1 :
無名武将@お腹せっぷく:
こいつって呂布と同類じゃん
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 06:44:31
なのに何故か光栄だと義理の数値がMAX
だってコーエーは蜀マンセー会社だもん
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 09:53:12
戦国武将が同じことをすると称賛されるのに・・・。
7 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 11:16:44
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 13:50:27
こんなスレ立ててお疲れさま。
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 14:09:05
('A`)ウヘァ
10 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 14:58:40
40 :1:2009/04/21(火) 17:50:21
俺は正史の魏書はもってないんだが
孔明のライバル シバイ
と
キョウイのライバル トウガイ シバエン
はどんなもんだったんだろうな。トウガイは基本的に
キョウイ以外は相手にもならなかったんだよな。孔明の
後継者であるショカツセンなんて簡単に負けちゃったし。
リョフ並だったんだろうな。
ケ艾が呂布並とかほざくヤツよりは100倍マシだ。
>>1よ、気にするな。
裏切る=恩を仇で返す
劉備は劉璋から恩をかけてもらってない
そこはイコールではない気が
そこはイコールではない気が俺もする
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 20:57:00
劉備って評価ひくいよな
なんで?
>>14 人による
というか持てる知識、見識によって変わる
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/23(木) 22:46:02
三国志の人物評価って大体
初心者(演義だけ)蜀ファン
中級者(正史かじり)蜀アンチ
上級者(知悉)蜀評価
になってるような感じがする。
にわかの正史かじりなんて初心者以下だろ
18 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 01:29:09
蜀評価とは劉ショウ軍を評価しているということですね。
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 14:33:28
>>16 それはねぇよwww正史かじりの奴は、ただ単に「正史では〜」
って言うが、真の上級者は正史愛読者で蜀なんぞ評価しないだろ。(個人評価ぐらい)
蜀はどのみち糞だろ。
>>20 三国志初心者:呉アンチ
正史初心者:蜀アンチ、曹操アンチ、孔明アンチ、関羽アンチ
中国史初心者:三国時代アンチ
という感じかな。
初心者というのは大抵感情が先走ったり反動的になるもんだ
>>20 真の上級者なら糞だの何だの言わない
そういうこと言ってる間は永遠に初心者だ
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 17:00:05
一般人:アンチシナ
24 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 17:05:01
真の上級者は中国へ渡って古い文献を探したり遺跡を発掘しているから
こんなところには来ない
25 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 21:49:59
今頃になってこんなスレを立てるのはレッドクリフで三国志に興味を持ち出したニワカだろ
26 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 22:10:16
劉備ってそもそもただの傭兵隊長なんでしょ?
呉と同盟とかそんなんじゃなくて 呉に雇われただけ。
そして食にそのまま攻め入って勝手に独立した。。。
27 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/24(金) 22:13:16
諸葛孔明はまともに就職できなかった
いまでいうニートフリータで、零細弱小のブラックに
さりげなくもぐりこんだだけの人。
演技のは全部でたらめ。何も芝居じみたことしてない。
しかし蜀の宰相となってからは良政をしいたので
後世の評価がたかい。しかし軍事に疎く魏に攻め入って
国力の衰退を招いた。
まあ、そんなところが蜀アンチらしいけどね
じゃ劉備弁護。
劉焉は漢朝にとって謀反人も同然だった。
息子の劉障も同罪。
漢室復興を掲げる劉備がこの地を回復しても罪にはならない。
赤壁のとき劉障は曹操に兵を送った。
つまり劉備と劉障は敵対関係にあった。
戦後おそらく正式に和睦していない。
劉備が力をつけると劉障はその事を忘れ張魯から守ってくれと摺り寄ってきた。
敵を欺くのは別に不義ではない。
しかも劉障は劉備の援軍要請に対し半分の兵しか送らなかった。
キレられても仕方がない。
これでは矛先を向けられても劉備に一方的に非があるとは言えない。
充分に大義になる。
国を奪うのも攻め滅ぼすのも大して変わらん
>>30 なんてジャイアン
アルカイダと大差ないなw
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 14:54:44
劉備は皇族と血縁関係なかったって言う説が有力なんだぞ
>>33 全然そんなことないよ
山田勝芳とか知らんのか
35 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 16:03:47
>>33 そりゃお前の脳内では有力だろうけど
文献学的に見れば劉備の皇室との血縁を否定する材料は皆無
まじか。劉備は勝手に皇孫自称した無頼漢じゃないの?
>>36 当時の記録で今に残るものは、全て劉備が皇室と縁続きだと言ってるよ
誰の子孫かで意見が分かれてるけど、皇室の子孫じゃないと主張してるものは皆無
>>36 真偽はともかく、劉性であることが重要なんだよ。
あと、劉備がご先祖様としているのが、物凄くご落胤の数が多い人だった気が。
40 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 21:47:30
41 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/26(日) 22:24:00
劉備が裏切ったのではなくて、蜀の土着豪族が劉璋を見限っただけ。
暗君より名君を欲するのは誰だって同じだろう。
むしろ売って生計立ててたんだし、没落豪族であって
ボンボンではないだろう
別に劉璋なんてどうでもいいだろ
蜀と言えば張任だろ
三国志演義で劉備軍が完全な悪役になる唯一の相手
44 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 08:16:23
張仁と息子は頑張ったようだが
まあ じいさんを恨むしかないわな あの基地外
45 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 08:20:04
張仁って誰?
>>36 自称を帝が容認するほど家系認識がザルだったと思ってんのか?
劉備の皇族の血筋は、日本の最近胡散臭い扱いの有栖川家よりも薄いからあまり意味ない。
胡散臭いがちょっと箔が付いたぐらいの効果。山賊まがいや異民族ですら劉姓が居るというのに。
>>42 そうでもない
母親は劉備の学費を稼いでるし、叔父もポンと有名私塾への学費を出してくれてる
筵売りでそんな費用は普通作れない
>>49 後に馬商人から出資して貰って義勇軍の資金を賄ってたりするし
案外筵売りからスタートして一端の商人みたくなってたのかもな
>>48 母親は息子の学費のために、
私塾の教師に体を捧げたんだよ。
そのことでいじめに遭っていた劉備を、
公孫賛が庇うんだけど、
じつは自分を庇ってくれた公孫賛も
母親と肉体関係があって、
というドラマが脳内で展開された。
52 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/27(月) 15:10:00
そもそも中国は血統主義じゃないからな。
血統によって威光が保たれるのは精々三親等(孫)までで、
後は、その人物が暗愚なら別な人間が取って代わってもいいみたいな感じだろう。
劉備本人が漢の皇帝の血筋を自称していたのはあまり関係ない気がする。
家康が源氏の子孫だから幕府を開けたとかその程度の話と受け止めている。
>>52 中国ほど血縁主義な地域もねーぞ
君の言いたい事は別にあるんだろうけどそこだけは訂正した方がいい
血縁を人の縁の中で最も重要視する文化を持ってるのが中国人
血縁主義とは別に天の思想があって天から受命した人が天下を治めるという事になってるだけで
>>47 自称でどうにかなるわけないだろww血筋重視の中国だぞww脳内イメージで語るなww
>>54 血筋とか以前に「同姓であれば親戚」という(今でもある)考え方の影響も大きい。
皇帝の血筋、ってのが嘘でも、劉姓ってだけで皇帝とどこかで繋がっているとはみなされるんだから。
愛人作りまくりの昔の皇族の子孫、なんてのを本気で信じてる奴のほうが少ないだろ。
もともと蜀人で蜀びいきの陳寿ですら、血統については深い言及を避けてるくらいなのに。
>>55 逆じゃね?子孫がたくさんいた王の子孫なら「ありそうだ」って信用されたんじゃない?
それと、蜀、魏双方の系統の資料でどちらも劉備を皇族の子孫と認定してることを忘れずに
あからさまに怪しいなら魏側は否定にかかるだろうが、実際は逆なのだ
劉備のはったりだろう派はそんな気がするってだけで論じてるやつばっかだな
認定されてることや否定論がないってことからことごとく目を背けてるし
>>55 ふと思ったんだけどさ・・・漢の初代皇帝は田舎出身の農民だろ。
実は『劉さん』って、日本で言う『鈴木さん』ぐらいの扱いだったりして。
まぁ、日本の鈴木さんの大半が、お伊勢神道系の布教活動を行った信徒団体の末裔なんだが。
孫堅が孫子の子孫を自称してたのだって
正史にもそれを否定するような文はないが、でもやっぱり嘘だろと皆が思っている。
劉備の場合も一緒。
>>58 田舎の農民じゃなくて役人
ちゃんとしてるわけじゃないけど知識階級の出身な
ちなみに劉氏は劉邦の台頭までレア氏で春秋戦国の辺りだとほとんど出てこない
もともとは劉の文字が示すように生贄を司る職にあったと思われる
生贄の儀式に参加できるのは商代には高位の人だったし
周〜春秋戦国の間に落ちぶれただけで結構いい家の出身だった可能性もある
一説には晋の士会の子孫だったりするしな
曹操が曹参や夏侯嬰の末裔っつーのと一緒や
劉備だけ特別信憑性の裏付けがあるわけでもあるまいに、眉唾の域を出ん
>>59 孫家に認定された記述がないんだが
否定されてないだけで同類ってw
士会はそんなに子供いなかったのに子孫やたらいるな
ハン氏の有名人は大体そうだし これで劉邦がもしもそうだとしたら
世界史上もっとも広まった精子だな
>>61 劉備には魏蜀両者からの肯定がある
曹操、夏侯惇にはそういうクロスチェックはない
65 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 05:49:39
劉備アンチは裏付けもなしに詐称呼ばわりするのが常
この流れを何度見たことだろうか
66 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 08:22:33
廬塾に行って公孫と交流ができた時点で推して量るべし だろ
北方異民族との交流も浅くなかったようだしな
レッドクリフ板で
「孫健って孫子の子孫なんですか?」という純真な問いに
「まあ劉備が漢室の後継だと言うのと同じ程度の信憑性だ」
と答えられていてワロタ。
まあ今さらだけども、少なくとも史実においては劉備を漢室の後継と
本気にしていた人間なんて当時は誰もいなかったろう。
だいたい劉璋は当時疑う人など存在しない章帝の紛れもない子孫。
一方の劉備はというと「景帝の子孫」。おい!いつの時代の話だよ!
今で言えば明治天皇や昭和天皇どころじゃなく、一足飛びに江戸時代の
天皇の子孫だと言ってるようなもの。しかもその間の系譜は一切なし。
紀元前117年の景帝の息子から、何の説明もなく劉備の祖父まで
経歴がワープする。
江戸時代とかに「我こそは○○の子孫」と系図を捏造した人間の典型的な
詐欺方法じゃないかw そりゃ裴松之も「元祖はわからん」と否定するわけだ。
>>68 史実においては本気にしてた人間ばっか
じゃなきゃ史書に載って「史実」にならんて
・・・本当ならば、劉表も裏切って荊州も手に入れとくべきだったんだよね。
つまり劉備は詐欺が上手い
魏書に劉備が皇室の末裔と書かれていたことなんて何の根拠にもならん
ただ劉備がそう名乗っていたというだけなんだから
血統なんてのは、事実か否かより
それを信じる人間がどれだけいるかだろ
ウソかホントかわからないけど、秦王政が秦王室の血を引いてない
というのが事実だとしても、彼の功績に変わりはないだろうに
光武帝の皇太子だった東海恭王の末裔=劉虞
光武帝の子の阜陵質王の子孫の成悳侯の子=劉曄
景帝の子の魯恭王の末裔=劉焉、劉表
高祖の孫の悼恵王の子の斉孝王の子の牟平共侯の直系子孫の劉本の孫の劉輿の息子=劉岱、劉繇
景帝の子の中山靖王の子孫の臨邑侯の末裔=劉備
中山靖王劉勝は子供が100人以上いたから劉備の時代には血筋は千人超えてるんじゃないだろうか
それに血筋で言えば光武帝直系の劉曄もいるしな
不思議なのは名士層が劉曄を担がなかったこと
>>68 必死すぎてワロタ
それらしく書くの上手っすねwww
>>74 劉曄を担ぐ度胸のある奴があの時代には居ないだろう。
御輿として担ぐには・・・切れ過ぎる(頭脳も精神も)
先主伝より
漢景帝子中山靖王勝之後也 勝子貞元狩六年封涿縣陸城亭侯 坐酎金失候 因家焉
先主祖雄 父弘 世仕州郡 雄挙孝簾 官至東郡范令
一行目と二行目の間を省略したわけじゃない。本当に二百年の間の経歴が
何一つ書かれておらず「二百年前陸城亭侯の貞という人がいました。ところで
先主のおじいさんとお父さんは」と無理やりどころじゃない必死のつなぎだ。
裴松之が蜀漢建国後の劉備の廟の記事について「ムチャクチャ離れてる世代の中の
名前も系譜も分からない人間のうち、一体誰を元祖として作った廟なんだ?」と
呆れているのも無理はない。
劉備の家系否定したがってるやつって家系が正統だったらなんかまずいの?w
>>78 今となっちゃ、本当だったとしてもたいした意味は無いよな。
中山靖王・・・何それ美味しいの?・・・って感じだし。
80 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 16:25:54
はっきり言える事は、劉備より劉璋のほうが明確に、
そして確実に漢王室の血筋を引いていたということ。
そしてその劉璋から国を奪った。
>>77 劉表、劉曄、劉焉みんな怪しいってことでいいっすか?
全部間ないっすよ?
>>77 >>73にも詳しい突っ込みよろw
劉虞、劉曄でもかなりいいかげんだからw
マンガで知って蜀寄り→ネットでいろんな知識を得て反動でアンチ蜀に
みたいな感じなんだろうなぁ
正史はおろか演義すら読んだことなさそうなやつばっかだし
>>80 不勉強で申し訳ないんだが、あの時、劉璋は正式な益州吏刺とか成都太守だったの?
>>77 松の字は呆れてるんじゃなく「蜀の記録が残ってれば蜀が作った廟制が残って先祖の系譜もわかったのに残念だ」って言ってるんだから呆れてるわけではないと思うぞ
>>85 親子で官位の引継ぎが漢の制度で正式に行われてるとでも?
正式に位を親子で譲るなら曹操曹丕のように王位とかでやらんとダメ
漢の制度でも爵位はちゃんと親子で引き継がれるからな
>>87 じゃあ、劉備は『蜀を奪った』としても『国を奪った』といわれる所以は無いよな。
・・・・そういう発言していいのは、封土を貰った王か、献帝だけだもん。
媚曹派
それが劉季玉たん
つか、ぶっちゃけた話
あの時代に高祖が先祖じゃない劉姓ってどれくらいいたんだろうな
たくさんいるだろ。
>>90 劉邦が皇帝になった時、功臣とかに気前よく劉をばら撒いてるから
物凄い人数いるよ
>>92 嘘付くな
項羽の親族とロウ敬以外誰がいた?
>>93 名も残らぬ部下
封項伯等四人為列侯,賜姓劉氏
と言うように名前も残らない連中にまで劉氏を配ってる
>>94 だからそれが項羽の親族だし、史記、漢書の功臣表に名前が残ってる
適当なこと言うな
>>95 おいおい、項羽の親族なのは項伯だけだろ
適当なこと言うな
>>96 諸項氏枝屬,漢王皆不誅.乃封項伯為射陽侯.桃侯、平皋侯、玄武侯皆項氏,賜姓劉
(史記項羽本紀)
94の「項伯等四人」がここの項羽の枝属つまり親族(射陽侯、桃侯、平皋侯、玄武侯)なのは分かるよね?
名前の残らない連中に配ったんじゃなく、項氏の一族に特に劉氏を与えたんだよ
おっと項羽本紀にそんな記述が
これは失敬したな
劉備批判者って知識浅い人が多い気がするな
劉邦って不思議な人だな
項羽との戦いで活躍した家臣は片っ端から粛清したのに、
宿敵項羽の親族は厚遇したのか
項羽の一族って項荘も入っていたのかね?
劉璋は英雄としての能力も無いのに、領土を占めて世の中を混乱させた。 柄にも無い地位につき、領地を狙われる羽目に陥ったのは、自然の道理である。 彼が土地や官位を奪い取られたのは不幸とは言えないであろう。
陳寿の評価、悲しいかなこれが常識的な意見なのよね
>>102 劉備は漢王朝から州牧位(益州じゃないけどな)と左将軍の地位を賜わっていたよね?
劉璋は”引き継いだ”とは書かれているけど、それって正式な州牧位じゃないよね?詐称じゃね?
そう考えたら、ある軍閥組織がある軍閥組織を放伐しただけじゃん。
そう言えば、劉璋の1700年後にね、領内の反乱組織を鎮圧するために犬猿の仲の二勢力を自国の領内に招くという、劉璋以上の阿呆をやらかした半島があるんよ。
>>104 東学党の乱のときの、朝鮮の連環の計のつもりだったんだけど・・・
・・・・ヘタさんもやらかしていたのかぁ
106 :
↑:2009/04/30(木) 19:40:32
アホ晒し上げ
107 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/30(木) 19:56:48
↑
今更、アホ晒し上げ、とか死語だろw
何年前のバカ?
108 :
↑:2009/04/30(木) 22:05:00
アホ晒し上げ
109 :
↑:2009/04/30(木) 22:11:33
死語使いのバカ
110 :
↑:2009/04/30(木) 22:19:12
アホ晒し上げ
111 :
↑:2009/04/30(木) 23:01:25
死語使いのバカ
>>100 危険性で言ったら、そら有能な功臣の方が上でそ?
項氏は求心力失ってるし。
>>76 つか担ごうとした相手を黙って斬り殺した前科があるからな>劉曄
>>113 ついでに魏の天下になった後は疑われないように気を遣ってビクビクしてた
処世術としては正しいんだろうがこんなノリの悪い奴は担ぎにくいだろうな
やっぱノリのいい奴じゃないとな神輿は
のりのいいやつを担ぐメリットあるの?
ノリノリになるじゃないですか!
>>117 うわいらね
いいなりになるやつのがいいや
そんなことより姜維と諸葛亮の北伐を比較したりどっちが火力あったのか話し合おうぜ
それは専用スレあるからそっちでやれよアホ
>>117 曹操と劉備だったら、担ぎやすいのはノリが良くて軽い劉備だ!
って思って曹操を除こうとした外戚がいるじゃないか。
それと同じじゃね?
そういう事いうなよ
日本の方で考えられないような発言とか行動とか中国人はするんだなぁと思った
つーか。こいつら平然と嘘というか相手騙したりするし。
124 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/02(土) 09:35:05
ホント、北条早雲とか尼子経久とか宇喜多直家とか松永久秀とかなんかは誠実の極みだもんな。
日本人は実に誠実な人が多い。
日本史が嫌いなわけじゃないんだけど
藤原氏がひたすら娘を后に突っ込んで権力の取り合いしてるらへんで幻滅
権力争いはいいんだけどもっと剣もってみたりさぁ・・・・みたいな気分になる
あと平民の暮らしが見えてこない
中国史のどこに平民の暮らしがあるとでも
あれ基本的に文字できる知識階層の歴史なんで
それと日本は天皇の権威が強くて剣による騒乱よりも前に
天皇手に入れて威光で敵を黙らす方が速かった
後漢代は平民にも文字が広まっていて、
発掘された曹氏の墓跡に曹氏への恨み言が落書されているけどな。
後漢は最高学府の定員が三万人で、さらにその他に地方教育機関の充実がある。
だてに、日本の戦前右翼の系列の思想家に、
日本でいえば江戸に匹敵する史上最大の識字率増大時代と言わしめたわけではない。
まあ、平民の生活は大して変わらんというのは同意だが。
>>127 おいおいその落書きは当時のものであると証明されてたっけ?
日本史は戦争がしょぼいというかやっとあわただしくなった戦国時代は
途中から銃使いまくりの近代戦争になっちゃうから古きは去るのみって感じになっちゃうな
戦争が少なく絶対権力は無かったが連綿と続いてきた系譜があることは自国の歴史としては誇るべきだが
単純に興味や好奇心で読むなら紀元前から戦争しっぱなしの中国史の方が面白い
いつの時代においても膨大な武将 謀臣 君主 思想家の中に好きな人物が絶対いる
130 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/03(日) 08:46:36
日本史に奴隷から秦の宰相になった男みたいなやついる?
もしくは少年兵のころに見いだされて農民から国を代表するような武将とか
131 :
愛田みつお ◆85MGANnPJw :2009/05/03(日) 09:16:26
演技ではこの件は美談になってるしな
胸を痛めながら攻めたみたいな
133 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/03(日) 09:35:36
134 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/03(日) 13:00:32
家臣の諫言を無視して劉備を蜀に招き入れた劉璋がお人よしのアホなだけ。
范雎が魏の大臣に仕えていたとき 斉国への外交に付き添っていったのだが
彼は斉君に非常に見初められ 彼自身もまんざらでもなく今回の外遊が終わったら斉に仕えようと思っていた
しかし、事件は起こった
范雎が大臣とともに本国へ帰るとき、素晴らしい話を聞かせてくれたお礼として
范雎に大量の金銀を送った
これは隠して送ると誤解を招くから という斉君の配慮であった
しかし、范雎の上司である大臣は 自分の部下が金品を貰ったのが気に食わない
范雎にことわりを入れずにそれを全部彼以外の部下へ配ってしまった
本国へ帰ったある日酒宴でその大臣は宰相である魏斉にこう言った
「范雎という小物が斉と内通している」と
それを聞いた魏斉は酒宴の場に范雎を呼び寄せ
彼を鞭打たせた
体中の骨は砕け、瀕死となった彼をすのこで巻き、便所の下に捨てた
そしてその上から小便を書けあざ笑った
范雎はその後、生死の淵をさまよいながらも、便所掃除の役人に助けられ
命からがら逃げるのである
およそその十年後、西の大国秦に新たな宰相が立った
近きを攻め 遠きと盟う 近攻遠盟の戦略を秦公に献策し 宰相魏?と彼の一族に牛耳られた秦を
正常なものとした 彼の名は張禄 元の名を范雎という
巨大帝国秦の礎を作った男であった
136 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/06(水) 10:08:45
>>130 日本で、そういう究極の逆転劇の人生はほとんどないような。
道鏡がそうかと思ったら、実は物部氏の末裔だったり。
戦国と幕末は成り上がり層が多いけどそれ以外の時代ではあまり起こらないよなあ…
…と思ったら田中角栄がいた
139 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 06:37:09
鈴木宗男も結構なもの。
140 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/07(木) 21:36:29
三国志で関羽の兵力(荊州軍)はどれぐらいいたのだろうか。
141 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 05:55:46
アニメ三国志の玄徳殿の聖人君子ぶりはガチ
実際はチンピラの親分みたいな感じなんだろうな
142 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 06:02:50
やってる事は一緒だな
良い子ぶってた分印象も悪いな
143 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 06:04:24
144 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 06:27:11
乞食から創業守成を一代でやった人を忘れるな!
>>144 乞食って大概落ちぶれた実力者だし
成り上がりじゃなくて返り咲いただけだから別になんてことはないよな
>>145 朱重八さんは落ちぶれるも何も根本的な貧民ですけどね
>>147 根源的に貧しかったから乞食坊主やってたってことだよ
>>142 劉備と呂布の根本的な違い
それは、領土を治める政治力(を持った家臣)が有るかどうかの差。
151 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/08(金) 20:54:03
でも呂布の支配領域の政治が乱れてたって話も特にないんだよな。
陳紀・陳羣親子も、呂布時代の徐州に避難してる。
呂布の最大の失敗は外交だよなあ
徐州を曹操派に持って行きたい陳登親子と
出戻りなんかできるわけがない陳宮とを代表として
曹操派と袁術派に割れたのを御しきれずに両方と戦って戦力損耗した。
最終的には袁術に付くものの、曹操の攻撃に援軍を出してくれず
(出せるような状態ではなかったのだろう)
数々の裏切り云々ってのは風評としては大きかっただろうけど、
裏切り返しで捕縛されたのはジリ貧になった後だから、
敗北の決定的要素ではない
>>150 徐州で失敗してるしなぁ、劉備。
さっさとサイボウぶっ殺して、荊州取っちまえばよかったんだよ。
其の頃には、諸葛亮や徐庶も居たんだから。
・・・諸葛亮の推挙で荊州の優秀な文官も集まっただろうし
>>154 さいぼうって地味に名声あったんじゃなかったっけ?
大義名分用意できず都合で名士を殺したら名士社会形成できないでしょ
157 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/10(日) 18:14:41
おまえら、
劉障の立場なら
劉備を当てにするかね?
自分の統率力に自信がないならありなんじゃねーの?
劉璋は張魯を恐れたのではなく、張魯が曹操に帰服して漢中が大征伐の兵站拠点になることを恐れたのだから。
それに先んじて漢中を落とせる人材が益州にいなかったのなら、劉備は選択肢の一つに見えるだろう。
まあ、俺が劉障なら無いけどな
強くたって劉備じゃニトロをベニヤの木箱に入れて使うようなもんだっつーの
劉備の節操の無さは略歴見れば十分わかるし
裏切ったのは、曹操から離反して徐州刺史車胄を殺した一度だけだけどね
劉備アンチには家来と客分の違いが分からない奴が多いよね。
>>160 それも勅命で曹操を除こうとしたのであって、裏切りじゃないと思うけど。
>>161 その勅命って本当に受けていたのかな。発覚してからの後乗りだったりしないか?
まあといっても、当時の袁紹・曹操対決の情勢では鞍替えはいくらでもあったわけだし
名分は立つし、どちらにしても信用を落とすような行為には当たらなかったのだろうけど
163 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 01:24:51
密勅自体は存在しただろう。
実際董承らが皆殺しされ、献帝の后も処刑されている。
問題はそれに劉備が加わっていたかどうか。
自分は加わっていたか、もしくは計画を事前に知っていたと思う。
なぜなら劉備の行動がこれを境に反曹操で一貫しているからな。
それこそ人生を掛けて曹操打倒のため戦い続けている。
それをさせるだけの決定的な何かが許にいたときにあったと見るべきだろう。
164 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 02:53:35
ただ、密勅があったことを蜀側は喧伝してないのが気になる。
まぁ密勅だし、献帝存命時はぺらぺら喋るわけにもいかなかったろうが。
結果的に劉備の行動は漢への忠義を示すものになったけど
密勅があったから反曹操になったわけでもないのじゃないか。
やはり陳寿の言うとおり、両雄並び立たずということじゃないか?
少なくとも劉備の方はそう思っていたと。
曹操に警戒される程度の英雄が一応は皇族の劉姓だった
それだけで十分
光武帝系の血筋の劉虞は死に、劉協は大したことない状況じゃ
劉備に輿望が集まるのは当然
166 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 10:28:54
劉備を頼るか?というより、
そもそも他人をあてにして
なにを期待できるというのか
ということだよ
だれを頼るにしろ、代償は高くつくぜ?
乱世だからな!
そして当然の代償を払う羽目になったわけだ
>>166 劉しょうに同情してるやつはいないだろ
なにを主張したいのかわからん
169 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 13:37:27
劉備は劉表からは決して土地を奪うことはなかったが
劉璋からは躊躇なく土地を奪った。
劉備の中では劉表>>>>>>>>>>>>>>>劉璋だったことが分かる。
171 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 14:22:15
劉備は劉表の世話になったが
劉ショウの世話にはなっていない、というか
そもそも国を奪うつもりで乗り込んでるからな。
劉表の時は国を奪う前に曹操に横からやられただけだろ
173 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 15:13:47
劉備は劉表死後の、国を乗っ取れという進言を退けてるよ。
つーかもうちょっと考えろ、な
劉璋は親曹操だった
赤壁の時に兵を送った
つまり明確な敵なんだっての
なんか急にレベル下がったな
漫画の知識で背伸びしてますって感じがするな
176 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/11(月) 20:11:03
頼る相手が劉備だろうが曹操だろうが誰だろうが
そもそも他人を頼りにするようじゃいずれ結果は一緒だろ
劉備がどうこう以前の問題だ
>>176 リュウショウがリュウビを頼ったのことを正しいって言ってるやつはいないだろ
チンジュも同情できないみたいだしそんなことは語る価値もなくねえ?
そもそも、『蜀を奪って何が悪いんだよ』と俺が劉備なら言いたいがね。
戦って獲るならさして問題ないが、
支援すると見せかけて蜀に入ってから態度を翻して軍を進めたというのが問題。
しかも最初からの計画。これはいけない。
劉備の「他の問題行為」はほとんど誰もがやってる程度のこと、
ていうかわざわざ辞去を告げたり、戦って負けてから落ち延びたり結構律儀なんだけど、
蜀取りが劉備の最大の汚点であることは間違いないな。
>>179 どこがいけないんだよw見せかけてがいけないなら埋伏なんかもだめだなww
埋伏の毒に該当する行いなんてこの時代には殆ど出てこないぞ
>>181 論点のすりかえか?
欺いちゃらめぇだったら計略禁止ってことじゃねえか
実例を出してくれないと比較しようがないんだから、
埋伏とか言われてもどうしようもないという意味
それ以前に卑劣じゃないものを卑劣とする根拠を出す方が先だろ
えー…
二人の人間がある行為を卑劣に当たるかどうかを話し合っているのに、
一方が論拠も示さずに一方的に「卑劣じゃない」と決定してから、
他方がそれに一つずつ反証を示していかなけりゃならないの?
なにそれ?
向こうの配下が裏切った
劉焉は逆賊
息子は役立たず
これだけそろってりゃ攻めても大して言われない
>>185 逆だろw先に卑劣だといいだしてんだからそれの論拠は?って話だよ
あの時代にはほとんどなかったなんてのが反証になるなら奇策奇計は全部卑怯ってことになるよな
劉備が入蜀してか萌関に駐屯するまで攻撃は行っていない
劉備が関から成都に侵攻する際にはすでに張松の内応が露見していて抗戦の構えをとっていた
宴の席で首をとったってのならまだしもこれを卑怯というのはなあ
ちなみに演義で劉備が躊躇したのは「劉姓だからしのびない」
正史で劉備が断ったのは「宴会中に殺害する行為」
演義で劉備が迷ったから悪い行為してるような錯覚する人は多いかもしれないね
曹操と董昭が大嘘ついて献帝を楊奉たちから強奪した件とどっちが卑怯?
>>189 萌関・・・素敵な響きだな。
そして、張松の内応が露見していなければ、鳳雛は地に堕ちずに済んだのかなぁ。
>>185 論拠だされてるぞ
卑怯の論拠早くだしてやれよ
>>191 卑怯かどうかは解らんが、結果から見れば両方とも手段は正当化されても良いと思うぞ。
・・・と、マキャべりさんなら言ってくれるはず。
>>187 そこからはじめるのか。信義を失う行為だったというのは裴松之注三国志の基本論調であって、
それに反対する方が先に反論を行うべきだと思うんだけどね。まあいいけど
・張飛伝 厳顔曰く
「卿らは状(名分か)無くして我が州を侵した」
・ホウ統伝注九州春秋
蜀を取れと言ったいったホウ統に対し、劉備ははじめ「天下に対し信義を失うことはできない」と言った
・同本伝
ホウ統「他人の国を征伐して喜んでいるのは仁者ではありません」
・同伝注習鑿歯曰く「非常の手段によって功を成したのは信義に背き情に反する行いである(中略)
功成ったとしても大いに背徳を悼むべきである」
・同伝注裴松之曰く「この策は本来ホウ統の提案したものだが、義に違えて功を成し、本来は詭道である」
まだ何人かいたかもだけど、とりあえず。
後世の評も含まれる。当事者の言も創られたものかも知れない。
だがこれらの証言は、少なくとも蜀を取った後に残った非難に対してエクスキューズが必要だったことを
示してはいるだろう(特にホウ統とその子孫にとっては)、
裴松之ら後代の史家は彼らの価値観として蜀取りを義に反するものと見なしたと判断できる。
結果的には、劉備は武事のみに頼ることなく非常にうまくことを運んだので、
その後の巴蜀経営は概ね成功している。
>>195 敗戦の将が
ずるいっていったから
卑怯記念日
賊を騙して宴会に誘ってぶった斬るとかアリだったこの時代、
軍事行動に纏わる倫理について、三国志中ホウ統伝ほど言及されている
箇所は少ないんだよな。入蜀の経緯が関心事だったことがわかる。
他には曹操の徐州虐殺とか、陸遜の市場虐殺…は裴松之が非難してるだけか。
厳顔が言ってるのは「なんで侵略すんの!やめてよね!」ってことだろ?割拠してる時代でうちはそっとしといてなんて通用しなくね?
袁紹が名前度忘れしたんだけどキ州の大守を騙したことも大して批判されてないのに
この程度でそこまで世間から批判されるとは思わない
あの太守 確か足切られた挙句 身を寄せた先で袁紹の使者来たときにパニック起こして自殺したんだっけ
>>201 韓ぷく(復のぎょうにんべんが香編のやつ)
韓馥
董卓討伐に州郡が蜂起したが、この時太傅袁瑰らが誅殺されたため、
袁氏のために報復を言う者が多かった
冀州牧韓馥はその名声を忌み恐れた
韓馥は董卓討伐に出た袁紹の輜重を供給したが、それを減らして軍の離散を図った
翌年、韓馥の将麹義が叛乱し、韓馥は戦ったが利を失った
袁紹は韓馥を恨みに思っていたので麹義と手を結んだ
袁紹の客逢紀が、公孫サンを南下させて韓馥を脅し冀州牧を譲らせましょうと進言した
袁紹は荀シンと高幹を遣わして
「公孫サンが南下し、諸郡が応じようとしています。袁車騎も軍を率いて向かっていますが、
その心はまだ知れません。あなたはピンチです。ぶっちゃけ袁さんに地位を譲った方が安泰ですよ」
と言わせ、冀州牧の地位を自ら譲らせた
沮授らが「袁軍は所詮孤軍。冀州には蓄えがあり、攻め寄せてきても十分守れます」
と諌めたが駄目だった
韓馥は以前、田豊・審配を配下にしていたが、彼らが正直なため尊重しなかった
袁紹が彼らを厚遇するのを見て不安になり、辞去して張バクを頼った
のちに、袁紹の使者が来て張バクに耳打ちするのを見て、殺されるのだと思い込み、
厠で自殺した。
>>197 >厳顔
厳顔はその時そう思ってたかもしれないが
思い返せば、劉備を招くことに反対した厳顔は劉備を信じていなかったということ。
相手が信じていないなら信義は成立しない。
厳顔に限らず反対だろうと黙認だろうと信じていなかった人間との間に信義は成立していない。
「天下」が対象なら不義といえる。
>九州春秋
天下は裏事情を知らない。
>仁者
お相撲さんが勝利後ガッツポーズをしたらいけないのと同じ。
仁は「思いやり」。敗者を思いやって喜んでいる素振りを見せてはいけません。の意。
「天下」をどう扱うかだけど、これは難しい。
だから名文が要る。名文は体裁。真相とは別。
劉備の人間性が卑怯だというのは真相面を語っているのであり
体裁面ではない。よって天下の知らない真相が中心となる。
真相はといえば赤壁からの敵対状態と向こうの臣からの誘い。それに劉障政権の正当性の無さ。
習鑿歯・裴松之らは治世の文官。好きなように言える。
しかし劉備は乱世の棟梁。臣民に対して多大な責任を負っている。
孫子曰く「兵は詭道なり」。つまり、わざわざガチで大きな犠牲を出すのは良くないということ。
他に方法があるのに、馬鹿正直に正面からぶつかって被害を大きくする事は、
軍を率いる者として、兵やその家族に対して責任を軽視する事に繋がるが、
果たしてこれが兵らとの間に交わされる信義に則っているであろうかと疑問に思う。
よって劉備“無罪” かな?
無罪ではないが特筆されて叩かれるほどのことはしてない、くらいじゃん
まあ卒塔婆に叩かれてるけど
無罪か有罪かなんて話をしてないんだけど。そんなもの誰が裁判するんだ。俺ら? 何の権利があって?
当時信望を失う行為だったか否か。論点はこれだけ。
>天下は裏事情を知らない。
これが全てだね。裏事情を知らない人間に義にもとる行為だと「見える」のであれば、
それは当時の人間にとって信義を失う卑怯な振る舞いだったってことだ。認めてくれる?
兵士との契約だけに律儀でいれば良いのだったら、兵士を放任略奪で養っても構わない、ということになる。
しかし、そんな人間は嫌われた。呂布のようにね。
軍閥という政治集団の長である以上、彼には官吏一般は無論、負けた人間や外交相手への
反感を買わずに経営する必要がある。「卑怯だ」などと判断するのは、当時生きた彼らなんだから。
勿論、現実的に可能な限りのバランスを取って経営するわけだけど。
だからこそ、劉備はあの手この手で益州人の態度を和らげる方針を取り、じっくり時間を掛けて
攻略したわけだね。
>兵士との契約だけに律儀でいれば良いのだったら、兵士を放任略奪で養っても構わない、ということになる。
青州兵だな、それ
てか、今さらだが前漢の王の血つながってるの??
普通の農民だったら詐欺師もいいとこだがw
詐欺師の方がネタとしてはおもしろいけどな
俺が嫌いだから詐称、というのがアンチ臭い
>>208 してないんだけどってそんなスレだろここ
>>210 そもそも劉備自身がそういう話を自分からしてたのかも分からない
諸葛亮が孫権を挑発するときに「我が主は漢王朝の端くれだから曹操に屈することはしない」という台詞は残ってるが
よってwikiの記事は間違い、若しくは劉備は漢王朝の血を引くと「他称される」というのが正しい
>>214 自陣営の人間の発言なのに他称はないだろ
違うのならそういう発言はさせないしな
文献上否定できない、という理由だが、信用できるか、となるとまた別。
実はオレ、父方が劉備の子孫で母方が曹操の子孫なんだ。
文献上否定はされてないけど、信じる?
そういう話。
なお、三国志演義で、献帝に拝謁して系譜が読み上げられる、あのシーンは大嘘なのは間違いない。
そこで、17代かなんか、それくらい先の末裔というのも、数字的に見て辻褄が合わない出鱈目。
もちろん、このことで、皇統に連なる者ではない、という断言には至らないが、
確認しようがない以上、鵜呑みに信用するのは、オレオレ詐欺に引っかかるのと同じレベルの素直さだ。
ただ、劉備が漢朝の末裔とされたことは、その真偽にかかわらず、後世に大きな影響を与えた。
それは間違いない。
>>216は詭弁でいい気分になるタイプだなw
おまえが否定されてる文献はないが肯定されてる文献もない
まったく違うだろ
いや、この場合重要なのは「同時代の敵方からも詐称だと攻撃されていない」ことだろ?
魏からしてみれば劉備の素性攻撃するのが一番手っ取り早い嫌がらせだろう。
仮に魏、晋で劉備は偽皇族だとする見解が一般的であったなら、
そこを完璧にスルーしたままの状態で三国志が正史として晋に認められると思うか?
>>216 漢景帝子中山靖王勝之後也って本文に書いてあるのだが
>>216が劉備と曹操の子孫だという話はどこの歴史書に載ってるの?
>>216には「自称した」「否定されていない」しか見えてないのか?
「正史として記録された」って部分を軽視する理由がわからん
>>73を見て分かるように間を飛ばしてるのは別に他意はなく
陳寿も
>>216みたいな物分かりの悪い馬鹿にあの世で呆れているに違いない
他意があるときは曹操みたいにもっと分かりやすく陳寿は書く
中山靖王劉勝って何者?
武帝の丞相だった劉屈氂の父
曹氏の系譜もすっとばしているのに劉備の系譜を本伝に書くのはいくらなんでも陳寿にはヤバすぎるな
魏呉蜀いずれも、当時の礼に則って宗廟を立てたはずだが、
陳寿は無論、「魏書」などからの裴松之の引用もないとなると当時の紀伝体や編年体の史書には
そこまで詳しく書く慣わしがなかったのかもしれない
>>216 >実はオレ、父方が劉備の子孫で母方が曹操の子孫なんだ
という文献上の根拠がないのでお前の主張は無意味
まあ本当に馬鹿だからしょうがない
>>216がまたインテリぶった言い回しをしてるとこが哀れすぎて泣けるw
230 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 19:53:07
>>216はオレオレ詐欺にはひっかからないが給付金詐欺にはひっかかるタイプ
>>216 自尊心回復運動で逆に大火傷w
間違いない、は二度と使わない方がいいよ
>>216 十七代って辻褄合わないの?
ちなみに劉勝が中山王になってから劉備が生まれるまでの間は310年ちょいくらい
仮に即位の歳に生まれた子を二代目と数えた場合、平均19.5歳で次の子を生んでいればちょうど161年に17代目が生まれる計算になるな
>>233 20で子供生んで50で死ぬと仮定すると
親子の1世代経過で30年
15で生んで40で死ぬと25年
まあ実際はそれに満たない期間での家督相続だろうし
幼い当主が夭逝したらその弟が継いだりする事もしばしばあるだろうし
300年20代くらいならちょっと多いかも、程度
>>235 A(10代目)の長子B(11代目)が早世して次男C(12代目)が継いだらAからAの子の二代だけで三代進むって意味か
あの17代って家督って意味の代なの?
世代の意味かと思ってたわ
普通に世代じゃないの?
家督だったら(演義では)劉備は劉勝(あるいはその息子の家の)直系ってことになるじゃん。
そんなだったっけ?
239 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/13(水) 22:58:30
乱世なんだから、劉備が天下を狙う事自体はなにもおかしくない。
まぁ劉備の知恵ではないと思うけど
>>239 劉備は天下をねらったわけじゃないぞwww
>>239 劉備の知恵じゃないって何を指してるの?蜀をとるって案件?
あれはりゅうしょうの配下からの提案で端っから劉備発案じゃないってわかってるけど
・法正張松の提案でほうとうも案を飲むよう進言
・宴で劉王章を捕らえるようにほうとうは進言するが却下
・かぼう関に駐屯しているときに内応露見
思惑はいろいろあっただろうが実質は開戦以前に攻撃は行ってない
漢の碌をはみながら曹操を迎合する行為は逆臣といえるんじゃないのかな
×碌 ○禄
とんでもない間違いスマン
>>238 ?どういうこっちゃ。劉勝は中山王だからして、
中山王家という括りで見たら家督保持者だろ?
で、そっから17代、が家督だとしたら劉備が劉勝の家の家督相続者になっちゃうじゃん。
普通に世代で17ってことじゃないの?演義の該当部分直接読んだことないから断言できないけど。
>>244 家督を相続していようといまいと
途中で没落して爵位手放してるから、どーでもいいな
>>246 数えかたの話だろ
世代で17なら平均19.5で子を生んでる
家督で17ならそれより上でもあり得る
って話
まあなんにせよありえるってのは覆らないけどな
演義では皇叔にしなきゃいけないから世代を少なめにしたんじゃないかなあ
「なーんだ、系図調べてみたら予の方が世代上じゃん。お前なんか皇帝の甥、つまり皇甥だな。敬意を払う必要なんかないねっ!」
ってなったら曹操をニヤニヤさせるだけでストーリーが締まらないことおびただしい
劉勝は前漢の景帝の子で武帝の兄弟
劉備のが何代の裔であれば妥当かなんて
献帝の系譜と比較すればだいたいの当たりはすぐにつくんじゃネ?
若干の誤差はあるだろうけど
個人的には一世代か20年に満たないのは、
献帝あたりと比較したら、ちょっとペースが早すぎる気はする
正史には17なんて数字がないので
恐らく、この数字はどこかの好男子が
一世代=20年
くらいで計算して出した値ではないかと
もちろん、劉備の出自そのものをひっくり返すようなものじゃない
劉備には学費を援助してくれる宗族がいたわけだし、
その有力者が劉勝の子孫なら、劉備も間違いなく劉勝の子孫になる
>>249 早世して代替わりしたやつがいればその分他が延びるぞ
17にしたわけは
>>248の理由なんじゃね?
>>248 いや、むしろ、とんでもなく世代が多めになっているんだが?
そういう理由なら、絶対二世代を伸ばさずに、むしろ世代の申告を縮めた方がいいと思うんだ。
どのようにカウントしても、献帝の叔父にも甥にもならない。
見当はずれといっていいくらい大きくずれている。
献帝は、後漢の皇帝で、初代後漢皇帝光武帝こと劉秀の7代先の子孫にあたる。
そして、劉秀は、中山靖王劉勝の兄弟である、長沙定王劉発の5代先の子孫だ。
劉備が、中山靖王劉勝の17代先の末裔なら、
献帝は、劉勝の兄弟の12代先の末裔だ。
世代的には。5代ほど、劉協の方が先になってしまうわけだ。
2代ほどのズレならともかく、5代のズレはどうにもならないだろう。
おそらく、17代というのは、かなり、適当にでっち上げた数字だろう。
おそらくそれは、劉備たちや同時代の関係者のあずかり知らぬところで、
羅漢中あたりが適当なことを書いたものと思われる。
たしか、「皇叔」という肩書き自体、演技にはあっても史書には無いんじゃなかったろうか?
>>251 家督と親等は別でしょ
たとえば
あ
いうえ
お
か
って相続していって(い、うが早世)かが六代目だとしても親子の世代は四代だから五代の位置の子より叔父にあたることはありうる
劉備が景帝から数えて18代目の劉氏傍流ならば、
献帝は景帝から19代目の劉氏宗族の長(皇帝)だから、
皇叔でよい。
>>248でおk。
と、いう設定で、演義成立に関わる作者の誰かが劉備の系譜を作ったんだろう。
系図が読み上げられる下りでは、劉備に到るまで18代全員実子が受け継いでいった
とされており、しかも曽祖父の代まで別々の侯に封じられているから、
かなり適当な設定ではある。
>>252 まて、それはおかしい
問題は、系図上、叔父にならない、ということだろ。
叔父、というのは、血縁上の世代での長幼の順で決まる序列だから、
家督とか相続順とかは、全く関係ない。
系図上の血縁関係こそが肝心
つか演義にしかみえない17代の話はもういいだろ
劉備の行為について語ろうぜ
益州征服は、
仁義・道義にのっとった行為ではありえないが、
手際は良かったと思う
261 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/18(月) 17:41:17
十八代も離れて親戚を名乗れるのなら
俺は眞鍋かをりの親戚だぜい
全く自慢にもならんのが悲しいがorz
熊沢天皇もアリだな
>>261 帝の親戚を名乗ってるんじゃなくて中山王の子孫を名乗ってるんだよ
似てるようだが全然違う
お前とまなべの共通の祖先に知名度がないなら同じ話ではない
でもスレタイの話に戻すとそんな程度の関係でも劉璋は頼ろうとした
同族としての厚意を期待してたってことだよね?当時の中国人の感覚としては
というか曹操以外でまともに頼りになるのが劉備以外いなかったんだろ
景帝の子の中山靖王の子孫の臨邑侯の末裔=劉備
景帝の子の魯恭王の末裔の劉焉の子=劉璋
これってほとんど他人のレベルじゃね?
それとも景帝系というのが鍵なのか…劉表も景帝の子孫だし
中国では、姓が同じってのがそれだけで鍵。
しかも高祖の裔ともなれば十分挨拶代わりになる
実力がなければ挨拶で終わりだけどね
赤壁まではへいこらしようとしてた(使者が張松)
ところが、曹操は江陵まで制覇して敵無しだと思っていたんで、
応援を申し出た張松をすげなく扱った。
その後、曹操は赤壁で負けて長江流域から叩き出された。
風向きが変わり曹操に吸収されなくとも既得権益が維持できると
見た張松は、軽侮された恨みも込めて劉璋を動かし、
荊州(中南部)を掌握した劉備との同盟を薦めた。
>>269 ああそっか配下の進言で劉備に鞍替えしようってなったんだったな
最初の使者は荊州攻めの前に張松の兄・張粛が行って
優遇され丞相掾・広漢太守に任命されたので代わりに張松が派遣された
張松が冷遇されたのは荊州占領後というのもあるかもしれないが、
もともと張松は既得権益と呼べるほど優遇されていないから
他所から来た冷遇組の法正と一発逆転を狙ったんでしょ
前述の太守になった兄貴に密告されて捕まったけど
…あと、同盟というより張魯討伐を頼んだんじゃなかったっけ?
なにこれ
ニカワ・初心者の集まりじゃん
初心者はともかく接着剤が集まるスレは古今東西ここだけだろうな
俺はニカワを使い手なんだが残念なことに相手が木工用ボンドを使ってきたので
>>275はニカワとボンドを両方持っているから光と闇がそなわって最強にみえる
は?何接着剤が勝手に話しかけてきてんの?
どうやって俺がニカワって証拠だよ?
279 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/19(火) 13:33:53
ニカウさんは?
ニカワ・初心者って、
接着剤道に入門したばっかりのにわかにかわファンって意味なのかな?
接着剤スレがあるときいて
283 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/20(水) 00:01:02
空気読まず言うけど
ニカワじゃなくニワカだよな?
は?どうやって272が言い間違えたって証拠だよ
272さんディスってんじゃねーぞ!
にかわブロンティストのすくつですね
当時の皇族って有名どころはこんな感じかな?
劉焉・劉璋
劉表
劉虞
劉繇
劉岱(曹操の部下じゃないほうの)
劉曄
彼ら有力豪族が帝位を名乗れなかったのに、劉備はそれをやり遂げたんだから、そりゃ実力の賜物だと思うよ
287 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/22(金) 02:38:45
劉虞なんかはもろに「名乗らなかった」クチじゃん
劉曄モナー
>>286 下4名はそもそも名乗る気がなかっただけ。
いずれも藩屏として期待された優秀な人材たち。
野心があったかどうかだけだと思うがな。
生まれがいいからそれなりにいい暮らしできるし天下に対する欲望も薄いかも知れないね
291 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/22(金) 12:17:30
292 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/22(金) 12:24:23
百銭齎送
後漢の劉寵は字を祖榮といい、會稽の太守を命じられた。
劉寵は煩雑な法律を廃止し、簡単な物とした。
そのため、郡中は大いに感化され治安が良くなった。
その後朝廷に入るにあたったときに、若耶山の谷間から五六人の老人が、各々百銭を送って来た。
劉寵が「どうしたのだ」と聞くと、老人達は「私たちは深い山の中で生まれ未だに郡朝がどういう物か知りません。
他の太守の時は、役人が取り立てに来て人々は夜も安心できない有り様でした。
劉寵様がいらっしゃってから、犬が夜吠える事もなくなり、
村里で役人を見る事もなくなりました。
年取ってからこの様な聖明な方に会うことができました。
聞く所によれば、この度、この郡を捨ててどこかに去るとか。
そこで、ここに劉寵様のために餞別を持ってきたのです」と言った。
劉寵は、その中から一銭だけを受け取り、多くは受け取らなかった。
ttp://www.moroo.com/uzokusou/nikki/130.html
劉安、は違うかw
295 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/23(土) 13:35:55
>>293 演義にはちょっとアレな役で出てきたよな
296 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/06/02(火) 21:39:34
陶謙や劉表、劉キみたいに劉璋も病死→劉備に譲るってことにしたらよかったのにな。
>>296 それだと、鳳雛死亡イベントが起こらないじゃん。
298 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/06/09(火) 17:56:02
素人でスマンが
他のスレで劉備ほど卑怯な男はいないって聞いたけど本当?
嘘
群雄はみんな仁道的に見たら外道です
301 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/06/09(火) 19:13:38
>>298 劉備が卑怯で薄情なのは確か
聖人君主ならお友達の呉巨を見殺しにしない
303 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/06/10(水) 07:00:58
日本の教育現場では、
身長150センチの女子生徒イコール劉備玄徳の熱狂的ファンと決まっていた。
母子家庭たちは、いつも、曹操ファンの女子生徒たちとウィンクしていた。
学生時代から曹操ファンである女子生徒、という事は、彼女たちは、過去世で玄奘三蔵の法相宗信徒である事は間違いない。
玄奘三蔵の味方は劉璋の意味だから、身長が低いと劉備玄徳にされてしまう。
日教組は、何故、曹操ファンたちの肩を持つのか?
劉備玄徳の共産党はロシア共産党に当たり、曹操の共産党は、中国共産党に相当する。
304 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/06/10(水) 20:58:29
乱世だな
長坂の戦いも、本当に民を思ってるなら別行動するよな。
民が狙われてるんじゃなくて劉備自身が狙われてるんだし
物理的・道徳的に民を盾にしたとしか思えん。
>>301 長坂の敗戦後、「呉巨を頼る」と言った劉備だが、210年に呉巨が弑されても何の反応もない。
>>306 もし自分が社長で、取引先の会社に高校時代の同級生が社員として働いていたとして
その昔の同級生がクビになったらどうする?っていう問題。
抗議したり取引やめたりするかい?
>>307 例えにしては落第点。呉巨は会社をクビになったのではなく、消された訳だしな。
で、劉備は呉巨と喧嘩した元交州刺史を後に重職に就けている。明らかに呉巨を見殺し。
公孫さん(袁紹と敵対)、陶謙(曹操と敵対)、呂布(曹操と敵対)、曹操(陶謙袁紹呂布と敵対)
袁紹(曹操と敵対)、劉表、劉璋、呉と同盟
と色んな人のもとを転々としてきた劉備に何を今更。
>>308 いや要件は満たしてる
その前に見殺しという言葉を辞書で調べるべき
>>309 張バク(袁術)→袁紹→楊奉(騙す)→献帝を傀儡にして独立
曹操だって同じくらい華麗な転身だよ
>>310 確かに『見殺し』という言葉は不適切に思える。
実際は劉備は孫権とグルになって呉巨を陥れた『同じ穴の狢』。
>劉備は孫権とグルになって呉巨を陥れた
何伝に載っているお話?
状況証拠
根も葉もない妄想かよ
曹操好きじゃないから「曹操と同じくらい」と言われても悪いイメージの方が強い。
>>305 道徳的に… 盾にはならない。 足手まといにしかなっていない。
>本当に民を思ってるなら別行動するよな
それが正しいなら、関羽と一緒に行くだろうね。
住民が付いてきたのは劉備にとって予定外のことだった。
関羽船団の動きが遅すぎる謎が解けた。
劉備の一行がかなり遅い動きで南下しているのに、足の速いはずの船団が
長坂から80qも真東へ逃れて来た劉備らと丁度出会うなんておかしいと思っていた。
関羽も共に陸路を南下していたが、集まってくる住民の所為で人数が膨れ上がり
このままでは長江を渡す船が足りないと劉備らは判断した。
だから関羽に別行動をとらせ船を集めさせた。これで辻褄が合う。
それでも、辻褄は、合うね
320 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/07/01(水) 03:40:37
軽い女とモテる女をはっきりと分けるのは難しいし、劉備だって卑怯だ。いいやつだ。とわけるのは難しいわ
321ゴッドォオオゥ!
322 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/07/07(火) 19:52:20
季玉って字かっこいいな
劉璋ってそんなに無能だったのか?
劉備に侵略されるまで蜀は戦に巻き込まれず平和だったみたいだし。
その割に蜀は戦もそれなりに強く人材も結構豊富だったし。
劉備の侵略を正当化するためにぼろくそに言われてかわいそうな気がする。
324 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/07/18(土) 01:07:36
劉璋に限らず劉備陣営正当化のために犠牲になった人は多数いる
曹操なんか演義では一貫して悪者扱いだからな
史書と小説を混同しないこと。
征服者の正当化のために犠牲になった人物なんて数えたらきりないぞ
曹操の犠牲になった人間なんて腐るほどいる。
>>323の意見はある程度正当だと思うが、曹操を引き合いに出したら台無しだ
張松や法正が劉備に蜀を奪うよう薦めてきたのは、劉璋に替わってから。
少なくとも劉焉>劉璋だったのは間違いないと思う。
まあ劉焉は牧の設置とかで自分の権力固める事を上手くやったりしてて一代の傑物であるしな
ただ劉璋が無能かっていうと結構別問題だが
>蜀は戦に巻き込まれず平和だったみたいだし
というのは勘違いでは?
もう少し調べると蜀は結構戦争してる
内乱やら異民族絡みでかなりカオスな土地だぞ蜀は
あと劉焉はもともと劉璋を後継ぎにするつもりはなく、兄貴が病死したから劉璋に回ってきただけ。
だから劉璋がイマイチなのは仕方無い。
中原とは道自体を切ってて、そこの戦乱とは無縁でいられただろうけど
劉焉のころは制御できていた漢中の張魯や東州兵が、ぶっちゃけ劉璋には従わない
ということから劉備に鎮圧を依頼したわけで平和じゃないよね
劉焉は漢から益州を切り取り我が物にしようとした大逆人であり、その意志を継ぐ劉璋も当然同罪。
劉備が蜀を奪い取ったのは漢の忠臣として当然の行為であり、やましい事など有ろう筈も無い。
また劉備が蜀を本拠地として魏と呉を滅ぼした後に献帝に返還する事は、皇族に連なる身である事からも明白であり、劉備こそ真の忠義者と言えよう。
こんな感じでよろしいでしょうか
331 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/07/19(日) 22:47:46
うーん…
そこまでずうずうしいことは陳寿も言ってないな
劉備自身も劉璋父子を厚く遇したわけだから悪人扱いなどしていない
劉璋の息子は蜀の将軍になってるし。
ちなみに継承権争いの種になりかねないと関羽殺害の責任を取らされて処刑された劉封の息子もその後将軍位を貰ってる
俺ナムコ三国志の性格診断で劉璋タイプだったんだ・・・
あれ?なんか俺もそうだった記憶があるw
336 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/07/30(木) 16:46:13
劉備の僭称は綺麗な僭称
袁術の僭称は汚い僭称
337 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/07/30(木) 16:56:17
184 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/07/12(日) 05:08:34
甄厨がウザイ
185 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/07/12(日) 09:08:11
ぷらっと族の横暴が酷い
186 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/07/15(水) 17:44:28
糞スレ上げ厨自粛汁!
187 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/07/30(木) 12:28:18
自治以外のスレ多すぎ
188 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/07/30(木) 15:54:12
ここで愚痴っても、誰も目を通してくれない
189 名前:神ツコツ@兀突骨 ◆l5uYUz79nM :2009/07/30(木) 15:55:15
見るようにがむばる
190 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/07/30(木) 16:26:33
クソルトと突破厨くたばれ
191 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/07/30(木) 16:53:18
孔明厨がウザ過ぎる
338 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/07/30(木) 17:01:17
劉備の凄さをまとめると・・・
戦が意外と上手い。裏切りの神(民、友人、恩人、を踏み台に)決断力が羽生以上。
(だめだと思ったらすぐ逃げる)逃げ足が尋常じゃないほど早い(史記には書いてないが陸上選手だった
らしい。)為政者であるため、政治力が福田以上。
339 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/07/30(木) 17:23:28
>>338 凄いところってのは、当時から見てって事だろ?
戦は三流の雑魚には勝てるが、一流の奴が出てくるとぼろぼろに負ける程度だし、
政治力も当時の他の君主に比べて勝っているという記述も無い。
決断力はあるが、羽生以上は無いw
340 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/07/30(木) 17:25:04
341 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/07/30(木) 17:37:47
上位……甄姫様
中位……祝融たん、尚香たん
その次…大喬小喬
>>330 劉備が漢王朝の忠臣? ご冗談をw
漢中をぶんどった勢いに乗じて、漢での官位である左将軍の印を返還して自ら漢中王を自称している
いわば漢に三行半をつきつけて、独立宣言に等しい
また、漢王朝において漢中王の僭称は、オレは皇帝になるって宣言していることに等しく
いわば皇帝を僭称したも同罪、漢王朝にとって見れば反逆者中の反逆者です
因みに劉邦がなったのは漢王な
漢中王じゃない
>>34 より相応しい血統の人間がいるうちから独立宣言なら
光武帝もやってるがな
バカタレ
>>343 漢王と漢中王は同じじゃ
>>344 光武帝がいつ漢王朝に弓を引いた?
滅んでから乱世になり独立したのと、滅ぶ前に決別して独立したのを一緒くたにすな
南朝の天皇は北朝の天皇にとってみれば反逆者であり、
北朝の天皇にとっては南朝の天皇は反逆者
だがどっちの天皇も日本にたいしての不忠者とは言えない
劉備も漢を滅ぼそうとしてるのではなく自分による漢の再興をしたいだけであり、漢王朝にとっての不忠者とは言えない
傀儡皇帝献帝にとっての反逆者ではあるけど
>>345 滅んでいないといっても既に乱世であるわけだが
というか
>>344が言ってるのは更始帝のことだと思うけど
反王莽の諸軍が立てた漢朝の皇帝で、劉秀もその臣下だった。
のちに劉秀が独立して王朝を立てるに及んで、
後漢からは皇帝と認められなくなった。
日本の天皇になれるのは天照大神の子孫だけ
中華の皇帝は強ければ誰でもなれる
スレタイが間違ってる件
裏切って×
だまして○
だましあいは群雄の常だろ
>>307 曹操は庇ったね
>>344 そもそも劉秀だって誰がどう見たって僭称だろ
文帝の禅譲が実質上の簒奪と同じで、劉備の皇帝僭称に対しての免罪符にはなりえん
352 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/08/04(火) 19:45:07
>>1 呂布は奪い方がヘタクソ
劉備は奪い方が上手かった
それだけの差。
暴れるだけのゴリラに過ぎない呂布と
計算高い劉備の決定的違い。
劉備もそんなに上手いとは思えないけどなあ…
蜀を取った事により呉と完全に決裂した訳だし。
355 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/08/04(火) 22:21:45
納得できる大義名分があったかなかったの違いだろ
侵攻に弱い荊州の半分に留まって孫権の子分扱いよりも
益州一つの方が国力も立場も遙かに強い
>>353 劉備は逃げ方(見限り方)が上手かっただけで奪い方は下手、そもそもが戦略や政略に欠ける人物
後半生は、その欠けていた戦略や政略を諸葛亮らが補ったから上手く事を運べた
そして、諸葛亮らの手綱から外れたとたんに大敗している
しかし、逃げ方(見限り方)の点では、当代随一といえる
一度見限ったら、受けた恩義・温情をすべて忘れ捨て去り、実にあっさりと逃亡する
それにより乱世を生抜き、皇帝までのし上がれたのであろう
劉備はイメージほど思い切りよく逃げてもいないし、
逆に敗勢で勢力を維持するのが下手(曹操と比べてだが)な面が目立つな。
諸葛亮は主君を補佐して手綱を握るタイプじゃないし
劉備は政治・軍事の実務レベルならともかく、
戦略決断と行動を人任せにするタイプじゃない。
戦歴の最初から最後まで、自分で動いて失敗し、成功している。
入蜀の政略、戦略ならホウ統、法正、張松にお任せ下さい。
諸葛亮は荊州を宜しく。
ホウ統と張松が死ななければなあ。
益州奪取は内部からの招聘があってだから今の目で見るとそんなに悪いとは思わんな
儒教的にはこの件で孔明が叩かれたりしたそうだけど
361 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/08/05(水) 23:19:45
良くも悪くも、自分でちゃんと行動する子
その点で曹操と劉備は近い
違いは
曹操はその多くが当たったが、
劉備はほとんど裏目に・・・
でも入蜀に関してはまずまずの成功じゃね?
362 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/08/07(金) 10:57:08
曹操もギャンブルを強いられた時期はかなりミスが目立つ。
しかし、それをカバーしてくれる親族、側近、部下がいた。
これに敵の消極性と曹操の積極性が組合わされば
魏が中原を制したのも当然の結果だろう
363 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/08/07(金) 16:36:46
劉二牧が逆臣なんだからなぁ。
劉ショウが益州おさめてる正統性なんかほとんどなかろうて。
劉エンも劉備もあんま変わらんよな
365 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/08/07(金) 17:22:57
劉備はイメージほど思い切りよく逃げてもいないし、
逆に敗勢で勢力を維持するのが下手(曹操と比べてだが)な面が目立つな。
諸葛亮は主君を補佐して手綱を握るタイプじゃないし
劉備は政治・軍事の実務レベルならともかく、
戦略決断と行動を人任せにするタイプじゃない。
戦歴の最初から最後まで、自分で動いて失敗し、成功している。
逆臣を討伐する逆賊、それが劉備。
蜀奪りまではかなり上手くやったと思うよ劉備は
問題はその後
荊州の返還を迫られて上手い避わし方が思い付かないから「涼州取ったら返すよ!」と開き直ったのが駄目
そりゃ孫権もキレるわ
孫権がキレるのは日常風景
確かにキレる事は多いが、実行にまで移す事は滅多にないだろ
ここまで孫権を怒らせたのは他では張昭と虞翻くらい
荊州返還や関羽との姻戚問題で切れたのは無理難題を吹っかけておいて相手に拒否させ
キレることで部下の劉備軍への不満を正当化する策略とも言える。
荊州を劉備が借りたという約定は実際にはない。同盟をカサにきた恫喝。
元々孫権は同盟を盾に江夏奪ってるしな
関羽に関しては縁談を断った事より、呉の兵糧庫襲った事の方が問題だろ
それより前から孫権は荊州を狙っている。関羽の失策を擁護する気はないが。
基本的に孫権は権力を手に入れる為には何でもできる人。
もし荊州の防備が万全なら呉の兵糧庫が襲われても抗議して終わっただろう。
374 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/01(火) 20:53:07
>>1 呂布はただの強盗だが、劉備は詐欺師
全然違う
>>373 だろうな。
関羽が外交に万全を尽くしても
あれだけ対魏戦に前傾してたら結局奪われてたんじゃないかな。
劉備も孫権も乱世の掟に忠実に行動しただけ
やられたやつが悪い
劉焉出たら益州付近の勢力安定するのにね
最初から劉璋だと武将数足りなくて
大王が益州統一する
ごばく
江夏を奪った記述なんてないけどな。
劉奇のことを言いたいなら劉表伝を読めば居城は曹操に奪われて
孫権の保護を受けてる。
>>378 夏口は明らかに曹操の支配下じゃないけどどういうことなの?
劉奇が夏口に逃げ込んだのであって赴任先は曹操が支配した北の方。
>>380 じゃあ曹操が北を奪い、劉キは南を保持してたってことだな
いつ劉奇が南を保持したのかkwsk
逃げ込んだ事は劉表伝や呉書に書いてあるが保持してたってどこに書いてあるの?
>>382 夏口に関しては赤壁前に関しては孫権が領有してたと言う奴が
何時占領があったか示さないとダメだろ
夏口が孫権の占領下になった事なんざ、赤壁戦前には一度もないぞ
しかも夏口へ劉備は呉書の記述でさえも「進住」している
他人の保持してるところへ勝手に住み込まないだろ…
しかも2万くらいの大軍勢+αを引き連れてな
何で、夏口を孫権が保持してるなんて思ったの?
>>383 382とは別人だけど、劉備と劉キは魯粛に伴われて夏口に入っている。
魯粛は曹操の南下の報を受けたときに夏口におり、長阪で劉備と会い、ともに夏口に入った。
この時、孫権は柴桑まで出張っている。
夏口と柴桑は、後の武昌郡に属し距離的にも近い。
ではいつ夏口が孫権の手に落ちたかというと、208年春の黄祖討伐の時で、
黄祖が夏口に駐屯していたことは、荀ケ伝註と甘寧伝註にあり、
この時、城を落とした事が、呉主伝等に記述がある。
また黄祖討伐直後に胡綜が江夏郡鄂県(後の武昌郡武昌県)の県長に着いており、
江夏郡の長江南岸が孫権の勢力下であったという論拠として十分と思う。
>>384 不十分だな
国内的には何の力もない魯粛がどうすると劉備達2万を自領であるはずの夏口で駐屯する事を周囲に認めさせられるんだ?
>>385 孫権に早馬や舟を出したんでしょ。
魯粛は劉備軍とともに行動している以上、馬と舟を出せば十分に連絡可能。
と言うか連絡を取り合っていなかったなんてあり得ないでしょ。
大体、鄂の対岸である夏口に敵か味方か不明の2万も来るのなら、一触即発の事態でしょう。
孫権の入城許可でもなければ、鄂か沙羨あたりに兵力を集中して防備を図るでしょう。
どちらにせよ、南岸の鄂は胡綜が実行支配してることに変わりないし、
夏口を孫権が落としたことも変わらないと思いますが?
>>386 実効支配ったって怪しいもんだ
特に係争地に関しては実際支配してなくても官位を勝手に名乗って自己主張するのがこの時代の常
周瑜だって黄祖討ち滅ぼす前に江夏太守なんてのやってた時期もあるわけで
つーか、胡綜が実効支配してた証拠になる記述はないぞ
しかも柴桑に首脳陣がいる、ってことは孫策生前の黄祖討伐でもやったことだけど
攻め込むだけ攻め込んで支配は出来なかった、もしくはしてなかったってのが正しいでしょ
>と言うか連絡を取り合っていなかったなんてあり得ないでしょ。
その遣いが諸葛亮だね
その辺は正史にちゃんと諸葛亮が使者となったと書かれてる
しかも正史の記述を信用するなら、魯粛は孫権の命令に反して、勝手に同盟を結んだ事になる
この辺の頭はいいけど気が狂った即断即決が魯粛の奇才たる所以なんだな
>>387 郡太守ならともかく県長を遥任した例なんて私は知りませんが?
そんな推測だけを元に否定されても困るんですね。
柴桑に政治機能がある以上、柴桑は最前線じゃないでしょう。
まさか最前線の夏口や鄂に政庁を置いてるとでも?
それに江表伝の江夏征伐と、
本文中にも詳しい208年の江夏征伐を一緒にするのはいかがでしょうか?
江表伝では先鋒を破っただけですし、呉歴の上表文は、
当時、会稽太守討逆将軍にすぎない孫策が、
朝廷に対して周瑜等を太守などとして、さらに領桂陽、領零陵などと
上表するなんて不自然きわまりない怪しい註ですよ。
あと諸葛亮は劉備の使者でしょうに、
支社として赴いた魯粛が、随員を使って孫権と連絡取っていただろう事は、
常識的に当然でしょうと言っているのですよ。
無論諸葛亮も柴桑に赴いた際は、随伴の者を使って劉備と連絡を取っていたでしょう。
まさか魯粛や諸葛亮は一人で使者に赴いたなんて仰らないですよね?
まぁ、取り敢えず私は、史書の記述を直接採用し根拠にてますが、
どうもあなたの推測ばかりですね?
>>388 史書の記述からだけどなぁ
少なくとも魯粛が劉備達がスムーズに夏口入りできるように便宜図ったなんて記述はないがねぇ
どうやって違う勢力に属する劉備が孫権の領有する夏口にスムーズに軍隊丸ごと、しかも同盟前に持ち込めるんだ?
そこの所が孫権が夏口を支配下に置いていた場合説明できない
劉備が夏口に辿り着いた時、まだ孫権は劉備と組むなんて決めていない段階なのに
連絡したかしないかで一軍をあっさり重要拠点に入れるわけないよね
連絡取り合ってたってのは君の「推測」だろ?
史書にある最初の連絡は諸葛亮が最初だよ
>>389 大体魯粛が孫権のとこへ戻った時点でも曹操と戦うかどうか去就決まってなかったよね
劉備が「孫権支配下の夏口」に入っていたとしたらそもそも去就を決める決めないの話じゃないよな
見た目には完全に劉備を受け入れて曹操に敵対してるようにしか思えない
演義じゃたしかに魯粛の独断で同盟を組んでるがその、
「孫権の命令に反して、勝手に同盟を結んだ事」ってどこにある?
劉備達を引き連れて非難されてる記述が見つからん。
あと柴桑云々の話しだけど、そこが最前線とは一言も言ってないからな?
柴桑から夏口までは間に幾つも城があって、夏口を占領しているなら、もっと西に行ってていいんじゃないかという話だ
孫策の時も沙羨まで攻め込んでるというが結局、江夏は得られなかった
これと同じと考える方が劉備の挙動を考えると自然ということになるんだが
>>391 魯粛伝に「備遂到夏口、遣亮使權、肅亦反命。」ってあるよ
>>389 それじゃ2万の大軍が対岸に現れるのを孫権はただ座視していたとでも言うの?
大体、夏口を放棄したなんて記述はないし、もちろん劉表や劉キに奪い返されたなんて記述はないよ?
孫権が夏口に入れたか、夏口が統治者なしだったかの何れかでしょ?
そりゃ鄂や沙羨まで招いたなら怪しいが最前線の夏口までなら無いとは言えないでしょ。
後、連絡を取り合ったってのは推測以前の話でしょ。
官庁は史書に残らないけど存在したし、随員も史書に記録されないけど当然いたでしょ。
それなのに早馬も舟も使わずに、
ただ自分が復命するまで、経過の報告や支持を仰がないなんてありえるとでも?
ましてや2万の大軍のことを連絡しないなんて間抜けがいるなんて信じたくないよ。
ちくまの誤訳かな。
反命が復命になってるが。
>>393 その「反命」は「使者が帰って使命の始末を報告する」(新字源)だろ、どう考えても
397 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/15(火) 23:09:07
誤読age
>>393 それは筑摩訳と一緒で復命したで良いと思うが…
そもそも魯粛は劉兄弟が離反していれば、
劉備と共同して曹操とあたることを念頭にした策を献策し命を受けていた訳だから
>>392 柴桑と夏口の位置を見たらいい、
もっと西なんて言うが、揚州からでて荊州に入ってしまうでしょ?
208年に切り取った江夏の長江南岸に政庁を置くなんてどういう事よ?
>>394 対岸?
魏書には曹操の死去に前後して襄陽を放棄した、なんて書いてないけど実際は放棄してて、後で取り返したりするように
放棄の記述は非常にわかり辛いようになってるが
しかもガク持ってること前提にしてるようだけど、ガクも持ってるか怪しい段階だろ
>>396 普通に命に叛くって読んでたけど辞書引きなおしたら確かに報告の意だな
これは俺が単純に読み違えてた
まあ、そこが間違ってても論旨にはあまり関係ないけど
>>398 鎮撫ってことだろ
曹操だってギョウを落としたら即刻自分でギョウに入ってるぞ
何ら不思議なことではない
>>399 晋書宣帝紀に曹仁を襄陽から宛に退かせたとある。
曹仁伝にもある。曹仁伝では臨潁にひいたとあるよ。
わざと無視したの?
鄂を持ってないとする根拠は?
>>401 陳寿の三国志内部での整合性の話しだが?
>>400 夏口を落とした後は入城してるでしょ。落としたのに入城してないってどういう事?
で、だからって夏口に留まる理由には並んでしょ。現に留まっていないし。
>>402 曹仁伝にもあるって書いてるでしょ。マジでわざと?
それに陳寿の三国志の整合性って、何勝手に三国志に限定してるの?
晋書や後漢書等も使って整合性を図るのが史料の扱い方でしょ。
鄂を持ってないとする根拠は注釈では劉備が鄂まで行った事になってるものがあるからだよ
魯粛にどんな思惑があっても軍隊を町の中まで入れられないだろ
鄂長がいるなら尚更、そんな乱行に出られるかね?
>>403 曹仁伝でも放棄した、とは書かれてない
曹仁は宛に駐屯したとあるだけ
襄陽を放棄した、とは書かれてないぞ
三国志に限定した話だったのは俺が自分で三国志では、と書いたつもりになってたからだな
説明不足で悪かったよ
>>404 魯粛の計に従ってって江表伝にあるじゃないの?
もっとも長江南岸の鄂県に進んだのでは、魏志や蜀志、呉志とも整合性がとれてないけどね。
>>404とかは正史で魯粛が単独で行動してる限定での話だよな。
でも、正史で魯粛が単独で行動してる記述はないようだが?
>>406 南岸と言ったって夏口とは長江挟んで東側にあるわけで、夏口から柴桑のちょうど中継地点にあるよ
>>405 だから何?
宣帝紀と曹仁伝、呉主伝註で整合性がとれているのに問題があるとでも言うの?
>>404 だから何で、魯粛が独断したとなるの?
孫権と連絡取るくらい馬と舟使えばそれこそ誰でも出来るし、
確認を取るなんて、人間の営みでは極々ありふれた行為でしょ。
確認作業をわざわざ史書に記述するとでも思うの?一体何文字何行の史書ができあがる事やら?
まあ、この江表伝の記事は眉唾物だけどね。
>>407>>409 魯粛が最初孫権に持ちかけてる劉備との同盟は荊州を保持している事が前提で
孫権もそれを聞いて急いで行ってこいと送り出したとあるので
荊州無い劉備との同盟は完全に独断、しかも曹操来てないって前提での話し
何でこうも喧嘩腰なのですしょうか?
読んでて頭が痛くなりますから落ち着きましょうよ
むしろ、そこまで独断だったら史書に書かれてないほうが不思議じゃね。
>>412 だから魯粛伝に「即共定交」と特筆されてるんだと思うけど?
>>408 そうだよ。そして曹操と劉備が長江挟んで対峙するのは、夏口にいるのと大きな違いだよね。
>>410 魯粛は馬や舟を使って確認なんかするわけないというわけだ?
現在でも携帯電話やメールで確認取るだろうし、
当時でも時間的差はあれど確認作業、少なくとも報告くらいするだろうに…
>>414 という事は孫権は予め曹操との敵対を定めてたわけだ?
にも関わらず会議でどうするか方針を喧々諤々として
さらに魯粛は孫権に徹底抗戦を訴えた、と
連絡取れてる割にはおかしくないか?
>>413 ちょっと待ってよ。
それは諸葛に、子瑜の友人ですと自己紹介し、即、交友を結んだってやつじゃないか?
孫権は最初から曹操と敵対を決めているんだが?
なんで魯粛が使者に赴いたと思ってるんだ。
>>415 孫権が反曹操の意志を持っていたことは魯粛伝周瑜伝でも明らかでしょ。
その孫権に徹底抗戦を促すのが可笑しいか?
>>417 敵対は決めてないよ
これまで敵対してた荊州と喧嘩するのやめようって言ってるだけで
一緒に曹操倒そうと言えば奴らは間違いなく乗ってきますぜ、とは言ってるが
>>418 おかしいねぇ
既に方針が決まってる関羽の時は促されずとも行動してるじゃないか
>>419 その荊州があっさり消えた時の方針までは決めてないよな、孫権たちは
だから、魯粛が劉備と共に曹操に当たると決めるのは独断
ただ、劉備が夏口に入って魯粛が孫権の元へ行った段階では孫権部下の意見は割れていた
つまりまだ曹操への去就は決まっていない
この状況は夏口がまだ孫権領とは認識されてない段階でしかありえない
あくまで劉キ領夏口に劉備たちがいるという形で、まだ孫権の去就は曹操には分からない
もし孫権領夏口に劉備が平和的に入ったのだとすれば、もう孫権はすでに曹操に与しないことを表明したも同然
部下は悠長に曹操に付く付かないを議論するどころではなくなっている
つまりこれは史実に合わない
>>422 兵糧庫云々ってのは関羽軍の兵糧が足りなくなってるってだけじゃないか
3万も捕虜取って兵糧不足になってるんだから、あとは兵糧不足のタイミングだけだろ
呉の糧秣を奪ったってことはもう限界まで困窮してるって証拠なわけで
そりゃ、促されたんじゃなくて報告があったから今だ、とゴーサインだしただけじゃん
>>421 それは可笑しいね。
というか、そんなの関係ない。
圧倒的軍事力と廷の威光に対し、現段階で勝算がない限り、
曹操を受け入れろという意見が出ることは可笑しくないし、
夏口に劉備を受け入れたって、それイコール、最終的な去就とはならない。
>>424 敵対を予め決めているなら、圧倒的軍事力ってのは既に織り込み済みだろ
そんな意見を含めて結論出してる筈なのにまた揺れるか?
>>420 人間は変心するものだと言うことを忘れていない?
方針通りに行くことも有れば気が変わることもある。
変更を迫られるときもある。
弱気になることもある。群臣に押し切られそうなときもある。
なかなか決断できないときもある。
ただそれだけでしょ。
>>426 おかしいねぇ
城に軍を入れる程、勢力として徹底して敵対を決めているなら
むしろ行き成りそんなグラグラブレたりなんか出来ないと思うんだが
>>425 んな簡単に全ての人間が割り切れるものか。
目前に迫って怯えるなんて珍しくもない。
>>425 そんなもん劉jが戦わず降伏したからだけじゃん。
>>427 逆もしかりだろ。徹底した降伏ではないから招き入れたと。
>>429 だから劉j降伏時点で方針が未定になった筈なのに
>>417のように最初から敵対を決めてたとはならんだろ
招き入れは徹底的な抗戦の意思表示にしかならんぞ
しかも自領の城郭内に入れたという事は、下手に捕らえようとすれば大暴れされるから
劉備を捕らえて曹操に売るわけにもいかない
招き入れた時点で降伏なんて出来よう筈がない
つまり結論としては、夏口、江夏は赤壁以前までは依然として孫権は領有しておらず
赤壁後のドサクサに紛れて孫権が劉備、劉キから火事場泥棒的に奪い去った
>>427 だから?
劉備軍を入れたから、もう曹操につくことはありませんってか?
仮にそんな言を内外に公表したとして何の保証になる?
土壇場での降伏、寝返りなんて珍しくもない。
だが現に孫権が、夏口を落とした記述があり。
劉キが奪い返した記述はなく、孫権が放棄した記述もないのよ。
群臣は、相当揺れていたんだと言うしかない。
>>430 それは君の主観にすぎないね。そんな決めつけは意味もない。
意思表示しようが意志がねじ曲がらないなんて言えるものか。
招き入れようが、裏切ることも出来るし、敵に売ることも出来る。それこそ曹操と囲むこともね。
それが出来ないかどうかは劉備と孫権と曹操の行動次第でしょ。
そもそも仮定の話で、圧倒的な状況的差異がなければ
成功するかしないかなんて分かるはずもない。
ましてや君の決めることでもないし、それを根拠に記述のない事が罷り通るはずもない。
出来よう筈がないなんてのは子供の言い分ですね。
>>430 >招き入れた時点で降伏なんて出来よう筈がない
これの根拠が全く無いよ。ただの推論でしかない。
435 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/16(水) 01:24:34
みんな妥当と思うのをそれぞれ信じればいいよ
>>434 身一つで逃げた袁兄弟と違って2万という当時の呉の動員出来る兵とほぼ同数を引き連れた劉備を
どうやって裏切って一方的に殺すことができようかね
武装解除した捕虜じゃないんだぞ
>>436 2万って諸葛亮や魯粛のハッタリを真に受けるなよ。
関羽水軍1万ってほとんどが難民だし、劉キの1万も劉表から貰った
兵丸々逃げずに付いて来ると思うの?
>>432 そもそも黄祖が常に夏口にいたわけじゃあないでしょ
黄祖が夏口にいたことが判ってるのは禰衡を殺す時と甘寧が来た時だけ
つまり199年〜203年くらい
その後も孫権たちとあちこちで戦ってる上にどこか知らんけど落城してたりして
でもまた夏口は健在でさらにまた戦ってる
黄祖が死んだ時もただ一言「城」と書かれててどこが落ちたかわからないよ
>>437 難民なのは劉備本隊
関羽の水軍は追い立てられる前に予め分かれた1万だよ
劉キの1万も曹操の追撃が無くて無傷な状態だろ
むしろ2万を否定する記述はないぞ
>>436 一方的に殺す必要があるのかね?
裏切るなら、別に曹操と囲んでも良い。
それこそ劉備を攻めることで降伏の証拠にしても良い。
もちろん曹操がそれを信じず、孫権を利用しても良い。
裏切らずに劉備と同盟しても良い。
それだけの事でしょ?
仮定の上で、作戦や兵糧の多寡、兵の武装、疲労や士気、城の防備等々、不明なことだらけなのに、
なんで成功の可否が分かるのかね?
>>438 残念。董襲伝に皇祖がベン口(夏口のこと)を守ろうとしたとある。
>>440 一方的に殺せないなら、そもそも城に入れるのが間違いだろ
夏口は後の攻防戦見てると結構堅牢だぞ
ちなみに漢水の上流はベン水ともいい、
その河口(長江との合流地点)だから夏口を別名、ベン口というそうだ。
>>439 先主伝にしっかり難民を分けて乗せたとあるが?
劉gの兵ははあくまでも劉j(劉表)軍のもんだぞ。
そんだけ指導力があるなら長男なのに冷や飯食らいにはならないじゃね。
>>442 それで?
間違いかどうかなんて仮定で決めつけてどうするの?
歴史を神の視点で見るなら結局、劉備と同盟して協力して曹操と当たり成功してるけどね。
そりゃ失敗する仮定を前提にすりゃ間違いだろうけどね。
そういうのは詭弁って言うのよ。
>>441 始欲出大江為夏口,又為ベン口って史記の注釈にあった
今確認
>>439 比到當陽、衆十餘萬、輜重數千兩、日行十餘里、別遣關羽乘船數百艘、使會江陵。
書いてないよ
こんな事があった。
曹操に攻められた陶謙を劉備が救援し曹操と敵対した。
曹操に追われた呂布を劉備は迎え入れた。
袁術と争う劉備に隙をついて呂布が領地を奪った。
その呂布に劉備は身を委ねた。
劉備を攻めた袁術に対して、呂布は劉備を助け和戦させた。
袁術が呂布と婚姻関係を結ぼうとしたが呂布が娘の嫁入り道中の内に取りやめた。
袁術は呂布を攻撃した。
呂布は曹操に反旗を翻し劉備を攻撃した。
曹操は劉備を救援した。
呂布は袁術に救援を求めたが、救援はなかった。
呂布は虜になり曹操に斬られた。
劉備は曹操と都に行ったが結局離反した。
曹操は劉備を攻めた。
徐州を巡り愛憎、離反、協同、また離反と凄まじいドロドロの人間模様。
利害や道理、論理などだけでは語れない。それが人間だと感じずにはいられない。
裏切りは、あり得ないなどと言えるものだろうか?
>>447 結局その裏切りって多くが受け入れた側が受け入れてもらった側を裏切ってる状態だから
孫権の取り得る行動の類型とはならないと思うけどなぁ
>>448 何いってんのよ。
こんな複雑珍奇な例がそうそう転がっているものか。類型になどになるものか。
だが、こんな複雑な裏切りの応酬が存在したというのに、
仮定の話で裏切りが起こらないと言い切る人間の神経は理解できない。
>>450 起こらない、じゃなくて裏切るならもっと妥当なところでやるだろって話しな
態々倒しにくくしてから裏切るなんて下手すりゃ反撃食らうのに何でそんな事すんの?
>>451 何時まで仮定をこねくって頑張るのよ。
反撃食らかもしれないからコワ〜イ、裏切って戦争できな〜い。
負けるかもしれないからコワ〜イ、だから降伏しよー
降伏しても騙し討ちされるかもしれないからコワ〜イ、だから戦争史よー
でも反撃されるかもしれないからコワ〜イry
アホかってのw
>>452 怖いから、じゃなくて意味ないんだよ
あとリスクリターンの問題
>>451 君は分かってないのよ。
結局仮定に終始してるから、恣意的に有利な可能性だけを選択しているけど、
所詮は仮定の話。逆説的仮定の応酬に終始するから無駄。
>>453 じゃあ、それに合わせよう
反撃食らうかもしれないから意味ないので、裏切って戦争できな〜い
負けるかもしれないから意味ないから、降伏しよー
降伏しても騙し討ちされるかもしれないから意味ないので、せんそうしよー
反撃食らうからry
でも歴史は変わらないのであった。
>>454 そういう話じゃないんだが
結局のところ魯粛は独断だろ
>>455 でも仮定だらけで論理を組み立ててるでしょ。
魯粛が独断だと仮定して、独断じゃ軍を入城させられないと仮定して、
劉キは夏口を領有していたという記述にない仮定が、成立する訳だ。
だから孫権は夏口を落としたけど、放棄したと記述にない仮定か、
もしくは劉キが夏口を取り返したと記述にない仮定が成り立つわけだ。
だから赤壁の戦い前に孫権は夏口を領していないのだ。と言う結論に導かれるのだ。
ついでに胡綜が鄂県長として納めていたのも疑わしい記述にないけどね。
となる訳ですね。
魯粛伝に夏口に来たときに細かい情報を得てるんだから、最低でも連絡は取り合っていた事は分かるのに都合の悪いことは全否定ですね。
とりあえず、スレタイ読もうぜ!
460 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/19(土) 14:00:48
sureti
先主伝では劉gが劉備と合流した時に「衆萬餘人」
を率いてて,その後に夏口に入っている。
諸葛亮伝では諸葛亮が孫権を説得した時の劉gの戦力を
「不下萬人」とし合流前から増えていないから,
劉gは夏口を確保していなかったのでしょう。
462 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/02(土) 00:57:54
だましうち
463 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/22(金) 00:00:50
意外にも勉強になったな。
俺も演義の影響で同盟は魯粛の単独だったと思ってたな。
464 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/22(金) 13:43:23
劉奇が夏口を確保してないとやっぱり孫権の援助で荊南4郡を手に入れたのか。
465 :
杜若 ◆38ch/tbJcA :2010/01/22(金) 14:42:01
張仁は超人
466 :
杜若 ◆38ch/tbJcA :2010/01/22(金) 14:42:44
張任だってヴぁ
てへっ//
467 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/22(金) 15:36:19
>>464 援助というよりは、「勝手に占拠してもいいよ」という程度じゃないかな?
>>467 土地基盤もなく長期戦争なんて無理だろ。
469 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/22(金) 15:53:36
>>468 だからこそ、孫呉は南郡を撤退したんだろう。
劉表勢力含め、荊州は地盤的に荊州牧の劉備に傾く可能性が高かった。
そうなると、孫呉の統治では破綻する危険性も孕んでいた。
>>469 それは劉備があの当時に土地基盤があった反論にならない。
ホウ統伝に、周瑜が劉備の荊州取りを助けたとあるよ。
劉奇が夏口を確保する前は流浪軍だったのかって話で。
そんなことはないだろ。
>>468 長期戦争ではなかったんじゃない?
県レベルの都市を1つ2つ押さえられれば
それを拠点に戦えるし。
473 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/22(金) 16:13:00
>>470 話を戻してすまんが、
>>468でいう長期戦争ってのは対曹操だよね。
劉備は、孫権と曹操の対立している隙に荊州の地盤を確保してるので、
当時は確たる地理的な基盤は無かったに等しいと思う。
あったのは、荊州牧という大義名分。
そして、それが集めるであろう土着的な人心。
>>471 結果的には、周瑜が曹仁と戦ってる隙に劉備が領地拡大したので
助けたとも言える・・・・・・
>>473 周瑜伝註でも将兵の貸し借りの記述がある。
自分の都合の良いように解釈しないようにね。
475 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/22(金) 16:26:06
>>474 江陵に至るまでの一連の戦闘では、劉備と周瑜の間で確かに貸借があるね。
ただ、それが「荊州取りを助けた」とは、どうも思えないなぁ・・・・
そもそも、周瑜には劉備に荊州を取らせるつもりがあったのかどうか。
ただ単に、江陵陥落に必要な軍事力として劉備を利用した節もある。
結果的に荊州を劉備が取る助けにはなったが、そこに「助ける」という周瑜の
意思が介在していたかは疑問。
>>475 疑問て言われてもね。
要は赤壁から一連の共同作戦な訳で、
回りくどい書き方せずに、劉備の荊州取りを助けたと直接的に書かれてるんだから、
刑南四郡取りに協力したで何か問題でもあるの?
>>476 協力すべくして協力したかどうかは、すごく重要な気がしたので。
江陵での一年戦争は共同作戦の範疇だろうけど、荊南四郡を劉備が
押さえるまでが作戦だったのかも分からない(俺は)。
周瑜が劉備をどうしたかったのか、って話になると思うんだが・・・・
彼は、劉備が荊州に地盤を固めても問題ないと思ってたのかな。
その後、勝手に南郡切り取ったりして益州狙う気満々だけど。
>>477 そりゃ作戦でしょうに、
劉備の荊州取りが、荊南四郡奪取以外とするのは無理がある以上、
周瑜が助けたのは荊南四郡奪取で間違いない。
蜀書ホウ統伝の記述だから劉備側は周瑜が助けたとしてる。
つまり両者に合意があったとする他ない。
周瑜が劉備の伸張を快く思っていなかったであろうことは、
後の彼の行動から推察されるが、
それでも協力した以上、そうせざるを得なかったのかもしれない。
>劉備の荊州取りが、荊南四郡奪取以外とするのは無理がある以上、
>周瑜が助けたのは荊南四郡奪取で間違いない。
吳將周瑜助先主取荊州,因領南郡太守.
赤壁から南郡奪取までの戦いと見ることは可能。
むしろ荊南四郡の奪取を呉側が助けたという記述はどこにもない。
南郡平定は両者が共同して行っている。
>蜀書ホウ統伝の記述だから劉備側は周瑜が助けたとしてる。
つまり蜀側としては、南郡平定は「劉備が主、周瑜が客」という主張にも読める。
>>481 話が伝わらんな。
周瑜が南郡太守を領したのはどの時点だよ。
>>482 むしろ逆だ。
先主劉備がずっと公安にいるのに、いつ南郡太守になった?
>>478 周瑜(孫呉)が、劉備の荊州での台頭を歓迎するとは思えないが、
あの時点ではどうしようもなかったのかも知れんね。
兵の貸借に関しては、そういう意味で当面の利害の一致に基づく
妥協案だったんだろうなぁ。
周瑜がその後、劉備をどうするつもりだったのか気になる。
>>483 劉備が公安にいると周瑜は南郡太守になれないと言いたいの?
劉備は荊南平定後、周瑜が死ぬまで公安にいるようだが。
>>485 違う、劉備がいつ南郡太守になったかって聞いてるの。
>>484 兵の貸借は疑わしいよ。
呉録の記事だし。
あったとしても江陵平定作戦行動に限ったの一時的なものである可能性はある。
だいたい、1000貸すから代わりに2000貸せなんてチンケすぎる話。
488 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/22(金) 18:53:29
劉備ほどシタタカな人間はそうはいないだろ
コイツは極悪人
>>486 俺はそんなことは一言も言っていない。
吳將周瑜助先主取荊州,因領南郡太守.
主語は変わってないだろ。
「吳將の周瑜は先主が荊州を取るのを助けた」
「(吳將の周瑜は)そのため南郡太守を兼任することとなった」
ホウ統が南郡の功曹になる経緯を話してるんだから。
なぜ周瑜の遺体を呉に運んだか→周瑜が南郡太守だったから
なぜ周瑜は南郡太守だったか→劉備と助けて南郡を陥したから
>>487 なんで江陵平定作戦で将兵の貸借をする必要がある?
>>489 >なぜ周瑜は南郡太守だったか→劉備と助けて南郡を陥したから
これの根拠は?
>>492 ホウ統伝がそう書いてるだろ
吳將周瑜助先主取荊州,因領南郡太守
>>493 書いてあるのは「周瑜は先主が荊州を取るのを助けた」
>>490 わざわざ周瑜が借りを作るとは思えないので、客観的に分析して
呉軍のみでの江陵攻略が困難だと考えたんだろう。
>>494 それなら荊州=荊南四郡とする根拠もなくなるよね?
俺は周瑜が南郡太守になった時期を予想して
「荊州」を一連の対曹操戦(赤壁〜曹仁)と見たわけ。
呉側に荊南平定への参戦の記録はないし。
>>496 なくならないよ。
「荊州」を一連の対曹操戦(赤壁〜荊州平定)だし。
しかも荊南四郡は貸してあるとはっきり呉側に書いてある。
>しかも荊南四郡は貸してあるとはっきり呉側に書いてある。
どこに?
>>498 ああ、魯粛に書いてあるのは荊南三郡か。
どちらにしてもあまり変わらないけど。
>>497 それと、「荊州を取るのを助けた」のであれば
荊州平定のごく一面で関与してても十分だよね。
「荊州」と書いてある以上、荊州平定の全行程に関与してないとおかしい!なんてことはない。
上に書いたように、周瑜が南郡太守になった経緯を書いているんだから
荊南とはまったく関係ない話。
>>499 先是,益州牧劉璋綱維頹弛,周瑜﹑甘寧並勸權取蜀,權以咨備,備內欲自規,
仍偽報曰:「備與璋託為宗室,冀憑英靈,以匡漢朝.今璋得罪左右,備獨竦懼,
非所敢聞,願加ェ貸.若不獲請,備當放髮歸於山林.」
後備西圖璋,留關羽守,權曰:「猾虜乃敢挾詐!」
及羽與肅界,數生狐疑,疆埸紛錯,肅常以歡好撫之.
備既定益州,權求長沙﹑零﹑桂,備不承旨,權遣呂蒙率進取.
備聞,自還公安,遣羽爭三郡.肅住益陽,與羽相拒.
肅邀羽相見,各駐兵馬百步上,但請將軍單刀俱會.肅因責數羽曰:
「國家區區本以土地借卿家者,卿家軍敗遠來,無以為資故也.
今已得益州,既無奉還之意,但求三郡,又不從命.」
>>409 ちくまでは「(貸し与えたあった)長沙﹑零陵﹑桂陽の返還を求めた」と訳してあるが
原文では「長沙﹑零﹑桂を求めた」ってだけ。
貸与した領土をそのまま返せというならそれこそ南郡の返還になるわけだし
この荊南三郡は貸与していたので返還を求めたということではない。
>>503 だから、本来奉還すべき土地=荊南三郡じゃないから
>>504 本来奉還すべき土地うち荊南三郡だけでもって意味だろ。
>>505 南郡も荊南三郡も本来は呉のもので
荊州貸与前に劉備が領有してたのは公安周辺と武陵だけとでも言いたいの?
本気?
武陵を呉が領していたと見なす意見はあるが
荊三郡を呉の領土と見なすのは初めて聞いたよ
>>506 だから呉が荊南平定を手助けしてるんだろ。
>>507 だから呉が荊南平定を手助けしてる根拠がない。
>>508 だから呉が荊南平定を手助けしてない根拠がない。
さっきまで言ってた
「呉は荊南三郡を貸与していた」は撤回でいいの?
>>510 なんで?
断定的でも呉の援助があり、荊州を貸していたとはっきり書かれているのに。
>断定的でも呉の援助があり、荊州を貸していたとはっきり書かれているのに。
だからこんなこと書かれていない
呉の援助などは書かれていない。
貸与について分かっているのは南郡だけ。
やはり、魯粛の戦略が当たった結果だろうな。
江陵から撤退して、貸しを作る形にした事で、非常に厄介な外交カードを残せた。
>>512 じゃあ、荊州返還は蜀側にも呉側にもあるがなんて訳すんだ?
二十年,孫權以先主已得益州,使使報欲得荊州.先主言:「須得涼州,當以荊州相與.」
先主伝には「返還」とは書かれていないな。
原文出してるんだから、訳ぐらいしろ
呉は、周瑜没後に南郡から撤退して劉備に借りを作った。
後に南郡返還を求めるが、代わりに荊南四郡の譲渡でも良いとする。
結局、劉備が呉を舐めていたので、荊州はブン取られた・・・・・・
大まかな流れは、これでいいのだろうか。
訳の時間的コストは馬鹿にならんだろ
>>518 「使使報欲得荊州」に対して「當以荊州相與」と返した答えとして辻褄が合わない。
だいたい借りが南郡のみであるならそれらしい記述が一個も無い。
蜀漢の公文書や歴史では譲られたように書き、
呉では貸したように書いていたんだろうな。
取り決めの実際がどうだったか陳寿には判断出来なかったので、
蜀志と呉志でニュアンスを変えたと。
劉備が「涼州を得たらそれで荊州に当てるよ」と答えているところを見ると、完全な荊州譲渡ではない…
少なくとも劉備は孫権が申し入れた共同戦線を欺いて単独で益州に入ったわけだから、
遅くともその時には孫権を宥めるために何らかの妥協が成立していた可能性は高いだろう。
當以荊州相與
これは荊州を「相與」(互いにあずかろう=折半しよう)で良いの?
南郡を返せではなく荊南3郡を要求したことからも
単に譲渡した土地を返せということではないんだろう。
戦略的にも、南郡を返せというのは適切ではないというのは
両者にとって暗黙の了解だったか。
結果として呂蒙は実力で3郡を奪取したにも関わらず、
2郡返還という結果に落ち着いたことからも
荊州を丸ごと貸し借りしていたのではないんだと思う。
>>522 >蜀漢の公文書や歴史では譲られたように書き、
譲られた?
>劉備が「涼州を得たらそれで荊州に当てるよ」と答えているところを見ると、完全な荊州譲渡ではない…
荊州譲渡は蜀の認めてることだろ。
>>523 曹操の漢中攻めが絡んでくるから結果だけ取り上げてもしょうがない。
この時代の約束事なんてその時が過ぎれば口実にしかならないってのは確かだろうな。
劉備も涼州を得たから荊州を返すなんて口先だけに違いないし
孫権の方も、もし劉備の本軍が急行して来なかったら獲れるだけ分捕ったのは間違いない。
527 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/25(月) 15:00:34
約束についてだが、具体的な例で有名な裏切り行為って何がある?
・呂布の主君殺し 仕えていた丁原、董卓を殺害
・劉備の蜀獲り 孫権の誘いは断りながら、益州攻略
・孫権の荊州攻め 関羽北上の隙に本拠を奪取
・孟達の国移り 蜀から魏へ、魏から蜀へ
・呉の蜀攻め 魏の攻撃に便乗して、ごっつぁん侵攻
孟達は孤立したから魏へはしょうがない。蜀へは自業自得だが。
呉の蜀攻めは微妙。217年に曹操に降伏してるし、関羽とのやり取りでも同盟を継続していたかはわからん。
あと劉備は曹操にも裏切ってる。
曹操は献帝にひどいことしたよね
漢の皇帝達は国民にもっとひどいことをしたよね
曹操は徐州の民にry
徐州なんて比べものにならないぐらい人口が激減りな皇帝達。
いい加減な不作為で戸籍上の人口を減らすのと
明確な殺意によって無差別殺戮で根絶やしにするのと
どちらが罪深いか責任が重いかといわれれば
判断の分かれるところでござろう
それは判断分かれないだろw
535 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/27(水) 23:53:51
劉備の場合、国獲りの不義に対する批判って実際どうだったんだろう。
中原も国の奪い合いだったけど、その辺りは戦国の習いってやつだったのかな。
536 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/28(木) 00:02:59
劉備は皇帝の器ではない
国主としても並
将としては一流だが裏切るので兵を任せられない
537 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/28(木) 00:35:21
>>535 国獲りって蜀獲りのこと?
それなら劉ショウの益州支配が正統性なかったわけだし
それほど批判はなかったと思う。
538 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/28(木) 01:20:41
し
牧に任命されたのに正当性ないの?
親父に逆らって疎まれた上にみんな玉砕する気だったのに民衆を苦しめたくないとか抜かして降伏した偽善者だからな
こんなクズ裏切られて当然、後に北伐玉砕国家へと蜀は変われて本当によかったと思う
>>535 当時の話としてなら,まあ「有り」って所でしょ
ただ,孫権に荊州を奪われたのも「有り」だろうけど
543 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/28(木) 15:23:26
しかも劉焉自身が無茶やってるし
劉備って天性の詐欺師だよね
詐欺師というか、超能力者とか催眠術師の類いに思える。
あれだけ敗走と裏切りを繰り返して、劉備を受け入れた者達は皆
悲惨な末路を辿ってるのに、行く先々で歓待されるとか凄すぎる。
>>542 赤壁前後に劉璋自身が朝廷へ帰順しているね
>>546 そしたら使者がぞんざいに扱われたってんで即刻裏切ったがね
そうだね。
で、劉備が朝廷の名代として劉璋を討伐したのだとでもいう気かい?
549 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/29(金) 14:13:52
劉ショウは朝廷への忠を尽くさず、かといって朝廷を牛耳る曹操討伐の兵も挙げず、
劉備に攻撃されても何も反論出来ない状態。
劉ショウ「卑怯だぞ!」
劉備「なにがどう卑怯なの?」
劉ショウ「えっと…」
約束を破るとか
だまし討ちするとか
一般論では卑怯と言われても仕方がないことだろ
ただ乱世にもかかわらず
だまし討ちの経緯が
「そりゃ騙し打ち喰らうだろ」という暢気な対応をした挙句に
やっぱり騙し打ちだったというような場合は
むしろ騙されたほうがフヌケ過ぎるということと
乱世ではその程度は当たり前のこととして感覚が麻痺してしまうことで
だまし討ちしたほうへの非難が極めて少なくなるということもあるだろう
当時殆ど非難されなかったというのは
別にとりたてて劉備の行為の正当性を示すものではない
もちろん後世から見てそれが卑怯に写るかどうかは後世の価値観でしかない
だがその上でやはり劉備のアレは充分すぎるくらい卑怯ではあった
劉ショウの益州支配が朝廷に帰順しない不当なものであるとか言いだしてもそれはお互いさまであり無関係
それをいいだせば涼州や遼東や江東や荊州はどうにもならない
例えば闇金業者に詐欺を仕掛けたら
立件されるされないは別として刑法上は詐欺罪というしかないだろ
つまりは地方軍閥どうしの信義の問題に帰結する
その信義に反してだまし討ちしたら
どういう事情や建前や名分があってもその行為自体は卑怯であることにかわりはない
しかし信義に反しようが卑怯だろうがそういうことが全く瑕にならないのが英雄の格というヤツだ
この事件で劉備の魅力や長所が損なわれるわけではないし非難できるわけでもない
仮に後世の卑怯だという評が時を遡って劉備本人の大きな耳に入っても「それがナニか?」ってなくらいのモンだろうな
551 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/29(金) 14:56:43
「乱世」ってなんだよw
劉備も劉ショウも漢臣であり、劉備には大義があったが劉ショウには皆無。
劉備があまり批難されなかったのは劉姓のお陰。
もともと地方軍閥というか地元を仕切る893の組長みたいなものだったんでしょ?
でもって荒くれ者として流れ着いた関羽や張飛と義兄弟の契りを結んだみたいな
のしあがってく過程ではそれなりにやばいこともやってるのに
変にいい人操作して、逆に偽善者っぽくなってるというか
>>553 劉備は軍閥でもヤクザでもない。
賊討伐から役人になった人間。
いきなり私兵集めて賊討伐ってのがさ
>>548 そうではなく劉璋には正当性を主張する基が親が牧でした、くらいしかないってことだ
>>553 旗揚げ当初から関張は劉備の親衛隊みたいな役割だったので
旗揚げ以前からどうも仲良しこよしのようだq
つーか劉焉は逆賊だし
劉璋討伐はそこまで批難される事でもない
劉焉は前後左右の4人の司馬を設置したり
なんか色々と無茶をやってるからな。
車馬を整えて劉表から謀反を疑われて訴えられたりしてるし。
こういうとこなんだよな、劉備の凄い所って。
他の群雄達がやったら「卑怯」「悪辣」と責められるようなことでも
劉備がやれば「大義のために」「乱世だから仕方ない」とか、揚句には
「他の奴らも似たような事やってるじゃん」になってしまう。
いくら他のやつらがやってるからって、自分もやっちゃったら
「大義」は通らんだろうに。
と思ったら通っちゃう。支持されちゃう。そこが凄い。
劉備というのは支持を受けるために便宜を図ったり民衆に恩恵を施す政治力を持ってる人間なんだけど。
「支持されちゃう。そこが凄い」とか意味不明な超能力みたいな言い方をするのはかえって過小評価だよ
劉姓だからじゃなくて、行動の一つ一つが義にかなってるとされたからだろ。
もちろんそれは演義みたいな完全無欠の正義の人といったものじゃないけど
厳しい場面で厳しい決断をしている。
たとえば劉ソウを襲わなかった点とかね。
義というより宜だね
自己アピールが上手いのは間違いない
そしてどこが凄いのかよく分かってない後世の人間にも受ける
>>564 もし劉ソウを襲っても要塞裏陽に籠られて攻略するのに時間が掛り
そうこうしているうちに後ろから曹操の軍が迫って挟み撃ちに遭う確率が高い
それなら江陵に退避して劉ソウや曹操に対抗できる状況を目指すのが自然
>>567 劉表や蔡ボウともつながりのある諸葛亮が勧めている点から考えると、襄陽を速やかに落とすことについては何かある程度の勝算があったんだろう
内通者とかな
ただ、勝ったとしてもすぐに曹操との全面対決が待っている襄陽攻めを避けるのは戦略的にも間違ってないと思う
劉表や蔡瑁とのつながりって黄承彦のこと?
どの程度の繋がりがあったか分からないし
蔡瑁経由の人脈では内通なんてまず不可能でしょ。
襄陽も江陵もNGだったのが誤算だろ
関羽に拾われたのは偶然
関羽の乗ってた船ってどこから調達したんだろうな
襄陽だろ
城の中に篭ってるだけで港までは守れない
すぐに乗っ取って曹操と直接対決するか
一旦遠くに逃げて独立するか
どっちが効率的なんだろうか
>>567 理由については劉備自身が語ってるだろ。
もし当時の劉備が軍事的な戦略のみを考えてるなら、
関羽と共に船で江陵に行けばいいだけ。
新野の士民を見捨てなかったことなどのひとつひとつの行動をもって
劉備はその正当性を確保していった。
ま、流民を見捨てなかったことについては「肉の壁」とかほざく馬鹿もいるけど。
同行を望んだ民衆というのは将兵の家族が主体だろうな。
家族を曹操の勢力圏に置き去りにしては軍が保てなくなる。
長年掛けて育てた中核軍を失っては再起の見込みもなくなる。
劉備にとっては窮余の策だった。
そういえば着いていった民は結局どうなったの?
>>576 それかどうかわからないが、トウガイは荊州から連行されて屯田民になっている
付いて行った民で逃げ切れなかった者は曹操の屯田民に組み込まれたんだろう
>>576 曹公はその衆・輜重を大いに獲た、とある。
逆に劉備が公安に治所を定めると、曹操に就いていた「劉表の吏士」が多く叛して劉備へ就いた、とある。
>>563 仮にそれを劉岱や劉延や劉表や劉ショウあたりが同じようなことをやったとしたらどうか?
その辺は人望というか人気というかあるいはある種の政治力かもしれない
さて普通に考えて当時の一般庶民が『国家の大義』というものを日常的に意識して生活しているわけはない
当時に限らず一般庶民の関心事は自分たちの生活なんだから
労役や税の取立ての甘さ厳しさや治安安全保障など日常生活の根幹に関わることが政治に対する関心の対象だっただろう
庶民に都合のいい『善政』であれば庶民にとって王朝の正当性なんかどうでもいいわけだ
だから黄巾の乱は広まったわけだ
と庶民が王朝の正当性という大義に無関心ならば
庶民が劉備に見出した大義とはなにか
劉備が荊州で曹操の大群から逃げた時に何故劉表の旧臣で高位の者は劉備に従わなかったのか
(伊籍や陳震あたりは決して旧臣の中では実力者ではないどちらかというとうだつが上がらなかったから劉備についていって名を残した人物)
居残り組みは劉備に「義」を見出さなかったのではないか
(そもそも恩義ある旧主の息子を置いて劉備についていくことが不義ではないのか)
そして劉備が英州を征服した時に不義を責める声が殆ど上がらなかったというが
果たして庶民がそんなニュースをいちいちチェックしているか?
仮に耳にしたとして遠い益州の地の事変よりも目の前の日々の生活が庶民には大事ではないか
つまりどう転んでも庶民からはそういう声はあがりえないのではないか
つまり劉備を非難しうるとしたら地方軍閥の長か中央政府の朝廷でそれなりに地位があるものからということになるが
そもそもたとえば孫策あたりが江東で諸軍閥を攻略した時にかなり強引なことをしたがそれを誰が非難したか
劉備が多少不義だろうが侵略しようが
いちいち非難しているヒマなんぞどこの勢力にもない
しいていえば同じ時期に益州を狙っていた「競争相手」は出し抜かれたことで非難するだろうが
つまり手口がどうあれ劉備の益州侵略はもともと非難されるいわれなどない行為だ
にもかかわらず「劉備を非難する声が殆ど出なかった」と明記したことがかえって不自然ではないか
朝廷
軍閥
名士
豪族
民衆
難民
盗賊
蛮族
への対応
>>579 つーか劉jらの降伏そのもので混乱が起きた形跡はないのだから
劉備(と随行した連中)の影響力が小さかったのは明らかでしょ
実際先主伝その他を見ても
関羽ら当初からの部下と諸葛亮以外の名前はほとんど出てこないんだから
士人クラスの随行者は余りいなかったんじゃないかと
>>579 なんか庶民という言葉が漠然としすぎだな。
>>581 劉備に仕えた人間には南陽郡出身者(のちに南陽から分割された義陽郡を含む)が多くいる。
190年代前半に南陽から益州に避難していた連中もいるが、
劉備が荊州牧になった時期に配下だったことが確認出来る奴が多い。
劉備はその後に南陽を治めたことはないわけだから
おそらく新野からの南遷時につき従った人間と見られる。
>つーか劉jらの降伏そのもので混乱が起きた形跡はないのだから
王威が反乱しようとしたり、李厳が益州に逃げたりしてるけどな。
その後、オセロみたいに荊州がひっくり返ったことからしても
劉備の影響力が大きかったことは分かると思う。
劉備の影響だけでなく曹操の影響もあるだろう
あんだけ余裕綽々な状況で曹操が怯えたように半狂乱で無謀な追撃してまで劉備を捕まえようとしたせいで
逆に曹操が劉備を認めてる事を満天に曝してしまったわけだしな
>>582 ホウ統は襄陽出身でも当時南郡にいた為
そのまま周瑜に使えてるし出身だけではなんともいえない。
王威は奇襲を進言して却下されてお終い。
李厳は希に不可解な行動する人だし…
荊州がひっくり返るのは呂蒙の2度の侵攻でも同じだから
劉備の影響力と単純に繋げられるものではないと思う。
一番の要因は曹操の撤退でしょうね。
>>583 脚色過多。
曹操を貶めようとして劉備の価値まで下げる典型例。
>>584 当時は襄陽は南郡だよ。
>そのまま周瑜に使えてるし出身だけではなんともいえない。
ホウ統は一例に過ぎず、義陽出身者は多い。
>荊州がひっくり返るのは呂蒙の2度の侵攻でも同じだから
呉の荊州出身者を洗ってみればいい。非常に少ないと思う。
劉表が死去するとその遺臣の霍峻・向朗は劉備に仕えたと書いてあるし
新野から付き従ったのは「士」でなく「民」であるとする根拠の方がないと思う。
>>585 いや曹操が半狂乱で追いかけたのは事実
いくら何でもたった5000の騎兵で輜重無しで昼夜兼行の強行軍で追撃とか普通出来ない、やらない
劉jが一瞬でも変心したら死ぬし、何かあったら曹操もやばい
実際、たった数十騎の張飛が川を盾に弩兵かなんかで渡河邪魔するだけで追撃止まってる
すっげぇリスキーな追撃
昼夜兼行だから半狂乱とか軍事を舐めてんの?
騎兵5000なんて大部隊の打撃力を何だと思ってんの?
「主不在」の状態の江陵に抗戦意志を持つ一将が入城する事態を何だと思ってんの?
つうか江陵がどういう状態だったのかは誰にも分からない
だから鉤括弧な。
>>586 > 当時は襄陽は南郡だよ。
失礼しました。
ただホウ統が周瑜に仕える為に襄陽から南下したとは考え難いように
南陽、義陽出身者が南遷に従ったかは不明ということ。
李厳にしても南陽出身でありながら南郡にいたように出身地より当時の所在のほうが重要だと思う。
呉の荊州出身者が出てこないのは出世した人物が少ないからであって
荊南がひっくり返った事実は変わらないのでは…
霍峻は南郡出身でその私兵は地元で集めたもの、
向朗も臨沮県長だから両方とも新野から従ったわけではない。
当陽の十余万に含まれる可能性はあるけど。
>>588 劉備は同時期に一万弱の兵士を有してたし騎兵はレアだし機動力高いが
騎兵だけ5000居たってそんなに打撃力は高くないよ
周瑜が南郡太守となり、劉備に江水南岸を給すと、劉備は公安に別営を立てた。
すると曹操に従っていた「劉表吏士」が多数劉備に来降した。
劉備は周瑜に給された土地が少なく民を安んじるには不足であるとして、
また孫権に従って荊州の数郡を借りた。
というのが先主伝中江表伝の記述。
諸葛亮や伊籍のような極少数の例外を除いた「荊州組」が劉備に帰順したのはこの時以後になるだろう。
実際、馬良などの多くの荊州人が仕えたのは「先主領荊州」「領荊州牧」の時期と記されている。
勿論その中には、新野や襄陽から付き従って曹操に蹴散らされて一度離散した者もいたかもしれないが、
荊州争奪戦を共に乗り越えた者とその落着後に集合した者とでは、
劉備陣営内の地位に大きな格差がついていただろうな。
>>592 堀と陣柵を張り巡らして迎撃する準備時間があれば勿論騎兵を防げぐことは容易。
そうでなければ、二倍程度の歩兵が平野で騎兵に太刀打ちする技術はこの時代にはまだない。
>>591 >李厳にしても南陽出身でありながら南郡にいたように出身地より当時の所在のほうが重要だと思う。
それは李厳が出世してたからだろう。
ほとんどの「士」は郡県レベルの官吏だったり荘園経営のために地元にいるわけで。
いま中央研究院の検索で調べてみた限りだと、劉備が治めた新野がある義陽出身者は
韓嵩・ケ艾・來敏・ケ芝・樊建・董厥・胡濟・魏延・劉邕・傅肜・郝普。
來敏・ケ芝は劉備以前に益州入りしてるけど、
この顔ぶれ見ても新野の士民は劉備に付き従ったと考えるべきだと思うけどなぁ。
俺は最近、資治通鑑の晋紀を読んでるんだけど、信頼できる武将を頼って士民がごっそり移動することはよくある。
>荊南がひっくり返った事実は変わらないのでは…
曹操→劉備にしろ、劉備→孫権にして、もちろん一番の理由は軍事的な成功だろう。
ただ孫権の時代に、劉備側について反乱した例は二つくらいあるけどね。
霍峻・向朗は荊州での劉備が期待を背負っていた例として挙げた。
それについては異論なくて、新野からの士大夫の付随だけがないという主張なんだろうか。
>>594 張飛が川を堀としてブラフと弩を陣柵代わりに簡単でもないけど、サクっと騎兵防いじゃったがな
李厳は曹操南下時に秭帰から蜀に入ったのだから,
曹操はもちろん劉備にも付きたくなかったのでしょ。
>>587 >いや曹操が半狂乱で追いかけたのは事実
曹操が劉備の江陵占拠を危惧したのは確かだとしても,
実際に追いかけたのは曹純と文聘でしょ。
>>549 卑怯かどうかといえば卑怯だろ
国境を守るという約束で招かれて兵まで借りた
国境を守るという約束をして借りた兵を守る対象に向けて攻め下した
約束を破ったという点で明らかに信義に反する
それを咎めようとするヤツがあまりいなかったというだけのこと
そんな約束をバカ正直に守ると信じたやつがマヌケだと思われたからかもしれない
しかし約束を破ったというのは事実
>>596 「十万」の民衆を追い散らされた混乱にまぎれて劉備が騎馬で逃げ出した、
寸秒を争う瞬間の出来事だから張飛が防いだのは5000騎の数十分の一だろうな。
>>597 李厳の本心は知らんが、地理的な面からも劉備には帰順できなかっただろう。
>>601 先主伝では曹操自身が追撃したように書いているけど,
文聘伝だと,文聘は劉jが降伏を決定した時には従わずに,
曹操が漢水を渡った時点(襄陽?)でようやく出頭して,
そこで兵を与えられて曹純とともに劉備を追撃したとある。
曹純伝でも,曹操に従って荊州を征伐したとはあるけど,
長坂の時点で曹操に従っていたとは書いていない。
また,控えめとはいえ赤壁の敗戦すら明記している武帝紀に,
勝利したはずの長坂の戦いの記録は全くない。
更に言えば,劉jは襄陽で降伏し,江陵に移動した形跡はない。
曹操は襄陽で劉jらの降伏を受け入れて論功を行い,
曹純らを派遣して劉備を追わせたとする方が自然でしょ。
>>602 曹操と配下が長坂に至ったと聞くと劉備は妻子を捨てて遁走したと張飛伝にあるぞ
騎兵はデリケートな兵科だから単独で運用とかキ○ガイだよ
機動力と破壊力に比べて防御力は紙
遊牧民のはヒットアウンドアウェイだから有効なんだ
まともに対陣している相手に騎兵単独で突っ込ませりゃそりゃキ○ガイだが。
騎兵は歩兵の前衛としてと、後退する敵の追撃によく派遣される。
特に追撃戦は独壇場。
当陽でやっと追い付いてるから騎兵で追撃したのは大正解だが
この距離を先行してる劉備追い掛けて特攻掛けたとしたら強行軍もいいところだな
>>603 確かに趙雲伝も諸葛亮伝もいなかった関羽伝すら「曹公」とあるけど,
全て劉備側の伝であって,曹操側の紀伝にはないでしょ。
負け戦ならともかく,長坂の戦いは明らかに曹操側の勝利なのだから,
曹操自身が率いていたなら曹操側の記録に出てくるでしょ。
(単に私が見落としてるだけかもしれないけど。)
だから,実際には部下に追わせただけなのに,
劉備側は曹操自身が追ってきたと誤解したのではないかと。
>>607 曹操が率いていてもロクに書かれない事はナンボでもある
詳しい記述が曹純のところ、他関係者の伝にあるので省いてるだけだ
ここらでいい加減スレチな流れをもっと楽しまないか?
>>605 伏兵に掛かったら死ぬよな
張飛を警戒したのもそこらへんが理由かも
押し切れるだけの自信がなかったんだろう
611 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/02/05(金) 15:15:49
ハルヒが実は頭のいいキャラだった件
脳筋扱いされること多いが張飛は結構戦術級では常に策略を用いて戦ってるし
演義では粗暴キャラになってるが、正史では冷酷な性格という方がしっくり来る
罰を多用するのも厳格な兵家という視点で見れば于禁と同様で
孫子に言う五危の愛民の逆を突っ走ってうらまれた、と
>>612 法に厳格で恩愛が少ないのと
刑罰を多用して寝首掻かれるほど恨まれるのを同じにしたら可哀そう。
>>613 刑罰を多用して寝首掛かれたわけではなく
処罰した後にもその処罰を受けた人間をそのまま用いていたので寝首を掻かれたんだよ
そこんところ勘違いしてはいけない
張飛 刑殺既過差
于禁 以法御下
>>615 張飛が劉備にたしなめられたのは「刑罰を多用するな」と同時に「罰したものを近侍に使うな」であって
両者を混同してはいけない
俺は別に張飛が刑罰を多用してなかったとは言ってない
寝首を掻かれた原因が「処罰されたものをそのまま用いた事」であり、刑罰を多用したということはそれを招く遠因でしかないという主張
刑罰を多様したとまで書かれてない于禁まで一緒くたにしたうえで
「厳格な兵家」などと一緒くたの持ち上げをしたから突っ込まれてる
>>616 >遠因でしかない
刑罰を多用→「弾丸を込めた」
側近として起用→「引き金を引いた」
これくらいの関係だろ。
遠因じゃなくて、根本的な要因だ。
「于禁が寝首を掻かれなかった。なぜか?
刑に処した者を側近にしなかったからだ」
↑
これは間違いになる。
于禁は法に厳格なので部下から好かれなかったが
恨まれた描写はないからね。
「不恤小人」だから死んだんだよ。
>恨まれた描写はないからね。
厳格な兵家≠偉大な兵家だろ。
前者の意味では張飛も含まれる。
濫用なのかはどうかはグレーゾーンだからだ
>>618 于禁は青州兵に誣告されたという記述を意図的に見逃してるのか?
621 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/02/05(金) 21:57:07
誣告したから恨まれてるとは限らない
兵家として于禁>張飛は正史で明らか
往生際が悪いぞ蜀オタ
>>619 張飛が法の運用に厳格だったかなんてわからないのだが。
「刑殺既過差」だけでは死刑の率が高いだけで判決は穴だらけという可能性もある。
張飛がそこまで粗忽者とは信じないが、厳格だというような逸話もない。
>>621 何の因果関係もないのにそんな事するやつはいないって
ただの悪戯ってわけでもないよ、略奪した青州兵を罰した後にされた事で
両者は直接の利益関係にあったのだから
またすぐそうやって優劣をつけたがる
くっだらねー
>>622 士人を重んじるタイプなんだからどっちかというと腐れ儒者に近い杓子定規なタイプだぞ
>>623 その通りだね。
于禁は青州兵を、現場の大将の軍事専断で罰した。
青州兵はこの処罰に不服だったので曹操に「自訴」した。
于禁から見れば不当な訴えだったので「公が譖訴などとりあげるものか」と言った。
が、この青州兵の対応は法的利害に基づく手続き上は正当な行動であって、不当な所など何もない。
青州兵が恨みを持ったので于禁の罪状をでっち上げて陥れようとした、などというのとは
全く異なる局面。
>>625 またそうやって勝手に肉付けする。
名士に媚び諂って下人に厳しい、相手を見るタイプ、という解釈だってできるぞ
>>627 それならもっと不都合な記述になるんじゃないのか?
>>628 それなら
>>625は「融通が効かない人間」という記述になるんじゃないのか?
あんたが自分のイメージに都合のいい人物像を肉付けするのと同じくらい、
逆方向への肉付けもできる。ってことを言ってるだけだよ。
>>629 いや、それでも劉備は用いたという状況証拠を無視している。
あんたの逆方向理論だとまず整合性が取れない
殺しすぎたが、適法の範囲内だったのだろう。
恣意的に法にそむくような輩ならそのような記述を陳寿は明記すると信じている
>>619 >厳格な兵家≠偉大な兵家だろ。
>前者の意味では張飛も含まれる。
その分類が恣意的なんだよ。
于禁は公平無私な性格で、財物を私物化することなく、法に厳格だった。
だから、戦利品を勝手に民・兵に振る舞ったりせず、不人気だったんだろう。
だがそれでも十分偉大だと思うがね。
公平ってだけで十分にありがたい存在だろう。
というか「偉大な兵家」ってなに?
張飛が側近を鞭で殴っているというのは賞罰の整合性のなさの証明だろう。
罪を犯した者なら処罰して側近から外せばよい。
処罰してそのまま起用するというのはまさに兵家というレベルに達していないということ。
魏オタ暴れすぎ
>>630 于禁は法を持って部下を統御したと書かれているが
張飛は書かれていない。
張飛は劉備から「人を殺しすぎ」と言われたが
于禁は曹操から「人を殺しすぎ」とは言われていない。
張飛が部下をたくさん殺したことは分かるが
それすなわち張飛が厳格な兵家ということにはならない。
>処罰してそのまま起用するというのはまさに兵家というレベルに達していないということ
罪は処分したからノーサイド
そういう感覚なだけでは。小人は恨みに思うのだろうが
>>630 「刑殺既過差」だけでは張飛が法の運用に厳格だったかなんてわからないのだが。
では死刑の率が高いだけで判決は穴だらけという可能性もある。
と
>>622で言ったよね。
(他の逸話も鑑みて)張飛がそこまで粗忽者とは信じない。とも言った。
で、「刑殺既過差」や「不恤小人」の語句から「勝手な肉付け」をしない限り、
「張飛は厳格な兵家」という評価はどこから生まれているのか?
生まれてきはしないだろう? と言ってるんだけど?
>>631 公正だから罰さえ受ければそのまま使うってことだろ
これって諸葛亮に罷免された李厳が全く同じ事考えてるよね
諸葛亮なら自分を復職させてくれると思ってたって言うように
公平だからこそ、罰さえ与えれば以降は何も問題なく使うってことだろ
>>634 処罰したということは、その任にふさわしくない過失があったんだろう。
それをノーサイドというのはあり得ない。
>>630 「不恤小人」は「小人に対して憐れみを持たなかった」ってこと
法を曲げる性格とは書かれてないので、杓子定規な法運用をしたって意味だな
>>635 「厳格」とか「兵家」とかいう単語に勝手な肉付けをしているのはそっちの方だろ
北斉の連中のように気分で周囲の人間を殺したなんて基地外レベルの記述はない
他の史書も読んでみろよ
>>639 そういう底辺連中を引き合いに出して張飛を評価するなら「厳格」なんて言葉を始めから使うんじゃないよ。
あんたどんどん張飛の評価基準を下げていってるぞ。気分悪い。
げん‐かく【厳格】
[名・形動]規律や道徳にきびしく、不正や怠慢を許さないこと。また、そのさま。「―な教育」「―に規定する」
[派生]げんかくさ[名]
>>636 >諸葛亮なら自分を復職させてくれると思ってたって言うように
李厳は、諸葛亮を継承した文武官たちとは比較にならないほどの大物。
諸葛亮以外の誰が、目の上のタンコブになりかねない大先輩を復活させることが出来よう。
諸葛亮が法に厳格だったとか何とかは関係ない。
第一、法に厳格でない、恩愛に満ちた人間の方がよっぽど李厳を復活させるはずだろうし。
>公平だからこそ、罰さえ与えれば以降は何も問題なく使うってことだろ
実際には李厳は庶民におとされて起用されなかったわけで
張飛だって過失ある部下を罷免するのが妥当だったんじゃないかとなるだろ。
>>641 張飛は罰(鞭打ちなど)を与えれば罪に対する贖いになると考えるガッチガチの教条主義者だったんだろうさ
だから劉備は「罷免して手元に置くな」と警告してる
>第一、法に厳格でない、恩愛に満ちた人間の方がよっぽど李厳を復活させるはずだろうし。
いや皇帝に誣告した段階で本来李厳ってのは死罪だぞ
罷免だけで済んで連座すらないのは温情も温情、超温情
>>640 部下に寝首を掻かれる人間が底辺レベルではないとでも言うのかい?
勝手なイメージだとかほざかれ、でもしかで鸚鵡返しされて気分悪いのはこっちの方だ。
その辞書の通りだったとしてもその厳格さを自分に対して適用してるかどうかは
厳格な兵家とあんたが贔屓する于禁先生の末路を見れば分かるものだ。
「厳格な基地外」はいる。
>>642 なんか後半の言い分が分からんのだが。
「李厳は諸葛亮が自分を復活させてくれるよう信じていた」
「諸葛亮は法に厳格だった」
「法に厳格な人間は、罰を与えたらその時点でノーサイド、だから李厳は望みを抱いた」
「李厳が諸葛亮の死に際して絶望したのは、その後継者たちが法に厳格じゃないから」
みたいな主張を念頭に置いて批判した。
俺は「李厳なんか復活する可能性はいくらでもあった」みたいなことは主張していないよ。
>>644 温情のある人物なら復活させるというが
もう死罪にならんかったというだけで大温情が掛けられてたので
>第一、法に厳格でない、恩愛に満ちた人間の方がよっぽど李厳を復活させるはずだろうし。
という文章がおかしいよ、というお話
それ以上の意味はないよ
殺されても仕方ない自爆をした敵対者に
クビと流刑程度で済ませてる孔明は寛大
>第一、法に厳格でない、恩愛に満ちた人間の方がよっぽど李厳を復活させるはずだろうし。
馴れ合いをしなくても
蜀は人手が足りないから刑罰に服してれば再起の目はあるということだろう。
世代交代でそれもなくなったけど
李厳の復帰は
温情とか法に厳正とかそういうのじゃなくて
諸葛亮には人を見る目があって李厳の能力を高く評価し
このまま朽ちるのを惜しむから、李厳に復帰の可能性があるってことだろ?
>>645 分からん人だな。
「法に厳格な諸葛亮にこそ李厳は望みを見出した」
「法に厳格な人間にこそ恩赦が期待される」という主張に対して
俺は「李厳が諸葛亮に期待したのは、法への態度ではなくその大物度である」とし
法に厳格な人間より、融通の利く人間の方が恩赦は出しうるのであるから
もし李厳が為政者の法への距離感によって恩赦を期待したのなら
諸葛亮が死んで絶望するのはおかしい、と主張しただけ。
なんか枝葉の議論だが、気になったので。
わからんのはお前だって
温情がかかったら復帰させるなんて話は全くの間違い
殺されてない時点でもう充分以上に温情が掛かってたって話だ
お前の罪と罰に対する認識がおかしいって事を言ってるんだが
恩赦すれば恩愛があるというなら劉禅はどういう評価?
>>649 だから李厳のやったことは魏呉なら殺されて当然の大罪なんだって。
>>650 俺は相手の「ロジック」を否定した。
実際に李厳が復活出来るかどうかなんて、まーーったく論じてないぞ?
「李厳が諸葛亮に望みを託したのは諸葛亮が法に厳格だったから」
これがロジックとして間違っていることを否定した。
法への甘さ厳しさで測るなら、法に甘い人間の方が恩赦を望める。
これはロジック。
その上で内容に踏み込むなら、俺は諸葛亮であっても李厳復活はなかった思う。
だが
>温情がかかったら復帰させるなんて話は全くの間違い
>殺されてない時点でもう充分以上に温情が掛かってたって話だ
これはお前の感想だろww
それを判断するのは蜀の為政者。
諸葛亮が李厳の息子にどんな手紙を書いたか読み返しなよ。
諸葛亮は復活を匂わせてるな
>>653 皇帝に誣告した事がバレた時点で殺されないってのは同時代的に見ても
それから漢王朝的に見ても非常に優しい
俺の感想じゃなくて異例の恩赦とすら言えるレベルだよ
>>655 だからその温情的な判断を下したのは当時の為政者なわけ。
それをお前は「その判断は甘すぎる」なんて言ったってそれはお前の感想なんだよ。
こっちはそもそもロジックについて語っていたわけだが
内容自体は当時の一般論ではなく、李厳と諸葛亮という具体的な話だったんだから。
実際に死刑が回避された、そして復活についても諸葛亮が示唆している事実を無視して
「甘い」「優しい」と言ったって、それは「諸葛亮に言えば」としか答えられんよ。
>>656 「優しいなら復職させる」と
>>641が言ったので
「殺されないだけでも優しい」という話をしてんだが
皇帝に誣告しといて罷免のみ連座無しという当時としては非常に温情的な措置を見て
さらに「優しいなら云々」ってのは認識が間違ってるって話
俺はお前の認識が間違ってると思うし、そもそも前例ちゃんとインストールしてないんじゃないかと問いたい
>>657 >「優しいなら復職させる」と
>>641が言ったので
俺はこんなこと書いてない。恣意的な意訳は止めた方がよい。
そして書いてない上に、主張したことがまったく違う。
李厳がなぜ諸葛亮に期待を抱いたか、ということが議論になった。
相手の主張は「諸葛亮は法に厳格だから」だった。
もしかしたら「他の、法に甘い人間でも李厳を許したかも知れないが、
法に厳しい諸葛亮でも許した可能性がある。なぜなら法はノーサイドだから」という主張かも知れない。
しかし、李厳は諸葛亮の死で絶望したのだからそれは成立しない。
そして、当初の「諸葛亮は法に厳格だから李厳は期待した」というのも成立しない。
なぜなら法に厳しい為政者より、法に甘い為政者の方が恩赦を期待できるからだ。
だからこう書いた。
>諸葛亮が法に厳格だったとか何とかは関係ない。
>第一、法に厳格でない、恩愛に満ちた人間の方がよっぽど李厳を復活させるはずだろうし。
李厳が諸葛亮に期待した理由を否定し、
そののちに相手のロジックが成立しないことを示した。
そして俺が語ってるのは、一つの処分ではなく人物の比較。
諸葛亮については法の運用に厳格であり、信賞必罰が理にかなっていたことが称賛されている。
李厳への当初の処分が甘かろうが、別の人間が判断すれば処分が変わってくるのは当たり前。
諸葛亮は復活を示唆したが、死までの数年の間に李厳の復活は果たされなかった。
諸葛亮以上に法に甘い人物が後継者ならば李厳も絶望せずにすむはずだ。
(そもそも李厳以上の大物がいないので李厳復活がないとの予測は別に書いた)
ま、李豊への手紙を読んだ上で「諸葛亮は法に甘かった論」でも書いてくれ
>>658 だからその「優しかったら復活がありえる」という可能性の提示そのものが
当時の誣告に対する認識の間違いを前提に成立してるのでおかしいよって話
>>659 >だからその「優しかったら復活がありえる」という可能性の提示そのものが
>当時の誣告に対する認識の間違いを前提に成立してるのでおかしいよって話
当時の人間である李厳は諸葛亮に自分を復活させてくれる期待を抱き
当時の人間である諸葛亮は李厳の息子の李豊かに復活を期待させる手紙を送った。
なんで優しいとか優しくないとかいう感情論になるんだ?イミフ
>>658 厳格、恩愛という信条に関係なく人間には理性というものが存在する。
自分の保身、勢力拡大に関係する選択肢に際して「政治的判断」をすることは当たり前。
厳しい処分と絶望的な状況を突き付けて不穏な行動をされるリスクと
復帰という餌をぶらさげて懐柔するメリットを秤にかけろよ。
俺理論の蛸壺から常識という水面に顔を出して呼吸すべき。
相手の主張を全部把握してないのに見えてる部分だけ否定しても無意味
>>661 俺が基準としたのは、法に厳格か、法に厳格でないかだ。
>>663 >俺理論の蛸壺から常識という水面に顔を出して呼吸すべき。
くっだらねー文辞はいいから。
死刑免除をあり得ない判断としながら、「政治的判断は当たり前」とか言い出す二枚舌をどうにかしろ。
やっと李豊への手紙について触れたと思ったらこれかよ。
>相手の主張を全部把握してないのに見えてる部分だけ否定しても無意味
相手方って、お前じゃなくて
>>636のことか?
全部把握しなくても対応できるよう、二通りの否定をしただろ。
>>662 そんな感情論ではないのに
>>641が「優しい奴の方が復職させる」とかほざいてるからそれに付き合ってる
>>664 いやお前の基準なんてどうでもいいから
誣告したとされてえらいことになってる漢代の人や三国時代の人がいるのに
免職だけで済んで充分温情がかかった状態で「優しい奴なら復職させる」なんて書くなよ
>>665 自演乙w
「優しい」ってどこに書いてあるんだ?
>いやお前の基準なんてどうでもいいから
「優しい奴の方が復職させる」
これって、俺の基準を問題にしてるんだろ?
だから、そうではないと書いたんだが。
そんなことより
>死刑免除をあり得ない判断としながら、「政治的判断は当たり前」とか言い出す二枚舌をどうにかしろ。
これについての釈明よろしく。
>これについての釈明よろしく。
>厳しい処分と絶望的な状況を突き付けて不穏な行動をされるリスクと
>復帰という餌をぶらさげて懐柔するメリットを秤にかけろよ。
先に↑をやるべき。
>>666 世間では
恩愛ある人間を優しい人間と言い換え
厳格な人間を真面目な人間と言い換えるんだ
>厳しい処分と絶望的な状況を突き付けて不穏な行動をされるリスクと
>復帰という餌をぶらさげて懐柔するメリットを秤にかけろよ。
処罰するのがそんなにリスキーなら
>>655 >皇帝に誣告した事がバレた時点で殺されないってのは同時代的に見ても
>それから漢王朝的に見ても非常に優しい
>>657 >皇帝に誣告しといて罷免のみ連座無しという当時としては非常に温情的な措置を見て
>>659 >当時の誣告に対する認識の間違いを前提に成立してるのでおかしいよって話
>>665 >誣告したとされてえらいことになってる漢代の人や三国時代の人がいるのに
これは矛盾だな。
なんだ?マゾなのか?
眠れなくて構って欲しいだけか?
儒家よりか法家より、って言い換えてもおk?
>>669 それ別人
お前鏡に向かってシャドーしてるよ
バイアスって怖いなぁ
プロバイダ十把一絡のアクセス規制より怖い
もうお互いの意見は出尽くしたから判断は第三者にやらせればいいさ
674 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/02/12(金) 18:37:49
売国奴:張松、法正、孟達
弐臣:李厳、費詩、黄権、劉巴、張裔、王連
忠臣:王累、楊懐、高沛、扶禁、向存、鄭度、張任
675 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/02/12(金) 18:41:36
売国奴:張松、法正、孟達
弐臣:李厳、費詩、厳顔、黄権、劉巴、張裔、王連
忠臣:王累、楊懐、高沛、扶禁、向存、鄭度、張任
弐臣の中にも主人が降伏してから降ったやつと
さっさと敵に降伏した連中とでは扱いが違うような気がする
降服した旧主の命令が届いてから投降するのが忠臣の作法みたいなもんだからな
簡単言われてた劉璋討伐も一仕事
戦後も反乱ばっかで中々税収装置にならんし
679 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/02/12(金) 22:20:57
楊懐、高沛はいきなり殺されたわけで、忠義を示す場面はなかったぞ
扶禁、向存、鄭度はその消息が不明なので忠臣と断定できない。
劉巴、張裔は主より先に降伏してはいない。
黄権、王連は城を守って主より先に降伏していない。
向存は霍峻を一年間包囲して斬られ、鄭度は焦土作戦を却下されてクビ。
楊懐、高沛は長年最前線で仕えてたから名声があったようだし
劉焉勢力にとっては袁紹勢力の顔良、文醜みたいなものだろう
劉備の入蜀にも反対してたし劉璋の為に殺されて忠臣ではないというのは厳しくね?
戦死したら忠臣っていうのはハードル低くないか?
忠臣エピソードがないと。
>>681 確かにハードルは低いと感じるのは無理ないが
戦場で死ぬというのは愛国心のアピールとしては最高。
もちろん如何なる思惑があって戦うのかなんてのは不透明なんだが
実は独立、離反を画策してましたなんてエピソードがない限り
一括して扱うしかないのではないだろうか。
楊懐・高沛は劉備を罵りながら殺されたとされてるし、
劉璋の将の中にあっては忠臣と呼んで差し支えないと思う。
無論、確たるエピソードも残されてないので、あくまでもイメージだけどね。
龐統は楊懐・高沛を油断させてから捕らえてその軍を奪うことを進言し
劉備は他の案を退けてその案を採用し実行している
奪った軍をそのまま両者に率いさせるのは危険だとしても
殺すよりは生かしておいた方が兵を統率するにはいいだろうから
当初は降伏させようとしたものの断られたので殺したのだと思う
もし最初から殺すつもりだったとすれば
両者が降伏する可能性はないと判断していたことになるから
いずれにしても劉璋にとっては忠臣であったと思う
686 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/02/15(月) 18:28:54
張裕、劉巴、雍茂、彭ヨウあたりの発言は面白い
劉璋への騙まし討ちを非難して殺された人って誰だっけ?
>>685 殺すことで威を示すことはあるから、何とも言えない。
暗殺・謀殺に近い形で殺したのかも知れないし。
>>686 龐統をそしった張存だろうか。
しかし張存は殺されてないよ。
免官になって、その後に病死。
この早い時期に免官になった人物が季漢輔臣賛に出てくるのが不思議ではある。
宴会で唐突に非難を始めたのが誰だったかいた気がする
689 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/03/03(水) 09:13:39
age
690 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/04/20(火) 05:09:04
張松って兄貴に劉備との内通をチクられて一家皆殺しにされてるのに
何で息子の張表は馬忠の後任とか尚書とかそこそこ出世したって記録残ってるの?
やっぱ張松の兄貴の子で甥っ子説が濃厚なのかな?
691 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/04/23(金) 13:12:08
呂布や斉藤道三がことさら悪く言われるのは
恩人を殺したり追放したからでしょ。
劉璋は劉備の恩人ではないし。
692 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/04/24(土) 19:57:55
馬鹿ばかりだな・・・
お前よりは賢い
甘ちゃんの小僧だから裏切られてもしかたない
劉備も宴会の席で殺したくてしかなかっただろうによく我慢したものだ
ホウトウも殺せとは言ってない、捕らえろと言っていたのだw
別に怨みもない人間を殺したくて仕方がないって殺人狂かw
殺人狂といえば甘寧
呂布は炎症連合軍を討ち取って天下を治めれば英雄になれたな
中途半端に強くて死に方がひどいからな
スレタイとぜんぜん違う話題過ぎだろ、常識的に考えて・・・
699 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/01/19(水) 00:55:24
狂ってますよ、この人は
曹操閣下の素晴らしさについて語らないニカ?
ハ,,ハ ,,.-'' `-、 ,
<丶`∀´> / : : :: :: :::::ヽ
. ▼ >、/⌒ヽ | : : :: :: :::::::::l
─‐⊥‐ッ'-‐y' / i_ ヽ、 : : :: :: :::::::/
`⌒ー′ | |::| )゙ ..::::〃:ィ´
\ | |::| /" '' : : ::⌒ヽ
ノ) \=::|. i 、 : ::::|____
(;:.:.__) \ | ..::| : :::|::::::|;;;|
(;;:::.:.__::;) \ : :::| : :::|::::::|;;;|
(;;:_:.__゚.:.:⌒) \ : :::| : :::|::::::|;;;|
「あちらの曹操患者様から……」
劉備とホウ統の宴会でのイチャイチャはなんなんだろうな。
「私が悪かったです」と言われる事を期待していたら「どっちも悪かったよねw」と不細工面で開き直りされた
703 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/10/09(日) 14:08:38.55
蜀を持ち上げようと 魏を持ち上げようと 呉を持ち上げようと
歴史は変わらない
最後は
中国共産党が統一したのだ
704 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/10/10(月) 10:41:05.59
陳寿が正史で劉璋親子を劉備劉禅より先に持ってくることで義理を通したな
>>704 巴西安漢の陳氏に劉焉父子に対する恩義があったのかは知らないけど。
単に征服者として纏められただけではないかと。
>>704 義理じゃなくてこいつらがクズだから正義の先主とそれを継いだ後主がいたのですっていうプロパガンダ
このスレも認定厨に荒らされていたとは
逆賊を放伐したとドヤ顔で大々的に発表する逆賊
709 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/05/24(木) 10:58:59.92
荊州=蜀なの?(´・ω・`)
ん?
711 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/05/24(木) 15:58:31.47
蜀だったが、呉になった
712 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/07/21(土) 16:25:24.69
演義では劉備のやることなすこと正当化される。陶謙から
徐州を乗っ取り
劉表から荊州を乗っ取り、赤壁以降
孫権には領土分けの 約束は破棄。張松と結託して漢中王を名乗る。
>>713 >陶謙から徐州を乗っ取り
>劉表から荊州を乗っ取り
715 :
無名武将@お腹せっぷく:2013/06/16(日) 18:19:17.70
ひどいやつ
絶対に許さない (`;ω;´)
ブボボ… モワッ
718 :
無名武将@お腹せっぷく:2014/06/28(土) 13:55:39.52
719 :
無名武将@お腹せっぷく:2014/09/02(火) 23:33:15.22
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720 :
無名武将@お腹せっぷく:2014/10/21(火) 03:08:56.50
毅然!
ぶるるるるる・・・・
721 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/19(木) 07:03:23.99
劉表に身を寄せようとする時
蔡瑁「劉備は呂布・曹操・袁紹をこれまで裏切ってきた。そんな人物を受け入れるのには反対です。」
孫乾「呂布は人道上正しい人物であったか?曹操は漢の真の功臣か?袁紹は国を救える人物か?」
722 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/19(木) 08:38:22.70
じゃあ劉表はどうなんだと…
723 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/19(木) 21:23:27.25
>>722 袁紹同様優柔不断だと思う。
しかしこれから受け入れてもらうお願いをする人のことを悪くは言えないでしょう。
724 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/20(金) 00:03:38.23
>>718 実際呂布に「お前と俺は似た生き方をしてきている」と言われたことがある
言われて劉備は不快だったようだが
725 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/20(金) 16:45:32.52
決定的な違い
呂布は丁源や董卓を殺した
劉備は殺してはいない
726 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/20(金) 21:20:33.82
劉備は劉璋殺してないよね?
727 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/21(土) 00:15:55.08
劉璋は荊州に送られてそこで(呉の手に落ちる前に)天寿を全うしたはず
728 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/21(土) 02:17:14.40
劉備は悪い事しても何故かあまり責められないんだよな
今でなく、当時の人からも
>>721の時も劉表は受け入れてるし
729 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/21(土) 12:31:42.13
劉備の仁徳の成せる業
730 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/21(土) 13:02:53.93
劉備は少なくとも劉邦よりは仁徳あったと思うよ
731 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/21(土) 15:02:22.50
降伏する時の劉璋の態度も立派だった
732 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/21(土) 15:35:49.43
733 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/21(土) 16:07:10.89
>>727 劉璋は呉の手に落ちて益州牧に任じられてから天寿を全うしている
734 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/21(土) 20:23:21.61
>>733 呉としてはそうすることで劉備の益州占領の正当性を無くしたかったんだろうな
735 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/21(土) 21:01:29.65
正式な荊州牧は誰だったのだろう
736 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/21(土) 22:14:20.99
乱世は力のあるものが正義
737 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/21(土) 23:35:56.35
738 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/22(日) 00:03:20.79
>>737 荊州刺史・荊州牧はその時の荊州の持ち主が普通になっている感じだな
739 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/22(日) 01:37:01.83
劉備「劉璋のものは俺の物、俺のものも俺のもの」
740 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/22(日) 01:53:38.79
劉備の正体はジャイアニズムだったのか!
741 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/22(日) 13:17:55.47
742 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/22(日) 14:41:05.86
>>739 三国志的にはこうだろ
劉備「俺の言うことは正しい、俺のなすことも正しい」
743 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/22(日) 16:01:33.08
劉備は実は曹操並みの性格
ただ野望はあっても実力が伴っていなかった
744 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/22(日) 20:17:22.36
劉備は仁徳の人ではない。乱世に仁徳の人では生き残れない。
745 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/22(日) 20:49:39.68
劉備はいわば仁徳を武器にした狡猾な人物
746 :
405:2015/02/22(日) 21:39:53.05
劉備が公孫瓉を裏切ったのが前提で,
747 :
405:2015/02/22(日) 21:40:08.23
劉備が公孫瓉を裏切ったのが前提で,
748 :
405:2015/02/22(日) 21:40:18.15
劉備が公孫瓉を裏切ったのが前提で,
749 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/22(日) 22:11:29.37
劉備も裏切りの人生だな
呂布みたいに裏切った相手を殺してないからそういうイメージが薄いが
750 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/22(日) 23:26:45.91
「劉備の人生は時代がそうさせたとはいえ、裏切りの連続であった」
しかし
「そして最後は自分が裏切られて滅んだ」
とはならなかったんだよなあ
751 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/23(月) 01:18:37.97
劉備の持っていた最大の資質
それは「運」
752 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/23(月) 01:40:40.92
運は大事、というか人生を左右する大きな要因
753 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/23(月) 11:19:55.93
>>1 呂布みたいに劉璋を殺してはないし、
劉備は劉璋の家来ではない。
よって同類ではない
754 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/23(月) 11:44:02.02
呂布と似ているとすれば、呂布が劉備から徐州を奪った時だろうね
丁源、董卓の件じゃなくて
劉備は好んで呂布に徐州を譲った。関羽・張飛は嫌だったけどね。
劉ショウは仕方なく益州を譲った。
756 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/23(月) 13:07:16.44
>>755 劉備だって張飛の失態のせいで、仕方なく呂布に徐州を譲ったんだろ
757 :
八戸 ◆M911CbdudQ :2015/02/23(月) 17:33:19.13
教えてくれるとこちらも議論の余地やら反論ってもんが可能なんだが
タモリとかいう超絶凄まじい脳無しを麻原彰晃かアラー像でも盲目崇拝
したいあほんだらは「ぼくのだいすきなたもさんをいぢめるな!!」
758 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/23(月) 21:42:22.26
劉備はたしかに卑怯な面もあるが呂布とは違う
759 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/23(月) 22:22:40.02
劉備は演義では実際より正義&無能にされている面があると思う
760 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/24(火) 00:11:03.85
劉備は自分の耳を見ることが出来るほどだったから何をやっても許されるのだ
761 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/24(火) 01:19:11.27
劉備「公孫サン、袁紹のとこには居候してたけどヤバい空気になって来たからとんずらした」
劉備「劉璋はちょっと前まで曹操に媚び売ってたクセに赤壁以降擦り寄って来たのがムカついたから土地を奪った、逆賊の息子なんだから命が助かっただけ有り難く思え」
762 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/24(火) 01:21:23.95
>劉備「公孫サン、袁紹のとこには居候してたけどヤバい空気になって来たからとんずらした」
とんずらぐらいいいじゃん。国を奪ったり殺したりするわけじゃないから。
763 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/24(火) 01:23:58.04
劉備「侵略?騙し討ち?この乱世で何言ってんの?」
劉備「人徳を武器に?周りが勝手に言ってるだけ」
764 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/24(火) 02:44:17.97
765 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/24(火) 11:04:36.53
演義の劉備よりも吉川・横光の劉備のほうがより人徳の人として描かれている
766 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/24(火) 11:38:38.83
昔あったファミコンのゲーム『三国志 中原の覇者』というゲームで
徳なんて項目があって劉備は最高値だったな
ちなみに劉璋も高値だった
767 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/24(火) 13:32:04.86
劉璋はこれ以上人民を苦しめたくない、と降伏した
人徳あるだろう
768 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/24(火) 15:57:27.01
劉備が比較されてる高祖劉邦も別に人徳の人ってんじゃないけど
そういう扱いされてるよね(´・ω・`)
769 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/24(火) 18:51:16.57
>>767 それなら親父が死んだ時点で朝廷に帰順しろや
野心がある訳でもないクセに広い土地で長々とグダグダ統治しやがって
770 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/24(火) 19:32:31.60
>>769 朝廷には帰順していたでしょう
曹操や劉備には帰順していなかったけど
771 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/24(火) 20:05:57.67
>>768 劉邦に比べりゃ劉備はまだずっとマシだよ
劉邦は天下を取ったら韓信始め功臣を次々に粛清したんだから
劉備はそこまではしてない
772 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/24(火) 22:27:50.73
面白さは『赤龍王』>>>越えられない壁>>>『天地を喰らう』
773 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/24(火) 22:53:59.18
02/21土 10.3% 21:00-21:54 TX__ 出没!アド街ック天国
775 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/25(水) 00:06:26.63
劉備ってあまり自分の意志で動いてないイメージがある
その劉備が強固な意志で動いたのが夷陵w
776 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/26(木) 23:50:22.94
>>772 横光の作品でも『項羽と劉邦』のほうが面色い気がする
777 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/27(金) 21:10:14.73
>>775 そう見せかけて実は自分で裏切りを決めているのが劉備
778 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/27(金) 21:52:32.42
このスレタイの蜀を奪った件もホウ統らに促されてしぶしぶ決断しているように見せかけてる。
実は最初から蜀を取る気マンマンだったクセに
779 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/27(金) 22:25:09.44
劉備「暗殺とかいうつまんねぇやり方で奪うのが嫌だっただけ」
劉備「それをあのブサイク青書生は仁者ガーとか寒いイヤミ言いやがって」
780 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/27(金) 23:37:49.41
一番腹黒いタイプだなw
781 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/28(土) 00:53:36.23
劉備って棍棒を片手ににこやかに話すタイプ
782 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/28(土) 01:36:03.03
詐欺師に向いていたんじゃないの?>劉備
783 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/28(土) 12:31:01.76
そもそも呉に荊州を返す条件として「蜀を取ったら」というのがあったはず。
その頃から蜀を奪う気マンマンだったわけじゃん。
784 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/28(土) 12:48:22.05
>>783 劉備「あれは孔明が勝手に結んだ約束だ、私は知らん」
785 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/28(土) 13:19:05.02
ウーパールーパー^^^
786 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/28(土) 13:38:06.72
殺されたから、やれ可哀想だの明るいいい子だっただの言われているけど
結局のところ不良グループの内輪揉めだろ
詐欺師でも曹操を出し抜くほどの超一流なら充分英雄だと思う
788 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/28(土) 13:56:47.45
にょろたんはww
789 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/28(土) 14:34:11.71
>>787 「君と余だ!」の時か?
なんであの時、劉備は
「当代の英雄は曹操様、貴方でございます」と
言わなかったのだろう
不思議でしょうがない
790 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/28(土) 16:18:22.94
791 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/28(土) 16:55:24.27
郭嘉はそれだけ知力があるんだよ
ひょっとしたら三国志一かも知れん
つくづく早死にが惜しまれる
792 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/28(土) 18:33:31.55
赤壁の敗戦の後、曹操が「郭嘉がいればこんなことにならなかった」と嘆いてたね
793 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/28(土) 21:09:15.20
悪魔的腹黒の孔明無しであの命磨り減らす軟禁状況から抜けたのは詐欺の真骨頂
あとで郭嘉程cが仰天する顔想像したら笑いが止まらなかったろうな
794 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/28(土) 21:47:32.97
>>793 詐欺とはなんだ、皇帝からの命を受けての血判状だぞ。
皇帝>丞相なのは子供でもわかるだろう
795 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/28(土) 21:59:22.06
皇帝に賜った勅命をフル活用して帰還命令はねつけて逃げ切ってる
796 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/02/28(土) 22:20:40.77
逃げたんじゃない、袁術を討伐に行ったんだ
797 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/01(日) 00:10:39.09
あの血判状に名を連ねた中で処刑されなかったのって劉備だけなんだな(馬騰はずっと後に別の理由でだが処刑されている)
798 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/01(日) 07:27:29.72
郭嘉はそれだけ知力があるんだよ
ひょっとしたら三国志一かも知れん
つくづく早死にが惜しまれる
799 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/01(日) 11:56:45.79
周瑜「荊州に居座っている劉備だぞ、いわんや蜀の劉璋に同情心などあるわけがなかろう」
魯粛「・・・」
800 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/01(日) 12:22:52.65
「お主は外交官としての才能はゼロだのう」
劉備と孔明にまんまと騙された魯粛
801 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/01(日) 14:20:01.66
劉備・孔明・関羽が詐欺師で魯粛・諸葛謹が詐欺にひっかかるお人よしに見えるなw
802 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/01(日) 16:26:47.92
実際に詐欺師だもん
関羽は詐欺師というよりいじめっ子みたいだが
803 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/01(日) 17:06:05.63
劉備が約束を最後まで守ったのって
関羽・張飛とだけじゃないか?
孔明とは最初に天下三分の計の時に魏を攻める約束してたのに
それを反故にして私情から呉を攻めるし
804 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/01(日) 18:30:37.77
>>803 関羽・張飛とも「死ぬのは同じ日」という約束を破った
805 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/01(日) 18:40:27.70
>>796 郭嘉たちも大義名分の偽帝討伐はするだろうが決して帰ってこないと知っていたし
予想通り討伐後に大将として皇帝へ報告もせず逃亡
806 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/01(日) 20:52:12.94
>>805 曹操は郭嘉に言われるまで劉備に騙されていた
807 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/01(日) 21:24:56.65
曹操もあそこではなんか間抜けだなあ
あんな程度の劉備の演技で騙されるとは
808 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/01(日) 23:10:24.17
曹操、あの辺りだけ別人じゃないかと思えるほどだ
あの抜け目のない曹操が
809 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/02(月) 00:58:55.76
>>1 劉備に言わせれば劉璋が彼を裏切ったんだろ
ロクな兵と少しの兵糧しかよこさず
810 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/02(月) 19:00:24.44
>>809 劉璋に言わせれば劉備が劉璋を裏切ったんだろ
兵と兵糧与えても張魯を討たずサボタージュ
しまいには反逆
811 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/04(水) 20:59:26.19
>>810 しかし劉備を撃退するためにその張魯に助けを求める劉璋も・・・
812 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/04(水) 21:20:05.20
張魯「俺の母ちゃん殺したクセに何言ってんだこいつ」
813 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/04(水) 21:29:47.22
張魯に助けを求めるのは下策と書かれている
814 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/04(水) 23:17:43.73
劉璋が張魯に助けを求めてくれたために劉備は馬超まで手に入れることが出来た
ホウ徳が付いてこなかったのは惜しかったが
815 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/05(木) 18:12:22.09
劉璋ってバカだな
本当に張魯が助けてくれると思ったのか?
劉備を撃退してもその次蜀に侵攻するに決まってるじゃないか
816 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/05(木) 21:54:07.61
劉璋ってホントにお人よしだな
817 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/06(金) 00:08:36.66
おぼっちゃんだしな>劉璋
818 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/06(金) 12:48:05.24
劉備も若い頃は相当やんちゃだったようだが
819 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/06(金) 20:37:47.81
劉備という不良が劉璋というおぼっちゃんから蜀を巻き上げたわけか
820 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/06(金) 21:51:21.96
ひどいな劉備
821 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/07(土) 00:03:28.61
劉備は裏切りの人生だからな
やはり劉備は呂布と五十歩百歩だな
823 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/07(土) 11:49:29.28
呂布「曹操、俺を使ってみる気はないか?」
曹操「劉備殿、いかがいたそう?」
劉備「私が考えているのは丁奉、董卓のことです」
824 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/07(土) 15:06:59.95
呂布も劉備も恩知らずだな
827 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/08(日) 07:27:34.59
劉備は蜀を奪った後も劉璋を厚遇してるから呂布とは違う
828 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/08(日) 08:57:12.96
劉備は裏切りというより流浪の半生だな
829 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/08(日) 10:00:48.81
このスレって演義準拠?
830 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/08(日) 13:12:31.70
831 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/08(日) 15:05:59.07
>>829 演技でも正史でも劉備が蜀を奪ったのは事実
832 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/08(日) 16:11:55.40
奪ったにしても奪い方が問題
>>827 呂布が徐州を奪った後も劉備を厚遇してるのとさして変わらん
ただし劉備と劉璋では牙生えてるか生えてないかの差は有るけどな
834 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/08(日) 19:59:12.44
>>833 ただし呂布は丁源や董卓を殺してるからなあ
彼が批判されるのは徐州の件よりもそっちでしょう
837 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/08(日) 22:55:02.17
劉備は呂布と違って何か人を惹きつけるものを持っていたんだろうな
838 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/09(月) 00:01:18.69
カリスマか?
839 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/09(月) 11:25:57.58
カリスマとも違う
840 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/09(月) 12:12:17.49
呂布と違って上手くやった
いうなれば呂布=強盗、劉備=詐欺師
841 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/09(月) 12:28:25.63
劉備「劉璋は英雄としての能力も無いのに、領土を占めて世の中を混乱させた。 柄にも無い地位につき、領地を狙われる羽目に陥ったのは、自然の道理である。 彼が土地や官位を奪い取られたのは不幸とは言えないであろう。」
842 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/09(月) 20:51:45.91
>>841 ダーウィニズムみたいだな
あれも欧米が植民地化するときに悪用されたが
843 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/09(月) 22:35:46.88
呂布「俺は勅命によって逆賊の董卓を討ったのだ。むしろ献帝の忠臣として称えられるべきだ。」
無能な章に代わって劉備が治めただけやろ
呂布とはちゃうやろ
845 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/09(月) 23:58:18.51
まあ劉備が取らなくても張魯に取られ、いずれは曹操に取られただろうからな
846 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/10(火) 01:32:54.07
一応遠い親戚の劉備に取られるのが一番マシだろう
陳寿さんの記述が正しい
848 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/10(火) 10:40:57.42
陳寿さんだって私情は入ってる
劉璋ってどの漫画やゲームでもデブで暗愚な風貌に描かれているね
851 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/10(火) 22:00:38.08
陳寿さんは同郷ということで趙雲を贔屓して書いたりしてる
852 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/10(火) 23:18:22.33
劉備が統治したほうが劉璋が統治したよりも蜀は(曹操等から)長持ちした。
これは間違いない
成都から故郷の距離を考えたら、
同郷というだけでもありがたい存在だろうな
854 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/10(火) 23:52:47.74
え?
陳寿は巴西郡出身のバリバリの蜀人なんだが北方の常山郡の趙雲と同郷とかどっからそんな話出て来たんだよw
おまけに趙雲伝なんて別伝が無かったらむちゃくちゃ少ない分量で趙雲過大評価説の根拠の一つですらあるのにw
855 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/11(水) 01:43:44.10
>>853 それにつきるな
劉備は善意の人なんだよ
劉備は世渡り上手かな。善意の人かは分からない
心が大きくて親切
陳寿さんを信じてる
858 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/11(水) 11:20:26.10
>>856 善意の人とは思えないな
本当に善意の人なら自分が帝位に付かず元献帝を蜀に迎えて帝位につけ
漢を復興させるだろう
実は帝位に野心マンマンだった劉備
860 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/11(水) 21:56:02.60
劉備って本当はデブだったんだろ?
容貌は劉璋と似ていたんじゃないのか?
861 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/11(水) 23:21:58.59
175pぐらい、耳デカ手長の変態だよ
862 :
無名武将@お腹せっぷく:2015/03/12(木) 00:10:54.69
光栄の『爆笑三国志2』に
「もし禰衡が劉備陣営を評したら」ってのがあったが そこでは
劉備に対しても
「手は長いが猿には負ける、耳がデカくて偉いのならとっくに象が皇帝になっておるわい。」
劉備は呂布に「兎耳」と呼ばれていたが・・・確かに象のほうが耳が大きいなw