1 :
無名武将@お腹せっぷく:
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/05(月) 14:10:12
386 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/30(水) 22:44:09
上の金属の項目はあくまで「産地」 産出量は不明
後漢書のものなので三国時代に生きていたかも不明
しかしながら何となくな目安にはなるだろう
これを晋書地理志の旧蜀魏領の戸数比(1:4.94)でそれぞれを割ってみると
蜀 魏
金 5 0.81
銀 6 ---
銅 6 0.61
鉄 7 4.65
錫 3 ---
鉛 3 ---
蜀が約31万戸で上の数の産地をもっているのに対し
魏は蜀と同数戸(約31万戸)あたり、上の数しか産地をもっていない
蜀と魏、どちらが豊かかは歴然だ
ま、あくまで目安だけどね
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/05(月) 14:11:11
2 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/21(月) 14:00:41
944 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/20(日) 22:24:59
占領当時の益州は、前支配者劉璋の暗愚で惰弱な支配によって官僚組織はまともに機能を果たされず、
民衆の貧しさは目を覆うばかりの状況に在った。更に、官僚と結び付いた地主が肥え太る。
弱い者は益々悲惨になるという状況下に在った。
圧倒的な武力を以て益州を占領し、圧倒的な権力を持った政治支配で国を建て直そうとした孔明でさえ、
構造改革には苦労する。富裕豪族である抵抗勢力を根絶やしにする事は難しかったのである。
三年もの時間が必要であった。
孔明は先ず、一時的に国境を閉ざして鎖国状態にする。外圧を除いてから国内の生産力を回復させ、
経済を復興させて物価の安定を計る。国民に活気を取り戻させ、生活を安定させた。其の上で行政改革を
行う。思い切った人材の登用、権力者や悪徳官吏の黜除、行政組織の簡素化等の施策を次々と打って、
行政改革を徹底的に断行したのである。
3 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/21(月) 14:02:56
945 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/20(日) 22:25:49
当時は農本社会であった。農業が国の基本産業である。農業生産を上げて先ず、食い物を確保せねば
ならない。劉備と孔明が進出した前後の益州は、虐げられた農民は貧しく、生産意欲も上がらず、
国家は疲弊し切った状態であった。
農業生産を上げて民衆の富を増やし、彼等に活力を付ける事が急務である。
多少強引でも悪徳官吏を追放して地方豪族から既得権益を採り上げねばならない。
"構造改革断行。”と孔明は考えた。 "務農殖谷,閉関息民”{農耕に務め穀物を増産し、国境を閉じ
民を休ませる。}を第一政策に採用して国力回復に乗り出した。鎖国をして外からの圧力を排除し、
国内に平和を取り戻すということで、戦争が起こる懼れを無くして民に安心感を与えて
農業生産を上げる事に専念させたのである。
農業生産を上げる事は簡単である。つまり耕地面積を増やす。労働力を増やす。灌漑を整備する。
此の三点を確立すれば、生産力は上がる筈である。春秋時代の秦国が巴蜀を征服統治した時代、
太守として赴任した水利の専門家李泳親子が都江堰という堰を築いて蜀を「沃野千里」と呼ばれる
豊穣な地に変えた。しかし孔明の当時、堰はかなり荒れ果てていた。孔明は此の都江堰の整備を行う。
担当官吏を任命し、その下に千二百人の堰管理員を置いて補修管理を徹底して更に延長工事を行った。
此の治水事業を進める一方、低地の洪水地帯を農地に変える干拓事業、灌漑整備を行って農業生産を
上げる政策を推し進めた。成都の西北の柏河に孔明が築いたと謂われる "諸葛堤”、或いは"金堤”と
呼ばれる長堤が今も残っている。
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/05(月) 14:13:04
4 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/21(月) 14:15:58
946 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/20(日) 22:26:41
封建時代は兵士は農民から徴兵された。此は中国でも日本でも変わらない。兵士として徴用されると
人手不足の農地の生産力は落ちる。此を解決するのが屯田兵制度である。兵士は平時には田畑を耕す。
一朝事が起こると武器を持って戦闘に参加する。更に、屯田兵に荒れ地を開拓させて農地を増やした。
戦争の起こる可能性が遠のいた時期だけに兵士を農耕作業に活用出来る "休士勧農 分兵屯田”を
スローガンに、"兵農合一”政策を押し進めて労働力の確保を計る。農繁期には兵士が農業に従事する、
或いは農作業に人的な補助を行って生産量を増やす。農閑期には農民が兵士として訓練を受けて
兵力増強を計る。一石二鳥の効果が実現したのである。屯田兵制度の推進は、他方で富裕な地主や
地方の豪族達の力を弱める効果をもたらした。農民も生産物の何割かを国家へ税納するだけで好く、
自分の取り分が増える。豪族の下で小作をするよりも収入が増え、働く意欲が増加する。当然、生産量が
上がる。という図式になったのである。
947 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/20(日) 22:27:38
孔明はこの様に、兵農合一政策と水利灌漑事業を展開して一挙に農業生産を向上させ、地方豪族の既得権益
を取り上げ、賦税の軽減を計る等、農民の負担を軽くして彼等の生活を安定させた。当然、国庫の収入にも
安定を来たす結果をもたらした。
塩と鉄は益州の重要産品であった。経済発展には欠かす事が出来ない資源である。中国の奥地には塩分を
含む地層が多い。蜀地方の精塩業は西漢王朝(前漢)の時には既に、発達していて各地に塩井が掘られて
いたという。製塩技術もかなり熟練していてある地方では已に、火井{天然ガス}を燃料に使用していた
という。蜀地方の塩は"井塩”とも"煮塩”とも呼ばれ、井戸を堀って上部に滑車を備えた塔架を置き、
塩水を汲みだして塩鍋に移して塩水を煮て水分を蒸発させて塩を採取した。
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/05(月) 14:14:04
5 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/21(月) 14:18:00
948 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/20(日) 22:28:23
中国には各地に鉄鉱石の鉱山があって、露天掘りが今も行われている。此は孔明の時代も変わらない。
蜀の周辺にも鉄鉱石が埋蔵されている山が彼方此方に在って兵器や農機具を鋳造していた事が多くの史書に
記載されている。孔明は鋳鉄官に鋳鉄技術に精通した者を選んで兵器や農機具の品質改良を目指した。
鋳鉄官の郭達は一夜に三千本の箭を打ち、"神手”と称されて将軍に封じられたという。鋭利な兵器の改良
は軍の強化に貢献し、製鉄技術の発達は農機具に改良が加えられて農業生産の増強に大いに役立つ事に
なる。今も昔も軍事技術の発達が一般の生活機器の改善に繋がる事に変わりがなかった。
鉄に限らず金、銀、錫等の鉱山も開発されて蜀漢王朝の重要輸出産品と為り、国庫を潤した。
錫は今でも四川省に多く産出している。朱堤に産出する銀は純度が高く、
他地方で産出する銀に比べて1.8倍の高値で買い取られたという。孔明は精塩工業や製鉄工業に対して
国家管理機構を設立して「司塩校尉」、「司金中郎将」の職を設けて
これらの資源を国家の独占事業とした。
949 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/20(日) 22:29:09
蜀錦の名で有名な蜀のシルク工業は早くから、此の地方に発達していた。東漢時代(後漢)の墳墓から
桑苑の図や織機の石刻が発見され、漢の時代には一般的にシルク工業が普及していた事が判る。
彼は蜀錦の重要性に着目をし、特別に「錦官」という官庁を設置して専門にシルク工業を管理させた。
成都の別名「錦官城」は此処から来る。「臨終の表」には、彼の家には八百株の桑の木が植えられている
と彼自身が述べている。
「後漢書」には曹操が “人を派遣して蜀錦を買い求め、宮中の礼服に用いた。”という記載がある。
当時、蜀錦は全国に知られた特産品で、蜀の経済立て直しの切り札となった。
6 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/21(月) 14:19:34
又、貨幣の鋳造も手がけ、"官市”という市場を設立して専任官吏を派遣し、徹底した市場価格への介入を
行って諸物価の安定を計った。湖北省や雲南省で孔明の発行した"直百銭”の銭弊が見付かっている。
この様に農業生産の向上、塩、鉄,錦等の資源、特産品の発達は蜀の経済発展に大きな寄与をした。
“政は民を安んずるを以て本と為す。”という孔明の基本思想が諸政策に反映された結果、
構造改革は三年で成功裏に終わって、蜀漢国は "食足りて兵足る。”という安定さと富裕さを得るのである。
結論、魏は戦乱と内乱、ハイパーインフレ、禿山のリアル北斗の拳、蜀は地上の楽園
6 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/05(月) 14:15:42
5 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/21(月) 14:18:00
948 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/20(日) 22:28:23
中国には各地に鉄鉱石の鉱山があって、露天掘りが今も行われている。此は孔明の時代も変わらない。
蜀の周辺にも鉄鉱石が埋蔵されている山が彼方此方に在って兵器や農機具を鋳造していた事が多くの史書に
記載されている。孔明は鋳鉄官に鋳鉄技術に精通した者を選んで兵器や農機具の品質改良を目指した。
鋳鉄官の郭達は一夜に三千本の箭を打ち、"神手”と称されて将軍に封じられたという。鋭利な兵器の改良
は軍の強化に貢献し、製鉄技術の発達は農機具に改良が加えられて農業生産の増強に大いに役立つ事に
なる。今も昔も軍事技術の発達が一般の生活機器の改善に繋がる事に変わりがなかった。
鉄に限らず金、銀、錫等の鉱山も開発されて蜀漢王朝の重要輸出産品と為り、国庫を潤した。
錫は今でも四川省に多く産出している。朱堤に産出する銀は純度が高く、
他地方で産出する銀に比べて1.8倍の高値で買い取られたという。孔明は精塩工業や製鉄工業に対して
国家管理機構を設立して「司塩校尉」、「司金中郎将」の職を設けて
これらの資源を国家の独占事業とした。
949 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/20(日) 22:29:09
蜀錦の名で有名な蜀のシルク工業は早くから、此の地方に発達していた。東漢時代(後漢)の墳墓から
桑苑の図や織機の石刻が発見され、漢の時代には一般的にシルク工業が普及していた事が判る。
彼は蜀錦の重要性に着目をし、特別に「錦官」という官庁を設置して専門にシルク工業を管理させた。
成都の別名「錦官城」は此処から来る。「臨終の表」には、彼の家には八百株の桑の木が植えられている
と彼自身が述べている。
「後漢書」には曹操が “人を派遣して蜀錦を買い求め、宮中の礼服に用いた。”という記載がある。
当時、蜀錦は全国に知られた特産品で、蜀の経済立て直しの切り札となった。
6 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/21(月) 14:19:34
又、貨幣の鋳造も手がけ、"官市”という市場を設立して専任官吏を派遣し、徹底した市場価格への介入を
行って諸物価の安定を計った。湖北省や雲南省で孔明の発行した"直百銭”の銭弊が見付かっている。
この様に農業生産の向上、塩、鉄,錦等の資源、特産品の発達は蜀の経済発展に大きな寄与をした。
“政は民を安んずるを以て本と為す。”という孔明の基本思想が諸政策に反映された結果、
構造改革は三年で成功裏に終わって、蜀漢国は "食足りて兵足る。”という安定さと富裕さを得るのである。
結論、魏は戦乱と内乱、ハイパーインフレ、禿山のリアル北斗の拳、蜀は地上の楽園
>滅ぼされた時の記録からわかる
分かるわけないだろう
>金銀
拾った財布の中身を見て、君らが思う事
30万円入った財布の持ち主は金持ちで
3千円しか入っていない財布の持ち主は貧乏 か?
ある一瞬の状態を切り取ったものだけで、それが判断できるのかい?
裕福ではないが、たまたまその日に大きな支払いがあり現金が必要で
大金を財布に入れて目的地へ移動中落としたという事もあるだろうし、
高価な物を買い物しまくった帰りで、所持金が底を突いていた金持ちもいるだろう
君らのやっている事は
例えば
北島三郎の財布を拾って中を見てみたら3千円しか入ってなかった
→ 北島三郎の貧乏発覚! → 北島三郎は事業が上手くいってないんだろうな
→ 演歌歌手で借金している人、結構居るイメージだから、北島三郎も借金しているに違いない
→ 北島三郎は借金している → 借金が返せないほど北島三郎は売れていない
→ 北島三郎は人気がない → 北島三郎は歌が下手
みたいなもんだろ
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/05(月) 18:52:42
考察スレ立てるな氏ね
なんだこのガキは? 三戦から考察とったら何も残らんじゃないかw
地図を見れば一目瞭然、蜀は山また山、仙人の住む世界
このテーマは前スレの667でもう決着がついた
■ 蜀は豊かだった
・益州險塞,沃野千里,天府之土,高祖因之以成帝業。《草廬対》
・「益州民富強」《先主伝》
・蜀土富實,時俗奢侈,貨殖之家,侯服玉食《董和伝》
・西蜀有丹沙之富《晋書食貨志》
・「巴、蜀之饒」《漢書西南夷伝》
・蜀地肥饒《後漢書公孫述伝》
・蜀地沃野千里,土壤膏腴,果實所生,無穀而飽。女工之業,覆衣天下。名材竹幹,器構之饒,
不可勝用,又有魚、鹽、銅、銀之利,浮水轉漕之便。《後漢書公孫述伝》
・蜀有桀紂之亂。其國富饒,得其布帛金銀,足給軍用。《華陽國志蜀志》
・漢祖自漢中出三秦伐楚,蕭何發蜀、漢米萬船《華陽國志蜀志》
・國富民殷《華陽國志蜀志》
・益州西部,金、銀、寶貨之地。居其官者,皆富及十世。《華陽國志蜀志》
・(南中益州郡)有鸚鵡、孔雀、鹽池、田、漁之饒,金、銀、畜產之富。《華陽國志蜀志》
蜀の地が豊かなのは常識で、
豊かな地の政権が潤っているのは当然の理
■蜀は経済的に疲弊した?
疲弊…疲れて弱ること。活力がないこと。
用例
1.曹操之眾,遠來疲弊,聞追豫州,輕騎一日一夜行三百餘里,此所謂『彊弩之末,勢不能穿魯縞』者也。
故兵法忌之,曰『必蹶上將軍』。《諸葛亮伝》
ここでは「身体的な疲れが溜まっている」
2.王連流俗,苟作掊克,使百姓疲弊,以致今日。《廖立伝》
ここでは「経済的に活気がなくなった」
3.先帝創業未半而中道崩殂,今天下三分,益州疲弊,此誠危急存亡之秋也。
然侍衛之臣不懈於內,忠志之士忘身於外者,蓋追先帝之殊遇,欲報之於陛下也。《諸葛亮伝》
ここでは「気落ちして活力がない」
「経済的に疲弊した」と言い得るのは2の廖立伝のみ
1でも明らかなように「疲弊」=「経済弱体化」なわけではない
むしろ「経済が疲弊している」のように、比喩的表現として
経済を擬人化し、「疲れている」のように言って、この言葉を使っているに過ぎない
それなのにそれを第一義のように思い込んでいるなんて愚かなことだろう
2の負担増の感覚は我々に課せられている消費税に近いのではないか
消費税で景気が悪くなるし、生活費の負担も馬鹿にならない
味噌・醤油などの塩系調味料が月消費量あたり数千円(支出の5%分)も上がれば
皆口々に不満を言って生活苦自慢をするんじゃないだろうか
首が回らないという程でなくてもね
だから廖立の言う「疲弊」がどの程度かまでは分からない
非難言だから表現が幾分誇張されてるだろうしね
3の「益州疲弊」は経済的疲弊ではない
出師表
先帝創業未半而中道崩殂,今天下三分,益州疲弊,此誠危急存亡之秋也。
然侍衛之臣不懈於內,忠志之士忘身於外者,蓋追先帝之殊遇,欲報之於陛下也。
誠宜開張聖聽,以光先帝遺コ,恢弘志士之氣,不宜妄自菲薄,引喻失義,以塞忠諫之路也。
(臣亮言う)先帝創業未だ半ばならざるに中道に崩殂したまう。今、天下三分にして益州疲弊せり。
これ誠に危急存亡の秋なり。
然れども侍衛の臣内に懈(おこた)らず、忠志の士身を外に忘るる者は蓋し先帝の殊遇を追いて
之を陛下に報ぜんと欲するなり。誠に宜しく聖聴を開張し、以て先帝の遣コを光(かがや)かし、
志士の気を恢弘すべし。宣しく妄りに自ら菲薄し、喩を引いて義を失い、
以て忠諌の路を塞ぐべからざるなり。
「然れども」=「そうだけれども」は何処に掛かるか がポイント
「然」→「危急存亡之秋」→「益州経済的疲弊」
だと
志士(侍衛之臣・忠志之士)が先帝の為に頑張っているのと逆接の関係にない
「益州が経済的に弱って国がピンチだけど、
志士たち"が"一生懸命働いているのは、先代の恩に報いたいと思っているからに違いないのです」
意味の分からない文章だ
先帝が中道に崩殂して益州は指針をなくし、先帝の死のショックと相まって活力が失われた
皆がネガティブになっている事こそ国家の危機だ
そこに付け込まんと華歆・王朗・陳羣といった魏の面々が天命・人事を説き降伏を勧告してきた
この頃の蜀は「劉備を喪って蜀はもう終わりだ」と考える人間がいくらも居て
ネガティブな空気が蔓延していたのだろう
そこで諸葛亮は『正議』を著し、そういう空気を吹き飛ばした(吹き飛ばそうとした)
諸葛亮の他にも意気のある人間は居て、ネガティブな空気に抗っていた
それが「侍衛之臣」「忠志之士」というわけだ
「然」→「危急存亡之秋」→「益州精神的疲弊」→「先帝創業未半而中道崩殂」
先帝の死に因る精神的不活性と志士の頑張りは逆接の関係にある
よって「益州疲弊」=「精神的疲弊」というのが正しい
「カリスマ指導者を喪って、皆進むべき道に迷い活力をなくして国がピンチだけど、
志士たち"が"一生懸命働いているのは、先代の恩に報いたいと思っているからに違いないのです」
意味のよく分かる文章だ
指導者の務めは、集団に未来を示す事だ
指導者が居なくなり、未来を示す者が居なくなると
集団は不安に陥って生気を失い、皆の心がバラバラになって、瓦解する
これこそが国家最大の危機なのだ
先帝創業未半而中道崩殂,今天下三分,益州疲弊,此誠危急存亡之秋也。
どうかな? 意味がよく理解できるだろう?
■蜀は度重なる遠征で経済的に疲弊したか?
三国志中、諸伝に見える北伐に対する、或いは関する 考え
譙周伝
「於時軍旅數出,百姓凋瘁」
「民疲秦役」
「夫民疲勞,則騷擾之兆生,上慢下暴則瓦解之形起。」
「故湯、武之師不再戰而克,誠重民勞而度時審也。」
張翼伝
「維議復出軍,唯翼廷爭,以為國小民勞,不宜黷武。」
姜維 陳寿評
「姜維粗有文武,志立功名,而玩眾黷旅,明斷不周,終致隕斃。
老子有雲:『治大國者猶烹小鮮。』況於區區蕞爾,而可屢擾乎哉?」
訳
姜維はほぼ文武両面の才を備え、功名を上げる事を志したが、
そのため軍勢を軽々しく扱って外征を繰り返し、
明晰な判断を十分にめぐらす事ができず、 最期は身の破滅を招く事になった。
『老子』に「大きな国を治めるのは、小さな魚を煮るのに似る」
(小さな魚を煮るのに突付き回してはいけないように、頻繁に民に干渉したりしてはならない)
とある。 ましてせせこましい小国において、
たびたび民の生活を乱すような行動を起こしてよいものだろうか。
以上のように、北伐と財政負担を結びつけて蜀を考えている人間はいない
皆「労」「心身の疲弊」を言っている
北伐で蜀が経済的に疲弊したのなら、誰か一人くらい財政面から責める人間はいるだろう
しかし居ないのだ
北伐の心身的疲弊に関しては以下のとおり
前スレコピペ
109 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/22(火) 23:10:18
経済的に豊かなのに心身だけが疲弊するってのも変な理屈だな。
心身の疲弊と経済的困窮は切っても切り離せない関係にあるのだが。
110 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/22(火) 23:11:42
金銀については最後にする
111 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/22(火) 23:25:43
>>109 えーと、ほら、世界一の大富豪が孤独で疲弊してるような?
バカな話だな
112 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/22(火) 23:26:25
>>109 日本は世界的に見てかなり豊かだが
国民の活力という面では途上国に劣る
君は何も得れれないのに数ヶ月に及ぶ全長5〜600kmの大遠足に毎年のように行きたいか?
大黒柱の不在が続くことになる家族も喜ばないだろう
毎年のように行かされたら心が疲れそうじゃないか?
それでも、日本は例え貧乏人でも平均的な諸外国の暮らしより
随分恵まれた暮らしを送っているんだよ
113 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/22(火) 23:28:24
蜀の豊かさも日本ほどではない
114 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/22(火) 23:31:15
戦争の疲れも遠足の比じゃないだろうしね
115 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/22(火) 23:39:36
何も得られないのに数ヶ月に及ぶ全長5〜600kmの大遠足に毎年のように行ったら、
半端じゃない金がかかるだろうが?その金はどこから出る?
そんな事させてたらいくら金あっても足りんぞ?
それを数万単位でやってたら、すさまじい勢いで金を使っていくだろうな。
お前は根本的に戦争が金がかかるものと言うことを理解してない。
そんな事してたら心身も経済も疲弊する。
116 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/22(火) 23:52:06
>>112 無報酬じゃないがプロ野球選手やJリーガーは当たり前じゃん
メジャーリーガーなんて更に酷
出張の多い外資系企業だってあるぞ
南極調査とか自衛隊派遣とかいろいろね
117 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/22(火) 23:55:15
>>115 >その金はどこから出る?
絹だろ
>>116 だから勝てないチームの士気は低いだろ
118 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/22(火) 23:56:51
ファンは離れるし、フロントはやる気ないし
両国の資源について
魏蜀の鉱物産地・特産品 (後漢書地理志・注より)
【 魏 】
金
〖涅〗〖鹵城〗〖金郷〗〖野王〗
銀
銅
〖沾〗〖晋陽〗〖藍田〗
鉄
〖弋居〗〖大陵〗〖故安〗〖平郭〗〖東平陵〗〖歴城〗〖嬴〗〖陽平〗〖朐〗〖彭城〗
〖堂邑〗〖西平〗〖魯〗〖武安〗〖都郷〗〖北平〗〖密〗〖林慮〗〖安邑〗〖平陽〗
〖藍田〗〖漆〗〖美陽〗
錫
鉛
特産品
玉類(玉(?)・美玉(?)・珠玉(?)・白玉・紫石英・碧・青碧 )・駿馬・漆・白金・塩
【 蜀 】
金
〖博南〗〖葭萌〗〖剛氐道〗〖湔氐道〗〖漢嘉〗
銀
〖朱提〗〖律高〗〖賁古〗〖雙柏〗〖葭萌〗〖剛氐道〗
銅
〖俞元〗〖賁古〗〖朱提〗〖邛都〗〖靈関道〗〖會無〗
鉄
〖沔陽〗〖宕渠〗〖臨邛〗〖台登〗〖會無〗〖滇池〗〖不韋〗
錫
〖錫〗〖律高〗〖賁古〗
鉛
〖律高〗〖賁古〗〖會無〗
特産品
丹砂・伽羅・雄黄・雌黄・塩・薬・玉類(玉(?)・璧玉・縹碧石・黒ノ・碧・青碧・空青・琥珀 )
[備考]毛皮・角・織皮・金細工・楽器・良木(漢書)・茶・名馬(華陽國志)
そして蜀錦(亮集)
上の金属の項目はあくまで「産地」 産出量は不明
後漢書のものなので三国時代に生きていたかも不明
しかしながら何となくな目安にはなるだろう
これを晋書地理志の旧蜀魏領の戸数比(1:4.94)でそれぞれを割ってみると
蜀 魏
金 5 0.81
銀 6 ---
銅 6 0.61
鉄 7 4.65
錫 3 ---
鉛 3 ---
蜀が約31万戸で上の数の産地をもっているのに対し
魏は蜀と同数戸(約31万戸)あたり、上の数しか産地をもっていない
蜀と魏、どちらが豊かかは歴然だ
ま、あくまで目安だけどね
蜀の人口
94万人は誤り これは「成人人口」
総人口は推定180万人
中国の歴代王朝の戸籍録は古くからあるが
その内容は実はよく分かっていない
ただし、唐については子供まで戸籍に入れた事がはっきりしている
晋が天下を統一した280年
晋
戸:二百四十五萬九千八百四十
口:千六百一十六萬三千八百六十三
1戸の平均=6.57人
蜀を滅した263年
魏
戸:六十六萬三千四百二十三,
口:四百四十三萬二千八百八十一
一戸の平均=6.68人
これらの1戸当たりの平均人数の数値は
子供も数えたことがはっきりしている唐の「約6人」と近い
これが正常だろう
一方、「男女口」である蜀呉は 蜀3.36人 呉4.34人 と
唐の数字とは懸け離れている
戸の核である夫婦「2」を引けば
老父母・子供合わせて、平均1.36人 ・ 2.34人というあり得ない数字だ
これを見ても「男女口」が"成人人口"であるのは間違いない
更にこの説の補強材料として挙げれば、
280年の晋の戸籍が
戸: 245万9840戸
口:1616万3863人
「男女口」を年齢を問わない人口とするなら
280年の呉、263年の魏蜀の戸数及び人口をそれぞれ合計すれば
戸数:146万6423戸
人口:767万2891人
呉は同じとして、魏蜀は17年の間に
戸数:99万3417戸
人口:849万0972人
増加していることになる
これは豪族の私民、兵戸、流民などが戸籍に加入した為と考えられるが、
問題は、増加した戸・人口から割り出せる"17年で増えた戸の「1戸当たりの平均人数」"で
これが 平均8.55人 というとても高い数値になる
仮に、蜀呉の戸数に魏晋に近い6.6を掛けたものを正しい人口とすれば、それぞれ
蜀の人口 184万8千人
呉の人口 345万1800人
となる
これで計算し直すと
280年の呉、263年の魏蜀の戸数及び人口のそれぞれ合計
戸数:146万6423戸
人口:973万2681人
呉の戸籍を引くと魏蜀は17年の間に
戸数:99万3417戸
人口:643万1182人
増加した となる
増加した分の1戸の平均人数は6.47人
適正値と言える
よって、蜀呉の1戸当たりの平均人数は6.5前後
「男女口」とは"成人人口"であると考えるのが妥当 となる
蜀28万戸に6.5を掛けると180万人となるというわけだ
晋が中国を統一した280年の推定人口
旧魏領 1066万0831人
旧呉領 343万6110人
旧蜀領 206万6922人
あくまで、全体の戸の平均人数を各戸数に掛けただけの推定
17年遡っても三国は大体こういう比率だろう
魏5 : 呉 1.7 : 蜀 1
人口比はこれくらい
国力比となると資源やら何やら加味されるので魏蜀の差は縮まる
というわけで、蜀が貧しいと思い込んでいたみなさん
長いこと本当にご苦労さまでした
もう妄言は結構です
では、次は魏が豊かじゃなかった事についてでも語り合いましょう
蜀が豊かな一方、魏は豊かではなかった
ケ艾がこんな事を言っている
「國家前有壽春之役,後有滅蜀之勞,百姓貧而倉稟虛」
たった2回の戦役で、百姓が貧しくなり国庫も空になってしまった と
寿春の役と蜀討伐は5年も空いている
魏が如何に余裕がなかったかという事が分かるだろう
イリョウの戦いから北伐まで外征がなかったことを考えると蜀がいかに余裕がなかったことが分かるだろうw
>>27 蜀が貧しくないというのは、どの部分からですか?イマイチわかりません。
「人口が何々だから・・・」とかいうことですか?
貧しくないのではなく無謀な外征を繰り返し貧しくなったと言ってるんだがな
間違えた、貧しいのではなく無謀な外征を繰り返し貧しくなったね
成人男女のみを戸籍登録するという大退行を蜀呉が犯していたという史料的裏づけが無ければ、妄言にすぎないわな
蜀の人が言ってるのは、漢代と比べて三国時代の政治・徴税制度の決定的な衰退を示す証拠に発展し兼ねない問題であって、
「蜀は豊かだった」と言いたいがために容易く弄れる話では無いのだが。
>>29 南征まで3年
内1年、劉備の具合が悪い
残り2年、劉備の死による混乱と代替わりによる再編成
夷陵の戦い直後、魏が呉を攻めた
そのとき劉備は援軍を呉に申し出た
それくらいの余力は残っていた
つまり、戦争しなければ貧しくなかったということですか。。。
それはいつの時代もどの国もほぼ一緒のような気が。。。
そんな結論のためにパート4に?
大体なんで魏晋の1戸あたりの平均人数を呉蜀の戸に掛ける必要がある?
>>32 それは根拠のない妄想だ という話をやっている
>>33 おそらく多産奨励政策だろう
制度の衰退ではない
>>36 どこもそんなに変わらないはずだからだ
もちろん
>>26の数字に誤差はあるだろう
魏が上とも蜀が上とも言えないけどね
>>37 資源については前スレでも、後漢時代から時代が大きく変化していることや、
そもそも産出量が不明なことなどから、材料視できないとされていると思います。
>>40 目安には成るよ
10倍も埋めれると思う?
2は魏と蜀の金の採掘量が同じであって成り立つ話なのに採掘量は不明としてる時点で何の根拠にもならない
多産奨励政策なんて記録は残ってないわけだが
また蜀豊の妄想ですか、自分の主張を通すために色んな事でっちあげるなよ
>>41 大事なのは産出量だと思います。産地の数はわかりましたが、
まず、三国時代にどれだけ掘っていたのか、そして各産地の埋蔵量がどれだけなのか、
そういう要素で全然違ってくると思います。
ちょっとしか取れなくても産地は産地でカウントされるので、やはり産出量がわからないと。。。
>>44 蜀の鉱物資源は後漢書注や華陽國志でえらく豊かと言われているが
魏はそうでもない どちらかと言えばあの数字で得しているのは魏
魏の場合は強制移住、強制婚姻、屯田と人口確保のために大規模に政策やってんだから
そりゃ1戸あたりの人口も増えるよ、農地農具の貸し出しもやってるしね
上杉謙信は佐渡金山一つで豊かだった
偉く豊かといわれても数値で示さないと意味ないよ
州ごとの比較で益州が他の州より金が多いのか益州一州で魏より多いのかでずいぶん話は変わってくるし
>>2 その数値で言うと、鉄は魏のほうが蜀の3倍は取れそう
A国 人口10億人 国民の平均年収8千ドル
B国 人口 1億人 国民の平均年収5万ドル
平均的国民の生活レベル
A国:ぼろアパート 自転車 14インチのブラウン管テレビ ビデオなし
B国:庭付き一軒家 自動車 42インチの薄型テレビ ブルーレイが主流
極端だが、A国とB国はどちらが豊かと言えるだろう?
国民総所得 A国8兆ドル B国5兆ドル
A国は魏に通じ、B国は蜀に通じる 極端だけどね
国として魏の方が豊かだったと主張するということは
A国の方が豊かだと考えるという事だよ
その例えが無茶苦茶なんだが・・・・・
蜀の民が魏の民の6倍の収入を得ていたなんて蜀豊の妄想だし
>>46 結婚するとその夫婦が独立して1戸となる
だから結婚すれば、戸が一つ増え、人口は変わらないから
平均人数は減る
理屈じゃなくて屁理屈だろ
理屈と屁理屈を辞書で調べてから言いな
>>52 1戸あたりの兵雇用は決められてるから子供はたくさん産んだほうがいいんだよ
田畑を耕す働き手にもなるしね、戸も増えるし人口も増える
>>39 子供の数と生まれた歳を把握してなかったら、いくら多産でも人頭税や徭役の適用年齢と人数が把握出来ないのだか?
他人の成りすましが現代とは比較にならないほど容易だった時代だ。
年齢の誤魔化しなんていくらでもできる。
その他の徴税逃れを防ぐために、秦漢は個別的人身把握政策を追求した。
つまり、県郷の官庁に名簿として記載される戸・口、本人を確定するための年齢、係累、爵位、財産など精密な記録だ。
年齢はそのうちもっとも重要なもの。
後漢末の戦乱を経て、この戸口調査を受け継いだのは魏だけだった、君は言う。
政治制度の衰退と言わずしてなんという?
というか、そこまでして蜀を貶めたいなら勝手にするがいいが、呉を巻き込むな。
理屈が通ってないものを理屈といわれてもねぇw
A国は魏に通じB国は蜀に通じるなんて言っておいて
でっちあげた収入差を突っ込まれたら何倍とかは関係ない
関係ないならその理屈は通ってないよ、関係ないなら言わなくていいよ
蜀豊の言い分見てたら蜀が何故魏に勝てなかったかわからんのだが
魏に勝ってた経済力を軍事にまわさず何度も攻めては引き返してたのか?
諸葛亮が無能だったってこと?
出師の表を見れば悲壮な決意をもって孔明が北伐をしたのがわかるのに
蜀豊の言うように蜀が外征を何度繰り返しても問題ないほど豊かなら
孔明も北伐であれほど慎重な戦いはしなかっただろう
軍費の捻出、兵糧の備蓄と色々苦労してやりくりしてるのにな
>>12>>13>>14 諸葛亮研究家の貴志白文氏は「出師の表」等を元に蜀の状況を、
劉備と孔明が進出した前後の益州は、虐げられた農民は貧しく、生産意欲も上がらず、
国家は疲弊し切った状態であった。 "益州は疲弊す、此れ誠に危急存亡の秋也。”
(「出師の表」より)という情況であった。度重なる戦争が此を更に助長した。
と述べていますが、これが最もしっくりきます。
蜀豊 - Wikipedia
蜀豊(しょく ゆたか、1966年6月6日 -)は、日本の擬似科学作家、擬似歴史学作家。中国四川省生まれ。
著書
・『ナチスがUFOを造っていた』(2ch、2008年)
・『人は死ぬ時なぜ体重が減るのか - 70グラムの魂が棲む“死後の世界”を覗く』(2ch、2009年)
・『カラスの死骸はなぜ見あたらないのか』(2ch、2010年)
・『蜀は魏より豊かだった』(2ch、2010年)
>>62 今天下三分し益州は疲弊す。此れ誠に危急存亡の秋なり。
然れども侍衛の臣、内に懈らず、忠志の士、身を外に忘るるは、
蓋し先帝の殊遇を追ひ、之を陛下に報いんと欲すればなり。
経済的だけでなく国家として滅亡の危機が迫ってないと、
「然れども」に繋がらないよね。
景気悪いけど北伐しますじゃ軽すぎるだろ。
我々は時速1kmオーバーの安全運転
蜀豊は飲酒で時速100kmオーバーの危険運転過失致死
どっちが害だか一目瞭然
8 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2010/06/21(月) 14:57:07
降伏時の蜀の経済力
領戸二十八萬、男女口九十四萬、帶甲將士十萬二千、吏四萬人、米四十餘萬斛、金銀各二千斤、錦綺綵絹各二十萬匹、餘物稱此
9 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2010/06/21(月) 14:58:39
蜀の物資不足
丞相諸葛亮連年出軍,調發諸郡,多不相救
10 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2010/06/21(月) 18:16:23
今民貧國虚 決敵之資 唯仰錦耳
(諸葛亮集)
豊かなのは絹だけ。
つうか、(おそらく漢に習って人頭税を取るための調査結果だろうが)男女口に含まれない人口がたくさんいた、という妄想が事実としても。
国家が把握せず動員も税収も取れないような老幼じゃあ国力には寄与できない罠。
それとも蜀の豊かさは子供を酷使して支えられたリアル聖帝だっていいたいんだろうかw
魏の場合、一般の戸に加えて多数の屯田民が別にいたといわれているしな。
晋で屯田民が一般戸籍に編入された際には、数十万単位で増えているから。
69 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/06(火) 14:44:27
まあ、人口はともかく一人当たりの生活水準は高そうだな。蜀は
>>21 の比率なんか見ると魏は下手に人口が高いだけによけい貧しそうに感じる
蜀では当たり前の鉄の農具すら、魏ではごく一部のものにしか手に入らなかったのだろう
70 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/06(火) 15:22:33
経済力が最終的に武力に直結しなければこの時代には大した意味ないので
仮に蜀が豊かでも、魏を打倒出来なかったのは不思議でもなんでもないが
これだけ経済格差があるなら民の流入が大量にあっても良さそうだが。
蜀豊自己レス乙w
妄想だけだから書き方変えてもすぐばれる。
生活水準なんてまた妄想を……。
だったら孔明が民貧しい、頼むのは絹だけだと嘆いたのも、
ショウ周が民衆の疲弊を憂いたのはなんなんだよw
人口94万程度で10万の兵と4万の官吏を必死で食わせていて、まともに考えたら一年ぽっちも持つか怪しい程度の食料しかない国で生活水準が良い?
そうか、誰かさんの脳内では蜀の民は霞食って生きられる仙人の集まりなのか。
>>21は産出量が不明なのに戸数で割っても仕方ないだろ、頭おかしいのか?
漢代で塩・鉄の産地であり集積の中心でもあった山東を魏は早くから押さえていたしね。
実物の鋼鉄刀が遺跡から多数出ているし。
ついで光武帝の根拠地になった漁陽郡一帯も鉄産地として有名。
生活必需品の塩鉄を国家の専売にするようなことやっといて蜀は豊かねぇ
民の生活は苦しかっただろうな、多少高くても買わざるを得ないし
>>19 雍(鉄)、美陽(白金および鉄)、林慮(鉄)みたい有名な産地を省略してあるのはなんで?
わざと?
それともどっかのコピペだから?
最後の切り札は絹でしょうな
当時から中国最大の銅産出地帯である江夏郡も魏が抑えているしね。
もっともしばしば呉の攻撃を受けているから、安定して取れたかは微妙だが。
80 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/06(火) 18:41:31
>>75 この時代において当時の技術力で掘れる分は堀尽くしたと思われるけどね
中原は戦乱だらけ。産出量でくらべたらますます魏は貧しくなるだろう
>>76 専売はある程度採れるからこその裏返しだろう
塩は日本ですら民営化されたのはつい最近
>>80 妄想はいいから。
その理屈でいうと、孔明自身が有名な産地を上げて実際に頼りになるほど出ない、といってる蜀の資源も……となるぞ。
むしろ蜀欠乏のほうが説得力できちゃうw
掘り尽くした、また蜀豊の妄想か
>江夏
文聘伝によると、数十年にわたって守り、恩寵と威信は敵にもとどろいたので進入することができなかった、とある。
魏の貨幣政策やらに使われた資源の出所はここじゃないの。
ある程度取れるんなら民間に開放してやれよw
蜀は豊かなんだからさ
掘り尽くしただとよ
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
当時の技術力で掘り尽くしたってどんだけの鉱山よ
資源枯渇してたのなら、それこそ蜀ってめちゃくちゃな争奪の地にならん?w
魏どころか呉だって目の色変えて攻撃するだろう。
それ以前にそんなに蜀が富強なら劉備が掠め取るのもできなかったんじゃないか。
根拠地は一州に見たずしかも戦乱に荒れた地しかなかったわけだし。
今日も釣れまくり。次は呉をアンチってみようかな
89 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/06(火) 20:25:08
>>69 仮に蜀の鉱山が豊かだったとしても、鉱山掘りの頭数で負けてるんだが。
オレンジジュースがいっぱいあっても、細いストロー一本しかなかったらちょっとずつしか飲めない。
晋書だと劉備即位年の蜀の人口は90万人20万戸。
滅亡までになんと4万人・8万戸数も人口が増えているのだ!
これでいかに豊か(笑)で生活水準が高かった(爆笑)のかわかろうというもの。
劉禅さんは豊かな蜀の皇帝でいるより、貧しい魏晋の一諸侯でいるほうが楽しいそうです。
92 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/06(火) 20:34:29
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1173198755/l50 夢蜀【むしょく】
三国時代の蜀の後主、劉禅は後世に於いて無能な君主として描写されることが多い。
しかし、そうではないことを示す逸話をここに紹介する
魏に降伏した後、劉禅は蜀を懐かしむ素振りも示さず、酒宴に明け暮れる日々をすごしていた
かつて蜀の臣だった人々はこれを観て甚く悲しんだ
幼少の頃より劉禅の身の回りの世話をしていた宦官のという者が居た
邇杜は宦官にしては気性が激しく、正邪を弁えた人間だいう評判だったが
ある日、いつものように楽しそうに宮女の舞を見ていた劉禅を見かねた邇杜
「殿は蜀が恋しくないのですか」と言った
劉禅は聞こえない振りをした
すると邇杜は宮女を押しのけ、劉禅の目の前まで進み出て大声で怒鳴った
「あなたにとって蜀はなんなのですか!」
劉禅は目を逸らし、やはり何も答えなかった
ついに邇杜は劉禅の胸倉を掴み、涙をながして言うに
「あなたは毎日何もせず、踊りを見て酒を飲むばかり。一体何を考えてらっしゃるのか」
邇杜に向き直った劉禅の目には涙が浮かんでいた
そして彼は一言だけ、こう言ったという
「夢蜀。」と
「私は蜀の夢を見ない夜は一度たりとも無かった。」
劉禅の気持ちを察した邇杜は大いに恥じたという
この逸話はしかし劉禅が蜀を再興しようという野心があると思われる危険があったため、公には伝わっていない。
これ以降、日ごろ何もしていないが心の中に大志を抱くものを「夢蜀」と呼ぶようになった
最近では後半の意味が忘れられ、ただ単に何もしない人間をさすようになり、いまの「無職」になったという
『消された歴史・隠された真実』 李安庸
だからいつの時期、何を指して蜀を豊かだといってるんだ?
人口? 兵士数? 財力? 具体的に言えよまず。
有名産地をなぜか魏領土にある分だけ除いて並べた悪質コピペとかする前にな。
蜀は魏に攻め込んでは敵地で麦などを刈り取り、住民まで魏から蜀へ強制移住。おかげで蜀は
どんどん人口増加し、ついに90万人に♪
出師の表で「益州疲弊」と表し、北伐して住民と食糧を調達していたわけです。
考えてみれば姜維、王平、夏侯覇など有力武将は皆、魏からの降将。オリジナル武将を使用す
る魏や呉と違い、降将に頼らざるえを得なかった蜀。人口が少ないから仕方ないかな
蜀は諸葛亮の時から姜維の時まで9回は北伐してる。1回あたり5万人を移住させたとすると、
45万人くらいは蜀へ強制移住させた計算になる。蜀の人口の半分だな
話違うが魏は蜀に3回攻め込み、その3回目で蜀滅亡。あっけなかったよね
策で徐庶を劉備陣営から奪った
敗北した劉備の元から去った黄権
二人とも魏の人間になったが魏は使おうとしなかった
武林遙氏曰く、「・・・人口に対して兵が多く、国力の疲弊していた蜀にとっては、領土拡張こそ
唯一の打開策だった・・・」
>>97 魏は人材が余ってたんでしょうね
>>97 徐庶は御史中丞。黄権は益州刺史から車騎将軍。どちらも十分以上に使われてます。
>>99 まぁそうですけど姜維のように活躍できる舞台を演出しなかったような
徐庶・黄権は非常に優秀な人材なのに
101 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/06(火) 23:02:52
>>99 諸葛亮は徐庶の官職は低く、その原因を魏の人材が豊富なこととしている。
黄権の車騎将軍は魏への投降後17年たってからのことで、わずか1年で死去。
>>101 諸葛亮は徐庶を高く買ってたから、尚書ぐらいにはなってると思ってたんじゃねえの?
御史中丞でも徐庶の家柄と出仕年数考えると破格の出世なんだが。
出世しなかったおかげで演義の劉備と徐庶の別れのシーンが映えて来るんだからいいじゃまいか
徐庶はいつ死んだかも定かでないのが悲しいし、不遇さを増してる
>>104 それを言うなら、征東将軍にまで出世した孟建ですら、没年は定かじゃないぞ。
魏の征東将軍がどれだけ凄い高官かは分かるよな?
>>56 戸も人口も増えるが、平均人数は結婚すれば下がる
>>57 ちょっと大きな会社で、女子社員の人数だけ報告させれば
上層は女子社員の人数は把握できるが、男子社員の数を把握できない
しかし各課長は自分の課のすべての社員の数を把握しているだろう
戸籍簿を作って成人人口だけを上に報告させれば、上層部は成人人口を把握できる
が、未成年に関しては分からない
しかし民に直接関わっている末端の役人(の、その手下)は、
戸籍簿をいちいち見なくても自分の管轄の民家の構成人数もおよその年齢も大体知っているだろう
昔は死亡率が高く、5人子供を産んでも成人になるまで生き残れるのは2〜3人
大人も病気や怪我で簡単に死んだ
今に史料として残る戸籍は、滅多にない全国一斉調査(すぐに役に立たなくなる)のようなものか、
毎年全国一斉調査をして、その内の或る1年を切り取ったものかのどちらかだろう
前者なら「人頭税や徭役の適用年齢と人数の把握」には用立たないし、
後者なら「新成人の漏れ」の心配は少ない 密接社会をなめてはいけない
他人のズルを許せないのが人間だ
戸籍簿に載せないのには意味がある
税を課さないと言われても載せられるのはいい気がしないものだ
本当に調べない行動は、必ず民に開放感を与えるだろう
民官の間で尊重と信頼の交換が行われ、民心を買う事が出来る
必要のない調べをして余計な手間を掛けるだけ なのより、何倍もいいんだ
>>58 おっと、理屈を理解できないと屁理屈と思ってしまうという罠があったな
>>59 実際勝っていてもおかしくなかったじゃないか
>>60 笑 金があっても戦車とかミサイルとか売ってないんだよ
>>61 悲壮かぁ?悲しい感じは全くないんだが
確かに出師表は遺書のように見える
決死の覚悟で事に臨んでいるのがとても伝わる
しかし別に悲しくはない むしろ逆
諸葛亮はね、全く追い込まれていないんだよ
国がヤバイのは皆が指針を失いネガティブになっている事
改めて魏打倒宣言を行った事により、この問題は解決した
資力もある
劉備が自分に向けた有り難すぎる態度
この感激に諸葛亮は震え泣き、何としても報いたいと強く強く想ってきたんだ
そして遂に準備が整った
これから一命を賭して、劉備の臨終の際にも託された本気の期待に応えるべく
大勝負に臨む
漢(おとこ)としてこれ以上の幸せがあるだろうか
その反面、自分亡き後の若君や国を想えば案じずにはいられない
諸葛亮の尽きせぬ想いが伝わってくる
>孔明も北伐であれほど慎重な戦いはしなかっただろう
手堅く行って勝てるのに過度なリスクを冒す必要がどこにある
勝てなかったのは結果論だ
>軍費の捻出、兵糧の備蓄と色々苦労してやりくりしてるのにな
色々やりくりするだろうが「苦労して」と何故言える
>>62 >これが最もしっくりきます。
間違っている者同士、波長が合うのでしょう
>劉備と孔明が進出した前後の益州は、虐げられた農民は貧しく、生産意欲も上がらず、
>国家は疲弊し切った状態であった。
Yes
>"益州は疲弊す、此れ誠に危急存亡の秋也。”(「出師の表」より)という情況であった。
No
>度重なる戦争が此を更に助長した。
No
>劉備と孔明が進出した前後の益州は、虐げられた農民は貧しく、生産意欲も上がらず、
>国家は疲弊し切った状態であった。
そこで "務農殖谷,閉関息民”
農耕に務め穀物を増産し、鎖国して民を育てた
215年、益州を取った劉備に対し孫権が荊州を要求してきた
これで呉との仲が拗れ国交を絶った
それが「閉関」 物資が外へ流れていかないので国内が潤った
218年、漢中・武都へ攻め込んだ
この間まさに3年
3年で蜀は国力を回復させた
>>63 前より面白くなったよ
>>66 ×降伏時の蜀の経済力
○降伏時の志民簿と成都の在庫目録
×蜀の物資不足
○蜀の民は連年の戦に嫌気がさしていた
見るべきは「慰諭檢制,無逃竄者」
これと前部が対になる
丞相諸葛亮連年出軍,調發諸郡,多不相救,乂募取兵五千人詣亮,慰諭檢制,無逃竄者。
諸葛亮が諸郡に「これだけ出せ」と要求しても、諸郡はその通りに出せなかった
その理由は兵の逃亡
連れて行こうとしたら途中で逃げたんだ
戦争続きで兵は「オイラもう戦争なんて行きたくねぇ」とモチベーションが低下していたんだな
そういう意味で疲弊していたんだよ 心神の疲弊というわけ
『呂乂は徴兵された者達を慰め諭し取り締まったので逃亡する者が出ず
他郡と異なって諸葛亮の要求通りに兵を出せた』という話
×豊かなのは絹だけ。
○殖産
亮集のそれは入蜀直後のものだろう
既に出ているように入蜀直後益州は貧しかった
「魏と決する」=「魏打倒を果たす」その金銭的拠り所は、ただ絹を仰ぐのみ
入蜀後、国家計画として
国際競争に勝利する為の武器として蜀錦を殖産していこうという方針を示した
>>67 戸籍作りは税を取るのが目的だろう
人間を数えるのは人頭税を取るのが目的だ(成人♂には兵役・労役もある)
子供から税を取るつもりがなければ子供を戸籍に載せる必要はない
普通子供にも人頭税を課すもんだが、蜀呉が課さなかったとすれば
それは多産奨励政策だったかもしれないな
人口で敵国に水を空けられている蜀呉は何より人口を増やしたいだろうからね
子供に税を課さなければ民は産んだだけ労働力がアップし暮らしが楽になる
よって民は子作りに励む
こうして子供無税は多産に繋がる
また、税を取られないのだから、蜀の民戸はその分余裕があるということになるな
>>70 魏が逃がしてくれればね
>>71 妄想すんな
>>72 それを曲解による妄想だと言われているのに気付かないかのか?
>>73 人口94万じゃないしな
>>74 お前がな
>>75 山東は細かい地名で多数出ている
漁陽は抜けてしまった 悪い
>>77 「雍」は書いた気がするが、無いという事は作戦段階のミスで消えたっぽい
「美陽」「林慮」はあるよ
>>79 後漢書注には無い
蜀豊たんキタ━━(゚∀゚)━━!!
>>68 蜀が28万戸なのに
魏がリアル66万戸とは誰も思ってないだろう
晋に90万戸くらい増えてるな
それが反映されたものが
>>26
>>81 >孔明自身が有名な産地を上げて実際に頼りになるほど出ない、といってる蜀の資源も
だからきちんと訳せと言ってるだろう
全然見当違いだぞ
>>82 その蜀豊が俺の事なら別人だ
>>89 横レスだが、
100人の人間がストローをくわえていても、一本の缶ジュースを一緒に飲めるのは精々2人だ
>>90 それ「男女口」
しかもおそらく鯖を読んでいる
>>94 財力だろう
>有名産地をなぜか魏領土にある分だけ除いて並べた悪質コピペとかする前にな。
わざとじゃないよ
それに、魏の方は「鉄がある」と書かれてなくても
「鉄官を置いた」「鉄丘という名の地がある」という記述で
有鉄妥当と判断し、その地も加えている
>>95-96 下手な煽りだなw
>>98 間違ってるな 書くなよ、可哀想に
>>101 >その原因を魏の人材が豊富なこととしている。
あれは腐敗している魏の政治に対する嫌味
120 :
訂正:2010/07/06(火) 23:57:32
>>105 >それを言うなら、征東将軍にまで出世した孟建ですら、没年は定かじゃないぞ。
いや、だから、「征東将軍」でさえ没年がわからないほど埋没した存在ってこと。
徐庶と同様、人材豊富な魏の中でその存在が小さいことを示していると言いたいの
だけど。
>しかし民に直接関わっている末端の役人(の、その手下)は、
>戸籍簿をいちいち見なくても自分の管轄の民家の構成人数もおよその年齢も大体知っているだろう
うわ、末期状態だ。
後漢以来の現象として、地方下級官吏の豪族固定化がある。
豪族は大土地と財産を占有すると同時に、その財産でもって租税を肩代わりするなど
貧農や仮作農家の経営を守る役目も果たし、もって地域の「顔役」としての地位を保持した。
時には中央朝廷の無茶な賦役・徴税に反発する中核となった。
秩禄は低いが地方政治の実質を掌握する下吏と、
中央の意思をら派遣される長吏の綱引きで後漢三国の地方政治は行われていた。
後漢中期以降、豪族の地域支配は強くなっていく一方で、後漢崩壊と三国の理由の一端はここにある。
豪族が一方的に流民・貧農を使役していたのではなく、生活保護者として、盗賊や過酷な徭役・徴税から
彼らを守ってもいたわけだ。ちらほら見られる「大姓」の叛乱というのはこういうタイプ。
蜀もまた、蜀志列伝者の経歴から、地元益州人(特に豪族)によって郡県の下吏が占められていたと考えて良い。
そんな立場にいる豪族的下級官吏だけが人口の実態を把握し、中央へは成人男女人口しか報告していなかったと
いうことは、呉蜀朝廷の地域社会掌握が無残な有様だったことを示す。
そりゃいくら生産力豊かで人口180万人いても戦に勝てるわけが無い。
途中おかしなまま送ってしまった
>秩禄は低いが地方政治の実質を掌握する豪族的「下吏」と、
>中央朝廷の意思を奉じて派遣される太守・県令長ら「長吏」の綱引きで、後漢三国の地方政治は行われていた。
>後漢中期以降、豪族の地域支配は強くなっていく一方で、後漢崩壊と三国晋の把握人口減少の理由の一端はここにある。
蜀の180万人をピラミッド型人口統計に配置
61から** 10万人
46から60 25万人
31から45 35万人
16から30 50万人
*0から15 60万人
※あくまで適当に配置
16歳から60歳を労働人口とすると、110万
うち兵士を10万とすると、労働人口は100万
100万の労働人口で非生産人口80万を養えるだろうか。。。
>>124 そりゃ流石に詭弁以下の駄弁だろ
同じピラミッド型に配置したら、どんな人口でも年齢別比率は変わらん。
いくら彼がアレだからって、頭使わずにその場のノリで応酬するレスも多すぎるぞ
蜀豊、出師の表まで否定しだしたよ
>手堅く行って勝てるのに過度なリスクを冒す必要がどこにある
>勝てなかったのは結果論だ
突っ込みどころ満載
手堅くやって成果もほとんど上がってない
元から北伐は無謀といわれてるのに手堅くやって勝てるとか馬鹿だな、蜀豊は
蜀豊が自分の妄想のためなら、なぜか贔屓している蜀の史料さえ貶めるのは毎度のこと。
でたらめがバレたら作成ミスとかいいだすが、それを何レスにもわたってコピペし続けた馬鹿っぷりw
>>118 >見当違い
見当違いはお前だろ。
殖産とかいってるが、それじゃ孔明は実際に産出量見る前から蜀の有名産地はもうろくに採掘できない、と予言してたことになるぞw
で、蜀が豊かという主張はそういう史料捻じ曲げや、人口は史料の二倍ですたとかの妄想の世界だけの話ってことでFAでいいんだなそろそろ。
蜀豊は擬似歴史研究家だから仕方ない
「ナチスがUFOを作った」=「蜀は豊かだった」
どちらも0.5%くらいの確率はあると思う
>>118 財力は金銀がそれぞれ二千しか残ってないほど貧しかったんだが。
劉ショウから強奪した金銀を恩賞として分配した時よりはるかに少なくなっているのが史実。
財力なら一番駄目じゃん。
商業国の蜀が断交して国内を潤わせただとよw
物を売らないと国内を潤わないだろ
絹ばかり国内にあっても仕方ないんだし
蜀末期は備蓄食料もわずか40万コクだからね。
劉ショウが成都に篭城した時には、三万の兵を一年食わせる備蓄があり、
さらに官民は馬超が劉備につくとかの追い詰められている状況を知りながら戦うことを望んだほど。
明らかに劣化しているじゃん。
明らかに魏より貧しいじゃん。
その原因はほかでもない劉備一党が戦争しまくったせいなんだから、誰を恨みようもないが。
つか、呉にも劣ってないか。
経済的に勝っているのなら、それこそ異民族から恨まれるほど収奪せず普通に交易で必要物資調達してただろうしな。
魏はともかく呉なら軍需物資入手できるだろうし。
でもそういった形跡はないからな。
むしろ軍事力に直結する馬まで呉に売ってたぐらい困ってた節がある。
廖化当先鋒という言葉があってだな>人材不足
民衆から収奪し(入蜀戦でも、劉備軍は大規模な略奪を繰り広げている)、それでも足りなくて異民族から収奪し、それでも魏どころか呉にも勝てなかった。それが史実だからな。
豊だけど人材不足。
どーも不釣り合いだな。
蜀が豊なら魏(貧とされる)から蜀へ逃げ込むはな。
人口が90万人程度の中で、教育を受けられる層のうちの才能ある人間、という少数をすくい取らないといけないわけだろ。
そら人材なかなか集まらんのじゃ。
で蜀豊は180万人と予想
豊なのに180万人もいながら、人材が育たない
余計に深刻にみえるよな
育っているけど出世できなかった可能性もあるけどな。
何しろ官吏が四万人もいる。国土や人口からすればとんでもないだぶつきぶり。
民衆が苦しんでいますから塩税下げましょうよ、といっても蹴る諸葛亮。
それでもうらまれなかったのは自分も士大夫としては貧しい生活に耐えて見せたから。
でもそんな俺も苦しんでいるんだから、の精神論じゃいずれ我慢もできなくなる罠。
>>141 荊州閥が幅利かせてるしね
上のほうに行くほどそういうやつやそれらの子供も多いしね
魏.現在の中国
蜀.天安門事件の時の中国
>>122-123 何を言いたいのかさっぱり分からない
それらしい事を並べて尤もらしく見せてるが殆ど内容がない
>生活保護者として、盗賊や過酷な徭役・徴税から彼らを守ってもいた
豪族の貧農囲い込みと(高利貸業者的所業)
游徼の盗賊取り締まりと(官の職務)
里正の徴税責任(官の職務)
複合してまるで豪族の性質であるかのように語るのはおかしくないか?
>そんな立場
どんな立場?
>豪族的下級官吏だけが人口の実態を把握し、
>中央へは成人男女人口しか報告していなかった、
表現に問題があるな
「豪族・下級官吏だけが人口の実態を把握していて、中央は成人男女人口しか報告させなかった」
でいいだろう
「成人男女人口のみの報告」の主体は国だ
>呉蜀朝廷の地域社会掌握が無残な有様だったことを示す。
主体を豪族と錯覚しているからだろう
国より地方の方が地域を把握しているのは当然だよ
国が多産奨励の為に未成年を無税にし、人口の報告義務を成人に限ったら
それが地方との間での国家権力弱体の証になるのか? ならないよ
>>124 平均寿命って言葉知ってる?
>>125 「アレ」が何か気になるが、こんなんばっかだぞ
>>126 「出師表の誤読」の否定だよ
>>127 >手堅くやって成果もほとんど上がってない
それを結果論という
>元から北伐は無謀といわれてるのに
諸葛亮の北伐が無謀だと誰が言ったか言ってみ
君のレス、突っ込みどころしかなかったな
>>128 どこの事も贔屓していない
贔屓で語るような低次元に君はいるってこったな
贔屓の引き倒しで迷惑掛けるなよ
>>129 >それじゃ孔明は実際に産出量見る前から蜀の有名産地はもうろくに採掘できない、
>と予言してたことになるぞw
前スレで言ったが、金銀の話と殖産の話には何の脈絡もない
そもそも「蜀の有名産地はもうろくに採掘できない と言った」というのが
誤訳もいいとこでな
間違っている上に勝手に繋げて妄想した挙げ句、
興奮して
>>129のレスを書くなんて恥ずかしい奴だ
>>145 >複合してまるで豪族の性質であるかのように語るのはおかしくないか?
おかしくない。豪族達がそのようにして地方政治に幅を効かせていったのが漢三国の流れ。
郷土から選出された父老(徴税責任を持つ)が、自腹を切って貧農の税の肩代わりをしてやったと
見られる記述が実際にある。「貧農の囲い込み」と「徴税責任」を同時並行して豪族が行っていたわけだ。
小農には出資不可能な大規模開墾や祭祀の資金を提供してもやった。
乱世になると、郷里共同体を脅かす外部勢力に対抗する中核ともなる。
豪族というのは、君の言う「密接社会」において、土地を牛耳る兼併家であると同時に、
小作人をはじめとして小農の生活を守ってやる声望家でもあったわけだ。
「そんな立場」にある豪族・下級官吏達に人口の管理を任せ、
>「成人男女人口のみの報告」の主体は国だ
というのは、つまり、国家の地域統治権の主体的積極的放棄であるわけだ。
>それが地方との間での国家権力弱体の証になるのか?
なるわけだよ。豪族は地域社会の構成員が外からの力に疲弊させられるのを
防ごうとした。社会の安定と信望は自分の地位を安泰するものでもあったから。
そこで幼年人口を中央朝廷に報告しないということは、
「自分の村から誰をいつどれだけ賦役に出すかを決める権利が地域社会にある」
ということだ。
蜀漢は積極的に、地域社会での豪族の主体的統治権を認めたことになる。
漢代では、総人口や財産が把握され、その数字は県・郡・朝廷へ報告されていたため
郷里単位で支払うべき各種税の総額や賦役人数がきっちり決められていた
郷里の中では自由に融通できたようだが、税収総計は理論的には同額。
それが安定した税収の源となるわけだ。
君の想定する蜀呉体制にはそれが無い。無残なものだってことだよ。
>>132 鎖国前は国内需要と供給のバランスが崩れていたのだろう
貧しければ物を買う事が出来ない
自国で売れないので物資は高く売れる国外へ流れていく
民の生産物は国内で売れないので、自然と国外ルートを持つ商人に卸が集中する
売り手が集中する上、相手は貧しいので足下を見て、
国外ルートを持つ商人は通常より安値で買い叩く事が出来る
買い叩かれて民はワーキングプアになる
こうして国内は物不足に陥る上、民は貧しく、一部の人間だけが儲かるという構造になる
しかも儲けるのは主に国外の商人 国民はいつまでも貧しい暮らしを続ける事になる
鎖国すれば他国の商人がやって来ないので需要が減り、物価が下がる
物資は徐々に国内に供給され、国民は暮らしを取り戻していく
物価が下がるので、商人や生産に携わる人間はダメージを受けるが、
民もゆとりが出来て金を持てば物を買うようになる
一部の人間だけが儲かって金が集中している状況よりも、
多くの人間に広く金が行き渡っている状況の方が
需要は大きく、金が回って景気がよくなる
こうして民の基礎体力を回復させ、他国の消費者との競争力を身につけさせれば
バランスを取り戻す事が出来、自国を栄えさせながら生産を拡大し、外貨も稼げるようになる
鎖国による一時的なダメージは民への投資に当たる
>>131,
>>133-134,
>>139 これまでの語られてきた事を丸無視するのは君がバカだからか?
>>135 >異民族から恨まれる
愛されてる
>馬まで呉に売ってたぐらい困ってた節がある
名馬の産地があるからな
>>142 >民衆が苦しんでいますから塩税下げましょうよ、といっても蹴る諸葛亮。
そんな話は知らん
益州という後進地域の地方政権に見合わない度々の北伐が国を疲弊させたのは
言うまでもありません。
>>147 >おかしくない。豪族達がそのようにして地方政治に幅を効かせていったのが漢三国の流れ。
いやいや、おかしいだろ 職務は職務 別だ
その言い口で「士丈夫は〜」みたいな事を説明したら、士丈夫という「スーパー団体」が誕生するよ
>小農には出資不可能な大規模開墾
高利貸業者的所業
>祭祀の資金を提供
名声に繋がる
>乱世になると、郷里共同体を脅かす外部勢力に対抗する中核ともなる。
自分も襲われるしね
>小作人をはじめとして小農の生活を守ってやる声望家でもあったわけだ。
結果的にね
>豪族は地域社会の構成員が外からの力に疲弊させられるのを防ごうとした。
自分の不利益だからだろう
どうあれ、豪族が民衆を牛耳っているのはよしとしよう
それで、
>「自分の村から誰をいつどれだけ賦役に出すかを決める権利が地域社会にある」
>ということだ。
>蜀漢は積極的に、地域社会での豪族の主体的統治権を認めたことになる。
県令や太守は中央の人間だよ
郷里にも中央の監査役がいた
そんな自由はない
>君の想定する蜀呉体制にはそれが無い。
あるだろ
「郷里単位で支払うべき各種税の総額や賦役人数がきっちり決められていた」
これの人頭税を「男女」でやるだけだ
魏に攻め込んでは食糧を奪い、住民を蜀へ強制移住させる。そういう行為が
心身を疲弊させたのでしょう
>いやいや、おかしいだろ 職務は職務 別だ
>その言い口で「士丈夫は〜」みたいな事を説明したら、士丈夫という「スーパー団体」が誕生するよ
士大夫と豪族は、出身層が重なる部分が多いが、違うものだ。
朝廷官まで昇る士大夫は、教養学問を備えた大局的な政治の視野を持つ者達だ。
故に国家の視点から豪族の過剰な地域支配を抑えようとする…。
…少なくともそれが朝廷にとって理想的な官僚の姿であるのだが、
県令・太守級といえども、部下の豪族≒下級官吏の意向に次第に逆らえなくなって癒着が進んで行くのが
後漢の全体的流れ。その意味で、郷里レベルでは「スーパー団体」は誕生していた。
士大夫ではなく豪族のね。
後漢末の戦乱によって豪族支配はピークに達し、南北朝後期まで回復しない。
>郷里にも中央の監査役がいた
誰のこと?
県吏は県内の、郷吏は郷内の人間から選任された。
中央から派遣されるのは県長・尉・丞クラスまで。
というか、中央の監査役が在任して実人口の誤魔化しを許さないというのに、
実人口の戸籍を作らないというのは奇怪な話だね。
しかもその理由が、
>本当に調べない行動は、必ず民に開放感を与えるだろう
という希薄な心理効果のみというのはなんとも能天気な話だ。
>これの人頭税を「男女」でやるだけだ
上記の理由から、実数の「男女」のうちどの程度が戸籍にちゃんと入っているのか判らないのに?
で、呉蜀の二国が同時に戸籍簿の作成についてそのように大きな改定を行ったという
史料的根拠は? 大事なのはそれだけだよ。
漢嘉金 朱提銀 採之不足以自食
今民貧國虚 決敵之資 唯仰錦耳
今まで蜀豊は原文引いてやっても逃げるから無駄だと思うが原文より。
嘘ついても史実の困窮は変動しないっていい加減悟れよ。
お前のは妄想と捻じ曲げだけじゃん。
蜀豊は魏は貧しくもよくがんばった
と言ってるが、裏を返せば
蜀は豊でも人間が弱いから耐えられなかった
ということになるな
>>149 これまでの話を踏まえたレスじゃんどれも。
お前の詭弁にも嘘にも誰もだまされないってことだよ。
レス乞食ならもう飽食気味だろ。
真剣に嘘ついてまで持論を誰かに認めて欲しいんだったら、南無ww
財力が豊かなら異民族にまで専売制を強要して鉄塩を収奪する必要ないじゃん。
おかげで蜀がピンチで劉禅が南に逃げたい、といってもあそこはうらんでいるから駄目、といわれるほど。
国庫に金銀あわせて四千しか残ってないのにまともに買い付けたら空になるだろう。
絹織物類の量だけが異常に多いのも、ほかの食料や鉱物が税として満足に取れないほど疲弊していたので、仕方なくそれを徴収した可能性もあるな。
孔明の書簡だと戦争する元手は絹しかない、という悲壮な現状を語っていたが。末期だと豊富なのは絹「しか」なくなるというとのは。曹操の真似して屯田するのが遅かったんじゃないかね。
やっぱ総合的な国力や豊かさは
魏 5
呉 3.5
蜀 1.5
位かな
魏6 呉3 蜀1 ぐらいだろ。
魏 7
呉 4
鮮卑 1.5
蜀 1
匈奴 1
>>163 魏の時代の匈奴はそんなに強くない。
完全に内地に移住させられ、魏の属国。
歩度根やるね
>>154 >「スーパー団体」
ちょっと話が違うね
「複合してまるで豪族の性質であるかのように語るのはおかしくないか?」ってことだよ
「士丈夫とは、〜」と高官の職務を士丈夫の性質のように蕩々と述べたらおかしいだろと言っている
>誰のこと?
曹掾史だよ
>奇怪な話だね。
全然
>希薄な心理効果のみというのはなんとも能天気な話だ。
手間が掛からないというメリットもあるが、
能天気というのが良いんだよ これがミソと言っていい
>上記の理由から、実数の「男女」のうちどの程度が戸籍にちゃんと入っているのか判らないのに?
上記の理由(監査)から、そのような事はあり得ない(考えにくい)
>史料的根拠は?
「男女口」だよ
>>155 >今まで蜀豊は原文引いてやっても逃げるから
文章の局所を切り出して提示し、「どうだ!」と言っているのがバカな君のやり口
文章は流れで読まなければ正しく理解できないんだよ
俺が正しく読んでやっても「妄想」「捻じ曲」「逃げ」と言って逃げる
どうしようもないアホだな
>漢嘉金 朱提銀 採之不足以自食
>今民貧國虚 決敵之資 唯仰錦耳
[漢嘉金書]
漢嘉金朱提銀,采之不足以自食。
[教]
今民貧國虛,決敵之資,惟仰錦耳。
何勝手に繋げてるんだよ?
>蜀の有名産地はもうろくに採掘できない
アホか
「漢嘉の金、朱提の銀、これを採っても不足する。以て自食。」
「食糧買えばいいじゃん」と何者かが言った前提が隠れているのだろう
『食糧を買うとするなら、漢嘉の金・朱提の銀でも足りない
よって自分たちで食糧を作ろう』
という農業振興の提言だ
漢嘉の金・朱提の銀がもう満足に採れないなんて話では全くない
>今民貧國虛,決敵之資,惟仰錦耳。
は
>>112
>>156 ならねーよ
>>157 正論が詭弁に見えるとは…頭が悪いんだろ
>>158 南中は「夷漢」と言って、扱いは「漢」なんだよ
賦役を課すのは当たり前なのさ
「恨んでるからダメ」というのが詭弁でね
恨んでいようとなかろうと、異民族の地に力を失った王が逃れていけば唯では済まないのは道理
アホな劉禅によーく理解させようと理屈を付けたに過ぎない
それを真に受ける奴は劉禅並の馬鹿ってことだよ
否 劉禅は君よりまともだろう
>>159-160 157宛てレスを経ての
>>149
なあ蜀豊よ
自分に素直になんなよ、どんだけ心が歪んでんだよ
素直だ
お菓子ちゃん達、いい加減目を覚ませ
>「士丈夫とは、〜」と高官の職務を士丈夫の性質のように蕩々と述べたらおかしいだろと言っている
士大夫という言葉を持ち出したのは君だから知らんよ。
「高官」というのがどのレベルの高官のことだか理解出来ないけど。
元々、国家権力として上部から共同体を維持発展させようとする官吏の職責と、
自治共同体の主導者として、自分達を中心とする地域共同体を維持発展しようとする豪族の志向は、
別々に存在した。
といっても、理念上の話だけどね。厳密な皇帝官僚統制を志向した秦でさえ、完全な官僚支配を達成できず、滅びた。
漢の当初も、皇帝官僚支配政策に拠って官吏と豪族は衝突することが多かったが、
後漢以降、官界へ勢力を伸ばした豪族が郡功曹以下の県・郷・里吏の職責を占有・利用して、
自分中心の地域共同体の維持発展させていく傾向が強まっていき、
豪族を中心とする地域自治勢力がさらに伸張していったというわけだよ。
ために、太守クラスでさえも豪族大姓に阿り、収賄・癒着が深刻な政治問題となる。
>曹掾史
それは郡吏で、しかも、特定の役職名ではないんだけど。10人未満の太守の幹部集団だよ。
しかも郡の有力者から選任されるポスト。
彼らが数百の郷里を巡察して一戸づつ家族構成を監査していたと?
そんな職責を持っていた官吏の具体的な役職名は?
>能天気というのが良いんだよ これがミソと言っていい
まあ、本人がこう認めたのだから解決だね。
厳密公正な兵役と徭役が必要な戦時体制下にも関わらず、人口と年齢を正確に把握出来ない地域支配。
蜀呉の敗因は建国当初からのこうした能天気が放漫体制に根源があったというわけだ。
人口がいくらいようとも勝てるわけが無い。荊州全土を支配していない劉表にも10万の甲兵がいた。
生産力豊かな地域で180万人もいれば甲兵20万近くは維持出来ただろうに。
この体制基盤の貧弱さが蜀漢の病理だったというわけだ。
>>史料的根拠は?
>「男女口」だよ
その「男女口」という三文字が「成人男女口」を示すものだという史料的根拠を聞いているんだけど?
数字弄りじゃなくてね。
蜀呉の世帯人口が6以上だったという史料的根拠も示されていないが、
加えて、「男女口」が正確に成人人口のみを捕捉していたものという史料的根拠も示されていない。
名簿上一戸3口、実数一戸6口、という開きがあるのなら、
「家族員数の報告の誤魔化しが全国津々浦々に蔓延していたので誰にも止められなかった」
という解釈の方が単純で、制度を無根拠に弄る必要もないじゃないか。
>>152 「益州」という場所、あるいは国を指して「疲弊」とあれば普通、国力の疲弊を
指すと思います。また、「心身の疲弊」は個人それぞれの事情で疲弊することは
あるでしょうが、国民が皆、心身疲弊する状況は経済的な面あるいは自然災害等
しか考えられません。
「豊かに生活してますが、心身は疲弊しています」
益州の多くの住民が皆、そんな状態という状況が考えられません。
蜀豊は史料あっても都合のいいように自己解釈、曲解するし誤訳もする
やっぱり蜀は魏よりはるかに貧しかったんだね。
いくら蜀豊が史料を捻じ曲げトンデモ誤訳が正しい、と言い張っても無駄だろ。
蜀になってから漢代では専売対象外になっていた異民族に武力で押し付けた、そのおかげで蜀は豊かになったかわりに恨まれたのは諸葛亮伝やショウ周伝などの蜀書の各伝にも明言されていることなのにw
>>175 「今」民貧國虚、と自分でも何度もコピペしているのに、それは将来の殖産計画だと言い張るしな。
一文さえつなげられないからなこいつは。
仮に登録人口外が多数いたところで、蜀が把握できず税も動員もかけられないならいないと同じなんじゃ。
異民族はまた別に支配していて税を搾ったり兵を差し出させたりしていたけど。
蜀の精鋭である無当とかも南方民だそうだし。
蜀豊は所詮ステレオタイプよ
朝貢貿易方式なら税を理由に恨まれることは無かったかもしれんのにね。
あれだと漢朝側がむしろ損するぐらい物資をお返しに出していたし。
魏はこのやり方を踏襲。
物資だけじゃなくて王侯の位を与える、とかの財布は傷まない手もあるのに。
漢民族に対してもそうだが、異民族に対しても国家が課す過酷な負担を、要人の人徳でなだめるという異常な状態が蜀では当たり前だったからな。
疲弊した益州のみをもって魏に喧嘩売るんです、覚悟決めろやというのが出師の表だからな。
進むも地獄、退くも地獄。
国是からいっても魏と共存という選択肢はないだろうし。
「益州は今や疲弊しています。いざ隣国魏へ攻め入りましょう」
「わが家は貧しいです。いざ隣の家に押し入りましょう」
うむ、セキュリティーが厳しい家に侵入を試みるも当然門前払いをくらう
蜀が魏より豊かだった伝説
ぶっちゃけ蜀vs魏の一州で丁度いいレベル。
蜀は国と戦争してるのではない、州と戦争をしている。
>172-173
>士大夫という言葉を持ち出したのは君だから知らんよ。
ああ、だから変な話の展開をするのだろうね
俺は君の言う豪族の性質の話をしているんだよ
>官吏の職責と豪族の志向は別々に存在した。といっても、理念上の話だけどね。
妄想じゃなければいいが
>秦でさえ、完全な官僚支配を達成できず、滅びた。
「完全な官僚支配」とは?
>豪族が郡功曹以下の県・郷・里吏の職責を占有・利用
ソース
>太守クラスでさえも豪族大姓に阿り、収賄・癒着が深刻な政治問題となる。
ソース
>それは郡吏
朝廷の官吏だよ
>彼らが数百の郷里を巡察して一戸づつ家族構成を監査していたと?
それなら里正らは要らないだろう
報告と実態に開きがあるか無いかくらいは見回れば分かる
>そんな職責を持っていた官吏の具体的な役職名は?
不明 具体的な役職名がこの議論に必要とは思わない
>厳密公正な兵役と徭役が必要な戦時体制下にも関わらず、
>人口と年齢を正確に把握出来ない地域支配。
民衆を支配できていないのではなく、実益のない数字を調べなかったというだけだ
>蜀呉の敗因は建国当初からのこうした能天気が放漫体制に根源があったというわけだ。
敗因は地域支配にあるのではなく宮府の腐敗にある
関係ないではないか 牽強付会というやつだ
>数字弄りじゃなくてね
数字は大事だぞ 実態を知る重大な手がかりだからな
その数字が現実的でないということは、実態から懸け離れているという証だ
>「家族員数の報告の誤魔化しが全国津々浦々に蔓延していたので誰にも止められなかった」
そんなことがあるわけないだろ
>>174 >「益州」という場所、あるいは国を指して「疲弊」とあれば普通、国力の疲弊を指すと思います。
普通は「益州疲弊」だけだからでしょう
>国民が皆、心身疲弊する状況は経済的な面あるいは自然災害等しか考えられません。
「疲弊」というより「大変元気がない」という感じ
サッカーに熱中する国がW杯で勝てば、多くの国民がお祭り騒ぎで皆のテンションが上がる
逆に敗退すれば、それだけへこむ
戦争への思い入れはサッカーどころの話じゃない
スタープレイヤーの関羽将軍が敗死し、荊州という大領土を失って、
憎き呉に復讐戦で大敗し、敬慕する皇帝劉備さまは身罷られた
どのくらいへこむだろう
新しい皇帝はまだお若い この先この国はどうなるのかという不安ものし掛かる
太陽の出る地域の人間は陽気で、あまり出ない地域の人間は陰気という傾向が地球上で見られる
蜀は太陽が出ない所だからきっと民は元々陰気な方だろう
天気の力も借りられないから、どんよりムードが長く漂い、民の顔が暗く元気がない
そんな状態という状況が考えらます
>>175 Noだ
>>176 あらら、自分で蜀は豊かになったと言っちゃってるよ
>>177 今、国は空なんだろ? 錦を魏打倒の資金と出来るほど沢山持ってんのか?
矛盾してるぞ
今民貧國虛,決敵之資,惟仰錦耳。
「仰」には「Hope」のニュアンスがある
指導者の立場にある者は従属者にビジョンを見せなくてはならない
今、民は貧しく国庫は空
この状況でも展望を見出せるようにしなければならない
諸葛亮は"錦が希望だ"とビジョンを示したんだよ
>>178 >仮に登録人口外が多数いたところで、蜀が把握できず税も動員もかけられないなら
>いないと同じなんじゃ。
把握人口が100%成人なのと、50%しか成人じゃないのとでは大分違う
子供と大人とでは生産力・戦力が全然違うからね
>>179 そうかい?誤解してると思うよ
>>180 譙周の詭弁だと言うに
>>181 公平に見て優れた統治力だな
>>182 それで泣かない奴は忠臣じゃないって?
誰も泣かねーよ 藁
>>183-184 「益州は今元気がありません。いざ敵国魏を倒しに参りましょう」
「ボーイズビーアンビシャス! レッツハントダーティーウルブス 敷物に出来たら最高に気分いいぜ!」
>>186 主力は中央から来てる
劉備ってそこまで慕われてたんかなあ
>>189 それはちょっと違うと思います。確かに前文には劉備の死について触れてますが、
「先帝創業未半而中道崩殂」
で文は終り、次の分を
「今天下三分益州疲弊」
と、「今、」という言葉で始め、現在は天下が3つに分かれて、その中の益州が疲弊
していると書いています。これは、疲弊の原因を先帝崩御とするのではなく、
1.先帝が崩御しました。
2.現在、天下は3つに分断し、その中でも益州は疲弊しています。
と2つの事柄を示して、3文目の
「此誠危急存亡之秋也」(此れ誠に危急存亡の秋なり)
につなげているのだと思います。2つの事柄があるため、危急存亡なのです。
1.があるから2.であれば、1文で済ませると思います。漢文はわかりませんが、
「先帝崩御し、国民は落胆している」
という書き方をするでしょう。
蜀末期には兵が足りずに姜維は漢中の守備兵まで動員してたぐらい疲弊してたのにな
挙句、漢中まで維持できず放棄する始末
221〜222年、蜀軍撃破 ※夷陵の戦い
222〜223年、魏軍撃破 ※曹丕の南征
ほぼ同時侵攻の蜀魏を撃破する呉の国力どーよ!
無論、魏には敵わないが。
いくら議論を重ねても 魏>呉>蜀 は揺るがないでしょ
>>180 魏は貿易できるほど豊かだった。
蜀は収奪一方しかできないほど貧しかった。
唯一あまっている絹ぐらいやればよかったのに、そんな形跡もないし。
>詭弁
蜀豊のことじゃないの?w それも頭に「失敗しまくりの」とつく。
なんでショウ周が蜀漢の存亡のときに詭弁を弄さないといけないんだよ。
産業革命が起こる前は、人口が生産力の基本だった。
この意味では、魏は劉ヨウの言ったとおり天下の七割を握っていたことになるからな。
90万ぽっちの蜀ではどうにもならない。
人口と食糧だね。
人間は労働力にも兵士にもなる。そして、その人間を動かすには食糧が必要。
その二つが足りなければ、いくら資源や金があっても役に立たない。
蜀軍はいつも食い物がない、と魏側にバレているしね。
張コウ(陳倉せめても二十日程度しか続かないでしょ)や司馬イ(食い物蓄えるために三年ほど出てこないだろうね)の予見は的中しているし。
一方の魏は青龍二年の臨晋陂完成で数千頃の農地を増やしていったりした。
格差は開く一方。
資源を掘り出すのも人力だしなぁ。
金・銀がそれぞれ二千程度にまで国庫が疲弊したのも、戦争のための歳出過多に採掘がついていかなかったんだろうな。
銅銭がどんどん粗雑なつくりになっていったことからも疲弊が伺える。
94万の人口じゃ、専守防衛がせいぜいだよ。
一州としては豊かでも、国家としては取るに足らないレベル。
益州の人口と生産力は冀州と同レベル。
>>202 その予見自体が後付けの可能性はあるけど,
実際蜀はそれだけの行動しか出来なかったからねぇ。
農業に励んだはずの232年に旱魃まで起こったというし(華陽國志)。
最前線で屯田する時点で詰んでいたとしかいいようがない。
>>202 その足りないは生産量では無く輸送量の話じゃないかな。
末期は別かもしれないが。
>>207 陳倉まで巨大な攻城兵器をたくさん持ちこんでるのに、
食糧だけ輸送量が足りないと言う馬鹿な話は無い。
>>192 元々劉備は民に好かれる質だし
前の劉焉劉璋が酷くて嫌われてたからね
>>193 >「先帝崩御し、国民は落胆している」
>という書き方をするでしょう。
してますけど
原文のサイト3つ知ってるけど
どれも
先帝創業未半而中道崩殂,今天下三分,益州疲弊,此誠危急存亡之秋也。
となってる
「先帝が崩御し、国民は落胆して元気がない これ誠に危急存亡のときなり。」
この文では不完全
なぜなら、太平の世であれば、皇帝が死んで国民は落胆し活気を失っていても
国が生き残るか滅びるかの瀬戸際とまではならないから
今天下三分
今、天下は三つに分かれた状態 = 今、天下はまだ統一されていない = 今、天下争覇の時代
「今、天下争覇の時代」という要素が加わって文は完全となる
先帝が道半ばにして崩御, 今、天下争覇の時代, 自国民は落胆して元気がない, これ誠に危急存亡のときなり。
えっと、その翻訳(?)は「疲弊」を「落胆して元気がない」と訳してるのか? すごいな
>>206 >農業に励んだはずの232年に旱魃まで起こったというし(華陽國志)。
秋にね
旱魃=不作 と思い込んでるようだが
旱魃=ひでり 長い間雨が降らないこと
旱魃で穀物に大きな被害が出るのは、水が必要な夏に起きた場合だよ
収穫期の秋に水は必要ない
>最前線で屯田する時点で詰んでいたとしかいいようがない。
諸葛亮が敵地で屯田したのは、第4次のように不慮の事で補給が途絶えて
全てが台無しになるのを防ぐ為に、現地で田畑を作りって
兵站線が復旧するまでの間、戦地で食い繋いでいけるようにしたのだろう
勿論そんな事がなくても兵站の負担が軽くなるというメリットがあるのは言うまでもない
>>208 >陳倉まで巨大な攻城兵器をたくさん持ちこんでるのに
これが馬鹿な話だ
向こうで造るに決まってるだろ
>>214 自分で自分の貼ったコピペを参考資料に提示するなよ。
それも常識を無視した勝手な俺解釈を。
「弊」は「ついえる」なんだが…
これを経済的にしろなんにしろ、「活気がなくなった」と和訳できるとは壮絶な言語感覚だな
>>210 「疲弊」を「国民が落胆」という意味にするがために
「天下三分」を「天下争覇の時代」と訳してしまってますね
単純に「疲弊」はそのまま「国民が疲弊」として、「天下三分」も
そのまま「天下が3つに分かれている」としたほうが素直です。
「先帝は道半ばにして崩御した。今、天下は3つに分かれ、わが益州は疲弊している。
これは誠に危急存亡のときだ」
これが一番しっくりきます。
>>218 自分のレスを参考資料として引用してる時点で、
森本浩司のレベルに落ちたと思え。
それにお前のコピペで納得したという意見は今のところ出てないぞ。
「参考資料」と解釈してる時点で頭が悪い
小4レベル
>>220 いや、お前の俺流解釈が入り過ぎてるからさ。
いくら原文を引いてても、意味が食い違い過ぎててお前が作った資料と同様だよ。
食い違い?
ああ、誤っているものと正しいものは食い違うからな 道理だ
俺のが正しい
>お前が作った資料と同様だよ。
意味わからん 何と俺のが同様だって?
「一人だけが認める正しさ」に学問的な意味なんてないわなあ。
学問とはつまり万人と理解を共有することを志す思考だというのに。
「弊」は「元気がない」という訳を、ネットでもリアルでもどこでもいいから投下して
賛同が得られるのかどうか試してみればいいじゃないか。
>「一人だけが認める正しさ」に学問的な意味なんてないわなあ。
>学問とはつまり万人と理解を共有することを志す思考だというのに。
君は学問の天才の名前を一人でも知ってるか?
無茶言うなぁ…
>「弊」は「元気がない」という訳を、ネットでもリアルでもどこでもいいから投下して
>賛同が得られるのかどうか試してみればいいじゃないか。
俺、「弊」=「元気がない」なんて言った憶えはないんだが
何言ってるのこの子?
ではどういう意味?
「学問の天才」と呼ばれるような業績を挙げた人物というのは、
世界の理解や基準を次の時代へシフトさせるような業績を挙げた人物のことだよ。
短絡的に言えば、万人を自分に追従させることに成功した人間を天才という。
成果を挙げたから天才と呼ばれる。
理解されない天才というのは学問には存在しない。
>>226 辞書引けば?
>>227 まぁそんなもんだろうな 君のような人の天才観は
話がすり替わってるぞ
問題は君の学問の定義が真であるかだ
ごめんなさいしてしまいなさい 俺がめんどくさいから
ついえ つひえ 【潰え/弊え】
〔動詞「潰(つい)える」の連用形から〕くずれること。つぶれること。弱ること。
「王の政の―未だ必ず此に由(よ)らずはあるべからず/日本書紀(欽明訓)」
>>228 え、読んだの?
じゃ、質問していいかなぁ?
"これ誠に危急存亡のときなり"
「これ」とは?
>>229 君がごめんなさいした方が早いと思うよ。
3スレも使ってるのに、一人も賛同者が現れずに、馬鹿にされ無知を突っ込まれ矛盾を指摘されるだけ。
もはや意地でこのスレにしがみついてるとしか思えないけど、
いくら頑張っても無駄だから諦めて消えた方がいいよ。
>>229 では偽であると証明してみなさい。とまではいわないが。
君の学問の定義を示して貰わなければ比較も反論もできないな。
へい【弊】
@ついえること。敗れること。
Aつかれること。衰えること。
Bよくないこと。習慣的な悪さ。
C自分のものに冠して、謙遜の意を表す語。
>>232 何度論破されても理解せず
もはや意地でこのスレにしがみついてるとしか思えない奴に
馬鹿に馬鹿され無知に無知と突っ込まれ正論を矛盾と指摘されてるだけ
>>233 偽である事は天才を見れば明らかだ
君に理解される天才はまずいないだろう
それは227にもはっきりと表れている
ま、どうでもいいことだが
要するに君は、、そういう奴なのだ(表現するのがめんどくさい)
学問の定義とやらは君が勝手に持ち込んだもので
俺に示す義務はないが
とりあえずこれでいいだろう
「理論に基づいて体系づけられた知識と研究方法の総称」
>>236 先帝創業未半而中道崩殂今天下三分益州疲弊此誠危急存亡之秋也
を
先帝創業未半而中道崩殂,今天下三分,益州疲弊,此誠危急存亡之秋也。
ではなく
先帝創業未半而中道崩殂。今天下三分益州疲弊。此誠危急存亡之秋也。
とした理由は?
あと、
諸葛亮がここで「今天下三分」と述べた意味は?
>「理論に基づいて体系づけられた知識と研究方法の総称」
その「理論」「体系」「方法」は、科学者集団によって共有・承認されるものだって話だよ
その科学者集団が馬鹿じゃ話にならん
馬鹿だったかどうかは「天才」の理論が追認されたときに初めてわかる。
「先覚者は常に理解されぬもの、永遠なる価値を求めて小官は前進し未来に知己を求めん」
「なるほど、先覚者はかならず狂人よばわりされるものだ。だが、狂人のすべてが先覚者ではないからな」
>>237>>238 「中国の歴史」陳舜臣
「三国志」宮川尚志
も、文を3つに分けて訳していました。ちょっと調べただけでも直ぐに出てきます。
失礼ですが、どうもあなたは結果ありき(蜀は経済的には疲弊していない)で、
逆説的に解読しようとしている感じがします。だから無理が生じ、
>>11-27という
ような長文での説明をせざるを得なくなっている感じがします。
本来、普通に和訳すればいいだけ。
>>11-27のような長い理由をつけて
無理に違う訳しかたをする必要な無いはずです。
先帝が崩御し、天下が三分され、三人の皇帝が立つという異常事態だというのに、
正当なる漢王朝の最後の拠り所である益州は疲弊している。
まさに危急存亡の秋なり。
というニュアンスだね。ここで「疲弊」と書いているからといって、
実際益州が他の州より酷い状態だったとは思わないが、
ともあれ諸葛亮は、「先帝の死」、「天下三分」、「益州疲弊」、という
悪い三要素を並べることで「危急存亡の秋」という危機感を最大に強調してから、
「然れども」と内外の臣の誠実と忠誠を主張し、劉禅の度量ある態度を促し、
自分の不在の間の政治を滞りなく進めてくれるよう願う段に筆を進めているわけだ。
政治権力握ってるのが他ならぬ諸葛亮なのに、
今更劉禅に政治を頼む(権力を返す)なんて事は無い。
自分が不在だからと言っても軽薄な行動(遊興や奸臣に唆されるなど)で邪魔しないよう、釘を刺しただけ。
>>242 >「今天下三分」は、現在、天下は3つに分かれているという意味では?
そうだけど、それをここで言う理由
>文は3つに分けて解釈しているのがほとんどだと思います。
それは発語の句点でしょう
読点だけだと無理が生じて不自然な日本語文になる
意味の区切りはそれとは別ですよ
現代訳すれば
先代社長が亡くなられました。今、日本は不況で、経営は火の車。会社は深刻に倒産の危機に瀕しています。
これでいいですか?
>2つの事柄があるため、危急存亡なのです。
とあるので、
先代社長は今の状況でもなんとか出来そうな敏腕だった ということにしましょう
敏腕の先代社長が亡くなられました。
今、日本は不況で、経営は火の車。会社は深刻に倒産の危機に瀕しています。
こうですね
では続けましょう
敏腕の先代社長が亡くなられました。
今、日本は不況で、経営は火の車。会社は深刻に倒産の危機に瀕しています。
そんな状況だけれども、
経理の内田さんと営業の町田さんは身を忘れて一生懸命働いているのは
ひとえによくしていただいた先代社長の恩に報いようと思っているからに違いありません。
こうですね
文としておかしいでしょう?
結局、
>>12-14で説明した通りなのです
>>244 何も無理は生じてませんよ?
というか、蜀が豊かだというのは歴史の常識
昔の人が誰一人、貧しいと思っていないのに
なぜここの人達は貧しいと強固に思い込んでいるのか不思議ですね
思い込みが強固だから
>>11-27というような長文での説明をせざるを得なくなっているのです
>>245 普通に訳しただけですよ
蜀軍が食い物に常に困っていたのは、地理的条件に加えて輸送の労力不足もあるだろうな。
人口が少なく、青年人口は軍に取られている。劉備存命時の比較的策源地に近いところでやった漢中戦の時点でさえ女子供にも輸送をさせるべき、なんていう話が出ているぐらい。
元から生産力が低く、運輸に当てられる人口も少ない。
おまけに李厳の致命的行為や、魏延・楊儀の争いなど人の和も微妙。
この悪条件では、木牛流馬なる運輸道具開発した程度じゃおいつくはずもなし。
「カリスマ指導者を喪って、国土も弱体化して国がピンチだけど、
志士たち"が"一生懸命働いているのは、先代の恩に報いたいと思っているからに違いないのです」
でいいじゃん
>>251 少なくとも当の蜀の要人・孔明は国虚、としていたし。
諸葛セン・ショウ周らも国の貧窮をしばしば憂いて是正するよう行動している。
「無駄な軍事行動をせずに、内治に専念できた時期、その遺産があった時期は豊か」だからって、戦争しまくりの時期まで豊かはありえない。
現に、金銀はわずかに二千程度。入蜀時の大盤振る舞いの面影さえない。
劉備が四万も兵連れて行って火攻め食らって壊滅させてしまっているんだ。
人的、物的資源の弱体化がないわけがないし、経済的にも良いわけがないだろ。
>>246 言葉を蔑ろにし過ぎている
「疲弊」「誠」「危急」「秋」「然」を全く無視している
おかげでもの凄く平坦なものになってしまい
文章が殆ど読めていない
>>247 アンチは醜いなぁ
>>252 >蜀軍が食い物に常に困っていた
具体的に見ていくと物事が見えてくるよ
>人口が少なく、青年人口は軍に取られている。
人口は推定180万人 軍隊は10万人
>元から生産力が低く
低くない
>>253 よくない 250と同じだ
>>254 このスレ読み直せ
>>255 諸葛亮伝を読み直そう
>司馬イの予見
これは、食い物備蓄しなおすのにそれぐらいかかるだろうね、という話だからな。
策源地にまで持ってくるのにも一苦労か。
動員兵力にもよるだろうが。
ジリ貧の蜀が戦うには、出て行って魏の富や領土を奪うしかない。
北伐とは悲壮な生き残り事業だった。
>>257 宣帝紀は嘘だからな
>>258 実際そういう意味では成果を挙げられていないわけだが
それで北伐を続けられたのはどういうわけだ?
いいかい、君の思い込みはまったくのデタラメなんだよ
>>259 でたw
都合の悪い史料は、史実に合致していても嘘扱いwwwwwwwww
>>260 俺に都合の悪い史料なんておそらく存在しないと何度も言っているんだが
前スレ
>第四次で諸葛亮を退却させた司馬仲達は「蜀軍は毎回、糧秣不足だな」と
>感想を述べ、次回は3回分の収穫を待つだろうと予言し、的中させてる。
宣帝紀だろうけど、「蜀軍は毎回、糧秣不足だな」と感想を述べたというのは違うよね
感想ではなく予想の論拠だよ
宣帝紀は司馬懿の美化が激しいのであまり信用しないほうがいいよ
タイムリーで書かれているわけでもないし、結果から遡って未来を予想するなんて余裕で出来る
「次は隴東に来るだろう」と言いながら隴西を強化している
行ってる事とやってる事が矛盾している
隴西が強化されたから諸葛亮は隴東へ行ったと考えるのが自然
第四次の反省から魏は防衛シフトを変えたので、
諸葛亮は北伐の基本戦略を転換しなければならなかった
それで2年半掛かった
(本来でも兵の休養に一年入れるので、実際伸びたのは1年 半年はタイミングの問題)
「諸葛亮は毎回食糧不足をかこっている」というのは
3年掛かると予想したという司馬懿の美化を根拠づける為に必要なこと
"なぜ3年掛かるのか"理由がないとダメだからね
本当は2年半掛かったのは諸葛亮の北伐基本戦略を転換が理由だから
その元となった魏の防衛シフトの変化を予想の根拠として述べなきゃいけないが
それだと第一次から第4次まで諸葛亮の戦略を見抜けず
いいようにされて来た魏のマヌケぶりを明らかにしてしまう
それは出来ない
だから蜀が兵糧を貯める為に3年を要することにしたんだよ
もう忘れちゃった?
南方、後には西方の異民族を搾取することでなんとか国を持たせていたが、そら限界がくるだろうな。
人口94万の小国では、どうやっても最後は滅亡しかなかっただろうが。
まだ人口94万とか思ってんのか
いや、思いっきり宣帝紀は嘘と断言した後に、存在しないとかいわれてもw
蜀豊君お得意の、自己の妄想内ですら矛盾ばりばりがまたひとつ?
>>262 異民族だけじゃなくて、漢民族も搾取していたよ。
ただ、漢民族は法治が生き届いた地域に住んでたから反乱しなかっただけで。
>>264 何が矛盾に見えるのか、小4並のイレギュラー過ぎる思考が捕球できない
>>266 それはお前が馬鹿だからです。正史の記述より自説が正しいとは恐れ入る。
>>266 だから矛盾じゃなくて、嘘と断言したのはお前なんだが。
また別人のレスのフリして逃げるか?w
食料備蓄するのに時間かかるだろうから、たぶん三年ほどは出てこないよって。
別に蜀豊の妄想に不利な部分とも思えんのに、何ゆえ過敏反応して嘘呼ばわりまでする必要があるんだ?
前みたいに豊かだけど輸送が大変なんだ、と強弁すりゃいいのに。
誰も妄想に賛同してくれないからストレス?
ネット切ることをお勧めする。
魏で飢饉が起こったとき、長安から洛陽に回された粟は五百万斛。
米と単純比較はできんが、量だけで見れば蜀最後の備蓄の十倍以上。
このあたりの差がなぁ。
>>267 >それはお前が馬鹿だからです。
非論理的なものはキャッチできないな
キャッチ出来るとは恐れ入るw
>正史の記述より自説が正しいとは恐れ入る。
たとえばどれかな?
>>268 言語になっていないな
さっぱり理解できない
>>269 >別に蜀豊の妄想に不利な部分とも思えんのに、
まず君は勘違いしている 妄想などではない
>何ゆえ過敏反応して嘘呼ばわりまでする必要があるんだ?
宣帝紀の記述が嘘だからだよ
>>270 長安の関中の人口が消費する量と
成都に残す必要があった量は全然違う この差だろうね
諸葛亮伝のほうでも、蜀軍が兵の休養と農業振興に当てている時期だからね。矛盾はないし。
正史のスタンスとして、本人に不利なことはあまりその人の伝には書かない傾向は確かにあるけど。
この場合はあてはまらない。
「長安の」は書き間違い
>>273 >>261 >「次は隴東に来るだろう」と言いながら隴西を強化している
>言ってる事とやってる事が矛盾している
>>275 いや、だから司馬イが蜀軍の食料不足とその孔明の対策を予見、孔明もそのとおりにした箇所の話なんだが。
今度は低レベルの話逸らしかぁ?
蜀豊君っていうらしいけど、普通に醜態だね君の態度。
宣帝紀は司馬懿の美化が激しいのであまり信用しないほうがいいよ
タイムリーで書かれているわけでもないし、結果から遡って未来を予想するなんて余裕で出来る
「次は隴東に来るだろう」と言いながら隴西を強化している
言ってる事とやってる事が矛盾している
隴西が強化されたから諸葛亮は隴東へ行ったと考えるのが自然
蜀豊、わざわざ同じレスを分けて言う必要はないぞ。
別人なりしすまししてもお前の妄想はいつも同じだからすぐばれるってそろそろ学習しろって。
不充分だったから完全版で書き直しただけだよ
文体も変えないで自作自演とか、恥ずかしすぎ。
文体変えて自演してますって告白か?w
つまり論争箇所に矛盾がないから、蜀豊からみれば妙だと思われるところに話をずらそうとして失敗したわけかwww
君らに三国志は早すぎる
児童文庫でも読みまくって読解力を身に付けるのが先だ
>>284 君には三国志以前にネット自体が早すぎるようだ。
あと、自分の意見に説得力が無いせいで賛同者が一人も現れないからって、
それを相手の読解力のせいにするのは、議論する人間の態度としてどうかと思うよ。
馬鹿にでも理解できる言葉で馬鹿を説得できるのが優れた議論。
>>286 >馬鹿にでも理解できる言葉で馬鹿を説得できるのが優れた議論。
笑 それをやっている
一番の問題は彼らに落ちこぼれの自覚がないことだ
謙虚さがないから聞く耳を持たない
こういう手合いは終わってる
>>287 >笑 それをやっている
君の言葉は馬鹿の私にすら理解できないよ。
>一番の問題は彼らに落ちこぼれの自覚がないことだ
>謙虚さがないから聞く耳を持たない
>こういう手合いは終わってる
一番の問題は君は自分がすべて正しい、史料よりも正しい、反対する奴はみんな読解力の無い馬鹿。
賛同者が一人も現れないのは、謙虚さが無くて聞く耳を持たないから。
こんなに人を見下しながら議論してたら、それはただの演説でしか無い。
君には議論する資格が無い。
>>288 >君の言葉は馬鹿の私にすら理解できないよ。
馬鹿を恥ずかし気もなく自称する人間は遜っているようで実は傲慢なのだよ
>一番の問題は君は自分がすべて正しい
比率の問題ではない
>史料よりも正しい
「史料」であることに正しさの保証なんてない
書かれてある内容に理が通っているかどうかだよ
>反対する奴はみんな読解力の無い馬鹿。
論理的な反論が出来ないのに「史料にあるから」と幻の保証に縋っているだけで
何も考えようとせず、なめた口を利く奴は馬鹿だな
>賛同者が一人も現れないのは、
カキコする奴は主に反対者だからだよ
>こんなに人を見下しながら議論してたら、それはただの演説でしか無い。
論理的な意見交換が行われていなければ、それは議論ではない
>>289 >馬鹿を恥ずかし気もなく自称する人間は遜っているようで実は傲慢なのだよ
人を見下す言葉がポンポン出てくる君ほど傲慢ではないつもりだ。
>「史料」であることに正しさの保証なんてない
>書かれてある内容に理が通っているかどうかだよ
理が通っているかどうかの研究は素人の君が手を付ける前に、
専門の学者が大勢長い時間をかけてやっています。
今、我々が手にしている史料は、学者に理が取っているかどうか吟味された後の史料。
>論理的な反論が出来ないのに「史料にあるから」と幻の保証に縋っているだけで
>何も考えようとせず、なめた口を利く奴は馬鹿だな
それは君が反対意見をすべて「論理的では無い」と切り捨ててきたからだ。
私には君に対する数多くの反論の方が論理的に見えたよ。
史料を根拠にしないで、何を根拠にして考察すればいいのだね?
自分の頭の中だけから出てきた根拠を基にした議論は妄想のぶちまけでしかない。
>論理的な意見交換が行われていなければ、それは議論ではない
では、君は何をしているつもりなのだ?
蜀豊は妄想垂れ流して俺の言うことが分からない奴はみんな馬鹿だからな
史料を否定するのは構わないがその根拠となりうるものは自分の妄想というw
蜀の貧窮は自らの軍事行動が招いたもので、誰も恨みようがないからな。
劉ショウ降伏時、官民は戦う気満々だったのに対して蜀滅亡時の哀れなこと……。
>>290 >人を見下す言葉がポンポン出てくる君ほど傲慢ではないつもりだ。
それが傲慢というやつだよ
馬鹿に見下されウザ過ぎるから見下し返して突き放すののどこが悪い?
第三者が高見から一方を非難する資格はない
それが出来ると思っている君は傲慢なんだよ
>理が通っているかどうかの研究は素人の君が手を付ける前に、
>専門の学者が大勢長い時間をかけてやっています。
>今、我々が手にしている史料は、学者に理が取っているかどうか吟味された後の史料。
それは史料ではなく資料だね
理は普遍だよ
学者を過信しているようだが大丈夫かい?
そのような資料を手にしているのなら論理的な解に詰まらないはずだね
>それは君が反対意見をすべて「論理的では無い」と切り捨ててきたからだ。
ああ、論理的に否定してな
>私には君に対する数多くの反論の方が論理的に見えたよ。
これ↓
「資料を根拠にしないで、何を根拠にして考察すればいいのだね?」
が君の中にある論理だろう
この考え自体が論理的でないのだから
同じ論理の下、間違っている者の言い分が論理適合するのだろう
史料が偽りを言っている場合、その偽りが明らかなれば
それを元にした考察も誤っている
この当たり前の道理が君たちには通用しない
君たちの場合史料と資料の区別が付いていないみたいだから一層始末が悪い
資料との向き合い方がまるでなってない
俺の考察は全て史料に基づいている 主に史実の方にね
君らの意見は資料に基づいている 殆ど誰かの受け売りだ
自分の考えというものを持っていない
だから底が浅く満足に反論することができない
資料と顔をつきあわせて「あいつ間違ってるよな?」と言うに留まる(笑
>では、君は何をしているつもりなのだ?
一方的な、論理に基づく否定になってるな
諸葛亮伝にも、糧が尽きて軍を退いた、とかの記述は散見されるしね。
敵に兵站事情を完全に探知されているんじゃ、ただでさえ国力において劣勢なのにどうにもならんわ。
蜀豊の妄想によると運輸が大変だっただけだ、だそうだけど。
本気でそう思ってはいなかったんだろうな。同じ理屈を使わず、別段矛盾もない箇所の晋書を嘘と断定する今日の過剰反応振りからするとw
もし運輸だけが原因で蜀軍の食料が乏しかったのなら、三年かけてゆっくり備蓄しているんだろうねという捉え方をすればむしろ司馬イの予見は数少ない蜀豊妄想の補強材料とみることもできるのにね。所詮、自己矛盾さえする妄想は妄想か。
そりゃあ「僕ちゃんは正しいのです!」って言いたいだけだから。
大体先学よりも自説を優先して恣意的に史書を嘘認定するような輩が,
「歴史の常識」を持ち出す時点で矛盾してるんだけどね。
食料が続くあても無いのに何度も出ていくとはまさに愚将しかいなかったんだな。
敵地での麦の略奪も司馬イに予測され邪魔されてうまくいかず。
ようやく屯田という解決策を実施したのは第五次で時間切れ。
つうか豊かなら略奪せず買えばよかったんじゃない?w
頭が悪い人に悪いが頭が悪いと言われた
身の程知らずだな
>敵地での麦の略奪も司馬イに予測され邪魔されてうまくいかず。
宣帝紀だろ
>つうか豊かなら略奪せず買えばよかったんじゃない?w
諸葛亮は略奪をしていない
>>305 略奪どころか強制連行さえやらかしていますが。
略奪しなかった、というのは屯田策を用いた第五次のみにある記述。
第五次になると魏帝にも完全に急所を探知されているしな。
明帝紀には、曹叡の命令書が載っているが、「食料尽きるし、略奪するものもなければあいつら帰るしかない」と持久戦を命じているし。
>>306 >略奪どころか強制連行さえやらかしていますが。
諸葛亮伝注袁子を読むべし
>強制連行
西縣の住民を連れて帰った事が強制連行だったとどうして断定できる?
魏を裏切った豪族を保護して連れ帰っただけかもしれないのに
漢晋春秋を信じるなら、蜀軍は郭ワイらの妨害を排除して麦を大量に略奪できた、としてる。
それでも相変わらず食い物尽きて帰る落ちなんだから、どんだけ兵站の見込み甘くでてきたんだよって話だよなぁ。
元々人口が少なく生産力で劣る。
防壁としては頼もしい山岳地帯は出て行く場合兵站の枷になる。
こういう悪条件下では多少略奪できても焼け石に水だろう。
蒋エンは水路を利用することでこの問題を解決しようとしたが、逃げることができないじゃんという理由で実施されなかったし。
頭が悪くないから蜀豊の妄想には誰も騙されないんだがなw
諸葛亮伝によると劉備時代の疲弊を受けた蜀の国を富ましめ北伐の原資になったのは南方の物産。
当然、南方から策源地の漢中にまで輸送するにも時間と労力がかかっただろうしね。
魏延なんかは蜀軍の弱点を認識していたのか、奇襲策を出て行くたびに主張したそうだけどね。
魏略によると、兵五千に輜重五千を欲しがったそうだけど。
奇襲部隊出さなかったのは、輜重五千も割いたら本体が困るからかな。
蜀豊は魏から略奪する北伐に心身が疲弊しているとか言ってなかったか?
そして今は蜀は魏から略奪してないと反対のこと言ってるw
元々の国力・経済力で劣勢なんだ。
それなのに第五次の十数万(諸葛亮伝)とかの大軍を出したらそりゃ食い物が続かないのも当たり前。
食い物以外にも武器防具や消耗品を欠かすこともできないだろうし。
十万の兵を一年養うには、約六百万コクの食糧が必要らしい(トウガイ伝の五年分は三千万コク、を元に)
屯田するにしても、かなり広くやらないと駄目だろうな。
魏軍は持久を選んでいたから妨害は薄かっただろうけども。
魏では戦災や災害地域の税を免除したり、大量の穀物を送ったり、時にとった税を返還するような余力さえあったが。
蜀にはそういう記述がほとんどないからな。
>>307 あまい見通しだったがな
>>309 >略奪できた、としてる。
「大いに刈り取った」とはあるが「略奪した」とはない
>>310 魏の生産力に蜀の人口で並ぶ必要がどこにある?
>>311 頭が悪くないなら妄想とそうでないものの区別くらいつくだろ
君は真逆だよ
もうこの話題はケリがついている
蜀は豊かだった
豊かでなかったというのは妄想に過ぎない
厨房ども、もう勘弁してくれ いい加減厭きた
具体的にいうとツッコまれるとやっと理解したのか、短レス連呼になったな蜀豊w
「つっこまれる」ってなんだよ?w
上下逆転してるぞ
蜀は平和な後漢代は豊かだったが、その後の戦乱で疲弊し貧しかった。
復興の程度はどうあれ、中国全体がこんな状態だったんだから別段蜀だけが特別だったってことじゃないけどな。
不幸なのは、蜀漢政権ができたために軍事行動を連年続けて疲弊度合いが早まったこと。
>>323 で、
蜀が経済的に疲弊していたという根拠は示せるのか?
末期の金庫には金は二千しかなかったからな。
入蜀時の最高幹部四人分へのご褒美程度しかない。
凋落振りはすさまじい。
食料もわずか四十万コク。
トウガイが開いた農地収入から経費を引いた分にも及ばない。
>>327 銃後で寡兵の成都にそんなに沢山の兵糧は要らない
もうこれやったよな 厭きたよ
人口94万で兵士10万官吏4万を養ってたしな。普通に破綻するだろこれじゃ。
劉エンみたいに高禄取りながら何もしない車騎将軍とかの冗官とか多すぎたのかも。
不利な根拠に妄想だけのいちゃもんをつけても他人はまったく納得してないってことだろ。
史実を見ると、貧しくなっていた。これで終わり。
どうしても俺妄想が正しい、と言い張るのならチラ裏でやってろ。
人口推定180万というのが自然な見方
妄想の区別もつかいおまえがチラ裏でやってろ
蜀豊また敗走。孔明は逃げるのはうまかったが、こいつは毎日引き際も知らないな。
どこが敗走だ ただの一度もない
蜀が豊かな一方、魏は豊かではなかった
ケ艾がこんな事を言っている
「國家前有壽春之役,後有滅蜀之勞,百姓貧而倉稟虛」
たった2回の戦役で、百姓が貧しくなり国庫も空になってしまった と
寿春の役と蜀討伐は5年も空いている
魏が如何に余裕がなかったかというのが分かる話だな
魏ヲタは魏のことが分かっていないからねぇ
そりゃ、諸葛誕討伐では26万、蜀討伐では16万も動員したからなあ。
2回もそんだけ動員できるのは豊かな証拠ですよ。
そして、そんな大動員を2回もやればどんなに国庫は空になり百姓は苦しくなる。
一方、蜀は数万の動員程度で国が疲弊していた。
蜀豊は所謂「言い逃げ」犯だからねぇ
>>337 それだけの兵力を何人の民で負担するかが問題だからね
魏は蜀の約5倍の人口だから
蜀だと
諸葛誕討伐は5万2千
蜀討伐は3万2千
に相当する
5年も間隔があって、国庫が空になり百姓が苦しくなったのであれば
蜀は魏と同等と言える
>一方、蜀は数万の動員程度で国が疲弊していた。
だからそれは根拠のない思い込みだって 妄想ってやつだよ
>>338 自分が逃げといて相手が逃げたと言いますか
ヒイが死ぬまでの間、キョウイは毎回1万しか動員していない
ヒイ死亡後は数万
蜀が魏より豊かだったと言っている歴史研究家が一人も居ないことは
内緒にしておこうね
当たり前すぎてテーマにすらならんからじゃねーの?
貨幣経済が破綻して物々交換に転換したというのがどういう事か
魏ヲタは分かってない
貨幣経済の破たんは後漢の経済政策の失敗のせいで、
魏は別に物が不足していたわけでも貧しくも無かった。
連年出兵する一方で税を減免したり、穀物を民衆に配ったりする余裕があった。
ほらな 分かってないだろう
ああ、ついでに言えば土木事業も大々的にやってるね。
戦争と並行して。
>税を減免したり、穀物を民衆に配ったりする余裕があった。
それだけ民衆が困窮しんでいたということ
それだけ民衆が困窮していたということ
>>347 それで
>>335ということは
それ以前はもっと貧しかったって事
必要に迫られていたんだろうな
>>348 貧しい国なら、戦争しながら税を減免したり、穀物を国民に配ったり、
大規模な土木事業を行ったりする余裕はないと思うんだ。
あとまあ、税の減免や穀物を配るってのも、民衆の困窮を救うよりは
皇帝の慈悲と称して国家の力を見せ付けるための場合が多い。
>>355 ってことは貧しい蜀へ攻め入るのだから、それだけ魏の国庫を使うということ
蜀豊のへたな自演が笑えるw
自分の理解者がいないからって理解者を演じなくてもw
蜀豊「うるせー、蜀はずっと豊かだったんだよ!!」
言ってることはずっとこれw
ヒイがキョウイに1万しか渡さなかったのは蜀の国力を考えてのことでしょう
ヒイが正解。キョウイは蜀の国力に見合わない兵力動員で国を潰した
蜀豊のたった一人の戦いはいつまで続くのか・・・
263年 蜀豊滅亡
動員可能兵力1万だと、日本の戦国時代の石高でいえば40万石程度かな
石田光成+増田長盛 で蜀と互角に戦えるな
劉ショウが降伏したときには、成都には三万の兵と官民を一年養えるだけの食糧があった。
蜀滅亡時には、一万の兵を一年食わす食料さえなかった。
貧しかったというか、蜀漢政権が貧しくしてしまったというほうが正しいな。
>物々交換
蜀も、というより後漢時の貨幣経済が崩壊した時期だから全国的にそんなもの。
まさか額面増やしたインフレ銅銭や後年になるほど粗雑悪質な銅銭しか出せなくなった蜀の貨幣経済は健全、とそれこそ妄想しているんじゃないだろうな?w
>>352 しかも魏軍は麦とか奪いまくった蜀軍と違って、略奪をしなかったからな。
枯渇した蜀の国庫は接収しただろうが、それじゃ引き合わなかったから備蓄が厳しくなったんだろう。
張翼もいってるな。蜀は小さいんだからむやみな軍事行動やめようよ、と。
でも却下されているけど。
トウガイの発言こそ史実と矛盾しね?
現実には魏(後の晋)もほめられた行為じゃないとはいえ皇帝の奢侈をやらせ、三国時代に荒廃した中国の復興を行う財源が残っていた。
八王の乱でぶち壊しになるけどな。
蜀の国庫のようにまさに絹以外は食い物も金銀もなし、という状況じゃあない。
>>339 そんな乱暴な計算は通じるのか?
蜀にしろ魏にしろ、鎮圧討伐に出した兵力だけじゃなくて、他の地域の守備兵等を養っていたんだから。
蜀討伐の魏のように略奪を避けてすべて自己負担したのでは当然、かかる費用も違う。
袁子曰:諸葛亮,重人也,而驟用蜀兵,此知小國弱民難以?存也。今國家一舉而滅蜀,自征伐之功,未有如此之速者也。方ケ艾以萬人入江由之危險,
鍾會以二十萬衆留劒閣而不得進,三軍之士已飢,艾雖戰勝克將,使劉禪數日不降,則二將之軍難以反矣。故功業如此之難也。
國家前有壽春之役,後有滅蜀之勞,百姓貧而倉稟?,故小國之慮,在於時立功以自存,大國之慮,在於?勝而力竭,成功之後,戒懼之時也
おい蜀豊……。またかよ。
367 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/12(月) 14:28:31
魏は蜀の孔明から姜維にわたる攻撃に対処し続け、かつ呉にも応じつつ蜀を滅ぼしたわけだからな。それだけの人的物的資源があったわけだ。
豊かさでいえば蜀は魏に到底及ばない。
軍隊を無意味に動かしすぎだろ。
第五次北伐なんて十数万の兵を孔明が率いた、とあるけど。
これが本当なら人口90万〜94万で養えるぎりぎりの数をすべて国外に出したことになるんだぜ。
装備させ、食わせるだけで大変な浪費だよ。
出兵が浪費なのは当たり前だが、だからといって基盤固めと同時進行ができないわけじゃないよ。困難だけども。
曹操は華北を平定しつつ、鐘ヨウを派遣して長安一帯の人口と生産力を回復させた。
これが後に蜀軍を苦戦させる要因にもなっている。
しかし、諸葛亮には人口と生産力が伸びる余地のある土地が無い。
益州という後進地域の政権にしてはよく頑張ったほうだと思う
貧しい中、色々とやりくりしたその努力は認めたい
益州は後進地域じゃないよ。荊州南部や揚州南部と比べれば、ずっと先進地域だった。
先進地域であるがゆえに、伸び代が少なかったんだけど。
>>351 >大規模な土木事業を行ったりする余裕はないと思うんだ。
貧しさから抜け出す為の行為をする力も無かったら極貧
さすがにそこまでとは思ってないよ
>>352 蜀は貧しくない
>>353 相変わらずだな いつも妄想でwってら
>>354 まぁ大体な
>>355 僥倖頼みはよくないと考えてのことじゃなかったか?
>>356 もう厭きてんだよ いい加減にしろ
>>360 >滅亡時には、一万の兵を一年食わす食料さえなかった。
成都に籠もる限りは、数万が2〜3年食えるくらいの食糧はあったろう
>>361 >後年になるほど粗雑悪質な銅銭しか出せなくなった
嘘だな
>>362 妄想乙
>>363 疲れを考えて ね
>>364 妄想乙
>>365 >そんな乱暴な計算は通じるのか?
通じる
>蜀討伐の魏のように略奪を避けてすべて自己負担した
妄想乙
>>366 なんだよ?
魏ヲタは原文を提示するように
いい加減な意見が多すぎる
もはや、突っ込まれるのが怖くて短文での決めつけしかしなくなったな。
末期症状だ。
駄々を「ツッコミ」と言うところがすごいな
>>375 >成都に籠もる限りは、数万が2〜3年食えるくらいの食糧はあったろう
蜀記は明らかに否定しているし,華陽國志どころか漢晋春秋にすらそんな記録はないのだが,
あなたの脳内以外のどこにそれだけの蓄えがあったというのか?
ここでいう豊かさはあれだろ、
ブータンの豊かさだろ?
国民葬降伏度じゃなくて国民総幸福度ってやつよ
>>380 民間だよ 住民も巻き込まれる戦だからね
>>382 アホか。民衆を外に出さずに籠城したら、食糧の消費量が飛躍的に増えて、
住民の持ってる食糧供出させても足りんわ。住民だって飯食うんだぞ?
三国時代でも兵糧が足りなくなったから、途中で住民を外に出して籠城ってのは良くある。
>>382 首都が攻撃される期に及んで民の蓄えを頼りにしなきゃいけないのか?
それは既に国庫が破綻していたという証にしかならないだろう。
>>383 まぁ、民にはひもじい思いを強いるだろうな
>三国時代でも兵糧が足りなくなったから、途中で住民を外に出して籠城ってのは良くある。
どんな小城だよ?
>>384 >首都が攻撃される期に及んで民の蓄えを頼りにしなきゃいけないのか?
何を当たり前のことを…
>それは既に国庫が破綻していたという証にしかならないだろう。
ならんだろう
首都防衛戦は想定外
兵糧の蓄えがある方がおかしい
>>385 お前、本当に三国志読んだことあんの?
まあ、特別に教えてやる。袁氏の本拠地で河北最大の都市ギョウ籠城戦だ。
兵糧不足になって、途中で住民を外に出している。
また思い込みか
魏略列傳以逵及李孚?楊沛三人為一卷,今列孚?沛二人繼逵後耳.
孚字子憲,鉅鹿人也.興平中,本郡人民饑困.孚為諸生,當種薤,欲以成計.
有從索者,亦不與一莖,亦不自食,故時人謂能行意.後為吏.建安中,袁尚領冀州,以孚為主簿.
後尚與其兄譚爭?,尚出軍詣平原,留別駕審配守?城,孚隨尚行.會太祖圍?,尚還欲救?.
行未到,尚疑?中守備少,復欲令配知外動止,與孚議所遣.孚答尚言:「今使小人往,恐不足以知外?,且恐不能自達.孚請自往.」
尚問孚:「當何所得?」
孚曰:「聞?圍甚堅,多人則覺,以為直當將三騎足矣.」尚從其計.孚自選?信者三人,不語所之,皆敕使具脯糧,
不得持兵仗,各給快馬.遂辭尚來南,所在止亭傳.及到梁淇,使從者斫問事杖三十枚,?著馬邊,自著平上?,將三騎,投暮詣?下.
是時大將軍雖有禁令,而芻牧者多.故孚因此夜到,以鼓一中,自稱都督,
?北圍,循表而東,從東圍表,又循圍而南,??呵責守圍將士,隨輕重行其罰.
遂?太祖營前,徑南過,從南圍角西折,當章門,復責怒守圍者,收縛之.
因開其圍,馳到城下,呼城上人,城上人以繩引,孚得入.配等見孚,悲喜,鼓譟稱萬?.
守圍者以?聞,太祖笑曰:「此非徒得入也,方且復得出.」孚事訖欲得還,而顧外圍必急,不可復冒.
謂己使命當速反,乃陰心計,請配曰:「今城中穀少,無用老弱為也,不如驅出之以省穀也.」
配從其計,乃復夜簡別得數千人,皆使持白幡,從三門並出降.又使人人持火,孚乃無何將本所從作降人服,隨輩夜出.
時守圍將士,聞城中悉降,火光照曜.但共觀火,不復視圍.孚出北門,遂從西北角突圍得去.
其明,太祖聞孚已得出,抵掌笑曰:「果如吾言也.」孚比見尚,尚甚歡喜.會尚不能救?,破走至中山,而袁譚又追?尚,尚走.
孚與尚相失,遂詣譚,復為譚主簿,東還平原.太祖進攻譚,譚戰死.孚還城,城中雖必降,尚擾亂未安.
孚權宜欲得見太祖,乃騎詣牙門,稱冀州主簿李孚欲口白密事.太祖見之,孚叩頭謝.
太祖問其所白,孚言「今城中彊弱相陵,心皆不定,
>>385 仮にも蜀漢が「豊か」であったのならば,
危急の際には民に施すだけの用意をしているのが当然なのに,
逆に民の蓄えを利用するなんてどれだけ貧しかったのだろう。
しかし、蜀豊、まともに三国志すら読んでなかったのな。
ギョウの食糧難は結構有名な話なのに。
誤訳だらけだが、ちくまの三国志買って読むところから始めた方がいいと思うよ、マジで。
魏略か
三国志武帝紀
五月,毀土山、地道,作圍巉,決漳水灌城;城中餓死者過半。
城出ていくのは勝手だけど、水引いたんか?
>>393 水は途中で引いたようだ。でないと、曹操軍が城内に突入できん。
曹操軍が鄴城に入ったのは8月
袁尚が死んだ後だ
>>397 ギョウ陥落は204年。袁尚死亡は207年ですが?
そうだね ちょっと勘違い
袁尚が敗走した後だね
というか城中餓死者過半って書いてあるね
原文ひいたらひいたで蜀豊は平気で曲解するか、やっぱり愚にもつかないいちゃもんだけで何か否定した気になるからねぇ。
それも妄想に誰も賛同しない一因。
後年になると漢中の防衛線下げて貴重な土地放棄する、という行為までおこなっているしね。
劉備時代から始まる経済破綻がいよいよ破断界に達したんだろう。
第一線の守将がいきなり降伏しまくったりしたところを見ると、将兵の給養も悪化したんだろうな。
>>352です
>>355じゃなく
>>335あてだった
>>362 蜀は貧しいから仕方ないよね〜
しかし、今日も蜀豊がファビョてるな
蜀豊を批判するだけで魏ヲタ呼ばわりするし、バカだね蜀ヲタだって豊と認めてないだろよ
蜀豊は呉よりも豊と言いそうだ
蜀が豊か、という割りにその蜀が発行した貨幣とその変遷についても無知っぽいしな。
都合が悪いから知らんふりしている可能性も大だけどもw
漢の銅銭を鋳直して額面増やした直百五銖はたびたび話に出ているのにね。後期になるほど、これも質が悪くなっていくんだが。
>>366 トウガイの発言じゃなくて袁子の言葉じゃねーか。
しかも孔明は蜀の国が小さく民が弱っていることを知っていたから云々、という都合悪い部分は見事に無視していってたな蜀豊は。
>>375 >成都に篭る限りは
ねーよ。最後の朝議でも篭城なんて一言もでてない。どこに逃げるか降伏するか、の選択。
食い物が40万コクしかないのにどうしろと?
小さな蜀は天嶮を頼みとして、時期の変を待つべきだった。
こういう意見は当時の蜀武将の伝にも散見されるしね。
攻めたほうが苦労し疲弊する。
>>407 実際は魏内部でどんなに政変や反乱が起きても乗じる事が出来なかったし、
時期を待ってる間にどんどん国力に差が付いて、最後は総兵力の1.5倍の大軍を
送り込まれて滅びたけどね。
蜀豊がちょっとカワイソウに思えてきた
誰か蜀豊を助けてあげて
大丈夫だよ。蜀豊は「俺の立派な意見を理解できないお前らこそかわいそう」と思ってるから。
>>408 漢中を相手にわざわざ渡す真似しなければ防げたかもね。
あの防衛線下げも外征による経済的苦境と損害による軍力低下のツケっぽい。
督漢中すら置いてなかったんだよな。
ちゃんとした将軍と兵3万を漢中に置くか、それとも姜維が漢中に駐屯していれば漢中は守れたかも知れんが、
あの兵力差なら別ルートから侵入されて終わりだろうな。
>>410 その「俺の立派な意見」が10文字以下の、回答にもなってない内容が多いので、
誰か代わりに答えてあげればなと思って
資料片手に必死に調べて回答している姿を想像すると、すごくカワイソウに思えた
蜀は生産能力が低いのに住民を魏から強制連行したりするから益々悪化したのかも
特に姜維の北伐時には魏の3県から連行したりしてるよね
住民不足を補う前に、まず北伐をやめ生産能力を高める努力をすべきだった
孔明も強制連行していたから、それを踏襲したのかもしれないが
北伐も踏襲。姜維はもうちょっと自分で考えないと
>>411 漢中だけ守っても駄目な状況まで魏の戦力は整っていた。
姜維の防衛線変更はむしろ、武都・陰平を突破してくる魏の隴西軍も防御するシフト。
だからこそ侵攻初期しばらくの間、ケ艾・諸葛緒の浸透を防ぐことができた。
それがなければ蜀の防衛戦は逆に数ヶ月縮まった可能性すらある。
>>401 自分が真っ直ぐだと信じて疑わない曲がった奴には
真に真っ直ぐなものが曲がって見えるもんだ
>>402 妄想乙
毎日飽きないね
>>403 >蜀は貧しいから仕方ないよね〜
妄想乙枯れ
>魏ヲタ呼ばわりするし
魏ヲタだからだよ
>蜀豊は呉よりも豊と言いそうだ
末期の呉は貧しかったな
>>404 自分の知識を過信するなといつも言ってるんだが
>>405 合理化が進んでいったという話だろ
凄いな蜀は
>質が悪くなっていくんだが。
受け売り乙 どうせ「質が悪くなった」の一文でしか知らないんだろ
そういうのを知ったかぶりと言うんだよ
>>417 喪前さん、まるで見てきたかのようなレスっぷりだなぁ
>>417 いや、このスレに集まってるのは蜀オタばかりだと思うぞ。
ほとんど蜀の話しかしてないじゃん。
>>417 真っ直ぐとか曲がったとか言う以前の話で,
存在しないものが見えているつもりの人もいますしね。
>>406 袁子は「 故功業如此之難也 。」で終わってるんじゃなかったのか
まぁ袁準でも構わないが
>孔明は蜀の国が小さく民が弱っていることを知っていたから云々
「弱っている」じゃなく「弱い」だろう
蜀の民は弱くて戦士向きじゃないって知らないのか
>最後の朝議でも篭城なんて一言もでてない。
兵が居なかったからだろ
ちゃんと話についておいでよ
>>408 なんか違うな
>>409 楽そうでいいね
>>410 正解 よくわかったな
>>411 妄想乙
>>412 妄想乙
>>413 415とか見てみ、昨日の今日でもうこれだ
いい加減こいつらの知性のなさに辟易してるんだよ
424 :
小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/13(火) 21:52:05
蜀ってあれだろ、罪人送りの僻地だろ?
小銀玉さん
自称公正の蜀豊に何言っても無駄だと思いますよ
名士が余生を送りたがるという楽園だろ
恵まれている所だから人民にハングリーさがないんだろうなー
>>420 >存在しないものが見えているつもりの人もいますしね
存在しないはずの蜀の貧困が見えてるつもりの人のことだね
まだ途中だが、あれか、ひょっとして
チョウブジュツのシンヨウ攻防戦の例でもひっぱってくるのかいな
なんの話だ?
>>406 大国だからかは別として、魏は物資に事欠くのが悩みで
これまた小国だからかは別として、蜀は物資に悩んでない
と魏の高官袁準は言っているってことだよねぇ
ホント都合悪い部分は見事に無視してるよな
432 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/14(水) 00:17:53
魏と蜀では、単純に比較する事自体が間違いだね
私の書き込みを「妄想乙」の3文字で片付けられてしまった...
蜀豊はもうダメですねw
相手にするのやめます
もしかしたら蜀豊はアンチ蜀?ってさえ思えてきた。所謂成りすまし的な。
蜀豊の存在って、蜀にとってマイナスイメージだと思いますよ
蜀豊って本当に原文示しても曲解するだけなんだなw
袁子は蜀贔屓の発言がなぜか多いが、それでも現代でもよく言われる
「諸葛亮の北伐は、弱小の蜀を持たせるための積極防御」の元になる意見を述べたり大勢としての優劣は史実で証明されたような内容に沿っている(当たり前だが)。
その有名な部分なのに。
>>421 おい、篭城するとしたら食糧があったんだ、と言い出したのはお前じゃんw
つまり、兵がおらず食料消費がないからたった40万コクでも持つ、といいたかったのか?
残念ながら官吏というものがいて、それっぽっちじゃ一年ももたないんだよ……w
山越えしてきてぼろぼろのトウガイ軍にあっさりと降伏したり、二戦で壊滅する程度の兵力と士気しか首都近辺の蜀兵にはなかったからな。
まともに給養も行われてなかったんじゃないのか。
銅銭の質がどんどん悪化していく話が、蜀が主語だと合理化と言い張るとか。
真面目に考えていってるとは思えんぜ。
よくみんな相手ができるなぁ……。
まぁ蜀一国じゃどうやっても魏には勝てないね。
呉と完全に連携しても怪しいのに、劉放の偽手紙ひとつで「呉は裏切って攻めてくるつもりなのか!?」と孔明があわてて確認するほどの信頼関係だし。
貧しい蜀を異民族を搾取することで持たせていたが、
南方民族は重税に蜀に恨みを秘め、西方民族は魏軍に姜維が大敗したのをきっかけに離反した。
国庫が貧しいのも当然だ。入るものがない。
最近、蜀豊が突っ込まれるのが怖くて一行レスしかしなくなったから、
少しつまらない。我々は新しい珍説を待っているのに。
珍説を出すたびにぼろが出る蜀豊w
>>432 逃げ口上っぽいな
>>433 マヌケな発言だな
何番か知らんが「妄想乙」と言われたのなら妄想してるという事だ
散々言ってることだが、ここの奴の意見は思い込みばかりだ
発言する前に一度原文で確認してみることだね
アンチだのイメージだのとくだらんな
君は「イメージ」で蜀を語っているんだろう
そういう奴はヲタだろうがアンチだろうが同じだよ
レベルが低い
厨房乙
>>434 イミフ
>>435 発言する前に読み直したんだろうな?問題外だ
>残念ながら官吏というものがいて、それっぽっちじゃ一年ももたないんだよ……w
関係ないが、何人いたんだ? どうせ何人いたかも知らないで言ってるんだろw
>>436 妄想乙
>>437 どこが悪化してるんだよ? おまえ見たことないだろ
wikiの受け売り乙
>>438 イミフ
>>439 妄想患者
>>440 主客転倒してるぞ
突っ込んでるのは俺
馬鹿馬鹿しくてまともに相手されなくなったのは君ら
>>441 という願望があるのが破れっぱなしの君ら
蜀豊キター。根拠も示さず短文で文句付けてるだけで、「突っ込んでるのは俺」だってさ。
蜀豊と呼ばれるのはどうもしっくり来ないな
蜀が豊かなのは当たり前だろ
「日本島」と呼ばれてるような気分だよ
馬鹿が多いな
>>442>>443 一人で回答するのが大変なのはわかるが、3文字程度の回答なら答えないほうがまだマシ
>>446 問題ないのはスルーしてる
妄言をスルーしたら調子に乗っちゃうだろ
きっと蜀は経済的には疲弊してたが、心は豊かだった
そういうことですねw
・・・うまくまとめたかな?
>蜀が豊かなのは当たり前だろ
まあ結局この返答が全てを示しているんだろうな。
蜀が豊かだという推論で彼はもう何百行も使っているはずなのに、
いつまでたっても「当たり前」「常識」という言葉に戻ってしまう。
自分自身で導き出した推論を自分の中で積み上げて仮説を立てたんじゃなく、
「蜀が豊かなのは当たり前」という前提の上に論を積み上げているだけなんだ。
蜀は特別豊かではない。
魏も呉も特別豊ではない。
たぶん、これだ。
>>447 その程度の回答、何も言ってないのと同じ。
言っても言わなくても、「ああまともに答える気ないんだな」と思われるだけ。
>>451 イエ〜ス
もっとまともな意見ならやる気も出るんだがなぁ
蜀豊は
小銀玉氏のご意見にたいして無難発言と言った
これは蜀は豊ではなかったと認めたことになろうか
ならんな
456 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/14(水) 23:39:34
蜀が蜀豊の言うように豊かで強国だったなら貧しくて弱い魏に負けたのはなんでなんだろうなw
考え方が未熟すぎる 厨房乙
蜀180万人で蜀は豊かw(ただし国庫にはあまり金銀兵糧はありません)
蜀が魏より豊かだった説を唱える研究者は居ますか?
蜀の官吏は四万人。
このうち一万人が首都の篭ったとするのなら、40万コクじゃやっぱり一年持たない。
まぁそれ以前に兵士がことごとく敵に降伏するか逃げ散るか、という状況だから篭ったところで……なんだけどね。
兵も無く国庫も特に食糧や軍資金が空に近い。守りようもないから逃げるか降伏するか、の二択しかなかった。
蜀の疲弊貧窮は大兵大役によるもの。
国力に比して過大な兵を持ち、大掛かりな軍事行動をやってたら疲弊しないわけがない。
貨幣の質がどんどんショボくなっているのも悪貨を大量に出して額面価値との差額で国庫を補わないといけなくなった影響だろうね。
銅鉱山があってもそれを掘り出す労働力と、貨幣を裏打ちする財力が欠乏していたんだろう。
463 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/15(木) 15:26:51
どうして劉禅政権=蜀なんだ?
蜀が滅亡寸前のとき、民衆は成都に助けを求めるんじゃなくて山野に逃げ散ったということだからな。
蜀朝がもうあてにならない、というのは周知だったんだろう。
あるいは食い物が無いから蜀の官吏が追い散らしたのかもしれないが。
このスレにおける蜀は、蜀漢のことだから。
だから、劉禅政権だけじゃなくて劉備政権も守備範囲。
悪貨が良貨を駆逐=豊かではない
というのは短絡的ジャマイカ?
物々交換というと貧弱な経済活動と想像されてしまうのかもしれないが
別にゼニを貨幣にしなくて、別のモノを貨幣として代替したと理解すれば如何。
商取引には不便かもしれないが、物々交換によって経済活動が衰退したというのは
いかがなものか。
政府の財政能力が衰退した、とは言える。
物々交換が増えるのはつまり民間自立の商取引が幅を効かせた状態ということ。
政府が安定した貨幣を供給すれば、物価を安定(制御)したり、均質な納税を図ることができるが、
物納が主流の状態になると財政計画が立てられなくなる。
>>458 降伏時の首都の在庫(申告)は国の実情解明と直結していない
ということが分からない馬鹿がいるということですね よく分かります
>>459 どうかな
研究テーマになり得るのは常識とは異なる説の方だから
蜀が貧しかったとかいう変わり種の研究者ならいるかもね
>>460 一万も居たとは思えんが、首都で籠城する限り官庫だけで食っていくわけではない
府庫四十餘萬斛という数字には何の意味もない
>まぁそれ以前に〜逃げるか降伏するか、の二択しかなかった。
諸葛瞻が破れた時点で蜀の命運は定まった それだけのこと
>>461 「蜀の疲弊貧窮」など史料上に存在しない
それが目に入らない上に、国力不明・パーセンテージ不明・コスト不明で計算して
「疲弊しないわけがない」と考えちゃう君の頭弱が哀しい
カワイソス
>>462 「貨幣の質が悪化した」という"?な仮説"を頼りに
どんどん妄想を膨らませて論を展開してるw
君の脳みそは酸素が欠乏しているのだろう
>>464 何を今更
頼みの綱の諸葛瞻軍が破れたんだ 当たり前だろう
>>466 魏の事かな?
物々交換でも生命活動には障りがないかもしれないね
しかし衝動買いなんかは起こりにくそう
飲食・小物・観劇など商売は難しいだろうね
これらの商売は"街の華やかさ"なので、これが弱いということは
魏国の街は賑わいがなく地味で
詰まる所、不況ということになる
>>467 利益ではなく店の敷地面積にでも課税したんじゃないのか
>物々交換
「カネ」は「力」を保存した物だから
貨幣制度を一朝廃止した魏は、国全体でそれまでの力の蓄積を投棄したことになる
これは大幅な国力ダウンに他ならない
これまでは貨幣で蓄積されていたものが、物品で蓄積されるようになったので
従来の生産量では不足する
また、金属の貨幣と違って変敗が早い物品は年々価値が低下し終いには屑になる
これは毎年天に財産税を払っているようなもので、国中の資産が減少を続ける状態だ
これを埋める為にも生産量を拡大しなければならない
魏の弛まぬ開発努力はこれが主な原因
民のへ施しも、どうせ古くなって価値がなくなる穀物を
せめて使える内に有効に使ってしまおうという計算のもと行われたのだろう
大した事ではない
蜀が豊かだったら、きっとこんなスレ存在しなかったのにね
蜀豊もつまらなくなってきたな。
反論に詰まると短レス煽り一手になったし。
自分がほざいた意見すら平気で放逐するようになったし。
蜀の国庫貧しさはトウガイが取ったんだ、とかいってたのに今度は国庫は関係ない、かよ。
もっとぶっとんでくれレス乞食なら。
>>471 つまり国庫にまともな財が絹しかない蜀はそれ以下の惨状と。
一番大事な食い物がないからな。
「蜀錦の質がどんどん悪くなっているし偽物も多い。こりゃ下士の代物だな」と曹ヒに言われるレベルだしな。
魏は結局のところ銭廃止を撤回して五銖銭を復活させ流通させているからね。
もっとも現物が貨幣代わりになるのはこの時代は珍しい現象じゃないが。
統一王朝時代の漢でさえ、銭やめて穀物や織物を使ってはどうか、と建議されているし。
官吏の給与も大半が現物だったらしい。
蜀の国庫に絹ばかりが溜め込まれていたのも、銭の代用品だろうな。
もしも蜀が魏より豊かだったら。。。
皆の常識の中で「蜀は魏より豊か」という認識があり、口に出して
「蜀は魏より豊かだよね」などという会話は無いであろう
たまに知識の乏しい人が「ねえねえどっちが豊かだったの?」と聞いてくる程度
「蜀だよ」とやさしく教えてあげてたでしょう
また、たまに2chに「魏のほうが蜀より豊かだったもん」というスレを立てる
人もいたかもしれない。でも多くの常識人に論破され、短いレス返すだけのさみしい
存在になったであろう。
残念ながら魏のほうが豊かだったので、上記のような状況にはなりませんでした
減税や税還元がたいしたこと無い行為なら、それさえできなかった蜀はやっぱr(ry
つうか農業がほぼ唯一の生産手段である社会においては、半端な経済発展は都市への資源と人口移動をもたらす「都市による農村の搾取」状態を引き起こすんだよな。
これは蛇が自分の尾を飲み込んでいくようなもので、社会経済全体の停滞をもたらす。
歴史的には宋が陥った袋小路が有名。
豊かどころか疲弊貧窮の一途じゃん
魏から強制連行した住民を農業にあてたんじゃなかろか
>>478 漢代盛期でさえ富豪や流民が実入りのいい商売に進出して穀物生産低下と物価不安定がしばしば政治問題になっているね。
まして莫大な兵糧備蓄が必要な三国時代では何をかいわんや。
>>467 この頃って物納上等!じゃない?違った?
後、物納でも財政計画立てられると思うけど。
計画が実際にあうかあわないかは別にして。
現代の話で恐縮だが、いわゆる貨幣で納税している某国は
過去の多額の支出による財政悪化でIMFから消費税上げれば、と言われていて
財政計画どないなっとんねん、という状況だしな。
>>470 いわゆる戦国期の斉の羽振りのよさが当時の魏にはないかもしれない。
ただ、賑わいがないから不況というのはいかがなものか。
黄巾の乱を含めた、内戦的な状態から復興させていこうという過渡期だから
賑わいを求めるのは少々酷なような希ガス。
まずはみながオマンマ食えるようにせなイカン、というのが主眼で
その方策の一つが屯田だったと思われ。
>>471 貨幣制度を廃止したんか?
廃止したんじゃなくて貨幣制度は維持しつつも
あまりにもゴミすぎるカネだったから、それを使うの回避したのジャマイカ?
貨幣の流通を完全にストップさせたわけじゃないはずだし。
だから、力の蓄積を投棄したんじゃなくて
ゴミカネだと力が蓄積できないから、モノで逝こうと考えたのジャマイカ?
そもそも零帝がバイカンした時点でカネ的におわっとるとも思える。
>これまでは貨幣で蓄積されていたものが、物品で蓄積されるようになったので
>従来の生産量では不足する
ここどうしてか詳しく教えて。
最後に簡単に質が劣るようなモノを貨幣の変わりにはしとらんと思うし、
現代ほどモノが溢れている世の中じゃないから、価値が低下しつづけるのも
どうかなと思う。 見てきたわけじゃないから、よう知らんけどなwwwww
漏れの基本的な考えとして、まず平和でなければ豊かではないと思うわけよ。
戦争状態にあるところでは、物資は優先的に戦争に使われるようになると思うわけよ。
でだ、蜀が確かにいろいろヤって経済的に潤ったけども
それもこれも魏との戦争のためだと思うわけよ。
だから、いろいろヤってでた結果は基本的に戦争のために使われたと思うわけよ。
さて、上記を踏まえて蜀が魏より豊かだったかと聞かれたら、
それはちょっと違うんじゃね?
という回等ですわ。
>>472 「国家の滅亡」は「衰退」としばしば結びついているからね
滅亡から衰退を連想してしまうのだろう
無いものを見てしまうのはここに原因がある
>>473 反論に詰まることなどあるか
アホの相手がいい加減めんどくさいだけだよ
そのレスもアホそのもの
>>474 上2行は前スレ読め
>「蜀錦の質がどんどん悪くなっているし偽物も多い。こりゃ下士の代物だな」
>と曹ヒに言われるレベルだしな。
なるほどな つまり魏の商人たちは手数料を物で取るので
蜀錦の一級品は仲介業者に手数料として次々抜き取られ
曹丕のところまで辿り着いたときには二級品しか残っていなかったという
曹丕導入の物々交換物語りのオチというわけか ちょっと面白いな
>>475 蜀の国庫の銭の量はゼロではなく不明だろ
>>476 蜀が魏より豊かだったから。。。
皆の常識の中で「蜀は魏より豊か」という認識があり、口に出して
「蜀は魏より豊かだよね」などという会話は無い
たまに知識の乏しい人が勘違いして「蜀は貧乏だったんだよね?」と聞いてくる程度
「違うよ」とやさしく教えてあげてきたのでしょう
しかし知識の乏しい人が2chに集まって「魏のほうが蜀より豊かだった」という認識を確認しあい
強気になって声高に主張するも、常識人に完璧に論破され、足掻いても短いレス返されるだけのさみしい
存在となった。
当然ながら蜀のほうが豊かだったので、上記のような状況になりました
>>477 蜀は豊かであるし飢饉もない 民の体力も魏よりあるだろうし、そういう機会自体が少ない
魏は貧しいからすぐ危機に陥いる 魏の不幸自慢はよしたまえ
>>478 長安・洛陽・許昌・鄴という大都を抱え、産業が農業しかないような魏は
そのような状態だったんじゃないかな
>>479 魏って大変だよな
>>480 魏でも農業やってたろ 農業を悪く言うんじゃねぇ
>>481 魏はいくら開墾しても追いつかなかったかもな
>>482 470
不況そのものじゃん
「まずはみながオマンマ食えるようにせなイカン」というのが魏の社会レベルでしょ
471
>貨幣制度を廃止したんか?
「罷」だから廃止
>>従来の生産量では不足する
>ここどうしてか詳しく教えて。
君、豪族ね
1万円の貯金とチョコ畑を持っていたとする
そのチョコ畑は月にチロルチョコを300個生産する
自分がひと月に食べる数は30個
270個余る
その270個を1個10円でクラスメートに売って、月2700円を稼ぐ
ただしラムネや飴、漫画なども買うので最終的に月500円ほどの黒字となる
チロルチョコはその殆どをひと月のうちにクラスメート達によって消費される
これが平常としよう
ある日お金が廃止になりました
あるのは今までお金と思っていた何の役にも立たないゲームセンターのメダル百枚と
チョコ畑のみ
月300個のチロルチョコを30個自分で食べ
のこり270個をクラスメートと物々交換してラムネや飴・漫画などを手に入れると
何も残りません
そこで50個ほど交換しないで手元に残すことにしました
すると、今までクラスに270個のチロルチョコが君から出回っていたのに
220個しか出回らなくなります
クラスは深刻なチョコ不足に陥る
貯蓄がないのでもはや君は豪族ではありません
もっともっと貯め込んで、豪族としての威厳を保たねばならないでしょう
チョコ畑に大いに不足する状況にあるのです
チョコ豪族の君だけでなく、ラムネ豪族・飴豪族・漫画豪族なども同じ状況
クラスは圧倒的に「畑」不足に陥っている(ひと月は1年)
これが魏という国じゃないかな
>最後に簡単に質が劣るようなモノを貨幣の変わりにはしとらんと思うし、
青菜と魚の交換も行われたと思うよ
生産量が多くて日持ちのする穀物や絹などが蓄財の中心を占めていたと思うが
穀物は年々味が落ちる 絹も古びた色になる
誰だって新しい方がいい 等価なわけがないだろう
>>483 統一王朝下では蜀の鉱物資源は中原に吸い取られるが
分断下ではこれがない
巴蜀の富は蜀のものだ
蜀は一州で自立できるという強みを持つ
独立社会だから、蜀の財は絶えず官民で循環していることになるだろう
官が下から富を吸い上げ、戦争などで金を使えば
それが下を潤す それをまた官が吸い上げる
そして使い、また下が潤う の繰り返し
鉄を掘り、金を掘り、銀を掘り、銅を掘る
錦を売り、丹砂を売りして外貨を稼ぐ
これでどうして蜀が貧しくなるんじゃ?
代用通貨として流通した布類の場合、両替が難しいという問題も深刻になる。
1反の布でちょっとしたものを買うために十分の一に細分化したら、
その価値は十分の一どころではなく激減する。
一枚の面積の減った布は用途が制限されてしまうから。
大規模通商はともかく、日常の買い物で布や絹を自由に使うわけにはいかない。
自然劣化に加えて、代替貨幣にはこのような流通過程の消耗のリスクが大きい。
(まあ銅貨にも削り取られるという心配はあるんだけど)
自然、日用の買い物は物々交換に近くなるだろう。
物々交換には相場が無い。取引者同士の需要と供給によって、取引価格が激変する。
物品での貯蓄というのも難しい。
民間人が安定した通貨での貯蓄・取引ができない状況は、商取引の減退、
小さな社会での自給自足体制の固定化を招く。
>これでどうして蜀が貧しくなるんじゃ?
軍事行動をするから
>>491 だね 大半は同意
しかし
>民間人が安定した通貨での貯蓄・取引ができない状況は、商取引の減退、
>小さな社会での自給自足体制の固定化を招く。
これは両替商のような存在があればそうはならないだろう
両替商、つまり物と物の交換を仲介する業者
たとえば大型スーパーのようなものがあり
生産者であり客である者はそのスーパーとの取引を主とすれば
物価の安定もある程度図られるだろう
>>492 答えになってない
「実は蜀は魏より豊かだったらよかったのに」のスレにようこそ
いろいろと突っ込む余地はあるが、簡潔に
>独立社会だから、蜀の財は絶えず官民で循環していることになるだろう
完全に蜀国内のみに閉鎖された経済状態なんてありうるのかねぇ
>外貨を稼ぐ
としているが、輸出のみで輸入ゼロは正直ありえないと思うが。
かつ、戦争は生産行為じゃなくて消費行為とみなせるから
生産以上に消費すればその官民の循環も破綻するけど
外貨をせっせと輸入して、その財を狭い蜀国内だけで循環させるって事は、
急激にインフレが進むって事だよな。
というか金銀銅鉄錦丹砂よりも価値の低い外貨を稼いでどうするんだろう。
国内だけで回すんなら金貨や銀貨で良いじゃない。
貨幣を右から左へ延々バケツリレーして行く作業が彼のいう「豊か」ってことなんだろう。
蜀豊は蜀が豊かだったことにしたい、という結論ありきでその場のでまかせ、反論不能なら煽りしかしかいからなぁ。
で、自分の妄想内矛盾さえせめて解決したか?
人口が少ないから蜀の軍事力や生産力はどうしても頭打ちになる。
劉ショウ政権の遺産を分捕ったときが一番豊かだったな。
その後はとかく落ちる一方。
魏なんかは数千コウの田畑を増やしました、とか年五百万コクの利益がでてますよ、とかいう国力強化の話はいくつもでてくるのに。
格差はそら開く一方で勝てるわけがない。
>>499 それはない
劉[王章]から分捕った時は法律が脆弱で税収基盤そのものが弱かった
おおらかでもなんとかやって来られたのは蜀自体が豊かだったけれども
法制度などの整備によってまだまだ伸び代はあっただろうし
夷陵辺りまでが一番豊かな時期だったと思うよ
夷陵後は夷陵で失ったもののリカバリーに多くのリソースが突っ込まれて
元のラインに戻れたかどうか決行怪しいけど
劉備が蜀取った時、兵士にすべて持って言っていい、と略奪公認して幹部への恩賞も大量に出した。
これは益州の財だけじゃなくてケイ州の富もあったんだろう。
二州持ってた時期が蜀(政権)が一番豊かな時期だったんじゃないの。
その後は凋落の一途だけど。
>>499 魏はもともと貧しいからb、国力を強化する必要があった。
蜀は豊かだから国力を強化する必要が無かった。
そんな単純な事も分からんのか?
>>502 わかるわけないだろw
蜀は一時的な豊かさに胡坐かいて貧窮して滅亡した間抜けだった、ということになるぞw
>>502 蜀も国力強化の手をいろいろ打ってるだろ。
魏や呉に比べて国力人口が低いんで伸びしろが無かっただけで。
南方異民族から収奪したりしてまで必死だったんだぞw
>>503 蜀は建国から滅亡まで一貫して魏より豊かだよ。
貧窮したなど妄言も甚だしい。証拠持ってこい。
>>505 証拠なら過去レスに山ほど。
蜀が豊かだ、という妄想だけを頼りに暴れている連日粘着嵐も、
ついに音を上げて短レス煽り逃げしかできなくなるほどで。
蜀の宮廷は豊かだったのかもしれんね。民衆や軍、国全体は知らんけど。
ショウ周が皇太子に狩猟とか遊興ばかりにふけってるんじゃ駄目です、と諫言したり。
>>506 過去レス?逃げんなよ。自説を主張するなら自分の口で語れ。
当時の中国の経済の中心は黄河一帯。
ここを抑えた魏の国力が圧倒的になるのは当たり前。
蜀は片田舎の閉鎖された土地で、ジリ貧の一途。
孔明らがなんとかつじつまあわせをしていたが、政治さえ乱れると滅亡。
歴史の必然だろう。
魏 66万戸 443万人(263年)
呉 52万戸 230万人(280年)
蜀 28万戸 94万人(263年)
魏にはこのほかの屯田戸がかなりあった。晋代に入り屯田戸廃止後の人口急激増加はこれが加算されたものといわれている。
圧倒的でお話にならない。
一貫して豊かだったのに貧しい魏にぼろ負けして滅亡した蜀は無能だった、といいたいんだろう。
その前には呉にも負けてるしな劉備が。
>>509 黄河一帯が経済の中心?戦乱で荒廃して江東や荊州や益州に避難民続出だっただろ。
>>510 インドネシアやパキスタンやバングラデシュやナイジェリアは日本より人口が多いが、
日本より圧倒的に貧しい。
>>512 産業革命以前の人力がすべてだった時代と、現在を無理やり同一視しているから妄想に浸れるんだろうなw
何しろトウガイが開いた新田から必要経費を除いた上がり(一年で五百万コク)だけで、蜀最後の国庫の十倍以上だからねぇ。これだけ富力の差がついたら勝てるわけがない。
領戸二十八萬、男女口九十四萬、帶甲將士十萬二千、吏四萬人、米四十餘萬斛、金銀各二千斤、錦綺綵絹各二十萬匹、餘物稱此
これでうなるほどの金、といえるのなら。
これ以上の褒賞を、はては領戸さえ分かち与えていた魏はもっと豊かとなるな。
魏の伝を見ると、戸を加増とかの時に数千単位での領地領民を恩賞として出されているんだが。
これも総計したら結構な数になりそうだな。
衛キのような政治家が曹操の配下にいて、塩売買の監督・農業奨励・流民の定住化を促進して生産力回復に努めたのも大きいな。
この方面でも人材豊富だったな魏は。
だから人口と農業だけが経済じゃねえーっつーの。
>>518 当時はそれがすべての基盤なんだが。
だけじゃない、というけど金だって銀だって蜀哀れな数字しかないじゃん。
劉ショウから蜀を奪ったときにバラまいた金がどうみても最高値で、それ以外は凋落ばかり。
トウガイの上奏だと国家の大事は軍事と農業、二つのうちでも農業が優先でそれが勝利の基本だ、孔子もそういってるぞ、だそうで。
>>519 商業と鉱工業を忘れるなよ。
蜀は商業と鉱工業が発達してたから、農業だけの魏より豊かだった。
>>520 魏には農業以外の産業が無いから、せめて農業は大切にしましょうねって事だろ?
>>494 「読語力が満足に備わってない人たちが集うスレ」が相応しいだろうね
>>495 >いろいろと突っ込む余地はあるが
ほお 突っ込んでもらっても構わない
が、
完全だの輸入ゼロだのそんな極端なことを言ったつもりはない
それでもあるならどーぞ
>かつ、戦争は生産行為じゃなくて消費行為とみなせるから
>生産以上に消費すればその官民の循環も破綻するけど
? 分かってなくね?
具体的に何を消費するって思ってるの?
>>496 蜀が末期、金満過ぎてインフレを起こしていた可能性はある
>というか金銀銅鉄錦丹砂よりも価値の低い外貨を稼いでどうするんだろう。
「価値が低い」の意味が分からんな
等価以上で売るに決まっている
>>497以下
今日も患者が暴れてるな
蜀貧論なんてとっくに論破されていることに気付けよ
ウザ過ぎる
>>523 いや、お前は何も論破していない。壊れたスピーカーのように自分の主張を繰り返してるだけで、
後で誰もお前の論を認めてないのに、一人で勝利宣言するだけ。
ところで同調者があらわれたようだが、何か言ってやれよ。
>>524 国内の市場に金品があふれるとインフレする
輸出品をひたすら売って外貨を獲得しまくり、国富は循環しているってな主張だと
蜀の経済は盛大なインフレを起こして逆に豊かでなくなってしまう罠
「蜀の豊かさ」を強調したいなら本当は逆なんだよな。
帛や金銀・良質の貨幣等を外国へ売却して、代わりに兵糧など軍需物資を獲得する。
それが豊さんにとって望ましい「商業国家」像。
魏は「農業以外にまともな産業が無い」らしいから、金銀や帛を争って買い求める。
これなら、官吏や商売に人口が奪われても、その人口の活躍によって必要物資が大量に補填される。
まさに蜀豊か!
なんの証拠もないけど。
>>524 >壊れたスピーカーのように自分の主張を繰り返してるだけ
そりゃお前だろう 早くそこに気付こうね
>ところで同調者があらわれたようだが、何か言ってやれよ。
コイツらバカだから相手するのに苦労すると思うけど頑張ってね
>>525 インフレだからって豊かでないことはない
それ以前にインフレだったか不明だけどな
>>526 蜀が米不足というのは妄想
>蜀が米不足というのは妄想
俺は「外貨を獲得して蜀豊か」と持っていく君の論理の拙劣を笑っただけで米不足の話はしてないから。
>>528 >官吏や商売に人口が奪われても、
じゃこれ↑は何なんだ?
ちゃんと答えろよ
>蜀は商業と鉱工業が発達してたから、農業だけの魏より豊かだった。
これが君の主張。
商業とは富を回転させる手段。鉱工業のうち金銀や絹織物、鋳造された貨幣というのは、
嗜好品でなければ富の貯蔵手段でしかない。生活にはほとんどなんの役にも立たない代物だ。
豊富・良質な貨幣や金銀、帛が高い価値を発揮するには、
穀物をはじめとした生活必需品が、相対的十分に「市場」に存在することが前提となる。
金銀銅帛などがいくら市場に出回っていても、生活必需品の総量が変わらなければ、
単に金銀や貨幣の価値が下落するだけの結果を生む。金をたくさん持っていても米をあまり買えない状態。
物資を外から買わない商業国家などに意味はない。
いくら人夫を投入して鉱山から金銀を掘り出しても価値が薄まっていくだけ。
君にはその視点が致命的に欠落しているから、単に金銀や貨幣がたくさん出回る状態を「豊か」と呼び、
あまつさえ魏と交易して「外貨を稼ぐ」などという笑うべき論理を生み出して平然としている。
だから笑った。
>>531 君が何を言っているのかさっぱり分からん
「相対的十分」って何だ?
まずそこから聞こう
>>527 蜀は劉備が意図的にインフレ政策とってるし
その後に発行された貨幣を見る限り貨幣の額面を下げてるわけでもないので
おそらくは基本インフレ傾向
劉備〜諸葛亮の10年程度のスパンで見ればほぼ確実なんじゃないかな
>>532 貨幣などの交換媒体の流通量に対して、市場に流通する富・財が相対的に適正な量を保っているか。
貨幣というのは尺度にすぎず、それ自体は富・財ではない(使用されている銅の分の価値はあるが)。
もとより金銀銅帛等が豊富とされる蜀が、帛を売って魏貨幣を得るというのは
貨幣全体の下落を生むだけで無意味ってことだよ。
>>533 劉巴の貨幣政策は、額面価値を百倍にしただけで、インフレ政策ではないよ。
もとより銭の価値が百分の一になっていたのが後漢末。
それを補正して、漢の五銖銭とほぼ同質の「百銭銅貨」を作ったのが蜀の直百五銖。
額面は百銭だが、超インフレ前の一銭と同様に機能する。
つまり後漢代の安定した物価状態を取り戻そうとした政策。
んー、原発から使用済み核燃料を返さずに核兵器として使用しようとしている北朝鮮に似てるな
核兵器を装備してるから豊だどーってな感じ
>>536 北朝鮮には手付かずの地下資源が大量に眠ってるそうだ。
採掘する技術が無いから。
それをもって北朝鮮は豊かだというのが、このスレ。
実際は木材とマツタケで外貨を稼いでるんだけどね。
今の世でもそうだが、途上国ほど地下資源が豊かだね
>>521 で、その商業が発達した結果があの無残な国庫とかかw
>農業以外の産業がない
んな妄想はもういらんよ。
商工業ともに曹操政権安定時期から復興してるじゃないか。
異民族との貿易もさかん。
>>531,
>>534 豊富・良質な貨幣や金銀、帛が高い価値を発揮するには、
「市場」に存在する穀物をはじめとした生活必需品が、貨幣などの交換媒体の流通量に対して
適正な量を保っているか。 それが前提となる。
ってことか?
逆でもいいな
豊富・良質な貨幣や金銀、帛が高い価値を発揮するには、
貨幣などの交換媒体の流通量が、「市場」に存在する穀物をはじめとした生活必需品に対して
適正な量を保っているか。 それが前提となる。
あー、なるほどね
生活必需品は
金銭との相対より、消費量という絶対の方に近いだろう
生活必需品が市場にいくら在っても、人が消費する量という上限が消費にはあるからね
生活必需品を賄えるレベルを超えると、人は本能に従って貯金に走る
それも充分に達すると「贅沢」に入る
家屋敷に金を掛け、良い物を着て、豪華な調度品を揃え、
それ自体何の役にも立たない芸術に金を掛けるようになる
これが生活必需品を云々するレベルにない「豊かさ」だ
金銭は豊かになった人間によりプールされる
だから政府は金を製造して絶えず世の中へ流さなければならないのだよ
日本国民の預貯金総額は約670兆円
こんな巨額が一斉に国内の生活必需品を買いに走ったら
とんでもないインフレを起こすだろうがそんなことは起きない
生活必需品には生活必需品の価値というものがある
それは生産量と消費量に安定が保たれている限り大きく壊れることはない
あぁそれと「外貨」という言葉を辞書で引いてね
>>536 夢想乙
>>537 人手不足という妄想乙
>>538 ?
>>539 横レス
>で、その商業が発達した結果があの無残な国庫とかかw
まだそんな事言ってんのか どこまで続くの?馬鹿回答は
>んな妄想はもういらんよ。
>商工業ともに曹操政権安定時期から復興してるじゃないか。
そんなこと言ったらキリがないだろう 蜀にも漁業とかあるんだよ
金二千斤・銀二千斤しかないのに豊かとかどんだけ。
人口もわずか94万人を養うのが精一杯じゃん。
何度説明聞いても頭に入らない奴って手に負えないなぁ…
つうか、農業という当時の最大基盤での豊かさの差を意図的に無視しているあたりが悲しさをさらに呼ぶなw
まぁそれをいったら蜀はお話にならない、とわかっているんだろうが。
きっと蜀豊君の脳内では、蜀人は絹や金銀を食えたことになってるんだろうw
>>543 まったくだ。蜀豊は妄想やイチャモンには説得力が無いということをまったく理解しないからな。
蜀は疲弊し貧しくなっていったんだ、根拠は史書のこれだ
に対する蜀豊の反論は、
いやそれは誰かが盗んだんだ
じゃあ盗んだって証拠は? というとまったく無い妄想だけだからな。
これじゃ毎日粘着しても誰も賛同してくれないだろう。
食い物が無いから孔明は連年悩んだんだしね。
生産力が無いから後が続かない。
>>544 農業が最大基盤?まぁ就業人口が多いからな
それで?(笑
肝心なのは利率でね、農業の利率は鉱工業より低い
利率の低い産業を比率の上で多く抱える魏の方が
蜀より豊かでないのは道理だよ
>>545 君は妄想というものが何か分かっていない
妄想という言葉を辞書で引きなさい
「蜀は貧しい」というものこそ、妄想でありイチャモンだ
>>546 >蜀は疲弊し貧しくなっていったんだ、根拠は史書のこれだ
いい加減にしろよ(呆れ
そんなものは史書にない(
>>15)
いいか、降伏目録の金銀各二千斤というのは
蜀の平常時の財政事情と直結していないんだよ
必要なののは直前に失った証拠ではなく、
産金銀国にしては不自然過ぎるこの残量が正当な値であるという立証が必要なんだ
それを弁えようね
>>547 悩んでないけど?
都合の悪い史料は曲解。これも説得力が無い無い理由のひとつだなw
利率(笑)。で、その根拠史料はあるのかね?
亮毎に糧の継かず、己が志をして申べざらしむを患へば、是を以て兵を分ちて屯田し、久駐の基と為す。
毎度食糧が尽きて帰ることになっているのは伝にあること。
ようやく対策として屯田を取るようになったのは最後の北伐だが、これも百日余で頓挫。
ってか前は食糧はたくさんあるんだ、単に輸送が続かないだけだって強弁してなかった?
また蜀豊お得意の、自分の妄想レス内でさえ矛盾かよ?
どっちよ??
蜀が漁業か…
鮮度が悪く腐った淡水魚を売買してたってことか…
ま当時じゃ冷蔵冷凍技術がないから当然か
塩鉄専売になって負担が増え、蜀の税制が漢代踏襲なら魏より重いはず。
当然、戦争負担もあって民は貧しくなる一方。
その民から大量に富を吸い上げたはずなのに、蜀の国庫は欠乏状態。
どう見ても豊かとはいえんな。
>>540 生活必需品を相対量で測れなんて言ってないんだが?
生活必需品の流通量に対して不当に多い貨幣や金銀が流通・退蔵されていても無駄だって話をしているんだが?
蜀漢には金銀銅帛の名産地だった、という。
金銀銅帛などは保存すれば購買力をプールするものになる。
しかし、貨幣等が保存総量が増えていっても、
生活必需品や日用品の生産・流通の総量が変わらなければ、生活水準はあがらない。
いくら金を掛けてもものが買えないんだから。
にも関わらず、君はその金銀銅帛に加えて魏の貨幣を輸入して金余り状態にすることを「豊か」などと言っている。
君の蜀の施政では、十年掛けて庶民が帛や金銀銅の生産に労力を傾け、それが流通して、
みんなが帛服を来て貨幣をじゃらつかせるようになったが、食う飯の質は十年前と同じ(或いはそれ以下)、
などという笑える事態が発生する。
蜀を馬鹿にしすぎ。
北伐の食料の件は輸送の問題で良いんじゃないかな。
第四次の時も長雨が原因でしょう。
戦争の前から、戦地にベースとなる城や領土があるならともかく、
無いなら、後から運ぶのがメインになるから。
輸送路事情からして、一気に大量に運べるものでも無いし。
>>556 この場合は食い物に困っていた話自体がそんなことない! と駄々こねてるのが問題では?
第四次は李厳が長雨を口実にした、でその進言どおり撤退したら孔明にも劉禅にもちぐはぐな弁明や責任転嫁をした、という話で。
普通に李厳が物資を集められず難儀した末の迷走だった可能性もあるけどな。
その後は孔明は数年の農業振興と備蓄に勤めているし。
そんだけ準備しても結局足りず、屯田策に出るわけだが。
なんか必死に蜀豊とか造語作って
煽ってる奴が痛すぎる
×煽ってる
○あきれてる
自演で自分を擁護している暇があったら、妄想をツッコまれた際の反論ぐらい統一しておけよ。
しかし、農業以外に産業が無くてしょっちゅう飢饉があって貧民がうじゃうじゃいるだけで物々交換経済の魏と比べて、
商工業や鉱業が発達していて、しかも飢饉知らずで民が富んでいた貨幣経済の蜀が豊かであった事は明らか。
ごくたまーに蜀豊を装ったレス乞食が出てくるが、書き方や妄想の切れっぷりをコピーできてないなw
いや、蜀豊を装ってなんかいないが。ただ蜀は魏より豊かだったと言いたいだけ。
貧乏な魏に豊かな蜀を擁しながら負けた孔明らは無能。
そういいたいだけでしょ。
まぁ実際の富力は
>>66あたりにあるようなレベル。
史実無視して蜀は魏より豊かだ、と強弁してなんになるのかは知らないけどもね。
>>549 何も曲解などしておらん
>>550 バカなの? いやバカのは知ってるけども
>>551 三国志には事実の部分と陳寿の憶測の部分があるんだよ
「五丈原で屯田した」のは事実
その理由は事実じゃない 陳寿の考え
>>552 君の頭がオカシ過ぎて俺にはついて行けん
何と勘違いしてるんだ?
>>553 さぁね 華陽國志に聞いてみな
>>554 >どう見ても豊かとはいえんな。
ものが見えない目じゃしゃーないな
>>555 >生活必需品を相対量で測れなんて言ってないんだが?
誰か測ったのか?w 話にならんね
>生活必需品の流通量に対して不当に多い貨幣や金銀が
>流通・退蔵されていても無駄だって話をしているんだが?
そうだろう それでやってるじゃないか
無駄って、君は何か?世の中の金銭的豊かさの概念そのものを否定して語ろうとするわけか?
豊かと言われている国の金銭と生活必需品の総量は全然釣り合ってないぞ
釣り合ってるようなら豊かとは言えない
>しかし、貨幣等が保存総量が増えていっても〜ものが買えないんだから。
言ったろ 「贅沢」をするんだよ
なに生活必需品を云々するレベルに留まってんだ?
>君の蜀の施政では、十年掛けて庶民が帛や金銀銅の生産に労力を傾け、それが流通して、
>みんなが帛服を来て貨幣をじゃらつかせるようになったが、
>食う飯の質は十年前と同じ(或いはそれ以下)、などという笑える事態が発生する。
>蜀を馬鹿にしすぎ。
君が蜀を馬鹿にしすぎ
なんで君の脳内では蜀の食糧自給率が低い事になってんの?
>君はその金銀銅帛に加えて魏の貨幣を輸入して金余り状態にすることを「豊か」などと言っている。
? 言ってないが?
>>557 君の頭はどーゆー作りになってんだ?
>>558 >そんだけ準備しても結局足りず、屯田策に出るわけだが。
違うな
>>559 そうなんよ
>>560 >○あきれてる
馬鹿って不思議な事であきれる事が出来るんだな
◎煽りといい、戯言といい、呆れられてる
>>561 俺じゃねーよ 前から言ってるが君は統合失調症という病気
>>655 負けたのではない 勝ちを収める事が遂に出来なかった が正しい
魏は貧しかったが、財を寄せ集めて蜀の動員力を上回った
攻める側だから勝たねばならない蜀と、守る側だから引き分けでいい魏、
難所を越えて食糧を運び続けねばならない蜀と、そうでもない魏
この差は貧富では埋まらない
>>566 完全に論破されたものにいつまでしがみついてんだ みっともない
>魏は貧しかったが、財を寄せ集めて蜀の動員力を上回った
つまり総体として魏のほうが豊かだったってことじゃん。
誰も賛同してくれない論破宣言している暇があったら、史実を素直に認めろよw
>>570 >つまり総体として魏のほうが豊かだったってことじゃん。
そんなことは前スレでとっくにやってんだよ
君は「豊か」の概念がおかしい
>>50読め
>誰も賛同してくれない
それはしょうがないだろう?
馬鹿しかいなかったんだからなぁ
Jomi氏はこのスレを見てるのだろうか?
もし見てたら、一連の問題についての見解を聞きたいところ
>>571 妄想と仮定だけ、しかもその中でさえ自分で極端だと何度も認めている話が、客観的に説得力あるとでも?
ま、他人が馬鹿だという割には、その馬鹿に認めてもらいたくて連日必死なようですが(爆笑)
>>573 かわいそうに…
概念モデルが理解できないんだなんて
>ま、他人が馬鹿だという割には、その馬鹿に認めてもらいたくて連日必死なようですが(爆笑)
あー、
ハエがしつこく不快な羽音を立てるので追っ払ってるだけだよ
君らの事はそのくらいにしか思ってない
3Mなんてそんなもの
人の話を聞かず何度も同じレスを繰り返して正常な議論の進行を妨げる
立派な荒らし行為だよ
ま
>>50のような頭が腐ってるオナニーレスは低レベルで信憑性に欠けるからね〜
北島三郎の財布(プッ
チロルチョコ(プッ
トv'Z -‐z__ノ!_
. ,.'ニ.V _,-─ ,==、、く`
,. /ァ'┴' ゞ !,.-`ニヽ、トl、:. ,
rュ. .:{_ '' ヾ 、_カ-‐'¨ ̄フヽ`'|::: ,.、
、 ,ェr<`iァ'^´ 〃 lヽ ミ ∧!::: .´
ゞ'-''ス. ゛=、、、、 " _/ノf:::: ~
r_;. ::Y ''/_, ゝァナ=ニ、 メノ::: ` ;.
_ ::\,!ィ'TV =ー-、_メ:::: r、
゙ ::,ィl l. レト,ミ _/L `ヽ::: ._´
;. :ゞLレ':: \ `ー’,ィァト.:: ,.
~ ,. ,:ュ. `ヽニj/l |/::
_ .. ,、 :l !レ'::: ,. "
おいおい、信憑性とかの問題じゃないだろw
何の信憑性だよw
専売制で重税かけられていた国が豊か?
ありえんよ。
豊かなら無理に搾り取る必要もなし。
蜀は異民族からさえ強引に収奪しているじゃないか。
>>574 >あー、
>ハエがしつこく不快な羽音を立てるので追っ払ってるだけだよ
>君らの事はそのくらいにしか思ってない
このスレを見るのをやめれば、ハエの不快な羽音を二度と聞かなくて済むと思うよ。
追っ払う手間も省けるっしょ?
>>580 >ありえんよ。
どうしてあり得ないんだい? 詳しく
>豊かなら無理に搾り取る必要もなし。
豊かにも程度があるし、搾るにも程度がある
双方どの位と思ってんのかな?
>蜀は異民族からさえ強引に収奪しているじゃないか。
それは普通の事
>>581 荒らしには屈しない
>>582 荒らしはスルーが基本。荒らしの相手をする人も荒らしです。byひろゆき
異民族からの収奪が普通のこととかどこの基準だよ。
漢代は別にそんなことしてないし、せいぜい朝貢貿易程度でむしろ損しているぐらいだった。
魏だって貿易だし。
農業生産力が圧倒的に魏のほうが豊かだった、という程度でもなぜか噛み付くなぞの蜀豊。
つまり蜀の指導者達は無能ぞろいといいたいだけだろ。
豊かな国力を持ちながら、勝つことも国を保つこともできなかったアホぞろいと。
本当に蜀が豊かだったら、三国時代に限らず、群雄は皆、益州を欲しただろうけど、
そういう話を聞きません。
>>584 後漢代普通に行われてたよ
>>585 >農業生産力が圧倒的に魏のほうが豊かだった
総生産量は魏の方が多かったろうが、それがどうした?
>豊かな国力を持ちながら、勝つことも国を保つこともできなかったアホぞろいと。
惜しかったな 巡りの悪さで勝てなかったと言っていい
滅亡の直接的原因は黄コウ
>>586 本当に豊かだったらって、本当に豊かだったんだが…
蜀の地に乗り込んでって劉焉ブッ倒そうなんて、相当な勢力でない限り無理
>>587 李カクが扈瑁と言う人を益州刺史として派遣して、
益州を奪おうとしてます。実際、益州内部でも呼応した将軍が何人もいて、
結構ヤバい状況でした。
関中程度しか支配してない李カクにですら、
ここまで追い込まれてました。
また、劉璋は張魯に苦戦してどんどん領土をむしり取られてました。
蜀を取るのは、頑張ればそんなに難しい事では無かったようです。
本当に蜀が豊かだったら、三国時代に限らず、いつの時代も中国の中心的地域に
なっていただろうが、そういう話を聞きません。
むしろ、罪人の流刑地等に使われ、悪い言い方をすれば、「ゴミ捨て場」的場所に感じます。
>>568 >無駄って、君は何か?世の中の金銭的豊かさの概念そのものを否定して語ろうとするわけか?
君の頭の中にある硬直した(というか無知)概念を否定しているだけ。
>豊かと言われている国の金銭と生活必需品の総量は全然釣り合ってないぞ
たとえば、日本や欧米諸国のような「先進商工業国家」のことかね?
当然、国内では釣り合っていない。
先進諸国が多額の資金を貯蓄し、それを資金・担保にして「豊かな商工業国家」を成立させているのは、
安定した食料や原材料を供給する「市場」が「国外に」存在するからだ。
現代社会では主に発展途上国がそれらを供給する役割を負っている。
国内で何か大災害でも起きても、大量の資金があれば国外から物資を買い付けることができる。それは間違いなく経済的な「豊かさ」だ。
しかし、仮に今の日本が通商活動を完全に封鎖されたら、大量の金塊や外貨を国内に貯蓄していたとしても、
一瞬でその価値は暴落する。
日本のような国は一次産業や工業製品の原材料を十分に自給できないからね。少なくとも生活レベルは極端に低下する。
さて、農業で一万銭の利益を得るよりも、商工業で一万銭の利益を得るのは遥かに易しい。
それは漢三国時代も同じだった。「利率」は商業の方が圧倒的に高い。
しかし、それは加工売買する物品が商業活動規模に見合うほど存在すればの話だ。
漢のような巨大な市場であっても、農業をうっちゃって商売に走る者が多いと、供給が不安定となり政治問題と化した。
三国時代に当てはめるなら、蜀=豊かな商(鉱)業国家 魏=一次産業主体の後進農業国家と
持っていきたいわけだろう、君は。
しかし、君はハナから、魏(や呉)との交易で穀物などを輸入する選択を放棄し、
逆に外貨を国内に持ち込んで「豊かな商鉱業国家」になると思っている。
それは金余りの「形骸だけの豊かな国家」が出来上がるだけ、というわけだ。
ずっと同じの話をしているんだけどね。
>言ったろ 「贅沢」をするんだよ
だから言ってるだろう?
一般庶民に対する諸物品の供給量が変わらない(または商業や鉱業に人を取られた分低下する)のに、
価値の暴落した貨幣や金銀帛をじゃらつかせるのが君の言う「豊かさ」「贅沢」なんだろうね、と。
蜀がなぜそこまでして金銀を採掘し貨幣を鋳造せねばならないのか理解に苦しむね。
追加。
>なんで君の脳内では蜀の食糧自給率が低い事になってんの?
蜀の食糧自給率に問題があったなどとは言っていない(大規模軍事行動の長期持続を視野に入れるなら別だが)。
歴史上の蜀の問題点は、はじめから
>>526の主題ではない。
>蜀は商業と鉱工業が発達してたから、農業だけの魏より豊かだった。
という形態の「豊かな国家」を実現するなら、蜀の取るべき商業・貿易政策は真逆になるはずなのに、
君の脳内理論は本当に処置無しだね、と言ってるだけだ。
>>590 >日本のような国は一次産業や工業製品の原材料を十分に自給できないからね。少なくとも生活レベルは極端に低下する。
通商破壊されもエネルギー的には、強引にメタンハイドレートを使用すりゃいいんじゃね?
日本は世界屈指のメタンハイドレートの採掘国だからね。
問題は深刻な食糧と石油と天然ガスだけどね。
あと、ステレオタイプの蜀豊は最近頭が壊れすぎだね〜
あっ前からか…
>>588 >結構ヤバい状況でした。
ヤバかった? そんなことどこに書いてあるの?
>関中程度しか支配してない李カクにですら、
>ここまで追い込まれてました。
劉焉が馬騰と組んで長安を攻めたので、そのお返しに劉表を巻き込んで蜀にちょっかいを出した
というのが正しい
>劉璋は張魯に苦戦してどんどん領土をむしり取られてました。
そんな話は知らない
>>589 それは君の勝手なイメージだろう
>>590 >君の頭の中にある硬直した(というか無知)概念を否定しているだけ。
俺の頭の中の概念ではなく明らかに世の中の概念を否定してるじゃないか
そんな偉そうな口利いても恥掻くだけだよ
>たとえば、日本〜生活レベルは極端に低下する。
長々とごくろうさん
どうして輸入大国を選んだのかな?
>さて、
さて
>しかし、それは加工売買する物品が商業活動規模に見合うほど存在すればの話だ。
>漢のような巨大な市場であっても、農業をうっちゃって商売に走る者が多いと、
>供給が不安定となり政治問題と化した。
で? 蜀には物品とやらが無いと言いたげだが、その根拠は?
肝心なのは蜀に対する君の思い込みが事実であるかだろう
>一般庶民に対する諸物品の供給量が変わらない(または商業や鉱業に人を取られた分低下する)のに、
もしかして、「同じ労働員数・同じ耕作面積だと、どこでも生産量は同じ」だとか思ってないか?
>
>>591 いいかい、
官が絹を作らせ管理して他国へ売る(商人を介すかも知れんが)
その利益で職人を雇用して軍備を整える
職人は官の給与で生活品を民から買う
こうして民に金が入る 民はその金で塩と鉄器を官から買う
政府はその金で役人に給料を払う
こうしたサイクルの中で随所に富が蓄えられ国は豊かになっていく
豊かになった人々は生活品を更に買うのではなく、「贅沢」に手を伸ばす
国が豊かになって生活必需品の需要が増えるというのは貧しいレベルの話だよ
自給率が100%を超えていれば問題にならない
君の脳内では蜀の食糧自給率が低い事になってるからそういう事を言う
輸入大国を選んだのもそういう意識がさせた事だ
>しかし、君はハナから、魏(や呉)との交易で穀物などを輸入する選択を放棄し、
もう一回言うが「外貨」を辞書で引けな
外貨
(1)外国の貨幣。特に、ドルなどの国際的な通貨をいうことが多い。
⇔邦貨
(2)外国から来る貨物。外国の商品。
まさか、(2)を視野に入れて「外貨を稼ぐ」と言っていたのだ、なんて言い出さないよな?
2は運輸上の「外国からの貨物」という意味であって、経済上の富とか財という意味を含まないぞ?
>こうしたサイクルの中で随所に富が蓄えられ国は豊かになっていく
そうしたサイクルで蓄えられるのは「富」ではなく「余り金」だと何度言ったら。
そういう無茶苦茶な経済政策でも蜀の経済が回ったのなら、
それは蜀の経済には元々バランスが高い強靭さがあった(一州単位の強靭さは容易に推測がつくものだ)
ということになろうが、だからと言って君の提唱する経済政策の無能さを覆い隠せるものではないよ?
ましてや戦時中だ。余り金を生産したり輸入したりして、役にも立たない貨幣を無駄に民間に貯蓄させることに人手を割くのなら、
兵士や、根本的な経済発展のための公共事業の需要がいくらでもあるのにね。
>>593-595 ゴミレス乙
テメーがゴミだからハエがわくんだろうが
そんくらい気づけ自称公正の蜀豊よ
>>597 無理矢理運輸上のものにしてしまうなよ
>>598 君の問題点は君自身が豊かさというものを分かっていないまま語っていることだ
だから人の言う事が理解できないし、言う事が無茶苦茶なんだよ
君の豊かさを定義してみてくれないか
多分それで答えが出るよ
>>599 ハエは有機物なら何にでもたかる
>無理矢理運輸上のものにしてしまうなよ
OK。
誰か、例の語録に付け加えてくれ
・外国から物品を輸入することを「外貨を稼ぐ」という。
これで
>>526以降の俺がやったレスは全て解決だ。めでたしめでたし。
>>587 >後漢代普通に
ソースは?
>総生産量は魏の方が多かったろうが、それがどうした?
散々ごねてるが、やっぱり魏のほうが豊かだと認めざるを得ないんだなw
同じ理屈で蜀の絹生産は多かったようだが、それがどうした? とかいわれたら当然素直に貧しかったんだ、と認めるんだな??
蜀末期の財政を見ると、絹類が異様にだぶつているからな。
そのほかの物資、特に食糧のような必需品の少なさを見ると買い手がつかなかったのかな。
あるいは曹ヒが論じたような質の悪化(蜀の証明書付みたいなのがあっても偽者が多かったり)によるのかも。
国力は魏のほうが上でいいんでしょ?
但し、国民一人当たりの豊かさが蜀のほうが上と言いたいんでしょ?
>蜀豊
蜀は魏より貧しかった。たぶん三国中最低。、
その史実が気に食わないだけだろ。
袁子はむしろ孔明が変に応じるのは苦手だけど、それを自覚して冒険しなかったのはえらい、としているからな。
ま、褒めよう批判しようはいくらでもあるw
607 :
606:2010/07/19(月) 18:08:09
誤爆
てか戦争続きの小国が豊かなんて事あるのか
第二次大戦中の日本はじゃあ最高の環境だったんだな
無謀な北伐を繰り返す姜維(それだけなら孔明もやったが)がついに中央の統制を離れて屯田口実に逃げちゃう状態になったりしたし。
その原因は疲弊を憂いての軍権交代で孔明の息子らも賛同していたが、言うこときかせられなかったあたり、軍資は漢中に抱え込まれていたのかな。
蜀は俺は漢の正当だ、といいたいあまり漢代をいろいろ真似たけど。
それも無駄が多かったんだろう。
官吏四万はその表れ。
漢の制度が破綻したからこそ世が乱れたわけだし。
>>601 お前か どうりで、、
喋り方は変えられても頭の悪さは変えられないんだな
ナニナニ、「外国から物品を輸入することを「外貨を稼ぐ」という。」 だって?
「輸入」という言葉には「買う」の印象が強くあるからそれはちょっと違うな
それに「外貨」も物品か貨幣かと分ける必要もない
言い換えれば
「絹を売って他国の財物を自分の都合に良いように取得する」となるか
俺は始めから輸入ゼロとは言っていない
それは
>>522でも釘刺してるよな
何かを輸入したともしてないとも言ってないんだよ
何もそんなに不自由に考える必要はないからね
しかし蜀が輸入に頼った国でないことは諸史料から分かる
君は俺をやり込めることに執念を燃やしているから
つまらん事を言って追い込まんとする くだらん奴だ
>誰か、例の語録に付け加えてくれ
誰も来ないな
君以外の子はそろそろ気付いたんじゃないか?
完全に愚かな自分の空回りだってな
君が一番の身の程知らずって事だろう
>>602 ソースは?って、これを訊くかね(呆れ
少しは自分で考えて調べろよ
>散々ごねてるが、やっぱり魏のほうが豊かだと認めざるを得ないんだなw
どうしてそんなに頭が悪いのかな??
A国
GDP総額 5,402億7,870万ドル 一人当たりのGDP 2,329ドル
B国
GDP総額 2,543億9,401万ドル 一人当たりのGDP 54,849ドル
どっちが豊かだい?
>>612 どうみてもA国のほうが豊かだが。
一人当たりは税制や富の分配システムの問題であって、総体の貧富は明白。
ましてB国という仮定も、漢代を踏襲したとすると魏より重税となり、国庫も困窮していた史料がある蜀には適用できない話。
A>B、としたいなら数字出して根拠見せないと。
あまり根拠となる数字出してないじゃん。
今日も蜀豊は反論不能で短レス煽り、たまに長文でも妄想だけでできております。
自分が漢代も蜀がやったような搾取が当たり前、と断言しながらかけらも証拠が出せないとかほんと惨めなやつだなぁ。
>>522 完全に輸入ゼロじゃないなら絶えず官民で循環はしないだろ。
で、具体的に何を消費って、大人数を生産活動に従事させないで
他国でドンパチする時点で糧秣を大量消費すると思われるが如何。
まぁ史書にずらずら出てくる蜀の疲弊困窮がいくらなんでもごまかせなくなるとそれは精神的なものです、とかこれも根拠無く言っちゃう子だし。漢の制度を妄想だけで断言するぐらい当たり前にやるだろうから相手にするだけ無駄とも
益州も多州同様、黄巾の乱やそれ以降も度々、反乱に見舞われていたわけだし、
3国に分かれた途端、急に蜀だけ豊かになるとは思えない。
おそらく3国とも、豊かさはほぼ一緒と考えるのが普通では?
オイオイ、UAEよりインドネシアの方が豊かとか言ってる奴がいるぞ(汗
ここで、ちょっと視点を変えてみよう。
過去レスに
>滅亡時の資産目録を見ればわかることだが蜀にはとにかく金銀がなく
輸出用と思われる絹製品ばかりが大量にある
とあって、
>根拠にしてる蜀滅亡時の目録はあまり宛てにならない
穀物は前線で失っているとして
銭は直前に"退職金"として分配された、あるいは魏の遠征軍が横領したか
そういう可能性はある
さて、鐘会の率いる軍ってそんなものだったのか。
ここんとこって想像の域を出ないと思われ。
よって、書かれていることを根拠にするしかないんじゃね?
降伏時にはあまり国庫に金銀はなかったてことで。
鐘会が反乱のために資産としてパクったとか意見あるかもしらんけど
いずれも想像の域を出ないだろ。想像同士戦っても不毛なだけよ。
オレ「出師の表にも益州疲弊とあるんだから、やはり疲弊してたのでは?」
蜀豊「疲弊してないもん!」
...ヤレヤレ(疲労
>>614-616 あららー…、
もうお前らと話すのやめるわ
アラブ首長国連邦(UAE)よりもインドネシアの方が豊かだいう感覚の持ち主なら
魏の方が豊かと言い張っても仕方がないな もう責めないよ
>>624 UAEは金持ってるだけで工業力も農業力も労働力もない。
インドネシアはそこそこ金持ってて、工業力も農業力も労働力もUAEより上。
どう見てもインドネシアの方が豊かです。
>>617 >完全に輸入ゼロじゃないなら絶えず官民で循環はしないだろ。
輸入額が輸出額を超えれば、ね
>他国でドンパチする時点で糧秣を大量消費すると思われるが如何。
"貯蓄物"を消費するね
貯蓄物はサイクルの縁に出来た瘤だ
瘤がなくなっても環は生き続けるよ
>>618 お大事に
>>619 いや、元からこの地は他州に比べ豊かだったよ
更に統一王朝下では蜀の鉱物資源は中央(中原)に吸い上げられるが分裂時代にはこれもない
蜀にとっては富が出ていかなくなり、中原にとっては入ってこなくなる
国力は統一期から↑・↓する
地味も全国均一じゃない 蜀は穀物の実りも豊か 魏は斑
>>622 今どこまで過去スレ読んでるか知らんけど
前スレで意見してる
>>623 >...ヤレヤレ(疲労
文章が読めないって苦労するんだね お大事に
>>626 >>625には返答できないの?インドネシアの経済力と国力知らないで、
ただの貧乏国と思ってたから恥ずかしくてレスできない?
インドネシアとUAEの話はどうでもいいんじゃない?
そもそもインドネシアとUAEに擬すこと自体が間違ってるんだから
さあ、意見が分かれました。
諸葛亮さんの意見「益州は疲弊してます」(出師の表より)
蜀豊さんの意見「益集は疲弊してない」(2ch)
あなたはどっち派?
>>630 どうでもよくない。擬すこと自体より、豊かさの根本に係ることだ。
>>628-629 うわー、イタイなぁ…
>>630 あれは彼らの「豊かさ」の観念のチェックだよ
何より重要だろう
世界屈指の富国UAEをしてインドネシアより下と言われたら
もう交わす言葉はない
「豊かさ」の感覚が世間と異なる彼らとは意見が交わりようがない
これ以上は平行線
>>631 1〜250まで読む限り2だな
君も飽きないね
諸葛亮と俺ではなく、
文章が読めない君と俺のどっち?だろ
>>632 やっちゃった… と気付いて患者さんが流しに入った模様
>>633 つまり、お前の中では金持ってる事だけが豊かさなんだ。
生産力とか工業力とか農業力とかは関係ないんだ。
産業基盤がしっかりしてて、工業力も農業力も労働人口も東南アジア一の経済大国インドネシアを、
あぶく銭持ってるだけのUAEより貧しい国の象徴としてあげてる時点で、お前の経済に対する無知が分かるよ。
バングラデシュあたり持ち出せば良かったのにな。
>>633 >これ以上は平行線
ってことはスレ終了だな
どのみちずっと平行線だろうとは思っていた。
蜀豊は結局、誰一人納得させられなかったような。
どうせまたスレ立てるだろw
自分が作ったテンプレ入れてな
>>635 君は三国志に関してだけでなく色んな事に頭がおかしいんだね
>>638 いや、あんた蜀の豊かさの根拠として、農業力とか商工業とかもあげてたからさ。
だから、俺はUAEより農業力も工業力も労働人口も圧倒的なインドネシアの方が豊かだと言ったんだよ。
ここでは何も生まれないというのに、蜀豊は何を求めて必死に書き込むの?
単にさみしさを紛らわすため?
ストレス解消?
何も変わらないよ。誰も説得できないよ。ずっと平行線のままだよ。
生活水準って言葉知ってるか?
高級車がバンバン走ってる国と貧困層を22%も抱える国のどちらが豊かなんて子供でも分かる
>>641 生活水準の話をしてたんだ。てっきり国力の話をしてたかと思ってたよ。
>>640 君は何の為に2ちゃんに居るんだい?
馬鹿と群れて安心したいからか?
じゃあ、
「蜀は経済戦争でも実際の戦争でも魏に勝つ力はないが、生活水準は豊かだった」
でいいじゃんね。
少なくとも後漢と同水準の貨幣を流通させるだけの安定度はあったわけだし。
君たちさ、、スレタイ読んで分かるだろう?
646 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/20(火) 00:08:07
曰:亮好治官府、次舍、橋樑、道路,此非急務,何也?
袁子曰:小國賢才少,故欲其尊嚴也。亮之治蜀,田疇辟,倉廩實,器械利,蓄積饒,朝會不華,路無醉人。
夫本立故末治,有餘力而後及小事,此所以勸其功也。
(或る者)曰く、『亮は好みて官府・次舎・橋梁・道路を治む。此れ急務に非らざるも、何ぞや』と。
袁子の曰く、『小国にして賢才少く、故に其の尊厳を欲すればなり。亮の蜀を治むるに、
田疇 辟(ひら)きて、倉廩 実(み)ち、器械 利くして、蓄積 饒かに、朝会は華ならずして、
路に酔人無し。夫れ本立つるが故に末治まり、余力有りて而る後ち小事に及ぶ。
此れ其の功を勧むる所以なり』と。
農業主流の時代に蜀は鉱業が盛んで魏や呉より豊かだったとかw
蜀だけ文明が発達していたとでもいうのかよ?
蜀豊の友達募集スレ
>>645 「つまり、一州の割には豊かだったんだよね」
っていうレスが100レスに一つくらいの割合で繰り返されてきたんだけど、
その落着点を拒否し続けた人が一人いたもんで。
このスレが4まで伸びた理由。
>>619の繰り返しになるが、益州も黄巾の乱の発生地域であり、すなわち
貧困があった地域なんです。黄巾の乱発生地域=貧困地域ですよ
黄巾の乱の多くは貧困から逃れるために賊に身を投じ、略奪に走るものです。
蜀豊が言うところの、以前から豊かだった益州の住民が賊に身を投じて略奪に
走る必要が?(益州の場合、信徒ではなく、単なる便乗犯だし)
益州だけ別天地のような言い方はいい加減、止めて欲しい
あー、蜀豊やっちゃったな〜
確かにUAEは世界屈指の石油産出国で豊だけど、働いてる人はインド系・イラン系などの寄せ集めだし
中国はいがみ合っているインドを避けたいがためにインド洋を通らないように石油・天然ガスをロシアやミャンマーからパイプラインを引くインフラ整備をしているんだよね
エコで脱石油が進むので徐々に経済力が低下することだろう
まぁドバイショックの一件もあるしね
だからって、絹が主体の蜀が豊ってことはないけどね
>>651 蜀では働いている人は蜀の人であり、「豊か」なのは一部の支配層だけであろう
現代と古代の流通状況を考慮せずにウダウダ言ってる時点でバカ
当時最速の移動手段は馬っての頭に入ってんの?
すべて蜀豊が史料に逆らってでも妄想をみんなにほめてもらいたいがために持ち出したでたらめなんだから。
最初から当時と現代の差なんて考えてません。
だからグダグダ。
で、蜀豊はそれが悔しくて妄想に固執する悪循環。
>>653 物資の流通最速は船
馬は船の次、もしくは河川や海などによる船舶輸送が出来ない場所への手段
>漢の制度
そういえば宦官が跋扈して国の疲弊に政治の乱れが加わってとどめさされた経緯も似ているな。
スケールが違うけど。
鉱業発達している? 金二千斤・銀備二千斤しか備蓄がないのに?
他の物資もだいたい比例する、程度だからまったく豊かじゃないが。
結局、このスレは蜀豊が演説するために立てたスレなの?
正直、煙に撒かれているような気がしてきたw
>>652 そうだね、経済疲弊してなく心身疲弊したらしいね
じゃあ、蜀の人はメンタル面では圧倒的に弱いってことだね
しかも推定180万人もいながらね
>>653 すまんね、過去にUAEの例をあげたのは私
蜀豊に三文字で返されたが、その蜀豊がそのUAEを持ってくるとは思わなかったわい
>>657 それは備蓄量であって生産量や埋蔵量じゃねぇよ
少なくとも初期は自力で銅銭を盛大に発行できたわけだから
それが出来なかった魏よりは初期の蜀はマシだったわけだ
以降は鉱脈が尽きたか生産量以上に使い過ぎたかはわからんがね
そうかなぁ。
禅問答してる気がするだが、気のせいなのか?
漏れ、ちょっと疲れているしな。
>>648 2ちゃんで友達とかいらんw
まぁこうまで馬鹿ばっかだと淋しいけどね
力の差がありすぎてつまらない しつこくてめんどくさいだけ
小学生たちとプロレスごっこしてるよう感じだよ
>>665 まあ、確かに保育園児が小学生とプロレスごっこするのはきつかろう。
>>649 生意気な奴めw
確かに同意できないな
>「つまり、一州の割には豊かだったんだよね」
考え方が根本的におかしい
仮に益州が4つに分かれていたとしても蜀の国力は同じ
「つまり、四州の割には豊かだったんだよね」
という言い方になる
州の数は問題ではないんだよ 国力は州でまちまちだしね
そしてその考え方は魏を蜀より上に置いている
「蜀が豊かでも、一州の割には豊かだったんだよね。魏には及ばない。」
と言って一蹴している
愚にも付かない論法だ 何の意味ももたない
俺が1スレの始めの方に書いた
「総"豊かさ"なら魏の方が上だろうが、単位あたりの"豊かさ"なら蜀のが上」
が、正しい考え方
"単位あたりの豊かさ"が何かと言えば「行動力」だ
「魏より蜀の方が行動力があった」と導けるんだよ
これが分からない奴が居たのが、このスレが4まで伸びた理由のひとつかな
>>667 小学生の下に保育園児という存在があるからといって、
歯が立たず全く相手になっていない側が言うもんじゃないだろw
お前ら「お前のかーちゃん、でーべそ」張りのレスを繰り返す事しか出来てないぞ
>>669 いや、あんたが歯が立たずに逃げるかごまかすか間違った事言う所はたくさん見てるけどさ。
あんたがまともに他の連中の指摘に答えてるところ見た事ねーわ。
>>650 >黄巾の乱発生地域=貧困地域ですよ
そこが違う
黄巾賊が興ったのは、冀州・潁川・南陽という豊かな土地だ
後漢末、政治が腐敗し賄賂が横行した
役人が出世する為には上役へ賄賂を贈る必要があり
その金の出所が民衆からの搾取だった
搾取によって生活が困窮した民は官への反発心を爆発させた
それが黄巾の乱
益州の自称黄巾賊馬相は悪政で有名な益州刺史の郤倹を殺した
ということも付記しておくね
>益州だけ別天地のような言い方はいい加減、止めて欲しい
それは諸史料に言ってください
>>670 それ本気で言ってんなら正味頭がおかしい
>>672 頭おかしい奴に頭おかしいと言われてもな。
>>666 もちつけ。またあとでな。
ところで喪前さんはjomini庵とかいう香具師ではないよな?
お前、言えばいいと思ってるだろ
>>651-654 豊かなのはどちらだ?という、根本が疑わしい君たちの感覚テストだ
思った通り、落第だったね
総国力と単位あたりの国力
「豊かな国」といえるのは、後者の「単位あたりの国力」が高い国の事だよ
これは世界共通の認識
君ら患者は魏を愛する余り一般常識の感覚さえ歪めてしまっている
話にならないということが明白になった(以前から明らかだったが)
個別
>>651 中国どっから来たんだよ
なぜそこまで頭が悪いのか、ほんとに疑問
君が言っているような事は関係ない
>>653 現代と古代の流通状況を考慮なんかしてウダウダ言ってる時点でバカ
>当時最速の移動手段は馬っての頭に入ってんの?
これってもしかして、UAEの高級車に対して言ってんの?(653さん、「大笑い」ですー。)
>>654 もうね、呆れて物も言えないよ…
小学校で身につけるような基礎学力が君には備わってない
マジで小1からやり直した方がいいと思う
流石に1・2年生までの勉強は楽だろうが
「固執」「悪循環」などの難しい言葉を知っていても
そこに慢心せず、小3くらいからじっくりやるべきだ
今のままでは、君の吐きだす意見は暴力だよ
無軌道すぎる上に乱暴で常識人が迷惑する
>>677 いや、皆君に呆れてるから。
罵倒のボキャブラリーだけは豊富だね。
知識も常識も不足してるのに。
>>674 ?
考察タイプという、有って無いような共通点しかないと思うが
>>656-657 患者の病的レスにつきスルー
ん? 「患者の病的レスにつきスルー」…。
「患者レスにつきスルー」、 略して「カス」か…。 …偶然の一致だな。
患者って可哀想だな 人格が病気なんだね
2ちゃんとかしてても傷つくだけだろう?
悪い事言わんから、2ちゃん卒業して散歩やハイキングをして自然と親しめ
>>678 お前言えばいいと思ってるだろ
ついに特殊用語「患者」を持ち出したレッテル張りか。
やめといたほうがいいぞ。某スレ巻き込んでも君に味方してくれる人が増えるとは思えんから。
>>680 いやね、三国志の話になると支離滅裂なのに、
人を罵倒する時だけはスラスラと多彩な罵詈雑言が出てくるから、関心してるんだよ。
>>681 自覚ないのか 得てしてそういうものだ
>>682 少しも支離滅裂ではない
今までのくだらん反論みてるとお前らズレまくり
君のズレた感覚が俺の話を支離滅裂に見せるのだろう
なぁ蜀豊よ、現代中国の情勢も把握しときなよ
中国とインドは啀み合ってるのは世界共通の認識だよ
んで、お互い軍事力の強化が進んでいるんよ
戦争が勃発した場合、中国のエネルギーは中東からインド洋とAN諸島を通ってくる訳
んで、インドは中国の通商破壊として当然ホームであるインド洋とAN諸島で行うの
それを防ぐ中国としてミャンマーやロシアからパイプラインを結ぶ手段を取っている
ということは、UAEから中国という顧客が減った訳
AN諸島とはアマンダン・ニコバル諸島のことね
お前ズレてるなぁー
>>683 理解できないものはすべてくだらんと切り捨てる病気の人か。
>>661 見落としていた
>じゃあ、蜀の人はメンタル面では圧倒的に弱いってことだね
蜀人がメンタル弱いというのは正しい
余所の人間に比べて温室育ちと言えるだろうね
餓えもなく、異民族の襲来もなく、険阻な山脈に守られていて侵略される事も少なく、厳しい冬もない
>すまんね、過去にUAEの例をあげたのは私
>蜀豊に三文字で返されたが、その蜀豊がそのUAEを持ってくるとは思わなかったわい
過去レス検索したが見当たらないな どれだ?
>>668 いいや、脳みそが羊羹で出来ている哀れな人の事だよ
残念な事に魏好きに多い
先入した質の悪い情報が固化したものが脳を占め思考が停止
筋の通っていない黒く濁った意見を吐くだけで
食感の悪い粘着質で甘ったるい考えをしたヲタさ
>>685 ズレてる?
ふーん、UAEの経済状況と中国情勢を説明してやったのにーっ
しょーもない哀れなやっちゃなーっ
まーっ、蜀豊が一つ賢くなればいいっか?
しっかし、蜀豊がここまで落ちぶれるとはねーっ
お前ズレてるなぁー
UAEの経済状況と中国情勢なんて感覚チェックと何の関係もない
UAEが世界屈指の豊かな国と言うから、それが怪しいんだよと指摘されると、
ズレてるとしか返せない蜀豊。
「UAEが世界屈指の豊国」というのも
その正確さなんて感覚チェックとは何の関係もない
「世界屈指の豊国UAE」というのは常識であり一般論だ
本筋と無関係な事柄に対して「怪しい」等と指摘するというのは議論の妨害でしかない
君が難癖つけようとしているだけのカスなのは承知している
なんか「一州としては」というのも駄目みたいだから、
「巴蜀は中華の中でも豊かな地域だった」。
で決定にしようよ。
平均的な生活水準の「豊かさ」を論じるのがこのスレであって、州区分も意味がないわけだから、国境線も意味はない。
「蜀は魏より」なんて言う区分も無意味。
生活水準の話だったのなら、人口180万問題も無意味だったなあ。
蜀が貧しかったせいで、後戻りできない状況になってしまったね
>蜀豊
>>655 お前バカだろ?
例えばお前の近所のスーパーが船ベタ付けで食料品運んできてるのか考えろよカス
蜀にスーパーとトラックがあったという新説が提示された。
事実なら蜀が豊かでも仕方ない。
697 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/21(水) 13:16:10
>>662 それは後漢代流通していた銅銭を鋳直したって話。額面だけ増やしてね。
で、その後出した通貨は実物が残っているけどどんどんショボくなっている。
結局通貨を復活させて経済的にも再興した魏とは比べ物にならない。
だいたい銅が出る=豊か、という理屈なら。
でかい銅銭を長期間にわたり発行している呉が最強って話になるはずだろw
>>699 あの…それ「直百銭」って固有名詞なんだが…
あとこの当時の漢語で「直」は現代日本語の「なおす」ではなく「すなお」「まっすぐ」「あたいする」など
数学記号で言えば「=」のような意味
直百銭は「百銭に値する」ということで、日本語で言う「鋳直す」の場合は「改鑄」の方がまだ合ってる
みんな蜀豊に釣られすぎですねw
蜀豊だって、本当に蜀が豊かだなんて思ってないと思うよ
読み書きできる程度の知能がある人であれば、魏>蜀と思うのが自然
とりあえず感情的な感じの書き込みは避けようね
>>692 >「巴蜀は中華の中でも豊かな地域だった」。
>で決定にしようよ。
おお!成長したなぁ
小さな一歩だが君たちにとっては非常に大きな前進だ
>平均的な生活水準の「豊かさ」を論じるのがこのスレであって〜
うむ 詭弁だな
魏蜀支配地域の生活水準 蜀>魏
= 単位あたりの豊かさ 蜀>魏
= 単位あたりの余力 蜀>魏
= 行動力 蜀>魏
となる
国力比も人口比の5:1より小さくなる
>>693 人口180万問題ではなく
成年男女人口94万を総人口94万と勘違いしている奴がいた問題だね
成人人口94万と総人口94万では労働力が違うから
よからぬ輩がその違いを利用して蜀を貶めようとした という出来事だったね
>>694 知性が乏かったせいで、後戻りできない状況になってしまったね
>蜀貧患者
>>695 横レスだが、お前いきなり乱暴すぎるよ
しかも「もしくは河川や海などによる船舶輸送が出来ない場所への手段」って書かれてあるじゃないの
>>696 奴らのレベルに合わせる事ないよ
>>697 >ショボくなっている。
ショボいというのは君の勝手な価値観でしかないよ
あれのどこがショボいんだ?
>>701 本気で思ってるよ
読み書きできる程度に留まらない知能がある人であれば、蜀>魏と思うのが自然
>おお!成長したなぁ
少なくともこのスレで長文語ってる人間はそんなことは承知していて、そこからゴリ押しで「豊かさ」を上げていく君に閉口していたのだが。
気づいてなかったのは君だけだよ。
だいたい、君がその蜀豊か説を「発見」したのは、半年くらい前に蜀の生産力のバランスの高さや統治政策、
魏の国力不足の話を他のスレで読んでからだろ。
俺らからすると、君こそ「ようやくスタートラインに立ってくれたかな、でもやっぱ無理かな」って所だ。
>>704 >少なくともこのスレで長文語ってる人間はそんなことは承知していて
ん? そうだったのか?
その割りにその地の政権を貧しいと思い込んでいるというのは随分道理に合わない考えだな
>だいたい、君がその蜀豊か説を「発見」したのは、半年くらい前に蜀の生産力のバランスの高さや
>統治政策、 魏の国力不足の話を他のスレで読んでからだろ。
君がそのレスに感心したので印象深いという事だね
俺は蜀が貧しかったなんて思った事がない
「半年くらい前に蜀の生産力のバランスの高さや統治政策、 魏の国力不足の話」
これもしかして俺じゃないか? 君が見たものはどれか知らないが俺も語った覚えがある
いや俺俺
ってか
>>705 君はちょっと前まで、諸葛亮は魏が対応に苦慮するくらい大軍を動員していた、とか聞くと
笠に着て叩いてたクチだろ。
「そんな話捏造してまで勝てなかった諸葛亮を貶めたいのか」って。
笠に掛かって、か
>>707 なんだいそれは?
次元が低すぎて何を言っているのかよくわからん
お前どんだけ低次元に居るんだよ
>>708 言うなら、「嵩に懸かる」だな
蜀豊の脳内
・劉備戦下手
・関羽戦下手
・諸葛亮戦下手
・姜維戦下手
・蜀の軍人メンタル弱い
去年辺りまで、諸葛亮と司馬懿の兵力が互角に近かった。蜀にはそれだけの動員力があったとかいうと、
おっかない人達がすっ飛んできて大騒ぎだったんだよな。
「諸葛亮がそんな大軍なわけないだろ」「司馬懿の臆病を認めたくない魏厨乙」って。
秦漢から開拓されてきた益州の潜在能力や、蜀漢が取った塩鐵政策とか徴兵の交替制度やら説明したら
やっと大人しくなってくれたが、
今度は掌返して「蜀は豊かだったんだ!」「だから蜀漢スゲー 領土広いくせに貧乏な魏はゴミ」とか言い出す輩が出てきて、
こんなスレが立つ始末。
度遼将軍の人はその流れの最先端。
>>710 患者の病的レスにつきスルー
>>711 いや、司馬懿の兵力の方が大きかったよ
蜀にはそれだけの動員力があったと言うよりも
魏にはもっと動員力があったと言う方が正しい
「三国鼎立が続くうち、魏と呉蜀との国力差は決定的になっていた。経済が安定すると、激減していた人口も増加に転じるから、
豊かな中原を制覇する魏は、時間が経つにつれて加速度的に強大になっていったのである。」
『昭烈三国志』より
>>700 百銭に値するものに鋳直せ、というものでしょ。
どうすればいいか、と問われて固有名詞で返したのならわけわからんし。
大概の翻訳本でもそんなニュアンスだが。
蜀豊は陳寿の言ってることより俺の言うことのほうが正しいから俺の言うこと信じろと
歴史をどんどん妄想で捏造して行くから恐ろしい
>>715-716 誰かが言った・書いた なんてのは何の意味ももたない
そういう事に価値を感じるのは低次元の人間だけ
>>716 >どうすればいいか、と問われて固有名詞で返したのならわけわからんし
問われてないし、直百銭は普通名詞
>百銭に値するものに鋳直せ、というものでしょ。
但當鑄直百銭
↓
但當鑄[ ][ ]銭
百 に 直(あたい)する
↓
但當鑄[ ][ ][ ]
百 に 直(あたい)する 銭 = 百銭 に 直する 硬貨
↓
但當[ ][ ][ ][ ]
鑄る 『百銭 に 直する 硬貨』
"鋳直す"の「直す」の材料がないんだけど?
>>717 妄想や捏造というのは全く相応しくないな
俺の推論はすべて論理に適っている
蜀滅亡時の国庫の金銀が少ないのはトウガイがネコババしたからというのが論理にかなってるねぇw
蜀豊が言ったこと・書いたこと なんてのは何の意味ももたない
そういう事に価値を感じるのは低次元の蜀豊だけ
前提の「少ない」というのが非論理的だからね
「猫ばば」は断定していない
あくまで可能性の一つとして挙げただけだ
数字が残ってるのにそれを一切否定して
可能性があるとか言い出したらきりがないんだよ
少なくとも蜀豊の妄想より目録の数字のほうを誰もが信じるよ
>>718 >誰かが言った・書いた なんてのは何の意味ももたない
じゃあお前が言うこと書くことにもなんの意味もないわけだ
だったら書くなよ
俺の言葉に権威はない
出版物といった物に君たちは権威を感じているようだが
権威というものは少しも正当性を保証していない
人間の錯覚だ
重要なのは「正しい理が通っているか否か」のみだよ
正しい理とやらが通ってないから蜀豊の言ってることは妄想だって言われてるんだろ
>>725 「権威」などという言葉は誰も使ってない。「意味が無い」とお前自身が
認めてるだけだ(
>>718でね)
>誰かが言った・書いた なんてのは何の意味ももたない
>そういう事に価値を感じるのは低次元の人間だけ
他人の言葉に耳を貸さないのは引きこもりだけ
>>726 残念ながら、君の頭がよろしくなくて分からないだけだよ
>>727 権威という言葉は俺が
>>715-716を見て718で使った
言外にな
前にも言ったが、君らは基礎学力が備わってない
論理理解力・言語理解力といったものが乏しすぎる
>>716 どうすればいいか
↓
直百銭を鋳ればいい
でちゃんと問答にSVOの形で答えてるよ
>>729 >論理理解力・言語理解力といったものが乏しすぎる
そういう相手とわかっていて何日にも渡って書き込みを続ける蜀豊は友達が少なすぎる
>>730この時点で直百銭というものは存在しないじゃないか。鋳る前なんだから。
だから固有名詞じゃ意味通じないって言われているんでしょ。
百銭に相当する銭に鋳なおせ、で通じる。
もっとも時期が進むと直一、直百みたいな漢銭より粗悪な銅貨にさらに切り替わるから、新規鋳造だとしてもたいした銅生産はなくてとてもおいつかなかったと思うけどね。
>>732 「直千金」(値千金)という言葉が史記で頻繁に使われてる
直○○で○○に該当するのが金銭という使い方はもう既に三国時代では一般的であったと思うよ
一金直千貫(金1で1000貫)と等価みたいな使い方もするし
鋳直百銭で「鋳なおせ」と読み取るのは漢文の構造上も文法上も字義からも不可能
何度も言われているけど兵隊多すぎ。役人多すぎ。
劉備に付き従ってきたり、ケイ州から土地失って逃げてきたりで軍隊や役所以外に基盤のない連中が大量にいた結果だろうけどさ。
リストラとか考えなかったのかね。
それとも孔明が連年北伐を繰り返したのは、こういう連中を食わせるためだったりするんだろうか。
>>733 不可能とはいえないよ。
普通に「鋳直」で通じさせている記述もあるし、
第一実物の直百銭が漢五銭とほとんど代わらない(もっとも良質なもので二、三倍程度)。
もっとも、こういう枝葉は問題の本質じゃないと思うがね。
額面に比べて質の悪い銅銭が出回っていたのは三国とも同じ。
経済状況の混乱は簡単に収拾できなかったんだろう。
当時の劉備は国庫が空になったどうしよう、と聞いてまわったんでしょ?
一から大銭を鋳造する財力があるのなら、この問答自体成立しなくね?
いろいろいってるけど、信憑性自体はどうなの?
実物がある以上は、原資はどうあれ発行自体はされたんだろうけどさ。
>>735 >普通に「鋳直」で通じさせている記述もあるし
って具体的にどこの誰の話?
「鑄直」で二十五史に検索掛けてみたけど劉巴の件しか引っかからないぞ
貨幣に関してはレモン市場と同じような理屈で悪貨が良貨を駆逐してるだけでは?
蜀の貨幣発行による経済政策自体が一時的なもので後は悪貨を鋳造して世間の相場に合わせる方がマシだろうしな
経済的な疲弊や混乱じゃなくて、中華規模の改鋳が出来ない場合としては
自分達だけが良貨を鋳造し続けて大損こくのを避ける至極真っ当な政策だと思われるよ
>>736 無くなったのは「成都に貯蔵された金品」、その後に満ちたのは「府庫」
劉備の手持ちはハナから消費されてないし本来劉備が接収などする予定だったが
兵士が勝手に持ってってしまったもんだから軍事に使うものが集められなくなってしまった
府庫は即ち劉備の左将軍府のものだろうから、この逸話は
「豊かな成都が略奪され尽くして軍事行動に支障が出るレベルまで徴収不能になった一方で、
物が溢れていデフレ状態だった兵士たちの懐から貨幣発行で資金を吸い上げた」
と解釈していいのではないかね
原資は成都以外のところにあったんだろうね
738 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/23(金) 20:39:50
劉備が兵士に自由にしていいと言ってるんだがそんなことも知らないのか?蜀豊
流石ずっと自分の妄想を語ってるだけのことはある
>>734 >何度も言われているけど兵隊多すぎ。
何度も勝手に言ってるだけだろ 兵隊は多すぎない
>>735 >額面に比べて質の悪い銅銭が出回っていたのは三国とも同じ
なんだそりゃ?
>>736 それを言うなら劉備は銅銭もそんなに持っていないんだから鋳直しようもない
銅から造ったんだよ 犍為郡で造られた直百銭が遺っている
>>737 >前半
蜀は悪貨など鋳造していないんだが?
>後半
先主伝
蜀中殷盛豐樂,先主置酒大饗士卒,取蜀城中金銀分賜將士,還其穀帛。
劉巴伝
初攻劉璋,備與士眾約:「若事定,府庫百物,孤無預焉。」及拔成都,士眾皆舍干戈,
赴諸藏競取寶物。軍用不足,備甚憂之。巴曰:「易耳,但當鑄直百錢,平諸物賈,令吏為官巿。」
備從之,數月之間,府庫充實。
>>738 お前誰にレスしてんだ?
兵士が10万人いるのに多くないとかw
本当に馬鹿だね、蜀豊は
1/18が多いか?
女も兵として取るのかw
蜀豊のいう成人男女口94万人としても成人男子10万人兵士とか多すぎるよ
>>739 後期の蜀銭はサイズが縮小してるし、直百銭を作った頃に比べると
銭の質はグレードダウンされてるよ
>士衆皆舍干戈、赴諸藏競取寶物。
将兵は皆武器を投げ捨て、蔵に赴くと競って宝物を取り合った
とあるわけで、これは劉備による分捕り自由だろ
「府庫」についてはちょっと勘違いしてたな
これは成都の府庫から持ち出されたものが数ヶ月で満杯に戻ったという話だったわけだ
どっちにしても劉備がデフレを上手く使って気前良くばら撒き過ぎたものをリカバリーしたという話の骨子は問題ないな
>>742 男女半分として男4人に1人 別に多くないだろう
昔の子どもは今の子と違ってよく手伝いをした
立派な労働力なんだよ
>>743 >後期の蜀銭はサイズが縮小してるし、直百銭を作った頃に比べると
>銭の質はグレードダウンされてるよ
サイズダウンしたのは知ってるよ
でもそんな事は関係ない
お金の価値というものは物質の価値ではないからね
高額貨幣が黄金で出来ていた時代から紙の時代に変わったからといって経済は後退しただろうか?
紙のお金が通用するのは偽造が難しいからだが
後漢の"立派"な五銖銭も後漢当時に私鋳された
蜀漢が金属の管理をしっかりやれば国内での私鋳は防げる
そればかりか、どんどん小型化し最終的には1.1mm程の大きさになった
縁に郭と呼ばれる盛り上がりをしっかりと付け
これに5mmの穴を空け2mm幅の文字を盛った 質が悪いなどとんでもない
当時の技術で幅2mmの文字を盛るのは大変な事なはずだ
高い技術力あってこそ量産が可能だろう
偽造が出来なければ、お金が紙でもよいことは実証されている
当然、偽造できない小さな銭でも何の問題もない
蜀の小銭は、銅の消費を抑え、持ち運びも楽 偽造もされない実に優れた貨幣と言えるだろう
またインフレであれば「直百」がスタンダードで、「直一」は使い物にならないだろう
しかし後期まで「直一」は造られた
従って蜀はそうインフレでもなかったと言えるだろう
>>744 その貴重な労働力が戦争で4分の1も連れて行かれたら死活問題だよ
生産力が激減する
成人男子といっても老人は戦争に連れて行けないしさらに少なくなる
>>745 女+子ども+3/4の男が残った労働力だ
>>744 当時の貨幣の価値を担保するものは基本的に金属の価値
サイズダウンしたら貨幣の価値は下がる
董卓の鋳造した貨幣も後漢からサイズダウンしたものだったから
それがある程度市場で流通してた当時の中国では
悪貨にあわせて良貨を作る側も品質低下させるのは当然
「品質」で考える場合、貨幣の大きさも考慮すべきだぞ
董卓銭知ってるか?
あんなもので考えちゃいけない
まったく比べものにならないよ
>>746 女は絹も織らないといけません
女子供老人まで農作業、働き盛りの年齢の男は兵士に取られる
どこが国民一人当たり豊かなんだよ、こき使いすぎ
豊かなのはごく一部の元締めの人間または官吏であろう
そしてその官吏も4万人
そりゃ金もなくなるわ
753 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/24(土) 09:28:52
蜀豊サンは丁寧に対応し続けてるならコテハンつけてくれよ
94万人を180万人に捏造したところで結局兵士10万人というのは多すぎるわけでw
>>754 180万人と過程した場合なら兵士10万は多すぎはしませんよ?
産業革命以前の話しなら、兵数は総人口の10%以内に抑えるのが目安ですから
180万なら@7〜8万の余剰分はありますね
魏の蜀侵攻での数々の敗戦により、四散した兵などで常備軍は減ってたことや
疲弊して生産力が低下した末期の蜀では10%ぎりぎりまで養えるほどの国力がなくなっていたであろうことから
降伏時、兵10万だったのかなと考えます。
兎も角、蜀が豊かと呼べる状態だったのは、劉備の入蜀〜夷陵の戦いまででしょうね
756 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/24(土) 17:58:02
あのな、全員が男ではないし兵士として取れる成人男子も限られている
蜀の場合、官吏も4万人もいる
>>756みたいなのに何言っても無駄。スルーが一番。
>>755 >産業革命以前の話しなら、兵数は総人口の10%以内に抑えるのが目安ですから
なぜ産業革命以前は10%なのですか?以降のほうが世の中が豊かになってると思う
のですが、そういう問題ではない?
>>757が
>>756の意見に対して反論せずに逃げた件について。
別に反論しようと思えば、根拠さえあればいくらでも反論できんだろ。
まあ蜀180万人という話自体が蜀豊のみが言ってる捏造なんだし気にすることはないよ
>>756は今までの議論を無視してレスを繰り返しているだけだから。
今までの議論って蜀の人口180万人説?
そんな妄論を無視すれば、
>>756のレスは蜀が豊かでないと言う真っ当な指摘なんだが。
まず妄論とそうでないものの違いを知らねばなるまいな。
そんなレスもあっただろう?
蜀豊の言ってる事は大抵妄論と思って差し支えない。
人口の10%ということは、今の中国で言えば、兵力1億いけるということ?
764の人生にはなw
今の戦争はべらぼうに金が掛かるから無理
>>767 でも、それってミサイルだったり、様々な兵器に対しての費用が高いのであって、
兵士自体への経費はそれほど高くないんじゃないの?
それでいいなら余裕
失業者、土木業者、軍人、警官を合わせれば10%位いくんじゃないかな
中国、失業者2億人だってさ
蜀豊の言ってることは蜀豊にしか理解できないことだから妄想でOK
今の時代ならなおさら経費はいるんじゃないのか?
家族への保障やらいろいろかかるだろうし
日本なら人件費が高く付くに決まってる
何の生産もしない人間に月に30〜100万支払ってる
1個師団1万人なら、それだけで月に5億円くらい消費
素人に小銃1つ渡して死んで来いと言う様なのは出来ない
当時は人権思想なんてないだろ。
兵士はむしろ賤業なんじゃ?
奮戦した褒美が兵戸からの解放なくらいに賤業
そういう話か? 10%の男を今の経済社会から除いても上手く回っていくかって話だろ
老人と失業者含めれば男性の20%くらいは、生産活動の外にいるんじゃね
今と昔じゃやれる職種は全然違うだろ
今と昔じゃ医療も全然違うな
現代より平均寿命は圧倒的に低いだろうことは間違いない
どの程度を憶測でしかいえないが50才前後って所か?
乳幼児がサクサク死ぬから平均が低いだけ
50で死んで早いって言われるし60で死んでも普通
70でやっと長生きレベル
蜀豊は諦めたのかのぅ
誰もあんな妄想を信用できる奴はいないからな
まぁ蜀豊教を設立しド素人を洗脳させ信者を増やさないとな
「魏のほうが豊かだった」と主張する人は居ない。それは常識だからわざわざ言うことでは無いため。
「蜀のほうが豊かだった」と主張する人が居るのは、むしろ魏が豊かなのを暗に認めてしまっていることになるような。。。
2010年7月26日 成都陥落し、蜀豊滅亡
アヘン戦争当時の清国は、大英帝国の総GDPの四分の一に過ぎなかった。
しかし、アヘン戦争では大英帝国はその清を破った
なぜだろうか。魏豊論だとこれは説明がつかない。
蜀豊論なら説明はつくのである。
確かにイギリスは総国力でみるなら清の足元にも及ばない。
しかし、一人当たりのGDPは、清国のそれを凌駕していた。
戦争においては、単純な国力、兵力よりも、科学技術や装備、国民の余暇(仕事以外に使える時間的余裕)もまた重要なのである。
そしてそれを裏から指し示す指標が、一人当たりのGDPである。
魏は兵士数で、蜀を圧倒的に上回っていたが、平野では惨敗を繰り返し、城に引きこもっているしかできなかった。
ハイパーインフレでこの世の地獄と化した魏軍で鉄加工装備を作ることはできず、皮装備の貧弱な魏軍はアヘン戦争時の清国であり
一方、経済力と工業力に裏打ちされたドと鉄装備の蜀軍は英国であるとするなら、陸戦での無様な魏軍の敗戦もアヘン戦争と同じ例で説明がつくのである
魏豊論は、アヘン戦争時に清国が英国より豊かだといっているのと同じなのである
訂正一行目
>アヘン戦争当時の清国は、大英帝国の総GDPの四倍にあった。
訂正四行目
余暇(生産に従事する時間以外に使える時間的余裕)
経済用語の余暇とは少し意味合いを変えた
だから時代も諸条件も違う時期の話を持ち出しても詭弁にすらならんといい加減学習できんのか?
ただでさえ説得力が無い蜀豊論がますます否定されるだけ。
史実として蜀は疲弊し貧しかったから、現実を認めたくないんで妄想がたくましくなる現象かねぇ?
789 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/26(月) 17:24:56
じゃあ、なんで魏は遠路軍の蜀にフルボッコだったの
>>789 蜀が魏をフルボッコしてたら、とっくに関中と隴西は蜀の手に落ちてますが。
>>781-783 やるべき事はやったしな
俺は真理にしか興味がない
世の中に頭弱が居るのも真理
君らが理解できない事なんて俺にとっては何の問題でもない事なんだよ
>>792 何度も勝利宣言したように真理に到達しているなら議論の必要ないじゃん。
一人でその真理とやらを愛おしげに撫で回してればいいじゃない。
その真理とやらはチラシの裏にでも書いてろよ、蜀豊w
ここがチラシの裏だろうw
蜀豊思い付きでどんどん捏造していくからなw
蜀180万人も前スレから言いだしたんだっけ?
お前、前も注意されてなかったか?
捏造の意味ぐらい知って使え
そんな阿呆だからまともに相手にされないんだぞ
>>797 お前以外にこのスレで注意された人はいないよ。
そして、まともに相手されてないのもお前一人。
蜀豊が言うなw
800 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/26(月) 21:30:44
一人当たりのGDPは蜀が上だが、総GDPでは魏が上
という結論でいいだろ
>>800 という感じの話を最初のスレではのんびりやってたんです。
そうあの方が降臨されるまでは・・・。
蜀の国民は豊かにはとても見えんのだがな
北伐でどんどん豊かからかけ離れていってるような・・・・・
気のせい というのがスレの結論
蜀は豊かだったが心身が疲弊していた(きりっ)
じゃないのかw
蜀豊は精神が疲弊していた(キリッ
益州でも黄巾の乱が起きてるんだから、豊かなわけがない
誰かの書き込みで、役人への不満的なことを乱の理由に挙げているのがあったが、
それでも豊かに暮らせてるなら、わざわざ乱に加わって略奪行為に走るわけが無い
いつの時代も「貧困」→「略奪」の構図は同じだよ
そもそも一人あたりに換算したら蜀のほうが、というのも史料根拠ゼロの妄想というか蜀豊の願望にすぎんしな。
>>806 北朝鮮見ればわかるように真の貧困からは略奪は生まれない
略奪を生む貧困の根底にあるのは富の偏在
>>808 北朝鮮って支援物資だって略奪されているじゃん。
闇市にずらずらならんだりな。
まぁ時代が違う話しを無理やり一緒くたにすること自体無理な論法だが。
>>808 北朝鮮は体制が強固だから、略奪したら処刑される。
北朝鮮以下の貧困地域のアフリカの紛争地域では、略奪は日常茶飯事。
>>808 豊かに暮らしているけど反乱軍に加わって破壊・略奪行為に加わる。。。
そんな人は居ません。まあでも、もし居るとしたら蜀豊の言う通り、精神疲弊、
もっと言うと精神異常な人だろうね。そんな人が何万人も居るとは思えないが。
反乱阻止が蜀将の伝にしばしば功績として出る。
つまりそういうことだろ。どっちかというと漢民族外が多いようだが、
それは蜀が異民族にも重税をかけ専売制を推進した結果だしな。
>>810 黄巾のような大規模な内乱起こらないだろ
>>811 豊かじゃなくて反抗できる程度には余力のある貧しさってのが大事
鬱病患者が一番自殺するのは治りかけ、みたいなもんだ
>>813 大規模な内乱を北朝鮮で起こそうとしたら、秘密警察にばれて処刑されるわ。
北朝鮮で内乱が起きないのは、貧しいからじゃなくて、監視体制が強固だからだ。
お前中国史勉強しろ。飢饉や悪政で食ってけなくなった飢民の群れが、
民衆反乱の主体だから。とりあえず食うためだけに蜂起する。
食えてたら、命を賭けて蜂起する必要なんかない。
反乱の規模が問題じゃない。
問題なのは、反乱が起きたか、起きていないかだ
豊かな国で反乱なんぞ起こらん。
一部の上層階級だけが豊かな国を豊かな国とはいわん。
>>813 >豊かじゃなくて反抗できる程度には余力のある貧しさってのが大事
わかりにくいのですが、つまり結局は貧しいということですか?
例えば浮浪者まではいかないが、いつ浮浪者になってもおかしくないレベルとか。
まぁ遠慮なく重税吸い上げていた蜀の国庫がどんだけ貧窮してたか、を見れば庶民の暮らしはだいたい推測がつくな。
かなり苦しかったんだろ。
中国人もびっくり「蜀は魏より豊かだった」
819 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/28(水) 21:55:21
単純に蜀の豪族が王朝に見切りをつけたから国庫がすっからからんだったんじゃね?
蜀豊をNGに入れると煽りがだいぶ減って見やすくなった
煽りでも何でもないんだけどなw
官吏4万人に連年の戦、どう考えても七公三民くらいの税金は取らないと
やってけないと思います
このスレの結論として、やはり魏のほうが豊かだったということでよろしいでしょうか?
824 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/29(木) 18:08:36
この時代世界規模で人口が1/10くらいになってた暗黒時代だから蜀も例外でないとは思うが
でも、魏ほどひどくはなかったじゃないか
魏なんて黄巾賊時代ももちろん魏末期まで内乱勃発しまくってたジャン
魏で民衆反乱が勃発しまくってたのは、曹操の時代まで。
曹丕の時代になると落ち着いて、曹叡の時代には完全に治安は安定した。
内乱らしい内乱も司馬氏時代の二度だけだが、いずれも淮南限定の戦いで、
ほとんど魏の国力に影響を与えていない。
826 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/29(木) 19:29:57
三国県立後の世界でも目立つ反乱だけでも二発wwwwwwwww
呉は内乱が何度か起きてて、民衆反乱も数え切れないぐらい起きてる。
蜀も内乱こそなかったものの、南中では民衆反乱が頻発してるね。
それに比べると、曹丕時代以降の魏の安定度は抜群だよ。
>>816 貧しいけど、あるところには物がある、って状態だね
何もないだけの状態ではただ死んでくだけ
829 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/30(金) 12:29:29
827ウソツクナヨ
ただでさえ文化風習の違う異民族相手だからな。
火種なんて普通にあるのに、戦争のために搾取したりさらって兵士にしたりしていればそりゃあ……。
異民族からの略取はこの時代なら当たり前だが、問題は内部で反乱が頻発しているハイパーインフレの魏の貧しさ
曹丕の時代になってからは、ほとんど反乱起きてないんだがな。
パート4まで達したけど、結果的には魏>呉>蜀というのは崩れそうにないような
蜀が一番豊かといってるのは蜀豊だけだしな
中国人だがお前らの熱意に感動した
しかしもう少し地理や土地柄、当時の事が書いてある資料を交えて議論したほうがいい
現代のどこかの国を引き合いに出しても意味がないぞ
資料無視して延々と妄想垂れ流すのが一人いるからなぁ・・・・・
蜀はちょくちょく魏に攻め込んでは麦を刈ったり、時には人まで強制連行したり
してるよね。これって魏の側から見ると、単なる蛮族の侵略にしか思えないと思う。
魏の周辺の蛮族の一つとしての蜀。無論、蜀の立場からはそうじゃないだろうが。
838 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/08/01(日) 16:08:39
逆を言えば国民がしょっちゅう外征できるくらい豊かだということ
余暇(国民が生産活動以外に従事する時間)があるからねえ。
遊牧民が中華王朝をしばしば征服したのはかれらの一人当たりのGDPがあったから
せっかく蜀豊があきらめて消えたのに召還儀式すんなよw
840 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/08/01(日) 18:50:15
重税があったのに国民の反乱がないということは重税をかせられるほど豊かだということだろう
ご存知のとおり日本の金持ちに重税が課せられていることは言うを待たないが彼らは貧しくないだろう
魏のような貧乏国は国民からは人頭税しかかされてないな。まあそれでもきついから呉や蜀付近で反乱おきているんだろうけど
>>838 次の外征のために毎回、魏国内で略奪をしてたからでしょ
結局、足りずに兵士達に麦作りさせることになったけど
苅田狼藉なんか戦争のデフォだろ
国地域問わず
蜀豊の完勝でこのスレ終わってる
蜀豊の勝利宣言は何度目だろう・・・
一人ぼっちの勝利宣言。かわいそうだよ
>統一王朝下では蜀の鉱物資源は中原に吸い取られるが
>分断下ではこれがない
>巴蜀の富は蜀のものだ
この観点は新しい
人民→豪族→地方官→皇帝
だったのが
人民→豪族→蜀漢
になるんだから、確かに中間搾取は減る。
蜀は貧しかったという史実があるから、蜀豊みたいな妄想が出てくる。
原因は過去に別のネタで敗走したトラウマからというのがまた笑えるw
漢代より重税化して形骸化して消滅状態だった専売制がもっと厳しく戻ったから、楽になってないだろ。
実際に民は貧しく、それぐらい搾取しても蜀の国庫はすさまじく窮乏していた。
戦争の負担が半端じゃないからなー。
>>850 ならない。
>>847にも書いてるが「人民→豪族」の形は変わってない。
むしろ、豪族が好き勝手し始め、むしろ民は貧しくなるだろ
まーだやってたのか
>>848 はぁ…
呆れて物も言えんとはこの事だな
頭おかしいのも大概にしてくれ
なんだろう このストレスは
「イラッ」とか「ムカッ」を通り越して何故だか胸やけがする
お前頭がおかしすぎるよ 完全に上下が反転している
>実は蜀は魏より豊かだった
俺的にこの話題はケリが着いているのでもう放っとくが
このスレの抱える問題は
>>851みたいな馬鹿をどうしたらいいのかということ
思い込みで語るなと厳しく何度も言ったと思うんだがな…
・「もっと厳しく戻った」
・「実際に民は貧しく」
・「蜀の国庫はすさまじく窮乏していた」
・「戦争の負担が半端じゃない」
これぜんぶ妄言だ このような事柄を記す史料は存在しない
こういういい加減な意見を続けても不毛だよ
蜀の豊かさを示す史料は幾らもあるが
蜀の困窮を示す史料は皆無
これが虚妄を離れた真実だ
じゃ、そういうことで バイ
懲りもせず蜀貧論を唱えたければ
的確な史料的根拠を示した上でやる事だよ
まともな奴ならそれが不可能だと途中で気付くだろうがね
>もっと厳しく戻った
これだけは、資料のある無しに関わらず論理的に言えそうではあるが。
>>847 お前は蜀が地方官を任命しなかったとでも言うのか?
>>855 >・「もっと厳しく戻った」
>・「実際に民は貧しく」
>・「蜀の国庫はすさまじく窮乏していた」
>・「戦争の負担が半端じゃない」
>これぜんぶ妄言だ このような事柄を記す史料は存在しない
>こういういい加減な意見を続けても不毛だよ
全部三国志に書いてありますが。
>>858 >思い込みで語るなと厳しく何度も言ったと思うんだがな…
>>860 三国志に書いてあると思っているところが思い込み
>>861 三国志読んだら書いてあるんですが?
まさか俺が三国志読まずに「全部三国志に書いてありますが」と言ったとでも?
>>862 >三国志
何使ってんの? ちくま? ネットの訳文? 漢文? うぃき?
じゃ書かれてない
兵を動かすと、どれだけの物資が掛かるか?
歩兵は徒歩移動が基本の時代、漢中から長安方面に向かうだけで
数週間。1日、一人三食で、一万人に飯を食わせようって考えただけで
どれだけ糧食が必要になるか。飯を炊く為の燃料も、場所によっては
持参しなければ成らない。軍馬が居ればそれの餌も揃えねばならない。
失敗して撤退した場合、その膨大な兵糧が無駄に失われる事になる。
諸葛亮の北伐は、攻勢防御的側面を否定できないが、それでも
得る所(領土)無い戦争は、国力を疲弊させていたのは間違い無い。
>>866 もっと大事なことを忘れている
物資の輸送事態に牛馬が必要、無論、人力もな
そして、牛馬を働かすには当然、飼葉や塩がいる、輸送隊の食料もな
5千の兵を用いるとき、5千程度の後方支援が必要のようだ
距離に応じて後方支援に必要な人員は増えるだろうが、魏延の長安強襲案からすると
このくらいと思われる
そこから換算すると戦闘人員が2〜3万であっても、戦争に従事する人員の総数は5〜6万になる
戦争による浪費は、そうとう大きい
>>855 >蜀の困窮を示す史料は皆無
出師の表の「益州困窮」をあくまで精神的困窮としたいんですね
>じゃ、そういうことで バイ
ハイハイ、いつもの書き逃げってヤツねw
バイバ〜イ永遠にw
>出師の表の「益州困窮」をあくまで精神的困窮としたいんですね
「益州疲弊」の間違い
蜀豊の暴走は健在か
しかし、蜀の人口は94万だから千葉市より少ないね
史料に明記してある蜀の国庫とかを、自分の妄想に都合が悪いというだけで平然と嘘だ、とかいったり誰かが略奪したんだ、とそれこそ史料根拠ゼロでわめいたりする馬鹿だからな。
レス乞食か、破綻した理論を突っ込まれて喜ぶマゾだろw
蜀豊の書き込みが疲弊しているな
まるで三国志の蜀のようだ
必死で書き込み(北伐)しすぎてネタ(食料)切れしたようだ
>>873 でた、蜀豊の常套手段
中英板で同じようなスレ立ててんだからそっちでやれよ
ここでやっても論破なんで出来ないぜ
な汚物エリートの蜀豊よ
千葉市(蜀)が東京都(魏)にケンカを売るのは無謀だが痛快でもあるな。
様子見の横浜市(呉)
地理的には山梨(蜀)新潟(魏)という方がしっくりくる。
地理厨www
874とか恥ずかしすぎる奴だな
議論は論を戦わせるものだ
オセロや将棋をやっているのと同じでな
論理ゲームなんだよ
これまでの流れで決着は着いている
君は相手が議論を主導しても相手の主張を論破できず
自分の主張に相手が質問を重ねてくると答える事ができない
君は相手に全く歯が立たずに完敗し、蜀貧論は完破されている
君がやっているのは、負けたゲームで相手をイカサマ呼ばわりしたり
盤をぐちゃぐちゃにしてなかったことにしたりして、
自分の負けを認めないしょうもない人間と同じ行いだ
「捏造」「曲解」「史料無視」「イチャモン」などと頭の悪い難癖を付け
とうに破れた話を何度も繰り返し主張してスレに粘着している
破れてもその主張を引っ込めない奴は議論に参加する資格がないと思うんだ
君は1年くらいROMでいろ
もはや蜀豊は相手を罵倒することによってしか、
「蜀は魏より豊かだ」と主張できなくなってしまったらしい。
これまでの流れで蜀豊の論はさんざん論破されてきたから、
もはやまともに議論をすることができなくなってしまったようだ。
>>879は無視でいい
過去レス辿ればどちらの言い分が正しいかはっきりしている
雑魚は相手にするだけ無駄
>過去レス辿ればどちらの言い分が正しいかはっきりしている
出師の表の「益州疲弊」に対する説明はどう頑張っても蜀豊の曲解にしか思えません。
それ以外にも諸々の主張について私的にどちらの言い分が正しいかはっきりしています
つまり、魏>蜀で。
そもそも人を雑魚とか言う人の主張を誰がまともに聞くのでしょうか。それこそ相手にするだけ無駄に思えてきます。
蜀豊はバイバイしたはずなのに、なんでまた何度も書き込んでるの?
>>880 「
>>879は無視でいい」
って、蜀が豊かって主張してるの蜀豊だけなんだから、あなたが無視すればいいだけだよ。
誰に向かって書いたんですか?
ずっと思ってたんだが、蜀が豊かってどういう意味?
豊かって表現があまりにも抽象的過ぎて意味が分からないんだけど。
・蜀(益州など)の土地が他の土地(例えば魏)より生産性が高い
・蜀の民の生活水準が魏に比べて高い
・蜀の庶民の幸福度が高い(個人的には生活水準とほとんど変わらんと思う
けど、兵役とかの厳しさとかも大きな影響をしそうだし)
例としていくつかあげてみたけど、豊かって一体何について話してるんだ?
>>883 蜀豊の主張はおそらくその3点全てだと思いますが、3点目については出師の表の記述「益州疲弊」を
精神的疲弊と主張しているようなので、一時的には幸福度が落ちた時期があると主張するかもしれませ
ん。
※一応、蜀豊はバイバイしたので書き込まないかもしれないので私が代わりに書きました。
雑魚は相手にしないらしいです。
蜀豊 - Wikipedia
蜀豊(しょく ゆたか、1966年6月6日 -)は、日本の擬似科学作家、擬似歴史学作家。中国四川省生まれ。
著書
・『ナチスがUFOを造っていた』(2ch、2008年)
・『人は死ぬ時なぜ体重が減るのか - 70グラムの魂が棲む“死後の世界”を覗く』(2ch、2009年)
・『カラスの死骸はなぜ見あたらないのか』(2ch、2010年)
・『蜀は魏より豊かだった』(2ch、2010年)
だれかまとめサイト作ってくれよ。偏向しててもいいから
蜀豊、前は色々屁理屈垂れてきたけど最近は俺が正しいの一点張りだなw
さすがに妄想のネタも尽きたんだろう。
中英板にまで飛び火させたの?
ネタでやってると思ったけど真性なのか。
890 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/08/07(土) 12:44:14
相手してもらいたくて始めたスレだろ?みんな優しいな。
お前ら患者って構ってちゃんなんだな
>>883 【豊か】
経済的に恵まれていてゆとりのあるさま。「―な家に育つ」「―な生活」「給料日後で懐(ふところ)が―だ」(yahoo!辞書・goo辞書)
>>886 長くなったがこれまでをまとめてみた
もしサイト作るならこれを転載してくれても構わない
>>1 万一次スレを立てる事があるならこれテンプレに加えてくれ
■ 蜀豊論 ■
根拠その1
金銀銅錫鉄鉛丹砂など鉱物資源に恵まれている(後漢書注・華陽國志)
魏と蜀の戸数比でそれらのそれぞれの産地数を割ると圧倒的な差がある事が分かる
これは経済的豊かさの指数である「一人あたりのGDP」に通じる考え方である
反論:産地の数では産出量までは分からないので参考にならない。
蜀豊論者
蜀 魏
金 5 1.01
銀 6 ---
銅 6 0.61
鉄 7 4.85
錫 3 ---
鉛 3 ---
この圧倒的な開きが鉱山の平均産出量の差異で埋まる可能性があると蜀貧論者は考えているらしい
これが彼の言う論破
根拠その2
史料が蜀が豊かである事を記している
・益州險塞,沃野千里,天府之土,高祖因之以成帝業。《草廬対》
・「益州民富強」《先主伝》
・蜀土富實,時俗奢侈,貨殖之家,侯服玉食《董和伝》
・西蜀有丹沙之富《晋書食貨志》
・「巴、蜀之饒」《漢書西南夷伝》
・蜀地肥饒《後漢書公孫述伝》
・蜀地沃野千里,土壤膏腴,果實所生,無穀而飽。女工之業,覆衣天下。名材竹幹,器構之饒,
不可勝用,又有魚、鹽、銅、銀之利,浮水轉漕之便。《後漢書公孫述伝》
・蜀有桀紂之亂。其國富饒,得其布帛金銀,足給軍用。《華陽國志蜀志》
・漢祖自漢中出三秦伐楚,蕭何發蜀、漢米萬船《華陽國志蜀志》
・國富民殷《華陽國志蜀志》
・益州西部,金、銀、寶貨之地。居其官者,皆富及十世。《華陽國志蜀志》
・(南中益州郡)有鸚鵡、孔雀、鹽池、田、漁之饒,金、銀、畜產之富。《華陽國志蜀志》
反論:なし
根拠その3
食糧生産も申し分なし
成都平原は「蜀地沃野千里,土壤膏腴,果實所生,無穀而飽。」と言われる大穀倉地
諸葛亮は都江堰を修繕・管理し穀物の増産に努めている
・諸葛亮北征,以此堰農本,國之所資,以征丁千二百人主護之,有堰官。《水經注江水》
・亮之治蜀,田疇辟,倉廩實,器械利,蓄積饒,《諸葛亮伝注袁子》
反論:なし
根拠その4
蜀には天下に名高い蜀錦という特産品があり
諸葛亮は国家事業として殖産した
魏・呉には蜀のシルク産業のように知られた興業は史料に見られない
根拠その6
劉備・諸葛亮の時代はおろか、姜維が北伐を連発し被害を出した時代でさえ、
きちんと読めば経済的に疲弊したとは誰も言っていない
・譙周伝
「於時軍旅數出,百姓凋瘁」
「民疲秦役」
「夫民疲勞,則騷擾之兆生,上慢下暴則瓦解之形起。」
「故湯、武之師不再戰而克,誠重民勞而度時審也。」
・張翼伝
「維議復出軍,唯翼廷爭,以為國小民勞,不宜黷武。」
・姜維 陳寿評
「姜維粗有文武,志立功名,而玩眾黷旅,明斷不周,終致隕斃。
老子有雲:『治大國者猶烹小鮮。』況於區區蕞爾,而可屢擾乎哉?」
陳寿評訳
姜維はほぼ文武両面の才を備え、功名を上げる事を志したが、
そのため軍勢を軽々しく扱って外征を繰り返し、
明晰な判断を十分にめぐらす事ができず、 最期は身の破滅を招く事になった。
『老子』に「大きな国を治めるのは、小さな魚を煮るのに似る」
(小さな魚を煮るのに突付き回してはいけないように、頻繁に民に干渉したりしてはならない)
とある。 ましてせせこましい小国において、
たびたび民の生活を乱すような行動を起こしてよいものだろうか。
以上のように、北伐と財政負担を結びつけて蜀を考えている人間はいない
皆「労」「心身の疲弊」を言っている
北伐で蜀が経済的に疲弊したのなら、
誰か一人くらい財政面から責める人間はいるだろう
しかし居ないのだ
「蜀が貧しいなどというのは根のない妄想」と言って障り無い
■ 蜀貧論 ■
根拠その1
「益州疲弊」と史料にある
・先帝創業未半而中道崩殂,今天下三分,益州疲弊,此誠危急存亡之秋也。《出師表》
反論:「疲弊」という言葉は必ずしも経済的疲弊を指すわけではない。
むしろ用法の一つでしかなく、経済面でも"比喩的"に使われるだけなのである。
「益州疲弊」という語を見ただけで、「経済的疲弊の事だ」と思ってしまうのは
馴化によって引き起こされる思考の省略で、根拠のない発想である。
「益州疲弊とは経済的疲弊の事だ」という主張には全く根拠がない
ということが自覚できているのだろうか?
「益州疲弊」から分かる事は、「益州が疲弊している」という字面どおりの事のみ。
この段階では経済的疲弊・精神的なもの、或いは、その他の疲弊 は横一線。
「疲弊」がどういう意味で使われているのか、背景・文章の前後から判断しなければならない。
背景・文章の前後の無視は文章読解で許されない。
先帝創業未半而中道崩殂,今天下三分,益州疲弊,此誠危急存亡之秋也。
【然侍衛之臣不懈於內,忠志之士忘身於外者,蓋追先帝之殊遇,欲報之於陛下也。】
誠宜開張聖聽,以光先帝遺コ,恢弘志士之氣,不宜妄自菲薄,引喻失義,以塞忠諫之路也。
続きに「然れども」と前文を肯定して前提とし、逆向きの後文を繋げる逆接の接続詞があるので、
後文の「侍衛之臣不懈於內,忠志之士忘身於外者,蓋追先帝之殊遇,欲報之於陛下也。」と
前文の「先帝創業未半而中道崩殂,今天下三分,益州疲弊,此誠危急存亡之秋也。」は
意味の上でピタリと繋がらなければならない。
その辺の説明は>>12-
>>14 反論者はやたらと「精神的疲弊」と連呼するが、
これは「経済的疲弊」との大別で用いている言葉で、
独立して語るなら「活力がない」という自然な表現が適切だ。
蜀貧論者 ……。
そもそも、「疲弊」は「元気」の対義的言葉なのだから「元気がない」と頭の中で読んでもいいのだが。
「益州は疲弊している」と「益州は活力がない(活力を失っている)」は全く同じ。
「益州疲弊」→「益州は活力がない」これで間違いはない。
無論これで「益州は経済的に活力を失っている」という可能性が否定されるわけではない。
「益州は活力がない」と「益州は疲弊している」は同じだからね。
「益州は経済的に疲弊している」
「益州は経済的に活力を失っている」
この通り。
しかし「益州は活力を失っている」とすることで、
“我々個人の慣習から来ている”疲弊という言葉の余計な影響を受けずに
文章を読む事が出来る。あとは背景・前後の文章に判断は委ねられる。
「疲弊」=「経済的疲弊」という印象は
「〜は経済的に疲弊している」という比喩的表現がよく使われるうちに略され
「〜は疲弊している」という表現となった。
「疲弊」=「経済的疲弊」という印象は慣習によって身に付いた認識に過ぎず
本来は「経済的に」と補語を要する。
「疲弊」一語に、それが経済的なものであるか、肉体的なものであるか、精神的なものであるか
はたまたその他のものであるかを選択する要素はない。
簡単に言えば、君たちは自己内の「疲弊」という語に印象操作を受けている。
君たちの脳内で「疲弊」=「経済的疲弊」をキャンセル出来るならいいが
おそらく難しいので、「益州は活力を失っている」を代入して出師表を読んでみよう。
素直に読んでも「経済的に」と解釈してしまうかどうかね。
「経済的疲弊」は袁子「亮之治蜀,田疇辟,倉廩實,器械利,蓄積饒」とも矛盾する。
根拠その2
「丞相諸葛亮は毎年のように北伐を繰り返し、
諸郡から人員・物資を徴発したものの不足することが多かった 」と史料にある
蜀は貧しく人員・物資に不足した
・丞相諸葛亮連年出軍,調發諸郡,多不相救《呂乂伝》
反論:これも上と同じで
文章は背景・前後の文を交えて意味内容を判断しなければならない。
「丞相諸葛亮連年出軍,調發諸郡,多不相救」から分かる事は
「丞相諸葛亮は毎年のように北伐を繰り返し、
諸郡から人員・物資を徴発したものの不足することが多かった 」という事のみ。
その理由については窺い知る事が出来ない。
「蜀が貧しかったから」などという考えは根拠が一切無い。
・丞相諸葛亮連年出軍,調發諸郡,多不相救,乂募取兵五千人詣亮,慰諭檢制,無逃竄者。
これが一文節だ。
この文章の見るべきポイントは後半の「乂募取兵五千人詣亮,慰諭檢制,無逃竄者。」であり
呂乂がどうして他郡と異なる成果を挙げれたのかに注視しなければならない。
「呂乂は徴発された兵員を慰め諭し、監視して行動を規制したから逃げる者が出なかった。」と
書かれてある。つまり、他の郡はこれが出来ていなかったから
諸葛亮の求めた通りに応じる事が出来なかったと分かる。
蜀の地が物資に不足していたのではなく、連年の戦に民は厭気がさしていた。
蜀貧論者 ……。
根拠その3
「今民貧國虚,決敵之資,唯仰錦耳」と史料になる
豊かなのは絹だけ
反論:劉備の入蜀直後、蜀は貧しく府庫は空だった(劉巴伝)。
「今民貧國虚」からこれはその時の事だろう。
従って将来の展望の話となる。
魏打倒の金銭的拠り所として絹を殖産していこうという国家方針を示した話だ。
蜀貧論者
「漢嘉金 朱提銀 採之不足以自食
今民貧國虚 決敵之資 唯仰錦耳」と原文にある
蜀の有名産地はもうろくに採掘できない
嘘ついても史実の困窮は変動しないっていい加減悟れよ
お前のは妄想と捻じ曲げだけじゃん
反論
[漢嘉金書]
漢嘉金朱提銀,采之不足以自食。
[教]
今民貧國虛,決敵之資,惟仰錦耳。
「漢嘉金〜」と「今民貧國虛」は史料を共にしない。繋げるとはどういう了見だ?
>蜀の有名産地はもうろくに採掘できない
「漢嘉の金、朱提の銀、これを採っても不足する。以て自食。」
「食糧買えばいいじゃん」と何者かが言った前提が隠れているのだろう 。
『食糧を買うとするなら、漢嘉の金・朱提の銀でも足りない。よって自分たちで食糧を作ろう。』
という農業振興の提言だ。
漢嘉の金・朱提の銀がもう満足に採れないなんて話では全くない。
蜀貧論者
「今」民貧國虚、とあるのに、それは将来の殖産計画だと言い張るのか?
反論:(今にして思えば貧論者のそれ反論になってないな)
今、国は空なのだろう? 錦を魏打倒の資金と出来るほど沢山持っているのか?
矛盾しているぞ。
今民貧國虛,決敵之資,惟仰錦耳
「仰」には「Hope」のニュアンスがある。
指導者の立場にある者は従属者にビジョンを見せなくてはならない。
今、民は貧しく国庫は空
この状況でも展望を見出せるようにしなければならない。
諸葛亮は"錦が希望だ"とビジョンを示したんだよ。
蜀貧論者 ……。
根拠その4
「米四十餘萬斛、金銀各二千斤、錦綺綵絹各二十萬匹」と史料にある(後主伝注蜀記)
これが降伏時の蜀の経済力だ
絹だけは多いが、金銀は僅か、米に至ってはまともに戦えるほど持っていない
蜀は酷く貧しかった
反論:米四十餘萬斛、金銀各二千斤、錦綺綵絹各二十萬匹、餘物稱此。
「餘物稱此」「余物(残った物)はこのようだった」とある。
最終的に成都に残った残存量がこうだったということ。
それ以上の意味はない。
平時の経済力と降伏時の残存量は直結した関係にない。
戦争と降伏を間に挟んでいるので、短い期間に府庫が変動した可能性はいくらでもある。
これを材料に平時の経済状態を推定するのは不可能だ。
蜀貧論者 ……。
根拠その5
「領戸二十八萬、男女口九十四萬、帶甲將士十萬二千、吏四萬人」と史料にある(同上)
人口94万で10万もの兵士や4万人の官吏を養ったのだから
蜀は貧しかったに違いない
反論:それは「男女口」。文字通り読めば「成人男性・成人女性」の人口だ。
総人口であれば普通に「口」とだけ書かれる。
総人口94万というのは史料の記述を無視した解釈だ。
蜀貧論者は、
・「男女」の記述無視
・後漢書に裏打ちされた均整の取れた全州の人口/戸数のバランスを無視して
蜀と魏のそれぞれの人口/戸数を、蜀<<<<<<<魏という不自然すぎるもののまま思考放棄
・一人っ子政策でもしているかのような人口/戸数3.36という人口維持も出来ない数値を
適正だと言い張る
蜀の総人口は推定だが180万人。詳しくは
>>22-26。
蜀貧論者A 人口180万なんて嘘をつくな。
反論:推定を嘘と言う奴は話にならん。小学生か。
蜀貧論者A ……。
蜀貧論者B
成人男女のみを戸籍登録したというのは大退行を蜀呉が犯していたという事であって、
漢代と比べて三国時代の政治・徴税制度の決定的な衰退を示す証拠に発展し兼ねない問題だ
反論:子供を戸籍に載せてないということは、子供の人頭税を取らなかったという事だろう。
子供の分の税を取られなければ民は子作りに励む。おそらく多産奨励政策だろう。
制度の衰退といった話ではない。
蜀貧論者B
子供の人数や年齢を調査していなければ、年齢の誤魔化し、徴税逃れなどが容易だ
これらを防ぐ為に秦漢は個別的人身把握政策を追求した
これをやらなかった蜀呉を政治制度が衰退したと言わずして何と言う?
反論:国の上層は子供の事を把握していなくても、民に直接関わっている末端の役人は
戸籍簿をいちいち見なくても自分の管轄の民家の構成人数もおよその年齢も大体知っているだろう。
昔は死亡率が高く、5人子供を産んでも成人になるまで生き残れるのは2〜3人。
大人も病気や怪我で簡単に死んだ。
今に史料として残る戸籍は、滅多にない全国一斉調査(すぐに役に立たなくなる)のようなものか、
毎年全国一斉調査をして、その内の或る1年を切り取ったものかのどちらかだろう。
前者なら「人頭税や徭役の適用年齢と人数の把握」には用立たないし、
後者なら「新成人の漏れ」の心配は少ない。 密接社会をなめてはいけない。
他人のズルを許せないのが人間だ。
戸籍簿に載せないのには意味がある。
税を課さないと言われても載せられるのはいい気がしないものだ。
本当に調べない行動は、必ず民に開放感を与えるだろう。
民官の間で尊重と信頼の交換が行われ、民心を買う事が出来る。
必要のない調べをして余計な手間を掛けるだけ なのより、何倍もいいんだ。
蜀貧論者B
後漢のように蜀漢もまた豪族によって郡県の下吏が占められていたと考えて良い
そんな立場にいる豪族的下級官吏だけが人口の実態を把握し、中央へは成人男女人口しか
報告していなかったということは、呉蜀朝廷の地域社会掌握が無残な有様だったことを示す
反論:無残な有様?主体を豪族と錯覚しているからそう思うのだろう。
「成人男女人口のみの報告」の主体は国だ。
国より地方の方が地域を把握しているのは当然。
国が多産奨励の為に未成年を無税にし、人口の報告義務を成人に限ったら
それが地方との間での国家権力弱体の証になるのか?ならない。
蜀貧論者B
豪族は地域社会の構成員が外からの力に疲弊させられるのを防ごうとした
社会の安定と信望は自分の地位を安泰するものでもあったから
そこで幼年人口を中央朝廷に報告しないということは、
「自分の村から誰をいつどれだけ賦役に出すかを決める権利が地域社会にある」ということだ
蜀漢は積極的に、地域社会での豪族の主体的統治権を認めたことになる
漢代では、総人口や財産が把握され、その数字は県・郡・朝廷へ報告されていたため
郷里単位で支払うべき各種税の総額や賦役人数がきっちり決められていた
郷里の中では自由に融通できたようだが、税収総計は理論的には同額
それが安定した税収の源となるわけだ
君の想定する蜀呉体制にはそれが無い 無残なものだってことだよ
反論:
>「自分の村から誰をいつどれだけ賦役に出すかを決める権利が地域社会にある」ということだ
>蜀漢は積極的に、地域社会での豪族の主体的統治権を認めたことになる
県令や太守は中央の人間だよ。
郷里にも中央の監査役がいた。
豪族にそんな自由はない。
>君の想定する蜀呉体制にはそれが無い
あるだろう。
「郷里単位で支払うべき各種税の総額や賦役人数がきっちり決められていた」
これの人頭税を「男女」でやるだけだ。
蜀貧論者B
>郷里にも中央の監査役がいた。
誰のこと?
県吏は県内の、郷吏は郷内の人間から選任された
中央から派遣されるのは県長・尉・丞クラスまで
というか、中央の監査役が在任して実人口の誤魔化しを許さないというのに、
実人口の戸籍を作らないというのは奇怪な話だね
しかもその理由が、
>本当に調べない行動は、必ず民に開放感を与えるだろう。
という希薄な心理効果のみというのはなんとも能天気な話だ
>これの人頭税を「男女」でやるだけだ。
上記の理由から、実数の「男女」のうちどの程度が戸籍にちゃんと入っているのか判らないのに?
で、呉蜀の二国が同時に戸籍簿の作成についてそのように大きな改定を行ったという
史料的根拠は? 大事なのはそれだけだよ
反論:
>誰のこと?
曹掾史。
>奇怪な話だね
全然。
>希薄な心理効果のみというのはなんとも能天気な話だ。
手間が掛からないというメリットもあるが、
能天気というのが良いんだよ。 これがミソと言っていい。
>上記の理由から、実数の「男女」のうちどの程度が戸籍にちゃんと入っているのか判らないのに?
上記の理由(監査)から、そのような事はあり得ない(考えにくい)。
>史料的根拠は?
「男女口」だよ。
蜀貧論者B
>曹掾史。
それは郡吏
>能天気というのが良いんだよ。これがミソと言っていい。
厳密公正な兵役と徭役が必要な戦時体制下にも関わらず、
人口と年齢を正確に把握出来ない地域支配
蜀呉の敗因は建国当初からのこうした能天気が放漫体制に根源があったというわけだ
>「男女口」だよ
その「男女口」という三文字が「成人男女口」を示すものだという史料的根拠を聞いているんだけど?
数字弄りじゃなくてね
蜀呉の世帯人口が6以上だったという史料的根拠も示されていないが、
加えて、「男女口」が正確に成人人口のみを捕捉していたものという史料的根拠も示されていない
名簿上一戸3口、実数一戸6口、という開きがあるのなら、
「家族員数の報告の誤魔化しが全国津々浦々に蔓延していたので誰にも止められなかった」
という解釈の方が単純で、制度を無根拠に弄る必要もないじゃないか
反論:
>それは郡吏
「廷掾」。朝廷の官吏だよ。
>厳密公正な兵役と徭役が必要な戦時体制下にも関わらず、
>人口と年齢を正確に把握出来ない地域支配
民衆を支配できていないのではなく、実益のない数字を調べなかったというだけだ。
>蜀呉の敗因は建国当初からのこうした能天気が放漫体制に根源があったというわけだ
敗因は地域支配にあるのではなく宮府の腐敗にある。
関係ないではないか。牽強付会というやつだ。
>数字弄りじゃなくてね
数字は大事だよ。実態を知る重大な手がかりだからね。
その数字が現実的でないということは、実態から懸け離れているという証だ。
>「家族員数の報告の誤魔化しが全国津々浦々に蔓延していたので誰にも止められなかった」
そんなことがあるわけないだろう。
蜀貧論者B ……。
蜀貧論者C
しかし何で降伏時の目録の94万人と蜀豊の妄想180万人なんで人口が倍違うんだろうね
記載を間違えたってレベルじゃない
反論:
「2倍にも増えるわけがない」ぐらいに思っているのだろうが
それは「誤差が2倍なんて聞いた事がない」という経験則からの否定だよ。
君は「誤差」の範疇かどうかの裁定をやってしまっている。
推定180万人は「誤差」ではなく全く別物の「計算」だよ。
蜀貧論者C ……。
根拠その6
「大將軍姜維每出北征,羌、胡出馬牛羊氈毦及義穀裨軍糧,國ョ其資。」と史料にある(季漢輔臣賛王嗣)
異民族からの物資徴発に頼るぐらい国家財政は破綻も同然な状況だった
反論:手弁当は大変だからだよ。出先近くで調達した方が楽でいい。
遠路輸送の負担が減る分戦略が有利に進む。
頼みにするさ、町の弁当屋だもん。困窮の根拠にはならない。
蜀貧論者
食糧だけなら運輸の労が大変だった、でわかるけど必需品まで異民族頼みな状況だからな
窮乏していたのだろう
反論:弁当買ったらレジ袋もくれるだろう? おしぼりもくれるとこあるしな。お茶も買うしね。
それと同じだよ。
蜀貧論者 ……。
根拠その7
蜀の貨幣経済は健全ではなく
額面増やしたインフレ銅銭を発行し、
後年になるほど小さくて粗雑悪質な銅銭しか出せなくなった
反論:サイズダウンしたがそんな事は関係ない。
お金の価値というものは物質の価値ではないからね。
高額貨幣が黄金で出来ていた時代から紙の時代に変わったからといって経済は後退しただろうか?
紙のお金が通用するのは偽造が難しいからだが
後漢の"立派"な五銖銭も後漢当時に私鋳された。
蜀漢が金属の管理をしっかりやれば国内での私鋳は防げる。
そればかりか、どんどん小型化し最終的には1.1cm程の大きさになった。
縁に郭と呼ばれる盛り上がりをしっかりと付け
これに5mmの穴を空け2mm幅の文字を盛った。質が悪いなどとんでもない。
当時の技術で幅2mmの文字を盛るのは大変な事なはずだ。
高い技術力あってこそ量産が可能だろう。
偽造が出来なければ、お金が紙でもよいことは実証されている。
当然、偽造できない小さな銭でも何の問題もない。
蜀の小銭は、銅の消費を抑え、持ち運びも楽 偽造もされない実に優れた貨幣と言えるだろう。
またインフレであれば「直百」がスタンダードで、「直一」は使い物にならないだろう。
しかし後期まで「直一」は造られた。
従って蜀はそうインフレでもなかったと言える。
蜀貧論者
当時の貨幣の価値を担保するものは基本的に金属の価値
サイズダウンしたら貨幣の価値は下がる
董卓の鋳造した貨幣も後漢からサイズダウンしたものだったから
それがある程度市場で流通してた当時の中国では
悪貨にあわせて良貨を作る側も品質低下させるのは当然
「品質」で考える場合、貨幣の大きさも考慮すべきだぞ
反論:董卓小銭を知ってて言ってるのかい?
蜀貧論者 ……。
>蜀豊さん
怖いです
蜀貧論者のその他のズレている意見
・蜀は貧しいから敵地で麦を刈った
・遠征を毎年やれば国が疲弊するはずだ
(コスト不明、生産量不明、史料に疲弊した記述なしで言っている)
・塩鉄の専売をしなければならないほど蜀は貧しかった
・豊かだったのなら南蛮から税を取るのはおかしい
■蜀貧論まとめ
@「益州疲弊」 × →背景・文章の前後無視。「疲弊」=「経済的なもの」という解釈に根拠無し。
A「連年出軍,調發諸郡,多不相救」 × →理由が分かる文章後部は無視。肝心な不足した理由を欠く。
B「唯仰錦耳」 × →背景・文章から国家の指針を言っているものだと分かる。
C「米四十餘萬斛、金銀各二千斤」 × →財政状況と直結していない。
D「男女口九十四萬」 × →94万というのはあり得ない数字。総人口ではなく「成人人口」。
E「國ョ其資。」 × →羌の物資提供が軍事戦略上で頼りになったという話。
F 小銭が衰退の証し × →合理化。銅の消費を抑え、持ち運びも楽、偽造もされない実に優れた貨幣。
蜀貧論者たち
「捏造だ」
「嘘つき」
「妄想だ」
「史料を無視している」
「史料の曲解だ」
「屁理屈だ」
「俺様、ぼくちゃん、お菓子ちゃんの誰も納得していないから蜀豊の言う事は筋が通って居ないはず」
「お前の詭弁にも嘘にも誰もだまされない」
「いくら議論を重ねても 魏>呉>蜀 は揺るがないでしょ」
議論終結後の蜀貧論者
「末期の金庫には金は二千しかなかったからな。入蜀時の最高幹部四人分へのご褒美程度しかない。
凋落振りはすさまじい。」
「人口94万で兵士10万官吏4万を養ってたしな。普通に破綻するだろこれじゃ。」
「史実を見ると貧しくなっていた。」
「蜀豊また敗走。」
「貧しい蜀を異民族を搾取することで持たせていたが、南方民族は重税に蜀に恨みを秘め、
西方民族は魏軍に姜維が大敗したのをきっかけに離反した。国庫が貧しいのも当然だ。入るものがない。」
「蜀の疲弊貧窮は大兵大役によるもの。
国力に比して過大な兵を持ち、大掛かりな軍事行動をやってたら疲弊しないわけがない。」
いや〜、長くなったね 全部読んだ人お疲れさま
まとめた俺、乙
もう召喚しないでね
これまで論破された事を都合よく隠蔽して勝利宣言して逃走かよ
最悪だな
928 :
小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/08/07(土) 23:09:55
とりあえず
>蜀貧論者 ……。
これはあきれかえっているようにしかとれないが・・・
929 :
小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/08/07(土) 23:10:54
おっと失礼した。
>>926 お疲れ様でございます。
930 :
小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/08/07(土) 23:15:22
>>895 > 蜀 魏
> 金 5 1.01
> 鉄 7 4.85
この辺の差は産出量で埋まってもおかしくないけどな。
しかし、産地数だけでは根拠に乏しいと思われても仕方ないぞ。
>>927 論破された事ないんだが
君は夢の世界にでも居るのかい?
なんならまとめてみてくれよ
>>928 反論できないようにしか見えないが?
お前言えばいいと思ってるだろ
>>930 魏は蜀の4.94倍戸があるから
差を埋めるには、
魏の全ての鉱山が平均で追いつかなければならないんだぞ
一個や二個優れた鉱山があっても更にその4.94倍要求される
埋まるわけないだろ
933 :
小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/08/07(土) 23:25:23
>>896 確かに貧しいという直接的な記述は無い模様。(新校本三国志に限って)
疲弊はしてるみたいだけどね。
>>897 蜀は天府だからねぇ
>>898 塩の専売って特産品ではないかもしらんが殖産にはならんのかね?
934 :
小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/08/07(土) 23:26:38
>>932 あんたぁ、いわゆる鉱山ってものを知らんと見えるが?
一つの優れたヤマってのは凡百のヤマとは雲泥の差だよ。
935 :
小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/08/07(土) 23:28:15
あ、曹操、鉱石の質の差も大いに重要だねぇ。
そもそも、こういう話って極力推論さけるもんだと思うけど。
936 :
小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/08/07(土) 23:35:36
>>899 浅学なもので蜀都賦って初めて読んだけど、これって西蜀公子ってヒトのオクニ自慢の文章に見えるけど・・・
ひょっとしてあれか?左思が調べたことを西蜀公子っていうヒトに代弁させたってやつ?
そこんとこどうなん?
937 :
小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/08/07(土) 23:44:20
>>900 廖立伝っての疲弊ってなんなんだろうね。
>>12がええ指摘だすね。
経済的疲弊というよりはもっとこう、なんちうか、昭和18年ころの大日本帝国が思われるのは
漏れだけだろうか?
938 :
小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/08/07(土) 23:50:45
939 :
小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/08/08(日) 00:04:47
>>905 そのとおり。
ただ、みんなが嫌がるほど徴発するんじゃねぇ、と思ってみたりする。
>>906-908 そうですね。
ただ、金や銀で食料買おうと思っても食料が不足する
↓
もっと食料増産しないと、食糧足らんよ
今民貧國虚 → この時点では貧しかったんだね。
940 :
小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/08/08(日) 00:11:42
ところで、別に蜀が魏よりはるかに貧しいとか主張するつもりはない。
蜀は天の府だしね。
ただ、蜀は北伐で疲れたみたいだけど、魏はどうなのかね?
疲れたんかね?
>>922 >@「益州疲弊」 × →背景・文章の前後無視。「疲弊」=「経済的なもの」という解釈に根拠無し。
「経済的なもの」と解釈するのがごく自然だと思います。このスレでも専門家の和訳を取り上げてたよね?
(探すの面倒だから探さないけどw)
もし精神的疲弊なら出師の表にはそうわかるように書くはず。でないと劉禅にも家臣達にも伝わらないよ
>>941に書いたこと、蜀豊には伝わらないか...
>>718の
>誰かが言った・書いた なんてのは何の意味ももたない
>そういう事に価値を感じるのは低次元の人間だけ
これ、蜀豊かな?
専門家の意見など何の意味ももたないか。俺は低次元の人間だから専門家の意見を
しっかりと聞いた上で判断したいと思っているが。
でも「誰かが言った・書いた なんてのは何の意味ももたない」って言うわりに、自分は書くんだねw
蜀豊の言葉を借りれば、見る人にとって「蜀豊が言った・書いた なんてのは何の意味ももたない 」のにw
>>942 そりゃネット論者どころか先行研究者の業績全てを無視して,
自分の解釈が絶対と喚くのが蜀豊ですから。
あと
>>896は蜀豊が持ち出したんだよね。
これ蜀地方に関する一般論と公孫述政権当時以前の話しかないから,
蜀漢(という偏覇王朝)が豊かだったとする根拠にはならないのでは。
蜀が豊かって証明したい、というより。
自分の妄想に誰も賛同してくれず、資料的にもけちょんけちょんだから意地になってるだけにしか思えない。
945 :
小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/08/08(日) 11:51:27
蜀が魏より豊かどうか、漏れは知らんが
蜀が圧倒的に貧しいかと言われたら、
それは違うと思う。
エキシュウのみで魏としばらくはりあうだけの豊かさはあったのは
間違いないからな
>>945 そういう観点で言うと魏は蜀と呉を同時に相手する豊かさがあるとも言える
だから?
え?だから????
>>945・・・蜀は益州のみで魏とやりあう豊かさがあった
>>946・・・魏は呉と蜀を同時に相手する豊かさがあった
どちらも結論付けていると思うが、それ以上に何を聞きたいの?
一応、くどいようだが書くと、
>>945では北伐を豊かさのバロメータとして挙げていたので、同じような観点で
魏の豊かさを挙げただけです。それだけのことです>小銀玉さん
別に戦うだけなら豊かじゃなくてもできるだろうけどね。
むしろ貧しい勢力だから、他国に食む行為をするケースも。
>>939 ゆとりあってもなくても徴発されるのはみんな嫌だろう。
>だから?
これはひどいwww
そんなの当たり前だのクラッカー
いちいちレスせんでもわかるべ
と思っての
だから?
となった。
>>945,
>>952 確かに蜀そのものが貧しかったとする理由はないけどね。
(北伐等で疲弊した分は別として。)
でも蜀が魏と張り合えた理由が経済的なものかどうかは分からないでしょ。
一番経済的に後進だったはずの呉が最後まで残ったのだから。
(蜀も呉も「地の利」を得たことが生き長らえた最大の理由でしょ。)
「蜀が魏より豊かだった」の「豊か」の定義があいまい過ぎて話にならん。
蜀は総合的な豊かさで魏に勝っていたのか、それとも一人当たりGDPというか生活水準が高かったのか、
それとも別の基準で豊かだったのか?
俺としては蜀は益州一州あたりの豊かさとしては、冀州を除く魏のすべての州よりは豊かだと思うが、
総合的に魏が貧しくて蜀が豊かだったかと言われると、疑問を感じざるを得ない。
魏の生活水準の低さを現す記述も蜀の生活水準の高さを現す記述もないし、
蜀が豊かだとさんざん言われてても、それはあくまで益州一州として豊かなんであって、
魏全体とは比べ物にならんだろうよ。
>(蜀も呉も「地の利」を得たことが生き長らえた最大の理由でしょ。)
だけじゃなーい、最大ではなーい
とおもふ
>>955 魏が長いこと様々な理由で蜀や呉の攻略に全力で取りかかれなかったことも大きいかもね。
>>933 >疲弊はしてるみたいだけどね。
その「みたい」の根拠が要求されてるんだけど、あるの?
>塩の専売って特産品ではないかもしらんが殖産にはならんのかね?
塩は魏呉でも採れるしね
ケ艾が蜀平定後、塩業を興業して行こうなんて言っているから
蜀漢は塩を自足してはいても、輸出で大きく儲けていたという事実はないように思える
政権は儲けていたけどね
>>934-935 数字で示した方がいいようだね
後漢書注に見える蜀魏の産地の数
蜀 魏
金 5 5
銀 6 ---
銅 6 3
鉄 7 24
錫 3 ---
鉛 3 ---
魏は蜀の4.94倍の戸数があるから
魏が蜀に産地数で並ぶには
金 25
銀 30
銅 30
鉄 35
錫 15
鉛 15
これだけの数が必要(4.94≒5で計算)
実数を引くと
金 20
銀 30
銅 27
鉄 11
錫 15
鉛 15
これほどの数の産地が不足している
>>930に応えて、金・鉄について考えると
金
実数5、必要数25、不足20
魏の金鉱山の全てが、蜀の金鉱山の平均産出量の5倍の量を産出しなければ、魏は蜀に並ぶ事ができない
という事は、
魏の金の産地は蜀の産地に比べ、"どれも"5倍も産出するという大変優良なもの揃い
ということになるね そんな都合のよすぎる事があり得るかな?
もしあったなら「魏の金山はいずれも優良で、〜」という逸話が残るだろう
もしくは1〜2が優れ、他は並という事もあるかもしれない
となると、その1・2コは蜀の産地の平均の21倍・11倍も産出するモンスター産地という事になる
では、その産地の名前は?
それほどのモンスター産地なら、名前と凄さの記述が残ってないわけがないよね
鉄
実数24、必要数35、不足11
魏の鉄鉱山の全てが、蜀の鉄鉱山の平均産出量の約1.5倍の量を産出しなければ、
魏は蜀に鉄で並ぶ事ができない
24の産地全てが、余所の地ならいざ知らず秦の始皇帝の時代から鉄官が置かれた蜀の産地の
平均の約1.5倍を産出するというあり得ない話だ
蜀の鉄の話はココ↓に詳しい
http://www.jfe-21st-cf.or.jp/jpn/hokoku_pdf_2009/asia02.pdf これを読んでも
>>930のように考えられるかな?
>そもそも、こういう話って極力推論さけるもんだと思うけど。
史料に蜀が鉱物資源に富んでいた記述が散見される
単なる推論ではないんだよね
>>936 そんなとこ
>>938 >エキシュウが心身ともに疲れてるんジャマイカと。
辞書には
1 心身が疲れて弱ること。
とあるが、これは別に「心と体が」という意味の説明ではないジャマイカ
どちらか単独でも言う 「神経が―する」と用例も載っている
「疲弊」は“益州の印象”なわけで、
共にというより全体像を漠然と総合的にみたものだと思う
その時に目に付くのは人々の活気のなさなはずだよ
「日本 疲れ」でググって「日本は疲れている」「疲れた日本」的なワードを探して
記事を軽く読んでみてくれないか?
殆どが経済の問題ズバリより精神的な疲れの事を語っていると思う
心が疲れていると意欲が揚がらない それは経済活動にも影響するので
経済面での問題は全くないとは言い切れないが、要領は精神にある
蜀貧論者が「益州は経済的に疲弊していた」なんて言うから
大別して、メインである「精神的疲弊だ」と主張する必要があった
しかし、だからといって
「活力を失っている」と言っているように「経済的な元気はある」などと言うつもりはない
(ここの頭弱たちの弁別能力を超えた話だと思うが、
「"経済的な元気はある"とは思わない」と「経済的に疲弊している」は全く違うと付記しておくね )
>そのまんまエキシュウが疲弊してるんでしょ。
正解
その諸葛亮の言う「エキシュウの疲弊」が何かって話で、
その答えは続きの文に表れている と言っているのが
>>902-904 とこのレス
「と、このレス」 ね
>>938 >これはいわゆるコモンセンスの問題だと思うけど。
そのコモンセンスを斬っている
>>939 >今民貧國虚 → この時点では貧しかったんだね。
劉璋の悪政と2年近い本土戦を含む3年の戦争があったからね
>>940 勝ってるのと勝ててないのとでは疲労度が違うよ
>>941 どうして、劉禅や家臣達に諸葛亮の言葉の意味が伝わらないと思うの?
君たちと彼らは決定的に違う
彼らはその時代に生き、その肌で世界を感じている
君たちは彼らの世界を知っていないから文字に目が行き穴に落ちる
>「経済的なもの」と解釈するのがごく自然だと思います。
強い自信がありそうだが、そう思う根拠はあるのかい?
>このスレでも専門家の和訳を取り上げてたよね?
陳舜臣は日本国籍の作家だよ
>>942 俺だね
>>724-725も読んでね(725が俺ね)
>俺は低次元の人間だから専門家の意見をしっかりと聞いた上で判断したいと思っているが。
良い心掛けだね
で、君は専門家から「何故蜀が貧しかったと言えるのか」その説明をしっかりと聞いた上で
蜀は貧しいと判断したのかい? どうなのかな?
>蜀豊の言葉を借りれば、見る人にとって「蜀豊が言った・書いた なんてのは何の意味ももたない 」のにw
その通りだ
「俺が言った」ということに意味はない
>>943 失笑 現代の先行研究者どころか、裴松之、陳寿、その他史料の著者、三国志の登場人物でさえ
道理に適っていなければ否定するよ そんなのは当たり前だ 俺だけじゃなくね 普通の事
>蜀漢(という偏覇王朝)が豊かだったとする根拠にはならないのでは。
豊かな地の政権が豊かなのは当然
>>949 君は頭が大変悪い としか思えない
>>945-953 もうやったし、今日のレス君らは考慮に入れるべきだし、スルーするー
>>954 一人あたりのGDPが高い≒生活水準が高い≒政権が豊か
「"富める国"とは」は
>>50 「豊かであるという事はどういう意味があるのか」は
>>668中
>>963 蜀の生活水準が魏より高いって記述正史にあったっけ?
魏の税率がえらい高かったのは事実だが、蜀の民衆が裕福に暮らしてるって記述も見たこと無いな。
あと、民から搾り取って、民は貧しいけど政権は豊かなんて国は古今東西いくらでもあるぞ。
>>964 経済的には魏も結構余裕あったんじゃね?
蜀と呉と鮮卑を同時に相手取らなきゃいけない状況で、
何度も呉に大攻勢しかけてるからな。
経済的な理由じゃなくて、単に勝てなかったから失敗してるだけで。
鉱物資源の産地の数の話、なんでまた書くの?蜀豊自身も、あくまで目安と認めてたよね?
つまり、「豊かだった」じゃなく「豊かだったかもしれない」としか言えないネタだよ
使いふるしのネタは出すのよそうよ。新規さんでもちゃんと前の書き込み参照するのが常識なんだし。
967 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/08/09(月) 11:16:55
>>950 いや〜。一部例外はあるとしても
他国に攻め込む勢力っていうのは概して豊か+時間的ゆとりある連中でしょ
例えば騎馬民族なんてそう。
彼らは遊牧民は、夏に適当にぱっぱと麦まいて、冬は家畜の乳搾ってあとは余暇。
逆に、農作(特に稲作)みたいな労働集約型は、多数の家族を養うだけの生産はあるけどそれに比して労働力を相当必要とするものだから一人当たりのゆとりは遊牧民より小さい。
多数の農耕民族がしばしば、少数の遊牧民に蹴散らされるのは一人当たりのゆとりの違いだろうね。
とすると頻繁に蜀が魏をせめて、魏は防戦一方なのも、蜀が魏より豊かだったことの証左といえる
968 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/08/09(月) 11:24:00
969 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/08/09(月) 12:52:57
結局、具体的には何が豊かだったの?GDP?
〜俺的まとめ〜
劉焉が益州に入る前には(このスレでも記載あるけど)自称黄巾軍が暴れまわり、益州刺史
や巴郡太守を殺し、3郡に渡り略奪行為を行ってました。国力疲弊は免れないと思います。
劉璋時代には劉備の侵略を受け、211〜214年までの長きにわたり戦争状態に。無論、
国力疲弊は免れないと思います。
その後は諸葛亮の手腕もあり、ある程度回復はしただろうけど、本人が出師の表に「益州疲弊」
と書いているように完全回復にまではいたってなかったのでしょう。
また、益州南部四郡の反乱、北伐と、おそらく全力を使っているので国力疲弊は免れないと
思います。
諸葛亮死後はさすがに国力回復に努め、北伐したがる姜維に兵はほとんど与えられてません。
(1万程度)
しかし費イの死後、反対するものがいなくなった姜維は北伐開始、そのためまたも国力は疲弊
し姜維に非難が集中したようです。(姜維は身の危険を感じ成都に行けなくなったらしい)
蜀は263年、魏の侵攻を受けると、約半年であっさり滅亡。経済的に豊かならもっと防御を
固めててもよさそうだが、剣閣等、元からの要害をそのまま利用しているだけに見えます。
(魏は陳倉城、合肥新城、呉では石頭城、濡須など、要衝を新たに固め、他国の侵略に対し、
しっかりと機能しました)
人口に関しても議論ありましたが、『晋書』地理志/『三国志』呉書三嗣主伝注『晋陽秋』/
『通典』/『三国志』蜀書後主伝注王隠『蜀記』などで一様に、
魏・・・443万、呉・・・230万 蜀・・・94万
と、ほぼこの数字になっているようなのでこの数字を信用します。(広島大学総合科学部助教授
の加藤徹さんもこの数字を挙げているようです)
但しあくまで登録数なので、実数は増えるのでしょう。
以上
諸葛亮が長生きしたら蜀は豊だったろうな
972 :
小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/08/09(月) 21:17:03
やっぱりあれだ。
江夏を所有してないと豊とはいえん。
何だかんだ言って呉が豊だな
蜀なんかの田舎が豊な訳ないな
ダイヤモンドユカイ
呉は南海交易があるからな。あと、未登録人口が多いから、
頑張れば頑張った分だけ労働力と兵力増やせる。
>>966 >鉱物資源の産地の数の話、なんでまた書くの?
「新規さんでもちゃんと前の書き込み参照するのが常識」って、、
ちょっと前読めば、なんで資源の話をしてるのか分かるだろう?
>蜀豊自身も、あくまで目安と認めてたよね?
>つまり、「豊かだった」じゃなく「豊かだったかもしれない」としか言えないネタだよ
どんだけ認めたくないんだよ(笑)
そこは『「豊かだった」じゃなく「豊かだったに違いない」とまでしか言えない 』だろ
目安は「鉱物資源収入の格差」の目安だよ
魏蜀に大きな開きがあるのは分かりきっている事
その開き具合の目安だ
>>970 >国力疲弊は免れないと思います。パート1
まぁ国力低下は免れないと思うけど、この件は何と関係してるの?
>国力疲弊は免れないと思います。パート2
法正伝・劉巴伝にそう出てるね
>ある程度回復はしただろうけど
きみは回復の頂点を一体どこに設定しているのかな?
>国力疲弊は免れないと思います。パート3
「疲れる」ってのは運動量が回復量を上回って限界近くまで体力が減る事を言う
コスト不明・生産力不明で国力が疲弊したなんて言う事はできない
君は勝手にコストを高く生産力を低く見積もっているんじゃないのか?
>諸葛亮死後はさすがに国力回復に努め、北伐したがる姜維に兵はほとんど与えられてません。
>しかし費イの死後、反対するものがいなくなった
費禕の前の蔣琬も大規模な北伐を計画していた やる前に死んじゃったけど
費禕も財政状態から反対したのではなく、大国と戦争して勝てるだけの軍才がないのが理由
>姜維は北伐開始、そのためまたも国力は疲弊し姜維に非難が集中したようです。
その「国力の疲弊」を経済メインで言ってないなら問題ないが
>(姜維は身の危険を感じ成都に行けなくなったらしい)
姜維バッシングを利用して己の権力を固めようとした黄皓の弾劾に失敗したから
姜維は身の危険を感じて成都を離れた
>蜀は263年、魏の侵攻を受けると、約半年であっさり滅亡。
姜維は防衛戦略をより攻撃的な(大打撃を与えられる)に変えた
言うなれば、敵の攻撃を呼び込んで利用する「カウンター」を狙った
後の先を制すれば威力を発揮するが、
失敗すれば、ただ隙を作って危機を招いたに等しい
敵の来襲を知らせたが黄皓が潰した
これにより蜀は後の先を逃し後手後手に回る羽目になった
>経済的に豊かならもっと防御を固めててもよさそうだが、
>剣閣等、元からの要害をそのまま利用しているだけに見えます。
戦略の変更に伴い西安、建威、武衛、石門、武城、建昌、臨遠を強化した
ちょっと時期がズレるけど、諸葛亮は対北に漢・楽二城を築いた
>(魏は陳倉城、合肥新城、呉では石頭城、濡須など、要衝を新たに固め、他国の侵略に対し、
>しっかりと機能しました)
諸葛亮は第三次のあと漢・楽二城を築いた
また、諸葛亮の南征の頃、李厳が江州に周囲十六里に及ぶ巨大な城を築いた
更に大工事をしようとしたが李厳が漢中に移動になったので中止になった
>人口に関しても議論ありましたが〜
(中略)
>と、ほぼこの数字になっているようなのでこの数字を信用します。
俺も信用してるよ 数字は
晋書地理志を見ると
「孫叔赤烏五年,亦取中州嘉號封建諸王。其戶五十二萬三千,男女口二百四十萬。」
と呉の箇所だけはしっかり「男女口」になっている
他の人口は「口」となっている
晋書も「口」と「男女口」を区別している
そこを見落としちゃダメ
修正
×姜維は防衛戦略をより攻撃的な(大打撃を与えられる)に変えた
○姜維は防衛戦略をより攻撃的な(大打撃を与えられる)ものに変えた
結論
蜀豊は馬鹿
982 :
981:2010/08/09(月) 23:33:24
あ、ごめん
蜀貧は馬鹿
の間違いでした
結論付いたなら、もう話す事は無いな。消えてくれ。
984 :
982:2010/08/10(火) 00:12:39
蜀豊、お前が消えるんだよw
誰もお前だけが理解できる妄想前提の考察なんてしたくないんだよ
986 :
983:2010/08/10(火) 00:35:24
>>984 お前に言ってんだよ。読解力ない奴だな。
お前の中で結論付いたんだろ?じゃあ、もう俺達と話す事は無い。
俺達もお前の結論認めないけど。
蜀豊は自分の都合のいいように何でも捻じ曲げるからな
疲弊と書いていても心身が疲弊していただの延々と繰り返す
>姜維は防衛戦略をより攻撃的な(大打撃を与えられる)に変えた
>言うなれば、敵の攻撃を呼び込んで利用する「カウンター」を狙った
>後の先を制すれば威力を発揮するが、
>失敗すれば、ただ隙を作って危機を招いたに等しい
維持できなくなったから漢中放棄したのに・・・・・
>>978 レスありがとうございます。が、俺的にはもう頭の中で結論が固まってしまいましたw
どう考えても蜀が豊かという意見には矛盾を感じます。やはり国力低下⇒滅亡という路線
が正解だと思うのです。
990 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/08/10(火) 12:23:08
でも蜀は魏ほど内乱などおこしてないからな
991 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/08/10(火) 14:04:00
本当に国力低下していたのなら戦争より前に内乱とか起きているはずだし
ショウカイなんかも、蜀独立すれば
「うまくいけば魏を滅ぼし天下を取れるし、運が悪くても劉備くらいなれる」なんて言って独立考えるかね
おそらくショウカイやトウガイは蜀の圧倒的豊かさに目がくらんで独立を考えようと思ったと思うよ
確かに、蜀がそんなに疲弊していたら、鐘会は独立しないよね
目録だって独立前提なら低く見積もるだろうし
>>991 トウガイは独断専行はしたけど、独立は考えてないでしょ
ショウカイは友人曰く「野心がその器量より大きい」という人。劉備くらいにはなれるとは
考えただろうけど「蜀の圧倒的豊かさ」はどうかとw
こういう男は機会さえあれば謀反すると思う
>>993 蜀の圧倒的豊かさを前に心持強くなって独断専行が目だったのでは
鐘会は反司馬の人だけど、単に野心がでかいからといって、策なく独立考えはしないだろう。
それに魏を打倒するとも主張していたぞ
>>994 あの目録を見る限り、どこに圧倒的豊かさがあるんだろうね?
鐘会は蜀の豊さじゃなくて、要害に目がくらんだんだと思うよ。
それに鐘会指揮下の兵力は16万。これは掌握できると鐘会は確信していた。
そして、姜維に旧蜀軍10万を掌握させれば、鐘会の兵力は26万。
それで蜀の要害に籠れば、十分に魏と対抗できると思ったのでは?
パート5行きそうか
>>994 蜀は天賦の土だからな
益州の力があればこそ鐘会もその気になったんだろう
1000!
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ば ス /.,';/ ヽ;;;;,l;L_ .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;i か を
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