1 :
カタカナ ◆y7BARHLwz6 :
三国時代の武将たちはどういう武器でどういう方法で戦争してたかを
考察するスレです。
一騎打ちというのは無かったと思うんですが。どれくらいの人数で戦ったのかとか。
集団戦術などの規律はあったのか?とか騎兵隊などはあったのかなどを語りましょう。
マニアックな話題なのでなるべきわかりやすくおねがいしたいです。
三国無双とかマンガとかの影響でまるで日本の戦国時代と似たような感じに受け止められてますが
時代も全然ちがうし、風土も違うのでまったく別な感じだとは思うんですが。
か2
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/17(金) 22:45:33
オマンコセッ!オマンコセッ!
チャチャドゥチャー!チャチャドゥチャー!チャチャチャドゥーチャチャチャ!
チャチャドゥチャー!チャチャドゥチャー!チャチャチャドゥーチャ!
ゲイゲイ!シーズゥーンデイグナイテッド!
フォスィノーキルェウィナット!ヨロヌィー!デッス!
ゲイゲイ!キル!ノー!オー!ノー!ツルァウィコッツ!
ミーンナット!ソールドアウト!ヘイトナゲット!チャットエイン!
ダッド!イーズィーナットコットン!コットンバッドジャン!ツイートアワランナウェイ!
ハッシュリードダスト!ノーヨット!
ハントダッドニート!ホラー!ツイートメナスタイトカーズ!イエー!
ソーシット!アランウド!アズキットシット!メイクテイク!
オマンコセッ!オマンコセッ!
ウィーマストグッド!ゲイゲイ!
ココロマン!オールクラクション!
アワーズニードインディア!ロックユー!
アリガトー!アリガトー!
クォート!ノー!シーユー!ウン!キャン!ゲイゲイ!
ココロマン!オールクラクション!
マッド!スーングッド!ニードアンドアザー!
4 :
カタカナ ◆y7BARHLwz6 :2010/09/17(金) 22:57:59
お、たてれたか。
正史とかだと戦争方法はほとんどかかれてないけど。
攻城兵器とかはあったみたいだし。あと水軍もある。
専門職になるから訓練された兵士がやってたんだろうけど。あの時代って
農民を徴兵してたと思うから、農民を訓練して陣形とか教えてたんだろうか?
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/18(土) 01:14:29
てs
徴兵した農民は農繁期には畑にかえるのかね?
精緻な技巧を凝らした剣や槍は無かったんだよな
すげー夢無くなる……(´・ω・`)
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/18(土) 02:44:29
当時はシンプルな銅剣や槍が主流なのかな?
鉄などは位のある武将が持って、一般兵は銅ってことかな?
9 :
カタカナ ◆y7BARHLwz6 :2010/09/18(土) 08:23:38
>>6 中国の広さからすると一年ぐらいは戦争から帰ってこれなそうだけど。
矛とか槍とかあったみたいだけど。ああいういろんな種類があるって事は
持ち手の自由があったって事なんだろうな。やっぱ結局はバラバラで戦ってのかね。
けど孫子の兵法とかはあるから、どうなんかな。
後、俺が知ってるのでいえば当時は馬の鐙がなくてじか乗りだったらしいね。
馬にのっての一騎打ちなんてのは出来なかったんだろうな。
10 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/18(土) 09:53:02
11 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/18(土) 11:18:16
>>4 魏の兵戸制や呉の世兵制があったり、蜀では青羌を強制的に軍へ組み込んだりと
どこの国でも農民を徴発しないようにして、もしくは徴発しても農民を根こそぎ動員しないように気を使ってた
専門職化が進んでいたために軍規模を縮小し精兵を準備する傾向があったことは
アジア史の大家である故・宮崎市定先生が指摘されているところだな
>>7 そういうのは金属加工技術を見る限りでは存在してる可能性が高い
仮にあったとしてもあくまでも儀礼用の武器だとは思うがね
無いのは蛇矛だの青竜偃月刀だのであって、あれらは細かい細工技術云々じゃなくて
宋代以降にコークスの一般化によって夜勤技術が向上し重量を支える金属強度が飛躍的に増したお陰
>>9 どこで仕入れた知識かは知らんが、鐙なんざ無くても騎兵の殴り合いは存在してる可能性は特大
始皇帝の兵馬俑、劉邦の兵馬俑からともに騎射装備の軽騎兵と突撃装備の重騎兵が見つかっており
鐙はないものの馬に乗ったまま戦う兵士の存在はほぼ確定していると言って間違いない
ただ鐙無しで馬に乗れる人間で且つ馬上で武器を振り回せるような連中はそれ程数がいない
それは歩兵に対して騎兵は大体1/10〜1/5くらいしか配備されてない事から考えても外れちゃいないだろう
だから騎兵ってのは当時、ある種の特殊技能だったと考えてよさげ
また史書では既に漢代から普通に騎兵で突撃をしていることが戦場の描写として存在するし
三国志でお馴染の呂布も騎兵突撃を繰り返している旨が正史に記載されてる
馬に乗っての一騎打ちは「騎乗技術」の側面からは存在を否定できない
否定できるのは当時の戦争文化が既にそのような一騎打ちを善しとしていなかった可能性の面から語るほうがよろしかろう
12 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/18(土) 11:55:21
職化が進んでいたために軍規模を縮小し精兵を準備する傾向があったことは
アジア史の大家である故・宮崎市定先生が指摘されているところだな
>>7 そういうのは金属加工技術を見る限りでは存在してる可能性が高い
仮にあったとしてもあくまでも儀礼用の武器だとは思うがね
無いのは蛇矛だの青竜偃月刀だのであって、あれらは細かい細工技術云々じゃなくて
宋代以降にコークスの一般化によって夜勤技術が向上し重量を支える金属強度が飛躍的に増したお陰
>>9 どこで仕入れた知識かは知らんが、鐙なんざ無くても騎兵の殴り合いは存在してる可能性は特大
始皇帝の兵馬俑、劉邦の兵馬俑からともに騎射装備の軽騎兵と突撃装備の重騎兵が見つかっており
鐙はないものの馬に乗ったまま戦う兵士の存在はほぼ確定していると言って間違いない
ただ鐙無しで馬に乗れる人間で且つ馬上で武器を振り回せるような連中はそれ程数がいない
それは
このスレは伸びない
このスレタイにしてこの
>>1・・・ありえん! ありえんが、ありえんが故に三戦板のスレか・・・
三国時代は槍はあったのかな?
柄にソケット式の刃部分を付ける「矛」や「戈」「戟」しかなかったみたいに誰か言ってたが
16 :
カタカナ ◆y7BARHLwz6 :2010/09/18(土) 15:20:55
へえ。なるほどね。
その騎兵ってのは将軍が乗るだけじゃなくて、一般兵ものって騎兵だけの部隊もあったのかな?
あったとしたらすごい進んでる感じするけど。
今、司馬遼太郎の「坂の上の雲」にほんには例外を除いて騎兵隊みたいのが明治までなかった。
みたいな事書かれてるんだよな。要因として日本には体格のいい馬がいなかったみたいのがあるんだけど。
中国は馬の質がよかったのかね。けどそれだとしたらもう少し早く日本に良い馬とかが
持ち込まれても良いと思うんだが。
騎兵だけの軍団の存在を知ってたんだから、騎兵だけの部隊があっても
おかしくないし進んでとも限らないね。
日本に騎兵がなかったのは馬の質じゃなくて予算だろう。
農耕民地域で騎兵を作るには、馬を軍が用意しないといけない。馬を用
意できる豊かな領主は、回りに徒歩の小間使いが必要だから。
>>16 三国志だってのに白馬義従を忘れるとか酷すぎる
平原の少ない日本では(ry
20 :
カタカナ ◆y7BARHLwz6 :2010/09/18(土) 19:15:06
弩だっけ。弓とどっちが性能いいんだろう。
弩はなんか接着剤つかわなきゃいけないから高温多湿の日本では使い物にならず
日本では発展しなかった。ってのは聞いた事あるな。
中国ではどういう用途わけで弩と弓つかってたんだろ。
21 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/18(土) 19:27:51
職化が進んでいたために軍規模を縮小し精兵を準備する傾向があったことは
アジア史の大家である故・宮崎市定先生が指摘されているところだな
>>7 そういうのは金属加工技術を見る限りでは存在してる可能性が高い
仮にあったとしてもあくまでも儀礼用の武器だとは思うがね
無いのは蛇矛だの青竜偃月刀だのであって、あれらは細かい細工技術云々じゃなくて
宋代以降にコークスの一般化によって夜勤技術が向上し重量を支える金属強度が飛躍的に増したお陰
>>9 どこで仕入れた知識かは知らんが、鐙なんざ無くても騎兵の殴り合いは存在してる可能性は特大
始皇帝の兵馬俑、劉邦の兵馬俑からともに騎射装備の軽騎兵と突撃装備の重騎兵が見つかっており
鐙はないものの馬に乗ったまま戦う兵士の存在はほぼ確定していると言って間違いない
ただ鐙無しで馬に乗れる人間で且つ馬上で武器を振り回せるような連中はそれ程数がいない
それは
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/18(土) 20:08:35
>>544 257年の北伐はキョウイは敗れてないと思うが。それは置いておいて。
つまり逆に言うと北伐が出来たからって国力が回復してたかは分からないってことだよね。
出師の表でも益州疲弊せりだかって書いてるし。
24 :
カタカナ ◆y7BARHLwz6 :2010/09/19(日) 13:23:26
あげ
25 :
カタカナ ◆y7BARHLwz6 :2010/09/19(日) 14:01:40
もう一つなんか聞いた話だと。昔の中国って町ごとに塀建ててるらしいね。
これって防衛とかのためもあるけど町の人を逃がさないためもあるとか。
候いう事だからあんま人が増えなかったのかね。
>>1がいい加減な聞きかじりの知識を〜らしいね〜かね?って形式じゃ人増えねぇっての
27 :
カタカナ ◆y7BARHLwz6 :2010/09/19(日) 16:56:05
じゃあ今から10年ぐらい前に買った三国志武将画伝とかいうちょっと怪しい本情報だが、
ていうか今みたら三国志演技基準で、ほとんど宋時代の武器っぽいな。
「雲梯」「衝車」「発石車」なんてのは本当に使われたんだろうか。
薙刀は宋代の武器でだからセイリュウ円月刀は無いって事か・
雲梯や衝車は正史に使用されたと書かれてるんだから使用されたと見るほかあるまい
特に雲梯は墨子の時代に考案されたという逸話があるしかなり歴史が古い
>>20 弩…速射できるが装填に時間が掛かる。
弓…連射可能
って感じかな?
一気に決められないなら弩よりは弓の方が無難なんだと思う。
威力や命中率はどうなんだろうか……?
31 :
カタカナ ◆y7BARHLwz6 :2010/09/19(日) 22:05:25
あれそうなんだ。てっきり弩って飛距離がのびないのかと思ってた。
装填に時間かかるのか。素人でも使いやすい武器なのかと思ってたわ。
三国時代で代表的な攻城戦と言えば
易京城の戦いと官渡の戦いだと勝手に思ってるが
功城の記述において解釈が難しいものが多いよね
みんなはどういう風に解釈してる?
>>31 素人でも使いやすいよ。弓は力を込めながら狙わなきゃいけないが、弩は力を
込めて装填した後、銃みたいに楽に持って狙いをつける。
弩とひと口に言っても、弦を手で引く臂張、脚力で引く蹶張といろいろあるからな
前漢初期の宰相・申屠嘉なんかは蹶張の士から累進した人物として有名だし
弩は技術はさほど必要としないが弓よりはコスト高で速射性や機動性に欠けるし、
弓と比較しても一長一短って感じかね
>>32 攻城戦なら、審配の篭ったギョウの戦いや、歩闡の叛乱の際の江陵と西陵も
検証の材料になるだろう
弩についてはWikipediaに詳しい記載が。
>>34 製造のための工業力が必要ってことを忘れない方がいいな
当時の弓よりは飛距離があって貫通力も高かったから防衛戦においてかなり強かったらしく
漢の王の一人が趣味で集めてた弩数百挺で数千の異民族を撃退したなんて話も残ってる
機を作るのはやっぱり高度な技術が必要だよな。
強い張力に耐えながら精密に動く必要がある。
弩はセットするのに手間がかかるらしいね
射程は長く、鎧でも貫く威力があるらしいが
野戦には向かなそうだな
弩は野戦用の兵器だったものが防衛・攻城戦用に巨大化してくわけで
向かないわけがない
向かないと言っても間違いではないだろう。特性が野戦で不利なのは事実。
>>38に加えて重いし。
間違いだぞ
野戦で敵の突破を防ぐ時、馬防柵や堀、土嚢などでバリゲート作って置いて弩で敵を射るってのが基本だし
攻めて行く時に使い難いってだけで野戦でも威力を発揮する武器
界橋の戦いも野戦だしね
三国志で弩が活躍した一番重要な戦い
43 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/23(木) 11:11:21
バリゲート
44 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/23(木) 17:48:25
船での戦いって詳しくは知らないが
船体をぶつける(蒙衝系と火船系)、接舷して乗り込む(強襲)、
遠距離から攻撃する(矢や火矢や投石)の三つが主体になると思う。
で、陸戦に比べて水戦は足が遅いから、矢とか弩とかの飛び道具は水軍のほうが重要度が高いと思う。
まあ、風の強い日は矢なんて意味ないと思うけど。
45 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/23(木) 18:26:18
弩は3段射ちみたいな方法で
連射できそうなんだけど。
そういう記録あるのかな?
前列がしゃがんで射ったみたいな記述がどこかであったようななかったような…
>>45 連弩ってしろものがあるじゃないか。
Wikiソースだけど諸葛亮の発明した元戎(げんじゅう)とかあるし
元戎を見た馬鈞は「まあ良くできてるが、五倍の性能に改造できる」とかいってるくらいだから
三国時代にも連弩があったと思う。
連弩はいちおう戦国時代から存在していたようではある
尤も諸葛亮が運用した連弩にしろ射程距離は通常の弩よりも随分と短い様だが
馬先生の連弩は最強なり
馬先生の魔改造投石機(連射可)も実現してほしかった。おのれ裴秀!
さておき、孫子の曹操注に三国時代の軍事運用について書いてあるって某サイトで見つけたので貼る。
軽戦車とは、馬4頭で引き、軽戦車1000台で1部隊だ。
重戦車は装甲があり、1台で騎馬1万に等しい防御力がある。
現在では、戦車1000台に、歩兵30000がつく。
戦車1台に、騎馬が10つく。
重戦車1台に、炊事係2人、衣装などの世話係1人、馬番2人。
つまり戦車1台に、非戦闘員5人と、歩兵10人がつく。
軍鼓や階閣を載せた巨大な戦車は、ウシに引かせる。 ウシを使うなら、馬番が不要だから、非戦闘員は3人でいい。
とあり、三国時代でも戦車が主要なものとわかる。これ読むまでてっきり歩兵と騎馬だけだと思ってた。
51 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/24(金) 01:25:13
三国時代とかの戦車ってどんなのか分かりづらいけど
たぶん日本の人力車を戦争用にしたような感じだよね。それほど有効そうには思えないんだよな。
52 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/24(金) 01:34:30
>>51 別に戦車の必要はないが
競馬場で競争馬が一団となって走ってくるコース上に自分が居ることを想像してみると良い
十分怖いです
>>50 面白いな
前から思ってたんだけど馬番みたいな従者は兵数にカウントされてるんだろうか?
カウントされてないって場合は軍隊の専門的な兵種というより私的な従者な何だろうか
将含めた騎馬隊の戦法って、得物を構えて突撃だよね?
横山三国志とか時代劇みたいに、馬上で斬り合いなんてバランス悪くて無理だよね?
曹操注によれば、非戦闘員は兵数に入っていないっぽい。
日本の戦国時代だと馬番などは大抵はその武将の臣下(従者)ってわかるけど、
三国の時代だとどうなんだろ?
>>54 鐙のない時代は、馬の腹を両足を締めてただけだから、下手な動きしたら即落馬だよなー
貴重な馬を与えられるんだから騎馬兵はエリートだろうけど、一般兵に馬上の斬り合いを求めるのは無茶だろう
というか、騎馬は斬り合う暇があったら、突撃するなりして一人でも轢き殺したほうが有益だな。
>>54 当時の騎馬兵の一番の役目は
敵の歩兵の集団に突っ込んで行って
自分の後ろから追走してくる歩兵の突入口を広げるのが目的だって話を聞いた
騎馬同士の戦いもあったかもしれんが
相手を落馬させたら後は歩兵に任せて
とにかく騎乗して走り回ってた方が本来の役目のような気がする
例えば一騎打ちの記述では、馬超や呂布なんかは馬から降りての斬り合いまたは取っ組み合いだと思う。
関羽は突撃かな?
兵の中でも兵隊長から将軍までいるわけだけど、前線に出て行って自ら戦うのはどこまでのポジションなんだろう。
中郎将の呂布は自ら前線に立ったようだし、軍閥の長である馬超もそうだよね。
大将軍になった姜維が、まさか最前線で暴れ回ったとは考え難かったり。
>>54 馬上で斬り合うのと獲物を構えての突撃、どっちが難しいと思ってるんだ?
突撃の方が難しいわけだが…
>>59 そうか?馬上で獲物を片手で振り回したりしたら重心崩れまくりだぞ。それにあんまり力も入らなそうだし。
綱を放せば両手使えるが、そうすると足の締めだけでこれも落馬しそうだ。
たいして槍を構えての突撃は、脇と手の二点で固定できるし、
槍の後端に輪があってそれを肩にかけて保持率を高めた槍もある。
だいたい、馬のいいところは突破力と速度なのに斬り合いなんてしてたら
せっかくの持ち味生かしてないんじゃない?
まあ、敵陣を突破できず乱戦になったら、斬り合いになるだろうけど。
61 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/24(金) 21:08:01
足のふんばりが利かないって事は馬の上で弓矢いることも無理か。
那須与一的なのもなかったってことかな。
カコウエンが弓の名人らしいけど遠くから射ってただけかな。
いや、騎射は匈奴から取り入れて戦国時代に使っていた国があった。趙だっけか。
三国でも董卓とか、曹丕なんかが騎射の逸話がある。
ただ騎射部隊があったかどうかわからん。
ヒットアンドアウェイでチクチクできて戦術上非常に有効だろうけどしっかりやるには結構技量がいるかも。
63 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/24(金) 21:21:55
そうか?馬上で獲物を片手で振り回したりしたら重心崩れまくりだぞ。それにあんまり力も入らなそうだし。
綱を放せば両手使えるが、そうすると足の締めだけでこれも落馬しそうだ。
たいして槍を構えての突撃は、脇と手の二点で固定できるし、
槍の後端に輪があってそれを肩にかけて保持率を高めた槍もある。
だいたい、馬のいいところは突破力と速度なのに斬り合いなんてしてたら
せっかくの持ち味生かしてないんじゃない?
まあ、敵陣を突破できず乱戦になったら、斬り合いになるだろうけど。
64 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/24(金) 21:43:48
馬の足の奴がないって事は相当技術がいるんだろうから、将でもない奴が
乗るとしたら結構な訓練が必要だよな。
兵隊とかって戦争がないときは訓練してたんだろうか。常備兵として雇ってたんだろうけど
年収いくらぐらいだったんだろうな。馬に乗れるやつは今で言う戦車の免許持ってる奴扱い
って感じか。
65 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/24(金) 22:18:48
こうしてみると中国は本当に進んでたんだな。
日本の源平の頃より進んでるかな?
遣唐使とかで中国の戦争方式とか輸入されなかったんかね。
一騎打ち、馬術、武器…こういうのを一つ一つ検証しないと、戦争様式も見えてこないよね。
>>63 当時そういう突撃用の槍はない
当時の馬上装備は戟でこれは馬上でぶん回したりして使う武器
騎兵突撃というのは基本的に戟を振り回しながらの突撃だよ
一応刺すための武器として矛が存在しているが、
矛は戦車や歩兵が使うもんだし騎兵突撃用の武器じゃない
西洋のチャージみたいな突撃は鐙前提の技術だぞ
>>67 あ、そうなんだ。適当なこと書いてすまん。
じゃ、騎馬の役割は敵兵の殺傷じゃなくて陣形の撹乱が主目的なのかな。
となると異民族はともかく、漢人の騎馬部隊はおまけ的なもので主体は歩兵ってことか。
イメージかわるなぁ
>>68 戟は駆けながら敵の身体のどこかに引っ掛けるだけで殺傷できるから、そう
卑下したもんでもないと思う。槍に体重のせてぶつかる突撃のイメージと違
って腕で振り回すだけだから、攻撃の反動も受けにくい。
70 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/25(土) 16:54:18
武器の用途以前にさ。
現場ではどのように戦ってたんだろうな。
とりあえず500人対500人で平地でぶつかる場合さ。
大将はドレくらいの指示が出せるんだろう?
基本一対一で全員戦うのかね。
>>65 騎兵隊は存在を知ってれば作れるってもんじゃなかったんだよ。
72 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/25(土) 17:05:17
当時そういう突撃用の槍はない
当時の馬上装備は戟でこれは馬上でぶん回したりして使う武器
騎兵突撃というのは基本的に戟を振り回しながらの突撃だよ
一応刺すための武器として矛が存在しているが、
矛は戦車や歩兵が使うもんだし騎兵突撃用の武器じゃない
西洋のチャージみたいな突撃は鐙前提の技術だぞ
>>67 西洋のチャージは古代ギリシャあたりからあるっぽい
74 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/25(土) 18:09:34
72 名前:クマッタ@新党党首 ◆6heAgF.FgWp2 :2010/09/25(土) 17:59:03
俺様は三戦の覇王…
73 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/09/25(土) 18:03:11
腐れクマッタ蛆虫
74 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/09/25(土) 18:04:36
いやよー
元老作ったら俺様を終身名誉党首にって
話が出たのでぶっちゃけそこんとこどうなったの?って話
75 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/09/25(土) 18:08:38
>>74 名無しで潜伏してたんで名前欄が空白なんですね
75 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/25(土) 18:10:23
76 名前:クマッタ@新党党首 ◆6heAgF.FgWp2 :2010/09/25(土) 18:09:00
なんか釣れるメンツが決まってきたな^^
>>70 『左伝』によると戦車一台に軽歩兵72人、重歩兵3人が従うので76人で一部隊とするらしい。
となると、だいたい歩兵が6部隊で456人(戦車含む)で残り45ぐらいが騎兵でいいか。
で、戦い方だけど『春秋左氏伝』には、戦車を前に押し立てて、その後に歩兵が従うとある。
ここからは完全に想像だけど、歩兵の五部隊は戦車に従って正面からぶつかり、
騎兵と歩兵一部隊が側面から撹乱して敵陣を崩すってのが基本になるのかな。
命令の伝達は、陣太鼓とか伝令兵を確実にして、歩兵の先頭の戦車がしっかり導けば統制のとれた軍になるだろう。きっと
77 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/25(土) 20:06:26
そんな戦い方が書かれるぐらいだから戦車が主力だったのかね。
マンガとかだとあんまり戦車でてこないけど。
戦車かあ。なんかあまりカッコウイイ戦いにはならなそうだな、
戦車押していって戦車を盾にして後ろから投石とかじゃないかな。
>>77 あのさ、胡服騎射って知ってる?
知ってるならいいんだけど知らないで言ってるように見えるので
もし知らないなら高校の歴史の教科書か資料集でも読むことをおすすめする
>>76 >戦い方だけど『春秋左氏伝』には、戦車を前に押し立てて、
>その後に歩兵が従うとある。
それって春秋初期の繻葛の戦いに鄭軍が用いた魚麗の陣じゃない?
戦車は基本的に歩兵を前面と側面に配して戦うもんだと思うんだが
つうか戦車は戦国時代には既に主戦力からは外れつつあるし、後漢末には
白馬の戦いでの顔良なんかそうだったみたいだし、戦車は指揮官クラスのみが
座乗する指揮車に過ぎなくなってると思ったんだが、
>>50のサイトってのが
仮に「通典」なんかをもとにしたものなら、周代の軍制じゃないのかね…
戦車の戦い方は『李衛公問対』で紹介された左伝の話から拾ってきたが
「魚麗の陣」のことが言及されてるってことは特殊な例だから紹介されてた訳か。
戦車1台で騎馬1万に等しい防御力があるらしいから、歩兵の先駆けが任務と思ってた。
81 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/26(日) 00:16:06
そもそも騎兵ってなにがすごいんだろう?
馬ってすごい繊細な動物って聞くけどな。大きい音でびっくりしてしまうとか。
競馬の馬だってこけたら骨折、馬刺しにされてしまうらしいし。
83 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/26(日) 12:46:35
三国時代の戦車とかって残ってないのかな。
一台ぐらい残ってそうだけど。
84 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/26(日) 13:24:50
【階級闘争】三戦革命万歳!万国のコテリタリアアートよ立ち上がれ!!!【無産階級】
★★★ 三戦ゼロセンチ主義共和国連邦の基礎情報 ★★★
主な領土 自治民主党スレット
国家の象徴/精神的指導者 ウラジミール・ゼロセンチ
国家元首/党中央/政府首班/首相 佐倉広夢大先生
政治思想 ゼロセンチ絶対平等主義
体制 民主集中制/コテリタリアアート独裁
主要兵器 T-34/85、極左のオルガン
スローガン 万国の無産名無し階級よ団結せよ!!!
ファシズム、ナチズムはお友達(所詮こいつらは共産の劣化コピーだ)
打倒自治新党帝国主義/ガノタ絶滅を実現しよう!
佐倉広夢同志はゼロセンチ同志の正当なる後継者である
社会主義を信仰せよ、崇拝せよ。
下部組織 自治民主ナチ党および国家社会主義三戦板労働者党
下部組織代表(自治民主ナチ党) Panzerkampfwagen IV
下部組織代表(国家社会主義三戦板労働者党) ロコ暁
85 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/26(日) 13:25:54
可奈
86 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/26(日) 13:50:23
まめ、まめ肝:脾臓
白レバー:フォアグラのように肥大化した肝臓
>>81 競走専用の馬と戦争用の馬を一緒にしちゃいかん。
大きい音に慣れるように、重いもの(鎧来た人)を乗せて動けるように訓練する。
88 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/26(日) 23:19:45
船とかはどうだったんだろう?それこそ三国志だと赤壁とかあるけど。
レッドクリフのようなでかくてしっかりした船があんな何隻もあったのかね。
89 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/27(月) 18:24:43
この時代の武器すぐ錆びそう
切りつけたり突き刺したりするためじゃなくて撲殺みたいな感じだったんだろうか
90 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/27(月) 18:50:40
>>88 頼む、頼むからここで質問する前にぐぐったり本読んだりしてくれ
これじゃあ考察スレじゃなくてお前の質問スレだ
質問スレは他にあるから、そっちでやってくれ
いうまでもないこと
95 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/29(水) 22:18:55
>>92 本ってさ、なんかオススメある?三国時代の生活とか
軍隊の行動なんかが分かる本なんて出てるのかな?
>>95 今までどんな本を読んだか言ってごらん。教えても「それはもう読んだ」だっ
たら無駄になるからさ。小説以外でね。
97 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/30(木) 00:53:29
>>96 ていうかそんなに三国時代の本なんかでてる?
俺は図説諸葛孔明とかいう本は読んで、三国志正史を数冊読んでるけど。
三国時代を考察、検証してる本なんて本屋で見かけないよ。
三国志演義の人物伝みたいな本ならあるけど。
正史すら半端に斜め読みの人間だものな
>>97 地元の平屋書店が基準かよ。お粗末過ぎるぞ。ちょっと遠くても大型書店っ
てのに行ってみろ。
100 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/30(木) 14:06:33
図書館すら利用しないで歴史を勉強してるつもりか、信じられん人種だ
101 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/10/01(金) 22:39:09
やっぱ三国時代は資料が少ないねえ、結構有名な時代なのに
普通の本屋に資料本がないのがね。太平洋戦争とかの時代ですら
兵器解説の本とか出てるのに。
この資料の少なさのせいで議論スレとか立てても途中で止まるんだよな。
知識ある人が特権階級になってしまうからなあ。
>>101 ちょっと大きな書店とか行けよマジで
あと最近はネット通販でいくらでもその手の本買えるから自分で調べて買え
103 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/10/02(土) 10:38:08
>>101 普通の本屋はすぐ売れる新刊を売る店なんだよ。あなたは本屋をわかってないだけ。
自分の探す努力が0に近いのを本屋のせいにするな。
というか三国時代と太平洋戦争時代の資料の多寡なんて中学生でも
分かる事を比較して嘆くとか、はっきりいって正気を疑う
>>104 「太平洋戦争とかの時代ですら」なんて言ってるからな。
「特権階級(?)」同士でずっと応酬してるスレはいくつかあるけどお前は参加できないだけだろ。
お前の立てたスレが止まるのは、客は珍獣を見に来てるのにお前が芸をしないから飽きられるだけ。
知識層には現代日本には誰でもなれるのになろうとしない奴が悪い
108 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/10/05(火) 14:23:38
特権階級て、本探すだけならホームレスでもできるぞ(汚すぎなければ)。
お前が勝手に「本を自力で探さない」最下層を選んでるだけだろ。
>>70 500人同士なら、大将を先頭に正面からぶつかるんじゃないかな。
ゲームだと全滅するまで戦うけど、基本は士気崩壊して逃げ出したらそこで勝負が決まるからね。
500人同士なので勝った方の死者5人、負けた方の死者30人とか、そんなレベルかな。
兵士らもお互い死にたくないので無理はしないし深追いもしない。
大将首ならともかく、同じ雑兵を殺したところで手柄にならないし、
生きて帰ればそれだけで報酬が貰えるんだから。
>>81 サラブレッドは野生では生きられない程に繊細で脆い、近親に継ぐ近親で造られた家畜。
当時のは北や西の草原を集団で疾走する野生馬たちで、
非常に頑丈で集団性も忍耐力も持久力もパワーもある。
>>88 錆びた剣では葉っぱすら切るのも至難だが、人間を切るのは至って簡単。
要は薄い鉄板か細い棒なら人間は殺せる。
傘で刺されて殺される事件や割り箸が刺さって死ぬ事故があるぐらいにね。
蜀末期の姜維なんかは、元戎を中心に奇襲戦法で活躍してたね。
段谷で大敗してからは、守り主体の戦法に変えたみたいだが・・・・・
奇襲戦法かどうか、元戎中心かどうかなんてわからないんだが
何を根拠にそんな話になってんだ?
>>111 魏氏春秋によると、姜維が待ち伏せで元戎を使っている。
諸葛亮が連弩部隊を数千規模で編成し、元戎を開発して実際に運用している点からも
蜀軍は火力主体の戦法だったんじゃないかね。
君の言い様では戦国時代の孫ピンが奇襲でホウ涓を射殺してるところから
「孫ピンは弩部隊を中心とした奇襲戦法で活躍していた!」なんて話になってしまう
姜維の戦法が何か、なんてのはよくわからんから推測するしかないし
部隊構成がどんなもんか、というのもよくわからんから推測するしかない
一回の戦例にそういうものがあったとしても常時そうであるかという根拠にはならないのではないかな
誰の伝のどこの注釈で姜維が奇襲に元戎を用いてたって記事があるのかちょっとよくわからなかったし…
諸葛亮が元戎を開発したから蜀に配備されてるのはわかるんだが
普通元戎は防御に使うもので、待ち伏せの状況にも有効だからうまく使って
それが記録に残った、ってことじゃないかね。
諸葛亮に連弩関連の話が多いのは
>>112の言うように火力重視だった可能性も
否定はできないが、シナ人好みの「偉人=発明家」っていう発想かもしれない。
元戎が実戦配備されていた場合、その性能からして連弩以上に有用性の高い火力だった事は推測出来る
諸葛亮の戦法は、基本的に足掛かりを作ってジワジワ進行するタイプ
姜維の戦法は、逆に自分から敵に接近する攻撃的なもの
両者の戦法に違いはあれど、元戎という弩以上の火力を配備していた蜀軍としては、これを如何にして
有効活用するかが重要だったと思われる
どんな強い火力兵器でも、正面から敵に撃っては効果は薄い
セオリーとしては、対騎兵
或いは、最初に敵陣を少し崩してから一斉射撃すれば、効果は飛躍的に上昇する
姜維の元戎運用に関しては、恐らく後者だと推測出来る
まず、歩兵などで突撃してから後方の火力で崩れた敵陣を一掃する戦法なら、個々で持ち運びも出来る
元戎は重宝したと思う
そして、この戦法の場合は、地の利を活かした奇襲戦法が常套だろう
>>115 だがそれは推論でしかないだろ
断定的に「元戎を中心に奇襲戦法で活躍した」とは言えない
それに元戎がどういう形状の兵器でどういう運用をするものなのかもサッパリわからないじゃないか
個人の兵装であるか、備え付けの兵装であるのか、そういった事もわかってない
それで、どうして持ち運びして機動的に運用可能だったという結論になるのかよくわからない…
鉄製の矢の長さが20センチ前後ということ以外不明なんだからもう少し落ち着け
>>116 さらに、10本同時(連続)発射。
持ち運びに関しては、北伐ルートからして大型化する事とは考え難い。
そもそも、連弩を改良する訳だから、その欠点が補われていて然るべき。
ただ、個人でも扱える武器と考えるのが妥当だろうけど、誰でも扱えたかどうかは分からない。
10本の矢を同時装填して発射するとなると、かなりのパワーが必要だったはず。
個人的には、10連射式の武器だったと思う・・・・・・
同じ大きさの10本同時発射なら張力10倍にするか飛距離1/10にするかの2択しかないな
諸葛亮が陳倉を攻めた時大型の攻城兵器を持っていった事が注釈にある
北伐ルートは難路だが大きな数人掛りの兵器が持ち運べなかったということにはならないよ
>>118 大型でもいいなら連弩でいいだろ・・・・・って話なんじゃないか?
それを改良したというなら、矢の長さから見ても小型化したと考えるのが妥当
張力10倍は厳しいので、飛距離を犠牲にしたんだろうと思う
元戎兵と別に普通の弩兵を確保しているのも、短距離攻撃と長距離攻撃で使い分けが
出来る様にしてたのではないかな
>>119 何で連弩と元戎を分けるんだ?
正史本文では「損益連弩」とあって連弩を工夫したということが書かれてる
注釈の魏氏春秋で、「損益連弩、謂之元戎」という名前が出て、
こちらで具体的に一気に10本撃てる、鉄矢20cmとかそういう情報が出てるけど
あくまでも連弩の一種ということだよ
それから、連弩は別に連弩というだけでは大型であるか据置なのかとか一切わからない
大型もあれば携行可能なサイズのものもある
何でそういう謎の分類の仕方で大型なら連弩でいいとなるのか理屈がわからん
121 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/10/07(木) 13:10:49
連弩ってデカイ奴あったよね?
携帯できる小型のやつは連発式、デカイのは多発式
で、元戎は携帯できる多発式だったらしい
明時代の多発式連弩でも、せいぜい3本同時発射くらい(個人用の設置型)
倍以上の10本発射で個人携帯もできる元戎はスゴすぎる
こんなにスゴイもの作る連中が、まともな史料も残してないのが残念
>どんな強い火力兵器でも、正面から敵に撃っては効果は薄い
ここあたりから怪しいんだけど。
>>121 元戎が携帯できるという根拠はどこにあるんだ?
無根拠に願望を述べるのはウザイから勘弁してくれ、一応ここは考察スレなんで論理的にな
元戎が個人で携行可能な武器だったとしても1射10本の矢を放つようなものを個人で持ったら即座に矢が切れる
太さを直径0.5cmくらいとしたって20cmくらいの鉄の棒は一本約80g
10本で800g、これだけでもう1kg近い
100本で8kg弱にもなるが100本だと10回射撃したら終わり
1分1回しか射撃してなかったとしても10分しか戦えない火力とか何の役に立つんだよ
元戎はその火力故に個人じゃとてもその高い火力を維持できない事が容易に推測できるじゃないか
複数人で役割分担して使うタイプの武器だろ
「待ち伏せに持ち出したから携行できた」程度の考えで言ったんじゃないの?
馬隆が諸葛亮の八陣図から偏箱車っていう荷車兼移動トーチカを作って涼州で大暴れしてたな
諸葛亮や姜維は元戎をこの偏箱車とセットで運用してたんではないかとJominian氏も考察してる
氏も矢の重量は考慮に入れてないけど、元戎を運用するならこのような荷物も載せられるものじゃないと重量的に不可能じゃないかな
元戎の性能からほぼ確実だと思われるのは、元戎は流矢製造機、面制圧の武器であって狙撃用ではないということかな
そう仮定した場合、元戎を使う兵士は大量の矢を保持せねばならない
以下この前提から想像される蜀の勝ちパターンその1
偏箱車に荷物を載せてこれを盾として用いつつ敵の射撃を防ぎ、
射程距離の短いと思われる元戎の有効射程まで進んでから敵歩兵や騎兵の前進を火力制圧
その後、神刀謹製の武器と諸葛亮考案の防具で身を固めた重装歩兵による突撃で〆
騎兵は遊撃と追撃に使用
会戦とかだとこんな感じかな?
防衛戦は馬隆みたいに鹿角くっ付けて簡単な陣地構築してそっから一方的に射撃だな
127 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/10/11(月) 10:46:39
あげ
128 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/10/11(月) 12:03:53
何で連弩と元戎を分けるんだ?
正史本文では「損益連弩」とあって連弩を工夫したということが書かれてる
注釈の魏氏春秋で、「損益連弩、謂之元戎」という名前が出て、
こちらで具体的に一気に10本撃てる、鉄矢20cmとかそういう情報が出てるけど
あくまでも連弩の一種ということだよ
それから、連弩は別に連弩というだけでは大型であるか据置なのかとか一切わからない
大型もあれば携行可能なサイズのものもある
何でそういう謎の分類の仕方で大型なら連弩でいいとなるのか理屈がわからん
129 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/10/11(月) 12:46:29
婿家、ロコ家、聖臣家、可児家、魔玉家を総称して三戦五摂家と呼ぶ。
自治新党党首になるにはこの五家のいずれかの出自であるのが望ましい。
三戦学徒王家を輔弼する五大名家について語り合いましょう。
【五摂家党首輩出回数&人数】
婿家出身者 (4回1名)…ムコーニン(5代、10代、14代、18代)
ロコ家出身者 (6回6名)…ロコロール(3代)、ロコ太郎(6代)、ロコ三郎(8代)、アンジェ(24代、当時はロコふるーちぇ)、クマッタ(25代)、ロコ康三郎(29代)
聖臣家出身者(4回4名)…まあc(16代)、聖臣宰陽(20代・当時は金宰陽)、(21代・当時は八戸ロコ金四郎)、聖臣永常(27代・当時は聖臣義光)
可児家出身者(2回1名)…ひょーりみ(19代、26代)
魔玉家出身者(2回2名)…小魔玉(22代)、中山幸盛(23代)
※聖臣家は以前は金家であったが、可児の禍鎮定に尽力した金家支族・最上義光が学徒出陣閣下より聖臣姓を賜ったことから聖臣家と改称。
※八戸ロコ金四郎(現・ロコ常陸四郎)は現在はロコ家だが、党首在任中は金家出身を公言していたので聖臣家(金家)出身者としてカウントしている。
※ひょーりみはぴよ家出身を公言しているが、可児家支族として活動していた時期が長いので広義の可児家出身者とする。
※中山幸盛は小魔玉の従者として活動し、その功績への褒賞として小魔玉から後継指名された経緯もあるので広義の魔玉家出身者とする。
1998年の内外タイムス劇場案内は
“演目”が曖昧で天板か本板が判定しがたい。
傑作は越谷大劇の「極上遊戯」「お姉様のね*わ*ざ」
「殿方をイカせる名人芸」「秘伝の技で奉仕」「超Hな
未知の快楽」「悶絶エクスタシー」「快楽大量発射」
「熟女の味 お手合わせ」「優しく激しく突いて」「人
妻の奥戯 日舞天板」「淫らに遊び 遊戯」「美女のH
なおねだり」「遊戯関東bP」「関東サービスbP熟女」等など
131 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/10/18(月) 00:11:13
あげ
孫策の江東平定で、葦船って初めて読んだときはなんじゃそらって思ったけど
実際に普通にあるのね・・・知らんかった。でも作るの大変そうだなぁ
孫策の作った奴なんて葦刈って束ねて浮力さえ得られれば後は何でもいいようなものだろ
別に恒久的に使うわけでも飾るわけでもないから当座凌ぎの浮き程度でいい
晋書・陶璜伝を見てたら、以吳人愛蜀側竹弩(呉の人は蜀の竹製の弩を愛用した)って書かれてら。
弩の主成分は竹なのか。 成都→パンダ→笹多いの連想で蜀に竹林は結構ありそうだがどうなんだろ。
適度に雨が降って暖かい場所なら竹なんてのはほっといたって育つ
いやむしろほっとくと害すらあるような凄まじい繁殖力を持った植物だしないわけがないとは思う
蜀の竹製の弩というのは面白いな
もしかすると諸葛亮の弩改良は竹にあるのかもしれない
136 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/10/25(月) 16:40:08
関東サービスNO.1熟女
>>135 竹は軽くて剛性が高いので、弓弩の素材にはうってつけだと思うよ。
そもそも弓の素材として竹はポピュラーだしね。
なんかで蜀専用兵科に「パンダ兵」というのがあったなぁ。
140 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/10/28(木) 09:24:45
弓にはぴったりだと思うが弓に比べて運動エネルギーを大きく溜め込む弩だと
竹では弾性はともかく強度が足りないんじゃ?と思ったが
よく考えてみたら現代とは素材の弾性とか全く違うんだよな…
>>137 なんか馬がちっちゃくない?古代中国の馬の体格知らないが……
曲がろうとしてるわりに馬が遠すぎる気もする
143 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/10/28(木) 16:59:03
>>141 当時の馬は、現在でいう所のポニー。
147cm以下のサイズは、全部ポニーと呼ぶので馬の品種では無くタイプを指す。
匈奴が乗る蒙古馬でも130cm程度。
サラブレッドに比べると、かなり小さい(頑強さは蒙古馬の方が上か?)。
これが汗血馬になると、150cm以上はあったと思われる。
汗血馬は、漢の武帝が西域から連れて来たアハルテケ種の祖先を指すという説もある。
野生馬の原型の中でも、アジア大陸の草原型は総じて130cm前後で小型。
150〜180cmの大型馬は、西欧に分布していたと思われる。
ちなみに、世界で最初の戦車はメソポタミア文明から生まれた。
>>137 どこに匈奴がいるんだろう。右側の歩兵?
>>140 竹の降伏応力は知らないので確かな事は言えないけれど、
竹はその径があまり大きくならないだろうし、
中空なので弓に使うとしても断面形状は限られる。
維管束の配置が理想的な積層構造をしているとは言え、
断面係数を大きくする事が難しいので、大型の機械には向かないと思う。
竹を使っているとすれば、携行可能なサイズの射撃武器だったと思うよ。
146 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/10/29(金) 00:30:09
>>145 孟宗竹は20cmを優に超える太さになる
その幹は日本の減価償却で耐久年数20年と設定されてて滅茶苦茶強い
温帯に一杯生えてるそうだから山がちな蜀でもモリモリ生えてそうじゃないか?
あと今まで知らなかったんだが孟宗竹の名前の由来になった孟宗さんって孫呉の人なんだな
こっちのが驚いた
>>145 >中空なので弓に使うとしても断面形状は限られる
普通竹は割って板状にして使うと思うが……
>>147 いや、それは分かってるよ。
当然円筒のまま使うわけは無い。だからこそ中空である事が問題になるかと。
幹の径が多少大きくても、弓として使う部分は径に比してかなり薄い外殻の部分になる。
その外殻も円周全体は使えないだろう。精々30度から45度分くらいだと思う。
面倒なので仮に長方形断面として考えても、高さも幅も大きく取れない上、
幅に比べて高さが小さくなるので、断面係数も小さくなって曲げ剛性も小さくなる。
床弩のような大型の矢を発射する機械に使うには、竹そのままを弩の翼には使えないだろう。
使うとしても複数の材料を、最低でも複数の竹材を組み合わせて使う必要があると思う。
形状なんて削ったり組み合せたりすればいくらでも融通利くし
元戎を考える上で重要なのは矢の重量じゃないか?
一回の射撃で十矢発射とかいうのは誇張としても
それに近い数の矢を射出してるとしたら個人で携行するには矢がかさみ過ぎる
当時の技術で現代のボウガンで使うようなパイプ状の矢を記録に残ってるサイズで作成はできないと思うし
中身がしっかりと詰まった鉄矢だとすると相当嵩張る
この重量問題を解決しないことには本体ばっか小さくても運用は複数人で行わないとどうしようもなくなると思うんだが
これって元戎の話だったの?
単に竹を使った弩がどんな物になるかを話してるだけかと思ってた。
元戎の話は前にどっかでしたな。
名無しの指摘で俺の立てたモデルに間違いがあるのが分かって、
それで修正したモデルで計算したら、割と現実的に作れそうな結果になった気がする。
矢については、現代の鋼管を作るような方法では中空丸棒は作れないだろうけど、
鋳造するくらいだったら出来るんじゃないの?
ちなみに、長さ184mm、直径15mmで計算した中実丸棒だと重さは256g。
直径を変えず、厚さ4mmの中空で計算すると56gだね。
中実の構造だと100本は携行できないね。
>>126でも誰か言っているけど、盾の代わりにも用いる小型の輸送車か何かを使って、
二人一組とかで運用すれば携行するサイズでも十分可能だと思うよ。
鋳造するだけならそりゃ技術的にはそう難易度の高いことじゃないとは思うがそれで量産できるのか?
矢を大量に消費する武器だし、いちいち鋳型作っちゃぶっ壊して矢を取り出すのは労力が掛かり過ぎるのでは
消耗品である矢にそこまで手をかけていられるものなのだろうか
>>152 そりゃ中空のものじゃなくて中身詰まってる鏃ならね
でも中空だと鋳型ぶっ壊さないと鋳型から矢が外れないだろ
156 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/11/02(火) 17:03:34
厚さ4mmの中空なら断面積は177㎟から38㎟引いただけだろ?
重さは中実の8割くらいになるんじゃないだろうか。
>>154 壊すなら内型じゃない?
プッチンプリンみたいに綺麗に抜けりゃいいけど
微妙な凹凸のせいで多分そうはいかないでしょ
>>156 言われて再計算したら、56gは引くべき体積の方の質量だった。
冷静に考えりゃ簡単に分かるはずなのに、うっかりしていたようだ。
すまない。
>>151 鋳造で鉄製品を作るとすれば、当時なら当然砂型鋳造になる。
砂型鋳造なら砂型を壊すのは当たり前で、
これは中空のものを作ろうと、中実のものを作ろうと同じ。
形状が複雑化しても木型や土型が残っていれば、そこまで手間は掛からない。
問題は中空構造だと中子が必要になるという事だね。
石かなんかで中子が作れれば、中子を繰り返し使えるので大量生産可能だと思う。
当時にそんな技術があったのかは知らないけど。
159 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/11/02(火) 23:34:34
>>158 中子を使う作り方だと矢の重心を真ん中にするのに一手間かかるんじゃない
矢をばら撒く武器だって矢の重心狂ってたら殺傷力にも影響しないかね
半円形のもの二個作って溶接すれば重心の調整は簡単かもしれないが
手間が掛かり過ぎるように思える
鉄板折り曲げて円筒作るのも同様
やはり中空の構造を持った矢というのは非現実的では?
>>159 主型との間にガイドとなるものがあるような構造にすれば、
問題が生じないような幾何公差に収まるように思えるが、作った事ないので何とも言えない。
んで、溶接は技術的に難しいだろうし、手作業による曲げ加工じゃ精度が不安定だろうね。
ただまぁ、自分で言っておいてなんだが、砂で作った中子なら崩せば良いが、
石だと抜かなきゃならないので、矢の構造自体を中子が抜けやすいものにしなければならないし、
石の表面を研磨する必要もあるだろうし、結構大変だな。
砂製の中子で作った場合の生産性を調べないと、個人的には何とも言えない。
ただ何れにせよ、元戎のサイズの問題に言及するならば、
矢の長さ八寸というのは大型の弩に使うものでは無いように思える。
矢の長さに比べて非常に大きなストロークを持たせるとは考えにくいので。
「一弩十矢倶発」というのをもとに考えると、案外、
八寸の矢が縦に軽く連結された構造になってて、
発射後に連結が解けて十本発射されたようになるってだけかもね。
そうなると矢の見かけの長さは1.84mなので、床弩に使ってても不思議じゃない。
馬鈞の逸話が水車だったり、指南車だったり、攻城兵器だったりと基本的に大型な中で
諸葛亮の連弩だけが手持ちサイズと考えるのもちょっと違う気がする
>>161 その推論はちょっと乱暴な気がする。他の人が大型だから全員大型である必
要はないし、戦乱の時代に弩が改良されなかったと決める必要もないだろう。
>八寸の矢が縦に軽く連結された構造になってて
実用に耐えるとは思えないなぁ
>>162 床弩も弩だよ
乱暴なのは重々承知なんだけど大きな水車だの投石器だの大型のものが並べられる中に
ポンと小さな諸葛連弩だけおいてあるとなんか不思議な気分
>>163 まぁ、そうだろうね。
個人的には、ロケット鉛筆の芯が全部一斉に飛び出す感じ。
矢の個体差で弾道に多少ばらつきが出て、それで矢の機動がばらける…かも。
きちっと引っかかるように連結しないと多分射出の段階でグニャっとなって終わると思うんだが
ロケット鉛筆の芯だけで重ねても上手くいかないように
逆に射出の衝撃に耐えられるような固定の仕方だと空中でバラけることもないんじゃないか
実際に作って実験しないとわからない範囲になってきたなぁ…
167 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/11/04(木) 12:28:35
>>164 「大型のものは弩とは書かない」なんて言うつもりはないっす。
>>165 ライフリングのない銃でも弾を複数込めることはあるから、たしかに矢が
ばらけないまま飛んでいくことはないだろうけど。
>>166さんの言うとおり
力がうまく伝わらないでその場で散りそう。
矢を十本横に並べて棒か板で全部の筈を押すってのも考えられるだろうが、
これもうまく飛ぶのかどうか。
いいんだよ蛆虫だから
誰か実際に作って実験してみて欲しいな
コラ、自分が面倒くさいことを他人に押し付けるんじゃありません!
Jominianさんの計算すら流し読みして疑わなかったんでしょ!
>>166 臂には矢が真っ直ぐ発射されるように溝が掘ってあるが、
この溝に蓋をするようにライナーをセットする構造にすればいけそうな気がする。
矢を上下から挟み込んでしまうので、摩擦を減らすためにライナーにローラをつける必要も出てくるけど。
まぁ、「一弩十矢倶発」という事をどうやって実現したかを考えないと、
元戎のサイズ云々以前の問題になるね。
元戎が携行するタイプだろうと据付型だろうと共通の問題だろうし。
矢の発射台がどういうものかって考えないとな
洗濯板みたいなので並列に矢を装填してところてんのような押し方をしたとすれば10発同時発射は可能だろうけど
摩擦の問題でロスが大きくなり過ぎると思われるし
かと言って一本にまとめて発射するとしたら上下左右から固定しないと発射の衝撃でバラける
こっちも摩擦が気になるところだ
可能かどうかを置いて、十本同時発射と言える形は
・十本直列(ロケットペンシル)
・十本並列(洗濯板)
・複合型(数本直列の複数列)
・十本束
くらいか?
175 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/11/06(土) 13:27:55
>>172 溝にフタって、その下(フタと台の隙間)を弦が通るんだよね。構造的に難しくないかな……
私の想像力不足かもしれないが
>>175 木の棒とかで後ろから押し出すようにすれば問題ないかと
>>175 弦が10mmも20mmも上下に振れるわけじゃなければ大丈夫だと思うよ。
問題があるとすれば、矢羽とは干渉する可能性が考えられるって事かな。
想像図を描いてほしい
179 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/11/14(日) 23:06:02
あげ
( ´∀`)<曹操患者(ボソッ
´ ヾ
゛ (⌒) ヽ
((、´゛))
|||||
||||||| ファビョーン!!
____
/ / \\
. / (;;..゜);lll(;;..゜)\ 曹操患者なんて存在しないだろぉぉぉぉぉぉ!!!
/ ⌒(__人__)⌒ \ 定義をqあwせdrftgyふじこlp
| ノ( |r┬- | u |
\ ⌒ |r l | /
ノ u `ー' \
181 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/11/16(火) 23:26:33
とりあえずなくなってた正史が見つかったので武器の記述があったところ。
諸葛亮は生まれつき創造力があって、連発式の弩(いしゆみ)を工夫し木牛。流馬
などは、みなカレの創意によるものであった兵法を応用して、八陣の図を作成したが、
ことごとく要領をえていたという
まあ正史の孔明の部分はチンジュがあえて良く書いてるって説もあるのでどれくら信憑性
あるか分からないけど。
182 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/11/18(木) 18:58:07
あげ
183 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/11/22(月) 08:36:01
あげ
184 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/11/30(火) 21:48:22
弓があって騎兵とかいて戦術あったんなら、日本の戦国時代と
さも似たりってことでいいのかな?
185 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/11/30(火) 21:49:27
日本の戦国時代に「騎兵」いないよ
186 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/12/01(水) 16:15:18
けひゃひゃひゃひゃ
あーはらいてー
187 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/12/01(水) 23:23:20
武田がいたでしょ。騎馬突撃してなかっただけで。
188 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/12/01(水) 23:24:56
使い方が騎兵じゃない
あれは騎兵じゃなくて騎馬兵
189 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/12/02(木) 21:44:11
坂の上の雲では
義経と信長が日本で騎兵隊を上手く使った
みたいなこと書いてたけどね。司馬が。
190 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/12/02(木) 21:48:26
信長はどうだろうなあ・・・
一応は騎兵的な戦術は戦国時代にもあるにはあったが
殆ど記録に残ってないからなあ
俺が知らないだけなのかもしらんが
少なくとも大規模に騎兵が運用されたって聞いたことない
191 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/12/03(金) 04:56:10
パイクが普及すると騎兵の出番はなくなる
バイヨネットでお茶を濁す様になるとまた復活する
192 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/12/03(金) 08:09:50
そもそも戦国時代に戦争の記録がこまかに書かれたものが残ってるのか?
194 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/12/05(日) 05:56:05
195 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/12/19(日) 20:30:26
参考までにと「歴史REAL」って雑誌買ってみたんだが。
まあ日本の戦国時代の武器の考証みたいなんだが。
弓矢が432メートル飛んだとか結構細かい事書いて会ったよ。
これの三国時代版でないもんかねえ。
その本でさ、兜の中の構造とか書いてない?
昔のハゲの人が兜の金属で凍傷にならないか心配で夜も眠れないんだ
197 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/12/20(月) 23:33:10
>>196 ないなあ。火縄銃と弓矢がメイン。
後は肖像画の秘密とかそんなもんだし。雑誌形式みたいだから
いずれ取り上げるんじゃね。
将軍クラスならきっと中に綿とか詰まって快適なんだよ。
でも雑魚兵だと直に金属が触れるに違いない。きっと。
だから兜ずれ(靴ずれみたいな)とか、
首筋冷たいとかいろいろな不具合があるに違いない。
冬場はもとより、対匈奴、涼州方面の人たちは大変だったろうなぁ
199 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/12/21(火) 00:51:40
>>198 それだと兜被ってても全く頭への衝撃防げない
鉄板などの堅い装甲と緩衝材のセットで初めて「兜」になる
普通に藁とか編み込んで帽子みたいなの作って、その上に兜かぶるんじゃないか?
光秀も秀吉もハゲにやさしい兜を被りたくて必死に出世したのかもしれない
鎧の重さってどのくらいなんだろ?
>>82 で見るとなんとなくわるようなわからないような。
軽装で10キロくらいかな?もっと重いか?
そして槍が3〜5キロぐらいで・・・
相変わらず、歩兵の皆さんが大変そうだわw
203 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/12/23(木) 09:35:38
兜って万が一の時に鍋になって料理できるようになってたってのはマジなの?
バロスw
これが曹操のやりたかったことか!
確かに突撃したら強そうだw
206 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/12/25(土) 22:19:40
あげ
207 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/12/26(日) 21:03:41
>>204 ww
ほう統がコレしませんか?って言ったら
賛成するのが普通だな
208 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/12/30(木) 19:13:02
正史で一番戦闘がはっきり描写されてるのってなんになるんだろうなあ。
>>208 はっきりかどうか知らんけど、麹義の白馬対策とか、
馬隆の討伐戦とかは詳しく戦い方がのってたよね。
211 :
【中吉】 【1700円】 株価【19】 :2011/01/01(土) 17:28:30
あげ
212 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/01/27(木) 21:13:37
孫子の兵法とかそう考えると結構価値すごいのかな。
当時の戦争方法が書いてるわけでしょ?
213 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/01/27(木) 21:58:25
戦術書とは違う
具体的には書いてない
215 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/01/28(金) 19:07:30
けど曹操の解説みたいの入ってるんじゃないの?
216 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/01/28(金) 19:19:35
患者はもっと確信してるだろ。お前の勇み足だ
>>215 曹操の注釈はむしろ原典に忠実なことで生き残ったという注釈
魏武註は主に文字の読み方、言葉の解釈等が中心で
曹操個人の武勇伝みたいなのは極少
>>215 軍事板の方で十一家註を訳して人がいたよ
途中までだけど、読んでみたらどう?
220 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/02/05(土) 19:28:43
最近のエジプトのニュースで馬やラクダにのって戦ってる
のがあったな。なんか普通に強そうだった。
民衆蹴散らしてたし。
馬とかってもっと繊細な生き物かと思ってたけど意外と
あらっぽいんだなあ。
>>220 人為的に近親交配を繰り返して作り上げた神経質で虚弱なサラブレッドと、
過酷な環境を生き延びた野生の馬は全く別の生き物だしね。
222 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/02/06(日) 17:14:38
投石器とかもでてたもんな。エジプト。石でも当たり所悪ければ
死ぬからやっぱ兜は必須だったんだろうな。
当時の兵隊の給料とかいくらぐらいだったんだろう。
徴兵制だったのか。志願だったのかな?
奴隷みたいに無理やり戦わせたみたいな事はないんでしょう?
224 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/02/18(金) 22:24:54
このスレまで認定厨に荒らされてたのか
>>223 奴隷を主力で戦わせるのは難しい。奴隷的には敵と戦うより集団で指揮官
を襲う方が安全だから。
船の漕ぎ手みたいに逃げられない環境で使うか、戦場なら大半が非奴隷の
状態で少数の奴隷を監視する必要があって非効率。
数を揃えるなら、家族を人質にとる形になる徴兵が歴史的に多い。
名誉や愛国心を刺激できるならそんな軍が強いから理想的。
226 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/02/19(土) 20:43:10.96
なんか歴史人だかの雑誌で三国志特集とかあったけど。
表紙に赤壁80万とか書いてあって。ああ演義のことじゃんってなって
買わなかったな。パラパラめくって攻城兵器とかも書いてあったけど
あれもいつの時代か分かった紋じゃないモン名。
227 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/02/24(木) 23:59:03.45
+てs
知ったかぶりを書いておくけど、
日本の戦に関しては、基本的に矢戦なんだけど、
(設置する例の盾を立てて)
手柄を立てるための突撃という価値観があったそうで、
勝つためじゃなく、手柄と首取りのために騎馬で突っ込んだらしい。
矢戦で趨勢が決したら、首取りに突っ込むんだけど、
趨勢が決する前に突っ込む勇者もいた、みたいな。
元寇とかのことを調べてたら、そんな感じだった。
日本以外の戦闘でも、基本的な考え方は
飛び道具勝負→優位な側が接近戦で掃討
だったみたいなんだけど、
(ただし、飛び道具は手投げも有力)
飛び道具を十分に防げる重装備が可能だと、
歩兵の陣を使った肉弾戦もあり得たみたい。
で、ファランクスみたいな戦法が有効なシチュエーションでは、
騎馬や戦車で回り込む戦法にリアリティが出てくる。
言っちゃえば、弓<重装歩兵<騎兵<弓の三すくみなんだけど、
扱いやすさで弓が圧倒的に便利なのは間違いないから、
とりあえず弓、重装歩兵がそろうような本格的な戦乱では騎兵もね、となる。
三国志では一騎打ちがホイホイ出てくるから、
接近戦&討ち取り=武勲の証明という価値観は、絶対にあったと思う。
で、お互いにソレを狙っているから、
矢戦や歩兵戦闘をすっ飛ばして一騎打ちも十分にあり得たと思う。
あと、超人的に雑兵を掃討するシーンに関しても、
負けモードに入ってる雑兵は首取りに来ている敵将を殺すモチベーションが薄かったぽいから、
消極的に蹴散らされるということは有り得たと思う。
戦意を持った雑兵を薙ぎ払うのは無理だっただろうけど。
俺も知ったかぶり。
>弓<重装歩兵<騎兵<弓の三すくみ
よく勘違いする人がいるけど、弓は騎兵に当たりにくい面もあるし、
多くの場合弓兵は軽装なので騎兵の突入に弱い。三すくみなんて成立しない。
フランス軍がイングランド軍と戦うときに「馬だから弓に負けたんだ!」
ってことで騎士を下馬させて重装歩兵にして突撃したらやっぱり負けた、
って話もある。敗因は弾幕の中に正直に突っ込むからだった、という。
>三国志では一騎打ちがホイホイ出てくるから
演義ではね。史書にも「○○が○○を討ち取った」なんて記述はあるが、
これも部下や兵士の手柄のことだと思う。身分制社会の記録ではしばしば
従者の人格が無視されるから。
>敵将を殺すモチベーションが薄かった
そうだね。負け戦で首持って帰っても褒美もらえないもの。
それに、勝って追討してるときは名のある戦士の首も狙いやすいから、
追討側も雑兵を殺す手間なんか省きたいってこともある。
手柄にならんし。
230 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/02/25(金) 18:02:34.52
日本の戦とかでも思うんだけど
大勢いても一対一で戦えるのかな?剣もしくは槍で
乱戦になったら後ろから別の奴にやられそうな気がするんだけど。
大河ドラマとかだとカキンカキンってやってるシーンが多いからそんな気になるけど、
実際はザシュザシュザシュウワーニゲローだったんじゃないだろうか
超適当だけど
232 :
あ:2011/02/25(金) 18:55:45.75
三国志の時代の日本は弥生時代だよね
卑弥呼とか、初期の大和朝廷の武具は中国から輸入してたのかな?
まだ、日本刀も出てきてなくて,剣だよね三種の神器も刀では無く剣だし
甲冑のデザインも中国の物に見える
>>232 朝鮮から輸入した鉄素材で日本で作る。
シナや朝鮮から武器そのものを輸入すると輸送コストがかかりすぎて、消耗品
の武器としては使いにくく宝物扱いになる。
日本刀の原型は東日本の蝦夷の武器だと言われている。
古墳時代以降普及した。
甲冑の原型は古墳時代にシナから輸入したもの。
234 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/02/26(土) 14:10:33.37
>>231 本当の合戦はどうだったかみたいな本腐るほどあるから読め
235 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/03/09(水) 23:54:51.88
戦車
紀元前からあったのに何故この時代には廃れているのだ?
236 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/03/09(水) 23:58:08.15
騎兵隊ってどうやって戦ってたの?
やっぱウマから降りて殴り合ってたの?
237 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/03/23(水) 20:01:55.80
騎射
>>235 機動力や小回りで騎兵に劣り、
使える戦場も限定されているからだと聞いた事がある
戦車部隊って平野でしか使えないもんね
小回りも聞きにくいから横や背面に騎馬で回りこまれたら大変
239 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/03/27(日) 00:14:55.18
この時代って中国のほうが進んでたんだよね
映画とかで見るとローマとか向こうのほうが進んでたように見えるけど
240 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/06(水) 17:19:24.61
弩の大量生産が可能な工業力と技術力が備わるのは
中国→戦国時代から
欧州→十字軍時代から
等、主に科学技術・工業技術的な側面は中印に対して欧亜は全く劣ってた
242 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/29(金) 00:42:03.76
age
>>240 当然だよ。日本人が造った人工言語なんだから。
福沢諭吉もはじめはカナ漢字交じりの表記を普及させようとしたんだけれど五十音は彼らには難しすぎて教えられなかった。
そこで諭吉の弟子である井上角五郎が母子音あわせて半分以下の二十四種類で済む(そう。アルファベット26文字より少ない)ハングルを、
紀元前の日本人が使っていた神代文字を基に考案したんだ。
これによって世界一知能の低い朝鮮人と(むろん朝鮮人同士の間でも)言語による意思の疎通が可能になった。
もっともそれで話が通じるかどうかになるともう一段高いハードルがあるようだけど。
ハードルとハングルは似ている
負けてジャングルに追われたポルポトがある日、同行していた中国共産党の指導工作員に詰め寄った。なんで貴殿らはこんな愚策をわが国に勧めたのだ?教師や技術者を殺せば国が弱体化して当然ではないか!と。
指導員はなんと、そんなのは当たり前だ。お前も気がつかなかったんか?バカか?と答えた。
驚いたポトが何故そんなことをした?と訊いたらそのシナ人は平然と答えた。
「おまえらを滅ぼしてカンボジアの肥沃な国土を乗っ取るためだ」
247 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/05/13(日) 14:26:56.02
>>239 ローマはセメント技術は中国よりも進んでいただろうな
他は劣る部分も多々
>>247 安価な版築で大抵の建造物とかなんとかなってしまったから
逆にセメントを使うこと考えることすら必要なかったんだよね
進みすぎて便利な物があるからそれより先を目指さなかった
やはり、実際に参加してみないとわからないよ
250 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/09/19(木) 00:56:21.62
人糞を投げ合ってたんだよ
カタカナどこいった
252 :
無名武将@お腹せっぷく:2014/05/08(木) 12:25:21.50
まず弩兵が弩を放つが、戦闘の中心は歩兵同士の白兵戦
それを騎兵と弩兵が脇から援護
これが基本だとどっかで読んだ
253 :
無名武将@お腹せっぷく:2014/05/08(木) 12:51:20.02
古閑の恋や男関係話誰が興味あるねん
それより瀬川の胸が気になる
254 :
無名武将@お腹せっぷく:2014/05/08(木) 15:41:02.37
| ^^) /
口口
255 :
無名武将@お腹せっぷく:2014/05/08(木) 16:14:09.39
➶
256 :
無名武将@お腹せっぷく:
化学とか一時期イスラムが最先端だったりするから
文化の進行度は時代によってまちまち