1 :
無名武将@お腹せっぷく:
正史準拠でよろしくね
【統率チェックポイント】
統率について言及。「統率」とは組織を纏めあげ、強固にする力。また、そのために組織を改編し、造り上げる能力。
【武力チェックポイント】
武力について言及。「武力」とは戦術・戦域級での戦闘指揮能力。
【知力チェックポイント】
知力について言及。「知力」とは問題への正しい理解・判断能力。先見の明。戦略眼。意志力。
【政治チェックポイント】
政治について言及。「政治」とは己の描いた方策を実現する能力。内政、外交、謀略の能力。
【魅力チェックポイント】
魅力について言及。「魅力」とは利害抜きで人を引きつける力。人望。
能力値は基本上記でいくが応用変更も可
不毛な争いは不可
前スレ
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1342623875/
戦略と軍略を知力として一緒にしたり、政略と謀略を政治として一緒にしてるせいで、数値化した時に違和感が出てくるんだよなぁ
特に軍師や参謀の、大局型と局地型の違いが表せない
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/04(月) 04:20:37.38
ゲームだと細分化すると複雑化して難易度が高くなってしまうからな
戦略眼・先見性・意志力で言えば荀ケを知力100にしたいが、荀ケって軍略の実績は呂布から本拠地防衛したことと各地の反乱を鎮圧したくらいだしなぁ
まあそれだけでも凄いけどさ
やっぱりオールマイティな知力100は賈詡かねぇ
参謀としては鍾繇も捨てがたい。何故かこういうスレではあんまり名前挙がらないけど賈詡に劣らないだろ。
郭嘉と法正も一応、知力100候補だと俺は思う。郭嘉は実績も申し分無い。
戦略特化の荀ケと戦術特化の荀攸はそれぞれの分野では最強だと思うが。評価しにくいかな。
名前が挙がらないってことなら楽進とかが顕著じゃなイカ
個人的に三国志前半では最強クラスの名将なんだけど
濮陽で呂布、雍丘で張超、苦で橋蕤との戦いで一番乗り
徐州で劉備、烏巣で淳于瓊、冀州で袁譚、并州で高幹を撃破
荊州では関羽を幾度となく撃破し、対呉戦線では節を授かって城を護り、魏成立以前に右将軍にまで昇進(この時の四方は四征より格上)
これだけのことをやってる楽進の名前があまり出ない辺り、このスレってゲームや演義の呪縛から逃れられてないよね
そんなの今更じゃん
なんだかんだでコーエーのステータスが基準にあるし
まあイメージって大事だよね
>>6 前半の名将って劉備と曹操のツートップが凄過ぎて他が霞んでしまいますしおすし
たしかに曹操と劉備が2トップだと俺も思うが、君主組を除外すればベスト10には確実に入る名将だと思う、楽進さん
何度も言われてるけど、知力を軍略や戦略全部まとめて評価しなくても良いだろ。
例
荀イク…知力100(戦略、先見)
という風に、()の中に得意分野を書くようにすればいい。
前スレ埋め失敗
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/05(火) 20:45:24.83
>>6楽進が過小評価されてる理由は曹操自身が率いた軍の中での活躍ばかりというイメージのせいだと思う
曹操から離れた場合でも張遼みたいにわかりやすい活躍がないのも原因かも
張遼…合肥で孫権撃破
徐晃…樊城で関羽撃破
于禁…曹操が劉備討伐に言ってる間、袁紹から攻撃を防ぐ
張?…街亭で馬謖撃破
上の4人と比べると楽進はわかりやすい活躍が無いのかもしれない
>>13 >>14 そんなことないよ
正史ちゃんと読もうよ…
赤壁までに絞ったとしても、こんだけ活躍してる
濮陽での呂布戦で一番乗りの敵城突破。雍丘での呂布配下張超戦で一番乗りの敵城突破。苦での袁術配下橋蕤戦で一番乗りの敵城突破。
安衆での張繍戦で敵将撃破。下邳での呂布戦で徐晃と共に敵将撃破。射犬での黒山賊眭固戦で曹仁于禁徐晃と共に眭固撃破。沛での劉備戦で徐晃と共に劉備撃破。
官渡での袁紹戦で于禁と共に別働隊を率いて敵別働隊を攻撃し、三十以上の敵陣を壊滅させ淳于瓊を斬殺。黎陽での袁尚戦で敵将撃破。別働隊を率いて楽安の黄巾残党を撃破。張遼と共に陰安陥落。
南皮での袁譚戦で一番乗りの敵城突破。別働隊を率いて雍奴陥落。壺関での高幹戦で李典と共に高幹撃破。長広での袁譚残党管承戦で李典と共に管承撃破。
于禁張遼と共に荊州防衛戦線に駐屯。襄陽での関羽戦で関羽撃破。
ちょっと予想以上だった
ゲームのイメージからどうしても脱却できないんだよなぁ
まあ正史準拠とか言ってるけど、実際にちくま訳や集解を持ってる人ってこのスレにもそんなにいない気がするよね。
俺は中華サイトで流出してた集解をPDFで持ってるけどさ(ぁ
楽進は曹操配下武将では于禁と共にトップで、曹夏侯を入れても夏侯惇に次ぐナンバー2。
たまに張遼の方が格上だったと勘違いしてる人がいるんだけど、あれは何故なのか。
陳寿曰く楽進の記録は消失してるので、本当はもっと功績あるんだけどねw
演義やゲームを元にプラスマイナスするのがこのスレだから
真面目に議論したいなら大学ででもやればいい
張遼とはどうか知らんが、少なくとも張郃や徐晃よりは楽進が優秀だとは俺も思ってたよ
陳寿の評価だと張遼・楽進・于禁・張郃・徐晃の順番ってことなんだから、張遼の方が名将じゃないかな
楽進より長生きして戦功立てたってのもあるだろうけど
蜀の五虎より強いもんね
張遼はやっぱ合肥のインパクトがデカイ
>>20 おい、スレタイ読め
ここは演義やゲームは元にしないスレだ
>>23 関羽と張飛は魏五将軍と良い勝負できるだろ
関羽は楽進と徐晃に何回か負けてるとは言え蜀将ではトップだし、張飛は張郃に勝ってるし
というか、蜀は五将軍が同じ巻に纏められてるのは第一世代の武将が五人しかいなかったからだけど、魏は李典達の巻を踏まえた上で特筆すべき将軍を別巻に五人選出してるわけだから、魏五将軍の方が名将なのは当たり前
黄忠は長生きしてれば馬超を超えて、関羽張飛や魏五将軍と同格の名将になれるポテンシャルあったと信じてる俺ガイル
まあそんなこと言ったらキリがないけどさ
まあ魏はいわゆる五将以外にも、同時期に臧覇や文聘のような名将がいるからねぇ
李典みたいな理想的な副官までいるし
演義での趙雲みたいなやつだぞ正史の李典は
だーかーらー、張静って誰よ?
正史や集解で魏の名将達の凄さを実感する度に、それと渡り合った劉関張の凄さを再確認するわけだが
兵卒の実力にすら差があったということを忘れてはいけない
でも周瑜や呂蒙の方が名将だよね
32 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/05(火) 22:56:33.84
黄忠の夏侯淵を斬るって今思うと凄い功績だよな
曹操以外で単独で軍団を持つ司令官を斬るってのはかなりインパクトあるわ
劉邦でいったら韓信に位置する人間を斬るみたいなもんだからな
>>31 周瑜は曹操が言う「赤壁で虚名を得た」というだけの一発屋的なところあるから
手放しの名将ではないけどな
まあ夏侯淵撃破は殆ど劉備の功績だけどね
統率は張飛>魏延>関羽でもいい気がする
赤壁だけなら一発屋だが、江陵で一年以上かかったとはいえあの曹仁を撤退させてるから、一発屋ではない
その時の重傷が元で死んじゃうけど
>>35 何で?関羽って数万を率いて方面軍やってて問題起こしてないじゃん
魏延がその規模率いたことないと思うんだが
張飛もその規模の大軍を率いた経験はないと思うんだが
>>36 江陵の時は劉備も張飛も関羽も一緒になってやってるがな
というか夏侯淵って赤壁以前は曹洪とかと一緒に補給や後方支援担当だからな
>>39 指揮してんのは劉備ってのは間違いないだろ
黄忠は最前線で戦う剛の者だけど前線指揮官以上じゃないんだし
>>39 なにこいつ反論も無しに突っかかってきてるの?
こういうやつに限ってロクにちくま訳すら読んでないんだろうなどうせ
>>40 官渡前後では曹操の分身として各地の平定やっとりますがな
劉備に押されて劣勢だった張郃の為に軍の半分を救援に出したのが夏侯淵の終わりの始まりだしな
というか39みたいなやつはスルーしろよお前ら・・・
>>44 自分で逆茂木修理とかちょっとテンパり過ぎたか悪しき現場主義に陥ってるとしか思えないな
よく最近でも「現場を知らない指導者はダメだ!」とか言う批判あるけど
指導者に必要なのは現場を知るために現場で働くことじゃなくて
現場から上がる情報の分析の仕方を考える事なのよなぁ
夏侯淵はそれでも自分で最前線出てってそこに突撃食らって死んでるわけだから
陳寿が白地将軍ってエピソードを挿入してdisりたくなる気持ちもわかる
48 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/05(火) 23:12:55.78
周瑜は赤壁以外も呉の宿敵黄祖を倒す、名将曹仁を破り江陵を取るという大きな功績があるからな
一発屋なんかじゃない
>>46 いちいちトゲのある言い方するね、キミ
キミの夏侯淵嫌いが伝わってきて、議論の余地も持てないよ
なんでいきなり夏侯淵を貶める話を始めてんの?こいつ
いつからそんな話になったのか
自分の日記帳にでも書いてろよ
>>49 いやトゲのある言い方というけど夏侯淵の死は本人に結構問題あるだろ
わざわざ劉備が定軍山に陣取ったのに対して結構無理のある布陣で迎え撃ってる
後退しながら守れば曹操来るまでもたせられたのに、漢中を強引に守り通そうとして失敗してんだわ
張コウは夏侯淵が討ち死にした後にやったように夏侯淵もやれないわけではない
さらにそこに加えて自分で無防備マンしての死亡だからこの件に関して俺は夏侯淵に対して非常に辛いよ
それ以前の西北方面での八面六臂の大活躍や、
さらにもっと前の補給任務、反乱鎮圧任務はまた別問題
>>51 全くもってその通りだと俺も思うが、どうも46の言い方には・・・
白地将軍がdisる為のエピソードってのはあまりにも一面的な捉え方だろうし
曹操って夏侯淵には気安さがあるよね
夏侯惇には異様に気を遣ってるのにw
>>52 曹操に将軍たるもの前に出るだけではいけない、と以前から言われてたのに
結局直せませんでした、死にましたってエピソードなんだから普通にdisだろ
なんなのこいつ…
何がしたいの?
俺たちに何を求めてるの?
こういう人がいるから蜀ファンは自分の解釈と価値観を絶対的なものとして他人に押し付けてくるバカばかりだと言われる羽目になる。
黄忠信者or夏侯淵アンチを装った、ただの対立厨の荒らしである可能性が微レ存
また一つ新しい名言が生まれた
「戦場は会議じゃねーし(キリッ」
と劉備厨がブチ切れ
>>56 解釈というけど前に出ての討死の後に前に出たらアカンという教訓があったのにって挿話するのは
史書の著者がアホでない限りはその死に方に対する揶揄とかdisの類
これを解釈だの価値観の押し付けだのというのであれば
違うという論拠でも出すといい
それで議論すりゃいいんだからさ
「こうだ!」と言われてただ「それは押し付けだ!」というので終わるのではお話にならん
「そうでない根拠はこれだ!」と言って互いの論拠をぶつけ合うのが議論だろ
39のレスから流れがおかしくなったのは確か
対立厨って怖いね
まあ悪意のあるレスだったとは思うけど
それに対する反応ももうちょっと冷静になるべきだったんじゃないか
わざわざ剣呑とした雰囲気にもっていくことで誰も得しないだろうに
人のせいにすんなアホ
人のせいにすんなアホwww
>>17 無意識のうちに1〜100の数値を付けたがるからなw
1〜10くらいなら付けれるけど、1〜100となるとなかなか難しい
>>34 ファビョってるwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
1〜10だったら正史に伝が載るような奴らなんて8〜10で殆ど埋まってしまって個性が出ないだろ
39と54と60と64と68は同一人物なの?
それとも荒らしが紛れ込んでるの?
>>69 ここまで続いてしまってるに言うのもなんだが
能力値決めなんて演義のような俗っぽさそのものが
正史の方向性からかけ離れてるような気がする。
>>71 それを言っちゃあお終いじゃないですか・・・
冷静になるとそう思っちゃうけど
せめてランク付けとかなら決まりやすかったのかね
74 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/06(水) 00:05:55.66
黄権公衡
武力:65 知力:85 政治:67 統率:72 魅力:80
武力:将軍としての活躍もあるからこれぐらいは
知力:劉璋が劉備を益州に入れる事に反対、劉備に張魯を迎えにいくよう進言、夏侯淵を討ち漢中を取ったのは黄権が元々立てた計略によるものだった、夷陵の時劉備に警告する
政治:3つの勢力に仕えたが命を全うした処世術は凄い
統率:曹操から任命された巴東郡太守朴胡などを撃破、夷陵の時魏に対する守りとなった
魅力:劉備・曹丕・諸葛亮・司馬懿といった重要人物たちに評価される
流れを変えようと思って黄権を評価してみた
黄権はもっと評価されるべき
名将同士の戦績でランク付けすると徐栄とかが上位に来てビビる
黄権は充分評価されてるんじゃ?
少なくともある程度以上に三国志知ってる人たちからは
董昭ってこのスレ的にどれくらいの評価か教えてくれ
テイイクやカクに匹敵する程の謀臣だと思うが
どうも肥の数値は過小だと思う
このスレの評価は知らんが、俺の中では政治と軍事の両面で最高クラス
正史で分かる事績だけで半端じゃない
軍師の巻でも程c郭嘉の次だしね
劉曄や蒋済もかなり有能だけど、董昭はもうちょい上って気がするよね
曹操廟にいないのが不思議なくらい
政治面では直接的な政争の描写はないけど
魏公関連で荀イクとは政敵に当たりしかも荀イクを追い落としてるんだよね
参謀としての功績で言えば、
荀ケ>荀攸>賈詡>鍾繇>華歆>王朗>程c>郭嘉>董昭>劉曄>蒋済
で、あまり違和感ない
蒋済を下に見てるわけじゃなくて、むしろ凄い人だと思ってるけど、他がもっと凄いから
劉放は、ちょっと地味過ぎ
あの巻に載ってるのに違和感を感じる
華歆と王朗は曹操帰順後は政治に偏ってるかなって気もするな
逆に荀攸は軍事特化しすぎ
荀ケ・荀攸・鍾繇・郭嘉
潁川名士ヤバすぎる
ゲームを知らない俺には
董昭が過小評価されてるという事実が驚きだよ
曹操にとって必要不可欠な存在だろうに
軍略でも貢献してるし
鍾繇は荀ケの次くらいでいい。逆に華歆と王朗はもっと下でいい。
三国志11
統19武25知80政82魅59
演義準拠のコーエー三国志で魏臣が過小評価されてるのはデフォだから今更そんなこと言ってもしょうがないような
曹叡は中間あたりやね
荀ケ>>>鍾繇>荀攸>賈詡>郭嘉>>>程c>董昭>華歆>王朗>劉曄>蒋済>>>劉放
個人的にはね。
劉循に比べたら董昭なんてまだマシだよ
てことで劉循を評価してくれ
魏書って
1:建国者
2:初代皇帝
3:二代皇帝
4:三〜五代皇帝
5:曹操〜曹叡の正妻
6:一線級の群雄
7:準一線級の群雄
8:二線級の群雄
9:親族
10:筆頭臣下
11:一線級の政治家
12:準一線級の政治家
13:一線級の参謀
14:準一線級の参謀
15:一線級の地方官
16:準一線級の地方官
17:一線級の武将
18:準一線級の武将
19:ここから第二世代突入〜
ってことで間違ってないよね?
魏書は並び方も分類も分かりやすいよな
呉書とか凄く分かりにくい
13と14は、
武官より文官が上に来る当時の風潮に従って、
政治面での功績が大きい人と軍事面での功績が大きい人とで分けたってのと、
13の奴らは三公ってのが大きいよ
程cは武将のとこに分類されてもあまり違和感ない
94 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/06(水) 19:14:55.54
こうして見ると魏は本当に人材が豊富だなあ
対して呉はとまかくとして蜀のジリ貧ぶりが…
>>94 初期は創業者が全中華行脚してヘッドハンティングして回ってるけど
王朝成立後の人材プールはほぼ益州のみに限定されてるからしゃーないな
>>94 まあ曹操軍が桁違いってのもあるけど
それを差し引いても劉備軍はマジで貧弱な家臣団だよ
劉備が天才だからやってこれただけ
季漢輔臣賛を見ると上位がけっこう正史に載ってなかったりするから、記録が消失してるってのもあるんだけどね
そのせいで余計に人材不足に見える
まあ文官はともかく武官が不足してたのは間違いないけど
第一世代に列伝された武官が五人だぞ?
魏と呉は二十人くらいいるのに
蜀の五虎将だの五将軍だのって言い方はおかしいってずっと思ってました。五人しかいないうちの五人なのに。
魏みたいに十五人の中から選ばれた五人なら凄みがあるけどw
特に趙雲の場違い感がヤバい。
季漢輔臣賛だと、
関羽は四位、仕官したのは旗上げから。
張飛も四位、仕官したのは旗上げから。
馬超が五位、仕官した時期の遅さを考えると凄い待遇。
黄忠が八位、仕官したのは赤壁後だが夏侯淵討伐の功績が大きい。
趙雲は二十一位、関羽張飛に次ぐ古参のくせに殆ど功績無い雑魚。
趙雲別伝(笑)
まぁ趙雲さんは他の四人が前後左右将軍にまでなった時、魏延や李厳より格下だったような人なので・・・
むしろ別伝や演義やゲームで超過大評価されてるのを、天の趙雲さんはあまり快く思ってはいないかもしれない
縁の下の力持ちみたいなもんだし
人材不足の勢力に許褚・典韋が仕えたら趙雲ポジションだったかも?
>>97 伝立ってる5人を演義で五虎将軍に認定しただけで
5人しかいないつーのは間違い
101 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/06(水) 20:26:27.32
趙雲は蜀で数少ない諡号貰えた臣下だからそれなりに活躍した事も事実なんだろう
まあ劉禅を助けた事がかなり大きいけど(別伝入れるなら二回)
伝が立つレベルの武将が、って言うべきだろうね
んなもん陳寿が伝立てるかどうかって決めただけで
「伝の立つレベル」というもんがあるわけではない
陳到みたいな凄い筈なんだけど何もわからん奴とかいるし
陳到もそれこそ輔臣賛だと趙雲と同列の21だし、べつにそこまで凄いわけでもないような
それよりもケ方が気になる
「少数をもって多数を防ぎ」の辺りが特に
>>104 同列の趙雲が立伝されてるのに放置されてるわけでな
陳到も立伝されても不思議ではない存在だったはず
劉禅は助けてないが
>>105 趙雲は劉禅救出の功績が大きいであろうことを考えると、陳到の方が武将としては活躍してそうだよね
中原時代に配下をあまり得られなかった(取りこぼしたことも多い)ってのが問題かねぇ
中原を早々に追い出されたわりには一大勢力を築き上げた孫権
むしろ早々に辺境に割拠したからこそと言うべきか
劉備は小勢のくせに強かったせいで曹操と袁紹が雌雄を決する中原騒乱のクライマックスまで生き残ったけど、そのせいで曹操に殆ど人材を取られた形に
荊州や益州みたいな辺境であれだけの人材を得られたのが凄いよ劉備は
>>107 中原放浪期に得た人が結局蜀滅亡寸前まで政権中枢にいるし
取りこぼしてたというのは中々難しいんでは?
>>109 俺、田豫や陳羣が大好きなんだ
陳登もね
孫権は中原から逃げたと言うより
俺らは中原の外側で勝手にやらせてもらうってイメージ
というか、袁術が曹操からフルボッコされて豫州から追い出され、孫策に揚州攻略を命じたってのが流れだから、孫権の意思はあんま関係ないような
呉郡を本拠地にしたのも、朱治が呉郡を乗っ取ってそこを足掛かりに孫策を袁術から独立させたからであって
呉郡って孫氏一族の本貫でもあるし、逃げるも何も故郷を中心に手を広げましたってだけだわな
呉は一番長持ちしたし、蜀なんかよりは安定したと思われる
しかし、孫晧・・・
このスレでの李通の評価ってどんなもんなの?
曹操と曹仁の命の恩人だし、仕えた期間あんまり長くないのにあの臧覇や文聘より上に列伝されてるのは凄いと思うんだけど
116 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/08(金) 02:38:03.10
なんで羅貫中は陳到を演義に出さなかったんだろ
趙雲に次ぐっていうおいしいネタがあるのに
魏延を斬っただけの馬岱をあれだけ活躍させる事ができたんだから陳到でもできたはず
だけではない
馬岱はさりげなく北伐一回やってる
>>114 権力闘争繰り返しててどこが安定してたのだ?
呉より国としては短かったが安定度だけでいえば蜀の方が上
>>118 権力闘争しても国が倒れなかっただろ
蜀なんて権力闘争すると国が倒れるの皆わかってるから
よっぽどの時以外は我慢してたんだよ!
国が倒れる倒れないと安定度は直接関係ないと思うけど
それなら後漢末期も幼帝を次々担いで権力闘争してようと黄巾の乱が起きようと漢は続いてたから安定してたことになる
目糞鼻糞
>>120 後漢は安定してたよ
それだけ制度がしっかりしてないと幼君連打しつつ長持ちしない
後漢は孝廉がアレすぎる
安定度は蜀>呉>魏
実力と逆
はいはい
ワロタw
最近彼方此方で蜀厨が湧いてんなw
一番広い魏が一番不安定なら、真っ先に崩壊してるはずですがな
>>128 一番強い国でもあるから単純にそうとは言えない
>>130 統治体制は整ってただろ
群雄割拠で荒廃した中原を良く治めていたと思うんだが
いかんせん、初代と二代目が早死にしたのが問題
どっちかが曹操くらい長生きしてれば崩壊なんてしなかっただろう
>>119 呉ほどの権力闘争が無かった蜀の方が安定してたって自分で書いてるよね
反論になってない、単なる屁理屈
134 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/08(金) 23:24:55.43
蜀が一番安定していたというか、劉備死後の南方の反乱以外特に大きな反乱もなく、権力闘争も魏や呉に比べたらだいぶマシ
まあそれでも国力が最弱だった+姜維がアホみたいに戦争しまくったせいでジリ貧となり滅ぼされたけど
>>132 呉と蜀のケースではね
ただし魏にまでそれが当てはまるとは限らない
反乱もなく・・・
国家権力で国民を押さえ付けてる中共や北朝鮮みたいじゃん
蜀という国は
>>136 逆だボケ
古代なんだから当たり前
むしろ古代や中世みたいなことを近代国家がやってるから笑い話になるの
>>137 なるほど、確かにそうだな…
というか蜀って民が軍に動員される割合が大きすぎるから、民にとっては良い国じゃないよね
狭い上に山に護られてるから安定してただけで
>>135 125のこと?
それは当方の書き込みでは無いので何とも
蜀は諸葛亮いなかったら雑魚すぎるよね
誰もまだ挙げて無さそうな奴で
呉質
統40武30知75政50魅15
統率
・朝歌などに赴任してるが、特に統治に苦労した話も無く、かといってこれといった良い話も無い
武力
・将軍にはなってるものの、軍功は0なので一般人レベル
知力(謀略)
・楊修を陥れたり、嘘泣き伝授で曹操の感心を買ったりと、様々な策で曹丕の立太子に貢献
曹丕がわざわざ箱の中に隠してまで連れ出して頼っているので、曹丕よりは上と思われる(曹丕の謀略70以下と仮定)
政治
・特に功績は無いが、曹植からの手紙の中で一応「善政を敷いている」と言われている
魅力
・あまりにもDQNで、曹丕以外のほとんどの人間に嫌われている。
性格の悪さと嫌われ度だけはピカ一
やっぱり記述の少ない人物だと書いてもあんま面白くないな
むしろ呉質は色々解釈できて面白い部類だと思うんだが…
いや、呉質自身は面白いし興味深いんだけど、
能力を評価するとなると記述が少なすぎて盛り上がらないかなと
呉質より胡質じゃね?
呉質より徐質
湿気のある徐質を除湿したる
なんだこの一連の流れは…w
ネタ切れ気味だし仕方ない
諸葛亮・龐統・法正・黄権の中では龐統が飛び抜けて雑魚だよね?
龐統は馬良とかと同レベル
空気ではないけどいなくてもどうとでもなりそう
というか龐統が軍師やってた時より劉備が単独で指揮を取り始めた時の方が戦果増大してるし
152 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/10(日) 12:51:29.59
>>136 久々に来たら、粘着蜀アンチ完全復活している!
本当にゴキブリみたいな連中だな
というわけで、これを貼り付け
【妄操の定義】
1 三国志魏書武帝紀、三国演義の曹操を元ネタにした蒼天航路を元ネタにした妄想完璧超人
2 曹操患者に崇拝される偶像であり史的曹操から乖離した存在
【曹操患者七つの症例】
1 ネット右翼。妄操に自己同一化しているので、非常に高圧的、攻撃的
2 厨二病。漫画、小説と現実の区別がつかない。馬鹿すぎて単語を捏造
3 蜀アンチ。現状の曹操の再評価に不満。蜀の人気者に嫉妬している
4 非コミュ。テンションが異常で、すぐキレる。
5 ニート。平日の昼間、深夜に自作自演。常時揚げ足を取ろうと監視している
6 ホモ。敵の肛門に執着する
7 上記の症例より多分ピザ
【曹操患者の行動ガイドライン】
1 ダブルスタンダードな議論を行う。絶対に謝らない
2 ギブアンドテイクの概念がない。一方的にソース提出、証明、解説を要求して負荷をかける
3 自分の贔屓で基準を都合よく捻じ曲げる
4 中身のない妄想と言い訳で内容を水増しする。決め台詞、捨て台詞で煽る
5 相手のミスを必要以上に詰る
6 自分のミスを相手の理解力、読解力の問題に摩り替える
7 自分が叩かれると中立の第三者を偽装して自己弁護する
8 反論出来なくなったらメタ否定、相対化、可能性の強調、コピペで鸚鵡返し、対人論証、テーマの摩り替えをして反論したつもりになる
9 自分の敵に無期限に無制限に執拗に粘着する
10 自作自演で多数派工作する。単発IDを乱発する
11 板の総意を詐称して公然と反対者を誹謗中傷する
12 住人に偽装して分断工作する
13 自治に偽装してこのスレを廃止、移転、分割しようと企む
14 一般住人に偽装してこのスレを隔離しようと企む
なにこいつ気持ち悪い
蜀ファンが全員お前みたいなキチガイと同一視されたら死にたくなるから消えてくれない?
中にはいるだろう、
>>152みたいな、厨二病がさ。
>>136へのレスなのに、蜀ファンとかいいながら、これほど攻撃的になるということがw
あまりにも正体がばれすぎw
どれだけ工作好きで、頭、悪いんだよ
全然、進歩してねえな
相変わらずの病人ぷりで安心したよ
お前に平日、休日の時間問わないネット三昧の生活がいつまでも続けられればいいなw
うわぁ…
157 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/10(日) 16:00:59.38
この糞スレはもう終わりな
迷惑だから勝手に俺とか個人を吊し上げてネタにして叩くとかそういう自らの貧しいメンタリティを暴露するようなみっともないキチガイ行為はやめろや
真性っているんだね
159 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/10(日) 19:24:56.40
ホウ統士元
武力32 知力85 政治70 統率50 魅力72
武力:流れ矢に当たって死ぬ
知力:益州攻略の戦略を立てる、楊懐と高沛を殺す策略を立てる
政治:益州攻めに渋る劉備を説得する、勝利に酔いしれる劉備を諫言する
統率:兵を率いて?城を囲むが戦死する
魅力:若い時は評価されなかったが、司馬徽に評価された事で有名となり、後に呉の士人にも大きく評価される
諸葛亮・法正らと比べると実績は少ないが、劉璋を捕えるよう進言したり(これが成功してたら戦わずに益州を得る可能性があった)、劉備に3つ戦略を提示して戦略の幅を見せたり
劉備に君主がどうあるべきかを説いたり、人材の育成に努力してたりと、あの時死ななかったら大物になったのではないか蜀の運命は変わったのではないかと可能性というか夢を見せてくれる軍師だと思う
160 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/10(日) 23:20:21.17
荀攸とホウ統って似たりよったりだと思う
>>160 お前が演義しか知らないってことがよく分かるな
龐統ごときじゃ荀攸と比較対象にすらならんよ
どこがどう似たりよったりなんだ?
荀攸は曹操が世界初の制度化された軍師集団「軍師祭酒」を組織した際にその筆頭となり、張繍から呂布そして袁紹とその残党討伐戦全てに従軍し勝利に導いた天才計略家。
龐統は戦略提示がメインな上に、従軍期間も実績も殆ど無い。
蜀で勝負になるとすればせめて法正を挙げるべき。
>>161 両者ベクトルが違うんで双方の得意分野で比較したらどちらも「如き」になるよ
荀攸はホウ統と違って荊州の人脈貧弱だろ
官渡の戦いは荀攸がいなけりゃ袁紹に負けてただろうね
主要な作戦の全てを荀攸が取り仕切ってるんだから尋常じゃない
>>163 人脈というなら潁川名士の代表格「潁川荀氏」に勝てるわけがないと思うが…。
なんで荊州に限定するのかね。
似たり寄ったりとかいう見当違いなレスに過剰反応するからあかんのだ
そもそも比較しにくいし
>>165 そりゃ得意分野がそこだからだけど?
そもそもホウ統は所謂軍師といっても作戦参謀としてではなく
劉備の相談役兼前線指揮者で荀攸とは相当ベクトル違うんだよ
荀攸は作戦参謀と高級官僚、曹操の幕僚としての性質が強いでしょ
ホウ統は縁者の価値ならそれなり
人脈で比較するなら素直にそうすればいいのに、わざわざ荊州に限定しないといけない辺りが龐統のショボさを言い表してるじゃん…
荀攸はあの荀ケよりも何顒方面には人脈があったぞ
>>169 ベクトル違いで単純比較できないから「如き」なんて簡単に言えないって話してんだけどね
意味不明な160、それを叩いた161と162、煽り始めた163
お前ら、喧嘩が好きだね
龐統と黄権ってどっちが劉備に貢献したの?
コウケンだけに
劉備の夏侯淵攻略は、法正によるものと言われたり黄権によるものと言われたり
戦略と戦術の違いだろうか
どっちがどっちかは分からないが
黄権は武将イメージが
175 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/11(月) 04:38:47.13
黄権が戦略、法正が今の状況なら勝てるからと漢中侵攻を進言し夏侯淵が兵を分けた情報をすぐさま察知し今が攻撃のチャンスだと進言したのだと予想
>>28 >趙雲みたいなやつだぞ正史の李典
李典は趙雲みたいな武官一筋ではないからあんまり似てない気が
仕官(コネだが)してから県令→太守であとは後方支援専門っぽいし
軍は兵站でなるっていうから政治とかは値あげたって欲しい
なんつっても県令→太守の就任年齢の若さは後漢史上屈指
李典の上を行くのはたぶん後漢最大の外戚梁冀の息子しか見当たらない(呉の親の後継いだイレギュラーなのは除く)
統率とか武力はもう十二分です
李典は統治も補給も前線指揮もなんでもやってる万能タイプ
あの若さでってのが凄い
人柄を讃える話や劉備の計略を看破して上官を諌めた話まである
早死にしたのに曹操廟25功臣の一人となってるあたりからも、余程貢献したのだろう
正史で臧覇や文聘みたいな名将オブ名将より上位に列伝されてるのが目を引くかな李典は
朱霊より存在感あるかもしれんw
174年生まれとかじゃなかった?
李典は初期は兗州豪族仲間の程cとコンビ組んで民政しつつ補給しつつ、補給妨害に来た敵将を独断専行で撃退したりして後方で活躍し、後期は曹操軍筆頭前線武将の楽進とコンビ組んで袁氏残党や荊州戦線など各地を転戦して活躍してるな。
合肥では張遼と一緒に孫権軍に突撃した。
>>180 何が根拠でその数字が出たの?
正史だと生まれた年書いてないよね
36歳で死んだことは確実で、死没年が資料によって数年差があるんじゃなかったけか、うろ覚えだが
で、確か209年没だったはず
集解が今手元に無いんだよな…
明日大学行けば分かるんだけど
>>183 209年没でどうやって張遼と合ピ守るんだ?
あれ建安二十年だから215年だろ
>>184 だからおかしいって話
唯一残ってる文献がそれなんだから、不明としか言いようがない
とにかく36歳没ってことしか分からん
最低でも215年までは生きてるから
生まれは180年以降だろうね
174年はありえない
従父と従兄がけっこう立て続けに死んじゃって、でも曹操としては李氏は数少ない兗州有力豪族の味方だから、若僧だからと言って低く扱うわけにもいかず太守とかやらせて、そしたら予想以上に有能だったんで前線に引っ張り出したんだろう
まぁ個人武力は典韋キョチョが圧倒してるし
個人武勇は許褚と典韋がトップかなぁやっぱり
呂布や関羽や曹操も個人武勇の逸話があるけど
>>189 何で曹仁と張遼、甘寧とか出ないんじゃ!
典韋の字が伝わってないのが泣ける
部下になるとしたら関羽や張飛なんかより典韋のほうがいいや
韓浩や典韋を推挙した夏侯惇は地味に凄い
地味かなぁ?
お留守番しての民政・軍政が多いからね夏侯惇は
部下には是非とも欲しい人材だけど、派手ではない
呂布から本拠地防衛した時の神懸かり的な対応力と奮戦は、失明も相俟って輝いてたけど
偉くなったのに前線出るのは立場的にムリじゃね?
楽進と于禁は夏侯惇に継ぐ偉さだったのにめっちゃ前線出てるけどね
特に楽進
こいつ将軍になっても一番乗りとかしてるバカ
一歩間違えれば夏侯淵だが、まあ夏侯淵より遥かに戦争経験多いのに戦死してない辺りが凄いというか運が良いというか…
元書記官のくせによほど個人武勇にも長けていたんだろうか
199 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/14(木) 02:31:54.20
楽進とサッカー日本代表の岡崎がかぶる
どちらも実績は凄いのに過小評価されてる
まあ岡崎の場合、代表は良くてもクラブだと全然だけど
楽進は曹仁が江陵失陥した後のけい州の最高防衛指揮官だぞ
この時期は文聘とかも指揮下に入ってた
劉備が劉章(字が出ないからこれで)に対して、脅しのネタに名前だしたぐらいだから
前線バカっていうほどの単純バカでは絶対無い
楽進は突撃特攻隊長が鉄壁防衛指揮官へと進化したという面白すぎるキャラ
代わる代わる進攻のときは先鋒となり撤退のときは殿軍となり戦功を競い合った曹操配下最強の五人…って言うけど、朱霊も于禁に吸収されなければ六将軍と言われるくらいの戦功があったのかね?
六人目選ぶなら李典か臧覇って気がするけど。
文聘ももっと早く参入してれば同格だっただろう。逆にあんな遅い参入なのに李典李通臧覇の次に列伝されてるのが凄い。
呂虔ェ…
「あんな遅い参入」と言っても文聘が参入した時って、劉備軍で言えば黄忠も馬超もいない時期だよな
武将はともかく参謀は諸葛亮くらいしかいないし
曹操には荀ケ、程c、鍾繇、荀攸、郭嘉、董昭、賈詡、劉曄、蒋済、華歆、王朗ととんでもないチート参謀集団がいるのに
まあ半分くらい荀ケが推挙した奴らだけど
呉も赤壁前には主要面子ほとんど揃ってたんだっけ?
>>202 十八巻は呂ケンに加えて、最後の涼州忠義心三人組が要らない
李典・李通・臧覇・文聘・許褚・典韋ならめちゃくちゃ凄く見えるのに、あの四人のせいで平均点下がってる感じ
>>203 >李典・李通・臧覇・文聘・許褚・典韋ならめちゃくちゃ凄く見えるのに
光栄のおかげでまったくすごく見えません!
李典は長生きしてたら18巻にはいないで26巻あたりにいたような気がする
小型満寵って感じなんだよな
そういや李典と満寵は生まれが隣村同士で、県令の時もお隣同士でお勤めしてた
>>202 呂虔はあの山賊の巣窟の郡を治めるのに成功したってのが凄いと思う
メキシコのティキチェオ市の治安を回復させるぐらいの超難易度
>>206 コーエー三国志やったこと無いんだけど、魏将の扱いってそんなに酷いの?
臧覇って徐州北部と青州を抑えてたと思ったら、張遼と一緒に最前線で暴れたりもしてるんだよな
>>207 曹仁が南郡失陥して荊州の魏領が南陽郡だけになっても、そこで呉蜀を退け続けた鉄壁楽進さんが雑魚扱いされてるKOEI三國志ですから
五将軍ですらそれなんだから、それ以下の連中なんて言わずもがな
魏ファンは、まあ、やらない方が良い
俺は蜀ファンだけど、劉備のパラメータの不当な低さには毎度嘆息してたし
このスレで楽進に興味持って色々調べたよ
赤壁敗戦直後という極限状況で、曹操から最終防衛ラインを任せられたのが曹仁と楽進
それまでの実績を見ても順当だが、この二人が当時の曹操軍では最強だったんだろう
実際、何度も撃退されて目の上のたんこぶだった楽進が死んだ途端に関羽が勢いづくからなぁ
211 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/15(金) 07:30:24.91
まあコーエーのゲームはだいたいが演義基準だからね
>>209 南郡失陥して南陽郡だけ?
どこの異次元空間三国志だよ
>>213 後漢では荊州は南陽郡、南郡、江夏郡、零陵郡、桂陽郡、武陵郡、長沙郡
これが曹操によって赤壁の戦い直後に南陽郡と南郡が再編された
南陽郡は南陽盆地周辺だけ、新しく襄陽郡が南郡の北側と南陽郡の南側の地域から襄陽周辺に
南郷郡は南陽郡の南西側の地域に設置され、南郡は北側を大きく縮小されて江陵周辺
周瑜らによって南郡が陥落した時の魏の領地は南陽、襄陽、南郷、江夏
後漢のままでも南陽、江夏の西側、南郡の北側を保持してることになる
曹操死後に一度、襄陽郡、南郷郡が失われた事はあったが相変わらず江夏は保持していて
魏の荊州支配地域が南陽郡だけになったことは一回もない
仮に後漢の行政区画のままでさらに江夏を無視するとしても楽進は曹操より先に死んでいるので
「南郡失陥して南陽郡だけ」という状況になったことはない
荊州は戦況に合わせて何度も再編されてるので色々細かいことはあるが
どんな組み合わせしても楽進が生きてる間に「南郡が失陥して南陽郡だけ」という状況はないと思うよ
江夏は文聘が頑張ってたけど、それは河の北
江夏郡を抑えてたのは呉蜀っていうかたしか呉だったはず
>>216 でも江夏郡は保有していた事は変わらんな
河の北だからどうだというのだ?
南郡以外の荊州だぞ
まあ209が間違ってたってことで
楽進が218年に死んでなかったら
ハン城戦に駆り出されていたのは、于禁じゃなくて楽進だった可能性が高い
(楽進の方が官位が下だから)
関羽は苦手意識があっただろうし見たかった歴史のifだな
219 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/16(土) 01:13:10.41
楽進だったら水戦の経験があるから、于禁みたいに洪水に対処できないなんて事はなかったかもな
無かったかもな、じゃなくてあれは単に野戦軍として送り込まれた于禁と七軍が装備不足だったということで
同じように装備不足であれば誰が送り込まれようと水没、捕縛されるよ
221 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/16(土) 05:31:14.00
じゃあ楽進でも降伏していたのか
それともホウ徳のように最後まで戦ったのか
>>221 状況によるだろうな。
戦場の形の千変万化は常にありうること。
自分が最も力を発揮できない状況下で戦わざるを得ないこともある。
于禁はそんな状況に置かれてたんだろう。
ゲームじゃないんだから得意な戦場を意図的に選べたら苦労はないよ。
元々あの辺で踏ん張ってたんだから土地勘はあるだろうし、船くらい用意するんじゃない?
というか、徐晃に出来たことが楽進に出来ないとは個人的には思わない
でも楽進に早々に撃退されていたら、関羽が荊州疾患することは無かったようにも思う
しょせん、仮定の話だからなんともいえんな
徐晃も于禁の失敗を見ていなければ同じになったかもしれんし
ただ、楽進が于禁相手に同じことは多分、できないということ
そのため、結果的に関羽の方が歴史的評価が上になってしまうのは当然なこと
ってことは分かるかな
規模が分からないいくつもの勝利より、敵将を捕らえて全軍覆滅の方が間違いないからな
同じことは呂蒙にも言える
それは思い込みだなぁ
徐晃は増援を受けに受けまくってそれでやっと持久戦が可能になり、背後を呉が襲った後にやっと勝てた
魏は当時動かせる限界まで突っ込んでの勝利
徐晃に出来ること、ではなく魏が戦力を後先考えず突っ込めば関羽を倒せるというだけに過ぎない
楽進でも同じ事が出来たか、というとこれは完全に無理
何でかと言うと「時期」が来るまで関羽は倒せないから
「関羽が攻勢限界超えて北に進んだところで呉が背後を襲う」という時期が来なければ
五将軍の誰が相手しても負けるよ
>>227 > 背後を呉が襲った後にやっと勝てた
ちょっと確認できなかったけど、関羽が南郡陥落を知ったのは徐晃に敗れ軍を帰してる途中じゃなかったっけ?
>>228 董昭伝に載ってるのでチェックするよろし
董昭が関羽に孫権の動向を知らせれば曹仁は助かる、と提言して徐晃に実行させた
持久して関羽と対峙してる徐晃は関羽軍と曹仁軍にそれぞれ矢文を撃ち込んで知らせた
>>227 なんで「時期」が来ないと関羽は絶対に倒せない?
関羽は無敵の将軍でもなんでもない
妙な神格化で矮小化するのはよせ
>>230 矮小化?
上にその時期はどうして訪れたかしっかり書いてあるだろ
他人を矮小化だの何だのと言う前にもう少し文章読めよ
関羽の打倒ってのは徐晃だったから出来たんじゃないし
徐晃以外でも可能だったとかではない
関羽の打倒ってのは関羽が失敗して、その失敗に呉が付け入るまで
魏側としては戦力の逐次投入という愚を冒してでも時期が来るまでは出来ないことだった
>>229 感じ悪い言い方になるが、それは知ってる。
その時点では敵からの情報なので関羽にとっては真偽が定かでは無いわけで。
で、他の伝から分かる通り、関羽としては方針を決められないまま徐晃と一戦して敗れる。
そして退却中に真偽を問う使者を呂蒙のもとに送り情報を得ようとする。
徐晃が関羽を破った一戦に絞った場合、孫権が関羽の背後を襲ったことを徐晃の勝利の原因にあげられるかな?
時系列で言えば確かにそうだけど。
>>232 そっちも言葉が足りないと思うが俺も配慮が足りなくて申し訳ないね
趙儼伝では勝った後も襄陽などは包囲されてるけど関羽は孫権が輜重を襲った事で
孫権も敵という事に気付いてるので帰ったと書いてある
関羽の撤退は徐晃との決戦に負けて即座に行われてるので
徐晃と長々と睨み合いしてる間に孫権に輜重襲われてる可能性が高いと思うよ
徐晃と関羽は3ヶ月睨み合いやってて、均衡が崩れるのは10月に孫権が上書とともに関羽の背後を襲ってから
>徐晃が関羽を破った一戦に絞った場合、孫権が関羽の背後を襲ったことを徐晃の勝利の原因にあげられるかな?
だから董昭の手柄話として列伝に残るんと考えると妥当な話では?
>>233 > そっちも言葉が足りないと思うが俺も配慮が足りなくて申し訳ないね
言葉が足りないというよりも、考えてることと言葉にズレがあった。
申し訳ない。
> >徐晃が関羽を破った一戦に絞った場合、孫権が関羽の背後を襲ったことを徐晃の勝利の原因にあげられるかな?
> だから董昭の手柄話として列伝に残るんと考えると妥当な話では?
仮に孫権が動いていなくても関羽は迷ったんじゃないかな?とも思えるんだよね。
1.孫権が背後を襲ったことを知り関羽以下は動揺し徐晃に敗れた。
2.孫権が背後を襲ったかもしれないと関羽以下は動揺し徐晃に敗れた。
1の場合は孫権が動き、なおかつそれを董昭の策によって危険な状態であることを知り動揺した。
2の場合は孫権は動いていなかったが、董昭の策による偽情報に踊らされた。
どちらの場合でも成り立ちそう。
逆に董昭の策がなく関羽が孫権の動きを知らなかったら、この一戦に限っては徐晃に敗れることはなかったとみてもいいのかな?
それも、ちょっと微妙な気もするが。
>>234 関羽はそれまで曹仁を囲みつつ徐晃と数ヶ月陣地構築しながら睨み合いをしている
しかし孫権が行動を起こした10月、突如として徐晃の陣地を攻略しようとして
5000の精鋭を引き連れて唐突な決戦を開始する
本来、陣地なんてお互いにじりじりと戦うものなのに
いきなり相手有利な場に突っ込んで行くのでこの時点で関羽は情報をキャッチして
相当に焦ってたと思うし、1の状況だったんだと思うよ
もし孫権の動きを知らなければ焦って3ヶ月掛けて作った防塁、塹壕に突っ込むような事もないだろう
関羽打倒は出来なかったってなんで?
戦力の逐次投入とか言うけど、于禁を行かせて勝てば終わりだったのに沈んじゃったから徐晃送ったってだけじゃん?
関羽信者が「関羽は本当は無敵だ」って騒いでるだけ?
>>236 于禁が派遣されてから結局沈むまで一ヶ月あるが仕事できてない
ホウ徳伝によると何度か激突はしてはいるみたいだが
結局先に包囲された襄陽は救えないし被害出るばかりで洪水タイムアップ
一応ホウ徳が関羽の額に矢を当てたらしいが、
額に矢が当たって無事なんてのは常識的に考えるとおかしいので
多分兜とか鉢金のようなものに当たったのだろうな
>>235 > 本来、陣地なんてお互いにじりじりと戦うものなのに
じりじり戦ってたら、次から次へと敵の援軍が現れて、包囲が難しくなっていただろう。
そして、別働隊が不意に攻撃を受けて、あわてて救援に向かったら
迎撃されて敗走、追撃を受けて包囲陣も崩壊
孫権の動きがなくても十分にありうる状況でしょ
>>225 陸路で救援に向かってるのに
どこでどうやって船を用意するんだ?
>>234 >逆に董昭の策がなく関羽が孫権の動きを知らなかったら、この一戦に限っては徐晃に敗れることはなかったとみてもいいのかな?
>それも、ちょっと微妙な気もするが。
徐晃軍は新兵ばかりであり、関羽軍は勝利の勢いに乗っているから敗れなそうな気がするな
襄陽が陥落して、曹仁、満寵も捕らえていて、徐晃を撤退に追い込んでいれば、名将としての名声は上がっても
同じ結果になって荊州を取られていたら、大きく状況が変わるわけでもないな
敗死はまぬがえるかもしれないが
于禁と配下の兵と引き替えに魏と和睦する道はなかったのかな?
>>240 > 徐晃軍は新兵ばかり
???
どこにそんな記述が?
>>241 徐晃伝だね。
「晃所將多新卒、以羽難與爭鋒」
で、話は戻すと、徐晃はその兵で以って陽陵陂というところに駐屯。
その後、援軍を得て偃城を陥とし、またさらに援軍を得て囲頭の屯営に攻撃をかけるように見せかけ四冢の屯営に攻撃をかける。
それを知った関羽は自身兵を率いて救援に向かう…
という流れ。
>>235 だから唐突な決戦を仕掛けた訳でなく、徐晃の動きに対応しただけで、そして敗れた。
今後の対応としては迷っていたもののこの一戦においては純軍事的に敗れたと見るべきじゃないかな?
ぜんぜん能力と関係無い駄会話
>>238 孫権の攻撃がなければ徐晃伝にあるような大敗を喫しても尚、襄陽は包囲されてるし
洪水前の状態に戻っただけの話なんだよ
また、孫権の動きがあるからこそ徐晃は関羽に対して攻勢に出られるのだし
関羽も孫権の動きがあるからこそ徐晃の漸進に対して一気に勝負を着けようと強引に出てく
>>243 見るべきではないよ
孫権の動き無しに徐晃の攻勢があったとは考えられないし
関羽の拙速な行動もなかった
全部連動してるのがこの瞬間の戦争でしょ
>>245 > 関羽の拙速な行動もなかった
孫権が背後をついてきたことを知らなかったとしたら四冢の救援に向かわなかったのか?
徐晃の攻勢が孫権の動きに呼応したものであったとしてもそれに対応しようとして失敗している以上、戦場では純軍事的に敗れたと言えると思うぞ?
大体、戦争なんて互いに同条件で戦うことなんて無いんだからそんなこと言い出したらキリがない。
ただし、北上を断念したことに対しては孫権の動きが一番大きな原因であろうね。
>>246 四冢の救援に向かわないとは言わない
ただし5000もの兵を引き抜いて一気に決戦挑むような事はせんだろ
敗北して退却するところを追撃されてさらに沈むような焦り方は
孫権の北上によって時間限られたからこそだよ
純軍事的に負けた、という意味がよくわからんけど
孫権の行動によって関羽は取れる手段に制限を受けたのは事実だし
徐晃との交戦に支障を来たしてるのも事実
というか兵站が途中で切られてる時点で関羽軍の動揺ったらないでしょ
>>247 > 四冢の救援に向かわないとは言わない
> ただし5000もの兵を引き抜いて一気に決戦挑むような事はせんだろ
じゃあそれ以下の兵を充てるの?
なおさら敗れるだけじゃね?
それと別に決戦というわけじゃないでしょ。結果的にこの戦いに負けた後、軍を返すに至るわけだけど。
徐晃がどんどん攻勢を強めてきたのでそろそろ留めなければならないという事情で一戦に及んだだけで決戦という気はなかったと思うけどね。
決戦だったとしたらもっと戦力を割くんじゃね?
> 純軍事的に負けた、という意味がよくわからんけど
戦場で兵を率いて用意ドンでぶつかり合って負けたってこと。
あくまで四冢での戦闘の話。北上全体の話ではない。
> 孫権の行動によって関羽は取れる手段に制限を受けたのは事実だし
> 徐晃との交戦に支障を来たしてるのも事実
>
> というか兵站が途中で切られてる時点で関羽軍の動揺ったらないでしょ
この辺を言うと関羽に対してもっと厳しい評価を与えざるををえない。
戦うべきでない戦場で負けた、戦略で負けた、状況の変化に対応できなかったということだから。
>>248 四冢を放置しろってんじゃなくて漸次後退とか色々あるでしょ
救出失敗で追撃されて包囲は解けるわ、死亡者多数だわって戦い方は博打だよ
孫権の参戦によって制限時間が区切られた中の事だぞ
>戦場で兵を率いて用意ドンでぶつかり合って負けたってこと。
>あくまで四冢での戦闘の話。北上全体の話ではない。
徐晃が自分の有利な戦場に関羽を誘導して戦ってんだから用意ドンじゃないよ
しかもその誘導の条件として孫権の後背攻撃があるんだから
結局徐晃だけじゃどうしようもなかった
関羽も前門の虎、後門の狼のような状態でどっちか打破しないといけないから
漸次後退ではなく包囲中から5000もの兵を引き抜いて救出に向かう事になった
>この辺を言うと関羽に対してもっと厳しい評価を与えざるををえない。
>戦うべきでない戦場で負けた、戦略で負けた、状況の変化に対応できなかったということだから。
違うよ
奇襲によって生まれた転換点は神でないと見えないだろ
戦場の霧の中で関羽は徐晃の打破によって猶予を作ろうと試みた
対応出来る出来ないってのは後世の視点でしかわからない事だぞ
結局「孫権の参戦」という時期、条件が揃わないとが来ないと史実の状況では
魏側からでは関羽は打倒できなかったよ
最悪、曹操まで荊州に釣り出された挙句、寿命尽きて大混乱を起こしかねない
既に誰の能力決めてるのか不明な件
>>249 > 四冢を放置しろってんじゃなくて漸次後退とか色々あるでしょ
関羽は魏の首脳の読み通り行動を決めかねた。
> 徐晃が自分の有利な戦場に関羽を誘導して戦ってんだから用意ドンじゃないよ
> しかもその誘導の条件として孫権の後背攻撃があるんだから
わざわざ不利な戦場に突っ込んだのか。
> 漸次後退ではなく包囲中から5000もの兵を引き抜いて救出に向かう事になった
それで負けてりゃ世話ないな。
> 戦場の霧の中で関羽は徐晃の打破によって猶予を作ろうと試みた
選択ミスの上、戦術で負け。これが負けでなかったら世に負けは無い。
> 対応出来る出来ないってのは後世の視点でしかわからない事だぞ
そんなこと言い出したら能力値なんて決められない。
大体、南郡の守りが薄くなったのだって呂蒙伝を信じるなら呂蒙が下手に出てきたのでそれに乗せられたからだしね。
(もっとも役に立たなかったとはいえ、もしもの時のために連絡出来る体制を取っていたけどね)
> 結局「孫権の参戦」という時期、条件が揃わないとが来ないと史実の状況では
> 魏側からでは関羽は打倒できなかったよ
> 最悪、曹操まで荊州に釣り出された挙句、寿命尽きて大混乱を起こしかねない
関羽と同じだわ。
自分に都合の良い条件だけを積み上げていけば、そりゃ構想の上では勝てるだろ。
>>251 魏の首脳の読み通りではないよ
魏首脳陣の読みはそれを教えれば直ぐに引く
関羽の取った行動は引かないで一戦交えて、それから引いた
>わざわざ不利な戦場に突っ込んだのか。
単に二方向から攻められてるから、手近で打倒できそうなところから叩くってのは普通でしょ
曹操も劉備に対して官渡の戦いの時にやってるよ
以降は博打で徐晃と戦って負けて撤退だから徐晃はよくやったよ
曹操の褒め言葉通り
でも徐晃だから出来たってわけじゃない
孫権の参戦という戦略状況の変化がない限りは無理だった
単に戦術で勝った、負けたという話ではない
負けた事を否定してるんではなく、この負けは単純な徐晃の勝ちではないということを否定してる
自分に都合のいい条件、というけど関羽が打倒される条件は孫権参戦が必須だろ
歴史上にありもしない前提を作ろうとしてる君の方が自分に都合のいい条件だけ積んでるね
能力値決定云々というのであれば軍事的でない事も絡んだ戦いで
軍事的な能力を弾き出そうとするのはよくないよ
それでも勝ち切る官渡の曹操のような化け物はともかくね
あと関羽の油断誘ったのって呂蒙じゃなくて陸遜じゃね?
>>252 > 魏首脳陣の読みはそれを教えれば直ぐに引く
自分で董昭伝を上げておいてそれはないっしょ。
> 単に二方向から攻められてるから、手近で打倒できそうなところから叩くってのは普通でしょ
で、結局敗れてるわけで。
> 孫権の参戦という戦略状況の変化がない限りは無理だった
> 単に戦術で勝った、負けたという話ではない
あなたはそう思う。オレは思わない。
平行線だね。(あくまで四冢を巡る戦い限定ね)
> 自分に都合のいい条件、というけど関羽が打倒される条件は孫権参戦が必須だろ
(略)
> 軍事的な能力を弾き出そうとするのはよくないよ
言い方は悪いけどもう面倒臭いんで要点だけ聞くよ?
対徐晃戦は関羽のマイナス要素にはならない。
そう主張してるととらえていいの?
> あと関羽の油断誘ったのって呂蒙じゃなくて陸遜じゃね?
陸遜伝では陸遜の提案に呂蒙が乗ったという体だね。
気になるなら訂正します。
>>253 マイナスにならないなんて言ってないだろ
ただ単純に「徐晃に負けた」とか誰かが言ってる「楽進でも同じ事が出来た」とか
そういう事はないと主張してんだよ
当時の状況では外交で一気に関羽を追い詰めるという形にならない
魏側から打破ってのは容易な事じゃないということだ
>>254 孫呉の動きを感知していながら襄陽の包囲を続けようとするなんて愚将の極み
関羽が状況判断もできない愚将でないとすれば
関羽が孫呉の動きを認識したのは、徐晃に負けた以降の襄陽包囲中と推測できる。
故に徐晃に負けた事に対して孫呉の動きの関与はそれほど大きくないと考えられる。
少なくとも関羽の動向を見るに、
徐晃との戦いで孫呉の動向により短期決戦を強いられたなんて事は考えられない。
関羽(最強)厨って定期的に湧くよね
しかも暫く居座るからめんどくさい
兵站が限界に来ていたし、どっちみち短期決戦じゃなきゃ関羽は積んでいたような
防衛線なんだから勝たなくても、負けなければいいんだよ
>>255 > 関羽が孫呉の動きを認識したのは、徐晃に負けた以降の襄陽包囲中と推測できる。
> 故に徐晃に負けた事に対して孫呉の動きの関与はそれほど大きくないと考えられる。
徐晃と当たった時点では孫権の動きは関羽にとってまだ確定事項の情報ではないからね。
孫権が背後を襲ったというのが偽情報であったとしても成り立つ話。
0とは言わないけど過大に見積もるのもどうかというところ。
>>254 > ただ単純に「徐晃に負けた」
四冢での戦いではその通り。
> 楽進でも同じ事が出来た
それはどうかな?とオレも思うのでそこは同意。
> 当時の状況では外交で一気に関羽を追い詰めるという形にならない
> 魏側から打破ってのは容易な事じゃないということだ
関羽の攻勢もほぼ限界に近づいていたので魏は粘れてさえいれば好転が期待できる状況。
よって孫権が動かなくても早く二城を落とさんといずれ関羽は退却を余儀なくされたと思う。
ただその場合もうまく退却出来れば関羽の威勢は上がっていたと思われる。
まあ、孫権の動きがなければ、対徐晃戦は単なる一敗であって致命的なものには繋がらなかっただろうとも思う。
で、関羽と徐晃の四冢を巡る戦いに関してはこれ以上はもう平行線をたどるだけになると思われるので、この件に関しては自分はこれで一旦打ち止めにします。
もう馬忠武力100でいいよ
>>255 呉の動きを察知するのは一気に勝負に出る10月入ってからだろ
状況判断も出来ないというけど、手近の徐晃を叩く、それから帰るってのは順番としては間違いじゃない
誤算だったのはそんな状況で焦って一気にカタを付けようとして逆に包囲を打ち破られた事だろ
>関羽が孫呉の動きを認識したのは、徐晃に負けた以降の襄陽包囲中と推測できる。
董昭伝でそれは否定されてる、知ってるよ
>>256 誰も最強とか言ってない、そこは勘違いしないで欲しい
例えば関羽の立場に全盛期の曹操がいたら、官渡の実績から考えると
徐晃を打ち破り、返す刀で呂蒙と陸遜を打ち破ってさらに北伐継続くらいの事はやりかねないと思うし
>>257 兵站限界と言っても物資が徹底的に困窮してたとかではなく
孫権が横っ腹突く事ですぐに崩壊するような状況になってたことだから
孫権の攻撃がなかったらまだわからんよ
>>258 後知恵だと曹操が死ぬからあのタイミングで孫権参戦せずに
もう少し時間掛かると戦況一気に悪化するけどな
曹操が死ぬ、という後知恵抜きで考えると孫権が動かなかった場合
関羽は襄陽だけは最悪でも確保する形で徐々に後退してっただろうね
孫権が来たから漸次後退じゃなくて一気にケリ付けようとして失敗した
>>260 >>256は厨って言葉を使っている時点で、アンチ関羽って奴だから、
レスしちゃダメ
無駄に討論ふっかけられて、延々と立証責任を負わされるよ
楽進の話が関羽にいつの間にか変わってたな
>>261 べつにアンチ関羽じゃない(少なくとも于禁や徐晃より関羽が好き)んだがなぁ…
260のレスは参考になったし特に何も言うつもりは無かったのに、なんで横からわざわざ喧嘩ふっかけてくるんだ?
それこそわざわざ自分が関羽信者ですって言ってるようなもんだろう
楽進って、敗北も勝利も規模がよく分からないからな
領地獲得してもある程度は目安になっても、相手が雑魚だったり、後援が素晴らしかったりするかもしれんし
記録に残っていない袁紹軍の将も同じくらいの戦果をあげたかもしれんし
やはり、名だたる名将・勇将を捕らえたり、斬ったり、最後は敗れて斬られたり、
の方が盛り上がるってことだろ
于禁、曹仁、徐晃、呂蒙も関羽との比較できるし
魏は、張遼が一番盛り上がるな
>>260 敵からの情報を鵜呑みにして、動揺して戦術を違えて敗北したと?
しかも、そのあとすぐに撤退せず、輜重を孫呉に襲われるまで
襄陽の包囲を継続するって支離滅裂
愚将の極みだな、オレはそうは思わないけど
聞いただけじゃ知ったことにならんぞ
>>265 鵜呑み?
関羽は包囲される側じゃなくてする側だから連絡くらい取るでしょ
連絡取り合ってダメだってわかるから勝負かけて、結果負けた
その上で「輜重が孫権に奪われた事を察知してるから、まだ襄陽包囲されてるけどすぐに解放される」と
趙ゲンが徐晃とともに関羽を打ち破った後の会議で述べてるんだし
輜重を襲われるまで包囲を継続したんではなく、包囲を継続してるけど輜重を奪われてるから戻る、という話だぞ
んなもんいくら撤退するからって樊の対岸の襄陽まで一気に解放したら追撃され放題じゃないか
そういう余力を撤退戦で見せるから追撃したらあかんって魏も思うのだよ
むしろお前さんの言う通りにやったら愚将の極みもいいところだ
>>264 楽進は淳于瓊を撃破→捕縛→斬殺
それこそ顔良とあんま変わらんだろ淳于瓊は
あと、楽進の目立つ功績は一番乗りラッシュと荊州揚州方面防衛
それに伴う小競り合いでの関羽の撃退
幾度かの合肥の戦いでも司令官は一応楽進
劉備時代の蜀将は劉備>張飛>関羽>黄忠>馬超>趙雲
張飛が荊州を維持できる未来が想像できない。
戦争の強さだけいくなら、関羽>張飛>馬超>劉備>諸葛亮(魏延?)だろうかと思う
劉備は歴戦だけど、明らかな失敗による敗北も多いものね
軍を運営して指揮(総司令官)という事に関しては劉備>諸葛亮>関羽=馬超
関羽贔屓ってよりも、当時の人間の関羽贔屓を見る限り、彼は突出した才能を持ってるよ
>>269 指揮官として馬超と関羽が同レベってのは無いだろう…
むしろ馬超こそ、極地的な強さしか評価出来ない
馬超は一時的に優勢でも「最終的に勝った」ことが無い、まさに指揮官としての能力不足を路程する戦いが多い
曹操(賈詡)に負け→夏侯淵(張郃)に負け→曹洪(曹休)に負け
>>270 少なくとも涼州軍閥をまとめて盟主になって
対抗したんだから多めに見てよ
太史慈と同じで君主扱い的に
曹休のファインプレーで曹洪に負けた時って、指揮官は馬超なん?
地位的には馬超の方が張飛より上だけど、実質はどうなのか
むしろあの時は法正が指揮官って気がするが
紛いなりにも涼州纏めてたのは韓遂で、馬超が軍閥の代表になれたのもそのおかげ
その韓遂とは離間計であぼーん
向かい合ってからの戦いでは賈詡の策にいいようにやられて軍閥を掌握できず、曹操倒すのも個人技に頼ろうとしといて許褚がいたせいで失敗したり、もうなんかダメダメ
俺なら趙雲より下にするかもしれん
馬超は劣化公孫瓚
或いは劣化呂布
上司や親を殺すあたりも、最初優勢でも最後負けるあたりも、北方騎馬民族の特徴なのかよと
呂布は連合体を作れなかったし、公孫賛部下を見捨てて自滅じゃん
曹操軍(賈?)が凄いってだけじゃないのかな
仮に趙雲が総司令官(にすらなれないと思うけど)なって曹操軍を翻弄できたり
善戦できるかつーと、難しいと思うけどね
>>270 おいおい、それじゃまるで関羽は
指揮官として勝ったことがあるような口ぶりじゃないか
馬超が勝ったことないって?
演義しか知らん奴のたわごとだぞ、それは
負傷したものの、きっちり郭援・高幹を倒しているからな
演義の馬超はかっこいい
親孝行だし
史実じゃ実質、親殺しだけどw
馬超って蜀将としては趙雲より空気じゃん
親父見殺しは曹操も人の事言えないよな
陶謙領に親父がいる事を知りながら侵攻して暴れまくった
殺されても文句は言えんだろ
>>281 順番がゴッチャになってるよ
兗州に侵攻してきたのは陶謙
曹操から徐州に侵攻したのは親父が殺された後
>>280 >>282 久々に来たら、粘着蜀アンチ完全復活している!
本当にゴキブリみたいな連中だな
というわけで、これを貼り付け
【妄操の定義】
1 三国志魏書武帝紀、三国演義の曹操を元ネタにした蒼天航路を元ネタにした妄想完璧超人
2 曹操患者に崇拝される偶像であり史的曹操から乖離した存在
【曹操患者七つの症例】
1 ネット右翼。妄操に自己同一化しているので、非常に高圧的、攻撃的
2 厨二病。漫画、小説と現実の区別がつかない。馬鹿すぎて単語を捏造
3 蜀アンチ。現状の曹操の再評価に不満。蜀の人気者に嫉妬している
4 非コミュ。テンションが異常で、すぐキレる。
5 ニート。平日の昼間、深夜に自作自演。常時揚げ足を取ろうと監視している
6 ホモ。敵の肛門に執着する
7 上記の症例より多分ピザ
【曹操患者の行動ガイドライン】
1 ダブルスタンダードな議論を行う。絶対に謝らない
2 ギブアンドテイクの概念がない。一方的にソース提出、証明、解説を要求して負荷をかける
3 自分の贔屓で基準を都合よく捻じ曲げる
4 中身のない妄想と言い訳で内容を水増しする。決め台詞、捨て台詞で煽る
5 相手のミスを必要以上に詰る
6 自分のミスを相手の理解力、読解力の問題に摩り替える
7 自分が叩かれると中立の第三者を偽装して自己弁護する
8 反論出来なくなったらメタ否定、相対化、可能性の強調、コピペで鸚鵡返し、対人論証、テーマの摩り替えをして反論したつもりになる
9 自分の敵に無期限に無制限に執拗に粘着する
10 自作自演で多数派工作する。単発IDを乱発する
11 板の総意を詐称して公然と反対者を誹謗中傷する
12 住人に偽装して分断工作する
13 自治に偽装してこのスレを廃止、移転、分割しようと企む
14 一般住人に偽装してこのスレを隔離しようと企む
>>282 それいったら呂布は養父から戟を投げつけられる危機があったし
馬超も曹操が自分を攻撃しに来たと思って自衛のため挙兵した
彼らも自分から先に手出ししてるわけじゃないんだけどね
曹操アンチの特徴は公平な見方ができないこと
>>282 それもちょっと違うよ
エン州で陶謙が略奪行為を働いた事を理由にして曹操は徐州征伐してる
そして帰って来てからもう一回、今度は父親が殺された事を理由にして徐州征伐
まあ親父見殺しは曹操アンチか馬超信者の言い掛かりだろう…
いちいち相手にしなきゃいいのに
そもそも親父が徐州にいった理由が曹操の挙兵に反対したため
父の意に反した挙兵で父を危険に追いやったのはお互い様
>>288 なんでそんな理由を断言調で語れるんだ?
アンチで自分が信じる説を唯一無二のものだと思ってるよな
>>279 >>281 >>283 >>288 蜀信者は何の為に、論ずる際わざわざ曹操を持ち出してきて貶めるのか…
それでマトモな議論が展開できると思ってるのか
ただ喧嘩売って荒らし回ってるだけなのか
タチが悪い連中だな
殆ど同一人物かもしれんが
>>288 ショウ郡が「一日歩き回っても見た顔とあわねーわ」って
後で言われたぐらいの戦乱の地だったから避難しただけで
まあ陶謙自体、漢朝に反旗翻した賊と手ぇ結んでた超食わせもの
謀略の才はありそうだから政治は高めで人徳無しって感じ
>>290 ああ、劉備スレで散々狂ったように曹操sage工作してたな
>>292 何で曹操が袁紹の下っ端やってた事実が曹操sageになるんだ?
釣れたw
釣られたとかどうでもいいんで話をしようよ
話振ってきたのはそっちなんだし
初期の曹操が袁紹の部下と主張することが曹操sageだと思うのかまず述べて欲しいな
>>295 またこの手の輩か…
劉備スレを追い出されたからってこのスレに粘着するのはヤメテ
袁紹と曹操の関係がなんだって?
スレタイ読み直せハゲ
劉備:統率95、武力95
関羽:統率95、武力90
張飛:統率90、武力95
馬超:統率85、武力85
黄忠:統率80、武力85
趙雲:統率80、武力75
魏延:統率85、武力90
王平:統率90、武力90
どうよ?
>>296 追い出された?
単にまともに反論できない奴がそんなことはない、しか言わなくなっただけやん
スレタイ読み直せっていうなら話題振るなよハゲ
>>299 いや、さっきのレスが初レスなので話題振ったのは俺じゃないんだが…
そしてやっぱり劉備スレで暴れてたキチガイかお前
ホントに分かりやすいな
蜀信者が降臨するといつもスレが荒れるなぁ(´・ω・`)
>>298 黄忠はそもそも部隊統率って未知数だからそれなり、まあまあの域を超えると違和感あるわな
武力は一発屋としたら85は十分な数値だし
全体的に高いというのはそうなんだけど
趙雲は北伐での動きとか、軍中の引き締め役としても仕事してるし
むしろちょっと低すぎると思う
>>300 あっそ
それで史実が変わるわけでもないけどね
>>303 自分の解釈=史実だと思ってるのか
そんな簡単に素人が結論出せるなら歴史家は全員職が無くなるな
おめでたいやつだ
三国志集解くらいは読んだのか? にわか蜀信者さんよ
>>301 そもそもどこかの信者とか特定の人物に対するアンチとかじゃないんだけど
史書に書いてあることちゃんと読み取るとアンチとか信者扱いされるだけなんだわ
というか歴史上の人語るのに信者もアンチもないっしょ
もう既に起こった事、終わった出来事なんだし
むしろそういう反応されることに困惑するわ
>>304 基本的に史書に書いてある事しか主張しとらんけどな
空白の部分は当時の文化や法制度から引っ張ってきたりはするし解釈もするけど
んで、何で曹操が初期は袁紹の下っ端やってた事指摘すると曹操sageになるん?
その明確な根拠聞きたいんだけど
>>302 趙雲は確かに堅実に仕事してて好きなんだけど、それくらいの功績でもっと高い評価得れるなら、魏や呉に列伝されてる人たちはとんでもない高ステになっちゃうかなって・・・
あとは、新参の馬超や黄忠に追い抜かれて前後左右将軍になれなかったり、季漢輔臣賛で他四人にかなり差を付けられてることで、かな
>>306 なんでお前のその話につきあわなきゃならんのだ???
大丈夫か?お前
少し冷静になれ
自分を客観視しろ
>>307 北伐の陽動見るとこれまで単独任務のほとんどなかった趙雲としたら破格の出来だし
統率は高くしていいんじゃないかと思うんだよね
官渡で袁紹が部下を置いて身一つで逃走したり
赤壁で曹操が自分の船を焼いて逃走したり
夷陵で劉備が鎧や軍鼓を焼いて逃走したり
敗戦の中の物資を守った撤退って難易度非常に高いことだと思うし
しかもその相手が曹真で趙雲の部隊は陽動として彼らを強く引き付けているわけだからさ
>>308 お前が言い出した事やろ
曹操sageになる根拠はよ
まーた根拠もなくわめいてるだけか?
池沼な構ってちゃんはそろそろ春だからどうしようもないとして
それにいちいち反応するやつらはなんなの…
>>308 お前はもうちょっとスルー能力を身につけよう(提案)
言っても無駄な人種に何度同じこと言っても無駄
>>309 北伐の陽動って諸葛亮に上奏文の中で
あの馬謖と並んで第一戦犯にあげられてる北伐の?
趙雲の良さって
>>1にある数値じゃ出せない項目なんだよな
命令したことをきっちりとしっかり余計なことしない
そんな安心感というか君主から見たら一番使いやすいタイプなんだけど
そういうのって数値にできない…
>>313 そう、その北伐
処罰者だらけの北伐の中で、趙雲だけは褒美まで貰ってる
北伐そのものは失敗したから降格させられてるけどな
>>314 褒美を上げた云々は悪名高き「別伝」じゃなかったっけ?
よりにもよって諸葛亮が、褒美を上げておいて降格するなどという一貫性の無い前後不確定で和を乱す政治采配をするわけがない
趙雲が余計なことしない堅実な仕事人云々言う人けっこういるけど、正史本文の記述が少なけりゃ余計なことしない武将なんて他に幾らでもいるのになんで趙雲だけそんなふうに言われるの?
趙雲別伝や三国演義の内容込みで評価しましょうってこと?
三国志集解であそこまで様々な言い方(断言、疑問、婉曲、反語(笑))でボロクソに批判されたのは趙雲別伝だけだからな
曹瞞伝や魏晋世語、江表伝や献帝伝、山陽公載記や蜀記なんかよりも更にメタクソに言われてる
正史を読む時は原文と注釈を一旦切り離して、頭を切り替えて読みましょう
>>315 信賞必罰だからむしろ一貫性はある
撤退に成功したことで部隊と統率者に褒美は出す、戦争に失敗したことで責任者に罰を与える
褒美が出るのは趙雲だけ、と書いたけど趙雲軍の将兵全体に出てるから
部隊の手柄として諸葛亮が褒めたということだよね
趙雲の主張は「戦争は負けてるから小さな手柄に褒美を出すべきではない」ということ
この流れは趙雲に対する人事とむしろ整合してて一貫性ない、とする事に問題がありそうなもんだが
政治的采配はしない、というけど趙雲の事抜きにしても
降格した人の上に誰かが出るわけでなし形式上の降格で最大限の政治的采配だよ
>>316 別伝は正史三国志の注釈だから当然入るでしょ
別伝がおかしいというのであればその都度検討すればいいと思うけど
今回については特に疑う余地があるわけでなし反証になるものがあるわけでなし
演義は小説だから当然だけど正史三国志編と銘打ったここではスレチだな
趙雲別伝って、三国志の注釈に三国志演義が付いたようなもんだからな…
矛盾が生じない部分は正しいとするのもどうかと思うが
趙雲別伝抜いたら趙雲なんて空気同然じゃん
能力値とか決めようがない
>>316 陳寿が関張馬黄と並べたせいだろうな
独断北伐、部下イジメ、父殺しなど他が余計なことしすぎ
>>319 荒唐無稽な部分は指摘すればいいだけで
そうでない部分は普通に討議すりゃいいでしょ
おかしいって言うならその都度ちゃんと根拠出せばいいよね
>>320 陳寿があの五人を並べたのは、第一世代(主に後漢末期に活躍)の蜀将で、(史料が少ないこともあいまって)伝が立てられるのが五人しかいなかったから。
15人の武将の中から特筆すべき5人を選出した魏の五将軍とはわけが違う。
だから、べつに趙雲は他四人と同格とかそういうことじゃない。
このくらいのことは、正史の巻の立て方を見ていれば分かるはずなんだけどな。
>>321 お前からは劉備スレやここで暴れてた蜀厨と同じ臭いがするな
武勇名声が趙雲に次ぐとされているのに立伝されなかった
陳到のような例もあるから5人しかいなかったというのは真ではなく偽
単に陳寿が立伝しない事をもって「5人しかいなかった」ということにならないのは
正史三国志をまともに読んでる人なら分かるはずなんだけどな
>>323 確かにそうだが、べつに今は妙なこと言ってないじゃんこの人。
蜀ファンが趙雲別伝にも信憑性があるって言い出すのはいつものことだし。
>>324 だから、史料が少なかったからでしょ?
季漢輔臣賛で趙雲陳到より上位の人たちすら列伝されなかったんだから。
それに趙雲に"次ぐ"やつが列伝されてなくてもおかしくはない。
陳到の狂信者か?キミは。
それとも前にここで発狂してた蜀狂信者と同一人物?
いちいち勘に触る言い方でしか人に論を述べれないあたりが似てるね。
こいつが居座ってるかぎり蜀マンセーするしかこのスレで生き残る方法は無いんだろうw
はい解散
>>322 草創期に活躍しなおかつ諡号を贈られた将軍たちでのククリなんじゃね?
趙雲が諡号を贈られたのは劉禅救護補正っぽいけど。
>>322 べつに趙雲は他四人と同格とか言ってないんだけど?
どこをどう読んでるんだ
>>325 別伝が万全の信憑性とは思わない、むしろ信憑性は常に疑うものであるけど
逆の言い方をすれば趙雲別伝を否定できるだけの根拠がない記述に関しては
どうしてそれが正しくないのかという根拠無しには認められないよ
>>326 蜀の人物に関しては史料が少なかったから立伝されなかったか
立伝されてないから史料が少ないのかというのは鶏と卵のようなもので
簡単に断言していい問題ではないのだけどな
そして「特筆すべき5人を選出した魏の五将軍とはわけが違う」というのは間違いだと指摘してるだけ
陳到を例に出したのは外戚枠とかではなく劉備にずっと付き従った趙雲との比較が分かり易いからだ
陳寿の選から漏れて立伝されない趙雲と似たような存在で君の主張が正しくない事は証明されてると言える
別伝を信用してるのって蜀厨だけじゃね
公平な三国ファンには信用されてないよ
信用しないって言うならどうしておかしいのか説明しないといけないよ
「個人の別伝は全体的に潤色がある」と言うのは容易だけど
潤色がある可能性があるからと言って全て嘘とは言えない
正史や注釈、他の史書、一般常識と合わせて矛盾してるのでもない限りは
簡単に嘘と言うことはできないし
>>332 三国志演義だって全て嘘とは言えないもんな!
呂蒙が関羽の悪霊に取り殺されてないなんて証明できないから真実だよな!
とでも言うのか?
集解で趙雲別伝自体が嘘の塊と言われてるんだから、あえてその中から真実を抽出するようなことをする必要もない
99の嘘の中に1の史実を探し出す作業だぞ
蜀信者は趙雲別伝のことを99の史実の中に1の嘘があるような文献だと思ってるのか?
おめでたいやつらだ
盧弼に反論できるほど自分が三国志に理解が深いとでも思っているらしい
集解以後の三国志研究でも、俺が知る限り趙雲別伝擁護など皆無
別伝擁護をこういうとこで蜀信者が勝手にやるのはけっこうだが、それを世界の真実のようにして周りに押し付けるなよ
特定人物マンセーの為の別伝なんて、俺でも書けるよw
その中に他と矛盾しない記述があれば史実扱いしてもらえるのか
そりゃ凄い
>>333 三国志演義は小説だから関係ない
呂蒙が悪霊に憑り殺されるには悪霊の存在が証明されてないといけないので真実にはならない
というかそんなこと主張してないよ
集解で嘘の塊と言うけど先人たちの判断基準が常に正しいとは限らない
年代の間違い等の指摘まで否定する気は当然ないし
ただ別伝で北伐の時の処置が矛盾していると指摘する人は偉い学者にもいるが
上でも書いたけど撤退戦に成功しているので将兵に褒美を出す、
軍部筆頭として戦争の責任で官位を下げる、というのは矛盾していない
小さな善事でも必ず賞して、小さな罪でも必ず罰したという諸葛亮評とも合致する
>>334 古代人、中世人にどうやってなるつもりだ?
古来からの史書だから別伝も一考の価値がある
現代人の書いた別伝なんて一顧だにする価値もないよ
>>336 横レスだが
演義だの蒼天だの横山だの吉川だの個人の解釈だし
そんなムキになるなよ
>>337 創作があるかもしれない史書と明確な創作物である小説一緒にしたらあかんやろ
ムキになんてなってないよ
単にダメなもんに対してダメ言うてるだけで
ムキになってるのは
あー言えばこー言うのお前w
関羽の次は趙雲か・・・よくやるもんだw
俺も蜀好きだが、
三国志集解がどうこういうつもりもないし、特に何シャクの意見はあまり納得もできないし、
さすがに正史に準ずるものに信憑性ないとされたら、もう仕方ないかなと思う
それを否定したら、解釈もしようがなくなる
あったかなかったは別に、蜀に記録が少ないから仕方ないもの
顔良、文醜、高順と一緒は実際は魏呉の将よりすごかったかもしれんが、不明の部類
資治通鑑に一部、採用されているから、その分だけは採用とか、
正史の重みに比重をつけるしかない
342 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/20(水) 04:19:49.95
趙雲の北伐での任務はあくまで囮であり負ける事も織り込み済みだったのであろうか、それとも曹真の軍を食い止める事も任務の一つであったのだろうか
もし後者なら無理ゲーすぎるだろ
相手は名将で、しかも相手の方が数が多くて、これで食い止める事も任務の一つであったなら諸葛亮はアホすぎる
343 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/20(水) 04:34:36.78
そういえば華陽国志では、趙雲は劉備が生きてる間に中護軍になっており
蜀書の趙雲伝には記載漏れがあるという話を聞いたがどうなんだろう
344 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/20(水) 09:38:20.21
というか曹真が231年まで司令官やってる間に陳倉を読み
張コウが街亭で華々しく勝ったのと比較すると司馬イがトップになって以降の対蜀戦って
1回目は敗北後に蜀の食糧難で撤退、2回目は時間切れってだけじゃね?
国力比7:1、自国領で戦っている、追撃戦は撤退が難しい蜀が圧倒的に不利ってことを考えると
諸葛亮と司馬イって戦場での力量に相当な差があると思うんだがなあ
よく蜀は要害だからというが、魏領からの撤退戦ではむしろあの国境を越えている蜀の方が不利だろう
戦略レベルでみてもこれだけの前提条件が揃えば無理しないという選択よりも要害から出てきた小国を叩く好機と捉えるべきだし
兵站も十分な自国領から効果的な追撃戦すらできない時点で優秀ではないと思う
結果的に司馬家が後年簒奪する際の戦略とかいう主張もあるが
曹芳がボンクラ化する前だったし当時の司馬イにそんな考えがあったとは思えない
あくまで諸葛亮との比較で言えばよきライバルではなく相当程度劣ってたレベルだと思うわ
>>342 だからその無理ゲーを何とか成功させた趙雲の株が上がるわけで
元々曹真とぶつからせるために派遣してるから戦闘は想定内だけど
想定外の馬謖の敗北で撤退戦も同時に行うという無理ゲー
諸葛亮がアホなんじゃなくて本来もっと時間稼ぐべき馬謖が盛大にやらかしたってことだね
まさか街亭の要塞篭れという命令無視して山を恃みにして水源断たれて負けるとは
>>344 激しく同意
曹真&張郃のコンビは諸葛亮と良い勝負してたけど、司馬懿&張郃のコンビは諸葛亮より明確に劣る
>>344>>346 そうだね。趙雲下げは仕方ないと思うが、諸葛亮上げは史書通り行うべきと思う
現在の歴史学者は軍事には疎く、陳寿をかばうあまり、諸葛亮の軍事能力を理解していない
司馬懿↓ 諸葛亮↑ 曹真↑ が正しい
司馬懿は燕攻めに功績があったため、軍事の失敗を隠蔽し、
曹真の子孫を皆殺しにしたため、曹真の功績をかくしたと思える
晋書における蜀への勝利は、正にその一つ
>>347 何でそこで曹真評価するのに曹真からの撤退戦に成功した趙雲の能力が下がるって
平気で主張できるのかわからないなぁ
満寵最高!!!
まあ、とりあえず三国演義知識が現在でも隆盛を誇り
正史知識は衰退の一途を辿るのかも分かる気がしてきた。
正史は見解をめぐって常に喧嘩してる。
>>348 さっきから鬱陶しいなぁ、お前の趙雲ageは
別伝信じてるのなんてお前だけだよ
いいかげんに気づけ
そして、負けて撤退戦に成功しただけで(劉備時代は殆ど功績立てられなかったくせに)名将扱いされるなら、もう魏や呉なんて名将だらけだよ
蜀信者って劉備・関羽・趙雲を少しでもsageるとハイエナのように嗅ぎつけて場を荒らしにくるよな
集解などの研究史料を持ち出して反論しても「集解が正しいとは限らない」とか言ってきて
じゃあお前は今までの本職の歴史家達による三国志研究の集大成より、自分が正しいとでも言うのかよと
お前がどれほど偉いのかは知らんが
自説を撤回する気もなく、相手の話を聞き入れる気もない、主張を周囲に押し付けるだけなら、来ないでくださいホントに
>>351 劉備時代は功績ほとんど立てられないとは不思議な話やな
甘夫人と劉禅の保護ってこれだけでも大きいと思うんだが
入蜀の時は別働隊率いて益州制圧してるのだがこれは功績ではなかったと
また趙雲は劉備の親衛隊的立場で長年勤め上げているし
軍中の規律が乱れそうな時は引き締め役に任命されているがこれも功績ではない、と
元々前線で活躍する役目じゃないからそういう意味では確かに目立たないが
軍隊統率のために重要で難しい役目をこなしてるのだが
それでも上記のような功績は残ってるし屈指の大将だったってことだと思うが
負けは趙雲の問題ではないし綺麗に撤退戦をやるって難しいぞ
諸葛亮ほどの撤退戦の名手ではないが堅実だろ
>>353 その名将ってのはどれほどのものなの?
関羽張飛や、魏五将軍に匹敵する名将だとでも思うの?趙雲が
魏五将軍どころか、李典李通臧覇文聘辺りは、どう考えても趙雲より名将ですがな
え、負けは趙雲の問題じゃないってなんなの?
それを覆すのも名将じゃないの?
曹操とか周瑜とかさぁ
>>354 関張に匹敵はしないだろ
この二人は単純な軍事能力以外の面でも別格過ぎる
魏の五将軍に匹敵するかと言われれば難しいだろうね
というか元からそんなことは言ってないし何でそういうことになっちゃうの?
>>355 どう考えてもそんな事は断言できませんわ
>>356 戦線の崩壊は馬謖の敗北とそれによる撤退
覆すのも名将?バカ言えよ
諸葛亮からの命令無視したら話にならんだろ
曹操も周瑜も自分が専断出来る立場で戦争してたけど趙雲は違うだろ
>>357 なんで?
早逝した李典李通はともかく、臧覇文聘には全く歯が立たないだろ
まあ俺は李典李通よりも下だと思うが
集解を信じないらしいキミも、魏書くらいは読んでるのよな?
「信者」「厨」「アンチ」「工作員」「キチガイ」このあたりの言葉使う書き込みは内容関係なくスルーでいい
李典や李通よりも下なら数字にしたらどのくらいなのだ?
統率70台前半、武力70代後半ぐらい?
李通の功績って、曹操が張繍に負けそうな時に援軍に来て張繍を先陣切って撃破したことと、周瑜や関羽の包囲網を撃破して曹仁を救出したことと、あとは後方での反乱鎮圧くらいじゃなかった?
趙雲より上な気もするけど、明確に上ってほどかは分からん
>>363 蜀将がやってたら武力90間違いなしの功績ですね
蜀信者が李通や臧覇のことなんて知るわけないじゃん
>>362 そう?認識してないってことは言葉遣いの方間違えただけだったか
自己欺瞞能力高いだけかな?
自分で「二李はともかく」としているだろ?
いうことは、この二人は断言から除外されたね
「俺は上だと思う」と「断言」から個人の憶測まで主張をナチュラルに後退させているね
自分で「名将である」という断言から「下だと思う」と断言してない形にしといて
認めてないとは言えませんわぁ
>>366 私見からお前の目線にまで基準を下げて言ってみただけなんだが…
で、そうやって言葉尻を捉えて論ったり、自己欺瞞能力がどうだのと喧嘩を売ったりすることは、何の意味があるのか知りたいんだがな俺は
張遼・楽進・于禁・張郃・徐晃・李典・李通・臧覇・文聘・呂虔・許褚・典韋・龐徳・龐淯・閻温
趙雲が文聘より上かなぁ
呂虔よりは上だと思うけど
あんまり三国志詳しくない身で言うのもなんだけど、蜀ファンの人は性格悪そうやなw
いちいちそんな言い方じゃネットで議論できん
それと喧嘩してる人も同じ
趙雲は元々役目としては許チョや典韋、時に韓浩近かったのが功績が認められて部隊長となり、
最終的には軍幹部として北伐に行くので役割分担がしっかりしてる魏の面々とだと比較が面倒臭いんだよ
また諸葛亮時代になってからも最初は中護軍として一軍の将ではなく
その下で部隊を統率する役割を担ってる
単純な功績の有無だけで「何もしてない」「何かした」という話ではなく
長期間軍を下支えするという目立たないが大事な役割を担ってる
前線に出て常に戦う将軍と比較されれば見劣りするし
またそういう将軍とも功績の数でいうと当然少ない
そんな縁の下の力持ちがリーダーの一人として北伐で別働隊を任され任務を果たし
しかも激変した戦場の中から名将相手にして堅実に帰還したわけで
これはもう良将ですわ
お前らいい加減相手にするなよ
たまには呉の存在も思い出してあげてください
特に程普らの巻の、程普と甘寧の間に挟まれた連中の地味さヤバい
それなりにエピソードはあるけどね、皆さん
まあ功績は地味かな
山越とか不服住民の相手が多いのと、周瑜魯粛呂蒙陸遜朱然が目立ちすぎなのが原因
甘寧や凌統みたいに派手なことをしないと、記録に残らない
魏将みたいに各地の戦線を渡り歩いたわけでもないからね
何故かちょっと有名な周泰
韓当とか張昭とか
呉の軍師と言えば呉範
黄蓋は知名度高いじゃん演義のおかげで
孫堅代:朱治(活躍)、程普(活躍)、黄蓋(地味)、韓当(地味)
孫策代:呂範(活躍)、蒋欽(地味)、周泰(地味)、陳武(地味)、董襲(地味)
孫権代:朱然(大活躍)、朱桓(大活躍)、甘寧(大活躍)、徐晃(活躍)、徐盛(活躍)、潘璋(活躍)、丁奉(活躍)
この差はなぜなのか
孫権は戦あんま上手くないし、後方にいることが多いしで、配下が兵を率いて活躍する機会が多かったからじゃない
徐晃(活躍)!?
さて置き堅策時代はまだまだ小勢力で自ら切り開かないといけないし
部下はその補佐として自分で前線で戦う人が中心になるけど
孫権の時代は勢力が拡大して君主として後ろで大きく構えて
部下に指揮も任せるようになるから部下が目立つのだろうね
孫策は周瑜と張昭を得たのが大きい
魯粛も周瑜がいなかったら親友に誘われるまま魏に行ってただろうしw
なんで徐晃…
凌統って言いたかったの?
どう打ち間違えたらそうなるんだ
それと、朱治は活躍どころじゃない
孫堅からは唯一別軍を任され、孫策へは呉郡という足掛かりを用意してあげた
孫呉建国の英雄ですよ朱治は
孫権を孝廉に推挙したのも朱治だし
諸葛亮と同様に単独で巻を保有してる陸遜
息子の
諸葛瞻と諸葛喬を足しても陸抗には遠く及ばない
?
子供の実績で親の能力値を決めようってこと?
子どもの能力は親の能力には関係ないだろ
親としての能力には関係あるだろうけどw
陳武は張遼に斬り殺された人だっけ?
呂範と呂蒙は同郡出身
同族か?
少なくとも関張馬黄と趙雲を同格に扱ったら関張馬黄に悪い
4人と趙雲とでは将軍位の格差が大きい
諡の追贈も一年遅れ
国家の功臣ってより、劉禅の恩人の意味合いが大きいように思う
馬超黄忠を関羽張飛と同じ扱いするのも微妙
特に馬超
黄忠の方がまだちゃんと働いて結果出してる
馬超は帰順したことによるインパクトだけで後は用済み
>>390 > 馬超は帰順したことによるインパクトだけで後は用済み
涼州への影響力を軽視しすぎ
392 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/21(木) 02:14:50.79
結局、趙雲を評価する場合、趙雲別伝をどの辺まで信用するのかという問題となる
全面的に信用するのか、逆に全部出鱈目とするのか、他の史料との矛盾が無いものはOKとするのか、資治通鑑で採用されたエピソードは信憑性があると判断するのか
>>392 そんな取捨選別しなくても
劉備は趙雲を昇進させず、将軍位も低いままだった
って評価でその功績を計るのに十分
親子で有能な人物って孫堅孫策孫権、陸遜陸抗、曹操曹丕、鍾繇鍾会、陳羣陳泰、他になんかいたっけ
司馬懿司馬師司馬昭
諸葛瑾諸葛恪
>>393 将軍位がバーゲンセールになるのは魏では速いけど全体としてはそんなでもない
後漢では将軍位ってのはそれだけで希少価値があった
劉備が将軍位に付けたってだけで十分高位なんだけど
>>397 新参者の魏延や黄忠や馬超より下だけどな
>>398 魏延 部曲持ちの大型新人で書いてないけど功績を重ねた
黄忠 大物食いの功績
馬超 涼州の雄の帰参
それぞれ理由あるよ
つまり趙雲は長く仕えていながら魏延とかより功績を立てれなかったと
>>400 いやそういう話じゃないけど
趙雲は大将首挙げたとかはないからそういう意味では黄忠より功績立ててないし
参加する時も手勢は少なくしかも直前に募集したような寄せ集めだから
魏延のように部曲を率いて参加してるわけでもない
魏延の場合、突然の抜擢で周囲も驚く程で実績や功績以上の扱いだったしね
当然、馬超のように一方で名を挙げた人でもない
だからそれぞれが趙雲の上に立ってる理由はあるということ
翊軍て雑号だけど晋でも採用されてんだよね
杜畿は孫まで優秀
曹操は25人も息子がいた割に優秀なの曹丕だけ?
遺伝子では孫堅,司馬懿の方が上か
曹操ってかベン氏の子が優秀
戦
曹彰>>>>曹丕
詩
曹植>>>>曹丕
知力
曹沖>>>>>>>>>>>>曹丕
曹丕が優秀なのは政治だけ。
もちろん他の分野もそつなくこなしてはいるけど、他の兄弟達を遥かに凌ぐほどじゃない。
曹操の息子達は基本みんな優秀
そもそも曹操が跡継ぎを曹丕か曹植で迷ったし、
曹丕も「曹沖が生きてたら俺は跡継ぎになれなかった」って言ってるぐらいだし、曹丕が特別優秀な訳ではないよな。
まぁでも曹操→曹丕→曹叡と、曹家の遺伝子は結構優秀だ。
曹髦も聡明だったらしいし、曹宇も曹叡に後事を託されかけたぐらいだし。
卞氏も甄氏も頭よさそうだよね〜
411 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/21(木) 19:18:10.53
劉備が生きてる間は趙雲より魏延の方が官位は上だけど
劉禅が即位してからは逆転してるような気がする
やはり、劉禅を助けたというのが大きかったのだろうか
呉夫人の遺伝子も優秀そう
孫堅ってあの時代には珍しいほどの一途だよね
>>408 詩は曹植>曹丕>>曹操だし曹丕は大体オールラウンダーでバランスがいい
戦争一辺倒で思慮の足りない曹彰、アル中で大事な時に酔い潰れてる芸術一辺倒の曹植よりも
君主としては優れてるよ
政治だけというけど肝心の曹操が政治は不得手な分
後継者がしっかりとした政治力があったというのは魏にとっては幸運だった
6年で死んだのは不運だったけど6年でも多大な治績残してるしね
>>409 それは優秀だからじゃなくて曹沖が溺愛されてるからという面も忘れちゃいかんよ
>>392 だからさ、趙雲別伝それ自体が「虚偽の塊」だとされてるんだってば
全部嘘だよ
デタラメだらけのマンセー別伝なんて、俺でも書けるからね
古代人が書いたからなんだろうと一定の信憑性があるとかわけのわからんことを(本当にわけがわからん)言ってる人がいたが、その信憑性とやらをバッサリ否定されてんだからどうしようもないだろ
趙雲別伝の記述を信じようとするなら集解以後の三国志研究で趙雲別伝擁護したものを探してきてくれよ
集解が集めた数多の史料が全部嘘だと言うなら、もうそれでいいんじゃないかな?
趙雲ファンだけが信じてればいいわけで
>>414 全部嘘というのであればその証明をするんだな
正史との異動がある、というのは年代の食い違いなどでわかってる
正史と異動がある書物は全て嘘になるとでも主張するのか?
確かに、三国志集解を無視はできないが、
>>414のような言い方はないな
ハイ松之がそれなりに取り上げ、否定まではしていない
大好きな諸葛亮持ち上げを否定している時があるにも関わらずだ
陳寿だって、他の4人と同じところに伝をいれている
他の人物はともかく、何シャクの言い分はあまりに一方的だ
批判が多かったので、図にのってなんでもかんでも難癖をつけていると思える
資治通鑑で採用された分は採用するぐらいでとどめるぐらいが折り合いどころだと思うが
417 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/21(木) 19:52:54.71
集解でも趙雲別伝を全部でたらめとしてるのは一人だけだしな
他は一部否定って感じ
そして一番胡散臭い空城の計に批判が無いのが不思議、しかも資治通鑑では採用されてる
>>417 まあやってやれないことはないし兵書にも書いてある
史上でも趙雲に限らず成功例はあるし
日本でも徳川家康がやった事になってたり
頭ごなしに否定はできないね
馬隆のマグニートばりの磁力攻撃よりはまだ実現可能性があるな。
女性で優秀なのは
蔡文姫、卞氏、甄氏、呉夫人
かな
甄氏は優秀ではないと思う
色々美談は残ってるが結局後宮で権力握れたわけでもなく
曹丕の機嫌読み切れずに死んでるし
辛憲英が抜けてる
甘夫人も記述は少ないけどかなり優秀だと思う
なんせあの劉備に死ぬまでついていったんだから
優秀といえば郭太后(曹叡の妻)だろう。
実質曹叡の後継者はこの人。
この人が甄家ら外戚と手を組んで司馬一族相手に闘い続けたお陰で魏は延命出来たようなもの。
タッチの差で司馬昭より先に死んでしまったが、大健闘だろう。
郭太后は司馬氏に担がれていいように使われてるだけな気も...
曹爽誅殺も曹芳廃位も曹髦弑殺も「郭太后様の意」を大義名分にされちゃってるし。
甄家の面々は欲が浅いから八王の乱から逃れ家門を継続させているから、優秀じゃね?
大飢饉に陥ったときに幼少の頃の甄氏の一言が家訓になったかも?
甄氏の美談って何処までが事実で、何処からが曹叡による脚色なのかの線引きが難しい。
でもどんなに聡明さを表す美談があっても、それを後宮での出世に全く発揮出来てないし
何の対処も出来ずに曹丕に殺されてる時点で優秀とは言えないと思う。
まだ郭氏の方が妻として役に立ってる分(献策して曹丕の立太子に貢献したり)優秀だろう。
永寿を全うして良諡贈られてるし。
女としての優秀さって、謀殺されない為に旦那や他の夫人達の心を掌握したり、っていう立ち回りも重要だと思う。
そういや王異なんかも優秀だよな
王異は?
>>426 でも太后自身の権力がほとんど無かったにも関わらず司馬師の曹據擁立を阻止したりと結構頑張ってるよ。
曹一族の権力が失墜してる状況で、郭太后や一部の外戚がいなかったらもっと早く魏は滅んでた
甄悳や郭健がキーマンやね
諸葛家の醜女も忘れないであげて
才女って評判だけは江表伝にあるけど実際に何したかわからんだろ
>>411 魏延は鎮北将軍
趙雲は劉禅即位時、征南将軍に昇進して、まもなく鎮東将軍に降格している
趙雲が魏延を上回ったのは、この劉禅即位から降格までの間だけかな
将軍位や官位で能力を測るのは止めた方がいい
縁故採用でもない限り、将軍位は能力査定の目安になる
少なくとも当代の主君の評価なんだから
その主君が正当な評価もできないろくでもない輩なら話は別だがな
陳寿さんが5人ひとまとめにしたって事は
趙雲は当時からよっぽど評判のある人だったんだと思うよ
魏延が入らないのは、終わりがまずかったからだとは思うけど
趙雲
牙門将軍(208)→偏将軍桂陽太守(209)→翊軍将軍(214)→
(劉備死亡)→中護軍征南将軍(223)→鎮東将軍(225?)→鎮軍将軍(228降格)
魏延
牙門将軍(214以前)→督漢中鎮遠将軍漢中太守(219)→鎮北将軍(221)→
(劉備死亡)→督前部丞相司馬涼州刺史(227)→(趙雲死亡)→前軍師征西大将軍仮節(230)
趙雲の官位の動きでは四鎮の方が四征よりも官位が高いらしいのに
魏延は鎮北将軍から督前部丞相司馬涼州刺史を挟んで征南将軍になってるので
一回降格食らったか、もしくはこの間に四鎮より四征の方が格が高くなったか
この時期はどっちが高いとはこれは簡単に言えないが漢中の戦い以前は趙雲の位が高いようだ
>>436 目安になるが一気に出世した時は「抜擢された」と明言されてる
魏延の官位は抜擢された当時、功績に応じたものではなかったということだね
>>439 436では無いが、それはおかしい。
抜擢されたのは漢中太守であって
それも張飛では無かった事が以外であった主な理由。
普通に部隊長としての功績による出世じゃん
>>437 諡を賜った事が大きいと思われ
1年送れとはいえ、武官で5人目だから
その諡は時の皇帝劉禅の命の恩人って事が全く無関係とはいえないだろう
純粋に将としての功績か疑問はある
季漢輔臣賛では後の方で陳到と一組での立伝だし
>>440 漢中太守に対する驚きではなく漢中の抑えとして任命された事に対する驚き
太守のみだったら大したことない
鎮遠将軍と督漢中のが重要だよ
これは漢中の兵権が魏延が統括だし鎮遠将軍を字面通りに見れば
今後は対魏で漢中から出撃する時は魏延が先鋒担う可能性が高いってこと
部隊長としての功績による出世というレベルを遥かに超えた超抜擢だよ
ただの将軍位だけ、太守だけならまだしも、督漢中ってのが大きすぎる
この時期、関羽が董督荊州事として荊州の軍団を任されてたけど
魏延も関羽程の規模ではないとしても漢中の軍団を任されたということでしょ
督○○と董督○○では全く違うのかもしれんからあんま強いことは言えないけどな
>>442 張飛で無かった事を驚きつつも、
その後には諸将が賛同し納得をしていることからも
能力や位階による不足ではないと思えるが?
特に反対も批判も無いよ
>>437 単に陳寿が故郷を万歳したかっただけでしょう
俺の国にも魏五将に匹敵するのがいましたよってね
龐統・法正伝も魏の軍師ポジを蜀に創作したもの
>>443 魏延が就任演説やるまであんま納得してないけどね
就任演説が立派だったのでやっと周囲も黙った
>>444 大の有無が違うね
ぶっちゃけどう違うのかわかりませーん
>>415 なんで?
全部嘘というのが前提じゃん
むしろお前が嘘じゃない部分があることの証明をしろよ
裴松之や司馬光はいい加減な逸話もよく引っ張るので
彼らが別伝採用してるからってあてにならない
正史本文にまったく美談がないのが全て
みんな、なんだかんだで先入観があるからね
>>447 何で?
全部嘘というのは前提ではないよ
史料批判は批判者がちゃんと根拠出すのが作法だよ
その上で批判が妥当であるかどうかが問題になる
君は全部嘘であることが前提という根拠を出してない
史料批判は大事だけど単に批判するだけというのは意味がない
趙雲スレか
蜀将を讃えるスレです
魏厨は消えましょう
趙雲は人気最強だからな
実力も最強だろ
よっぽど趙雲別伝の存在が気に入らないらしいね
特定の目的を持って対象を誉める傾向がある本は皆ダメってことかい?
実力最強は周瑜かな
周瑜は大物食いだけど最強ってほどではないだろ
最強クラスの曹操・曹仁に大勝して生涯不敗
子孫の描いた本以外実績のない趙雲の億倍強いわ
>>457 楊戯と陳寿は趙雲の子孫なのか?
どちらも趙雲の功績書いたりしてんだけど
あと別伝書いたのは子孫かどうかわかってない
子孫の可能性は高いだろうけど確定はしとらんぞ?
思い込みと先入観だけで語るのやめようよ
曹仁と戦った時は大勝じゃなくて辛勝でしょ
自分も負傷して動けないって不確定情報ながら敵軍に伝わる程の重傷
結局その後すぐ死んじゃうしな
しかも曹操・曹仁と戦った時は周瑜だけでなく劉備もいるよ
>>454 趙雲別伝は信憑性薄いとされてるんだから仕方ないよね
なんでそんな極論に走るの?
よっぽど趙雲別伝が大好きなんだね
専門家が否定してる趙雲別伝を必死で肯定したがる方が無理がありますわ
蜀厨ってバレバレ
劉備もいるよ(キリッ
蜀ヲタはこれだからなぁ
劉備っていたのか?
荊州の南に行ってるはず
おそらく関羽と張飛が周瑜の指揮下で動いてた
というか、あんな曖昧な記述で能力値を決めようなんて無理すぎ
演義からきたコーエーゲームがなければそんな発想自体生まれてこなかったかもしれない
>>459-460 信憑性薄いという言説だけが正しいってわけじゃないんだよ
専門家である注釈者が註として付けたという点は丸っと無視で
批判する人だけ採用ってのは片手落ちでは?
それとも裴松之は専門家ではないのかな
本当かもしれないし嘘かもしれない、しかし明らかな嘘となる場合以外
それは一応あるものとして扱うというのがまともなやり方でしょ
>>461 李通伝を読むといい
周瑜と劉備が一緒になって曹仁を包囲していると書いてあるから
また赤壁の戦いの時は先主伝でも劉備は呉軍は水陸を一緒に移動してる
劉備も多数の船を持っているので、荷物を船便で、人は陸上を歩いたってことだろう
1万人分の船団は関羽が持っているが、劉キの1万は徒歩だっただろうし乗り切れないからな
>>462 周瑜が江陵を包囲してたのは1年ほどの期間
荊州の南は電撃的に占領されて劉備は結構時間的猶予がある
劉備が劉キを荊州刺史として上表する以前に荊州南を占領してる
周瑜が江陵を落とした後に南部を占領すると江陵包囲は208年内に終わってないといけないのだが
江陵包囲が終わるのは209年だ
江陵占領後には劉備が荊州牧を名乗ってるから劉キはそれ以前に死んでる
劉備がいない可能性がそれなりにあるのは甘寧を救う時だろうな
465 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/23(土) 00:51:57.44
三国志集解で趙雲別伝を全否定してる専門家は一人だけ
しかも一つの記述が間違いだから、全部でたらめに違いないというかなりの暴論
さらにその専門家の説も反論可能という隙だらけの説論だぞ
劉知幾という唐代の史学の大家に批判されてるものもあるのに
そっちはスルーで趙雲別伝だけ延々と無かった事にしろって言ってる人は
狙いがミエミエ
頭か根性が悪すぎでしょ
頭か根性が悪すぎでしょ
>>446 とは、想わないなぁ。
馬謖の時なんかとは周りの反応が違いすぎる。
以外ではあっても無理な抜擢には思えない。
仮に張飛で無かった場合の候補としては十二分に入る
功績は既に上げてるわけだしね
>>468 候補として十分な功績である、という根拠はなんだ?
俺はそうは読み取れないんだけど君はどこからそういう風に読んだんだ?
>>469 功績を上げて牙門将軍になったのが214年
鎮遠将軍になったのが219年
5年以上たってる。無理な昇進速度かい?
>>470 >仮に張飛で無かった場合の候補としては十二分に入る
>功績は既に上げてるわけだしね
この一文を読んでその候補に足るとされる功績をどのように読み取ったのか問うてるのだけども
何故に昇進速度の無理があるかないかという話になってるの?
あと5年でも無理あり過ぎ、督漢中と太守も一緒だろ
馬超が劉備に下った時が平西将軍督臨沮
督○○が付いてる時点で単なる雑号将軍位が与えられたのとはわけが違う
涼州の雄が降って来るのと同レベルの待遇っておかしいからね
将軍位で差はあるかもしれないがね
>>471 功績を上げ昇進している。その経年によりさらに功績が上がるだろう
昇進速度に無理が無いのであれば、十二分に功績を上げていると考えてよいのでは?
特に魏延の抜擢に対して、功績、実力不足である批判も無い。
馬謖の時を見れば、功績不足であった場合の批判は多い
君主の決定だから、ってのなら、夷陵は批判続出。
君主の決定に批判できないわけじゃなし。
功績不足の諸葛亮の抜擢の時も批判や不満は出てるし
>>472 あのさあ、夷陵って負けてんだよ?
馬謖の抜擢も失敗で負けてる
せめて勝ち戦とか成功人事と比較してよ
条件違い過ぎて「批判は出なかった」って言っても意味ないよ
失敗に対しては「それには批判もあった」ってなって当然
魏延の昇進人事はこの時成功だっただろ
一同が当然とは思わず、就任演説するまで納得しなかった時点で
劉備の抜擢に対して周囲は張飛だと思ってたという以外に
魏延では役目こなせるかわからなかったということだ
張飛でない場合の候補として十二分と思ってたら演説前から納得して
さらに演説でこれなら万全だ、という話になるだろ
そして候補として十二分であるとする根拠はないじゃないか
「よいのでは?」って良くねーよ、ダメだよそれじゃ
昇進速度にも無理があるって言ってるだろ
>>473 じゃ、夷陵で勝ってる陸遜抜擢でも良いよ
抜擢に批判や不満はあったけど、勝ったから心服
>>473 それにだ、
功績や実績に不安や不満があった人たちが
あんな、頭の悪そうな抱負を聞いただけで大納得ってのは
おかしくね?
後。、追加で諸葛亮抜擢も忘れないでね
>>474 陸遜は実績不足じゃないけどね
元々孫呉の切り札として山越相手に実績上げてたし
呂蒙の下で荊州の攻略でも活躍した
呂蒙死後には右護軍鎮西将軍で元から対蜀の責任者だったんだぞ?
中華君主は北から南を見てるので「右」護軍でさらに鎮「西」将軍ってのは
「あんたが蜀をなんとかしなさい」って号だからね
夷陵の時、軽んじられた理由は孫権の縁戚で出世したとか勘違いされてたってことと
大都督として呉全体から軍が動員されて宿将たちが陸遜の下に付けられたから嫌がった
諸葛亮抜擢って具体的に何の話?
関羽や張飛が面白くないと思ったのは劉備が諸葛亮とずっと仲良くしてるという事に対してだよ
抜擢に対してではない
魏延の演説で皆が納得したことに納得いかないってのは
劉備という人の軍事能力とその戦略をよく理解してないってことじゃないかと思うんだが
「今、君に大任を任せるが抱負はあるか?」
「もし曹操が大軍で押し寄せて来るなら曹操を防ぎ、
十万を率いた配下が来るのであればこれを皆殺しにしたいと思います」
というのはただの抱負じゃなくて対曹操軍のための戦略を理解してないと出ない言葉だし
晩年の劉備が曹操に勝利してきた必勝の策でもある
これが抱負としてポンと出るってことは魏延も劉備の戦い方を理解していたということだし
劉備が誉め、軍幹部も納得するというのは当然の事だと思うんだが
>>465 趙雲別伝を信憑性をまともに論じるならいいんだけどさ
2ちゃんで趙雲別伝を熱心に否定してる奴は、集解自体を持ってないことがバレバレ
以前にやりあったことがあるから分かる
「集解では趙雲別伝は否定されてるんだろ?じゃあ信憑性あるわけないじゃん」という論法でしかない
集解なんてネットで検索すれば簡単に読めるのにね
合法かどうかは知らんが
でも集解で趙雲別伝が批判はされてるのは事実だよ?
しかも注釈として付いてるところ一つ一つにいちいち文句が付いてる
そりゃ集解ってのは過去の史家の様々な意見を集めたものなんだから
色々な意見が載ってる
じゃあその中の一つの意見を「集解に載ってるから」ってだけでそのまま信じていいのかって話で
しかも、一つ一つにいちいち文句付けてるのは同じ人だしなぁ
集解を読み解いて批判する本を出せよ渡邉
正史と年代や状況が食い違うとか妥当な文句ならいいんだけどね
何シャクは最終的には裴松之の俺の文若がこんなことするはずがないと同レベルで
俺の孔明がこんなことするはずがない、で好きなこと言ってるだけの状態に堕してるからなぁ
あと文句がついてない箇所も一応あるね
いつまで趙雲に拘泥してんだ
別伝が趙雲の評価に影響しないってコンセンサスがこのスレで取られるまでじゃね?
じゃあ韋昭の呉書とかの呉人賛美もアウトだって気付かないのかな
彼の頭の中では身内誉めはNGらしいから魏人が書いた魏の史書による賛美もダメなんだろうね
韋昭の呉書は微妙でしょ
呉帝からもクレームきたらしいし
>>444 たぶん、大のほうが本来の意味だと思う
>>434で
>趙雲は劉禅即位時、征南将軍に昇進して、まもなく鎮東将軍に降格している
これが間違いなのが分かるのが、黄忠で征西が後将軍になっている
だから魏延は漢中の戦い以降は趙雲を上回っている
>>486 らしいってなんだ?
ソースあるなら伝聞かのように書く必要ない
ソースないならそもそもそんな主張すんなって話
どっちだ?
>>488 難癖を付けたいのであろうけど、せめて本人の伝ぐらい読め
>>489 難癖じゃなくて「らしい」って書く事はないだろ
クレームがあったならあったでいいじゃないか
何で伝聞調なんだ?
>>487 四征から四方に昇進は普通にあるけど?
そもそも四征や四鎮は、漢王朝時代だと常設の将軍位じゃない
戦乱時の実働部隊用の臨時将軍位
戦乱時、実働部隊の四征の権限が強化され、四征の方が上と見られがちだが
権威的には、常設で中央の将軍位である四方の方が上
だから四征から四方への昇進はある、後漢末ならいくつも例がある
しかし、四征から四鎮を昇進とするのは類を見ない
九品官人法制定により、四方より四征が名実ともに上になったけどな
>>491 >しかし、四征から四鎮を昇進とするのは類を見ない
だからなに?
蜀だとただの四征は雑号扱いだからだろ
>>492 おいおい
名目だけでも漢を継承することにしてる蜀で
四征は雑号扱いとか、どんなトンでも発想だよw
>>492 雑号扱いかどうかはわからない
というか蜀は、いや三国全部軍事制度そのものが史料的に欠落してて
そんな簡単に断言してよいものではない
結局超雲の評価は
>>297くらいでちょうどいいんじゃないの
75〜80前後なら別に平凡と評価されてるわけじゃない
超雲押してる人もまさか85以上の評価を付けるわけじゃないでしょ
>>297からもう200くらい消化したってのが驚きだよ
進展性の薄い議論ばっかやってたのな
>>493 ほう、なら俸禄も漢と同じだって言うんだな
>>495 85以上で全く問題ないけどね
諸葛亮の攻撃を城に篭って20日防いだカク昭がゲームじゃ86、このスレでも80-84候補なんだし
曹真から圧倒的不利な状況で見事に撤退戦に成功し
しかも物資の確保に成功した、というだけでも十分に評価していいでしょ
趙雲の功績としては他にも益州攻略戦での部隊長として
劉備に付き従って長年劉備の直属で働いた実績、
諸葛亮の南征を成功させた実績等で
軍をしっかりと取り纏めして上役の軍事行動を成功に導いてる
>超雲押してる人もまさか85以上の評価を付けるわけじゃないでしょ
統率85、武力80くらいは当然と主張するよ
ただしゲームのように政治とか知力を評価することはしないけどな
太守経験はあるが失敗の痕跡はないだけから平凡な45-50辺りが関の山
趙雲なら
>>297のこれたしかに妥当と思うわ
趙雲:統率80、武力75
趙雲の伝見てて思ったんだけど
この人219年の漢中王即位の上奏文の主な起奏者にも名前上がってないし
同時期の一斉叙勲の時もどのように遇されたのか不明
よく軍将軍に任じられたのが219年とすると正直あんまり実績面が厳しい
>>499 >諸葛亮の南征を成功させた実績等で
ごめんそこどこ?集解での追記部分も良いから教えて?
>>500 中護軍征南将軍が南征に関係ないと思ってるなら面白いな
>>501 南征のときまで征南将軍って根拠は何?
鎮東将軍任命が南征の後だってどこに書いてあるの?
>>503 建興元年に征南将軍になってるって書いてあるから反乱後の任命
追加で永昌亭侯だから永昌が領地、中護軍だから蜀軍の本隊で色々仕事やってる
丁度反乱地域のど真ん中に封じられて、南を征伐する将軍で
本隊勤務の人が南征終わる前に鎮東将軍になったらこれ更迭じゃね?
>>504 更迭だけとは限らんぞ?
当時の趙雲、実際の年齢は不明だが高齢なのは間違いなく
劉禅の恩人でもあることから危険な現場から遠ざけ、勇退を仄めかす
人事の可能性もある
507 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/24(日) 21:17:25.43
さすがに将軍職だけで具体的なエピソードもないのに南征を趙雲の功績に入れるのは無いわ
そんな事するなら信憑性薄くても趙雲別伝のエピソードを趙雲の功績として考えた方がマシ
>>505 更迭だと鎮軍将軍になった時のように降格と書かれないと逆に根拠ないよ
>>506 将軍職はそれでいいが中護軍を解任したなら
後任の中護軍も蜀書から読み取れないが
仮にその役目を埋めるとしたら誰がいるんだろう
北伐の時は李厳が護軍やってるから趙雲をアタッカーとして使えたな
あと勇退ってどんな話だっけ
ちょっと思い出せないんだが
>>507 コネとか特段の理由なく官位について実務やって特段の問題起こさなければもうそれだけで功績だろ
しかもそれが大規模反乱の鎮圧のための南征で
それをミスなくこなすというのは地味だけど重要で困難な仕事だぞ
そんなんで功績になるなら、曹操の中原平定に同行し続けた曹仁や魏五将軍は最強ですね
趙雲と違ってちゃんと活躍の内容も書いてあるから更に増し増しだね
蜀厨の趙雲ageが必死すぎて見苦しいれす(^q^)
>>509 最強かどうかはともかく、それらの人々のも皆功績だよ
当たり前じゃん
俺、趙雲が五子の上とか主張してないよ
たった一人で誰からも賛同を得てないのによくやるね
賛同を得ることが目的じゃないから当たり前
賛同得たいからって周囲に阿るなんて行動に価値は無いしね
ずっと見てて思ったんだけど、趙雲を名将じゃないとは殆どの人が思ってないんじゃない?
趙雲は充分に名将だけど、関張や魏五将には及ばない、ってのが共通の認識なんじゃないのかな
その中で、趙雲の功績を掘り下げて行こうってことでいいじゃん
個人的には、捉え方によっては馬超や黄忠と趙雲はそんなに差がないと思うんだけどね
馬超はちょっと特殊だから比較難しいんだよなー
馬超・黄忠・趙雲だと、誰を一番とするかは人による気がする
馬超=魏軍には負けるが涼州恭順の為の戦略兵器
黄忠=活躍期間は短いが夏侯淵撃破の大功
趙雲=特に欠点は無いが陳寿や楊戯からの評価は馬超黄忠より下
>>516 陳寿からの評価は黄忠と同じ
ともに国家の爪牙たる武将であるという評価
趙雲の評価は黄忠と同じって意味ね
趙雲メインでずっと議論してたからつい省いちゃったよ
>>516 まず下だったのは劉備からの評価じゃない?
趙雲は前後左右将軍に任じられなかった
まあ役割の違いってのもある気がするけど
魏だと陳登や張繍、呉だと太史慈なんかは群雄扱いで、配下の巻に載ってない
それなのに何故、馬超は配下武将のとこに列伝されたのか
そうしないと武将数が少なすぎるから?
他に置き場所が無いから
侵略された劉親子と同巻にするのも変でしょ
侵略を手伝った側だし
それに馬超は劉備と戦ってないから
劉親子が侵略された側ってなんだよw
あれこそ益州を侵略した側だろ
三国志の劉氏って前漢系と後漢系に分けるとどうなるんだっけ?
何の弁護の余地もなく劉二牧も侵略側なんだよな
侵略された側でもあるが
>>508 >>493で漢の継承を言っておきながら
征南将軍からの鎮東将軍は降格ではないって言うのか?
それじゃあ、漢の継承と言いながら官位は適当に付けてるとでも
中護軍も解かれて中央から外されて
羅憲の件でも対呉は左遷先と書かれていててるんですけどね
>>525 羅憲の時とは外交状況違うぞ?
諸葛亮がケ芝を使者として関係改善するまで呉と蜀は敵国で
しかも最も直接的にぶつかり合う可能性の高いエースを置くべき相手
同盟国として数十年を過ごした羅憲の頃とはまるで話が違う
和睦交渉は南征の前年からやってるけど終わったのは北伐開始前としかわからない
>>519 陳寿は、趙雲を滕侯の輩と評している
将としてそんなに高く評してなくね?
それにしてもよりにもよって滕侯を準えるとはな〜
>>527 >しかも最も直接的にぶつかり合う可能性の高いエースを置くべき相手
趙雲の前のエースって誰ですか?
>>529 東方は李厳だね。
その下に武官的には陳到、張南、輔匡、劉Ӓといった連中かな。
漏れとかあるかもしれんがまあこんなところ。
あれ?間違った。
> 劉Ӓ
じゃなくて
劉邕
李厳は重鎮だなぁ
おっと、張南を消し忘れてた…
副司令官にして軍師にして裁判権を持つ魏延さんは
将軍としては趙雲より優れているのだろう。
ただ一騎当千としての働きなら趙雲だと思う。
総司令官 劉備>諸葛亮>関羽>馬超>魏延>張飛>黄忠>趙雲
司令官 関羽>魏延>張飛>馬超>劉備>趙雲>黄忠>諸葛亮
部隊長 関羽>趙雲>黄忠>張飛>魏延>馬超>劉備>諸葛亮
538 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/29(金) 02:06:19.86
>>538 演義で諸葛亮のライバルにされた(代わりに曹真はピエロに)からな司馬懿は
そのイメージを引き摺ってしまう
まあ遼東征伐の実績とかもあるし、優秀な将軍ではあると思うけど
五将軍最後の一人である張郃戦死の戦犯っていう致命的なものもあるし、なんだかなぁ
あれはかなり士気が下がっただろう
諸葛亮や曹真なんかと比べると見劣りするよね
というか、諸葛亮とは比べるのも烏滸がましいと個人的には思う
>>508 >更迭だと鎮軍将軍になった時のように降格と書かれないと逆に根拠ないよ
「遷」と書かれていて「移る」と同義だけど降格ではないと言い切れない
>将軍職はそれでいいが中護軍を解任したなら
>後任の中護軍も蜀書から読み取れないが
前将軍でさえ後任が掛かれていなくていきなり袁リンなんて名前が
でてくる蜀書になにを言っているんだ
>>540 趙雲伝では降格の時はちゃんと降格って書いてあるから
そうでないのは降格じゃないでしょ
短い伝の中で箇条書き、しかも直前には降格と書かれず将軍位が変わり
次の時はちゃんと貶と降格の様子を書いてある
これで降格と主張するのは難しいな
>>541 張飛伝では右将軍から驃騎将軍への異動を「遷」の文字を使ってる。
黄忠伝では討虜将軍から征西将軍への異動を「遷」の文字を使ってる。
他をもっと見なくちゃ断言できないが、直近の2例を観るに「遷」を昇進の意に使ってる可能性が高い。
が、なぜか季漢輔臣贊では最終の将軍位でも最高の将軍位でもない「征南」を使われてるというw
ざっと他にもみてみたけど
霍峻伝の霍弋、王平伝でも「遷」の字は昇進人事で使われてる。
功曹書佐主簿から別駕従事への異動が昇進なら李恢伝でも「遷」の字が使われている。
とりあえず、後漢から三国に移る辺りで官位制度は少し変わってるからな
220年からは四征鎮が四方より上位だけど、それ以前だと四征鎮は雑号将軍に近い
>>542 書かれた時期には征南が一番上位だったとかありそうだな
于禁伝、張郃伝なんかでもほぼそうだった。
遷で思い浮かぶのは遷都と左遷くらいだから、人事で使われてるとどうしても左遷をイメージするなー
最近、晋書の原文を読むことが多いんだけど
「遷」の意味はなんとも言えない
なにかの本で遷=昇進という意味との解釈は見たんだけど
晋書読みながら訳したりしてても、必ずしも昇進と言えない場合も多い印象
たとえば九卿から九卿に異動しても遷を使われてたりね
蜀で言うなら征鎮は並列で、役割によって異動があるだけのような気もする
それこそ四方の前後左右の序列の違い程度にしか違わないんじゃないのかな
いずれにしろ「遷」だから「左遷で降格人事以外ない」は明らかに誤りだね。
「遷」は字義だけで言うと単にうつすだけだからね
いずれにしろ「遷」だから「昇進で降格人事ではない」は明らかに誤りだね。
>>551 いや降格人事である、と確証がない限り降格人事ということは難しいよ
昇格人事ということは可能だけどね
なんでかというと全体で「遷」は昇格人事全般に用いられてる事が多いから
三国志で「遷」が昇格以外で用いられてるケースは精査してないからあるかもしれないが
数の上では昇格人事がほとんど
君の主張は誤りだね
???
で、お前らの凄い考察で、何が結論づけられたのか
>>538 それ以前の神速用兵の事も忘れないであげて
司馬懿は有能だけど総司令官に向いてない
曹真の下で張郃と一緒に働いてりゃ良かったのに、曹真殺す?わ張郃殺すわ…
>>555 むしろ司馬懿の本領発揮ってその神速での移動なんだよね
高級官僚として優れた能力があり、優れた補佐役がいて
物資や人を的確に差配しないと高速移動って難しい
神速での後援してた時は完璧だったのに総司令官になった途端にボロが出るとか、夏侯淵かよ
夏侯淵の本領は行軍速度を活かして四方八方の兵糧補給と反乱鎮圧に駆け回ること… 司馬懿は似てはいるけどタイプが違うと思う
統率+武力
曹操
〜200〜
曹仁、張遼、劉備、諸葛亮、孫策、周瑜、陸遜
〜190〜
曹真、楽進、徐晃、関羽、張飛、孫堅、呂蒙
〜180〜
夏侯淵、于禁、張郃、馬超
〜170〜
曹洪、曹休、夏侯尚、黄忠、趙雲、魯粛
〜160〜
夏侯惇、孫権
正史の有名な巻の面子ならこんな感じのイメージ
いや、一番好きなのは惇兄貴なんですけどね…
劉備や魏将はコーエーから過小評価されてるよなぁ
張遼と馬超は1ランク下げてもいい気がする
夏侯惇は民政や軍政が本領だから(震え声)
孫権も耄碌するまでは凄い優秀な政治家だしね
耄碌するまでは
>>560 撃剣の名手、魯粛さん舐めすぎ
あと、諸葛亮がいくら凄いからって武力+統率で200クラスはねーわ
まあ魯粛さんは司令官として武力を発揮したことがあまり無いから…
戦略家・外交官イメージが強いし
総司令官(統率+魅力)
曹操>陸遜>周瑜>司馬懿>劉備>諸葛亮>孫堅>孫策>曹仁>関羽>呂蒙>夏侯淵>夏侯惇>孫権>魯粛>張遼>張飛
司令官(統率+武力)
関羽>孫策>孫堅>張遼>曹操>曹仁>呂蒙>張飛>周瑜>夏侯淵>劉備>陸遜>司馬懿>諸葛亮>孫権>夏侯惇>魯粛
部隊長(武力)
張遼>関羽>孫策>孫堅>張飛>曹操>曹仁>呂蒙>夏侯淵>夏侯惇>周瑜>孫権>魯粛>劉備>陸遜>司馬懿>諸葛亮
関羽さん最強!
そうするとこうなるのか
統率+武力
曹操
〜200〜
曹仁、劉備、孫策、周瑜、陸遜
〜190〜
曹真、張遼、楽進、徐晃、諸葛亮、関羽、張飛、孫堅、呂蒙
〜180〜
夏侯淵、于禁、張郃、魯粛
〜170〜
曹洪、曹休、夏侯尚、馬超、黄忠、趙雲
〜160〜
夏侯惇、孫権
>>566 関羽が司令官として曹操や孫策より上なわけねーだろw
>>566 総司令官として諸葛亮が司馬懿に劣るわけがない
司令官のトップは曹操以外に有り得ない
部隊長として劉備がそんな低いのはおかしい
>>566 真面目な話だけど総司令官としての曹操って結構ミスも多いし
後半の勝ち切れないところも含めると結構下がると思うぞ
孫子の曹操注読んでると、多分国力を無視してのゴリ押しってのが出来ない人だったんだろうね曹操は
その無駄な物分りの良さが三国鼎立を招いた
>>571 逆ですがな
赤壁での負けは国力無視してゴリって孫権に裏切られてる
>>568 関羽さんナメんな!
>>569 総司令官としての諸葛亮と司馬懿は、この二人の戦だけではなく他も含めると
鮮やかさで司馬懿に軍配があがると思うがな
司令官としても曹操は優秀だ反董卓での活躍は孫堅に一歩劣る
>>570 真面目な話、他の人も勝ちきれてない、下げるとしたら全体的に下るだけと思う
>>573 何で?
勝ちきれない理由がどこにあるか、と考えた時
曹操の場合は個人的な判断ミスにあるけど
他の連中って既に固まった勢力事情の問題もあるだろ、特に後期メンは
>>569 劉備、撃剣の名手やら、個人的な奮戦超人的な働きとか、なんかあったけ?
>>574 例えばどんな所かな?
それよりは本来勝てない所で勝ってる所の加点も上げたら総合評価はやっぱ曹操と思う。
例えば総司令官として張遼や楽進、参謀団を率いて有機的な大軍を編成しのは
曹操くらいなもんじゃないかなぁ
>>573 陣営の不利有利もあるのだろうが、戦略・策略ではわずかに司馬懿が、戦闘指揮ではかなり諸葛亮が、それぞれ上回ってるイメージ。
曹操は組織を作り上げた能力を統率で、戦術的な強さを武力で評価するなら、それぞれ最高クラスだと思う
なんだかんだで67回も戦って58回勝ってるってのはなかなか稀有な存在だよ
しかも中原騒乱時代は窮地を自らの計略と指揮で覆す勝ちが多い
何故か国が安定して呉や蜀との戦いになるとすぐ退却するけどw
勝ちの方が圧倒的に多くても、少しの負けのせいで評価を下げられる曹操さんカワイソス…しかも負けた相手も周瑜や劉備みたいな屈指の名将なのに。
というか曹操が最強じゃなかったら誰が最強なんだって話だよ(^q^)
曹操の武力を下げたがる人って、正史読んでないコーエー厨なんじゃないの?
>>579 そのどうでもいい勝ちまで含んだ戦績カウントはどうかと思う
赤壁では無理攻めして準備不足で苦しくなったところで偽投降に引っかかり
濡須では恐らくは優勢だったのだろうけど結局投降臣従を受け入れて勝ち切る事を自分で諦め
漢中では夏侯淵を目の前にして数ヶ月うだうだやった上で見殺し、自分で漢中攻め込んで敗退
と、節目節目の勝負所でやらかしたり自分から勝利手放したりしてるんだよなぁ
>>580 曹操にも得意なことと苦手なことがあるってことさ
583 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/31(日) 05:57:47.28
>>566は
>>344〜の流れ見て司馬懿を評価してるのか?
建国期の不利な状況で領土を拡大した魏創成期の司令官達と
国力数分の一の小国と自国領で戦って曹真以下の実績の司馬懿じゃ比べ物にならんだろ
>>575 武力って個人武勇のパラメータなん?
統率が戦略的な強さ、武力が戦術的な強さだと思ってた
そういう意味では劉備の武力は100近くていいし、全盛期の曹操なら120くらいあってもいいw
司馬懿は、諸葛亮を撤退に追い込んだのを目的達成したということで、
諸葛亮より軍事的に上というすり込みを、小説家たちとネットで長い間されてきたからな
実際、その目的になったのは5次だけ
それも張コウが戦死して、司馬懿の敗北を怖れた魏が安全策をとっただけという可能性が高い
司馬懿が本当に名将なら、諸葛亮に撃破を命じるだろう
撤退に追い込んでも領土に踏み込まれ、麦を刈られ住民を移されては、
国家の威信や長期的な国家戦略にかかわる
司馬懿の策略が宮廷陰謀なら一応理解できるが、戦略ってなんかあったっけ?
どんなに挑発されても引きこもるのが戦略って言われても、基本的に皇帝の命令だからな
>>577,583
公孫淵の征討、孟達への電光石火の処置、呉への防衛などの非凡さを見ても
曹真以下と切って捨てるには、一面的な評価すぎると思うよ。
諸葛亮の弱点補給を看破し、防御に徹する判断も評価に値すると思うしね
>>578 赤壁の敗戦は敗戦ではあるが、
軍事のみと捉えれば致命的な敗北とは言えない
全滅もしていないし、高級将校の損失もない
勝敗は兵家の常。
鮮やかな撤退は戦争能力を見るに十分に参考にすべきと思う。
>>584 個人武勇や個人的武勇に左右される少数兵力での活躍のパラメーターと想っている。
一騎打ちや趙雲などの一騎当千、甘寧や張遼、曹操などの少数兵力での突貫。
また、戦略や戦術(目的達成するための方法論に過ぎない)は、状況や立場に応じて変わるもの
(曹操に取っては達成させる戦術に過ぎないが、指揮下の司令官には達成する戦略目標となる)
役職単位の資質で見た方が無難。
君の言うような話では統率が郭嘉>曹操なんて感じになっちゃう
統率→武将を率いる能力
武勇→兵を率いる能力
>>586 赤壁からの撤退は全然鮮やかじゃない
まず焼き討ちで万単位で被害を出し、撤退中に万単位で脱落者を出している
本当に必死の逃避行
>>587 ゲーム的(全ユニットに影響のある数値、ユニットの強さ)に間違っていない
では、遊撃兵を扱う徐晃と100騎突貫無傷の甘寧どっちが高いの
>>588 曹操:疫病になったので、船、焼いて帰りました。
周喩:船を焼いたのは私達です
劉備:私が勝ちました
必死の逃避行ってのは夷陵や官途が参考になる
おびただしい高級将校の戦死、投降者が出てる
>>580 武帝紀の注釈で大量の脱落者を出しながら強行軍で逃走したことが書いてあるし
周瑜伝では焼死者多数だったことも書いてあるよ
そんな簡単な話じゃない
>>591 呉主伝でも疫病がひどいとあるので、想像するしかないが
結果として、将校クラスの投降者も戦死者も出ていない。
注釈のが正しい!曹操は壊滅的打撃を受けたと強弁されたとしたならば
官途や夷陵の結果と比べても
将校クラスを討てなかった周喩、劉備は下手打ち過ぎてるね。
ただ、動員戦力が多ので、軍においての末端戦力の消失でも
前線ではおびただしい死者は出てると思う。
>>592 壊滅的打撃とは俺も言わんよ
ただ「鮮やかな撤退」ではないってこと
鮮やかな撤退とは曹操が張繍にやったようなものだ
その後、賈クに油断を看破されて失敗しているが、
そこまでの撤退は鮮やかなものだったと言っていい
またこの撤退に至る経緯も曹操は時勢に乗って船が足りないのに
筏で船団組んでゴリ押しして焼き討ちされている
赤壁は悪い意味で曹操の拙速さが結果に出てる戦いだよ
逆に官渡の烏巣攻めは良い意味で拙速さが出てる
主だった魏将が全員生き残ってるどころか、直後に大暴れしてるのが赤壁の大きな謎の一つ
マジでどんな負け方だったんだよ
呉書や注釈が大げさと考えるのが一番しっくりくる
このスレでこんな落ち着いたマトモな議論が繰り広げられるとは思わなかった
597 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/31(日) 16:21:51.38
>>586 >諸葛亮の弱点補給を看破し、防御に徹する判断も評価に値すると思うしね
普通は益州一つの地方政権が中原に出てきただけで撃破できて当然
むしろ司令官の力量が同等ならば蜀魏国境の撤退戦の難しさからして追撃戦で壊滅させるレベルのはず
それができてない時点で諸葛亮以下なんだよ
司馬懿と諸葛亮が逆の立場だったら蜀は撤退時に敗戦か北伐すらできないレベル
それくらいの差がある
だいたい対呉戦だって勝った相手は張覇とか諸葛謹レベルだろ
598 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/31(日) 16:37:18.31
大げさにしても荊州を失陥してるんだから取ったばかりとはいえ
領土を維持できない程度の敗北は喫したんだろうよ
>>594 将官は生き延びているのだけど殿役を担った曹仁と江陵への救援は結構遅れてる
この事から考えても呉書や注釈の記述は的外れな誇張と単純に断じていいということはなく
曹操は軍を立て直すだけの時間が必要になるだけの被害は受けていた、と推測できることになる
赤壁の同時期に袁術残党が反乱起こしたりしたから行動限界に拍車が掛かってる
そっちには于禁・臧覇・張遼・張郃を向かわせて、孫権の援軍ごと鎮めた
荊州方面は曹仁・楽進・徐晃・文聘が踏ん張ってたわけで
主力の殆どは国境に残したまま撤退して、曹操は主に孫権の相手してるな
まあその孫権相手にも追い返したのはいいけど追撃出来てないから、致命傷ではないにせよやはり軍に打撃喰らってたのだろう
楽進と張遼に任せて自分は撤退してるし
まあこれは後の涼州平定を見据えてのことかもしれんが…
>>593 何をもって鮮やかな徹底とするかは個人の好みとしてもらって
細かい描写がないのでなんとも言えないが
将校レベルの損失の無い撤退ってのは、上手いと自分は思っている。
漢中撤退もだけど、壊滅的打撃を受けない撤退は軍事達者と思う。
水準以上の軍事的な資質があっても?水の戦いのようになってしまう場合もある。
>>597 それは短絡。
諸葛亮は負けない戦を心がけている。
撤退した陣営を見て天下の奇才とか褒めるくらい完璧な形での行動。
故に戦略的自由度を失ってはいるが、そんなガチガチの所に追撃したら死ぬ(張?が)
蜀漢と魏の国力は差が大きいが、動員された戦力はそこまでの差は無い。
司馬懿と諸葛亮が逆でも結果は大きく変わらないと思うが、
電撃戦を諸葛亮がやれたかと言われれば、疑問。
>>599 自分は大軍運用上、一度動かすと再編成に時間が掛かるからと思ってるけど
少なくとも疫病が主か攻撃が主かは断言しないが被害は受けてる
なんせ撤退するほどの何かがあったわけだから。
ただ、被害が拡大する前の早めの判断だったとは思う。
>>601 鮮やかな撤退というには決断が遅いよ
火を着けられてから大量の犠牲者と脱落者を出しながらの逃走を
「鮮やかな撤退」なんて言われると妙な感じになるな
壊滅する前に退却する能力は素晴らしいけれども、
壊滅しない撤退と見事な撤退の間にはまだ幅があるだろ
諸葛亮が北伐で王双、張コウを討った時のような撤退
曹操が官渡で白馬を引き払いながら顔良、文醜を討った時のような撤退
または姜維が剣閣まで一気に駆け抜けるような撤退
こういうのが鮮やかな撤退だろう?
>>601 再編成に時間が掛かるという理屈はわかるよ
それでも曹仁のためにもっと兵を残す、援軍を送る、ということはしたっていいだろう
しかし曹操の援軍って曹仁が一年包囲されたところで
やっと李通らの行動が確認されるだけでそれ以前の援軍とかないんだぞ?
でも曹仁の救援に行ける人材ってそれこそ李通以外にいなかったんじゃないかな
他の主な名将達はみんな各地で戦ってるわけだし
もっと早く救援出しても良かったとは思うけど
605 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/31(日) 20:35:41.47
もしかして第四次の北伐って雨が降って無かったら蜀が勝ってたんじゃね?
華陽国志だと魏軍も補給が不足していたみたいだし
5次と違って、諸葛亮の目標は祁山を攻略する事が目的であり、司馬懿と決戦する事が目的じゃないから、司馬懿が戦おうとしないならそれで良かった
4次の勝利は雨によるラッキーで、司馬懿の目論み通りに事が進んだ結果じゃない
この時の司馬懿は諸葛亮を相当甘くみて決戦に誘引されちゃったからなー
漢晋春秋の記述だと大敗だし晋書だと司馬懿が勝ってるけど
本当に司馬懿が晋書の記述通り勝ってたらそもそも蜀は軍を維持できないし
晋書の記述はウソなんだろう
漢晋春秋もちょっと誇張は入ってる可能性は高いが
漢晋春秋も晋書も胡散臭いことで超有名な文献なんですけど…
まあ胡散臭さのベクトルが違うが…
まあなにしろ習鑿歯ですから
江表伝の周瑜ageや曹瞞伝の曹操sageと同格レベルの信憑性の無さ
戦争の勝敗こそ逆転しているものの、記述に共通点は多いから戦闘はあったとしていいと思う
蜀軍は国力考えるとオワタ式軍団だから負けてもそのまま作戦継続は無理だと思うし
第四次北伐に関しては漢晋春秋の方がまだ信用できるだろう
怪しい文献が全部嘘ってわけじゃないからね
誇張はあるだろうけど
611 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/31(日) 21:40:44.35
>>601 だから戦術的に蜀魏国境という圧倒的優位がありながら追撃戦で捕捉できない時点で
追う側の軍事能力は追われる側以下だろ
>撤退した陣営を見て天下の奇才とか褒めるくらい完璧な形での行動
>司馬懿と諸葛亮が逆でも結果は大きく変わらない
まるで逆の立場なら司馬懿が撤退戦で諸葛亮と同じ戦術を取れたみたいな言い方だなあ
それだけの能力があれば追撃戦で戦果を挙げられるはずだし、諸葛亮の行動も奇才と言えるレベルじゃないよね?
追われる側の諸葛亮が奇才レベルで司馬懿が追いついていないレベルだからこそ蜀撤退時の圧倒的優位な戦術的条件があっても追撃戦で司馬懿は戦果を挙げられなかったんじゃねえの?
それに動員戦力に差がないというのはどこを指して言ってるんだ?
せいぜい第一次北伐で蜀の方が若干多かったとあるだけでそのときの魏の司令官は曹真なんだけど
仮に同程度の動員でも自国領で戦い、蜀魏国境を背にする蜀を相手にする魏の戦術的優位は圧倒的だけどな
この司馬懿age理論の支持者は3年ぐらい前まで多かったかな
陳か田中の小説を読んで、三国志サイト読んで、ドヤ顔で議論しようとしたら、
空気が変わっているので自分のなじんだ空気にもどそうとしているのかねえ
曹真ageで、司馬懿sageの流れだから、ただ諸葛亮sageでいけなくて、
苦しい理屈をこねくり回しているしか見えないな
まあ、おそらく蜀の勝算が最も高かったのが第一次だろうからなぁ
なにせ蜀が攻めてくるなんて、魏にとっちゃ驚天動地の出来事だったわけで
おそらくあの時に涼州を制圧してしまうつもりだったはず
その重要な尖兵になぜ馬謖かとかはともかくとして、それを防いだ曹真と張郃は凄いんだよ
その後の活躍も凄いけど
第一次の次に勝算があったのは、目の上のタンコブだった曹真と張郃がいなくなって、補給の問題もだいぶ改善した第五次だろうけど、諸葛亮の寿命が尽きちゃったからねぇ
あれで司馬懿が諸葛亮に勝ったという気は全くしないな
>>613 次に勝算のある北伐は最後の北伐ではないと思うよ
むしろ第五次は最も勝算のない北伐と言ってもいい
馬謖じゃなくて王平を上に置くか、素直に魏延を使うかしてれば…
人材不足をなんとかする為に実戦経験を積ませようとしたのかね?あれは
最大の問題は派閥問題なんだろうけど
>>614 え、そうかな?
最も戦果を成したのは第四次だけどあれは兵糧問題がかなり不安定だったし、第四次で司馬懿と張郃を相手に戦果を出せたことやいくつかの反省点を踏まえて、準備万端の上で第一次以来の本気で臨んだのが第五次だと思うんだ俺は
第四次で司馬懿をボロクソに撃破したことで「こいつには勝てる」と思ったんじゃないかな諸葛亮は
しかも長年蜀漢を苦しめてきた張郃まで司馬懿のミスで死んでるし
617 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/31(日) 23:12:39.64
第四次は雨が降って退却した事以外、ほぼ諸葛亮の思い通りに戦況が動いているのに対して
第五次は全くいいところがない
郭淮にも行動を読まれて侵攻を防がれているしね
戦果といえるのなんて信憑性の薄い太平御覧にあるエピソードぐらいしかないぐらいだし
第四次でもっと準備を整えてれば更に戦果をだせたかもね
スパンが短すぎる
>>616 ニセクロ氏の指摘で俺も知ったんだけど
この直後から魏は大々的に土木事業やって運河を整備して対蜀運河輸送を一気に整備してる
ただでさえ国力差で無理ゲーな状況で、さらに万全の輸送体制を整備されてしまってるので
蜀としたらもう詰んでるレベル
逆に諸葛亮撤退時も損害を与えられなかった司馬懿っていったい・・・
第4次で張?やられたからダメだったのかな?
司馬家の魏乗っ取りの戦略がまだ始まっていない以上、蜀を生かす理由がないし
司馬懿にそれなりの力があればそのまま蜀になだれ込めるレベルの前提条件が揃ってると思うけどね
>>619 それは私も知らなかった
有難う
とすると
>>617さんも言うように、勝算は薄かったのかな
諸葛亮の本気度合いのようなものは第二次・第三次より感じるんだけど…
あの時期のスパンの短さは、とりあえず諸葛亮の地位回復と国内不安解消が目的だからかな
第四次が万全というほどの準備を整えず事を急いだのは、魏の対応が廻る前にやる必要があったから?
>>620 諸葛亮の撤退ってのは「引かざるを得ない状況に追い込まれたから撤退」ではなく
「現状を見て勝ち目の方が低い」という状況になったら即座に撤退開始するから
前述の撤退とは違うし負けての撤退じゃないから士気も装備も衰えず組織的な撤退戦が可能だしな
その分粘らないから勝ちも遠いのだが
>>592 赤壁で将校クラスが戦死していないというのはどうかな
魏なんて史書に1か所のみ名を残す雑号将軍がウジャウジャいるわけだし
それまでの曹操の敗戦でも将校の戦死者なんてたいして記述されないし
夷陵の戦死者の多くは呉書にしか記されないようなレベル
624 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/01(月) 01:48:56.02
夷陵の戦死者の多くは蜀書にたくさん記載されてるだろ…
呉書にはもっと載ってるだろ
>>623 疫病という事情考えるとありえないわけではない
将校クラスになるとちゃんと水を沸かして飲むだろうし
寝る時も沼沢地や泥濘地などではないから、まず体が動く
兵卒は病気もそうだし、寝る場所も設備も悪いから疲労もある
火計によって混乱、逃走という時に真っ先に死ぬのは
動きの悪い兵、それから火で完全にパニックになる馬
これが周瑜伝に出てくる多数の被害者だと推測される
将官は真っ先に逃げ出すだろう
追撃からの逃走時も注釈によると劉備たちに捕捉されて殺されたのではなく
強行軍での移動故に大量の脱落者を出して、これが甚大な被害に繋がった
将校に被害が出ず、それでも軍に大ダメージということは
このようにありえることなんだ
湖北省の各所で大気汚染も勿論のこと、水質汚染も酷いみたいだ
疫病になり亡くなった人も多いみたい
>>611 いや、国境は守りに安く攻めにくい土地だよ
どんだけ、その地域で独立国が出来たと思ってるんだい?
それに追撃戦で補足できないように、慎重な采配を諸葛亮はしている
戦略の自由度や冒険を避けていることは魏延の不満からもわかるでしょーに
何をもって司馬懿であれば追撃戦で戦果があげられ無いと思ってるんだい?
諸葛亮でも優勢時に攻めきれず撤退することは度々だよ。
それは戦略の傾向であって避難されるものじゃない
司馬懿は、諸葛亮戦以前に実績がある。
それも神速戦術を使い見事な技術を見せている事を
もう少し評価しては?
>>619 かなり以前から整備してる。用意周到だと思う
呉書に戦死した将校の名前が載ってるようだがどうやって調べたのだろう
その土木事業や運河整備って曹叡のやつ?
曹叡すな
633 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/02(火) 23:19:00.24
>>628 撤退は蜀魏国境を越えたところから攻めやすいのは魏だろ
というか守りやすいのは蜀魏国境の蜀側にいるときであって撤退中に守りにくいのが蜀側なのは地形見れば明らか
益州の独立国が独立を維持できたのは国境を越えて中原に出ずに守りを固めているからだろ
634 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/02(火) 23:22:29.30
>>628 撤退は蜀魏国境を越えて魏領内から行っているわけだから蜀は守りにくく魏は攻め易い
というか守りやすいのは蜀魏国境の蜀側にいるときであって
魏領からの撤退時に守りにくいのが蜀軍なのは地形見れば明らか
だいたい益州の独立国が独立を維持できたのは国境を越えて中原に出ずに守りを固めたからだろ
魏領内での戦い(および益州への撤退)と益州引き篭もりをごっちゃにするなよ
曹叡はもっと評価されるべきだな
曹叡
知力.S
武力.E
政治.A
統率.S
魅力.S
637 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/03(水) 01:19:09.16
曹休とかどんな感じになるのだろうか
曹叡だって曹操のように誰かに献策されたのじゃないの?
曹叡の政治がAとかあり得んだろ
僕の考えた武力目安
おおよその目安決めないと評価が主観的な極端なものになるよ
SS:イチロー
S:少数部隊(単騎)で大軍に突貫して功績を得げる(イチロークラス)
A:少数部隊で大軍を防ぐ(メジャークラス)
B:部隊長クラスの功績(プロ野球クラス)
C:撃剣の名手などの逸話(高校野球レベル)
D:戦争に出た事がある、弓が使える(草野球レベル)
E:戦に縁の無い(キャッチボールできるよ)
F:馬にも乗れない、肥満児とかマイナス要素(引きこもりレベル)
故に曹叡は狩りを楽しむ程度の腕前があるのだから
武力は最低でもDクラス。英才教育受けているだろうからCクラス程と見て良い
曹叡「いつ土木事業やるの?今でしょ!」
>>633,634
漢中は鶏肋。攻めるに難く、守りに易い。
だから、膠着しやすい。無理をしなければ、打開するのは至難だろう。
諸葛亮、司馬懿クラスの人間が慎重を期すれば打開は困難。
(司馬懿が撃って出なければ諸葛亮は何も出来ないし、撤退するだけ
諸葛亮が攻めなければ、司馬懿(含め他の蜀戦線の司令官)は攻め切れない)
この主張も受け入れがたいのであれば、平行線過ぎて、議論にならんと思うから
打ち切るね。
そんな土地だからこそ張魯も割拠できたし、公孫述も暴れてる
>>643 反対されるのは宮殿関係の増築で運河に関しては司馬孚の献策で
曹叡も「その手があったー!!!」って大喜びで採用した
645 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/06(土) 02:36:49.70
陳寿の諸葛亮に対する軍略の評・・・
「毎年のように軍隊を動かしたのに魏への北伐が、あまり成功しなかったのは、
臨機応変の軍略は、彼の得意ではなかったからであろうか」
裴松之(「袁子」より引用)の諸葛亮に対する軍略の評・・・
「諸葛亮は軍事的な才能に優れている。諸葛亮の率いる軍は統制が取れていてしっかり行動していた。
ただ状況の変化に応じることは苦手で、だから馬謖が街亭の戦いで大敗を喫したとき、
距離的には救援できるところに駐屯していたが、撤退を決めたんだろう。」
基本に忠実で正攻法が得意、臨機応変な軍の進退は苦手といったところかな?
>>645 元々の資質がそうかもしれないけれど
劉備の夷陵が悪い。あれがなけりゃもう少し余裕のある軍事行動もできる
夷陵の後じゃ守銭奴になるしかない。よく兵が出せたものだと思う
647 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/06(土) 14:45:10.71
>>646 諸葛亮の法正に対する評・・・
「法正がおれば、主上(劉備)の東征を止められただろう。もし東征を行ったとしても、今回のような大敗は必ずや避け得ただろう」
>この言葉の裏を返せば結局、自分では劉備を止めることは出来なかったし、軍略・戦略の補佐は自分一人では力不足と言っているような・・・。
対して、法正は曹操軍の内情を分析し、劉備に漢中侵攻を勧め、定軍山の戦いでは軍監として策を献じ、
黄忠に命じて夏侯淵を斬る等、劉備に的確に献策をしています。
曹操の法正に対する評・・・
「劉備があのような策を考え付く筈がない。誰かに教えられたに違いないと思っていた」
「わしは有能な人材をほぼ全て集めたが、なぜ法正のみを手に入れなかったのだろうか」
陳寿の法正に対いする評・・・
「法正は判断力に優れ、並外れた計略の所有者であった。しかし、徳性について賞賛されることは全然なかった」
法正こそが、劉備の軍師として第一人者かと思う。入蜀の際も張松と協力し、劉備に益州入りの献策をしているし。
それに比べて諸葛亮は外交では活躍しているが、軍略を用いたもので、軍師として目立った活躍はない。
諸葛亮が劉備に唱えた「天下三分の計」自体も特に独創性があるものでもない。
その前に周瑜や甘寧が「天下二分の計」を説いているし、魯粛も似たようなものを立案している。
>>647 独創性がないと軍師にならないという事は無いのでその論説に意味はない
>>646 韓国なんて国は無い
三国人といったら中国・朝鮮・台湾人
基礎知識な
>>647 法正が売国してくれたおかげで劉備は助かった。
劉備も諸葛亮も法を破り好き勝手ってする法正を咎める事ができない程の借りがある。
諸葛亮は所詮、劉備の見出した子飼いの臣である。
劉備に正面切って文句が言えるのは法正だけといえる。
故に夷陵を止められる可能性があったのは(趙雲等古参でも不可能)法正のみであり
夷陵において(黄権が出来なかった)作戦変更を認めさせる事ができた可能性があるのも法正だけである。
そもそも夷陵の失策は曹丕ですら指摘ができるものである。
劉備を納得させることが出来るかがキー。
漢中は黄権も同じ作戦を考えていたようだ。
結論:法正は徳性から言って軍を率いる事は出来ないので黄権>法正
>>647 さらに天下二分の計と同じ扱いで天下三分の計を語るのは不公平。
天下二分の計は、既に地盤のある呉をもって成立させる計である。
普遍的な策である理由として進言者が多数存在する事がわかる。
天下三分の計は、地盤を持たない劉備に天下を取らせる計である。
諸葛亮しか劉備に天下を取れる方法論を説いた人間はいない。
しかも明らかに難易度の高い三分の計が成功している。
652 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/07(日) 00:50:28.28
>>642 で張魯と公孫述は秦嶺山脈を超えて雍州で戦い
そこで中原と河北を制する国力7倍の国と戦って無事に撤退した実績があるのかね?
そもそも秦嶺山脈を超えたところからの撤退戦が論点なのに
漢中引き篭もりを前提とした守りやすさを主張してる時点で破綻してるんだよね
そもそも天下三分って劉邦・項羽の間で韓信が独立するための戦略として提唱されてるし
三国時代で今更三分を提唱したからって新しいわけでもなんでもないのに
今更天下三分の新しさとか言うのは意味ないしなー
それ実行できたかどうかってことが大事
>>653 天下三分は、天下を三つに分けることが目的の策ではなく
あくまで天下統一の足がかりの策
であれば孔明の策は実行途中で失敗に終わったって所だな
まぁ、なんにせよ
諸葛亮は軍師に非ず、宰相の器なり
だろ
>>654 失敗というのはその通りだね
ただし戦略の問題か、実行段階での問題か、切り分けが難しい
俺の見解としては戦略の問題ではなく実現の段階で
失敗を積み重ねてると思うので戦略家としての諸葛亮の評価としては
最終的な統一の失敗はマイナス要因にはならないと思う
成功してたら大加点要素だけどな
>>652 最初に、自分は諸葛亮は軍師であり、総司令官としても1級と思っているが
撤退戦に成功した事実のみで、実績豊かな司馬懿より上と言える根拠に劣ると思っている
で、姜維、死んで無いよ。
その同じ前提で撤退戦に失敗した例をあげて貰えるか?
補給力による戦闘継続力に意味はあるけど
撤退戦に国力差に意味があるとは思えないが。
漢中あっての撤退戦ではないと思うなら、本当に平行線だと思う。
もういいんじゃね?君は撤退戦に成功したから、司馬懿より凄いで。
ハンニバルもかくや、な、感じで
>>653 韓信の独立戦力あっての戦略だよ。
名前が似てるからって戦略にテンプレートなんて無い。
韓信が兵権を受け取って遊軍として討伐戦自体が独立の為の策だったなら
諸葛亮の三分の計と似てるかもね。
>>654 足がかりにはしたじゃないか、ちゃんと。天下の奇策と言われてるだけあると思うんだけどね
軍師将軍から始まってる諸葛亮が軍師じゃないと、誰を軍師と言ってよろしいやら。
軍師の定義にもよるのかもしれないけれど
張良とか、房玄齢、杜如晦は軍師だと思うんよ。宰相でくくってしまうのはどうなん?とは思う
これは張昭にも言える。張昭は間違いなく孫策の軍師だと思ってるんよ
>>653 名前が似てるだけじゃないけどな
韓信、諸葛亮の天下三分の計はどちらも最大勢力に第二勢力を倒させないで
時間稼ぐってところまでは一緒だし
韓信のはそこから独立を、諸葛亮のはそこから統一を目指すところは違うという点はあるけど
三国時代特有の戦略ってわけじゃなくて前例はあるってことだよ
658 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/08(月) 01:37:03.96
>>648 >>651 「諸葛亮しか劉備に天下を取れる方法論を説いた人間はいない。」
>>>
諸葛亮はその方法論を具体化する事が出来ていないのでは?
最終的に劉備に益州を取ることを決心させたのはホウ統であり諸葛亮ではない。
また入蜀に際してはホウ統が劉備に同行しており、諸葛亮は荊州の留守を守り、別ルートからの入蜀であった。
劉備はホウ統の策略を用いて、白水関を守る劉璋の武将である楊懐と高沛を呼びつけて騙し討ちし、白水関を占領し、
入蜀を果たしている。
実行段階において、諸葛亮は具体的な段取りをしていないよね?
戦略家であるならば、益州を取る具体的な策も献策するのが軍師かと思うがどうだろう?
>>658 魯粛を批判する孫権と同じ事をお前は今やってるんだが気付いてるか?
具体策なんてその都度考えるもんだぞ
660 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/08(月) 07:56:41.33
有吉
661 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/08(月) 19:08:45.11
>>659 正史を根拠に話をしているんだよね?
魯粛を批判する孫権とは具体的に何処の箇所を言っているのかな?
正史にそんな箇所が記載されているか?
すまんが、俺は知らんよw
孫権と陸遜の歴代都督に関する対話って超有名だと思ってたのは俺だけなの
偉そうに草生やして煽りにくるようなやつはスルー推奨
曹操
統70武100知80政85魅90
曹丕
統80武50知70政85魅60
曹叡
統80武?知85政60魅85
劉備
統70武85知80政75魅95
孫権
統85武55知75政80魅75
袁紹
統70武80知70政90魅95
>>1基準
665 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/09(火) 00:24:44.42
>>656 根拠に劣る?日本語の使い方がまずおかしいなあ
Googleの一致検索で君のレスが一番上に出てくるほかは個人ブログでしか使われてないぞ
ちなみに諸葛亮の北伐対司馬戦は撤退に成功したのみじゃなくて4次北伐で勝利してるがなあ
というか自国領で背後に秦嶺山脈を控える小国相手に戦術的勝利すら収められない時点でダメだろ
231年までの諸葛亮の苦戦振りと比較すると明らかに曹真以下
撤退戦だったらまさに姜維が沓中からの撤退中に漢中を失陥してるけどね
地図を見れば一目瞭然だが沓中は漢中の北西、下弁、陰平、陽平よりも北に突き出ていて
漢中周辺の要害から離れている
君の理屈では漢中を出ても守りやすいという理屈になるんだろうけどねwwwwww
>>657 まぁ取り敢えず、自分は戦略にテンプレートは存在しないと思っているのでな。
戦術にはテンプレートはある程度存在するけれど、故に戦略は自由なんだけど。
>>658 戦略を高く評価したからこその大抜擢、側近において意見を聞くわけだから
具体化はしているのでは?と思う。これも個人の感想かもしれないが。
戦略は三分の計、戦術は区々における前線参謀の謀略と捉えるべきでは?
周喩、荀ケなどを見ればわかるけれど基本的にNo2が地盤を守り、No1が兵を率いて総力戦をする。
もしくはNo2が外に出るときはNo1が地盤を固める。
二人同時に出る事は余程だと思うよ。
>>665 綺麗な日本語の指摘誠にありがとう。
漢中という拠点があることは山嶺山脈を超えての戦いも、撤退戦の有利も確保されていると思っているよ。
秦嶺山脈を超えて撤退戦であれ、そういや曹操もやってるね。
曹真は君の大好きな国力7倍を活かして大規模攻勢に出て失敗してるからなぁ。
雨のせいだからノーカン?
王双も殺されたり、二郡が落とされたりと、曹真も一進一退に思うけれど
司馬懿時代は、その隙すらないように思うけれど、どうなん?
>>666 戦略のがテンプレ存在してると思うよ
戦術は非常にミクロな物だからその場その場の状況こそ最も重視されるものだと思うけど
戦略に関しては例えば地形やその地形に拘束される人の移動手段などが変わらない限り
基本的にはそれ程大きく変わるもんじゃないから、形があって後はそこからどう選ぶか、ということになるだろう
外交状況とか様々なファンダメンタルがあるからその複合によっていくらでも状況は変化するので
常に同一の状況が存在しないというのは戦術と一緒だがね
漢中が防衛しやすい土地であるばあるほど漢中への撤退は大変なような気がしないでもない
追う側のほうが追われる側より楽なのは言わずもがなだし
とはいえ司馬懿が追撃戦をどこまで考えていたかも疑問があるけどね
敵の指揮官は勝手に死んでるし、蜀に人材が居ないのも知ってるだろうし
だからこそ追撃!なのか、最低限はやったし、まぁいいか なのかは微妙じゃない?
死人に一本取られた直後でもあるわけで
なんとも雑記になってしまった
司馬懿あたりは自軍閥以外に人送り込んで足引っ張ってそう
671 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/09(火) 23:10:14.57
>>666 >国力7倍を活かして大規模攻勢
だから漢中「引き篭もり」は蜀優位と言ってるがな
蜀から見て秦嶺山脈をタテに守る(曹真の遠征)は蜀有利
蜀から見て秦嶺山脈を超えて攻める(北伐)は蜀の撤退時において魏有利
ただそれだけのことを繰り返してるだけなんだがなあ
君のはなんの反論にもなっていないと思うけど???
司馬懿時代は食料難で蜀が買ってに撤退しただけで戦術的に負けてるし
ついでに追撃させて宿将が死んでしまったけどねえ
>>667 一個一個突っ込んであげなよ!
>>668 戦略戦術は個人により想定が違うのでなんとも言えないけれど
目的を達成する方法論と実践論の違いなわけだから
戦略は大胆自由に、戦術は繊細慎重にが基本じゃないかな。
だから目的(劉備が天下を伺う等)が違うので、同じ戦略にはならない。
と、思うよ
>>669 司馬懿は電撃戦が得意だから、諸葛亮に対しても撤退戦において
電撃戦を展開したが、失敗した。そこから諸葛亮を研究しなおして、慎重策になったね
>>671 雨じゃなくて?雨が降らないとどうだったんだろうね。自信のある作戦みたいだったし。
ゆーても曹真さんも荊州でも朱然を抜けなかったり、王双撃たれたりしてるんだよね。
司馬懿時代は完全に余力を残しての撤退。この状態で追撃戦は難しいと思うよ。
余力を持って撤退している部隊の後方基地がしっかりしている険しい土地を追撃ってるすかねぇ
つか、秦嶺山脈のせいで追撃が成功した例ってあるの?
諸葛亮が華麗な撤退戦した一事を持って司馬懿が無能呼ばわりされているのを
秦嶺山脈はアルプス山脈じゃぁ無いよ。司馬懿の電撃戦ってかなり凄いよ!舐めすぎ。
って言ってるだけだよ。
>>672 第三次北伐の時の司馬懿はとても名将とは言えない采配だからなあ
ことごとく張コウの進言と逆やって、あげく追撃に反対した張コウに追撃させて戦死
西部方面軍での自分の指揮権を確立したかったのかも知れないが、ちょっと頂けない
あと、正始政変の時の手段の選ばなさっぷりは八王の乱まで響くレベル
皇帝の勅ではなく、事後に皇太后の勅で孤託の臣の相方を殺して賞賛されるなんてことやったら、
その後追随者が多発するに決まってる
王リョウ・カン丘倹・鍾会・司馬倫とか「権力者が駄目だと思ったらクーデター」という模倣者多数
(司馬太傳or宣帝に続け!)
王基とケ艾の独断専行も司馬懿の影響があるだろうし、
中央で高官にすると手段を選ばなさすぎて国が乱れるタイプ
統率か知力かは解釈が分かれるが、手段を選んでクーデターを起こさせなかった諸葛亮より低くなるだろうな
作戦目標達成してたら追撃戦はオマケ
安全策に徹する場合、普通やらない
>>674 それで反対押し切って、反対した当の本人に追撃させて戦死させてるのが第三次北伐の時の司馬懿
ごめん、第三次と書いたが一般的には第四次北伐か
魏の勝利条件は諸葛亮を倒すことであって、蜀軍を追い詰めることではないから追撃なんてやる必要ないし
どこからそんな勝利条件が出てきたのか詳しく
>>677 では何故張コウの反対を押し切って司馬懿が張コウに追撃させたのか説明して欲しいのだが
自国の都合、人材、自身の身体の都合を考慮すると
電撃戦以外を選べない諸葛亮が相手ならばそれを阻止した時点で一定の戦果と言えなくもないからなぁ
追撃戦が必須事項ならば張郃も反対しないのでは?とも思うがどうなんだろうね
>>680 まず、追撃戦が必須事項とか考え方がおかしい
追撃戦は戦果拡大の大きなチャンスではあるが、
敵に備えがある場合には損害と戦果が釣り合わない可能性があるので行うべきではない
張コウが反対したのは戦術上の観点から(この方面での戦歴は張コウの方が長い)
追撃をするべきではない局面でベテランの指揮官の反対を押し切って追撃させた司馬懿の戦術能力に問題あり
(さらにこれが原因で五丈原ではわざわざ剛直な辛ピが諸将の統制のために勅命を持って送られた
つまり、司馬懿単独では軍を統率するのに問題が出た)
諸葛亮が電撃戦以外を選べないというのも誤り
そもそも軍事的には「電撃戦」は「Blitzkrieg」の訳語であって、短期決戦の意味ではない
諸葛亮は「拠点攻略」と「魏野戦軍の撃滅」のどちらかを達成すべく、その都度戦術目的を変えていた
第一次北伐で魏延案を退けたのは、
長安を少数の兵で確保したとしても洛陽周辺の内軍・曹真率いる西部方面軍
・司馬懿率いる荊州方面軍の増援に袋にされる危険性が大きかったから
(三分の計では荊州方面軍に対応する兵力が不可欠)
五丈原で司馬懿が追撃しなかったのは、
一度追撃に失敗して張コウを死なせている以上、
次も追撃に失敗したらこの方面の指揮官として終わりだから
張コウの死に関しては明帝や陳羣もその死を哀惜した程の失態
(辛ピが弱気な発言過ぎるとして諫めた程)
辛ピが陣中に送られたのはこの一件が関係していると思う
諸将を統制するのにそれだけの人材と勅命が必要だった
そして、勅命が「守って出るな」である以上、追撃して失敗したら司馬懿は終わり
>>681 ちゃんと読めばわかるが、俺は
四次及び五次の話をしている
追撃戦が必須事項であるとは言っていない
んだけどなぁ
電撃戦についてだが別に間違ってないぞ?
広義ではだけどね
高い機動力で速やかにという意味ではあっているだろう
全部説明せんとイカンのか?
>>683 広義でも「電撃戦」は近代の機甲戦術を指す
少なくとも、三国志関係の研究書・近代より前を扱った研究書で「電撃戦」という用語を使っている書籍は、
自分の知る限り一冊もない
あるというなら具体的に書名を上げて引用してくれ
つか、三国志の蜀軍で「高い機動力で速やかに」なんて不可能
魏の夏侯淵レベルの行軍すらあの地域じゃ無理
こういう大前提の知識しか無いから一から諸葛亮の戦術を説明してやらないと話にならない
反論があるなら書籍を上げて具体的に説明してくれ、全部な
君の言うことは全く見当外れで一つも信用出来ないので、ソース明記でな
>>684 あなたの「軍事的に」に対する答えだろうとは考えられないの?
あなたの意見は電撃戦の意味を間違えてる だったろうに何故論点をずらすんだ?
そもそも三国の時代に使わた形跡のない用語は使うなとでもいうのか?馬鹿馬鹿しい
俺の意見を間違えて解釈されても困るから訂正しただけで
なぜそんなに暴れてるのかがわからんよ
冷静になりなよ としか言えんわ
四次及び五次はチンタラやってる余裕が蜀にはなかった
これも違うかい?簡単にいえばこう言ってるんだけど
>>685 論点なんか一つもずらしていないが
そもそも「電撃戦」という言葉の使い方が間違っている
三国時代の戦闘の分析には不適切な用語である
そういった基本知識も無いのに噛みついてくるのが滑稽なだけだ
>そもそも三国の時代に使わた形跡のない用語は使うなとでもいうのか?馬鹿馬鹿しい
三国志の分析に近代戦の用語を使うのは間違いだし、
それを認めないのは本物の馬鹿で恥知らずというだけだな
>四次及び五次はチンタラやってる余裕が蜀にはなかった
>これも違うかい?簡単にいえばこう言ってるんだけど
五丈原の蜀側の戦術方針(屯田含む)が早期決戦とか機動戦だと評価してる研究書も一冊も見たことはないな
単なる君の妄想だろう
違うというならきちんとしたソース(研究書)を引用したまえ
基本的な知識も持たず、用語を誤用して、指摘されても開き直る低脳の恥知らずに、
きちんとした引用ができるかはわからないがね
このスレの司馬懿推しは知識足りないくせに持論を押し通そうとするから話にならないよ。
大方田中芳樹とかの受け売りで語ってるんでしょ。
>>687 本当に驚く程自分の非を認めないのがね
「電撃戦」なんて的外れな用語使われても、機動戦のことを指すのか早期決戦の事を指すのか、
衝撃力のある兵科による中枢指揮系への攻撃と迂回による主戦力の無力化を指すのかさっぱりわからないw
主戦力を少数兵力で拘置しての拠点攻略(後方拠点となりうる二郡の確保)
主戦力が出てこないうちの陳倉道確保及び陽動
陽動を受けて別働隊による側面の二郡確保
刈田を行っての敵主力の誘因と撃破
囮を使っての決戦の強要
どの北伐でも機動戦は行ってない筈なんだがw
基本的に堅陣と装備に依って敵野戦軍を撃破するか、敵主力を拘置しておいて拠点を攻略するか、
だから諸葛亮と機動戦は相性が悪いのは正史読めばわかるはずなんだがなあ
えっとだな
基本的なことなんだが
俺の意見が間違えてない!といってるんじゃないのはいいかい?
俺の意見が間違いならそれでいいが、意味を勘違いされたくない とだけ言ってるんだよ
まぁ間違った伝わり方をする用語を使った俺がわるいんだが
諸葛亮が急いでいたっていうのは俺の勘違いなんだろう、すまんね
とはいえ用語については伝わり易さを考えれば現代用語でもいいと思うけどね
厳密さを要求される場でもないんだし
誤用はNGとして
ちなみに司馬懿アゲじゃないよ俺は
>>689 >諸葛亮が急いでいた
↓
>電撃戦以外を選べない諸葛亮
……全く日本語として別の意味ですがw
「兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり」
将帥で短期決戦を目指さない将帥は孫子を読んでない馬鹿だけが、
その上で諸葛亮は兵站に不安があるのにもかかわらず、有利な状況での野戦に拘った
そのためには致命的な長対陣も辞さなかった
でなければ健康に不安を抱えて百日も敵地で対陣するわけがない
不利になったらさっさと退くのが諸葛亮なのに
>ちなみに司馬懿アゲじゃないよ俺は
このスレで間違った意味で「電撃戦」という言葉を使ってる人が複数いると?w
最後まで見苦しい言い訳だけで、結局一つもソースを出せなかったね
このスレに書き込む前にもう少し勉強しておいで
自分の愚かさPRして恥の上塗りすることもない
わかったわかった悪かったよ
俺の日本語が変だったから要らんレスをさせたね
蜀が屯田したのも、実際に何ヶ月もにらめっこ状態だったのも知ってるよ
それを踏まえた上で、実際の布陣はともかく余裕の無い蜀側は急いで成果を出して、特に国内を納得?させる必要があったんじゃないか?
と考えてのレスだったんだよ
実際にじっくりやったとしてもそれを望んでやったのかなぁ?位のレスのつもりだったんだ
電撃戦についても、ニュアンスで伝わりゃいいっていうのは思慮が浅かったね反省するよ
重ね重ねすまんかったね説明不足+変な日本語で不愉快な思いをさせてしまって
こんなんじゃ説明しなきゃ伝わらんわなw
ごめんよ
電撃戦以外を選べない諸葛亮って言わないで電撃的な勝利が望ましい諸葛亮ならまだ話通じるんだけどね
第5次北伐当時の諸葛亮は、電撃的な成果で国内を納得させる必要はあったの
だろうか?
わざわざ三年もかけて準備して一説には10万もの大軍を整え、
それを養う為の大量の兵糧を集積し、さらには屯田兵まで準備して長期戦の
備えをこれでもか、と用意してる諸葛亮が、
「急いで成果を出して国内を納得させる必要」とやらが
あったのだろうか?
既に第三次北伐の成果と第2次北伐の殿戦の勝利で丞相復位が認められ
第4次北伐では戦闘では悉く勝利して、内容的には勝利
第5次で特にいそがにゃならない理由があったとは思えないけどなあ
>>693 前年までに魏が運河整備してるところに攻め込んでるから
最期の北伐こそ最も急ぎたい北伐だった罠
>>694ついでに
>>619にある「第4次北伐直後にはもう蜀は詰んでるレベル」
これはとてもそうとは思えないけどなあ
漢中にはこれ以前には曹操、曹真、が攻め込んでるけど
いずれも大軍で攻め込んでるし、諸葛亮死亡後には曹爽がこれまた大軍で
攻め込んでる。それらを蜀が普通に撃退してるのも同様。
さらには諸葛亮死亡後には廖化が出撃してカクワイを各個撃破戦術で
見事に大破したり、
姜維の度々の侵攻によって魏側に兵力が度々不足したり、と
魏側にそんな「蜀を詰みに追い込んでると言えるだけの優位」があるとは
とてもとても。
結局魏が蜀を滅ぼすのだって諸葛亮死亡後から三十年近くたった後だし、
この時ですら魏主力軍は蜀主力軍を破れず、ケ艾が冒険的奇襲策を使って
蜀国内まで侵入し、にも関わらず敗北して部下達が「勝てません」と
言い出したのを叱咤激励して薄氷の勝利を収めた、って感じで
どこに「蜀が詰んでる状態」があるのかと。
>>695 詰んでる
姜維があれだけ大々的に勝利したって結局事態は何も打開できなかったし
「誰某が戦術的に勝ってる」って君は言うけどそれは逆に戦術レベルでしか勝てないってこと
そして戦術レベルで勝っても戦略レベルに繋がらないってことで
もう詰んでる
>>696 んな阿呆な
姜維は大々的に勝利した、とやら言ってるけど
それ以上に大々的に敗北してるじゃないか。
段谷は文字通り夷陵レベルの壊滅的大敗。
段谷じゃあ、魏側の方が「兵力が足りない!どうすりゃいいんだ!」的な
状態で、お前さんの言うところの「戦略レベルで動揺してる状況」
んで、これは姜維が共同軍として別方向から進撃させていたコサイが
「予定していた決戦の期日に到着できなかった」という甚だ蜀側の不運としか
言えない状態。この段谷ですら、諸葛亮第4次北伐から三十年近くたって
からの事だぜ?一体どこに蜀が詰んでる状況があるんだよ。
なんというか、的外れな結果論で無理やり「蜀は詰んでる!」としないと
心の平衡が保てないのかと不思議になるわ。
698 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/11(木) 23:10:50.88
>>696 姜維が大々的に勝利したってどの戦いの事?
段谷の戦いでケ艾に大敗してるけど?
諸葛亮と違って負けばかりだよ。
>>698 えーと王経さんって知ってる?
この人、姜維に徹底的に打ち破られて万単位の損害出してるんだ
蜀だったら後年姜維が段谷で万に満たない程度の損害を出してから一気に窮乏するのだけども、
魏は数万の被害出しても同じ方面にいる軍が救援送ればもう何とかなってしまう
諸葛亮没後から30年経過の時点でも司馬懿・孚の整えた輸送体制は完全に機能してる
諸葛亮の最期の北伐の前年にはこの運河も
それから運河で輸送する食糧を作る生産体制も整備されてしまってて
ここで詰んでる
>>699 だーから詰んでねーって
段谷の損害は一応、万を超える損害だったそうだぞ
んで、これのもっと大きな損害としては将を2桁で失った事が問題だろ
んで、この戦いの直前にはお前さんのいう所の姜維が与えた損害で
段谷の時には魏側は「兵力が足りない!」的なパニック状態。
「もう何とかなってしまう」とかいう余裕状態じゃとてもない。
というか、この言い方でいうなら姜維が漢中防衛軍に手を付けて
北伐軍にしちゃったのも「同じ方面にいる軍を送ればなんとなかる」という
わけで大した損害じゃないとかいう話になっちまう。詭弁もいいとこ。
「完全に機能してる!」なんてえばった所で、段谷前後には兵力足りなくて
パニック状態、最後の蜀攻撃の時だって国内に侵入できずに、ケ艾の猛勇が
薄氷のラインをなんとか乗り越えた、というギリギリの勝利。
どっからどう見ても詰んでるわけねーじゃん。
完全に機能しててこれとかどんだけしょぼいんだよ、それ。
それから諸葛亮北伐に関しちゃ何が言いたいのか意味不明。
別に諸葛亮は魏軍を食糧切れにして勝ちたいわけじゃなかったろ。
あくまで自軍が長期滞在したいが為の補給体制・屯田体制の完備だった訳で
自国領内にいる魏軍が兵糧切れになるとか諸葛亮が期待してるわけないだろ
>>700 そりゃあ数万人死ねば大損害だけど、それで国が傾く損害にならないのが魏
方面軍内の兵力の移動だけで何とかなったしな
でも1万で国が傾くのが蜀
この圧倒的な国力差が輸送によってモロに生じるようになった時点で蜀は詰みでしょ
諸葛亮の北伐末期にはこの輸送体制が整うから
実は諸葛亮の時点で蜀は詰んでた
これは個々人の能力の差とかじゃなくて無常なまでの国力の差だよ
>>701 いや、だから
段谷では将の損害のが大きいし、
その段谷の時点じゃ魏の方が「兵力足りない!」と喚いてる状態で
どこが圧倒的な国力差なんだよ
さらに言えば、「諸葛亮の時点で詰んでた!」と喚いてるけど
現実には司馬懿は諸葛亮を撃破できなかったし、
廖化はカクワイを各個撃破で破ってるし、
曹爽は漢中に攻め込んで蜀軍の防御崩せずに食糧も足りなくなって
そこを蜀の援軍にも駆けつけられて総崩れ、
姜維時代にも蜀軍は何度も魏に攻撃を仕掛けまくって勝利もしてる、
魏側も魏側で一回大敗すれば兵力足りないと大騒ぎ、
しかも、これ諸葛亮時代から三十年近くたった後のお話。
最後の蜀攻撃戦の時も魏主力軍は蜀主力軍の防御を崩せずに撤退を検討する始末
どこにその「圧倒的な国力差がモロに生じてる」なんて現象が起きてんのよ。
ぶっちゃけ、お前さんの妄想以外に、史実としてはそれを表す現象が
まったく起きてないわけよ。
しかも、これらの事は何度も指摘されてんのに、九官鳥みたいに同じ事を
繰り返してるだけだし、ぶっちゃけ実態となる事象がないから抽象論で
ごまかしてるだけだろ。
否定されてる事を抽象論で何度も繰り返すな、ってよく言われないか?お前さん
>>702 動員かけて最大で20万くらいの魏で数万の損害出れば兵力足りなくなるのは当然
ただ、そうなっても国軍崩壊とかしてないのが魏の底力
そして魏はそれを生かすインフラが整備されてた
このインフラが整備された時点で蜀はもう詰んでる
史実では起きてないというのはお前さんが何も見えてない証拠
数万人の損害出して兵力不足だーってパニック起こすだけで済んでる時点で異常だぞ?
>>703 あー、その理屈でいうなら
蜀軍も滅亡時点で10万以上兵力いたからへっちゃらだな、って理屈だな
その圧倒的大国がインフラ整備されても三十年にわたって蜀が勝ちまくり、
防衛戦で勝って大歓喜、とか言ってて情けなくならないのか、お前。
もしくは自分の言ってることに「あれ?おかしくね?
圧倒的な大国でインフラも整備されたはずなのにこれだけ負ける魏って弱くね?」
という考えに至らないとか、矛盾に気が付かないとか凄すぎるだろ
だーかーら、そういう抽象論はいいから具体的に示せ。
インフラ整備されて何が変わったんだ?どういうすんばらしいメリットに
よって魏がそれまでと全く変わらず蜀に攻められ続け、何度も敗北し、
攻め込んでは撃退され、という事象を30年にわたって繰り返す事に
なったんだ?全然役にたってねーじゃん、少なくともお前の言うような意味では。
ああ、その理屈なら蜀も滅亡時に10万もの兵力を持ってたから
あれだけの大敗しても10万もの兵力もってて異常、ってわけだな。
ていうか、魏側は兵力不足で乾坤一擲の賭けでまとまって打って出て
段谷で蜀軍を迎撃する事にしたんだけど、ケ艾の英断も猛勇もお前の中じゃ
意味不明なんだろうな。っていうか、いい加減何度も同じ事抽象論で
繰り返すのやめろっていってんだろ。
いいから具体的に事象を示せ、事象を。
>>673 どちらかと言うと諸葛亮を舐めてたと思う。ただの戦下手と。
過去戦績からも電撃戦の有効性を信じてた司馬懿と
現場から諸葛亮が一級品の指揮官と感じてた張?と溝があったように思う。
諸葛亮を認めてからは、極端までに戦術思想を変えて対応してるし。
正始政変の時の手段の選ばなさっぷりは、追い詰められっぷりだとも思うが
全件代理人に居た諸葛亮と比べるのはアンフェアな気がする。
つか、曹丕か曹叡がもう少し長生きしたら、こんな方向には進まなかった気がする。
魏の忠臣で終わってたんじゃないかなぁ。
>>687 自分へのレスじゃないけど田中芳樹って司馬懿押ししてたっけ?
>>688 これも自分へのレスではないけれど
電撃戦が出来ないのではなく、博打を行う余力が無かった、が正しいのでは?
魏延は電撃戦をやりたがってたみたいだし。
電撃戦の定義とかは、自分は加わりたくないのでノーコメント
明らかにパールだろ?と思うものでも、数%違う可能性があるから
「パールのようなもの」としなくてはならない!って感じの議論は、大変すぎる
>>705 自分宛のレスじゃなくて横レスで悪いのだけど
>魏延は電撃戦をやりたがってたみたいだし
これは魏側の魏略にしかない記述であって
しかも長安の大将が戦わずに逃亡してくれる、という前提の無理無理案。
蜀側の魏延伝では「一万の兵を率いて別働隊になり、韓信の故事を再現し
その後諸葛亮本隊と合流したい」というそれなりに無理のない献策してる。
これをもって電撃戦というのはかなーり無理かと思う
>>704 魏は守備兵込みじゃなくて遠征で20万
動かせる兵が20万というのと守備兵含めた全軍で10万ってのはまるで違うよ
そも「それまでと変わらず蜀に攻められ続け」たという事実が存在しないでしょ
全然役に立たないというのも間違い
辺境にあまり駐屯軍を置けず長安などに大軍置いて必要に応じて軍を出してた頃に比べると
各地にまとまった数置いとけるようになった時期では蜀の侵攻ルートもかなり制限されたものになってる
>>702 圧倒的な国力差がモロに出るのは長安とその西側の話
そこの整備をしたという話だしね
蜀侵攻戦では出るわけねーじゃん
インフラを蜀の国内にまで魏が伸ばせると思ってる?
ちょっとおかしいよ
国力差があっても、戦力を前線に反映されるってのは難しいよね
>>707 ああ、んでその20万動かせる大魏帝国様は無様に蜀に何度も敗北し
最後に蜀を攻撃した時も主力では勝てず、撤退を検討する状況でギリギリでした、
という話になって、全然お前さんの理想とする「圧倒的な大国」とやらの姿が
見えてこないんですが
事実が存在してるだろ。諸葛亮の北伐は普通に行われてて司馬懿は最後まで
これを撃破できなかったし、廖化は単独でカクワイを破ってるし、
姜維は普通に何度も蜀から出て魏に攻め込んで勝利したりしてる
蜀の侵攻ルートが制限された?どこの世界の話よ。
諸葛亮北伐、廖化出撃、姜維北伐、それらを総合して見りゃ、
蜀が侵攻したルートはいける限りのルートを網羅してるだろ。
んで、実際の戦場レベルではお前さんの願望と違って
魏は全然兵力に余裕があるようには見えないどころか、
一回大敗したら兵力足りないと大騒ぎ、ケ艾が乾坤一擲の気構えで段谷に
まとめて打って出て、姜維側が半軍が到着しなかったという僥倖に乗じて
総攻撃して大破、明らかにケ艾の将器と猛勇が引き寄せた勝利であって、
お前さんの言ってるインフラとやら全然役に立ってないだろ、少なくとも
お前さんの言うような意味じゃ。
しかもくどいようだけど、これ三十年後だからな。諸葛亮の第4次北伐から。
この時点ですら、蜀と魏の戦線は一回の大敗でお互いの防衛網が緊迫する、
というギリギリのラインでやりあってるわけで、最後の蜀攻撃も結局は
成功させたのはケ艾の将器と猛勇であって、お前さんの願望とは全然違って
明らかに薄氷の勝利なんですが。
>>708 お前の解釈の方が頭おかしいよ
長安と西側の整備したんだろ?
「インフラ整って諸葛亮時代に詰んだ!(キリリ)」とかいうわけだろ?
んで実際の結果としては長安の西側で魏の防衛ラインは蜀に何度も
打ち破られたり、防衛に徹してお引き取りねがったり、の繰り返しで
全然優位に立ててねーじゃん
さらに言うと、諸葛亮第4次北伐から30年近くたった段谷の時点でも
前年の大敗で「兵力足りない!」というパニック状態で
乾坤一擲の賭けに出る有様。どこに圧倒的な優位が出てんだよ。
抽象論ばっかで具体的な成果も事象も全然出てきてねーじゃんかよ。
いい加減にしろよ。さっさと具体的な成果や事象だして説明しろよ。
>>710 諸葛亮の北伐は普通に行われてるというのは間違い
実は最後の北伐はそれ以前の北伐とは全く違ってて
積極果敢に土地を削りに行かず、睨み合いから決定機を狙う戦いにシフトしてる
それから侵攻ルート全然違う
全体的に西方向に攻め込んでるし、局地戦で蜀が勝つことはあっても
魏領の東側に深く侵攻してない
>>711 防衛ラインが打ち破られた?
どこまで攻め込まれたっけ?
>>712 お前何言ってんの?
諸葛亮が最後に布陣した五丈原は、それまでの侵攻ルートから見れば
明らかに東側に深く進攻してるぞ
地図見てんのか?それまで諸葛亮が侵攻してた西側の天水方面じゃなくて
最後の北伐はそれらを無視して、一気に長安方面に近い五丈原に進出して
そこから決戦を行って長安を狙う、という非常に攻撃的なルートだぞ
ここで決戦して勝利すれば、文字通り長安めがけて一気に突っ込める、という
感じであって、第4次北伐で戦闘内容自体では悉く蜀軍が勝利した、という
事実を鑑みて三年の準備の末に整えた大軍でもって、一気に決戦を狙った、
という感じに見えるけど
少なくとも、お前さんの願望と違って、明らかに天水からずーっと東側で
長安に近いルートだよ
>>713 廖化にカクワイが2軍で向かって2軍を一瞬で撃破されたり
姜維に何度も踏み込まれたり、
段谷当時じゃ、「兵力足りない!乾坤一擲でまとまって打って出るしかない!」
的な感じになってるよ
ていうか、こっちが聞いてる他の事柄はどうしたんだ?
困ったからって突っ込めそうな所だけ質問返しするな、って
よく言われるだろ、お前
速く答えろよ。
>>714 諸葛亮のそのケースは東に攻め込んだ代わりに北側に進めてない
他の人は東に進めなかった
それから君の主張だと蜀の攻撃によって魏の防衛線は打ち破られてしまったそうだが
具体的に誰が何時どこを攻めたのか教えてほしいね
自分で俺を散々抽象的だと言うからには即座に具体的に示せるんだろう?
>>715 場所が書いてないけどどこの話してるの?
>>716 最初にお前は西側ったろ
それについての釈明はどうしたんだよ?
北側に進んでどうすんだよ、長安通り過ぎて異民族の居住地にでも向かうのか?
答えてもいいが、それ以前にお前が最初に言い出した、
インフラによる具体的な成果と事象を示してからの話だな。
この問題を答えられなかったから突っ込めそうなとこだけ選んで
質問返して有耶無耶にしようとしてるんだろうけど、
そうは問屋がおろさんのでね
ほれ、はよしいや
>>717 最初にこっちが聞いてる質問に早く答えてね
そうやって都合悪くなったら突っ込めそうな所にだけ
質問返し繰り返せば逃げられると思わないでね?
>>718 そりゃ他の人念頭に話してるからだよ
諸葛亮だけの話してるわけじゃないから総体として多い方の事を書くでしょ
北行ってどうするというけど長安目指して進んでたらしき五丈原の戦いで
そこで止められて北進できなかったというのは結局攻め込めなかったという話しだし
>>719 答えたから君も答えてよ
俺の質問は2点
・君が打ち破られたとする魏の防衛線の位置はどこ?
・「何度も」というけどそれは何時と何時と何時と何時?
>>720 おいおい、お前は
>>712でしっかりと
>諸葛亮の北伐は普通に行われてるというのは間違い
>実は最後の北伐はそれ以前の北伐とは全く違ってて
>積極果敢に土地を削りに行かず、睨み合いから決定機を狙う戦いにシフトしてる
>それから侵攻ルート全然違う
>全体的に西方向に攻め込んでるし、局地戦で蜀が勝つことはあっても
>魏領の東側に深く侵攻してない
とか言ってて明らかに諸葛亮最後の北伐を西よりだと勘違いしてるだろうが
それに対する釈明はどうしたんだ?っていってるんだよ
さらには他の事にも全然答えてもらってないぞ
あのなあ、五丈原から北行ってどうすんだよ
五丈原から長安は地図上で見ればほぼまっすぐ東だろうが
地理感覚すら滅茶苦茶なのかよ
お前、一体何をもとにして語ってんだよ
>>721 全然答えてねーじゃん
そうやって都合悪くなったら突っ込めそうな所に質問返しを
繰り返し続ける魂胆なのが丸わかりだから
さっさと答えろ、と言ってんの
ほれ、早くしろよ
インフラとやらで一体何がどうメリットがあって
どんな素晴らしい事象が史実に起きてんだ?
他にも色々あるけど、まずはこれからな
>>722 段落開けてるでしょ
諸葛亮の北伐の各論は上の段
総論としては下の段
>>723 晋書に書いてあるがな
運河整備して輸送体制整えつつ農民も連れて来て
この地域の国力充実させましたーって書いてあるよ
んで司馬懿が農民を入植させた地域が
上?、京兆、天水、南安と諸葛亮の侵攻ルート
726 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/12(金) 05:07:09.27
議論の詳細は興味ないけど、「蜀漢が詰んでる」なんて有り得ない
「詰んでる」というのが具体的にどういう意味なのかも分からないしね
晋代のグチャグチャを見れば、魏と蜀程度の国力差、ましてやこの時代、なんでも起こり得るよ
727 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/12(金) 07:30:46.71
自治
連続書き込み規制入ってたんでついでに寝てました
>>724 だからもう、いい加減無理すんのやめろってんだよ
諸葛亮最後の北伐ですんごーいインフラの影響があったとかいうなら
諸葛亮がこれまでの北伐で最も攻撃的なルートと行動をとってる事が
理由に合わなくなるだろ
そんで、お前がいうすんごーいインフラの影響が諸葛亮時代から出てたとか
いうんだったら、諸葛亮最後の北伐とそれ以後のルートが違う、と
言い出すお前の論旨は明らかに矛盾してる事になる
というか、諸葛亮だって第一次、第三次、第4次北伐では西よりルートを
とってるし、諸葛亮死亡後のルートだって西よりだってんなら
お前のいうすんごーいインフラの影響全然でてねーじゃん
総論でも各論でも穴がありすぎだっていい加減気づけよ
>>725 んで、それが「蜀漢が詰んでる!」とかいうお前さんの願望と
どうつながるんだよ
「その地域の国力増大させましたー」だけで
別に蜀軍の侵攻は全然止まってないし、
司馬懿が蜀軍を破る事も出来てないわけで、
その後30年にわたって蜀軍は侵攻をし続けるわけで
これでどうやったら「蜀が詰んでる」とかいう話になるんだよ
全然整合性ないじゃねーかよ
>>705 >正始政変の時の手段の選ばなさっぷりは、追い詰められっぷりだとも思うが
>全件代理人に居た諸葛亮と比べるのはアンフェアな気がする。
魏における司馬懿&曹爽は蜀漢における諸葛亮&李厳と同じく先帝から後事を託されてる
諸葛亮は李厳を皇帝の権威を傷つけないように手段を選んで処分したが、
司馬懿は皇帝の権威をどん底に叩き落とす形で処分した
これはもう政治的センスの差としか言いようがない
魏の名臣であるなら興勢の役が失敗した時点で処分すべきだった
ボロ負けした上にあの辺の統治にまで影響与える失態なんだから
これから殺そうという相手が皇帝を連れ出してる間に皇太后の勅を事後承諾で取り付けてクーデターというのは、
どう考えても皇帝の権威をどん底に叩き落とす行為
皇帝を大切にする人間はこんなことはやらない
李世民始めとする後世の皇帝からの評価が悪いのは多分これ
これを敢えてやってのけた司馬懿は、政治権力の正統性・正当化という視点が丸っきり欠けてたと思う
諸葛亮は武将である前に政治家であったが、司馬懿は政治家である前に武将だった
その害が子孫に降りかかったのは当然だな
「結果さえ出せば良い」を中央の政治に持ち込むと国が乱れるのは歴史が証明している
中央の政治見ると陳羣が死んだ後の魏と張昭が死んだ後の呉は駄目だね。
顧雍は呂壱事件がマイナスだけど魏よりはマシか。
蜀は人材不足と言うけど宰相の人材には不足してなかったような気がする。
一晩の内に一気に延びていてびっくり
>>705 短編集『長江落日賦』の「白日、斜めなり」で将軍としては明らかに司馬懿が上と地の文で言ってるし、
「中国武将列伝(上)(下)」でも将軍として司馬懿を評価してるけど諸葛亮を評価していない
ぶっちゃけ、このスレの論者の方が面白い議論をしてる
一部は田中芳樹以下の見識だけどねw
>>728 攻撃的になったからインフラなんて影響ないというのは逆だよ
これまでわざわざ遠い辺境を狙っていたのに対して
今回は全軍を引き連れて乾坤一擲の博打に出ている
しかも博打に出て決戦指向なのに決戦に持ち込めない
見事に司馬懿の狙い通り磐石な持久戦による勝利によって諸葛亮は敗北しており
過去の北伐では実は魏側も輸送難に苦しんだこともあったけれども
最後の北伐ではそういう事もなかった
インフラ整備の勝利だね
>>734 >これまでわざわざ遠い辺境を狙っていたのに対して
>今回は全軍を引き連れて乾坤一擲の博打に出ている
横レス失礼
第四次北伐と第五次北伐は魏の野戦軍の撃滅が目的でしょ
祁山に兵を出す場合には陰平と武都を確保しておかないと挟撃される可能性があるから、
前もって第三次で確保しておいたと
で、第四次で麦刈って魏軍をおびき出して勝負に出て、
郭淮伝曰く「隴右に穀物なし」という状況で司馬懿は張コウが反対したのに攻めかかって返り討ち
張コウは王平の陣を抜けず、本陣を攻めた司馬懿も敗北
蜀軍は「三千の首級を挙げ、五千領の甲冑、三千張りの弩」を確保
この後、司馬懿は守りを固めて動かず、補給切れを見越して蜀軍は撤退
よせば良いのに張コウの反対を押し切って司馬懿が追撃命じて張コウ戦死と
第五次も不利な状況で決戦を挑まなかったから膠着状況になったわけで、
「乾坤一擲の博打」ではないと思うけどね
本気の博打なら退路考えずに司馬懿の言う通り「武功に出て東進」したと思う
で、インフラ整備の影響だけど、
魏側が漢中を攻めようとした244年の興勢の役の際には、魏側が補給で苦しんでる
関中の民衆から羌など異民族まで動員しても補給が追っつかなくて、
徴発した家畜も死んだり逃散したりして羌族が恨み嘆いた程
結局、いくらインフラ整備して食料備蓄しても、この方面の輸送路と輸送コストはどうにもならず、
蜀側が自滅する形でディフェンスライン取り崩すまで漢中に正攻法で手を出すのは無理だったのが史実かと
>>736 元々インフラ整備は魏が自国内での輸送についてだよ
しかも輸送インフラの整備は長安とその西側
漢中方向、つまり南への侵攻作戦についてその効果は出ないよ
これで詰むのは蜀の攻勢
蜀は呉か魏に攻め込まないと結局衰亡の道しかないのでこの時点で蜀はもう詰んでる
蒋エンが何故荊北を目指したかということをもう少しちゃんと理解しないといけないね
>>737 >蜀は呉か魏に攻め込まないと結局衰亡の道しかない
これは異議有り
費イが考えていたように、国内を充実させて敵国の変事を待つという手がある
つか、もう三国鼎立して以降は敵失待つしか三国とも敵国を滅ぼせない
ある程度以上勢力が大きくなると、外憂だけで滅びるのはむしろ希
袁氏見る通り内憂外患が重なって滅びると考えた方が良い
魏の東部戦線はインフラ整備して充実させたけど、戦力が充実した反面、
大規模な反乱が多発するようになってしまった
インフラだけでどうこうということはないよ
あくまでも中央の政治とセットでないと
>>734 あのさあ、その点も何度も説明してるよね
お前さんの言ってる事はコロコロ変わるから
最初から説明するけど、はっきり言って無理ありすぎ。
インフラ整備によって諸葛亮が最も攻撃的な第5次北伐ルートをとらざるを
得なかった、とするなら
それ以後の、諸葛亮が死亡した後も廖化や姜維が西よりルートで侵攻を
行っている事の説明がつかないし、
結局のところ、段谷直前には前年の敗北によって魏側が「兵力が足りない!」と
パニックに陥ってる状況も説明がつかない
全然「蜀の侵攻が詰んだ!」とお前さんが発狂する程の影響は出てないわけよ
そもそもお前さんの論旨とは真逆に、諸葛亮は屯田兵を多数そろえたり、
兵糧を大量に備蓄したり、木牛流馬で大量輸送を可能にしたり、と
明らかに長期戦を想定した備えを取ってる。
これは明らかに諸葛亮が第4次北伐で戦闘面では勝利しながらも、
兵糧切れで撤退した事を考慮に入れ、長期戦を行えるように備えたもの。
そもそも自国内で待ち受けてる魏側が、自国内で兵糧切れになるとか
諸葛亮も思っちゃいないし、当てにしてないだろ。
だから決戦の機会を待つ為に長期持久の備えを取ってるわけで
むしろ、遠征軍である諸葛亮率いる蜀軍が何か月たっても兵糧に不安無く
滞在し続け、司馬懿がそれをどうする事も出来なかった、という事実の方が
はるかに諸葛亮の備えが成功していた事を物語ってるし、
この事実は後世や同時代において呉の学者や李世民をはじめとする検証者が
諸葛亮>司馬懿の評価を下す根拠の一つとなってるわけよ
740 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/12(金) 23:59:11.40
そもそも魏延の子午谷の件は魏略にしかないうえに地理的条件を考慮すれば軍事的に
ほぼ不可能だから魏延レベルの実績のある指揮官が献策したとは考えにくい
別働隊の案も速戦速攻のための案でもないだろう
>>737 もう他の人が言ってる事ではあるけど、
蜀は別に魏にも呉にも攻め込まなくても国内持久が可能。
ついでに、荊北への川下り作戦は、蜀国内でも無理があるとみなされて
結局実行されなかったし、蜀はそれ以後の魏への侵攻で
普通にお前さんがいう所の「インフラが整備されて戦力が充実したらしい」
西側に平気で攻め込んでるし、
その「インフラが整備されて戦力が充実したらしい」西側は
大敗一発で兵力が足りなくなってパニックに陥る有様、
しかもこの事象は「インフラが整備されて戦力が充実したらしい」時期から
およそ30年後。全然インフラとやらの影響出てねーじゃん。
結局のところ、これで蜀が詰んだなんてとてもとても。妄言の類としか言えないよ。
742 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/13(土) 00:13:10.72
というか姜維は段谷の戦い以前に?西を占拠(正確には魏から切り離し)してたわけで
魏が漢中以北の自国領を維持できなかった時点でインフラ云々って眉唾すぎる
743 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/13(土) 00:16:11.83
?西はトウ(さんずいに兆)西のことです
>>739 諸葛亮は決戦を挑みに行ったけど生産力と輸送力を背景に司馬懿は持久して時間切れになった
廖化や姜維が西よりになったのは魏の国力と真っ向勝負を避けた
姜維の行動は結局司馬懿が農民入植させた土地にはほとんど踏み込めてないよ
>>741 国内持久してもその先がないでしょ
他国の変事を待つとか言ってるけど真っ先に蜀が天命終わったなんて議論が出てる
国がもたないんだよ
インフラが整備されて戦力が充実した西側をさらに大回りに回って西に侵攻してる
西を整備したからって西に無限遠に整備したってわけではないよ?
漢中攻める時に発揮されないからおかしいって人もいるけど
インフラ整備ってそういうもんじゃないからさ
地図くらい見ようよ
>>742 トウ西って司馬懿が整備したさらに大きく西側だろが
>>744 時間切れになってねーじゃん。
結局諸葛亮が死ぬまで、蜀軍は平気で滞在を続けてる。
司馬懿が持久したのは第4次北伐だって同じだろ。
避けてないだろ。お前が言ってる西側に廖化も姜維も踏み込んでるよ。
南安とかまでモロに踏み込んでるし。
そもそも第5次北伐の地理関係もめちゃくちゃだったし、
言ってる事は適当だってわかってるけどさ。
先あるだろ。諸葛亮死亡後に攻め込んですら、蜀が滅びたのは三十年後だぞ。
その前に魏があっさりと司馬一族にのっとられて終了してる。
国が持たないなんて妄言そのもの。
回ってないだろ。廖化とかもろに諸葛亮と似たような道で侵攻してるし、
姜維も南安とかまで平気で踏み込んでる。
地図ってあんたがいうのかいW
五丈原の位置とか第5次北伐のルートとかも平気で間違えてたあんたがW
結局、お前さんの願望とは別に、蜀は攻勢に出てすら30年平気で持ったわけ。
これで詰んでるとか、妄言そのもの。
まあ、君の妄想世界とは別に、、魏は盤石でもなんでもないからこそ、
司馬一族にあっさりのっとられて、蜀が滅びるよりも前に
皇帝様が召使300人率いて打って出て殺されてるわけだけどさW
君の願望とは別に、司馬懿のインフラ云々の影響なんて
蜀が詰んでるとかいうもんじゃないわけだし、
むしろ、君の理屈なら魏は諸葛亮の攻勢を防ぐのに窮して
司馬一族に大権を与えた時点で国家が詰んでた、でFAってところじゃないかW
段谷あたりの兵力不足って直前の大敗はもちろんだけど東興の影響もあるんだろうか?
流石に持ち直してるかな?
インフラが充実しているからといって兵力がいくらでもあるわけじゃないからなぁ
導線(動線?)の確保が出来ていても
それがイコールその地の戦力の充実とは言えないと思うけどね
その地の戦力を充実させやすくはなるんだろうけど実際は不足してるわけで
>>745 諸葛亮が死んだから時間切れと言ってるんだけどな
南安まで平気で踏み込んでないよ
その境界まで行ったけどね
>>746 俺も万単位の被害が出るような負け方したら
いくら大国だって兵力が足りない事になるとは言ってる
ただ数万の負けを喫しても軍が崩壊しない魏と蜀ってのは国力差があまりにもあり過ぎて
これがちゃんと生かせる環境が揃った時点で蜀はもう詰んでる状況だと主張してる
蜀には常に勝ち目があったとしたいようだけど勝ち目はないよ
でもそんな環境の中で蜀の面々は本当によくやったと思うよ
>>748 勝ち目無いと言ってるのも、詰んでると主張してるのもお前だけで
普通の人間は成立後30年たってもなお、魏側のほうが「兵力足りない!」
と喚いてる程度の効果しかないインフラ整備とやらで
魏の勝利が確定したなんて誰も思いやしないわけでw
ちゃんと生かせる環境整っていて兵力足りない、喚く状況になってる
のに詰みもくそもないだろうがww
しかも成立から30年たった後ですらその程度
結局その程度の影響力しかないもんに無理やりな願望抱いて
「蜀に勝ち目はない!」ってことにしないと精神の平衡が保てないのかよw
本当に見てて滑稽だわww
ていうか、お前の理論だと、兵力足りない状況下で乾坤一擲の賭けで
状況を打開したケ艾とかの活躍が否定されまくってて可哀想すぎるww
>>747 馬鹿かお前wいや、馬鹿なんだろうけどさw
三国志演義でもないんだから、司馬懿は諸葛亮の寿命なんか知らないし
それをもとにして作戦立てる事もありえないからw
結果としてみれば、諸葛亮が病で死なない限り、蜀軍は兵糧不足に
至る様な気配は一切ない体制を作り上げた時点で、
お前さんの言ってる論旨は破綻してるw
いや、踏み込んでるって
本当に知識も地理もめちゃくちゃすぎて笑えるんですがww
どんどん無理が出てきてるなw
>>744 >国内持久してもその先がないでしょ
>他国の変事を待つとか言ってるけど真っ先に蜀が天命終わったなんて議論が出てる
>国がもたないんだよ
それは蜀の方が外征繰り返して相対的に失敗したから
それも費イが殺されて方針転換があった後の話だしね
魏・西晋の状況を見れば、国内持久でもう十年、二十年待つというのは空論ではないね
八王の乱・永嘉の乱見て大成(成漢)の成立状況を見ると、蜀一帯が守りやすく、
自立しやすいのはよくわかる
「天命」なんてのは思考停止した儒者の戯言だよ
752 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/13(土) 09:10:14.87
諸葛亮は決戦を挑みに行ったけど生産力と輸送力を背景に司馬懿は持久して時間切れになった
廖化や姜維が西よりになったのは魏の国力と真っ向勝負を避けた
姜維の行動は結局司馬懿が農民入植させた土地にはほとんど踏み込めてないよ
753 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/13(土) 09:30:38.63
13試合で5勝8敗勝率385
高木休養の95年、50勝80敗勝率385
つまり今年は95年のペースでシーズンが進むのだろう
前回は暗黒阪神に救われ5位だったが、今年はそんなチームも見当たらず、最下位ドベゴンズ決定的
>>752 >廖化や姜維が西よりになったのは魏の国力と真っ向勝負を避けた
>姜維の行動は結局司馬懿が農民入植させた土地にはほとんど踏み込めてないよ
それと、当初の「司馬懿のインフラ整備で蜀が詰んだ」という結論と結びつかないのは
これまでの議論で明らかだな
230年代の司馬懿のインフラ整備で蜀漢が詰みました、なんて珍説
2ch以外じゃ相手にされないよw
つか、このインフラ君、ゲームと現実の区別が付いてないんじゃね?
国境が他国に侵略されるって大変なことだって。
ゲームなら大丈夫でも、現実じゃ大丈夫じゃないんだよ。
例えば、今北朝鮮のミサイルに日本が対処しようとしてるだろ。
これもインフラ君は「北朝鮮は日米には勝てない、どうやっても既に詰んでいるから大丈夫」とか言うのかい?
>>749 蜀に勝ち目がないのと勝負が終わるのは別の話
それにケ艾も否定しないよ
大勢力の力をちゃんと出せる人ってのはやはり得がたい人だし
最終的に蜀にトドメを刺す時の働きだけ見ても三国時代トップの将軍だと思うし
農政に関して造詣が深いのも素晴らしいし
ただしケ艾が蜀と戦って勝つための下地は既に出来ていたし
王経の大敗からケ艾の大勝の間にいくらか不足があったとしても
結局姜維に対抗出来る軍が揃ってるって時点で魏の生産力、輸送力で蜀に勝ち目ないよ
>>750 それを元に作戦立てたって話しなんかしてないけど?
魏略によれば諸葛亮は結局兵糧が足りなくなったとあり
屯田して輸送も磐石だったとは手放しでも言えないわけで
司馬懿としたら持久戦やればいいのだから延々と対峙するだけ
第四次では大敗したし直接対決を避けるのは当然だろう
当時の人には知りうるべくもないけど諸葛亮は寿命が近付いてるから
その調子で時間を稼がれたら諸葛亮の勝ち筋ないよ
合肥新城に出向いた時
?「まだ司馬懿が諸葛亮と対峙しており、援軍を送ってみれば?」曹叡「諸葛亮が倒れるのは時間の問題だ、勝利は目の前だから気にすんな」
と会話があったような
魏の首脳陣は諸葛亮の死期を予知してたのは確かだな
>>751 姜維のための手柄作りに使われた感のある北伐ではあるが
末期の蜀は経済的にも行き詰まり始めてて何年も待てるような状態じゃない
>>759 当時の士人は文通してるから1年の対陣で陣没するような病状だと
隠してても周囲の人の目には生命の危機が見えるだろうし
諸葛亮が死ぬってことがある程度予測されていた可能性はないわけではないよね
762 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/13(土) 14:30:10.37
いろいろなサイトを見てきたけど、やっぱり蜀と魏では国力に差が有りすぎだよ。
一例として、
魏・蜀・呉の国力の差。
蜀の人口94万人。 将兵10万2千人。官吏4万人(滅亡時の統計)
呉の人口230万人。将兵23万人。 官吏3万2千人(滅亡時の統計)
魏の人口443万人。(263年の統計)兵力は推定40万人。
人口比=6(魏):1(蜀):3(呉)だよ。
圧倒的に魏が上で、魏と蜀の国力の差は否定できないでしょ。
魏は2、3度、大敗しても立て直しが出来そうだけど、
蜀は詰んでないにしろ、一度大敗すると、国を失うことになる差かと思う。
763 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/13(土) 15:03:43.25
本題に戻り俺が決めるコウメイの能力。
統率・・・97
武力・・・94
知力・・・90
政治・・・40
魅力・・・85
文句ある人は正史読んでくれたまえ。
>>759 >「諸葛亮が倒れるのは時間の問題だ」
これ、諸葛亮の体調についての話じゃ無いんだけど
>>761 正史に書いてないことに賛同するのは自演ですか?
>>760 原因と結果を取り違えてる
北伐を繰り返した結果、経済的に行き詰まった
当時の経済力=労働人口だから生産現場から壮年の男性を非生産的な軍事に引っ張り出せば当然そうなる
自分の立論に都合の良い事実だけ、時系列も論理性も無視して取り上げるからそうなる
明帝記の問題の部分はこれ
秋七月壬寅,帝親御龍舟東征,權攻新城,將軍張穎等拒守力戰,
帝軍未至數百里,權遁走,議、 韶等亦退。羣臣以為大將軍方與諸葛亮相持未解,
車駕可西幸長安。
帝曰:「權走,亮膽破,大將軍以制之,吾無憂矣。」
遂進軍幸壽春,?諸將功,封賞各有差。
八月己未,大曜兵,饗六軍,遣使者持節犒勞合肥、壽春諸軍。辛巳,行還許昌宮。
どこにも諸葛亮が倒れるのは時間の問題だなんて書いてない
群臣は、孫権が逃げたので軍を退いて大将軍が諸葛亮に対峙してるので長安に行きましょう、と議した
孫権が逃げたので、諸葛亮の当ても外れ、肝をひしいだろう
大将軍が居れば諸葛亮はなんとでもなる。私に憂いはないよ、と明帝は言った
これを諸葛亮の体調についての事だという奴は中学から漢文を学び直すべき
>>765 インフラ君、「膽破」(肝を破る)を誤読したのかねえ?
現代中国語でも古典でも、「膽破」(「肝破」)って驚くって意味なのは調べれば直ぐわかると思うのに。
>>762 素人の意見だけど、兵の移動って時間かかるんだから常時対呉に3、対蜀に1、対辺境に1おいといて、戦闘地域へ援軍1だと考えると魏も苦しいんじゃない?
そもそも人口=軍事力ならこの後五胡十六国で異民族に蹂躙なんかされてない。
>>764 原因と結果を取り違えてるというのは君じゃない?
蜀の銅銭の質が徐々に悪化するのは生産人口の減少によるものではないし
自然とそうなるわけがない
>>767 そのためのインフラ整備って話しになるからね
>>769 横レスだが、銅銭の質の悪化は間違いなく生産人口の減少。
鉱業従事は成人男性でないと効率が悪すぎる。
それを軍事に取られたから鉱業生産が下がって銅銭の質が悪化した。
参考文献
『中国古代貨幣経済史研究』 柿沼 陽平
『佛教大学鷹陵文化叢書16 中国銅銭の世界――銭貨から経済史へ』宮澤 知之
>>764 ああ、書いてない事だったんだ?
士人は文通してるから知ってても不思議じゃないけど
書いてないならしょうがないな
>>772 まともに正史も読めない馬鹿はスレ汚しだから書き込まないようにな。
>>771 いや、北伐を繰り返した結果の生産人口の減少が蜀の経済の後退とするのであるなら
姜維の時代から急激な銭の悪化が起こるという事になるわけだが
蜀の銭の質の低下はそんな急激なものではないよ
そして銭の質の悪化が慢性的な人手不足である、とするのであれば
結局蜀は座して死を待つか、博打で北伐するかの二択しかないわけで
とどのつまり魏晋の崩壊を待って蜀が乗り出す、という戦い方は尚更ありえなくなるね
>>773 まともに正史も読めないバカって君だろ?
>>745でも第四次北伐で司馬懿は持久した、なんて平気で書いてしまうし
第四次北伐は司馬懿全然持久してないよ
>>774 独自の妄想振りかざす前に参考文献読め。
>>775 残念ながらそれは別人だw
少なくとも、正史に書いてないことを平然と主張するお前と同一視されたくない。
折角
>>765氏が正史引用してくれてるのに。
>>776 いやいや、銭の質の低下がゆっくりとしたものだったのに
北伐による人口減少生産力低下によるもの、とするのはおかしいでしょ
軍の維持によって生産力が常に低下するのであれば、
それはもう蜀が長期間待ってることは出来ない証拠でしかない
>>777 主張してないけど?
「書いてないならしょうがない」と言ってる
俺は単に彼らが文通で交友関係があるし、もし知ってても不思議じゃない、と言ってるだけだし
知ってると書いてないのであればそりゃしょうがない
そんな会話存在してないってだけだろ
>>780 太平百銭の変遷見てからそういうことは言ってくれ
これは四相没後からじゃなくて全体的に徐々に質が低下してるんだよ
徐々に銭を小さく薄くしていった結果「銭」の字が書けなくなって
「銭」を「金」に変えた太平百金というもっと酷いものを発行してる
>>781 あのなあ、自分の都合の悪い史実無視するんじゃねーよ。
貨幣の変化だけ見て、より悪貨の発行無視するようなことするから他の人にも叩かれるんだよ。
徐々に質の低下なんてレベルじゃ無くて悪化してるのは写真見れば素人にだってわかるだろ。
で、このどうしようもない貨幣が出たのは当に最後の北伐時期なんだよ。
参考文献読めばわかるが、太平百銭自体が無理して額面価値上げた通貨で、
それを流通させるために当初は無理してたんだよ。
それが流通するに従って手が抜かれた。
それと信用のない定平一百錢の発行は完全に別。
この質問にも答えろよ、自分の都合の悪いレスや質問は無視しやがって、クズが。
>時の士人は文通してるから1年の対陣で陣没するような病状だと
>隠してても周囲の人の目には生命の危機が見えるだろう
こんなことが正史の何処に書いてある?
>>775 やっほー、帰ってきたので書き込んでやるぞー
おいおい、司馬懿は第4次北伐でしっかりと持久してるぞー
最初に司馬懿は電撃戦をしかけて諸葛亮に逆撃をくらい、
それによって正面決戦を避けて持久戦を取ってる
んで、それで諸将からの突き上げが酷くなったので、
正面決戦を仕掛けて撃破されてる、
んで、これに懲りた司馬懿は以後は引き籠って決戦を挑まずに持久、
その間に司馬懿にとってラッキーな事に、後方で李厳がやらかしたので
諸葛亮率いる蜀軍は引き揚げ開始、それを追撃して返り討ちで張コウ戦死、
という感じなんだけど、
「正史を読めない馬鹿」ではないという君は正史に書いてあるこれらの事象を
一体どこをどう解釈して「第4次北伐で司馬懿が持久してない」なんて書いたのか
是非とも詳しい説明をよろしくね
どうせ都合悪いと珍説ぶっとばして逃げようとするんだろうけど、
こっちも長々聞いていくつもりなので悪しからずw
>>782 蜀の銅銭が徐々に悪化して行ったのは事実だろ
経済は急激に悪化したということではなく徐々に悪化したということ
あと定平一百は記録ないから「四相が死んだ後で発行」とか断定できない
高額貨幣を出しておいて徐々に質を低下させたら信用が落ちて結局経済にダメージだよ
貨幣に対する信頼ってのは一度崩れたら立て直すのは本当に難しいのに
それをあっさり「手が抜かれた」ってのは何もわかってない
>>752 時間切れ、というのは蜀軍が兵糧尽きて撤退せざるを得なくなってから
いうもんであって、第5次北伐の蜀軍は入念な準備のもとに
諸葛亮死亡時も兵糧欠乏には全然至ってなかったわけよ
これでインフラの勝利とか明らかに筋違いなんだけど?
姜維も廖化も普通に侵攻してるんだけどなあ?
君の妄想世界とは別に、現実にはがんがん攻め込んでるわけで
>>783 第四次北伐の期間は4ヶ月もない
これを持久というのか?
>>785 そこまで準備して望んだのに敵方の記録では食料が欠乏仕掛けたとあって
諸葛亮が兵糧に苦しまなかったとは言い切れない
これが理由で病気になった、とかいうのは眉唾だが
姜維も廖化も普通には侵攻してないだろ
端っこにちょっと入ろうとしては結局占領し切れなかった
>>757 本当にこっちが説明してる意味がわかってないんだな、お前w
蜀に勝ち目がないのも何も、実際に三十年たっても魏の方が兵力足りないと
喚いてるのが現状なんですがwむしろこの状況じゃ蜀の方が勝ち目ありまくり
というか、最後の蜀攻撃の時だってケ艾の猛勇が薄氷のラインをなんとか
踏み越えた、って話なのに、どこが大国の力を生かした戦いなんだよw
ていうか、段谷の戦いは何度も説明してるように、お前さんが妄想してるような
魏が圧倒的優位で余裕がある様な体制で始まったもんじゃなくて
魏の方が「兵力足りねえeeeeeeee!」とパニくって、ケ艾がその不足した兵力を
分散させるのではなく、一か所にまとめて姜維を先制攻撃で叩く事に賭ける事を
決断し、蜀側が共同軍の胡済未到着だった、という僥倖をもとにして総攻撃かけて
大破した、ってな話なわけで、明らかに不利な状況を英断によって打開した
ケ艾の猛勇と奮戦を称えるべきところなのに、お前の妄想世界だと
ケ艾のここら辺の活躍はなかった事になるのかよwケ艾可哀想すぎるだろw
自分の妄想願望をもとにして魏将の活躍すら否定とか血も涙もないな、お前w
ただ単に知識と論理が無いだけなんだろうけどなw
対抗できる軍、ってwケ艾側の方が姜維側に共同軍が到着してないという僥倖に
乗じてなんとか大破した、ってなもんで、共同軍が到着してたらやばかった、
という薄氷の勝利なんですがw本当にお前の妄想世界ではケ艾の活躍は
可哀想な程に否定されるんだなww
>>788 数万の被害出ても戦争継続できるのが大国
1万でもうヘロヘロになってしまうのが小国
大国の利を生かした戦いですね
>>769 大赦の回数見れば、姜維の北伐時期に加速度的に
蜀の政治・経済状況が悪化してるのは見て取れると思う
※大赦は基本的に人心の収拾のために行うが、
信賞必罰を基本とした諸葛亮は大赦を政治手段としては嫌っていた
大赦
諸葛亮時代 :1回/11年(223年・劉禅即位に伴う)
蒋エン・費イ時代:6回/17年(234年、238年、246年・蒋エン死去、249年、251年)
姜維の北伐時代:6回/9年(254年、256年、257年、258年、261年、263年)
諸葛亮の政治手腕の巧みさがわかると共に、如何に姜維の北伐が人心を不安定にさせていたかわかると思う
既に述べた通り、自分は費イの方針が継続していれば鮮卑の蜂起時期まで蜀が持ちこたえた可能性は高いと思う
防御に徹すれば蜀の征服が困難なのは史実で見た通り
と、ここまで書いておいて何だが、相変わらずソースを出さずに持論を展開するんだろうなあと諦めている
これ以上、この「インフラが蜀を詰ませた」論者を相手にするのやめません?」>他の諸氏
正直、結論先にありきでソースも資料も出さない相手に調べて正史やデータ貼るのが馬鹿馬鹿しくなってきたので
>>784 >蜀の銅銭が徐々に悪化して行ったのは事実だろ
>経済は急激に悪化したということではなく徐々に悪化したということ
>あと定平一百は記録ないから「四相が死んだ後で発行」とか断定できない
参考文献読め。
それとこれに答えろ、クズ。
都合の悪い質問には黙りか、ええ?
>時の士人は文通してるから1年の対陣で陣没するような病状だと
>隠してても周囲の人の目には生命の危機が見えるだろう
こんなことが正史の何処に書いてある?
>>785 いうだろ。
最初の電撃戦を破られた後は大半の期間を
引き籠って相手にお引き取り願おうとしてるんだから、
これを持久といわないんだったら持久とか何も言えないし。
>>787 敵方の記録ってなんだよ。
少なくとも蜀側の記録にはそんなもんないし。
天水の上邦を合流地点として普通に侵入してるのにか?
天水も君こと、インフラ君が必死こいて推奨してるインフラ大開発の地帯の
一つなのに、お前は一体何をいってんだかw
それから南安の方にも侵入されてるな。
本当に、どんどん叩けばぼろが出てきて無様だなww
>>788 いつも長文でのお相手乙です。
>>790 正史の引用乙です。
まともに正史読めない馬鹿相手の。
程々に相手して良いと思いますよ。
ぶっちゃけ、インフラ君参考文献なんか紹介しても読まないんですから。
お二方とも言っておられる通り、インフラ君は本当に自分の非を認めないんですよね。
>>789 詭弁はやめろって。
そんな理屈でいいんだったら、蜀も段谷の後で姜維が兵力を補充して
北伐を続けてるし、そもそも段谷の時に魏が兵力不足でピーピーいってないだろ
というか、兵力不足でピーピー言ってるのを乾坤一擲で打開したのを
大国の力を生かした戦いとかwwインフラ君はマジで馬鹿すぎて笑えるww
お前の定義だと歴史上、大国の力を生かした戦い、とやらは小国がやってる
事になるなww
>>790 姜維の失敗で一気に情勢が悪化したかというのはもちろん否定しない
というかそこのところ否定しちゃったら何も意味がないからね
俺の主張はそれ以前から蜀は徐々に悪くなってたという事だよ
銭の質低下に見られるように蜀の経済情勢が徐々に悪化していた点から考えても
そんなに待てる体制ではないってことだ
百年単位で持久して魏や晋の内紛を待てば勝ち目があるという主張はありえない
むしろ待てば待つ程蜀は衰退するしかない
北部に打って出られない情勢が作り出された後は基本的に消化試合だよ
>>794 敵対国と隣接してるとは言え所詮は辺境の一地域なのに
数万もの損害出して即座に補充利く方がおかしいから
畑から兵士が取れるわけじゃないのでね
>>795 もういい加減無理ありすぎだってわかんねーかな。
待てる体制だから諸葛亮死後ですら30年も普通に持ってるんだろ。
というか、魏の方が蜀より先に内乱で国を乗っ取られて傀儡に成り下がったし。
だから何度も北に出撃されて、魏軍は痛い目みせられてるんですが、それは…。
いいから少しは記述や根拠あげろよ、お前。
間違いだらけの妄言はいて、自分じゃろくな根拠だしてないだろ。
>>793 確かに、入れ込みすぎると馬鹿を見ますよね
>>795 >そんなに待てる体制ではないってことだ
具体的な文献とデータを出して論理的に主張して下さい
>百年単位で持久して魏や晋の内紛を待てば勝ち目があるという主張はありえない
>むしろ待てば待つ程蜀は衰退するしかない
誰もそんなことは主張していませんが?
晋と鮮卑の戦いについて調べて西暦を書き込んで下さい
>北部に打って出られない情勢が作り出された後は基本的に消化試合だよ
消化試合の筈の興勢の役での失敗が司馬懿のクーデターに繋がり、
魏そのものどころか、西晋の寿命まで縮めてるんですが?
>>796 ああ、つまり結局大敗一発で揺らぐ体制だって事だろ。
自分で認めてんじゃん。
ケ艾の英断が無く、姜維が共同軍と合流してたら当時の魏の西部戦力じゃ
対抗するのは非常に困難。詰みどころか、魏の西部支配は崩壊してたろw
結局この程度のもんだってお前自身が一番わかってるようでよかったよかったw
>>798 消化試合でどれだけ負けがこんでも勝敗そのものはひっくり返らんだろ
西晋の寿命と蜀の敗勢には関係がないし
100年単位というのは言い過ぎだったね
精々50年とかだけど、これを待てるか?
無理だろ
>>758 だってそうとでも読まなきゃお前の論旨意味不明じゃん。
魏略ってお前…。
「魏延が長安の大将が逃げ出してくれる事を前提に長安強襲策を立てました」と
蜀側の記録に一切なく、軍事的に見ても無理無理案を平気で書いてる書を
もって何をいいたいんだ?魏略はその名の通り、魏側の資料で、しかも蜀内部の
内容はかなーり眉唾が多いのに、なんでこんなもん持ち出すんだよ。
結局、食糧欠乏なんて事は蜀側の記録には一切ない。
そういうのを馬鹿な結果論っていうんだよ。寿命なんて知ってる人間いないんだから
戦国時代でいえば信長が本能寺で死亡する事を前提に作戦立てて
織田家と戦争した大名なんてどこにもいないんだよ。
当然司馬懿の予測にも入ってない。司馬懿が狙いうるのは蜀の兵糧切れだけど
その兵糧対策は諸葛亮は完璧にこなしてみせてた時点で、その論旨は破綻してる
>>799 数万人も被害出したら国が揺らぐのは当たり前
しかしそれでもちゃんと後続があって敵を防いでるのもまた事実
大敗一度では揺らいでも倒れないし、そう何度も大敗しないだろ
>>800 >消化試合でどれだけ負けがこんでも勝敗そのものはひっくり返らんだろ
>西晋の寿命と蜀の敗勢には関係がないし
一国の命運に影響を与えた戦闘を消化試合とは呼ばないですね
そして、西晋の動乱が蜀反抗の機にならないってどうして言えるんですか?
>そんなに待てる体制ではないってことだ
具体的な文献とデータを出して論理的に主張して下さい
晋と鮮卑の戦いについて調べて西暦を書き込んで下さい
早くこれに答えて下さいね
>>800 無理と言ってんのはお前だけで、しかも根拠ろくにないから
無理と思うやつの方が少ないと思うが。
というか、それ以前に現実として蜀がほろぶ前に魏の方が内乱で傀儡国家に
成り下がってるわけだし。
>>801 魏略には「劉禅が漢中に入った時に売り飛ばされた」なんて記述もありますよね
魏略の蜀に関する記述は先ず疑って掛かれ、というのが三国志研究の初歩のことも知らないんでしょうね
>>801 君は兵糧欠乏していなかったという、蜀の記録にもない
魏では兵糧が欠乏していたと判断していた
じゃあ魏の判断は間違いか?
蜀にとっての敵対者だからその弱点、欠点については誇張もあるだろうが事実もあるだろ
敵の大将は下品な奴、という資料なら放置しといていいが
敵の軍の兵糧終わってました、という資料なら放置しといていいわけがない
>>802 後続なんてどこから来たんだよ?ほれ、答えてみ。
後続なんて来てないから兵力足りないとピーピーいってんだろが。
そんでその少ない兵力をまとめて乾坤一擲の賭けに出て成功したんであって、
お前の妄想願望とは全く関係ない。
「兵力足りない」と喚いてる状況で姜維が共同軍と合流して侵攻したら
もう防ぐ手段はない。その前に賭けに出たケ艾の英断と僥倖が魏を救ったわけ
これを蜀が詰んでるとは常識的にはいわん。
とりあえず、どこから後続が来たのか答えてみ。
>>806 >魏では兵糧が欠乏していたと判断していた
>じゃあ魏の判断は間違いか?
魏側は(少なくとも辛ピと司馬懿)は蜀軍が食料切れだと判断してないですよ
明帝の勅じゃ「食料切れをまって追撃しろ」って辛ピにわざわざ持って行かせてるんで、
食料切れでの撤退だったら追撃しなかった司馬懿は命令違反です
>>804 徐々に貨幣の質が悪化している
姜維による北伐を考えなかったとしても同じペースでもう数十年悪化したら
董卓の銭よりもまだ酷くなっちゃうよ
>>806 間違いだろ。
ろくに戦も仕掛けてなかった相手の食糧事情なんて
魏側が断言できる根拠なんかどこにもない。
逆に蜀側の方が食糧対策を色々してた事は史書により明らか。
放置しといていいわけない、と思うのはお前の妄想願望だけであって
「魏延が長安の大将が戦わずに逃亡する事前提で強襲策立てました」とか
言ってる程に蜀側の内部事情に対して適当な魏側の資料で
蜀の史書には一切ない、食糧欠乏何ぞ書かれてもその信憑性なんぞ
推して知るべしだな。
>>809 >同じペースでもう数十年悪化したら
自分に都合の良い妄想乙ですw
戦線が拡大して収拾がつかなくなってない?w
インフラの整備が蜀にとって致命的であったとするには証明が足りない
よって却下とする
不服があるのならば信用に足る文献による証明をせよ
で、もうよくない?
明らかに無理があるものに付き合うより建設的なことがあると思う
たとえば武将能力を数値化してみるとか
>>1にも不毛な争いは不可とあるし
>>809 んな事いったら魏なんぞ大半の時代は物々交換だったろ。
お前の妄想世界だと、魏国内は世紀末救世主伝説の世界か?
というか、現に魏の方が蜀より先に内乱で傀儡国家に成り下がって終了した事を
どう思ってるのかはよ答えな。
>>810 戦闘はしてないが魏は蜀の陣地を見て大体の状況は把握できてる
>>811 継続的に同じ事が起こってるなら要素の変更がない限りそれは継続的に起こるものだろ
>>813 魏は貨幣発行してないし公式に税も物納で済ませてるが
魏の国内では蜀や呉の貨幣が流通して普通に貨幣経済やってる
魏が傀儡国家になってて蜀は盛んに攻めてるけど
結局結果出せなかったし持久してても変わらんだろうね
>>814 もともと陳泰は西部方面にいる人間じゃん。
しかも、王経に対する援軍は大仰に狼煙や音を立てて
姜維にお引き取りねがったものだったし。
ケ艾だってろくな兵力連れてきてなかったみたいだし。
結局そいつらが結集しても段谷の時は「兵力足りない!」状態なわけで。
>>815 遠く離れた丘の上に陣取ってる敵側陣地の内容を
ろくに戦も仕掛けず、接近もしないで、どうやって
食糧問題という内部事項を察知するんだよ、ほれ、具体的に答えてみ。
>魏の国内では蜀や呉の貨幣が流通して普通に貨幣経済やってる
嘘コケ。記述よろしく。
というか、この理屈だと蜀の貨幣が悪化したら魏は一蓮托生で沈む事になり、
逆に蜀も貨幣悪化しても呉から貨幣輸入すりゃ済む話になるだろ。
とりあえず、記述よろしく。
何を言ってんのか意味不明。
結局、魏の方が蜀より先に終了してて
晋だって内紛が色々大変だったわけで。
蜀が持久するのだって全然問題ない話になるわけで。
>>759 >>761 もうすでに他の人が答えてるけど、
その文章は諸葛亮の体調問題に関する話じゃないので。
そんなんでわかるわけないだろ。
記述もないし。
つまり国力の問題であって、「インフラ整備で(殊更)詰んだ」わけではないで終わりだね。
結局国力の問題とかいうても別に詰んでない気がするけど。
>>815 >継続的に同じ事が起こってるなら要素の変更がない限りそれは継続的に起こるものだろ
要素の変更が無いという根拠を妄想抜きでお願いします
あと、ついでに蜀での貨幣の変遷を年号付きで具体的なデータとしても
でないと検討できないので
主張するからには具体的なデータを出せるんですよね?
>>817 その後で蜀は撤退して陣を司馬懿がつぶさに観察してるだろ
減竈計の故事でもわかるように陣の跡からは色々な情報が読み取れる
魏は国として銭を廃止して納税を布などで行うようにさせたというだけで
既に市場に出ている貨幣を集めて鋳潰したりしてないよ
国が税の取立てを銭によらなくなったというだけで貨幣経済が無くなると思ってるのか?
蜀の銅銭は
蜀が持久が無理なのは貨幣の質が下がってることから国力も徐々に衰えてる
>>821 銭発行に関する要素が変わったというのであればその提示こそすべきでは?
そういう証拠がないことを以って俺は要素の変化がなかったものと主張する
要素の変化があったとするのであれば立証責任はそちらにあるよ
年代データはない
ただし太平百銭が大きさ一寸が重さが四銖で作られていたとされているのに
より小型の太平百銭が発見されてるし
小さいものも一種類ではなく複数のサイズがある
蜀では改鋳したという話しもないし徐々に縮小していったと考えるのが妥当だね
蜀の銅銭は中国各地で出土してるって書いたつもりが途中で文章切れてた
まーだいたのかよ、インフラ君
相変わらず妄言満載で笑えるな
>>822 あれ?司馬懿がつぶさに観察してる、ってのを出しちゃっていいの?
司馬懿は諸葛亮の布陣後を見て「天下の奇才なり!」と断じてるし、
その司馬懿がつぶさに観察した、というのを出すなら
司馬懿が蜀の陣地内で大量の食糧を発見して
「これほど大量の食糧を置き捨てていくなんて、諸葛亮が死んだに違いない。」
と述べてるんだけど。
無様に墓穴掘っちゃったみたいだけど、司馬懿のコメントでいうなら
蜀軍には大量の食糧が、それも本国に帰るにあたって置き捨てていく
くらいの量があったでFAになる。つまり食糧は全然問題なしと。
前から思ってたけど、本当に史書読んでないのな。
どうでもいいから、記述だしてみ、と何度も言ってるんだけど。
どうせ都合悪い所はスルーして粘着する事に執着するんだろうから。
ていうか、董卓があまりに悪質な貨幣作ったんで華北では長らく貨幣が
通用しなくなったとされてるのに、なんでお前の妄想がそんなに優先されるんだよ
んで話の続きだけど、魏が蜀の銭を使ってたなら、蜀の貨幣が悪化すれば
魏も一蓮托生という話になる。魏が貨幣ないのに他国から貨幣融通してオッケーなら
蜀も呉から貨幣融通すればオッケーになる、って所をいい加減答えろよ。
ていうか、他の事柄も全然答えてないぞ。
自分に突っ込めそうな所だけ質問返しして、都合悪い所スルーするのやめろって
何度も言われてるだろ。ほれ、さっさとしろ。
ついでに
>>822の後段については俺宛のレスじゃないけど
一言言わせてもらう。
自分で言い出した事なのに、データも根拠も出さず、要求されて窮した挙句
「立証責任はそちらにあるよ」とか寝言もいい加減にしろ。
お前がこれまでまともな根拠やデータを出して立証した事があるのか。
妄言ばっかはいて、否定されたら都合悪い所スルーして突っ込めそうな所を
質問返しする事に執着し、立証責任からも逃げ回って相手に押し付ける事に
終始して、お前自身がお前の論旨に自信も確証も持ってない一番の証拠だろ。
>>825 魏書の通り欠乏してはいた
しかし困窮して餓死者が出る程の欠乏ではなかった
魏書でも餓死者まで出てはいない
諸葛亮の死で色々な物置いて撤退したものを司馬懿が晋書の通り多数確保したというだけだろ
片方だけ信用して片方だけ信用しない理由はないだろ
>董卓があまりに悪質な貨幣作ったんで華北では長らく貨幣が通用しなくなったとされてるのに
呉も貨幣発行してるし蜀も貨幣発行してる
魏でも五銖銭を発行したり廃止したり繰り返してる、貨幣経済は営まれてる
あと蜀が悪化したら魏がおかしくなるというけど呉の貨幣もあるし
多国間で銭回してるからどっかおかしくなっても即座に道連れにはならないよ
>>826 だから根拠ない妄言断定するのやめろっていってんだろ。
とりあえず欠乏してた根拠よろしくね。
蜀の記述でも、司馬懿のコメント参考にしても、一切そんな様子無いから。
お前が最初に言い出したんだろ、「司馬懿が見てるはずだー!」とか馬鹿丸出しで
んで、その司馬懿のコメント参考にすれば、大量の食糧が蜀の陣営内に
あったわけで、全然欠乏してないわけよ。自分で言い出した事なのに
都合悪いからって勝手に曲解してんなよ。俺は別に司馬懿のコメントも
魏略も参考にしなくったってかまわんぞ?蜀側の記述使えば兵糧欠乏が
無い事は明白だから。というか、蜀側の記述では兵糧欠乏が無く、
司馬懿のコメントでも大量の食糧が発見されており、お前の妄想の根拠足りえるのは
蜀側の内部事情に関しては怪しさ爆発の魏略だけ。数で見ても2対1、
内容信憑性でいっても論理的妥当性でも圧倒的に魏略で妄想こねてるお前の妄言より勝る
どうでもいいから、さっさと根拠なり記述だせ。
あのさあ、「華北」って書いてあるの読めるか?「華北」ってどこだかわかるか?
なんで華北と言ってんのに呉蜀の貨幣発行の話がでてくんだ?
結局魏は廃止しまくってんじゃん。お前の論旨でいうなら、魏は衰退国家だな。
この点についても、俺が要求した記述も根拠も出してないようだけど、さっさと出せや。
その理屈なら蜀も自国の貨幣が悪化しても呉から融通すればオッケーって
事になっちまう。この時点でお前の論旨は破綻してる。
というか、そもそもお前の論旨でいうなら、魏の方が呉蜀より貨幣が劣ってるから
とっくに衰退してるって話になるだろ。ああ、だから蜀に何度も負けてるのか、納得。
どうでもいいから、この点についてもちゃんと根拠なり記述なり出してね。
>>827 どういった理由かはわからないが魏の場合元々貨幣を作る能力が低い
曹魏五銖の出来なんて酷いもんだよ
他方、蜀は元々良質の貨幣を多数発行したのに後半は手抜き貨幣を作るようになっていった
この違いを無視して何を言っても無駄
何でも一緒くたに考える短絡をやめようよ
>>828 どうでもいいから記述出してね。君のは論旨に根拠がまるでないから。
というか、君の論旨だと魏帝国の内部はとっくに世紀末救世主伝説並の
カオスな世界だった事になるよね。
貨幣なくてオッケーなら蜀が貨幣無くても問題ないって事になる。
なんでも一緒くたも何も、お前の論旨が穴だらけで
整合性が無いから突っ込まれてるだけ。
そもそもお前が短絡的に妄想願望で構築してる妄想世界と違って、
史実の世界は30年たっても兵力足りないと喚いてる程度の影響力しかない
インフラで全てが決まるはずもなく、魏は物々交換主体でもオッケーで
蜀の貨幣は少しでも影響が出たら国家滅亡だ、とかいう阿呆な論旨で
説明できるようなもんじゃないから。
どうでもいいから、さっさとこっちが要求してる記述なり根拠なり出してね。
何回でも要求するから。
>>829 煽り文章から論旨を抽出するの面倒くさいから箇条書きにしてもらっていい?
こういうぎろんは往々にして理屈に合わない事を云うほうが事実に近いから困るんだよなw
んなわけないだろ。本当にインフラ君は必死だな。
というか、1800年前の誰も実際には体験してない事柄なのに
>>832がいきなり理屈に合わない方が事実に近い、とか言い出してる時点で
妄想と願望丸出しだろw
「事実」とやらをお前はいつ見聞したんだよw
>>830 この程度の文章から論旨抽出するのもめんどいって
散々必死で粘着して滅茶苦茶な事言ってる人間のいう事じゃないだろ
どうでもいいから速く記述なり根拠なり出してね
議論?口汚く罵り合っているだけじゃんw
論破()目的のアホだろ
>>822 >銭発行に関する要素が変わったというのであればその提示こそすべきでは?
>そういう証拠がないことを以って俺は要素の変化がなかったものと主張する
>要素の変化があったとするのであれば立証責任はそちらにあるよ
>年代データはない
>蜀では改鋳したという話しもないし徐々に縮小していったと考えるのが妥当だね
ええと、御自分では年代データも出せないくせに、
「徐々に縮小していった」と考えて、
>そういう証拠がないことを以って俺は要素の変化がなかったものと主張する
と仰るのはどう考えてもおかしいと思います
それに関してはこう返します
データを出せない以上、貴方の妄想に過ぎず、分析に値しません
証拠を出してから言いましょう
838 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/14(日) 11:53:50.84
そもそもインフラ君は漢中に引き篭もることと秦嶺山脈を超えて戦うことの違いも分からないアホだからなあ
>>838 根拠無しで自分の妄想を主張し、それに拘って他の資料やデータを認めない時点でお話になりませんね>彼は
余所で相手して貰えないからここで暴れているという意見に同意します
>>838 漢中から出て攻撃するのが難しいのに攻撃先にインフラ整備されて防御体制が整ってしまうから
詰んだ詰んだ言うわけでね
むしろ山脈越えて魏が侵攻した時にそのインフラが発揮されないのがおかしい言う人が
山脈越えて戦うことの違いのわからない人でしょ
>>834 滅茶苦茶だの何だのって煽るのはいいから君の論旨を箇条書きにしてくれ
>>838,839
山嶺山脈とインフラは違う人。
インフラの件は読み込んでいないのでまだ、ノーコメントだよ。
○秦嶺山脈を超えての撤退は橋頭堡(漢中)あってこその有利
○諸葛亮は撤退において、戦力損耗の無いうちに余裕を以って行なっている、追撃は困難
○追撃戦の一事のみを以って、実績豊富な司馬懿を無能モノとして扱うのは不公平
んで、秦嶺山脈を超えて撤退戦において大いに不利益だったという、
根拠と実例をまだ貰って無いのでよろしくお願いします。
追撃戦を躊躇う、失敗する事が、いかに無能かわかる程度の実例であると助かります。
>>842 あと追記
正史やらで秦嶺山脈を越えて戦争に行くことに対して「撤退に不利である」という発言が見当たらないんだよね。
他の戦争では撤退に不利な場合は「撤退に不利〜」って諫言は多いのにね。
>>842 そも諸葛亮の撤退って敗戦の可能性が出たと思ったら
その可能性が実現性を持つ前に即断で行われるから
どんな戦上手でも打破できんと思うし司馬懿無能論は成立しないだろうな
先鋒が負けたら即座に撤退とか援軍出たら即座に撤退とか
輸送が滞ったらほとんど勝ちかけなのに即座に撤退とか
誰が相手したって撤退時の諸葛亮補足するの難しいだろ
>>843 書いてないだけで不利だとは思うよ
攻めるにしても守るにしても山道を通らないといけない
山道を経由している以上それ相応の不利は存在してる
ただし桟道まで引いてしまえば撤退しながら焼き捨てれば相手の追撃は断てるだろうから
撤退は不利でも危険な程の不利ではないのだろう
847 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/14(日) 14:07:48.23
ここの意見が世間と勘違いしてる馬鹿ニートだから
848 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/14(日) 14:15:44.75
というか益州だけで天下を統一した例って劉邦くらいだけど
それですら項羽他が分国化してたからこそだし
いくら益州が険阻でも長江以北を制してる国が勝つのが当たり前だと思うけどね
849 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/14(日) 14:16:13.56
A
>>846 無能じゃないなら反論ないよ
欠点は誰にだってあるし
851 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/14(日) 15:05:38.24
>>842 君の
>>656>で、姜維、死んで無いよ。
の後に
>>665で>撤退戦だったらまさに姜維が沓中からの撤退中に漢中を失陥
と書いてるんだけどね
それに対する君の反論は
>漢中という拠点があることは山嶺山脈を超えての戦いも、撤退戦の有利も確保されていると思っている
という思い込みだけ
曹操に関していえばまさに国力差や率いた軍兵だろうが。漢中戦はどっちの軍が多かったでしょうか?
張魯が結局曹操に降伏したことからも分かるように当時の劉備軍が漢中引き篭もり以上のことはできないほどの国力差だよ
撤退時において曹操側が不利なわけないじゃん
諸葛亮撤退時の司馬懿と曹操撤退時の劉備って純粋な軍事力で相手より上?下?
というか曹操親征後の劉備と曹操の漢中戦はまさに漢中引き篭もりの典型例であって
引き篭もる側が守れはするけど敵軍を殲滅できない例じゃん
秦嶺山脈を超えて”漢中でない戦場”で戦った場合と未だに区別ができていないんじゃないですかあ???
あと後蜀は秦嶺山脈上にある鳳州を後周に奪われてるけどねえ
これも漢中が背後にあれば、君の理屈だと守れるんだろうけどね
この数年後に後蜀は宗に滅ぼされてますけどね
852 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/14(日) 15:07:32.34
>>850 みんな無能とは言ってないと思うが
諸葛亮>>>司馬懿と言ってるだけでしょ
>>852 >>672によると皆が無能と言っているそうだ
あと直近だと
>>842も無能だと主張されていると言ってる
だから司馬懿無能論は成り立たないねって話で決着でいいっしょ?
諸葛亮には結構痛い目に遭わされつつも何とか国土を保ったしね
854 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/14(日) 15:26:05.85
>>853 どれも始まりは諸葛亮に対して相対的に劣ってるという話から始まってるように見えるけど?
>>846にある通りであるならば、絶対水準として無能ではないが相対的には諸葛亮以下って話だな
855 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/14(日) 15:33:14.76
>>853 >>854に追加
どれも諸葛亮に対して司馬懿が相対的に劣ってるという話から始まってるのに
なぜか司馬懿が無能な証拠を出せと火病ってるやつがいるっていう流れ
なのでそもそも司馬懿無能論などこのスレでは交わされていない
被害妄想に駆られて、そういう論が交わされてると思い込んでる人はいるけど
>>854-855 そう、だから司馬懿は無能ではないというコンセンサスは取れたってことでいいでしょ?
あとはステータスとして能力を設定する時に
諸葛亮からどれだけ格落ちにするかってのがこれからのポイントってことで
今までそのコンセンサスが取れてないと思ってた人がいたわけだから
そこを確認しながら話を進めないとね
司馬懿の政治は80台前半で良いと思う
地方の行政官・実務者としては一流だが、中央の政治には関わらせてはいけないレベル
魅力は70台以下
公孫淵の時、第五次北伐の時共に群臣から不安がられている
どちらの場合も司馬懿を庇ったのは曹叡のみ
どうも同僚から愛されるタイプではないらしい
統率は80代後半
第五次北伐の際、辛ピと詔勅がないと諸将を押さえられなかった
公孫淵討伐の際、都督令史の張静が軍中で陣営移動を口にして斬刑に処された
こういう強硬手段を執らないと軍を統制出来なかった
どちらの場合でも、職権と地位だけでは軍中を安定させられていないことに注目
知力は90代中盤
人を欺く事に関しては超一流
孟達、李勝、曹爽、王リョウといった敵方だけで無く、友人の蒋済まで欺いたその手腕は流石
軍事面に関しては機動戦に優れたが、魅力と統率が其程でも無かったため、正攻法より詭道を得意とした
ざっと考えてこんな感じかね
司馬懿・総評
知略に長けた知将なので格下相手にはほぼ確実に勝てる人材
ただし、人望や統率力にやや欠ける点があるため、強敵相手の対峙にはフォローが必要
政治面では実務能力は非常に高いが、目的達成のためには手段を選ばないので、
中央で諸官の模範になるような立場に付けるのは不適切
地方の軍司令官・州牧クラスの実務者が適任
間違っても丞相などに就けてはいけない
「丞相の役目は上は天子を補佐し、下は外敵に目を光らせ、諸侯を慰撫し、万民を手懐け従わしめ、
各々の役目を全うさせることです。局部的な区々たることに関わるのが役目ではございませぬ」陳平(史記)
「それ社稷の臣はよく社稷を立て、上下の義を別ち、その道理を明らかにし、
百官の順序を制定し、それを整え、外交上の辞令を立派にして、四方にふれまわることです」晏子(晏子春秋)
形振りかまわないクーデターは自己保身のためだからまだしょうがないとしても
州大中正を設置は弁護できないな
能力の高さというより性格の悪さかもしれん
>>840 言ってるのはお前だけで、誰もお前に賛同してないけどな。
結局三十年もの間、平気で蜀に侵攻されまくった挙句、
三十年たってすら「兵力足りない」と喚く程度の影響力しかないインフラ、
とやらで何が語れるのやら。
そうやって穴だらけの愚論を叩かれたたら、議論相手に転嫁しようとする無様な
ニート丸出し根性やめろ。最初っから最後まで、お前が史実の記述すら
ろくに把握してないくせに妄想で寝言ほざいてるから叩かれてるだけだ。
お前がすがりついてるインフラなんぞ、数十年もの間、蜀に侵攻されまくって
兵力足りない、と喚く程度のもんでしかないって、のが厳然たる事実だな。
>>841 寝言はいいから、さっさとお前の論旨の根拠なり記述なり出せや。
一回も出してないぞ、お前。
そうやって都合悪い所スルーして、突っ込めそうな所に質問返しして
粘着するのやめろと何度もいわれてるだろうが。
>>861 数万人の損害出して兵力足りなくならないと思うのが的外れ
魔法でも信じてないと無理な事だと思うんだが
俺の主張は簡単だよ
・インフラ整備で蜀の北伐は勝ち目無し
・長期間守ればその後の混乱期に勝てるという主張も間違い
理由は蜀は貨幣の質の低下からわかるように徐々に国力を落としていたから
待てば待つ程に不利
>>862 的外れも何も、お前は蜀は詰んでると連呼してたろ。
結局大敗一発で揺らぐ程度の体制でしかなく、姜維が共同軍と合流して
ケ艾の英断が防がれていたら、それで魏の西部支配は崩壊、って事になる。
これはくどいようだけど、お前が言ってるインフラ整備とやらから30年後。
結局は詰んでもなんでもいないって事でFAだな。
簡単に史実と比べて筋が全然とおってない愚論を構築したわけだ。納得。
・勝ち目無いどころか、三十年後ですら大敗一発で兵力足りなくなる程度の体制。
・単なる妄言。そんなこといったら物々交換経済の魏なんぞとっくに世紀末状態。
どうでもいいからさっさとお前の妄想の根拠なり記述なり出せ。
論破された事を何度も何度も繰り返して、都合の悪い所スルーして寝言ほざいて
それでなんとかなると思うなよ。
大敗一発というけど数万の損害出す大敗なんて普通は軍が崩壊するよ
方面軍から数万も抜けたら兵力足りなくて当然
でも陳泰、ケ艾は姜維と勝負できるだけの手勢があった
魏が物々交換というのは間違い
銭を廃止というのはあくまでも公的な通貨としての銭を廃止しただけ
その代替貨幣として布や穀物が認められるようになった
これも普通に貨幣経済だよ
物々交換とは全く違う
それに銭を何度も発行しては廃止するというのは民間取引で貨幣経済が行われているからすることだろ
ああ、布や穀物を代替通貨としたことを物々交換と勘違いしてるのか
それじゃあしょうがないな
>>864 >>865 「姜維が共同軍と合流してない間ならなんとか勝負できる」兵力な。
結局大敗一つでそこまで危機的状況に陥る程度の影響だろ。
しかも30年たってすらこの程度。いい加減馬鹿丸出しで
何度論破された寝言をほざき続けるのやら。
とりあえずさっさと記述なり根拠なりだせや。一回も出してねえだろ。
結局、何度も発行してうまくいかなくて、結局廃止、これでどこが
貨幣経済なんていうんだよ。
というか、布や穀物を貨幣替わりにして大威張りしてるようだけど、
普通は物々交換に近いっていうから、それ。
布も穀物も持ち運びにかさばる事この上ないし、貨幣経済の利便性は
まず第一に簡便さなので、かさばる布や穀物を使ってる時点でダメダメ。
というか、その根拠や記述はどこですかー?また言い逃げ妄想ですかー?
馬鹿丸出しっていうんですよー?そういうのー。さっさと出してくださいねー
ていうか、お前の理屈でいうなら
結局魏が布だの穀物だので貨幣代わりにして大威張り、なら
蜀も貨幣の質が万が一お前の妄想通りに衰退したとしても
布だの穀物貨幣代わりに使えばオッケーって事で終了じゃん。
なんだ、結局今回もインフラ君が自爆しただけで、蜀は全然問題ないでFAだな。
このインフラ君のレスは保管しとこうぜ。
色々笑えるし。
>>866 物々交換と代替貨幣の区別も付かないならいいや
うん、俺の負けでいいよ
お疲れさん
>>868 魏が重くてかさばる布とか穀物で代替貨幣として取引して大威張り、
しかも根拠や記述は最後まで出さず。
そのくせ蜀が貨幣の質が落ちたら国家崩壊確定、こんな滅茶苦茶論旨で
整合性ついてると思うのはお前だけだよ。
結局根拠も記述も一切出さなかったな。まあ、予想通りというかなんというか。
>>869 ttp://park1.aeonnet.ne.jp/~iida/kazuo/coin/3_sn.html ま、このサイトでも眺めたって頂戴な
ちなみに太平百銭の正式な大きさは24.4mmのものでこれは通典にもそう記載されている
またこの銅銭は金属としての価値よりも額面を大きくしたものだから
通貨の質を落としたら信用度が下がる
これは後漢で董卓も同じことしてハイパーインフレを起こしてたことからもわかるね?
蜀漢では徐々に通貨の質を落として行ってるわけで
通貨発行のための十全な国力が維持できていなかったということが言えるね
末期にはさらに劣悪な銭を発行しているから
蜀という国においては国力の低下=銭の質の低下というのも間違いではないしね
>>870 結局どこぞのサイトの受け売りかよ。
ていうか、そのサイトにも結局のところお前の妄想願望は一切のってないぞ。
ただ単に貨幣の紹介がされてるだけだ。
これで一体お前は何を根拠や記述としてるんだ?馬鹿も休み休みいえよ。
んで、その通貨発行の為の十全な国力が維持できてない、とやらを仮に
主張するなら、魏なんぞそもそも通貨発行の為の国力すらない、という事で
もうダメダメだろ。
ていうか、蜀の貨幣の問題についても散々上で反論されてるだろ。
そもそも魏が貨幣経済ろくにできてない現状なのに
蜀が貨幣を仮に衰退したとしても国家崩壊に至るとか寝言もいいとこ。
魏はハイパーインフレが起きた華北を根拠地にしていて、代替貨幣が精々の
物々交換主体なのに大丈夫で、
蜀は貨幣が衰退したら国家崩壊確定、こんな馬鹿丸出しの理屈を整合性とれてると
思ってんのはお前だけだよ。
結局根拠も記述もろくにない、お前の妄想だったって事じゃねえかよ。
本当にバカバカしいわ。
>>871 単に貨幣の現物知らんだろうから紹介してるサイトのURL張ったんだけどなぁ
受け売りも何もそのサイト通典の記述さえ載せてないでしょうに
魏は発行のための国力がないんじゃなくて
粗悪な曹魏五銖の例からもわかるように何かが元々足りない
曹魏五銖は後漢の五銖、他二国の銅銭と比較しても
小さく製造技術もあまり高いとは言いにくい
もしかすると銅が足りないのかもしれないが、銅山は華北にもあったはずだし
粗悪な製造技術と合わせて考えると技術か燃料が足りないのだと思うよ
取引に通貨が使われないから国力が衰えたと言うのではなく
元々質の高い通貨を発行しているのに、徐々に質を落としているから
国力が低下していると言ってる
魏と蜀では事情が違う
>>872 お前の妄想願望の根拠にも記述にもなってないサイトなんぞ出して
どうするつもりだったんだよ。適当にお茶濁したかっただけだろ。
結局貨幣一つ発行できない程度の魏ですら
物々交換でやっていけるなら、蜀は普通にやっていける、という話になるのに
お前はお前の妄想願望で魏が最強で、敵は勝手に自滅する、というようにしないと
精神の安定が保てないからそれに固執してるだけだろ。馬鹿丸出し。
その理屈なら華北ももともとは貨幣使われてたけど、使われなくなったから
もはや国力低下というのもおこがましい程の世紀末的状態になってるわけだな。
蜀が貨幣の質がどうたら、で国家崩壊確定というなら、
お前の妄想と違って華北は国力低下というのもおこがましい程の壊滅的打撃で
とっくに崩壊してるだろ。
結局さ、お前は妄想願望が先に立ってて史実との整合性とか事象との検証とか
一切やろうとしないから、「魏は盤石!蜀は勝手に自滅してくれる!」という
チートプレイじゃないとゲームしたがらないような廃人ニートみたいな寝言を
必死でぶち上げて、どれだけ否定されてもその妄想願望にすがりついてるだけ。
馬鹿らしいにも程があるんだよ。
いい加減、お前の妄想に対して史実に基づいた根拠なり記述なりを出せと言ってんだよ。
・魏は経済政策に苦慮はしてるが経済によって国が倒れたわけではない
・華北で質の悪い貨幣が発行されたけど魏という国はその悪い貨幣の発行が常態
従って悪貨の発行は魏にとって国力低下の証明ではない
漢と比較して魏の国力が落ちてるとは言えるが魏はその落ちた状態で遣り繰りしてる国家
・蜀は当初、高品位の貨幣を発行していたが時間経過で質を落としている
これは国力の低下という事が出来る、理由は上記の通り信用問題が絡むから
我が倭国と同盟結んでるのが魏だしー
>>846 ○無能という言葉が問題であるならば、
>>597から始まる司馬懿の撤退戦一事を以っての酷評に対してとします。
○慎重な諸葛亮の采配は、いかなる司令官であっても追撃戦で掃滅させるのは困難
○司馬懿と諸葛亮の統率は拮抗し、司馬懿には電撃戦の実績がある。故に統率は司馬懿に軍配が上がる
○
>>672,681ベテランの言い分を無視した采配で大失敗したのは司馬懿だけではなく諸葛亮(街亭)にもある。
○
>>682諸葛亮の采配を認め、司馬懿は固守を選んでいる。勅命はその補完になっている事を、司馬懿の統率不足に起因するのは不公平では?
○ちょっと前までは諸葛亮擁護に忙しがったが、今回は司馬懿か
○評価が極端過ぎね?
877 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/15(月) 00:24:31.63
常識的に考えれば通貨切り下げができる国とそれすらできず
物々交換国では前者の方が経済システムとしては上
こういった面で流通などに問題があったからこそ魏は辺境の地まで
兵站がもたず、十分な常備軍を西部に置けなかったのかもしれない
そういう状態って蜀にとって詰んでる常態か???
あとインフラ君の主張する
>>864>でも陳泰、ケ艾は姜維と手勢があった
ってのは段谷の戦いを受けた結果論だろう
当時、西部戦線で魏の兵力が足りないってのは正史にもあるとおりで
結果的に戦いに勝ったから勝負できるだけの手勢があったとするなら
官度だろうと張遼が指揮した合肥戦だろうと勝負できるだけの手勢があったから勝っただけとなる
段谷直前の魏の状態ってのは正史から読み取るに上記戦いほど厳しくは無かったにしろ
兵力的に足りないと書かれてるんだから戦に勝った結果をもって
「勝負できるだけの手勢があった」ってのは論理の飛躍だと思うけどね
878 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/15(月) 00:42:50.01
三国志の時代に電撃戦なんてあったのかあ・・・
現代に置き換えると
財政悪化で国防費が低下しざるおえないアメリカが魏
核実験やミサイル実験で金使いまくる北朝鮮が蜀
880 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/15(月) 00:50:32.98
世界の基軸通貨を有する米国とデノミやってる北朝鮮が
貨幣経済の蜀と物々交換の魏の喩えになるのかねえ
通貨システムの面から米国>>>北朝鮮、蜀>>>魏なのに
せめて統一通貨のせいで通貨調整できないが経済規模は大きいイタリアってのが
喩えとしてはまだマシだと思うけど、これですら国内では通貨が流通してるしなあ
>>879 たまに空気読まずにでてくるよな
こういう粘着アンチ蜀
文脈すらも読めないのか、希望から全て語っているのか
蜀を否定すれば他人から同意をうけるって考えるただの可哀想な寂しがり屋だな
>>877 じゃあ段谷のケ艾は寡兵であり姜維とは兵力に差があったとでも主張するのかな?
883 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/15(月) 01:18:38.87
>>882 正確な兵力は不明なので程度はともかくとして「当時の魏の主観」は兵力が足りない
「勝負できるだけの手勢があった」というのはインフラ君の主観
しかも根拠は戦いに勝ったという結果論
>>883 そりゃあこれまで数万とかいたのがいなくなれば
相対的に兵は足りなくなるだろう
当たり前の話では?
兵が足りない、と言ったかどうかは知らないけど
どのように足りないのか不明で尚且つケ艾が寡兵で勝ったとも書いてない
詔勅でも数については触れてない
戦い自体は重要だから大いに賞賛されるとしても
ケ艾の兵数が少ないと主張するのは難しいよ
885 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/15(月) 01:48:13.04
当時の蜀がせいぜい国規模で10万人、遠征でせいぜい4〜5万程度
蜀征伐時に魏は西部戦線6万人+中央からの遠征軍10万人
6万人というのもトウ西からの徒民でやっと養えるようになった兵力で
段谷以前はこれ以下であった可能性が高く、その中で数万人を失ってる状況が段谷直前
>>885 蜀征伐以前に行われた反乱潰しに動員された兵は20万だな
887 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/15(月) 02:01:03.96
東でそれだけ動員できれば西でも同じことができるんだあ
地勢も兵站も考慮しない人が言うことはさすがだ
後漢時点で徐予州の戸籍が890万人
涼司隷の戸籍が350万人(うち洛陽だけで100万人)
人口比率が変わらないとすれば常備軍を養う経済力も変わらんでしょうねえ
>>887 魏が動かせる最大数は史書に出た分では20万程度ってことを書いたら
地勢も兵站も考慮しないって言われても困るね
蜀征伐に出たのは合計18万で国内の反乱に対するほぼ最大の動員とそう変わらない数だよ
6万は方面軍やってたケ艾と諸葛緒、10万が鍾会、出所不明の2万
そう変わらないってのは言いすぎだね
2万の差は大きいわ
>>884 兵力足りないからまとめて打って出よう、なのに
兵力が十分だの数十万だの、お前の頭は正気か?
>>886 >>888 >>889 その20万、という数字は西部方面から出されたと考えるのはおかしい
丁奉が魏の大軍20万を奇襲で破った時に戦力分析として
「敵ははるか許昌からまで兵力を動員してる。これだけ大規模な動員を
してきたからには必ず勝つ、という気持ちがあるのだ」と言ってる。
要するに、そういった20万もの大軍ってのは地方方面軍だけでなく、
魏の中央や北部などから召集してかきあつめた兵力であって
常時それだけの兵力がいるわけないだろ。
だから段谷の直前には兵力が足りない、という状況になってる。
一地方面だけで20万動員できるとか、お前の頭は正気かよ。
>>874 だから、それお前の妄想と願望だから。
貨幣の質が悪いのが常態、というが、もともとは華北でも貨幣は使われてた。
しかし、董卓の失敗や、魏の貨幣再建失敗で貨幣経済が出来なくなってただけ。
お前の理屈でいうなら、華北は貨幣経済が衰退しまくってるから世紀末状態になってる。
貨幣経済が使えなくなっても、魏なら大乗で蜀ならダメ、というのは単なる願望。
いい加減に根拠や記述を出せと言ってるだろ。結局まともなのを一回も出してないぞ。
892 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/15(月) 08:00:54.28
剽悍で機敏な南国山岳兵と、気候条件ゆえか兵士の性格が違う。
>>876 >○
>>672,681ベテランの言い分を無視した采配で大失敗したのは司馬懿だけではなく諸葛亮(街亭)にもある。
街亭のは人事ミスで采配のミスじゃ無いよね
作戦案は妥当だったのに指揮官がそれを無視したんだから
>○
>>682諸葛亮の采配を認め、司馬懿は固守を選んでいる。勅命はその補完になっている事を、司馬懿の統率不足に起因するのは不公平では?
いや、現場指揮官の判断を中央にバックアップして貰わないと駄目なのは、明らかに統率不足
辛ピは中央で衛尉やってたのをわざわざ大将軍軍師・使持節にして送り、
諸葛亮死去で蜀軍が撤退した後は中央に戻して衛尉に復職させてる
これはちょっと誉められない
>○司馬懿と諸葛亮の統率は拮抗し、司馬懿には電撃戦の実績がある。故に統率は司馬懿に軍配が上がる
作戦は知力に持って行った
統率の第一義はまず軍の統率、きちんと部下を動かせるか、という点にある
直属の軍を率いるのに強硬手段や勅令が必要な時点で司馬懿の統率に高い評価は付けられない
>○ちょっと前までは諸葛亮擁護に忙しがったが、今回は司馬懿か
>○評価が極端過ぎね?
誰かと勘違いしてるようだが、自分がこのスレで数値評価するのは初めて
おかしなレッテルを貼るのでは無く、お互いに数値を出した上で根拠を添えて冷静に議論しませんか?
レッテル貼りと揚げ足取りしか出来ないなら貴方と議論をする意味は無いのだから
>>878 無いよ、でも、それを認めない人がいるだけ
電撃戦はグデーリアン以降
電撃戦=行軍が早い
程度にしか考えてないんだろ。
上で電撃戦の用法を否定されてるのに開き直ってるな。
その程度の知識しか無いんだろう。
蜀豊臭のするスレに成り下がったな。
>>897 議論できない馬鹿に限ってこういうレスするんだよな。
>>894-896 電撃戦に関しては一度指摘したのでこれ以上はスルーで
そこにツッコミ始めると議論が大幅に逸れるので
自分の司馬懿の評価は
>>858-859で示しているので、それに意見があればどうぞ
>>890 まとめて打って出ればまともな勝負になる数はいたってことだろ
寡兵で姜維を打ち破ったというのであれば誉める時にこちらの兵は少なかったって誉めるだろうが
そういった賞賛をしてる人はいないね
数十万とか言った覚えはないよ
どこでそう書いてあるのかな?
「まともな勝負になる数がいた」と主張はしている
数万も抜けたら兵力は抜ける以前と比較したら足りなくなるのは当たり前
でもそんな足りない状況でもまともな勝負になるだけの数がいたのが魏
あと常時それだけの兵力がいるなんてどこに書いた?
俺は魏の最大動員は20万程度ということと蜀征伐時に動員されたのは18万という数字を出しただけだよ
攻撃的になるあまり文章読めなくなってきてないか?
>>891 貨幣経済がなくなった、というのであればその根拠を出してくれ
史書にあるのは「貨幣を罷った」というだけで貨幣を公式に認めなくなったというだけだぞ?
無根拠に嘘を書くのはやめたまえ
少し目を離してる間に300くらいレスが進んでいてビックリ
過去のレスで自分も、「曹真は諸葛亮と互角の勝負してたけど、司馬懿は諸葛亮より劣るんじゃないか」みたいなこと言ったけど、司馬懿が無能だなんて思ってない、っていうか有能だと思ってる
たしかに張郃との相性や、急遽対蜀防衛戦線を構築した曹真に比べると、司馬懿はちょっと劣るかもしれんけど、言うほど差はないと思う
まあ性格の良さは曹真>>>司馬懿だと思うけどw
なんか極端な流れになりやすい気がする、このスレ
曹真は涼州三郡反乱鎮圧や、陳倉攻めを読んで城を強化したり、武都攻めを読んで住民移住させたり、マジで色々やってんだよなぁ…
司馬懿は曹真から体制を受け継いだから曹真より楽なはずなのにけっこう後手後手で、張郃の意見無視して張郃死なせたり、そのせいかわざわざ曹叡から専守防衛戦略を助言されたり…
>>903 >そのせいかわざわざ曹叡から専守防衛戦略を助言されたり…
助言ではなく、明確な命令ですね
詔宣王:「但堅壁拒守以挫其鋒、彼進不得志、退無與戰、久停則糧盡、虜略無所獲、則必走矣。
走而追之、以逸待勞、全勝之道也。」
詔と書いてありますから詔勅=公式な皇帝の命令でしょう
しかもそれでも足りずに九卿の一つである衛尉の辛ピを大将軍軍師・使持節にして送ってるので、
司馬懿の軍中の意見統一を不安視してたのはまず間違いないかと
こんな例は無いですよ
大将軍の統率力を信頼出来ないと天下に示すような物じゃないですか
余程前回の張コウを失った時に西部方面軍の軍中での信頼を失ってたとしか思えません
まあ、この方面が初めての元荊州方面軍司令官が曹操の代からこの方面の指揮官やってた張コウの意見を
悉く退けたあげく、郭淮に兵糧不足をフォローして貰って正面対決で負け、
やっちゃならん追撃を反対した当人にやらせて死なせてれば、そりゃ軍内部で信用されるわけがないんですが
そりゃ、張郃戦死のインパクトは大きかっただろう。
なにせ張郃は歴戦の将ってだけじゃなく、曹操を支えた天下に名高き五将軍、その最後の生き残り。
当時の魏軍の立場になって考えれば分かる。
上役の曹真は鋭い戦略眼を持ちながら、「恩賞が足りない者がいれば自らの財産を与えるなどした。このため曹真は将兵から人望が厚く、その率いる軍の団結力も強固なものであった」というような人柄で、経験豊富な現場主任の張郃とも上手くやっていた。
ところがその曹真が死ぬと、何を考えているのかよく分からない未来の簒奪野郎・司馬懿がやってきて、おまけに蜀軍に大敗。
挙げ句の果てに何故か張郃の意見をスルーし、その本人を強制的に死地に送り込むという意味不明な行動に出る。
司馬懿がやってきた前後に、信頼できる上司二人が立て続けに死亡。
魏軍の動揺たるや、如何許りか。
蜀の手先と疑われてもおかしくないレベル。
諸葛亮もビックリしたんじゃなかろうか。
結局は曹叡に従って長期戦に持ち込んで諸葛亮が過労死したせいで、なんとかなった。
最後に諸葛亮を称して「天下の奇才なり!」というまでの流れ、完全にマヌケですわ。
晋age魏sageが多少なりとも起こっているであろう陳寿著「三国志」からですら、これくらいは読み取れる。
>>900 寝言をいうのはやめろ。
共同軍が到着してない間の蜀軍となら勝負になる、ってのを
どこをどうやったらそんな考えにいたるんだか。
ケ艾はこの戦いの前に「洮西の敗北は我々に小さからざるものを失わせた。
軍は破られ、将は殺され、倉は空虚で、百姓は流離し、まさに存亡の危機だ。
しかも蜀には勝利の勢いがあり、我らは虚弱状態、しかも蜀軍は上下にわたって
よく経験を積み、装備も整った精鋭に対し、我らは将兵共に新しく、武具の修復さえろくに終わってない」
と述べてるくらいボロボロな状態なわけで。到底お前さんが妄想するような余裕はなくて
ボロボロで戦力的にはギリギリ、ケ艾本人が認めるくらいに存亡の危機だよ。
いい加減、これだけ圧倒的不利な状況でありながら乾坤一擲で兵力をまとめて打って出たケ艾の猛勇を
称えるべきなのに、お前は妄想願望で余裕があった事にしてるから、ケ艾の英断は
完全にスルーされてんのな。哀れな限りだわ。
お前が
>>885の人が一地方にいる兵力を分析してるのに対し
征伐軍で20万とか言い出してるのはお前だろ。
常識的に考えても、正史で見ても、一地方でそれだけの兵がいるはずがなく
一地方にいる兵を考えてみれば
>>885さんが分析する兵力くらいになると
考えるのが妥当なのに、いきなり反乱鎮圧で20万とか言い出しといて
今更論旨ころころ変えるなよ。
どうでもいいから、お前の妄想世界の根拠なり記述なり出せといってるだろ。
さっさとしろ。今まで一回も出てないぞ。
>>901 都合悪くなったら詭弁と質問返しで返す癖もやめろと何度もいわれてるだろ。
国家が公式的に貨幣を認めてない以上、それでもなお貨幣経済が魏にあったと
主張するならば、お前がその根拠を持ってくるのが当たり前。
無い事を証明するのは悪魔の証明であり、記述を無視してなお貨幣経済が
あったと主張するなら、お前がそれを証明するのが筋。
しかも、こちらの事を嘘とまで断じた以上、当然お前にはそれ相応の証拠なり
きちんとした根拠や記述をもとにして立証された論旨があるんだよな?
まさか「無根拠に嘘をついた」わけじゃねえよな?
毎度毎度妄想で寝言ほざいて、都合悪くなったら質問返しして、
相手に立証責任を押し付ければ済むと思ってるようだけど、その手が通じると思うなよ。
ほれ、さっさと立証してみろや。ああ、それから代替貨幣は無しな。
代替貨幣で貨幣経済とかいうなら蜀が貨幣衰退どうたら、とかいっても
なんの問題もない事になるんで。
>>907 根拠は魏では貨幣経済を廃止したという根拠がないことで示せる
魏がやったことは銭を公的な貨幣としないことだけ
市場にある銭の全回収とかはしてないし
民衆が銭を使う事を禁止したこともない
そして魏の領域から呉蜀の貨幣は出土している
反論があるなら貨幣経済が廃止されたという根拠を出してくれ
魏で銭を全部回収していたと言うのであれば満点の根拠になるだろうね
根拠なき嘘はやめること
>>907 追記
史書に書いてないことを主張しているのは君の方だということをよく理解するように
魏でやったことは貨幣を公式な通貨としない事だけ
それ以上の事をしたというのであれば証拠が必要だよ
>>909 寝言いうのはやめてね。
貨幣を公式的な通貨としない、と魏でわざわざ言ってる以上、
それで貨幣経済が回ってると主張するならば
ちゃんと貨幣が流通してたことを君が証明する必要があるわけよ。
自分で言い出したことなんだからできるよね?
速く根拠や記述出してね。よろぴく〜
>>908 そんなもん根拠にならないな。
そんな理屈でいいなら、蜀だって貨幣発行しなくなっても、
それまでに流通してる貨幣があるから問題ないな。
呉とかから貨幣を流通すれば問題ない事になるな。
毎度毎度の事ながら、お前が毎度主張してる「蜀の貨幣衰退で国家崩壊!」
という妄想願望は崩れるの早いな〜。
はいはい。魏で貨幣を公式に認めない方針になってるのに
それで貨幣経済が流通してた、とするならば君がその証拠を出す必要があるね。
貨幣経済が魏で流通してた記述出せば満点だね。
んで、上にも書いたけど、過去に流通してる貨幣、もしくは外国からの貨幣で
国内の貨幣経済を回せる、というならば、蜀だって最悪貨幣発行しなくなっても
それまでに流通させた貨幣でオッケーになるし、もしくは呉から融通すれば
オッケーって事になるよね?
いい加減、妄想願望をもとにして根拠のない嘘をつくのはやめてくれたまい。
というか、スルーしちゃってる他の部分の根拠や記述はどうしたの?
答えられないの?
>>893 ○作戦案として要所に選んで人材を置く行為が采配ではないと言うの?
○部下を統率するに君主の威を借るのは普通じゃないかな。
○統率談義から始めるの?
○というか、それ、いきなり君の価値観が設定されていて、それを基準に批判されると、少し困る。
○数値は出さない。出せない。なんの基準も無しにポンと数字を出しても主観優先すぎるね
○統率(総司令官としての資質)を決めるのに、諸葛亮、司馬懿クラスを台として仮定した場合
○司馬懿>諸葛亮だから、司馬懿が92で(劉備91)諸葛亮は90なんて感じに主張できるかもしれんけどね。
○で、自分は誰に何のレッテルを貼ったんだろうか?
>>912 >○作戦案として要所に選んで人材を置く行為が采配ではないと言うの?
人材選択と作戦は別物ですよ
司馬懿の場合、作戦>追撃 人材選択>張コウ でどちらも失敗です
>○部下を統率するに君主の威を借るのは普通じゃないかな。
九卿をわざわざ臨時に勅使として送った例はありませんが
>○数値は出さない。出せない。なんの基準も無しにポンと数字を出しても主観優先すぎるね
では、このスレにいる必要は無いですね、さようなら
>○ちょっと前までは諸葛亮擁護に忙しがったが、今回は司馬懿か
これはレッテルでしょうに
どのみち、数値を出さないようならこのスレにいる必要は無いでしょうし、貴方を相手にする必要も無いです
絡んできただけでスレの趣旨に反する人を相手にするつもりありませんので
スレ汚しになるのでレスは不要です
時間の無駄だったな
こんなクズばかりなのか、このスレは
914 :
885:2013/04/15(月) 22:14:54.08
>>888 というか段谷の足りないは西部の常備軍について言ってるんだがな
だからわざわざ方面軍と遠征軍を分けてるのに
で段谷以前の魏は西部常備軍だけで「勝負できるだけの手勢があった」んですか???
263年の蜀討伐時の6万人というのがトウ西からの徒民を含んで養えた数
狄道の戦いの戦い時点で5万人程度だとして、そっから数万の兵を失ってるわけで
それが1年で回復するという前提で無い限りは蜀に対してかなり劣勢だったと思われる
915 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/15(月) 22:22:13.33
魏が公式に貨幣を認めなくなったってことは
政府が信用供与した通貨が国内になくなったということ
この場合、起こるのは外貨が民間で流通するという形
民間ベースで三国の交易がつつがなく行われてたとすれば
外国政府が信用供与している通貨が高騰する
つまり蜀や呉の通貨が魏で高騰するから両国は通貨を切り下げても魏から安いコストで輸入が出来たと思われる
ルーブルの信用が崩壊したときのロシアでドルが流通したみたいなね
もちろん当時の流通網や国境の状況から完全な自由交易が行われてたとは考えにくいが
完全に分断してる前提で話すよりはマシな推測ができると思われる
916 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/15(月) 22:35:38.49
>>908 よく見たら
>そして魏の領域から呉蜀の貨幣は出土
とあるな
蜀国内の通貨が流出したから通貨の価値を下げた(そして流通量を増やした)だけで流通しているモノそのものの価値は変わっていないってことだな
蜀が貨幣の質を落としたのはただ単に通貨が流通していない魏に対して信用力があるからというのが理由って自分で書いてるじゃん
まあ理解できてないから
>>874みたいなトンでも理論を振りかざしちゃうんだろうね
これは清の輸入超過に伴う銀貨流出じゃなくて信用創造の拡大と
それに伴う通貨価値の薄まりだから蜀の貨幣改鋳は国力の低下が問題ではない
>>916 信用が下がるから貨幣の質を落とすのは蜀にとってしたくない事であるという文章を
どう読むと
>蜀が貨幣の質を落としたのはただ単に通貨が流通していない魏に対して信用力があるからというのが理由って自分で書いてるじゃん
と読めるんだろう・・・
魏が滅ぶ以前に鋳造の終わった太平百銭が晋代の墓からも発掘されてる
晋もまともな統一政府としての貨幣は発行できてないから
魏どころか晋でも蜀の銭使って貨幣経済やってたってことがわかるね
あ、貨幣経済が魏では行われていなかったという証拠出そうね
国は銅銭の回収行った記録もないし、民間に出回った銭は
政府の保証なんてなくても金として用いられてる事は上記の通り
滅んだ蜀の銭が立証してくれてるからね
918 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/15(月) 23:29:20.41
>>917 貨幣経済が行われて無かったとは言ってないぞ
別の人と勘違いしてないか???
魏の通貨が外貨で賄われていて呉蜀から通貨が流出しているなら呉蜀が貨幣価値は落とすのは当然
だってモノの量に対して貨幣が足りない状態なんだからこれを放置するとデフレになって経済後退
FRBもディスインフレを防ぐためにマネーサプライを増やして通貨の価値を落としているわけで
QE3の目的は雇用だが、QE2までは明確にディスインフレ対策だったぞ
>信用が下がるから貨幣の質を落とすのは蜀にとってしたくない事
だいたいお前の主張する信用って何よwww
貨幣の信用を落とすことでどんな因果関係で経済が悪化するんですか???
国が経済破綻するわけでもないのであれば、改鋳はただの通貨安政策だし
魏で蜀や呉の通貨が流通しているのならば、蜀や呉内で通貨安にしなきゃ
蜀や呉の産業は魏に対して競争力を失うだろう
魏の貨幣経済が蜀や呉の貨幣で賄われていたとするならばそういうことになるんだが???
919 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/15(月) 23:31:42.97
たしかに国が経済破綻すれば通貨の信用はなくなるが
蜀の「経済」が破綻寸前だったという根拠がないと無理
そうでないのならば、通貨安政策を行ったというだけの話
>>917 おいおい、その人と俺は別人だぜ?
お前の愚論に反論してる人間が一人だけじゃないと思いこみたい気持ちは
わかるんだけど、思い込みで発狂してる様はあまりにも無様すぎだぜw
おいおい、貨幣経済が流通してるというなら、その証拠出せばいいだろうに。
ていうか、肝心な所を答えてもらってないぜ?
その「過去に鋳造した貨幣で貨幣経済はオッケー」という理屈なら
お前さんの主張してる「貨幣衰退で蜀は国家崩壊!」とかいう愚論は粉々だぜ?
なにせ、お前さんの理屈に従うなら蜀が最悪、貨幣流通をしなくなっても
「過去に鋳造した貨幣」を使って貨幣経済を回す事が出来るようになるんだからなw
もしくは呉から融通するのでもいい。お前さんの理屈ならなw
こんなに自分の言ってる理屈でがんじがらめになってる奴も珍しいな、本当に
ここんところを早く答えてくれよw
お前がこの事を素直に認めれば、お前の愚論は完全崩壊でめでたしめでたし
なんだからw
>>920の蜀が最悪、貨幣流通をしなくなっても、の所は
蜀が最悪、貨幣発行をしなくなっても、の方が意味が通りやすいか。
インフラ君、よろぴくね〜
>>918 そうかそうか
じゃあ「魏の経済は物々交換ではなかった」
これでコンセンサスが取れたということでよろしいか?
923 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/15(月) 23:42:53.41
ちなみに江戸時代は金の含有率を減らして
インフレが起きるたびに景気が拡大してたけどな
むしろ、貨幣の質を維持するためだけの緊縮政策は
井上財政(旧平価での金解禁)含めて不況しか生み出さない
まあ、魏に貨幣経済があったかは分からないが
その前提が外貨を所与としたものであれば、蜀の貨幣価値引き下げは経済的に普通のこと
むしろ貨幣の価値が下がる=モノの価値が上がるで経済が成長している過程だと思うんだが
逆に魏に貨幣経済が無いのなら経済システム的に蜀以下確定
そもそも魏に貨幣経済があったかどうかなんてどうでもいいことだと思う
だってあってもなくてもインフラ君の論理が間違いなわけだし
>>920 国が新規貨幣を発行するのにその貨幣の質を以前より落とすということは
貨幣発行差益によってその分儲けを得ているということになる
しかしそんなことをすれば儲けを得た時はいいが、貨幣の信用が下がり
必然的にインフレーションを起こす
民政混乱の元だし董卓もそれで一時的な利益を確保しつつ後漢経済をぶっ壊してしまった
過去に発行した貨幣で経済を回せるなら回せばいい
実際後漢はそうやって経済を回していた
だが蜀は新規に貨幣を発行し、しかも貨幣の質を落として差益を国の懐に入れてしまった
これで蜀という国が国力を徐々に落としてないということになるとでも思うなら
君は経済について何も知らないんじゃないかと思うよ
>>922 横から悪いが、それについての説明はお前さんがすべきだと思うが。
コンセンサスも何も、お前さんが「魏は貨幣発行してなかった!
でも過去に鋳造した貨幣や外国からの貨幣で回していた!」と
主張するならば、お前さんのそもそもの主張である「蜀の貨幣衰退で国家崩壊!」
とかいう愚論は崩壊する事になる。蜀だって過去に鋳造した貨幣や、外国からの
貨幣で貨幣経済を回していけばいいんだから。
というか、そもそも貨幣の信用だのなんだの言ってるけど、魏が公式には貨幣を認めず
「過去に鋳造した貨幣」や「外国からの貨幣」に頼ってたとするならば
これまた国家の保証なしに過去に鋳造された貨幣や、外国からの貨幣で貨幣経済を
回していけばいい事になっちまう。つまり、蜀の貨幣の信用とやらが、
お前さんの愚論通りに仮になくなったとしても問題なくなっちまうんだよ。
もともとさ、蜀が詰んでると決めつけて精神の安定を保ちたいために積み上げた
愚論なんだろうかさ、あんま執着する意味ないだろうに。
とりあえず、ここら辺を早くこたえてくれやw
>>923 江戸時代は幕府が物凄く民衆から信頼を受けていたし
小判の発行は幕府のお仕事だったから上手く行った
統一的な政府によるリフレは問題じゃないんだよ
三国経済はそんな簡単な話ではないよ
927 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/15(月) 23:48:25.08
横からで悪いが、
「貨幣の中国古代史」の
254Pに、当時の魏に
穀物を湿らせて重くしたり、劣悪な絹を使うという状況が広く見られ、
穀物・絹を貨幣とすることの大きな問題点であり続けたとあり、
魏は銅貨幣の発行に着手しようと試みたが銅不足は解消できなかったとある
また、258〜259Pに、
蜀は豊かな銅産を背景に、相当量の鋳造量を誇り、蜀でかなり努めたため、
蜀銭が魏や呉へも流れ、魏や呉でかなり発見される、とある
どう見ても、ニュアンスは蜀が豊かだったとしているとしか思えない
蜀が北朝鮮とはどこぞのアホがのべているのか
蜀=ドルを発行しすぎたアメリカ
魏=ルーブルが通用せず、ドルが流通したロシアだろう
そう考えれば、ろくに蜀討伐軍も出せず、防戦一方だったというのも分かる
>>925 >お前さんが「魏は貨幣発行してなかった!
>でも過去に鋳造した貨幣や外国からの貨幣で回していた!
そんな主張してないからな?
魏は曹魏五銖が近年発掘されてて一旦は自分でも貨幣発行してるって上でも散々述べたよ
横からというのであればログ読んで出直してくれ
>>924 いや、それお前の願望と妄想だろ?
現に貨幣経済がぶっ壊れた華北地域でも、お前さんの主張なら普通に
「過去に鋳造した貨幣」で貨幣経済が回ってる事になる。
だったら蜀も最悪、貨幣発行しなくなっても、過去に鋳造した貨幣で回していける
事になってしまう。むしろ、董卓程に酷い貨幣は作ってないから
華北よりはるかにマシな状況で経済を回せる事になる。
信用だのなんだのいってるけどさ、そんな事いったらそもそも自国で
貨幣を発行せずに信用保証もしない国のほうがよっぽど経済的に悪化してる、
となるのが経済の常識だろうがww馬鹿すぎて笑えるww
抽象的に現代経済学持ち出してきてるけど、結局抽象的に相手を威圧してるだけだし、
こいつが具体的にどれだけ説明できるか凄い疑問なんだけどww
930 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/15(月) 23:50:32.30
蜀の通貨がそこまで信用力無いなら
政府が信用供与した通貨が無い魏で
蜀からの信用力の無い外貨による貨幣経済が回っていたら
ジンバブエ以上のインフレになるんじゃなかろうか???
ジンバブエですら自国通貨はあるし、流通していた外貨は信用力の高いドルだったし
>>928 いや、してるじゃん。
自分でも「貨幣発行してるけど廃止した。」と述べてるから
結局失敗したってこったろ?
失敗した貨幣になんぞ意味はないし、最終的に魏が貨幣公認をやめたなら
お前さんの論旨の行きつく先は「魏は貨幣発行してなかった!
でも過去に鋳造した貨幣や外国からの貨幣で回していた!」
ていうか、どんどん言ってることが抽象的になってきてるぞww
もともと具体的に言える部分がゼロに等しかったが、もはやマイナスの領域だなww
932 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/15(月) 23:54:06.60
>>926 どんな経済であっても自国通貨が(程度はともかく)信用される国>>>自国通貨を持たない国だよ
>>927 分かりやすい説明ありがとう
わざわざルーブルを出してくれてありがとう
>>927 蜀が豊かでなかったという主張はしてない
徐々に質を下げて発行される貨幣に準じるように
蜀の国力も逓減していったという事を主張している
934 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/15(月) 23:56:14.02
そもそも魏が公認しなくなった貨幣を「過去に鋳造した貨幣」と位置付けたとして
こいつが流通して経済が回るのか?
これこそ誰も信用しない糞通貨だろwwwwww
>>926 横から悪いけど、
だったらお前が現代経済を持ち出して
三国時代の貨幣経済を語ろうとすること自体が間違いじゃん。
だから
>>924で挙げられてるお前の愚論は完全に現代経済を基本としてるものなので
三国時代には適用できない、とお前の理屈ではなる。
よってお前の主張する「蜀の貨幣衰退で国家崩壊」というのは無理。はい終了だな。
936 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/15(月) 23:59:17.64
>>926 別に幕府に限らず、貨幣の価値が落ちるのはモノ・サービスの価値が上がるということ
蜀で「ハイパーインフレ」が起こったのでない限り、経済成長を所与としたインフレでこと済む話
で蜀の貨幣の信用力低下のデメリットは???
>>931 魏は発行していなかったとは主張してない
それでは意味が全く違ってしまうだろ
わざわざ変な主張を捏造するなよ
その上で話を続けるけど「貨幣経済はなくなった」とする主張に対して
過去に発行された貨幣でも経済は回ったという反論をしている
実際後漢も五銖銭を初期に大量に作って以降、王朝が滅ぶまで改鋳はしていなかった
938 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/16(火) 00:01:03.73
>>933 横から悪いが、
その理屈だと、百年前には300円とか大金だったけど
今じゃカレーライス一杯食うのだってやっとの額と価値でしかないが、
日本の国力は百年前以下か?
貨幣価値の相対的な下落は経済の進歩の一指標だったりもするわけで。
本当にお前、現代経済持ち出してるくせに、こんなことも把握してないのかよww
>>937 結局失敗したんだろ?
最終的に魏は貨幣公認やめたんだろ?
だったらそれ以後は貨幣なんぞ発行してないも同然だろ。
意味や方向性はこれでぴったりあってるぞ。お前の妄想と違って。
ああ、それ何度も聞いてるから。んで、その理屈でいうなら
蜀が最悪、貨幣を発行しなくても「過去に鋳造した貨幣で経済回せる」で
終了になり、「貨幣衰退で蜀は国家崩壊!」というお前の愚論は完全崩壊だな、となるわけだ。
941 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/16(火) 00:04:12.38
>>937 で後漢は五銖銭を公認しなくなったわけ?公認したままだったろ???
魏の場合は公認しなくなったから過去の鋳造貨幣は意味がないわけだが
だから蜀や呉の貨幣が流通したんだろうよ
後漢が信用供与したまま、魏が信用供与を無くしたという経緯を無視してよく適当なことが言えるな
魏は他の2国と違い良質な銅産地が少ない
董卓により貨幣への信頼が薄れていた地域である
銅の産地が少なくまた開発により燃料も不足している
土地が単純に広いため行き渡らない
(貨幣を貨幣として使用するためには使用単位となる範囲に行き渡る必要がある)
単純に鋳造技術が低い
上記などの理由でし
>>927 蜀の貨幣が北朝鮮のミサイルまで読んだw
944 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/16(火) 00:07:34.96
整理
後漢
初期に五銖銭を大量に発行、改鋳せず
しかし、政府の信用供与は維持されたので流通
過去に発行した通貨で経済が回る
魏
五銖銭を発行していたが政府が非公認に
魏が過去に発行した通貨は信用を失い、外貨が流通する
途中で送信しちゃった
すまんね
上記などの理由で私鋳が増える
今やってもイマイチじゃね?
諦める
のループだったと記憶してるんだが
>>943 ええ?つまり、蜀の貨幣は外交のカードとなりうるだけの
戦略兵器って事か?
すげーぜ、蜀。貨幣一つで国家外交を左右できるなんて最強じゃねえかw
インフラ君が主張する「蜀の貨幣衰退で国家崩壊」とか愚論もいいとこだなww
魏を無理矢理擁護して、蜀を貶めようとしてこの結果
いつも魏オタのアンチ蜀か
トウ卓からの経済崩壊を解消しきれなかった罰として、
連帯責任で、魏の政治家(武将はいい)は、大局的な内政能力に欠けるとして、
全員一律、政治力は−5していただきたい
正史でマンセーされるだけの儒教的評価だけに偏るのは全くいただけない
別に政治に信用があれば、銅不足だろうとなんだろうと、曹魏五銖銭も流通するはず
また、過去の悪貨を回収したり、富豪がもっている良貨を吸い上げるなりできるだろう
誰にもどうにもならなかった可能性もあるが、
それ以上に魏政府の首脳陣に経済的な内政力が欠如していた可能性の方が高い
これで、魏が後世から非難され、蜀がたたえられた内政能力も再現できる
あれが蜀漢正統論だけでなく、実際に蜀の内政の方がうまくいっていった可能性も充分あると思う
>>935 現代経済なんて持ち出してないが?
リフレは最近よくメディアでも出てくるけど
端的に言うと悪性インフレにならない程度にインフレ率をコントロールしたインフレーションの事だぞ
幕府のように改鋳を繰り返して金の質を下げてでも貨幣の需要に合わせて十分にばら撒き
インフレさせていくのはリフレとして間違いない
蜀でそれをやったら大変だ
蜀という国は強い信用のある通貨を発行している
国外に多数の通貨が出ているということはその強い信用のある通貨で国外の物を買っているということ
その信用が失われたら国内のみならず国外でも通貨の価値が下がる
質を落として通貨量を増やしてインフレさせても強い通貨が弱くなるだけだぞ
>>936 末期以外でハイパーインフレなんて起こるわけがないと思うぞ
信用低下のデメリットは相対する呉との取引が不利になることだ
蜀の武器が呉に輸出されていたという例もあるし
朱然の墓からは蜀の銭が大量に出土しているように
呉蜀は相当に経済的に結びついてる
しかし呉は常に質の高い銭を発行し続けているから
呉蜀での交易を続けるならば蜀の貨幣も高価値を保っていなければ交易上の不利益を蒙る
>>938 通貨発行差益は古代や中世の経済を解説するために生まれた言葉だけどな
貨幣の質を上げ下げして領主が一儲けするような状況を説明するため
つまり今回の蜀のケースにはピッタリな言葉
950 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/16(火) 00:21:35.07
>>948 お前バカか
米国は貿易赤字(国外のモノを買う)垂れ流しで
しかも世界で最も準備通貨としての比率が高い信用力の高い通貨
で米ドルインデックスは長期下落してるわけだがwww
というか通貨ってのか相手の国との交換レートだから
蜀国内で貨幣の質を落としても
魏という自国政府が信用供与した貨幣が無い国を相手にするときに
購買力が下がるわけないじゃん
少しは金融の基本を勉強したら???
>>948 持ち出してるじゃん。お前の言ってる経済論旨は基本的に現代経済を
基盤としてるもの。お前が江戸時代の経済と三国時代の経済が違う、
というなら、現代経済の論理で三国時代を語ろうとすること自体が無理無理。
>蜀でそれをやったら大変だ〜以下略
完全にお前の妄想と願望としか言えない。
そもそもお前の妄想論旨でなら、魏は貨幣信用すらろくになく、貨幣発行も廃止してばっかり、
そもそも過去に貨幣経済がぶっ壊れた、という悪条件ばっかなのに
普通に国外から貨幣を融通したり、過去の貨幣を使って貨幣経済を回せてる事になる。
なので、蜀が仮に貨幣の価値が下落しようとも、最悪の場合、他国から融通するなり、
過去に作った貨幣を使えばいいという話になってしまうので、
お前の論旨は成立しない。まあ、もともとお前が結論ありきで現代経済と
古代事情をちぐはぐに組み合わせて無理やり蜀詰んだと喚く為に言ってる事だから
論理的整合性なんて求めるべくもないんだけどな。
>>949 横から悪いけど、それは単なるお前の妄想。
結局のところ、必死でどれだけ蜀の貨幣衰退を無理やり主張しようと、
既に貨幣経済がぶっ壊れて他国からの貨幣や過去の貨幣で貨幣経済回してるという
魏が安泰という事にしようとしてる時点で、お前の論旨は明確に破たんしてる。
誰もこんなのに賛同するわけないだろ。
>>950 呉との貿易で不利になるって書いたんだけど?
魏とだけ相手してりゃいいんだけどね
呉も相手しなければならないし、西域とも交易してる
蜀にとって貨幣の質を下げて利益を懐に入れるというのは劇薬
ウイグルでも結構な量が出土してる
>>952 安泰という程ではないがそれで国が倒れたか?
史実でどうなった?
ちゃんと証拠を出して語れよ
955 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/16(火) 00:30:49.83
常識的に考えて魏が非公認にした曹魏五銖銭は
経済を回すための過去に鋳造された貨幣にはなりえなかっただろうね
そう考えると魏の貨幣経済は外貨だけ
こんなの自国通貨で回してる国以下に決まってるじゃん
>>954 史実で語るなら、魏は司馬一族に乗っ取られて倒れ、
蜀も軍事的大敗の後に無理やり兵を起こしまくって国力を消費し、
最終的に敵国の一武将による冒険的奇襲によって薄氷の差で倒れた、
どちらもお前の妄想と願望による貨幣問題で倒れたわけでは断じてない。
史書の記述を見れば明らかだな
957 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/16(火) 00:32:51.23
>>953 そもそも蜀銭が呉で流通してる時点で
呉の鋳造する貨幣は蜀以下だったってことだろ
だから外貨が流通するわけで
>>955 経済システムが上か下かってことを問題にしてるわけではないのだがな
それから外貨だけではないよ
後漢の五銖銭とそのバリエーションの剪輪銭、エン環銭、
董卓五銖もあるからバラエティに富んでる
959 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/16(火) 00:37:06.82
>>958 でそれらはどこの国も信用供与はしていないと
960 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/16(火) 00:39:43.04
>>958 貨幣経済の浸透度度合いって経済システムの話だろう
>>943 そろそろ寝るが、これがその阿呆か
頭の中身の方が北朝鮮だな
将軍さまマンセーマンセーってか
>>937 >過去に発行された貨幣でも経済は回ったという反論をしている
「貨幣の中国古代史」253〜254Pによると、
曹操が建安年間に、 董卓小銭を廃止して、五銖銭をいったん発行した
しかし、五銖銭は非常に少なく、銭が高く、穀物が安くなった
税収も銭をやめ、布と穀物で納めさせるようにした
おそらくは、銭表示と布・穀物の貨幣二元になったと思われるが、
文帝の時に使用をやめてしまった、とのことだ
すなわち、過去の貨幣といっても、董卓小銭のことだから、
流通しても物価上昇をうながすものでしかない
後漢の五銖銭もあったろうが、多くは富豪が退蔵されただろうとあるから、
使われたとしても、余程の時だけだろうから、流通するわけがない
それで、新しい五銖銭に着手したが、生産量と信用が追いつかなかっただけのこと
あなたも北朝鮮だのぬかす阿呆と同類にされる前にさっさと撤退した方がいいんじゃないのか
謝罪までは誰も要求していないんだから
962 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/16(火) 00:44:36.44
というか董卓小銭とか曹魏五銖銭が
魏国内で流通していたと考えてたとしたら相当なアホだな
インフラ君はそんな感じだけど
963 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/16(火) 00:46:59.17
>>957 最後に、「貨幣の中国古代史」259Pでは、
孫権は、大銭を廃止して、銅の器物を作るように命じていたとあるから、
呉の銭の流通は少なかったはずとしている
朱然や呉人の墓から見つかった銭も呉銭はほとんどなく、ごくわずかにしか流通しなかったはずとある
もっとも、魏よりは銅が多いため、独自で五銖銭を発行した可能性はあるとしているが
まあ、魏と違い政治の点数軒並みダウンの可能性はないけど、
貨幣で呉が蜀のライバルになるっても、当たらないだろうな
>>961 おいおい、バカなこと抜かすな
2800億枚は作られたと言われる五銖銭が
たかが董卓の悪銭発行一回で市場の銭全てが
董卓五銖に塗り替えられるとでも思ってんのか
966 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/16(火) 01:06:06.01
>>964 つまり
>>948の
>呉は常に質の高い銭を発行し続けている
ってのは根拠のない大嘘ってことか
インフラ君って金融・通貨の常識も分かってない上に
自分の都合のいいように捏造までしてしまうんだな
そもそも朱然の墓にしてもウイグルにしても
蜀銭ばかりが出土する時点で蜀銭の信用力が対外的には高い証でしかないよな
史料見ないと分からんがウイグルも貨幣経済じゃなかった場合
蜀が貨幣の質を落としても対外的な購買力変わらんなあ
>>966 呉の大銭は9年程用いられてるだろ
この時期は諸葛亮の死後の緩やかに蜀が衰える期間
呉はこの間、常に良質の貨幣を発行し続けてる
これに対抗していかないといけない
信用高い貨幣だから切り下げたら信用失って問題になるんだが
それを行ってしまったらおしまいだよ
しかも徐々に貨幣の質を落としてる
一時的には増収でも長い目で見たら自分の首を絞めるだけ
968 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/16(火) 01:26:51.34
問題は発行期間じゃなくて量だろ
>>968 詔勅によって徹底的に集められ鋳潰されたにも関わらず
結構な量が出土しているから相当数作られてると見るのが妥当では?
そもそも孫権が銭を廃止するのは額面に対して実情が乖離するようになったからであり
流通しなかったからというわけではないし
970 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/16(火) 01:56:23.38
>>969 全廃になった以上、政府の信用供与は無くなったと考えられる
鋳造無しではなく全廃なので
そうなると残った大銭は切り下げた蜀銭に対して大幅に下落したと考えられるけど?
大銭は元々、民衆が信用しなかったから最終的に246年に流通を諦めたわけで
その後も蜀銭が使用されてる(蜀が信用供与)のと比較すると、大銭は切り下げどころか無価値だろ
というか無価値に近づくくらい額面を大きくしたから廃止せざるをえなくなったわけで
こんな貨幣と最後まで魏、呉内で流通した蜀銭を比較して蜀銭の信用が低いというのが君の主張?
>>970 そんな主張しとらんけど?
どう読んだらそうなるの?
972 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/16(火) 02:04:56.16
>>971 >>948(のインフラ君じゃなかったら失礼)
大銭が9年かけて額面に近づきつつ無価値化(⇒全廃)した以上、
蜀の切り下げに対する呉貨幣の優位性は極めて短期間だったとみられ
>呉は常に質の高い銭を発行し続けている
というのは大嘘ということになる
無価値にはならないよ
銅の鋳物作るって孫権が言ったように
金属としての価値は常に残る
>>972 額面に近付きつつ全廃ってどんな状況?
まじで意味がわからん
確かに額面に近付いてるなら廃止しなくていいな
976 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/16(火) 02:11:37.60
>>974 失礼
無価値に近づくくらい額面を大きくした状態
レンテンマルク導入以前のマルク紙幣、ペニヒ硬貨みたいなもんだろ
977 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/16(火) 02:14:00.54
というか呉の貨幣政策はインフレの上で最終的に貨幣廃止で失敗してるんだから
貨幣価値は落ち続けてたって話だろ?
978 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/16(火) 02:15:40.42
>>973 金属としての価値が残ったところで蜀銭に対する価値の低下は免れない
>>977 それは蜀の貨幣も一緒で最終的にはどちらも普通の銭扱いだろ
>>978 でかい分価値がある
五百枚とか千枚の価値はない
鋳直して銅器になるってことは余計な混ぜ物のない良質の銭だったんだろうとは思うな
981 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/16(火) 02:31:32.27
>>979 最終的には廃止されて信用供与の無くなった大銭は金属の価値だけ
銭としてモノを買えるレベルから物々交換の銅に成り下がってるわけで
政府の信用供与を受けてる蜀銭の方が購買力は高いに決まってる
10円玉10個と10円玉20個分の重さの銅があった場合、前者の方が価値が上なようにね
>>981 信用供与がなくても他の銭と同じように価値が市場で認められてれば
例え滅んだ国の通貨でも価値があるんだけどな
呉の場合は孫権自身が通貨の発行やめて銅に戻すと宣言して鋳潰したから銅になっただけで
残ってる通貨は額面通りではないけど他の通貨と同様に通貨として扱われてる
だから晋代の墓からも普通に出土してる
983 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/16(火) 02:38:45.94
>>982 価値の程度の話で
>>948(君かどうか知らんが)にあるような
蜀銭に対して圧倒的に価値が高いって話ではないだろ
この議論が完了したら、司馬懿の政治力が90、85くらいになるか決まる感じのものなの?
貨幣、字を銭
全ての能力がハイスペックな武将
>>983 蜀銭に対して圧倒的に価値が高いってどこにも書いてないだろうが
結局のところ、このインフラ君の主張は、
魏で過去の貨幣や外国の貨幣を流用して貨幣経済が回してた、とするならば
蜀の貨幣価値が仮に衰退したとしても、蜀だって過去の貨幣や外国の貨幣を
流用すればオッケーになり、結局のところ「蜀の貨幣が衰退して国家崩壊!」
なんていう結論には到底いたらない、で終了にしかならないんだよね。
>>987 蜀はそもそも経済を回す事を目的に貨幣発行してない
>>988 何を言ってんのか意味不明。
なら蜀の貨幣は飾り物か?
相変わらず史書と乖離しまくりの愚論だけど
んで、仮にそうだと仮定するとその「経済を回す事を目的に貨幣発行してない」
らしい貨幣を使って経済回してると、お前の妄想の中ではなっている魏は
どれだけダメダメ国家なんだよ。
もういい加減、無理無理論旨はやめればいいのに。
インフラ君のレスは保管しとこう。
次スレとかでも継続して笑えそう。
>>989 いや正史読めよ
目的と結果がちゃんと書いてあるから
>>991 正史ってなんだよ。何伝とも何の記述とも、内容説明もしないで
抽象的にいってごまかすのやめろって何度も言われてるだろ。
相変わらずのインフラ愚論論旨だな
まあ、大方劉巴の事を言いたいんだろうとは思うけど、
あれは明確に経済回して利益を得てる事例だから「経済回す事を目的にしてない」
とは言えないだろうし。さてどこの何を語ってるんだろうな〜、このインフラ君は〜
>>993 劉巴のことわかってるのにどうしてそこで結論間違えるんだよ・・・
劉巴のは高額貨幣を市で流通させることで発行差益をせしめてる例だぞ
Q 宝物がなくなってしまったがどうすればいいか?
A 市を開く。そこで使う銭は直百銭として一枚で百枚分の価値があると設定する。
結果、数ヶ月で取り戻せた
という話を「経済回して利益を得た」と勘違いしたらダメダメ
>>994 お前馬鹿か?
「100銭を鋳造して物価を平らにして、その後で官営の市場を作って商売すれば
大きな利益を得られるでしょう。」というわけで
物価を平らかにして貨幣経済を安定させて回しやすくして、その上で官営の市場を
作れば大儲けって話なのに、どうやったらそんな解釈になるんだか。
毎度毎度願望と妄想で史実をゆがめるのやめろって何度も言われてるだろ。
梅
999 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/16(火) 21:52:27.07
梅
1000ゲット
1001 :
1001:
立 新 / ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、 ,r';;r" _ノ と 何
て し L_ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ ,';;/ ) 申 と
ね い //;;/´ `' 、;;;;;;;;,,l;;' /ヽ す 1000
ば ス /.,';/ ヽ;;;;,l;L_ .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;i か を
い レ l |;|┌--‐フ ┌----、、 |;ヾr''‐ヽ, ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;く !! 超
か ッ i |l ~~__´ 、 ``'__''''┘ |;;;;;l rO:、; ´ ィ○ヽ 'i;;;;;厶, え
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う 「 | | ( ) .ソ l ,:' _ ヽ .|;;;;;;;//-'ノ
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人_,、ノL_,iノ! . ', :i゙''''''''''`l' ` _人__人ノ_ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\ ,' ト、,
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ハ ワ {. ヽ. -、、、、 ' ノ き き 了. ゙, ,ヽ===-'゙ ,' , // ヽ
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