1 :
無名武将@お腹せっぷく:
黄巾とか董卓戦は嘘っぱちで
徐州時代何もしてない
顔良は劉備のとこに連れて行こうとした説あるし
長坂では安全圏で悠々よ船の調達してただけ
文聘に負けるし寡兵の甘寧に阻まれるし
論戦では魯粛には言い負かされる
たまたま洪水で于禁が自滅したから勝ったけど
結局樊城落とせず、孫権関係なく徐晃に負けて
荊州一瞬で奪われて殺される
過大評価されすぎじゃね?
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/01(金) 22:34:19.03
以下関羽患者の大発狂をお楽しみください
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/01(金) 22:36:35.38
,-─ 、
/関 羽\
/|/-O-O-ヽ|\
/ .6| #)'e'(# |9. \
/ |\`‐-=-‐ '/|_\
/_ト このスレには ∠_\
/ \ 関羽患者の / \
/ < スイッチが入る表現が> ヽ
| / 含まれています。 \ |
\ ^7 /| ,、 /\  ̄ /
`ー─────────── ´
呂蒙に負けたのも自業自得だし・・・
孟達が援軍を寄こしてくれなかったのも自業自得です。本当にありがとうございました。
6 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/01(金) 22:43:39.92
クズのくせに偉そうだから劉備も手に余って荊州に送ったんだろ
7 :
0cm:2011/07/01(金) 23:24:48.76
関帝さまの偉大さがわからないなんて可哀想に・・・
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/01(金) 23:26:07.63
どの辺が偉大なんだか説明してから言え
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/01(金) 23:26:14.65
・呂布倒して最初に考えたことは人妻強奪。
・食料を計算できなかったので、孫権のを強奪。
・黄忠ディスって馬超妬んでだだをこねた。
・それでなだめる手紙が来たら調子に乗って見せびらかした。
・宴会中に手術させるという基地外な行動をした。
・敵の徐晃に、関羽殺したら賞金と言われただけビビった。
・甘寧にもビビった。
・言い訳してるけど要するに曹操に降ってすぐ裏切ってる保身厨。
・益州攻撃に参加せずお留守番任されたが、呂蒙に荊州半分取られる。
数年後また攻められて全部取られるという低い学習能力。
10 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/01(金) 23:29:32.41
塩の密売人の護衛とか当時犯罪だろ
さっさと捕縛して処罰されればよかったのに
11 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/01(金) 23:30:54.56
>>7 関羽患者ふぁびょってるwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
12 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/01(金) 23:33:25.14
なんでそんなに関羽をマンセーするの?
関羽から金でも貰ってるの?wwwww
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/01(金) 23:35:39.28
皮肉だが、曹操陣営で高く評価されているのが、優れた将だった証だろう
荊州を任されたのも、その裏付けではある
いくら何でも、私情だけで最重要方面軍の司令官にする訳がない
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/01(金) 23:37:19.17
関羽にビビって遷都を考えた曹操
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/01(金) 23:38:20.41
関羽マンセーかね
それは…ロマンだよ
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/01(金) 23:44:33.46
関羽患者で李世民マンセーの基地害ゲロセンチ蛆虫wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
アンチのレスの方がキチガイじみてる件
実は、劉備なんかより曹操のほうが関羽の取り扱いが巧かった。
功績はあれど十分ろくでもない奴なことは確かだ
こいつが荊州を守れてたら蜀は陸遜に大敗しなかった
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/01(金) 23:51:03.77
馬鹿だな
高慢で傲慢で案外弱い関羽を知りながらも関羽へロマンを馳せるのだ
それは高級銘菓の存在と駄菓子への懐かしさに似ている
草野放しの薄っぺらな文字よりも関羽が如何に愚将であるかを、そしてその関羽へロマンを懐く愚者へ鋭い指摘を頂きたい
21 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/01(金) 23:51:48.74
お前らが言ってるのは演義の関羽だろ?
ここは正史の話だ
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/01(金) 23:52:55.70
>>13 逆にいうと、ほとんど曹操陣営でしか評価されてない
曹操陣営にいたことあるからよく知られているのと
曹操が無駄に過大評価したから
荊州任せたのは他の部下はまだ配下になったばっかりっていう事情がある
>>14 曹操が遷都考えたのは、大事を取っての話
樊城取られでもしたら、許昌は直接狙われる危険性がある
氾濫で于禁終了とかさすがに焦るし、それで樊城は落ちると考えたんだと思う
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/02(土) 00:12:51.28
時代は呂蒙ちゃんなんだよ
ゲハくせえスレw
25 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/02(土) 00:24:41.31
呂蒙ちゃん…
悪くないねえ
27 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/02(土) 00:35:43.77
関羽信者なんて荒らしばかりじゃねえか
28 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/02(土) 00:37:47.25
善良な中国民に謝れ
この板の関羽関連はろくな奴がいない
30 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/02(土) 00:55:04.62
関羽がろくな奴じゃないから仕方ない
まあ歴史は勝者が改竄するものだからね
32 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/02(土) 02:30:42.92
>>22 蜀がまともな史料を作成していれば、もう少し関張の武功も残っていたかな
劉備の軌跡、最古参の屋台骨としての戦歴、蜀の重鎮としての存在感など鑑みれば、
評価されて然るべき人物だと思う
荊州陥落の責任者として、その前後の甘い甘い戦略観なんかが足を引っ張ってるが
歴史の評価は超一流だけどね、関羽は。
この手の関羽嫉妬スレではよく関羽は叩かれてるのは見るけど
関羽信者はそういうので気分悪くなったら、こんなネット世界の妄想を抜けて
現実を見ればいい。
35 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/02(土) 12:22:01.71
>>34 その歴史の評価が高すぎる気がするから見直すっていうスレなんだが
趣旨も読めずに来んなks
36 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/02(土) 12:27:46.59
>>34 ゲロセンチ必死だなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
37 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/02(土) 12:34:11.91
関羽嫉妬スレ(爆笑)
曹操患者スレの餌になっちまうだけじゃねえか?
一方的な否定、批判をぶちまけるだけだとすぐに流れ止まるぞ。
>>1が既に演義と正史を混ぜこぜにし
評価出来る部分も罵声で笑い飛ばしてるあたり単に野次りたいだけだと誰が見ても分かるしな
40 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/02(土) 22:00:18.04
深い観点から叩き、また良いところは認めようぜ
草野放しwwはちょっとチャチイ
41 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/02(土) 22:05:46.03
まじにおしっこしてえ
無能な関羽を過大評価とはwww
曹操も実は人を見る眼が無かったという訳だw
人事のジュンイク、軍略の郭嘉がいなかったら、ただの貧相チビwwwwwwwwww
おっと、クリリンの陰口はそこまでだ
情弱関羽を軽視した呂蒙が豪傑で英雄だな
永遠の脇役&やられ役、呂蒙。
ドドリアのポジは彼のもの。
46 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/03(日) 00:54:11.06
その脇役&やられ役の呂蒙に潰された関羽って・・・
47 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/03(日) 00:57:10.84
関羽も呂蒙は警戒してたんだが・・・・・・・
あれだけ小競り合い繰り返して来たのに、呂蒙がいなくなった途端に軍事行動を
開始したのは、やっぱり焦りもあったんだろうな
ただ、陸遜を甘く見たのは百歩譲って仕方ないが、呉の動きに対する警戒甘過ぎ
自信家とか傲慢とか言われるが、「呉が攻めて来たら」って思考が無かったとしか
思えないんだね・・・・・・
まあ、きっちりリベンジしたけどね。
呂蒙、全身から血を吹いてひでぶですから。
ドドリア&ひでぶ
呂蒙はデブキャラもこなせるのか。やるな。
50 :
井戸魔神F:2011/07/03(日) 07:02:59.35
まあ過大評価はされていそう。
というか蜀側は全般的に過大評価されてそう。
劉禅だけは過小評価されていると思う。
最後は「聖断」じゃね?
52 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/03(日) 10:22:50.98
劉禅は馬鹿な振りをした天才
54 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/03(日) 11:47:07.89
八つ当たりはよせ
>>1のスレ読んで、どこに正史記述じゃない部分があるのか
分からない時点でにわか過ぎるだろ・・・。
都合のいいものはおk
悪いものはNG
アンチの典型的なパターン
なんだ、此処ってそんなスレか
紛れもない事実として
呂蒙>>>超えられない壁>>>関羽
と、歴史は刻まれることに…
アンチだの信者だのうざいよ
ここはそういう煽り合いのスレじゃないから
歴史認定による
超えられない壁規制なんて設けちゃったら
中華最強武人 武聖関羽
〜超えられない壁〜
その他全ての武将
になっちゃうぜ?
歴史の枠組みとは外れたこのスレ独自路線の考証はどうなった?
ナイナイ
>>60 武聖関羽の話を持ち出したら
関羽≒鰯の頭
になるからやめとけ
考証?此処は単なる関羽人気嫉妬スレだ。
嫉妬?あり得ない〜
66 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/03(日) 22:57:16.06
策略家という点では、呂蒙が関羽より上だろう。
ただ、魏呉両面に対峙していた時点で状況は関羽が不利なので、荊州陥落戦だけで
単純に両者の優劣は計れないと思う。
関羽のスゴさは、荊州軍の北上だけで中原を震え上がらせた点だな。
于禁七軍の壊滅なんて、誰も予想しなかった戦果だろう。
荊州の守将が即時降伏したのも、関羽の予想外だったかも知れんが。
やはり関羽は弱かったw
でも関羽は弱かった
張飛の方が戦績とかよくね
72 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/09(土) 20:16:48.68
>>71 張飛は益州攻めから漢中戦まで前線だったからな
関羽は荊州に留まっていて、苛立ちがあったのかも知れん
関羽 :顔良撃破、ウキン撃破
張飛:張コウ撃破
于禁は自滅だろ
関羽水軍が来襲しなければ降伏する必要も無かったわけで。
76 :
井戸魔神F:2011/07/11(月) 20:12:45.54
多分、髭の長さも過大評価されている。
関羽は余りにも記録がシンプル過ぎて、同世代人の高評価がどこから来たのかよく分からない所があるが、
まあ記録に残ってない所の活躍や名将と言われるような素質は見せたりしてたんだろう
主攻が劉備と張飛で関羽は別働隊メインなんで戦績が目立ちにくい所も同情の余地がある
ただ中華史有数の名将とまで行くとハッキリと盛りすぎだとは思う
樊城攻めも于禁を破り曹操に遷都を考えさせるといいセン行っているのだが
結局樊城落とせずに追い返されてるので減点
切り取った土地の維持どころか本拠地まで失ってるので減点
遷都どころか首都落とす所まで行った他の時代の奴ら(例:更始政権の諸将)に比べると見劣りが否めないので減点
まあ後漢末に限定するなら結構な将だったてのが妥当じゃね?
個人的には、俗に言う魏の五将軍に(負けが多めの)勝ったり負けたりなんで、彼らと同格か若干下って所だと思ったり
三国で最も弱小な蜀、それでいて更にその中の
一区画の将軍に過ぎなかった立場の関羽。
そんな将が戦力も桁違いの魏を圧倒し、その上、呉とも連携してようやくなんとかなった。
こんな功績を残せば、そりゃ中国史有数の名将扱いも受けますよ。
状況を考えれば分かりやすく納得も出来るかと。
>>78 国どころか一州に満たない反乱軍なのに、仮にも統一王朝の軍を破って皇帝ぶっ殺した更始政権とか、
元は青州・徐州辺りの農民反乱だったはずなのに、仮にも統一王朝の軍を破り、後に更始政権滅ぼし、
追い返されたとはいえ涼州まで攻めた赤眉とか、新末も大概有り得ないような事起こってたり
後漢末がまだ常識的かなと思う程度には
まあ乱世ってのは治世では起こらないような常識外れの事が起こるから乱世なんで、
まだ比較的常識の通じる時代の、そこまで有り得なくもないと後世の人間が思う関羽の活躍も凄いのだろうとは思う
張飛が捕虜にした厳顔のクラスはどのぐらいなんだろ
それなり有能ではあるだろうけど曹操軍で言えばやっぱ中領軍どまり?
背丈も捏造なんだろうな
82 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/16(土) 09:54:03.65
赤ら顔も?
髭も捏造だったりな
84 :
井戸魔神F:2011/07/17(日) 01:23:20.39
いや、わからん
蒙ちゃんには後ろから斬られたようなもの
同盟なんて信じてる時点で甘いと言われればそれまでだがw
呂蒙を馬鹿にした罰
武成王廟に名を連ねる歴代王朝の名将の中で当然関羽もいて
清代には武成筆頭になるから
白起・孫?・廉頗・李牧・曹參・韓信・霍去病
・ケ禹・馮異・呉漢・馬援・呉起・王翦・周瑜・陸遜
最低でも以上の人物より格上は確定
いや周瑜より上はないからさ
何故?
武成王廟(笑)
逆に勝てるかもしれないのが禹くらいという
>>88 「なぜ関羽はあの実績で後世そこまで評価されるようになったのか」は結構興味深いテーマではある
論文があってもおかしくないのだが、誰か書いて無いのかね
>>92 トウ禹だって(火事場泥棒的に)長安奪取したり、そこそこ勝ち星は獲得してたり、軍功はそれなりにあるぜ
関羽は色々恵まれていないという事は考慮するべきだが、記録に残った軍功だけならトウ禹の方が上じゃないか?
関羽と違って自分の首は守り切ったし、自分の功が水泡に帰したという事もなかった(まあ周りの状況もあるがな)
まあそれでも赤眉に敗れた挙句、後任の馮異まで巻き込んで大敗した事は弁護のしようがないがなw
光武帝勢力で純粋に将として評価するなら、十指には入れる人も居ないとは言えないが五指にはまず入らない、まあその程度
後世の評価的にはある意味関羽に似た所があるな(雲台二十八将筆頭なんでその辺得だ)
>>93 記述が少ないから、論文の書きようもないんだろう。
実績が既に評価されているからそれをそのまま認めてる。
「あの実績で・・・」というからには、それが評価に値しないであろう
具体的な根拠と証拠も必要になってくる。
論文を書くのも結構だが、証拠の無い論をほど白けるものはないぞ?
三国時代から勇名は轟いていた上に
演技で強くて忠義厚いキャラとして確立
後々強力な勢力になる揚州の塩商人が郷土の有名人として猛プッシュ
いつの間にか商売の神様属性まで習得
各地に廟がたちまくり関羽信仰となる
>>94 記録に残ってる関羽の戦績は、後世で「中華史最高の名将」と評価されかねない人物の戦績に見合うのか、って程度の意味
後世の人間が参考に出来るのは記録に残った関羽な訳だし
同世代人に評価された名将はそれぞれの時代にも居る訳で
数居る名将のうちでなぜ関羽が、ってのは研究テーマとしては興味深いだろうと思ってな
一応俺は関羽を後漢末の名将とは思ってるぞ、時代を越えて評価される将かと言われれば「史料不足により判断不能」って答えるけど
>>96 ああ、武聖のことか。
それは意味合いが違う。
確かに関羽は中国史上傑出した武将の1人ではあったが
武成王廟の筆頭となった経歴は恐らく、北宋末の信仰が起因している。
北方の大国と果敢に戦い、最後の最後まで剛毅に戦い続けた英雄に縋る
時勢でもあったんだろう。
関羽は一個人として、忠義に厚く剛毅剛情であり、弱者に優しく驕る強者には厳しい。
神として祀るには国家としても民としても理想的過ぎる人物だったのかもね。
戦績が幾らあっても、祀る「意味」のない人物をプッシュしてもしょうがない。
>>97 なるほど
近年の関羽評価は、史書の評価と祀り上げられた評価と演義の評価とがまずあって、
それを受け取る側でそれぞれの評価の区別がされなかったり
どれかの評価の反動があったりで人によって評価が割れ易いのか
まあ、どちらにせよ中国史上における傑物の1人であることは間違いないんだけどね。関羽も。
陳舜臣あたりがぶっこいたデマにでも躍らされてたのが妙な過小評価でもしてたんじゃない?
夏候惇なんかも史書の実績だけで評価したらたいしたことない将だが
唯才を掲げた曹操が輝かんばかりに業績をあげている
文武の筍イクと淵よりも惇を重視というか特別扱いしているってことから
やっぱ史書に記されていない価値があったんだろうとか
推測すると楽しい
眼帯が評価されてたんだろうな
( ゚Дメ)111
は?
104 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/19(火) 06:14:24.49
関羽の経歴
塩の密売人→逃亡後、塾を開く?が実態はヤクザのまま→
張飛と義兄弟になる→桃園の誓いで劉備と義兄弟になる→
黄巾の乱に義勇軍として黄巾討伐に参加(実績不明)→
劉備が官職につくもすぐ辞めてしまう→公孫サンに身を寄せる→
反董卓連合に加わる(実績不明)→
曹操の徐州殺戮に対して徐州に援軍として赴く→そのまま徐州に居着く→
呂布が徐州にやってくる→袁術を攻める(実績不明)→
呂布に徐州を乗っ取られるが、呂布の軍門に下る→
結局徐州を追い出され曹操に身を寄せる→反袁術連合に参加?→
呂布討伐戦に参加?
ここまで、「神」となる要素がないが、ここからが大事か・・・続く。
105 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/19(火) 06:54:53.74
関羽の経歴2
呂布滅亡後、劉備が曹操の厚遇を受ける→弱った袁術の討伐→
そのまま徐州に行き、曹操に反旗を翻す→
曹操に劉備は速攻で負け行方知れず→関羽は曹操の軍門に下る→
関羽、曹操の厚遇を受ける→袁紹との戦いに参加、活躍したらしい→
劉備の居場所が分かり勝手に劉備の元へ→荊州で劉表に身を寄せる→
暫く、やることなし。呂布から奪った女に子供を生ませたか?
ここまでに言えるのは、曹操の厚遇を受けながら、
劉備の元に戻ったのが、「義人」として扱われる先駆けか?続く。
106 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/19(火) 07:09:14.08
関羽の経歴3
荊州で5年くらい何をしていたか不明→
三顧の礼で孔明が劉備の軍師となるが、孔明にヤキモチを焼く→
曹操が荊州に攻め込む→関羽は水軍を引き連れて逃げる→
劉備はなんとか逃げ切り孫権を頼る→赤壁の戦いで曹操敗れる→
演義では、関羽は逃げる曹操を見逃したことになっている。
ここまでも関羽に目立った戦歴なし・・続く。
107 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/19(火) 07:20:02.78
関羽の経歴4
赤壁後、荊州南部攻略に参加(実績不明)→
周瑜が死に劉備は江リョウも手に入れる→
曹操は馬超討伐に行き、荊州は暫く平穏→
劉備は、蜀に援軍として行く→孔明達と荊州の留守を守る。→
劉備、劉ショウを裏切ったが、龐統死亡→
蜀攻略のため孔明達が蜀に向かい、関羽は荊州の最高責任者となる
やはり目立った戦歴なし。荊州の統治は上手くやっていたか?続く。
108 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/19(火) 07:40:42.33
関羽の経歴5
劉備は蜀を取り、孫権が荊州を返すように要求する→
劉備拒絶。劉備と孫権の同盟に亀裂が入る→曹操漢中を降伏させる→
危機感を抱いた劉備は、孫権に荊州を半分返す→
劉備が漢中を攻略→関羽は襄陽を攻める→次々と曹操の援軍を撃破→
しかし、日頃、部下に厳しく当たり、孫権も見下していたので、
部下と孫権に裏切られ、荊州を失う。→
兵も逃げ出し麦城に孤立→孫権に首を斬られ、首は曹操に送られる→
死後、曹操と呂蒙が急死し、関羽の呪いかと思われる
結局、一軍の将として勝った経歴なし・・・
関羽が「神」とされたのは、劉備を裏切らなかったのと、
荊州の統治が民に優しかった、
呪いで敵を殺したからだと思われる。終り。
それだけで神になれるんなら、該当者他にも沢山いるんじゃないか?
もともとは悲劇的な最後を遂げた義人「関羽」が、民衆の信仰を集め、神格化された事から始り、
11世紀始めの宋時代、北方民族の侵略を救う英雄として、民衆の支持を得ようと、1102年時の徽宗皇帝が「忠恵公」の称号を与え、「護国の神(武神)」としました。(王朝が信仰を認めたわけですね。)
その後、宗の歴代皇帝に次々に称号が追贈され、位はいつの間にか「公」から「王」へあがり、元、明、清と王朝が変わっても関羽信仰は続き、
明の万暦22年(1594年)関羽の神霊を帝と尊称することに定まり、すべての関羽の廟は「関帝廟」と呼ばれるようになりました。
武神であった関羽が商業神、財神になったのは、関羽の生まれ故郷である山西省商人、特に解池で採れる塩を扱う商人が、道教信仰と結びつけ、義理と信頼を重んじる関羽を自分達の職業である商業の神として崇めることから始まりました。
白馬の戦いの後、曹操の元を辞する際、与えられた金銀を残したことから、義に厚いうえ金銭に淡白な関羽なら、祈れば願いを聞き届けてくれるとの期待によるものだともいわれています。
また、沿岸部の船乗りや漁師など海の商人が、船の床板一枚下は地獄で、お互い助け合わなければならないとして劉.関.張の義兄弟が桃園結義で固い絆を結んだことから、神様として信仰されたという説もあります
>>111 中国で厄除けの神として信仰され、本邦でも斎藤朝信の異名や前田利家や本多忠勝の旗印となり、
二式単座戦闘機のペットネームとなるなど愛されるが、
本人の生前の業績として伝わるものが「科挙に落ちて自殺した」になっちゃう鍾馗的なものがあるかもしれない
信仰対象になった後の人気は生前の業績から切り離される部分も多いのかと(鍾馗は極端な例だが)
まあ、後世の人が祀ろうとする人物に必要な業績は必ずしも将軍の評価とは一致しないってのが大きいだろうが
>史実の関羽
ここからまずおかしいだろ
>>111 >>112 中国人の気質ともピッタリ符合する英雄だったんだろう、関羽は。
忠義一徹、武勇絶倫、弱者に優しく驕れる強者に厳しい。
それでいて自信の塊のような男。
神になる素質は十分に備えてる。
一般人の感覚からして「守ってくれそうな人」というイメージにもピッタリ合う。
実績の多さでしか英雄像を見れない人にはちょっと理解できない感覚かもね。
正史じゃ負け犬
妄想じゃ勝ち組
これで文句無いだろ
関羽信仰派は何の不満があるんだ?
三国志正史は勝ち負けを決め付けてる
安っぽいものじゃないんだが・・・
陳寿の深遠は蜀への敬愛にある
また妄想か…
まあ本人が幸せならそれでいいか
しかし、その妄想持ちの方が恐らく世の中でも幸せでいられるぞ。
共有できる妄想を持ってる人類が地球上に約13億人も居るからなw
生き様的にはあんま尊敬出来ないけど
そこそこ強くて全盛期の蜀の重鎮であったということは
それなりの人物だろう
別に負け組とかでもあるまい
中国人は関羽大好きだしなw
世界でも屈指の実用的妄想かもしれない。
自尊心が強く、義理人情に厚い人=関羽好き
慎み深く、己を前に出さず他人の意見に寄り添う事のできる人=関羽嫌い
織田家で言えば柴田勝家並ということで
>>121 世間で通用しない事実らしきもの、ってのは反対に悲しいな・・・
織田家には似てそうな武将のイメージがないんだが。
脈絡のない事言われてもな。
急に織田家なら・・・とかブッコまれても意味不明ですわ。
>>128 いや何の乱脈もなく急に豊臣家の家臣を持ってこられた俺の身にもなれ
でも、清正ってよく関羽と比べられてるところはよく見るぞ。
勝家=関羽は初めて見たわ。
なんだこれ自演か?
バレたか。
>>1-
>>131まで、全て俺の自演だ。
よくぞ見破ったのう〜。
正史の関羽は雑魚、ってスレなのにいつの間にか論点すり替わってるからな
関羽オタのオナニー部屋と化してる
じゃあ、出ていけば〜w
関羽は情弱だから弱かった
情弱というかコミュ障
>>1は史実とか言ってるし、演義と正史の内容がごっちゃになってる辺りを見る限り、最近光栄ゲー辺りにハマって三国志に興味持った初心者だろう。
問題は、そんな初心者にすら「関羽弱くね?」というイメージを持たれてしまっている事。
信者は関帝だの勝ち組だのと言って誤魔化してるが、もはや世間では関羽=弱いというイメージが定着しつつあるという事だ。
関羽の存在で歴史が変わったのが疑問だな
周瑜は確かに存在価値の高い人物だが、関羽はどうか
つうか関羽も周瑜も突然出てきたわけではないからな・・・
寧ろ三国時代の初期からいる人だろう
どちらも変革をした存在というよりは三国時代の構成要素の一つだと思うぞ
関羽がいなければ、魏呉の挟撃は成り立たなかっただろう
嫌われ者の関羽が敵だったからこそ、魏と呉が一つになれた
普通に「関羽アンチスレ」と名乗ればいいんじゃねーか?
>>137 コーエー三国志だと、統率:80強、武力:98(呂布と張飛と1刻みの3位)
程度で強力固有スキル持ちみたいな感じでいいと思うんだけどな
演義補正なら統率よりも武力に重点を置くべきだと思う
正直、諸葛亮(正史でもなんだかんだ言って戦術レベルなら強い)より統率上は無いわ
関羽から削った分は劉備に回すべき、負けは多いがなんだかんだ言って当時の劉備勢力の主力の将は劉備だ
関帝に関しては、神になった人物が政治的・軍事的に優れている必要性はそれほどないって反論で良いかと
無論、神になったこと、神として偉い事、神にとして崇める物が関羽にあった事は否定しないが
「関羽弱いんじゃね」疑惑は多分にコーエーが歴史人物にステータス付けた事が大きいと思う
「この人物のステータスはどうなるだろう」って発想で関羽を見ると、どうしても実績不足という結論になっちゃう
んで、コーエーステータス的に強くなさそう=ショボイって発想になる
無論、このステータス論ではステータスに直接関係ない人物像や事績は無視されるがちだし、
それだけじゃないんだよという関羽ファンの言い分は正論
ちなみにアメリカのSLGのCivilization4に「偉大な将軍」というものがあるのだが、
これに中華圏から選ばれたのは孫子、曹操、諸葛亮(あとモンゴルだがスブタイ)
アメリカ人は関羽を曹操や諸葛亮に比べて将軍としては評価していないのかもしれない
>>141 にわかは帰れ
アンチスレ立てたきゃ別に立てろよ
>>142 メリケンは名将以前に関羽とか知らないだろ
欧米じゃ全く知名度低いよ三国志は
孫子、曹操、諸葛亮
この人選は明らかに三国志補正が働いてるだろう
肥ゲのない海外ならせいぜい演義補正ってことでしょう
演義だけなら戦術家っつーより豪傑だからね
選択肢に入らなかったんじゃないかな
>>142の言うことは至極もっともだと思うよ
洋ゲーだってアメリカだけで売るわけじゃ無いしなあ
アジアでの三国志人気が高いことを狙っての採用なんじゃないの?
多少売上にも影響するだろうし
>>143 お前がにわかなんじゃねーの?
なんか、関羽に対する評価全てに問答無用でケチつけてるだけじゃねえか。
>>142 合理主義のアメリカンには仁義の概念は分からないかもしれんからなあ。
てか、中国とアメリカじゃ考え方や価値観も相当違うんじゃないか?
アジア圏でヒットを飛ばしたレッドクリフはアメリカじゃ
全く感情移入が出来ず全然受けてなかった(公開すらされなかったんだっけ?)
同じ中国英雄の映画でもジェット・リー&ジャッキー・チェン共演の
ドラゴンキングダム(ジェット・リーが孫悟空、ジャッキーが斉公役)のド派手カンフーアクション映画は
大ウケした。
アメリカ人から見たら、三国志なんて単なる三すくみの地味なお話に過ぎないんじゃないのかな。
>関羽に対する評価全てに問答無用でケチつけてるだけじゃねえか。
全くだな、「関羽は弱い」を否定する意見には関羽オタのオナニーで
終わらせるんじゃ単なるアンチスレだ
え?アンチスレじゃねーのw此処。
テキトーこいて遊んでたわ、俺www
ボブサップがアメリカで三国無双やってたが、無双ゲーマーだけだろうな
三国志を少しぐらいしか知らないのは
ドラゴンボール?鳥山先生さすがです
「関羽は弱い」を否定する意見なんかあったか?
単に関帝だの神だのシコシコ始めて逃げてただけじゃん
↓では「関羽は弱い」に対する否定意見どうぞ
正史の話でね
つか普通に弱くはねーだろ。。。
具体的な反論が無いって事は、やっぱり弱いんだな関羽は
憧れだったのにガッカリ…
>>150 お前が正史を読んでるのかも窺わしい限りだがまあ・・・
・顔良斬り
・威震中原
これだけで関羽が強いと言えるだけの証拠にはなる
逆にどこが「弱い」のかさっぱり分からん
115 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/19(火) 20:21:32.24
正史じゃ負け犬
妄想じゃ勝ち組
これで文句無いだろ
関羽信仰派は何の不満があるんだ?
133 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/19(火) 21:22:57.47
正史の関羽は雑魚、ってスレなのにいつの間にか論点すり替わってるからな
関羽オタのオナニー部屋と化してる
150 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/21(木) 22:21:29.70
「関羽は弱い」を否定する意見なんかあったか?
単に関帝だの神だのシコシコ始めて逃げてただけじゃん
典型的なアンチスレっすねwww
155 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/22(金) 00:38:10.59
黄巾とか董卓戦は嘘っぱちで→参戦したのは事実
徐州時代何もしてない→侵攻する袁術軍と交戦していたと考えるのが普通
顔良は劉備のとこに連れて行こうとした説あるし→だからどうした
長坂では安全圏で悠々よ船の調達してただけ→船の調達は命運を分ける重責だろ
文聘に負けるし寡兵の甘寧に阻まれるし
→文聘は以後も江夏を守り通した名将、甘寧も然りで関羽が水上戦を回避したのは英断とも言える
論戦では魯粛には言い負かされる→そもそも論破できる材料なんて無い
たまたま洪水で于禁が自滅したから勝ったけど
→関羽は水陸両軍で進軍しており、于禁と同レベルなら関羽軍も崩壊していたはず
結局樊城落とせず、孫権関係なく徐晃に負けて
→戦力を分散していた関羽に対し、十分な援軍を待って敵を各個撃破、しかも関羽は手負い
荊州一瞬で奪われて殺される
→関羽の自業自得だが、呂蒙&陸遜は三国時代屈指の名将コンビ
凄いじゃん、関羽。
魏呉からしたらパーティ組んで立ち向かう大ボスみたいなもんじゃないの。
ゾーマ関羽w
157 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/22(金) 00:52:50.94
一対一なら強いが軍指揮者としては弱い
☆8 緊急クエ とも
>>157 弱いってほどでもないだろ
荊州戦での曹仁、于禁、ホウ徳を考えれば
指揮官としてもかなりレベルアップしてる
1対1にしたって
剣道などやってる奴からすれば関羽は雑魚だろうな
どうやって戦うんだよw
>>155 >結局樊城落とせず、孫権関係なく徐晃に負けて
これ間違い
ちゃんと徐晃に負けたのは江陵が落ちた情報が伝わって軍が動揺してたって記述ある
時系列でいうと江陵陥落、関羽軍動揺、解囲軍と決戦、敗北となる
俺の長文で一番食いつかれたのCIV4ネタかよw
>>145 それはない
CIV4の偉大な将軍はモブ、もっといえば名前が付いているだけのアイテムで、コレで客は釣れない
どの将軍でも効果は全く一緒だし、どの文明で生まれるかはランダムだ
(指導者ルーズベルトのアメリカ文明で偉大な将軍山本五十六が生まれるゲーム)
ファンを釣るなら指導者か固有ユニットか固有建造物が妥当
(CIVの中国文明も4では始皇帝(と毛沢)という無難すぎる人選が、5で武則天になったりとなんか釣る意思はありそう)
まあ偉人に関しては、他の偉人は有名どころと渋い人選が多いのに将軍は三国メインってあたり、
あちらで中国の戦記物の内一番有名なのは三国志なんだろうな
>>159 まあそれほど結果が付いてこないだけで、当時の一線級と戦える戦術レベルの実力はあっただろうさ
ただ樊城に関しては戦略の敗北だが、戦略で負けた方が痛いしなぁ
(あそこで劉備勢力→蜀漢の伸びしろが実質頭打ちになる訳だが、結局責任者誰だよ)
>>154 下らんレッテル貼ってる暇あったら、さっさと関羽の強さを教えてくれよ
凄いんだろ関羽は?
165 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/22(金) 14:16:37.90
>>164 中原の動乱から劉備を支えて、三国鼎立後は最重要の荊州を統治。
魏呉を睨みつつ、よく治めた。
張飛と並ぶ武力は、魏側でも高く評価されている。
劉備の趨勢と戦歴を考えれば、看板を張り続けた関羽の強さは言うまでもない。
> 最重要の荊州を統治。
> 魏呉を睨みつつ、よく治めた。
一瞬で強奪されてますが…
>>162 江陵が落ちた情報、じゃなくて孫呉が参戦したという情報だったと思う。
荊州丸ごと失陥したと知ってたら即退却するはず。
168 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/22(金) 20:00:57.88
( <●> ┏┓ <●>)ふぬ
169 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/22(金) 23:55:11.06
関羽は荊州に何年くらい守っていたのですか?
伊籍が補佐していませんでしたか?
間違っていたらごめん
170 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/23(土) 00:25:31.88
>>166 それは呂蒙の策略や時勢が絡んだ結果。
呂蒙自身、まともにやり合っても厳しいと考えて、魏呉両面に接した荊州の立場を
利用した策に出たと考えられる。
つまり、荊州に鎮座にして守勢で構えていれば、多少の攻めは無問題だったかと。
関羽が呂蒙の策にハマったのは、ジリ貧の荊州領と益州方面との格差という説。
北部は楽進の侵略が止まったが、襄陽や樊は魏に抑えられた状態。
対呉外交も厳しく、少し前に南部を分割されたばかり。
関羽が荊州を任されてから、領土は縮小の一途を辿っていたと言ってもいい。
名のある将は益州に集まっており、楽進が容易に侵攻したのも人材が益州側に
流れて荊州が手薄になったのが原因の一つだろう。
本拠の守将が博士仁ら2将という時点で、その層の薄さは推察出来る。
益州では黄忠や馬超がスター街道に乗っており、関羽も荊州で手柄を挙げないと
不味い状況になっていた感は強い。
諸葛亮の手紙で喜んだのも、自分の立場が思っていたほど残りカスじゃないから
安心したんじゃなかろうか。
援軍の伝令を本営の成都に送らなかったのは、そもそもライバル視している連中に
手柄を持って行かれる事を懸念した結果かも知れない。
>>165 そもそも関羽の荊州軍なんて魏呉の二大強国からすれば
吹けば飛ぶくらいに馬鹿馬鹿しいまでの戦力比だしな。
しかし現実は関羽を倒すのにその二国が連携。
絶望的戦力差を物ともしない関羽の凄まじい強さと、魏呉がどれだけ関羽に脅威を抱いたかということまで良く分かる。
>>166 楽進が関羽を撃退した事績は、時系列的には215年の合肥の戦い以前の話。
関羽が甘寧によって渡河断念せざるを得なかった記録もまた215年。
関羽が荊州を失うのは219年のこと。
この例だけ見ても、「一瞬」というにはあまりにも永すぎますなw
172 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/23(土) 01:45:43.68
>>171 三国の微妙なバランスで支えられていたのが荊州なわけで、関羽の才覚とは
必ずしも合致した話じゃないな
均衡を崩したのは、関羽だが・・・・・・・・
少なくとも呉は、隙あらば荊州を奪おうと狙っていたので脅威というよりも
邪魔者だと思っていた気がする
魏は、漢中の痛手から荊州方面の対応が一時的に緩くなっていたんだろう
その中で、候音を速攻シメた曹仁の活躍が光っている
>>171 脅威を抱かせたのはいいが、あまりに結果が悪過ぎる
間違えれば吹いて飛ばされる状況下で、間違えて吹いて飛ばされたのは重大な戦略的失策
(この戦略的失策の責任を問われなければならないのは誰かというのは議論の余地があるが)
戦術面でも絶望的戦力差をものともしないとまでは言えないよ
絶望的戦力差に置かれ負けたのは事実だし
ある意味で関羽評価は姜維評価に似ているのかもしれない
姜維が「名将であることは確かだが、北伐により国力をすり潰した」と非難される事があるように
関羽も「名将であることは確かだが、荊州を奪われ陸中策を頓挫させた」と非難する声が上がるのも当然だろう
魏の場合、曹操自身の関羽評価が
呪縛になって過剰反応してる節がないか?
曹操と程イクが過大評価したからね、呉からしたら・・・
ん?以外と弱かった・・・
176 :
月孔雀:2011/07/23(土) 10:09:04.04
明の時代に神格化された関羽。明の発祥は江南。
揚子江流域で人気のあった関羽が「神」とされたのでしょう。
>>173 出る釘は叩かれるからな
大人しくしてりゃいいのに、調子に乗るから叩き潰された
>>176 スレ違い。
>>173 個人的にその責任は劉備&諸葛亮にあると思う。
名選手、名監督にあらずみたいなもんかな。
豪傑肌の関羽に司令官職を任せようとした首脳の戦略眼の欠如かと。
現に関羽は曹操軍在籍時に、歴史に広く名を轟かせる事績を立てている。
関羽は名将といえど万能じゃないよ。
劉備&諸葛亮が関羽の名声に甘えすぎてたんじゃない?
曹操のように適材適所の目を持って、武将を使えないとどんな名将でも
無様な敗退を遂げる羽目になるのかもしれない。
>>172 後世であらん限りの不義を罵られる不名誉を受け入れてでも
関羽を背後から襲った事を考えれば、関羽の威勢はそれこそどんなことをしても排除したかったんでしょ
関羽を捕らえた時に孫権は関羽を配下に加えたがったが、配下に
曹操の現状を持って関羽の脅威を説かれ関羽を処刑したわけだし
180 :
井戸魔神F:2011/07/23(土) 12:19:11.50
「神」になっているんだから、過大評価されても当然じゃねーかな?
我々日本人としても将門公に粗相をやらかすわけには行かないしな。
かの御方のご霊前においてはその霊威に皆ただ畏れ奉るのみ。
孫権も拍子抜けしただろうな
万人の敵とか評価されてる名将と思ってた人物が、
お世辞の手紙にあっさり騙された挙げ句、兵糧庫襲撃して征伐する大義名分まで作ってくれたんだから
万人の…敵…?って思ったろうな呉将も
まあ名前ってのは一人歩きするもんだからな
神と言われる人間が本当に神の如き力を持っているわけではないのは
当然のこと
それなりに大人物だったということは確か
184 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/23(土) 13:43:29.81
>>178 益州攻略の時点で、適任者が関羽くらいだったかも知れん。
名声については、これだけで魏呉の牽制として大きく役に立つ。
陸遜辺りが高く評価しているので、政治能力はそれなりに高かったんだろう。
まさか、張飛に任せるわけにも行かないし、諸葛亮や法正は益州統治に不可欠。
鳳統が死んでいなければ、関羽と共に荊州守護を任されたかも知れんが・・・・・・
>>179 そもそも敵を討つ計略なんだから不義でも不名誉でもないだろw
呂蒙がいなくなって陸遜はヘタレだと思い込み、北上して本拠地をザルにした
関羽に非があっただけ。
関羽は潘璋にその場で斬られたらしいので、孫権の話はキナ臭い。
殺害現場の臨沮と孫権のいた江陵とは、そんなに近くは無かったはず・・・・・
そもそも蜀記の話なので、関羽を誇張するエピソードである可能性は高い。
悪性の性格を治せばよかったかも
186 :
井戸魔神F:2011/07/23(土) 14:14:08.15
最後のポカは「年のせい」もあるかもな・・・。
187 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/23(土) 15:11:59.07
年のせいというより、時代のせいかも
重要な前線とはいえ、荊州に残されて武勲を上げる機会も無く、自分と同格の武将達が
活躍するのを聞いていればなぁ・・・・・・
疎外感と武勲=存在証明に対する相当な焦りがあった気がする
>>184 民意はそんな不義は認めないからなあ。
圧倒的大衆心理が史実としてもまかり通る中国では非難されてもしょうがないかも。
>>184 関羽伝は記述自体が少ないから
関羽伝の記述ならば、いきなり場面が江陵に移ってても違和感ないかな。
蜀記での誇張は劉備と諸葛亮くらいなもんじゃない?
武官は悲しいほどにそっけない記述量。
>>179 > 関羽を捕らえた時に孫権は関羽を配下に加えたがったが
え…もしかしてこの話信じちゃってるの?
流石に正史スレでそれはねーわ
>>190 正史本文にあるだろw
どんなコントだ、それはww
>>190 さすがに正史スレでその知ったかぶりはねーわ
>>191 え…マジで言ってるの?
取り合えず呉志全部読み直して来る事を勧める
それでも意見が変わらないならもう何も言わないが
[三] 『蜀記』に言う。孫権は部将を派遣して関羽を攻撃し、関羽および子の関平を捕らえた。
孫権は関羽を生かして劉・曹にぶつけたいと思ったが、左右の者たちが言った。
「狼の子を養うことはできませぬ。のちに必ず害をなすでしょう。
曹公は即座に彼を排除しなかったために自ら大きな心配事を作り、都を遷そうと提議したのです。
今、どうして生かしておけましょう!」そこで彼を斬首した。
臣裴松之が『呉書』を調べてみたところ、
孫権は将軍潘璋を派遣して関羽の退路を遮断し、
関羽がやってくるとすぐさま斬ったとある。
それに臨沮は江陵から二・三百里も離れているのだから、
どうして、すぐに関羽を殺さずに彼の生死を議論する余裕があるだろうか?
また「孫権は関羽を生かして劉・曹にぶつけたいと思った」とも言っている。
この不自然さは智者でさえ絶句させてしまうだろう。『呉歴』に言う。
孫権は関羽の首級を曹公に送ると、諸侯の礼をもってその亡骸を葬った。
前後の不自然な状況も考慮せず、「正史に書いてある」ってだけで盲目的に信じてしまうレベルの低さはなあ…
もうちょっとマシな議論出来ると思ってたんだけど、何かアホらしくなって来たわ…
裴松之さん、勝手に墓から這い出てきちゃダメですよw
テラ裴松之コピペwww
>>196 蜀記がどういう史料か少しは調べてからその発言してるのか?
>>200 『蜀記』 - 王隠著。王隠は東晋の人。蜀漢の歴史。
・蜀アンチの裴松之ちゃんが必死こいて否定。
裴松之はなあ・・・
なんか自分目線の文句多すぎ。
> 蜀アンチの裴松之
これは中々斬新な意見だな。
そう思う根拠を述べてくれ。
>>197 史実=正史
ではないが、その枠組みを取っ払うと現在の中国のオープン過ぎる
三国志観全般をも受け入れかねないことにもなるぞ?
三国演義のエピソードなのに史跡と銘うってる場所もあるしな。
つーか
>>201の蜀記の説明、Wikiの丸写しじゃねーかw
焦って丸写ししちゃったのかw
>>201 そういう事聞いてるんじゃないよ
蜀記がどういう経緯で編纂された、かつどれくらい信憑性がある史料なのか知ってるのかを聞いてるんだよ
自分の言葉で答えてくれ
蜀記
王隠撰
7巻。東晋の人、王隠の撰による。蜀の事跡を記すものであるが、その内容は是非相半ばするとされる。
この書物については『旧唐書』に「刪補蜀記七巻 王隠撰」とあるが、
他人が王隠の蜀記を編集したのか、王隠が他人の蜀記を編集したのか分からないという、いわくつきのものである。
>>203 陳寿トラップの取り外しとか行なってるあたりとかかな。
劉備が皇帝になったさい古来よりの正式な手続きを踏んで皇帝になったと
書いているの対し、曹魏にはそれを書かなかった。
それ『献帝記』なる書物から膨大に引用し付け足したのも裴松之。
>>204 > 関羽を捕らえた時に孫権は関羽を配下に加えたがったが
この部分が何処からの引用か、ってのは分かるよな?
陳寿が編纂した三国志と、注釈を同列に語ってどうするよ
なんかもう二人の世界だな・・・
ソースはウィキペディア(キリッ
の人に、最早何言っても無駄っぽいけどなあw
まあ頑張ってくれ
>>210 2chじゃ、珍しい事じゃない。
我々第三者はニヤニヤしながら静観でよろしい。
>>208 まさかそれだけ?
裴松之が割と平等な視点で評価してるのは全編を見渡しただけでも分かると思うんだが…
たったそれだけで裴松之を蜀アンチと決め付けるのはあまりに短絡的じゃないか?
>裴松之が割と平等な視点で評価してるのは全編を見渡しただけでも分かると思うんだが…
この根拠も頼むよ
「孫権は関羽を生かして劉・曹にぶつけたいと思った」
これは酷いなw
素人が見ても明らかに狂ってると分かるレベル
>>216 それだけ関羽の力が凄かったってことなんじゃねえの?
戦力と分かれば、蟠りなんて捨てられる。素敵な上司だと思うよ。
孫権は晩年以外は優秀
>>215 根拠も何もなぁ…
君がそう思わないのなら、見解の違いとしか言いようがないよ
裴松之って魏に仕えて劉備の批判とかしてる家系の子孫だし落とそうとした可能性はあるかもね
どっちかというと呉魏に比べるとちょっとツッコミ緩やかな気がしてたけど
陳寿がかなり厳しめに書いてるせいかもしれないけど
>>205 見てきたらマジだった
久々に笑わせてもらったわ
>>219 人には根拠を求めておいて、自分はそうやって逃げんのかい!
こっちも馬鹿馬鹿しくてやってられんわw
>>221 元々クソスレなんだから笑いどころなんてこのスレにはいたるところに転がってるぞ
>>217 関羽がどういう人間か知ってればこんなのは無理だと分かるだろw
大体この時点で「曹にぶつける」って・・w
裴松之じゃなくても絶句するわw
とりあえず関羽患者はwikiをソースにしてると分かっただけでも収穫だったな!^^
これからは生暖かい目で見守ってあげましょう
ソース出してくるだけマシじゃね?
どこぞの曹操患者さんとか脳内ソースが当たり前だぜ。
それにウィキだったら何がダメな事でもあるんか?
あーあ、また来ちゃった…
>>228 微妙・・・
あんまり鬼の首を取ったように喜べねェ・・・
>>229 ダメだな
それだと史実準拠になってないことが多い
>>231 良質な関羽オタは中国社会科学院のソースとか持ってきやがるからな
>それにウィキだったら何がダメな事でもあるんか?
こんな発言が平気で出てくる時点で…w
>>232 別にWikiを擁護するわけじゃねーけど、そうかなあ?
さすがにそこまでじゃないだろ
関羽信者憎しでウィキを敵に回したか。関羽アンチw
さすが四面楚歌のプロだな。
また隔離スレから這い出て来たのか
やっぱ監視されてるんだなこのスレ
>>235 たまたま突っ込めるソース持ってこられて舞い上がっちゃったんだろ、ウィキもとんだとばっちりだ
関羽患者はwikiをソースにしています!キリッ!
だから?
ウィキを敵に回すワロタw
流石このスレは珍言の宝庫だな
俺、ウィキに頼りっ放しだよ。
なんか急に空気変わったな
そろそろ退散した方がいいのか
>>242 隔離所から病人が大挙して押し寄せて来たからね
一般人は逃げた方がいいよ
触ると汚いからね
>>238 ウィキからのソースなら突っ込めるってのもワケワカンネ
なんでヒャッホイしちゃったんだろうね?
おいおい、図星つかれたら急に逃げ出しやがったぞw
なんだ、この決着はorz
一気にスレのレベルが下がったな
関羽信者は馬鹿ばっか
>>201が丸写しだと指摘された途端、
>>207で焦って訂正する辺りも可愛いじゃないかw
関羽信者萌え〜(棒)
>>249 いやそれを書いてあげたのは俺で彼じゃない
正史リンクも蜀記コピペもな
>>249 どうしょーもない馬鹿だが、そこが可愛いかもな>関羽信者
253 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/23(土) 23:45:33.95
正史でも何でも何らかの真実に準拠していれば、ソースは何処でもいいと思う。
wikiソースだと、そんなに滑稽なのか・・・・・・・或いは、wikiの信憑性は低いのか?
何にせよ、面白いならレスしなくていいから一人で笑ってればいいと思うんだが。
魏呉に比べ、蜀がまともな史書を書いて無いのが、どう考えても惜しい。
あと、「関羽を劉曹にぶつける」という案は異端だが、孫権なら考えかねないかな。
何度も不可解な合肥攻めをしている辺り、元々おかしな奴だった気がする。
国家観も魏蜀と違って、中原よりも呉を中心に考えていた感はある。
>>253 wikiがお笑いソースだって事すら知らない新参か?
三国志関連ですら間違ってるのが幾つかあるぞ
蜀記の記述を信じて疑わなかったり、ウィキを丸写ししたり、なんか関羽強者派のメッキが一気に剥がれた感じだよなあ・・
擁護するなら流石にもう少し調べてからにした方が良いんじゃ
相方不在だと一方的でつまらん。
もっと気合入れて釣れよ、ボケ。
>>254 >>201の内容に関しては、正しいと思われる。
前レスに対する回答としては、別方向のレスになってはいるが。
間違ったソースをコピペして得意気にレスをしていれば、まぁ笑える。
ただ、wikiの情報が玉石混合だとして、そこから正しい情報を選択する事すら
笑えるのかは疑問だ・・・・・・
エンタの神様では笑えない方なので、個人的な笑いの感性の問題かも知れん。
あと、
>>207の解説も何処かのサイトのコピペかも知れんな。
三国志関係の史書一覧を探していて、見た覚えがある。
ループ過ぎる
259 :
井戸魔神F:2011/07/24(日) 06:14:24.00
一晩でこんなにスレが伸びるとは(驚愕)
関羽信者がマジ切れしたからな
また曹操患者認定されんじゃねw
大丈夫だろ、やたら長い勝利宣言が続いただけだし。
勝利もなにも特に貶められることもなければ特に彫る彫るする必要もない人物だろう
有能か無能かと問われれば有能なほうだし
演技補正激しい側かそうでない側かと問われれば
補正を受けている側だろう
ただ、どんな歴史でもそれはあることだ
個人的にはウィキ丸写しより、蜀記をドヤ顔で
「正史に記述があるから間違いない!」
と言っちゃう事の方が深刻だと思う。
お前本当に正史読んだ事あるのかと
でも、関羽もそうだけど諸葛亮なんかも
演義のベールを剥げば弱いだの、大したことないだの
明らかな知ったかぶりを披露する有様は本当に歴史好きとしても頭の痛くなる事例。
蜀記で明らかに変なのって、関羽の記述に限った話じゃないからな
あれは蜀の人物を題材にした御伽噺、と言った方がしっくりくる感じ
魏略や江表伝と同様の怪しい逸品
>>265 >>1が既に否定的過ぎるほどに否定的だからな
しかも、後世の作り話まで混ざっちゃってるので単なるアンチスレって感じ
考察ならもっとちゃんとした場所でやればいい
考証みたいなスレでも
関羽張飛が武力武勇最強
諸葛亮が知力政治最強
と馬鹿なこと言うからな
>関羽張飛が武力武勇最強
これは分かるわ、っていうか納得させられた。
正史では武勇伝に優劣なんて付けられないから
最強クラスの1人とか思ってたけど、関羽張飛はその実績で自身の名前が伝説化したって証拠を持ってこられたとき
それ以上ごちゃごちゃ言うこともないか、と俺は納得しちゃったわ。別に変な拘りもないからな
寧ろ、演義補正なんてなくてもスゲーじゃんっていうw
最強論ってのはロマンの塊みたいなもんだからな
証拠なんぞなくても踏ん張りたくなる奴はどこにでもいる
演義補正なら呂布なんだがな・・・
演義なら呂布だな。
厳密には張飛とは完全に互角だったんだけども。
急に演義だの伝説だのとオナニー始めるこいつ等に比べたら、ウィキ丸写しでも正史の話してた昨日の連中の方がまだマシだな
スレチなんでよそでやってね
こりゃかなわんと、馬手を返して逃げ帰ったのが呂布だしな。
MVPは赤兎馬さん。
>>276 でも、
>>1が嘉靖年間の三国演義のエピソードも上げちゃってるし。
彼の意に従えば、民間伝承も史実の一部ってことでなんじゃないの?
関羽張飛より強そうな人物
典韋許チョ馬超孫策甘寧
敗北宣言だろ
正史だと論破されたから、演義で話題を反らしたいんだろ
>>280 正史での関張最強論は覆らないと思う。
がっちりした証拠あるもの。
なら証拠見せてみろ!!→はい、証拠。
関張最強論派WIN。
このパターンはジブリ作品再放送より見飽きた流れ。
>>281 ちゃんとその続きもあるよ!!
ただ、その後は証拠無くわちゃわちゃと喚いてる流れが続くだけだけどもw
>>281 >>→はい、証拠
関羽儲は幻覚でも見ているのか?
>>284 あまりの悔しさに狂っちゃったっぽいな…
まあwiki丸写しの例もあるし真性かも知れんが
>>281 関羽張飛以外の豪傑を押してくる人も、その人を押す論証を持ってくれば
関羽張飛だけとは言えないと思えるんだがなあ・・・
>>279みたいな思い込みだけでモノを語るのがせいぜいじゃあねえ。話にもならないレベル。
関羽厨は夏休み真っ只中
>>284 じゃあ、検証してみるか?今。
いつまでも信者とアンチの罵りあいじゃ話にならんし。
証拠を出したほうが勝ち。ってことで。
>>288 口先だけなのはどっち?ってか。
面白そうだなw
ホレホレ、必死こけ、信者もアンチも信用問題に関ってンゾ。
証拠提示宜しく→ウィキ丸写し
だからなあw
最早笑わせようとしてるとしか思えんw
>>292 信者1000ポイントほどリード
アンチよ、どうした?
>>292 関羽と張飛を最強に推す理由とその証拠もよく分かったよ。
ヘタに煽ってすまん。
証拠を持ってこられた上での納得が欲しかったんだよ。
信者とアンチの罵りあいほど醜いものはないからな。
でも、心情的にはどっちよりでもないから俺は消えるわ。
釣ったり、釣られたりは此処に楽しんでくれ。
ID無いからやりたい放題だな
やれやれ、アンチは証拠も出さない上に自演認定までしやがるのか。
クソだな、ホントに。
>>298 IDあっても、自演が好きな奴はID分身で多数派気取るだけだよ。
中英とか悲惨過ぎるだろ。
>>299 じゃID出してやってくれよ
自演じゃ無いんだろ?
ホラ早くしてみ?
信者も証拠ゼロ
ID出せと言った途端沈黙ワラタw
やっぱ自演でしたか
相変わらず敗北宣言が上手いなw
流石関羽厨
証拠出せ→外リンもしくは丸写し
スレチ指摘→発狂
お前自演だろ→逃走
これが関羽患者か…
つまり証拠がないのに関羽最強(爆笑)だもんな
>>167 ごめんちょっと頭の中で色々混ざってた
関羽側に伝達された情報は孫呉参戦が正しかった
ただ失陥したと知った後も尚、関羽は退却でなく包囲部隊を残し戦闘部隊だけ連れての帰還だった
魏はその包囲部隊の撃退に結構苦慮してる
>>305 アンチはそれ以下にしか見えんが・・・・
だがまあ蜀将で関羽を弱い無能と言ってしまうと他に誰がいるのかと
劉備と諸葛亮
「孫権が関羽を配下にしようとしたという話は妥当か否か」って程度の議論がなんでここまでgdgdになるんだよ……
>>311 その二人はまあ上だろうな
時代は離れるが姜維とかどうだ?
派手に負けてるが派手に勝ってもいて、そこそこ軍功も多いぞ
証拠出す→スルー
スルー指摘→自演だと発狂
これがアンチか…
>>312 ウィキからのコピペにアンチが異常反応した結果だ
その記述は、蜀記である事含めて信憑性は低いだろうな
姜維と関羽だと、魏呉の認知度で大きな差がありそうだ・・・・・
姜維は漢中周辺がメインの戦場だったわけだが、ああいう土地以外での強さ、
汎用性がどの程度だったかは疑問が残る
北伐推進し続けた辺り、関羽と同じで全体的な戦略は低かったかと
>>314 北伐推進してケ艾に敗れるまで勝ちに勝ってるわけで
戦略性はむしろ高い
>>313 そっとしといてやろう
信者は現実に帰れば、信者が尊崇している以上の関羽崇拝が世の中を席巻し気持ちよくもなれるだろうが
アンチの帰れる場所はココしかない
それさえも奪うのは哀れかもしれない
>>316 本邦の関羽信仰は華僑主体で日本人にはあまり信仰されていないと思うが
中華出身の神なら鍾馗の方が日本では信仰されてるだろう
>>315 「勝ち続けてどうするのか」という話
仮に長安まで侵攻出来たとして、そこまでの補給線や領土を維持する力が
当時の蜀にあったのかは疑問だ
恐らく有効なのは、軍の威光で魏の内部混乱を誘うパターン
これなら、長安に侵攻するだけでも大きな揺さぶりになるかも知れない
だが、特に内部工作などした様子も無く、姜維は非現実的な軍事侵攻からの
魏征伐を本気で狙っていた感が強いなぁ・・・・・・
>>318 涼州はもうほとんど魏の支配下になく
北方の諸民族が割拠する状況なのが三国末期
馬隆の登場までこの状況はあんま変わらなかった
登場後もそれ程変わってるわけじゃないけど
勝ち続けてればそういう勢力と手を組みつつ普通に東進できるでしょ
実際、姜維は「自隴以西可斷而有也」と公言してたようだし無茶でもなかったんじゃないの
やたら伸びてるな…
一応
>>292に返しとくと、その文に書いてある事って、殆どが他人の評なんだよね。
正直価値観って人によって違うし、ましてや後世になると、話に尾ひれ背ひれが付いて広まるもんだし、あまり当てにはならないと思う。
残念ながらその「評価」は、「関羽が自らの愚行で荊州を窮地に陥れ、徐晃に敗北して劉備に甚大な損害を与えた」という「事実」を覆せる程の物では無いでしょう。
>>320 「自らの愚行」の定義がよくわからんのだけど
関羽の北上は劉備の命令だろ
作戦失敗して甚大な損害出した、は事実だが、自らの愚行って何さ?
>>321 縁談断って雰囲気悪くした
陸遜に騙された
于禁の残党生かして兵糧に困り、呉の兵糧庫襲撃
呉領で暴れ回った
このあたりかな
後関羽の北上は独断、という説もある、一応。
>>322 縁談断って雰囲気悪くした→そもそも前将軍に縁談云々する外交権限ないっす
陸遜に騙された→しっかりと守備隊は残ってた、糜芳と士仁がさっさと投降したということはこいつら防備してたってこと
于禁の残党生かして兵糧に困り、呉の兵糧庫襲撃
→一刻でも早い魏軍の投降を求めてる時期に先に降った魏兵処刑とかまともに考えて誰やんの?
呉の兵糧庫襲撃については色々不可思議な点があるのでここは議論すべきポイントだが
呉領で暴れ回った→どこだっけ?
孟達に上庸攻略させるとともに漢中から劉封を派遣したのが関羽北上前
ここは後の蒋エンも漢水下っての侵攻作戦を企図してるけど
「失敗した時帰れない、孤立する」っていう批判が出てるわけ
漢中方面から見ると孟達・劉封は孤立するところに進撃してるってことは明白で
これに合わせるように関羽が北上して孤立から二人を救ってる
これでどうして独断とか言うことになるのかさっぱりわかんね
あれっ、じゃあ誰が関羽を指揮してたんだろ?
>>324 関羽は仮節持った現場責任者、方面軍指揮官くらいの立場ではあるが戦役全体を指導する立場じゃない
指令出してるのは劉備だろ
劉備は漢中落として即位してから孟達・劉封組に上庸周辺の攻略をさせる
さらに並行的に関羽には前将軍と仮節を与えてるわけで
劉備からの命令が関羽に行く機会はいくらもあった
>>320 おいおい、歴史評価に私見でケチ付けるまでは誰にでもあるとしても
それが「事実」とか冗談だろ?
お前さんは少し歴史を舐めすぎなんじゃないのか。
>>325 じゃあ劉備は無策で関羽に指示したって訳だ!
んなアホな
>>323 >そもそも前将軍に縁談云々する外交権限ないっす
縁談や養子縁組なんかは外交とは関係なく他国間で行われている
>しっかりと守備隊は残ってた、糜芳と士仁がさっさと投降したということはこいつら防備してたってこと
呂蒙伝に守備兵を減らしたと確り書かれているね
>呉領で暴れ回った→どこだっけ?
魯粛伝に領土を荒らされていると書かれていますが
>>326 関羽が大敗して大損害出したのが事実じゃ無いって?
それじゃ正史の殆どは作り話、って事になっちゃうな
そりゃ大変だ
>>331 そういう一過的な事例での評価じゃないだろ。
関羽という人物はそんな欠点を持っていたとしても事績がそれらを
上回り結果的に名将として歴史に名を刻んでいる、ということだ。
> 関羽という人物はそんな欠点を持っていたとしても事績がそれらを
> 上回り結果的に名将として歴史に名を刻んでいる、ということだ。
また君の主観か
もう聞き飽きたよ
>>332 歴史がそう評価してるんだから何もそれ以上の言いようはないわなw
>>333 歴史に興味ないの?
俺ルールが全てなの?
>>335 だからそれは個人の評価に過ぎないだろうと言ってるんだが…
スレタイも読めない奴ばっかなのか?
このスレは関羽の正史の事績を見て、強いか弱いかを判断するスレだろ
後世の歴史がどうこうってのはスレチだっつーの
>>337 歴史書の記述をを「個人の評価に過ぎないキリッ!」とは…
グレイテストなバカに会うならやっぱり三戦だなw
>>339 煽るなら日本語くらい喋れるようになってからにしてくれないか?
>>339 俺の評価>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>歴史の評価
らしいからな、プロ過ぎるwww
まあそうだな
>>1にルール決めて貰わん事には話が進まん
煽りばっかだし
>>337 歴史の話がしたいのなら、どんな話に発展してもいいけど
最終的にはちゃんと歴史評価との接合面は合わせないとダメよ?
そうしないと歴史の中で刻まれてる関羽の話にならない。
ゴガギーン
ドッカン
m ドッカン
=====) )) ☆
∧_∧ | | / / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( )| |_____ ∧_∧ < おらっ!出てこい
>>1 「 ⌒ ̄ | | || (´Д` ) \___________
| /  ̄ | |/ 「 \
| | | | || || /\\
| | | | | へ//| | | |
| | | ロ|ロ |/,へ \| | | |
| ∧ | | | |/ \ / ( )
| | | |〈 | | | |
/ / / / | / | 〈| | |
/ / / / | | || | |
/ / / / =-----=-------- | |
カスカス言うな、今のうちにチンカス始末しとけお前ら!
俺もとりあえず巨乳のAVモノで抜いてくるから!
>>348 す、すみません。
マンカスの場合はどうすれば・・・
>>327 そうでもない
劉備は劉封と孟達に孤立しなくていい状況になったから
とっとと関羽と連携に行けという指示出してる
孟達たちは占領地域の鎮定が上手く行ってないからとちょっと先延ばしにしたら
彼らの想像以上に呉の侵攻時期が早く、関羽軍が一気に崩壊しちゃっただけ
誰が悪いとかじゃなくて呉が上手かった
>>328 他国間で縁談、縁組してるのは外交絡んでるよ
険悪ムードな呉蜀で劉備に話しも通さず関羽がやったら、そりゃダメでしょ
守備兵を減らした、と守備してなかった、は違う
陸遜伝にも守備兵引き抜いて前線回した話しは載ってるが
全く守備してなかったとは書いてない
呉領で暴れ回ったってのはどの記述を指してるのかよくわからんな
すまんがどの記述なのか抜粋して貰えるとありがたい
い、い、いいカラダしてるじゃねえか・・・
>>345 何度かこのネタ振ってるが「じゃあ鍾馗は偉大なのか」って問いにはどう答えます?
下着一枚でオッパイポロリ
余り胸は大きくない
いきなりエロネタですね、三戦板らしくなってきたな
この板に来てる奴は80%以上は貧・巨に問わず乳好きだからな。
>>359 「関羽の歴史評価に関帝信仰を含めるなら、同じように神になった鍾馗の歴史上の人物としての評価も信仰に依存するのか?」ってネタ
日本では歴史上の人物がやたら神格化されているから、日本人の歴史オタとしては割と身近な疑問だと思うんだが
無論「神格化された人物の神としての評価と歴史上の人物としての評価は直接関係ない」っていうならこのネタは語る必要はない
(最初からそんなものは評価に含めてないんだったら、邪推してすまんかった)
あ、三国志演義の評価を引っ張る人には、「じゃあ歴史上の人物としての宋江って偉大なの?」と言っておく
関羽の歴史上に刻まれた評価だと当然陳寿の評がまず来るが、戦闘能力は認められてるが人格に疑問符が付いてるな
同時代人から陳寿まで関羽の強さはちゃんと認められてるので、「後漢末の名将」という評価は正しいとは思う
「将の将」とか「方面司令官」とか「時代を越えて語り継がれるべき将」としての評価はまた別だが
362 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/26(火) 01:59:27.50
>>361 一騎討ち系豪傑の印象は強いが、関羽の場合は荊州を統治した方面軍司令官や
為政者としての側面もあるから、色んな評価が混在しているんだろうな。
名のある将相手には、割りと敗北経験も多いから、戦術レベルでは並程度か?
それでも、たまに七軍壊滅させたりしてるから分かりにくいんだよなぁw
徐晃「おう、関羽久しぶり」
関羽「うわーい大兄だー!今日何して遊ぶ?」
徐晃「殺し合い」
関羽「…えっ?」
徐晃「おうお前ら、関羽の首持ってきたら賞金やるから」
一同「おーーーーーーっ!」
関羽「えーーーっ!?嫌だよそんなの怖いよ…(ガクガク)嘘だって言ってよ…(ビクンビクン)大兄友達だったじゃん!」
徐晃「いや、仕事だし」
概ね合ってるから笑える
>>362 戦術レベルでは相当高い可能性もあるかな
文章としては残ってないんだけど記録を整合させてくと面白いことがわかった
曹仁は関羽北上の前年以前に「関羽討伐を目的として」荊州に赴任している
関羽北上の前年に宛で数千人という規模の侯音の乱を鎮定してて指揮可能な兵力がないわけではなさそう
にも係わらず関羽の北上が始まって気付くと何故か樊城で「人馬數千人」で篭城する羽目に
関羽率いる数万の軍勢討伐目的で荊州入りした曹仁が
何故数千というほとんど守備兵も同然の兵数しか持たず樊にいるのか、という不可思議現象
1 分散配備しまくりんぐで樊にいたのは少ない
2 書いてないけど事前に野戦で負けて城まで追い込まれた
3 水で流れた
2の場合、関羽の戦術能力は高い可能性がある
>>361 最近の流れでは関帝信仰の話とかビタ一も触れられてなかったろ?
なんでそんな話に飛んだのか、が疑問だったのだが・・・。
頼むからあんまり他人が付いていけなくなるような大暴投を抛るのは勘弁してくれないか。
?が頭に5個くらいついたよ。
それと鍾馗様も関公も偉大な神様だよ。自分の畑と違うからといってその手の分野のものを
あんまり小馬鹿にしないように。それが全てっていう人だって大勢いるんだから。
>>362 関羽が他国から恐れられたのは、個人的には剛情で自身持ちの性格が
良い具合にブン回ってる時の破壊力だと思うな。
顔良斬りの時といい、氾濫した河の流れを利用した水軍の活用といい
関羽はどうにも兵法の道理を無視した無茶苦茶な戦い方で戦功を上げる
予測不可能な攻め方をするタイプの将だったような気もする。
前例の無い武将だったから大いに警戒されたのかも。
>>365 華陽国志では確かに「2」だったと思う。
敵国としちゃあ不気味だったろうな。
撃退したはずなのに、それを受け入れず剛情を張り続けて
士気も全く落ちない将とそんな将に率いられた軍とか。
士気は落ちまくってるだろ…
徐晃にやられた時は自殺者も大量に出てるような記述があるし
さすがにあの場面ではどうにもならんでしょ。
既に帰る場所もないんだから。
てか、その記述は初耳だな。出来れば、記述添付としかして頂けると有難い。
サンクスw
>>366 いやあ関羽の話題をすると「関羽様は凄いって事になってるから凄いんだ」って輩が多くてなぁ
(多分に関帝評価が掛かってる評価を歴史評価と思うような人)
ついその類かと思ってしまった
申し訳ない
まあ、あちらでは説話のみの話題を歴史的事実と思ってる人が多いとはよく聞く
当然信仰対象ならそれは正しい
聖書に幾多の矛盾があっても、それを信じることが経典の民にとって正しい事と似たような事と言える
まあ俺は、「イエスよりムハンマドの方が宗教指導者としては偉大だよな」とか真顔でいうKYさんなんで、信心深い人その辺すいません
関羽は魏には不気味に感じてたとは思うが、呉には雑魚としか感じなかったんじゃないかい
そうやって歴史を理詰めのみで考察すると
結局自分に都合の良い理に誘導される
人間、いついかなるときでも合理的な行動をとるわけじゃないんだよ
俺もおととい風呂上がりに居間でくつろぐ猫をみて
何となくチンコで猫じゃらしやってみたら
エライ目にあったわ、何であんなことしたか未だにわからん。
そんなこともわからず物知り顔で語るのは俺に言わせれば滑稽でしかない
376 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/26(火) 23:51:32.11
まあ、数千年前の神格化までされている偉人を都合良く矮小化することで、
むきになる関羽好きにつかの間の優越感に浸りたいのと、
惨めな現実の自分を忘れようとしているだけなんだから、いいんじゃない?
イミフ
>>375 まあ後世の人間が「あそこで本拠の守り緩めたら孫権が侵入してくるだろ、なんで行った」と思う疑問も、
「いやなんとなく行けると思ったんだ」って割と適当な理由だったのかもしれない
(まあそうでないとは思いたいが)
>>374 呉に取っても脅威だったから、魏と連携して挟撃の形を取ったんだろw
380 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/27(水) 01:12:11.26
>>365-366 まぁ、関羽が北上した頃は、魏も南征する余裕なんて無かっただろうけど。
曹仁軍は、恐らく分散していたんじゃないかね・・・・・
別働隊のホウ悳もいたし、南陽太守は于禁七軍に合流して捕虜にされている。
関羽の戦術能力については、水陸両軍侵攻が当たったと思う。
劉表時代の経験から、大雨の時期を見計らっていた可能性も0では無いかと。
候音を完璧にバックアップして、反乱をもう少し長引かせていれば曹仁にとって
非常に厄介な状況になっていただろう。
或いは、候音の乱に連動する形で北上しても良かった気はする。
>>374 魏は関羽の戦いを直に見て来た者も多いし、関羽の主戦場でもあったからな。
呉としては、雑魚ではないにせよ単なる蜀将の一人という認識だったかも。
甘寧も「関羽捕まえて来る」とか言ってるし。
荊州の守将である以上、現実問題として撃破しなきゃならん人物でもあったが。
>>379 まあ絶妙なタイミングではある
関羽が帰って来たり劉備が援軍に来たりする前にだいたいカタが付いたからなぁ
あ、非常にアレな論だが孫権は張遼を攻めて駄目だったから関羽を攻めた
よって孫権は関羽より張遼を脅威と思っていた、っていう主張は一応できる
(あと前回荊州攻めた時は劉備が援軍に来て断念したから、関羽より劉備の方が嫌だったとか)
まああの三勢力鼎立の状態で孫権こっち来るなってするには、
曹操に組して劉備と戦うより、劉備と組して曹操と戦った方が得、と思わせないとならない
一応蜀漢が荊州を諦めたあとは呉は蜀漢と組んで魏と戦ってくれたしな
(ただ、もう蜀漢から奪って旨みがある様な物が無くなった、ってのも大きいだろうけど)
382 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/27(水) 01:47:33.95
>>381 孫権は合肥にエロ本でも隠してたのかと思うくらい執拗に攻めてるから、
関張云々よりいつもの流れで攻めたんだろう。
>>380 「関羽を討たせるために」曹仁を派遣しておきながら数年間放置してた曹操がアホってことかい?
拒むんじゃなくて討伐のためってしっかり武帝紀に残ってるぜ
384 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/27(水) 03:10:25.94
雑魚とかwww
乱世をくぐり抜けてきた歴戦の武将を(それが誰であっても)
そこまで舐めているとか、呉はアホ集団か
>>383 曹操はアホだよ
郭嘉が死んでから戦略的実績に乏しい。
ジュンイクが死んでからは政治力にも乏しく、老衰して死ぬしか出来ない。
関羽って劉備に忠誠誓ってたというより
約束破られた上に未亡人寝取られたから曹操がとことん嫌い、
という下世話な理由で曹操の膝元にいたくなかったんじゃないの
劉備の妻という足手まとい居た為、
とりあえず一度は降ったけど
でもむしろこの方が仁義とかより余程共感できるわw
そりゃあんな形で女取られちゃ従えんよなあw
>>385 官都の時はジュンイク相手に、いっそエンショウから逃げて劉表攻めようか、と愚痴ったり
いざ劉表攻めの段階になるとカクの意見きかないで、結果損したり
本来果断というより尻込み気質だよね
まあ結果論的には武に逸るよりは良かったとも言えるが
>>384 関羽はそのアホ集団以下のアホってこった^^
>>386 だな
黄忠と同列に扱われただけで怒り狂うくらいだし、すげー人間が小さそう
寝取られが無ければそのまま魏にいたと思う
390 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/27(水) 13:22:29.01
>>383 派遣時はそうかも知れんが、夏候淵が死んで曹操も長安から離れ難い状況なのに、
この時点で南征なんてするか?
>>390 派遣時に曹仁手伝えよ
建安22年〜23年の間に色々形式整えて権威固めしてるけど
その1年2年の間に激変してんだし
392 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/27(水) 14:49:15.13
こみ上げて来る液体が尿道をパンパンにする
393 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/27(水) 15:01:58.60
>>391 派遣したら反乱が相次いで、一息吐いた頃に関羽が来たって感じかな
とにかく、この時期の魏は落ち着かなかった
394 :
クマッタ蛆虫 ◆2W/J48i30g :2011/07/27(水) 15:32:25.77
こんにちは。オナニーもエッチなことも大好きなので、一緒に楽しみませんか?^^時間をかけて気持ち良くなれるようにじっくり二人で研究しましょうw
>>393 南征してる余裕ないっていうけど曹仁はもう荊州赴任してるわけだし
大将だけ先に送り込んで準備は後からするってことかい?
まあ激動の数年だったから最初はしようと思ってたけど忙しくて出来なかった的なことなのかもしれんな
やっぱwikiコピペ君みたいなお笑い要員がいないとイマイチ盛り上がりに欠けるな
伸びが悪い
あと関羽北上を考える上で絶対外せないのが侯音の乱だわな
識者とか学者と言われる人達でもこの影響が単純な曹仁軍の移動であったり、
戦略規模の挟み撃ちといった程度の評価しかしてないのがつくづく不思議でしょうがない
398 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/27(水) 18:53:47.22
>>395 或いは、漢中との2方面攻撃を考えていたのかもね。
張魯降伏まではスムーズだったが、劉備が漢中侵攻したので南征が伸びたと
考えてもいいだろう。
候音の乱の原因の一つとされているが、218年の時点では関羽討伐の為に
重い軍役が課せられていたらしい。
反乱を恐れた曹仁が軍役を緩めた結果、兵数が減ったのかも知れん。
これを読んでいたのかは分からんが、曹仁軍の規模が縮小した時期を関羽が
突いた可能性はありそうだ。
数年対峙していれば、双方共に内通者は多かっただろう。
>>396 そんなもんに釣られてた珍獣もセットで滑稽だったけどなw
> そんなもんに釣られてた珍獣もセットで滑稽だったけどなw
3、4日も経ってから後釣り宣言とか…
コイツ、惨めにも程があるな…
まあ、涙拭けよ。珍獣w
ギャラリーにまで喧嘩売るとか必死すぎ。
>>398 侯音の乱で最も注目すべき点と俺が考えてるのは
宛という都市の機能そのものの喪失なんだ
後漢書によれば宛郡には瓜里津があり
瓜里津は清水にあって、あちこちの水系とつながってる
漢水経由で荊南や長江、[シ育]水経由で司隷、中原方向との連絡に使えるもう恐ろしい程の要衝
侯音の乱はここで起こって漢中へ出征した曹操と荊州にいる曹仁の連携を見事にぶった切ってる
曹操からすれば中原からの水運による輸送がアテに出来なくなるし
曹仁からすれば南面する敵対勢力が自分の処理能力を超えた時に
曹操からの救援が全く期待できない
魏軍の連携の見事な寸断がこの反乱一つで起こってるというのは注目していいんじゃないかな
まあ陸路は無事だし水運のルートもここだけではないと思うが
特筆される大規模な津が一個、侯音によってぶっ潰されてるというのは重大な事実
と思ったら陸路の各地で群盗だの反乱だの発生してたな
陸路無事じゃねーや
また関羽患者の珍言が飛び出したのかw
こりゃテンプレ作った方が面白そうだなww
…パクるんすか?
>>401 後釣りコピペ君が何言っても滑稽なだけだけどなw
今度は面白発言してくれるんだ?w
ふむう
先生、スルースキルってどこに売ってるんですか。
関羽=関帝を崇めない奴は馬鹿アル〜( `ハ´)
シナ豚は国へ帰れ
>>403 これは精神的な側面も大きいんだが、200年前の新は宛を失った辺りで命運が尽きた事も意識してるかもしれない
仮にも後漢の子、しかも光武帝を意識していた劉備配下の関羽や、光武帝を生んだ南陽人の侯音は知ってただろうし
412 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/27(水) 23:06:52.00
>>403 秋頃まで候音が篭城でもしていれば、樊城も陥落していた可能性大。
何にせよ、この反乱に乗じる事が出来なかったのは、大機を逸した感が強い。
宛が重要な都市だったとして、それ一つが一時的に失われただけじゃ意味無いな。
>>412 いや侯音の乱によって曹操が中原から分断されるから劉備が漢中取れるわけ
んでこの乱によって逆に曹仁が曹操から分断されるから関羽が北上作戦に移れる
大機を逸してない
これを関羽の北上との連携で見るからおかしくなるんだって
侯音の乱は関羽の北上の切欠であり、漢中戦の影の功労者であり
また曹仁を孤立化させた事件でもあったということ
414 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/28(木) 10:01:24.56
>>413 宛の陥落が、長安と中原の分断に繋がるのか?
曹仁と曹操の分断にしても、関羽北上までには余裕で回復していると思うんだが。
乱から関羽北上まで、半年近く間があるわけだし・・・・・
曹仁の孤立化も、関羽北上に合わせなきゃ意味無いんじゃないの。
ちゃんと援軍が来てる辺り、曹操と曹仁が分断されていたとは考えられない。
漢中戦との関連性は、もっと詳しく説明して貰わないと分からん。
乱と同時タイミングで北上なんて、それこそ関羽が乱を煽動した、とかの事情が無い限り
無理だからなあ。そんな共同作戦でない限り、出兵にはどうしてもタイムラグが発生する。
>>414 >宛の陥落が、長安と中原の分断に繋がるのか?
宛という都市は水運の要衝で郡に大規模な港があった
この港がある川が非常に便利で南に行けば荊州、東に行ったらエン州、豫州
北に進めば中原、ちょっと南下してから西に遡ればもう長安
このちょっと南下してから西に遡るルートの途中にあるのが襄陽、樊城の姉妹都市?で曹仁はここに駐屯してる
宛の陥落はこの水路の利便性が盛大に損なわれるということ
中原から長安、そして南陽で強引に徴収した物資の輸送に用いていた水路が一本ダメになるということは
数万、十数万という規模で軍事行動を行う曹操にとってみれば大量輸送の停止で死活問題
漢中戦時は「曹操-曹仁-×侯音-中原」という形で曹操と曹仁がセットで南陽経由の水路から寸断される
物資集積してた宛からの輸送が滞るわけで曹操は曹仁に回復を命令するわけだね
ここで攻めれば、という意見が出るところだけどまだ曹操と曹仁の連絡路が存在してて
北上してしまうと関羽が北部で突出、孤立してしまう
形としては「曹操-関羽-曹仁」となってむしろ包囲されるのが関羽という危機的な状況になる
だからここで攻めないのは機会の損失どころか、ファインプレーになる
結局曹仁が宛を落としてる間、曹操は輸送の問題もあっただろうし
曹仁孤立を防ぐために長安から出られず夏侯淵は殺され、漢中を失う
さらに、長安に戻る頃には新城郡が落ち、今度は長安から襄樊へのルートが寸断される
ここで曹仁が孤立、関羽は攻め込んでも孤立しない条件が出揃い北上が開始される
誤解無きように言っておくけど中原から長安方向へ繋がる大きな水路は他にもある
ただ関羽にフォーカスして語る時、宛から伸びる水路の途絶は重大な影響があったということで
机上の空論という感が否めないね
まあ実際にフィールドワークしたわけでもないから
文字通り机上の空論なのは事実なんだが
地図上に並べるとこういう構図になってるよってこと
三国志の軍事も政治も本来、大輸送手段である水運を無視して語れない筈なのだが
巷間ではあんま大事に扱われないなぁという現状に対してこういう話を持ち出してみた
よく南船北馬なんて言うがその言葉できたのなんて豫州が南部だった頃の時代だし
実際はもっと全体的に船が使われてるしな
>>418 自称正史玄人(笑)共のオナニーに過ぎないからな所詮
まだコピペ君の方が笑いを提供してくれるだけマシw
421 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/28(木) 23:06:04.99
>>416 なかなか面白い推論。
そんな記述は全く見当たらないが、理論的には無い話じゃないね。
呉は言うまでも無いが、魏も洛陽〜寿春に輸送線を作ってるし。
ただ、長安は水運輸送のコスト面で不利だった事が洛陽遷都に繋がってるので、
宛経由の水運にどれくらい頼っていたのかは疑問が残る。
水運の話抜きにしても、候音の乱で曹操が足止め食って、漢中を奪われたのは
当たってるかも知れん。
新城郡ってのは、上庸の事か?
>>421 確かに洛陽から長安まで水路繋がってるな
ってことは中原から直接隔離されたのは曹仁だけで
その曹仁も曹操経由で一応中原への道があったってことだな
曹操─司隷─中原┐
└新城─曹仁─宛┘
すんごい大雑把にするとこんな感じってことになる
ちょっとあちこち見直してくるわ
>>416 于禁は219年の7月に長安を出撃して、翌月には洪水であぼんしてるから、
武関を経由する長安〜宛ルートは新城陥落後も生きてたんでないの?
さすがに長安→洛陽→許都→宛と迂回して翌月には樊で関羽と交戦なんて無理だろうし。
426 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/29(金) 21:49:32.18
>関羽患者
関羽信者ならともかく、この用語を使うのは、あの連中しかいないw
曹操患者は、あのスレから逃げ回って、こんなところで、惨めな現実を忘れようと、
自尊心回復していたのかw
まあ、お前らを相手してやるのはこんなところしかないからなw
せいぜい、残りの人生をなんとか潰せよw
427 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/29(金) 22:52:33.05
その話は巣でやれ
顔面真っ赤にして出張乙ってこった
429 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/30(土) 03:07:01.32
>>424 于禁七軍が水路を使ったなら、船に乗らず水没したのは何故だろう
長安からじゃ、さすがに陸路で馬走らせても遠すぎるか・・・・・・・・
>>429 于禁軍は元々どこにいたんだかよくわからない軍勢なのだが
それを曹操に同行したことにして計算するから于禁がとんでもない速度で移動することになる
>>426 二番煎じとかは正直無様過ぎるな。
関羽信者は患者と言えるほどアホじゃないよ。
生真面目過ぎるだけ。2chには向かない人種。
どうにも2chの流儀にはついていけてない感が出て此処でも浮いてるしな、ガチの関羽信者は
>>281みたいなのを生真面目って言うのか、関羽信者の中では
成程勉強になります^^
また関羽信者の痛々しい姿を見てしまった。
>>435 自己弁護が必死すぎて泣けてくるわ…
折角静かになってきたから黙ってりゃ良かったのにね
よっぽどコピペ馬鹿にされたのが悔しかったのかな
関羽「なんであの時曹操殺さなかったの?!ねえ!」
劉備「いや、そんな別に…普通に無理だったから(こいつウザッ!)」
なんかまた例のメンドイのがへばりついてるな。
撤退した関羽信者は確かに賢い。
関羽信者さん、人ごとみたいに自画自賛ですか?
狂犬だな、こりゃ。
触れるだけで信者扱いの上、噛みつかれる。
そんなんだから敵を増やすんだよ。
自分で撤退したとか言ってりゃ世話ないな
もういいや、胸糞ワリィ。
勝手にそうやって誰にでも自演認定してろ。
個人的に関羽ヲタとあまりかわりない印象の馬超ヲタなんだけど
最近立ったヤツのスレはおどろくほど静かだ
どうしたんだろう
ろくな奴じゃない、ってのが定着してきたからな
関羽の場合は、史料上の美談の解釈の仕方について喧々諤々する様相だが
馬超はその美談自体が一切無いのでもうフォローしようがないんだろう
なるほどね
大徳に磨かれた正義の刃はもう通用しないのかw
>>446 親父が曹操の所に居るのに反乱起こすとかそりゃ徳の面では酷評されるわ
親父を切り捨てて得られた物が大きいならまだ擁護されるけど、それがあった訳で無し
俺は人間としては関羽は苦手なタイプだけど、一応名将とは思ってる
統治も上手かったみたいだし、劉備の片腕として色々苦労を背負ってただろう
ただ、「後漢末という枠では収まらない偉大な名将」と言われると、流石に他の時代のファンでもあるんで反発するよ
短気っぷりが関羽と関羽信者が似てるよな〜
まさに瞬間湯沸器(笑)
> 撤退した関羽信者は確かに賢い。
論破された上に自演がバレて涙目で逃走しただけじゃなかったっけ?
少しは潔くなれよ、足掻けば足掻くほど惨めになっていくだけだよ
信者VSアンチのグダグダっぷりに付き合おうとしない姿勢は賢いだろ。
幾ら煽っても帰ってこない・・・
悲しいのは分かるがもう諦めろ。
つまり馬鹿で負け犬の関羽信者ってことですね、わかります
確かに全く意味のないヨイショしてる
>>450よりは賢いかもしれないなw
別 人 だ と し た ら な
何故帰ってこないなんて言い切れるんでしょうね
そんな事出来るのは御本人様だけだというのに
語るに落ちるとはまさにこの事ですね
うわあ・・・
もう許してやれよ
関羽オタも白旗上げて関羽=雑魚って認めたんだしさ
負け犬にこれ以上構っても仕方無いだろ
じゃあ残りで周倉の可能性についての議論でもすっか
ヤツが実在したら関羽の評価はどうなっただろうか
意味不明w
魏ファンと呉ファンにフルボッコされる関羽信者
まったく史実と同じ展開でワロス
( ゚дメ)
>>457 関羽の方面軍司令と統治者としての名声は、周倉が居ても居なくても全く影響ないだろう
弁慶が実在か架空かで、大きく義経の評価が変わらないのと同じようなものじゃね?
(周倉が名軍師とかなら別だけどなぁ……)
義人としての評価はシラネ、俺にとっては専門外だ
周倉いたら?楊儀みたいに益州へ引き抜かれただけじゃないの?
463 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/31(日) 23:21:30.96
周倉がいたら・・・・
1.関羽に付き従った末に殉死
2.関羽と一緒に捕まって斬首
3.守将として荊州城を死守→投降にダダをこねて、麋芳と士仁に殺される
4.益州へ引き抜かれるほど有能ではない
バッドエンドしか思い浮かばねぇ・・・・
完全にいらない子
関羽に心酔しててストッパーになれないのなら、1部隊長と大して変わらない人材じゃないの
466 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/01(月) 00:16:11.80
関羽の犬でしかない
関平あたりがしっかりしてた方がもっと影響力あっただろうな
完全な関羽アンチスレと化したなw
都合の良い犬に見せかけて、実は最後まで関羽の首を狙い続けていた周倉
>>468 その方がいいかもなw
信者とか入ってこられてももう相手するの疲れたわww
関羽「じょ・・徐晃兄さん・・・!」
徐晃「ここは戦場ぞ。気軽に話しかけないで貰おうか・・!」
関羽「(´・ω・`)」
史実の夏侯惇ってゴミじゃね?
曹操と仲良かっただけ
とにかく何もやってない
周倉は赤兎馬と同じ速さで走れる健脚の持ち主なんだぜ
まあ関羽の下に居たんじゃ使い道無さそうだが
>>473 演義を史実と言うならそうなんだろうなw
>>459 普段から魏は無能とか、呉は卑怯とか、事あるごとに他勢力叩きまくってたからなあ
こういうツケが後で回ってくるのは当然だし、自業自得としか思えん
>>475 へ?
呂布に呼応して濮陽落とそうと内部で画策してた連中逮捕して防いでたりするし
基本的に反乱鎮圧役や後詰としては功績あるよ
本人の伝に何故か掲載されてないけど
じゃあ反乱鎮圧役や後詰としてどう活躍したんだか詳しく教えてくれ
夏侯惇の活躍なんて呂布の捕虜になって韓浩に助けられたとか、李典に止められたのに劉備軍を深追いしてボコられたとかそんなエピソードしか知らないんだがw
まさか謀叛人逮捕した夏侯惇さんすげーって言ってる訳じゃないよなw
>>478 は?
>>472に対する反論で証拠も出したんだから話しはここで打ち切りだろ
何言ってんだ?
>>479 謀叛人逮捕したのが功績とか言わねえからw
そんなの役人の半日常的な業務に過ぎない
何もしてないのと同じだよ
で?いろいろやったって言うんだから何か知ってるんだろ、知ったか君w
夏侯惇は癒し系だよ
魏の中核に夏侯惇みたいな何の取り得も無いけど
地味で無欲で誠実な人物がいたってだけで和む
曹操の旗揚げ初期に本来なら言焦では同格の彼が謙って
一族の兵を纏め配下として参戦した恩を忘れず、と言ったところでは
曹操は丁夫人との関係もそうだが郷里での力関係を後々まで常に尊重していた
>>480 州全体が反乱してる中での城の保持なんだから日常業務ちゃうわい
面倒臭いからwikipediaでも見てきな
俺の言ったことも書いてあるし、他にも色々あるから
歴史系ではwikipediaはソースにならんと良く言うが、君はそのソースにならんwikipedia以下なのでね
>>483 行ってる業務自体は警察と変わらない
しかも荀イクに依頼されて実行しただけw
自分の判断で実行した訳ですらないw
Wikipedia見ろとかw
Wikipedia 見に行ったけど何も見つからなかっただけってのがバレバレだな、知ったか君w
スレチ。
関羽患者が「関羽様より下」を探しだして相対価値を上げようとする流れか
話題の投下自体唐突だし
結局、知ったか君は逃走したかw
まあ、それしか出来ないわなw
ここでいきなり夏侯惇を貶しだす関羽患者
>>484 じゃあ夏侯惇がやった事のいくつかは理解できたね
>>472の「とにかく何もやってない」は否定されたので終了
関羽はキモいけど夏候惇は好き
関羽にジェラってるだけって言われるけど
そんな夏候惇が好き
千里でも追っかけるといいさ
関羽なんかより馬超のほうが魅力的じゃね?
患者ってワード自体があのスレのパクリじゃねえか。
意識しまくりだなw
>>486 やっぱそうだよな、不自然すぎw
別にそんな回りくどい事しなくても、「関羽が馬鹿にされて悔しいです!」って素直に言えば、少しはかわいがってやるのにw
成りすまし報告でも上げとくか。例のスレに。
哀れなくらい分かりやすいなりすましだったなw
>>489 必死過ぎるww
どんだけ終わらせたいんだw
何もやってないのと同じって言ってるだろw
知ったかを隠したいのがバレバレw
早く何をいろいろやったのか言って見ろよw
仮に樊城陥せても宛一帯の維持は呉の協力なくしては不可能かと
それ以上北上すれば、軍団は孤立するし
関羽が功績立て過ぎる事を警戒した諸葛亮から見殺しにされる可能性も
498 :
みじんこ ◆A5eK1PRE8BT6 :2011/08/01(月) 21:57:38.91
まさかスレ落ちたか?
すまん誤爆
関羽は威名を扱った戦略が凄いと思う
それもそもそも、本人の実力がないとできないというのはあるけど
小戦力がそれを遙かに上回る2つ以上の大戦力を脅かした例って
稀に見ないと思うんだが
>>497 軍事的には可能、政治的には不透明
蜀は既に漢水上流を抑えてるので荊州南部がなくても孤立しないし
南陽は北に山脈という天然の防壁があって北からの侵攻に強い
>>501 そう思うとやっぱり孫権とこじらせたのがマズかったね
関羽のせいもあるんだろうが、やっぱり根本は前々からの領土問題だろうし
もっと気前よく南部を譲渡しても良かったはず
それで後々の戦略の幅が随分広がった
割譲したのに翌年には曹操に降伏して婚姻まで結んでるからな。
そんな孫権が劉備との同盟堅持にメリットを感じるような条件て
やっぱ荊州全土譲渡しかなかった気もすう。
結局、関羽の役割って西方の魏軍勢力を引き付けて、戦力分散させる事で
蜀軍本隊による漢中からの北上を手助けする事だった訳でしょう?
それを単独に本気で攻め過ぎて、呉の介入する隙を作り自滅した印象がある。
505 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/02(火) 12:21:10.87
>>504 関羽に合わせて漢中から北上しようとした話なんてあったっけ
タイミング的には大いにありうるのでは。
もしその狙いが無いのなら完全に関羽の独断専行になってしまう。
つまり嘘って事か
はあ
ひい
やっぱり親蜀派の魯粛が死んだのが痛かったね
そんな親蜀の魯粛すら関羽は怒らせてたんだから
魯粛が死ねば呉と蜀の仲違いは必然だったんだろう
呉としても関羽の破壊力はメリットになってたと思うよ
寧ろ、孫権の器が小さすぎたのでは?
一介の将軍に息子貶された程度で魏にいい様に踊らされるって・・・
関羽をおだて続ければ、関羽と魏はお互いに睨み合いで戦力をすり減らし
関羽を防波堤にしてればその間に呉はぬくぬく国力を養えたんじゃないの
関羽がにらみ合いしてるだけならいいが、もし奴が宛制圧を成功させたら
蜀とのパワーバランスが崩れる
孫権からすればそれを警戒するのは無理のない判断
結局自分の物にした後に取られたが、それは戦術上の問題であって、別の話
孫権は息子貶されたってだけじゃないだろう
蜀は益州を取れたら荊州返還するって言ってたのにそれを破った挙句
今度は涼州取ったら荊州を返すとか言い出す始末
そりゃ、孫権じゃなくても蜀に対してはいい感情はもてないだろう
色々積もり積もったのが一気に噴出したんだろう
それに呂蒙が反蜀の人間だし
関羽擁護者は蜀が呉を絶対攻めないとでもおもってんのかね。
>>511 ここまで都合のいい解釈は久々に見たわ
これが信者脳か…
日本語でおk
>>510 魯粛は親蜀派と言うのは間違いだと思う
天下二分の計を生み出した事からもわかるように呉と蜀の同盟は戦略的な理由で必要不可欠と考えてたのでは?
関羽に腹を立てるとか立てないとかそう言う低レベルな次元で物を考えるとは思えない
戦略的な同盟が必要と考えてたから親蜀なんだろ
だからこそその大事な両国の友好にひびを入れるような
関羽の態度が許せなかったんだろうしね
>>518 >だからこそその大事な両国の友好にひびを入れるような
>関羽の態度が許せなかったんだろうしね
既成事実みたいに言ってるけど、魯粛が関羽の事を許せなかったなんて記述あった?
520 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/03(水) 01:08:16.07
魯粛の戦略上、荊州確保は絶対。
周瑜を失う事で戦略が遠回りになっていただけで、呂蒙という新たな軍才がいれば、
軍事的な荊州奪還も推した可能性はあると思う。
零陵が劉備軍領になったのは魯粛と関羽の交渉で決まった事なんだけどな
522 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/03(水) 03:20:36.52
>>521 それは、多分呉の見通しが甘かったからだろう。
曹操が漢中侵攻中だったので、まさか劉備本隊が荊州に出て来るとは思わなかった。
それが出て来たので、一気に大規模戦闘の危機に陥った。
でも、本格的に戦うと呉蜀が消耗して魏を利するので、魯粛的にも衝突は避けたい。
劉備としても、曹操が漢中制圧してしまうと荊州どころでは無くなって来る。
互いに戦線を終息させたかったので、劉備の和睦にさっさと応じた。
こう考えると、魯粛が必ずしも親蜀派だったとは言えなくなる。
三国の微妙なバランスを取りつつ、荊州を狙っていたのが本当じゃなかろうか。
まあ魯粛が必要以上に蜀に肩入れする理由は何もない罠
>>522 うん?何が言いたいの?
だから魯粛は蜀との同盟を重視して荊州を零陵を放棄したんだろって言ってるんだよ
魯粛の戦略にとっては荊州よりも蜀呉の同盟が大事
それでも魯粛が荊州を攻めたのは一方的に約束を反古にされて孫権が怒った事が原因だよ
それと戦線も何も長沙、桂陽、零陵は無血開城だよ
522の言ってる戦線てのは益陽で劉備と魯粛&呂蒙の主力軍同士が膠着に陥ってた事を指してるんでないの。
孔明も魯粛の死に喪に服してるんだよな
孔明も魏に対抗するには蜀と呉の同盟が不可欠だっただろうし
魯粛の早死は想定外だろう
>>504 戦力分散じゃなくて複合的な前進によって各軍団が
曹操に戦力集中してる魏軍を引っ張りまわすことで
軍事的空白部分を作り出してそこを攻めてる
>>506 んなこたぁない
その狙いがなくても荊州北部を切り取れれば十分
というか船団を引き連れて補給や包囲に使ってた関羽軍が南陽盆地以北へ行くのは無理
>>520 魯粛の戦略は「長江流域を反曹操の意思を持つ人間で占領して時間を稼ぐ」であって
呉による荊州保持は絶対じゃない
ただし将来的には保持をする方向性ではあるが
保持しても意味ないんじゃない?
魏との境界線が近くなるだけで危険が増えるだけだと思う。
陸戦も水戦もこなせた関羽は呉では代用の効かない戦力だったのでは?
過大評価ですね
どのあたりが過大評価なのか分からないよ
> 陸戦も水戦もこなせた関羽は呉では代用の効かない戦力
ええっ!?
>>530 意味はある
反曹操勢力が複数あったって一枚岩じゃないから
最終的に自勢力で重要拠点を抑えるというのは重要
ただし時間稼ぎをしたい赤壁直後くらいからの数年間は
呉の国力が徹底的に足りないので周瑜という特殊な人物がいないなら
手広く展開もできなかっただろうと推測するがね
変な煽りじゃなくて具体例を示してくれんと分からんぞ?
関羽の北進以上の成果を呉は魏に対して上げられたっけ?
曹叡「呉?ボコボコにしてやったわw」
関羽と同じ位の働きが出来ないと荊州取っても意味ないだろ
呉も天下統一が最終目標なんじゃないの?
孫権にはそんな気はなかったんじゃね。どうにも荊州ぶん取って燃え尽きた感がある
関羽の北進ってそんなすごい成果あったっけ?
最初のほうは大雨等でうまく行ったけどどんどん悲惨になって行ってる
弱小が列強二国の挟撃体制を作ったというだけで凄いと思うよ
荊州から直接中原を狙えるという利点がある、これは呉蜀共にだが
それに荊州は人口も多く生産力もある、荊州とっても意味ないということはないよ
>>540 最終的には徐晃に叩き潰されて領土失っただけだからなあ
やらない方がどんだけマシだったか…
大雨は関羽軍にとっても災難だったんだけどねw
荊州を領有してたときは蜀は弱小ではないと思うよ
魏はともかく呉とは肩並べてたと思う
成果は結果でしかないよ
それなら何もかも挑戦する意味もなくなるな
失敗を恐れる臆病な司令官・・・
使い物にならねえなw万軍あっても張子の虎だ。
関羽「俺は関帝!未来など全てお見通しだ、ウワハハハハハッ!」
こんなんでもない限り結果なんか分からんなあ
万全の状態で行ってればね
呉との外交でのツケがここで全部払わされた感じ
呉に条件出して(荊州一部割譲等)一緒に中原進出とかやってれば
魏に裏をかかれずにすんだ
>>549 現代でもそうだな。失敗を恐れチャレンジを拒む。大きくなれんよな、社会人としても。
結果なんて分かりきってるだろ…
本当に成功すると思ってたなら相当な無能だぞ、魏を舐めすぎ
>>551 呉としても同盟を続けてれば面白い状況になったんじゃないかな。
徐晃に撃退されたとしても、依然荊州に鎮座する関羽に前線は緊張。
不倶戴天の張遼も関羽討伐に回され、合肥方面からの進撃もやりやすくなった、かも・・・
>>553 話は全然変わるけど俺はそうは思わんなあ
13ゲームくらいつけられた巨人が優勝した時は先のことなんてなんも分からんって思ったよ
歴史にも絶対なんてないでしょ
結果を知ってるからそういえるだけで
だいたい、呉が荊州狙ってたことは関羽もわかってただろうに軽率すぎる
陸遜が下手に出てたからって舐めすぎ
項羽が劉邦に負けるとは思わなかったっす^^
そんなん言ったら中原華北制圧された時点で…
精神論とか・・・・
慎重と臆病は違う
関羽はもっと慎重になるべきだった
関羽は呉を信じてたわけでもなく警戒してたんだから尚更ね
陸遜が下手に出てたからたって←アホ
慎重になれる暇なんてあったかね〜、あの時期の蜀に。
そういうのは圧倒的アドバンテージを有してる方が出来ることなんじゃねーの?
そもそも荊州に残ってる人材で北上ってのはさすがに無謀かと思うw
献帝を奪還するだけでも良かったのかもね
後は劉性と漢朝の正当性を主張し、世論の後押しに任せ魏の
あちこちで反乱を
煽ったりするとかでも効果はかなりあるのでは。
漢中を取り荊州、益州も領有
ここからって時に勇み足過ぎた
じっくりとここから戦略を練るべきだった
>>564 そのあたりは首脳陣の配置ミスかもな
益州を取るなり、関羽は再び劉備の爪牙として舞い戻り
諸葛亮がデリケートゾーンの荊州に戻っても良かった気もする
当時にそこまで漢の威光が通じたのかも怪しいが。
蜀漢正統論の頃と比べちゃいかんよ
河北、西涼、徐州あたりは突付けばあっさり寝返りそうだけどな。
魏も一枚岩の強国じゃあるまいて。
河北や西涼をどうやって突付くのかkwsk
>>535 襄陽以南を数年占領しとるよ
さらに新城郡の東側にある房陵を制圧、南陽以外の荊北を確保してる
曹操死後すぐから曹丕の皇帝即位ちょい前までの間
ただこれは関羽の侵攻のせいで城はボッコボコだわ、兵糧は全く備蓄されてないわで
曹仁が守り切れないと判断して宛まで駐屯地を引き上げたせいでもあるのだが
>>538 地理的に荊州を敵に抑えられると揚州の防衛が難しくなるし、自分で確保したいのは当然かと
(長江の水運が有るからね)
それは益州に拠点を持つ勢力にも言える
益州を攻めるなら荊州から攻める方が楽
>>553 関羽「まさか曹操と孫権が組んで本気で攻めてきて、あっさり本拠が落ちるとは思わなんだ」
とまでは想像しないでも、挟撃の危険は当然想像してなければおかしい
それに孫権と曹操が組めば例え孫権が攻めてこなくても、曹操は対孫権の戦力を使える訳でさらに厳しくなる
(実際は、孫権が攻めて来た辺りのタイミングで徐晃に負けて、それ以上曹操は対関羽戦に戦力を投入する必要がなくなったが)
戦場の霧を考慮しても戦略的失策だろう
>>568 流言でも十分なんじゃね?
献帝は蜀が頂いたよ〜!漢朝復興するかもよ〜!
げえ!魏なんかについてる場合じゃねえ!!的な。
>>564 漢中に十万前後と予測される曹操本隊と夏侯淵が集中し、
夏侯惇に二十六軍を預けて対呉に貼り付けた、この瞬間
曹操軍は東西に分断され、残るは僅かな于禁率いる遊撃する七軍
軍事的に全くノーマークとなった荊州、中原
じっくりとここから戦略練るバカがどこにいるんだ?
曹操は決断も行動も早い
じっくりと相対するのはあまり得策ではない
かといって関羽の北進がベストな選択だったとも言えないが
>>574 そうさせないために曹操は遷都を考えたんじゃなかったっけ?
>>571 誰が信じるんだよ…
嘘流すにしても、それなりのリアリティが無いと無理
そういう奴等は吉本、魏諷の乱であらかた処罰されて
息を潜めてたやつも漢朝オワタって感じで諦めてるよ
>>574 暗殺出来るんならそれでもいいんだがな
そうなれば「もはや漢を継ぐ力のある劉氏は劉備しか居ない!」という流れになるし
献帝がもっと早く死んでたら、劉氏系群雄は随分楽になっただったろうに
(まあここまでくればスレ違いだがな)
関羽に献帝持ってかれたら危なかったんじゃネーの?
580 :
574:2011/08/03(水) 21:12:24.13
関羽の判断はあながち間違いじゃなかったと思う。
確かに魏に食い込むチャンスではあった。
俺は関羽が悪い、呂蒙が悪いじゃなくて
関羽になにもさせなかった呂蒙が「凄い」んだとおもうがね。
どうせ遷都されるから皇帝拉致なんて夢物語だよ
関羽も凄かったよ
洪水の威力を利用して、瞬時に于禁、ホウ徳を無力化
曹仁も迅速に閉じ込める
ここまでを独力でやってのけた
その後、魏は更なる戦力の投入を余儀なくされ更には
呉の協力まであおぐことに
ただ、関羽は一直線過ぎた
呂蒙の凄いところは、こんな凄まじい関羽と正面から
やり合おうとせず冷静に弱点を分析し、それを実行して
関羽に勝ったことだと思う
>>572 于禁の後も徐晃に後詰めさせてるよ
中原に近づけば近づくほど層は厚くなる
ましてや荊州に残ってる人材では北上は無謀
>>583 そこまで行っといて、劉備さん何もしなかったら色々酷すぎますぜ・・・
585 :
574:2011/08/03(水) 21:17:49.62
曹仁を倒せなかった関羽が献帝に手を出せるわけないだろうに。
帝暗殺できるんなら曹操暗殺するわw
>>581 遷都したらしたで関羽軍&蜀が益々勢いづくことに。
>>583 一番の問題はそこなんだよな
仮に徐晃超せて呉がちょっかい出さなかったとしても、あの辺りを維持するのはまず不可能
これは他の時代の例を見ても明らか
>>580 そりゃそうだ
あそこで曹操の下について荊州を獲り、後々自立するだけの力を付けるって決断をした孫権含め
蜀は魏を攻めるなら呉を敵に回せられなくなるし、夷陵で劉備をはね返した時点で戦略的勝利は得られた
(まあ、誰でもいいから絶対に魏を倒さなければならない、っていうなら事情は変わるけど)
劉備の命令だったのか関羽の独断だったかで意見は違ってくるよな
劉備の命令なら劉備も長安に向けて進軍すればよかったのにと思う
590 :
574:2011/08/03(水) 21:23:46.26
あと、関羽に変わる人材が呉に居ないとおっしゃる諸兄に一言。
成果で言えば鼎立以降、末期を除いて呂蒙以上領土を広げた司令官は居ないし、
関羽が普通に荊州にいる状態でも荊州3郡とってるからね。
>>590 魏に鋭鋒を向けられない事にはあまり意味のないことかもしれんぞ
天下統一を狙ってるのなら
>>585 まあそうなんだけど、難易度なら大差ないし(あの時点ならどっちもほぼ無理)
まあ、献帝が早期に死んでたら新末のように他の劉氏の伸びしろが大きくなったろうなぁ、ってネタも含むIF
呉蜀での取った取られたは内輪もめみたいに見えるしな
魏に対抗するに当たって呉にとって荊州が必須
長江渡らなくてもいいんだからな
南船北馬の呉、魏のホームでは屈強な騎馬軍団に打ちのめされるだけなんじゃ?
>>583 徐晃の後詰めさせてるのは知ってる
その後、曹操自身も来てるし、夏侯惇まで二十六軍引き連れて荊州までやって来た
じゃあ関羽軍がお仕舞いかって言うとそんなこともなく
関羽敗死後も襄陽の包囲は翌年になってもまだ継続されてて
漢水を挟んで長期間睨み合いの期間がいくらかある
>>595 南船北馬って言葉が生まれた時代の「南」は荊州北部から豫州南部〜揚州北部辺りの事だぞ
あ、そうなの?
タメになったわ、サンクス。
でも、呉って関羽並に魏に痛撃を与えることもなかったような・・・
長江補正が強力過ぎるだけで、呉が強い訳じゃ無いからな
>>596訂正
襄陽の包囲は関羽死後じゃなくて徐晃に敗戦後も継続されてただけで
翌年には持ち越してなかった
この流れいいな。
次スレまでいっても「史実の関羽って弱くね?パート2」じゃないとダメなんかな。
「関羽北上考察スレ」いけそうな気もするクオリティになってきてる。
>>596 それを打倒できるだけの戦力があるのか?って話
無理だよね?関羽がいくら奮戦しようとも
益州に援軍頼んだとしても時間的に間に合わないだろうしね
>>591 呂蒙が途中で死んだので「荊州を得た呂蒙の対魏戦」はIFにしかならないんだよなぁ
ぶっちゃけると「誰でもいいから乱世を終わらせて統一しろ」って命題だと、
孫権の最適解は「赤壁前に曹操に降伏する」になってしまうw
そうなればあとは曹操が光武帝の敷いたレールに乗って無難に乱世が終わる
(その後の禅譲や漢の存続第一派とのゴタゴタは置いておくが)
孫権にしてみれば、曹操の天下取りに協力しなかったように劉備の天下取りに協力しない事を非難される由縁は無いだろうさ
どの道あの状況で曹操系勢力以外が天下を狙うのはかなりの無茶ぶりだしね
上手くいかなかったのも当然と思うが
あと曹操系以外で(恐らく)天下を狙おうとしたのが二勢力居たのも、天下へのハードルが上がった理由の一つだろう
もうちょっと待ってれば曹操死んだんだからそこで北上がよかったかもw
呉が北上するというIFがあったとしても、関羽と同じルートを取る事は有り得ない。
これは孫権の合肥への執着一つを見ても明らか。
606 :
574:2011/08/03(水) 21:46:31.76
あの時代、相手に守りにはいられたら抜くのは容易じゃないよ。
それこそ天災のようなハプニングでもない限り。
呉の統一プランは曹操死後の混乱に乗じるというものだと思う。
その際荊州を領有していることの意味は大きい。
夷陵のせいでそれどころではなくなったけど。
(このプランの根拠としては、曹叡死後に陸遜が止めるのも聞かずに
孫権が軍を発したこと。孫権は魏を倒すことに強い意欲を持っていたし、
その機会を世代交代の時と定めていたと推測する。)
合肥への執着っていうか建業から出兵するに当たって近いところから切り取りたかったんじゃないの?
>>602 全てを打倒する必要はない
何でかと言うと劉備は孟達の落とした新城郡の各所に太守を送り込み
徴税体制を構築しつつあって、関羽のバックアップを開始してるのが陸遜伝でわかる
(陸遜は荊州攻略の〆に房陵太守ケ輔、南郷太守郭睦を大破しているのだが
この房陵、南郷は孟達のいる上庸の東側に位置してて、
孟達が蜀から魏に転向した後は蜀の飛び地になってた場所
曹操の死亡後のゴタゴタなどに付け込んで襄樊を占領してた呉はさらにこの飛び地を落としてるってこと)
つまり関羽は襄樊さえ攻略してしまえば後は漢水補正を受けつつ上流から補給待ちが可能で
呉が長江下流でやってるような防衛が可能になるってことなわけ
>>608 >軍事的に全くノーマークとなった荊州、中原
>じっくりとここから戦略練るバカがどこにいるんだ?
話が変わってる?
いや打倒しないことには洛陽、許昌から近いここは常に攻められるぞ
荊州すらまともに守りきれない連中が、どうやって長安なんか維持するんだよ
圧倒的に戦力が足りない
>>609 そうでなく荊州、中原は于禁軍くらいしか即応戦力が残ってないもんで軍事的にからっぽに近かった
これが曹操が洛陽辺りまで戻ってからでは、対関羽として曹操が即応できてしまう
だから、荊州を攻める最大の機会だったということ
あ、俺別に中原まで攻め込めって言ってるわけじゃないよ
明らかに船団での補給を行ってる関羽軍が南陽以北行ったら確実に干からびるからな
そして南陽は洛陽、許昌が近くて常に攻められたとしても防衛できる土地
北部の山岳地帯には現代ですら戦国楚の城壁が残ってて、
漢書や晋書でもこの城壁は使えるという記述が残ってる
ここまでが関羽軍の攻勢限界だろう
そして最低限の目標が襄樊で、漢水北岸を抑えたら呉のように大河の補正を受けつつ戦える土地
ここまで取れなければ軍を動かした意味はないし、
ここさえ取ってしまえば南側からの侵攻にすこぶる弱い南陽の攻略は容易ということになる
問題はこの襄樊を落とす前に孫権が物凄い見切りで劉備と手を切り
これまた物凄い手腕で呂蒙が電光石火で城を落としてしまったことなだけで
劉備と関羽の天下への可能性は、まだ十分に有った
帝がいる中原を空っぽにしているとは思えないんだがなぁ
内乱起こすやつもいたし中原には常に兵は置いてるよ
問題は如何に領土を削り取るかじゃ無く、如何に維持するかだと思うんだがな…
その辺を全く考えて無かったっぽいんだよな、関羽の北上は
>>612 そりゃ最低限度の守備や治安維持、それから警備なんかの兵士はいるが
まとまった規模で戦闘の出来る軍はないというのが実情だと思われる
いくら呉が降伏と臣従するという名目で和平をしたからといって
その後に襄樊を曹仁が放棄する時に、
絶対呉に占領されるから、と対呉前線で働いてた人間が警告出したりしてるように
当時の呉は全く信用されていなかった
(曹仁は現実的に守備できないことを理由に放棄して結局占領された)
そんな対呉の前線から兵を引き抜いてまで関羽戦に回そうとしたりしてる時点で
于禁軍を除いて国内の即応戦力として軍規模で動かせる兵は皆無だろう
>>613 ちゃんと孤立しないように孤立しないようにと動いてるのだが
最後の最後で前提崩れて頓死しただけで、全く考えてないわけではない
都に兵をほとんど置かないってのはない
呉に全兵力を注ぐまでもないし
吉本の乱があったし尚更、都には兵を置くと思うんだが
>>616 だから守備や治安維持、警備なんかの兵はいるとしたって、だ
軍隊として戦争に及べるだけの規模で国内にいて、
それが前線に送って問題ない規模だったものがないから、前線から他の前線に兵を引き抜いてるんでしょ
警備兵とか0じゃないよ、当たり前だよ
でもそれで戦争できないんだよ
だから都を守る軍隊が少ない状態はないって
魏にとっては一番大事なところに守れるだけの兵士置かないでどうする
他に兵士を動員したって都には十分な兵士が置かれる
他の前線がそれほど危ない状況でないならそこから危ないところに兵を持っていくのは当たり前だしね
>>618 そういう話をしてるんじゃなくて、そいつらを前線に出せないから
軍の空白地が生まれて蜀の攻勢に対して対呉戦線から引き抜いてるっていう話だよ
守ってる守ってないとかどうでもいいから
大事なのそこじゃないから
うん?援軍等見るに即対応できてるようだが?
魏は基本的に攻められたらとにかく守って中央からの援軍を待つスタイル
この時点で関羽の北上は無謀だった
>>620 即応戦力である于禁がぶっ飛ばされて以降はもう総動員体制
その後はしょうがないから他の前線からであったり
細かい、と言っても数千はいただろうけど徐晃とその援軍とか曹操本軍から引き抜いてみたり
対応できてる、とは言いにくい
徐晃に負けてボロボロになった、という記述が徐晃伝にあるが
関羽は補給が止まるまで襄陽を囲んだままで
もし呉の江陵攻略が無ければ今度は漢水挟んで延々と睨み合うことになる
書き忘れ
全然無謀ではないからな
曹操が本軍連れようと、夏侯惇が二十六軍引っ張ってこようと
漢水に艦隊乗り入れて制海権ならぬ制水権を取らない限り
襄陽囲んでる関羽軍を倒すのはほぼ不可能だが
この時点の漢水に入って関羽艦隊を駆逐するだけの艦隊があったかどうか全くわからん
逆に関羽は制水権を握ったままだから
仮に曹操がいても引き上げるか劉備が何かするかまで膠着状態を引っ張れるし
樊まで抑えてしまえば漢水における蜀の支配がほぼ固定化して、
仮に南が孫権に抑えられても何とかなる
総動員が揃う前に徐晃にやられたがな
対応できてるとは言いにくいと言われても
それで対応できて防衛も成功しているから対応はしっかりと出来ている
関羽の北上は呉の邪魔がなければ成功していた
維持できませんからw
于禁が降伏している以上、兵糧が足りなくなるんじゃね?
>>625 兵糧が足りなくなるのは江陵含む荊南からの輸送に頼る場合
もうちょい時間が稼げると今度、荊北の新城からの輸送が可能になる
>>623 いや即応戦力による対応できてないでしょうに
だからこそ、徐晃の樊解放は第一の功績となるわけ
それから防衛に成功してないからね?
徐晃のみならず、船団を有していたという記録のない曹操が来ても
襄陽は包囲されたまま解放できない
曹仁は援軍に来るまで守りきればいいわけですし防衛は成功してますよ
>>628 それは樊
襄陽は結局関羽自身が解放するまで包囲されっぱなし
孫権の見切りと呂蒙の電撃的な手腕無ければ渡河手段に乏しい魏側はどうしようもないぞ
樊で敗れた以上包囲戦はつらいのでは?
包囲戦は時間がかかるものだしその間に渡河手段も整えられるしね
>>630 つらくない
樊と襄陽は対岸の都市
川幅は1kmはなかったはずだが数百mはあるから
渡河できないことにはお話しにならない
関羽が北上したルートはロジスティックの効率が悪いでしょう
魏との長期戦は敗北を意味する
ロジスティックが確保できても呉が邪魔すれば結果が見えてるし
関羽の樊城攻めは主に「孫権が曹操と組む」って事態への対応で批判されてるんじゃね
曹操単独では対応が難しかったって反論してもあまり効果無いのでは?
>>632 輸送の効率はいいはずよ
かなりの距離を船で輸送できるから馬の餌とか大分考慮しなくていい
呉の邪魔の対策は糜芳と士仁の失敗で潰えたけど
>>633 曹操の総動員体制で既に詰んでて、関羽の北上は判断ミスという言説に対する反論だから
意味ないというわけでもない
637 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/04(木) 01:05:56.45
もう一つの関羽北上、文聘伝にある尋口の戦いも考察してくれ
よく分からん戦いなんだが・・・・・・
劉備の益州平定戦間近の微妙な時期だし、襄樊攻めの方がまともな軍事作戦に見える
わからない事多すぎて何もいえねぇ
ってか場所もどこだかわかんね
ていうか徐晃に負けた時点でもう襄陽からも撤退せざるを得ないのでは?
641 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/04(木) 02:20:01.91
>>638 尋口の場所も分からんが、蘇非って誰なんだろ
姜維と段谷で合流出来ずに敗走させた奴とか、前説なしにポツンと出て来て
フッと消える人物が重要なポイントにいるとか勘弁して欲しいわ
楽進と文聘の共闘で、北上した関羽がボコられて逃げ帰ったのが全容か?
関羽が北上したのは、結局何だったのかも分からん・・・・・・
考えられる候補
・攻勢防御
・益州方面へ目を向けさせない陽動
・実は書いてないけど何かあった
3番目以外の可能性を模索したい
643 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/04(木) 03:09:00.90
>>642 時期的には、恐らく赤壁後。
そして、劉備が益州平定に乗り出す前後かと思われる。
魏勢力が南下した可能性は、先年の大敗に対して軽率な行動過ぎる。
関羽が敗走しても本拠まで攻めず、周辺の蛮族を征服しただけ。
陽動作戦としては、誰にどれだけの陽動になったのか疑問。
当時は呉と劉備の同盟関係も健在で、対魏共闘の体勢も固かったはず。
書いてないけど何かあったとしたら、蜀の事情だろうなぁ・・・・・
だから、あれほど史書を残しておけと言ったのに。
>>640 江陵、公安、南郡と失いもう戦どころではない
それわかってるのに徐晃と戦い敗北
いつまでも襄陽を攻めてたら撤退もままならない
荊州陥落を知ったのが徐晃に敗れる後か前かは分からないんじゃない?
どっかに書いてあったっけ。
>>644 輜重が孫権に奪われるまで関羽は襄陽包囲継続してる
呂蒙による電撃的な攻略と輸送の停止がなければ
恐らくそのまんま包囲継続してるよ
包囲継続したところで、そこからどうすんの?って話じゃないのか?
長期戦になればなるほど不利になるのは明白なのに
結局ジリ貧になって、遅いか早いかの違いだけだと思うが
>>646 文聘が漢津で関羽軍の輜重を焼き払い、荊城で輸送船を沈めてるから、
孫権侵攻とは別に関羽軍の兵站はかなりの被害を受けていたはず。
孫権が攻めなくても補給が続いたかどうかは分からんよ。
>>647 孫権に策源地を落とされていない、という前提で且つ後知恵満載になるけど勘弁な
曹仁の判断によると曹操死亡前後の襄樊はもう限界だったらしく宛まで退いてる
この後退理由で考えられる理由は3点
兵糧不足、防衛施設の破損、バックアップシステムの崩壊
つまり軍の駐留そのものが難しい状況に陥ってて長期戦になればジリ貧になるのは曹操
ただしその数年後にはしっかりとした体勢から曹仁が襄樊を呉から取り返しているので
1年から2年くらいで勝負を着けないといけないけれども
>>648 その焼き討ちの記述が何時の話なのかよくわからない上に荊城の位置がわからない
文聘伝の記述はどのタイミングで起こったのかマジ不明
クリティカルなタイミングじゃないから流されてるのか、
単に何も考えずにとりあえず功績を書いてあるだけなのか判断に悩む
そんな個人の私見でこうなるだの言われてもなあw
いや、荊城の位置は水経注に載ってるだろ。
沔水の右岸(西岸)で当陽県の辺りだよ。
因みに、荊城から少し北に行くと、羊祜が詭計を以ってその守備を解かせた石城がある。
>>649の為に無視
あまりにも痛々しいレスだから
>>651 水経注の方に載ってるんだ、ありがとう
正史の方検索掛けても全然わからんかったから本当になんだコレって思ってたんだ
もうツイッターしかやってないと思ってたらまだここ見てるんだな
襄陽囲んでる間に当陽の南側で輜重奪われたりしてるなら
孫権によって輜重奪われるとかそういう以前の問題で
地図見る限り兵站ぶっ千切られてるように見えるんだが
ただこれによって関羽軍が何かあったっていう記述もなければ
文聘が顕彰されたという記述も見ないので、ゲリラ的に小規模な破壊活動だった可能性もあるね
時期も不明ってのは上でも述べたけど関羽の襄樊包囲の頃とはまた違う時期のものかもしれない
>>654 書き込む気が起きた時は書き込むよ。
ツイッターのが反応が多いし、怨霊さんの意見とか参考になるからあっちを主体にしているだけ。
>>655 劉備のブラフかどうかという点はあるが、劉備が劉璋に対して「関羽が楽進と青泥で対峙している」と話している点は考慮すべき。
青泥は襄陽西北30里の地点。
それは文聘昇進前の楽進との関羽討伐の時にどこで戦ったか、という答えになりそうなのはわかった
尋口はそこに接続する水路のどっかなんだろうね
んで漢津で輜重を襲い、荊城で船を焼いたという記述は建安16年以降25年以前として
この9年の間のどこに該当するんだろうかがわからない
せめてもうちょいタイムラインを示す言葉欲しいなぁ
658 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/04(木) 23:56:06.96
尋口は、地名的にも川沿いっぽいけどね
それだけに、川の氾濫で地形変わったりしてるのかも
>>656 お久しぶりです
昔、北伐スレで勉強させてもらってた者ですが、ジョミさん的に関羽ってどうですか
前レスで姜維に似てるって意見もありましたが・・・・・・
>>658 何が似てるのかと思って過去ログ見てみたが、世間の評判の話か。
功罪相半ばする事くらいの共通点しかないと思うよ。
関羽は評価するだけの材料が無いので何とも言えない。
戦い方の特徴を読み取れないからね。
敢えて言えば徐晃戦かな。
予備を率いて四冢の救援に赴いた時に歩騎5千を率いたところを見ると、
4,5千で一ユニットとなる、複数の諸兵科連合を運用するような戦い方だったのだろうとは思う。
まぁ、詳細な編成が分からないので、諸兵科連合と呼べるかどうかも分からないけど。
いずれにせよ、中央に歩兵の隊列を作って、前列に散兵、両翼に騎兵を配置して、みたいなのを数万規模でやるのはあんまり無さそうな感じ。
660 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/06(土) 18:53:33.89
関羽がこれだけの規模で、しかも城攻めしたのは初めてだったかも知れん
関羽の戦闘記録って、ホント少ないんだよな・・・・・・
一騎打ちは外すとして、「襄樊戦」「215年荊州紛争」くらいか?
江陵篭城戦でも動いてるが、肝心の中原での具体的な戦歴が分からん
661 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/06(土) 23:28:09.31
黄巾の乱:義勇軍として参加、指揮系統不明
反董卓連合:公孫瓚配下として参加
徐州防衛戦:侵攻する袁術勢力との戦闘を繰り返した、指揮系統不明?
官渡大戦:曹操配下として参加、顔良斬り
荊州撤退戦:劉備の別働隊として船団で逃走経路確保
赤壁大戦:大戦後、江陵戦では北道を断つ
荊州争奪戦:呉の侵攻に3万で対峙、小競り合いが続いた末に和睦
襄樊戦:呉に背後を衝かれ、捕まって斬首
>>661 反董卓連合に参加してるとしたら曹操配下だよ
>一騎打ちは外すとして
なんですってぇ〜?
>>661 なんでアンチ関羽って史実って言ってるのに演義を交ぜてくるんだろうな
>>1と言い正史を読んだ事すらない無知が史実を語るなよ
演義じゃなかったら嘗ての借りを返すために曹操を見逃すどころか
劉備になんで曹操殺さなかったんだよ、と詰め寄る糞
>>668 『史実』がNGこのスレに書き込んでるお前も同類だな
日本語でおk
まあ落ち着いて書き込めってことですな(´∀`)
673 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/07(日) 11:24:33.71
>>666 どこがアンチで何が史実かくらい書き込めよw
劉備自体が敗戦重ねて来たから、関羽に華々しい戦果が少ないのは仕方ない
単にレッテル貼りたいか、正史=史実と思ってるただの馬鹿だろ
相手にしても仕方ない
>>673 曹操軍所属時は三国どころか、中国史レベルで語り継がれる大功を上げちゃってるけどねw
へえ、武将討ち取っただけで中国史レベルねぇ
まあ「中国史レベル」には違いないなw
「中国史上稀に見るレベル」という話なら別だがw
中国史レベルで語られてもな、ここ日本だし。
中国人による評価を気にするのなら中国(祖国)へ帰ればいいだけ。
迷惑すぎるし。
関羽に嫉妬してる人達の集まりはここですか?
嫉妬なんか誰が?
演義にどっぷり浸かった関羽厨が史料での戦績の微妙さに歯噛みするスレ
まあ
>>1が晒し者並のレスな時点でアンチ関羽の敗北は確定してるんだよな
だよな、って同意を求められても
関羽に嫉妬(笑)
まあちょっと遡れば分かるが、関羽信者が敗北宣言して関羽=雑魚だと認めちゃったからなあ
既に議論の余地が無いのは確か
俺様はアンチ関羽様だ
フヘヘ…
でも関羽って顔良討ち取ったしスゲエ武将じゃね?
これでおk?
成り済ましを本気にする人って…
一般人「正史の関羽って弱いよな」
関羽信者「馬鹿発見wどこからどう見ても強いだろw関羽は中国史に残る名将!」
一般人「いや中国史とかじゃなく、正史の話なんだけど」
関羽信者「関羽は神として祀られてるし、他の時代でも評価最高!関羽信者の俺は勝ち組!」
一般人「いや、だから正史の話だって」
関羽信者「関羽最高!関羽は神!関帝様万歳!ブヒィィィィィィィッ!!!」
客観的に見るとこういう流れか
蜀書で具体的戦功が乏しいのが多いのは仕方がないが、
他伝でも負けっぱなしなのが痛い所だな。それこそ荊州以前は勝ち試合が官渡くらいしかない
まあ、周瑜伝でもセットで出てくるあたり、存在感はあったんじゃないの
が、やはり生え抜きというのがでかいんだろうね。組織にとって初期メンバーと言うのは当然上の方に行くから
顔真っ赤にして客観的とか言われてもなあ
まあ
>>1が正史を語ってるように見えるアンチ関羽にはそう見えるんだろうね
良くわからんけど
> 顔真っ赤にして
フイタw
鏡を見ような
○関羽and張遼vsイケメン×
バカは置いといてと
>>691 そもそも正史に記述がない=全く何もやってないって発想が間違ってるんじゃない?
先主が挙げた武功が全て先主だけの功績ってのは無理があると思う
わざわざ記録する程の活躍はしてないって事だろ
つまりはその程度の雑魚ってこった
活躍してたなら、それこそ長坂の張飛のように記録されるだろうしなー
働いてはいただろうけど、目立つような活躍はしていなかったとしか言うしかない
極端な事を言えば、糜芳や簡雍と同じようなもんだ。奴らだって何もやってなかったわけじゃなかろうが、大活躍したかというと疑問だ
現実問題、于禁のように活躍してるやつはちゃんと載るわけで
「蜀書は記録が曖昧」という論法を使うなら、他伝に関羽の勝利を伝える記述が相当数残ってないと、つじつまが合わない。楽進や甘寧の伝に出てくる関羽も対峙したとあるか、関羽が敗走したという記述しか見当たらん
700 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/07(日) 18:28:29.87
700get
701 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/07(日) 18:49:45.99
例えば、徐州時代の袁術軍との戦闘みたいなものは、魏呉からの視点が無いので詳細も不明。
この辺りは、蜀が史書を残していないのが一番の問題じゃないのか。
・魏側からの評価が高い(万人敵云々)
・荊州の総司令という実績
・ヒゲの自己主張
・中原を震撼させた気がする
多分、関羽を評価するとしたら、この辺りなんだろうか。
・中原を震撼させた気がする
こういうの捏造っていうんだよね。
どうしても功績は認めたがらないのなw
なんか関羽に嫉妬してる人が怖い・・・・
張飛に嫉妬し始めた関羽
>>701 曹操クラスだと後漢書にも載ってるんだけどね。袁術や呂布絡みで
立ち位置的には劉備の部下でしかないからのう
ただ
・荊州の総司令という実績
というのは材料になる。少なくとも他の初期組より上と言う事だから
まあこの論理でいくと夏侯惇あたりも名将と言う事になってしまうがね
706 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/07(日) 19:26:50.23
後漢末期の徐州・荊州は、稲作文化で漢民族とかなり人種が違った。
劉備・関羽たちは、演義によれば、そういう民にも優しかった。
南北朝時代に、中華の中心は長江流域に移り、そこで人気のあった
関羽は神格化された。
戦術・戦略は優れていると言えないが、統治能力は良かったと言える。
・魏側からの評価が高い(万人敵云々) …当てにならない元身内の個人評。
・荊州の総司令という実績…人材不足の蜀では微妙、しかも全部取られました
・ヒゲの自己主張…これ何だっけ?
・中原を震撼させた気がする…個人評以上に当てにならない煽り文句。マスゴミの「日本中が熱狂!」と同レベル
ちょっと弱いすなあ
708 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/07(日) 19:48:50.13
・ヒゲの自己主張…人妻に横恋慕しかし権力者に横取りされる
ちょっと一番情けない
曹操があれだけ惚れ込んでたと言うのは大きいな
いきなり一軍を任せてる事や特別に恩賞を与えて引き留めようとしてたと言う所からみても、並の将ではない事を表してる
一時は有名コテだってカキコしてた!
糞スレじゃない、此処は糞スレじゃないはずなんだッ!!
・ヒゲの自己主張
黄忠の悪口、馬超に嫉妬、曹操殺しとけば良かった発言、縁談お断り
これくらいしか思い付かん
>>710 涙拭けよw
頭の悪い粘着厨に纏わりつかれたらどんなスレもお終いだ
>>710 自分の思い通りにならないからって、変なレッテル貼るのはよくない
>>699 元の史料にあまりにも不様な記述しか無かったから、陳寿が意図的に書かなかったのかもな。
個人の伝にはあまりその人物にとって都合の悪いことはことは書かないのが普通だし
で、その結果スッカスカの関羽伝が出来上がったと
裴さん曰く、関羽を追ってなしで劉備の元に還した曹操はスゲェ
とね
頭の悪い粘着厨w
的確な表現ワロタw
717 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/08(月) 03:20:48.61
関羽とか実際は髭がアホみたいに長かった雑魚だろ。小物エピソード満載のネタキャラ。
>>715 蜀厨のくせに曹操だけはマンセーなんだよな
無双でも最近は微妙な性能だし、世間一般でも関羽=雑魚ってイメージが広まりつつあるんだろうな
まあ今までが過大過ぎたからこれくらいでちょうどいい
>>1です。
このようなスレを立て、お騒がせして申し訳ありません。
関羽の評価について一石を投じると言う意味で気軽な気持ちで立てました。
正直ここまで伸びるとは思いませんでした。
>>1のレスが煽り口調である事や歴史資料と異なる点がある事はひとえに私の未熟故にございます。
また、有識者の方々のご意見を何度か拝見しましたが、大変参考になりました。
ありがとうございました。
最後に関羽の評価が必要以上に貶められているようですが、それは決して私の本意とする所ではありません。
荒らし等に関しましてはスルーするかNGID登録して下さるよう宜しくお願いします。
誠にありがとうございました。
これは酷い
なりすましにしても下手すぎ
いちいち煩い
ナンチテ(^^ゞ
>>690 ほぼ合っててワラタ
テンプレに使えそうだなこれw
個人的に、このスレの流れでは・・・
信者=中国史の観点では名将。正史にある評価を拾い集める。
アンチ=詳しい戦歴は無いのに、演義補正だけ高い。正史の評価も客観性に乏しい。
基本的にソース出すのは信者、文句言うのがアンチ。
ソースの内容よりもコピペやウィキ流用を叩くのは、まともな議論が出来ないから?
主な話題では、
信者=北上で中原震撼、荊州の統治能力も高い。
アンチ=楽進にも甘寧にも徐晃にも負けてる上、北上して荊州獲られた。
戦略や戦術の細かい議論では、誰が信者でアンチかは判別不能。
ただ、議論中に信者認定して対立の構図に持って行くのはアンチ。
神として祀られている云々の理屈は、このスレではほとんど主張されていない。
祀られた経緯や理由の考察、同じく神となった人物との比較はしている。
てか、アンチは関羽の過小評価にすらなってないな。
文句と悪口のみ。
なんでアンチは知識もないのに、関羽を叩きたがるのかが疑問。
俺はラピュタの再放送並に見たよw
信者の証拠提示。
アンチ「証拠出せ〜、信者!」
信者「はい、証拠」
信者の証拠→中国社会科学院のサイトなど信用のおける場所からのコピペ
これにぐうの音も出ず、アンチ大暴走。
信者&関羽への猛烈なバッシングへ。
こんな流れも見飽きた。
>>707が結構的を射てると思うんだよな、俺は
書き方は完全にアンチだけど、言ってる事は間違ってない気がする
あと、
> ただ、議論中に信者認定して対立の構図に持って行くのはアンチ。
これはどうかなあ?
どっちもどっちだと思うが
まともな証拠提示なんてあったか?
例のコピペは他人の評価の詰め合わせみたいなもんで、証拠と言うには的外れだと思ったが
ちょっと前に「戦功に関する記述が殆ど無い」って指摘があったが、それに対する反論も無かったし
アンチって言うより単なるレス乞食だろ
見る限り煽る事しかしてない
根拠も資料もなくただ関羽を叩いてるだけ
考察する気なんて初めからないだろ
>>738 じゃあ実際に戦功を記述した箇所を抜粋して書き出せばいいんじゃないの?
それが少ないから評価できないって言われてるんだから。
このスレでは官渡と荊州戦役以外に目立った戦功は無いと言われている
そう言われる事に対して根拠がないとか不当だとか思うなら、煽ってないでさっさと関羽の記述を引用してくれば解決する
それをやらずに信仰の盛んさだのの見当違いなモン持ってくるからいつまでたっても終わらないんだ。問いに対して反論しろよ
>>733 その証拠って、具体的に何?
どうせまた神として祀られてる云々という話なんだろう。
指摘されているのは記述の乏しさなのに、信者は全く見当外れの事で反論したと思ってるんだよ。馬鹿なんだよ
相変わらず酷い荒れようだな
良い加減いなくならないかな
イケメンは張遼とタッグを組んでイケメンをノックアウトにしたのが関羽
>>742 だな。あれがいる限りまともに話も出来ない。
700 :人間七七四年:2010/06/06(日) 19:36:19 ID:PkWYlAmM
最近の俺の体験。
爺さんが皮膚炎に傷薬を塗って、あまり効かないようだとボヤいていた。
それは薬が違うと指摘したら、爺さんは、裂傷には良く効いたすごい薬だぞと能書きを語り始めて
うんざりするハメになった。
>>292なんかまさにこういうケースで、具体的戦功の記述が乏しいと言われているのに対して、後世や周囲の評判がどうのと言う話を取り上げて証拠を提示したとか言っている
自分では有意義な話だと思い込んでいるところなんて、薬の用途を理解していない爺さんそっくりだ
戦功の記述が出て初めてその内容を分析すると言う議論に入れるのに
これが関羽を貶めらる根拠になると本気で思ってるんだからな
本当に救いようがない
>>746 煽りじゃなくて、反論してくださいな
戦歴挙げりゃいいだけよ?
反論入れるも何も爺さんとのエピソードなんて何の根拠でも資料でもない
>>292が「正式な資料」
それを見て気に入らないって言うならそいつがアホだって言うだけだ
>>745 というか、三国志の研究なんてのはすでにやり尽くされていて、今日明日に新発見や新解釈が生まれるような主題じゃない
関羽の記述が少ない事も別に今はじめて言われた事じゃなくて、ただの事実。
問題はそれをどう評価するかが議論のしどころであって、関羽の記述自体がもう出てこないことなんてのはわかりきっている
戦歴以外の要素に言及するような、評価のしようのない意見を無視すれば議論は進む
戦歴は関羽より馬超のほうが高くね?
自分の意見が
>>292の資料よりも信憑性があると本気で思ってるアホ達の集まりですか?
日本語が通じ無さ過ぎて議論になるわけがない
>>1も戦績について言及しているのに
関羽については戦歴の記述が少ないだけで
戦歴など無いとするのは違うのではないかと思うがな
関羽信者は他の蜀将ファンからも嫌われてそう
関羽の評判や後世の偶像化については別項に譲ればいいんじゃね
とりあえず
>>1が言及してるのは関羽の戦歴についてなんだから、それについてかたろうぜ
とさらに後世のアホが申しております
蜀書はなぜ関羽の戦歴よりも女を寝取られた事を載せる事を優先したのだろうか
陳寿も後世のアホが関羽を絶賛するとは思わなかったのだろうな
こうしてまた今日もアホ達の煽り合戦によってこのスレは荒らされていくのであった
関羽信者が暴れてるからね
アンチ関羽が消えてくれれば荒れないんだけどな
あいつらアホだからしつこいんだよね
お前らなんだかんだ言って仲良いだろ
関羽信者が狂ってるの巻
>>757 まあ、それでも結局
>>1 史実の関羽って弱くね?
つ
>>292 証拠提出による議論の終結。
結果、史実の関羽も強かった。
で、終わるんだけどね。
語ることなんて無いと思う。
ダメだこりゃ……
このスレの住人は皆ちゃんとsageてくれる真面目な子
日本語が通じないってこういう事だろうな
関羽アンチがどういう話をしたいのかイマイチよく分からない
顔良斬りと威震中原は大したことがないって言いたいんだろ。
証拠も無く。
スレ読んでないか日本語が不自由なレスが増えて来ると、短いレスが続く。
考察も何も無い、ただの煽り合いと叩き合い。
でも、すぐに議論の燃料投下して白熱してくれるから、脳味噌の代わりに糞の詰まった
>>1のスレでもここまで伸びて来た。
次スレは関羽総合にでもして、もっと色々と語って欲しい。
やっぱ信者が痛すぎる
検索で拾ってきた他人の知識をさも自分が発見したかのように披露するだけの糞スレ
このスレがクソスレなんて立った瞬間からわかってた
煽りからはいるスレなんてろくなもんじゃないよ
>>754 じゃあ何で少ないの?って話になるんだが
蜀は史料を残してないから云々〜ってのは言い訳にはならないよ、残ってる人物は沢山居るんだから
じゃあやっぱり戦功が無いから記述が無いんじゃね?って話に行き着いてしまうよ
幸村みたいにたった一回の戦いで英雄まで祭り上げられる例もあるしな
それだけ官渡で目立ったという事じゃないの
>>778 なんで記述が少ないのって昔の歴史書だからな
事細かに全ての戦歴について記述されているほうが少ないだろう
関羽に限ったことじゃなく
>>778 劉備のボディガード程度からスタートして気付いたら指揮官になってる時点で何かあるでしょ
初期劉備軍において幹部は幽州出身者で固めてあるのに、ただ一人関羽だけは違う
実績なしに抜擢されるわけもなく
やっぱ馬超のほうが凄かった
放浪してたから記録に残りにくいってのはあるのかね?
もしくは劉備麾下で派手な剛勇を振るった逸話は当時あったものの
超人的なものばかりで、どれが事実かわからず信憑性重視でまとめてカット
その結果、何故か評価だけが残る結果になったとか
>>783 好かれてたかどうかってのもあるのかもな
張飛よりも記録が残っているのは案外曹操側にいたことがあったからなのかもな
敵軍の功績などはあまり残したくないだろうと思う
まあ実際大した活躍はしてなかったんだと思うよ、官渡までは
あまりにも記述が少なすぎる
それでも劉備配下の中ではマシだったんだろうけど
曹操軍だって董卓派の連中とドンパチやってた頃までは劉備と大して変わらなかったけど
曹操に馬を譲って助けた曹洪の話とかは残ってるもんな。何かしらやってたら、少しは記録なりが残るよ
>>783 それは無いな。
他の人間の超人技は残してあるんだし、関羽自身の顔良斬りの話だって残ってる
それを鑑みれば、わざわざ関羽だけがそういう理由で逸話をカットされたとは考えられない
先主自身が元々曹洪並の地位にもいなかったからね
曹洪のボディガードについて何の記述もないのと同じ
官渡での活躍、その後に離脱と言う一連の行動があまりに奇特だから
当時の人の印象に鮮明に残っただけなのでは?
そこから尾ひれ葉ひれついて(例の塩商人の広報の一環でもあったり)
で、名声が膨れ上がった、というのが実情かと。
なんで単なる自論を実情とか言い張るかねぇ・・・
でも程cの評価は官渡以前なんだよね?
なんらかの他意があって、誇張があったとしても、
根拠の無い発言なんて誰も納得しないし、記録にも残らないのでは?
それ相応な活躍があったんだろうね。
ただ陳寿がそういうものを採用しなかっただけかもしれない。
程c「関羽は万人敵です」
曹操「根拠は?」
程c「それは◯◯で◯◯をしたからです」
→ 事実確認して記録
と続くはず
程c「関羽は万人敵です」
曹操「根拠は?」
程c「いやなんとなく…」
→ なんとなく記録する
は通らないだろうw
まあその会話自体どこの誰が聞いたんだ、って話だけどな
夏侯淵が曹操から悪し様に言われてたというエピソードも
討ち死にという死因から後付されたんじゃないのかという
疑問と同じ様にこの場合も結果論からの後付けなんじゃないの
>>792 それだけ辛酸舐めたってことなんじゃないの?
彭越みたいな例もあるわけだし
>>786 お前先帝助けてるんだからそりゃ記録に残らないほうがおかしいだろw
>>795 劉備の恩人の元起の名前がわからなかったりするし
記録というか勢力としての体裁が整う荊州以前は記録がロクに残らないだろ
>>796 そりゃ典韋も一緒だろ
当時、名前と字、どっちがどっちというプライオリティはなかろうよ
字不詳の人物なんていくらでもいるだろ
逆に氏名不詳の人物なんてほとんどいないよ
実際は字なのか本名なのか分からないんだけどな
劉封は字か?
そんな極端な例だされても分からんが
封という文字に養子を表す意味があるとしたら
どっちか分からんな
それこそ個人の良い加減な持論に過ぎない
根拠もない事を盾に相手の意見を否定するなんて論外だな
それを裏付ける根拠があるなら別だが
持論でもねーんだけどな。。。
だったら根拠出してくれ
何の根拠を出すんだよw
何と戦っているの?
程cの評価は、張飛と並べて言ったものだからな
この時点で、やはり劉備軍の主力として関張の武名は知れ渡っていたんだろう
野戦で成果を出していたとして、それが史料に残るかと言われると疑問だ
しかも、徐州時代ですら蜀の史料は少ないわけで、それ以前となると・・・・・・
持論じゃないんだろ
と言う事は元ネタがあると言う事だろ
ならばそれを示してくれと言ってるだけだ
嘘じゃないなら示せるはずだ
それともそれが出来ない理由でもあるのか?
>>807 じゃあ逆に典韋や劉封が字でないとする根拠を出してくれ
>>787 いや、少なくとも反董卓連合に際して、曹操と劉備は共同で兵を集めてる
当時は立場はそれほど変わらなかったはずだ
>>810 で、そのどこに封が字であることはあり得ないとあるのかな?
韋はどうした?
>>793 そうなんだよな。
荀ケに公位就任を反対され、曹操は内心穏やかではなかった、っていう一行が正史にあるけど
その内心とやらのソースは不明なんだよな。誰が聞いたわけでもないし、そういう意志を見せていたという証拠もない
そういう寸評の類は、結構そういうところがありそうだ。
>>814 だから字でなく名前だという根拠を示せと・・・
誰が言ってるから字でなく名前なの?
根拠知ってるんだろ
それを説明しなさいな
>>815 資料に名前として載っている物を名前と解釈するのに根拠はいらない
どうでも良いがあんたの言っている事が持論でないと言う根拠を良い加減示してくれ
そんな物が本当にあるのならな
>>816 つまり根拠は分からないということなんだろ
最初っからそういえばいいのに何でwikiを連投してんのか分からん
俺も根拠を示す資料がないからなんとも言えんよ
>>817 ごまかしてんなよ
俺の言ってる事とお前の言ってる事は全然違うだろ
資料が間違ってると言うならその根拠を示せと言ってるんだよ
持論じゃないってのが嘘なら嘘だったと言えば良い
>>818 しつこい馬鹿だな
だからその資料は何を根拠に名前であり字ではない
としてんのかって聞いてんじゃん
これを答えろよじゃあ。日本語わかるのか???
>>819 資料が正しい根拠なんて必要ないと言っているんだよ
バカは三國志の資料が間違っている事を前提に話をしてるお前だ
三國時代の裏付けは正史でするしかないんだよ
それ以上に信憑性のある資料はないんだからな
>>820 だから正史を見ても名前なのか字なのかを確証する根拠はねえよ
お前はそれを出せと俺に言ったわけだが
どんな資料もそこに書いてあることは無条件に信用しろと言うのであれば
蜀志だってなんだって根拠が要らなくなるじゃねえか
>>821 正史に名前として載っている物を字として疑うと言うのであれば全ての人物の名前と字を疑う必要があるな
現代には伝わらなかっただけで、本当は劉備は劉玄徳と言う氏名で字が備だったのかも知れないしな
お前が言ってるのはそう言うアホな事だ
正史が間違っていると言う明確な根拠があるならともかく、ただのいい加減な持論なんかで否定するのはアホのする事だ
>>822 もはや字まである人間の名前とあざなが逆だとする
その脳みそは絶望的だな
バカなのでもう相手にしない
>>823 自分のアホさ加減を身に染みて味わえば言い
劉封の封が字と言うと言う事のも全く同じ行為なのだからな
このスレのアホは、貼るウィキすら探せないからなぁ
相手のレスが理解できないから自分の質問ばかり繰り返すのも特徴か
いい加減にしてくれ
お前らも飽きないな
噛み付いてる奴がわかった
最近息してない馬超オタだ
魏オタか呉オタだろ
蜀厨がどうとか言ってるし
魏厨だな。基本的に論調が「戦績が記録されてないから駄目」だろ
呉厨がもしそこを攻めればお前が言うな、と簡単にカウンター食らう情況になるのは目に見えてるからな
流石にやらんだろう
魏厨と言うか蒼天厨と言うかそんな所だろうな
盲夏侯をけなされて発狂しちゃってるし
なんで今までほとんど話題の中心に呉や夏侯惇が急に出てくるんだか。
イミフだわー
いくら呉の記録が薄目と言っても
遺されてる戦歴は周瑜、黄蓋、朱桓あたりのが関羽に比べて描写多くね?
おいおい、陸遜を忘れては困る
この感じだと盲夏侯に関してはクソって事で良さそうだな
呉の武将はそれなりに評価すべきみたいだけど
夏侯惇を貶めないと気が済まない関羽信者・・・
夏らしいな
他を貶さないと精神のバランスを保てない関羽信者哀れw
夏侯惇は関羽みたいに任された要所を失陥したりしなかったけどなww
まあ、正史の『戦歴』では夏侯惇は負けてばかりだから夏侯惇が弱いって言うのは正当な評価ではある
関羽と違って勇将を討ち取った訳でもなければ、ろくな武功もないし、何度か醜態もさらしているし
アンチ関羽が言うように戦歴以外は評価しないと言うのであれば夏侯惇は武将として評価する価値すらないと言えるだろうな
関羽を貶めなくては気が済まない蒼天厨が何言ってんだかな
このスレ見ればどっちが夏厨かわかるだろうに
一回盲夏侯を貶されたくらいでスイッチ入っちゃったんだろうなw
>>837 >他人を貶めないと精神のバランスを保てない
自己紹介乙www
盲夏侯をクソだって言ったのは釣りだから
こんなバレバレな釣りに引っ掛かるって、どんだけアホだよw
>>836にブーメランが突き刺さってますけど、どうかしたんですか?
関羽信者がブチ切れ
頭の血管も切れたな、とりあえず病院行けよ
>>843 顔真っ赤だぞw
キーボードはもっと丁寧に扱おうなw
>>838 呂布と戦ってた時は主軸だったし
一軍を預かった後は叛徒の討伐にも出向いてるから
戦歴では関羽より全然豊富だよ
>>820 一応これから考古学的アプローチでもっと信頼性のある史料が出る可能性はゼロじゃない
ゼロじゃないだけだが
>>845 呂布戦で主軸だったってのが何の評価になるんだ?
自分の支配下で反乱を起こした数十人を制圧した事がそんなに凄いか?
そもそもそれは武功とは言わないだろ
関羽より上だなんてお前の勝手な持論を押し付けるな
簡単に関羽信者を釣れるスレはここですか
関羽信者はどこぞの酷い患者みたいに適当言わないってのは分かったわ。
>>797 あるから字と諱という区別するんだけどな
また関羽キチガイの話題逸らしか…
夏侯惇を貶めたところで関羽の評価が上がる訳でもあるまいし
考え方そのものがズレてるな
関羽は敗北した北伐以前は空気だもんね
程イク「あの関羽は強い」
=
法正「孫夫人は強い」
見事に一致
854 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/11(木) 00:07:46.65
武功や戦歴の話が出たから考えてみたが、
単純に残された戦績から評価した場合、関羽や夏候惇は弱いという事になるとする。
だが、実際は重用されており、重要な方面軍の指揮官だったりもする。
これは矛盾では無く、残された戦績以上の運用価値が彼らにあったのでは無いか。
だとすると、それは何だったのか?
関羽は武勇や名声、夏候惇は無礼の礼などの逸話から、多少は推察出来るかも知れない。
これらを肯定した場合、目立つ敗戦や武功の無い戦績が、必ずしも名将である事の否定に
繋がらないという事になると思う。
関羽や張飛は戦績自体空白が多いので、「万人敵」という評価が示す「強さ」についても
単に武功だけでは語れないのかも知れない。
>>847 少なくとも名前が全然出てこない関羽よりは
部隊を率いて戦ってた事実が明らかな夏侯惇のが戦歴としては上じゃないの。何度も使われてるし
>>855 私は正史知らないんだけど、とりあえずこのスレで出てた夏侯惇の戦歴をピックアップしてみた。
下の他に夏侯惇の戦歴があったら教えて
夏侯惇の戦歴
・叛徒を制圧(武功?)
・呂布戦で主軸
・呂布に捕虜にされ韓浩に助けられる
・李典に止められるが劉備を深追いしてボコられる
857 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/11(木) 02:07:40.15
惇は朱徳みたいなもん
どうやらアンチ関羽が蒼天厨ってのは本当みたいだ
蒼天航路から入る奴ってどうしてこうもアホばっかりなんだろう
>>858 蒼天航路の魏寄りの話をスタンダードとして刷り込まれているからだと思う。
その状態でコーエー三國志等の他の三国志コンテンツに触れるから無駄にストレスばかり抱えるんでしょ。
結果としてこう言う場で発狂するしかなくなってしまうんだろうね。
魏寄りだけど夏侯氏がぜんぜん出てこない新三国とか見たら憤死しそうだな
惇はともかく夏侯淵抜いたら潰されるエピソード多いからありえないでしょ
黄忠なんか存在意義そのものを奪われる
862 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/11(木) 06:54:07.36
696 名前:八戸 ◆VdLq5lmUVM :2011/08/10(水) 23:55:51.75
ヒステリックに禁酒を叫ぶ貸すは、
無理矢理人に鮭を飲まそうとする貸すと同じだ
首を吊って糞尿にまみれて死ね
697 名前:無名武将@お腹せっぷく :2011/08/10(水) 23:59:29.33
古今東西、酒にまつわる逸話は多けどな
三戦も歴史板なんだからそんな雑談くらいしろよ
698 名前:ひょーりみ ◆00/FP3k5IQ :2011/08/11(木) 00:54:48.73
三戦は歴史を語る板ではない
699 名前:無名武将@お腹せっぷく :2011/08/11(木) 00:56:58.59
三戦は戦乱ごっこをする板・・・・・・なのか?
700 名前:無名武将@お腹せっぷく :2011/08/11(木) 00:59:07.30
政党ごっこをする板です^^^
久々に見る名前だ
こいつらまだ三戦以外に自己主張出きる場所を得てないのか
>>790,
>>792 程cの発言は,荊州平定後に孫権の動きを予想している時。
孫権単独では曹操に対抗できないから劉備と組むだろうと主張する程cが,
劉備には英名があって,関羽と張飛は万人に対抗できると評価している。
だから,劉備集団全体の実力については議論があったとしても,
関羽が本当に「万人敵」なのかの議論はしていないだろう。
なーんか勘違いしてるやついるよな。
戦歴というのは、勝ち負けに関わらないんだぜ
関羽が楽進に敗走させられたことも、戦歴は戦歴なんだ。つまり、その時点では劉備軍において、一部隊を率いる立場であった事が確認出来る
夏侯惇が呂布と展戦していたことは、曹操が戻ってくるまでの間に本拠を巡って何度も守戦を繰り返したであろう事を示しているし、劉備への救援として高順にぶつけられた事は、当時一線で使われていた事を示している
それらのキャリアがあるから早い段階で河内を預かったりしているんだろう。どこそかの太守や督の立場に就くと言うことは、そこを守る軍の統帥権も預かると言うことだ
>>856 あと、曹操が河北を征伐するときも、一軍を率いて北上したっぽい
高幹一派と戦って破っている
というか戦歴=戦勝数って意味で使ってるんでしょ?
少なくとも自分はそう受け取っていたが
蒼天厨が盲夏侯を貶されてファビよってんな
詳しく記述されてない戦歴以外は意味ないとか散々ほざいといて都合の良いこった
蒼天厨の自己解釈なんて興味すらない
>>867 戦歴ってのは文字通り戦いの遍歴だろ
ようは状況を推察できることが大事だ
>>詳しく記述されてない戦歴以外意味はない
当たり前じゃないか
なんか根本的に勘違いしてるやつが居るよな
戦歴が残っていることに意味があるが、戦歴=勝ち鞍ではない
自分の言ってる事も理解出来ない頭の悪い蒼天厨は関羽がどうして劉備や曹操に重用されたのか推察しましょうね
関羽は詳しく戦歴以外意味がないけど夏侯惇は状況を考慮しろとか言ってんだろ
単なるアホじゃん
てか自爆か
高順にぶつけられてアッサリ敗れた哀れな夏侯惇www
>>856 あとは霧の中でバッタリ張魯陣営に出くわして相手が驚いて逃げて行ったと言うエピソードもあります
武功と言って良いのかはわかりませんけど
関羽厨はホント病人なのね
876 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/11(木) 10:20:11.05
>>865 関羽の楽進戦は前にもあったが、どうにも不明瞭で全体像が見えないんだよな
少なくとも、まともな戦闘というより遭遇戦みたいなものだった気がする
文聘の戦果もいつの話なのかよく分からん
蒼天厨「関羽は正史じゃ全然大した事ないぜ」
↓
「
>>292」
↓
蒼天厨「戦歴じゃなきゃ意味ないだろ」
↓
「盲夏侯も戦歴ない、盲夏侯も大した事ないって事で良いな」
↓
蒼天厨「惇は戦歴から役割を任せられてた事が推察できるんだよ」
↓
「関羽も同じ事が言えるってなんでわかんないの?バカなの?」
↓
蒼天厨「関羽の戦歴は曖昧だなあ」←今ここ
状況から推察しろって言うなら荊州を任せられている状況だけ見てもそれまでの関羽の功績が素晴らしかったと言える
推察をするなと言うなら夏侯惇が大した事ないと言う事になる
まあ、無理矢理関羽だけ貶めなたいんだろうけど言ってる事に無理があるな
とりあえず、戦歴がああだこうだって言うアンチ関羽の戯言は無視して良いと思う
面倒くさいし盲夏侯はゴミって事で良いよ
実際に関羽は顔良討ったりしてるけど、盲夏侯は呂布戦でも負けてばっかだし、劉備にも負けてる
蒼天厨が都合良い事言ってるけど結局盲夏侯は武功らしい武功はひとつとしてあげてないんだからな
関羽は顔良を討った、盲夏侯は大した武功は挙げてない
それで良いだろ
今度は蒼天厨認定で暴れてんのかよ関羽オタ
毎回毎回手口変えてもサンドバックにされてるのに懲りねーよなあ…
大体夏侯惇ディスっても意味無いだろ、関係無く雑魚なんだから関羽は
関羽厨は愚かな池沼だから
惇も関羽も似たようなもんなんだから仲良くしろよ
信者もアンチも馬鹿なんだから仲良くしろよ
若いころは強かっただろうが年いってからは急激に衰えてるな
具体的には諸葛亮に相撲で負けたあたりから
なんか沸き出てきた
て言うかここ自演臭が酷い・・・
今さらwww
可哀想だから黙っててやれよwww
>>829-831 このスレで朝っぱらから三人もレスは無理
一人様が連投してるだけ
連投を否定したら釣りだろう
自演乙(´ω`)
大体魏でも微妙な夏侯惇と比べて弱くない!とか言って虚しくならねえのかよ関羽擁護派は
どうせ比べるなら張遼や呂蒙辺りと比べろよ
自演厨ガンガレ
関羽オタなんてやっつけちまえ(`・д・´)
892 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/11(木) 17:11:49.58
バカが湧くのは、スレタイのせいもあるんだろうなぁ
>>879 大した武功なしであの立ち位置だったのがスゴイ
その理由が多分、戦歴=名将を否定する材料の一つなんだろう
関羽の武勇は、赤壁前後の曹孫両陣営から評価されている
これは事実だと思うが、それは「劉備勢力の中で」という枠内での評価とも言える
関羽単独の将としての評価は、とりあえず「赤壁前後の劉備勢力の中では名将」か
荊州を任された点も劉備勢力内での人事だし、やはり魏呉で名将と呼ばれる人物に
匹敵するかと言われると不明な部分が多い
劉備勢力の中での評価とも言える←根拠もない勝手な妄想
魏呉だから上、蜀だから下←蒼天脳
魏呉の名将軍に匹敵するか?←夏侯惇は関羽と違って名将と言う評価は受けていない
またもや勝手な妄想と一人よがりなロジックのオンパレード
願望から逆算して事実を作りだそうって発想は良い加減止めたら?
全くバカって訳でもないのに残念な奴だとしか言い様がない
>>893 自演厨さんをバカにすんな!いてまうぞコラ!!(`・ω・´)
関羽もせめて官渡の前になにやってたのかわかれば何らかの評価が出来るがねえ。
軍歴が官渡から一気に赤壁後まで飛ぶしね。
戦歴が乏しいってのはそういうことだろ。戦ったという記述自体が全然ない
張遼や徐晃あたりと比べられるわけないだろ、関羽厨が
勝てそうな相手を選ばないとどんどん惨めになっちゃうだろ、関羽が
まあ夏侯惇と比べても微妙だけど
897 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/11(木) 18:45:15.04
>>893 劉備勢力の中での評価とも言える←劉備勢力の分析における評価だろ
魏呉だから上、蜀だから下←どこに書いてある?
魏呉の名将軍に匹敵するか?←惇が名将とは一文字も書いて無い
またもや勝手な妄想と一人よがりなロジックのオンパレード
レスから逆算して意見を作りだそうって発想は良い加減止めたら?
全くのバカとしか言い様がない
>>897 あんまり虐めてやるなよ
またクソスレ認定して発狂するぞ
>>896 まあそんな信者さんはいないと思うが、
>>88みたいに全時代に喧嘩売っても別に良いんだけどね
もっと勝ち目無くなるし、心証悪くなるけど
(まあ、軍功だけなら多分ケ禹にすら劣るし)
既に狂ってないか?
なんかキモい顔文字使って自演始めてるし
>>899 事実だろ。それは。
武聖が武人の頂点というのなら受け入れればいいだけ。
事実を受け入れる度量がないから自分目線の評価に走って孤立するんだろ?
喧嘩売ってるだの、勝ち目無くなるだの、なんで事実と勝負をしたがるのか不明。
実績の多さが評価の基準とかサラリーマンかよwって話だよな。
そもそも関羽と夏侯惇じゃ同じ軍人といっても立場が違うよ
夏侯惇は曹操が挙兵した時から裨将として付き従ったと正史にあるし、関羽も劉備が挙兵した時に張飛とともに禦侮したとある
だが、関羽が本格的に方面司令官としての役目を務めたのは劉備が蜀を攻めたあたりからだが、
夏侯惇は袁紹と戦う前から既に一軍の長としての任務に就いていたし、
曹操が兗州に根を張り始めた頃から曹操は夏侯惇を自分から切り離して、駐屯軍を指揮させてる
関羽が大軍を一任されるようになるのは後の方だし、朝廷や国政において大権を与えられていた夏侯惇ともその意味で異なる。夏侯惇は文武に渡って百官を纏める立場にあった。
>>902 似たようなもんだろ。ようするに大昔の政治家や軍人だぜ?
孔明が流言を使って名声を高めたのかも知れんね
その方が彼に荊州任せる上で都合がいいから
>>899 少しでも歴史知ってる奴なら、韓信や呉漢より上だなんて恥ずかしくて言えないだろうしなあ
仮にも正史のスレで
ただの煽りか、三国志しか知らない新参だと思うけど
907 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/12(金) 01:35:53.74
韓信は名実共に国士無双だが、関羽並みに神格化されなかったのは、
やはり謀反失敗して斬られたりした所なのかね・・・・・
劉邦も高祖と崇められてるが、休戦協定破って統一後は粛清の嵐
やはり、現代の日本人には理解しかねる感覚がありそうだ
関羽もやたら序列を気にしたり、傲岸不遜な所が伺えるからな
水滸伝の中でも、鉄牛がカッとなって子供殺す場面がある
美意識というか、英雄観みたいなものが日本人とは少し違うんだろうね
※ここにいるのは、
・三戦初心者
・他の三戦スレで相手にされなくなったキチガイ
・そのキチガイの相手をしてくれる優しい人
のいずれかです。
うん、知ってる
>>906 歴史を知ってるならばそんな不毛な比べあいなんてしないよ。
寧ろ、上下などどうやって決めるのかも分からないそんな事に固執するほうがよっぽど恥ずかしい。
やっと敗北宣言か
>>901の後に
>>912だからなーw
関羽信者は分裂症なのか?
スレもそろそろ終わりなんだし、いい加減方針くらい決めて欲しいんだが
>>911 関羽の場合は、聊か度が過ぎる
誰が見たって関羽が劉備の次席である事に文句を付ける奴はいない、周囲の誰も関羽に異論は挟めない
黄忠が後将軍に就いたことに関してブーたれても、劉備は彼を強く詰問するような事はない
劉備はそもそも、自分に対して反抗的な態度や軽口を吐いただけで、容赦なく処刑するような厳しい人間だ。張裕しかり、雍茂しかり。
また、後の廖立や楊儀の例を見ても、それが蜀という国家の方針でもあったんだろう。
それでも、関羽は咎められない。待遇に不満を付けても、使者を送られて、宥めて透かし、極めて丁寧にご機嫌取りをされる。劉備ですら、関羽は粗末に扱えない。明らかな特別扱いだ
そこまで関羽の優位性が明らかであるにも関わらず、関羽は「馬超よりも俺のがスゲー」という手紙を証紙のように見せびらかし、譜代の糜芳相手に強権を振るう
この自己誇示は、ちょっと異常だよ
同じ2でも、夏侯惇や周瑜はこんな態度は取らなかった
周瑜は本来立場上なくらいだからな
それが敢えて謙っているというのが泣ける
周瑜を神とするなら解るが、関羽が神なんて・・・
さすが中国人クオリティ
関羽オタシボウ
関羽オタキエロ
関羽オタは人間のクズ
関羽オタはサンドバッグでボコられた
関羽オタはニート
関羽オタは童貞
関羽オタは発狂しまくり
関羽オタは精神イカれてる
関羽オタは夏侯惇を貶めたくて必死過ぎ
関羽オタは妄想しすぎ
敗北宣言しといてしつこいんだよ
元々、身内の寄り合いでやっていた所帯が巨大になって組織化してくると、必ず派閥争いや内ゲバが起こる
これは利権や主流派をめぐる問題で必ず起こり得ることで、どんな業界の団体でも避けられない事だ
だから発言力の大きい人間ほど大局を見て、塩梅を調節する能力が求められる
関羽にはそれが出来なかった。しかも、馬超や黄忠らを厭う一方で、生え抜き仲間の糜芳も押さえつけると言う無秩序なやり方だ
自分以外の人間が台頭してくるのが決定的に嫌だったんだろうか、関羽の真意はわからないが、
劉備が重臣の殆どを自分の手元に持っていったのも案外、関羽のそういう気質を見抜いていたからじゃないか? 彼の指揮下に張飛以外の重臣を置いていたら、間違いなく内紛を引き起こしたと思う
重鎮となるには器量不足だったと言うしかない。所詮、腕力の人なのだろう
関羽オタシボウ
関羽オタキエロ
関羽オタは人間のクズ
関羽オタはサンドバッグでボコられた
関羽オタはニート
関羽オタは童貞
関羽オタは発狂しまくり
関羽オタは精神イカれてる
関羽オタは夏侯惇を貶めたくて必死過ぎ
関羽オタは妄想しすぎ
敗北宣言しといてしつこいんだよ
>>921 劉備の配慮も空しく、内部摩擦で崩壊を招く結果になったしな。
夏侯惇とは実に好対照だ。夏侯惇の指揮下にはいつも癖の強い連中ばかり居るが、毎回部下に助けてもらえる
関羽オタがやっといなくなったな!!!
このまま出て来ないって事は本当に敗北したって事だ!!!
関羽がゴミだったって事だ!!!
関羽オタはもう二度と来るな!!!
シンデシマエ!!!
>>908 そもそも美徳というのも時代と場所によって異なるしな
西洋だったと思うがある配下に王(名君評価)が「もっと贅沢をしろ」とたしなめた事があるそうだ
現代の日本人だと大抵謙虚と清貧とかが美徳になるんだけど、違う時代と場所の評価はまた違う訳で
まあ、関羽に関しては陳寿が非難してるからあんまりいい評価でも無いと思うけどね
>>912 でも歴史を知っているなら「歴史を省みると人間は名君・名臣・名将を幾度となく比較してきた」ってのも知ってるよね
関羽の名将評価は、後世の人が同世代人や他の時代の人と比較して、名将と評価してくれたからってのもある
(そもそも名将ってのは他の将と比較して優れているっていう評価でもある訳で)
そういう意味でちと「関羽は名将」と「歴史人物の比較は無意味」の主張は同時にはしにくいと思う
まあ当然歴史人物の比較は難しいし生産的ともいえないけどね
「マンシュタインとロンメルはどっちが名将?」って時代も勢力も同じ人物間の比較でさえ難しいし
関羽オタ反論出来る物なら反論して見やがれ!!!
どうせ関羽オタなんかにそんな根性ないだろうがな!!!
またサンドバッグでボコられるのが目に見えてるからな!!!
雑魚は雑魚らしく初めからおとなしくしてりゃ良いんだこのアホが!!!
参謀評価なら孫権妹と同レベルな関羽
子殺しや人食いは日本的価値観からすると、伝統的にタブーだしな。血を穢れとして忌避する傾向もある
そのへんの認識のズレは、やはりやむを得ないものがあるだろう
現代ではグローバル化が進んでるから、その辺あんまり関係ないけどな。イデオロギーに左右されなければ
中国人留学生と話していても、あまり文化的価値観の差異は感じない
なりすますにしても下手すぎだろ…
どんだけ焦ってんだよ、深呼吸しろ
顔良を討ち取っただ?そんなの嘘っぱちに決まってんだろバカが!!!
ゴミ関羽の武力なんて10が妥当!!!
ついでにいうとバカ諸葛亮の知力も10だな!!!
三國志で一番の英雄は曹操なんだ!!!
ここは正史スレなんだよ演義の話はすんな!!!
>>931 はあ?
関羽オタさん発狂ですか?
関羽を貶されていてもたってもいられなくて出てきちゃったって奴ですか?
さすがアホ関羽オタ!!!
スルー宣言したのにオメオメ出てきやがった!!!
また敗北宣言して逃げんじゃねえぞクソボケ野郎が!!!
くだらねえ釣りで曹操患者のフリしてんじゃねえよ
>>933 また関羽オタが発狂してる!!!
無知だから何も知識を言い返す事も出来ないんですか?
さすがバ関羽オタ!!!
口先野郎は知的なスレには来るな!!!
バカが移るだろが!!!
>>934 だよな!!!
関羽オタだってバレバレなのにな!!!
何も言い返せなくて悔しいのが良くわかるよな!!!
曹操患者だっておwwww尻尾だしたなwwwゴルァwwwwwwww
938 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/12(金) 23:49:59.90
関羽の過剰な自己主張なんかは、派閥争いの象徴だったのかも知れないな。
劉備の流浪人生のおかげで、劉備勢力は益州派と荊州派と幽州派などが混在していた
可能性が高いだろう。
蜀中枢を荊益両派が握っていたとしたら、関羽は幽州からの侠勢力辺りに支持されて
蜀内での権益確保に焦っていたのかも。
北進が漢中戦に対抗するものだとしたら、荊州在留組の発言力低下を恐れての行動とも
言えなくもない。
>>937 またバカ関羽オタか!!!
こいつは相当なバカだな!!!
スレ荒らすんじゃねえぞボケ!!!
発狂したけりゃ別のスレでやれや!!!
ここはお前みたいなバカが来る場所じゃねえんだ!!!
身の程をわきまえろやクソが!!!
曹操患者ワロスwwww自分でスレ荒らしてるおwwwwwwwwwww
>>938 関羽と幽州閥との関係はどうなんだろうな
関羽自身は幽州出身じゃないし、幽州閥は劉備か張飛を頼りそうな気がするけど
まあ古参ではあるから同じ古参組に頼られるかもしれないが、
よりによって士仁が幽州出身な件が……
糜芳は徐州組か。
でも、古参か新参かと言えば間違いなく古参だし、何より劉備の外戚に当たる男
派閥争いを考えるなら、士仁と纏めて真っ先に抱き込んでなきゃならん人物だ
……関羽は何がしたかったんだろう?
まあ、「どうせこいつら大して影響力ねーし」とタカ括ってぞんざいに扱っていたのかもしれんが、それならそれで狭量な話だな
>>937 まだいたのか!!!
独りで頑張って哀れだな!!!
誰にも相手にされなくて寂しい奴だ!!!
ここには関羽オタはいらねえんだよ!!!
さっさとキエロやクズ人間が!!!
親に心配かけてんじゃねえぞボケ!!!
ニートの曹操患者が何か言ってるおwwwwww便所の落書きがそんなにしたいならせいぜい独りで自演しながら頑張れば良いおwwwwww誰も自演厨の曹操患者になんて興味ないおwwwwww自意識過剰乙wwwwww
関羽患者も相当ひま人じゃん
>>942 確か直前まで同格扱いだったよね?指揮権で争ったとか
947 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/13(土) 22:04:22.85
ジリ貧の古参組の中でも、さらに派閥というかトップ争いがあったのかも
糜芳が資産家で外戚という地位の人なら、関羽とは対極的な立場になる
士仁は、ただのうっかり任侠だった気がする
状況的に降伏しても仕方なかっただろうし、その時は泣いたらしいし
948 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/13(土) 23:28:42.87
一方、糜芳は酒肉を用意して呂蒙を出迎えた
そういや結局関羽軍部将の、蜀の呂布は実在するの?
あれが書かれてる夏侯惇伝が間違いだらけだから、
名前を間違えて書かれてる気がするんだが。
間違いだらけってどこがだよ
注釈が珍説取り上げてるだけじゃないの?
同じ名前の将がいたってだけだろ、呂布って名前の
例えば、同姓同名の馬忠だっているんだし
>>950 夏侯惇伝は精度が低いんだよ
官職の間違いが結構あったりする
夏侯惇は曹操の代理人みたいなもの
後の世に曹操の功績と伝えられているものも
実際は夏侯惇の功績だったりした例が
幾つかあったのかも知れない
精度w
956 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/14(日) 22:53:01.30
同姓同名ならそれでもいいけど、陳寿もスルーせず突っ込みくらい入れておいて
欲しかったな
特に気にならないレベルだったんだろうか
>>951 新末とか凄いぞ
王莽方の王匡が守る洛陽を更始帝方の王匡が攻め落としてるんだぜw
>>956 そもそも陳寿の書いたものが書き写しの際にきちんと伝わっていないから、
誤字として呂布の名が出てるって可能性もあるわけで。
少なくとも盧弼はそう見てるわけ。
あんた集解読んでるの?中国語出きるってのはすごいね
>>958 蜀漢末期にも同姓同名っぽいのがいた気がするな
まぁ、この国は全体的にぼんやりした記録だが・・・・・・・
>>949 関羽配下に「文布」という武将が居たらしいので、間違え説は有力。
うちの大学の試験で「戦前の死因第一位は?」という問題が出た時の話で、
講義に出席していない香具師達が、講義に出ていた友人のノートをコピーして試験を受けたが、
その友人がノートに「結核」を間違えて「結婚」と書いていた為、
「戦前の死因第一位は?」の答えが「結婚」という珍回答続出で問題になった事があるw
>>961 大学生にもなって、ノートの記述を丸暗記か・・・・・まぁ、そうやって入学したんだろうけど
中身を理解出来ない知能なのがゾッとするな
しかも今の大学って受験で取らないからな
学生確保のためにあほでもなんでも入れる
お前ら詳しいなw
なんの話だよ
966 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/18(木) 11:19:36.93
真実の関羽は弱い。
967 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/18(木) 12:53:12.56
銀蝿一家
968 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/18(木) 12:54:40.39
・ジャニーズ系イケメンナルシスト
・キモオタ系童貞真性包茎
・ロリコン系悪趣味オナニスト
・爽やか系草食優男
・スポ根系丸刈り男塾
・チビデブ系加齢臭ハゲ
・ガリ勉系青瓢箪牛乳瓶メガネ
・ツッパリ系落ちこぼれ不良
969 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/20(土) 15:44:04.87
マルチポストされてやんの
こいつが塩の密売人の奴隷だったとか言う話はどの程度信憑性があるんだ?
971 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/21(日) 19:52:00.95
低い身分だったことは確からしい。そのため士大夫を逆差別したらしい。
まあ出自が不明瞭って点で、名門で無いことは確か
何やってた人間かはわからんけどな
上から一通り読んで思ったんだけど、
このスレの人たちの言う「時代を越えて語り継がれるべき将」ってのはどの辺りの人までを言ってるの?
その定義の仕方によってもだいぶ評価が変わると思うんだけど。
ついでに「名将」の定義も。
こっちは見方次第でだいぶ幅があるから、はっきりさせとくべきだと思うが。
>>973 それ言ってたの多分俺だが、我ながら定義が良く分からんな、すまん
まあイメージとしては戦国時代後期だと白起、廉頗、李牧、王翦みたいな、まあそういう人たちの事
国外遠征なら衛青、霍去病、李靖、李勣とか、まあそういう史上を見渡しても特に抜きん出ていると考えられる人……となるのか?
(どうしても定量審査がしにくくてイメージの割合が多くなるから、客観的な定義がしにくいんだな)
関羽は将としてこの辺と同じ扱いされるケースも多いけど、史書を読むとあまりそんな気になれないってのがどうしても
名将はその時代でも特に軍事手腕が優れている(と同世代人や記録を読んだ後世の人が判断出来る)人、って感じ
関羽はこっちは満たしてると思うよ(諸葛亮もそうだが、超一流の将でなければ三流だといわんばかりの人には同意できん)
ただ、俗にいう魏の五将や同じ勢力でも劉備に勝っているか、って言われると相当疑問符をつけるけど
まあ個人的な関羽評がそんな感じだから、どうも上の面子と同じ扱いをされると違和感が強い
普通は歴史を伝わるごとに名に箔が付いたその箔や、人が名将の求める人格や言動や、尊王攘夷的なものも
名将加点に含めるんだろうけど、個人的に何かピンとこないんだよね
(この辺で捕虜の大量虐殺した白起がディスられたりするんだが、そもそも言動を含めると陳寿にそこディスられてる関羽は不利にならんかとは思う)
元帥としては不足
部隊長としては普通
兵卒としては優秀
そんなところじゃね
中国史基準なら名将どころか、愚将百選に選ばれてもおかしくないレベルだよな
>>973 語り継がれるべきというか、既に時代を超えた将として認められてるんだけどね。
その現実を受け入れられない人達が騒ぎを大きくしただけだよ。
幾ら自己評価の妄想を膨らませても虚しいだけ。ってわかってる人は抜けてると思う。
おそらく関羽という男は流れ者のペテン師だったんだろう
劉備をそそのかし、張飛の庭園を売り払い
自分はNo2の座につき安全なところから私腹を肥やしていたんだ
誰かをペテンにかけられるような性格してたら
あんな死に方はしなかったろうな
塩の密売人だったのか
その奴隷だったのか
ここをはっきりしてもらいたい
正史見れば?
>>978 下手に歴史を越えて語り継がれたせいで目立つアラや浮いてる感ってのもあってな
例えばケ禹は後世の人が名将を選んで集めた時のメンツの常連だが、新末後漢初ファンからも
「流石にないわー」、「二十八将筆頭の意味勘違いしてないか」、「言われるほど戦下手でもないけどないわー」
というような反応を喰らったりする(多分言ってる人の中にはケ禹ファンも混じってると思う)
でもこの手の意見に強硬に反対して、「名将として名が残ってるんだから名将なんだい」と主張するケ禹ファンはあまり見かけないけどね
それは単にケ禹の過大評価に過ぎないからなんじゃないのか?
>>984 アレでも河北戦とか関中制圧とかそこそこ軍功はあるのよ
ただ、赤眉に敗れて馮異を後任に送られた挙句、その馮異まで巻き込んで赤眉に大敗した汚点は消えないだけで
その後は南陽で延岑を撃退した位しか功が無いし、35で将を辞めたので特に挽回出来てないしな
まあケ禹過大評価説が出てくるなら、同じように関羽過大評価説も出てきておかしくない訳で
986 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/25(木) 23:03:41.61
ケ禹は、軍を二分しての方面部隊を率いての功績があるから、他を超えて名将なのだろう
途中からよくなかったが、初めが悪ければ全て終わる
初めが良かったから、光武帝の創業はあった
本隊の支隊や先鋒を率いての勝敗は一つ一つでは全体に大きな影響を与えない
中央が固まった上の地方討伐は、政権の存亡の危機までは至らない
軍事能力では、二十八将のベスト5には入らないだろうが、これが評価されたのだろう
馮異や呉漢の方が上でも、ケ禹より大きな失敗をした可能性だってありえる
結果論だろうが、ケ禹は存亡に関わるほどの失敗をしなかったのが揺るぎない功績
987 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/25(木) 23:12:52.08
少なくとも関羽よりはよっぽど活躍してると思うぞ
宋代からケ禹は歴代名君の廟で光武帝と合祀されてるけど、明代以降は三国からは諸葛亮だけ入れて関羽は外されてる
関羽は王朝ぐるみの信仰の対象になったから特別扱いされてる訳だけど
多分そのせいで自由な議論に基づいた評価もされづらくなってた
明代のケ禹論で蕭何・張良タイプの秀才だけど戦争はヘタ、ついでに言っとくとケ禹に大軍持たせた光武帝も人使いがヘタ、みたいな
議論の中身が妥当かどうかはともかく名君・名臣として祀られた人物にも遠慮しない意見があるのに
関羽にはそういう自由な議論がなかなか見当たらない
関張を高く評価する文章としてしばしば引かれる二十二史箚記にしてもほぼ歴代正史の抜き書きだけで
趙翼の独自の評価は何百年も語り継がれる武勇って凄いね、以外に何があるかなって感じだし
現代日本の俺らが関羽を評価するなら、過去に積み重ねられてきた議論を無視していいとは思わんけど
今まで語り継がれてきたから凄い、信仰の対象だから凄いっていう理屈に拘束される必要もないよ
日本もそういうやついるよな
割と最近でも龍馬とかさあ
992 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/26(金) 18:51:13.40
次のスレッドあるんすあか?
コーヒーを飲む時、足を組んで大人の男を気取ってしまう厨房です
>>990 信仰の力ってのはそれだけ大きいってことでしょ。
確かに拘束される必要はないだろうけど、そんなマイナーな
話に付き合う必要もなくね?
>>994 そう思うならそんなに全力で噛み付く必要も無いんじゃないの?
信仰の話したいならそれにふさわしい場所でやればいい
信仰の押し売りは御免だ
>>990 阪神のヤニキ批判が許されないのと同じ理由だな
めんどくさい連中に絡まれるのが嫌だから、とりあえずテンプレ的な誉め方しときゃOKだろ、と
>>994 お前がそう思うのは勝手だが
そのスタンスならそもそも議論する必要なんかねーと言う話
それこそ宗教と同じで、「いろんな宗派があるだろうけど、ウチらの教義はこれだから」と、内輪でやっていればいい
マイナーだの何だのと手前勝手な難癖を付けて教義を押し付けるのは愚の骨頂
それこそ、お前の唱える説に付き合う必要もないよ、その論理なら
三国志に載ってる「関張は万人の敵」を二十二史箚記が採用した事には別に文句はないけど
二十二史箚記の邦訳がネットで公開された頃から「万人の敵」ていうフレーズを曲解して
戦場にひしめく万単位の敵兵を1人で殲滅していく無双状態みたいなイメージで
関羽・張飛の武勇を語る人が出てきたんですよ
板違いだけど「光武帝は人使いがヘタ」って某布教サイトが発狂しそうだな
しかしこういう意見もあってこそ人物評の深みが増すというもんだ
>>998 李衛公問対で「将の将は」とわざわざ劉邦ディスってまで褒められてるから問題無かろう
まあ俺も純粋な人事だと豪族のパワーバランス考慮しても結構問題があったと思うが
(アレで結構反乱は食らったから、人事ミス的な物も含めて)
カープファンは絶対に金本許さない
1001 :
1001:
立 新 / ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、 ,r';;r" _ノ と 何
て し L_ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ ,';;/ ) 申 と
ね い //;;/´ `' 、;;;;;;;;,,l;;' /ヽ す 1000
ば ス /.,';/ ヽ;;;;,l;L_ .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;i か を
い レ l |;|┌--‐フ ┌----、、 |;ヾr''‐ヽ, ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;く !! 超
か ッ i |l ~~__´ 、 ``'__''''┘ |;;;;;l rO:、; ´ ィ○ヽ 'i;;;;;厶, え
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う 「 | | ( ) .ソ l ,:' _ ヽ .|;;;;;;;//-'ノ
ヽヽ | _,ニ ニ,,,,,_ ', ゞ,' '"'` '" i;;;;;i, `' /
⌒レ'⌒ヽ厂 ̄ `| ,、ィ-‐''__'''‐-`,、 '' .', i、-----.、 `''"i`'''l
人_,、ノL_,iノ! . ', :i゙''''''''''`l' ` _人__人ノ_ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\ ,' ト、,
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ハ ワ {. ヽ. -、、、、 ' ノ き き 了. ゙, ,ヽ===-'゙ ,' , // ヽ
ハ ハ ヽ. ハ ) ん 込 | ',.' ,  ̄ , ' ノ //三国志・戦国板
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