1 :
無名武将@お腹せっぷく:
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/21(月) 14:00:41
944 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/20(日) 22:24:59
占領当時の益州は、前支配者劉璋の暗愚で惰弱な支配によって官僚組織はまともに機能を果たされず、
民衆の貧しさは目を覆うばかりの状況に在った。更に、官僚と結び付いた地主が肥え太る。
弱い者は益々悲惨になるという状況下に在った。
圧倒的な武力を以て益州を占領し、圧倒的な権力を持った政治支配で国を建て直そうとした孔明でさえ、
構造改革には苦労する。富裕豪族である抵抗勢力を根絶やしにする事は難しかったのである。
三年もの時間が必要であった。
孔明は先ず、一時的に国境を閉ざして鎖国状態にする。外圧を除いてから国内の生産力を回復させ、
経済を復興させて物価の安定を計る。国民に活気を取り戻させ、生活を安定させた。其の上で行政改革を
行う。思い切った人材の登用、権力者や悪徳官吏の黜除、行政組織の簡素化等の施策を次々と打って、
行政改革を徹底的に断行したのである。
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/21(月) 14:02:56
945 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/20(日) 22:25:49
当時は農本社会であった。農業が国の基本産業である。農業生産を上げて先ず、食い物を確保せねば
ならない。劉備と孔明が進出した前後の益州は、虐げられた農民は貧しく、生産意欲も上がらず、
国家は疲弊し切った状態であった。
農業生産を上げて民衆の富を増やし、彼等に活力を付ける事が急務である。
多少強引でも悪徳官吏を追放して地方豪族から既得権益を採り上げねばならない。
"構造改革断行。”と孔明は考えた。 "務農殖谷,閉関息民”{農耕に務め穀物を増産し、国境を閉じ
民を休ませる。}を第一政策に採用して国力回復に乗り出した。鎖国をして外からの圧力を排除し、
国内に平和を取り戻すということで、戦争が起こる懼れを無くして民に安心感を与えて
農業生産を上げる事に専念させたのである。
農業生産を上げる事は簡単である。つまり耕地面積を増やす。労働力を増やす。灌漑を整備する。
此の三点を確立すれば、生産力は上がる筈である。春秋時代の秦国が巴蜀を征服統治した時代、
太守として赴任した水利の専門家李泳親子が都江堰という堰を築いて蜀を「沃野千里」と呼ばれる
豊穣な地に変えた。しかし孔明の当時、堰はかなり荒れ果てていた。孔明は此の都江堰の整備を行う。
担当官吏を任命し、その下に千二百人の堰管理員を置いて補修管理を徹底して更に延長工事を行った。
此の治水事業を進める一方、低地の洪水地帯を農地に変える干拓事業、灌漑整備を行って農業生産を
上げる政策を推し進めた。成都の西北の柏河に孔明が築いたと謂われる "諸葛堤”、或いは"金堤”と
呼ばれる長堤が今も残っている。
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/21(月) 14:15:58
946 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/20(日) 22:26:41
封建時代は兵士は農民から徴兵された。此は中国でも日本でも変わらない。兵士として徴用されると
人手不足の農地の生産力は落ちる。此を解決するのが屯田兵制度である。兵士は平時には田畑を耕す。
一朝事が起こると武器を持って戦闘に参加する。更に、屯田兵に荒れ地を開拓させて農地を増やした。
戦争の起こる可能性が遠のいた時期だけに兵士を農耕作業に活用出来る "休士勧農 分兵屯田”を
スローガンに、"兵農合一”政策を押し進めて労働力の確保を計る。農繁期には兵士が農業に従事する、
或いは農作業に人的な補助を行って生産量を増やす。農閑期には農民が兵士として訓練を受けて
兵力増強を計る。一石二鳥の効果が実現したのである。屯田兵制度の推進は、他方で富裕な地主や
地方の豪族達の力を弱める効果をもたらした。農民も生産物の何割かを国家へ税納するだけで好く、
自分の取り分が増える。豪族の下で小作をするよりも収入が増え、働く意欲が増加する。当然、生産量が
上がる。という図式になったのである。
947 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/20(日) 22:27:38
孔明はこの様に、兵農合一政策と水利灌漑事業を展開して一挙に農業生産を向上させ、地方豪族の既得権益
を取り上げ、賦税の軽減を計る等、農民の負担を軽くして彼等の生活を安定させた。当然、国庫の収入にも
安定を来たす結果をもたらした。
塩と鉄は益州の重要産品であった。経済発展には欠かす事が出来ない資源である。中国の奥地には塩分を
含む地層が多い。蜀地方の精塩業は西漢王朝(前漢)の時には既に、発達していて各地に塩井が掘られて
いたという。製塩技術もかなり熟練していてある地方では已に、火井{天然ガス}を燃料に使用していた
という。蜀地方の塩は"井塩”とも"煮塩”とも呼ばれ、井戸を堀って上部に滑車を備えた塔架を置き、
塩水を汲みだして塩鍋に移して塩水を煮て水分を蒸発させて塩を採取した。
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/21(月) 14:18:00
948 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/20(日) 22:28:23
中国には各地に鉄鉱石の鉱山があって、露天掘りが今も行われている。此は孔明の時代も変わらない。
蜀の周辺にも鉄鉱石が埋蔵されている山が彼方此方に在って兵器や農機具を鋳造していた事が多くの史書に
記載されている。孔明は鋳鉄官に鋳鉄技術に精通した者を選んで兵器や農機具の品質改良を目指した。
鋳鉄官の郭達は一夜に三千本の箭を打ち、"神手”と称されて将軍に封じられたという。鋭利な兵器の改良
は軍の強化に貢献し、製鉄技術の発達は農機具に改良が加えられて農業生産の増強に大いに役立つ事に
なる。今も昔も軍事技術の発達が一般の生活機器の改善に繋がる事に変わりがなかった。
鉄に限らず金、銀、錫等の鉱山も開発されて蜀漢王朝の重要輸出産品と為り、国庫を潤した。
錫は今でも四川省に多く産出している。朱堤に産出する銀は純度が高く、
他地方で産出する銀に比べて1.8倍の高値で買い取られたという。孔明は精塩工業や製鉄工業に対して
国家管理機構を設立して「司塩校尉」、「司金中郎将」の職を設けて
これらの資源を国家の独占事業とした。
949 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/20(日) 22:29:09
蜀錦の名で有名な蜀のシルク工業は早くから、此の地方に発達していた。東漢時代(後漢)の墳墓から
桑苑の図や織機の石刻が発見され、漢の時代には一般的にシルク工業が普及していた事が判る。
彼は蜀錦の重要性に着目をし、特別に「錦官」という官庁を設置して専門にシルク工業を管理させた。
成都の別名「錦官城」は此処から来る。「臨終の表」には、彼の家には八百株の桑の木が植えられている
と彼自身が述べている。
「後漢書」には曹操が “人を派遣して蜀錦を買い求め、宮中の礼服に用いた。”という記載がある。
当時、蜀錦は全国に知られた特産品で、蜀の経済立て直しの切り札となった。
6 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/21(月) 14:19:34
又、貨幣の鋳造も手がけ、"官市”という市場を設立して専任官吏を派遣し、徹底した市場価格への介入を
行って諸物価の安定を計った。湖北省や雲南省で孔明の発行した"直百銭”の銭弊が見付かっている。
この様に農業生産の向上、塩、鉄,錦等の資源、特産品の発達は蜀の経済発展に大きな寄与をした。
“政は民を安んずるを以て本と為す。”という孔明の基本思想が諸政策に反映された結果、
構造改革は三年で成功裏に終わって、蜀漢国は "食足りて兵足る。”という安定さと富裕さを得るのである。
結論、魏は戦乱と内乱、ハイパーインフレ、禿山のリアル北斗の拳、蜀は地上の楽園
出師の表より抜粋。
先帝創業未半而中道崩?。
今天下三分益州疲弊。
此誠危急存亡之秋也。
降伏時の蜀の経済力
領戸二十八萬、男女口九十四萬、帶甲將士十萬二千、吏四萬人、米四十餘萬斛、金銀各二千斤、錦綺綵絹各二十萬匹、餘物稱此
蜀の物資不足
丞相諸葛亮連年出軍,調發諸郡,多不相救
今民貧國虚 決敵之資 唯仰錦耳
(諸葛亮集)
豊かなのは絹だけ。
11 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/21(月) 19:23:38
結論としちゃ
・1州としてみれば非常に裕福で、俗に言う631の力関係よりはマシだった
ってことで終わりだよね
このスレいらなくね?
せっかくだから蜀総合スレとして使おう。
人口が後漢健在時の724万人から一割強に低下、だからな。
豊かどころかすごい荒廃っぷり。
中原と比べて大規模戦乱に巻き込まれた例は少ないのにこの人口減少だからな。
>>13 益州には流民が入った記述がかなり多いけど人口が増えてないってことは
荒廃よりもむしろ豪族が荘園作って私有民化してる方が多いと見るべきでは
無論乱世による人口逓減もあるが
>>13 実は劉焉・劉璋父子時代は内乱の連続だったんよ。
劉備が来て内乱は落ち着いたけど、今度は外征が。
君たちわざと馬鹿なフリして人を釣ろうとしてるんだろう?
>>17 まぁ堅いこと言わずに前スレを埋めようや?
土地は豊かでも日照時間が短いので生産力は低いよね。
日本の年間平均(2000時間)の半分しか日が当たらない土地なんだよ、益州って。
というか農業生産に向かないから、土地が肥沃なままでいられるんじゃね。
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/21(月) 22:19:39
>>7 劉備が天下統一の夢半ばに崩御し、いま天下は三つに分かれているのに
益州は(劉備を失って)気力を失っている。 これ誠に国家の危機である。
>>8 蜀の兵糧備蓄が全体で四十餘萬斛しかなかったというのは、誤読が元の盛大な勘違い
この勘違いを認め改めない限り君たちは進歩しない
米四十餘萬斛,金銀各二千斤,錦綺采絹各二十萬匹
というのは、降伏時に成都に残っていた物資量でしかない
いや、正確には"「蜀の申告はこうだった」という情報"かな
まぁとにかく、「降伏時に成都に残っていた物資量」であると正しく認識することだよ
>>9 丞相諸葛亮連年出軍,調發諸郡,多不相救,乂募取兵五千人詣亮,慰諭檢制,無逃竄者。
諸葛亮が諸郡に「これだけ出せ」と要求しても、諸郡はその通りに出せなかった
その理由は兵の逃亡
連れて行こうとしたら途中で逃げたんだ
戦争続きで兵は「オイラもう戦争なんて行きたくねぇ」とモチベーションが低下していたんだな
そういう意味で"疲弊"していたんだ 心神の疲弊というわけ
呂乂は徴兵された者達を慰め諭し取り締まったので逃亡する者が出ず
他郡と異なって諸葛亮の要求通りに兵を出せた という話
>>10 亮集のそれは入蜀直後のものだろう
「魏と決する」=「魏打倒を果たす」その金銭的拠り所は、ただ絹を仰ぐのみ
入蜀後、国家計画として
国際競争に勝利する為の武器として蜀錦を殖産していこう
という方針を示したんだよ
>蜀の兵は人口に比べて多すぎ? (前スレ)
領戶二十八萬,男女口九十四萬,帶甲將士十萬二千,吏四萬人
蜀の94万は成人人口だから
男女比を4:6ぐらいとして、男37万6千人
5:5だと男47万人
兵士10万2千人は成人男性の27%〜22%ということになる
>>19 成都の名は『一年で邑が成り、二年で都が成る』の古語に由来する
飢饉がなく肥沃で物産豊かな土地だった
>>18 要らんスレなんて腐るほどあるんだから
前スレはネタ拾い用にしばらく残しておいても良いんじゃない?
>>21 じゃ、十万も成都にいたんだ?
違う書からの引用だとは思われるが並列表記されている以上
ある程度基準は一緒と見るべきでは?
>>27 又遣尚書郎李虎送士民簿,領戶二十八萬,男女口九十四萬,帶甲將士十萬二千,吏四萬人,米四十餘萬斛,金銀
各二千斤,錦綺采絹各二十萬匹,餘物稱此。
"市民簿"に財政関係の記載があると思うかい?
平素国政の為に用意してあった市民簿と
降伏の誠意を示す為に現在の成都の物資量を調べた帳簿を提出したのだろう
>成都
時間的にみてそれ以上の統計調査は無理
首都を丸裸にしたというだけでも充分誠意は表せる
>>13-14や19に対しては反論が幾らでもあるんだが、
「蜀は徹頭徹尾朝廷臣民に至るまで豊かだった(キリッ」
のためには幾らでも曲解を辞さない人が頑張ってるので混ざりにくい。
>>28 だから、別資料から引っ張ってるんだろうけどって言ってるじゃん
つまりこれ「どこの資産なのか」ということは注意深く様々な史料を当たってから判断すべきなのに
根拠も無しに「誤読」と斬って捨ててるお前の態度が気に入らない
2から6にかけてすごい電波だなw
どこの資料から引用したんだよ
水経注などから
仮に蜀が魏より豊かだったとしても、結果的に魏に滅ぼされたのは、人材的に
豊かじゃなかったからかな。魏からの投降組が主力だったし。
人材が豊かかどうかと、国の興亡は実はあまり関係ない。
都合悪い史料は、誤読どころかだたの妄想とイチャモンで貶めようとして失敗するしかない奴が、蜀は豊かだと泣き喚いても誰も納得してくれないってまだ気付かないの?
実は蜀の疲弊っぷりを証明する史料を集めたくてわざと馬鹿やってるんじゃないだろうな?w
>>23 ソースは?w
お前さんの言い分は結局だろう、という妄想しかないじゃん。
蜀の末期財政についてもしかり。
それじゃ説得力皆無で当然。
妄想でいいようにいいように解釈しても史料に勝てるわけがないw
>>21 つまり首都でさえそんだけの備蓄が無いほど貧しかったと。
略奪を受けたわけでもないのにその程度とは、じゃあ地方の困窮もそれぐらいかそれ以下だったんだろうなw
39 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/22(火) 14:02:05
諸葛亮存命中は、豊かだった?
死後、姜維の北伐や政治腐敗で急速に衰退して行ったとか
>>39 丞相諸葛亮は毎年のように北伐を繰り返し、諸郡から人員・物資を徴発したものの不足することが多かった
呂乂伝より。
劉焉から劉備時代まで、他所の連中が流れ込んできたが、
こいつらは軍を基盤として生産にあまり寄与せず、むしろ略奪したり内乱起こしたり(東州兵なんか)おいたばかりしたからな。
>>23 方針じゃなくてはっきりと民貧國虚と明言しているじゃん。
その上で頼れるのは絹しかない、といってるんだから。
毎度思うんだが、そういうデタラメで仮に史実より蜀が豊かだった、と他人を騙せたとしてお前に何の得があるんだ?
>>42 きっと絹は高級品だから蜀は豊かなのだと言いたいのだろう。
諸葛亮伝に、南方の物産で豊かになった、とあり。
ショウ周の降伏意見表明で恨まれている、とあるから。
相当収奪したんだろうな。
>>43 贅沢品ばっかり作って、食糧生産をおろそかにしていたんだろ。
農耕に適した働きざかりの年代は人口に比べて異常に肥大した軍隊に取られているからな。
絹は食い物にならん。
一方で金銀の少なさも往時の見る影もない。
絹貿易に失敗したか、ひたすら死蔵していたのか。
異常に多い兵士については「一州で養う数じゃない」と諸葛亮もこぼしていたし。
官吏についても多すぎる。諸葛亮伝に「官職を約し」とリストラをうかがわせる記述があるが、この人数だとうまくいかなかったのかもね。
いずれにしろ呉と同時攻撃かけた時でさえ魏に跳ね返されているわけだから、国力の差は圧倒的だったんだろうな。
>>45 絹は冬の産業
農閑期の副収入
桑畑は一般の米作、麦作、畑作が出来ないところに作るので
食糧生産を疎かにするもんでもない
>>47 圧倒的、というわけでもないと思うが
呉側の侵攻は孫権が曹叡の虚虚実実な駆け引きに惑わされている事しばしばで
お前何しに来たんだよってな事結構あったし
しかし蜀は漢の正統はこっち、とぶち上げたから苦しいからって戦争をやめることができない。
呉のように形式的降伏で一時やり過ごす、さえ無理。
孫権即位時でさえ、現実を見ない同盟破棄論が湧き上がるぐらいだからな。
一人あたりが豊かでも戦争は数だしなー
>>47 諸葛亮は平気でリストラするタイプだから、諸葛亮死後の40年で官吏がずるずる増えていったんだ。
>>52 むしろ諸葛亮は将軍号を無節操に丞相府の属官にバラまいたり、
丞相府の属官を増やしまくったり、官位に関してはかなり気前が良かったよ。
>>53 その分丞相府の外にはかなり渋ちん
気前がいいんじゃなくて単純に統治体制の形
桓階は侍中尚書令だが晋代まで高官の一族となったし、
陳羣・陳泰は言わずもがな。
陳矯は陳騫の父、徐宣は侍中光祿大夫で三公待遇の葬儀で送られた。
衛臻は三公歴位、盧毓は漢魏晋三代の名族。
薛悌の魏郡太守・尚書令が最高経歴なら、ちょっと見劣りする。
なんかおかしいと思ったら誤爆してた。すまん
>>55
>>31 やはり盛大に勘違いしているだけあって、なかなか誤った認識が抜けないね
>根拠も無しに「誤読」と斬って捨ててるお前の態度が気に入らない
〜,餘物稱此。
「降伏時に残っていた物はこのようだった」で閉めてあるにもかかわらず
君らは残存量を備蓄量と思い込んでいる
誤読でなくて何だい?
民・将士・官吏が「餘物」でないのは明らかだ
また、米・金銀・絹が「市民簿」に載っていないのも明らかだ
別々なのは一目瞭然
「じゃ、十万も成都にいたんだ?」となる事自体文章が読めていない
内容に時間的共有基準がない事実は表記のされ方なんかでは動かない
王隠が適当に手抜いたんだろとしか言えない
が、あれで充分
文章というものは、紙の上に読むんじゃなく、
イマジネーションの中の立体世界で読むものだから
必要な構成部品・判断を分ける材料 となるワードがあれば足りる
ここの連中は想像力(創造力ではなく)が欠けている
だから文章を読む力がない おまけに謙虚さもなく誤った認識が先入したら始末が悪い
それが「曲解」などという言葉を発させるのだろう
>つまりこれ「どこの資産なのか」ということは注意深く様々な史料を当たってから判断すべきなのに
もう言う必要ないと思うが、
「“餘物”」×「短時間」だから、「したこと」は限られている
これが判断材料だ
が、君が「様々な史料」とやらを探すのを止めはしない 頑張ってね
58 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/22(火) 21:07:01
蜀豊君は勝手に資料を曲解した挙句、捏造誇張がひどすぎる
蜀が魏や呉より豊かってずっと言い張ってるだけ
>>36 君は真性のようだな
都合の悪い資料などおそらく存在しない
いいかい
「蜀は貧しかった」というのは君の思い込みに過ぎないんだよ
いい加減に己の立場を理解したらどうだ?
君は正論をイチャモンと呼ぶことでしか自分の主張を守れない
>>57 もうバカな振りして釣りするのやめたら?
真性ならどうしようもないが
バカは君だよ
>>57 併記されている以上、関連性を考えるべき
ちなみに漢文では「物」は「内容」「内訳」という意味があるし人にも使う
(物我→人々と自分)
「民・将士・官吏」これも「餘物」な
辞書くらい引け
イマジネーションは重要だが、それに頼っていいのは理を詰めた後だけ
漢文も読めないくせにイマジネーションだけで読み解くと大恥かくよ
>>57 最後の残存量が、降伏時の備蓄量でしょ?
何が違うの?
北伐は蜀が金余って仕方ないからやってたとかは思いこみじゃないのw
>>59 駄洒落っすかwww
蜀が豊かと否定され、蜀だけにショックとかwww
>王隠が適当に手抜いたんだろとしか言えない
すごい妄想ですねw
>>68 「残り」「余り」「今の存在している」
これも人に使う
餘子→長子でない嫡子
そもそも財のみを表す時は「餘財」という適語があるのに態々「物」を使ったってことはちゃんと意味があるってことだね
>>37 >ソースは?w
笑ってるがソースって何の?
読んだままとしか言えないな
>蜀の末期財政
これもだな
あれは財政ではないぞ
>史料に勝てるわけがないw
君が資料を正しく読めていないだけだ
意味も分からず貧しかったと妄想しているに過ぎないんだよ
本気で言ってるならかなり格好悪い
それだけ豊かなのになんでどの群雄も蜀の地を狙わなかったんだろうね
なんでそれだけ蜀は豊かだったのに劉備がイリョウで負けたぐらいで財政が破綻するの?
都合が悪くなったら資料が正しく読めてないと逃げるなw
>>40 >不足することが多かった
誰の訳の受け売りか知らんが
その箇所だけでは当たりともハズレとも言えない
文意が伝わってこないからね
続きを読むことで初めて意味が正しく分かるのだ
君は文章が読めていない
>>22へ戻ろう
ここって今まで聞いたこともない珍説を蜀は北伐しても豊かと言い張ってるやつが垂れ流してるなw
>>69 なるほど、北斗の拳とは
しかし、諸葛亮の伝を見ても度々食糧切れと出てくるね
木牛の運搬車を使っても間に合わないとある
>>42 入植直後は民は貧しく(
>>2)、国庫も空だった(劉巴伝)
「今民貧國虚」は方針ではなく前フリだ
>>23へ戻ろう
デタラメなど無い 毎度君の虚妄と不遜が正論をデタラメに見せるのだろう
進歩しない奴だな
×入植
○入蜀
進歩しないのはお前だろ気違い
>>77 丞相諸葛亮連年出軍,調發諸郡,多不相救
要するに諸郡から挑発しても足りなかったってことだろ?
お前こそちゃんと文章読めよ。
>>79 食糧切らしたのは第4次の1回しかない
原因は一応長雨ということになっている
(李厳の怠慢という説が強いが)
>>82-83 呆れるばかりだ
>>46 成人男性の27%〜22%
女性含む労働人口の10.85%
って異常に多いか?
>>47 >異常に多い兵士については「一州で養う数じゃない」と諸葛亮もこぼしていたし。
聞いたことないな
2次も切らしてるだろ
あれは持っていかなかったのだ
予定通りの行動
負けることわかってて攻めたということか
まーた蜀豊君か・・・
>>84で嘘を言い
>>87で苦しい言い訳
結局、蜀はロジスティクスが弱かったのは確定されたし
というか1次は長期化する前に街亭で惨敗したので撤退した,
3次は長期化する前に相手が撤退した,
5次は諸葛亮本人が死亡したので撤退したのだから,
逆に蜀側に食料が十分にあったとする根拠もないのでは?
>>89 嘘など言ってない 言い訳でもない
中身を知れば分かることだ
ロジスティックスが弱かったといより蜀道の険があったと言うべきだろうね
>>90 君が蜀を貶めようとしているのが丸わかりだなw
ところで
>>47 >異常に多い兵士については「一州で養う数じゃない」と諸葛亮もこぼしていたし。
こんなウソ吐いてまで蜀を貶めたいのか?
相当なアンチだな
>>93 出典は「後出師表」だな。
文書自体の真偽を問われているのは別として。
どの箇所だよ?
蜀を貶めようとしているって・・・・・
被害者妄想がひどすぎる
資料から考察して疲弊していってるのがわかるだろうに
逆に蜀が疲弊してなかった根拠や豊かだったという根拠を示してほしいよ。
こっちはさんざん示したんだからさ。
>>91 じゃあ蜀の険があるからと言ってるが、険があっても計画的に倉庫を造って運搬すれば何ら問題もない
後出師表を根拠として語るのかこのスレは
>>96 誤読・誤解・曲解・勘違い・思い込み
であるのが次々明らかになっていってるけど?
>>97 疲弊してたよ 心身が
蜀が豊かなのは常識だよ
根拠は前スレに留まらずこのスレにも出てるじゃないの
>>98 してたさ 国内なら
だから成都の兵糧はそう多くない
>>99 後出師表の中にもないけどね
彼は誤読している 今頃気付いてるんじゃないかな
蜀が豊かがなのは常識w
そんな蜀も度重なる無謀な外征でどんどん疲弊していきました、めでたしめでたし
>>100 >蜀が豊かなのは常識だよ(キリリッ
キタ━━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━━!!!!!
>してたさ 国内なら
だから成都の兵糧はそう多くない
で、兵糧が少ないのに豊かってあり得ない
常識とか定説とかそんなもん
何かを検証しようとする時には邪魔なだけ
蜀が豊かと信じてる奴は北朝鮮の高官や軍人と同レベルだな
蜀は心身とも疲弊していた
そりゃそうだろうな、度重なる北伐で戦費を蜀の住民が負担するわけだし重税にあえぐ
しまいには蜀の蔵には金銀兵糧の蓄えはわずか、絹だけはあったというありさまだし
蜀が貧しかったと言い張る奴はムーミンをカバと言い張ってるようなものだよ
経済的に豊かなのに心身だけが疲弊するってのも変な理屈だな。
心身の疲弊と経済的困窮は切っても切り離せない関係にあるのだが。
金銀については最後にする
>>109 えーと、ほら、世界一の大富豪が孤独で疲弊してるような?
バカな話だな
>>109 日本は世界的に見てかなり豊かだが
国民の活力という面では途上国に劣る
君は何も得れれないのに数ヶ月に及ぶ全長5〜600kmの大遠足に毎年のように行きたいか?
大黒柱の不在が続くことになる家族も喜ばないだろう
毎年のように行かされたら心が疲れそうじゃないか?
それでも、日本は例え貧乏人でも平均的な諸外国の暮らしより
随分恵まれた暮らしを送っているんだよ
蜀の豊かさも日本ほどではない
戦争の疲れも遠足の比じゃないだろうしね
何も得られないのに数ヶ月に及ぶ全長5〜600kmの大遠足に毎年のように行ったら、
半端じゃない金がかかるだろうが?その金はどこから出る?
そんな事させてたらいくら金あっても足りんぞ?
それを数万単位でやってたら、すさまじい勢いで金を使っていくだろうな。
お前は根本的に戦争が金がかかるものと言うことを理解してない。
そんな事してたら心身も経済も疲弊する。
>>112 無報酬じゃないがプロ野球選手やJリーガーは当たり前じゃん
メジャーリーガーなんて更に酷
出張の多い外資系企業だってあるぞ
南極調査とか自衛隊派遣とかいろいろね
ファンは離れるし、フロントはやる気ないし
>>100 お前が都合の悪い史料を誤読云々だと思いこみたいのは勝手だが。
説得力が全くないから誰にも相手にされないわけだが。
たとえば降伏時の財物が首都限定だったとしても、40万コクじゃ官吏郡さえ食わせられないわけだが。
つまりお前の妄想どおりだったとしても貧しいという結論に変動は無理w
121 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/23(水) 12:35:22
蜀豊(1990〜)
日本国三戦板省の生まれ。
漢文の恣意的な読みを特技とする。
>>120 俺も蜀降伏時の目録の財物は成都にあったものだと思うが、
金銀と穀物は一国の中央政府が国庫に蓄えておくにはあまりに少なさすぎる。
蜀が経済的に破綻していた証拠だと思う。
つうか成都だけ、だとすると今度は織物の量が異常すぎる。
降伏時に送ったタイミングといい(その後だと、鐘会の反乱未遂とかで調査どころじゃない)、
明らかに蜀漢全体が把握していた量だろ。
>>123 蜀全体の保有量だとすると、ほぼ完全に金銀と穀物は尽きていたことになるね。
成都の国庫だけの量でも少なすぎるくらいなのに。
錦の量だけが異常に多いとしても、錦の増産を国家的事業として推し進めてきた国が、
デッドストックとして長年蓄えてきて使う機会が無かったからと考えれば不思議ではない。
敵に対して人口が少なすぎるからな。国力・軍力の基盤全てが弱い。
蜀の二倍ほどあったとされる呉でさえ、兵力不足に悩んで海外への人狩りに出たぐらい(結果は無残だったが)。
占領地の住民を強制移住させた程度じゃおいつかないだろう。
まともにやって勝てないなら奇襲奇策しかないが、諸葛亮はこれが苦手で、部下の提案も拒否し続けたし。
部下の提案を拒否したのは奇襲奇策だからじゃなくてその提案が成功率低かったからだ
まともにやって勝てなくて奇襲奇策なら勝てるという思考も謎だが
奇襲奇策なら当たり前に勝てるのならみんな奇襲奇策やっとるわ
手は無い、といってる程度なのに孔明贔屓の脳内ではそう変換されるのかw
それはさておき、魏延の長安奇襲は第一次北伐で仕掛けるしかないよな。
韓信が陽動と奇襲で秦側の防備を破った戦例は知られているだろうから、二次以降は警戒される。
実際、そのルートである陳倉は防備固められ、数万の軍勢を持っていた孔明が僅か一千の魏軍に撃退されている。
孔明は人々を治めるのは得意だが奇謀は苦手、というのはむしろ陳寿評や諸葛亮集にも載っている古典的な評価だからな。
劉備存命時はこのあたりを担当していたのは法正らだが、その後継者を得られなかった。
129 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/23(水) 18:04:28
>>126 奇襲奇策は成功率が低いから奇襲奇策なんだが?
まともにやって勝てないから奇襲奇策なんだが?
当たり前に勝てないから奇襲奇策が必要なんだが?
蜀軍の兵力・食糧(兵站)が分隊出すのに耐えられなかったのでは?
魏延を別働隊として離したら、頼みにできる武将がいなくなるじゃん。
正史にも魏延の武勇を頼りにした旨は書いてあるし。
奇襲については魏略にあるようなトンデモ作戦ほど博打だったかは疑問だが、
本隊による地道な攻略を好んだ孔明にとっちゃ主戦力外すなんて論外だろう。
まぁ、結局魏延や呉イといった叩き上げを第一次では信用せず、馬ショクなんかを要地に向けて負けているけど……。
132 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/23(水) 18:38:09
孔明は石田三成に似てる、謀略が無く生真面目なところも内政得意の計算家で官僚臭い所も
魏延は清正や正則に似てる
蜀の豊論は妄想で思い付き
○蜀は軍事大国である
↓
・食糧切れで何度か撤退してるよ
↓
○4次だけな
↓
・2次もだ
↓
○あれは計算のうち
>>133 2次は食料切れたんじゃなくて援軍が来たから帰っただけだってば
そこは勘違いしちゃいけない
戦下手で兵站、政治が得意なところが石田三成に似てるとよく言われてるな
>>131 まあ、諸葛亮が魏延に単独行動をほとんどさせず、
いつも自分の軍の副将的ポジションに置いたのは、
歴戦の野戦指揮官魏延抜きで、
文人上がりの諸葛亮が戦うことができなかったからだろうね。
>>120 ひとの話を少しは聞こうね
都合の悪い資料などおそらく無いと言ったよ
俺に説得力がないんじゃなくて、君に理解力がない
ラジオの聞こえが悪くなったら放送局より手元のラジオを疑おう
>貧しいという結論に変動は無理w
もう分かっているが、君の頭じゃ無理だろうな
>>122 「蓄えておく」ではなく「残存」ね
金銀は後に回すとして、米
国庫って何だろう?
今で言えば国家予算かな
日本中の税金(国税)が現金で東京に集められるかな?
集まるのは数字だけだろう
それが国庫
現物が何処にあろうと国庫であることに変わりはない
もちろん首都には物資が集められる
しかしそれは目的があってのことだろう
貴重な金銀、重要商品である絹は管理が目的
しかし米にはこれといった目的がない
成都は前線から350〜400kmも離れ、軍事的重要度は低い
攻められるおそれがないのに兵糧を貯め込んでも仕方がない
米は攻めるも守るも中心な漢中に集まる
成都から漢中へ送るには峻険な蜀道を渡さなければならず
有事になってから緊急に前線へ兵糧を送っていたら
不慮の事故で送れなくなってその為に敗北するという危険がある
また前線で戦争しながら後方から一局的に兵糧を300kmも離れた地へ輸送するというのも
大変な人的負担だろう
平素から輸送して前線に貯め込んでおけば輸送の危険・加重負担を回避できる
米を成都に"集めない"目的が存在するのだから
成都に集まってなくても全く不思議じゃないだろう
「首都には米が集まるもの」という思い込みがあるんじゃないかな?
その思い込みを正すのが理解への近道
どうして首都に米が集まるのか(そう思っているのか) 考えていくといいと思う
それでも四十餘萬斛は少ないと思う
俺の考えはこう
兵糧の多くは漢中に蓄えられ、もともと成都の備蓄は少なかった
諸葛瞻が出るとき乾坤一擲とばかりに成都の兵と兵糧を殆ど持っていった
残った米が四十餘萬斛
>>136 それも違うだろう。魏延贔屓が過ぎる。
歴戦の〜とは言うものの、諸葛亮も蜀平定に参戦している。
魏延の功績の方も微妙。むしろ諸葛亮時代の方が目立った功績がある。
というか軍事能力に疑問が残る人物を後方に残しはせん。
劉備が反抗勢力を切りまくって(劉曄伝)、ようやっと基盤を固めたと思しき頃だしな。
魏延の奇襲奇策は成功率が低いのではなく、成功率がないのが問題なんじゃないか。
長安を取るには幸運が必要ってレベルじゃない。さらに潼関で諸葛亮と合流するなんて、正気の案じゃない。
正史だろうが魏略だろうが、魏延の案は正直お粗末。
奇襲奇策はともかく、その成功も、その後の案も運任せ、じゃ劉備でも蹴るわ。
>>123 そのタイミングだからこそ、成都のものと言えるのだろう
明らかに、誤った思い込みのまま思考が停止している
>>125 呉は蜀の2倍では苦しいだろうな
魏の中央に近く、前線も長い
主要都市も浅い場所にある
>まともにやって勝てないなら奇襲奇策しかないが、
まともにやって勝てないことはないから以下は意味がないな
>>137 手元のラジオを疑うねぇ?
送信出力が低い局
送信所から受信端末の距離
大気変動で受信状態が変動
無線やヘリコプターによる妨害
アンテナ受信範囲と向き
そして最後に受信感度
と様々なんだよね〜
ラジオの勉強になったね〜よかったよかった
>>128 簡単な話、陳寿に並外れた思考力がないと諸葛亮のことは理解できない
俺はその評価を陳寿が何にも分かっていない人間だからだと思ってるよ
陳寿陳寿と有り難がってるが
陳寿は、喩えるなら
野球をしたことも見たこともなく、もちろん監督としてチームを率いたこともなく、
ただ単に簡単な野球観戦記を読んだだけの、自称野球博士に過ぎない
その自称野球博士が上辺のスコアで あーだこーだ 言ってるだけ
まぁ悪意は無いんだろうけどね
>>143 君のラジカセがポンコツなのはよく分かってるつもりだ
>>131 いや、魏延の作戦自体は悪くない
魏略のあれもおそらく本当
魏略は諸葛亮を貶めるのが好きだから魏延の言葉を曲げる必要がない
それでその作戦だがトンデモじゃないよ
魏延って実は頭が良い 文長の名は伊達じゃなかった
>>144 あなたは並外れた思考力があるから諸葛亮の戦略を理解できるんだな
なんで陳寿ばかりがあんなに盲信されるんだろう
評を語ってるのは陳寿以外にもたくさんいるのに
陳寿が言ってたから、陳寿が、陳寿陳寿ってお前ら陳寿教信者かとつっこみたくなるくらい
内容で判断するのなら分かるが陳寿が言ってたからとか思考放棄に見えるよ
総司令官が優秀な部将を必要とするのは当たり前のことだと思うが
にしても黄権は正解
泥沼へと転落した蜀から逃げ出し魏へ行ったからな
司馬仲達の孔明評
・孔明は考えることは大きいが時機を見ることを知らない
・孔明は様々画策するが決断力がない
・孔明は戦いが好きだが臨機応変の才がない
まあ北伐の話とかしだしたら脱線するからとりあえずおいとけ
蜀豊は否定するだけで蜀が疲弊してないという資料を一切提示しないな
>>145 まぁ田舎者の君に必要ないこと教えてあげちゃったな〜
>>157 疲弊は心身の疲れ(キリリッ
なんかポルトガルvs北朝鮮で北朝鮮の実況を思い起こす
ポルトガル先制したら、長旅で疲れてるんだよ・・・
以降
ポルトガルが点を取るたびに北朝鮮の実況が黙り込む
蜀軍が何度も北伐できたのは、豊かだからじゃなく、敗走してないからでは
ないでしょうか。兵の四散、武具、食糧を置いたままの撤退とかがなければ、
何度でも北伐できそうな気がします。
戦争やるには莫大な戦費が必要です
成果のない戦争やってればいくら豊かでも疲弊していきます
こんなこともわからないのか?蜀豊は
国民の数パーセントになる成年男子が今の仕事を放り投げて半年の徒歩遠足にいく。
それを三年おきに繰り返すとする。
何度繰り返しても貯金残高が減らない家庭がどれほどあるだろうか?
政府が遠足の支度金衣食住をまかなう場合、どれほどの財政出動が必要だろうか?
その出費を絹で賄う場合、絹を買う購買力を持つ人間が必要になる。
定期的に働き手を取られる国民に、嗜好品を買う「貯金」がどれだけ残っているだろうか。
魏呉に売るのだろうか? 西域と交易していたのだろうか? その証は?
生産力と購買力が落ち込むと貨幣価値が下落し、いくら銅を生産しても貨幣経済は混乱していく。
諸葛亮の存命時はまだ手腕と公正さと権威によって保たれていたが、
死後に綻びが生まれ、呂乂などが修復している。
姜維が大規模北伐を再開し、実被害も抑えられないようになると、
諸葛亮死後に蓄積されていた統治の緩みと相俟って
疲弊を慮った反対論が起こるようになる。
しかし時遅く魏の侵攻を受け、滅亡に至る。
こういう流れ。
まあ、戦略的には姜維の北伐に理があるとは思うけど。
だからこそ政治って難しいね。
165 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/24(木) 09:14:17
呉に蜀の貨幣もあったようだから
蜀と呉で貿易はあったみたいだな
>>134 二次も食糧つきた、と明記してあるぞ。
陳倉囲、曹真之拒、亮糧尽還
正史すら読んでないのはもうわかっているから、とりあえず明白な嘘や妄想はやめろ。
>>139 それは首都が軍事のみならず政治経済の中心だからだよ。
それに軍事的に考えても、例の漢中盆地にあえて敵を入れて、援軍で包囲殲滅するという防衛下げ構想が通った後。
むしろ敵の手に渡すことをある程度前提にした地域に食糧をわざわざ大量に集める必然性が低い時期。
姜維軍は政争絡みで屯田状態だから恐らく国庫からはほとんど消費していない。
諸葛瞻軍の兵力はつまびらかではないが、もし国庫がそれなりにあり、かつそれを空にするほど持っていったとするのならたった二戦で壊滅した脆さが説明できなくなる。
俺はこの話は、降伏時に蜀漢政府が把握していた人口・国富説寄りだけど、首都の蓄財で全体の指標とするのは別に的外れじゃないと思う。
王平伝によると、曹爽が歩騎十余万を率いてきたとき、守備していた漢中の蜀軍は三万だったとある。
防衛線を変更した後はさらに少なく、楽城など各拠点には千とかのごく少数の軍しか置いてた記録がない。
>>165 といっても蜀の直百五銖銭は発掘量全体の1、2%かそれ以下で、
魏での流通があったことはわかっても蜀の財政を賄うほどの定期的大規模な交易が行われた証明には遠いだろう。
蜀の一般庶民の心中
建前「蜀が天下とれたらなぁ」
本音「こんな貧しい国家、やってられねぇ」
「このまま魏に平定されたほうがマシじゃ」
>>168 確か、漢城と楽城には五千いたはず。
鐘会はそれぞれを一万で包囲すると言う冒険をしている。
ただでさえ削減された漢中軍を、各拠点に薄くばら撒いてしかも後方との連絡はグダグダ。
もう軍としての全体機能が低下していたんだろうな。
漢中全体を防備する経済的負担に耐えかねたのか。
>>172 経済的負担と言うよりは、北伐で多くの兵を失った姜維が、
漢中軍から兵を引きぬいて自分の軍に編入したのが原因ではないか?
防衛ラインの後退もそれに伴う措置だろう。
あと、あまり注目されてないが、蜀滅亡前の数年間、督漢中は空席。
漢中防衛の責任者がいなくて、兵力は削減されて、
拠点を維持するのがやっとの状態。これではどうにもならない。
>>161-162 162より161の方が考え方が正しい
「戦争は莫大な戦費が掛かる」とよく言われるが
162は何にお金が掛かるのか考えなきゃいかんね
訳も分からないままただ他人の受け売りをしているとしか思われないよ
>>163-164 私算では蜀の民は180万人ぐらい居た
全ての兵を連れて行くわけではないから、半分の5万として
2.77%ぐらいになるかな
兵は遠征費を自費負担するわけではないので家庭の蓄えは減らない
農民は自給しているので生活面での出費もない
仕事は未成年も手伝うし、数軒で助け合っているのでカバーできる
164は出鱈目だよ
何も生産しない「失業人口」が定期的に2%も上昇すると経済はどうなるのか。
その2%の生活費を工面することを国家はそうやすやすと出来るのか。
その間生産力が激減する農家の保障を誰がするのか。
古代とは比較にならないほど安定している現代社会に当て嵌めて見るだけでもぞっとする話。
遠征には甲兵だけでなく多数の人夫が徴発される。漢中へ穀物を運ぶのも一大労役。
それを遠隔地まで持って行くのはさらに数倍の負担となる。だから五次北伐では10万の衆が動員された。
そもそも2%を算出する人口180万が論外。劉備即位時の人口と晋代統一期の戸数を見れば良い。
>>166 俺と勘違いしたか? 別人だよ
俺のレスは
>>148 晝夜相攻拒二十餘日,亮無計,救至,引退。
魏略にある
まぁ魏は追い払った事にしたいんだろうけどね
>正史すら読んでないのはもうわかっているから、とりあえず明白な嘘や妄想はやめろ。
人違いしたとは言え、
>>134は魏略にあるから「明白な嘘や妄想」ではないね
明帝紀も読んでないらしい君が「正史すら読んでないのはもうわかっているから」なんて
偉そうに他人(ひと)に言うというのは面白いな
「運河や宮殿を建設するだけのほとんど人が死なない簡単なお仕事です」なら、国家も民衆も根本的には疲弊しない。
戦争も人が死ななければ同じ。
魏が蜀にどう攻めたかは知らない
ただ北伐にて道の険阻があって運搬は上手くいかない
とあったが、当然魏が蜀に攻め入るのだから険阻があり運搬も上手くいかなかったはず
なのに本拠の成都まで兵を進めることが出来た・・・
ということは、魏側のコストで蜀のインフラ整備を行った可能性があるかも知れないな
ってことか?
今度は勝手に私算して蜀に180万人人口がいたとか蜀豊が捏造しだしたよw
>>179 ケ艾は道なき道を進み、
鍾会は兵站途絶して危うく撤退するところだったけど。
>>167 >それは政治経済の中心だからだよ。
その通り 成都には穀物が沢山集まっていたはずだよ
ただしそれは市場や豪族のストックとしてね
目録は官庫のものだ 民間の保有量は数に入ってない
成都には大量の穀物が集まっている
それだけに官庫の蓄えはあまり必要がない
成都がいざ戦場になっても民庫の物資を供出させれば
何万もの兵が持久できるのだからね
>例の漢中盆地にあえて敵を入れて、援軍で包囲殲滅するという防衛下げ構想
漢城・楽城・西安・建威・武衛・石門・武城・建昌・臨遠に備蓄されたのだろう
それに漢寿に遷りはしたが本営に多くの兵糧を集積したのは変わらなかったと思うよ
>姜維〜屯田〜、国庫からはほとんど消費していない。
屯田で軍隊の食をすべて賄うなんて多分無理
江戸時代、9割が農民だった
輸出していたわけではないから食糧は全量消費されていたことになる
9割の人間が日中食糧生産に従事して、10割を養ったわけだが
腹一杯食べれた人間は多くない
そのままというわけにはいかないが
これを軍屯に置き換えたらどうなるだろう
たとえ兵の9割に年中農作業をさせたとしても、全軍を満足に養う事は出来ない となる
>二戦で壊滅した脆さが説明できなくなる。
諸葛瞻軍が弱かったからだろう
兵糧沢山持ってたらその分強くなると思うの?
>>178 心身が疲弊していたですかw
戦争には戦費(兵糧、金銀、絹、武器、馬、人夫その他諸々)使います。
兵糧は兵士が食べれば減るし、金銀も武器兵糧馬を用意すれば無くなっていきます。
人夫を雇うのも同様です。
蜀には無限の金銀兵糧があるんですか?
>>176 >その2%の生活費を工面することを国家はそうやすやすと出来るのか。
多分出来るんだろう
>その間生産力が激減する農家の保障を誰がするのか。
仕事は未成年も手伝うし、数軒で助け合っているのでカバーできる と書いたよ
>遠征には甲兵だけでなく多数の人夫が徴発される。
兵は5万も行かなかったかもね
倍で10万 なら資料に載るだろうしね
>漢中へ穀物を運ぶのも一大労役。
だから普段から運んでいたと言ってる
>それを遠隔地まで持って行くのはさらに数倍の負担となる。
"お弁当屋さん"が重宝されるだろうな
>そもそも2%を算出する人口180万が論外。
いやぁ実はそうでもないんだよ
>>175 蜀に180万人もいたなんて説は聞いたことないから,
ぜひその私算とやらを披露してくださいよ。
>>186 いいけど、ここの連中の様子見てたら理解できないんじゃないかなと思える
お前らがゴミだろw
>>190 どうぞしてください、今まで聞いたこともないような話なのでぜひとも勉強したい
蜀豊、現在思案中w
>>190 >>184の意見についていかが思われますか?
そろそろ戦争には莫大な資金と食料が必要になることを理解してください。
中国の歴代王朝の戸籍録は古くからあるが
その内容は実はよく分かっていない
ただし、唐については子供まで戸籍に入れた事がはっきりしている
晋が天下を統一した280年
晋
戸:二百四十五萬九千八百四十
口:千六百一十六萬三千八百六十三
1戸の平均=6.57人
蜀を滅した263年
魏
戸:六十六萬三千四百二十三,
口:四百四十三萬二千八百八十一
一戸の平均=6.68人
これらの1戸当たりの平均人数の数値は
子供も数えたことがはっきりしている唐の「約6人」と近い
これが正常だろう
一方、「男女口」である蜀呉は 蜀3.36人 呉4.34人 と
唐の数字とは懸け離れている
戸の核である夫婦「2」を引けば
老父母・子供合わせて、平均1.36人 ・ 2.34人というあり得ない数字だ
これを見ても「男女口」が"成人人口"であるのは間違いない
更にこの説の補強材料として挙げれば、
280年の晋の戸籍が
戸: 245万9840戸
口:1616万3863人
「男女口」を年齢を問わない人口とするなら
280年の呉、263年の魏蜀の戸数及び人口をそれぞれ合計すれば
戸数:146万6423戸
人口:767万2891人
呉は同じとして、魏蜀は17年の間に
戸数:99万3417戸
人口:849万0972人
増加していることになる
これは豪族の私民、兵戸、流民などが戸籍に加入した為と考えられるが、
問題は、増加した戸・人口から割り出せる"17年で増えた戸の「1戸当たりの平均人数」"で
これが 平均8.55人 というとても高い数値になる
仮に、蜀呉の戸数に魏晋に近い6.6を掛けたものを正しい人口とすれば、それぞれ
蜀の人口 184万8千人
呉の人口 345万1800人
となる
これで計算し直すと
280年の呉、263年の魏蜀の戸数及び人口のそれぞれ合計
戸数:146万6423戸
人口:973万2681人
呉の戸籍を引くと魏蜀は17年の間に
戸数:99万3417戸
人口:643万1182人
増加した となる
増加した分の1戸の平均人数は6.47人
適正値と言える
よって、蜀呉の1戸当たりの平均人数は6.5前後
「男女口」とは"成人人口"であると考えるのが妥当 となる
蜀28万戸に6.5を掛けると180万人となるのだ
唐の時代と三国時代じゃ人口全然違いますからw
>>177 実際、正史読んでないじゃんw
張コウが蜀軍がろくに食糧持ってないと予見してその通りになった、とかの部分も綺麗に無視しているし。
段々蜀豊ちゃんが壊れてきてるな
以前、蜀の人口90万で兵力10万と言っていた
これで北朝鮮の2000万で兵力110万で北朝鮮なんかより軍事大国と言っても何ら不思議ではなかった
しかし、今度180万と言い始めた
これでは北朝鮮より軍事大国とは言いにくい
蜀は豊かだった、と強弁する奴の精神と知識が貧しいのは確実だな。
人口がいきなり史料で確認できる数の二倍って(汗
>>183 全部、妄想じゃん。
国庫を空に近くするほど食料を要する大軍を率いていたのなら、当然防衛力もそれに相応しいという話。
それとも兵士が必要とする以上の食い物を諸葛軍が持ち出していたんだ、と今度は妄想をさらに一段酷くする気かねw
>>201 俺じゃないんじゃないか? そんな事を言った憶えはないぞ
蜀が豊かである、という結論ありきだから毎度痛いな。
じゃあ具体的に何がどう豊かなのか→史実の人口の二倍
疲弊してたんだ、等の史料に対して→妄想イチャモンのみ
これじゃ駄目だわ。
>>195 漢書・後漢書の州別平均家族数を計算してみるといい。
地域差が激しいことがわかる。
それから、国家の生命線である戸籍人口を、「成人男女のみ」という
ずさんで例外的な把握の仕方をし、挙句に降伏文書として提出した
蜀呉の政治事情を教えてくれ。
210 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/24(木) 21:30:37
軍事行動に従事する人が失業してるってのは間違い
国内産業から人材は引き抜かれちゃいるが
別に失業してるわけでなく国から給与は出てる
死ぬ率は確かに高いが、軍人になれば食いはぐれないってのは昔からの話
つうかなんで諸葛亮自身の伝を見事に無視して、魏略の一部だけつまみ食いするんだ?
結論ありきだからそんな馬鹿な話になるんだよ。
魏が一戸当たりの平均人数が多いのは強制婚姻してたからなんだが
>>210 軍人が増えれば税収が減るのだが、国からでる給与(従軍中の費用だけでなく)は
どこから出るの?
どっちにしろ四十万コクじゃ一年官吏もくわせられんぜ。
兵士よりは食わない、として若干手加減したとしても。
蜀豊はどんどんボロがでるな
嘘をついてさらに嘘を吐き続けるという悪循環
レス乞食天国はここですね?w
蜀が豊かというネタで妄想すればピラニアの如く…
ネタならいいんだけどねw
>>216 嘘をついていると言うより、本人では真実を言ってるつもりなんだろ。
しかし、自分の中の真実を優先するあまり、
史料に書かれた事実すら無視するか、都合良く曲解する。
王嗣が異民族から馬、穀、牛、織物を供出させて北伐の助けとして姜維もこれを頼りにした、というのが季漢輔臣賛にある。
食糧だけなら運輸の労が大変だった、でわかるけど必需品まで異民族頼みな状況だからな。
オレ的に当スレでの『踊るヒット賞』は、
>>134かな
諸葛亮伝を無視w
張コウ伝も無視w
>>217 この板の住人の辞書にスルーという文字は無い
たとえどんな見え見えの釣りでもガツガツ喰いつくよこの板
蜀180万説には驚いたw
>>166 明白な嘘ではないな
兵糧尽きたので引き返した事にされているし一度漢中へ戻ったと後主伝にもあるが
移建威への動距離と移動時間から考えて漢中には戻ってない事が簡単にわかる
12月に諸葛亮は陳倉で防がれて翌年春には建威まで移動し、その間に陳式が武都等を制圧終了してる
漢中から陳倉までは200km〜300kmくらいあるので2ヶ月くらいの移動時間が掛る
建威までの道程は漢中陳倉間の5割〜7割程度
陳式が武都、陰平を攻めた時、郭淮はこれを迎撃しようとしたが諸葛亮が建威に居たので撤退した
10月始動、12月到着、1月撤退+王双斬り、春建威到着
各人の伝から判る時系列を整理した時系列通りに動こうとすると
涼州二郡が諸葛亮の建威到着以前か精々が到着時くらいに落ちている計算になるのでこれはおかしい
つまり漢中に戻ったとする蜀書の記述だけ整合性がとれていない
漢中に戻らず陳倉から直接建威に向かったと考えれば行程は1/3〜1/2程度短縮され猶予が生まれる
漢中には戻らず直行したと考えるのが妥当だろう
これらの行軍を支える食料が諸葛亮の軍にあったわけで、陳倉攻めを食料不足でやめたとはとてもとても言えない
>>224 はいはい、史書無視のツケを今更妄想で誤魔化そうとしても無理だって。
ゴネ得なんてないぞw
撤退時の兵糧のことは考えないんですか?
当然、撤退する時も兵士は食べるわけですし
第四次北伐時になると、魏の朝廷ではどうせ孔明は食い物がなくて自滅する、麦を奪われないようにしておけばそれでいいなんていわれるぐらいだしな。
(李厳とのトラブルもあってその通りになった)
ただ蜀軍の待ち伏せは上手い。
張?なんか、やっぱり実際に対峙して「どうせ食糧尽きて撤退する連中、強いて追えば却って危険」と見抜いている。
でも司馬イに受け入れられず戦死するハメに。
国力が低く兵站も地形状の制約を受ける。これじゃ攻勢は続かない。
が、その山岳の峻険が無ければ蜀は弱体の兵力であそこまで国を持たせられなかっただろう。
地勢は双方に公平に働いたな。
>>228 君主は諸葛亮が2人あれば十分である。
1人は首都を任せるための宰相として。
2人は撤退戦をするときの殿軍の指揮官として。
李厳のトラブルというのも輸送の遅延のごまかしだからな
結局、撤退する羽目になっただろう
>>225 移動時間と距離のおかしさを考えれば諸葛亮が二次北伐で兵糧不足というのは明らかな間違い
史書を無視してるのはお前だよ
>>232 間違い「だと思い込みたい」と素直にいったほうがいいぞ。
だって結論ありきで、行動だのなんだのはお前の妄想でしかないし。
つーかまともに読まないの次は史書つまみぐいかよ……
魏には筒抜けだったみたいだしな、蜀の兵糧の量とか
史書を無視して蜀180万人とか言った馬鹿がなに言ってんの?
>>233 思いたい、じゃなくて明らかに史書各部から時系列を並べ直すと漢中帰還が異常なのよ
侵攻時期撤退時期に関しては魏蜀双方からのクロスチェックである程度担保されるが
撤退経路は蜀書内部でしか確認できないしね
曹操が陳倉〜漢中間の移動時なんて諸葛亮の移動期間の1.5倍くらい掛ってるもんで
取り立てて諸葛亮の移動時間を長く見積もってるわけではないよ
9月に石亭があって10月に進発するってのは時期的にも丁度いいしな
蜀豊の特徴
妄想・思い付き・嘘つき・捏造・責任転移
えーと、あと何かかったっけ?
明らかにとか異常とかはお前が全部決めつけてることだろ、蜀豊w
兵糧をそれほど持ってなかったらその分速く動けるだろ
誰かさんが大好きな魏略には、最後の北伐の注で
亮糧尽勢窮
となっているなw
これは当然認めるんだよな?
>>235 自分好みの結論に従い、滅茶苦茶な所は妄想入れて、というのを忘れているぞw
諸葛亮伝より
亮毎糧継 己志申患
孔明は毎回食糧が続かないのを悩み、屯田をやったのくだり。
こういうのはどうするんだ?w
>>224 いくら蜀の桟道だからって、行軍距離一日5キロ?
曹操がテイ族の竇茂を討伐したり、張コウが道(恐らく桟道の修復)を通じさせながら三ヶ月で踏破した道を、
帰り道の諸葛亮が二ヶ月かかるの? どんだけ無能な陽動作戦だよ。
>>237 あ、このスレで一連の蜀豊と君が命名してるらしき人物とは俺は別ね
ただ二次北伐に関してだけは蜀の食糧不足が移動距離と移動時間の関係上おかしいって事だけ
その数年遠征できなくなってるし豊かとは全く思ってないよ
ただ第二次第三次北伐が兵糧不足による撤退だったということだけを否定している
>>241 その記述に疑義があるので
>>243 諸葛亮は王双との熾烈な追撃戦をやってるんだが…
サラッと斬られているが王双だって別に丸腰の軍人ではないので
そういう奴に追われながら反攻して斬り捨てるまでの戦闘を行っているわけで
曹操が異民族と戦いながら移動しているのとそうそう変わらんはずだけどなぁ
246 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/24(木) 23:44:56
蜀が豊かかどうか時代別にまとめてみるのも良いかもな
熾烈な追撃戦って・・・・・
全部殿任せだろ
王双は騎将だよ。
桟道があるような狭隘な、馬を走らせられるかも判らない地形に、
敵軍の後退を遅滞させるほど何日(何十日?)も追撃を繰り広げる騎兵ってどんなの?
歩兵だって無理だよ。桟道焼き落されて弩の的だろ。
渭水盆地を出るか出ないかの殿軍に騎兵の衝撃力を生かして追撃を掛けたが逆撃を食らった、という所だろう。
>>248 この時期の騎兵は突撃もするが射撃もするわけで
何故突撃する騎兵だと推測できるのか、根拠が知りたい
250 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/25(金) 01:32:03
あぶみもないのに騎射なんてよくできるな。
>>250 元々中華の騎兵文化は胡服騎射から始まってる
鐙がなくて難しいのはむしろ騎兵突撃の方(衝撃を支える足場が不安定なので)
一応秦の時代には騎射と突撃それぞれの騎兵が居たと兵馬俑の発掘から考えられている
三国時代では曹丕の自慢の一つが8歳で騎射マスターだし
董卓の特技が両手騎射ということは特筆されているわけで騎射は難度の高い技術と思われる
であるものの、8歳の子供が練習するように一般的に認知された技術でもあるということだな
そして蜀は魏によってサラっと滅ぼされた。。。
>>249 機動できない隘路で騎兵が立ち止まって騎射なんて馬鹿な真似はしないよ。
敵の周囲をぐるぐる回りながら射つから効果があるんだ。
突撃よりはるかに広大な平地が必要な戦法だよ。
>>253 いや騎兵の機動力でいい場所取って普通に射撃すりゃいいだけの話で
騎兵だからって必ず機動しながら射撃なんて拘りの行動する意味はない
西欧の騎士が必要に応じて下馬して戦ったように
中華の騎兵だって必要に応じる行動を取れていいはずなんだが
>>244 疑義入る余地あるのか?
兵糧が足りなくて撤退、というのは帰路の備蓄を考慮すればこれ以上無理、ということだろう。
(でなきゃ帰還さえままならず兵は離散しているだろう)
苦しんでその対策に苦慮していたのは流馬考案のくだりからも読み取れるし。
正史の伝に照応する箇所がいくつもある以上は否定は困難だろう。
冬 複出散關 圍陳倉 糧盡退
(蜀志後主伝)
これも。つうか全軍が一塊になって行動していたのか?
普通に考えれば、たとえば司令部と最後尾の行動時間にタイムラグがあるのは当然で、
史書はいちいちそこまで書かない。
>>255 >>244みたいな奴に何言っても無駄だと思う
曹叡「司馬懿、某国を倒すのにどんくらいかかる?」
司馬懿「行きに100日、戦で100日、帰りに100日、休みを60日、一年あれば(ry」
とあるしね
つまり、兵量に往復分も見積もらないといけないしね
第一次〜第三次の時期は、「南方の物産で国が豊かになった」影響が残っている時期だろう。
だから念願の北伐ができるようになった、とは諸葛亮伝にもその意味が書かれているところ。
ただ、物資がある=必要なところへ集中できる、ではないからな。
漢中まで集積した物資を十分運輸する力がなく、かといって時間をかければ魏は蜀とは比べ物にならない戦力を指向できる。
陳式が出撃した経緯がいまいち不明だが、こちらは食糧不足という蜀軍の業病に悩まされた形跡がないから魏の注目が陳倉に集まっているうちに輸送に成功したか、現地での調達に成功したんだろう。
>>256 陳倉包囲が12月くらい
撤退開始が翌1月
2ヶ月くらい移動に掛る地形で1月に陳倉スタートして漢中まで行くともうそれだけで3月
そっから1ヶ月くらいの道程にある建威に移動すると春に武都陰平ゲットと食い違う
ロジスティクスが発達してなくて道も整備されてない状況だと行軍距離って1日10kmないのが近代でも普通
数百キロ移動しようとしたら数ヶ月くらい簡単に空費するよ
まして山道や桟道などなのだから推して知るべしだな
つまり漢中に移動はしないで陳倉から建威まで移動していたと考えられるし
その間も兵糧がもっているので兵糧切れによる撤退ではない
普通に兵糧切れて陳倉から撤退→漢中の策源まで帰還して陳式がやばげなんで支援
の流れでおかしくはないからな。
全軍が一塊になって動いている、とか輜重が動いてない、と考える必然性こそないし。
蜀豊君とは別人、と主張しているが滅茶苦茶な思考様式が同種だから誰にも賛同されない上、本当に別人なの? と思われているのにワロタw
>>260 やばげなので支援どころか、郭淮は陳式を迎撃しようと思ったら諸葛亮が建威に至ってたので逃げてる
郭淮が陳式の攻撃に気付いて迎撃に来た時点で諸葛亮が建威にいないと成立しない話
郭淮は一戦も交えず帰ってるし諸葛亮の機動は郭淮の機先を制してることになる
正史より俺の妄想が正しいんだ! と考えるのは自由だが。
それで他者を納得させるのはどれだけ難しいかを実演しているんですねわかります。
かといって正史を半端に都合よくつまみ食いするしわけわかんねぇよw
正史を普通に読めば、郭准は孔明がいたから動けなかった、ではなく迎撃しようとしたがそっちが出てきたんで退いた、と読めるしねぇ。
どのみち、この第三次の後に長時間かけて蜀軍は兵を休めて農業振興に専念しているから南方から収奪したりして集積した財源も相当浪費したんだろうな。
北伐スレ池だから
266 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/25(金) 14:18:27
このスレ二ヶ月前に立ったに過ぎないのにすごい勢いだなww
なんといっても、このスレ名がいいなw
「三国の経済事情を冷静分析」などと言ったタイトルだったら
ここまで厨に食いつかれなかっただろう。
隔離スレになってくれてるんでありがたい限り
関羽が荊州から北伐した際、益州からは何の支援もなかった。
関羽は呉の倉庫から食糧分捕ったり、南方防衛の兵力物資を引き抜いたりするほどの状況。
楊洪伝にあるような根こそぎ動員を行ったあたりで益州の国力は限界に近くなっていたんだろう。
269 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/25(金) 16:48:41
>>266 ぱっと見てバカだと見抜かせないと魚が寄り付かない
蜀は豊か、と蜀志先主伝にはっきり書いてあるぞ!
もっともその直後に金銀も織物も将兵や民(これは与えたんじゃなくて返還だが)に大量にばら撒いてしまうがな。
>>267 このスレはどのスレから厨を隔離してるんだ?
勢いがあってもっとまともなスレがあるならそっちに移りたいから教えてくれ。
まぁ書き込む数はともかく、
俺妄想>正史他史書
という奴はどこにでもいるからなぁ……。
>>254 ひたすら長い険阻な一本道を後退する歩兵隊に対して、騎兵がどうやって「いい場所」を確保するの?
桟の一本を川に打ち込んで道を作るような山脈で?
そんな上手を何十日も取られて後退を遅滞させられた蜀軍ってどんだけ素人なの?
274 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/25(金) 18:54:15
>>273 源義経だって騎馬で崖の上から逆落としをかけただろ。
日本人にできて中国人にできないはずがない。
逆落としってつまり騎兵突撃だけど。
止まれずそのまま川にドボン。
というのはいいとして、逆落としの類は奇襲だから出来るんだよ。
一回ならそれで大成功もするかもしれない。
二回目以降は山登する道を歩兵で待ち伏せされたらそこでおしまい。
山岳地帯で騎兵が待ち伏せする歩兵に勝てるわけがないんだから。
そんなこともできないほど中国人(諸葛亮)は馬鹿だと言ってるんだよ、君は。
>>259 桟道があるのは成都から剣閣へと抜けるルートの一つで、
漢中を拠点とする蜀軍からすれば無関係な存在。
どこもかしこも険しい山の細道って訳じゃなく、当然ながら行軍ルートは整備されている。
>>266 根本的に間違ってる。
厨が立て、その厨一人が暴れてるのがこのスレだ。
見分け方は簡単で、句点を使わず、蜀を持ち上げてる奴。
曹操が漢中を救援に向かった時は三月に長安から出て五月に軍を引き上げている
漢中からの距離は
洛陽>>許昌>>>>>成都
かな
279 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/25(金) 22:30:46
>>278 地図の見かたがわからないのか?日本語がわかってないのか?
>>276 秦嶺山脈には今も桟道があるんだが
褒斜桟道とかは現代のものと古代のものではルートが違うようだけど
漢中〜関中をつなぐルートとして戦国時代から整備されてるよ
>>279 日本語じゃないでしょうか。私にもよくわかりません。
蜀の桟道を通して物資輸送するのは大変。
馬匹使用もかなり危険だっただろう。
やろうとすれば莫大な人員が必要だが、当然ながら輸送担当者も飯を食う。
まぁ益州から北伐しようって時点でもうジリ貧決定だろうな。
魏は楚漢戦争時の項羽とは違うし。
>>276 文末にw使ってるのも厨にしか見えない
厨本人には厨である自覚はなさそうだが
で、結局蜀は一州としては豊かだけど、
連年の戦争でどんどん貧しくなってって、
最後は貧しかったって結論でいいかね?
んまぁあ、魏より豊ってののは無茶な妄想ってことだよな
司馬懿が燕を滅ぼした一年分の費用は諸葛亮の北伐何回分に相当するかだな
男の人なのに蜀豊とか造語作って悦に浸ってる人って
蜀が連戦できたのは、ヒドイ負け方してなかったからでしょうか
損害が大きくなる前に退却すれば、兵力や食糧、武具等の損耗は抑えられる。
あの国力で大敗したら致命傷だからなあ。
攻めるどころじゃなくなる。負ける前に逃げたから、あれだけ戦えたんだろうな。
また数年力を蓄え直したからまた遠征できた、というのは確かだろうね。
魏は蜀だけでなく、呉とも戦っていたし、戦っていない間でも無論、呉に備えてたでしょ
そう考えると魏の国力は半端ねーんじゃねーすか?
228年 街亭合戦(蜀vs魏)
228年 西城合戦(蜀vs魏)
228年 石亭合戦(呉vs魏)
228年 陳倉合戦(蜀vs魏)
229年 武都・陰平合戦(蜀vs魏)
230年 魏の漢中侵攻(蜀vs魏)
231年 上ケイ合戦(蜀vs魏)
233年 合肥新城合戦(呉vs蜀)
234年 五丈原合戦(蜀vs魏)
しかも228年の石亭合戦は魏の大敗北だったはず。それなのにこのスタミナ!!
>>291 間違えたw訂正
「233年 合肥新城合戦(呉vs蜀)」→「233年 合肥新城合戦(呉vs魏)」
南方の二国だけじゃなく北方の二国も相手したよ
294 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/27(日) 12:08:01
でも、鉄装備鉄兜の蜀軍に対して、皮装備の魏は同数の兵力じゃまるで歯が立たなかったのが現実
295 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/27(日) 12:16:23
とにかく魏なんかは禿山で薪資源すらなかったからな。食い物は粟や稗くってた
薪資源豊富な蜀は既に火力を使った四川料理の原点みたいのを作ってた
民衆の豊かさは蜀だろうね
> 228年 石亭合戦(呉vs魏)
> 228年 陳倉合戦(蜀vs魏)
陳倉はやはり「呉に便乗して攻めて見ました」って感じか。
国力で劣る蜀は呉と連携して魏を攻めるのが基本姿勢なので、
便乗というか、基本路線だったのではないでしょうか。
でも、わずか二十日あまりで兵糧が尽きるようでは蜀も貧しかったのかも
しれませんね。
298 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/27(日) 13:52:00
>228年 石亭合戦(呉vs魏) 228年 5〜8月
>228年 陳倉合戦(蜀vs魏) 228年 12月
この二つの戦いは関連性が薄い。関連性が高いのはこっち。
>228年 街亭合戦(蜀vs魏) 228年 春
>228年 石亭合戦(呉vs魏) 228年 5〜8月
呉の動きに連動して蜀が動いたのではなく、蜀の動きに連動して呉が動いただけ。
陸遜と諸葛亮が違うのは、陸遜は諸葛亮をアテにしていないこと。
諸葛亮の北伐を成功すれば、それはそれで次の段階に移るだけだし、
諸葛亮が敗退しても、それはそれで計画通りに事を運ぶだけ。
それでもこんなに弱いとは思っていなかっただろうけど。
>>295 四川料理というと唐辛子を使った辛い料理が有名だが、
新大陸から唐辛子が持ち込まれるのは1300年ほど後の事だ。
今日、四川で唐辛子が広く使われているのは、日差しが無く蒸し暑い気候が原因。
つまり、三国志当時の蜀の民は悲惨な日常生活を送っていた事が分かる。
蜀豊がそろそろスルーされて哀れだなw
魏には基本的に四人の都督がいる。
呉に備える都督揚州諸軍事と都督荊州諸軍事。
蜀に備える都督雍涼諸軍事。北方の異民族に備える都督河北諸軍事。
つまり、四人の都督のうち二人が呉の相手してて、
蜀の相手してるのは一人だけ。都督指揮下の兵力以外に
郡県の守備兵力や洛陽の中軍もいるから、
蜀が総力あげて相手にしてるのは魏の総戦力の四分の一以下。
圧倒的すぎて涙も出ない。
戦時中でも魏は文学サロン真っ只中だしね
一般民も、え?戦争してんの?
てなくらい余裕
一方の蜀はねぇ・・・
建国当初は差が少なかったけど、
時間が経つにつれて差が広がったという所だろうな。
>>303 建国当初は魏は冀州以外の河北と中原と西方は荒れてたし、
呉も揚州は開発進んでなかったしねえ。
それで蜀は無傷で開発された益州抱えてる。
時間がたつにつれて、魏は河北と中原と西方の復興が進んで国力充実し、
呉は揚州の開発が進み、領土が全然増えなくて開発する伸び代も無くて、
なおかつ北伐で経済的に疲弊した蜀とは差が付いてったんだろうね。
俺が居ない間に随分勝手な事になってんね
楽しかった?
>>207 その言葉そっくり君たちに返すよ
蜀は豊かではない、という結論ありきだから毎度痛い(マジ痛いw)
じゃあ具体的に何がどう豊かでないのか→文章をまともに読めないが故の曲解
疲弊してたんだ、等の史料に対して→疲弊=「金欠」ガチ決定の短絡思考
これじゃ駄目だわw
>>194 >>184ね
ろくに領土をもたない小さな勢力であれば
何でも買わなければならないから戦争には金が沢山掛かる
しかし蜀漢王朝は何でも持ってるのでその限りではない
兵糧 → 年貢・現地採取 塩 → 官有
武器 → 製造/官営工房 原料採取/官営銅鉄鉱山
馬 → 官有 繁殖
人夫 → 労役 タダ 食糧負担だけ → 年貢
※以上は戦争すると掛かるのではない 普段作り貯めたものを消費するだけ
金銀
・報償 → 負け戦なら手柄も少なくあまり掛からない 勝ち戦なら与える以上に手に入る
・調略費 → 調略しなければ掛からない
・物資現地購入費 → 掛かるが程度による 金銭を代価にするとも限らない
誼を売ることで物資を得られることもあるだろう
絹 → 同上
無論、持ち帰った分は減らない
そろそろ思い込みを捨てましょう
>>209 >漢書・後漢書の州別平均家族数〜地域差が激しいことがわかる。
お〜い…、後漢書計算させらてえらい苦労したよw 前漢書はギブアップ
苦労の割に収穫がなかった 無駄に計算させやがって… 酷い話だw
州別の平均人数 あれのどこが差が激しいんだよ?
冀州だけは1人ばかり多いが、あとは大差ないじゃないか
>「成人男女のみ」というずさんで例外的な把握の仕方をし、
ずさんとは限らないだろう
>挙句に降伏文書として提出した
敵国に提出する為に戸籍簿を作っているわけではない
蜀に存在したのは蜀の為の戸籍簿だ
蜀が成人だけで良いと考えれば成人だけで良い
それを提出して非難される謂われはない
>蜀呉の政治事情を教えてくれ。
戸籍作りは税を取るのが目的だろう
人間を数えるのは人頭税を取るのが目的だ(成人♂には兵役・労役もある)
子供から税を取るつもりがなければ子供を戸籍に載せる必要はない
普通子供にも人頭税を課すもんだが、蜀呉が課さなかったとすれば
それは多産奨励政策だったかもしれないな
人口で敵国に水を空けられている蜀呉は何より人口を増やしたいだろうからね
子供に税を課さなければ民は産んだだけ労働力がアップし暮らしが楽になる
よって民は子作りに励む
こうして子供無税は多産に繋がる
>>212 逆だな 結婚すると独立して1戸となる
戸が増え人口は変わらないから平均人数は下がる
>>214 俸禄を米で払うわけないと思うが、
官吏は何人居たのかな?
>>220 弁当買ったらレジ袋もくれるだろ
>>224 横レスだけど
諸葛亮は一度漢中へ帰ってるよ
諸葛亮伝、丞相復帰の詔で劉禅が「今年ここに遠征し」と三次を語っている
これは生の言葉なので間違いはない
一端漢中に戻ってそれを一区切りとしなければ
この辺りの言葉のようには言わない
あとはくだらんレスばかりだな
二次の彼は別人だ
張コウ伝も無視?
無視してるのは「兵糧が切れてしまった」と言うバカな君たちだろう
俺は
>>87 張郃伝の「懸軍」を根拠にしている
いいかげん馬鹿なのは自分だと気付こうね
しかし、信長ってやっぱり天才だな
改めてそう感じるよ
信長は地球儀を見せられ地球が丸いと教わるとすぐに理解したというが
君らじゃ到底そうはいかんだろうな
大地が平面なのは究極的に当たり前で、思い込みの深さは相当なものなはずだ
基本スカスカな歴史資料の薄っぺらい知識に関する思い込みの比じゃない
それでもすぐに理解した信長と
簡単明瞭なことも理解できない君たちには天地の開きがある
君らがヘボすぎるのかもしれんが信長すごいな
>>241 それは諸葛亮の言葉ではなく陳寿の言葉なんだよ
諸葛亮がそう考えたのではなく、陳寿がそう考えただけなんだ
>>144で言ったように陳寿は何も分かってない奴
諸葛亮が兵站切らしたのは第4次の一回だけ
これのどこが毎回だい?
>>244のいう疑義もこれの事だろう
諸葛亮が敵地で屯田したのは、第4次のように不慮の事で補給が途絶えて
全てが台無しになるのを防ぐ為に、現地で田畑を作り
兵站線が復旧するまでの間、戦地で食い繋いでいけるようにしたのだろう
勿論そんな事がなくても、兵站の負担が軽くなるというメリットがあるのは言うまでもない
>>264 >この第三次の後に長時間かけて蜀軍は兵を休めて農業振興に専念しているから〜
お得意の捏造か? それとも誤った思い込みか? ソース出してみ
このように、君らはかなり勝手な思い込みによる知識をいくつも持っている
それで自分が健全と信じて疑わないんだから困った奴らだ 藁
その中でも、論理的に反論しようとする人間はまだ善し
しかし ただお菓子ちゃん達が寄ってるだけなのに、
自分と同意見の者がいるというだけで安心し、自分が正しいと勘違して
ろくに反論も出来ないくせに威勢よく煽ってるだけの奴は終わってる
いいか、君らの仲間は
>>276みたいな奴なんだぞ?
「漢中を拠点とする蜀軍は桟道なんかと無関係」とか言ってる
俺はこんなのの相手をさせられてる… 全く嫌になるよ
>>276 君、前スレで、天水を隴東と思い込んでて
「なあ、根本的なことを聞いてしまうが…
隴山がどこにあるかしらなかったのか? 」
とか言ってきた奴だろ?
君の頭の中の三国志の世界はおかしい
>蜀を持ち上げてる奴。
俺は蜀を持ち上げてるつもりはないなぁ
公正な評価をしているだけだよ
>>266 そうだね
もうちょっとまともな人間が居てくれるといいんだけどね
>>270 そういえばそんなのあったね
意外性がなさ過ぎてインパクトに欠けるから思い浮かばなかった
その記述、蜀を貧しいと考えてる人間にはインパクト強いだろうに…
こいつら先主伝もまともに読んでなかったのか
それで蜀を貧しいとか偉そうに言うんだから呆れてものも言えない
>>286 A国 人口10億人 国民の平均年収8千ドル
B国 人口 1億人 国民の平均年収5万ドル
平均的国民の生活レベル
A国:ぼろアパート 自転車 14インチのブラウン管テレビ ビデオなし
B国:庭付き一軒家 自動車 42インチの薄型テレビ ブルーレイが主流
極端だが、A国とB国はどちらが豊かと言えるだろう?
>>290 全く確かではないな
>>299 大した思い込みだ
成都の気候は暮らしやすいらしいよ
>>300 変な日本語だな 国籍はどうでもいいが、君日本人じゃないだろ?
だからか 読解力がないのは
困ったな…
>>301 別に一度に相手する訳じゃないのだから、なんて事ないだろ
流石の白鵬も4対1で一遍に相撲取ったら勝てないだろうが
1対1で4回勝てばいいだけなら充分可能だろう
それと同じだよ
>>302 学問のサロンは何処にでもあっただろう
べつに自慢するような事ではないと思うけど?
>え?戦争してんの?
魏にはバカが多かったのかなぁ?
今の日本にも総理大臣の名前すら知らない奴が居るらしいけどね
>>305 蜀が北伐で経済的に疲弊したなんて話はないから
うわぁ...
一人でこんなレス消費しちゃったよ
うん 溜まってたもんでね
妄想と思い込みが溜まってたんですね^^
蜀が経済的に疲弊してたなんて話はない
君たちのこれこそが妄想であり思い込みだ
蜀は小国なりの豊かさはあったかもしれませんが、あくまで単独で魏に挑めるほどでは
ありません。だからこそ魏に並ぶ大国の呉と同盟を結んだのだと思います。
おい、誰かついに発狂した蜀豊のオナニーぶちまけ全レスにレスしてやれよ。
こんなに書きまくったのに反応なしはかわいそうすぎるが、
さすがに俺はここまで行き着いてしまった奴に突っ込むのは面倒だ。
蜀は漢の復興をスローガンにしているのに、皇帝を自称した孫権と同盟を組んでる時点で
「単独では魏に勝てません」と言っているようなものです。
それに、魏側から見ても蜀を軽んじて見ている傾向があります。第一次、第二次北伐時、
司馬仲達は南陽の宛城にずっと居たようです。蜀のことも気にはなってたかもしれませんが、
どちらかというと呉のほうを気にしていたのだと思います。(書くまでも無いかもしれま
せんが、第二次の「空城の計」で司馬仲達が出てくるけど、これは諸葛亮伝に記載されて
いるデタラメな話を演義に載せただけです)
>>313 「諸葛亮が兵站切らしたのは第4次の一回だけ」
第二次ではわずか二十日で兵糧が尽きそうになり、陳倉城をあきらめてる。
第四次では現地で麦を刈り取って食糧調達してる。
また第二次以降、黄沙というところで兵士達に麦を作らせている。
第四次で諸葛亮を退却させた司馬仲達は「蜀軍は毎回、糧秣不足だな」と
感想を述べ、次回は3回分の収穫を待つだろうと予言し、的中させてる。
>>323 >魏に並ぶ大国の呉
みんなこれはスルーなのか
当時の呉って、地図上の領土は広いけど、
支配地域は長江沿岸や海岸沿いなどかなり限定されてるよね。
荊州がなければ蜀と同じか劣るぐらいなんじゃなかろうか。
現在の台湾もしくは沖縄あたりと思われるところまで兵を出して人狩するぐらい兵力足りなかったからな呉も。
>>313 陳寿が史実を記録した言葉だからなw
>>314 後主伝に「丞相諸葛亮は士を休め農を勧めた」
とはっきり書いてあるぞ。
お前が無知な上、史書からはっきり引用されて逃げ場もなくなると妄想といちゃもんだけ。
これじゃもう相手にされなくて当然だな。
俺も態度を改めない限り、もう教えてやらないからw
>>330 結局は、蜀豊は妄想・思いこみ・捏造のかまってちゃん
勝手なイメージだけで三国の豊かさを言うと、蜀=1に対し呉=3、魏=6くらいだろうか
全部読む気もないけど引っかかったので一つだけ
>>314 それは君が、「隴西方面が魏蜀の正面戦線だ」とトンデモ意見を言ったから
俺がポカーンとしちゃった件だね。隴山の場所知らないの? って。
地図見直すといい。魏蜀の軍事的圧力が最大に拮抗する戦線は隴東。しかし秦嶺山脈に阻まれる上に、
彼我の援軍が比較的到達しやすい位置にあるため、この戦線を正面から突破することは難しい。
「戦争している2国の前線に雍州西部が位置している」のではなく、
蜀が魏の軍事的圧力の高い正面前線を避けて側面を攻撃するから、隴西が戦場になる。
まあ、国境地帯というのは、前スレの定義でいう「経路である」係争地に当たるわけだけどね。
で、残念1レス違い。俺は君にスルーされた>275だ。
鉄資源豊富な蜀は、鉄農具を使っていて、鉄装備だった。
四川そのものの肥沃さもあるが国民の生活レベルは儀より高かったことだろう
魏に蜀より多くの鉄鉱山があることは、
前スレで地名をすべてあげて証明してた人がいた。
逆に蜀はあんま鉄鉱山なかった。
>>318 >魏にはバカが多かったのかなぁ?
まぁ蜀の攻撃なんて大したこと無いから仕方なかろう
平民「蜀と戦争してるらしいぞ?」
平民「へー、全然影響ないね」これだけ魏は平和で豊かだったんだろう
>今の日本にも総理大臣の名前すら知らない奴が居るらしいけどね
えーと、釣りっすか?
その鉱山って三国時代にには既にあった鉱山なのか。
あったとして三国時代のどの時期からあったのか。
あとは三国時代の時期別の鉱山の数や、一人当たりの鉱山の数の比較。
とか色々考える事が出来るな。
>>324 どちらが正しいかそろそろ皆気付いたんじゃないか?
>>325 >蜀は漢の復興をスローガンにしているのに、皇帝を自称した孫権と同盟を組んでる時点で
>「単独では魏に勝てません」と言っているようなものです。
確かに蜀が呉も魏も相手にするのは厳しかったろうね
でも呉の事は元々利用しているだけで
どのみち魏打倒の暁には呉の事もやってしまうつもりで居たのだから
許すも許さないもなかったんだよ
>「単独では魏に勝てません」と言っているようなものです。
魏は劉備に敗れ漢中を奪われた後、報復をせず大人しくしていた
「蜀には勝てません」と言っているようなものです
>それに、魏側から見ても蜀を軽んじて見ている傾向があります。第一次、第二次北伐時、
>司馬仲達は南陽の宛城にずっと居たようです。蜀のことも気にはなってたかもしれませんが、
>どちらかというと呉のほうを気にしていたのだと思います。
司馬懿より格上の曹真が蜀の相手をしていました
呉のことも気にはなってたかもしれませんが、
どちらかというと蜀のほうを気にしていたのだと思います
空城の計は第四次直前の出来事
裴松之が勝手に第一次の事にして「合わないなぁ」って言ってるだけ
(もしかしたら第一次の事にしたのは王隠かも知れないが)
亮屯于陽平,遣魏延諸軍并兵東下,亮惟留萬人守城.晉宣帝率二十萬衆拒亮,
而與延軍錯道,徑至前,當亮六十里所,偵候白宣帝?亮在城中兵少力弱.(以下空城計)
四次北伐で諸葛亮は陽平関まで攻め込まれていたってことか。
追撃食らって武都を突破される大敗北を喫していたってことかな。
中国史板に郭沖のスレがある
>>326 >第二次ではわずか二十日で兵糧が尽きそうになり、陳倉城をあきらめてる。
事実と言えるのは「兵糧が尽きた(帰路分は確保)」「撤退した」の2点だよ
「兵糧が尽きたので、(仕方なく)撤退した。」は誰かの解釈にすぎない
第一、初めから補給なしで作戦で出ている こういうのを兵站が途絶えたとは言わない
第二次直後に第三次を行っているので兵糧が無かったわけでもない
>第四次では現地で麦を刈り取って食糧調達してる。
当たり前 何の根拠にもならない
>また第二次以降、黄沙というところで兵士達に麦を作らせている。
麦? 米じゃなくて?
それと黄沙の屯田は第四次の後だよ
>第四次で諸葛亮を退却させた司馬仲達は「蜀軍は毎回、糧秣不足だな」と
>感想を述べ、次回は3回分の収穫を待つだろうと予言し、的中させてる。
宣帝紀だろうけど、「蜀軍は毎回、糧秣不足だな」と感想を述べたというのは違うよね
感想ではなく予想の論拠だよ
宣帝紀は司馬懿の美化が激しいのであまり信用しないほうがいいよ
タイムリーで書かれているわけでもないし、結果から遡って未来を予想するなんて余裕で出来る
「次は隴東に来るだろう」と言いながら隴西を強化している
行ってる事とやってる事が矛盾している
隴西が強化されたから諸葛亮は隴東へ行ったと考えるのが自然
第四次の反省から魏は防衛シフトを変えたので、
諸葛亮は北伐の基本戦略を転換しなければならなかった
それで2年半掛かった
(本来でも兵の休養に一年入れるので、実際伸びたのは1年 半年はタイミングの問題)
「諸葛亮は毎回食糧不足をかこっている」というのは
3年掛かると予想したという司馬懿の美化を根拠づける為に必要なこと
"なぜ3年掛かるのか"理由がないとダメだからね
本当は2年半掛かったのは諸葛亮の北伐基本戦略を転換が理由だから
その元となった魏の防衛シフトの変化を予想の根拠として述べなきゃいけないが
それだと第一次から第4次まで諸葛亮の戦略を見抜けず
いいようにされて来た魏のマヌケぶりを明らかにしてしまう
それは出来ない
だから蜀が兵糧を貯める為に3年を要することにしたんだよ
>>330 陳寿が言えば史実になるとでも思っているのか? めでたいな
三国志は史実の箇所と陳寿の考えの箇所があるんだよ
>後主伝に「丞相諸葛亮は士を休め農を勧めた」
>とはっきり書いてあるぞ。
「十年」とはっきり書いてあったような気がするが…
第四次の翌年の事だ
君は三次のあとと思い込んでるみたいだが
資料で確認した後でもそう言えるのだから本当に読む力がないんだな
毎度、毎度、よくそんなに間違えられるもんだ
ただ間違えるだけなら、まだ可愛気もあるが
いつも、態度がでかいw
君面白いよw
>>331 せめて330の自演と思いたいな 雑魚すぎる
>>333 >それは君が、「隴西方面が魏蜀の正面戦線だ」とトンデモ意見を言ったから
なんかズレてるね
前スレの俺レス(280)
雍州西部は係争地でない
魏と蜀は戦争する理由がある それだけの事
雍州西部の覇権を巡って2国が戦争しているわけではなく
戦争している2国の前線に雍州西部が位置している
前者なら係争地と言えるが後者は言えんだろう
「前線」がどうして「隴西方面が魏蜀の正面戦線だ」と変化する?
ポカーンとするのは勝手だけどさ
そちらのレス「戦争している2国の前線に位置しているのは雍州東部、隴東だ。」
これ読んで、君が「隴西」を「隴西郡」の辺りの事だと思っていて、
隴山を隴西郡の東隣にあると思っての発言かと思ったんだが違ったんだね
問題は「前線」の定義にあったのか
「前線」の定義がおかしい
武装勢力同士が接している境界が前線だよ
それはそれとして、雍州西部は「経路である」としても係争地ではないよ
先に言ったように、雍州西部を巡って魏蜀が戦争しているのではなく
初めに戦争があり、雍州西部での攻防がある
魏蜀の係争物は「天下」
>>344 君に出来るのは自分に理解できない事の否定だけ
>>336 平民じゃなく人士階層じゃなかったっけ?
>>346 うん、誰もアンタの妄想・思いつき・捏造といった間違いだらけには理解できないのこと
陳寿も否定し晋書も否定
これはアンタの脳内ソースで歴史を創ってるようなもの
そして魏略とか信用してる程度だもんね
>魏蜀の係争物は「天下」
ついに戦略的思考を全否定に走ったか
力の差がありすぎる
>>349 バカな発言を連発する前に熟読したほうがいい
前スレ280はさっき熟読したら頭が痛くなったのでもう勘弁してくれ
どうやったらこうまで一行ごとに矛盾してるような文章を書けるのか理解し難い。
何の矛盾もないが?
>>352 では理解を助けよう
魏蜀は
雍州西部という地を争っているのではなく、雍州西部という地で戦っている
>>354 しかし、蜀が戦ってる雍州西部は、取らないと蜀の将来に関わる土地なのであった。
そして、魏にとっては対蜀戦略上絶対に渡せない土地。
要するに、雍州西部は魏と蜀の両方にとって譲れない土地なので、
雍州西部を争っているというのが正しい。
>>355 前線を下げたくない、進めたいというのは当たり前
それを係争地という呼び方をしてしまえば
そこが欲しくて戦争になるという本当の「係争地」が言葉として埋没してしまうだろ
だから言わないんだよ
この人は戦略的思考とか俯瞰的視点というのが致命的に欠けてる人なんだろうなあ。
歴史上に置かれた人物や国家にとっての重要度の大小を読み取ることができないし、
自分自身の振る舞いでも、他人を味方に付けるとか、進退の調整とかいうことができない。
だから、大好きなはずの諸葛亮が、彼の論理に従うと
支離滅裂な小細工だけの理屈倒れや考え無しの猪突家に墜落してしまう。
>>356 だから、魏も蜀も雍州西部を前線にしたくて戦ってんじゃないよ。
蜀は雍州西部が欲しい。魏は雍州西部を取られると、
涼州と関中が脅かされるから、蜀にくれてやるわけにはいかない。
だから、雍州西部を争ってるんだよ。
>>357 1スレで
一、豊かである
二、険阻である
三、経路である
という「係争地」の特徴を挙げ
それに涼州・雍州西部を当て嵌めて項目毎に○×をチェックし
諸葛亮の戦略意図を推測しようという試みだったようだが
「係争地」と"前線"雍州西部は異なる
間違った計算式でどんな答えが出るんだよ?
生意気言う前によく考えな
>>358 だからさ、雍州西部が欲しくて戦争しているわけではないと言っている
そういうのを係争地とは言わない
少なくとも
○三、経路である
なので、隴西は係争地である。おしまい。
バカだな お前
どのように?
説明なんも理解してない
隴西は涼州と関中への経路である。だから係争地になる。
どこが矛盾してるのか教えてほしい。
だからさ、雍州西部が欲しくて戦争しているわけではないと言っている
そういうのを係争地とは言わない
>>363 うん、そうだね。君の説明は殆ど理解出来ない
主張に賛同するしない以前に論理の組み立てが判らない
公正な立場から通訳できる第三者がいたら是非名乗り出てほしい
>雍州西部が欲しくて戦争しているわけではない
これってソースあんの?
話にならんな
>>366 係争地じゃないのに係争地で考えてどうすんだ?っていう至極簡単な話
>>369 隴西は涼州と関中への経路である。だから蜀は涼州と関中攻略の拠点として、
隴西が欲しい。魏はそれを阻止するために隴西を確保したい。
どちらも隴西を必要として、その支配権をめぐって争っている。
これが係争地以外の何物だと言うのか教えてほしい。
>>368-369 オマエさんの言い分は一点張りすぎるよな、まぁいいや。
それでも蜀は豊じゃないんだよね。
>>370 前線ならどこでもそう
更なる内地への経路だし、新たな拠点となる
攻める方は欲しいし、守る方は確保したい
雍州西部は戦争をしているから欲しいのだろう
欲しくて戦争しているわけではない
だから此処を争っているわけではないのだよ
それを係争地とは言わない
争っているのは「天下」
雍州西部を取っても戦争は終わらない
隴西はただの前線だ
なんて言うかは知らない
ヒートスポットとでも言うんじゃないかな
>>370 前線ならどこでもそう
更なる内地への経路だし、新たな拠点となる
攻める方は欲しいし、守る方は確保したい
雍州西部は戦争をしているから欲しいのだろう
欲しくて戦争しているわけではない
だから此処を争っているわけではないのだよ
それを係争地とは言わない
争っているのは「天下」
雍州西部を取っても戦争は終わらない
隴西はただの前線だ
なんて言うかは知らない
ヒートスポットとでも言うんじゃないかな
ブラウザがおかしくなって二重カキコになってしまった
「隴西」って、隴西郡のことでしょうか?
俺の持ってる資料では隴西郡が直接、戦線になっている記述がありません。
その東の南安郡さえ戦線になってません。更に東の天水郡や広魏郡はたびたび
戦線になっているようです。(乏しい資料なので違ってたらすみません)
>>375 ここで指す隴西というのは、隴西地方の事。魏代は雍州西部。
関係ないけど、隴西郡は第一次北伐で蜀郡の攻撃を受けてるよ。
蜀にとっては国家を疲弊させてでもやらないとけない戦争だったが、
魏にとっては呉と余裕で同時対処できるレベルに収まってたからな。
孔明はどうせ食料が尽きて帰るから、というのは魏朝廷でも理解されていた程度に事情も探知されていたようだ。
これじゃ勝てない。
第三次までは比較的短期間のうちに出撃を繰り返してきたが、第四次までは二年の間をおいて、
第五次も同様。
南方から奪った富が第三次あたりで尽き、その間に蓄積しなおした物資も尽きたんだろう。
北伐しても兵糧不足で勝てない。
かといって守っても国力差から相手に主導権握られればつぶされるのは明白。
関羽の大敗の時点でもう大局的な運命は決まっていたんだろうな。
>>376 そうでしたか。諸葛亮が祁山道から祁山及び西県へ、馬謖・王平が祁山道から街亭へ、
高祥が祁山道から列柳城へ、趙雲・ケ芝は斜谷道へという進路だけで、祁山より西へ
は南安郡が勝手に蜀に寝返っただけで軍は進めていないものと思っていました。
ちなみに諸葛亮は西県撤退時、西県の住民を強制連行したようですが、何のためなの
でしょう。人口を増やすためですかね
諸葛亮は劉備から馬謖を重要な任務には使わないよう注意されてたようですね。
それなのに使ってしまった。。。
本当に
>>1の通り蜀が魏を圧倒した豊かさと強さがあったならば蜀が天下とってたんだろうな。
>>379 当時、自国の人口を増やすためと、
敵国の生産力を落とすための占領地住民の強制移住は、
どこの国もやってたオーソドックスな戦略。
あと、隴西郡での戦いについては、
魏書の張既伝注にある魏略の隴西太守游楚に関する記述に詳しい。
>>377 第一次のあとその年の冬に第二次
翌春第三次の後、漢・楽2城を築き冬に完成
翌年秋、曹真が攻めてきてそれに対応
年明けて二月、第四次開始
兵糧使いまくりだよ?
蜀ナメんなってw
蜀が貧しいという思い込みは完全に捨てたがいい
劉備の入植から成都陥落までの備璋戦争3〜4年もの間
両軍総勢約10万を支え続けた巴蜀の食
終結後、戦時の物価上昇もあって民が貧しくなっていたが
それも回復し、更に農地が開発され国力も上がっている
蜀が貧しいというのは完全に誤ったイメージだよ
>孔明はどうせ食料が尽きて帰るから、というのは魏朝廷でも理解されていた
魏にしてみれば、1度目の祁山、陳倉、2度目の祁山の3回の内2回
蜀軍は兵糧が原因で撤退したのだから、そう思ったとしても仕方がないね
(魏にとっては武都・陰平の戦いはなかった事になっている)
>南方から奪った富
ここも勘違いしている
もともと南中は蜀の領土で、劉備の死後叛乱を起こされ支配出来なくなっていた
それを、南征して叛乱を鎮め、支配を取り戻した
南中の推定人口は益州全体の27〜45%を占め、
鉱物資源は豊富で、日照時間も長く稔り豊かな地だ
蜀はこの地を恢復したことで国力も回復し、豊かになったというわけ
「征伐してお宝たんまり奪い取ってきた」みたいなイメージは間違っている
まぁそれも全く無かった事はないだろうが、そんな事より国土の恢復が大きい
南方の富は永続的に入ってきた
魏蜀の鉱物産地・特産品 (後漢書地理志・注より)
【 魏 】
金
〖涅〗〖鹵城〗〖金郷〗〖野王〗
銀
銅
〖沾〗〖晋陽〗〖藍田〗
鉄
〖弋居〗〖大陵〗〖故安〗〖平郭〗〖東平陵〗〖歴城〗〖嬴〗〖陽平〗〖朐〗〖彭城〗
〖堂邑〗〖西平〗〖魯〗〖武安〗〖都郷〗〖北平〗〖密〗〖林慮〗〖安邑〗〖平陽〗
〖藍田〗〖漆〗〖美陽〗
錫
鉛
特産品
玉類(玉(?)・美玉(?)・珠玉(?)・白玉・紫石英・碧・青碧 )・駿馬・漆・白金・塩
【 蜀 】
金
〖博南〗〖葭萌〗〖剛氐道〗〖湔氐道〗〖漢嘉〗 (〖漢嘉〗は亮集)
銀
〖朱提〗〖律高〗〖賁古〗〖雙柏〗〖葭萌〗〖剛氐道〗
銅
〖俞元〗〖賁古〗〖朱提〗〖邛都〗〖靈関道〗〖會無〗
鉄
〖沔陽〗〖宕渠〗〖臨邛〗〖台登〗〖會無〗〖滇池〗〖不韋〗
錫
〖錫〗〖律高〗〖賁古〗
鉛
〖律高〗〖賁古〗〖會無〗
特産品
丹砂・伽羅・雄黄・雌黄・塩・薬・玉類(玉(?)・璧玉・縹碧石・黒ノ・碧・青碧・空青・琥珀 )
[備考]毛皮・角・織皮・金細工・楽器・良木(漢書)
そして蜀錦(亮集)
上の金属の項目はあくまで「産地」 産出量は不明
後漢書のものなので三国時代に生きていたかも不明
しかしながら何となくな目安にはなるだろう
これを晋書地理志の旧蜀魏領の戸数比(1:4.94)でそれぞれを割ってみると
蜀 魏
金 5 0.81
銀 6 ---
銅 6 0.61
鉄 7 4.65
錫 3 ---
鉛 3 ---
蜀が約31万戸で上の数の産地をもっているのに対し
魏は蜀と同数戸(約31万戸)あたり、上の数しか産地をもっていない
蜀と魏、どちらが豊かかは歴然だ
ま、あくまで目安だけどね
今まで蜀に勝っていると信じ切っていた魏ヲタ血の気が退いたw
おおっ、魏の特産品にプラチナがあったとはこれまた高価な
魏って蜀の5倍しか人居ないんだな
蜀に1、呉に2、北に1〜、のこり適当に1か
やはりあんま余裕ねぇな
鉱山掘る人員があったのかね
蜀の人口、推定180万人だぞ
私算(笑)とやらで出た数字はいらんのだ
どういう計算をして蜀の人口が180万人になったのか知りたいものだ。
どうせ聞いても「お前らには理解できないから教えない」って逃げるだろうけど。
人材は魏が圧倒的に豊かですね
魏の武将達 vs 魏からの降将達
だったし
戦場になって荒らされた分けでも無し、軍勢が壊滅して緊急で大規模徴兵が行われた分けでもない
これらを見るに生産力そのものに大きな変化は無い
1回の遠征に必要な物資の備蓄には2、3年くらいは必要なんだろうけど、
それを1、2年で満たそうとすれば他の分野の予算が削られ、結果として農村の維持などが難しくなるのかもしれない
また、物資の輸送などが効率的に行われなくなったというのもあるのかもしれん
孔明以後なんかは規律が緩んで横領が横行したりなのかもしれん
ともかく、生産力というのはそんな急激に変化するもんじゃない
食料なんか現代でも天候に左右され、毎年上下するんだし
蜀は民衆が飢えてない北朝鮮といったところか
つまり蜀は豊か(笑)なのに魏にまったく太刀打ちできなかった無能国家だといいたいわけか。
もうそれでいいから、二度と妄想レスすんなよw
>>383 完全に正しいイメージじゃんw
蜀を妄想内で豊かだった、といってるお前独りに対して、
入蜀時からの疲弊でどんどん貧しくなっていったんだ、と周囲はいってるわけだからな。
>魏朝廷
あの、第二次の時点で張コウがはっきり予見しているんですけど食料不足。
>>10 の前段に、具体的に「漢嘉の金も、朱提も銀もあてにならない」と産地まで上げて頼りないことを孔明が書き残しているからね。
人口が少ない上、青年層が兵隊に取られているから鉱山労働の効率も悪かったんだろう。
蜀は山奥の国なんだから、鉱山が多くて当たり前だと思う。
蜀の数少ない自慢の一つが鉱山と言うべきか
昔は罪人の流刑地だったようだから、罪人達を鉱山で働かせていたのかな
そのおかげで鉱山が多いということもあるかな
よく出ている話だけど、蜀末期には国庫にあった金銀はわずか各二千程度。
到底豊だったとはいえないわな。
いつの時点で食いつぶしたかは不明だが、入蜀時の論功でのばら撒きとの落差がすごいのは確か。
近代以前の時代に置いて経済的に最も重要なのは、鉱物資源と特産品じゃなくて、
納税人口と食糧生産力なんだよね。そして、その二つは蜀より魏の方が圧倒的。
>>384-386はその事を理解してないのか、それとも意図的に無視しているのか?
>>386 この書き込みには矛盾がありますね。
「上の金属の項目はあくまで「産地」 産出量は不明」と書きながら、
「蜀と魏、どちらが豊かかは歴然だ」とも書いてる。
産出してなければ豊かなわけないのに、まるで産出前提の発言。
「埋蔵量」を持って豊か認定してるのかな?
当時は当たり前だが農鉱業ともに人力オンリーだからな(魏だと足ふみ式の農耕具が開発されたりしたが)。
婦女子層を動員してもなんとかなる絹織物の量だけが異常突出してるのも、人口不足労働力不足の反映だろう。
蜀が貧しいのは劉備から劉禅末期にかけてまで民を搾り取って、漢王室再興なんていう妄想に取り付かれた戦争魔が政権をとり続けたせいだな。
これじゃいくら潜在的な生産力があってもつぶれるわい。
そもそも曹叡ってのは、戦時中でも国内旅行し老人・女のいない男子・子のいない夫婦とかに援助しまくってたよな〜
何度も何度も
曹叡は国が豊かだからって、外圧がちょっと収まるとすぐ土木工事にはしっちゃったからな。
公共事業説もあるけど。
>>383 史書にはっきりと南方の富で、と書いてあるじゃん。
回復した、とかの表現じゃない以上、新たに収奪しだんだろ。
で、その流れが蜀末期のショウ周の孔明が軍事的に圧力かけて収奪されているから、南方では恨まれていますから脱出なんぞ無理です、という言葉につながる。
矛盾もない。
しかし、あんだけいろんな人に諫められまくってるところを見ると、
公共事業と言うよりは単なる散財だったんでない?
政策としての公共事業なら、あそこまで反発食わんでしょ?
トウガイが蜀を征服したあとの建白だと、
駐留兵力は魏兵二万と、投降して組み込んだ蜀兵二万を置いて産業を盛んにして呉に備えよう、といっている。
この手の行政に通暁したトウガイから見たら、当時の蜀は四万の兵を養う程度の力が相当だったということかな。
>>409 それどころか曹丕の時代から国内で住民を移住させては
広大な土地面積を対象に租税免除を行ってるからな
どだい格差があり過ぎるんだよ
>>410 外圧(諸葛亮の死)関係なしに土木事業をやってますよ
勘違いしやすいのよね
別に孔明の死が外圧の目安とも思えないけどね。
第一次は、長安に自ら進んで出るほど危機感を持っていたが、それ以降は緊張感が薄れた、ぐらいじゃないの。
実際に魏軍は地方軍に援軍を加えれば蜀呉同時攻勢にも十分対処でき、
かつ戦略眼だけでいえば曹叡は遠くに居ても情勢をよく把握してまともなこといってるし。
>>415 つまり、蜀が攻めてこようがこまいが、
土木工事しまくるほどの余裕が精神的にも経済的にも、
魏にはあったってことか。
本当に片手間で魏は戦ってたんだな。
まぁ遼東の公孫氏や周辺異民族を含めれば、魏は連年多方面作戦を余儀なくされていたからな。
資源を一箇所にぶち込んで殲滅していくほどの決断はなかなか難しかっただろう。
それが蜀呉の寿命を延ばした大きな原因だろうな。
>>414 曹丕は手堅い政策で有名でしたな
>>415 そうでしたね、曹叡は諸葛亮の北伐を冷静に対応してたしね
あと、魏は戦況の情報収集能力が高いよね
>>417 挙げ句の果てに、燕を討伐するのに4万の兵を一年分の兵糧を消費するし
司馬光が孔明が死んだら安心しちゃって……と言い出したりしたのが原因だろうな。
ってか後年になると蜀ひいきがひどくなっていくんだよなぁ、中国全体で。
蜀の伝だと、南方で反乱が起こったが鎮めました、鉄や塩やらの特産品を異民族から分捕りました、といういかにも漢民族主体の見方のがたくさんあるんだよなぁ。
どんだけ収奪したんだろ。
>>394 いや?問題ないよ
問題があるとすれば、彼らの頭が悪すぎる事くらい
思ってみれば、金銀が多く産出したからって豊かってバカな発想だね
現代社会においてグローバルスタンダードでエコ化が進む中、まだまだエネルギーの主体が石油
その石油の産出が多いアラブを中心とした中東、その中東を敵にしたら石油がストップされ国が破綻に追い込まれる訳
んで、あのサッカーの「ドーハの悲劇」とハンドボールの「中東の笛」などといった難題もある訳
敵にしたくないからね
石油=金銀
中東=蜀
のような因果関係があれば蜀は魏を見下すことが出来て蜀の連中は苦労はしない
極端な意見で申し訳ない...
この時代の石油は食糧だよね。金銀は食えないから。
>>396 >1回の遠征に必要な物資の備蓄には2、3年くらいは必要なんだろうけど、
まともな根拠もなく適当言わないように
>>399 君の脳内では蜀が魏にまったく太刀打ちできなかった事になっているのか?
こりゃ重傷だな
>>400 周囲って誰の事だよw
まさかここにいるお菓子ちゃんたちの事じゃないよな?
>あの、第二次の時点で張コウがはっきり予見しているんですけど食料不足。
まったく読めない奴だね
「懸軍だから」って書いてあるだろ
分かり易く教えると、こういうことだ
陳倉は海底 張郃は魚人 諸葛亮は潜水夫
潜水夫が給気ホースをくわえて海底に潜って来たら、いつ浮上して居なくなるか予想できない
しかし諸葛潜水夫は素潜りで海底陳倉にやって来た
だから魚人張郃は「あいつ息が続かなくてすぐ帰るよ」と予見した
それだけの事だよ
>>424 頭が悪いのはチミだよチミ
>>428 呉の北伐を無しにして北からの脅威がなく魏の全戦力を蜀へ矛先へ…蜀は太刀打ち出来ますか?
ダメだこいつ
>>401 「今民貧國虛,決敵之資,惟仰錦耳。」と勝手に脈絡づけてはいけないよ
「あてにならない」とか適当なこと言ってないでちゃんと訳してみ
あと短絡思考もやめようね
金銀を産出したといっても、鉱石1t掘り出して精製して何十gか採れれば良い方ってレベルだよ。
現代でも採算に合わないという理由で廃鉱になるケースが多いのに、
三国志の当時で経済的にプラスになるような採算ベースで採掘及び精製ができたのかな?
>>404 金銀の残存量に関しては後述する
>>405 何言ってんだw
それは取り柄のない所に住む人間の理屈だろう
>>406 いやー、見事な屁理屈だ
こんな屁理屈らしい屁理屈はなかなかお目に掛かれない(笑
>>407 考え方が間違ってるぞ
絹織物の量が異常突出しているのではない
金銀が異常に少ないんだ
米はあんなもんだろ
あと女子供も農作業や採掘に関わるよ
>>408 「蜀が貧しい」というのが妄想だって
>>433 古今東西どこでもやってるから出来たんじゃない?
お菓子ちゃんって3Mだな
蜀豊は食糧がこの時代の最重要戦略物資であることを知らないらしい。
兵になるのも生産するのも人間。そして、その人間を動かすのが食糧。
食糧が無ければ、特産品も作れないし鉱物資源も採取できないし、
軍隊も維持できないし、それ以前に普通に食っていけないわけですよ。
食糧より大事なものは無いのですよ。それを無視して経済を語られてもねえ。
説得力無いよね。
日本の有名な戦国大名を考えてみ
どこも金銭が物を言った
>>436 >
>>425 >バカな発想は君だろ
へーっ、無意味な資料を引っ張ってきてよく言うな
そういや、現在の衛星写真の夜の世界を見たことあるかい?
現在の中国と三国志の地図を照らし合わせたら蜀の地域は寂れてるのが分かる
内陸地であってもアメリカのセントルイス・デンバー・カンザスシティと雲泥の差
んで、魏と呉の都市は明るく活気があるしね
やっぱ蜀って何ら影響がなかったんだな
ところで、魏が豊だったってのは何を根拠にしてんの?
ただの欲目?
>>442 そうやってのかしても蜀は豊かにならないよ
>>440 このスレで話してるのは、三国時代のことなんですが。
一緒だよ 「近代以前の時代に置いて」と言ってる405も依存無いだろう
君だったら笑えるが
諸葛先生が絹を競争の武器にしようと仰ったが
まさか絹食べようって言ったわけじゃないよね?w
で、魏が豊だったってのは何を根拠にしてんの?
君たちの大好きなケ艾先生がこんな事を仰ってる
「國家前有壽春之役,後有滅蜀之勞,百姓貧而倉稟虛」
たった2回の戦役で、百姓が貧しくなり国庫も空になっちゃったんだとさ
大した国力だこと
君が戦国時代の話をするなら、俺は楚漢戦争の話をしよう。
劉邦が勝てた理由の一つとして、秦の食糧庫を抑えて、
膨大な食糧を手に入れたからというのがある。
あと、史記の貨殖列伝では、食糧が戦乱で高騰したせいで、
食糧庫を横領していた奴が、食糧を売り飛ばして莫大な金銀財宝を手に入れた話がある。
三国時代に戻ろう。曹操は食糧不足に悩み、民屯を導入した。
これで多くの食料が得られ、軍は飢えることなく、
民も食わせられるようになり、食糧不足による混乱は起きなくなり、
食糧目当ての賊も姿を消していった。
食糧はすべてに優先する。金銭は食べられない。これは中国史を通じての常識だ。
蜀も食料が不足してた訳じゃ無いんじゃないのかな。
北伐の時は輸送が問題になったのであって、食料生産力が問題になった訳では無いと思う。
>劉邦が勝てた理由の一つとして、秦の食糧庫を抑えて、
>膨大な食糧を手に入れたからというのがある。
漢中の米だよ
>>448 話がおかしくなってるな
君は金銭など役に立たんと言ったのだろう
金銭が役立たない話をしておくれ
>>450 史記読め。河南の敖倉の米だ。
>>451 食糧が莫大な金銀財宝を差しだしてまで欲しがる人間が大勢いたという話は、
>>448でしたはずだが。あと、後漢末も食糧が暴騰してるね。
金銭<食糧と言うことだ。莫大な金銭を払っても食糧を買いたがる奴はいるが、
自分の食い分を売ってまで金銭を得ようとするやつはいない。
>>452 高祖本紀
漢王軍滎陽南,築甬道屬之河,以取敖倉。與項羽相距歲餘。項羽數侵奪漢甬道,漢軍乏食,遂圍漢王。漢王請和,〜
漢軍絕食,
これ?
俺のはこれ
華陽國志蜀志
漢祖自漢中出三秦伐楚,蕭何發蜀、漢米萬船
食糧>金銭
中原は干魃があるから大変だね
益州は無縁だけど
蜀が食糧に困っていない限り、金銭が食でどうこうなるわけではないだろう
そのまま豊かさだよ
蜀が豊かすぎて魏や呉から人が流れてきて人口倍増。とか
豊かさが心にゆとりを産んで新たな文化が花開いた。とかわかりやすい話は無いの?
兵士や人夫に人を当て過ぎれば食料に困る。
ところで、肝心の金銭、具体的には通貨の直百五銖の流通成功は、
巴蜀単独の高い経済的安定度を示すものだが、
50年ほどの間に次第に小銭化していく。
蜀漢朝廷の財政能力の弱体化を如実に示す証拠だろう。
食料備蓄なら董卓がビにすげー溜め込んでたという記述があったよね
10年分だっけ?
悪貨量産してもこんだけ貯まるんだし余裕じゃね?w
>>455 それはたくさんあるよ。
後漢末の混乱を避けて、関中・南陽から難民が大量に押し寄せ、劉焉・璋政権の中核を担った。
もともと巴蜀は飢饉知らずの土地であり、米を産し、金銀鉄銅塩、木材、魚が取れ、
民の気質は憂いを知らず、輕淫であると。
また、閉鎖された中原から遠い環境のため、独特の蜀学が発達した。
…と、いうのは両漢代の話だから、おそらく455が求めるのとは違うんだろうな。
>>457 ハイパーインフレ起こして貨幣発効差益で自分だけ儲けて経済大混乱
一応董卓は後漢の統治機構巻き込んで死なば諸共の経済破壊だからまだマシだけど
同じことを蜀がやったら自爆だけして終了だな
蜀が豊かだったというのは過去形だな、劉備一行が入蜀してから疲弊の始まり
豊かというのもド田舎だから戦乱に巻き込まれずに他と比べてそれほど荒れてないってだけ
人口90万程度じゃ税収や収穫量なんて期待できない
失礼、180万人でしたっけ?蜀の人口はw
>>456 兵士や人夫に人を多く当てても、
実際困ったかは生産量と消費量の兼ね合いだな。
兵士や人夫に人を多く当てれば生産量は落ちる上消費量は上がるよ
蜀の人口90万なんですか?
政令指定都市にはなれるかもしれませんね
>>458 後漢末期の難民は飢饉ではなく戦乱を避けたものだから,
劉焉時代の蜀や劉表時代の荊州等への流入が多かったのは,
中原から離れていて比較的安定していたからだと思う。
陶謙時代の徐州みたいに悲惨な目に逢った所もあるけど。
蜀は北朝鮮
蜀として一番戦争コストを費やしたのは劉備の対呉戦だろうな。
>>432 お前のちゃんと訳す=俺の妄想に都合のいいように捻じ曲げろ!
だから相手にされるわけないだろw
>>447 うん、その魏より国力が劣ったために呉という同盟者がいても蜀は壊滅したんだよねw
魏は蜀より豊だったの証明がまたひとつ乙。
むしろ曹操が勢力張って、中原が安定したらそっちへ帰る人間が多くでたんじゃないの?
北伐前後を見ても、魏側は蜀の疲弊や内情をかなりの精度で探知しているが、
蜀側は攻撃目標の陳倉の防備が強化されているのを知らず、いって孔明が愕然とするぐらい。
当時の情報は書状か口伝だから、人の流れも蜀→魏だったんだろう。
>>470 そうだな、魏は呉と蜀を渡り合い更に鮮卑とかも相手にしながら平民に援助したり宮殿の造営もした
更に公孫淵討伐してるし
蜀の財源じゃ間に合わないだろう
そして、曹叡が崩じた直後で魏はパニックと思った呉と蜀は攻撃しても止められたしね
まぁ貧富なんて相対的なものだからなぁ。
ただひとついえるのは、大規模な軍事行動やらかしまくって疲弊しない国なんてないってこと。
>>458 大量の難民が押し寄せて、ようやく90万人か。
そりゃ孔明も姜維も住民拉致に積極的にもなるな。
蜀の人口が少ないのは、圧政を嫌って呉や魏に人が逃げたからなのかな。
>蜀贔屓
諸葛セン現象みたいなもんかな。
実際には他人がやったこと(劉備や孔明らにいたっては、他人さえやってないこと)が○×様のおかげだ、と後付でなるような。
日本でも似たようなことあるけどね。他人が作ったのに、加藤清正や武田信玄の手になったことになっている堤防とか。
>魏贔屓
・演義が浸透している世間でマイナーな魏を支持する事で味わった"俺って通"の快感を
もう手放す事が出来なくなっている
・魏志の他志に比べての記述の多さ濃さを、そのまま、活躍が反映されているものと
錯覚していることに気付いてない
・実際は部下のおかげが殆どなのに曹操を非常に高く評価している
・曹丕は評判が悪いので、高く評価せず、あまり好きではない
・まぁまぁまともな曹叡がスーパー君主として崇められる
・大袈裟と分かっているが、自分が好きなチーム・好きな選手が褒められていると
気持ちがいいスポーツ新聞を読むのが好きなのと同じように、魏略が大好き
・たとえ嘘を信じて構成された自分の三国志観でも、
誤りを指摘され、一度構成してしまった自分の世界観が否定され壊れていくのが耐えられない
そんな何倍もの分量掛けて反撃しなくても
>>477 >たとえ嘘を信じて構成された自分の三国志観でも、
>誤りを指摘され、一度構成してしまった自分の世界観が否定され壊れていくのが耐えられない
正に陳寿以降の都合の悪い記述全てを否定して,
自分に都合よく解釈して称賛する諸葛亮信者そのものじゃないか。
・陳寿魏志呉志での蜀臣の記述の多さ濃さを、そのまま、活躍が反映されているものと
錯覚していることに気付いてない
・北伐の失敗は部下の失敗ということにして諸葛亮を非常に高く評価している
・姜維は評判が悪いので、高く評価せず、あまり好きではない
・大袈裟と分かっているが、自分が好きなチーム・好きな選手が褒められていると
気持ちがいいスポーツ新聞を読むのが好きなのと同じように、魏志の関羽・諸葛亮描写が大好き
てなところか。くだらないな。
都合が悪い事など何も無いと言ったろう
第一、都合とか俺に存在しないしな
誤っているから否定する それだけのことだ
>>476 君らの偏見から蜀を擁護してるだけであって別に蜀贔屓じゃないぞ
公正に見ているだけだ
482は誤解されかねないので書き直す
ほんと君の指摘文は的外れでくだらないな
485 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/02(金) 20:40:49
蜀は食糧不足で撤退したとはいえ、食料そのものが少ないわけじゃない
ロジスティックな問題だろ
大体、3000メートル級の山脈がそびえる中、輸送部隊も馬担いでいったり
マゾってもんじゃない
ぞ
いい加減に思い込みを捨てなよ 君たち
>>484 諸手を上げて賛成するよ。
的外れでくだらない指摘に対して、同レベルで応じただけだから。
488 :
486:2010/07/02(金) 20:45:15
魏富蜀貧の思い込みね
>>483 お前の公正な目で見た、豊かな人口180万の蜀が天然の要害を有しながら、
貧しくて人口の多さと国土の広さだけの魏に滅ぼされた理由を教えてくれ。
君の話を聞いてると、魏が蜀を滅ぼせるわけがないと思うよ。
>>456 >兵士や人夫に人を当て過ぎれば食料に困る。
食糧に困った事実がないのによく言うよなw
食糧生産を疎かにしたなんて君の妄想オンリーだろ
>50年ほどの間に次第に小銭化していく。
>蜀漢朝廷の財政能力の弱体化を如実に示す証拠だろう。
何をどう如実に示しているというのかw
逆だよ、逆w
経済が発達していた証だ
考えてみ
今の世の中に1万円札と500円玉しかなかったら、どうであるか
物が買いにくくて、その分経済活動が鈍化するに決まっているだろう
100円玉があるという事は「小さな商売」が可能であるということだ
牛乳が2本500円・ジュースが5本500円 と、まとめてしか売ってない社会と
牛乳1本200円(量調整)・ジュース1本100円と、単個で買える社会
どちらが物がよく売れ(消費され)景気が良いか
考えれば分かるだろう?
491 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/02(金) 20:52:56
魏って物々交換の世界だったんだろ?
「こんなもん、ケツを吹く紙にもなりゃしねえってのによ」状態まで治安が悪化していた。
一方、蜀は銭で納税が行われるほど貨幣経済が浸透し治安が維持されていた
>>485 うん。確かにロジスティクスの問題があったかも。
ただ、攻めにまわった魏軍はそのロジスティクの問題をクリアしてるね。
>>461 董卓はインフレに対応すべく改鋳したにすぎない
>>490 同じ額面の「直百」銭を、大きさを変えて発行して、異なる価値で同時に流通させることを計画するなんて、
なかなか画期的な経済政策だね。
495 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/02(金) 21:30:39
「直一」のことだよ
ところで、小さい直百の素性ははっきりしているのか?
>>462 推定ね 180万というのは
実人口94万とか思っている奴は明らかに馬鹿だ
一戸平均3.36人ってw、蜀は一州挙げて一人っ子政策でもやってたのか?
平均3.36人じゃ人口は維持できないぞ
「口」が一般的な表現なのに、なぜ「男女口」なのか、少しは考えようね
>>467 魏呉もな
>>469 君、原文知らんのだろ?
それで語るとは…
語るだけならまだしも、過ちを指摘されて逆ギレとかアホの極みとしか言いようがない
>>470 >>489 蜀は豊かだったが、愚かな劉禅が宦官の黄皓を寵愛から国政に参加させてしまった
それが為、愚かで私欲の強い小人らの専横を招いてしまった
国が上手く機能しなくなり、その為に防衛も計画通りに運ばず、敵の侵入を許し
後手後手に回ってしまった
サッカーイタリア代表のカテナチオでもCBを一人動き出しを30秒遅れさせたら
守備崩壊してボールを持った敵をゴールエリアまであっさり侵入させてしまうだろう
蜀滅亡と豊かさとは関係のない話だ
>>496 一戸平均3.36は確かに少ない。
だがそれは、実人口がもっと多かったことを意味しない。
なんらかの書写の誤りだった場合、戸数が正しく実口数がもっと増える可能性と、
口数が正しく、実戸数がもっと少ない可能性が同等にある。
一戸4人台という地域が普通に存在しうる以上、呉の一戸4.34を疑う理由は皆無であるし、
呉の「男女口」を成人人口と看做せない以上、蜀の「男女口」を成人人口と看做す理由は存在しない。
ましてや、「6.47」という数字を代入する正当性は何もない。
新史料が発掘されない限り、当面は口数94万を利用する以外に選択肢はない。
呉蜀の「一戸の成人口」が3台と4台という大きな開きがある時点で、「一戸6.47」という画一的な設定が
そもそも非現実的だということに気付くべき。
それでも納得できないなら、
>>209に応えること。
数日間ほとぼり冷めるまで逃げ出してた宿題の一つだ。
コイツ、無駄なこと言って説得力ないんだよな
>>498 つまり、天険がなければ蜀は自国内でさえ魏軍に勝目が無い程度の
地力しかなかったってことになるぞ。
蜀は援軍の遅れで陽平関を突破されたとはいえ、その後3、4ヶ月間の防戦を
戦っている。
国力充実した状態で、数ヶ月も、長距離遠征の魏軍を押し返せないってのは…
>>471 魏略根拠に語っても「そうだ、そうだ」と同調してくれるのは
何も知らない初心者か、曹魏患者ぐらいなもんだろ
>>472 470と同レベルだな
>>473 身体ならね
蜀が北伐で経済的に弱体化したというのは妄想だよ
>>474 成人人口はね
>>475 蜀は別に人口少なくない
国土が魏呉に比べて大きくないので、相応に人口も魏呉より多くないというだけ
蜀の民は皆、劉備・諸葛亮LOVE
>>499 晋280年の調査で旧蜀領は31万4600戸だった
263年28万戸というのはおそらく正しいだろう
可耕地限界に達していたと見られる後漢の数字は三国時代で通用しない
一戸に割り当てられる農地の限界が、その戸が養える人数の限界だ
要するに、後漢は人大杉で土地がなく、一戸あたりの耕作面積が小さかった
当然アガリも多くないので、養える人数が少ないというわけだ
>ましてや、「6.47」という数字を代入する正当性は何もない。
何の話だ?
>>195-197を読み直そう
>
>>209に応えること。
>>309で答えている
>数日間ほとぼり冷めるまで逃げ出してた
笑 逃げ出すわけないだろう
都合で来れなかっただけだよ
やっぱコイツ、公平と言いつつ蜀よりの奴なんだな
公平とは言ってない 公正だ
公正か
まいいや
敵は大軍だったからね、と答えてる
この大軍のランコスは考えたことあるか?
>可耕地限界に達していたと見られる後漢の数字は三国時代で通用しない
>一戸に割り当てられる農地の限界が、その戸が養える人数の限界だ
>要するに、後漢は人大杉で土地がなく、一戸あたりの耕作面積が小さかった
>当然アガリも多くないので、養える人数が少ないというわけだ
そんな社会情勢を今でっち上げられても困るな。
田地ってのは基本的に私田だよ?「割り当て」って何よ。
揚州などを中心に耕地拡張が盛んに行われていた後漢最盛期で
一戸辺りの耕作面積が少なく、
社会情勢の悪化から再生産可能な面積が減り、人口が流出した三国時代で、
一戸当たり6以上の家族を養っていたというのはどんな現象?
6.47を引用している唐代はそんなに汲々とした時代だったんだ?
唐と三国では技術が違うとか言ったら終わりだよ。
それなら三国時代に6.47を代入したことがそもそも誤りになる。
>>508 分かった、あれだ。
敵地にして魏の大軍を養える程に
蜀の地は豊かだった
こう答えるのではなかろうか。
>>510 ふーん
そんな程度の答えしかできなかったか
>可耕地限界に達していたと見られる後漢
すげーな。
人口六千万にも届かない段階で開墾し尽くしちゃったのか。
ところで、
>>209にレスがない。
>冀州だけは1人ばかり多いが、あとは大差ないじゃないか
嘘だし。冀州は7台、揚州は4台。
>>「成人男女のみ」というずさんで例外的な把握の仕方をし、
>ずさんとは限らないだろう
どうずさんとは限らないのか、この時代の戸籍把握の意義とと税、特に徭役体系から論じてみなさい。
>>508 蜀の人口で魏と同数の大軍を養ったらそれは大変だろう
しかし魏は国土も大きく人口も多いだろ
どうして魏のランニングコストを考慮しなきゃならん?
魏は魏、蜀は蜀だ
余裕がないのに魏は頑張ったな
>>509 >そんな社会情勢を今でっち上げられても困るな。
わりーな、これ俺のオリジナルじゃない
君らの大好きな「学者さま」のご意見だ
>揚州などを中心に耕地拡張が盛んに行われていた後漢最盛期で
>一戸辺りの耕作面積が少なく、
後漢最盛期は揚州が開発されたあとだろう
要するに揚州開発後の数字だろう
>社会情勢の悪化から再生産可能な面積が減り、人口が流出した三国時代で、
>一戸当たり6以上の家族を養っていたというのはどんな現象?
人が減った分土地がある
魏領も1戸の平均人数後漢より上昇してるぞ
>それなら三国時代に6.47を代入したことがそもそも誤りになる。
だから、「6.47」という数字はどこから来たんだよ?
>>513 >ところで、
>>209にレスがない。
頭がおかしいのか?
>嘘だし。冀州は7台
嘘じゃねーし
冀州 戸 908005 口 5931919 平均 6.53
揚州 戸 1021096 口 4338538 平均 4.25
全州 戸 9323241 口 47813243 平均 5.13
>どうずさんとは限らないのか
おま、309に書いてあるだろ
君のがな
また嘘ツキの蜀豊が来たよ
蜀豊は勝手にソースを捏造するからそこからわからせないといけない
>>1で蜀は人口少ないと言っておいて自説の蜀豊論のために蜀180万人なんて者まで捏造するしな
>>509 >君らの大好きな「学者さま」のご意見だ
しらないなあ。一戸の人数が多い地域が豪族の伸張した豊かな地域だという説は古くからあるが、
「一戸あたりの耕作面積が小さかった当然アガリも多くない」なんて説は聞いたことがない。
誰の説?
で、「割り当て」って何よ?
>>516 うんごめん。
7台に入ってるのは冀州では安平郡だけだった。
冀州を除いても、益州の4.1と青州の5.8で大きな開きがあるね。
元々冀州を除く周縁部は戸口比が小さいんだよ。3台の郡はちらほらある。
>>309ってことは、「成人男女口しか登録しない」が蜀呉の正式な戸籍簿だったことにするわけだ?
それはつまり、生まれた赤ん坊がいつ徴兵可能年齢に達するか把握できない、
ずさんな管理だというわけなんだよ。そんな誤魔化しを防ぐために、歴代王朝は毎年の追跡調査に力を入れたわけだ。
民の方も、老父母を車に乗せて更新しにいった。
二カ国がそんなずさんな名簿しか持っていなかったというのは、特に諸葛亮を中心とする厳格な政治を
敷いたという評価の蜀漢の体制に大きく反するね?
兵役徭役にそんな抜け道がある柔弱な國が、統制の取れた強兵を仕立てるのは不可能だよ。
俺は1じゃないぞ
しかし180万でも魏に比べれば少ないな
>余裕がないのに魏は頑張ったな
これは魏貧願望であるのネ
まだまだ蜀と呉と啀み合ってるのに燕を滅ぼすことが出来ないことになるナ
一般論無視して説得力皆無の自説をごり押しするからな、蜀豊はw
勝手に後漢書とか引っ張りだしても困るし。
わりかし時代が近い晋書のほうが信頼できる。
晋書には州郡ごとの人口が載ってないから使えない。
「戸口比には地域に拠って2以上の差がありえる。だから一律6という話は成立しない」と言ってるだけだよ。
後漢の戸口比をそのまま三国に当てはめろとか言ってるわけじゃない。
劉備の入蜀時点での益州が口90万、戸20万だったから、4.5。
まともな根拠無しに願望だけで蜀末期の人口を増やすとしても、
最大で戸28万、口126万が限界かね。
戸28万が正しいという根拠がないのが最大の問題。
蜀豊の恐ろしいところは蜀末期ですら豊かだと言い張ってるからなw
蜀末期の疲弊に関しては いくらでも記述あるのにw
魏の1戸あたりの人が多いのは強制婚姻、屯田政策の賜物だろう
後漢から人口が激減したんですよね?10分の1とか
だったら後漢書の内容から人口だけでなく様々なことが変わったんじゃないでしょうか
そうなると後漢書で三国時代のことをどれだけ語れるでしょうか
それだけ情勢が激変し、地域格差も拡大したと考えられるのに、
魏も呉も蜀も等しく一戸辺り6.47人の家族を養っていた、と。
94万か・・・千葉市と同じくらいだな
>>520 >しらないなあ。
笑 何、その「俺は大抵の事は知っている」みたいな口ぶりは?
>誰の説?
「一戸あたりの耕作面積が小さかった」
は加藤徹氏の説だよ
>で、「割り当て」って何よ?
辞書引けよ
>冀州
益州は4.74な
司隸は5.04
ちなみに魏領の平均は5.53だ
郡単位で言えば、ちらほら平均人数の少ない郡が存在している
しかし決まって近くに非常に多い郡が存在し
州単位ではどこも平均化されている
思うに、"少ない郡"から"多い郡"へ人を出させ開発させたんじゃないだろうか
その結果がこういう形になって出ていると考えられる
>
>>309ってことは、「成人男女口しか登録しない」が蜀呉の正式な戸籍簿だったことにするわけだ?
以下は答える必要ないよね?
>>524 願望ではなく事実だよ
>>525 せめて一般レベルの思考力が君にあれば…と思う事はあるよw
>>526 ほんと何も分かってない奴だ 君は
>>527 え〜っと、もういいよね?
>>528 それ「男女口」
未婚者が結婚したと考えれば
戸数はぐっと上がる
それ以前に、皇帝即位が国威掲揚だったので、劉備時代の数字は鯖を読んでいると思われる
>>529 君らの思い込みだ
>>530 おまえほんと3Mだな
めげない(何度論破されても)
曲げない(自分の意見を)
学ばない(何ひとつ)w
>>532 だから6.47って何だよ
ちなみに、特別に多い冀州を除いたら、魏領の平均は 5.34
どこもそんなに変わらない
>>493 インフレに対応して「小銭」を発行するバカがどこにいるんだ?
董卓はインフレに対応してさらに貨幣の質と大きさを引き下げつつ額面は同じままにしたものだから
貨幣への信用が失墜してインフレを増進してる
意図してインフレを起こしてないなら董卓はとんだボケだな
と同時に董卓の築城費などの抽出方法を探らないといけないな
やっぱコイツ最高にアホだ、魏について何で知らなきゃならん?と言っておいて
魏が貧しいと妄想してるくせして真実と嘘をついている
アホってより病気だろうなぁ
加藤 徹(かとう とおる、1963年 - )は、東京都生まれの中国文学研究者、小説家。
この人? 他に同姓同名の歴史学者がいるの?
これって蜀豊 自身のことだろw
自説のために蜀180万人なんて嘘ついてめげない、曲げない、学ばないw
>めげない(何度論破されても)
>曲げない(自分の意見を)
>学ばない(何ひとつ)w
魏のほうが蜀なんかより豊なのは確かなんだけどね
蜀は豊だった(キリッ
は、かまってちゃんでしょ
前々からわかっていたことだが、自分の妄想内でさえ矛盾する蜀豊君素敵w
まぁ妄想レス乞食はかまってもらえるうちが華だからせいぜい笑えるネタを提供してくれたまえ。
1州単位で比べると確かに益州は豊かなんだが蜀豊の場合、益州一州(プラス二郡)のほうが魏(中国の三分の二)より豊かとか言っちゃってるからなw
戸籍どころか人間扱いされてたかも怪しい異民族からの搾取で国と軍隊を持たせていた状態だからな……。
つうか、蜀がそもそもいつ、どの観点から豊かだったのか、さえ蜀豊ははっきりといわないからな。
はっきりさせるとさらにどん底に落ちるから、と予防しているのかもしれんが。
中原は古来から中国でもっとも富裕な地だが、南宋時代には荒れ果て、逆に後進地だった江南が国家の財源の中心になった、というような歴史の流れの中の変動はあるのは当たり前なのに。
>さえ蜀豊ははっきりといわないからな。
ただ知らないだけ。
後漢時代に150万戸を数えた益州が、蜀末期には30万戸足らずまで激減した、いつ何が原因でこんだけ急速に荒廃したのかを議論しているんだと思ったけど。
妄想で蜀豊かだったといい続けているのが暴れているだけかよw
相手いちいちしている人たちご苦労様。
兵士は常時大国と戦闘状態だからまだわかるんだが、官吏の多さはなんなんだろうな蜀は。
こいつらだって食わせて給与支払わなければならないだろうに。
山がちで交通の便がよくないから、いちいち地域ごとに大量の官吏を常駐させないといけないとかの状態だったんだろうか。
>>520 スレの流れとは違うけど、
戦争で強いかどうかは、強兵かどうかよりも戦略が優れているかどうか。
弱兵では弱くなってしまうだろうけど、強兵だったら強いというものでも無い。
強兵や戦術的勝利にこだわるあまり、負けるという事もあり得る。
551 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 18:33:45
三国時代では魏の騎兵戦に対抗するために蜀では歩兵の武器、特に弩の配備に力を入れた。
政府直轄の工房では高度に規格化、分業化され、威力(石)、製造年、製造工房、製造責任者など
が刻まれていた当時の最先端の兵器だった。
蜀が魏に対抗できた理由のひとつに独自で鉄鉱山を抑えていたことが大きく、これは鉄製の武器や
防具の製造以外にも、鍬や鋤など農具にも使われ、灌漑などの土木工事でも威力を発揮した。
>>551 弩は後漢時代から広く中原で使われてます。当然魏も弩を使ってます。
魏も独自で多数の鉄鉱山を抑えてます。
あなたの言うことは、いずれも魏にも当てはまることで、
蜀の魏に対する優位性を示すことにはなりません。
>>548 劉備に付いてきた連中はもともと蜀に基盤がないから,
官位に就けないと生活できないのもいたんじゃないの。
555 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 19:08:53
>>551 この当時の技術で採掘できる分の鉄について魏は彫りつくしてしまった感があるな
だから魏はもうほとんど鉄を採掘できなかったと思われる
さらに致命的なのは
魏について薪資源もほとんどなく、よしんば鉄がわずかに採取できる鉱山もっていても
加工が困難
だから優れた武装という点においては鉄装備+弩を備える蜀は圧倒的で
皮装備と投石中心の魏は、蜀軍と同数の戦いにおいては負けまくった
実際、平地での戦いで蜀は圧倒的で、数で勝る魏が城に立て篭もるような戦いを強いられていたのはそのせい
実際、魏将の射殺率も高いでしょ。蜀将が討ち取られることなんてほとんどないけど
そんな優位な装備があっても負けた=蜀無能説だろ、いつもの。
>>555 >この当時の技術で採掘できる分の鉄について魏は彫りつくしてしまった感があるな
>だから魏はもうほとんど鉄を採掘できなかったと思われる
>さらに致命的なのは
>魏について薪資源もほとんどなく、よしんば鉄がわずかに採取できる鉱山もっていても
>加工が困難
三国志にはそんな記述は無いのだが、どこから拾ってきたソース?
>>555 1000人の兵で守る陳倉城を数万で囲って落とせなかった同じ蜀軍とは思えないな。
曹操父子が鍛えさせた鉄刀、外国にまで下賜された魏製(後、晋)の鉄武器ってこいつの脳内ではまったく抹消されているわけ?
>>558 >>555じゃないけどトウガイ伝で似たようなことをトウガイが言ってるよナ
しかし、優秀な軍人であれば敵を持ち上げる傾向がある
陸遜が劉備を破ったときもネ
でも、やはり国力(豊か)が高い魏が勝ったんだよネ
>>537 インフレを起こしたのは董卓じゃないんだよ
他の地域がインフレを起こし、平和だった洛陽はそのままだった
外の物価高について行けず相対的に司隷は金不足・物不足に陥る
そこで董卓は銭を急造して外のインフレに対応しようとしたわけだ
その後曹操支配下の中原で董卓銭を模倣する改鋳が密かに行われ続け
魏は悪貨で溢れかえる事になり、貨幣経済が崩壊した
魏はその失態をすべて董卓の所為にしたというわけさ
兵が強ければ目先の戦には勝てるが、食い物がなければ結局敗れる、とケ艾はいっている。
だけど、そのケ艾伝の後段で、呉に備えるためにわざわざ蜀の鉄産業を盛んにしよう、と建言しているんだよね。
野戦でも蜀軍はやっぱり負けるときは負けているし、そんな優劣があったとは思えないが。
564 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 19:59:15
いくら石と皮の貧相な軍隊といっても城に自分より多い兵力相手に引きこもられたら勝てないだろう
戦国日本軍が最終的に朝鮮を占領できなかったのと一緒
>>538 お前がアホだよw
どこをどう斜め読みすればそんなふうに誤読できるんだ?
>>564 おい、陳倉戦なら魏はわずか一千、蜀はいろいろ新兵器そろえた数万。
これで勝てなかったんだぜ。
だいたいその貧相な軍隊(笑)にやられたのはその一度きりじゃないし。
それに石と皮って……嘘つくにしてもせいぜい銅器程度にしておけよ。
568 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 20:04:29
一応、俺は蜀豊じゃないことはいっておく
もちろん総国力では魏の方が上なのも認めている
ただし、魏は数で劣る蜀相手に平野での戦いでは負けまくっていたのは事実
それでも魏を非難する期はない。弱者には弱者の戦いがある。
圧倒的強者の蜀軍に対して城に引きこもり、兵糧切れまで粘るのは正しい戦い方
向こうは日本アルプス並みの山を越えてきている相手だ。いつかは物資も途絶える
569 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 20:06:00
>567
>それに石と皮って……嘘つくにしてもせいぜい銅器程度にしておけよ。
魏は銅山がないから銅を武器にすることは鉄よりありえない
それに投石は立派な戦い方だよ
>>568 はいはい、嘘や妄想の仕方がそのまんまだから別人だって逃げても無駄だって。
つまり平野なら無敵(爆笑)なはずなのに魏軍に勝てなかったり逆に負けたりした蜀兵は無能の集まりなんですねわかりました。
曹丕時代には鉄刀はもちろん、匕首とかの副武器だって鉄で作っているんだが魏は。
あと、あまり話しに出ないけど呉も鋼刀製造しているし。こっちは南越産の銅製武器の記録も見えるが。
>>540 生憎論破されたことがないんでね
君らとは違う
にしても、「推定」を「嘘ついた」と変換する君の頭は終わってる
>>541 君だろ、かまってちゃんは
>魏のほうが蜀なんかより豊なのは確かなんだけどね
つっこんで欲しいのかい?
>>542 それ以前に君が矛盾という難しーい概念を理解しているものか疑問だな
573 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 20:12:41
中国で革と言っても色々あるが最高級品が犀の革で、
春秋戦国時代の著作物である「呉子」に、犀の革を大量につかって装甲を造った話が載っている。
漢の軍制だと、鎧も規定数があって常に維持されていたので三国時代も常備軍兵士は鎧があるのが建前だろうな。きっと。
蜀が滅亡した時に蜀の残存戦力帯甲十万、みたいな記述があったと思ったが、
帯甲は言うまでもなく鎧を装備した兵士であって、それは訓練が行き届いた正規軍兵士という意味も兼ねているわけで。
でも魏だと鉄製鎧は高価なのでやっぱり身分が高くないと厳しいだろうな。
>>572 つまり
>>1とかの以前の主張は引っ込めるんだな?
だったら人口180万(笑)という前に、フカしてごめんが先だろ負け犬。
>>573 また妄想がひどくなったが、
その理屈でいうと蜀軍の第四次の戦果にある甲首(兜装備の首)三千・鎧五千も否定するわけだな?w
>>543 君は「豊か」の観念がおかしいんじゃないか?
>>317の 国民総所得 A国8兆ドル B国5兆ドル
A国とB国、どちらが豊かだと考える?
きっちり答えてくれないかな
>>544 諸葛亮は愛されてたのに、そういう扱いをしたと思う君の頭は普通じゃない
最近の蜀豊は妄想がひどくなるばかりの一方、
書き方や時間帯で丸わかりなのに別人だといったり、書いたレスをほっぽりだしたりで劣化の一方だな。
さすがレス乞食の大物は違うぜ(爆笑
579 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 20:28:14
>>576 その理屈ならインドや中国は豊かということになる
俺は蜀豊じゃない(キリッ
総国力で魏のほうが上だと認める(キリッ
その国力は財力に含まれるんだよね〜
言ってることが矛盾だらけ
もうこれ以上、墓穴を掘るのはやめよう
581 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 20:31:20
現実をみれば、魏は1/10の人口の国を滅ぼすのに何十年もかけるばかりか、逆に攻められている
平野での戦闘には勝てないから城に引きこもるしかなかった。これが現実だろう
>>545 >どの観点から豊かだった
言ってる意味が分からんな どの観点ってどの観点だよ
>南宋時代には荒れ果て、逆に後進地だった江南が国家の財源の中心
それは単なる漢人視点だろう
そのくらい分別しろよ
>>546 お菓子ちゃんのおかしな観点で斟酌しろと言われてもな
どんなおかしな事考えてるかわからないからね
>>547 益州の荒廃を議論しているなんてこと思ってるの君だけ何じゃないか?
そんな事を思わせるレスってあったっけ?
あとね、蜀が豊かというのは妄想じゃないんだよ
根拠あってのことさ
むしろ魏が豊かだったというのが妄想でね
>後漢時代に150万戸を数えた益州が、蜀末期には30万戸足らずまで激減した
ひと言で言えば時代の流れなんだろうけど、何があったのかね
魏領も後漢時代572万戸を超えていたのに公称66万戸までに激減している
583 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/03(土) 20:46:41
蜀180万人で蜀は豊かとか妄想垂れ流してる蜀豊がなんか言ってんぞw7
だから蜀が豊かだったというちゃんとしたちゃんとした根拠出せよ
お前の妄想や私算はどうでもいいから
>>563 しれっと嘘言わないように
>>578 君は病気
>>579 そうだね
A国は魏に通じ、B国は蜀に通じる 極端だけどね
国として魏の方が豊かだったと主張するということは
A国の方が豊かだと考えるという事だよ
>>580 疲れてるんだろう? もう寝なさい
>>581 5分の1だよ
585 :
小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/03(土) 20:52:43
武豊
蜀豊の妄言
・蜀は豊かだから何度外征しても疲弊しないw
・蜀 180万人w
・疲弊したとある書は心身が疲弊したのであって経済的にはまったく疲弊していないw
自分的にヒットしたのを簡単にまとめてみたけどまだなんかある?
「推定」をつけ忘れないように
>>587 俺は蜀豊でない公正の立場(キリッ
魏は総国力が高くとも貧しい(キリッ
推定を付け忘れるな(キリッ
蜀豊の妄想推定 蜀は180万人(笑)
蜀豊自身が180万人とか言っといて今度は推定とか言い出したよ
そんな嘘ついたって誰も信じないし騙されないってw
こう書いてくれよ
蜀の男女口94万人は「成人人口」 総人口に非ず
蜀の真の人口 推定180万人
>>195-197 おまけ 蜀呉は多産奨励政策を執っていた可能性あり
>>309
>>581 君は小学校からやり直した方がいいかもな
〜の可能性があったとか言い出したらきりがないんだよ
あほの蜀豊は妄想ばかりだしな
対する
魏豊蜀貧(失笑
蜀の男女口94万人は「総人口」
一戸平均3.36人という人口維持もできない恐るべき過疎状態
蜀は一人っ子政策をやっていた
とまぁ非現実的な思考
蜀のみ94万人の表記は成人人口表記なんだw
滅びた時 金も銀も兵糧もほとんどなかったのに蜀は豊かw
蜀豊は嘘ついて得することでもあるんか?蜀180万人なんて妄想垂れ流して
推定→推測→想像→妄想
>>597 呉もだよ
ちゃんと勉強した上で口を出せ
>>598 「推定」と言ってるものを「嘘を言う」と言うなんて、もの凄ーーく、頭が悪く見えるぞ
根拠が無ければ妄想でしかない
根拠がないものを妄想という
だよ 魏豊蜀貧くん
最初推定なんて言ってなかったのにあんまり笑われるものだから推定と言い出したなw
蜀180万人とか言うなんてもの凄ーーく、頭が悪く見えるぞw
蜀が滅びた時 金も銀も兵糧もほとんどなかった→これは妄想ではなく事実なんだがな
>>604 だから小学校からやり直せと言ってるだろう
君は語力が育ってない
人口を水増ししたほうが余計に貧しく感じるね。
28万戸に1戸あたりの妄想6.5人を掛けて推定180万人(笑)
真面目な話、どういう根拠で180万になるんだ?
現在の日本の未成年者の割合が14%、アメリカで25%。
かなり多めに見積もって総人口の50%が未成年者だとしても、
135万にしかならない。
蜀豊論・・・・自分の言ってることはすべて正しくわからない奴は馬鹿
というか当時の未成年って何歳だっけ。
大体蜀180万人説なんてここの蜀豊だけが言ってるだけの妄言なのにそれを納得しろというのが無茶
>>608 はて、穀物は兵糧にだけ使うものではないし、
全国から税収が集まるはずの成都に穀物の蓄えがほとんど無いのは、
これまでにさんざん指摘されたことだが、
君は「兵糧に使ったんだろ?」の一点張りで全然解いてないよ。
全国から税収が集まる首都に四十万斛しか穀物が無かったってことは、
そもそも税収が少なかった。蜀の財政は破たんしてたって事じゃないかね?
あと、異様に少ない金銀に付いても解いてほしいな。
兵糧に使っただけで穀物の蓄えがなくなったならそこまで蜀は疲弊してたということだよな
>>611 >かなり多めに見積もって総人口の50%が未成年者だとしても、
>135万にしかならない。
どういう計算だ?
平均寿命約80才の現代の、未成年者の比率が参考になると思う?
>>614 ごめん 君らがあんまり頭が悪い上に態度が悪いから
ついなっちゃうんだよね
>>616 >穀物は兵糧にだけ使うものではないし
何に使うんだい?
>全国から税収が集まるはずの
集まらないはずの成都である事は過去に説いた
>君は「兵糧に使ったんだろ?」の一点張りで全然解いてないよ。
ちゃんと読めよ
>全国から税収が集まる首都に四十万斛しか穀物が無かったってことは、
>そもそも税収が少なかった。蜀の財政は破たんしてたって事じゃないかね?
完全に誤った思い込みで構成されているんじゃないか?
>あと、異様に少ない金銀に付いても解いてほしいな。
そのうちな
過去に君が言ったことは誰も納得してないしいつも論破したといって逃げ回ってるだけだろ、蜀豊は
納得できないのはそちらに問題がある そこまでカバーしないよ
>>620 官吏の俸給、災害時の救済用、金銭との交換、物品との取引、
役務に動員した民衆への報酬と食いぶちなどなど。
食糧はこの時代一番の万能貨幣なんだよ。
いくら貨幣経済が発達してても、食糧の経済的価値には及ばない。
君ら自治ごっこ用のコテもってるだろう?
コテつけてやらないか?
蜀豊の言ってる妄言を全部信じろとw
説得力皆無の珍説言っておいて根拠も出さない、出しても自分の妄想
資料よりも自分の妄想を優先する蜀豊になに言っても無駄だな
おっ、蜀豊が窮まってコテ付けろだとさ
コテつけて俺は蜀豊じゃないが〜とか自演するんだろw
>>623 >官吏の俸給
俸給は銭・布だろう
>災害時の救済用
兵糧だろう 救済するとも限らないが
>金銭との交換
足りていないとすれば貴重な米を売る道理はないな
>物品との取引
なぜ米で?
>役務に動員した民衆への報酬と食いぶち
労役はタダ
>>625 君らが史料を読めておらず妄想に陥っているという話だよ
628追加
にしても、それらは成都に米を集める理由にはなってないよ
蜀豊は自分の都合のいいところだけ史料を読んでる
都合の悪いところは無視してな
都合の悪いところを指摘されると都合のいいように妄想を垂れ流す
君らが史書を読めておらず妄想に陥ってると言う話だよ(キリリッ
つまり蜀豊の脳内ソースを読めって?
無理なんですけど
前から言っているように都合の悪い史料などおそらく存在しない
結局のところ、兵糧がないと戦えないんだからそれらの蓄えがない時点で終わってるよ、蜀
>>628 >官吏の俸給
>俸給は銭・布だろう
後漢や三国時代では穀物で払われるのです。
>災害時の救済用
>兵糧だろう 救済するとも限らないが
災害時に食糧を放出しない政権は、まともではありません。
>金銭との交換
>足りていないとすれば貴重な米を売る道理はないな
金銭との交換に必要なのに、まったく足りていないから問題なんだよ。
つまり、金銭との交換用に必要な穀物が確保できてなかったってことだ。
>物品との取引
>なぜ米で?
穀物にはそれだけの経済的価値があるから。
貨幣経済が発達してても、普通に穀物での取引はあった。
>役務に動員した民衆への報酬と食いぶち
>労役はタダ
そんなことしてたら、生業を中断させられて役務に動員した民衆は飢え死にする。
蜀が疲弊してたことを書かれてるものでも心身が疲弊していたが書いているのであって経済的には疲弊していないだもんな、蜀豊はw
三国時代って穀物の値段が跳ね上がってるしな
>>634 >>138-139 >>635 >後漢や三国時代では穀物で払われるのです。
そんな決まりはない
食糧が貴重な戦乱期に、銭があるのに米を配る理由が何処にある?
>災害時に食糧を放出しない政権は、まともではありません。
災害に備えて余分に備蓄している政権があるの?
軍用米の転用でいいと思うけど?
>金銭との交換に必要なのに
なぜ金銭との交換が必要なのかな?
>貨幣経済が発達してても、普通に穀物での取引はあった。
買い手は誰?
>そんなことしてたら、生業を中断させられて役務に動員した民衆は飢え死にする。
飯は食わせるが、代価は払わないよ 税の一種なんだから
銭も金もなかっただろ、蜀末期
一応、言っておくが
中山の蘇双と同じく中山の張世平は劉備に多額ね資金と馬を寄与している
その中山は魏である
643 :
639:2010/07/03(土) 22:56:15
銭も兵糧もね
まあ銭も兵糧も金もなかったのは確かだから問題ないか
優しいな、みんな
蜀豊なんかにかまってげて
>>638 >
>>138-139 お前の妄想を根拠にされてもな。
>そんな決まりはない
>食糧が貴重な戦乱期に、銭があるのに米を配る理由が何処にある?
そう決まってるのだから仕方ない。秩石という言葉をご存じ?
官吏のランクは俸給となる穀物の量で測られるの。
そして、穀物は貴重だから俸給としての価値があるんだよ。
>災害に備えて余分に備蓄している政権があるの?
>軍用米の転用でいいと思うけど?
そんなの普通の政権ならどこでもやってることだが。
あと、兵士が消費する米と飢えた民に食わす米では、後者の方が桁違いに多い。
>なぜ金銭との交換が必要なのかな?
穀物は換金商品としての価値が高いから。
>買い手は誰?
豪族から商人から民衆から異民族まで様々。
>飯は食わせるが、代価は払わないよ 税の一種なんだから
代価も払うよ。でないと、労役中、労働力を取られた家は飢えるからね。
>滅ぼされた時の記録からわかる
分かるわけないだろう
>金銀
拾った財布の中身を見て、君らが思う事
30万円入った財布の持ち主は金持ちで
3千円しか入っていない財布の持ち主は貧乏 か?
ある一瞬の状態を切り取ったものだけで、それが判断できるのかい?
裕福ではないが、たまたまその日に大きな支払いがあり現金が必要で
大金を財布に入れて目的地へ移動中落としたという事もあるだろうし、
高価な物を買い物しまくった帰りで、所持金が底を突いていた金持ちもいるだろう
君らのやっている事は
例えば
北島三郎の財布を拾って中を見てみたら3千円しか入ってなかった
→ 北島三郎の貧乏発覚! → 北島三郎は事業が上手くいってないんだろうな
→ 演歌歌手で借金している人、結構居るイメージだから、北島三郎も借金しているに違いない
→ 北島三郎は借金している → 借金が返せないほど北島三郎は売れていない
→ 北島三郎は人気がない → 北島三郎は歌が下手
みたいなもんだろ
>>562 んじゃあ洛陽より先にインフレ起こしてたのはどこ?
時系列順で示して貰える?
w
>>646 資産の一部しか入れない財布と違って
あの目録は財産目録だからなぁ
相続資産目録が遺言状に付いてるようなもんで
その人の資産全てが記載されてると見るべき
北島三郎w
蜀豊のヒット
NEW→北島三郎の財布
>>645 >お前の妄想を根拠にされてもな。
アホかお前は
成都の最終的な官庫の残存量で何を言うんだという話だろ
>そう決まってるのだから仕方ない。
平和な時代のものである漢制をそのまま踏襲しなければいけない決まりはないと言っている
>そんなの普通の政権ならどこでもやってることだが。
ほう ソース
>穀物は換金商品としての価値が高いから。
金ばっかりあってどうする? 金は何に使うんだ?
>豪族から商人から民衆から異民族まで様々。
米じゃなきゃ嫌って言い張るのは誰かって話だよ
>代価も払うよ。でないと、労役中、労働力を取られた家は飢えるからね。
餓えるという理由が特に見あたらないが
蜀が豊かなのになんで都の成都は貧乏なのw
絹だけは成都には蓄えられてたけど
>>654 成都のみとは限らないというか降伏しつつ自己の勢力圏で掌握できているもの全てを書かない理由がないんだが
蜀豊のお笑いショーになってきたねw
でも流石に北島さんが出てきたときは、哀れすぎて笑えなかったな・・・
>>655 wは要らないよ
米に関しては既に解いている
銭は幾らあったか不明 膨大な量あったかも知れないんだよ
>金銀
産銀・産金国なのに残存量が異様に少ない
普通じゃないよねぇ
何か裏があるのだろう
隠したか
退職金として黄皓あたりに下賜したか
ケ艾が猫ババしたか
退職金として分配したというのが一番可能性が高いように思う
魏に降れば銭は価値を失う
降伏で蜀臣は財産を失う事になる
その臣下たちを救う為に人の善い劉禅が金銀を下賜したと考えられないかな
金銀の残存量を貧困の証とするには
当然、蜀が金銀で支払いをして減ったのでなくてはいけない
支払いに使ってそこまで減らしたのであれば
多く残った絹とのバランスが悪すぎる
国庫のバランスを考えて絹で支払うだろう
それに蜀には売れる物が沢山ある
金銀が異様に少なくなるまで売ってしまわなければならない理由はどこにもない
よって金銀の最終的な少なさの理由に貧困の線は考えにくい
>>656 そうだよ
>>657 そこまでする理由が全くないんだけど?
第一、把握できないと思うしね
変動するものをその場に居らずしてどうやって把握すんの?
成都の残存量を数えるのがやっとだよ
これも倉や棚、箱、台車単位で数えて計算したどんぶり勘定だろう
>>658 そうかい?
そろそろ、この話題をまとめに掛かろうかね
■ 蜀は豊かだった
・益州險塞,沃野千里,天府之土,高祖因之以成帝業。《草廬対》
・「益州民富強」《先主伝》
・蜀土富實,時俗奢侈,貨殖之家,侯服玉食《董和伝》
・西蜀有丹沙之富《晋書食貨志》
・「巴、蜀之饒」《漢書西南夷伝》
・蜀地肥饒《後漢書公孫述伝》
・蜀地沃野千里,土壤膏腴,果實所生,無穀而飽。女工之業,覆衣天下。名材竹幹,器構之饒,
不可勝用,又有魚、鹽、銅、銀之利,浮水轉漕之便。《後漢書公孫述伝》
・蜀有桀紂之亂。其國富饒,得其布帛金銀,足給軍用。《華陽國志蜀志》
・漢祖自漢中出三秦伐楚,蕭何發蜀、漢米萬船《華陽國志蜀志》
・國富民殷《華陽國志蜀志》
・益州西部,金、銀、寶貨之地。居其官者,皆富及十世。《華陽國志蜀志》
・(南中益州郡)有鸚鵡、孔雀、鹽池、田、漁之饒,金、銀、畜產之富。《華陽國志蜀志》
蜀の地が豊かなのは常識で、
豊かな地の政権が潤っているのは当然の理
■蜀は経済的に疲弊した?
疲弊…疲れて弱ること。活力がないこと。
用例
1.曹操之眾,遠來疲弊,聞追豫州,輕騎一日一夜行三百餘里,此所謂『彊弩之末,勢不能穿魯縞』者也。
故兵法忌之,曰『必蹶上將軍』。《諸葛亮伝》
ここでは「身体的な疲れが溜まっている」
2.王連流俗,苟作掊克,使百姓疲弊,以致今日。《廖立伝》
ここでは「経済的に活気がなくなった」
3.先帝創業未半而中道崩殂,今天下三分,益州疲弊,此誠危急存亡之秋也。
然侍衛之臣不懈於內,忠志之士忘身於外者,蓋追先帝之殊遇,欲報之於陛下也。《諸葛亮伝》
ここでは「気落ちして活力がない」
「経済的に疲弊した」と言い得るのは2の廖立伝のみ
1でも明らかなように「疲弊」=「経済弱体化」なわけではない
むしろ「経済が疲弊している」のように、比喩的表現として
経済を擬人化し、「疲れている」のように言って、この言葉を使っているに過ぎない
それなのにそれを第一義のように思い込んでいるなんて愚かなことだろう
2の負担増の感覚は我々に課せられている消費税に近いのではないか
消費税で景気が悪くなるし、生活費の負担も馬鹿にならない
味噌・醤油などの塩系調味料が月消費量あたり数千円(支出の5%分)も上がれば
皆口々に不満を言って生活苦自慢をするんじゃないだろうか
首が回らないという程でなくてもね
だから廖立の言う「疲弊」がどの程度かまでは分からない
非難言だから表現が幾分誇張されてるだろうしね
3の「益州疲弊」は経済的疲弊ではない
出師表
先帝創業未半而中道崩殂,今天下三分,益州疲弊,此誠危急存亡之秋也。
然侍衛之臣不懈於內,忠志之士忘身於外者,蓋追先帝之殊遇,欲報之於陛下也。
誠宜開張聖聽,以光先帝遺コ,恢弘志士之氣,不宜妄自菲薄,引喻失義,以塞忠諫之路也。
(臣亮言う)先帝創業未だ半ばならざるに中道に崩殂したまう。今、天下三分にして益州疲弊せり。
これ誠に危急存亡の秋なり。
然れども侍衛の臣内に懈(おこた)らず、忠志の士身を外に忘るる者は蓋し先帝の殊遇を追いて
之を陛下に報ぜんと欲するなり。誠に宜しく聖聴を開張し、以て先帝の遣コを光(かがや)かし、
志士の気を恢弘すべし。宣しく妄りに自ら菲薄し、喩を引いて義を失い、
以て忠諌の路を塞ぐべからざるなり。
「然れども」=「そうだけれども」は何処に掛かるか がポイント
「然」→「危急存亡之秋」→「益州経済的疲弊」
だと
志士(侍衛之臣・忠志之士)が先帝の為に頑張っているのと逆接の関係にない
「益州が経済的に弱って国がピンチだけど、
志士たち"が"一生懸命働いているのは、先代の恩に報いたいと思っているからに違いないのです」
意味の分からない文章だ
先帝が中道に崩殂して益州は指針をなくし、先帝の死のショックと相まって活力が失われた
皆がネガティブになっている事こそ国家の危機だ
そこに付け込まんと華歆・王朗・陳羣といった魏の面々が天命・人事を説き降伏を勧告してきた
この頃の蜀は「劉備を喪って蜀はもう終わりだ」と考える人間がいくらも居て
ネガティブな空気が蔓延していたのだろう
そこで諸葛亮は『正議』を著し、そういう空気を吹き飛ばした(吹き飛ばそうとした)
諸葛亮の他にも意気のある人間は居て、ネガティブな空気に抗っていた
それが「侍衛之臣」「忠志之士」というわけだ
「然」→「危急存亡之秋」→「益州精神的疲弊」→「先帝創業未半而中道崩殂」
先帝の死に因る精神的不活性と志士の頑張りは逆接の関係にある
よって「益州疲弊」=「精神的疲弊」というのが正しい
「カリスマ指導者を喪って、皆進むべき道に迷い活力をなくして国がピンチだけど、
志士たち"が"一生懸命働いているのは、先代の恩に報いたいと思っているからに違いないのです」
意味のよく分かる文章だ
指導者の務めは、集団に未来を示す事だ
指導者が居なくなり、未来を示す者が居なくなると
集団は不安に陥って生気を失い、皆の心がバラバラになって、瓦解する
これこそが国家最大の危機なのだ
先帝創業未半而中道崩殂,今天下三分,益州疲弊,此誠危急存亡之秋也。
どうかな? 意味がよく理解できるだろう?
■蜀は度重なる遠征で経済的に疲弊したか?
三国志中、諸伝に見える北伐に対する、或いは関する 考え
譙周伝
「於時軍旅數出,百姓凋瘁」
「民疲秦役」
「夫民疲勞,則騷擾之兆生,上慢下暴則瓦解之形起。」
「故湯、武之師不再戰而克,誠重民勞而度時審也。」
張翼伝
「維議復出軍,唯翼廷爭,以為國小民勞,不宜黷武。」
姜維 陳寿評
「姜維粗有文武,志立功名,而玩眾黷旅,明斷不周,終致隕斃。
老子有雲:『治大國者猶烹小鮮。』況於區區蕞爾,而可屢擾乎哉?」
訳
姜維はほぼ文武両面の才を備え、功名を上げる事を志したが、
そのため軍勢を軽々しく扱って外征を繰り返し、
明晰な判断を十分にめぐらす事ができず、 最期は身の破滅を招く事になった。
『老子』に「大きな国を治めるのは、小さな魚を煮るのに似る」
(小さな魚を煮るのに突付き回してはいけないように、頻繁に民に干渉したりしてはならない)
とある。 ましてせせこましい小国において、
たびたび民の生活を乱すような行動を起こしてよいものだろうか。
以上のように、北伐と財政負担を結びつけて蜀を考えている人間はいない
皆「労」「心身の疲弊」を言っている
北伐で蜀が経済的に疲弊したのなら、誰か一人くらい財政面から責める人間はいるだろう
しかし居ないのだ
というわけで、蜀が貧しいと思い込んでいたみなさん
長いこと本当にご苦労さまでしたw
じゃあ、次は魏が豊かじゃなかった事についてでも語り合いましょうかw
>>659 の文面見るかぎり、根拠がなく全て妄想と思い込みで構成されている。
>>668 君は他者と議論できるレベルにない
証明は出来ないが、下部は根拠たり得ている
君は根拠という概念が理解できていないんだよ
上部は可能性の話だ
その可能性を否定し得ない限り、金銀が降伏直前に消えた可能性を否定できない
従って残存量を以て蜀の収支を推測することは出来ないのだよ
凋 … 枯萎、衰落、衰頽
瘁 … 疾病 勞苦、勞累 憔悴、痩弱 勞累生病 哀傷、悲痛
民を気遣う意見が多いにも拘らず財政問題を指摘しないのは、
民の生活が衰頽しようとも無関係に蜀は財政収入を維持していたってことか。
証明できないものは根拠とは言わない、蜀豊の妄想
「可能性がある」では仮説としては意味がないからな。
せめて「蓋然性が高い」と言えないと。
反対派が「可能性を否定」することなんて不可能だから、
彼は、自ら実証を試みないことで、反証されない領域に逃げ込んでいるわけだ。
ていうか一番蜀を財政面で圧迫してる北伐に反対してるだろ
>>670 凋…なえる。しおれる。
瘁…つかれる。やつれる。
「民の生活が衰頽」というのはどっからきたん?
>凋 … 枯萎、衰落、衰頽
蜀豊が蜀の疲弊を心身的疲弊のみだと思い込みたいだけw
>>671 証明と根拠は全く別だ
>>672 下賜した「蓋然性が高い」といえるだけの根拠がないからな
"何かがあった"事の蓋然性は高いんだけどね
反対派は"何もなかった"事の蓋然性の高い説を述べればいいんだよ
出来ないだろうがな
>>673 誰が?
滅びた時、金銀兵糧が少ないのに疲弊を認めない見苦しい蜀豊
自分の根拠のない妄想を垂れ流すのみw
産銀・産金国なのに残存量が異様に少ない
普通じゃないよねぇ
何か裏があるのだろう
隠したか
退職金として黄皓あたりに下賜したか
ケ艾が猫ババしたか
退職金として分配したというのが一番可能性が高いように思う
魏に降れば銭は価値を失う
降伏で蜀臣は財産を失う事になる
その臣下たちを救う為に人の善い劉禅が金銀を下賜したと考えられないかな
>>676 君がしょうもない妄念を捨てれないだけだろ
>
>>673 >誰が?
誰が?って
そんなことも知らないのかよ、やっぱり史料読んでないんだな妄想大好き嘘つき蜀180万人蜀豊はw
>>681 君、何も知らずに言ってるだろう?
誰だよw
>>680 何度も大規模な外征を行っていて 成果もないのに蜀がまったく疲弊してないという妄想こそ捨てたらw
ほんとお菓子ちゃんたち小3レベルの頭だもんな
もっと地力を磨いておいで
>>684 確たる根拠を挙げている
君らのそれこそ根拠のない妄想だと言ってるだろう
妄想推定蜀180万人w、北島三郎の財布w、心身の疲弊w
>"何かがあった"事の蓋然性は高いんだけどね
それは「降伏時点での成都の本来の備蓄量がこれだけのはずがない」という前提を
実証して成立させなければならない。
>産銀・産金国なのに残存量が異様に少ない
>普通じゃないよねぇ
>何か裏があるのだろう
なるほど。
何かが起きたことについて君はこのように言っている
>隠したか
>退職金として黄皓あたりに下賜したか
>ケ艾が猫ババしたか
が、他にも「可能性」はいくらでも考えられるよ
・民が疲労して採掘・精錬ができなくなっていたとか
・降伏前から横領が蔓延していたとか
・そもそも金銀の採掘に力を入れていなかったとか
最低限、金銀の「消えた」タイミングが「降伏決定後」であると
実証しなければ、君の望む意味での「何かが起きた」とは言えやしないんだ。
確たる根拠じゃなくてお前の妄想だろ
>>679 YAHOO辞書よりは少し違った辞書を知ってるだけだよ
>>683 主なところでは譙周、諸葛センだが
蜀末期は北伐を強行しようとする姜維を弾劾する動きもあったしね
姜維周辺以外、誰も北伐なんて望んでいない、経済的に勝てもしない外征は疲弊するのみ
蜀豊の頼みの綱はYAHOO辞書w
ところで蜀の人口180万人(大笑)って史料にあったっけ?
>>660 滅亡間際に成都に残ってるものを丼勘定しただけで
それまでは自分の国の財産がどれくらいあるか知りもしないで軍事や政治を行ってたのか?
そりゃ滅亡するわ
>>687 何が面白いのかさっぱり分からん
「うんこ」で大はしゃぎする幼稚園児みたいだな
>>688 蜀の地に金山・銀山が沢山あるのは事実
その事実から金銀が豊富に採れるというのは当然に導かれる
それを否定するのであれば、蓋然性の高い否定的な説を挙げねばならない
>・民が疲労して採掘・精錬ができなくなっていたとか
蓋然性が低い
金銀の採掘は産金産銀国ではどこもやっている事
民が疲労して生産できなくなったなんて話は存在しない
・降伏前から横領が蔓延していたとか
蓋然性が低い
管理の厳しいであろう金銀を国庫から横領できるわけがない
・そもそも金銀の採掘に力を入れていなかったとか
蓋然性が低い
金銀を軽視する政権があるものか
最低限、金銀の「消えた」タイミングが「降伏決定前」であると
強固に実証しなければ、君の望む意味での「何かが起きた」とは言えやしないんだ
>>689 史書の記述だよ
君の愚説は史書にまったくないね
>>690 読めもしない中国の辞書サイトだろ
>>691 原文貼ってみ
>>692 YAHOO辞書は便利だからな よく使うよ マジ調べは広辞苑だけどね
あれは漢和辞典だ
>>693 残念だが、史料の文字しか読めない(それすら読めてないが)君と俺は違う
>>694 変動するものだと言ったろ
というわけで、蜀が貧しいと思い込んでいたみなさん
長いこと本当にご苦労さまでした
くだらない妄言はもう結構です
じゃあ、次は魏が豊かじゃなかった事についてでも語り合いましょうか
変動するものだと言っただろ(キリリッ
そんな危ない国だったんだな、蜀って
危ないって、増減するのは普通だろ
魏が豊かだったとする根拠は?
嘘つき蜀豊180万人まったく説得力無いのに勝利宣言
もうね、「嘘」と言ってる時点で小3決定なのよ
>>695 >それを否定するのであれば、蓋然性の高い否定的な説を挙げねばならない
末期の蜀がそもそも金銀を大量に備蓄できる状態ではなかった可能性を否定し得ない限り、
降伏文書の数量が正しいものである可能性を否定できない
ってわけだよ。
つまり
>>659と
>>688の言説は同様に無価値なんだ。
結局、後主伝蜀記の数量だけが「記されている事実」として残り、
我々はそれに従って論を構成する他はない。
嘘じゃないなら捏造か?蜀豊w
蜀豊が「逃げ」に走っているように見えます。
蜀豊、言ってることすべて無茶苦茶w
おそらく蜀豊さんも自分で気づいたのだと思います。蜀が思ったほど豊かじゃないってことを。
蜀豊のヒット
NEW→俺の妄想が理解できないのは「小3」レベル
自転車操業すぎるだろ…
調べれば調べるほど蜀の困窮ぶりはわかるからなw
>>703 >末期の蜀がそもそも金銀を大量に備蓄できる状態ではなかった可能性を否定し得ない限り、
>降伏文書の数量が正しいものである可能性を否定できない
「末期の蜀がそもそも金銀を大量に備蓄できる状態ではなかった」というのが
そもそも降伏文書を基にした妄想だろう
だから「備蓄できる状態ではなかった」というのは定立されていない
定立されていない物の否定をわざわざする必要はない
だから
>>688は無価値だが
>>659は有価値なんだ
>>705 小5ぐらいで憶える言葉だな
以下
君らがどうしようもなく頭が悪いというのは充分承知している
が、もっとまともな事を言ってくれ
劉禅による降伏決定後というタイミングで蜀の官庫「何かがあった」というのは定立されていない。
定立されていない物の否定をわざわざする必要はない(というかできない)。
だから
>>659は無価値なんだ。
蜀180万人を吹聴する蜀豊は十分頭が悪いことは承知してますよw
資料があっても資料よりも自分の妄想を優先する蜀豊
いやいや蜀豊は凄いや
諸葛亮伝を覗いても陳寿はレベルが低すぎて諸葛亮を理解していないで記している
後主伝を覗いても国庫は妄想
>>713 「末期の蜀がそもそも金銀を大量に備蓄できる状態ではなかった」というのは
「降伏後に減った」可能性を全く否定できない降伏文書を基にしたもの
前者は後者との関係を以てのみ存在し得る
後者ありきの前者で後者を定立することはできない
「官庫に何かがあった」 というのは
多くの金山・銀山を抱えているという事実に根ざした推論
動かざること山の如しだ 定立されている
>>714 「94万って書いてあるじゃないかぁ〜。」としか思考できないと
「あいつは間違っている。だって史料の数字と違うから。」という
とんでもなく頭の悪い解を出す
>>715 いや、史料に基づいた推論・解明だよ
そろそろ厭きたよ
魏豊くん、そろそろ魏が豊かだったと語ってくれないか
いえいえ、180万人なんてどこにもそんなこと書いてないのに蜀豊の妄想数値でなんで話しないといけないの
そろそろ続きでバカみたいだな 気付かなかった
魏は蜀より国力が上だったから蜀は魏に滅ぼされました
あと「推定」つけてね
蜀豊 俺の言うことが分からない奴は馬鹿、資料よりも俺の推論(妄想)のほうが正しい
諸数値から導き出した自然な数値=蜀豊の妄想
>「官庫に何かがあった」 というのは
>多くの金山・銀山を抱えているという事実に根ざした推論
「劉禅降伏決定後の官庫に何かがあった」。の間違い。
それにしてもとんでもない飛躍だな。
蜀朝廷は金山から手掴みで金を持ってきて官吏や軍費にばら撒いてでもいたのかね?
その間に幾つの工程があるのか、そのどこかが麻痺・停滞すれば
庫に金銀が入る量が減少することもわからないのか。
史書に都合の悪いことしか書いてないから、妄想するのはまぁ自由だが。
書き込んだら笑われるのは当然だからな。
それにしても人口180万とか、国庫に金銀各二千しか残ってなかったとはっきりわかっているのにあったはずだ、とか……
馬鹿すぎる。わざとやってたんだよの釣り宣言しても逃げられんぞここまでだとw
すでに別人だよ主張は通じてないが。
まぁ蜀は対魏のみであの程度の財源しか残ってないのはねぇ?やばいっしょ。
どんな使い方をしたら、金銀と穀物があれだけしか残らなかったのか気になる。
ほとんど財政破綻状態じゃん。
>>730 94万人と仮定とした場合でも苦しいね
更に
推定180万人(w)としたら重傷レベル
3スレも費やしておいて、誰一人として賛同者が現れない事について、
蜀豊は思うところが無いのだろうか?
劉備が蜀を奪った時期から戦争続きで民力が休む暇もなかったしな。
実際、蔵とかに米や金銀財宝蓄えて死蔵させている国がどこにあるんだ
徳川埋蔵金とかも結局なかったやん
漫画だけやろ
ど
ソースが漫画ってw
マジかよ
蜀豊の脳味噌は
漫画>>>>>史料史書なんだったのか
塩や鉄といったものを専売化し、この統制は異民族にも及んだ。
当然、民衆の暮らしは圧迫されただろうからな。
成果の上がらない外征で主要労働人口は軍隊にとられるし。
国庫が豊かになる状況じゃない。
織物がかなりだぶついていたところを見ると、輸出とかもうまくいってなかったんだろうな。
曹丕時代の減税、貨幣政策、貿易振興で魏の国力はかなり向上したからな。
曹丕は性格悪いけど政治家としては一流。
劉備は孔明の才能は曹丕の十倍、といったが明らかに間違いだろうな。
>>735 「倉には食糧や金銀財宝があふれんばかりに満ち溢れ」というのは、
中国史のどの時代でも財政が豊かな国を形容するごく普通の表現です。
つまり、豊かな国はジャンジャン使っても、
倉に食糧や金銀財宝が満ち溢れるくらい、歳入が凄いということです。
使ってなくなってしまって倉が空になってしまったなら、
それは豊かでないと言うことです。
呂乂伝によると、戸籍やらを偽って逃亡する兵達が多く、これを説諭したのが功績としてでてくる。
一万もの逃亡者が自発的に故郷に帰るようにした、といってるが。
裏を返せばそんだけ逃亡者が多いほど苦しかったってことだろうな。
国庫に、というか降伏時に差し出した国が把握している財物全体だからな。
40万コクじゃ官吏4万を一年食わせることもできん。
まさか経費を全部絹で払うわけにもいかんし、取引ができないのなら経済的にもかなり末期。
蜀が降伏したのも当たり前だな。
生産物は国力・人口に比べて大きな軍隊に全部吸い取られていったんだろうな。
武装兵だけで十万、動くとなれば労働力や後方支援にさらに人手がいるだろうが、そういった連中にも給与を出さなきゃならない。
孔明が主導していた時期でさえ軍事行動に反対する経済官僚がいたんだ。
その北伐が失敗に終わった後、さらに姜維がもっと無茶な戦いを続けたんだから。
比較的豊かな南方の地からの物資が間に合わなくなってきた
ってことでしょうな
姜維が頼っていた西方異民族も離反したようだしな。
蜀の経済力は劉備入蜀時あたりがピークかな。
その後には人気取りのための恩賞ばら撒き、悪性インフレになりかねない貨幣鋳造による財源補充、何より大敗した対呉外征みたいな負担行為ばかりだし。
相変わらずの妄想荒だなw ほんと3Mバカ
このスレは667までで終わっている
俺は家庭教師じゃないんでね 落ちこぼれの面倒は見ませんよ
論破されたものを何度も繰り返し言うなよな
蜀豊君は論破されてないよ。
そもそも論になってない妄想なんだから……。
>>748 俺が論破されないのは事実だが
747は俺でね、お菓子ちゃん達に言ってるのさ
妄想という語を辞書で調べて使おうね
>>749 確かに新説だな
>>747 論破された主張を繰り返しているのは君の方じゃないの?
まともな反論もできないで、提示された根拠や議論を全否定して勝利宣言の繰り返し。
資料もまともに読めず、歴史的常識すら知らないんなら、議論なんかやめた方がいいよ。
君、議論に向いてないよ。
人口男女九十四万が二倍に唐突になるしなw
ってか無理やりこれは限定された数字だ、と言い出すのなら。
当然、魏や呉にも割り増しを適用すべきで、全体の差はやっぱり変わらないわけだが……。
蜀豊の妄想や勝利宣言も、チラ裏に書いていれば誰からもツッコまれないのになぜわざわざ火達磨になりにくるのか。レス乞食が癖になった?
>通貨
蜀のそれも時代が進むにつれて額面は上がるが質は悪くなる銅銭を出して凌ぐようになるからね。
中国全体を襲った戦乱と混乱からの影響は三国ともおおかぶりだったわけだ。
蜀豊がいうほど蜀が豊かならイリョウでの敗戦での国力回復に専念しなくてもいいはずなんだがなw
潜在的に資源があったとしても、それを活用できなきゃ意味ないしな。
>>751 論破されたことないと言ったよ
君の目にはどれが破れたように写るんだい?
はっきりさせておくのもいいだろう
>>752 二倍になったとか何にも関係ない事だ
「1.2倍ならまだ分かるんだけど…」とでも言うつもりかw
呉も「男女口」だから数字は上がるね
魏は「口」だから数字は上がらない
しかし最も多くの非戸籍民を抱えている
280年の推定人口
旧魏領 1066万0831人
旧呉領 343万6110人
旧蜀領 206万6922人
あくまで、全体の戸の平均人数を各戸数に掛けただけの推定ね
17年遡っても三国は大体こういう比率だろう
>>755 専念したなんて記述があるか?
>>756 何がなるほどだw
>>757 お前あたま悪いな
魏5 : 呉 1.5 : 蜀 1
こうだな 人口比は
国力比となると資源やら何やら加味されるので魏蜀の差は縮まる
呉 1.7ぐらいかね
>>755 一方で魏は呉蜀ならびに鮮卑と鳥丸といがみ合いながら、燕を滅ぼすのに4万の兵を1年分を消費してるしね
ま蜀豊はこれをレベルが低いと評価するんでしょうけどね
人口=生産力
耕地面積も蜀に比べて魏ははるかに広い
>>758 この3スレにおけるお前に対する史書を引用した反対意見全てです。
お前はそれをごまかしたり、誤読したり、事実を捻じ曲げたり、
根拠のない妄想を展開したりしてまともな反論を避けてきた。
これは反論できない=論破されたということです。
どれがそれに相当するかは、もう一度過去レスを読んでください。
まあ、お前の頭では理解できないでしょうが。
粟作っても金掘っても同じなら誰も金掘らんわ
蜀豊「俺は論破されたことがない(キリリ)」
馬鹿(蜀豊)は絶対に己の非を認め内容としないからなぁ
しまいには横山三国志の記述持ち出して蜀は豊かだっただからなw
俺じゃねーよ
蜀豊、反論できなくなったら相手に馬鹿だの病気だの言いだすな
反論などという上等な物が期待できるレスじゃないだろう 763は
蜀180万人wとか馬鹿なこと言ってる蜀豊がなに言っても無駄
それを馬鹿な事と思う君が馬鹿なのだ間違いなく
>>765 あっ俺の18番とりやがったな
蜀豊「君は病気だよ、お休みください(キリリッ」
藪医者の君が言っても困るんだよ、誤診すんな
とにかく君らは次元が低いとまず自覚しましょう
蜀は180万人
蜀は何度外征してもまるで疲弊知らずで成果はなくとも潤っていた
蜀は豊かだが成都に金銀兵糧がなくても全く不思議ではない
疲弊したというのは心身的疲弊で経済的にはまったく疲弊していない
すごい馬鹿丸出しです、蜀豊
うん、次元が高いと妄想や思いつきが酷くなるのか
そりゃ勉強になりました
蜀豊以外誰も蜀180万人なんて数字出したことないのに一人自分の妄想を垂れ流した揚句
俺の言うことをわからないのは馬鹿w
>>775 逃げるなよ?
君に質問していく事にしよう 最後まで答えるように
1。蜀が180万人だったらなぜおかしい?
2.蜀は何度外征してもまるで疲弊知らずで成果はなくとも潤っていた のどこがおかしい?
3.蜀が豊で、成都に金銀兵糧がないとなぜ不思議なのだ?
4.疲弊したというのは〜について
経済的に疲弊したという記述が全くないのにどうして疲弊したと考える?
それを妄想というと思わないか?
確かに次元が違うよな、蜀豊は妄想で史書から考察する俺らじゃな
あ、コテつけろ 自治ごっこ用のな
180万でもどん引きだってのに逆ギレしとる
心身が疲弊しているというのなら180万のいる人間から兵を作り出して入れ替えればいいじゃんか
一次はA隊
二次はB隊
三次はC隊
四次はA隊
とすれば心身は疲弊はしないだろうに
別に切れてはいない
君らに自分を教えようと思ってね
1、蜀が180万人いたという記述は全くない、蜀豊が勝手に妄想してるだけ
2、戦争は莫大な戦費がかかります。成果がなければ費用だけがかかります。
蜀がいくら豊かであろうとその豊かさは無限ではなく有限で戦争中は生産力は落ちます。
3、成都は蜀の都で政治の中心地です。政治には金がかかります。また都であるのでそれを守るために兵士を雇わなければなりません。
しかし滅亡時の目録からわかることは疲弊していたということ
4、いくらでも疲弊したという記述はあるのにお前が無視してるだけ
イリョウの敗戦時での損失で蜀はボロボロだしね
記述がないものは妄想とか言っておいて蜀180万人はどこにも記述ないw
じゃなんで滅ぼされたんですかね、蜀はw
>>785 国力の差(キリリッ
心身の疲れ(キリリッ
>>783 コテ おかしな事を言っていない自信あるなら名乗れるだろう?
1.記述がない事は存在しないか? (この一文にピンポイントな回答よろ「する」「しない」でおk)
2.赤字か黒字かを判断するには収支を知る必要がある
蜀の収益はどれくらいで、北伐には幾ら掛かるのか
答えられるのか? YES NOで結構
3.成都で政治に米が必要な理由は? このスレで既に語られた物以外で
あと官吏の人数とか分かってるの?
4.原文挙げてみ
>>784-786 うるせーぞ 雑魚 君らも答えていいんだよ コテつけろな
答えられなくなった問題は降参していい
答えられる問題だけの回答でいいよ
おいおい、蜀豊
お前が言ったんだろ蜀が疲弊したという記述はないだから疲弊していない
といいつつ蜀180万人の記述なんてどこにもないのに蜀180万人ってな
お前がつけたら?妄想大好き蜀豊ってな
雑魚ねぇ
嘘つき・妄想・思いつき・捏造・思い上がり
のお前が言えたことじゃないんだよね、残念だけど。
だまれ きちんと沿え
子供みたいなこと言い出したな、蜀豊
だってよ、いつもその場で逃げてあとで同じ事言うんだぜ? いい加減ウザイだろ
史料あげても蜀豊って無知だからしょうがないじゃんw
姜維が弾劾される動きがあったから漢中で屯田やってたの知らないぐらいだし
誰が知らんと言った? いいから君も答えたらどうだい?
蜀豊「蜀180万人説を否定する奴は馬鹿だ」
それを信じてるのは蜀豊一人のみ
説明聞いても分からん奴は馬鹿だろうな
蜀が疲弊してないなら北伐に反対する奴なんて出てくるはずないじゃんw
北伐は金が余って仕方ないからやってたなんてこと言ってる蜀豊wwwww
馬鹿は蜀豊一人のみ
蜀豊の見えない史料
>>761 これを考察しようともしない
あーそうですかご苦労ご苦労でスルーだろ
実際、4万の兵を1年分フル稼働した場合の費用って凄いと思うのにな
蜀の北伐を数回繰り返すのとは違うでしょ
記述のないことはないと言っておきながら記述のない自分の妄想を正当化する矛盾する馬鹿のの蜀豊に
なに言っても無駄って言ってるだろ
>>802 人口が蜀の5倍だから蜀なら8千に相当するな
策源はキ州・幽州と程近いから運搬の負担もない
どう大したことあるのか教えてくれ
>>804 ぐだぐだになるからきちんと回答の形式に沿え
だって妄想捏造大好き蜀豊の形式って2元論じゃんw
否定するところは否定するし肯定するところは肯定するよ、自分は
180万人なんて明らかに馬鹿なお前の捏造だし
まぁいいから 堅い論なら崩れないぞ
>>805 はぁ?洛陽から遼東まで大したことないと申すか
目録があってもそれを信用しない蜀豊じゃどんな資料提示しても無駄
なんで洛陽からなんだよ
自説の崩壊が近い事を感じて逃げるってことでおk?
やっぱりその程度なんだよ お菓子ちゃんは よく分かったろ
>>803 俺は
>>783じゃないんで、答え求められても困るんだがね。
>>653は普通に三国志読んでたら分かることだろ。
だから答えても無駄だと思ったんじゃね?
実際、
>>645まででちゃんとした説明になってるし、
これ以上三国志読んだことない人に答えても蛇足だろ?
蜀180万人説の正当性を早く説明してください、妄想捏造嘘ツキの蜀豊は
仇国論知らないんだろうな、蜀豊は
とにかくこのスレは667までで終わった
だれも納得してませんがな、蜀180万人説はお前が言ってるだけの珍説w
だれからも支持されてないな
簡単な事も理解できない馬鹿しかいなければ支持されないだろう
君らを雑魚としか思ってないから気にしてないよ
蜀豊「蜀は心身的疲弊のみで経済的には北伐何度失敗しても疲弊どころか全く問題なかった」
つまり蜀豊以外が馬鹿ということだな
おまえは裸の王様だよ、自分が馬鹿だと気付いてないなw
蜀と大理と吐蕃の違いがよくわかりません
絶対どこの三国志通や三国志学者や教授やオタと三国志に精通した人間であっても蜀180万人と答える人間はいない
言ってるのはたった1人の蜀豊だけ
>>822 いくら史書と歴史的常識を根拠に説明しても、
相手の意見を聞かず自分の意見だけ言って、
根拠をあげずに妄想に基づく持論展開と揚げ足取りと曲解を繰り返してたら、
もうまともに相手してくれる人はいなくなると思うよ。
君の蜀はずっと豊かという意見は既に3スレかけて多くの人が、
きちんと根拠を上げて否定してるんだよ。君はひたすらそれに聞く耳持たず、
蜀は豊かと言う持論にしがみついてるだけ。
君らも何もどこ探しても蜀180万人なんてバカなこと言ってるの蜀豊だけ
おそらく蜀94万人のうち成人男子を兵15万人取った場合の経済的損失をやっとこのスレになって理解したから
蜀180万人説なんて言いだしたんだろうな
180万人説なんて出すぐらいなら蜀末期の疲弊認めればいいのに・・・・
>>827 全然違うな
事実はこうだろう
俺から君らお菓子ちゃんへ
いくら史書と歴史的常識と道理を根拠に説明しても、
相手の意見を聞かず自分の意見だけ言って、
根拠をあげずに妄想に基づく歴史認識の展開と誤読と史書の曲解を繰り返してたら、
馬鹿と思われてまともに相手してくれる人はいなくなると思うよ
君らの蜀はずっと豊かではないという意見は既に3スレかけて俺が中心に、
きちんと根拠を上げて否定してるんだよ
君らはひたすらそれに聞く耳持たず、
蜀は豊かじゃないと言う持論にしがみついてるだけ
>>828 頭悪いな 脳の血流止まってないか?
絹も貨幣で使われてたみたいな記述を読んだ事がある。
だれも納得してないじゃん、蜀豊の言ってる事はとんでも理論ばかり
益州一州の蜀が成果のない外征を繰り返し疲弊し滅びたのは事実なんだしな
根拠のない思い込みだと初めの方から何度も言われたろ? 忘れたか?
835 :
834:2010/07/04(日) 21:43:41
違うな… 何言われても頭に入ってこないんだよな
頭の悪いのは蜀180万人なんて言ってる脳みそにウジ虫がわいた蜀豊のみ
滅ぼされた時の目録を北島三郎の財布(中身3000円)に例えたりする馬鹿が何言ってるの?
蜀180万人なんて明らかに誤った蜀豊の思い込みなんて頭に入れる必要などないよ
>>836 >>646だね
きちんと説明しないと君の馬鹿フィルター通してじゃ変に聞こえるだろう
誰でもよかったんだが、北島三郎の財布お金入ってそうなイメージがあるんで一番に思い浮かんだ
それだけだw
>>837 推定な 明らかに、誤った思い込みではない
おそらく正しい
コイツ何言ってる?
誰でもよかった?
路頭に迷った殺人の犯罪者が使う言葉だな。
推定だってさ、妄想だろお前の蜀180万人は
正しいと思ってるのはお前だけ、通用しないんだよそういうのは
チラシの裏にでも書いとけ
馬鹿蜀豊「蜀は180万人いたんだよ、これがわからない奴は馬鹿なんだよ」
「蜀は豊かだから戦争でいくら負けようと一切疲弊しないんだよ」
ダダこねたって誰もおまえの言ってることはどうにもならんぞ
ダダこねれば、お前の認識が通るとでも思ってるのか?
これは、蜀豊の為や蜀豊の失言や失態を楽しむ為に次スレが必要になってきたなw
そうだな。次スレでは蜀の人口180万以上の珍説が飛び出すことを期待しよう。
蜀推定180万人の計算
>>195-197 総人口94万ってのは99%間違っているぞ
"男女"無私な上、平均人数に偏向がありすぎて不自然を極める
推定180万は
「"男女"口」「晋の人口・郡別戸数」「後漢書のほぼ均等な州別人口」
という史料に基づいた計算だ
本が言っていない事は知らない
知らない事は理解できない
という低次元の人間ならさっぱり理解できないだろうがな
無私じゃなく無視ね
平均人数に偏向があり過ぎて不自然を極めるというのはおまえの私見だろう
成人するまでに天災、病気、事故等諸々の事情もあるしな
おまえの言ってることは全部お前の妄想によるところがほとんどだから誰も納得しない
>>845 もう次スレ要らんだろ
蜀が豊かという話は667で終わった
魏が豊かじゃないというスレならアリだが
>>848 馬鹿チキンレースの様相を呈してきたな
最後に生き残った者が一番馬鹿
いや、一番の魏ぞっこんラブ 一番の曹魏患者さんですー
曹魏の葬儀
おまえが終わったというならそれでいいじゃん
蜀豊が消えてくれれば議論も進む
>>850 何が何でも馬鹿のチキンレースに生き残ってみせると言う決意表明ですね。
隔離スレの住人だったか、蜀豊は
どうりで
>>853 まぁ妄想に終わりはないからな
魏が豊かで蜀が貧しかったと夢を見て妄想に花を咲かせ続けてくださいよw
蜀180万人は正しいなら学会で発表したらw
>>854 いかん、「お菓子ちゃん」とつけ忘れたな
次スレは
蜀180万人で戦争負けても一切疲弊しない!!でいいだろ
そんな国がなんで滅ぼされたのか謎だけどな
やっぱり蜀豊はなんにも史料読んでなかったんだな
読んだのは横山三国志のみ
>>860 興味も無く蜀180万人と嘘をついて気が済むとは
演義の知識には自信がない
蜀180万人を言いみんなに馬鹿にされて悔しいから意固地になって引くに引けない蜀豊w
>>864 「推定」を「嘘」と変換するのは小3並の知性
まともな引き算の計算もできない蜀豊は幼稚園児
いやもういいって 力の差がありすぎる
蜀180万人なんて蜀豊の考えの人にはそりゃだれも付いていけませんって
馬鹿すぎてな
嘘ツキといわれるのが嫌みたいだな、捏造蜀豊は
いやもういいって 力の差がありすぎる
>>871 うん。自説にこだわるあまり、
三国志に載ってる事実すら無視する人には誰も付いていけないね。
とは言っても、一番蜀を否定してるのは蜀豊なんだけどね
いやもういいって 力の差がありすぎて面白くない
ついに壊れたな、蜀豊w
878 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/04(日) 22:44:52
実際は魏支持派の方が自作自演多そうだけどね
蜀豊って言葉がつまらないけど一人の自演だろう
魏支持とかそういうことじゃないんだよ
蜀豊は戦争で成果上げなくても蜀は一切疲弊しないとかあほなこと言ってるから突っ込まれる
蜀180万人とかな
考えられるか?蜀180万人とか蜀末期ですら蜀が疲弊してないこととかな
蜀豊という通称が気に入らないようです。
あと、敵が一人に見えると言う病気にかかったようです。
蜀豊は否定され魏オタのせいにしてんのな
呆れていう言葉もない
でも、蜀を否定して蜀アンチしてんのは残念ながら蜀豊
わざわざあげて自分は蜀豊じゃないとアピールか
蜀180万人なんて蜀ヲタでも言わないだろ
戦争すれば莫大な戦費がかかる当たり前のことも理解してないんだね、蜀豊は
一度言われた事は憶えろよ
887 :
886:2010/07/04(日) 23:00:35
もちろんお菓子ちゃんに言っている
蜀は豊かだから一切疲弊することはないかw
誰も納得しませんよ、そんな妄言
妄想や思い付きを覚えろって無理
根拠のない想像を妄想という
蜀が豊か・経済的な疲弊をしていないのは
>>661-667のとおり
同時に、対極にある「蜀が貧しい・経済的に疲弊していた」という説には
根拠がない事がはっきりしてしまった
「しんじられなーい」と言ってみたところで事実は事実
思考停止はそいつの自己責任
甘えんなや 厨房ども
蜀豊の中では事実なんだろ
蜀の疲弊ぶりを記す史書ならあるのにそれは一切無視で
それは心身が疲弊してたからだからな
だから史書出してみろと言っている
史書にあると言って出さないのが妄想族の最後の砦
また妄想族の曲解が浮き彫りに…
蜀末期の北伐反対の流れを知らないんだな、蜀豊は
蜀降伏時に差しだされた目録すら信じようとしない
要するに蜀豊は蜀は豊かで180万人いるのに劉備や孔明は無能だったから
魏に勝てなかったと
益州南部までなんで諸葛亮は税金掛けるようになったの?
北伐にかかる軍費を賄うためなんじゃないのか?
蜀豊が言うように蜀が豊かならこんなことしないよ
塩や鉄の専売までやってるしな
南方からの税収を軍費にまわし、南方から嫌われる
瘁の方は説文解字に載ってないみたいだが、
凋 半傷也 (傷創也 半傷未全傷也)
まだ致命傷というわけではないが、傷つき疲れて衰えた状態が「凋瘁」。
諸葛亮がやりくりしていたから蜀の財政はなんとかなってたんだけどな
それを蜀が豊かと勘違いしているわけだ、蜀豊は
諸葛亮死後は北伐をしようとせず国力の充実に努めている(しようとしても費イが許さなかった)
費イ死後は姜維が軍権を握り北伐を何度も強行
やがて国力はどんどん落ちていき成都では北伐強行派の姜維を弾劾する動きがあった
そして蜀はどんどん疲弊していき滅びるにいたった
>>897 無理せず漢和辞典を引いた方がいい
どういう掴み方をするのか正しく理解できていないようだ
>>899 へぇー、教えてくれ
原文抜き出して頼むな
>>900 関係の無い話だ
>>901 元からだろ 自領に税を課すのは当たり前
>>902 もともと異民族 属国と宗主国の関係だ
「南方からの税収を軍費にまわし」というのは正しい解釈ではないね
「税収が回復した分、軍費が増えた」だろうね
>>903 「ニスイ」は氷の結晶
「周」は音で「弔」いたましい の意
寒さの為に草木が傷ましいさまになる
→萎える。しおれる。
全傷だと「ぐちゃぐちゃ」
半傷だと「よろよろ。ボロボロ。」→しおれた様子
植物ならね
>>904 妄想はいいから資料的根拠を出せ
蜀と大理の違いがよくわからなかったのでWikipediaで調べました。そしたら
「・・・三国の中でも最も弱い勢力であった。」
とありました。勉強になりました。それと、三国志の編纂者の陳寿という人は
蜀の出身であるため、贔屓目な記述があるようですね
>>905 無理もなにも、字義の部分をベタ転載したのが
>>670だけど。
それが理解出来ないなら漢文読むのやめとけば?
ベタ転載を笑われていると気付こう
史料原文をベタ転載のと同じだけど。そこから解釈が始まるのだから。
漢文を解釈するのに日本語国語辞典の都合のいい部分だけ引っ張ってきて
「心身ともに疲れただけ」と言い張るよりはまだマシだよ。
史料の転載と全く違う
字義解釈が出来ていないからベタ張りするんだろう
試しに聞くが、解釈したら「凋」「瘁」はどういう意味だった?
凋は衰退、衰微。もとは植物が萎れるさまから、盛期を過ぎて衰えた様子を示す。
瘁は労苦、疾病。重ねた労苦のために衰弱したさまを示す。
説文解字を合わせれば、
まだ致命傷というわけではないが、(盛んだったものが)傷つき疲れて衰えた状態が「凋瘁」。
ではその調子で「元気がない」を語ってくれないかな
益州南部は統治の難しさ(反乱等)から税をかけてなかったのを知らないのか?蜀豊は
>「元気がない」
なんでそんな言葉が出てくるのかしらないが、
日本語の意味でよいのならば、「活力がなく、活動が停滞していること」かね。
916 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/05(月) 00:45:49
1日中妄想を垂れ流し相手の言うことはすべて妄想認定の蜀豊
「元気がない」は衰退、衰微した状態。想定上の元気な状態から気力が衰えた様子を示す。
蜀豊は原文寄越せと没頭中…
>>913>>915 「譙周伝」ではないでしょうか。諸葛亮が南方を征伐する前までは無税だったが、
征伐後は税を課し、民衆に恨まれたとあるらしいです。
そもそも統治が難しいので税を課してなかったのを課すようになったのは、やはり
蜀の台所事情が厳しかったのではないでしょうか。
原文も何もなく蜀180万人を妄信してる人に言われてもねぇ
しかもそれを信じてるのは蜀豊のみ
>>917 「衰」と「不活」を同一視しちゃう人間は他人と一緒に生活出来ないぞ
疲労困憊して体にガタがきている人に「元気を出せ!」とかいうつもりかね
いや、同じ意味なら別にいいかな?
「百姓凋瘁」は「民衆は衰退、衰微している」というのが直訳に近い。
しかし、「『元気がない』は衰退、衰微した状態。」と予め断っておくなら、
「民衆は元気がない」と「意訳」するのは翻訳者の勝手だ。
読者は直訳や原義に拘るかもしれないが。
貨幣経済の機能度合いとか、代用貨幣の使用率とかを考えると、
蜀の方が経済が安定していたと思うけどな。
まあ末期は違う気もするが。
蜀豊 - Wikipedia
蜀豊(しょく ゆたか、1966年6月6日 -)は、中国の歴史学者。中国四川省生まれ。
著書
・『蜀は豊かだった』(2ch、2010年)
・『蜀は豊かだった2』(2ch、2010年)
・『蜀は豊かだった3』(2ch、2010年)
歴史学者なんて大層なもんじゃねえだろw
「豊か」の定義を「質」に求めるなら「豊か」であるというのは事実だろう
色々特産品はあるし、足りないものはほとんどない
ただいくら質がいいと言っても人口の大きな魏呉に何とか対抗できるってだけで
上回って勝つ程じゃない
これで結論だろ
>>926 なるほどー
四川料理をこよなく愛し、唐辛子の成分のカプサイシンを大量に摂取してるから
火病を患ってるんだなー
後漢人口の15パーセントを養っていた益州がこんだけ過疎地になったのは、劉備一党らがどんだけひどい食いつぶししたのか、という証明だろうなぁ。
94万の人口って、曹操が黄巾賊残党を下して得た人口より小さいじゃん。
もともと、益州自体が一個の行政単位としては大きい。
その分、内包するものも大きくなるさ。
ただ、蜀漢がそれをどこまで把握し統制していたのかが……。
932 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/05(月) 14:17:48
>>932 なんでまだ使い切ってないのにスレ立てするんだ?
テンプレらしいコピペも蜀豊の妄想や史料捻じ曲げが判明したものを考えなしで移しただけ?
その割りにほかのは入れてないし。
本人??
まぁ蜀豊がいくら俺妄想を書き込もうと、客観的説得力が無い以上は誰も賛同してくれないからな。
で、それを気にしてなおさら顔真っ赤にしてスレ無駄遣いとか平然とやる悪循環。
しかし、ここまで蜀豊を動かすものは何なんだ?
1800年前の中国の小国が豊かだろうが貧しかろうが、
彼の人生には何の関係も無いはずなのに。
知的ゲームとしてやる分には楽しいが、
蜀豊のように魂を賭けるかのような自論への固執は狂ってんな。
また、蜀豊を主体とした動物園スレが立ったか
ま蜀豊の面白い妄想を期待しようか
董卓より蜀って貧乏だったのね。
董卓は二万〜三万の金をもってたが、蜀は一桁少ない二千がやっと。
>>936 自分で立てたんだよ。テンプレ見りゃわかる。
自分の妄想レスをテンプレコピペするあたり、自己愛っぷりは異常だな。
で、そりゃ別人と主張していた自分の人口180万妄想と矛盾するのまで丸々使っちゃうあたり、
真性か……
例の北島三郎の話もテンプレ入りしとかないとなw
>>938 まーいいじゃないの
スレタイとテンプレが蜀豊であっても、生暖かく見守ってやろうぜ
>>940 誰でもよかった、金持ってそうな北島三郎を例にあげた(キリリッ
蜀はインドなど南方への交易ルートを抱えてたから、
人口以上の経済力はあたかもしれない。
これは馬忠や張嶷の尽力の賜物ではあるが、
逆に交易拠点での反乱が頻発してた裏返しでもあるので、
どの程度の利益があがってたかは不明。
>>930 青州黄巾賊は発生当初こそ100万と言ってるものの
各地で撃退されて方向転換するたびにその数を減じてる
孔融が戦った時は20万しかいない
各地で分離と移動を繰り返していて、曹操が獲得できた青州黄巾賊が兵30万、民衆100万ってのは怪しい
っていうか多分史書のお約束である1/10程度な可能性大
それでも十分多いけど
つうか妄想で根拠無く二倍に水増ししても魏どころか呉にも及ばないあたり、いかに苦しかったかより際立ってない?w
うん
あとそろそろ蜀豊のショータイム
蜀豊来ないね。ついに逃げたか。
いつもなら来る時間なのに...
>>921 あるね 事実とは思わないけど
>>922 「ぼくりかいできな〜い」って君が泣くのは構わないが
無意味な煽りを繰り返すのは感心できないな
ま、そうやって自分と同じ人間を探して安心しようと思っているんだろうけどね
>>923 実に頭の悪い解釈と返しだな
>>924 「凋」は『衰退』『衰微』では無いんだよ
「凋」は『凋』だ
しかし、「凋」は『凋』だ と聞かされたところで
「凋」の意味を知らないのだから『凋』の意味を知る事は出来ない
そこで他の言葉を使って「凋」がどういうものか悟らせようとするのが辞書の類
「ああ、こういうことか」とニュアンスを掴めればそれが正解
『枯萎』『衰落』『衰頽』『衰退』『衰微』と個別の意味を限るのは不正解だ
答えはシンプル
「なえる・しおれる・しぼむ」といった「元気のない状態」のことをいう
「元気がない」が
>>911の「凋」に嵌るのは同じものだからだよ
「なえる」は衰退、衰微。
「しおれる」は衰退、衰微
「しぼむ」は衰退、衰微。
も同様
「凋」は経済的・社会的といったニュアンスを別に含まない
元々の言葉「しおれる」が、比喩として色んな方面で使われているだけ
>>951 厭きたならやめれば?いつまでたっても賛同者一人現れない演説続けてても疲れるだけっしょ?
中国人が日本語の読み(ry
でも袁紹配下の田豊なみだめ
「たゆたか」とは読まんだろ
いいかい、お菓子ちゃん
史料読めねーわ、読解力ねーわ、受け売りの知識しか持ってねーわ
それが間違ってるわ、言葉の意味を知らねーわ、理解力ねーわ、
妄想垂れ流すの止めねーわ、根拠のない自信だけはあるわ、態度が悪すぎるわじゃ
相手にしてもらえないと思ったがいい
よし、蜀豊のショータイム
三国の中で真っ先に滅びた蜀。まだ三国志に詳しくない時でも、
なんとなく予測できましたよね。「きっと蜀が真っ先に無くなりそうだな」って
蜀豊と矢追純一って仲良くなれそうな気がする
蜀豊、金銀兵糧いっぱいあるはずなのに成都には何で滅亡時、蔵にはなにもなかったの?
久々に復活!!
「藤岡弘、探険シリーズ」
題:三国志の蜀に180万人いた?
ラストの藤岡氏のコメントは。んー、どうやら幻だったようだったな。
961 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/05(月) 23:10:23
しかし何で降伏時の目録の94万人と蜀豊の妄想180万人なんで人口が倍違うんだろうねw
記載を間違えたってレベルじゃないw
>>959 ジャングルの中のエルドラド=蜀
伝説なのだよ
金銀ははっきりしたこと言ってないよ、蜀豊
トウガイが猫ばばしただの妄想全開だったけど
蜀の無限の金銀兵糧、180万人は蜀豊の頭の中のお花畑にあります
蜀180万人はね、このスレになってやっと94万人の税収で北伐やってたら疲弊するのに気づいて
蜀豊が急きょ180万人とでっちあげた数
魏>>呉>>>>>鮮卑>匈奴>蜀>高句麗
94万の人口で心身疲弊し苦労してるなーと理解できるけど、180万と
捏造したいい加減な数字だと蜀って大したことない心身疲弊だねと理解するしかない
金銀なんて減らすのは簡単でも増やすのは難しいよな
>>961 お前はバカな頭の中で「2倍にも増えるわけがない」ぐらいに思っているのだろう
それを解いてやると、「誤差が2倍なんて聞いた事がない」という経験則からの否定だ
推定180万人は「誤差」ではないんだよ
この時点で君は完全に間違っている
これは「計算」だ
君の頭は見当違いな「誤差」の範疇かどうかの裁定をやっていて、「計算」を全くやっていないのだ
>>964 「消えたその理由」に根拠と言えるまでのものはない
だからどう考えようと妄想になってしまう
ゆえにそれ以上語っても意味がない
消えたであろうことは妄想ではないけどね
国にとっての心身疲弊ってよっぽど絶望的な状態に置かれてることを言うよな
蜀豊が唐の時代の1戸あたりの平均人数をなんで三国時代にそれをあてるのかさっぱりわからない
唐の時代と三国時代じゃ暮らしぶりが全く違うだろうに
蜀豊「別に目録に94万人って書いてあっても倍の180まんにんにしたっていいだろ」
そんなことしたら税収の計算が全く合わなくなります。
戸口調査は政府によってきっちりやられています、税収に関することだからね
根拠のないものは妄想です。
倉の中の金銀が消えたなんてことは蜀豊の妄想です
目録って滅亡間際か滅亡後に慌てて作るものなの?
計算ねぇ
水増ししたい願望で勝手に計算されても困る
元から作ってあるものだろ、目録
それで税収とか管理してんだろうしね
倉の中の金銀は劉備が入蜀した時に、武器を投げ捨てた将兵が倉へ殺到して金銀を
略奪しました。(蜀書先主伝には将兵に「分与」とヤンワリ表現してる)
それで色々とやりくりせざるを得ない状態に陥っちゃったんだよね
>>978 領民の家や田畑まで取り上げたらしいけど、趙雲が
「そ、それだけは返しましょう」
と進言したので、劉備はしぶしぶ返したらしい。
>>977 しかし、その目録を作成した蜀の人間でさえ蜀豊は否定する始末
>>972 あててないよ
>>973 それも答えたよ
>>974 根拠は挙げているよ
>>975 Yes & No
>>976 94万が間違っているのは明白なのに、知らぬ顔してバカに混じる事が出来ないだけだ
>>977 「士民簿」はな
>>980 成都周辺の民が家も畑も捨てて避難したんだろうな
持ち主の居なくなった土地をどうするか決める会議だったのだろうね
蜀豊妄想180万人と蜀降伏時の目録94万人どちらが信憑性があるかって話ですよねw
俺に決まってんだろ
魏志と呉志はコピペな部分があるけど蜀志は陳寿が間違えて94万と記さないと思うんだ
986 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/06(火) 00:23:31
>>983 蜀ばっか補正かけてるけど同様の補正は魏呉にも掛るってこと忘れてるような気もする
特に呉は豪族の私有民をかなり緩くしか取り締まっていないし
魏でも国家が最大の荘園経営者というだけで別にそういう私有民が皆無というわけでなし
という事情を考えると蜀が180万だったとしても魏呉も似た様な増加っぷりで
180万人居る計算が正しいって方が逆に彼我の差が絶望的になるというか…
>>985 94万の数字が出てる陳寿の本文じゃなくて注釈な
戸籍登録人口=94万 実人口=180万と言いたいのですよね?
988 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/06(火) 00:37:54
いや、違いますよ
蜀豊は28万戸94万がおかしい、28万戸180万人が正しいと言っているw
94万は文字通り「成人人口」だ
計算してみました。
魏の戸籍登録人口=443万、呉=230万、蜀=94万、合計=767万
魏の割合=58%、呉=30%、蜀=12% ・・・(※1)
統一晋(西晋)の戸籍登録人口=1616万
(※1)の割合を元にした各国の人口
魏=937万、呉=484万、蜀=193万
あ、そうなんだ。。。計算しちゃったw
994 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/06(火) 00:46:15
次スレ立ってるな
995 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/06(火) 00:51:17
魏は何で総人口書いてて呉蜀は成人人口を記載してるなんてなるんだよ
魏は「口」 蜀呉は「男女口」だからだよ
>>993 それは無理があると思います。統一前の戸籍人口=767と、統一後の人口=1616との
差を、呉と蜀だけで引き受けるのは多すぎると思います。仮に統一時の旧魏を微増分含め
450と仮定すると、1166万を蜀と呉に割り振ることになり、呉蜀の割合で割り振ると
旧呉=1104万
旧蜀=386万
となり、呉が魏の倍以上という違和感たっぷりの結果になります。
>>997 晋書地理志の郡別戸数比から平等に割ったものがこれ
晋が中国を統一した280年の推定人口
旧魏領 1066万0831人
旧呉領 343万6110人
旧蜀領 206万6922人
>>998 でも、200万で兵士10万を維持するのはやっぱり大変だろ。
蜀豊憤死
1001 :
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立 新 / ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、 ,r';;r" _ノ と 何
て し L_ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ ,';;/ ) 申 と
ね い //;;/´ `' 、;;;;;;;;,,l;;' /ヽ す 1000
ば ス /.,';/ ヽ;;;;,l;L_ .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;i か を
い レ l |;|┌--‐フ ┌----、、 |;ヾr''‐ヽ, ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;く !! 超
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