1 :
無名武将@お腹せっぷく:
三国志の本が読める人は一部の特権階級
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/05(火) 11:08:42.95
_ - 、 _
(;;;;/;;;||;;ヽ;;;;)
. ヽヽ;;||;;;ノ;く
(;ノ;||;く;;;ノ
ヽ||ノ;ノ
, -┴- 、
. / ヽ
| ノ ヽ |
| (゚) (゚) |
!. トェェェイ | 伊豆出土のますかっちうへへが
ヽヽェェノ /
>>3ゲットェェイwwwwwwwwwwwww
. ヽ /
ヽ /
V
諸葛孔明を愚かとは思わないが、
魏と蜀が同盟して呉と対峙するという、
>>1の発想は悪くないと思う。
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/06(水) 16:07:27.42
>>4 そんなことできなかったから呉がやりたい放題できたんだろ。
現実を学べ。
諸葛亮スレ終盤のリベンジだろ
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/06(水) 19:02:33.76
また釣堀スレか
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/06(水) 19:40:13.00
そもそも蜀の建国意義は「政権を簒奪した魏を討伐し、漢朝を再興する」なんだから、魏と組んだら本末転倒だろうが。
天下三分の計の段階から「反曹操勢力で同盟を組んで曹操を倒す」のが劉備と諸葛亮の主目的なんだから。
夷陵の戦いが異常だっただけ。
ちなみに諸葛亮は徐州の出身。曹操が徐州で行った虐殺を考えれば、魏と組むわけがない。
10 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/06(水) 19:54:27.94
徐州出身で曹操に仕えた人、いないか?
陳登は?
12 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/06(水) 20:01:52.21
>>1は馬鹿だから分かってないだろうけど天下三分は魏を倒すための計略だからな
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/06(水) 20:12:36.25
>>10 陳登は豪族階級だろ
探せば徐州出身者は居るだろうけど、諸葛亮の放浪期間と徐州虐殺の時期はほぼ一致するからって推測
あーそうか
他にって言ったら陳矯と王朗くらいかな?
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/06(水) 20:40:20.19
>>14 王郎は徐州虐殺の頃には遠く離れた会稽太守。孫策にぼろ負けしたところ曹操に召し出されてるから、むしろ恩義を感じてると思われる。
陳矯は元々陳登配下で許昌との連絡役だった事から、少なくとも曹操に悪い感情は持ってなかったと思う
(持っているなら連絡役にはならないし、陳登もそうしない)
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/06(水) 20:53:21.04
>>14 ついでに、呉書諸葛瑾伝には「郷里が壊滅し生き物が根絶やしになる事態に遭って、墳墓の地を捨てた」という趣旨の記述もある
時期的にもそんなに大きな事件は徐州虐殺くらいだしね
なるほどな
解説どもです
しかし魏と組んでどーすんの?あれだけやったら手を組むのは無理
呉の場合は夷陵で潰されても利害の一致で自然と
魏も隙を見て攻めてきてたしね
18 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/06(水) 22:37:37.06
魏と蜀がどんな関係か説明されてもわからないやつがいるらしい
陳登が豪族階級って根拠は?
19 :
13:2011/04/06(水) 22:52:55.87
>>18 陳登は徐州の有力者だし父親の陳珪が広漢太守陳ヒの孫、太尉陳球の甥、呉郡太守陳ウ・汝陰太守陳jの従兄弟だから
あながち間違いとも言えないだろうけど、確かに断定するのはまずかったかもしれない。
実際に戦渦に巻き込まれて避難していた可能性のある諸葛亮と徐州責任者の陳登では事情が違うというのが言いたかった。
劉備軍って徐州時代からアンチ曹操の溜まり場みたいな勢力だしなぁ。
劉皇叔=ジョースター家 曹賊、司馬賊=DIO
まさか!?諸葛亮スレで活躍したアイツか!?
だから幕末とは合わないんだからやめろって言われただろ
蜀に限らず曹操はやたら統治下の領内でも民衆から反乱起こされてる
曹操はトップとして統治するのは下手だった
まぁ曹賊はコルホース化を推し進める共産野郎なので嫌われて当然。
25 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/07(木) 11:03:54.25
>>22 最後の方は戦国時代と比較してそれも的外れだったな
>>23 劉備が反乱少ない方か?
諸葛亮のいない劉禅時代であれば
同盟とは言わないかもしれないが、南宋と金の関係になるのもアリだったのでは。
劉備は死んだあとに反乱おこされてるね。
四川侵入の時は馬超含め劉備陣営増大で地元の人劉劉璋に期待できない状態。
劉備の益州占領を地元の豪族ヨウガイなどは面白くなかったけど、
定軍山の戦い・漢中の戦いに連続して劉備が勝利して我慢してたらしい。
劉備が白帝城で死んでようやく豪族たちの反乱開始。
>>26 なんか魏と蜀の同盟は蜀さえ頷けば可能みたいな論調の人たまにいるけど、
魏の立場で考えてみたらどうだろう。自分に禅譲したはずの漢王朝を名乗る
地方反乱を、容認することは可能か?漢がまだ続いてることを認めたら魏は
僭称の逆賊ってことになるじゃん。
29 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/07(木) 12:25:15.93
皇帝が他の皇帝を認めるってのは三国鼎立という異常事態での孫権の発明で、
本当に皇帝の意味が変わった(有力者=皇帝)のは支配層が入れ替わった五胡十
六国時代。
後漢末〜三国時代の皇帝は他の時代に例えようがない。例えられると思ってる
人は既に何か間違ってる。
>>28 その人は、諸葛亮スレで何を言っても聞き入れませんでした。
皆で魏と蜀の関係とかいろいろ話したんだけどね。
魏:俺が漢の後継者だ!偽者は許さん!
蜀:よくも漢を乗っ取ったな!許さん!
で不倶戴天の敵なのに・・・
細かいことつっこむけど、「乗っ取ったな」じゃ漢が終わったことを認める
ことになるからそれも違うんだよね。
蜀:漢を継いだ?いや、漢ここに続いてるし。おまえ皇帝じゃねーし
みたいな感じ。
ここは遼東公孫氏の出番だな
いやこっそり長安狙った軻比能だろ
魏は、冀州の反乱は曹操が死んだあとにやっと収まり、
青州の反乱とか、徐州の反乱とかは、魏ができてからも続いた
士大夫とも仲悪いしな
36 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/07(木) 16:26:46.04
結局陽明皇帝が一番ってことだな
統一もできてないのに禅譲させた曹丕が愚か。
統一しても誰かが批判したり皇帝僭称したりするかもしれない、だけどすぐ
にひっぱたいて黙らせれば「やっぱり魏が正統で唯一の皇帝だ」ということ
になる。
始皇帝最強
諸葛亮のスタンドが愚者なんだな。
40 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/08(金) 16:38:40.82
釣り師が来ないとただの正論スレだな
42 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/10(日) 18:36:14.61
無駄埋めするな
>>37 後漢の劉秀の即位も統一前
晋の司馬炎の即位も統一前
南北時代は言わずもがな
隋の楊堅の即位も統一前
唐の李淵の即位も統一前
五代十国時代は言わずもがな
宋の趙匡胤の即位も統一前
統一後に皇帝を名乗ったのは秦の始皇帝、漢の高祖くらいじゃね?
48 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/10(日) 22:30:23.14
ゲームとかの影響かなあ?三国を統一しなきゃいけないという変な固定概念ができてるね。
俺はそんなわけないと思うんだけど。
戦国時代、武将はみんな京を目指して天下統一を夢みてた。ってのは嘘らしいって説を
聞いた事がある。ほとんどの武将が領土維持しか考えてなかった。って説。
魏と蜀の同盟は可能か。の議論から「となりの皇帝を許せるか?」って議論になったけど。
易姓革命だっけ?とか正統王朝として偽帝は倒さなきゃいけないって俺嘘だと思うよ。
そもそもさ。三国時代ってのは後漢から続いてるわけだよね。後漢の末期で皇帝の威厳
みたいのは失われてるし。三国になる間にそれこそ戦国時代並の群雄割拠があったわけでしょ。
それぞれの勢力がかってに争い、勝手に同盟組んでたりしたわけで。ソウヒ皇帝とリュウゼン皇帝が
同盟結んだってそれと似たようなものと捉えられるだろうし。
>>47 劉秀は前漢の皇帝と同姓。王莽に奪われていたのが取り戻されただけ、と説明できる。
司馬炎以降は曹丕が前例になった。前例を作ったから「曹丕は愚か」なんじゃないか?
50 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/10(日) 22:39:38.01
>>47 「曹丕の判断がどうだったか」に曹丕以降は関係ないと思うっよ
>>1 理不尽押し付けてくる巨大勢力にはさっさと尻尾振るが吉。
なんて考えは果てしなくカッコ悪い上にヘタレそのものじゃないの。
>>49 劉秀はすでに即位している更始帝の臣下にありながら、袂を分かれて皇帝に即位した。
王莽から取り戻したと説明するには多少難がある
>>48 まさかここまでとは・・・!
どんな正論も通用しなかったのが分かった様な気がする。
54 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/11(月) 00:10:41.31
孫権「せめて百日五丈原〜続いておればこの天下、俺のものにしていたものを〜」
>>48 中国の皇帝を舐めすぎ
堯舜から調べ直してこい
>>48 @信長の野望を楽しくプレイ→戦国大名はみんな天下を取ろうと戦った!
Aちょっと本を読んでみた→実はそうではないらしい
B他の戦国ファンを見下した→優越感気持ちイイ!
C信長の野望も三国しもおなじかいしゃがげーむつくってるぞ!
Dちゅうごくのこうていもせんごくだいみょとおなじだ!
だんだん漢字忘れていってるな
>>47-52 劉秀って王朝創始者じゃないだろ?「後漢王朝」を始めたんじゃなくて
漢王朝を再興しただけなんだから。
「王朝創始者」を比べるなら曹丕の前の皇帝はエイ政と劉邦(と王莽?)だ
けだと思うんだが。
自称皇帝は山ほどいただろうけどな
どんなクズだろうが外人だろうが一番強けりゃ正統な皇帝になれるのが中国って国なんだから
深く考えるだけ無駄なんだって、だから。
深く考える能力が無い人はそれでいいと思うよ
こいつ考えるだけ無駄という基本姿勢だけはブレないな
「三国時代は勢いでなんとかなった時代!戦略や兵站を真面目に考えるのは無駄!」
「手元の地図だと黄河と長江しか川がないから中国には他に川がないんだろう」
「秦嶺越えが大変だったら諸葛亮は山を削れば良かった」
すぐ思い出せるだけでもこんな奴だわ
>>62 >「秦嶺越えが大変だったら諸葛亮は山を削れば良かった」
あ、ごめん。これは俺かも。
あれ?トンネル掘ればってカキコだったかな?すまんすまん。
コイツは、幕末にむりやり当てはめてたのは目立ったな〜。
価値観が違う事を何度も言われても理解しなかったのはすごいかも
>>58 > 漢王朝を再興しただけなんだから。
建て前を本音として受け取ってどないするんよ?
>>60 前時代の名実的正統をぶっ潰し、中国全土を全てに
自分の旗を靡かせるような力ある王ならばその通りと言えるが
中途半端な力しか持ってない(中国の北半分を制圧した程度)ようなヤツは
単に世の中を乱し、自称皇帝を気取るだけの小物だがな。
>>65 孫権は2〜3割、劉備は1割程度で天下を統べる勢力すら築けていないのに
皇帝を僭称した小物中の小物ってことでok?
俺はそうだと思ってるけどね。
三者三様に「正統」などという言葉とは程遠い、自称皇帝に過ぎない小物。
劉備は劉性であることを利用するだけ利用して懐古老害を垂れ流す実力不足。
曹賊は名実的正統を持たない国家大乱の賊徒。
孫権は名実的にも、実質的にも皇帝なんぞ名乗る資格すらない野良犬。
所詮、三者共小物。
チンギスハン、李世民、趙匡胤、始皇帝らを並べて見ると
そのチープさもより引き立つなw
>>63 同じような時期に
「山肌に棚田のようなものを作れば生産力が上がって兵站改善」
とも言ってたからポピュラスのDS版でもやってたんじゃないかと思ったり
所詮、三者共小物。 と2chにぐだぐだと書きこむだけで
自分ではその三者に遠く及ばない存在の
>>67自身は
自分自身を小物にもなれない微生物中の微生物と考えているのであろう
でokですよね?
>>69 あ〜、じゃぁ俺じゃないや。
山に棚田・・・ただ作ればいいってもんじゃないのに・・・
>>64 皇帝関係は建前が大事なことくらい知っとけ。
讖緯説とか封禅とか禅譲とか知ってるだろ?
>>65 君が「正統」の意味を理解してないだけ。
>>67で「名実的にも、実質的にも」なんて言ってるが、頭大丈夫か?
日本語勉強中だったらごめんね。
73 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/11(月) 22:21:18.75
名実的www
「ソウヒ皇帝」といい、独特な言葉が生まれるおもしろいスレだな
大義名分、きっと分かってないんだろうな
>>70 そういうただ煽りたいだけの下らんレスは要らん
ニュー速にでも行け
呉帝自称は大事件だよな
正統論を超越してんだから
何様だよおまえって感じ
孫権、劉備
こいつ等は中国を衰退させた国賊以外の何者でも無いな。
せっかく曹丕が禅譲という穏健的な方法で帝位を受け継いだのに、
小学生並の幼稚な理論でごねて、無駄に戦乱を長引かせて中原を疲弊させた大奸賊。
78 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/11(月) 23:39:19.21
劉備=信長
曹操=信玄
孫権=家康
こんな感じだな
>>77 知識人(ジュンイク等)や儒家が”漢”に仕えていたという事をお忘れなく
80 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/12(火) 11:28:40.44
カタカナ馬鹿丸出しwwwww
諸葛一族は没落気味の元エリートで、出世欲は強かったのではないか?
亮や謹は呉と蜀へ仕官し政治の中枢部として、また魏にも諸葛の者が仕えてた記録もあり、親族のコネで固まる事もなく
つまり天下三分の計の根本には諸葛一族が生き延びる為に各勢力に潜り込み、一族の繁栄という真の目的があったのだろう
だが中央政庁であった魏において諸葛は登りつめることは出来ず、その後天下を掠めた司馬一族の当て馬として、後世において評価を高めた、というのが本当の所ではないでしょうかね?
82 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/12(火) 12:18:23.69
>>76 しかし根源的には、皇帝になるのに前皇帝の意向なんて関係ない。
皇帝の息子が自動的に皇帝を継ぐなんて世襲理論の正当化に過ぎないし、
禅譲が欺瞞なことは言うまでもない。軍事的な脅迫で地位を奪っている
だけだ。
当たり前のことだが始皇帝は前の皇帝から帝位を継承したわけではない。
劉邦もそうだ。
まぁ彼らは中華と呼ばれる範囲を制圧して誰かから文句を言われない状
況を獲得したわけだが、少なくとも前任者との関係が皇帝就任の条件で
ないことは明白だ。前皇帝の子孫じゃなくていいし、禅譲を受けなくて
もいいわけだ。
ではなぜ孫権が正統でないと言われるか。所詮は後世の王朝の利害だ。
魏に禅譲を受けた晋は何が何でも魏を正統としなければならなかった。
魏晋の必死の宣伝工作で禅譲が正当な手段であることはかなり強く定着
した。
また南宋のように中原を追い出されたが同姓の者(皇族)が王朝を続ける
という場合、蜀の正統が主張されることもあった。目に見えない天命の
理論よりも、世襲の理論は誰にでもわかりやすい。
一方の呉は、統一王朝にとっては地方反乱を促進する理論とも言える。
その点では
>>77の言うとおり。袁術や許昌ですら正統と言えなくもない
ことになってしまう。だが、あくまでも統一王朝にとって不都合という
だけで、正統性がないなどと言うことはできない。
>
83 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/12(火) 12:19:01.52
>>76 孫権が皇帝になったことを悪と言うなら、それを可能にした状況が悪いと
言うべきだろう。
まず全土に軍事制裁ができない曹丕が皇帝になった。地方反乱の自称皇帝
と、世襲や禅譲の理論に守られた公認皇帝はあくまでも別格だったのに、
これで公認皇帝の格が落ちた。
次に、漢帝の復権を訴えていたはずの劉備が、劉協存命にも関わらず皇帝
になった。
形式上輔弼の臣であり続けた曹操と違い、曹丕を明確な逆賊と非難する好
機だったはずなのに、劉備も結局は帝位を狙っていた曹丕と同列の逆賊に
なった。
あくまでも劉協を唯一の皇帝と主張すれば皇帝の価値も下がらないし、魏
の士大夫の一部の支持が得られたかもしれない。
劉協が殺害されたという誤報から半年、軌道修正できなかったのが残念だ。
>
84 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/12(火) 12:24:02.46
>>76 二帝並立の状況で、どちらにも臣従する必要のない実力を持つ孫権が、
一人格下でいる必要はないし、外交上いちいちへりくだっていては不利
でさえある。
しかも状況は呉に有利だ。三大勢力の残り二勢力は絶対に互いを容認で
きないのだから。
もちろん孫権が皇帝になると、魏との外交の可能性を放棄することにな
る。しかし最大勢力にとって外交とは、服従の要請一択である。対等の
同盟にはならない。
一方最小勢力の蜀は魏の正統を認めない立場上、呉と断絶することはで
きない。なぜ呉の皇帝を認めるなら魏の皇帝も認められるはず、となら
ないかと言えば、何よりも魏の自称禅譲が認められないからだ。
同じ皇帝僭称でも、魏を認めれば蜀は自分が皇帝である理由を失う。呉
なら二帝という矛盾だけで済む(それでも大問題だ)が、魏と外交すれば
相手だけ皇帝ということになってしまう。
繰り返すが、確かに孫権の王朝創始は事実上地方反乱の一種で、小国乱
立のさきがけとなった。
しかしことさら正統性がない、理由もなくなどと批判するのは見当違い
だ。魏と蜀は後世の都合で正統主張されただけで、当時は三国とも彼ら
なりの理由で皇帝になったのだ。
また曹丕と劉備が孫権を皇帝に届かせたと同時に、追い込んだとも言え
る。孫権の前に既に皇帝の格は下がっており、しかも皇帝になるか誰か
に臣従するか、の選択だった。
私には
>>76-77のように、三者のうち誰が悪かった、と言うことはできな
い。三国鼎立が後世にも影響する悪だと言うなら、三人全員がその状況
を作るのに関わったと言うしかない。
正統性の話をするなら、劉備も孫権も袁術も同レベルだろう
何で魏晋南北朝なんてふうに呼ばれてるか考えてみるといい
劉備が漢王朝を復興するってスローガンを掲げること自体が盗人猛々しい
漢王朝から戴いた左将軍の地位を返上して漢中王を自称=僭称している
これはどう言葉を取り繕っても漢王朝からの独立宣言=漢王朝に対する反逆でしかない
失敗した反逆者に正統性なんてありゃしない
劉姓がどんな意味を持つのか分かってないな
匈奴の劉淵が独立した際に漢を自称して漢王朝復興をスローガンに掲げてるのと大差ない
南北朝時代、劉裕は劉姓でありながら漢王朝に何の縁もないとして独立したとき
国号を漢とせず、宋と称した
劉姓の持つ意味なんてこの程度
漢の威光が照り輝くような世の中なら
劉氏=正統なんだよ
劉備にしても、自分が漢王朝の〜とか言ってるだけで大義名分が転がり込んでくるんだから
それを存分に利用していたというだけの話
漢以降〜隋までの地方国家乱立の弱小時代の王共は、力がなかったが故に
漢の名に縋り、漢の名を利用した
漢の威光を地に落す行為をしておいて、漢の威光が照り輝くも何もない
劉備の行動が漢、ひいては劉氏の正統性を穢しているってこった
曹魏に奪われた漢を取り戻すんだっていう意思表示だろが。
蜀漢の国是を忘れたか
でも蜀には当初、帝が弑逆されたって伝わったんでしょ?
なら漢の遺志を継ぐのは人気、実力共に最も相応しい劉備ってことになるんじゃないかな
その前に漢中王の僭称して漢朝に反逆してるって
これは曹操存命中の出来事、曹丕の簒奪前
反逆しておいて漢の遺志を継ぐって盗人猛々しいっての
何度書かせれば解るのよ?
93の続き
本人が帝になろうという意志があろうがなかろうが部下が背中を押すだろうし
劉備としてもそんな部下の支持を無視することはできないと思う
結局
>>86なんだよな
こんな事やってる奴がどんな綺麗事並べようと説得力皆無な件
誰も劉備が聖人君子だなんて思ってないよ
むしろ劉の姓をとことん利用したペテン師とも思える
けどそれは彼一人のせいではなくて彼を担ぎ上げる時代の風潮があったということ
>>86がそもそも意味合いが違っているというのに・・・
>>98 劉の姓(漢)に正統性があるかないかの話でしょ?
>>86のは劉備の性格の話になってる
姓が劉であれば漢の王統を継ぐ正当性があるか?
なんて話しなら、んなもんないで終了
王を自称=僭称(身分制度のある社会において、本人の身分を越えた地位、称号を名乗ることをいう)=反逆って何故・・・
皇帝の一族(これは怪しいけど)が王を名乗る事は反逆にはならないんだって
なんか疲れてきた・・・
そりゃ漢の皇帝は劉氏だもの。
どれだけ功績があろうが他家がこれに成り代わろうとすれば
劉氏の打倒しかない。
確かに劉協があるのならば、劉協をこそが至尊の位にあるが
他家に簒奪される危機に遭い、子々孫々に受け継がれてきた劉氏の伝統が
奪われるという状態に陥っているならば、劉氏と漢の名を守るためにやむなく
王を名乗る。
と、いう大義名分が劉備にも転がり込んでくる。
簒奪の意志ありきで劉氏の天下を転覆させようとした曹賊とは根本から違う。
王朝は同性の一族による世襲。
簒奪で新しい王朝をたてるぞ〜!ってのと、旧王朝の復興をするぞ〜!
それぞれの立場からすれば正当なわけで。
この場合、敵対関係になるから同盟は無理よ。
>>101 > なんか疲れてきた・・・
こっちの台詞だってば
漢王朝に限らず中国帝国では王の任命権は皇帝にある
皇帝の許可を得ずに勝手に自称したらそれ即ち僭称、漢室と縁者であっても越権行為、これ常識
本気で皇帝の一族であれば王を自称して良いなんて考えてるなら改めた方が良い
さらに皇帝より拝命した官位(左将軍)を返上してとなれば
それは独立宣言、漢王朝に三行半を投げつけたに等しい、漢王朝に対する反逆以外の何者でもない
これが反逆でないなら何が反逆かってくらい見事な反逆行為
君側の奸を討つためなんて反論にもならない、なぜなら君側の奸を討つのに官位返上の必要性は皆無
袁術の皇帝僭称と1_の違いもない
劉備が王や皇帝を自称した時、劉協の心中はどんなだったんだろう
『漢の命脈は遠い辺境の地に受け継がれている。本流は絶えたが劉備に漢の再興を託そう』
表向きは「曹操、逆賊を討て」だけどこう考えていてほしい蜀ファンは俺だけじゃないはず
劉協「曹賊も劉備も俺の生まれる前か死んだ後にやってくれ」
つーか禅譲の意味が分かってないな
禅譲ってのは自分よりも優れた者に帝位を譲る事であって、
無理矢理奪い取る事ではない。
つまり献帝は曹丕が皇帝になる事を認めた訳で。
これを認めず皇帝を僭称した劉備は、魏どころか漢をも否定したのと同じ事。
おまけに
>>86みたいな事までやってるんだから、劉備は国賊と言われても仕方ない。
禅譲は見た目で、実際は簒奪じゃないかよ。
あれ?
>>86からすると、正当な魏は、反逆者の蜀とは同盟なんて無理!
って事になって結論?
魏ってけっこう手厚く山陽公の面倒みてるしなぁ
正統王朝という自信と責任感があったと思うよ
>>60みたいな感覚じゃなかったのは確か
>>109 実際はどうか、なんてどうやって証明するの?
献帝に「実は無理矢理…」とか言わせるの?
文帝紀読めば分かるけど、曹丕はかなり手際良いよ。
魏が正統と言われるようなだけの事にはなってる
文帝紀に「実際」なんて書かれてるの?
漢の丞相というナンバー2の地位に居るのに
なんか、独立して魏公になろうとしてる。
↓
更に上の魏王とか求め始めてきた。
↓
南には同じ劉氏の劉備が対抗勢力として残ってる。
自分自身の立場をたかが臣下如きにコケにされまくってる上
同族の劉備は残った劉性の中で、曹操とも対抗しうる勢力になっている。
この状況で禅譲って誰に?なるよな。
禅譲を隠れ蓑にした簒奪行為だと思う。
禅譲&簒奪の意味、魏武輔漢の故事・・・間違えてないよな。
魏を正当化・・・曹操信者だとこうなのか?
>>110 魏から同盟を申し込むことはないだろう
同盟を申し込むタイミングにもよるが蜀から同盟を申し込んでも
魏からしたら同盟ではなく帰順と捉えるんじゃないか?
完全な帰順とまでいかなくとも、限りなく帰順に近い不平等な約定なしに
締結することはないだろうと考える
少なくとも漢の皇帝を名乗ったままでは無理でしょう
南北朝の後魏、東晋が曹魏西晋の後継国家の時点で蜀の正統論死亡
>>116 ところが!あいつは漢の皇帝を名乗ったまま蜀魏の同盟が可能と・・・!
また振り出しに戻るのかね?
振り出しも何も…
AHOの戯言を気にして当たり前と思しき意見を引っ込める理由があるまい?
120 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/14(木) 03:53:59.83
アホVSアホを相手にするバカ
121 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/14(木) 10:00:52.32
>>120 踊るアホウと見るアホウって感じだな。
見るアホウの方が気持ちいいかい?
禅譲した奴が正義、みたいな主張してる人がいるが、皇帝になるのに禅譲は
補強理論の一つでしかないぞ。放伐も正義、臣民の擁立も正義だ。
禅譲が唯一という思い込みは、後世それが主流になった(というかある程度
強力な新興政権が好んで繰り返した)というだけのこと。後世に影響された
見方と言える。
>>117 ところが、皇族が皇帝を自称した形の東晋では蜀正統論が復活するんだな。
>>88 劉淵が100年近く後に劉を名乗って漢を号するのが有利だと判断したん
だから、むしろ劉の姓の強力さに驚くよ(中華の理論では異姓だから、
無学な庶民向けのアピールだね)。
>>108 >これを認めず皇帝を僭称した劉備は、魏どころか漢をも否定したのと同じ事
それはさすがに大間違い。禅譲したこと自体が魏の捏造という立場だから。
>>112 >曹丕はかなり手際良いよ
俺には相当やましかったか、士大夫の非難や妨害を恐れたためにくどく
素早くやったように見える。
まぁ読み方はいろいろだわな。
>>124 あの禅譲の手順、すげ〜嫌がらせとしか思えない。
帝の位を譲ります→お断りします
を何回繰り返してんだ。
帝の位を譲ります→お断りします→じゃぁ、譲るのやーめた
とかやったら殺されるね・・・
126 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/14(木) 19:42:33.32
128 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/14(木) 22:55:51.52
カタカナは昔の発言をコピペされるとしばらく黙る
豆知識な
諸葛亮「ああ、魏と同盟したい!」でも相手にしてくれなかったらどうしよう!
そうだ!北伐をして、魏の連中を注目させちゃえば好意的に見てくれるかもしれない・・・!
魏延の長安奇襲は却下だ!本当に陥落させちゃったら嫌われてしまう!
寝ぼけてなんかくだらない事を・・・
うん、おやすみ
131 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/15(金) 20:21:42.95
四川盆地の農業が秦嶺山脈以北では使えなかったってホントかね。
>>131 秦嶺以北は寒冷で土地も痩せ過ぎいるので米作中心の四川の農業は無理
てかスレ違い
>>132 別に今動いてる議題もないし、いいんじゃねぇの
>>34について誰か詳しく教えてくれんか?
つ魏書
形式的な正当性なんかを論争するのなんて無意味じゃね?
形式だけが重要ならエジプト人民がムバラク政権を転覆させるのだってしちゃいけないってことになるし
劉備の漢中王就任も曹操が魏王に就任したことへの非難と皮肉を込めた行動としてはまあ普通だと思う
劉備が非難されるとしたら反曹の人々の期待に応えられなかったことだけだね
正統と正当の違いがわからないなら口出しすんな
まーそうかも知れんがここはカタカナスレだから
魏との同盟自体が無茶振りな上に大義名分とか考えなくていいって所からスタート
そっから名分大事だよとか劉備に名分なんかないとか話題がスライドしてってる
形式的な正当性がおおよそ正統だから意味はだいたい合ってる
>>137 長い長い議論でしたね。
なんかそろそろ終わりそうな気がしますが・・・
>>140 ネタスレだったということでいいだろう、誰の目にも結論は明らかだし
続きはゆとり教育の弊害スレでも立ててそちらでどうぞってことで
142 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/17(日) 10:01:40.60
>>139 せめて辞書でも引いてから書き込まないか?
思い込みじゃなくてちゃんと調べるか考えるかすれば正当と正統の違いくらいわかるから。
143 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/17(日) 10:02:41.54
>>140 議論と言うには悲しいくらい平行線だったな
>>135 魏晋南北朝という時代区分について一言どうぞ
あの時代は三国時代とも言うけどなw
魏晋南北朝というのは後漢と隋唐に挟まれた動乱期をひと括りにする言い方で
別に魏の正統性を強調するために作られた時代区分じゃないし
晋にしても王朝を纂奪した負い目があるから魏だったら存在すら認められない蜀漢を正統ではないにせよ認めているわけだしな
まぁどこが正統かなんて後世の王朝の都合でどうにでもなる
>>122 > ところが、皇族が皇帝を自称した形の東晋では蜀正統論が復活するんだな。
それって中原を追い出されて涙目の負け犬が苦し紛れに吠えてただけじゃないの?
清代に「日本こそ中華!」と喚いてた奴と同じくらい見苦しい珍論だと思うが。
三国演義の絶大な浸透力の前に、当代の史実持ってきて
魏の方が正統だったんだ!と喚く事も同じ位の珍論じゃないの?
それもまた三国演義に押し潰された涙目の負け犬が苦し紛れに吠えてるだけでしょ。
正統の王朝というのは、後世の価値観がどう変わっても
その時代の正統であり続けるものだよ。
他に対抗するものもなく、大陸全土に自分の性の旗が靡いているのだから。
正閏論なんてもんが存在する時点で
その時代には絶対的な正統なんて居なかった証拠。
>>149 「正式な歴史書」を元に、「虚構七割の小説」に反論するのが珍論?
三国時代について論じるなら、むしろ正史を重視するべきなんだが。
演義の影響力はもちろん認めるが、それが誤解の原因になっている事も多いぞ。
この議論の対象になっている正統王朝は「漢朝を継いだもの」という認識でいいのか?
それとも「国として成立し、万民に認められていたもの」か?
その辺りの定義をはっきりしないと水掛け論にしかならんぞ。
前者の場合は、形式上だけでも漢から禅譲を受けた魏が正統。
根拠もなく皇帝を自称した孫権は論外だけど、劉備だって劉姓だけを根拠に漢朝の継承を自称しただけだからな。
後者なら、三国それぞれの国民が「自国こそ正統」といってたんだから、正統王朝は存在しないな。
>>150 横から失礼しますね。
正統王朝・・・「漢朝を継いだもの」じゃないかな?やっぱり
曹魏〜晋は形式上の正統
蜀は名目上の正統になるのかねぇ?
今でこそ蜀漢とか呼んでるけど、当時は「漢」と名乗っていたんでしたよね?
152 :
150:2011/04/18(月) 01:16:06.81
>>151 魏の場合
曹丕配下「曹丕様こそ皇帝の器です! 曹操様の功績を忘れたわけではないでしょうな?」
献帝「う、うむ……やむを得ぬ、か。曹丕よ、政権はお前に託そう」
曹丕「ははっ」
蜀の場合
諸葛亮「劉備殿、献帝陛下が曹丕に殺害されたようです(誤報)」
劉備「なんだと!? 漢朝は滅びたというのか!」
諸葛亮「劉備殿が帝位につき、漢をお継ぎになればよろしいでしょう」
劉備「しかし、それでは私は反逆者に……」
諸葛亮「何をおっしゃいます。献帝が死んだ今、漢は劉姓の王が継ぐべきです。我々があなたを高祖劉邦のごとく漢中王に即位させ、
上奏文とともに左将軍の印璽まで都に送り返したのは何のためだと思っているのですか」
劉備「……うむ。今日より私は、漢の天子となろう」
呉の場合
孫権「曹丕も劉備も帝位についた。同等の勢力を持つ私が帝位について何が悪い!」
正史を元にしてまとめると、だいたいこんな感じ。
蜀漢(当時は確かに漢と呼ばれています)はあくまで「漢を継いだと称する国」でしかないです。
151は「禅譲(形式)」を行って「漢から政権を譲られた(名目)」のが正統という意見のようですので、
個人の感情的意見はあっても論理上は魏が正統になるのかな。
なんか脱線しているようだな
魏と蜀の同盟が成立するか?だよな、元は
だとすれば正統性とか関係なく、成立するはずがない、以上
154 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/18(月) 13:03:22.43
>>144 五胡十六国時代という時代区分について一言
>>150 >この議論の対象になっている正統王朝は「漢朝を継いだもの」と
>いう認識でいいのか?
>それとも「国として成立し、万民に認められていたもの」か?
どっちもそれぞれの意味で正統だ。このスレでどちらかを恣意的に決めた
としても、このスレでの定義でしかない。
>>151-2 「天命は姓に下される」という考え方がある。幼帝でも息子が皇帝を継げ
るのはこのため。また、皇帝の近親が絶えても同姓の遠戚から探せば問題
ない、ということにもなる。後漢の皇帝も度々遠い同姓の親戚が継いでい
るし、劉虞が皇帝候補に挙げられた例もある。
また重要なのは王莽から後漢統一までの戦乱期。いろいろな姓の反乱勢力
が立ち上がりながら、主要な勢力は王莽に対するために禅譲したはずの劉
姓を祭り上げ、複数の劉姓が皇帝を名乗り、最終的に劉秀が統一した。
つまり漢皇帝がいったん禅譲しても、あくまでも天命は劉姓に下っている
ままで、王莽の即位は間違いだという主張になっている。
この実例を魏蜀に当てはめることは簡単だろう。劉備も(実際はどうあれ)
同姓の遠戚で、「天命を受けた劉姓」の一員である。
>>151氏、
>>152氏は禅譲という形式を整えたから魏が正統であると主張す
るが、その形式が誤りだとした前例があるのだ。禅譲が誤り(言うまでも
なく実態として、軍事力を背景にした強制だとみなすことは容易)だとす
れば、魏は正統ではないし、後漢が正統ならそれが続いているだけの季漢
も正統だということになる。
王莽は一代で滅び、また漢王朝が続いたのだから、天命はずっと劉姓に下
っていて一時的に逆臣が簒奪したに過ぎないのだが、後世の史家が「常に
正統王朝は存在していたことにする」というルールのもと歴史を見るから
新王朝も正統ということになっている。
「魏と蜀どちらが正統か」は、「禅譲による正統」と「姓による正統」の
同時並立の結果、勝って次の王朝の母体となった魏の主張が生き残ったと
いうだけのことだ。
皇帝になる形式上の根拠を
A.天命を受けた姓 B.臣民の擁立 C.その他吉兆など
とすれば、劉備だけがABC全てを主張でき、曹氏と孫氏はBCしか主張
できない状況だった。しかし禅譲によって曹氏もA'を得、初めて形式上
劉備と対等の位置に立つことができた。
ま劉姓だの全く意味ないし
袁術はだまってろ
漢だって元は犯罪者出の劉邦が武力で立てた国だしw
劉備なんて末流も末流で、もっと正当に近い血筋は山ほどいたし。
最後は力ですよ、力。
確かに血筋なら、秦の始皇帝や殷・周の王、はては三皇五帝の子孫が正統ってことになりかねんわなww
劉家の中でも劉虞・劉璋・劉表・劉曄の方が劉備より主流に近かっただろうな。
袁紹は劉虞を皇帝にしようとしてたんだし。
>>160 本当に力を持ってる奴はそうならないらしい。
必死で名目を作ろうとする。
中華の思想には易姓革命ってのが古来からあるんだけどねぇ
禅譲であれ放伐であれ、何より優先されるのは血統より徳って教え
徳の衰えた劉氏に天子の資格なし
天下は一人の天下に非ず、天下は天下の天下なり
即ち、天下は劉氏のものに非ずってこと
古来「から」ってのやめろ。気持ち悪い。
熟語使うのが無理なら「むかしから」でいいだろ。かっこつけんな。
重箱の隅っこすぎる
>>163 1つのことを知ったらそれだけが真理、他の見方はできないってか?
そんなことじゃ歴史上腐るほどいた「傀儡皇帝を立てる実力者」が全く説明
できないだろ。新と後漢の間に劉姓が何人も皇帝にまつりあげられたこと、
董卓が立てた劉協を反董卓諸侯も受け入れるしかなかったこと他を考えて、
あなたは自分の主張と矛盾してると思わないか?
天命は誰にもわからないんだよ。誰かが新たに王朝を立てたら、その後で
「あぁ、天命が移ったんだ」と納得するしかない。後付けの説明だ。
易姓革命って思想があることを勉強したまではいいけど、そんなの学者が
歴史を振り返って考えた理論だからな。どうやって生まれたか、実際にど
う使われたかまで見ないと。
儒学が周王朝を理想としているのは知っているかな?だけど周王朝も天地
開闢の最初から天下を治めていたわけではない。殷(商)から天下を奪って
いたのだ。
理想政権である周がしたことだから、正しいことだとしなければならない。
だから易姓革命を正しいということにした。
>>154 鸚鵡返しは敗北宣言と同義だから
覚えておくといい
>>162 晋以降、禅譲っつー形式さえ無用で異民族含めた武力ガチでの天下取り合いになるわけだが。
>>166 その時代、自立して王や皇帝を称した(あるいは周囲から称された)連中もまたたくさんいたわけだが。
劉氏が豪族としても地歩を持っていたから、それを目当てに推戴された面が大きいよ。
羊飼いにまで落ちぶれていた旧国の王家血筋引っ張り出した秦末期のほうがまだ……。
話戻すと、蜀漢が皇帝を自称した呉と同盟関係を続けた時点で劉氏云々の建前も崩壊しているし。
魏が強大で、かつ蜀が同盟結ぶような旨味を出せなかったから敵対し続けるしかなかったという力関係の話だろう。
まして劉備よりはるかに皇族・宗室としてまっとうな劉ヨウ系とかも魏の天下を認めているんだから。
>>163 真っ当過ぎる正論だが大きな間違いもある。
易姓革命の理を貫くのなら、劉氏の名声など吹き飛ばすほどの
力があるものにそれは限られる。
曹魏は結局、力で蜀も呉も潰せなかった。
だから、三国時代以降にも漢王朝復興と劉氏の性は
大義名分としても十分に通用してしまった。
中途半端な者に適応できるほど適当なものじゃないよ、易姓革命の理は。
天下統一を成す絶対者が現われないのなら、それが出てくるまで
前時代の天下を有していたものの王朝と性はどこまでも「正統」となる。
それが分かってるから、蜀が魏と同盟を結ぶメリットなんてなかったんだろうねえ。
反乱の芽が実る可能性がある。という思想すらも力でぶっ潰してこそ戦争屋の徳は実る。
>>171 曹魏は.蜀を叩き潰したじゃないか。実権は司馬氏に持っていかれていた時期だが。
そして司馬氏に何か劉氏絡みの大義名分や血筋があった?
ないだろう。
いわゆる三国のうち、蜀が同盟維持してその正当性を容認した呉の孫氏なんぞは、
一応孫子の子孫を自称していたが漢代の名族ではなく、劉氏云々とも無縁だった。
でも皇帝になったし。
>>172 その時点で既に司馬氏の天下。
だからこそ「漢晋春秋」なんてものまで生まれる。
曹魏も所詮は蜀漢となんら変わらない地方軍閥の一つってこった。
>>174 何がいいたいのかわからないが。とりあえず劉氏云々っていうのはその時点でもう潰れてたと認めるってこと?
司馬氏の天下っていってるし。
劉氏であれば劉備のような末流でも皇帝僭称しておk、という時点でもうむちゃくちゃでございまする。
中国の正史が漢→魏→晋の流れを正当としているし。
結局、実力あっての権威だからな。
大義名分は残ってるってことだろ。
劉淵なんて単に「劉氏」ってだけで漢王朝復興を引っさげ中原に乗り込んできたからな。
劉氏自体が存在そのものまで
歴史の波に呑まれてればそんなものは大義名分にすらならないよ。
大義名分とかまた言うことが変わってきたw
いきなり出てきた劉淵は別に俺は劉氏だから、と出てきたわけじゃないが。
晋の家臣として入って、その乱れを見て自立。
だから力あっての権威(口実)だろ。
現に劉氏の正統なんて晋の無力な一貴族でしかも争いに巻き込まれて実質断絶だし。
魏は単なる晋の踏み台だろw
おかしな話だなぁ。漢の正当性云々をそこまでいうのなら、漢の天下を公に引き継いだ魏の名分も認めないとおかしいのに。
まぁ天下統一したのが司馬氏なんで、その司馬氏への禅譲の系譜が尊重される力の理論は当たり前なんだがね。
漢晋春秋って、漢は直接晋から禅譲されたんだっていう史実飛び越えの妙な理屈展開していたやつか。
これこそ著者が当時の属していた勢力におもねるための本じゃないか。(自分の説は受け入れられなかった、だから晩年まで身分低いままだとも書き残してるし)
そういうものは後世で否定されてるからな。
曹操の悪気あるお茶目など比較にならんほどの悪行を残した
始皇帝や煬帝の漢や隋がそれでも、その時代の絶対的な正統であるのは
他に対抗勢力が居なかったからだよ。
曹魏は力が無かったから、劉氏の威光に縋る劉備にも正統論を許すことになってしまった。
漢の天下を奪い取ろうが、劉備と孫権を打倒して天下統一に漕ぎつかなければなにが皇帝なのよ?となってしまう。
>>183 別に劉備は許してもらって即位したわけじゃなくて、実力で皇帝を名乗ったわけだが。
中国統一がそこまで絶対条件なら、逆説的に一州切り取りがせいぜいだった劉備なんぞそれこそまったくお話にもならないことになるが。
もう言を左右にせず、感情的に魏が嫌いとか自白したほうがマシじゃね?w
>>182 その時代は粗末な野火でも、後世では多いに燃え盛って三国演義という
大火を呼び完全に燃やし尽くされてしまった曹魏の正統・・・
>>185 お前の脳内世界ではそうなっているのか。
現実には魏晋南北朝とされているし、所詮演義は小説なんで曹操がいい風に描かれる創作が出ると流行はまた変わる程度なんだがなw
>>184 中国統一が絶対条件ならってw
分裂期の王朝に正統なんてあったのか?
>>186 >曹操がいい風に描かれる創作が出ると流行はまた変わる程度なんだがなw
全く変わってないだろw
>>187 二言目には統一できなかった、とか言ってた奴へのレスなんだが……。
お前自身のレスならダブスタ万歳かw
>>186 三国時代と呼ぶのが一般的なんじゃないの?
歴史の教科書には三国って書いてあるけど。
話脱線しすぎ。自分の贔屓or嫌いな勢力のためにする論ならそれぞれのファンあるいはアンチ用の隔離スレに帰ってくれw
そういう話になってくのも無理ないけどな。
曹魏が正統か、否かで孔明が時勢の読めないだけの愚者なのか
報恩の忠義者なのかも変わってくる。
蜀は呉の孫家の皇帝位を認めているっていう話が一向に進まないな。
もともと正史において漢・魏・晋の流れが正当とされるのは、皇帝は天命受けているから一人だけという思想が背景にあるゆえなんだが。
この意味では蜀の選択は実力的には仕方なくても名分(?)上は自殺行為なわけだが。
三人の皇帝が居たから「三国時代」なんじゃないの?
なんで魏だけが別格?
>>192 蜀の正当性云々は関係ないだろう、そこには。
それこそ中国の諺でいう「跖の狗尭に吠ゆ」だ。
大義云々なら孫家の皇帝即位を容認し得ないが、そんな頑迷さはなかったし。
献帝が殺された、というデマのために即位した劉備って、事実を知ったときどんな思いだったんだろう……。
魏や晋が皇帝の位奪った相手を殺さず貴族として遇したのは後年だと美談として残っているが、やっぱり殺されたに違いないという先入観があったんだろうか。
>>196 蜀としては誤報がないかぎり即位する口実が出来ないという見方もでいるけどね
あんまり陰謀論は好きじゃないけど漢を正統としつつ皇帝となった曹丕に
対等であろうとすれば献帝を被害者に仕立てるしかないわ
蜀の正当性云々は、劉備が力ある劉氏ってだけで証明されてしまう世情だったよ。
でなければ蜀漢正統論など沸き起こるはずもない。
蜀漢を正統として認めるのではなく、漢代の強大だった一枚岩の国家を思っての
後世の感情からくるものなのではないかな。
それで済んでれば良かったが曹魏の不運はそれを歴史としてもそれを容認するように
推移していってしまったことなのかも。
正当性が一番あるのは禅譲受けた魏がダントツ。
劉備は自称レベルの皇族で微妙だが、まぁ創作の世界でヨイショされているから物語だけを見ている奴には正統性があるんだろう。
だけど呉の孫家は一番理由がない。
それでも蜀は呉皇帝を認めたんだから、そんだけ蜀の立場が弱かったんだろうな。
もともと大義名分論がうるさく言われたのは宋代で、これも「現実に異民族に圧迫されている」ということへの憂さ晴らしの面があったし。
(さらに史実を見れば、その異民族相手に違約や背信を宋が繰り返した結果なんだがw)
だからコピペ繰り返しはいい。
その劉氏が異姓の皇帝の並立を認めたのはどう説明するんだ?
なぜか逃げ続けているな。
同盟論ともかかわる肝なのに。
なんか「当時の」「史実の」話をしているのに。
「後世の」「創作ないし朱子学的な」話を繰り返しているのとがいて。
話がかみ合ってないのがいるなぁ……。
蜀漢正統論は起こったっていってもすぐ下火で消えたし。結局正史にとりあげられなかったし。宋代でさえ。
それをしつこくコピペされてもなぁ。
まぁ正当論がまったくみあたらない呉に比べれば(ry
孫権は蜀が北伐始めて後戻り出来なくなったのを見てから即位してるのがまた厭らしいな
ぶっちゃけ劉備が献帝が存命なのに即位した時点で正当性も何もないし。
同族だろうが上を犯す行為。
献帝がもう皇帝じゃない、というのなら魏への禅譲を認めることにもなりかねん。
ぶっちゃけ、後代の無関係な人間が想像たくましくしてるだけで、当人達はほとんど勢いでやってたんじゃないかw
当時の蜀を見れば瞭然。
呉を撃てといった連中を孔明が抑えた。
それが蜀の現実。
呉「即位するね。認めないと魏と組んじゃうよ」
蜀「ぐぬぬ」
こんな感じだと思う
蜀を叩き潰しちゃった魏が憎いあまり、妄想と現実の区別がついてない奴がいるな
冷静になろうぜ
蜀と呉ならまだ対等に近い形で同盟できる程度の力の差だが、魏相手の同盟は無理。どう見ても属国化が関の山だからな。
つーか何で諸葛亮?
単なる一臣下にそんな権限があるとでも?
いまだに正当と正統を使い分けられない奴が吠えてるwww
誰かちゃんと教えてやれよ
>>194 本紀を読めるのは魏書だけ
故に別格
>>209 ある
当時の孔明が呉の帝位を認めたら禅も同意する
>本紀を読めるのは魏書だけ
雑誌の売り文句みたいだなww
>>204 単純な話、蜀では劉協は死んだことにしたんだよ。諡号もつけたしな。
生きてるって情報がいつ入ったかしらないが、黙殺。
死んでることにしてるから、上を犯してもないし、魏への禅譲も認めたこと
にならない。
>>209 劉禅が実際に親政を行うようになったのは蒋エンの死後。
呉国成立時には外交含めて政治・軍事のほぼ全てを諸葛亮に任せてたんだから、
劉禅が積極的に反対して諸葛亮を論破できない限り諸葛亮の判断で蜀は動く。
夷陵の戦いと劉備の死によって対呉外交は悪化してたんだから、認めとかないと魏呉同盟になりかねなかったんだろう。
>>212 事実だよ。
魏書には武帝記・文帝記のような本記(皇帝の列伝)があるけど、
蜀には先主伝と後主伝、呉には呉主伝・三嗣主伝のように一領主扱いの列伝しかない。
正式な皇帝はあくまで魏の曹家だけであり、他の二国は皇帝を称する領主でしかないってのが陳寿の・・・というか、
晋王朝の評価なんだろう。もっとも、そうしておかないと魏から禅譲を受けた晋の正当性が揺らぐからなんだろうけど。
>>214 雑誌の売り文句みたいって言ったからって事実じゃないと言ってるわけじゃないだろ
堅苦しい奴だな
このスレでもう出たか知らないが、呉も実際は魏の禅譲を認めてない。
魏に屈服してる間は魏に対してだけ魏の元号を使っていたが、国内では
劉協の元号を使い続けていた。
一部の人が魏正統の根拠にしている禅譲もその程度のもの。
>>214 論破?積極的に反対するだけで十分だろ。
まぁ蜀漢正統論をいっちゃうと、じゃあその蜀自身が異姓の呉の皇帝の並立を認め祝賀したのはどう説明つけるの? となっちゃう。
これこそ名分がまったく立たない現実戦略優先の理屈の行為だからな。
結局、実力と勢力間バランスが歴史を決める。
名分論って大抵政治的あるいは思想的結論ありきで組み立てられる代物だからな。
漢晋春秋著者の名分論も、皇帝自身に「漢が魏に禅譲し魏が晋に禅譲した史実を露骨に無視することに説明ないじゃん」と一蹴されているし。
後世の人間ならこの勢力が好き、嫌い基準でいくらでも妄想を吐けるが。
当時の孔明達はリアルで命がけだったんだから仕方ない。
>>202 漢晋春秋以降、北宋の司馬光は資治通鑑にして
統一王朝のみが正統を主張できるとの立場から魏呉蜀のどれをも
正統としなかったが、紀年には便宜上、魏のものを用いて
消極的ながらも魏の正統を認める。
ところが、南宋になって事情が変わると南宋が金に北方を追われた為
朱子の資治通鑑綱目により蜀の正統が主張され、それが容認されることに。
元代になると、旧南宋派の知識階級層達により、南宋の正統性と
元が南宋を受け継ぐという考えを正当化するため蜀の正統が強く主張される。
蜀漢正統論が下火で立ち消えたなんてとんでもない。
後世において、その正統論はより強くなっていきましたとさ。
>>220 だからその宋代でさえ正史になってない、といわれてるんじゃないの。
で、その正統論って呉を認めた事はどうごまか……正当化しているわけ?
二皇帝認めているの?
だから後年の創作・学問上の理由で史実を一部ぶっちしてまで出てきて、そして結局正史になれなかった理屈を延々とコピペするのは何なの?
話の本筋からいつまで脱線したままなの?
そのくせ呉皇帝容認の話になると逃げまくるし。
歴史は流れてるんだから、その都度お国柄の事情によって
不安定な時代の正統なんて幾らでも変わるだろうに。
そんな歴史の潮流にも負けず、唯一絶対の正統を持てるのは
統一王朝のみってのも散々言われ続けてなかったっけ?
なんで、その時代の価値観のみが絶対なのよ。
学問上では正統論の議論も盛んだったというのに。
漢晋春秋は荒唐無稽な内容も多く、創作の三国志演義の元ネタをいくつも提供したという娯楽としての功績はあるw
それはさておき、名分云々ぶち上げるのなら蜀漢の行動(劉備の献帝存命での即位、呉皇帝を認める)等の話は本当にどう理論的整合性つけたんだ昔の蜀ひいきは?
脱線だろうが興味はあるな。
だが実は何度も正統論をコピペしている奴でさえそこまでは知らない可能性があるかw
>>223 統一王朝のみが絶対、なんてそれこそ誰が決めたん?
現に統一王朝じゃなくても正統、その歴史は正史だと二十四史に含まれる例は三国志は無論、いわゆる南北朝の王朝等存在しているわけだが。
時代は流れている云々といっちゃったら、同じ理屈で蜀漢贔屓論が創作や思想の世界で盛り上がろうがやっぱり……と同じ理屈で駄目だししないとダブスタじゃねーか?
>>224 その当時の国家の事情が大きく左右してるんだろう。
東晋の頃は、異民族の北朝が魏と重なり、蜀に対して同調のような念を持つ。
ちなみに呉は漢の理念的継承者(蜀漢)でもなければ、実質的継承者(曹魏)でもないので
正統論の問題にもならない。
いわば勝手に皇帝を名乗ってた袁術の同類のようなもの。
なまじ力を持っていたため、「三国時代」と呼ばれごっつあんゴール。
南宋もまた、女真族の金に追われ江南に政権を樹立したため
自らの正統性を主張するためにも蜀を正統化する必要があった。
元代になっても、旧南宋派の学者達が踏ん張り蜀の正統性を主張し続ける。
以降、小説へ。かな?多分。
>>225 統一王朝のない時代だからこそ正閏論なんて起こるんじゃないの。
>>225 結局、三国並び立つでいいんじゃねーかw
零陵先賢伝だと劉備即位に批判的な雍茂を粛清して帝位についたから、漢の中興期待してた全国の連中も蜀を見放した、とあるし。
うむ。コピペ以外は他人のレスもまともに読めないのか整合性あるレス返してねぇなw
で、その正統論とやらは献帝ぶっちや呉皇帝認めをどう言いくるめようとして失敗しているんだよ。
>>229 なんか
その時代の正史VS後世の評価
での戦いが巻き起こってるな。
どっちも自分の考えを譲らず強情が過ぎる。
早く孔明の話に戻りたいよ。
後世の視点に脱線するのはいいとしても、ただ正統論がしぶとくあったんだ、というだけで先に進んでないな全然。
>>232 しょうがあるまい、これぞ三戦名物、ワガママのヤダヤダ合戦の開幕だ。
最悪スレが全てその二人の文句ぶつけ合いだけに喰われ尽くされる危険すらある。
どっちも同じような脳ミソしてるから「俺WIN!」で締めようとどこまでもウザイ。
まぁ正史が決定されたのは清代で、最終的には魏が正統だったとする立場の「三国史」が決定的になったのも後世視点なんだけどね。
蜀漢正統論ほど空論っぽくないとはいえ、結局のところ魏正統という歴代王朝の尊重した流れだって、そのほうが自分達に都合がいいからだし。
結局、実力がものをいう。
もう、ほっとくしかないんかな・・・
どこ行ったか知らんが相方帰って来たら、また荒れるぞ。この流れ。
全く流れ変えられずw
グダグダ正閏論はまだまだ続きそうだな。
だからー。後世の正統論云々なんて当時の孔明達が知るわけないじゃん。
「蜀漢が呉皇帝認めたのに正統論なんてなりたつの?」という疑問ひとつに答えられない空論なんてもういいんだよ。
>>238 お互いに一方通行の擦り付け合いだからウゼーんだよ、お前ら。
このスレからまるごと消えてくれ。
>>239 は? 後世の話云々なんて知るわけ無い、とどっちも意味ないじゃんと言ってるんだが?
他人に消えろというより、短気なお前が消えたほうがよほど簡単だぞw
むしろこれはいい例えじゃないか。
こいつらが延々と「俺が正しい!」と主張して妥協せず議論を繰り返すように
当時の魏や蜀も「俺たちが正統だ!」と主張して戦争を繰り返してたんだよ。
さて、この状態で一時でも相手を認めて同盟なんてあり得るか?←本来の問い
少なくとも上の連中は自説を引っ込めて仲良くするなんてしないと思うが。
蜀と呉は仲良くしたけどな。赤壁の頃以来の因縁で理屈においても利害においても対立していたけど、それ以上に魏がやばかったから飲み込んで同盟続けた。
>>239 当代史実絶対主義の方が重症だな。
こっちには関わらん方がいいかも。
もう、こっちから相手にするの止めようや。
>>240 自分の問いに答えて欲しいのなら自分も相手の問いに答える。
攻め受けはバランスが重要。
結局スレ違い承知で話に乗っかっておいて、不利になったとたんスレ違い!と喚き散らして追い出すいつもの流れか
蜀オタって骨の髄まで負け犬根性が染み着いてるな、情けない…
>>242 何回もそういった意見が出てると思うんだけど、
何で蜀は呉の皇帝即位を〜って質問が毎回されるんだろうね?
>>245 だな、蜀から同盟を申し込まれても弱小国家と手を組むメリットないもんな
魏からしてさ
>>247 メリットがないわけでもない
北に異民族、東に孫呉と敵には事欠かない状態
孔明の北伐が起こる以前は、どちらかといえば孫呉の方を強く警戒していたからね
しかし、漢から禅譲を受けたって名目上、漢の皇帝を僭称されたままではさすがに同盟は無理
さらに魏からしたら最低限は孫呉のように名目だけでも臣下の礼を取ってもらわんことには話にならない
皇帝を名乗ったままでは臣下の礼なんてとれない事も踏まえると帝位返上は最低条件
力関係からして同盟は有り得ない
250 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/21(木) 13:22:57.38
>>248 帝位返上ってことはそれまで皇帝だったことを認めることになるだろ。
細かいことだがそういうとこ詰めておこうぜ
>>245 蜀オタ・・・?
当代の史実オタVS後世の評価オタの争いにしか見えなかったのだが。
仮想的へ向けてのシャドー敢行、話を逸らしまくりのずらしまくりでの
退場要請だったのに何も聞いてなかったんだな・・・
253 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/21(木) 20:03:00.96
>>251 本気で言ってるなら小学校からやり直せ
煽り抜きで
>>254 三戦板でもてあますからって小学校に押し付けんなよ。迷惑だろ。
256 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/22(金) 14:13:22.96
カタカナ来なくなったな……
批判はやめよう、って言われたのに・・・
258 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/22(金) 23:42:17.59
漢江下りの作戦が採られなかった理由は夷陵のトラウマなんだろうか?
>>258 漢江って漢水?
それって襄陽を攻める?
孫呉と戦う?
どちらにせよ、川をくだるのは楽だがのぼるのは大変
諸葛亮が撤退し難い戦略をとらないんじゃない?
>>259 襄陽だよ。ショウエン時代に検討された計画だな
>>260 実行前に計画者の蒋エン自身が死んで、後任が避戦派の費イだったから計画自体が流れた。
荊州出身の蒋エンならともかく、涼州出身の姜維には船戦の経験はなかっただろうから、費イの死後にも採用されなかったんだろうね。
だって川沿いに行ったら襄陽の西に出て魏の荊州軍と金網デスマッチですよ
呉に軍勢を受け入れてもらうとしても呉領まで無事に退却できるかも分からない
それ以前にまず上庸で止められたら帰り道がないかもしれない
長安の南をすり抜けていくんだから
土台となる国力が段違いだからどうやっても無理だっただろうけどね。
もともとは、「益州に加えてケイ州を持ち、その上で呉と緊密に連携して」さらに魏内部での変事を待って北上する、というのが孔明の戦略。
そこまで好条件が並ばないと本来勝ち目はない。
>>262 長安の南をすり抜けるって、そんな近い印象なの?
>>264 多分、山脈とか考えてないんじゃないかと・・・
近いように見えて100kmとか距離あったりするからわけわからんよね
長安−漢中間と長安−上庸間では大して距離も地形も変わらん
ついでにいうと漢中からの荊州入りは夷陵の戦いと移動距離はほぼ同じ
秦嶺にはいくつか道があるから急げば魏延のいう1万なら10日
諸葛亮の本隊が20日というのと同じくらいで上傭に援軍を送れる
安陽あたりで封鎖されたらマジで退路を断たれるし漢中の守りも十分残す必要がある
実際、魏軍が複数経路で秦嶺を南下して漢中を狙った例もあるから問題ないでしょ
267 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/28(木) 19:51:15.16
魏が漢水ルートで漢中狙ったことあったっけ?
>>267 1次北伐の際、司馬イが、上庸の孟達を討ってそれきりだっけ?
3次北伐の際に大雨で中断した時のルートに漢水ルートがあったような?
真以八月発長安,従子午道南入。司馬宣王溯漢水
漢中郡のうち南鄭周辺、西の1/3ほどが蜀の領土で
残りは孟達以来ずっと魏領、たぶん安陽あたりが境界になってる
南鄭を出た蜀軍が安陽まで100kmほど進んだ時点で長安に急報が行って
かりに安陽が破られてもどこかで持ちこたえれば最短1ヶ月ほどで援軍が来る
蜀は深入りすればするほど側面や背面に長安からの援軍を受ける
もし荊州方面の呉に動きがなければ襄陽からもっと早く上庸に援軍がくる
つまり安陽を取れば長安を狙う別ルートが得られるわけか。
保持がつらいんだろうけど。
>>270 魏延の子午谷踏破作戦を蹴ったことを考えると、諸葛亮なら安康から長安は狙わないだろう。
そこから上庸・宛方面に別働隊を出して、二正面作戦に追い込むんじゃないかな。
第一次北伐では孟達を使って実際にそれを狙ったわけだし
別働隊な〜。1次でしか使ってないんじゃね?
3次の陳式、4次の魏延もある意味そうかな?
>>270 魏興・上庸の人口はたぶん武都・陰平と同じくらい
でも比較的戦禍を受けなかったようでわりと豊かな土地らしい
孟達の時に進出できたのはたぶん曹操が漢中から撤退
関羽が襄陽を圧迫してる有利な形ができてたからで
この時はシ帰から房陵・上庸の順で攻撃した
蒋エンの時代には魏の軍備が整ってるぶん東進するのが難しい
攻め口が増えるぶん攻められる経路も増えるから激戦地になりそう
これも第一次北伐で一番有効だったんだろうな
長安
━━┳━━━━┓
南鄭┃西城上庸┃襄陽
┗━━┳━┻━━━
永安┃シ帰 江陵
274 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/05/08(日) 13:20:15.22
逆に魏が安陽から漢中を狙うというのは考えなかったのだろうか?
曹操以降、魏が蜀に攻め込んだのってあんまないね
曹操も蜀には攻め込んでないよ
漢中争奪戦の時ナ。鶏肋。
曹ヒの時、5路50万で進行するって計画は演義でしたっけ?
278 :
ジャイアニズム:2011/05/08(日) 20:36:48.10
早々に黄河上流を制圧して高濃度汚染の糞と毒を流すべし
279 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/05/16(月) 00:36:46.31
>>277 漢中争奪戦は蜀侵攻には含まんだろう。
曹丕の五路侵攻作戦は演義だけど、曹叡の代に曹真が三路侵攻戦の内の一ルートとして使ってる。
曹真:漢中争奪戦での曹操侵攻ルート
張コウ:第一次北伐で魏延が進言した子午谷の逆ルート
司馬懿:宛城から水路で漢中に向かうルート(←コレ)
ただし、長雨と曹真の病のために戦闘が起きる前に撤退しているので、実質的には計画どまりとも言える。
確かに漢中を含んだら「隴を得て蜀を望む」って名言が成り立たなくなるな
どうでもいいけど、なんで諸葛亮って呉に就職しなかったのかね
そんなに働くの嫌だったの?
どうでもいいね
魏と同盟するとはどういう意味なのだ?
曹操にとっては仇敵であるのだが
それを孔明がとりなせなかったってこと?
意味がわからん
284 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/10/21(金) 00:58:14.20
同盟というかむしろ降伏しなかった孔明は愚者だな
劉備が死んで降伏のお誘いがあったのに、断った孔明
降伏してれば明帝ぐらいで中国は再統一されて、その後の暗黒の時代も大分違ったものになったかも
まあそれは確かにそうだろうけど、イデオロギーの問題って、多数決で割り切れるものではないから
結局さ、定義は漢王室のため・・・だろ。
晋が出来た時点で血筋なんてもうどうでも良いわけになるしな。
自分の国が独立を保全してくれれば、冊封関係もありかも
当時の王室の威光・復興が主題って何か意味ないよなぁ
288 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/10/21(金) 07:06:42.49
どうでもいいね
973 名前:暁 ◆BLq9lYhEOg :2011/10/21(金) 15:14:02.68
日本語で会話しませう
974 名前:無名武将@お腹せっぷく :2011/10/21(金) 15:18:48.08
だったらネタ振れ
975 名前:暁 ◆BLq9lYhEOg :2011/10/21(金) 15:20:16.32
じゃあアレですわ
この板について分かりやすくおせーて
976 名前:無名武将@お腹せっぷく :2011/10/21(金) 15:23:38.69
作業の合間に三戦を覗く半暇人が答えちゃる
三戦板=蛆虫の巣窟
977 名前:暁 ◆BLq9lYhEOg :2011/10/21(金) 15:25:11.17
わしにぴったりな板やないか
で、蛆虫はどこらへんのスレにおるんや
978 名前:無名武将@お腹せっぷく :2011/10/21(金) 15:29:29.75
こ の ス レ に お る ! ! ! !
979 名前:無名武将@お腹せっぷく :2011/10/21(金) 15:30:20.59
君と予だッ!!!
売国奴で敗将で歴史の敗者の諸葛亮は、魏にはいらん
魏にはというか中国には自分より賢いやつなどいない以上
もう戦うしかないでしょ
魏と同盟組んでどうするってんだ
仮に魏と同盟組んでも呉が滅べば同盟なんてそっちのけで蜀は戦争か降伏かを迫られるだろうし
呉蜀が同盟して魏を削っていくのが1番現実的な延命の手段のように感じるけど
293 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/04/13(金) 00:50:38.79
そもそも魏と同盟結んだ時点で蜀漢の存在意義(漢室復興・打倒魏王朝)を根底から否定することになるんだが
呉は基本的に自治さえ出来てればそれでいい、あわよくば領土拡大をみたいな国だから魏との同盟もありだけど、
大義名分掲げて建国した蜀漢では選択肢にすらあがらねえよ
294 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/04/13(金) 00:56:35.23
如此,蜀漢戰前敗績。
寧ろ孔明は呉と同盟したかったんだろうけど、劉備が火病起こしちゃったから
296 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/06/11(月) 23:25:50.38
呉に取られた荊州をそのままにはできないだろ
297 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/06/12(火) 01:25:42.52
確かに
298 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/06/12(火) 01:45:56.50
ただ潰しあっただけで司馬懿が高笑いしてただけなのに
>>293 皇帝即位後の呉も魏との同盟は不可能だね
>>299 呉と蜀は同盟を結びましたが。
まあ魏の方が相手にしてくれないだろうけど。
その時は孫権が「弱い蜀なら例え皇帝名乗っても認める」ということを見切ってる
曹丕とか孫権にとっては、漢王室なんてもう威光も感じない年少者だな
そんなわけないだろ
ちゃんと歴史見ろよ
「漢」の正統性なしに魏も呉も正統性を主張できないんだよ
威光を感じないどころか威光しかないから武力で自分のために利用するんだぞ
禅譲を受けたまでの形式だけだろう。
威光を感じてたら自らならないが、気にするほどもない世代だ。
董卓・袁術みたいに自称とは違う。
曹操の世代とは違って傀儡にすらしない
>>304 董卓は皇帝になってない
袁術は置いといて曹操の世代では傀儡にしないと皇帝になる名目がなかった
禅譲を受けるというのが「漢の皇帝」が最も正しい皇帝であり
その皇帝から天命を譲り受けるから最も正しい皇帝、というのが魏の主張
その皇帝が死んだので同じ劉氏が社稷を受け継ぐから最も正しい皇帝、というのが蜀の主張
その皇帝から天命を譲り受けたはずなのに正しい政治が出来ない魏を討伐し
正しく天命を漢から受ける最も正しい皇帝、というのが呉
三国ともにまず大前提が「漢の皇帝」が最も正統性のある皇帝であり
それに対する姿勢でもってそれぞれの国がそれぞれの正統性を主張しているわけ
漢の威光無しには蜀漢のみならず魏呉も正当性を主張できないんだよ
306 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/06/13(水) 17:17:06.87
魏と蜀はまだ漢を意識しているのはわかるんだけど、呉もそうなの?
禅譲でも無いし、劉氏でも無いし、関連が薄いよな
307 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/06/13(水) 17:20:07.87
孫家は漢に仕えてたんじゃ?
>>306 呉もそうなの
禅譲でもないし劉氏でもないし関連も薄いけど
それでも漢の威光を背後に背負わないと皇帝になれない時代
>>308 >その皇帝から天命を譲り受けたはずなのに正しい政治が出来ない魏を討伐し
>正しく天命を漢から受ける最も正しい皇帝、というのが呉
とはいえ、これって威光うんぬんよりも易姓革命に近くないか?
魏に仕える臣下でありながら、上がダメだから俺がとって変わってやるだよね・・・?
建前ばっかりうるせぇ
今みたいに通信技術がしっかりしてるわけじゃないから
建前を通さない人に遠距離からは従う理由がない
大義名分?
北チョンみたいだなw
314 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/06/29(金) 13:41:13.48
10万貰ってるんでしょ?とか聞かれても、
このスレの人みんながあなたみたいに業界関係者なわけじゃない。
テレビ大阪なり雑誌なり早く告発しちゃえば?
ここでグチっていても事態は何にも進まないよ。
告発する気が無ければ運が悪かったと思って諦めるしかない。
誤爆だよな・・
グシャッ
318 :
あう使い:2013/05/06(月) 15:40:19.00
孔明と呼ばずに、諸葛亮と呼ぶべき。
319 :
あう使い:2013/05/08(水) 08:11:11.71
諸葛亮を「諸葛亮」と表記するか「孔明」と表記するかでその書物の価値が分かる
320 :
あう使い:
孔明じゃなくて諸葛亮と表記しよう!