まず「田豊が内務官だから軍事に口出すのは越権行為」について、
別駕従事だから内務官であることに間違いはないと思うけど、
同時に曹操討伐に当たっての参謀職を任官してるのだから、
口を出したこと自体はむしろ職務の本分じゃないかな。
だから多分「軍議に呼ばれて無かった」ということもないと思われ、
実際に註にある献帝伝によれば、田豊・沮授と審配・郭図が袁紹の前で議論を戦わせた様子が残されてる。
後は「参謀のしつこい直訴に腹を立てて投獄」が寛容の範疇かについてだけど、
これだけだとなんとも言い難いが、後に斬首までいった辺りからすれば、むしろ狭量な方かなと思う。