諸葛亮が司馬懿に勝っている部分が一つも見当たらない
1 :
無名武将@お腹せっぷく:
政治軍事謀略全部司馬懿が上
三国を統一したのは魏でも蜀でもなく司馬懿の子孫だしな
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/23(木) 01:25:41
身長と現代における知名度
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/23(木) 01:25:46
後世の人気
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/23(木) 03:11:37
最期の最後に勝っただろ!死せる孔明、生ける仲達走らす。で。
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/23(木) 03:32:46
若さ
孔明は司馬懿とは違って住民虐殺をしなかった。
7 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/23(木) 08:24:21
孔明は忠臣
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/23(木) 08:31:10
「死諸葛嚇走活仲達」
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/23(木) 08:32:11
死せる諸葛、生ける仲達を走らす
( ゚Дメ) 10
( ゚Дメ) 11
にくまんを開発した
この偉業を持つ諸葛亮に勝てる訳がない
司馬懿みたいにボケたふりなんてできないお
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/23(木) 10:35:31
過剰評価だな、公明は
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/23(木) 17:55:09
ということで司馬懿の劣が多数
終了
孔明だって企めば蜀くらい余裕でしょ
てか息子ダメだったらあげるって言われてるし
圧倒的な孔明の人気
司馬懿が及ばない要素
19 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/23(木) 21:03:21
鹵城での麦狩り
( ゚Дメ) 20
しかしオマイラ、首が180度回転するってのはなかなか凡人には真似出来ない特技だぜ?
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/23(木) 22:46:37
合体させて司馬亮にすれば?
24 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/23(木) 22:55:13
やぁぁぁってやるぜ
麻薬取引量
身長も多分諸葛亮の勝ちだろうなぁ
あと、IMEで司馬懿は変換できないからビルゲイツ的には諸葛亮>司馬懿なんだろう
28 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/02/08(日) 20:18:46
仕える君主は司馬懿が圧勝
てか戦術対決では実際孔明が圧勝してんじゃん
戦略勝ちしたのは司馬懿だけど
奥さんの尻に敷きっぷりは・・・
32 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/02/23(月) 20:57:01
>死せる孔明、生ける仲達を走らす
それを聞いた司馬懿は死人は相手にできないからねと返してるけどねw
その死人の反撃にビビって退却してきた後の単なる負け惜しみじゃん。
前に追い討ちかけて惨敗した悪夢が過ったんだろうな。
35 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/02/24(火) 23:20:31
人物眼はトウ艾を登用した仲達の圧勝ですな
36 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/02/24(火) 23:51:36
>>29 戦術で孔明が圧勝・・・?
いつの話だ??
>>34 司馬懿は用心深いから下手に手を出さないだけ
持久戦挑めば必ず勝てる相手だし、蜀は
局地的な勝利は諸葛亮は得ているが最終的にはいつも司馬懿が諸葛亮を退け
北伐は徒労に終わってるわけだし
>>36 諸葛亮伝くらい読めよ
注で司馬懿が戦闘挑んでボコボコにされてる
39 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/02/27(金) 02:54:59
司馬懿仲達と諸葛亮孔明の共通する部分
ちんこ…とな?
41 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 02:44:36
魏の国力からしたら自国領土を攻められる時点で負けでしょ
仮に日本と米国が米国本土で戦争して日本本土に被害がない状態で
兵站が切れたから日本が攻めきれなかった場合
日本と米国の軍事最高責任者どちらかが優れているかは一目瞭然
国力差からして、あえて攻めなかったとか言うのは司馬厨の言い訳
国として勝ったか否かと戦った将の能力は別物
>>41 当たり前のことだからそんな熱くならなくてもいいのだが
ゆとり世代には兵站理解できないから困る。
43 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 11:05:16
>>38 >諸葛亮伝ぐらい読めよ
よく出来た糞伝だよな、なんたって孔明が風を変えた事になってるもんな。
こんな糞伝読んで、なんか得するんか?演義よりもある意味ひどい。
>>1 勝ってる事はただ一つ。過大評価されてるだけの無能な政治家。
44 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 13:37:17
>>43 よくお前みたいに諸葛亮は過大評価されてるだけと言ってるやつがいるけど、
具体的に何故司馬懿のほうが優れているか、と聞くと最終的に勝ったから
としか答えられないよな。優れていたのは曹操や魏の将らであって司馬懿では
ない。あいつは蜀軍にびびって引きこもっていたヘタレ野郎だ。
45 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 13:57:56
劉備が夷陵の戦いで優秀な人材を大部分失ったからな。
馬良も生きていただろうから馬謖ごときが街亭の守りに起用されることもなかった。
46 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 14:15:54
シバイの派閥は魏で権力闘争に勝った。
諸葛亮の派閥は蜀漢で権力闘争に勝てなかった。
この違いは大きい。
>>42 同じ失敗を五度も繰り返す指揮官の手腕は果たしてどうか
曹操は官渡で兵站にガタが来てたが、それでも勝ったわけだし
補給が続かないのが十分予見出来てた状態で、同じように攻めて悉く同じ失敗を犯した指揮官の手腕を褒められるだろうか
まぁ司馬懿は、明帝の多大な支援がなければ諸葛亮に勝てなかったと思う。
諸葛亮は司馬懿に負けたのではなく、国力と仕える君主に負けたのだ。
>>47 第一次は馬謖の命令違反で失敗
第二次はカク昭の奮戦堅守によって兵糧が尽き撤退
第三次は武都・陰平の二郡を制圧して帰還
第四次は李厳が補給に失敗して食糧不足で撤退
第五次は病死
これを同じ失敗とひとまとめにされてもねぇ
51 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 20:50:55
>>50 一次は馬謖抜擢が失敗
二次は曹真に侵攻ルートを読まれて失敗
であまり指揮官としての才能を感じないが
五回も国家を挙げて出兵して取ったのがたったの二郡じゃ割に合わんと思うのは俺だけか?
53 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 21:07:32
第四次が謎なんだよなー。あれって結局李厳がごまかしたのをおおごとにしてるけど、
どっちみち食料が輸送できなかったことには変わりないんだよね?
54 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 21:14:35
逆にシバイが蜀の領土を切り取ったかというと寸土も得ていないわけで
55 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 21:15:24
諸葛亮を凄く書かないとそれに勝った司馬懿が凄くみえないから
故に諸葛亮は屈指の名将
56 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 21:19:52
54の脳内では魏軍は蜀を攻めてるそうです
58 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 21:24:42
>>56 つまり迎撃に手一杯で攻め込む余裕は無かったとw
59 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 21:30:33
>>57 うん、そうだね
>>58 司馬懿は上から攻めろと勅がでてたんすか 初耳です
>>54 魏にとっては国防で蜀を討伐する戦争ではない
国防のために曹真は積極策を取り司馬懿は消極策を取ったというだけのこと
61 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 21:30:52
魏の国力+司馬イと蜀の国力+諸葛亮で魏の領内で戦って引き分けだったんだから
諸葛亮が魏の国力を背景に蜀を守る司馬イと戦ったら普通に勝っただろうね
>>61 普通攻めて場合は成果を上げられなかったら「負け」で
守備に入った場合は守り切ったら「勝ち」だが
63 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 21:42:37
どういおうが司馬懿は勝ったという事実は変わらん
いや魏が勝ち蜀が負けたと言った方がわかりいい
64 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 21:43:31
>>62 じゃあハルゼーが小沢治三郎よりも優れていたというか
単に国力の差というか、どちらが納得できるかね???
能力の差よりも国力差が大きかっただけ
それが諸葛亮と司馬イにも当てはまる
同じ能力なら守りに入らずに蜀を平らげてた
できなかったのは能力が劣っていたから
65 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 21:49:59
>>64 だからなんで蜀を攻めおとさないといけないの?
能力があれば蜀は落とせるて無茶苦茶いうなよ。司馬懿に蜀を攻める権限なんてないだろ
66 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 21:59:40
人を使うのは難しいんだよ
67 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 21:59:42
諸葛亮にとって眼前の敵は司馬懿。だが、司馬懿の後方支援と対呉に目を光らして何度も呉を退却させた明帝。
呉の腑甲斐なさで士気低下した諸葛亮。
結局、司馬懿を倒せず死ぬはめに・・・
68 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 22:01:06
ひとつだけ言えるのは魏が諸葛亮を恐れていたということだ。
蜀は司馬懿を恐れていない。これも諸葛亮が勝っている点の一つ。
69 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 22:08:15
いんや、魏の一部の高官が諸葛亮を恐れていただけ。
少なくとも明帝は諸葛亮に対し恐れてはいない。
明帝は剛毅な君主だったしな。
71 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 22:16:41
>>65 263年に侵攻して統一してるし、結局できないからやらなかっただけでしょ
国力10倍を背景にしても能力的に諸葛亮の守る蜀を攻められる人間がいなかったから曹叡も攻めさせなかった
つまり権限を与えなかった
野球でも原が毎年巨人を優勝させてるから能力的に一番とは言わないのと同様
国力を背景に勝てても能力的に勝てたことにはならない
魏の勝利=司馬イが諸葛亮に勝ったことにはならない
それを世間は、負け犬の遠吠えという
73 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 23:34:32
>>43 諸葛亮伝に風向き変えたとか書かれないと思うが?
>>51 馬謖は有能。
曹真が諸葛亮の手を読んだと言うがそれは魏の言い分。
結果、武都・陰平を取られた。
張郃が予見したように、陳倉は落ちない城。
数万の黄巾族が80日かけても落とせなかった。
そこに20日分しか食料を持たないで行く諸葛亮の真意は
別にある。
曹真は読めた気でいても、結局、諸葛亮の掌の上で
転がされていたということ。
司馬懿は諸葛亮に勝てない。
だから撃って出ようとはしなかった。
同じ防衛戦でも対呉戦となると
司馬懿は自ら討伐を名乗り出て
積極的に戦い打ち破った。
諸葛亮に対しても勝てるならそうしたはず。
74 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 23:43:56
>>73 馬謖が街亭以前に戦線で功績を立てて有能であることを示した事例は?
75 :
43:2009/04/19(日) 23:47:11
>>74 馬謖が無能である証は?
(街亭のミス以外で)
>>64 兵站と資源というものをまるで理解してないな
>>75 有能だと言うには何かしら根拠がいるだろうが
無能という根拠は命令違反から喫した大敗という事実で充分じゃないか。
78 :
73,75:2009/04/19(日) 23:48:33
79 :
73:2009/04/19(日) 23:51:20
馬謖が死んだとき10万の兵士が馬謖のために泣いた。
馬謖がカスなら誰も泣きはしない。
張郃は戦略眼の高い名将。
他の武将じゃ勝てないよ。
80 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 23:55:23
>>75 戦功がなく、有能であることを示していない人物に張コウの相手をさせたこと自体が人選の誤りでしょ
81 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 23:56:19
>>76 兵站、資源の面で有利だから米国は勝った
それが不利な状況ながら蜀は敵国で戦い引き分けた
違うか???
82 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 23:59:30
勝敗はともかくとして命令違反した時点で軍人として無能なのは明らか
そんな人材を抜擢したのは明らかに失敗
馬謖が無能であろうが有能であろうが、一つの失敗だけで斬ってしまった諸葛亮は大きな失敗を犯してしまった。
これは馬良伝(附き・馬謖伝)習鑿之の注に通じるものである。
84 :
73:2009/04/20(月) 00:12:53
馬謖は諸葛亮らよく軍略を話し合ったそうだから
その戦術眼の高さを諸葛亮は知っていた。
一番大事な戦いは長安から隴関を通ってやって来る曹叡本隊と
諸葛亮本隊の祁山での決戦。
こっちの脳みそは諸葛亮が受け持てばいいが
張郃を押さえる軍にも脳みそが必要。
魏延の武は本隊で使いたいし
王平は位が低すぎて大事な戦の大将には出来なかった。
呉懿はよー知らん。西涼平定にでも向かわせる?
85 :
73:2009/04/20(月) 00:16:04
涼州ね
>>81 違うな
蜀は引き分けでなく、敗北したんだ
>>84 そもそも袁紹軍時代から戦い続けた張郃にまだ実戦経験の豊富とは言えない馬謖をぶつけたのが戦略ミス
それこそ自身か、魏延や趙雲らへんが当たるべきだった
まあ曹真もなんとかせにゃならんからどうしたって無理は出るが、それでもミスと言わざるを得ない
むしろ馬謖みたいなペーペーをそういう重要な局面で使わざるを得なかったという人材の無さ
89 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/20(月) 00:30:11
>>84 戦功がなくて言葉で話す戦術眼とやらだけで抜擢したとしたら
趙が趙括を抜擢したのと同様に頭の悪い人材抜擢となる
90 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/20(月) 00:35:00
>>82 この時代は命令違反しても敵を撃破できれば罪には問われない。
馬謖は結果として失敗しているが、もし成功していれば味方からも
後世でも称賛されていただろうよ。
91 :
73:2009/04/20(月) 00:36:33
だから王平を副将としてつけた。
命令無視までは流石に予想できなかったといった所じゃないの?
趙雲は曹真の大軍を引きつけるために使ってた。
諸葛亮は倍する敵と戦うために敵戦力を上手に分散させた。
手足の戦いのために総大将が赴いたとしたら
その時点で戦いになってない。
張静って誰?と思ったら張コウね。
張コウ相手じゃ、魏延を使わざるおえまい。
しかし、諸葛亮は嫌いな魏延を使わないで敗北。まぁ自業自得なんだよね。
93 :
73:2009/04/20(月) 00:41:14
「張静」に映ってる?
俺の環境じゃ、ちゃんと「張合β」だけど。
94 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/20(月) 00:45:50
>>90 それは知ってる
演義でも南征で魏延と趙雲が抜け駆けして手柄を立ててるしな
でも失敗したから無能なんじゃない
有能か無能かは結果でしか判断できない
命令違反を選択して、それがうまくいくと考え、実行し、失敗した時点で無能でしょ
兵法書どおりにやってくれる分、趙括の方がマシかもね
相手が凡庸な将軍だったらそのまま兵力差で押しきれてたと思う
馬謖は命令が煩雑で作戦以前に指揮能力に大きな問題があった
おまけにその状態で正攻法に頼らず奇策を使おうとする点で身の程知らず
96 :
73:2009/04/20(月) 00:54:24
魔がさしたんだよ、そうだろ馬謖?
97 :
73:2009/04/20(月) 00:59:22
根拠は?
王平最高や!登山家なんて始めからいらんかったんや!
何で王平を主将にしなかったん?
副将にしたってことはその時、動ける将帥だったんでしょ?
単純に馬謖を育てるためでしょ
102 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/20(月) 11:45:27
>>100 だから王平は大役を任せるほどの地位に無かったんだよ。王平を主将に
するってことは部長を差し置いて係長に大きな仕事をさせるようなもんで、
この時代ではあまり類を見ないことなんだよ。
ネタスレだと思っていっちょ「ちんこの長さ」と書き込もうと思ったが
そんな雰囲気ではない真面目なスレだな。
しかし諸葛亮関係のスレでは必ず馬謖話に花が咲くな。
ここまで馬謖ばかりだと、諸葛亮は街亭での人材選びくらいしか失点が
なかったのかという感覚になる。
人材選びが下手な人って誰がいるだろう
袁紹くらいしか知らない
太史慈より許子将を選んだ劉ヨウ
韓フク、劉ショウなんかも該当しそうだ
袁術は人使いが不味い。信賞必罰を違えるのは駄目
>>95,
>>98 ふつーにそう思ってたが。
馬謖の方が張コウより多かったという根拠の方が聞きたい。
馬謖は結果論だが配置ミスになるんだろうなあ。
でももっと大事な局面でミスして大敗してたら
蜀も終わってたかもしれないしな。
見込みはあった人材だし仕方ないかと思うのだが・・・
司馬懿の将としての凄さは切れ味鋭い用兵だけど
その司馬懿すら4次で大敗して、その後も篭るしか出来ずにいたし
諸葛亮の野戦能力は司馬懿を上回ってたと見ていいんじゃないかな。
>>106 俺は馬謖の方が多かったとは言ってないだろうが、どちらの兵力もよく分からないと思ってる
君が張コウの方が大軍だというから根拠を提示するべきなのはのはそっちだろう
強いて言うなら漢晋春秋に「大軍がキ山、箕谷いるときはいずれも賊軍より多数だったが敗北した
失敗の原因は兵力ではなく最高責任者にあった」とあるが馬謖の軍も含まれているかは確証はない
そもそも、張コウの方が多数だったというだけじゃ砦にこもらず山に登った言い訳にはならないと思うが
他に何か理由がなければ
つうか、諸葛亮は司馬懿どころか、陸遜にも勝てない気がする。
諸葛亮は勝ちに拘り退くこと知らず、陸遜は勝ちに拘らず時に退くことも知っている。
張コウの方が少数ならば水を断たれた時点で打って出たんじゃないか?
>>110 諸葛亮は退き上手だと思うんだが。
馬謖のミス以外は一度も大敗してないし、
退却戦で敵武将を殺しているし。
大敗していないから5度も北伐に出れたんだぜ?
>>111 大体正史じゃ大まかには水を断たれたところを攻撃されて敗北したとあるだけで
馬謖に打って出る気がなかったのか、そもそも打って出なかったのかそれすらもよく分からない
それに「行動は妥当性を欠いた」といわれる馬謖に君の考えが当てはまる保証もない
>>109 95じゃないのか?
「兵力差で押し切る」とか言ってるじゃないか。
「漢晋春秋」諸葛亮の言葉と伝わるが
箕谷は趙雲らが偽兵の計として行ってた土地だ。
ここでも蜀軍の方が多かったとでも?
張コウ伝
「馬謖は南山を頼りとして抵抗し、下におりて砦に立て篭もらなかった」
この部分、馬謖が張コウより少数だったニュアンスを感じる。
あと俺は111じゃないよ。
>>114 >「兵力差で押し切る」とか言ってるじゃないか
それは趙括のことを言ったんだが、よく読んでね
>ここでも蜀軍の方が多かったとでも?
俺は根拠の一つとして出しただけだろうが、記事の信憑性に文句を言うなら漢晋春秋の作者に言えよ
わざわざ「強いて言うなら」と書いてあるし、これをもって馬謖の方が多数だった言えないことも書いてる
>「馬謖は南山を頼りとして抵抗し、下におりて砦に立て篭もらなかった」
俺にはそんなニュアンスは感じないがね
ついでに言っとくとどっちが多数だったとか本当はそんな大きな問題じゃないと思ってる
張コウの方が多数だったからといって馬謖の行動が弁護されるわけじゃないと思ってるから
これもさっき書いたけど
あっそ。
>>112 諸葛亮が退き上手?
陳倉での退きの悪さは実証済み。
陳倉?
情報が完全に読まれてた上に寡兵の陳倉城を落とせなかった進行面は兎も角
追撃部隊を指揮官ごと打ち破った退却面の何が悪いのか
陳倉の戦いは魏書明帝紀では建興六年十二月、魏書曹真伝では
諸葛亮の撤退は翌年春とされている。そして武都・陰平の攻略戦が
後主伝等によれば翌年春(正月〜三月)となっている。
つまり第二次北伐と第三次北伐は連動しており、
諸葛亮は本隊で陳倉を攻めながら近くの上ケイにいた郭淮を足止め、
その間に陳式が武都・陰平を攻略。というjomiえもん説もあるから
「陳倉での退きの悪さ」ってのは何を指してるか明確にしてほしいね。
122 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 19:58:01
要約すると、諸葛亮は魏と戦って何一つ戦果がなかった。
123 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 20:06:14
あんな二郡?
125 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/30(木) 08:25:28
司馬と孔明の能力の差は能力の使い方の違いだから難しいが
政治は孔明のほうが上
126 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/30(木) 15:35:46
司馬懿が蜀レベルの兵士数・兵站しかなくて
孔明が魏レベルの兵士数・兵站を持っていたら
司馬懿は孔明に降伏させられてただろうな。
127 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/30(木) 17:47:31
128 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/30(木) 17:50:16
孔明や劉備を批判する人ってどうして当時の情勢を無視するんだろう
129 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/30(木) 18:03:00
孔明の天下三分の計は完璧だった。
ただ、関羽が一郡を任される都督として無能すぎただけ。
所詮関羽に外交交渉や政治的駆け引きは無理だった。
もし龐統が生きていれば孔明かどちらかが荊州に常駐できたのに。
130 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/30(木) 18:34:05
完璧じゃねーよ
龐統だろうが諸葛亮だろうが呉の西進は押さえられない
呉が合肥で勝たないことには話にならない
131 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/30(木) 18:52:39
諸葛亮の脳裏では、蜀漢が統一だろ?
魏を蜀と呉で滅ぼし領土闘争することになる。
国力で呉に劣ってるのに無理なんですが・・・
諸葛亮はアホですか。
諸葛亮の天下三分は蜀の天下統一が最終目標だけども
北半分持ってる魏、南東に勢力を確立してる呉に対して
「当時何も持たない劉備はどこ取って誰と仲良くすればいいか」
という事を基盤の全くない劉備にきっちり明示したという点で優れてるんだよ
しかし周ユがさっさと死んでくれて助かったな
暗殺説もあるけど
>>134 金創が元で病気になってたとなるとかなり深刻だから暗殺しなくても死んだだろう
>>128 自分が就けば蜀が統一出来ると思ってる時点で所轄亮はアホ。というか脳内厨の空論家
>>136 諸葛亮はンなこと思ってないが
諸葛亮が自分を重ねた管夷吾、楽進も主君を助けて大いに国威を発揚したけど
どちらも統一とか縁遠い人だし
138 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/01(金) 07:24:36
楽キなんかあれだけ燕に尽くしたのに捨てられるからな
うわああああ
楽毅と楽進を何故か間違えた…
どうかしてたな
140 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/01(金) 08:53:31
>諸葛亮が司馬懿に勝っている部分
漢字の読みやすさ。
懿なんて漢字は三国ヲタじゃない限り終生出合わん漢字だ。
あと、演義の持ち上げっぷり。
名前の響き
能力は司馬懿
名前は諸葛亮
>>132 『先ずは劉表の荊州を奪いなさい』
・・・これ、実践していたら歴史はどう動いていたんだろうね?
要約すると諸葛亮はアホ
>>144 曹操の南下より前に荊州豪族全部纏め切れるなら相等有利になる
それがどう考えても不可能だから劉備は逃げたんだろ
良く諸葛亮とか姜維とか郭嘉荀ケ辺りの話題はでるが
ホウトウの話ってあんまでなくて寂しいw
あと、徐庶と法正もね。
徐庶と法正は記述が少なすぎるwww
>>144 諸葛亮は防衛戦得意そうだし曹操の南下を
凌ぎ切って蜀取ったら面白かっただろうねえ。
>>150 だよね。徐庶に至っては、諸葛亮伝(付き徐庶伝)だから解せねー。
徐庶は魏志で列伝を立てるべきだと思うな。
郭嘉・程イク・陳宮らと一緒にね。
たいして仕事やってないからな
魏略には伝があったそうだよ。
でも陳寿が三国志を書く際に取り上げなかっただけ
つまりこいつは本来伝立てるほどの奴じゃねーって陳寿が判断したってことでしょ
>>155 三国志は注釈された後に何巻か失われてる
多分徐庶の伝はその失われた分にある
>>157 ちくまの正史でも読んでくれ
色々たんねーって書いてあるから
>>158 いや、何巻か失われてるってのは初耳なのでその部分どっか抜粋でもしてくれないか?
嘘やうろ覚えの適当発言でないというなら
>>159 さてどこにあったかな
注釈で「諸葛亮伝に徐庶の事書いてある」とか書いてある割りに
徐庶の情報が殆ど無かったりする事からもある程度欠けてる部分あることは判ると思うが
徐庶の記述は十分あるだろうに。
部分的な残欠があり、それが十分補われないまま文が整えられたという可能性はあるが、
列伝丸ごと一つ欠落してしかもそのことがまったく伝わってないようなことは三国志では殆ど有り得ないだろう
古来巻数が解っているんだから。失われた一巻は陳寿の叙伝と推定されている。
163 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/08/10(月) 14:25:54
司馬懿 ⇔この名前のせいで損してるよ
164 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/08/10(月) 14:36:13
どうして司馬懿は普通に漢字が出てくるんだろう?
ホウ統とか張コウとかのほうが簡単そうな漢字なのに。
俺のやつだと出ないけど
王朝の創業者扱いだからかな?
懿徳天皇のおかげ
司馬姓なのはかなり得してるだろ
168 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/08/10(月) 22:50:39
司馬遷がいるしな
司馬宙もいるしな
170 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/08/11(火) 01:14:39
司馬錯
司馬懿が諸葛亮に勝ってたところなんて仕えた国の差ぐらいだろ。
軍略で勝ったと言っても国力の差で勝っただけで戦場でたたきつぶしたわけでもないし。
国力の差をきっちり戦略の差とするのが大切なんだよ
別に司馬懿が無能と言ってる訳じゃあないだろ
個人の才能で勝って無くても十分勝てる国力差だったと言ってるだけで
司馬懿がその国力差を生み出すのに大きな働きをしたわけでもない
司馬懿…乱世の名将
諸葛亮…治世の名君
夫婦仲の良さで孔明の勝ち
司馬懿は奥さんで損してるからな
頭のいい息子産んだ以外は余計なことばっかりする無能
忠義で勝ってる。
>>126 そもそも司馬懿にそんなチャレンジ精神は無い印象を受ける。
勝てる戦しかしない、というか。
チャレンジ精神は孔明が上。
>>178 双方が逆の立場ならたぶん結果が逆になるだけだろう
国力差が大きくなりすぎないうちに勝負賭けないと20年後はあっても100年後はないと司馬懿も思うだろうし、
孔明も魏なら無理して勝負することもないと結論づけるとおもうよ
劉備に仕えた事自体チャレンジ。
司馬懿なら絶対なさそう。
181 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/08/23(日) 19:40:26
「勝てる戦しかしない」というのは一国の命運を左右するかもしれない大勝負を
任された最高将帥なら、そう考えてしかるべきだと思う。
もっともその将帥にどれだけの後方支援(物理的、精神的に)を与えられるかどうかは
もう国力の差とか人材の多寡とかによるわけで、その点やはり地力が圧倒的に有利だった
魏の方が選択肢が多かっただろうね。
もし二人の立場が入れ替わっていたら、という話に関しては
>>179と同意見。
地力では諸葛亮>司馬懿だが
リスクに対する積極性で諸葛亮<司馬懿
総合では諸葛亮=司馬懿になってしまう
どちらが優れてるにしろ僅差の範囲でしょ?
嫁に関しては
司馬懿>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>孔明
>>184 一緒に発明できるほど頭が良かったし、
ブスだから浮気や他の権力者から狙われる心配も少なかっただろうから
一概には言えんよ。
愛人というか妾なんか作りたいだけ作れただろうしね
肉まんと知恵の輪作った時点で孔明の勝ち
>>183 誤差じゃ済まないな
劉備の夷陵敗戦後は司馬懿じゃ復興できたか怪しい
司馬懿は恐妻家
189 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/08/24(月) 20:37:21
>>187 >劉備の夷陵敗戦後は司馬懿じゃ復興できたか怪しい
コレが成り立つには、当時の二人の各国における地位や職権が同等である、という前提が
必要だと思うけど?
190 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/08/24(月) 21:07:25
息子どもも司馬懿が圧勝
>>189 司馬懿は軍事には強いが民政をやった経歴が見えない
職歴のせいかもしれんが、出来ないからと考えてもいいだろう?
孔明の息子の駄目っぷりは異常
養子の方が優秀
195 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/08/25(火) 15:02:21
>>192 その息子に縋るしかなかったんだから仕方ないよ。
なんの役にも立たなかった関某や張某の子孫よりマシ。
諸葛瞻って一応衛将軍にまでなってるんだな
まあ蜀の場合、官位が安っぽい感じはするけど…
降将の夏侯覇や郭循ですらかなり高位の将軍だし
>>197 三公や高位の将軍がほとんど二世や皇族の魏も呉も安っぽさは同じようなもんじゃないか?
それぞれ良さあるし、比べる必要性が無い。
司馬懿が蜀に居ても駄目だったし
諸葛亮が魏に居ても駄目だった
>>199 諸葛亮も曹ヒあたりに気に入られれば
四友クラスにはなれるんじゃないのかな?
まあ208年くらいから取締役待遇は無理だけど
蜀はとにかく層が薄いイメージ
実際に諸葛亮が魏は蜀に比べてなんて人材が豊富なんだと言ってたからな
いたけど諸葛亮が使わなかった、使えなかっただけ
四川だけじゃ生かしきれない
>>203 その場にあわない人材はいないの同じかそれ以下だよ。
どっちも優れている場合は先に手を出したほうの負けだろ。
特に諸葛亮なんて正攻法は大得意だが詭道は下手、
しかし相手からの詭道は通じないような完全な守勢特化型を打ち破るなんて至難の業だ。
曹操と周瑜を比べて周瑜の方が断然優れているなんて思わないしな。
司馬懿は曹操みたいなヘマをしないから面白みには欠けるが。
司馬懿の強みは非情さ。
公孫淵討伐後の大量殺戮や、曹爽一族をはじめとする魏の皇族処刑など、後世まで悪名が残るような蛮行を躊躇無く出来るのが諸葛亮との差。
…と思ったが、あの時代にそんな事言ってられる余裕は無いか。
まあ、周到さも司馬懿が上って事で。
>>206 諸葛亮は2行目のようのことが少なくとも存命中には起こらないようにしてたんじゃないの?
起こってからそれを討伐するの方が周到さが上?
210 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/08/26(水) 22:02:32
>特に諸葛亮なんて正攻法は大得意だが詭道は下手、
↑ こここそが二人の運命を分けた性格というか特質というか・・・なんじゃない?
できるもんなら孔明も正面決戦しても勝率100%というラインに持っていきたかったんだろうけど悲しいかな
それを裏打ちできる国力とか前線指揮官たちへの信頼度に恵まれなかったんだろうね。
このままいけば自分は生きてるだろうけど国の将来はどう見てもジリ貧・・と思ったからこそ不安を抱きながら北伐に向かったんじゃないかな。
司馬懿はそれが読めたから「なあ〜に、まともに消耗戦に持ち込めればこっちのもの。上手くいかなければ離間の計でも使うさ」と余裕綽々。
だから守勢特化して守りを厳しく固めたんだろうね。孔明の司馬懿に対する評価がアタリならそれはそれで上将。面白みと国家を引き換えにしないあたり
ウケは悪いかもしれんけど、大軍の将としての見識は十分以上だと思うけど。
その辺は二人の立場が違うから何とも言えんが…
起こってしまったものは仕方が無いとして、その後の後処理が優れてる、って事。
>>210 そこも仕えた国の差
自分諸共勢力が滅んで構わない曹操みたいなバクチは
国家に仕える身分の諸葛亮には出来ない
性質じゃなくて、環境の差
詭道で勝つっていうのはその一回で完全に勝利を決定しないとあんまり意味ないからな、特に攻める時は。
小勢力同士の時はいいけど大国同士だと一度の勝利で情勢が完全に決定するなんて首都を落とすとか皇帝を討ち取るとかそれぐらいの戦果を上げなきゃ。
結局全部仕えた国の差、立場の差って事になってしまうな
216 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/08/27(木) 20:06:35
やはりif設定で君主を
魏に劉禅と司馬懿
蜀に曹叡と諸葛亮
だったら諸葛亮に勝機があるかもよ〜
>>216 兵力・物資・人材・地の利で優ってる北伐戦で魏が負けるとかよっぽどの無能じゃないと無理
劉禅はそこまで無能じゃない
曹叡もそこまで際立って優秀って感じじゃないしな
魏の君主 高緯
蜀の君主 光武帝
くらいの差があれば、逆転出来たかもしれんが
曹叡はどっからどこまでも始皇帝のしっぽ
劉禅ならむしろ司馬懿がやり易くなる
優秀な部下が居れば良い君主だ
でも、劉禅と司馬懿では呉の対策や北方の対策はできないだろ?
223 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/08/29(土) 21:10:07
時期が時期だけに「孔明灯」ってのが何気に笑えるw
でも、どうせなら一挙に魏都を射程に入れるくらいの超長距離弩弓とか火砲を発明すれば
よかったのに。ま、別にそれが出来なかったからといって諸葛亮の評価が下がるわけでもないけど。
孔明灯w
紙芝居も孔明が本当に作ったのならすごいな。
軍師じゃなくて生粋の学者肌
孔明灯の元ネタはどれか
1.戦争中の連絡手段として発明
2.捕まっていた技師が大きな燈籠を作らされたのを利用し、気球として乗って逃げたという民間伝承
3.諸葛亮とは無関係
孔明って日本でいうと誰に相当すんの?
マンセーされ過ぎな気がするんだけど
秀吉じゃね?
どっちかというと石田三成
まぁ、三成に多少の人望を加えた感じか。
家康だろ、
攻城戦下手、内政力、人事といいイメージに合う
光成は派閥調整がダメすぎてイメージと違いすぎ
>>233 魏延と反目、関張の嫉妬みたいなエピソードがその三成のイメージと重なるんじゃないの?
加藤・福島との対立なんかと被ると。
諸葛亮はその対立相手を最終的にはわりと上手いこと懐柔できてる方だから、
貴方は違和感があるんだろうけど。
逆に家康こそあんまりイメージ重ならないな。
常に一勢力の主だし、むしろ孫権とか。
司馬懿は成功した如水かな
三成とドクター中松を足して2で割ってIQ多めにした感じ<諸葛孔明
___,_/ `ヽ, `ヾ´ `ヽ、
., '´ `ヽ、 i i i``ヽ
_, -‐'-- 、, .! i / i i,、
./´ ヽ .i / ノ / / .`i
i r',ニヽ i /._,_/ー--'"'ー-.<_ ._ノ /
i !,.`''´ ノi,_,..ノ::::::"  ̄.ヽ,. ノヽ
/ ヽ, `'ー‐'"ノヾ;::::::' i /
!. `ー- 、, _,zイ、. 'i;'、::::::::::::.:::.......... ..:::::..|.,ノ
.ヽ,_ r'´r-、ヾ, ヽ'''''''"" ー--、" '",. - '|
(_`'''"´i y'っi ;i | -,"='ェェ'=' ) .i. i゙rェュ-|
`i'´´. 〉、ヾ、,!::| | `ニニ -' ヽヾ、 _,.!
`''''' iヾ`i.! :| | ,、 ヽ i
〉,ヾ!, ,| | , (,.、_ ノ、 i
,// .'iヾ゙ニ''.| | ,ノ;;;;;;;;;;u;;;;;;;;ヽ. l
, -''/ .i ヾヽ.l ! ,;;;;;=ニ三ニ=;;; /
'´ 〈 .i ヾ/ / ,;;;' ,,;;;;;;;;;;;;,, ;; /
i .i ./ i、 '' '';;;;;;;;;'''' ,/ |ヽ,`ー 、
.i 'y' ,ヘ ` ー 、_ z;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;::i.i.i i ヽ, \
i .i ./ / /、ヽ ;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;::.i i i i l \
| .i / / i! ヽヽ ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;: .| .i i .! | \
| ヽ,/ / / ヽ ヽヽ ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;:: i l i i ヽ | \
| .i ./ ./ ./ i i ヽヽ ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; / | .| i ヽ| i
| .i / / ./ i i .ヽ ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/ | .| i .、 i i
.i / / / i i .ヽ ヽ;;;;;;;;;;;;;i | .| ヽ丶ヽ i
i,/ ./ / ! i \ ;;;;;;;;;;; | | ヽ丶ヽ i
./ ./ ,/ i i ヽ/;;;;;;' .| | ヽ丶\.i
238 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/08/30(日) 06:27:54
信長≒孫策 急激に拡大。寛容さと峻厳さを合わせる性格とあっけない最期
秀吉≒董卓 味方には親分肌で敵には残虐な性格。抜け目なく機会をものにして天下に迷惑をかける
家康≒曹操 我慢強く腹黒い。かと思えば意外に野蛮で粗忽。またすごい長寿
義元≒袁紹 負けたので過小評価気味
輝元≒劉備 行動がトロいが意外に苛烈
信玄≒孔明 無念の病死シチュ
謙信≒関羽 超絶過大評価
家康は司馬イでガチ!
異論は認める。
曹操は信長とだぶる
別に魏延と孔明は反目してないだろ
反骨してるのですね。
>>242 通説イメージでは、明らかに反目といっていいレベル。
魏延は演義で損してると言われる事があるが、
正史では孔明は魏延を重宝し優遇してた。
魏延が勝手に被害妄想に陥り文句言ってただけ。
孔明も魏に乗り換えればよかったのになぁ。
それをしないのが孔明の魅力なんだけど
蜀売って孔明がどうなる?
処刑されそうな気もするが・・・
孔明って可哀そうな男だよな。
無理やり草庵から引きづり出された感がある。
2度と草庵に帰れなかったんだろ?
負け戦になるのをわかって劉備に使えるのはつらかっただろう
孔明は呉に行くべきだった
身内も居るし
僅は孫権を軽んじてたんじゃなかったか、確か。
でも均も呉だし3兄弟そろっていたらそれはそれで面白くなりそうだな
時期によるけど天下二分成功しそうだよな
内政:孔明
戦:周瑜
で、魯粛を万能に動かしたらうまくいきそう。
その前に孔明がいきなり重用される事が無いのが問題
シュウユってどうなんだ?
そりゃー赤壁でかったからある程度以上は評価されてしかるべきだとは思うけど。
結局荊州をとれなかったのに孔明差し置いて任せていいの?
孫策に後事を託された周瑜を差し置いて孔明が重宝される訳ないだろ
まあ孫権も孔明を呉に招こうとした事がある位だし、それなりの官位には就けそう
256 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/03(木) 22:49:38
妻は司馬懿の圧勝
え、シュウユって正史で荊州とれたの?
諸葛亮が兵数に優る益州軍を撃破したみたいな感じの領土切り取りとかできたの?
地の利において敵に劣る状態で野戦して名軍師に勝ったりしたの?
>>257 赤壁だけが功績だと勘違いしていないか?
正史読んだほうが良いって言うのは演義で目立ってる赤壁だけを見てるって事だろ
呉は長江の地の利を得ているのに使わないで野戦をする必要が有るか
地の利を得ることも戦略だと思うんだが
諸葛亮は入蜀時荊州に居て戦での功績といえば
ホウ統死後呼び寄せられて郡県を平定したくらいだが。
益州軍が兵数にまさっていたと言う記述はどこにあるだろうか?
諸葛亮の仕事は寧ろ蜀をとった後だったと思うが。
まず名軍師とは誰のことを指しているのか教えてもらえないだろうか?
>>257 なに言ってんだ。赤壁のあとに曹仁の軍を破って南郡とったのは周瑜だろうが。
しかし孔明の息子は養子も実子もしょぼかったな。
諸葛村は京の末裔ということになっているが・・・
諸葛瞻は諸葛亮に何か似てる
ひきにーと辺りが
孔明って結構保守派だからな。
北伐は大義の為に嫌々やってたような気がする。
つーか、3回も草庵に訪ねてくるとか劉備って空気読めな過ぎワロタ。
孔明の根負けだな。しかし気が弱いと損だな。
諸葛家ってみんな日本人っぽいイメージがある。
言いたいこと言えないタイプ
265 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/04(金) 23:29:00
正史記述は司馬懿への晋バイアス(これは間違いない)がかかるのでどちらが上かよく分からない
というか、記述自体が薄いので細かい状況を判断することができない
民間伝承なら、諸葛亮の方が圧倒的に上
結果的にバイアスがかかっても、政治的な意図的なものではない以上、荒唐無稽なものをのぞいて
信じてもどこにも責められるいわれはない
よって、諸葛亮>越えられない壁>司馬懿
どれだけ、歴史オタが主張しようとも、この流れは人類が滅びるまで変わり様がない
どうみてもそんな自己主張薄いタイプじゃないわな>孔明
>>265 勝ったのは仲達。よって総合的には仲達のほうが上。
人材不足で孔明ひとりに頼りきりだった蜀と、人材豊富で仲達以外にも仕事のできる人間がたくさんいた魏の差で、
記述量に違いがあるというだけでしかない。
司馬仲達>>>>>>>>>諸葛孔明
269 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/05(土) 00:19:48
どうも、
>>267>>268によると、
赤ザクに乗っていた頃のシャアと、ガンダムに乗っていたアムロを比べても
アムロの方がその頃から腕が上だったらしいw
結果的にアムロ>シャア だとしても
やっぱ、ネウヨみたいにしつこいな>諸葛亮信者
正直、司馬懿が孔明に勝っているのは寿命だけじゃないか?
身長
ルックス
君主
出世(同年齢)
人望
忠義
知謀
生き甲斐
白い権勢
人生
当代の評判
後世の評価
司馬懿厨達、孔明と司馬懿どちらかが家来になってくれるとしたらどっちがいい?
273 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/05(土) 00:43:36
>>267 最終的に勝ったのは孔明
後世に圧倒的な美名を残した孔明の勝ちだろう
>>272 どっちも恐い
司馬懿と孔明ってなんだか似てる気がする
内部の利権争いの狡猾さや用兵の慎重さとか
孔明:劉封、彭ヨウ、廖立、李厳
司馬懿:張郃、曹爽、曹羲、桓範、何晏、丁謐、ケ颺、王凌
孟達、公孫淵を殺し、遼東を制した司馬懿>王双、張郃を殺し、涼州三郡を奪った孔明
>>270 ネタにマジレスだけど世間じゃ三国志ヲタは総じてしつこいと思われてるのさ
>>269 その時点で孔明は仕える主を選ぶ目で負けてね?
兄貴は呉に行ってるし、諸葛家の安泰を考えれば亮が別勢力に仕官するのはわからなくもない
司馬懿がサブマシンガン装備10人でもって家に立てこもり、ナイフ一本で単独で家を乗っ取ろうとした孔明
ちょっかいかけてきた孔明を殺すことも出来なかったけど司馬懿の勝ちです
>>280 少なくとも蜀は鉄を産出し武器の性能面では魏を上回っていたと言うのが定説
一戦局面で見れば兵数にも大差はないし(予備兵力は雲泥の差だが)、
祁山においては蜀側が多くの犠牲を出したという史料もある。
>>279 一族が散らばった方が絶滅を免れるからな
諸葛亮の一族は今でも存続
司馬懿の一族は東晋の滅亡時に絶えた?
>>282 >(予備兵力は雲泥の差だが)、
これで戦い方が制限されるのを司馬厨は全く考慮せず司馬懿の勝ちとか司馬懿のが上とか言うからな
勝利条件が違いすぎる
司馬懿はぶっちゃけどれだけ闘いを長引かせても長安さえ落とされなければ勝ち
諸葛亮は魏の後詰めを考えて被害無く司馬懿を叩きつぶして兵站を確立し長安を占拠しなきゃ勝ちじゃないからな
その勝てない状況になったのも孔明の力不足のせいじゃん。
戦争の話題だと蜀と魏じゃ個人の能力以前に国力の差がありすぎて比較にならんよ。
せめて司馬懿が呉ならまだ比べようもあったが。
>>283 それが理由なら、兄について蜀に行くのではなく、均は魏に仕えるべきだったんじゃないの?
誕はあんまり近い親戚じゃないみたいだし。
>>286 司馬懿が魏の国力を作った訳じゃないだろ
>>287 戦争以外の話題…詩才とか?
司馬懿は現在まで伝わる詩を残してる、諸葛亮は無い
>>290 あの詩なら伝わらなかった方がましなレベルだろ
梁父吟って諸葛亮作ということになってなかったっけ?
司馬懿の詩のセンスの悪さは曹丕に通ずるものがある
え? 曹丕の詩ってすごいと思うけど。
俺は曹植のリア充っぽい詩よりも、曹丕の詩のほうがしっとりしてて好きだな。
>>288 何でもかんでも自分達の思い通りいく訳じゃない。
まして魏は三国一人材が豊富なのに。
>>290 詩じゃないけど、諸葛亮の出師表は今でも評価の高い名文だろう。
>>295 司馬懿も自分の主君から少しは文学方面の薫陶受ければ良かったのになw
司馬厨、墓穴掘ったな
仲達は北伐では連戦連敗。孔明の前に手も足も出ず、魏は蜀に滅ぼされ、
呉は自ら蜀に帰順を願い出たので天下は統一された。
その後1700年の間蜀は存続していたが、第二次世界大戦のあと共産党に乗っ取られた。
これが真実の歴史。よって孔明は仲達にあらゆる点で勝っている。
300 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 00:25:13
諸葛亮からすれば司馬懿なんて格下で相手にならないのに
時代を隔ててこうしてライバル扱いされているなんて納得いかないだろうなぁ
301 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 00:40:11
曹真>>>>>>>>>>>諸葛亮>司馬懿
くらいだろ。ぶっちゃけ
曹真が長生きしてたら孔明はいい所なく間抜けに死んでた
302 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 00:41:59
184 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/09/05(土) 19:20:32 ID:gMnCVPbm0
久しぶりに三・戦いったら、そんなに荒れていなくてびっくり
基本的に会話楽しみたいだけなので、もう、ここは卒業します
他の時代の中国歴史を語りたかったのは本当だが残念
○○の話題をするとレスがない
○○と□□の比較すると、評価しなかった側からの荒らしが来て、当然だからやめろという
レスも少ないのに、マナー違反の一行煽りはスルーするが誰かを叩くには利用する
会話にユーモアもなく、成り立たせることもできない。こんな陰湿な板はもういいです。
正史だけに拘る歴史実証には飽きました。ここと一緒にしたら三戦板に失礼です。
晋の司馬一家と秦カイだけを特権的に過大評価、持ち上げを義務づけ、スレ荒らしを許容する
粘着荒らしたちに合わせる気はありません。これが正史実証ですか。後世の歴史家の評価は無視ですか。あなた方はそんなに偉いんですか。そうですか
ただ単に楽しくないです。あなたたちだけでやっていて下さい
↑この痛い馬鹿がここの板のお世話になるようですから
面倒見てやってください
司馬一族を少しでも肯定的に評価するとファビョり出す非コミュ君なので取り扱い注意w
303 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 00:50:42
正史で見ても
戦略にしても、別段、司馬懿が体勢を作り上げたわけでもないしな
政治も内政や外交も含めるから、とりあえずの政権獲得しかできない司馬懿と同列もおかしい
謀略があるが、これは生き方の問題もあるだろうし
諸葛亮がしようと思えば、皇帝になることすら可能だったかも知れないし
軍事目標の一応の成功と、電撃攻撃の素早さ以外は上と断言できるものはないな
燕討伐と南蛮討伐は国力差を考えると、難易度は南蛮の方が上だったかも知れない
ましてや、注釈や民間伝承を含めると、どれだけの差があるか
諸葛亮・・・聖徳太子がマジに伝承のまま、存在したらと思えるほどの化け物
司馬懿・・・藤原氏や北条氏の中で、それなりに功績を残したものレベルの位置づけ
これぐらいの差だろう。封神演義で老子と聞仲を同レベルにするぐらいおかしい
304 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 00:57:37
どっちが上かは容易には決めがたい
鶏口とそれにチキンな戦術で逃げた牛頭だし
305 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 01:08:38
>鶏口とそれにチキンな戦術で逃げた牛頭だし
チキンな鶏口とチキンな牛頭だろう
ただ司馬懿は雑魚には鬼畜
>>303 応変の将略はその長ずるところに非ざるか、って書かれた諸葛亮と、
「司馬懿の用兵は神の如し」と評された司馬懿とで、軍事能力も含め孔明の圧勝、ってのはありえんだろ。
魏:牛肉
呉:鶏肉
蜀:豚肉
って感じがする
308 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 02:02:18
>>306 陳寿評根拠がないからなぁ
前どっかのスレでやってたね
どこだっけ?
>>302 三戦でも晋書は疑問視されてますが何か?
>>308 それ究極的には「陳寿が編纂した三国志なんて信用できない」ってことになるじゃん。
>>306 どっちも駄目駄目で大したことない、というのが晋書の評価
正確さが三国志>晋書としても晋書が全部間違ってるとは限らんだろ。
313 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/06(日) 02:32:21
司馬懿に関しては孟達倒したことが過大評価だと思う。
その数年前に夏侯尚も劉封倒してるしなあ。
晋書の信憑性なんて呉書や江表伝と大差ねーだろ
ファンタジー小説のレベル
正史厨同士でも対立勃発w
そもそも応兵の将略ってなんだよ
そんなもんねぇ。
諸葛亮信者がま〜たファビョているのか
お前ら喧嘩すんなよ
とりあえず陸遜>>>>>>>>>>>>>>>>>>>司馬懿、諸葛亮は確定でいいだろ
おkおk
周瑜が陸遜に勝っている部分が一つも見当たらない
主君との関係ではボロ負けじゃん
攻め戦の功績でも勝ち戦の歴史的重要性(赤壁)でも負けてる
陸遜は政治、軍事、外交と呉の大黒柱になってたけど
その最大の功績はなんだと言われたら「優秀な息子を遺した」ことだと思う
信憑性って書いてあるじゃん。
ごめん、正確に言い直すと一体何をもって呉書の信憑性を問題視してるの?って意味。
簡単に言うと孫皓チェックが入ってるから
え?凌統の年齢がおかしいとかじゃないんかい
>>327 そういう監修時点の話なら魏書の元になった書物にも時の魏・晋のチェックは考えられる上に、
それらをまとめて編纂した陳寿の偏向を考えればむしろ一番中立的な可能性が高いとすら言えないことはないでしょう。
そういう論拠でもって、
>>314みたいな発言をしたの?
韋昭が残した方の呉書の話じゃないのか?
いい加減スレ違いうぜえ
>>330 元の韋昭の呉書に限っても大筋では同じことで、
それが他の史書よりも大きな偏向がある根拠になるだろうか?
>>331 元の話は晋書の信憑性だから、そこに戻して言えば、
晋書(呉書)に限らず、政治的偏向自体は有るでしょうって感じかな。
蜀書、魏書自体も偏向してるんじゃないの
悲惨な敗北も不利とだけで片付けそう
横レス
呉書
魯粛伝注にある関羽とのやり取りで
「赤壁前に魯粛が劉備と会ったとき、劉備の軍勢は一校にも満たずうんたらかんたら」
と言っている
あの辺のくだり呉書は嘘くさい
俺が関羽なら反論してる
>>334 まあそれは多分嘘ではないからな
長坂で負けて、かつ関羽と合流する前の時点では劉備の軍勢はごく少数しかいなかったのは事実だろう
無論、その後の復活をすべて孫権のお陰のように言うのは少々言いすぎだが
それなら関羽が麻酔無しで手術しながら碁を打ってた、ってのも相当嘘くさい
俺なら発狂してる
>>335 劉備の軍勢は劉gの兵だから兵の面で呉に借りはない
また荊州を継いだのは戦前一万からの兵を持っていた劉g
劉備はその劉gから荊州を引き継いだに過ぎない
呉が恩がどうだというのなら劉gに対して言うのが筋
つまり劉gの荊州での人脈と1万の兵士を念頭に劉備と交渉しなければならない
曹操を追い払ったことは呉にとっても僥倖で
一方的に助けてやったと言うのはおかしい
劉gが曹操に降っていたなら呉も滅亡していた可能性が高かった
>>336 あれは多分麻酔してたんじゃないかな
「麻酔無しで」って書いてあったっけ?
まだ麻酔が知られてなくて皆が驚いたってことじゃないかと思う
>>336 そんな個人のうそ臭いエピソードまでいちいち信じてたら
劉備なんかUMAだし
>>337 兵の面で呉からも兵を借り助力を仰いだことは周瑜伝・龐統伝あたりにあったはず。
第一劉gは劉表から正当に荊州を継いだわけでもなく、実効支配も江夏郡の一部に過ぎない。
そして上表したのは劉備。曹操の押さえる漢王室で正式に受理されたものかは微妙(李立が任命されてるし)
これが意味を持つのは、劉備・孫権勢力が荊州の過半部分を実効支配し、
それを”相互に承認してるから”であって、魯粛の指摘はこういう現実的な話だろう。
>>339 呉の兵は赤壁で呉兵として戦ったんじゃないの?
南軍攻略は共闘だからどっちの兵なんて問題じゃないだろうし
南四郡は劉備らが単独で取った
それを俺らの分け前よこせと言うのはジャイアンというもの
赤壁では
劉備1〜2万、呉2〜3万で戦った
これを劉備が文無しであったかのように呉書が語るのは頂けない
>これが意味を持つのは、劉備・孫権勢力が荊州の過半部分を実効支配し、
>それを”相互に承認してるから”であって、魯粛の指摘はこういう現実的な話だろう。
”相互に承認してる”というのも、あのとき呉はまさしくジャイアンだった
呉に道理はなく関羽が反論できないというのは変だ
>>336 それは演義ネタなので虚構100%ですw
正史にもあるっつーのアホか
>>341 信憑性はともかく、もう少し勉強してから来いよ・・・
ええ〜っ、そうなのか!と今ごろ呉志をめくっていると思う
>>340 まず「呉将周瑜、先主の荊州を取るを助け」とあるわけで、
劉備側が単独で落としたわけではなく、呉側の助力を得てるのだろう。
次に魯粛伝で彼が「昔”長阪で”劉備に見えた時、劉備は困窮し〜」
という絶妙な場面設定をしてることをもう一度確認してくれ。
この辺のペテン師っぷりは流石。
『”相互に承認してる”というのも、あのとき呉はまさしくジャイアンだった』という主張に関しては、
詳しく聞いてみないとなんとも言えない。
>>346 肝心の呉側の書に南四郡を攻めた記録がないし、兵を貸したという記録もない
劉備が南四郡を取れたのは南郡(江陵)から曹操軍が居なくなったたからで、
そういう意味で「呉將周瑜助先主取荊州」と言える
しかし、
結果的にその南郡を占領したのは呉ではあったが、
南郡攻略も共同作戦だった
戦後処理で呉が南郡の大半を領し、劉備は公安だけというは不公平
これを戦功の差で分けたとするならば
南四郡平定はすべて劉備軍の功なのだから南四郡は劉備のもの
>場面設定をしてることをもう一度確認してくれ。
「劉備は初めそこまで望んでいなかった」ってやつね?
孫権はどうだっただろう?
抗戦か降伏か決断できずにいた孫権がどこまで望んでいたのだろうか?
呉側の史料では降伏を突っぱねるとこまでは考えていたようだが
それ以上は図っていなかったように見える
途方に暮れていた劉備も、追い払えるか心配で堪らなかった孫権も
望めなかったのは同じ
諸葛亮が孫権との会見で「曹操軍は破れたら北へ帰るだろうから
その隙に荊・呉の勢いを強め、三国鼎立を形成できる」と説いた
それを聞いて孫権は大喜びした
諸葛亮という劉備側の人間はそこまで考えていて発表したが、呉に発想はなかった
魯粛の上から目線は変だよね
>ジャイアン
・赤壁後の不公平な南郡分配
・劉備の荊州支配に対し「貸す」という認め方
・周瑜伝にみえる属国扱い
>>348 >兵を貸したという記録もない
周瑜伝注「呉録」に劉備は張飛と兵千を周瑜に貸し周瑜は兵2千を貸すとあるが
>赤壁後の不公平な南郡分配
曹仁破って江陵占拠したの周瑜なんだから仕方ないだろ
これが劉備が占拠してこの扱いならジャイアンというのもわかるが・・・
>>349 呉録のそれは対曹仁戦(南郡攻略)だろ
南四郡、すなわち長沙・武陵・零陵・桂陽攻略に関しての事ではないよ
>曹仁破って江陵占拠したの周瑜なんだから仕方ないだろ
城を占領したのは呉だが戦役は劉備とのチームプレイだ
劉備らは北に周り魏の連絡線を断つなどの仕事をした
役目の違いだ それで公安ひとつとは不公平だろう
地盤がなければ横暴な分配をされてもしゃーない
その時期の劉備は戦争の下請けみたいなもんだろう
>>349 江陵包囲には劉備も参加してるよ
>>351 一応、地盤あったんだけどね、江夏も孫権に取られちゃってるから…
呉は黄祖倒して江夏取った取った言ってる識者もいるけど呉が赤壁前に獲得してた江夏は江夏の東の端の端で
やっと江夏への橋頭堡を確保しました、って程度のが正しいと俺は思うよ
夏口まで来てから孫権に使者を送ったとあるけど、夏口の辺りまで孫権の支配域なら劉備は駐屯すらできんしね
結局司馬懿の方が孔明より上なのね
どうしてそういう結論に至った?
司馬懿と諸葛亮は比べる程
立場が同じでないとおもうんだけど
孔明の立場までこれなかった司馬懿の方が下だな
司馬昭の方が孔明、司馬懿より上だろ
蜀も滅ぼしたしな
司馬昭は劣化曹操
司馬昭は性格が悪すぎる
主君殺しといて部下に罪なすりつけるとか終わってる
こいつのせいで西晋が蛮族共に蹂躙されたのもざまあwwwとしか思えない
358 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/09(水) 19:22:00
主君殺しっつっても向こうも殺しに来てるから名
まーた、諸葛亮信者がファビョとるな
司馬昭は曹髦殺した後に陳泰に
「ちょwww曹髦やっちまったwwwやべえwwwww俺どうすればいい?」
とか行ってうろたえてるのが情けない
司馬懿ならもっと堂々としていただろう
>>360 そいつらがもっと大量虐殺してた曹操の子孫を滅ぼすんだから、因果は巡るんだなあ
364 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/09(水) 21:49:14
>>353>>361 なんで、アンチ諸葛亮って、答えに窮すると、この二つしか言わないの?
低脳なの?
んでその司馬は異民族に虐殺され、
その異民族は冉閔の冉魏に虐殺され…以降ループ
ふん、司馬懿に勝てないと昭を引き出す諸葛信者w
>>366 司馬昭の話が出る前に孔明の方が司馬懿より上って書き込みがあって話が始まってると思うんだが
二代目対決ならなおさら諸葛亮が敵うわけないだろ
諸葛センは司馬昭以下
371 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/09(水) 23:30:19
とりあえず、
>>1が諸葛亮に勝っている部分が一つも見当たらない
劉備「臥龍殿を我が軍にお迎えするためお願いに参りました(三回)」
曹操「司馬懿仕官しないと殺す」
司馬懿カワイソス(´;ω;`)
373 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/10(木) 01:12:41
演義
三顧の礼→3回訪ねて3回目に会える。
正史
三顧の礼→3回訪ねて3回とも会う。
>>360 大量殺戮なんて国のトップに立つような奴ならほとんどの奴がやってるだろ
諸葛亮も伝には書いてないが、夷陵後の内乱鎮圧で相当数の殺戮を行っていると思われる
非戦闘員の大量虐殺だろ
内乱鎮圧は司馬懿の方が圧倒的に上手いな。
>>376 そもそも内乱の起こされる時点でダメだけどな
反乱が起きないだけの戦力と財政を維持出来るだけで十分凄いんだろな。
諸葛亮と劉備なんて、張繍と賈クコンビにさえ劣るわ
曹操と抗争を繰り返し、生涯勝率8割の曹操に何度か土を付けたのはこの人
局地戦で曹昂、曹安民、典韋を討ち取る武力と知力
諸葛亮と劉備なんて曹操の前じゃ逃げるのがお約束のかませだろが
>>383 曹操 生涯勝率 でググレばいくらでもでてくるだろ
>>385 戦歴をまとめた無双系の書物なんかねーよ
数ある紀伝から拾い出した数字だろうが
大したことのない諸葛亮でも、もう少し具体性のあることを言う。
ろくに資料を確かめてもいないのであろう無知蒙昧な379の主張など取るに足らん
>>386 書物全部出さないと意味なくね
記述に齟齬が出るかもしれないし
司馬懿と諸葛亮の話なのに
なんで諸葛亮と劉備と曹操の話になるんだか。
曹操が一番優れてるのは知ってる。でもスレ違い。
>>387-388 曹操の生涯勝率を疑ってるとかどこの朝鮮人だ?
捏造ニダといいたいのかな
気持ち悪い
プロ野球じゃないんだから勝率だけでうんぬんしても仕方ない
>>曹操が一番優れてるのは知ってる
またまたご冗談を
>局地戦で曹昂、曹安民、典韋を討ち取る武力と知力
たぶここに孔明ヲタが嫉妬したんだろ
「三戦板には五つの要がある。
根拠があれば論じ、なければ煽る。煽れなければ荒らす。あとは黙るか死ぬかだ。
貴様らは黙ろうともしなかったな。ならば残るは死あるのみ。スレ違いなど無用」
>>391 疑ってるよ
どの戦いを勝ちに、負けに、はたまた引き分けにカウントしてるのか興味あるし
「お前が」8割とするのはどういうカウントによるもの?
ただお題目のように8割8割言わないでどう8割になったのか、集計の過程を示せよ
1 ○ 討潁川賊
2 × 到滎陽汴水,遇卓將徐榮,與戰不利,士卒死傷甚多。
3 △ 還到龍亢,士卒多叛。
4 ○ 太祖引兵入東郡,擊白繞于濮陽,破之。
5 ○ 毒聞之,棄武陽還。
6 ○ 太祖要擊眭固,
7 ○ 又擊匈奴於夫羅於内黄,皆大破之。
8 ○ 冬,受降卒三十餘萬,男女百餘萬口,收其精鋭者,號為青州兵。
9 ○ 太祖與紹會擊,皆破之。
10 ○ 太祖擊詳,術救之,與戰,大破之。術退保封丘,遂圍之,未合,術走襄邑,追到太壽,決渠水灌城。走寧陵,又追之,走九江。
11 ○ 複征陶謙,拔五城,遂略地至東海。還過郯,謙將曹豹與劉備屯郯東,要太祖。太祖擊破之,遂攻拔襄賁,所過多所殘戮。
12 △(×) 布出兵戰,先以騎犯青州兵。青州兵奔,太祖陳亂,馳突火出,墜馬,燒左手掌。蝗蟲起,百姓大餓,布糧食亦盡,各引去。
13 △ 襲定陶。濟陰太守吳資保南城,未拔。
14 ○ 會呂布至,又擊破之。
15 ○ 夏,布將薛蘭、李封屯キョ野,太祖攻之,布救蘭,蘭敗,布走,遂斬蘭等。
16 ○ 布複從東緡與陳宮將萬餘人來戰,時太祖兵少,設伏,縱奇兵擊,大破之。
17 ○ 布益進,乃令輕兵挑戰,既合,伏兵乃悉乘堤,歩騎並進,大破之,獲其鼓車,追至其營而還。
18 ○ 布夜走,太祖複攻,拔定陶,分兵平諸縣。
19 ○ 秋八月,圍雍丘。十二月,雍丘潰,超自殺。夷邈三族。
20 ○ 建安元年春正月,太祖軍臨武平,袁術所置陳相袁嗣降。
21 ○ 二月,太祖進軍討破之,斬辟、邵等,儀及其眾皆降。
22 ○ 太祖遂至洛陽,衛京都,暹遁走。
23 ○ 冬十月,公征奉,奉南奔袁術,遂攻其梁屯,拔之。
24 × 二年春正月,公到宛。張繡降,既而悔之,複反。公與戰,軍敗,為流矢所中,長子昂、弟子安民遇害。
25 ○ 秋九月,術侵陳,公東征之。術聞公自來,棄軍走,留其將橋蕤、李豐、梁綱、樂就;公到,擊破蕤等,皆斬之。術走渡淮。公還許。
26 ○ 冬十一月,公自南征,至宛。魏書曰:臨淯水,祠亡將士,歔欷流涕,眾皆感慟。表將ケ濟據湖陽。攻拔之,生擒濟,湖陽降。攻舞陰,下之。
27 △ 三月,公圍張繡於穰。夏五月,劉表遣兵救繡,以絶軍後。公乃解繡圍。公將引還,繡兵來,公軍不得進,連營稍前。
28 ○ 到安眾,繡與表兵合守險,公軍前後受敵。公乃夜鑿險為地道,悉過輜重,設奇兵。會明,賊謂公為遁也,悉軍來追。乃縱奇兵歩騎夾攻,大破之。
29 ○ 九月,公東征布。冬十月,屠彭城,獲其相侯諧。
30 ○ 進至下邳,布自將騎逆擊。大破之,獲其驍將成廉。
31 ○ 追至城下,布恐,欲降。陳宮等沮其計,求救於術,勸布出戰,戰又敗,
32 ○ 乃還固守,攻之不下。時公連戰,士卒罷,欲還,用荀攸、郭嘉計,遂決泗、沂水以灌城。月餘,布將宋憲、魏續等執陳宮,舉城降,生禽布、宮,皆殺之。
33 ○ 公將自東征備,(省略)遂東擊備,破之,生禽其將夏侯博。備走奔紹,獲其妻子。
34 ○ 備將關羽屯下邳,複進攻之,羽降。
35 ○ 昌豨叛為備,又攻破之。
36 △ 使張遼、關羽前登,擊破,斬良。遂解白馬圍,徙其民,循河而西。
37 ○ 紹於是渡河追公軍,至延津南。(省略)時騎不滿六百,遂縱兵擊,大破之,斬醜。
38 △ 八月,紹連營稍前,依沙塠為屯,東西數十裏。公亦分營與相當,合戰不利。
39 ○ 公乃留曹洪守,自將步騎五千人夜往,會明至。瓊等望見公兵少,出陳門外。公急擊之,瓊退保營,遂攻之。(省略)士卒皆殊死戰,大破瓊等,皆斬之。
40 ○ 紹眾大潰,紹及譚棄軍走,渡河。追之不及,盡收其輜重圖書珍寶,虜其眾。
黄巾〜官渡までの前半戦40戦32勝6分2敗
勝率8割
>>398 曹操の戦歴で白馬において関羽と張遼を派遣して顔良切ったのをカウントに入れるのはありなのか?
ということは配下を曹操が派遣したのも全部曹操の戦歴ってことにすんのかな?
曹操信者とアンチってどうしていつもこう
どのスレでもスレタイ無視して曹操曹操って騒ぎ続けるんだか
うざすぎる 両方とも消えろ
>>400 公乃引軍兼行趣白馬とあるし
その二人は先鋒に配置しただけで総指揮は曹操というカウント
41 ○ 六年夏四月,揚兵河上,擊紹倉亭軍,破之。
42 ○ 公南征備。備聞公自行,走奔劉表,都等皆散。
43 △ 秋九月,公征之,連戰。譚、尚數敗退,固守。
44 ○ 八年春三月,攻其郭,乃出戰,擊,大破之,譚、尚夜遁。
45 △ 夏四月,進軍鄴。五月還許,留賈信屯黎陽。
46 ? 八月,公征劉表,軍西平。
47 − 九年春正月,濟河,遏淇水入白溝以通糧道。二月,尚複攻譚,留蘇由、審配守鄴。公進軍到洹水,由降。既至,攻鄴,為土山、地道。武安長尹楷屯毛城,通上黨糧道。
48 ○ 夏四月,留曹洪攻鄴,公自將擊楷,破之而還。
49 ○ 尚將沮鵠守邯鄲,沮音菹,河朔間今猶有此姓。鵠,沮授子也。又擊拔之。
50 ○ 夜遣兵犯圍,公逆擊破走之,遂圍其營。未合,尚懼,故豫州刺史陰夔及陳琳乞降,公不許,為圍益急。尚夜遁,保祁山,追擊之。其將馬延、張等臨陳降,眾大潰,尚走中山。盡獲其輜重,得尚印綬節鉞,使尚降人示其家,城中崩沮。
47 ○ 八月,審配兄子榮夜開所守城東門内兵。配逆戰,敗,生禽配,斬之,鄴定。
51 ○ 公遺譚書,責以負約,與之絕婚,女還,然後進軍。譚懼,拔平原,走保南皮。十二月,公入平原,略定諸縣。
52 ○ 十年春正月,攻譚,破之,斬譚,誅其妻子,冀州平。
53 ○ 秋八月,公征之,斬犢等,乃渡潞河救_平,烏丸奔走出塞。
54 ○ 十一年春正月,公征幹。幹聞之,乃留其別將守城,走入匈奴,求救於單于,單于不受。公圍壺關三月,拔之。
55 ○ 八月,登白狼山,卒與虜遇,眾甚盛。公車重在後,被甲者少,左右皆懼。公登高,望虜陳不整,乃縱兵擊之,使張遼為先鋒,虜眾大崩,斬蹋頓及名王已下,胡、漢降者二十餘萬口。
56 ○ 秋七月,公南征劉表。八月,表卒,其子j代,屯襄陽,劉備屯樊。九月,公到新野,j遂降,備走夏口。公進軍江陵,下令荊州吏民,與之更始。
57 × 十二月,孫權為備攻合肥。公自江陵征備,至巴丘,遣張憙救合肥。權聞憙至,乃走。公至赤壁,與備戰,不利。於是大疫,吏士多死者,乃引軍還。備遂有荊州、江南諸郡。
58 ○ 秋七月,公西征,(省略)賊退,拒渭口,公乃多設疑兵,潛以舟載兵入渭,為浮橋,夜,分兵結營于渭南。賊夜攻營,伏兵擊破之。
59 ○ 九月,進軍渡渭。(省略)公乃與克日會戰,先以輕兵挑之,戰良久,乃縱虎騎夾擊,大破之,斬成宜、李堪等。遂、超等走涼州,楊秋奔安定,關中平。
60 ○ 冬十月,軍自長安北征楊秋,圍安定。秋降,複其爵位,使留撫其民人。
61 △ 冬十月,公征孫權。十八年春正月,進軍濡須口,攻破權江西營,獲權都督公孫陽,乃引軍還。
62 △ 秋七月,公征孫權。(省略)公自合肥還。
63 ○ 三月,公西征張魯,至陳倉,將自武都入氐;氐人塞道,先遣張郃、硃靈等攻破之。
64 ○ 夏四月,公自陳倉以出散關,至河池。氐王竇茂眾萬餘人,恃險不服,五月,公攻屠之。西平、金城諸將麹演、蔣石等共斬送韓遂首。
65 ○(△) 秋七月,公至陽平。張魯使弟衛與將楊昂等據陽平關,山築城十餘裏,攻之不能拔,乃引軍還。賊見大軍退,其守備解散。公乃密遣解忄剽、高祚等乘險夜襲,大破之,斬其將楊任,進攻衛,衛等夜遁,魯潰奔巴中。公軍入南鄭,盡得魯府庫珍寶。
66 △ 秋七月,治兵,遂西征劉備,九月,至長安。(省略)三月,王自長安出斜穀,軍遮要以臨漢中,遂至陽平。備因險拒守。(省略)夏五月,引軍還長安。
倉亭〜漢中戦までの後半戦26戦19勝5分1敗1不明
生涯戦績66戦51勝11分3敗1不明(勝率0.77)
8割行かないな。
この戦績見てると孔明って司馬懿に負けてないよね、引き分けだよね
1、3、46を削除。38を40に統合。
生涯戦績62戦50勝9分3敗1不明(勝率0.80)
ギリギリいったか
司馬懿と諸葛亮をその前に比べること自体がおかしいとは思わんのか?
権力が全然違うだろ
409 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/12(土) 12:18:51
国家規模が違うからな。
でも諸葛亮のキャラクターと地盤じゃ
司馬懿ほど魏内部の権力闘争に勝てない気がする
逆に司馬懿は蜀じゃ粛清かな。胡散臭すぎる
勝率八割なんて中国の歴代武将から見ればゴミみたいなもんだし、どーでもいいよ
勝率八割にあまりこだわらんでも
所詮残った実績から適当に数えただけのものだし
都合の悪いのは書かれてないこともあるしな
とりあえず曹操語りたいやつは別スレ行こうか。俺と一緒に
>>400 武将の一騎打ちだけが勝敗と思ってる無双厨か
これだから蜀中毒はいかれてるんだよな
>>413 曹操軍の戦すべてを曹操の戦にするのかって話じゃないの?
このスレ的に言えば曹叡と劉禅の戦歴にするのかってことじゃないの?
まぁ402が答えてるけど。
415 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/12(土) 15:39:43
>曹操軍の戦すべてを曹操の戦にするのかって話じゃないの?
こんな馬鹿な奴いるのか?
いるのか蜀中毒患者にはw
416 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/12(土) 16:18:36
蜀中毒って・・・使ってる時点で馬鹿っぽい。
劉備も、秀吉も、孔明も、もっとガキを作っとかないと。
家康、司馬懿を見習え。
ていうか、先月買ったPCのIMEで「司馬懿」が変換できて驚いたw
魏延・・・魏延もいけるか。姜維もOKだな。夏候惇かこうとんも出る。
凄いな。
司馬懿の事績の中で一番評価されるべきは曹爽一味の誅殺
魏の軍権を握り、更にその下も弟達を使ってガチガチに固めてた曹爽を無駄な戦争を起こさずに降伏させた手順は見事
また、曹爽の性格上抗戦は無いと見切った戦術眼、後の遺恨を遺さない様容赦なく皇族である曹爽たちを族滅させた思い切りの良さも素晴らしい
この辺の手順は諸葛亮では真似出来ないように思える
>>420 王リョウ捕らえたあとに諸侯王を監禁したことも子孫にとってはかなりの好プレー
あれは地味に効いた
422 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/12(土) 22:51:07
>>1 魏をつくった〉曹操
蜀をつくった〉孔明
魏をぬすんだ〉司馬懿
>>422 曹操や劉備(孔明)だって後漢や蜀を盗んでる
やっていることは同じなのに司馬懿だけ貶める理由がわからない
司馬懿の事績は批判される事が多いが、それはあくまで儒や道徳的な観点に基づいてのもの
それで司馬懿が劣っている、という結論に結び付けるのは見当違いもいいとこ
司馬懿が孔明を「奇才ナリ」と評したことは有名だけど
孔明のほうは司馬懿を褒めるような発言ある?
中英板の司馬氏アンチ兼秦檜アンチは酷かった
まず好悪が先に出る人間は人物評価に向かない
曹操…実力と配下の能力を活かし皇帝を保護し中原を平定、王位も順当な褒章
司馬懿…皇帝の友人、後継人の一人として、あくまで魏の政権を守るため西東奔走
孔明…遺言を守らず劉禅が無能でも守り立てるヘタレ
>>427 諸葛亮のとこマジで言ってるならびっくりするわ
それとこのスレは曹操は関係ない
曹操>>>>(未来永劫越えられない壁)>>>>司馬懿 諸葛亮
なんだからお前等仲良くしろと言ってるんですよ
司馬懿の悪名は息子や末裔が無茶苦茶やったとばっちりもあると思う
司馬懿自身はそこまで無茶苦茶やってない
431 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/13(日) 09:40:33
>>427 これは、釣りだろうがな
しかし、ある時は司馬懿は魏の忠臣と言ったり、ある時は司馬懿が魏の実権を握った手腕は
諸葛亮には真似できないといったり、司馬懿信者のダブスタもひどくないか?
人気が根本的にないから、目立つ勢力になりえないけどw
>>427はどう見てもレス己食の釣りだろ
それを用いってダブスタとかもうね
というか別人の評をひとまとめにしてダブスタとかも釣りでしょ
なんでもかんでも信者だアンチだで片付ける風潮はどうにかならんの?
無理。
信者やアンチは相手が詰まった時の言葉だと考えるのが正しい
437 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/13(日) 11:43:52
劉禅は超低能で名目だけの皇帝だったから諸葛亮は死んでしまった。
これだけだ、劉禅がダメだったんだ。
>>433 京観は再び反乱を起こさせない様にする為の見せしめみたいな物なので無茶苦茶ではないと思う
>>437 劉禅がどうとかより他にまともな人材がいなかった事の方が問題
外交内政反乱鎮圧ほとんど諸葛亮がメインでやってたんだから
諸葛亮的には馬禝を韓信みたいな使い方したかったんだろうが、それも失敗した
司馬懿は曹一族が築き上げた版図をごっちゃんしたイメージ
そりゃ魏臣として能臣だったかもしれんけど
一族を抹殺し権力を奪うのは見返りとしてあまりにも度が過ぎてないか?
魏の領土拡大に貢献したわけでもないのにな
まだ張遼とか荀 ケ一族反乱起こしたほうが許せるわ
領土拡大の時期には参加してないが領土維持には絶大な貢献
司馬懿は地方で戦争をやって出世した感じだな
中央にいれば皇帝のパシリで終わってただろう
司馬懿は九錫を貰ってないし王にもなっていない
というか、丞相にすら上らず太傅に留まっている
族滅したのは曹操と直接血は繋がっていない可能性が高い曹爽(真)一族
彼らは李勝の荊州刺史任命(刺史は地元厳禁の国是を無視)などの横暴をした
皇太后に許可を貰って皇帝も受け入れているのでさほど問題とは思えないな
後見対象の現政権を守ったのは事実、その後のことはあんまり考えてなさげだが
そこの所は蔣琬や費禕を残した諸葛亮が上かと
孫権ですら貰ってるのにな>>九錫
443 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/16(水) 23:27:43
諸葛亮>(越えられない壁)>司馬懿 がFA
比べものにならないね
だって、魏の忠臣として誉めればいいか、魏の実権を奪った政略家として
誉めればいいか、擁護側もぶれまくって奴なんて、どっちにしても中途半端ってことじゃん
あの時代の魏では、魏に忠実でないくらいの方が周囲からは信頼されたんだよ
曹叡はそれくらい嫌われていた
FAって何の略?
フライトアテンダント、「長身>(客の印象)>首回転」ということ
447 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/17(木) 08:52:12
>>447 名前だけ。
丞相、大司馬、大将軍の方がよっぽど重要
449 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/09/17(木) 09:02:35
クッキー食われてた・・・
>>448 重要度と上下の関係はないと思うんだけど。
上位でもおいしいポストじゃないってことだ
451 :
名無しさん:2009/09/17(木) 11:01:38
孔明=公明党
452 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/17(木) 11:10:25
正しくは、孔明信者=公明信者
南無妙法蓮華経・・・・
でも諸葛恪も太傅じゃなかったっけ
大将軍だろ
いや太傅だよ。
孫亮が皇太子のときに太子太傅に任じられている。
司馬懿と諸葛恪は同じ幼帝の太傅なのに、立場は全然違うというのが面白い。
兼任じゃなかったっけ
裴松之の評価は
諸葛亮>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>司馬懿
なんだが。
>>458 曹操絶賛してるし極端なひいきってほどでもないぞ
>>459 じゃあ訂正する
裴松之は演義の蜀についての元ネタの多くを残したほどの蜀贔屓
裴松之が残したわけじゃ無いだろ
他の文献から抜き出して注釈付けただけ
評価したら「贔屓」という言葉でレッテル貼って否定…
思考停止と同じだぞそれじゃ
そもそも
>>457は過度な不等号表現で釣りレスだと思うが
まともな奴はあんな書き方しないよな
でも諸葛亮に関してはかなり贔屓入ってるよな
諸葛亮の忠臣イメージと異なる異説は基本的に全否定だし
呉に誘われた話とか
>>459 「すごい法家の政治家だ」って評価は儒学の世界では絶賛じゃないよ
>>466 陳寿も儒学の世界にどっぷりつかってるじゃん
劉備=劉邦>曹操=韓信
陳寿の総合評価は劉備>曹操
曹操を褒めているのは武将として、あと法家としてであって、徳ある君子としてはまるで評価してない
陳寿の評価=裴松之の評価でないのに
陳寿がそう評価したからって裴松之が絶賛してることが消えるわけじゃない
徳とか実態や中身の無い評価などどうでもいい
大事だろ。
民やら多くの人間が徳や世評で動くんだから。
実際中国では蜀マンセーだったし
民の動いた人数で徳が決まるなら圧倒的に民の人口が多い曹操のが優れてんな
つうかそれしか劉備を語れないからってファビョルナよ
仁・義・礼・智・信どれとっても劉備が曹操に勝ってることなどないけどな
>>471 いつの時代の話してるの?
現代の話なんだけど。
三国時代にTVなんて無いんだから人伝いでしか情報は伝わらない。
つまり情報操作しないわけがない。また、土地があるのに流民になるにはデメリットが大きすぎる
時代が変わって、演義という本が出たから蜀マンセーが広がった。
はぁ?w
相変わらずすぐ脱線するな
また曹操か
スレ違いだって何回言われりゃ気がすむんだか
そんなに曹操の話したけりゃ
曹操スレか劉備が曹操に勝っている部分が一つも見当たらないスレ立ててそこでやれよ
476 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/19(土) 07:25:15
>>471 曹操は恐怖と暴力で押さえつけただけだろ
仮に義・智・信はあっても他はない
477 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/19(土) 08:00:14
>>471 来たか! ファビョルって言葉がすぐでるところがネット右翼
【曹操信者の行動ガイドライン】
1 曹操を持ち上げ、それ以外の群雄を知らないかディスる
2 曹操の成功は誇張し、失敗は矮小化するか無視する
3 曹操という名前で呼んでる妄想完璧超人と自己同一化している
4 兎に角相手を見下す
478 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/19(土) 08:05:18
471はパーフェクトだなw
司馬懿「ここにいるやつらよりは遥かに諸葛亮は優秀、いや比べたらいかん。」
李平「孔明様こそ皇帝に相応しい、いやマジで」
リョウ立「ohジーザス!」
482 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/19(土) 12:23:45
>>476 恐怖と暴力で押さえつけたのは劉備亡き後の公明じゃねーか?
曹操は善政で民は豊かだったと聞いてるが
じゃなければ治世の能臣なんていわれねーだろ
483 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/19(土) 12:24:25
張悌曰く司馬氏以下っぽいが
演義って、あまりにひどい蜀マンセーを再編成してなんとか読めるレベルに
手直しした作品だろ?演義以前の蜀マンセーはもっとひどいぞ
うん、そうだね。
スレ違いだね。
486 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/19(土) 14:02:24
sureti
諸葛亮を擁護してマンセーしてる奴は司馬懿に負けた腹いせしかすぎぬ。
諸葛亮が司馬懿に負けたなんて聞いたことがないが
あ、ごめんごめん
宣帝紀にあったな(爆笑
宣帝紀あっての司馬懿さまだもんね
491 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/19(土) 20:37:03
>>488 防衛側に守り倒されて時間と兵糧を浪費してあぼーん
究極的にダサい負け方
>>491 何度も言われてるがそれは魏と蜀の国力の差であって諸葛亮と司馬懿の差ではない
493 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/19(土) 20:56:04
つ 良禽択木(鼻くそほじりながら)
魏に仕えさせられたというところは司馬懿の勝ちだな
>>491 地味な勝ち方だよなあ
相手より有利なのに防戦一方で、たまに手を出したら痛い目会ってロクなこと無くて
ずっと守り固めてたら相手が病死で不戦勝。
国を守るのが役目なんだから軍人として間違ったことしてるわけじゃないんだけど、ひたすら地味。
諸葛亮は守りたいのに無理して攻めてる感じ
勝つ気がない
>>497 曹操は主人公補正がかかっているのか?って程凄い時があった。
劉備はスタートが駄目。
まあともかくここは諸葛亮と司馬懿関連だから脱線はどうかと思う
魏のすべてをあの時点のシバイは自分ひとりで使えた訳じゃないんだから
その返しはどうなんだろう?
>>498 は?曹操と劉備じゃねーよ
曹叡と劉禅だよ
あれ?曹丕は?
曹丕と劉禅の二世対決というか座談会見たいw
曹丕も曹叡もなかなか優秀なのに短命だったんだよな。
>>495 この辺、第二次ポエニ戦争のハンニバルとちょっと被ってるところだな
戦えば負けないけど、相手は戦ってくれないという
ソフト面が画期的だったハンニバルと違ってハード面の話しだが
諸葛亮も当時としては画期的な軍を組織できていたようだし
孔明に勝てないなら王平と魏延を倒せばいいだけ
506 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/20(日) 09:49:52
曹操=能力◎性格◎
劉備=能力◎性格◎
曹丕=能力◎性格×
劉禅=能力△性格△
曹叡=能力◎性格○
くらいかな?
>>504 王平に張コウぶつけて司馬懿が諸葛亮に当った事があったけど
結局王平は硬く守って崩せず、司馬懿が諸葛亮にフルボッコにされてジ・エンドだったしなぁ
無理じゃね?
>>507 ローマのハンニバル対策がようはそういう話だったんだ
>>506 曹丕は受けた恩を忘れない義理堅いところもあったし、悪いことばかりしたわけじゃない。
恩には恩、仇には仇でしっかり返す性格ってだけだろ。
>曹丕は受けた恩を忘れない義理堅いところもあったし
すいませんが具体例教えてくれません?
忘れてしまった
嫁や重臣を殺しても後で後悔して中止を命じた事にすれば許されると思ってる計算高い所は鮮明に覚えてるけど。
>>509 そういやそうだな
諸葛亮が恵まれてたのは蜀が交通の要衝であるフェニキアではなく、金城湯池だったというところだろうね
しかも外交的にはむしろ魏が孤立して蜀呉、さらには燕から圧迫受けてたし
この辺の外交を見るとやはりこの時期の魏は相当に苦しかったんだろうなぁ
曹叡は冴えまくりだが
曹丕には対処出来たのかな
曹叡は国防能力が高すぎる
劉禅は…
516 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/21(月) 17:25:52
確かに司馬懿は当時の魏のすべてを自分の一存で宰領出来たわけではないが
「諸葛亮が出てきた!」という事態においては、魏でも事実上司馬懿しか対抗馬がいないわけで。
基本的に司馬懿は「防衛軍司令官」として出馬してる。敵を撃退するのが第一の任務であって
正面から敵主力と激突して雌雄を決するというのは、出来る限り避けるよう手を打つべき性質のもの。
確かに見た目地味な事この上ないけど、国の存亡を託された将軍としてはAクラスの戦いぶりだと思う。
まあ、背負っているものや立場が違うから一概にどうこうは言えないだろうけど。
517 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/21(月) 17:50:12
>>491 こういうわざわざ、焚きつける奴がいるから揉めるんだよな
>攻撃側に一方的に攻められて、なんとか守備に徹して、時間と兵糧を浪費させて、追撃した上で敗走
>究極的にダサい勝ち方
ともいえるのに
519 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/21(月) 18:00:11
第四次はかなりgdgdなんだが、
煽られて会戦になりつつあった第五次で
司馬懿以上の仕事を誰が出来たんだろうか?
>>517 いや、言えないからw
裏返しにすればいいという問題ではない
>>518 じゃあなんで高い位にある仲達がわざわざ指名されるんだ?
誰でもできるなら仲達はもっと別の仕事に回しといて、
もっとどうでもいい奴に北伐対策やらせたほうがいいじゃん。
521 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/21(月) 18:35:49
522 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/21(月) 19:50:53
サッカーで11人が90分ゴール前に張り付いて守ってるようなもんだろw
その試合引き分けで優勝だとしても強者がやる戦術ではないな
よっぽど勝つ自信がなかったんだろ
賢いが恥ずかしい
525 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/21(月) 20:53:30
>>522 それ意味がわかんね
兵法の意味はもちろん知ってるがな
追撃が成功しているなら、分からないでもないがな
526 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/21(月) 23:31:57
普通に考えて諸葛亮のチキン戦術が
攻める分には非常に脅威だったということだろう
人は安易な方向に流されるものです
どんなにダサかろうが汚かろうが勝てば官軍
だから司馬は最終的に勝者になれた
評判
諸葛亮>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>司馬懿
最終的な勝者はどっちだろうね(笑)
郭沖の評に、惑わされすぎ
郭沖ってほとんどの評が的外れな妄想家じゃん
裴松之にも「こいつは適当!」とか言われてるし
532 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/22(火) 17:47:22
もともと強者だからこそ取れる戦術もある。
確かに見た目はよくないし、評判も悪いだろう。
でもスポーツと国の興廃を賭ける大博打の戦争を同一視するのはどうよ?
弱者は乾坤一擲の大勝負を挑むしか強者に勝てないし、負ければ国が滅亡、現状維持でも国としてはジリ貧という
事実上の二者択一しかないのなら、わずかな可能性に賭けるしか生き延びる道はあるまい?
それを自覚していたのか諸葛亮は強襲を繰り返した。対する司馬懿は諸葛亮の出方を読んで(上手くいったかどうかはともかく)
一番諸葛亮が嫌がるであろう戦略を採用した。お互いの本国における立場も違うけど、大軍の将としてはどちらもそう力量の差は
ないんじゃないかな? もし「諸葛亮VS司馬懿」の勝負の結果に魏・蜀の命運が直結するならともかくいろんな意味で気長に待てる
司馬懿の方が有利だったろうね。自分一代である程度何とかしておかないと後がない、という状況の諸葛亮の立場はかなり悲愴なものだったろう。
だからこそ諸葛亮の人気があるんじゃないかな。
諸葛亮はジリ貧の状況なのに悠長な感じしかない
魏延の策は運頼みすぎて危険だが相手に与える衝撃は比較にならんだろうな
>>532 蜀人気は判官贔屓の心情から来るものだからね
判官贔屓文化のないアメリカみたいな国だと司馬懿の方が人気でるのかな
魏の力を10として司馬懿が使える力は3ぐらい
蜀の力も3ぐらい
だけど孔明は司馬懿の3だけじゃなくて7ぐらいを叩きつぶすぐらいじゃないと先はないと考えてたんだろ
魏延の策なら司馬懿の3はつぶせるかもしれないけど補給がないから後詰めが来たらおしまい
魏延の策って最初の北伐以外成功率皆無じゃん。
しかもやる事は馬超と一緒
537 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/22(火) 20:05:47
>>536 そう、だからこそクリーンヒットした暁には魏の朝野に計り知れない衝撃をもたらしたかもしれない。
ま、実現しなかったからこれは想像だけど。
迎え撃つ魏の側としてみれば、魏延の手勢を阻止すればいいだけの話なんだけど
前線総司令として赴いている司馬懿の立場としたらこれはどうなのか。
後方にもそれなりに有能な将軍が控えているから、対魏延戦はそれらにまかせてひたすら自分は対孔明戦の大戦略に没頭するか。
魏延と言えば魏にも聞こえた蜀最後の猛将だから、あの孔明が何の支援もなしに魏延の奇襲を許可したとは考えにくい。
もしかしたら魏延という大物をエサにした壮大な罠を仕掛けたのではあるまいか??
直接の脅威は確かに魏延だけど、その背後にいる孔明という巨大な影の思考を測りきれない、というのが、もしこの作戦が実行されれば
たぶん司馬懿の最大の悩みになったと思う。
結局実行されなかったから何とも言えないけど、魏延の奮戦次第によっては司馬懿は「命じられた任を全う出来ず」と判定されて閑職に追いやられたか
一族郎党ともども位を落とされたか・・・。
考えようによっては魏延と司馬懿が刺し違えで共倒れになってくれたなら、大局的に見ればどうだったのかな・・・
警戒して防御をさらに固めるだけじゃん
539 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/22(火) 20:11:20
また演義厨か
諸葛亮の戦いは負けない戦いだった
姜維の戦いは勝つための戦いだった
司馬懿はその中間
541 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/22(火) 20:15:06
司馬懿は負けなければ良い戦いだった。
馬超にしたって長安を本当に落としてたかどうかよく分からない
543 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/22(火) 20:33:01
落としたのは鍾ヨウ
嘘つけ
李傕と郭が長安を落としたのはガチ
後漢書によると李傕は裴茂が段煨らを率いて討ったらしい
ついでに典略に李傕は黄白城で梁興・張横らに討たれたとある
それより前に郭も部下の五習に裏切られ郿城で討たれた
だが、長安を落としたのが誰かは知らん
誰でも落とせそうだな長安
やっぱ位置的な問題が…
547 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/22(火) 23:39:16
誰でもはねーよwww
>>537
長安奇襲のタイミングでは司馬懿はいません。彼は対呉戦線です。
実際に戦うのは夏侯楙(+長安至近に偶然いた曹叡直属軍)
>>546 長安ってのは大城で大人数じゃないと防衛できない
結局、負けた者が負け。
よって諸葛亮は敗者。
いつも思うんだが、諸葛亮の方から攻め込んでるのに
なんで司馬懿の方が臆病者扱いされてるんだ?
普通攻め込んだ方が攻撃するのが普通なのに、
敵の守りを崩せる自信がないから、
下品な挑発をするしかなかった臆病者は諸葛亮の方では?
それに、蜀の国力全てを結集した精鋭軍団を率いる諸葛亮と、
対呉戦線に精鋭を割かれた寄せ集めを率いる司馬懿とでは、
局地的には司馬懿の方が不利だと思うんだけど。
>>551 まず蜀の精鋭なんてそんなたいしたモンでもない
孔明は司馬懿(魏の西部戦線軍)だけを相手に考えていたわけではない
守りの方が不利なんてことは絶対無い
蜀軍が素早くかつ損害無く勝つには野戦しかあり得ないし、それがわかってるから魏軍も出る必要がない
それだけのことなんで司馬懿の判断は間違ってないけど別に司馬懿の能力で勝った訳じゃないし、出て行った時には負けてるのが臆病者呼ばわりされてる最大の理由だろうな
>>552 現代でさえも、勝つための最も合理的な戦法ををあれこれ批判されるんだから、
当時の魏軍内で兵の不満を抑え士気を保つのは、並大抵のことではなかっただろう。
出て行ったときに負けたといっても、大勢に影響はない負け方だし、
持久戦を兵に納得できさせて戦略的には正しいだろう。
そんな風にずっと兵の不満を抑え込みながら、
自らも冷静さを保ち続けられるのは、どう考えても司馬懿の能力では。
それに別の局面ではかなり勇気がいる戦術を司馬懿は結構取ってるし。
どんなときでも安全第一で守ることしかできなくて、
あまつさえ自身の勇気のなさを相手に転嫁して、
下品で幼稚な挑発しかできない諸葛亮とはえらい違いでは。
【肯定的評価】
司馬懿
・部下の不満を押さえ込み作戦目的を達成した
・対孔明戦での戦功が司馬氏の繁栄の基盤になった
諸葛亮
・王双、張コウを返り討ちにするなど撤退では無敵。
・北伐は政治宣伝としては大成功であり、事実後世にまで不朽の美名を残した
【否定的評価】
司馬懿
・虎の威を借る狐
・勝ったのは魏の国力と曹叡の信頼のおかげ
・郭淮のファインプレーに助けられる
諸葛亮
・人事のミスで絶好機を逃し、敵の厳戒態勢が敷かれて以後は意外性皆無
・敵失で大勝利目前で李厳のミスで逆にピンチになる
蜀の精鋭(笑)がわざわざ無謀で不利な遠征してきてくれてるんだから地勢的にも兵站的にも有利な状況で叩きつぶせば、
蜀は滅亡するのになんで司馬懿は潰さなかったの?
兵站の有利なんてなかったから、でFA
司馬懿も僻地へ遠征している点では変わらない
司馬懿は軍の最高責任者だけども、明帝からの令で蜀を叩かず諸葛亮のみ叩け。を見事に遂行させたよな。
まぁ合肥新城へ出向いた明帝の予言通り諸葛亮は見事に死んだけどね。
三国鼎立後は、ほとんどの戦いで攻めた方が何の成果も上げられず負けてる
あの状況だと文宣帝クラスの怪物でも無い限り、武力だけを頼りに他国を滅ぼすのは無理
結局ジリ貧になるのを恐れて焦った諸葛亮と蜀陣営より、
魏を内部から奪い、呉蜀が勝手に自滅するのを待って統一した司馬懿とその子孫の方が上ってこった
>>559 それも魏にいてこそだな、蜀を内部から奪ったって相手の自滅なんて待てん
大企業の役員=仲達
中小企業の社長代理=孔明
>>557 迂回する遠回りの経路と悪路のせいで
やっぱり蜀側の方が不利なんじゃないの?
大差ないだろ
司馬懿が魏を選んだわけでもないしなー
そもそも選んで仕えた奴なんて割拠時代の曹操、劉備、孫策配下の一部と入蜀前の劉備は以下ぐらいのモンだろ
>>553 慎重策をとって兵の不満を抑えるのは諸葛亮も同じ事なんじゃないの
魏延も諸葛亮を臆病者呼ばわりしていたし。それでも存命中は従っていたのは諸葛亮には逆らえなかったから
諸葛亮が安全第一であまり攻撃的でないのは
諸葛亮も圧倒的強国である魏を蜀の力で討てると本気では思っておらず、
北伐で牽制する事によって魏から蜀への侵略を未然に防ぐ防御的目的と、
北伐と漢室再興が劉備のころからの国是であるため
無理でも行くしかなかった、という見解もあるよ
だとすれば、無理に危険を冒してただでさえ少ない兵力を減らして
蜀に損害を出したら本末転倒だし
慎重策をとるのは当然
566 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/24(木) 18:55:55
それもうなずける部分もあるが、そのためには蜀を保つにあたって孔明の生存が必須になる。
孔明は決して長生きしたとは言えないだろうけど、かと言って若死にしたとも言えない歳で死んでる。
極論として言えば後を託せる人材育成に失敗したか、多少トップの文武官の出来が悪くともそう簡単に
ひっくり返らない国家体制を作り得なかったか。
その点司馬懿は幸運だったし慧眼でもあったとも感じる。
「孔明さえ何とかしてしまえば・・・」
ここまで読んで徹底守勢を取ったのならこれはこれで空恐ろしい人物だ。
無論、孔明とてこんな事くらいはわかってはいたろうがね。個人の力量だけで一朝一夕には
どうにもならない部分だけによけい悲壮感漂うし、それを見切って冷徹に対処した司馬懿もこれはこれですごい。
アドバンテージを守り倒した老獪マンなのか
ノコノコ出てきた穴熊に梃子摺った戦下手なのか
どっちや?
どっちもだな
ついでにクーデターも成り行き
もともと国を奪う、またはそれに近い野心があったとは到底思えない
有ったら司馬師の代ぐらいの権力は得てて当然だ
569 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/24(木) 19:45:06
魏に仕えたのも成り行き
曹操にしても敵陣営に走らなければよし
みたいな冷めた感じだな
名指しで石勒に貶められ演義でやられ役にされた司馬懿
名相、忠臣の象徴となった孔明
どっちが上かははっきりしてるんだよな
演義でやられ役にされた…?
少なくとも対孔明戦ではそれなりに良く描かれていると思うんだが
街亭の戦いで蜀軍を打ち破り、張コウの死も司馬懿に非は無くなってるし、第五北伐では孔明の策を完全に読んで勝利しているし
石勒に関しても、お前がそれ言うのかよwって感じなんだけどな
性格の悪さは司馬懿といい勝負
石勒はしぶといだけで公明正大でもなんでもない気がする
字も読めない池沼に名指しで批判されるとか
司馬懿や曹操が知ったら烈火の如く怒り狂って奮死するだろうな
曹繰や司馬懿殺せるなら俺最強じゃん
蜀漢が二代続いて昏君だったにも関わらず、大国魏と争い続けつつ40年もの間国を維持出来たのは、
諸葛亮が蜀漢の為に身を粉にして尽くし、刑法を重んじ、万民を憂い、正しい道を守ったからである。
また子孫の譫、尚も力及ばなかったものの、諸葛亮の意志を継ぎ、蜀漢に尽くした。
後世に諸葛亮が忠義の士と讃えられ、また民衆の英雄として慕われたのも当然の事と言える。
それに引き換え司馬懿の行った事と言えば、君主と部下の関係がどうあるべきかを忘れ、国を内部から強奪し、皇族を皆殺しにするという不忠義。
その子孫は君主を殺し、帝位を奪い取るといった暴挙に出、更に下らぬ内輪揉めで蛮族を招き入れた結果、漢族2000年の歴史を絶やすといった未来永劫消えぬ汚点を残す事になる。
後世に司馬懿が多数の人物から批判され、民衆からは悪役として嫌われたのもまた当然の事である。
>>576 司馬氏は「蛮族を招き入れ」てはいないぞ
既に内地にたくさんいた異民族を使っただけだ
招き入れたのは主に曹操
クソみたいな内ゲバで蛮族を利用しようとして逆に国を滅ぼされた事には変わりないから
そこは大した問題ではない
579 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/26(土) 11:31:03
なるほど、諸葛亮が司馬懿に優っているのは仁徳だけなんですね、わかります
580 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/26(土) 12:32:39
うううう
>>576 劉備は暗君?
だったら譜代の臣ってわけでも司馬懿のように強制されたわけでもないのに
そんな暗君にホイホイついていった諸葛亮はバカって事になるけどいいの?
582 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/26(土) 15:11:38
諸葛亮は嫌々仕えた感じする
皇帝即位前は別にそこまで悪くないよ。
即位後はどうしようもない昏君だが。
晩年酷くならなかった皇帝などいない
585 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/26(土) 21:24:40
曹操に仕えた司馬懿は勝ち
劉備に仕えた諸葛亮は負け
586 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/26(土) 21:33:27
というか共通点が引きこもりを嫌々やめた以外に何が有る?
劉備が昏君って始めて聞いたわ
588 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/27(日) 07:00:49
劉備が昏君?
まあたしかに夷陵の前あたりからちょっとアレな傾向は見え始めていたけど、あの程度で昏君だというのなら
あまたいる中国皇帝のうち、少なく見積もっても90%は文句なし昏君認定だなw
だから「即位後」って言ってるじゃん
あの程度で昏君なら孫権・曹丕・司馬炎も即位後は昏君だな
591 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/27(日) 12:06:32
もっとひどい桁違いの皇帝が世界には山ほどいる
確かに劉備は三国時代の皇帝では下から10番目くらいにはなってるかもな
593 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/27(日) 15:17:01
三国時代そんな皇帝いなくないか?
魏=曹丕、曹叡、曹芳、曹髦、曹奐
呉=孫権、孫亮、孫休、孫皓
蜀=劉備、劉禅
晋=司馬炎
ギリギリ12人はいるよ。
劉備が皇帝になってからやった事って、
無駄な外政で国を傾けただけだし、昏君という評価でも仕方ないように思う
漢帝国の再興ってんなら献帝に変わって正式な皇帝になり
軍事と政務は曹操と息子の一族にお任せする道を進めば漢自体長生きできたろうし
世継ぎ次第では皇帝中心の漢帝国に復活できたかもしれないのにな
ほんと馬鹿だよこいつ
597 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/27(日) 18:15:17
曹操の政治が気に入らなかったんじゃねーの。
しかも劉曄とか他にも血縁者居たしいずれ殺されると思ったんじゃ
598 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/27(日) 18:18:50
>無駄な外征で国を傾けただけだし
その程度なら他にいくらでもいるだろうに。利口じゃないっていえばそうかもしれないけど
昏君呼ばわりされるほどのものか? とは思うが。
ただどんな事柄であれ、国の最高責任者として批判を一身に浴びなければいけないのであれば
それはそれで仕方なにのかも。皇帝って稼業も楽じゃないね。
三国時代でも昏君って程でも無いですね
600 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/28(月) 00:59:35
政治も戦争もかなり出来る方だけど戦略がいまいちで諸国を放浪したのか
元からそれが本性で孔明以後はおかしくなっただけか
瑾の息子諸葛恪って冷淡で嫌な奴だったんだろ?
なんかこいつ死んでよかったと思う。
諸葛亮も書状の中で諸葛恪を批判してるね。
この事からも諸葛亮は人を見る目があった優れた人物だと分かる。
息子らが野心丸出しで蛮行を重ねると見抜けなかった間抜けな司馬懿とはやはり比べ物にならないね。
のロバ
司馬懿ぐらい汚さも持ち合わせていないと軍事や政治の世界では生き残れない。
諸葛亮は今なら大学の教壇でムチふるって、研究に没頭するいい教授になれそうなタイプ。
血なまぐさい争いごとに向いていない
それだけ蜀が人材不足だったということ
諸葛村って信憑性あんの?
本人達が子孫だと言ってるんだから、本当に決まってるだろうが
>>604 でも劉封を殺すように進言してたりするんだよね
そこは正解だろ
おかげで若年の阿斗ちゃんが継いでもお家騒動の火種すらなかった
孔明の勝っている点
・ルックス
・キモイ体質じゃないこと(首が半回転するetc)
首が半回転するなんて凄い特技じゃないか
これは圧倒的に諸葛亮より勝ってる点だろう
法を侵した馬謖を死刑にしてしまった諸葛亮は負け
>>610 ルックス司馬懿の方が優位じゃないか?
美人でない嫁しか娶れなかった時点で孔明のルックスはお察し下さい
孔明は外面より嫁の才能を選んだとかじゃ無かったか?
それに嫁はインド系の褐色の美女だったって説もあるが
>>613 張春華だって別に美人の記述はないだろ。
>>612 そこは孔明信者の裴松之も猛烈に批判してるね
しかし馬禝は敗北後逃亡するなど、たとえ有能だとしても処刑されて仕方ない部分もある
国外逃亡だもんな…
>>613 孔明の嫁さんは名家の人間だから結婚しただけだろ。
留守中に寝にかある心配もいらないだろ、ブスだと。
美人の愛姫はちゃんといるだろうよ
訂正:何かある
赤髪で色黒=インド系の褐色美女
なんて都合のいい解釈w
おまえらの嫁勝負?
嫁は大月氏の血が流れてるって説だな
>>616 裴松之じゃなくて裴松之の注の習鑿歯ね
でも、仕方ない仕方ないではなく何で失敗したのかよく勉強させ育成もせず一方的に死刑にしたのはいただけない
624 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/06(火) 23:12:55
でも馬禝が生きてたからって司馬懿に勝てるとは思わないんでノープロブレム
愛弟子だから脱走しても処刑はしませんの方が問題有り余る。
しかも魏に逃げやがった
628 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/07(水) 00:21:31
どこまで逃げるんですか馬謖さん
エベレストまで
>>627 処刑恐れて逃亡図ってる状況で他にどこ逃げるんだよwwww
脳内設定ですか わかりました
呉に逃げたら引き渡される可能性があるし
やっぱ魏かな
634 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/07(水) 15:12:07
他の領土入って隠居するって可能性もあるんじゃないの?
蛮族を頼って西に逃げるという手もあるね
どれを取っても生かしちゃおけねえなあ…
637 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/09(金) 22:28:53
そんな人物に要衝の守備を命じた諸葛亮・・・人を見る目があるんだかないんだか。
蒋? 費? 董允 ケ芝 姜維
これほどの人物を見出していて人を見る目が無いってのは無いだろう
まあ死後に蜀を支えたのはほとんど諸葛亮が推薦したか登用した人材だからね
>>638 そいつら皆諸葛亮のイエスマンじゃねーか
これらの人物が活躍して無いとでも?
>>641 ショウエンが諸葛亮の後継いでからやったことって
楊儀を追放して、
病気になって、
東征を猛反対されて取りやめたこと
これくらいじゃね?
643 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/10(土) 00:16:19
蜀は人材不足杉。
何でもかんでも諸葛亮がたれるわけない。
使えている国力の差が司馬懿と違い過ぎる
644 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/10(土) 00:20:48
訂正:やれる
諸葛亮死後のごたごたを纏めて人心を安定させたり
疲弊した国力を回復させる為に戦争を一時中断して
農地開拓と免税などの政策で農業生産と経済を回復させてる
これにより国力を回復させて発展させてる
魏延の部隊を慰撫して士気を高めたりしてる
諸葛亮は人を育てるのが下手っぽい。司馬懿の方が上手そう。
事務処理能力はあるんだけど、政治的に対立をどうこうできるほどではないんだよな。
だから馬謖をいきなり最前線の重要任務の総大将で初陣飾らせて失敗した上、
普段ならそこまでしないような重い処分をせざるをえない状態に追い込まれてる。
馬謖は経験積めば蜀を背負って立てる人材だったんだけどね。
馬謖は、故事成語になるくらいの人物だから、それなりの才能はあったんだろうけど。
プレッシャーかかると、舞い上がっちゃうタイプだな。
能力は有るけどフロントマンには向かない、参謀タイプ。
>>648 指揮は初めてなんだからそれだけじゃ「タイプ」なんて断定できないでしょ。単なる経験不足じゃない?
>>649 でも命令が煩雑で分かりにくいそうだったから、
自分の頭の良さを鼻にかけて、兵の人望を得られなさそう。
生来の性格が将軍タイプではないと思う。
>>650 というよりは、今までずっと専門用語が通じてたエリートや軍師の集団内にいたのが、
突然前線で直接指示を出す立場になったせいで伝わらないってことじゃないかな?
今までずっと開発部門にいたけど営業と共同のプロジェクトに参加したら営業と言葉が通じない、みたいな。
ショウエンや費イなんて魏なら雑号将軍のレベルだろ
姜維は出世しそうだが
>>651 指揮の伝達具合に不安があるならなおさら分りやすく伝える努力をするか
変に難しいことしようとせず諸葛亮の命令通りに行動してれば良かったんじゃなかろうか
まああの記述量じゃはっきりしたことはいえないけどね、何か事情があったのかもしれないし
そもそもあれが初めての現場指揮だったのかもよく分らんわけだし
>>652 圧倒的国力差がありながらその程度の奴らが首脳の国を滅ぼせない奴しか育てれなかったんだよ、司馬懿は。
司馬懿ってそもそも誰育てたっけ?
息子は論外だろ
ケ艾を抜擢しただけでも大したもの
司馬懿は基本的に自分に逆らう奴は排除していくタイプだからな
息子や身内くらいしか信用出来る奴がいなかったんだろ
例外は蒋済くらいか
圧倒的な国力差でも粘った、
蜀の名臣達はかなり優秀だったんじゃね
魏が積極的に南征しようとしてなかったのも大きいんじゃね?
馬謖はいきなり韓信になるのを期待されたから
趙括になってしまった
司馬懿はそもそも人材を左右する地位にいた時間が短いから
他の皇帝や群雄達と同列に並べるのは無理がある
人材を採用する柔軟さと幅広さは息子二人だな
晋建国を支えた高官達の出身の多彩さは曹操を遙かに越えてる
曹操はとりあえず優秀なら誰でもおkって感じだけど
司馬昭の場合はそれ+自分に忠実ってのが付くから
665 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/10(土) 21:28:08
>>661 曹真も曹爽も攻めてるじゃん
蜀が北伐している間は防衛にまわるから攻められなかったんだろ
だから蜀は北伐する必要があったわけだし(攻撃的防御として)
姜維は本気で魏を侵略するつもりだったかもしれんが…
666 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/11(日) 00:42:38
強大な国に仕えた司馬懿は勝ち組
嫌々で無理矢理に仕えさせられるより
三顧の礼を尽くして貰って仕える方が勝ち組
>>664 曹操は自分に忠実でないのに優秀なのって登用したっけ?
嫌々出世して嫌々孔明の相手をして嫌々士大夫の輿望を集めて嫌々クーデタをした駄目人間
なんというν速民
フォーク+社会性=孔明
ヤン+陰険な性格=仲達
仲達に天下の奇才とまで言われてるのにか
立場と状況的に言えばヤンが孔明で仲達がカイザー
むしろ孔明は人気者なオーベルシュタインかな
但し7元帥もカイザーも皆死んじゃった状態からスタート
ラインハルト=
キルヒアイス=
ロイエンタール=
ミッターマイヤー=
オーベルシュタイン=
ケンプ=
ビッテンフェルト=
ミュラー=
メックリンガー=
ルッツ=
ワーレン=
ケスラー=
ファーレンハイト=
アイゼナッハ=
レンネンカンプ=
シュタインメッツ=
クナップシュタイン=
グリルパルツァー=
ヤン=
ビュコック=
メルカッツ=
アッテンボロー=
シェーンコップ=
ポプラン=
キャゼルヌ=
スレ違い
677 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/11(日) 09:24:23
キモすぎる…
どっちもチキンとか言われることがあるが真のチキンが呉にいるから大丈夫だ!
679 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/11(日) 14:17:09
もう、
晋書派 =司馬懿勝利
三国志正史本文派 =司馬懿辛勝
三国志正史注含む派=引き分け
三国志演義派 =諸葛亮辛勝
民間伝承派 =諸葛亮勝利
でいいんじゃね? 互いに圧勝・完勝は無しで。アンチ司馬懿と言われた俺だが、
>>1のような2ちゃんのみ声が大きい、煽りが入ったスレ立てする司馬懿信者がウザかっただけで
もう、どうでもよくなってきた・・・・
ちなみに、晋書は整合性のとれていないひどい代物。演義に比べても価値は劣るかもしれん。
(さらに大本営発表補正あり)
400年以上後に書かれたものなんてねえ・・・
演義は1000年後に書かれたバッタもんだろが
なんで正史が司馬懿勝利なのに演義じゃ負けなんだ?
・最終的勝敗
正史→司馬懿の不戦勝
演義→司馬懿の不戦勝
・局地戦
正史→諸葛亮の勝ち
演義→互いに勝ったり負けたり
だろ?
明帝が即位したら速攻で孟達を破った司馬懿は、諸葛亮より頭の回転が早いんだろうな。
諸葛亮もビックリしたし。
それをコントロールしてる曹叡もやばい
二人の死因は何だったの?
やはり、曹叡の時代に攻めていった諸葛亮はダメだろ
曹丕の時代に攻めに行くなら分かるけどな、南蛮を平定する余裕ないだろ
686 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/11(日) 19:04:39
平話の司馬懿ってなんか地味だよね
諸葛亮の血筋は現在に至るまで存続しているが、
司馬懿の子孫は東晋の滅亡時に完全に絶えたと言われている。
よって諸葛亮が上。
意味不明w
いや、意味は分かるだろ
>>690 北魏に逃れた奴とかいるよ
「東晋の滅亡時に完全に絶えた」は大嘘
司馬休之や司馬楚之
ヤワラちゃんの第二子がこうめい君
どっちにしろ現在の中国に司馬懿の子孫はいない様だし、どっかで野垂れ死んだんだろ
諸葛亮の勝ちには変わりない
字が違うんだが
698 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/17(土) 10:06:53
司馬懿好きは生まれてくる自分の子供に
「ちゅうたつ」と名付けるように。
中国好きは生まれてくる自分の子供に
「なかくに」と名付けるように。
700 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/17(土) 12:19:07
お家が残ってれば上って感覚がわからないな
孔明と仲達個人の比較を越えた話になってしまう
曹丕の夫人でたとえると
甄氏=諸葛亮
郭氏=司馬懿
かな?何となくね、理由はない。
>>700 儒教的には、家や血筋をつないでいくってのも勝負の一つかもな。
秀吉の生涯は勝ち組だけど、血筋が途絶えた点で観ると負け組みたいな。
703 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/17(土) 18:12:08
つまり司馬懿 の生涯は勝ち組だと。
司馬懿死後〜晋の成立まで 司馬懿の辛勝
西晋〜西晋滅亡まで 司馬懿の圧勝
東晋〜東晋滅亡まで 司馬懿の辛勝
それ以降 諸葛亮の圧勝
>>703 二人の死亡時点で見るとそうだな
片方は北伐を繰り返しつつも果たせず陣没、子孫同族に権力も遺せず
片方は宮廷闘争に勝利し政権を掌握し、禅譲に繋がる権力を息子に遺して死去
曹操や司馬懿の子孫の末路を見てると、正しい行いを貫く事が如何に大切かを痛感させられる。
708 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/18(日) 04:00:39
704がまあ正しい
709 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/19(月) 13:17:09
その石勒の息子って……
息子は別に普通だろ?
勝敗をいうなら
魏 対 蜀 = 魏の辛勝
諸葛亮 対 司馬懿 = 孔明の辛勝
実際、司馬懿は孔明には勝てなかったしな。
魏対蜀なら魏の圧勝じゃないのか?
単純に人口比で言っても魏は蜀の五倍だろ
どちらにしろ司馬懿は戦術で負けて国力で勝った事には変わらんが
713 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/20(火) 00:47:46
ロリコン石虎
石虎は息子じゃねえ
国力 魏の圧倒
軍事戦略 諸葛亮の勝利
作戦戦略 司馬懿の逆転
戦術 司馬懿が戦略優位を維持したままノーゲーム
司馬懿は初めから勝ち点で圧倒してて途中詰め寄られただけで結局元々の勝ち点差のおかげで逃げ切っただけだろ
逆転なんてしてねーよ
諸葛亮はずば抜けた大軍の統率力を生かして遠い隴西に戦場を定めたり、呉と呼応して洛陽戦力を分散させることで
戦略的優位を引き出すことに長けた将帥だった。
そのため、司馬懿(曹真もだけど)は魏の国力をフルに生かせない状況で戦場に急行するはめになった。
雍州だけでは兵力も十分でなく、諸葛亮の大軍に対抗するには洛陽から中軍を直接率いてくるか増援を迎える必要があった。
その間、先手を取って仮想戦域に既に到着している諸葛亮は戦場に優位を占める見込みが大きかった。
が、慎重策をとった諸葛亮はこの時間的優位をあまり有効に使えず、
司馬懿の強攻策によって要所を占位されて状況をイーブンにされてしまった。
こうして司馬懿が負けない姿勢を作ってから我慢比べに持ち込んだのが四次五次北伐の共通項。
718 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/20(火) 01:59:41
第一次 ×
初動は完璧
曹叡が完璧な対応。街亭で張コウのファインプレー
諸葛亮の人事ミス、馬ショクの戦術ミス
第二次 △
曹真に完璧に対策される
カク昭のファインプレーで作戦失敗
追撃してきた王双は撃破
第三次 ○
陳式のファインプレーで二郡を切り取る
孔明のファインプレーで郭淮を撤退させる
第四次 △
張コウの作戦を却下して司馬懿がミス。
司馬懿のファインプレーで諸葛亮がミス。
兵糧を焼かなかった諸葛亮のミス。
深追いした司馬懿がピンチ。
郭淮のファインプレー。
李厳のミスで諸葛亮がピンチ。
張コウの助言を却下して司馬懿がミス。
追撃してきた張コウを撃破
第五次 △
司馬懿に完璧に対策される
引き篭もり戦術を徹底されて引き分け
国力:魏>蜀
戦力:諸葛亮>司馬懿
戦略:諸葛亮>司馬懿
戦術:諸葛亮>司馬懿
決断力:司馬懿>諸葛亮
>>718 第4次だけ流れがよく分からん
司馬のファインプレーなんてないだろう
郭淮も蹴散らされてるし
もしかして晋書準拠?
司馬懿が本気だしたら魏が統一してしまうから、あの程度の力しか出さなかったかもな
司馬懿が、本気出せるほど、魏の国内で信用されてない件。
4次の司馬懿
諸将や張コウの進言を却下して隴西へ全軍を振り向ける
上ケイへ急進し諸葛亮の兵糧現地調達を阻止
急行軍と睨み合いで不足した兵糧を郭淮が羌族から徴発して補う
諸将の突き上げに負けて出戦して大敗
引き篭もって持久戦へ転向
諸葛亮兵糧不足で撤退
張コウの進言を却下して追撃を命ずる
追撃中に張コウ戦死
てなところか
「徹底防御に専念して退却時だけ兵を出して追撃しろ」なんて
司馬懿じゃ諸葛亮を打ち破れないと思われてたってことだな
まさか有利な追撃時まで討たれるとはさすがに思ってなかっただろうが
第四次だと司馬懿も張コウも郭淮も全員が諸葛亮に負けてるんだな
誰か魏将で引き分けとかじゃなく勝ったやついないの?
まあ諸葛亮の本隊は明記される限り生涯無敗だから
四次北伐の撤退で司馬懿が諸葛亮軍を追撃し大破した、という記事をどう評価するにもよるけど
晋書の司馬懿が追撃して大勝した、というのは、
張コウが伏兵で射殺されてる事からないと考えていいと思う
蜀軍が敵襲に備えており、なおかつ前線指揮官が死亡している戦況で、追撃軍が大勝できるとは思えん
あと大破されたなら、どっから第五次北伐の兵力を捻出したのか分からない
降格も特に無いようだしな
>>724 追撃自体は別に有利じゃないんでは?
相手が戦意喪失して退却していることが多いから、有利な場合が多いだけで。
ただ単に後退している軍を後ろから撃つだけで相当の有利だと思うよ
撤退側はそれを阻止するために殿軍を置く
まぁ司馬懿本人の野望を達成するには、張コウが邪魔なんで命令と称して司馬懿が張コウを殺したんだよ多分。
ほう!その点に関しては、諸葛亮より一枚上手だなw
732 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/20(火) 22:23:02
>>730 それはなかろう。
もし司馬懿にその意図があったとしても蜀軍が司馬懿になり代わって代行してやるわけなかろう。
確かに張コウ討ち取れれば魏の強力な将帥を減らせることにはなるけど、伏兵敷いたからといって
敵の大将確実に射落とせるわけでもないし。
撤退する敵を追撃するのは、何か100%近く「これは罠だ」と確信できる要素とか情報がなければ将として
当然取る行動だと思うな。返り討ちにあうのは運不運だろうし、それこそ武将の宿命だから。
個人的には張コウの戦死に限っては蜀殿軍の奮戦を誉めたいな、よくぞこの線で食い止めたと。
>>730の妄想をまともに相手するのも疲れるが
司馬懿のミスになるのにそんな得にもならん事するわけねーだろ
普通謀殺は自分が有利になるためにするのに不利になってどうする
>>732 別に勝ったら勝ったで司馬懿は「名判断だった」と名声を高めるだけなので別に困らないだろ。
そもそも武人の張コウでは司馬懿の邪魔をするのは無理だな
万一明帝存命時から「司馬懿の野心」とやらが明確に司馬懿の胸中に形を成していたとしても。
この頃、司馬懿の下で政敵に成長しうる人物は郭淮辺りか
もっとも、郭淮は謀殺のターゲットどころか、逆に司馬懿の勢力に取り込まれてるけど
私は司馬懿後見役遵守派なのだが…張郃は郭淮と昔からの同僚ですな
ついでに、郭淮が司馬懿派に見えるのは夏侯覇と上手くいってなかったから
曹爽一派と一線をかくすしかなかっただけな気もする
地方にいる間に政変で中枢握られてしまった以上、
郭淮としては選択肢は三つしかない。服従か反乱か亡命か。
結局任地で死去するわけだから、魏の先行きを憂えたとしても
サボタージュするわけにもいかず現状維持するしかなかったというところじゃないかな。
それにまあ、司馬懿くらいの政変は「漢ではよくあること」だったから、
王朝転覆に至ると当時誰もが確信していたわけではなかっただろう。
政変⇒禅譲
反乱⇒放伐
のどっちかのパターン
政変⇒専横⇒簒奪
反乱⇒僭称⇒放伐
張コウ戦死が思惑通りなら司馬懿マンセーの晋書でなぜ勝利に書き変えられてなかった事になってるのか
純粋に司馬懿の失点だから粉飾したんだろうに
将としては司馬懿って一流所に勝った事もないし
742 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/21(水) 11:40:46
一流所に勝ったことがあるのは周ユくらいじゃね
実際将としての能力は諸葛亮のが上だよね
後世の評価が、それを証明している
744 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/21(水) 14:17:40
どこが?
唐代の良将十傑
東晋以降に諸葛亮の評価は歪曲されたという論旨の論文を
渡辺某という教授が書いてた
そーいうのは聞き飽きた
評価を歪曲って日本語おかしくね?
諸葛亮のが上ってのはまともに正史考察できる人間は知ってる
ただ論旨から政治家って側面を持ち上げるために
あえて将としてはどうか?という評価を出すやつはいる
唐代の歴代良将十傑を間に受けるなら、後漢、三国、晋代で諸葛亮に並ぶ名将は存在しない事になる
諸葛亮の前後が合わせて800年以上空いてるからな
〇真に
×間に
どう考えても光武帝のほうが上だろ・・・
光武帝や曹操や司馬懿が名将に入るわけないだろ
帝だもんね。武帝、宣帝。
諸葛亮は帝になってないので司馬懿の勝ち。
勝敗で言えば、シバイの完全勝利だよ
・コウメイの目的は北伐して長安を手に入れること 成功せず
・シバイの目的はコウメイの進行を止めること 成功
目的から考えれば、明らかにシバイの勝ち
ただ、どっちが有能だったかと考えると
・コウメイは物乞いレベルのリュウビを皇帝までにして、実質の権力を掌握
・シバイは人材が豊富と言われたギの中での混乱に勝利し、権力を掌握
まぁ、流れ的には若干コウメイの方が難しい事を成してるかな
勝者はシバイで、有能なのはコウメイ
勝負ってのは有能な方が勝つ訳じゃないんだよって事でOKって事にしよう
>>755 >・シバイの目的はコウメイの進行を止めること 成功
第4次は諸葛亮の勝ちだが李厳のせいで撤退
第5次は長期戦になるのは諸葛亮も計算の内 そして病死
司馬懿の目的は進行を止める事
とは誰が言ったんだ?
返り討ちにすることこそ将軍たる者の目指すところであるはずだけど?
司馬懿は諸葛亮を返り討ちに出来なかった
むしろ追撃してやられた(第4次)
怖くて出来なかった(第5次)
臆病者であれさえすれば司馬懿の代役は誰にでも務まるじゃないか
>>756に言う言葉はアレしかないな
「ああ、卿が司馬懿ならそう考えるだろうな」
と。
>・シバイは人材が豊富と言われたギの中での混乱に勝利し、権力を掌握
司馬懿が出世できたのは
他の謀臣に比べまだ若く、曹操とも年が離れていたので
曹丕の相手役に任ぜられた それが躍進の端緒だろう
曹丕が皇帝になり重用された
その時点で信用という点に置いて曹操時代の有能な幕臣たちより抜きん出ることになった
司馬懿と権力で並べる者達の中にどれ程の知者が居たことだろうか?
美化も何もw
敵の侵攻を止めることが迎撃軍の目標でなくて何なんだ?
陽平関に立て篭もった劉備の戦略目標が曹操を返り討ちにすること(=殺すこと?)
だったなんて言う人間は一人もいやしないだろうにw
>>756 >> 司馬懿の目的は進行を止める事
>> とは誰が言ったんだ?
ソウエイだろ
>> 返り討ちにすることこそ将軍たる者の目指すところであるはずだけど?
そうでもない
第一目的を重視するというやり方もある
そういう方針で有名な武将は、チョウウン、ジョコウなど
要は目的を忘れるなって事 それでカコウエンなどは失敗して死んでる
シバイが追撃して痛手食らってるのは事実だけどね
でもただの痛手なだけで、負けに響いてない
それに、持久戦で勝とう思うなら相手の兵士を倒さない方がいいんだよ
たくさんいればいるほど、物資が足りなくなるから
セオリーで考えれば、追撃すべき時は将を倒せると思ったときのみだね
あとね、君は戦争をなめすぎ
守るって事も攻めるって事ぐらいには難しいんだよ
誰にでも務まるなら誰も天下統一なんて出来ません
戦争ってのは小競り合いで何勝したってのは関係なく
どちらの目的が達成されたのかって事が大事なの
だから勝負はシバイの勝ち
能力はコウメイの方が上だろうけどね
天が味方しなかった ただそれだけの事だよ
>>760 置かれている状況・兵力が違うだろう
>>761 戦ったら勝てないからだろう
敵地に攻め入って敵を打ち破るのは
攻め込んできた敵を自領で打ち破るより遙かに難しい
兵力で劣らないならば敵に打撃を与えるチャンスなのだ
手を出さず、敵が帰るのを指をくわえて見送る馬鹿はいないのだ
>>762 >置かれている状況・兵力が違うだろう
>兵力で劣らないならば敵に打撃を与えるチャンスなのだ
ただの先入観。魏は国力で有利なのであって
正面戦力で有利だったのではないから
というか、正面戦力で優位を築き得ないのに幾度も遠路侵攻したのなら
諸葛亮は有り得ないほどの大馬鹿だな
762は実際のところ諸葛亮を貶めてるだけだよ
>>763 曹操の軍がか?
>>764 極論だなぁ
迎撃も追撃もできないほどの圧倒的劣勢だって?
ありえないだろう
>>762 兵力や物資があるっていってもその分国土も非常に広いからね
ガッピでの戦いでも少ない兵で守らなきゃいけないほど、案外余裕は無いものなんだよ
>> 敵地に攻め入って敵を打ち破るのは
>> 攻め込んできた敵を自領で打ち破るより遙かに難しい
ちょっと違う
自分たちの戦争を出来た方が有利なだけで自領は関係ない
その程度の事で優劣は決まらないよ
攻めだろうが、守りだろうが自分たちで戦場を選べば良いだけだからね
だからコウメイはシバイを挑発して自分の戦場で戦おうとした
でもシバイも自分の戦場で戦いたいからそれに応じなかった ただそれだけ
シバイとコウメイの違いは、成そうとした目標の違い
コウメイは自分に成せない目標を立ててしまった訳で、
シバイは自分が成せる目標を立てた ただそれだけの事
自分の力を解ってないって事ではコウメイはシバイに劣ってるだろうね
>> 兵力で劣らないならば敵に打撃を与えるチャンスなのだ
>> 手を出さず、敵が帰るのを指をくわえて見送る馬鹿はいないのだ
だからそれを逆手にとって待伏するって作戦があるんだろ?
リュウビもイリョウでヤラカした
まぁ、スレタイはあきらかに間違ってるけど、勝負ではシバイの勝ちだね
コウメイはシバイとの試合中で死んじゃったんだからね
天がシバイに味方したって考え方もあるけど、
コウメイは無理をし過ぎて過労死ってところかな
無理しちゃいそうな感じだもんね コウメイって人は
だからこそ惹かれるってのもあるんだけど
>>765 そもそも蜀魏間って道が険しいから大軍のアドバンテージ生かせないし。
>迎撃も追撃もできないほどの圧倒的劣勢だって?
やってるだろ。それが失敗したことをもって755などは諸葛亮の方を有能だと言ってる。
しかし野戦や追撃について諸論が分かれる程度の戦力しか司馬懿が持っていなかったと示す
記述は複数ある。
張コウなどは四次北伐で諸葛亮と直接対陣すること自体を諌めている。
陳泰の時代に至るまで、蜀の大動員に対して魏が隴西で勝敗を争うというのはそういう危険を
伴うものだったんだよ。
曹真・司馬懿の時代はもっと深刻で、毎回洛陽からの主力が到着しなければ話にならないありさまだった。
だから隴西の振興策が盛んに取られた。
小国の蜀を率いてそのような状況を引き出したのが諸葛亮の才腕であり、
司馬懿は統治未完成の隴西や洛陽中軍が分断された情勢という制限下で彼の撃退を迫れらたわけだ。
>>766 諸葛亮は自分の力分かってるよ。だから無理な戦いは避け、自軍に被害の出ない戦いが出来た。
状況的に魏を滅ぼす事が不可能なことくらい分かる。だからあまり攻撃的にならず、守りの戦いをして
危急存亡の秋にある蜀を魏の侵略から(北伐によって)防いでいたんだろう。国是の件もあるし。
>蜀を魏の侵略から(北伐によって)防いでいたんだろう。
これってよく言われるけど根拠殆ど無いんだよね。
諸葛亮は魏の戦力配分を見定めてから侵攻ルートを決め、
侵攻上に位置する要害の陥落や、迎撃に出てくる敵主力を撃破することを
第一の戦略目標に定めていたと知れる。
つまり勝ち取るための戦いをしている。
その他の余計なことは殆どしていない。一次北伐で西県から住民を移したことくらい。
魏の隴西への浸透阻止と徙民による経済力奪取を主目標にして行動した費イ時代の姜維とは
完全に対照だ。この時代の姜維なら「防衛的侵攻」という言葉がよく当てはまる。
>>769 なるほど、そうかもしれないね
でもコウメイは大義を掲げ北伐を決めた時は、
最低でも長安は落とせる って思ってたと思うよ
で、実際にギと対峙してみて、今までの一線級の武将以外にも
大器の武将がいくらでもいるって事を知ったんだよ
その数はコウメイ自身の予想を遙かに越えてたんだと思う
コウメイがギの人材の豊富さを知るには……
目標を表明してしまってからではちょっと遅かったんだろうね
つまり、自分の実力はどれくらいか解ってたけど、
相手の事は正しく理解できてなかったんだろうね 対峙するまでは……
解った時には自分で引くに引けない状況を作ってしまっていたから、
勝てない戦いをし続けなければいけなかった
だからこそ、バショクやキョウイに状況を打破する為の英雄像を求めすぎてしまったんじゃないのかな?
彼の早すぎる人事任命などをみると
俺にはそういった風に見えてしょうがないんだよ
>>771 自分
>>769だけど、たしかにそれは思うな
徐庶の件の「魏はとりわけ人物が多いのだろうか」なんて発言もあるし
魏の状況を把握してなかったのかもしれない
>>771 馬謖は無いな
起用したのは魏と本格衝突する前だから
ついでに姜維もないな。
諸葛亮の下では姜維のやった仕事なんかほとんど無さそうだし
諸葛亮死後忘れた頃にいきなり大抜擢されてる。
姜維は諸葛亮に辟召された数少ない一人だし、
若くして将軍に抜擢されて地位に相応しい職務を果たしていただろうけど、
「英雄像」を投影するような地位以上の責任を負わせたようではないね。
そんな諸葛亮のワントップ体制を崩すような起用はしないと思うよ。
陣頭指揮を取る諸葛亮や魏延・呉懿と言った面々がいなくなったあとに
蒋エンの司馬として対魏戦の指揮を独立して取るようになるわけで、
人事任命という点では諸葛亮死後を契機として格段に大きな責任を果たしたと言える。
>あとね、君は戦争をなめすぎ
1にこんなこと言われたら王朗みたくショック死しちゃうよw
777 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/23(金) 13:02:09
1も知識面では格段に成長してきたな
ただのアホから屁理屈を捏ねられるアホに進化した
素朴な疑問だが、なんで1ってわかるんだ?
>>778 ほんのちょっとでも司馬懿の長所を言う奴は全員1だよ
なんでだろう?同一人物には見えないんだが…
>>781 もしかして某姜維オタの事?
あいつはカタカナ多いけど「孔明」は漢字で打つし
姜維の戦略考察スレじゃ相変わらずだし、やはり別人に見えるが
>>766 >ちょっと違う
違わないよ
>だからそれを逆手にとって待伏するって作戦があるんだろ?
追撃の方が圧倒的に有利 だから皆追撃する
>リュウビもイリョウでヤラカした
?
>>767 意味不明
>>768 >やってるだろ。
そう、やってる そういう意味だ
>張コウなどは四次北伐で諸葛亮と直接対陣すること自体を諌めている。
間違えてないかな?
>司馬懿は統治未完成の隴西や洛陽中軍が分断された情勢という制限下で彼の撃退を迫れらたわけだ
長安中軍を忘れてる
>>770 同意
諸葛亮の北伐を「防衛目的の侵攻」と信じて疑わない人は何なんだろうね
>>771 思い込みが激しいね
>で、実際にギと対峙してみて、今までの一線級の武将以外にも
>大器の武将がいくらでもいるって事を知ったんだよ
>その数はコウメイ自身の予想を遙かに越えてたんだと思う
例えば誰のこと?
>>772 それは友達を思って不遇を嘆く言葉
「人物が多い」と魏を評価したわけではない
まともな人材が出世できない魏の政治の濁り具合に皮肉を言ったんだ
>>776 スルーした
カタカナで書く人は思いこみを積み上げてその地点から上目線で微妙にズレた事を言ってくる
反論を基礎からしなくちゃいけなさそうなんだが、それが面倒くさい 頼む
当てこすり 言われてよろこぶ 魏ヲタの子
徐庶
カタカナで語ってる人は同意できる部分もあるが、
基本的に根拠を示してないからなあ。
本人は示してるつもりなのか知れないが、
全て思い込みの話でどこどこも記述を元に、
って話じゃないから妄想乙としかいえない。
大意の諸葛亮の方が上だが司馬懿が勝ったというのはその通りだと思うが。
まあそれは曹真も同じだから別に司馬懿じゃないと駄目ってわけじゃないが。
>>783 >>張コウなどは四次北伐で諸葛亮と直接対陣すること自体を諌めている。
>間違えてないかな?
間違えてない。所轄亮伝注魏氏春秋の引用。
司馬懿が上ケイの東で防御して挑戦に応じず、諸葛亮が西へ後退したあと、
前進して陣を近接させようとした司馬懿に反対し、搦め手を主張したのが張コウ。
四次北伐で最も慎重な─誰かに言わせれば臆病な─将は張コウだった。
>>司馬懿は統治未完成の隴西や洛陽中軍が分断された情勢という制限下で彼の撃退を迫れらたわけだ
>長安中軍を忘れてる
長安では足りない。当時の関中の疲弊と戸口減少の激しさから、大軍を常駐させるのが困難だったと推定できる。
てか長安駐留軍が中軍と呼ばれるはずがないだろう。
魏は1,2,4次の大規模な北伐に対して、全て洛陽から主力を進発させている。
四次北伐の後に「蜀の侵攻に対していちいち洛陽から遠路軍を派遣せねばならない」という不利を
解消するために、司馬懿と司馬孚が隴西関中の整備を進言してもいる。
その後、司馬懿は長安に駐留したと思えるわけだが、五次北伐時には呉との同時侵攻を受ける窮地にも拘らず、
二万もの歩騎が洛陽から西へ派遣されている。
一次北伐の動員が関中諸軍で5万。
二次北伐で張コウが率いたのは京師南北諸軍で3万。
五次北伐時には、洛陽の主力は曹叡と共に東下していると考えられるので、
当時の魏にとって兵二万の抽出がどれだけの重みだったのか想像できるだろう。
曹真や司馬懿が戦ったのはそういう状況下だった。
>>787 間違えた
諸葛亮伝の注に引かれているのは魏氏春秋ではなく漢晋春秋だった
789 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/23(金) 23:02:28
戦略では曹真と諸葛亮は互角じゃないかな
第一次では諸葛亮が陽動で引っ掛け第二次では曹真が読みきったし
>>787 >間違えてない。
ああ、そこのこと? 雍・ビに兵を分ける事かと思ってた
しかし直接対陣することを諫めたのは「魏軍が少数である」という事ではないね
>長安では足りない。当時の関中の疲弊と戸口減少の激しさから、
>大軍を常駐させるのが困難だったと推定できる。
なんでやねん 曹操時代置いてたろ
>てか長安駐留軍が中軍と呼ばれるはずがないだろう。
中軍というのは文字通り中央軍だ (地方軍との対比)
各地方に派遣され駐屯している軍も中軍なんだよ
地元兵からなる地方軍とは異なる
関中と蜀一国を比べた場合、国力で蜀に敵わない 兵力も敵わない
だから援軍を送る必要がある それが洛陽中軍
洛陽中軍の派兵の事実を以て「関中の軍は蜀軍より圧倒的に少ない」とはならないのだ
>>789 曹真の陳倉整備は智謀という意味で「戦略が凄い」ってもんじゃないと思う。
陳倉というのは、関中の西の玄関口の一つ、大散関を入って渭水と合流するまん前にある要衝。
つまり、諸葛亮が北伐の意思を持つと知れた時点で、ここが主戦場と想定される第一候補となる。
もう一つの要衝はビだが、ここは董卓が防備を施し、以後も馬騰・馬超が駐屯しているので整備が維持されていただろう。
一方陳倉が後漢末に有効な働きをした記述はないと思うので、戦乱によって守りが疎かになり、
漢中を失った後も劉備の死によって放置状態だったのだろう。
つまり曹真の陳倉整備は、「当たり前に想定される事態に迅速に対処したので凄い」という意味で
戦略実行力に優れたとは言えるが、諸葛亮の行動を読みきったので凄い、ということにはならないと思う。
伐謀>伐交>伐兵>攻城
>>791 魏軍が圧倒的に少数であるだなんて言ってないんだけど。
張コウを初めとする諸将の見解が割れ、司馬懿の判断もブレるくらいに、
諸葛亮軍との兵力は拮抗したものだった。
四次北伐の場合は司馬懿が洛陽から中軍を率いてきたにも拘らず
「雍・ビに兵を分け」ては対処しえないと判断したように。
そんな拮抗した状態で、戦って諸葛亮を討つのが当たり前、
立て篭もるのは臆病者、誰でもできる、なんて、
少なくとも後世から大局的に見ることができる人間の言うことではないね。
自分の手柄と武勇を重んじる中下級指揮官が言うならわかるが。
しかも、諸葛亮軍は厳しく統制の取れた強兵だったらしいのだから尚更だ。
>各地方に派遣され駐屯している軍も中軍なんだよ
言わないよ。中軍というのは京師を守備する諸校尉や中郎将、衛士からなる南北軍などを言う。
各地に派遣され駐屯する諸将軍の兵は外軍という。
>>大軍を常駐させるのが困難だったと推定できる。
>なんでやねん 曹操時代置いてたろ
おいてたっけ?
曹操に(一応)帰順した半独立軍閥の連合体はいたけど
>>794 >魏軍が圧倒的に少数であるだなんて言ってないんだけど。
遡ると
>>756 >司馬懿の目的は進行を止める事
>とは誰が言ったんだ?
>返り討ちにすることこそ将軍たる者の目指すところであるはずだけど?
これに対し
>>760 >陽平関に立て篭もった劉備の戦略目標が曹操を返り討ちにすること(=殺すこと?)
>だったなんて言う人間は一人もいやしないだろうにw
に対し
>>762 >置かれている状況・兵力が違うだろう
で、
>>763-764 これに
>>765だ
改めて
>>794 >「雍・ビに兵を分け」ては対処しえないと判断したように。
「大軍の利を活かせない」のが理由
局所での数的優位を作るのが「兵法」だ
>外軍
「中央軍」のつもりで言った
外軍でいいよ
>>796 夏侯淵
>返り討ちにすることこそ将軍たる者の目指すところであるはずだけど?
この前提がおかしいから話が噛み合ってないわけか
陳倉城
後漢書皇甫嵩伝に出てくるが陳倉は難攻不落の堅城
数万の賊が八十余日かけても落とすことができなかった
諸葛亮はそこへたった20日分の食料しか持って行かなかった
陳倉城を攻略することは本目的ではなかったと推測できる
>>802 よくないって しっかり認識してもらわないと
結局それが司馬懿評価の如何に繋がるんだからね
諸葛亮伝注黙記で張儼が
晋書宣帝紀の評で唐の太宗李世民が
司馬懿の北伐での戦いぶりを難じているね
カタカナの人だけど、
三国版にはほとんど書き込みしてないから人違いだとおもうよ
最初に言っておくけど、妄想乙ってのには反論しようがない
色々な三国志の資料(史実を特に重視)をみたけど、それぞれで解釈が違うし
なにより真実でないなら全ては推測、妄想にすぎないと自分は思ってるから
>>783 たぶんこれ以上話しても平行線になると思うけど……
敵が戦意を無くして退却、それを追撃する という状況が真実なら有利だと思うけど
本当にそういう状況なのかは実際に追撃してみないと解らないって事
実際、追撃に対し、伏兵でオウソウ、チョウコウを討ってるしね(史実)
攻め、守りの話は
北伐第1次では、ショクが攻めてこないと思って油断してたギが最初は惨敗(守りが負けた
兵をほとんど置いていない南安、安定、天水が陥落しました
この時に長安を守ってたのはカコウボウ ソウシンは異民族を相手してます
でも奪い取った南安、安定、天水は
バショクの大敗により戦力をズタズタにされ漢中まで撤退を余儀なくされました(チョウコウに陣を攻められてバショク敗退
と、このように攻める側や守る側でも立場が良く変わるので、大局的な攻めと守りだけでは単純に優劣は決めれない ということ
シバイでないとダメな理由
北伐第4次ではお互いに陣を張って、様子見
結局はギの武将(チョウコウなど)が騒いで、ギがショクの陣に攻めてショク軍にフルボッコ
その後、シバイは攻めず陣に篭もるがコウメイは挑発しまくり でもシバイはスルー
ショクは補給が間に合わず撤退 追撃するチョウコウを伏兵で討ち取る 終了
このように歴戦のチョウコウでさえもオウヘイやギエンにフルボッコなのにシバイが勝てるわけない
それをきちんと解ったから、負けない戦いを挑んだんだよ シバイ君は
ここを守ればいいだけだってね
コウメイの挑発に乗らなかったシバイはスゴイと思うよ
武官ではメンツの問題があるから討って出なければいけないし
臆病者なら長安にまで退却している
シバイは陣を張ったまま動かなかった
これはこの時にとれた最良策と言ってもいいと思うよ
まぁ、最後に欲だしたせいでチョウコウがやられたから、武将の有能さはコウメイの方が上だけどね
>>771 >>例えば誰の事?
具体的に誰に対してそう感じたかは解らないけど、
史実基準でいくと、シバイ、ソウシン、カクショウ、カクワイあたりのこと
第1次でシバイにモウタツの反乱を鎮圧され作戦失敗
第2次でソウシン、カクショウによりコウメイの作戦ことごとく見破られ敗退
第3次で意味の薄い武都と陰平をチンブに急襲させるも、カクワイに読まれる
コウメイが軍を率いて急いで救援 カクワイは挟撃される事をおそれ撤退
ギは反撃に大軍勢で出たが長雨のため中止
シバイ、カクワイは第4ではボコボコだけど、
第5では全く負け無しでよく守り通した
本来自分がするべき事をしっかりやった結果がコウメイに勝利した理由だと思います
すべて史実にかかれてる事なので目を通せばソースは解る
また、
>>772と同じく
自分の友人(セキネイやモウケン)がギで重用されなかった事に驚いたという文がある
これを普通の意味で読めばいいだけ
これらの事がコウメイがギの内情を把握できてなかった事、そしてコウメイが予想以上に苦しめられた武将が居た事の根拠です
基本根拠を示すと長文になるので避けてました 面倒ですね
で、これだけ書いても納得してもらえないのが目に見えるからやっぱり面倒ですね
807 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/24(土) 03:46:52
>>806 >第3次で意味の薄い武都と陰平をチンブに急襲させるも
陳式だろ
司馬懿は謀略は凄いけど、将としてはそこまで評価するものでもない
ってのが唐代以降の流れじゃ
でもあの当時の魏では張コウと並んで一番じゃね
全体で見ると陸遜、朱然、諸葛亮、魏延あたりもすげーけど
魏延はその辺と並べるには微妙すぎるだろ
あれ陽コクだかで郭淮に勝ってなかったっけ?
だからそれだけでは弱い、ということでは
カタカナうざいからいい加減漢字にしろ、簡単だろ?
すまん
ウィンドウズモバイルでカキコしてるから……
何かいい方法があるのかな
>>805 >攻め、守りの話は〜
>>762を読めていないよ
仮想の話ね
10万の兵力を擁する敵国がある。
敵国を滅ぼすには敵国に攻め入り
敵地で10万の兵と戦い、打破しなければならない
敵は防衛線を張り要害に籠もり有利な地を占める
これと
敵が要害を離れ地の利を捨て、自国に攻め込んできた場合とを比べ
敵の兵力に打撃を加え易いのはどっち?
敵がわざわざ攻め込んできたというのは
打撃を与えるビッグチャンスであるんだ
そのうえ遠征だと掛かる手間も掛からない
だから当然、攻め込んできた敵を返り討ちにしたいところ
しかも撤退は背を向けることになるので、軍をまともに指揮できない
なので撤退戦は難しく、追撃側がかなり有利となる(士気だけの問題じゃない)
その有利さを活かし、敵国の兵力を削るべく敵に打撃を与える
追撃は常識
で、蜀魏の話に戻るけど
蜀兵10万(仮)を要害を誇る蜀の地で倒すの大変そうじゃない?
できれば外で討っておきたくないかな?
>伏兵でオウソウ
王双、伏兵だっけ?
>この時に長安を守ってたのはカコウボウ ソウシンは異民族を相手してます
これ初耳 何に載ってるの? 教えて
>シバイでないとダメな理由〜
同意
司馬懿は優れていると思う
そこは認めてるけど
>勝敗で言えば、シバイの完全勝利だよ
>目的から考えれば、明らかにシバイの勝ち
これはおかしい
防衛という目的に極端に絞らざるを得なかった事がどうして勝利と言える?
蜀は戦役で領土を得ることこそ出来なかったが
十二分に勇名を轟かせた
魏は領土こそ失わなかったが
いわゆる「武門の名折れ」を働いた
戦は勿論領土の奪い合いではあるが名誉も賭かる
名誉を得たのは諸葛亮
残念ながら戦は不運により引き揚げ
名誉を失ったのは司馬懿
手も足も出なかったが戦は幸運により終了 土地を失わずに済んだ
さて、どっちが勝った? ってこと
>徐庶
オウム返しだけど普通に読めばいいだけ
備考
公正な諸葛亮の治める蜀では、まともな人材は出世できる
しかし魏は濁っている
蜀の人材は魏呉で高い評価を受ける
諸葛亮はそれらの人物をみているが
それで尚、徐庶と石韜を買っている
蜀の人材をA・Bとする
A・Bは魏呉に行けば出世する
諸葛亮はA・Bを知るが、それでも徐庶・石韜を評価している
徐庶・石韜は魏に居る
しかし出世していない
つまり徐庶・石韜は実力通りの出世をしていない となる
>自分の友人(セキネイやモウケン)がギで重用されなかった事に驚いたという文がある
第一次北伐のとき孟建は涼州刺史だったよ 後に征東将軍になった
セキネイとは石韜のこと?
>第2次でソウシン、カクショウによりコウメイの作戦ことごとく見破られ敗退
魏側では見破ったと思っているけど、
>>800→
>>120の通り。(第2次・第3次は一つの戦役)
「カクワイに読まれる」と言うが
武都・陰平を攻めれば南下してくるのは当たり前
それを釘付けにして動けなくするのが陳倉攻めの狙い
魏は諸葛亮に上手くやられてる
武都・陰平だが
この地を取ることは重大な意味を持っている
所謂第3次は、第4次の布石
第4次で諸葛亮は祁山に堅陣を築き司馬懿の軍を破った
もし武都・陰平が蜀領でなかったらどうだったかな
きっと司馬懿が先に祁山に辿り着き、大軍で守りを固めたろう
そうなってはもう攻めることができない
武都・陰平が如何に重要か分かる
諸葛亮は北伐の基本戦略に最も安全な西回りの関山道を択んでいた
関山道の要地が祁山で、北伐には祁山を押さえることが重要だった
祁山を押さえ、そこで魏の大軍を迎え撃って破り、西進して長安を落とす
諸葛亮の北伐全てを鑑みて、これが諸葛亮の基本戦略ではなかったかと思う
諸葛亮の頭に常にあったのは祁山なんだ
ここをどう攻略するか そのための第2次・第3次
第2次の陳倉攻めから第4次祁山に於いて司馬懿を破るまで
諸葛亮の思惑通りに進んでいる
「魏は諸葛亮の手を読んでいた」とは
魏が諸葛亮の考えを読めず、そう思い込んでいただけのこと
李厳のことがなければ面白い事になっていた
失敗とされる陳倉攻めなんて元よりどうでもいい(
>>800)ので
“曹真・郝昭・郭淮を知り魏の人材の多さを痛感し「北伐大変だ。無理かも。」と思った”
というようなことはないと思う
まぁ推測・妄想に過ぎないけどね
中途半端な結果でどっちが上かなんてのは個人の嗜好が全て
でも考察読むのは面白いね
>所謂第3次は、第4次の布石
>第4次では祁山に堅陣を築き司馬懿の軍を破った
諸葛亮が有利ってことを認めてるじゃん。
たとえ自領であろうと、地の利を捨てて要害に籠る諸葛亮を攻めるのなら、
司馬懿にアドバンテージはなく、むしろ諸葛亮が一方的に有利じゃん。
第三次の諸葛亮の布石が優れてるのは認めるけど、それは曹真のせいであって
司馬懿に尻拭いを求めるのは酷なのでは?
結局、諸葛亮も司馬懿もそれぞれの状況に応じた最善策を取った結果、引き分けただけでは。
ちょっと違うけど、囚人のジレンマみたいなもんだな。
>>821 第4次は司馬懿の方が兵が多い
攻めないと「諸葛亮を虎のように怖れている」と非難される状況だ
第五次では諸葛亮は決戦を請うた
待ち受ける蜀の堅陣に一方的に攻めて来いと言ったわけではないよ
>>822 張コウは、前進しておきながら諸葛亮を逼迫できないのはよろしくない、民の信望を失う。と進言しているね。
つまり接敵しながら積極的に攻撃できない事態を恐れている。
司馬懿はそれを却下して前進したが、積極的に攻撃を欠ける気はなかった。
しかし司馬懿の思惑に反して中級指揮官の突き上げが強く、やむなく攻撃をかけることになった。結果は敗北。
張コウと司馬懿の意見は、「野戦は不利」という点で一致している。
四次でも五次でも、数次に渡って出戦を望んだのは諸葛亮のほう。
両軍幹部の判断は野戦をすれば諸葛亮軍が有利、という点で一致している。
つまり四次・五次北伐で考えられる両軍の戦力は、
・蜀の方が少ないが、張コウが決戦をしり込みするほど蜀兵が強兵だった
・両軍の数はほぼ同数かやや蜀有利なくらいで、司馬懿らは決戦するリスクを嫌った
のどちらかになる。
825 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/25(日) 09:59:49
敵の急所が兵站なのは明らかなんだから
それを衝いて臆病者とかは流石に厳しすぎると思うのだが
孔明の撤退時の追撃対策は異常だし
>>756 に言わせると、司馬懿のような戦いは臆病でさえあれば誰でもできたらしいから
より慎重だった張コウはもっと臆病者だったことになる
関中の防御が目的
時間切れまで粘って撤退させてから追撃してダメージを与えればいい
こっちから攻めてる訳じゃないのに真正面から打ち合うのはNG
>>823-824 張コウは司馬懿に軍を分割して雍県とビ県に配置し後方の守りとしてはどうかと勧めた
これに対し司馬懿は楚の三軍が英布に破れた例を出した
楚にあたる魏の方が兵が多い
司馬懿は「前軍で当たることが出来るなら」と言っているが
「当たる」とは何なのか?
持ちこたえる事なのか、合戦することなのか
晋書宣帝紀によれば司馬懿は「討伐」を命じられた
合戦だろうね
張コウは合戦のために赴いていることを知りながら軍を割こうと言った
もし兵力が互角であれば、軍を割いて自軍の数的不利を作り出すような事を
いくらなんでも張コウが言いはしないだろう
司馬懿は前進し諸葛亮を追った
至って司馬懿は山に登り堀を掘って陣を構えた
諸葛亮と司馬懿の両軍が同程度の兵士数だった場合
諸葛亮も司馬懿も陣に籠もり互いに睨み合っている
それを天下が笑うだろうか? 普通の事じゃないか
笑われるのは何故なのか?
通常、陣に籠もる敵でも討てるだけの兵力差が
司馬懿側にあったからだろう
と考える
>>825 >敵の急所が兵站なのは明らかなんだから
兵站難の件はイメージが先行してる
実際に諸葛亮が兵站切らしたの李厳の件だけ
>>826 張コウは奇兵を提案してる
張コウには返り討ちの意志があった
>>827 蜀に時間切れは別段ない
>>829 諸葛亮伝に明記されているのに何がイメージ先行なのかと。
>>828 故事からとった比喩だけで多寡を語るなんてナンセンス。
司馬懿は、
前後に分けた前軍だけで敵に当たることができるなら張将軍が正しい。
だが事実はそうではない。自ら分散することで前軍が各個撃破される危険が高い。
洛陽から持ってきた総力をもって隴西に向かわねば諸葛亮に敵しえない。
と言ってる。
しかし、雍・ビと言うのは、蜀漢が漢中を狙う最短ルートであり、最も警戒せねばならない位置にある。
張コウが警戒したのは、蜀の一軍が秦嶺越えで魏軍の背後を遮断することだろう。
司馬懿はその可能性を無視してよい、またはそんなことを考えている事態ではないと判断した。
あなたは前から「天下の笑いもの」を盛んに繰り返しているが、四次北伐での魏軍中は、
決戦を避ける派(司馬懿・張コウ)と決戦を望む派(賈クや魏平)に割れていることを無視している。
結果として魏軍が負けていることも。
俺は意見の分裂と戦闘結果を合わせ見て
>>824と言ってるんだけどね。
>>829 奇兵って今風の奇襲とか強襲とかいう意味じゃないよ
敵の弱所(この場合は兵站・後背)を突くこと
張コウは四次北伐で徹頭徹尾、諸葛亮軍を直接攻撃することを避けるように言っている。
833 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/25(日) 16:06:30
>>831 故事を無視してるね
「英布が楚の大軍に勝てた理由は楚が軍を分けたところにある」
つまり、他に理由なし 軍を分けねば敗けなかった
それだけの兵力差があったということ
楚が五分五分なところを分けたのなら故事にはならない
「遂に進む」とあるように
あっさり張コウ案が退けられたのではなく
一議論あって最終的に前に進むことになった
前軍だけで当たることが出来るとは
分けて尚、確実に勝利できるだけの兵力が前軍に残る
ということ
司馬懿はそのあと「しかし」ではなく「もし〜」と続けている
魏は兵士数は優っていたが勝てる兵士数ラインを見定められなかった
だから議論になった と考える
張コウが決戦を避ける派とはどこにあるの?
>決戦を避ける派(司馬懿・張コウ)と決戦を望む派(賈クや魏平)に割れている
これを見ると2分しているかのような印象を受けるが
史書は「諸将あまねく戦を請う」だよ
>>832 >奇兵って今風の奇襲とか強襲とかいう意味じゃないよ
>敵の弱所(この場合は兵站・後背)を突くこと
分かってるよ
というか奇襲部隊も奇兵
>>835 で、張コウが奇襲部隊で諸葛亮を襲おうなどと提案したことはあるの?
奇兵で背後を脅かせば兵站の不利ゆえに勝手に帰るので戦う必要はないと言う発言は確認できるけど。
その発言は提案じゃないの?
>>836 >不用意に軍を分けることい戒める
兵法の基本中の基本
今更例を挙げて語る程の事じゃない
故事を挙げたのは状況がピッタリだったからじゃないのかな
分割した一軍で何とかなると思った楚軍が敗れた例を出し
危険性を示した
>當
随分不備のあるソース出してきたね
中国語にも「当然→当然」「当選→当选」「適当→适当」などの言葉があるが
これらは1〜3のどれにあたるの?
史記 項羽本紀
吾起兵至今八歲矣,身七十餘戰,所當者破,所擊者服,未嘗敗北,遂霸有天下。
普通に「ぶつかる」と訳せばいい
もちろん戦は勝利を見込んでやるものなのでそれが達成され得ることを意図の前提とする
「勝利を期してぶつかる」これが「当たる」だろう
>張コウの奇兵
誤読してないかな?
そちらは「司馬懿は留まり、背後を襲う軍を出し、背後を襲うと見せれば
諸葛亮は兵糧が乏しいので撤退するに違いない」的な解釈をしてないかな?
原文貼るよ
張郃曰:「彼遠來逆我,請戰不得,謂我利在不戰,欲以長計制之也.且祁山知大軍以在近,人情自固,
可止屯於此,分為奇兵,示出其後,不宜進前而不敢偪,坐失民望也.今亮縣軍食少,亦行去矣.」
まず、奇兵とは敵の意表をつく軍のこと
兵站を襲う軍という意味は特にない
そして句読点に注目してほしい
「可止屯於此,分為奇兵」の一文はどこで切れている?
「坐失民望也.」で切れている
上の解釈は成り立たない
「民を失望させる」で切れる。
どう訳すかというと
「司馬懿は留まり、軍を分けて見えない軍を出し、その後司馬懿が出る事を示せばよい
全軍(宜しくの部分)出して前に進んでから敢えて迫らなければ、坐して民望を失う事になる」
奇兵(見えない兵)を出すと戦略の幅が広がる
つまり、奇兵を出せば早めに破る手だてが出来得る(前の文「敵は長期の計を考えている」に繋がる)
もう一つ
「今亮縣軍食少,亦行去矣.」
蜀一国を挙げてやって来ているのに
どうして「諸葛亮の県軍」なのか?
そちらの解釈だとおかしいだろ?
蜀は上邽周辺の麦を大いに刈り取っている
宣帝紀を信じるならば司馬懿が来たことを知り麦を刈れずに引き揚げた
諸葛亮伝では上邽東で遭遇したことになっている
整合性を取れば上邽周辺の麦を刈り取った
そして上邽の東(蜀から遠い側)の麦を刈っていたとき、あるいは部隊が
司馬懿に遭遇し麦を諦めた となる
ここで「県軍」
司馬懿が遭遇したのは、その県にやって来ていた部隊のことではないのか?
麦を刈るために来ていた軍だから基地から大した食糧を持ってきていないのは当たり前
これですべての整合性が取れる
魏が奇兵(見えない軍)を出そうとしても周辺に部隊が居たらバレる
なので「今亮縣軍食少,亦行去矣.」
「自分らを見ている県軍は食糧が少ないのでまた行くか去るかする(そしたら奇兵が出せる)
と読む
すげえな
自分に有利な解釈のために語義まで捻じ曲げるのか
ねじ曲げてねーよ
蜀は兵站に難を抱え食糧に乏しい
というイメージが誤訳させているんじゃないか?
先にも言ったが、諸葛亮が兵站切らしたのは李厳の一件だけなのだよ
>>839以下は前にどこかのスレで度遼将軍を「遠くにいる将軍」と言い張った人に通じるものがあるが、
漢文をいいように解釈し、有利な事例を抽出して引用しまくれば、それはどんな結論だって可能になるわな。
だがそれはテスト可能性も反証可能性もない仮説未満のものにすぎない。
せめて「この解釈をすることによって他の疑問と整合がつく」という結論が導き出されなければならないのだが、
独自解釈を重ねに重ねて出る結論は
「数的に相当優勢の魏軍に対し、諸葛亮は度重ねて決戦を挑んだ」というハテナなものにしかならない。
そんなんで他人を説得するのは無理だよ
>當
引用元に「動」とあるんだけど
>分為奇兵,示出其後,
「分けて奇兵を為し、其(諸葛亮軍)の後に出るを示し」
だろ。
「軍を分けて見えない軍を出し、その後司馬懿が出る事を示せばよい 」なら
「分為奇兵,而出其後」
などだ。
>>847 いやだから諸葛亮伝に
「亮毎患糧不継、使己志不申」とあるのを無視するのか?
そもそも,主唱者自身全く考証していない渡邉氏の妄想
(第2次北伐と第3次北伐が一連の作戦であること)
を前提としていいのか?
縣には朝廷とか支配下という意味があるね
「亮縣軍」は諸葛亮の指揮下の軍、だ
「縣軍」で検索すれば、「県の軍」の意味で使われるのが少数例だとわかる
當→当たる→ぶつかる→戦で敵とぶつかるのは敵に勝利するためなのが当然なので
當=「勝利を期してぶつかる」
勝利というのは戦術的に敵を撃破することとイコールみたいなので
當=「撃破する見込みで敵とぶつかる」
>>848 >「数的に相当優勢の魏軍に対し、諸葛亮は度重ねて決戦を挑んだ」
それは第5次のことだろう
>引用元に「動」とあるんだけど
不備だろ 熟語は分解できる
>分為奇兵,示出其後
「その後」と同意の語句があるじゃないか
「而」は語気を強める働きがある
「そしてその後」はくどすぎる
>>849 過去の人間である著者が勝手に判断したものだろう
者陳寿が諸葛亮を理解できる程の軍事の天才でなければ
その戦略を分からなくても不思議はない
陳寿の解釈・考えの部分は特別重視しない
>>850 母軍を前提とした支軍を示す言葉だよ
決着ついたな
>>852 >それは第5次のことだろう
840で自分で引用した部分…
斉王紀注「姜維有重兵而縣軍應恪,投食我麥,非深根之寇也.」
姜維は重兵を有して諸葛恪に応じ、魏領土の糧食に頼っているというところ。
姜維が「投食我麥」するほどの深部に一支隊のみを派遣したのだろうか?
張魯伝注「:「不可.魯已降,留使既未反,衛雖不同,偏攜可攻.縣軍深入,以進必克,退必不免.」
軍を深く前進させれば張衛を克せるという話。全軍か支軍かはこの文では判断できない。
温恢伝「今水生而子孝縣軍,無有遠備.」
今襄陽では水が増えていて曹仁の軍は遠くに備えていない。
曹仁軍は樊城で大水に閉じ込められた。
張コウ伝「コウ知亮縣軍無穀,不能久攻,對曰:「比臣未到,亮已走矣;屈指計亮糧不至十日.」」
張コウは諸葛亮軍に穀がないことを指摘した。果たしてまもなく諸葛亮は全軍を引き上げた。
陳泰伝「誠非輕軍遠入,維之詭謀倉卒所弁.縣軍遠僑,糧穀不繼,是我速進破賊之時也,
所謂疾雷不及掩耳,自然之勢也.トウ水帶其表,維等在其内,今乘高據勢,臨其項領,不戰必走.」
法正伝「左將軍縣軍襲我,兵不滿萬,」
寝返りの言い訳文なので信憑性には欠けるが、法正は劉備の目の前までいって降伏した。
支軍のみを相手にしたのなら、万に近い兵力を持つ法正が降伏する言い訳が立つか?
向朗伝「先主定江南,使朗督シ歸、夷道、巫、夷陵四縣軍民事.」
四県の軍事民事を督した。「縣軍」は熟語ではない。
>>856 付いてないのかもしれないな。
諸葛亮級の軍事の天才じゃなければ君の考えは理解できないのかもしれない。
敗北宣言してもいいかな?
そりゃ低頭な軍事じゃな
「出其後」
馬融伝
「羌胡百里望塵,千里聽聲,今逃匿避回,漏出其後,則必侵寇三輔,為民大害.」
征羌に派遣された馬賢と胡疇が留まって進まないことから、馬融は彼らが敗れようとしていることを察知して、
「羌胡は百里に塵を望み、千里に声を聞く。今逃げ隠れて回避しても、其の後に漏出する、即ち必ず三輔を侵寇し、民に大害を為す。」
楽進伝
「進別征高幹,從北道入上黨,回出其後.」
楽進は別に高幹を征伐した。北道に従って上党に入り、其(高幹)の後ろに回った。
孫晧伝注
「沈瑩領丹楊?卒刀楯五千,號曰青巾兵,前後屡陷堅陳,於是以馳淮南軍,三衝不動.退引亂,薛勝、ショウ班因其亂而乘之,呉軍以次土崩,將帥不能止,張喬又出其後,大敗呉軍于版橋,獲悌、震、瑩等.」
晋軍の張喬が降伏したので慰撫して先に進んだが、のちに後退するときに背後を突かれて大敗した。
晋書宣帝紀
「遂整陣而過.賊見兵出其後,果邀之.帝謂諸將曰:「所以不攻其營,正欲致此,不可失也.」乃縱兵逆?,大破之,三戰皆捷.」
司馬懿は公孫淵軍の砦が堅いのを見て、陣を整えてそこを通り過ぎた。賊は兵の出るその後ろを見て、果たしてこれを邀した。司馬懿はこれを待ち構え、逆撃して大破した
863 :
862:2009/10/26(月) 01:09:58
あ、其の前に、最後に
>縣軍はこういう事だよ
>懸は「隔てる」「かけ離れる」の意
>「離れた軍」ということだ
>当然、母体は余所にある
は納得して訂正・同意する。
諸葛亮の軍は懸け離れているため糧食が少ない、という意味だね。
それなら他の文例にも糧食や遠来の問題が付属するのが理解できる。
>>863 goo辞書
懸軍
〔「懸」は隔たる意〕後方との連絡がないまま、敵地の奥深くに入りこむこと。また、その軍隊。
諸葛亮軍(全体)が本国と連絡切れてたの?
切れてないよね
あり得ないけど、もし切れてたとしたら
魏の奇兵は蜀軍の後ろに出て何をするつもり?(笑)
蜀軍の兵糧が少ない事と魏の奇兵の行動は関係があるんだよね?
矛盾する
常に上から目線の諸葛亮ヲタ、しかし墓穴を掘るのは常習だよな。
一切墓穴なんか掘ってねーよ
墓穴を掘りすぎて掘ったことも忘れた諸葛亮ヲタ。
涙を拭いとけよ。
よく分からんが
諸葛亮が司馬懿に勝っている部分は一つも無いと証明されたようだな
う〜む、ちょうど真逆だな。
当たり前すぎるほど当たり前だが司馬懿ヲタ完敗。
勝者の司馬懿は勝ちなんだよ、諸葛亮ごときは相手にもならんな。
赤子の首をひねるもんだ。
現実の扱いを見ろよ。現代の中国では諸葛亮の圧勝
扱いだけ圧勝(笑)ねぇ
874 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/26(月) 08:27:31
原文ってどこのサイト?
kwsk
燕人虐殺しなければ司馬懿の勝ちで良かったんだがな
現代での扱いも随分違っただろう
こんだけ長文なのに面白くも何ともないんだが
上から目線の割に必死すぎる。無理すんな
また墓穴掘りそうな諸葛亮ヲタ
度遼将軍の人が孔明儲なん?
認定されちゃった時点で負け
結論は
司馬懿>諸葛亮
司馬懿≧諸葛亮
司馬懿=諸葛亮
司馬懿≦諸葛亮
司馬懿<諸葛亮
のどれか。あるいはその複合
つーか1700年前の人間の甲乙なんてどうでもいいけど
じゃあ
司馬懿?諸葛亮
これで
それでいいよ
Aを押す俺>Bを押すそいつ
みたいな感じだし
相手を説得したいなら
簡素で読みやすい構成、文体を心掛け
煽ったり馬鹿にするのにコストを使わないことだ
うむ、諸葛亮ヲタは司馬懿に勝ちたがって必死だしな。
また司馬懿ヲタはファビョってるのか
仕方のない奴らめ(笑)
でもま、考えてみれば可哀想な奴らだよ
司馬懿ヲタが悪いワケじゃない
司馬懿演義である宣帝紀が悪いんだ あれは半分小説だもん
純粋な人たちが虚像を信じて惚れちゃったんだろうな
それで初頭効果がなかなか抜けなくて非を認められないんだな
自分らの理屈が通らない苛立ちと司馬懿愛とが相まって
やり場のない気持ちが司馬懿ヲタをファビョらせる
どうにかなんないか?それ
>>874 http://www.xysa.net/a200/h350/04sanguozhi/t-index.htm >>877 相手による
2ちゃんは無礼講が良いところだがくだらん煽りを入れる奴が嫌いでね
厨をまともに相手するの厭きたんでぞんざいなんだ 悪いね
しかし、こうしてみると司馬懿より張コウのほうが戦術眼上だな
諸葛亮(笑)ヲタは幸せ物だなwww
890 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/27(火) 22:42:33
司馬懿信者もネット右翼?
891 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/28(水) 00:34:32
>>887 >宣帝紀が悪いんだ あれは半分小説
晋書読んだことないんだけど
その説は誰の主張なの?
論文でもあるなら教えて
まぁ陳寿三國志の諸葛亮伝は正しい、陳寿は諸葛亮の生きてた時代と近いから・・・
それに対し晋書の宣帝紀は諸葛亮伝と異なってる。
この宣帝紀は間違ってる。
と言いたいんだろ?諸葛亮(笑)ヲタはよwww
でも評がかなり厳しいんだよね
両者の戦いへの太宗の冷やかな気持ちを感じる
評じゃなくて制か
895 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/28(水) 14:41:09
どっちもスゴーイでFA
>>887は自分が煽りまくりなのに気づかないんだろうかw
諸葛亮ヲタって俺は冷静に見てるみたいな奴多い
あと大勢に反論するためだけに理屈つけてるのも
つかさぁ、このスレを見てると諸葛亮ヲタの必死さがみえるんだよね。
冷静を装って必死さが込み上げてきてる感じ。
そもそも、諸葛亮ヲタは御覧の通り結構いるけど司馬懿好きはあまりいないでしょう。
諸葛亮ヲタvs三国志ヲタってな感じかな。
司馬氏アンチなら結構いるけどな
成り上がり>世襲、創業>守成みたいな妄執に取り付かれてるの
そうだね、オラも司馬懿は好きではない。
だからといって、諸葛亮が司馬懿に勝ってる点は少ない。
結局は、勝ったもん勝ちなんだよね。
諸葛亮ヲタは完全に負けたのに勝ったように言うから被害妄想が激しいんだよ。
最近、司馬懿オタよりも諸葛亮アンチが必死になってる感じがするんだが
中立
司馬懿オタ
司馬懿アンチ
諸葛亮オタ
諸葛亮アンチ
903 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/28(水) 19:25:51
うざい順
諸葛亮アンチ >>>(越えられない壁)>>>>その他
だからな
2ちゃんは、アンチ蜀に振れすぎ、反動で曹操信者が叩かれているので、
とかげの尻尾の司馬懿信者も攻撃にさらされるのは仕方ない
それに、アンチ諸葛亮の他スレへの攻め込み、「無能」だの「アホ」だのの中傷は異常
曹操信者と同レベル
司馬懿信者なんて、ほとんどアンチ諸葛亮だろうし、
「勝ったものが勝ち」しか言えない、こいつらの論理は話し合うだけ無能
どうせ、虐殺したり、他人をよく騙すから、勝手に憧れている社会性のない引きこもり連中だろw
人気ならぶっちぎりで諸葛亮だろ?
呂蒙オタvs関羽オタでも同じことがあったような
度遼将軍厨は北伐スレで晋書読んでなくて大恥かいたから
晋書自体の信憑性を否定する方向にシフトしたようだね
私怨全開でキモい
戦争も政治も結果がすべてだろうに
孔明は「がんばりました」以上の評価はつけられない
晋書が相当胡散臭いのは否定しようがないと思うが…
陳寿の司馬懿伝が読みたかったな
やっぱ
女諸葛亮は甄皇后
女司馬懿は郭皇后
だよな、甄皇后は頭いいし人気があるし
全方位で必死すぎだな
アンカー貼りまくるやつと
>で細切れ反論しまくるのににろくなのはいない
煽りが混じってるとパーフェクトでゴミ。相手にするのが時間の無駄
間違った
>>912ね
全レス中だから聞いておきたい
>>919 そうだよ
まだ度遼将軍とか言ってんの?
あん時は理解力の無さに呆れたよ
思考停止厨には何言っても無駄だと分かった
やっぱりw
やっぱり思考停止厨かw
司馬懿は諸葛亮のライバルとかじゃないんだよね
ただ天下盗った奴の祖父というだけなんだな
明智光秀と武田信玄
光秀が信玄病死の戦いで光秀と戦ったというだけ
その後信長を殺した光秀が秀吉という対抗者なく簡単に天下を手に収めました
という感じ
明智光秀と武田信玄
光秀が信玄病死の戦いで敵として戦ったというだけ
その後信長を殺した光秀が秀吉という対抗者なく簡単に天下を手に収めました
という感じ
926 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/28(水) 21:26:14
次は弐師将軍や捕虜将軍についてご高説をお伺いしたい
ちなみに度遼将軍を何て読んでる?
30分目を離しただけで伸びすぎだろ…
内輪揉めうぜえ
煽りに煽り返すより
理解力のない連中のレベルに合わせた説明をする方が
はるかに有意義だろうにな
やってみたらわかるw
小学生低学年か!と言いたくなるよw
一戦線の司令官風情に勝てなかった全権代理なのか
弱小国の戦下手にびびったチキンなのか
さあどっちだ
諸葛亮を戦下手と思ってるのは無知な奴だぞ
弱小国のチキンにびびった大国のチキンだな
第三次以外戦果ない戦上手
なあ、亀と虎はどっちが強いんだ?
どっちが強い動物なんだ?
亀に決まってる
ちなみに亀はウサギより速い
というのが司馬懿ヲタの論理
司馬懿信者を目の敵にしてる基地外が暴れてるな……
司馬懿ヲタとかどうでもいいんだけどねw
ここで司馬懿の肩を持つ方を便宜上司馬懿ヲタと呼んでいる
何でいきなり荒れてるの?
942 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/28(水) 22:26:47
度遼将軍の件も度遼将軍の人の方が正しかったよ
たぶんね
仮に現在、渡米将軍というのが居るとして
明治時代の歴史を記した資料に渡米将軍というのが出てきて
それに注釈を「渡米とはアメリカに渡ること也。」と知識人が入れると思う?
それくらいおかしなこと
考えられることは、今の渡米と昔の渡米が意味が違うとき
そういう場合なら注釈を入れることは価値がある
で、結局後漢(末)の度遼将軍の定義はなんだったんだっけ?
>>947 度遼将軍の任地(遼東ではない)、守備範囲(中国の東から西まで幅広い)から言って
はるか(遼)遠い地に居る(度)将軍
左(右)度遼将軍確認 よって一人とは限らない
よって常時一人枠とは限らない
>>947 元々は「遼河を渡る」の意味でそっち方面の将軍の名前だった(前漢)
後漢では名前だけが対匈奴の将軍の名称に使われた
鮮于輔の爵位は資料によってバラバラで信憑性に欠けると思うのだがな
953 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/28(水) 23:32:22
厚顔無恥で無知蒙昧な度遼将軍厨が大暴れ
>>949 一見それなりに調べているように見えて全然あさっての方向に解釈してる感じがマニアにはたまらんね
この基地外の反対の意見を言ってる方がまだマシ
>>954 >>946などは全くの正論だと思う。
予め自分で出しておいた結論や声明(この人は度遼将軍の最初の名前の由来を知らずに「遠くにいる将軍」と言ってしまった)
に有利に働く限りにおいては、情報を収集して正しく分析する能力は持っている
>>946 なんで1000年以上前の本を現代の常識で割り切ろうとしてるの?イミフ
>>956 つまり詭弁を使ってるだけの意地っ張りさんということか
>>951 西羌ともやってんだよね
>名前だけ
その可能性もあるが
それだと「度○」という「○○に渡る」という言葉の表現が既になくなっていなければ
注釈の仕方がおかしい
「昔は遼東へ行くことだった。」的な内容になるはず
「遼東へ渡ることだ。」とは言わないだろう
「遼」というのは今も遼河の事と辞書にあるくらい意味の通じる言葉
現在の人間が渡米の意味が分からないというというのと同じくらいありえない
>>956 サイトに書いてあったので意味は調べて知ってたけど働きから判断した
その意味なら渡米将軍じゃなくて度米将軍だろ
米(アメリカ)を度す将軍なのか米(アメリカ)に渡る将軍なのか意味が分からん
日本語で度米とは言わないからね
例えとして分かり難い
度遼将軍はもういいね
諸葛亮と司馬懿にもどそう
965 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/29(木) 00:10:06
>>1の主張は根拠なし
度遼将軍厨は馬鹿
で終わり
966 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/29(木) 00:11:14
それでいいよ
あとは好きな武将でも語り合おう
俺は劉敏
この手の比較スレは本当にいらないな
たまに真っ当な話をする人間がいても、一つ欠点でも挙げるとスレタイに直結して
勝ち負け判定されたと思い込む人が多いみたいからね
多分真っ当だった方もすぐ熱くなってまさに瞬間湯沸かし器並に急速沸騰してしまう
あ、俺は武将としてなら司馬懿、人物としてなら諸葛亮で
荒れないと伸びないってのも悲しいな
某スレで書いたけど
皇帝・曹操
丞相・曹叡
太傅・曹沖
大司馬右・司馬懿
大司馬左・周瑜
大将軍・諸葛亮
の夢の共演
なんで曹沖が親父の傅り役なんだw
まあ相性年齢無視して似合う役職を埋めるなら
皇帝 曹操
太傅 張昭
太尉 諸葛亮
司徒 荀ケ
司空 ケ艾
大将軍 司馬懿
驃騎将軍 馬超
車騎将軍 孫策
衛将軍 夏侯惇
尚書令 荀攸
劉備は無理だ、曹操の下に収まる図が想像できんw
973 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/29(木) 01:23:01
974 :
トイレ:2009/10/29(木) 19:12:06
所轄料のほうが知名度高いから勝ちでいいだろ
じゃあそれで
976 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/30(金) 19:13:05
この両者より圧倒的に好きなのが郭嘉様。
977 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/30(金) 22:39:07
司馬懿が郭嘉に勝っている部分が一つも見当たらない
カクさん最強
郭嘉が他の軍師に勝っている寿命が一人も見当たらない
つ周瑜
じゅんいくさんは尊皇右翼
ていいくさんは人肉大好き
かくかさんは早死に
かくさんは冷酷涼州人
ちんぐんさんは貴族政治のはしり
しょうようさんは薬で喉潰すアホ
りゅうようさんは血だけの男
しばいさんはドMの嫁に頭が上がらない
じゅんゆうさんが最強
郭嘉さんは最強の頭脳だな、短命だけど。
つまりスレの結論は
郭嘉>>>>>>>>>司馬懿、諸葛亮
ということで
このスレは何時からお前のモノになったんだwww
自演って楽しいよね
郭嘉はスレ違い
早く埋めたいけど規制で書き込めねー
うめ
うめ
うめ
うめ
うめ
うめ
うめ
うめ
うめ
うめ
1001 :
1001:
立 新 / ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、 ,r';;r" _ノ と 何
て し L_ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ ,';;/ ) 申 と
ね い //;;/´ `' 、;;;;;;;;,,l;;' /ヽ す 1000
ば ス /.,';/ ヽ;;;;,l;L_ .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;i か を
い レ l |;|┌--‐フ ┌----、、 |;ヾr''‐ヽ, ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;く !! 超
か ッ i |l ~~__´ 、 ``'__''''┘ |;;;;;l rO:、; ´ ィ○ヽ 'i;;;;;厶, え
ん ド l _|. <,,O,> 〉 <,,O,,> |;;;;;| `'''"/ `'''''"´ !;;;;;;;;ヽ た
の を ._ゝ'|. / 、 |; ,' / 、 |;;;;;;;;;;;;;レ、⌒Y⌒ヽ
う 「 | | ( ) .ソ l ,:' _ ヽ .|;;;;;;;//-'ノ
ヽヽ | _,ニ ニ,,,,,_ ', ゞ,' '"'` '" i;;;;;i, `' /
⌒レ'⌒ヽ厂 ̄ `| ,、ィ-‐''__'''‐-`,、 '' .', i、-----.、 `''"i`'''l
人_,、ノL_,iノ! . ', :i゙''''''''''`l' ` _人__人ノ_ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\ ,' ト、,
/ ヽ L__」 「 で 書 Lヽ ヽ〈 i| Vi゙、
ハ ワ {. ヽ. -、、、、 ' ノ き き 了. ゙, ,ヽ===-'゙ ,' , // ヽ
ハ ハ ヽ. ハ ) ん 込 | ',.' ,  ̄ , ' ノ //三国志・戦国板
ハ ハ > /|ヽヽ、___,,,,、 'く み > ヽ.  ̄´ / ,、 ' /
http://ex24.2ch.net/warhis/