東漢末〜三国時代の服装

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1無名武将@お腹せっぷく
有名な人物もお洒落していたのか?
服装、服飾に関する話を集めるスレ
2無名武将@お腹せっぷく:2012/05/06(日) 17:58:32.43
袁紹が道士風の服を好んで、幕僚も倣ってたのを
河北を制覇した曹操がやめさせたってどっかで読んだことある
あれは事実だったのかな
3無名武将@お腹せっぷく:2012/05/06(日) 19:25:45.77


庶民の冠です。「巾は謹」といい、20歳以上の男子は士人ならば冠、庶人ならば巾をつけました。
官吏が罷免されたり、敵に降伏したりするときは白の巾をかぶりました。
本来、官職にあるものはつけないのが当たり前でしたが、後漢になって王服よりも巾のほうが優雅であるという風潮が生まれ、
袁紹や孔融などの名門の人々も巾とつけていました。
また、郭泰あざな林宗が、雨にふられて巾の一角が崩れ、それ以降巾の一角を折ってかぶる「林宗巾」が流行るなどの現象がおきました。
4無名武将@お腹せっぷく:2012/05/06(日) 19:53:34.39
巾といえば、
世説新語だったかで曹丕のおはじき相手に巾の達人がいたなw
曹丕は手巾使いなんだけど、その人は頭巾使い。
なんでも、こうべを垂らしながら頭巾を使って、石をはじくらしい。
おはじきって貴族の遊戲だと思っていたんだけど、その人の打ち方、全然優雅じゃないw
しかも、おはじきの腕は曹丕を凌駕したというwwwww
5無名武将@お腹せっぷく:2012/05/07(月) 00:08:55.81
全然面白く無いけどなんで草生やしてんの?
6無名武将@お腹せっぷく:2012/05/07(月) 21:56:57.42
首のスナップを利かせて、おはじき打つとか目茶苦茶だろうよ
しかも、かぶった巾を使ってだぞ?
7無名武将@お腹せっぷく:2012/05/11(金) 20:08:08.52
漢服
8無名武将@お腹せっぷく:2012/05/12(土) 17:54:12.84
64 名前:夏侯神 ◆cfZz4Ige9pnN [] 投稿日:2012/05/09(水) 20:56:14.75
東漢末〜三国時代の服装
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1336291066/

まずこういったスレを啓蒙して行きたい。
本人はドヤ顔で「板に適合した学術スレ」を立てているつもりなんだろうが、これこそが大きな勘違いだよ。
こんなもん誰も知らないし伸ばしようがない。
大体1からして情報提供していないことからも無能さを察せられる。

一騎当千の画像スレでも立てた方がまだ話が弾む。
まず興味を引くネタでスレを立てる。その後に板に適応した話題を出して馴染ませて行く。
こうした広い視点を持つことが大切なのだよ。この呼吸をまず理解していただきたい。
9無名武将@お腹せっぷく:2012/05/13(日) 22:09:05.68
日本では呉服だな
10無名武将@お腹せっぷく:2012/05/13(日) 22:12:38.62
てすてすたす
11無名武将@お腹せっぷく:2012/05/31(木) 19:53:44.28
なんでこういうスレって上から目線のがわくん?
過疎ってるからいいけどさ
12無名武将@お腹せっぷく:2012/05/31(木) 19:56:43.38
じゅんいくさんは魏のファッションリーダー?だったらしいよな
冠の真ん中がなんかのはずみだか枝にあたっただかでへこんじゃって
知らずに出勤したら
それが期せずして流行ってしまったという

むしろここは「冠」の形態とか冠の下の髪の毛の結い方とか
もっとディープなことを語りたいのかもとおもったけど書いちまったw
13無名武将@お腹せっぷく:2012/05/31(木) 19:59:39.90
晋代になると、ゆったりとした服が流行したそうだ。
色は青とか白が好まれたとか。
14無名武将@お腹せっぷく:2012/05/31(木) 20:12:17.24
捜神記に帽子の話があったんだけど思い出せない。
曹操の代にあった帽子の風習が、やがて廃れていって、
それが晋の滅んだ原因になったというお話し。
15無名武将@お腹せっぷく:2012/06/02(土) 09:09:38.63
女性はどんな服きてたんだか
16無名武将@お腹せっぷく:2012/06/03(日) 02:56:27.00
「中国古代の服飾研究」沈従文著・京都書院(絶版)
「中国服装史 五千年の歴史を検証する」華梅著・白帝社
「中国古代甲冑図鑑」劉永華著・アスペクト(絶版)
「中国古代の生活史」林巳奈夫著・吉川弘文館

本で調べるならこの辺りか
17無名武将@お腹せっぷく:2012/06/03(日) 09:48:35.15
後漢の辛延年という人がつくった「苧ム郎」という詩に
登場する、酒場で店番をする胡人(西方異民族)の格好。

胡姫年十五     胡姫、年十五
春日独当[土盧]   春日、独り店番に当たる
長裾連理帯     長い裾に連理の帯
広袖合歓襦     広い袖に合歓の襦 
頭上藍田玉     頭に藍田の玉を飾り
耳後大秦珠     耳には大秦の珠を飾る。
両鬟何窈窕     両鬟、何ぞ窈窕たる
一世良所无     一世、まことになき所

○長裾…前襟の長い着物
○連理帯、合歓襦…二筋で一対になった帯とオシドリ模様の短い上衣
○藍田…地名。玉の産地。西安に近い ○大秦…ローマ帝国
○窈窕…あでやかでなまめかしい

詩中のこの女性は、店番中にちょっかいをかけてきた都の高官をあしらったりと
気の強い一面がある。たぶん、蒼天航路の水晶みたいなかんじ。
18無名武将@お腹せっぷく:2012/06/03(日) 11:08:09.70
風呂も洗濯も回数少なくて臭かったんだろうなぁ
19無名武将@お腹せっぷく:2012/06/03(日) 11:14:26.84
シャンプーの代わりに粟の研ぎ水とかで髪を洗っておりました
20無名武将@お腹せっぷく:2012/06/04(月) 19:39:04.00
我々三戦住人はどちらかといえばファッションに疎く
しまむら、ユニクロ、およびそこで販売されているチェックシャツや綿パンの類を
愛用している者が多いだろう

だが我々には三国時代に関する知識がある
歴史や文学に残る当時の服装をコーディネートの参考にし、
地味メンズから一転オシャレに脱皮することができるのではないか?
21無名武将@お腹せっぷく
>>18
曹植「シラミ、ウマー('A`)」