1 :
無名武将@お腹せっぷく:
姜維が蜀に寝返ったのは蜀を滅ぼすためじゃないかと考える。
蜀の滅亡の原因に姜維の北伐も原因の一つだろ。
しかも諸葛亮は姜維は頭がいいっていってたから、
寝返って出世して北伐して滅ぼそうって最初から
考えていたんじゃないかと自分は考える。
か2?
しょうがいしん ではないのか。
最近カタカナ表記や常時ageから脱却しようとしてるんでほっといてやれ
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/27(木) 01:14:55
>>1 じゃあなぜ鐘会らと反乱を起こしたの?
それに魏と蜀の国力差なら刺客なんかいらなくないか
またニコ厨の百一匹阿斗ちゃんマニアか・・・。
曹爽20万を3万で撃退した蜀漢救世主の王平も魏将だよね。
「元魏将」というのは使えるのが多いな。
>蜀漢救世主の王平
王平と共に抗戦を主張した漢中の守護神・劉敏はスルーですか、そうですか。
巨人でうだつが上がらなくても、楽天に行けば輝ける法則。
つまり、ノムさん=孔明?ナンカイヤダナー
11 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/27(木) 11:35:22
ワンワン遅すぎ
生姜って繊維質どれくらいあるんだろう。寝返るほどあるといいね。
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/28(金) 13:32:15
夏候覇はともかく郭楯だったっけ?
あいつも処刑されずにそこそこ出世したって聞いたけど、
そんなに魏の降将は優遇されてたんだろうか?
郭楯って費イを殺した奴だろ。なんでそんな奴が生かされているんだ!?
なんだ。てっきり郭循は費イを殺したのに罰っせられなかったのかと誤読してしまった。
>>13 硬骨漢だったようだし、実際に光るモノがあったのかもしれない。
こればかり記録にないからなんとも言えない。
そういえば、姜維と共に下った面々も出世してるよね。
梁緒…大鴻臚、尹賞…執金吾、梁虔…大長秋。
17 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/28(金) 16:17:25
三国時代の中国人は降将したら、義理堅いの多いな。
八王の乱以降の戦乱で古来の漢ミンジョク気質は絶滅したのかな?
18 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/28(金) 16:19:22
>>13 人材がいなかったんだろ。
晩年の蜀なんて魏の権力抗争に負けるか、蜀との戦闘で下った連中の吹き溜まり政権だしw
( <●> ┏┓ <●>)
魏晋もだんだん将領の質は落ちとるよ
王平姜維のあたりは魏晋でも結構通用するだろう
( <●> ┏┓ <●>)ふぬ
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/20(水) 21:53:12
王平は魏からの降将ってことにコダワル人は多いが、
魏ではたいして位は高くなかった
何より「巴西郡宕渠県の人」で蜀出身なのだから問題ない
姜維や夏侯覇と同列に扱うのはどうかと
夏侯覇は皇后の族叔父だから、これまた特殊だとは思うけどな。
亡スレで下記のようなレスを議論の叩き台として書いたが反応が
ほとんど無いままスレが落ち次スレみたいなのは別話題になったので
関連スレとしてここで「戦役の検討」とやらをしてみる
>949 無名武将@お腹せっぷく Date:2009/05/20(水) 00:47:39
>
>>945 > 1.牛頭山に本営を構え麹城に句安、李歆を配置
> 2.麹城が包囲されたので救援に向かうが阻まれる
> 3.迂回した敵軍に背後を襲われそうになる
> 4.そのまま退路を断たれると大敗の恐れがあるため
> 麹城を見捨てて撤退
>
> このように姜維は感情に流されず素晴らしく迅速に決断ができるんだ!
それに直接のレスではないが、関連する考察レスとして下記があった
>962 Jominian ◆Henri9gNlM Date:2009/05/20(水) 01:27:36
>そうね。
>姜維はパッと見て凄いと感じる記述に乏しいね。
>263年に沓中から剣閣に退いた事も、パッと見諸葛緒をかわした事以外は大した事無いように思えるが、
>鍾会伝やケ艾伝から、九月の一ヶ月の間に、沓中からの撤退、彊川口での会戦、諸葛緒の迂回と剣閣への到着、
>更には鍾会の第一回剣閣攻撃が行われている事が分かる。
>沓中から剣閣までは300km以上あり、単純に移動するだけでも一ヶ月近く掛かる距離である事を考慮すると、姜維の迅速さが分かる。
>姜維に対して、援軍が来るとすぐ逃げる、という印象は確かに抱きやすいが、実はそうでもないと思う。
>麹城の戦いは、晋書文帝紀に「久しく決せず」とあるくらいだし、包囲の推移を見ても数ヶ月戦っていたのが分かる。
>255年に狄道を包囲した時も、陳泰の軍が到着してもそれを防いで退かず、
>涼州の諸軍が雍州との境界に達するに及んでようやく退いている。
>援軍の有無よりも、攻勢限界の見極めがよくできていた、という感じだと思う。
勝ち戦より劣勢や負け戦のような逆境を乗り切ることの方が真価を問われる
と、私は考えるのでその場の状況判断と行動が出来るという点は評価してる
自分の当初の作戦に固執せず方針転換というのも簡単なようで難しい
それが出来る姜維は優秀なほうではあると褒めたところで、いったん区切る
26 :
25:2009/05/21(木) 22:51:24
さて、叩き台は“麹城の戦い”で、“晋書文帝紀に「久しく決せず」とあるくらいだし、包囲の推移を見ても数ヶ月戦っていたのが分かる。”と
“援軍が来るとすぐ逃げる”の反例としてあげているが、敵の迂回側の軍に背後をとられるギリギリまで粘ったんだ程度でしかない
引かなければ大敗していた可能性が高いのだから好判断なのは事実
だが、こういう状況に陥った理由は姜維の見込みの甘さにある
「自分で設定した戦場」でほぼ「敵の作戦通り」に戦局が進展したことは否定できない
まんまと時間を消費させられたのであり、褒めるべきは姜維ではない
麹城を包囲しながら隘路を利用して姜維を阻み続けた敵軍である
街亭における馬謖の作戦より自分が後方にさがったうえ王平のように救出できなかっただけ悪質といえる
危険な前線に派遣され水源を断たれた状態でも奮戦していたのに見捨てられた句安は降伏した
彼の存在も魏の蜀攻略を決意させる一助となったと思われる
これで三国一の名将と呼べるなら
>>1の考えどおりでなければオカシイ
つまり蜀攻略の先導役を疑われない方法で魏に送り込んだというわけだ
27 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/22(金) 22:24:49
>>26 >囲の推移を見ても数ヶ月戦っていたのが分かる。
>危険な前線に派遣され水源を断たれた状態でも奮戦していたのに見捨てられた句安は降伏した
これって実は句安スゴクネ?
この戦いがなく蜀にいられれば魏が侵攻してきた時に第2の王平になれたかも
28 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/23(土) 14:04:32
姜維 = 劣化魏延と考えるとものすごくしっくりくる
逆だろ
姜維は一方面の司令官としては申し分ない。涼州まで進出する統率力・政治力はこの時代屈指のものだろう
魏延は戦場では強いだろうが姜維までの器をしめしたことはない。
30 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/23(土) 18:42:48
よく、光栄の三国志なんかで武力だけ高くて頭の悪い武将いるけど、
戦いの中で武を示せたということは将としての器も十分にあったんじゃないのかと思う
つまり頭がそれなりにいい
そりゃそうだろうけど、100人率いて剛勇を発揮する頭のよさがあれば
10000人率いることができる、とはならないからなあ
32 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/24(日) 01:57:38
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/24(日) 02:02:20
魏延は負けたことがないけど、生姜は負けてばっかやん。
負け戦ばかりでその穴埋めのために漢中の守備を北方方面に差し向けたせいで
簡単に漢中を鍾会に落とされたアホ。
>>29 しょぼいやつに漢中太守やらせるほど劉備が耄碌してたとは思えないけどな
>>30 知力が低いのは「数ある武将の中で」であって民間人はもっと低いんだろ
>>34 勿論魏延はしょぼくはないが、漢中太守時に目立った戦はないし、
それ以後はずっと諸葛亮の統制下に置かれていた「武人」だからね
中華の将帥に必要な法務・経営力を蜀漢の丞相・大将軍クラスほど
持つかと言うと、実績が無いと言うしかない。
>>35 実績はともかくカスに漢中を任せるとは思えないけどな
取り立てた人間がことごとく失敗だった諸葛亮が見出した姜維と人の扱いに長けてた劉備が選んだ魏延を同列で語ることこそ匹夫の勇ですなw
太守に選んだのは劉備だけど大将軍に任命したのは諸葛亮ですらないからな
魏延は人材充実してた時期に抜擢されてる
姜維は人がいなかった時期だし判断しかねるね
>>36 よくみる意見だけどそれ根拠薄弱なんだよね。
劉備は人に任せることより自ら動くことに長けた人間だし、
諸葛亮の丞相府の人間によって死後20年間蜀漢は維持された。
それを以ってどちらが優れているとなどとは言わないし、
魏延がカスだなんて言ってるのは
>>36や
>>34だけなんだよね。
大将軍が国を食いつぶしたってことか
ギエンと比較すること自体おこがましいというか厚かましいな
劉禅が親政したのは費イの死後だよ
>>38は明言を避けながら言葉のトリックを仕掛けてるな
そんな屁理屈が通るなら死後40年国を維持した劉備って言い方もできるわなw
諸葛亮死後はヒイと劉禅の善政なんだろ?
諸葛亮の実績のようにミスリード狙うとか()笑
議論するのには卑劣にすぎる()笑
>>43 明言を避けてるってなんのことだかわからないが、
劉備の死後11年の蜀漢の維持は劉備の人選の賜物と言うことは勿論できるよ?
諸葛亮を選んだのは劉備なんだから。
>>45 劉備が諸葛亮に期待したのは内政
劉備が生きてた間は優秀だったろ
まさか死後の独断専横まで劉備の責任とか言わんよな?
>>46 丞相録尚書事が内政官だと思ってるのかよ…
話がかみ合わないはずだ。もういいや。
これは酷いww諸葛亮の失態を無理矢理劉備に擦り付けるとかないわwww
姜維厨は本当に死に物狂いだな
>>48 少なくとも孔明に【軍事】は誰も(当人も)期待はしてなかったでしょ
実際失敗ばっかりだし
そしてトドメにキョウイを起用ワロタ
生姜繊維より生姜維持の方がdeleteやりやすくない?
生姜厨沈黙したの?
心配しなくても時間をおいて上から目線の負け惜しみが投下される
魏延は京劇でも忠義の赤で表されるからな
キョイチンと並べて語るのはさすがに失礼だわ
ちょっと待て
>>26の「馬謖 > 姜維」というのはスルーして
>>28の「姜維 = 劣化魏延」に反論ってどうよ?
実績がある魏延と比べられるだけ光栄なことだろ
59 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/24(日) 18:35:07
>>53 諸葛亮に姜維をここまで上げるつもりがあったかは疑問
孔明にばかりに責任を押し付けるなよ
>>59 孔明だけの責任じゃないよ
当然当人に一番の責任があるね
61 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/25(月) 22:00:10
62 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/06/15(月) 23:19:40
age
63 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/06/23(火) 20:56:45
64 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/07/18(土) 13:29:23
演義しか見てない姜維厨か
大好きな孔明や姜維がけなされてるのが我慢出来ないみたいだな
魏延を貶めようとしてる時点で典型的だな
65 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/07/18(土) 14:08:24
キョウイ様って殺された後に乱暴されたんでしょ?
酷いよね
キョウイ様の最期が強烈な快感に悶えてたなんて想像したくない…
66 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/07/18(土) 14:09:39
まぁ最後はジジイだけどね。
67 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/07/18(土) 15:28:35
手足の魏延
肺肝の姜維
68 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/07/18(土) 15:36:05
手足の魏延がデカイ顔してたとき
Dr.スランプのニコチャン大王みたいだったろ?
69 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/07/18(土) 16:37:11
となりのメガネは馬岱。
70 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/07/18(土) 23:19:37
>>65 ゲームのやりすぎだ。死んだとき63歳だぞ
ゲームとか以前の問題だ
この変態め
>>46 お前なら曹丕余裕です
倒してください
とか言ってるじゃん
魏延が立ち回り美味く軍権握ったとしても姜維のように活躍できたかは難しい
特に諸葛亮の調整能力無しに彼が軍の総帥として兵を率いる事ができることがあるのか怪しい
また、軍略に比嘉の戦略を考えない軍事行動で大敗の可能性がある
諸葛亮に拒否された別ルートに魏延ルート支持の声が無い事からも明らか
諸葛亮に遠慮して支持が無かったのではない
馬謖任用否定の進言の時は魏延に支持者は多く現れた
戦略自体が正当性の高いものであれば諸葛亮意見に反対者は出る。
また諸葛亮は公正な人物であり、それらの事で懲罰は無いことからも明らか。
正史において諸葛亮の人事への公正さ、識見は、クドい程、繰り返し記述されている。
魏延の案は戦術的に無理だべ。
75 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/07/20(月) 19:03:25
魏延の戦術能力は疑いない
だが、戦略策定、兵站確保といった裏方の仕事を統括できるか不安
さらにブレーンの存在も見えない
姜維には涼州の知識と羌族につながりがある点が有利
その程度では地図魔ケ艾には手も足もでないけど
>魏延の戦術能力は疑いない
弁証しろべし
部曲を以って先主に随い入蜀し、しばしば戦功があった
抜擢されて督漢中鎮遠将軍領漢中太守となった
第一次北伐の際、先鋒は経験のある呉懿か魏延にすべきとの声が多かった
四次北伐の前年、呉懿と共に諸葛亮に派遣されて羌中で費曜・郭淮らを破った
征西大将軍となった(蜀漢初の諸大将軍)
四次北伐において、蜀将何平を攻撃に出た張コウを迎撃し、これを大破した
魏延は士卒を善く養い、勇猛は人に過ぎるものであり、矜持が高かったため当時は皆これを避けた
諸葛亮は楊儀の才幹を深く惜しみ、魏延の驍勇を頼みにしていたので、
常に二人の不仲を残念に思いどちらかを廃するのが忍びなかった
>>77 ま、ある程度武勲はあったようだけど、その内実が一部除いて不明だから
手放しで名将の類とは言いにくいけどね
諸葛亮も魏延には昇進したり気をつかってた。
演義ほど不遇な扱いは受けてなかったよ。
でも北伐時の蜀の陣形、戦術からすれば魏延の戦略は無理があった。
あの機動力のいる戦略(長安奇襲)はむしろ魏の得意な分野。
まあ自分のところと相手のところの戦術を理解してる人からすれば取らない策かな。
だからそれ見抜けずに長安奇襲進言してた魏延にトップは任せられない。
>>78 どこで誰に対して勝利したのか、蜀将では明確に判明している部類の人物なのに
「内実が不明」ってなんなんだ?
史料不足で陳寿が嘆くところの楽進・張コウらも
「内実が不明なので名将とは言い難い」と78は見做しているってことでいいのか?
>>80 うん
三国志は詳細が不明な人が多くて単純に「すげぇ」とか言いにくくて困る
マジレスすると、個人の武勇や建策みたいな逸話は誇張される率が高いから、
「功績挙げて重んじられて出世して要所を任されました」とかいう記述の方が
よほどあてになるよ。
でもあの時代って縁故出世がやたら多くね?
縁故なら縁故と区別がつく
諸葛・張・関・夏侯・諸劉・麋・馬
うろ覚えのオレが持つ蜀漢の家格イメージ。
役割に厳密区分はないが
戦略…軍師
戦術…軍団長
戦闘…部隊長
みたいなイメージ
例えるなら
戦略…張良
戦術…韓信
戦闘…樊噲
かな
樊噲 ← 部曲を以って先主に随い入蜀し、しばしば戦功があった
樊噲 ← 抜擢されて督漢中鎮遠将軍領漢中太守となった
樊噲 ← 第一次北伐の際、先鋒は経験のある呉懿か魏延にすべきとの声が多かった
樊噲 ← 四次北伐の前年、呉懿と共に諸葛亮に派遣されて羌中で費曜・郭淮らを破った
樊噲 ← 征西大将軍となった(蜀漢初の諸大将軍)
樊噲 ← 四次北伐において、蜀将何平を攻撃に出た張コウを迎撃し、これを大破した
樊噲 ← 魏延は士卒を善く養い、勇猛は人に過ぎるものであり、矜持が高かったため当時は皆これを避けた
樊噲 ← 諸葛亮は楊儀の才幹を深く惜しみ、魏延の驍勇を頼みにしていたので、
常に二人の不仲を残念に思いどちらかを廃するのが忍びなかった
魏延=樊噲じゃないか?
魏延は樊カイのように側近から信任されて軍を任されたというタイプじゃない
純粋な戦術屋
樊噲ならもっと何人切ったの羅列になるべき
90 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/22(火) 00:06:07
そういや張嶷って戦死ってことになってるけど
姜維がワザと死ぬように仕向けたかもね
涼州刺史を無視して「涼州取れたらそこに留まって守る」とか言ってるし
思いっきり邪魔だよな
結果的に姜維の時と同じように徒民したけど、生きてたらもめただろうし
と とみん?
なにそれ
>>91 多分造語
民を徒歩で移動させるとかそういうことなんだろう
徙民
徙民
>>90 張嶷ってそこで姜維の意向(というか命令)を無視できるほど偉くも影響力もない
数十年地方に張り付いて太守・雑号将軍で留まった人間だから
96 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/02/19(金) 12:13:32
http://www5d.biglobe.ne.jp/~ryuzen/index2.html >昨日はこのスレで姜維弁護の人を小一時間問い詰めてたりしたんですが、なんというか話がループして実り多い論戦にはならなかったなあ。姜維擁護論者の方はもう完璧に自分が見えなくなってたし。
>「2ちゃんねる」って確かにいろんな人が集まってくるからいい議論の場所になりえるんだけど、一度論戦に参加すると頭冷やして討論するのが難しいんだよな。これは2ちゃんに限らず、人の集まる掲示板ならどこでもなんだけど。
姜維擁護はキチガイであることが証明されましたw
97 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/02/19(金) 15:24:42
高校(宇治山田商)のときはおすしを40皿(80貫)食べたことがあります。肉なら、朝からでも食べられますよ!!
99 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/02/19(金) 21:18:48
>>96 ちょっと調べてみたら2002年のコトじゃん古すぎす
100ごっどー!
きょーいは 魏が 好き な 気が する
>>98-99 2002年と言うと、俺が三戦板に来たばっかりの事で、
まだほぼROM専だった頃だから、それが2002年の事なら俺ではないね。
jominianと神ツコツが並ぶと違和感があるな
全米が泣いた
106 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/11/06(土) 21:58:51
浮上
>>79 だからその着実鈍重な戦術は諸葛亮好みの戦術だろ。諸葛亮がしなければ
「蜀には不可能、魏が得意とした戦術」か?
魏延は最低限の物資でって言ってるし、第三次だっけ?西方だけど長距離
の侵攻に成功してる。
そりゃあ途中で探知されても長安落とすのに手間取っても壊滅する魏延の
提案が危険すぎるのはわかってる。
でも、諸葛亮のゆっくりのんびり戦術も補給度々破綻して失敗してるよね。
>>107 魏は比較的優位な兵力を生かして別働軍にもある程度の戦力を持たせる事が可能だし、
変事に対する対応の早さと正確さから、諜報網がかなり整っていたと考えられる。
魏が急襲作戦をとる時は、兵力と諜報による裏付けあって立案された可能性が高い。
結果的に魏が得意な戦術と言えるかも知れない。
漢中から羌中は長安までより倍以上の距離があるとはいえ、
敵に打撃を与えて撤退に追い込んだ後の辺境の順撫と、
これから援軍5万が来るという状況下での重要都市の攻略では比較にならない。
魏延案の最大の問題はその主旨「俺が場所取りしとくから早く来い」である点で、
急襲部隊だけでなく本隊までも長安に釣り上げてしまうリスクを軽視している。
仮に長安から退却する場合、ビあたりまで平地を100km以上逃げねばならない。
武都より北は関中か隴西を一気に制圧しない限り一部だけ保持するのは難しい。
諸葛亮の北伐が骨折り損に見えるのは地形的に仕方ない部分ではある。
第四次北伐に成功していれば、この辺りの評価は全く違っていただろうから惜しい所だ。
個人的に第一次北伐で、馬謖が敗れた後の全軍撤退が気になっている。
もしかすると徐バク軍の実力を測りかねて包囲される事を過剰に恐れたのかも知れない。
蜀は敗れてなお年内に再征する余力があったので、諜報の不備だと勝手に考えている。
そう考えた場合、慎重居士の諸葛亮が魏延を羌中まで進出させたのだから、
230年頃には隴西の守備兵力を正確に読める程度に諜報を充実させた事になる。
実際、この頃の諸葛亮は怖いくらい冴えてる。
109 :
無名武将@お腹せっぷく:
なるほど