1 :
無名武将@お腹せっぷく:
上杉謙信が関東管領の名にこだわって関東に出兵しまくったのを
天下取りの視点からよく批判されるけど、当時の感覚からすると
むしろ当然のような気がするね。
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/26(月) 19:49
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3 :
松永久秀:2001/03/26(月) 19:55
漢として生まれたからには、天下をねらうのは当然であろう。
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/26(月) 19:58
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5 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/26(月) 20:50
>>1 そりゃ、社長の座も確実だろうという有能な社員が、
「別にいいよ。俺は部長ぐらいで充分」
と言っていたら、周りの者としては、何かひとこと言わず
には、いられないでしょう。
もっとも、「社長の座も確実」という評価が正しいか
どうかは、また別の話ですが。
6 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2001/03/26(月) 20:51
>3
その通り。
アンタも、大内義興も、三好長慶も天下人。 ってことで終了!
ちなみにNHK時宗で、
執権が最高の権威で有るかのように描写しているが
天下人幻想も同じ。
7 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/26(月) 20:57
社長を目指して夢破れると部下もリストラされるんだからなあ。
とくに安定志向の社員は上司があまり野望を持つと迷惑だろう。
信長の配下なら、出自の低い上昇志向の臣下が多くて天下取りも
近いのがわかってたから、天下を目指すのに異論はなかった
だろうけど。
天下取りの野望を捨てなかったとされるだてっくなんかは
家臣は内心えらい迷惑に感じてたんじゃないの?あまり
秀吉や家康ににらまれる工作すんなよ。とか。
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/26(月) 21:24
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9 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/26(月) 21:43
明確に天下統一なんて考えていたのは信長とその影響を受けた武将くらい
だろうな(秀吉、家康、信玄もか?)
当時はおそらく電波に近い考えだったと思うぞ。普通(?)の大名は
自領の安堵と拡大くらいしか頭になかったろう。
10 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/26(月) 21:56
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それこそ、戦国大名が天下を狙っていたと考える方がKOEIに毒され過ぎでは。
因みに謙信の関東出兵だがなそれ以前の問題として。
どうして、当時の感覚からして当然なんだ?
第一それ以前に、時代の推移に関わらず、己を神の化身と信じてるような奴は、
どう考えてもおかしいだろ。
ま、それが魅力って言うんだろうがな。
12 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/26(月) 22:33
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13 :
5:2001/03/26(月) 23:01
>>7 そりゃ、部下からすればそうだけど、関係ない
外野なら別でしょ? 上杉謙信はなぜ天下を狙わ
なかったのか、とブーたれているのは、謙信の部下
ではなくて、後世の人間なんだから。
>>11 1は「天下を狙わず、関東管領程度のほどほどの目標に
したのが当然」というつもりだったんだろうね。
しかし、やはり11の言う通り、上杉謙信の関東管領の地位
獲得のための戦いは、天下取りを狙う行為と比べてむしろ
異常な行為だったと言える。
言ってみれば、社長の座も狙える有能社員が、労働組合の
組合長の座を真剣に狙うようなもの。
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/27(火) 00:12
毛利@ウドの大木田舎大名は天下なぞ考えてない。
ましてや、津軽や安東、そんなことかんがえもしたかどうか・・・
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/27(火) 00:18
>>14 そりゃ、大企業に入社した、ごく一般普通の平社員は、
社長の座を狙わなくて当然。
毛利は窓際族で終わるつもりだったのが、スキャンダル
で部課長クラスがどんどん会社辞めて、いきなり部長に
抜てきされたようなもの。
「たまたまこんな地位にはなったけど、これで十分です。
社長とか、重役とかの器ではないです。」
と言って当然。
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/27(火) 01:30
毛利(特に元就)はどーだろ。たしか家臣が「中国地方を支配できる
ように」と寺社にお参りしたのを元就がとがめて、「そんな小さな
目標では生き残れん。天下を取るつもりでようやく中国地方を切り取れ
るくらいだ」といったそうだ(出典不明につき史実かどうかはしらん)。
そりゃ、会社で部下には社長を目指すつもりでがんばってる姿勢を
みせないとね。毛利みたく、本来は平社員の寄り合い筆頭でしか
ない立場では特に。
17 :
15:2001/03/27(火) 08:33
>>16 それは若い頃の話で、私は「天下を望むべからず」とした晩年
の事を言っているから。
要は、新入社員の頃は野心に溢れていたけど、結局出世できず
に窓際族になった中年の頃は、野心なんか無くしていたという事
だろうね。
望む時は手に入らず、諦めた頃手に入るというのは、皮肉な事
ではあるが、人生は往々にしてそういうもの。
実際「天下」ってのを真面目に考えていた人のほうがすくないっすよ。
信長さんが出てくるまでは誰も考えてなかったんじゃないかなあ。
今川さんも上洛しようとしたけど、あれは将軍補佐が目的だって言うじゃない?
19 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2001/03/28(水) 16:34
みんな漠然とは狙ってたけど、明確な天下取りのビジョンを持ったのは信長が
最初と思われま。
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/29(木) 00:03
本気で「天下」なんて言ってたのはキチガイだけだろ。
21 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/29(木) 00:11
信長以前はかろうじて今川義元がはいるぐらいだろ。
天下ねらってたのって
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/29(木) 00:13
>20
んで、ほんとにキチガイが天下取りそうになったので
光秀が本能寺の変を起こしたと。
23 :
名無しさんのレスが読めるのは2chだけ!:2001/03/29(木) 00:27
京都を目指すことはあっても「天下に号令を下す」というのは小説の考えだろうな。
なにより湯治の人間が(地理的に)日本という概念をどこまでとらえていたか疑問
24 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/29(木) 00:32
25 :
足利尊氏:2001/03/29(木) 00:34
26 :
源頼朝:2001/03/29(木) 00:35
27 :
平清盛:2001/03/29(木) 00:36
28 :
天武天皇:2001/03/29(木) 00:37
29 :
蘇我入鹿:2001/03/29(木) 00:38
30 :
継体天皇:2001/03/29(木) 00:39
31 :
応神天皇:2001/03/29(木) 00:39
32 :
今川義元:2001/03/29(木) 00:49
33 :
明智日向守:2001/03/29(木) 01:39
>>25-28
おまえら一応天下取ったからいいじゃないか。
おれなんか3日天下って世間で言われているが、実際には天下は取ってないぞ
京都付近を制圧しただけ
34 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/29(木) 01:48
35 :
三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君:2001/03/29(木) 01:55
● / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(( | オウオウ!!
(,#´∀`) < 糞スレばっか立てやがって。
(‰つノ)つ | 市中引き回しの上、磔だ!!
ノヽノ ヽヽ \_____
(__)ヽ⌒) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|\―――\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ∧_∧ | お奉行様、僕は
. | \―――\ | (;∀; ) < 春休みで暇で...。
. | \―――\ .| し し ) | 構って欲しかったんです。
. | \―――\ i| (__(_, ̄) \_____
36 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/30(金) 22:16
信長以前はほとんどこれといったビジョンはなかったと思うよ。
信玄、謙信でもせいぜい「室町幕府を再興して将軍の補佐をする」という程度
だったし、毛利や島津、北条も目標はせいぜい「中国地方統一」「九州統一」
「関東統一」くらいだったと思う。
伊達政宗くらいの世代になるとまた違ってくるけど。
37 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/31(土) 00:06
上に大体同意。鎌倉〜南北朝の源氏、平氏の棟梁が武士団に
絶対的な敬慕を抱かれていた時代のビジョンが完全に抜けていない
戦国初期は特にそうだろう。
ただ、北条氏に関しては関東管領をボロクソに痛め付けたり
足利に滅ぼされた北条氏を名乗っている所から考えてある程度
反室町幕府的な視点を持っていたと思う。中央から関東を
独立させて考える将門〜鎌倉以来の視点に従ったとも言えるが。
「天下」の概念がそれぞれ違うので一概には言えないかと思われ
諸侯に命令出来る立場=天下?
40 :
へへへへへ:2001/04/16(月) 02:00
やんごとなきかたの、近くにおった人が、有力な武家の所に行ってたきつけたのが
始まり。
幕末の明治維新のといわれるだいぶ前に、有力なところを遊説して歩いた、史書
に載ってない人たちと同じ理屈。
それでなきゃ、戦国時代の武士あたりに、そこまでの知識があったかどうだか、疑わし
すぎるというもの。
なんにしても、日本は常にトップダウンだったのだし、何のために苦労してまで
統一せにゃならんてなもんだ。
41 :
T大史学科42歳:2001/04/18(水) 15:44
君らは皆何もわかっていない。
まあ、「○栄」辺りのゲームで身に付けた知識なんだろうけど。
信長以前の天下取りのイメージは将軍、更には天皇の権威を背景に他の地方政権の盟主となることであった。
今川義元、武田信玄、遡っては足利尊氏もその域をでていない。
そのため、皆、京の都を目指したのである。
織田信長が革新的なのは天下のイメージを盟主ではなく、他勢力の撲滅に結びつけたことである。
例えば、秀吉は、毛利や島津を諸侯として残したが、信長なら最終的には滅ぼしたはずである。
信玄は反抗する家康を無視してひたすらに京を目指したが、信長なら、撲滅は後に回すとしても、平定をしないで京を目指す無意味さ(少なくとも信長的ビジョンでは無意味)を認めたはずである。
信長が京には自分の代官のみを置き自らの邸宅さえ造らなかったのは、既成の権威を借りた支配が最終的な目的ではなかったからなのだ。
他の勢力を支配下に置くだけでなく、撲滅を目指し、引いては天皇とも取って代わろうとした信長は唯一の者であり、他の格段にビジョンの違う者とは同じ土俵では語れまい。
それゆえに、君らも不毛な討論はやめて、もっと勉強したまえ。
42 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/04/18(水) 15:59
43 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/04/18(水) 16:50
でもナトク
44 :
>>42:2001/04/18(水) 17:52
>>もっと勉強したまえ。
カッコイイ…ポ
45 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/04/18(水) 18:46
北条家が関東しか考えなかったというのは
結果論だけど正しい。
本能寺で信長が倒れた後、相模と武蔵の防衛を
考えると甲斐に攻め込むのが常道だけど、
真っ先にやったのは関東管領・滝川一益攻め。
そのため、その後の侵攻ルートが上野、信濃、
甲斐になり、体制を立て直した家康に甲斐を
奪われる結果となった。
47 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/04/19(木) 01:42
おいしい物食べて、美人セク−スして、家臣はペコペコしてくれるのに
何が不満なんですか?
散髪に失敗して機嫌がよくないので少しだけ噛みつかせてもらおうか。
>>41 「他勢力の権威に頼らなかった」
これを主張している奴が俺のほかにいるとは思わなかった。何だか嬉しい。
この点、貴殿は鋭い。しかし俺よりは青いぞ(笑)。
特に貴殿の後半部分はもう一度、自分で読みなおして見る事だね。
信長公を見る時、そこに自分の理想を入れてしまったり、
一面だけに目を奪われたりしない事が肝要かと思うな。
まあ、これは自分自身に対する自戒の言でもあるが。
T大生だから俺より相当勉強していると思うので、
勉強しろとか言わないが、煽るにしろ、自己満足するにしろ、
もっと手段があるはずなので、どこかで練習したほうがいいな。
俺も練習中なのでそろそろ退散。
49 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/04/19(木) 18:06
>信長が京には自分の代官のみを置き自らの邸宅さえ造らなかったのは
え?京に邸宅を作ろうとしてたって既に証明されてるはずだけどなぁ
50 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/04/19(木) 23:35
の・信長さんは、大大名かもしれないけど・・・
天下を手中にしていたとは思えないのだけど・・・
信長朝が始まった歴史って、日本にあるの?
51 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/04/20(金) 00:12
おいおい、信長朝って君・・・
52 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/04/20(金) 00:21
でも・・・でもっ!!
53 :
無名武将@お腹せっかい:2001/04/20(金) 00:37
>41さん
戦国大名が天下をとりに行く根拠について答えていないよ。
どうして、天下を取り合う必要があったのですか?
たしかに、K栄のゲームじゃわかんないです。
信長のビジョンだか、何だか知らないけど、信長のやってる事も天下とりでしょ?
政治的な手段(統治方法)の違いは有っても、天下取りを目指す点では同じです。
史学なら、そこ勉強してんデショーヨ。
54 :
無名武将@お腹せっかい:2001/04/20(金) 00:41
補足ですが「天下取り」は、国の統治者の意味で使いました。
55 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/04/20(金) 01:07
平氏を騙り、名家北畠をのっとり、義昭を担いで京に入り、包囲陣を
しかれた時に正規町帝に仲介してもらった信長が「他勢力の権威に頼
らなかった」???
頼らなかったのは地に落ちた室町将軍の権威だけだと思うけど・・・
56 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/04/20(金) 03:54
>>55 >>41の方は、頼らなかった、とはいってないでしょ。天皇制という権威に承認されな
くても維持できる、まあ織田王朝をつくる意志があったと言ってるわけで、
しかし日本起源神話をつぶすことはそれこそ、物の怪の類とたとえられ、織田政権打倒の大儀を
諸勢力にあたえてしまい、信長一代でガタガタでしょう。西洋の神の王権神授説に正統性をもたせるのもこの国には無理がある。
そんなに信長がアホだったとはおもえません。
大和田哲男が書いてますが、朝廷と信長のあいだに将軍被官の動きがあったのは事実ですよね。
それを察知した光秀は源氏正統説を譲ることができなかったのが暗殺の動機の一つとされてます。
武田も落ちたし脅威となるカリスマはみな消えたもう大丈夫だと、
それまで拒否してたのはそれだけの理由ですよ。
信長個人は自分が神だとホンネで思っていようがタテマエは別でしょう。
自分の城のなかに自分の神社建ててる時点で八百州の神の新メンバーだくらいにしか考えてないのでは
41の方をはじめちまたでよく言われてる、絶対王政説を鵜呑みにするのはどうかなと思います。
信長と信玄くらいしか将軍めざしてなかったのではないですか?
他は下克上を防ぐために臣下に絶えず軍事的緊張を強いていたり、
それがたたって他勢力との衝突が、後にひけなかっただけだったりして。
家(自分)を守るために、戦をした。
家(自分)を守るために、富国強兵、領土拡大をした。
家(自分)を守るために、天下を目指す他なかった。
そのために信長も信玄も、構想を練った。
ということではないでしょうか?
自分もきっと大名家の嫡男として生まれていたなら、家を守るために力をつける
ことくらいは考えると思いますが・・・・いかがでしょう?
58 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/04/21(土) 02:00
信ちゃん(玄の方ね)の領国支配の正統性は甲斐源氏の嫡流であるということ。
だから源氏の棟梁である足利の下知に従わねばならんかった。
だから取りあえず家康ちゃんに攻めかかった。(信長ちゃんとの全面衝突は避けたわけね)
そして義理を果たすと領国に帰った。
そして寿命が来て死んだ。
以上
59 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/04/21(土) 02:15
神のお告げ
60 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/04/21(土) 02:17
ん?すまん少し訂正
×下知に従わねばならんかった
○形だけ激に応じてやろうと思った
ちっドキュソ公方めがしょうがね〜な、義理だけ果たすか。
今は一揆で押えとるが謙公もうるさいし、信の野郎に形だけでも反省させて公方の面子を立たせるようにすればよかんべ?
ってのが本音っぽいぞ、とても天下狙って動いてたとは思えん。
ていうか本気で思ってたら信玄は厨房に決定。
彼の魅力は冷徹なまでの戦略的合理性だと思うがな、、どう思う?
61 :
55:2001/04/21(土) 11:31
>56
41ではなく48に言っているんだけど。
41に言うとするなら、徳川秀忠の上田城攻めをどう考えているのか聞きたいかな。
>>56たん。
>信長と信玄くらいしか将軍めざしてなかったのではないですか?
足利義親(義栄)たんと足利義秋(義昭)たんが、
いるじゃないか。(;>_<)/ ばかばか☆x_x)イタイヨイタイヨ
#そういえば近衛前久たんが関東公方の座を狙っていたって話、
#むかし、なにかで読んだような気がするんだけど、
#どこまで信憑性のある話なのかな。
ついでに
>>55たん。
初期のころの信長は、むしろ朝廷の権威のほうをないがしろにしているよ。
たとえば1559年の上洛のとき。
義輝には拝謁しても、朝廷のことは、いっさい無視して尾張に帰っています。
#ただし、これについては彼と前後して上洛した
#美濃の斉藤義竜との間に、なにか、いさかいがあったらしく、
#数日の滞在で、あわただしく帰国したので
#朝廷には拝謁する暇がなかっただけだとも、とれるわけですけど。
また、そもそも信長の、このときの上洛自体も、
永禄への改元すら知らされなかった
「地に落ちた室町将軍」の要請に応えてのものですし。
一説に、この上洛は、
明年の1560年に桶狭間で討ち取られた今川義元に対抗するため、
将軍家の権威を頼ろうとしたものではないかと、いわれています。
さらに蛇足ながら、つけくわえると、
1553年以来、京から追放されていた将軍義輝は、
将軍家の権威に利用価値を見出した地方の戦国大名
(つまり織田信長、斉藤義龍、長尾景虎の三人)から
上洛と将軍家支援の約束をとりつけることで、
当時、京を統治していた三好長慶・伊勢貞孝に対抗し、
長慶と貞孝から京の統治権を奪回し幕府を再興したとも、いわれています。
以下は今谷明たんの「戦国三好一族」から
「幕府が軍事的に全く弱体化しているからといって、守護大名(現実的には戦国大名)に対する統制権を全く喪失したと考えることは正確ではない。現に、織田信長や長尾輝虎等が、将軍の権威をことさら強調し、幕府の復活を希求しているという事実は軽視できない。戦国末期、弱肉強食の最終段階であるこの時点にいたってもなお、室町幕府の存在に利益を認める地方権力があったのだ。長慶は、所詮そのような勢力に敗北したということになるのである」
それから、さらに付け加えると、
信長が天下を意識するようになった、きっかけは、
この将軍義輝の死にあるとも、いわれています。
その理由は将軍の死後、
信長は花押を「麟」に変えたこと。
麒麟は平和な世に出現する霊獣。
この麒麟を花押としたのは、
自らが混沌の世を終わらせるという意思表示であり、
この数年後から用いだした「天下布武」の判と意図するところは同じ。
#上記の説は、たしか佐藤進一たんのもの。
義輝の死をもって幕府は役割を終えたとみて、
自身が、それに代わろうとしたのか、
あるいは自身の力で義昭を助けて幕府を再興してみせるという
意思表示なのかまでは、わたしには、わかりませんけど。
>>55 自称・T大生を扇ろうと思う余り、少し言葉足らずでしたね。
「他勢力の権威に加わらなかった」に訂正。
ちなみに平姓を名乗った事は、あくまで「既存の権威」に頼ったのみで
「既存の勢力」に頼ったとは考えていません。
誤解なきよう補足すると、信長公がこうした態度を取り続けたのは、
何も幕府や朝廷の権威を軽んじていたからではないかも知れんと思う。
>>64 がばろん殿
今の論調だと「義輝の死をもって幕府は役割を終えたとみて、
自身が、それに代わろうとした」と言う捉え方をする御仁が
多いでしょうね。
しかし、天邪鬼な自分は、敢えて
「自身の力で義昭を助けて幕府を再興してみせる」
と考えていたものとして、個人的に推論を進めて見ます。
余談ですが、日本史板の調子は最近、どうでっか?
>>66 無名武将たん。
ぼちぼちですー。
#日本史板も、さいきん賑わってきたけど
#過去スレが、あっというまに消えていくのは、さびしいな。
68 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/04/26(木) 04:41
アゲ この問題は、足利がどうとかじゃなくて、、、本質的に天下取りを目指す理由教えてよ。
頼むぜ知識人。
69 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/04/26(木) 04:51
生まれが大名で、自分の家を守る為?
現代社会じゃ、自国を守る為に他国を侵略するのかというと、必ずしもそういう結果にはならない。
そこには、過去の歴史に学ぶものがあったのだと思う。 それで、現代に至るまで、この時代から何を学んだのでしょうか?
ボクは、光栄のゲームしかしてないから、わかんないです。
でも、史学どうのの人達も答えてないと思うなぁ、、。
70 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/04/26(木) 06:31
>>69 戦国時代は全国的にとにかく慢性的な飢饉状態にある。
現代の測定で、当時は地球規模で寒冷な時代であったことが判明している。
寒冷で農作物の育ちは絶望的に悪い。天災も多い。飢饉が常となる。
腹は減ったがメシはない。生きるためには奪うしかない。
また、戦が起きれば戦争景気で経済活動も活性化する。
全てではないが、領主達が戦を引き起こしたのは領民の生命を守るため、
という理由であったことも多々ある。
他大名の領土に進攻し、迎撃軍を討ち果たした後は、
平時は農民である一般兵卒たちによる掠奪行為が行われた。
奪うのは食糧・家畜・武器、そして人。
現代社会と同じ視点で見てはいかんよ。
明日の生死さえわからない時代だったんだから。
このスレおもしろいね。
あっれ〜。
豊作続きのおかげで、他国に侵略できる経済力が養われたんじゃ
なかったっけー。
徳川さん家が統一してから何代目で記録に残る餓死者が出たか
知ってる筈じゃん。
73 :
69:2001/04/27(金) 01:41
>70さん
お返事どうも。
70さんの事実に基づくと、領民が飢饉で死ぬと、大名の収入が減る。
そこで、大名が侵略するということですね。
これが、全国規模で起こったということですか?
>72さん
72さん、飢饉が原因でないとすると、何が原因なんでしょうか?
>現代の測定で、当時は地球規模で寒冷な時代であったことが判明している。
>戦が起きれば戦争景気で経済活動も活性化する。
どこのトンデモ説だこりゃ?
75 :
69:2001/04/27(金) 02:15
>74さん
とんでも説だとしたら、貴方の説は?
飢饉の事実は、ないという指摘だけじゃないですか? 真実を指摘してるのかもしれませんが、それは単なるヤジですよ。
69だけど、俺の説も何も
>現代の測定で、当時は地球規模で寒冷な時代であったことが判明している
ってお前は何処かのトンデモ飛ばしてるじゃねーか
それを測定した気象研究のソースを言えよ
それに寒冷期って「現代より寒い」って事じゃ無いぞ、寒冷期と飢饉は違う
戦争景気で活性化するってのも初耳だしな、具体的に証明してくれよ
活性化するなんてのは極一部の限られた人間で、戦争は大量消費だけ
何時の時代も当事者同士は戦争自体で経済が活性化するなんてありえない
80 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/04/27(金) 05:35
>>76 戦争景気をご存知ない?
1960年代、ベトナム戦争の影響でアメリカは大変な好景気だったのですが。
70氏ではありませんが、池宮氏はこう書いておられますね。
秀吉が天下を平定し、日本国内に戦がなくなると起こり得る事態について。
以下の事態の回避手段としての朝鮮出兵だったと。
徳川政権はその手段を取らず、作事普請の申し付けや
参勤交代によって全国への経済効果をはかったわけです。
戦後不況、である。
甲冑・具足から草蛙に到るまで、武具は一切新規注文がなくなる。
鉄砲・大筒から弓矢・刀槍、武器の消耗はない。
兵糧米の買い付けが途絶えると、農民は困窮する。
荷駄輸送も日用雑貨のみでは立ち行かない。
馬商人、鉱夫、鉄砲鍛冶、城大工、左官、瓦師、材木商人、
あげればきり無く、失業者が続出する。
最も大量の失業者は、軍夫から始まり軍兵将士の人余りである。
深刻な現象は、豪商の武将に対する貸金の取り立てであろう。
戦があれば武将は高利も構わず軍用金を借りた。
勝てば封禄が増すから返済できたが、
戦がなくなれば投機的な貸付は無くなり、
滞っている元金と利息の取り立ては厳しくなる。
不況が深刻化すると、年貢や関銭その他の税収入が減少する。
政権の屋台骨がゆらぐ、治安が悪化する。
並みの戦後不況ではない。応仁元年(1467)から始まり、
天正十八年(1590)に至る百二十年続いた戦争景気の終焉である。
その影響の深大は想像を絶する。
学者の論ではなく、作家の意見ですので、
あなたがお切り捨てになられてもご自由ですが、
一応説得力のある論だと思いましたので、参考までに。
ああ、スレテーマと違いますね。
sageておくのを忘れました。ご勘弁ください。
しかも省略されてるし。長過ぎましたか。
全然関係無いけど、ベトナム戦争の時のアメリカって景気良かったか?
朝鮮戦争が終わって景気回復の兆しを見せたアメリカが
ベトナム戦争によって停滞下降し、更にはニクソンショックを引き起こして
ドルの失墜を招き、80年代まで続く不況になったはずでは?
>74さん
貴方のご存知でない論が出てきたからといって、
反証も示されず言下にトンデモと断ずるのは
いささか乱暴ではないでしょうか。
こちらとしても、大学におきまして
れっきとした資料をもとに研究した上での発言です。
ただし、惜しむべくは現在手許に往事の資料が存在しないため、
ソース不足の誹りはごもっともです。この点は謝罪いたします。
84 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/04/27(金) 23:15
>>83 >>77-78を見た?反証にならんのかな
世界でも、日本の研究でも
>現代の測定で、当時は地球規模で寒冷な時代であったことが判明している。
というのは見当たらないけど?
>こちらとしても、大学におきましてれっきとした資料をもとに研究した上での発言
これは自分が研究した上での発言なのか、それとも大学の研究を見た上での発言なのか?
自分が研究しての説なら、判明したとか測定と言うのは嘘になるし
他の説をそのまま言っただけなら、どの大学の研究論文なのかぐらい言えると思うがどう?
>>73 サンへ
>飢饉が原因でないとすると、何が原因なんでしょうか?
少なくとも飢餓状態での万人単位あるいは集落大多数の動員は、記録によらずとも
自分の空腹時を思う限り難しいと思います。
何が原因で権力が集約方向に向かっていったのか、意見を求められているようなの
で、稚拙ながらも、思うところを述べさせていただければ・・・
とんでもなく大きな不安感に苛まれていたのではないかと想像しているところです。
記憶に新しいところで、ベトナムという地名が浮かんできますが、これも不安感が
引き起こしているように思われてなりません。
さて、いかがでしょうか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
86 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/04/28(土) 00:20
なぜ天下をねらうのか?
そこに天下があるからだ。
87 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/04/29(日) 12:35
トンデモ君はどーした
ウィリアムゲイツにでも聞くといいんじゃない?
89 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/05/01(火) 04:12
天下一武闘会を開催するため
90 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/05/01(火) 04:35
威張りたいからにきまっとるっ!
91 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/05/01(火) 18:47
なぜ天下をねらうのか?
それがゲームであるからだ
それがK○E○ならなおさらだ。
92 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/05/02(水) 13:53
器量のいい町娘1000人さらってきて遊んだり、
全国の器量のいい姫とマターリできるからにきまってるじゃんか。
93 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/05/16(水) 23:46
最大多数の最大幸福なんて概念なかったから、少々無理があっても猿山の大将
なりたがるのは自然と思われ。
94 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/05/17(木) 02:07
天下を目指していない勢力も数多くいたと思われ。
お家存続を第一にした家も多いと思うなり・・・・・・
95 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/06/05(火) 09:54
戦国大名が天下を狙う、というか狙わざるを得なくなったのは
身分制度の崩壊が遠因じゃないかな?朝廷から守護職を賜わら
なくっても国が盗れる、農民上がりでも大禄の武将になれる、
とありゃあ、誰かが天下を取るまでは家臣団(当主自身も)の
潜在的な戦争願望が消えないのは当然。
だからこそ徳川幕府は儒学を奨励して身分制の固定化を狙った
のは周知の通り。
96 :
霜台:2001/06/19(火) 21:59
ああっ、もうダメッ!!はうあああーーーーっっっ!!!
ブリイッ!ブボッ!ブリブリブリィィィィッッッッ!!!!
いやぁぁっ!あたし、こんなにいっぱいウンチ出してるゥゥッ!
ぶびびびびびびびぃぃぃぃぃぃぃっっっっ!!!!ボトボトボトォォッッ!!!
ぁあ…ウンチ出るっ、ウンチ出ますうっ!!
ビッ、ブリュッ、ブリュブリュブリュゥゥゥーーーーーッッッ!!!
いやああああっっっ!!見ないで、お願いぃぃぃっっっ!!!
ブジュッ!ジャアアアアーーーーーーッッッ…ブシャッ!
ブババババババアアアアアアッッッッ!!!!
んはああーーーーっっっ!!!ウッ、ウンッ、ウンコォォォッッ!!!
ムリムリイッッ!!ブチュブチュッッ、ミチミチミチィィッッ!!!
おおっ!ウンコッ!!ウッ、ウンッ、ウンコッッ!!!
97 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/06/20(水) 00:55
>>80 江戸時代は平和になったおかげで、元禄の頃は未曾有の
好景気だぞ。それとも何かい? アフガニスタンやバルカン
半島は、今、好景気なのかな? 戦争景気で潤おうのは、
それを対岸の火事にできる立場の者。
少なくとも、「信用取り引き」という面において、戦国
時代は鎌倉時代より後退している。鎌倉時代において初めて
登場した「為替」が、戦国時代においては、機能しなく
なった。戦乱の世にあっては「信用」もへったくれもない
のである。再び為替が復活するのは、江戸時代になって
から。
98 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/07/06(金) 03:05
そりゃそうさ。
100!
100 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/01(水) 19:59
以下個人的な見解。
信長以前に天下を狙った大名は皆無。
それがあまりにリスキーで、その実現のために必要な実力が
自分に欠けているかを(無意識下にしても)認識していたからだ。
だから大内にしても今川にしても足利将軍家打倒ではなく、
あくまで室町政権下での権力取得に動いたのだろう。
それ以外の大名たちはあくまでも自領防衛と、
家臣団(というか国人衆)の維持のために
拡大政策を取らざるをえなかったというのが実情だと思われる。
しかし明確なビジョンを持っていたかどうかは別にして、
室町政権を打倒して新たな天下を目指した織田信長の登場以降、
信長と対決しなければならない勢力(武田、毛利、本願寺、上杉など)は
消極的だとしても天下取りレースに参加しなければならなくなった。
天下の諸侯だけでなく朝廷側もそのようにとらえるだろう。
信長を倒すことは自動的に次の天下人の最有力候補となってしまうからだ。
このスレまた上がってきたな。
>>100 いい意見だね。おそらくそんなもんだろう。
102 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/13(月) 11:20
103 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/18(土) 22:59
人間の野望には際限がないからのお.
104 :
名無し:2001/08/18(土) 23:25
室町政権を打倒と言うより
足利将軍の権威を必要としなくなるほど
信長に力が出来たわけか
105 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/19(日) 02:21
大内なんて、貿易でもうかっていたし拡大路線をとる必要が
なかったわりには九州や中国で活発に侵略をしていた。
上洛したり、官位を買ったり中央への意識も強い.今川も
そうだけど、ばりばりの守護大名が任じられた以外の国を
攻めてる場合は、織田信長レヴェルの「天下ねらい」で
なくとも、細川勝元や山名宗全レヴェルの「中央政権掌握」
くらいは視野に置いてたのでは.
106 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/19(日) 03:45
信長の行動を調べるならば、信長が本当に室町幕府の
打倒を狙っていたかどうかは、疑わしいと言わざるを得ない。
というのも、秀吉を通じて中国地方に逃げた足利義昭を
呼び戻そうと苦心しているからである。
当然、「まだ将軍の権威には使い道があるから」と
反論する向きもあろう。だが、信長が最終的に死ぬまで
将軍の権威に「見切り」を付けていなかったことは
確実なのである。
よって、信長が始めからオリジナルの構想として
「室町幕府を打倒して天下を我が物とする」と考えていたと
結論付けるのはいささか早計であろう。
107 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/19(日) 14:39
>>106 最後の3行は禿げ同意だけど
>信長が最終的に死ぬまで 将軍の権威に「見切り」を付けていなかったことは
>確実なのである。
には同意できない
途中で見きり付けたんじゃないのかなあ
108 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/19(日) 14:56
>>100 自分が室町幕府にとって代わろうとする意識が、毛頭
無かった、想像の範囲外だというのが、事実ではなか
ろうか?
>>105の言う通り、中央政界進出を考えていた
大名は、結構いたであろう。
ただ、戦国時代の実情として、やはり中央政界進出
は目標であっても、その前段階の自国の勢力固めで
精一杯、という大名が、やはりほとんどでは無かったか。
安房の里見なんかは、中央どころが、関東に覇をとなえる
目標だけでも、達成極めて困難だった訳であるし。
109 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/19(日) 15:56
室町時代の守護は在京していたものだが、応仁の乱を過ぎ
ると、国元が動揺してきてそれが難しくなった。守護代が
実権を握ったり、それも潰れて多くの国人領に分裂したり
した。
それを実力で抑えて戦国大名が出てくるわけだが、彼らは
国元を長期間離れることは困難だったろう。自分の家来が
すぐ背くような大名は別としても、兵農分離もしてないし、
外敵が侵入したら自分で迎撃しないといけない(それを人
任せにするようだと、そいつに国を奪われる恐れがある)。
信長でさえ、足利義昭を京へ入れたあとは、本拠の岐阜か
ら時々上洛するという形だった。
多分、武田信玄が生きて信長軍を破ったとしても、「美濃・
尾張・伊勢を併呑した巨大大名が出現する」のがいいとこ
ろだろう(少なくとも当面は)。
大きな戦国大名は地域的な統一権力のようになっているので、
中央に信長のような大勢力が出現するのは好まないだろうが、
群小大名の多くは、そういうものが出てきたら恭順する用意
がある、という態度ではなかったか。つまり、あのころはど
の大名も、地元から世界を見ていた。
110 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/19(日) 20:09
>なぜ戦国大名は天下をねらうの?
大奥を作るためだろう。
111 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/23(木) 21:13
>>106 権威に見切りをつけてなかったら、
義昭を呼び戻すよりも三好たちのように自分の都合のいい人物を
将軍に就けたほうが良かったんじゃない?
112 :
無名武将@お腹せっぷく :2001/08/24(金) 12:32
113 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/24(金) 22:03
114 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/24(金) 22:11
日本男児たるもの男と生まれた以上、
上を目指すのは当然のこと。
大うつけで終わるか、天下をとるか!
115 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 06:39
血筋はたいした事ない織田信長に、統一なんてまだまだなのに東北
諸将が誼を結んだりするところをみると、どんなものでも天下を狙って
イイという了解はあったんだろうね。
116 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/20 00:05
漏れには天下なんて要らない。
漏れが欲しいのは全世界だ。
>115
>血筋はたいした事ない織田信長
大したことない血筋でも、辿り辿れば平重盛(笑
わしゃ狙っとらんぞ
どうやって狙えっていうんだっ!
すんまそーん、里見君。
嘘でもいいから、一度でいいから、大きな声で言ってみたい。
「わしも天下を狙うそ゜!」
天下どころか、足元も危ない・・・
123 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/04 11:12
天下を狙うって、
狙うやつもいれば所領安堵を優先してるのもいる。
柳生は天下を狙わなかったよね。
家康は先祖が坊さんで天下取ったやつなので、子孫がそう考えても不思議ではない。
信長はキティだからそう考えたのかも。
秀吉は出世欲の果て。ってことでどうかな?
124 :
姉小路自綱:01/10/05 08:10
私は・・・
まろのおつむは天下たいへー
我慢我慢、待てばカイロの日吉ミミ。
天下の方から転がってきたわい。
私欲からでは決してない。
128 :
アイヌマン:01/10/06 10:33
今日も平和じゃな
社長の椅子狙う奴なんて、一部だけ。
おれの目標はできる限りの昇給・出世。
定年までがんばりたいなー。リストラ・首切り怖い。
130 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/30 02:33
ag
131 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/30 03:01
アマン共が…
132 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/30 07:22
a
133 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/30 17:00
部下に与える恩賞が必要で隣国侵略の繰り返し。天下を狙わないと存在自体危なくなるから。朝倉を見よ。北条を見よ。天下を狙わないなら抵抗などせずさっさと誰かに臣従することだよ。
134 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/30 21:18
ほとんどの大名は積極防御(あるいは攻勢防御)による
拡大政策の結果が天下を狙っているように見えるのだろう。
つまり自領(国人たちの領地)を守るために
他国との緩衝地帯が必要になり他国を攻める。
そして降伏させた他国の国人たちの領地を守るため
新たなる緩衝地帯が必要になる。
つまりは自領を防御するための手段として他国が必要になってくる。
結果、際限の無い拡大政策を取らざるを得なくなったということだ。
ただそうだとすると、消極防御である婚姻や同盟による自領防衛政策を
とってるくせに戦争しまくってる東北地方みたいなのは説明つかないんだよなあ。
135 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/01 15:56
戦争は自衛の為に始めるものです
東北は、あんたのいう消極防御をみなが取っていたのに、
伊達のドキュソが引っ掻き回したから騒乱状態になったんじゃないの?
あの勘違い野郎を名将といわれたり、生まれるのが遅すぎたと
評価されるのが正直理解できない。
137 :
無名武将@お腹せっぷく: