「楚辞は不思議な文学である。ちょうど宗教と文学の接点に位置を占めて、
文学的な視点でこれを捉えようとすれば、重要な部分が宗教的な領域に逃げ込み、
逆に宗教的(あるいは民俗学的)な観点からの追求だけでは、楚辞のもつ独自の魅力を
十分に明らかにすることはできない。」
小南一郎『中国詩文選6 楚辞』、筑摩書房、1973
「九歌」の十一篇:
東皇太一 雲中君 湘君 湘夫人 大司命 小司命 東君 河伯 山鬼 国殤 礼魂
→「九歌」十一篇から成ることについては種々の議論がなされてきた
第一説:
「九歌」の九は単に多数を意味するのであって、篇数には関係しないとする
第二説:
最初の「東皇太一」を迎神曲(神を迎え降ろすための音楽)とし、
最後の「礼魂」を送神曲(神が帰ってゆくのを送る音楽)と考え、残りが九篇となるとする
第三説:
最後の「国殤」と「礼魂」は死んだ人間を祭る歌で、それまでの神々を祭る九篇とは別にして数に入れぬとする
第四節:
十一篇の中で性格が重なる「湘君」と「湘夫人」、「大司命」「小司命」をそれぞれ一篇と数える