1 :
<丶`∀´>:
乙
>>1乙じゃなくてこれはポニーテルなんだからねとかなんとか
春秋時代は当初は文字通り春秋経に書かれた時代
今は一歩進んで政治的に東周時代に周王が一応実権を掌握してた時代
だから周王に無断で晋を分断してそれぞれが諸侯になった三晋の分裂を区切りにしている
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/10/25(木) 22:15:43.09
太公望の子孫はどうなった
6 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/10/25(木) 23:41:07.20
おつ
7 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/10/26(金) 00:12:25.70
かれちん
春秋時代の魯公で一番の名君は隠公だと思う。
昭公が池沼のように書かれてるってことは
よっぽどなんだろうな
10 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/10/28(日) 10:21:42.01
夏姫ってエロかったのかなぁ
11 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/10/28(日) 11:56:21.51
そうでなければ夏徴舒が浮かばれまい。
なつきちゃん?
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/10/28(日) 12:38:08.84
ここよー
14 :
tang:2012/10/28(日) 17:17:41.07
私はタンという中国人です 日本で6年ぐらい いったけど 日本人の友達
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鄭と衛の音楽って何で儒家にあそこまで嫌われてんの?
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/10/30(火) 01:50:09.18
魯の君主で印象に残ってるのは隠公と荘公かな
魯で一番の名君を挙げるとなると周公旦の息子伯禽だろうか
なんでそんなにボンクラしかいないの?
魯ってなんであんなに弱小なのに生き残ってたの?
あの時代は立派な人物だからって名声が高かったりしないんでしょ?
斉が覇者から転がり落ちて晋楚の時代になったけど
晋と楚じゃ距離が遠くて脅威が遠ざかったのが理由っしょ。
間に鄭、蔡、陳、宋があって、この国々は晋楚の影響でのっぴきならないことになってる。
あとは、三桓氏が何だかんだと有能のアベレージ保ってたってとこかな。
兵権が国主から三桓氏に移ったのが案外良かったのかもな。
基本的に春秋時代ならどんな形にせよ国は生き残れる。
滅んでも復活させる形式が残ってるから。戦国時代は滅ぼしっぱなし。
そういやなんかそういう習慣があったんだよな
たたりが起きるから義理で国をたててやってるんだっけか
誰か詳しいひと解説頼む
諸侯は祖先を祭る宗廟を持っている。宗廟を潰れるのが国が滅ぶってことなんだけど、
宗廟を潰しちゃうってことはその国の祖先をも否定するってことだから
祖先を敬うというのが常識のこの時代では他国から非難轟々。
リーダーとして他国を従えることが主目的のこの時代では宗廟を潰すことはできない。
だから、建前として、
「国が混乱してるから攻め込んで代わりに統制してたけど、
しばらくしたら宗廟ともども、君主に国を返しますよ」
ってことをしてた。
魯って春秋時代は中規模の国じゃないかな
そりゃあ晋や楚、斉、秦と比べたら小さいけど
後、外交で上手く立ちまわれたから生き残れたってのもあると思う
城濮の戦いの前に最初は楚についていたのに、晋が有利とみるやあっさり晋に寝返るし
鞍の戦いの前も最初は楚についていたのに、また晋に鞍替えするし
やっぱ子産は凄いと思うよ。
停戦条約が締結したとは言っても自国の対応如何で
一触即発だったわけだから。
子産は外交官、政治家としても優秀だな
子産と管仲はどちらが優秀か
28 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/11/07(水) 15:42:44.80
彩り鮮やかな時代
子産って守勢の政治家っぽいから、攻勢の管仲と比べられん。
晏嬰と比べたら、ギリで子産が優秀だと思う。
管仲の時の斉と子産の時の鄭じゃ、だいぶ状況が違うからねえ
せっかく新スレたったのに伸びなくなった
もう語り尽くしたか
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/11/23(金) 20:45:33.60
明の時代ってつまんないよね
春秋戦国時代のエピソードの方がおもしろいしたくさんある
昔の話なのに
そりゃあ、国がいっぱいあるからな。
明は一つの国の歴史でしかない。
唐や隋あたりも面白くないが宋代になってちょっとおもしろくなる
やっぱ混沌とした時代のほうが歴史的にはいろいろ動きがあって面白い
38 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/12/05(水) 00:54:15.77
明の建国にいたる過程って
日本でいう太閤記みたいにならなかったのかね
40 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/12/19(水) 08:11:11.40
春秋戦国時代で一番の宰相は管仲
管仲が偉大、桓公はフツーって感じでよく言われるけど
斉の軍事行動の陣頭指揮取ってるのって桓公でさり気なく将軍として実績あるんだよね
具体的な軍事行動の内容の詳細は全くわからんし本当に前線出てるわけではないんで
手放しで当代の名将、とか誉めるのは無理だけどさ
戦場は桓公、後方支援や兵站を整えるのが管仲って感じで
いいコンビだったんだと思う
42 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/12/20(木) 00:35:50.27
桓公は春秋時代で一番戦争した回数の多い人物だからねえ
やっぱ軍事能力の高い人物だと思う
春秋時代で一番の名君は晋の文公だろうか
晋文は逆転する象徴ではあってもあまり名君という感じはせんな
晋の文公は放浪時代の方が有名で統治期間もそんなに長くないけど
その統治内容を見れば立派な名君だと思う
斉の桓公みたいに晩年アホなことしてないし、秦の穆公と違って中原の覇者だし
春秋時代で一番の名君に挙げられてもおかしくない君主だ
対抗できる君主は楚の荘王ぐらいかな
統治内容って周室の内乱を治めた事と楚を叩き返したことだっけ?
後継者選びで失敗はしたものの献公が晋という国を強く大きく育ててくれたからこそって気がするな
恵公が秦にぼろ負けして名望は落としまくってるけど、実質は強いままであったしね
むしろ文公は統治期間短いからボロが出なかっただけだろう
また文公は国君としては国の貴族層に御輿として祭り上げられる形だったから
三晋分裂の根源は次の襄公と言われるけどむしろ文公からその芽は生まれてるよね
献公のせいでもあるだが
47 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/12/23(日) 08:27:07.24
そういうきみは誰が春秋時代で一番の名君だと思う?
俺は在位期間の短い名君ってのは単にボロ出なかっただけじゃないかと思う派なので
在位が長く毀誉褒貶のある人、功罪半ばな人の中で特に功績大な人から選ぶかな
せめて12年くらいは統治してて欲しい
晋の文公の主な功績
献公死後、内乱やら韓原の敗戦で滅茶苦茶になった晋を立て直す
周王室の内乱を治め、手柄として有力な邑をもらう
二軍から三軍に増やす
曹と衛を討つ
楚軍を城ボクで破り宋を助ける
中原諸国と会盟を開き盟主となる
鄭に攻め入り、公子蘭を太子にさせて鄭と和睦する
楚と和睦する
>>49 斉の桓公は晩節汚したことで批判されるけど
40年近い在位の間で晋の文公がやってたようなことを延々と継続してたし
どう考えても一番の名君としては在位が短すぎると思うのだが
間違いなく英主だったとは思うんだが覇者でも最高というのはどうかと思う
一発屋持ち上げてるだけじゃない?ってのが感想
3行目に「晋の文公は」と書くの抜けてた
ごめんね
52 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/12/24(月) 05:46:29.10
覇者と呼ばれたあるいは準覇者で最高の君主を考えてみた
候補、鄭の荘公、斉の桓公、宋の襄公、楚の成王、晋の文公、秦の穆公、楚の荘王、呉の闔閭、呉の夫差、越の勾践
後一歩で覇者になれそうだったけど失敗したり、本当に覇者か疑わしかったり、地方覇者だったりした君主は除外
斉の桓公、晋の文公、楚の荘王、越の勾践
晩節を汚した君主も除外
晋の文公、楚の荘王
最後残った候補の中で在位期間が長い君主
楚の荘王
結果、春秋時代で一番の名君は楚の荘王になりました
確かに楚荘はいいチョイスだよね
しかし三年ニート
55 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/12/24(月) 23:07:42.89
晋の悼公はどうだろうか?
最高の名君とまではいかなくても晋の覇権を取り戻したなかなかの名君だと思う
56 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/12/27(木) 01:46:46.28
じゃあ今度は戦国時代で一番の名君は誰だろ?
始皇帝は無しで
じゃあ俺は秦昭襄王かな
ミスらなかったら斉ビン王も良いとこ行ったかもしれん
個人的に燕の昭王
人材の集めっぷりから考えて魏の文侯すごくね?
人材なら隗より始めよのほうがインパクトあるかな。
61 :
59:2012/12/28(金) 02:50:57.81
インパクトはあるけど、文侯も賢人の子夏たん招いて師事してるから、
昭王より前にと同じことをやってるよ。
そもそも子夏は孔子の弟子であり、それなりに高名な人材だったと思う
対して、隗より始めよの場合は、凡庸な人材を厚遇し、さらに優秀な人材を集めるというやり方だから子夏の場合と違うだろ
滅亡しかけた燕を立て直し、当時の二大強国の斉を滅亡寸前まで追い込んだ燕の昭王はかなり凄いと思う
というわけで戦国時代で一番の名君に推す
斉の威王もなかなかの名君だと思う
65 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/12/31(月) 02:25:04.83
春秋時代最高の名宰相は管仲だと思う
66 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/12/31(月) 04:48:57.07
趙の恵文王はどうかな
人材に恵まれたっていうのもあるが使いこなすのも君主の能力だし
67 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/01/05(土) 21:57:58.27
趙の恵文王は良いよね
平原君・藺相如・廉頗・趙奢といった人材を見事に使いこなしている
楽毅も恵文王の時に亡命してきたし人望もあったんだろうな
長平の失点を逃げ切りで埋める?
69 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/01/06(日) 00:42:06.45
長平の戦いを起こしたのは孝成王。恵文王の息子だ
たまに恵文王の時、長平の戦いがあったと勘違いしてる人がいるよな
だから「逃げ切り」なんだけどまあいいや。
71 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/01/07(月) 04:11:12.81
まるで長平の戦いについて恵文王にも原因があるみたいな言い方だね
何故そう思ったのか聞きたい
72 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/01/14(月) 06:00:53.45
楽毅
統率92武力72知力88政治89魅力83
光栄式に数値つけたらこれくらいかな
73 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/01/14(月) 13:23:55.23
宮城谷の『重耳』を読んだら孤突が大活躍してたんだけど
その子孫ってどうなったの?
(子・孫じゃなくてずっと後世の子孫)
襄公の時代に狐偃の子の狐射姑が趙盾に政争で負けて失脚、のその後?
75 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/01/15(火) 03:41:11.04
宮城谷の『重耳』を読んだ後、史記や春秋左氏伝読むと三国志演義並に宮城谷が創作を盛り込んでる事がわかって愕然とするぞ
狐突なんて全然活躍してないからな
76 :
263:2013/01/15(火) 18:38:24.36
汚いなさすが小説家きたない
儒教的にはこいつらはデタラメな作り話を書く嘘つきどもだが、
俺はその扱いにどちかというと大賛成だな。
ごめんなさい誤爆です。
79 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/01/15(火) 18:55:35.96
ここは三戦で一番好きなスレた
80 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/01/15(火) 22:49:26.04
>(子・孫じゃなくてずっと後世の子孫)
管仲
統率60武力40知力85政治98魅力50
これぐらいかな
82 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/02/25(月) 01:36:01.06
楽毅が更迭されなければ燕はどうなっていたんだろ
83 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/02/25(月) 13:02:13.68
その後回復したはずの斉の領土を、半分くらいは燕のものにしたかも
斉は滅亡は免れなかったかな・・・・・・・
そうなると東の大国が燕になり、政も丹を雑魚扱いしなくなって暗殺される
事もなくなるかも。
丹の扱いが変わらなければ、結果的に燕と秦は対立。
東西の大国の争いになると、楚も含めて三つ巴になるか、2対1で秦が劣勢か。
どっちみに燕にそれほどの国力が有ったとは思えない
楽毅失脚後に一気に盛り返されたってのも
楽毅が優秀だったのに後任はクズだった、という単純な話ではなく
燕は完全に攻勢限界だったし、占領地を確保するだけのマンパワーもないってこと
恐らく更迭されなくても、仮に斉を滅ぼせてたとしても
斉の残党によっていつかひっくり返されただろう
どんなに長くもたせても楽毅が死ぬまでだろう
奇跡的な確率で斉残党を全部狩り出したとしても
今度は戦国の列強相手に領土の攻防するわけ
燕は体力ないから趙楚辺りからゴリゴリ削られて史実以上の領土になれるかさえ怪しいよ
85 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/02/25(月) 23:27:54.37
>>84 燕に占領地を確保する力がなかったとして、他国はどうだったのか。
挙げた通り、趙楚辺りが斉領を切り取る事も可能だったのではないのか。
それがなかったのは、楽毅が更迭された結果、斉の攻勢を許したから。
戦後処理について各国の論功行賞も無いまま、戦況が一変したと考える。
斉が滅亡していれば、領土は各国に分割統治されたはず。
楽毅は燕の軍事的抑止力になるので、彼が存命中なら燕も旧斉領の統治と
国力増強の方に力を注げる。
>>85 最初に連合軍が斉軍を打ち破った後
燕以外の国はとっとと引き上げちゃってるよ
論功行賞とか起きない
そして楚なんて史実でもホワイトナイトしてもう燕の取り分削りに掛かってただろ
連合して斉軍を破った後、趙は国境付近の斉の城を取りに行ってたような気がする
なんで春秋戦国時代関係のスレがこの板にあるの?
だって戦国時代だもん
完全論破
90 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/02/27(水) 20:47:30.21
結局斉が滅亡寸前に陥った事で一番得したのは秦だよな
この事で戦国時代は秦一強へと変貌した
92 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/02/27(水) 22:20:26.43
>>91斉が楽毅に攻略される前から燕は昭王の統治で復興してた
>>92 復興なんてしてないよ
もう既に属国化してた
あとは何時、併合されるかってところ
後年、秦に対して韓や魏が同じような状況になってるだろ
そんな状況で必死に人材を集め、武器を集め、他国と謀って
それで斉に勝つから昭王は名君であり楽毅は名将なんだよ
94 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/02/27(水) 22:41:49.17
>>93北方民族の東胡を討ち長城を造り、朝鮮半島の一部を征服するぐらいになってた燕を簡単に合併できるとは思えん
>>94 簡単に併合できるよ
新占領地が王に殉じて死んでくれるとでも思う?
逆に旧恩で占領地がパタパタと燕から斉に寝返ったように
燕は新占領地の統治をするだけの体力がそもそもないんだよ
>>95だから、領土を増やせるぐらい復興して力をつけた燕を簡単に併合できるかって言ってんの
前の時のように内乱状態じゃないんだぞ
>>96 簡単でしょ
斉をあれだけ蹂躙しといてすぐにひっくり返されたように新しく広げた領土なんて大したもんじゃないし
そもそも東胡と戦って勝ったというけど遊牧系なんてちょっと不利になったらすぐ逃げる連中だからなぁ
復興して力を付けたんじゃなくて「燕王弔死問孤,與百姓同甘苦。」とあるように
必死で色々かき集めたんだよ
そのなけなしの乾坤一擲の力で勝利したわけだ
98 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/02/28(木) 00:52:29.96
必死で色々かき集めるほど貧弱だったのなら北方の領土広げたり長城造れる余裕があっただろうか?
斉が燕を占領する事はできるかもしれないが、苦戦すると思う。決して簡単ではないはず
>>98 燕ってのは春秋時代から東胡にボコられて困ってる国なので
北方の領土広げたんじゃなくて侵略を防ぐ必要があったってことだよ
余裕なんかあろうとなかろうとやらんと国が滅ぶ
しかもその勝ち方は強い軍で勝ったとかじゃなく
東胡に詳しい人間がたまたま燕に帰国してそいつが東胡の性格を知悉して騙まし討ち
国力上がって勝ってるのではない
東胡にボコられてる、じゃなくて東胡などの異民族にボコられてる、に差し替えといて
101 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/02/28(木) 03:35:31.74
昭王の時の燕は北方の領土を広げるだけでなく新領土に郡県制を実施し、東西二千里にわたる長城を造った
普通こんな事できるのはある程度余裕が無いとできない
春秋時代後期から戦国時代は北方民族をボコって北方にどんどん進出してるな
どの中華諸国も同じ様に周辺に進出してたから特別燕が強かったわけではないが
長城の位置が後世よりかなり北方にあり朝鮮半島中部にまで進出してる
斉の方が強いが雑魚ではない
>>101 余裕がなくてもやらないといけない
そうしなけりゃ滅ぶから
また燕の現地民を使って東胡との緩衝地帯として斉が扱ってたってことだから
これをもって燕が余裕があるとは言えない
むしろ斉にいいように使われちゃってる状況だぞ
104 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/02/28(木) 23:09:00.71
>>103北方の領土の郡県制も、長城も昭王の前には無かったんですけど
なのに、燕は東胡に滅ぼされていません
どういう事なんでしょうか
後『燕の現地民を使って東胡との緩衝地帯として斉が扱ってた』って事を示す史料をお願いします
>>104 燕は春秋時代から北方系の諸民族と戦ってる
斉桓公などの助力で滅びそうになりながら滅ばなかったりしてるけど
昭王の時はもう盛大に攻め込まれてた
燕北東部の国である無終の辺りって晋によっても保護を受けている
戦国の世になって昭王の頃ではもう無終とかなくなって東胡に支配を受けてるし
北からの圧迫は南の斉からの圧迫同様に強いんだよ
「緩衝地帯にした」という直接的な文言は史料はないよ
ただし斉つーのは伝統的に北方系の民族と争ってる
燕を滅ぼしながらちょっとした事でまた復活させてしまうというのは
緩衝地帯作っていいように使われてるようなもんだよ
106 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/03(日) 08:20:43.14
攻め込まれようと、危険な状況だろうと新領土に郡県制の施行、長城建設なんて国力にある程度は余裕が無いとできないだろ
しかも緩衝地帯にした事も根拠無しで推測だけかよ
>>106 長城建設自体はもっと前からやってる、というか春秋の昔からずっと作ってる
にも関わらずすぐ間近まで東胡が迫ってるのは
この直前の燕が東胡からもゲチョゲチョにされてたってことと
これ以前の長城が破損ないし機能しない状況だったということ
昭王の長城建設はこの古い長城の補修か補完、増築の類だろ
108 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/04(月) 01:42:26.14
この時代の長城は随分北方にある、防御的というより攻撃的。
戦国の趙や燕は北方民族をボコってたんじゃね?
燕は対七雄では弱そうだけど蛮族には強そう朝鮮半島にもかなり進出してるし
昭王の時代は秦開が北方の領土を広げていたからな
>>108 春秋時代から元々そのくらいの範囲まで諸侯はいるよ
昭王時代は北方民族に勝ち続け朝鮮半島の一部も侵略してる
こんな事できるのは、例えしなければ滅ぼされるのだとしても、ある程度国力が無ければする事さえできない
よって昭王の統治によって、燕は復興したといっていいだろう
>>111 そりゃある程度は復興したんだろうね
ただ斉を抑えとくだけの体力無かったけど
朝鮮半島中部くらいまでは勢力圏にしてたっぽい
だから海にも興味出て昭王は始皇帝みたいに大海に船を派遣したのかな?
>>113 そこまではないだろ
衛氏朝鮮の成立と反するぞ
何でそんな奇天烈なことになるんだ?
115 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/05(火) 19:58:31.88
楽毅が更迭されなければ斉をそのまま占領する事はできたと思う
戦国策の記述を見るかぎりでは楽毅の統治は上手くいってたみたいだからな
武名あるから逆らわないってだけだろ
117 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/05(火) 22:01:34.56
>>113 燕は半島北部を直接支配して
中部の勢力は従属させてた感じゃないかな?
史書から読み取れる範囲では
118 :
117:2013/03/05(火) 22:03:20.12
>>113 燕の力が意外に大きいという意味なら同意
>>117 燕を征服した秦の支配の仕方を参考に見ると北部も間接統治やね
120 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/06(水) 17:42:49.44
斉攻めは楽毅ばかりが称えられるけど蘇代ももっと評価されるべき
秦と斉を仲違いさせ燕と秦を組ませ、ビン王を騙して斉軍を弱体化させるなど功績が大きいのに
秦の昭襄王と魏ゼンも
122 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/08(金) 00:27:34.28
晋の襄公はもっと評価されるべきだと思う
文公の後を継いで国を治め、秦の穆公の中原侵攻を防ぎ、晋の覇権を守ったんだから
123 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/08(金) 19:05:18.81
秦の献公師隰かな
混乱した国情の安定、中原への積極策、諸制度の改革
次の孝公に大きな遺産を残した秦中興の英主
124 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/03/13(水) 00:28:06.12
鄭の祭足の評価が高い事に違和感
125 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/04/08(月) 01:21:45.87
オッサン達よ
今、NHK総合で放送してるアニメが春秋戦国時代的か?
127 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 21:55:44.23
もうちょっとまじめな春秋戦国アニメでもいいのにね
横山史記をアニメ化でも十分面白いと思うんだけど
そうね。そのチャンネルなら史実にそったアニメにしてほしいかも。
129 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/05/23(木) 07:58:28.98
東野の紳助チックな面が出てたな
やる気あるときは八面六臂の働きするけどやる気なくなるといつもあんな感じ
紳助の場合無言になるが東野はつまらそうにダラダラ喋り続けるので
見てるほうがどっと疲れる
諸子百家とはいえやはり孔子が図抜けてるな
そもそも孔子がいなければ中国史そのものが
あったかどうかも不確定なんだから
131 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/06/03(月) 13:07:21.15
西川きよしって高知県民なのに秘密の県民ショーで何で毎回大阪枠に居座ってるの?
正直、中国四国の田舎者が途中から大阪に移り住んだからって、大阪人顔するのは勘弁してほしい
132 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/06/23(日) 14:10:56.37
うきゃ
133 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/06/24(月) 01:14:44.71
馮驩が好き
134 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/06/26(水) 21:30:47.62
魯のゾウソン辰とゾウソン達どっちもゾウソンタツって読んでた、恥ずかしい…
135 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/09/01(日) 11:00:45.39
こんなすごい時代もあったのに
近代になるほどつまらなくなるよね
中国って
唐の時代ぐらいまではずっと面白いとオレは思うけどね
北方の異民族がしゃしゃり出てくるようになってからはグダグダが続く
北宋の頃からはもう昔の見る影もなくなってくる
実際に現在の中国と昔の中国とは別物だし
匈奴と今のモンゴル人が無関係なのと同様
異民族が関わると、途端に異民族の漢化が主題になるよな。
なんつうか、感染に近い影響力がある。可哀想になるくらい。
やっぱ洒落の利いてる西門豹が一番好き。
春秋から戦国に切り替わる時代の文献って少なくね?
魏が覇者的な地位にいた時の文献。
>>138 軽く流してるけど西門豹のやったことって
魏へ臣従してる在地勢力が、国家とは別に税を取り立てていたのを
全部国庫に入るようにしつつ、在地勢力の頭領皆殺しにして、国に完全に組み込んだって話だから
ものすごくドギツク、しかも重要な話だったりする
古代的な宗教観への攻撃も含めて
中央集権的な政策を実行する啓蒙政治家ってイメージ
>>138 戦国時代は全体的に文献少ない
141 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/09/11(水) 11:24:06.56
んだんだ
>>140 あいつは啓蒙してねーけどな
わかってない奴はどーでもいい、っていう超独善野郎だし
基本そういう奴が多くなったのが戦国だな。
あの孟子ですら、分かってない君主は願い下げの精神だから。
144 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/09/14(土) 02:55:40.16
この時代の地図見るとき
Π
これが目印だわ。これがないと国の位置関係がよく分からん。
145 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/09/14(土) 09:14:48.37
Π
意味分からん
147 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/09/14(土) 10:23:05.46
Π楯
>>143 孟子の場合もっとひどくて君主にすら市場原理持ち込んでる
願い下げじゃなくて「淘汰されろこのクズ野郎」という超危険思想
孟子読んでると魏の恵王は強勢になりつつある隣国や
豊かな戦国の世において急速に力を増してきた知識人を相手に苦労してるまともな王様で気の毒
武侯が呉起をちゃんと任用できなかったツケが恵王に来たな
孟子が来たのは孫ピンにコテンパンにやられた後だっけ。
あと
魏は強大になった秦と最後までよく戦ったよ
150年近くだからやっぱ底力あったんだな
153 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/09/17(火) 00:17:14.60
晋に頑張ってほしかった
154 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/09/17(火) 16:59:37.67
旧晋の中心地である曲沃や安邑は秦に近いが奪われては取り返しで
戦国後期まで粘ってるんだよな。晋の遺徳か
韓が強国だった時代てあるのかな
156 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/09/18(水) 15:39:01.69
鄭を滅ぼして新鄭に遷都したり戦国前期はそれなりに強国
157 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/09/18(水) 16:32:48.09
horinz
158 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/09/18(水) 16:47:15.52
ちんこ
魏は馬蹄形の国の形が不便じゃなかたのか。
都市国家だから最初はそれでも何とかなる
15世紀フランスのヴァロア朝ブルゴーニュ公国とか町と街道一本だけ確保して
南北の領土つないで維持してたりする時期もあるしな
>>155 韓の成立が
諸侯に列せられた景候の時代からとするなら文候。
晋を分割した哀候の時代からとするなら昭候だな。
昭候には申不害がいたけど、基本負けっぱなし。
東周攻めて勝ってるが儒的にマイナスだと思う。
宮城谷小説で昭候はおもしろ君主だけど実際にそういう逸話残ってるんですか?
爪隠してないよーないよー言ったり寝て毛布かけた部下首にしたりってやつ。
その辺の逸話は韓非子にある。
申不害を登用していただけあって法・術の例として
韓非子に挙げられてる。
韓非子は読み物としても史記列伝と同じく面白い。
たくさん説話を載せてるから。
164 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/09/19(木) 00:13:54.06
>>163 ありがとうございます。図書館行って借りてみます。
165 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/09/21(土) 09:36:44.15
キングダム見てると、手に汗握る。
けど、爺ちゃんの始皇帝が頑張りすぎたおかげで、孫はえらい目に会うんだよな・・
166 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/09/21(土) 22:32:23.22
秦王政時代の支配領域拡大が早すぎたね(旧王族貴族の反乱は続いていたのに)
始皇帝期も周辺の蛮族を蹴散らし四方八方に攻勢をかけるもんだから戦力が分散した隙を反乱軍に突かれた
昭襄王期の占領地から反乱の芽を摘んでから天下一統すれば
法治の徹底による治安の維持が上手くいって長期帝国になれたやも
>>166 違うよ
戦力が分散したのは内乱に対して
さらに悪い事は主力軍が項籍とかいう人に潰されまくって秦の人的資源が一気に目減りした
内乱の芽ってのは始皇帝の代は巡幸によって相当抑制してたし
始皇帝本人は滅茶苦茶勤勉で膨大な事務作業とその決済を毎日行ってた
二世皇帝の代になると皇帝は遊んでるので
巡幸もなく、部下が自分の権限の範囲内で仕事するしかない
反乱起きても上層部が腐っててまともな支援体制も整わず前線で軍部だけが消耗するという
クソたわけた状況になったのが敗因
もっと極端な言い方すると始皇帝は勤勉で且つ天才過ぎて
後継者が同じ水準にないと統一国家なんて維持できなかったのに気付けなかった
168 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/09/22(日) 11:42:41.65
>>167 始皇帝の有能さは同意、二世皇帝の実像については再考の余地があるように思うが
無理せずじっくり占領地の秦化を順次済ませてから天下統一すれば、結果的に上手くいったような
>>169 多分それだと統一せずに終了だと思われ
それから秦の制度を引き継いだ漢が大成功してるところからしても
秦化は国が維持できる程度には何とかなってるだろう
二世皇帝に関しては、即位の流れや最終的に後宮と朝廷の権力者だった趙高に謀殺されてる時点で
自分じゃ何も掌握できてない完全お飾り状態と断じて問題ないと思う
有能無能以前の問題だね
171 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/10/27(日) 21:44:01.60
子孫が皆殺しされたら
なんだか悲しいよね
172 :
無名武将@お腹せっぷく:
合従連衡