源平連合軍VS武田騎馬軍

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1無名武将@お腹せっぷく
どっちのほうが強い?お前ら最近乗り悪いぞ
2無名武将@お腹せっぷく:2001/04/10(火) 21:15
>どっちのほうが強い?
興味ありません。
>お前ら最近乗り悪いぞ
そういう問題ではないと思います。

http://salad.2ch.net/test/read.cgi?bbs=warhis&key=984462377
こちらでどうぞ。
(了)
3無名武将@お腹せっぷく:2001/04/10(火) 23:22
源平のころってのは
「やぁやぁ、我こそは〜・・・」
って名乗りあって切りあうんだぞ。

比べようがない。
4無名武将@お腹せっぷく:2001/04/11(水) 21:44
だからスレ増やさんとほっときや。
あっ…わしもか。鬱だ詩嚢…
5無名武将@お腹せっぷく:2001/04/28(土) 00:30
3>
武田騎馬軍のころも名乗り会ってたぞ。
集団戦闘は織田信長から。
6無名武将@お腹せっぷく:2001/04/28(土) 00:36
>>5
そのような事実は無い。作家に騙されるな。
鎌倉末期から既に飛び道具に始まり突撃に続くスタイルに
なっていた。
7無名武将@お腹せっぷく:2001/04/29(日) 01:14
>>5
 6のような知識はなくても、応仁の乱の頃から、一騎討ち
スタイルでなく、足軽による集団戦闘が始まったというのは、
常識じゃないか?
8無名武将@お腹せっぷく:2001/04/29(日) 02:01
つーか騎馬戦そのものが室町時代には廃れてるぞ。
「武田騎馬軍団」は三分の二は妄想。
残る三分の一は追撃戦では重い鎧を着る武士にとって、
馬は重要だったために、騎馬武者も活躍したということ。
9名無しんぼ@お腹いっぱい:2001/04/29(日) 02:27
つーか騎馬隊を使わせたら武田信玄なんかよりも源義経・織田信長
の方が大戦果をおさめられると思うぞ。
武田信玄の騎馬隊が強いんじゃなくて武田領に馬がいっぱいいただけだろ。
10無名武将@お腹せっぷく:2001/04/30(月) 00:35
義経はまだしも、信長ってのは?
11秋山好古:2001/04/30(月) 11:35
>>10
「騎馬隊をどれだけ豊富に所持していたか」ではなく
「騎馬隊をどれだけ有効活用したか」ってことなのね。
(ここでガラスを割る)
12無名武将@お腹せっぷく:2001/04/30(月) 14:16
>>11
アナタ、ドイツ人デスカ?ニポン人ニハ、ミエナイデス。
13秋山好古:2001/04/30(月) 17:22
>>12
ドコイッテモ、ソウイワレテマスガ、チチモ、ハハモ、ニホンジンデス
14無名武将@お腹せっぷく:2001/04/30(月) 23:45
>>9
信長の方が絶対、馬たくさん持ってるよ。
両者の軍役から分析して武田家の騎馬率は7%で、織田家だと5%。
総勢三万の7%と総勢十万の5%だったら後者が多い。
15毛利元就:2001/05/02(水) 14:24
おそらく武田軍が勝つでしょう。
もちろん兵数、武器が同じでね。
16すえ:2001/05/02(水) 17:16
>>15
君君、まぁたそんなことを言って皆を撹乱させるんだから
17無名武将@お腹せっぷく:2001/05/02(水) 21:57
 長刀に兵器をそろえたら、武田軍の雑兵は使用できない可能性あり。
18無名武将@お腹せっぷく:2001/05/03(木) 02:45
>>14
信長の方が領土が広いんだから、
総数で比べたら信長の方が多いに決まってるだろ。アホか。
比率の問題でしょ。
19無名武将@お腹せっぷく:2001/05/04(金) 01:25
>>17
20無名武将@お腹せっぷく:2001/05/04(金) 02:47
>>17
21無名武将@お腹せっぷく:2001/05/04(金) 04:08
『雑兵物語』に槍は突くより叩いて使えとある。
叩くだけなら槍だろうが薙刀だろうが変わるめえよ。
それより飛び道具に鉄砲を加えたら、源平のみなさんは
使い方が分からないぞ(藁
22無名武将@お腹せっぷく:2001/05/04(金) 07:36
「騎馬隊」そのものが日本の合戦史には無いんだって。
騎馬武者はいても騎馬隊はないの。
騎馬隊というのは騎兵を集団運用して偵察,襲撃,突撃につかうもの。
そのような存在は明治になるまでなかった。
主な理由はポニーより小さい日本馬の体格と,軍馬に必要な去勢と調教を知らなかったため。
そのために,騎馬武者が主力だった源平時代すら戦闘は大きく制約された。
一の谷の義経のような戦いはフィクション。
ましてや,戦国時代は騎馬武者が下馬して戦闘していたというのは常識。
未調教の馬は鉄砲の轟音におびえて使い物にならない。
明治時代去勢をしていない日本の馬を見て,欧州の軍人がこれは猛獣だといったという。
8がいうように,「武田騎馬隊」というのはあくまでお話。
それでもいいんだロマンなんだから,というなら別に口は出さないけど。
23無名武将@お腹せっぷく:2001/05/04(金) 09:40
 より正確に言うと、武田騎馬軍団というのは、実は輸送に活躍した
というのが、真相らしい。
24無名武将@お腹せっぷく:2001/05/05(土) 01:35
>>22に補足。確かに「騎馬隊」は存在しないが、日本の馬は
それほど悲壮なものでもないぞ。
ポニーに100キロのおもりを乗せて走らせる実験というのを見たことが
あるが、15分でバテてた。合掌。
木曽馬に鎧着せた武者を実際に乗っけて走らせる実験も見たことがあるが、
ちゃんと走ってた。バンザーイ(藁
実際には騎馬隊が存在しないので、人間が走る速度が出せれば良いから、
スタミナでは問題ないと言えよう。これは東洋馬と西洋馬の違いによる。
小柄だが筋肉質な東洋馬と大型だが脂肪の多い西洋馬。小型の西洋馬である
ポニーでは比較対象として不適当。モンゴル馬あたりの方が良いと思われ。
本物の騎馬軍団を支えたのも日本馬と同じ小型の東洋馬なのである。
ちなみに『甲陽軍鑑』には馬の訓練の事も書いてある。去勢はなかったが、
調教が無かったわけではない。注意すべし。
長篠合戦の様子などを史料で見れば、なるほど下馬したらしい。
しかし、『信長公記』に「関東馬上の巧者にて…」と小幡信貞だけが
騎乗のまま突撃した事が書いてある。趣味・力量にもよりけりである。
同じく『信長公記』で、桶狭間合戦において、信長も下馬して鑓を取り、
戦闘したとある。馬上では死角が多いので、乱戦では下馬するのが正しいようだ。
一方で、『甲陽軍鑑』では三方ヶ原のような騎乗に適した場所でもいきなり
馬で乗り掛かるような事はしないと説明する一方、追撃戦では鎧が重いので
武士は騎乗したらしい事も分かる。

結論。
近世の騎兵隊の如き騎馬隊は存在しない。騎馬武者だけが集団になる事は
ありえない。
武士は移動では馬に乗る。飛び道具、鑓の合戦に始まって乱戦に移行したなら、
下馬して戦う。敵が崩れ、追撃に移るなら、騎乗して追う。
25無名武将@お腹せっぷく:2001/05/05(土) 15:23
22です。<<24のお話,とても勉強になりました。ありがとう。
ちなみに,蹄鉄がなかったという話も聞いたがほんとでしょうか。
もしそうだとしたら長距離におよぶ活動はとてもできそうにもないが。
2624:2001/05/06(日) 00:49
>>25
まさかレスがつくと思わなかったので、エラソウな口調でスイマセンでした。
まず、日本に蹄鉄が無かったのは本当ですね。
必要があれば藁で作った靴を履かせ、すぐボロボロになるので
どんどん取り替えたとか。
ただ、フロイスは日本馬の「欠点」として蹄鉄の無い事を挙げていますが、
西洋の石畳の街と違って日本はどこも土なので蹄の減りは西洋より
少なかったと思われます。
また、武士の心得としては予備の馬を飼っておき、蹄の減ったものは
休ませ、伸びたら乗るという事はあったようです。
27無名武将@お腹せっぷく:2001/05/06(日) 01:14
犬の躾に見るように西洋は人と獣の境をはっきりつけるから
日本の馬に対する考え方が理解できないという感じに書いてたね。(多分)
頻繁に馬草鞋?を変えるのを見て人間より大事にしてると書いてあった(多分)
28無名武将@お腹せっぷく:2001/05/06(日) 01:15
 中世ヨーロッパにおいても、騎馬軍団は存在しません。
 百年戦争の時代においても、イギリス軍の騎士は下馬して
戦っていて、フランス軍の騎士もそれを見習うようになり
ました。ヨーロッパでも、馬が大型化するのは、近代に入って
からの事です。
 モンゴルが「騎馬軍団」たり得たのは、人より馬の数が多く、
(ひとりの兵士に馬5頭)疲れた馬はどんどん交代する事が
可能だったからです。
29無名武将@お腹せっぷく
近世になり,常備軍の時代になるとヨーロッパで3兵種による編成が定着してるね。
ただ主力はあくまで歩兵。スイス傭兵が騎兵を撃退するために編み出した長槍の密集隊形に,銃兵を組み合わせたもの。
騎兵はこれに正面からたちむかうことができずに苦労した。
前に出てピストルを打ち,戻るなどの戦法が行われたが効果なかった。
結局,偵察,追撃,騎兵に対する抜刀突撃が騎兵の役割となった。
ナポレオン時代に火力が発達すると,騎兵の役割はますます狭くなった。
ワーテルローの戦いで,イギリスの方陣に正面から突撃したネイの騎兵隊は壊滅的な打撃を受けた。
こうしてみると,騎兵が活躍できたのは,火力が発達するまでの,中央アジアのようなだだっぴろい地域だけだったのかもしれない。
もっとも,日本には騎馬隊そのものがなかったから,テルシオのような長槍密集隊形も発達しなかった。