505 :
刑部:2001/08/13(月) 16:05
明石散人氏の説は面白かったな。講談社文庫。
506 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/13(月) 16:17
>>504 十分その可能性はあったな。19Cのヨーロッパのようなきらびやかな
騎馬隊と銃撃隊の戦争ではないにしろ、骨組みとしてはそれに近いものと
思う。なにしろ信長は、石山戦とかで城郭や防御柵からの鉄砲がいかに攻めるに
わずらわしいか知っていたし、対毛利・上杉等もあるので、兵を損ねたくない。
そこで考えついたのが・・・・(上スレ)となった、といっても私なりに納得。
当時としては、驚異的な数の鉄砲が投入され、3段伝説を生んだとしても不思議じゃない。
もちろん後の近代戦のクロスファイアー戦法からみると花火みたいなものと思うが。
「初の試み」を考慮すれば、別に定説でも実際とそんなにイメージはかわらないと思われる。
507 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/13(月) 18:17
>>506 >当時としては、驚異的な数の鉄砲が投入され、3段伝説を生んだとしても不思議じゃない。
文献史料に見られる「三段撃ち」が小瀬甫庵の『信長記』に始まる事が
わかっており、「伝説」を誰が創作したかは明白。3000挺の鉄砲が
あっても三段に構えれば戦線をカバーするには足りない。
戦場を知らぬ甫庵の妄想であると言える。
太田牛一の『信長公記』によれば前線に配備された鉄砲は1000挺、
用意された弾丸は2万発。大した数ではない。
雑賀衆などは既に3000挺を越える鉄砲を戦場に投入できていたし
根来衆なども各地で傭兵として活躍していた。
戦場に障害物を設けて足止めした兵を鉄砲で撃つ戦法は雑賀衆によって
1550年代には確立されており、「初の試み」ですらない。
だから「定説」のように敵陣に無防備に突っ込んで大火力の前に
ただただ殲滅されるという展開はありえない。
508 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/14(火) 23:11
age
509 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/14(火) 23:14
しかし、武田の古い家臣たちは、武勇にはやる勝頼を
必死に止めたと聞くが?
510 :
研究家さんもどってきて:2001/08/25(土) 14:55
横レスですまそ
武田研究家さん。もしいらっしゃいましたら、とりあえず日本史板の井沢スレに
ちょ〜っとだけ戻ってきて下さいませ。
511 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/25(土) 16:23
確か馬場美濃守が事前に、
1.撤退第一。追撃してきたら南信濃の山岳地帯で撃退。
2.長篠城を力攻めで一気に落とし、城(川の合流点に建ってる)と川を利用した防衛陣で
長期戦に持ち込み、織田軍の補給の破綻を待つ。
と言う案を勝頼に出したと何かの本で読んだが、本当なのかな。
aa
513 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/25(土) 17:17
多少勉強したかと久しぶりに着てみれば相変わらずだな(ハアト
あまりにも戦闘に終始しすぎた理論しか展開していないことにまだ気づかない?
そもそも戦闘・戦争の区別すらわからない輩のあつまりか・・・
514 :
無名武将@お腹せっぷく:01/08/27 23:36 ID:9FUA2uhE
>>503 全力で長篠城を攻めることは不可能だったでしょう。
城郭自体は長期に渡る激しい篭城戦でボロボロですから、
攻め落としたところに織田・徳川連合軍が攻め寄せてきたなら
鎧袖一触で破れる可能性がある。もちろん長篠城落城で織田・徳川連合軍が
退却する可能性も大きいんですが、それはあくまでも選択肢のひとつ。
ハイリスクで当時の常套戦略から外れた作戦は採れなかったと思われます。
長篠の戦いは後詰決戦と呼ばれるもので、戦国期の多くの野戦決戦はこれにあたります。
>>507 しかし1000挺の鉄砲に対して20000発の銃弾というのは余りにも少ないですね。
よっぽどワンポイントでしか鉄砲隊は使われなかったということでしょうか?
515 :
無名武将@お腹せっぷく:01/08/29 00:19 ID:2V5ffhWg
>>514 当時の鉄砲は撃つ度に火薬のカスがこびりつき、
最後は撃てなくなります。
だいたい5〜6発で始めに使っていた口径の弾丸が通らなくなり、
だんだん小さい弾丸へと変えていきます。
早い話が、そもそも連続で何発も撃てるものではありませんので、
一度の合戦では一人20発もあれば十分でしょう。
516 :
無名武将@お腹せっぷく:01/08/29 19:37 ID:sFNVsTrY
>>515 その話初めて聞いた。
鉄砲足軽は掃除用のロッドを携帯していたはずだけど
それでは取れないってこと?
一会戦で20発しか撃てないとしたら、
空いてる時間は何をしていたんだろう???
517 :
無名武将@お腹せっぷく:01/08/29 23:38 ID:WClHPz7Y
>>516 「かるか」は掃除用などではありません。火薬と弾丸を突き固めるための
もので、無理に火薬カスをこそぎ落とそうなどとしたら折れることも
ままあります。
だいたい火縄銃は飛距離はそこそこありますが、確実に命中させようとすれば
10間(18メートル)が限界と言われています。
牽制のために使うとしても敵との距離が100メートルで撃ち始めたとして
鎧を着た人間はだいたい秒速3メートルで走ってきますから、33秒が限度。
その間に撃てるのはせいぜい二回。早合を使っても四回がいいところ。
敵が竹束などを押したててきたら、撃つだけ無駄なので、
隙間を狙える至近距離まで待たねばなりません。そうすれば一、二回が限界です。
乱戦にもつれこんだら鉄砲はあらかじめ弾込めした一発しか使えませんし、
20発あれば敵の突撃を5回は防げますから、それで充分なのです。
518 :
無名武将@お腹せっぷく:01/08/30 05:57 ID:dPCildTU
>>517 竹束を押したててきたら、走って突撃はできないんでは?
せめぎ合いは数時間続いたはずなので、
やはり弾は足りなくなりそうなんですけどねえ。
また一日で戦が終わると信長は思っていたのかな?
>>518 竹束を押したてた相手には撃つだけ無駄って言ってるんだから、
走れなくても関係ないのでは?
520 :
無名武将@お腹せっぷく:01/08/30 20:03 ID:V.3KgED2
>>519 竹束押し立てた敵は当然走らないでしょう。
でも竹束持った敵に射撃を加えるのは無駄とは思えないけどなあ。
敵の急所に命中させる必要はないわけで
腕とか足に当てるだけでも十分抑止力とはなりうるはず。
竹束とは言っても敵陣に肉薄するまで
身体全体をカバーできなかったと思うし。
ってことはやっぱり長篠でも弓がメインウェポンだったのかな?
521 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/01 21:10 ID:Hihq3zcM
ちなみに、長篠まで武田の実権をにぎっていたのは穴山信君で
勝頼ではない。長篠の合戦は典厩信豊、穴山信君らの親族衆が
勝頼を勝手に見限り、さっさと甲斐に逃げ帰ってしまったのも敗北の
原因だ。武田の結束力が信玄の時代のような強さではなくなったのも敗北の
原因だろう。
522 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/02 00:53 ID:enNdZrFI
>>521 それ、証拠一切ない。
特に武田信豊は勝頼が一武将だった頃からペア組んでるし、
『信長公記』でも織田の陣に突撃を敢行している。
穴山信君も早々に逃げたことになっているが、一緒に逃げたことになっている
武田信友(だったかな?)はその場にいなかったことが証明されている。
『甲陽軍鑑』は信君を悪役にするためにいらぬ創作を付け加え過ぎ。
523 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/02 22:05 ID:YhKfKl1Q
新田次郎薯の武田勝頼は続武田信玄と表現しているが
果たして信玄が生きていたら武田家は滅亡していたのか?
俺は必ず勝頼の運命と同じにはならないだろうと思うのだが、いかが?
ただ、武田軍が戦国最強とは、少し評価しすぎのように思うが。
524 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/02 22:13 ID:5IrcBaCI
てか、信玄が死んで帰国してるうちに信長が敵対勢力を潰したからでしょ
525 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/10 05:33
age
526 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/10 07:33
>>523 同意。平たく言えば現在のパリーグ上位にあって近鉄バファローズ
みたいな軍団だったのでわ?(藁
527 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/10 09:19
528 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/10 23:24
武田を滅ぼす要因を作ったのは穴山信君だと思う。
信玄の姉を母に持ち、信玄の娘を妻に持つ身であれば
誰よりも発言力を持ち当然傲慢になる。
そうすりゃ自然と勝頼・信君の間は不和になり、
勝頼も信君にあなどられまいと戦によって
実力を証明しようとし、無茶するようにもなる。
530 :
無名武将@甲陽鎮撫隊 :01/10/08 14:10
あげ
531 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 04:35
信玄マンせーの奴が勝頼を悪く言ってるきがする
謙信と何十年もはりあったのとか
村上義清に何度もにえゆのまされのとか
信長に外交で丸め込まれてたのとか
いろいろ奴にも穴あるべよ
今川攻め後の不手際とか
532 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 05:15
騎馬軍団スレを立て倒している1は
IPを晒して
この板から追い出すべきだと思います
533 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 05:15
騎馬軍団スレを立て倒している1は
IPを晒して
この板から追い出すべきだと思います
534 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 05:16
騎馬軍団スレを立て倒している1は
IPを晒して
この板から追い出すべきだと思います
535 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 11:13
age
536 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/20 00:17
新日の柴田勝頼は評価してもいいかな
537 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/21 20:17
良いぞ
538 :
柴田勝頼と同期の井上亘:01/10/23 00:03
俺も評価してくれぇ!!
539 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 09:24
勝頼
知力64
戦闘90
政治30
魅力70
信玄
知力88
戦闘93
政治95
魅力100
>>528 すいませんが、その意見はどうかと思います。
勝頼と穴山信君はわりとうまく行っていたんですよ。
信君は最後に裏切るまで勝頼を励まし武田家の再興を願ってました。
最後に裏切ったのも、自分の保身や欲望のためではなく(勿論、それもあるでしょうが)
武田家の家名を残すためです。
ようするにわりと良い人だったんですね。彼は
後世で悪く言われてますが、彼の立場になってみないとわかりませんよ。
解説]
一見おとなしくまじめに見えますが情熱家で激しい性格で思春期には思慮分別に欠け乱れに乱れることがあります。
親子の縁が薄く貧困病気に悩まされます。スポーツをするのが良いのでしょう。
まじめで情熱家で意志強く不正嫌います。努力家であり信念が強く口は悪くとも心は純なのです。
おしゃべり生かせる仕事や職場で成功します。女系家族で祖母、母、嫁が実権を握って栄える家系です。
家庭運営に絶対の自信持ち男女共、金運、子供運は良いのですがツンツンして冷たい素振り、毒舌で誤解招くこともあります。
希望が大きく意志強く夢の実現に全力を注ぎムダ嫌い結婚生活、仕事も合理的、現実的に物事を処理していく実務型です。
意志が堅く初志を貫徹しようとする気持ちが強いためどんな艱難辛苦にも努力して成就し、富み栄えるという吉運です。
ただし強情な性格のため人の言葉を受け入れず一生に一度といわれる大失敗をして、晩年は再起不能になる人が多いので注意してください。
健康面では、手足のケガ、骨折、また心臓や胸の病気にはくれぐれも気をつけてください。開運法は、自己主張を弱くして他人の意見や助力を適宜に利用して、
融通性を持つことです。
543 :
.541。542:01/11/01 14:36
これは武田勝頼を姓名判断にかけてみた結果なんだが
結構あたってる気がしたんで載せてみました
544 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/06 15:09
とれとれピチピチ蟹料理〜
545 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/06 17:42
>>531 その通り!!
信玄ですら、村上義清だの長野業正ごとき
小物にひょいひょい捻られたり。
戦国の変人武将、上杉謙信と何十年も張り合ったりね。
>>543 当たりすぎる程、当たってるよ。
546 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/07 01:27
今月の、雑誌「歴史群像」の長篠合戦の記事ってどう ?
か〜なり定説と違う見解、分析だったので新鮮だった。勝頼にとっては
誤算に誤算が重なった、ということなのか…。
>村上義清だの長野業正ごとき小物
ハア??????????
少なくとも信長が苦心して倒した斎藤龍興より遥かに強敵。
美濃50万石
村上や長野は10万石以下
村上たちが小物ってのはアレだが斎藤のほうが強敵だろ。
石高が多ければ強敵ってのはどうかなぁ
真田なんかも石高は少ないけど、強かったじゃん
550 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/11 01:24
>>546 「空白の一日」に着目したのは良い。
そういえば鈴木眞哉氏が批判されていたが、ついに鈴木氏も批判の
対象になるほどメジャーになったってことかな?
鈴木氏が信長の「鉄砲戦術」を評価しないのは1577年の雑賀攻めが
念頭にあるからだろう。
551 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/11 01:27
>549
家康がだらしねえだけだろ
斎藤は本人がバカだが部下の武将が優秀だからなあ…
553 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/11 01:36
美濃勢は強いらしいしねえ
>548
駿河・遠江80万石の今川氏真ですが、何か?