1 :
無名武将@お腹せっぷく:
この二人は劉備の入蜀を経て劉備の配下になったが
一人は関羽を見捨てて魏に投降
一人は呉に破れやむなく魏に投降
そして共に文帝に気に入られたという共通点。
この二人は魏に入った後お互いどういう関わり合いをしていたのか。
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/06/02(火) 20:34:50
田代と草剪
孟達は打算
黄権は忠義
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/06/03(水) 10:26:02
どちらも才能があったのは間違いない。
ただ、孟達は自分を少しでも高く売り込もうとする性格で、
黄権はそうではなかったということだろう。
魏に仕えた後…というか劉璋時代でも交流はなかったかもね。
どちらかというと、孟達の方が避けそう。
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/06/03(水) 10:26:45
劉備が荊州奪回用後の政権運営のため、蜀漢から選抜した有能な官吏100名を預けられて、丸ごと魏に降伏した黄権さんは素敵です。
6 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/06/03(水) 15:15:57
劉備は黄権だけでなく孟達の家族も処刑してないんだよな
劉備すげー
孟達は裏切の数値が高いのに
黄権が低いのはどーいうこっちゃ!
蜀漢の臣として呉に降伏しないというのはわかる、
だがしかし何故そこで魏に降伏するのはおkという思考が成立したのかが気になる
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/06/03(水) 16:11:15
魏=格として対等な敵
呉=賊
こんな感じか?
呉が魏に負けて降伏したら二重に恥をかくとか
そういう判断からじゃないだろうか
10 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/06/03(水) 17:44:56
呉に負けて呉に降伏したんじゃ情けないが
魏はその時点、その瞬間の敵ではないからかな。
降伏したのは「命が惜しいから」。
当時の価値観としては危難を避けて生き長らえるのは正当でしょ。
無理に死ぬことは推奨されてない。
孟達は曹丕や桓階、夏侯尚等親しい人物が死んだ後は浮いてた。
そのかわり黄権は司馬懿や曹叡にも気に入られてた。
「黄権が背いたのではない。儂が背いたのだ」とか言う位に劉備は黄権を信用してた
劉備が黄権の家族を殺したって言う曹丕の流したデマも黄権は信じなかった。
徐庶みたいに魏に降った後の戦績が正史に残ってないのは残念。
意外と孟達討伐に参加してたりして。
>>11 正史にないだけで黄権は魏に貢献したんだろうな
黄権って、いったいなんなのよ。
武将、将軍?文官?
武将だったら、なんか立派な戦績あるの?
そういったカテゴリー分別に意味があるかどうかは知らんが、
どうしても分けろと言うのなら「参謀」じゃないか?
文官だ軍艦だなんてのは所詮あと付けだしな
満寵とかは演義参謀、正史名将な感じだな。
真・三国無双2の街亭の戦いで魏軍に黄権がいた時は複雑な気持ちになった。
>>14 ポジション的には将軍だが一番活躍したのは参謀としてだな
>>16 その後の五丈原ではなぜか蜀に居たがw>黄権
麋芳と潘濬も投降組なのに呉に入ってからの扱いが全然違う。
というか潘濬呉と相性良すぎww
やっぱ実力なのだろうか。
意外とこのスレ伸びるな。
>>19 虞翻にいびられなかったからじゃないか?w
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/07/26(日) 18:18:46
士仁は麋芳よりも扱いが酷いのだが
孟達と黄権、なぜ差がついたのか…慢心、環境の違い
25 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/07/29(水) 17:53:19
信義の違い
26 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/07/31(金) 21:35:47
黄権に去られる劉備は池沼
孟達の一族でさえ無事だったのに、忠臣魏延の家族は討たれたんだよなぁ。
劉備関係ないだろ
>>27 孟達は家族を含めた配下4000家ごと降伏したんだったような
というか、敵に降伏したら家族が処刑されるって例は、三国ともあまり無かったんじゃない
監禁されたり拘留されたりはあったろうけど
30 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/08/02(日) 17:55:43
孟達の親父は宦官に媚売ってた変態
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/08/02(日) 17:59:47
32 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/08/02(日) 20:28:28
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/08/02(日) 20:46:00
膣の中ってどうなってんでしょ?
細い管のようだけど曲がってたり細いとこ太いとこあるんでしょうか?
35 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/27(日) 07:31:01
黄権〜黄色い権力〜age
てst
最下層スレ
m9(^Д^) プギャー
41 :
黒薔薇男爵@広報部長 ◆Kn/b5Xs2MY :2010/07/17(土) 20:04:45
よし、この最下層スレをいまから俺の自伝小説披露の場にします!
どのくらいの長さか俺にもわからないけどまあいいや!ウソは絶対書かないことを
誓っておくね。
42 :
黒薔薇男爵@広報部長 ◆Kn/b5Xs2MY :2010/07/17(土) 20:11:11
とりあえず現在の情報を。
・1994年10月16日生まれの15歳高校1年生(男)
・福島在住
・父方祖父・祖母・父・母・俺で生活(父は海外へ長期出張中)
こんなところかな。
44 :
黒薔薇男爵@広報部長 ◆Kn/b5Xs2MY :2010/07/17(土) 20:32:34
じゃあ、さっそく始めまーす。
私は1994年10月16日に福島で生まれた。私でこの家は5代目になるそう。
先祖は寺子屋の先生だったそうだ。私が生まれ喜ぶ家族であったが、ここである出来事があったことを後に聞かされた。
それは、私が生まれた次の日にひいおばあさんが亡くなったことだ。そのため私はその生まれ変わりじゃないかって話も出たそう。
だから今も私の誕生日の翌日にはうちのばあさんが朝からぼた餅をつくる光景がある。
親父と母は社内結婚で、親父はバンドをやっていたそうだ。昔から親父の部屋にはギターが掛けられていたのを覚えている。
私は一人っ子であったのでかなりちやほやされて育ったといつも言われる。
その頃は私も荒れていたようで、鏡餅をブン投げたそうだ(ほんとうらしい)。
しかし孫はかわいいらしく、そのときはうちのじいさんたちも怒らなかったそうだ。
うちのじいさん(祖父)はかなり金があるらしく、そのころからお年玉には1万を出していたそうだ。
それは今も続いている。だから私は今彼の行為を「金をみんなに配っている」と言っている。
だがこのじいさんは金にはうるさく、「おいてあった町内会の会費がなくなった!」と大騒ぎし、
当時4歳の私まで疑っていたそうだ。結局、会費はじいさんの部屋にあった(笑)
そんなじいさんに私は家族の中で一番似ていると言われる(苦笑)。
とりあえずここまで!
45 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 20:38:00
46 :
黒薔薇男爵@広報部長 ◆Kn/b5Xs2MY :2010/07/17(土) 20:40:14
>>45 いまだけさ。そのうち残念な話を書かねばならない・・・
>>44 のびのびと書いてあって良いな〜
これからも続けてくれよ
48 :
黒薔薇男爵@広報部長 ◆Kn/b5Xs2MY :2010/07/17(土) 20:42:27
>>47 どもっす!とりあえず今日はあと一回書いたらまた明日にしますわ。
49 :
黒薔薇男爵@広報部長 ◆Kn/b5Xs2MY :2010/07/17(土) 21:03:09
>>44 続き。
じいさんの話をしたので、ばあさんの話もしておく。
うちのばあさんは漬物や琴が得意だったりと意外に生涯学習に熱心だ。
しかしかなり性格が悪い。私の母に「じいちゃんは〜」と毎日のように愚痴を垂れ流す。
そして独り言が多く、「どこどこの家のだれだれが〜」と知らない家の話を聞かされる。その上荒っぽい。
一方私はどんどんと成長し、幼稚園に入学した。幼稚園時代の記憶はあまりない。
しいて言うなら、絵本にはまっていた。私は絵本の内容を暗記し、すらすらと暗唱していたそうだ(こんなところに才能発揮)。
今では教科書の内容覚えるのがやっとなのになあ・・・。
親父は私が寝る前には自分で作ったわけのわからん子守唄を毎日歌っていた。
何回も聞きすぎていまだに歌詞とメロディーが鮮明に思い出される。ああ、悲しいかな。
さて、幼稚園も順調に卒園し、いよいよ親父も通った小学校へ入学する。
小学校の記憶は今も残っているため、これから記していこう。
今日はここまでで。また明日の夜にでも書きます!
50 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/17(土) 21:07:15
乙。親父オモロイな
51 :
黒薔薇男爵@広報部長 ◆Kn/b5Xs2MY :
>>50 そういう意味ではね。でも親父の弟の方が優秀かな?職業的に。
親父(長男):ソニーの統括係長
親父の弟(次男):銀行員
親父の弟2(三男):最高裁書記官
三男の叔父さんに俺は声や性格が似ているらしく、電話で実の親のばあさんが間違えたほど。
うちは親戚がクソ多くていまだに全員把握できない。