屈原
楚の政治家、詩人。
懐王(在位BC328〜BC299)、頃襄王(在位BC298〜BC263)に仕えた。
張儀の連衡策を受け入れないよう懐王を諌めるが、親秦派の讒言によって追放された。
その後、汨羅江に身を投げたという伝承がある。
『史記』屈原伝
→屈原を愛国の忠臣として共感
「太史公曰,余讀離騒・天問・招魂・哀郢,悲其志。適長沙観屈原所自沈淵,未嘗不垂涕,想見其為人。」
→司馬遷自身が李陵の助命を嘆願し、武帝の不興を買って宮刑に処せられたこともあり、
不遇をばねに著述をした人として自己投影しているのではないか
→この史記の記述が後世の著述の模範となり、上記の歌謡は屈原の作とされた
【屈原と水神】
屈原は死後に伝説化され、水神と結び付けられるようになった。
もともと、汨羅江では端午の節句に水神を祀る祭祀を執り行われていたが、
屈原が汨羅江に身を投げたという伝説が生まれると(これも結びつけの一環であろう)、
その祭祀は屈原の無念を鎮めるためのものへと変質していく。
つまり、死に方の定かでない屈原に、水神と重ね合わせることができるような死に方を後付し、
元々の祭祀の主旨を変質させていったのである。