1 :
無名武将@お腹せっぷく:
「三国志」曹操の陵墓発見 中国河南省、遺骨も出土
ttp://www.47news.jp/CN/200912/CN2009122701000388.html 【北京共同】中国中央テレビによると、中国河南省文物局は27日、同省安陽市安陽県で、後漢末期の武将で三国時代(3世紀)の魏の基礎をつくり、「三国志の英雄」として知られる曹操(155〜220年)の陵墓を発見したと発表した。
陵墓からは60歳前後とみられる男性の遺骨が見つかり、専門家による暫定的な鑑定結果によると、60代で死亡した曹操本人のものだという。
曹操の陵墓の所在地をめぐっては諸説あり、これまで特定されていなかった。今回の発見で、曹操に関する謎が解明されるのではと期待されている。
陵墓は面積約740平方メートル。二つの墓室などがあり、鉄剣や水晶、石碑などの埋葬品が200点以上出土した。曹操を示す「魏武王」と刻まれた銘文も含まれ、曹操の陵墓だと示す根拠の一つになったという。
曹操とみられる男性のほか、女性2人の頭蓋骨や足などの遺骨も見つかった。
同陵墓は誰を埋葬したものか分かっていなかったが、盗掘などが相次いでいたため、文物局が昨年12月から、盗掘防止のための発掘作業を進めていた。
2009/12/27 20:06 【共同通信】
2
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 20:50:44
うーん信憑性がわからないから語りにくい
本物なら大発見
本物ならね
本物にしようよ、この際。
乳側から飛んできますた
よくわからんが本物かどうかは三国志研究家が調べるんじゃねえかな?
暫定ってのが辛い
観光地化されないのを願うのみ
盗掘されまくってるぽいのが辛い
盗んだのは玉だけで文書系には価値無しと見て盗られてないといいな
11 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 21:34:13
ロマンがあっていいよな、中国の歴史上どの人物よりも日本人ファンにとっては
なじみのある英雄だし。
12 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 21:41:11
それよりも土方歳三の遺骨を探してくれよ
曹操は衣服も簡素に、副葬品は必要ないと遺言してなかったっけ
もし本物だとしたら、それは無視されたのか
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 21:48:01
十分に簡素なんじゃね?
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 21:49:00
史実や小説との違いを知れそうだな
遺骨から身長とかわかるんかな
どんだけチビだったんだろうか
河南の墳墓「曹操の墓」と断定…遺骨を確認・副葬品の数々も
27日付中国新聞社電によると、河南省政府で文化財の保護・管理を行う部署の省文物局は同日、
安陽市安陽県の安豊郷西高穴村の「曹操高陵」を、国時代に活躍した曹操(155−220年)の墓と断定したと発表した。
「曹操高陵」内部からは、60代男性のものとみられる遺骨も見つかった。
曹操の墓と伝えられている陵墓はほかにも多く、安豊郷西高穴村の“曹操”高陵を「根拠のない伝承」と疑う声も多かった。
河南省文物局の陳愛蘭局長によると、墓の規模や状況などが当時の記録と合致し、
内部の壁画も後漢末から魏の時代のものと判断できた。
最も有力とされた証拠は、「魏武王」との文字が刻まれた石牌が発見されたこと。
記録によると、曹操は「魏公」ついで「魏王」に封じられた(地位を与えられた)。
死後に贈られた諡号(しごう)は「武王」で、出土した石牌と一致する。
なお、曹操は後に「魏の武帝」と呼ばれるようになったが、
曹操を「武帝」と称するようになったのは子の曹丕が後漢の献帝からの禅譲(位を譲ること)により皇帝に即位してから。
石牌にある「魏武王」は、むしろ曹操が死去した当時の史実に合致しているという。
陵墓の墓室からは遺骨も見つかった。専門家の鑑定によると60代の男性。
66歳で死去したとされる曹操と年齢面でも一致するという。
写真は、「曹操高陵」で発見された副葬品。
めのうの装飾品などで、当時の工芸の水準と美意識を知る手掛かりになるという。
http://news.searchina.ne.jp/2009/1227/national_1227_020.jpg ttp://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=1227&f=national_1227_020.shtml
伊達政宗は遺骨からほぼ正確な身長を割り出せたし、
実際の身長がわかる可能性は十分あるとおもう。
ロマンやなー
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 22:03:12
そのうち画像が公開されるかもな、当時の衣服など原形とどめてたらいいけど。
21 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 22:03:58
楽しみだ
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 22:05:16
続報が待ち遠しい
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 22:06:12
中国の信長と言われた英雄
24 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 22:08:13
本物だったら当時の状況を知ることが出来るから三国志ファンとしては嬉しいんだが
いかんせん信用できない
偽者であっても中国政府が認定しそうだしな・・・・
25 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 22:14:26
捏造でないことを祈りたいよなw ぬか喜びになってしまう
26 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 22:15:33
27 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 22:21:45
すごい!本当だといいな。
本人の遺骨はもう風化しちゃってるのかな?
ちゃんと読もうね
60歳代男性のものらしい遺骨も見つかったって書いてあるよ
29 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 22:27:34
実は春秋戦国の方の....
>>29 すまん諸葛亮の子孫のニュースの方に目が行ってしまった
32 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 22:29:57
ほう、墓は見つかって無かったのか。
まぁ、日本だと卑弥呼の墓を見つけるようなものだろうからなぁ、年代的に。
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 22:30:15
曹丕が于禁が関羽に捕縛された壁画を曹操の墓に描かせたというエピソード
を思い出したけど、まだ残っているのだろうか、その壁画・・・。
>>32 前漢の皇帝の墓なんかはどれも見つかってるんだけどね
とりあえず、おめでとう
37 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 22:39:42
>>35によると・・・
発掘された墓は前室と後室、四つの側室がある構造で、全体の面積は740平方メートル。
墓室は20メートル四方で、墓道は全長40メートル、幅10メートル。
最も深いところは地表から15メートル。
この規模だと本物っぽい。
38 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 22:41:45
曹操「あんだけ薄葬にしろっつったのに・・・」
反三国志で馬超が曹操の墓探すの思い出した
40 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 22:45:12
曹操 vs hyde
41 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 22:56:12
43 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 22:58:28
455 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/12/27(日) 22:52:51
もりわかは名無し潜伏に必死なようです
456 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/12/27(日) 22:54:19
潜伏してないで出てこい
457 名前: ◆0cm5bEPo3u.2 :2009/12/27(日) 22:54:30
だいたい小沢の性格知ってれば、奴が皇帝なんてもんになるわけないことくらいわかるだろ
奴はあの金丸信の愛弟子だぞ
458 名前:杜若 ◆38ch/tbJcA :2009/12/27(日) 22:55:51
金丸といえば土屋昌恒!
459 名前: ◆0cm5bEPo3u.2 :2009/12/27(日) 22:55:51
おい聞いてんのか貸す
460 名前: ◆0cm5bEPo3u.2 :2009/12/27(日) 22:57:03
杜若名無し潜伏乙!
ニュース見てやってきますた
46 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 23:58:01
>>41 何か、鳥肌が立ってきた。
当たり前だけど、石で残すと木材に比べて耐久性が段違いだな。
47 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 00:00:07
書物は見つからなかったのかな
孟徳新書
>>14 >鉄剣や水晶、石碑などの埋葬品が200点以上
十分に豪華すぎるだろw
遺体の写真はまだか!
51 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 00:06:06
まぁ、中華の人口が大激減の大変な時代だから、そんなに贅沢には
出来なかったろうな。まだ、敵国も健在だったし。
52 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 00:07:09
曹操自身が薄葬望んでたのに豪華すぎだろ
>>49 一つ正史の嘘が明らかになったな
陳寿はやはり相当に曹操を持ち上げざるを得ない立場にあったのかな?
宇禁が恥じ入って死んだというやたら個人的な図画はどこ?
>>52 案外、曹操自身がゴージャスな埋葬を望んでたのかもよ?
実質の最高権力者にしては質素?なのかな
始皇帝なんかと比べると質素って言っていいんじゃないの
>>57 それだと漢の武帝だって質素になってしまうが
59 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 00:21:25
>>41 テレビでも映ってたけど。
隷書が綺麗過ぎて却って怪しい。
まあ墓室中で保存状態が良かったってことだろうけど。
そもそも、大国君主基準で、この墓は豪華なのか?
中国なんて、地方のそこまでメジャーでない名家でも凄い墓を
持ってたりするが。
>>38 中国の3分の2を支配した王の墓としては十分簡素だろ。
大きさとしては学校の体育館くらいしかないんだな。
>>53 武帝紀をよく読むと遺言には薄葬しろとあるけど、実際に薄葬したとは書いてないぜ
文物局は、同墓を曹操のものと断定した理由として
(1)墓の規模が巨大で魏王となった曹操の身分にふさわしい
(2)墓から出土した文物はいずれも後漢と魏の特徴があり、曹操の時代と一致する
(3)墓が見つかった場所は「三国志」などの歴史文献とほぼ一致する
(4)副葬品の特徴は曹操の「遺令」(遺言)とほぼ一致する
(5)墓に曹操を示す「魏武王」と刻まれた銘文が複数見つかった
(6)男性の遺骨は60代で、曹操の死亡時の年齢と一致する−の6つを挙げている。
だってさ
>(4)副葬品の特徴は曹操の「遺令」(遺言)とほぼ一致する
うむ?
金銀財宝は入れるなって命令とほぼ一致する?
当時の価値観だと今回出た副葬品はそんなに豪華でもないのかな
>>62 まあ遺族の立場もあるしな
蒼天の最終巻でも皆が喪に服しまくってるのを曹操が天から苦い顔で見てたし
蒼天航路を出しますか
1)墓の規模が巨大で魏王となった曹操の身分にふさわしい
この時点でどう考えても質素などと言えんw
少なくとも曹操もブルジョワな感覚でモノを言う人物だった
ということは分かってきたな。
あとは遺体か
あるかな?
年齢が分かるくらいだから背格好、人相、死因くらいは判明するのかな
まあ藤原紀香の結婚式みたいにど派手にはやってないが、
それなりの所で形式を整えてやったぞってところじゃね
叶姉妹みたいに金銭感覚が麻痺してたんじゃないか?
庶民には豪華すぎであっても、権力者には質素と思えるレベルのものとか
瑪瑙の装飾品って豪華だろ
曹操の墓って事は曹ヒが作ったんだろうけど
>>63の遺令どおりってのはなに?
本物だったらwktkだな
記念下記子
曹操は濁流の宦官曹騰を祖父に持つ”名”家の出身
父の曹崇は売官制で太尉の位を一億銭で買うほどの蓄財があった
小さい頃から金は腐るほど持ってたお坊ちゃま
庶民とは感覚が違うよ
>>74 中国の偉い学者達の調査によるとそうなんだと
本物であってほしいが、まずは慎重にいってほしい
それにしても、こうもあっけなく見つかるもんなんだな
墓キタ━━(°∀°)━━!!
結構ガッカリだなあ、曹操って質素かと思ってたのに
意外すぎるほどに強欲でもあったのね
第四に、文学も、明確に、彼の後ろに、"左の順序は左から"曹操支持者の葬儀、臨終の説明:
"アンダーテイカーするときにドレス、"および"no隠さ仁勇珍包"は、この古墳も確認されています:
ただし、古墳の規模小さいが、それらをもたらした装飾、シンプルではありません壁画、充填および簡単です。
武器、上の石の枕とので、通常は潔魏曹操の証拠として、
"頻繁に"デバイスが使用されて、その絶妙な玉の装飾品の数も、毎日着るもの曹操されるべきだ。
グーグル和訳だめだw
確かに墓の規模は小さく見えるな
中国は予算や技術がなくて、発掘できない遺跡が沢山あるんだよな。
今の技術で下手に掘ったら、崩壊する恐れがあるから、未来の技術に託して
封印してますみたいな。
女性の骨の一部も見つかってるっていうから
あとで改葬して卞氏とかの遺体を足したんだろうか?
調べた結果盗みに入った女盗賊の末路だったとかだったら逆に笑うけど
始皇帝の墓は中に入ると矢が飛んできたり、水銀の湖があったという
一回行って見たいわ
女性って誰だろうな
87 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 00:43:50
すうしだろ
>>84 ひょっとして生贄だったのかもよ?
身分の高い人間にあの世でも尽くすようにと共に埋められてしまった
奴隷の身分だったもの達とか。
世話人みたいな人なのかな?
死後でも世話するみたいな
薄葬の基準は一概にはいえないとしても
家光が家康に対してやったことに比べりゃ、まともな子孫持ったな、て感じ
>>88 曹操に関して言えば、お気に入りの奴隷だったとしたら
逆に生前手つけてても違和感ない気もするw
曹操好きにとってはこれ以降も
結構ショックな事実が判明しちゃうかもな
ゴージャス生活だったので、チビ+デブだったかもしれないとかも。
93 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 00:49:13
偉天の剣と青紅の剣は無かったのか?
曹操 字孟徳
祖父は典型的な濁流の宦官曹騰。その養子となった父曹崇と同様に
幼い頃から何不自由無い豪奢で裕福な暮らしをしていた。
乱世において、宦官祖父の不正蓄財による莫大な富と、青州の黄巾の
残党を取り込んだ『青州兵』の軍事力、荀文若等の智謀を得て時流に乗り、
天下の3分の2までを有したが、父の弔い合戦で狂乱した徐州での
大虐殺による怨嗟や、漢室に対する強引かつ冷酷な弾圧で多くの敵を作り、
結果として、劉備、孫権等に(魏朝自体が)天下統一を阻まれた。
陳壽にも卓越した才智は賞されているが、皇帝として最も重要な資質とされる
「徳」については敢えて触れられていない(暗のメッセージであろう)。
>>90 しかし、夏侯惇の墓とかに比べるとギャップがありすぎるな。
身分の違う王とはいえ、薄葬というからには装飾品も10点程度
墓もごく小規模くらいのものだと思ってたよ俺は。
96 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 00:52:23
ダイイングメッセージで
「ならばよし」
97 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 00:53:09
劉備の白帝城と同様、来年の今頃には「ダムの底に沈んでる」に、100人民元BET。
>>63 うーん
どうなんだろう
装飾品の価値とか遺言と合わない気もするけど
それでも薄葬ってことなのかな向こうの研究だと
採掘費用がなくなったので放置
なんてことにならなければいいけども
流石に中国でニュースになってるし偽者じゃないだろうなこれは
中国においても、三国志は最もポピュラーで人気のある歴史、文学である
従って、その中心人物である曹操に対する認知度や関心も高い
しかし当時の中国はやっぱり進んでるな
明日香村の蘇我馬子の墓とはレベルが違う
当時の日本は3000年遅れていた
>>101 別格なのは関羽、孔明だけだよw
中国人のほとんどは三国志を広く浅く認識してる程度
歴史においては三国志は二十四史の一部という見方に過ぎず
文学における人気は西遊記、水滸伝の方が上
神になった関羽、天才の代名詞にまでなった孔明だけが
「ありがたや、ありがたや」な存在として有名になってるだけです。
>>明日香村の蘇我馬子の墓
あれってUFOの発着ポートなんだぜ
知ってた?
108 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 01:07:35
大三国志展で曹操の親だったか祖父だったかのミイラ的なものがあったな
そういや曹瞞伝にはいつもネックレスして、
酒を飲んでは大笑いして皿に顔を突っ込んでたってあったな
今回見つかった副葬品ってもしかしてそれかな?
だったらロマンだね
>>105 2年位前に2ch等のネットだけじゃなくTVでも、中国人は日本人に対してヘタに三国志ねたの話題を振るなってな報道・記事
が一時期流れたからね。
日本人の三国志関連の知識は異常。
さっきTVニュースで見てきた スゲーな 軽い興奮状態
中国人がやたら日本の特定の時代にだけ詳しかったら
日本人も驚くよなあ・・・
113 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 01:22:09
魏の国力が強大な時期だしな、曹操愛用の品とかあったらいいな。
おおおおおおおお
ついに見つかったか!
ただ、中国人やイギリス、フランス、アメリカ人みたいに
自他共に認める世界史の中心国の連中は、他国の人間が自国に
詳しいことにめちゃくちゃ慣れてるからね。
その辺は、やっぱり日本ってのは大国じゃないんだわ。
メンタリティ的にも。
116 :
ひょーりみ ◆00/FP3k5IQ :2009/12/28(月) 01:23:16
よし、墓の上に鉄道通すか
異民族に数百年占領されてた地域だぞ?
嘘くせーな
まあ中国が認めたんなら何も言えないがな
この石の札みたいな「石碑」は本来どういう意図のものなんだろう?
贈答品の目録みたいなもの?
「魏の武王常用の枕です」とか
「魏の武王が常に用いていた大戟でこっちは短矛です」ってタグをわざわざつけてくれてるって
なんというか、親切というか基本的に後の世の人の目に触れるを意識した感じだよな。
孝行な子孫が改めて先王の偉大さや徳を称えつつ改葬するときのためのものなんだろうか?
曹ヒならそういうことやるかもよ
案外ファザコンだからなあ
でもなあ…司馬一族の墓は焼かれて曹操の墓だけ残ってるのも変じゃね
曹操は司馬懿が跡を継いだ
正確には、曹一族が築いた王朝を、司馬一族が同じ手法で乗っ取っただが、
要するに魏朝は晉朝の正統を証明する道具なので、晉代になっても
魏は尊重されていたという事だ
魏晋は異民族から見ればセットみたいなもんだからな
でも誰だったか異民族の親玉が世祖・魏武の流れとか言ってたから
その強さは尊敬されてたんじゃないか?
最も自分も今回の発見には懐疑的だが
なんかすげぇ興奮する
なにその写真の副葬品 綺麗すぎ
ロマンだなぁー
>>120 いやそうではなくて、
晋書に異民族が洛陽を陥落させ晋帝を捕らえ(後に殺した)た時に祖先の墓を焼いたとある
俺はこのとき曹操の墓も焼かれたと考えてたんだ
だが今回の発見で否定されたな
124 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 01:42:02
それこそ中国政府がわざわざ捏造するメリットもないだろうし
今更誤報だったとも言ってないからな。
観光目的に宣伝すれば日本からのツアー客も訪れるだろうけど。
司馬一族の墓は焼いても曹操の墓は焼かなかったんだろ
いずれにせよ中国政府が認めたなら確定だぜ
俺らにうそくせーという資格は無い
殷墟のある安陽市ってギョウの川向こうだよね?
そうだな
洛陽で亡くなった曹操の遺体はギョウに運ばれたはず(文帝紀)
なので辻褄は合うな
128 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 01:49:32
3泊4日ぐらいで
北京から殷墟、嵩山少林寺、それにこの曹操の墓とか、
なんかお手軽パックツアー的にもはやるかもね
>>128 曹操が常に持ち歩いていた玉ですという説明のための石碑だな
132 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 01:53:21
帝ではなく王というのが信憑性ある
133 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 01:57:04
>>31 しかも母方に日本人の血が入ってるんだなw
日本ともつながっていたんだ
>>81 (4)副葬品の特徴は曹操の「遺令」(遺言)とほぼ一致する
の詳細が書いてある部分を訳してみた
http://www.haww.gov.cn/html/20091227/153670.html たぶん間違いが多いと思うので、修正あればよろしく
第四に、曹操は臨終前に残した「遺令」にて薄葬を指示したと文献に明記されています。
“平服で”、“金玉や貴重な宝は埋蔵してはいけない”という内容は、この陵墓の中に確認できます。
陵墓の規模は小さくはないですが、墓の中の装飾は簡素で、壁画は見られません。
兵器、石枕などにある文字は、みな曹操の平時の常備品のものであることを示していますし、
精美な玉器などの装飾品は曹操の日常身に着けていたものであるのです。
乙
やはりそうだったか
>>134 面白いな
新たに作ったり集めたりした華美な副葬品は確かになかったが、
日常使っていた副葬品はなかなか豪華だった、と
武帝紀と曹瞞伝はそれぞれ正しかったわけだな
やっぱり当時の権力者としては薄葬になるのか。
壁画がないのはちょっと残念だな、
于禁を殺したあれば残っていれば面白かったのにw
捏造臭がハンパねーな
この国は捏造、粉飾はお手の物だし
墓と廟は別物だぜ
ウキンが立ち寄ったのは廟な
廟は洛陽の近くにあったとされるが、
今回見つかった墓は ギョウの近くだ
だから出てくるはずがないんだよ
Yahooには壁面があったとあるぞ
>>140 そうは言うが所詮俺らは外国人
普通の中国人よりは知識が上だろうけど中国の鑑定学者らが認めたなら口は挟めないさ
>>141 ウ禁伝見るとギョウの墓に壁画があったようにしか思えないんだが
流石に画像やニュースの動画見ると捏造には見えない
曹操の墓で確定かと
146 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 02:13:02
148 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 02:17:26
>>9 されないはずが無いだろ!
ン千年間、「商人と皇帝の国」なんだから!
曹操
150 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 02:22:30
この人項羽より格上?下?どっち?
毛さんがやたら持ち上げてたから
今は格上になってんじゃないの
でもまあ朱然の墓の変な下駄とか凝った器や
中山靖王劉勝の金縷玉衣とかと比べると
ステータスの割にはたしかに質素な墓ではあるよな。
変な話だけど今の感覚でいうと愛用の腕時計や携帯のストラップ、万年筆みたいな
本当に生前お気に入りだったもの、みたいだし
何故いきなり項羽が出てくるんだ
このスレはそういうスレじゃないので余所へいってくれ
ひとつひとつ石碑で説明するとかどう考えても曹ヒだよね
ファザコンめw
156 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 03:24:43
物欲とかなかったのかな
157 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 03:55:00
曹丕がウキンに石碑を見せた時代と曹操が死んだ時期が近いし、そんな似たような技術の石碑が出てくるとこまで本物臭いな。
158 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 04:30:38
よく当時の人でも本物の曹操の墓が発見できなかったのに
よく発見できたもんだ
>>23 教養、知性、偉業どれをとっても世界史に残る英雄と比べるのはちょっと・・・
160 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 05:11:24
注釈以前の孫子が一緒に入ってたら最高だ
まあ絶対ありえんが。。
>>159 誰のことだ?世界史上において曹操はたいして重要な人物ではないぞ
>>161 世界史上の英雄といえば曹操は必ず候補に挙がる英傑だ
163 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 05:28:49
>>161 まぁ文学においては評価できるらしいがな
ぅひゃあぁぁあぁあ
気になってどうしようもない
遅刻しそ…うわあうわあ
/ ̄\
|朝鮮海|
\_/
|
/  ̄  ̄ \
/ \ / \
/ ` ´ \ よくぞ発掘してくれた
< ヽ (__人__) > 褒美として黄海を西海と改める権利をやるニダ
\ ` ⌒´ / ☆
/ヽ、--ー、__,-‐´ \─/
/ > ヽ▼●▼<\ ||ー、.
/ ヽ、 \ i |。| |/ ヽ (ニ、`ヽ.
.l ヽ l |。| | r-、y `ニ ノ \
l | |ー─ |  ̄ l `~ヽ_ノ____
/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ-'ヽ--' / 無双 /|
.| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/| ______
/ ̄ 三国志 /|  ̄|__」/_ 大航海 /| ̄|__,」___ /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ 信長の ̄/ ̄ ̄ ̄ ̄|/ オプーナ /| / .|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/l ̄ ̄ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/| /
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
曹操様ーっ m(__)m
167 :
ひょーりみ ◆00/FP3k5IQ :2009/12/28(月) 06:13:25
それはそうと陵墓と陰茎って似てるよな
>>167 頭おかしいんじゃねえのw
さっさと病院逝ってこい
169 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 07:13:37
朝ズバッ!でみのもんたが曹操と孔明をごっちゃにしていたから呆れた
周りにいるヤツらも訂正させろよ
170 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 07:16:41
本物だったらスゲーな!
NHKニュースでも来たか
こりゃあ流石に本物だろうなあ…
日本の武将の墓だと伊達政宗かね。発掘調査のおかげで
何から何まで詳細に判明した。北の王者にふさわしく
豪華な副葬品も続々と。しかし大方は仙台市博物館に
持ち去られてしまったようだが。政宗からすれば
盗掘されたのと変わらないかもしれん。
遺骨から「曹操はこんな顔だった!」みたいなのも再現出来るんだろうな
しかしギョウにしても異民族がずっと占領してたのに
本物なら奇跡的だ
177 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 07:35:40
_ _
r土 ̄ _」┬┬ ト.、 _」 \_WWWWWWW_/
| ||== ⌒=|| ≫ ≪
_|‐ ' ´  ̄ ̄O ̄ | ≫ げ ≪
. ,':ri‐:':::二二::: ̄::;´::`! ≫ 発 え ≪
l::l.l:::/ `''´ ヽ:!、 ≫ っ ≪
. !::|l::〉 /⌒_' ........,'⌒'| ', / 見 ≪
/ヽ!l| "::::'´ o.!::::::::l´o.}:! |  ̄≫ ≪
| 9.|l u  ̄ .| ̄ |! | /~MMMMMMM~\
. `ーl.l. _ j ,'
| ', 〃,.-―-jl,'
.| ヽ {l '-一-'.,i′
. ,rv' ` .'l .,;;;,./
_/ハ::::::\ `ヾ;;;/ハ
/::ノ:::ヽ:::::::::`:..、. `/:::::\
178 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 07:44:17
>>174 埋葬後すぐに曹操の本物の墓の所在地が不明になってたから
別に本物でも不自然ではない
179 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 07:48:57
180 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 07:49:34
もし20年前に発見されていたら
日本でも中国でもボロクソな扱いだったのだろうな
181 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 07:51:14
頭蓋骨があれば顔がわかるな
いろんな人や企業が曹操の顔を書いてるが、
どこが似た顔を書いてるのか
>>169 ( _,, -''" ', __.__ ____
ハ ( l ',____,、 (:::} l l l ,} / \
ハ ( .', ト───‐' l::l ̄ ̄l l │
ハ ( .', | l::|二二l | ハ も .|
( /ィ h , '´ ̄ ̄ ̄`ヽ | ハ ん │
⌒⌒⌒ヽ(⌒ヽ/ ', l.l ,' r──―‐tl. | ハ た │
 ̄ ', fllJ. { r' ー-、ノ ,r‐l | ! め │
ヾ ル'ノ |ll ,-l l ´~~ ‐ l~`ト,. l |
〉vw'レハノ l.lll ヽl l ', ,_ ! ,'ノ ヽ ____/
l_,,, =====、_ !'lll .ハ. l r'"__゙,,`l| )ノ
_,,ノ※※※※※`ー,,, / lヽノ ´'ー'´ハ
-‐'"´ ヽ※※※※※_,, -''"`''ー-、 _,へ,_', ヽ,,二,,/ .l
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ `''ー-、 l ト、へ
吉川英治と横山光輝しかなかった頃か。そりゃ厳しい。
日本では蒼天のおかげでだいぶイメージが良くなったのかな。
本場ではよくわからんが。
吉川と横光は曹操を魅力的に描いてるからいーんじゃねーの?
蒼天は当然だが
陳舜臣、宮城谷昌光、酒見賢一、
これらみんな魏>蜀って内容の作家だしなー
いまどき蜀を持ち上げてる作家はいないよな。蜀ファンとしては悲しい時代の流れだが
187 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 08:03:55
>>183 本場でも曹操のイメージは良化しているようだ。
日本からの昨今のマンガやゲームの逆伝来で。
魯迅が曹操を再評価してもあまり効果なかったのにな…複雑な心境。
三国志新聞も演義のエピソードを盛り込みつつも基本的には
正史を軸に書いているから主人公は曹操。
でも俺は判官贔屓的に蜀ファン。国力からして
途方もない差があったというしねえ。
>鉄剣や水晶、石碑などの埋葬品が
水晶実在ktkr
許昌に巨大曹操像が作られたり、曹操主役のドラマが作られたり
「演義の真の主人公は曹操」なんて言われたりと
本場中国でも曹操は英雄視されてますな
日本の知恵袋や個人サイトみたいに蜀叩きも熾烈なのかなー…
そういうのは外国人の俺らが言うことじゃないぜ
あくまで三国志通の日本人に過ぎないこの板を住人に中国での曹操人気など推し量れるはずもない
今はただ大発見を喜ぼう
194 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 09:01:11
昔、NHKの番組で曹植の子孫が出てきていたが……
あの面、まさしく曹操の子孫だった。
ちなみに孔明や孫権の子孫なんかも出てきてた。
195 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 09:05:39
諸葛孔明の遺骨は発見されてないのでしょうか?孔明は
曹操と違って背が高く、180センチはあったなどと書かれてましたが
古代の人がそんなに大きかったのか疑問です。
>>181 みんな蒼天のイケメン曹操をイメージしてるんだろうから
あまり夢を壊してしまいそうな事言うでない
正史から考えると実物はあまり期待出来そうにない…
赤壁の敗戦がなければ完璧な皇帝だった。
孔明の引き立て役になってしまった
いまや横山曹操は時代遅れなのか・・・
>>195 程昱なんて190センチあるんだぞ…
孔明以外にも180センチ越えの人物多いし
あまり身長の数字に関しては信じてないな。でも当時としては長身なのは間違いないだろう
ちなみに曹操の身長は記されてない。チビってのは推測だけ。
演義でもそんなにチビってほどでもない
伊達政宗みたく晒して欲しいな
いい意味で
関羽なんて2m超えてて馬2頭に乗ってるんだぞw
史実では質素なも何せとのとの遺言を残して死んでいったが
204 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 09:34:15
当時の一尺って、だいたい23センチ位だったはず。
あれ? これだと……
こないだ、曹一族の墓が発掘されたとき
「倭人は味方に付くだろうか」
というような事が書かれた文章が見つかったニュースが流れていたが
今回も日本関連の文章は発見されるのだろうか?
207 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 09:46:25
孔明の墓はあるけど、まだ発掘調査して墓を暴いてないんだよね?
ゴツ突骨なんか280cmじゃなかったか
>>180 >>183 二十年前って人形劇三国志の影響がまだ残っていたころだろ。
曹操めちゃくちゃ人気だったじゃないか?
演義は巨人大杉なんだよw
曹操が悪役じゃなくなったのってここ10年だと思うけどね。
それは別にゴンタの功績とかじゃなくて、三国志がメディアミックスに乗った結果だと思う。
うーん
行ってみたいな
動画も見たけど自分の目で見たい
吉川の三国志の時点で悪役じゃなかったような・・・
214 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 10:30:20
曹操の頭蓋骨もみつかった
まとめブログとかにも出てるけど
妙に反中レスが多かったなぁ
1800年も前の遺骨を見て、それが60代男性のものと簡単に判別できるものなのか
日本では吉川三国志の時点(1940年頃)で既に魅力的に描かれていたよ
中国ではわりと最近まで悪役だったらしいけど
ひとつひとつ石碑で説明とか怪しい要素はあるけど子桓ならやりかねないし、
何よりもう断定されたようだ
219 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 11:16:32
横山光輝の曹操はあんまり魅力ないよな
すぐ癇癪起こすし
しかし1800年前に中国で彫られた「魏武王」って字が
今の日本のフォントとほとんど変わらずちゃんと読めるって
あらためて考えるとすげえな
221 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 11:19:17
お供えはみかんにしてねー
222 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 11:21:08
というか、今の日本語のフォントが1800年前の中国の楷書そのものだってのがすごい
旧字体から新字体に変わったのもあるけどさ
>>219 千年に一人出るかどうかの風雲児とまで言われてるのに…
って事は横山にとっては
光武帝<曹操なんだな
>>211 バブル経済が始まる少し前から、兵法をビジネスに活かすという感じの本が
大流行していて、孫子の編纂者ということで、ビジネス書で曹操絶賛されていた
じゃないか。
学研の「別冊ムー」(現在の歴史群像シリーズ)の創刊号でも、曹操は信長と家康を
併せたような人物として取り上げられて特集されていたし。
横山光輝の曹操は「魅力的な悪役」だと思う。
癇癪起こしたり女にうつつを抜かしたりして、散々負けてもへこたれないで突き進んでいくって意味で。
>>222 ABCのアルファベットも古代からそのまんま伝わってるんだぜ。
いいものはやっぱり残るんだよ。
横山三国志読んでて、赤壁の時の「死ぬも生きるも運命だ。今更泣き言を言う奴は許さん」は曹操めちゃくちゃカッコイイと思ったなー
あんな過酷な状況にあっても凄く強くてさ。泣き言も愚痴も言わない。「郭嘉がいれば〜」みたいな後だしも無かったし。
死ぬ前の「長い戦いの人生であったわ…」も凄く重いセリフだと思う
>>219 張飛にビビったりするところはかわいいと思う
紳々と竜々の墓が発見される日も近いな
萌えキャラだね横山曹操。かと思えばカッコ良かったり多面的
蒼天はひたすらカッコイイ〜!て感じか
墓碑に「げえっ!関羽!」と彫られていたら本物と認める
231 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 11:52:29
中国事情はよくわからんが少なくとも日本のファンは曹操に好意的だもんな
多芸多才で、作られた悪役像もかえって魅力的だし。
232 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 12:07:31
いつか見に行くぜ
司馬一族の墓もいつか見つかるかもね
234 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 12:12:42
>>228 伸々竜々って、よく考えれば寥化並に、もしくはそれ以上に長命だったよなw
(黄巾の乱から兵士>何進>董卓>袁紹>曹操>孫権>劉備・張飛の妻の屋台をもらってやっと兵士人生に幕>孔明死去まで生きてた)
235 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 12:14:01
曹叡の描いたおじいちゃんの似顔絵
陵墓があるのは分かってたけど誰のものか分からないので放置してたら
盗掘が横行するようになって監視を兼ねて調査が始まったらしいな。
こんな感じで杜撰な管理で失われる史跡遺物は多いんだろうな。
237 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 12:20:38
日本人の感覚だと盗掘なんて恐れ多くてできないけど
王朝のころころ変わる中国ではリスペクトや罪悪感がないのかな
曹操の復元した顔がハッタリ芋びきテレンスに似てたらヤダ亜希子
239 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 12:20:54
復元した顔は見たいような見たくないような
しかし年末にこんなわくわくするニュースが来るとは
これが本物なら曹ヒのファザコン説も確定かなw
盗掘しないほうが珍しいんだがね。中近東やピラミッドだって当たり前のように盗まれ続けたらしいし。
日本は死=穢れのイメージが強いから、死人の側に永くあったというと、気が引けるんだろう。
このニュースを聞いて7年ぶりにこの板に来てみたぜ。
当時はコテハンだったwww
>>237 むしろ墓を暴くのは王朝が変わった証として公認されてたんじゃない?
244 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 12:36:54
246 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 12:41:57
三国志ツアー行きたいね
「あかかべ」と書かれた岩を見せられるのは嫌だ
1墓の規模は大きいが、副葬品は曹操が普段身に付けていたもの
2洛陽近くではなくギョウの近くで発見
1は武帝紀の遺言や曹瞞伝に記述あり
2は文帝紀に記述あり
二人の女性については疑問だが、今のところかなりの確率で曹操の墓だと思う
>>226 でもアレは兵卒に働かせて自分は馬上だからねえw。
俺的に横光三国志の曹操の名台詞と言えばこれ。
「俺はお前が命を張って守っただけの男になってみせる」
典韋の死の時の。
むむむ
宇禁土下座の図は見つかったの?
あれがないと曹操の墓ではないよ。
関羽の首は出土しないのかな?
>>162 残念だが世界史上の英雄なら家康のほうが知名度高いと思う
どっかの国が作った名指揮官?ランキングだとトップ100にも入らないのが現実
なかったっけ?
256 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 13:24:19
曹操は中国文学史上に名前残してるからいいんじゃない
>>254 それは近代以前の日本で欧米人に認知されてる英雄が家康だけだから。
綺羅星の如く多数の英雄を輩出した中華と家康しか認知されていない日本じゃ競争率が違いすぎる。
そういった大前提を無視して家康>曹操と考えるのは乱暴だな。
259 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 13:31:51
>>257 明らかにヨーロッパ贔屓だな
アレサンドロ・ファルネーゼがその下にいるアジアの英雄より上とか…
岳飛はもっと上じゃ
そこでも言われてるけどカエサル低すぎ
日本史上最高の戦名人といわれている
楠木正成の入っていないランキングなんて。
おまけに袁崇煥もいない。
秀吉とか信長はもっと低くてもよくね?
謙信がいないなんて
265 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 13:36:36
世界帝国のレベルからいけばどう考えてもチンギス>アレクサンドロスだよな
あれ?韓信と白起は知名度高いのに入ってないのか?
国士無双や背水の陣など故事成語も有名なのに
むしろこういったランキングに入る資格のある日本人なんて東郷平八郎だけだな。
東郷以外の日本人で世界的に活躍したと言える英雄・軍人なんて一人もいない。
有史以来小さな列島に引きこもっていた民族、他国とまともに戦争したのが数えるほどしかない国家、
どう考えても欧米や中華の錚々たる面々に比べて大きく見劣りする。
公平的・客観的な視点を持っている人間なら、こんな日本人を過大評価するランキングなんて評価に値しないと考えるだろう。
田村麻呂
269 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 13:42:25
日本人は「人のものは人のもの、自分のものは自分のもの」という考えが非常に強く
列島の外へ出て行こうという考えがそもそも生まれなかった
つまり秀吉は革新的な思考の持ち主と
ここは曹操の墓スレなので世界史板辺りでやっとくれ
秀吉はそうでも大多数の大名が明との戦争を忌避していたからな
秀吉と意志を同じくしていたのなんて加藤清正と宇喜多秀家くらいだろう
273 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 13:45:37
それどころか列島の君主になろうという人間も生まれなかった
かろうじて足利義満が上皇になろうとしたぐらい
石碑を残したのはやはり曹ヒだよな
>>237 日本の御陵だって未盗掘のを探すほうが難しいんだぜ
太刀も玉も装飾品も「常用」ってあるな
愛用品か
次は劉備の墓の発掘だな
>>258 なんで中国人や日本人のなかでしってるランキングにしてるんだ?
統一した人は世界中にいくらでもいるけど
260年も戦争ない時代は日本の江戸時代しかない
世界史ではすごいこと
後漢の墓はすでに開閉式の門だったらしいけど、女性2人って誰だろうね。
生贄なのか、後から埋葬したのか。後から埋葬したとしたら誰だろう。
>>254 戦争だけじゃないからね。
文学、軍事、政治これらの器を高度なレベルで持つ人物といえば
比肩する英雄はカエサルぐらいか。
>>278 すごいと思ってるのは我々日本人だけで、世界的には全然すごくないよ。
確かに平和な時代を続けた功績は欧米でも評価されてるけど、
それ以上に鎖国政策というマイナス要素のほうを欧米人は大きく取り上げている。
総合的に評価すれば家康は及第点だけど、家康を除外したら日本人ゼロになるからお情けで入れてもらってるだけ。
282 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 13:58:46
あっちの「中国の歴史上の名将ランキングを作ろう」みたいな掲示板で、議論の叩き台になっていた30位までの顔ぶれは、
1位 孫武
「孫子兵法」作者、中国軍事学の父
2位 呉起
「呉子兵法」作者、戦国第一名将
3位 李靖
「李衛公兵法」作者、あらゆる条件下で常に勝利を手にした騎兵戦の天才、唐の世界帝国への道を切り開く
4位 韓信
楚漢戦争第一名将、前漢建国の立役者、古兵法の整理にも功績
5位 李世民(唐・太宗)
唐の事実上の建国者、史上最速で中国を統一、3位の李靖の主君
6位 岳飛
南宋を救った英雄なれど、悲劇的な最期を迎える、岳家軍は軍事組織として非常に優秀
7位 劉秀(後漢・光武帝)
後漢建国者、粘り強く河北を平定した経緯を見れば、昆陽の戦いの奇跡は決して偶然にあらず
8位 曹操(魏・武帝)
魏の事実上の建国者、「孟徳新書」作者、名将であるが戦勝と共に敗北もまた多く劉秀には劣る
9位 陳慶之
南北朝最高の名将、七千の兵で数十万の北魏軍に挑み、連続四十七戦全勝の奇跡を演出
10位 柴栄(後周・世宗)
五代十国最高の英主、若死しなければ間違いなく中国を統一していた
周瑜が17位、諸葛亮が23位、陸遜が29位だった
まぁ、いくら遺言に「金品の類いは入れるなよ!」って書いてても、実際に墓に「埋葬する」のは本人
ではないからなぁ
臣下A「お、おい、金品は入れるなって話だぞ」
臣下B「だけど「魏王」だぜ?何にも入れないってのはちょっと…」
臣下A「それもそうだな…」
って感じの事があったかも知れないじゃん
孔明とか実際の功績って南蛮制圧ぐらいのもんだからな
285 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 14:02:23
この神経質な石碑は間違いなく文帝だなと思った
確実に曹操の墓だわ
>>279 パッと思いついたのは、卞夫人と、環夫人?だっけ?曹沖の産みの親。
287 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 14:03:24
>>256 たしかに中国の文学全集みたいのを読んだら目次欄に
曹操親子があったもんな、ある意味文武両道なのもすごい。
290 :
ひょーりみ ◆00/FP3k5IQ :2009/12/28(月) 14:04:07
曹操より燎宇のほうがすごいよ
>>282 ってことは家康は岳飛って奴の1こ上ぐらいだな
いい加減スレチ
293 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 14:05:40
世界史板辺りから来たのかね?
墓には関係ないよな
それより曹ヒがやっぱりファザコンだったことについて
昔からファザコン説の俺大勝利
いいじゃん曹操の墓発見ってだけでこれだけ夢がみれるんだもの
>>292 中国批判するか、すれ違い承知で自分の知識ひけらかすくらいしか盛り上がらんからなw
298 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 14:09:09
>>295 まあ文帝紀や典論とかファザコンを匂わせてたからなあ
>>257 徳川政権時に神君家康に勝ったから軍神扱いされてるだけで
武田信玄とか若い頃の家康に勝ったって以外になんか功績あんのかね。
甲斐信濃の田舎豪族統一だけじゃね?
ツコツ阻止
301 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 14:14:06
あぁ、凄いなぁ 曹操の墓だよ、ちょっと大物すぎるな 参ったな
>>286 卞夫人は曹操の陵に合葬されたとあるね。
303 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 14:19:02
横光三国志の曹操は諸葛亮に自意識過剰の道化師だから萎える
ニュースでは道化師の墓扱いじゃなくてよかった
305 :
国士焼肉ぷらす ◆JUU/.JUU/. :2009/12/28(月) 14:25:13
三国志の話題がこれだけの速さでスレを回す。
三戦じゃ何年ぶりかの驚きだわな。
306 :
小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2009/12/28(月) 14:30:37
これは年賀状など書いている場合じゃないな
307 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 14:35:04
>>306 書くの遅いだろw
もっと他の情報が出てこないかな
是非いってみたい
この辺って治安はどうなん?
来年蘇州に1ヶ月くらい詰める予定なんで安全だったら合間に行って見たい
またシナ豚の捏造か
ネトウヨきめぇ
テレビで頭蓋骨出てたな
頭頂部分だけだけど、見てて鳥肌たった
313 :
小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2009/12/28(月) 14:43:16
捏造を一切疑わない奴の方が不思議だわ
中国って時点で全て疑ってかかる必要がある
315 :
小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2009/12/28(月) 14:45:56
賀状なぞ漏れが幼少期頃には年明けてから書いたもんだ
316 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 14:48:02
これまで劇画やゲーム、小説、映画でしか見ることのできなかった実物の
曹操が現代社会によみがえったんだから興奮するなというのが無理だよな
317 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 14:49:27
>>314 捏造を疑う所と疑わない所の区別がつかないのか
319 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 14:53:28
頭蓋骨から割り出した曹操の復元顔が蒼天や横山みたいな顔だったら萌えるが、
実際は
袁紹=イケメン
曹操=チビ貧相
なのは歴史上に残る史実。
疑ってかかるのは別に構わないが、中国が認めたなら口出しの余地はないぜ
321 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 15:01:03
腐女子的な発想するなよ
どんな容姿であろうと感慨深い
捏造しても誰ももうからん
323 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 15:06:16
劇画では威厳のあるイメージに描かれがちだが、もし復元された姿が貧相な小男だったら
史実を裏付けそうだな。
324 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 15:06:18
中国が認めたからというよりは、当時の文献と物的証拠状況証拠との比較で
曹操の墓は本物の可能性が高いという結論に至っていると思うのだが。
曹操の墓が発見されたところで、現代の中国の国益を大きく左右するところではないので、
ここまで物的証拠が出ていれば、いちいち捏造を疑うのもアホらしい。
考古学上の発見ってのには、捏造やら勘違いってのが付き物だからな。
しかも捏造大国中国での発見だし、
疑ってかかるのは普通だろう。
墓は本物だけど、装飾品やら骨やらは偽物でしたー、ってのはありそうだな
327 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 15:13:04
日本でも贈呈発掘があったしね
結構有名な学者がやったって話だけど
ニュースで聞いたのか大学の授業で知ったのか忘れた
328 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 15:15:19
この陵墓のここがおかしいという具体的なものが出ない限り本物だと思わせてくれ
329 :
小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2009/12/28(月) 15:16:00
日本での捏造と言えば神の手だな。
さんないまるやま遺跡だったか?
今回の発見は捏造の可能性は低いだろうな
これが捏造なら始皇帝や朱然の墓も捏造になってしまう
つーか何を根拠に発見された骨が曹操のもの、なんて言ってるんだ?
DNA検査なんか無意味だよな?
332 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 15:19:37
>>269 >日本人は「人のものは人のもの、自分のものは自分のもの」という考えが非常に強く
列島の外へ出て行こうという考えがそもそも生まれなかった
ジャイアニズム「スネ夫のものは俺のもの、俺のものも俺のもの」の語源になった故事である。
捏造や間違いである可能性は学術的なものだから常にある。
ただ誰の得にもならない発見だし中国だから〜ってはちょっと違うと思うけどね。
>>330 朱然の墓は本物だとは確定してないんじゃないか?
少なくとも埋葬品なんかに関しては異論があったような
昔劉備を奉る廟にはいったことがあるが
門のところに高(高祖劉邦)光(光武帝劉秀)より上書いてあって
劉備好きであんなとこにいった俺でもそれはないと思った
336 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 15:29:22
邪馬台国みたいな歴史的大発見じゃあるまいし、捏造のメリットがよく分からんもんな
学術的な関心よりも大衆に親しまれるドラマの登場人物を間近で見られる興味のほうが強いし。
認めたのが中国、ってのが何かなあ
国ぐるみなんじゃねーの?
って思ってしまう
>>337 それこそ誰得ってことだろ
考えられるとしたらレッドクリフを見た観光客目的とかそれくらいしか浮かばない
そもそも当時の文献の記述に沿ったものが年代の裏付けありで出てきているんだぞ。
しかも複数の文献の状況が後押ししている。
ホンモノである確率は高いだろう。
当時の文献を書いたのは今の中国じゃねえからな。
当時の中国は世界トップレベルの先進国な。
中国アレルギーの人が多いんだろう。華麗にスルーしる
曹操は中国人にしてみりゃ
山ほどいる権力者の一人に過ぎんからな
夏王朝の遺跡なんかは日本の邪馬台国同様
眉に唾着けて見る必要があるが
これに関してそれをする意味がないわな
342 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 16:19:30
中国が国家として断定してくれたのは決定打だし、
以後の調査がおざなりにされないのも約束された訳で、
俺たちにとっては嬉しいかぎりじゃないか。
343 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 16:27:02
>>341 同感だな、あくまで曹操は大衆人気の高い英雄であって
信憑性云々より現代人がそれを目に出来る喜びのほうが大きいからな。
夢があっていいと割り切る部分もある。
普段の行いが悪いからこういう時に疑われるんだよな
自業自得だろう
疑われてシナ豚ざまあwwwwww
346 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 17:21:11
曹操の残した影響
1.屯田制
流民、休養兵を集めて荒地の開墾を促進
明治期の日本にもその名が残る
2.文化事業
魏晋の気風と呼ばれ特に高評価
人材コレクターの集大成とも言える一大文芸サロン
3.「孫子」編集
孫子のメインテキストとして世界中の人々に親しまれ
軍事学研究の進んだ現代においても一級テキストに
4.薄葬
リアリスト曹操を反映した簡素な埋葬
漢魏の時代を境に、中国に埋葬を簡単に済ます流れが出来る
で、これの4がどの程度徹底されたかが
今後の争点になりそう
ざまあwwwwww
みんな陵墓が陰茎に見えるっていうけどなんでだよwwって思ってたんだが、今
専ブラのタブのスレタイぼーっと見てたら陵墓が陳羣に見えた。
349 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 17:41:31
>>346 兵農分離もやっているね
兵力として北方異民族を中国内に移住させたので、
五胡十六国時代の引き金にもなった
埋葬品の写真がやけに綺麗に見えたんだけど、本物なのだろうか
>>349 直接的な引き金になったのはケ艾だと思うけど
352 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 18:25:35
本物と思うしかない
石造りなので不思議でもないけど
>>350 玉は鉱石だから耐久性が高いんだよ。
鉱石がどうやってできるかを考えれば想像付くでしょ?
後は何度かの盗掘はあったにせよ基本的に密室だったからじゃないか?
354 :
小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2009/12/28(月) 18:33:13
あれは玉なんか
発見された同じ時代に生きていた
俺たちに乾杯
356 :
ひょーりみ ◆00/FP3k5IQ :2009/12/28(月) 18:40:09
曹操の陰茎発見
>>354 ああ、メノウだったね。素で間違えたよ。スマソ。
まあ、メノウでも鉱石という意味では一緒だから、
鉱石って均質なものだからね。
>>356 曹操本人とお父さんにはあったけど、お祖父さんにはなかったアレね。
>>346 寧ろ、曹操が豪華な葬儀を望んだんじゃないか?という
正史の嘘っぽい部分も気になる。
後、本当にドチビだったのかも。
>>220 それどころか江戸から明治までの日本人は三国志原文をほぼ理解出来た
361 :
小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2009/12/28(月) 19:48:14
原文を理解できたって?
それは嘘だろうが
>>359 「いつもお父さんが使っていた湯のみとか茶碗」やら「お父さんがいつも使っていた
文房具」、「お父さん愛用の枕」「お父さんがお気に入りだった服とかアクセサリー」
などを一緒に埋めるだけでムチャクチャ豪華になったという気がする。
副葬品としてなんか新調したりとかは別にしてないから新たにかかった金額で言うと
すごく質素なんだけど、普段使いのものが普通に高級品ばっかだったってオチ。
曹操の質素>>>>>>>>>>>>>>一般人の贅沢
ってか。
薄葬を命じたのが幸いだったな。
大量の財宝と共に埋葬されたとか書かれてたら、一般の皇帝墓みたいに
後の王朝が必死で探して早期に荒らされてただろうからな。
>>363 当たり前
曹操は当時最大級の金持ちでもあったわけだから
鳩山のお小遣いと我々のお小遣いは桁が違うんだよ
>>364 とは言ってみたけど、こっそりと側近に耳打ち
「アレはフリみたいなもんだから、ちゃんと豪華に埋葬しとけよ」
が本音だと思う
>>366 それだったらもっとすごいことになってたんじゃないか?
短命に終わった王朝とは言え王朝の創始者の墓にしちゃー地味だ。
368 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 20:27:21
>>360 識字率的にそれはウソじゃないの?
ちょっと田舎行けば字が読めない奴なんて幾らでもいたと思う
>>368 「日本人は三国志を原文でもだいたいの意味は読み取れた」んであって、
「日本人のほとんどは三国志を原文でも理解できた」とは言っていないの
ではないだろうか。
>>362 「お父さんが愛用していたポシェット」とか「お父さんが愛用していた略式の冠」とか
「お父さんが愛用していたハンカチ」とかが出てきたら確定だな。
副葬品の詳細を早く知りたい。
>>370 「お父さんの爪楊枝」はゲラが着服してたな。
372 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 21:21:32
写真の字が読めてしまう、何となくだけど文意も分かりそうな気がする。
2000年近く昔の遺物なのだが。
やっぱり漢字は良いものだよ。
今のフォントからしたらカクカクした字体に見えるけど、やっぱり上手いな。
側近の書家とかに書かせた字だろうか。
来年の年賀状は手書きにしようかなw
>>372 今の郵便局員が可能かは知らんが二十年くらい前に篆書で宛名書いてちゃんと届いたぞ。やってみ。
375 :
小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2009/12/28(月) 21:51:26
篆書って・・・いじめだなw
376 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 22:06:09
曹操のことだから偽墓だろう
本当の墓はあばかれない場所に埋葬品なし
漢の皇帝の墓は董卓一味に暴かれたんだよな
偽墓に埋葬品入れてたら結局かなり経費がかかるなあ
「魏武王常所用慰項石」だけど、縦に圧縮したような書き方してるな。
すごくバランスが悪いし、上手い字とは思えんが。
書いた奴ぁだれだ?
しかし枕は慰項石と言うのか。初めて知った。昔は石か?
>>378 玉とか陶器とか、固いのが多かったような。
基本的に後頭部を乗っけるんじゃなくて項を支えて髷を保護って感じだし。
380 :
小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2009/12/28(月) 22:20:54
人それぞれ感性の違いがあるからなんともだが・・・
バランス悪いか?
381 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 22:21:27
曹操ってシナじゃ嫌われ者も代表格なんだよな
吉良上野介の役回りだから
以前かれの墓地とされていた所は、ゴミ捨て場にされたらしい
墓が荒らされないこと祈る
うなじをやすませる石か、文字通りだな。
>>374 のいちばん左は「魏武王常所用格虎大戟」
…曹操がいつも使ってた虎と戦う(格闘)大きな矛
>>380 項のエがやたら上にいるし、常は冠が威張りすぎてる。所は圧縮され
すぎで読みにくいし。最後の石の字もしまりがない字になっている。
字の大きさもまちまち。魏の字だけでかくないか?
いかにも無理に字を縮めてスペースに無理やり押し込んだ感がするのがなんとも。
書というのは結局は好みだと思うけどね
存在した石刻銘文をもっと公表してくれないかなぁ。
画像石全盛期は後漢時代だったらしいので、もっとありそうだね。
386 :
小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2009/12/28(月) 23:02:07
そういうふうに見てるのか。
ふつーの隷書でそこまでの無理やり感は感じないな
>>384 >いかにも無理に字を縮めてスペースに無理やり押し込んだ感がする
感がする、じゃなくてそのものなんじゃないのか
書道として評価するようなものなの?
修悦体の払いが流麗じゃない、とか文句つけてるようなもんじゃないの
八分隷だから後漢末の流行には合致してるわけか。
普通よりちょっと装飾的で面白い書体だな。
金銀財宝が入っているようには見えないが
普段身に着けてたものを入れてるだけだろ
それもほぼ皇帝だった人物としては豪華というほどのものじゃないだろうし
ほぼ盗掘済みってことだろう
石碑などだけで、大戟が残っているわけではないようだから
当時の副葬の規模がどのようだったかは専論がいるね。
393 :
誘導:2009/12/28(月) 23:31:47
394 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 23:40:18
曹操の人格自体は権力者でしょ
凄いな!!頭蓋骨があるから顔をある程度復元できるんだよな!
396 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 23:43:04
荒らされてなかったのか
397 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 23:44:01
なんか曹操残さなかったのかな・・・
398 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 23:46:43
ソウテン航路と横山三国志が2大秘法でございます
399 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/28(月) 23:52:38
ならばよしっ!
関連記事よく読んでなかった。
今回の墓を断定したのは河南省の文物局なんだな。
ちょっと怪しいな・・・
女子アナ、頭でけーなw
>>383 曹操が虎と戦ったとかいうのは三国志に出てきたっけ?
偽者ではなく、他の人物の墓を誤って認定した可能性は捨てきれないとは思う
406 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/29(火) 00:22:54
本物ならいいな〜 と思ってしまう私、曹操ファン
タイミングっていっても、もう年越しやし
レッドクリフは流行ってないだろ
最も決定的な証拠は、「魏武王常所用格虎大戟」(魏武王が愛用した戈)、
「魏武王常所用格虎大刀」(魏武王が愛用した太刀)と書かれた石碑。
しかしこれまで何度も盗掘されたという墓にこれほど貴重な文物が残されている物だろうか?
さらに「武王」は漢の献帝による諡。墳墓に埋める物には書かれないのが一般的だとして
最も有力な証拠が最も疑わしい疑惑になったと指摘し、本当に曹操の墓であるかどうか
結論を下すのはまだ早すぎると主張している。(翻訳・編集/KT)
確かに武王の下りは引っかかる部分かも・・・
こんなにでっかいのに今まで見つからなかったんだね
武王がダメならなんて書くべきだったの?
いちいち主張しておく必要なんてないんじゃね?
413 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/29(火) 00:45:11
武帝か?
武帝のほうが怪しいなw
「魏武王常所用格虎大戟」
「魏武王常所用格虎大刀」
こんな風に大書されてたらまず盗まれるよね。
石碑は文字が綺麗に読める状態で放置されてたのか?
まあ、盗掘されたのが1000年以上前なら、元が誰のものだろうが、
ただの錆びた鉄塊なんだから、たいして価値は認めんだろ。
錆の塊でも価値が出てくるようになったのは「考古学」というものが出てきてからだ。
そもそも、売りさばく時は「どこから入手したか」を隠さないといかんのだから尚更w
1800年以上も前のものなのに
やたら副葬品も目新しいんだよな
418 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/29(火) 01:05:50
目新しいならいいんじゃね?
>>417 玉製品とかのことなら発表されてるものは洗浄とかしてるんだと思う
420 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/29(火) 01:40:18
>>416 残っているものがっていうけど、盗掘する手合いからすれば、あの「武王」と
刻まれた石も、戟とやらも、売りさばく上ではろくに金にもならん物品だしね。
正直捏造論も、史的な指摘による根拠が乏しいので、まだ続報待ちって所だよね。
>>417 博物館とかへ行くと出土品が綺麗に洗浄されてるじゃん。
まぁ、さすがにプロがやってんだから、あまりに初歩的な
箇所でのミスはしてないだろう。別に中国が国威発揚的にどうこうの
発掘や発表でもないみたいだし。
というか、中国的には曹操は悪役だからねー。
理由は
・演義においては普通に悪役
・現代漢民族の気風からくる、法治社会嫌い
・党政府のああいう野心家が評価されると危険という思惑
この三つ。
まぁ、日本や米の外貨が欲しい、って話かも知れんけどな!
423 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/29(火) 02:23:50
法治社会のほうがずっとマシだと思うんだが
人治社会なんか危険じゃね?
>>423 基本的に束縛されるの嫌いなんよ、連中。
常に「俺が正義で俺が良ければ他は良し」
>>422 けざわは評価してたんじゃなかったっけ?
426 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/29(火) 02:45:40
けざわの朝貢ツアーw
「法律とは伸び縮みする物差しである」
毛沢東の言葉な
確かけざわさんは曹操の詩を絶賛していたはず
あの人も詩人だしな
429 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/29(火) 04:21:52
これは劉備ファンとしては荒らしにいかねばならんな、積年の憤怒を思い知らせてやる
埋葬品が豪華とか言ってる奴は俺に根拠を教えてくれないか?
誰の墓に比べて豪華なんだ?
中華のもっとも豊かな地域を含めた2/3を支配していた王の墓にしては鼻くそみたいなもんに感じる。
ニュー速ならともかく三国志板の住人がまさか庶民である自分の感覚で言ってるわけじゃないんだろ?
>>368 >>明治15年の文部省年報では(滋賀縣での)男子識字率は91%女子は50%、全体では70%となっている。(2000年の日本の識字率は99.8%)
滋賀ですらこれだぞ!!思い込み乙
けざわさんは三国志全体が大好きなんだっけ。
「人民は阿斗になってはならない」などの語録とか。
>>368 すべての日本人ってのはあり得ないでしょう
でも知識層は漢文を白文で読んで理解出来たみたい
武士の子供は論語や中国の兵法書を勉強してた時代だしな
それ以前に、孫文が国民一般を阿斗に例えている
>>414 現代はともかく、当時の盗賊が字を読めたかどうか
亀甲文字も漢方薬にすり潰される前の状態のものが、学者に
気付かれるまで誰もその文字に気も止めてなかったっていう
>>434 そこだよね。
陵墓が作られて、近い時代から盗掘にあっている様子があるとのことだが
当時の盗賊は恐らく文字を読むなんて高度なことはできないだろう。
何か書いてあるというのは理解できたとしても、内容を読み解くことはできないでしょ。
軍が指揮した盗掘にしても、将軍が直々に盗掘するわけじゃないだろうし。
てか石碑はあっても太刀はなかったんだから盗まれたんだろうな
河南省文物管理局のHP翻訳文によると
1.墓葬の規模が巨大で、全長が60メートル近くに及び、
レンガ造りの墓室の形態と構造がすでに知られた漢・魏の王侯級の墓葬と類似し、曹操の魏王の身分にふさわしいこと。
墓には盛り土が見られず、文献の記載する曹操の陵墓の「高きに因りて基となし、封せず樹せず」の情況に符合すること。
2.墓葬出土の器物や画像石などの遺物が、漢・魏の特徴をそなえもち、年代が符合すること。
3.墓葬の位置は、文献の記載や出土した魯潜墓誌などの史料の記載と完全に一致している。
『三国志』魏書武帝紀などの文献の記載によると、曹操は建安二十五年(西暦220年)正月に洛陽で病没し、
二月に霊柩が鄴城に運びもどされ、高陵に埋葬された。高陵は「西門豹祠の西原の上にある」。
調査資料のあきらかにするところでは、当時の西門豹祠は今日の漳河大橋から南に行くこと一キロのところにあり、
安陽県安豊郷豊楽鎮に属している。今回の大墓は西門豹祠の西に位置している。
1998年、西高穴村の西で出土した後趙建武十一年(西暦345年)の大僕卿・駙馬都尉の魯潜墓誌にも、
魏武帝陵の具体的な位置がこの地であることが明確に記載されている。
4.文献が明確に記載するところでは、曹操は薄葬を主張している。かれが臨終の前に下した「遺令」によると、
「遺体は平服でつつみ」、「金玉珍宝をたくわえない」とされるが、今回の墓葬の中身で証明できる。
墓葬の規模は小さくないが、墓内の装飾は簡単で、壁画はみえず、ことごとく質朴さをあらわしている。
兵器や石枕などには文字があり、みな曹操の平時の「常に用いる所」の器物であることを証明できる。
一見精美にみえるわずかな玉器などの装飾品もまた曹操が日常に帯びていた物である。
5.最も確実な証拠は、「魏武王」の銘文が刻まれた石牌と石枕があり、墓主を魏武王曹操と証明できること。
文献の記載によると、曹操は生前にまず封ぜられて「魏公」となり、のちに爵位を進めて「魏王」となり、
死後の謚号を「武王」とした。その子の曹丕が帝を称した後は追尊されて「武皇帝」となり、「魏武帝」と史称された。
出土した石牌と石枕に刻まれた銘は「魏武王」を称しており、ちょうどこれは曹操の葬られたときの呼称である。
6.墓室の中から発見された男性の遺骨は、専門家の鑑定で年齢60歳前後で、曹操の享年の66歳と符合するため、
曹操の遺骨とみられること
以上を持って調査隊は曹操の墓である可能性が高いとしている
武帝紀の記述
庚子、王崩于洛陽。年六十六。
遺令曰、天下尚未安定、未得遵古也。葬畢、皆除服。
其将兵屯戍者、皆不得離屯部。有司各率乃職。斂以時服、無蔵金玉珍宝。
諡曰武王。二月丁卯、葬高陵。
(正月)二十三日、王(曹操)は洛陽にて崩御なさいました。
六十六歳でした。遺令にいわく、
「天下はなおのこと安定しておらず、古いしきたりに従うことはできない。
葬儀がおわったらば、皆の服喪を除く。
将兵で地方にたむろしそこを守る者は、皆そこから離れてはいけない。
役所にいる者は、それぞれの仕事を率いなさい。
遺体は平服で埋葬し、金銀や珍しい宝を蔵(おさ)めてはいけない」。
諡を武王といい、二月二十一日、高陵に葬りました。
これも武帝紀
六月,令曰:「古之葬者,必居瘠薄之地.其規西門豹祠西原上為壽陵,因高為基,不封不樹.
周禮人掌公墓之地,凡諸侯居左右以前,卿大夫居後,漢制亦謂之陪陵.
其公卿大臣列將有功者,宜陪壽陵,其廣為兆域,使足相容.」
218年6月、布令を出した。『古代の埋葬は、必ず地味のやせた土地に行なった。
西門豹(戦国、魏の臣)は西の高原上に祭って寿陵(生前に作る陵墓)を作ったとき、
高地を利用して基礎とし、土盛りをせず木も植えなかった。『周礼』においては、冢人が君王の墓地を管理し、
すべて諸侯〔の墓〕を王陵の両側の前のほうに、卿・大夫〔の墓〕を後の方に置いた。漢の制度も同じでそれを陪陵と呼んだ。
公卿大臣将軍のうち功績のある者〔の墓〕を寿陵に随従せしめるべきである。
したがってそれらを充分包含しうるように、墓域を広大にせよ。』
これは曹操の墓と直接関係ないように見えるが、
>土盛りをせず木も植えなかった。
この記述から曹操も同様の埋葬を望んでいたと解釈されるため、
今回の墓の根拠のひとつになっている
上の方で何故異民族に燃やされなかったか疑問を言ってる人がいたが、
これなら納得
土盛りも木も植えなかったんじゃ見つかるわけねえw
今回の発見に繋がったのは1998年に見つかった魯潜墓誌があるようだな
西暦345年後趙の建武年間において大僕卿駙馬都だった魯潜の石碑には、
趙建武十一年大歳在 乙巳十一月丁卯朔故 大僕卿駙馬都尉勃海
趙安縣魯潜年七十五 字世甫以其年九月廿 一日戊子卒七日癸酉
葬墓在高决橋陌西行 一千四百廿歩南下去 陌一百七十歩故魏武
帝陵西北角西行卌三 歩北迴至墓明堂二百 五十歩■上黨解建字
子奉所安墓入四丈神 道南向
とあり、「墓は高決橋の道を西に1400歩、南に170歩、故に魏の武帝陵は北西の方角、
西行43歩、北回りで墓へは250歩」が曹操の墓の場所をあらわしている
凄い知識だなお前ら…
流石三戦板と言ったところか
やっぱり今回の墓は本物の確率が高いわけね
なお曹操の遺体がギョウに運ばれたのは晋書宣帝紀(司馬懿伝)にあるな
及魏武薨于洛陽,朝野危懼.帝綱紀喪事,內外肅然.乃奉梓宮還鄴.
武帝が洛陽で薨去すると、朝野に動揺が広がった。宣帝が葬儀をとりしきったところ、内外ともに粛然となった。
宣帝は、棺を奉って鄴に戻った。
>>441 やっぱりこの時代では歩数で大体の場所を把握するしかなかったんだな
そりゃ行方不明になるわ
歩は距離の単位だぞ
72の偽墓はやっぱデマだったのか?
http://www.why.com.cn/epublish/node4/node27986/node28001/userobject7ai205914.htmlの翻訳 〜72体の偽の墓の伝説は?〜
1700年もの時間が経ってようやく曹操の墓は今回見つかったが、72体の偽の墓の伝説は一体どこから来たのか。
藩氏が言うには、これは完全な根も葉もない伝説だったそうです。
「これは時代背景が大きく影響しており、曹操の墓が地表に何の目印もなかったことから、
唐時代以後に完全に位置がわからなくなってしまいました。その後の宋の時代に尊王思想が強まり、
当時の文人から「お上をないがしろにした者」として曹操は奸臣だと批判されるようになり、
その後小賢しい曹操は河北に72体もの偽の墓を作ったと信じられるようになっていったのです。
しかし清時代の末期に数多くの墓が盗掘に遭った所、偽の墓とされていた墓所からは東魏や北斉期のものだとわかり、
現中国が成立後、我々考古学者は改めて発掘と研究を進め、今回ようやく曹操の墓だと証明する事が出来ました」
72の墓色々は演義などと同じように曹操につけられた悪評が生んだデマという結論だな
>>439 >西門豹(戦国、魏の臣)は西の高原上に祭って寿陵(生前に作る陵墓)を作ったとき
これ多分誤訳だよ、ちくまが元だろうけど
正門豹の祠の西の高原の上に曹操の陵を生前から作っていて、それには土盛りや植樹をしなかった
直接曹操の墓について述べてるんだよここ
>>448 一応向こうのネットでは反論理由として魏武王はおかしい、
魏王とあるべきという意見がある
しかし武帝紀や宣帝紀の記述を考えると反論理由としては弱いな
1歩=6尺
大体140センチくらいか
>>450 何で日本のネットではこれで決まりと言う論調なのに、
当の中国で疑問視されているんだ
そんなにお上が信じられないのか、あの国は
いや、まあそうなんだろうが
>>452 邪馬台国論争みたいなもんじゃない?
なんか議論するのが楽しいというか
>>452 そんなにお上が信じられないのかの割には
南京大虐殺30万人説をすんなり信じる中国人
>>452 >何で日本のネットではこれで決まりと言う論調なのに
いやいやいやw
ただ、このスレでそうなる流れにたまたま盛り上がっただけだろ。
ネトウヨやだなぁ
結構出土品あるのな
よく荒らされずに残っていたものだ
>>457 荒らされたみたいだよ
つまり実際にはもっと副葬品などがあった
>>356 史書にはっきり「短小」と書かれたのは曹操が初めてかも知れないな。
ロウアイと対をなす存在と言えよう。
>>423 毛沢東政権という大失敗例があるじゃないか法治政権には。
戟とか太刀とかは無かったみたいだからな。
割と早い時期に持っていかれてしまったんだろうか。
無知な盗賊が石版に価値を見いだせなかったのが幸いだったね。
結論が出ていないのに盛り上がっても後でションボリしかねないことになりかもなあ
>461
石版なんて持っていっても売るのは難しいし
盗掘の証拠として捕まりやすくなるだけだろ
464 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/29(火) 12:59:59
466 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/29(火) 13:07:33
>>136 皇帝に直接謁見出来るような人間がボロ纏ってると思うのか?
そこまで行くと倹約じゃなくてただの非常識だわ
>>464 壁画って、于禁が土下座してるやつだったら面白いな。
やっぱ向こうでも世紀の大発見扱いなんだな。
まあそりゃそうか。史料の数少ない三国時代の最大権力者の墓だし、今まで謎だった部分も解明されそう。
曹操の頭がい骨結構小さかったな。
はたして顔が小さかったのか全体的にミニマムサイズだったのか。
471 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/29(火) 13:48:48
于禁の絵は墓の中に描かれた壁画?
それとも別の場所の廟に描かれたものなのかどっちが正しいんだ?
>>471 欲遣使呉,先令北詣?謁高陵.帝使豫於陵屋畫關羽戰克・?徳憤怒・禁降服之状.禁見,慚恚發病薨
絵が書かれていたのは高陵にあった何らかの建築物
473 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/29(火) 14:09:21
万一干禁の絵が発見されたら、本人を知る同世代人によって描かれたわけだから興味深い。
>>466 うわー、曹操様、死んでからも女好きかぁ。
あるいは、「曹操様であれば死んでからもお随いしたい」という熱烈な嫁〜候補か。
>>466 それなら卞氏が埋葬されたっていう曹操の陵墓は何処なんだろう?
476 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/29(火) 14:48:42
>>472 墓の中というわけではないのか
ありがとう
>>474 寧ろ
魏高官「お前ら、死しても魏王様の夜伽に付き添えるなんて最高の栄誉だぞ」
女性二人「ええ!?そ、そんな!!」
そして、強引に殉死扱いされる
とかじゃね。
そういう形でも殉死と呼ぶことはよくあったらしいし。
女性2人はどういう形で埋葬されてたんだろう
娘とかかもしれないよ
>>477 「よくあった」と「らしい」を組み合わせて使うのがいかにも三戦らしい。
482 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/29(火) 23:03:59
一般公開されるまでにどれぐらいかかりそう?
維持費がもったいない と言って閉鎖してしまいそうな予感
なんか偽物説でてるなぁ。
曹操が偽の墓をたくさん作ったのなら、この60代の遺骨は誰の遺体になるんだって話で・・・。
当時の寿命的に60代なんて滅多にいないんじゃない?奴隷や一般人の生活基準的に考えて。
だから影武者だったとしてもこの遺骨の人はある程度の地位についていたと予想。
この時期、曹操と一緒に三国志から消えていった人物と言えば?
夏侯惇
噂の曹丕くんのイタズラで遺体を入れ替えてみますた^^
なわきゃないな
>>477 始皇帝の事を考えたらむしろ二人ってすげー少ない
曹操本人ならもっと多人数の宮女や奴隷が殉死させられたとしてもおかしくないと思うが
まあ曹操が遺言で自分に仕えた侍女や妻たちの保護を諭している事を考えると、少なくて妥当かもしれんが
いくら魏王とはいえ、曹操没当時はまだ戦乱の世だからね。
豊かな地を抱える孫権と漢中王を名乗った劉備も諸葛亮も健在。
曹操の意志としても墓を派手にして無駄に国力を浪費したくはないだろう。
それは当時国を率いていた曹丕もまともな君主なら同じ事を思うと思う。
始皇帝の時は秦は統一してたわけだし。
司馬氏に簒奪されずに曹家で繋いで統一してたらまた変わったかも。
>>484 当時の平均寿命の低さは、乳幼児死亡率の高さに起因している。
だから60代の人口は今に比べると少ないとはいえ、「滅多にいない」という程ではない。
だからって、遺骨が影武者のものかどうかは知らんが・・・。
>>乳幼児死亡率の高さに起因している
0才で死んだのが3000人
100才で死んだのが1000人
だから平均寿命は25才ですね
って、この時代にそんな統計とってるわけないだろ
あるよ
考古学上の推計統計と、史学上の統計が
>>487 曹丕自身も、目的は異なるが自らの埋葬に関して
薄葬にしろと口を酸っぱくして言ってるからね。
戦乱の時代に厚葬を行うことのデメリットは熟知していたと思う。
492 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/30(水) 13:17:18
この時期に豪勢なお墓にされたのは誰なんだろ?
そろそろ半分なのでこれまで出た意見などをまとめた
まず中国河南省の見解として今回の墓が曹操のものである根拠は6つ
1.墓葬の規模が全長60メートル近くに及び、レンガ造りの墓室の形態と構造がすでに知られた漢・魏の王侯級の墓葬と類似し、
曹操の魏王の身分にふさわしいこと。墓には盛り土が見られず、武帝紀の「高きに因りて基となし、封せず樹せず」の情況に符合すること。
2.墓葬出土の器物や画像石などの遺物が、漢・魏の特徴をそなえもち、年代が符合すること。
3.墓葬の位置は、文献の記載や出土した魯潜墓誌などの史料の記載と完全に一致している。
武帝紀などの文献の記載によると、曹操は建安二十五年(西暦220年)正月に洛陽で病没し、二月に霊柩が鄴城に運びもどされ高陵に埋葬された。
高陵は「西門豹祠の西原の上にある」。当時の西門豹祠は今日の漳河大橋から南に行くこと一キロのところにあり、安陽県安豊郷豊楽鎮に属している。
今回の大墓は西門豹祠の西に位置している。1998年、西高穴村の西で出土した後趙建武十一年(西暦345年)の大僕卿・駙馬都尉の魯潜墓誌にも、
魏武帝陵の具体的な位置がこの地であることが明確に記載されている。
4.文献が明確に記載するところでは、曹操は薄葬を主張している。かれが臨終の前に下した「遺令」によると、
「遺体は平服でつつみ」、「金玉珍宝をたくわえない」とされるが、今回の墓葬の中身で証明できる。
墓葬の規模は小さくないが、墓内の装飾は簡単で、壁画はみえず、ことごとく質朴さをあらわしている。
兵器や石枕などには文字があり、みな曹操の平時の「常に用いる所」の器物であることを証明できる。
一見精美にみえるわずかな玉器などの装飾品もまた曹操が日常に帯びていた物である。
5.最も確実な証拠は、「魏武王」の銘文が刻まれた石牌と石枕があり、墓主を魏武王曹操と証明できること。
曹操は生前にまず封ぜられて「魏公」となり、のちに爵位を進めて「魏王」となり、死後の謚号を「武王」とした。
その子の曹丕が帝を称した後は追尊されて「武皇帝」となり、「魏武帝」と史称された。
出土した石牌と石枕に刻まれた銘は「魏武王」を称しており、ちょうどこれは曹操の葬られたときの呼称である。
6.墓室の中から発見された男性の遺骨は専門家の鑑定で年齢60歳前後で、享年の66歳と符合するため曹操の遺骨とみられること。
72の偽墓については、
http://www.why.com.cn/epublish/node4/node27986/node28001/userobject7ai205914.htmlの翻訳 〜72体の偽の墓の伝説は?〜
1700年もの時間が経ってようやく曹操の墓は今回見つかったが、72体の偽の墓の伝説は一体どこから来たのか。
藩氏が言うには、これは完全な根も葉もない伝説だったそうです。
「これは時代背景が大きく影響しており、曹操の墓が地表に何の目印もなかったことから、
唐時代以後に完全に位置がわからなくなってしまいました。その後の宋の時代に尊王思想が強まり、
当時の文人から「お上をないがしろにした者」として曹操は奸臣だと批判されるようになり、
その後小賢しい曹操は河北に72体もの偽の墓を作ったと信じられるようになっていったのです。
しかし清時代の末期に数多くの墓が盗掘に遭った所、偽の墓とされていた墓所からは東魏や北斉期のものだとわかり、
現中国が成立後、我々考古学者は改めて発掘と研究を進め、今回ようやく曹操の墓だと証明する事が出来ました」
以上は調査隊の一員で老古学者の藩氏による解説
72の墓色々は演義などと同じように曹操につけられた悪評が生んだデマという結論
正史三国志武帝本紀より、
六月,令曰:「古之葬者,必居瘠薄之地.其規西門豹祠西原上為壽陵,因高為基,不封不樹.
周禮人掌公墓之地,凡諸侯居左右以前,卿大夫居後,漢制亦謂之陪陵.
其公卿大臣列將有功者,宜陪壽陵,其廣為兆域,使足相容.」
>其規西門豹祠西原上為壽陵,因高為基,不封不樹.
この部分で曹操が死ぬ前から墓は作られ、大体の場所や樹木を植えなかったことがわかる
これも武帝本紀
庚子、王崩于洛陽。年六十六。
遺令曰、天下尚未安定、未得遵古也。葬畢、皆除服。
其将兵屯戍者、皆不得離屯部。有司各率乃職。斂以時服、無蔵金玉珍宝。
諡曰武王。二月丁卯、葬高陵。
>斂以時服、無蔵金玉珍宝.
中国河南省ではこれをCの根拠としている。
河南省が3番目の根拠とした文献のひとつ魯潜墓誌について、
1998年に見つかったもので、345年後趙の建武年間において大僕卿駙馬都だった魯潜の石碑であり、
趙建武十一年大歳在 乙巳十一月丁卯朔故 大僕卿駙馬都尉勃海
趙安縣魯潜年七十五 字世甫以其年九月廿 一日戊子卒七日癸酉
葬墓在高决橋陌西行 一千四百廿歩南下去 陌一百七十歩故魏武
帝陵西北角西行卌三 歩北迴至墓明堂二百 五十歩■上黨解建字
子奉所安墓入四丈神 道南向
と刻まれていた。
「墓は高決橋の道を西に1400歩、南に170歩、故に魏の武帝陵は北西の方角、
西行43歩、北回りで墓へは250歩」が曹操の墓の場所をあらわしている
※1歩は約140センチ
また中国側では曹操の故郷や洛陽近くにも曹操の墓の候補があり、今回の発見に反対意見があるようだが、
晋書宣帝本紀によれば、
及魏武薨于洛陽,朝野危懼.帝綱紀喪事,內外肅然.乃奉梓宮還鄴.
>乃奉梓宮還鄴.
これは司馬懿が曹操の棺を鄴まで運んだことをあらわしている
・偽墓が72あるから本物とは限らない
・異民族にずっと支配されてた地域だから墓なんて残ってない
・薄葬じゃないから曹操じゃない
これらはソース付きで否定されたわけね
魏武王の件は?
>諡曰武王。二月丁卯、葬高陵。
曹操は生前魏王であり、死後武王が送られた
魏武王という石碑は武帝紀の記述と矛盾はないが、
中国側では諡号である魏武王を使うのは一般的ではないとしている
これについてはこのスレでも色々書き込みはあったが決着してない
中国側の新たな情報待ち
>>498 漢の時代の陵墓で、埋葬された人物をどのように呼称していたか
調べていけば、その時代の傾向がわかるかもしれないね。
>>499 理屈で考えると「魏武王」って書かないと逆に埋葬時の魏王と区別付かなくなると思うんだけどな
>>501 地域間の争いや学閥争いが出てきそうだな…。
既に各種の学者間での論争になってるみたいだしな。
こりゃ、ドロ沼化しかねないな。
505 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/30(水) 19:16:24
スレ違いですが邪馬台国は畿内説確定でFA?
まあ本物だったらほんとに世紀の大発見だし
嫉妬などもありそうだけどな
北京VS河南省か
う〜む・・・
分が悪いな河南省
北京なんて三国時代では田舎なのにな
中国の首都は長安、北京、南京以外はほとんど河南省だし
河南省はぁぁぁーきゅぅぅぅうしゅぅういちぃぃぃ!
曹孟徳と72の棺ですか
>>508 魏国の都が置かれた場所であり、かつての袁紹の拠点でもあるけどな。
ついでに言えば漢の都は洛陽(後に許)だし、
南京(建業)が発展するのは孫権が遷都してからの話だよ。
513 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/30(水) 21:18:18
北京はモンゴルが大都として作った時からの発展だろ
>>510 ハリー・ポッターと秘密の部屋みたいな響きだなw
>513
交易の中継地として昔からの要地ではあったはず
ついでにモンゴル以前に遼の副都、金の首都だよ
戦国時代の燕の頃も一応首都
>>514 ビリー・ミリガンと23の棺のつもりでした。
でもハリポタっぽいとも思ってました。
>>501 ニュースの本題とは全然関係ないけど、
怪しいと疑ってる学者が袁氏と馬氏ってのが何とも面白いね。
珍しい姓では無いんだろうけど。
馬超の末裔だ!
死してなお曹操を恨んでるんだ!
あの国は同姓ばかりだからな
半島ほどじゃないけど
昔親父の部下に劉さんって人が出向してきて
親父は「この劉さんは劉備玄徳の子孫らしいぞ」って言ってたが
今考えてみればありゃウソだな
522 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/31(木) 00:22:46
諸葛って名字の人は?
>>523 諸葛村の人たちは皆、「諸葛」じゃないかな
525 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/31(木) 00:52:09
中国人留学生に聞いたら夏候姓や司馬姓は現代でも名家らしい
中国のサイトでこの話題見るの面白いな。
ホットな話題なだけに数時間単位で新情報が更新されてる。
エキサイト先生で翻訳しても意味が十分に理解できるような
文章で書かれてるのも嬉しい。
じゃあペンネームで司馬なのろうっと
ところで張遼ってかっこいいよね
太郎付けたら日本人風になるよね
曹操の子孫はヒッソリと暮らしてるというのに
530 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/31(木) 02:51:53
a
531 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/31(木) 02:55:22
曹操の遺体と同時に発見された2人の女の正体は、卞氏と丁氏。
曹操の正妻は2人だったからな。
>>531 それだと年齢が合わんだろう。40前後と20前後のわけがない。
少なくとも卞氏は70で死んでるし、丁氏だって正没年不詳ながら曹昂を我が子
のように育てたところからして、彼と10歳以上は年が離れているだろうし、曹昂
は成人してから死んでいる。没した時に20代ということは考えにくい。
40の方というのは考えられなくもないが、曹操に三行半突きつけた女だからな…
それを合葬するとも思えない。
劉氏(曹昂の産みの母、最初の正室)が20歳前後、曹沖の生みの親の環夫人が
40前後で死没、曹操死去の時に合葬、ってぐらいの方がまだあり得るんじゃないか?
同時期の日本だと大古墳クラスでも鉄の刀剣がまだ貴重で数本埋葬されてるかのレベルだから
たとえ質素でも、やっぱ向こうはすごいな。
卞氏は同じ高陵でも別室または別の墳墓に葬られたのかもな
曹操は魏王だが卞氏は皇太后なので格式が違うから陪葬というわけにもいかないのかも
>536
イヤイヤ、死後だがちゃんと太祖・武皇帝になってるから
>>537 墓は王の時に作ってるから曹操は魏王として葬られてるじゃん
皇帝になった時に改葬かなんかされた記録でもあったっけ?
曹操ならば後宮に腐るほど愛人も居た事だろうし、その中から二人が選別されて
共に埋葬されたんじゃないのか?
自分から行ったか、適当に殉死させられたか
始皇帝の時に既に俑が有ったのに、
曹操の時に時代遅れな殉死が有ったのだろうか?
陪葬者は娘のような気がしてならんのだがな
根拠は?
544 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/31(木) 18:46:26
他人の女に飽きた
ふたり
殉死に魏武王、これは本物の可能性高いんじゃない?
まさか偽の墓に殉死なんてするわけねーよな…
考古学者(肯定)VS歴史学者(否定)
で議論が白熱してるみたいだな。
>>541 215年に陳武が死んだとき孫権が陳武の愛妾に殉死を命じている
殉死は絶対無いとは言えないが、普通に行われていたわけでもないんだろう
549 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/31(木) 21:17:46
魏呉蜀それぞれ作法は違うと思うがね
そんなけちくさいこというだろうな
551 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/31(木) 21:43:10
三国志の有名武将は星の数ほどいるのに本物の墓が発見されてるのは何個ぐらいなのかな?
552 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/31(木) 23:35:31
魏延と夏侯惇は耳にしたことがあるな
朱然と曹嵩出てこないのはモグリ
惇と淵が隣同士の陵墓だったな、惇のは壊されてたが…
孫権と劉備のも見つかってるよな
王平も
つかそんだけ墓見つかってるのに、顔の復元どころか誰の身長も知らないんだが
どっかで発表されてないの?
曹操の身長比較する上でも役に立ちそうなんだけど。
本物の三国志の人物の墓の可能性が高く且つ副葬品もきっちり出たのって朱然墓くらいじゃないか?
その朱然でさえ遺骨が出たって話は聞いたことがない
銀縷玉衣は曹一族の墓から出たが、曹嵩か曹騰かはっきりしてないんじゃなかったっけ
え?
孫権の墓なら、南京になかったっけ?
孫権の墓は数年前に判明してたような
あまり目新しいものは発見出き無さそうで残念だな
562 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/01(金) 10:17:26
孫権の墓は、明の太祖朱元障が
「わしの墓守りにふさわしい」
って壊さなかったぐらい、昔から南京では良く知られてる墓
そういう言い伝えは馬王堆(馬氏の墓とされてきた)が実際は前漢の列侯の墓だったりするように信用ならないけどな
>>560 ソースplz
>>562 それで勝手に移動させたから正確な場所が不明なんじゃなかったか?
565 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/01(金) 13:58:44
日本人は日教組教育のせいで日本の偉人をあまりにも知らない。
中国の偉人?日本の偉人と比べればカスばっかりだよ。
日本近代史を学べ!
お前の考えとかどうでもいいから
早急な断定に対する批判であって、否定してるようではないよね
納得出来るのは一行目だけ
戦前の日本マンセーなアホ右翼そっくりの
>>566は世界史を学べ。馬鹿!
>>566 私は貝原益軒先生を尊敬いたしております
河南省の学者連中が会見を近々開くらしいな。
572 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/01(金) 22:49:18
あげ
>>554 成都の武候詞の敷地内にあるから、全体で三国志オタの聖地みたいな
感じになってるな。
俺も実際行ってきたけど、中くらいの大きさの円墳って感じやね。
>>566 つーか、日本の偉人は基本的に漢籍の素養があって、
中国の偉人を範として行動していたわけだが。
史記とか貞観政要とか読んでない方を探すのが難しいんじゃね?
574 :
573:2010/01/02(土) 09:09:17
分かると思うけど、劉備の墓ね
「ここは誰々をまつっています」っていわれてる墓と
近代に発掘・検証されて誰々の墓と判明したものの区別がついてない奴が多いな
576 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/02(土) 22:11:26
ショミンには理解し難いもんだ
観光地の話題なら構わんが今は曹操の墓が本物かどうかに注目が集まってるんだから
区別がつかない奴は黙ってるか書く前にググれよ
本物じゃない墓が山ほどある、それこそ周倉にまで墓があるのに
いちいち「誰々の墓もあるよ」「それは本物じゃない」とかでスレ消費するのは無駄だろ
周倉に墓があるなら実在したに違いない(キリッ
まあ別に学問的正しさを推し進めるならそれで良いけど、
ネタ雑談板でそんなにマジになってどうすんの、とも思うんだけどw
そういうこと言うなら、伝・劉備の墓と周倉の墓とを同列に語るのも、
おかしい話だし。
ちゃんと疑うなら、始皇帝陵だって疑える話。
といいつつ、俺もおっちゃんが仁徳天皇陵の話をしてるときに、それとなく
「本当は誰が葬られてるかは…」とか言ったりしたこともあるけどね。
疑う疑わないではなく、発掘調査がしてあるかどうかの話だと思うけど…
で、曹操墓は朱然墓や曹一族の誰かの墓と比べて規模的には妥当なんですか?
曹操墓は臣下の誰かの墓じゃないかと思ったけれど、それにしては大きい気がするし
まあ、大陸では審議待ちなんで俺達がそれをどうのこうの言うのも
それからでいいんじゃね?
582 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/04(月) 04:27:56
状況証拠だと本物っぽいが、この板的には本物認定?
認定つーか、本物だといいなあ本物であってほしいなあっていうか
本物であってくれ!って感じじゃね?
現地で見れるわけでなし、見れたところで素人にわかるわけもなし。
>>582 今のところ河南省だけが認めてるってとこじゃね?
585 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/04(月) 19:12:15
観光客を世界中から集める為に必死。
知り合いの中国人も
「これからの中国は観光ビジネス!」って言ってた
その目論見は見事に外れて、学者達の論争のネタになっちまってる悲しい事実
捏造で観光客呼ぶならもっとメジャーな大物の墓にするだろ
演義の悪役な曹操じゃぶっちゃけ捏造するメリットが…
589 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/05(火) 00:12:53
あまりにも大物過ぎると世界中からの厳しい眼の徹底振りが怖いから、ほどほどのファン層が多い曹操にしておいたんだろ。
日本人に人気の曹操
>>589 孔子、関羽は既に有名すぎる観光地&中国重要文化遺産に
なっちまってるしな
惇兄の真の墓説が出てきたな
記事見てきた。
どうして夏侯惇の墓の可能性があるかの理由が良く分からん。
夏侯惇の墓なら例の「魏武王」の石板は一体何なのか…
…いや、本当に惇兄の墓ならそれはそれで嬉しいんだが…
>>592 俺もそれ思ってた。
曹操を「魏武王」と呼称するということは、曹操の死から武皇帝を追贈される一年弱の間に葬られた人物で、
陵を作られるほどの大物、しかも曹操の遺物を副葬されるほど曹操に近い人物…
となると、最右翼は夏侯惇だもんな。
本人の墓に「魏武王愛用大戈」なんて三人称の書き方をするのだろうか。
書くなら「故人愛用の大戈」(漢文でなんと言ったかは知らないが)という感じだろう。
情報何も仕入れないで喋ってるけど。
夏侯惇の墓は既に見つかっているだろ
>>595 それ許昌だよな
夏侯惇は許昌で死亡したのかもしれないが、最終官位は魏王国の大将軍だからギョウで死んだ可能性もある
それに曹操は功臣を自分の墓のそばに陪葬するよう命じてるから、夏侯惇ならギョウの曹操墓近くに陪葬された可能性がとても高いのではないだろうか
今回の陵墓は河南だけど
>>597 つまり曹操の陪葬墓かもしれないということだ
>>594 夏侯惇の墓に曹操の愛用品(生前に下賜された?)を入れて葬ったってことか?
それだと腐女子大勝利じゃんw
夏侯惇を惇兄とか呼ぶ奴きめぇ
おいおい正史の記述どおりに曹操の墓があって中国も認めたのに何言ってるのw
>>602 >中國社會科學院
ここ知ってる
始皇帝の時もここが認めたんだった
やっぱり正史の記述が決め手か・・・
文献史料として超1級だもんな
まあ三国志演義が確立した明の時代に突然湧いて出た72の偽墓説を信じてたり、
魏武帝なのに石碑に漢帝国を称える文字はおかしいとか
どう見ても演義脳乙って意見があるからねw
大学教授だというのに
中国社会科学院や河南省文物局が呆れるのもわかる
>>603 現存している同年代の史料がそれしかないんだから当たり前
写本を何度も行っているとはいえ、
・曹操の墓の周りには26の墓があるはずだ
・72の偽墓があるはずだ
・夏侯惇の墓である
こんな意見は正史「三国志」の記述の前ではゴミクズ以下でしかないよ
中国社会科学院と河南省文物局=正史派
袁氏、劉氏とかって学者=演義派
曹操の故郷の人々=英雄の墓は故郷にあって欲しい派
こうか
夏侯惇の墓も曹操の墓のそばにあったはずなんだから、今回の墓が夏侯惇の墓という可能性は捨てきれない
>>607 魏書九の夏侯惇伝
督諸軍還壽春,徙屯召陵.文帝即王位,拜惇大將軍,數月薨.
惇雖在軍旅,親迎師受業.性清儉,有餘財輒以分施,不足資之於官,不治產業.諡曰忠侯
残念だが、これでは曹操の墓の傍に埋葬されたとは言えないぞ
609 :
ひょーりみ ◆00/FP3k5IQ :2010/01/05(火) 23:40:10
読めない><
>>608 それ見てもどこに埋葬されたかはどこにも書いて無いけど、
じゃあ曹ヒは曹操の命令を無視したのか?
其公卿大臣列將有功者,宜陪壽陵
ってあるんだけど
>>610 知ってるよ
六月,令曰:「古之葬者,必居瘠薄之地.其規西門豹祠西原上為壽陵,因高為基,不封不樹.周禮人掌公墓之地,凡諸侯居左右以前,卿大夫居後,漢制亦謂之陪陵.
其公卿大臣列將有功者,宜陪壽陵,其廣為兆域,使足相容.」 だろ
しかし、本人の伝にはない
他の武将の伝にも高陵付近に埋葬した記述は無い
これでは曹操の高陵のそばに埋めたとは言えん
>>602 去年の12月28日って・・・
情報遅すぎ。
ぬか喜びさせんなよなあ。
今尚、中国では数時間単位で新情報が飛び交ってるんだぜ?
>>611 曹操の命令どおりにしたからわざわざ書かれないんじゃないか
命令に反してたならその方が書かれる
まあ、実際のところは書かれてないからどっちかも分からない
記述が無いイコール高陵のそばに埋めていないという断定にできるのか全く理解できないな
皇帝や王・公じゃなくても墓に殉死ってあるもんなの?
>>610-611 横から失礼するが、お前ら忘れてないか?
曹丕は即位して洛陽に遷都したんだぜ?
公卿大臣が死ぬたびにギョウまで運べってきつすぎるだろw
実際今回見つかったのは曹操本人と見られる男性ひとりと女性ふたりだ
>>615 お前頭いいなw
曹丕がそんな無駄な手間かけるわけねーw
>>612 新情報って言ってもゴシップと変わらない反対意見だろ
正史読めで済む様なものばかりだ
>>615 >其公卿大臣列將有功者
とあるから武将も相当あてはまるな
流石に死ぬたびにギョウまで運んで掘り起こして…というのは現実的じゃない
布告を出した218年当時の曹操にとって遷都は予想外だったのかもな
関羽の時の遷都色々は219年だから
>>617 真相は分かってないんだから慎重になるべきだろう。
今日付けの記事にはいよいよ出土した男性の遺骨の
DNA鑑定が始まる、とも書いてあったな。
>>615 うん、そのとおり
そして夏侯惇はその遷都前の死亡で魏の将軍だからギョウの近辺で死んだかもしれんのだ
だから洛陽遷都後なら確かに大臣たちはわざわざ高陵まで運ばれなかったかもしれんけど、洛陽遷都前なら命令どおりにした可能性の方が高いのではないか?
>>621 河街鎮賀庄北に存在した墓は?
偽者なの?
偽者ならその根拠を教えて
曹操の墓って依然にも見つかってたのか
河南省は狼少年なのか?
>>623 >>622は夏侯惇の墓のこと
河南省河街鎮賀庄北には今も夏侯二人の墓がある
最も惇の方は油田開発で発掘されたけどな
>>618 しかし破壊された洛陽の修復や遷都の準備だって一年二年で済む話じゃないから
再建計画の時点で将来的な遷都のプランはあったんじゃないかな。
馬超の乱の時点で中継基地として使える程度は復興してたようだが。
洛陽への遷都だって東部・西部への交通に優れるというのが要因のひとつだし、
三国鼎立が確定的になった時点で将来的な遷都計画はあったと思うんだ。
DNA鑑定と言うけど、曹操の子孫って言う奴らが偽だったらどうなるんだ?
DNA鑑定にまで持ち込もうとする熱意には素直に敬意を表したいけどな
グレーゾーンのあーでもねえ、こーでもねえ、は一番混乱する。
>>626 実際1800年前の人物のDNA調査なんて前例が無いからな
ぶっちゃけやりようがないと思うぞ
それにしても朱然の墓は一瞬で本物と確定したのに何故グダグダと長引くのか
正史通りならそれでいいじゃんと思うが
これも演義の弊害ってやつかな…
630 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/06(水) 00:39:56
中国って衣冠墓というのがあると聞いたことがあるんだけど。
服を埋葬しただけで墓にできるんだからいくらでも作れる。
72の偽墓ってのはそれじゃないの?
>>629 朱然はあくまで武将
曹操は本紀が立てられてる
後世から見れば歴代皇帝の一人だから中国も慎重にならざるをえない
まあ72の偽墓とか信じてる三流学者を生み出したのは演義だろうがなw
朱然の墓捏造とか誰得だよ
呉好きでも絶対優先度高くねえぞ
>>627 そっちの墓を夏侯惇墓と断定した理由を探してるんだが見つからない
そのソース教えてくれないか
>>630 つか1000年後の明時代の陶宗儀だぞ
いきなり72の偽墓を作ったとか言って曹操を非難したのは
つまり演義脳の馬鹿が言い始めて演義脳のやつが広めたんだよ
もちろん正史三国志にはそんな記述はない
>>629 観光地化による経済効果を狙うためだけの歴史捏造であっても困るしな
慎重にお願いしたいよ、歴史の真相を追究するのならね。
>>634 今は失われた文献にでも記載されてたんじゃないのか?
637 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/06(水) 00:49:41
いや、たとえ本物の墓であっても衣冠墓の可能性はないのかなと思って。
本物は本物だよね。本物が20〜30個に増殖してたとしても。
今回のもただの衣冠墓という可能性は無いの?遺骨は誰か別人ので
>>636 あのなw
よく考えろ
何故正史三国志から1000年たって突然こんな説が出る?
同時期演義が成立してるんだぞ
しかも中国政府はこの説を認めてない
639 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/06(水) 00:51:05
>>615 曹丕の場合、いじわるだからそれぐらいのことをあえてやらせたかもしれんぞ。
今回の墓は夏侯惇じゃなくても誰か別の大臣・将軍クラスの墓という可能性は無いこともないだろう
>>638 たまたまその時見つかったんじゃねえの?
てか、それを中国政府が認めてないって証拠もどこに?
>>494で偽墓には決着ついたと思ったけどまだ文句ある人が居るとは意外だな
そうだとしたら誰がいるかな
僕の大好きなカク先生!
644 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/06(水) 00:54:18
DNA鑑定しても曹操と夏候惇って従兄弟だから先祖をたどれば同じDNAになるんじゃ・・・。
>>642 それを河南省の学者以外も認めてるなら
認めるけども・・・
>>641 中國社會科學院が認めていますね
正史の記述どおりだと
明の陶宗儀は何の根拠も出してないですしデマと言われて当然と思います
てか正史が正しいに決まってるじゃん
お前らにとって陶宗儀>正史ならこの板来ない方がいいぜ
>>646 中国政府とはどのような係わり合いがあるのかも
教えて欲しい
カネ
あれ?もしかして許昌の夏侯惇墓って墓主が夏侯惇であることを裏付けるもの出てなかったりする?
そっちの夏侯惇・淵墓の方が怪しくね?
正史を盲信するのはいかがなものか
じゃあナニを信じろと?
現実
>>648 中華人民共和国国務院直属の機関ですね
巨大なシンクタンクで影響力も絶大です
明の陶宗儀が正史より正しいと思ってるならこの板来ない方がいいんじゃないか?
いや煽りじゃなくマジに
てか陶宗儀がどんなやつなのかとか、
中國社會科學院がどういう期間で政府とどう関わってるかなんて、
調べればすぐにわかりそうなもんだが…
いちいち教えてもらうなよ
>>655 板には別に居てもいいだろ
このスレにこなければいいだけで
中英も三戦もだめならどこへ行けば
>>657 からかってるだけだろ
無知なヤツほど人にソースや証拠を求める
関羽=関帝を否定してたようなヤツも
同じような形で色々とつまらない事を求めてたよ
>>659 この板そのものは演義も全然OK
この手の話題に持ち込んでくるのがNGなだけだよ
まあ実在の人物の墓となるとエンターテイメントでなくて史学の話だからね。
個人的には副葬された二人の女性が気になる。
ベン夫人じゃないなら誰?というかベン夫人はどこよ?
正史との記述のズレに突っ込むならそこだと思うけどね。
>>650 証明も何も剣しか出てこなかったからなw
今は博物館に愛刀として展示されてるようだが、現物は見たことが無いな
>>664 じゃあやっぱ許昌の夏侯墓はちょっと怪しいな
666get
667 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/06(水) 01:59:57
>>663 頭蓋縫合の様子から50代かとされただけなので、高齢の女性は、卞氏の可能性が高く、
若い女性は、その召使いらしいよ。
男の遺体が長身なら→惇
小さければ→操
凄い
670 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/06(水) 03:36:22
5日の読売朝刊に遺骨の状態が良くなくてDNA鑑定は無理って書いてたよ
遺骨と子孫との関係を調べるとか書いてるくらいだから怪しいけどw
子孫なんか仮に嘘じゃなかったにしても
どこかで養子や実子と偽った妻の愛人の子が密かに混じってるかも知れないよなー
銀縷玉衣の遺体との関係を調べて欲しかったな…
DNA鑑定って親と子、もしくは祖父母と子の因果関係を調べるのが普通だからなあ
今回はあまりにも時代が違いすぎるわ
最初からDNAや炭素測定をしてから、曹操の墓だと公表するべきだったな
さんざん近所の農民が盗掘を繰り返してた墓を1時間ほどで断定するのは
まかりなりにも歴史研究者なら、その判断はおかしいだろう。もめて当然
この墓に辿り着いた経緯も「中国各地に曹操の墓の候補が無数にあって絞り込んでいった」と
発表時に言いながら、いざ説明の段階になると「曹操の72基の墓なんて嘘だったんです」って…
主観でものを語るから叩かれるんだよ
正史が正しいと言い張るが、歴代の時の権力者や学者一派によって何度も改竄が繰り返されている
東洋史を一度でも学んだものなら、正史の危うさを知っているし、それも含めて検証する必要があるのに
いきなり1時間で断定は異常と言わざる得ない
中国の学者同士の衝突、切れっぷりの記事を見ていると、中国の歴史研究も落ちるところまで落ちたと思うな
DNA鑑定も殆ど無意味だろうけどね
数百年間確実に祖先の血を受け継いで来たといえる家なんて存在しない。
まして養子縁組が認められる文化なんだから。
決着には数年がかりの話だよ。
少なくともこの三遺体がどういう関係なのか、を明らかにするためにも
DNA鑑定をする価値はあると思うよ。時間もかかるだろうけれど
>>673 >数百年間確実に祖先の血を受け継いで来たといえる家なんて存在しない。
さすがにそれはない。
天皇家は数百年くらいなら余裕で大丈夫だろ。
あと、徳川宗家くらいは。
(途中で傍系や婿養子は入っているけど、家康とのつながりはちゃんと信頼出来る文献で立証出来るはず)
海外で言えば、ヨルダン王家はマホメットの子孫だな。これは誤魔化しがきかないはず。
中国でも、孔子の直系は孔子廟に代々住んでいたのだから、多分本物なのでは?
曹操の子孫は怪しいもんだが。
676 :
ひょーりみ ◆00/FP3k5IQ :2010/01/06(水) 13:22:23
隠し砦の三遺体
677 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/06(水) 16:01:58
織田信成
曹植の墓と遺骨も見つかってるんだろ?
ならそれと鑑定すればいいじゃん。その曹植の墓も怪しいかもいれんけど。
×いれんけど
○しれんけど
>>678 どうやら、その曹植の遺骨を紛失してしまってるらしい。
>>594 主君の遺物を副葬するなんて文化あるの?
あと夏侯惇死ぬまでどこに置いてあったんだ?
形見分けでもしてもらってたのかな?
何の根拠もなく「俺がこう思う」ってだけのレスに突っ込むなよ
可哀相だろ
織田信成は信長の子孫と言わずに信雄の子孫と言え。
だって根拠って言えるの正史しか現存してないし
>>684 政府直轄の機関が認めた理由はそれなんだよな
中国で出てる異論に目を通してみたが、正史の記述自体を否定してるものはなかった
正史否定=曹操なんていなかった、劉備なんていなかった、三国なんてなかった・・・
ってなるからそれはできんよ
所詮は40年そこそこの短命地方政権の祖に過ぎないんだから、演義さえなければ
こんなに揉めることはなかった筈。
まあ、ニュース自体がほとんど注目されなかっただろうが。
>>687 まあ、邪馬台国論争は平気でそれやってるけどなw
とりあえず、自説に都合の悪い部分は「無かった」ことにw
>>689 邪馬台国はそもそも倭人伝の記述通りに距離計算すると
太平洋の上にあった事になっちゃうからその辺から難しい
>>688 中国でも既に学者達が喧々囂々やってるだけの
ローカルニュース扱いになってるな
あれは呉の近くに友好勢力を置いて呉を牽制する意味があるってどっかできいた
>>690 つまり正史の距離方角の記述はあてにならないと?
じゃあ曹操の墓も(r
なりきん、見とるかー ノシ
695 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/06(水) 21:01:11
曹操はパワーストーン信者だったんだな、メノウ
>>691 てか正史の記述どおりだと認めてる中國社會科學院に演義脳のアホが文句言ってるだけw
ぶっちゃけこのスレのくれくれ君と同レベルの馬鹿
当然中國社會科學院は無視してるw
>>693 そもそも武帝紀には曹操の墓の場所について詳しく書かれていない
>>441にあるとおり、
1998年に見つかった西暦345年後趙の建武年間において大僕卿駙馬都だった魯潜の石碑が鍵になった
この石碑を見つけた農民が河南省に届けて本格的な測量が始まり、
2005年には今回の陵墓の場所を特定した
しかし誰の陵墓かは発掘しないと確認できず、「曹操の墓っぽいので発掘させてくれ」では予算が下りない
その後盗掘騒ぎで逮捕者が出たため、墓を保護するという理由で発掘許可が出た
それが2008年12月
で、今に至る
その過程がわかる動画
http://v.ku6.com/show/U6wHWzrNS6guGz7j.html
と言っても向こうの言葉なのでわかりづらいだろう
簡単な略も書いておく
長くなるが…
西暦218年6月
曹操は現在の河南省郏県東南の戦場から洛陽へ戻ると特殊な命令を出した。
これは自分の死後の手配についての終令だった。
三国志武帝紀にこの終令の内容が記載されている。
其規西門豹祠西原上為寿陵因高為基不封不樹
これは曹操の墓葬地点のもっとも早い文字による記載だ。
終令が描く曹操の墓葬地点とその周りの地理的特徴が、後世の人々が曹操の墓を探す唯一の根拠となった。
では曹操は本当に終令どおりに墓葬地点を選んだのか?
もしそうであれば終令が描く地点とはどこなのか?
1995年河北省臨漳縣の古鄴城遺跡近辺で一人の老人を見かけるようになった。
彼は鄴城近くの山野十数理をほぼ歩きつくし、文物や古跡について詳細な地形調査を行なった。
この老人は劉心長といい、邯鄲市歷史学会学長をつとめている。
劉心長は何年も曹操墓葬の位置について研究し自分の見解を発表している。
曹操の墓は河北省邯鄲市磁県時村営郷の中南部講武城郷の西部および
河南省安陽市安陽県安豊郷の約5平方キロの範囲内にあるというもので、
この地域を曹操墓田と呼んでいる。
劉心長がここを曹操墓田と言う理由はこの地域がちょうど鄴城の西にあり、
丘陵地帯で土地がやせているためだ。
劉心長「ここが鄴城の西鄴城の西の西崗ですこのあたりすべてが鄴城の西の西崗です。
彼が墓地を選んだとき、因高為基不封不樹とするよう要求しました。
そこでこの地方では曹操は盛り土をせず木を植えて目印にすることもありませんでした。」
>>672 >この墓に辿り着いた経緯も「中国各地に曹操の墓の候補が無数にあって絞り込んでいった」と
>発表時に言いながら、いざ説明の段階になると「曹操の72基の墓なんて嘘だったんです」って…
どれが曹操の墓かわからなかったって話だろ
偽墓の話なんか出ていないし、まったく背反しないんだが
>>675 妻がこっそり別の男作ってたら終了だよ
2007年南水北調プロジェクトの中央線がちょうど曹操墓田のある地域を通り抜けることになった。
河南省考古研究所研究員南水北調安陽固岸考古隊の隊長潘偉斌は劉心長と同様に
曹操の墓葬を決定したのは曹操本人だと考えている。
潘偉斌らは文献の記載にもとづいて詳細な実地調査を行い、曹操の墓の候補地をさらにしぼりこんだ。
曹操の墓は河南省安陽市安陽県安豊郷の漳河に面したそれほど大きくない地域にある可能性が大きい。
またたく間に人々を悩ませてきた曹操墓葬の謎は中国内外で注目をあびることとなった。
西暦220年曹操は洛陽の寝宮において生涯で最後となる命令を出した。
曹操は遺令の中で薄葬を要求し、もう一度自分を鄴城西の高い丘に葬るよう指示した。
この遺令の内容は二年前の終令よりさらに詳しくなっているが墓葬の位置については一致している。
河北省臨漳県三台村に高い土の台がある。城壁の痕跡はいまでもはっきりしている。
ここは三国時代の鄴城遺跡つまり曹操が終令で言及している鄴城である。
鄴城の西は地形の高い黃土塬にあり村や農地が広がっている。
後漢時代には鄴地に属しており現在では漳河を境として河南省と河北省に分かれている
※ここに出てきた潘偉斌は
>>494の潘氏と同一人物
だいたい、どこかで母方を通して血がつながっているかもしれないわけで
例えば東晋の元帝は母方で夏侯淵と諸葛誕の血を引いているのでDNA鑑定したとしたら曹操・司馬イ・諸葛亮全員の血族と認定される
もし1700年前に天下を震撼させたこの英雄が鄴城西側の農地に葬られたとしたら、
歳月が移り変わるうちに曹操の墓葬はいったいどこに隠れてしまったのか?
曹操の生前の要求は自分を西門豹祠の西原に葬ることだった。
唐代の地理名著元和郡県誌によると曹操の西陵は鄴城から三十里西、門豹祠から約十五里、
どちらも鄴城の西だという。
つまり西門豹を見つけ出せば曹操の墓の重要な目印を見つけ出すことになるのだ。
西門豹は戦国時代の鄴県の県令だった。彼は当地の民衆を率いて漳水を整備した。
巫女が毎年河伯の嫁を捧げるよう要求していたが、
その迷信を打破し民衆を害した巫女を漳河に投げ込んだ。
西門豹は鄴を治めるのに功績があり、民衆に敬愛され当地の民衆は彼のために祠廟を建てた。
それが西門豹祠の由来である。
曹操の墓を探すのに最も重要なのは西門豹祠です。
なぜかといえば曹操は二つの遺令の両方で西門豹祠の付近、
西門豹祠の西原に葬るよう指示しているからです。
ですからこれはとてもはっきりしたランドマークなのです。目印と言えます。
西門豹祠の位置についてもっとも早い記述は曹魏時代からわずか200年あまりの北魏の酈道元の
地理名著水經註です。
1985年河南省安陽市安豊鄉豊楽鎮で後趙・建武年間の彫刻柱が出土した。
柱には西門豹大夫の画像と西門豹祠の再建時期、面積などが刻まれていた。
潘偉斌「刻まれている字は趙建武年中所修です。
この石刻は1985年に漳河大橋の南一キロにある豊楽鎮の高台で発見されました。
この高台は地上から2〜3メートルの高さで上部には多くの東魏と北斉時代の瓦辺があり、
当時この高台の上に廟宇の建築物があったことがわかります。」
後趙・建武年間とは西暦335年から348年曹操が世を去ってから100年あまりの時期だ。
水経注が成立した年代も曹操の死後2〜300年しか経っていない。
水経注の記載と出土した柱の石刻は内容が完全に一致している。
考古学の専門家は出土した後趙・建武年間の柱の石刻があった西門豹祠遺跡が
まさに酈道元の描いた西門豹祠だと考えている。
かつての鄴城の西、漳河の北岸に古い城の遺跡がある。
戦国時代に建てられた武城だ。その東南約七里が漳河大橋の南側にあたる。
安陽県安豊鄉豊楽鎮村の東に盛り上がった土台がある。
土台の上には宋代の石碑が立っている。
碑文にはここが西門豹祠だとはっきり書かれている。
その位置は水経注に記載された西門豹祠の位置と完全に一致している。
専門家は安陽県安豊鄉豊楽鎮の西門豹祠こそが曹操が終令で指している西門豹祠だと考えている。
ただし後世に再建されたものだと。
考古学者の認定した西門豹祠の西部は土地がやや高く開けた地帯となっている。
曹操が終令で語っている寿陵とすべき西門豹祠西原のあたりとはきっとここを指しているに違いない。
ではここの地形と曹操の終令の描写は一致しているだろうか?
西門豹祠西原の地形の特徴を考証し文献の記載と符号するか確認するため、
河南省安陽市の考古学スタッフは西門豹祠西原の地形の測量・製図を行なった。
「よし!そっちの海抜は何メートルだ?」
「緯度は36度15分経度は114度15分海抜は93メートルだ。そっちの高さは?」
「高低差は105メートル。」
「ここの北緯は36度15分だ。」
調査員たちは全地球測位システムを通じてこの開けた地帯は地勢が高く
現在の漳河の河床より約12メートル高くなっていることを発見した。
曹魏時代のここの地勢はこれよりさらに高かったに相違なく周囲の農地と比べて
ここでは田畑に水をやる方法がないため、明らかに痩せた土地だった。
現在でも多くの場所でいまだに農作物を収穫できないのだ。
曹操は終令の中で自分を「瘠薄之地」に埋葬するよう要求している。
ここから曹操が最初に重んじたのは収穫を得られない痩せた土地だったということがわかる。
調査員たちははさまざまな徴候から曹操を埋葬した陵墓はこの開けた地域であり、
曹操が終令で言っている「鄴之崗西」に違いないと分析した。
曹操の墓は「因高為基、不封不樹(高いところを基礎として、盛り土や植樹をしない)」であり
1700年あまりの風雨に洗われてきたため現在地上に陵墓の痕跡を探すことは難しい。
曹操の墓地はそれと見分けるための地理上の特徴がまったくないのだろうか?
西暦220年、曹操が世を去ってから曹操の息子・曹丕は悲しみのあまり、
武帝哀策文という文章略称「策文」を書いた。
策文は曹操の葬儀の過程を具体的に描写し曹操の墓の地形についてもさらにくわしく描写している。
棄此宮廷、陟彼山阿これは墓が山の中腹、くぼんだ山間部にあったこと説明している。
終令では廣為兆域使足相容とあり、大臣や将軍のうち功績のあったものは、
死後に自分の陵墓の周りに陪葬するようにと要求している。
そのため彼の墓地は広々としていて陪葬用の陵墓がおさめられる大きさだったはずだ。
劉心長はこの丘陵と漳河の間の武吉村、曹冠村から西曹村、西小屋までの一帯は平坦で開けた土地で
曹操の公卿や大臣、功績のあったものたちの陪陵の条件に合致していると考えている。
史料の記載によると曹操の西陵には初め祭殿があった。
その後、魏の文帝・曹丕が薄葬を推進し曹操の西陵にある殿屋を破壊するよう命令した。
これもまた曹操の墓が最後には一般人の墓葬と同じように歳月に埋もれてしまった一因である。
※武帝哀策文は中国の三国志ネット界で曹丕ファザコン説のソースの一つになってる
三国志の記載によると于禁は高陵に拝謁したときに自分の降伏の様子が描かれているのを見て
恥ずかしさのあまり病気になったという。
これによって曹操が埋葬された後、高陵には陵屋が建てられたことがわかる。
劉心長「曹操陵区の陵屋には二つの働きがありました。
一つは曹操の陵を守ることです。もう一つは陵墓や陵屋の中の壁に書画が描かれていたかも知れません。
これらの書画のあるものは曹操に忠誠を尽くした将軍たちの英雄的な事跡
あるものは危険から逃げ出すなど不名誉なことだった可能性があります。
于禁の絵はこちらの種類だったのでしょう。
この陵屋は当時の曹操の墓地にあった一種の建築物で、この種の建築物は
現在の我々が曹操の墓を考察し、墓の場所を探すための重要な手がかりになります。」
劉心長「曹丕は孝子であり、当事者でもあるので「策文」は第一級の資料です。
そのため策文で言及されている情報は我々には非常に重要です。
策文にはどのような内容が述べられているのでしょうか?
彼は埋葬について言っています。いちばん良い時刻については占いをする。良ければ埋葬をする。
そして葬儀の行列は鄴城を出発します。
前には驅鬼官、それから方相が続きます。
方相というのは各種の恐ろしい顔つきの神像を演じています。
隧道はすでに通じ埋葬の時刻になると墓の門が開きます。中は真っ暗闇です。」
歴史学者は曹丕の薄葬制度の確立と自分の墓葬への要求が、
曹丕が父曹操の後をついで薄葬を提唱したことを証明すると分析している。
また曹丕の策文と曹植の誄文は曹操の終令と遺令が厳格に執行されたことを証明するだけでなく、
後人に曹操の葬儀の細部を伝えてもいる。
西暦220年2月曹操の霊櫃は夏侯尚や司馬懿たちにつきそわれて
鄴城に運ばれ、自分自身で選んだ鄴城西の山崗に埋葬された。
※このスレでも司馬懿がギョウまで運んだ話は出た。夏侯尚伝を確認したが確かに同様の記述あり
策文の中の「大隧既通」という字句はどういう意味でしょうか。
劉心長「大隧とは墓道のことです。
もともとこの墓道は建設された後封鎖されていて、
曹操の棺が埋葬されるときになって墓道が開けられました。
そこでここから判断できるのは曹操のこの墓は墓道があった。
墓室のある墓葬であったということです。
この墓葬はかなり深かった可能性があり、曹丕と曹植の二篇の祭文から見ると
この墓道はかなり深く、しかも厳密な防衛措施がとられていました。」
劉心長「曹植は曹操の墓について誄文で描述している。
窈窈玄宇三光不入
つまり地宮は地下のとても深いところに埋葬された
またこうも書いている
潛闥一扃 尊靈永蟄 聖上臨穴 哀號靡及 群臣陪臨 佇立以泣
どういう意味かというと、曹操墓は真っ暗で墓道がいったん閉じてしまうと
曹操墓は永遠に地下の暗室の中に閉ざされてしまう
そこで孝子として群臣としてこのときに悲痛の極みに達したのです。」
曹操は西陵に葬られていながらまったく痕跡を残していないのだろうか?
劉心長と考古スタッフはすでに確定した曹操墓田を苦労して探し回り、
また膨大な典籍の中に曹操墓の手がかりをさぐった。
そして西晋の著名な文学家・陸機の一篇「弔魏武帝文」が劉心長の注意を引いた。
弔魏武帝文は曹操の遺令の細部を披露している。
曹操は遺言の中で言っている
「汝等時時登銅雀台望吾西陵墓田」
曹操が世を去ると銅雀台に六尺床をつくり、床の上に穗帳を置きました。
穗帳とは霊帳のことです。
曹操の歌舞伎人は毎月の月朝十五つまり一日と十五日に霊帳に向かって歌舞をおこないました。
ですからつまり歌舞をおこなうときには曹操の遺令にしたがって、
彼の姫妾たちや彼の夫人たちは「望我西陵墓田」
つまり墓の方角を見たのです。
陸機は皇宮の著作郎に任じられたことがあり、皇室密閣の中の歴史的な文献に触れる機会があった。
曹操の遺令を見て感嘆のあまり弔魏武帝文という一篇を書いた。
歴史学者は陸機の記載は信頼できると考えている。
陸機は西暦261年生まれ
曹操が世を去ってからたった四十年
彼はまた東呉の名将・陸遜の孫である。
だから曹操の遺令の内容については注意を払っていたに違いない。
現在の河北省臨漳県三台村にあまり高くない土台が何箇所かある。
この土台こそが当時の曹魏政権を象征する建築、銅雀三台だ。
現在の铜雀三台にはかつての栄華の面影はすでにない。
劉心長「これが鄴城の遺址である三台遺址です。
これが金虎台、これが銅雀台。銅雀台は曹操の時代には十丈もの高さがあり、
上には部屋が百以上ありました。
曹操は建安文人たちと常にここで詩や賦を論じたのです。」
曹操の陵墓を眺めることができるとは
つまり曹操の陵墓が銅雀台からあまり遠くないということだ。
銅雀台は曹操の墓葬の重要な参考物件である。
劉心長「ここからは西陵墓田を見ることができます
そんなに遠いはずがありません。
なぜかと言えば彼は生前に姫妾伎人たちが演奏する歌舞を聴けるように願っていました。」
1998年4月安陽市安豊郷西高穴村の村民・徐玉超が
村の近くの空地を掘っていたとき偶然、石碑をひとつ発見した。
そのとき彼はこれが曹操墓の捜索にとって驚きの発現になるとは知らなかった。
「その時ははっきり見えませんでした。何か模様があって電灯で照らすと
書いてあるのを見つけました。上部に字跡があるのを見つけたんです。
上部には書いてあったのは趙建武十一年駙馬都尉の魯潜という人物のことです」
河南省安陽市の文化スタッフは宝物を掘り当てた気分だった。
古い時代のものなので石碑の字跡はすでにはっきりしなくなっていた。
考古スタッフは石碑の拓片を取り石碑の記載内容について細かく解読し
これは墓誌銘であることを発見した。
内容は後趙の建武年間西暦345年 大僕卿駙馬都尉魯潜の墓誌
考古スタッフを興奮させたのは
魯潜の墓誌ははじめてはっきりと
魏武帝陵の具体的な方位を記載していたことだ。
※墓誌内容は
>>496のとおり
魯潜墓誌が発見されたことによって曹操墓の範囲はだんだん縮小されてきた。
史料と伝説がごっちゃになっていた曹操墓だが、どうやら霧が晴れてきたようだ。
では魯潜墓誌が記載している高決橋はどこにあるのだろう
藩氏「高決橋陌の陌とは村のことでしょう。
高決橋は現在の場所はそこにあった位置にはちょうど西高穴村があるのです。
西高穴はおそらく高決橋陌と諧音だろうと私たちは考えました。」
史料の記載によると魏文帝・曹丕はかつて水路から父親の祭祀に赴いた。
水路とは漳河にそってさかのぼったという意味で西高穴村の位置は、
ちょうど漳河の南岸にあり漳河ととても近い。
撮影班は河南省安陽市の考古スタッフを招き魯潜墓誌の記載に従って
魯潜墓誌の発見地を基凖点として、
安陽県西高穴村の曹操陵園区が存在する可能性がある範囲で実地測量を行なった。
考古スタッフが決定した曹操陵園区範囲内の西高穴村西500メートルの魯潜墓誌出土地付近に隆起した高台地がある。
測量作業中、スタッフはそこで大量の漢代の大型板瓦と宮殿建築大門上の泡釘を発見した。
スタッフはここからここにはかつて宮殿式建築があったと判断した。
長い
3行にまとめろ
「私たちのいる位置、この高崗の上に過去に高陵北に地上の建築物があった可能性があります。」
河南考古研究所の潘偉斌研究員は実地調査と考古学的な論証によって
曹操墓葬の区域は河南安陽県の西高穴村の1000平方メートル以内だと考えている。
潘氏はこの農地の点在する高台を曹操陵園区と呼んでいる。
この地域は鄴城遺址からの距離は三十里ほど河南安陽県豊楽鎮の西門豹祠西の地勢が高い崗にある。
西部は太行山の東麓その地理的な特徴は曹操の終令の描述と附合する。
潘氏は1700年あまり前この土地はきっと西北が高く東南が低い高崗だったと語る。
現代になって土地を平坦にし、農地に改造したためこのような地形になったが
今日でも残った地形からもとの姿を見ることができる。
この高崗は漳河より10メートル以上高くそのため漳河の水を灌溉することができない。
おそらく当時はやせた土地だったろう。
※動画でも日本の田園のような風景ではない。荒涼としている。
一気に飛ぶが
2005年河南省考古スタッフは専門家が認定した曹操陵園区域の西高穴村西南で
大型磚室墓を発見して世間を驚かせた。
この墓葬はすでに盗賊に何度も盗掘されているが、
考古スタッフは邙山で出土した同一時期の後漢皇陵と比較して
ここは後漢末期の大墓であり、少なくとも王侯級だと認定した
2006年西高穴村で盗掘された数件の文物が出土し
上部には魏武王家用などの銘文があった。
曹操の生前の最高爵位は武王
これは曹操が生前に使った器物だということだ
>>714 結局この後許可が下りて発掘開始したのが2008年12月って流れだ
長文貼ってすまん
>>697-716 うーんすごい
すごすぎる
当然かもしれないが、俺ら何ちゃって三国志マニアとは次元が違うw
こりゃ中国社会科学院も認めるわけだよ
お疲れさん。いや、訳してくれるのは実にありがたかった。
しかし、これだけ物証と史料とロジックでちゃんと根拠立ってると
もはやケチの付け所が見当たらないな。ほぼ確定じゃん。
むしろこれにどう反証するんだよと言うレベルだ。
むぅ。
さすがだな
あるのは分かってるのに発掘許可が下りず盗掘され続けるのを
黙って見てるだけってのは辛い所だったろうな。
ソースとしては、
武帝紀
水經註
後趙・建武年間の彫刻柱
曹丕の武帝哀策文
曹植の誄文
夏侯尚伝
宣帝紀
陸機の弔魏武帝文
後趙建武年間西暦345年に大僕卿駙馬都尉だった魯潜の墓誌
文帝紀
ってとこか
それに加えて実地測量を何年もって感じ
俺ら外国人じゃ無理だわなあ
いや、そこまでの推論と探索は、曹操陵が存在する可能性の高い範囲を絞込りこみ
発掘作業に入るための「推理」。
推理は、その結果として確証を引き出さねばならない。
「it」が曹操の陵墓だと特定するために、陵墓の発掘が行われ、埋葬品が研究される。
その研究によって定説が定まるにはある程度の情報公開が必要だし、
それに応じて諸説が出揃ってくるのはまだ先のことだろう。
夏侯尚伝
定代地,還.太祖崩于洛陽,尚持節,奉梓宮還?.
宣帝紀とほぼ同じ記述か
宣帝さまお得意の手柄横取りっぽいな
全て読ませてもらったが史料的な根拠はほぼ完璧に近いと思う
後は科学的な根拠さえあればこのスレで文句言う奴はいないだろう
それにしても、しっかりと手順を踏んでいるなぁ
石橋叩いて壊すくらいの手堅さだ
こういう調査した後に三流学者に根拠無しの妄想で反論されたらそりゃ怒るわなw
こんだけ綿密かつ細心に史料を当たって調査に調査を重ねて発掘したのを
考古学者でもない文学者とかにケチつけられたらそりゃー「彼の知識は
批判できるレベルにはない」とか言いたくなるよな!
72の偽墓が〜とかくだらなくてヘソで茶が沸くわ
まあなんだな、政府が認めてるには認めてるなりの研究努力と論証と成果があったわけだ
DNA検査はどうやら不可能だったみたい
炭素検査しかないね
しかし
>>697からの調査内容は凄い
ちょっと中国の専門家を侮っていたようだ
しかし、それでもまだハッキリと特定されたものと
認定されてないみたいだな
中国での「曹操の墓」問答は俺達のような
素人では口出し不能な学者レベルの問答になって長期化しそうな予感がする
730 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/07(木) 02:21:23
いや、三月か四月までと予定されている最後の墓室の発掘で
卞夫人を示す文字が出てくる可能性があるから、そしたら完璧でしょ
史料的な根拠が完璧でも納得しない人はいる
放射性炭素検査などの科学的根拠も必要だろう
矛盾している内容の資料を敢えてスルーしているかもしれないわけで。
あくまで可能性の話ね。疑っているわけではないので。
きっちりした反論も出てきてしまったようだな。
学識の深い連中ってホントに凄いなあ。
>>733 なんか中途半端に史料の知識があるなこの人
史料を読んだのなら、印章は曹操自身が入れるなって言ったのわかるはずだが
DNA鑑定はやっぱり無理だったのか…
そりゃそうだよな
放射性炭素検査やっても時代がわかるだけだしなあ
曹操本人と断定できるような検査じゃない
史料根拠を元に解明するしかないような気がする
となると残る問題は正史等と現場のズレか
陵墓付近に配下の墓が無いこと
皇后の遺体が無いこと
魏武王についてはどうなんだろうな
おくりなである「武」を使うのはおかしいって言うけど
おかしいと思う根拠がいまいちだな
一般的でないってどう一般的でないか説明がないと
739 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/08(金) 04:50:20
女は郭皇后の遺体じゃない?
大戦で曹操と重ね計略として相性良いデッキだし。
うーん中国の動画見たけど父系DNA検査はまだ確立した技術ではないので無理らしい
残念
最早史料根拠のみでしか証明できないんじゃないかねえ
朱然なんて一瞬で認定されたぞw
そりゃ朱然の墓なんて捏造してもしょうがないしな
>>741 既に中國社會科學院は基本的に認定したわけだしなあ
まあもう少し決定打が欲しい所ではあるが
>>743 これから遺構や遺物の調査が徹底的に行われるだろうから、
もっと有力な史料が出てくることを期待するか。
史料というか「ここは曹操の墓です」とそのものズバリ書いてある出土品が
発見されてないから95%確定ぐらいで最後の5%がまだ断言しきれないみたいな
まだ60%くらいなんじゃないのか?
そりゃあ、本物であって欲しいがファン心理を先行させるのもちょっとね。
DNA検査が無理だった以上は科学的根拠でなく、
史料的根拠つまり正史の解釈のしかたが問題になるだろうな
文献史料ってのは正史だけじゃない(というか考古学では当てにならない部類)
出土史料にしても周辺から手がかりが見付かる可能性もある
石碑一つでも、文体、用語、材質などで既存資料や将来見つかるものから判断できるかもしれない
考古学って10年膠着ぐらい当たり前の世界だからゆっくり待てばいいさ
749 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/09(土) 02:59:37
そこでだ。
三角縁神獣鏡を曹操の墓から出てきたと発表すれば日本人観光客にも
経済効果は覿面となる。
魏が卑弥呼に銅鏡を下賜したのって239年だろ。曹操の没年は220年だから20年もあとだよ。
おいおい曹休は228年死んでるってw
ゾンビかよw
曹休って曹氏の出だろ
夏侯氏出身の曹操とは直接の縁はないし、
そもそも曹嵩ともどれだけ離れているかよくわからんし
チョイスが微妙すぎる
>>752 呉討伐戦で敗戦したあと心労で病気になり死んでるな
>>751は恐らく民間伝承かなにかだろう
いろんな伝承がありますなあ
名を姓にするって儒教の考えからはありえんわ
逃げなければならないほど繋がりが深いなら尚更
よって捏造
晋書によれば司馬炎が皇帝になってから曹氏迫害は緩んでるんだけどな
帝位禅譲した形だから地方に飛ばされただけで済んだだっけ
>>759 それは皇帝の話かな
皇族は司馬炎即位直後までは公職に就くことを禁止されてたが、司馬炎が禁を解いた
迫害どころか曹植の子である曹志が晋に仕えている
>>751 自称とは言うが、曹操の子供って30人ぐらいいたんだろ
その子供が子供を生んでを繰り返すこと1800年…
極僅かでも血を受け継いだ人は相当多いんじゃないだろうか
763 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/09(土) 19:09:09
まあ、チンギス・ハーンの子孫は全ユーラシアに1600万人以上いるという話だから、
曹操の子孫が残っていても不思議はないけどさ。
孔子一族が現在200万人だったっけ?
つい最近まで曹操の子孫っていうだけで迫害に遭いそうだったから
もし本当の曹操の子孫でも名乗り出ない可能性も
最近の曹操再評価の影響か。
これが明の時代だったらどうだったのだろうか?
明の時代って昔すぎだw
>>765 中国人はミーハーなところがあるから
結局DNA検査できなかったの?
どうすんのよ
770 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/09(土) 20:11:33
中国らしいオチだな
>>768 どうもこうもない
文献的史料と現場を検証するしかない
いやそれはわかるけど、今の時代科学的根拠なしではちょっと厳しいよね
773 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/09(土) 20:36:48
あとは、いかに中国側が上手く隠蔽し、本物だと言い張るかが勝負のカギ。
>>772 そうでもない
漢時代の遺物を認定する時も史料頼みだしな
確かに
まあ簡単には正式認定までいかないかもな
国の直属機関が基本的認定した以上はその流れは変わらんだろうな
DNA等の科学的検査が不可能ならなおのこと
中国は権威主義社会だし一度国の公的機関が認めちゃったら
仮にちょっとやそっと怪しい点があっても簡単には覆らなさそうだ。
日本の発掘家や考古学者も曹操墓の検証に加わってほしい
おいらの姉貴の師匠の吉村作治先生辺りでいいので
>>779 作治はエジプトしかわからんだろう…。
発掘テクニック的なものでは貢献できるかもしれないが、検証の役には
全然立たないと思うぞ。
781 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/10(日) 03:19:47
>>780 エジプトだけなわけがない
エジプト考古学者が古代地中海史を知らなかったらモグリだろ
あのおっさん、エジプト以外にギリシアやローマにも強いよ
まあ曹操の墓発掘にはあんま意味ないけど…
あとあのおっさんのテクニック的なものってのは衛星写真や音波や電波使った機械を使った探査が主だから
中国に機材ないと役に立たないという
まだまだ結論は遠いや
ぬるぽ
ガッ!
785 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/10(日) 15:41:04
考えて見りゃ、日本の古墳とかエジプトのピラミッドとかって、どうやって埋葬者
を確定してるの?
特に日本の古墳とか墓室に履歴とか書いてないのが普通だよね
ピラミッドは書いているはずだが
日本の古墳は、重要な奴は大部分が宮内庁指定なので、発掘すらしていません
787 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/10(日) 16:01:17
>>785 カルトゥーシュといって王の名前を記したものがあるので
読めなかったとしても王A、王B、王Cのようにそれぞれが別箇であることは確認できる
あとはシャンポリオンとかが頑張って解読してくれたヒエログリフ、それからギリシア人とかが残してくれたエジプトの歴史
さらに古代エジプト人の残した王の系譜、それら全てでちゃんと推定できるようになってる
日本の古墳にはそういうクロスチェック用の他国の史料とか残念ながら残ってないのよね
紀記だけ
夏どころか三皇五帝伝説並み・・・
790 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/10(日) 19:26:05
しかし、ギザのクフ王のピラミッドは本当にクフ王のものかどうか
疑う論調があるな。
そもそも墓ではない説も有力。
日本の古墳はそんなに厳しかったのか。
でも、雄略天皇の古墳は確定してたと思ったけどどうやったのかな。
後、有名な仁徳天皇の古墳と。古事記編纂者の太安万侶(おおのやすまろ)
の墓も発見されてるしょ(観光地になってる)。一文官にすぎない存在だけども。
>>790 〜の墓、と昔から伝わってはいるから、それを頼りに推定
>>786 まあ、逆に言うと当時の王朝がまだ続いてるのを誇りに思えないでもない
米軍に完全敗北した後なのに、未だに朝日だろうが陛下呼ばわりしないとまず風潮
793 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/11(月) 03:18:26
>>790 大山陵古墳は、真の仁徳天皇陵じゃないでしょう。百舌古墳群の三大古墳の年代は
実際とは順番が異なってるみたいだし。
あなたが、太田茶臼山古墳(継体天皇陵)、今城塚古墳(真の継体天皇陵)の事と間違って言っているんならわかる。
タイムリーな話題の古墳としては、桜井茶臼山古墳なんか景行天皇陵かもしれない。
794 :
113.107.72.157 113.107.72.157 :2010/01/11(月) 15:53:35
据韩国教授考证,曹操是韩国血统,曹操墓位于韩国首尔,中国发现曹操墓纯属无稽之谈,不劳各位日本友人操心了。思密达。
曹操韓国人入りw
もはや様式美の世界だなw
誰か訳してよ
799 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/12(火) 00:18:32
纒向遺跡は卑弥呼の墓?
800 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/12(火) 15:31:54
ヤマタノオロチの墓はどこでしょうか?
奥出雲の斐伊川上流地域がヤマタノオロチの墓みたいなもん
曹操と韓国って、どうこじつけたら重なるんだ?想像もつかん。
韓国人曰く、戦国の七国の一つ「韓」は韓国の母体だそうですw
燕ならまだわかるが……
衛氏朝鮮は燕の亡命者が建てたから
韓はねえよ
周自体韓国が起源だから
周の王族が統治しに行った(とされる)のが朝鮮だろ
主従を勝手に逆転させるなよ
黄帝は韓国人と聞いたが?
808 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/13(水) 18:48:40
もうみんな韓国人でいいよ
韓厥に国家ごと祟られろwwwwwww
孔子、関羽、曹操・・・
中国の偉人、英雄達が次々韓国に侵されてゆく。
日本にもその毒牙を伸ばしてこない事を祈る。
おい
天皇家は韓国人が起源だっていってたぞ
三沢さんがエルボースイシーダでテコンVを粉々に破壊するような
勧善懲悪ものアニメ作ろうぜ!
李舜臣が鬼畜秀吉を倒す感じで
もうアジア人は韓国が起源でいいよ
宇宙の起源が韓国だってさ
人類共通の祖先は朝鮮半島に住んでたんだって
>>812 関羽は死んだ後武神になったしな。
三沢さんを神にでもするか
>806
殷(商)じゃなかった?
殷の紂王の伯父、箕子胥余さんが亡命して出来たのが箕子朝鮮
朝鮮クオリティすげぇなwww
821 :
113.107.72.144 113.107.72.144 :2010/01/14(木) 16:34:22
[社会科学院の専門家らは曹操の墓がtrueであることを確認]
教授は韓國のための研究によると、曹操は韓国起源、曹操の墓、ソウル、韓国、中国での曹操の墓が発見され位置しているナンセンス、労働者に日本人の友達を心配しないです。 Smecta。
823 :
113.107.72.144 113.107.72.144 :2010/01/14(木) 17:56:16
検査の専門家、安養市、河南省で、"魏高陵"本当に曹操は、本日、この研究の考古学考古学研究所の公開フォーラムで開催される詳細な結果の墓がある- "フォーカス魏高陵上で"明らかにした。 (出所:重慶イブニングニュース)
一応、箕子云々は史記にも記述があったはず
まあ、支那人がやってきて朝鮮を建てました、だと自尊心が満たされなかったのか、
李氏朝鮮までは箕子朝鮮を崇めていたのに、
近代以降は完全に檀君朝鮮にシフト
北朝鮮は、箕子の物と伝えられる陵墓を破壊しましたとさ
825 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/14(木) 19:54:16
正式に認定されたか
まあこのスレでは彼らの努力がわかる動画と訳も貼られたし特に文句は無い
武将達が周りに埋められてないのも正史通りといえばそうなるしな
君主の脇に埋葬されたという名誉を伝に書かないのはおかしいと思ってたんだ
トンの墓説にしても、
許昌の墓が偽者という証明をし、なおかつ今回の墓が本物という証明をしなければならない
文献的史料で証明できずDNA鑑定も無理だった
となれば証明はほぼ不可能
「魏王」が正しい「魏武王」はおかしいって意見も結局何がおかしいのか具体的な話は出てないし
政府が正式認定したのはこれらの意見より調査隊の意見を認めたってことだ
829 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/14(木) 20:33:18
いよいよ正式認定か
ニュース記事見るだけじゃなかなかわからないけど、
このスレで色々見たから今回の墓は本物だと思うわ
結局誰にも本当の事は判らない
だが、今回の調査隊の調査は本格的で堅実
それに対して反論も出たが、根拠も曖昧でこのスレの住人にすら論破されるレベル
社会科学院がまともなとこで一安心だよ
>>827 まあそうだよな
遷都した影響かもしれないが公卿大臣を周りには埋葬しなかったってことか
社会科学院は目線が本当に広いからな。
中国の歴史、宗教、民間伝承に対する専門機関のみならず
外国の歴史、宗教などにも専門的な学術機関をおいてる。
三国志を取ってみても
「関羽」という名が一つの専門分野として存在し
彼に対する歴史、民間伝承、宗教における記述賞賛を
網羅したものを掲示。
そしてそれは政府からの公式公認をも得ているのには驚いた。
そんな立派な研究機関なら、むしろ公認が無いほうが信頼できる気がs
正式認定しないと学者どもが机上の空論で騒ぐからだろ
836 :
113.107.72.165 113.107.72.165 :2010/01/15(金) 10:40:25
★_★
中国の秀吉と称えられた英雄
838 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/15(金) 19:24:14
もう確定したのか
信長じゃなくて秀吉?
しかし、正式認定なんかしてしまうと・・・・・・
あと、何十年か後に、この墓のすぐ近くから、もっとでかい同時代の墓が
見つかったりしたら、もの凄く揉めそうだな。
基本的に役所というのは「間違ってた」ことを絶対認めない組織だから。
841 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/16(土) 00:44:33
王侯クラスの墓がそう簡単に見つかるとは思えん
>>840 同時代で曹操より上の格式で埋葬された人物って言えば献帝しかいないような…
明帝のとき、漢帝国方式で埋葬された記述しかないが
山陽公だったので今回見つかった曹操の墓からは遠すぎる
>>842 いや、そういう意味じゃなくて、もし今回の墓が本当に重臣陵で、
後に近くでより有力な曹操陵候補が見つかったとしても、「正式認定」した後なら、
なかなか修正が難しいだろうなって話。
>>697-716の調査結果って結局、この地域に陵墓がある、ということしか証明してない
わけで。
今回見つかったのが、本当にこの地域で唯一の墓なのかどうかは、地域全体を
掘ってみないとわからんのじゃないの?
重臣の墓に魏武王常用〜の石碑は入れないだろw
中国政府もそう判断したからこそ認定したんだ
今回の一件で演義ってやっぱ小説なんだよなあと思った
中国政府が認めたのは正史を始めとした文献と現場の合致で演義の入り込む余地は無い
どんなに人気があっても小説は小説
そこはきっちりしている
周倉の墓もきっちり認められてるけどなw
それは社会科学院じゃないんじゃない?
周倉もモデルらしき人はいるけどなー
それにしても二人の女性は誰だったのか…
夫人の誰かとその付き人って線かなと考えてたが
>>845 そりゃ当たり前だろ
よほどの馬鹿じゃなければ演義の場をわきまえてるさ
850 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/16(土) 19:56:28
「魏武王常所用挌虎大戟」の碑文から
新しいアイテム名が分かっただけでも収穫だ
挌虎(虎を打つ)大戟か…
虎というのは孫権のことなんだろうな
孫礼の相手した虎では?
>851
それは曹叡の時代
完全に嘘だったみたいね
なにが?
ともあれ長年の謎だった曹操の墓がようやく特定されたわけだ
ついでに張魯の墓と生きているような遺骸も探しておくれ
そういや張魯と曹操って親戚なんだよな
挌虎大戟
うん、強そうな武器名だ。
…カッコダイゲキ?ラクコダイゲキ?
これから墓はどうなる?
社会科学院は観光施設にしない方針みたいだけど
860 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/19(火) 02:39:21
>>858 挌はうつという意味で読みは、挌闘(かくとう)のカク
861 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/19(火) 03:38:35
ベン氏と召使い説は無いんじゃないかな?
召使いごときが1人だけ特別に、偉大な曹操夫婦と一緒に埋葬なんてありえないんじゃない?
そんなことはないだろ
曹操の墓に誰が一緒に入るか決めるのは曹ヒなわけで
863 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/19(火) 19:40:33
クローン人間に反対だが曹操だけは見たいな・・・
蒼天航路のような本物の天才だったのか?
だから遺伝子情報を元にした復元なんて今の科学力じゃ無理だってw
誕生
↓
快なり!
↓
死亡
>>862 子桓ならやっぱ正妻とその付き人って感じがする
867 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/19(火) 21:03:51
卞夫人は230年頃没じゃなかったっけ?
少なくとも曹丕よりも長生きのはず。
なら明帝だな
曹操の詩をリスペクトしてたりするあの孫か
ぬるぽ
>>870 ガッ
曹操の詩のリスペクトは曹丕もやってるね
曹叡は祖父、父、叔父全員のリスペクトをしてたような
結局顔か身長を復元できるくらいは骨残ってたの?
胴とクビが切り離されてたってマジ?
頭蓋骨の天蓋部分しかなかったんじゃないの?
少しは自分で調べろ
卑弥呼より古い時代だからねえ
877 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/22(金) 00:14:02
廟と墓の違いを誰か教えてやれ
あと侯と候の違いもな
>>877 まあ、石器みたいに個人でちょちょいと作れるものじゃないから、大丈夫じゃない?
墓室に磚が使われてたら、ちゃんと焼いた年代を測定できるし。
880 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/22(金) 01:24:55
あれ?劉備の墓は発見されてて、一度も盗掘にあってないんじゃなかったっけか?
>>880 劉備の墓はそれらしいものはあっても確定はしてない
882 :
113.107.72.149 113.107.72.149 :2010/01/22(金) 23:18:53
→_→
そもそも墓を確定するには今回のように発掘して国が認定しなきゃならん
劉備も孫権もまだ確定してないよ
結局本物認定されたのか
このスレじゃ別に驚くようなことでもない
どんな研究がされたのか
どんな根拠によるものか
既に貼られたから
社会科学院のHP見てきたけど文献的な決め手はやはり武帝紀っぽいなあ
科学的根拠になるDNZ検査が不可能となれば文献的証拠しかないわな
888 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/23(土) 14:50:37
結局「魏武王」の問題は片がついたのか
889 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/23(土) 14:57:37
つーか、どうでもよくなってきた感じ
890 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/23(土) 15:56:07
プッ (´ι_` )cm ギャー
>>888 1月に亡くなって献帝から「武」をもらう
2月埋葬
だから別におかしくは無い
892 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/23(土) 19:49:34
一緒に埋葬されていた女性2人は棺葬?それとも野ざらし?
>>892 陵墓の中で見つかった自伝で野ざらしとは言わない件
劉備の墓も発掘許可でるのかねえ?
そう簡単に予算出るわけ無い
盗掘から保護すると言う名目などが必要
劉備の墓なら日本でお金を募れば集まるんじゃない?
中国のプライドが許さないのかな?
日本で金が集まるわけないだろw
>>898 日本で金を集めてどうする?
中国の文化遺跡を日本がどうこうすることなど出来ないぞ
中国人の中で三国志のスペシャルな存在と目されてるのは
関羽と孔明だけです。
関帝廟が失火による消失に見舞われれば国庫から金を出す
もしくは中国人達の善意の寄付であっという間に修復。
魏延の墓?そんなもん、ダムの底に埋めちまえw
曹家一族の墓?んなもん、ゴミ捨て場で十分w
好き嫌いがハッキリしている中国。
1000年以上墓が残ってるってだけでもすげー事だろ
いいかげん曹操オタと魏延オタの被害妄想UZEeee
劉備の墓はそれらしいのがあるから、それを確定できるくらいの
決定的な証拠探しをしている
ということだな
>>901 >曹家一族の墓?んなもん、ゴミ捨て場で十分w
これってちゃんとしたソース見たことないけどお前の妄想じゃないの
曹家の墓は安徽省亳州で発見され、
1974年〜77年まで発掘調査が行われた
そもそも地上にぽつんと置いてあった訳ではないので、ゴミ捨て場には出来ません
906 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/24(日) 16:13:47
>>901みたいなのが典型的な演義脳って言うのかね
今回72の偽墓が〜とか言い出した馬鹿の典型みたいな人
墓と廟の違いすら判らない奴がこのスレ来てもしょうがないのにねw
909 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/24(日) 16:20:53
このスレ意外とレベル高いからな
中国語番組を翻訳するやつまでいるし
初心者にはハイレベル過ぎるかも
そもそも偽墓説は明の陶宗儀による「輟耕録」といういわゆるエッセイが起源
エッセイを本気で信じて正史を否定するようなアホは問題外だろう
議論する価値も無い
廟とはつまり小屋がついた仏壇なんだよ
だから地上に存在し、そのために魏延廟のように壊されることもある
しかし、墓は地下に埋葬するもの
基本的に別物だよ
>>909 この時代に知識のあるなしなんて関係ない
実際このスレに書かれてる大半はちょっとネットで調べれば判ることだ
初心者というよりも調べる気のないやつだろう
ネットの情報が正しいとは限らない
とくに三国志関係はメチャクチャ
>>910 演義って、正史や注釈でも取り上げられなかった民間で語れてた事も
入ってるんだろ?
一概に演義=すべて嘘
なんて言えないと思うが。
民間に流布していた伝承を根拠にしていたかもしれない可能性も十分にありそうだけどな。
史実の記録のみを鵜呑みに出来ないからこういう問題は極めて難しい。
こういうスレで演義肯定してもねえ…
よそでやってろよ
演義云々言い始めたのは
>>907だけどな
なんか演義に恨みでもあったんかな?
>>901は演義脳としか言えない馬鹿だってことなら同意だけどな
そもそも演義では72の墓説は出てこないよん
遺言の内容や関羽の呪いはあるけども
輟耕録とは違うものだ
なんでもかんでも演義のせいにするアホが居るってことか
明の陶宗儀は輟耕録という私集を書いただけ
少し時代はずれるが演義が広まる中で72の墓が本当のように一般人は思ったってことだろ
今回の社会科学院で72の偽墓説を出した学者もいたようだけど、社会化学院は相手にしなかったなあ
>中国人の中で三国志のスペシャルな存在と目されてるのは
>関羽と孔明だけです。
>関帝廟が失火による消失に見舞われれば国庫から金を出す
>もしくは中国人達の善意の寄付であっという間に修復。
ここまで完全な事実なんだけどね・・・
いかんせん、その後が荒れる事になった原因w
>>922 さすがに社会科学院から認められればね。
曹操の墓がホンモノであることは間違いなさそうだ。
>>922 そりゃ相手にするかよw
曹操は本紀が立てられてるんだぞ
伝とは違ってその時代そのものを表すものなんだから
それを否定しちゃったら禅譲した漢帝国や禅譲させた晋すら否定してしまう
正史の文献を採用し演義や輟耕録を相手にしないのは当たり前だ
>>925 たまにいる
「演義も信用できないなら正史も信用できない!」
なんて言ってる奴に聞かせてやりたいな
曹操の墓はホンモノです
この事実が明らかになっちゃったら
急に冷めちゃったな、皆
もう少しこの余熱は続くかと思ってたのに、結構意外
どんなに人気が出ようが小説は歴史書にはなれないってこったな
議論の余地がなくなったら話題そんなもんだよ
まだ1名、演義を叩きたいヤツが居る模様w
次スレ立てるなら社会科学院が正式に認定したことをテンプレに入れとくれ
あと例の長文翻訳文も
演義脳はどうでもいいが偽墓説にこだわるやつはうざい
中国政府はそんなの相手にしてないのに
蒸し返すヤツも悪いんだけどな
社会科学院が認めた事実なんだから、いちいち偽墓説の事を
言ってたヤツを叩いて大荒れな流れを再び呼び込むのも勘弁
まあ匿名掲示板だけどもそれなりに知識持ってる人も多いから
突っ込まれないように調べて書き込みすればいいんじゃない
権威ある社会科学院から認められたのなら
ほぼ間違いなく本物の墓じゃないかな
これ以上、この話題に対して触れることはあまりなさそうだけども
新説の否定論でも中国で出てこない限りは
ネットレベルでは冉閔ではないかという説もあるが社会科学院は無視している
ちなみに冉閔は冉魏を建国し、後趙を滅ぼした人
曹操以外で魏武王という碑銘になる可能性があるのはこの人だけ
しかし冉閔が死んだ場所は今回の墓からかなり離れていて、墓が作られたと言う記述すらない
しかも冉閔は敵に破れて殺されている
敵には墓を作る理由などカケラもない(異民族だし)
これでは根拠が余りにも足りない
河南省「こんなはずではなかった・・・観光地として賑わう予定だったのに」
>>937 中国ニュース見ると河南省文物局は老古学上の重要拠点を観光地にはしないと言ってるよ
まあ発見された安陽市の市長は将来的に観光拠点にしたいと言ってるけどw
立場の違いが面白い
まあ、河南省は観光地としては関羽&華陀のテリトリーだからな。
三国志関係の観光地の一部と思って楽しめばいいか。
河南省は三国志関係の観光地や有名人の墓も結構あるしな
941 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/24(日) 23:56:12
>>936 冉閔の死んだ状況からして有り得ないわ
墓を作るどころか子孫が遺体を回収することすら不可能だろ
942 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/24(日) 23:58:42
冉閔ってだれ?
944 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/25(月) 00:10:05
>>941 ぶっちゃけ史書に墓を作った記述が無い時点でな…
それは社会科学院もわかってるだろ
だからネットレベル止まりなんだろうけど
nurupo
946 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/25(月) 18:36:25
一応社会科学院が正式認定に至った根拠を挙げとくかな
以下王所長のコメント
考古学者が墓の主人が誰であるかを判断する際には、墓の形制、規模、規格・年代などを主な判断基準とする。
特に、文字資料など墓からの出土文物は貴重な資料となる。
考古学者はこれまでにこのような考古研究法にもとづき、河北省満城県にある前漢時代の中山靖王墓や、
広州市にある前漢時代の南越王墓を断定してきた。
西高村の「曹魏高陵」についても同様に、この方法を適用することができる。」
西高穴村の「曹魏高陵」が本物かどうかの判断根拠となったのは発掘された考古資料で、
その後に集められた副葬品などは、あくまでも参考品にすぎない。
魏武王の元号期間が1年にも満たなかったことから、ここに埋葬された時期は特定可能であるうえ、墓の規格レベルは高く、
形制上の特徴は並外れている。特に、墓の方位は歴史的文献と一致しており、出土文物に記された銘文に残された墓の主人に関する情報は、
本物と断定する決め手となり、疑いをはさむ余地がない。
「曹魏高陵」が「2009年中国六大考古新発見」のひとつに選出された根拠は、その学術面での重要性であり、社会の関心度ではない。
社科院考古研究所はこれまでにも、六大発見を選出する際に、学術的価値を重視してきた。
発掘された出土文物の中には、特に精巧でも美しいものでもなかったり、社会から注目されているものではないけれども、
学術研究上あるいは歴史・文化研究上極めて重要な意義があるものは、選出の対象となってきた。
魏武王の元号期間色々は恐らく献帝に武をもらったのが1月で、魏武帝になったのが10月だからだろう
副葬品はあくまで参考品か
まあ老古学的にはそうだろうな
曹ヒの趣味とか判って面白いけどな
まだ判明しない同埋の2人の女性が気になる
孫権の墓なら歩夫人や潘夫人の可能性が高いのでわかりやすいが
妾も沢山居た事だろうし、その中から二名が適当な犠牲にされたんじゃね?
曹操が強制殉死をさせていたとしたら、ちょっと幻滅するな。
合理主義者、淫祀迷信の敵、そういうイメージがある人だけに。
まあ、今まで墓も質素なものと伝えられてたが
実際は権力者に相応しい豪壮なものだったしな。
庶民=王族間による質素の感覚違いにもちょっと幻滅してたので
そういうのも普通にやっちゃってたのかもな。
女性のうち年長の方は、遺骨の周りで発見された遺品から
武装していた可能性もあるというね。
>>953 決めつけちゃいないさ。
女性たちの死亡時期が曹操と数年違うとか、埋葬し直した形跡があるとかいった形で、殉死ではなくただの陪葬だという客観的な証拠がでてくればいいなと思ってる。
ただ、証拠は今のところない訳で、仮に殉死と決まったら悲しいなというだけ。
今回の根拠の一つに、副葬品は曹操が普段身に付けてたもので正史通りとあるからなあ
そもそも殉死でもそうしたのは息子じゃん
洛陽で曹操が死んでギョウ付近に埋葬
遺言は妾にもあるし強制殉死という根拠は無い
正史通りならその時期に死んだとかだろう
959 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/25(月) 21:08:39
>>959 そのスレは貼らないでくれ
無駄に荒れる
ここは曹操の墓スレだ
関係ない勢力を呼び込むのはやめてくれ
そろそろ次スレか
>>959 ここは曹操マンセースレじゃないんだがなあ
質素ではなく王族らしい豪華な墓ってのは事実じゃないの
その指摘は間違ってないと思うよ
>>962 お前も過剰反応だ
どこから来たのか聞いてるだけなのに
それじゃそのスレから来てるって言ってるようなもんじゃん
つか例のスレとは関わりたくないのでこの話は無しにw
次スレに残すべきレスを考えよう
>>697-716の説明は必要
これを見るか否かでまるで別物になる
あと偽墓説の起源は私集ってのもいるかな
次スレと言ってもな
社会科学院が正式認定した以上は真偽議論もやれないし
967 :
962:2010/01/25(月) 21:24:49
>>963 そんな場所知らんよw
てか、なんで正史記述と違って幻滅したなあ。というだけで
そんなに噛みつくんだよ。
別にいいんじゃない?
まだ発掘中なんだからこれから面白い情報が出てくるかも
立てるのは良いと思う
じゃあ正式認定されたことをテンプレに入れて立てるか
完全に本物の墓であることが証明された以上
このスレで語ることもあるかなあ
>>967 正史記述と違ってはいないだろ
我々のイメージと違っていただけだ
曹操みたいな当時のセレブにとってはあれでも薄葬なんだよ
当時の庶民や我々にとっては豪華に感じるけど
殉死も(していたか不明だが)現代の観念とは違うんだから、曹操が「殉死はダメ!ゼッタイ!」と命令していなかったならやっていても不思議がることではない
三国志に関係するスレを立てるのに遠慮する必要はない
三国戦国になんの関係もないクソスレがどんどん立つ板なんだからw
無駄にスレを立てておくと
偽墓説も持ち出してきてまたもや大荒れになる騒ぎもごめんだしな
キリ良く締めておくってのもいいのかも
>>973 テンプレを整備すればいい
根拠はこのスレにあるし
殉死が二人って有り得るのだろうか?
>>975 結局のところ本当の事は判らない
社会科学院も二人の女性については沈黙を守っている
真相を知るのは恐らく息子だろうけど
典論が現存していればな…
>>974 あの和訳は長いからスレ内に貼るのは大変そうだ。
どこかに移植する?
>>975 曹魏王朝のカリスマだからな
ありえんこともないんじゃないか?
曹操も権力者にありがちな淫蕩癖も備えてたし
あの世に行っても曹操様に尽くしなさいよ、的な犠牲かもしれん。
墓を部下も埋葬できるように大きくしろと命じたのは曹操だが、それ以降となるとやっぱ子桓だろうな
遷都の影響か部下を曹操の周りに埋葬しなかったみたいだけど
>>978 いやそういう意味じゃなくて人数的に少なすぎて疑問なんだよ
二人の女性については社会科学院の発表待ちってことね
まあ、プロの老古学者が調べても判らないなら不明でも仕方ない
>>981 曹操「俺の墓は薄葬にしろ!殉死は女二人まで!」
てか。
最初庶民と王族の感覚の違いみたいな話だったのに
>>967で「正史記述と違う」とか言い換えてる所に厨臭い印象操作を感じるんだが
>>984 スルーしろ
その話は次スレでしないように
荒れるから
じゃあ次スレ立ててこのスレで出た意見や社会科学院の発表とかまとめて貼るわ
庶民の贅沢は叶姉妹の質素にも遠く及ばないみたいなニュアンス
曹操の薄葬
結局は曹操もブルジョワな人間
それも明らかになって庶民的な墓と思い込んでた人と
王という身分にしてはそこそこ寂しい感じもしますね、な人が
あの記述から枝分かれしても自然な流れだとは思う
>>989 やっぱプロだな
ここの三国志マニアじゃ太刀打ち出来ないのがわかる
「金玉珍寶」を蔵めるなかれ、だからね。
侯王の陵墓にまったく装飾品を入れないというのは当時の感覚ではないのだろう。
まあ金や玉は盗掘された可能性もあるけど。
おいおいもうスレ終わっちまうぞw
>>991 ただ社会科学院の記述を貼っただけじゃねえかw
当時の王侯クラスなら金の糸でつないだ玉の鱗で全身を覆われるのが普通だからな
実際曹騰らの墓はそうだったはず
それと比べれば間違いなく薄葬
しかし装身具などの副葬品が十分豪華に見えるのも事実
これは曹操が日常身に着けていた品が豪華だったということで、魏王という当時最大のセレブだったのだから当然のこと
とりあえずコピペをめんどくさがらない人に任せようか、次スレ。
>>994 関羽=関帝
がどうのこうのなスレでも関羽=関帝肯定派が
同じような学術機関からの記述貼って鉄板な意見になってたしな。
しかし、賢い人間は中国の権威ある学会などの意見を
ちゃんと貼ろうとする生真面目さはソースもなく喚くヤツより
よほど信用できる。
危ない、次スレ立てようとしちまったぜ
次スレ立ててくれた人乙
1001 :
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立 新 / ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、 ,r';;r" _ノ と 何
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ね い //;;/´ `' 、;;;;;;;;,,l;;' /ヽ す 1000
ば ス /.,';/ ヽ;;;;,l;L_ .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;i か を
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