正史準拠でよろしくね
【統率チェックポイント】
統率について言及。「統率」とは組織を纏めあげ、強固にする力。また、そのために組織を改編し、造り上げる能力。
【武力チェックポイント】
武力について言及。「武力」とは戦術・戦域級での戦闘指揮能力。
【知力チェックポイント】
知力について言及。「知力」とは問題への正しい理解・判断能力。先見の明。戦略眼。意志力。
【政治チェックポイント】
政治について言及。「政治」とは己の描いた方策を実現する能力。内政、外交、謀略の能力。
【魅力チェックポイント】
魅力について言及。「魅力」とは利害抜きで人を引きつける力。人望。
能力値は基本上記でいくが応用変更も可
不毛な争いは不可
前スレ
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1362320237/
2get
前スレはインフラ君大発狂だったな。
結局、劉巴のエピソードをトンでも解釈して
「蜀は経済回す事を目的にして貨幣発行してない!」とか主張して
あっさり指摘されて前スレは終了してたけど、今スレでも出てくるかな
前スレ
>>996 「100銭を鋳造して物価を平らにして、その後で官営の市場を作って商売すれば
大きな利益を得られるでしょう」
とは書いてないよ
「易耳,但當鑄直百錢,平諸物賈,令吏為官市。」
物価を平らかにするのと官市立てる事に前後関係はなく同時にやれって言ってんだけど?
高額貨幣の新規発行で単にばら撒くわけにも、両替するわけにも行かない
だから市立ててそこで使う銭が直百銭になるって話なんだけどなー
てか君、貨幣の頒布方法全く考えてなかったでしょ
インフラ君の前スレの主張
994 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/16(火) 21:39:48.00
>>993 劉巴のことわかってるのにどうしてそこで結論間違えるんだよ・・・
劉巴のは高額貨幣を市で流通させることで発行差益をせしめてる例だぞ
995 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/16(火) 21:45:50.86
Q 宝物がなくなってしまったがどうすればいいか?
A 市を開く。そこで使う銭は直百銭として一枚で百枚分の価値があると設定する。
結果、数ヶ月で取り戻せた
という話を「経済回して利益を得た」と勘違いしたらダメダメ
>>5 だから市を立ててそこで使う銭を直百とするって文章だぞ
漢文読めないの?
インフラ君のそもそもの主張
988 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/16(火) 19:55:50.75
>>987 蜀はそもそも経済を回す事を目的に貨幣発行してない
>>7 府庫が空になったのをどうするかという事の解決策で
貨幣発行差益で蔵を埋めてるから当然だね
経済回すためではない
「貨幣の中国古代史」の引用すら無理だもんな
どういう頭していたら、こんな理屈ひねりだせるのか
インフラ君の主張のそもそもの主張は
「蜀はそもそも経済を回す事を目的に貨幣発行してない」
これの整合性を取る為に
>>5で紹介されている、劉巴の事例をあげている。
仮に劉巴の事例を発行差益と仮定する(ありえないと思うが)
その上で「蜀はそもそも経済を回す事を目的に貨幣発行してない」を
真実とするならば、蜀はほぼ全ての期間において
貨幣発行を繰り返して発行差益をせしめる必要がある。
しかし、そんな事実は当然ながら存在しない。そもそも発行された貨幣は
結局のところ、そのまま定着して使われ続けるわけで。
毎年のように新しい貨幣を作って発行差益をせしめようとしない限り、
結局はただの貨幣として使われ、それは貨幣経済を回す為に活用される。
よって、「蜀が経済を回す事を目的に貨幣発行してない」と
主張するのは明らかに無理がある。
>>9 それを引用して自分で出す結論が董卓五銖に市場の銭は入れ替わってたとか
絶対数が違いすぎてそんなもん入れ替わらないという事にも気付かないようじゃ宝の持ち腐れ
論語読みの論語知らずの体現者だね
>>8 あのね…インフラ君。
君はすごく勘違いしてるよ。
>>10で書かれてるようにね、一回発行された貨幣というのは
結局は定着して活用され続けるわけよ。
だから君が「蜀が経済を回す為に貨幣発行してない!
発行差益をせしめるのが目的なんだ!」とするなら、
劉巴の事例一回だけでは無理で、
蜀が毎年のように新しい高額貨幣を発行し続けている必要があるんだよ。
でも、そんな事実は当然の事ながらないんだよ。
一回新しい貨幣を鋳造して発行差益が入ったとしても
それは一回だけの事であって、後は普通の貨幣として使われるようになるわけで
そうなると、その貨幣は貨幣経済を回すために活用されるわけ。わかった?
>>11 少なくとも、滅茶苦茶な論旨で自分のプライドを守る為に
史実捻じ曲げまで平気でやる人間には、誰もそんなこと言われたくないと思う
>>10 そもそも蜀は発行差益をせしめるために貨幣を発行していたということは事実
経済回す事を主眼にした貨幣発行は記録にないぞ
>>13 史実は一切曲げてないが?
たまに筆が滑って多少過激な事も書くけどむしろ史実は最大限尊重してる
>>14 お前の妄想で語られても困るわけよ。
「発行差益をせしめる為に貨幣発行してた」という記録はないぞ。
単にお前の妄想解釈以外にはないわけで。
この劉巴の事例は、三国志関連の研究者は普通に
「物価平らかにして、経済回して、官営の市作って商売して利益得た」
と解釈してるわけで。そもそも
>>4で得意げになってるけど
全然筋が通ってないから。
>>15 いや、曲がってるだろ。
間違ってる事や曲がってる事を指摘されたら、
自分で曲解して、主張を変えて誤魔かして、自分が論破されてる事を認めたく
なくて躍起になってるだけ。
前スレのケ艾の状況とかも、何度主張を2転3転させたと思ってんだよ。
そもそもお前の言うような貨幣問題で蜀が国家崩壊、とか誰も言ってないし、
史書にもないし。これで史実尊重してるとか、馬鹿も休み休み言えよ。
>>12 じゃ、君の主張通り経済を回すために銭を発行したとする記録を出したまえよ
蜀の銭発行でもって動機が語られてるのなんてこれっきりだぞ
判明している目的は府庫が空になったところで市場を開いて
そこで高額貨幣を流通させて元を取る発行差益に関するものだよ
その結果、発行された銭で経済が回るのは勝手にすれば?って感じ
>>16 国庫が空になった時にそれを埋める手段で高額貨幣の発行
それを流通させることで国庫を充実させる
これを貨幣発行差益で儲けた例というんだよ
経済を回したので国庫が豊かになったって?
じゃあどういう理屈で潤ったと言うんだ?
>>17 曲がってると言うだけなら小学生でも出来るからさ
具体的にどこが曲がってるのか言ってみろよ
兵が少ない?数万人減ったらそりゃ少ないさ
だがケ艾は姜維と寡兵で戦ったという記録はないぞ
詔勅でも少ない兵で姜維を破ったとか書いてないし本文にも記録なし
史実を曲げてるのはお前だろ?
>>4 あのね、そんな解釈誰もしてないから。
君の妄想通りに「文章一列ならば同時進行」という考えでいくと
100銭貨幣鋳造、物価平均、官営市場創設、というのは同時進行する事になる。
銭が鋳造されるまで、他の事柄をどうすんの?
100銭使う事が目的なら、それができるまでは他の事できないし、
100銭を作ったって物価を安定させないと市場作ったってしょうがないから、
必然的に自然な流れとして、貨幣鋳造して、その後に物価を安定させて、
その上で官営市場を創設して使用する、という流れになるわけよ。
ここら辺の整合性とか、因果関係とか考えた事なかったろ。
>>19 ケ艾本人が「軍は破られ、将は殺され、倉は空虚で、百姓は流離し、
まさに存亡の危機だ!しかも、蜀軍は上下共に手慣れて装備も整った精鋭、
こっちは将兵共に経験不足の新しいので、器具の修復もろくに終わってない。」
というくらいに存亡の危機だと、お前の妄想じゃなくて、
ケ艾本人が言ってんですが。いい加減にケ艾の英断を否定して
お前の妄想を優先させるのやめろよ。戦ったのはお前じゃなくてケ艾なんだから。
>>20 同時並行でやれよ
貨幣の大量発行にも時間掛かるけど市立てるのだって人集め、物集め
それから区割り、監督役、巡察の手配、いくらだってやる事あるんだよ?
物価だって急激に平準化したら民政混乱するだろうが
ゲーム脳なのか単に配慮ないのか知らないけど
人間に対して掛かる時間ってもんを無視し過ぎだ
>>21 あれ?それのどこに兵士不足って書いてあるの?
新兵ばっかりだ、とは書いてあるが数が足りないって重要なところ抜けてないか?
>>18 だから、その記述では、お前の妄想通りに「発行差益が目的だ!」と
断言してる記述は無いんだよ。それを前提にして語られても困るわけ。
というか、この記述に関して解釈した人間で発行差益が目的とか
いってる研究者とかまずいないから。
普通に「新しい貨幣を発行して、物価を安定させて、その上で官で市場を作って
商売すれば大きな利益を得られる」と解釈してるから。
って感じ、とかお前の妄想で断定されてもこっちはチラシの裏にでも書いてれば?って感じ
国家運営をお前みたいな適当でやる人間とか普通はいないから。
物価を安定させ、大々的に安全に商売ができる場所を構築し、
そこに人を呼び込んで取引を推奨すれば、多くの人や物が動き、それによって
税収が入るわけよ。管仲と同じ理屈だよ。生活を安定させてやり、
その上で商売を大々的にできる場所を作って、大きく商売させれば、
人や物が動いて手に入る税収や利益は大きくなる。「儲ける為にはまず与える事、
そしてそこから取る事」という経済政策の基本なんですが…。
お前ってこの程度の理屈を知らないで、経済語ろうとか本当に馬鹿丸出しって感じ。
>>23 器具の修復もろくに終わってない事と、
敗戦の衝撃で虚弱状態な事もちゃんと抑えておきなね。
んで、その後にこう続くわけね。
「このような状態で専守防衛とかしようとすれば、
我々は狄道、隴西、南安、祁山の4つに兵力を分散させなければならない、
それを蜀軍にまとまって攻撃されたら不利だ、おそらく蜀軍は祁山の麦を
欲しがるだろうから、それが餌にして迎撃する。」
ケ艾さん曰く、今回は引き籠り戦法できない位に防衛戦力ガタガタだそうです。
防衛戦ですら不利な程に兵力足りない状態になってるってわかる?
>>24 貨幣を発行して額面価格とその実際の価値の差で儲けを得ることを貨幣発行差益といいます
「直百の銭を作る」「それを市で流通させて利益を得る」
この手順を踏んでいるのはまさに貨幣発行差益ですね?
劉巴さんは「高額貨幣を作れ」と仰っています
まさに貨幣発行差益を目的としていますね
反論があるならば経済モデルでどのように稼いでいるか
ちゃんと示してくださいよ?
さもなくばただの妄想ですよ
官市で商売すれば普通に儲かる?何年単位の話してんですか?
数ヶ月で空の国庫を一杯にするという結果出した政策ですよ?
商売で儲けようとしたら阿漕な事でもしないと無理じゃないですかね?
この時の蜀の国庫って関張他を筆頭に功臣に恐ろしい勢いでばら撒いてて
記録に残る限りでも金銀と銭、錦他の資産を大量に放出してますよ
分捕り自由にもしてましたね
これで普通に儲けて数ヶ月で国庫一杯になりますか?
君の主張が正しければ蜀は商売だけで税収不要になりますね
素晴らしいですね
>>25 そりゃ数万人が抜け落ちたら足りないと感じるだろうね
しかしケ艾は寡兵ではなかったということだね
集めたら不利じゃないって自分でも認めちゃってるんじゃん
>>22 やれねーよ。
お前の論旨だったらできない、と言ってるんだよ。
お前の論旨だと銭を市場で配ってそれで使わせて
発行差益とるんだろ?物価安定とか市場創設とか物がなけりゃしょうがないだろ。
ていうか、お前の妄想論旨ですら、「急激に物価平均をやったら混乱する」
という話になってるようだから、銭を鋳造しても急激に物価平均は無理って
事になっちまう。そして、人集めとか物集めとか、区割りとか、
官営市場創設、というのをどうにも誤解してるようだけど、
場所だけ作ったってしょうがないんだよ。物価も安定してない状態で
市場に一番必要な商人とか客となる購買層とかが来ても大した利益に
ならないんだから、結局官営市場が使えるようになるのは、
この手順でいうところの一番最後。つまりお前がいう所の同時並行で進めても
結局自然な流れとして、1.貨幣鋳造、2.物価安定、3.官営市場創設して市開催、
という流れにならざるを得ない。というか、まず第一にお前の妄想では
「文章一列なら同時並行」となってるので、鋳造途中で物価安定途中で市場開催、とかいう
わけわからん状態になるだろうが。そうやってころころ変えるなと何度も言われてるだろ。
この程度の事すらわからんで同時並行とかいってて、お前は本当にゲームすら
ろくにできるのか疑問な感じだよ。
>>27 防衛戦無理、というのを兵力足りないとは普通言いません。
普通は城とか陣地って寡兵で守れるように作られるわけで。
今回はそれすら無理だってケ艾がいってんだけど。
というか、これだけケ艾が「存亡の危機だ」とこれでもかと絶望的な状況を
説明してるのに、お前は一体何をいってんだ?
>>26 全然目的としてません。そんな解釈してるのお前だけです。
お前が都合よくすっとばしてる真ん中に「物価を平らかにして」と
あるので、普通に読めば劉巴の目的が貨幣鋳造して、物価安定させて、
その状態をもとにして市場作って商売して利益出す事だとわかります。
ちゃんと示したろ。というか、文章解釈滅茶苦茶で妄想で断言してる人間が
一体何を言ってるのかと。いい加減、劉巴の政策を通貨発行差益とか
まともに示してる記述なり論証なりだしてほしいんですが。
何年かかるかも何も、それだけ劇的な効果があった。
って事だろ。この「官市」というのを。「蜀が官吏によって市場を作らせ、
そこで大々的に商売して利益出した」という国家組織による商売組織だと
解釈してる人もいるわけで。ぶっちゃけ、お前の妄想よりは
はるかにこっちの方がなっとくいくわけで。
阿漕な事になってんのはお前の妄想世界だけ。
というか、功臣に与えたものってぶっちゃけた話、国家規模からいえば
「恐ろしい勢い」とまでいえんでしょ。
「普通」というのがどういう解釈かは知らんけど、それまで物価が安定してなかったのを
安定させて、大々的に商売できる場所作って商売したんだから
それまでと比べてかなり儲かるだろ。
その商売によって発生した額が蜀の税収になるんだってどうしてもわかんないのね。
本当に妄想世界の発行差益だけにしか論理がまわらないのね。
>>30 「(これだけ我らが苦しい状況で)我らが守ろうとすれば、
我らは兵を4つに分けなければならず、敵は一つにまとまって攻撃できる」
これを不利な点だとケ艾自身が言ってるだろ。
無理じゃないなら、わざわざ理由にあげる意味ないし。
>>28 物価安定をどうやって漢王朝でやってたか知らんからそういうことになるんだな・・・
「平諸物賈」ってどうやると思ってた?
物価安定のための当時の政策は政府が買い上げて
一律の値段になるように民間に卸すって類の介入だぞ?
法制度としての平準法は前漢で廃止されてるからこの場合は制度化されてない一時の政策ってことだ
>>33 平準法は「物価が下落した時に買い占めて物価が高騰した時に売り出す」だろ
そもそもこれが使われた形跡も記述も無いぞ
仮にこれをやったとしてもこれをやる方がはるかに鋳造貨幣作るよりも時間がかかるから
手順としては結局1.貨幣鋳造、2.物価平均、3.官営市場による開催となる
自分で自爆してどうすんだよ。
というか、
>>34の者だけど、そろそろ寝ます。仕事あるんで。またねー。
>>32 最も勝算の高い方法は集合しての反撃が
それと比較して守る方が難しいという文章であって
「防衛が無理である」とはどこにも書いてない
数万人も抜けたら人数も足りなくなるのはわかるが
ここで大事なことは集合したらケ艾ってあんま劣勢じゃないんじゃないの?ということ
集めたら比較して寡兵とならないだけの軍が手元にあったってことだろ?
数万の被害与えてもそれでも組織が維持できる、さらに決戦できるだけの軍勢があるのに
どうしてこれで大敗一回で揺らいだ!なんて言えるのか
そんな大勝利なんてそうそう起こらない
連続して起こるならその指揮官は天才過ぎだから歴史も変わってただろうね
>>34 だから介入策だって言ってんだろ
どうやって大銭使って物価安定させると思ってんだ?
方法無視して「大銭で価格安定ンギモチイイイイイ」とか思ってない?
いきなり百枚相当の銭です、これが百枚です、なんて新政府に言われて物価安定しちゃうと思う?
「商売普通にやってれば国庫一杯になる」なんて言う奴だから仕方ないけど
ちょっと方法論を無視し過ぎでしょ
書き忘れた
痕跡ないって言ってるけど「平諸物賈」とモロに介入しろって書いてあるからね
それを官市でやる話だよ
39 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/17(水) 00:33:38.72
あ、
>>11で俺まで叩かれている
どこまでも噛みつくな
どうせ、蜀の評価を下げることだけが目的のとんまなんだろうが
「貨幣の中国古代史」では、
後漢の貨幣である五銖は、すでに後漢時代に銭は相当に死蔵され、布が貨幣として出回っている状況であった。
しかも銭の流通は洛陽、それも政府と富豪に集中していたとある。
一時的とはいえ、銭に代わり布が貨幣として政府に認められたこともあった。
その後、後期にいたっては銭は削られて、薄くされ、勝手に鋳られて、悪銭が増えていた。
このため、良銭は市場に流通せず、さらに富豪によって死蔵されることになった。
さらに、末期に至ると売官を行った政府や宦官、富豪によって銭がさらに蓄積され、洛陽に集中することになった。
この後、董卓によって、政府はもちろん、富豪のものも含めて洛陽中の銅や五銖が集められ、
鋳つぶされ、董卓小銭が生まれインフレが起きたとある。
すなわち、洛陽に異様なまでに集中していた五銖は、董卓によってほとんどが鋳つぶされ、
残った隠された五銖や地方豪族などが持っていた五銖も流通に値するほどの量はなかったであろう。
銅の価値としてあるため、墓などで見つかるだけ。
董卓小銭が信用がないため、実際は、布や穀物が貨幣になっていたわけ。
それで不便さなどが問題になっていたわけだ。
そうでなくては、曹操が新しい五銖にとりかかるわけがない。
>>39 董卓が銭発行したのは長安行ってから
長安に行く前に洛陽にある金品を集めたというのは史実だから
洛陽中のものが集められたというのはあながち間違いじゃないけど
銅像の銅まで集めて鋳潰すのは長安行ってから
だから始皇帝の銅人が鋳潰されるわけでね
あと商売の中心地は洛陽のみならず南陽もあった
それほど大規模でなくとも地方各地にそれぞれ商業の盛んな地はある
洛陽に異様なまでに集中していた、というのは間違い
董卓一人でそんなに銭集めたら董卓五銖によるハイパーインフレの前に
市場の銭がまるでなくなって商業そのものに支障を来たすよ
洛陽から銭集めて銅人鋳溶かして小銭作るまでの1年、商売やってなかったとでも言うのか?
元々後漢は慢性的なインフレ
インフレに拍車を掛けるのが金持ちの良貨退蔵
市場には悪貨が蔓延ってインフレ傾向がますます強くなった
さらに災害、戦乱等によって人口減少、生産減少が重なりインフレ加速
董卓の酷い銭は確かに止めは刺したけど
>董卓小銭が生まれインフレが起きた
というのは間違い
元々悪性インフレ傾向だよ
>>40 >董卓が銭発行したのは長安行ってから
>銅像の銅まで集めて鋳潰すのは長安行ってから
それは、ちゃんと長安に運ばれてからとあるな
ここでは常識だろうし、特筆することではないと思って省略したが、
誤解を生んだとしたら悪かったな
>あと商売の中心地は洛陽のみならず南陽もあった
>それほど大規模でなくとも地方各地にそれぞれ商業の盛んな地はある
>洛陽に異様なまでに集中していた、というのは間違い
だから、悪銭や布による経済が洛陽以外ではなりかったいたんだろ
>市場の銭がまるでなくなって商業そのものに支障を来たすよ
十分支障を来したからあのような問題が起こったのだろうな
董卓としてはそれでも一時的な利益が欲しかっただろうよ
そんなことさえ、考えてもなかったかもしれんが
>洛陽から銭集めて銅人鋳溶かして小銭作るまでの1年、商売やってなかったとでも言うのか?
布や穀物、ただの物々交換でなんとかやりくりしたから、商売自体は少しはなりたったんだろ
あなたが何者か知らないが、俺が言っているんじゃなくて学説だからな
軽々しく間違いなんて言う人間は信用できんね
43 :
42:2013/04/17(水) 00:59:46.79
>>42 ×洛陽以外ではなりかったいたんだろ
○洛陽以外ではなりたっていたんだろ
すまん
>>41 >董卓の酷い銭は確かに止めは刺したけど
>>董卓小銭が生まれインフレが起きた
>というのは間違い
>元々悪性インフレ傾向だよ
それは元々、物価高騰が起きているのはちゃんと記載されてあるな
「さらなる」インフレが起きたというべきであったな
悪かった
>>42 南陽のが商売の都と化しててたった一郡で一州に匹敵する人口を抱えてた
後漢書見れば首都圏である司隷が全体で人口300万
洛陽のある河南尹が100万、南陽郡は一郡で240万でまさに別格
しかもここは交通の要衝でもあって経済が盛り上がる要素は大いに持ってる
殊更、条件がない限りは経済規模は都市規模に比例する
洛陽だけが特別、とするなら何らかの証明が必要だけど
その本そのことについて全く触れてないでしょ?
洛陽で成り立つような市場が南陽で成り立たないと主張することは出来ない
いくら学説でもおかしいもんはおかしいよ
人口で言うと同等と言える郡は汝南の210万
100万超えの郡は他にもあるが郡自体が広大で人口が密集してないところが多いね
あ、洛陽は一都市で南陽は一郡だから比較の書き方おかしかったね
河南で成り立つものが南陽で成り立たないのはおかしいよ
インフラ君は本当に毎日深夜の2時とか2時半とかまで
よく粘着できるもんだなww
普通は仕事とかあるから、どうしても粘着できる時間に
限界が存在するはずなのに、お暇そうでなによりだなww
>>36 おいおい、普通は「攻者三倍」というように防衛側が圧倒的に有利。
これで野戦の方が防衛よりも勝算が高い、となる時点で
どれだけ圧倒的に不利な状況かわかるだろ。
ケ艾本人が「まさに存亡の危機だ!」といってるのにか?
「敵は勝利の勢いあって我らは虚弱状態!」「敵は精鋭、こちらは新兵ばっかで
器具の修理もろくにおわってない!」「防衛しても敵にまとまってこられたら不利!」
とか散々言ってるのに、劣勢じゃないとか、明らかにお前の妄想でしかないから。
ぶっちゃけた話、お前の妄想と願望よりは実際に戦ったケ艾の発言の方が
遥かに納得いくわ。
>>37 仮にこの方法を使ったなら、それこそお前が言うような「数か月で物価安定」
というのは無理だと思うけどな。
俺はそんなこといってないけどな。
それまで物価が安定してなかったのを、物価を安定させ、
そこから大々的に安定して商売できるところを作って商売させれば
それまでよりは明らかに利益が見込める、という話でしかない。
というか、これはただ単に古代から使われてる経済政策であって
特に奇とするもんじゃないわけよ。
歴史的に見ても、大抵の優れた為政者は恒久的な利益を獲得する為に
そうやって安定した収入源をつくる事を狙うわけで
逆にお前のいうような発行差益でどうたら、なんて歴史上の優れた為政者が
やってるケースはほとんど知らんし。
>>38 介入しろなんて書いてないぞ。ただ単に物価を平らにしろ、としか言ってない。
>>45 >>46 お前さ〜
横から悪いけど、自分に都合の悪い所は平気で学説も記述も無視して
そのくせ自分の根拠は妄想と願望とかいい加減にしてくれよ。
そうやって自分に都合のいい妄想根拠だけで構築してりゃ
さぞ都合いい世界が構築されるんだろうけど、お前の妄想と違って
史実では結局のところ、お前が言うような「蜀が貨幣衰退で国家崩壊」もないし
「発行差益を得る為に常に新しい貨幣を発行し続けた」なんて事実もないから。
妄想と願望で書くのやめろって。
>>47 劣勢じゃないなんて誰も言ってないんだが
数万人も穴を開けたらそれ以前よりは不利になるのは当然
その上でケ艾は寡兵で姜維と戦った根拠を出せと言ってる
寡兵で戦ったのなら本文や詔勅で一言触れてもいいのに全く触れてないのは何故だ?
数の上での話しをしてるんだよ?
脳内フィルターとかいらないからね
>>47 > 敵は精鋭、こちらは新兵ばっかで
「新兵ばっかで」ってことは失った兵を補充したんじゃないの?
数は十分ではないにしろそれなりに揃えられたが質は…ってことで。
まあ、その補充にインフラ整備がどれくらい寄与したのかわからんけど。
>>48 そういうならお前はどうやって儲かったのかモデル出せよ
どういう形なの?
商売盛んにしたらそれくらい政府が儲かるってのはありえないぞ
それで国庫が満ちるなら無税国家にして商売やればいいってことになるが
劉備たちが無税にしたなんて証拠はどこにもない
あと介入するから官市なんだよ
介入しないなら孫権と一緒で銅供出させて銭作って配ればいい
まあ結局物価安定はしたのかしないのかわからずじまいだし
仮に安定したとしても国庫が一杯になったのと同時期なのか確認しようがないけどな
>>51 新兵で穴埋めしないといけない状態だったのに
その数年後にはもう最低でも6万の軍が蜀攻めに参加するほどの軍に回復してるんだ
魏の国力は凄まじいな
>>53 国力の前にはインフラ整備の効果なんて限定的だったとしか思えんな。
一部のコミュ障同士の罵りあい見ててもつまらんのだが誰の能力決めてんだ?
勝手に蜀豊が持論を唱えてるだけ
スレの趣旨とは関係ナシに…
57 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/17(水) 11:59:25.61
諸葛亮>>>司馬懿はわかったけど、例えば95、90で5の差くらいじゃゲームではあんまり影響でないですよね10くらい差がでないと
100に近いほど差は大きめにして、下位ほど微差(能力より回りの影響のほうが大きそうだし、運悪く実力出しきれなかった人とかいそうだし)のほうが良くないですか
ちなみに100と1って誰になるんですかね?
1はもちろん三國志の登場人物中で最下位で人としての能力が1って訳ではないですよね?
一般人が30ぐらいだろ。
それとも相対評価なのか?
実質70の間に数百人だと差が少なくてゲーム的に面白くないなと思って聞いたまでです
多分一般人(現代人or士たいふ層の一般人)30で作ってるんでしょうね
>>54 後漢盛期にさえ人口40万そこそこだった涼州の西半分で
最低でも6万も養えるようになってる異常さに気付いた方がいい
国力いくらあってもそんな場所でそれだけの兵を養えるのは異常
インフラ整備の効果は限定的どころか戦略を動かす程だよ
淫婦裸
オフラの親戚
>>61 お前馬鹿か?
既に魏の領域でなかった涼州連合の時代から
馬超・韓遂連合が10数万を超える兵力出してるよ
涼州連合が仮に涼州全域を支配してたとしても、その半分で考えれば
だいたい5万から6万に近い数字に落ち着く。
この兵力を見る限り、お前の言ってるインフラなんぞの影響力なんか
ほとんどなかったと見ていいレベルだろ
>>50 だから実際にケ艾自身が言ってるだろ。
「防衛戦ですら無理だ」と。
寡兵で守る事が前提の陣地とか城とかでも
今回は蜀軍に攻めてこられたら防ぐことが無理、と
はっきり言ってんだよ。
今回は引き籠り戦法すら無理だ、とか言ってる時点で
どれだけのもんだかわかるだろ。
ていうか、いい加減にケ艾自身が「存亡の危機だ!」と
言ってる事実を無視して劣勢じゃないとか言われても、
劣勢じゃなかった、という記述を出せとしか言えんな。
毎度毎度、自分では一回もろくな根拠だしてないから
さっさとしてもらおうか。こっちは何回も出してるってのに。
>>51 あくまでそれなり、のレベルだろ?
そんで、質に疑問があるなら普通は防衛戦に、となるのがセオリーなのに
今回はそれでも不利、存亡の危機、とケ艾が言ってる時点で
どう考えても魏の戦力はボロボロ状態だったとしか見れない。
>>52 経済モデルとか、何を聞きたいんだよ。
そもそも正史の記述自体が限定的だってのに。
少なくとも管仲の事例は示したけどな。
少なくとも、お前の妄想してるような発行差益なんて
どこにもないから。
ていうか、一度も具体的な事例示したことのない馬鹿が笑わせるなとしか
いえんわ。
んで、商売盛んにして無税国家にしてどうすんだよ。
商売盛んにして経済規模を大きくしてそこから税金を取る事で大きな利益、
となるのが普通なのに、なんで無税とかいう話になるんだか。
とりあえず、発行差益がどうたらいうなら、それに該当する記述出せ。
普通の研究者はそんな解釈してないから。
何度もいうが、そんな記述はどこにもない。あるのはただ「官吏に命じて
市場を作らせる」それだけ。介入するとか言ってない。ああ、脳内フィルターとか
いらないからな。
>>53 結局インフラ関係ないって話で終了なわけだな。
>>56 今必死で持論を唱えてるのはインフラ君だろ?
こいつによると、何やら「蜀の貨幣が衰退すると国家は崩壊」するらしく
「だったら国家保証して貨幣発行しておらず、蜀とか呉から銭を融通して
もらってる魏はダメダメだろ。」と言われて窮した挙句
「蜀はそもそも経済回す為に貨幣発行してない!」とか発狂して
劉巴の事例を曲解するのに躍起になってるのが現在の状態。
インフラ君は深夜の2時4分まで書き込みしてたようだけど、
6時35分に反論のレスがあったら、
すぐさま6時41分から7時4分までレスしてる…。
マジでこいついつ寝てるんだよ。
>>61で14時58分にレスしてるから、7時4分のレスした後に寝て
14時過ぎになって起きてきたんだろうか。
だとしたらなんというすさんだ生活。
煮糸は暇なので妄想が膨らむのじゃ
インフラ君
統率5
コミュ障で仲間がいない
武力15
排除したいのにそれなりにしぶとい
知力10
独自理論ごり押しする意志力は立派
政治力0
ニートには期待できない魅力10
相手にしてる奴がいるからそれなりにあるのだろう
いちいち気に入らない奴に全レスがキモッ
暫らく姿を現さなかった蜀豊
最近復帰して狂った発言してるが、会社クビになった腹癒せか?
>>63 馬超、韓遂は異民族と手を組んでやっとその数なんだけど
ケ艾たちって何時そうしたのだろうね
>>64 無理とははっきりは言ってないよ
もう一回文章読み返してみな
それに分散するのは不利だけど分散しなければ勝てる数いたってことだろ
分散しない場合、姜維と当たって寡兵ではない程度の数がいたという
魏軍に数万人の被害があって尚それだけの戦力がある時点で蜀の方が無理ゲー
>>66 商売で元が取れるなら税金は取らなくても十分やっていけるだろ
実際、魏では他の方法で税収を上げる事が出来たので
一般人に対して減税や免税を行うことがあった
蜀で商売盛んにして数ヶ月で国庫を埋めた、というのであれば
どのような形で収益を上げたかモデル化してみろって言ってるんだが?
蜀は金銭だけでも数億銭相当のものが国庫にあったのが記録に残ってる
これに相当する額を数ヶ月で補填した形をお前は示さないといけない
>物価を安定させ、大々的に安全に商売ができる場所を構築し、
>そこに人を呼び込んで取引を推奨すれば、多くの人や物が動き、それによって
>税収が入るわけよ。管仲と同じ理屈だよ。生活を安定させてやり、
>その上で商売を大々的にできる場所を作って、大きく商売させれば、
>人や物が動いて手に入る税収や利益は大きくなる。「儲ける為にはまず与える事、
>そしてそこから取る事」という経済政策の基本なんですが…。
こんな基本で数ヶ月で国庫が埋まるなら他の税なんて考えなくてもよかったのにね
貨幣発行差益とは「貨幣の額面よりも発行にかかるコストを小さくしてその差額を収益にすること」
「直百の銭を作る」ということ自体、額面よりも製作コスト小さい貨幣発行差益目当て
読み取れないなら知識が足りないだけ
介入の記述がないのは「物価を安定させる」ということがどのように行われるか知らないだけ
大銭を作ること、物価を安定させること、そして官市を立てること
これによって国庫を充実させるのが劉巴の政策
大銭を作ることによって物価を安定させるとはどこにも書いてないし
官市で物のやり取りして物価も安定させたいのに政府の介入がないとはどこのエア政府なんだ?
>>67 魏がダメじゃないのは魏という国が元々貨幣をまともに作れない状態で成立して
そのまま経済以外の理由で内側から打倒された国だから
蜀がダメなのは素晴らしい貨幣を作っていたのに
貨幣の質を落としているから
しかも末期の国力が最悪になった時、貨幣の質を盛大に落としているから
国力が落ちると貨幣の質も落ちるという蜀独自の相関関係がある
さらに蜀の貨幣発行はそもそも発行差益狙いで発行されたもので
額面価格を高く設定しているから信用を担保する貨幣の質が重要だったし
他国と取引する時はその質の高さが購買力の高さにつながる
にも関わらず徐々に質を低下させている
隣の呉でも質の高い貨幣を発行したりしてるのだから蜀が質を下げたら貨幣の価値が下がるだろ
79 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/17(水) 22:19:16.01
呉の貨幣は246年に廃止されてるだから
その時点で銭として使用が続いても政府の信用供与も無くなってるわけで
時間の経過とともに額面からどんどん割り引かれた価値になる
質を落としても政府が信用供与してる蜀の貨幣より明らかに下
80 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/17(水) 22:22:29.69
>>79に補足
だから対呉交易での購買力は蜀が上
呉の貨幣の価値が落ち続ける以上は
政府が信用供与しつつ切り下げてるだけの蜀の貨幣の方がレートは高く交易条件は有利
>>79 政府の信用供与がなくなると銭の価値はなくなるかというとそういうことはない
あくまでも人が信頼をするのは銭の背後にいる国ではなく
手元にある銭なので蜀が滅んでも蜀の銭は通用するし後漢が滅んでも後漢の銭も通用する
だから質を落とすと政府の信用供与とは別に貨幣の価値は下落する
呉の貨幣の価値が落ち続けたというがあくまでもそれは
額面に対して実が伴わないというだけのことだぞ
82 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/17(水) 22:36:43.64
>>81 額面に対して実が伴わずに価値が落ち続けるから
切り下げをしただけの蜀よりも交易条件が悪化するといってるんだが?
むしろ、信用供与を失って時間の経過とともに価値が「落ち続ける」通貨と
信用供与があって切り下げした以上には価値が落ちない通貨で
前者が上という根拠を述べてみろよwwwwww
後漢の五銖銭は量があったのになぜ魏で流通しなかったか?
信用を失い価値が無いと思われていたからだろ
お前の理屈は流通した程度を無視しているから呉だの後漢の銭は価値があって
蜀だけが落ちただのと妄言を吐く
呉や後漢の銭が流通していたのはたしかだが、相対的な強さは蜀銭が一番だったろうし
その強さは政府の信用供与を失ってからの時間経過とともにより大きくなってただろう
>>82 五銖銭は流通してるよ
信用を失って価値がないと思われた?そんなことないよ
経済が混乱したり、そもそも人口減少で貨幣の質とは無関係にインフレーション起こしてるから
穀物が高くなって貨幣が追いつかなくなってるんだよ
そこに董卓の悪銭が追い討ちかけて経済を徹底的に混乱させてるけど
だからって悪貨が市場を席巻して価値がないなんて思われた出鱈目は意味がない
ちゃんと五銖銭について調べてないで適当なこと言うのやめような
西晋時代も流通してて墓からも出土してる
呉でも流通してる
諸説あるが1/10とする同時代人の話もあるような凄まじい人口減少によるインフレ圧力を無視して
単に貨幣の質が落ちたらからインフレ、これはバカですわ
84 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/17(水) 22:57:44.64
>>83 流通してるかしてないかじゃなくて
流通の程度についての話をしてるんだが???
魏を貨幣経済で回せるほど流通してましたか???
魏の場合、穀物価格高騰のインフレで貨幣が追いつかない
=貨幣の価値が落ちて貨幣経済を維持できない
蜀は穀物を貨幣で賄えてる
穀物を基準にしたら蜀銭>>>魏で流通してる旧貨幣
これくらいは分かるよなwwwwww
>>84 交換レートも不明なのにそんなこと成立するわけないだろ
86 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/17(水) 23:10:35.03
>>85 それ言ったら購買力も不明だなwww
明確なレートは分からなくても相対的な位置付けは明らかだろ
食料を買える通貨と、食料を買えないくらいインフレが進んで挙句の果てに貨幣経済を維持できなくなった国の通貨では
交易条件は明確に前者の方が上
>>86 質がいい銭は価値も高い
それを大量に持ってる蜀は購買力が高い
それだけの話
お前みたいな穀物と銭のレートがわからないと出来ないような断定はしてないぞ?
どのように
>>84の式を導き出したのかちゃんと根拠示してみろよ
88 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/17(水) 23:24:23.74
小麦しかサービス・物がない経済を仮定
今日 日本で小麦が1キロ100円
米国で小麦が1キロ1ドル
次の日 日本で穀物インフレが起きて小麦が1キロ1万円に急騰
米国ではインフレが起こらず1キロ1ドルのままでした
さて円とドルはどちらが強くなったでしょう?
直百銭は確かに質がいいけど五銖銭の中でも
董卓五銖や剪輪・エン環のような粗悪品じゃなくて
しっかりとした作りの五銖銭と比較してどのようなレートで扱われていたかなんて全くわからんよ?
>>88 どちらも強くなってないよ
それは単に相場の偏りが起こってるだけだから「貨幣の価値」は変わってない
90 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/17(水) 23:49:58.13
>>89 インフレによる通貨下落は相場の偏りじゃないけどなwww
まあ、通貨の基本的なことを知らないみたいだからいいや
というか後漢時代の五銖銭が量的に十分だったのに魏が貨幣経済じゃなくなったのは
信用供与を失って地金の価値しか無くなったからじゃないのかい???
日本で信用供与を失えば硬貨の価値はほとんど現行額面より下がる(10円玉は銅価格的に1/3くらいか?)し
いくらあったところで金融機関の決済には絶対に使えない
せいぜい農家に食料を買いだしに行くときに純粋な地金価格より割り引かれた価値でふんだくられるレベルかな
廃止された後の呉の銭も魏の旧貨幣もそのレベルの流通だったんだろうよ
>>90 「サービスも物も小麦だけ」ということは双方の通貨にそもそも強弱が生じない、交換できないからな
その通貨は交換することもできないから金融サービスの無い経済では価格差が生じても
通貨の強弱は存在しなくなる
「同じ商品を買うために必要な額が片方は固定、もう片方は急騰したのであるなら
双方で変動したら購買力平価説で片方が強く、もう片方が弱くなる」ってのは合ってる
ただし小麦しかサービスも物もない経済では成立しないよ
>というか後漢時代の五銖銭が量的に十分だったのに魏が貨幣経済じゃなくなったのは
>信用供与を失って地金の価値しか無くなったからじゃないのかい???
この当時、専売にしろ何にしろ貨幣で税を集めるのが基本なのに
「穀物相場が暴騰した」と書いてあるだろ?
インフレってことは今日集めた税金で明日穀物買おうとすると
予算が足りなくなる状況が起きてるってこと
これでは金銭で税金集めても国庫は苦しくなるばかり
かと言って迂闊に増税するわけにも行かないから物納させるというのが魏の話
物納させるから給料も現物支給になるということでもある
これで固定給な人々の生活も安定する
このようなインフレに強引なデノミで対抗したのが劉備
ついでに貨幣発行差益でも大儲け
逆だな
発行差益で儲けるついでにデノミにも大成功
93 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/18(木) 01:11:53.92
>>91 「穀物相場が暴騰した」=物に対する貨幣の価値が下がったということだろ
で君は地金の価値と通貨としての価値をごっちゃにして誤魔化そうとしてるけどwww
94 :
愛田みつお研究審査会会長:2013/04/18(木) 01:19:08.36
愛田みつお
統率99 武力85 知力100 政治92 魅力95
詩作 天賦の才
>>93 そうじゃなくて税を銭で取ってる国ではそれだと国庫がもたない
地金としての価値しかなくなったから貨幣経済がなくなったと主張してるが
貨幣経済はなくなってない
魏は政府が銭を公式に廃止したというだけでどこで貨幣経済がもたなくなったと書いてあるのか?
しれっと嘘書くのやめようよ
貨幣経済がなくなったと主張するのであればちゃんと根拠だそうね
96 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/18(木) 01:40:25.59
>>91 >同じ商品を買うために必要な額が片方は固定、もう片方は急騰した
それが日本で小麦が急騰、米国で物価そのままの例
>ただし小麦しかサービスも物もない経済では成立しない
日本で天候不順の全国的大凶作、米国で通常通り
地理的条件を考慮したらモノの均衡は通貨調整と価格調整を経るのは間違いない
小麦だけの経済でも十分説明できる
というかビックマック指数の話と同じだろ
>インフレってことは今日集めた税金で明日穀物買おうとすると
>予算が足りなくなる状況が起きてるってこと
つまり貨幣の通貨としての価値は大暴落
というか貨幣経済を維持できなかったということは
五銖銭と同量の銅の価値、つまり地金としての価値すら穀物に対して弱くなっていたわけだろ
貨幣を通貨としての価値、地金としての価値どちらで捉えても同じこと
>物納させるから給料も現物支給になるということでもある
>これで固定給な人々の生活も安定する
穀物価格が暴騰するほどのインフレ状態ってことはそもそも穀物が少ないということ
たとえ現物支給にしても現物の量で調整される
インフレ”前”にもらっていた貨幣による給与で購入できていた穀物よりも
支給される現物の量が少なくなるということだから別に生活は安定しない
単に貨幣を流通させる負担が減るだけ(地金の質も上げず、同じ質で流通量も増やさず)
97 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/18(木) 01:48:47.12
>>95 貨幣経済が無くなったとは一言も言ってないけどなwww
>>90の最終行の通り、魏でも呉でも貨幣は流通していたと言ってるよwww
地金としての価値だろうと貨幣を媒介してる以上、貨幣経済自体は否定しとらん
お前の意見で否定しているところは蜀が貨幣発行で詰んだというボケた理屈だ馬鹿
まあ
>>87で君が言うとおり蜀の購買力がダントツなので切り下げしたくらいで
魏や呉の貨幣はそれ以上に下がってるから他国との交易を購買力を失うほどではないという話だ
だいたい「貨幣経済がもたなくなった」とか言うけど
貨幣経済がもつの定義言ってみろよwwwwww
どうせ間違ったことしか言えねえだろwww
>>96 ビッグマック指数は「その他のサービスも物も存在しない」という前提では理論構築されとらんのだ
>というか貨幣経済を維持できなかったということは
貨幣経済を維持できないのではなく国庫収入を銭で取ってしまうと
インフレに財政が対応できないので公式な貨幣廃止、税を現物で取るってことでしかない
貨幣経済は無くなってない
それから俸給が現物支給で固定されるのに何故貰える穀物が減ると思い込んでるの?
決まった量の現物を貰えるようになるだけだよ
>>97 >というか後漢時代の五銖銭が量的に十分だったのに魏が貨幣経済じゃなくなったのは
これ別人?
>>97 貨幣経済ではなくなったという主張のあるレスをいくつかピックアップしてみたけど
どれがお前でどれが別人なの?
>>84 >魏を貨幣経済で回せるほど流通してましたか???
>>86 >挙句の果てに貨幣経済を維持できなくなった国
>>90 >魏が貨幣経済じゃなくなったのは
>>96 >貨幣経済を維持できなかった
>>97 ・国力の衰えが銭の質に出てる
・貨幣の質を落とすことで発行差益で儲けたのかもしれないが
その手法は劇薬だから長期的にはダメージではないか、信用も落ちる
という主張は過去にした記憶があるけど蜀が貨幣発行で詰んだなんて書いた覚えはないのだけど
>>45 「貨幣の中国古代史」には、章帝時代に布を貨幣にした時期があったが、経済的な打撃などが問題にされていなかったことから、
すでに布の貨幣化がすすんでいた事実と
今の北京あたりで見つかった後漢後期の銭の八割が削られた悪銭であったこと、
許昌で大量に見つかった銭が、前漢時代のものから三国時代の呉蜀の銭まで含んでおり、
悪銭が96パーセントを占め、特に董卓小銭が多かったとあることで説明してあるだろ
もし、董卓小銭の影響が少なければそんなに多くを占めるわけがない
別に悪銭と布での貨幣経済で成り立っていたこととしていることに、なんの問題もない
商業都市で使われる分は、銭の信用自体が低くて布貨幣の方が優先される上に、
流通する過程でほとんどが悪銭になってしまったということだろ
洛陽に良銭が集中するのは、政府が新発行した銅銭が、官僚の給与が銭と穀物で支払われ、
政府から特別に賜与されるものに銭が多いのだから、道理にかなう
というか、そちらに学説や考古学の発見などの根拠があるわけ?
地方の商業が存在すれば、銭が流通しているという現代人のステレオタイプから語っているしか思えないのだが
蜀豊などとレッテル貼って、ただ蜀の人物の評価が上がるのがいやなだけにしか見えない
103 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/18(木) 02:02:18.94
>>98 >ビッグマック指数は「その他のサービスも物も存在しない」という前提では理論構築されとらん
いやいや他のサービス・モノを考慮するならば、他のサービス価格が絡む最低賃金や
ビックマックの国ごとの違い(ある国は肉の量が多いなど)、輸送インフラの違いが考慮されるわけだが
実際にはそれらをすべて無視してビックマックはどの国でも全て同じ質で
生産コストも人件費も全て同等(他の産業、サービスは無い)のものとして最終価格だけで
各国間の通貨の相対値を測っているわけだから、その他のサービス・モノは考慮しないのが前提
むしろ、他に何を考慮してる???
>それから俸給が現物支給で固定される
インフレでモノの価値が上がってるということはモノの供給が少ないということだろ
それに常に一定の現物を支給することを必ず約束できるのかい?
まあ天候不順でも生産に対する物納の比率を増やして実質増税すれば可能かもしれんけど
それだと「迂闊に増税するわけにも行かない」と矛盾するな
何でコイツら必死なんだろ
とっくにスレチなのに
105 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/18(木) 02:14:25.31
>>101 800 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2013/04/13(土) 19:20:43.22
>>798 消化試合でどれだけ負けがこんでも勝敗そのものはひっくり返らんだろ
西晋の寿命と蜀の敗勢には関係がないし
100年単位というのは言い過ぎだったね
精々50年とかだけど、これを待てるか?
無理だろ
809 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2013/04/13(土) 19:31:13.05
>>804 徐々に貨幣の質が悪化している
姜維による北伐を考えなかったとしても同じペースでもう数十年悪化したら
董卓の銭よりもまだ酷くなっちゃうよ
106 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/18(木) 02:20:58.84
>>100 君の主張する貨幣経済はせいぜい
>>90の>廃止された後の呉の銭も魏の旧貨幣もそのレベルの流通
だと思うので形式的に貨幣経済はなくなっていないが
実態的には貨幣経済を回せていないというのが俺の主張
だって銭を徴収していない、出土しているというだけの根拠だろ?売買記録があるわけでもない
インフレを経て廃止された貨幣の信用力を考慮すれば
大量出土は一部で退蔵ないし、小規模な媒介があった程度と考えるのが自然
>>102 俺は今まで蜀豊なんて言ったことも認定したこともないんだが
議論する前にまずその誤解を解きたいのだけど
どうしてそう思うに至ったのか知りたいな
というか俺はむしろ蜀は徐々に衰え行く国なのでその国でがんばった人は凄い、という主張をしており
蜀の人物の評価が上がること自体全く嫌ではない
魏でも呉でも公平に評価して凄い事を認めるのは良いことだから蜀に限った話ではないがな
>>105 どこに「貨幣で詰んだ」と書いてあるの?
>>800に関してはインフラ整備で詰んだという一連のレスからのトリミングで
>>809に関しては国力の衰えが銭の質の悪化に出ているという話だろ
蜀の銭の悪化ペースそのままに数十年経過したら銭じゃなくて金属片になってても不思議ではないし
もしかして文章読めないんですか?
110 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/18(木) 02:26:02.90
>>68以降もインフラ君は居座ってるわけか・・・
平日の昼間から夜まで出張って随分暇なんだなあ
112 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/18(木) 02:38:39.40
>>109 君の蜀が詰んだという主張は
インフラ整備に対する「粘ればOK」という主張に対して
「経済的にもたないから無理」という反論でしょ
つまり魏国内のインフラ整備だけを主張しても
蜀の国内持久という論に反論できないわけだから
君の理屈の根幹は「貨幣で詰んだ」ってことでしょ
最初は君自身、そのつもりじゃなかったのかもしれないけど
どうみても詰んだ主因はインフラから貨幣の質引き下げによる経済衰退に変わってるぞ
あくまで君の主観によるとだけどね
744 無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2013/04/13(土) 00:51:08.85
>>739 諸葛亮は決戦を挑みに行ったけど生産力と輸送力を背景に司馬懿は持久して時間切れになった
廖化や姜維が西よりになったのは魏の国力と真っ向勝負を避けた
姜維の行動は結局司馬懿が農民入植させた土地にはほとんど踏み込めてないよ
>>741 国内持久してもその先がないでしょ
他国の変事を待つとか言ってるけど真っ先に蜀が天命終わったなんて議論が出てる
国がもたないんだよ
インフラが整備されて戦力が充実した西側をさらに大回りに回って西に侵攻してる
西を整備したからって西に無限遠に整備したってわけではないよ?
漢中攻める時に発揮されないからおかしいって人もいるけど
インフラ整備ってそういうもんじゃないからさ
地図くらい見ようよ
>>742 トウ西って司馬懿が整備したさらに大きく西側だろが
760 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2013/04/13(土) 12:16:47.83
>>751 姜維のための手柄作りに使われた感のある北伐ではあるが
末期の蜀は経済的にも行き詰まり始めてて何年も待てるような状態じゃない
113 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/18(木) 02:44:36.74
>>111 で大量出土してるとか銭が全回収されてないから貨幣経済は存在したとかいう理屈だけど
>退蔵ないし、小規模な媒介があった程度
以上に貨幣が浸透している経済だったのかどうか聞きたいね
>>90で挙げたような経済ならばお互い(形式的には)貨幣経済は存在したねで終了だwww
インフラ君とか本気でウザイから張勲あたりの能力決めようぜ
俺寝るけど
>>106 太和元年以降はまた五銖銭復活してるけどそういうのは無視?
単に公式に認めないってだけで
>>103 ビッグマック指数はビッグマックの値段を経済の指標としているというだけ
「他のサービスや物が存在していない前提」であると定義されてるなら
エコノミスト誌が出してる定義持って来い
>>112 俺の主張は「貨幣で詰んだ」ではなく「貨幣が国力の衰えを示している」だが?
貨幣って言葉と詰んだって言葉を使ったからって
それを短絡させて別の文章作ってどうすんの?
>>113 魏で五銖銭が廃止された期間は実のところ10年に満たない期間なのだが
一度廃止してしまうと以降は貨幣経済がなくなってしまうのだろうか?
119 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/18(木) 03:05:31.43
>>116 いやいや存在している前提だったら
「ビックマックはどの国でも全て同じ質でコストも同じ」という前提にならないだろ。。。(大丈夫か、こいつ?)
「ビックマックはどの国でも全て同じ質でコストも同じ」という前提でビックマック指数は出されている(これは定義通り)
それはすなわち他のサービスもモノも存在しない世界で比較した場合という暗黙の前提があるのは明らか・・・
もちろん、実際には国によるサービス価格の違いが人件費に、ソフトコモディティの供給で原材料費に、
インフラで輸送費などが反映され、他のサービス・モノの影響をもろに受けるわけだけどね
>>119 世界中で比較的同じビッグマックが出ることが多いのでビッグマックを指標にしているというだけ
で、エコノミストはどうやってビッグマック指数を定義しているの?
君の思い込みはどうでもいいから主張するなら定義してる人の文章引用してくれよ
121 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/18(木) 03:10:55.52
>>117 「貨幣が国力の衰えを示している」⇒このまま続けば持久できない
じゃないのかwww
つまり、この一節が無いとインフラ整備されてるから持久すればいいという論への反論は成り立たない
君自身が気付いてないんだな
自分の主張の「詰んでる」の根幹がインフラ整備じゃなくて貨幣からみる国力衰退であることを
>>121 それをどう読むと「貨幣で詰んだ」になるの?
>>122 いや、傍から普通に通しで見ればそう見えるって話じゃねーの?
お前の場合はなぜだか、自分がいってる論旨がつながってないみたいだけど。
124 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/18(木) 03:18:31.79
>>120 >比較的同じビッグマックが出ることが多いのでビッグマックを指標にしているというだけ
いやいや、どの国のビックマックも同じという前提で出してる
あらゆる条件をね
あ、自分は君と違って仕事あるからバイバイwww
明日の昼間もここで頑張ってくださいwww
貨幣悪化は国力減退の根源ではなく、国力減退の表出として扱っているのに
主張の根幹になるわけがないだろ
お前が勘違いしてるだけ
>>123 「北方が塞がれたのでもう勝てません、詰みました」
「その後の歴史見れば持久策で勝てる」
「勝てません、国力が落ちてます、それは貨幣の悪化から見て取れます」
という流れでどうやるとそう読む?
勘違いしてるだけだろ
>>124 そういう煽りはいいから
該当箇所を英語原文でいいから提示してみろよ
妄想の主張とかやめようぜ
>>125 いや、なるだろ。
少なくともお前の主張を通してみれば。
結局のところ、お前の理論の根底は「蜀は詰んだ!魏は安泰!」と
主張したいが為に必死こいてる、という所からスタートしてる。
だから史実ではそこまで大きな影響力無かったインフラとやらで
必死で蜀の攻撃は無意味!と断じて騒ぎまくり、んじゃ持久すればいいんじゃね?
となったら、「蜀は貨幣が衰退でどうたら!」と必死に喚いて「持久できない!」と
史実を捻じ曲げて騒いでるだけ。結局のところお前さんは「蜀が詰んだ!」と
言いたいが為に必死で二つの理屈を妄想で捏ね上げて、それを喚いてるだけ。
だから傍から見れば、お前さんの言ってる二つの理屈はセットになってる事が
一目瞭然なんだけど、お前さんだけがそれに気が付いてない、というか
気が付かれてないと思ってるだけ。
>>126 >>123に関しては
>>125を参照。
>そういう煽りはいいから
>該当箇所を英語原文でいいから提示してみろよ
>妄想の主張とかやめようぜ
横レスではあるが、
そういう台詞は自分でまともな根拠や記述を出して論証してる人間がいう事だな。
少なくとも、妄言はきまくりで根拠や論証他人任せのお前が主張していい事じゃない。
ああ、ちなみに俺は明日休日で、既に睡眠をたっぷりとってあるんでよろ。
>>127 影響力はあるから諸葛亮が開通直後に突貫して以降
誰もインフラ整備された地域にまともに踏み込めてない
最大の危機の時も分散したら不利、と言いつつ決戦に当たって別に寡兵ではなかったり
数万人の損害与えて数年でもう持ち直して侵攻してみたりインフラ整備とバックアップ体制の構築は偉大
持久できるというから持久できない理由として国力の衰退
衰退の根拠として貨幣の悪化を提示しているのに
「貨幣で詰んだ」と俺が主張していると読むのは完全に文章読めてない
俺は史実を曲げてるとお前は主張しているが
俺は史実に書いてある事と出土品だけを根拠にして史実を曲げていない
史書に書いてあることは最大限尊重しているし
複数の根拠がある場合、どれかを一方的に否定したりはしていない
>>128 いや俺の発言を妄言だとする根拠がないよ
>>129 いや、踏み込めてるだろ。何度も言うように。
踏み込めてないと思ってるのはお前だけで、実際にケ艾が想定してる、
蜀軍の侵攻場所には天水も南安も入ってるし、戦場もそこになってる。
寡兵でないといってんのはお前だけで、結局のところは
ケ艾自身が存亡の危機だと言ってる状態。とてもお前の妄想とは違う。
読めてるだろ。史実で見れば貨幣で衰退なんぞしてないし、
そんなもので衰退するなら、自国で信用保証した貨幣発行もできない魏なんかダメダメ、
という話になるのにお前は必死で曲解して矛盾を無視してごり押ししてるだけ。
曲げまくり。ケ艾自身が「存亡の危機」と言ってるのも無視してるし
ケ艾の想定として南安にも天水にも蜀軍が来寇する事は既定事実とみられており、
実際に戦場もそこになってるのにそれも無視。
貨幣どうたらで蜀が崩壊したわけでもないし、蜀から貨幣融通してる魏が
安泰という時点でお前の妄想は完全に結論ありきの愚論。
インフラどうたらだの、貨幣どうたらだの、結局根元にあるのは
「蜀が詰んでる!魏は安泰!」と主張したいが為の妄想でしかない。
>>130 そもそも根拠も記述もろくになく、論証は他人任せで
相手が論証したところからつまみ食いして曲解して
自分に都合のいい妄想捏ね上げて、おかしなところを一切否定して
妄想世界に浸ってる時点で妄言確定。そう思ってないのはお前だけ。
>>129 ついでに、姜維の段谷は共同軍が到着してなかった状態で魏が乱戦に持ち込んだわけで
直接戦闘で寡兵でなかった、としても共同軍まで含めた全体兵力で寡兵でなかった、と
するのは全く話が異なる。ここら辺の事にお前はどうせ全然気が付いてないんだろうけど。
>>131 じゃあどこを落とした?
守備固めた所に行っただけでインフラ整備の意味なんてなかったとか狂った事言わないよな?
数万人いなくなればそりゃ存亡の危機だろう
魏軍は最大20万くらいしか動員したことないのにその1割かそれ以上に匹敵する損害なんだからな
それでも実際に戦った時、ケ艾は姜維と比較して寡兵という証拠があったか?
新兵が多かった、その通りだ、施設は破損している、その通りだ、
守るところが多くて分散する魏軍を蜀軍は確固撃破もできるだろう
でも数が少ないとはどこにも書いてない
妄想ではなく「書いてない」
史実で見れば貨幣で衰退なんてしてない、その通りだ
俺もそんなことは言ってない
そんなもので衰退する?何のことだ?
存亡の危機であるということを曲げていない
数万の損害が出たらそれ以前の状態と比較したら存亡の危機で間違いない
数万人も欠員が出て守る所は一杯あるから大変だとケ艾は言っている、それも否定しない
俺が主張しているのはケ艾が姜維と戦うに当たって誰かが言う程数が少ないということはないということだ
そして存亡の危機と言ったって結構安全マージンがあったというのは
ケ艾の軍が姜維の軍と比較して寡兵でないということからわかるね
何も曲げてない、史書が根拠だ
貨幣は崩壊の原因ではないしな
「貨幣から崩壊の兆候が見て取れる」という話を「貨幣で詰んだ」と読み替える事は実に愚かしいことだ
>>133 そんなもん実数不明だしわからん
自軍四分割で集合した奴に負けるのを恐れるってことは
魏軍/4<集合蜀軍ということであり魏の方が総数でも上回ってる可能性さえある
攻撃三倍の法則を考えると守りに入って魏軍*3/4<蜀軍ということになり
まだ数字の上では蜀と魏の総数で魏が上回る可能性がある
>>134 おいおい。最初にお前は「踏み込めてない」を根拠としてたろ?
今になって「攻め落とした」を根拠に変えるのは明らかにおかしいぞ。
結局お前はそうやって論旨を何度も2転3転させてるだけ。
というか、「攻め落とした、あるいは恒久的に確保したか」を論旨にするなら
諸葛亮時代から全然変わってない、という事でインフラの影響はろくにない、で
完全終了だな。
自分で言ってるだろう。今回は防衛戦すら無理だと。
諸葛亮時代はいつも引き籠り戦法でお引き取り願っていた魏軍が、
今回はそれすら無理だとケ艾自身が言ってる。
余力があるなら存亡の危機だなんて言わないし、そもそも存亡の危機という時点で
寡兵とかいうのを通り越してる問題なわけだがな。
お前が言ってるじゃないか。貨幣が衰退したから蜀は国家崩壊だと。
論旨変えるのか?それなら結局貨幣は衰退の何の根拠でもないと
言えるで終了だな。
寡兵でないかどうかはぶっちゃけ「書いてない」
段谷は姜維の共同軍が未到着で、そこを急襲して撃破したもので、
直接戦闘の決戦場で兵力が寡兵でなかったとしても、
共同軍が到着した状態でそうだったかはまるで別の問題となる。
現に姜維にとっても共同軍が到着してない状態で決戦するのは不本意だったのは
蜀側の記述から見てもわかるし、現に一旦退いて共同軍と合流する事を目指してる。
この動きからは姜維から見れば共同軍と合流すれば明確な勝ち目があった、という
事が読み取れるわけでな。急襲して結果として各個撃破に持ち込んだケ艾の猛勇を称えるべきで
お前の言うような余力がある状態では全然ない。そうでないというなら根拠や記述だせ、さっさと。
で、その理屈なら「魏はそもそも自国で信用保証した貨幣発行すらできなかった。
これで魏は終了、となるわけか?」という話になる。
「魏は終了じゃない!」とお前がいつも通り喚くなら、結局のところ、
蜀が貨幣発行しなくなろうと、貨幣の質が衰退しようと、大した問題じゃなくなる。
お隣に自国で貨幣発行も出来ず、蜀の貨幣もらって使用して安泰な国があるんだからな。
>>135 なんだ、結局お前はろくな根拠もなく喚いてただけか。
んなわけないだろ。攻撃3倍は最低でも、という事なんだし、
蜀軍を上回れるだけの総数があるのなら、魏は兵力を適度に分割しといて
蜀の主力軍が来たら魏も主力を派遣して対峙戦に持ち込む、という
いつものパターンを使えばいいだけ。
今回はそれすら不利だと言ってる時点で、とてもそんな余裕ない事わかるだろ。
>>69 横から悪いが、どう見てもインフラ君がニートだろ。
毎日毎日深夜2時とか3時とか4時近くまで絶賛発狂中なんだぜ。
どう見てもニート以外には不可能な芸当。
>>73 つまりインフラ君は物狂いの領域と。まあ、確かにその領域だけど。
>>74 つまり、インフラ君=蜀豊、だって事か?
でも残念ながら、インフラ君は毎度毎度粘着してる生粋のニートさん
みたいだから、それは違うんじゃないか?
>>75 異民族と組んで、なんてどこにも書いてないんだけど。
涼州の豪族たちで連合して、としか書いてない。
異民族と組んで、ってどこの記述をもとにしたのか、
記述ちょうだいね。
>>76 確かに「存亡の危機だ」という無理というよりも酷い表現が使われてるな。
んな事は誰も言ってない。そんな事を言うなら記述を出せ。
言っておくが、段谷の時は姜維に共同軍が到着してない状態で
戦えてる、という話でしかないわけで
戦力総数で魏が優位とかどこにも書いてない。
そうだというならその記述をちゃんと出せ。
テイ族って知ってる?
>>77 だあからそういう類の政策じゃないと何度も言ってるだろ。
なんで俺が主張してる事と違う事を勝手にお前が規定して
それをお前が勝手に否定して、とわけわからん事してるんだよ。
反論するなら、ちゃんと俺が言ってる事について論証しろよ。
んな理屈でいうなら、お前は発行差益で数億の収益を数か月で挙げた、
という記述なり記録なり、経済モデルなり、をまず示さにゃならんだろ。
最初に言い出したのはお前なんだから当然だな。
しかも、お前の場合はまず最初に「買い占め政策をやって、その後で
高騰した時期を待って払い戻し」というやり方で物価平均をやった後で
という話になる。どう見てもお前のやり方じゃ数か月で国庫充実なんて
無理無理。
この基本をやる事によって税収が上がるんだとなんど言っても理解dけいない、
というか理解を拒絶してるだけだろ。
発行差益どうたら、なんてお前が蜀詰んでると連呼したいだけで
いってるだけなんだから、もともと大した根拠も記述もないし
研究者だってこんな解釈してる人間は誰もいない。
いるのは勝手に妄想で断定して、抽象的に喚いてるお前だけ。
>読み取れないなら知識が足りないだけ
ああ、つまり具体的記述ではなくて、フィーリングの領域であって
お前の妄想でした、ってオチね。笑わせるな。そうだというなら
ちゃんと記述を出せよ。
それ、単に劉巴の言ってる記述を丸写ししてるだけだな。
んで、そこには発行差益の事なんてどこにも書いてないぞ。
だからさっさと介入しただの、発行差益だの、やったというなら
記述なり根拠なり出せと言ってる。自分で散々人に要求してきて
今までろくに出してないんだから、さっさとやれ。
>>78 つまり、結局のところお前の妄想でした、って事だよな。
結局のところ、貨幣があろうとなかろうと国家は安泰であると。
お前の理屈に従うならそうなる。
魏が貨幣経済なしでやっていけるなら、蜀もそうすりゃいいだけの話。
結局の話、お前が蜀が詰んでる!という願望妄想ありきで言ってるだけ
だから大した根拠ない話でしかない。
何度も言うように、発行差益狙いだとかいう記述はどこにもない。
研究者も誰もこんなこと言ってない。そうだというなら記述なり
論拠なり出せ。
ろくな記述も論拠もない、お前の願望と妄想を前提に発狂されたって
こっちは冷笑するしかない。
>>139 知ってる。んで、正史には涼州連合10数万の時には「テイ族が参戦した」とは書いてないから、
インフラ君理論ならこれでモーマンタイ。
あんまりインフラ君が論旨変えしまくったり、記述や論拠を相手には押し付ける割に、
自分では一切やらずに逃げ回るのがうざいので、一覧にまとめる事にする。
インフラ君が逃げ回ってる論拠や記述、論証の証明及び、論旨替えの一覧
・最初はインフラで「踏み込めてない」と主張してるのに、踏み込まれてるし、
ケ艾からも踏み込まれることが想定されてる、と言われたらいきなり「占領できたか」
に論旨変えしてる。まずこれをちゃんとどういう事だか説明しろ。
いつもいつも不利になったら勝手に論旨変えしてすませようとするな。
・「占領できたか否か」が問題なら諸葛亮時代から姜維時代まで特に変わりない為に、
インフラの影響なんぞろくにない、という話になる。
・涼州連合の兵力10数万が異民族まで召集したものだとはどこにも書いてない。
したというなら記述出せ。
・段谷の時はケ艾が「存亡の危機だ!」と言っており、明らかに劣勢としか見れないが、
これで優位というならそれを示す記述を出せ。段谷の時は姜維が共同軍未到着の状態で戦えてる、
という話でしかなく、戦力総数で優位だとはどこにも書いてない。
・劉巴の政策が発行差益狙いだというなら、それが書いてある記述を示せ。
・発行差益で数億の収入が出せるというなら、それを示せ。
・「買占めを行い、物価が高騰すまで待って払い戻す」という平準法のやり方で物価平均を行って、
その上で発行差益だかなんだかを行って「数か月で国庫が充実」などさせるのは明らかに無理。いい加減に記述出せ。
・介入したという記述もない。さっさと出せ。
・上で別の人も言ってるが、「貨幣の質が前より下がる」よりも「そもそも自国で貨幣発行してない」という方が劣るのは自明。
お前が魏が自国で貨幣発行してなくても安泰、というなら蜀も最悪の場合、貨幣を発行しなくなっても安泰、という話にしかならない。
いい加減、蜀だけ貨幣の質が悪化したら終了、という寝ぼけた話の論拠や記述を出せ。
過去ログは保管してあるので、これからまだまだ出せるが、とりあえずまずはこれだけ。
インフラ君はさっさと答えてくらはい。何度でも聞くので。
インフラ馬鹿も目障りだが、それに粘着してるニートも相当だなw
多くて3行しか読んでない俺にはどっちもどっちだ
145 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/18(木) 11:35:12.64
ニートと看破されて発狂したインフラ君が
「言われて悔しかった事を相手に押し付け」と
「どっちもどっち」を発動中
>>141 馬超に従って反乱を起こしてる
正史の注釈にちゃんと書いてある
ニートにニートと言われて悔しい!
発狂しそう!
・最初はインフラで「踏み込めてない」と主張してるのに、踏み込まれてるし、
ケ艾からも踏み込まれることが想定されてる、と言われたらいきなり「占領できたか」
に論旨変えしてる。まずこれをちゃんとどういう事だか説明しろ。
「踏む込み」とは「その場所に行く」という意味ではなく
「その場所にしっかりと入り込む」という意味の日本語
従ってただ単に入り込まれた、城を攻撃されたというだけでは不十分
読み取れないなら日本語力が足りない
・「占領できたか否か」が問題なら諸葛亮時代から姜維時代まで特に変わりない為に、
インフラの影響なんぞろくにない、という話になる。
特に変わりないということはない
諸葛亮時代の蜀は徐々に北部に占領域を広げている
武都・陰平の占領が顕著な例
インフラ整備以降はそれが止まってる
・涼州連合の兵力10数万が異民族まで召集したものだとはどこにも書いてない。
したというなら記述出せ。
東夷伝の注釈で魏略西戎伝の中に
近去建安中,興國テイ王阿貴、白項テイ王千萬各有部落萬餘,至十六年,從馬超為亂。
とある
馬超に従って乱を為したとあるのに頭数に入れないのはどう考えてもおかしい
・段谷の時はケ艾が「存亡の危機だ!」と言っており、明らかに劣勢としか見れないが、
これで優位というならそれを示す記述を出せ。段谷の時は姜維が共同軍未到着の状態で戦えてる、
という話でしかなく、戦力総数で優位だとはどこにも書いてない。
どこにも書いてないから「実数不明で多い可能性もある」と述べている
優位であるとは述べていない
読み取れないのは日本語能力の不足
・劉巴の政策が発行差益狙いだというなら、それが書いてある記述を示せ。
「但當鑄直百錢」
発行差益とは貨幣を原価よりも高く額面を設定して発行した時に出る利益のこと
銭の額面を百銭と設定した時点でそれはもう発行差益狙いである
・発行差益で数億の収入が出せるというなら、それを示せ
直百銭1つで99銭の儲けが出る
一回、民から物を動かすだけで100倍の収益が出る
仕入れを100万銭分行うと1億-100万=9990万の儲けが出る
当時中原の穀物相場が暴騰したときで1斛50万余り
ここまでの暴騰はないとしても10万なら10斛の仕入れで100万銭分の取引になるし
1万でも100斛の仕入れで同じ事になる
100倍として扱う効果って凄まじいよ
・「買占めを行い、物価が高騰すまで待って払い戻す」という平準法のやり方で物価平均を行って、
その上で発行差益だかなんだかを行って「数か月で国庫が充実」などさせるのは明らかに無理。
いい加減に記述出せ。
介入について書いた時に介入策である平準法は法制度として成立していたけど
蜀では法制度化した介入を行っていないので一時的な政策であった述べているのに
何故「平準法を用いる」と勘違いするのか
・介入したという記述もない。さっさと出せ。
「平諸物賈」
「賈」は売り買いの事、転じてその商品、「物賈」は「物価」じゃない
諸物を売り買いして安定させろ、という介入策そのもの
・上で別の人も言ってるが、「貨幣の質が前より下がる」よりも「そもそも自国で貨幣発行してない」という方が劣るのは自明。
お前が魏が自国で貨幣発行してなくても安泰、というなら蜀も最悪の場合、貨幣を発行しなくなっても安泰、という話にしかならない。
いい加減、蜀だけ貨幣の質が悪化したら終了、という寝ぼけた話の論拠や記述を出せ。
どちらの経済が上等であるかという議論は元々していない
魏は貨幣経済において非常に苦しんだが、元々苦しむのが常態の国であり
経済に苦しんだ結果国が倒れたということもないので銭を見て判断するのは不可能だと思ってる
そして一回通貨発行やめただけで何故「自国で貨幣発行していない」ということになるのか
最終的には太和元年に五銖銭を再度通貨としている
大規模改鋳の記録こそないが曹魏五銖などもある
逆に蜀は質のいい貨幣を使っていたが、その後貨幣の質が落ちた
これは国力の衰退が貨幣の質に現れている
こちらは銭を判断基準のひとつにしていいと思ってる
貨幣の質が悪化したから終了ということは言っていない
貨幣の質が悪化したから国力の衰退が伺えると言っている
貨幣が悪くなったので終了ではなく、貨幣が悪くなるのは終了の兆しということだ
この違いがわからないのは深刻な言語能力の欠如だと指摘しておく
君は総じて早とちりや読み違いをしたり
言葉を知らないが故に文章の意味が理解できていないので
もう少し落ち着いてみてはどうか?
ニート君の勝ちのようじゃな
インフラ君もニートだろ?
153 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/18(木) 14:10:35.63
貨幣経済は、
蜀>>>呉>後漢>>魏>>>>>>>>>>>>>董卓
なところかな
立場が逆ならどうなるか分からないが、軍事能力も結果論も考慮にいれることがあるからな
満寵と文娉は守備戦強すぎ
この二人が対蜀戦やればいいのにw
>>146 何伝のなんという注釈か、ちゃんとそれ示してちょうだい
相変わらず抽象的すぎてよくない
>>148 はい嘘つくな。
最初は明らかに「踏み込めたか」=「侵攻できたか」という意味合いで言ってる
これがお前の前スレにおけるこの議論のほぼ最初の頃のレス
707 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/12(金) 02:05:56.14
>>704 魏は守備兵込みじゃなくて遠征で20万
動かせる兵が20万というのと守備兵含めた全軍で10万ってのはまるで違うよ
そも「それまでと変わらず蜀に攻められ続け」たという事実が存在しないでしょ
全然役に立たないというのも間違い
辺境にあまり駐屯軍を置けず長安などに大軍置いて必要に応じて軍を出してた頃に比べると
各地にまとまった数置いとけるようになった時期では蜀の侵攻ルートもかなり制限されたものになってる
↑のように明らかに「侵攻ルートが制限されてる!」とか言ってるくせに
今になって「占領できなきゃダメ!そう解釈しないのはお前の読解力が悪い!」
とごねるの明らかに主張ごまかしと論旨のすり替え。
俺は前スレのお前関連のレスを全部保管してるから、そういうごまかしが
通用すると思うなよ。
嘘コケ。諸葛亮時代は武都・陰平は占領したけど、第4次と第5次では別に
どこかを占領したわけではない。というか、その理屈でいうなら姜維が
異民族と連携とって侵攻の足掛かりにしてる時点でアウトとなる。
馬超に従ってテイ族が反乱を起こしたのが明確に記述されるのは、
10数万で押し寄せて曹操に破れた後、夏候淵とかとの戦いの時だろ。
曹操と戦った時は明確には記述されてないぞ。お前の理論なら終了だな。
「可能性がある」程度の問題でしかないなら、ケ艾の「存亡の危機」が
優先されて、普通は劣勢となるわけで
お前の妄想であるインフラどうたらはろくに関係ない事になるな。
>>149 はい、完全な妄想。お前の完全な読解力不足と妄想による断定でしかない。
「但當鑄直百錢」はただ普通に読めば「百銭相当の銭を鋳造して」としか読めない
お前の理屈なら高額貨幣は全部アウトになるので、そんな寝言は通用しない。
結局、なんの根拠もない妄想でしかない。
いいから記述出せ、根拠出せ、と言ってるわけなんだけど。
人には散々記述や根拠要求して、英文まで平気で要求する癖に
自分が要求されたらお前の勝手な妄想で済ませられると思うなよ。
発行差益狙いだったという明確な記述と、それによって数億の効果がでたという
明白な記述をさっさと出せ。お前の妄想だけで済ませようとするな。
はい、いつも通り論旨替えするな。
お前は
>>33で
33 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/17(水) 00:03:44.13
>>28 物価安定をどうやって漢王朝でやってたか知らんからそういうことになるんだな・・・
「平諸物賈」ってどうやると思ってた?
物価安定のための当時の政策は政府が買い上げて
一律の値段になるように民間に卸すって類の介入だぞ?
法制度としての平準法は前漢で廃止されてるからこの場合は制度化されてない一時の政策ってことだ
↑のようにつらつらと「平準所価」ってどうやると思ってた?とほざいて
今回でもそれが適用されたと主張している。
ならば、今回の事例でも「平準法」と同じやり方を一時的に使用しなければ
ならない。となれば、「物資を買い占めて、物価が高騰する時まで待ち、
それを待って売り払う」というやり方を用いなければならない。
お前の主張するやり方では数か月で国庫充実なんてとても無理。
いきなり「平準法のやり方を用いない!」と主張するなら、
それはそれで論旨替えだから、まずその点について説明を要求する。
平準法のやり方じゃないというならどうやってやったんだ?
で、それと全くもって関係ないやり方を、どうしてお前は言い出したんだ?
明らかに文章の流れとしておかしいのでちゃんと説明よろしくね。
で、つまり平準法と同じやり方だってことだな?お前の主張なら。
そうすれば結局、お前のいう数か月で国庫充実は無理、という事になるわけだな。
>>150 はい妄想。
貨幣の国家保証をやめたり、外国通貨を使用してる時点で
その経済性は明らかに魏より蜀が上回る、となる
それから何度も書いているように
「元から苦しむのが常態の国であり」とぬけぬけと述べているが
魏がそうやって貨幣問題で劣っても普通に生存できるのに、
蜀の貨幣が衰退したからといって国家崩壊に至るというのは明らかにおかしい。
>貨幣が悪くなったので終了ではなく、貨幣が悪くなるのは終了の兆しということだ
だからそれが寝言だと言っている。
なんども指摘されているように、国家の経済が発展すれば必然的に貨幣の相対的価値は下がる。
百年前の300円は大金でも、現代では缶ジュース3個買うのも限界。
これで100年前より、経済が劣っている、となるのは単なる妄想と願望でしかない。
結局のところ、蜀の貨幣が悪化したところで、それがいくつく先までいって
貨幣が流通しなくなったところまでいったとしても
お隣には「貨幣問題で苦しむ事が常態」で「蜀の貨幣まで使っている」魏という国が
存在している以上、それで蜀が国家崩壊に至るとするのは明らかにおかしい。
お前は何度もこれを指摘されているのに、結論ありきで逃げ回ってるだけ。
結局のところ、上から指摘してる事ではあるが、お前は自分が不利になったら
論旨を2転3転させ、相手にはひたすら記述や論証を求め、
そのくせ自分が求められると全然それらに該当しない妄想だけだったりで
抽象的にごまかす事に終始してるだけ。
こちらはお前の前スレからのレスも全部保管してるので
その手は通用しないと言っておく。
>>147 >>151 ニートなのはインフラ君
というか、ここずっとインフラ君は深夜2時から4時近くまで起き続けて
昼にレスしてる、という狂態状態なのに
今更相手も一緒にニートにしたがってもさもしいとしか…
>>156 君の言う涼州連合ってのは関中諸将として話進めるけど
東夷伝の注釈に引く魏書西戎伝にはちゃんと時系列が書いてあって
建安16年に馬超に従って反乱を起こし、馬超が敗れた後になると
1人は夏侯淵に滅ぼされもう1人のテイ王は蜀に逃げ込んだけど部族は逃げ切れず降伏したとあるね
馬超に従って乱を為したと書いてあって乱を起こすのに2人のテイ王も関わってるから
涼州連合には異民族が関わっててそれで10万が維持できるというのは正しい
馬超自身、羌とのハーフだし韓遂って人は羌にずっと旗頭として扱われているから
彼らが参加してる時点で「異民族とは無関係に10万維持した」ってのは結構難しいと思うよ?
もっとも「涼州連合」というものが史書に存在してないから
いないものには参加できないというレトリックも成り立つね
こっち採用する?
>>159 ニートじゃないから源泉徴収票とか持ってるよ
ちゃんと社会保険料とかも目一杯引いて計算した奴ね
エコノミストのビッグマック指数ってどう定義されてるのか聞かれて
「英文でもいいから」というのを「英文まで平気で要求する」って勘違いしちゃったか
エコノミスト誌は英国の雑誌だから「英文」の要求って
和訳の要求よりもハードル下がってるのになあ
エコノミスト誌が公式に発表してるものから
「ここにそう書いてある」って該当箇所抜粋すればいいだけなのになあ
>>160 馬超が破れた、というのはドウ関で戦った後もあるわけで
むしろテイ族が馬超に従って具体的に活動してる記述が見れるのはここから。
そのハーフとか、旗下とか、従属とか、そういう理屈でいいんだったら
魏だって普通に異民族を涼州に置いて支配下に置いてる。
テイ族だってそのまんま、夏候淵に降伏して配下に入ったりしてる。
こうなると、お前さんのいう、「魏には異民族なんか参加してない!
純血の軍隊なんだ!」とかいう理屈は破綻してしまう。
結局自分の言ってる事がレトリック主体だって認め点じゃん。
馬鹿らしい事この上ないわ。
んで、他の事についてはどうした?
>>161 んで、毎日毎日、深夜の2時から4時近くまで粘着して
明らかに昼すぎに起きて書き込む、というの繰り返してるわけ?
わらわせないでよ
「扶養家族として見せてもらってる」とか
「親のを借用してる」とかそんなオチっぽい
>>162 少なくとも、俺はそれを要求された人間とは別人だし、
そもそも相手には根拠を要求する癖に
自分ではひたすら逃げ回ったり、妄想で断定しようとする人間が
そんなことを言っても何の共感も感じない。
そんなことを言うんだったら、自分に求められてる根拠や記述を
さっさと出したら?時間は一杯あるみたいだし。
>>163 ショートスリーパーなもんで睡眠時間はあまりいらないのよ
長くて2、3時間程度でいい
あと「扶養家族として見せてもらってる」のであれば源泉徴収票に扶養家族表示されるよ
君もしかして源泉徴収票貰った事ない子?
「存在しないから参加は出来ない」という言い回しも可能だと
馬超の元に異民族参加してるというのは史書にも書いてあることだから
逃げ道として君のためにジョークを用意してあげただけだよ
俺の主張
・異民族によって馬超らの反乱は10万という数を誇った
理由
・馬超に従ってテイ王が少なくとも2人、反乱を起こしている
「従」というのは単に呼応したのではなく一緒に行動しているということ
ただの支援だけではなく馬超の乱に参加している
根拠
・近去建安中,興國テイ王阿貴、白項テイ王千萬各有部落萬餘,至十六年,從馬超為亂。
引用元は魏志東夷伝の注釈魏略西戎伝
君の主張
・テイ族が馬超に従って具体的に活動してる記述は潼関の戦い以降である
・テイ族はそのまんま夏侯淵に降伏して配下に入った
反論
・魏志東夷伝の注釈魏略西戎伝で建安16年に馬超に従って反乱を起こしたとある
潼関の戦い以降でテイ族の記述が出るのは建安18年になってからだが
潼関の戦いを起点と置いてテイ族の活動を語る根拠がない
テイ族について語るのであれば建安16年の反乱、18年の夏侯淵の攻撃から
・淵與諸將攻興國,屠之。と武帝紀に記載のある通り、興國のテイ族は全員虐殺された。
したがって「そのまんま」ということはありえない
俺の主張が誤解を招く書き方だったので訂正
・異民族の協力もあり馬超らの反乱は10万という数まで膨れ上がった
>>165 嘘コケ
お前が深夜の2時から4時まで粘着してる日だと、
お前が次の日に反論を開始するのは大体昼の12時前後から。
お前が朝の7時過ぎまで粘着してた時だと、
お前が反論を開始したのは昼を過ぎて3時近くになってから。
どう見ても「お前が粘着してる時間」とお前が「次の比に反論書き込みを開始する時間」
には睡眠時間分の連動性がある。
ここから推測されるお前の睡眠時間は少ないどころか、むしろ多いくらいだろ。
こちらは普通にもらってるよ。日々ちゃんとお仕事させてもらってるのでね。
結局扶養家族として、親とかのを拝借してますってオチか。
ジョークも何もないだろ。最初から最後までずっと逃げ回ってるだけの癖に。
早く答えられないからってスルーしてる他の事柄に応えたら?
とりあえず、度重なる論旨替えをしてる事についてまずご説明頂きたいね。
>>166 >>167 違うだろ。もともとの主張からごまかすなよ。
お前のもともとの主張は
「魏の西部兵力は6万よりずっと少ない!
インフラによって6万まで養えるようになった!インフラは偉大!
これにて蜀終了!」という馬鹿丸出しの論旨。
それに対する反論として「馬超時代から既に10数万の兵力を動員してる。
西半分としてみても、その兵力は6万に大体近づく。」というのが出て
それに対するお前の反論は「馬超は異民族とかまで動員してる!
魏はそんな事してない!純血の軍隊!
純血の軍隊で6万まで養ってる時点で蜀は終了!」とかいう寝言。
これに関連する過去ログもしっかり保存してあるので、逃げられると思わないように。
んで、いつものインフラ君論旨なら、正史に明記されてなければノーカウント、
という話になる。テイ氏反乱が完全に明記されてるのは建安17年に
「汧氐反」となっており、インフラ君論理ならこれ以後という事になる。
んで、お前の妄想と違って夏候淵の遠征によって
「氐王千萬逃奔馬超、餘衆降」、つまり「テイ王千萬は逃亡したが、
他の衆は降伏した」と明記されており、皆殺しにされたなんて事はない。
というか、普通に後の代になればテイ族は大きな勢力として中国内に
国家をいくつも作っていくようになるので、この時点で皆殺しにされてるわけがない。
もともと屠る、には打ち負かす、という意味合いもあるわけで、皆殺し、と
するのは明らかにおかしい。というか、もともとインフラ君のは結論ありきだから
しょうがないと言えばしょうがないが。
結局のところテイ族をはじめとする連中は中国内地に入って
その地で漢文明と同化していったわけで、それが後の異民族国家の土台。
既に馬超・韓遂といった連中が漢民族だの、異民族だの、あるいはそのハーフだの、
そういった連中を統合して勢力を構築してる時点で、
魏の兵力だけ純血とするのは明らかにおかしい。
んで、インフラ君は論旨替えの証拠レスとか出されて
すっかり都合が悪くなって、答えられるところだけ答えて
スルーして終わりにしようとしてるみたいだけど、
こっちが聞いてる
>>156 >>157 >>158 のレスの各点について
明確なお答えを頂きたいのだけど。何度でも聞くからよろしくね。
よそでやれ
どっちかコテつけろ
区別がつかん
ニートで何が悪い!
面倒くさいのでやーめた
じゃーねー
そんなことだからニートなのじゃ!!
やめたと書いたがやっぱり語ろう
>>168 「魏はそんな事してない!純血の軍隊!」という主張はしてない
相手の主張を勝手に作り出すのは君の悪い癖だ
異民族の支援を受けてそれだけの大軍勢を保持したという主張をしている
異民族支援の割合は不明だが、首領格の1人は昔から顔役として異民族の反乱で活躍してる人だし
別の1人は母系が異民族であり、同じく異民族の顔役になっている
テイ王たちの参加もある
>>169 正史に書いてないとノーカウントなんて主張した覚えはない
ケ艾の例は正史、野史ともに寡兵だったと書いてないし、
詔勅でも兵が未熟なのに勝利したことは誉めてても兵が少ないのに勝利したことは誉めていない
では、どこからケ艾が寡兵であったことを証明する?
事前に打撃は受けた、受けたが残存兵力はわかっていない、
4分割すると集合した蜀に対して不利になるとしか書いてない
テイに関していうと興国のテイは滅んだ
正史では興国のテイ王は千萬1人ということになっているが
魏略ではもう少し詳細に書いてあって「興国テイ王」は阿貴、
別の「白項テイ王」が千萬
こちらでは阿貴の部族は滅され、千萬の部族が降伏したと書いてある
「屠」が打ち負かすの意味だ!と主張するのは魏略を読まない史書を無視した行いであるよ
インフラ君
知力 30
政治 30
統率 20
武力 30
魅力 70
特技、逃亡
ニート弱っw
不眠太夫
知力 63
政治 20
統率 5
武力 72
魅力 3
特技、寝ない
>>177 ミリキそんなに無いだろ
ゴキブリ見たら叩くみたいな感じでしかない
建安17年、ケンテイが反乱を起こしたのがテイが具体的に馬超に従った最初の記述と主張しているが
「馬超に従って反乱を起こした」ということであれば魏略に載ってる通り建安16年が最初になるから間違い
「具体的に従った記録として」ということであればケンテイが「馬超に従った」記録はないよ
>>183 申し訳ありません!完全に見落としてました!
ごめりんこ
どーせ荒らしが立てたスレだし
前日もインフラ君はお昼に登場してたみたいだな。相変わらずというか。
>>176 勝手に作り出す、じゃなくて、お前が自分で言い出した事を
後で2転3転させて、最初に自分がいった事を「相手が勝手に言い出した!」と
発狂してるだけ。
>>156 >>157 >>158で論旨替えの証拠レスだされて沈黙してる
各点についてさっさと答えろよ。
んで、「魏はそんなことしてない!インフラのおかげで6万養えるようになった!
インフラは偉大!」がお前の論旨だろ。だったら魏はそういった異民族一切関係ない、
純血の軍隊でないとおかしい事になる。実際は多くの部族が魏に従属してるわけで。
カクワイとかは異民族とのつながりを普通に持ってる事が史書にある。
お前の言ってる理屈はこの時点で破綻してる。いい加減、論旨を2転3転させて
相手に押し付ければオッケーとか思うなよ。こっちは過去ログ保存してるので。
ケ艾のところで散々主張してるだろうが。
ケ艾自身が散々絶望的な状況を説明し「存亡の危機だ!」とか言っても
劣勢だとか史書には書いてない!兵力優勢の可能性ありだ!魏は偉大!
とか寝言ほざいてるし。自分が主張する時は平気で史書を無視するくせに
相手にいう時は史書に書いてないとノーカウント、というのがお前のスタンスだろうが。
はいはい。結局、お前は自分に都合が悪ければスルーってわけだな。
どうやって寡兵と証明する?とか言ってるけどケ艾自身が存亡の危機、と
述べてるわけで。不利じゃなかったらこんなこと言わないだろうが。
どうして「存亡の危機」という普通の「劣勢」というよりはるかに酷い表現でも
お前の中だとなお魏が優勢、とかいう話になるのが疑問なわけだけどな。
んで、詔勅のどこに新兵どうたら、が書いてあるんだ?出してみな。
お前って毎度毎度思うが、本当に漢文読めないのな。
最初にお前がテイ族の降伏者は皆殺しにされた!とかいってんじゃん。
実際には夏候淵伝では
得其旌麾、還略陽、進軍圍興國。氐王千萬逃奔馬超、餘衆降。轉擊高平屠各、皆散走、收其糧穀牛馬。
とセットみたいに書かれてるわけで。肝心の夏候淵伝には皆殺しなんて表記ないぞ。
どっちにしろ、お前の妄想と違って、テイ族はそれ以後も十分な規模を持って
存在していくことだから、お前の理屈は破綻してる。
なんか文字化けしてるみたいだから、一応訂正
氐王千萬逃奔馬超はテイ王千萬逃奔馬超、
轉擊高平屠各は轉撃高平屠各、ね。
>>182 結局具体的に記述無ければ都合悪ければノーカウント、という話になるわけだろ。
いつものインフラ君論旨爆発だな。
ほんで、お前さんの妄想と違って、夏候淵伝には
「馬超と戦ったが不利だった。並びにテイ族が反乱したので軍を退いた」と
しっかりと書いてある。これが17年の事な。
具体的に従った記録がない、と言いながら、都合のいいところだけ使って
自分に都合のいい論旨作るのやめろと何度も言われてるだろ。
>>176 >>182 んでインフラ君よお〜
都合悪いからといってまるっとスルーして終わりに従ってるみたいだけど、
さっさと以下の点について答えてくれよ〜
インフラ君は論旨替えの証拠レスとか出されて
すっかり都合が悪くなって、答えられるところだけ答えて
スルーして終わりにしようとしてるみたいだけど、
こっちが聞いてる
>>156 >>157 >>158 のレスの各点について
明確なお答えを頂きたいのだけど。何度でも聞くからよろしくね。
>>179 不眠太夫ってそんな奴いたっけ?
インフラ君が
>>165で言ってるショートスリパー(爆笑)とかいうのは
活動時間帯とその空白の連動性で見て明らかに嘘だし。
インフラ君の方だったのか><
粘着んで吉
武力 64
統率 1 (空気嫁)
知力 48
政治 1 (引き処を知らない)
魅力 1
備考:口癖「んで」
>>186 「正史に書いてないなら」ということは書いてない
もう少し文章読もうね
>お前がテイ族の降伏者は皆殺しにされた!とかいってんじゃん。
「興国のテイ族」な?
千萬は「白項テイ王」、「興国テイ王」は阿貴
正史の記述の通り興国のテイは皆殺しで、これは魏略で阿貴の部族の滅亡の記事と合致する
史料に書いてある事を無視するのは君の悪い癖だ
>>188 「呼応」と「従属」の違いがわからないのね
単に馬超と一緒に戦ったりしてるだけだと「呼応した」か「従ってる」のか判別できないんだよ
君は自分で「テイ族が馬超に従って具体的に活動してる記述」と設定してるのに自分の言葉すら守れないの?
従っての行動は最初が建安16年が最初だよ
>>190 仕事してりゃ昼間なんて滅多に書き込めないだろ
あれだって昼休みとかその他の休みとか利用して色々書き込んでんだぞ
>>193 つライン工のおっさんだから、世間体がないから仕方がない
ダルビッシュ
武力100
統率 94
知力 78
政治 61
魅力 98
備考:バツイチ
>>193 >>194 >仕事してりゃ昼間なんて滅多に書き込めないだろ
>あれだって昼休みとかその他の休みとか利用して色々書き込んでんだぞ
なんか、レス場所間違えてないか?
それでお前なにをいってんの?
俺はお前相手のレスを返すのは大抵朝か夜、もしくは夕方だぞ。
いつもいつも昼間に粘着してレス返してるのお前じゃん、インフラ君。
しかも
>>194で白々しい自演までしてるし。
そんでお前はまさか、お前が昼間にレスしたのをからかってる奴を
全員俺だとでも思ってんのか?相変わらず馬鹿丸出しだな。
俺はあいにくとお前の相手を昼にはしてないよ。
昼休みとかその他の休みねえ。
お前って深夜の2時から4時まで平気で粘着するわ、
朝の7時まで書き込むわ、で明らかにニート丸出しなのに、
まだ社会人設定に固執するわけ?
お前が朝の7時にまで張り付いてレスしてた日は、
その時間分反論レスが遅れて昼すぎた後の3時にレスしてるわけで
お前が7時まで粘着するとお前のお昼休みも延長になるのか?馬鹿も休み休みいえよ。
どっからどう見ても、朝まで粘着して睡眠とって、3時近くになって起きてきた、
というネット廃人生活なだけだろ。笑わせるのも大概にしろよ、インフラ君。
>>193 言ってるだろ。自分で都合の悪い事は正史に無いとかいう事であれば
当事者が「存亡の危機」と言ってても優勢だと言い張り、
かといって自分の妄想をごり押しする為なら平気で史書に書いてない事を
妄想で根拠として主張する、というのを繰り返してるだけ。笑わせるな。
馬鹿か、お前。
だから正史の夏候淵伝では皆殺し、なんて書いてないんだよ。
進軍圍興國。氐王千萬逃奔馬超、餘衆降。轉擊高平屠各、皆散走、收其糧穀牛馬。乃、假淵節。
「夏候淵は進軍して興国を囲んだ。テイ王千萬は馬超のもとに逃亡した。
高平、屠各、なども攻撃されてみんな逃走した。その食糧や牛馬を収容した。
淵はこれによって仮節を得た。」これだけだぞ。お前の主張なら、皆殺しが夏候淵の伝に無いのはおかしいよな?
商曜を倒した時の夏候淵の記述には「屠」の字が普通に書いてあるのにな。
皆殺し、で解釈するならこの時に無いのはおかしいだろ。
つーか「史書に書いてある事を無視する」ねえ。そりゃ面白い事いってくれるわ。
ケ艾本人が存亡の危機、と言ってる状態を無視して優勢とかのたまったお人が
何をぬかしてんだとしか。そんで詔勅の中に新兵云々があるとかいう話は
どうなった?正史を無視しないんだろ?早くだせや。
「従う」、には「賛同する」という意味もあるんだけどな。
正史とかで軍師とかの献策を受けて
それを受け入れなかった場合とかは「不従」とあり
お前の訳だとわけわからん事になるし。
結局のところさ、お前は都合よくスルーしてるけど
お前の主張の根幹である「馬超は異民族のあわせた兵力!
魏は異民族の力なんかいない!」とかいう論旨は、もうとっくに破綻してるだろ。
テイ族は結局この後も巨大な単位として存在し続けるし、三国志の後には
いくつもの国を中国に建設する。そして、魏が異民族の力を借りてない、
とするところもありえなくて、カクワイとかは明らかに異民族とつながりを
持ってる。この時点でお前の理屈は明確に破たんしてる。
まずこれに答えろや。都合悪い所をスルーして答えられそうなところだけ
つっついて粘着する癖やめろって何度も言われてるだろ。
>>193 「自分は正史を無視しない」と主張なされる割に、
自分に都合悪い所からは延々と逃げ回り、単に都合悪い所を答えない、都合の悪い所を無視し続けるだけ
というだけにしか見えないインフラ君
>>193の為に
ここでインフラ君が逃亡を続けている話題について一覧を再び作成しましょう。
1.インフラ君は最初に「踏み込めたか」=「侵攻したか」の意味であると
>>156で証拠レスまで出されており、その踏み込めたか、という点では
姜維は普通に踏み込んでおり、ケ艾もそれを当然のように予想してます。
これではインフラ君の論旨である「インフラ完成後は蜀はインフラ関連地帯に
踏み込めなかった。侵攻ルートも制限された。蜀終了。」という説が破綻してます。
これについてまずご説明をいただきたいのです。
そして、自分で言い出した事であるにもかかわらず、言葉に窮した挙句
「制圧できたか、という意味で言ったんだ!そう解釈できないのはお前の読解力が悪い!」
などと寝言をぬかした理由と釈明を是非ともさっさとやって頂きましょう。
2.同じく
>>156で答えられている事ですが、インフラ君の論旨では
「諸葛亮時代は武都・陰平を制圧できた!インフラ完成後はそういうの無い!
インフラは偉大!蜀終了!」とかいう寝言ですが、実際には第4次・第5次北伐では
諸葛亮は特にどこかを制圧してませんし、姜維だってキョウ族と組んで
侵攻の足掛かりを作ったり秋道の三県を制圧したりしてます。これでインフラ君の論旨は
完全崩壊です。この点も完全にスルーしやがってるみたいですが、
さっさとお答えなり釈明なりを頂きたいものです。
3.ケ艾が存亡の危機、だと言ってるのに優勢だという根拠は
一体正史のどこにあるのでしょうか?是非ともお答えください。
そして詔勅に「新兵云々」がという記述があるというのはどこでしょうか?
正史を無視ししないインフラ君の事ですから
きっと素晴らしい記述を出してくれると思います。是非早くしやがってください。
(続く)
>>198の続き
4.但當鑄直百錢の中に発行差益狙いであるという明確な記述と
それによって数億の効果がでたという明確な記述をさっさと提出しやがってください。
「正史を無視しない」インフラ君ならきっと素晴らしい妄想、もとい記述を出してくれると
思いますので、早くしやがってください。
5.自分でつらつらと「「平諸物賈」ってどうやると思ってた? 」と言って
平準法の事を説明してたのに、それで「数か月で国庫充実」というのが不可能であると
わかった途端に完全スルーを決め込んでる理由について釈明をお願いします。
「正史を無視しない」というプライドにかけてさぞ素晴らしい答弁をなさると期待させてもらいます。
6.「貨幣問題で苦しむ事が常態の魏」が安泰であるならば、
蜀が貨幣の質を劣化させようが、最悪いきつくところまでいって貨幣発行しなくなっても
魏と同じような形で生存が可能になる、という理屈を説明されたら
完全逃亡を続けてる理由をご説明ください。
以上6点、まだまだ聞こうと思えば聞けますが、今回はこれに絞って聞いてみます。
「正史を無視しない」インフラ君はさっさとお答えください。
( ゚дメ) 200
>>196 は?
一般企業なら一日のノルマを効率的にやってれば自由時間が増える職場もあるだろ
ドライバーなら待機中=自由時間だし
やっぱ世間知らずなんだな
>>201 はあ?
もはや論旨に対する反論すら失せて、いう事がそれか?インフラ君。
っていうか、お前の場合は深夜の2時だの4時だのまで粘着した日は
起きてくるのは12時前後、
朝の7時まで粘着した日は起きてくるのは3時近く、
という明らかに夜の活動時間と起床時間が連動してるだけじゃねーかよ
これでどこがノルマ効率的にやって自由時間増やすだの、
ドライバーして待機中だの、そんな話になるんだよ
いっておくが、ドライバーさんはお前の妄想するような活動時間じゃ
まず過ごせない程の激務だろうが。っていうか、ドライバーさんの仕事量とか
お前は本当に知らんのな。
っていうか、論旨はどうしたんだ?突っ込めそうなところだけか?例によって
>196から
>>199までの問いにさっさと答えろよ
と自ら無知を晒すのであった。
スレチだとなんどか指摘されても益体のない議論を続けるとは真性の荒しか
そりゃ、蜀が詰んでる発言が気に入らず一人で発狂し頭壊れちゃった人間だからね〜
そりゃ、スレ立てても報われないわ。
インフラ整備で蜀が詰んだのなら、諸葛亮亡き後の蜀と戦った魏将の能力値は軒並みダウンだなあ…
>>203 と、具体的に返せずに抽象論で返すインフラ君
>>203であった。
深夜の2時から4時まで平気で粘着し、朝7時まで粘着し、
その粘着時間と書き込み時間には睡眠時間分の連動性がある自称ショートスリーパー(爆笑)の
インフラ君であった。
>>205 蜀が詰んでる、とかいう結論ありきの破綻した論旨を必死に主張し、
散々あちこちから叩かれ、言葉に窮して発狂し、
論を曲解して相手に押し付けようとして証拠レス貼られて
その論旨が完全崩壊したにも関わらず
誤魔化して逃げようとしたが失敗し、他人のふりをして議論否定に走る、
みじめなインフラ君
>>205であった。
相変わらずインフラ君は破綻した論旨が崩壊した後は相手の否定と
議論否定に躍起になってるご様子。必死な自尊心回復運動も大変ですね。
というか、インフラ君はもともと蜀がインフラで詰んでる、という論旨が
無理があると散々いろんな人から叩かれてたにも関わらず、
必死になって発狂して論旨すり替えや曲解を繰り返してごり押ししようとし、
ずーっとずーっと粘着してたのにも関わらず
今になって「相手が気に入らずに発狂した」だのわめいてるけど、
最初から最後まで勝手な妄想論旨で発狂し続けてきたのインフラ君じゃん。
さもしいというか、なんというか。
と、また荒らしてるし
と、いつまでも負けを認められずに相手へのレッテル張りと
議論否定に躍起なインフラ君
>>209であった
インフラ君は自分が相手を叩くのは荒らしじゃないと思う癖に
自分が叩かれると
>>209みたいに相手を荒らし認定するんだよなw
お前は2chと同化でもしてんのかよwさすがはネット廃人だけはあるw
なんだよ、ここはインフラ君ともうひとりと俺しかいないのか?
これは酷い荒れだ
>>212 結構他にも一杯いると思うよ
インフラ君からかって遊んでるのとか
215 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/21(日) 22:29:08.36
分かれ方はインフラ君とその他多数だろう
論旨は別として粘着してる人もどうかと思うけど
見てるだけだったけどインフラ君は真性ニートとしか思えないよ
時間軸的にノルマ営業にしてもドライバーにしてもこんなに貼り付けない
ニートなりに考えぬいた職種ではあるんだろうけどね
中村俊介ヲタの工場長に近いものを感じるwww
リアルで社長だろうがニートだろうがセレブだろうがどうでもいい。
インフラ君は思い込みが強すぎる。論旨が二転三転するくせに結論だけは意地でも変えない。
これじゃあ相手にするだけ無駄。相手してあげてる方ももうスルーしたれよ。
結局インフラ君が黙れば済む話なんだよね
もうとっくにインフラ君の論旨は破綻してる事でもあるし
インフラ君って誰じゃ?
だいぶロムらないで飛ばしてきたのにまだやってるのか
土日に出掛けて帰ってみると何故か俺が自演していたことになってるとは不可解な
レッテル張るの大好きな子にインフラ君って言われてたの俺だと思ってたんだが
どっか知らない世界にでも迷い込んでしまったのだろうか
>>220 土日に出かけて帰ってきたってww
お前、土曜日にも日曜日にもしっかりレスしてんじゃねえか、インフラ君w
ていうか、お前の事を最初にインフラ君と言い出したのも、
お前の事からかってるのも、お前の滅茶苦茶な論旨を突っ込んでるのも
明らかに一人じゃなくて複数いるっていい加減気が付けよw
それから、今になって「土日に出かけて帰ってきた設定」をつけるならつけるで
お前が答えられずにスルーして逃亡してる、
>>196から
>>199までの問いに
さっさとこたえろよww
>>218 インフラ君っていうのはね、諸葛亮の第4次北伐の後に
魏がやったとかいうインフラによって蜀が詰んだ、終了した、と断定して
30年たったってケ艾が存亡の危機状態だと複数の人から突っ込まれて発狂し、
蜀が貨幣の質が悪化したから蜀終了、と言い出して
魏の方が貨幣経済が明確に劣る、とこれまた複数から突っ込まれ
言葉に窮した挙句、論旨を2転3転させ、曲解させ、相手を悪いと押し付けようと
躍起になった挙句、論旨替えの証拠レスまで出されて発狂し、
相手が悪い事にしょうとしてレッテル張りして逃亡しようとして、
それもかなわず土日に出かけて帰ってきた設定を持ち出そうとしてる、
毎日深夜の2時から4時まで平気で粘着して、次の日は昼12時過ぎにレス
朝の7時まで粘着した日は三時近くにレス、と
その粘着した分だけ次の日のレス時間に連動性がある自称ショートスリーパー(爆笑)
の社会人設定のとても素敵な人だよw
関連レスは前スレから全部保管してあるから、お望みとあればその狂態を貼ってあげるから
いつでも見返す事ができるよw
なんて可愛い奴だ!
魅力は80くらいあるかもしれん(震え声
>>224 は?そんなもの何の意味があるわけ?
お前が勝手に保存しといて、勝手に設定をつけて主張すれば済むだけだろ
それにしても、本当にお前って登場から毎日毎日次の日12時前後に
反論開始なのなww深夜の2時から4時まで平気で張り付いたり、
朝7時まで粘着したりで、しかもその分、次の日の反論時間に睡眠時間分の
連動性がでるところとか、明らかにネット廃人としか思えないだろww
どこが言及してんだよ。お前に要求されてる根拠も記述も一切出てないぞ。
ほれ、まずはさっさと
>>198と
>>199で聞かれてる事をさっさと答えて
記述だせよ。全然答えられてないぞ。ほれ、早くしろ。
してるだろ。蜀の国力の衰えが貨幣に出てる!とか寝言言ってるけど、
結局、お前の論旨の中では「蜀よりも貨幣経済において圧倒的に劣り、
蜀の貨幣まで使って経済回してる魏は安泰」とかいうねぼけた理屈なので
「だったら蜀が貨幣の質が悪化していきつくところまで行って、
貨幣を使用しなくなったとしても魏と同じ形で存立可能だな」と言われると
発狂して論旨を2転3転させて逃げ回ってるだけだろ。
ほれ、さっさとそうでないというんだったら>196から
>>199まである
お前への設問に答えて記述ださんかい。絶対無理だろうから、逃げ回るだけしか
できないだろうがなwww
もともとお前にインフラ君という名前つけたの俺じゃねえしww
お前って本当にお前をからかってるのが一人だとしか思えないんだなww
>>224 >君が書いてないことまで勘違いするってのはレッテルじゃなくて事実だろ
ほほう、自分で言い出した事が論理的に破綻すると、
勝手に論旨を変えて「俺はこういうつもりで言ったんだ!そう解釈できないのは
お前が悪い!」と発狂し続けるだけのインフラ君がよくもまあ寝言ほざいたもんだ。
何度でも繰り返して言うが、お前がいくら論旨替えをしようとも、
俺はお前関連のレスを前スレから全部保管してあるので、
寝言は通用しない。
例えばお前の論旨替えの一例として、既に
>>156で挙げられている事ではあるが
お前が「インフラのおかげで蜀はインフラ関連地帯に攻め込めなくなった!
インフラは偉大!蜀終了!」とか寝言ほざいてたのは
前スレのレスではっきりと証明されている。(続く)
>>226続き インフラ君の論旨替えの証拠レス検証
707 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/12(金) 02:05:56.14
>>704 魏は守備兵込みじゃなくて遠征で20万
動かせる兵が20万というのと守備兵含めた全軍で10万ってのはまるで違うよ
そも「それまでと変わらず蜀に攻められ続け」たという事実が存在しないでしょ
全然役に立たないというのも間違い
辺境にあまり駐屯軍を置けず長安などに大軍置いて必要に応じて軍を出してた頃に比べると
各地にまとまった数置いとけるようになった時期では蜀の侵攻ルートもかなり制限されたものになってる
↑のようにお前ことインフラ君は当初は侵攻ルートという言葉まで持ち出して
「踏み込めたか」=「侵攻できたか」の意味合いで語ってる。
なのにその理屈で諸葛亮や姜維の行動を指摘され、論理的に破綻をきたしたお前は
>>148で
148 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/18(木) 12:44:55.64
・最初はインフラで「踏み込めてない」と主張してるのに、踏み込まれてるし、
ケ艾からも踏み込まれることが想定されてる、と言われたらいきなり「占領できたか」
に論旨変えしてる。まずこれをちゃんとどういう事だか説明しろ。
「踏む込み」とは「その場所に行く」という意味ではなく
「その場所にしっかりと入り込む」という意味の日本語
従ってただ単に入り込まれた、城を攻撃されたというだけでは不十分
読み取れないなら日本語力が足りない
↑のように「侵攻できたか」=「制圧できたか」の意味でいったと主張し、
あまつさえそれを相手が悪いと寝言をほざいている。
既に何度も聞いてきたことではあるが、さっさとこれについて説明しろ。
他にもいくつもあるから、まず
>>196から
>>199までの設問に答えて
記述だせ。完全逃亡して逃げられると思うなよww
お前の寝言と論旨替えに関しては過去レス保管してあるから、これ以外にも
いくつも出せるが、まずはこれらだけでもさっさと答えて欲しいもんだなw
何度も論旨替えを指摘され、証拠レスまで出された挙句にそうやって言い張るんだから
さぞ自信に満ちた答弁ができるんだよな?ほれ、さっさと答えて記述だせよw
>>224 「自分は正史を無視しない」と主張し、論旨が崩壊すると相手に押し付けたがるインフラ君
自分に都合悪い所からは延々と逃げ回り、単に都合悪い所を答えない、都合の悪い所を無視し続けるだけ
というだけにしか見えないインフラ君
>>224の為に
ここでインフラ君が逃亡を続けている話題について一覧を三度作成しましょう。
1.インフラ君は最初に「踏み込めたか」=「侵攻したか」の意味であると
>>156で証拠レスまで出されており、その踏み込めたか、という点では
姜維は普通に踏み込んでおり、ケ艾もそれを当然のように予想してます。
これではインフラ君の論旨である「インフラ完成後は蜀はインフラ関連地帯に
踏み込めなかった。侵攻ルートも制限された。蜀終了。」という説が破綻してます。
これについてまずご説明をいただきたいのです。
そして、自分で言い出した事であるにもかかわらず、言葉に窮した挙句
「制圧できたか、という意味で言ったんだ!そう解釈できないのはお前の読解力が悪い!」
などと寝言をぬかした理由と釈明を是非ともさっさとやって頂きましょう。
2.同じく
>>156で答えられている事ですが、インフラ君の論旨では
「諸葛亮時代は武都・陰平を制圧できた!インフラ完成後はそういうの無い!
インフラは偉大!蜀終了!」とかいう寝言ですが、実際には第4次・第5次北伐では
諸葛亮は特にどこかを制圧してませんし、姜維だってキョウ族と組んで
侵攻の足掛かりを作ったり秋道の三県を制圧したりしてます。これでインフラ君の論旨は
完全崩壊です。この点も完全にスルーしやがってるみたいですが、
さっさとお答えなり釈明なりを頂きたいものです。
3.ケ艾が存亡の危機、だと言ってるのに優勢だという根拠は
一体正史のどこにあるのでしょうか?是非ともお答えください。
そして詔勅に「新兵云々」がという記述があるというのはどこでしょうか?
正史を無視ししないインフラ君の事ですから
きっと素晴らしい記述を出してくれると思います。是非早くしやがってください。
(続く)
>>228の続き
4.但當鑄直百錢の中に発行差益狙いであるという明確な記述と
それによって数億の効果がでたという明確な記述をさっさと提出しやがってください。
「正史を無視しない」インフラ君ならきっと素晴らしい妄想、もとい記述を出してくれると
思いますので、早くしやがってください。
5.自分でつらつらと「「平諸物賈」ってどうやると思ってた? 」と言って
平準法の事を説明してたのに、それで「数か月で国庫充実」というのが不可能であると
わかった途端に完全スルーを決め込んでる理由について釈明をお願いします。
「正史を無視しない」というプライドにかけてさぞ素晴らしい答弁をなさると期待させてもらいます。
6.「貨幣問題で苦しむ事が常態の魏」が安泰であるならば、
蜀が貨幣の質を劣化させようが、最悪いきつくところまでいって貨幣発行しなくなっても
魏と同じような形で生存が可能になる、という理屈を説明されたら
完全逃亡を続けてる理由をご説明ください。
以上6点、まだまだ聞こうと思えば聞けますが、今回はこれに絞って聞いてみます。
「正史を無視しない」[都合の悪い事は相手の勘違い。相手の読解力が悪い。]と主張し続ける
インフラ君はさっさとお答えください。
あれか、自演か
トリ付けたままだったorz
怒りドッカーン
>>230 確かにインフラ君は自演して自身がネット廃人である事実を
必死に否定しようとしてるよな、滑稽だよ
相手が複数な事にもいまだに気がついてないみたいだし、滑稽すぎだよ
インフラ君
>>224は論旨が完全に崩壊してるんだから
さっさと諦めればいいのにな
どんどん無理をして泥沼にはまってる感じ
イチロー
武力 76
統率 80
知力 90
政治 66
魅力 95
備考:左投げ左打ち
キチガイって本当にいるんだなぁ
>>236 じゃあ、イチローのステータス考えてみろや!!
イチローって右投げじゃなかったか
あ、本当だ!
すみません、間違えました!;;
イチロー→司馬懿
松井秀喜→諸葛亮
黒田博樹→陸遜
野茂英雄→曹操
伊良部秀輝→劉備
マック鈴木→孫権
佐々木主浩→周瑜
>>241 片方は自説を固持して譲らないし、もう片方はそいつを貶めるためだけに延々とレスしてるだけで
肝心の能力談義する気が欠片もないしどっちも基地外で邪魔。
インフラ君連呼もキチガイだもんな
おいおい、それはないぜ、インフラ君
もともとインフラ君と言い出したのも
インフラ君と言ってるのも一人じゃないし
いんや、あんな真性キチは一人で十分やろ
壇蜜
武力 8
統率 45
知力 73
政治 29
魅力108
備考:仕えたい
福山雅治
武力 34
統率 70
知力 22
政治 17
魅力 85
備考:歌手で俳優
梶芽衣子(若い頃)
武力:100
統率:28
知力:62
政治:85
魅力:100
参考:修羅雪姫
備考だったー
>>245 ところがどっこい、前スレからずっと真正基地外扱いされてたのは
インフラ君で、ずっとインフラ君は多くの人に論理破綻を突っ込まれていたのです
現実、これが現実
とあるスレで話題がホットな蜀の将軍高翔の能力値を考察
統率60代くらい
華陽国志によると最終的には蜀の大将軍までのぼったそうなので、これくらいは。
武力70代後半から80代初頭
野戦においてはやたらと強かった諸葛亮時代の蜀軍における督前部(前線部隊司令官)だったので
これくらいの数字はあっていいのでは。第4次の司馬懿との決戦では魏延・呉班と並んで
決戦部隊を任されて大勝してるし。街亭でも馬謖のやらかしで総崩れになった蜀軍の前線において戦い
魏側からも蜀の第一次北伐における馬謖と並ぶ主要な将であるとみなされてる
知力50代
特に伺える逸話無いけど、たたき上げの昇進で大将軍までのぼったなら
知力が武力の足を引っ張らない感じで、これくらいはあっていいんじゃないだろうか。
政治50代
知力と大体同じ理由。
魅力60代
第4次北伐における司馬懿との決戦を共に戦ったのは魏延・呉班であるが、
魏延のその後は諸賢の知る通り。呉班は最終的に驃騎将軍にまで栄達してる。
それらを超えて高翔は華陽国心志によれば大将軍にまでなったそうな。
蜀の外戚の一族で「男伊達」とまで言われた呉班より上の位にのぼれたのは
魏延の件も照らし合わせて、それ相応の魅力があったからではないかとみてこれくらい。
>>251を踏まえた上での一応の数値化
高翔
統率61
武力80
知力51
政治57
魅力63
なんだか、ゲームでいう所の典型的な2線級武力系武将、という感じの能力に
なりました。
そう言われちゃうと福山雅治の数値が高い気がするな
福山はもっと武力とか低くていいかな
いいんだよ、ジェットリーからすれば三国志武将なんざ雑魚なんだから
福山の武力は高くとも構わん
>>251 高翔が大将軍になったとしたら239年から243年の間だろうね。
蒋エンがフに戻ったタイミングだから、果たして高翔が死んだのかもしくは蒋エンと一緒に第一線から除かれたのか、判断がつけづらい…
>>255 高翔と同じく漢中戦に一武将として活動してる陳式が
第三次北伐以降にぱったりと経歴が途絶える事からして、
さらにいうと第4次北伐後の李厳弾劾文にも名前が見えない事からして
多分死亡したか引退したか、なので高翔もそれ相応の年だったのかな、と思わんでもない。
だとしたら蒋琬がフに戻った時期くらいに死亡しても、おかしくないのかなー、とは思う。
ただ、漢中戦の時点で陳式は10数個の陣営を統括する立場にいたそうなので、
陳式の方が高翔よりも年上、あるいは経歴が上、という可能性はあるけど。
>>255 華陽国志だと237年の記事で高翔は大将軍に至ったと書いてあるし
239年までは大将軍は蒋エンだから239年から243年ってのはかなりありえるだろうね
蒋エン(零陵)、費イ(江夏)だけでなく高翔(南郡)もまた荊州の南部出身者だから
地位の回し方で考えると大穴で費イ没後から姜維が権力固めるまでの2年程度の期間で
荊州関係者の最後の抵抗があったかもしれない
>>256 李厳弾劾の時は督前部・右将軍・玄郷侯として名前連ねてるよ
>>258 ああ、悪い。そういう意味じゃないんだ。高翔が李厳弾劾文でその役職で
載ってる事は知ってる。でも、その第4次北伐の前の第三次北伐で大功を立てた陳式が
それ以後の歴史に一切現れず、李厳弾劾文にも一切名前が見えない事から
多分、第三次北伐の成功後から李厳弾劾までに死亡するか、引退するかしてたんだろうな、
って事よ。
じゃあ、その陳式って人のパロメータは高翔のに1〜9足した感じにしよう!
>>260 俺が陳式つけるとしたら、もうちょい色々考慮してつけると思う
陳式は何気に高翔よりも活躍や事績が具体的になってる所があるので
吉川晃司は福山雅治から引いた感じ?足した方がいい???
布袋寅泰・・・
>>259 陳式についての説明が途切れてるように見えて勘違いした
すまんかった
もし陳式が生きてたら、引退希望したとしても仕事も権限もない高官として
劉エンのような立場で相談役させただろうし本命は死亡じゃないか
>>262 陳式の能力値考察
統率70代
諸葛亮時代の蜀軍において、魏延を除いて独立部隊を任された唯一の将帥。
そして諸葛亮時代に、というより蜀漢北伐史において大国魏から
恒久的に複数の郡を迅速に完全制圧して確保した唯一の将帥でもある。
漢中戦においても10数個の陣営を統括していたり、
劉備最後の呉遠征でも水軍を率いて先遣隊となってるので、
そういった独立部隊を率いるのに適した、統率力に優れたものがあったのではないかとみて
これくらいの数字を与えてみる。
武力70代中盤から後半
劉備時代にはなんだかんだと独立先行部隊を2回も任されており、その敢勇には
ある程度の信頼があったのではないかと思われる。
そしてやはり第三次北伐において2つの郡をカクワイが救援に到達するよりも早く、
迅速にあっさりと完全制圧して迎撃体勢を取っているのもポイント高し。
(これで諸葛亮との挟撃体勢が可能になった。)
知力50代から60代
判断材料は豊富とはいえないが、その経歴から見て
それ相応のものがあったと見てこれくらい
政治60代
やっぱり逸話があるわけではないが、彼が迅速に制圧した2郡がその後も
恒久的に蜀の領土として安定して確保され続けるので、それ相応のものはあったか。
魅力60代
なんだかんだいって劉備・諸葛亮の二人の傑物に独立行動を任せても問題なし、
と思われるくらいに信頼されていたようであり、それ相応の魅力はあったかと見てこれくらい。
>>266を踏まえた上での陳式の一応の数値化
陳式
統率71
武力76
知力61
政治62
魅力63
なんだか、ゲームでいう所のいると便利な2線級の武官にして統治官ってところですかね
太守とかを任せるのに便利なバランスのとれた能力、って感じですか
陳式にそこまで高い政治力を付与していいのか疑問
占領地が安定して統治されるのって陳式の手柄にしていいの?
>>268 正直、政治に関してはかなーりフィーリングなところもあるけど、
あれだけ短期で制圧した2つの郡が、魏軍が救援に来ても全く動揺してなくて
その後もずっと安定、ってのは陳式に占領地の住民をある程度安静にさせる、
それなりの配慮があったんじゃないの、とは思ってる。
なにせ、陳式が制圧した2郡は第三次北伐では諸葛亮も直接には赴いていないので
第三次北伐が終結するまでの占領行政は陳式の裁量によったと思われるので。
ま、別に50代でもいいんだけど。
>>269 占領行政ってどれくらいの期間やっていたっけ?
>>270 不明。第三次北伐が終了した時にそのまま帰ったなら数か月。
でも陳式の部隊は第三次北伐が終わって諸葛亮本隊などが本国に引き返した後も
しばらく現地に留まって占領行政と魏への警戒をやっていた可能性があるので、
その場合は期間が不明。
なるほど、占領してそのまま統治という可能性があるのか
60代ってことを理解した
督前部の高翔と並ぶ督後部の呉班の能力はどんなもんでっしゃろ
孫御飯
武力 150
統率 80
知力 88
政治 40
魅力 70
備考:学者志望、サイヤ人
孫悟飯だった
督前部が切り込み役である前軍を指揮するのなら
督後部は軍を後ろからどっしりと支える役割だろうし
より組織的な能力の適正があったとして
高翔と武力と統率が入れ替わったコンパチキャラになりそうだな
呉班は諸葛亮時代には督後部だけど、経歴でいうと呉班は劉備の呉遠征で先陣を務めて
陸遜、李異、劉阿、などが防衛ラインを敷いていた巫と秭歸に攻撃をかけて
まず巫で李異、劉阿を撃破して、
次に陸遜もいたのではないかと思われる秭歸に攻撃をかけて呉軍を撃破して夷道まで至って孫桓を追い込み、
(陸遜伝では「初め孫桓は別して劉備の先鋒部隊を攻撃したが、夷道において劉備に囲まれる事となり
陸遜に救援を求めた。」とある。その時の劉備軍の先鋒を務めたのが呉班であり、
呉班は孫桓の攻撃を返り討ちにして夷道に追い込んだと思われる。)
さらにそこでも先陣を務めて呉軍をおびき出す為に数千の兵を率いて突出して挑戦したり、と
やたらと突撃将的な活躍が多いな。
文字化けしちゃったけど、
>>277の秭歸はシキの事です。
279 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/27(土) 03:21:33.65
呉班は夷陵だけでなく北伐でも活躍してるんだよな
北伐時の魏延に次ぐ猛将ってイメージ
つうか外戚で実績もあるのに列伝されてないのがこれまた…
前スレとか見てないけどとりあえず馬超と姜維は評価されてる?
馬超は
統率83
武力71
知力23
政治12(判別不可能)
魅力84(家柄的に)
姜維は
統率78
武力79
知力82
政治64
魅力89(孔明に異常に気に入られたから)
が妥当だと思う
まず馬超だけど韓遂配下のエンコウに一騎打ちでやられてるから一騎打ち的な意味での武力補正は無し
そして精鋭と大軍を率いてたのにも関わらず曹操に敗北した
これは将の器で負けたわけだから武力は平凡
その後も実績が皆無だから武力は平凡のまま
統率は一応血筋的に西涼豪族をまとめ韓遂とも同盟結んだから中の上くらいはあるか
姜維も同様に実績から判断するに能力があったとは思えない
孔明を破ったのも小競り合いに近い戦いだしそれも一度切り
数千の軍を率いるか帳の中で総大将に献策するのがこいつの限界だったと思う
その献策の部分を孔明が勘違いして大将としても有能だと判断してしまった
281 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/05/01(水) 01:53:29.57
孔明を破った?
演義の話をしてるのか?
282 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/05/01(水) 01:55:52.98
>>280本当に正史を読んだのかと言いたくなるぐらい適当だな
むむむ
284 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/05/05(日) 09:02:44.78
ここのスレはよく見てるよ
285 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/05/05(日) 09:41:04.51
:::::::: ┌───────────────────── ┐
:::::::: |京介の防御率がやっと2点台になったようだな… │
::::: ┌───└───────────v───────┬──┘
::::: |フフフ…奴は巨人リリーフ四天王の中でも最弱… │
┌──└────────v──┬───────────┘
| 中日ごときにやられるとは │
| 巨人リリーフ陣の面汚しよ… │
└────v─────────┘
|ミ, / `ヽ /! ,.──、
|彡/二Oニニ|ノ /三三三!, |!
`,' \、、_,|/-ャ ト `=j r=レ /ミ !彡
T 爪| / / ̄|/´__,ャ |`三三‐/ |`=、|,='|
/人 ヽ ミ='/|`:::::::/イ__ ト`ー く__,-, 、 _!_ /
/ `ー─'" |_,.イ、 | |/、 Y /| | | j / ミ`┴'彡\
山口 西村 マシソン
ここでの呂布の評価は?
武力100は当然かと思いますが、私は統率や知力も90ほどあったかと存じます
巨人リリーフ陣2013
武力 65
統率 80
知力 54
政治 35
魅力 76
備考:監督今誰?
そういや、松井はもうやった?ゴジラの方
>>274 武力は1000ぐらいあってもいいんじゃない?
291 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/05/08(水) 19:08:45.85
ダルは凄いのう
曹操=長嶋
劉備=王
孫権=衣笠
なるほど
趙雲=松井秀
というのはどうかな?
曹操が長島なら劉備は王じゃなくて野村やろ
王は司馬炎、実績的な意味で
記憶の曹操、(統一的な意味で)記録の司馬炎
曹操の影に隠れた月見草ポジの劉備
なら古田敦也は諸葛亮か
劉備=野村克也
諸葛亮=古田敦也
よさそうですな
原は関羽
中畑は張飛
>>297 劉備、諸葛亮を野村、古田ラインで固めるなら
関張は杉浦、皆川とかじゃね
野球に興味無い人間のことも考えろ
じゃあサッカー???
バースとかイチローが決められん
短い命だった橋本真也は
郭嘉・周瑜・ホウ統
のどれか
ジャイアント馬場とアントニオ猪木なら知ってる
曹操が猪木なら劉備はマサ斉藤だな
一瞬、マサ伊藤こと伊藤政則(いとうまさのり)かと思ったが
マサ斎藤も斎藤昌典(さいとうまさのり)なんだな
ややこしや
曹操=ハリー・レース
劉備=ディック・マードック
孫権=ボブ・バックランド
さっぱりわからんからググってくる
羅貫中=ビンス・マクマホン
沙摩柯=ジミー・スヌーカ
ザ・ロックは典韋
ダッドリーボーイズは李カクと郭シ
アンダー・テイカーは関羽
ストーンコールド・スティーブ・オースティンは甘寧
312 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 14:33:45.58
アブドゥール・ザ・ブッチャー
武力 86
統率 43
知力 63
政治 39
魅力 95
備考:ヒールなので嫌われ度も魅力に加算
みんなで決めるレスラー能力
314 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/05/12(日) 01:48:49.32
>>296 長嶋監督時代に野村監督&古田捕手でヤクルトの方が優勝回数多いんだよなあ・・・
>>314 劉備、諸葛亮ペアになって以降は曹操との戦績も2勝1敗(赤壁漢中・長坂)だしちょうどいいんじゃない?
武力最強は典韋か許チョだけど、どっち強いのか悩むナー。
関羽だしょ
318 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/05/22(水) 23:45:46.62
全盛期の猪木は?
>>277や
>>279で挙げられている呉班の能力値ですが
実績などを考慮するに武力84くらいはあってもよさそうに思えるがどうだろ
全盛期のヒョードルは許チョ
全盛期のマイク・タイソンは典韋
つまり関羽は神の領域なわけだな
このスレでの武力って指揮官としての能力だから腕力は関係無いでしょ
あえて腕力で話すならパッと思い浮かぶのは典韋と許褚と関羽、張飛かな
典韋はボディガードと許褚は異論無いだろうけど関羽、張飛も演義の一騎討ち描写抜きにして成り上がりなだけに腕力はあったと思う
最初から将軍だった人間に腕力は無いだろうけど義勇軍から始まってそこの幹部になれるのってやっぱトップの劉備は人徳だとしても関羽、張飛は体躯の良さとか腕力の強さだと思うんだよね
そっから歴戦したわけだから腕力はあっただろう
逆に指揮官としての能力は関羽も張飛も低いけど
>>322 指揮官としての関羽、張飛は別格に優れてるよ
伊達に万人の敵ではない
張飛は兎も角、関羽に優れているといえるほど、指揮官としての実績はない
関羽、張飛共に最終的に数千の軍を率いるレベルにはなったと思うが数万、十数万みたいな大軍はめっぽうダメだったと思う
要は軍師の用兵の元に指示された行動を数千の部下と共に遂行して暴れるようなのは得意だろうけど軍を率いて兵法使って戦うような指揮官能力は無いだろ
>>324 おいおい、張飛は入蜀で大活躍してその直後の漢中戦でも張コウを打ち破ってるだろ
関羽は荊州で洪水の中で于禁を捕縛してる、徐晃や楽進に負けたりもしてるけど
この二人はそれぞれ魏の五将軍に匹敵する有能な指揮官だし関羽は水軍の指揮が出来る
実績はその仕えた国の特性上かはわからないがそれぞれ少ないながらしっかりとあるよ
>>325 張飛がそんな大軍率いた経験はないから
未知数ってだけで滅法だめかどうかはわからない
関羽は数万の大軍で北上して于禁を捕縛し、曹仁を包囲して徐晃に敗れた
こちらも滅法だめと言い切れるもんではない
魏を代表する将軍たちと戦って競り合って最後に敗れはしたが
指揮そのものに問題があるわけではない
いや防備とか無視して全軍で奇襲したらそりゃ最初は善戦できるもんだよ
諸葛亮の北伐の際に南蛮とか無視して全軍で魏延の案使って奇襲して長安包囲してるようなもん
結果関羽は荊州ごと失ってるからな
一度の敗戦で州ごと失った将軍ってそうそういないぞ?
完璧だった諸葛亮の作戦もこの失策で完全に崩れさったわけだから
第一関羽が水軍率いることができるってバカか?
そりゃゲームじゃ関羽は水軍系の兵法持ってる事はあるだろうが史実とは別だろ
ただ一回洪水利用して船並べたからって水軍率れるなんてアホすぎるぞ
関羽も張飛も大将として軍を率いるというよりは本当誰かの指示の元に兵を率いて攻撃するのが得意なだけだと思う
逆にそのケース以外での功績無いだろ?
唯一張飛が張郃破ったケースが挙げられるけどあれもどうせ黄権か法正あたりの入れ知恵じゃないの?
>>327 横から色々悪いが突っ込みどころ多いぞ
>結果関羽は荊州ごと失ってるからな
>一度の敗戦で州ごと失った将軍ってそうそういないぞ?
それは呉の裏切りによるものであって、魏軍に荊州を奪われたわけではない
これで関羽の指揮能力を低いとするのは無理。
どうしてそう、毎回過程がめちゃくちゃな結果論ばっかなんだよ、お前。
>第一関羽が水軍率いることができるってバカか?
長坂の時も関羽が水軍を率いて別ルートを進み、途中で合流したから
劉備達は助かった。ちゃんと水軍は率いてる。
>唯一張飛が張郃破ったケースが挙げられるけどあれもどうせ黄権か法正あたりの入れ知恵じゃないの?
悪く見すぎ。そんな記述はない。
張飛は蜀攻略でも厳顔を捕虜にしたりしてるし、指揮官としての資質が低いわけではない。
文字化けしちゃった
張郃は張コウな
>>322 関羽には顔良斬りがある
あれは後世でもたびたび勇者の士気を高めたり、武勇を称えたりする時に
引き合いに出される程の武勇の誉れ
後世において関羽はこの事績によって張飛と並んで三国時代を代表する勇者として
称えられている
史実に基づいて事績から武勇という点で語るなら、後世からの評価から見ても
関羽と張飛は圧倒的
典韋:ローズ
許チョ:カブレラ
関羽:中村
張飛:小久保
332 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/05/24(金) 12:55:30.72
初めましてこんにちわ、静岡におります美幸といいます。ただいまダイエット中で、体重計の針と毎日にらめっこしています・・・(^_^;)
333 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/05/24(金) 15:15:20.40
静岡の美幸
武力 48
統率 62
知力 2
政治 2
魅力 3
備考、ダイエット中
夏侯惇
基本的に曹操から警戒されないくらいの能力
統率78・・・太守や後方司令官の経験が豊富。与えられた組織を堅実にまとめる。
武力67・・・副将として初期の曹操軍を支える。一軍の将としての戦績は乏しい。
呂布と遭遇戦になったことがあり、呂布は一時撤退。
知力67・・・曹操からしばしば留守を任される。縁の下の力持ちタイプ。
前線では今一つ勘が働かず、判断を誤ることがある。
政治72・・・三つの郡で太守経験あり。治績を上げる。
魅力78・・・質素な生活を送り、私財を投げ打って人を援助。
妥当だな
卞氏は美智子さま
甄氏は雅子さま
袁術
統率57・・・元来大雑把な性格。組織をしっかりまとめるタイプではない。
その野心と家柄のため求心力はあったが、最後まで勢力を保てず。
武力57・・・宦官討伐。袁遺に勝利。曹操に大敗。策略込みで劉備に勝利。
知力63・・・陳ウを手玉に取って寿春奪取。呂布を篭絡して劉備撃破。
しかし大局的な戦略に欠け、最後孤立無援となる。
政治52・・・行政適当すぎ。政略で勢力を維持、拡大。しかし帝位僭称で敵増やす。
魅力52・・・侠人を気取っていたが、貪欲さと無軌道ぶりに定評あり。
利害抜きで付いて行きたくなる人ではない。
妥当すぎる程に妥当
ログ読んで無いから分からないけど武力かなり高くされてるであろう曹仁ってかなり脚色あると思うんだよね
記述的には「張遼は曹仁に次ぐ武勇」とあるけどこれは鵜呑みにしちゃいけないと思う
陳寿としても歴史書としても親族は立てないといけないから「魏の中で一番強いのは張遼」なんて書けない
だからあえて曹仁の次に強いと書いて外様に対する親族の象徴として曹仁は置いてるけど実際は「便宜上曹操軍一番は親族の曹仁、その下にいる実力主義の一般武将の中では張遼が一番強い」って書いてるみたいなもんなんだよな
曹仁においてはそこそこの名家の出といえど一応旗揚げ近くから従軍してるから弱くは無いと思うけどやはり実力だけが売りの人間よりは劣るのは明白だと思う
>>339 何で晋代に本書いてる人が前王朝の親族に配慮するの?
「曹仁の武勇は古代の孟ホン、夏育に劣らない。張遼は彼の次に位置する」
この記述は陳寿の本文じゃなくて註釈(「傳子」)
武勇
100 呂布、典韋、許チョ、関羽
95 曹仁、張遼、ホウ徳、文オウ、甘寧、丁奉、董襲、張飛
用兵
曹操、徐晃>張コウ、司馬懿、トウ艾、呂蒙、陸遜>その他
典韋や許褚をボディガードという理由で武力100にするならボディガードや精鋭部隊率いて前線にも出ていた趙雲も武力100じゃないか?
陳倒(漢字違う)も武力93くらいにしても良いと思う
>>343 なんか十万以上の大軍を率いて将の将として命令を出す司令官と数万率いて自らが直接軍を動かすような将軍とがごっちゃになってない?
>>344 趙雲は記述不足。80以上は確実だが。
>>345 司馬懿以外は全員戦術レベルで活躍してる。
司馬懿は戦術に関しては微妙か。
夏侯淵はこのスレじゃどういう評価なの?
夏侯惇は凡将、凡官的な評価だろうけど夏侯淵は張飛的な猪突勇将って感じなの?
曹操勢力が小さい頃にはそこそこ活躍してるから少数を率いて突撃するタイプなのかな?と思ってたけど以外と後方支援も得意らしいし
あと定軍山の戦い辺りで張郃がかなり失敗したり負けたりしてるけど劉備の評価は「張郃>夏侯淵」なんでしょ?
ここも良く分からない
夏侯惇は家柄に頼り保守的で実直な感じだったのに対して夏侯淵は家柄が良いにも関わらず血の気が多くて普段から武術の稽古もしてたような人物なのかな
曹操からは「退くこと覚えろカス」って言われてるしそういう若干脳筋要素ある人物だったぽいよね
>>346 趙雲は長坂で充分すぎる程だろ
後世にも伝説と化したこの逸話程のものを二人はもってないし
>後世にも伝説と化した
?
>>349 趙雲の長坂の奮戦は後世において人口に膾炙し、有名な逸話となっている。
一時はその武功は武成王廟に入るに足る、とみなされて入ってた時期もある
時代が下って廟の中にはいなくなったが、代わりに伍子胥と並んで門神となっている。
趙雲の後世における評価は相当なものがある。
夏侯淵は官渡戦後のある時期から一変。
元々太守やったり兵糧の輸送やってたのが急に勇将タイプに。
それまで半ば眠ってた武才が一気に開花したのか。
人柄に関する記述が少なめだから人物像が掴みにくい。
若い頃曹操の代わりに罪被ったとか、自分の子捨てて早世した弟の子救ったとか、
侠気のある人物だったのは間違いないが。
夏侯淵
統率73 武力88 知力60 政治60 魅力70
こんくらい
353 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/06/02(日) 22:32:34.98
山瀬まみの前で高齢出産の話はかわいそうだな
354 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/06/02(日) 23:41:05.38
曹洪は劣化夏侯淵ってイメージ
曹洪ってのは曹操軍における最大の私家集団の主だから
劣化以前に夏侯淵と比較していい存在じゃない
夏侯氏曹氏はめんどくさいから全員無能ボンボンだったと思って良いやろ
夏侯淵みたいな脳筋猪武将もいただろうが唯一個人主義でもやってけそうな曹仁を除いて全員部下の手柄だと思う
曹真とかあいつの戦略や指揮はほとんど参謀の考えだろうな
>>351 言っとくけど兵糧の輸送は超重要任務
兵糧は生命線、だが勢力が小さければ、そこに割ける兵に限りがある
統率力、戦闘力が低い者に任せられるはずもない
元から勇将としての資質はあったのだろう
後方支援を軽視しすぎ
358 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/06/03(月) 01:42:15.22
勇将じゃなきゃ後方支援できないの?
>>358 勇将云々の前に後方支援舐め過ぎ
蜀だとほとんどの戦いでナンバー2がやる重要な仕事
360 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/06/03(月) 07:36:36.45
山瀬まみの話題はよせ
軽視とか重要視とかじゃ無いだろ
そもそも分野が若干違う
将軍のナンバー2がやるんじゃなくて後方支援の責任者をナンバー2にしてただけだろ
早い話が将軍として活躍した人物が権力握って丞相になり政治家としても才能見せたとする
これに対して「将軍から天才政治家になった」って意見にお前は
「将軍だって重要だぞ!政治家と同じくらい将軍は大切なんだ将軍を蔑視すんな」って言ってるようなもん
そもそも兵糧管理と勇猛果敢な前線の武将は別の直接上にあるんだよ
二番目に優秀な将軍が兵糧管理任されたり兵糧輸送担当するなんてあり得ないから
362 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/06/03(月) 09:01:29.52
愚かな愚かな蛆虫
363 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/06/03(月) 09:02:28.01
いやさぁ
よくわかんねーけどなんかジュドーとか主要メンバーが嫌いなんだよ
ストーリーも嫌だけどキャラが全体的に好きになれない
ZZを宇宙世紀から外せと言うつもりはないけど積極的に見たいアニメではない
逆シャア好きだとどーしてもUCはワクワクするんだよ
ジェガンとか見てるとああ、続いてるんだなぁみたいな
デルタプラスなんかもそうだけど、Zや逆シャアっぽい感じのテイストも継承してるので
なんつか、今までのガンダムの続きとして楽しんで見れるんだわ
一部のUC面白いならZZ絶賛しろみたいな流れには全く同意できないね
頭大丈夫?って感じだぜ
>>361 そうだな、劉備の留守を関羽が守っていたが
優秀な将軍ではなく信用できるだけだったんだな
>>364 なんで話が本拠地を守る守将にすり替わってるの?
お前が言ってるのは兵糧輸送もしくは管理だろ?
関羽は劉備が遠征する際に魏や呉から荊州を守ってただけやん
呂布=横浜ランドマークタワー
典韋=東京都庁第一庁舎
許チョ=六本木ヒルズ森タワー
>>358 輸送部隊の護衛に当てられる兵も少ない勢力がまだ小規模の段階では特に、
才と信の双方に秀でた者を当てるべき
後漢末は飢饉で食糧不足であり
敵勢力以外にも賊や暴徒となった飢民らが奪いに来る
さらに酷いと自軍の兵すら食料を奪って逃亡なんてケースもありえる
食を軽視してるとどんなに強大であっても長続きしない
至強を誇った袁紹は、兵糧の防衛を軽視し、委ねて良くない人物を登用したため
食料を焼かれて一敗地に塗れた
それこそ、兵糧防衛に当てる兵を増やすなり、張郃に守りを委ねるなりしていれば
歴史は変わっていた可能性も高い
なんかお前の言ってることはすげぇ表面的というか浅いんだよ
兵糧輸送についての本でも読んで覚醒しちゃったの?
すげぇトンチンカンだぞ自分のレス見返してみろ
あとこんなことどうでも良いから早く別の武将評価しようぜ
夏侯淵は
>>352が妥当だろう
個人の武勇なんて将軍の才能と全く関係無いし筋トレした孟達くらいの武将だろう
夏侯淵は行軍が得意だったわけだから
統率か武力でそれは判断しないといけないし
210年代の涼州方面でばっさばっさと異民族を切り払って漢土を回復しているので
統率は80代後半から90代前半くらいは欲しいね
行軍は明らかに将軍の資質じゃなくて兵の才能だろ
そして兵を訓練してたのは夏侯淵じゃない
あと涼州の異民族討伐や豪族討伐は魏の兵力を盾に烏合の衆を蹴散らしただけだから武力80くらいが妥当だろう
>>370 違うよ?
夏侯淵の軍の兵は特殊だったなんて話ないでしょ
将軍が綿密に行軍行程を決定してその順路で遅滞なく補給して
尚且つ兵士たちに遅れないように監督するから素早い行軍が可能になる
高速機動が可能な軍ってのは率いる指揮官の能力が政務と軍事両面で高く
さらに訓練が行き届いてないと成立しない
夏侯淵の軍は曹操軍の中でもとりわけ速いと称えられてるので
夏侯淵の能力は高い
魏の兵力を盾に烏合の衆を蹴散らしたというのも間違い
具体的な兵数はわかってないし、魏は涼州方面にあまり拠点がないので
大軍でもって戦うということが難しい
万が一大軍でもって戦ったというのであれば
そんな大軍をロクに補給もできない土地で
縦横無尽に操った夏侯淵の実力は計り知れないものになる
どちらにしても夏侯淵の能力は高く設定しなければ間違い
涼州戦はともかくとして行軍の速度は明らかに兵士の能力だろ
それは流石に否定できないわ
>>373 じゃあ曹操軍で夏侯淵と同じような行軍に定評のある人は?
いないよね
兵士の能力だと主張するのであれば兵士がそれだけ特殊だという証拠持って来い
最低限典拠くらいあるんだろ?
>>374 横レスではあるが一応
>じゃあ曹操軍で夏侯淵と同じような行軍に定評のある人は?いないよね
司馬懿仲達とかどうだろ
>兵士の能力だと主張するのであれば兵士がそれだけ特殊だという証拠持って来い
最後に夏侯淵が討ち取られた漢中の戦いで、直接戦った黄忠の伝には
「夏侯淵の軍は甚だ精強であった。」とある。一応精鋭ぞろいとみていいんじゃないの。
>>375 司馬懿は特別に強行軍して夏侯淵と同程度の速度出してるが
夏侯淵は特別に強行軍してるとは書いてない
夏侯淵も強行軍してるとしても司馬懿と同程度なら十分能力高いと思う
しかし夏侯淵は司馬懿ほど官僚的な能力に恵まれてるとは言いにくいから
司馬懿が官僚的な能力で底上げしてる速度を夏侯淵は統率などで速度出してることになる
もちろん軍の中核を担う夏侯淵の近衛なんだから精鋭でいいと思うよ?
戦ってる最中、総大将が手元に虎の子の精鋭置かないとか意味がわからないしな
重要なのはそれが行軍中の軍全体に徹底されて三日五百里と言われる速度になるってこと
>>376 特別に強行軍してるんじゃないの。3日に500里なんてすりゃ。
司馬懿のも統率なんじゃないの。孟達戦を振り返って
「あんときは敵の4倍の兵を一気に急行軍で持ってきたから、
兵糧一カ月分しかなかったんだよね。
だから4倍の兵が半分になっても勝たなければいけないと思って
力攻めしまくったんだよね。」とか言ってるし、
司馬懿の戦闘って大体この要領の機動強襲戦だから、
司馬懿のも統率なんじゃないの。
黄忠は夏侯淵以外にもその息子とか、曹操が益州刺史に任じてた趙顒とかも討ち取って
その本陣全体を陥落させてるっぽいから
軍勢全体の事を精強だといってるんじゃないの。
>>377 夏侯淵が特別に強行軍したとしたっていいよ?どこにもそんなこと書いてないけど
司馬懿と同程度に行軍が上手いってことにしたって司馬懿は能力高から
夏侯淵も能力は必然的に高まるね
>>378 特別に強行軍と普通に強行軍の違いがわからんけど。
司馬懿の強行軍と夏侯淵の強行軍の何が違うのかわからんし。
親分から「ちゃんと知略も使えよ」と言われてるから知略は相応
統率で評価するなら、前スレで司馬懿の統率力は北伐時の経緯を見る限り
諸葛亮には及ばない、とか評価されて、
統率よりも知略型、という感じに結論されてたんで
(それでもべらぼうに統率が低いわけではなかったけど、めっさ高いわけでもなかった)
夏侯淵は統率はその司馬懿と同じくらいで、知略相応、ってことになるんかい?
>>379 普通に強行軍ってのは輜重を置いて走る程度の強行軍
孫子に書いてある三十里の利って奴
司馬懿みたいな昼夜兼行した強引なやり方が特別な強行軍
こっちは百里の利だな
夏侯淵はキャリアから考えても司馬懿のように官僚的な能力に優れてるわけでもないから
司馬懿と同じ結果を出したら知略じゃなくて統率で評価せんといかんでしょ
もうさ、どうでも良いよ
つか常識的に考えて軍のスピードは将の力もわずかに影響してるとしても、兵士がそういう鍛錬を受けてるからなんだよな
敵を騎馬で蹴散らす訓練を受けた兵士もいれば、馬上で弓を撃つ訓練を受けた兵士もいるし、重装備で盾持って敵にぶつかる歩兵訓練受けた兵士もいる
そういう中で夏侯淵は部下にスピードを求めたってことだろ
やけに伸びてると思ったら一人が異常に夏侯淵教えてるだけかよ
なんなの?無双系か何かでお気に入りの武将なの?それとも夏侯淵の末裔なの?
>>381 そういう訓練を受けているからで済ませるなら
そういう訓練を受けただけで速く動けた軍の実例が必要だな
司馬懿も確かに電撃的な戦術を成功させているが
お前の主張では司馬懿もそういう訓練を部下にさせたことになる
おかしいってことに気付こうね
>そういう訓練を受けただけで速く動けた軍
夏侯淵の軍
司馬懿は一度普通の兵を死ぬほど追い込んで走らせただけだろ
はい論破
>>383 証拠は?
夏侯淵の軍が特別そういう軍であるって証拠何一つ出てないし
司馬懿の軍がそうでなかったという証拠もないよ
論破もなにも君なに一つ論なんて述べてないじゃん
自分の思い込みをだらだらと書いてるだけ
夏侯淵が浜離宮庭園なら司馬懿は新宿御苑かね
横からすまんが
夏侯淵が速い(早い)兵種を好んで集めていたのは明らかだろ
同じホモサピエンスが将によってそう簡単に速くなったり遅くなったりしないっての
「兵は神速を尊ぶ」を地でいって兵種を選んでた(かもしれない)
夏侯淵は統率が高いっていう主張なら個人的には完全に理解できるよ
>>386 いや人間だからこそ指導者が代わるだけで劇的に速くも遅くもなる
「急襲を得意とし、行軍の速さに定評があった」
こんな感じの記述。
的確且つ迅速に指令を出す能力を有していた筈。
統率と武力両方に関係するだろう。
でも司馬懿も同じような事をしているけど、
統率においてめっさ高いわけではない、と分析されてるからなあ
いや、べらぼうに低いとはいわないし、
結構な数値が前スレでも与えられてはいたけどね
さすがに「急襲を得意とした」という事だけでもって
統率90代を夏侯淵に与えるのはどうかと思う
というか、夏侯淵を高くしすぎると
夏侯淵の精鋭を直接大破した黄忠も結構なもんになってまうんじゃね、と思わざるを得ない
いや、史実から見るに黄忠は「武勇剛毅において蜀三軍随一の勇者」と称えられてるから
相当なもんではあるんだけどね
関羽と張飛の実情はどうだったんだろうね
凡将では無かったろうが劉備と仲良かったからトップになれた可能性もある
張飛は知略も見せたけど実は勇猛さじゃ入蜀後参軍した猛者に負けてたりして
黄忠しかり
だって関羽も張飛も偶然劉備が決起した時に近所にいたちょっと体がデカい野郎だろ?
史書にはある程度誇張されてても実際は涿郡の猛者と荊州、益州の猛者じゃ相手にならんと思う
黄忠の場合、特段に武力を高くして統率高く武力低目な夏侯淵とバランス取ればいいんじゃない?
軍の統率において敗れたとかじゃなくて統率部分は劉備や法正に散々乱されて
そこに黄忠が直接的にたたいてるわけだし
実際ゲームでもそういうバランスの取り方してるけど間違ってないと思う
あ、低目と言ってもあくまでも夏侯淵自身の武力を統率と比較した場合な
>>390 いや、関羽・張飛は劉備が中原を放浪しながらあちこちで転戦してた時代から
「万人に敵する豪勇」と称えられてるわけでして。
というか、関羽には一万の敵軍勢の真っただ中で直接敵大将を刺殺した顔良斬りがあるわけで
これは後世に伝説となって、度々後世において超絶的武勇の引き合いに出される程の武勇の象徴。
張飛についても長坂仁王立ちが後世から称えられてる。
荊州を劉備が得た後も周瑜から「関羽・張飛を私が指揮すれば大事業がなせる!」と
言わせるほどに武勇が認められてるし、益州を劉備がとった後も
「劉備は英雄で、諸葛亮は政治に優れ、武においては関羽張飛がいる。」と魏側から言われており
やはり蜀における武勇の象徴が関羽張飛である事は明らか。
これだけ評価されてるんだから、関羽張飛が勇猛において卓越してる事は認めていいと思う。
>黄忠しかり
さすがに黄忠自身がその益州の猛者達を先陣きって蹴散らして、敵陣陥落させまくって
「武勇剛毅において三軍に冠たり」と称えられてるんだから、
黄忠が入蜀後に参入した連中に武勇で負けてるとはとても思えないだろw
>>1の定義だと「統率」は組織まとめて発展させる能力。軍兵を応変に指揮する能力は「武力」。
夏侯淵の急襲能力はどちらかといえば「武力」じゃないか?もちろん「統率」とも関係するけど。
夏侯淵の行軍のスピードは実戦能力というより日々の鍛錬が影響してんだから統率で良いんじゃねぇの?
一人夏侯淵軍のスピードは夏侯淵一人の采配のおかげとかバカな事自演してるバカがいるけど
戦場での戦術や采配で夏侯淵が何か魅せたこと無いだろ
素早い行軍に適した軍隊を作り上げる能力→統率
攻撃目標や行軍経路を決める能力→知力?武力?
攻撃目標に関しては武力だと思うけど夏侯淵に的確な攻撃目標を決める才能なんて無いだろ
行動経路は知力かな
ただそれで加算される知力なんてたかが知れてる
>>396 高順の部隊が特に精鋭で700人しかいないのに1000人分の働きしたって記録が残ったように
鍛錬で変わるっていうならそういう風に書かれるだろ
行程を決める能力、兵員たちを監督する能力、編成をする能力
全てが合わさって速度が出るんだよ
全て兵員の能力にするとかおかしいぞ?
武力の定義がよく分からない。
前方で諸部隊を指揮して戦闘を行う能力。
後方で軍の行軍目標を設定する能力。
前者に限定するなら周瑜とかの武力も大分低くなる。
>>398 良い加減にしろよお前
なんでそんな夏侯淵を盲信するの?
毎回同じ事言うけどもう少し具体的に言えよ
全て100%兵員かは知らんが97%兵員の優秀さだろ
第一お前の言う通りなら夏侯淵は軍人とも将軍とも言い難い軍の中の文人的な人間だったってことじゃん
工程を決めて兵士を編成するとかもろインテリの後方支援の仕事じゃん
ただそれがある意味正当な評価かもな
劉備の発言からも察っせる通り張郃は優秀な将軍なのに対して夏侯淵はちょっと後方支援が得意な一般武官程度でしかない
夏侯淵は元から後方支援を管理していたわけだから
んで途中から将軍タイプに転向して雑魚相手にはそこそこ活躍したけど最終的にガチ勢黄忠にフルボッコにされたって感じか
行軍が兵のおかげならそれを鍛錬した点を統率に考慮して
統率79 武力70 知力66 政治60
経路を決めたり兵士を上手く編成して行軍速度を桁違いに変えてしまうような天才なら
統率76 武力70 知力79 政治71
くらいの優秀な武官レベル
>>399 周瑜はもろ前線で総指揮官として部隊を指揮してんやん
分かりやすく言えば韓信は武力、張良が知力、ショウカが政治だと思う
韓信は兵士を率いて突撃はしないけど作戦決めて敵を破ったろ
そもそも己の武勇に頼って兵を率いて戦うのなんて匹夫の勇の過ぎない
韓信や周瑜に命じられて動くしかできない
それは武力高いとは言えないと思う
張飛にしろ関羽にしろ実戦兵の前に立って自ら突撃したのなんて最初の数年くらいだろうし
どこまでが前方でどこまでが後方なのか。
周瑜が前線の将なら夏侯淵も十分前線で活躍した将だな
>>401 >張飛にしろ関羽にしろ実戦兵の前に立って自ら突撃したのなんて最初の数年くらいだろうし
関羽、敵軍大将顔良を一万の敵軍勢の真っただ中で自ら刺し殺す
張飛、長坂において追いすがる曹操軍の前に立って仁王立ちして追い返す
まあ、武力っていうのは指揮能力で敵を叩くのでも、
自ら最前線に立って敵を蹴散らしながら自軍を引っ張っていくのでも、
ひっくるめて「軍を率いて敵を破る力」とでもしておけばいいと思う。
前者の代表例を曹操とするなら、後者の代表例を呂布、って感じで
別にどっちのやり方を特段に否定するもんでもないでしょ。
軍ってのは総司令官がいてその下に諸将がいて敵も同じ構成で戦い合う
周瑜はその総司令官として兵法を駆使して活躍した
夏侯淵は本国から前線へ移動させたり前線から前線へ移動させるのは速いだけ
それもお前曰く経路を決めて兵士を編成するだけなんだからそれを行うのは後方だろう
行軍中の叱咤とかいうけどそんなの推測に過ぎないしもし叱咤が得意なら「軍において兵を叱咤するのが得意でへは畏怖した」的な記述があるはず
行軍が早いというだけでエピソードも無しに兵を叱咤して鼓舞するのが得意とかおかしい
結局黄忠を大将とした軍と夏侯淵を大将とした軍が戦い敗北したのだから武力においては低いとしか良いようが無い
行軍が早いと一行記述があっただけで大した実績も無しに活躍したとかおかしい
>>400 いい加減にしろよお前
じゃあちゃんとそういう証拠持って来いよ
夏侯淵がそういう特殊な軍を率いてたってよ
>第一お前の言う通りなら夏侯淵は軍人とも将軍とも言い難い軍の中の文人的な人間だったってことじゃん
何で軍の中の文人とかわけのわからない事になるんだ?
普通に前線で指揮もしてるだろうが
両方できる人というだけのこと、そして司馬懿のように官僚というわけでなく
戦場で叩き上げだから官僚的な能力に優れてるわけではないし内政全然やったことないから
その行軍能力は文吏的な能力を現す政治などじゃなくて統率や武力で評価するということだぞ
行軍を桁違いに変えるのは経路、輸送、編成、それから現場での指揮だって言ってるだろ
夏侯淵だけがズバ抜けて速いとされたってことは「夏侯淵がいないと出来ない」ってことだよ
つまり現場での指揮が優れてるってこと
>>404 一行万人の敵って記述があったって弱いって言ってるようなもん
つまりそれは意味のない反論だ
反論できないようだば
第一三国志シリーズでも無双シリーズでもマイ三国志でも夏侯淵は統率、武力共に高く設定されてる
数ある親戚の中で、夏侯淵だけ有名なのも夏侯淵が将軍として有能だからだよ
定軍山の敗戦にせよ張郃の責任
軍の速さだって俺の言ったワードからやたら経路や編成ばかり持ち出すけど一番は鼓舞能力だからな
兵を鼓舞して疾風の行軍をする
兵を鼓舞して異民族を蹴散らす
これが夏侯淵の真髄
鼓舞能力に加え、その人物が曹操の親類だから兵は更に締まったってわけ
他の親類が名誉のためにしか使ってこなかった家柄を夏侯淵は有効に使った
また個人的な武力にしても弓術が強いことは明記されてる
ちゃんとした記録がある分黄忠の弓矢より夏侯淵の弓矢は上だよ
>>407 >ちゃんとした記録がある分黄忠の弓矢より夏侯淵の弓矢は上だよ
横から悪いが、誰も史実の黄忠が弓得意なんて言ってないと思うw
史実で見る限り、黄忠の武器は鋒なので、弓の記述がないとかいって
武力低いとか言われたら黄忠さんもびっくりすると思うよw
行軍早いけど戦はそれほど強くなかったってことでいいのかな
どっちにしろ行軍の早さが及ぼす影響なんて
>>1にならうなら
統率+2 武力+2 知力プラス+2
くらいで最大限の評価だと思うがね
まあ軍の早さ・速さはなんだかんだと重要だから
陣をはってがっぷり四つが得意なタイプじゃなくても、急襲が得意なタイプならそれも戦の強さだし
>>409 夏侯淵が討ち取られたのはその肝心の機動力が生かせない山中
しかも、機動力が生きるのは攻撃なのに拠点防衛させられてるという…
適正不一致な場所を任されたのが運の尽き
どう見ても
>>400の方がおかしいな。こいつ病気じゃね?
将の能力が急襲の成功に大きく関係するのは当たり前。
97%兵のおかげとかアホか。
夏侯淵は名将というのが大方の見方。盲信でも何でもない。
一人で必死に夏侯淵貶めようとしてるようにしか見えん。
横から悪いけど、
>>411は夏侯淵を必死にageしてる人の自演に思えてしまうw
なんか文章といい行動といいえらく特徴的なんだもんw
別に夏侯淵を名将といいたいならそれでもいいし、そう主張すればいいけど
主張するなら論旨でもってすればいいのであって
「大方の見方」とか言い出す必要ないやんw
現にこのスレで必死に夏侯淵ageしてるのってどう見ても人数的には…w
>>412 お前が自演だろ。
wいっぱい使って必死すぎ。
明らかに第三者じゃないね。
>>413 いや、ところがどっこい、明らかに第三者なんだわw
ぶっちゃけ夏侯淵どうでもいいしw
wが多いのは君を見てると色々面白いからだよww
>>414 誰も信じないよ。
相手一人だと決め付けてるし。
明らかに冷静さ失ってる。
>>415 それってモロにあんたの事じゃw
「誰も」というか「貴方が」と日本語を正しくお使いなされたらどうかとw
まさか匿名掲示板で不特定多数の人間の心を代弁できるとかいいませんよね?w
だめだこいつ
うん
と、必死な三連投を行う夏侯淵信者であった
wってもう流行ってないよね、たまに見るけど
時代の流れは早いもんだ
wを多様するのは中二病っぽく痛々しい
と、必死にwの使用を否定しようとする非常に特徴的な人であった
余程wで挑発されると我慢ができないらしい
昔wikiに「夏侯淵は後方支援は得意だが、前線での活躍は芳しいものではなかった」
とか書いてあったな(今は修正されてるけど)
あれ書いたのこいつだろ。超個人的な解釈を堂々とw
>>422 えっ?
wにそんな効力あんのか、中二病らしい回答だこと
>>424 ええ?そんな効力ないのに必死になってやめさせようとしてんの?w
さすがに馬鹿丸出しの中二病は違うねーw
>>423 本当に夏侯淵なんかどうでもいいのになーw
wikiの編集とかも別に知らんしw
そんなに相手が手広くやってると思い込むあたり、
自分がネット廃人で一日中ネット張り付いて
wikiだの2chだので発狂してるからだろw
夏侯淵が倒した相手は全部取るに足らない雑魚。よって活躍したとはいえない。
・・・こんな主張堂々とするバカ、何人もいるわけないだろw
>>427 少なくとも俺はそんなこといってないんだけどww
本当に俺は夏侯淵なんかどうでもいいんだけど、
お前は本当に複数を勝手に認定して発狂せずにはいられないネット廃人さんなんですねww
>>428 >>380で
>あと涼州の異民族討伐や豪族討伐は魏の兵力を盾に烏合の衆を蹴散らしただけだから武力80くらいが妥当だろう
と言ってる人は君じゃないってのはわかった
じゃあ君のレスはどれ?
夏侯淵には特に興味ないよ。
ちょっと夏侯淵の業績述べただけで噛み付いてくるアンチがうざいだけ。
夏侯淵が倒した相手は全部取るに足らない雑魚。よって活躍したとはいえない。
・・・こんな主張堂々とするバカ、何人もいるわけないだろw
もう何と無く分かったから夏侯淵の話題は良いよ
誰か別の武将挙げろ
韓遂破ったときは前方で指揮してた感じだな
曹操から猪突し過ぎることを心配されてたし
戦略より戦術ってタイプ?
上で名前出てたけど、曹洪とかどんな感じだろう?
統括能力:夏侯惇>夏侯淵>曹洪>曹仁
指揮能力:曹仁>夏侯淵>>曹洪>>夏侯惇
>>429 ぶっちゃけ夏侯淵関連の論争にはそこまで関わってないんだわww
>>431 なんか文章ちぐはぐになってね?w
何がいいたいのか意味不明なんだけどww
夏侯淵は得意の急襲戦法で馬超に仕掛けて負けてるから、
(まあ大敗という感じではなく、押し返された感じだけど)
馬超>夏侯淵にはなるんじゃね
最終的に黄忠とも戦って大破されてるし、
なんか蜀5虎将相手には戦績が悪い感じだなあ
>>434 曹洪ってのは食客が国法を犯しても曹洪の権威で揉み消せるという権勢を魏禅定直後に誇ってたりして
コーエー的数値では表せないところで色々強い
財力、権勢等を魅力と政治力に割り振るとしたらそこに相当ボーナス乗る感じ?
指揮官としては初期の曹操軍の中でも最大級の私兵を率いて別働隊としてもよく功績を挙げているし
曹操がいない時、指揮代理を任されることもある
ただし戦術等では特に特徴があるわけでもないが勝つ時は勝つ
統率 75 優秀だが、食客が悪さしたりするので完璧ではない、失脚もその食客の悪行を口実としたものだった
武力 88 優秀だが、上記の通り特徴はない 堅実でやるべき事はしっかりやる 助言を得て張飛を撃破した事も
知力 69 機転で曹操を救ったこともあったが、戦略等で目立った功績は呂布との戦いで東平と范を占領した事くらい
曹操が若年の曹休に補佐をさせた事もあり、少々粗もあった模様
政治 71 財力があり、一族の重鎮でもあり、初期の曹操軍団を支える資力を出したが内政外交はほぼしなかった
魅力 89 財力があり、一族の重鎮でもあり、多数の食客を抱えていた、曹丕には借財の逸話故か猛烈に嫌われた
何度か死罪になりかけたが、それまでの功績と一族内での人脈でその度に助かった
特殊能力 財力 人脈 肥満 吝嗇
全体的に武張っているが財力を魅力と政治で評価しているので群雄も務まりそう
知力の低さを補う人がいると持ち前の堅実さと武力で超一流(武力90↑)の武将に勝つ事も可能
というわけで俺はこんな感じだと思う
武力88は過大すぎ
こんなこと言っちゃ身も蓋も無いけどやっぱ身内の将軍ってある程度戦場でも担がれてるだけって感じがするんだよね
実際身内に関わらず旗揚げ時から武将として活躍して経験積んだ人間は曹仁のように身内補正無しでもそこそこ戦えるような武将になれるけど曹洪はそこまで前線で戦ってこなかったし
どちらかと言うと最初から最後まで家柄や権威を利用して援助するような活躍しかしてない感じ
そもそも張飛破った時って曹休が実質的な将軍って言われた戦いだよね?
他にも色々な名士やら武将侍らせてんのはそれだけ心配だった証拠じゃん
身内の中にも能力あった人間(曹仁、曹休、曹真とか)と曹洪みたいな家柄と権威と功績だけの人間はいるんだよ
曹洪みたいな人間は家柄が良くない有能な人間の意見は絶対聞かないだろうしだから張遼や司馬懿みたいな人間でなくある程度能力のある曹休を選んだんだろう
>>439 曹洪も旗揚げから武将として活躍してるよ
徐栄との戦いでも前線で最後まで戦って曹操を救い出したし
曹仁の方はまた別格で曹操のジョーカーとしていざと言う時に投入されてるけど
曹洪の方は曹操の前半戦における別働隊の一番手エースだぜ?
何か身内というだけで逆に辛く評価し過ぎてないか?
でも結局は張飛らと戦う時の曹操の行動から見るに数千を率いるのが限度で慎重に大軍を率いて戦うみたいのは無理だったわけでしょ?
曹休が総大将としてシンピだとかを利用して作戦こめてそれを権威のある曹洪が承認
功績や恩や名声のある曹洪の顔立ててやったみたいな感じなんじゃねぇの?
基準が分からんけど武力88って結構な数値だと思うんだ
せいぜい71くらいが妥当じゃないか?
知力は52くらいにして
確かに家柄のせいで過小評価しすぎるのはダメかも知れないがかと言って曹洪が家柄無しに始めても校尉になれるかなれないかレベルだと思うよ
やっぱ能力値の基準が必要じゃないか?
張遼が100で王平が80で劉禅が0みたいな
人によって数値の価値が違うと混乱すると思う
俺は88って結構高い数字だと思ってるし88の武将に実質的な用兵を司る補佐は付けないわ
>>439-440 曹洪は旗揚げから私兵を連れて曹操の元で戦ってるけど
曹仁の参加時期はよくわからないが結構後
曹仁伝では豪傑が皆決起した時に淮、泗の間で暴れ回ってたとある
曹操の部下になった後最初の特筆すべき功績は袁術と戦った時に特別戦果が多かったことだから
匡亭の戦いの頃には曹操傘下に入ってるとは言える
これが初平四年だから最長で曹操の旗揚げから3年くらいは別行動ということになる
>>441 家柄無しでも現金山のように持ってる曹洪は相当出世するだろ
それでなくても別働隊率いて各地を制圧してる
官渡前の曹操の領土って呂布から取り返した時の分まで入れると西南1/4くらいは曹洪制圧
あくまでも目分量だから数字は結構適当だが相当広範囲な領地を一武将が占領してることになる
これを評価するにも武力88って妥当だよ
曹操の幸運は優秀で有能な身内が多数居た、ということでもあると思う
これは某三国志ライターの受け売りだがな
なんか書き込み読んでると曹洪って曹操配下の優秀な武将というより曹操と同列に誓い曹操との同盟国的なニュアンスもあったのかな初期は
初期の活躍も曹洪自身が武将として活躍したというより家財とかを利用して挙兵した曹洪が半分君主として各地を制覇した感じじゃないか?
最終的には曹操の完全なる配下にはなったけどさ
能力値は絶対評価なのか相対評価なのか決めた方がいいな。
ただ、相対評価だと必ず序列を作らなきゃいけなくなる。
>>441は相対評価派のようだけど、知力とか多くの要素が含まれるパラメータは絶対評価じゃないと厳しいんじゃないか?
例えば二荀みたいに分野が全く違う二人じゃ比べようがないし
活躍度や貢献度に焦点当てて基準となる人物決めればいいと思う。
知力90以上:魏のトップクラスの幕僚達
知力80以上:董昭や蒋済クラス。蜀だと黄権くらいか。
武力90以上:将軍なら曹操や徐晃レベル、局地戦なら甘寧レベル
武力80以上:将軍なら朱然や潘璋レベル、局地戦なら韓当レベル
なお、「不遇のため功績は少ないが、重用されてたら活躍が見込まれる」場合はそれも考慮。
>>447 董昭や蒋済が80台って…
90台が10人程度に絞られちまうぞ、オイ
10人くらいでいいんじゃねえの?
450 :
447:2013/06/08(土) 16:24:01.98
あくまで例だから。
基準となる人物の選択は後で改めて決めればいいよ
451 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/06/08(土) 16:53:11.30
西瓜
武力 86 甘くなった西瓜はとっても甘い
統率 64 夏のカリスマ、ただしあくまで夏のみ
知力 45 割れるといちいち大惨事になるのはマイナス
政治 75 お土産や差し入れに最適。ただし賄賂には大きすぎる?
魅力 95 なんだかんだでみんな大好き
備考:夏の果物。一番ポピュラーと思われる緑に黒の縞模様のタイプで考えました。
荀ケ、荀攸、郭嘉、司馬懿、鍾会、周瑜、魯粛、諸葛亮
この辺は90ありそうだな
他に候補として
田豊、沮授、陳宮、程イク、劉ヨウ、董昭、蒋済、鍾ヨウ、トウ艾、呂蒙、陸遜、法正、・・・
鍾ヨウよりも鍾会の方が知力候補じゃないか?
賈詡を他の候補にも挙げないなんて…
455 :
452:2013/06/08(土) 17:27:03.83
>賈詡
忘れてたw
こいつ知力トップ候補だな
鍾会は一行目
まとめ直し
知力90台
魏晋:荀ケ、荀攸、賈ク、郭嘉、司馬懿、鍾会
呉:周瑜、魯粛
蜀:諸葛亮
漢:
その他候補
魏晋:程イク、劉ヨウ、董昭、蒋済、鍾ヨウ、トウ艾、杜預、羊コ
呉:呂蒙、陸遜、陸抗
蜀:法正
漢:田豊、沮授、陳宮
陳宮が知力候補ってのは違和感あるな
むしろこの人根回しの力で転覆させたわけだし政治や魅力方面じゃないの?
曹操をエン州刺史に仕立てる。張バクにエン州奪取を進言。エン州を次々陥れる。
曹操来襲の際、その疲弊を衝くことを進言。その後挟み撃ちの策を進言。
他に袁術と組んで反乱企てたとかなんとか。
因みに荀攸から「知謀の士だが行動が遅い」とか言われてる。
戦略、戦術、政略どれもできるタイプな気がする。
知力90以上を定員10人に絞るとして、
>>456のメンツから誰を落として誰を残すかで意見分かれまくりそうだな。
正直全員90以上でも良いくらいだし。でもそれだと結局絶対評価になってしまうし…
定員は15人でいいと思う。もしくは15人前後。
武力90台もそのくらいいそうだし
禰衡は有吉
孔融は波田
>>461 孔融は三国志だとクソ野郎に書かれてるけど後漢書だと優秀なエリート扱いだから
両者を上手く折り合わせた評価した方がいいと思うぞ
三国志には孔子の子孫である孔融を殺した曹操をなんとか正当化するために孔融の事を悪く書いたのではないかという疑惑がある
逆に後漢書には後漢を滅ぼした曹操を悪人にするため孔融を立派な人物に書いたのではないかという疑惑がある
後漢を滅ぼしたのは曹操でなく曹丕では
三国志じゃ立伝されてるわけじゃないし
曹操の非難に孔子の子孫を殺すってのが取りざたされるけど
それ以前に後漢の朝廷が孔融の兄を張倹をかくまった咎で死刑にしてるから
なんとか正当化しなきゃならないものでもないんじゃね
孔子の子孫ったって嫡流じゃないし
逆に後漢書じゃ立伝されているからその事績が多く記されても不思議じゃないし
武力
95前後 曹操、孫策、関羽、呂布
90前後 于禁、孫堅、馬超
85前後 夏侯淵、黄蓋、魏延
80前後 曹真、蒋欽、張嶷
目安としてはこんなもんか
馬超・・・?
馬超はせいぜい70くらいだと思うんだが
勇猛さでもエピソード0だし精強な兵を率いてたに関わらず曹操に将の器で負けて
強弱が分かるエピソードってエンコウに半殺しにされたってとこだけやん
>>467 馬超は夏侯淵が得意の急襲戦法で攻撃してきたのを逆に打ち破ってるぞ
少なくとも馬超>夏侯淵、としていいくらいのものはあるだろう
そうか?
それって馬超が凄いというより西涼兵の強さと団結力と負けたら占領されるっていう覚悟だと思う
夏侯淵自体名将じゃないわけだしそいつがちょっと攻めてそれを追い返しただけって感じ
そもそもその後無名の大守か何かにあっさり破れるしチョウロ頼って兵借りてもまたあっさり負けるし
昔「馬超って良く考えたら勝ち戦ほぼ0じゃね?」って考えて調べたから僅かに覚えてる
馬超が強い猛将って演義だけの話だしその演義ですら戦争じゃ勝ち戦少なく許褚や張飛との一騎討ちで猛将扱いしてるだけやん
結局馬超も袁術みたいなお坊っちゃまみたいなイメージ
若い頃は適当に筋トレして勇名轟くも実戦経験と修羅場くぐって来たガチ勢にフルボッコにされて涙目
同族意識の働く民族に等しい団結力が凄まじい西涼兵を家柄から率いるも目覚しい活躍も見せずに曹操に敗北して南に逃れる
こんな奴が90前後だなんて思えないんだが
「ただの雑魚将じゃないんだぞ!」っていう反論はあっても「魏延や曹真を越す名将だ!」っていう主張は無いでしょ?
471 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/06/09(日) 17:47:18.63
あと荒れるだろうからあんま言いたく無いけど白地将軍夏侯淵が武力85は無い
馬超が武力高かったり夏侯淵が武力高いあたり演義のイメージが抜けて無いんじゃないか?
夏侯淵が漢中大守についた時に「韓浩のがええやろ!なんで夏侯淵なんだよ家柄補正かよ」みたいな意見が出たらしいし漢中大守に夏侯淵がいながら張郃、徐晃みたいな一級武将を多く侍らせた事から曹操もかなり心配してたってのは分かる
ただその張郃でさえ法正に「夏侯淵も張郃も都督の器じゃないから全軍で攻めれば勝てる」って言われてるけど
472 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/06/09(日) 17:55:33.36
かいわれ大根
武力 45 ピリッと辛い
統率 94 一杯生える
知力 70 栄養が頭に良さそう
政治 78 サラダにもスープにも入ってる
魅力 63 嫌いではないが無くてもいい
備考:スーパーで市販されている種類で検討しました
馬超は韓信や鯨布に例えられた名将だろ。曹操に負けたのも離間策にはまったせい。
武力は曹操に対抗できるレベルで、知力を低めにすればいい。
>夏侯淵自体名将じゃないわけだし
きめえw
逆に馬超を名将とするエピソード教えてよ
呂布なんかだと烏合の衆と言えど十数万とも数万とも言われた黒山軍を数千で蹴散らしたりその後も転戦する中で武功を立てて曹操とも籠城するまでは連戦連勝したわけだし
そもそも出世の方法が武勇が凄いからって理由で取り立てられて昇進したのは凄い
そんな感じで馬超もエピソード教えてよ
馬超が名将っていう前提にアンチテーゼ加えてくのは可笑しい話だよ
馬超は名将かどうか、というと「そこそこ」名将だと思う
というのも上でも出てるように勝つ時は結構勝つし
負ける時はあっという間に負けてる
80代後半くらいが妥当じゃない?コーエーだとよくある「89」とか
そして馬超の本領発揮する部分って涼州で神輿になって何年も反乱継続するところでしょ?
統率、魅力で評価するところじゃないか?
局地戦なら黄忠>夏侯淵。
法正の策で蜀軍が地形的に有利な場所占めたのも勝因だが。
三軍筆頭といわれた黄忠の方が武勇は上っぽい。
ただ将軍としての戦歴は夏侯淵の方が華々しい。
何にせよ黄忠が夏侯淵を破ったのは事実だから、
夏侯淵が85くらいなら黄忠は90以上かな。
袁術なら大軍有してても曹操に大敗するからな。
曹操と対陣して長期間凌ぐには相応の軍事的才能(武力)が必要だろう。
馬超は恐らく統率武力共に行けるタイプ。90行くかどうかは微妙だが。
馬超は袁紹よりしっかり配下まとめてた感じだな。統率は馬超>>袁紹か。
袁紹の敗因は郭図の作戦失敗よりも許攸の裏切りが大きいだろうし。
まあ袁紹じゃなくてもあの一癖二癖ある連中をまとめるのは大変だと思うが
>>478 そんなイメージだけで語られてもな
袁紹は死後に派閥で息子が大分裂してるけど
袁紹生きてる間は派閥はあっても余計なことはほぼさせてない
孫家よりも酷い豪族の寄り合い所帯なのに
完全に御してると言っていいレベルの袁紹は統率において相当に優れてるぞ
480 :
478:2013/06/09(日) 20:06:23.11
ただの話題振り。袁紹の統率低く評価するレスよく見るから。
個人的には袁紹の統率相当高いと思ってる。
でも袁紹陣営が一枚岩じゃなかったのは確かだろうな
かいわれ大根と普通の大根はどっちが強いかな?
洛陽出奔してから公孫サン倒すまで、
基本順調に組織作り上げていった感じだな
豪族達の発言力強くなりすぎたけど
袁紹以上に上手くやれる奴はそういないんじゃないかと
馬超は武名と羌族の血で指導力発揮
>>480 一枚岩の陣営なんて、弱小勢力で強大な勢力と敵対でもしてない限りありえないから
そんなありえないものを理由に評価を下げるのもありえないっしょ
そもそも馬超は、まとめきれず疑いを持ち勢力を崩壊させた張本人やん
484 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/06/09(日) 21:20:26.07
馬超は二度も曹操を窮地に陥らせたり、夏侯淵に勝利したりと軍事能力の高さがうかがえるエピソードがある
武力エピソードだと負傷しながらも戦い郭援に勝利したエピソードぐらいかな(?徳の功績が大きいが)
後、馬超って良く考えたら勝ち戦ほぼ0とか言ってる奴は本当に三国志の正史を読んだのかと言いたい
ここで数値化され100が最高なら
300でミルコ
350でヒョードル
150でプーチン
250でタイソン
240で白鵬
200でブルース・リー
ゴッドハンドは1000か
典韋と許チョは
三船敏郎と勝新太郎みたいな感じ
日本映画界最強の剣豪
千葉真一は関羽
袁紹
統率75 武力78 知力70 政治78 魅力70
袁術と違って戦略策定や組織構築をしっかりできるタイプ。
しかし董卓呼び寄せたり劉虞擁立に失敗したり土壇場で判断誤る。知力にマイナス。
官渡では許攸や張コウなど土壇場で離反者が相次いだ。統率と魅力にマイナス。
戦争は基本的に強い。官渡も許攸が裏切るまでまずまず。烏巣は紙一重。
官渡後は反乱した諸県を一掃。
政治に関しては政略統治共に上手く行っていた。
袁紹と曹洪の武力は同じくらいかな。
両者とも名家の出(規模は違うけど)で、優秀な補佐が付いてただろうけど、
戦勝重ねるには司令官自身が正しい判断繰り返さなきゃ行けない。
そして二人とも反乱者の征伐では連戦連勝だった。
まあ群雄と一豪族を比べるのは難しいが
>>488 離反者出たらマイナスっていうけど離反者補正でどれくらいマイナスしてる?
知力マイナスも基準はどこにあって挙げてる事件で補正がどんなんって思ってるか基準を聞きたい
基本的に君主の知力を評価するのは難しい。
情報を分析して作戦を提示するのは参謀の役目。君主はそれを吟味して判断。
80以上は参謀レベルとすると参謀の補佐の上で正しい戦略定めた人物は75〜。
君主でも参謀レベルの作戦立案能力があれば80以上。
袁紹の統率は大軍閥をまとめてまともに機能させてる時点で80。官渡も基本順調。
配下の有力者達を完全には統御できず、行動が遅いともいわれてたから、90は行かない。
部下同士の軋轢や離反者が出たのは人的統率力にやや難があったからか。その分減点。
>>491 袁紹の行動遅いっていうのは間違いだって散々論議されてなかったっけ?
言うほど遅くはなかっただろうけど。
田豊投獄、逢紀の讒言、許攸審配など内部に問題抱えてたのは確か。
そういう状態で常にスムーズな組織行動を行うのは当然難しいだろう。
電光石火に行動できる状態ではなかったんじゃないかと。
>>493 袁紹の速さとか田豊の評価とかは袁紹関連のスレで議論してる人いたな
官渡の戦いは曹操最大の見せ場だからプロパガンダが混ざってて
関わった人を公正に評価するのが凄く難しいって思う
>>488で妥当だと思う
正史で実はそこそこ有能だったっていう武将を演義の無能イメージからの反動でやたら高評価しようとする人間が多いけど、
袁紹が大勢力になったり優秀な部下が多いのは紛れもなく家柄のお陰
それを無難に維持してたまに離反者が出たのは(家柄補正-彼自身の個人的な魅力)だろうしまぁその逆で家柄無くても彼の人柄に惚れた人物も中にはいたかも知れんけど全般的に75前後で良いと思う
特に突出した能力は無いし欠如もそこまで無い
ただ袁紹勢力が滅んだのは天才曹操に敗れたからじゃなくて後継者争いで滅んでいっただけ
要は全ての原因は袁紹が明確に後継者を絞らなかったという点にある
天性の大勢力を無難に拡大させるも最後は全てを失う(死後だけど)
郭嘉にも決断力が無いと言われてるし肝心などころでの実行力とか見極めはできなかったんだと思う
若い頃のエピソードだって守られた環境の中で「ただのお坊ちゃんじゃないんだぞ!」って見栄張ってただけだし
そういう意味では袁紹自体の知力は60くらいじゃないか
既に出てるけど君主の知力は評価しにくい
ただ時たま垣間見える行動や袁紹勢力という配下が助けてくれる組織は維持できても自身(息子たち)を守れなかったのだから個人的な知力は低めだと思われ
>>495 袁氏の嫡流は色々あって袁術の父袁逢、兄の袁基が継いでる
さらに兄も董卓に殺されて次は袁術が家督相続する番
袁紹は袁氏ではあるが袁氏として尊重される立場じゃないから
「袁紹が大勢力になったり優秀な部下が多いのは紛れもなく家柄のお陰」という主張には全く賛同できないんだが
そりゃ全くの無能だとかそういう話をしてるわけじゃないんだよ
袁紹がもし良い家柄じゃなかったとしたら付き従う人物がどれだけいたかって話
要は良い家柄ありきの人望なわけよ
無能では無くても太守息子レベルの家柄ならおそらく田舎の有力者レベルにしじゃなれなかったわけだろ
袁術は天性の大勢力を維持できず喪失した、袁紹は天性の大勢力を無難に維持することが出来たという話
ただ生きてる内は有能な部下を使って勢力を維持できてたけど部下が関与しない(部下も利己に走るから)跡継ぎ問題で大失敗して結果勢力を滅ぼした
袁術と袁紹の家柄の順位は大差無いと思うよ
どっちが上かといったら袁術だろうけど戦乱のあの時代じゃまぁ同等と見て良いと思う
>>497 もし家柄が良くなかったら、という前提でも袁紹はあまり変わらないよ
袁紹は奔走の友に代表されるように遊侠の人として人望を集めている
また、袁術に話を広げるのは袁紹の談義してるところでは本意ではないので手短に言うと
袁術も大勢力を維持できなかったというわけではないよ
死ぬまで一応の大勢力だった事は、袁術が死ぬまで動きに合わせて
曹操が色々対抗策を打たなければならなかったことからも理解できるだろう
知力は70なくていいかも知れないな。
優秀なブレーン達の補佐で河北平定できたが。
袁紹の持ち味は政治力と行動力
>>498 奔走の友の話は知ってるけど家柄補正がなきゃそれこそ遊侠の士で終わってただろって話
あの時代遊侠の士なんて中華にごまんといたんだがから
どんなに頑張ったところで水鏡のような人物にちょっと評価されて終わりくらいだったと思う
一遊侠の士から冀州の長にまでなったのは家柄で間違い無いだろ
あと袁術の話だけどそりゃ勢力がドデカイんだから数年で散らすなんてことはあり得ないだろう
ただ結果的にあの大勢力が滅んだのは事実
コマが制止する間際まで軸はぶれても回転の勢いを失うことは無いように、袁術勢力も兵士や民は最後の最後まで付いてたかも知れないけど表面上の話で軸はぶれ既に崩壊の兆しはあったはず
最後まで維持できてたのは数字と形式の話でしょ
>>500 一遊侠の士からまず洛陽で話題の遊侠の士になって
そこから官僚として大出世して宮廷でも一派閥の長のようになっている
家柄補正がゼロとは言わないけれども袁氏嫡流は袁基、袁術のものだから
君の言うほど袁紹は家柄頼りだったわけではないだろ
袁術に関しては死ぬまで維持はしていたから喪失したというのはおかしいよ
彼の場合、子の袁燿があまりにもだらしないから、というのが一つ
生没年は不明だが袁紹のように子が戦場に出ていないし、
孫策に仕官した後の官位が郎中となったところを見ると年齢自体が非常に若かったのかもしれない
それと死後に孫策が物凄い勢いで旧袁術勢力を掻き回したというのが一つ
袁術が生きている間はあの狂犬みたいな孫策もしばらく大人しくしている
そもそもまず一遊侠の士になるってとこから家柄補正は働いてるんだよ
中卒から叩き上げで努力して社長になって東大卒業界人やエリートを部下にして支配する曹操と、
有名人の息子で業界人やエリートたちと仲が良かった袁紹
という差
曹操は一応名門だけど宦官とか賄賂とかで虐げられて来た面もあるだろうから分かりやすく中卒にした
正直社長や有名人の息子ってイメージと違ってみんな人間はできてるしコミュ力あるからエリートと親交は深いんだよ
ただ肝心な場所での決断力が曹操や劉備みたいな劣等感と共に生きた人間とは違う
権力者の息子のイメージってのは鼻水垂らして豪華な服着て甘やかされて育った的なイメージね
実際はコミュ力あるし人望もある
ただ曹操や劉備みたいな意志や決断力が無い
テレビに出てる芸能人の二世芸能人とかもみんな品があって人望はあるけどやっぱ保守的というかそこそこの人間にしかなれないわけだな
太尉になるほどの人物の子を中卒認定はさすがによくない
曹操は孝廉、郎、洛陽北部尉、頓丘令とハイスピード出世するエリートコースの人間でもある
劣等感と生きた、とか言うのであれば袁術に妾の子と罵倒され
一族の日陰者として常に嫡流に頭抑え付けられてる袁紹だってそうだろう
袁紹は最終的には子供を嫡流の養子にして袁氏の嫡庶に相当拘ってるコンプレックスを
目に見える形で出してるよ
どうも君は自分の思い込んだ型が先にあって史書に書いてあることを無視してるように見えるのだが
まぁ確かに袁紹も劣等感あったかも知れんが小さすぎるというか
チビで宦官の家系だった曹操よりかは遥かに小さい気がする
とにかくお前の評価はどうなんだよ
俺は
統率78 武力70 知力60 政治75 魅力85
くらいだと思うけど
知力はさっき話した通り
武力、政治は袁紹本人の才能というより部下の才能って感じがする
まぁその部下を上手く操ってそこそこの戦争、政治をしたわけだから統率は少し高め
友が多かったり兵糧庫のネズミが堂々としてるように人柄はあっただろうから高め
これは家柄とか抜きの人柄ね
関係無いけど武力や知力は何と無く当てがつくけど魅力高い武将、低い武将ってどんな人間なの?
ある意味呂布とか関羽みたいな豪傑は魅力高いのか
>>505 統率 85
袁紹が渤海に逃げ込み仲間が董卓を口車に乗せて太守になった時
何も組織らしい組織は持っていなかったし私兵すらいなかった
官渡の戦いの頃までにはいくつかの派閥闘争の種のある組織ではあるが
一部を除き目だった離反のほとんどない体制を構築していた
それがなければ95でもいい
武力 80
元々袁紹は文官畑の人間で西園軍に入るまで軍事に携わる機会はなかったし
以降も董卓との戦いまで軍事というものを経験したことはなかった
それがわずか10年程度で騎馬民族相手に圧倒的な武威を誇る公孫サンを
部下の活躍もあって直接対決に勝利
袁紹も本陣を攻撃されるも何とか支えて勝利に貢献する一端の将軍になっている
官渡の戦いでは直接曹洪守る陣を落とせなかったがそれまでの戦いでは終始有利に展開させている
知力 75
宦官の殺害、董卓からの逃走どれをとっても頭の回転が良い
そして関東に割拠してしまえば反乱を鎮圧されることもないという先見性
反面、何進の暗殺や董卓の専横を許してしまう等粗も目立つが
失敗したとしても常に食い下がり事態を動かす意志力は高評価
河北四州統一を戦略として評価
政治 95
後漢宮廷政治で見せた政界遊泳、公孫サンを陥れた外交能力、
また優れた統治であったと評価する書もあることから最高評価
魅力 85
優れた魅力で人を引き付け河北に君臨した
若き日、仕官前でも袁紹のためなら死んでも良いという若者もいたように
人に死力を尽くさせるカリスマの持ち主
奔走の友は初期の袁紹を支えたが最後は許攸に裏切られた
統率とともに魅力でも減点対象
曹操最大のライバルを過小評価し過ぎだよ
自分でも送信してから「やりすぎたな...」って思ったろ
>>507 いや袁紹はこれくらいで正しいと思ってるよ
これでも知力と統率、魅力は相当削ったし
ってかこれくらいないと後漢末、対北方騎馬民族相手に無双してた公孫サン相手には出来ない
俺はまず曹操に武力100付けるしな
曹操や公孫サンみたいな武力高い奴をじわじわと攻めてくタイプにするには総合力高くないといかんだろ?
曹操に武力100ってのは違和感だなあ
正面決戦では呂布に大敗してたり、馬超に追い込まれたり
徐栄に完敗してる曹操が武力100はねーと思うわ
武力100を曹操にしちまったら、曹操に正面決戦で勝利した連中を100以上にしないと
史実とは裏腹に曹操がこいつらに正面決戦で勝利できちまう事になるんだぜ?
むしろ曹操ってそういう正面決戦に強い連中に対して策を使って勝利するタイプだろ?
武力が滅茶苦茶低いとはいわんし、高い数値あげてもいいと思うけど
実際に史実で何人もの猛将達に正面決戦では完敗したり追い込まれてる以上、
曹操が武力100はねーよ。
豆乳
武力 95 たんぱく質抱負
統率 84 バリエーションも抱負
知力 94 脳にもよく安眠効果があるらしい
政治 97 様々な料理にも対応
魅力 76 なんと言っても美味しい!が、好みは分かれるところ
備考:現在の食べ物ランキング一位
シリーズ恒例で呂布にでもしとけばいいんじゃね
シリーズ恒例で知力めっさ低くしておけば策を使ってポンポン倒せる感じになるし
というか、史書によるなら呂布は正面から孫堅に負けてるので
孫堅>呂布にはなりそうだと思うし、孫堅はその戦歴からいってあるいは武力100でもいいかも、
と思わせるものがあるけど、徐栄に大敗してる
徐栄は曹操にも孫堅にも完勝してるので、かなりの有望株かと思うけど
さすがに史書における活躍場面が2戦だけしかなくて少なすぎるので
(その2戦の結果がいずれも完勝なのと、勝った相手が曹操と孫堅という超大物なんで
凄い事は確定なんだけどさ)
これを100にしてしまうとなんかしっくりこない気はする
後は残る候補としてみれば常勝不敗で戦歴も豊富な皇甫嵩がいるから
案外これでもいいような気がしなくもない。
まあ、ゲーム的に考えるなら最強が年齢的な意味で序盤に退場しちゃうというのは
どうなんだ、ってところもあるのかもしれないけど。
個人的な印象としては数値はともかく、単純な戦歴で並べていくと
上にあがってる5人の中では
皇甫嵩>徐栄>孫堅>呂布>曹操的な感じになる気がする。
曹操はその戦歴から見ても知略と武力のハイバランスを売りにしていく感じで
武力自体は92くらいでいいんじゃないかなと思う
は?
散々曹操貶してそんなクソみたいな結論かよバカなの?
そもそも「シリーズ恒例で呂布にでもしておけば良い」って何のシリーズ?
光栄三国志のこと言ってんの?
そもそも一度曹操に完勝したからジョエイ>曹操という発想が意味分からん
タイムマシンで呂布が赤ちゃんの頃に行って呂布を殺したら天下最強の豪傑になれるのかって話
コウホスウだって主に黄巾賊討伐で活躍しただけじゃん
オールスター勢力が若くて経験も無かった時代にそれより活躍してたからそいつらより上ってバカすぎんだろ
浅知恵の極みだな
豆乳でも飲んで落ち着きたまへ
>>513 「散々曹操を貶めておいて」ってww
実際に呂布にも徐栄にも曹操は正面から大敗してるし、
馬超にも追い込まれてるのは事実だろうがww
曹操が完全無欠で無謬で、武力100だと認めてもらえないと貶めた事になるのかよw
単なる事実を指摘しただけだろうがww
曹操を武力100にしちまったら、史実で曹操が正面から完敗した連中に
逆に曹操が正面から勝てる事になっちまうんだぞww明らかにおかしいだろww
徐栄に完敗した時の曹操はもう34歳くらいになってるよ。赤ちゃんじゃないわなw
しかも、内容から見ても曹操は負傷して乗馬も死亡、共同軍の将である鮑信も負傷、
鮑信の弟である鮑韜も死亡、これまた曹操に従っていた共同軍の将である衛茲も死亡、
曹操、鮑信、衛茲の三軍で合計三万近くになっていた軍勢も壊乱して、
曹操本人の兵力は千人余になるという大惨敗なんだから、
さすがにこれを無視するのはないだろw
皇甫嵩は黄巾以外でも勝ちまくってるぞ。涼州方面で戦っても常勝不敗。
その戦歴と軍略の冴えを見る限り、100候補になってもおかしかない。
というか、さすがに何度も大敗してる曹操を武力100にすると、
色々と史実と食い違いが起きちまうから無理だろ、さすがにww
いくら曹操妄信してるからって、単なる史実を指摘されて発狂するのやめろよww
>>513 ああ、それから
>オールスター勢力が若くて経験も無かった時代にそれより活躍してたからそいつらより上ってバカすぎんだろ
こんな事を言い出すんだったら、曹操が董卓討伐に挙兵したのが189年で
死亡するのが220年くらいだから、その期間はおよそ30年程。
その後も三国時代は続いて、晋による中国統一が280年だから、曹操死亡からおよそ60年後。
実にダブルスコアの差があるわけよw
よってお前さんの理屈を使うなら、「曹操なんか三国時代の三分の一程度で
オールスターが若い間に活躍しただけ」となり
「残る六〇年の方が期間が長いから、こっちのオールスターの中から選ぶべき」とか
そういう話にもなっちゃうわけよw
曹操否定されて発狂しちゃってるのはわかるけど、お前さんの言ってる妙な理屈だと
曹操を100にする事もできなくなる、ってことは理解した方がいいよww
>>516 は?
お前は未熟だった曹操と経験MAXの武将の正面対決で曹操が負けたから曹操より強いとかほざいてんだぞ?
全盛期同士で比べるべきだろって話なのだが
つかお前夏侯淵信者のあいつだろ
>>517 マジ夏侯淵とかどうでもいいしww
つか、お前こそやっぱり上で必死になって夏侯淵挙げてた必死君かよww
本当に魏将の持ち上げに必死ですなww
徐栄が経験値MAXだったかは謎よねえ。
公孫度の友人だったっぽいので、年齢もそこまで圧倒的に曹操より上だったか謎だし。
呂布とか大体同世代だと思うし。
馬超に至っては年下だし。
まぁ人類最強はヒョードルとそのライバルのノゲイラかな
打撃ならミルコか
このスレ変なの多いな
当時曹操軍と董卓軍は兵の質が違うだろ
徐栄に負けたから徐栄以下とか短絡的すぎるw
あと袁紹の政治が95もあるわけない
統治に成功してたのはいい部下がいっぱいいたからだろ
>>520 いい部下が一杯いたから統治に成功していた、というのであれば
袁紹配下で各地に袁紹の名声を支える大政治家が名前くらいは残っててもいいと思うんだが
そういうのはないよな
>>520 徐栄は董卓軍生え抜きの人材じゃなくて河北出身者だから
董卓直属の涼州軍を率いてたとは考えにくいよ
実際に後に涼州系とは袂を分かって王允に属してるし
それから徐栄は孫堅にも完勝してるので、曹操を擁護するのはちと弱い
>>521 田豊
>>522 孫堅軍を倒せる徐栄軍の精鋭と
わずかな手勢と鮑信から借りた兵の烏合の衆に
兵の質量に差がなかったとは考えにくい
というか、さすがに徐栄戦は曹操軍の被害が酷すぎるからな
ただそれでもさすがに曹操は夜まで戦い抜いて、その事を徐栄に評価されてるので
曹操が手を抜いていたというわけでもない
この問題ではよく兵の質兵の質という人間がいるが、
なんか蒼天とかのイメージ引きずってないか
曹操軍が懸命に抗戦したのを見ると、徐栄は容易に滅ぼせないと見て、
最終的な決着はつけずに軍を返している。
曹操が徐栄に負けた、徐栄より弱い、というのは状況を無視した話だと思うぞ
曹操は成皋取りに行ってその途中のケイ陽で徐栄に出会い打ち破られてるわけだけど
徐栄の当初の戦術企図って「酸棗に直行して全員ぶっ飛ばす」ってものだから
たかが私兵5000とちょっとした加勢でもって当たったって勝てる道理がない
>>523 田豊は智謀の士であっても政務の事跡残ってないのだが
袁紹は統率70〜85、武力70〜80、知力65〜75、政治70〜85
大体この範囲に収まるだろうな
袁紹の成功は有能な人材多く集めたことにも起因する
曹操の武力は95〜100
関東の兵が総じて董卓側の兵より弱かったのは定説
何にしても兵数や兵の質度外視して勝敗だけで将の優劣決めるのはアホ
>>525 一応言っておくと、徐栄が「容易に滅ぼせない」と見たのは
連合軍の本営である酸棗の事だけどな。
曹操軍の事を連合軍の先鋒だと思っていた徐栄としては
先鋒がこれだけ奮戦するのだから本営は手ごわいだろう、と見て
酸棗を攻めずに引き返した、という話。
曹操が率いていた軍自体はズタボロになっている。
>>523 >>526 >>528 なんかこう、文体がやたらと特徴的で
言ってる事にもやたらと共通した史実との違いがみられるのはなぜだろうか…
とりあえず言っておくと、曹操が徐栄と戦った時の軍勢が5千の兵とわずかな加勢、というのは大間違い
曹操軍5千に加えて、鮑信が率いている歩兵2万、騎兵700、輜重5千以上が加わり、
さらには衛茲も3千を率いて参戦してる。
合計すればどう見ても三万近い。徐栄がこれより大きく上回る兵を持っていたとは考えにくい。
よって兵数で曹操を擁護するのは無理。
>>528 さすがに曹操が武力100はないと思うが…
呂布とか徐栄とかに正面から負けてんのをどうすんの。
徐栄は董卓生え抜きの将じゃないから、涼州軍を率いていたと見るのは難しいけどな。
なんか蒼天とかだと董卓軍生え抜きの将みたいに扱われてて誤認してる人いるっぽいが。
それに曹操の正面からの負けっぷりが凄いから、さすがに兵の質のせいにしすぎるのはどうかと思うが。
ちなみに兵数に関しては
>>530にある通りな。
徐栄と曹操の戦いについてたは徐栄VS曹操で徐栄が勝ったというより
曹操が無謀な追撃して攻めてたのを徐栄が散々に打ち破ったっていうイメージなんだけどこれは徐栄が有能だった事になるのかな?
徐栄を挙げた人も何も徐栄には特に思い入れあったとは思えないし軽い気持ちで書いただけだろうけど徐栄が三国最強の国を築く曹操より戦が上手だったとは思えない
既に出てるけど曹操が徐栄に負けたのは曹操が強くなる途中でありむしろ徐栄の大敗や部下の反乱みたいな苦難を乗り越えて名将になったと考えるのが妥当では?
さっきから蒼天とか涼州兵がとか言ってるが誰もそんなこと考えて無いだろw
涼州兵じゃなくても権力者が招集して訓練した兵士と有力者が家財はたいて集めただけの兵士じゃ質が違すぎるだろ
>>530 「酸棗諸侯」全てを相手にしようとしてる奴相手に3000とか割とどうでもいい数じゃね?
鮑信は確かに故郷でそれだけの人を集めて決起したけど
その全てが酸棗に行ってて、しかもベン水での戦いに参加してるってのはまずありえない
>>532 酸棗諸侯はまだ追撃する以前の問題だったろ
曹操は追撃しようとしてたんじゃなくて機先を制そうとして
進撃して来た徐栄に粉砕されただけ
>>530 榮、見太祖所將兵少力戰盡日、謂酸棗未易攻也。亦引兵還。
曹操の率いた兵は(徐栄から見て)少ないぞ
>>532 >無謀な追撃して攻めて
なんか演義のイメージ引きずってないか。
曹操が普通に出撃してそれを徐栄が迎撃して大破したのが史実。
曹操は
>>530にある通りの三将合同軍で合計三万近い兵を率いている。
そこまで無謀な試みだったかは疑問。
曹操の戦の上手さ、というのは正面決戦の事だけではなくて
手強い相手には策を用いたり、奇襲を活用したりする、という所にあると思われるのであって
現にその後も呂布に正面から大敗したり、馬超に追い込まれたりしてる。
徐栄は董卓にも呂布にも正面から勝利する孫堅相手にも完勝してるので、相当な戦上手である事は確か。
兵の質云々いうなら、孫堅が勝利した呂布や董卓の兵の方が純然たる涼州軍で強かったはず。
少なくとも曹操を武力100にしたら、史実において曹操が正面決戦で破られた相手に
曹操が正面決戦で勝てる事になってしまうので、それは戦歴から見てもどうかと思う。
>>537 3万近いってのは思い込みだろ
鮑信が全軍で曹操をサポートしたわけではないし
そもそも2万率いてる奴と5000率いてる奴、3000率いてる奴の3人がいたら
大将は2万の引率者で他2人は部将に過ぎないじゃねーか
>>534 なんで三千になってるんだよ。三万だろ。
鮑信がそれだけの軍勢を集めて決起して、
なんで肝心の自分と弟が出撃する決戦場につれていかないんだよ。
そっちの方がありえんだろ。
>>536 曹操直属の兵はってところだろ。
曹操直属は5千だしな。
>>539 3000は衛茲が引き連れた援軍な
そっちは最早誤差レベルの加勢って話
鮑信の方は2万ほど引き連れて決起して参加してるが
それ全軍でもって曹操に預けたわけでもなければ
曹操に与えたわけでもないし本人が全軍引き連れているってのはまずありえんだろ
>>538 思い込みじゃないだろ。実際に鮑信が決起した時の兵力として書いてある数だし、
史書によるならばその兵数の次の行で「鮑信は弟と一緒に兵を率いて曹操に会った」とある。
そんで「英雄とは貴方の事だ!」と心酔して、「曹操に自らを深くささげ、曹操もこれに親しんだ」
とあるんで、史書の記述通りなら心酔した鮑信が自分と率いる軍をまとめて曹操にささげた、ってな感じらしい。
一日放置してただけで驚くほど伸びててビビったw
このスレ平常時は過疎だけど少し書き込みが出た瞬間喧嘩になって凄い勢いで伸びるな
>>539 > 曹操直属の兵はってところだろ。
> 曹操直属は5千だしな。
流石にこの解釈は無理がないか?
本気でこの解釈が正しいと考えているのか?
>>540 一応曹操が率いる5千の兵力の6割だから、十分な兵力だと思えるがな。
>>541参照。
史書によるならば鮑信が曹操に心酔して自分をささげたらしいぞ。
副将であろう弟も一緒に戦闘に参加している事からして全軍なのはほぼ確実。
何故全軍引き連れて行くのがありえないかというと
上にも書いたように曹操が主体にになるには曹操が最大の軍、
もしくはほぼ近い数じゃないと大将は普通、曹操にならないから
逆説的に言うとこの戦いを曹操の失敗として位置付ける以上は
曹操より多い数を鮑信が率いてるということはありえない
>>543 さすがに3万前後の兵力を少ないとか言えるほど徐栄が兵を率いてたら
明らかにおかしいだろ。その後の孫堅戦における故珍の兵力とか万にもいかないのに。
原文でも「曹操の所の将兵が少ないけど力戦したのを見て」となるから
曹操直属の兵と見るのが妥当じゃね?
>>545 いや、だから何度も言ってるように、
史書によるならば曹操にほれ込んだ鮑信が「英雄とは貴方の事だ!」といって
深く自分をささげたんだってよ。
常識論じゃなくて、鮑信が自分から曹操にほれ込んで捧げちゃったと
史書に書いてあるんだからしょうがないだろ。副将の弟も戦闘に参加してる以上、
鮑信の兵力が全軍なのはほぼ確定だよ。
曹操に兵をささげた、として曹操の意思で全部動くんだ、とするんだったら
するんだったら?
途中送信してしまった
徐栄は曹操軍全体を見て少ないと判断したわけだ
じゃあ3万が霞む数を徐栄が率いてた、結局曹操の不利は動かず
結論が出たな
数万じゃ聞かない数を集めてはいる酸棗諸侯相手にする予定で来てるのに
たかが3枚相手にして少ないと思えないようでは徐栄何しに来たんだ、という話ではある
三国志最強の武将をコウホスウ、徐栄にするって随分と斬新だなw
>>550 いや、でてねーよ。
曹操直属の兵は5千なんだから、それが「少ないながらも奮戦した」となるだけだろ。
確かに結論は出たな。これで曹操の正面決戦の能力から考えて
武力100は無理、と。
ぶっちゃけ、徐栄にどれだけ大軍率いてると期待してるんだか。
10万近い兵力を率いてるわけねーだろww
孫堅戦みたいに機動力生かして本営襲撃とか狙ってたんじゃないかと思うが。
>>551 個人的に徐栄は戦歴少ないので最強とはしないけどな。
>>552 徐栄と戦ったのは3万としよう
徐栄に曹操軍と鮑信軍の切り分けが可能なのか?
無理だろ
徐栄が少ないと思うのは曹操と鮑信の軍全てを含めての事で徐栄が兵数多かったとするか
曹操が戦ったのは少ない兵数で鮑信の2万は不参加だったか、とするかの二択
>>546 > 曹操直属の兵と見るのが妥当じゃね?
………
へぇ…、これが妥当なんだ………
これはもぅ是非に及ばずだわ
すっげぇ見辛いから徐栄が三国志で二番目に優秀だと主張してる人は固定つけてよ
新たに異質の軍が3万も加わったら指揮難しいだろうな。
曹操側に万全の態勢が整っていたとは言い難い。
兵の強さも徐栄>関東軍っぽいし。数も徐栄に劣ってたのは明記されてる。
将才が曹操>徐栄でも負けることは十分あり得るよ
武将が士官した時から死ぬまで一定の能力値維持し続けると思ってるアホがいるな
変動性を希望するの?
一応人生平均値のがまだ話が微細ならんでいいと思うんだけど
変動性にすると収拾付かんぞ
全盛期で比べろっつうの
曹操はケイ陽以前は黄巾軍と戦ってて、それなりの経験は積んでる。
ケイ陽の時点で徐栄と曹操にどれだけ経験値の差があったかは定かじゃない。
一番の問題は状況無視して勝ち負けで優劣決めることだな
全盛期なぁ
知将呂蒙が最初から大活躍だな
>>560 曹操はあの当時の主だった面々の中だと
むしろ数少ない軍を指揮した経験者だしな
呂布には最初負け続きだったらしいが、
結局攻略法見出して勝ってるな
伏兵使った奇襲戦法は武力換算
曹操と呂布は共に武力トップでいい
>>557 > 武将が士官した時から死ぬまで一定の能力値維持し続けると思ってるアホがいるな
これ以上に数値が高い者が必ず勝つと考えている輩が多いな
数値の高低が勝敗の絶対的指標だとしたら、そもそも数値化なんて不可能だから
数値が(相対的に)高くても状況しだいで負ける事もあれば、
数値が(相対的に)低くても状況しだいで勝つ事もある
100だからといって絶対無敵ではない
この大前提を認識できてないと会話が成立しない
コーエーの三国志の一騎打ちでも武力差19まではひっくり返る事があった
(呂布だけは例外だが)
>>563 いんや、ツートップは典韋許チョでFAだ
曹操より曹彰のほうが強そうだし
>>1によると武力の定義は指揮能力。個人武勇じゃない。
典韋とかは寡勢率いたら最強レベルだからトップ候補に入るが。
曹操 武力95 タイプ:司令官
典韋 武力95 タイプ:猛将
こんな感じにすればいい。
呂布とか関羽とか許褚は武力高め分かるけど典韋は武力高く無いだろ
個人の武勇が戦争や指揮に反映されるなら武力高くしても良いけど個人の武勇が高いだけじゃそれは魅力換算で良いと思う
まぁどちらにせよ典韋は武力低いよ
典韋伝によると「度々首級挙げた」「戦いの度に敵陣落とした」
人参
武力 56 意外と甘い、生でも食べれる
統率 60 結構、日持ちする
知力 78 栄養については評価が高い
政治 74 通年で流通している
魅力 28 嫌われ野菜の代表格、近年は見直されてきた?
備考:根菜、色はカラフル
面白いと思ってやってるん?
なんの目的で数値化してるん?
トウガイとショウカイ並びに呉を滅ぼした将軍たちを評価してください
三国志末期には詳しく無いのですが有名なトウガイやショウカイより大国呉を滅ぼした将軍らの方が評価は上なのですか?
575 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/06/15(土) 23:06:32.81
>>553 できるだろ。
曹操の直属兵は5千くらいなんだから、
その曹操、というか、徐栄から見ると謎の将のもとに固まってる数千くらいが
ボロボロになりながらも必死こいてるのを見れば、
「なんだこいつら、少ないけど奮戦してやがるな」となるだろ。
史書に見る限り、曹操の兵力は三万ちかくだな。
「鮑信が自らをささげた」と書いてあるんだから。
で、徐栄が一部を少ないと感じるのは上記の通りで妥当。
>>554 >>575の通りで十分可能。
>>555 お断り。相変わらず姑息だな、としか言えんがww
>>557 そんな奴いたか?
確かに曹操がこの後も呂布に負けたり、晩年に馬超に追い込まれたりしてるのは事実だけど。
別に成長システムでも構わんぞ。でも、それでいったら曹操は一体いつから100なんだよ。
そこら辺をちゃんとはっきりさせろよ。晩年にも馬超に追い込まれてるわけで。
期間限定で100なのか?負け戦を全部ノーカウントして「でも曹操は100」とかいうのは
明らかに妄信だろ。
>>576 トリップ知らないのかな
初心者さんかな
そもそも100ってどんな行動したらなるの?
その時代でもっとも優れた人って程度の意味だと思ってるんだけど
100を複数人にしたらええんでないか?
トウ艾 統率78 武力90 知力87 政治72 魅力68
鍾会 統率87 武力70 知力92 政治82 魅力68
トウ艾は戦術と農政の達人。戦略面では匈奴対策を献策、諸葛恪の失敗を予測。
基本的に人心に疎いから政治家にはあまり向かない。
鍾会は策謀の実績は文句なし。洛陽思いのまま牛耳ったから政治力も相当。
大軍率いて剣閣まで順調に平定進めたから軍略と統率の能力も高い。
縦横に軍兵を指揮するタイプではないから武力はそこそこ。
>>556 いや、新たに加わったのは2万数千な。
>数も徐栄に劣ってたのは明記されてる。
>>575の理屈で曹操直属軍をそうみただけと見るのは十分可能。
そんでやたらと兵の強さだの膨れ上がった兵だの、で曹操を擁護したがりなのがいるので
ちとこの問題について論証してみたい。その上で曹操を武力100と言えるか甚だ疑問。
>兵の強さも徐栄>関東軍っぽいし。
その理屈がようわからんが、一応連合軍が董卓の兵を恐れていた、というのは
史書にはあるので董卓直属の涼州軍が強兵だったのは事実だろうが、
何度も言うように徐栄は董卓軍生え抜きの将ではないので、涼州軍を率いていたとは考えにくい。
そちらの主張通りに徐栄の兵が謎の理由で連合軍の兵より強力だとして
(理由は不明だけど、あくまで仮定の話として)
これを仮に図式にしてみるならば、董卓直属の涼州軍>徐栄の兵>連合軍兵、となる。
これを前提条件1とする。
んで、同じく連合軍の一将として出撃した孫堅は徐栄には大敗したけど、
董卓と呂布が直接率いる涼州軍を撃破してる。ちなみに孫堅もあちこちで
兵を引き入れて軍勢を膨れ上がらせてきたもんだから、曹操と条件は変わらない。
つまり論証を進める為に仮定の話としてそちらのご希望通り、曹操>徐栄と仮定して
(これを前提条件2とする)
「曹操は徐栄に完敗した、軍がボロボロになる程の大被害だった、理由は兵が敵より弱かったから、
軍勢が膨れ上がったものだったから。」これを論証要素1とする。
次にやたらと曹操が武力100にご執着な人がいらっしゃるようだから、それに合わせて
孫堅の武力は曹操に劣ると仮定して
「孫堅は徐栄に大敗した、軍は一応再建して進撃可能だけど、孫堅自身が窮地に陥る程だった。
理由は敵より兵が弱かったから、軍勢が膨れ上がったものだったから。前提として曹操より孫堅の武力は劣る。」
これを論証要素2とする。
最後に「孫堅は呂布にも董卓にも勝利した。董卓・呂布が率いる兵は前提条件1において最強の涼州軍である。
その時に孫堅が率いていた兵は前提条件1で一番低い連合軍兵である。ちなみに呂布は後に曹操に正面決戦で勝っている。」
これを論証要素3とする。
(続く)
>>581 反論になってないと思うなら具体的にどうぞww
ぶっちゃけた話、やたらと曹操を武力100にしたくて仕方がない人が
数々の敗戦を必死で言い訳してるようにしか見えませんので悪しからずww
まあ、馬鹿丸出しのネット廃人さんはそうやって論に詰まったら
必死で抽象的に喚くしかできないんでしょうけどww
言いたいことがあるならちゃんと論理的に曹操が武力100だと説明してみてねww
俺は別に曹操を100にしなくても良いけど代わりに100にする人物がいなさすぎる
こいつが選んだ三国志最強武将がコウホスウで二番手がジョエイってのも失笑ものだしなぁ
なんかちょっとムキになってるというか意地貼り過ぎだと思う
やたら「涼州」にこだわってるバカがいるな
>>582の続き
>>582に示される前提条件1と2、
さらには論証要素の1、2、3を検証してみるならば、
曹操は武力100で最強なはずなのに、将としての能力に劣る徐栄に完敗している。
これを兵の質の差、兵が膨れ上がったものだという条件のせいだというならそれもまあよかろう。
同じく孫堅は出撃して徐栄に大敗している。これももまた兵の質の差、兵が膨れ上がったものだという条件のせいだというならそれもよし。
しかし、それならば「将才が上であったとしても、兵の質が劣り、兵が膨れ上がったものなら勝てない」という事になる。
しかし、孫堅はその後、この論証の中における兵の中では最強であるはずの涼州軍を率いた董卓と呂布に勝利している。
呂布は後に曹操を打ち破る豪傑だし、董卓が自ら涼州軍を率いるのだから、その破壊力も相当なものなはず。
しかし、孫堅はこれに勝利した。兵質が涼州軍に劣る兵を率いた徐栄には大敗したのに。
これを見るに、これらに整合性を付けようとするならば、
孫堅・徐栄の将としての能力を高く評価するしかないように思われるが。
少なくとも孫堅は曹操が覆せなかった、
「将としての能力が上であっても、兵質が劣り、さらに兵が膨れ上がったものであるならば勝てない」
という条件を凌駕する程の能力を発揮した事になるのだから。
そしてそれを覆させないだけの能力を徐栄が発揮した事になる。
実際に董卓自身も「連合軍の将は大したことない奴らばかりだけど、孫堅だけは人をうまく使う能力がある。
警戒すべき相手だ。」とはっきり言っている。
で、この上でなお曹操を徐栄より将としての能力上だとか、孫堅より上だとか、
そういう風に言って武力100つけるのってかなり厳しいと思われるがどうだろうか。
>>584 そうやって論旨に答えられずに、それでも必死に抽象的に喚くのって
反論できないけど、なんとかして相手を叩きたいと思う、当事者であるネット廃人さんが
やってる事がほとんどですよねwwさもしい事このうえないなww
そうやって発狂してないで、ちゃんと論旨には論理的に反論してみてねえww
無理なら無理で黙ってたほうがいいと思うけどねww
論旨w
牛乳でも飲んで落ち着きたまへ
>>585 別に武力100は呂布でもいいけどな。
正直、徐栄が2番目でなくてもいいと思ってるけどな。
というか、ぶっちゃけ徐栄の順番はどうでもいい。
ただ史実を基にして、曹操をやたらと高くするという前提でいくなら
それに従って徐英あがっちゃうよ、って話なだけ。
平たく言うと、曹操が76くらいだったら、徐栄も80代くらいに
落ち着くんじゃねーの。
最初に
>>513で「曹操を散々貶めておいて!」とか言い出して暴言はいといて
それはないと思う。
95〜100 曹操、呂布
90〜94 孫堅
85〜89 徐栄
こんなもんかな
>>586 え、やたらと曹操武力100の人って
「董卓率いる涼州軍は最強!連合軍兵より兵質が圧倒的に上!」
的な論調だったじゃないの。今になって翻して暴言はくなんてひどいな〜
>>589 抽象的にしか言えない阿呆w
>>592 こんくらいが妥当だよなぁ
戦争で一度勝ったから曹操>ジョエイという理屈が分からない
>>592 武力100の曹操を完敗させられる武力85とか凄いなw
史実だと正面からやって完敗してるのに、
この能力値だったら曹操が最初から徐栄に完勝できちまうなw
ついでに呂布に勝ってる孫堅が94なのかよw
匿名の板で「○○の人はそういう主張だっただろ」「さっきお前○○言ってたじゃん」みたいな決め付けが話をややこしくしてる
一人主張と文体が特徴的な奴がいるから気にしたくなるけど本人も名無しを貫いてるわけだし名無しとして扱おうよ
単純に曹操は華北統一という難事業を
自分がほとんど最前線で成し遂げてるという実績でもって
余人の追随を許さんだろ
武力100で当然、結果出してるんだし
否定論者は楽でいいなw
もともと正解がないものだけに重箱の隅をつつこうと思えばいくらでもつつけるw
その重箱のつつき方も、超オレ様理論大炸裂w
3万のうち5千、全体の1/6が奮戦してるのを見て、
敵軍の士気が高く本陣を攻めるのをあきらめるって
どうしてこんな理屈になってない屁理屈で十分可能って、すげーなw
では誰が100だよの返答は、コーエーの通例に習って呂布とか言い出すし
いやー深い考えですねw
>>594 おいおい、正面からやって完敗してるのに
曹操>徐栄とか言われても失笑だろw
この能力値だったら徐栄が瞬殺されて終了だよw
ていうか、曹操よりも先を進んで董卓・呂布に勝利した孫堅が90というのもまたw
兵質も劣るのにどうやって勝つんだよ、これでw
>>595 だからお前の生涯能力値一定論がおかしんだよ
曹操だって若い頃(武将にとって実年齢は関係無い経験値的に若い頃)に無茶して失敗積んで天才になったわけだろ
その若い頃の失敗を人物自体の最終的な能力にそのまま扱うってのがバカすぎるんだよ
>>595 曹操も徐栄には多勢に無勢で負けた、武帝紀の論調はそうなってる
項籍は楚漢抗争期の圧倒的武力100だが衆寡敵せずで負けてるように
例え圧倒的に武力が高かろうと、負ける時は負ける
ファンタジーじゃないからな、人一人の能力には限界がある
>>598 いやいやw曹操の正面からの数々の敗北をスルーして
曹操が武力100とか言い出すから失笑しか起きないわけでw
十分に理屈になるだろw骨のある奴がある程度いるんだったら
本営にはさらにいるわけで、もともと急襲を狙ってたと思われる徐栄からすりゃ
骨のある奴が一杯いるんだったら本営を急襲して勝つのは容易じゃないしw
ていうか、お前のいってるような兵質だの、兵が膨れ上がったもんだの、
そういう言い訳条件なんて
>>582と
>>587を見る限り
孫堅が普通に覆してるじゃねーかよwwこれでどうやって曹操を武力100にして
最強にすんだよww笑わせるのも大概にしろよww
>>600 徐栄と戦ったとき、曹操は35、36のおっさんだぞ
黄巾の乱で実戦経験も積んでいる
この時点で熟練してなきゃ、アウトだろ
>>601 そりゃ、武帝紀はこれだけの完敗をできればオブラートに包みたいだろ。
でも、実際は総勢三万近い大軍だったわけで。
これで多勢に無勢って董卓の一将でしかない徐栄がどんだけの兵を率いてると
思ってんだよww逆にファンタジーにしてんのお前じゃんww
というか、それだと董卓直属軍に勝利した孫堅とかどうなっちまうんだよww
>>602 では誰が100ですか?
具体的な理由とともにどうぞ
>>600 いや、その成長方式でもいいけどさ。
だったら曹操は一体いつ武力100なんだよ。
この後だって呂布に正面から撃破されてるし、
晩年にも馬超に追い込まれてるし。
瞬間最大風速みたいに一時期だけ100なのか?
個人的には曹操の武力は92くらいにしといて、
武力と知力のハイバランスで強さを表現したほうがしっくりくるけどな。
>>604 酸棗にいる諸軍の軍勢十万人余りと戦いに来ているんだが
徐栄が外様だからって兵が少ないとする根拠がないんだが
>>605 候補としては孫堅、呂布、生涯不敗の皇甫嵩、あたりじゃねーの。
孫堅の将力、呂布は正面からの突破力、皇甫嵩の軍略の冴え、
そこら辺を評価すればある程度納得できるんじゃねーの。
>>604 「実際は」というのは君の勘違い
武帝紀の記述だけを一方的に無視する史料無視の姿勢はただの間違いと言っていいレベル
注釈や他の人の伝では曹操の他に戦った人はいる、衛茲などの加勢があった、としているが
鮑信が全軍を率いて参加してた証拠はない
2万率いてて全滅して指揮官が怪我するような大敗したら鮑信の軍は崩壊してることになるが
曹操と違い鮑信が再募兵したということもない
注釈で「故郷で募兵した」と書いてある2万の鮑信軍の総数が一緒にいた、というのであれば
武帝紀の曹操軍は少ないと徐栄は考えた、という根拠もあるのだから徐栄の軍はもっと多いということになる
鮑信が全軍率いてたという証拠はないのに2万全部引き連れていたとする一方で
史料にある文言を無視する史料軽視の姿勢はおかしいよ
袁紹の戦績のほとんどは40半ば以降だな
30半ばの頃の袁紹は小僧扱い
曹操の戦争に関する全盛期も40代以降だろ
>>607 董卓はこの時期に別方向で直属軍を率いて河內太守王匡の軍を
陽動作戦を用いた急襲で大破してる。
呂布とか胡珍とか華雄とか、他にも徐栄に属してない奴等があちこちにいるわけで。
徐栄はお前の中ではどんだけ大軍率いてんだよww
というか、董卓軍はどんだけ兵がいるんだよw
満を持して戦う場合とそうでない場合で全然違う
単純な勝ち負けだけで決めるアホ
>>609 それは曹操武力100にしたくて仕方ない君のただの妄信。
実際に記述でそうなってる。
鮑信が歩兵2万、騎兵700、輜重5000以上を率いて挙兵し、そのすぐ後に
「弟と共に兵を率いて曹操と会い」曹操に心酔して「英雄とは君の事だ!」といって
「深く自分をささげ、曹操もこれに親しんだ」としっかり書いてある。
そんでそのまま徐栄と戦ってるわけね。
実際に鮑信はこの戦いで負傷し、副将である弟は戦死してる。
文字通りの大損害だよ。
>武帝紀の曹操軍は少ないと徐栄は考えた
あんたは本当に読んでるわけ?w
曹操が徐栄に遭遇して文字通り滅茶苦茶に打ち破られた後、負傷しながらも夜に逃げ出した、
という記述の後で「曹操の所の兵が少ないながらに奮戦するのを見て」とあるから
曹操の直属兵5千の事でしょ。
総勢三万以上の大軍を上回る数とか、徐栄はどんだけ大物なんだよww
これまでの経緯から見て、どっからどう見てもあんたが資料みないで適当いってるだけにしか
みえませんがwこれで資料軽視とか寝言いう前に、ちっとは資料読んできてくださいねww
>>612 遭遇戦は徐栄も同じっすけど?w
まさか相手も同じ条件なのに、曹操が負けたらノーカウントとかいいませんよね?w
遭遇戦かどうかが条件の全てだと思ってるアホ
>>615 なんで両方とも条件同じなのに、曹操が負けたからってノーカウント扱いに
されにゃならんのですかwwその阿呆な理屈の方が不思議でなりませんよww
>>608 流れ矢(投石説あり)で戦死の孫堅
李カクカクシに負け、黒山賊に負け、最終的には曹操に負ける呂布
董卓の台頭に何もできなかった前世代の将皇甫嵩
が候補ですか〜、へぇ〜
>>608 他人のあら探しする時はイキイキとする癖に自分の意見言う時は凄い自信無さげなんだなw
つか君やたらコウホスウ推すけどその理由の「無敗」って全部雑魚相手なんだよね
董卓配下の有力な将が弱兵率いてるわけがない。
曹操はかき集めた兵と他人の兵。
>>606 >この後だって呂布に正面から撃破されてるし、
>晩年にも馬超に追い込まれてるし。
武力100かは置いておいてこれらには疑問
どちらも一時的に押し切られただけだろ
曹操は兵を率いて突撃する才能は無いけど用兵で狡猾に立ち回って最後は勝つタイプ
呂布にも馬超にも最終的には勝ってる
一度押し切られたとしても最後天才的な兵法を駆使して勝利するというのは曹操の戦い方なんだよ
>>617 流れ矢なんかどうすんのよww
曹操だって何度も矢傷おったり火傷負ってたりして、当たり所悪けりゃ死んでるよww
そっちを評価したいなら「生命力」とか別方向で評価してくださいねww
李カクの時は10数万に攻め込まれてしまったそうなw
>黒山賊に負け
ええ?黒山賊との戦いで「人中の呂布」と言われる超人的武勇発揮して勝利したのですが?w
>最終的に曹操に
策に負けたなww知略は呂布は低くていいぞww正面決戦では普通に曹操に勝ってルの見ても
武勇は評価していいだろww
>董卓の台頭に何もできなかった前世代の将皇甫嵩
それは政治性の問題なwwユスティニアヌスにいいようにされてたベリサリウスが
武力なしとか言われても笑い話にもならんのでww
623 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/06/16(日) 00:48:42.55
>>618 雑魚とかどうやって評価すんのよww
少なくとも、董卓が勝てなかった黄巾主力を初めとして
連戦連勝、涼州でも連戦連勝、しかもいずれも董卓の上をいってる。
軍略の冴えは本物だな。
将帥としての能力はかなり高いよww
>>619 徐栄の事いってんだったら外様だからねww
涼州軍率いてるとは考えにくいよww
>>620 いや、だからそれなら知略高くすりゃいいんじゃね?
実際に馬超にも呂布にも策を使って勝ってるんだし。
つーか呂布との戦いって何年もかかって終わったもんだし、
これで「最終的に」とかいうと、色々楽しい基準になりそうだなww
状況や条件を考えると徐栄の将才が曹操に優ってたと断ずるのは無理。
それに「群雄曹操>旗揚げ直後の曹操」は明らかだろう。
結局徐栄が全盛期の曹操を上回るとする十分な根拠はない。
>>623 誰も涼州云々の話なんかしてないだろ。知障か?
>>624 だからそれここでは知力って言わないんだよなぁ
馬超とカンスイの分断は知力と言ってもいけど
>>624 曹操はおっちょこちょいですぐ弱気になるから知力は低いよ
武力100は陸遜でいいと思うのだけど
陸遜は夷陵以外でもちょくちょく活躍してるな
トウ艾と互角くらいじゃないかな
おっちょこちょいで弱気だったらすぐ脱落するだろw
正しい判断を繰り返す知力と天下を取るという強い意志があったから、
あの時代最大の勢力を築けたわけ。
長い年月活動してれば時には失敗したり弱気になったりもする。
その部分を減点して知力は85〜90ってとこじゃないか。
>>631 正しい判断を繰り返してたのは部下だな
曹操自身も正しい判断することも多いけど
あきらめようとしたり間違った判断したり
最初に正しい判断してるのに翻して間違った方向、危険な方向に転換しようとしたりしている
部下に諭されると気付けるから助言を受け入れる能力は高い
劉邦みたいなもんだよ
劉邦と違って高い教養あるけどね
どう見ても曹操は主体的に考えるタイプだろ。
普段から積極的に郭嘉と戦略語ってて「郭嘉だけが私の考えを解する」。
自ら兵法書に註釈を付けるくらいだしな。
劉邦と同タイプなわけがない。
>>633 学識はある、教養もある
だが、このスレで評価する部分の知力はそんなに高くない
劉邦のように、部下の言うことは聞く、そういう部下を見抜く目はある
根性は英雄としては少し弱い
根性は三国時代じゃダントツの劉備に次ぐと思んだよなぁ
根性というか野心?
野心があれば根性もあるし
>>625 いや、徐栄の完勝っぷりを見ると「無理」とか言われても…。
状況や条件で見ても曹操が三万もの軍勢率いて完敗したわけだし。
兵の質が云々いうんだったら、同じような条件で戦った孫堅が
徐栄には大敗したけど、兵の質ではおそらくそれ以上であろう涼州兵を率いた
董卓・呂布に勝利してるんだから、孫堅>曹操にはなっちゃうんじゃないの。
>>626 史書には連合軍の諸将達が「董卓の兵の強さを恐れた」とあるので
董卓直属の涼州兵が強力だったのは間違いない。しかし、徐栄は董卓軍生え抜きの将ではないので
涼州兵を率いていたとは考えにくい。
仮に徐栄の兵が「董卓の涼州兵よりは劣るものの、連合軍の兵よりは上等な兵」だったとしても
孫堅は曹操と同じような条件で、董卓・呂布の率いる涼州兵を撃破してるので
少なくとも孫堅>曹操にはなってまうで。
>>627 >>628 えー、その理屈だと黄忠や呂布みたいに真っ向勝負タイプの連中の武力が
低くなってしまうんじゃないのwほとんどの戦いは真っ向勝負が多いのに
それ評価できなきゃしょうがないじゃないか。
というか、「何度敗北しても、何年たっても最後に勝てばよし」という理屈なら
武力で劉備>>>曹操とかいえちゃうよw
「険要の地を徹底堅守して曹操軍を迎撃しまくる」という策を使って勝ったんだしw
条件・状況で言っても、劉備が曹操とまともな条件で戦えたのって漢中戦くらいだし、
漢中戦は両雄の最終戦だしw
孫堅が董卓と呂布破った戦いって、後漢書にしかないんだよな
孫堅が大活躍した重要な戦いだったら、何故陳寿の孫堅の本伝に載ってないのか
小競り合い程度だったんじゃないかな
董卓と呂布が本気で孫堅迎撃して負けたのかどうか分からん
曹操3万といってもその多くが他人の兵
>>635 曹操は人生のキャリアハイで征西将軍になれたらよかったと述べてる程野心の小さな男
>>637 要害補正があるからそういう結果にはならない
ほとんどの戦いは真っ向勝負ってのも思い込み
基本どっちかが自分有利なフィールドを設定してそこで相手を迎え撃つ
んでそのフィールド補正以上に別の兵数とか装備とか有利な点があったり
指揮や戦術などの能力的に優れてるから勝ったりする
ゲーム風に言うとこんな感じ
何で君はそんな短絡なのか知らんけど戦いは真っ向勝負が多いってどうして断定できるんだ?
中国の戦争文化ってのは孫子が軍争で述べてるように自分有利な場に相手を引き出せってのが基本にあるぞ
>>641 んな事いうなら曹操が勝った戦いも地形利用して勝ったものはNGだな。
ていうか、フィールド設定が重要なら要害の地を利用して勝ったのも十分OKになるじゃんw
単に曹操武力100に都合悪いものを必死で弾こうとしてるだけでしょw
実際に史書にある戦いは「〜が○○を破った」という感じで
正面からの突撃戦がほとんどだから。
孫子も結局は兵士達の士気を盛り上げ、勢いを持って正面から打ち破るのが最高、
と言ってるし、結局戦争とは正攻法と奇襲の組み合わせに過ぎないとも言ってる。
短絡的というか、単にあんたが
そうしないと曹操武力100に都合悪いから屁理屈こねてるだけにしか見えないのだけどw
で、結局それだと黄忠だの呂布だのといった真っ向勝負タイプの連中が
武力評価できないというのはどうすんの。
>>642 誰がNG言うてるんだ?
地形補正は大体の場合においてあるからそれをしっかり吟味せいって話
突撃戦がほとんどなわけねえだろ
詳細不明の戦いってだけだ
文鴦
統率 75 武力98 知力70 政治 50 魅力50
個人的には呂布に匹敵するか個人の武勇なら呂布以上だと思われる将軍
政治と魅力は判別不能だから50
呂布と文鴦は十数騎で敵陣に突入した記録があるな
呂布にそんな記述あんの?
張飛、関羽みたいに数百人の義勇軍から活躍した人間を除いて個人の武勇最強じゃないの?文鴦は
司馬師の軍は黄巾軍と比べてもおそらく精鋭で数も多くてまとまってるし
読み直したら呂布は「数十騎」だった。
「成廉、魏越らと共に数十騎で張燕の陣に突撃し、皆首級を挙げて帰ってきた。
その突撃は一日に3、4度行われ、十余日後張燕の軍を打ち破った」
こんな感じの記述。張燕の軍は1万数千だったらしい。
>>643 だーかーらw
そうやって地形を利用して勝つんだったら、劉備が険要の地をうまく活用して
曹操に勝ったのもしっかり評価せにゃならなくなり、そっちが曹操武力100にする為に主張してる
「何度敗北しても、何年たっても最後に勝てばよし」という条件が働いて
劉備>>>曹操、になっちゃうよw
伏兵戦術とか使ったのだったら結構書いてあるけどね。
書いてないんだったら基本的には正攻法だったと解釈するしかないと思うが。
で、結局、お前さんの理屈だと黄忠や呂布みたいな真っ向勝負タイプの連中が
評価できなくなるって事についてちゃんと答えろよwww
ぶっちゃけ、曹操武力100って様々な観点から違和感だわw
因みに袁紹に所属してたときの話。
呂布軍の力だけで張燕を破ったわけではないだろう。
>>646 上の人も言ってるけど、呂布には数十騎を率いて
黒山賊の張燕率いる、騎兵数千、歩兵一万、の軍勢に10数日に渡って突撃を続け
打ち破った、という無双的な逸話がある。
これによって有名な「人中の呂布、馬中の赤兎」という言葉でもって称えらえれたとされる
でも後世において三国時代の伝説的武勇の象徴とされるのは関羽の斬顔良だけどな
手元に正史とか無いからWikipedia見たらあった
十数も数十もあんま変わらんし同レベルなのかな
ただ文鴦はほぼその一発屋だから可哀想
呂布みたいにもっとエピソードあったら呂布や関羽、張飛みたいに神格化されてたのに...
呉はそんな感じの猛者ばっかり。
>>638 んな事いうんだったら後漢書の信憑性自体を疑わにゃならんぞw
董卓自身も「他の連合軍の諸将はとるに足りないけど、孫堅は小癪にも
人をうまく使う能力がある。警戒すべき相手だ。」と述べてるし、
董卓から見ても孫堅>曹操になってまうで。
>>639 孫堅の兵も敵対する荊州刺史だの、南陽太守だのから奪って吸収して膨れ上がった軍。
条件的には変わらないので孫堅>曹操になってまうで。
武勇
呂布、典韋、許チョ、関羽、張飛
>曹仁、張遼、ホウ徳、文オウ、甘寧、董襲、丁奉
用兵(戦術)
曹操、トウ艾、陸遜
>張コウ、徐晃、荀攸、呂蒙
こんな感じな気がする。郭嘉は戦術より戦略
>>648 >「何度敗北しても、何年たっても最後に勝てばよし」
そんな条件出してないけど?
どのレスで言ってる?
思い込みで勝手な条件追加しないように
>>648 >伏兵戦術とか使ったのだったら結構書いてあるけどね。
>書いてないんだったら基本的には正攻法だったと解釈するしかないと思うが。
書いてなければ「わからない」とするのが正しい
返事しなかったら俺に都合のいい返答があったものとみなす、みたいな主張やめい
>>648 何度たっても最後勝てば云々の話多分俺のレスだと思うんだけどそんな意味で言ったんじゃないのだが
一時的に兵の精強さや将軍の武勇で押されても持ち前の用兵や計略で大局的に相手を破る
こういう意味で言ったんだょ?
>>655 いや、お前によく似た主張の奴が言ってるが。
>>620で一応言ってるな。
ていうか、この条件が消えるんだったら、マジで曹操武力100なんて
全然主張できない事になるぞ。どう整合性つけるんだよ。
>>656 んな事いったら、お前のフィールド設定云々だってわからない事になるだろ。
自分の断定は良くて、都合悪いものは蓋然性が高くてもわからない、って
単なるお前の勝手でしかないだろ。
お前が自分に都合の悪い所は完全スルーして逃げ回るから、
こっちとしては聞かざるをえないわけよ。
で、結局お前の基準だと黄忠や呂布といった真っ向勝負タイプの連中が
評価できなくなる事についてはどうすんだ、と聞いてる。
スルーしてないでさっさと答えてもらいたいね。
>>658 それ俺じゃないけど?
曹操武力100なんて全然主張できないというのも意味不明
戦術評価なんだから「最初押されてても戦術駆使して逆転」とか
これ全部武力だぞ、知力には一欠けらも評価入らないのが
>>1の基準だぞ
>>659 孫子軍争篇の通り、それが中国の戦争の基本
>>657 いや、それわけわかんないし。
何度も言うように呂布との戦いはかなーり長く続いてて
その間に何度も曹操が破られたり苦戦したりして、間に休戦的なのも挟んで、
そんでいろいろあって最終的には勝ったけど、
それに至る期間がやたらと長いし、その間に呂布に負けたり苦戦したりしてるし、
その長い苦戦の果ての最後の勝利をもって曹操の武力を100とかするなら、
ぶっちゃけ「何度敗北しても、何年たっても最後に勝てばよし」とでも条件設定しないと
整合性があわないだろ。
>>660 あらそう。
で、「最初押されてても戦術駆使して逆転」これを主張して
呂布戦における曹操の最終的勝利をもって、曹操>呂布と言い出すのは
一体何を言ってるのか意味不明なんだけど。
曹操は呂布と最初に決戦した時は「正面から騎兵で打ち破られて」
「曹操自慢の青州兵も壊乱し」「曹操本人も逃走し」「陣地は炎に包まれて
馬から堕ちて左手に火傷を負い」「部下に助けられてなんとか逃げ延びた」
という惨憺たる有様なんだけど、これのどこが「最初押されてても戦術駆使して逆転」
になるわけ?どっからどう見ても普通に正面から負けてんじゃん。
そんでまた攻めたけど、「呂布に100日にわたって防がれて攻略できず」
そのうち「イナゴ災害起きて戦えなくなり」その後もなんだかんだと戦って
結局曹操が呂布を追い出す事に成功すんのは2年くらいたってからだぞ。
これでどこが「最初押されてても戦術駆使して逆転」になるわけ?
その理屈だと武力で劉邦>>>>>項羽とかになるわけ?もはやネタの領域だろ。
>>663 その理屈言い出した奴に聞けよ
俺が言ってるのは戦術域で当初押される事があっても
それを戦術で逆転してるなら戦術評価だろ、ってことな
それから曹操と呂布の最初の戦いって曹操が急いで引き返してきての戦いだから
まず行軍による疲労があってまともな戦いにならんね
>>661 孫子兵勢編曰く「戦争って基本は正攻法だね。それにうまく奇策を使い合わせてね。」
「戦争って結局正攻法と奇策の組み合わせだよ!」
「戦争って結局は勢いだから、組織構築をちゃんとして、勢いをうまくつくるようにしてね!」
別の編だけど
「究極の戦い方って知ってる?正攻法で当たり前に勝つ事なんだよ。面白みないけど。」
また別の編だけど
「最高の戦い方を教えてあげる!兵士をだまくらかして、敵地のど真ん中まで連れてって、
逃げ場がないようにしてから、その上で自分たちの状況とかを教えてあげると
もう兵士たちはわんわん泣き出して、悲鳴のような声をあげるけど、しばらくすると目がすわってきて
戦うしかない、って顔になるんだよ!こうなったらしめたものだね!兵士達一人一人が
伝説の勇者に劣らないほどの勇猛で戦ってくれるから、これで正面から敵を撃砕しちゃえ!」
孫子先生も正攻法は大好きです。
>>664 おいおい、言い訳にしても酷すぎるだろ。
結局何年もかかって、その間に何度も敗北したり苦戦したりしてんのに、
最終的になんとか追い出せたからって曹操武力100とか
いい加減にしろよ。
笑わせんなよ。それいったら呂布軍はその直前まで戦闘してたんだから
戦闘条件は互角か、呂布の方が悪いくらいだろ。
ていうか、徐州との戦いよりも呂布との戦いの方が結局ずっと長いって事実を
理解してもらいたいんだけど。あれか?曹操軍の行軍疲労って数年しないと癒されない領域のものなのか?
>>665 正攻法誰も否定しとらんが?
軍争にある通り、地形利用するってのが中国の戦争文化の基本だぞ
>>666 >最終的になんとか追い出せたからって曹操武力100とか
そんな主張してねーよ
書いてないことを書いてあると捏造やめれ
>>667 だったら、結局正攻法が多いって事はわかるじゃん。
>>668 曹操武力100とは主張しないと?ならいいけど。
>>669 その肝心の「正攻法」が地形利用なんですけど?
自分に有利な場で戦うのを正攻法だと思ってない時点で知識が無さ過ぎる
曹操の武力は100、これは当然
呂布との戦い云々というが最終的な曹操と呂布の戦績は曹操の方が勝ち星多い
というより呂布が勝ったのって最初の方に集中してるから印象に残るだけで
何度も直接対決して勝ち星が曹操のが多いのにどうして呂布に会戦でいくどか負けたから
曹操の武力100はないんだ!って主張になるのかわからんな
最終的に勝ったから、じゃなくて曹操のが勝ち数が多いから、曹操のが上
曹操は伏兵使って呂布撃退。(その後呂布は劉備を頼る。)
伏兵使った勝利は戦術的勝利だから武力換算。
夏侯淵はコーエー評価だと高すぎるな
武力統率70くらいでOK
河口豚はそんくらいでいいかもしれんけど。
河口猿はもっと高いやろ
夏侯淵は光栄の三国志1の能力がしっくりいく。
すなわち知力60、武力92。
夏侯惇の場合、軍の取り纏め役みたいなところあるから
魅力、統率高めで武力、知力低め、政治はそこそこってのがいいと思うな
夏侯惇はしっかり者の名誉職ってイメージ
曹操の精神的な意味での参謀、第二の君主的な立ち位置だから魅力あげとけば良いだろ
曹操を必死にネガキャンしてる人がいるけどぶっちゃけ三国時代には一人の優秀な武将ってのが皆無なんだよね
だからしょうがなく曹操にしてるだけ
もし対抗馬がいるなら興味あるんだけどその挙げた武将がコウホスウ、ジョエイってのが失笑ものなんだよ
他人の主張には重箱の隅を突つくように目くじら立てて批判する癖に自分の主張はショボくそれを押し通す気概も無い
曹操批判するならなぜコウホスウやジョエイが優秀なのか曹操批判の気力で書くべきだよ
>>670 え、孫子はそんなこと書いてないけど?
地形利用だのフィールドワークだの、どっちかってーと戦略の領域であって
孫子が度々出してる正攻法の為の教えに関しては「組織の整え方」だの
「勢いの構築法」だの、「将士に決死の勇を振わせる方法」だの、
明らかに正面からかち合う事を想定した言葉が多いのだけど?
ちなみにこれは呉子も同様ね。孫子も呉子も結局のところ、正面から敵軍を打ち破れる方法、
についての言及がやたらと多いのは、正攻法というのが正面からの戦いである事が多いって事を
示してるだろ。ていうか、知識知識と言い出して、孫子も呉子もちぐはぐで
ご都合主義に喚いてるだけのお前が一体何を言い出すのかとw願望だけでわめいたって知識がつくわけじゃないっすよww
知識あるってなら普通にそれ相応の知識を出しながら語って下さいねw
今の所随分と抽象的な決めつけで語ってるだけにしかみえませんがw
おいおいおいw結局曹操武力100にしたくて仕方ない必死なネット廃人さんだったのかよw
最初は違うと言っておきながら、時間開けて人がいなくなったと見たら掌返しとか凄い笑えるんだけどww
おいおいおいw普通に曹操が敗北した時はやたらと言い訳する癖に、
呂布が負けた時は諸条件みないってどういう事だよw基本的に曹操の方が兵力多くて戦ってて
それで呂布には幾度も正面決戦とかで負けたり、苦戦したりしてるのに
それで曹操最強!武力100!とかすげー笑えるんですけどw
最終的な曹操が呂布を滅ぼした戦いの戦闘は全部曹操が呂布の2倍以上の兵力だったって事を
まさか忘れてないだろうな?w曹操が魏武注孫子で高らかに歌い上げてるだろ、
「自分は2倍余りの兵力で呂布を倒した」とw曹操が敗北した戦いは必死で言い訳する癖に
曹操が2倍以上の兵力で勝利したら、それを臆面もなく取り上げて曹操武力100!とか言ってて恥ずかしくないのかお前ww
いや、本当にお前はマジものの曹操厨だわww
ていうかさ、能力値をゲーム風につけてるこのスレ的に言うならば、
曹操が正面衝突で策を使わずに呂布に対等兵力で勝てるとか、
史実見ると明らかにおかしくね?って話になるわけよw
大軍ですら負けてるのに、対等兵力で正面から勝てるって明らかにおかしいだろw
>>671 それも当時の魏側の通例である「戦果10倍」論を使うとかなりおもしろい事になるけどなww
伏兵使うの知略じゃね?と思わんでもない。ていうか、それだと史実における、
曹操が兵力多くても呂布に正面から挑んで大敗した、というのと、伏兵使っ呂布の襲来を撃退した、
という二つの史実をどう整合性つけんの?
>>676 別にネガキャンしてるわけじゃねーけどなww
曹操が普通に正史で見ても正面から何度も敗北してる、という単なる史実を挙げたら
ネガキャンとか言い出すのは、お前が曹操武力100にしたくて仕方ない厨なだけだろw
ていうか、最初に曹操の敗戦あげられたら「曹操を散々貶めといて!」とか発狂しだしたお前が
今になって「仕方なくしてるだけなんだよ(苦笑)」とか笑い話にもなりゃしないんだけどww
ていうか、徐栄を武力100なんてこっちは一回も主張してないんですけどw
曹操が武力76くらいだったら徐栄が80代くらいになんじゃねの、的な感じで
曹操高くすりゃ徐栄も上がらざるをえないんじゃね?って話だし、
こっちが武力100候補として挙げてんのは、
孫堅=戦歴豊富。戦勝多数。敗北少ない。董卓からも「他の連合軍諸将とは別格」と警戒され、
孫堅>曹操の評価な感じ。曹操武力100の人が必死に言い訳してる条件と同じ条件で
徐栄が率いた兵以上に精強な涼州軍を率いた董卓・呂布にも勝利して洛陽に入城した実績からも
孫堅>曹操は固いか。
呂布=ご存じ「人中の呂布」として武勇において定評あり。曹操も正面から戦って大敗。
程c伝を見る限り、その後何度も挑んでも勝てずに敗北していた模様。
正面戦闘の強さは定評ありか。曹操が策を使って戦い出すと敗北していくので
そこらへんは知略で評価するといいと思われる。
皇甫嵩=後漢が誇る不敗の名将。劣勢の状態から黄巾軍主力を火攻めで大破し、戦局逆転のきっかけを作る。
その後も董卓が勝てなかった張角率いる黄巾本隊を打ち破って壊滅させ、
張角の弟率いる大軍も壊滅させ、討ち取った敵軍は10数万に達したとか。
涼州方面でも董卓を上回る采配で勝利を重ね、結果として生涯常勝不敗。
後世においても名将として称えられる。
の3人しか挙げてないぞww誰がいつ徐栄武力100なんつったんだよw
曹操を必死で持ち上げたくて文章捻じ曲げとか相変わらずさもしい限りだなww
端から見てると徐栄厨は笑えるなw
自分のこと利口だと思ってそうだけどw
基本とんちんかんw
いよいよ必死になってきたか
俺的に曹操の武力は95くらい
100は行かなくても、徐栄よりは上だろw
>>679 君病気なの?
明らかに総合失調症ぽいのだが
「曹操を散々貶めといて!」と言った人とは違うよ?
名無し名無し名無しの掲示板で単一の人格と戦ってるのって病気だよ
君のレスと文体は明らかに浮いてるからすぐ判別できるけど
もしかして武将名をカタカナにしてるという理由で同一人格と認識してるのか
それとコウホスウと孫堅が武力100ってのは違う気がする
敵が烏合の衆すぎる
君は生涯の戦績を単純に勝ち負けで換算してバカの一つ覚えみたいに評価してるのかも知れないけど元農民の黄巾族相手に活躍したから三国志で最強かというと???すぎる
そもそも黄巾族との戦いは君が毛嫌いしてる曹操も含めみんな活躍してるんだよね
黄巾族の強みは人海戦術なんだから一人一人は弱いんだよ
優秀な武将もいないし
だからみんな対黄巾族戦では戦績上々だよ
もちろん無能な武将は押し潰されただろうがそこが武力70の別れ目とかなんじゃないの?
コウホスウも孫堅も名将だと思うけどその後100年続く鍛えられた官軍同士の兵法駆使した戦争を無視して単に勝ち星が多いからコウホスウや孫堅が三国志一の名将ってのはおかしいよ
曹操の生涯勝率って8割強だっけ?
>>677 >曹操が正面衝突で策を使わずに
策使っても戦術域での策は全部武力換算だ
戦術だからな
>>682 戦略級と戦術級とそれから小競り合いなんかでもとにかく一勝、一敗とカウントすると
そうなっていくという話
あんま意味のある数字じゃないよ
それでも曹操ほど勝ってる人そんないないけど
策と戦術の違いがわからん。策は奇策的な扱い?陰謀?
小泉純也=曹崇
小泉純一郎=曹操
小泉孝太郎=曹植
小泉進次郎=曹丕
>>680 またまたーw
いつも通り他人設定しちゃって馬鹿丸出しだぞ、ネット廃人君ww
毎度毎度いうけど、お前の言う「傍から」「横から」っていうのは
全部「縦から」の間違いだろwご当人なんだからw
またまたそうやって抽象的に断言するだけで、
具体的には何にも言えない馬鹿丸出しの行動パターン乙ですw
知識知識と喚くなら、さっさと具体的な知識を出して語ってくださいねww
孫子呉子でもどっちでもいいですよーw
最初から最後まで必死になってんのはお前だろうがww
徐栄に完敗してるのに徐栄よりは上だろ、ってわけわからんしw
ていうか、徐栄厨って程に徐栄にこだわってるわけじゃないけどなw
じっさいに武力100を徐栄なんてお前の妄想以外で一回も言ってないしw
>>685 策は何かに対処する方法全般
戦術は戦闘における技術や方策
策の一部に戦術は含まれるし、戦術の一部に策は含まれる
戦術と策は籍集合の関係になる部分がある
>>681 いやいや、君でしょ?
文体も行動も基本的におなじだし、
追いつめられると統合失調症にやたらと強いこだわりを示すところとか
非常に特徴的だと思ってるんだけどなあw
ていうか、お前の言ってるレスでは総合失調症かよw新しい病名ですか?w
>君のレスと文体は明らかに浮いてるからすぐ判別できるけど
いや?こっちから普通に見ても、曹操武力100を必死になって主張してる人って
文体や行動が非常に特徴的だし、なんとしても屁理屈つけて曹操武力100を固守したい、
という必死さが伺えてとても面白いなー、と思ってるんだけど。
他人を判別できて、自分は特徴でまくりなのに、判別されないと思うわけですか?w
>敵が烏合の衆すぎる
こりゃ滑稽w実際に黄巾勢は皇甫嵩に火攻めで破られるまでは漢軍を撃破しまくりでしたけど?w
曹操君はこの時一将校に過ぎなかったわけだけどw
ていうか、君が崇拝してやまない曹操君自身が青州黄巾勢を傘下に入れて
「魏武の強、之より始まる」と史書に明記されてるのに、なんですか、その言い方はww
偉大なる曹操閣下の強さを支えた黄巾勢の強さを見下すなんて、そんなんじゃ曹操閣下の信奉者として
一流とは言えませんなwww
ああ、それから黄巾勢はあちこちで暴威を振い、あちこちで太守やら刺史やらを討ち取ったり撃破してるからw
曹操がエン州刺史になるオファーが来たのも、その前の刺史が戦死させられちゃったからだし、
曹操君も必死になってこれと戦い、あまりの激戦で親友ともいえる鮑信が
「死体もろくにわからないくらいの酷い有様」で戦死してしまい、
曹操は必死で遺体を探したけどついに発見できなかった、とされているw
こんなに各地の太守や刺史達のみならず、曹操閣下まで苦しめた黄巾勢を弱いだなんて、
一体貴方はどんな馬鹿の一つ覚えの評価基準を展開なさったのか、大いに興味ありますよww
ぶっちゃけ、正史読んでないでイメージや妄想だけで語ってるでしょ、貴方ww
ついでに、孫堅は普通に各地で勝利を重ねてその勇猛を称えられているし、
連合軍が恐れる涼州軍を率いる董卓・呂布を打ち破って洛陽一番乗りしてる。
これって烏合の衆なんですか?w董卓からも「連合諸将は相手にならないやつが多いけど、
孫堅だけは人をうまく使う能力がある。警戒すべき相手だ。」とはっきり言ってて
明らかに孫堅>曹操っぽいわけですがww
ついでに皇甫嵩は漢軍側の良将達が勝てなかった黄巾の主力相手に勝ちまくり、完全平定。
さらには涼州方面でも精強なる涼州勢相手に董卓を上回る采配の冴えを見せて勝利してる。
これで一体どこが相手が烏合の衆なのかわけわからんのですがww
上でもいったけど、イメージや妄想で語る前にちったあ資料読んでくださいねww
妄想で語っても馬鹿丸出しだっていい加減学習なさった方がよろしいかと思いますがww
>>683 ああそう。
じゃあ、曹操と呂布の能力値は史実で見る限りで数字判断するならば、
ある時は呂布が兵力に劣っても曹操を大敗させ、曹操が攻めかかっても何度も敗北したり
苦戦させられ、ある時は曹操が呂布を撃退し、兵力差が2倍以上になると
曹操が連戦連勝で勝つ可能性が高くなる、という数字にしなければならないな。
…これに整合性をつけようとすると、常識的に見れば武力で呂布>曹操になるんじゃねえの?
>>687 ところが別人なんだなw本当に。
自分を利口だと思ってるバカ見てると面白いw
>>691 それはそれはw
で、別人と主張なさる割には言ってる事は相も変わらず抽象論で断定だけとw
ご自分が馬鹿でないと思ってるなら、さっさと知識出して説明してみたらどうです?w
いつも通りに抽象論で喚くだけでなく、ちゃんと具体論で語り合わないと馬鹿丸出しのネット廃人と呼ばれても仕方ありませんよ?w
ほらほら、孫子でも呉子でもお好きにどうぞw抽象論だけじゃなく、知識で頑張って語ってみてくださいよww
きもちわる
確かに同一人なのに別人だと必死に主張して姑息な抽象論で逃げ回ってる
>>691の人は見てて気持ち悪いなw気持ちはわかるw
初めは敗戦続きでも段々対応法が分かってきて以後優勢
ってパターンもあるからな。
どちらが上かなんて一概には決められない。
曹操も最初呂布の騎馬戦術に免疫がなかっただけじゃね?
総合的に見て曹操=呂布でいいと思う。
>>696 総合的には呂布に大きく勝ち越してる曹操じゃね?
>>695 やっぱり他人のふりして一行書き込みして、
あっさりボロを出したな、ネット廃人がww
毎度毎度馬鹿丸出しすぎんだよww
>>690 具体的に何回勝って何回負けたか数えてる?
曹操のが勝ち数多いよ
しかも曹操が城包囲中に呂布が救援に来て敗れるてパターンが特に多い
意味わかんね
とりあえず夏侯淵の武力は90くらい
戦歴からいってそのくらいはある
>>697 おいおい、それはないぜトニー。
曹操が最終的に呂布を打倒する時は曹操の兵力は2倍以上、
この2倍以上の軍勢を率いて戦って連戦連勝で打倒して、勝ち越したからって
それで曹操>呂布っておかしくね?
曹操武力100にしたがる人がよくいうじゃないか。
「状況や条件をよく考慮しなければいけない!」と。
兵力差2倍以上で戦って連戦連勝して勝ち越して、曹操>呂布とか
明らかに「状況や条件をよく考慮して」はいないだろ。
曹操の負け戦はやたらと難癖つけて否定して、曹操が勝った戦は状況みないとか
それはさすがにないわ。
最近三戦板のあちこちで『ネット廃人』なる批判をやたら見かけるようになったけど、
どんなに論破されても長文書き込む癖、相手を自演認定して一人に纏めたがる癖を隠そうともしてない。
ただでさえ過疎ってるのにこういう変な生き物いるともっと人が寄り付かなくなっちまうよ。
勘弁して欲しいわ。
706 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/06/20(木) 00:05:43.33
>>701 いや、他人だからだけど?w
そうやって追いつめられると自演認定して議論否定とか、
相変わらず行動がさもしいのでやめてくださいよw
さあさあ、言いたい事があるのなら抽象論ではなく具体論で語ってくださいなw
もちろん「知識」とやらを使ってねw
曹操99
曹仁95
夏侯淵90
曹洪80
夏侯惇65
武力はこんなもんだろ
夏侯淵は最後の敗戦がなければ曹仁に並ぶ
>>704 いや、論破されてんのお前じゃん。
あちらこちらで論旨を粉々にされて発狂し、
史実との相違点が出まくって答えられなくなって発狂逃亡、がお前の毎度のパターンだろw
いや、ご自分がこちらを論破したと主張なさるのでしたら、どこのスレが教えてもらいたいものですなw
しっかりじっくりと論議させて頂きますのでねw
>>699 理解したくないだけ、の間違いだろw結局最後にできるのは抽象的に断言して発狂するだけですかww
本当に毎度毎度行動パターン同じで何よりだなww
>>705 曹操閣下ご自慢の魏武注釈孫子の一節にこうあるのよん。
「自分は2倍余りの兵力で呂布を捕虜とした」とね。
つまり曹操が呂布を捕虜にするに至る徐州での戦いは、
曹操が呂布の2倍以上の兵力を持って侵攻したものだったと
曹操本人が言ってるわけだ。
「徐栄>曹操」論はちょっと納得しがたいな
関東の兵が戦慣れしてなかったのはほぼ定説だと思うんだが
>>710 それ包囲する段階だけ
それ以前は書いてないよ
>>700 程c伝によると、曹操が呂布に攻めかかって何度も敗北していた、とあるので
呂布も曹操に結構勝ってるよ。
>>711 そもそも民兵糾合して反乱起こしてるのに正規兵率いる官軍と比較したら
戦慣れってレベルじゃないよ
>>712 んな無茶な理屈はないから。
城を包囲した後で兵力を増強したなんて話はないし、
呂布側も曹操を大軍という事を前提にして対応策を練ってるので
曹操側が曹操の自己申告通り2倍以上の兵を連れてきた、でFAだろ。
知力S
曹叡、郭嘉、周瑜
知力A
曹操、カク、陸遜、魯粛
知力B
蔡文姫、法正、諸葛亮、司馬懿、曹丕、荀攸
>>713 何度も敗北したとあるけど具体数わからんよね
「何度も」って何回くらい?5回か?10回か?
さすがに10も20も負けると勝ち越せないけど
曹操の勝ちは武帝紀にあるけど大いに勝ってて「何度か」程度だとまだ曹操の勝ち越しじゃね?
>>711 >>714 その兵士の練度云々での話ももう何度も出てるよ。
連合軍が「董卓の兵の強さを恐れた」とあるから涼州軍が強かったのは確実。
でも徐栄は董卓生え抜きの将ではないので、涼州軍を率いていたとは考えにくい。
仮に甘目に見て連合兵を徐栄の兵より劣ると仮定してみるならば、涼州兵>徐栄兵>連合兵
で、曹操は連合兵を率いて急速に膨れ上がった軍を率いて徐栄に完敗した。
対して孫堅も連合兵を率い、急速に膨れ上がった軍を率いて徐栄に大敗はしたけど、
再進撃が可能なくらいの敗北だった。
そして孫堅はそのまま再進撃を行って董卓直属の涼州軍を次々と打ち破り、
最終的に涼州軍を率いた董卓・呂布すらも撃破して洛陽入城。
董卓も「他の連合諸将は大したことないが、孫堅は別格。」と述べている。
これらの点から見て、孫堅>曹操な点が伺えるし、
その孫堅に対して涼州兵より劣る兵でもって大勝した徐栄の統率も相当なものがあると。
ぶっちゃけ、徐栄というより孫堅>曹操の能力精査につかえるという感じか。
>>717 それがだね、トニー。
曹操は100日にわたって呂布に攻めかかり、
何度も呂布に敗北して意気消沈し、袁紹に降伏宣言のような事をして兵を借りようとした、
と正史にあるのだよ。曹操本人はかなり意気消沈状態。
>>717 ついでに最後の呂布相手の野戦三戦勝利と、城包囲しての勝利は
曹操側が呂布側の2倍以上の兵力だったから、
曹操武力100を主張する人のいう「状況や条件を考慮しなければならない」を考えれば
その兵力差は考慮せんとね。
トニートニー・チョッパー
武力40+α
知力100
統率30
魅力100+α
徐栄>曹操に反対してる奴はいっぱいいると思うんだが
全部同一人物扱いなの?
>>719 その時のはへ兵数書いてないだろ
>>720 代わりに呂布は篭城してるな
攻者三倍の法則とか孫子の城攻10倍でやれって戒め考えると
2倍で勝ったってのはむしろ曹操の自慢かもしれん
>>724 既に青洲兵が曹操の傘下にいる時期であることを考慮すれば、
さらに曹操が自分から攻めかかっている事も考慮すれば
呂布より劣る兵力だったとは考えにくいと思うけどな。
水攻めだからね。というか、曹操自身がこの事例を
「敵が弱かったら2倍余りの兵力でも城を攻略できるんだよ。」という事例で
挙げてるので、「弱い」というのは呂布側にあった相互不信の事をいってるのかな。
というか、それ以前にこの遠征において呂布は野戦に出て3回曹操に負けてる。
さすがに野戦で2倍余りの相手と戦うのは条件考慮になるだろ。
>>725 劣るかどうかって言うとその通りで恐らくは多い可能性が高いというのには同意なんだけど
呂布を包囲した時の2倍の兵力差がその時にも適用されてるのはおかしい、という話
数の必要な包囲戦でエン州全部抑えても
やっと呂布を2倍で囲む程度しか兵を揃えられてないって時点で
曹操の手勢の方があんま多くないな
>>726 ?エン州での曹操と呂布との戦いは2倍以上だなんて俺は一回もいってないぞ。
ただ青洲兵の存在を考慮すればやっぱりそれ相応に呂布より多かったと思われるわけで。
一応呂布包囲戦の時は曹操も周囲に敵がいたから、完全に全兵力を注げるわけではなかった、
という見方もできるけどな。それでも2倍以上そろえてるのはさすがに曹操軍の数を示してるが。
後は考えられるのは、呂布が率いた兵力自体が、一応呂布もその時は徐州を支配してたので
曹操の半分以下程度の兵力はなんとかそろえられた、と見る事も出来る。
エン州で曹操と戦った時は呂布の兵力はさすがに徐州を支配してた時よりも少ないだろう。
それらから考えればエン州で戦った時の曹操の兵力が徐州戦より少ないというなら、呂布も少ない。
比率的にはそう変わらんと見る事も可能ではないかとも見れるが。
>>718の一部修正
徐栄の統率、じゃなくて徐栄の武力、か。
>>718 一人「涼州」にこだわってるバカがいるだけだろw
>>729 ぷw「連合諸将が董卓の兵の強さを恐れた」と正史にしっかりあるので
董卓直属の涼州兵が強いのは確定。でも徐栄は董卓生え抜きの将ではないので
涼州兵を率いているとは考えにくい。
こんなのは至極当たり前の理屈ですけど?w必死で曹操武力100を否定されるのが
悔しくてたまらないみたいですが、どっからどう見ても当たり前の理屈でしかないのであしからずww
反論あるなら具体的に論旨でしてね、馬鹿丸出しのネット廃人さんww
一人「涼州」にこだわってるバカがいるなw
と、論旨で反論できず抽象論で発狂するしかない曹操武力100妄想者
>>731が喚いていますw
徐栄厨、またの名を涼州厨w
曹操武力100妄想者、またの名をネット廃人
>>733w
相変わらず論旨では反論できずに抽象論に逃避w
>>734 毎度必死に駄長文垂れ流し
どう見てもおまいの方がネット廃人ですw
曹操95、呂布95、孫堅92、徐栄85
こんなもんじゃね?
マジで誰とは言わんが自粛してくれ...
というかみんなもスルーしてくれ
本当二週間くらいまともな議論が成されてない
少なくとも曹操、徐栄云々はやめてくれ
誰か議論ネタ投下してくれ
丁度良いし三国志末期の武将でも評価してみようよ
トウ艾、鍾会、姜維、杜預、羊コ、陸抗
取り合えずこの辺の面子か
>>735 それはお前の事でしょw
毎度毎度中身スカスカの史実に基づかない妄想論旨で発狂して撃砕され、
挙句の果てには抽象論で喚くのが関の山w
しかもお前の活動は365日24時間フルタイムww
これぞまさにネット廃人といわずしてなんというのでしょうかねww
>>736 孫堅92かなあ?董卓の評価や
対董卓軍への戦績で見る限り、孫堅>曹操は固そうだけどなあ。
ていうか、相変わらず徐栄がやたらと低いなw
>>739 全部同一人物だと思ってんの?病院行けw
>>741 おんやあ?w
やたらと行動が一致してて文体も特徴的で
しかも、論旨撃砕された事をかなーり根に持ってて
こっちに対して勝手な認定つけて発狂したりと、
色々特徴的なんだけどなあwしかも毎度のように雪辱を晴らす事でも執着してるのか
別議論の事を持ち出してきたりとすぐばれやすい行動とったりしてきてて
明らかに、というか同一人物だと自白同然の事を何度もしてるのに、
今になってそれはどうかと思うんだけどなあw
さすがにネット廃人さんの厚顔無恥さは偉大でいらっしゃるww
統率 鍾会>トウ艾>姜維
武力 トウ艾>姜維>>鍾会
知力 鍾会>トウ艾>姜維
政治 鍾会>>トウ艾>姜維
魅力 姜維>トウ艾=鍾会
>>742 本当にきもちわりいなお前
曹操武力100なんて一度も主張してねえよ
徐栄>曹操に異を唱えたことはあるけどね
>>744 フォフォフォwそう主張するか、それだけ特徴的でありながらもねえw
まあそっちがそう言い張るのであるならば、こっちはお前の相手をしながら
その狂態を生暖かくみまもりつつ、
お前がボロを出すのを伺わせてもらうまでですなあw
ヨウコ
統率91 武力70 知力75 政治85 魅力95
>>745 お前いつも別人を同一人扱いするじゃん
文体がどうとかいってさ
うざいし気持ち悪い
このスレで特徴的なのはお前くらいだよ
>>747 「いつも」?お前さんってこのスレだけでしか俺を知らない設定だよね?w
「いつも」っていうのは明らかにおかしいよな?w
どっからどう見てもお前の文体も行動も笑えるくらいに特徴的ですからあしからずw
ばれないと思ってるのはお前だけwそれくらいわかりやすい特徴w
>>727 君が言ってないと言っても
「兵力差2倍以上で戦って連戦連勝して勝ち越して、曹操>呂布とか」
と主張してる人がいるからそちらに組するように発言するなら同じ意見だとして扱うよ
連戦連勝してたのってむしろ徐州に追い込む前の話だしな
>>748 はあ?
お前このスレでやたら同一人扱いしてるだろ
その話してるんだよ
他に何があるの?頭おかしいの?
>>749 上でも言ってるように、エン州での戦いにおける曹操軍も呂布軍より多いはず。
青洲兵いるしね。エン州戦における曹操軍は徐州戦より少ない、というのなら
呂布軍だって少ない。曹操軍がエン州戦でも2倍くらいの差を持ってた可能性はあるよ。
というか、2倍でなくても曹操軍のがまず確実に多い。
エン州戦では呂布も曹操に対して連戦連勝してるんだけどね。曹操が袁紹に降伏宣言したくなる程に。
というか、明日平日だけど、仕事大丈夫?w
杜預ってこのスレだと武力いくつくらいになる?武芸じゃなくて指揮力だよね
因みに武芸も馬に乗れなかったってだけで、剣が使えなかったとは書いてない
あの時代鐙(あぶみ)がなかったから馬に乗るの難しかったらしい
>>750 いやいやw貴方と全く行動と文体が同じの方が、よく似たような事をおっしゃるわけでw
で、次の質問ですが、
お前って今日初めて「はたから見て」と言ってきた設定である以上、
俺に突っかかってきたのは今日が初めてという設定だよね?w
それで「いつも」って明らかにおかしいよね?w
というか、お前って本当に文体も行動も特徴出すぎて笑えるww本当馬鹿丸出しだなww
で、また質問。明日は平日だけど、仕事大丈夫?wあえて聞きます、ネット廃人さんw
ああ、明日っていうか今日かw
>>752 曹操が多いであろうってことは同意してる
ただし2倍はおかしいだろう、それは城攻の時だろう、というのが俺の主張
上で曹操が2倍で呂布に連戦連勝だから、という論法に対する反論
エン州では呂布も何度も勝ってるし、曹操も何度も勝ってる
最終的には曹操の勝ちが多いので総合的に判断すれば曹操の方が上
>>756 2倍でもおかしかないよ。現に呂布の兵力は明らかに徐州の時より少ない。
エン州では呂布も何度も勝っている。
曹操も何度も勝っている。基本的に曹操の方が兵力上。
呂布は曹操が袁紹に降伏宣言したくなる程に勝利を重ねた。
曹操が兵力上という観点から見ても、総合的に曹操上といわれてもな。
徐州戦における勝利数をカウントすれば曹操が勝利数上になるだろうけど、
兵力的に見れば曹操が上というのはすげー違和感。
で、明日仕事大丈夫?wあえて聞くけどw
ちなみに俺は寝たくなったら寝て、明日は休みなのでまた適当な時間に書きこんで
反論するだけだから、粘着すればうんざりして書き込みやめるかも、とか
思ってるんだったら無駄だと言っとくw
>>757 いやいやw
その特徴的な方というのはですね、やたらとIDを量産する方法をもってらっしゃるようでして、
とある場所の掲示板では複アカ使って多数に見せかける手法がばれて
盛大に対処されておりましてwこのような手法を見るにつけ、ID出るところで
ノコノコ行く必要性をとても感じませんなあw
で、明日は平日ですけどお仕事大丈夫ですか?wあえて聞きますがw
ちなみに俺は寝たくなったら寝て、明日は休みなのでまた適当な時間に書きこんで
反論するだけだから、粘着すればうんざりして書き込みやめるかも、とか
思ってるんだったら無駄だと言っときますんでw
>>754 >お前って今日初めて「はたから見て」と言ってきた設定である以上、
俺に突っかかってきたのは今日が初めてという設定だよね?w
何言ってんの?アホ?
>>760 あれ?それ否定しちゃう?w
って事は俺に突っかかってきたのは今日が初めてじゃないって事ですよね?w
だったら立派な当事者であって「傍から」じゃないわけですよねw
で、明日は平日ですけどお仕事大丈夫ですか?wあえて聞きますがw
ちなみに俺は寝たくなったら寝て、明日は休みなのでまた適当な時間に書きこんで
反論するだけだから、粘着すればうんざりして書き込みやめるかも、とか
思ってるんだったら無駄だと言っときますんでw
>>758 ID量産する場合、変えたら同じIDに戻せないみたいだけどな
俺は自分でID量産とか実際に変えたことないからわからんけど
とりあえず中英でID出しながらやろうぜー
お前がどんだけキチガイかすぐわかるからさぁ
武力とは関係無いけどドヨってコンプレックスや劣等感の塊で日々名を刻もうとしてた野望の塊感があるよな
主人公のライバルで一応仲間だけどみんなからちやほやされる主人公に対して劣等感あって最後裏切る系のキャラ
特に思いは無いけど武力は90くらいかな?
呉討伐の軍功はあるけど弱体化した勢力に大軍で襲いかかっただけだし100とかまでは流石に無いかと
ただ曹操もその他武将もなし得なかった呉討伐を成し遂げたわけだから90以上はあるよね
この時代になると戦争以前の立ち回りとかのが大きい気がするけど
ヨウコも許されてたら呉討伐できてた気がする
こいつ良い加減水遁されねぇかなぁ
誰か運営に申し出てこいよ
こいつの相手してる奴も同罪だからな
>>761 >って事は俺に突っかかってきたのは今日が初めてじゃないって事ですよね?w
だったら立派な当事者であって「傍から」じゃないわけですよねw
いや、いつも端からお前をバカにしてるだけw
お前とまともに対話したことなんてないからw
大軍を組織的にまとめる能力=統率
戦術レベルで指揮する能力=武力
杜預は統率は相当高いと思う
杜預と鍾会は能力似てる気がする
768 :
767:2013/06/20(木) 02:50:42.86
杜預は鍾会みたいな謀略家じゃないけど
官僚的な能力が高い軍人って意味で
>>762 お前馬鹿?まさに経験者は語るって奴だなw
ていうか、「P2P使えば8人まで量産できる!」だのぬかしてた馬鹿が
一体何を言ってんだとしかいえないわww他にも携帯、PC、スマホ、と併用すれば
合計で10数人分もID量産できちゃう事になるんだけどなw
本当にバレバレの曲解で印象操作しようとするのが大好きなんですなあ、ネット廃人さんはww
上記の理由でお断りw盛大に複アカ多数派自演工作がばれて、盛大に対処されてるような馬鹿が
わざわざ立てたようなところに行く気はありませんのでw
悔しかったらちゃんと論旨でかかってきなさいねw
>>765 おやおやw無駄な事をw勝手に立てたところで俺がいくかは別問題だというのにw
相変わらず妄想願望で発狂すれば相手がその通りに動くと思う馬鹿丸出しさは変わらんようだなww
ていうか、結局今日は平日なのに深夜中ずっと粘着するつもりでいたのかよw
まさに365日24時間オールタイムの生活だなwwさすがはネット廃人ww
おやおやw
夏候淵の評価高すぎだろ
統率68武力57くらいでOk
>>766 当事者自白きましたねwwさすがは馬鹿丸出しのネット廃人ww
そうやってレスをして何度も論破され、言い返せなくなったら
「対話なんかしてない」と妄想発狂する事でさもしい自尊心を守り続けてるわけですねww
結局、お前が「傍から」とか言ってたのは、馬鹿丸出しの第三者成り済まし自演であって、
いつもいつも論旨撃砕されてるネット廃人が「縦から」第三者を成り済ましてレスをして
無様に見破られて発狂してた、ってオチでFAですねww
>>769 >ていうか、「P2P使えば8人まで量産できる!」だのぬかしてた馬鹿が
すまんがマジでそんなこと言った事ない
どのスレなの?URL張ってくれよ
>>772 過去ログだから探してくるのめんどいw
っていうか、お前は今日平日なのにやっぱり昼もいるのなww
俺は平日休みだけど、やっぱりお前は365日24時間ネットにいるのなww
さすがはネット廃人ですなwwまずこれに答えてみろよw
w多用のバカ
こいつの書き込みはすぐ分かるな
>>774 お前の文体と行動も特徴的すぎてすぐわかるな
また「傍から」設定の第三者設定やめろよw
どっからどう見ても「縦から」来てる当事者なんだからw
>>775 じゃあ上にあるスレでちょっとID表示させてみるかい?
多分俺以外にもう一人は確実にいるんだが
廃人でもなんでもいいだろ
能力と関係無いじゃん
>>722 モンキー"D"ルフィ
武力70+α
知力20
統率70
魅力90
>>776 上で言ってる理由でお断りw
複アカ多数派自演工作がばれて対処されてるような奴が
ID上での「他人」を多数量産したところで、こっちは笑止としかいえないのでねw
>>778 チョッパーtueeeeeeeeeeeeee!
曹操の能力評価ってまだ誰もやってないの?
じゃ
武力86
知力94
政治98
統率96
魅力100
統率と武力は95くらい。
ずば抜けた統制力があったからどんな時も素早く動けた。
戦争ではたまに負けるから5差し引く。
(呂布には最初度々負けたが、途中から優勢。)
知力、政治、魅力は90くらい。
エン州を三城残して失ったのはやはり失策だろう。
めんどくさいから20人くらいの人が出す数値の平均値でいいじゃん
785 :
783:2013/06/20(木) 23:43:09.19
「たまに負けるから差し引く」ってのは武力の話。
統率に関しては時々反乱起こされてること考えて5マイナスかな。
全体的には戦争も統率も上手くいってる割合の方がずっと多い。
1は読んだ
それで聞きたいんだけど、数値についての基準はどうなってるの?
武力90ってのはどこの国にも1ダースくらいいるもの?それとも数人レベル?
前者の人と後者の人がまったく同じ事実を知っていても、数値に関する認識が違えば
設定は異なってしまう気がする
あと文官の武力とかってどうしてるの?
呂布の奇襲から城を守った荀ケって実績あるけど、数値は?って言われると見当つかない
呂布、曹仁、張遼、ホウ徳、文オウ、典韋、許チョ、
甘寧、董襲、丁奉、関羽、張飛
この辺はずば抜けた記述があるから90以上だろう。
指揮力のみで90行きそうなのが曹操、トウ艾、陸遜辺り。
あと孫堅と孫策も戦績からいって90以上が妥当。
官僚タイプの人物は軍を組織的に統括できるが、
前方での戦術指揮や兵卒を鼓舞したりは不得手。統率が高くて武力は低め。
>>781 統率 85
武力 100
知力 75
政治 80
魅力 95
俺ならこうする
大事な時に裏切られたり反乱されたり朝廷を最後まで完璧には御せなかったりと粗もある
武力は同時代最強、自分が常に切り札な状況なので逆に自分が足止めされると他に手が無くなる
知力がそれほど高くないから参謀を多く抱えてその意見を大いに参考にする
政治は若い頃の能吏としての話もあるが徙民政策を指示して土地をダメにしたり末期の大事な時に反乱続発
魅力だけど同時代にはもっとカリスマのある人間がいるので次点扱い
20段階評価を100であらわしてるので基本5刻みな
そもそも五胡十六国になった原因として曹操が異民族を移民させまくったことが原因の一つとして挙げられる
国力が大きい時の異民族移民策は確かに成功例も多く単純な人口増加に繋がるんだけど曹操が死んでから100年くらい戦乱が続いた国力が低下して異民族にやられた
あとは曹丕を後継者にしつつ曹植を寵愛したり後継者で揺れたから付け込まれて九品官法という名士優遇法律作られて君主権力低下の原因ともなった
結局荀イクを殺しても名士達の力を抑えられなかったしな。
>>790 さすがに死後100年後の責任まで曹操のせいにしたらいかんでしょ
ダメなのわかってるなら後継者がなんとかしろよって話で
100年もあるんだし
>>791 荀イク殺しは名士抑圧じゃないだろ
いや裏では「荀ケだろうとジュンユウだろうと容赦せんぞ!」っていう宣言的なものでもあったんだと思うよ
潁川名士への圧力
逆に劉備は諸葛亮を優遇しまくったから劉禅は諸葛亮の傀儡になり諸葛亮死後も荊州名士と諸葛亮のお気に入り軍団の傀儡になってしまった
劉禅が本当に愚かだったかは疑問だよね
献帝のように生まれながらにして傀儡皇帝だった感あるし
あと有名な話だけど劉備の遺言「もし劉禅が愚かならお前(諸葛亮)が皇帝になれ」
これは諸葛亮への牽制でもし諸葛亮が皇帝になったら劉禅を愚かだと認めたことになる
曹操は荀ケらを殺して名士を抑圧し劉備も死期に際して最後の最期で息子のために遺言として名士を抑圧してやったと考えられなくも無い
事実魏王朝は名士であった司馬氏の専横を受けて滅んだわけだし蜀王朝も滅びはしなかったけど名士の独裁政治だったわけだしね
>宣言的なものでもあったんだと思うよ
うん、その思う根拠を聞きたいんだが
根拠は無い
確信はある
ふ、知力5か
ゴミめ
>>793 >劉禅が本当に愚かだったかは疑問だよね
「色糸みたいな人」って言われてるだけで、別に愚かとまでは言われてないような。
まあ、蜀が攻略されて洛陽いってからの逸話で愚か扱いされてる感はあるけど、
それは皇帝時代の事とは関係ないし。
>あと有名な話だけど劉備の遺言「もし劉禅が愚かならお前(諸葛亮)が皇帝になれ」
>これは諸葛亮への牽制で
無理があるって事でやたらと反論されてる話であるけどな
>もし諸葛亮が皇帝になったら劉禅を愚かだと認めたことになる
いや、皇帝になるんだったら劉禅を愚かだったと認めていいじゃん。
李厳に皇帝になる道を唆されても諸葛亮は断ってるわけで。
>>781 曹操
統率92
武力92
知力97
政治83
魅力85
・統率に関しては、結構離反されてる所もあるが、なんだかんだと
絶望的な状況に陥っても組織を維持して粘り、逆転につなげてる所を高評価。
・武力に関しても基本的に優れているが、正面決戦で結構負けてる所あり。
それでも別に悪くはない。優秀といって部類。
・知力に関しては高ポイント。ここ一番という局面における問題のポイント把握、
決断力・決定力に関しては非常に優秀。官渡における烏巣奇襲の時に、
「背後から袁紹軍の援軍が来たらどうしよう」と迷う部下達に
「そんな事は敵が背後から来てから言え!」と一喝し、烏巣攻略に全力集中させたのは
彼の高い判断力と意志力を示していると思われる。ただ買クや法正に知略でしてやられてる所もあるので
100にはしない。
・政治においては色々疑問あり。屯田をやってたのに、袁紹より少ないはずの兵を養う兵力すら持ってなかったり、
やたらと住民反乱が起こってたりする。ただそれでも数々の政治的駆け引きをうまくこなしている事や
政治的な離れ業というべき、青州黄巾軍を自軍に引き入れる事に成功したりと、相応のものはあったと見て評価。
・「風采は上がらず、背丈は小さい。」と言われたり、
異民族の使者が来ると聞いて「自分の容姿では威圧感を与えられない」と
思って代役を立てたりしてるように、一目で人を引き付けるカリスマ型ではなかったと思われる。
ただそれでも多様な人間を旗下に集めて活用しており、相応の魅力があった事が伺える。
>>799一部修正
×優秀といって部類。
○優秀といっていい部類。
×袁紹より少ないはずの兵を養う兵力すら持ってなかったり、
○袁紹より少ないはずの兵を養う兵糧すら持ってなかったり、
>>799 曹操の知力が97ってのはおかしいよ
途中で折れそうになって荀イクに励まされたりしてるから意志力でマイナスがあるし
決め打ちで強引に解決しようとして赤壁では失敗したし
戦略策定は初期は荀イクに、奇策では荀攸に助けられてる
賈クとの知恵比べでは賈クがいくら正史基準での知力100候補とは言え
ほとんど一方的にやられてるのに100に近い97ってのはあまりに不自然
名士権力基盤の礎を作ったという点は荀イクの政治にプラスだな
曹操に協力する一方で自分の息のかかった人材を集めまくって権力基盤を固めた
>賈クとの知恵比べ
何それ?w
>>803 張繍が曹操と戦ってた頃、賈クによって曹操の撤退戦の構えが見破られてて追撃されてしまったり
偽の投降策に引っ掛かったりしてるじゃないか
真っ当な議論するのに草はやす意味がわからない
知恵比べとはちょっと違うな
撤退する曹操に付け入る隙があった
降伏を受け入れた曹操に油断があった
そういうことだろう
>>801 >途中で折れそうになって荀イクに励まされたりしてるから意志力でマイナスがあるし
そもそも荀イクだの買クだのは、自分で軍を率いる事ができないから、曹操の献策者であるわけで。
特に買クは軍を自ら率いる事に関しては李傕等が軍を解散しようとした時に必死に止めてるように
かなーり苦手だったのではないかとも受け取れる。主を次々に変えながらも、ついに自分ではろくに軍を率いなかったのがその証左かと。
で、そういった総帥としてのプレッシャーを背負わずに、献策者として一貫した主張をしたからといって
総帥となって全てのプレッシャーを背負った時に動揺しないかは別問題で、
それでもって買クの方が意志力が強いというのはおかしな話。
実際に買クとかは曹操にも曹丕にも献策して受け入れられなかった時はそのまま引き下がっている。
>戦略策定は初期は荀イクに
青洲兵を吸収してエン州に割拠するまでの動きは特に荀イク関係ない。
>奇策では荀攸に助けられてる
これいったら武力がむしろ下がるだろ。
賈クに関しては、曹操が張シュウに勝ってる戦いも何度もあるわけで。
そん時賈クは何してたのよ?という話にもなる。
まさか賈クが勝った時だけ賈クに加点で、曹操が勝った時はスルーとかいうなよw
>>807 賈クの方が意志力が高いとは言ってないぞ?
賈クの場合は正史において高い分析力、認識力があり
それによって度々自分の狙い通りの結果を選び取ったり
相手に
賈クは正しい分析で圧倒的劣勢から勝利を得るから知力に評価
曹操は賈クとの知恵比べに負け、正しくない分析を行い負けるから悪い評価
曹操が戦術で勝ってるなら曹操の武力の評価
曹操が正しい分析を行い続けてるなら勿論知力を上げる事に問題ありとは言わないけど
それはやっていないだろ
正しい判断をする人を選ぶだけの能力はあるけど
曹操自身はおっちょこちょいの早とちりな奴だよ
まぁ意志力だとか野望に関しては間違いなく曹操より劉備のが上だよ
ただ劉備の次に高いのが曹操じゃないかな
曹操「君と余だ!!!!!!!」
というのもそういうのが理由だと思う
曹操からすればみんな媚び諂ってくる中唯一弱小勢力の癖に不屈の人間がいたらそりゃ目付けるだろ
君主に必要なのは将軍としての才覚でも参謀としての能力でも無いからね
劉備は曹操に対して頭の回転が遅くスタートラインも後ろだったから結果的に弱小国家の一端しか築けなかったけど自分で国を築いた曹操と劉備に共通するのは不屈の意志力と野望じゃないかな
とすると、孫策も野望が高くなるな
孫策なんかは紛れもなく野望高い人物だと思うけど
>>808 意志力高いといってないんだったら、
曹操を意志力でマイナス評価つけるのおかしいだろ。
>賈クは正しい分析で圧倒的劣勢から勝利を得るから知力に評価
>曹操は賈クとの知恵比べに負け、正しくない分析を行い負けるから悪い評価
>曹操が戦術で勝ってるなら曹操の武力の評価
これについて聞きたい事が3点ある。
1.賈クが所属していた張シュウ陣営が曹操に負けた事も複数あるわけだけど、
賈クは勝った時だけ知略を評価されて、曹操の場合は勝っても知略評価されんのか?
2.賈クが曹操に勝った2回の戦い、一つは油断させた上での奇襲攻撃、
二つ目は曹操軍の引き上げ体制を見抜き、弱い方を攻撃した上での勝利、
これらは普通に戦術として評価されてもいいものであるけど、
曹操が策を使って勝った場合は知略でなく武力で、賈クが策を使って勝つと知略なのか?
基準どうなってんの?
3.曹操が張シュウ軍に対して勝利した事は複数あるけど、その時の賈クは
「正しくない分析」をしていた事にはならないのか?張シュウの責任?
そのやり方だと最終決定者の君主の減点比率が高すぎて不当としか見えない。
何度も言うように賈クが全ての軍を統括する存在になったからと仮定して
曹操以上に迷走しなかったとは到底思えない。賈クは史実から見ても
組織を率いるタイプの人間じゃないし。
>>812 >曹操を意志力でマイナス評価つけるのおかしいだろ。
賈クは別に意志力高いとかじゃないから意志力による修正なしと言ってるだけだぞ
曹操は根性無しなので意志力によるマイナス修正あり
>賈クは勝った時だけ知略を評価されて、曹操の場合は勝っても知略評価されんのか?
>曹操が策を使って勝った場合は知略でなく武力で、賈クが策を使って勝つと知略なのか?
>基準どうなってんの?
曹操が策を使う→指揮官の戦術
賈クが策を使う→参謀が正しい現状認識を行う
それぞれが別の事
参謀は指揮できないからな
>3.曹操が張シュウ軍に対して勝利した事は複数あるけど、その時の賈クは
>「正しくない分析」をしていた事にはならないのか?張シュウの責任?
当然、指揮した張繍の戦術が曹操より低いからそうなる
しかも賈クが意見して攻め込んでるのではなく曹操が攻めてくるからその対処で防衛
その辺は賈クの判断とかほとんど関係ないところで状況が動いてる
>>813 おいおい、それだったらどっからどう見ても総帥として
全ての責任を背負う総大将が不利になるだろw
賈クは軍を率いるのが苦手だったっぽいから、総帥になった時に曹操よりも
迷走しなかった保証はないしw
いくらなんでも曹操に不利すぎ
おかしいだろ、それ。どっちも知略に基づいて策を立ててるのに、
判断基準異なるとかwゲーム的に考えるんだったら、お前の考える曹操を
配下にして軍師にした時には全然献策してくれない事になるしw
職業で能力値変換されるんだったら、全部の職業で別個のパラメーターを
用意しないといけない事になるだろw無理すぎw
勝ったら賈クのおかげで、負けたら主君のせいとかwどう見ても酷すぎだろw
それでも軍師かよw
>その辺は賈クの判断とかほとんど関係ないところで状況が動いてる
で、迎撃して軍師として知略を働かせるべき場面であるのに、曹操に敗北してる、
だけど賈クには何の責任もない、曹操に負けたことにはならない、
賈クは曹操よりも圧倒的に知略に優れている、…いい加減無理有りすぎだろ。
>>814 少なくとも曹操の張繍征伐において、最初、張繍は賈クの献策を受け入れず敗北、次に献策を受け入れ勝利だから、単なる知力勝負だったら賈クの勝ちといっていいよ。
>>814 そりゃそうだ
決定権持つ人間が最後は行動を確定さすんだからそいつの判断は超重要だ
それで失敗したら失敗する策を出した奴も、それからその策を認めた奴も失敗だ
>>815 んな馬鹿な。賈クが何の献策もしてないのに、張シュウが負けてる時だってある。
こういう場合は賈クがろくに献策する事もできないくらいに曹操に上をいかれたから
曹操>>>賈クとかそういう理屈になるわけ?無理ありすぎ
>>816 んじゃ、曹操が賈クの献策記述がない時に張シュウに勝った時も
普通に曹操が張シュウの軍師である賈クをはるかに上回って勝利した、でFAだな
賈クが知力100とかマジで勘弁
それなら、曹沖とかの方がまだマシ
張繍が勝ったらカクの手柄
張繍が負けたら張繍のせい
曹操が負けたらカクの手柄
曹操が勝ったら張繍のせい
俺の物は俺の物、お前の物も俺の物
ジャイアンか
>>817 曹操が賈クの知略を完全に見抜いたって記録あればそれでいいのだけどその記録はない
>>818 曹沖の方こそありえないだろうに
それなら、孔明の方がまだマシ
知力100なら
曹叡と管輅だね
仙人めいた管輅はともかく、曹叡ってそんなに優れてたっけ?
824 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/06/25(火) 19:51:51.22
知力100候補()、賈クのすばらしい経歴
・若い頃、評価されず
・同行した人すべてを見捨て、自分だけ助かる知謀()と人格
・李傕に与し、尚書までなれたのに、支えきれず
・段煨を頼ったのに、嫌われ、家族を置いていく
・張繍に、「曹操は昔の恨みを忘れ、厚遇する」と言ったのに、結局、張繍は自殺に追い込まれる
・赤壁で曹操に肝心な助言が聞かれず、アリバイだけを作り、曹操を愚弄した逸話を残す
・自分の故郷、涼州の人に離間策をして、故郷のコネを失う
・曹丕を太子に推したのに、やっぱり助言は聞かれず、アリバイ作りと主君愚弄を重ねる
・三公になるが、日食ごときで、担当の役人に罷免を進言される惨めな立場
・裴松之にボロクソ言われる歴史的評価
今更だけど能力の基準変えるべきじゃないか?
特に武力が曹操みたいのと呂布みたいのでこんがらかって複雑化してるじゃん
統率:
君主として、都督として、勢力や組織を統括する力。高いと将軍や名士を適材適所に配置させ上手く組織を回すことができる。低いと謀反者が出現したり、配下に専横され場合によってはクーデターを起こされる。
武力:
将として兵卒を率いて敵陣に突撃し勝利する力。勇猛果敢で武勇で名の通った人間ほど武力は高くなる。
知力:
戦場において軍を操り勝利を導く力。兵法家、戦術家としての才能。
政治:
国を富ませる能力。内政、外交、謀略の能力。文官としての能力。
みたいな感じで良くないか?
人物を例に出すと
統率高:曹操、劉備、孫権
統率低:曹芳、劉禅、孫休、献帝
武力高:呂布、関羽、張飛とか
武力低:文官系全般
知力高:曹操、周瑜、法正
知力低:夏侯ボウ
政治高:荀ケ、諸葛亮
政治低:張飛みたいな脳筋系武将
んで曖昧で意味分からん魅力は廃止
今までは「天下三分の計」「二虎競食の計」みたいのは知力に分類されてた(?)と思うけどそういう平時における策略は全部政治で良いと思う
統率はリーダーシップ、武力は勇猛さ、知力は兵法家としての才能、政治は平時における活躍
戦略は政治だよ
なんか歴史においての政治能力って蕭何みたいな単純な富国作業のみだと思われがちだけど政治って対局を見て国を動かす仕事もするだろ
早い話が今日本を動かしてるのもアメリカを動かしてるのも政治家だろ
>>827 そりゃシビリアンコントロールが基本になった現代だからだと思うんだが
近代以前の政治家ってまず軍事に対する知識ないとダメなケース多いし
歴史観とか歴史認識の差なんだろうけど釈然としないな
とりあえず君の基準では戦略の評価が政治に現れる、ということね
戦略はどう考えても知力だろ(政治にも関係するけど)
知力を兵法面に限定したら、
多くの謀臣の知力が低く算定されるというおかしな事態になる
ただ武力100に曹操みたいのと呂布みたいのが並ぶのは違和感あるよな
俺は全然違和感ないから武力で統一でいいと思うよ
>>820 んなわけないだろ。買クが特に献策してる記述無いのに曹操に負けてるんだったら
買クが献策を全然する事もできずに曹操に負けた事になるから
曹操>>>買クになるだろ。
>>831 俺は違和感ありまくり
君の違和感のために数字変えるなんてことってやり始めたら
誰も彼もが自分のイメージに合わせて数字変えろって言い出すんだから
もっと合理的な理由ない限り変えなくていいだろ
みんな違和感は感じてると思うから本当なら武力を「武勇」「戦術」に細分化すれば一瞬でスッキリするんだけどそれじゃあキリ無いし光栄の能力値と変わるから駄目なんだろうな
そもそも人を能力値で表したりすること自体おかしな話だからしょうがない
>>833 俺は
>>825の人とは別人。
>>830の人とも別人。
曹操と呂布が同じく武力で100で並ぶとか違和感ありまくりだと思ってるのは
いい加減一人じゃないと認識したら?
知力の項の「意志力」もわけ分からんな
意志力は劉備が絶対降伏しなかったりしたような事なのか?
なら統率だと思うが
>>835 むしろ一人じゃないなら
>>833の意味がより重大になるだけなんだが
我も彼も自己の思い描く能力値での評価を押し通そうとするようになるんだから
今、基準を見直すのは止めるべき
>>836>>837 統率は組織、武力は戦術能力全て
政治は事務能力と利害の絡んだ対人折衝能力
魅力は利害を超えた対人折衝能力、カリスマ
知力は先見性と判断力、戦略級での能力
んで意思力ってのはどんなものか、というと組織を作る能力じゃないし
戦術を押し通す奴が戦術能力が常に高いわけでもない
利害の絡む対人折衝で意思を押し通すってのも考え物だし
魅力はそういうのとは関係のないカリスマ
知力だけが意思を押し通す強さの入る余地のある能力だよ
まあ、この能力基準作った現場にはいないけどコーエー風の5つの能力で表現するなら
知力に入れるのがもっとも蓋然性が高く整合が取れた能力値だろ
>>834の意見なんかいいと思うんだけど
KOEIと同じじゃないとダメなの?
まあ今更変えんのかよ、というのもあるかもしれないが
コーエーと違う能力値で独自に設定しようってのは別にスレ立ててやった奴がいるけどすぐに廃れたような
>知力だけが意思を押し通す強さの入る余地のある能力だよ
>知力に入れるのがもっとも蓋然性が高く整合が取れた能力値だろ
何言ってるか分からんw強引すぎw
>>841 統率、武力、政治、魅力というのは「結果」があってその結果を出すにはどういう能力がふさわしいか
という話なんだけど知力ってのは判断とか先見性、意思力とかそういう「内在するもの」を評価する形式になってる
我々が判断するのはその内在するものが発言や行動によって記録に残ってる範囲に限るけどな
「判断力や先見性」と「意志力」は全然ベクトル違うのに同じパラメータで表すのは
どう考えても無理がある。
功業なした人物は大概意志力高いだろうけど、その分知力上げるの?意味わかんね。
意志力をどのパラメータに入れるか?→どこにも入れなくていいだろ
意志力を入れることにこだわる意味が分からん。
>むしろ一人じゃないなら
>>833の意味がより重大になるだけなんだが
>我も彼も自己の思い描く能力値での評価を押し通そうとするようになるんだから
>今、基準を見直すのは止めるべき
おかしいだろw
スレの住人の多くが納得してない事柄があるなら、
それを見直すのが普通。
見直すことと自分の意見押し通すことは別だしな。
取り合えず
曹操は弱音吐くから知力ダウン
劉備は意志貫いたから知力アップ
とか明らかに変だな。
こういうこと書くと
「曹操が好きで劉備が嫌いだから文句付けてるだけ」とか
わけわからんこと言い出す奴いるが。
普通に変だから。
説明されても良く分からないから意志力高い人間と低い人間を挙げてみてよ
んでそいつらは知力高くなるわけ?
そいつらって意志力高い例の人間ね
>>843 知力に入れる理由はともかく意志力を評価する理由はクラウゼヴィッツの戦争論だったと思う
あの本では戦争ってのは物資と精神力によって決着するものだと書いてあったが、
要するに相手のやる気を無くしてしまえば勝てるってな話で
この心の折り合いに強い人間を評価しないことにはまともな評価にならんぞ、という事で評価の対象になっていった
>>845 曹操は弱音吐くだけでなくそれで戦略まで妥協したり
明らかにおかしい方向に行こうとするのを荀イクや郭嘉に尻を叩かれる辺りが
一層意志力評価に悪影響だな
判断力とか分析力はそれなりにあるんだけど
>>846 精神力の高い例 劉備
精神力の低い例 曹操
評価基準にあるんだから当然高くするだろ
だからその評価基準がおかしいって言ってんだろw
違和感があるから変えろって言い出したら皆言い出すからやめようぜ
アホかこいつ
多くの住人が違和感感じてるならそれを見直すのが当たり前だろ
それを言い出したら収拾付かないから
>>1にある
かつての世界史板のコーエー風能力スレの基準持ってきたんだろ
>それを言い出したら収拾付かないから
そんな理由知らねえよw
それ
>>1の勝手な考えだろw
状況に応じて変えていくのは当然だろ
つーか意地でも
>>1の基準変えたくない奴が一人いるみたいだな
で、色々理由付けて必死に反対してると
>>855>>856 状況に応じてというけど俺は必要性感じないよ
無理に変えようとする人の方が意地になってるだろ
無理にじゃないだろw
曹操は弱音吐くから知力ダウン
劉備は意志貫いたから知力アップ
↑違和感覚えるのが普通だろw
お前が必要性感じなくても、感じてる奴が複数いるんだよw
大体
>>1に「応用変更可」って書いてあるだろ
>>858 金科玉条にして不変にしろとか言ってるんじゃない
その程度の違和感で一々基準変更したら誰も彼もが
自分の気に入らないものになったとき基準変更言い出すだろ
今無理に変える必要はない
意志力の弱さを能力に反映させると関羽の知力なんかもダダ下がりするな
>その程度の違和感で一々基準変更したら誰も彼もが
>自分の気に入らないものになったとき基準変更言い出すだろ
意志力で知力上げ下げするなんて大きな違和感だよw
このレベルの違和感はなかなかないw
意志力を知力に入れるにしても、
意志の弱さが判断を狂わせた場合にのみ考慮だな
意志が強いから知力アップなんてのはなしな
曹操の参謀連中にしても
自分が統帥となって責任ある立場に置かれたら
意志挫けたり判断狂ったりするかも知れないけどな
参謀連中は意志力を強く問われる局面に置かれること自体がないから有利だな
その程度のことで言い出すなよ
>>863 やっぱ意地でも変えたくないみたいだなw
意地になってるとしか思えんw
劉備は意志が強いから知力アップとか普通笑われるぞ!
やっぱ意志力は削除した方がいいかなぁ
曹操が袁紹に降伏しようとしたとかは
単に弱気になってただけで戦略眼が鈍ってたわけじゃないし
あとは官渡のとき撤退しようとしたことか
あれは攻めても退いてもやばいって状況だったんじゃないかな
たまたま許攸が寝返ったからよかったけど
part1とかpart2の頃は
独自のパラメータで評価してもいいスレだったな。
何スレ目かで急に
>>1の基準が書かれたけど。
>>1にこだわる必要なんてないな。応用変更可だし
>>865 戦略眼鈍らせて戦線後退させようとして荀イクに手紙で叱られたりしたこともあるがな
曹操 戦術99 武勇75 知力88
呂布 戦術75 武勇99 知力42
>>868 呂布の場合は武勇もさることながら騎兵の指揮という特異性もあるからその辺も反映させたいな
ゲームみたいに兵科適正とかを追加した方がよくない?
>>866 世界史板のスレの話?
それは急に、じゃなくて目安をとりあえず作っとこうという話で基準作って
皆でこれでいいという話になっただけだろ
【統率チェックポイント】
統率について言及。「統率」とは組織を纏めあげ、強固にする力。また、そのために組織を改編し、造り上げる能力。低いと部下に専横されたりクーデターを起こされる。
【武勇チェックポイント】
個人としての勇猛さ。更に兵卒を率いて上手く鼓舞し突撃する能力。勇猛さとは一騎討ちの強さに限らず重要な場面で全力で追撃したり奇襲したり臆さないような部分も考慮。戦闘力。
【戦術チェックポイント】
戦争おいて部隊などを効果的に配置、指揮し運用する能力。兵法を熟知し相手の裏をかく用兵をし戦闘員に指示を与えて戦争において勝利をもたらす力。
【知力チェックポイント】
知力について言及。「知力」とは問題への正しい理解・判断能力。先見の明。戦略力。
【政治チェックポイント】
政治について言及。「政治」とは己の描いた方策を実現する能力。内政、外交、謀略の能力。
【魅力チェックポイント】
魅力について言及。「魅力」とは利害抜きで人を引きつける力。人望。
ただでさえ情報の少ない三国志で武勇と戦術分けると記述の少ない人間がえらいことになるぞ
高順とかどうするんだよ
むしろ分ける事が良くないので反対
あと意志力抜くのにも反対な
クラウゼヴィッツの戦争論にもあるように戦争ってのは資源と精神力が大事
精神力を抜いた歴史人物の評価なんてもっての外
なんでさっきからそんなマイナーなヨーロッパの兵法家の話題出すんだよ
アジア様の最強兵法書では「己を知り相手を知る」だろ
士気が影響することがあっても将軍が意志あったところで負けるわ
そしてそれが魅力換算ならまだしも知力換算ってのがなぁw
アヘン戦争でボロ負けした国の奴がよく言うぜw
「気合で敵機を撃ち落せ!」の如く精神論でアメリカに挑んだ国はどうなったかな?(核心)
>>870 いや、このスレの過去スレだよ
「みんなで決める武将能力(正史三国志編)」の3までは自由なスレだった
「みんなで決める武将能力(正史三国志編)4」で急に
>>1の基準が書かれた
>>871でいいんじゃねえの?
基本的に戦績と戦術能力は比例するだろうし
許チョみたいに武勇のみが売りの人物は
戦術下げて武勇高くすればいい
>>873 えーとクラウゼヴィッツは軍事学における基本扱いの古典だが・・・
7 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2012/05/14(月) 18:02:35.90
取り合えず世界史板からコピペ
【統率チェックポイント】
統率について言及。「統率」とは組織を纏めあげ、強固にする力。また、そのために組織を改編し、造り上げる能力。
【武力チェックポイント】
武力について言及。「武力」とは戦術・戦域級での戦闘指揮能力。
【知力チェックポイント】
知力について言及。「知力」とは問題への正しい理解・判断能力。先見の明。戦略眼。意志力。
【政治チェックポイント】
政治について言及。「政治」とは己の描いた方策を実現する能力。内政、外交、謀略の能力。
【魅力チェックポイント】
魅力について言及。「魅力」とは利害抜きで人を引きつける力。人望。
8 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2012/05/14(月) 18:41:59.51
これ、武力を用兵と武勇に分ければ、あとはOKだと思う
9 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2012/05/14(月) 22:53:20.72
>>8 演義じゃないんだから武勇なんていらんだろ
シンプルな方が良い
>>876 これ3の初っ端
880 :
876:2013/06/28(金) 21:36:52.13
>>879 それ貼ったの俺だけど。あくまで参考程度に貼っただけ。
因みに9のレスに対して同意レスは付いてないw
「戦術」の代わりに「用兵」とするのもありだな
どっちでもいいけど
>>880 3スレ目の
>>9には同意レスはないけども
後半は世界史板基準に数値付けしてる人間が増えてるし
3スレ目
>>7の基準に賛同してるレスも見受けられる
4スレ目で急に、というわけでなく3スレ目で認知されてると思うんだが
>>875 その返ししてくるとは、お前は明らかに日本人じゃないな
祖国に帰りたまえ
一つの基準として使えるって程度の認知度。
その基準をスレの公式にしようという空気はなかった。
>>884 それで4以降普通にテンプレとして基準が認知されてんだし
今更ひっくり返さんでもいいだろ
>>885 いや、何度か反対意見出てただろ?
絶対変えちゃ駄目って主張するアホがいてうやむやになったけど。
「応用変更可」って書いてあるのにな。
それに能力評価自体あまり行われてなかった。論争と言い争いが中心。
>>1の基準を公式にするという方針が上手くいってたとは思えんが。
>>887 よくないってば
>>872でも書いたけど武勇と戦術わけちゃうと情報量の多い一部有名人以外まともな数字出せんぞ
>>890 そんなの張飛の政治や張昭の武力決めるのと同じだろ
>>1の基準で評価しやすいのは群雄クラスだけだな。
多様な立場の人物を評価するのには向かない。
>>891 武勇か戦術かで分ける事でそれを全員分余計に一つ増やしてるんだからダメだろ
張飛はいくつか政治絡みの話もあるし、張昭は軍での地位を持っていたものの
軍を率いて直接戦うことはないから武力はそれ程ないとか推論も立てられるが
戦術なのか武勇なのかわからん連中多いのに付け方に困る奴量産してどうするんだよ
>>892 多様な立場の人物を評価するのに向かないと言うのは思い込みじゃないか?
評価パラ増やす方が情報量少ない人間、低い地位の人間を評価し難い方向性なんだが
用兵で挙げた武勲か武勇で挙げた武勲か。大体判別付くだろ。
大抵の場合は前者。特筆されてる場合は後者。
参謀には戦略家タイプと戦略戦術両方こなすタイプがいる。
武将にも用兵家タイプと猛将タイプがいる。
>>1の基準だけじゃ足りないだろう。
大軍で戦績挙げた場合は用兵
寡勢で果敢に攻めた場合は武勇
基本これでいいんじゃないかな
>>897 大軍ってどの規模から大軍にする?
比較で大軍なのか、数値として大軍なのかでも大分違うだろう
「基本的な目安として」だよ
細かい部分は人物と状況ごとに判断してきゃいい
いや大軍ってふわっとした言葉で言われてもな
そういうので後で揉めるのわかってるから今聞いてるんだが
寡兵で果敢に攻めたら武勇、というけど
寡兵で果敢に守ると武勇でないのか?
この辺もよくわからんな
あと寡兵で果敢に攻めると武勇ってことは呂布は武勇なくなってしまうぞ
呂布が果敢に攻めた黒山賊討伐は数万の袁紹軍の中の一部だから呂布は寡兵じゃない
>>900 だから「基本的な目安」を述べただけだって言ってんだろ
細かい部分は人物と状況ごとに判断してきゃいい
>寡兵で果敢に攻めたら武勇、というけど
>寡兵で果敢に守ると武勇でないのか?
アホな突っ込みだな
>>901 基本的な目安っていうならそれが基本じゃなくなる状況はどんなんなんだ?
>>902 アホだと思うならそれでもいいけどさ
寡兵で軍事的成功収めりゃそれでいいと思うんだが
何故か攻め限定だろ?聞くしかないじゃん
戦績は基本的に用兵(戦術)で評価
果敢さを示す記述があれば武勇にも+
用兵が関係ないほど小勢なら武勇のみ
こんな感じでいいんじゃないの?
「厳密な基準」なんか決めなくても後で揉めないと思う
>>905 むしろ武勇は特記ある人だけの特殊能力扱いでいいんじゃないの?
ただでさえ戦場に直接的に関わらない人には関係ない戦争関係の能力なのに
それだけで2つに分ける意味がないよ
武勇は個人の腕力武芸だけじゃなくて
勇猛果敢に指揮できるかどうかだからな
一部の特殊な武将だけに関わることじゃなくて
武将全般に関係することだろう
>>907 どういう指揮をする人間かどうかってことすら情報ない軍人が山のようにいる中でそりゃ無理な話だろ
どうしても細分化したいならもっと情報の多い時代でないと
用兵タイプか武勇タイプかくらい、
有名武将なら大体分かると思うがな。
呉蘭雷同クラスのマイナー武将なら不明だが
因みに徐晃は用兵家だが攻めるときは一気に攻める
用兵がトップレベルで武勇もかなり高いタイプだな
>>910 攻める時は攻めるからって武勇が高くなるとは限らんのでは?
攻めると武勇が高くなるってそりゃおかしいわ
勇猛果敢な指揮とまるで関係ないし
>>909 だから羅憲はどうなんだい?
結構有名だと思うんだが
果敢に攻めた場合は武勇に+だろ
徐晃の場合樊城での包囲網突入もあるしな
総合的に見て武勇も高い方
>>912 何で羅憲にこだわるわけ?
名前知ってても事跡よく知らない奴の方が多いだろ
蜀なら魏延とか王平とかメジャーどころは
大体タイプ分かるよな
解る人は解る、っていうのでも構わないけど
とりあえず「魅力」は必要ないと思う
カリスマタイプと人徳タイプがいるからな
能力と魅力もある程度関係するし
これらを魅力という一つのパラで表すのは難しい
羅権は武勇
>>741に「個人的な勇猛さ」ってあるけど正史で個人的な勇猛さなんてほぼ無いしそこ抜かして良いと思う
つまり兵の主として活躍したら武勇
兵の主の主を動かして活躍したら戦術で良いと思う
まぁ羅権みたいな微妙な武将は
武勇81 戦術79みたいにすれば良いし
というか武勇という言葉が仇になってるのかもな
「戦闘」「戦術」にしたらどうだ?
戦略は知力に分類されるとしてその三拍子ってセット的なイメージあるじゃん
>>913 何で羅憲かというと正史に立伝されるメジャーな武将なのに
その戦争に関する実態がほぼ全くわからん武将だからだよ
戦術と武勇に分けようとすると判定に困る実例を出してる
>>914 思い込み乙としか言えんのだが
魏延も功績は立ててるがどんなタイプの指揮してるか全くわからん奴の一人だぞ
>>915 利害抜きの魅力ってどこで評価する?
評価しなくていいってのはありえないと思うんだが
それが元で劉備は命が助かったり味方を得たりしているし
袁紹は奔走の友の尽力で大いに得しているだろ
>>917 それだと「戦術」の評価を受けられるのは一部の偉い人だけである、ということになるな
>>918 魏延の勇猛さは随所に記されてるだろ
「全くわからん」とかアホか
無理やり人と違う解釈しようとすんなって
>>918で魅力評価しろ、と書いたけど魅力は特殊能力でもいいかもな
よく考えたら全員分の魅力を調べるだけの情報量がないわ
というよりも魅力があるのでどうのこうのって連中数えた方が速い
そいつらに魅力関係の特殊能力でも付記するだけでいいな
>>920 魏延は勇猛ということはわかるが指揮までそうであるかってわからんよ?
魏延の指揮がどのようなものであるかって事まで言及した文章は残ってない
というよりも魏延の指揮する戦闘に関する記述で一番詳しいのが
楊儀との争いというのが悲しいところ
勇猛な性格の武将って見られてたんだから、
当然勇猛に指揮したんだろ?
「魏延は勇将とは限らない」
斬新な解釈だな
>>924 「魏延以勇略任」とは陳寿の評価だが
勇略とは勇猛で計略に優れてるという意味
武勇と戦術で評価するならバランス型でもおかしくない評価が陳寿によって為されているな
果敢に戦術指揮するタイプだったんだろうな
>>919 そんなもんだろ
それと法正みたいな参謀
というかこのスレ自体評価分からんようなマイナー武将評価してないじゃん
有名どころの武将を有能だった無能だった有能だけど違う能力だみたいな議論なわけだし
今まで高柿みたいな武将評価されてきたの?
されたとしてもみんなスルーしてたでしょ
正直そういうどうでも良い武将のために能力指標捻じ曲げるのはおかしい
みんなそういう雑魚武将には見向きもしてないんだから
>>928 た、たかがき?
どうでもいい武将のために能力指標捻じ曲げるなって主張こそおかしいよ
捻じ曲げてるんじゃないしどうでもいいという主張も間違ってる
有名人だけ評価したいから俺の思い通りの指標にしろ、とか正気の沙汰じゃないし
高沛はやってないけど陳式とか呉斑みたいな連中の評価はやったな
俺も一緒になってレスしたしスルーはしてない
>>927 戦術と武勇両方に優れてたタイプなんだろ
タイプはっきりしてる
タイプ不明で戦績だけ明らかな場合は
戦術(用兵)上げときゃ問題ないだろう。
武勇に特化したタイプなんてそういないし、
そういうタイプなら普通特記されてる。
因みに陳式とか本来評価するの無理あると思うがな。
あえて評価するのはもちろんいいけどね
>>932 武勇に特化したタイプなんてそうそういないなら特殊能力扱いでいいだろ
>>933 何でそうなるんだよw
用兵と武勇をそれぞれ数値化することで、その武将の個性を表すんだろ。
武勇に特化したタイプが少ないから特殊能力でいいとか意味不明だよ。
多分「武勇特化型が少ない=武勇を持ってる人物は少ない」って風に勘違いしてるんだろうが。
戦闘=兵の将としての強さ
とするなら曹操は85くらいか
・実績しかわからないなら戦術上げとけば問題ない
・武勇に特化したタイプはそういない
なら武力で両方まとめて評価しとけばいいだけだろ
そういない人間なら特殊能力追加で問題ない
普遍的なものは数字化すべきだが、特殊な稀少例は追記する形で十分
>>936 なんかまだ理解してないみたいだな。
武勇に特化したタイプは少なくても、
武勇と用兵両方優れてる人物は多いだろ。
用兵のみに特化したタイプもいる。
そういった個性を表すために用兵と武勇に分けてるんだろ。
許チョ 用兵60 武勇99(武勇特化型)
曹操 用兵99 武勇75(両方優れてるタイプ。用兵寄り)
関羽 用兵80 武勇99(両方優れてるタイプ。武勇寄り)
荀攸 用兵90 武勇30(用兵特化型)
みたいな感じにな。
武勇特化型は少ないから特殊能力でいいとかナンセンスだよw
>>937 理解してるよ、そんな個性いらんって思ってるだけ
上でも何度も書いたけど有名人でしかも記録の多い人物しかそんな数字の評価は出来ない
有名で実績あっても微細な行動わからないと付けられない数値だぞ
そしてイメージだけで数値付けるのが横行する
許チョの場合は曹操の親衛隊として生涯貫いてるから用兵能力発揮する場がなかった
それなのに何故60なんだ?
曹操は両方優れてるが用兵よりとしているけど
武勇75の根拠は何?個人的な武芸等で見れば相当優れてたとあるが
数字がその値になる根拠がないだろ
関羽の場合は魏延と同じく「どういう指揮をしてるのかわからない」という問題がある
顔良を討った時はまさに武勇型という感じだから戦術より武勇というのは理解するが
数字的根拠がここでもよくわからない
荀攸に到っては武勇も用兵も評価していい人間ではないぞ
荀攸は前線で部隊を指揮することも軍をまとめて司令官として働いたこともない
正史でも武勇に関する記述は結構ある。
武勇による活躍度で上から序列付けて行けばいい。
70くらいまでは順当に決まるんじゃないの?
自ら兵引率して敵陣落とす能力は正史でも当然重要。
荀攸は顔良や文醜のとき用兵に関する発言してる。
賈詡も武勇はないし指揮もしないが、曹操戦見る限り用兵には詳しい。
>>939 詳しいからって兵を率いたことないのに用兵を評価するわけにはいかんだろ
用兵に詳しけりゃ用兵の値高くするの当たり前だろ
兵を率いるかどうかは関係ない
【武勇チェックポイント】
個人としての勇猛さ。更に兵卒を率いて上手く鼓舞し突撃する能力。勇猛さとは一騎討ちの強さに限らず重要な場面で全力で追撃したり奇襲したり臆さないような部分も考慮。戦闘力。
【戦術チェックポイント】
戦争おいて部隊などを効果的に配置、指揮し運用する能力。兵法を熟知し相手の裏をかく用兵をし戦闘員に指示を与えて戦争において勝利をもたらす力。
>>871基準だと「指揮して運用する能力」が戦術
指揮しない人は評価の対象外
>>838 コーエーの基準でいうならば、武力と知略は明確に分けられていて
曹操みたいに策を使って勝利するタイプは明確に知力が高く、
その代わり武勇は呂布をはじめとする突撃型豪傑タイプより劣り、
反対に呂布達は曹操よりも知略で、という感じで棲み分けがされてる。
「数値の基準」を「曹操武力100」という
自分の願望を通すための方便にするのはやめた方がいいと思うが。
>>938 「許チョは先鋒となって張繍の兵1万を討ち取った」とある。
大軍に勝つには武勇だけじゃ無理だろ。
>>944 戦争おいて部隊などを効果的に配置、指揮し運用する能力が用兵だから
部隊の指揮官として曹操の親衛隊やってる許チョにはその機会すらなかった
従って評価対象ですらない
張繍の大軍破ったときは先鋒だろ
先鋒の将には用兵の能力一切関係ないの?
配置して運用する能力どころか権限が先鋒にあるわけでなし
先鋒は何も考えずに兵と共に突進するだけなのかw
考えてるかどうかは関係ないだろ
頭おかしいのかw
ああ、テンプレよく読み返してみれば80以上じゃなくて、
80を超える(81以上)ってちゃんと書いてんじゃん
お騒がせした
諸葛亮
統率85 戦闘60 戦術85 戦略100 政治95
曹操
統率100 戦闘75 戦術90 戦略80 政治90
劉備
統率100 戦闘85 戦術75 戦略85 政治60
周瑜
統率85 戦闘60 戦術95 戦略90 政治80
荀ケ
統率40 戦闘50 戦術70 戦略100 政治80
袁紹
統率80 戦闘70 戦術75 戦略90 政治70
呂布
統率70 戦闘100 戦術70 戦略1 政治1
どうだ?
かなり分かりやすく無いか?
戦略は
「今献帝を擁すべきです」と進言した荀ケ
「天下三分の計」を唱えた諸葛亮はこれが高い
他にも幻に終わったけど「天下二分の計」を考えてた周瑜や「冀州を拠点に華北を統一して南下」という無難な王道戦略を考えてた袁紹も戦略は高い
あと本人が考えてたかは知らんが洛陽に入って覇者になった董卓も戦略は高いはず
何も考えずに放浪した呂布なんかはこれが低い
関羽や張飛なんかも「君主である劉備に従っていればいずれ将軍になれる」みたいな自身の戦略はある程度あったわけで呂布みたいに言われるがまま「主人を暗殺して裏切って裏切って担ぎ上げられて処刑」みたいな悲惨な人生歩んでない
・部下の進言を良く聞き決断力があってそれを良く決行する。自分の権力は保ち勢力の主として「名君主」として君臨する才能が統率
・兵士を鼓舞し勇猛果敢に戦い引く時は引き大将の命令に忠実に従い時には自分の判断で大戦果を上げる「将軍」としての才能が戦闘
・兵法に精通し敵の虚を付き勝利を収める。味方の軍を効率良く配置して万全の陣容を作り敵の策略を看破する。攻めるべき場所、退くべき場所を見破り「総大将」「軍師」としての能力を戦術
・大局を見て勢力や自身の指針を決める。今誰を攻撃するか、誰と結ぶべきか、積極的に出征するか国内繁栄を進むか、など「王佐の才」の能力が戦略
・国の金を増やし国の兵糧を蓄え民を慰労し国を強くする「政治家」としての才能が政治
「武力」「知力」を「戦闘」「戦術」「戦略」に分けて曖昧だった「魅力」を廃止
それぞれの能力を分かりやすく当てはめると
統率:劉邦
戦闘:項羽
戦術:韓信
戦略:張良
政治:蕭何
どうだ?光栄に採用して貰いたいレベルの指標が完成したわけだが
>>954 項羽も別にここで言う戦闘じゃなくてどっちかというと韓信と同じ戦術畑の人なんだが
>>953 諸葛亮の統率が85というのがおかしくないか?
創業者でもない諸葛亮が独裁を完成させて組織内部から一切の裏切り者を許さない体制を作り上げてる
創業者の曹操が身内に等しい張バクらの裏切りされているのに統率が100なんだぞ?
諸葛亮が85なら曹操はもっと低くなければ変だ、
それか諸葛亮の統率を100を超えて110、120とかにしなければいけない
逆に諸葛亮の戦闘60というのもおかしいと思う
諸葛亮は最初から幹部待遇で自分が兵卒を率いて前に出るようなことしたことがないし
慎重な戦術が得意な反面、魏延に臆病者だと批判される程で
この数字が60という中央値以上の数字になる根拠が何もない
測定不能か0でいいのでは?
その反面、自分の望む場に引き込んだ時の会戦の強さは無類無敵だから
戦術はもう少し高くしてもいいんでは?
戦略、政治に関してはそれほど異議なし
ただし政治は諸葛亮を支えた優秀な実務者がいるから
それらの人の能力を高く評価する場合はもう少し下げてもいいと思うが
>>956 諸葛亮が独裁体制作ったのは統率とかリーダーシップというよりそれまでの功績だとか劉備の信任、後継者が幼かったみたいな厚遇を上手く受け継いだ形になる
朝廷での立ち回りとかもあるだろうしそもそも「荊州派閥」という蜀政権で中枢となった名士派閥の主であったことが一番デカい理由となる
もし荊州派閥という後ろ盾無しじゃ確実に権力握れなかったし
戦闘は高くしすぎたな・・・
>>957 劉備の諸葛亮取り込みがその荊州人の人脈狙いと推測されるんだし
それも含めてその人脈持ってる諸葛亮の統率だと思うけど
人脈は統率に含めない、ということにするかい?
そりゃそうだろ
名士の横繋がりって現代でいう文学部の互いに認め合う内輪グループ的な存在だろ
んで荊州派閥だとか潁川派閥ってのが東大の文学部と京大の文学部的な違いだろ
そこで評価得て代表になれるのはリーダーシップも少なからずあれどやっぱその才能だろう
そもそも孔明は生まれた時代が若干遅いにせよ挙兵すらしてないし
そもそも孔明は部下を良く使いこなして君主(総大将)として構えるみたいなことしてないし
馬謖を見誤り政敵が多いし軍においても朝廷においてもほぼ独裁を貫いてあげく過労死した人物が統率が曹操より高いわけない
まぁ諸葛亮の能力はさておき能力単位は
>>953でよろしいかね?
更に付加価値あるなら
>>953に特殊能力付ければ良いだろ
馬均みたいな発明家とか華佗みたいな医術は能力値じゃ表せないし
>>959 俺は異論は当然あるよ
戦術と戦闘で分けるなら内政と外交分けて欲しいし
統率も対人折衝と組織作りそのものは別だろう
知略に関しても大戦略と小戦略ではやはり違う
魯粛のような大局的な知恵者と呂蒙のような短期的な最大利得を考える知恵者の違いは
戦場における戦闘、戦術の差くらいは違いがあるし
>>959 統率は組織を作る能力と組織を維持する能力が統率なのに
失敗者の曹操が統率高くて独裁完成させた諸葛亮の曹操がそれ以下っておかしいだろ
過労死しようと何しようと組織は維持されたのだから諸葛亮の統率は高い
曹操は親友に裏切られ参謀に裏切られ晩年には国境地帯だけでなく
許でも反乱を起こされているので統率は低い
またいつもの曹操アンチか・・・
曹操アンチっておいおい
細かい反乱はともかく、家族を託す親友や幕僚兼支持者としてエン州の協力を取り付ける人間に裏切られたり
洛陽遷都目前の許都で反乱起こされるのはまずいだろ・・・
それは曹操という人格に恨みや頼りなさがあったからじゃなくて曹操勢力に恨みがあったり嫉妬抱いたりだろ
後は献帝擁立の代償
そして全て乗り換えてきたわけで
あと呂布戦じゃ圧倒的不利な中程cや荀ケが裏切らなかったのはそれこそ曹操の人望だろう
>>964 そこは評価するが裏切られなかった諸葛亮と比較した場合は
裏切りを多く経験した曹操とそうでない諸葛亮では諸葛亮に軍配が上がるだろ
そもそも諸葛亮は君主じゃないんだから丞相に対して反乱って意味分からんやん
劉禅に忠誠誓いつつ諸葛亮と敵対した政敵は一杯いるし諸葛亮はそれに対して左遷と処刑で対処した
あと益州南部じゃ反乱が何度も起きてるし(まぁこれは諸葛亮の統率とか関係無いかもしれんが)
馬謖の一件に関し、諸葛亮の統率や戦略を大幅に下げるべし
>>966 そういう形式論で言うなら曹操も君主ではないぞ
漢皇帝の臣下だ
益州南部の反乱はそちらも自分で言う通り統率の範疇じゃないな
呉の連中に山越の責任とか、魏の連中に鮮卑やキョウ、テイの責任取らせるようなもんだ
>劉禅に忠誠誓いつつ諸葛亮と敵対した政敵は一杯いるし諸葛亮はそれに対して左遷と処刑で対処した
それが独裁完成させた諸葛亮ということで高評価なんだ
>>967 任命した人間が大失敗をしたら能力大幅ダウンなんて言い出したら
曹操の能力値なんてまともな数字にならないぞ
>>961 支配領域が1州弱と9州では難易度は大幅に違う
>>970 それでは劉備を100と評価することに整合が取れないな
それから最大の国を作った司馬炎が最高の統率力ということになる
大きいから能力も高いという理屈に従うと誰も司馬炎に勝てないって話だから
俺としてはその論法は取るべきでないと思うんだが
>>971 劉備の100は不服
司馬炎は受け継いだであって作ったといえない
創始者と相続者では評価が異なって当然
>>969 何で曹操出てくる?
俺、諸葛亮を下げ言ったけど曹操云々言ってないし
>>972 創始者と相続者で区別するという基準はないだろ
大組織を反乱もなく取り回した司馬炎
小勢力の頃から反乱されていた曹操ではまるで話が違う
諸葛亮を小勢力だから難易度が違うという批評もしたようだが
諸葛亮と、張バクに反乱された頃の曹操では切り盛りする勢力は諸葛亮の方が大きい
勢力が大きいから難易度が高いというのであれば諸葛亮の方が統率が高くなる
さらに司馬炎が最高だ
勢力の大きさを重視しないのであれば反乱をよく起こされる曹操よりも
諸葛亮の統率が高くなる
>>973 今、諸葛亮と曹操の比較で話を進めているから
そこで諸葛亮がどうこうと言ったら当然曹操も絡めて話をすることになるよ
曹操を交えたくないというのであれば別の機会にしてくれ
>>974 すでに反乱が起こされにくい体制ができているものを運用するのと
反乱を起こされにくい体制を作るのとで
同じように考えることじたいおかしい
>>975 曹操は反乱を起こされにくい体制を構築できなかった
諸葛亮は既に反乱が起こされにくい体制を構築した
諸葛亮は内部で自分の体制を新たに構築しているから維持とは違うぞ
皇帝だって内部で派閥争いするんだけどなぁ
自分の与党を作って内部の反対者を出さないシステム構築しないといけないから
受継ぐからと言ってもそんな単純じゃない
>>977 実際に派閥争いはあり、派閥争いの勝者が皇帝の与党となっただけ
司馬炎が派閥争いを治めたわけではない
劉禅ほどお飾りとは言わないが、晋では司馬炎の頃から側近の権勢が大きい
>>979 皇帝とてその与党を味方に付ける、制御するという事が必要だぞ
どうもお前さんは組織を取り回す事の難しさを無視し過ぎてるな
劉禅もお飾りではない
必要のない時に皇帝自ら動かないだけだぞ
何かあれば即座に処罰や罷免をするしそれを周囲に一切反対させない
反乱されにくいったら呉の統率力はパネェな
諸葛亮何人いても足りねぇぞ
俺も孫権の統率力ってすごい高いと思うよ
ただ孫権の末期から宮廷内部で延々と政争が繰り広げられて
皇室に連なる一族から投降者出すなど、呉も目に見える反乱じゃなくて
逃亡者を出す形で組織が崩れて行ってるけど
>>980 司馬炎や劉禅が統率100だって主張かい?
それならそれでどうぞ
そう思ってりゃいいんじゃね
お前さんの中だけでな
>>984 そんな進みは知らねーよ、馬鹿言ってんじゃねー
>>983 そう読める文章を書いた覚えはないのだが
統率の評価で規模が問題になるのであれば、という前提付きで司馬炎が最高だろ
司馬炎は全土統一もしたし曹操のように反乱を何度も起こされなかった
劉備、諸葛亮、孫権のように小国の統治者でもなかった
他の君主は司馬炎に敵わない
君が主張する規模の大きさの問題とはこのようなものだが
こんなバカバカしい主張をするな、と上でも述べたはずだが
劉禅に関しては劉禅をお飾りだとすることに非を唱えたに過ぎない
劉禅は皇帝権を行使することは少なかったが、
お飾りというほど権力がないということもない
諸葛亮とその後継者たちから時間を掛けて人事権を自分の元に取り返したりしてて
お世辞にも最高の統率とは言えないものの、宮廷闘争ではそれなりの手腕を見せてる
同じ社長でも
魏なら財閥
呉なら大企業
蜀なら零細企業
位規模が違うからなぁ
>>985 お前の統率の評価基準がだんだん「政治」に変わってる気がするぞ
統率って劉備みたいに何度も負けても降伏せずに無謀な転戦続けても部下を引き連れてたりのリーダーシップだろ?
窮地にたっても部下をまとめた奴ほど統率は高くなると思う
蜜がある所に虫が集まるのは当たり前で金や権力があるとこに人が集まるのも当たり前
三国一の大勢力で国も安定してて兵力もある
こんな国の皇帝に反乱が少ないのなんて司馬炎の功績じゃないだろ
劉備は言わずもがなとして孫権は孫策死後の豪族集団を上手にまとめあげ曹操と戦わせる
曹操だって反董卓連合だとか青州黄巾、兗州喪失、官渡と何度も窮地に立たされてる
官渡後の手紙焼きとか統率の鏡じゃん
>>987 窮地に立って部下をまとめたら高くなる、というのであれば
夷陵で国力をすり潰された蜀を数年で纏め上げて軍を再建し
さらに北伐を幾度も行えるようになるまで組織を作り上げた諸葛亮を低くする理由って尚更ないじゃないか
その上で曹操は身内に反乱起こされたり
足元の危うくなる反乱起こされたりと統率し切れない面がある
諸葛亮はそうではない
比較したら諸葛亮が上で曹操が下だ
劉備の遺言・・・
>>989 劉備の遺言って李厳にも与えられてるから
それを政争で最初は頭を抑え、最終的には叩き落して
独裁体制構築してる諸葛亮はまさに統率の鑑だな
>>988 何と無く分かるだろ
それは政治
君主としての表に立ってのリーダーシップとは何と無く違う
そろそろ次スレ
確か
>>980踏んだ人が建てる決まりだったよな
基準に関する議論は次スレまで持ち越しそうだから、
テンプレは取り合えずなしかな
>>991 政争能力そのものは政治の領域だが
政争で組織を強固なものにするのは統率
俺が褒めてるのは政争そのものじゃなくて政争によって独裁体制構築しているところな
そこのところは誤解なきようよろしく頼むよ
意志力いらね
いや意志力はいるよ
クラウゼヴィッツの戦争論でも精神の力は重要視されているし
孫子においても最上は謀を討つこと、と相手の心を折る事が重要視されてる
折れない心は大事だしその逆はよくない
>>997 いると思ってるのはお前一人だろ。いい加減しつこい
意志力を知力に入れるとか訳分からんな
どうしてもというなら別に「意志力」という項目作れよw
1000
1001 :
1001:
立 新 / ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、 ,r';;r" _ノ と 何
て し L_ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ ,';;/ ) 申 と
ね い //;;/´ `' 、;;;;;;;;,,l;;' /ヽ す 1000
ば ス /.,';/ ヽ;;;;,l;L_ .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;i か を
い レ l |;|┌--‐フ ┌----、、 |;ヾr''‐ヽ, ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;く !! 超
か ッ i |l ~~__´ 、 ``'__''''┘ |;;;;;l rO:、; ´ ィ○ヽ 'i;;;;;厶, え
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の を ._ゝ'|. / 、 |; ,' / 、 |;;;;;;;;;;;;;レ、⌒Y⌒ヽ
う 「 | | ( ) .ソ l ,:' _ ヽ .|;;;;;;;//-'ノ
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人_,、ノL_,iノ! . ', :i゙''''''''''`l' ` _人__人ノ_ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\ ,' ト、,
/ ヽ L__」 「 で 書 Lヽ ヽ〈 i| Vi゙、
ハ ワ {. ヽ. -、、、、 ' ノ き き 了. ゙, ,ヽ===-'゙ ,' , // ヽ
ハ ハ ヽ. ハ ) ん 込 | ',.' ,  ̄ , ' ノ //三国志・戦国板
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