1 :
無名武将@お腹せっぷく:
いよいよ、ついに!
とうとう今や、ここに本日、幕を切って落とすことになりました、まっさん版三国志英雄伝。
力と力が、ロマンとロマンが、そして英雄と英雄が、二千年昔の中国大陸を舞台に駆け回りぶつかり合う!
長い長いお付き合いになりそうでございますね。
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/19(土) 16:47:51
まっさんて何?
3 :
ロコふるーちぇ三世 ◆HDmVh/MlQpbz :2009/12/19(土) 16:56:03
さだまさし
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/19(土) 17:21:30
NHKでさだまさし見ると安心する
5 :
まっさん:2009/12/19(土) 23:42:32
むかしむかし・・・いい出だしでしょ。アタシもむかしむかしって出だしが好きなんです。
むかしむかし、お父さんとお母さんが・・・面白くもなんともない出だしですけども、平凡だがなかなかノンビリしたいい出だしですよね、むかしむかし。
場所は中国です。天国でない地獄でないだから中国という、そういうギャグを昔使いましたが、時代は後漢の頃とされております。西暦紀元の始まるそれより以前でございます。
紀元前202年の頃、劉邦という方、ご存知の方も多いと思います、司馬遼太郎さんの本やなんかでね、昨今話題になっておりますが、この劉邦という方が漢王朝というものを打建てました。
若い頃のさだまさしの映像を見て愕然とした頃もありました
今くらいがちょうど良いね
7 :
まっさん:2009/12/20(日) 01:48:50
この漢の時代は2世紀半ほど続きましたが、やがてなんか怪しくなってきたんですね。
この怪しくなってきたところに光武帝という方、これが登場しまして、漢を再興いたしました。
これが紀元になりまして紀元後のことであります、紀元25年ごろのことだったと、こういうふうに伝わっております。
便宜上、それまでの漢を前漢、それ以後の漢を後漢、こういうふうに専門家筋では呼んでおるわけでございます。
その後漢が興りまして約150年くらい経ちました頃だと思ってください。
まことにお待たせをいたしました。これからお話をしようとしておりますこの三国志英雄伝の時代は、まさにこの後漢の始まって150年くらい後、西暦にいたしますと180年頃のことでございます。
当時の日本では、わずかに卑弥呼さんが邪馬台国なんていうのを営業なさってたという噂がどっかの方にある、そういうそんなくらいの古い時代でございます。
今を遡る二千年昔でございます。
8 :
まっさん:2009/12/20(日) 19:06:10
おりしもその時代、中国の各地に反乱が起こりました。政治の力が行き届かなくなったわけですね。国の乱れでございます。
これはどこにでもあることでございますが、長く栄華を誇った漢王朝も始まってから400年、いよいよくたびれてきました、よくありますね、マンネリズムっていうやつです。
その結果が・・・
反乱軍を黄巾党と、こういうふうに呼びました。参議院全国区でも当然認められていないなんでもない党でございます、黄巾党。
張角、張宝、張梁という3人の兄弟がこれを率いていて、一説には50万人の軍勢を誇っていたと。これはちょっとオーバーでしょうね、いくらなんでもね。
50万はあくまでも主催者側の発表でございます。これはもうみなさんご存知のことでございまして、本当は多分私共の調査では2万8千人ぐらいだったんではないかと、こういうふうに考えておりますよ。
黄巾党というくらいですから黄色い頭巾をですね、頭にかぶってるんです。長いこと頭巾をかぶっていると髪に良くない!
黄色い頭巾をかぶっていたから黄巾党、これで各地を荒らしまわっていたんです。
黄色い布だから黄巾党ですね。雑な布だと雑巾党、きたない布だとばい菌等、もっとひどくなるとインキン党など、いろいろあるようでございますが。
9 :
まっさん:2009/12/21(月) 00:28:12
おりから春でございます、春。古い中国の地図で幽州。今のちょうど北京の辺りです。北京の辺りだと思ってください。
おりしも一人の眉秀でた一人の若者がなんとなしに街を歩いておりました。なにか気のせいかもしれないけれども、さっきからどうも自分が後をつけられているような気がする。
誰だろう?ん?またフォーカスのカメラマンかなにか来てるんじゃないだろうか。もう結婚しちゃったしな、後は追及されることはなかろう、ま、これは私の話でございますが。
ふと、街角でですね、この若者は1枚の看板を見て立ち止まったわけでございます。
そこに一体何が書いてあったか。
『黄巾党、討伐隊を募集。来たれ若者!君の力で正義の戦いをおこそうではないか。いつもニコニコ、みんなの自衛隊』なんかこう書いてあるわけです。
若者はハッとため息をつきました。そのはずです。彼の仕事は一体何かって言うと、毎日靴(草履)を作りまして、それを町に売りに行くという、そういう仕事でございました。
「ああ、今でこそこんな仕事に甘んじているが、だが、時が来たれば国のために働きたい。いつになったらそんな時代が来るのであろう」そう思ったとたんに後ろから呼び止められたんです。
10 :
まっさん:2009/12/22(火) 00:46:15
「待たれい、白面郎」
これはどういう感じかと言うと、「お若けえの待ちなせぇ」っていう台詞がありますわね歌舞伎のほうにもね、そういう感じですかね。もっと砕いて言うと「待ちなあんちゃん」ま、そういう感じになります。
若者は振り返ってみて驚きました。見上げるような偉丈夫がそこに立っているわけです。その顔が4尺のヒゲです。凄いヒゲですね、これ。それにタンホウ、鳳凰の眼です。それから臥蚕の眉、蚕が横に寝ているような太い眉、臥蚕。そして高く通った鼻筋。
その男が彼の元へくると「失礼ながら、身なりは粗末なようだが、いずれの御方か?」こういうふうに聞いたんですね。
若者は「いや、いや、いや、あの」相手はデカイですからうろたえているわけです。
「いやいや、あの、僕は、あの、ぜんぜん、なんでもないんです、あの、すぐそこの村の、ほんの、ぜんぜんしがない、アホみたいな靴作り」なんかいろんなことを言ってる。
「いや、そうではない。貴公の血の尊さはおのずから表に表れておる。隠されるな。お手前の祖先はどういう御方か?それがし、姓は関、名は羽、字名は雲長。そなたのような方の足元に膝を折りたいと願うておった。名をお明かしくだされ」
見上げるような偉丈夫、家来になりたいといきなり言うんです。言うほうもどうかしてます、言われたほうもビックリするでしょうね。で、この若者、つい言っちゃったんです。
11 :
まっさん:2009/12/22(火) 23:30:46
「あ、あのー、僕は実はあの、漢の景帝の玄孫に、あのー、あたるんでございます。名前は、劉備玄徳、ま、こういうことになっております」
えらいことです。漢の景帝の玄孫といえば、世が世であれば顔立って見ることができない尊い御方です。なんたって古い中国は血筋を重んじますからね。
この声をかけた偉丈夫の方でビックリしちゃった。で、慌てて家へ帰ったわけであります。
「た、た、た、た、おい、大変だ!大変だ!!」
五年ほど前から仲間になっておりまして、今はお互いに浪人をしておる身であるけれども、いつかは共にこれはと恃む人の家来になって、この人に仕えて、いつかは立派な侍になりたいと、こういうふうに思っておったわけですね。
この片割れがおったわけであります。この仲間を張飛、というわけでございます。
この張飛翼コという男がまた凄い大男でね、雲を突くような大男で、天気の悪い日には上半身に霞がかかるというぐらいのヒョウの頭で、ギラギラと光る巨大な眼、その顔にピーンと張った虎の髭をたくわえているという、物凄い顔でございます。
で、張飛が驚いた。「なん、なんやて〜、劉備玄徳〜?アホか〜わりゃ〜、そんな御方としてなんで連れてけへなんだの〜、お前は〜、このアホンダラが〜」って河内出身だったらしいんですが。
優れた力を持つ者同士というのは、互いにその姿をパッと一目見ただけで相手の力量がわかるっていいますね。私もそうでした。笑福亭鶴瓶と最初に会ったときに「ああ、これはアホだな」と思ったもん。向こうもそう思ったっていうんですから。恐ろしいものでございます。
劉備玄徳、関羽雲長、そして張飛翼コ、この3人の運命の出会いは、まさにそういう出会いであったわけであります。
意外と面白いな
13 :
まっさん:2009/12/23(水) 01:11:00
>>12さんのためにがんばります。
この日から関羽と張飛は、毎日のように劉備玄徳のところにやってくるようになりましてね、
「良いですか、今の時代をなんと心得ております?あなたも漢王室の末孫なら、今こそ立つべきではありませんか。今立たずしてあなた、いつ立つんですか!さあ、お立ちなさい。立て、立て若者」
立て立てって言われたってね、そりゃいつだって立つんだったら、そりゃ男は苦労はしないわけであります。
でも漢王室の末孫というのも、なんか証拠があって言うわけではなくて、劉備のお母さんが昔「お前はね、漢王室の景帝の末孫に当たるんだよ」なんてことを、どっかで言ったのを、ふと、記憶に残ってる、その程度の証拠。証拠なんかありゃせんわけです。
「どうしようかな〜」なんてふと、劉備玄徳も鏡を見たりするわけね。「どうしようかな〜」なんて眉をしかめてみたりするわけ。
「そういえば確かに僕ってなんかこう、凛々しいなんかこう、高貴な感じがなんか、するなぁ。よし、じゃ、やっぱりここで立つべきかな。じゃ、立とうかなぁ。う〜ん、あの〜、立ちます」ってなんだか凄い頼りない。
で、立つためのスローガンは『漢王室再興のために』、いいスローガンだと思ったけどいまいち迫力にかけるっていうんで、『ひやーっとしたその一瞬を忘れるな』っていうのがもう一つスローガンについて、この二つを合わせて、この3人のスローガンにしたらしいんであります。
14 :
まっさん:2009/12/23(水) 01:26:42
3人はその日のうちに、4丁目の角にありますマクドナルドと吉野家の間を入りましたところに桃畑があるんです。この桃畑の中で酒を酌み交わしまして、兄弟の契りを結びます。
「我ら3人、姓は異なり生まれた日こそ違うが、願わくば同じ日に死のうではないか」
いいですねぇ、男同士の約束っていうのはいいもんです。
咲き誇る桃の花から、花びらが一片二片、3人の肩に降りかかってきます。劉備がニッコリ笑って言うわけです。
「こうして桃園の中に契りを結んだ。我々はこれで遠縁の兄弟だ」
そしたら関羽が驚いたりなんかして「ん!さすがは劉備兄さんですなぁ、プロみたいな洒落ですな。じゃ、僕も一ついきましょうかね。我ら3人、やがてはこの木になる『”もも”え』さんのような方を妻に迎えたいもんでございますねぇ」
さすがは関羽ですねぇ。決まりましたねぇ、洒落でしょ、今の。いい洒落ですよ、結構ですねぇ。
「ん?張飛、お前もなんか言いなさいよ」
「い、いやいやいや、わしはいかん、わしはいかん、わしは、あ、あ、あ、ぴちぴちちゃぷちゃぷらんらんらん♪」
「おい、張飛から座布団一枚取れ!」
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/23(水) 02:40:18
続き楽しみにしてます、まっさん
夢で逢えたらの頃からファンでした
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/23(水) 07:55:32
おれもセイヤングは聴いていた。懐かしい
17 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/23(水) 11:25:05
懐かしすぎる。
がんばれ。
CD廃盤。
これがわかるのは35歳以上かな
つい先日仕事場の仲間から借りて聴いたとこだw
20 :
まっさん:2009/12/24(木) 04:14:09
皆様、ありがとうございます。
今日はちょっとお休みします。
さださん、大晦日のNHKの番組も楽しみにしてます。
22 :
まっさん:2009/12/25(金) 03:09:32
黄巾党討つべし。
当然、漢王室でも黄巾党討伐のための軍を繰り出しました。つまり近衛兵でございまして、その数が5千。これはまあ正確な数字かもしれません、これだったらなんとなく説得力ありますね。これも主催者側の発表だと50騎くらいしかいないことになります。
すべての馬の鞍は赤く、兵士の持つ剣は赤く、鎧兜も全部赤いという、これまた真紅の掌典旭日旗というものを推し立て、その先頭に立っておりましたのが若き日の曹操でありました。
沛の国の人、父は地方武士に過ぎなかったが、曹操は実力でこの地位までのし上がって参りました。なにしろ生まれつき大変な秀才だった、頭が良かったていうんですね。
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/27(日) 20:30:32
呉の国のフリオ
24 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/29(火) 13:59:45
やだ
25 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/31(木) 18:18:06
まっさん、飽きたようだな
26 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/31(木) 18:28:34
規制された可能性もあるぜよ
携帯が大規模規制だからなあ。
改行の様子を見ると、携帯っぽい気もしないでも無い。