三戦文民党 2

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【経典として】
『詩』(毛詩)は漢代にはすでに経典として扱われていた。
→古い時代の歌謡のため、詩を解釈する動きが起こる
→民の声を天の声に結びつける考え方が存在したため、深読み、儒教的解釈がなされる
→恋愛詩も臣下の忠節を暗に歌ったものと解釈された
→民謡を詩経に載せることで、「王は民の声に耳を傾けている」という建前を作り上げた

※三国志演義の読者は、政治が乱れたときに童謡に見立てた政治批判がなされるのに馴染みがあるだろう。
董卓の統治下で流行したアレである。
中国では、現代でも政治批判を含んだ歌謡が学生によって作られている

【毛詩】
毛亨・毛萇が伝えた『詩経』のテキスト。
解釈が歴史的、政治的、まことしやかであり、五経を読む中で説明できるようになっている

※五経とは、
易経:八卦、宇宙の原理
書経:古代帝王の言行録
詩経
礼記:公式行事、人間の道徳、社会制度から
学齢、慣習といった日常の作法に至るまでのあらゆる行動規範
春秋:歴史

である。
毛亨・毛萇は他の四経を典拠とした解釈を行い、説得力を認められた

【北宋代】
解釈の見直し、合理化がなされる。
朱子による新注→合理的だが、儒学的解釈
※恋愛詩→「当時の人が恋愛に耽っていたことを批判するために詠まれたもの」など
 あるいは、臣下から君主への歌という解釈も存続