1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
ワシで全国制覇した人ここにいる?
試して見ようか?
あなたを死なせて黄忠で統一しました。
結構時間かかりましたよ。
4 :
名無しさん:2001/01/08(月) 12:34
昔ログインでそういう企画あったな。三国志Uで韓玄で統一ってやつ。
ちなみにその企画の冒頭で
>>3のようなやり方は「禁じ手もいいところ。
一気にやりやすくなっちゃうから」とありましたな(藁
5 :
劉度:2001/01/08(月) 12:36
ワシの方がムズイだろ
>あなたを死なせて黄忠で統一しました。
そこを敢えて、というお話では?
でも、放っておいてもさっさと死んじゃうからなぁ。
時間との戦いになっちゃうから、かなり苦しいかな?
>>5=劉度
>ワシの方がムズイだろ
金旋の方がつらいよ。
8 :
趙範:2001/01/08(月) 12:45
おまえらは所詮ザコキャラなんだよ(プ
9 :
劉度:2001/01/08(月) 12:52
10 :
金旋:2001/01/08(月) 13:07
>劉度
あんたのところは刑ちゃんがいるからいいよな...
11 :
劉度:2001/01/08(月) 13:10
>>10 あんたのところにゃ忠臣・鞏志がいるじゃん。(笑
そこまで言うなら暇なのでちょっとだけつきあってやる。
三国志7のシナリオ4「画龍飛翔し赤壁燃ゆ」の韓玄@太守でスタート。
でも、しょっぱなから独立させてもらうからな。
<工作>
207/07
それがしは韓玄だ。今は凡庸な劉表により、長沙の太守を任じられている。
孫権と国境を接する要所であるのに配下には黄忠が1人いるだけで兵もわずか2000人。
これでは死ねと言っているのと同じだ。
それがしは黄忠を巻きこみ独立を企てる事とする。
とりあえず黄忠は義に厚い将であるから親密にして、いざと言う時逃れられぬよう恩を売っておく。
14 :
韓玄:2001/01/08(月) 13:43
<文通>
まずしょっぱなから黄忠と文通をはじめる。
親密度を50にまで育てたところで行動力切れ。来月に持ち越そう。
15 :
韓玄:2001/01/08(月) 13:51
<逢瀬>
親密度50の黄忠と2度ほど顔を会わせる。
少し馳走してやると恐縮しておった。行動力切れ。(黄忠との親密度74)
16 :
韓玄:2001/01/08(月) 13:53
<恩義>
更に2度会って親交を深める。彼もそれがしに心を許すとまではいかないが、
ここ三ヶ月のつきあいをとても恩に感じているようだ。(親密度97)
17 :
韓玄:2001/01/08(月) 14:01
<恩賞>
208/01
劉表「韓玄、そなたは我が勢力に仕えて何年になるか?」
韓玄「20年になりますでしょうか」
劉表「おお、もうそんなになるか。改めてそなたの功に報いねばならぬのう」
韓玄の長年の忠勤に対し劉表から恩賞が与えられました
韓玄の功績と名声がが55上昇しまりました
韓玄は金120を賜りました
おお、これはこれは・・・。劉表殿、何も知らずにありがとさん(笑)
18 :
韓玄:2001/01/08(月) 14:03
<吉報>
な、なんと劉表殿は我が長沙に兵備が不足しているのを見かねてか、
劉表勢最強を誇る、蔡瑁殿と魏延殿と霍峻殿を派遣してくれた。
彼らもともにたってくれると嬉しいが・・・。
19 :
韓玄:2001/01/08(月) 14:11
<独立>
今が時節だ。それがしは黄忠がついてきてくれる事を信じて以下の如く宣言した。それっ。
「劉表に仕えていてはいつまで経っても我らに栄達の道はない
それがしは劉表と袂を分かち、ここに独立を宣言する
劉表に不満のある者は我がもとに集え!」
長沙の韓玄が劉表に反旗を翻し独立して新勢力になりました
20 :
韓玄:2001/01/08(月) 14:14
<君主1人>
あれ?おっかしいなあ・・・。
黄忠がいない・・・。魏延がいない。誰もいない。
どうやら、我がもとにはついてきてくれなかったようだ。
仕方ないので彼をそれがし自ら我が勢力へと誘って見る事にした。
韓玄「黄忠殿、貴殿はその武勇ゆえに疎んじられてはいないか?
劉表殿に反旗を翻し我が陣営に味方すれば厚遇を約束するぞ」
黄忠「貴公に何と言われようと劉表様への忠誠が揺らぐことなどない」
がびーん!
21 :
韓玄:2001/01/08(月) 14:17
<再度>
208/02
再挑戦してみた。
韓玄「貴殿の才能が今の境遇で朽ちていくのはあまりに惜しい
天下万民のために力を貸してはくれぬか」
黄忠「主を変える気は毛頭ない
あきらめてもらおう」
うぬぬ。この恩知らずめが!(やや、それはそれがしの事か・・・)
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/08(月) 14:18
独立記念age
23 :
韓玄:2001/01/08(月) 14:23
<決意>
こうなったら自力で何とかするぞ!
まずはおのれの武力を鍛錬。
政治力や智謀などは二の次だ。武力がなくてははじまらぬでな。
いちに、いちに。
24 :
韓玄:2001/01/08(月) 14:30
<徴兵>
208/04
劉表領土の4都市とそれがしの長沙で洪水が!
なんと言う事だ。しかし、人民の苦しみを聞いている暇はない。
そろそろ軍備を整えないと危ないのである。
嫌がる人民の声をよそに徴兵を敢行だ。
兵士数1500→12610
治安は下がったが、我が名は天下にとどろいた!
そしてやはり残った行動力で武力の鍛錬。
ついに武力は1だけあがって59になったぞ。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/08(月) 14:35
このスレ何気におもろい。
26 :
韓玄:2001/01/08(月) 14:37
あがってた。
でもどうせ平日の昼間だからあげられても誰も見ていないと思う。
<平安>
208/05-06
今月も鍛錬・訓練。武力が60に上昇。よし、人並みだ!
おや、またしても黄忠が面会を求めてきた。
今度はまたしても曹操領である[言焦]の情報を教えてくれた。
さては劉表殿の差し金で、かの強大な勢力に呑まれぬ様、帰参せよとの暗示なのか?
27 :
韓玄:2001/01/08(月) 14:40
またあがっておるな。見てくれている人がいるのは解った。
よきかな、よきかな>25
28 :
韓玄:2001/01/08(月) 14:44
<順調>
208/07-12
武力62へと成長。兵士たちもそこそこ鍛えられつつある。
我が勢力の急成長(?)に恐れをなしてか、
孫権も劉表もそれがしの行動を静観しているようだ。
兵力も2万まで揃えたし。順調、順調。
↑実は粋狂スレッドの粋狂先生なら大笑いだな、5点。
30 :
韓玄:2001/01/08(月) 14:47
<初年>
209/01
独立してはじめてのお正月だ。
当面、かわりなく、武力と兵力を鍛え上げる。
この1年を無事に過ごせるとは思ってもいなかった。
それがしの人徳の所為であるかな。かっかっか。
31 :
張楊:2001/01/08(月) 14:48
32 :
韓玄:2001/01/08(月) 14:50
>29
水鏡先生はそれがしの事をどう見ているのであろうか?
誰か聞いてくれたら、何か褒美をとらせてやろう。
彼が劉表領にいる以上、それがしはお会いできない。
33 :
韓玄:2001/01/08(月) 14:53
>31
なかなかやりおるな。
しかし、それがしは黄忠にすら見限られておる。
早かれ遅かれそうなる運命であるのかも知れないが。
34 :
韓玄:2001/01/08(月) 14:57
<開墾>
209/02-03
我が手勢2万は訓練充分。
我が武力も65にまで成長。
次はいかにすべきであろうか・・・、
しばし迷いつつ、領内で田畑の開発を奨励する事にする。
人民「そりゃ食べるためには畑が必要ですからね、協力させていただきますよ」
韓玄「うむ、ご苦労であった。以前に比べたら田畑も増えたようだな」
35 :
韓玄:2001/01/08(月) 15:07
<治安>
209/04-07
人民に強制労働ばかり強いていると、彼らの不満が領内に広まり、治安が悪化してしまった。
やむをえないので治安を強化すべく、法律を厳しくする。
それにつけても政治力24では治安も開発も捗々しい成果が出ないようだ。
37 :
韓玄:2001/01/08(月) 15:14
<商業>
209/08
我が領は金の収益が少ない。これも何とかせねばなるまい。
それがしは商業地区に資金援助し、その活性化を図る。
しかし、これも思ったほど、効果がでない。
確かに店も増え、人の出入りも前よりはよくなっているのだが、
自慢できるほどではない。
38 :
韓玄:2001/01/08(月) 15:15
>36
ありがたいものじゃ。
しかし、彼が答えてくれる前に
我が命数が残っているかどうかが不安であるが・・・。
39 :
韓玄:2001/01/08(月) 15:18
<乱射>
209/09
武力鍛錬に励んでいるうち、やぶれかぶれに弓矢を放つ技を覚え、
「乱射」を習得。どうせ1人きりなのだから、これで四方八方の敵を討つぞ!
40 :
韓玄:2001/01/08(月) 15:20
<初陣>
来た!孫権軍の侵攻だ。
あの武勇の誉れ高い孫権軍にそれがし1人でどれだけ太刀打ちできるのか
多いに不安は感ずるが、迎撃に出る他にない。
黄忠なしでもこの韓玄はやられはせぬぞ!
孫権軍 4人 52000(総大将・程普)
韓玄軍 1人 20000(総大将・韓玄)
41 :
韓玄:2001/01/08(月) 15:23
とりあえず、それがしが負けるほうに金700だな。
・・・い、いや、そんなことは断じてないぞ!
裏切り者の黄忠ごときがなくともそれがしは絶対に敗けぬ!
42 :
韓玄:2001/01/08(月) 15:26
<開戦>
残30-28ターン
いざいざ!それがしはまず前進し伏兵を試みる。
孫権軍は総軍鼓舞すると間もなく砦を一つ攻略!
43 :
韓玄:2001/01/08(月) 15:28
<策士>
残27ターン
アホがこの韓玄様の伏兵にひっかかりおったわい。
「兵を伏せていた甲斐があったぞ!それ、一気に攻撃せよ」
朱桓を攻撃!しかし、姿を表したのが不幸のもと。
早速、程普の諜報員により部隊が混乱させられる。
策士、策に溺れるとはこの事か!
44 :
韓玄:2001/01/08(月) 15:30
<刺客>
残26ターン
部隊が混乱から立ち直らない。ええい、ものども怯むな!
ん、何かそれがしの背後に黒い影が走ったぞ。
激痛!
「うぐっ!!
く、曲者だ……
で、であえ……い……」
朱桓の差し向けた刺客にわき腹を刺されてしまった。
どくどくとどす黒い血が流れる。(武力は一気に20へと減少)
兵士「やや、殿?いかがなされました?」
韓玄「見ればわかるだろう!それがしは重症を負っているのだ!」
兵士「えっ、そうなの?おーい、みんな、臆している場合ではないぞ」
兵士「なんと、これは一大事!」
45 :
韓玄:2001/01/08(月) 15:34
<後退>
残25ターン
なんとか、兵士の混乱がおさまった。
現在の戦況は
孫権軍49989
韓玄軍13203
圧倒的に不利だ。それがしは傷口を抑えつつ、1歩下がってまたしても兵を伏せさせる。
「よし、うまく隠れた」
46 :
韓玄:2001/01/08(月) 15:39
<攻防>
残24ターン
また馬鹿がやって来たわい。
「それ、姿を現せ!敵は驚いているぞ!」
またしても朱桓に奇襲成功。
かっかっか。ざまあみろ。
それがしは勢いに乗じて、やはり再度下がって伏兵を試みる。
が、今度はどうもうまく隠れる事ができなかった。
これはいかん。敵中とも言える場に来てしまったのに。
47 :
韓玄:2001/01/08(月) 15:42
<占領>
残23-21ターン
凌統がもう一つ、我が砦を占領。
それがしはおかえしに敵が占領しておきながら守りを置かなかった拠点を奪回。
敵の補給線を断つ事に成功。これで敵の士気は阻喪する。
そのまましばし待機。
・・・すると
48 :
韓玄:2001/01/08(月) 15:46
<士気>
残20ターン
攻撃側(孫権軍)が「正面突破」の作戦を達成してしまった!
攻撃側(孫権軍)の士気が100になり、
防御側(韓玄軍)の士気が044になってしまった・・・。
うおお。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/08(月) 15:47
50 :
司馬徽:2001/01/08(月) 15:51
おお、がむばってるのお。
面白い。善き哉、善き哉。
黄忠殿にも見捨てられた瞬間。9点。
韓玄殿とは同一人物ではないので、あしからず。
51 :
韓玄:2001/01/08(月) 15:53
<待機>
残19ターン
傷口も痛むゆえ待機するのみ。
いくら作戦を達成したと言えども、
糧道を断たれた相手の士気は再び下がりつつある
・・・といっても、我が軍と比べれば微々たるものだが。
52 :
韓玄:2001/01/08(月) 15:59
<突撃>
残14ターン
とうとう敵軍が一斉に襲ってき始めた!
いきなり程普部隊の突撃をくらう。
「こ、これはかなわぬ。いったん後退するぞ」
砦より下がる。
あとは退くのみとしようぞ!
どうか追いつかされませんう・・・。
>50
おお、水鏡先生。これはこれは、はじめまして。
せっかくここまで来てくれて嬉しいが、
重症を負っている上、とりこんでおるがゆえ、
まともに挨拶出来かねる!
今はただ、それがしを見捨てた黄忠めを恨むのみじゃあ!
53 :
韓玄:2001/01/08(月) 16:02
<後退>
残13-12ターン
それがしは傷の痛みと発熱に苦しみつつ、ひたすら部隊を下がらせる。
しかし程普の部隊は容赦なく追撃し、統率のとれぬ我が手勢に挑みかかる。
た、頼む!見逃してくれ!
戦況
孫権軍 49066
韓玄軍 2906
20倍近い兵力差にまで追い詰められておるぞ!!
54 :
韓玄:2001/01/08(月) 16:06
<捕縛>
残11ターン
韓玄「くっ、このわしが敵の捕虜になるとは……無念だ」
程普「敵の君主・韓玄を捕らえた!この戦、我らの勝ちだ!」
55 :
韓玄:2001/01/08(月) 16:09
<惨敗>
孫権軍は韓玄軍を打ち破り長沙を占拠しました。
56 :
韓玄:2001/01/08(月) 16:15
<勧告>
それがしは孫権軍の虜囚の身となったしまい、
後備えに陣を構えていた孫権のもとへと送られた・・・。
孫権はそれがしの無残な姿を見て、紫色がかったひげを揺らせて言うのだった。
「韓玄殿、わしに仕えないか?」
57 :
韓玄:2001/01/08(月) 16:16
<拒絶>
韓玄「このそれがしから長沙だけでなく、誇りまで奪う気か!随分と心無い事を言うではないか」▼
58 :
韓玄:2001/01/08(月) 16:17
<落命>
韓玄は孫権に殺されました。▼
59 :
韓玄:2001/01/08(月) 16:19
<合唱>
世に聞こえし韓玄 今ここに散らん……
韓玄の勢力は滅亡し、歴史からその姿を消した……▼
(K)(O)(E)(I)
60 :
韓玄:2001/01/08(月) 16:20
こんな結果になってしまったわ。
黄忠よ。
どうしてお前はいつもいつも、それがしを裏切るのぢゃ!
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/08(月) 16:20
>>56 そこで孫権使えるのが韓玄じゃないの(笑)
( ● ´ 人 ` ● ) なっち、韓玄に合掌。
>(K)(O)(E)(I)
うまい!ワラタ
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/08(月) 16:22
やり直し
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/08(月) 16:24
てっきり投降すると思ったのに。
呉を内側から食い破ってくれるわ((C)浅野温子)
とか言ってれば、格好がつくよ。
65 :
韓玄@余韻:2001/01/08(月) 16:28
そんな根性ないよ。
どっかの趙雲みたいに長続きするの面倒だったし。
だって韓玄だもん。
確かに暇つぶしって最初のほうに書いてるもんね。
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/08(月) 17:25
さぁ、次に韓玄で挑戦するものはいないか?
じゃあ、おいらが、ちょっと暇つぶしで韓玄で滅びをやってみよう。
ただし、おいら実は文才がまったく無いのでつまらないからって石投げないでね。
じゃあ同じシナリオは4で。
ではスタート。
207年10月
韓玄、長沙太守
韓玄「なんかつまんないなー」
黄忠「はぁ?今この国は呉の孫権と隣接しているいわば最前線、やることはいっぱいありますぞ」
韓玄(つーか配下がこの堅物のジジイだけだし、そもそも韓玄は長沙で太守じゃなきゃ
駄目ってのがムカツクんだよな、よし決めた)
韓玄「わかったよ、黄忠、そんな大事な拠点だ、君に任せようとすることにしよう」
黄忠「え?」
韓玄「俺は下野するよ、じゃ〜ね〜」
207年10月、韓玄は下野しました。
韓玄「さ〜て、いきなり暇だな、まあお金は長沙の金3000があるから当分破産しないだろうけどな。」
そして韓玄は中国地図を広げてみた。
韓玄「う〜ん、安定は空白地か、よし旗揚げしたる」
韓玄は放浪を開始した。
安定に到着。
韓玄「よし、ここは巡察をしてやろう、民ども、ありがたく思えよ。」
民A(なんかガラが悪い男だな)
韓玄「ほれ、なんか言いたいことあるんだろ?言えよ、ほれほれ」
民A「く、実は日照続きで作物に水がやれず困っています。韓玄様
どうかお助けくだされ」
韓玄「雨だと?無駄だと思うがやってやろう」
しばらくすると雨がふりはじめた
韓玄「ゲ、マジでふりやがった」
民A「ありがとう、ガラの悪いおっさん」
こうして韓玄は安定で巡察を繰り返した。
そして気がつけば208年3月。
韓玄「よ〜しそろそろ旗揚げするか」
民心掌握が60を逝ったところで韓玄は安定で旗揚げをした。
民「韓玄様、どうかお受け取り下さい」
韓玄「おお、よしよし」
民は韓玄の元に金600と兵糧6000を持ってきてくれたのだった。
208年4月
韓玄「君主になるとやっぱ行動力の回復力がすごいな」
韓玄はその行動力でひたすら巡察を繰り返した。宴会に参加したり、民に教育を
施したり。
民「義勇兵に加わりたいのですが」
韓玄「来ると言うのであればこばまぬ、どんどんこいや」
民「韓玄様、このお金をお使いください」
韓玄「今までねだるだけの馬鹿民だと思っていたが物をくれる心もあるんだな。
もらっておいてやるぞ」
208年6月
曹操軍が攻めてきた。
曹操軍40000
韓玄軍11000
韓玄「ふふふ、曹操、全ては読みどおりだな」
実は韓玄、5月に国庫の金を全て懐に入れていた。
韓玄「鍾ヨウ、張[合β]、徐晃か、くく、まさに計算どおり
さ〜て篭城でもするかの」
徐晃「くそ、同士討ち作戦失敗か」
韓玄(俺が言うのもなんだが、あんた、俺相手に策一つ成功させれないなんて
馬鹿だな」
そして、ついに負けてしまった。
曹操「韓玄殿、わしに仕えないか?」
待ってました、くく、曹操の馬鹿め…
韓玄「喜んで、あなたに仕えます」
208年6月、馬騰、孫権、劉璋から仕官の申し出があったがことごとく
断った。
韓玄「なんで俺がこの最強の環境を捨てなければならない」
韓玄「よし、鍾ヨウに手紙を書くか」
鍾ヨウ「韓玄から手紙?ひどい字だな、なんとかならないものか」
韓玄(クソ)
韓玄「よし、何度も手紙書いたし、これで奴も俺を知ってくれただろう」
韓玄はその足で鍾ヨウに会いに行った。
鍾ヨウ「韓玄、よく来たな」
韓玄「は、屋敷が近くにあったことを思いだし、訪ねてみました。」
鍾ヨウ「襄陽の司馬徽は主蔡瑁に疑念をもってるらしい。」
韓玄「なんよ」(ケ、使えねえ情報)
なんよじゃなくなるほどの間違い。
208年8月
この月も陸遜や馬騰、さらに蔡瑁から誘いがあった。しかあしいずれも断った。
そして…。
韓玄「鍾ヨウ殿、武術の稽古つけてくだされ」
鍾ヨウ「よかろう、ちょうど手があいたところだ」
武力が59に上昇した。
また、この月せこせこためたお金で戦国策を買った。
(政治+7)
韓玄「せこくためた金でアイテムを買う。これぞ醍醐味よ」
208年8月
鍾ヨウ、徐晃の二人で天水を攻略
韓玄「なになに鍾ヨウから手紙とな」
鍾ヨウ「もし、時間があったらで良いから会いに来て欲しい。
私の知ってる情報を教えますよ。」
韓玄「もちろんだぜ」
韓玄はすぐに曹操に願い出て天水に移動した。
韓玄「鍾ヨウどの〜!どうか武術の稽古をつけてくだされ〜!」
鍾ヨウ「韓玄殿…」
武力が60になった。
208年11月
ひたすら鍾ヨウの元を訪ね武術の稽古をしてもらう。
韓玄「今日もお願いします!」
武力は63になった。
209年、4月、馬騰軍安定攻略!
天水に孤立してしまった。
しかし、この天水には徐晃、張[合β]、程[日立]、鍾ヨウ殿、そして
私、気がつけば武力68の韓玄がいるからそう簡単には落ちまい。
韓玄(そういやこの月曹操から威東将軍に任命されたんだっけ、
対した役職じゃないし、関係無いけどな)
いきなり独立しちゃったけど。
韓玄たんって、いまいくつなの。
あ。独立じゃなくって下野だよね。
初代の韓玄たんで混乱しちゃった。てへへ。
#あっけなく殺されちゃった韓玄たんも、おもしろかったけど
#(とくに、わきばら刺されるとこと、なっちまで合掌しに来たところ)
#いきなり、太守の地位を捨て、野に下る韓玄たんも、おもしろくて好き。
209年5月、またまたせこくためこんだお金で六韜を買う
こいつは知力+8される上、神算のおまけつき。
特技罵声しかなかった韓玄にとっては救いであった。
プレイヤー談
>>86 209年だと47歳です。
後、実は
>>68-69は少し実際プレイした内容と違ってます。
実際は独立→下野しました(笑
209年6月
韓玄「なんか鍾ヨウに武力の稽古つけてもらってももう、あまり武力が上がらないな。
しょうがない、もう武力も71まであがったし、次は知力の稽古でもつけてもらうかな」
韓玄は鍾ヨウの元を訪ねた。
韓玄「鍾ヨウどの、武術は結構身につきましたので、今度はこの頭を鍛えてくださらんか」
鍾ヨウ「おお、韓玄どのもついに知性を磨くと言うのですな。よろしい力を貸しましょう」
>>87 ありがとうございます。
少し楽しくなってきたので、もうちょっとだけ続けたいと思います。
====================================
209年8月、横江将軍に任命される。
韓玄「ま、任命してくれるってんなら受けてやるか」
そして鍾ヨウの元にひたすら通いつづける。
韓玄「今日もお願いします。」
鍾ヨウ「(にこり)ええ、良いですよ」
気がつけば知力37まで上昇していた。
韓玄(しかし37で結構上昇したとナレーションが入るワシって一体…?)
209年10月
曹操「韓玄、そなたに少し加増してやろう」
韓玄「ありがとうございます」
金には敏感な韓玄であった。
また、この月、鍾ヨウ殿から城壁の補修を命じられた。
韓玄「なんか忙しくなってきたな…」
>>90 なんか東大受験をあつかった某テレビ番組みたい。
がんばって諸葛亮クラスのスーパー軍師を目指してね。(無理か?)
#近所のスーパーまで見きり品あさりに行ってきます。。。
209年12月
曹操「そなたには横江将軍は重荷だろうな、安国将軍に降格する」
ガーン…とと、でもまあ良い。別に将軍位なんてな。
しかしポーズだけでもがっかりしておこう。
韓玄「それがしを降格するとは我が君は何をお考えじゃ!」
世間の声「あたりまえだろ!!」
ひたすら自己鍛錬を重ねる。
プレイヤーの声
>>92 諸葛亮クラスのスーパー軍師は無理かも(涙)
でもなんとか自己鍛錬を重ねて、そしていつの日か趙雲殿のように…(野望の目)
210年4月
曹操「安国将軍もおまえにはつとまらんな、威南将軍に降格する」
城壁補修と自己鍛錬にせっせと汗を流すわしに曹操が言った言葉がこれだった。
韓玄(このクソったれが!)
曹操「でも加増もしてやろう」
ちろり〜ん
韓玄「ありがとうございます、さすが曹操様、やはり人とは違う英傑ですな!」
210年8月
曹操「威南将軍を解任する!!」
韓玄「これでわしもまた将軍位無しか…しかし将軍位より自己鍛錬じゃ!」
鍾ヨウ「こたびは…」
韓玄「かまわん!鍛えてくだされ、もっともっと強くなりたいですじゃ!」
210年10月
曹操「韓玄、さらに加増してやろう!」
韓玄「きら〜ん、ありがとうございまする。」
鍾ヨウ「良かったですな〜」
韓玄「これもひとえに鍾ヨウ殿のお蔭でござる。もっと鍛えてくだされ!」
97 :
韓玄@死亡:2001/01/08(月) 20:51
そして、212年1月が来た…。
国はますます混沌として孫権、曹操、劉璋が三国鼎立状態になっていた。
馬騰や、蔡瑁、劉備が細々と国を存続させていたが、もう叩きつぶされるのは時間の問題であろう。
私はようやく曹操殿から三品官に任命され、それによって兵も14000率いることが
できるようになった。
そして、この年、諸葛亮が曹丞相に公に昇るように進言したが、
曹操殿はそれを却下なされた。
私は城壁補修をしながらひたすら自己鍛錬にはげんだ。
その結果、私の能力は…
韓玄
最初 今現在
武力 58→71
知力 31→70(+8)六韜所持
政治 24→24(+7)戦国策所持
魅力 16→25
特殊能力 罵声 神算(六韜より)
いつか、私の野望はかなうと信じて、今日も戦い続ける…。
…とりあえず、今日はここまで。また時間があったら再会しようと思う…。
2代目の韓玄殿、面白すぎ。age
99 :
かずま:2001/01/08(月) 21:20
うーん。初代韓玄も、2代目もすごいおもしろいよ。
全部読みましたよ。
次回がかなり気になります。ハラハラドキドキ
>>97 いつのまにやら知力70。
もはや長沙の玄たんとは、ちがうのね。
ではでは、またお時間のある日に。
たのしみに待ってます。
これって7でやってるの?
なんか妙にオモロそうなんだけど。
初代とも2代目さんとも7ですね。
滅びても殺されない限りずっと遊べるから。
ぼか、7は好きだよ。おすすめはしないけれど。
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/09(火) 19:07
2代目韓玄が気になるのでage
104 :
名無しでござる。:2001/01/09(火) 19:22
age
少し時間が出来ましたので再開します…。
212年2月
鍾ヨウ「韓玄よ、騎馬を生産してくれないか?」
韓玄「騎馬を生産?馬を多く捕らえてくれば良いのですな。」
早速わしは馬を多数捕らえてきた。
韓玄「馬をたくさんとらえてきましたぞ!」
鍾ヨウ「おお、さすが韓玄殿、馬を見る眼が…いや…なんと言うか…
よし、騎馬を韓玄に与えよう」
韓玄(…いらないから、わしにか?)
韓玄に騎馬の装備が増えた。
また、この月、商人から三尖刀を買った。
商人「どうでしょうか?良い武器でしょう。」
韓玄「武力2しか上がらないけどな、まあ良い。安い買い物だ。文句も言うまいぞ」
商人「ありがとうございます」
韓玄「所詮紀霊の武器か…最低ランクだな」
商人(所詮…ってあんたが言うな!)
212年4月
曹操「そなたの働きを期待し、軍師将軍に任命する。」
韓玄「は、ありがたき幸せ。」
韓玄(どうせ、すぐ降格するくせに…それより加増せんかい)
わしはすぐに鍾ヨウ殿のところへ行った。
韓玄「また、わしは昇格しましたぞ」
鍾ヨウ「おめでとうございます。」
韓玄「尽きましては、殿に今後も認めてもらえるよう(加増してもらえるよう)
魅力の指南、お願いします」
鍾ヨウ「その魅力をあげたいという心意気(だけ)は良し」
212年8月
鍾ヨウ「武器職人の技術向上につとめてくだされ」
韓玄(またかよ…めんどいなあ…)
そんなある日
曹操「軍師将軍は重荷のようなので威南将軍に降格する」
韓玄(やっぱりな…このクソ曹操が)
鍾ヨウ「曹操殿は韓玄殿が力をつけたことをご存知でないに違いない、
韓玄殿、14000の兵を預けるゆえ、どうかこの天水を守ってくだされ
わしはそなたを頼りにしてますぞ」
韓玄「鍾ヨウ殿…」
213年1月
また諸葛亮がよからぬすすめを曹操(呼び捨て)にしてるようじゃ。
北斗と南斗が名声ベストテンを発表したが、案の定、わしの名前は無かった。
213年4月
兵士「韓玄様の訓練で日増しに強くなっていくな」
韓玄「あたりまえじゃ!」
曹操「韓玄そなたを威南将軍に昇格…」
韓玄「は、ありがたき幸せ、では訓練が忙しいので!」
曹操「あ、韓玄、まだわしの話は…」
韓玄(それで、また昇格、降格の繰り返しかの?いくらわしだってきれるぞ!)
213年8月
曹操「韓玄。日頃の…」
韓玄「はは、ありがたきしあわせ!」
曹操「そなたを…」
韓玄「では、これにて(笑顔でダッシュ)」
曹操「軍師将軍に…お〜い…」
兵士「なにかあったんですか?韓玄様。」
韓玄「なんでもない、訓練再開じゃ!」
その日も何事もなかったように訓練の一日が終った。
213年11月
鍾ヨウ「韓玄殿、兵士の訓練頼む!」
韓玄「ははっ」
鍾ヨウ「わしも一緒に兵士の訓練をいたすゆえ、一緒に頑張ろう!」
韓玄「ははっ…」
そして訓練度がいつもより多くあがった。
214年1月
馬騰軍、長安強襲!
司馬懿仲達他多くの家臣がつかまってしまった。
韓玄「なにやっておるんじゃ、曹操殿は!今更、馬騰ごときに…!」
韓玄(やはり、あの手を…だとすれば!)
韓玄はある所に手紙をだした。
程[日立]「ほほう、韓玄からとな」
…
程[日立]「ほう、なかなか腕に自信があるようじゃな」
程[日立]から返書が来ました。
韓玄「なになに…今度は会ってじっくり話したい…よし!」
214年2月
韓玄「では、あいに行くか!」
…
韓玄「程[日立]殿!」
程[日立]「これは韓玄殿、ゆっくりしていきなされ」
韓玄「かたじけない」
そしてその日をさかいに韓玄は程[日立]の元に足しげくかよった。
お。おかえり>2代目さん
これ見てるとついつい仕事止まっちゃうんだよねぇ。気になっちゃって(w
ちょっと休憩
>>98-100
応援、ありがとうございます。あまり文章力無いので恥ずかしい限りですが、
もうちょい、読んでいただければ幸いです。
>>101-102
そうですね…確かに三国志7は人によりけりだと思います。
「そりゃあ、ねーだろ!」ってのがちょっと多すぎかも(汗
>>103-104
楽しみにしててもらえたようで嬉しいです。
>>115 ただいまです。いやそんな仕事をとめてまで読むもんじゃないです…(照れる)
でも少しでも楽しんでもらえれば自分としても嬉しいです…
==================================
214年4月
曹操「韓玄…て、おい!」
韓玄「え?」
曹操「今わしの顔見て帰ろうとしただろ!」
韓玄「別に…で、また降格ですか?」
曹操「討逆将軍に昇格じゃ…」
韓玄「そうですか…では」
曹操「って…お〜い、もうちょい感激しろよ〜」
もうすでに韓玄いなかった…。
家に帰ってくると、そこに程[日立]からの手紙があった
韓玄「なになに、暇なときに会いにきてくれ…よ〜し!」
程[日立]の元を訪れた韓玄は頼みこんだ。
韓玄「お願いじゃ、わしの知力をあげてくれ!」
214年7月劉璋軍、天水来襲。
鍾ヨウ「韓玄殿、頼みますぞ!」
韓玄「ははっ!」
戦力比 劉璋軍85000
曹操軍96000
韓玄「…なんとか勝てそうだな。」
この時の韓玄の能力は知力87、武力74…誰だ?あんた(笑)
(117はアイテムの能力効果も入れて…です)
残り18ターン
韓玄「よし拠点を押さえろ、敵の補給路を絶ってくれる!」
[广龍]羲「しまった、これでは士気に影響する!」
残り16ターン
韓玄「法正、くらえ!」
法正「しまった!」
韓玄は参軍の法正をとらえた!
残り14ターン
韓玄「[广龍]羲!見つけたぞ!」
[广龍]羲「なに!…なんだ、韓玄か…邪魔だ、雑魚!」
韓玄「ふふふ…それがしはもはや昔の韓玄にあらず、それい!」
[广龍]羲「…なんだと!」
劉璋軍総大将[广龍]羲をとらえました。
曹操軍の勝利です。
鍾ヨウ「今回功第一が韓玄殿である!」
韓玄「よし!」
曹操「韓玄…かなり強くなっていたのだな…よし、そなたを昭文将軍に任命する。
これからも忠勤にはげんでくれ!」
韓玄「…ははっ」(今更見なおされてもねえ…。)
214年12月
曹操「と思ったがやっぱり降格じゃ!」
韓玄「げげ、本音が聞こえてたのか?」
そして、その月、馬騰軍が攻めてきた。
馬騰軍、兵99000(援軍含めて)
曹操軍 兵99000
ほぼ互角の戦いであった。
韓玄「…馬騰軍か…よし、本陣を強襲する!」
なにげにおもしろい。
残り24ターン
韓玄「よし、本陣を占拠したぞ!」
韓遂「なに、本陣が占拠されただと…誰がそのような…韓玄だと?
馬鹿な!あの愚将が…!」
残り16ターン
韓玄「韓遂!覚悟!」
韓遂「馬鹿な!信じられない…信じられない!」
敵の総大将韓遂をとらえました。
鍾ヨウ「我が軍の勝利じゃ!こたびも功第一は韓玄ぞ!」
韓玄「はは」
そして翌年の一月…。
鍾ヨウ「よし、馬騰領安定を攻める!」
韓玄「ははっ!」
曹操軍85000
馬騰軍37000
街亭の戦いがはじまった…!!
残り20ターンで馬騰軍は安定城内に退却した…。
そして…安定陥落!!
鍾ヨウ「今回の功第一は法正殿じゃ!」
法正「ははっ」
韓玄「さすが、法正殿…やはり知力の差か…」
そして一月は、安定で過ごすことになった。
韓玄「…思うに…わしの寿命は後、何年…」
215年1月現在。
韓玄 年齢53歳
韓玄
最初 212年 215年1月
武力 58→71→→→72
知力 31→70→→→82(+8)六韜所持
政治 24→24→→→24(+7)戦国策所持
魅力 16→25→→→60
特殊能力 罵声 神算(六韜より)
親友 鍾ヨウ(安定太守)、程[日立]。
==============================
今日はここまで。
また時間があったら続きをしたいかなと思います…。
>>124 ありがとうございます。
そう言ってもらえて嬉しいです。
うーぬ、下手すると曹操より早く死んでしまいそうですな。
寿命が最大の問題ですな。寿命。
130 :
趙範:2001/01/10(水) 02:44
ワシも天下統一を目指すぞ。
『三国志Z』シナリオ4 史実モードの初級じゃ。
応援 夜露死苦!
131 :
趙範:2001/01/10(水) 02:57
まずは、桂陽を我が手中とする為に『巡察』を行うか。
む!? 野盗が出没して桂陽の民草が嘆いておる!
ワシが見事に退治してくれようぞ!
ふはははっ! 野盗などちょろいものじゃ! 軽く蹴散らしてやったわ!
次は、部将のホウ隆に『手紙』を5枚程まとめて送ってやろう。
これで、親密度50になったぞ。
132 :
趙範:2001/01/10(水) 03:05
此度も、『巡察』を行う事にしよう。
む!? 学問を教えてくれだと?良いだろう。
桂陽の麒麟児と謳われたワシが手解きをしてやろう。
ふむ。浅学な民草は満足して帰っていったぞ。
部将の呉巨にも『手紙』を大量に送り付けてやろう。
新密度50になったようだな。
太守らしいこともせねばなるまい。
ホウ隆、呉巨に命じて『治安』を行うか・・・。
何っ!? わずか8しか上昇せんではないか・・・仕方が無いか。
133 :
趙範:2001/01/10(水) 03:14
さて、無事に年も明けた事だし・・・
お!? 劉賢と?道栄が移動してきよったぞ。
こやつ等にも、『手紙』攻撃じゃぁ!
134 :
趙範:2001/01/10(水) 03:21
208年4月、あの公孫康が曹操めに降伏しよったわ。
根性の無い奴じゃ。同じ『漢』として情けないわい。
ワシの方は独立に向け、部将達との親密度を上げておる最中じゃ。
同時に、内政、軍事を執り行い桂陽を豊かにしておる。
独立して、即攻め滅ぼされてはネタにもならんからな。
sageでやらんのか?
136 :
趙範:2001/01/10(水) 03:29
208年7月、桂陽も随分豊かになってきたわい。
開発90 商業60 治安91 まで上昇したぞ。
独立の時はもうまもなくじゃな。
む!? 『探訪』の結果、上庸で申儀という名の将を発見。
上庸は空白国なので、誰かに登用される心配は無いな。
『手紙』を送って、新密度を上げておくとしよう。
137 :
趙範:2001/01/10(水) 03:38
208年10月、いよいよ決起の時じゃぁ!!!!
零陵の在野 劉巴にも『手紙』を送り新密度を上げ『独立』!
「劉表ごときに任せていては天下泰平は訪れぬ!
志ある者は我に続け! 我が許に集うのじゃ!」
なんと・・・劉巴のみがワシの呼びかけに応えただけか・・・。
自分の人望の無さが少し悲しいぞ。
だが、配下の将が居ない訳ではない!
黄忠に見捨てられた韓玄に比べればまだまだマシなはずじゃ!
138 :
趙範:2001/01/10(水) 03:43
劉巴に『俸禄』を与えて忠誠度を上昇させるか・・・。
おおっ! 劉巴は 知力78 政治76 を有する良将ではないか!
知力38 のワシに比べれば天才! 早速『軍師』に任命じゃ!
139 :
趙範:2001/01/10(水) 03:54
209年1月、あの劉表が死去しその跡をカイ良が継ぎおった。
どうやら、後継者問題のドサクサで奴が跡目を奪ったのか?
まあ、この混乱に乗じて優将を引き抜いてやろう。
・・・誰も、ワシの配下にならぬとは・・・。
140 :
趙範:2001/01/10(水) 04:08
209年10月、さすがは軍師 劉巴じゃ!
見事に襄庸から名将 李厳を引き抜いたぞい!
おや? 李厳の方が知力が高いではないか。
よし、軍師を李厳に変更じゃ。
徐々にではあるが、我が軍も形になってきたではないか。
141 :
趙範:2001/01/10(水) 04:14
おおっ! さすがは李厳!
上庸の太守 鳳雛ことホウ統殿の引き抜きに成功するとは!
部将 申儀、申耽も我が軍に加わった。
しかし、上庸は兵士数0で敵の領土に囲まれておる・・・。
なんとかならぬものか・・・。
142 :
趙範:2001/01/10(水) 04:25
210年4月、漢中の張魯が曹操の軍門に下った・・・。
これで上庸は、強大な曹操領と面してしもうた。
ホウ統の手腕により兵士数は二万近くはあるが、曹操軍に攻められてはひとたまりも無いな。
143 :
趙範:2001/01/10(水) 04:30
210年7月、なんと曹操が軍門に下るよう使者をよこしてきおった!
ワシは、腰抜けの公孫康や、張魯とは違うのじゃ!
『使者を斬首する』の選択が有れば、そうしてやったものを!
144 :
趙範:2001/01/10(水) 04:44
211年3月、カイ良軍支配下の零陵へと軍を進める!
総大将はこのワシ 趙範(武力50、兵士数20,000)
参軍に軍師の李厳(武力76、兵士数14,000)
部将として、劉巴(武力64、兵士数12,000)を従軍させる。
総勢46,000である。
対する零陵は、劉度を太守に30,000程度の兵士数しかない。
注意すべきは、呉巨(武力68、【無双】を有する)のみ。
我が、趙範軍の初戦の相手としては丁度良い!
145 :
嫣覧&戴員:2001/01/10(水) 04:44
ちょっとかくまってくだせぇな!
146 :
趙範:2001/01/10(水) 04:54
戦術は、李厳の提案に従い『正面突破』を選択する。
李厳、劉巴が敵将 劉賢を撃破。
城に篭る太守 劉度を李厳が混乱させ一斉攻撃!
劉度を撃破し『正面突破』を達成させる。
呉巨の部隊は士気が崩壊し退却。
零陵攻略戦は、見事に勝利に終わった!
sageでやれば?
148 :
趙範:2001/01/10(水) 04:58
戦後処理で、劉度、劉賢親子が配下に加わる。
149 :
楊齢:2001/01/10(水) 04:59
皆それがしの事を忘れてはおらぬか?
文官としては優秀だったのだが…おのれ光栄!
150 :
趙範:2001/01/10(水) 05:02
ふはははっ! 見たか我が軍の強さ!
おやっ? 誰も居ない桂陽をカイ良軍が攻撃してきただと!
くぅ〜。桂陽を奪われてしもうた・・・。
151 :
趙範:2001/01/10(水) 05:21
212年2月、上庸が曹操軍に攻められた。
ホウ統、申儀、申耽は曹操に捕らえられるが解放され零陵に戻ってきた。
早速、ホウ統を『軍師』に任命しようかの。
ふふふ・・・。【神算】【鬼謀】を有するホウ統が手駒に有れば、荊州を支配下に置く事など造作もないことだな。
曹操め! 今に見ておれ! 必ずやその細首討ち取ってやる!
152 :
趙範:2001/01/10(水) 05:35
212年5月、カイ良の支配する武陵へ進軍!
武陵は太守 司馬徽が守る兵士数は60,000程度。
対する我が軍は、総勢10万の大軍勢!
総大将 趙範(武力56)に、参軍 ホウ統(武力71)
李厳(武力76)劉巴(武力64)劉賢(武力61)
申耽(武力59)申耽(武力59)を従軍させる。
カイ良軍恐れるにあらず!
153 :
趙範:2001/01/10(水) 05:46
戦術は、軍師 ホウ統の提案に従い『右迂回』を選択。
カイ良軍の先鋒 蔡勲を李厳、申儀、申耽が撃破!
しかし、敵軍に援軍が現れる(黄忠、魏延、蔡ボウ、蔡和、馬良)!
カイ良軍の兵士数が12万を越す大軍団になる。
砦を守る 王威を李厳、ホウ統、劉巴、劉賢の一斉攻撃で撃破!
154 :
趙範:2001/01/10(水) 05:52
驚愕の新事実発覚!
なんと孫権軍からも援軍が出撃していた(徐盛、朱桓、韓当、顧擁、孫喩)!
カイ良軍と、孫権軍はちょっと前まで戦争していたはずなのに!
カイ良、孫権連合軍の総兵指数は18万に・・・!
155 :
趙範:2001/01/10(水) 06:05
ホウ統の『混乱』で蔡和を混乱させ、李厳が無理矢理一騎打ちで倒す。
劉賢、劉巴の部隊で孫権軍を足止めさせる。
趙範、申儀、申耽の部隊で敵の本拠地に篭る司馬徽を狙うが、呉巨、張南の2将に邪魔され進めない。
孫喩が、我が軍の補給路線を絶ってくる。士気がさがる・・・。
ホウ統の『虚報』が成功! 金旋が撤退する。
劉賢が、朱桓に撃破される。劉巴も残兵数1,000弱に。
趙範が、敵将 張南を撃破!
劉巴、朱桓に撃破される。
156 :
趙範:2001/01/10(水) 06:25
李厳が黄忠、魏延の攻撃で残兵数2,000を割る。
破れかぶれで、李厳が豪将 魏延に一騎打ちを挑む!
予想どうり敗北。奇跡は起きず・・・。
ホウ統が『伏兵』を駆使し、蔡ボウと交戦。
申儀が、呉巨に撃破されるが、敵将 司馬徽を趙範、申耽がついに撃破!
ホウ統が、黄忠、魏延、蔡ボウの一斉攻撃の前に屈する。
『右迂回』を達成させるが、カイ良軍の士気は0にならず・・・。
申耽が、呉巨、馬良、韓当に撃破される。
趙範(兵士数1万弱)vs連合軍(総兵士数12万以上)絶望的!
趙範が馬良に『混乱』させられる。
呉巨、混乱した趙範に攻撃してくるが自滅。
魏延、韓当、馬良の一斉攻撃! もうダメだ・・・(残兵数4,000強)。
趙範軍は、カイ良、孫権連合軍の前に敗北した・・・。
157 :
趙範:2001/01/10(水) 06:32
零陵に帰れたのは、趙範、李厳、劉賢の3将のみ・・・。
ホウ統は、カイ良の軍門に降る。劉巴は、孫権の配下となってしまう。
申儀、申耽の2将は斬られた・・・。
趙範軍の残存兵士数18,000・・・。
158 :
趙範:2001/01/10(水) 06:47
212年7月、武陵のカイ良軍が、零陵に攻撃を仕掛けてきた!
乱世の甘雄と謳われた趙範に滅亡の時が訪れようとは誰が予想できた事か!
敵将は、魏延、ホウ統(!)、諸葛亮、王威、蔡和、呉巨の6将。総兵士数7万強!
しかも、桂陽から援軍が出撃している様子である。
対する我が軍は、趙範、李厳、劉度、劉賢の4将。総兵士数42,000。
159 :
趙範:2001/01/10(水) 07:03
しかし、このワシがそう簡単に破れる訳にはいかない!
本拠地の城を空にして全軍で撃って出るが、カイ良軍は、次々と拠点を落としていく。
しかも、カイ良軍に援軍が到着(ケイ道栄、蔡仲、韓玄)。
韓玄・・・ここで現れるか?
しかし、ワシには秘策がある!
敵の陣地や、敵に奪われた拠点に李厳、劉度、劉賢を移動させ士気を下げさせる。
そして、この趙範は『伏兵』して、戦場の端っこに隠れる!
なんとCPUのルーチンは、『伏兵』した相手の居場所が分らないのだ!
戦術『正面突破』や『右迂回』を達成して、士気が0でなければ総大将を狙う。
と、いうルーチンが有るようであり『伏兵』する事によりCPUは動けなくなるのだ!
あとは、カイ良軍の士気が0になるのを待てば良いだけなのだ。
面白いんだけどsageでやったほうがいいと思うよ
161 :
趙範:2001/01/10(水) 07:09
カイ良軍に『包囲』を達成され、士気が0になってしまった!
何故だっ!? 20くらい残るはずなのに・・・。
しかも追撃されて、李厳がケガをして、劉度が捕まってしまった!
零陵の攻城戦に突入・・・城門防御力はわずかに180・・・。
3ターン目で城門を破られた・・・。
162 :
趙範:2001/01/10(水) 07:13
カイ良に、配下になるように言われるが拒絶!
解放された・・・。
この後を続ける気力が無いのでここで終了する。
空も白み始めたし・・・鬱なので逝ってきます。
韓玄さま敵がせめてきました。
ガーン!!
げえええん!!
座布団1枚。
164 :
韓浩:2001/01/10(水) 07:38
さすがは兄上。
sageずに頑張る趙範に止めを刺すとは(藁
次は、金旋、劉度で誰かやってくれ。
128の韓玄殿の続きが待ち遠しい!!
166 :
かずま:2001/01/10(水) 14:54
本当に待ち遠しいねー。2代目韓玄・・・
全体的な勢力図はどんなんでしょ??
2代目さんはジョークのセンスが微妙にいいよな。
趙範さんのは、最初は「おやおや」って思ったけれど、
見てみるとそれなりに面白かった。まさに乱世の梟雄だね。
俺も嵐世記が出たらリプレイやらせて頂こうと思う。
どうせ、三國志[が出るのはずっと先だろうしね。
168 :
張良:2001/01/10(水) 15:22
能力値が武力80知力80政治80魅力80だけど韓玄。
能力値武力58知力31政治24魅力16韓玄のようだけど実は関羽。
殺すならどっち??
>>168 両方とも殺すのが正統派
両方とも登用してしまうのがゲーマー
なになに? ヘボ武将でリプレイするの流行ってるの?
専用スレとかたてないのか?
定時になったので見にきました。
趙範でもやってるのね(w
楽しんで見てるので頑張ってね>お二方
>>170 とりあえずここでいいんじゃない?あんまりゲームスレ増えると
ウザがられるだろうし。
172 :
楊修:2001/01/11(木) 00:06
荊州南部4太守での攻略(特に韓玄)は苦しいですな。
独立をした際、配下武将が1人もいないと何もできませんからね(Zの場合)。
初代韓玄殿の様にジリ貧になってしまいますから。
趙範殿の様に空白国を探訪し、在野武将と友好を交わすのは良策だと思います。
調べによりますと、上庸の申儀、申耽に、雲南の孟獲、祝融といった将が野に埋
もれております。特に、南蛮地方の異民族の武将は豪傑が多いですな。
彼ら市井の名将を訪ね、独立のときに協力を仰げば「君主1人きり」という状態
が防げるでしょう。
しかし、2代目韓玄殿の様に下野し、優れた将に師事することも良い選択に見え
ますがお勧めは致しません。
独立までに時間をかけると、それだけ自身が不利になります。
浅学な意見ですが、どうぞ天下統一の良き助言になれば良いと考えます。
では、曹植様に“かんにんぐぺーぱー”を持っていく途中なので失礼します。
173 :
韓浩:2001/01/11(木) 00:57
うおおぉぉぉ!
すると2代目の兄者は、歴史の波に飲み込まれる運命なのかぁ!
2代目兄者ぁ! 頑張れぇぇぇ!
174 :
千巻一成:2001/01/11(木) 23:14
2代目復帰期待age
このスレの面白さに感動して、「三国志VII」かっちゃいました。
X1版の「三国志」以来だから、10年ぶりくらいか。
これからがんばります。
>ALL
もしこれが後衛社員の自作自演ならこれほどまでに確実で効果的な宣伝方法はないだろう。
215年1月。
韓玄「う〜む…」
韓玄は中国の地図とにらめっこしていた。
現在勢力比
曹操…23国
孫権…15国
劉璋…9国
馬騰…3国
劉備…2国
士燮…1国
蔡中…1国
韓玄「曹操殿が約半数の国を占めておる。だが、もう少し国をとってもらわねばな」
きらりん、韓玄の目が光った
韓玄「そうじゃな…そろそろ曹操殿と親交を結ばねばな。わしの手紙も曹操殿が
読んで投げ捨てるって事はないじゃろう。」
わしは早速曹操殿に手紙を書いた。
曹操「おお、安定の韓玄からか、なになに…今度あってみるのも良いかもしれん。」
韓玄(よっしゃー!)
そして、その月、劉璋が攻めてきた。
鍾ヨウ「韓玄殿、丞相から天水を救援するよう命令が下った!」
韓玄「天水には、程[日立]殿がいるな…わかった!必ず劉璋軍を撃破してみせます!」
わしは天水にかけつけた。
劉璋軍、65000
曹操軍。救援軍含め87000
韓玄「劉璋もしつこいものじゃ、だが!わしの出世の試金石になると思えば礼ぐらい
いわんとな!」
残り16ターンで敵迂回左の作戦を達成する。兵士数こそ二倍の差を
つけているが士気ががた落ちになる
韓玄「く、まさか張魯殿がこうもやられるとは」
それにより味方に敗走する連中が出てきた。
残り5ターンでやむを得ず天水退却。
韓玄「しかし残り5ターン…なんとか城はもつだろうが…程[日立]どのが…!!」
程[日立]は敵の呉班にとらえられていた。
しかも…
張横「表に出て総攻撃じゃ!」
呉班「馬鹿め!」
総大将張横がつかまりました。天水は占領されました。
韓玄「馬鹿が!」
唯一の救いは程[日立]殿が無事釈放されたことだった…。
215年2月
わしはついに曹操殿に自ら会いに行った、
曹操「韓玄よ、よくお前のほうから会いに来てくれた」
韓玄「は、曹操様もお元気そうで」
曹操「よいよい、ゆっくりしてゆけ」
韓玄(…しかし、俺も曹操に会いに行って0会えるほど成長したのだな)
少し感慨ぶかげな韓玄であった。
215年3月
曹操「韓玄よ、この蛇矛を受け取るがよい」
韓玄「こ、このような物を…(おいおい、武力+5になる逸品じゃねーか)」
曹操「後、そなたを鎮軍将軍に任命する。これからもよろしく頼むぞ!」
韓玄「ありがたきしあわせ!」
韓玄(なんだ、殿と仲良くすればこんなもの、もらえるんじゃん)
もっとはやく曹操を仲良くしてればと思う韓玄であった。
215年7月
使者「韓玄殿も是非、漢詩大会に参加してくだされ」
韓玄「なんと…わしが漢詩大会に!」
なみいる諸葛亮や荀[或〃]、そして程[日立]殿を見て
韓玄「わしもついにここまで来たか!!」
そう思うと本当に感慨深げであった。
結果は諸葛亮の大勝だったが、わしはそれなりに満足していた。
215年8月
曹操「降格!」
韓玄「なんでやねん」
曹操「なんとなくじゃ!」
韓玄は安遠将軍に降格した。
韓玄「…曹操め…今にみてろ…」
そしてこの月…安定に馬騰が攻めてきた。
相手は12万の軍勢。こちらは9万。
しかし
韓玄「馬鹿ばっかの馬騰軍など敵ではないな。参軍に司馬懿仲達がいるか。
だが!!」
残り14ターン
混戦は続いていた。
我が軍もじりじりと兵を減らしていた…。
韓玄「みつけたぞ!馬騰!」
馬騰「韓玄だと!」
韓玄の突撃の前に馬騰はついに力尽きた。
韓玄「よし、戦功第一だな!」
鍾ヨウ「よくやった、韓玄殿。そなたのおかげで安定は守られた」
216年4月…。
曹操「そなたを2品官とし、あわせて軍師に任命する。
荀[或〃]「韓玄殿の才はきっと私の10倍はあるでしょう」
韓玄「ついに…ここまできたか…」
長かった、一つの歴史が今幕を下ろそうとしていた…。
216年6月
陳留にて…
曹操「韓玄よ、どうした?」
韓玄「曹操様、一時的に曹操様の軍勢を私にお預けください。私が曹操様の軍勢を
訓練いたしますゆえ、曹操様は今月くらい、ゆっくり休養されてはいかが?」
曹操「う〜む…」
韓玄「曹操様は働き過ぎです。このままではお体を壊さないか心配です。」
曹操「わかった、よきにはからえ」
その夜…。
「敵襲!」
曹操「何事だ!」
「韓玄殿、謀反です!」
曹操「そうか…奴は来たときからすでにこれをたくらんでいたのか…」
曹操「是非も無い!」
曹操軍わずか1000、対して韓玄軍17000。
勝負はすでに決まっていた。
こうして英雄、曹操は消えていったのだった…。
韓玄「曹操の首をあげたか!」
「ハッ」
韓玄「そうか…わしを馬鹿にしたむくいじゃ…このスレッドはわしで全国制覇した
人いる?という問いかけのスレッドなんじゃよ…」
こうして韓玄は魏をまるまる乗っ取ることに成功した。
だが、因果は巡りに巡ってきた。
216年7月
韓玄「ま…まさか…一月天下なんて…でも韓玄らしいかも…ぐふ…」
韓玄死去、享年54歳
最終領土
韓玄22国、孫権16国、劉璋8国、劉備4国、馬騰3国、士燮1国
最終能力
知力91(+10)遁甲天書、武力72(+10)倚天の剣、政治31(+7)戦国策
魅力62(100)玉璽
特技
罵声、反計、強行、水攻、神計、鬼謀
190 :
韓玄@死亡:2001/01/13(土) 18:20
>応援してくれたALL
ありがとうございました。実は書き溜めしておいて、それを掲示板に書きこんでます。
いや、やっぱ繋げっぱなしは結構きつい。
しかも家のPC馬鹿なので、一度、接続をきると、再度電源を入れなおすまで
接続できなかったりするので…。
ともかく、期待してくれた方、応援してくれた方感謝です。
>三国志7について
個人的にはすごく好きです。でもその一方で「韓玄が魏をのっとれるわけないだろ」
と思われる方とかにはあまりお勧めできないです。
やっぱ、いくらifの世界でもちょっと無理ありすぎかな…とも思うので。
個人的にはすごく好きなんですけどね…。
これで、完結です。
やっぱ趙雲さんのようにうまく面白くは出来ないです(笑)
191 :
かずま:2001/01/13(土) 19:07
ぱちぱちぱちぱち ご苦労様でした。
大変のもろかったです。
曹操のなんとなくじゃーは爆笑でした。
ところで、3代目は??出現する??
192 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/01/13(土) 19:15
>韓玄@死亡
なぜ亡くなったのですか?病死、それとも戦死?
それにしても韓玄らしい最後ですね(笑)
>>192 病死です…。本当韓玄らしい最後でした…(笑)。
>>191 応援、ありがとうございます。
三代目出現するのかな?少し楽しみかも。
194 :
どーでもいいことだが。:2001/01/13(土) 20:52
いや、本当に面白かったです。
おかげで、レスにもありましたが私も
Zを今日買っちゃいました。
>>194 ありがとうございます。
楽しんでもらえたみたいで良かったです。
このスレ読んでZを買ったんですか。
…三代目してみます?
面白かったですよ!
三代目はもうネタが切れているでしょうから、
次は全く違ったキャラクターで誰か挑戦して欲しいですね。
孟獲や祝融なんかねらい目じゃないですか?
(ちなみに三国志5や6で内政をしないで侵略と略奪ばかりで
遊んだときが何より滅法面白かった。途中で挫折してしまったが)
197 :
千巻一成:2001/01/16(火) 23:10
お疲れ様でした>二代目
大変面白く読ませて頂きました。
思わず買いそうになるほど面白かったなぁ(^^;
だれか私の購買意欲促進のため(笑、更なるリプレイをしてくださいませ〜!!
何かリクエストは?
姜維とか面白くない?
199 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/01/17(水) 03:06
ここ面白すぎ
7欲しくなった
200 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/01/17(水) 09:02
>198
姜維ラク過ぎ。
201 :
三国志Z:2001/01/17(水) 10:37
りゅうぜんは??
難しいと思うが??
おもしろかったです。今度は誰がいいかねえ
203 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/01/17(水) 22:53
是非とも曹豹で
このスレ楽しいですね〜。
早く次の将の活躍が読みたいです。
(個人的には献策により影で暗躍する郭嘉など。早死にだし)
そうひょういいなああ
206 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/01/18(木) 14:10
魏延とかいいんじゃない。
劉備にだけは忠義を尽くす。
他の人には徹底して裏切りまくるとか。
とにかく後期の武将での活躍が見たい。
207 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/01/18(木) 15:10
鍛錬はある程度制限した方が面白いと思う。
呂蒙とかならゆるせるが。
PUKで鍛錬&手紙制限して、弱小武将でプレイきぼ〜ん。<辛すぎ
209 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/01/19(金) 10:12
強くても展開が面白そうな奴がいいと思ふ
210 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/01/19(金) 11:41
シナリオ6の魏延は結構面白くなりそう。
最初から太守だから色々出来るしね。
211 :
島田紳介:2001/01/19(金) 12:34
紳々でやってー。
212 :
松本竜介:2001/01/19(金) 12:43
龍々でやれい。
魏の徐庶で内部崩壊を狙って見て欲しい。
蜀の黄皓でもいいが、
黄皓の場合、権力を握れそうにないのが欠点。
214 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/01/19(金) 16:47
鐘会で蜀乗っ取りとか。
215 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/01/19(金) 17:28
史実を模したリプレイもおもろそうだね。
例えば劉備で、黄巾の乱から白帝城まで史実とおりやるとか(藁。
216 :
名無しさん@おかずいっぱい:2001/01/19(金) 23:11
217 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/01/20(土) 01:49
実は、三国志1では経験とかいう軍師にはなれないが知力にかわるパラメータがあって
韓玄ってこれが初期状態でも高かったから結構使えたんだよね。
218 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/01/20(土) 13:25
>217
初期状態はみんなゼロじゃなかった?
内政とかするとあがっていったんだとおもう。
219 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2001/01/20(土) 14:06
>217
経験値+能力だから、経験値100の人間は
経験値0のALL100より強いことなるね。
220 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/01/22(月) 05:40
221 :
水鏡:2001/01/23(火) 01:21
よきかな よきかな
何なら今から三国志6でやろうかしらん。
プレステのしか持っていないけれど。
シナリオ5 207年 7月「臥龍と鳳雛」
はじめよっと。
ぱちぱちぱちぱち・・・。
(ナレーション)
曹操が河北を統一し、南下を進めようとしている頃…。
韓玄は劉表に仕えて長沙の地を治めていた。
長沙では戦乱も少なく平穏な日々が続いていた。
黄忠「閣下、お話がございます。よろしいでせうか」
韓玄「おう、これは黄将軍。何のようだね?(また、この堅物か)」
黄忠「孫権がこの長沙の地を狙ってゐると聞きます。どうか充分な備へを」
韓玄「何かと思へば・・・。わかつた、わかつた。その話は昨日も聞いたわ」
互いの心中
黄忠:本当にわかつてゐるのだらうか
韓玄:このゲームぢや武将の数に応じた兵士しか率ひられないのに備へも何もねえよ
207 03(ゲームスタート)
現在、この韓玄が勢力は長沙ひとつのみ。
宗主に劉表様を仰ぎ、南の桂陽には趙範、西の武陵には金旋、零陵には劉度がいる。
我らは屑太守…もとい、名太守としてこの辺境の地を代々守り続けておる。
そして、東には6都市を支配する孫権が曹操の南下に殺気立っている。
韓玄「ううむ、怖いものよのう。
ここはひとつ、黄将軍の言う通り、我らも富国強兵と参らねば」
黄忠「それならばそれがしに策が御座います!」
韓玄「うお、そこにおったのか!して、策とは何か」
黄忠「コーエーゲームは代々、武将の数が戦略を決めると言うのが伝統にございます。
さればでござる。ここは人を集めるのが一番の上策。
それがし、1人見知っているものが居ますので彼を取りたてて見ましょう」
韓玄「うむ、そちにまかす」
まずはじめに黄将軍(ゲーム上は無官)が謝旌を登用。
謝旌「犬馬の労をも厭いませぬ」
韓玄「うむ、家畜のように働かせてやろう。励むがよい」
謝旌「(なんだ、こいつ)」
わしは彼らと友にまずは領土の開発に取り組む事にした。
207 04 (早速、我らを襲う国難が!の伝)
黄忠「長沙、零陵、桂陽にて疫病が蔓延しております!」
韓玄「劉表に徳がないのだな」
人民「お助け〜」
韓玄「聞こえんな」
黄忠「おや、何者か現れましたぞ」
謝旌「韓玄様、天子より密使が派遣して参りました」
使者「現在、漢室の窮乏著しく衰退の一途を辿るばかりである。
そこで韓玄よ、金2000を朝廷に納めてくれぬか」
韓玄「(おお、ここで従えば金は失せるが朝廷より位はもらえるぞ)
おお、何と言う事だ…。陛下のご苦労いかばかりか。承知致す」
黄忠「うーん、天子様ってあの曹操のもとにおわしますから、
貧乏って事はないでしょう。これはきっと曹操の陰謀ですぞ」
韓玄「うるさい、だまれ。ここで位をもらえれば、
お前達を正式に将軍に任ずる事が出来、動員兵力が増えるのじゃ。
そちが言っておった富国強兵の為には良策と心得よ」
人民「か、韓玄様あ〜」
207 しばらくの月日(我が力量の伝)
とりあえず、内政に励む事とするので、
しばらくは韓玄が能力を見てお茶を濁してくれ給え。
統率 43 武力 58 知力 19 政治 21 魅力 24 (年齢 57)
夢:維持 特技:虚報、一撃
207 08(劉表と曹操が同盟の伝)
我が宗主・劉表殿が曹操からの申し入れにより、曹操と同盟した。
一方でわしは傅[丹彡]を登用。
ともに治安と商業の発展にあたる。
207 10(劉表、病没の伝)
劉[王奇]殿がその後を継いだ。
韓玄「おお、おいたわしや。しくしく・・・」
黄忠「嘘泣き、やめ(冷やか)」
韓玄「何で解った」
黄忠「血も涙もない我が殿がどうしてこれしきの事で涙を流そうか」
韓玄「そういうそちも余り哀しげではないのう」
黄忠「おっと、ご報告を忘れていましたが傅士仁を登用しましたぞ」
韓玄「・・・話をそらすなよ」
207 12 (劉備、曹操の攻撃を受けるの伝)
曹操の計略で軍師・徐庶を失った劉備のもとに曹操の軍勢が!
麋芳の裏切りにより、劉備勢は壊滅し、ほうほうのていで宛から新野へと逃亡。
宛の太守には麋芳がついた。
韓玄「曹操殿のやり方はおっそろしいのー。麋芳も汚い奴ぢゃ」
黄忠「明日はわが身と心得なさいませ」
韓玄「…どういう意味じゃ、おい」
208 03 (臥龍孔明、三顧の礼に応え、劉備に臣従を誓うの伝)
韓玄「やけにうざい歴史イベントが続くと思ったが、
結果、劉備殿が孔明を得、一方、劉[王奇]殿は
馬良と馬謖を得たようだの」
黄忠「我が陣営にも優れた軍師が必要ですな」
韓玄「そうじゃな。そちらのような無能者だけで国は守りがたいゆえ」
黄忠「・・・(あんたが一番無能だろ)」
208 04(江夏に孫権軍が押し寄せ、劉[王奇]殿に援軍の伝)
黄忠「殿! 劉[王奇]様からの使者によりますと江夏に孫権軍が押し寄せようとしています!
ぜひ、使者殿の仰る通り、援軍を!」
韓玄「うむ、あそこが取られては困るな。
よし、黄忠、出陣を許す。参謀に傅[丹彡]を連れて行け。ないよりマシだ」
黄忠「はっ!」
(西塞山の戦い)
孫権軍 約 三万五千
劉奇軍 約 二万
孫権の本陣周辺で大軍が激突!
一方、守りの手薄な劉[王奇]軍本陣に霍峻が単隊で殴りこむ。
その中、更に孫権に援軍が到着。黄蓋が四部隊を引きつれて現れる。
こちらからは[萠リ]良部隊が到着。
黄忠が来るまで持ちこたえられるのか?
黄忠部隊が到着!
形勢は相変わらずかなりの劣勢であった。
黄忠「一発逆転を狙い、我が隊は敵の総大将・張昭部隊に突撃を挑むぞ!」
兵士「おー!」
だが、黄忠隊が敵隊にたどり着く前に・・・
孫瑜「やったぞ!劉軍の総大将・蘇飛を捕らえたぞ!」
黄忠「な、なんと!」
黄祖「おのれ、孫権め!黄忠殿も江夏の城に引き上げ下され!」
(篭城戦の行方)
黄忠「韓玄様、ただいま戻りました」
韓玄「ご苦労。何とも痛々しい姿じゃのう。して、どうであった?」
黄忠「ご覧の通り、苦戦しましたが黄祖殿が城を守っている間に
それがしは敵本陣へ突撃をかけました。結果、侵略軍を撃破。
被害こそ甚大でしたが、江夏を守り抜く事が出来ました」
韓玄「うむ、でかしたぞ。下がってしばらく休むがよい」
黄忠「はっ(韓玄様もたまには主君らしい事も言うのだな。これは益々忠節を尽くさねばなるまい)」
韓玄「うむ(返り血だらけで臭くて来たないから、早くいけっての)」
207 05 (孫権、血気盛んの伝)
謝旌「韓玄様、孫権がいよいよ曹操軍と太刀を交わしはじめたようですぞ」
韓玄「おお、そうか。このまま共倒れになってくれればわしも安泰だ」
謝旌「そればかりではありません。奴ら、また江夏に攻め入ってきたそうです」
韓玄「なんと!急ぎ援軍を送らねば。黄忠、黄忠はいずこ」
謝旌「殿、黄忠殿は先の戦で疲れ果て、療養中ですぞ」
韓玄「えー。うそー。じゃ、キミ行ってよ」
謝旌「やーん、なんであたしがー」
韓玄「はよ、いけ」
207 06 (派軍の伝)
韓 玄「先月は大儀であったな」
謝 旌「あれはひどかった。我が手勢も江夏の守りで半数を失いましたぞ。
しかし、それがしが敵の本陣より兵糧を奪い、
総大将・張昭を壊滅させて功績は黄忠殿の上を行くかと…」
韓 玄「増徴するな。犬馬の癖に」
謝 旌「何と、それがしを犬馬と呼びまするか!」
韓 玄「うるさい、仕官する時に自分から犬や馬のように仕えと言ってきたではないか」
謝 旌「し、しかし」
諸葛均「…韓玄様」
韓 玄「おお、諸葛均。どうじゃ、我が長沙は」
諸葛均「まだまだ未開発なところが見うけられます。
よろしければ拙者に土地開発の計画をお許し願えませんでしょうか」
韓 玄「うむ、頼むぞ」
諸葛均「それでは、拙者は下がりますゆえ」
謝 旌「あの諸葛均を捕らえて、韓玄様に推挙したのもそれがしの功績かと(ぶつぶつ)」
韓 玄「もういいから、帰って寝ろ」
208 08 (傅士仁、孫権に願えるの伝)
黄忠「題名の通りです」
韓玄「あらそう」
208 09 (韓玄、ついに軍師を得るの伝)
韓玄「おい、治安を命じていた傅士仁がいないぞ!」
黄忠「・・・先月、孫権めに引き抜かれたのを早くもお忘れで?」
韓玄「やや、そうだったかのう。この頃、物忘れが激しくて・・・」
黄忠「しっかりなされませ。それがしが61歳。殿はまだ58歳ですぞ。
ボケるならそれがしが先でござる」
韓玄「年まで言うなよ。鬱になるから。しかし、代わりはいないのか」
黄忠「そう言えば、我が領土に名のある名士が訪れています。
声を掛けて見ましょうか?」
韓玄「たのむっちゃ」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
[广龍]統「韓玄様のために我が智謀を使わせて頂きます」
韓玄「もしや、貴殿は鳳雛では!?」
[广龍]統「世間ではそのように呼ばれますな」
韓玄「よっしゃ、貴殿を軍師に任ずる」
208 10 (韓玄、ついに軍師を失うの伝)
黄忠「題名の通りです」
韓玄「あらそう」
韓玄「って、待てーーーーっ!
軍師殿はどこに行ってしまったのじゃあ!」
黄忠「劉備殿の軍師・孔明殿が旧交を暖めにと[广龍]統殿の元に訪れて、
ともに手を携えて泣いていたのを見たものがいたそうですが」
謝旌「ああ、俺見たよ。
で、韓玄様には悪いがともに曹操の野望を打ち砕く
とか言って、泣きながら去っていきましたよ」
韓玄・黄忠「とめんかー!!」
208 11 (天の書)
左慈法師が長沙に訪れた。
韓玄「そちが左慈か。何しに我が長沙に参った」
左慈「天書三巻をお譲り致しましょう。ご希望とあらば
仙人修行に招待致しますぞ」
何だかよく解らんが遁甲天書を譲り受けた。
209 01 (不吉な旗の伝)
韓玄「今、気がついたけれど、わしの勢力を表す旗の色って白だね」
黄忠「つまり、白旗・・・」
韓玄「赤旗よりはマシだ」
黄忠「そうですな・・・って中華の大地でそれは禁句」
謝旌「アオハタジャム、まんせー」
209 03 (またしても孫権の伝)
韓玄「1年ぶりかな、孫権が劉[王奇]殿の江夏に軍勢を寄せるのは」
謝旌「それがしがやっつけて参りましょう」
韓玄「うむ、無理して兵を損ずるなよ。危ういと見たらすぐに引くのじゃ」
−−−西塞山−−−
総大将は黄蓋である。
両軍激突。劉[王奇]軍の魏延が次々と呉軍を粉砕。
今回は劉[王奇]軍の方が多勢。
そして謝旌が総大将を攻撃中に劉軍の文聘が敵の兵糧を奪取。
一気に潰走する呉軍を謝旌らが追撃し、多くの将兵を捕らえる。
我が軍門には董襲が降った。
韓玄「強いぞ、謝旌。強いぞ、謝旌。強いぞ、謝旌〜♪」
謝旌「もう犬馬とは呼ばせませぬぞ」
韓玄「増長するな」
謝旌「させて下さい」
209 04 (台風の伝)
韓玄「物凄い雷雨じゃのう。劉備じゃないが、怖い怖い
お。どうした、黄忠。そんなに濡れて」
黄忠「零陵、桂陽、長沙は揃って大洪水ですぞ」
韓玄「どうして我が領にはかくも苦難がふりかかるのか!」
黄忠「せっかく開発した田畑も街もズタボロです」
韓玄「り、りせっとは駄目?」
黄忠「・・・まだ今までセーブすらしていませんよ」
209 11 (また、つまらぬものを斬ってしまった・・・の伝)
黄忠「またしても孫権が江夏に・・・」
韓玄「よし行け、黄忠。与力に謝旌を、参謀には諸葛均を貸し与えよう」
黄忠「どっこらしょっと」
韓玄「劉[王奇]殿をお助けして参るのぢゃ!」
−−−数日後−−−
兵士「只今、戻りました」
韓玄「大儀であった。おや、黄忠と謝旌と諸葛均の姿が見えぬが」
兵士「はっ。我らが到着した頃には、劉軍も野戦で大敗を喫していましたので
謝旌殿とともに篭城戦に参加しましたが武運拙く江夏は孫権のものに」
韓玄「・・・」
兵士「おまけに謝旌様、黄忠様、諸葛均様ともに呉軍に囚われました」
韓玄「うぬぬ!あの忠臣、謝旌を!」
兵士「まさに許しがたき相手です」
韓玄「いや、許せぬのはそちの方じゃ!
敗軍に加わったからにはなぜ、討ち死にせななんだ!」
兵士「・・・それがしも黄忠様を守り、命捨てる覚悟でありましたが
黄忠殿が“生きてこれを我が殿にお伝えせよ”と・・・」
韓玄「黙っしゃい!お前、死刑」
兵士「殺生な!」
かくてまた1人、韓玄の恐怖政治の犠牲者が出たのであった。
248 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/01/23(火) 05:13
韓玄、もっと暴れてくれ!!
略奪、遠征の恐怖政治でスターリニズムを開花させよ!!!!!
210 01 (赤壁合戦の伝)
傅[丹彡]「劉[王奇]様が柴桑に攻め入るので兵を貸してくれとの使者を」
韓玄「承諾」
傅[丹彡]「では早速、行って参ります」
−−−赤壁にて−−−
黄忠「この黄忠が援軍に参ったからには劉軍なぞ恐るに足らぬぞ」
傅[丹彡]「やや、やや、ややっ!黄忠だ!逃げろーーーっ」
−−−長沙にて−−−−
韓玄「・・・おかしい。誰も帰ってこない」
董襲「我が手のものによりますと、傅[丹彡]殿は黄忠殿に捕われ、
孫権に命乞いをして、配下に落ち着いたとか」
韓玄「うぐぐ。どいつもこいつもふがいない!」
董襲「韓玄様、今、長沙にいる武将は誰ですか?」
韓玄「君と余だ」
(ゴロゴロ・・・ピカーッ)
210 02 (所詮韓玄は韓玄かなの伝)
韓玄「ただいまの長沙は
■長沙
・開発 47
・商業 74
・治安 92
武将 董襲(忠誠度:89)
なんと、貧弱!」
董襲「韓玄様、孫権の軍勢が長沙に攻め込んで参りましたぞ」
韓玄「そろそろ来ると思って、今、読者の皆様に我が領土の状況を
説明しておったところぢゃよ。さあて覚悟を決めるかの!」
(長沙・篭城の伝)
董襲「殿、おまけに我が領土の情報は敵に筒抜けのようですぞ。
見てください。スパイ(
>>248)がここに」
韓玄「あら見られていたのね。今までのわしの戦略を。
道理で負け戦が続くと思ったわい」
董襲「そろそろ孫権が来ます。篭城の準備とお覚悟を」
韓玄「うむ」
(長沙…1日目)
韓玄「戦況を教えてくれ」
董襲「我が軍は韓玄様の部隊10900。参謀にそれがし。
敵の軍は朱然を大将の3部隊で、総勢15000。
1人頭、五千人ほどの部隊が三つと言う事ですな」
韓玄「何だ。案外、勝ち目があるぞ。
よし、部隊に命令を出すとしよう」
董承「兵士諸君(ご覧の皆様)も何かよき思案あれば作戦を述べて頂きたい」
董襲「
>>252最後の“董承”はそれがしの間違いですな」
韓玄「うむ、そのようだな。して、わしはどうすればよい?」
董襲「城を必死に守り通すか、敵総大将に特攻をかけるかの二つに一つかと」
韓玄「どちらにするかのう・・・」
董襲「それがしどもでは決めかねますな」
韓玄「でも早くしないと呉軍はそこまで来ているぞ」
董襲「6時まで待ちましょう。誰かの意見(レス)を」
韓玄「うむ」
韓玄「見よ。撹乱兵(
>>248 >>253)じゃぞ」
董襲「誤字ってもいないのに、誤字だと指摘し、撹乱を挑んでいるのですか?」
韓玄「他に何と見る」
董襲「それより、作戦方針はいかが致します?」
韓玄「ただいまの作戦はこうじゃ」
韓玄部隊
方 針 :敵大将を討ち取る
伝 令 :総大将に突撃
参軍任務:補佐
行軍方法:猛進
矢の種類;火矢
董襲「それでよいのでは」
とうしゅうに一票。
董襲「
>>257のような意見があったばかりですな」
韓玄「うむ、しかも董襲本人は何の意見も言っていないのに、
彼に一票を入れるとはこれいかに」
董襲「遠まわしに韓玄様に賛成しているのでしょう」
韓玄「ではこのままの作戦で行くとしよう。突撃開始!!」
長沙…6日目
韓玄「死ね、朱然っ。突撃ーーーーっ」
朱然「ぬうっ、小癪な」
董襲「かかれーっ!・・・ん、何だあの土煙は」
韓玄「?て、敵の援軍だ!」
凌統「韓玄の軍勢などこの凌統が一掃してくれよう」
韓玄・董襲「ぐけぐげぐげげけーっ」
長沙…9日目
韓玄「あちぃっ、敵の放った火で火傷を負ってしまったわ!」
呉兵「お覚悟!」
韓玄「ぐっ、この韓玄が不覚をとるとは」
董襲「今、城の門が破壊され、敵勢はドシドシと政庁に向かっております!」
韓玄「ぬうう、早く朱然を討たねば!」
戦況 韓玄兵:7394 朱然兵:2950
董襲「ものども、もう一息ぞ!」
政庁防御力が下がる下がる・・・。
どっちが早く方をつけられるかが勝負!
呉将「政庁を占拠した事を全軍に知らせよ!」
呉兵「うおおおお!」
董襲「か、韓玄殿…」
韓玄「…終わったようだな…」
(敗戦の将はかくして…の伝)
朱然「大人しくせよ」
韓玄「おのれい、放せっ…」
朱然「威勢だけはいいな。
ものども、この暴君は捕らえ次第、斬り捨てよと
孫権様より命を受けている。殺れ」
韓玄「まて、まて、まてっ。ぎょえーーーーーっ」
−−−群雄・韓玄はここにその最期を遂げた−−−
−−−韓玄の勢力は滅亡し、歴史からその姿を消した−−−−
完
あー。まさか数時間で終わるとは思っていなかったよ。
つまんなくてすいません。
じゃ。
次は誰か三國志Xでやってくれ。
266 :
三国志Z:2001/01/23(火) 12:25
武将として生きられないのが韓玄にとっては痛いね。
個人的にはWが好きなんだけど、
ところで、かんげんで統一できるのかな??
267 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/01/23(火) 15:48
>266
3人やって3人とも駄目だったね。
誰か次に挑む人はいないのかな。
>>265 某スレをageて、彼のリプレイを日の当たるところにもっていってくれた礼をしようと思い、
また、韓玄でリプレイするということなので応援しようと例のスレからリンクを辿ってきてみたが・・・。
既に終わってた。
嵐世紀は頑張ってくだされ。
269 :
三国志Z:2001/01/23(火) 22:30
Zで、もう少し早い時期にやってみては?
独立する前に・・・
独立してる段階では結構年がいっちゃってるから・・・
270 :
風鈴火山:2001/01/23(火) 22:53
三国志2でならやった事がある。結構簡単だったよ。
韓玄は隔離して、黄忠を前線の太守にしておけば楽勝。
あと、信用度?みたいな数値を高くすれば魅力の低さもカバーできるし。
しかし、いま持ってるのは6と7しかないけど・・・
リプレイ見た限りじゃ結構きつそうだな〜
おお、3代目が始まってる!
と思ってよく見たら速攻で終わってる(藁)
272 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/01/24(水) 03:35
三国志U・X・Yなら荊州弱小カルテットでも統一したけどね…
寿命が尽きたのはX劉度のときだけだったかな
漏れは同盟結んでたけど、友人は同盟一切無しで統一してたよ
ちなみにVとWは持ってない
Zは…韓玄@初代&二代目が面白かったんでまたやってみよーかな(w
>>268 こんなに早く終わるとは思わなかった…。
ところで嵐世記ですが、発売日が三月に延びるとか…。
待ちきれないので次はどこかで烈風伝なぞをやりに行くかも知れませぬ(笑)。
>>271 [广龍]統の裏切りのせいじゃ!
275 :
三国志Z:2001/01/24(水) 20:23
龐統に限らず、義理が高そうなのにあっさり裏切る武将って多いよね。
>>273 たまに埋もれている戦国スレを見てみるよ。
個人的にはPKの佐々成政か本能寺の変を起こしてからの織田信雄がいいが、
嵐世記までのつなぎだろうから早く展開できる大名がいいかもね。
私信で申し訳ない。
>>276 こちらも私信で恐れ入りますが、その時は例のところで今回と同様に
お知らせさせていただきます。
でもPSだしPKないからな〜。
PS2のZで全部仮想にしてシナリオ2の馬騰で始めたら、
配下に馬超しか居なかった。
董卓に落とされた都市に片っ端から諜報かけまくって、
忠誠度の低い武将をあらかた引き抜いて、戦力確保してから、
全国統一した。これは反則なのかな?
韓玄でも同じ事ができないだろうか?韓玄駄目でも黄忠が居るし・・・・。
そうか・・・。
韓玄は独立勢力じゃないんだよなあ。人事→登用が使えぬのか。
初代韓玄殿も独立したら、黄忠が着いてこなかったんだよなあ。
無理かな・・・・。前半の人材不足さえクリアしたら、
なんとかなると思ってみたが。試しにやってみるか・・・・。
280 :
三国志Z:2001/01/25(木) 18:11
>279
おっ四代目??
281 :
刑道栄:2001/01/26(金) 15:53
そういやログインの三国日報の「その後韓玄ご機嫌かい?」という
三国志Uをプレイする企画をおもいだす・・・
担当のナチ崇拝っぽい三宅は元気かなあ?
誰か四代目やれーーーー!
>279
4代目か?是非とも頑張ってくれ。
前半の人材不足の解消法は、このスレの前の方で楊修先生がウザさ満載で書いてたはずだぞ。
284 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/01/28(日) 02:56
>172
楊修先生の三国史Z攻略〜弱小君主・太守編〜
では、プレイさせていただきます。
何分初めてなものなので、お見苦しいところはご勘弁を。
PS2 三国志Z
シナリオ6(臥龍飛翔し赤壁に長江燃ゆ) 初級 長沙太守韓玄
他勢力同士の戦で、勝ったほうに登用された忠誠度の低い武将を
拾い上げて、駒が揃ったところで天下取りに乗り出す、
消極的な、一体統一までに何年かかるかわからないリプレイ記
207年10月
韓玄 45歳 四品官(今まで何やってたんだ・・・・)
忠誠90 俸禄30 仕官19年
戦闘58
知力31
政治24
魅力16
名声1100
功績1100
所持金1000
特技 罵声(だけ・・・・)
むう。本当に長沙には黄忠しか居らんなあ・・・
取りあえず黄忠との親密100を目標にするか。
上手く行ったら独立したときに、配下になってくれるかもしれん。
では無け無しの金で黄忠に貢ぎまくるぞい。
207年11月
あっという間に黄忠との親密度が100になったので、ここぞとばかり独立宣言!!
「ワシが韓玄じゃ!!我ぞと思うものはワシについて来い!!」
黄忠は何処かに消えてしまった。
208年1月
突然劉表が死んだ・・・。何があったんじゃ?
劉表の跡は蔡瑁が継いだらしい。これはもしかしてチャンス到来か?
駄目もとで、忠誠度の低い潘濬に声をかけたら、こ奴ついて来おった。
これでワシより魅力の高い男が味方になったっぞ。
「潘濬、これからしばらくは人事担当官として頑張ってもらうぞ。」
潘濬「お任せください」
208年2月
潘濬を使って、隣の武陵太守、金旋に声をかけたらあっさり蔡瑁に叛旗を翻した。
蔡瑁に攻められる前に呼び寄せることにする。
一緒に霍峻を配下にすることができたぞ。
208年3月
現在長沙の金は3352、兵糧50000、兵士3500!!
これでは、孫権や蔡瑁に攻められたら一たまりも無いなあ。
有能な部下が欲しいわい。軍師もいるなあ。
取りあえずワシ直々に魏延を誘ってみるが、断られた。
潘濬が刑道栄に声をかけるとあっさり味方になった。順調順調。ムフフフ。
208年4月
潘濬が劉賢の登用に成功。
208年5月
なんと霍峻が魏延の登用に成功する!!でかした!!
208年6月
鞏志の登用に成功。あんまりパッとしないのばかり集まったな・・・。
これからは取りあえず内政と兵数を揃えることに専念することにする。
209年1月
孫権に使者を送る(金1000)友好度が12上がった。
なけなしの金を貢いどるんじゃから、間違っても攻めてくるなよ。
209年4月
孫権にまた金1000をやる。友好度が12上がった。
むふふ。孫権めご満悦じゃな。大事に使えよ。
209年9月
金旋「殿、殿。」
ワシ「何じゃい?」
金旋「殿はもしかして、私が以前太守を勤めていた武陵を忘れてませんか?」
ワシ「おお、そうじゃった。すっかり忘れておったわ。」
金旋「出来れば、また武陵に戻りたいのですが・・・。」
ワシ「いや。まだ武陵に武将はさけんぞよ。金と兵糧だけ長沙に持ってくるんじゃ。」
長沙の金が6188 兵糧が180668になる。
209年12月
武陵が蔡瑁軍に攻められた。惜しくないわい。くれてやる。
210年1月
長沙の兵力が5万を超えたぞ。
210年2月
【韓玄軍に軍師誕生!!】
馬騰が安定を曹操から奪還!!
さっそく諜報。おおっ!!賈言羽の忠誠度が81だ。
ワシ「駄目もとじゃあ。全員で登用を試みるぞ!!」
う〜ん、やはり次々に断られるなあ。ワシまで回ってくるか!?(一番最後)
魏延「賈言羽殿の登用に成功しましたぞ!!」
ワシ「なんと、でかしたぞ魏延!!(危ねえ、ワシの一つ前だ)」
「賈言羽、そなたを我が軍の軍師に任命する。」
賈言羽「ありがたき幸せ。これかは私めに全てお任せあれ。」
「皆のもの!!我が軍に軍師誕生じゃ!!今日は無礼講ぞ!!」
ということで今日は休ませていただきます。
皆さんのお口に合えば幸いです・・・・。
韓玄の寿命との闘いになりそうです。
四代目、面白いですね。
黄忠が着いて来てくれなかったところは前にも見たけれど
「どこかへいってしまった」と言うのには何気に爆笑してしまった。
それがしのプレイは韓玄らしく滅亡する事にあった(笑)が、
今回の方は本格的に中原制覇を狙っているのが頼もしい。
期待しています。
4代目韓玄様期待ageしたいんだけど、しない方が良い?
210年6月
「おい賈言羽。こちらの誘いに乗って零陵の劉度が蔡瑁に叛旗を翻しがぞ。」
「殿・・・。蔡瑁に武陵を抑えられてますから、こちらからは何も出来ませんぞ。」
「じゃあ、しばらく放っておけ。」
「・・・・・・。」
霍峻から手紙が来たので、返事を書いた。
「おお、韓玄様からか。・・・・・・またやらかしたようかだな。」
おい!!ワシが何をしたというのだ?まだ国庫にも手をつけてないぞよ。
210年9月
零陵が蔡瑁軍に攻められる。当然劉度は敗れる。長沙に逃げ込んできた。
「申し訳ございません、韓玄様。零陵を死守できませんでした・・・・。」
「よいよい。全てはワシの計算どおりじゃ。」
211年1月
曹操が魏公に奉じられた。
「いよいよ天下に覇を唱える気かの?」
賈言羽「孫権軍にも緊張感が高まっていることでしょう。充分お気をつけください。」
「うむ。」
しばらく、内政と軍備に力を注ぐ。う〜ん、曹操も孫権も動かない。
これでは諜報作戦が出来ないなあ。
212年曹操が魏王の位についた。
「ぽんぽん位がもらえるものなのだなあ。」
賈言羽「殿はまだ何も位がございませんね。」
「金がないでな。官爵も買えんのよ。」211年1月
曹操が魏公に奉じられた。
「いよいよ天下に覇を唱える気かの?」
賈言羽「孫権軍にも緊張感が高まっていることでしょう。充分お気をつけください。」
「うむ。」
しばらく、内政と軍備に力を注ぐ。う〜ん、曹操も孫権も動かない。
これでは諜報作戦が出来ないなあ。
212年曹操が魏王の位についた。
「ぽんぽん位がもらえるものなのだなあ。」
賈言羽「殿はまだ何も位がございませんね。」
「金がないでな。官爵も買えんのよ。」
212年4月
傅士仁が味方になる。
212年10月
【夏侯惇が配下に加わる】
賈言羽「殿!!遂に孫権が動きましたぞ。曹操領の[言焦]を攻略しました。」
「よっしゃ。すぐに[言焦]に諜報官を送るのじゃ!!」
「殿!!夏侯惇殿をお連れしました。」
「でかした。我が軍の中枢となってもらおう。夏侯惇、戦はよろしく頼むぞ。」
夏侯惇「御意」
212年11月
曹操が孫権領の寿春を攻略。
劉備が蔡瑁領土の上庸を攻略。
賈言羽「蔡瑁は劉備に殺されたようです。」
「誰が跡を継いだんじゃ?」
「どうやら、蔡中のようです。」
「よりによって蔡中か。荊州陣営もジリ貧じゃな。」
「殿にとっては、チャンスが広がりますな。」
「劉備も劉表が死んだら遠慮がないのお・・・。」
212年12月
【司馬懿を得る】
孫権軍が曹操領の下[丕β]を攻略。
賈言羽「殿、諜報をかけ、司馬懿殿の登用に成功しましたぞ。」
「うむ。戦のときには参謀として働いてもらおう。」
「・・・・・。」
「ん?安心せい。我が軍の軍師はお前だけじゃよ。(しばらくはな)」
「ありがとうございます。」
213年1月
「おやおや、遂に曹操が皇帝となったな。」
賈言羽「欲望のおもむく所とどまりませんな。」
「ワシは未だに官爵ないけどな。」
「蔡中陣営から楊修殿を登用しました。」
213年4月
【張遼を得る】
賈言羽「孫権が曹操領の小沛を攻略したようです。」
「誰ぞおらぬか?」
「張遼が忠誠度が80でくすぶっております。」
「おお、声をかけてみよ。」
「殿。刑道栄殿が、張遼殿の登用に成功しました。」
「夏侯惇と張遼の二枚看板じゃな。」
「(宝の持ち腐れとなりませぬよう・・・・)」
213年8月
【黄忠を得る】
「おい、賈言羽。黄忠が蔡中陣営でくすぶっておるようじゃ。」
「殿がお声をかければ、はせ参じて参りましょう。」
「本当か?じゃあ出向いてみるかの。」
黄忠「これは韓玄殿・・・・。お久しぶりです。」
「どうやらお主、蔡中陣営では不満があるようじゃの。どうせなら我が軍に来ないか?」
黄忠「・・・・・。」
「蔡中ごときに使えるお主ではないじゃろ?劉表殿への義理ならもう充分じゃろうて。」(必死)
黄忠「分かりました。韓玄殿にこの命を預けまする。」
「お〜い。賈言羽。黄忠の登用に成功したぞ!!」
「おめでとうございます。」
「うむ。魅力18でもたまには上手くいくもんじゃ。」
「我が陣営にも強力な武官が揃いましたな。」
「夏侯惇、張遼、黄忠、魏延は我が軍の四天王じゃ。」
213年10月
賈言羽「殿、大変です!!蔡中軍が長沙に攻めこんで来ました!!」
「うひょ。」
「総大将としてご出馬を!!」
「嫌じゃ。ワシは出んぞ。総大将は夏侯惇。賈言羽、お主は参謀じゃ。早よう行け」
夏侯惇「吉報をお待ちください。」
「うむ、待っておる。」
夏侯惇「殿。蔡中軍を叩きのめしてきましたぞ。ついでに蔡中を捕らえてまいりました。」
「斬ってしまえ。」
賈言羽「カイ良が跡を継いだようです。」
214年2月
賈言羽「殿、またしてもカイ良軍が6万の軍で攻めこんでまいりました。」
「ワシが出るまでもないな。夏侯惇!!軽くあしらって参れ!!」
賈言羽「お味方の大勝利です。沙摩柯殿が仕官を望んでおります。」
214年4月
魏延の家に遊びに行ったら「無双」とやらを教えてくれた。
魏延「これが無双の心得です。これで包囲されても、集中攻撃をくらいませんぞ。」
「むむむ・・・」
魏延「殿、しっかり覚えてください。(やれやれ)」
「我が長沙も武将数は17人。兵力も20万を超えた。
そろそろ侵攻を開始してもおかしくないかな?」
賈言羽「(遅すぎるくらいです。)殿、武陵が劉章の呉懿に占領されました。」
214年7月
夏侯惇の家に遊びに行ったら「一騎」を教えてくれた。
夏侯惇「参りますぞ!!とおっ!!」
ドカッ
「あ痛たたたた・・・。もっと優しく教えてくれ。」
しかし、夏侯惇や魏延達の所に遊びに行くと、よく狩りに誘われる。
虎が出たらどうしよう・・・・。
「賈言羽!!来月は武陵に侵攻じゃ!!」
「御意!!」
214年8月
黄忠を総大将、司馬懿を参謀に劉章領の武陵に侵攻!!
賈言羽「黄忠殿は見事に武陵を攻略。廖立と劉豹が仕官を望んでおります。」
「よしよし。では、武陵の太守は黄忠とせよ。」
214年9月
賈言羽「カイ良軍から、鳳統の引き抜きに成功しました。」
「おう。あの鳳雛を得たか。これで臥龍も加えたら天下とっちゃうかもよ。」
「今は我が軍は上り調子ですぞ。」
214年11月
【夏侯淵が配下となる】
賈言羽「孫権が曹操領の濮陽を攻略しました。」
「曹操軍は負けっぱなしじゃな。で、誰かめぼしい奴は居ったか?」
「はい。夏侯淵殿の登用に成功しました。」
「うむ。めでたい限りじゃが、こんなんでいいのか?」
215年2月
賈言羽「カイ良軍がまたしても侵攻してまいりました。」
「夏侯惇に撃退させよ。」
夏侯惇「叩きのめして参りましたぞ。」
「ご苦労、ご苦労。全員逃がしてやれ。」
賈言羽「えっ?黄祖は殿が斬れと・・・・」
「おっ?指示を間違えたか。まあ良い良い。」
「我が軍は連戦連勝じゃな。」
賈言羽「殿、ご満悦の所申し訳ありませんが、殿ももう52歳。
早めに天下に乗り出しませんと。」
「そうすかるかの。」
317 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/01/29(月) 03:18
今、まとめるとどんな陣容ですか?>四台目
ついでにあげ。
318 :
三国志Z:2001/01/29(月) 09:39
4代目すごいなー。いい感じだ。
天下統一も夢ではないな。
319 :
ナナシサソ:2001/01/29(月) 10:00
三國志Xの徹里吉もいいかげんむずいよな.......
運わるけりゃ2ターンも回ってこないし.........
始まってすぐ全財産はたいて曹操と同盟か.......
【長沙】
金6229 兵糧183461 人口228100
開発700/700 商業500/500 治安100/100 技術335/1000 防御648/1000
兵士136953 武将14人 民親密100
武将
韓玄
賈言羽 夏侯惇 夏侯淵 魏延 鞏志 金旋 刑道栄 潘濬 傅士仁
【武陵】
金7768 兵糧160909 人口170700
開発506/600 商業246/300 治安81/100 技術189/1000 防御651/1000
兵士97128 武将7人 統治方針防御
武将
黄忠
司馬懿 張遼 霍峻 沙摩柯 劉豹 廖立
「うむ、こうみるとワシって結構名太守じゃな。」
賈言羽「殿、やはり2代目韓玄様は、54歳でお亡くなりになったそうですぞ。」
「なんじゃい、2代目って?どこぞで占いでもしてもろうたか?」
「そのようなものです。お急ぎになる必要がございます。」
「不届きな占い師じゃな。」
「現在の状況を報告します。」
「うむ」
「我が軍は、長沙と武陵に駐留しております。江陵、零陵、桂陽にカイ良軍。
横の柴桑には孫権軍の程普が長年我等に目を光らせております。」
「ううむ。四面楚歌じゃな。」
「はい。ですがカイ良軍は、江陵と零陵、桂陽が分断されており、
既にガタガタの状態だと察せられます。」
「そうじゃの、最近必死に攻めこんでくるもんあ。
しかし、荊州の下半分くらいは、サクッと取りたいの。」
「御意。それから益州に侵攻するか、中原に乗り出すかのどちらかです。」
「とりあえず、孫権と同盟を組めばどうかの?」
「わかりました。なんとかやってみます。」
215年3月
再び孫権に金を送る。友好度が89になる。
賈言羽「殿、計略の結果、桂陽には趙範、零陵には王粲が太守として赴任しております。
両都市共にあまり勇猛な武将はおりませぬ。」
「そうか、では夏侯淵の訓練が終わり次第、彼を派遣して桂陽をとるぞ。」
「御意。」
「孫権との同盟の件の頼むぞよ。」
「御意」
215年5月
賈言羽「殿、孫権軍に金3000で60ヶ月の同盟提携に行ってまいります。」
「大丈夫かの?」
「お任せを!!」
「おお、凄い自身じゃな。吉報を待って居るぞ。」
賈言羽「殿・・・申し訳ございません失敗しました。」
「なんと!!」
「若い陸遜とか申す軍師が、孫権によからぬことを吹き込んだようで。」
「ううむ・・・」
「申し訳ございますせん」
「良い。そのうちお主には六韜か何かを買うて遣わす(そうすりゃ助言も失敗せんじゃろう)」
「ありがたき幸せ」
215年6月
【孫権と30ヶ月の同盟を結ぶ】
「賈言羽、孫権と30ヶ月の同盟を金3000で結ぶのだ。」
「お言葉ですが、自身がありませぬ。・・・」
「むむ・・・。」
「代わりに楊修殿を派遣すると宜しいかと。」
「そうか。では楊修、行って参れ」
楊修「必ずや吉報をお届けします。」
楊脩「殿、孫権殿はことのほか上機嫌で、同盟を快諾されました。」
「でかした!!褒美に鶏肋をやろう。」
「はっ?」
「冗談じゃ。よくやった。退がってよろしい。」
「これで安心してカイ両軍を駆逐できるな。」
賈言羽「御意」
215年7月
賈言羽「殿、漢詩大会を開きましょう。」
「嫌じゃ。」
「ぎょ、御意。ん、誰ぞ来たようです。」
張昭「孫権軍の張昭と申します。」
「うむ。して何用じゃ。」
「カイ良軍の桂陽に攻めこみますので、お力をお貸しください。」
「むむむ、(賈言羽よどうするか)」
「(取りあえず承諾なさいませ)」
張昭「??」
「分かったぞ。張昭とやら。孫権殿に宜しくお伝えくだされ。」
「おお、ありがたき幸せ。」
「どうしよう、賈言羽。桂陽はワシも欲しいのじゃ。」
「先に軍をお出しなさいませ。」
「分かった。では夏侯淵を総大将、参軍に鳳統をつけて派遣する。」
夏侯淵・鳳統「御意」
夏侯淵「殿、申し訳ありません。野戦では勝ったのですが、篭城されてあえなく・・・」
「むむむむ。」
賈言羽「続けざまに夏侯惇を派遣なされませ。私も参ります。」
「頼むぞ。」
兵士「お喜びください。夏侯惇様が無事に桂陽を占拠なさいました。」
「おお、そうか。流石は我が軍の筆頭将軍じゃ(将軍位はないけどね)」
「では、夏侯惇を太守に任命する。印綬を持っていってくれい。」
兵士「御意」
「ちょっと待て。誰ぞ味方についたかや?」
兵士「い、いいえ。」
「そうか。まあ良い。(魅力20じゃ駄目かな。やっぱし)」
215年8月
魯粛「江陵に攻めこみたいので、ご助力をお願いします。」
賈言羽「(殿、引き受けてはなりませぬぞ)ボソボソ」
「ん?分かった。引き受けたぞ、魯粛殿」
賈言羽「(が〜ん)」
魯粛「ありがたき幸せ」
賈言羽「殿・・・。」
「すまん。間違いであったか。」
「ま、まあ何とかなるでしょう・・・。」
「うむ。夏侯惇と魏延、ついでにお主も長沙に帰って来い。」
「御意」
「桂陽には、太守として夏侯淵。他に鳳統、刑道栄、潘濬、傅士仁を派遣する。」
「手続き終わりましてございます。」
215年9月
「賈言羽よ。零陵も落としたいなあ。」
「御意。では武陵の張遼殿に動いてもらいますか。」
「うむ。」
「諜報の結果、零陵は武将の数こそ多いものの、金がないせいで満足に
兵士の補充が出来てないようです。」
「そうか!!では張遼を総大将に沙摩柯、劉豹、廖立を武陵に派遣せい!!
桂陽からの援軍を忘れるな!!」
「御意!!」
賈言羽「張遼殿は、見事野戦で敵を撃破。続く篭城戦でも敵を殲滅させました。」
「あっぱれ!!」
「しかし、誰も仕官してまいりませんでした。」
「魅力か?ワシの魅力が低いせいか?」
「ま、まあここは解放してやり殿の度量の深さをお示しください。」
「むむむむ。」
215年10月
賈言羽「殿ぉ!!張遼殿等が出陣して手薄になった武陵に永安から劉章軍が進行して来たようです。」
「うひょ」
賈言羽「既に黄忠殿、司馬懿殿、霍峻殿が出撃されました。」
「零陵の張遼に援軍を申し伝えろ!!」
「はっ!!」
賈言羽「なんとか、敵を撃退したようです。」
「ううむ。しかし誰も配下にならん。兀突骨にまで断られるとは・・・・。」
「殿・・・。」
「零陵の張遼、沙摩柯、劉豹を武陵に戻せ。それから、零陵の太守には、廖立を任命せよ。」
「御意。」
215年11月
「孫権軍は中々江陵に出撃せんのお」
賈言羽「そうですな。」
「先に我が軍が仕掛けるか・・・・。」
「では長沙の増強を急がせまする。」
215年12月
賈言羽「殿!!江陵のカイ良軍が武陵に攻めこんでまいりまいた。」
「武陵に行ったか!!」
「黄忠殿をはじめとする、武陵の武将達は出撃しました。」
「よし。こちらから援軍を出すぞ。夏侯惇、賈言羽、魏延、劉賢、劉度
武陵を救うのじゃ!!」
夏侯惇「御意!!」
「おお賈言羽、勝ったか?」
「はい。お味方の大勝利です。」
「うむ。天晴れじゃ。んで誰ぞ仕官してきたか?」
「・・・・・・・。」
「今度捕らえたら全員、首を跳ね飛ばしてやる。」
「殿・・・魅力の鍛錬あるのみです。」
「口惜しいのお・・・・。」
215年1月
韓玄領
長沙、武陵、桂陽、零陵
韓玄
年齢54 名声7790 所持金1117
戦闘61
知力32
政治27
魅力21
賈言羽「鍛錬をさぼっておられますな?」
「そ、そんなことは無いぞよ。」
「魅力は師事や鍛錬の他にも、武将を訪問することによってもあがりますので、
こまめに配下の者にお会いなさいませ。」
「わかった。」
216年2月
「江陵を合同で攻める約束期限がきれたようじゃ。」
賈言羽「これで堂々と攻め入ることができますな。」
「うむ。」
「桂陽から夏侯淵と鳳統の2将を呼び寄せましょう。」
「うむ。じゃあ楊修を遣わして20ヶ月の同盟延長じゃ。」
楊修「申し訳ございません。失敗いたしました。」
「むむむ、彼奴め我等が領土を狙って居るのか?」
賈言羽「警戒が必要です。」
216年3月
「では、江陵に攻め入るかの。賈言羽、孫権に助力を頼んで参れ。」
夏侯惇「いよいよ。殿自らご出馬ですな。」
「よろしく頼むぞよ。カイ良軍の息の根を止めるのじゃ。」
賈言羽「申し訳ございません。孫権に断られてしまいました。」
「あの碧眼児め!!今に痛い目に会わせてやる。」
216年4月
【江陵攻め】
「皆のもの出陣じゃあ!!カイ良軍の息の根を止め、江陵を占拠する!!」
「おおおっ!!」
「武陵にも援軍を頼むのじゃ!!」
韓玄軍出撃
韓玄 賈言羽 夏侯惇 夏侯淵 鳳統 魏延
劉賢 劉度 金旋 総勢147000
賈言羽「敵軍は、97000ほどです。」
「うむ。捻りつぶしてくれようぞ。」
「作戦は正面突破を提案いたします。ただ兵の士気が低いので注意が必要です。」
「うむ。賈言羽の思うとおりにせよ。」
「はっ」
夏侯惇「我等が前に出ますので、殿は後ろでお控えください。」
「うむ。」
「なんと敵は篭城か!!」
賈言羽「篭城など下作です。殿、門を破壊しましょう。」
「よおしっ!!全軍門に向かって突撃じゃ!!」
ひたすら門を破壊
張遼「遅れ馳せながらはせ参じました。」
「よしこれで、敵軍の3倍じゃ!!一気に門を打ち壊せ!!」
「あ痛たた、向こうは霹靂車を持ってるのか?石が降ってくるぞい。」
賈言羽「もう少しのご辛抱です。城門はもう開きます。」
夏侯惇「城門が開きましたぞ!!」
「よし残らずひっ捕らえよ。」
戦功1 賈言羽
戦功2 韓玄
戦功3 夏侯惇
「ものの見事に全員に仕官を断られたな。」
賈言羽「江陵を落としたことだけでも良しといたしましょう」
「くすん」
216年5月
「夏侯淵を太守として長沙に戻すのじゃ。」
賈言羽「では、南の備えは夏侯淵殿にお任せしましょう。」
「戦で勝っても全然武将が増えん。諜報活動に力をいれよ。」
賈言羽「御意」
216年6月
江陵
韓玄 賈言羽 夏侯惇 魏延 劉度
兵士85000
「江陵は金が少ないな。」
賈言羽「ただし、予備兵が6万居りますので、徴兵の必要がありません。」
「うむ。しばし鍛錬に力を入れることとするか。」
216年7月
賈言羽「殿、武術大会を開きましょう。」
「おお、たまには良いかの」
賈言羽「優勝は黄忠殿に決まりました。」
「黄忠見事じゃった。俸禄を30増やしてやる。」
黄忠「ありがたき幸せ」
賈言羽「殿、長安から辛[田比]殿を登用いたしました。」
「うむでかしたぞ。」
216年8月
夏侯惇「李厳殿の登用に成功しました。」
「よろしい。」
216年9月
夏侯惇「徐庶殿の登用に成功しました。」
「流石は夏侯惇よ。はやく将軍位をやらねばのお。」
賈言羽「李厳殿は、桂陽に行っていただきまする。」
216年11月
賈言羽「殿。伊籍殿の登用に成功しました。」
「おお流石は韓玄軍にその人ありと言われた賈言羽じゃ。」
216年12月
賈言羽「漢中の張魯が劉章に滅ぼされたようです。」
「うむ。だれぞ居らぬか調べてみよ。」
夏侯惇「文聘殿を登用しましたぞ。」
217年1月
韓玄領
江陵、武陵、長沙、零陵、桂陽
韓玄
武力61
知力32
政治27
魅力24
賈言羽「あんまりパッしませんな。」
「やかましい。」
「そう言えば、名士10選に我が軍の夏侯惇殿が選ばれました。」
「将軍位無しとは思えんの。」
賈言羽「殿どうなされました?」
「巡察に行ってきた」
「それは結構なことでございます。」
「学問を教えたら馬鹿にされ、賊を捕まえに行ったら怪我をした。」
「鍛錬あるのみですな」
「・・・・・。」
217年2月
賈言羽「張衛殿を登用しました。」
217年5月
賈言羽「江夏の孫権軍が劉備軍に攻めこまれたらしく、救援を要請してきました。」
「じゃあ、夏侯惇達を派遣してみるか。」
夏侯惇「私どもが駆けつけたときは既に決着がついておりました。」
魏延「江夏は劉備軍が占領したようです。」
「うむ。皆の怪我が無くて何よりじゃ。」
「この江陵には金が少ない。賈言羽、他の郡から輸送させよ」
「御意。それはさておき殿、そろそろ黄忠殿の軍を永安に勧めては如何ですか?」
「うむ。益州方面は黄忠に任せるか。」
「御意。」
217年7月
賈言羽「殿、漢詩大会を・・・」
「却下!!」
「そう面倒くさがるものではございません。ん?騒がしいですな。」
夏侯惇「殿、劉章軍5万が我が江陵に攻めこんでまいりましたぞ。」
「永安からじゃな。夏侯惇お主、いっちょ懲らしめて参れ。」
「御意」
夏侯惇「軽く追っ払って参りましたぞ。」
賈言羽「殿!!今度は孫権領の柴桑が劉備軍に狙われたようです。」
「次々と忙しいな。」
「援軍を求めてきておりますが、如何しますか?」
「断れ。それと夏侯淵に長沙の防備を固めるように指示するのじゃ。」
「御意」
「こちらから張衛を送ってやれ。」
賈言羽「やはり孫権軍は敗れましたな。」
「これからは劉備軍の圧力が強くなってくるな。この江陵も彼奴等に
接しておる。ブルブル」
賈言羽「柴桑から馬忠殿の登用に成功しました。」
217年8月
「黄忠に永安を攻め落とすように申し伝えよ。」
賈言羽「御意」
賈言羽「殿から永安を落とすようにとの仰せです。」
黄忠「吉報をお待ちくださいませ。」
賈言羽「江陵からも援軍を出します。」
黄忠「永安を占拠いたしました。また、蒋延殿が仕官を求めております。」
「ようやくワシの魅力に気づいたと見える。黄忠。永安をお主に任せるよって、
劉章軍の侵攻に備えよ。」
「御意」
「武陵の太守は潘濬、桂陽の太守に文聘を任命する。馬忠を桂陽に送れ。」
賈言羽「御意」
217年11月
賈言羽「馬騰領の宛から、呂蒙殿を引き抜きました。」
「でかした!!」
217年12月
賈言羽「殿。ついに孫権との同盟が満了しました。」
「うむ。彼奴等と接しておるのは、桂陽じゃな。」
「御意。南海からの侵攻が考えられます。」
「では呂蒙に兵と連弩を与えて桂陽に送れ!!」
「御意」
夏侯惇「夏侯尚の登用に成功しましたぞ。」
魏延「司馬朗殿の登用に成功しました。」
218年1月
韓玄領 江陵、長沙、武陵、零陵、桂陽、永安
韓玄56歳 魅力が27に上がる。他変化無し!!
「6郡を支配するようになったの。」
賈言羽「御意。他の勢力も殿を見過ごしに出来ますまい。」
「今年1年無事に過ごしたいもんじゃ。」
夏侯惇「殿」
「ん?」
夏侯惇「愚息が成人しましたので、連れてまいりまいた。」
夏侯楙「夏侯子林と申します。よろしくお願いします。」
「うむ。記憶の片隅にでも留めておこう。」
218年2月
伊籍「呂虔殿の登用に成功しました。」
218年5月末日
賈言羽「殿、劉備軍が攻めこんでまいりました。」
「むむむ。夏侯惇蹴散らして参れ。」
夏侯惇「御意」
賈言羽「お味方の大勝利に終わりました。」
「おお、良し良し。」
「蔡和が味方に付いたかと思いきや、劉章に引き抜かれていきました。」
「あんな、お供え物にしかならん奴は放っておけ。」
218年6月
「来月は、黄忠に劉章領の江州を攻めさせよ。」
賈言羽「御意。それと夏侯惇殿が祝融婦人の登用に成功しました。」
「我が軍の紅一点じゃな。うひょひょ。」
「噛まれますぞ。」
218年7月
賈言羽「黄忠殿は、見事江州を陥落なさいました。」
「うむ。永安の太守は司馬朗とせよ。」
「御意。これで益州の喉笛をとらえましたな。」
「一気に攻めたいが武将の数が足りぬな。しばらくは防備に専念せよ。」
「御意。それと、そろそろ夏侯淵殿を柴桑に攻めこませてもよろしいかと。」
「うむ。」
218年10月
夏侯淵「劉備領の柴桑を攻略しました。」
「うむ。でかしたぞ。敵の侵攻に備えて防備を固めよ。」
「御意」
「長沙の太守には金旋を任命せよ。」
賈言羽「御意」
219年1月
韓玄領
江陵、長沙、武陵、零陵、桂陽、永安、柴桑、江州
韓玄57歳 魅力が28に上昇。ほか変化無し!!
賈言羽「相変わらずの無官状態ですな。」
「王位でも僭称するかの。」
「まだ駄目のようですな。」
「金でちまちま官位を買うのも馬鹿らしいの。」
219年3月
賈言羽「江州が劉章軍に攻められたようです。」
「黄忠等に任せとけば問題なし!!」
賈言羽「江州より入電。ワレカテリ」
「劉章陣営も大した奴等は居らんからな。」
夏侯惇「楊懐殿の登用に成功しました。」
219年4月
賈言羽「殿、劉章が死亡したようです。」
「引き抜き作戦を開始せよ。」
「御意」
賈言羽「残念ながらそれほど忠誠度が下がっておりません。」
「ふむ。劉循め、なかなかやりおるわい。」
「殿、長沙太守の金旋殿がお亡くなりになりました。」
「なんと。先ほど司馬朗も死んだから、これで永安と長沙の太守が不在か・・・・。
辛[田比]を長沙の太守に任命せよ。永安はしばらく不在で良い。」
「御意」
219年5月
「伊籍、朝廷に賄賂を持っていってくれ。」
伊籍「御意。」
賈言羽「いよいよ官爵を買いますか。」
「うむ。早う皆に報いてやらねばならぬ。」
219年7月
賈言羽「殿、漢詩大会を・・・」
「わかった、わかった、頑張れよ。」
賈言羽「・・・・・。あと1歩の所で優勝を逃しました。」
「残念だったね。鳳統の褒美の手続き頼むよ。」
「・・・・御意」
「そろそろ江陵の軍を二つに分けようかね。」
賈言羽「江夏と襄陽のどちらを攻めますか。」
「襄陽が欲しいな。荊州の州都だし。」
「殿自ら出向きますか?」
「敵太守は趙雲か・・・・。恐いのお。」
219年8月
「夏侯惇を襄陽を落として来い!!」
夏侯惇「御意」
賈言羽「殿、夏侯惇殿は野戦で勝利したものの、篭城戦で敗れたようです。おまけに捕まりました。」
「なんとぉ!!えらいこっちゃ。」
夏侯惇「申し訳ございませぬ。なんとか解放されました。」
「すまぬことをした。次はワシも出向くでの。」
219年9月
賈言羽「また江州に劉循軍が攻めこんできましたが、黄忠殿が撃退されました。」
「うむ。重畳じゃ。」
「ついでに雍ガイとやらが味方に付きましたぞ。」
「南蛮武将じゃな。」
219年12月
「春秋左氏伝とやらを買うたぞ。」
賈言羽「政治が10上がりまする。」
「うむ。おやワシアイテムを探ると色々持ってたのだな。」
「配下にお配りになると皆も喜びましょう。」
「じゃあそうそうるか。」
220年1月
賈言羽「霍弋殿と、夏侯覇殿が成人されて配下に加わりました。」
「霍弋はよく知らぬが、夏侯覇はワシの手元に置こうかの。」
「殿ももう58歳ですなあ。」
「年のことはもうすなというのに。」
「去年は支配都市を増やせませんでしたな。」
「でもワシの魅力が31に上がったぞ!!」
「・・・・オメデトウゴザイマス。」
「もっと喜べ!!」
220年2月
賈言羽「鮑隆殿を登用しましたぞ。」
「うむ。来月江州に送れ。」
「御意」
「ついでに平蛮なんとか図をお前にやろう。偵察能力が増えるんだと」
「ありがたき幸せ!!」
220年3月
「やっぱり江夏を先に落としたほうが良いよな。」
「御意。夏侯淵殿とも連携が取れまする。」
「じゃあ夏侯惇に行ってもらうか。」
「そうですな。ついでに桂陽から、南海を落としませぬか?」
「大丈夫かの?」
「桂陽には呂蒙がおりまする。」
「では、そうするか。」
伊籍「帯来洞主殿を登用しました。」
「南蛮武将じゃな。
220年4月
賈言羽「殿、夏侯惇殿が見事に江夏を落としました。」
「天晴れ!!予定通りじゃの」
「申儀殿がお味方に加わりました。」
「大分、仕官してくれるようになったの。夏侯惇を太守に任命。防備にあたらせよ。」
「御意」
220年5月
「では桂陽から南海に攻めこませよ。」
賈言羽「御意」
「重々注意するように申し伝えるのじゃぞ」
文聘「我が軍の勝利です。南海から劉循軍を追い払いました。」
「うむ。ご苦労であった。呂蒙にこちらに来るように伝えよ。」
「御意」
220年6月
文聘「殿、申し訳ございません。南海を劉循軍に奪いかえさえれました。」
「何をしておったのじゃ!!」
「すぐに体制を整えて侵攻いたします。」
「うむ。」
「あと帯来洞主が劉循軍についていってしまいました。」
「あんな南蛮武将はほうっておけ。」
220年7月
【虎に襲われる】
刑道栄に遊び来たので狩りに行ったら、虎に襲われた!!
「げっ!?け、刑道栄?何処じゃ?助けて〜。」
王虎(武力97)「ガルルルルル」
「ひ、ひぃえええええ。」
兵士「ぐ、軍師殿〜。と、殿が大変でございます。」
賈言羽「げっ、殿!?血まみれではありませんか!!」
「う〜ん・・・。バタリ」
賈言羽「え、衛生兵〜。こりゃ!!刑道栄!!何をしておったのじゃ!!」
刑道栄「も、申し訳ございません。」
「ええ〜い、とっとと任地の桂陽に戻れ!!馬鹿者め!!」
220年9月
【州刺史の位を賜る】
賈言羽「殿、お怪我の具合は?」
「見てのとおり重傷じゃ・・・・あ痛タタタタ。」
「お気を確かに。」
「うむ。薬湯が苦いのお。」
「殿。先ほど奪還された南海にはしばらく兵をだせそうにありません。」
「・・・・。」
「ここは、益州の黄忠殿に頑張ってもらいましょう。」
「うむ。よきに計らえ。ワシはしばらく眠る。」
「御意」
賈言羽「殿、殿・・・・。」
「むむむ・・・なんじゃ飯の時間か?」
「違いまする。朝廷よりの使者でございます。」
「おおっ」
「鉄シツレイコツダを寄越せと言っておりまするが?」
「うむ。渡せ渡せ。」
賈言羽「おめでとうございまする。州刺史に任命されましたぞ。」
「これで無官の身から脱却じゃな。偏将軍に夏侯惇、裨将軍に黄忠を任命せよ。」
「御意」
220年10月
黄忠「またしても劉循軍が侵攻してきましたので、これを撃破しました。」
賈言羽「お見事にございまする。」
「まだ、殿の傷は癒えませぬか?」
「大分落ち着いたようでございます。」
「それは良かった。で、捕虜の処遇は?」
「木鹿大王と朱褒を斬るようにとの仰せです。」
「承った。」
220年12月
賈言羽「殿、お怪我の具合は?」
「うむ。大分良くなったぞ。心配をかけたな。」
「ようござりました。報告をいたします。」
「うむ。」
「益州方面で張遼殿が成都に侵攻。これを攻略しました。」
「さすがは張遼じゃのう。」
「はい。劉循軍も恐れ入っておりましょう。」
「益州は心配無いな。問題はここ荊州か。」
「御意。柴桑の夏侯淵殿にも揚州に侵攻してもらわねばなりませぬ。」
「来年の課題じゃな。」
ちょっと休憩をば。
すっごい長くなりますなあ。文才もないし。
1年単位でやろっかな。
四代目すごーい。今までで最強の韓玄だね。
多分ギャラリーはみんないつ寿命が来るか
ドキドキしながら見てると思う。
おもしれえ。
>>367 戦略では実は2代目が一番凄かった感もあるが、
今回は「余り鍛錬せず」という条件の元でやって
これだけの成果をあげているから凄い。
3代目がやっていたコント風の流れで臨場感も出ているし。
あとは寿命との戦いだな。
天下は取れずとも、劉備なみに蜀の地くらいは取れるかも。
このスレの韓玄は魅力あふれまくりだ!
371 :
金旋:2001/01/29(月) 22:32
372 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/01/30(火) 00:04
このスレはマジでいいな!
たまにゃこういうのがあってもいい。ホント。
374 :
おまけの趙範:2001/01/30(火) 02:59
久方ぶりに覗いてみたら、3代目どころか4代目まで(驚愕)!
4代目韓玄殿、頑張って下され。
韓玄殿の軍師を務めております賈言羽申します。
皆様応援ありがとうございます。
我が殿がこうして長年生き延びているのも
夏侯惇殿、夏侯淵殿、黄忠殿、張遼殿が獅子奮迅の活躍をし、
司馬懿殿、鳳統殿、徐庶殿等が補佐をしているからこそです。
今現在ほぼ迎撃戦に死力を注いでおられます。
ようするに攻められっぱなしなのです。
>>367 あの殿は面倒くさがりでしてね。
軍師としては鍛練していただきたいのですが、真面目に聞いてくれません。
魅力だけは上げていただきたいのですが・・・・。
殿は、最近捕虜にした兵士が全員仕官を拒絶という状況ですので、
腹を立てております。どうも捕虜は皆殺しにしそうな感じです。
年をとって短気に磨きがかかったようです。
魅力が低いからだとお諌めするつもりですが・・・・。さて。
今現在の勢力は、曹操、孫権、殿が三強。
あと劉備、馬超、劉循が生き残っております。
ですが、我が軍の歴戦の武将たちも老いてまいりました。
若い者も出てきておりますが、まだ前線は任せられません。
彼らがいる間になんとか中原に乗り出したいものです。
あっ。我が殿は一度天下取りに乗り出した以上、最低自分の命が
尽きるまでやり通すおつもりですので、どうかお付き合いくだされ。
長長と失礼しました。賈言羽でございました。
221年1月
【寿命が伸びた】
「これ賈言羽?何をブツブツ言っておる?」
「おおこれは殿、そこにいらっしゃいましたか。」
「いつも横におるがな。」
「ちと挨拶をしておりました。」
「誰にじゃ?まあ良い。それよりこれを見てみ」
「誰からの書状ですか?」
韓玄殿
あなたは、名士10選で7位にランクインしました。
ご褒美に、寿命を伸ばしてあげます。
南斗・北斗
「殿、これは!?」
「年賀状として送られてきたのじゃ。」
「寿命を伸ばしてあげると書いてありますぞ!!」
「・・・・・そうらいしのぉ。」
「殿!!これは天命です。乱世は殿が終息させるのです!!」
「ワシが乱世を混乱させている張本人だったりして・・・。」
「殿?」
韓玄領 10都市
韓玄 59歳 名声11950
戦闘59
知力33
政治37
魅力34
221年4月
賈言羽「台風と洪水がまとめて領地にやってきました!!」
「何たることか!!」
「会稽を攻めた劉循が孫権に殺されたようです。」
「後継ぎは[广龍]羲か。」
221年5月
賈言羽「孟達殿、雷銅殿を登用しました。」
221年7月
【張遼逝く】
賈言羽「殿・・・。張遼殿が亡くなられました。」
「なんじゃと!!」
「今日成都から早馬が到着しました。」
「我が軍、きっての猛者が逝ったか・・・。代わりの太守は伊籍とせよ。」
「御意」
221年11月
賈言羽「卓膺殿を登用しました。」
「うむ。来月成都に移動させよ。」
「御意」
222年1月
韓玄領10都市変わらず
賈言羽「去年は侵攻できませなんだな・・・。」
「うむ・・・。」
「早く乱世を終わらせぬと死んだ張遼殿も報われませんぞ。」
「茶を飲むな!!」
賈言羽「この年も大侵攻は無く、特筆すべきは殿が州牧になられたことぐらいで・・・。」
「お前を偏将軍に任命したじゃろうが!!」
「あと南海を攻略して、王双殿を得ましたな。」
「廬江戦では夏侯淵が敗れたがの・・・。」
223年1月
韓玄 南海を攻略したので11郡を支配
韓玄 61歳 名声13998
戦闘59
知力33
政治38
魅力38
「侵攻しても新たに配置する武将がおらん!!」
賈言羽「戦で勝っても登用できませから・・・」
「今年は部下にならない奴にはワシ考えちゃうよ。」
「恐ろしや・・・・。殿、私も77歳になりましたですじゃ。」
「ですじゃって。商人から六韜を買ったでの。お主にやろう。」
「ありがたき幸せ。」
2月
【決意】
「やはりワシ自ら出向かねば成るまい。」
賈言羽「何ですか?いきなり・・・。」
「戦をするのじゃ!!江陵に居るのは誰か?」
「殿、私、王双殿、孟達殿、楊懐殿、雷銅殿、呂虔殿でございます。」
「南海から呂蒙と刑道栄を呼んでまいれ!!」
「御意」
「それと後方都市に一人ぼっちで居る太守達を他の前線に集めのじゃ。」
「空白地が増えますぞ・・・。」
「一向に構わぬ!!」
「負けると一気に窮地に陥りますが・・・・仰せに従います。」
「乾坤一擲じゃ!!」
3月
呂蒙「殿、劉備が攻め落とした武都から、かの張昭殿を登用しましたぞ!!」
「爺ばっかり集まるの。」
賈言羽「刺されますぞ・・・。」
「軍備を急ぐのじゃあ!!」
4月
賈言羽「殿、準備万端整いましたぞ。」
「宜しい。では来月襄陽に攻めこむぞ!!」
「あそこは人口が極端に減っております。長居は出来ませんぞ。」
「劉備め、民を徴兵しまくったな。許すまじ!!」
「(何人斬ることになるじゃろう・・・・。)」
5月
【襄陽決戦!!】
「援軍はいらぬ!!連弩部隊、襄陽に出撃じゃあ!!」
「おおっ!!」
「進め進めい」ザッシザッシ
賈言羽「殿、敵の援軍が!!」
「何じゃ、張飛の小倅一人ではないか!!恐れるな者共!!」
楊儀「韓玄に刺客を放て!!」
「あ痛たたた・・・・だ、誰かぁ、で、出合え〜。」
賈言羽「殿ぉ!!」
「きゅ〜〜。」
賈言羽「取りあえず拠点を抑えてく待機してだされ。」
賈言羽「皆、敵は左の拠点に集中しておるぞ!!」
呂蒙「お任せくだされ!!」
賈言羽「呂虔、雷銅、王双は敵本拠を落とせ!!」
「御意!!」
賈言羽「連弩を上手く使え!!敵は武将こそ多いが、そんなに兵を率いておらん!!」
「御意!!」
「ワシの立場が無い・・・・。」
賈言羽「あとは劉備を残すのみだ!!」
劉備「くっ、ここまで韓玄軍ごときに押されるとは・・・・。」
「トドメはワシがさしてやる!!くらえっ!!」ガキッ
劉備「無念・・・・。」
戦功1位 孟達 「ありがたき幸せ」
2位 ワシ 「おっ?」
3位 雷銅 「と、殿?」
「さて劉備軍よ。覚悟は良いかな?」
賈言羽「・・・やりますか?」
【裁判】
呉班・・・斬首
高沛・・・斬首
華佗・・・斬首
向朗・・・斬首
楊儀・・・斬首
楊秋・・・斬首
関索・・・斬首
趙累・・・斬首
高翔・・・斬首
張紹・・・斬首
劉永・・・未青年に免じて釈放
劉備・・・解放
賈言羽「10人斬りましたな・・・。」
「血を見るのは嫌いじゃ。」
「ご自分のでしょ?」
「うむ。」
「劉備は解放しましたな・・・。」
「あの人の良さそうな顔を見るとついの・・・。」
「これで殿の(悪)名は全土に知れ渡ったでしょう・・・。」
「恐れおののくが良いのじゃ。」
7月
「江陵の5万ほどの予備兵を襄陽に集めよ。」
「御意。張昭殿に襄陽までお越し願いましょう」
「うむ。襄陽は呂蒙に任せて来月は夏侯惇の居る江夏に参る。」
「新野を落とすのですね。お供いたします。」
8月
「久しぶりじゃ夏侯惇。」
「この度は襄陽攻略おめでとうございます。」
「うむ。所でお主は幾つになった?」
「67に御座います。」
「・・・・年取ったの。」
9月
「この江夏は新野、廬江と接しておるのじゃな。」
夏侯惇「御意。新野は馬超領、廬江は曹操領でございます。」
「では先に新野を攻めてから、ワシ自ら柴桑に赴いて廬江を攻める。」
賈言羽「しかし殿、柴桑に接しておるのは廬江の他に、建安、建業と御座います。」
「手薄に成るか・・・・。」
「御意」
「じゃあ、先に廬江に参ろうかの。」
移動 襄陽→江夏 雷銅
10月
賈言羽「馬超の部下、韓遂が死亡したようです。」
「韓って字が出たからあせったわい。じゃあ夏侯惇、柴桑に行ってくる。」
夏侯惇「ご健勝を」
「夏侯淵久しいのお」
夏侯淵「殿もお元気そうで・・・。」
「幾つになった?」
「61に御座います。」
「・・・・年取ったの。」
223年11月
「さて、柴桑に来たもののどうするか?」
賈言羽「廬江に8万、建安に12万、建業に11万・・・。結構キツイですな。」
「しかしここは夏侯一族が多いのお。」
「夏侯淵殿、夏侯覇、夏侯威、夏侯楙。江州には司馬一族も多ござる。」
「・・・・戦略を立てよ!!」
「では、私と殿、ほか3名くらいで廬江を攻めましょう。」
「う、うむ。」
「江夏の夏侯惇殿に援軍を出してもらいましょう。
12月
【廬江消耗戦】
賈言羽「殿、[广龍]羲が劉備に殺され、跡を張松が継いだようです。」
「ほら、劉備も遠慮無いじゃろう?ワシもやるぞい!!」
「廬江に出撃じゃあ!!」
賈言羽「連弩を上手く使うのです!!」
「ってか何故お主は鼓舞を持っておらん・・・。」
賈言羽「殿。江夏から援軍が来ましたぞ!!」
「よし。これで16万対8万じゃ!!押しまくれ!!」
「わあ!!ワシの前にちょ、張飛が・・・」
「殿、敵の援軍が・・・。大部隊です!!」
「戦力が5分になったか!!きっついのお。」
「殿!!魏延殿、雷銅殿、揚修殿、申儀殿等が敵の捕虜に!!」
「まとめて言うな!!」
----消耗戦展開中----
賈言羽「いやあ、危ないとこでしたな。」
「うむ。増援部隊が頑張って本陣を落としてくれなければ危なかった。」
「しかし、水軍を持ってないのに河で突撃をかけるものが
多すぎますな。厳重に注意をしておきます。」
「注意して聞くのか?」
【裁判】
馮習・・・登用
曹叡・・・斬首
張飛・・・斬首
満寵・・・斬首
張虎・・・斬首
賈言羽「張飛殿を斬りましたな。」
「曹操に仕えているのが悪い。」
「やはり劉備は怒るのでしょうか?」
「さあ・・・・。」
224年1月
【軍師逝く】
---韓玄の軍師 賈言羽が死亡しました---
「ちょっと待て!!おい!!」
夏侯惇「殿!?」
夏侯淵「如何いたしました?」
「軍師が・・・・賈言羽がポックリ逝ってしもうた・・・。」
黄忠「何と・・・。」
「口うるさい奴じゃったが、ワシをよう支えてくれた・・・。」
夏侯惇「御意」
「代わりの軍師は司馬懿とする。皆、賈言羽の時と同様に司馬懿をよろしく頼む。」
夏侯淵「御意」
司馬懿「謹んで軍師の任、お受けします。」
夏侯惇「(軍師殿。もうすぐ私もお側に参りますぞ・・・・)」
まじでドキドキしてきた…。
無理っぽいけど逝けるとこまで逝ってくれ…。
401 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/01/31(水) 01:27
裁判爆笑した。
北斗と南斗も粋だね!
老齢の将軍達に哀愁を感じるよ…。
賈言羽よ、安らかに眠れ。
嗚呼、賈言羽が先に逝きましたか・・・黄忠や張昭が生きているというのに。
年賀状でワラタのに、オチはちょっと悲しいですな。
4代目さん頑張れ〜
405 :
三国志Z:2001/01/31(水) 11:33
どんどん斬首しまくって、周りも人に困っているのでは?
孟達って、敵にするとうっとうしいけど、見方にすると頼りないのは俺だけかな?
非常に期待しています。がんばって。
406 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/01/31(水) 11:49
小気味良い武将の漫才が面白いです>4代目殿
407 :
三国志Z買おうかな:2001/01/31(水) 12:42
初代韓玄・二代目・おまけ趙範・三代目、そして四代目。
皆様に感謝です!
こんなに面白いスレも珍しいのでは?
再開が待ち遠しくてならないッス。
>>400-407
ありがとうございます。
あなた方お1人お1人が我が天龍・・・天佑でござる。
409 :
405:2001/01/31(水) 13:39
味方のまちがいです。
410 :
無名武将@焼身自殺:2001/01/31(水) 19:56
いよいよ四代目も佳境に入ってきましたね。
なるか? 韓玄中原制覇?!
224年1月
韓玄領 13 武将47人
韓玄62歳 名声15114
戦闘59
知力33
政治38
魅力40
新軍師 司馬懿46歳
戦闘88
知力99(六韜+8)
政治103(史記+10)
魅力89
1月-2月
司馬懿「殿。では改めましてよろしくお願いいたします。」
「賈言羽さんが逝ってしもうた、賈言羽さんが・・・」
「・・・・殿」
「おまえは、助三郎とか改名せい。」
「ご隠居とでもお呼びしましょうか?」
「嫌じゃ。」
「さて、廬江を落としたものの如何いたそう。」
「殿。やはりこの武将の少なさは致命的ですな。外に兵を出せませぬ。」
「いたしかたあるまい。計略以外で登用出来た武将は数人じゃ。」
「ここは我慢の時です。」
「うむ。(じゃがワシももう年じゃぞ。)」
「しばらくの間は膠着状態が続きそうです。その間になるべく武将を引き抜きましょう。
その間に殿には魅力の鍛錬をしていただきます。」
「60の手習いか?」
「厳しくいきますぞ。」
「うひょ。」
4月
梓潼の趙雲が江州に攻めこんでくるも、黄忠がこれを撃退。
趙雲を捕虜とする。
「殿、裁判の時間です。捕虜武将は全員斬って宜しいですか?」
「今回はどうしようかのお」
「こうと決めたら実行すべきです!!その日の気分で決めてはなりませぬ。」
「わ、わかった。」
【裁判】
王平・・・斬首
誰?・・・斬首
趙雲・・・解放
「何故、趙雲をお逃がしになったのです?」
「そう恐い顔をするな。いつか配下にしたいのじゃ。」
「何処かの人材マニアの真似をしようとすると痛い目みますぞ。」
「わかっておる!!」
6月
【夏侯惇逝く】
「殿!!」
「何じゃ騒々しい・・・。」
「江夏太守夏侯惇殿とその参謀徐庶殿がお亡くなりになったようです!!」
「・・・我が軍の筆頭将軍が・・愛すべき家臣が・・・何故じゃ!!」
「悲しみを力に変えて、立つのです殿!!」
「んなこと言われても・・・・。」
「江夏太守は誰にお任せしましょう。」
「・・・・魏延とせよ。」
「御意」
9月
またしても、梓潼の趙雲が江州に押し寄せる。
黄忠がこれを撃退。
【裁判】
張苞・・・登用
関興・・・斬首
孟獲・・・斬首
趙雲・・・解放
「・・・殿?」
「張苞を得たぞ!!なんと喜ばしい。」
「趙雲・・・「却下!!」
11月
「殿、弘農の臧覇殿を登用しました。」
「うむ。では来月江夏に移動させよ。」
「御意」
225年1月
【黄忠逝く】
「夏侯惇に続き、今度は黄忠か・・・・。歴戦の武将がまた一人ワシをおいて・・・。」
「江州は趙雲が鬼のように攻めてくる激戦地です。」
「では代わりの太守は襄陽にいる孟達とせよ・・・。」
「(孟達・・・?嫌な響きだ・・・)」
「おい!!」
「果たして黄忠殿の代わりが務まりましょうや?」
「無理」
「夏侯恵殿が成人して幕下に加わりました。」
「うむ。」
韓玄 63歳 名声ランキングで5位に入る。
戦闘59
知力33
政治38
魅力45
「殿!!江州に攻めこんだ建寧の張松軍を孟達殿が無事撃退したようです。」
「孟達め、なかなかやりおるな。」
【裁判】
軻比能・・斬首
厳顔・・・斬首
黄権・・・斬首
[登β]賢・登用
帯来洞主・・登用
「命冥加が2人もおったか。」
「厳顔と黄権は惜しかったですなあ・・・・。」
「それを言うな」
3月
「廬江は馬忠に任せてわし等は襄陽に参るぞ」
「御意」
「馬忠よろしく頼む。」
「御意」
4月
「目障りな劉備を先に潰すとしようか・・・。」
「では、上庸を攻めまするか?」
「最早劉備軍には、猛者と呼べるものは、関羽、趙雲くらいじゃ。」
「はい。二人とも漢中、梓潼の太守を勤めております。此度は動けますまい。」
「ここ襄陽には我が軍きっての精鋭が集まっておる。それをもって攻めるぞ。」
「御意」
5月
【上庸攻め】
「劉備領、上庸を攻める!!司馬懿、王双、呂蒙、刑道栄、共をせい!!」
「御意!!」
【司馬懿日記】
上庸で迎え撃つ劉備軍と互角の激戦を展開する。
が、殿には敵の策が気持ちの良いくらいきまり、1人で混乱され、激怒し、同じ場所を
クルクル回っておられた。救援に行くよう指示した王双殿、刑道栄殿も・・・・。
今回は私と呂蒙殿で攻め落としたようなものである。しかも残り1日ぎりぎりであった。
このままではこの先の戦、先行き不安だ・・・・。ふうっ。
「これ司馬懿、何をしておる。裁判の時間じゃ。」
「今行きまする。」
【裁判】
呉懿・・・斬首
麋竺・・・斬首
鄂煥・・・斬首
趙範・・・斬首
胡班・・・斬首
劉禅・・・斬首
劉理・・・未成年につき釈放
劉永・・・同上
劉備・・・処断
「ついに劉備を斬りましたな。」
「情け無用とは言え、老体には堪えるわい。」
「いたしかた御座いますまい。」
「劉備の跡は劉封が継いだか。」
6月
江夏の魏延が曹操領の新野を攻略
【裁判】
馬遵・・・斬首
雅丹・・・登用
劉曄・・・斬首
張既・・・斬首
何晏・・・登用
楽[糸林]・斬首
「殿、文聘殿が守る南海が孫権軍に撃破され、文聘殿、李厳殿は孫権の元に去ったようです。」
「桂陽の太守は夏侯尚とし、襄陽から呂虔を派遣せよ。」
「御意。」
「その前に、文聘と李厳を取り返せぬか?」
「やってみまする。」
「仰せのとおり、2人を奪還致しました。」
「うむ。李厳を桂陽に送れ。」
「襄陽にいる武将5人を、廬江、柴桑にそれぞれ移動させまする。」
7月
「殿、魏帝曹操が逝去したようです。」
「そうか・・・。そういえば一度も見たことなかったな。」
「この大陸は広いゆえに。跡を継いで即位したのは曹丕のようです。」
「いつか戦場で干戈を交える日が来るかの。」
「そう遠いこともありますまい。」
うっひょう、韓玄すげーぜ。
ところで、韓玄プレイってば三国志VII限定?
これから、オレも韓玄プレイに萌えようかと思うんだけど
国が成長してても
司馬懿日記
>>422 ではいつもどおりの韓玄に萌え
>【裁判】
なんかこれが一番楽しみになってきてる。
がんばれ!
>>427氏
3代目氏はVllじゃないみたいだよ。
>>4代目韓玄氏
劉封が君主になっても趙雲の忠誠度は下がらなかったかな?
頑張って趙雲を手に入れて、マターリと老後を過ごしましょう。
ところで4代目殿、現在の配下が誰と誰なのか、
詳細を書いていただけると嬉しいです。
あれ?
昨日はお休み?>4代目
434 :
無名武将@焼身自殺:2001/02/02(金) 17:34
四代目殿・・・待ちきれないです・・・
226年1月
「たいした事もしてないのに、こうして応援してくれる人のためにも頑張らないといけませんぞ。」
「うむ。分かっておる。」
韓玄64歳 名声16037
戦闘62(大斧+2)
知力33
政治38(春秋左氏伝+10)
魅力47
226年1月
「たいした事もしてないのに、こうして応援してくれる人のためにも頑張らないといけませんぞ。」
「うむ。分かっておる。」
韓玄64歳 名声16037
戦闘62(大斧+2)
知力33
政治38(春秋左氏伝+10)
魅力47
「ほら、失敗した!!」
「あぐぐぐ。」
申し訳御座いません・・・・。
このスレに触発されて韓玄でやってみた(三国志5で)
結果は惨敗。つーか3回やって3回とも秒殺された。
同盟すら結べないっつーんじゃゴルァ。
韓玄領14 武将56
太守、その他武将が居るのは前線のみ
上庸 韓玄(君主) 司馬懿 王双 刑道栄 司馬昭 文聘 楊懐 呂蒙
江州 孟達(太守) 司馬師 霍弋 沙摩柯 張苞 潘濬 鮑隆
成都 伊籍(太守) 郤正 蒋[王宛] 帯来洞主 卓膺 雍ガイ 劉豹 タクヨウ
桂陽 夏侯尚(太守) 夏侯玄 左慈 傅士仁 忙牙長 李厳 呂虔
柴桑 夏侯淵(太守) 何晏 夏侯威 夏侯和 夏侯恵 夏侯覇 蒋済 申儀 鳳統 楊修 劉賢
廬江 馬忠(太守) 夏侯楙 鞏志 張衛 張横 張昭 馮習
新野 魏延(太守) 雅丹 祝融 辛[田比] 臧覇 傅僉 雷銅 廖立
「殿、これが我が軍の陣容です。」
「一部を除いて、他では三軍、四軍クラスでしか使われん武将ばっかりじゃな。」
「(君主はそれどころじゃないくせに・・・・)」
「音に聞こえた豪傑が欲しいのお。」
「さて、来月はいきなり漢中に攻め入るぞ。」
「御意。太守は関羽ですな。」
「ブルブル」
2月
「と思ったら訓練が進んでおらんではないか!!」
「漢中攻めは、4月以降と致しましょう。」
「その間に誰か死ぬんじゃなかろうの。」
「こればっかりは・・・。」
3月
「梓潼の劉封軍が江州に攻めこんできましたが、孟達殿が撃退しました。」
「趙雲もようがんばるのお」
【裁判】
諸葛亮・・・解放
趙雲・・・・解放
関平・・・・解放
趙統・・・・未成年に付き釈放
「なんと!!皆逃がしてどうするのです?」
「ワシに考えがある。まあ、任せておけ。」
「・・・御意」
【司馬懿】
漢中に、殿、私、呂蒙殿、王双殿、刑道栄殿、楊懐殿、文聘殿で攻めこむ。
最早劉封軍など我が軍の敵ではない。気をつけるのは、太守の関羽と参謀の費[示韋]だけであろう。
殿は相変わらず、我等が落とした拠点を占拠し、兵力の削りまくられた武将にトドメさしておられた。
今回の戦は楽であった。殿も思ったほど混乱しなかった。混乱されて一騎打ちなど挑まれたら大事である。
殿には今後も注意が必要である。ふうっ。
しかし恐るべきは、関羽の武力の凄まじさであったが、我が軍は遠くから弓を使ってこれを撃退した。
戦功1位は殿、2位は王双殿、3位は呂蒙殿であった。本当は私だと思うのだが・・・。
漢中を落とした事で、唐皇帝馬超の居る長安と境界を接することと成った。警戒が必要である。
【裁判】
費[示韋]・・・斬首
秦[宀必]・・・斬首
劉永・・・・・仏の顔も3度まで
呂義・・・・・登用
兀突骨・・・・斬首
馬良・・・・・斬首
迷当大王・・・登用
俄何焼戈・・・登用
「3人も配下に出来たことは、喜ばしいですな。」
「兀突骨が意外と漢であったの。」
「自称王様ですからな。」
8月
「劉封軍を追い詰めたとはいえ、やはり一番の敵は孫権じゃろうな。」
「御意。江東を完全にこちらで制圧したいのですが、中々・・・」
「船の戦は皆苦手じゃからのお。」
「取りあえず、益州の喉首、漢中をおさえましたから次は南ですかな。」
「呂蒙に活躍してもらうとしよう。」
「御意」
9月
「と言うことで、やってきたぞ夏侯淵」
「お久しゅうござります。」
「おお、おおお。年を取ったのお。柴桑で長年苦労をかけておる。」
「なんの。まだまだ若いものには負けませんぞ。」
「夏侯惇達亡き後、お主だけがワシの生き甲斐じゃ。長生きしてくれよ。(多分本心)」
「もったいなきお言葉。」
10月
「新野を曹丕軍に攻められましたが、魏延殿が撃退されました。」
「では、裁判じゃ。」
【裁判】
孫礼・・・斬首
州泰・・・斬首
陳群・・・斬首
歩隲・・・斬首
11月
【司馬懿日記】
孫権領、建業に攻めこむ。
出陣武将は、殿、私、夏侯淵殿、呂蒙殿、鳳統殿、楊修殿である。
廬江の馬忠殿に援軍をお願いする。
途中夏侯淵殿が、敵の挑発に乗り拠点を明渡すと言う失態を演じたが、
すかさず殿がフォローに回られた。しかし、その拠点であろうことか混乱されておられた。
私や、鳳統殿、楊修殿の必死の救助により事無きを得た。危ない危ない。
終盤敵将朱拠とかいう者が、呂蒙殿に一騎打ちを申し込んできたが、呂蒙殿がこれを撃破された。
呂蒙殿はもう少し、知力を上げられれば夏侯淵殿に代わる我が軍の筆頭将軍になるだろう。
此度の戦功1位は私が頂いた。2位は廬江の鞏志殿、3位は夏侯淵殿だった。
【裁判】
朱拠・・・斬首
于詮・・・斬首
潘璋・・・斬首
士匡・・・斬首
賈範・・・斬首
卑衍・・・登用
諸葛誕・・斬首
孫朗・・・斬首
李異・・・斬首
227年1月
韓玄領16 武将62人
韓玄65歳 州牧 名声17072 ランキング2位
戦闘63(大斧+2)
知力33
政治38(春秋左氏伝+10)
魅力50
「にょほほほ。領土も武将も増えた増えた。」
「御意にござりまする。領土の数では孫権を超えましたぞ。」
「名士10選でも2位に入ったぞ。」
「おめでとうございまする。」
「通知と一緒に金3000も入っておった。」
「彼等の資金源は何なのでしょう?」
---ちょっと休憩----
>>437殿がXで殿のプレイをされているようですぞ。
「ワシもXではまだ割拠したことないぞよ。」
「是非とも頑張って頂きたいです。」
「しかし、柴桑の夏侯淵の一族は凄いのお。」
「絶倫ですなあ。」
「お前は、子元と子上で打ち止めか?」
「お恥ずかしい。」
「じゃがワシには子が居らぬなあ。」
「いや・・・それは・・・・。」
「嫁も居ったんじゃろうか?」
「存じませぬ。」
449 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/02/03(土) 00:13
韓玄軍の武力の要は夏侯淵、魏延の2人ですか?
軍師クラス(司馬懿、司馬師、司馬昭など)も武力高かったかな?
しかし、支配都市の数に対して配下武将が少ないですね。
これからの終盤戦、今以上の厳しさが待っていると思いますが頑張って下さい。
特に孫権征討は辛そうですね。
ひょっとして【水軍】の特技を持つ武将って呂蒙だけですか?
450 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2001/02/03(土) 00:48
>449
文聘もですね。あとなぜか鮑隆(w
>「嫁も居ったんじゃろうか?」
ひどいよなぁ(笑 三国志にもオルドがあれば子供も出来たろうに…。
まさに寿命との戦い。
むむぅ。。。どこまで逝くのか楽しみデス
454 :
三国志Z:2001/02/03(土) 09:24
いやーはらはらどきどきですなー。
今考えると、最初の夏侯淵、とん、司馬懿、を登用できたのは大きかったですね。
そういえば、きょういっていつごろでてくるのかな?
このままいけば、在野で登用できるのでは?・・・寿命との勝負か・・・
なんにしても、次も期待しています。
【勢力一覧】
韓玄 州牧 都市16
曹丕 魏皇帝 14
劉封 蔡皇帝 2
孫権 斉皇帝 13
馬超 唐皇帝 6
張松 執金吾 3
「こんなに皇帝が乱立するとは、世も末じゃの。」
「漢に忠誠を尽くすのは、殿と張松のみですか。」
「我等は官軍というわけじゃ。」
「御意」
「ずれておるぞ?」
「あれ?」
「さて、また柴桑に戻るぞ。」
「建安を落とすのですな?」
「そうじゃ。すると南海と交阯の孫権軍は、孤立するじゃろう?」
「そこを桂陽に駐屯している夏侯尚の軍で一気に攻めあがる。」
「うむ。その勢いで、建寧、雲南、永昌の張松軍も駆逐する。」
「そうすると、荊州、益州、揚州はほぼ殿のものですな。」
「それから中原に乗り込むのじゃ。曹丕、孫権恐るるに足らずじゃ。」
「御意」
「殿お!!曹丕軍が攻め落とした下[丕β]から、諸葛瑾殿を登用しましたぞ!!」
「久しぶりの大物ゲットじゃな。うひょ〜。」
3月
「柴桑にワシとお主、呂蒙で移動するぞ。」
「御意」
「殿、一気に建安を落としましょう。」
「うむ。お主は水戦が得意じゃからのお。頼りにしておる。」
「お任せを。」
4月
「殿、雷銅殿がなくなりました。」
「そうか。じゃが代わりに蘇飛を登用したぞ。」
5月
「劉封軍が漢中に攻めこんできたようですが、文聘殿が撃退されました。」
「彼奴等など最早眼中に無いが、まあ文聘はよくやった。」
「君主劉封は捕らえたようですが、関羽は逃亡したようです。」
「赤兎馬でも持って居るんじゃろうて。」
【裁判】
関平・・・斬首
趙広・・・斬首
諸葛亮・・解放
劉封・・・斬首
「劉封亡き後、蔡国皇帝の座は関羽が継いだようです。」
「髭奉行がたいした出世じゃ。ほっほっほ。」
「さあて、建安に攻めこむかのお。」
「御意。準備万端整っております。」
「夏侯覇、親父の名を汚すでないぞ。」
「御意」
【司馬懿日記】
建安の孫権軍は思ったより手ごわかった。というより援軍で来た陸遜軍が強かった。
我が韓玄軍で武力が高い、呂蒙殿(85)や夏侯覇(84)殿も苦戦を強いられていた。
だが実のところ、私も武力では彼等に負けていない。というか勝っている。(私の武力は89)
右に左に動き回る私の活躍で陸遜(救援)軍は壊滅した。ふふん
まあ、一気打ちで夏侯覇殿が丁封を討ち取ったことは記録しておこう。
今回、殿は一度も混乱されず果敢に敵本陣をおとされた。だから戦はわからない。
今回の論功では当然私が1位、2位は苦しみながらも夏侯覇、3位は渋く蒋済だった。
【裁判】
顧雍・・・斬首
丁封・・・斬首
陳式・・・斬首
周魴・・・斬首
凌統・・・斬首
全子[王黄]・斬首
朶思大王・・斬首
陸遜・・・斬首
「予定通り建安は落としたのお。」
「孫権軍軍師陸遜と名将凌統を討ったのは大きいですぞ。」
「孫権め、今ごろ地団太踏んでおろう。にょほほほほ。」
10月
「さて、桂陽の夏侯尚に南海を落とすように申し伝えよ。」
「御意。南海には武将が3人しか降りませぬ。」
「うむ。南海は孫権軍に奪われた貸しがある。そのつけを払ってもらわねばの。」
「まず心配ありますまい。」
「ここ建安からも援軍を送れよ。」
「私も行ってまいりましょう」
建安から、呂蒙、司馬懿、夏侯覇、蒋済が援軍として派遣される。
「殿、南海を平らげて参りました。」
「大儀至極。」
【裁判】
高定・・・登用
公孫淵・・登用
王累・・・斬首
呂範・・・登用
全端・・・斬首
楊祚・・・登用
留略・・・斬首
「かかかか。4人も我が配下に加わったか。」
「殿が地道に魅力を上げられた成果がでておりまするぞ。」
「こんなに嬉しいことは無い。」
「(アムロ・・・?)」
12月
「殿!!交阯には呂岱1人しか居りませぬぞ。」
「では続けざまに夏侯尚に交阯も攻略させよ。」
「御意」
【裁判】
呂岱・・・斬首
228年1月
韓玄領 19
韓玄66歳 州牧 名声17831
戦闘66(蛇矛+5)
知力33
政治38(春秋左氏伝+10)
魅力51
【改めて新年の誓い】
「司馬懿ワシはこの手で天下を取るぞ。」
「御意に御座りまする。」
「劉表から独立して20年、ついにここまで来た。」
「激戦に継ぐ激戦で御座いましたなあ。」
「うむ。じゃが天下はすぐそこにある。」
「殿、この地図をご覧ください。」
「うむ・・・。何じゃ!?孫権も曹丕も我が軍に武将をさけぬ状態ではないか。」
「御意。」
「捕虜を斬るは心苦しい事であったが、今それが生きておる。」
「殿、最早我が軍は何処にも負けませぬ。殿の手で天下をお掴みくだされ。」
「じ〜ん(感動中)」
2月
「殿、執金吾の張松が病死したようです。」
「跡を継いだは[登β]芝か・・・。知らぬ名じゃのお。ほっほっ。」
「殿、交阯で軍備の任についておられた夏侯尚殿が雲南を落とされました。」
「おお。良し良し。」
【裁判】
費詩・・・斬首
尹黙・・・斬首
楊鋒・・・登用
傅巽・・・登用
呂凱・・・斬首
郭攸之・・斬首
阿会喃・・斬首
[登β]芝・解放
3月
「成都の伊籍に梓潼を落とすように申し伝えい!!」
「御意。梓潼は趙雲1人、残る武都にも3人しか武将はおりませぬ。」
「それを攻めれぬ、長安の馬超も最早敵ではない。」
「御意」
【裁判】
諸葛亮・・・解放
趙雲・・・・解放
趙統・・・・解放
4月
「殿・・・楊州殿が亡くなられました。」
「あれもよう我が軍を支えてくれたのお。」
「御意」
「孫権領の会稽を攻めたい。司馬懿行ってくれるか?」
「此度は我等にお任せくだされ。」
司馬懿軍、会稽攻略。
「司馬懿、見事であった。」
「孫権軍恐るるに足らずです。」
【裁判】
虞翻・・・斬首
士壱・・・斬首
賀斉・・・斬首
周泰・・・斬首
韋昭・・・斬首
陸凱・・・斬首
6月
「成都の孟達に建寧を、雲南の夏侯尚に永昌を落とすように伝えよ。」
「御意。これで[登β]芝軍は壊滅となりましょう。」
「うむ。」
孟達軍建寧を攻略
【裁判】
[言焦]允南・・・解放
7月
「建寧の孟達軍をそれぞれ前線に送れ。」
「御意。」
「これで、いよいよ中原に踊り出す戦力も揃ったの。」
「来月は夏侯尚殿も永昌を落とすでしょう。」
「うむ。」
8月
夏侯尚が永昌に進行、これを撃破する。
【裁判】
董允・・・・解放
[言焦]允南・解放
[登β]芝・・斬首
「殿。これで実質、楊、益、荊の三州の支配者は殿です。」
「国土の半分を抑えたのお・・・。」
「御意。」
「ここまで来るのに、20年を費やしたか・・・。」
「しかし殿、天下はすぐそこです。」
「うむ。永昌の夏侯尚軍を前線に送れ。」
「御意。」
10月
「殿。沙摩柯殿と傅巽殿が亡くなられたようです。」
「沙摩柯は、旗揚げ当初からの配下であった・・・・。」
「私も江州時代に長らく苦楽を共にしました。」
「勇将の冥福を祈ろう・・・。」
「御意。」
「司馬懿、呉を落としてきてくれ。」
「お任せください。」
「頼むぞ」
司馬懿軍、呉に進行。これを攻略する。
【裁判】
陳武・・・斬首
太史享・・斬首
薛綜・・・斬首
12月
「司馬懿、新野に移動するぞ。」
「御意。」
「呂蒙、呉はよろしく頼む。」
「お任せくだされ」
229年1月
「殿」
「何じゃ蒋[王宛]?」
「王位についてくだされ!!」
「何じゃいきなり。」
「殿。誰も殿の王位に否やというものは居りませぬ。」
「司馬懿まで・・・」
「殿!!ご決断を!!」
「しかし・・・今まで州牧韓玄が売りじゃったのだぞ?」
「国王として中原に乗り出してくだされ!!」
「殿」「殿」「殿」etc........
「皆の決意はよう分かった。これよりワシは唐国王じゃ!!」
「御意〜!!」
「殿、私の背中を見てくださらぬか?」
「ん?」
「なにやらむず痒いくて・・・」
「汚い背中じやのお。ん?何やら書いてあるぞ。」
「えっ?」
「大当たり・・・?」
司馬懿、南斗・北斗より聖痕を渡される。
唐国王 韓玄
部下に将軍職を授ける
征東将軍・・・夏侯淵
征南 ・・・司馬懿
征西 ・・・呂蒙
征北 ・・・魏延
鎮東 ・・・王双
鎮南 ・・・夏侯尚
鎮西 ・・・刑道栄
鎮北 ・・・張苞
以下略
ここまで生き続ける事が出来たなんて…不思議ですな。
運がめちゃくちゃ良いのかな?
一度寿命を延ばしてもらってるとはいえ素晴らしいぞ4代目どの
このまま一気に天下を是非
韓玄様、ここまで大きくなられるとは・・・。
わしらも韓玄様について来た甲斐がありましたですじゃ!
2月
「廬江太守、馬忠に曹丕領の寿春を落とせと申し伝えい!!」
「御意。」
【裁判】
曹仁・・・斬首
郭淮・・・斬首
謝旌・・・斬首
曹羲・・・斬首
曹訓・・・斬首
士祗・・・登用
「曹仁はまだ生きて居ったのじゃなあ。」
「殿下。1人不謹慎な名前の武将がいましたな。」
「謝旌か?」
「御意」
3月
「梓潼の伊籍に関羽領の武都を落とすように申し伝えよ。」
「御意」
【裁判】
趙雲・・・・解放
[言焦]允南・斬首
董允・・・・斬首
趙統・・・・斬首
諸葛亮・・・解放
関羽・・・・斬首
「蔡国もこれで滅びましたな。」
「髭奉行も死んだか。」
「殿下、孔明と趙雲は何故お逃がしに?」
「何処かに拾われたら、登用しやすくなるじゃろう?」
「なるほど・・・。」
「殿下。ここ新野に馬超軍4万が攻めこんでまいりました。」
「我が軍の最大集結地にたった4万で?ふふん。蹴散らして来い」
「御意」
4月
【天下遼遠】
「む、むむむむ。」
「殿下!?」
「む〜〜〜ん。」
「殿下・・・!?で、殿下!!誰ぞ、誰ぞ居らぬか?」
「殿下。しっかりなさいませ。」
「どうやらここまでのようじゃのお・・・・」
「何をおっしゃいますか!!」
「天下に手が届く気がしたがの・・・。」
「もう掛かっておりまする。あと少しで天下は殿下のものでございまする。」
「司馬懿。あの世で賈言羽や夏侯惇が呼んでおる。」
「殿下・・・・・。」
「司馬懿・・・・跡はお主が継げ。乱世を終わらせよ。」
「・・・・御意。」
「残った我が家臣たちを宜しく頼むぞ。」
「御意」
「じゃあ、行ってくるぞい。さらばじゃ。」
--------韓玄 死亡----------
唐国王 韓玄 享年67歳
戦闘66(蛇矛+5)
知力33
政治38(春秋左氏伝+10)
魅力52
皆様、長らくお付き合いくださりありがとうございました。
ついに韓玄の寿命が尽きてしまいました。
ここまで、韓玄の命が続くとは正直思いませんでした。
天下統一まであと少しだったのですが、残念です。
最後にもう一度皆様にお礼を言わせてください。
ありがとうございました。
4代目どのお疲れ様でした
実に惜しかったですね
韓玄でココまでいけるとは正直思っていませんでした
ほんとにお疲れ様です
四代目韓玄様の事は私たちが長く長く語り継いで行くからの。
本当に立派な王様じゃったよ。
本に、本に・・・。
名君、4代目韓玄様に、一同、黙祷!!!!!!
>>485-487
ありがとうございます。
しかし、前線にしか太守と武将を置かず、後方都市は放置状態。
敵対捕虜武将で登用に応じないものは、途中から皆殺しにして、
勢力を無理やり拮抗させたし。果たして名君であったのか(笑)
願わくばあと3年あれば・・・・。いや、序盤マッタリしすぎましたな。
あれが我が韓玄の限界でございましょう。
次の韓玄、または他武将での天下統一をお祈り申し上げます。
これを見ると韓玄で大陸統一したって奴は凄く偉大か
大嘘つきかのどっちかに見えてきた。
あとはリセット野郎たな。
とにかく四代目はよくぞここまで寿命と戦いやって来た。
凄すぎる!
今日、Vで韓玄スタート。
最初の2ヶ月で魏延が引き抜かれ、その6ヶ月後に黄忠が死亡。
で、同月に曹操に討たれました。
ハッキリ言って1年生きる残るだけでも困難です(笑)。
韓玄様あ〜
4代目、本当にお疲れ様でした。楽しい時をありがとう。
四代目さんすごいや&お疲れ様でした。
私も三国志7の韓玄に挑戦してみたくなったんで、ちょっとだけアップしてみます。
個人能力は四代目さんの
>>286参照。
207年10月
儂は今、劉表の被官という立場で長沙の太守を務めておる。東呉の孫権領に近い要衝じゃが、
ここに派遣されておる武官は儂よりもジジイな黄忠というヤツだけじゃ。
劉表も何を考えておるのやら。
あんなヤツらは頼りにならん。ここは一つ儂が名乗りを挙げて、乱世に終止符を打ってやろう。
黄忠「太守殿、徴兵が済みましたぞ…はて太守殿、某の手兵はいかがなされた」
韓玄「全員儂の部下に組み込んだわい。…なんじゃ、文句あるか」
黄忠「そうではござらぬが」
韓玄「あっそ。じゃ儂ゃちょっと襄陽に行ってくるわ。魏延く〜ん」
207年11月
黄忠「太守殿、徴兵が済みましたぞ…ってどこに行かれるおつもりか」
韓玄「魏延のとこに遊びに行ってくるんじゃ。悪いか」
207年12月
黄忠「太守殿、徴兵が済みましたぞ…っておらんではないか。ん、置き手紙?」
韓玄『襄陽の魏延のとこに遊びにいってくる』
208年1月
正月早々、御大将劉表殿に呼び出しを食らった。
まあ襄陽なんぞ目と鼻の先じゃからそれは構わんが…
韓玄「殿におかれましてはご機嫌麗しゅう(以下略)」
劉表「うむ」
韓玄「して、此度はいかなるご用件で」
劉表「韓玄よ、そちは予に仕えて何年になる」
韓玄「(ギクッ)左様、かれこれ20年になりますか…」
劉表「そうか、日頃の忠義天晴れである。よって俸禄を20加増しよう」
なんじゃ、てっきり儂の野心がバレて拘束されるのかと思っておったが。
まあよい、くれると言うなら貰ってやろう。
韓玄「これはこれは勿体無いお言葉、有り難き幸せにござりまする」
劉表「うむ、これからも忠勤に励んでくれ」
馬鹿め。
長沙太守の韓玄が劉表に反旗を翻し、独立しました!
208年2月
案の定黄忠はついてきてくれんかったのう。まあハナから期待なんぞしとらんが。
じゃが黄忠が集めてきた兵力は全てこの儂の手許にある。早速桂陽を攻略じゃ!
ううむ、誰も配下になってくれんかった。これも儂の人徳のなせる業かの?
208年4月
満を持して(といっても1人きり)零陵を攻略じゃ!
キョウ志「わかりました…こうなっては仕方ありません…」
うひょっ、ラッキー!儂にもついに話し相手ができたぞ!
四代目殿・・・さぞや無念(痛快?)であったでしょう・・・(落涙)
・・・と、思っていたら早くも五代目がっ!(嬉)
がっ、頑張ってチョーダイ!!!
「殿、5代目殿が頑張っておられますぞ。」
「うひょ。」
「殿の最初の軍師は私でしたが、5代目殿は誰になるんでしょうね。」
「ううむ。」
「多くの武将が味方についてくれるとよいですなあ。」
「ワシは苦労した・・・・。」
「御意。」
「5代目殿、あの世で見守っておる。頑張ってくれい。」
498 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/02/04(日) 14:03
祝!5代目記念age
>>482 「司馬懿。あの世で賈言羽や夏侯惇が呼んでおる。」
に泣いてしまったよ。なんでだろう。
四代目マジカッコ良かったよ、お疲れ様。
208年5月
魏延のところに遊びに行ったら柴桑の情報を教えてくれた。
それって孫権の本拠地じゃん。なんでお前が調べられるんじゃ?
…まあよい、折角の情報じゃ。孫権の家臣共に手紙を書きまくるとしよう。
208年6月
キョウ志「劉巴という人物を見つけてきました。殿に仕えてもよいと申しております」
劉巴「菲才の身ですが宜しくお願い致します」
でかした、キョウ志!(でも実はロードを繰り返した)
208年7月
キョウ志「殿、急報です!襄陽の劉表が亡くなりました!」
韓玄「ほう…まあどうでもよいか。ところで、後を継いだのはやっぱり劉[王奇]か?」
キョウ志「いえ、それが蔡瑁だという話で」
韓玄「なんと!…よし、火事場泥棒と呼ばれても構わん、
これを不服とする者共を糾合するのじゃ!」
劉巴「殿、魏延将軍が応じてくれましたぞ」
魏延「おう韓玄殿、久しいな。これからはお宅んとこに厄介になるぜ」
韓玄「よく来てくれた。そちが来てくれれば百人力じゃ」
キョウ志「殿、武陵太守の金旋殿も城ごと寝返ってくれましたぞ。
しかも劉度、趙範の両名もお味方してくれるとのこと」
劉巴「これで早くも荊州南4郡を押えられましたな」
韓玄「荊州弱小カルテットが早くも勢揃いか。なかなかに壮観じゃのう」
魏延(威張れることじゃないだろ)
208年8月
韓玄「そうは言うても、今の戦力で4郡を維持するのはちと辛いのう。全員長沙に撤収じゃ!
あ、それと物資は根こそぎ持って帰れ。塵一つ残すなよ」
208年9月
キョウ志「孫権が江陵を奪ったようですぞ」
韓玄「構わんよ、ほっとけ。それより孫権に降った奴らはいるか」
キョウ志「ケイ道栄と劉賢が降ったようですな」
韓玄「じゃあ奴らに声をかけてみるとしよう。幸い劉度は劉賢の親父じゃったの」
劉度「愚息ではござるがそんなに軽薄な人間では…せめて一筆書いて下され」
208年10月
ケイ道栄・劉賢「以後は韓玄殿を主と仰ぎ、粉骨砕身忠義を尽くす所存です」
韓玄「うむ、期待しておるぞ。ところでキョウ志、劉表の旧臣共はぐらつかんか?」
キョウ志「李厳が劉巴殿の説得に応じました」
韓玄「祝着じゃの」
208年11月
キョウ志「殿、急報です!武陵が孫権軍に奪われました!」
韓玄「捨て置け。武陵に進駐したところでどうせしばらくは身動き取れまいからの。
我が軍もしばらくは内政に力を注ぐぞ、もちろん人事も行うがの」
208年12月
今日も今日とて手紙を書いておったら、魏延が遊びに来て南海の情報を教えてくれた。
じゃからなんでお前はそんな情報が手に入るんじゃ?いや、有り難いけど。
武陵の諸葛瑾から、一度会ってみてもいいという返事が届いた。
来年早々行ってみようかのう。
209年1月
キョウ志「遼東の公孫康が曹操に屈服したようですぞ」
韓玄「そんなん儂の知ったこっちゃないわい。蔡瑁の領内に間者を送り込め」
キョウ志「韓嵩殿の登用に成功しました」
劉巴「カイ良殿の登用に成功しました」
魏延「伊籍が味方してくれるってよ」
韓玄「上出来じゃ!空席じゃった軍師には伊籍を任じるぞ」
伊籍「有り難き幸せ」
209年2月
武陵の諸葛瑾の官舎を訪問したら、既に来客中であった。
…どんな客が来てるのか気になるのう。ちょっとだけ執務室を覗いてみるか。
韓玄「○▲★×◇△※☆●??!!」
なんじゃ彼奴は?ちぢれた髪、浅黒い肌、鬼のような面相、熊のような体躯、
どれをとってもとても人間とは思えんが…
諸葛瑾「そこにおられるのはどなたかな?」
韓玄「あっああ、失礼仕った。某は長沙の韓玄と申す。お初にお目もじ仕る」
諸葛瑾「ほう、貴君が…お待たせしていて申し訳ない。
そうだな、貴君にも紹介しておこう。武陵蛮の沙摩柯殿だ。
今月から我が孫家に仕えてくれることになった」
なんじゃ蛮族か。しかし…怖いのう。おしっこちびりそうじゃわい。
沙摩柯「ヨロシク」
韓玄「よ、よろしく…」
>>498 ありがとうございます。なんとか統一できるよう頑張ってみます。
>>496 ご期待に添えるよう尽力します。
>>497 ありがとうございます。
時間との勝負なのでできれば速攻をかけたいと思っています。
ウチの軍師は今は伊籍です。助言があんまりアテにならない人ですが。
209年5月
黄忠は儂が独立して以来さっぱり会ってくれようとしなかったが、儂がまめに
手紙を書いた甲斐あって、最近はようやく打ち解けてくれるようになった。
最近では魏延に次いで親しい人間になっておる、むふふ。
今月も黄忠のところに遊びに行ってくるかの。
黄忠「今来客中なんじゃよ。…ちょうどいい、韓玄殿にも紹介しておこう。こちらは諸葛孔明、臥龍先生じゃ」
なっ、なんとっ?!臥龍先生ですとっ?!
諸葛亮「諸葛孔明と申します。以後お見知りおきを」
韓玄「カカカカカ韓玄ともももも申す。よよよよろしく」
209年6月
韓玄「ふっふっふっ、上上じゃ。沙摩柯とも随分親しくなったぞ」
伊籍「手紙を送ったり足繁く訪問したりした甲斐がありましたな」
韓玄「ヤツ1人に執着してるわけではないがの。先月諸葛亮という男に会ったが、ああいう偉才が我が軍には足りん。
…おっといかん、これからその諸葛亮と会う約束をしておった。じゃあ内政の方よろしく」
209年11月
伊籍「武陵の廖立の登用に成功しました…またお手紙ですか」
韓玄「まあの。今は鍛練する暇があったら顔を広くしておくべきじゃと思ってな」
210年1月
【臥龍出淵】
伊籍「孔明先生、殿のためにお力添えをお願いできませんか」
諸葛亮「…仕方ないですね。世の為にあえて裏切り者の汚名を被りましょう」
韓玄「孔明先生、よく来て下すった!これからは我が軍の軍師として存分に振る舞って下され」
諸葛亮「身に余る光栄です」
伊籍「がーん!」
この月、黄忠、向朗、馬謖、蘇飛、潘濬らも続々蔡瑁の下を去り、我が陣営に加わった。
韓玄「一気に陣容が改まったの」
諸葛亮「これも我が君の日々の努力の賜物でしょうね」
韓玄「人徳ではないのか?」
諸葛亮「ご冗談を」
韓玄(…意外とキツイ奴じゃの)
いきなり孔明先生がっ・・・
メンツも中々の逸材が揃ってきたなぁ・・・
頑張ってくだされ!!!!!
509 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/02/05(月) 00:28
新しい韓玄が出てくるたびにヒヤヒヤするが
五代目もなかなか面白い。
ガムバッテ頂きたく候。
209年7月に沙摩柯の登用に成功していました。
漏れです。ぎゃふん。
210年4月
諸葛亮「安定の馬騰が曹操に首を斬られたようです」
韓玄「後継者次第では結束が緩んだかの?先生、諜報をお願いする」
諸葛亮「畏まりました。…調書が届きました。長男の馬超が継いだ模様ですが、
結束が揺らいだ様子は見受けられません」
韓玄「そうか…まあよい、北夷共にも手紙を書くとするか」
210年7月
諸葛亮「武陵の孫権軍が我が領内の零陵に向けて進発したようです」
韓玄「ああ、そろそろ兵糧の補給がままなる頃か。まあよい、ほっとけ。それより来月はこちらからも動くぞ」
諸葛亮「よいお考えですね」
四代目殿、お疲れ様、そしてありがとう。
五代目殿、頑張ってください、そして新たな伝説を宜しく。
卜占持ってる人と仲良くなると寿命延ばしてもらえなかったけ?
金10000かかるけど君主なら関係ないし・・・
210年8月
韓玄「武陵を奪え!零陵の孫権軍を孤立させてやるのじゃ」
諸葛亮「御意。では臣も行って参ります」
韓玄軍:黄忠、魏延、諸葛亮、馬謖、劉巴、李厳、ケイ道栄の7人(ほぼ全軍)。
黄忠「軍師殿の作戦や如何に?」
諸葛亮「所詮敵の正規軍は2人、正面突破でいいでしょう」
魏延「おい孔明、江陵から孫権軍の救援部隊が来たぞ」
諸葛亮「そんなもの戦うまでもありませんな。天罰覿面っ!」
朱桓・徐盛「ぎゃっ、雷?!」
諸葛亮「ふっ、ざっとこんなもんです」
黄忠・魏延・馬謖・劉巴・李厳・ケイ道栄(怖ぇ…)
韓玄軍が武陵を陥しました。
5代目さん、頑張って下さい。
>>513 ご声援ありがとうございます。
しかし諸葛亮の落雷は卑怯ですね…使い倒しますが。
>>514 そうですね、その手がありました。
でも7で占卜もってる武将って誰でしたっけ?管輅しか思い当たりません。
寿命が来るまでにお友達になれるといいなあ…
>>516 応援ありがとうございます。頑張りますね。
おぉ やっておりますな〜
この手のスレッド大好きなので頑張ってください。
わたしは今からログイン付録の信長の野望をして寝ます。
210年9月
黄忠、李厳、諸葛亮、劉巴を長沙に召還。武陵太守に魏延を任命する。
韓玄「とにかく防備に務めろ。よいな」
魏延「任せとけって」
諸葛亮「我が君、急報です。南海の孫権軍が桂陽を奪い取りました」
韓玄「それがどうした」
諸葛亮「孫権領の零陵が南方ルートで孤立から脱しました」
韓玄「がーん!…どーすればよいじゃろ、先生?」
諸葛亮「やむをえません、今は長沙と武陵を死守しましょう」
韓玄「そ、そうじゃの」
210年11月
諸葛亮「楊儀、傅[丹彡]が蔡瑁の許を逃れてきました」
韓玄「愛い奴らじゃ。褒美を取らせておけ」
楊儀・傅[丹彡]「有り難き幸せ」
210年12月
諸葛亮「蔡瑁が新野の劉皇叔を攻めたようです」
韓玄「彼奴は劉備を殺したがっておったからのう」
諸葛亮「ですが返り討ちに遭って首を斬られたようです。
加えて皇叔が江夏を奪ったようですが、その隙に曹操が新野を奪った模様です」
韓玄「…劉備も蔡瑁を殺したがっておったのか。で、跡継ぎは誰じゃ。今度こそ劉[王奇]か?」
諸葛亮「いえ、蔡瑁の族子の蔡中という者です」
韓玄「うひょ、あのドキュンか!よし、間者を飛ばせ」
諸葛亮「文聘の登用に成功しました」
211年1月
諸葛亮「許昌より報せです。曹操が魏公に封じられました」
韓玄「ギコウって何じゃ?ギコギコ?」
諸葛亮「たいしたものではありません。内実は僭称にすぎませんから」
韓玄「なんじゃつまらん。ところでウチの人事部はどうしとる」
諸葛亮「蔡中配下の霍峻、馬良の両名を登用いたしました」
韓玄「おお、かの有名な赤眉先生か」
諸葛亮「『白眉』ですよ、我が君。滅多な事を申されますな」
211年4月
韓玄「そろそろよかろう。桂陽を奪回するぞ、魏延を呼び戻せ」
諸葛亮「御意。後任の武陵太守は誰にいたしますか」
韓玄「ケイ道栄がよかろう。文官だと防備にしといても軍備が進まん」
諸葛亮「ではそのように」
211年5月
黄忠「軍師殿、此度の作戦や如何に?」
諸葛亮「今回も正面突破でいいでしょう。零陵の孫権軍が孤立を恐れて
全力で救援に向かっていると思われますが、恐るるに足りません」
韓玄軍は孫権軍を鎧袖一触、桂陽に入城した。
諸葛亮「申し訳ありません、誰もお味方してはくれませんでした」
韓玄「よいよい、人材ならまだ余っとる」
今度の韓玄は人材豊富ですね。
なんか、いけそうな気がする。
つうか、韓玄じゃなくて諸葛亮様が天下をとるって感じ。
それもよし。韓玄バカのまま凸凹コンビでがんばれ。
五代目には多少ロードやり直しもOKだから天下をとってもらいたい。
凸凹コンビに期待。やっぱ韓玄と軍師の掛け合いって
スタイルは読みやすいし面白いよ。
遅ればせながら、4代目様お疲れさまでした。
賈言羽は善い漢でしたね・・・
そして、5代目様。
早くも1流所が3人も。
これは、本当に孔明と魏延のがんばり次第では天下を狙えるかも?
「韓玄は代を重ねる毎に精強となるのだ!」といった感じですな。
頑張って下さい。
ああ、諸葛亮が軍師になっている。いいなあ。
私は結局味方に出来なかったよ。
彼は特技で「発明」を持ってますからな。
「連弩」部隊が結成できるようになると、かなり楽ですよ。
とにもかくにも頑張ってください。
(どの・・・韓玄どの・・・韓玄殿・・・)
韓玄「う・・・うむ・・・」
黄忠「韓玄殿。起きて下され。」
「む・・・儂は眠っておったのか。」
「はい。失礼とは存じましたが、うなされていた様でしたので。」
「うむ・・・最近、同じ様な夢ばかり見るのじゃ・・・」
「ほう?」
「どの夢でも、儂は天下統一を目指しておってな・・・」
「・・・」
最初に見た夢では、独立したものの、速攻で孫権めに成敗されてしまった。」
「ほう。」
「ヌシは儂に付いてきてはくれなかったぞ。」
「・・・私が主と仰ぐお方は、劉表様故。」
「まぁ、そうであろうな。」
「次に見た夢では、独立後、曹操めに仕えておったわ。」
「・・・」
「そう睨むでない。夢の話じゃ。」
「は・・・」
「曹操の元で、官職を与えられたり剥奪されたりしながら、軍師まで登り詰めたぞ。」
「・・・なんと大それた夢を・・・」
「そして、曹操めに対して謀反を起こし、貴奴めの領土を横取りしたところで目が覚めた。」
「それは残念でしたな。」
「次の夢では善い感じで国を発展させておったのに、孫権めにしつこく攻められ、最期は無惨なものじゃった。」
「我が国の位置的に、孫権領が一番脅威ですから当然でしょう。」
「うむ。独立するなら考えねばなるまい。」
「韓玄殿・・・?」
「次は、昨日見た夢なのじゃが、なんと統一を目の前にまで迫っておったぞ。」
「・・・」
「何て顔をしておる。軍師の賈言羽や一部良将に恵まれ、幸せな夢じゃったぞ・・・」
「賈言羽・・・韓玄殿、そのような話はあまり口外しないほうが宜しいかと。」
「夢の話じゃ。余興と思え。」
「・・・」
「で、今見ていた夢ではな、なんとあの臥龍・諸葛孔明を軍師に迎え、今正に世に羽ばたこうとしておったのじゃ。」
「・・・」
「ん?どうした、妙な顔をしおって。」
「本当に夢・・・だと思いますか?」
「なに?」
「夢の中では、私が彼を紹介したのでしょう?」
「な・・・? お、おお。その通りじゃが・・・」
「総てが誰かの意のままに進められている計画だとしたら・・・」
「こ、黄忠?」
「・・・今日もその夢の続きが見れるとよいですな、五代目殿。」
「ご、五代目? 一体何の話じゃ!?」
「さぁ、もうすぐ夜がやってきますよ・・・あなたの出番です・・・」
「ヌシは一体・・・!? あぁっ!?」
今までの流れを勝手にミステリー風にしてみました。
歴代の韓玄殿、すんません。
黄忠・・・(笑
534 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/02/05(月) 18:40
お、今までのまとめ?
なんでミステリー風味なんだ(笑
535 :
sage:2001/02/05(月) 18:55
>四代目韓玄殿
亀レス失礼します。
>>【裁判】
>>関羽・・・・斬首
三國志7で関羽を斬首すると、マスクデータの寿命の値が大幅に減少します。
(関羽の呪いを再現しているようです。)
関羽を斬らなければ、もう少しプレイが続いたかもしれません。
"sage"を入力する位置を間違えました。失礼。
たびたび横レスすみません。
>>535 そうだったのか・・・・。
恐るべし髭奉行・・・・。
538 :
三国志Z:2001/02/05(月) 19:35
それは・・・・ホントの話??
>535
というより、ホントならかんうだけだろうか・・・
5代目韓玄殿は、いい感じですねー。
期待しています。というより、楽しみにしています。がんばってください。
>>528-532によって、なんかこのスレが韓玄主人公のSSみたいに見えてきた。
>>539 もともとそういう雰囲気はあったと思うが。
面白ければいいんじゃないか?
541 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2001/02/06(火) 00:13
>535さん
すると于吉とかもですか?
皆様応援ありがとうございます。
まだ3都市ですが武将数は25人で、我ながらいいかんじかも、と思っております。
でもその分俸禄アップのための消費行動力が多くて、うれしい悲鳴が…
>>535 私も知りませんでした。[シ僕]陽の呂布でプレイしたとき呂布の寿命が短かったのは
そのせいだったんだ…
劉備を滅ぼしたときは逃がしたんですが、曹操配下になっても登用に応じなかった
もので、つい…
情報ありがとうございました。
しばらくは特筆する事もなく、内政、徴兵、訓練、手紙、訪問だけで時が過ぎる。
212年1月
諸葛亮「許昌より報せです。曹操が魏王の位に登りました」
韓玄「儂はまだ無位無官じゃがの」
諸葛亮「では朝廷に献金なされませ」
韓玄「嫌じゃ。今そんな金はない」
諸葛亮「ですが、朝廷貢献度が低すぎると覇王ENDになってしまいます」
韓玄「何の話じゃ」
諸葛亮「いえ、なんでもありません…」
212年3月
諸葛亮「劉皇叔が新野を奪回しましたが、今度は孫権に江夏を奪われたようです」
韓玄「なんでわざわざ曹操に利するようなことをするかのう」
諸葛亮「周瑜とかいう自称天才の差し金かと思われます」
韓玄「なるほどのう。ところで孫権に降った奴はおるか」
諸葛亮「黄祖が嫌々ながら孫権に降った模様です」
韓玄「祠の神様か。孫権の許では本当に益体があるまい、引き抜け」
諸葛亮「まだ無理ですね。せめて一度訪問なされませ」
韓玄「めんどくさいのう」
黄祖「韓玄か、よく来たな」
…………
黄祖「評価の特技を持っている人物に会うと名声が上がることがあるらしいぞ」
韓玄「それって禰衡のことかの?」
黄祖「…しばらく見ないうちに言うようになったな。血を見たいのか?」
韓玄「冗談じゃよ、冗談」
黄祖「そうか、それならいいが」
ふー、危ない危ない。
212年4月
諸葛亮「黄祖の登用に成功しました」
韓玄「ご苦労。赴任先は桂陽じゃ」
諸葛亮「御意。…もしかして避けておいでですか」
韓玄「何を」
諸葛亮「我が君が、黄祖殿を」
韓玄「き、気のせいじゃよ、気のせい」
212年6月
諸葛亮「武陵での人材捜索をお許し下さい」
韓玄「先生この半年間ずっとそう言い続けておるよな。本当に当てがあるのか」
諸葛亮「今度こそ見つけてみせます」
韓玄「…わかった、好きにせい」
諸葛亮「潘濬殿が在野の士、張南の登用に成功しました」
212年11月
諸葛亮「曹操軍が新野に大挙侵攻しました。残念ながら劉皇叔は敗れ去った模様です」
韓玄「劉備とその家臣団はどうなった」
諸葛亮「ちょっと調べてきます。…糜竺、糜芳、簡雍だけ降った模様です」
韓玄「よし、そいつらに手紙を書くぞ」
諸葛亮「結構なお考えですが、それなら野に下った皇叔たちを優先するべきです」
韓玄「な、なるほど」
213年1月
諸葛亮「曹操が遂に魏皇帝になりました」
韓玄「そんなんどうでもええわい。桂陽の韓嵩が死んでしまった」
諸葛亮「我が君が創業を成されれば韓嵩殿も浮かばれましょう」
劉巴「報告です。蔡中が新野を攻めて敗れ、曹操に斬首されたようです」
諸葛亮「後を継いだのは誰です」
劉巴「蔡瑁の甥の蔡勲という者です」
213年2月
諸葛亮「劉皇叔の旧家臣が数多く孫権に登用されておりますが」
韓玄「誰か引き抜けないもんかの」
諸葛亮「試してみましょう。…おーい元直々々」
徐庶@江夏「孔明か。久しぶりだな」
諸葛亮「孫権に仕えたところで出世は望めまい。某と共に韓玄殿に仕えてみないか」
徐庶@江夏「孔明、お前あんな凡愚に仕えているのか」
諸葛亮「高祖と同じだと思えばやり甲斐があるよ」
徐庶@江夏「韓玄がそんな魅力的な男かあ?」
諸葛亮「君の才能と身分は某が保証する」
徐庶@江夏「…わかった、その話に乗ってみよう」
諸葛亮「というわけで徐元直を連れて参りました」
伊籍「劉封@江夏の登用に成功しました」
今回の韓玄は人材マニアだね。
でも、あんまりのんびりしてると寿命の問題が・・・
なんにしても、頑張れ〜
213年3月
諸葛亮「零陵の孫権軍が桂陽に攻めてきました」
韓玄「窮鼠猫を噛むというやつじゃな。先生、ここは一任してよろしいか」
諸葛亮「お任せ下さい」
…………
諸葛亮「軽く揉んで参りました」
程普@捕虜「何が『軽く』だ!」
韓玄「なんじゃこのウェルダンなジジイは」
諸葛亮「生かしてあるのでレアですね」
程普@捕虜「ふざけんな!」
諸葛亮「処分はいかがなさいますか」
韓玄「いーよ、全員逃がしてやれ」
213年5月
曹操から馬忠(呉)を引き抜く。
213年8月
孫権から趙雲・張允・牛金を、曹操から高翔・馬忠(蜀)を引き抜く。
韓玄「やった!ついに趙雲がきてくれたぞ」
諸葛亮「おめでとうございます」
213年10月
韓玄「う〜む、我ながらいつ見ても汚い字じゃのう。程普は読んでくれるじゃろうか?」
コンコン。
韓玄「うん?」
童子「殿、軍師様がお見えですよ」
韓玄「これは先生、いかがなされた」
諸葛亮「近くを通りがかったものですから、少し世間話でもと思いまして」
韓玄「おお、左様か。是非上がっていって下され」
…………
諸葛亮「魏将夏侯惇には夏侯楙という優秀な息子がいるそうですね」
韓玄「…先生、本気で言っておられるのか?」
諸葛亮「もちろん皮肉ですよ。…ああ、お茶が美味しい」
214年2月
韓玄「零陵を奪回するぞ。主力は桂陽からじゃ。武陵からも増援軍を出せ」
ケイ道栄「御意」
…………
諸葛亮「零陵を奪回しました」
韓玄「やっと荊州南4郡が再統一できたのう」
諸葛亮「捕虜は程普、周泰、全[王宗]、凌統、家兄の5名です」
韓玄「配下にならん奴は全員逃がしてやれ」
諸葛亮「結果を報告します。全員を解放しました」
韓玄「……」
214年3月
諸葛亮「我が君、零陵の太守を決めて下さい」
韓玄「そうじゃのう…先生は誰がよいと思う」
諸葛亮「後方の安全地帯の太守など誰にでも務まりましょう」
韓玄「そうじゃの…では潘濬にしよう。方針は治政じゃ」
諸葛亮「御意」
韓玄「それと、零陵を攻略した正規軍は全員桂陽に戻るように伝えておけ」
>>549 そういえば最近人材登用に明け暮れて勢力拡大が滞っているような…
いかんいかん、急がねば。
<ちょっとプレーヤーモード>
三国志7をやってて前から薄々思ってたんですが、どうも芋蔓式に人材登用が
成功する月があるみたいです。月まわりそのものはランダムっぽいんですが、
その月だけは親密度とか関係なしにいけるみたいな。
反面ハマっちゃったら親密度100でも最後まで配下になってくれなかったり。
私だけかな?
>どうも芋蔓式に人材登用が成功する月があるみたいです。
これ、私も感じました。
8人近く引き抜けた月があってびっくりしました。
さすがに忠誠度95を越えると引き抜けませんでしたが。
しかし皆さん207年から始められてますよね。
触発されて韓玄で挑戦しているのですが、私は194年から始めました。
208年の時点で都市7武将37人なので、楽に?天下統一できそうです。
永昌で旗揚げというのも情けないですが。
諸葛亮・趙雲・馬良とは…ぐふっ。ジャニーズ事務所かいな。
韓玄って実はみょーな弱みを握るのが得意だったりして(笑
趙雲を逃がしつづけて逝ってしまった斬首王4代目がしのばれる。。。
こーなったら三国志SMAPをつくるべくがんばるべし!
558 :
一般武将@続きが見たい:2001/02/07(水) 22:07
下がってたのであげちゃいます。
がんばって下さいネ。
承太郎 「次は歴史シミュレーションだ。
この『三国志』のゲームで、お前との対戦を希望したい…」
ダービー「グッド!
ではシナリオは『208年』で… 国を選択してください」
承太郎 ・ ・ ・ ・
ジョセフ「お… おい承太郎…
なに『韓玄』を選ぼうとしてるんだ?
…おまえ… まさか… その… ひょっとして
この三国志ゲーム、初めてなんじゃないのか?」
承太郎 ・ ・ ・ ・
ジョセフ「!!!
『韓玄』をやめたと思ったら、き…『金旋』に決定しおったッ!
ど素人だッ!
承太郎きさまー!
三国志そのものの知識が無いなッ!」
某スレより転載
>>559 ワラタヨ
実は韓玄をも凌ぐヘタレ、金旋。
五代目が統一に成功したら次は金旋で挑戦して欲しい
214年4月
孫権から傅幹、劉[王宗]を引き抜く。
214年6月
諸葛亮「我が君、たまには鍛練をなさってはいかがですか」
韓玄「嫌じゃ、めんどくさい」
諸葛亮「ですが、政治力を上げませんと行動力が少ないままですよ」
韓玄「嫌だと言ったら嫌じゃ!」
諸葛亮「あっ、どこへ行かれるおつもりですか!お待ち下さい我が君!」
…勢いに任せて城外まできてしもうた。これからどーしよう?
行商人「もしもし、そこのお武家さま」
韓玄「なんじゃ」
行商人「よかったら何か買っていきませんか。いいものありますよ」
韓玄「そう言う奴に限ってバチモンを掴ませるんじゃよな」
行商人「まあまあそうおっしゃらずに。春秋左氏伝などいかがですか?政治力が10上がりますよ」
韓玄「買った」
行商人「さすがお目が高い。金3000になります」
韓玄「なに、3000?困ったな、全然足りんわい。うーんどうしよう…」
韓玄は長沙の公金を横領した。
214年10月
韓玄「荊州南4郡は既に盤石じゃ。そろそろ江陵を攻めるぞ」
諸葛亮「しかし孫権は劉璋殿と同盟を結んでおります。手強いですよ」
韓玄「いつかは攻めなきゃならんのじゃ、気にするな。いざ出陣!」
諸葛亮(自らご出馬されるわけでもあるまいに)
韓玄軍:黄忠、魏延、趙雲、李厳、諸葛亮、徐庶、霍峻、沙摩柯、張允、ケイ道栄(15万2千)
韓玄増援軍:なし(わざと)
孫権軍:張昭、魯粛、太史慈、呂蒙、朱桓、徐盛、華陀(10万3千)
孫権救援軍:潘璋、凌統、呂範、虞翻(5万6千)
劉璋軍:孟達、張任、楊懐、高沛、何晏(7万1千)
諸葛亮「吹けよ嵐、呼べよ嵐!今私は確実に美しいィィッ!」
楊懐「ぶべらっ」
朱桓「またかよっ?!」
韓玄軍(軍師殿だけは敵には回せねぇ…!)
…………
諸葛亮「江陵を陥しました。我が君、捕虜の処分をお願いします」
韓玄「劉璋軍の5人は全員斬首じゃ。余計な手出しをしおって。
あとヤブ医者も斬首な。他の孫権軍の将領は全員逃がしてやれ」
諸葛亮「捕虜を斬るのははじめてですね」
韓玄「孟達のツラを見てるとつい、な…。それから、武陵太守には廖立を抜擢しておけ」
今日はあまり進みませんでした。すみません。
ひさびさに三国志5を出してきて、その韓玄(同盟なし)をやってみたもので。
これ、同盟なしだと逆に韓玄でしか勝てないような気がします…
>>560 たしかに金旋のほうがすごく不利のような気がします。
「競いて荊州に覇を争う」のシナリオだと特に。
期待して毎日見てるから、明日は頑張って。
応援さげ
565 :
張悌:2001/02/08(木) 02:49
ひょっとして華陀を斬るのはまずかったのでは・・・?
関羽を斬ると寿命が縮むらしい
>>535 との情報があるようですが。
>>541さんが、于吉などの仙人に対してはどうか?との疑問を投げ掛けております。
華陀は仙人ではありませんが、曹操は華陀の手術を拒み、結果その寿命を縮めたのですから・・・
ただの取り越し苦労だと思いますが・・・。
566 :
韓浩:2001/02/08(木) 02:52
そろそろ俺も登場しないかなぁ?
>>555 >8人近く引き抜けた月があってびっくりしました
よかった、私だけじゃなかった…
>私は194年から始めました
たぶんあの荊州分裂状態に近いところから始めたかったからではないかと。
私はなんとなくつられて…なんですが。
>>556 SMAPは5人…武闘派なら五虎将軍、知性派なら臥龍鳳雛、徐庶、馬良、法正かな。
頑張ってみます。
>>557 女性武将が祝融夫人しかいないので、女装の似合う男を集めないと…
周瑜とか司馬懿とか。
>>558 応援ありがとうございます。
やっと江陵を押える事ができました。でもそろそろ時間が…!
>>559 同じくワラタ
徐庶スレかな?
>>564 温かいご声援ありがとうございます。
韓玄にはやっぱりsage進行が似合っているのかも(w
>>565 あっ、忘れてた…これはヤバイか?!
>>566 すみません、当分無理っぽいです。
だって曹操に対して忠誠度100だし、まだ曹操と戦ってないし…
5代目、応援しています。
570 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/02/08(木) 06:56
5代目もいいねー
>>548 徐庶@江夏「孔明、お前あんな凡愚に仕えているのか」
諸葛亮「高祖と同じだと思えばやり甲斐があるよ」
この辺にこのスレッドの真骨頂を感じる。
5代目頑張れ〜
朝一でこのスレ見るのが楽しみなんだ。
代が進むごとに、天下に近づいてるね。
ネジが落ちた諸葛亮萌え
他の武将に「呪い」が存在するか、Windows版三國志7PKにて検証してみました。
(PKの場合、寿命データは武将編集で確認できます。)
後述する、(隠し)マルチプレイモードを使用しています。
シナリオ2の劉備陣営に関羽・華佗・于吉を集め、兵1を持たせて玉砕させ、
曹操に首を斬らせてみました。
その結果、華佗・于吉を斬っても、曹操の寿命データは5のままで変化しなかった
のですが、関羽を斬ると、曹操の寿命は5→1になってしまいました。
寿命データの1単位は約6年に相当するので、三國志7の関羽の呪いは、
寿命を約24年縮める効果があるようです。
*三國志7のマルチプレイモード
ご存じないための方に解説しておきます。(Windows版のみです。)
通常画面にて、Shiftキーとマウスの左ボタンを同時に押し続けた状態で、
マウスを右ダブルクリックすると、プレイ武将の選択ウィンドウが現れます。
ほーそうだったんですか
良かったね五代目
情報サンクス>574
576 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/02/09(金) 00:30
そろそろ5代目登場の時間とみた。よってあげ。
ていうか、この板のスレッドやたらsage進行.
214年11月
曹操から李異を引き抜く。
215年1月
諸葛亮「武威の馬超が曹操に降伏しました」
韓玄「彼奴の復讐心なんざ所詮その程度じゃろうて。錦馬超の渾名が泣いとるわ。
して、降伏組の中で儂に与してくれそうな奴はおらんか」
諸葛亮「意外にいませんね。ですが孫権配下の王基の登用に成功しました」
韓玄「うひょ、阿呆な北夷共より百倍マシではないか」
諸葛亮(北夷って…客観的には我が君と同程度の武将なんですが)
215年5月
諸葛亮「我が君、孫権の使者が参りました」
韓玄「なんと?今更何の用じゃ」
諸葛亮「孫権にとって曹操が前門の虎とするなら我々は後門の狼だということですよ。
二正面作戦が取れないから後背とは融和しておきたいのでしょう」
韓玄「馬鹿な話じゃのう。じゃが金がもらえるのは有り難いの」
張紘「我が君は韓玄殿との修好を望んでおられます。これはほんの気持ちです」
韓玄「おお、そうか!孫権殿に宜しく伝えて下され」
諸葛亮(家兄…金に転びやすいのと金に汚いのとは別物ですよ…)
わわ。期待されてるなあ、私。
皆様ご声援ありがとうございます。
今日もはりきってプレイしております。
>>574,
>>575 華佗は大丈夫でしたか。よかったー。
情報&心配して頂きありがとうございました。
>>565も。
215年8月
諸葛亮「劉璋軍が武陵に攻め込みました」
韓玄「行ってらっさい」
…………
諸葛亮「勝ちました。捕虜を連れてきました」
韓玄「全員逃がしてやれ。…なんじゃ、浮かぬ顔じゃの」
諸葛亮「いえ、今回は落雷が使えなかったもので…」
韓玄「正規軍じゃなかったんじゃから仕方なかろう」
215年9月
韓玄「先生、先月の報復に永安を攻略したいのじゃが」
諸葛亮「(キラーン)臣も攻撃軍に加わります」
韓玄「あっ、ああ、好きにせい…」
…………
諸葛亮「永安を陥しました。捕虜の処置をお願いします」
韓玄「全員逃がしてやれ」
215年10月
諸葛亮「今月は動きが激しいですな。まず、魏が孫権領の江夏を陥しました」
韓玄「まだ儂の領土と接したわけではないな」
諸葛亮「次に、その隙を突いて蔡勲軍が襄陽に攻め込みましたが、あえなく敗れました」
韓玄「阿呆じゃな」
諸葛亮「最後に、蔡勲は首を斬られ、劉皇叔が後を継いだ模様です」
韓玄「ほう!出たか奴の十八番、乗っ取り」
諸葛亮「それだけ人徳があるということですよ」
韓玄「じゃが今度は関羽も張飛も趙雲もおらん。ただの貧乏クジじゃの」
曹操から趙累・譚雄を、孫権から[耳火]紀を引き抜く。
215年11月
諸葛亮「上庸の劉皇叔が劉璋により滅ぼされました。殺されはしなかったようですが」
韓玄「つくづく放浪癖のある奴じゃな。まあよい、今のうちに面識を作っておこう」
曹操から申耽を、劉璋から凌統を引き抜く。
216年1月
諸葛亮「上庸の劉璋、交趾の士燮が相次いで亡くなりました」
韓玄「劉璋が?随分早いの。毒でも盛られたのか?」
諸葛亮「さあ。後継者はそれぞれ劉循、士徽だそうです」
韓玄「諜報活動は怠るなよ」
諸葛亮「御意」
魏が柴桑を陥す。
216年2月
魏が建安を陥す。
216年3月
諸葛亮「士徽が孫権に滅ぼされました」
韓玄「馬鹿め…と言いたいところじゃが、今南海を攻める余裕はない」
諸葛亮「柴桑ですね。蒙衝の配備は今月で終わります」
韓玄「来月はとうとう曹操と激突するのか…感慨深いのう」
諸葛亮「とっくに友好的な関係とはかけ離れた間柄ですけどね」
曹操から王粲・張横を、孫権から魯粛・郭攸之を、劉循から潘璋を、
それぞれ引き抜く(魯粛は一度曹操に降っていた)。
216年4月
諸葛亮「柴桑攻略の準備が整いました」
韓玄「よし、雪崩れ込め!」
…………
諸葛亮「我が軍の勝利です。捕虜はいかがなさいますか」
韓玄「配下にならんのなら全員逃がしてやれ」
216年5月
在野の許靖を登用する。
216年7月
在野の向寵を登用する。
とりあえず今の状況をまとめておくと、
韓玄 無官 7都市
曹操 魏皇帝 35都市
孫権 魯王 4都市
劉循 衛尉 8都市
韓玄54歳 名声7562
武力59
知力40(+8六韜)
政治34(+10春秋左氏伝)←デフォから増えてない
魅力26
五代目、頑張ってくださいね。
韓玄殿が無官なのが少し寂しいかも。
あれ? 7都市なんですか。
雰囲気的に、もっと広い領土を所有してるかと思ってました。
しかし、曹操ン所は大きいなぁ。
頑張って、今度こそは統一を!
>>547=535氏
>寿命5→1
寿命は5が最高なんですか?
ひょっとして、猪髭を斬るとどれだけ寿命が有っても"1"にさせられるとかいう可能性は無いですか?
私はPS2版しか知らないんで、マスクは見れませんので・・・良ければご返答をよろしく。
>>585 三國志7の寿命データは0〜7の8段階です。
0が最も短命(35〜40歳)で、7が長寿(77〜82歳)です。
(寿命0:周瑜、郭嘉など、寿命7:黄忠、張昭など)
「関羽の呪い」ですが、他の君主で試してみたところ、
孫権:6→2
呂布:4→0
袁術:3→0
という結果になりました。呪いの効果は、寿命データにマイナス4で間違いないと
おもいます。(もともとの寿命が4以下の場合は0になります。)
この他に、巡察時に祠を破壊したとき、稀に「神のたたりが〜」という
メッセージが出てきます。この場合、寿命は1ポイント下がります。
*当スレの主人公・韓玄の寿命データは3に設定されていました。
(53〜58歳での死亡が予想されます。)
587 :
かずま:2001/02/09(金) 23:50
祠を破壊するのってそういうことが隠されていたんだー。
金払ってたまるか!!っていうかんじで速攻破壊していたが・・・。おそろしやー。
*三國志7のマルチプレイモード
ご存じないための方に解説しておきます。(Windows版のみです。)
通常画面にて、Shiftキーとマウスの左ボタンを同時に押し続けた状態で、
マウスを右ダブルクリックすると、プレイ武将の選択ウィンドウが現れます。
↑も初耳でした。どうもありがとう
588 :
張悌:2001/02/10(土) 01:16
華陀を殺しても寿命は下がらないのですか。良かったですね。
しかし、5代目殿が54歳ですから、長くとも後5年前後しか時間が残されていないようですね・・・。
4代目殿は、北斗・南斗から寿命を延ばしてもらっていましたが・・・。
韓玄の開始年齢が45歳(このシナリオの場合)ですから、約15年程度の短期間で天下統一を達成させねばならないとは・・・。
本当に、韓玄クリアは至難ですねぇ。
589 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/02/10(土) 01:46
このスレ面白いですね。
私も三國志7シナリオ4韓玄で挑戦してみました。
結果217年1月55歳21都市で一度寿命が尽きてしまいました。
5代目殿、朝廷に献金しまくって官爵を上げて名声ランキング10
入りし、北斗南斗に寿命を延ばしてもらったほうがいいですよ。
590 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/02/10(土) 03:52
段々韓玄セオリーが固まりつつあるな…。
順調に行けば七代目か八代目くらいには本当に統一できるか?
でも官位オタ韓玄とか出てきそうだしな。むぅ。
5代目頑張れ!韓玄の名を告ぐ者よ!
戦争に手間取ってアップが遅れてしまいました。すみません。
>>589 217年で21都市って早いですなあ…
それは朝廷に献金しないでやったんですか?
216年10月
韓玄「先生、金旋が…友が逝ってしもうた…」
諸葛亮「それも天命です(でもそんなに親しかったですっけ?)」
217年1月
諸葛亮「江東より報せです。孫権が魯王を僭称しました」
韓玄「碧眼の小児がつけ上がりおって。泣かしちゃる!」
諸葛亮「とは申されましても、廬江と建安は魏に押えられております」
韓玄「南海を攻めるのが関の山か。じゃがそっちの準備はまだなんじゃよな。
桂陽太守にうっかりカイ良を任命したせいで、いつまでも祟られる」
諸葛亮「太守を替えないんですか」
韓玄「早いうちに替えとくべきだったわい。じゃがもう今更かの」
曹操から関索・陳式・ケ賢を引き抜く。
217年3月
【江州攻防戦・其の壱】
韓玄「よし、江州を攻めるぞ!」
諸葛亮「面子の中でいちばんまともなのが向寵というのが気がかりですが」
韓玄「劉循軍の正規軍さえ全滅させれば構わん。10人おればなんとかなるじゃろ」
韓玄軍:向寵、傅[丹彡]、馬忠(蜀)、趙範、劉度、劉賢、牛金、申耽、譚雄、馬忠(呉)
韓玄増援軍:なし(というか無理)
向寵(総大将)「劉度殿、作戦はどういたそうか」
劉度(参軍)「情報が少ないからのう…正面突破ですかな。一応罠には気をつけて下され」
劉賢「大変です、最初の砦に馬超の旗が翻ってます!」
儂(プレーヤー)「何ィ?!聞いてねーぞゴルァ!」
劉循軍:張松、馬超、呉蘭、ケ芝、祝融夫人、兀突骨、他4人
劉循救援軍:厳顔、木鹿大王、華[音欠]、張嶷、秦[宀必]
【江州攻防戦・其の弐】
劉度「幸い馬超は騎馬部隊で砦に篭っておるようじゃ。弩兵で遠巻きに射掛けよ」
張松「梓潼からの援軍はまだか!急がせよ!」
趙範「梓潼から敵の救援部隊が来たみたいじゃ」
向寵「ええい、北の隘路で防ぎとめろ!」
劉度「なんか攻めとるわしらが防戦に努めとるようじゃが」
申耽「あんたが言うな。参軍だろ、なんとかしろよ」
劉度「そうじゃの…暗殺でもやってみるか」
馬超「そのような腕でこの馬超の命が取れると思ったか!」
劉度「むう、刺客の腕が悪かったか」
譚雄「てゆーか相手が悪すぎ…っておわあっ?!熱っ!熱っ!」
申耽「あっ、譚雄が火罠にかかっちまった」
牛金「馬鹿だからな…」
馬超「牛金?知らない名前だな。どっかの飼い犬の名前だろう」
牛金「言ったな、この腰抜けが!」
馬超「ふっ、引っかかった。なんて単純なんだ」
申耽「…他人の事は言えんなあ」
向寵「頭を冷やせ、馬鹿者」
牛金「…はっ、某は一体何をしていたのであろう」
【江州攻防戦・其の参】
直接攻撃で馬超の部隊に止めを刺し、最初の砦を占領。
すると敵正規軍がそこを目掛けて突っ込んできた。
ケ芝「敵の補給拠点を奪え!」
譚雄「ここは譲れんなあ」←でも実は馬鹿すぎて砦の留守番
呉蘭「申耽、覚悟!」
申耽「ちっ新手か。突撃とは小癪な」
呉蘭「なんでこっちの方が損害がでかいんだ?!卑怯だぞ!」
申耽「悔しかったら上陸してみな」
VS.救援軍
傅[丹彡]「おのれ華[音欠]、そこを動くな!」
華[音欠]「身動き取れんのはどっちかのう、ほっほっほっ」
木鹿大王「がはははは!エレファントフォース、吶喊ぁ〜ん!」
象兵「パオ〜ン!」
趙範「おーい、誰か収拾できる人はおらんのか〜?」
向寵「ああもう、今そっちへ行く!」
VS.敵迂回部隊@最初の攻撃拠点
祝融夫人「何するんだい兀突骨!」
兀突骨「こんな手に引っ掛かるとは!」
牛金「はっはっはっ、味方同士で殺し合ってるぞ」
兀突骨「ああ、でも止まらない〜」
祝融夫人「このバッ!バッ!」
…………
【江州攻防戦・終結】
結局30日間で倒した敵は張松以外の10人、陥した砦はわずかに2つ。
向寵「申し訳ありません、攻め切れませんでした」
韓玄「いや、今回は儂の諜報不足が原因じゃ。こちらこそすまなんだ」
諸葛亮「誰も捕まらなくてよかったですね」
韓玄「それが救いじゃて。次こそは見ておれ…!」
一方劉循軍はその直後、魏軍に攻められて漢中を失陥。
217年4月
諸葛亮「桂陽太守のカイ良が亡くなったそうです」
韓玄「そうか…不謹慎じゃが今回は助かった。まあ冥福は祈ってやろう」
諸葛亮「後任は誰になさいますか」
韓玄「そうじゃの…儂が行こう。長沙の留守居は許靖に任せた」
諸葛亮「御意」
曹操からケ芝・華[音欠]・卓膺・木鹿大王を引き抜く。
217年5月
韓玄「孫権が下[丕β]で曹操に首を斬られたらしいの」
諸葛亮「御意」
韓玄「彼奴の首は儂が挙げるつもりじゃったが、残念じゃ」
諸葛亮「お言葉ですが我が君は兵馬の指揮を放棄されてますね」
韓玄「言葉の綾じゃ。して跡継ぎは誰じゃ。あそこは一門が多いからの」
諸葛亮「それが張子布だそうです」
韓玄「張昭とな?…よし、諜報開始」
諸葛亮「御意」
…………
諸葛亮「登用できたのはなぜか、曹操配下の甘寧だけでした」
韓玄「んん、よいよ」
うわーでもマジで時間がなくなってきたなあ。
今のところ今年中に成都を陥して来年(218年)王位について、
219年年始の名士十選でなんとか…と思ってます。
「殿。」
「なんじゃ賈言羽さん。」
「殿は229年にこちらにいらっしゃいましたね。」
「うむ。5代目殿はまだ若い。まだなんとかなるじゃろう。」
「御意。」
「うまいこと、変態コンビが寿命を延ばしてくれると良いんじゃがの。」
「殿は最初嫌がっておられませんでしたか?」
「そんなことねえよ。」
「と、とにかく関羽には気をつけて欲しいですな。」
「ああ髭奉行な。じゃが奴を殺さんでもワシもうやばかったじゃろう。」
「さて。」
217年6月
曹操から蒋[王宛]を引き抜く。
217年8月
諸葛亮「張昭殿より使者です」
韓玄「またか」
張紘「我が君は韓玄殿との修好を望んでおられます。これはほんの気持ちです」
韓玄「またか」
張紘「は?」
韓玄「いや、ご厚意は有り難く受け取っておく。張昭殿によろしく」
韓玄「さて、いよいよ江夏を攻めるぞ」
諸葛亮「臣にお任せ下され」
韓玄「最初からそのつもりじゃよ。よろしく〜」
…………
韓玄軍が江夏を陥しました。
韓玄「また誰も配下になってくれんのか…くすん」
諸葛亮「我が君、お願いですからもっと魅力を磨いて下さいませ」
217年9月
曹操から程普・丁奉を引き抜く。
韓玄「人材登用には応じてくれるのにのう…」
諸葛亮(それがある意味驚きなんですが…)
韓玄「何か言われたかの、先生?」
諸葛亮「いえ何も」
217年11月
韓玄「よし、もう一度江州を攻めるぞ!」
諸葛亮「面子が前回と同じなんですが…」
韓玄「なんとかなるなる!」
…………
向寵「江州を陥しました」
韓玄「よし、上出来じゃ!」
217年12月
韓玄「今月は南海を攻めるぞ」
諸葛亮「御意。今回は私が出るまでもありませんね」
韓玄軍が南海を陥しました。
>>555 で書込みしたものです。
194年から始めて、217年で統一できました。
207年からのスタートだと・・・寿命延ばしてもらわないと時間足りませんね。
私は、名声トップになっても寿命のばしてもらえなかったですが・・・。
関羽は勧告で落としました(^^
勧告なかなか使えますね。
>>603=
>>555 194年で始めて217年ということは都合23年ですか。
そのまま207年にスライドさせると230年…?
こりゃたしかに厳しいですね。
>>585 荊南3郡を一度孫権にとられたんで、その分動きが激しくなってます。
218年1月
韓玄「ヤブ医者に祟られることなく、なんとかこの年を迎えた」
諸葛亮「寿命が心配ですか」
韓玄「当然じゃ。しかし…成都は近くて遠かったの」
諸葛亮「馬超がいるのに面子がなめすぎですよ」
韓玄「仕方なかろう、精鋭は魏との国境に配備してあるんじゃから」
諸葛亮「とにかく、今年中になんとか名士入りを果たされませ。
さすれば運がよければ北斗・南斗の二人が寿命を延ばしてくれるかもしれません」
韓玄「運任せか」
諸葛亮「どうして臣が占卜を持ってないんですかねえ?」
韓玄「演義で延命に失敗したからじゃないのか」
諸葛亮「あれは魏延のせいですよ」
韓玄「襄陽を攻めるぞ」
諸葛亮「襄陽にはかなりの精鋭が駐屯しています。司馬懿もいますよ」
韓玄「じゃから江夏から増援よろしくね〜」
諸葛亮「落雷が使えないのに出陣してもですねえ…」
韓玄「まあそう言うな」
韓玄軍が襄陽を陥しました。
張紹が配下になりました。
魏が建業を陥す。
魯が会稽を奪回する。
218年2月
韓玄「ところで先生、儂が今年中に名士十選に入れる見込みはあるかの」
諸葛亮「連戦連勝すれば我が君ご自身の名声も上がりますが、所詮微々たるものです。
手っ取り早く上げたければ王粲殿と許靖殿に『評価』してもらってはいかがですか」
韓玄「なるほど」
韓玄「というわけで来たぞ。評価してくれ」
許靖「不義をもって忠臣は得られず。常に自省を忘れませんように」
王粲「以下同文」
韓玄「…名声が上がっとらんではないか!」
諸葛亮(まあ我が君では致し方ありませんね…)
魏が会稽を陥す。
218年3月
魏が呉を陥す。魯(張昭)は交趾1都市のみとなる。
218年4月
諸葛亮「張昭の軍勢が南海に攻めてきました」
韓玄「しょうがないの、儂が直接指揮を取ってやるか」
張昭軍 4部隊 6万2千
韓玄軍 7部隊 9万2千
韓玄「楽勝じゃの」
【裁判】
黄蓋…解放
朱桓…解放
徐盛…解放
朱然…解放
218年5月
曹操から左慈・顧雍・謝旌・梁興を引き抜く。
韓玄「よっしゃ左慈が来たぞ!落雷の2枚看板じゃ!」
218年6月
江州に劉循軍が来襲。
韓玄軍 10部隊13万9千
劉循軍 9部隊13万
【向寵の日記】
今月はこっちから攻めようと思っていたのに、劉循軍に先手を打たれてしまった。
とりあえず迎撃する。味方の部隊は某、馬忠(蜀)、張南、劉賢、牛金、申耽、譚雄、馬忠(呉)。
永安から趙範、劉度の2人が救援にかけつけてくれることになっている。
敵の総大将は馬超、参軍は黄権、正規軍はあと兀突骨、鄂煥の2人。我が軍よりはるかに精鋭だが、
ま、補給拠点さえ押えてしまえばすべては張子の虎。しかし1人取り逃がしてしまった。
【裁判】
解放…馬超、黄権、鄂煥、呉蘭、呉班、張翼、呂凱
斬首…高定
218年8月
諸葛亮「我が君、劉循と張昭との同盟が切れました」
韓玄「今じゃ、交趾を陥せ!魯国を滅ぼすのじゃ!」
諸葛亮「御意。では臣も行って参ります」
…………
諸葛亮「お喜び下さい、交趾を陥しました」
韓玄「長かった…じゃが今まで斬らなくてほんとによかった。誰が配下になってくれるかのう、わくわく」
諸葛亮「報告します。14人全員に拒否されました」
韓玄「なぜじゃ?!!」
218年9月
韓玄「後顧の憂いは絶った、柴桑から建安に攻め込むぞ。総大将は趙雲じゃ」
諸葛亮「御意」
…………
趙雲「建安を陥しました。捕虜の処遇をお願いします」
韓玄「配下になってくれんのなら逃がしてやれ」
諸葛亮「一品官の曹仁と張[合β]もですか?」
韓玄「まあよいではないか」
218年11月
諸葛亮「劉循軍が江州に攻めてきました」
韓玄「またか?しつこいのう…今回はもう容赦せんぞ」
【裁判】
斬首…馬超、黄権、呉蘭、鄂煥、厳顔、張苞、祝融夫人
解放…なし
韓玄「報復じゃ、交趾経由で雲南を陥してこい」
諸葛亮・程普「御意」
…………
諸葛亮「雲南を陥しました。捕虜の処遇をお願いします」
韓玄「配下にならん奴は解放してよいぞ」
諸葛亮「陸績が降ってくれました」
韓玄「でかした!」
218年12月
諸葛亮「魏軍が梓潼を陥し、劉循が首を斬られた模様です」
韓玄「ざまぁ見さらせじゃのう。跡継ぎは誰じゃ」
諸葛亮「董和だという話です」
韓玄「誰か引き抜けるか?」
諸葛亮「うーん難しいですね。忠誠度は低いんですが…」
韓玄「では仕方ないのう」
諸葛亮「ところで、元張昭配下の張温が我が勢力への仕官を申し出ておりますが」
韓玄「了承」
219年1月
北斗・南斗「ドキドキ、今年の名士十選は……!」
韓玄「11位とは…おおおお」
諸葛亮「残念でしたね」
韓玄「こんなことなら張昭(9位)を斬っておけばよかった!」
諸葛亮(雲南攻略の功績で程普殿が我が君の名声を凌いでしまったのが原因なんですが…)
↑程普が10位に初入選。
219年2月
在野の董荼那を登用する。
董和から諸葛恪を引き抜く。
219年3月
董和から朱然を引き抜く。
219年4月
諸葛亮「魏軍が襄陽に攻め込んできました」
韓玄「甘寧に任せときゃ大丈夫じゃろう」
…………
諸葛亮「甘寧殿より戦勝の報告です」
韓玄「うむ。捕虜は全員解放してしまって構わんぞ」
在野の阿会喃を登用する。
219年5月
諸葛亮「魏軍が柴桑に攻めてきました」
韓玄「趙雲たちは建安に行ったんじゃったな…仕方ない、まじめに守るかのう」
【裁判】
逃亡…劉備
斬首…韓遂、楽進、楽[糸林]
諸葛亮「我が君、魏軍が柴桑に攻めてきました」
韓玄「それはさっき聞いたぞ」
諸葛亮「もう一度攻め込んできたんです」
韓玄「何じゃと?ふざけおって…血祭りじゃ!」
【裁判】
斬首…曹仁、周倉、倫直
登用…駱統
ちょっと一息。
てゆーかゲームやってる間に落ちるとは思いませんでした。
疲れてたんですかね、私?
216年6月
諸葛亮「魏軍が江州に攻め込んできました」
韓玄「しつこいのう」
…………
諸葛亮「甘寧殿より報告です。『勝ったぜ。けどたりーよあいつら』だそうです」
韓玄「そんなに強い敵じゃったのか?」
諸葛亮「武に許[ネ者]、徐晃、智に司馬懿、陸遜がいました。皆捕虜となっています」
韓玄「ほう…。のう司馬懿、陸遜、儂に仕えてみぬか?」
陸遜「断る。某をそのへんの不忠者と同じに考えるなよ」
司馬懿「ふん…儂は確かに義理堅くはないが、貴様に仕えたいとは思わん」
韓玄「どうしてもか」
司馬懿・陸遜「くどい」
韓玄「そうか…では逝け」
【裁判】
解放…王平、雍ガイ
斬首…許[ネ者]、徐晃、郭淮、陸遜、司馬懿
219年7月
韓玄「梓潼に逆襲じゃ。今回は儂が陣頭指揮を執る!」
諸葛亮「御意。落雷はいくつ持っていきましょうか」
韓玄「持てる策の全てじゃ」
諸葛亮「かしこまりました。では5つですね」
…………
韓玄「梓潼を陥したぞ!軍功第1位は儂のようじゃな!」
夏侯惇「こんな愚将に敗れるとは…」
朱然「せっかく劉豹を一騎打ちで捕まえたのに2位か…」
韓玄「おや先生、元気がないの」
諸葛亮「落雷が一度も使えなかった…!」
【裁判】
斬首…夏侯惇、費[ネ韋]、薛綜、王平、雍ガイ、劉豹
登用…朱桓
219年9月
諸葛亮「魏軍が柴桑に攻め込みました」
韓玄「まだそんな戦力が残っとるのか、魏は?」
諸葛亮「残ってないとは言えませんね」
魏軍 5部隊7万9千
韓玄軍 正規軍8部隊11万8千、救援軍5部隊8万6千
諸葛亮「柴桑の劉封殿から報告です。『ワレカテリ』」
【裁判】
解放…孟優
斬首…曹丕、張[合β]、孫礼、呂岱
219年10月
諸葛亮「魏軍が柴桑に攻め込んできました」
韓玄「その話はもう聞き飽きたわ!」
諸葛亮「臣もさすがに口が疲れました」
韓玄「劉封と魏延に任せた」
諸葛亮「襄陽からも魏軍侵攻の報告が届いておりますが」
韓玄「甘寧と魏延に任せた」
…………
諸葛亮「柴桑と襄陽から戦勝の報告が届いております」
韓玄「あっそう、ご苦労」
【裁判】
<柴桑>
解放…孟優、呉質
斬首…曹彰、文欽、程銀
<襄陽>
斬首…曹宇、于禁、呂虔、張嶷、呉班、孟獲、兀突骨、張衛
登用…申儀、楊松
219年10月(自戦略ターン)
韓玄「江州の軍勢は総力を挙げて建寧を攻撃せよ」
諸葛亮「御意。向寵に申し伝えておきます」
…………
諸葛亮「建寧を陥しました」
韓玄「ご苦労。配下にならん奴は全員逃がして構わん」
諸葛亮「結果を報告します、程秉が降りました」
韓玄「ほう、そいつは意外じゃのう」
諸葛亮「意外って、自分で言わなくても…」
219年12月
韓玄「永昌を攻めるぞ」
諸葛亮「いよいよ董和に止めを刺されますか」
韓玄「うむ。指揮は馬謖に任せてよかろう」
諸葛亮「ま、まあ、いくらなんでもここでヘマはしないでしょう」
…………
諸葛亮「馬謖より、永昌を陥したとの報せが入りました」
韓玄「祝着々々。これで中華に残る勢力は儂と曹魏のみじゃの」
諸葛亮「御意。ですが創業はこれからが本番です」
韓玄「そうじゃな」
諸葛亮「それでは捕虜の処遇をお願いします」
韓玄「配下にならん奴は全員逃がしてやれ」
諸葛亮「仰せに従った結果、全員を解放しました。…おや、今度も14人ですね」
韓玄「……」
【現在の状況】
219年12月
韓玄 無官 18都市 武将76人
曹操 魏皇帝 36都市
韓玄 57歳 名声10870
武力67(+8方天画戟)
知力40(+8六韜)
政治34(+10春秋左氏伝)
魅力27
625 :
韓玄@つられてやってみた:2001/02/11(日) 06:14
韓玄楽しそうだなって思わされたのでやってみた。もちろん、シナリオ4
【現在の状況】
217年1月
韓玄 右中郎将 25都市 武将33人
曹操 魏皇帝 19都市
楊彪(元馬騰) 衛尉 2都市
孫権 五官中郎将 2都市
劉備 楚王 6都市
韓玄 55歳 名声9668
武力 60(+2)
知力 41(+10)
政治 30(+5)
魅力 68
北斗、南斗に寿命のばしてもらったので、統一できそう(藁
626 :
韓玄@つられてやってみた:2001/02/11(日) 16:43
統一しました(藁
Zでっか?
エンディングは如何でした?
>>625-626
早いですね…同じくエンディングが気になります。
つーかそうすると私がこの先をアップする意味がなくなったような気が…
まあ進んでるとこまではやっとくか。
220年1月
韓玄「おかしい!なんで王になれないんじゃ?!」
諸葛亮「成都を離れているからだと思いますけど」
韓玄「しまったあああ!!」
諸葛亮「(騒がしいな)それはそうと、程普・王粲・許靖の3名が亡くなりました」
韓玄「…そうか。ねんごろに弔ってやれ」
諸葛亮「もっとも悲報ばかりではありません。霍弋、傅僉、朱異の3名が元服しました」
韓玄「それは早速活躍してもらわねばのう」
諸葛亮「…報告します。魏軍が建安に攻めてきたそうです」
韓玄軍:趙雲、徐庶、霍峻、凌統、文聘、王基(9万)
曹操軍:関羽、関興、陳到、臧覇、張虎(7万1千)
220年1月・其の弐
関羽「趙雲何するものぞ!」
兵士「え〜っ、趙雲みたいな奴と戦ってたら命がいくつあっても足りねーよー」
趙雲「ほう、敵の総大将は雲長殿か。厄介だな」
徐庶「できれば戦いたくない相手ですな。虚報でも流してみましょう」
関興「なんと!こうしてはおれん、某だけでも会稽に戻るぞ!」
関羽「まさかとは思うが万が一ということもあるな…」
徐庶「さすがに髯殿は騙されないか。ならば…」
関羽「この雲長に刺客とは片腹痛い。おらおらーっ!」
刺客「ぐふっ…無茶な命令出しやがって…」
陳到「うわっ、こんな所に落とし穴だと?!」
関羽「ちっ、渡河手前で水罠とは小癪な」
王基「あのー、水際で叩いても関羽の兵が減ってくれないんですが」
趙雲「雲長殿は水軍特技を持ってるからなあ」
徐庶「ほんと、まじめに戦うべきじゃないですな。徹底して弓攻撃だ」
文聘「それじゃ全滅させても逃げられるんじゃ…」
徐庶「髯殿には赤兎馬がいる。どのみち捕まらんよ」
諸葛亮「趙雲殿より報告です。魏軍を撃退しました」
【裁判】
斬首…陳到、臧覇、張虎
220年1月・其の参
諸葛亮「…只今報告がありました。魏軍がこの梓潼にも攻めてきたそうです」
韓玄「曹操の阿呆が…!」
韓玄軍:10部隊15万5千
曹操軍:8部隊8万9千
韓玄「どうやら楽勝みたいじゃなあ」
諸葛亮「(楽勝であろうと臣の活躍は光らないといけません)ようやく雷雲がきた!落雷っ!」
……スカッ。
諸葛亮「…えっ?」
韓玄「ジト〜〜ッ」
諸葛亮「あ、あはは、今のは冗談ですよ、冗談。今度こそ…落雷!」
蒋欽「ぎゃっ!」
韓玄「落雷を食らったのは蒋欽一人か?」
諸葛亮「みたい…ですね…。ショック!!」
【裁判】
斬首…曹真、軻比能、黄蓋、韓当、蒋欽
登用…卑衍
220年2月
諸葛亮「我が君、在野の士匡を登用したいのですが」
韓玄「好きにすれば」
士匡を登用した。
韓玄「じゃあ漢中でも攻撃するかの。向寵、頼んだぞ」
向寵「謹んで拝命します」
…………
向寵「漢中を陥しました」
韓玄「お疲れさん。配下にならない武将は全員解放じゃ」
220年3月
韓玄「そろそろ会稽を攻撃するかの」
諸葛亮「むしろ遅いくらいですが」
韓玄「そゆことで趙雲、頼んだぞ」
…………
趙雲「篭城されましたがなんとか陥しました。ただ捕虜はありません」
韓玄「気にせんでいいぞ。ご苦労さん」
220年4月
忙牙長の仕官の要望を受諾する。
220年5月
韓玄「武都を攻めるぞ。先生も一緒に来て下され」
諸葛亮「当然です」
韓玄「わっはっはっ、奇襲とは愚かなり!」
張昭「うぬう、あんな奴に見破られるとは…!」
韓玄「儂を馬鹿にするでないぞ!」
諸葛亮(我が君一人のお力ではありませんが、まあいいでしょう)
【裁判】
逃亡…王双
解放…張昭、諸葛瑾、胡遵
220年6月
韓玄「曹操の奴、最近妙におとなしいのう」
諸葛亮「武将が居ないわけではないみたいですけどね」
韓玄「ひょっとして斬られるのに懲りたのかの?」
諸葛亮「さあ…。ところで、趙雲から呉を陥したとの報せが届きました」
韓玄「さすがは子龍じゃ」
【裁判】
逃亡…関羽
解放…関興、劉禅、賈[言羽]、劉曄、周魴、越吉、徹里吉
220年8月
韓玄「天水を陥したぞ!」
諸葛亮「全く歯ごたえがありませんでしたね」
韓玄「儂の軍功は残念ながら2番目じゃった」
諸葛亮「最近朱桓の活躍が目覚しいですね」
【裁判】
解放…諸葛瑾、胡遵、馬遵
登用…王甫、士壱
220年10月
韓玄「そういえば上庸の攻略がまだじゃったな。どうしよう」
諸葛亮「襄陽から5部隊出して正規軍とし、漢中から増援軍を出されてはいかがですか」
韓玄「そうじゃな…上庸は孤立しておるしの」
韓玄軍が上庸を陥しました。
[广龍]徳、廖化、厳o、程武、桓範らはすべて解放されました。
220年12月
諸葛亮「柴桑が魏の軍勢に攻め込まれた模様です」
韓玄「懲りんのう…かれこれ1年ぶりか、柴桑に攻めてくるのは?」
諸葛亮「そうですね。どうしますか」
韓玄「どうもこうもないわい、劉封と魏延に一任するわ」
…………
諸葛亮「柴桑より我が軍の勝報が届きました」
韓玄「ああ、ご苦労さん」
【裁判】
解放…満寵、呉懿、劉禅、程武、呼廚泉、雅丹、越吉、徹里吉
登用…孟優
韓玄「西平を攻めようかと思ったんじゃが、先に長安を攻めるぞ」
諸葛亮「雍州・涼州を孤立させるのですね。妙案です」
…………
向寵「敵は長安城に篭城しましたが、問題なく陥ちました」
韓玄「うむ、ご苦労」
向寵「董允、秦[宀必]の両名を捕えています」
韓玄「降伏しないなら逃がしてやれ。所詮戦場では雑魚じゃからな」
221年1月【其の壱】
北斗・南斗「ドキドキ、今年の名士十選は……!」
韓玄「なんじゃ、この手紙は」
諸葛亮「臣にも同じようなものが届いておりますが」
韓玄「では、せーので見せ合いっこでもするかの?」
諸葛亮「臣は構いませんが」
韓玄「ではいくぞ。せーのっ」
『韓玄ちゃん、7位入選おめでとー。ご褒美に寿命を延ばしてあげるねー。by北斗・南斗』
『諸葛亮ちゃん、8位入選おめでとー。頑張り屋さんの貴方には聖痕をあげるねー。by北斗・南斗』
諸葛亮「おお、ついに寿命が延びましたか。おめでとうございます」
韓玄「先生こそ聖痕とはやるのう。…ところで聖痕ってどこについたんじゃ?」
諸葛亮「それはヒミツです」
韓玄「なんじゃ、ケチじゃのう」
諸葛亮(言えない…屁のツッパリは要らない超人と同じところだなんて…!)
221年1月【其の弐】
諸葛亮「我が君、魏軍が呉に攻めてきました」
韓玄「ふむ?まあよい、ここはひとまず様子を見てみるかの」
曹操軍 9部隊14万
韓玄軍 10部隊15万3千
徐庶「海路伝いで攻めてきたようですな。敵軍にモラルがありません」
趙雲「とはいえ雲長殿は侮れんぞ」
徐庶「こんなときのために策を実行(虚報)」
関羽「馬鹿な?!こうしてはおれん、楽浪に退却するぞ」
趙雲「…やってみるもんだなあ。よし、残った雑魚共を揉んでやれ!」
【裁判】
逃亡…張遼
解放…[广龍]徳、賈[言羽]、劉曄、蒋済、関興、周魴、士徽
221年1月【其の参】
韓玄「ではこっちからも新野を攻めるとするかの」
諸葛亮「御意」
韓玄軍 9部隊13万
曹操軍 10部隊13万6千
左慈「ひょっひょっひょっ、天罰覿面じゃよ」
朱霊・雷銅「しぇー!!」
ケ芝「そんなっ?!」
左慈「ありゃりゃ、味方にも落ちてしもうた」
甘寧「ジイさん、頼むから今回はもう落雷は使わんでくれ…」
…………
諸葛亮「甘寧殿より報告です。多少の誤算はあったが新野は陥したとのことです」
【裁判】
解放…朱霊、ケ艾、楊脩、劉勲、夏侯楙、雷銅、董允、秦[宀必]
登用…夏侯覇、傅士仁
221年3月
諸葛亮「呉で陸凱という人物を見つけました。登用してもよろしいですか」
韓玄「了承」
在野の陸凱を登用した。
韓玄「江夏の魏延がくすぶっとるのう。廬江でも攻めるか」
諸葛亮「何度も言うようですが、決断が遅すぎますよ」
韓玄軍が廬江を陥しました。
【裁判】
解放…満寵、呉質、程武、尹賞、呉懿、劉禅、滕胤、呼廚泉、雅丹、徹里吉
221年4月
韓玄「西平を攻めるぞ。今回も儂が陣頭指揮を執る」
諸葛亮「御意。臣もお供します」
諸葛亮「天が私を呼んでいる!虚空を切り裂けと叫んでいる!
この世に悪がある限り私の雷撃が敵を討つ!」
鐘ヨウ「あぶだらっ!」
諸葛瑾「亮、お前兄貴に向かって『悪』とは何様の…ぎゃわっ!」
諸葛亮「もう一発いきますよ〜!」
諸葛瑾「やめて…!お願い…!ひィ〜〜〜っ!!」
諸葛亮「ふっ、これで今回の軍功1位はいただきですね」
韓玄「子瑜、いいかげん儂に仕えぬか」
諸葛瑾「イヤだ!こんな弟と一緒に仕事なんてしたくない!」
諸葛亮「家兄が悪いのに…」
諸葛恪「父上も意固地ですねえ」←一緒に従軍していた
諸葛瑾「恪、なんでそこにいる?!」
諸葛恪「なんでって、叔父上に誘われたからですが」
諸葛瑾「……何と言われようと某は陛下に忠誠を尽くす」
韓玄「仕方ないのう…まあそちと儂との仲じゃから命は助けてやるが」
【裁判】
解放…諸葛瑾、鐘ヨウ、桓範、廖化、馬遵、董和
登用…徐盛
221年5月
韓玄「天水の残留部隊に安定を攻撃させよ。増援軍は長安からじゃ」
諸葛亮「御意」
諸葛亮「馬謖より報告です。篭城戦の末安定を陥したそうです」
韓玄「うむ」
221年6月
諸葛亮「朶思大王が仕官を求めています」
韓玄「了承。事務はそれで終わりか?なら武威を攻めるぞ」
諸葛亮「御意」
韓玄軍 8部隊12万
魏軍 10部隊14万4千
韓玄「14万もいて篭城してくるかあ?」
諸葛亮「野戦で兵を損耗する気がないということなのでは」
韓玄「ま、こいつらには後はないわな」
諸葛亮「しかし困りましたね。篭城戦用の策は陽動を1つしかストックしていません」
韓玄「さっさと使っちゃってよいぞ」
諸葛亮「御意」
張昭「敵が裏門に回ったじゃと?いかん、我が軍も行くぞ!」
諸葛亮「ふっ、所詮シビリアンですね」
張昭「ぬう、騙された…!こうなったら城外に奇襲をかけるぞ!」
諸葛亮「ふっ、その程度の策が見抜けぬ孔明だと思いましたか」
…………
諸葛亮「武威の城門が開きました」
韓玄「よし、入城じゃ!」
【裁判】
解放…張昭、諸葛瑾、鐘ヨウ、辛[田此]、王双、桓範、賈範、胡遵、張松、董和、廖化、呂義、馬遵
221年8月
新野に魏軍が侵攻。
韓玄軍 10部隊14万
魏軍 9部隊12万8千
甘寧「ジイさん、今度はきちんと敵だけに雷を落としてくれよ」
左慈「ひょっひょっひょっ、まあ気をつけるとするかの」
ケ芝「…!(ブルブル)」
董允「うわっ、何だ?!落雷?!」
甘寧「なんだてめェか。つまらん」
…………
魏軍が全滅しました。韓玄軍の勝利です。
【裁判】
登用…雷銅
解放…ケ艾、董允、秦[宀必]
斬首…朱霊、劉勲、賈逵、楊脩、越吉
221年9月
諸葛亮「我が君、ケ芝殿から書状が届いております」
韓玄「どれどれ…『カミナリコワイ』?なんじゃこれは?」
諸葛亮「さあ、臣にもさっぱり」
韓玄「まあよい、惰弱な奴は要らん。武威太守でもやらせとけ」
諸葛亮「御意」
ケ芝(よかった、やっと前線勤務から離れられる…!)
221年10月
諸葛亮「先月見つけた楊鋒という者が仕官を求めています」
韓玄「了承」
諸葛亮「…報告します、建業と呉に魏軍が攻めてきた模様です」
韓玄「どっちも駐屯軍だけで事足りるじゃろ。救援はよいわ」
諸葛亮「ではそのように」
【裁判】
<建業>
登用…劉禅、徹里吉
解放…満寵、呉質、程武、賈範、雅丹、呼廚泉、孫登、厳o
<呉>
解放…[赤β]昭、周魴、崔[王炎]
斬首…曹叡
221年12月
諸葛亮「我が君、魏軍が呉に…」
韓玄「うぜえええ!捕虜は全員斬首じゃ!」
【裁判】
斬首…関興、士徽、劉曄、尹賞、[赤β]昭、周魴、滕胤
韓玄「甘寧に命じて宛を攻めよ!」
諸葛亮「御意」
…………
諸葛亮「甘寧殿が宛を陥しました。捕虜の処遇をお願いします」
【裁判】
解放…[广龍]徳、賈[言羽]、秦[宀必]
斬首…曹植
221年12月現在、32都市。無官。
でも寿命を延ばしてもらえたんで、私も統一が見えてきました。
それにしても、ものを書くってたいへんな作業なんですね…
650 :
625:2001/02/11(日) 21:39
スピードクリアだったので、バッドエンディングでした。
武将に関しては、従うか・死ぬか、このニ択。
おかげさまで、楽進がエースでしたね。(最後は張遼とかも入りましたが)
>>650 そうでしたか。韓玄で300年繁栄エンドを迎えるのは無謀でしょうか?
幸い現行のプレイでは内政値が高いので、そのへんも狙ってみます。
222年1月
韓玄軍が寿春を陥しました。
【裁判】
解放…張魯、満寵、程武、呉質、賈範、厳o、孫登、馬遵、呼廚泉、雅丹
222年2月
在野の韋昭を登用する。
222年3月
韓玄軍が洛陽を陥しました。
【裁判】
登用…廖化、朱褒
解放…毋丘倹、胡遵、張既、王累、費詩、秦[宀必]、諸葛瑾
222年4月
韓玄配下の黄祖が死去。
222年5月
汝南を攻略。
韓玄軍 8部隊12万5千
魏軍 10部隊14万6千
【裁判】
登用…董允、夏侯楙
解放…毋丘倹、胡遵、ケ艾、[广龍]徳、賈[言羽]、呉質、呂義
222年7月
攻城戦にて下[丕β]を陥す。
222年9月
洛陽に魏軍が来寇、撃退する。
【裁判】
解放…陳羣、張既、呉質、毋丘倹、胡遵、賈[言羽]、王累、費詩、秦[宀必]
222年11月
汝南に魏軍が来寇、撃退する。
韓玄軍 10部隊15万1千
魏軍 9部隊13万
【裁判】
逃亡…陳羣、厳o
解放…胡遵、ケ艾、[广龍]徳、賈[言羽]、程武、賈範、呂義
222年12月
[言焦]を陥す。
【裁判】
逃亡…賈[言羽]、陳羣
解放…韓浩、ケ艾、満寵、張魯、程武、賈範、厳o、呂義
223年1月
魏帝曹操死去、満寵が後を継ぐ。
韓玄配下の楊松、劉度が死去。
諸葛亮の説得で諸葛瑾が城陽城とともに降伏。
[言焦]の魏延が勝手に許昌を攻め落とす。
【裁判】
解放…毋丘倹、胡遵、呉質、陳羣、賈[言羽]、程武、賈範、張既、[广龍]徳、呂義、厳o
223年2月
魏延が勝手に陳留を攻め落とす(攻城戦)。
223年4月
在野の全端を登用する。
魏軍が呉に侵攻、撃退する。
【裁判】
解放…張遼、蒋済、士祗、雅丹
河内を陥す。
【裁判】
登用…費詩
解放…夏侯恩、王累、秦[宀必]
223年5月
在野の曹爽の仕官を受諾する。
223年7月
在野の司馬師を登用する。
厳o、孫登、呂義を引き抜く。
223年8月
在野の夏侯威を登用する。
魏軍が陳留に来寇、撃退する。
【裁判】
解放…韓浩、ケ艾、賈[言羽]、[广龍]徳、鐘ヨウ
223年9月
小沛を陥し、漢献帝を保護する。
【裁判】
解放…張魯、陳羣、張既、毋丘倹、呉質、王経、程武、桓範、賈範、糜竺
223年10月
韓玄配下の陸績が死去。
魏軍が陳留に来寇、撃退する。
【裁判】
解放…張魯、王朗、張既、王修、ケ艾、韓浩、呉質、賈範、[广龍]徳
223年11月
上党を陥す。
【裁判】
解放…夏侯恩、夏侯徳、王昶、王累、秦[宀必]
223年12月現在、韓玄領は44都市です。
残るは楽浪、襄平、北平、薊、南皮、平原、[業β]、晋陽、北海、
[シ僕]陽の10都市です。
相変わらず無官ですが。
おおおお、もう一息!
660 :
韓玄@4代目:2001/02/12(月) 00:44
がんばりゃ〜。44都市までは私は逝けなかった。
是非私で出来なかった悲願を〜〜〜〜〜。
661 :
趙範@おまけ:2001/02/12(月) 02:00
凄いっ! もう一息じゃないですか!
でも、あと2〜3都市くらいで逝ったりして・・・(藁
韓玄クリアの次は、金旋で誰かクリアを目指してみて下さい。
韓玄よりも、若干能力値が高いが寿命が短いぞ!
662 :
625@韓玄でクリアした人:2001/02/12(月) 03:37
予備兵多すぎて無理だ・・・<300年繁栄
統一直前の我が軍は予備兵込みで160万くらいと思われるので、武将140人くらいいないと・・・
武将は切りまくってたので、50人ちょっとしかいません(藁
P.S.ちなみに、220年11月クリアです
会話が無いので寂しい。
頑張れ5代目〜!後少しだー!寿命切れんなよ〜
>>663 すみません、会話がないのは
韓玄「**を攻めるぞ」
諸葛亮「御意」
……(戦争の指揮を取らないので経過省略)……
諸葛亮「勝ちました」
の連続にしかならなくて、それがちょっとイヤだったからです。
でもせっかく期待して頂いてたのだし、それでもやっぱり書くべきでしたね。
すみませんでした。
あ、部隊数と兵力が書いてある戦争は自分で直接動かしました。
落雷を使った戦争だけなんですけどね。
224年1月
韓玄配下の魯粛が死去。
趙統が元服。
在野の董厥を登用する。
[シ僕]陽を陥す。
【裁判】
解放…張魯、陳羣、王朗、張既、毋丘倹、呉質、王経、程武、桓範、賈範、辛[田此]、胡遵、糜竺、呼廚泉
224年2月
魏軍が陳留に来寇、撃退する。
【裁判】
解放…ケ艾、毋丘倹、張魯、陳羣、胡遵、[广龍]徳、鐘ヨウ
224年3月
在野の于詮の仕官を受諾する。
晋陽を陥す。
【裁判】
解放…夏侯恩、夏侯徳、王昶、ケ艾、賈[言羽]、鐘ヨウ、王累、秦[宀必]、虞翻
224年4月
朝廷に金2万を献上。さらに金2万を献上して州刺史に任命される。
朝廷に金2万を献上。さらに鉄脊蛇矛を献上して州牧に任命される。
朝廷に金1万を献上。さらに魏延の俸禄アップを条件に羽林中郎将に任命される。
朝廷に金2万を献上。さらに兵糧16万を献上して虎賁中郎将に任命される。
破虜将軍 諸葛亮
横江将軍 甘寧
安国将軍 趙雲
軍師将軍 黄忠
威東将軍 魏延
威南将軍 徐庶
威西将軍 凌統
威北将軍 廖化
偏将軍 李厳
[ネ卑]将軍 馬忠(蜀)
韓玄「やっとそちたちの功績に報いる事が出来た。
統一まで後少しじゃが、これからも頼むぞ」
諸葛亮ら「ははっ、有り難き幸せ」
224年5月
海路、楽浪を攻略する。
韓玄軍 10部隊15万7千
魏軍 9部隊11万5千
【裁判】
逃亡…劉備
登用…唐咨
解放…[广龍]徳、鐘ヨウ、蒋済、蒋幹、馬遵、士祗、雅丹
224年6月
北海を陥す。
【裁判】
解放…王朗、張既、呉質、桓範、賈範、辛[田此]、糜竺、陳震、管輅、呼廚泉
魏軍が晋陽に侵攻、撃退する。
【裁判】
解放…賈[言羽]、[广龍]徳、張魯、王昶、夏侯恩、虞翻、張休
224年7月
韓玄配下の梁興が死去。
朝廷に金2万を献上、さらに兵糧16万を献上して北中郎将に任命される。
さらに朝廷に金6万を献上するが、諸葛亮の建言で昇進を見送る。
(つーかそう建言されるように操作したけど)
現在朝廷貢献度230。
224年8月
朝廷に金1万を献上。昇進を断り朝廷貢献度250。
韓玄「中華の統一まであと何都市じゃったかの」
諸葛亮「あと6都市です」
韓玄「そうか…なんとか今年中にケリをつけたいのじゃが」
諸葛亮「では前線の太守の掣肘をすべて解かれませ」
韓玄「大丈夫か?負けたりしたら困るんじゃが」
諸葛亮「大丈夫です、今更負けることはありませんよ」
韓玄「…わかった、そうしよう」
韓玄軍が襄平・[業β]・薊を陥す。
捕虜をすべて解放する。
224年9月
【天下一統】
在野の孫峻を登用する。
韓玄軍が北平・南皮・平原を陥す。
管輅のみ登用に応じ、他の捕虜はすべて解放する。
魏、滅亡する。
諸葛亮「ついにこの時がきました…」
韓玄「ああ…長い道程じゃった…」
224年9月、北中郎将・韓玄は中国を統一しました。
【エンディング】
朝廷は韓玄を丞相に任命した。
韓玄「長きに渡る戦乱は多数の犠牲者を出し民を大いに苦しめた。
皆の者、二度とこのようなことを繰り返してはならない」
諸葛亮「丞相、これはもとを正せば(以下略)」
顧雍「そうです(中略)。天下の乱れは…(以下略)」
韓玄「さよう、(以下略)」
…………
韓玄は諸葛亮を三公の筆頭である太尉に任命し(以下略)
諸葛亮「(前略)だが慢心してはならぬ(以下略)」
霍弋「政治とは難しいものですね」
…………
そして長年軍中にあって功のあった趙雲には大司馬の地位を与え(以下略)
趙雲「我々を脅かす敵はもう存在しない(以下略)」
兵士「皇帝陛下万歳!」
兵士「韓玄様、万歳!」
…………
そしていつしか人々は韓玄のことを「聖天子」と呼ぶようになった。
…………
果てることも知れぬ平穏な日々に
いつしか人々は戦う術を忘れてしまっていた
そしてそれは突然やってきた… (以下略)
というわけで、やっぱりありきたりな五胡侵入エンディングでした。
300年繁栄エンディングを目指したんですが、
総兵力が140万(予備兵除く)もいたらダメですな。
適当に帰農させればよかった…
最終状況
韓玄 62歳 名声20629
武力67
知力40
政治34
魅力27
(アイテム修正は先述のとおり)
皆様、長らくのお付き合いどうもありがとうございました。
おかげさまで私の代にて韓玄はめでたく中国大陸を統一する事ができました。
わずか数十年の栄華でしたが(笑)
218年以降はほんとに今日死ぬか、明日死ぬかという緊張感の中でプレイしていました。
自分の文章力のなさや遅筆ぶりに何度となくヘコみかけましたが、
なんとかここまでたどりつくことができました。
これもひとえに皆様の温かいご声援があったおかげです。
本当に有難うございました。
−完−
…とかいいつつ、実はアップする前に少し金旋でプレイしてたりする。
216年3月、荊南4郡のみで無官、名声6569。
なぜかすでに諸葛亮、司馬懿、左慈が揃っていたりする…
でも諸葛亮の落雷をはじめて敵に回しました。
ものすごく痛かった…
あう…全支配都市を「委任」にしたときに魏延たちに
もっと盛り上げさせてやればよかった。
ダメだな私。所詮これが私の限界か…
五代目の韓玄さん、お疲れ様でした。楽しませて頂きました。
今度は300年繁栄エンディングを目指して、六代目名乗っても良いですか?
初の統一、おめでとうございます。 ずっと読ませて頂きましたが、お疲れ様でした。
今回は四代目さん程武将を斬っていなかった様ですが、最終的な配下は何人ぐらい
だったのでしょうか?
蒋琳 年表
182年 蒋琳 誕生(武39知83政57魅53)
200年 3月 長安にあって、在野の士である
200年 7月 永安を探訪した際、華佗を見出す
201年 3月 張燕、曹操に降伏する
201年 8月 上庸を探訪した際、孟獲を見出す
201年11月 長安にて韓遂に見出され、馬騰に登用される
201年12月 上庸を探訪した際、廖化を見出す
202年 1月 馬騰より武威の太守に任命される
202年 2月 孟獲を馬騰に推挙し、登用に成功する
202年11月 楽浪を本拠とする公孫度、袁紹によって処刑される
公孫度の勢力、大陸から姿を消す
203年 2月 功績が認められ、四品官に任命される
203年 4月 袁紹、にて病死する
袁譚、袁紹の跡を継ぐ
204年 7月 馬騰軍、宛を占領する
204年 8月 功績が認められ、三品官に任命される
馬騰、長安を曹操軍に占領される
204年 9月 張魯、曹操に降伏する
204年12月 馬騰軍、新野を占領する
馬騰、新野を孫策軍に占領される
新野を本拠とする馬騰、孫策によって処刑される
馬超、馬騰の跡を継ぐ
馬騰配下から馬超配下となる
205年 1月 馬超への忠勤に対し、恩賞を受ける
馬超、宛を劉備軍に占領される
205年 2月 馬超より軍師に任命される
武威から安定へ移動する
馬超より威西将軍に任命される
205年 4月 友好の使者として劉璋のもとへ赴く
205年 7月 曹操、任を受け、司徒となる
205年 8月 劉璋、任を受け、羽林中郎将となる
馬超、劉璋と同盟を結ぶ
205年 9月 馬超、劉璋からの長安攻略共同作戦の申し入れを承諾する
205年12月 江州を探訪した際、呂義を見出す
206年 1月 劉備、任を受け、州牧となる
206年 2月 馬超と劉璋の同盟の期限が切れる
馬超、劉璋と同盟を結ぶ
206年 3月 馬超、劉璋からの長安攻略共同作戦の申し入れを承諾する
206年 6月 馬超より威北将軍に降格される
206年 8月 袁譚、任を受け、丞相となる
206年 9月 馬超、劉璋からの長安攻略共同作戦の申し入れを承諾する
206年10月 劉璋、任を受け、虎賁中郎将となる
友好の使者として劉璋のもとへ赴く
206年11月 馬超と劉璋の同盟の期限が切れる
207年 1月 曹操、任を受け、太尉となる
207年 2月 馬超、任を受け、羽林中郎将となる
馬超より威南将軍に任命される
207年 8月 馬超、劉璋と同盟を結ぶ
207年 9月 安定から西平へ移動する
207年10月 孫策、任を受け、北中郎将となる
207年11月 華佗を孫策から離反させ、登用に成功する
士燮の勢力、大陸から姿を消す
207年12月 馬超、劉璋からの長安攻略共同作戦の申し入れを承諾する
208年 2月 馬超より威北将軍に降格される
208年 7月 馬超と劉璋の同盟の期限が切れる
曹操、任を受け、大司馬となる
208年10月 劉表、襄陽にて病死する
韓遂、劉表の跡を継ぐ
劉璋、任を受け、南中郎将となる
208年11月 韓遂、任を受け、虎賁中郎将となる
永昌を本拠とする劉璋、孫策によって処刑される
劉循、劉璋の跡を継ぐ
209年 4月 孫策、任を受け、右中郎将となる
209年 5月 劉備、任を受け、北中郎将となる
209年 8月 蒋琳、馬超の使者として河内へ上り、皇帝に拝謁する
209年 9月 西平から天水へ移動する
209年10月 馬超軍対劉循軍の武都付近の戦いに参軍として参じる
劉循軍の立てこもる武都の攻城戦に参軍として参じる
戦功第一位として表彰される
馬超軍対劉循軍の戦い、馬超軍が勝利し、武都を占領する
馬超より軍師を解任される
馬超より威北将軍を解任される
214年11月 馬超、洛陽を孫策軍に占領される
214年12月 馬超軍、永安を占領する
馬超軍、建寧を占領する
215年 1月 馬超への忠勤に対し、恩賞を受ける
215年 2月 馬超軍、武陵を占領する
215年 3月 馬超軍、永昌を占領する
215年 4月 馬超軍、長沙を占領する
曹操、後漢皇帝を擁立する
215年 6月 馬超、任を受け、五官中郎将となる
馬超軍、江陵を占領する
215年 7月 馬超軍、零陵を占領する
215年10月 孫策、任を受け、司徒となる
馬超軍、襄陽を占領する
馬超軍、桂陽を占領する
215年12月 馬超軍対孫策軍の宛付近の戦いに総大将として参じる
諸葛均の部隊を撃破する
夏侯恩の部隊を撃破する
鮑隆の部隊を撃破する
王基の部隊を撃破する
馬超軍対孫策軍の戦い、馬超軍の敗北に終わる
216年 1月 孫策、国号を呉と定める
孫策、呉王を自称する
馬超、国号を巴と定める
馬超、巴王を自称する
馬超軍、江夏を占領する
馬超軍、柴桑を占領する
馬超、柴桑を孫策軍に占領される
216年 2月 馬超より建威将軍に任命される
216年 5月 韓遂、任を受け、五官中郎将となる
馬超軍、上庸を占領する
上庸を本拠とする韓遂、馬超によって処刑される
韓遂の勢力、大陸から姿を消す
216年 6月 馬超より建武将軍に降格される
長安から江夏へ移動する
移動に伴い、太守を解任される
216年 7月 馬超より長安の太守に任命される
216年 9月 王粲を馬超に推挙し、登用に成功する
216年10月 馬超より右将軍に任命される
216年11月 功績が認められ、一品官に任命される
馬超軍対孫策軍の宛付近の戦いに総大将として参じる
馬超軍対孫策軍の戦い、馬超軍の敗北に終わる
馬超軍、柴桑を占領する
216年12月 馬超、柴桑を曹操軍に占領される
217年 2月 馬超より平東将軍に任命される
217年 8月 馬超軍、柴桑を占領する
217年 9月 馬超、柴桑を曹操軍に占領される
217年10月 馬超、長沙を曹操軍に占領される
217年11月 馬超、武陵を曹操軍に占領される
馬超軍、長沙を占領する
馬超、桂陽を孫策軍に占領される
218年 2月 馬超より平南将軍に降格される
218年 3月 馬超軍、武陵を占領する
218年 5月 馬超、江陵を曹操軍に占領される
馬超、江夏を曹操軍に占領される
218年 6月 馬超、襄陽を曹操軍に占領される
馬超より平東将軍に任命される
218年 7月 馬超、零陵を孫策軍に占領される
218年 8月 馬超、上庸を曹操軍に占領される
長安から漢中へ移動する
移動に伴い、太守を解任される
218年 9月 馬超、雲南を曹操軍に占領される
218年10月 馬超より平北将軍に降格される
218年11月 張昭を馬超に推挙し、曹操から離反させ、登用に成功する
218年12月 馬超軍対曹操軍の漢中付近の戦いに参軍として参じる
黄蓋の部隊を撃破する
馬超軍対曹操軍の戦い、馬超軍の勝利に終わる
馬超、永昌を曹操軍に占領される
馬超より軍師に任命される
統の暗殺に失敗する
馬超軍、雲南を占領する
219年 2月 馬超より鎮東将軍に任命される
219年 3月 馬超、長沙を曹操軍に占領される
馬超軍、江陵を占領する
219年 4月 馬超、雲南を曹操軍に占領される
漢中から成都へ移動する
219年 5月 馬超、武陵を曹操軍に占領される
成都から建寧へ移動する
219年 6月 馬超、漢中を曹操軍に占領される
馬超より征北将軍に任命される
219年 8月 馬超軍対曹操軍の雲南付近の戦いに参軍として参じる
凌統の部隊を撃破する
周倉の部隊を撃破する
呼廚泉の部隊を撃破する
朱然の部隊を撃破する
馬超軍対曹操軍の戦い、馬超軍の敗北に終わる
蒋を馬超に推挙し、曹操から離反させ、登用に成功する
219年10月 馬超より鎮南将軍に降格される
220年 1月 馬超への忠勤に対し、恩賞を受ける
馬超軍対曹操軍の雲南付近の戦いに参軍として参じる
凌統の部隊を撃破する
馬超軍対曹操軍の戦い、馬超軍が勝利し、雲南を占領する
220年 2月 馬超軍、漢中を占領する
220年 4月 馬超軍対曹操軍の永昌付近の戦いに参軍として参じる
廖立の部隊を撃破する
陳到の部隊を撃破する
馬超軍対曹操軍の戦い、馬超軍の敗北に終わる
220年 5月 馬超、江陵を曹操軍に占領される
220年 6月 馬超軍対曹操軍の永昌付近の戦いに参軍として参じる
敵の総大将・孫礼の部隊を撃破する
曹操軍の立てこもる永昌の攻城戦に参軍として参じる
戦功第一位として表彰される
馬超軍対曹操軍の戦い、馬超軍が勝利し、永昌を占領する
220年 7月 馬超、建業を曹操軍に占領される
馬超軍対曹操軍の雲南付近の戦いに参じる
馬超軍対曹操軍の戦い、馬超軍の敗北に終わり、雲南を失う
馬超軍対曹操軍の雲南付近の戦いに参軍として参じる
曹操軍の立てこもる雲南の攻城戦に参軍として参じる
馬超軍対曹操軍の戦い、馬超軍が勝利し、雲南を占領する
220年 9月 馬超、漢中を曹操軍に占領される
220年10月 孫策の勢力、大陸から姿を消す
馬超軍対曹操軍の雲南付近の戦いに参軍として参じる
朱異の部隊を撃破する
高翔の部隊を撃破する
董荼那の部隊を撃破する
黄忠の部隊を撃破する
馬超軍対曹操軍の戦い、馬超軍の勝利に終わる
馬超より鎮東将軍に任命される
王基を曹操から離反させ、登用に成功する
220年11月 馬超、永安を曹操軍に占領される
220年12月 配下の漢中太守・劉備、曹操に寝返る
馬超軍対曹操軍の雲南付近の戦いに参軍として参じる
敵の総大将・ケ艾の部隊を撃破する
曹休の部隊を撃破する
太史慈の部隊を撃破する
敵の参軍・曹仁の部隊を撃破する
李恢の部隊を撃破する
馬謖の部隊を撃破する
馬超軍対曹操軍の戦い、馬超軍の勝利に終わる
221年 2月 馬超より鎮西将軍に降格される
221年 3月 馬超軍、永安を占領する
221年 4月 馬超軍、漢中を占領する
221年 6月 馬超軍対曹操軍の雲南付近の戦いに参軍として参じる
董荼那の部隊を撃破する
李恢の部隊を撃破する
敵の参軍・周魴の部隊を撃破する
馬超軍対曹操軍の戦い、馬超軍の勝利に終わる
馬超より鎮北将軍に降格される
221年 9月 馬超、漢中を曹操軍に占領される
馬超軍対曹操軍の雲南付近の戦いに参軍として参じる
廖化の部隊を撃破する
敵の参軍・曹仁の部隊を撃破する
敵の総大将・ケ艾の部隊を撃破する
李恢の部隊を撃破する
馬超軍対曹操軍の戦い、馬超軍の勝利に終わる
221年10月 馬超、永安を曹操軍に占領される
馬超軍、永安を占領する
馬超軍対曹操軍の交趾付近の戦いに参軍として参じる
李恢の部隊を撃破する
朱異の部隊を撃破する
曹休の部隊を撃破する
孫策の部隊を撃破する
戦功第一位として表彰される
馬超軍対曹操軍の戦い、馬超軍が勝利し、交趾を占領する
222年 2月 馬超より安東将軍に降格される
222年 3月 馬超軍、漢中を占領する
222年 4月 馬超軍、上庸を占領する
222年 5月 馬超軍対曹丕軍の交趾の戦いに参軍として参じる
李恢の部隊を撃破する
敵の総大将・劉巴の部隊を撃破する
馬超軍対曹丕軍の戦い、馬超軍の勝利に終わる
交趾から江州へ移動する
馬超軍、襄陽を占領する
馬超軍、南海を占領する
222年 6月 馬超軍、建安を占領する
222年 7月 馬超軍、新野を占領する
222年 8月 馬超軍、柴桑を占領する
222年 9月 馬超軍、宛を占領する
馬超、後漢皇帝を擁立する
222年10月 馬超より平東将軍に降格される
222年11月 馬超軍、洛陽を占領する
223年 1月 馬超、漢朝から禅譲を受け、皇帝となる
江州から永安へ移動する
223年 2月 馬超より安南将軍に任命される
馬超軍、河内を占領する
馬超軍、会稽を占領する
馬超軍、江夏を占領する
馬超、南海を曹丕軍に占領される
223年 3月 馬超軍対曹丕軍の江陵付近の戦いに参軍として参じる
徹里吉の部隊を撃破する
馬超軍対曹丕軍の戦い、馬超軍の敗北に終わる
馬超軍、南海を占領する
馬超軍、呉を占領する
馬超、洛陽を曹丕軍に占領される
223年 4月 馬超軍対曹丕軍の江陵付近の戦いに参軍として参じる
胡遵の部隊を撃破する
楊鋒の部隊を撃破する
霍弋の部隊を撃破する
曹丕軍の立てこもる江陵の攻城戦に参軍として参じる
馬超軍対曹丕軍の戦い、馬超軍が勝利し、江陵を占領する
223年 5月 馬超軍、洛陽を占領する
馬超軍対曹丕軍の武陵付近の戦いに参軍として参じる
丘倹の部隊を撃破する
馬超軍対曹丕軍の戦い、馬超軍の敗北に終わる
馬超、宛を曹丕軍に占領される
曹丕、後漢皇帝を擁立する
223年 6月 馬超より鎮北将軍に任命される
馬超軍、宛を占領する
馬超、後漢皇帝を擁立する
馬超軍、汝南を占領する
223年 7月 馬超軍、廬江を占領する
馬超軍、を占領する
223年 8月 馬超軍、許昌を占領する
馬超軍、晋陽を占領する
馬超軍、陳留を占領する
223年 9月 馬超軍、建業を占領する
馬超軍、寿春を占領する
223年10月 馬超より安西将軍に降格される
馬超軍対曹丕軍の武陵付近の戦いに参軍として参じる
曹丕軍の立てこもる武陵の攻城戦に参軍として参じる
馬超軍対曹丕軍の戦い、馬超軍が勝利し、武陵を占領する
馬超軍、濮陽を占領する
馬超軍対曹丕軍の零陵の戦いに参じる
馬超軍対曹丕軍の戦い、馬超軍が勝利し、零陵を占領する
223年11月 馬超軍対曹丕軍の長沙の戦いに参軍として参じる
程秉の部隊を撃破する
曹丕軍の立てこもる長沙の攻城戦に参軍として参じる
戦功第一位として表彰される
馬超軍対曹丕軍の戦い、馬超軍が勝利し、長沙を占領する
馬超軍、下を占領する
223年12月 馬超軍、小沛を占領する
224年 1月 馬超軍、城陽を占領する
馬超軍、を占領する
224年 2月 馬超軍、南皮を占領する
224年 3月 長沙から濮陽へ移動する
馬超軍、薊を占領する
224年 4月 馬超軍、楽浪を占領する
馬超軍、北平を占領する
馬超軍、平原を占領する
224年 5月 馬超軍対曹丕軍の北海の戦いに参じる
曹丕軍の立てこもる北海の攻城戦に参じる
馬超軍対曹丕軍の戦い、馬超軍が勝利し、北海を占領する
濮陽から楽浪へ移動する
224年 6月 馬超軍、襄平を占領する
曹丕の勢力、大陸から姿を消す
馬超、大陸を平定する
蒋琳 (武60知97政81魅86名声19123功績20298)
お邪魔しましたm(__)m
>程c
おまえ、sageのしかたも分からねーのかよ?
ドキュソ逝ってヨシ
5代目さん、ついに統一おめでとうございます!
よく寿命でなくならかったものですよ。本当。
韓玄で聖天子エンディングってのは充分誇ってよいものです。
>>678-683
すげえな。
>>676 >お疲れ様でした。楽しませて頂きました
ありがとうございます。皆様のそういったお声の一つ一つが私にとって
本当に励みになりました。心から感謝しています。
>六代目名乗っても良いですか?
私も僭称だったので、ダメとは言えません(笑)
てゆーか、名乗った者勝ちだと思いますよ。
>>677 ありがとうございます。
>最終的な配下
そう言えば書き落としてましたね、すみませんでした。
最終的には107人…韓玄を除くと106人です。
戦争では本当に配下が増えませんでした。
関羽や張遼などは敵勢力の中でいつのまにか死んでました…
>>678-683
すごいですね。私は一配下のままでは終われません(アセ
>>685 ありがとうございます。
聖天子エンドはあからさまに狙ってましたが(アセ
>よく寿命でなくならかった
221年までもってくれたので本当に助かりました。ここがもう奇跡かも。
それまでは本当に死と隣り合わせでしたからね。
ちなみに金旋プレイなんですが、虞翻に寿命を延ばしてもらいました。
会うたびに「なんと!貴殿に死期が迫っておるぞ!」と言われて
ヘコみまくりました(笑)
ちなみに金旋プレイなんですが、虞翻に寿命を延ばしてもらいました。
会うたびに「なんと!貴殿に死期が迫っておるぞ!」と言われて
ヘコみまくりました(笑)>>ワラタ
>>687 有難うございます。
では、拙くも六代目はじめさせていただきます。
三国志7PUKのシナリオ4(207年10月)で初級、すべて史実モードで、登録武将およびアイテムはなし。
また、面会と鍛錬に制限をかけました。
目標は……300年繁栄エンディング、です。
韓玄@五代目さんおめでとうございます。
207年10月:
韓玄「なあ黄忠。ここのところ退屈だとは思わんか?」
黄忠「暇な時には、暇なりにすべきことがございます」
韓玄「(ちっ、こいつじゃ駄目だ。やはり誰にも仕えていない連中を誘った方が早いな)」
かくて韓玄は、群雄の統治が及ばない南中地方に赴いた。
建寧をさまよっていると、ひとりの男が酒場で不平を漏らしていた。
韓玄「よう、何だかわけありだな。さしずめ、世の中のことで嫌になっているってところか?」
李恢「……まあ、そういったところだな」
韓玄「(よし、こいつなら脈がありそうだ)」
韓玄、懐から金200を差し出す。
韓玄「まあ、何も言わずにこれをとっといてくれたまえ」
李恢「おお、かたじけない」
韓玄、長沙に戻り、徴兵をする。
207年11月:
再び探訪。今度は雲南に出向く。
韓玄「いよう、元気ないなあ。どうしたよ?」
帯来洞主「世の中、なんとかならねえのかよ」
韓玄「(懐から金を出し)儂らでなんとかしようぜ、な」
帯来洞主「(目が光る)ほほう、それは面白そうだ」
韓玄、帰還後に再び徴兵。韓玄の兵力が12000(当時の最高)になった。
残りは予備兵。
李恢への贈答も忘れずに実行。
207年12月:
李恢と帯来洞主に贈答。
208年1月:
劉表仕官20周年記念祭。金120と偏将軍の位を賜る。
韓玄「20年も仕えてきたというのに、なんてちっぽけな褒美じゃ。……と、いかんいかん。独立は、すべきことをしてからだ」
韓玄、長沙の兵を再編成し、魏延、蔡瑁、霍峻から兵を召し上げ、予備兵とする。
さらには、襄陽の在野・諸葛亮を訪ねる。
韓玄「(いつものように金を出し)この地で偉ぶっている劉表という男は、疑い深いから気をつけたほうがいいぞ」
諸葛亮「うむ……わかった。そういうことにしておこう」
かくて長沙太守の韓玄は、劉表のもとから独立した。
李恢、帯来洞主、諸葛亮の三人を誘ったが、同意したのは李恢のみであった。
李恢「これより、韓玄様に忠誠を尽くしましょう」
すんまそん、今日はこの辺で。
息をつく暇もなく6代目登場!
俺としてはまず独立せず、劉表の乗っ取りとかやってもよかったんじゃねえか
って思った。(わら
695 :
韓玄@五代目:2001/02/13(火) 09:04
せっかく6代目が登場したので上げときます。6代目頑張って!
>>690 ありがとうございます。なんとか統一できました。
でもすべてはこのスレがあったればこそ…(笑)
そういえば古いレスですが
>>527 ウチの孔明先生はいつのまにか乱射を覚えてました。
連弩での乱射はすごい使い勝手でした。本人も武力高いですし。
お、連休明けに見てみたら6代目さん登場。
頑張って下さい。
なんか小説みたいになってますね。
698 :
三国志Z:2001/02/13(火) 17:49
5代目<最後は報告書みたいになってましたね。箇条書き・・・
いやーそれでも、実際大変ご苦労だったと思います。& 面白かったです。
6代目も期待しております。
質問なんですけど
黄忠との親密100にする→追放→独立というふうにしてもついてきてくれないんですか?
700 :
韓玄@五代目:2001/02/13(火) 21:21
>>698 ありがとうございます。>大変ご苦労だったと思います。& 面白かったです
そしてほんとに申し訳ありませんでした。>箇条書き
完全に2大勢力の衝突になってしまったせいで曹操がかなりしつこかったってのも、
一応理由の一つだったりします…
金旋はロードを繰り返してなんとか224年4月に統一しました。
でもやっぱり鮮卑エンド。今度は武将148人、総兵士数200万だと…
今はシナリオ2の韓玄でやってます。去年自分でやってたやつの続きなんですが。
その状況をちょっとだけ書いておくと、
217年1月
韓玄 55歳 名声13301
勢力 楚国 39都市(皇帝 孫策)
身分 軍師 大将軍
武力 102(+3七星宝刀)
知力 103(+8六韜)
政治 88(+7戦国策)
魅力 85
その他アイテム 的廬、平蛮指掌図
特技 諜報、収拾、偵察、無双、突撃、一騎、強行、水軍、扇動、神算、水攻、罵声、聖痕
強行は的廬によるものですが、偵察は平蛮指掌図とは無関係に習得しました。
これから虎狩りをして聖獣を手に入れてこようと思います。
…つーか誰あんた?って能力値ですね。
sage忘れてた…鬱だ
6代目登場ですね。
今度の韓玄様は、いきなり南方で人材探しですか。
とにかく応援してます。
>>700 の韓玄は、韓玄の皮をかぶった曹操と見た!(藁
208年2月:
襄陽の在野の士であった諸葛亮は、韓玄の忠告を無視するかのように劉表へ仕えた。案の定、主君に不満を抱いているようだ。
「いわんこっちゃない」
韓玄は怒るどころか、ほくそえんだ。要は、慧眼の士が自軍に加わればいうことないのである。李恢を遣わして諸葛亮を誘い、朗報を待つ傍ら、魏延や李厳など、脈がありそうな武将に手紙を送ってみた。
数日後、長沙に戻ってきた李恢は、諸葛亮を引き連れていた。
「でかしたぞ、李恢!」
嬉しさの余り、韓玄は踊り狂った。もとから狂っているという突っ込みも飛んできそうだが。
ともあれ、ここに君主韓玄、軍師諸葛亮の体制が布かれることになった。
208年3月:
「これより、全軍をもって孫権領柴桑を攻める」
韓玄が高らかに宣言すると、諸葛亮と李恢は慌てふためいた。
「そ、それはあまりにも時期尚早ではありませぬか」
「今攻めねばいつ攻めるというのだ。もたもたしているうちに孫権めの兵力が整ってしまうではないか」
李恢、諸葛亮という双璧を得たことで、韓玄の意気はひとり昂ぶっていた。韓玄軍32000に対し、孫権軍は30500。太守の程普はさすがに14000の兵を率いていたが、他は殆ど分散しており、500人のみという心許ない編成が多かった。そこを衝き、諸葛亮と李恢は前線にて、韓玄は本拠地の付近で敵軍を各個撃破していく。
城に拠る程普は、諸葛亮の挑発に乗ってあっさりと城を空けた。諸葛亮が回りこんで城を占拠すると、迂回・右作戦は効を奏し、孫権配下の勇将名臣らはことごとく捕虜となった。
「我が君、乱世に私情は禁物かと思いますが、どうか兄の命は奪わぬよう、お願い申し上げます」
「……軍師の功に免じて、半分許すとしよう」
【儀式】
斬首→程普、魯粛、朱桓、孫瑜、歩[陟馬]
解放→呂蒙、凌統、譚雄、諸葛瑾、張昭、太史享
君主になったのを機に小説風味をつけてみたものの、書くのに時間がかかる……。
亀の歩みですね、これでは(苦笑)。
>>694 あ、そういう手もありでしたね(笑)。
韓玄が長沙で独立、というのはもうありきたりなんですかねぇ(苦笑)。
ま、やってしまったものは仕方ないので、このまま通してみます。
>>695 >>696 >>698 いっしょくたにしてすみません。良い意味で期待を裏切ることが出来るよう、頑張ります。
>>697 そして、独立後の展開はより小説っぽく仕立ててみました。
でも、これでは時間がかかりすぎる気もするので、今後続けていくかは検討しないといけないかもしれません。
>>699 残念ながらというか当然というか、
太守の時には解雇の権限を振るうことが出来ません。
在野を誘ったほうが手っ取り早いようですね。
>>700 恐ろしい韓玄ですね。想像もつかない(笑)。
そして、金旋統一おめでとうございます。
>>702 先達のみなさまのプレイレポートを拝見する限りでは
劉表の部下を誘っても来ない可能性が高いようですので、
在野で人材を探すことにしました。
>>172で、鶏肋先生もおっしゃっていますし。
小説仕立てはいいね。
対話調はコミカル向きだったけれど、
小説風はシリアスぽい。
すみません、遅れ馳せながら5代目殿統一おめでとうございます。
6代目殿も頑張ってください。
ところでこのスレではやっぱり韓玄オンリーですかね?
別武将は「今から・・・」の方でやった方が良いのかな?
って、やる予定は無いのですが・・・。
久しぶりにこのスレ見れました。
遅れ馳せながら、五代目殿統一おめでとうございます。
そして、
>>535氏、レスありがとうございます。
って、昼からこのスレ開きっぱなしで今やっと読み終わったからレスしたら4代目氏のレスが。
しかも同じ様な文面(´ー`)y-~~
参ったね。
6代目殿も頑張れ〜
陣容強化(208年4月〜8月)
韓玄の読みは外れた。孫権配下のうち何人かは登用できると思っていたのだが、
ことごとく断られてしまった。これ以上敵の懐深く追うことは謹みなさいませ、
という諸葛亮の言に従い、柴桑を新たな本拠地と定め、人材収集に努めることにした。
成果は上々であった。柴桑の街を彷徨していた名医・華佗を5月に登用した他、
7月には劉表配下の馬良、馬謖、王基を、8月には同じく劉表のもとに仕えていた
劉巴、かい越、何晏を自陣営に引き込んだ。韓玄に、領土拡張の野望が再び沸き起こった。
<強固なり孫呉君臣の絆>(208年9月〜10月)
密偵を放って隣国の情勢を鑑みると、御しやすい地を見出すことが出来た。
兵4000という孫権領建安である。太守賀斉は山越征伐に功を挙げる勇決の士であるが、
寡兵とあってはさしたる難敵ではないように思えた。
――これならば、落とせるだろう。
韓玄は、李恢、王基、華佗の三人を遣わし、建安を攻めさせた。
一時は南海の援軍によって拠点を押さえられたが、最終的には正規軍を殲滅させ、
建安を占領することに成功した。
「……おかしい。何故誰もワシになびこうとしないのだ」
今回は諸葛瑾がいない。呉の家臣は生かしておくと後々厄介になる。
ここに韓玄はひとつの決意を示した。
【儀式】
斬首→蒋欽、全j、陸遜、徐盛、朱然、賀斉
<眼前に人参をちらつかされた馬のように>(209年2月)
数ヶ月も放置しておいた長沙の地は、遂に劉表の軍勢によって占められた。
――ようやく長沙を人任せに出来る。ワシらが後々占領するために、
せっせと開発に励んでくれたまえ。
勝ち誇った笑みを浮かべつつ、韓玄は王基と馬謖に出陣を命じる。
22000の軍勢は、長沙への進軍で手薄となった江陵を攻めた。
長沙からの援軍たる蔡瑁、劉豹は目一杯の兵を率いていた。
追いかけてきては攻撃を仕掛けてくるが、王基軍はつとめて無視し、
みな文官で占められていた正規軍を速攻で撃破せんと図った。
苦しみながらも、なんとか正規軍を全滅させ、援軍を追い返した。
【儀式】
斬首→韓嵩、劉g、傅巽、向朗
解放→かい良
>>708 有難うございます。小説っぽくしようかな、と思って文体を切り替えました。
試行錯誤の繰り返しになるかもしれませんが、
韓玄が統一するか、死ぬまで見守っていただけると幸いです。
>>709 有難うございます。尽きるまで頑張ります。
ここでは、スレのタイトルがタイトルですし、韓玄のみ……だと思います。
>>710-711
有難うございます。励みになります。
では、続きはまた後ほど。
<荊州の馬から人参を取り返し>(209年3月〜209年12月)
柴桑に居を定めてから、韓玄は暇さえあれば在野の士に手紙を送り、
あわよくば自陣営に引き入れんとしていた。昨年秋の一連の登用攻勢は、
これによるものが大きい。209年の間にはさしたる飛躍こそなかったものの、
それでも3月には楊儀を、5月には申耽を、
12月にはその申耽をもって申儀を引き抜いた。
いずれも劉表の下にいた人物である。
夏6月、着々と領土を広げるべく、武陵に進軍した。
このときも長沙から大軍が派遣されたが、無用に構うことせず
敵陣へ繰り出していく。韓玄自らが陣頭に立つことにより、
初の戦功第一位を挙げるに至った。
【儀式】
解放→王威、金旋、沙摩柯、鞏志
秋7月、諸葛亮から、江陵の民が不穏な動きをしているという報せを受けた。
幸いにも兵糧には事欠いていなかったため、18000を民に施すことによって
危機を回避した。過去に殺戮太守と囁かれ、今は天下一統の布石を立てるために
覇道の戦略を続けているとはいえ、将来において代々国を治めていくにあたっては、
民の支持なくしては成り立たない。李恢、諸葛亮、馬良らによって、
韓玄は感化されつつあった。
9ヶ月を経て、長沙の国力はある程度整ってきた。
これ以上傍観しては劉表軍をいっそう強盛とさせ、かえって禍根を残すであろう。
冬11月、韓玄軍は出陣した。君主および軍師、援軍に王基、華佗という顔ぶれである。
桂陽の援軍もまとまった兵を率いており、単純な兵力からすれば、
敵軍に有利な展開であった。しかし、蔡瑁の頭上に命中した、一閃の落雷が
戦況を覆した。常人とは思えぬ諸葛亮の鬼神ぶりに、
一同は改めて舌をまく思いをした。
【儀式】
斬首→呉巨
解放→蔡瑁、王威、けい道栄、伊籍、李厳
718 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/02/16(金) 18:58
六代目がんばれage
o-enshiteruyo-!!!
<横取り四十萬(古)>(210年1月〜210年7月)
武都が劉璋に攻め取られるやいなや、張魯は曹操に降伏した。
そのどさくさを、韓玄は逃すことなく利用した。
楊儀をして漢中に諜報官を使わしめ、劉璋から楊柏を、
曹操から張魯と閻圃をそれぞれ引き抜いた。
3月には江陵の在野、傅士仁が仕官を求めてきたので、これを登用した。
韓玄の登用熱は、冷めることがない。しかしながら、捕虜はまったく降らない
ことについては、もどかしく思えた。
<濃厚なる一ヶ月>(210年8月)
孫権が柴桑に向けて行軍しているとの知らせを受け、
韓玄は諸葛亮、華佗の二将を遣わし、救援をなした。
太守李恢は、河岸で敵将を迎え撃つ策に出た。
水軍に長けている敵将は黄蓋ただひとりであり、
これを食いとめれば良いと考えたのである。
その役は、諸葛亮が買って出た。拠点を占領した上で混乱をしかけ、
黄蓋を足止めにしつづける。
一方、諸将が他の敵に白兵戦をし、数的な劣勢を跳ね返した。
なお、黄蓋には逃げきられた。
【儀式】
解放→李異、譚雄、諸葛瑾、太史享
斬首→孫匡
孫権を撃退してから、韓玄は各地に登用攻勢をしかけた。成果は以下の通り。
陳式、祝融、孟獲、帯来洞主、郭攸之(いずれも劉璋配下)
<韓玄、はじめての……>(210年9月〜210年10月)
冬10月、韓玄率いる70000の軍勢は、長沙を進発して桂陽に向かった。
韓玄の他には、諸葛亮、華佗、張衛、祝融、帯来洞主が同行した。
劉表軍は、援軍合わせて75000で、大差はない。三方向に分散して軍を進めたが、
戦況は思うように運ばない。帯来洞主が伊籍によって暗殺されかけ、
張衛が王威に挑発をかけられては落ち着くことを知らない。
諸葛亮が収拾しなければ、十ターン近くは怒り心頭の状態であったかもしれない。
戦場中央の森林で韓玄は伏兵したが、敵将3人、黄忠、蔡瑁、沙摩柯は
警戒しているのか、うろうろするばかり。これを足止め代わりとして
祝融ら別働隊が本拠地を攻めた。そして、城にひきこもった帯来洞主が
挑発でおびき出すと、韓玄が森の影から姿を現し、敵救援軍を叩いた。
【儀式】
解放→趙範、王威、蔡瑁、霍峻、劉賢、鮑隆、伊籍、黄忠、沙摩柯、李厳、鞏志
登用→劉豹(韓玄の呟き「ようやく捕虜を登用できたわい……」)
ここに、長沙は生産国となり、閻圃に治政を任せることにした。
<獣使い>(210年11月〜12月)
11月、武陵にいた楊儀から、妙な報せが飛びこんできた。
「殿、雲南に、天候と獣を操る者がいるということです」
韓玄の目が光った。天候は既に先人がいるが、獣使いとは聞いたこともない。
これを加えれば、陣容はさらに深まることだろう。
「そいつは何者だ?」
「木鹿大王という者です」
「ということは、華夏の者ではないな」
「そうでしょうな」
そこで韓玄は帯来洞主を遣わし、劉璋配下の木鹿大王を登用させた。
陰陽を弄ぶ将は、ふたりに増えた。
その他、華佗をして、同配下にいた伏完を登用させた。
老齢だが、文官として内政に期待した。
先代のみなさんに比べると、進行が遅いですね、自分。
もう少し、実生活に差し障りのない程度でスピードを上げねば……。
>>718-719
有難うございます!
お疲れ様です。
やっぱり捕虜武将登用出来ませんよね。
私は後半それで切れちゃいました。
【裁判】=斬首・・・。
<象兵蹂躙>(211年2月)
荊州南部を平定すべく、韓玄は総勢50000の兵を率いて零陵を攻めた。
敵軍はおよそ40000で、孤立している為、援軍はない。
正面突破をもって李厳や霍峻を下すが、そうしているうちに沙摩柯が本拠地を衝いてきた。
このとき、戦場の只中で蔡瑁らと戦っていた韓玄は、諸葛亮や木鹿大王を急ぎ本拠地に戻らせ、
敵本拠の撃破を楊儀ら援軍に任せた。
敵太守は劉度であるから、さしたる難敵ではなかろう、というのである。
ところで、木鹿大王が誇る象兵部隊はというと、轟音を挙げて突進し、たちはだかる王威を虜にしていた。
すったもんだの末に追い詰められた沙摩柯は、木鹿大王に一騎討ちを所望する。木鹿大王はこれに応じたが、結局勝敗は決まらなかった。
野戦に勝利した後は攻城戦に移行したが、補欠たる金旋、鞏志、趙範、けい道栄は韓玄軍の敵ではなかった。
【儀式】
解放→劉度、黄忠、霍峻、蔡瑁、王威、李厳、劉賢、鞏志、趙範、金旋、鮑隆、伊籍、けい道栄
斬首→沙摩柯
<荊北動乱>(211年3月〜7月)
3月、長らく新野で髀肉之嘆をかこっていた劉備が、曹操領宛を攻め取った。
翌4月には、手薄になった新野を劉表が占領した。
まさに魏・蜀の名将を獲得できる好機であり、見逃さない手はない。
その結果、4月に劉備配下となった夏侯尚を引き抜き、
5月には劉表配下の諸葛均を登用した。
秋7月、漢詩大会を開催。優勝は諸葛亮。
蛇足ながら、楊儀は建安七子の徐幹によってさんざんな評価を下された。
<一兎を追う者>(211年8月〜9月)
8月、劉備から于禁を登用し、劉表から関平および新野太守の法正を自陣営に引き込んだ。
「よし、してやったり」
韓玄は拳を握りながらほくそ笑んだ。
新野の内政値は、劉備の髀肉之嘆効果でほぼ最高まであがっており、予備兵も60000人駐屯している。
しかし、問題点も存在した。飛び地であるため、攻められたらひとたまりもない。
襄陽か江夏を占領すれば道は通じるようになるのだが、法正の登用で諸葛亮を遣わしたため、
申兄弟や楊柏といった二軍武将で攻めざるをえない。
韓玄は大いに悩んだ挙句、江夏を占領して法正の逃げ道を確保せんと欲した。
襄陽は黄忠や霍峻など勇将が揃っているが、黄祖が守る江夏であれば強敵はいないから
苦にはなるまい、という考えがあった。
そこで、孟獲を総大将、馬良を参軍として出陣命令を下した。
柴桑の援軍(王基、木鹿大王、夏侯尚)を合わせると、総勢110000である。
ところが、襄陽の援軍は思いの他早く戦場へ辿りついた。しかも、韓玄軍の本拠地に肉薄している。
――これでは勝てない。
孟獲は考えた。撤収するなら、今しかない。柴桑の援軍が到着してからでは遅い。
追撃に遭って痛手を負うか、最悪捕えられる恐れがある。
やむなく、孟獲は全軍退却を命じた。
韓玄からの咎めはなかった。いや、できなかった。
乾坤一擲の賭けに乗ったのは、他ならぬ自分であるからには。
韓玄が危惧した通り、翌月早々にして新野が曹操軍に狙われた。
退路はなく、勝ち目は皆無に等しい。韓玄としては、
曹操が寛容な態度をもって法正を釈放することを待つしかなかった。
数日後、もたらされた報せは、「法正斬首」であった。続いて、関平が孫権に連れ去られたことも伝わった。
韓玄は、しばらく放心状態に陥った。法正の場合はなまじ登用され、敵として立ちはだかるよりはましかもしれない、
と割り切ることにしたものの、関平は悔やんでも悔やみきれない。
どっちみち法正が助からないとわかっていれば、江夏への無謀な遠征に注ぎ込んだ余裕(行動力)を、
関平にまわすことができたものを。
へこんでいる韓玄に、さらなる追い討ちがかかった。劉璋軍が武陵に向かって進軍しているという。
――勘弁してくれ。
韓玄は諸葛亮にすべてを任せた。
半月後、勝報がもたらされた。武陵失陥までは、なんとか免れた。
【儀式】
解放→張任、孟達、呉懿
斬首→高沛、楊懐
<挽回へ>(211年10月〜212年1月)
冬11月、韓玄は武陵太守馬謖に永安を攻めさせた。
永安の武将に軍備を整えさせないため、背後の江州には王甫と張松のみ
配置されていたためである。正規軍は馬謖と楊儀のみで心許ないが、
江陵の救援軍たる諸葛亮、楊柏、申兄弟、孟獲によって敵軍を殲滅させた。
【儀式】
登用→呼厨泉
解放→張松、孟達、張任、呉懿
212年1月、孫権から関平を再度引き抜いた他、
長らく江夏の在野として韓玄の手紙攻勢にあっていた
傅[丹彡](劉表配下)を登用した。
>>725 書きこみ有難うございます。
4年ちょっとプレイしていて、捕虜武将を登用したのが2人というのも、
せつないものがありますよね。
私の場合、強敵と対等に渡り合えるくらいに成長させねばならない、
すなわち敵の戦力をそぐ、
という考えで序盤に斬りまくりました。
ただ、300年エンディングを考えて、方針転換しましたが。
この調子が保てるかどうか……。
732 :
韓玄@五代目:2001/02/18(日) 12:41
>>709,
>>710 遅れ馳せながらありがとうございました。
でも実は、私の統一の青写真は四代目さんのおかげで描けたんですよ。
ものすごく感謝しています。
>韓玄での登用の難しさ
相性自体は19(韓浩24、曹操25)なので魏に近いはずなんですが、
いかんせん本人の魅力がねえ…
結局荊州人士に頼る傾向が強いのかな、と思っちゃいました。もっとも
劉表がさっさと死んでくれてたらの話ですが(今回はまだ生きてますね)。
>300年繁栄エンディングに向けて
あれからいろいろやってみて、文官でも馬良や楊儀は軍備を重視し、
武官でも文聘なんかは内政を重視するということがわかりました。
(武将FILEに書いてあったら鬱だな…)
後方の生産国は政治力よりそのへんの正確を見極めないと、
思わぬ所で足元を掬われます…
というわけで六代目ガンバレage
拡大のペースは私より明らかに速いですよ。
<豊かならざる雪辱>(212年2月〜3月)
2月、江陵にて華佗と諸葛亮に連弩を作らしめた。それぞれ韓玄、華佗の手に渡る。
半年の雌伏を経て、韓玄は自ら総大将となり、柴桑の援軍(王基や夏侯尚ら)合わせて
120000の兵を江夏に差し向けた。韓玄と諸葛亮で敵本陣を衝き、
残りは襄陽の敵に当たらせる作戦をとった。
襄陽の敵援軍が韓玄の本陣付近に現れたところで、篠突く雨が江夏を襲いかかった。
機ありと見た諸葛亮は落雷を放ったが、はからずも老医師の頭上に命中してしまった。
華佗14000の兵は、1400へと激減した。
しかし、韓玄軍は踏ん張った。関平が霍峻を混乱させ、続いて諸葛亮が放った刺客が、
これまた霍峻に重傷を追わせた。戦場中央では、孟獲や王基、木鹿大王が
魏延、文聘、李厳らの猛攻をよく抑えた。
重傷にて本陣に引き篭もっていた華佗も華佗で、接近してきたかい良を火計で翻弄した。
さらに敵陣付近では、夏侯尚が黄祖、黄忠を挑発して手玉に取り、
作戦達成で士気を完全に失わせた。
攻城戦に移行してからは、諸葛亮が屈辱を果たした。
このとき、敵軍でもっとも兵力を有していた蘇飛に落雷を当てることができたのである。
【儀式】
解放→劉度、張允、鞏志、霍峻、雷銅、李厳、廖化、蘇飛、潘濬、[广龍]統、かい良、黄忠、魏延
斬首→蔡和
<反則なり劉玄徳の陣容>(211年4月〜5月)
夏4月、江夏にて連弩を開発(諸葛亮の手に渡る)。
劉表から伊籍とけい道栄、馬騰から田疇を登用した。雍・涼州でも動乱が始まったようだ。
5月、劉備が江夏へ侵攻してきた。敵勢は60000であるから、数値としては
大したことはない。河岸に軍を並べて迎撃すれば何とかなるだろう、と韓玄は高を括っていた。
しかしながら、劉備軍は回り道をして砦を占拠してしまった。
周倉を後に残し、関羽、張飛、劉備、徐庶の四将で本陣に向かって進んでいた。
韓玄軍において、80を超える武力の持ち主は諸葛亮ただひとり(しかもぎりぎり80)であり、
これに真っ向から立ち向かうには困難を極める。さらに、徐庶が差し向けた刺客によって
韓玄は重傷を負った。関羽は本陣に肉薄し、劉備はその背後に控え、張飛が突撃を仕掛けてきた。
韓玄は苦境に陥った。
そのとき、華佗が韓玄の治療に入った。傷も癒え、もとの武力を振るえるようになった韓玄は、
諸葛亮とともに連弩をもって劉備を撃ち、辛くも撃退した。
なお、駄目もとで追撃したところ、張飛と周倉を捕縛することに成功した。
【儀式】
解放→張飛、周倉、徐庶
>>732 情報提供、かたじけのうございます。
君主の魅力が低いと、捕虜状態で登用するのはやはり難しいようですね。
これまで投降に応じた2人(劉豹、呼厨泉)も生粋の武官ですし。
なので、毎ターン「手紙」コマンドを確認して、
在野がいれば手紙を送って親密度を上げ、
敵国に仕えた直後に登用を仕掛けてます。
あとは、戦争が起こった直後、戦地となった都市に密偵を送るとか、
自国で捜索ですね。
そうでないと、文官の確保がおぼつかないようです。
荊州人士、序盤に傅巽や向朗らを惜しげもなく斬ってしまったのが悔やまれます。
白眉殿って、軍備優先だったのですね。
街亭の弟は明らかに軍備だとわかっていましたが……。
今まさに江陵の太守となってますので、いざ江陵が生産国になったら
別の人物に代えないといけないようですね。
五代目さんのように一週間で統一はできませんでしたが、
あまり牛歩にならないよう頑張ります。ご声援、有難うございます。
736 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/02/19(月) 23:42
祝・おすすめ板つーわけで あげ。
737 :
館長:2001/02/20(火) 00:03
6代目はおもしろい
738 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/02/20(火) 01:42
小説風の6代目韓玄・・・。
知力80くらいありそうな雰囲気がしてイカス!
頑張って300年エンドを目指して下さい。
6代目様。
もう少しだけ台詞ふやして〜(戯言)。
今回は劉表氏なねーな…。
(まあ逆にゲームや6代目の話が楽しみなんだけど)
741 :
岑昏:2001/02/21(水) 00:05
頑張ってください、六代目。
100越えてるのでage。
<周郎死す?>(211年6月〜9月)
夏8月。
「韓玄様、南海の様子がどうやらおかしいようです」
「なぬ?」
「あの地に長らく留まっていた周瑜がいなくなっています。
さらに14000もの兵が、主を持たず無聊を託っております。おそらくは」
「死んだか……」
諸葛亮の首が縦に振られた。韓玄はほくそえんだ。
「よし、今こそ南海を攻める好機。荊州南部をすべてに兵火が起こらぬように
してくれよう」
南海を奪えば、荊州南部はすべて生産国となる。
と、そこに諸葛亮の羽扇が韓玄の前に立ちはだかった。
「孔明、邪魔をする気か」
「いえ。南海の西、交趾には交州刺史士燮の大軍が駐屯しているのです。
これを見過ごすわけには参りません」
「では孔明よ、良策があるのか?」
「はい。士燮と盟約を結ぶのです。交趾へ足繁く通いつめ金品を贈って
いれば、必ずや味方になってくれましょう」
韓玄の表情がいささか曇る。
「それは面倒だな」
「殿の手を煩わせることはありません。こういうときこそ、
幕僚に任せれば良いのです。馬良やかい越、伊籍あたりが適任でしょう」
かくて文官の誠意により、翌9月に1年間の同盟、および南海への共同作戦を
交わすことに成功した。
〜その他の出来事〜
夏6月、武陵の在野、張南を登用。
<江夏八俊、荊州刺史の死>(212年10月)
冬10月、準備整って南海を攻めようとしたところ、北より訃報が伝わった。
「ようやくあの老いぼれが死んだか。ふふふ……」
自分が独立してから1年もすれば、倒れるだろうと思っていた。
ところが、実体はさにあらず、4倍もの時を要した。実に長かった。
「孔明、劉jに不満を持ち、我が方へついてきそうな者はいないか?」
韓玄は諸葛亮を呼び、君主交代によって群臣が如何に動揺しているか尋ねた。
「不満を持つ者はいますが、すぐさま鞍替えするようなことはないでしょう。
時を待つべきです」
「なぬ、廖化あたりは引き抜けると思うのだがなあ」
「残念ながら……」
「……そうか」
北はやむなく後回しにし、予定通り、桂陽太守張衛をして南海を攻めさせることにした。
敵将には呉軍一の勇将と謳われる太史慈がいたが、見え見えの奇襲を仕掛けてきたことにより
あっけなく打ち破った。士燮の手を借りるまでもなかったが、ちょっとだけ手伝ってもらった。
【儀式】
解放→孫桓、陸績
斬首→太史慈、潘璋
<剛情君主の襄陽強襲>(212年11月〜12月)
11月。
「孔明、襄陽を攻めるぞ」
「韓玄様、お言葉ですが、江陵の軍を正規軍とし、我々は援軍として向かう方が
良いかと思います」
襄陽さえ占領してしまえば、江陵もまた生産国となる。
兵を大量に配備する必要もなくなるのだ。
「いや、江陵の軍は援軍でいい。儂が出陣しなければ名声は上がらぬのだ。
志半ばにして倒れたくはないんだよ」
韓玄の口から、飛沫が飛び出た。
――やれやれ。
諸葛亮は心中呆れながらも、出陣の準備を整えた。
「よいな、狙うはただひとつ、劉jの軍勢だ。儂と孔明で劉jが篭る陣地を襲い、
華佗と江陵の援軍(申兄弟や張南ら)で壁を作り、魏延や黄忠らの進軍を阻め」
韓玄の作戦は成功した。劉jが倒されるや、敵軍は雪崩を打って上庸へ退却したのである。
なお、追撃は、潘濬の捕縛にとどまった。
「劉j、あんたにはまだ利用価値がある。死なせはしないよ」
韓玄はそううそぶくが、劉jより強い者が君主になることを恐れたまでのことである。
【儀式】
解放→劉度、王粲、蘇飛、かい良、鞏志、趙範、鮑隆、潘濬、劉j
斬首→蔡瑁、蔡勳、蔡中
〜その他の出来事〜
12月、雷銅(劉璋配下)、兀突骨(同左)、廖化(劉jの配下だったが、
劉璋に引き抜かれていた)、陳到(劉備配下)を登用。
<憧れの武力90台>(213年1月)
「韓玄様、劉j軍が襄陽に迫っておりますぞ」
「何ですとぉ! 迎え撃て〜いっ」
韓玄軍は敵陣に程近い洲に戦力を集めた。敵軍には黄祖や文聘といった
海戦達者がいるが、韓玄軍も負けじと、江夏からの援軍、于禁を投入。
結局は、数で勝る韓玄軍が劉j軍を撃破した。
【儀式】
解放→霍峻、劉賢、黄忠、王威
斬首→黄祖
そして……。
「魏延、劉jなどという青二才は世間知らずよ。おぬしのような猛将を
生かすなんてことはすまい。さあ、今こそ儂の元へ」
「……よかろう」
韓玄軍をてこずらせてきたひとり、魏延が投降した。念願の武力90台武将の獲得である。
「これでようやく、劉備軍の猛将に遠慮しなくてすむわいい」
この夜、襄陽では盛大な宴会が開かれたという。
<誤算>(213年2月)
「これより、余勢を駆って劉jを攻め滅ぼす。廖化、雷銅、張南、華佗、
ぬしらが上庸に向かえ」
韓玄の下知に、諸葛亮は目を丸くして主君の方へ顔を向いた。
「我が君は出陣なさらないのですか?」
「儂が出るまでもない。兵数少ない劉jそのものさえ倒せれば済むことよ」
それよりも怖いのは劉備だ。韓玄はそういいたげに首を振り、東を指し示した。
ところが、諸葛亮の頭には一抹の不安がよぎっていた。劉j軍としては、上庸を失えばもう後がない。
たとい主君が倒されても、黄忠や霍峻といった将軍は抗戦してくるかもしれない。
そうなれば、戦況が覆る恐れがある。
さて、上庸付近では、劉j自身は出陣してこなかった。
代わりに黄忠が陣を張っている。目標はあくまで劉jであるから、
老いたる猛将に手出ししていたずらに戦力を減らすわけにはいかない。
「今回の作戦は、『包囲』を採用する。各員の健闘を期待する」
総大将の廖化は、そう命令した。
軍を二つにわけたが、このうち、鮑隆と当たった張南は戦況不利に陥った。
しかし、後退したところを追いかけてきたので、振りきって山を占領した。
包囲作戦はここに完了し、敵軍は一斉に城内へ逃げ込んだ。
上庸城では、今度こそ劉jが篭っている。
「いいな、目標はただひとり、劉jだ。狙っていけ」
攻撃を集中した結果、華佗の連弩で劉jは敗走していった。
「よし、勝った」
廖化をはじめ、諸将が勝利を確信したところで、
他の敵将による総攻撃が展開された。雷銅と張南が、捕縛された。
「おのれ、何ということだ」
華佗の治療で兵力を回復しつつじりじりと攻め入ったが、
ついに落とすことは出来なかった。
【敵軍による儀式】
解放→張南
斬首→雷銅
748 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/02/23(金) 00:26
六代目応援age
<巧遅ならぬ拙遅>(213年3月〜6月)
韓玄は、劉備を滅ぼすべく、訓練に次ぐ訓練で軍備を整えていた。
5月、いざ新野を攻めんとしたところで、韓玄にとっては良からぬ
報せがもたらされた。
「韓玄様、劉備が孫権と6ヶ月の同盟締結をしたようですぞ」
「なんだと! 先月攻めるべきだったか!」
韓玄は地団駄を踏んだ。一手遅かったか。
「こうなっては仕方ありません。時を待ちましょう」
諸葛亮の助言に、韓玄は肯んじた。劉備・孫権の連合では侮れぬものがある。
6月、再度上庸を攻める。前回の敗戦を踏まえて、今度は自ら出陣した。
相手は兵を伏せ、奇襲を企てていたが、韓玄軍はすべてを見破った。
混乱している隙に、黄忠をはじめ猛将をことごとく捕える。
2月の戦に比べると、なんともあっけない結果だった。
【儀式】
登用→劉賢、李厳、
解放→黄忠、霍峻、文聘、王威、潘濬、劉度、王粲、鞏志、趙範、鮑隆、
かい良、蘇飛、司馬徽、[广龍]統
斬首→張允、劉j
〜その他の出来事〜
3月、馮習の仕官を受諾。
司馬懿「ああ……韓玄(様)ってよ。すげえ欲深でなんかムカつくヤツ
なんだがなんかほっとけねーってタイプのヤツでよ……」
「死んだってのが信じられねーんだ。それに…今のこの気分…
『怒ったらいいのか』『悲しんだらいいのか』それさえも分からねー
イラつきがあんだよ……今の俺達にはよー。『夏侯淵』は特にだろーな……」
四代目に捧ぐ。
んん?それだけ解放があるってことは劉jが滅んだんですか?
戦後処理では配下になってくれなくても、在野になったらその時点で
登用に応じてくれる武将もいますよ〜。
<怪物軍団を屠る>(213年7月〜11月)
劉jを滅ぼした韓玄は、しばし自国の態勢を立て直し、劉備と孫権の同盟切れを狙っていた。
しかし、冬10月、劉備と孫権の同盟が5ヶ月延長されたという。
「ええい、小賢しい!」
韓玄は苛立った。
「こうなりゃもう、孫権もろとも潰してくれるわ。新野を攻めるぞ」
「か、韓玄様、平気なのですか?」
韓玄の激昂を恐れつつ、華佗が言った。
「このまま待機していて、劉備に軍事強化されたら、たまったものではない。
14000だかそこらを率いる関羽や張飛、趙雲相手じゃ、今の我が軍ではまともに戦えん」
劉備自慢の豪傑勢はまだ再編成がされておらず、数千の兵を率いるのみであった。
かくて、韓玄は諸葛亮、華佗らを率い、新野に向かった。
江夏から、魏延ら援軍も要請している。
正規軍は、戦場中央で関羽らと対峙した。白兵戦では勝ち目がない。
連弩でちまちまと兵を減らしていく作戦に出た。
一方、援軍はひたすら敵陣へと急いだ。しかし、途中でけい道栄が暗殺されかけ、
魏延や陳到が徐庶、荀攸(孫権の援軍)に翻弄され、思うように敵陣の奥深くまで進めない。
しかし、連弩攻撃などで並み居る猛将を倒し頭数を減らしていくと、
劉・孫連合軍の士気は下がっていく。
回復した魏延らが劉備をたたき、なんとか新野を占拠することに成功した。
【儀式】
登用→牛金
解放→簡雍、張飛、孫乾、趙雲、虞翻、陳武、糜竺、周倉、劉封、関羽、潘濬、王威、陳震、糜芳、徐庶、荀攸、劉備
劉備の勢力はここに姿を消した。
11月、韓玄、諸葛亮ら主力部隊は、永安に移った。
<恨み解けて>(213年12月(1))
12月、在野の士として、新野に霍峻と文聘がいた。両者とも劉表配下として、
韓玄と幾度となく刃を交わしてきた。
「あいつらを配下にできれば心強いのだが……」
劉表一派を滅ぼした張本人の元に進んで仕えに来るとは思えない。
韓玄の呟きを聞いてか、諸葛亮が進言してきた。
「あの者は、もう我が君に恨みを持ってはいないでしょう。
孟獲殿らに任せておけば、きっとついてきます」
新野には、孟獲はじめ数人の将軍が守っている。人を惹きつける魅力は、決して低くない。
「よし、奴らに任せよう」
そして、登用は首尾良くいき、霍峻と文聘は韓玄の配下となった。
<江南行>(213年12月(2))
「田疇殿、そろそろ廬江に攻めましょうぞ」
江夏にて、魏延は気を吐いた。廬江を攻めれば、反乱でも起きない限りは
安全となるからである。廬江の兵総数はさほど多くない。しかも、序盤の斬首が
呉軍を弱体化せしめている。甘寧や周泰らは健在だが、頭数は確実に少なくなっている。
江夏と柴桑の両軍をもって攻めれば勝機は見えてこよう。
「我が君のいちはやい中華一統のため、腰を上げては頂けませぬか?」
「うむ……よかろう」
魏延をはじめ、田疇、于禁、関平、陳到が一路廬江を目指した。
廬江の戦場中央には、大きな湖が韓玄軍を待ちうけていた。
水戦達者の于禁が中央突破を、他は陸回りをもってこれに当たることにした。
水には不慣れな援軍、夏侯尚が黄蓋の捕縛に遭ったが、臆することなく攻めたて、
孫権軍の全滅に成功した。
【儀式】
解放→左慈、凌統、太史享、厳o、丁奉、張昭、傅嬰、王威、黄蓋
斬首→譚雄
>>752 はい、劉jは213年6月に滅亡しました。
前回のでは説明不足でしたね。申し訳ありません。
そして今回、霍峻と文聘が配下となりました。
他にも、亡国の士が不満を抱えながら他勢力に仕えている
ようですので、次回以降がしがし引き抜いていこうと思います。
ご助言、有難うございました!
757 :
MAZUDA:2001/02/24(土) 02:54
おおっ!5・6・7と金旋で統一っすよ。
大将軍金旋まんせーいっ!!
758 :
代打名無し:2001/02/25(日) 01:43
六代目待ちage
っていうか皆、面白いんだけど、
上級でプレーしてほしい
760 :
韓玄@五代目:2001/02/25(日) 23:22
私が上級でプレイしなかったのは、上級だと全武将の忠誠と親密が
マスク化されるからでした。そんなの手動では管理しきれませんって(アセ
COMの強さは初級と上級でそんなに違うのかなあ?
上級は「豺狼帝都を〜」の曹操と呂布でやったことがありますが、
訓練度がシビアに影響してるような気がしたくらいでした。私はね。
六代目待ちage
<漢朝転覆>(214年1月〜3月)
214年1月。諸葛亮が韓玄のもとへ駆けつけてきた。
「韓玄様、大事件です。河北で曹操が魏の皇帝を名乗ったそうです」
「ほう……墓穴を掘ってくれたな、曹操」
韓玄は、静かに勝ち誇った表情を作り、諸葛亮に示した。
「孔明」
「はっ」
「廬江の関平を汝南に遣わせよ。髭殿を自陣営に引き込むのじゃ」
関羽は劉備滅亡の後、曹操のもとに仕えていた。もとより漢朝復興を掲げているゆえ、
今回の僭称で見切りをつけたに違いない。韓玄はそう思いこんだ。
汝南にて、関平は父関羽を訪ねた。
「父上、曹操は漢朝に弓引く逆賊。許すまじき存在です」
「うむ」
関羽は語気を強めた。
「そこでです。韓玄殿に仕え、漢朝の再興を目指しましょうぞ」
「韓玄だと?」
「父上、偏見は禁物です。韓玄殿は、かつていわれたところの『湘下の暴虐太守』
ではありません。それに、今曹操を覆すことができるとすれば、ただ韓玄殿のみです。
この愚息の言、信じていただけませぬか」
息子が言い終わると、父は上を向き、しばらくして声を発した。
「……よかろう。お前を信じる」
「かたじけのうございます」
ここにおいて、関羽は韓玄の配下となった。
翌2月には、同じく漢朝再興を掲げながらも、国を失い曹操の許に仕官していた劉備を
登用した。その他、この春3ヶ月のうちに多量の逸材を配下に組み入れることができた。
結果は以下の通りである。
☆1月:黄忠(劉璋配下)、劉度(同左)、かい良(同左。弟を遣わして登用)。
☆2月、徐庶(劉璋配下)
☆3月、趙雲(柴桑の在野)。
<呉都陥落>(214年4月〜6月)
「廬江軍とともに建業を攻めよ」
夏5月、柴桑太守李恢のもとに、韓玄からの命令が下された。
「皆の者、建業を落とせば柴桑は安全となり、孫権領を分断することが出来る。気合を入れていこう」
孫権領は残すところ4つ。建業の他に、寿春、呉、会稽である。
建業は孫権が守っているが、他将は文官が多い。
正面突破で孫権を倒し、一気に建業を制圧した。
【儀式】
解放→凌統、傅嬰、孫朗、丁奉、厳o、王威、潘濬、張昭、孫権
斬首→太史享
<碧眼児反攻>(214年7月〜9月)
7月、建安が孫権に攻められた。呂岱を大将に、凌統を参軍にしているという。
「かい越殿、随分と落ち着いてますな」
参軍の劉巴が、敵軍侵攻の報を知りながらもどっしりと構えているかい越に言った。
建安を守るはかい越、劉巴、兀突骨のみであり、我ながらもいささか心許ないと思っていた。
「相手には援軍がおらぬが、こちらには南海からの援軍がある。それに、河岸で迎撃すれば、
たいていの敵は打ち破れよう」
かい越には、自信があった。そして、その自信は現実となった。
呂岱に刺客を放ち、大怪我を負わせ、河岸で凌統をさんざんに叩き、甘寧に混乱をかけ、
一気に殲滅させたのである。
【儀式】
解放→甘寧、凌統、孫桓、駱統、呂岱
さらに、9月には建業が同じく孫権軍によって侵攻された。
「敵軍の詳細は定かではないが、湿地を前に布陣し、迎撃せよ」
李恢はそう指示した。
寿春、および呉と接しているため、敵の援軍も来襲し、干戈の入り乱れる激戦と
なるであろうと予期していた。しかし、敵援軍は結局現れなかった。
敵軍を本陣に近づけさせることなく、撃破した。
【儀式】
解放→呂範
斬首→呂翔
〜その他の出来事〜
8月、周倉(廬江の在野)登用。
8月、韓玄、永安から建安に移る。
<東呉親征>(214年9月〜11月)
秋9月、建安にて。
「わしがこの地に移ったのは他でもない。孫権とけりをつけるためだ」
本来ならば先に益州を制圧するつもりでいた。しかし、時を経るにつれ、
呉の伸張の方がより恐ろしく感じられるようになった。
劉璋は後方で腰を落ち着けていることが多いのに対し、孫権は一世の麒麟児として
「乱世の奸雄」こと曹操に恐れられている。
孫権軍が港湾都市を多く抑えている点も、脅威のひとつとなっている。
「会稽を攻めるぞ」
このときの韓玄軍は、神速を旨とした。正面突破をもって、一気に正規軍を全滅させよう
という試みである。
ところが、あたまひとつ諸葛亮が先んじると、呉からの救援軍によって包囲されてしまった。
「私としたことが、不覚……」
「む、孔明がまずいことになっている。皆の者、救いだせ」
軍師の捕縛は、軍の士気を大幅に萎えさせてしまう。韓玄の指示で諸将は、しばし遅れながらも
救援軍の撃退にかかった。当の諸葛亮は敵軍を混乱させて虎口を脱し、
巻き返しで全滅に成功させた。
【儀式】
解放→呂岱、黄蓋、[門敢]沢、凌統、陸績、駱統、潘濬、厳o、張温、周泰、呂範、甘寧
なんだか長丁場になりそう(汗)。
>>757 おお、それは素晴らしいっす!
7のは、やはりこのスレのように劉表から独立ですか?
>>758 age有難うございます。お待たせしてすみません。
>>759 有難うございます。
既に五代目さんがご指摘されてますが、
忠誠と親密がマスクデータ化されているので
ちょっと遠慮しておきました。
その分、面会や鍛錬に制限つけましたが。
でも、制限の有無って、PUK版からでしたっけ??
>>760 う〜ん、その辺はどうなんでしょう……。
一度、217年「皇叔西蜀を〜」シナリオの陸遜でプレイしたことがありますが、
思考ルーチンの強弱では、著しい変化はなかったと思います。
age有難うございます。
頑張ってるね〜
6代目応援、だけどsage。
ageると茶々入るしね。
<碧眼児親征・1>(214年12月)
「田疇殿、孫権軍が廬江に向かっています」
「……総大将は?」
「孫権です」
「何だと」
遂にこのときがやってきた。裏を返せば孫権を追い詰めたことになるのだが、
なんといっても侮れない。
田疇は、廬江の城を出て迎撃態勢を整え、
「決して、河上で孫権と刃を交えてはならぬぞ」
諸将に言い含めた。
間もなくして、砦を守っていたはずの周倉が本陣へやってきた。
「どうした、周倉」
「廬江が別働隊によって襲われているとのこと。お先に戻らせて頂きます」
「騙されるな周倉。そいつは敵の虚報だ」
田疇の諌止も聞かず、周倉は廬江の城へ戻っていった。
しかし、韓玄軍には援軍がある。孫権軍はただ正規軍のみである。本陣に着き、幾度か田疇を
攻撃していた孫権は、やがて形勢不利なるを知るや、寿春へ戻らんと兵を返した。
逃げる孫権本隊を、于禁の矢が捉えた。しかし、孫権は紙一重で捕縛から逃れていった。
【儀式】
解放→呂蒙、陳武、孫韶、王威、丁奉
斬首→馬忠
<江南平定>(214年12月)
廬江の防衛軍が寿春の孫権軍を蹴散らしてから、韓玄は会稽より一路呉を目指した。
「奴らの退路は既に我々が防いでいます。ここでさらに包囲し、士気を萎えさせましょう」
徐庶の作戦により、韓玄軍は三方向に軍を展開させ、拠点をそれぞれ占領していった。
呉軍は篭城の構えを取った。
「城門城壁を壊すことを優先としましょう。70000もの敵兵に構っていては、
いたずらに兵を減らすばかりですから」
ここでも徐庶が作戦を立てた。陽動作戦等も絡め、8日間に及ぶ呉城攻防戦を制した。
残る孫権領は、寿春ただひとつである。
【儀式】
解放→周泰、凌統、[門敢]沢、朱治、孫桓、黄蓋、呂範、呂岱、甘寧、傅嬰、厳o、
陸績、張温、駱統、潘濬
<碧眼児親征・2>(215年1月)
「田疇殿、またしても孫権が自ら兵を率いてきてます」
「懲りない奴だな。先月同様だ。全軍をもって邀撃せよ」
命令を出したところで、田疇はふと思いついたことがあった。
「周倉」
「はっ」
「もう虚報にはひっかかってくれるなよ。この城の背後は、すべて韓玄様の領土だからな。
別働隊に攻められることはないのだ」
「わかってますよぅ、もう」
周倉は、苦笑を浮かべた。
結果として、総勢に勝る韓玄(田疇)軍が孫権軍を全滅させた。関平が、
逃げる孫権を追い詰め、捕縛した。
「……斬りたければ斬るがよい」
田疇は首を横に振り、一兵卒に命じて孫権を締めつけていた縄を解かせた。
「器量でもわしを追い越したか……。だが、わしは負けんぞ」
孫権は身を翻して廬江を去った。
【儀式】
解放→陳武、顧雍、朱治、呂蒙、孫韶、甘寧、丁奉、孫権
斬首→黄蓋
<碧眼児失地>(215年1月〜3月)
1月、廬江の軍は余勢を駆って寿春を攻めた。
「寿春には180000もの大兵が駐屯しております」
参軍諸葛亮の言葉に、諸将は息を呑んだ。
「心配するには当たりません。ひとりひとり撃破していけば済むのです。
勢いでは明らかに 我が方が上です。力の差を見せつけてやりましょう」
確かに、武将ひとりひとりが率いる兵数は、6000や8000などとほとんど
中途半端で、14000の兵となると、出陣に与らなかった文官だけである。
気後れしないよう、諸葛亮は全軍を鼓舞した。
寿春の郊外、合肥は湿地と川が多い地形である。地形を熟している朱治や
呂蒙の兵は少ないながらも激しく抗戦し、前線にいた陳到を捕らえた。
「これはいかん……。手を打たねば」
諸葛亮が放った刺客は、あやまたず孫桓に重傷を負わせた。
無双を謳った武将の戦力を多少なりとも殺いだことになる。
反撃に出た廬江軍は、諸葛瑾が立てこもっていた砦を占拠すると、全軍をもって
孫権の本陣を衝いた。なすすべもなく、孫権は寿春へ退却していった。
「敵将には構うなかれ。全軍を門壊に注がん」
攻城の前に、諸葛亮はそう指示したが、孫権軍最後の砦ゆえか、抵抗すること甚だしい。
門を修復したり、田疇に混乱をしかけては、韓玄軍の士気系統を乱していった。
とはいえ、勢いづく韓玄軍にとっては、蟷螂の斧に過ぎなかった。
ひとつきを経ることなく、寿春は韓玄の手に落ちたのである。
〜
>>770の続き〜
「この孫権ともあろう者が……」
「……韓玄殿は、あなたを手厚くもてなしましょう。さあ」
田疇が話しかけるが、孫権は首を横に振った。
「貴様がわしの立場なら、どうするかな」
「……」
問い返されて、田疇は黙ってしまった。
「わしに吐きかけるのは言葉ではなく、剣ではないのか」
孫権が微笑を浮かべると、諸葛亮が進み出てきた。
「その必要はありません。この広い大陸を、しばし見聞してみてはどうでしょう」
「……斬らないのか」
「その通り」
「そうか。ならば、わしはしばらくさまようことにしよう」
王座を失った孫権は、寿春を後にした。
孫権配下の諸将はみな仕官を拒んだが、韓玄はすべて許した。
〜その他の出来事〜
2月、趙累(襄陽の在野)を登用。
>>771の補足
3月、劉璋と士燮が6ヶ月の同盟を結ぶ。
というわけで、孫権を滅ぼしました。残るは、
曹操:23都市
馬騰:5都市
劉璋:7都市
士燮:1都市
です(215年3月現在)。ちなみに、韓玄は18都市、武将57人です。
>>766 応援有難うございます。
統一するか死ぬまで、ageでもsageでもこのまま続けていきます。
今日はお休みかな?
ageたいけどやっぱsage
私より5年早いですねえ…ってのは置いといて、頑張ってください。
見たかんじ220年までにはなんとかなりそうですかね?
<兄弟再会>(215年4月〜6月)
4月、交州刺史士燮の死が報じられた。士祇が後を継いだという。
「よし、そろそろ屈服させてみるかな。孔明、交趾へ行ってくれないか」
韓玄は、かねてから交州勢力に勧告を企んでいた。人物をひとり失ったことにより、
ここにおいて実行しようとしたのである。
「いや、彼らはまだまだ健在。私の弁舌をもってしても無理でしょう」
諸葛亮の返答は、韓玄には冷たく感じられた。
「絶対に無理なのか」
「はい」
韓玄は、顔に皺を作った。
この後、寿春から永安に移った。
5月。
「孔明、魏に諸葛瑾が仕えているようだな。ちょっと行ってくれ」
「畏まりました。必ずや、兄を連れてまいりましょう」
しばらくして、諸葛亮は諸葛瑾を従えて永安に戻ってきた。
「でかしたぞ孔明。これでわが国の文官がまたひとり増えたわい」
韓玄は乱舞した。
その一方で、建業太守李恢に命じて下[丕β]を攻撃させた。
「ここを落とせば、建業も生産国になれる。頑張れよ」
「お任せ下され、韓玄様」
半月の後、曹操軍が奇襲に失敗し、全滅したという報せが韓玄のもとにもたらされた。
【儀式】
解放→陳矯、陳武、曹休、[門敢]沢、孫桓、傅嬰、臧覇、曹洪、曹宇
斬首→朱霊、劉勳、呂曠
<征西の明暗>(215年7月)
孫権を滅ぼした韓玄は、沙汰止みとなっていた蜀への進出を視点に入れ始めた。
関羽や趙雲を魏軍の防備に当たらせる一方、諸葛亮や黄忠らをもって征西の将とした。
「わしももう長くなかろう。急がねばな」
「い、いや、そのようなことはありますまい」
およそ韓玄らしからぬ気弱な発言に、諸葛亮はいささか戸惑いを見せていた。
諸葛亮、黄忠を主軸とした、江州本陣を衝くものと、韓玄、馬謖を中心とした、
自軍本陣の防衛とで軍をふたつに分けた。梓潼からの救援軍を警戒していたのである。
案の定、救援軍は韓玄の本陣を狙ってきた。韓玄らがそれを食い止めている隙に、
攻撃部隊は敵本陣に迫り、太守王甫を倒した。
【儀式】
解放→王甫、[广龍]羲、呉懿、張松、孟達、張任、高翔、呉班、劉封、呂凱、張翼
斬首→ケ賢
江州にて戦勝の宴を行っていたところで、上庸の諸葛均が漢中を攻めたという報せが
飛び込んできた。
「何だとっ」
韓玄の手から、盃がこぼれ落ちた。
上庸に駐屯している兵は50000に過ぎず、将も威嚇の為に配備されている二軍三軍どころ
である。それに対し、漢中軍は100000を数える。江州における勝利に気をよくしたから
かもしれないが、勝ち目があろうはずはない。
せめて将だけでも無事であれという韓玄の祈りは、しかしながら届かなかった。
張南は逃がされたものの、劉賢と傅士仁は処刑されてしまった。
<海を渡り>(215年8月)
呉郡太守李厳は、自慢の楼船部隊をもって青州は城陽を目指した。
「この地は開発しつくした。新天地を目指すぞ、徐庶」
「御意にございます。それに、楽浪で疫病が流行ったとあれば御しやすいことでしょう」
この年の春に幽州で起こった疫病は、秋になって楽浪にまで波及した。楽浪には許[衣者]、
張[合β]、曹仁といった豪傑が揃っていたが、みな少なからず罹病し、
本来の武力を発揮できていない。
その楽浪部隊は海からやってくる。海戦達者の関羽でそれらを蹴散らさんとしたが、
李厳ら本隊と趙雲ら下[丕β]の救援軍とが陸上を支配するのが早かった。ちょっと後悔。
【儀式】
解放→曹洪、曹熊、丁奉、朱治、曹宇、孫桓、傅嬰、厳o、崔[王炎]
〜その他の出来事〜
劉璋と士祇の同盟が5ヶ月延長される。
>>773 すいません、一日休んでしまいました。
>>774 有難うございます。
そうですね……220年くらいまでにけりがつけられれば理想ですね。
当面の問題は、寿命と部下の少なさです。
779 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/01(木) 00:29
6代目登場age
780 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/01(木) 01:17
田疇がイカスのでage
<射てまえ>(215年9月〜10月)
魏軍150000が寿春に攻めてきた。対して韓玄軍は総勢120000である。
「この私の射撃で蹴散らしてくれよう」
于禁はそう言うと、戦場中央の砦に篭った。砦のそばには、魏延も控えさせた。
連弩をもって乱射する于禁は、次々と敵兵を減らしていく。そこを魏延が援護する。不利を悟った
魏軍は強行軍で退却を試みるものの、進軍の影に隠れていた自軍の関平によって捕縛された。
【儀式】
解放→周泰、孫礼、呂蒙、潘濬、劉曄、張虎、曹彰、曹真、華[音欠]、駱統
「それにしても、何故に捕虜はあれほど頑固なのだ」
自分に靡かぬ敵将に対し、韓玄は苛立ちを感じていた。
「やはり、過去の業とは拭えぬものなんでしょうかねえ……」
羽扇を仰ぎながら、諸葛亮は呟いた。韓玄の鋭い視線が突き刺さるのを感じた。
「へっ、わしの過去なんか」
韓玄は、腰に佩びていた剣をとり、地に叩きつけた。
「殿、やさぐれるにはまだ早いですぞ。てだてはございますゆえ」
「何があるというのだ」
「玉璽です」
そう言われて、韓玄は動きを止めた。
「玉璽には、人を惹きつける魔力があるといわれております。ただ、今は曹操が
所持しております。つまり」
「曹操を倒さねばならんのだな」
諸葛亮の首が縦に振られた。
「もっとも、いうほど簡単ではございません。曹操は名馬にまたがっているので、
戦場での捕縛は期待できません。領土的に追い詰めないといけませんな」
「……厄介そうだが、やるしかないな」
かくて韓玄は領内の前線都市における武将の配置を見なおした。青州、徐州および益州には
最低限の防備を施し、関羽や趙雲ら、名だたる豪傑のほとんどを新野に集結させた。
むろん、韓玄や諸葛亮も江州から新野に移動した。
<旧長沙の偽三傑>(215年11月)
韓玄は、諸葛亮、趙雲、黄忠、馮習を従えて汝南を攻めた。
現段階では、魏を攻めるために援軍が派遣できるのは、汝南と楽浪以外にはない。
楽浪は曹操本人から遠ざかっているから、問題外である。となると、消去法で汝南しかない。
太守夏侯惇は魏軍にその名も高い将軍であり、早期の対決は控えたかったが、仕方がない。
[言焦]からやってきた敵の援軍は、渡河しながら韓玄軍に襲い掛かってきた。
水戦に強い者がいない援軍は、河岸で迎撃する韓玄軍にあっさりと兵を減らしていった。
その間、諸葛亮と援軍の関平は本陣を衝くが、諸葛亮の混乱が一向に通じない。
苦戦していると、[言焦]の援軍を打ち破った部隊が追いついてきた。
敵軍の士気は尽きかけていた。名将夏侯惇も、ここに陥落したのである。
なお、戦功上位は、黄忠、韓玄、魏延の順。
【儀式】
解放→周泰、曹彰、曹真、呂蒙、王威、張虎、潘濬、孫礼、孫朗、華[音欠]
斬首→夏侯惇
おお〜、いよいよ曹軍と本格対決ですか〜
頑張ってくださいsage(あえて)
<湖上の戦い>(215年12月)
韓玄は、汝南から援軍を遣わすとして、寿春太守王基に[言焦]攻略を命じた。
[言焦]城の前には、湖が広がっている。その中にある洲を関平が占領すると、
敵救援軍が殺到してきた。臧覇、曹休、凌統、徐晃といった、
水戦慣れしていない者どもである。ただひとり、甘寧は水戦の鬼であったが、
陸に上がってきたところを諸葛亮が混乱をかけ、速攻で総攻撃をしかけた。
[言焦]の本陣回りを守っているのは、太守荀攸と参軍劉曄。勢いに乗る王基軍の敵ではなかった。
【儀式】
解放→張昭、張温、劉曄、華[音欠]、甘寧、駱統、周泰、凌統、呂蒙、孫礼、
徐晃、曹休、荀攸(臧覇には退却された)
>>779、
>>780 有難うございます。
とと、784を書いている間に1件レスが。失礼しました。
>>783 かたじけのうございます。
魏との対決、実は最後の仕上げにと思ったのですが、
玉璽欲しさに……。
纏め上げ
玉璽に目をつけるとは鋭いですね。
それにしても6代目殿の文章力は基礎がしっかり出来ていて
読みやすい。見習わねば・・・。
<曹子桓南征>(215年12月)
王基が[言焦]を攻略した後、韓玄のもとには、曹丕が新野に向けて出陣しているとの報が届いた。
新野太守田疇は博望坡に迎撃態勢を整え、他将をそれぞれ河岸に布陣させた。
郭淮に混乱を仕掛けられた木鹿大王を救うべく徐庶が援護を試みたが、
大軍をもつ夏侯淵らに囲まれ、突撃を食らい撃滅された。
次いで、立ち直れない木鹿大王も捕縛の憂き目に遭う。
とはいえ、兵数ではこちらが優勢であることに変わりはない。
河から突撃してきた張[合β]を関羽が捕え、混乱している夏侯淵を包囲。
別に取り囲まれた戦場中央の砦は、華佗が治療をしながら、
そして援軍の趙雲らの尽力でなんとか抑えきった。
【儀式】
登用→糜芳
解放→満寵、張[合β]、張飛、郭淮、曹丕
斬首→夏侯淵
<子仲殿、あんたの弟何とかしてくれ>(216年1月〜3月)
春1月。諸葛亮が韓玄の部屋に駆け込んできた。
「韓玄様、糜芳の姿が新野から消えました」
「なんだと孔明。まさか奴め、曹操に鞍替えしたのか」
「おそらくは」
「おのれ、誰がわしに賭けると言ったんじゃあ」
韓玄は被り物を脱ぎ、床に叩きつけた。
「まあ、いっときの衝動か何かでしょう。ほとぼりが覚めればまたもとの鞘に戻るかと」
「むう……やむないな」
春3月。韓玄軍は、ただでさえ武将の数が足りない。
たとえ糜芳のような人材とて、引き抜かれたまんま放置するわけにはいかないと思っていた。
「どうだ孔明、糜芳の奴は」
「新野の関羽に説得させましょう。きっとついてくるでしょう」
「よし、任せた」
そして関羽は、糜芳を引き連れてきた。
「頼むぞ糜芳。命尽きるまでわしに仕えてくれい」
「ははっ」
糜芳は威勢良く返事をしたものの、心中では
――もっと恩賞をくれよ。
と呟いていた。
〜その他の出来事〜
1月、関興が元服。汝南の在野、左慈を登用。
<徐州平定>(216年4月〜5月)
曹操軍は、前線において既に防備を固めていた。楽浪は割合手薄(60000程度)だが、
許昌、宛、小沛にはそれぞれ100000以上の大軍が揃えられている。
しかし、そのうちひとつ、穴があった。
「殿、小沛を攻めるなら今のうちですぞ」
徐州方面へ諜報に出かけていた楊儀が、韓玄に伝えた。
許昌と宛は隣り合っているため、必ずや援軍が大挙してくる。
ところが小沛の背後にある陳留や濮陽は、ただ太守のみ控えているに過ぎない。
援軍の心配はないのである。
「うむ。では李恢に小沛を攻めさせるとしよう」
全軍をもって出撃した李恢の陣営は、左回り迂回をもって敵陣に迫ろうとした。ところが、
その間に敵将凌統が本陣を占拠したため、李恢、夏侯尚、けい道栄の3将は急ぎ帰還した。
凌統には一斉攻撃が効かない。糧道を断たれ続けている李恢軍の士気が徐々に減退していく。
夏侯尚の混乱などでようやく凌統を倒したときには、士気が出陣時の2/3まで落ちこんでいた。
もっとも、士気が低いのは、王基が遣わした援軍によって次々と倒されていった
曹操軍も同じこと。太守賈[言羽]を倒したことで、決着はついた。
【儀式】
解放→凌統、張昭、曹休、呂蒙、陳武、[門敢]沢、華[音欠]
斬首→臧覇
〜その他の出来事〜
5月、永安の在野、向寵を登用。
>>786 まとめあげ有難うございます。
>>787 お褒めの言葉、嬉しいです。励みになります。
にわか仕込みでも玉璽で魅力を上げ、戦争で捕虜をがんがん登用できれば良いのですが……。
とりあえず早いところ曹操を捕らえることができるよう、がんばってみます。
スレッドを読んだ勢いで7(PS2版)を買ってしまいました。
とりあえず曹操や劉備で慣れてから韓玄でプレイしてみようと思います。
6代目様頑張って! 応援してます。
<韓玄秋の人材祭り>
「仕えるならば韓玄様と決めておりました」
6月、廬江の在野、謝旌が仕官を申し出てきた。人材不足に喘ぐ韓玄にとっては
願ってもないことであり、当然のことながら受諾した。
7月、韓玄は自室に諸葛亮を呼んだ。
「敵の武将の中で、わしのもとに馳せ参じてくれる者はおらんかの」
「曹操に不満を持つ者が結構いますね」
「よし、すぐさま全員登用だ」
韓玄は意気揚揚として立ち上がったが、諸葛亮は韓玄の腕を掴み、再び座らせた。
「なりませぬ。一月(ひとつき)では無理がございます」
「わしは一刻も早く人材が欲しいのじゃ」
韓玄は掴まれた腕を振り払うが、軍師が仕掛けた連環の術は容易に解けない。
「韓玄様も歳が歳ゆえ、過労することで死に直結する恐れがございますぞ。どうか、
一月の間では3、4人に絞っていただきますよう」
「むう……わかった。そうさせてもらうよ」
かくて韓玄は領土拡張をひとまず抑え、武将収集に走った。成果は以下のとおりである。
☆7月→蒋[王宛](零陵の在野)、王朗(濮陽まるごと)、張昭、顧雍(以下、曹操配下)
☆8月→陸績(曹操配下)
☆9月→呂蒙、丁奉、潘濬(すべて曹操配下)
☆10月→馬忠@蜀将、孫桓、張温、孫朗
(なお、孫朗については以下の挿話がある。
俸禄を与える暇はないけど、とりあえず頭数をそろえたい。そのためには、
警戒されにくい武将の方が良いだろう。そこで目をつけたのが、
いまいちぱっとしない孫朗であった。
しかし、韓玄の目論見は失敗に終わった。すぐさま曹操と密談を交わされ、
韓玄の陣営を去ってしまったのである。
「さすがは元祖人材コレクターよ」
韓玄は長嘆息したという。)
<囮作戦不発>
6月、韓玄は一計を案じた。
まず、[言焦]の防備を薄くして、許昌にいる曹操を誘いこむ。曹操自らが軍勢を
率いて攻めてきたらしめたもので、[言焦]にいる武将をすべて寿春に退却させる。
そして、すかさず許昌を攻め、曹操を封鎖するというのである。
しかし、[言焦]への攻撃部隊は部下任せであった。8月、9月、11月と攻めてきたが、
戦場に現れたのは、大将張虎、参軍王威のみである。彼らに[言焦]を取らせるわけにはいかない。
いずれも汝南からの援軍でたたきのめした。捕虜はなかなか靡かないが、
特に禍根を産むような能力を有したり勲功を挙げたりしていないため、解放処分を下した。
<油断>(216年10月)
冬10月、韓玄のもとに、劉璋軍が江州へ進軍しているという報がもたらされた。
兵は、成都の正規軍100000に梓潼の救援軍を合わせて、160000を数えた。
かくなる上は本陣と砦をひとつかたく守りながら、別働隊を遣わして
敵の糧道を断たせるに他はない。馬謖はそう考えた。
ところが、砦のひとつを守っていた周倉は、敵将[广龍]統の虚報にまんまと騙されてしまう。
呼厨泉が本陣をついたのは良いが、その間、敵軍は江州の拠点地をことごとく占拠していた。
気付いた時には、劉璋軍の「包囲」作戦が遂行されてしまった。
馬謖が進んで殿を務めたことにより、野戦での捕縛者は出さずに済んだが、
篭城してもなお劉璋軍は怒涛の勢いで城門を攻めたてた。
そして、7日にして落城した。
陳到と呼厨泉は無事に逃げきったが、他はみな捕われの身となってしまった。
【敵による儀式】
登用→馬謖
解放→劉巴、孟獲、周倉
なお、馬謖については、翌月に馬良を遣わして再登用した。
>>792 おお、購入おめでとうございます。
始めは慣れるつもりで強豪をプレイして、感触を掴んでから弱小勢力で
挑んでみると良いと思います。
私も初回プレイは孫堅でしたから。
応援有難うございます!
7(PS版買った。某所の呂布のアイコンと違う。なぜだ?しかもカッコ悪い)
>>797 某所の呂布アイコンは6の奴なんじゃないかと思う次第。
頭が痛い……そして気分が悪い……。
プレイ自体は多少したのですが、文章を書き上げる元気までには至らないようです。
よって、今日は休みます、すみません。
鬱だ嗣脳。
>>800 お大事に……。なにげに800到達おめでとう(藁
>>801 面目ない……。今日から再開します。
<曹操と初対決>(216年11月〜12月)
11月、韓玄は小沛太守李恢に命じ、陳留を攻めさせた。
「徳昂、すべてを任せたぞ」
「必ずや陳留を我が領土にしてみせましょう」
かくて出征した旗揚げ以来の古参の臣は、命に違わず数日で陳留を陥落させた。
この戦いで、陳武が配下に加わった。
12月、韓玄は自ら軍を率いて許昌を目指した。
「韓玄様、妙にお急ぎのようですが」
「孔明、年を越す前に攻め落とさねばならぬ」
「ほう……その心は?」
「何というべきか……ワシのそっくりさんが5人ほど、夢に出てきたのじゃ。今のうちに
何か大きな行動でも起こさねば、例えば、許昌を攻めたりしなければ、
2年も経たぬうちにおぬしの身には危険が生じましょう、といわれた気がするぞい」
「夢……ねえ……」
諸葛亮は羽扇を仰いだ。
純粋に兵力を考えれば、曹操軍の方が30000ほど上回っている。陸路と水路の二方面から速攻を
狙ったが、陸路を先行する諸葛亮が援軍に行く手を阻まれ、壊滅寸前となった。
「これはいかん。黄忠殿、私はいったん後方に下がる」
代わりに、追いついてきた黄忠および孫桓とで陸の援軍を食い止めた。
一方、水路では于禁、趙雲の両将が奮戦する。あるいは水戦苦手、あるいは文官で、
形勢は一気に逆転していった。曹操の本陣にたどり着いた時には、魏軍の士気が激減しており、
難なく曹操を洛陽に追い払った。
【儀式】
解放→蒋幹、耿紀、曹植、曹真、張飛、満寵、郭淮、王威
斬首→張[合β]、曹仁
<奥地よりの使者>(217年1月)
年を越し、韓玄の許にひとりの老人がやってきた。
「韓玄よ、頑張っておるようじゃな」
「お、おぬしは……」
「わしは人の生を司る北斗じゃ」
「北斗……」
「あ、ベタなボケはいらんぜよ」
「いらんのか……」
韓玄は首を項垂れた。
「それはさておき、下界におけるおぬしの功績を称え、寿命を延ばしてしんぜよう」
「ほ、本当か!」
「うむ」
北斗は韓玄の頭に手をかざすと、何やらぶつぶつと呪文を唱えた。
「……はっ」
韓玄の周りに光が発せられる。韓玄は、心なしか気が軽くなったように思えた。
「これでしばらくは平気じゃろう。これからも頑張れよ」
「有難き幸せ!」
〜その他の出来事〜
関索、元服す。
馬騰、秦王を名乗る。
孫桓、曹操に引き抜かれる。
<荊州平定>(217年2月〜3月)
春3月。
「田疇。許昌からも援軍を送るゆえ、宛を攻めよ。采配はすべて任せる」
「お任せあれ」
かくて田疇は全軍を率いて宛を目指した。
半月後、勝報がもたらされた。
【儀式】
解放→司馬朗、張飛、張苞、荀ケ、張虎、糜竺、耿紀、劉曄、楊修、辛毘、
楽進、呂範、呉質
斬首→朱治
一方河北では、濮陽が曹操軍によって攻められた。
「関平、敵軍にとられる前に砦へ向かうのだ」
王朗の指示により、関平は本陣を発し、白馬津の中央にある砦に向かった。
騎馬隊を率いる韓遂が、目前に迫っていた。間に合うかどうか、微妙なところである。
そのとき、豪雨と雷鳴とが白馬を覆った。関平にとっては天祐であった。
騎馬の行軍が遅れたことにより、占領される前に砦入りを果たしたのである。
「関平殿、待たせたな」
しばらくして、呂蒙が砦の援軍に入った。
「おお呂蒙殿。ときに、他の友軍はいかに」
「本陣の方におる。甘寧と郭淮とを攻撃しているんじゃないかな」
「甘寧……もしかして、水上で戦っているってことはありませんよね」
「……ありそうだ」
「なぬ!」
のち、甘寧によって夏侯尚が捕縛されたという報が砦に伝わった。
「いわんこっちゃない」
もっとも、兵力は依然として韓玄軍の優勢にある。
形勢不利とみた魏軍は、やがて退却していった。
【儀式】
解放→韓遂、郭淮、曹休、駱統
<文字通り上洛>(217年4月〜5月)
「そういえば、洛陽を落とせば魏の領土は分断できるのではないか?」
思い出したかのように、韓玄は諸葛亮に言った。
「まさしくその通りでございます」
「やはり……。ならば、軍備が固めらぬうちに攻めねばならぬな」
「出陣ですか?」
「うむ、我が精鋭の実力、篤と拝見させてくれよう」
5月、韓玄は親征をはじめた。
虎牢関に篭っていた曹真に矢を雨を浴びせ掛けていると、空からも雨が降ってきた。
「神よ、逆賊に天罰を!」
諸葛亮が呪文を唱えると、彼方にいた楊彪と曹植の軍勢に雷が落ちた。
両軍合わせて30万という大会戦は、旬日(十日)を経るうちに13万対2万の戦いと
変じていた。
「くっ、いかん」
于禁の矢によって、曹操は自慢の駿馬、絶影を駆って逃走していった。
【儀式】
解放→毛[王介]、曹真、王威、郭奕、華[音欠]、張苞、楊彪、糜竺、曹植
〜その他の出来事〜
4月、[言焦]の在野、文欽を登用する。
<無位無官からの脱却>(217年6月〜7月)
「おお、これが都の感触というものか」
韓玄は旧都の玉座に坐り、感慨に耽っていた。
「韓玄様」
「ん……なんじゃ孔明」
軍師の姿を見て、韓玄は首を上げ、欠伸をした。
「上洛したからには、そろそろ韓玄様の威儀を示さねばなりませんな」
「威儀……とな?」
「ええ。韓玄様には、正式な官位というものがございません」
「長沙太守があるぞ」
「それは、独立する前ではありませんでしたか?」
「む、そうだったか……」
「ともかく、無官をもって領土を拡張していけば、極論すればそこらの山賊ばらが
略奪行為をしているのと等しいことになります」
「何、略奪? 人聞きの悪い」
「むろん、我々はそう思っておりません。しかし、体面を重んじていると、
どうしてもそうなってしまいます」
「何やら面倒だな」
「これも世直しの一環です。ま、張昭殿や我が兄、馬良殿あたりに任せておけば
大丈夫でしょう」
「よし……そうしてもらうか」
かくて始められた6月からの献金活動は、翌7月において功を奏した。
州刺史を授かることとなったのである。
そして、関羽を偏将軍、徐庶を裨将軍に任じた。
〜その他の出来事〜
7月、かい越が死去する。
※補足:かい越はもと建安太守だった。
<制海権掌握>(217年8月〜9月)
8月、呉郡太守文聘の許に、韓玄から命令が下った。
――楽浪を攻めるべし。
楽浪を占拠すれば、海路をすべて制圧ことになる。また、現在防備状態にある城陽が
万が一攻められても、敵の援軍を気にすることなく迎撃することが出来る。
「文聘殿がいるならば、海も安心だ」
霍峻はじめ諸将は、水軍に強く、一斉攻撃を受けつけない文聘に全幅の信頼を置いた。
文聘はまず、中洲に拠っていた許[衣者]を挑発し、
次いで寄ってきた公孫康をおびきよせ、一気に叩き伏せた。
右迂回をしていた別働隊は軻比能によって苦戦を強いられたが、
正面突破達成で形勢を逆転させた。
【儀式】
解放→軻比能、許[衣者]、楽進、公孫恭、公孫康、呂岱、王粲、厳o、[赤β]昭
〜その他の出来事〜
9月、州牧に任じられる。
<和議、そして共同作戦>(217年10月〜11月(1))
「ううむむむ……」
韓玄は眉に皺を作りながら、顎の肉を引っ張った。
「どうしました?」
「孔明か……。ちょっと困ったことがあってな」
「はて」
「長安を我が物にすれば、弘農にいる曹操を完全に封鎖できる。
しかし、長安の西にも魏領はあるし、南には劉璋が控えている」
「要するに、長安を取ったところで維持できるか心配なわけですな」
「ご名答」
「それならば、劉璋としばし誼を結ぶべきです」
「言うは簡単だが……果たしてうまくいくのか? 今もなお上庸や永安は緊張状態に
あるではないか」
「心配無用。金を積めば、旧怨を拭うこともできましょう」
「金か……。本当に大丈夫かなあ」
「大丈夫です。韓玄様、昨日まで争っていた敵から金を贈られたらどうしますか?」
韓玄は即座に、
「取るだろうな」
と答えた。
「ほら、大丈夫ですよ」
間断なき貢物が功を奏し、冬11月には劉璋と1年同盟を結んだ上、
長安を共同で攻める約定を交わした。
〜その他の出来事〜
10月、桂陽太守伏完死す。
<曹操封鎖>(217年11月(2))
万全を期して、宛太守顧雍は長安を攻めた。
武関に篭る張苞を倒すと、街道に沿って奥へ突き進むが、
弘農からの敵援軍が予想よりも早く戦場に到達してきた。
彼らは背後に迫っている。
「本陣をとられてなるものか」
顧雍と関羽、そして華佗の三将で、これを食い止めにかかった。
一方、奥に進んだ趙雲や魏延ら正規軍は、劉璋の共同軍と兵を合わせ、
敵本陣を攻撃した。太守孫権は、魏延らに混乱の計をかけて抵抗したが、
大勢の前に沈んだ。
【儀式】
解放→張飛、張苞、荀ケ、張虎、劉曄、楊修、辛毘、楽[糸林]、呂範、王威、孫朗
斬首→呉質
<巨星を墜とす>(217年12月)
長安から勝報がもたらされると、韓玄は鼓動の激しさを増した。
「よし、いよいよ、いよいよ奴と決着がつけられるぞ」
「ついに追い詰めましたな……ですが、感慨に耽るのは倒してからですな」
「うむ……では、長安軍に出陣を促そう。趙雲、関羽、徐庶、黄忠、魏延の五将を
正規軍とし、わが洛陽からは、お前と于禁、木鹿大王、関索を繰り出すとしよう。
曹操の首を土産にもってこいよ」
「おや、韓玄殿は出陣なさらないのですか?」
「わしはしばらくここにいるとしよう」
「おやおや……ま、それが賢明でしょうな。ここまで来れば、君主がわざわざ出向く
こともありますまい」
かくて、総勢120000の兵と九人の将軍によって弘農を挟撃した。
徐庶は『包囲』作戦を取った。弘農の城は長らく平和に慣れたせいか、極めて脆弱であった。
攻城戦で最終的な決着をつけようというのである。
しかし、追い詰められただけに敵将も必死だった。順調に進みながらも、ところどころで
兵力が分散されてしまう。趙雲は、
「長安の背後が危険ゆえ、先に戻らせていただく」
といって長安に退却した。
魏延は、包囲を達成した後で追撃に加わったが、殿をつとめる荀ケの兵の気迫に
圧倒されて返り討ちに遭い、兵をすべて失う羽目となった。
「やるな、曹操……」
徐庶は歯噛みしたが、勢いはそこまでだった。
3日のうちに、弘農の城はあっけなく陥落したのである。
「……これが戦に敗れた者の姿よ。お前にもいつか、このときが来るだろう」
捕縛の後、曹操はそう言い残して胴体との別れを告げた。
他の武将は、登用できた蒋幹を除いては全員解放させた。
その一方で、陳留太守李恢が[業β]を攻めた。
兵敗れ、軍はひきかえしたが、関平とけい道栄は戻ることはなかった。
〜その他の出来事〜
韓玄、羽林中郎将に任じられる。
<どさくさ紛れ>(218年1月〜2月)
1月。寿春にて諸葛恪が元服した頃、洛陽では君主韓玄と軍師諸葛亮が
酒を酌み交わしながら話し合っていた。
「韓玄様、曹操を斬ってから、やはり魏陣営が揺らいできてますね」
「ふふ……思惑通りってやつだな、孔明。さて、誰から引き抜いてくれようかな」
「関平を取り返すのが先ですな。これは実父の髭殿に任せるとしましょう」
「あとはどうだ?」
「そうですねえ……[業β]太守の王修殿はいかがでしょう?」
「太守か……面白い」
ここにおいて、関平と王修が自軍に加わった。
2月にはさらに、張紹と韓玄軍を悩まし続けてきた甘寧、おまけに陳留の在野の夏侯楙を
登用した。
その頃武都では、秦が劉璋軍に攻められていた。城は陥落し、君主馬騰は斬首された。
馬超の姿は、既になかった。
<残党の投降>(218年3月)
晩春のある日、上庸太守諸葛均は城を出て山道に入った。
少し進んで、物音がしたかと思ったら、突如として何者かが飛び出してきた。
四人ともぼろぼろの鎧を纏っているところからして、敗残の将のように見えた。
「な、何だね君たちは」
諸葛均が訪ねると、四人は跪いた。
「我々は、国を追われた者どもです」
口の周りに髭を生やしていた男が答えた。
「国……とな」
「はっ、我々は秦王こと馬騰様に仕えておりましたが、不運にも劉璋に敗れ去り、
行き場を失ってしまいました」
「うむ……それはご愁傷様だな……」
現在、劉璋とは同盟中だけに、諸葛均はあえて複雑な表情を見せた。
「今や我々の唯一の望みは、韓玄様に仕え、乱世を終わらせることにあります。
どうか、召抱えてやってください」
しかし、四人とも形相がただごとではない。召抱えるくらいならば劉璋を刺激する
ことはなかろう。希望的観測のもと、諸葛均は馬騰の残党、賈逵・程銀・馬玩・呂義を
上庸城に迎えた。
〜その他の出来事〜
凌統、周泰、糜竺を登用。
<功臣またひとり消ゆ>(218年4月〜5月)
夏4月、宛にて。
「うう、私はもう駄目なのか……」
太守田疇は、病に倒れていた。
「田疇殿、しっかりしてください」
「もうよい。私の役目はここまで。これからは、天から韓玄様の統一事業を
見守るとしよう……」
「田疇殿!」
兵卒の看病も及ばず、ここに田疇は永眠した。
5月。城陽が曹丕軍によって攻められた。城陽の兵力はおよそ80000であり、
敵軍はそれに匹敵する。
「楽浪の援軍は海を渡ってくるから、かなり時間がかかる。だが、それまでは
耐え忍べ。敵が前進してきたら、本陣を占領して兵站を断て。いいな」
李厳の命令で全軍は布陣した。
曹洪の突撃によって馬謖は山を明け渡したが、一方で楊柏ががらあきになった
本陣を衝き、牛金が砦を再占領した。
士気が下がり始めた敵軍は、退却をはじめた。しかし、李厳をはじめ諸将は、
逃すことなく敵兵を殲滅させた。
【儀式】
登用→孫韶、傅嬰
解放→曹宇、程c
斬首→曹洪
「おお、2人も登用に応じるとは! 玉璽さまさまだあ」
洛陽で韓玄は乱舞していた。
〜その他の出来事〜
4月、上庸の在野、楊秋の仕官を受諾する。
5月、同上、呂虔の仕官を受諾する。
<王都震撼(80%)>(218年6月〜7月)
6月、河内の曹丕が自ら上洛してきた。参軍には、司馬懿がついているという。
「曹丕軍も我が軍も、援軍はありません。それだけに、曹丕は強気で攻めかかって
くるでしょう」
「包囲でも布いてくるというのか」
「その通りです。于禁を城に篭らせ、木鹿大王と関索を周りにつけましょう」
「うむ、わかった」
まず、関索は回りこみをして敵本陣を狙った。曹丕によって奇襲を食らうものの、
相手が占領に気を取られている隙に、本陣を確保することに成功した。
しかし、木鹿大王が司馬懿の虚報にのせられてしまう。
于禁は乱射で敵兵をじわじわと減らしながら固く城を守ったが、
相次ぐ敵の一斉攻撃に消耗してしまう。
「まずい、包囲が達成されてしまう」
城と関とは街道でつながれており、行軍しやすい。城を落とされれば、
すぐさま関も陥落しかねない。
「天よ、我らに力を! 鬼神にも勝る神速を与えたまえ!」
城に隣接している華[音欠]を相手にしていた諸葛亮は、神速の策で関へ先回りした。
包囲達成はなんとかまぬがれた。形勢不利とみた曹丕は、強行軍で退却していった。
【儀式】
登用→夏侯恩
解放→曹真、華[音欠]
<さらに分断>(218年7月〜8月)
韓玄は、主力部隊の殆どを[業β]に回した。
「晋陽を占拠して、曹丕をふくろの鼠にしてくれよう」
曹丕をも斬首する構えを取った。
秋8月、総大将李恢は、趙雲、夏侯尚、甘寧、周泰らを従え、晋陽を攻めた。
敵は奇襲の構えを取っていたが、精強な韓玄軍はすぐさま察知した。
韓玄軍の一方的な攻勢で、晋陽にも「韓」の旗が翻った。
【儀式】
登用→韓浩
解放→満寵、孫礼、王威、王昶、陳矯、荀ケ
斬首→楊彪
〜その他の出来事〜
8月、小沛の在野、桓範を登用。
同月、劉璋と士祇が6ヶ月間の同盟を結ぶ。
<[業β]の防衛>(218年9月)
9月、[業β]が曹丕軍に攻められた。太守関平は、界橋へ迎撃した。
「程銀、後方を撹乱せよ」
関平は、僅か2000の兵を率いるのみの程銀に本陣の占拠を命じた。
「ふふふ、がら空きじゃないか。愚かな」
そして、敵軍全員が前線へ出てきた隙を衝き、程銀は占拠を果たした。
前線の敵軍は誰一人として後退の姿勢を見せない。
そうしているうちに敵軍からは厭戦の風が漂ってきた。関羽や劉備、呂虔らは、
彼らを逃すことなくさんざんに蹴散らしていった。
【儀式】
登用→孫権、孫朗、郭淮
解放→けい道栄、駱統、張苞、韓遂、程c、張飛
斬首→曹休
<同盟延長>(218年10月〜12月)
冬10月、韓玄は諸葛亮を呼んだ。
「いかなるご用でございますか?」
「劉璋との同盟が翌月で切れてしまう」
魏は未だ健在であり、ここでなまじっか劉璋と干戈を交えるわけにはいかない。
「そこで、暇そうで社交的な者に頼みたいのだが……誰が適任かのう」
「そうですな……。趙累はどうでしょう?」
「建業太守じゃな」
「はっ、建業は既に開発の余地をなくしております。趙累は手持ち無沙汰のようですし、
弁舌にはいささか長けておりますから、彼に任せましょう」
かくて、趙累が成都に遣わされた。そして、同盟は半年に延長された。
同月、諸葛亮が韓玄を訪ねた。
「韓玄様、晋陽の李恢殿が上党を攻めたようです」
「そうか。ま、あやつらなら大丈夫だろう」
十日後。
「李恢殿が上党を占領しました」
「して、捕虜は?」
「みな、河内に逃げられたそうです」
「まあよい。いずれにしても袋の鼠だ」
さらに同月。
「韓玄様、曹丕軍が晋陽に迫っております」
「我が軍の総勢は?」
「周泰殿ただひとりです。しかし、上党からの援軍で何とかなるでしょう」
「うむ……しかし、参軍なしではいささか心配だな」
その一方、晋陽では周泰が洲に拠って敵を迎え撃つ態勢を取っていた。
「水の上でこの俺に勝てる者は、もう魏にはいまい」
周泰はひとり気を吐いたが、王昶の挑発に乗せられてしまった。
もっとも、上党の援軍の活躍で、陥落までは免れた。
【儀式】
解放→孫礼、王昶
〜その他の出来事〜
10月、柴桑太守かい良没す。
11月、上庸の呂義が曹丕に引き抜かれる。
韓玄自身は、孫権らの贈答と俸禄上げに奔走。
<北海へ>(219年1月〜2月)
城陽太守李厳は、韓玄の命を受け、北海へ軍を差し向けた。
中央の山には、鉄騎部隊が固めていた。軻比能である。
「奴とはまともに戦うな。私が混乱を仕掛けるから、その隙に叩くのだ」
参軍諸葛恪の混乱により、軻比能の軍は統制が乱れた。廖化や孟獲らがそれを囲み、
一気に倒した。
一方、楊柏らはさらなる猛将部隊に当たった。
「げげ、徐晃か!」
明らかに劣勢となったところで、後続部隊が追いついた。軻比能と同様の手段で混乱させると、
陳到らでそれを包囲、壊滅させた。
【儀式】
登用→楊修、駱統、けい道栄、程c
解放→軻比能、曹宇、曹熊、程武、徐晃、張苞
2月、李厳は余勢を駆って平原を攻めた。
平原の敵軍は、篭城の構えを取った。しかし、既に逃げ腰の態勢で、
李厳が門を開けた時には人はいなかった。
〜その他の出来事〜
1月、韓玄が、南斗から金3000を賜る。劉禅が元服する。夏侯恩が曹丕に引き抜かれる。
2月、曹丕配下の呂義を登用する。
820 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/09(金) 18:42
age
絶好調ですね。
いつも楽しく読ませてもらっておりますので、今後も頑張って下さい。
各話の題名も結構いい味があって好きだったりします。
<曹子桓、後追いす>(219年3月)
上党太守李恢は河内を攻める為、洛陽に使を遣わした。
洛陽からは諸葛亮、于禁、関索、木鹿大王を援軍として北へ遣わした。
韓玄軍150000対曹丕軍130000で、兵数には優位に立っていたが、李恢軍の行軍には
拙さが目立った。
本陣からやや離れたところで、満寵や許[衣者]ら敵将が密集していた。
ところが、甘寧ひとり残して、あとは敵本陣を目指して迂回にかかったのである。
「む、これはいかん。甘寧殿の救援に向かわねば」
于禁はそう言うと、自軍本陣の方へ向かった。本陣に先回りし、連弩による乱射と
水軍叩きで着実に兵を減らしていくが、いかんせん多勢に無勢で、抗えず捕虜となってしまった。
一方の李恢は、曹丕の篭る本陣付近で会戦した。一斉攻撃を繰り返せば簡単に捕縛できるものを、
弓でちまちまと削るばかり。
本陣は夏侯徳に奪われ、士気がじわじわと減っていく。
さらに木鹿大王が、司馬懿の暗殺にかかって大怪我を負う。
さすがに焦ったか、士気が50を切ったところで、李恢はようやく曹丕の一斉攻撃にかかった。
あと少し遅かったら、不名誉の敗北を喫するところだった。
「……くっ、わしに代わるものが、お前を滅ぼしにかかるだろう」
戦後、曹丕の首は胴体と別れた。
3代目の魏帝には、曹彰が任じられた。
【儀式】
登用→華[音欠]、郭奕、司馬懿
解放→曹植、満寵、張既、毛[王介]、陳矯、夏侯恩
斬首→曹真、許[衣者]、夏侯徳、曹丕
同月、晋陽が曹彰軍の侵攻にさらされた。
「さしずめ、弔い合戦ってところか。さらに屍を重ねさせてやるか」
向寵は後方の砦を守り、残り2人、水軍の将たる周泰と周倉は洲に陣取った。
しかし、周倉はまたしても虚報にひっかかった。周泰は韓遂にけしかけられ、
洲を空けた。その隙を衝いて、王昶が洲を占拠することとなった。
「おのれ青二才が!」
我に戻ってから、周泰は王昶に突撃を仕掛ける。鬼気迫る勢いに王昶はたじろぎ、
洲を明渡した。
そのとき砦には、王威が迫った。向寵は火計をかけつつ、粘った。
数日過ぎて、孫権ら援軍が、徐晃や韓遂を蹴散らすという報せが砦に届いた。
王威は撤退していった。
【儀式】
登用→王昶、韓遂
解放→徐晃
〜その他の出来事〜
3月、劉璋との同盟をさらに半年延長。
<途中下車できません>(219年4月〜6月)
夏4月、勅使が洛陽にやってきた。
「曹丕と和を結び、七ヶ月の同盟を約束されよ」
それを聞き、諸葛亮は耳打ちするが、その前に韓玄の肚は決まっていた。
ここで曹丕と休戦すれば、素早い統一はおぼつかない。
「恐れ多いことながら、かようなご下命は承服しかねます」
韓玄は毅然と、しかし無礼にならないように断りを入れた。
〜その他の出来事〜
4月、楽浪太守霍峻没す。
5月、郭奕が曹彰に引き抜かれる。
<三都占拠>(219年7月)
「韓浩、安定を落としてくるのだ」
「はっ、兄上のためにも勝報をもたらしてきましょう」
7月、韓玄は韓浩を総大将、徐庶を参軍とした、150000の軍勢を長安から安定に差し向けた。
敵もまた150000の兵を擁している。とりわけ、[广龍]徳が手強い。砦に固く篭り、
韓玄軍の包囲をものともしない。
「砦からおびき出さねば、いたずらに兵を減らすだけだな」
馮習はそういって、砦から一歩退いた。
「貴様ごときにそれがしが出るまでもない。指一本で相手してくれよう」
この挑発に[广龍]徳は怒りを露にし、馮習を追いかけるべく砦を空けた。
その間に、華佗が砦を占領した。戦の行方は定まった。
捕虜のうち、呂範、張虎、楽[糸林]、馬鉄、王平、尹賞を配下に加えた。
安定陥落の後、平原からは、南皮攻略の兵が繰り出された。[業β]軍と力を合わせ、南皮および薊(敵救援軍)の部隊を全滅させた。
捕虜のうち、辛毘、程武、張飛を配下に加えた。
さらに楽浪から、太守凌統が襄平に兵が向けた。北平の援軍もろとも撃破し、公孫恭、[赤β]昭、陳羣を配下に加えた。
〜その他の出来事〜
漢詩大会で、張昭が諸葛亮の数連覇を阻む。
そういえば、諸葛亮以外が優勝したのははじめてかも。
<泣く子も黙る・前編>(219年8月〜11月)
秋8月のこと。
「韓玄様、妙策がございます」
「何だ、孔明」
「さきの安定戦で、張虎という者がわが幕下に加わりましたよね」
「ああ、張遼の息子だったか」
「さようです。彼を遣わして、父君を説得させましょう」
「面白い。やってみよう」
しばらくして、張虎が張遼を引き連れてきた。韓玄は他将に先んじて、褒賞を重くした。
9月、安定太守韓遂が独断で天水を攻め、勝利を収めた。捕虜のうち、
満寵、馬遵、夏侯恩を配下にした。
天水は、人材の宝庫となっていた。10月に雅丹を、翌11月には徹里吉を見つけ、
登用した。
後編の前に補足。すんまそん。
9月、北平を攻略し、王威を配下に加える。
10月、馬遵が曹彰に引き抜かれる。
<泣く子も黙る・後編>(219年12月〜1月はじめ)
12月、天水太守韓遂が西平を攻め、打ち勝った。耿紀、崔[王炎]、[广龍]徳、
馬岱、馬遵を配下に加える。
続いて、安定太守文聘が武威を攻めて城の防御を崩し、魏軍の西域支配を完全に
抹消させた。ただし、捕虜はみな靡くことなく、はるか幽州まで解放した。
その間、天水は手薄になっていた。隙をついて、劉璋が攻め寄せてきた。
太守不在の天水で、張遼が自ら総大将を買って出た。丁奉が参軍となり、
36000の軍勢をもって祁山に迎撃した。
対する劉璋軍は87000人の兵を率いている。ただし、2日目で満寵らの援軍が
西平より馳せ参じ、兵数110000にまで膨れ上がった。
まず先鋒隊兀突骨が、山の裾に広がる森に兵を伏せ、黄権に襲いかかった。
続いて、満寵が敵将に混乱の嵐を吹かせ、黄忠が山を占拠し返して兵站を断った。
とどめは張遼の騎兵による突撃で、逃げ腰の蘇飛を捕えた。
連携により、劉璋軍は壊滅したのである。捕虜のうち、黄権、王伉、呉蘭、蘇飛が
配下となった。
「思い知ったか、劉璋ぐ……ん」
勝鬨を挙げようとしたところで、張遼は意識が遠のいた。
そして翌月、張遼は帰らぬ人となった。
>>821 有難うございます! レポートを書き上げている甲斐があるというものです。
この調子でいけば、今日の晩か明日にでも統一できそうです。
題名、あるときはシリアスに、あるときはギャグっぽくなっているので
戸惑うところもあるかもしれませんが、楽しんで頂けて幸いです。
いよいよ統一なんですね。
頑張ってください!
>>829 ファンとは嬉しいです! 照れ臭いですが、有難うございます。
最後の一手、どうぞご覧になって下さい。
<魏三代の栄華潰えたり>(220年1月)
年を越え、北平、晋陽の二都市は緊張に包まれた。
「さあ、時は来た。今こそ薊を攻め、魏の支配に終止符を打たせるぞ。
弘農の一件もあるから、ただ追い詰めることを考えるのではなく、
敵を確実にじっくりと全滅させるつもりでかかれ、いいな」
北平太守李厳が全軍に指示すると、あたりから喚声が沸き起こった。
彼らは薊郊外の野で思いきり戦ったあと、そのまま城へと雪崩れこんだ。
この地は曹操が河北を制圧してから十余年、長らく平和にあった。
城壁は、頑強に整備されてはいなかった。
敵兵の射撃をものともせず、李厳軍はひたすら城壁を攻撃し、
数日のうちに城を陥落させた。
「さあ、父上や兄上と同じように斬るがよい!」
皇帝曹彰は、洛陽にいた韓玄のもとに連行されると、声を張りさけて挑発した。
韓玄は、遠くを眺めていた。
「……その必要はない。おい、その縄を解いてやれ」
そして、曹彰を束縛から解放するよう、兵卒に命じた。
「この俺も、なめられたものだな」
曹彰は、去り際に韓玄を一瞥した。
この戦いでは、徐晃、曹熊、閻柔が配下に加わり、残りの者は在野として
西へ南へ下っていった。
<遷都>(220年2月)
韓玄は諸葛亮に、すみやかにわが許まで来るよう命じた。
「火急の用とは、どうなされたのですか?」
「うむ、わしは洛陽を離れようと思う」
韓玄の言葉を聞いて、諸葛亮は首を前に出し、主君の顔を眺めた。
「一体、どんな風の吹きまわしで」
「洛陽にはまだまだ開発の余地があるのじゃが、いかんせんわしは部下の懐柔で
忙しくてな、内政にまで手を出す余裕がない。だから、他の者に洛陽を任せ、
わしは移ろうと思ったのじゃ」
「どこに行くかは決まっているのですか?」
「許昌だ。あそこはもう開発しきっているから、心置きなく俸禄や金贈答ができると
いうもの」
「なるほど……」
「孔明、おぬしも来い。軍師は常に君主の元にいるべきなのだ」
「は、はあ……」
こうして韓玄と諸葛亮は許昌に移った。後任の洛陽太守には、辛毘が選ばれた。
その他、河北の諸将、ならびに後方の予備兵を前線に移すことを命じた。
<北から蜀を呑みこまんとす>(220年3月〜5月)
「さて、そろそろいきますか。韓玄様からも、軍備の方針が下されたことですし」
3月、上庸太守諸葛均は、長安の援軍とともに漢中を攻めた。
高翔、鞏志、趙範が配下となった。
さらに天水からは、武都攻略の兵が繰り出された。
このときは、韓玄への投降をことごとく拒否されたので、全員解放した。
5月、漢中太守諸葛均が梓潼を攻め取った。孟達、[广龍]統を配下に加え、
呉班を斬首した。
〜その他の出来事〜
4月、天水の在野、越吉を登用。
5月、陳留の在野、夏侯覇の仕官を受諾する。
<芽が出ぬうちに>(220年6月)
諸葛亮が、韓玄に進言してきた。
「交趾の士祇が、ひそかに力を蓄えているようです」
「なぬ?」
「魏の亡命武将がぞくぞくと参入している模様でして」
「なるほど……それは放っておくと厄介になるな」
韓玄はそう言って立ち上がり、諸葛亮に命令を下した。
「先に交趾を攻めよ」
「仰せのままに」
「ようやく動ける時が来たようだな」
南海太守張衛は、笑みを浮かべながら腕を鳴らした。
これまで防衛に徹していただけに、劉豹ら他の諸将もやる気を燃やしていた。
そして、士祇がとった奇襲策をあっさりと見破り、大いに会戦して士祇を捕えた。
薛綜、程秉、張苞、司馬朗、そして士祇を得る一方で、
士壱、士徽、士匡、孫礼、郭奕を斬った。
西では、永安太守の楊儀が江州へ兵を出した。こちらでも敵方の奇襲を見破り、
勝利を収めた。雍[門豈]が配下になったが、[广龍]羲は斬首した。
〜その他の出来事〜
襄平の在野賈範、および梓潼の在野霍弋を登用した。
<蜀領三分割>(220年7月)
7月、交趾から張衛がすばやく動き、一気に雲南を制圧した。董荼那、忙牙長が
配下となった。
雲南占領の報告を受け、諸葛均から梓潼太守の座を受け継いだ(諸葛均は漢中の太守となった)
周泰は、成都を攻めた。劉璋もまた奇襲を企んでいたが、周泰軍は看破し、劉璋を捕虜とした。
「韓玄様、劉璋をいかがいたしますか?」
「ん? ああ、秀忠殿の顔に免じて逃がしてやれ」
「秀忠?」
「ああ、なんなら探偵ナイトスクープの新局長でもいいぞ」
「……韓玄様、頭でも打たれましたか?」
「いんや」
韓玄はけらけらと笑っていた。
捕虜は、みな配下になることを拒んだ為、逃した。
<教祖の弟は血を贄とせんことを欲す>(220年8月〜10月はじめ)
「さあ、休むことなく行きましょう!」
雲南太守張衛は、雲南から建寧を攻めた。江州軍もこれに応じた。
「張衛殿、はりきってますなあ」
「そりゃそうだ、孟獲殿。今までが今までだからな。どんどん攻めとってくれようぞ」
張衛の双眸は、らんらんと輝いていた。
大兵の前に劉璋軍は崩れ、王甫、ケ芝、張翼を配下とした。
〜その他の出来事〜
9月、新野の在野、ケ艾の仕官を受諾する。
10月、呉の在野、周魴を登用する。
<蜀政権瓦解す>(220年10月)
(書き忘れてしまいましたが、220年の1月に傳僉が元服し、
劉璋が蜀王を名乗っています)
「これが本当の最終決戦だ。気を抜くなよ」
雲南太守趙雲を先頭に、黄忠、徐晃、徐庶、廖化、馬岱、張虎、于禁、[广龍]統、
華佗が永昌へ向けて発した。
城の前には、険しい山がたちはだかっていた。
「追い詰めたとはいえ、本陣に敵が迫らないとは限らないな」
趙雲はそういって軍を三つに分けた。張虎と徐庶で本陣を守り、黄忠が右回りに
迂回し、残りで正面突破する戦法である。
早速、敵軍の二将が第一の陣地を固めていた。
「何だあれは。兀突骨殿が身につけているものではないか」
二人とも、藤甲の鎧を纏っていた。韓玄軍自慢の弓がはねかえされる。
しかし、ひるむことなく初巡で張任、ついで呉懿を捕縛した。
そのまま正面を進むが、劉璋軍はいない。別働隊黄忠も、ただひとり孟優の姿を
認めるのみだった。残りは奥を固めているようだ。
大兵にものをいわせて敵将をつぎつぎ虜にし、勢い良く城へ進んだ。
張虎の井闌、徐庶の霹靂車、そして諸将の門壊で、永昌は陥落した。
34人いる劉璋幕下の将のうち、韓玄からの登用の誘いに頷いた者は誰一人として
いなかった。
「悔しいが……もう斬る必要もなかろう」
全員解放をもって、領土拡張の締めくくりとした。
220年10月、羽林中郎将・韓玄は中国を統一しました。
<覇王>(エンディング・1)
韓玄は丞相に、諸葛亮は三公の筆頭・太尉に、そして司徒には程cが任じられた。
ここでは、程cの件のみ抜粋。
程c「よもや、このような高位に就けようとは夢想だにしなかったな」
韓浩「何を言うのですか。我が国でもっとも功多き人物は程c殿です。程c殿の功に酬いるには、司徒などまだまだ低い地位です」
程c「これこれ、滅多なことを申すではありません。わしはこれで十分満足です。これ以上、何を望もうというのですか」
韓浩「これは失礼しました。他意はありません」
程c「地位を気にかけたところで満足に仕事がこなせようか。どのような地位にあっても全力を尽くす、それが忠節というものよ」
韓浩「なるほど、お見それしました」
至高の座に座り続けると、人は初心を忘れてしまうものである。
それは韓玄とて例外ではなかった。全土統一から数年後……
韓玄は組織の大改革を断行し、人事の一新を図った。
君主に諫言する者は皆官職を剥奪されたり左遷されてしまった。
残された者たちは保身に努め、あえて忠言を行おうとはしなかった。
(中略)
<んな阿呆な……>(エンディング・2)
韓氏が政権を握ってはや数十年が過ぎ去った。
その間、国内に紛争はなく、北方の異民族・匈奴との間にも友好関係が築かれていた。
果てるとも知れぬ平穏な日々に、いつしか人々は戦う術を忘れてしまっていた。
そしてそれは突然やってきた。
鮮卑と呼ばれる北方民族が南下を始め、匈奴を滅ぼし、長城に攻めこんだのだ……
(以下、六代目放心状態につき割愛)
というわけで、220年10月、史実では後漢が滅んだ年月に統一を果たすことが
できました。
しかし、公約の「300年繁栄エンディング」を迎えることができなかったのは
痛恨であります。
敗因は……何だったのでしょう……
☆予備兵が足かせとなった(正規兵だけならば、基準値をクリアしているはずですが……)。
☆韓玄の行動終了後、武将が余計に兵を雇って(再編成して)しまった。
☆士氏勢力を最後のほうまで残してしまった。
☆劉璋配下が誰一人とて仲間に加わらなかった。
といったところですかね……。
ここまでノーセーブで来たわけではないので、ある程度やりなおしは
きくかと思いますが、この辺で切り上げておきます。
くどくどと長文で、しかも一ヶ月もかけてしまい、お騒がせしました。
飽きずに最後までお付き合いしてくださった皆様、本当に有難うございます。
韓玄 58歳
名声:19752
武力:60(青スの剣で+10=70)
知力:34(孫子の兵法書で+8=42)
政治:24(典論で+5=29)
魅力:22(玉璽込みで100)
武将:155人、全兵力:1717526人(もっとも、この数値は韓玄の行動終了直前
なので、エンディングにきた段階では変動があると思います)
〜六代目韓玄プレイレポート・これにて終了〜
840 :
代打名無し:2001/03/11(日) 02:25
6代目お疲れ様あげ
六代目殿、お疲れ様でした。
ついでに・・・
>>837の
秀忠・ナイトスクープネタの意味もお教え頂けると幸いで・・・。
最後にいらない兵を抱えている将を糧食のない都市に1箇所に集め、
そこで年を越させると楽々兵士が消えてくれたかと。
(数年かかる事もあります)
それはともかく、玉璽を取ると言う発想に至るところや
孔明が扇を始終使っているのが面白かったですよ。
長らくおつかれ様でした。
筆力がしっかりしていた為、とても読みやすかったです。
でもこのスレももう九百が近いんですね。凄い。
ついに統一されたんですね・・(涙)
おめでとうございます!
本当にご苦労さまでした。
統一おめでとうございます。 最後まで力の入った文章、面白く読ませて頂きました。
お疲れ様でした!
845 :
韓浩:2001/03/11(日) 14:38
6代目おめでとうございます。
7代目は是非とも「上級」モードでの統一を目指してほしいですね。
6代目統一おめでとうございます
>>839 多分内政値が足りていないのではないかと・・・
六代目さん、長丁場お疲れさまでしたー。
コソーリ見てただけなのですが、プレイも文章も冴えていて惚れ惚れでした。
848 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/11(日) 23:22
さて、7代目の立候補は?
ついでにage。
>>841 有難うございます!
あれ(
>>837)は、7の劉璋が西田敏行に似ているなあ、と思ったからです
(秀忠=徳川秀忠で、ナイトスクープでは昨年末、上岡龍太郎に代わって局長となりました)。
余興というか、蛇足ですね(^-^;
>>842 なるほど、そういう手がありましたか。
今回は無理でしたが、次回以降300年繁栄を目指すプレイをする場合に活用させて頂きますね。
ともかくも、情報提供から感想まで有難うございます。
リプレイしていて良かったなあって思います。
レス数も多くなってきましたし、7代目さんが登場するときには、
Part2として別スレ立てた方が良いかもしれませんね。
>>843 初代さんから5代目さんまでは長くとも1週間くらいでしたが、
私はひとりで1ヶ月かかりました。本当に長くなってしまいましたね。
ご声援、有難うございました。
>>844 かたじけのうございます!
実況中継はしなかったので臨場感には欠いたかもしれませんが、
ゲーム展開を小説風に仕立て上げようと思い、あのような形となりました。
時間はかかりそうですが、またリプレイできるようになれば
やってみたいと思います。
続きです。
>>845 多謝、であります!
上級は忠誠度や親密度などがマスクデータになるので
その辺を推測(あるいは筆記)しないとなりませんね。
今回のプレイでは控えてしまいましたが。
>>846 有難うございます!
う〜ん、内政値は足りているはずですが……
(以前、孫堅で300年繁栄を迎えたことがありますが、
このときの内政値は、今回のよりも低かったはずです)。
やはり、兵の問題でしょうか。
予備兵も韓玄軍の兵としてカウントされている、のでしょうね……。
>>847 コソーリでも有難き幸せです。
あまり長いので、途中で退屈させてしまうかなあ、と危惧したりもしました。
でも、続けていて良かったです。
私はこのスレで得られたヒントのおかげで、韓玄を統一させることができたと思います。
そういう意味でも、先賢の皆様に感謝してます。
>>848 もしやってみたいという方がいらっしゃいましたら、ぜひ(笑
851 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/13(火) 00:42
7代目に期待あげ
852 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2001/03/13(火) 01:27
その前にスレ移転を期待。
移転は7代目が立候補してからでいいでしょう。
でないと、スレ立てて7代目諌言が現れない可能性も・・・
7代目したいけど、三国志Xしか持ってない・・・。
次は他の武将が見てみたーい
>>854 おお、七代目立候補ですか〜。
7にこだわる必要はないと思いますよ。
三代目さんは6でプレイしてましたし。
857 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/13(火) 15:04
中古屋で三国志7(with PUK)が6,980円だった。買うべきだろうか・・・
すごく欲しいけど、もうすぐ8が発売されるしにゃー
>>857 8が出たらすぐに情報無しで始めたら、面白いかもね。
859 :
館長:2001/03/13(火) 23:27
今ヤフオク見たら2000円ででてたぞ。残り23時間。>857
860 :
館長:2001/03/14(水) 00:38
三国志Zではなく三国志7で検索すべし。
861 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/14(水) 01:56
金旋熱烈キボンヌ。
韓玄7代目出そうな勢いであることだし、
そろそろ新スレに移るというのはどうか?>all
864 :
金旋:2001/03/14(水) 19:17
金旋プレイ記
シナリオ4『臥龍飛翔し赤壁に長江燃ゆ』
制限:鍛錬は実行しない。
文才ないので期待しないでね(笑)
865 :
金旋:2001/03/14(水) 19:23
<<207年>>
冬
金旋「ふむぅ……。何をすればよいか……。
まずは将来の独立に向けて兵士を集め、キョウシを手懐けておくとするか……。
まずは手紙じゃな。キョウシへ……、と。」
金旋「207年は、キョウシが徴兵(もちろん兵はワシに配備じゃ)、
ワシが訓練、残りの行動力ははキョウシ、魏延、黄忠への手紙に使ったわけじゃ。
おかげで親密度は、キョウシ49、魏延49、黄忠25になったぞい。
ふぉっふぉっふぉっ。さて、年明けじゃて……。
巡察をすると、村人が礼記を献上しおった。
なかなか殊勝じゃないか。」
866 :
金旋:2001/03/14(水) 19:24
<<208年>>
春
金旋「ふむ……。1月に伊籍、王威、李厳が移動して来おった。
劉表のやつめ、ワシが信用できんのか、リュウショウに危機感を持っておるのか。
ふむ……。徴兵、訓練、売却、商業を行ったぞい。
シャマカが登用され、武陵に来よったぞ。」
867 :
金旋:2001/03/14(水) 19:30
<<208年>>
春
金旋「ふむ……。1月に伊籍、王威、李厳が移動して来おった。
劉表のやつめ、ワシが信用できんのか、リュウショウに危機感を持っておるのか。
ふむ……。徴兵、訓練、売却、商業を行ったぞい。
シャマカが登用され、武陵に来よったぞ。」
868 :
金旋:2001/03/14(水) 19:34
2重投稿スマソ。
夏
金旋「ふむ。来るべき独立のため、補修をしておかねばな。
まあ、劉表のやつにはリュウショウへの対策とでも報告しておくか。
どうせ病で倒れとるんじゃ。ふぉっふぉっふぉっ。
生産を実行し、弓と鉄甲をワシに装備したぞ。」
869 :
金旋:2001/03/14(水) 19:42
秋
金旋「補修じゃ補修。いつその時が来ても大丈夫なようにな。
鳳雛と噂されておる軍師が劉表めのところに仕官したらしいのう。」
冬
金旋「補修じゃ。一体何回言わせる気じゃ。読んでおる方も飽きが来ようというもの。
しかし、その甲斐あってか、防御は494にまで上昇したようじゃな。」
ちなみにちょっとづつ書き溜めしてます。
870 :
金旋:2001/03/14(水) 19:44
<<209年>>
春
金旋「むむっ!臥龍までもが劉表陣営に加わりおった。
これで劉表の天下統一が成るかもしれんな。
このたび、ワシは三品官に任命されたぞ。はっはっは。
リョウリツが武陵の一員に加わったようじゃな。
諸葛亮に手紙を送っていたら魅力が52に上がりおったわい。」
というか、誰か金旋の性格設定してください^^;
871 :
金旋:2001/03/14(水) 19:46
夏
金旋「李厳が前線の上庸に栄転のようじゃ。
兵を12000も持っていきおったわい。
これはやられたのう……。」
秋
金旋「はっ、金と兵糧が尽きかけておる……。
これはどうするべきか……。困ったのう。
とりあえず脱税するものを減らすため、民心掌握を84に上げたぞい。」
872 :
金旋:2001/03/14(水) 19:50
冬
金旋「やっと待ちわびた時がやってきた。
劉表のやつが死におった。さて、独立させてもらうとするかのう。
ちなみに後継ぎはカイリョウのようじゃ。」
<<<<<独立>>>>>
金旋「はっはっはっ、キョウシとリョウリツがワシと共に立ちあがったわい。
リョウリツは政治が高いので、少しは役立つことであろ。
しかし、武力の最高がワシの45とは情けないものじゃのう……。」
●●独立時ステータス●●
武将3人(金旋、リョウリツ、キョウシ)
城ひとつ(武陵)
金 34
兵糧 832
人口 95700
開発 070/600
商業 059/300
治安 022/100
技術 140/1000
防御 716/1000
兵士 14000
民心掌握 84/100
軍師:リョウリツ
金旋「おい、皆の衆よく聞け。ワシはホウトウ(忠誠89)を登用したぞ!!
見ろ!リョウリツ、キョウシ! これがわしの実力じゃあ!!」
リョウリツ「しかし殿、ホウトウ様はカイリョウ軍上庸太守であったため、
上庸城も殿のものとなりましたが、あの城とは補給線が繋がっておりませぬ……。」
金旋「なんじゃと!!! むぅ……。
くっ……。まあよい。上庸が攻められ、ホウトウが解放されれば済むことじゃ。
リョウリツ「そううまくいきますでしょうか……。」
金旋「ええい、うるさい!! ワシが大丈夫といえば大丈夫なんじゃあ!」
リョウリツ「は、ははっ。(うるさいなあ)」
金旋「カイリョウの奴が攻めて来んか、そればかりが心配じゃったが、
その心配はどうやら杞憂に終わりそうじゃ。
劉備軍とカイリョウ軍が仲間割れしたからのう……。
劉備の奴は襄陽を落とした。しかし、新野は曹操の奴に攻め取られおったわい。
どうじゃ?劉備。挟み撃ちが怖いなら同盟してやってもよいぞ?
ただ、ワシからは行かんがのう。(金がないからというのは秘密)
いつ何時、あやつの軍が潰れても奴の武将を回収できるように、
劉関張の三兄弟と趙雲に手紙を送っておいた。
その後、劉備を訪問すると、魅力が1上がったぞ。
都市の金がないのでワシは大枚金1300(全財産)を年に寄贈した。」
873 :
金旋:2001/03/14(水) 19:52
<<210年>>
春
金旋「住民が反乱を起こしおった!! これ、なんとかせい、ホウトウ!
何?なだめるだけの金も兵糧もないだと!? 誰のせいじゃ、ってワシか。
ヒィィィィィィィィィ!!!!!!」
金旋「将来の武将回収を目的に、
徐庶、馬良、孫乾、カコウエン、キョチョに手紙を送ったぞ。
劉備軍が滅びるのが楽しみじゃて。」
874 :
金旋:2001/03/14(水) 19:55
夏
金旋「劉備めが上庸を攻め落としよった。
しかしホウトウは解放されたぞ。
ほれみろ、リョウリツ、ワシの言った通りではないか!!」
リョウリツ「は、殿の先見の明、ただただ、感服するのみでございます。(マグレだろ……)」
ホウトウ「曹操配下の馬良殿を引きぬきましたぞ!」
リョウリツ「カイリョウ配下のケイドウエイ殿を引きぬきました!」
キョウシ「カイリョウ配下の伊籍殿を引きぬきましたぞ!」
金旋「よくやった! ではワシも、シャマカ殿を引きぬくぞ!」
シャマカ「無理。」
金旋「ブフゥ。」
875 :
金旋:2001/03/14(水) 19:58
秋
金旋「劉備軍が滅びたぞ。髯殿は忠誠75で曹操軍にいるようじゃな。
どうにかお連れ申し上げることができぬものか……。」
伊籍「曹操軍の関羽殿をわが陣営にお連れしました!!」
金旋「マジで!?」
ホウトウ「殿!キャラ変わってますよ!」
金旋「うおっほん。それは本当か!?」
伊籍「はい、今しがた。」
金旋「でかしたぞ!! 引きぬかれぬよう、俸禄を上げておくか……。」
馬良「曹操軍のシャマカ殿をわが軍に引きいれました!」
ホウトウ「私なんか徐庶殿をお連れしましたぞ!!」
リョウリツ「それがしは李厳殿を!!」
ケイドウエイ「黄忠殿をお連れしました!」
一同「お前がか!?」
ケイドウエイ「先に誉めてくださいよ……。」
黄忠「(立場なし)」
金旋「祭りを中止させ、兵糧(6855)を供出させたぞ。
変な爺から漆塗りの鼎を貰った。なんでも、畑から出てきたんだと……。」
>>軍再編成
関羽14000
ホウトウ11500
876 :
金旋:2001/03/14(水) 20:03
冬
金旋「なんと!リュウショウの奴が攻めてきおった!!
相手は武将4人(張任、厳顔、呉蘭、コウハイ)の計53000。
どうすればよいのじゃ! 軍師殿!!」
ホウトウ「殿、ご安心ください。我らが武陵城の防御は700オーバー。
ターン稼ぎ迎撃&篭城策を採りましょう。
何しろ関羽殿は無双の士。包囲攻撃は効きませぬ。
どうぞそれがしにお任せを……。」
金旋「そうか……、ならよいのだが……。」
<戦場>
ホウトウ「関羽殿! さあ、呉蘭、張任は混乱しております!
今のうちに一騎討ちをお申し込みなされ!」
関羽「ホウトウ殿も策士よのう……。相手が混乱しているうちに一騎討ちを申し込めとは……。
このような戦いは不本意ではあるが、軍師殿のご命令だ。
おい!呉蘭!張任!その首置いていけ!!」
○関羽vs呉蘭×
○関羽vs張任
かくして一騎討ちにて呉蘭、張任共に敗北。
厳顔は関羽とホウトウの包囲攻撃にて捕縛、
逃走を試みたコウハイもホウトウに追いつかれ捕縛される。
877 :
金旋:2001/03/14(水) 20:04
>>戦後処理
■捕虜の処分
張任:斬首
呉蘭:斬首
コウハイ:斬首
厳顔:解放
■残兵、敗残兵処理(計51208)
関羽14000
黄忠14000
ホウトウ14000
徐庶9208
徐庶がオウサンを登用。
金旋「キョウシ、リョウリツ、ケイドウエイ、お前たちを解雇する!」
キョウシ「殿!?」
金旋「旗揚げからワシについてきてくれたのは感謝する。
しかし、財政難なんじゃ。すまぬ。わかってくれ……。」
キョウシ「この屈辱、いつか晴らしてくれよう!!」
ケイドウエイ「殿!せめて私の言い分も!」
リョウリツ「またどこかでお会いしとうござりまする……。」
金旋「すまぬ……。ほろり。(キョウシ以外)」
金旋殿、ご武運をお祈り致します。
ただ、このままだとレスが900・1000を越える恐れがあります。
プレイレポートの途中で申し訳ありませんが、
>>863さんのご指摘通り、新スレを立てるべきかと思います。
ちょっと様子見sage。
新スレ立てるときは
「三國志リプレイスレ…ワシ、韓玄だけど。-Part2-」
みたいな、リプレイ総合スレっぽいタイトルでお願いします…。
ついでに一言。基本的にsageでやってね。がんばって。>金旋殿
韓玄、趙範、そして金旋・・・。
もうすぐ、弱小荊州4太守すべてのリプレイが揃いそうですな。
金旋は、韓玄よりも圧倒的に寿命が短いので短期決戦しかないですよ。
リプレイスレは武将ごとに分けた方がよくないか?
三国志8がでたら7代目@韓玄が出てくるかもしれないし。
金旋は別スレにして応援すればいいと思うんだけど・・。
そうですねえ……。
このスレ、タイトルに「韓玄」とつけられているので
韓玄に絞った方がいいのかもしれませんが、
現在金旋殿がプレイしていることを考えると
>>879さんのように「リプレイ総合スレ」という形がいいかもしれません。
リプレイスレが乱立するのも何ですし
(2つくらいなら問題ないかもしれませんが)。
■■■次なるリプレイスレの提案■■■
「三国志」と「戦国時代」に二分する。
で、「三国志」では韓玄はもう飽きたって奴もいるだろうから、
次みたいな3つのローカルルールを作る。
・単なる天下統一リプレイではなく、
弱小君主でやるとか、演出に気を配るとかするのが望ましい。
・応援ageは1日に1回程度が望ましい。
・リプレイ中、語り部はハンドルを選択武将の名前にする。
どうよ?
>>835 どうよじゃなくて、そういう提案も新スレに行ってやってください。
こっちは終了って事で。
すいません。上の奴
>>885の間違い。
終了と書いたレスが間違いなのは、カッコがつかない・・・
これでsage忘れたら、もう大爆笑。
888 :
かずま:2001/03/29(木) 20:11
数人の意見でここは強制終了されてしまいました。
891 :
無名武将@お腹せっぷく:
ワシで全国制覇した人ここにいる?