもしれない。

しかし>>58の疑問は俺も気になる。
演義の成立について勉強すればいいのかね。
72無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 02:26
>53は皮肉だろ。
73無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 02:36
ショウカに並ぶ名政治家。
軍略に関しては微妙。
6度の北伐を行なえるだけの力をつけることはできるが
そのどれもたいした成果を挙げられなかったことが原因。
ついでに働きすぎもよくない。
ホウトウがラク城で死なず、北伐をホウトウがやっていたら
成功したかもしれない。
74無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 02:49
留守番の名人
75関勝:01/09/26 11:20
彼が政治家として優秀だったことは僕も賛成です。
北伐を何回かしたあとかな?一度国力を復活させようと言うことで、数年で治水灌漑
をして国が豊かになったとありました。南征を屈服より恭順させたというのも海に
面していない蜀が貿易や物資調達、徴兵先として絶対的に必要だったからに他ならない
と思います。これも、政治的思考の現れです。
後、益州攻略戦の時荊州に残ったのも、内政を強化して荊州を確固たる劉氏の領地として
確立させるためだと思います。ホウ統亡き後、仕事半ばにして益州へ向かうとき関羽に
「北ハ曹操ヲ防ギ東ハ孫権ト和ス」というのも、自分か、それに代わる人物が荊州に派遣されるまでの
絶対的なお約束だったのだと思います。
彼は政治家としては少なくとも優良な存在だったと思います。
76無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 14:53
諸葛亮は三国時代でただ一人抜きん出た天才だと思うよ。
類い稀なる政治的才能と比肩する者のない軍事的才能が
渾然一体となった人物で、中国史上最高の歴史的偉人。
77無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 14:58
曹操の場合は精強な黄布の残党軍団を中核としていたので、もともと強くてあたりまえでした。
たいした軍事的才能もなかったようです。一方、玄徳軍は諸葛亮を迎えるまで負け続けで、
鳴かず飛ばずで居候生活を続けていたのです。こんなヘタレをまがりなりにも皇帝の位に
即けたのですから、諸葛亮の実力は計り知れませんし、凄すぎるといえましょう。
78シルクライトニング50:01/09/26 15:09
この前の歴史はその時動いたで孔明取り上げてました。
正直感動して涙でそうでした。(頭悪そうですみません)
この人、わがままな事言ったりした事あるんでしょうか?
世の平和の為に、理想主義的に一途に誠実に戦国を生き抜いたこの人
の在り様に涙してしまいました。
この人が野望を持ってたらあっと言うまに天下統一していたのでは
ないのでは?と思ってしまいます。
でも野望や欲があればあれほど天才的な軍略・心理操作・国政はなかった
様にも思います。
理性に平和に殉じるあの生き方が孔明を孔明たらしめたのではないでしょうか?
79無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 15:12
そうかー。やっぱり孔明って凄い武将だったんだー。
80無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 15:26
なんか夏休み終わってるのにえらく厨房が多いなぁ。
                   _ , -―-、
              , 'ニニニ、::::(0::::::::::ヽ、
                ̄ ̄ヽ':::::::::::::::  ヾ みてごらん>>80を あれが秋厨だよ
                   ):::  ....   \
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          | /   }   ::|       .ヽ::::|:::::::/
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          } |  (    :λ         :::|
         ( ヽ、 )    ノヽ        ::::|
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          (     ,' ノ  |   |~7  ::::::::::::::`ヽ、
           ヽ,、,、,γ' ノ, -‐W~フ {  ト、:::::::::::::::::::ヽ、
          ∠____ト-┘z__,―' ̄Σ Z  ̄ヽ―-、_ノ
                    '―z_,┴'~
82無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 16:02
>>77
>曹操の場合は精強な黄布の残党軍団を中核としていたので、
>もともと強くてあたりまえでした。

それって正史にあります?中核って・・・
漫画の読み過ぎなのでわ?
お話として解釈するなら黄巾賊というよりも
各地の不平分子を徴集した。
なかには以前黄巾の乱に参加した賊徒も
多く含まれていたらしいというところでは?

またその不平分子が正規の軍人よりが肉体的に強かったとは考えにくく
件の漫画のアレはあくまでそういう演出でしかないように思われる
おそらく黄巾賊強しという話しは
戦国期の一向衆のように爆発的に信者がおり、各地で蜂起し
弱体化した政権にとって驚異であったという話しであり、
もちろん古今において狂信的なほど強い兵士と言えなくもないが
黄巾賊をまんま受け入れたわけではないし77で言われる
『精強な黄巾を軍の中核に』というのは大分彎曲した受けとめ方でわ?
曹操の巧妙な所はその不平分子を自軍に組み入れる事によって
領内の治安を安定に向かわせた所にあると思われる。
ちなみに「吉川三国志」では集まった者が、いろいろ自分の武を
誇るが、曹操の旗本が全て賊徒の上をいき、曹操に嘲笑されると
いうような表現だったように思います。
まぁこれも表現のひとつでしかないですが・・・

ああ諸葛亮については清廉な政治家だったんでしょうなぁ
奥さんも不美人だったらしいですし・・他人とは思えませんな
83無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 17:04
>>75
南蛮征伐って結局うまくいかなかったって聞いたけど本当ですか?
ついでに北伐成功するには蜀にどれくらい人材必要ですか?
楽進800人くらいでしょうか?
84無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 17:45
>>82
魏が建国後に最初に用いた元号は「黄初」。「黄」は黄布軍の思想に由来しています。
このことからも魏において青州黄布派がいかに影響力をもっていたのかが
見て取れるのです。

ちなみに後に元を駆逐した朱元璋は国号を「明」としましたが、これは彼が若い頃に影響を受けた
宗教組織「白蓮教」や「摩尼教」(明教)をあらわしているという説が有力です。
85無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 17:59
>>84
魏は結局滅亡まで青州黄巾系軍団に振り回されていたね。
86無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 18:03
>>82
曹操の黄巾軍団との関係は、後の史家に「魏武の強、是れより始まる」といわれて有名だよ。
史学では常識だよ。
87みな:01/09/26 18:09
なんか84って理屈っぽくて ちんかすくさそぉ
88諸葛亮孔明マンセー:01/09/26 18:21
>>87
本の受け売りだと思うぞ。
89 :01/09/26 18:31
抗菌賊が魏勢力に参加した後、青州兵として働くわけだけど、
その活躍は史書に特に記されてはない。
所詮は一般兵の集まりだからなのか、それとも実際大した手柄をたててないのか。
出身がアレなのと、大人数が集ったから、後世に名が残ったんじゃなかろうか。
90無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 18:33
結局結論なんか出ない。
91無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 18:32
>>84
アホか。五行思想だ。ごく簡単に説明すると、
王朝が替わるごとにシンボルカラーも順に替わり、
漢のシンボルカラーが赤で、これに続くのが黄だから黄初。
黄巾が黄を選んだのも同じ理由。それを黄巾の影響とは片腹痛い。
朱元璋の話自体はその通りだがまるで筋違い。回線切って寝ろ。
92無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 18:45
>>91
五行思想の影響を受けたは黄巾。黄巾の影響を
受けたのが魏。
ちなみに俺は史学専攻で文学修士取得者。
93無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 18:50
>>89>>91
は小説や漫画の世界と歴史を勘違いしている。
武将の働きなんかだけで歴史を見ている感じ。
94無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 19:59
別に黄巾だけが黄を用いてた訳じゃないし、
元号が黄初というのは91さんの言うとおりの理由であり何の不思議もない。
漢に続く者が黄を掲げるのは当たり前。
ところで青州黄布派の影響力って何。元号だけ?
95無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 20:04
呉の年号が黄武なのも黄巾の影響かね?
96無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 20:51
>>84とか>>92とか>>93ってネタ? マジ?
ここまでイタイのは久々なんでちと悩んだぞ
9789:01/09/26 20:59
>>93
小説も漫画もそりゃ読んだ事はあるが…そういう観点から書き込みした
つもりじゃないんだがな。
まあいいや、俺に対する印象がそうだと言うのは俺自身にも非が
あるのだろう。
>>92
オチは西洋史の英国文学とかじゃなかろうな(笑)
98無名武将@お腹せっぷく:01/09/26 23:50
万能の天才、言いかえれば器用貧乏、あと貧乏性。
何でも人並み以上ににこなせる。
でも、それ専門にやってる人には負ける。
で、一応得意分野は政治、外交(戦争は外交の一手段だけどいれない)
99>82:01/09/27 01:13
奥さんは結構美人だったらしいですよ。
ただ、そのころは背が高くて肌が黒いと不美人とされていただけのようです。
100無名武将@お腹せっぷく:01/09/27 01:33
>76,77
こんなんでいいの?
101無名武将@お腹せっぷく:01/09/27 01:36
孔明の軍事能力を評価するのって、
わからない。正史の話。
102無名武将@お腹せっぷく:01/09/27 05:03
>98
同意。それ以外いいようがない。
では「黄巾の影響を受けた魏」っていうのはネタ決定という事で
  (↑これが常識ってどこの史学だ。頭痛いの〜)

スレ違いと言う事でさげ
黄というと黄巾しか思い浮かばない厨房痛すぎ。
痛いのは史学学会か?
内政官としては優秀だね。孔明は。
国力は、魏、呉よりも明らかに劣っているのに
それなりに戦える国力を備えれたのは、孔明の功績。
まぁ、北伐やりまくって結局疲弊させてるけど。

けど政治家、軍人としては残念ながら二流なんだよね。
蜀に統制された軍隊を初めて、編成したのは
ホウトウと法正。この二人が長生きしてれば
また違った歴史だったかも知れない。

まぁ、文官の孔明が軍を掌握するってことは
はっきりいって、蜀に勝ち目はない。
勿論、歴戦の猛者の魏延とかにしたら納得
出来なく、不満噴出。
しかも、使えない人材の馬ショクを可愛がるしね。
人材の見る目もないね。
↑文官が軍のトップに立つのは普通です。
107ginnji:01/09/27 17:15
105は莫迦だ。

まず、孔明は軍師将軍だったんだぞ?ということは只の文官ではないことは
すぐにわかるだろうが!正史に載っていない活躍があったに違いない!(多分)

 劉備が孔明に頭下げて聞いた、草櫨対の凄さを知らんのか?
あの曹操が遷都を考えたほどだったんだぞ?

 政治家として孔明が二流だという、あんたの人を見る目が判らない。
だったら、孔明を遙かに越えるという優秀な政治家の名前、
それからその理由を挙げてもらおうか。
 第一ホウトウ擁護してりゃ三国志知ってると思われる、とでも思ってんのか?
なにをしたんだ、あれは?そんなに軍事の才能に優れていたのか?
正史にはほとんど書かれていないだろうが!まあ法正は優秀だけどね。
108ginnji:01/09/27 17:19
上のつづき 「孔明の正史に載っていない活躍があったに違いない」、
というのはどうでもいいです。
 関羽と馬ショクが孔明の言うことをちゃんと
守っていれば(関羽が守っていれば馬ショクの出番はなかったかも)
歴史は変わっていたかもしれない。
109無名武将@お腹せっぷく:01/09/27 17:42
趙雲すごかったんだなあ
110無名武将@お腹せっぷく:01/09/27 18:06
>106
この当時、文官と武官の区別がどこまで確立していたか疑問。
じっさいビ竺は諸葛亮より各上の将軍職についていながらも
軍の掌握が苦手だったので指揮を取らなかったとか。
111無名武将@お腹せっぷく:01/09/27 18:10
>>107
曹操が遷都を考えたのは、劉備と孔明が組んだからではなく、
関羽の威勢を恐れての事だったかと思うのだがどうか。
そのような情勢を作り出したのが孔明だと言いたいのだろうか。
結局、関羽と漢中を失いましたが?
113ぎんじ:01/09/27 20:21
111さんわかってないね。
何で関羽の攻撃ぐらいであの曹操が、遷都を考えなければなかったのか。
関羽はどこから攻めたのか?荊州からですよね。
同年に漢中の戦いで曹操は蜀に叩かれていたでしょ、益州から。
つまりこれは荊州、益州の両面から攻撃するあの草櫨対の発動だったわけです。
よく考えてね。

>112
だから言っているじゃん。「関羽が孔明の言った事を守っていれば」って。
孔明の外交方針を考えれば、関羽は呉との不和を醸し出すような行為を
絶対に独断で行ってはいけなかった、ということ。
上の命令を守っていない、または、理解をしていない関羽は
ある意味死んでも当然だったね。

<110
入蜀時の孔明の政治的地位は仰る通り、ビ竺より下でしたよ?
それがなにか?
文官武官の区別がついてただけでしょ?
114無名武将@お腹せっぷく:01/09/27 20:41
関雲長実績の点で言うとねえ、
むしろ問題なのは有能無能にかかわらず
政治と軍事双方を諸葛孔明に任せてしまった
蜀漢に問題あり、諸葛孔明は勝てもしない
北伐(ランチェスター法則から見ての話であくまで仮定)
を繰り返している以上諸葛孔明であろうと抑えられる
人材が必要、若手(後継者)政治家を育てなかった(実績の無い
姜伯約は論外)蜀漢に問題あり(先ほどと食い違うかもしれないが
姜伯約を育てた?諸葛孔明はまだまし、彼に軍事まで
任せなければならなかったのがそもそものミス、かな?)
115114:01/09/27 20:43
てか北伐って蜀呉の人材が魏を圧倒して初めて
成功するものだと思うのですが(何分知識不足なので
単純な解釈ですみません)
116無名武将@お腹せっぷく:01/09/27 20:52
ちと遅レス。

>17
これは確かに面白い観点ですよね。孔明自身が言っているように、賞罰の
厳正化は時宜を得た政策だったのでしょう。治安維持に効果があったんで
しょうか?もちろんこういう政策が民衆に支持される上で運用の公正さや
提案者本人の無私さは絶対条件でしょうし、その点では孔明以上の人物は
それほどいないでしょうが。それでも同じことを下手な時代にやれば、
「酷吏列伝」に載ることになりかねませんよね。

>63
陳寿は孔明を貶してはいないと思いますが?

・・・と言いますか、あの評は素直に読めば絶賛と言っていいんじゃ
ないかと思いますが。大体、臣下にして一人一伝は三国志全体でも
諸葛亮伝と陸遜伝だけですし、これだけでも陳寿の孔明に対する高い評
価が伺えるでしょう。(陸遜伝は陸抗のパートも重要ですから、実質的
には陸遜陸抗伝って感じですしね。失礼ながら諸葛瞻たちは陸抗とは重
みが違いますから。)そもそも、陳寿が孔明を尊敬していたというのは
定説だったと思っていましたが。
117無名武将@お腹せっぷく:01/09/27 22:46
≫116
諸葛亮って陳寿のオヤジの陳式を処罰したから陳寿は恨んで
たという話ですね。それなのに貶していないというのは
陳寿は私情をはさまなかったということでしょうね。
>>105
これはよくある「決め付け」な意見だね。
まぁ、落ち込むことはない。 大体の人はこういう見方しかできないから。
119無名武将@お腹せっぷく:01/09/28 06:17
>118
105は決め付けというほどの意見でも
ないと思うが。
120無名武将@お腹せっぷく:01/09/28 06:29
118は熱烈な孔明ファンなんでしょう
121チン:01/09/28 06:51
陳寿が諸葛亮を貶めて評価したという説…、
これを真っ向から否定してるのが、三国志の注を付けた裴松之。
ご存じの通り、三国志の世界をより一層深めた人物です。
裴松之も歴史にかなり厳しい人物で、注で関連書物を紹介しながら、
三国志についてのガセネタを流した人物を痛烈に批判してます。
その彼が、陳寿を公明正大で有能な歴史家だったと評価してます。
孫文も陳寿を評価してます。孫文は曹操の再評価にも一役かってます。
122無名武将@お腹せっぷく:01/09/28 07:18
陳寿の孔明に対する評価は見事だと思う。長所と短所(というより、本領ではない
軍事を担わなければならなかった不運)を明確に示している。
123105:01/09/28 09:37
スリのぎんじさんに。莫迦とか言われちゃってるねぇ。
政治家として2流は言い過ぎたね。ごめんね。
孔明ファン。

劉備の軍がゲリラ軍隊から 組織化された軍隊へと
変貌を遂げたのは、ホウトウが 幕下に入ってからだよ。
そしてホウトウ亡き後は、 法正だよ。孔明は軍を整備
したわけではない。その事からもわかる通り、孔明は
軍事の才を買われて、劉備の幕下に入った訳ではない。
まぁ、後に軍事も統括するけどね。けど、褒められた
軍才はないだろ。

ホウトウの功績が正史に書かれてないというなら
孔明の軍人としての活躍は正史に書かれてる?
北伐は失敗続きだし。

夷陵も北伐も勝ち目の 薄い戦を、結局主戦論者
に押し切られてるだろ。
関羽と馬ショクをが、いいつけを守ってればというが
関羽は、傲慢な男で部下の信頼は薄い人間だよ?
そいつに期待する方が悪い。 せめて臣をおける配下
を置いとくべきだろ。それが、出来ないなかったと
すれば、劉備の信はそれほど、厚くなかったのかも
知れないな。

106さんの言う通り、区別は曖昧だね。
まぁ、軍のトップに立つ人間は得てして官僚タイプ
の人間だけど。
124関勝:01/09/28 09:53
あくまで個人的な考えですが・・・。
孔明は自己流の心理学を根本に置いて行動したのではないかと思います。
当時、様々な書物があり、関羽が「春秋左史伝」を暗記したり、張松が一度読んだだけで
「孟徳新書」をそらんじたり、名もない文官が会議で故事を引き合いに出したりしている
のも、文武官問わず、かなりの量の書物を読み込む機会はあったと思われます。
孔明や仲達、陸遜、呂蒙、郭嘉、カクetc・・・がその中でも策謀家として名を馳せたのは
それらの知識を、心理学や実戦で身につけた勘(張飛など)などと上手にリンクさせた
からではないでしょうか。ですからこういうのは応用が様々な分野で利くので、結果的に
内政、政治、軍事において結果が出たのではないかと思います。
とはいえ、彼が一流であることには間違いないと思います。
125チン(121):01/09/28 16:00

すいません訂正です。>>121は孫文ではなく魯迅です。
魯迅は曹操のヒール(悪役)のイメージ払拭に貢献した最初の功労者。
三国志演義を正史だと思っている人が多い当時にあっては、
画期的な評価だったのではないでしょうか?
126ぎんじ:01/09/28 16:28
>123

草櫨対を知らないのかと言ったでしょう?
それに軍隊を編成出来たからと言って、軍事的才能に優れると言うのなら、
当時は優れる人ばっかりだったんですね。
あっしは、彼の立てた戦略、草櫨対は極めて有効であった、
という事を示したまでです。
漢中攻防戦と関羽の荊州からの攻撃で、曹操が遷都を考えた、
何度も言ってるでしょ?

北伐は失敗続きだったと言う、あんたに教えてやる。
彼が本気で魏に攻め入ろうと思ったのは、恐らく第一次だけ。(五次も入るかも?)
そう、荊州、益州の両面攻撃を試みたあの戦だけですよ。つまり草櫨対。
馬謖が裏切る前までは、あの戦は決してミスはなかった。
 人を見る目がなかった、というのは認めますが、軍事的才能に乏しかったとは
以上の点からしても、納得出来ませんね。ただし、
馬謖をつかったことに関しては理由も考えられます。
それは劉備が彼を批判したからです。なぜなら、劉備と孔明の仲は・・。
127ぎんじ:01/09/28 16:37
>123
さらに、孔明は南征で結果だしてるでしょ?よく読め。
かの地方には孔明にまつわる伝説が数多く残されているそうです。
南蛮の地方の人々には、孔明が普通の人間と認識しなかった、
ということですな。
関羽は部下の信頼が薄かったわけではありません。
どちらかと言えば、それは張飛でしょう。
確かにあのときは裏切られましたが。
 関羽に期待していたのは、孔明でなく、劉備。
まあ、孔明も当時は天下に名高かった関羽には
少なからず期待があったかもしれませんが。

夷陵も北伐も勝ち目の 薄い戦を、結局主戦論者
に押し切られてるだろ。   ←どういう意味?
128114:01/09/28 16:39
北伐本気で勝てると思ってる人の気が知れない(失礼な言い方ですが)
仮に諸葛孔明が100戦百勝したとしても部下が駄目ならそれまで、
街亭の馬謖がいい見本、魏延を信用せず蜀有数の将を遊兵と化して
しまった点を見ても人を見る目無し。
何より相手が悪すぎる。

政治家として、内政官としては有能だったらしいけど
何よりの問題が戦略家であって戦術家ではないこと、
後方で馬岱や魏延を動かすことは出来ても最前線で彼らを
統制して戦果を上げることが苦手なタイプの人。
何より北伐を一回目で諦めている(らしい)ので戦略面では優秀
だと思う、姜伯約め、何処を履き違えた、勝てるわけ無いだろうが…

以上、正史をほとんど知らない人間の愚考です、少なくとも諸葛孔明は
前線指揮官として優秀ではないと思います、では。
129ぎんじ:01/09/28 16:48
>123
そういえば、孔明を超越するという、政治家の名、
挙げてくれませんでしたね。どうでもいいけど。

軍をまとめる事は孔明でも出来たんだぞ?
というより、陳寿は孔明の軍隊の統率力を褒めているだろうが!
正史の内容知らんのか?
彼は入蜀時、軍隊をまとめるのは彼らに任して、自身は
蜀の法律を草案していた。これが出来るのは
孔明しかいないから!(結果論だが)
以上!
130ぎんじ:01/09/28 17:01
>128
劉備と孔明の仲。実はあまり良くなかった。
改めて言うまでもないことだが。
その、劉備が可愛がっていた、馬謖を非難した。
孔明の中には、なにくそ、という気持ちがあったことでしょう。
とはいえ、これも結果論だがやはり馬謖をあの大事な場面で
用いたのはやはり彼のミス。五氏の馬常と呼ばれていたのにね。

相手が悪すぎる?だから、何度も言っているだろ!
草櫨対を発動するしか蜀に勝ち目はなかったのだと!

それで思い出した。孟建がミスっってからは、
第一次も望み薄だったんだ。彼の頭の中では戦略が出来ていたのにね。
その通りには動かない事が2つあったということか。
動かせない事ではなかっただけに残念。
131ぎんじ:01/09/28 17:03
すいません↑の書き方だと、馬謖は劉備に可愛がられていた、
と言う風に読めます。
勿論、可愛がっていたのは孔明です。
132無名武将@お腹せっぷく:01/09/28 17:40
口調はほとんど厨房なのに、妙な所で律儀なキャラが面白い。
ついでだから「草廬対」も早めに訂正してくださいな。
そのままこのスレでだけは頑張ってみてください。では。
えっ!!五氏の馬常!!
134無名武将@お腹せっぷく:01/09/28 19:14
俺に言わせりゃ105もギンジも勘違いしている。
関羽が脅威だったからこそ、曹操も遷都を考えたし、呉も途中で関羽を裏切ったんだよ。
関羽が傲慢だったからとか、そんなチャチな私怨で呉の首脳陣は動かないよ。
曹操も関羽の事を十分に知ってるからこそ関羽を欲しがったし、恐れたりもした。
あと、関羽は部下に優しく、同僚に厳しかった。それは武官として当然の心構え。
それを不満に思って関羽を裏切ったり、見捨てたりした武将の方が小さいと思うね。
結果として、呉は荊州を奪還したけど、目先の利益を獲得したに過ぎなかったんだ。
関羽と共闘していれば魏に深刻なダメージを与える事が出来たハズ。
呉は唯一にして最大のチャンスを永久に失ってしまったワケだ。
言ってみりゃその後で関羽を陥れて荊州を奪還しても遅くはなかった。
荊州の事件は、決して関羽の傲慢さだけが原因で起こったのではない。
また、その事で関羽を必要以上に貶めるのも筋違いな話だ。
135無名武将@お腹せっぷく:01/09/28 19:15
劉備と孔明、
当然、手段や結果が違ってくるし、
もしかしたら目的や狙いも違ったかも知れない。

しかし両者が”実は仲が良くなかった”とは凄いな。

それはまるで、
桃園で誓った三人は仲が良くなかった、
なぜなら必ずしも一心とは言えないことをしたから、
というようなものだ。

三人は仲が良くなかったなどとは、正史に書いてあるまい。
136114:01/09/28 19:32
>>ぎんじさん
どっちにせよ諸葛孔明さんだけを劉玄徳さんは
重く用いていたわけじゃない、その点からみても
諸葛孔明さんの評価は仲が悪いというより必ず
しも高くなかったのかな?てか麋竺や孫乾以
下?なのでしょうか?
孟建→孟達
結論、第一次北伐はミッドウェー海戦のようなもの
ということで(負けたらジリ貧で終わり)

>>134
横山三国志で関羽が呉との縁組を蹴ってるんですが
あれって事実ですか?もしそうだったらそんな状況で
魏に出撃した関羽って一体…
というか関羽が有能無能以前に関羽ファミリーの
戦力では魏に深刻な打撃は与えられないかと、
現に徐晃に負けたり曹仁にふんばられたり…

>>135
義兄弟の誓いは羅漢中の創作ですよね。
137無名武将@お腹せっぷく:01/09/28 19:39
孔明は軍事の才能はあまりなかった。
歴史が証明してます。以上。
138夏侯操:01/09/28 19:47
そうだね。劉備の家の裏にはいちを桃の木がはえてたらしいけど。
139135:01/09/28 20:02
>>136
桃園で誓ったとまでされた三人、
とするべきでしたね。

ちなみに義兄弟や桃園の話は、演義以前から講談や芝居で
語られており、中国の人々にとっては当然の話であったが
為に、演義では詳しく語る必要もなかったほどだそうです。
羅漢中の創作というか、みんなの創作ですかね。
140無名武将@お腹せっぷく:01/09/28 20:22
荊州と益州から魏をうつ。こんなおおざっぱな計画を立てただけで評価することは出来ない。
遷都を考えさせただけで結局は荊州を失い、遷都されることもありませんでした。
部下が悪いというのは演義にも共通する論調ですが、
こんな長期的な計画が、最後まできれいに行くはずもなく
その過程で生じる様々な問題を予測、対処するのも実力です。
安易に部下のせいにするのは尻尾きりといわれても仕方有りません。
141114:01/09/28 20:28
>>139
みんなの創作、いい響きだなあ。
>>140
まあ、政治も軍事も何でもできる完全無欠の
諸葛孔明なんていませんからねえ。
142無名武将@お腹せっぷく:01/09/28 20:42
孔明は引きこもりだとおもいます。
143ぎんじ:01/09/28 20:49
>132
すいません、出ないんです。「廬」という字。
「ろ」と読むんですよね?

>134
 別に関羽が傲慢だったから、呉との関係が崩れてしまった、
と言っているのでなく、関羽のような一地方を任された将軍が、
呉との問題は外交でのみ解決させる、という基本方針を理解して
いなかったのがいけなかった、と言う意味です。
曹操が常日頃から関羽を恐れていたのは事実ですが、とはいえ、あの曹操
が遷都を考えなければならなかったのは、ひとえに関羽の進撃だけが
理由ではなく、直前に益州から打撃を受けていたからです。
関羽はそのまえから荊州にいたわけですから。
関羽の攻撃だけでは、曹操にもそれなりの備えがあった事でしょう。
144ぎんじ:01/09/28 20:57
>140

あの羽生さんでも自分の意志とは関係なく、駒が動いてしまうと、
谷川さんに勝つ事が出来るでしょうか?(いや、出来ない(反語?))
 今回論じているのは、孔明の軍事的才能です。
   「荊州と益州から魏をたたく」
新野ひとつしか持っていなかった劉備に、こんな事を進言した事も凄いが、
なにより、荊州と益州の両面から攻めれば、魏に大きな打撃を
与えられる、と判断した事が何よりも素晴らしい。
145114:01/09/28 21:04
>>144
ついでに呉が総力で加わってくれれば何とかなったかもしれま
せんね。
でも一番の問題は「国力低すぎて一回か2回やって失敗したらもう
負け」っていうところ…
146ぎんじ:01/09/28 21:11
上の続き・・・
 シメを忘れていた・・
つまり、これを「おおざっぱ」の一言で
片付けないでいただきたい、という事です。

 孔明と劉備は人事権のせめぎあい等で対立していたのです。
劉備が嫌っていた名士を重役にしたり・・。他にも色々と・・。
つまり「水魚の交わり」とは、劉備にとって孔明は不可欠である、
というだけで、関羽、張飛と結んだ、「刎頚の交わり」とは
微妙にニュアンスが違いますね・・。
147114:01/09/28 21:29
>>146
そのへんはともかく、もし法正が生きていたら?
とか考えること自体が蜀の欠点を映してますよね。
周瑜・魯粛・呂蒙・陸遜・陸抗とどんどんリレーできた呉や
問題外に人材豊富な魏と違って。
ああ、せめて劉璋軍が健在だったら…
って、そう考えてる時点でやばいか…
どっちにせよ、どっちかといえば政治家の諸葛孔明に
全権委任すんなっつーの、てか蜀の若手っていたの?
トウガイみたいなのいたの、て感じです。
148無名武将@お腹せっぷく:01/09/28 21:47
>>147
蜀にも有為の人材はいたでしょう。最たるところでは孔明によって粛清された李厳。
彼は魏延などど並ぶ有能な人物といっていいでしょう。

蜀末期にも人材はもちろんいますよ。羅憲、霍弋らは晋朝からも重く遇されています。特に羅憲の家系は東晋でも高官を多数輩出していますね。
個人的には孔明が認めたものしか出世できない体制が蜀の問題だろうとは思います。
149無名武将@お腹せっぷく:01/09/28 22:26
そんな事より>>1よ、ちょいと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。
この前、赤壁行ったんです。赤壁。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで泳げないんです。
で、よく見たらなんか船とかいっぱいつながってて、連環の計、とかやってるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、ホウトウの入れ知恵如きで普段つないでない船つないでじゃねーよ、ボケが。
連環だよ、連環。
なんか曹操とかもいるし。一家総出で赤壁か。おめでてーな。
よーし余の勝ちじゃー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、俺の船やるからその川空けろと。
赤壁ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
呉と劉備がいつ仲違い始めてもおかしくない、刺すか刺されるか、
そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと泳げたかと思ったら、孔明の奴が、東南の風吹け、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、東南の風なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、東南の風、だ。
お前は本当に東南の風を吹かせたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、東南の風って言いたいだけちゃうんかと。
赤壁通の俺から言わせてもらえば今、赤壁通の間での最新流行はやっぱり、
南南東、これだね。
南南東でそよかぜ弱。これが通の風の乞い方。
南南東ってのは東南に比べて南が多めに入ってる。そん代わり東が少なめ。これ。
で、それにそよかぜを弱で。これ最強。
しかしこれをやると次から左慈にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前、>>1は、大陸風でも待ってなさいってこった。
隆中対策って、当時の荊州知識人連中の考えで、
別に諸葛亮一人の考えでは無かった気が、、、(後日の創作)
151114:01/09/28 23:04
てか、麋竺辺りが生きていたら彼に全権を劉備が
委託していたんじゃないかと思うのは私だけでしょうか?
152無名武将@お腹せっぷく:01/09/28 23:10
>>114
おまえ、正史ちゃんと読んでねーんだろ?
憶測でモノ書くんじゃねーよ。すっこんでろ。
153無名武将@お腹せっぷく:01/09/28 23:16
>>149
激しくワラタ、と。
154無名武将@お腹せっぷく:01/09/29 00:12
>>144
天下三分之計では、

(曹操とは争わず、孫権とは結び)、二州を領有し、その険し
い地勢を保ち、天下に戦乱が起こった時に、二州の軍勢を繰り
出したならば、人民は歓迎するだろう、、

つまり最低限の武力を保ちつつ、天下再び乱れて曹氏の名声が
落ちた時に、再び劉氏の旗をおし進めようというものです。
単に機会を待つだけでは策としては二流ですし、待つこともせ
ずに攻撃を開始した関羽も、待つだけでは間に合わないと焦っ
たらしい孔明も、策を無視した劉備も、三流なのか、もしくは
策(三分之計)の性質や限界を認識したのでしょう。

そもそもこの献策は、劉氏が天下に受け入れられ難い現実を語
った、悲しい話なのです。悲しいね。(十八史略)
孔明の軍略は拙いと言うより基本に忠実だが、統率力と言う点では蜀随一だったのだろう
魏延辺りが総大将では、まず蜀の桟道を行軍して北伐すると言っても、
兵が付いて来なかったんじゃないのかな
で、北伐を無駄無駄言う奴は何をさせたいのか?
秦がそうしたように国家百年の計でも練って、ずっと山奥に籠もるのか?
156無名武将@お腹せっぷく:01/09/29 00:44
>>140

極論すれば、戦略を立てるだけでは価値はない。
連戦連勝しか書き込まれていない計画表に意味はないのだ。
問題は実現できるか、結果を残せたかだ。実行していくうちで生じる
相手の反撃、部下の動向、同盟国の行動、その他すべてのイレギュラー
それら全てに対処し初期の戦略からなるだけ外れないように戦術をすすめ、
結果を残せた時、初めて戦略は評価されうる。

部下が勝手にやったことだとか言うのは最早幼稚ないいわけに過ぎません。
部下といえども人間です。本来そうそうに指揮官の思うようには動いてはくれません。
部下の人心を把握し命令に従うように取り計らうのは上に立つ者の義務であり、
部下が勝手な行動をすることが予測できたなら、
要職に就けないなり副官を就けるなりして命令系統を補完しなければいけません。
部下が失敗するということは、それを用いた、信用した、能力十分と判断した
用いた側の責任という物が有ります。特に孔明は人材の運用に問題のある人で、
部下のせいと割り切る前に彼の責任という物も見直してみるべきでしょう。
157無名武将@お腹せっぷく:01/09/29 00:54
↑自分に酔ってます。
後半は酔いが回ったのか言葉使いが丁寧になってるし。
>>158
ワラタ
160156:01/09/29 01:10
あ?殺すぞ?オメーら!
諸葛亮の本当の価値は
彼が加入した後、劉備軍にも名士層が参加しだしたってこと。
「まず隗よりはじめよ」ってやつ。
>>161
渡邉氏ですか?
163無名武将@お腹せっぷく:01/09/29 04:08
三国志の正史ってどれ読んだら分かる?
164無名武将@お腹せっぷく:01/09/29 04:10
考証学。これだね。
165無名武将@お腹せっぷく:01/09/29 04:14
普通に売ってる?
166無名武将@お腹せっぷく:01/09/29 04:21
がんばるz−
167無名武将@お腹せっぷく:01/09/29 04:33
売ってる。
168無名武将@お腹せっぷく:01/09/29 04:36
arigatou
169無名武将@お腹せっぷく:01/09/29 09:20
孔明万歳
170156:01/09/29 12:19
>>160
だれ?ちなみに158もわし。酔ってるぞお。
171ぎんじ:01/09/29 20:47
>147
法正が生きていたら・・。というのは、イリョウの戦いの時、
孔明が止められなかったこと、ですね。

言うまでもありませんが、孔明は自身の碁盤を荊州人士とし、
劉備は法正等を重用し、それに対抗させたのです。
早い話、法正は劉備から寵愛をうけていたので、
死刑を乱発した法正を、劉備に訴えて止める事は、
孔明でも出来なかったそうです。
 また、蜀の人である法正に対しては(生まれは違えど)、蜀を手に入れる時にも、
劉備は世話になりました。もし、法正が生きていれば、
あなたに蜀を託した気持ちが判らないのか、と言うなどして、
劉備を止めることは可能であったと思います。
 孔明の言う、「法正が生きていたら」というのはそういう意味ではないでしょうか。
172114:01/09/29 21:10
てか、人材でも結束力でも兵力でも国力でも
劣っていた蜀は滅んで当然。
173無名武将@お腹せっぷく:01/09/29 22:16
だいたい孔明まで征呉について逝ったら、本国どうする?
174無名武将@お腹せっぷく:01/09/29 22:39
諸葛亮ついていってねーべ?
175無名武将@お腹せっぷく:01/09/29 23:31
>>114
おまえ、正史ちゃんと読んでねーんだろ?
憶測でモノ書くんじゃねーよ。すっこんでろ。
176無名武将@お腹せっぷく:01/09/29 23:50
結束力なら蜀でしょう。
177114:01/09/30 00:10
諸葛亮に認められないと出世できない、魏延やら李厳やらは粛清。
姜維は後方との対立が激しい。
少なくとも末期の蜀はやばすぎだと思いますけど。
>>177
時代がばらばらだけど、どれを末期とみてるの?
179114:01/09/30 00:21
蜀滅亡のつもりです、後北伐前後。
こうして見ると自分の知識不足が目に付きます、
もう一度勉強しなおさないと。
蜀の滅亡時期だと、
諸葛亮が死んでから随分経つよ。32年くらい。
181112:01/09/30 00:40
蜀滅亡の次期は知ってますよ、結局劉公嗣降伏。
182無名武将@お腹せっぷく:01/09/30 00:48
>>180
蜀が滅んだのは孔明の死後、29年後。
前線と後方の関係が悪化しだしたのも陳紙が尚書令になった
延煕十四年(費偉が成都退去)と仮定しても
孔明の死後、17年もたってる。つなげて考えるのには無理がある。

魏延、李厳、楊儀、彭羊など不遇とはいえ謀叛挙兵には至っていないし
処分も追放など穏やかな手段がとられている(魏、呉に比べて)
主君のすげ替えのような事態も起こっていない。
よって三国のうち結束力ならば蜀が一番(国土が狭いのもあるが)
183無名武将@お腹せっぷく:01/09/30 01:11
>114 てめぇ、ウゼーから二度とくんなよ。ガセネタばっか書きやがって。
>>114
じっくり勉強してくれ。
2年ぐらい。
それまではこここなくていいから。
成長した君を待ってるぞ。
185114:01/09/30 03:12
いちいちうるせーんだよ。ばーか。
186114:01/09/30 03:15
てめーら殺すぞ?徹底的に完膚なきまでにな!
187114:01/09/30 04:21
チンポ吸わすぞ?
188114:01/09/30 05:10
歯ァみがけよ?
189114:01/09/30 05:48
これからアメリカに逝ってくるぜ!あばよ。
190114:01/09/30 06:13
これからイッチョ、エンパイアステイトビルに突っ込んでくるわ。
191114:01/09/30 06:21
俺の血はポン酢で出来ている。
192114:01/09/30 07:13
ていうか俺って諸葛亮の子孫みたいなのよね。
193諸葛亮:01/10/01 11:49
赤壁の戦いは笑えた!
曹軍の死者100人ごとに数えてたのってオレだけ?
(よっしゃー200人突破!よーし次は300人突破しろーって)
でも結局は30万人しか死んでねえんだよね。全然、騒ぐほどじゃないし。
赤壁の戦いは笑えた。マジで
戦果を知って、手を叩いてわらったなぁ。
曹軍が呉軍に殺されている間、本陣にいた
アホだなーこいつらって思いながら
わざわざ赤壁まで行って見物しようかと思ったよ。
でも赤壁の戦いのおかげで何かしらの利益を得た人だっている訳だし
結果的には良かったんじゃないかな。
たしか関羽が逃げてきた曹操を取り逃がしてていたけどさ、
あいつには昔の借りがあったから曹操逃がしたんだよね。
それでオレ「関羽の首をはねい」って皆をビビらせたんだけど、
そしたらみんなマジでビビリやがった。
ほんのブラックジョークだったのによ。
ちなみに戦果は呉のものになったらしいんだけど、
せこいんだよ!勝ったのはオレたちのおかげなんだよね。むかつく。
ところで敗走した曹軍って用便どうしてたの?
もしかして野グソ?汚ねぇなぁー。
どちらにしろ赤壁からの情報はまさに地獄絵図のようで壮観だった!
気持ちの良い夕刻でした。
194諸葛亮:01/10/01 17:49
そしたらそこで目ェ覚めちまってよ。
なんと全部夢だったんだよ。もー、俺様萎えちまったよ。
せっかくバリバリ活躍したのによ。
つーわけで気分の悪い夕刻でした。
あー、そろそろヒッキーも飽きてきたナー。
195114:01/10/03 03:28
アゲ!
196無名武将@お腹せっぷく:01/10/03 03:38
もう孔明が天才軍師だなんて思ってるヤツ
いないよね?
197無名武将@お腹せっぷく:01/10/03 04:08
ここにいるよ。
198無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 18:55
孔明好きな野郎もいるが
知識をヒケラカシテイル野郎もいる。
逝ってよし!
199無名武将@お腹せっぷく:01/10/11 00:10
>>198 おまえ、死にてーの?
200無名武将@お腹せっぷく:01/10/16 22:06
最近誰もかしこも、正史三国志では〜だ、と言うような風潮あるな。
正史三国志が、ちくま学芸文庫で文庫化されて手軽に読めるようになったから
だろうけど。
でもそれで、孔明は軍師じゃなくて有能な政治家、軍師としては劣ってると言うのは
おかしい。
大体日本で三国志と言えば、三国志平話か三国志演義、吉川三国志、小説なのだ。
小説としておもしろいから三国志は人気あるんだし、それを歴史書である
正史ではこうだから、演義は間違いとか孔明は有能な軍師じゃないんだぞと
知ったかぶりでレスつけたり言う風潮は間違っている。
おかしい。
201無名武将@お腹せっぷく:01/10/16 22:11
↑この書き込みも
おかしい。
202無名武将@お腹せっぷく:01/10/16 22:12
>>201
文がまとまっていないのは認めるけど
言わんとしてることは何となくわかるだろ?
203無名武将@お腹せっぷく:01/10/16 22:13
何となくはね。
結局の所、孔明は有能なの?無能なの?変態なの?
205無名武将@お腹せっぷく:01/10/16 22:47
>>200
萌えるほど同意!
それに、演義系への研究自体が軽んじられている。
というか無い。<板の傾向
演義系は演義系で突き詰めるだけでも研究ものだろうし、
正史云々だけで纏められてもつまんない。

演義系の登場人物の評価と、それに至った経緯などを、
演義のように面白可笑しく奥深く語ろう!
206無名武将@お腹せっぷく:01/10/16 22:51
>>205
別に研究しなくてもいいけど、
演義と正史をごちゃごちゃにして一緒に論じるのは
無理があるんだよな。
207無名武将@お腹せっぷく:01/10/16 23:01
毎度毎度「正史では」を繰り返す奴多し。しかも、その正史はどうも
かなり演義と脳内妄想が混じっている。正史自体脳内記述と恣意的な
編集作業が混入しているといえなくもないが。
208無名武将@お腹せっぷく:01/10/16 23:27
>>200
三国志を「小説」として楽しむのか、「歴史」として楽しむのかで
違ってくるんだと思う。

小説として楽しむのならチョウセンのような魅力ある架空人物や
スーパー軍師孔明たちが活躍する「演義」で充分なのだろうけど、
歴史として楽しむ場合、フィクションだらけの「演義」は何の参考にも
なりゃしない。
209無名武将@お腹せっぷく:01/10/16 23:45
演義だ正史だ言う前にスレのタイトルを見てみろ。
「諸葛孔明を再評価しません」だぞ。
演義の孔明をこれ以上評価してどうすんの?
210無名武将@お腹せっぷく:01/10/16 23:47
演義を「さも事実のように」語るヤツが
多いからイチイチつっこまれるんだろう。
フィクションとして語ってればそうそうツッコミも
ないんでは。
211無名武将@お腹せっぷく:01/10/16 23:47
演義、正史でなく、ホモ小説であるとこの天の華地の風の孔明は割とダーティで新鮮だった。
ホウトクや法正との派閥争い辺りは他の小説には無い魅力で、小説侮り難し。
212無名武将@お腹せっぷく:01/10/17 00:00
演義=yan yi (イエン・イー)
[名詞]歴史的事実を基礎とし、それに脚色をくわえて、章回体として
書かれた小説。《三國演義》《隋唐演義》など。
[動詞]1、原因を敷衍する。
   2、史実を敷衍して小説を作る。

正史=zheng shi (ジョン・シー)
[名詞]《史記》から《明史》までの二十四史。また、その一つ。

〜現代中国語辞典より〜

な?わかった?中国人が書いた中国語の文章なんだよ、三国志はどっちも!
辞書ひけよ!

>>210 その通り!
>>211 ホモ小説はヒクけど、小説は侮れないよね。
213無名武将@お腹せっぷく:01/10/17 00:17
>>209
演義系の孔明を評価する、すなわち高評価、とは限らない。
演義では、関羽のハン城攻撃を促したのは孔明だし、
(地位がありつつ)劉備の東征も黙認した。

これらを、孔明の評価を低めるだけと捉えずに、
孔明のねらいや手段の確認として、
彼自身を再評価することが出来る。かも。。
214無名武将@お腹せっぷく:01/10/17 00:20
>>213
本気か?
一、三国志・戦国時代を娯楽とする輩、誠実に追究する輩、各々立場を尊重し相争うべからず。
216無名武将@お腹せっぷく:01/10/17 08:53
再評価ってのは良く見なくちゃいけないもんか?
演義の評価すんのもまあ勝手だが、正史と混同すんのはカンベン。
217無名武将@お腹せっぷく:01/10/17 09:25
>>215が良いこと言った!
218無名武将@お腹せっぷく:01/10/17 20:21
こーいう議論にが起こるから板分けの話になったとき、
歴史と虚構で別板にして欲しいなんて思ったんだよなあ。
ただ単に三国志つってもどれを指すかわからんからな。
スレを建てる1にはその辺明確にして欲しいな。
歴史としても学びたい気持ちもあるけど、
虚構の矛盾点を無理矢理な解釈して楽しんだりもしたい。
219演義研究家:01/10/17 22:52
劉備は関羽の北上をけしかけたり、劉備の東征を黙認したり、
自ら南征したり北伐したりと、戦好きである。
天下三分之計で最低限の実力を保ちつつ時期を待つといった己
の言葉もなんのそのである。
さらに天文により敵味方の寿命さえ知っていたのにである。

これはなぜか。
もはや孔明の相手は魏でも呉でもない。天である。
すなわち自らの才能をもって天命すらねじ伏せようとするもの
であり、劉備や関羽などは道具でしかない。劉備の漢朝復興な
どの難儀は、よほど意欲をかきたてられたのであろう。

よく孔明は忠孝の人と表され、その才能は疑問視されるが、
その内実は天に刃向かう狂気の人である。易姓糞くらえである。
己の最後すら天に逆らおうとし、また後継を孝心を利用して手
に入れた戦好きな姜維に託すあたり、その執念は皇帝にでも祭
って鎮めなければなるまい。諸葛帝廟を作ろう!

ただ哀れなのは、天文すら見てもらえなかった張飛であろうか。
220演義研究家:01/10/17 22:55
一行目訂正
劉備は→孔明は
しょっぱなからまちがえるところがいいねえ。
222無名武将@お腹せっぷく:01/10/19 18:56
横山三国志読んで孔明ダイスキになって蒼天航路読んで
ちょっと嫌になって三国無双2やって孔明スキじゃなくなったよ。
シュッシュッ
223無名武将@斬首:01/10/19 19:50
統率力88
武力11
知力99
政治力90
外交力100
魅力74
人徳50
人物鑑識眼68
2241:01/10/19 20:11
>>218
最近、孔明が正史ではこうだから
政治家として有能なだけで優れた軍師じゃねぇ!とか
正史マンセー演義は嘘みたいな風潮があるから、
それで、
再評価しません。
っていうアンチ正史マンセーリズムのスレたてたつもりで煽ってたんだが、
思いのほかスレが育ってしまったっていうのが真相。
2251:01/10/19 20:15
ここは、
三国志のネタを出し合って、三国志マニア・ファン(漫画もゲームも含む)が
が楽しむ交流サイトみたいなとこなのに、正史ではこうだからとか
マジになって否定してくるやつがいるから嫌なんだよな。
そんなに正史がどうのこうの検証したいなら
世界史板行けよ。世界史板にスレがある。
なんのために板分かれたのか、これじゃあわからねぇよ。
226無名武将@お腹せっぷく:01/10/21 22:58
↑全くおっしゃる通り
ここは史実がどうのこうの言うとこじゃなくて
「自分は三国志のここが好き」とか「こいつが好き」とか
言って楽しむとこ
正史がどうとか歴史的に見てとかエラソーに知識自慢するヤツは
ウ・ザ・イ
227無名武将@お腹せっぷく:01/10/21 23:04
↑正史を知らないのを自己正当化して
いい加減な知識で嫌いな人物を貶め、
一行ぐらいしかでてこないヤツを褒めたり。
その上、親切に忠告してやればムキになって怒るヤツも
ウ・ザ・イ
228226:01/10/21 23:08
↑そうだね
相手の意見を尊重せず自分の意見は通そうとする人が多いね
自分と違う意見は「そんな意見もあるのか」と思うか
無視するのがベストだろうな
229無名武将@お腹せっぷく:01/10/21 23:10
>>225-226
自己中逝ってよし!
230226:01/10/21 23:11
そうやってすぐ「逝ってよし」で済ます人も多いね
231229:01/10/21 23:32
>>226
>ここは史書がどうのこうの言うところじゃなくて
仰る通り、史書だけを扱うところではありませんね。

>とか言って楽しむところ
しかし極端に限定するのは自己中だと思います。

>ウ・ザ・イ
このような言葉は愚痴でしかなく、
不特定の他人を不愉快にするだけですよね。
それとも>>226さんは愉快にでもなったのですか?

>済ます人も多いね
定型としての「逝ってよし」と、
このレスのように解決策も示さずねっとり問い詰めるのと、
>>226さんはどちらがお好みですか?
232226:01/10/21 23:36
>>231
ごめんな全然悪意を込めて書いたつもりは
なかったんだけど不快感を与えたようで

わざわざこんなところで言い合うよりは
自分の言いたいことを言ったら
人の意見も聞いた方が良いと思っただけなんだよ

以後発言には気をつけます
もうここにもレスつけませんので
とにかく評価するな
いいからするな
したいなら他のスレだ
234無名武将@お腹せっぷく:01/10/31 00:51
天災軍師孔明サイコ〜
235無名武将@お腹せっぷく:01/10/31 00:53
むぅ没年は取りそこなったか…
236無名武将@お腹せっぷく:01/11/08 15:47
そういや劉備の遺言って諸葛亮を帝位につかせない為の釘刺しって説があるんだよな・・・
237官仲:01/11/08 16:06
中原を、長い戦乱に、巻き込んだ、大悪将軍宰相、評価は、
色々有ると思うが、横山光輝の、まんがでは、無理がある。
横山氏の功罪の功は、まんがを、とうして、子供から、大人まで
幅広く、三国志に、興味を持たせたことですね。
ここの住民も、きっかけは、マンが三国志だったりして。
長い戦乱に巻き込んだのは、早く平定できなかった曹操やエンショウにこそ責任がある。
戦乱の世を招いた漢室こそ大悪である