石田三成って・・・・・

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1彦根人
三成の世間の印象って悪いよね。小ざかしいとか
貧民上がりとか、官僚批判の時に引き合いに出されるけど
戦後処理や平時のときの政策は悪くないと思うけど・・・・・
2名無しんぼ@お腹いっぱい:2001/01/15(月) 17:29
小坊主上がり
3無名武将@お腹せっぷく:2001/01/15(月) 18:04
そーとーウザいやつだったってのが実態のような気もする・・・
4無名武将@お腹せっぷく:2001/01/15(月) 18:08
彦根人なら井伊のことだけ考えろ。
5無名武将@お腹せっぷく:2001/01/15(月) 18:12
でもさ、三成が領民に当てた手紙の中で、
村の長老レベルにも丁寧な言葉遣いで(敬語交じりで)
書いてるの見ると「一方的に傲慢」ではなかったはずと思うけどね。
いい文章だったよ。
6名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/15(月) 19:02
 石田三成って僕が一番好きな武将なんだけど、たしかに、評判はあまり
よくないですね、、 
7無名武将@お腹せっぷく:2001/01/15(月) 19:06
三成って武将というよりやっぱり官僚だったのでは
8無名武将@お腹せっぷく:2001/01/15(月) 19:35
体育会系の連中に喧嘩売った文化系の輝く星。
9名無し獣。:2001/01/15(月) 19:48
>8
部下たちは体育会系なのに、何故か人気が有る。
何故だ。
10名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/15(月) 19:50
島左近とかも人望や魅力がなきゃ三成の所へ行かないでしょ。
11無名武将@お腹せっぷく:2001/01/15(月) 19:57
いいかげんに気づけよ。
三成を貶めるようなものは
みんな江戸期の創作だよ。
12名無しさん@お腹いっぱい:2001/01/15(月) 20:30
石田三成の子供は津軽藩に保護されたんだってね。
去年暮れ頃の朝日新聞の日曜版に掲載されてた。
恩義を感じた大名もいたんだよ。
13奉行筆頭:2001/01/15(月) 20:51
三成公には、悪い評判が数多く流布されたにも関わらず、
すがすがしいエピソードも少なからず残されている。
260年の幕府の歴史を、そのエピソードは消されることなく残ったという
事実を大切にしたい。
徳川家の中にも、三成公を高く評価した者は少なくない。
敗者である三成公の、真の姿を読み取ることが、後世の歴史ファンの
義務であるものと愚考する。
14名無しさんのレスが読めるのは2chだけ!:2001/01/15(月) 21:25
 私は三成はもっと評価されていい人物だと思うぞ。

 家康の前に前田が屈服し、上杉も征伐されそうな今、豊臣政権
を存続させるために戦うには、あのタイミングしかなかったはず。

 結果として負けたとは言え、数万の味方を率いて家康と戦う
ことは、他の豊臣家家臣には出来なかったことだし、家康自身
上杉の南下や福島正則以下の武将を信じきれなくて出陣を遅ら
せたり、世間が言うほど家康の思い通りの合戦展開では無かった。

 自分に武将としての才覚が無いことを自覚して、優秀な武将
を引き抜き、精鋭部隊を構成し、欠点を補っている。

もっと評価されてもいいと思うけど… そもそも石田三成の
一般的な世間の評価って悪いのか?
15無名武将@お腹せっぷく:2001/01/15(月) 21:30
>>14
前田慶次が鬼のように強いと思っている奴には受けが悪そうだ。
16130:2001/01/15(月) 21:31
>徳川家の中にも、三成公を高く評価した者は少なくない。

現代で言えば国会議員が太平洋戦争の指導者は
優れていたって発言する事にならないか?
17名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/15(月) 21:41
三成の最後のエピソードが好きだな。
「大事を成そうとする者は命を大切にするものだ。」
18>>16:2001/01/15(月) 21:49
かなりちがう。

むしろ、旧ソビエトのお偉いさんが、ロンメルとかグーデリアンを
評価するような感じの。
19無名武将@お腹せっぷく:2001/01/15(月) 22:00
>>18
 そう言えば、戦後捕らえられた三成に、黒田長政が上着を
掛けてやる、というエピソードがあるよね。

 戦前の長政って、三成を殺そうとしたほど対立してたのに、
関ヶ原での石田勢の奮戦で見直したってことなのかな? 黒田
長政の隊って、直接三成の隊と戦ってるし。
20>>19:2001/01/15(月) 22:11
つーか、直接戦った同士って妙な情が通う場合が結構ありますよ。
関が原後の島津の家康への陳情を、最も熱心に仲介してあげたのは
中央突破する島津隊を最後まで追撃した井伊直政だったりしますし。
21奉行筆頭:2001/01/16(火) 03:18
>>18
そうなのだよ。そこをワシはわかっていただきたいのだよ。
水戸光圀も三成公は評価していたが、忠の体現者なのだよ。
天下への野心はゼロ(推測)の忠義者へのエールを求む。
22無名武将@お腹せっぷく:2001/01/16(火) 03:41
五奉行筆頭って浅野長政じゃないの?
23奉行筆頭:2001/01/16(火) 04:04
異論あるも、奉行筆頭は三成公なり。
確かに、石高では浅野殿の方が見かけ上は高い。(嗣子に与えた分を含めると)
が、石田家は、堺奉行をはじめ、豊臣家直轄領に対する影響力等もあり、筆頭は
三成公であるものとワシは考える。
2422:2001/01/16(火) 04:50
はぁ?
あなたの私見を訊いてるんじゃなくて、
史実に基づいて指摘しているんだけどねぇ。
素直に勘違いを認めなさいって。
25無名武将@お腹せっぷく:2001/01/16(火) 05:09
大河ドラマ「石田三成」をやったら(あるわけねえが)
一年かけて関ヶ原で負けて完!ははは。
でも、ちょっと見てみたい。
あえてみっちゃんを影武者徳川家康ぐらい美化して。
26無名武将@お腹せっぷく:2001/01/16(火) 06:27
>>23
異論も何も浅野長政が五奉行筆頭じゃなかったっけ?

確か
五大老 徳川家康・小早川隆景(上杉景勝)・毛利輝元・前田利家・宇喜多秀家
三中老 中村一氏・生駒親正・堀尾吉晴
五奉行 浅野長政・石田三成・前田玄以・増田長盛・長束正家
27羽柴筑前守:2001/01/16(火) 09:10
>19

長政が三成に
我が隊の欠点等ありましたらご教授下さい。といって
三成が云々褒め称えたあと最後に
「あえて申せば鉄砲隊に〜」と話したエピソードがありまする。

三成はゲームでは常に義理と政治力はトップクラスだよ。
28名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/16(火) 14:43
関ヶ原で徳川方に匹敵するほどの勢力をまとめ上げた人脈を
考えれば、一方の雄になりうるだけの器量を持っていたと思う。
官僚的だけど、賤ヶ岳じゃあ武功も上げてるし、いまの官僚
どもみたいな頭でっかち、という印象はねーな。
関ヶ原は経験の差、それにわずか十九万石という格の低さが
敗因じゃねーかとおもう。それに徳川方は徳川本隊が遅参し
てたし、けっこう紙一重の差だよなあ、勝敗分けたの。
29名無しさん@筆不精:2001/01/16(火) 15:52
石田三成は、実は体育系。一度戦功を上げたときのこと、秀吉に、死ぬかもしれ
ない事をしないように強く諌められた、というよりお前が死んだら豊臣家は、ど
うなると諭され、それからは、文官一筋。文武両道の忠臣。
30無名武将@お腹せっぷく:2001/01/16(火) 16:15
>>24 >>26

人として小さい。
奉行筆頭氏が間違いをおかしているならば、
その指摘の仕方と言うものがあろうに。

俺は彼の斬り返しはなかなかだと思ったよ。
せっかくお互いの顔を潰さずに上手く纏めようとしているものを。
汲み取ったれや。
31無名武将@お腹せっぷく:2001/01/16(火) 16:24
三成公はどうして関ケ原で島左近の意見を採れなかったのか。

いくら知性に優れていても、スペシャリスト(優れた参謀)の意見を受け入れず、
大敗を喫した武田勝頼公や袁紹のような傲慢さが
全くなかったとは言いきれないような気がする。

俺は三成公って吉良様と同じで、上と下には素晴らしい人だったが、
横の人には余りよい印象を与えない、
つまり人付き合いの下手な性格であったと思う。
32無名武将@お腹せっぷく:2001/01/16(火) 17:02
関ヶ原の際に吉継は三成に問いました。
「武士で最も位が高いのは?」
「天下の勇士を最も集めているのは?」
「慈悲深く家臣の心を得ているのは?」
「最も武勇の誉れ高い武将は?」
「諸国大名の歓心を得ているのは?」
そして三成はその返答にすべて
「徳川家康」
と答えたそうです
33名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/16(火) 17:23
>>32
まあ、『看羊録』には三成と家康が実は仲良しさんだったって
記述もあるくらいだしねえ。家康を認めていた部分があっても
おかしかねえっすよ。
34無名武将@お腹せっぷく:2001/01/16(火) 17:25
23=30
3530:2001/01/16(火) 17:28
>>34
悪いけれど違うよ。
3628:2001/01/16(火) 17:29
>>34
またつまんねーヤロウが紛れ込んできたなオイ。
37無名武将@お腹せっぷく:2001/01/16(火) 18:06
>>31
 左近の意見を取りいれなかったってのは、どの話?
島津の主張する夜襲を三成が拒否したって話は聞いたことある
けど、左近もそれには同意してたんじゃなかったっけ。

 左近の献策を拒否した話で思い浮かぶのは家康暗殺だけど、
家康を暗殺したがってた奴なんて、当時もその後も大勢いた
はず。でも、結局家康は豊臣滅亡まで生き延びた。左近が手配
したからと言って、家康暗殺に成功するとは思えないから、
これは後世の作り話だと思う。

>>33
 清正たちに命狙われたときには、家康の下に逃げ込んでるしなぁ。
38名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/16(火) 18:36
 ところで、光栄のゲームとかで武将の能力を数値化されているけど、
あれってどういう判断で決めているんでしょうか?
 ちなみに石田三成は、天翔記では、
  政治 186 魅力 60
  戦闘 80  野望 80
  智謀 58  能力 無し
 ですが、政治力はトップクラスですが、他の数値がちょっと、、、
 それに、野望80って、、 柴田勝家と同じですよ、、、
 もうちょっと、智謀があってもいいような、、、
39無名武将@お腹せっぷく:2001/01/16(火) 19:00
俺のとなりに今、同姓同名の人が座ってます・・・
40無名武将@お腹せっぷく:2001/01/16(火) 19:03
>>38
ゲームネタなんでsageるが、将星録では智謀29のうえに天翔記のようにほいほい
上げることができないぞ。
ただ、こういう話はゲームをする人にしかわからないので
http://salad.2ch.net/test/read.cgi?bbs=warhis&key=978404202&ls=100
でした方がいいんじゃないか?石田三成はガイシュツだけど。
41三成です:2001/01/16(火) 19:12
もし徳川家康にいきさつを水に流して仕えたら
どのくらいの処遇をうけたじゃろうのう
42名無しでござる:2001/01/16(火) 19:21
>>37
当時筆頭大老だったので、喧嘩の調停は当然家康が
する役目だったのです。
43奉行筆頭:2001/01/16(火) 23:02
23である。
30はマジでワシではない。
それはそうとして、5奉行の名称は、本来は、5大老に使われていた
という説もある。また、3中老というものの存在を疑う歴史学者もいる。
一般に販売されている書籍でどう定説化されていようと、
仮説は仮説。図書館に行き、歴史研究者の論文を読まれることをお勧めする。
なお、奉行筆頭としての文書が浅野家関連で出たならば、素直に誤りであるものと認めよう。
存在すれば、それだけで、論文が1つできるであろう。
なお、5奉行という制度がどのようなものであったかを示す資料は、
オンタイムのものとしては、今のところ確認されていない。
これも、ワシの思い違い?
44無名武将@お腹せっぷく:2001/01/16(火) 23:23
>>43
1595年に8月に「御法度御置目の儀」が五奉行の名前で発布され
その五奉行の連署が残ってる
45名無し城無し:2001/01/16(火) 23:31
>>43
あんまりきつい反論はしないようにしようよ。
ここは、無責任に、自由に楽しむ場所だよ。
奉行衆を五人之年寄と呼んでいたのではないか、ってのは、
歴史群像シリーズ55石田三成でも紹介していたようだけど、
そんなこと知らなくても、問題なしだよね。
46名無しでござる:2001/01/16(火) 23:48
浅野、前田、増田、石田、長束。
が五奉行のランクらしい。
47奉行筆頭:2001/01/16(火) 23:50
>>45
最後にするから許してください。
>>44
だから、そこに五奉行とはないでしょっての。
この5人のうち、4人だったり、全員が揃っていたりっていう文書は、確かに発給されてるよ。
だけど、豊臣家の内政一般に、様々なパターンで、この連中が絡んでるってことを示す資料でしかないわけ。
このあたりのことだったら、石田三成ってタイトルのムックや書籍を読めば、
それで理解できるはずなんだがな。
1595年に、5奉行の制度が(秀吉が没する前後の)あったなんて言うと、
笑われるぞ。
語る場合は、資料複数で確認してからにしようね。
検地奉行仲間だったり、兵糧奉行だったり、奉行っ言葉はいろいろな形で
使われるわけ。これと、制度としての五奉行は、本質的に異なるの。
48無名武将@お腹せっぷく:2001/01/16(火) 23:58
↑五大老の連署も五奉行の連署もかなり残ってないか?
ていうか、そんな事言ったら五大老も制度として残ってないじゃん
49奉行筆頭:2001/01/16(火) 23:58
見直しせずに送ってしまい、最後の2行が意味不明になってしまった。
検地奉行だったり、兵糧奉行だったり、奉行って言葉はいろいろな形で
使われるわけ。これと・・・・
というように直します。
最後に、確かに私見であるということは素直に認めることにする。
三成が、五奉行筆頭という資料は、まずないだろう。ただし、筆頭格という
記述をする歴史家はいるが。
50無名武将@お腹せっぷく:2001/01/17(水) 00:55
まー、五奉行って制度があろうがなかろうが、三成が側近中の側近
と目されていたと考えるのは間違いではないでしょ?
浅野長政は秀吉の親戚だし、奉行たちが署名するばあい、筆頭に
書かれても不思議はねーけど。
あ、よくわかんねーな。

ところで、みなさん、自分なりの三成像ってのを形成するにあたって、
一番影響を受けたものってなんですか?
ボクは恥ずかしながら、藤沢周平の『密謀』なんですけど。その後
いろいろ本を読んだりしましたが。
51名無しさん:2001/01/17(水) 00:57
名称がどうだったとしても、あの10人が、秀吉死後の歴史を
つくったということが大切なんじゃないかな。
豊臣家の縁者の浅野長政が筆頭という見方は、それほどおかしくないと思うけど、
三成が、実力では筆頭なのはみんなが認めると思うんだけど。
奉行筆頭さんも、最初から自分の考えって発言なんだから、
突っかかることないと思うよ。
ちょっとクドくて、説教っぽいから攻撃されちゃうんだろうね。
52無名武将@お腹せっぷく:2001/01/17(水) 01:13
むむ、何だか奉行筆頭氏は拙者の三成のイメージに近い気がしますな。
まさにろうるぷれいでござるな。

拙者はTBSの関が原でござるな。
江守の三成も良かったでござる。
53奉行筆頭:2001/01/17(水) 01:14
>>51
説教くさい文章であること、自分でも、多少は自覚しています。
不快みに思った方に、陳謝します。
>>50
真田ファンからの横滑りなので、真田関連の書籍から三成公をイメージ
するようになりました。
一番好きな三成公は、マンガの風雲児たち の石田三成公です。
桑田忠親氏の石田三成が出た時は、その内容に、喜んだのを記憶しています。

54無名武将@お腹せっぷく:2001/01/17(水) 03:16

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
     読み物・ゲームは資料にするな。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


さて、


石田三成は相当立派な人物です。
秀吉時代の行政は、江戸のそれよりも優れている・・・ものになるはず
でした。
所詮は田舎大名の徳川家の庄屋仕立とは違って、ね。
石田三成はそのシステムの構築・運営で辣腕をぶんぶん振るってい
たのですから。
領民に愛され、家臣に愛され、私を持たず、公(太閤政権)に尽くし。

ただ、こうも評価が落ちてるのはやはり
「勝てば官軍、負ければ賊軍」
ってことでしょう。

>>4でバカが井伊だとか言ってますが、逆です。

「近江人なら豊臣秀吉・秀次と石田三成のことだけ考えろ!」

・・・
・・・あ、六角&信長(楽市楽座)もあり、か・・・
55無名武将@お腹せっぷく:2001/01/17(水) 06:38
今からこのスレを読む人へ。
「五大老」は「五人之奉行」、「五奉行」は「五人之年寄」と当時は呼ばれていたそうな。
また、浅野、前田、増田、石田、長束の連署が出されるようになったのが1598年のことなので、
いわゆる五奉行が設置されたのは秀吉が死ぬ直前なんだそうですよ。
それまでは、この五人の他にも奉行衆がいたそうです。
>>47 >>49でその話が出てますね。
このスレ面白いので、ゲームしか知らない人にも読んでほしいです。
56無名武将@お腹せっぷく:2001/01/17(水) 10:17
>>54
よーよー、読み物って当時の軍記モノも入るのか?
5741:2001/01/17(水) 10:46
わしの評価は徳川幕府内でほかに誰に匹敵するんじゃ
本多正純・保科正之かそれともほかにいるのじゃろうか
58無名武将@お腹せっぷく:2001/01/17(水) 11:29
>>55

でも五人セットじゃない場合は
奉行と呼ばれてる例もありますけどね。<五人之年寄
59奉行筆頭:2001/01/17(水) 22:21
>>58
三成公他、奉行衆は、それぞれ様々な奉行職を務めている。
三成公でいえば、有名なところで、
検地奉行、堺奉行、京都奉行、博多町奉行、船奉行、兵糧奉行など。
この時代、というか、豊臣政権内部では、・・役といったときの
役の部分に、責任ある者という意味で、奉行と呼んでいたようである。
ところで、最近気になっていることを質問したい。
豊臣家は、多くの大名の領地内に、莫大な直轄領・蔵入り地を
所有していたが、関が原以後、その所有権は、各大名家に移ったようなのだが、
この直轄領について知りたいと思っている。
研究論文等、ご存知でしたらお教えいただけるとたすかります。(文体が混ざっている点
お許しいただきたい。)
これは完全に私見なのだが、この蔵入り地が、ある意味、隠れた恩賞として各大名家
にバラまかれたものと考えています。
石高、所在地、誰゛がどれほど利益を得たのか。
それとも、大阪の役まで、蔵入り地は機能してたのか。
豊臣家において、この蔵入り地を管理していた三成公がいなくなり、
これを家康が自由に差配したとすれば、それによる影響は絶大であろう。
このあたり、知りたいものと考えている。
一般の書籍、研究論文、学生の卒論、なんでも結構です。
ご存知の方、お願いします。
60無名武将@お腹せっぷく:2001/01/17(水) 23:16
三成の骨ってどこかに残ってたよね
女性並の骨格とか

加藤清正もちびだったという説がある
61大久保長安:2001/01/18(木) 00:19
>>41
下手すりゃ俺だよ、俺。
62奉行筆頭:2001/01/18(木) 00:51
小栗上野介では。結局不幸な最期か。
63名無しさん:2001/01/18(木) 21:53
>>59とても面白い着眼点だと思います。
豊臣家が中立だったのか、という論争の解決の、一つの答えに
つながるのではないでしょうか。
たとえばですが、蔵入り地が、関ヶ原のあとでもそのままなら、
論争の結論にはならないでしょうが、もし、没収のような形になっていれば、
関ヶ原の責任を取らされたという受け取り方ができるのではないでしょうか。
64無名武将@お腹せっぷく:2001/01/19(金) 06:09
・・・関が原以降、豊臣家の領地80万以下(120?)になってるだろうが。
それ以前は200〜300とどっかに書いてあったぞ。

つまり、没収されてるんだよ。

明日一日図書館逝ってこい!
>>63
>>59
65無名武将@お腹せっぷく:2001/01/19(金) 06:39
↑馬鹿すぎて言葉も出ない
66無名武将@お腹せっぷく:2001/01/19(金) 07:06
>>65
 貴殿に同じ。1つだけ64に教えて上げましょうや。
豊臣家は65万石です。「どっか」は見付かりましたか?
67アイレム:2001/01/19(金) 07:16
秀吉の死後、関が原以前から、豊臣の直轄地は家康が勝手に
大名に与えていたはずです。
68名無しさん:2001/01/20(土) 00:24
では、なぜあなた方は、責任問題うんぬんの時に、そういった発言をしなかったのでしょうか。
もしかして、今、やっと気づいたの?
69無名武将@お腹せっぷく:2001/01/20(土) 00:51
>68
ごめん、意味が分からないよ
誰に言ってるの?
70奉行筆頭:2001/01/20(土) 00:54
1日でこんな展開になっていようとは。ほとほと嫌われてしまったようだ。
で、ちょっと読んでもらえればわかるが、アウトラインとして、蔵入り地が消滅
しているのは、誰にでも理解できることなのだよ。
ただし、数字等を把握しているわけではないので、一歩引いた発言となっているが。
ほんと、ちょっと読み直してみ。
結構、いろいろなガッコの紀要とかさがしたけど、資料が残っていないせいか、
ほとんど研究されていないというのが実情。
もっとも、各大名家も、表には出さないだろうし、鉢植え政策で、混乱もあるだろうし。
最悪なのが、大阪の城が焼けたということ。正確な資料があるはずもないのだ。
白川亨氏のように、1つのテーマに対し、集中的に時間を使うことができれば、
断片のような資料を集めて、1つのまとまったものになるのだが、専門が違うし、単なる趣味で
三成公について追いかけているだけなので、なかなか時間が取れない。
そんなわけで、ダメモトでレスしたのだ。
結局、ゲームから入って、戦記小説しか読んでいない厨房しかいないことがわかり、
落胆している。(おじさんでも、煽る時はあるのだよ。)

史実という言葉の重みも知らない厨房に嫌われるのは仕方がないが、
真面目なレスを求めるということ自体が、おじさんであることの証明なのだろう。
フォローを入れてくれた方には感謝しています。
若い人の文体を真似たつもりだったのですが、匂いがどうしても違っているのでしょう。
皆さんが歴史を真面目に学び、どこかでお会いできることを期待しています。
それではさようなら。
71名無しさん68:2001/01/20(土) 01:00
他の板と混乱してしまいました。ごめんなさい。
>>69
72無名武将@お腹せっぷく:2001/01/20(土) 01:11
愚痴言う親父は嫌われる
73無名武将@お腹せっぷく:2001/01/20(土) 01:51
関ヶ原以前は、豊臣家の領地は、200万石くらいだけど、
関ヶ原以後、蔵入地をを家康がばら撒いたので攝津65万石になった。
200万石はすくなかったけど商業的な特権を保持していたので問題無かった。
74名無し:2001/01/20(土) 03:18
奉行様、老骨に鞭打ち、お疲れ様でございます。
2CHで相手にしてもらえなかったからって、
ゼミであんまりいじめないようにして下さい。
・・・先生ですよね。あんまり、日本史に突っ込んでいると、
学長に怒られますよ。
コピーして廻しちゃおうかなーっと。
75雑賀孫一商店:2001/01/21(日) 02:12
越前松平家には、三成が結城秀康に贈った脇差が今でも家宝として残っているらしい。
76無名武将@お腹せっぷく:2001/01/21(日) 02:18
>>70
落胆せず、オフ会には来てほしいぞ。
77oo峪炒って止し継ぐ:2001/01/21(日) 02:19
三成は大谷吉継をかばったとてもいい人です
でも良い人だったので物足りなかったんです
桶屋も虎退治もそう思ってました
当時の人は皆さんそう思ってました
少し誤解されやすい人で
狸爺にも好かれてましたハイ
78百姓のせがれ:2001/01/21(日) 02:32
>奉行筆頭どの。

いやいや、なかなか楽しいですよ。
続けなされ。
79古橋村百姓:2001/01/21(日) 04:27
史実という言葉は、歴史にはない。資料の集合体が、ある一つの解釈を生むだけだ。
そんな言葉を、学生時代に聞いた記憶があります。焼き物が趣味の、面白い親父だったのですが、
このスレで、ふと、思い出して懐かしさを感じています。。
卒業してから、もう10年。お元気でいらっしゃるのでしょうか。
奉行筆頭殿、>>78のお方の言われる通り、とても楽しく拝見させていただきました。
>>74殿、ここは2ch。無粋な発言はお止めください。奉行筆頭殿が誰であろうと、
良いではないですか。コピーをどうこうなどという発言は、この場を冒涜するようなものです。
石田三成という武将は、他人の目や他人の評価を気にはしていなかったのではないでしょうか。
死を目前に、干し柿を体に悪いと食べなかった逸話もあります。最後まで、望みを捨てず、
戦いを継続することを考えていではないですか。
本多正純のような、武略を露ほども知らぬ相手とは天下を語る必要は
ありませぬが、奉行筆頭殿の登場を待っている者も少なからず居ることを、
お忘れになりませぬように。
80古橋村百姓:2001/01/21(日) 04:43
オラ、田舎の百姓だで、
まともな手紙を書こうと思ったども、10行目が、めちゃくちゃになってただ。
適当に直して読んでくれっと助かるだ。
石田様、こんだ逃げてきなさったら、何があっても守りぬくだで、
心配はせんでください。
81オラオラオラッ:2001/01/22(月) 05:27
三成めっ、どこに隠れおった。
この清正が、その生意気な口を、
二度と聞けなくしてやるわ。
82無名武将@お腹せっぷく:2001/01/22(月) 06:28
三成けっこう好きやでー
83オラオラオラッ:2001/01/22(月) 06:32
三成めっ、どこに隠れおった。
この高虎が、その首を落としてやるわ。
84無名武将@お腹せっぷく:2001/01/22(月) 06:54
65?

80はともかく・・・65?

ハァ・・・
85名無し城無し:2001/01/22(月) 07:49
今井林太郎著の石田三成という本(吉川弘文館)に、
ほんの少し、豊臣家の直轄領についての記述がありました。
島津家内と、佐竹家の領内に1万石ずつあったと。
三成も、同地に所領を得ていたとも。
基本に近い書籍の記述なので、奉行様は、ご存知かとは思いましたが、ご報告
いたします。
奉行様がお求めなのは、手紙などの1次資料についての研究なのだと
思いますが、念のためレスします。
>>81 >>83
お手前方、恥をかかされた気持ちはわかるが、
あまりにもみっともない。控えなさい。
86無名武将@お腹せっぷく:2001/01/22(月) 21:45
島左近に近江の兵を任せて、大一大万大吉の旗と共に、朝鮮で戦って
もらってたら、清正なんかの心証も良くなって、歴史が変わってたの
かなぁ……?
87>>86:2001/01/22(月) 22:05
おや、左近は文禄の役で戦ってなかったか…?
…と、いろいろ検索したら、左近が出陣した明確な記録って
関が原に関してのものしか無いんですね。
(文禄の役で戦ってた説を採っても、その説だとその頃は豊臣秀長につかえてた
そうなので……)

あと、三成って、ちゃんと朝鮮出兵に異議を申し立ててたのね。
(単なる豊家の犬じゃなかったのね)
88無名武将@お腹せっぷく:2001/01/22(月) 22:48
ダメなモノはダメ! って意見具申してるんだよなあ三成。
だいたい朝鮮出兵で三成に恨み抱いた奴って、ほとんど逆恨み
だからなあ。損な役回り。
89呂虎:2001/01/22(月) 23:36
>あと、三成って、ちゃんと朝鮮出兵に異議を申し立ててたのね。
>(単なる豊家の犬じゃなかったのね)

そうだったのか、池宮彰一郎の小説読んで石田光成が
推進したのだと思いこんどった。
やっぱ小説がソースなのはまずいなぁ。
なんか信頼に足るその時代についての本で
お勧めなのってない?かな。
90ありなっち:2001/01/22(月) 23:43
池宮彰一郎って「島津軍なら簡単に三成軍など撃破できる」
とかいうフザケタ小説書いた非と?(うろ覚え)
91無名武将@お腹せっぷく:2001/01/23(火) 00:00
三成の親兄弟ってどんなもんなの?
92無名武将@お腹せっぷく:2001/01/23(火) 00:19
親父は石田正継(一名に為成)。兄は正澄(一名に重成)。
事績は詳しく判らないのでほかのヒトにお願い。
ただ、善政を布いて領民に慕われた人物だったときいたことがある。
二人とも佐和山城で籠城後に自害。

佐和山城攻防戦といやあ、田中吉政のバカヤロウはどうなのよ?
降伏を申し出た石田方をだまし討ちにして皆殺し。
93無名武将@お腹せっぷく:2001/01/23(火) 00:33
朝鮮出兵で、商人と共に暴利を貪って蓄財していたはず!
と、武断派に散々嫌われた(関ヶ原敗北の遠因)のだが、
佐和山城落城後に財宝目当てで城内に乱入した西軍諸将は
そんなものは始めから無かったと知り、己を恥じたという。

・・て作り話っすか?
94無名武将@お腹せっぷく:2001/01/23(火) 00:34
騙し討ちでもして皆殺しにでもしとかないと
家康に忠誠の証を見せられなかったんじゃないの?
豊臣恩顧の大名だし
95>>93:2001/01/23(火) 00:49
佐和山城は、機能面以外は非常に質素な作り(壁は粗壁、何の装飾も無い)
だったそうです。(甲子夜話)
96名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/23(火) 01:07
俸禄は主君のために使い切るものだ。
97名無し城無し:2001/01/23(火) 02:11
三成の3女・辰姫は、北政所の養女になっている。木下家文書、梵舜日記。
北政所の執事、孝蔵主・こうぞうず
の甥には、三成の次女が嫁いでいる。
三成は、北政所とは、良好な関係を保っていた。
関ヶ原の折には、孝蔵主が、西軍として、活動をしていたことがうかがえる。
また、敗戦後、北政所が、大谷の家族に便宜をはかるなど、
三成よりであったと推測できる記述が存在する。

奉行様、お戻りいただくことはできぬのでしょうか。
石田三成ファンとしては、寂しい限りです。
98島左近:2001/01/23(火) 02:13
ふっ、過ぎたるものと言われるほどのわしが
ただ「領国の半分をくれてやる」と言われたからといって
家臣になるとお思いか?火のような苛烈なお人柄だったこそ
わしも惚れ込んだのだ、わしも物好きなことよ。
99名無し城無し:2001/01/23(火) 02:28
終わったことを蒸し返すようだが、高野山の木食上人の文書に、
治少御奉行之随一
という言葉が残っている。
前出の今井林太郎氏の書籍には、
三成が事実上五奉行の筆頭者
という文がある。
返す返すも、今回の騒動は、対応に誤りがあったのではと悔やまれる。

100無名武将@お腹せっぷく:2001/01/23(火) 02:35
単に事実上は三成だったろうけど
形式上は長政だったって事でしょ
101無名武将@お腹せっぷく:2001/01/23(火) 02:46
正継:元は近江坂田郡石田村の地侍。一説に京極家臣石田氏の一族。
   (*京極家臣というのはカナーリ疑わしい)所領は近江の内、3万石。
正澄:朝鮮の役の際、肥前名護屋城駐屯・警備。後に堺町奉行。
   所領は近江・河内あわせ、2万5千石。
102無名武将@お腹せっぷく:2001/01/23(火) 02:46
>>93
 おいおい、三成と言えば、秀吉に大封を勧められても、おそば
近くに仕えたいから、と言って断った逸話があるくらいだろ ?
強欲連中と一緒にするんじゃない ! … まぁ、富より権力という
タイプだっただけだとは思うが (汗。
103名無し城無し:2001/01/23(火) 02:48
それだけのことだと思うのだが、
>>81
>>83
という連中を見ると、援護射撃の一つもできなかった自分が
とても悔しい。
104無名武将@お腹せっぷく:2001/01/23(火) 02:49
>>103
あんたええヒトやな
105名無し城無し:2001/01/23(火) 02:56
>>100
103は、100に対してです。
106無名武将@お腹せっぷく:2001/01/24(水) 15:09
age
107無名武将@お腹せっぷく:2001/01/24(水) 16:34
オイラは大の三成ファン!
知り合いはアンチ三成!

あ〜〜なんて良いスレなんだ〜〜
108治部少輔:2001/01/26(金) 22:00
正則! うぬらのなした所業、泉下の太閤殿下に残らずお伝えいたすつもりだ。覚悟せい!

秀秋! 汝の二心を見抜けなかったワシが愚かだったわ。だが、うぬの醜名、のちの世まで伝えられようぞ!
109無名武将@お腹せっぷく:2001/01/26(金) 22:23

                      ̄──_____─── ̄ ̄
                           /    |
                          /     |
                         /       |  7

聞いてアロエリーナ ちょっと言いにくいんだけど
聞いてアロエリーナ

いいかげんなりきりスレウザイ!とか思ってAA貼る俺が
一番厨房だと思うの

聞いてくれてあーりがと アロエリーナ♪
\______ __________/
          |/
         ∧_∧
  (○)   (∀・  )
  ヽ|〃    (∩∩  )  ゴ ー !
                        /        |
                 / ̄\/ ̄ ̄ ̄ / ̄\   |
              / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
              | 劣化ウラン弾食らえやゴルァ!?
              \___ _____________
     _________// ̄∨ ̄|| ̄\     ___|_______
    /            //  ∧ ∧||   \  /             /
     ̄──__  _//   (,,゚Д゚)||   /  ____──── ̄ ̄
.         ●●) ̄| // †⊂†⊂|  ||_/  |○○|  / ●●)
  凄く強い       ●)  |/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄    |○○|/   ●)
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            |           /
110無名武将@お腹せっぷく:2001/01/26(金) 23:33
結論!!
すべて秀吉が悪い!!
111無名武将@お腹せっぷく:2001/01/27(土) 11:19
家康の腹心が本多正信。
秀吉の腹心が石田三成。
なんでしょうか。
豊臣政権が続いていたら三成は武功派大名の取り潰しをやっていたかもしれない。
112無名武将@お腹せっぷく:2001/01/27(土) 11:46
石田三成ってチンコ固そう、短めで固いって感じ。
113無名武将@お腹せっぷく:2001/01/28(日) 17:08
三成は天下をとった家康の敵だったわけだから、
事実をねじまげられて悪役とされる話が多くつくられたと思うけど、
それでも実直な人柄がしのばれるエピソードがあるっていうのはすごいことだよね。
家康と比べて、明らかに地位が低かったのは惜しいよな。
伊達政宗なんかと同じように、もう少し早く生まれていれば・・・って思うのは私だけか?
114無名武将@お腹せっぷく:2001/01/28(日) 17:34
>>113
>三成は天下をとった家康の敵だったわけだから、
事実をねじまげられて悪役とされる話が多くつくられたと思うけど

これもあるが
三成が悪役に仕立てられたのは、
島津などの成り行きで西軍に加担した連中が
徳川方への言い訳のために捏造した感があるな
三成、島津不仲説とかは特に
115無名武将@お腹せっぷく:2001/01/28(日) 18:30
>>111
違うべさ.石田は官僚,本多は政治家
116無名武将@お腹せっぷく:2001/01/28(日) 19:01
本多正信は一度は一向一揆に加担して背いた人間だが、
家康から「友」と呼ばれたほど信頼された。
三成にはそこまでの信頼があっただろうか。
117無名武将@お腹せっぷく:2001/01/28(日) 22:16
まんが読みウザイ
118名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/28(日) 23:03
>家康から「友」と呼ばれたほど信頼された。

 あの家康のことだから、本当に信頼してたかどうか怪しいと思う。
 実際には監視の目を光らせ、表面上は信頼しきってる振りをしている
だけかもしれませんよ。
 それに比べて、三成は絶対に裏切りや卑怯な行為をしない、、、とは
言いきれないけど、信頼できて最高の家臣といってはオーバーだけど、
僕だったら、三成を家臣にするかな、、、、
119ありなっち:2001/01/28(日) 23:20
三成はカッコイイ。
柿のエピソードもカッコイイ。
天ぷらで死んだ家康カッコワルイ。
120無名武将@お腹せっぷく:2001/01/29(月) 00:30
>家康のことだから、本当に信頼してたかどうか怪しいと思う。
 家康の本領発揮は人身掌握でしょうね。秀吉に匹敵するぞ、実は。
 帰参者でも重用し、息子でも捨てる。

>絶対に裏切りや卑怯な行為をしない
家康だって関ヶ原までは裏切りや卑怯な行為はしてないんだよね。
戦国武将もアホではないんだから、信頼されて無いかどうかぐらい分るって。
現にその後、武功派は家康が自分らを重用していないのは分ってたんだから。

>信頼できて最高の家臣
 なら、家康は最高の主君だろうね。
 家臣と君主としての力量の差だろうね。家臣なら良いが、天下の治世者としてはね…。

家康の死因は胃癌らしいが。
121無名武将@お腹せっぷく:2001/02/01(木) 12:22
age
122かつくん:2001/02/02(金) 18:23
石田三成はまじめすぎる。
そこまで死んだ秀吉に忠実になることはなかったと思う。
123安国寺恵けい:2001/02/05(月) 17:29
流石、受験・学歴スレと違って内容ある。
埋もれさせるには勿体無いので上げとこう。
124無名武将@お腹せっぷく:2001/02/05(月) 21:27
age
125無名武将@お腹せっぷく:2001/02/09(金) 16:38
ああ〜、こんな部下が欲しい。
器用貧乏だけどまめな部下が。
126無名武将@お腹せっぷく:2001/02/09(金) 17:17
友達なら嫌だろうな、親友ならいいけど<三成
127名無し侍大将:2001/02/09(金) 19:19
吉継ファンとしては、あれだね。
男を上げてくれた恩人だね。さんきゅう三成。
128名無しんぼ@お腹いっぱい:2001/02/10(土) 01:55
三成と孔明が被る
129無名武将@お腹せっぷく:2001/02/10(土) 18:14
たった19万国だということを忘れるな。(小西)
130無名武将@お腹せっぷく:2001/02/22(木) 15:36
>12
津軽が三成と血縁があったのでは?
131無名武将@お腹せっぷく:2001/02/22(木) 15:40
>102
それは本当の話じゃないよ。
132無名武将@お腹せっぷく:2001/02/22(木) 16:03
三成ファンって、結構いるんですね!
嬉しいな〜。
133無名武将@お腹せっぷく:2001/02/22(木) 16:05
「関ヶ原」読者はなぁ
134無名武将@お腹せっぷく:2001/02/22(木) 16:06
「三」流の「成」りあがりもの。
135無名武将@お腹せっぷく:2001/02/22(木) 21:55
>>134
じゃー局地的とはいえ最後の最後で対等の勝負を挑まれちまった
家康は三流の古狸ってトコか。
136無名武将@お腹せっぷく:2001/02/22(木) 22:19
126に賛成〜。

よくいるじゃない、礼儀正しくて言ってる事も正論なんだけど忠告されたりすると何かムカつく奴って。

例えば酒の席で、飲まないで「酒は肝臓に悪くて、アセドアルテヒドがなんたらかんたら・・・。」
そりゃお前が正しいんだけど、うるせえなあって奴。そんなイメージっスね、僕的には。
でも子飼いのアホ大名に比べれば、はるかにカッコイイし得点高いね。
なんだろ、結局ある種の愛嬌が足りなかったような気がするなぁ。
137無名武将@お腹せっぷく:2001/02/22(木) 23:07
明智光秀の、もうひとつの結末の可能性・・

という考え方は出来るか・・な?
138名無しさん@お腹いっぱい。:2001/02/22(木) 23:29
>>137

明智光秀 − 大切なモノ = 石田三成

って式が成立しますか?


139無名武将@お腹せっぷく:2001/02/23(金) 02:20
自分がトップの人間なら彼のようなぶかがほしいと思う。
140無名武将@お腹せっぷく:2001/02/23(金) 09:38
女性の目から見ても、三成ってかっこいいと思う。
大谷吉継との友情も泣かせる…。
家康はイヤ。
141無名武将@お腹せっぷく:2001/02/23(金) 09:51
呆け一門の金吾すら掌握できない三成など三流。
142無名武将@お腹せっぷく:2001/02/23(金) 13:33
>>139
え?家に帰れなさそうなので嫌。。。
143無名武将@お腹せっぷく:2001/02/23(金) 14:43
吉川に嫌われたのが運のツキだったな、おかげで毛利は動かず終い。
144無名武将@お腹せっぷく:2001/02/23(金) 20:21
>>115
石田は奉行、本多は官僚だよん。
>>116
我が老祖とまで逝ったらしいぞ、漏れも信じてないが。
145無名武将@お腹せっぷく:2001/02/23(金) 20:21
>>141
放逐しようとしたら、ネネが擁護者になり手が出せませんでした。
始末しようとしたら、如水に小早川家に養子に出されました。
削封しようとしたら、家康に復活させられました。
146無名武将@お腹せっぷく:2001/02/24(土) 04:20
>>108

確かに今の今まで金吾は厨房の名を欲しいままにしている。
147無名武将@お腹せっぷく:2001/02/24(土) 06:24
忍城水攻め失敗はどう?
148無名武将@お腹せっぷく:2001/02/27(火) 03:22
age
149名無しんぼ@お腹いっぱい:2001/02/27(火) 03:36
>>147
秀吉の運の良さを見事に証明した戦いでした。
いや、けなしてるわけじゃないけど。
150無名武将@お腹せっぷく:2001/02/27(火) 03:56
>>147
天下に名だたる武将が集結した中で大恥かいちゃいましたな。
151無名武将@お腹せっぷく:2001/02/27(火) 10:11
>>147
忍城水攻めは
秀吉の指示だったとゆー話も。。
152無名武将@お腹せっぷく:2001/02/27(火) 16:49
>>151
出典プリーズ
153無名武将@お腹せっぷく:2001/02/27(火) 17:23
154TAKEOFF@お腹すっきり:2001/03/02(金) 12:45
age
155うーん:2001/03/03(土) 06:35
書簡が残ってるのなら、>>151 が正しいのでは。
156無名武将@お腹せっぷく:2001/03/07(水) 21:29
age
157無名武将@お腹せっぷく:2001/03/07(水) 21:54
書簡プリーズ
158無名武将@お腹せっぷく:2001/03/07(水) 22:18
歴史群像の「石田三成」に少し載ってるよ。

「兎角水責被仰付事候間、其段可申付候也」7/3浅野長政宛 秀吉書簡
「忍面早々相越、堤丈夫可申付候」    7/6上杉景勝 前田利家宛 秀吉書簡
「忍面堤躰可被成御見物候条」         同上
「忍之城之儀、以御手筋、大方相済付而、 6/13石田三成書簡
 然拠、諸勢水攻之用意候て押寄儀無之」 
159無名武将@お腹せっぷく:2001/03/07(水) 22:34
忍城水攻めは失敗してるけど
本隊の小田原包囲軍から分遣された軍の軍監として
北条東方領の制圧と北国勢との合流は
ちゃんと達成してるもんね。
派遣された軍の作戦目標はこなしてあるから、忍や鉢方が
ねばっても大差なかったともいえる。
160無名武将@お腹せっぷく:2001/03/09(金) 03:31
茶の出し方で取り立てられたってのは史実?(無知でスマン)
161009:2001/03/09(金) 18:15
秀吉の育成武将の中では石田三成が
一番秀吉に似てたんじゃないかな?
162無名武将@お腹せっぷく:2001/03/09(金) 21:38
>茶の出し方で取り立てられたってのは史実?(無知でスマン)

 他の説も有るけど、、
 確か三成の婚約者を秀吉が気に入っ仕方なく秀吉に譲った際その三成の婚約者からお願いだから
「三成を家臣にして取り立ててやって下さい」とお願いされ、家臣に加えたと言う説があったような?
 嘘だと思うけどな、、
163無名武将@お腹せっぷく:2001/03/11(日) 15:18
三成は晩年の秀吉は嫌いだったと思う。
生きている間は表だってたてつきはしなかったが、
死んだ途端に五奉行を中心とした政治体制の確立に
乗り出した。
だからって三成が不忠だとか野心家だというのは
筋違いだ。
無能な豊臣家や鼻息の荒い大大名などではなく
自分たちテクノクラートによる中央集権的な体制
こそがベストであると思ったからだ。
164無名武将@お腹せっぷく:2001/03/11(日) 16:29
>>163
要するに,家康と同じ事をやろうとしてた訳ね
165無名武将@お腹せっぷく:2001/03/11(日) 17:23
>>163
その考えは矛盾している。
五奉行を中心にした政治体制?
そんなものが可能か?
政治体制が家康が握り始めたので唯一
秀頼を守るために対抗したのが、浅野長政を
抜いた四奉行。中央集権とは政局を一点にあつめる
政治体制だぜ、大名がたくさん残った状態で中央集権
の体制はとれないだろう?秀吉が死んだあと彼は
奉行をやめさせられたのはご存知で?
166163:2001/03/11(日) 21:45
秀吉が存命中から当時の五奉行や小西、その旧主の宇喜多らを中心とした
ポスト秀吉体制の準備が整えられていた形跡があるという事。
秀吉が死んでからすべてが始まった訳ではないのだよ。
彼らが頼りにしたのは実力と同時に、明の冊封による権威付け。
167無名武将@お腹せっぷく:2001/03/11(日) 22:13
>1
多分、東軍に参加した武将の多くは豊臣家に弓を引くって認識はあったと思う。
だからこそ三成っていうスケープゴートが必要だったんじゃないかなぁ。
実際三成が憎くて東軍に参加したはずの福島“バカ”正則も大阪の陣ではしっかり
東軍に参加してるし。
諸家の家伝で構成された“名将言行録”には三成の悪口が多いですよ実際。
あいつはこんなに悪いやつだったって宣伝したんでしょう。
168無名武将@お腹せっぷく:2001/03/11(日) 22:17
三成は、体制に対する忠誠心はあったね。
でも福島正則とか加藤清正は秀吉個人に対する
忠誠心しかなかったのではないかな?
169無名武将@お腹せっぷく:2001/03/11(日) 22:34
>168
167ですけど、同感。
三成は多分悪く言うと柔軟性に欠けるとこがあったと思う。
正則も清正もその辺はしたたかだったでしょうね。
でも所詮家康や如水なんかの戦国生え抜きの武将に文官の
三成が敢えて挑んだっていうのはやっぱいいですねぇ〜

ところで清正は存命だったら大阪の陣どうしたでしょう?
私は東軍に参加したと思いますが・・・
170無名武将@お腹せっぷく:2001/03/12(月) 15:25
>ところで清正は存命だったら大阪の陣どうしたでしょう?
>私は東軍に参加したと思いますが・・・

 結局東軍につくんじゃないかな?>加藤清正
 しかし、現実に豊臣恩顧を口癖にした奴らが結局豊臣家滅亡の危機の際、なにも
しなかったなんて情けない話だよな。

 
171無名武将@お腹せっぷく:2001/03/13(火) 15:45
age
172無名武将@お腹せっぷく:2001/03/13(火) 23:40
篭城軍に、長曽我部や大谷なんかの名将ジュニアが入場してるのが切ない。
真田も当時はジュニアの一人と見られてたしね。
173無名武将@お腹せっぷく:2001/03/17(土) 07:17
age
174無名武将@お腹せっぷく:2001/03/17(土) 07:29
確か大坂の陣の時正成は留守居役を命じられたんじゃなかったかな。
家康に”おまえの軍はがっちり押さえられてるぞ!”と示されて諦めたってのが真相なんじゃないかな?
175無名武将@お腹せっぷく:2001/03/17(土) 08:53
石田三成って大久保利通と印象というか性格というか、
なんか重なる所があると思いませんか?
176無名武将@お腹せっぷく:2001/03/17(土) 10:30
>>175
大久保の方が遙かにしたたかで柔軟性に富んでます。
時勢読めず、己の力量計れず、いわば正義感だけで
勝ち目のない戦に挑んだ小才子と、権謀術数の限りを
つくし、明治日本の独裁者となった男とでは資質も
性格もまるで違うと思う。
177無名武将@お腹せっぷく:2001/03/17(土) 11:35
>>176
大久保に関しては同意だけど。

>時勢読めず、己の力量計れず、いわば正義感だけで
>勝ち目のない戦に挑んだ小才子

徳川の謀略放送見すぎ(藁。
178無名武将@お腹せっぷく:2001/03/17(土) 13:33
堅物で挑発されれば乗ってくる三成は、西郷。
大久保は家康かな。
179無名武将@お腹せっぷく:2001/03/17(土) 14:27
共同暴走危険行為者の呼称は「珍走団」に決まりました。
珍走はしない、させない、美化しない。
*****************************************************

「暴走族」=「珍走団」
「ヤンキー」=「珍キー」「珍奇」
「不良少年」=「不良品」「珍走馬鹿」
「暴走」=「珍走」
「ジグザグ走行」=「ふらふら珍走」
「金属バット」=「珍棒」
「ドリフト族」=「尻ふり隊」「尻ふり将軍」
「特攻服」=「珍服」
「暴走ポエム」=「珍走ポエム」略して「珍ポ」
「レディース」=「珍用便器」「製病」
「ブラックエンペラー」=「黒珍」
「改造車」=「珍車」
「爆音」=「大珍音」
「旗」=「珍布]
180無名武将@お腹せっぷく:2001/03/17(土) 14:35
>>177

激しく同意!
テレビやら漫画の中途半端かつ偏りまくりな
知識しかない人ほど三成をけなしますね〜。
181無名武将@お腹せっぷく:2001/03/17(土) 16:09
>>180
テレビやら漫画の中途半端かつ偏りまくりな知識の人は三成を誉めるよ。
加藤剛(だったっけ?)主演のドラマ「関ヶ原」の三成は格好良かったもんね。
「葵」の江守徹も良い味出してたし。
182無名武将@お腹せっぷく:2001/03/17(土) 16:37
>>181
>テレビやら漫画の中途半端かつ偏りまくりな知識の人は三成を誉めるよ。

人“も”でしょ。まあ、判断が難しい事は確かだな。
でも、加藤清正とかは、三成との絡みは十分非難の対象となるのに、
好意的な事しか書かれないのは何故だ!?
183無名武将@お腹せっぷく:2001/03/17(土) 16:41
光栄の『信長の野望 覇王伝』の武将FILEに書いてあった
三成評。あれは凄かったな。これ書いたライター、正真
正銘の馬鹿だと思った記憶がある。
江戸時代のプロパガンダ鵜呑み。

184無名武将@お腹せっぷく:2001/03/17(土) 16:54
覇王伝での三成、知謀1桁だったな、確か
185無名武将@お腹せっぷく:2001/03/17(土) 16:57
>>183
うる覚えだけど確か、
三献茶のエピソードを、
せせこましく、こざかしくてうざったいとか、
しょせん器が小さかったとか
自分はこんな三成が大嫌いだとか書いてあったんだっけ?

それにしても信長の野望での、三成の能力値の不当(?)な低さが、
光栄ゲーマーの三成評の洗脳に影響してるのは間違いないな・・・
186江守徹:2001/03/17(土) 17:38
おのれ家康
何様のつもりか!!!
187183:2001/03/17(土) 17:54
>>185
そうそう、そんな感じ。
三成の末期の「もののふは、己の大願を果たすまでは、死の瞬間まで
体をいとうのだ」っちゅーセリフに、「つまんねー奴」とか書いてた。
つまんねーのはてめーの文章と狭い了見じゃだボケ、とかひとりで怒っ
てた当時高校生のオレ。
こいつまだ信長の野望に関わってるのかね?

>それにしても信長の野望での、三成の能力値の不当(?)な低さが、
>光栄ゲーマーの三成評の洗脳に影響してるのは間違いないな・・・

なんか、最新作じゃ能力劇的に改善されたらしーけど、コーエー信者
たちの反応はどうなのかな?
188無名武将@お腹せっぷく:2001/03/17(土) 18:19
おまえら、十分コーエーヲタだよ。
俺みたいに信長の野望なんてやらない奴は、そんなの知らねーよ。
三成を貶める奴=コーエーヲタなんて普通の連想じゃないな。
189183:2001/03/17(土) 18:48
まー、たしかにオレはコーエーヲタだわな。
しかし三成は好きだ。
190無名武将@お腹せっぷく:2001/03/17(土) 18:55
三成の移動経路の割り振りや物資調達などの作戦管理能力や大軍編成能力は優秀だったとは思うけど。
戦略家としては、どうだろう。優秀な戦略家だったと言えるのかな?
191無名武将@お腹せっぷく:2001/03/17(土) 19:03
うーぬー、乾坤一擲の大戦に曲がりなりにも持ち込んだ手腕は、
戦略家としてたいへん素晴らしいものだと思うんだが、やっぱり
彼はナンバー2として、参謀の役割を果たす方が性に合ってるん
ではないかと。
192名無しんぼ@お腹いっぱい:2001/03/17(土) 19:33
加藤清正、福島正則にくらべたら石田光成は
かっこいいっす。裏切り者は嫌いっす。
193無名武将@お腹せっぷく:2001/03/17(土) 19:38
やはり、関が原の時の、上方制圧は時間を空費だったのだろうか。
濃尾平野の制圧を優先してもっと東へ進出できないものか?
伊勢制圧って東進より重要なのかな?
あと、敵の動きを捕捉するための情報網の張りが足りないような・・・
194無名武将@お腹せっぷく:2001/03/17(土) 21:54
>>193

>伊勢制圧
尾張の美濃の脇腹にあたる位置だから、伊勢をどうにかしない限り、
東軍は近江を攻められない。
みんな、関ヶ原の一戦で決まったから勘違いするけど、多分当時の人々はあの
一戦できまると思ってなかったんじゃねーの?
家康からして秀忠待ってなかったし。
またーり、戦するなら伊勢制圧は必須。
少なくとも、戦略的にベストとは言わなくてもベターだとは思う。
東海道の妨害無し、門番の福島正則の寝返り、岐阜城の早期
陥落、関ヶ原の寝返り…。まあ、家康が狙った部分が多いとは
言え、かなり西軍が不利になるわな。
結局上杉との連携とれたら、伊勢制圧よりもマシな手はあったけどねえ。
特に東海道沿いが全部東軍なったので時間的余裕も全然無かった。

>情報
家康は増田とかから情報を引き出していたからねえ。
三成は貰っていたのかは、誰も分からない(藁。

>兵力不足
どっちかって言うと大津城やら細川征伐の軍がいないのか厳しかった。
吉川とか小早川とかよりも裏切る心配は少ないからねえ。
195無名武将@お腹せっぷく:2001/03/17(土) 22:16
でも、もう少し東へ進めれば、濃尾平野の穀倉地帯を確保しつつ
桶狭間で東軍を奇襲なんてのもアリかも(w
196無名武将@お腹せっぷく:2001/03/17(土) 22:19
>>170
心では加藤紘一と行動をともにしたくても選挙区民や後援会のことを考えると
自分だけのことを考えて行動するわけにはいかず、不信任案に反対する
若手議員を考えてみよう。
一国の主というのはそういうものなのです。(まあ日本的)
197無名武将@お腹せっぷく:2001/03/17(土) 23:29
>>192に激しく同意!
加藤、福島のように本能的に家康に付いた方が得ってのが分かってるくせに
それを「何事も秀頼公の御為」とか言って自分自身をも騙そうとしている日和見武将に鉄槌を!
石田三成マンセー!
198ぷく:2001/03/18(日) 00:15
ここにゃ厨房だらけな上情報操作しまくりなのか???

>それにしても信長の野望での、三成の能力値の不当(?)な低さが、
>光栄ゲーマーの三成評の洗脳に影響してるのは間違いないな・・・

常に同じような能力値じゃないかな?
政治94前後
武20〜40ぐらい
知謀30〜60ぐらい
義理MAX〜ちょっと下ぐらい。

知謀がもちっとあっても良いと思うがこんなもんじゃないか?

>>なんか、最新作じゃ能力劇的に改善されたらしーけど、コーエー信者
>>たちの反応はどうなのかな?

どこがどのように変わったんでしょう???
ほとんど変化無いような気がするが?

PS:覇王伝の三成
政治92
戦闘39
知謀25 一桁には見えん。前田利家の影武者は1だけどな。
采配60
野望71

199ぷく:2001/03/18(日) 00:23
試してみようっと。

コーエー本しか読んでない人にゃわからないと思う問いをしてみる。
(武将ファイルとかにはのってないから)

秀吉の九州攻めで島津家が降伏した時に島津義久に三成が
ある入れ知恵をしたんですが それはどんな知恵でしょうか?
200無名武将@お腹せっぷく:2001/03/18(日) 00:37
>>198
政治、知謀がともに80台後半に。成長の余地があるから
最終的にはいずれも90台後半にいたる。
采配は従来のまま。
オレぁ知謀がこんなに上昇したことに感激した。
ちなみに『嵐世紀』な。
201無名武将@お腹せっぷく:2001/03/18(日) 00:38
>>199
っつーか、お前それでなにしようっての?
優越感にでもひたるんか?
202無名武将@お腹せっぷく:2001/03/18(日) 00:45
201はコーエー織田です

答えが分かりませんので誤魔化して鱒
ぷぷ
203無名武将@お腹せっぷく:2001/03/18(日) 00:49
>>202
お前はわかるんか(藁
とまあこんな感じになってくんでいらんツッコミや程度の低い煽りは
控えましょう。
204無名武将@お腹せっぷく:2001/03/18(日) 03:30
>>199
自分が取り成すから、降伏しろって事だろ?
まあ、実際追放も1年で終わったし、娘の亀寿
も人質として返したので約束守ったね。
ところで、島津の石高って検地前は何万石
だったか知ってる?
205ぷく:2001/03/18(日) 11:26
不正解。
降伏した時に だよ!

入れ知恵ですわ。
206無名武将@お腹せっぷく:2001/03/18(日) 12:13
>秀吉の九州攻めで島津家が降伏した時に島津義久に三成が
>ある入れ知恵をしたんですが それはどんな知恵でしょうか?

 直接秀吉の目を見て話さないようにいったんだっけ?
207無名武将@お腹せっぷく:2001/03/18(日) 15:49
>>200
>政治、知謀がともに80台後半に。成長の余地があるから
>最終的にはいずれも90台後半にいたる。

まじすか?なんで智謀がいきなり上昇・・・?
智謀30とかには憤慨ものだが、
急に80ってのも違和感あったりして


208江守徹:2001/03/18(日) 16:07
おのれ家康
何様のつもりか!!!
209無名武将@お腹せっぷく:2001/03/18(日) 20:46
>>205
で、島津の降伏直後は何万石?
エピソードだけを拾ってるのはコーエーオタと対して
変わらんよ。特にそれで他者との区別する奴はね。

石田三成って、19万石で250万石に立ち向かってんだよね?
…福島や加藤は、勇気が無いとか言ったけど、彼らの行動
とを照らし合わせると、勇気の意味を考えさせられるな(藁。
210ぷく:2001/03/18(日) 23:37
ひっかけみたいで答えられんのよ
太閤検地の管理体制で示す島津の降伏直後の島津領だろ?

降伏直後って事で切り取られた後の話しだろ?
答えあるのか?

そもそも島津の石高って一番答えが分からないものだし・・・
佐竹家より難しいのよ?
秀吉死んだ直後の前田家の石高ってみんな知ってるようで
しらないでしょ?

211財津一郎:2001/03/18(日) 23:45
さにあらず。
この安国寺えけいの一存でござる。
212ぷく:2001/03/18(日) 23:50
まあ私は石高に興味ないので分からない。

前に上記の前田家の石高でわからない為、興味すらわかなかった。
本によって11?万石、120万石、9?万石、
一番多いのは省略してるんだろうが(約)100万石と
書かれているのが多かった。

で佐竹家の場合、秀吉(?)三成の対徳川意識によって
良い方に誤魔化してるというのがあるよね。

島津家もそれっぽいので正確さが皆無だと思う。
理由は、
島津家は領地の大きさに反比例して生産性が低かった。
台風、火山灰などの影響によって貧相な土地柄だった。
その上、朝鮮攻めでかなり無理な負担を擁していた為
島津家家中ですら食う物に事欠くありさまだった。
それを無期限、無利息で援助したのが三成だつた。

その関係から佐竹家とは違う意味で石高を誤魔化していた
可能性もある。

だから答えが分からないものは興味わかない。
213無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 00:09
>212

なるへそ
確かに正確なものは計りえないな

>209
>>エピソードだけを拾ってるのはコーエーオタと対して
>>変わらんよ。特にそれで他者との区別する奴はね。

エピソードだと島津は何万石なの?

>>石田三成って、19万石で250万石に立ち向かってんだよね?

19万石では無く5万石でも彼は挙兵したと思う

>207
>>まじすか?なんで智謀がいきなり上昇・・・?
>>智謀30とかには憤慨ものだが、
>>急に80ってのも違和感あったりして

秀吉没後の三成は政治力より知謀の方が前面に出ていたからね
214無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 00:22
私の持ってる資料によれば
前田家は136万石とある。

確かに本によって違う。
215無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 09:12
>>212
島津は21万石。検地後は56万石(こっちは有名だな)。
エピソードつーか、通例だと56万石という評価だな。
前田家は76万石、でも秀次の遺領を一部継いだので
関ヶ原当時は、85万石。
加賀100万石(120万石)は関ヶ原後だよ。
これは有名な話だと思ってたんだが…。

石高は違うのは開拓の結果次第で、
ワタシの言ってる数値は検地や恩賞として
与えた場合の数値。

検地は当然検地前との比較が無いといけないので
必然的に実際の評価が分かる。だから検地前の
数値は正しいとは言えない島津は余りにも差があり
すぎるので例として適当だから上げた。
こうしてみると、島津がどれだけ土豪に頼っていたか
が、それに家中の士の数が多いかが、石高と戦力か
ら分かるね。
35万石も増えたのは、土豪やら寺社やらの切り捨て
をしたからあれだけ増えた。色々数値が混乱している
のは、太閤の政策で支配層と被支配層の区別で、
こういった中間搾取層がいなくなったせい。
検地後がまあ、その国の総生産量に近いな(藁。
ちなみに、ごまかした例としては後、黒田領がある。
12万石だとか言われているけど、実際は25万石。
216215:2001/03/19(月) 09:23
ちょっと混乱してるな。

検地前と後の数値が違うのは、中間搾取層
の排他の結果で、その他は開拓等によって
増えた結果。
217黒沢年男:2001/03/19(月) 11:24
黙らっしゃい!
お主は家康の回し者か!
218小林ねんじ:2001/03/20(火) 15:17
その言葉
聞き捨てならず!!!!!
219津川雅彦:2001/03/20(火) 22:39
石田三成を助けるは
敵の敵を味方につけるにあり
220無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 23:08
 三成の配下の軍勢ってその当時どのくらいのレベルだったんでしょうか?
 なんか調べてみたらマイナーだけど剛勇の士が意外に多くて驚きました。
 もし、一対一で戦ったら、最低でも1.5倍の兵が無ければ勝てないと思う。
 (1.5倍じゃ島左近に奇襲かけられたらアウトかな、、?)
221無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 23:34
レベルって何だ?
どうやったらわかるんだ?
222無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 23:50
コーエーオタ以下も登場したな。
223無名武将@お腹せっぷく:2001/03/20(火) 23:53
>>220
二万対六千で6時間近く持ったんだよ?
立派すぎるよ。
実際、石田の遺臣達は役後に諸侯が先を
争って雇おうとした位だ。
224無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 00:33
>レベルって何だ?

 レベルっていうのは一種の目安で、他の数値や状態を比較するために
使います。この場合、戦闘価値のことです。

>どうやったらわかるんだ?

 いろいろ数値化する方法を考えていますが、難しいですね。 アメリカ
は自分の軍や相手の軍、兵器の様々な戦闘レベルをたたき出し演習に使っ
ています。たとえば、ちょっとデータは古いですが、1990年のアメリカの
戦闘価値は3498でソ連は1490となってます。ちなみに日本は105です。

>コーエーオタ以下も登場したな。

 僕のことですか?(^^;
225無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 06:50
気にするな。もっと大きくなって帰って来い。
期待して待っているぞ。
226無名武将@お腹せっぷく:2001/03/21(水) 11:42
>>224
オペリサだろ?
軍事版に行って聞いてみな。
懇切丁寧に教えてくれる人がいるから。
227無名武将@お腹せっぷく:2001/03/24(土) 12:25
夏八木左近「戦いにあたって歌を読まれたそうですな?」
蒲生ゴリさん「おお!是非聞かせてくだされ」
江守三成「いやいや、駄作じゃ」
ゴリと左近「いや是非聞かせてくだされ!!!」

散り残る 紅葉はことに いとおしき
秋の名残は こればかりぞと

夏八木左近「散り残る 紅葉とは?」
江守三成「・・・・・・・・・豊臣家じゃ!!!!」
228無名武将@お腹せっぷく:2001/03/24(土) 13:01
干し柿ぐらい食えよ。ヘたれ。わがままなんだよ、てめーは!
229無名武将@お腹せっぷく:2001/03/24(土) 14:57
僕の三成のイメージは、司馬さんの義経の内政バージョン。
悲しいほどにバランス感覚がなく自滅するの。

しかし、三成って不思議な人ですよね。
島左近にはすごく好かれたのに、清正、正則に嫌われている。
230無名武将@お腹せっぷく:2001/03/24(土) 16:09
干し柿ってよけいに喉乾かないか?
231無名武将@お腹せっぷく:2001/03/24(土) 17:25
>>215
それと薩摩はかなり厳しく検地をやられていて、56万石(57万石だったような気も)
は米だけじゃなくひえ・あわを加えた穀物の収穫量だったという話もある。
しかもそれは島津家だけの処置。
232無名武将@お腹せっぷく:2001/03/24(土) 19:50
>>229
清正、正則だけじゃなくて、長政や忠興にも嫌われてね。
奉行としての三成は、必然的に嫌な奴だが、大名主人
としては、良い奴だったんじゃない?
233無名武将@お腹せっぷく:2001/03/25(日) 03:13
ただ同僚受けが悪いだけだろう
234名無しさんのレスが読めるのは2chだけ!:2001/03/25(日) 04:20
自民党でいうと、誰?
235無名武将@お腹せっぷく:2001/03/25(日) 04:55
橋本龍太郎あたりかな
236無名武将@お腹せっぷく:2001/03/25(日) 05:00
>>233
すでに、同僚ですら無い。
知事と政務次官位の差がある。
そりゃ嫌われるわけだ。
237無名武将@お腹せっぷく:2001/03/25(日) 19:56
か・た・ぶ・つ
238無名武将@お腹せっぷく:2001/03/27(火) 10:22
覇王伝武将ファイル
このスレみたついでに読み返してみたが・・・

この筆者、切り捨ててよかですか?
239無名武将@お腹せっぷく:2001/04/03(火) 16:35
age
240無名武将@お腹せっぷく:2001/04/03(火) 16:36
241某スレの4:2001/04/03(火) 21:35
>>238
同感。あの筆者は一体何様なんじゃ?
光秀や秀吉も虚仮にされていた。
242無名武将@お腹せっぷく:2001/04/11(水) 06:05
age
243無名武将@お腹せっぷく:2001/04/11(水) 12:17
天翔記の武将ファイル書いてる奴も、やる気があるとは思えない。
244無名武将@お腹せっぷく:2001/04/12(木) 08:00
天翔記武将ファイルはよかったよ。
覇王伝は辞典はよかったけれど、武将ファイルはアホ。
245ea:2001/04/12(木) 12:10
大河ドラマで石田三成はどうでしょう。
秀吉の中国大返しから関ヶ原まで。
246無名武将@お腹せっぷく:2001/04/13(金) 22:25
>>245
面白そう!!
247無名武将@お腹せっぷく:2001/04/13(金) 23:24
個人的には面白そうだと思うがマニア向けだなあ
248無名武将@お腹せっぷく:2001/04/14(土) 07:52
三成に好きだって言ったり憧れたりする 人いるけど
実際に同僚とかとして付き合ったら
くそムカツク人だと思うよ。
2チャンネルの諸君では相手にすらしてもらえない
と思う。
249無名武将@お腹せっぷく:2001/04/14(土) 10:47
>三成に好きだって言ったり憧れたりする 人いるけど
>実際に同僚とかとして付き合ったら
>くそムカツク人だと思うよ。
>2チャンネルの諸君では相手にすらしてもらえない
>と思う。

 意見を語るのは結構ですが、そう思う根拠を教えてもらいますか?
 この文章だと噂や先入観だけで判断していると思われても仕方がないですよ。
250無名武将@お腹せっぷく:2001/04/14(土) 10:57
 三成は少なくとも領民には人気があったよ。
 現に井伊家は120年間にわたり佐和山に入ることを禁じたけど善政
をしいた三成をしのぶ領民は携えた地蔵を佐和山にまつって三成一族の
供養をしたみたいだから。しかもその地蔵は数百体に及んだそうだよ。
 今でも一部が佐和山に残ってるし。
251名無しんぼ@お腹いっぱい:2001/04/14(土) 13:26
賢いのに、賢い生き方を拒んだ。その一だけでも評価されるべき。
252無名武将@お腹せっぷく:2001/04/14(土) 18:42
>>251
感情的にその生き方ができなかった、子供っぽい人物とも言える。
やはり天下の仕置きはこの人にはムリ
253無名武将@お腹せっぷく:2001/04/14(土) 20:02
>>252
 子供っぽいかなぁ ?
あの当時の家康のヤリ口見てたら、反発するのが常識的な反応
だと思うけど。
 寄らば大樹的な生き方が「善」とは思えないけど。
254無名武将@お腹せっぷく:2001/04/14(土) 21:07
自分の理論に陶酔して現実を見極められなかっただけだろ。
善って何よ?下克上が悪ってことかい?
255無名武将:2001/04/14(土) 21:10
石田三成は上司・部下からの信頼厚くても
同僚からは嫌われるタイプでしょうね。

然しあの時代、三成がいなければ、
誰が徳川家の野心に立ち向かっただろう?
256無名武将@お腹せっぷく:2001/04/14(土) 21:15
>>254
乱れきった世を演出してまで下克上をするのは汚い。
家康のあれは、必然ではなく演出されたもの。
最も、三成も片棒担いだようなものだが。
罪と言う意味では家康がはるかに重い。
257無名武将@お腹せっぷく:2001/04/14(土) 22:46
>>255
毛利輝元
258253:2001/04/14(土) 23:35
>>254
 陶酔はしてないでしょう。現実問題として、上杉まで徳川に
叩き潰された後では、徳川の覇権を誰も止められなくなる。
豊臣体制を維持しようと思ったら、一か八か、あのタイミング
で立つしか無いと思うぞ。

 下克上については、現代的価値観だと、上司や組織が無能だとか
機能不全でどーしようもなければ、下の者が上を倒す、という行為
に共感もできると思うが、家康のは違うからなぁ。
259無名武将@お腹せっぷく:2001/04/14(土) 23:45
>>258
上杉との挟撃だの矢作川迎撃などは現実的じゃないだろ。
豊臣は統治者としては無能だろ。潰して当然。家康に共感できるよ。
260253:2001/04/15(日) 00:02
>>259
 別に、三成が上杉と共同作戦取るつもりだった、と言ってるの
では無いよ。上杉が潰された後に、三成が家康打倒を訴えても
兵は集まらんと思う、ということ。
 家康と決戦できるほどの兵を集めようと思ったら、あのタイミ
ングしかないだろ ?

 それと、史実では家康と上杉が開戦する前に、三成挙兵の情報
が家康に伝わったけど、上杉と開戦した後に伝わってたら、どう
なってたか分からんと思うぞ。そう簡単に引き返せんかっただろうし。
261無名武将@お腹せっぷく:2001/04/15(日) 00:07
>>259
関ヶ原時の家康の天下取りの方も現実的とは思えないが…。
それを、自分の有利な方に持っていた家康の有能さに感嘆したり、
その後の政策に共感するのは理解できるが、キミの共感は何を意味している
のかは、分からないよ。
つーか、正直、豊臣が嫌いだから家康が好きだという風にしか見えないぞ。
262無名武将@お腹せっぷく:2001/04/15(日) 00:08
>>260
あれ、2行目の反論はいいの?
三成が強兵するまで、家康も江戸で時間を潰すと思われ。
それに家康は引き返せなくても、加藤と福島の反転は史実どうりに早いだろな。
263無名武将@お腹せっぷく:2001/04/17(火) 00:07
三成の最期のエピソードってどうよ?
美談として伝わっているけど。

この時代、敗者は敵に討たれるか、自害するか、逃亡、降伏するとか
あると思うけど三成はどれもしてないよね。
大谷吉継は敵に首を討たれるよりかは、と自害したし
死に場所を求めて大坂の陣で西軍についた者はいたし
三成は敗戦後、関ヶ原よりそう離れていない山中に隠れ
捕まり処刑された。
「大義を求む者は死ぬまで可能性を信じる」とか
そう言うような事をいい説教(?)したというけど

山中で隠れ彼はどうするつもりだったのか?
時間が経てば追手も無くなると思っていたのか?
三成の立場と東軍諸将にどう思われているかを考えれば
そんな事はありえないと判断できないのか?
ましてや相手の判断に全てを任せた三成らしくない考えではないのか?
体調が悪いといっても捕まり京にひっぱられてでも行けたのだし(連れて行かれた)
大坂、佐和山に行けないわけでも無かっただろう。
結果、捕まり処刑された。
可能性というが何か起こっても彼に何が出来たのか?
しようとしていた様にはまるで見えない。

また三成は合戦前から体調をくずし(下痢気味だった)
死ぬまでそんなだった(?)というがこんな体調云々というエピソードを
残したのも彼ぐらい???

私は三成好きだしエピソードの中で尊敬出来るものもあり
感動したりしますが(ゲームでも宿老扱いだし大軍預けて戦場に連れてぐらい)
最期のエピソードが何故、美談として伝わっているのかがまるで解らない。
逆に汚点ではないのか?
264無名武将@お腹せっぷく:2001/04/17(火) 00:13
>262

家康は重い腰を上げて江戸から出陣、小山の陣で
三成挙兵を聞いてる堕呂?
265無名武将@お腹せっぷく:2001/04/17(火) 00:30
>>263
生米にあたって洞窟で身動きとれなくなったんだろ。
それで同郷の田中吉政におとなしく捕まったんだ。
田中は石田の体を屋敷で治してから連れてったんだ。美談では。
266無名武将@お腹せっぷく:2001/04/17(火) 00:47
色々言われてるけど、今の世にあれだけの官僚はいないでしょ?
三成って善政家だし、私腹を肥やすようなことしてないし。
267無名武将:2001/04/17(火) 04:00
>>257
輝元公か…。どうも俺には解らないな…。

>>266
最終的に官僚の領分を超えた役割にまで
手を出さなければならなくなったのが彼の不幸かと。
268無名武将@お腹せっぷく:2001/04/17(火) 14:25
>>263
 それって無いものねだりじゃないかな。
関が原の合戦後、大坂あるいは自国まで戻れた武将って、島津を例外にすると
実質的に参戦してない南宮山に陣取った武将だけじゃない?毛利とか長曽我部
とか。宇喜田はどーやって鹿児島まで落ち延びたんだっけ…。

 西軍最前線で軍が壊走するまで戦ってた武将は、バラバラになって山中に落ち
延びることしかできないから、街道沿いに進める東軍より早く大坂に戻ることは
できないと思う。佐和山城は関が原戦の直後に攻略されてるし。

 体調崩さなくても、近江山中に身を隠すことしか出来なかったと思うよ。
269無名武将@お腹せっぷく:2001/04/18(水) 01:52
つまり
自分でやれる事、やってる事を視野に入れず
他人には求めたという事か。
270名無しんぼ@お腹いっぱい:2001/04/18(水) 06:35
>>269
言ってる事が意味不明だが。
最低限の理由つけ位しろよ。
271無名武将@お腹せっぷく:2001/04/18(水) 16:06
>>250以降
遅レスだけど・・・

徳川時代の「反権力的思考」って結局、
秀吉や三成を美しく語ることだったんじゃないか?

「前のがよかった」
これはいつでもいわれることじゃない?

じゃ、信長は?と言われるかもしれないが
信長ってなんだかんだ言って「天下統一完成」してないんだよね・・・
それと秀吉には「庶民出」というのがある。
江戸以降の庶民には、英雄として語る資質があり過ぎじゃない?
そしてそれに「殉じた(徳川家に逆らった)三成」という図式。

272名無しんぼ@お腹いっぱい:2001/04/18(水) 19:16
>>271
それと朱子学の影響もね。
朱子学的な考えから言えば、三成の行動は誉めたたる
ことだから。
273>270:2001/04/19(木) 00:36
270の書き込みの方が意味不明だろ
274名無しんぼ@お腹いっぱい:2001/04/19(木) 19:35
>273
273の書きこみも意味不明。
275無名武将@お腹せっぷく:2001/04/20(金) 01:49
274 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい投稿日:2001/04/19(木) 19:35
>273
273の書きこみも意味不明。
276無名武将@お腹せっぷく:2001/04/20(金) 01:58
275も意味不明
277無名武将@お腹せっぷく:2001/04/20(金) 02:13
273 名前:>270投稿日:2001/04/19(木) 00:36
270の書き込みの方が意味不明だろ


274 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい投稿日:2001/04/19(木) 19:35
>273
273の書きこみも意味不明。


275 名前:無名武将@お腹せっぷく投稿日:2001/04/20(金) 01:49
274 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい投稿日:2001/04/19(木) 19:35
>273
273の書きこみも意味不明。


276 名前:無名武将@お腹せっぷく投稿日:2001/04/20(金) 01:58
275も意味不明
278三成くん:2001/04/22(日) 02:06
20年まえぐらいの正月ドラマ「関が原」で加藤剛が演じた三成が良かった。融通
の聞かない正義感という感じがして。三船敏郎演じる島左近が敗走する三成を
「さらば正義の人よ」とつぶやいて見送るシーンには感動した。


     
279無名武将@お腹せっぷく:2001/04/22(日) 22:57
>>278
最近のコーエー信長の島左近の顔グラって、三船の左近がモデルだね。

このドラマはわりと好きだった。
これのお陰で三成を好きになったな。
森繁の家康、三国の正信コンビも良い味出してた。
280ea:2001/04/23(月) 11:33
今後、左近を演じさせるのなら千葉真一。
281名無しんぼ@お腹いっぱい:2001/04/23(月) 15:46
関が原はビデオないんかねぇ。
もう一回見たいねぇ。
282無名武将@お腹せっぷく:2001/04/23(月) 16:20
>>281
ビデオありまっせ。TBSビデオ。7時間モノ!(前後編2巻)
高橋幸治の大谷刑部なんか、悲壮感一杯でかっちょいい〜。
金田龍之介の毛利とか、三國の本多とかシブイ配役満載。
語りが石坂浩二でしたな。
283名無しんぼ@お腹いっぱい:2001/04/23(月) 17:54
すげぇ、欲しいよ。
284無名武将@お腹せっぷく:2001/04/23(月) 18:01
>>283
ビデオレンタル屋にあったぞ。
285名無しんぼ@お腹いっぱい:2001/04/28(土) 17:52
だいぶ前、テレビドラマ板で
「三成=唐沢寿明、刑部=豊川悦司でやってほしい」
という書き込みを見た。

「ちと若い」という印象だけど「豊臣政権→関ケ原」の流れなら
これもOKだろう。
286無名武将@お腹せっぷく:2001/05/02(水) 12:25
>285
「三成=爆笑問題の太田、刑部=同じく田中」
というのもあったぞ。
287無名武将@お腹せっぷく:2001/05/03(木) 13:42
>今後、左近を演じさせるのなら千葉真一。

うむ、馬上で荒れ狂った上、銃で打たれなければならないからね。
JAC系じゃないと無理かな。
288石田光成シンパ:2001/05/03(木) 21:02
直江兼次
頭が良いもの同士、仲が良く親友とも言えた。
ただし、関ヶ原の件で二人に連絡はなかったらしい。

佐竹義宣
光成シンパの筆頭、関ヶ原でも西軍にくみしようとたが
父親や家臣のもう反対でしかたなく中立するハメになった。
戦後、家康に責められた時も堂々と自分は光成に見方するのが当然と発言した。
飽田20万石に減封されたが堂々としていた、
なあ、石田光成の庶子を引き取ったのは彼である。

島津義弘
島津家は光成に九州討伐の時の恩義があり、
また彼を秀吉様の並ぶものなき懐刀と絶賛してたい。
島津家は関ヶ原で最初から東軍につこうとしたというのは幕府に遠慮した
作り話であり、最初から西軍につこうとしていた、しかし兄、義久は経済難もあり中立を守るために
彼の元に軍を送らず、義弘にはわずかの義勇軍がきたのみ、
そして、関ヶ原前夜に光成が彼の親族を置き去りにして撤退しようとした件や
彼も支持した、夜襲をしなかったことで光成に土壇場でつかなかった。

小西行長
朝鮮の役など長いつきあいの武将。
関係が深かったが光成に恨みごとも言っている。

長束正家
同じ奉行として、関係深かったが戦意はなかったようだ。

前田玄衣・増田長盛
長束同様の関係だが自分が惜しかったか裏で光成を裏切った。

安国寺恵稽
毛利家との交渉でかれとは長い付き合いがあった。

宇都宮(したの名前忘れた)
彼も佐竹義宣同様、親しく、光成に多少の便宜を計ってもらった。

田中吉政
光成は大恩人であり、しかも何度も(秀次事件など)危機の時は彼に救ってもらっていた。
しかし、関ヶ原では光成につかなかったばかりか、佐和山城の戦いで光成の父・兄の自刃で降伏交渉がまとまっていた、
にもかかわらず突入し、石田家の者を総自殺に追い込んだ。
このようなことから、評判がわるい。
289無名武将@お腹せっぷく:2001/05/03(木) 22:04
>>288
人名の誤変換はやめれ。
バカにされてるような気がする。
290無名武将@お腹せっぷく:2001/05/04(金) 20:42
>>288
西軍の主力のあのひとがいねえじゃねえか。
浮田秀家。
291無名武将@お腹せっぷく:2001/05/04(金) 20:42
大谷もいえねえぞ!?
292無名武将@お腹せっぷく:2001/05/05(土) 01:39
マルコ・メンドゥーサもいねえぞこの野郎!
293無名武将@お腹せっぷく:2001/05/05(土) 02:16
いや・・マルコ・メンドゥーサって誰だよ・・・。
294無名武将@お腹せっぷく:2001/05/05(土) 02:29
ageちゃお
295ななし:2001/05/05(土) 09:13
>>286
>「三成=爆笑問題の太田、刑部=同じく田中」
>というのもあったぞ。
逆の方がいいかも。
太田(刑部)が自分の鼻汁が入れたお茶を田中(三成)に無理やり
飲まそうとしてイジメるコントなんかやりそうだな。
296288:2001/05/05(土) 17:13
ああ、悪い悪い、誤植が多かったね。

で、大谷吉継との関係とかエピソードは有名なので
解説しなくてもいいでしょ。
たた彼は家康とも関係があったので家康につこうと思えば
いくらでもつけたんだ。

それと宇喜多秀家と光成は特筆するような関係もなかったみたい。
秀家はなぜ島津にかくまってもらえたのかも不思議。
同じ西軍のよしみだろうか・・・
297288:2001/05/05(土) 17:19
それと光成と直江兼続の関係も
前田慶次ものの作品なんかを読むと不思議に感じる。
直江−さわやかな快男児
光成ーコセコセとしたイヤな男
ってイメージだからね。

この二人がどういう事で親交ができたかとはわからないが
光成が本当はいい奴だったのか?
直江が実はコセコセとした男で上杉家に有利になるように
光成に近づいたのか・・・
298回覧種人:2001/05/05(土) 17:44
>>297
軍師助言:「三成」くらいは最低限、直したほうがよろしいかと。
299無名武将@お腹せっぷく:2001/05/05(土) 17:57
あっ、本当だ
ずっと間違い変換を記録してたよ。
もちろんねこんな事知らなかったわけじゃないよ^^;;
300出雲のおかき:2001/05/05(土) 18:09
直江山城や、大谷刑部、島左近。
類は友を呼ぶって事ではないでしょうか?
そんなに嫌な人物ならこれらの人は三成に味方しないでしょ?
損得考えればあきらかに損なんですから。
徳川の世になって当然、反逆者の三成はよくは評価されませんよ。
光圀などは三成を高く評価してますけど。
現在まで続く三成のイメージは多分に徳川体制下で作られたものが流布してるのだと思います。
301石田一成:2001/05/05(土) 18:45
施政に関しては抜群の手腕だと思う。
302無名武将@お腹せっぷく:2001/05/05(土) 20:40
>>300
光圀なんて単なるへそ曲がりでしょう。
だから幕府批判のついでにアンチテーゼとして天皇マンセーな
大日本史編纂をやらして右翼の原型を作った。
303無名武将@お腹せっぷく:2001/05/05(土) 21:44
>>300
好き嫌いで敵・味方を決めるなぞ、統治者としては三流でしょう。 西軍=負
け組と見るのも、余りにも結果に毒された見方かと。

それに徳川体制で云々もよく聞く論ですが、全てそれで説明するのは、あまり
にも人間というものを馬鹿にした考えだと思いますよ。
また三成さんが嫌われたのも、人格面よりはその融通の利かなさや、太閤に重
用された成り上がり者に対する嫉妬・反感とかの面の方が大きい様に思うので
すが・・・
304無名武将@お腹せっぷく :2001/05/05(土) 23:05
>それに徳川体制で云々もよく聞く論ですが、全てそれで説明するのは、あまり
>にも人間というものを馬鹿にした考えだと思いますよ。

 でも、江戸時代になってから相当家康及び徳川家に都合の良い歴史が作られ
たのであながち影響が無かった訳でもないと思います。
 現に、第二次上田合戦なんて資料が一つしか無いし、それでさえも断片的で
すし、また他の本は三方が原で負けたのは実はわざとだと言ってたり、、。
 とにかくそんな感じですから一体どっからどこまでが本当かもわかりません。
305無名武将@お腹せっぷく:2001/05/05(土) 23:31
現代では逆に過大評価気味>三成
306無名武将@お腹せっぷく:2001/05/06(日) 01:34
いや、正当な評価になってきたというべき。
いままでの三成像はあまりにも外字っぽかった。
307無名武将@お腹せっぷく:2001/05/06(日) 02:01
>>296

じゃ「誰でも知ってることをわざわざ長々と書くな」といえばよろしいかな?

308カントリー娘は:2001/05/06(日) 02:09
秀家殿は人当たりが良かったようで
大名間でも評判はよかったらしい。
それで島津との間にもパイプがあったのだろう。

朝鮮攻めで大将やっていたし信頼関係も生まれていたと思われる。
309無名武将@お腹せっぷく:2001/05/06(日) 11:29
浮田秀家、最近になって「すごいかっこいい武将では?」と思えるようになってきた。
戦国も終わった後の武将だけど、ひょっとしたらたいした人物だったのかもね。
310無名武将@お腹せっぷく:2001/05/06(日) 20:32
gg
311無名武将@お腹せっぷく:2001/05/07(月) 05:20
西軍武将は、おしなべて評価が低すぎ
やっぱり後世に残る歴史は勝ち組の物なのか?
312無名武将@お腹せっぷく:2001/05/07(月) 05:59
そりゃまあ、負けた側は能力が低いから負けたんだと見るのが一般人なんだろうな。
313無名武将@お腹せっぷく:2001/05/07(月) 20:58
>>309
判官びいきかも知れず
ただ、八丈の翁の話は逸話としても泣かせる
314名無し:2001/05/07(月) 21:17
>>311
 つまりは勝てば官軍が世の中なのよ。結局は結果を出さなければ
ソレまでって事。
315無名武将@お腹せっぷく:2001/05/15(火) 22:08
三献茶が一番かっこいいエピソード
316無名武将@お腹せっぷく:2001/05/30(水) 05:50
age
317大谷 吉継:2001/05/31(木) 15:43
三成は近江の誇り。
三成を悪く言うやつは、成敗!
関ヶ原後、木之本の山中に身を隠しているのを知ってても、誰も暫くは密告しなかった。
それだけ領民にも慕われた男だ。
後で密告されたが、
その密告したものは、よそ者の養子であった。
再起をかけていたのに、
だから、私も心変わりし 昔の情から 敦賀より馳せ参じたのだ。
憎っくき 秀秋
呪い続けて あのざまだ。
ハハハハハ
318無名武将@お腹せっぷく:2001/05/31(木) 23:56
>>317

やっぱり、呪い殺したんですか?
319無名武将@お腹せっぷく:2001/06/03(日) 03:13
秀秋は大谷の呪いと言われているけどやっぱり裏切り者としての罪悪感がもとで
狂ったんだと思われ
320無名武将@お腹せっぷく:2001/06/03(日) 10:19
>>319
 小早川秀秋に、そんな良心があっただろうか?
321無名武将@お腹せっぷく:2001/06/11(月) 13:26
age
322無名武将@お腹せっぷく:2001/06/11(月) 14:57
勝者は兵法引っ張り出してきてしてまで、素晴らしき事ばっかした、敗者は馬鹿ばっかだった。
みたいなのはそろそろやめるべき。
323無名武将@お腹せっぷく:2001/06/12(火) 09:24
これが倍速2回転トルネードアロースカイウイングファントムクリップジャンプトライアングルアタック
強引なスカイラブストームタイフーン時間差ヤマザルムーンスライダーファルコンクロウローズスティール
ローズスマッシュ牙竜三角とびジョルトドライブオーバーヘッドエッフェルワインダーネオバク宙ブーストネオサイクロン
ライトニングドラゴンファイナルタイガースクランブル顔面ホーリークロスアクセルキャノンカウンターバックスピン
フラミンゴクリップステルスフレイムフラッシュバイシクルダイレクトファイヤーシャドウストライクラ・オルケスタ
パンサーストリームパッションスタンピードムーンサルトリーサルツイン2段フライングドライブ閃光ビッグバン
グゴールデンイーグル二枚刃カミソリスターバスター佐野とのコンビプレイミラージュ直線的パワーディフェンス
スライダーキャノン2段横入り反動蹴速迅砲ネオノンファイヤートリックレヴィンダブルイールサイドワインダー
直角トルネードジェミニアタックメガトンブーメランスカイダイブピンポイントダイナマイト正拳ディフェンステクニカルループ
わざとゴールポストに当てて跳ね返しての地面スレスレ超低空ダイビングトリプルローリングオーバーヘッド降臨翼との合体ジャンピング
ゴールデンコンビトライアングルハイパーファントムサーブルノワール顔面スクランブルローズ山猿バスター黄金と砂利石2人時間差
消える分身黄金の右腕手刀ディフェンス荒鷲ダークイリュージョン明和特攻スライディングノートラップランニング隼ボレーロケット
シザーズスパイク北国タッピングスパイクエッフェルバナナマシンガンとりかごオーロラカーテンクリップバルカンマッハ
スピーディースライディングスパイラルハリネズミライジングバズーカメガロゾーンシュートだぁっ!!!

これが倍速二回転竜巻矢大空翼幽火挟飛翔三角形攻撃
強引空中合体嵐台風時間差山猿月滑鷲爪薔薇盗
薔薇打込牙竜三角飛振動前方回転頭越仏塔滑新蜻蛉帰加速新大嵐
閃光竜最終虎緊急発進顔面聖十字架加速砲弾反撃後方回転
伯剌西爾踊挟隠蔽火炎閃光曲芸火玉影攻撃性的絶頂感
豹嵐踊的音感月返最終二段飛翔前方回転閃光超爆発
黄金鷲二枚刃剃刀星破壊佐野協力演技幻惑直線的力技防御
変化球砲弾二段横入反動蹴速迅砲新非火玉計略西班牙主将専用二鰻横滑
直角竜巻双子攻撃超重量級阿弗利加代表武器大空飛込一点集中爆発物正拳防御技的急傾斜
故意決勝枠跳返地面擦々超低空飛込三人掛回転大空翼敵最終必殺技降臨翼合体飛翔
黄金協力演技黄金右腕手刀防御荒鷲暗黒幻惑明和特攻滑蹴非受止隼打蹴返噴射反動弾
鋏釘蹴返北国非力釘蹴返仏塔比律賓名産機銃鳥籠幻惑簾鋏機関砲音速
俊足滑込回転山嵐上昇対戦車砲弾巨大郡空間蹴だぁっ!!!
324無名武将@お腹せっぷく:2001/06/20(水) 15:15
age
325無名武将@お腹せっぷく:2001/07/01(日) 13:13
age
326正夢:2001/07/01(日) 13:49
真田広之
演りすぎ
327光成に扮した人々:2001/07/02(月) 14:52
この他、清水紘治、奥田瑛二、伊武雅刀・・重複してたらすみません。
328無名武将@お腹せっぷく:2001/07/02(月) 18:11
秀吉が天下を取って、大阪城にいたころ、淀川が決壊し、誰もこれに対処できなかった。苛立った秀吉は、知恵者と言われていた三成に「おまえが何とかしろ」と命じた。三成は「それでは、場内にある米俵をいただきます」と言った「米俵をどうするのだ」といかぶる秀吉に、三成は、「おまかせください」と言った。
三成は米蔵から米俵を運び出させ、それを決壊場所に積み重ねていった。水は一時止まった。みんな、三成の知恵に感心した。さらに三成は高札をたて、付近の住民に告げた。「丈夫な土の俵を持ってきた者には、ここにある米俵を与える」
農民達は先を争って土の俵を持ってきた。こうして丈夫な堤がたちまちできてしまった。これにもまたみんな感心した。
知恵者ですよね、「何とかしろ」、と言われて何とかしてるし、秀吉も自分の若いころと三成を重ね合わせて見たようで、それで可愛がったんじゃないでしょうか。
329佐吉萌え〜:2001/07/02(月) 18:39
しかし、この人が上司で自分の真後ろで10秒間無言で立って
られたら10日程、命が短くなると思いません?
330おりん:2001/07/03(火) 01:44
石田三成陣より望む関ヶ原全景

http://www.sengoku-expo.net/camera/index.html
331武将ファイル:2001/07/03(火) 06:57
限りなく正しく、限りなく下らない。全く、つまらぬ男もいたものである。

 age
332無名武将@お腹せっぷく:2001/07/12(木) 08:33
智謀は秀吉に限りなく近い、ただ、秀吉と違って世間の泥臭いところに疎い
333無名武将@お腹せっぷく:2001/07/12(木) 10:00
>>332
あなたの言う知謀ってのはどういう知謀ですか。
334無名武将@お腹せっぷく:2001/07/18(水) 20:36
頭のイイ人って多分バカのことはよく解らないんだよ。
だから三成はバカ金吾やバカ市松のことは読み違えたんじゃないかな?

あと今更ながら>>292から>>293の流れに会社で大爆笑。
上司に死ぬほど怒られた。
335無名武将@お腹せっぷく :2001/07/19(木) 22:15
 それで、三成が秀吉に、恋人を譲って出世した話しは本当かい?
336 :2001/08/01(水) 13:56
age
337無名武将@お腹せっぷく:2001/08/15(水) 06:20
age
338無名武将@お腹せっぷく:2001/08/15(水) 06:37
>>335
あのさ、三成に恋人がいたという事を
信じていること自体がイタイ。
339無名武将@お腹せっぷく:2001/08/15(水) 15:06
>>335
秀吉の側室の中でも相当古参の顔ということになるから、
本当だとしたら何らかの記述に残っていただろうね。
340無名武将@お腹せっぷく:2001/08/15(水) 20:36
>>339
 その恋人は、すぐに自殺しちゃたらしい。
 本当なら酷すぎ。
341無名武将@お腹せっぷく:2001/08/16(木) 18:24
せめて世に命のあらば又も見ん秀頼様の花のかほばせage

嫡男・重家たんは大坂の陣のとき、どんな心境だったのかな。
還俗して大坂方に参陣してくれていたら
浪漫チックだったのに、と勝手ながら思ったyo。
342無名武将@お腹せっぷく:01/08/27 16:29 ID:rsqrDIlY
dat回避age
343みつなり:01/08/27 22:16 ID:mkASe8Fs
嫌いだってことぐらい知ってるよ。
でもな、市松、虎。豊家の行く末考えて、
味方してくれるものと信じていたぞ。
まあいい。負けた俺がバカで戦下手だっただけよ。
虎、市松。秀頼様のこと、心より頼んだぞ。
豊臣のお家、心より、心より・・・・・・・・・・。
心なき言葉、すまぬ。武功なき身故のひがみじゃ。
ただ、これだけは信じてくれ。私心はなかった。
後のこと。お任せ申す。
秀頼様、申し訳ありませんでした。
秀吉様、もうすぐお会いできること、楽しみです。
刑部、すまぬ。真田殿、上杉殿、佐竹殿、御武運を。
344松ゆうこ:01/09/05 16:49 ID:Qk1FX9OE
誰か、三成の配下、高野越中について教えてください。
345たかの:01/09/05 16:52 ID:1b22qIq6
私は頑張ったけど死にました
346松ゆうこ:01/09/05 16:57 ID:Qk1FX9OE
大変有難うございました。
また宜しくご指導ください。
347無名武将@お腹せっぷく:01/09/05 16:59 ID:CsRrEDrw
 しかし、何で蒲生郷舎は、島左近と同じ知行を貰ってたのに、
信長の野望で登場しないんだろう?
 関が原で奮戦したのに、この扱いはあんまりだろう。
348しげる:01/09/05 21:12 ID:Qk1FX9OE
単に、そのソフトの開発者が無知では?
349名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/06 00:57 ID:uisAryTQ
コーエーの「決戦」では、経験を重ね、大砲攻撃9連発に。
同じく7連発の大谷と組ませて、東軍の福島、浅野などの騎
馬軍団を崩壊させました。
スレ違いでご免なさい。
350無名武将@お腹せっぷく:01/09/08 21:18
>>349

気持ちよかった?
史実がそうなれば良かったね!!
351島 左近:01/09/09 00:46
皆様の申されるように、殿は確かに切れ者でござった。
だが、志が大きく、太閤殿下には心酔しておりましたゆえ、朋輩などには冷たくあたることもあり申した。
太閤殿下も若き日には、同輩たちから追従者として煙たがれられたにも拘わらず、あえて
自分の信じる右大臣公にひたすら尽くしており申した。
そのような太閤殿下のお姿を、若い頃から垣間見ておられた殿は、いつしか殿下に自分を重ねるようになったのでござる。
だが、太閤殿下は殿とは違い、生来の明るさを持っておられた。
後世に、殿下は「人たらし」と呼ばれたように、人間としての魅力が体中から迸っておられた。
ところがわが殿には、そこが決定的に欠けておった。つまり人望がなかったのでござる。
また、殿は、北条攻めの際、とある城を、高松城ばりに水攻めで攻めたが失敗。
戦はへたなお方であった。城攻めの天才と謳われた太閤殿下とは比ぶるべくもござらん。
一方で兵糧や金の計算、管理は得意な分野。軍艦をすれば、些細な失敗も殿下に報告するほど。
いつしか、殿は、前線で命も張れぬのに、後ろで俺たちを低評価しやがる嫌なやつ、と加藤主計頭殿を
はじめとする同輩たちから決定的に嫌われるようになったのでござった。
もちろん、殿は高い教養とすぐれた行政手腕を持ち合わせておられたし、それを評価する方もおられた。
それゆえ、直江山城守のようなすぐれたお方とも友好を温められたのであろう。
かくいう拙者も、殿の真摯で潔癖な人格に感服し、ここまで仕えてきたのでござる。
そしてその忠誠心は、大勢決した関ヶ原から脱出しようとなさる殿の後ろ姿を見ている今でも
変わるものではござらん。
黒田、細川の小倅どもも元気なことよ。井伊隊もまっしぐらに突き進んで来おった。
さて、拙者もいよいよ最後の時が来たようだのう。
あとは殿がなんとか無事脱出できることを祈るのみ。
行くぞ!皆の者!最後の奉公じゃ!突撃ィー!!
死ねー!死ねーー!!死ねーーー!!!
なかなかの力作じゃん
よってage
島左近て、やっぱかっこいいよなあ
353':01/09/09 09:52
test
>>351
 忍城だっけ? 北条攻めのとき水攻めした城は?
 秀吉が命令で忍城を水攻めにしろと言われたので、水攻めをしたまでで、
どちらかといえば責任は秀吉に有るのでは?
355石田壱成:01/09/09 15:02
僕の先祖でしょ
>>354
難しいとこだね
だけど、秀吉が信長から同じ命令を受けていたら、見事やり遂げたと思うけど
あっ、いちおう言っておくと、俺、石田三成嫌いじゃないから
三成って真面目すぎたんだろうな

いしだ壱成は、本名が星川だからちがうよん
357石田壱成 :01/09/09 15:18
>>356
えっウッソー!!
オヤジ・・・ウソついたな・・・
358無名武将@お腹せっぷく:01/09/09 15:36
http://www.asahi-net.or.jp/~ia7s-nki/

このページでは石田三成を再考しています

忍城はどのような経緯があったにせよ
高松城よりさらに規模のでかい28kmの堤防を作り
曲がりなりにも水攻めの形をとった
三成の手腕はたいしたものです
359石田ゆり子:01/09/09 16:25
ご先祖様素敵(はーと)
360無名武将@お腹せっぷく:01/09/09 19:16
石田三成が20000の兵で攻めて2600の兵が守る忍城を落とせなかったのは、三成のせいじゃないよ。
だって大谷吉継、長束正家、佐竹義宣もあの軍にいたんだもん。
このメンツで落とせなかったんだから、それは守勢と城自体が超リッパだったってことだよきっと。
361無名武将@お腹せっぷく:01/09/09 21:03
真田昌幸も忍攻めに参加してたよね。
362無名武将@お腹せっぷく:01/09/09 23:28
>>360

長束はどうなんだろうね。。
へぼいイメージしかないけど。
大谷たんは関ヶ原の奮戦で知ってるけど。

義宣たんは戦歴をほとんど知らないので補足希望
363無名武将@お腹せっぷく:01/09/09 23:31
確認のために、

光栄「信長の野望覇王伝:武将ファイル」
立ち読みで確認してきたよ!

やっぱりムチャクチャ書いてたYO!
読んでない人は一見の価値有り!!
 
364無名武将@お腹せっぷく:01/09/10 03:42
朝鮮の役での小西行長の国辱的外交交渉のうしろには
石田三成がいたようなきがするのだが。
自分が秀吉だったなら小西たちは切腹させるよ。
でも小西たちがそれほどの罪に問われていなかった
ところをみると、影で三成たちのとりなしがあった
と思うのが自然なのでは。
365無名武将@お腹せっぷく:01/09/10 07:34
いい人だったよ。
366無名武将@お腹せっぷく:01/09/10 13:00
>>360
その超リッパな守勢とは城主成田氏長の妻ら、ごく僅かな守備兵だぜ。
氏長は兵を率いて小田原籠城に参加していたから。
367無名武将@お腹せっぷく:01/09/10 18:49
ほんと いい人だった・・
368無名武将@お腹せっぷく:01/09/10 19:00
嫌いなやつには厳しかった、とは思わないけど
好きなやつには甘かった、というイメージはある。
結果的には同じことだけど。
えこひいき?
370無名武将@お腹せっぷく:01/09/10 23:27
>>363
> 覇王伝武将ファイル
こんな本を読んでいい気持ちのする人間がいるだろうか。

ところで、高松城も忍城も落ちるまで約1ヶ月。
期間は似たようなもんなんだけどね……。

>>366
超リッパなのは城。
371無名武将@お腹せっぷく:01/09/11 01:17
忍城は結局落ちてないよ。
城主の氏長自らが本城小田原開城後に説得しての開城だよ。
372無名武将@お腹せっぷく:01/09/11 01:26
忍はゴングに救われただけ。
時間をかければ落ちていた。
「開城」と言うんだね。
降伏=落城と勘違いしていた……。逝ってきます。
374無名武将@お腹せっぷく:01/09/11 23:57
「その時歴史が動いた」楽しみ。
「キリシタン女性、関ヶ原を揺るがす」だって。
三成の失策は置いといて、細川忠興のドキュソ振りも
取り上げられるといいな。
375無名武将@お腹せっぷく:01/09/13 05:56
>>374
放送は次週age
>>374
大丈夫だって!!
あの番組の取り上げる内容は最近、歴史に影響がないものが多いからさ。
本当に「羊頭狗肉」だよ・・・あの番組は。
という訳でsage
377無名武将@お腹せっぷく:01/09/22 05:40
不公平は先祖優先だからね
378無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 14:48
dat回避age
379無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 16:49
昔は特になんとも思って無かった(というよりよく知らなかった)んだけど、
覇王伝の武将ファイル見て逆に私はここまで言われるほどか?
と疑問に思って興味が沸き、それで好きになった(^^;

で、今掃除したらその武将ファイルが見つかったので改めて読んでみた。
・・・筆者は三成になにか恨みでも抱いているのだろうか。
つーかよくこの原稿通ったな。
380治部煮:01/10/06 16:58
すいません。どなたか、ニュース議論板iモードのURL貼って欲しいです。困ってマス・・・関係無いレスでスマソ。ちなみに三成好き
381無名武将@お腹せっぷく:01/10/11 15:26
>>379
覇王伝は他の武将もボロクソです。きっと勝者の側から見た歴史しか考えられない、
偏った知識の持ち主が書いたものだと思います。でも面白いけどね。例えば、

石田三成「限りなく正しく限りなく下らない。全くツマラナイ男もいたものである」
(家康と戦ってここまで書かれるとは…関ヶ原もつまらないのか?)
足利義昭「兄は剣フェチ、弟はペンパルコレクター。名前ばかりの征夷大将軍」
(何か馬鹿にしたような例え方がいい感じ)
明智光秀「いじめる奴といじめられる奴の人間関係にはほとんど宿命的な…」
(8割方筆者のイジメ問題に関する理論が書かれている。光秀のことは…)
朝倉義景「どうしてこんなやる気の無い奴が、こう何度も好機に恵まれるのか。」
(筆者の感情が思いっきり出ている感じ)
382夏侯操:01/10/11 16:52
381まじで?やりすぎじゃない?ぜんぜん武将の説明になってないっていうかナメすぎだろ(笑
383夏侯操:01/10/11 17:06
まあおれほど下らなくてツマラナイ男もいないだろうな。
学校のあだ名がバイキンマンだからな(藁
384無名武将@お腹せっぷく:01/10/11 18:19
>381
治部殿もボロクソですな(藁
385無名農民@お腹減った:01/10/11 20:24
>>381
もっと教えて
楽しすぎる
386夏侯操:01/10/11 20:28
>>385
学校の女子からバイキンマンて言われるんだよ
「半径1メートル以内に近寄らないで」
とかよ、言われたい放題いわれてるぜ。

でもおれは武田旧臣の子孫だから全然平気だけどな
387無名武将@お腹せっぷく :01/10/11 22:56
オレでも10人くらいは書けそうだな<光栄の武将ファイル
388無名武将@お腹せっぷく:01/10/12 00:12
>>385
じゃ、後数人だけ書いとこう。後は買って読んでみ。
織田有楽斎「信長の影の薄い弟。無害さゆえに信長の信頼を得ていた」
滝川一益「運の悪い奴に限って逆風の時に判断を誤る。これは歴史の必然である」
羽柴秀吉「人の歓心を買うためならどんなに身を落としても平気な男
     草履の逸話にあるのは実のところ、ものの見事な品格と美意識の欠落だろう」
松平元康「健康管理の一端というより、単なる「薬オタク」という感じがしないでもない」
今川氏真「蹴鞠と和歌が何より好きな坊ちゃん。気力も能力も使命感もなかった」
389無名農民@お腹減った:01/10/12 00:17
>>388
ありがとう。
買いたくなってきた。
作者はいろんな角度から物事を見れる異人に違いない。
390無名武将@お腹せっぷく:01/10/13 00:12
>>389
ちなみに、三成は1ページを割いて延々と悪口を書いてます。
391無名武将@お腹せっぷく:01/10/13 00:22
1ページも割いて…それはもうある意味愛しているのでは…(ワラ
392夏侯操 ◆ISesvR6A :01/10/13 00:38
おれの偽物よ。あまりにおれの名がビッグネームだからっておれを使って自分の悲しいひきこもりストーリーを語るな。きょうび早んねーんだよ。自叙伝はもっと殺閥としてなきゃなんねーんだよ。おまえはキャバクラ嬢か飯島愛きどりかと、問い詰めたい小一時間ほど問い詰めたい
393夏侯操 :01/10/13 00:51
>383
>392
お前らこそ誰だよ。問い詰める気も起こらんな・・
394夏侯操 ◆ISesvR6A :01/10/13 01:08
そんな点々の使い方しないし、そんな記号も使わない。そしてハンドルネームの横はおれの御先祖様のお名前でーす。
やっぱ大岡越前の人の石田三成はよかったー。あれキャスティングすごいよね。丹波哲朗が福島正則なんて考えられない。島勝猛はかっこ良すぎ。島津義弘も
395夏侯操:01/10/13 01:14
自慢じゃないが俺はウンコくってるぜ。
396夏侯操:01/10/13 01:15
おれの偉大なご先祖様から生まれたのが、ひきこもりのおれってことさ。
397無名武将@お腹せっぷく:01/10/13 01:17
石田重家ってどうよ。
398夏侯操:01/10/13 01:18
たいしたことねえ。
399夏侯操 ◆ISesvR6A :01/10/13 01:27
じゃーひきこもりでおれの尊大な名前にあやかりたい398の偽物夏侯操君はそこまで言うなら石田重家の説明をしてくれたまえ。(注)偽物は資料がないと意見が言えません。しかも質問に答えられなくなると資料に書いてあるからそうだ。と自分のバカさを表すことがよくあります。
400偽夏候操:01/10/13 01:43
隼人正は寿聖院にて出家。法名は宗亨。
別説もあるが。
401偽夏候操:01/10/13 01:46
夏侯操 ◆ISesvR6Aよ、
知識合戦はしたくないが、一度仕掛けられたので、
一回だけ逆に問う。
藪内匠頭について説明してくれ。
402偽夏候操:01/10/13 01:53
なんつって、偽の偽だけどさ。
知識ごっこはやめようぜ。煽りよりつまんね。
ageになってるのが偽の偽な、ちなみに。
403夏侯操:01/10/13 02:08
じゃーひきこもりでおれの尊大な名前にあやかりたい399の偽物夏侯操君はそこまで言うなら石田重家の説明をしてくれたまえ。(注)偽物は資料がないと意見が言えません。しかも質問に答えられなくなると資料に書いてあるからそうだ。と自分のバカさを表すことがよくあります。
つーか何でこの板には逝かれたコテハンしかよりつかねーんだ・・
過去のリプレイスレのような良心的なコテハン達を少しは見習え。
405夏侯操:01/10/13 02:11
うっせーばか
親父(土建業)に言いつけるぞ
406無名武将@お腹せっぷく:01/10/13 02:12
>>404
坊やだからさ
407無名武将@お腹せっぷく:01/10/13 18:09
>>390
あれを書いたのはきっと徳川の子孫だろうな。
一方的な批判過ぎて怖い。
408390:01/10/13 21:40
>>390
さすがに子孫じゃないとは思うけどネ。
単に勉強不足なんでしょうな〜。
あと戦争屋の方が好きなんでしょうなぁ、やっぱ。

関係ないけど、よく三成は「官僚」といわれるけど、
これもまた彼にとって運が悪いよね。
今の日本の糞官僚みたいなのと同じにされちゃうし。(イメージ悪し)
彼は官僚として非常に清廉潔白だったらしいし、
かつ武将としての骨太さみたいなのも人一倍があるんだよな〜。
そのアンバランスさがたまりません。(^#^)
? ??
藪内匠頭って何者?
答え書けよ。偽でも本物でも教えれ
ちらねーよ
中村一氏の重臣、1万石。1609年に浪人し、後、細川家に1万2千石で仕える。
宗亨禅師に援助を続けた義の人。
414411:01/10/14 22:30
ありがと。ここ、サゲ進行になったんだね。
隼人正の重家って名前は家康から偏諱を受けたんですよね。
普通、家康だったら、康政(榊原)、康元(久松)、康俊(久松)と与えているはずなのに、
隼人正はなぜ家康の上の文字を下につけて、重家としたのですか。
416無名武将@お腹せっぷく:01/10/21 23:17
三成は関ヶ原で勝ってたらどうなってたのかな?
417無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 17:59
age
418無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 20:10
三成の次男は津軽藩で幕末まで家老として活躍したって知ってた?
>418
(ごめん、突っ込ませて)

三成の次男って、幕末まで生きてたの?(笑)

うん、その件は知っています。娘を通じて、津軽家に
血が入ってるしね。
420無名武将@お腹せっぷく:01/10/27 00:16
しかし、徳川の時代の時代になっても記録はともかく、
人々の記憶の内に残った三成サンは凄いと思う。
 あ、「葵」で同僚の長束はかなりワイルドだった気がする。
421無名武将@お腹せっぷく:01/10/27 00:42
>>419
次男の家系が津軽藩の家老として幕末まで続いたんだよな。
しかし家康がよく見逃したし、津軽藩も勇気ある行動だよな。
普通ならビビッて通報すると思うんだけどさ。
422無名武将@お腹せっぷく:01/10/27 00:44
尾張徳川家も三成の血をひいてるらしいよ
423無名武将@お腹せっぷく:01/10/27 01:02
>>422
詳細を教えて。
424:01/10/27 01:15
蒲生家家臣の岡半兵衛が三成の次女を娶る。(異説あり)
その孫、お振りの方と家光の子、千代姫が尾張藩2代目藩主・徳川光友に嫁ぐ。
こんな流れだけど、定説というわけではないよ。
425旗を発見!:01/10/27 01:19
┏━━┓
┃    ┃
┃    ┃
┃ 大 ┃
┃ 一 ┃
┃大大┃
┃吉万┃
┃    ┃
┃    ┃
┃    ┃
┃    ┃
┃    ┃
┃    ┃
┃    ┃
┃    ┃
┣━━┛



┃個人的には大好きな武将
┃良いスレだ!
┃旗を発見したので進呈します。
426無名武将@お腹せっぷく:01/10/27 01:21
>>424
サンクス。
御三家の中で一番上位の尾張家から将軍がでなかったのは
三成の呪いかもしれないね。
427無名武将@お腹せっぷく:01/10/27 01:51
ロジの専門家だよね。
猪侍には理解不能でしょ。
428無名武将@お腹せっぷく:01/10/27 02:55
司馬遼太郎氏などの関ヶ原を題材にした小説を読んでいると、
途中まで、おお西軍今回は勝てるんちゃう?なーんて妄想してしまう。
結局、毎回勝つのは東軍なんだけれどもね。(まあ当然ですが)

先日、コンビニで売っている漫画で
三成を小賢しい卑小な人物に描写されているのを見て
鬱になりました。ああ、悲しい
429無名武将@お腹せっぷく:01/10/27 08:38
三成を卑しい小物にしている本をたくさんありますからね。
とりあえずお薦めは司馬遼太郎の「関ヶ原」でしょうか?
別に三成を全面的に支持している本ではないのですが、
あくまで中立的な立場で書かれているような気がします。
他に何かお薦めの本や映画があったら教えてください。
>>428
 それってなんていうマンガですか?
>>427
 旧日本陸軍だって理解不能ですよ。
432428:01/10/27 21:01
>>430
昔、ジャンプに連載されていた「花の慶次」です。
原作は「隆 慶一郎」の「一夢庵風流記」で、作画は北斗の拳の人です。

再び格安コミックとしてコンビニで売り出されています。
433428:01/10/27 21:50
>>429
最近読んだ中では「島津奔る 上・下」池宮彰一郎が良かったです。
文庫化されたので手に入れやすいです。
小説中の三成もあまりバイアスがかかっておらず、良いと思います。
雨の中、南宮山を上り下りするシーンはこっちまでお腹が痛くなりそうでした。
でも三成マンセー!にはならず島津マンセー!になります。
岳宏一郎の「群雲、関ヶ原へ」も評価高いですが、読んだことありません。
他にどんな小説がお勧めでしょうか?
434無名武将@お腹せっぷく:01/10/28 03:30
司馬遼太郎の「関ヶ原」は、
家康=神
左近=スーパーマン
三成=青臭い若造
ってな感じで徳川時代の戦記物のイメージから脱却しきれていない気がする。
まぁ、三成が奸臣扱いでないだけでマシと考えるべきなのか・・・。
435無名武将@お腹せっぷく:01/10/28 04:25
     /⌒ヽ
    (●. .●)  / ̄ ̄ ̄
      ヽ曲ソ  < ナイフ、ムカエニキタ・・・
   /⌒  ⌒ヽ \___
  丿      ヽ
  彡      /
   彡    ミ
    彡  /
436無名武将@お腹せっぷく:01/10/29 04:40
>>431
今の日本でロジを重視しているのは、
外務省です。裏金作るのに必要なのよ。
ノンキャリ・ロジ担当マンセ-!!
437無名武将@お腹せっぷく:01/11/03 10:13
「不義のお人が」
と、尼は家康をさしているらしい。
「栄えてもいいものでしょうか」

「いや、ちがうようだな」
と、如水は首をかしげた。

かれが生きてきた経験によると、義・不義は事をおこす名目になっても、世を動かす原理にはならない。
 如水のいおうとするところは、すでに豊臣家は世を担っていく魅力をうしなっている。
秀吉の晩年、もはや大名から庶人にたるまでその政権のおわることをひそかに望んでいたにもかかわらず、
あの男はそれをさらに続かせようとした。

すべての無理はそこにある、

と如水はいいたかったが、しかし沈黙した。

かわりに、

「あの男は、成功した」
といった。

ただ一つのことについてである。

あの一挙は、故太閤へのなによりの馳走になったであろう。
豊臣政権のほろびにあたって三成などの寵臣までが家康のもとに走って
媚を売ったとなれば、世の姿はくずれ、人はけじめをうしなう。
かつは置き残して行った寵臣からそこまでうらぎられれば、秀吉のみじめさは救いがたい。
その点からいえば、あの男は十分に成功した、と如水はいうのである。
>>437
 司馬遼太郎の関が原ですね。
 読んだことは無いけど、この文章だけを見ても面白そう。

>あの一挙は、故太閤へのなによりの馳走になったであろう。

 特に、この文はイイですね。
 三成の軍はあれだけの精強な武将をそろえて活躍したのが関が原だけと言うのは
ちょっと寂しい。
 だから馬鹿だと思われるかもしれないが、もしも、その当時の大名で兵の数は同数、
武将は大将を除いて侍大将四名までで、トーナメント合戦をしたら多分、石田隊は
ベスト8まで行っただろうと妄想してしまう。
440無名武将@お腹せっぷく:01/11/12 17:33
>>428
影武者徳川家康では別人ですな。
>>1-440
氏ね
442無名武将@お腹せっぷく:01/11/17 04:52
sudoushinji
443無名武将@お腹せっぷく:01/11/17 06:04
>>433
 「群雲、関ヶ原へ」は、家康の上杉景勝への片思い (藁 が面白い作品
でしたね。三成はあまり印象に残ってないなぁ。

 何と言うか、通説と違って戦意 0 の上杉征伐の雰囲気が良い。正面の
上杉精鋭への恐怖心に加え、いつ佐竹が裏切って後方を遮られるんじゃ
ないかとビクビク進む東軍に萌え (藁。

 主役は家康だと思うが、アンチ家康にも楽しめる逸品です。
444無名武将@お腹せっぷく:01/11/20 12:37
>>439
そちなかなか良い妄想じゃ!
445きんたま:01/11/26 15:17
粗茶でございます
446無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 05:33
dat落ち回避age
447age:01/12/07 23:49
今日、東條英樹の本を読んだ。
事務能力があっても、重要な局面を判断する役には立たないね。
三成はどうだったのかな?
石田三成です
449無名武将@お腹せっぷく:01/12/31 06:12
加藤剛の三成マンセー
450無名武将@お腹せっぷく:02/01/01 18:30
小説として読むならば
 忠義を尽くす石田三成は素晴らしいと思う(個人的)
現実ならば家康につきのいかなー(家族もいますし)
ただ楠木正成などは忠臣扱いなのに豊臣家に忠節を誓っても歴史上はこの扱いは
いかがなものか?
 家康さんのやり方は世間の共感を得られないのは大河ドラマで証明済
451色部長実:02/01/01 20:33
>>435
ワラタ
>>450
禿しく同意。
徳川によって歪曲された歴史はもうたくさんじゃ。
452無名武将@お腹せっぷく:02/01/01 20:45
>428 >440
「花の慶次」でも最後の方にはいい人物として描かれていましたよ。
453無名武将@お腹せっぷく:02/01/03 00:26
仕事は出来るだろうが上司にはしたくないね〜神経質で好き嫌いが激しそう
俺みたいな怠けモンは嫌われるだろうーな?
454無名武将@お腹せっぷく:02/01/03 00:43
>>453
いや、上司には悪くないと思う。もちろん真面目に仕事やってる分にはね(w
むしろ同僚にしたくない。上司にちくりまくり。
455妄想中:02/01/04 03:06
実のところ、
三成以上に家康の首が欲しかったのは津軽為信だな
関ヶ原では家康近くに布陣しながらそんなことを考えていたに違いない。
三成には大恩ある身だし
456age:02/01/17 06:21
石田さんが好きです
457nanashisan:02/01/24 13:06
dat落ち回避age
458sage:02/02/01 12:33
sage
459sage:02/02/08 05:49
sage
460sage:02/02/16 05:56
義理堅いところが好きです
健康マニア
462無名武将@お腹せっぷく:02/02/17 08:16
age
hage
464無名武将@お腹せっぷく:02/02/17 10:15
三成ってあんましいい評価はされてないが
それでこその三成のような気がしてきた。
「愛すべき馬鹿野郎」というイメージ。
下手に評価高めると「奸臣三成」になっちゃいそう。
465無名武将@お腹せっぷく:02/02/17 15:05
石田を過剰に持ち上げる奴の気がしれん。
はっきりいってたいしたことないよ。俺にかかれば一撃。
466無名武将@お腹せっぷく:02/02/17 15:14
石田三成って、学校に例えると同級生のしたことを先生にチクるようなことだぞ
先生からみたらいいけど、同級生から見たら、最低な奴だと見える
消防と一緒にするのは・・・
468無名武将@お腹せっぷく:02/02/19 02:18
>>466
ていうかお前リア厨だろ?
世の中には守るべきルールがあんだよ。
469sage:02/02/22 06:09
上司に良し、部下に良し、同僚に良し、
こんな相方と組んで仕事がして〜よ
470無名武将@お腹せっぷく:02/02/25 10:29
最初はグー
471無名武将@お腹せっぷく:02/03/02 01:00
tubatuketaugewokosuttenioiwokagutokusaiyone
472無名武将@お腹せっぷく:02/03/02 01:40
ゲームの能力値で石田三成の政治が高いのは違う気がする
政治とは人を動かす能力だと思うが三成は人を動かすような
人の心が分からないところがある。
473sage:02/03/05 05:33
>472
民政には優れていたみたいですよ
庄屋に敬語でひらがなの多い分かり易い文書の
納税の仕方の書状を送っていたりしていましたから
474sage:02/03/11 05:49
大河ドラマ主役キボン
475無名武将@お腹せっぷく:02/03/26 20:53
つーか、政治→民政もしくは行政に改めた方が良いと思われ<コーエーを始めとする多くのゲームメーカー。

ところで孔明(正史)と三成が似ていると思うのは漏れだけ?
ほら、忠義者なところや戦略には長けても戦術は拙いとか、
民政や行政に関する優れた能力、兵站の運用など後方支援の手腕を持ちながら、
自ら兵を指揮して戦地へと赴かなければならなかったとことか。
>>475
それはあるかもしれない。
孔明も最初は関羽たちに煙たがられてたみたいだし。
ただ、三成には孔明ほどの才能はなかったって事かな?
あと、戦においては槍や弓を使う戦いには向いてないと思う。
三成の戦法はどっちかと言うと近代戦向きかな?
477sage
大河ドラマ(トシーとマツ)はだれがするんだろう?