【219年】関羽は樊城をどうしたら落とせたか

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1 ◆5IRns6E5pI
219年、蜀の関羽が樊城を攻め、最初干禁の援軍を破るなど優勢だったが、
結局魏・呉の挟み撃ちに合い、関羽は斬首され、旧蜀領の荊州は呉に占領された。

どのようにしたら、この関羽の失敗を防げただろうか?

 ・有能な軍師?(馬良は有能な軍師足り得なかった?)
 ・油断などしない有能な留守居役
 ・樊城の曹仁や援軍の干禁と戦うことが出来、関羽の負担を軽減できる歴戦の武将が配下にあまりいなかった。

なぜ、成都の劉備、諸葛亮らは、楽進が何度も攻撃をしかけてきている過酷な激戦の地「荊州」に、
もっと有能な人材を置かなかったのだろうか?
などを話合っていきましょう。
2無名武将@お腹せっぷく:2008/09/12(金) 16:57:45
ちなみに今GyaOで三国志(全84話)が放映されていて、
http://www.gyao.jp/asia/sangokushi/
第58集「水淹七軍」、第59集「走麦城」を今日見た。関羽が麦城脱出して捕縛されたところで終わった。
ということは次回第60集「曹操之死」(今日午後UP)で、斬首されるのだろう。
3無名武将@お腹せっぷく:2008/09/12(金) 17:12:33
王平を置いとけば良かった、趙雲を補佐にして
4無名武将@お腹せっぷく:2008/09/12(金) 17:32:31
巍英がいれば・・・
5無名武将@お腹せっぷく:2008/09/12(金) 17:43:14
類似スレでの結論

・二正面作戦になる時点で無理
・誰がやっても無理、誰を加えても無理、劉備本人でも無理
・関羽自重汁

でFA
6無名武将@お腹せっぷく:2008/09/12(金) 18:46:55
失敗した結果の内容は話したところで
詰まったら歴史の事実を放り込んでお終い
だからな。

反三国志並のifものとして架空の歴史事項にし
成功への軌跡を語り合うようなスレならば面白い流れにもなると思うが
7無名武将@お腹せっぷく:2008/09/12(金) 18:58:03
>>6
同意。
そのやり方のスレにしても、いいと思うが。
8無名武将@お腹せっぷく:2008/09/12(金) 19:02:09
だとしたらば、ホウ統が存命で諸葛亮が荊州の総括を担当。
攻めのパートは関羽に任せて、後方支援並びに孫呉への融和交渉を任せるという流れでどうだろう?
9無名武将@お腹せっぷく:2008/09/12(金) 19:39:06
>>8
あの鳳雛のおっさんが生きていれば、それもできたよな。
10無名武将@お腹せっぷく:2008/09/12(金) 19:45:30
于禁、ホウ徳を討ち取れども
徐晃には結局、一時的な敗北を喫して引き上げるだろうから
その後の蜀軍、魏軍の入り乱れてのifを考えてみるのも面白いかもな。
11無名武将@お腹せっぷく:2008/09/12(金) 19:54:12
張任とかいう田舎武者にやられるような雑魚が大国魏の大将軍を倒せるわけねえだろ
12無名武将@お腹せっぷく:2008/09/12(金) 19:56:32
嗚呼、こういうのが現われてしまったか・・・
13ひょーりみ ◆e/dIJRgbGM :2008/09/12(金) 21:38:20
ガンキャノンがあればよゆう
14無名武将@お腹せっぷく:2008/09/13(土) 11:03:23
趙累をもっと重用し留守役に置き
趙雲を派遣し関羽を補佐

まあこの二趙で間違いないな
15無名武将@お腹せっぷく:2008/09/13(土) 13:08:27
蜀の二趙
16無名武将@お腹せっぷく:2008/09/13(土) 18:15:19
潘濬は、けっこう優秀な人だったんだね。
王粲から高い評価を受け、劉表に従ってからは江夏などで優れた統治実績をあげている。
しかし、関羽の下になってからは、麋芳・士仁と同じく疎まれていた(こいつらレベルと一緒にするなよ)。
そして、演義と違って、荊州が呉に占領された後も隠遁してなかなか出てこなかった。

孫権自ら説得して家臣になった後は、意外に水を得た魚のように活躍し出す。
夷陵の戦いの時は、蜀に内応しようとした異民族を鎮圧。以降も異民族討伐などで活躍。
外様の身分なのに、孫権の寵臣で、重臣を軟禁にするなど
権勢をほしいままにしていた呂壱を暗殺しようとしたり、
それが失敗すると、孫権を説得し続け、ついに呂壱を処刑に導く。

ああ、このような優秀な人物を活用できなかった関羽に問題があるか。
17無名武将@お腹せっぷく:2008/09/13(土) 18:57:44
はんしゅんか
地味だな
18無名武将@お腹せっぷく:2008/09/13(土) 19:30:31
魏も于禁、ほー徳失うぐらいだから相当な激戦だよね
ちょっとやそっとじゃひっくり返らんよなあ
19無名武将@お腹せっぷく:2008/09/13(土) 20:08:59
徐晃にやられたのもそうだがまだジョウヨウが落ちてない状況、
さらに曹操の本体がスグそこまで来てる。夏侯惇の影響で呉の救援も期待出来ない。
そして蜀と連携はとれず荊州単独で動かざるを得ない状態。

この状況でどうしろってんだよ。誰がやったってムリじゃ。
20無名武将@お腹せっぷく:2008/09/13(土) 20:10:19
というか于禁、曹仁、徐晃と連戦したら勝てるわけもなく。
それでも落城寸前までいっているのだからほとんどベストを尽くしてるのでは?
21無名武将@お腹せっぷく:2008/09/13(土) 20:55:23
不思議なのが、
1.襄陽からは楽進がたびたび国境侵犯
2.215年には、魯粛・呂蒙らが長沙・桂陽・零陵の三郡を襲撃。

これだけ、危険に晒されている荊州に関羽という名将はいるが、他の人材が足りない。
しかし、益州からは援軍という援軍は来ていないのではないかということだ。

関羽配下も、馬良、伊籍、関平、廖化(脱出と長生き能力は高い)、趙累、王甫、潘濬、麋芳、士仁etcくらいでは、
益州より守るのが地形的に難しい荊州を守るのは大変だろう。
馬良は軍師というよりは、夷陵の戦いでも外交官タイプで活躍したし、
潘濬は能力は高いが、関羽と仲が良くなく、演義と違って一官僚であって、荊州の留守居役でもなかったし、
麋芳は、徐州時代に既に劉備の義弟なのに、兄と違ってあまり重用されなかったから、大して能力はないのだろう。

なぜ、劉備、孔明らは荊州にしかるべき応援の人材を置かなかったのだろうか?
22無名武将@お腹せっぷく:2008/09/13(土) 21:00:43
まあ、黄忠、馬超、呉懿(新しい劉備の義兄)なんかを応援に遣わしたら、関羽と揉めるかもw
23無名武将@お腹せっぷく:2008/09/13(土) 21:00:56
>>20
だからよ。洪水もあいまって関羽は完璧以上の戦果をあげてんのにこれ以上何を期待しろと
24無名武将@お腹せっぷく:2008/09/13(土) 21:05:37
関羽を疎んでた孔明が、関羽が孤立するような布陣にしたって、なんかで読んだ。なんか納得出来たわ
25無名武将@お腹せっぷく:2008/09/13(土) 21:28:33
>>21
元々関羽は入蜀の国盗りには反対で、
既に215年時点で劉備と関羽の中は冷え込んでいた。
置かなかったのではなく置けなかった。

とか。
26無名武将@お腹せっぷく:2008/09/13(土) 21:31:15
>>25の仮定ならば北上はただの独断専行で
呉から蜀に主替えをやり劉備に不義を奨めたホウ統を荊州に置いても
関羽をコントロール出来た可能性は低い。
27無名武将@お腹せっぷく:2008/09/13(土) 21:31:19
でもわざわざ大事な領土失う事になるようなことするかね孔明が。
28無名武将@お腹せっぷく:2008/09/13(土) 21:56:14
>>27
元々孔明にそんな権限はなかったらしい。
独裁体制が整ったのはパートナーでありライバルである李厳を粛清してからだったようだし。
29無名武将@お腹せっぷく:2008/09/13(土) 21:57:46
そもそも漢水の対岸にあり天然の水堀とできる樊城ではなく、
手前の襄陽城を落とせてない時点でな…

>>21
演義やゲームでの扱いが悪いってだけで、それらの人材も優秀だったんだろ。
潘濬なんか荊州の内政を一任される程の重用振りだ。
馬超の登用や黄忠の昇格の際、わざわざ関羽のご機嫌を伺う程だから、
劉備陣営にあって関羽の存在は正に別格。
ただ別格であるが故に他との衝突が多く、大きかったって話だ。
間に入って調整できるのは劉備ぐらいなもんだが、当然ながらそんな訳にもいかず、
かと言って最重要拠点である荊州から動かそうとすれば別格故に新しい火種となるだけ。
結局は関羽一個人の問題だと思う。
30無名武将@お腹せっぷく:2008/09/13(土) 22:02:16
落としても使えるのかという疑問が沸沸と……
31無名武将@お腹せっぷく:2008/09/13(土) 22:49:28
劉備の関羽切りだろ。
既に神扱いだった関羽を疎ましくなった劉備の愚策だよ。
32無名武将@お腹せっぷく:2008/09/13(土) 22:58:46
>>29
>手前の襄陽城を落とせてない時点でな…
まあな。うるさい楽進は前の年218年に死んでいるから、後任が優秀だったか、
関羽の襄陽城攻略の別働隊を率いた武将がヘボだったかだな。

演義では、208年の周喩との荊州争奪戦で劉備が襄陽を占領しているが、
219年の関羽の北上戦でまた同じく占領している。
208年に一度占領してから、ずっと統治していたんでは?w
まあ、これは演義や吉川三国志によくあるミスで、フィクションだし置いておこうw
33無名武将@お腹せっぷく:2008/09/13(土) 23:57:21
関羽は元より豪傑肌だからな。
当代屈指の1流豪傑であっても、戦術戦略面で幅広い視野を要求される
司令官の職はさぞキツかったに違いない。
将帥としては明らかに欠陥があったよ。

時には緩やかな態度で敵国との交渉に臨み後顧の憂いをたつようなことも
司令官クラスの人間には要求されることだと思う。
蜀には、というよりあの時代にその手の名将はいたかどうかさえ不明だけどね。
関羽は指令を受けて、最前線で豪烈無比な武威を振るってもらってる時が
最も輝いてるように見えたなあ。
34無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 00:09:01
馬超手に入れて関羽いらなくなったが正解
35無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 06:58:18
戦術には長けてたのだろうけど、戦略で疎かったんだろうね。
戦略をカバーできる人材がいたとしても関羽は話きかなかったろうが。
聞かなかったからこその荊州失陥だしね。
36無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 07:27:46
荊州に関羽を置いたのが間違いか趙雲置くとすると関羽をどう扱うか
しかし関羽だから荊州で睨み効かせたってのもあるしすんげえ難しいな
今も昔も人間関係のめんどくささは変わんねえ
37無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 08:27:20
都督として趙雲置く選択肢はないと思うんだが。
許?を都督して地方司令官させるのとほぼ同義だぞ・・・。
38無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 08:32:34
>>37
じゃあ誰にする?
39無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 10:56:48
魏延でFA
40無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 11:11:30
関羽しかいなかった(じゃなきゃ劉備が直轄統治)
その関羽がこけてしまったことからそこが劉備軍の限界だっただけ。
41無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 11:19:04
諸葛亮なら防御面は担当できたんじゃね?
ホウ統だろ、この人がいれば諸葛亮も荊州に留まれた。
42無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 11:21:23
逆にホウ統を荊州に留めてみたい
43無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 11:47:33
ホウ統も押して引くことも知ってる人だしな
荊州の防御面にも使えたかも
44無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 12:41:31
ホウ統は呉の事情も詳しくコネもあるから関羽にやらせるよりは上手くいくだろう
45無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 13:35:22
ホウ統は入蜀計画の参謀だし、それはない。
しかも魯粛の紹介だしスパイ疑惑あり。
46無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 15:03:19
なら法正ならどうだ?
法正は劉備のお気に入りだったし。
 
諸葛亮曰わく
劉帝亡き後、私では関将軍を扱う事が出来ませんので殺してしまいましょう。
47無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 15:15:29
法正は売国奴だし、それは(ry

関羽をかろうじてコントロール出来るのは劉備以外には諸葛亮だけだろう。
ゲームだと同一勢力に見えるけど、
実態は劉備と関羽の連合政権みたいな指揮系統だったはず。
48無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 16:32:36
なら問題無い。
法正を寵愛する劉備んトコに置いて諸葛亮を荊州に回せばいい。
逆に関羽を外すにしても法正が居たら主将を誰にしても何とかなる。
49無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 16:41:16
じゃあジョジョならどうよ?
あのまま古参として残れたら関羽とて頭が上がらない相手になってたんじゃね?
50無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 17:08:42
いっそのこと諸葛亮が暗殺でもした方がはるかに手っ取り早いだろう。
呉が合肥、江陵の両面作戦をやるならともかく
挙国一致で荊州に向かってくる状況はどうしようもない。
51無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 17:36:24
トンデモ設定に走りすぐる
52無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 17:45:36
>>47
根拠は?
53無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 18:25:13
>>52
仮節鉞
成都−南郡間の距離
54無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 18:49:15
関羽は豪傑なんだよ・・・
それもとびきりのな。
司令官まがいの職なんか与えやがって
55無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 21:13:31
魏や呉に比べれば、蜀の司令官タイプ(あくまでタイプ)の武将の少なさよ。

呉なんて
周喩
魯粛
呂蒙・・・猛勉強して成長。
陸孫
陸抗・・・2世であり親の負の財産があったが、親と同じく立派に務めた。
徐盛・・・緊急事態発生で周りに人材がいなく、志願したのでやらせてみたら大勝利。

呉は少なくとも、こんなにいるのに。
まあ通常は守るのが専門で、
中原あたりまで攻略する能力があったかは疑問だが。
56無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 21:51:07
むしろ関羽ジャマだったかもしれん
57無名武将@お腹せっぷく:2008/09/14(日) 22:45:40
>>56
その線が臭いな
58無名武将@お腹せっぷく:2008/09/15(月) 01:52:26
んなわけないだろ
59無名武将@お腹せっぷく:2008/09/15(月) 09:36:07
全土統治したなら関羽邪魔かもしれんが、戦時下に邪魔はないだろ
60無名武将@お腹せっぷく:2008/09/15(月) 11:56:36
>>56-57
馬鹿の感想ってのはこんなもんか。
61無名武将@お腹せっぷく:2008/09/15(月) 12:05:48
関羽は攻めなら当代1流レベルだからな
まあ、荊州のように呉との外交もきっちりこなさないといけない部分の
ような場所は苦手だったんだろう
62無名武将@お腹せっぷく:2008/09/15(月) 12:49:02
少なくとも、守勢にはむいてないな
更に外交にも
案外、張飛の方が名士の言うことは尊重するから上手くいったかもしれない
63無名武将@お腹せっぷく:2008/09/15(月) 13:12:17
平時に部下に反乱起こされてる張飛のが向いてるとか無いわ
64無名武将@お腹せっぷく:2008/09/15(月) 13:13:51
関張は劉備の下が一番だろう。
65無名武将@お腹せっぷく:2008/09/15(月) 14:31:09
どっちにしろあの状況で荊州に置く様な人材じゃない

言う事きかねーし暴走するし
いくら強くてもしょーがねー
66無名武将@お腹せっぷく:2008/09/15(月) 14:41:11
ただ強いだけで勝てるなら呂布だって曹操にあんなあっさり負けなかったろうし
楚漢の項羽だって劉邦に負けなかった

呂布よりは関羽の方が融通が利くのかもしれないがどっちにしろ項羽に出来なかったものを関羽が出来るはずがない
「ただ強いだけ」だったのが司令官としての関羽の限界
67無名武将@お腹せっぷく:2008/09/15(月) 15:16:22
吉本の乱、侯音の乱、魏諷の乱が関羽北上と連動してれば何とかなったかもな。
68無名武将@お腹せっぷく:2008/09/15(月) 15:23:16
呂蒙だけでなく孫権自ら出張るほどの挙国一致状態だし劉備本人も後詰に行かなきゃ不可能。
しかし、劉備は漢中戦でようやく一息つける状況になったとこというのが痛い。
その後大きな動員を掛けたのが222年と3年も置いてるほどだし。
69無名武将@お腹せっぷく:2008/09/15(月) 15:54:47
仮に孫権が味方した仮定でも夏侯惇の二十六軍がジャマ臭くてうごけんだろうしな
70無名武将@お腹せっぷく:2008/09/15(月) 17:08:38
まず状況をまるで把握していないからな
孟達が動けるわけないのに、援軍要請して後の災いを招いている
一方面の指揮官としての資質があるのは諸葛亮ぐらい
その時、任命するのに適切かどうかはおいてといて
71無名武将@お腹せっぷく:2008/09/15(月) 17:19:41
まあ、あの時代には誰があのポジションに居ても無理だったのかもな。
関羽以上に攻めの強い武将も恐らくあの時代にはおらんだろうし。
72無名武将@お腹せっぷく:2008/09/15(月) 17:39:46
もう水軍を周喩、陸軍を曹操が指揮するくらいのトンデモ設定でなければ不可能
後方はジュンイク
73無名武将@お腹せっぷく:2008/09/15(月) 18:15:53
ここで中国人の見解↓
74無名武将@お腹せっぷく:2008/09/15(月) 18:42:47
神になった関帝の神髭で中国全土を一掃
75無名武将@お腹せっぷく:2008/09/15(月) 18:43:43
コスタリカ、金の力で台湾からこちらの味方に引き込んだアルよ。
蜀もマネーの力で何とかしなさいアルよ。
76無名武将@お腹せっぷく:2008/09/15(月) 18:46:03

ラーメンマンw
77無名武将@お腹せっぷく:2008/09/15(月) 18:49:26
関羽や曹操も無理やり日本語話させたら
アグネスチャンみたいなしゃべりかたになったのかなw
78無名武将@お腹せっぷく:2008/09/15(月) 18:51:35
日本語は大陸の人にも結構難しいらしいな
「っ」などのイントネーションは珍しいそうな
79無名武将@お腹せっぷく:2008/09/15(月) 19:01:29
今度芥川賞取ったヤンイーさんも、御茶ノ水大学卒、日本語学校で勉強、20数年日本に滞在。
日本語学校講師。なのにも関わらず、あのたどたどしい日本語だもんな。おまけに記者会見、途中で北京語で話すのに切り替えたしw

他にも、中国人なのに親鸞の教えに共鳴して、日本に来日して親鸞を研究して20数年の女性(大学講師)がいるけど、
日本語ひどかった。歎異抄を勉強しても、日本語力とは関係ないのかw
80無名武将@お腹せっぷく:2008/09/15(月) 21:51:54
あげ
81無名武将@お腹せっぷく:2008/09/16(火) 03:39:02
一つだけ可能性があるとすれば、魯粛が生きていて関羽と連携
してくれること、ぐらいかなあ。

実際、赤壁から蜀取りまでって魯粛のサポートがなかったら、
どこかでコケてた可能性が考えられるからね。そういう意味では
三分の計の真の演出者とも言えるぐらい重要な人物。

ただし魯粛の場合も、赤壁前に荊州がゴタゴタしているようなら
取ってしまいましょう、と進言してたり、蜀を取った後、劉備達
と抗争してることから無条件に親劉備って訳でもない。

魯粛を敵に回さないことが絶対条件になるけど、結局ループに
なるのか・・・。いや、呉とのパイプがある龐統が生きており、
魯粛との交渉に当たってくれたら何とかなるかも。

最低でもこの二人が生きてないとどうあがいても無理そうね。
82無名武将@お腹せっぷく:2008/09/16(火) 13:35:02
対呉同盟の帰趨でとなる
蜀漢にも可能性自体は呉よりある。
だから外戚のポジションをくれてやるくらいじゃなきゃ無理だろう。
孫権、馬超を逆に娘婿にするくらいじゃなきゃな。
83無名武将@お腹せっぷく:2008/09/16(火) 22:08:01
ホウ統がいなくなってもまだ魯粛=諸葛亮ラインがあるけど
魯粛いなくなったら呉側の交渉の受け皿がないしな


つか、魯粛路線を受け継ぐヤツはいなかったのだろうか
84無名武将@お腹せっぷく:2008/09/16(火) 22:10:11
>>83
呂蒙は魯粛路線を受け継いで関羽に対し下手に出てたよ
85無名武将@お腹せっぷく:2008/09/16(火) 22:36:10
蜀との同盟を無碍に出来なかったのは呉も同じ事だしな
86無名武将@お腹せっぷく:2008/09/16(火) 23:23:00
そもそも蜀がどうのじゃなくて呉に期待する時点で限界が見えてる
87無名武将@お腹せっぷく:2008/09/17(水) 02:35:42
孫権を暗殺しちゃえばおk
88無名武将@お腹せっぷく:2008/09/17(水) 13:25:59
本来関羽雲長は、魏軍の中で曹操孟徳を玉座に抱き、魏の猛将達と共に覇王軍たる進軍しながら中華統一する。
そういう誉れ栄光の武だったはずだ。

大半を劉備の逃避行に付き合い、棚ぼた荊州を統治任され、囮進軍の役目させられ、孫権に背後つかれて捕縛され処刑された一生になんの価値があるのか。
武神になるだけなら呂布と本質は変わらない。

人の運命は皮肉なもんだな…。
89無名武将@お腹せっぷく:2008/09/17(水) 13:26:41
>>77
この時代の中国ってたしか「っ」て音も濁音もあるからああはならないよ。
日本語は覚えればかなりうまくなると思う。
90無名武将@お腹せっぷく:2008/09/17(水) 13:28:52
>>88
奴は商取引の神であって武神じゃない。
91無名武将@お腹せっぷく:2008/09/17(水) 16:43:22
いや当時は武神として崇められてたと思う。商売の神として崇められたのは華僑が台頭してきてから。(そろばんも関係してるかも)
92無名武将@お腹せっぷく:2008/09/17(水) 16:49:37
>>90
無知乙
93無名武将@お腹せっぷく:2008/09/17(水) 18:38:04
>>88
それが関羽という漢の魅力だろうが。
弱小と知りつつも劉備に尽くし、忠義一徹の人生を歩んだ。
強いだけの獣なら後世で慕われもせず神ともならなかったはず。
94無名武将@お腹せっぷく:2008/09/17(水) 19:28:40
強いだけの獣

確かに呂布はそれしかなかったな。
95無名武将@お腹せっぷく:2008/09/17(水) 21:20:19
というか、本当に逃避行に付き従って落ち目を目の当たりにしても決して見捨てなかった張飛の方が忠義の士なんだがな。
関羽なんて一番キツい時期は曹操のところで間接的に劉備の足を引っ張ってただけだし。
96無名武将@お腹せっぷく:2008/09/17(水) 21:34:19
関羽は別動隊率いてばっかで危険な目にあってたからしょーがねーべ
張飛は呂布に本拠地乗っ取られた失敗が響いたかそんなに単独での任用が無かったからな
97無名武将@お腹せっぷく:2008/09/17(水) 23:35:01
違うな、間違っているぞ。
呉にこの当時意気のいい武将が多すぎた。
関羽もこれじゃあ仕方ない。
98無名武将@お腹せっぷく:2008/09/17(水) 23:37:06
そうは言っても関羽の隙を突いただけだったけどな
99無名武将@お腹せっぷく:2008/09/17(水) 23:46:58
>>96
再び劉備に仕える為、もしくは生き延びるための繋ぎとして曹操に仕える
これは二心をもって君主に仕えることになり侠としては最も恥ずべき行為

関羽は予譲には勝てなかったね
100無名武将@お腹せっぷく:2008/09/17(水) 23:52:32
>>98みたいな奴ほど関羽を貶めてるわけで
101無名武将@お腹せっぷく:2008/09/17(水) 23:58:42
>>96
関羽が劉備の足を引っ張ってた事実も変わらないし、張飛が劉備を見捨てなかったのも覆らないぞ。
102無名武将@お腹せっぷく:2008/09/17(水) 23:59:40
よく侠、侠っていうけど本当に関羽は侠だったの?根拠は?
103無名武将@お腹せっぷく:2008/09/18(木) 00:08:09
>>102
侠客でないなら単に士としてもいいぞ

侠っちゅーのは厳密に言えば戦国から漢の始めまでいた法に馴染まない集団の事だな
「信義に忠実で筋を通し、人の道に背かない」というのが基本理念やな。

三国時代で言われてる侠ってのはいわゆる侠の精神、まあ思想のようなものだよ。
104無名武将@お腹せっぷく:2008/09/18(木) 00:08:54
>>102
一度、この人の決めたからには生涯を尽くした。
関羽だけではないが、こういう生き方が出来る人はあまりいない。
当然現在にも。
そして、台湾や中国ではその筋の人々からも侠の男として、神として崇められている。
105無名武将@お腹せっぷく:2008/09/18(木) 00:10:10
>>104
それ、一時期とはいえ曹操に降伏した関羽よりも諸葛亮に当てはまるね
106無名武将@お腹せっぷく:2008/09/18(木) 00:12:20
>>105
諸葛亮の忠義は今更でしょ。
だからこそ敢えての張飛。
107無名武将@お腹せっぷく:2008/09/18(木) 00:13:46
むしろ張飛こそ讃えられてしかるべき
108無名武将@お腹せっぷく:2008/09/18(木) 00:15:02
じゃあなんで諸葛亮は侠って言われないんだ?
109無名武将@お腹せっぷく:2008/09/18(木) 00:17:51
なぜ張飛が讃えられないのか…、死にざまがあまりに微妙なせいか
110無名武将@お腹せっぷく:2008/09/18(木) 00:18:02
>>108
士大夫層の出身だからじゃね?
111無名武将@お腹せっぷく:2008/09/18(木) 00:26:46
張飛は主役にこそなれなかったが、最近の中国のアンケートじゃ人気No.1なんだよな。
112無名武将@お腹せっぷく:2008/09/18(木) 00:26:58
>>109
四川の重慶では毎年張飛の生誕祭もあるそうな。
ご生誕1843年とか、とにかくスケールの凄いこと言ってるw
113無名武将@お腹せっぷく:2008/09/18(木) 01:07:17
その法則で行くと惇兄とか侠の鏡だろ
114無名武将@お腹せっぷく:2008/09/18(木) 01:09:33
キョチョだろ
115無名武将@お腹せっぷく:2008/09/18(木) 11:52:59
★奈良市 清掃職員の年収1100万円 自動車運転手も900万円超

・奈良市環境清美部の清掃職員の最高年収額が約1100万円であることが17日、
 奈良市議会の決算特別委員会で明らかになった。
 http://www.naranichi.co.jp/20080918ne2505.html


※これらの高額な給料を公務員に払うために消費税アップします


コピペ推奨
116無名武将@お腹せっぷく:2008/09/18(木) 13:37:36
一番劉備と長く連れ添った簡雍の名前が出ないのは何故だ?
117無名武将@お腹せっぷく:2008/09/18(木) 22:33:58
彼は性格悪いから。
118無名武将@お腹せっぷく:2008/09/18(木) 23:37:06
>>110
光武帝はバリバリ宗族で豪族で太学出のエリートなのに後世の英雄に侠と呼ばれたが。
兄も侠だけどな。
119無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 00:29:36
曖昧な境界だな
120無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 00:30:25
諸葛亮も侠と呼ばれても一向に構わんだったわけだな
121無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 00:42:18
こういのはニュアンスの問題らしい
侠ってのはもっと貧乏臭くてドロ臭い系統の奴等なんだよ
122無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 00:43:31
ちょっとくずれた感じだな
ヤクザ系統?
123無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 02:12:01
まぁ暴れん坊将軍のめ組ってのがわかり易い。
124無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 13:47:48
孔明は、死後すぐに住民から慕われて神にされている唯一の人物。
髭は祟り神がもともと
本題に入ると、本来は魏延辺りが適任だったんだろうけど現実的ではないな
125無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 14:19:47
本来は孔明が適任だろう。
126無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 16:38:22
つうか、元々関羽と孔明でやるつもりだったじゃん。

127無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 18:35:18
曹仁、于禁、ホウ徳に完勝したまでは見事だったな。
128無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 19:47:31
やっぱキーマンはほう統か
129無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 20:40:19
そう
ホウ統が死んだのが痛かった。
130無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 21:47:46
まずもう関羽が総代将だから無理
仮に配下に中国史上の名だたる戦略家が勢揃いしても無理

言うこと聞かないで突っ走る
131無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 21:54:52
総代www
132無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 22:05:00
なぜ関羽は、樊城攻めという重要な戦いの時に、
対呉の重要拠点の江陵に麋芳、公安に士仁という愚か者を置いたのだろうか?
もっと他に人材はいなかったのか?

麋芳は徐州時代、外戚なのに兄と違い重用されていないから、能力は低いと思われる。
また、劉備が関羽の仇討ちとして呉に攻め込んできた時、恐怖にかられた麋芳・士仁は、
「(麋芳が)が外戚だから大丈夫」として、呉の馬忠の首を取って、
蜀軍に再寝返りして逆に劉備を怒らせ、処刑されてしまう。

「外戚だから」って、妹の麋夫人が亡くなってもう何年も経つし、
その時の外戚は、とっくに呉懿一族なのにね。こんな見込みが甘い2人は、
やはり武将としての能力は低いとしか言いようがない。

なんで、こんな2人に重要拠点の守将を任せたかね、関羽は?
133無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 22:06:49
少なくとも、もっとましな守将を置いておけば、益州からの援軍が来るまでの
時間稼ぎにはなっていたろうに。
134無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 22:11:49
宿将とも言える麋芳を置くのは間違いではない
むしろ関羽の扱いが悪かっただけ
135無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 22:21:48
確かに、関羽の麋芳たちへの扱いはひどかった。あれは改善してほしかった。
しかし、麋芳って宿将と言っても、仕えた経歴だけが長いだけの無能な武将だぜ。
仕官歴が長いだけで、重要防衛拠点は任せられない。
俺は、公安に陳到、江陵に王平ぐらい置いておくべきだったと考える。
136無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 22:32:13
>>37 遅レスになるが
許チョは曹操が死ぬまで仕えて武衛中郎将止まりと、曹操専属の護衛一筋で間違いないけど、
趙雲は赤壁前後あたりから既に将軍号を授かり、入蜀の頃には別働隊として一軍を率いるなど、
かなり役割が違う(というか途中から変わった)と思います。

そもそも劉備軍の場合関羽・張飛からして元々は劉備の護衛からスタートしてるわけで、
むしろ「魏で言えば許チョを都督として前線指揮官をやらせなきゃいかん程の台所事情」と捉えた方が近いかも。
137無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 22:34:22
関羽は、北の徐晃からの追撃は殿軍でしのぎながら、蜀の荊州内に撤収。
南の呉の呂蒙らの攻撃は、陳到、王平らが防ぎつつ、
成都からの援軍、
上庸からの援軍(成都からの催促で且つこういう状況だったら、孟達らも断れないだろう)
とで防ぐ。これしかないと思うが?
138無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 22:43:00
中英板にあった

もし関羽以外の者が荊州を守っていたら?
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1189212296/

のクオリティーと比較すると目もあてられんな・・・
139無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 22:50:15
>>138
過去ログなんで見れねー
そんなら、お前が自説述べたら?
140無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 22:54:16
>>139
だからそのスレに凝縮されてるってw
141無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 23:06:23
>>140
俺は、そのスレが過去ログになっているから見れないと言っているのだが?W
だから貴殿の自説を賜りたい!
142無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 23:11:11
読めないから掻い摘んで書く

・襄樊までが推定3万の関羽軍の攻撃限界だった
・援軍は見込めなかった
・襄樊を仮に落としても、夏侯惇二十六軍という于禁七軍とは桁違いの大軍団相手に勝ち目がない
・夏侯惇二十六軍のほかに豫州エン州などから地方軍、さらに長安から引き上げた曹操本軍の一部がいた

・関羽は忠実に劉備の指令を守っただけ
・関羽の意思で侵攻が始まったわけではない
・関羽が半独立的君主という事実は一切ない
・関羽にある特権は仮節鉞・督荊州という劉備不在の荊州の軍事責任者というだけ

・後知恵でよければ、曹操と呂蒙が死ぬのを待てば新しいIFが始まったかもしれない
143無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 23:11:55
>>142
自己レス修正

×読めないから掻い摘んで書く
○読めないなら
144無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 23:25:35
>>135
>>仕えた経歴だけが長いだけの
キャリア、というのはかなり重要。特に補給のような任務に当たっては。
馬ショクがどうなったかわかるしょ?それに曹操ですら若い頃は徐栄に新兵だけで突っ込んでボロ負けしてる。
例えパッとしなくてもノウハウを持っている人間を後方の問題を管理するって言うのは采配としてはテッパンだよ。
現場の才能となるとセンスある奴しかできないけどね。まあそれも経験は重要だけど。
145無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 23:27:03
>>142
おお、サンクス。やればできるじゃん!
しかし、スレのまとめではなく、貴殿のご高説も聞きたいねえ。
でなければ虎(スレ)の威を借るなんとやらになってしまうのは忍びないので・・・

また、関羽は樊城を落として、更に北上しようとした訳ではないだろ?
あくまで先制攻撃で魏呉の目論見を打破しろという成都からの指令だろ?
146無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 23:29:17
>>145の態度はデカ過ぎて吹く。
乞食の分際でなにをエラそうにw
147無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 23:33:07
>>144
補給だけならいいが、対呉の監視&防御拠点の守将も兼ねているから、
それが十分果たせないと難しい。
148無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 23:34:35
>>145

いや・・・そのスレにヘボ論客として一応参加したわけで・・・
一応結論がほぼまとまったものを再度繰り返すのは非常に面倒くさい。

そのスレでは襄樊は漢水を利用した防衛ラインの確立と、
南鄭と荊州を繋ぐ連絡路の確保を主目的とした防衛的侵攻という流れ。
もっとマクロ視点にたつと、漢中←→関中のルートは確保したから
襄樊←→南陽ルートを確保しにいった「次の段階」への準備侵攻。

ただし、劉備がそれくらいでいいだろうと思っても曹操は襄樊を失うことを不可とした。
そのため魏の総力戦に近いものになってしまい、たかが3万しかなかった関羽には成す術がなかった。
149無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 23:34:54
>>146
王忠乙w
150無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 23:37:26
夏侯惇二十六軍という于禁七軍とは桁違いの大軍団

しかし、夏侯惇が指揮してるんじゃ役に立つかどうか微妙だな。
正史評価なら明らかに于禁の方が大物。
151無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 23:41:53
>>150
あー

まったく同じことを言う人がいたよ。

で、単純に4倍近い大軍の将が小物だから関羽に勝機があるのかね?
とても精鋭とはいえない急造の徐コウ軍団に破れた関羽が?
ちなみに張遼もその指揮下だ。
152無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 23:42:04
>>148
マジで素晴らしい。
それにスレ内で結論がまとまったというのも素晴らしい。
誰か、うまくリードするやつがいたのかな。
皮肉抜きに、賞賛するよ。その中英板のスレは素晴らしい。
ここは、まあお気楽なスレですよ。
ていうか「中英板」と「三・戦板」を比較するのも酷じゃない?W
153無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 23:43:32
>>150
正史の夏侯惇は夏侯氏のブランド名で
曹操から重用されてるようにしか見えんしな。
外様な張遼や張コウの比べても酷く見劣りする。
154無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 23:44:52
>>151
もしもの話で「絶対」などあるのかね?
155無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 23:49:12
孟達軍の動きを議論した結果そうなった。

確かに主力は関羽軍だが、孟達軍も目的達成のための鼎であって、
関羽軍が孟達が達成したものを支援・完成させるという面もあった。

156無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 23:49:28
大軍を持ってすれば勝てる。
ってのもショボイ見方だなあ。
157無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 23:51:16
だから、それは別にして

ジョコウを破れなかった関羽がなぜ凡将の大軍を破れるようになるんだよw

それはあんたの個人的な願望という主観にしかすぎない。
158無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 23:51:31
>>147
なら逆に聞くけど漢中で手一杯の劉備にそれだけの人材と軍勢を荊州に回す余裕がある?
漢中も予断を許さない状況だし連携をとるには離れすぎてる。
>>150
周り敵だらけのエン州守って戦い続けた夏侯惇だぞ?それだけの兵力差を覆されるとは考えにくい。
それに呉の牽制の役目も果たしてたし軍の統括という意味では関羽よりは有能だよ。現場を当たらせるなら張遼とかいるしな。
159無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 23:53:49
誰も彼も見事な個人のワガママだな。
無双モード関羽伝だと思って話せよ。
いい加減、IF話で絶対の真実みたいな見苦しい事を抜かすような
不毛な流れは飽きました。
160無名武将@お腹せっぷく:2008/09/19(金) 23:59:26
夏侯惇の部下で有能といえば韓浩だが彼はこの時どこにいたっけ?
161無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 00:02:52
>>159
【219年】関羽は樊城をどうしたら落とせたか


もう、このスレタイがなあ・・・
どうやったら、落せるか?という流れに
「絶対落させねェ!」という熱狂的な魏ヲタが全力ブロック。
本筋を完全に置き去りにしてしまい、類似の単なる関羽の欠点叩きスレに。
関羽信者、魏ヲタが本格的に対抗し始めると褒める、貶すのループになるだけだな。
まあ、残念ながらこの流れは既に伝統です。
162無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 00:04:32
留守守ってる時もキッチリ務めを果たしてるから人纏めるのは上手かったんだろうね。
163無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 00:05:20
>>160
曹操直下
164無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 00:14:24
>>161
別に関羽が華々しく活躍してあわよくば魏を滅ぼすなんてのもいいんだけどさ、
IFを使おうにもいかんせん孤立してるからいかんとも
165無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 00:19:16
>>148
魏は総力を荊州に集結させた状態だったわけで、劉備が本気で荊州を捨て関羽の仇も気にせずに関中に集中したら魏は案外やばかったんじゃないかと思わないでもない
166無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 00:22:16
>>165

結論ではないが、話では漢中に釘付けされていたのはむしろ劉備のほうという話。

くわしくは【劉備】 漢中争奪戦 【曹操】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1168319445/
167無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 00:24:09
>>165
関中から中央に行くのはエラク時間食うけどな。大軍ならなおさら。
正直荊州に釘付けになってる間に裏を突くってのは難しいと思うんだよな。全くのからっぽではないし。

だからやっぱ荊州で勝たなきゃダメだよ。
168無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 00:29:54
>>164
曹仁、于禁、ホウ徳を打ち破り、徐晃に一敗地まみえたが陣地へ交代。
後方は諸葛亮が抑えてるので安心。

ここらへんからの流れにしてスタートでもいいんでね?
史実を絶対の流れとして持ってく方に腐心している気がする。
169無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 00:33:15
>>166
確かその時期劉備は漢中整備にかかりきりだったって話だっけ。
曹操が住民を中央に強制移住させて総退却した結果、
もぬけのからで補給基地にも出来ない状況だったか。
170無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 00:36:54
>>168
徐晃に勝った設定か

でも諸葛亮荊州に持ってきちゃったら蜀はどうする?
荊州と漢中にわかれて戦えたのは彼の事務処理能力が屋台骨だぞ。
誰を蜀に置くべきか。
171無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 00:46:34
>>170
そういう流れでいいかもね。
もう、関羽の史実考証を重点に置いた
荊州戦談義は分厚い本が出来るくらい交わしたと思う。
172無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 00:47:13
>>170
やっぱほどなくして曹操死ぬの?
173無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 06:59:28
>>158
>なら逆に聞くけど漢中で手一杯の劉備にそれだけの人材と軍勢を荊州に回す余裕がある?
>漢中も予断を許さない状況だし連携をとるには離れすぎてる。
それでも劉備の命令で、関羽は北上したのだから作戦を成功させるためには、
劉備がフォローしなくてはならないだろう?でなきゃ、登って梯子をおろされた形になるぞ。
主君として、また国益を考えるとそんなことはできない。
だから余裕がなくても、人材は回さざるを得ない。ここが劉備軍のしのぎどころだから。
それが出来なきゃ、最初から北上させるなということになる。
174無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 07:04:41
>>159
ついに出たあ〜www
自分は何も意見は言えないくせに、高見に立ったところから批判して
自己満足する中身の薄っぺらいやつw 哀れだな。
人の批判だけは得意だけど、自分の意見は言えない。
175無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 07:11:11
同じ穴に居る奴が何を言う
176無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 10:38:26
>>174
その手の突っ込みも同義だと思うが?
177無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 11:10:30
>>175>>176も、お前ら読解力と想像力がないではないか。
俺は、既に何レスも自分の意見を書き込んでいるのだが?なんで
>人の批判だけは得意だけど、自分の意見は言えない。
とか勝手に同義と決めつけるその神経が分からない。
>>174が何も意見は言わないって、どうやって判断できたのかいw
お前らは>>159に似ているよ。ああ、それとも自演?
178無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 11:14:16
>>175
>同じ穴に居る奴が何を言う
これ、なんていう日本語?(苦笑)
179無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 11:30:07
すぐに自演と言う
180無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 12:18:31
>>159
>誰も彼も見事な個人のワガママだな。
みんなそれぞれ意見が違うだけ。それは自由。
それで論争して盛り上がるのだから、よいではないか。
それをワガママと偉そうに言う偏見に満ちたお前の考えがおかしい。
181無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 12:21:32
>>159=>>175=>>176=>>179・・・これからも続々と
182無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 12:25:38
>>179
>すぐに自演と言う
おいおいお前は読解力はあるのかい?w

>>177で俺は、
>それとも自演?
と疑問を投げかけているだけなんだがw
誰も自演と言って、決めつけていないんだが?
きちんと文章読めよw
183岸和田愚連隊 ◆9xbTqdBwhs :2008/09/20(土) 12:35:26
>>161
>もう、このスレタイがなあ・・・
自分の無能さをスレタイのせいにすんなや。
スレタイは「叩き台」にしかすぎんぜ。それは誰でも分かっている事じゃ。
それを元にして論理を展開し、議論を深めていくっちゅうことやろが?
お前が今の状況が嫌なら、自分で考えに考えたレスを書き込みして、
方向を変えろや!グチグチ口ばっかしじゃ、いつまでも変わらんぜ。
俺は今の流れが好きだがな。

あと、無責任な>>159の発言に媚びへつらうなや。
てめえも思考停止野郎か?
184無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 12:42:30
やはりこのスレの最強レスは>>115だなあ!
185無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 12:45:49
商売樊城なら…
186無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 12:55:06
>>185
うまい!座布団3枚!しかも関羽にかけている!
187無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 13:03:07
>>173
益州に帰った劉備にフォローする気は無い
最初から北上させるなが正解
188無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 14:03:18
漢中制圧→上庸方面制圧→荊北侵攻までは理想的な展開だったと思うけどな。
関羽の侵攻に対して于禁・徐晃その後詰に曹操や夏侯惇まで実際としてきているし
荊北で襄陽方面を制圧できずとも関羽が魏の主力引きつけている間に西方の劉備本体の侵攻と
呉が東側から隙をついて侵攻して東西から魏を切り崩す っていう青写真だったんじゃなかろうか

まぁ呉が隙を突いた相手が魏じゃなくて関羽だったわけだが
戦略とすれば樊城侵攻は間違ってはいなかったと思うけどね。
189無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 14:09:03
それを絵に描いた餅というんだよ

孫権が劉備を助ける要素などなに一つ無い。
それどころか敵対してるし。

孫権が攻めてきて荊州喪失、という危険性を勘定しなかった時点で駄策。
190無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 14:18:28
別にそれまでは敵対まではしてなかったよ。
劉備を助けるというか、魏を倒す意味での出兵をだろ。

劉備陣営が思ってたほど、呉にとって魏を打倒するってのは大きな問題ではなかったと。
そんだけの事だろう。
191無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 14:23:47
してるだろ。
魯粛と呂蒙が電撃侵攻して劉備も成都からでばってきた。
この作戦で長沙・桂陽・零陵が陥落。

これのどこが「そこまで敵対していない」かな?
呉は隙あらば荊南を取るという姿勢が実例としてあったわけだよ。

それに魏を倒す意味の出兵って・・・呉はすでに臣下の礼とってるがな
192無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 14:31:36
そもそも孫権が味方としたと仮定して、夏侯惇の大軍がジャマくさくて支援できん。
やはり曹操の本隊を何とかするためには最低樊城はとって渡河の前に迎え撃てるようにしなければ。

その樊城を獲るためには当然だが徐晃、曹仁の撃破が絶対条件だろう。いかに倒すか。
193無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 14:31:48
>>2
GYAOなんだけどさ、今気付いたんだけども、
何で1部と3部以降見れるのに、間の2部が放送終了ってなってんのよフンだ!
194無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 15:05:40
>>191
なんかよくわからんが、それは関羽を攻めた後の話じゃないのか?
195無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 15:28:10
どごがわからんのか知らないがROMってろと言いたくなるレベルだな・・・

長沙・桂陽・零陵が陥落は214年
臣下の礼は217年
関羽北上は219年

関羽は常に呉を警戒していたし
劉備と孫権の間に連携しようという兆候も無い
東西から魏を切り崩すっていう青写真はあり得ない
196無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 15:29:32
>>194
横からになるが、呉が関羽を攻めたのが219年。
>>191の上段の侵攻は215年、下段の降伏は217年でどちらも前で間違ってないと思う。
197無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 15:34:54
敵対してると言っても、皇帝を人質に取ってる逆賊魏相手に戦ってるのに何足引っ張ってるねんゲスが!ってとこかな。
董卓あたりを相手にしてるのと同じような感覚だったんじゃないのか。
まぁ関羽からしてみりゃ相手が一つだろうが二つだろうが負ける気しないくらいの自信があったんだろうけど。
198195:2008/09/20(土) 15:36:22
蜀陥落と間違えたorz
長沙・桂陽・零陵は215年だな
ROMに戻るよ
199無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 15:42:18
>>193
三国志の第一部(群雄遂鹿)第1集も、
「桃園三結義」劉備、関羽、張飛 桃園の誓いの第一話だけが残っているだけだよ。
それも10月20日まで。これだけ特別扱いなんだろ。

第三部の各ドラマも締め切りで、次々と見れなくなっていると思うよ。
俺もこのドラマの放映に気づくのが遅れて、第2、3話は見れなかった。
もう、今日UPされたのが北伐開始で、諸葛亮が出師の表出したのだから、
急がないと第三部の作品も次々と消えていくよ。
200無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 15:57:31
カブっちった。これは失礼。

両国の首脳の関係は赤壁を契機に(一応は)親交を深めてきたわけだが、
劉備側が呉側を騙して入蜀したあたりから一路悪化の一途を辿る。
両家の婚姻関係も、事実上はこの時撤回されたと思われる。

ただ入蜀自体は劉備陣営にとっては必須の行動だったので、これはやむを得ないにしても、
せめてもっと外交面でのフォローがあれば、関係悪化を鈍らせることができたかも…
201無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 16:00:20
>>199
うーんそういうことだったのか、ありがとう。
しかし、北伐言うたらかなり後半、もう終わりかけやないの!フンだ!

近所の図書館に置いてあったから借りて見ることにするわ。
1話見た限り、かなり面白そうだったし。
レスありがとね。
202無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 16:03:45
>>197
逆臣董卓を討伐する群雄連合と、賛同者皆無の逆賊劉備の反乱をごっちゃにするなよ。
203無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 16:20:06
劉備の侵攻っておどろくほど手際がいいように見えるけど
その縄張りの中は曹操も孫権も支配してないというだけで、
劉備自身も財政難と反乱に手を焼いて本拠地として機能していた訳じゃない。

入蜀⇒荊州分割(vs魯粛)⇒巴西戦(vs張郃)⇒漢中戦R1(vs夏侯淵)⇒漢中戦R2(vs曹操)⇒
とかなり厳しい連戦を粘り強く潜り抜けて、ようやくこれからって時に最重要拠点の南郡があっけなく落ち、
その一帯を上手いこと治めて、正面の敵にはかなり押していた責任者の関羽が死んだのは痛い。

後に陸遜が襄陽をあっさり落としてたり、曹ヒになってから南陽のあたりにまで防衛線を下げていたりと、
襄樊一帯は手に入れても拠点として機能するかどうかも分からないのだから
野戦軍をほぼ半壊させて痛撃を与えた後はさっさと引くべきだったのではないだろうか?

>>1の命題に答えるなら、
・南郡に関羽が引き返すまで十分な後詰を置く。(仮に対呉戦の後からなら、陸口まで制圧してから)
・目処が立つまで孫権に対して時間稼ぎする
が絶対に必要だろう。
204無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 19:15:52
>>201
同じ板に、このドラマのスレがあったよ。今気づいたw
213レス番目を見てみて。全84話をニコニコで見れるようにした猛者がいるそうな。
    ↓
中国中央電視台の三国志について語れ 5
http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1208858225/

諸葛亮の役者さんがかなりの高い評判で、
レッドクリフで諸葛亮をやる金城武は、どう評価されるか心配。
205無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 22:20:46
張静?
206無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 22:49:57
>>205
張こうじゃなか?
207無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 23:05:18
益州強奪犯は劉障と天下の民に土下座すべき
208無名武将@お腹せっぷく:2008/09/20(土) 23:08:08
>>204
トウガイの陰平越えはワロタだったなぁ
209無名武将@お腹せっぷく:2008/09/22(月) 00:01:48
>>202
蜀陣営が逆賊劉備なんて思ってると思うか?
210無名武将@お腹せっぷく:2008/09/22(月) 14:06:03
俺が関羽なら無問題だった
211無名武将@お腹せっぷく:2008/09/22(月) 16:38:57
>>209
逆賊と承知して従ってた可能性はあるカモ
というか劉備自身も自分の事を本気で正義の使者だなんて思ってなかったろう
212無名武将@お腹せっぷく:2008/09/22(月) 19:41:08
>>211
ないだろ。。中国人だぞ。。
213無名武将@お腹せっぷく:2008/09/23(火) 03:59:00
正統性なんて魏蜀は似たようなもの。
軍事的政治的に締め上げた上での禅譲も、その後の旧皇族の帝位僭称もな。
同レベルの不忠。
両方一分の理はあるが、放伐論に拠って一理ある魏と、皇族故一理ある蜀。
その程度の話。
214無名武将@お腹せっぷく:2008/09/23(火) 04:04:14
まぁ蜀も十分放伐論には拠れるがね。

あと、正統論厳しくなるの儒教倫理がどんどん肥大化する唐宋以降じゃねえの?
って思ってみたり。
215無名武将@お腹せっぷく:2008/09/23(火) 09:30:14
まぁ南北朝みたいなもんでしょ。
ところで呉は?
216無名武将@お腹せっぷく:2008/09/23(火) 09:53:13
いつの世も呉は空気。
217無名武将@お腹せっぷく:2008/09/23(火) 11:43:55
東晋の都が位置的に呉に近かったにも関わらず
漢晋春秋では蜀が正統で、呉は・・・的な流れになってしまった
218無名武将@お腹せっぷく:2008/09/23(火) 14:39:34
>>215
呉は精々魏帝が封じた呉王からの発展系としての帝位就任だろうから、
まぁ〜正統論としては最下位間違いない。
219無名武将@お腹せっぷく:2008/09/23(火) 14:39:36
なんとなく皇帝になっただけだからな
戦略上は蜀よりずっと重要なんだが…
220無名武将@お腹せっぷく:2008/09/27(土) 18:37:46

219年レス番GETおめ!
221無名武将@お腹せっぷく:2008/09/27(土) 20:40:35
このスレ良スレですね。
すごく勉強になります!
222無名武将@お腹せっぷく:2008/09/27(土) 21:06:24
>>218
呉王は漢の時代にも封じられている
自称の漢中王よりは上
223無名武将@お腹せっぷく:2008/09/27(土) 21:25:12
>>222
馬鹿なのかコイツハ
224無名武将@お腹せっぷく:2008/09/30(火) 09:31:55
どうしても呉を「くれ」と読んでしまう。
225無名武将@お腹せっぷく:2008/09/30(火) 11:12:01
>>224
広島県人ですね、分かります
226無名武将@お腹せっぷく:2008/09/30(火) 14:40:06
>>222
言ってみれば”自称”な分だけ、蜀は(『魏』をすっ飛ばして)『漢』から直接流れを汲んでるんだと強弁できるのに対し、
呉は一旦『魏』朝廷の中に組み込まれた上での話しになるから…ってこと。

まぁ結局「正統論」なんて根拠薄くても実力で統一しちゃえば後からついて来るもんだから、
あんまり意味はないんだろうけども。
227無名武将@お腹せっぷく:2008/09/30(火) 17:29:58
そして、どこも統一出来なかったというループ。
更に言えばスレと関係無い話。
228無名武将@お腹せっぷく:2008/09/30(火) 19:50:53
襄陽を落とせなかった時点で無理 呂常の勝ち
229無名武将@お腹せっぷく:2008/09/30(火) 22:15:10
そもそも漢中王を自称する時点で献帝をコケにしてる。
帝位僭称が目前なのはある意味魏王より明らか。
だからと言って劉備は曹操より逆賊とかアホなことは言わないが。

そして、その直後の関羽の劉備、孟達、士仁等との連携は一切無視の北上。
蜀も一枚岩ではなかったという証拠ではないだろうか?
230無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 00:56:28
だって劉備君たちのは子供のお遊びだもん。

漢中王と名乗って劉邦ゴッコしました。
益州を蜀という国にして建国ゴッコしました。
皇帝を勝手に名乗って天子ゴッコしました。
家来に五虎将軍とつけて将軍ゴッコしました。
楽しい夏休みでした。

劉備(10歳)
231無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 01:01:04
王も天子も、魏のそれに対するカウンターだからなあ。
魏と戦うためには必要だろ。
232無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 09:07:25
>>230
夜更かししていないで早く寝なさい
233無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 09:44:45
はっきり言って、俺が参謀として関羽陣営にいれば樊城なんか余裕で落として洛陽まで攻め上がってたね。
まあ誰でもわかることだが、優秀な参謀がいなかったのが関羽の敗因。
234無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 11:34:50
わろす
235無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 13:58:43
いや、俺が参謀でも関羽の樊城攻めは成功してたよ
236無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 15:14:40
オマイら関羽みたいなのに自分の意見通せるのかよ
237無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 15:23:21
無理ってか士官すら無理
238無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 17:15:03
秀吉が関羽の参謀だったなら…
239無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 17:16:54
言葉が通じないな
240無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 17:23:17
むしろサルが音頭取った方がいいだろう
241無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 17:36:49
参謀云々でふと思いついたんだが、蜀に周瑜が居たら勝てたんじゃねーの?

1、樊城と同じく曹仁が守る江陵を攻めて、実際に陥落させてる。
2、その時関羽も参加していたが、一応揉めずに使いこなしてる。
3、関羽と同じいような性格&ポジションの程普を懐柔した実績もある。
4、情報収集は得意。頭もキレる。
5、家が超名家なんで顔が広く、現地住人の支援も取り付けやすい。


当時の参謀にうってつけじゃね?
242無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 17:52:43
じゃ周瑜やるけど、誰か代わりにトレードに出せよ。
まさか見返りもなしに譲渡してもらえるなんて思ってないよな?
243無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 17:58:10
周倉
名前似てるし気付かないんじゃね?
244無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 18:52:14
廖化出そうぜ
脱走するけど
245無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 18:54:34
ふざけんなw
周倉クラスなら10人、廖化なら100人パックじゃないと割に合わんわ!
246無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 19:09:06
見合う・見合わないだとそれこそ関羽をトレードしたって両国共に割りにあわんだろうよ。
あのクラスの大物になればね。

まあそのまま周瑜じゃなくともそれに代わる人間が居ればどうよ?
1、2、優秀な高級軍人
2、3、揉め事の仲裁役
4、優れたブレーン
5、有名な名士

一部重複するけど、こんな具合にさ。
247無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 19:11:00
ハンニバルが10人いれば蜀は中国を統一できた
248無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 19:15:49
しかし、馬兄弟の中で一番出来の良いと言われた馬良が、
結局参謀としてあまり役に立たなかったのは残念だ。(史実に見えないだけかもしれんが)

というか、「演義」とかでは「参謀タイプ」と期待されているが、
史実では夷陵の戦いの前に、武陵の異民族の内応の取り付けに
成功しているから、「外交官」としては優秀だったのでは?
それに夷陵で大合戦の前に、皇帝の元を離れて異民族の地に派遣される
ポジションなら、夷陵での劉備陣営でも参謀クラスではなかったと思われる。
結局、荊州の関羽軍でも参謀ではなく、伊籍と同じような役目だと思う。
249無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 19:16:09
>>246
かたや呉には例を見ない一流の豪傑
かたや蜀には例を見ない一流の戦術家

だからな。
でも、意外にトレードとしては両国の欠点を補う面白い交換かも。
250無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 19:38:14
蜀には例を見ない一流の戦術家

ダウト
251無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 19:39:17
ゲーム的には馬良って外交官的能力設定だよね
252無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 19:44:20
>>248
馬良は帷幄の臣じゃなく官僚タイプの人材だよ
当時の劉備陣営で一線の軍事参謀が務まるのは法正くらいかも
253無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 19:57:25
参謀は軍事行動において必ず存在します
ただこの人がやったって書いてないだけです
254無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 19:57:25
馬謖は?
255無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 20:06:16
黄権もぎりぎり務まりそうだと思ってる
256無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 21:51:54
周喩欲しいんだったら関羽と諸葛亮と法正くらい出さなきゃ割に合わんがな。
現場に強く大局眼があって臨機応変な対応が出来る。

最も蜀からしてもこんなトレード割に合わんから成立しないだろうがな。
257無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 22:23:51
まあ馬兄弟ってそんなでもない人材だったんじゃないの
他の国にもよく居るようなレベルじゃないの
258無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 22:42:07
異民族の懐柔はとても重要な任務だよ
それをこなしたのだからよくいるというのはどうかな。
259無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 23:20:12
周瑜が参謀ってあほか?
コーエーゲーのやりすぎ・・・

周瑜は都督、軍事的権威はその君主をはるかに凌ぐ総大将格だろ。
260無名武将@お腹せっぷく:2008/10/01(水) 23:41:54
>>256
法正は郭嘉と並び称された軍師だぞ。
周瑜では話にならんな。
どちらにしても、お互い短命だからアレだが。
261無名武将@お腹せっぷく:2008/10/02(木) 00:05:17
>>256
関羽、諸葛亮、法正の良いところを
半分くらいしか持ってない器用貧乏じゃないですか。>周瑜

コーエーゲーの能力値は忘れてください。
262無名武将@お腹せっぷく:2008/10/02(木) 00:14:51
周瑜に一方ならぬ愛情を注ぎ込んでる御仁が居るなあ^^
263無名武将@お腹せっぷく:2008/10/02(木) 01:31:01
周瑜と法正なら互角に近いんじゃないか?まぁ専門的なところは法正、総合力では周瑜が上だろうけど。
国における重要度ってのもあるしな。
法正+もう一人…カンヨウか武官。ただちょうど良い武官がいないな。趙雲、魏延じゃ大物すぎだし。
264無名武将@お腹せっぷく:2008/10/02(木) 05:20:25
関羽
孔明
張飛+馬良
馬超+法正+徐庶
魏延+黄忠+趙雲+荊州

どれか選べ
265無名武将@お腹せっぷく:2008/10/02(木) 06:36:52
樊城は何時落ちても不思議ではないが、襄陽は落ちそうにない。
麋芳、士仁がマトモに機能してれば徐晃戦はどうにかなるだろうけど、
結局引き返すことになるから樊城は攻略出来そうにないな。
266無名武将@お腹せっぷく:2008/10/02(木) 16:23:10
>>261
それだけ多方面に活躍できるんだったらたとえ半分くらいだとしてもその三人より全然使えますがなw

267無名武将@お腹せっぷく:2008/10/02(木) 16:51:15
ミニ曹操?>周喩

曹操も別の意味でミニなのに
268無名武将@お腹せっぷく:2008/10/02(木) 17:29:49
魏からの援軍と呉の奇襲がなければ落とせた
269無名武将@お腹せっぷく:2008/10/02(木) 17:53:42
>>265
>麋芳、士仁がマトモに機能してれば徐晃戦はどうにかなるだろうけど
それって守備兵を使わないって事だからもっと早く徐晃に負けるんじゃね
270無名武将@お腹せっぷく:2008/10/02(木) 18:39:08
>>266
そうか?
例え一個の技能だけでも、その手のスペシャリストクラスが
それぞれの得意分野を担当してるほうがいいと思うが。
271無名武将@お腹せっぷく:2008/10/02(木) 20:41:06
>>270
「船頭多くして船山に登る」と言う言葉もある。
円滑に行くなら問題は無いが人間だからそうはいかん。
曹操が政治やら軍事やらに一人であくせく動き回ってたように、リーダーは満遍なく視野をはらなきゃならないんだよ。
全体の統括者はやっぱり決めなきゃならないし混乱を防ぐためにも権限に差はつけなきゃならないしな。一人リ−ダーシップを発揮できる人間がいないと上手くいかん。

特にその三人性格にはクセがあるしなw並べて使おうと思っても上手くいかんだろう。
スペシャリストタイプは適材適所に置けば使えるけど大きい所は任せられん。
諸葛亮がまだ期待感あるが彼は人を功績より好き嫌いで選ぶ所があるし軍事センスと言う点では周喩には劣るしね。
272無名武将@お腹せっぷく:2008/10/02(木) 20:53:21
俺としてはそのまま人的に必要な要素は何か?的な話しに持ってきたんだが、上手く行かないもんだなぁ…

>>261
何もかもがその三人よりも上というわけではなかろうが、
逆にその三人を上回る(というか時代中屈指も)部分を持つ人間に器用貧乏というのも違うだろう。

>>266 >>270
当然使い所しだいなわけですが、
まぁ一般的には現場に近い分野ではスペシャリストが、
統括的な上層部ではゼネラリストが求められると言われている。

どっちの意見も極端じゃない?
あと三人同列に語られてるが、諸葛亮は多分ゼネラリスト的。

>>267
何をどう比べているのか漠然とし過ぎ。
273無名武将@お腹せっぷく:2008/10/02(木) 20:53:38
てか
>>関羽、諸葛亮、法正の良いところを
>>半分くらいしか持ってない器用貧乏じゃないですか。>周瑜

ってどれだけ過大評価なんだよww>劉備配下

よしんば得意分野で勝ってるとしても周喩はその7分か8分ってトコだろw
法正は漢中での高評価なんだろうが赤壁のがずっと戦果としてはでかいし
274無名武将@お腹せっぷく:2008/10/02(木) 20:57:56
>>272
いきなり出てきてなんで偉そうなのコイツわ
>>上手く行かないもんだなぁ…
ってアンタの言い方が悪いから上手くいかないんでしょーよ
275無名武将@お腹せっぷく:2008/10/02(木) 21:06:18
>>272
だから諸葛亮は3人の中では一番期待感がある。
が、やっぱり揚州で孫策にくっついてずっと戦ってたのと赤壁の金星を考えたら周喩のが優秀だろう。

そもそも法正と諸葛亮はウマが合わないタイプだし、一番古株で扱いも特別な関羽を差し置いて諸葛亮をトップに据えるわけにもいかん。
やはりその3人を並べて使うよりは周喩一人に任したほうが効率はいいと思う。

余談だが関羽が結局勝てなかった曹仁に周喩は苦戦しつつも勝っている。
276無名武将@お腹せっぷく:2008/10/02(木) 21:35:34
せめて徐州時代以降も、陳羣が劉備についてきてくれていたらね〜
益州での諸葛亮の政治の負担もかなり減るだろうから、
軍事にエネルギーをもっと注ぎ込めただろうに。

おまけに関羽たち世代が亡くなった後も、陳泰という姜維がてこずった武将が
逆に味方となるというおまけがついてくる。
277無名武将@お腹せっぷく:2008/10/02(木) 22:36:59
てか周瑜が長生きしてたら蜀建国自体やばいんじゃないの
278無名武将@お腹せっぷく:2008/10/02(木) 22:46:01
いいかげん周瑜ネタはスレ違い
279無名武将@お腹せっぷく:2008/10/02(木) 22:48:45
もうね、周喩とか書いてる無知は周喩sugeeeの結論先に有りでしか語って無いから話にならん。
280無名武将@お腹せっぷく:2008/10/02(木) 23:03:13
関羽より周喩ネタのほうが盛り上がるしw
281無名武将@お腹せっぷく:2008/10/02(木) 23:08:00
曹操が荊州にいればよかったんだよ
282無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 00:09:06
>>275
関羽VS曹仁は明らかに曹仁の負けだよ。
結局、徐晃の来援が見込めなかったら勝つ手段さえなかった。
283無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 00:59:55
赤壁って孫権軍がメインで劉備軍なんて超オマケと思ってる人がいるみたいだけど、正史とかちゃんと調べる限りでは、劉備軍の戦果や価値がすごく大きいよ。
別に周瑜だけで勝ったわけじゃない。諸葛亮が風を吹かせたとは言わんがw
284無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 01:18:33
>>282
関羽は樊城も襄陽も落せなかった。
周喩は江陵を落とした。

いささか結果論的だが関羽が結局曹仁を撃破できずに敗死した事を考えれば周喩のが上の戦果
別にコレだけで周喩>関羽とはしないけど対曹仁に限って言えば周喩に軍配が上がるだろう。
>>283
別に赤壁で劉備がなにもしなかったとは言わないが(蜀書、魏書には劉備の名があるしな)戦功第一が誰かを考えたらやっぱり周喩。
285無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 01:24:58
赤壁は周喩オンステージですよ。
孔明の魔術とか参加もしてない呉蜀連合なんて勘弁してくださいよ。
286無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 02:08:46
まあ、この辺でも読めば多少はわかるんじゃないかな
ttp://www5f.biglobe.ne.jp/~f-sinner/3th/052.html
そもそも正史では赤壁はそれほど大きく扱われてもいないし、呉軍メインで戦ったともされとらん。
287無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 02:10:14
個人サイト紹介とかどんだけwwwwww
288無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 02:31:23
>>282
城を守りきった方が負けなんて考え方は初めて聞いた
援軍が来なかったとしてもいつ樊城が落ちるか分からんし
援軍期待できる状況で籠城成功してる曹仁の負けなんてあり得ない

>>284
周瑜伝にも劉備の名はあるんだが…

>>286
先主伝の引用が恣意的だね
前文に「孫権は周瑜と程普を派遣し劉備と協力して」が入る
主語は孫権だよ
289無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 02:35:49
個人サイト紹介とかする人居るんだ
290無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 02:45:38
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%A3%81%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

周瑜らは疫病に悩まされていた曹操軍を撃破し、曹操は後退し烏林に陣を張り、周瑜らは長江を挟んで対峙した。
周瑜らは疫病に悩まされていた曹操軍を撃破し、曹操は後退し烏林に陣を張り、周瑜らは長江を挟んで対峙した。
周瑜らは疫病に悩まされていた曹操軍を撃破し、曹操は後退し烏林に陣を張り、周瑜らは長江を挟んで対峙した。

この時、周瑜らは曹操の陣に追撃をかけ、曹操軍は潰走した。曹操は敗残兵をまとめて撤退した。
この時、周瑜らは曹操の陣に追撃をかけ、曹操軍は潰走した。曹操は敗残兵をまとめて撤退した。
この時、周瑜らは曹操の陣に追撃をかけ、曹操軍は潰走した。曹操は敗残兵をまとめて撤退した。


周瑜(+黄蓋)様様だな
291無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 02:52:22
周瑜オタかアンチか知らんがWikiなんか持ち出すなよ
個人サイトよりはマシだがな
292無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 02:55:17
>>290
wikiに演義の場合は〜なんぞ掲載しなくていいんだよな
他に、吉川三国志の場合は〜北方三国志の場合は〜
とか載せてたらきりがないしね
293無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 05:30:34
戦略:蜀<魏
戦術:関羽>曹仁
樊城戦の結果:関羽<曹仁

こんなもんだろ。
294無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 11:14:50
なぜウ禁、ホウトクを失って追い詰められながら徐晃の援軍が来るまで城を守りぬいた曹仁の戦術が関羽より下なのか
295無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 12:01:17
>>286
後漢書・献帝紀
「曹操船を遣わして孫権を討ち、烏林・赤壁において孫権の将周瑜に破れる」

晉書・袁宏伝
周瑜を評して
「(前略)即ち赤壁において天下を三分する(後略)」

周書
「周瑜赤壁之謀」

魏書「劉備と戦ってたら不利になったので軍を退いた」
呉書「劉備の要請を受けて軍を派遣、周瑜が曹操を烏林・赤壁に破った」
蜀書「孫権の援軍を借りて曹操を退け、追撃戦では孫権軍と水陸併走し大きな戦果を挙げた」

まぁ大体こんな感じで、正史においても後々まで取り上げられる偉業、
呉軍(周瑜)の勝利だったというのが一般的な捉え方だと思うのだが、
その辺どういったお考えで?
296無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 12:30:08
失地董督関羽と失地将軍曹仁の比較ですか。

関羽
215年:劉備の援軍を待って南郡は死守したが、三郡を失陥。
219年:10月に徐晃に負け敗走。呉に本拠を衝かれ三郡を失陥して斬首。

曹仁
209年:支援のない状況でよく頑張ったが、南郡失陥。
219年:支援のある状況でよく頑張った、撃退成功。

こんなとこか。
297無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 12:57:17
ぶっちゃけ関羽の北上は何がしたかったのかよく分からん。
徐晃に負けず曹仁らが降伏して、呂蒙に背後をあっさり取られなかったというご都合展開でも、
曹操、夏侯惇、張遼まで出張ってきてるんじゃいくらなんでも負けるだろ。
298無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 13:35:10
劉備本体の北上を助ける陽動作戦なんだろうが
背後の孫家を完全に丸め込んでいない上に、孫軍の食糧庫を強奪してるんだから戦略も何も無い烏合の衆じゃないか
筋肉馬鹿に荊州任せなきゃいけない国力のなさが原因でしょ
299無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 14:04:09
兵站が破綻したのも捕虜が大量に投降してきたのが原因だしなあ。

しかし、劉備本隊の北上の支援というのも疑問だよ。
漢中は強制移住の影響ですぐに兵站基地として使えるような状況とは思えないし、
その後ろの四川は劉備自ら押さえにかからなきゃならないほど動揺してた。
一旦休止するのが当然で関中まですぐに出られるとは思えない。
300無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 14:13:31
300
301無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 14:51:00
侯音に呼応、漢中戦の支援にしては遅すぎるしな。
302無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 15:25:31
呂蒙の実力は身に染みて知っているだろうから隙を見せるとこうなるとは張飛でも理解出来るはず
なのに関係の改善に努めずにむしろ悪化させながら主力を率いて魏を攻める
しかも、留守には自分と不仲の将を置く
マゾですか、この人
303無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 15:46:17
自信過剰の権化でしょう
304無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 17:15:34
三国共に、地方駐留軍が他国に独断侵攻なんて事例が他に皆無なわけで、
やはり関羽も上に願い出て許可が降りたか、もしくは上からの命令があったとするほうがしっくりくるのだが、
何かそんな話は残ってないのかな?
305無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 17:48:19
当時の力関係なんてわからないしな。
単純にあの戦力でも行ける・行かれそうに感じる程に関羽の名・力が大きかったんでしょう。
306無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 17:50:42
それなら関羽一人で魯粛・呂蒙の侵攻をどうにか出来たろw
劉備が命令だけして後詰送らないほどのアホには思えない。
単純に関羽が限界に挑戦するマゾなんだろう。
307無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 17:54:36
>>295
誰の勝ちかってと劉備陣営の勝ちじゃん。シュウユの力が大きいとはいえ。
貢献度はシュウユがほとんどだとしても、名目上は曹操と劉備の戦いに呉が援軍で来たってこと。
そしてその貢献度は今となってはどれくらいのもんかは想像でしかわからんと。
308無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 17:58:40
>>306
はあ?それは結果に過ぎないでしょう。
そんな事言ったら戦争に敗者なんていなくなってしまいますよ。

そもそも開戦に至る至れるってところの話ですから。
309無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 18:24:11
>>307
まず名目上において、曹操は孫権勢力に宣戦布告に近い書状も出し、
荊州討伐は赤壁前の208年9月から10月の間に終了させ領内再編も済んでいるので、
あれほどの大軍を再び動かして長江を下らせるというのは孫権(揚州)討伐とみても良い。
だから後漢書では「孫権を討ち」と評したのだろう。

他にも良く言われる「劉孫連合軍」と同一に見なす見方も、
劉備軍を主体として孫権軍を援軍とする見方もできるだろうけどね。


そして軍の働きについては実際に三国志内にも残されているのに、
「想像でしかわからない」とういうのは理解に苦しむ。
310無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 18:30:35
>>309
いや貢献の割合の話ね。
現状だってすでに見解が分かれてるじゃん。
311無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 18:55:20
>>308
論点は劉備が命令したか関羽の独断専行かだろう。
何の話をしてるんだ?

>>309
曹操の目的は統一だからどっちがどうとかは関係ないと思われる。
それを阻んだ両方の勝利。
312無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 18:56:00
その「現状わかれてる見解」ってのが何と何で、その結果何が言いたいのかはっきりさせてくれ。
313無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 19:04:06
名目上は魏の江南侵攻で、赤壁は呉の周瑜の大活躍で呉の勝利。
同盟組んでた蜀も勝利国となる。

こう理解してるよ。
314無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 19:07:21
>>305
戦略的目線からでは、関羽を討つ為だけの魏呉緊急同盟にまで繋がったしな。
315無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 19:13:14
>>311
>>306に対する反論ですよ?
劉備の命令にしろ関羽の独断にせよ、軍を動かしてもおかしくない背景があった、というだけの話。
その結果の勝敗については問題ではないでしょう?
316無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 19:16:26
>>312
だからほとんど周瑜の戦果だっていう奴もいれば劉備の戦果だって言う奴もいるだろ。
スポーツのMVPだって満場一致で決まるもんじゃないだろ、それぞれの見解があるだろうに。
だから名目としては劉備陣営の勝利だけど、その内訳、実質誰の力による勝利かまでは分からんと言ってる。
317無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 19:20:16
>>313
赤壁のとき蜀なんてないんじゃ?
318無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 19:24:02
赤壁を天下分け目の大決戦と思ってる奴は
それが演義での誇大な脚色効果に過ぎないとも分かってないのかな?

正史で話したいのか、演義で話したいのか
たまに話がごちゃごちゃになってないかな?
319無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 19:24:12
>>317
そうだ、同盟組んでた劉備軍も勝利軍となるが正解か。
勝利国という表現はおかしいな。
320無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 19:40:13
>>288
結局、徐晃の助力で勝てたんじゃねーかw
曹仁自身は関羽に追い込まれて篭城せざるを得なくなった時点で負けてるだろ。
321無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 19:40:31
中華の天下分け目の戦い、日本の関が原は、官渡の戦いっしょ。
322無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 19:43:49
>>316
だからさっきから何が言いたいの?って話し。

たった一人でも「劉備の戦果だ」って言う奴が居たら、
「満場一致じゃないからダメ。詳細不明で判断は認められない」と言うつもり?

なら「名目としては劉備陣営の勝利」に「いや孫権陣営の勝利が正しい」という意見があれば、
「満場一致じゃないので名目上誰の勝利かも判りません」と、こう結論づけるの?

自分で『満場一致にはならずとも、最も相応しいとされる人を選ぶ」スポーツのMVPを例に出してるように、
当然「最も相応しいであろう解釈を選ぶ」方向が正しいんじゃないのだろうか。
323無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 19:47:26
>>322
は?このスレでそんな事決めんの無理だし、望まれてもいないだろ。
あいつはこういう解釈だが俺はこう思う、でいいじゃん。
なんで自分の意見に他人が同調するまで納得できないの?
それとも明確な証拠を出せるって言うのかお前さんは?
俺の方こそお前さんが何を聞きたいのかさっぱりわからんよ。
324無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 19:49:29
>>316
劉備の戦果とか言ってる奴いないだろ
325無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 19:49:29
>>322
しかし、正史の赤壁記述は魏書と呉書ではえらい違いだからなあ。
326無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 19:49:31
>>321
赤壁は大阪の陣
そこで失敗したから徳川豊臣真田に分かれたのが三国時代
327無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 19:53:12
>>324
そもそも演義では孔明やらが活躍してるじゃん。
328無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 19:54:37
>>326
赤壁は、結果重視でいけば、秀吉の朝鮮侵略にならんかな。
国内だと秀吉に最後まで抵抗した伊達家&奥羽討伐か
織田のときは、統一してない地方が多すぎて赤壁と呼べるような戦はないもんな。
329無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 19:55:52
>>327
演義かよっ!!!
330無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 19:58:28
>>329
演義を重視してる人もいるし、魏書「劉備と戦ってたら不利になったので軍を退いた」なんてのもある。
だから>>324って事はない。
331無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:00:28
シューユマンセーに走ってる奴は演義と呉書の読みすぎだな。
332無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:06:09
>>330
劉備と戦ったら不利になったってのは>>290のサイトにある

>周瑜・劉備らは更に追撃し、南郡まで兵を進めた。
>曹操は慣れない江南の地で疫病の流行に悩まされたこともあり、
>江陵を曹仁に、襄陽を楽進に託し、自らは北方に撤退した。
の一節の赤壁以後の追撃戦の意味じゃねーのか?
赤壁の戦いじゃねーだろ
333無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:13:44
>>332
さぁ?>>295の持ってきただけだし。
でも要するにどう思ってる人がいるかってだけの話だから。
自分は劉備陣営に負けたなんてあまりに情けないから呉を持ってきたんじゃないの?とすら思ってるし。
関羽が単独で動いたのが一見バカみたいに見えるのもそういう捻じれじゃないの、と。
334無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:17:21
関羽が単独で暴走したのは無謀だった
って意見は所詮は結果論だしな。
知ってれば誰にでも言える。
335無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:21:47
>>333
たぶん間違いねーよ。蜀史でも追撃戦で戦果あげたと言ってるしな
赤壁では退けたと言ってるが、実際なんもしてねーんだろ
つーか演義はフィクションだってみんな思ってんだろアフォ

>自分は劉備陣営に負けたなんてあまりに情けないから呉を持ってきたんじゃないの?とすら思ってるし。
こんなこと本気で言ってるやついねーよ
336無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:22:55
桶狭間なんか失敗してたら何このキチガイ?だしな。
337無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:23:49
>>335
多分てなんだよw
338無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:27:09
>>335
要するに、お前は何故か他人もこう思ってるよとか言い過ぎなの。
演義だってフィクションじゃないと言い張る奴がいてしょっちゅう言い合いになってるじゃんか。
339無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:28:43
>>337
>周瑜・劉備らは更に追撃し、南郡まで兵を進めた

>追撃戦では孫権軍と水陸併走し大きな戦果を挙げた

一致するじゃねーか
魏軍が烏林を撤退してからの追撃戦のことで間違いないだろ
狭義的に赤壁は烏林攻防までの戦いだろ
340無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:30:32
>>339
一致したら間違いのない史実なの?
どちらかを参考にした可能性は?
341無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:30:48
関羽「周瑜か、俺のスレで自身の話題を盛り上げるとはな
   なかなかやるではないか。」
342無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:34:56
未来に色んな可能性があるように、過去にも色んな可能性があると思う
確かのは現実の今だけだから…
343無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:38:24
>>338
何を言いたいのかイミフ
>>340
もちろん正史の記述を元に書いてるのが>>332に決まってんじゃん
お前は>>295の>魏書「劉備と戦ってたら不利になったので軍を退いた」
を赤壁の水上戦と勘違いしてんだろ?
344無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:41:55
>>330
演義を重視っておめー…民の時代に三国志とその注釈をベースに書いた小説だぞ。赤壁って後漢末の話だ。
>>320
まず君が戦争ってモノをどう考えてるか聞きたい。
なぜ援軍が来る見込みがあってそれをあてにして籠城するという守戦の最もスタンダートな戦略で軍事的勝利を得たのに何処が負け?
まさかお互い律儀に一軍ずつ向き合って状況も省みず正面から潰しあって勝たないと勝ちじゃないの?ゲームかよww
345無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:43:31
>>343
いや?お前が決めつけ口調なのが不思議なだけ。
346無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:47:03
>>344
また演義論争?
キミだって何度も演義派とやり合ってるだろ?
結論出るわけない。
347無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:47:34
>>344
>演義を重視っておめー…民の時代に三国志とその注釈をベースに書いた小説だぞ。赤壁って後漢末の話だ。

まったくだな。>>330は演義教の信者だろ
348無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:49:47
>>344
見る範囲によるだろ。
赤壁局地ならシュウユの勝ちだが広義の「赤壁の戦い」には劉孫連合の勝利
349無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:51:34
>>347
そうやって切り捨てるならこのスレでも議論なんかせずに自分だけの結論で満足してりゃいい。
350無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:52:24
>>344
正史だって信憑性でいえば大差ないよ。
351無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:53:24
>>350
どこにも決まってない邪馬台国を論争してるわけじゃねーんだぞ
正史に信憑性がないってんなら、三国時代そのものが存在してねーと言い張ることと同じだ
お前の好きな関羽も張飛も劉備も架空の人物ってことだ
そこまでお前に言える絶対的な確証と権利があるのか?
352無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:54:56
>>351
全く同じことが演義についても言えるよ、正史厨くん。
353無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:56:00
信憑性は大差ありますよ・・・
演義に価値を見出すのは問題ないが歴史書的価値と文芸的価値を混同しないでくれ。
354無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:56:42
>>351
大差ないって言ってるだけなのに飛躍しすぎw
355無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:57:16
>>348
そりゃ名目的には参加してたんだからその意見には俺だって賛成だよ。
ただ実際にどれくらい活躍したかの考察に演義の描写を持ってきちゃアカンでしょう。

それがいいなら俺は「蒼天航路で曹操は川魚に当たったから敗戦の原因は川魚だ!」とかいっちゃうよw
356無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:57:55
単に政府が認定してるだけ>正史

それなら韓国政府が認定してる独島も認めてくれ
357無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:58:33
>>355
まそうかもしれんわね。
358無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:59:31
>>355
あれは疫病で撤退したってのを食当たりとして描写してるだけだから、そう主張したけりゃすればいいんじゃね。
是とも否とも言えん。
359無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 20:59:35
>>正史だって信憑性でいえば大差ないよ。

大差あるだろ…ってか演義のベースになってるのが陳寿の三国志なんだが
360無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:00:48
演義には民間伝承も含まれる。
後世の権力下で書かれた書物なんかより民間のほうが正確な事も多々あろう。
361無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:01:39
正史だって史料から取捨したもんじゃん。
362無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:02:17
>>358
ついでにいうならそれが認められると赤壁は周喩の電撃戦で劉備はまったく介入するヒマがなかったということにもなるけど
363無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:03:03
>>354
んじゃ、正史のどの部分が信憑性ないと言ってるの?
364無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:04:12
>>362
しつこいな。主張したいなら勝手にすりゃいいじゃん。
365無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:04:15
中国人に言わすと、歴史は議論によって創り出すもの。
絶対の真実なんてわからんそうです。
366無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:04:31
>>360
それ以上にまったくの妄想のがはるかに多いけどな
霊験あらたかな関羽様が呂蒙や自分達を手にかけたヤツらを呪い殺していくんだぜww
367無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:04:37
いやいや、認定されてるから三国志の方が信憑性があるんではない。
三国志演義と比較した場合三国志演技はあくまで三国志から派生した二次創作だから。
演技は具体的に軍制とか政治体制に全く触れてないし時制もはっきりしない。
戦争一つとっても200年にもなって中国史の戦争に演義の花形、一騎打ちなんてものは存在しない。
要するに三国志演義は歴史書としては何の価値も無い。
歴史書として書かれていないんだから当然だね。三国志演義は小説です。そこは割り切ってくべきだね。
368無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:05:56
>>362
追記
お前が主張するのとスレで意見が統一されるのを同一に考えるなよ。
お前が何を主張しようが自由だし、それが認められるかどうかは議論次第だ。
369無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:06:57
正史において現実味の無い記述は山ほどある。
しかしそれは三国志演義が三国志と比較して信憑性があるということにはならない。
本気で言ってるのかな?
370無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:07:00
>>367
そもそも中国の歴史書に何の価値もない。
371無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:07:11
>>364
俺が言いたいのは
演義を参考にするとか言うのはそういうムリな主張を認めるってことですよ、って事だけど。

君たちが主張してるのは俺の挙げたようなマヌケな主張だ。
372無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:08:03
>>323
俺が何を言いたいかはこれまでハッキリ述べてる通り、

>>286
「そもそも正史では赤壁はそれほど大きく扱われてもいない」
「呉軍メインで戦ったともされとらん」

この二つに対して、
「多くの史書においても重要に扱われてる」
「呉軍(周瑜)の勝利とされてる」

この二点。
だから>>307の「名目上は劉備陣営の勝利」に対して名目上でも孫権陣営の勝利とも言えるし、
「貢献度は想像でしか判らない」に対して「史書に十分残されてる」と答えてる。

そうしたら>>316が「満場一致じゃないしそれぞれの見解があるから判断不能」みたいなことを言い出すから、
それは極論だということを>>322で316が挙げた例を用いて説明してるわけじゃないの。
アンタの理論だと言ってる「名目上は劉備の勝利」という前提だって「異論があるから判断不能」となるし、
そんなこと言ってたら全ての意見が「異論が有りうるので判断不能」となるでしょ。
ならなんでこんなスレ居るの?


その明確な根拠とやらが『「周瑜の勝利とされている」と考えるに足る根拠』という一般的な意味での根拠なら
今までも挙げているし、さらに詳しく議論もできるけど。
373無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:08:58
>>368
そもそもさきに演義の解釈が参考に出来るとか言ったのおまえじゃね?
ただのバカか
374無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:09:24
>>371
それは君が勝手に同一視してるだけ。
ついこの前まで書かれてた漫画持ってくるなんてどうかしてる。
最近書かれた演義を参考にするなんて
後世に書かれた正史なんて

どこで区切るかの話だろ。
375無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:09:43
>>367
全面的同意!
正史の語意は正しい方式によって記された史実という意味だし
専門に研究してるやつならまだしも、日本の一般人は正史を歴史事実として信用するしかない

だが、三国正史の痛い点は他の正史と比べて年表を記してないことなんだよな
376無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:10:18
>>373
バカはお前だ。
主張したけりゃしろって言ってるだろ。
377無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:11:34
>>375
一般人じゃなくて三国志ファンだからそんなの関係ない。
解釈の話だし。
378無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:11:56
>>374
別に漫画がダメなら北方や秘本でもいい

まさか同じ創作物なのに演義だけが参考になる余地があるって都合のいい解釈?
379無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:12:31
>>372
このスレって、関羽は繁盛をどうしたらおとせたか、の事?
380無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:13:12
正史を信じない演義厨が信じてる歴史ってやつを教えてくれw

中華に限らず日本史、西洋史みんな含めていいぞw
381無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:13:25
>>378
同じ古い書物、同じ三国時代から後に書かれた書物なのに正史だけが参考になるって都合の良い解釈?
382無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:13:38
>>370
それはまあそう思うのは自由だが。
とにかく三国志演義に歴史を求めるのは無理があると言っておきたいだけです。
383無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:14:41
>>376
そもそもお前の痛い主張を第三者的にわかりやすくするため挙げてくれたのが>>355でしょう
やはりただのバカか。
384無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:14:58
>>380
そもそも歴史など全面的には信じない。
385無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:15:32
>>382
正史に正しさを求めるのも無理があるよ。
386無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:17:15
>>383
アホか、そういう解釈をするならそれでいいよって言ってやってるだろ。何言ってんだお前。
387無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:17:42
>>376
べつにそんな事主張してるわけじゃないよ
創作作品引き合いに出しちゃダメでしょう、ってこと。
>>381
すくなくともその正史から作られた演義からは歴史は語れないね。
388無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:17:53
正史は、三国時代から50年後後だっけ?
演義は1000年の紆余曲折すぎてからの小説だぞ
どちらが正確に書けてるか一目瞭然だろ
389無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:19:04
>>387
演義は正史、民間伝承などをミックスして作られた。
390無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:19:20
>>381
一方が史書、一方が娯楽小説という一事だけをとってみても、至極真っ当な解釈。

これが同じ正史ながら成立年代がそれなりに違う「三国志・晋書・後漢書」の比較とか、
正史と資治通鑑・華陽国史との比較なら、もっと込み入った話になるだろうけど、

正史と演義の比較なんて迷いようがないくらい明らかに違うだろ。
391無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:19:51
>>388
既に南京の人口がありえないくらい増大してるのに?
392無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:20:24
少なくともその「捏造だらけ」の正史にものっそい尾ひれと主人公を立たせるための創作がくっついて作られたのが演義ですから。
393無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:20:55
内容比べりゃ一目瞭然だろ
演義正史の区別もつけられないのはさすがにバカだな
394無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:21:37
>>392
ならどっちも信憑性がないってので合ってるじゃん。
395無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:21:48
>>390
その認定をしょせん後世の人間がやってるんだよ。
396無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:21:51
だいたい中国だよ?支那だよ?過去を抹消する為に奔走し、歴史なんか幾らでも捏造する国だってことを忘れちゃいけない
正史とされている史書をこそ疑え
民間に伝えられたものを集めたとされるものから何かを見出せ
397無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:22:35
正史演義なんてどうでもいいよ。赤壁の話…いや、関羽の話をせえ。
398無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:23:22
彼らによると演義ってのは民間伝承やその他のエピソードを混ぜて新しい解釈を導き出したラカンチューによる歴史書だそうですww
399無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:23:23
演義は文学的価値は高いけど、成立が三国時代から約千年も経っているため史料的価値は低い。
ただ陳寿三国志も、全て正しいことが書いてあるかと言えばそうではない。
曹氏や司馬氏に都合の良いように書かれてる部分も多くあると言われるし、矛盾点も結構ある。
無闇に正史を盲信してしまうのも問題があると思う。
400無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:24:45
演義厨の根拠もない、ただ信憑性に欠けるじゃ漠然としすぎて論点も定まらねーし
どうしようもねーな
どこを疑ってると聞いてもはっきりいわねーし、DQN思考でおkじゃね?
401無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:24:50
現実に関帝廟があちこちにある関羽や曹植の詩にこそ価値がある。 
402無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:25:02
>>396
昨日の教育テレビで北方氏が似たようなこと仰ってましたな。
403無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:25:25
>>398
正史を正しい歴史だと言い張るのなら、こちらもそういう事になるね。
404無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:26:47
解釈次第ってのはあるだろう、なぜ解釈の違いを受け入れられんのか。
405無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:27:34
>>395
その認定は後世も糞も、三国志は史書として朝廷に献上され、
三国志演義はそのまま題名通り始から「これは『演義』です」と発表されてるじゃねーか。

製作者が「これはフィクションです」とわざわざ言ってるが理解できない?
406無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:27:58
園田三国志こそ至高!
407無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:28:39
>>405
当たり前だろ、読み物として書かれてるんだから
408無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:29:24
もう一辺に答えると

信憑性なんて100か0じゃないだろ。
残ってる記述からどんな事実関係があったのかを探るのが考察だろ。
もちろん曲解や解釈にも気を配る必要がある。

そして陳寿の三国志にはその考察の下地の一つになる資料としての価値がある
だけど演義には後漢末から三国時代を考察するための史的価値はほぼ求められない。
それだけの事。
史書を吟味して考察する必要があるのはその通りだが史書と小説を一緒くたにするのは史的考証のありかたとしては間違っている。
409無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:30:27
正史が正しいか正しくないかの話じゃないよ。
正しいか正しくないかはその都度考えていくべき話であって、
歴それとは別に歴史書としての適正を考えた時に三国志演技は適切ではない。
歴史書に求められるであろう項目が三国志演義には欠けてるんだよ。
正史の間違いを補完するのにはヨコの世界史やタテの中国史を参考にするべきで、
小説に事実を求めるのは歴史を考察したいと思うのであれば不適切だよ。
410無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:30:45
>>407
「その認定をしょせん後世の人間がやってるんだよ」

はい、どの認定を誰がやってるって?
411無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:30:52
>>405
50年も経って史書もない。
じじいの武勇伝を真に受けるか?
うちのじじいのガキの頃は日本は連戦連勝だと思ってたらしいぞ。
412無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:31:21
>>408
その価値がある、ないという根拠が既にない。
413無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:31:35
演義は正史を元に書かれたフィクションが歴史学会および世の中の通念だろ

演義は正史を元に書かれた歴史書と歴史学者が認定して、世の中の通念になってから大言壮語吐けや
414無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:31:43
結論でたな。本題に戻ろう

どうすれば関羽は樊城を落せただろう?
415無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:32:01
中国の正史に事実を求めるのが不適切だろ
416無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:32:48
>>410
は?落ち着け
417無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:33:28
とりあえず兵糧

捕虜とって足りなくなってたら世話ねェっつーの
418無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:34:06
>>414
後世の歴史家が落とした、と認定すれば。
419無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:35:52
>>409
>都度考えていくべき話
なら演義もそうだよ。

そもそも演義と正史でどちらが0、どちらが100という話じゃない。
どちらも30〜70くらいで揺れてるって話。
420無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:36:00
壮大な演義厨の釣りに乗ってやる必要もあるまい
421無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:37:11
>>418
とりあえず今の所後世の学者は関羽は落せずに敗北したと認定しているので
ひとまずそれに乗っ取って語りましょう
422無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:37:22
正史厨が無駄に噛み付いてるだけ。 
完全な真実がないように完全な虚構もないって事。
423無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:38:29
>>421
もう少し頭の下げられる男だったら…呉を怒らせる事もなかったんじゃないかな。
424無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:40:08
>>423
じゃあ呉と仲良くする事がまず一つだな。
じゃあ次は
曹仁を退けるにはどうしたらよかっただろう?
425無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:40:22
>>411
まず「アンタの爺さんが『子供の頃は日本は連戦連勝だと教わった』と言っていた」というのも一つの記録・歴史になり得る。
ただそれだけだと記録の中でも信憑性・確実性には乏しいな、と言われるだけ。

これでそれを聞いたアンタの氏素性や、爺さんの氏素性も明らかになれば一歩信憑性が上がる。
他の人間の証言とも重なればまた信憑性が上がる。

…ちゃんと勉強をしましょう。
426無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:40:25
シュウユをスルーすんな
427無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:43:45
>>425
1000年も経って民間で伝承されてるようなほうが信憑性あるよ、数人で作ったような史書よりね。
428無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:47:02
>>425
そのまま日本が勝ってれば連戦連勝だとごり押しで歴史認定されてたかもな。
こんだけ写真や資料があり多種多様な意見が言える現代でも歴史の修正がひっきりなしに行われてる。
実は〜だっただの極秘資料が発見されて〜だの。
429無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:49:49
>>427
アホ?
上のほうちゃんと見てからいえよ
430無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:51:14
>>419
>どちらも30〜70くらいで揺れてるって話。
これなんという偽装工作?
演義が7:3ということは聞いたことがあるが
431無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:52:22
>>427
参照された文献も含めれば多数の人間の関与があり、
さらに多くの人間が検証しながら、1800年ほど史実として伝承された記録の方が、
1000年前にフィクションとして個人に作られた物語より信憑性がないと考えるのは、
どう考えても知的障害者。
432無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 21:55:40
>>428
演義って言ってみれば、
その「そのまま日本が勝ってれば〜」という着想にそってアンタが即興で書き上げた空想物語みたいなもん。

現在のアンタが知るその「修正がひっきりなしに行われてる」『歴史的事実』ってやつと、
どっちがより正しいかなんて議論をまたないよな?
433無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:01:00
>>430
じゃあさ、正史に80以上の信憑性があると思う訳?
434無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:01:47
こういう伸びって大体、なんかの議論に負けそうな奴が、
それを誤魔化すために突っ込みどころ満載なレスを連投することにより、
流れを有耶無耶にしようとしてる。
435無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:01:50
>>433
・演義は一般に事実70%虚構30%と言われてる
・三国志正史の記述は正史の中でも信憑性が高いと言われてる

ざっとネットで「信憑性」を調べてみてこれが一番多い意見だな
436無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:02:24
>>419
もちろんそうだね。
演義も大まかな流れは大体正しいよ。
たださっきも書いたけどそこは論点ではなくて、
歴史書的価値は演義にはないという事。
この際はっきり言わせてもらうが、歴史書の適正に関してあえて言えば三国志演技は0。
あくまで歴史に則った小説であるから大まかな流れは同様であるとはいえ、
それを歴史書として見るのは本当にやめた方がいいと思う。あくまで2次創作ですから。
演義でわかる大まかな歴史の流れ、例えば後漢王朝衰退、魏成立、蜀成立、呉成立というのは演義でも窺い知れるが、
それは当然正史からも窺える。しかし演義のみで正史から窺える具体的な人物の名前、出身、事績、人物、役職はほとんどわからない。
三国志演義の内容それが三国志と比較し正しいかどうかではなく歴史書としてあるべき形ではない、という点。
創作元が三国志なんだから当然なんだけど、一応。
437無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:02:54
>>435
>正史の中でも信憑性が高いと言われてる
これはそもそも正史自体の信憑性がそこそこしかないって事じゃん。
438無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:03:30
>>436
歴史書的な価値なんてどうでもいいだろ
439無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:05:03
>>435
事実が70パーセントも含まれてるなら演義も考慮して当然じゃね。
比較してどっちがより信頼できるって話じゃないだろ。
440無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:06:26
お前らが赤壁赤壁、周喩周喩ってうるさいからRED CRIF持って来てやったぞ。
alanの「RED CRIF」のテーマ曲〜映画ヴァジョン〜
http://www.gyao.jp/sityou/catedetail/contents_id/cnt0071263/

アーチストのPVだが、半分は映画の場面。俺は諸葛亮の金城しか分からんかった。
441無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:06:33
おいもうみんな釣られなくていいぞ
無駄だから無視しろ
442無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:07:49
>>436
例えば周倉は演義では存在するけど正史では窺えない。
これを虚構だからっていうなら、正史に書かれてて演義では窺えないものは虚構だからと言い換えられる。
443無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:07:53
>>437
はぁ?どうやればそんな解釈になるんだ?
444無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:08:05
>>439
よく言われてるのは「史実7割、虚構3割」
つまりは「7割ぐらいは正史にそっていて、3割は作り話」って意味なんですが。
445無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:09:13
>>443
正史の信憑性が確実に近いなら正史の中で高低を言われる必要はない。
446無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:09:50
>>444
なんで史実を正史と言い換えてんのw その辺がおかしいんだよバカ
447無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:11:24
そもそもの認識が前提から違うんだから噛み合う訳ない
448無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:13:40
自民党=正史厨

民主党=演義厨

公明党=中国政府
449無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:17:11
正史だろうが演義だろうが関羽の状況が好転する訳でもなし。
450無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:17:33
>>442
これだけでどちらが信憑性に勝るか判断できないのなら当然他の部分を考慮し
より適切に書き記してある方が事実であるとするのが妥当だよね。
今回の場合はまず1000年後、歴史書的として書かれたとすると限界なほどの時制差に加え、
演義のとても現実に即さない戦争描写や外交描写からくる信憑性の差から、
周倉は実在せず演義によって作られた存在であると想定できる。
451無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:18:58
>>446
なんでって正史が演義の歴史資料で尚且つ、他の歴史資料の影響が発見できないから
厳密に他の歴史資料の影響を含めろっていうなら
「7割ぐらいは歴史資料にそっていて、3割は作り話」でも良いけど、文意に大差はでないし。
452無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:19:13
まあ、赤壁の真実が知りたければhttp://redcliff.jp/index.htmlを見ることだ
正史なんか読むより200倍よくわかる。
453無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:19:36
演義で史実を考察しようとするのは、司馬遼小説で戦国時代を考察するということと同じこと。
454無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:19:59
だからどちらのほうが、って話じゃなくて
程度の差があろうがどちらも大して信用できないしかといって無視するほどでもないって言ってんだろ。
455無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:20:22
>>437
リアル馬鹿じゃね?
歴史資料の中で信憑性が高いんだから
演義やら民間伝承やら野史も全て含んだ中で最も信憑性が高いと理解するのが普通だろ
456無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:21:02
>>451
民間伝承 資料の解釈
457無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:21:27
何言っても無駄だなwワロタ
458無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:22:15
>>450
信憑性の差の話をしてるのに、そこで何か主張する根拠に信憑性の差とか使うなよ。
それが妄想なのよ。
459無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:23:06
>>454
お前は、歴史なんてタイムマシン乗ってこの眼でみなきゃ信用できねぇんだよ
と言ってることと同じだろ
460無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:23:07
>>455
正史の中でも



って書いてんだろ、文盲
461無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:24:42
>>455
>・三国志正史の記述は「正史の中でも」信憑性が高いと言われてる
462無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:24:57
>>454
信頼できる程度の差が大差だから、比べると演義は無視して良いレベルと言ってるわけ。
むしろ「どちらの方が」の話をしてんだよ。

そもそも演義の信用できる部分=正史と重なる部分だし。

何か一つでも、具体的に「演義の正史には無いor異なるこの部分はより信憑性が高いと根拠を示せる」
とできるなら証明してみろよ。
463無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:26:15
>>459
そうじゃなくて、正史をそんなに信頼性の高いものだと思ってないだけ。
むしろそんなに正史を妄信(言い方悪いか)する意味が分からん。
464無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:27:44
>>454
君は大差だというが、俺は大差だとは思わんてだけの話だろ。
後半のとか意味分からんし。割合として演義の方が高い必要もないし。
465無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:28:44
>>462
例えば周倉
466無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:29:20
なんだこのスレ
467無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:29:45
法律解釈一つですら喧々諤々。

歴史書なんか最早ファンタジーですよ。
468無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:30:17
盲信てw
バカか?そうなんだろうな多分
469無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:31:53
>>468
なんだ?言い方悪かったかもしれんがそれは書いたろ。気分害したなら謝るが、そういうレスはただ煽るだけだぞ。
470無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:33:11
関羽と呉のすれ違いもきっとこういう事。
471無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:33:26
>>460
はぁ????正史は歴史書であり歴史研究する史料だろ
その史料批判された上の信憑性が高いってことだろが
472無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:34:21
315 :無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 19:13:14
>>311
>>306に対する反論ですよ?
劉備の命令にしろ関羽の独断にせよ、軍を動かしてもおかしくない背景があった、というだけの話。
その結果の勝敗については問題ではないでしょう?

俺tueee!という自信があるなら215年の時点でも
劉備の援軍を待たずに零陵を解放にいったはずだろうと>>306で言ってるんだが。
曹操にしても孫権にしても、
自身が後詰として曹仁・徐晃、呂蒙らをそれぞれ支援してるから上手くいった。
劉備も本気で土地を取るつもりなら慎重策で手堅くいくはずだろう。
しかし、それでもリスキーなくらい。
なぜなら蜀は連戦続きなのについ最近まで益州は財政破綻寸前の反乱頻発状態で、
漢中に至っては魏の強制移住でその通りの「鶏肋」。
ようやく小康状態に入ったのに、この時点で劉備が大規模な作戦を起こそうと思わんだろ。
関羽一人の独断としても開戦当初の時点で既に侯音の乱は潰れてるし、
呂蒙は未だ仮病を使ってた訳ではない。
軍を動かしてもおかしくない背景とは一体何を指すの?
それが分からん、と度々言ってるんだが。
473無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:34:40
>>470
つまり呉が最初から荊州奪う気だったのと同じで、最初から意図的に荒らしてるということか
474無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:34:56
>>471
といってもそれは割合の話に過ぎないんでは。
475無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:35:46
>>463
殆どの人の一番の理由は「他により良い歴史資料がないから」だろう。
だから正史を一番に信じる。しかも日本語で、となると尚更少ないし。

せいぜい翻訳された三国志・後漢書・晋書の「正史」の各所を読み比べるくらい。

もしアンタがこれ以上に「より良い歴史解釈」ができないのに、
そんなこと言ってるんだとしたら、どうしようもないな。
476無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:36:52
>>472
自信だけで攻められるなら曹操はさっさと侵攻してますよ。
477無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:36:57
正史に書かれていることが全て真実とは限らないというのは皆が認めるところだろう。
ただ、だからといって正史よりも演義のほうが信憑性があるというのは飛躍しすぎ。
478無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:37:09
きょうび翻訳された三国志読んだ程度で正史読んだなんて言う奴なんてあまりいないだろ
479無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:38:20
>>475
一番に信じるならそれでいいじゃん。二番手、三番手に演義を信じれば。
正史派は一番に正史があるけど、二番手三番手はなくてそれだけって言ってるんだろ?だからそれはおかしいって言ってんの。
480無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:38:29
>>465
ほら「例えば周倉」については『より信憑性が高いと根拠を示せる』んだろう?やってみろよ。
481無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:38:46
史料批判

史料批判(しりょうひはん、 独語Quellenkritik)とは、歴史学の研究上、史料を用いる際に、
様々な面からその正当性、妥当性を検討すること。
19世紀ドイツの歴史家レオポルト・フォン・ランケ[1]の提唱による歴史学研究法。
その著『近世歴史家批判』[2]は史料批判をとおして近代歴史学の基礎を確立した画期的な著作だとされている。


>三国志正史の記述は「正史の中でも」信憑性が高いと言われてる

これは正史三国志が史料批判された結果を三国志研究家、三国志ファンが言ってることだろ
482無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:40:36
>>480
後世の権力者による指定よりも民間伝承のほうがより何かの意図に左右されない真実性があるから。
483無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:40:52
>>478
実際正史読むよりそこらへんの三国志本みるほうが頭には入るけどな。
正史って伝記みたいに人物ごとの記述がかかれてるから流れ掴もうと思ったら一回タイムテーブルを整えなきゃならない
484無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:41:39
>>480
信憑性が低い根拠を出せよ
485無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:41:52
というか、おまえらよくいちいち相手にする気になれるな
486無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:42:15
>>479
残念ながら演義は二番手にも三番手にも入る余地はありません
487無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:42:49
>>483
よくみんなわざわざ西暦に直すよな
元号で憶える方が便利じゃね?
488無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:42:50
>>477
歴史の真実なんて誰にも分からない。
それなら今世界的にメジャーになってる演義のほうが本当の過去として捉えられるのは当然。
489無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:43:19
>>479
「二番手、三番手にも演義はこねぇ」という人、
「二番手、三番手には資治通鑑・華陽国史など正史以外の歴史書」なら居るが、

それだけって言ってる奴って具体的に誰だ?具体的にアンカーつけて言ってくれ。

何故演義を信じないか、「それが元々フィクションだから」。
490無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:43:33
>>486
はいダウト。 演義の7割は正史からなんだろ?
491無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:44:16
>>489
同意。演義は元々フィクション。その元になった正史もフィクション。
492無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:45:32
>>485
お前みたいに意味のないレスするほど暇じゃないからな
493無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:46:24
このスレも限りなくどうでもいい流れに突入してるな。
>>1の命題と関係ないじゃん。正史vs演義スレでも立ててそこで勝手にやってくれ。
演義は経典だから正史より史料として上とかいうのは
議論を誤魔化す際の常套手段と化してる感がある。
494無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:46:42
>>481
結局後世の人間があれやこれや言ってるだけじゃん。 そして割合の問題だってのもなんら揺らがないし。
495無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:47:09
>>490
何がダウトだ
信憑性が認められるのは正史からのもんなのにどうして信憑性云々の話になる?
そもそもが小説に信憑性を期待する事が間違いだよ
496無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:48:12
>>458
あのさあ。
そこまで言うんなら演技が正史より歴史を適切に示している根拠を示してくんない?
演義のとても現実に即さない戦争描写や外交描写からくる信憑性の差
とはそのまま
曖昧な部隊運用や地形的要素に左右されない単純な計略や謀略、結局一騎打ちに左右される華やかな戦争、
当時の国力差的に不可解な戦力比、不要な個人描写に終始している、そういったわかりやすく改変された戦争が現実に即していない
故にそういった表現に終始している三国志演義に信憑性は無い
比較して三国志本文は事象を簡潔に書き記してありながら、全文を読めば
具体的な会戦の位置、規模、軍隊の配置まで把握できる。そういった優れた点からの信憑性の差
とも言い換えれるがそう言わないとわからない?
周倉がどうだとかどうとでも言えそうな屁理屈をこねて、妄想なのはどっちか冷静に考えてほしいね。
そもそもこんなことを考えずとも演義が語るまでも無いことなんて明らかなんだから。
497無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:48:42
>>495
7割も真実が含まれてるのに信じる余地がないんだ、へー。
じゃ真実なんてないのと一緒だね。
498無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:49:18
で、録尚書事って何が仕事なの?
499無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:50:02
>>496
>そもそもこんなことを考えずとも演義が語るまでも無いことなんて明らかなんだから。

もうこの時点ではじめから議論する気ゼロってのがよく分かるね。新興宗教の信者じゃないんだから。
500無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:51:32
467 無名武将@お腹せっぷく 2008/10/03(金) 22:29:45
法律解釈一つですら喧々諤々。

歴史書なんか最早ファンタジーですよ。



まるで万物の真理をわかってるような言動wwww
こんな人を世間では知ったかシャーシャーと言うんですよねw
501無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:51:43
>>482
後世の権力者がワザワザ「周倉の存在を消せ」と圧力をかける可能性、
それが他の正史以外の史書にも全く残らない可能性、
そしてそれが偶々小説家の書き上げた小説の中にだけ残る可能性がどんだけあるんだ?

「権力者がそれを認めた」という一事に周倉の存在を疑わせる何物も発見できないんだが。

民間伝承なんて伝えられる過程で遥かに多くの人間に左右されるじゃねーか。
502無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:52:06
>>497
真実じゃなくて史書からの記述な
そのお前の言う真実云々ってのも小説を書くための時代考証として、だ。

史書を真実にどれくらい近いのかを考察する事は出来るけど
小説で同じことは出来ない。出来るのはどれだけ元ネタに忠実か、独自の解釈かを考察だけだよ。
503無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:52:25
>>500
演義厨はオウム真理教の信者なんだろう。
504無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:52:43
>>496
簡潔に書いたら把握できるに決まってるじゃん。その隙間は脳内妄想で埋められるんだから。
演義は読み物としてあるからその隙間を脚色してある、それは確かだよ。
だけどその事と全体の信憑性とか関連がない。  嘘は嘘として書かれてるんだよ。それくらい読み取れよ。
505無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:52:51
このスレ見てると

・演義が好きなまともな人
・頭のおかしいキチガイ演義厨

の違いが如実にわかって面白いな
相手にするだけ無駄ってくらい酷いレベルってのも凄いが
506無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:54:28
>>501
はるかに多くの人間が修正し合うから偏らない歴史が語られるんだよ。

恣意的な辞書よりwikiのほうが正しい事もあるだろ?
507無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:55:19
>>503
こんな事を平気で書ける正史厨は人間性からしておかしい。つまり言動も信用できないな。
508無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:55:31
>>>>482
三国志演義より以前の民間伝承に周倉の名があるならその可能性も無くは無いが、ある?
わざわざ史書からもれた人物が小説によってあらたに残されるとは思えないが。
それだったら最初から創作の人物と考えた方がはるかに自然。

509無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:55:32
>>505
・一般人
・基地外

で十分。演義を読んでいようがいまいが大本の人間性に関係はない。
510無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:56:50
むしろ正史に書かれてるうち、演義と被る部分については全て虚構な気すらしてくる。
511無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:57:49
>>508
ある?て言われても。タイムマシンで聞いてくるか?
512無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:57:59
>>510
そこまでいくとさすがに疑心暗鬼に陥ってるとしか・・・
513無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:58:39
>>510
正直、それは病院に行ったほうがいい
514無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 22:59:10
結論。

正史はファンタジー。
演義はメルヘン。
515無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:00:19
>>507
真理と真理をかけただけだ。
同じように個人攻撃するお前の言えた義理じゃない。
516無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:00:20
>>491
正史は「歴史として残されてる記録」でありフィクションとは呼びません。
演義は「娯楽小説として残されてる物語」なのでフィクションと呼ばれます。
517無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:00:49
>>504
そんなもんお前の都合のいい解釈だろ。
全てに脚色が加えられているのに大事なところだけ正史より事実に即してますなんて都合のいい話があるか。
そもそも演義のどこに信憑性があるのか。
国家の公認も歴史研究家の裏付けも無い小説によくそこまで妄想できるな。アホか。
518無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:01:36
>>515
個人攻撃なんてする訳ないじゃん。 どんな被害妄想だよ。

ただダジャレは評価する。
519無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:02:23
>>511
タイムマシンがあれば一番だがないからな。資料で判断するしかない。
だから周倉の存在を創作だと認めたくないなら
その民話のなかから周倉の記述を見つけるしかないよ。
三国志演義以降のものだと明らかに演義がモデルになってるからムダだがな。関帝廟にもいるくらいだし。
520無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:02:30
>>514
蜀中毒患者は入院しなくていいのかい?
521無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:03:10
赤兎馬と同じ速度で走る男 周倉
522無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:03:31
>>517
演義の全てを信用しろとは言ってない。演義はいわばガイドラインだ。
正史が点なら演義は線。ただしどちらもぶれてるからどこが正しいラインかは解釈次第ってこと。
523無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:04:58
>>506
そういった学術的な修正を幾度も経てきたと保障できるのが正史なのはご存知ですよね?
有名な裴松之をはじめそれこそ膨大な人数が検証を経てきたのが正史。

伝言ゲームで変容してった以外に演義に話し合いによる検証があったなんてどうやって判るんですかね?
524無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:05:04
>>519
明らかに、と言うが明らかの根拠がないじゃん。
てか関帝廟にいるくらいならそれはいたのと同じ事だよ、もう。
もう神話の世界だし三国志なんて。
525無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:05:35
だから演技は正史が元ネタだっつの
だからどこまで行っても正史以上のことなんて書いてねーよ
何でこんなことに必死になるんだよ低脳
526無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:05:59
>>523
その過程で時の権力者の影響を受けまくったのが正史。
527無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:06:09
陳寿は魏晋に都合のわるいことは行間に書くとのこと。
荀勗がキレてたから何か意図があるんだろう。
528無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:06:48
>>525
正史だけ見て書いたと思ってるの?
演義が出来る過程でまたミックスされてんだよ。
529無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:07:10
>>522
線は点と点を結んだ産物だ。点が狂ってれば線もできない。
正史がおかしければ、演義も誕生してないということだ。
530無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:07:46
>>525
だからどちらが上って話はしてないだろ。
どちらもそれなりに信用できるし、どちらも信憑性に欠ける部分はあるって言ってんの。
531無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:08:54
>>529
別に正史の点に沿って線を書く必要もないけどな。
上下にぶっ飛んでる点は飛ばす事も出来るし。
532無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:09:35
>>526
影響受けてるのは民間伝承もそうだろ。
正当性を研究する、歴史学ってもんを馬鹿にしてんのか?
533無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:10:14
あのさあ、論点ズレズレ
正史が元ネタなんだからそれ以上のことが書いてあるわけがない。
正史の信憑性に欠ける部分はそっくりそのまま演義のそれ。
どちらもも糞もないんだよね
534無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:10:30
>>532
正統と真実は違うだろ。常識。
535無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:11:16
>>533
民間伝承と資料の解釈
536無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:11:32
その過程で受ける「権力者の影響」とやらが、

民間伝承が有象無象の人間から受ける影響の大きさ+
1000年規模で起きる文書化されない伝承途上の情報の劣化に比べれば、それこそ比べようもないほど小さいことは
考えなくても分かりそうなものですが。
537無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:11:52
>>524
明らかにの根拠が無い、という事を証明したいのであれば演義以前の資料から引っ張ってくるしかないんだよ。
演義より前には無くて演義より後には沢山あるんだから演義の影響が見て取れるのは明らかだろ?これを覆すには演義以前の確固たる資料しかないじゃない。
悪魔の証明だっけ?
538無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:12:35
民間伝承はパラレルに幅広いから、そこでとられた平均とは真実から最も動きにくい。
539無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:13:46
>>530
その理論だとまさに正史から派生した演義は正史のカテゴリー下にしかない、ということになるが
540無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:13:47
>>537
当たり前だろ。演義がいわば決定版として広まったんだから他のが廃れるのは仕方ない。
というか他のが統合されたのが演義。
541無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:14:43
>>539
別にカテゴリー下でもいいんじゃない?まあ直下とは思わないけど。
542無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:15:05
>>530
だから信用できる部分に比べようもない大差があるって、
これまで繰り返し何度も何度も述べられてきたのに、何一つ満足に答えてないお前はなんなの?

いいから「演義の正史にはないけど信用できる部分」を具体的にあげてみろよ。
543無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:15:51
>>537
覆すというか、君のその前提が既におかしいからね。悪魔の前提だよね。思考がそこからしか働かないんだから。
544無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:16:41
>>542
比べようもないってのは何なの?どこからそんな確信が?
自分にはそれは全く同意できないな。
545無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:17:15
>>531
正史の点に添ってない三国志演義と同等の書物ができるのか?
三国志平話がそうかい?もう滅茶苦茶になってきてるな。
546無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:17:31
>>540
だから周倉を証明したいのならその統合される前の文献を引っ張って来い。

今残っている周倉にまつわる話は演義が元だろう。だから彼は演義から生まれた創作だ
というのを覆すにはそれしかない。

悪魔がいる事を証明したいのであればつれて来い、っていうヤツだな。
547無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:17:32
演義の正史にはないけど信用できる部分

意味がわからんw 
信用するだけでいいなら信用するよ
548無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:18:22
>>546
だからそれは統合されたと書いたろ?文盲?
549無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:19:39
>>545
そもそもの点自体が、推測によって打たれているに過ぎないという事。
550無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:20:48
>>522
何で演義と正史同列に扱ってんのかなあ・・・・
小説だっつってんのに、これだけフィクションだって言われてんのに。
演義に信用すべき所なんてないんだよ。
551無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:21:16
ちなみにこの流れは、

316 名前: 無名武将@お腹せっぷく [sage] 投稿日: 2008/10/03(金) 19:16:26
>>312
だからほとんど周瑜の戦果だっていう奴もいれば劉備の戦果だって言う奴もいるだろ。
スポーツのMVPだって満場一致で決まるもんじゃないだろ、それぞれの見解があるだろうに。
だから名目としては劉備陣営の勝利だけど、その内訳、実質誰の力による勝利かまでは分からんと言ってる。


「324 名前: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日: 2008/10/03(金) 19:49:29
>>316
劉備の戦果とか言ってる奴いないだろ


という突っ込みに耐えられなかった>>316の必至の誤魔化しです。
552無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:21:33
>>543
しゃーから周倉の実在を証明したいならそれを証明できる記述を引っ張ってくるしかないよ、ってことさな。
553無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:21:47
>>546
周倉にそんなにこだわっても仕方ないだろ。
それは正史と演義の相違の一例なんだから。

どちらかにあってどちらかにないって言いだした通り。
554無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:22:18
>>550
だからその前提が既に恣意的だろ。
555無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:22:25
演義を正史と同列って、ドカベンプロ野球編に実在の球団選手が実名で出てるからって岩鬼が実在すると思うようなもんだ
556無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:23:00
>>551
感じをしっかり囲う
557無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:24:07
>>544
だーから正史がネタ元だからだっつーの
本気でアホだね
マジで救いようがない
意地でも張ってんの?
558無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:24:16
>>552
なら正史にしか書かれていない事についてもそれを証明しなきゃな。
ていうかそもそも当時の人の記憶が正しいかどうかも証明しなきゃならんのじゃね。
559無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:24:34
>>548
だから統合されたという明確な証明が必要。
それには結局演義以前の文献を出すしかない。

バカ?
560無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:25:32
>>557
いや…正史が元ネタならやはり大差ないでしょ。
561無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:26:24
>>549
推測によって打たれているという根拠は?
562無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:27:05
>>561
正しく打たれたという根拠は?
563無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:27:41
>>559
演義自体が有象無象の統合体だと書いたろ?大丈夫?
564無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:28:53
>>555
ドカベンは現実にいるじゃんその選手たちがw
ちょっと例えとしては違うだろそれ。
565無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:28:57
疲れた
566無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:29:53


184 黄巾の乱
200 官渡の戦い
208 赤壁の戦い
219 関羽あぼん
220 曹操あぼん、曹丕が即位
221 劉備が即位
222 夷陵の戦い
223 劉備あぼん
229 孫権が即位
252 孫権あぼん
263 蜀漢が滅びる
265 魏が西晋に禅譲
280 呉が滅びる
290 司馬炎あぼん
308 劉淵が漢を建国
316 西晋が滅びる
567無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:30:02
>>560
いや大差なくねーから
要するに演技は正史を改変しただけ
正史が100なら演技は絶対それ以下
間違ってくことはあっても正しくなることはない
568無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:30:07
>>551
実際劉備の戦果という奴はいないしな
もし現れたら、「そりゃ演義だろ」で片付けられる
「そりゃ演義だろ」って言うのは、2ch用語の「半年ROMれ」と同義だからなw
569無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:30:22
>>544
@三国時代から50年後程に、A歴史の専門家が、B歴史書としてその他多くの史書を参考に書き上げたものを、
C裴松之など多くの人間が膨大な資料を用いて検証されてきた、
D現在一般に三国時代について最も正確とされる歴史資料

これと

@三国時代から1000年以上後に、A小説家が、B講談と史書「三国志」を参考に書き上げた
C痛快な娯楽小説でD当然歴史として実際に検証した奴など聞いたこともない

これを比べて信頼性に大差ないと思わないお前がなんなの?
こんなに自信をもって確信できることも珍しい。
570無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:31:08
>>566
これをもとに歴史をつくろうか
571無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:32:14
>>567
大差ないっていうのに対して、なんでそれ以下とかいう反論が来るのか…?
以上か以下かなんかどうでもいいんだが。
572無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:33:40
>>569
その丸数字の中って君の適当な解釈だろ。
聞いた事ないとか… 酷いぞ。そんなレベルで話してたのか?
573無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:34:29
>>568
俺は劉備の戦果だと思ってるよ。だからいるね。
574無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:34:34
>>558
それは証明の余地が無い。
正史は後漢末から三国時代の終焉までの流れを纏めた歴史書である、という定義だから。

周倉はその定義にはなくそれをモデルとした二次創作物には存在するから証明の余地がある。
この定義に基付けば正史に残ってれば実在したとは認められる。そこを許容しないと三国志自体語れないからね。
だからこの命題だと正史以降と演義以前の間に存在する資料に周倉の名が有るか否か?が重要になるんだよ。
575無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:36:19
>>574
それは説明になってないよね。定義だからって。
結局君の独自の定義上で語るから証明の余地がない、と言ってるだけじゃないの。
俺が言ったのがルール、ってね。
576無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:37:48
>>569
人がどう思うかなんてそれぞれだろw
誰もが思ってなくても地球は回ってたんだぞ。
577無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:38:16
>>572
「三国志演義」の内容を歴史的事実として歴史学的に検証した例が実際にあったなら例示してくれ。
実際寡聞にして聞いたことないし。
578無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:38:21
ナイトスクープで解決してもらおうぜ
579無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:39:27
>>571
だからさあ、正常ならまず大差があるのなんて>>569の様に大前提なわけよ
それが違うなんてもはや屁理屈
嫌なら中国史学会にでも文句つけろよ
正史も演義も同様に信用できません!って
馬鹿丸出し
580無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:40:46
>>579
なんで中国史学会に文句付ける必要があんの? 自分の歴史解釈に何ら関係ないんだが。
581無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:40:50
はい出ました「人それぞれ」
ここまで正史を疑い演義を立ててるのここの奴くらいだよ
582無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:40:53
>>575
俺ではなく歴史家が決めたことだよ。
三国志の時代考証をする上では陳寿の三国志が一番基本的な資料だとされて、それを基本定義として考察が行われてきたわけだから。

だからもし正史が全く史的文献として信用ならないというのであればそれ以外の新たな文献を発見するしかないよ。
583無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:41:25
>>568

286 名前: 無名武将@お腹せっぷく [sage] 投稿日: 2008/10/03(金) 02:08:46
まあ、この辺でも読めば多少はわかるんじゃないかな
ttp://www5f.biglobe.ne.jp/~f-sinner/3th/052.html
そもそも正史では赤壁はそれほど大きく扱われてもいないし、呉軍メインで戦ったともされとらん。


これからの一連の流れがプライドを傷つけたんかねw
多分このスレを埋めるまで頑張ると予想。
584無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:41:59
>>579
じゃあ中国国民に文句つけて来いよ、演義なんて一かけらの信憑性もありません信じるな!ってさ
585無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:43:03
>>562
正史は一級史料だからだ
これでもまだ正史はファンタジーというのかい

一級史料を創作と言うあんたはどんだけ歴史に精通したキャリアがあるんだ?
586無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:43:15
>>580
だってこういう場でそういうアブノーマルな主張迷惑だもん
ウザイんだよねこういうわけわからん脱線
どこに文句つけてもいいがここで暴れんな
587無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:43:30
>>583
これはどっちに依るともないって書き込みなんじゃないの?
588無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:44:12
>>586
無駄に噛み付いてるのはそっちでしょ。
589無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:45:05
>>586
どこでもいいならここでもいいだろw
そもそも正史がどうとかってのもスレ違いだ。
590無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:45:20
一級史料

歴史上の事件や人物、制度などを論じる上で根本的あるいは重要と考えられる史料を指す。
591無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:45:43
>>584
中国人がどうしようが勝手だろ
ここの奴がウザイのは一般論を覆すほどの論理もないのに馬鹿みたいに持論に拘ってる事
じゃあ永遠に演義信仰してろ でも他所でやれ
592無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:46:09
>>587
いんや、それは多分異説を示して注目されたかっただけだ
593無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:46:21
>>591
じゃあ中国史学会がどうしようが勝手だろうが。
594無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:47:22
は?
595無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:48:32
>>590
しょせん「考えられる」ってだけじゃん。
もうさ、自分で考える頭がないなら黙って三国志読んでりゃいいじゃん。
正史でも演義でも好きな方読んで、んでそれが全てじゃん。 IFスレで書く事ない。
596無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:49:46
>>591
自分は演義を信仰したいんじゃなくてどちらも信じすぎる事なく疑いつつバランス取ってたいだけ。
597無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:50:07
>>587
どうかね…そもそも演義の正当性を本心から信じてるというより、
赤壁を巡る議論でどうやら自論が負けそうだから演義を持ち出して土台からうやむやにしちまおう、
みたいな感じがする。
598無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:53:08
>>597
じゃあ赤壁の話題を振ればいいじゃん。
むしろそうやってうやむやに勝ったことにしておきたいって臭いがプンプンするよ、そのレス。
599無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:53:39
>>596

でバランスwを取っていたいアンタは
>>569を見ても信憑性に大差を感じないわけ?
600無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:53:59
>>597
まあその主目的から言ったら俺達はまんまとヤツに一本取られたワケだが
601無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:54:34
>>598
いや明らかにおかしい流れ。伸びすぎだろ
602無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:55:07
>>599
感じないですね。
>>569の書き方自体が偏ってますんで。
603無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:55:28
信じすぎる事なく疑いつつ

うわっ鳥肌立った
演義のどこに信じれるところなんてあるんでちゅか?
604無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:55:54
>>601
どう考えても正史厨が訳分からん絡みしてんのが伸びてる要因だろ。
605無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:56:50
>>603
演義の7割は正史なんだろ?
じゃあ正史は最大でも3割しか信じられないの? 
606無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:57:13
>>604
うむ。君はあえて混乱を望むかね?
607無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:57:30
>>603
それはさすがに釣りだと思いたい。
608無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:57:44
>>605
やべー意味不明w
609無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:58:51
>>606
望まないよ。
じゃああえて混乱させてるのは両方じゃん。混乱が目的かお前ら。
610無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:58:59
>>605
もはやその問いの意味がわからぬ
611無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:59:41
>>603で演義に信じられるとこないって書いてるじゃん。アホ?
612無名武将@お腹せっぷく:2008/10/03(金) 23:59:53
じゃあ>>598の意見に乗って赤壁の話しに戻すか?

赤壁において呉軍がメインで活躍も大きい、とする立場は
三国志内の具体描写、後漢書や晋書などの後世の評価を根拠にするとして、

劉備の活躍が大だ、あるいはどちらとも言えないとする立場の人の根拠とは?
613無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:01:10
>>609
君が混乱を望まないのであればここは静観の一手のみだ
614無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:01:41
>>612
呉軍がいかに戦力が大きかろうと、援軍という立場だから。
あるいは詳細までは不明だから。
615無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:02:26
>>611
だって演義って基本的に全部虚構だもん
流れだけ見れば一見正史と大差ないが詳しく見るとグチャグチャ
7:3つーのなんて印象論だろうが
616無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:02:55
>>602
成立年代、著者、参考資料、歴史的検証と評価、表現様式

この中の何がで>>569のどの部分で恣意的なのか具体的に指摘してみそ?
617無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:03:02
>>615
やっぱり大差ないんだ。
618無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:04:07
>>617
文盲ワロタ
619無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:05:09
正史基準の考察も難しいけどな。
個人個人の列伝で、同じ事象でも内容がかなり食い違ってるものも多いので
人物伝で史料の価値が高い、低いというものは決まらないと思う。
620無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:05:26
>>615
それでも信用ゼロの演義と流れで大差ないなら正史の信憑性もそのほとんどが失われるな。
621無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:08:28
いや?
演義の小説化で信用ゼロになっただけだから。
流れは合ってるって言ってんだろ?
ただ過程が絶望的に違うだけ
演技は大体首切って終わり
622無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:09:14
アホか。流れがあってるなら信用ゼロじゃないじゃねーか。
623無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:12:57
流れだけあっててもしょーがねーだろうが
例えば【219年】関羽は樊城をどうしたら落とせたか なら
演義だと曹仁殺してればとかその程度だが、
正史だと具体的に劉備の外交から戦術の考察まで深く語れる
624無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:13:48
その流れって劉備を主人公に置いたかなり偏ったもんだが…

てか演義の劉備自体欺瞞的なんだよな
関羽はカッコよく描かれてるのに…
625無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:13:56
>>623
じゃあ語れば良いじゃん。なにも正史を用いて話す事を批判はしてない。
626無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:15:18
>>614
@曹操が揚州を目指し南下し、孫権軍が主力となって撃退したのだから、
  孫権軍が主であり劉備軍が客であるとも見なせる情勢。
  というか孫権軍が多勢な時点で「孫権軍がメインではない」の反論としてはちょっと弱くないか?

A「当時曹操の軍勢は既に疾病を抱えており、初めの交戦で敗退し、長江北岸に引き揚げた。
  周瑜らは南岸に布陣した。周瑜の部将の黄蓋が言った。

 「いま曹操軍は多勢、我は寡勢であって持久戦は困難です。しかしながら曹操軍を観察いたしまするに、
  艦船をまっすぐ連ねて舳と艫とが接しております。焼き討ちすれば敗走させられましょう」
  そこで蒙衝・闘艦数十艘を選び、薪や草を詰め込んでその中に膏油を注ぎ、帷幕で包んで上に牙旗を建て、
  あらかじめ曹公に手紙を送り、偽りの降服をしようとした。

  またあらかじめ走舸を準備して、それぞれ大船の後方に繋いでおき、それから行列を作って前進した。
  曹公軍の官吏・兵士らはみな首を伸ばして遠望し、指差しながら黄蓋が降服してきたと言った。
  黄蓋はもろもろの船を放ち、時を同じくして火を起こした。時に風は猛り狂い、ことごとく岸辺の陣営に延焼した。
  しばらくすると煙や炎が天に漲り、人馬のうち焼けたり溺れたりして死ぬ者は非常に多かった。
  軍はついに敗退し、引き返して南郡に楯籠った。
  
  劉備が周瑜らと再び一緒になって追走すると、曹公は曹仁らを江陵城の守備に残して、
  まっすぐ自分は北方へ帰っていった。

丸々引用させてもらったが、このように詳細に関する記述も十分にある。
「詳細が不明だから」だけでは通らないだろう。
627無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:15:45
>>616
あえて偏った書き方をしますよ。

年代についてはどちらも後世であり、その大小は差にはなろうとも、本質的な真偽を問うものではない。どちらも過去という点では同じ。

著者の立場は前者は権力の影響を受ける立場とも言えるし後者が小説家だから歴史を研究しないなどとは言えない点。

参考文献の数も言葉で言うなら多いとも少ないともいえる。後者のほうが正史を含み更に幅広い伝承から平均した内容ともいえる。

小説だ、とそのまま言ってるだけで信憑性云々の話とは関係ない。

もっとも正確とされる、されるだけであってそれは研究の叩き台としての仮定。

てか番号が対応してる訳じゃないんだね。まぁそれはいいとして…
628無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:16:28
演義なら関羽が一騎打ちで倒せば、とか言えるぞ。
629無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:17:06
話の途中に演義を持ち出して関羽の武勇がどうだとか
関羽の呉への外交がダメだったとかで流れることが多いんだよ
630無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:17:29
>>626
例えば毛利や前田が大軍率いてきても、全体を見れば石田軍、というかその上の豊臣軍だろ。
631無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:18:49
>>629
関羽がそれなりに自分でやってるのは推測出来るだろう。
632無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:21:03
>>626
それとその記述自体の信憑性だろ。信用しないとは言わんが100パーセント信用も出来ない。
633無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:22:17
民間伝承って読んだことあるけど、トンデモ話しかないのは確か。
民間伝承で信憑性のある話があったら教えて切れ。
634無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:23:58
口伝じゃないの?
635無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:24:02
>>623
演義だと関羽の死後の霊験なども語れるんで
演義解釈も面白いぞ。
中国にも御霊信仰がある、という別の事実の存在も垣間見る事ができる。
正史記述とはまるでベクトルは違うけどね。
稗史ではあるがそれ故に文化の流通事情なども知る事ができて
俺は小説ではあるが演義の魅力はそういう部分にもあると思う。
636無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:25:56
関羽じゃなく関帝ならヒゲに宿る神通力パワーで一発なんだが…
637無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:26:55
関帝が商売によって民間から統一しました。民主主義の誕生です。
638無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:28:45
>>624
劉備は歴史の中心人物に据えられちゃったからな。
貧農出の聖人君子像は乱世に生きる人にとっては理想の人物像だったのかも。
民間の理想をも投影してる演義ならではの解釈なのかもしれんね。

関羽は逆に一武将の立場を活き活き貫けたので
既に神になっていた事に経緯を払ったとしても
特別な武器や馬、架空の配下など
元の人物像を壊さないような上手い脚色が施せたんだろうね。
639無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:30:20
正史でも演義でも関羽は最強人物だろ。
その関羽でもダメだったんだからどうしようもないって事では。
てか魏と呉が共闘して討ち取れないなら、そもそも三国鼎立の意味さえ揺らぐ。
640無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:31:43
孔明が肉マンを発明したのは史実?
641.:2008/10/04(土) 00:35:26
大嘘
642無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:36:12
>>639
正史では関羽より活躍した将軍結構いるけどな
643無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:36:50
>>627
信憑性を語る上で、

50年後と1000年以上後が真偽に影響を与えず、

歴史家は「権力の影響を受けたかもしれない」で-
小説家は「歴史の勉強をしてたかもしれない」で+

当時を実際に生きていた、歴史の専門家が触れることができたであろう参考資料の数は「言葉だけ」
1000年以上も経た後に得た資料は「幅広い」上に「内容は平均してる」と言え、

方や歴史書に比べ、小説を指して「信憑性」とは関係ないとは、

確かに偏りまくった意見だけど、なんでそんな言い方するの?
ちゃんと>>569の何処が恣意的かを具体的に述べてよ。
644無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:37:37
別な人物ならどうこうできたとかって問題じゃない
「関羽は」樊城をどうしたら落とせたか
なのだから
645無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:39:42
>>639
正史でもその時代を代表する1流の人物であることは間違いないね。
惜しむのは、やはりそのプライドから来る失敗でもあったんだろう。
646無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:40:23
>>644
もうちょっと人付き合いが良くて部下の顔色にも対応できる人なら良かったんじゃない?
あーでもそうすると曹操のとこから帰って来なくなるな。
歳取って丸くなってれば良かったのか。 頑固親父になっちゃったからな。
647646:2008/10/04(土) 00:41:17
という事で、孫がかわいかったら、に一票。
648無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:42:09
関羽と張飛の配置が入れ替わってたらとか
649無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:42:13
>>644
その場合、史実の結果をどうこういうのはご法度に近いけどね
どうにもそういう流れに向かう傾向が強いので
650無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:44:43
荊州を守り抜く、ならまだ簡単だけどな。
651無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:46:56
>>630
関が原で?

その例で言えば確か毛利軍は実際に来てはいないけど、役割上は総大将だったはずだから、
少なくとも石田軍とは呼ばれないで毛利軍対徳川軍だと思うぞ。
前田軍でも来てたらそうだったかも。大老対大老の流れに持ってきたかっただろうし。
その上の豊臣軍は、当時の後漢朝廷に相当する。

なんで例としてどうかと思う。

>>632
まさに信憑性を検討すべきなわけだが、一応呉の活躍がメインの立場で呉側の活躍の根拠を挙げた身としては、
一旦ボールをパスして否定的な検証を待つべきかなと。
652無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 00:52:20
>>651
真田がめっちゃ活躍したのが呉で
余力だった秀頼本隊が劉備軍とか

いや違うな

徳川が武田にぼろカスに負けて織田の力で撃退したけど
一応徳川としては守りきったみたいな感じかな。

それとも

曹仁が関羽にボコボコだったけど援軍がきて勝った。曹仁勝った、みたいなもんか。
653無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 03:30:13
そもそも魏軍の荊州制圧作戦は劉jが降伏した時点で終わり、劉備も樊城捨てた時点で役目終わってるんだよな。
長坂は小さい芽も摘み取る勢いで追い詰めただけでしょ。夏口に逃げた劉備を追撃してないし。
で、荊州を制圧した魏軍の次なる目標は江南であり劉備討伐じゃない。
魏としては孫呉が降伏すればよし、降伏しなきゃ会戦。
初め降伏色が強かった呉は武官の徹底抗戦の雰囲気に推され、反曹の劉備と同盟組んで赤壁の対決に持っていった。
本拠地も兵もほとんどない劉備と同盟組んだのは、
抗戦派が降伏派を説き伏せる為の一つの材料に過ぎなかっただけだろうね。
そして赤壁で魏軍と呉軍の激突。魏軍が疫病でリタイヤ、周瑜と黄蓋の活躍で呉軍の勝利(一応劉備軍も勝ち馬に乗る形)
この流れで劉備がメインというのは東南の風くらいありえない。
654北条氏真:2008/10/04(土) 04:11:01
常識的に考えて伸びすぎだろ。
落ちつけ。皆のモノ
655無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 05:23:52
>>653
嫡子の劉gがいるし、それによって荊州の士大夫も割れたじゃん。
本拠地は夏口があるし孔明の主張通りなら兵も2万はいる。眉唾だが。
劉備軍の戦場での仕事が孫権軍に比して
5:5より上になることは先ずありえないとは思うがね。
656無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 10:16:08
>>653
〜だろうね、とかその流れ自体が君の推論に過ぎないのに、ありえないとかつかうもんじゃない。
657無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 10:42:15
                       _,.、-‐―――- 、__
                     ,ィ´:.,.ィ'´ ̄``:.:ー-、\`丶、
                    /: ://: '"´ ̄: : :\ヽ:}>、:.\
         .         ,r‐fーマ,イ : /:/ ̄ ̄ ̄``丶 :.:\:.:\
                 く―‐-、__〉/:/-――――- 、 \:、\: ヽ
              ,.ィ''7ミ_,斗<,イ:.:./: : :./: :,.ィ'"´: : } :\ ヘヽ:ヽ:.ヘ
             /  /:.く. //:.:.:./: \': :/: : : : :./: :,'!: \ハ:ヘ:. :ハ
         .   /|   /:.:.ハムイ: : :/:./!: X: : : :._,イ:.:/ / | : |: ヽ!:.:!-‐┴-、
           ムj _,厶://{ ,':.:. :i,ィfテッ、-ヘr''"/:./,イ 」_;ム:.:.リ:.:ト、ー-、 {
           「 ̄、-‐<:.:./∨:.:.:.:.|`|ハ::::},ハ -‐''"´/ィ'"´!:/!: :/:.:.:!:|、\ーリ   
           レ'´ ,':.ハ:.:.:/:.:.:|:.:. : :|ヽ'=ソ        /刋ミハ/:./: : :,':.| |  K、         
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             |!  !: :ハ:.:.ハ : : :ハ   /ヽ、 _'_   `"´ / : :./|: :.|.〈:.:.i    ヽ
               ∨::,ヘ: :|、: : : iヘ. {::::::::::ノ     ,イ_,.イ:/| : |ヘ∨     !ヘ
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                    |:‖: :: :: |/(ー-' ´      `ー――   __-、-ヽ
              
658無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 12:44:45
>>653
長坂は劉備に江陵を獲られない為、
荊州を制圧した魏軍の次なる目標は劉備討伐とちゃんと書いてある。
江南侵攻の意志が書かれてるのは悪名高い江表伝くらい。

ていうかメインて何?
赤壁で周瑜が決定的な働きをした、孫権軍のほうが数が多かったのは分かるが
それで劉備がサブやオマケになるのか?孫権が援軍だからも同様に疑問だ。
赤壁の戦いは孫権・劉備(順不同) vs 曹操 じゃ駄目なのか?
659無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 12:56:44
劉備視点になるとなんでも劉備が中心だと思いたいんだな
660無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 12:57:57
順不同ってw
チョンじゃないんだからそんな事気にする奴はいないだろw
661無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 13:04:27
蜀厨毒患者は某国の人民みたいですね
赤壁は劉備と曹操の戦いニダ
公明の活躍で勝利したニダ
662無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 13:14:41
>>661公明→孔明な
そんな事も知らんやつが三国志を語るってWWWどうせ無双厨だろうけどな
663無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 13:35:50
ひとつ言えるのは、シュウユが居なくても魏軍くらいは撃退できた。
664無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 13:38:52
公明党は蜀厨毒患者が結成したんじゃないの?
わざと誤字してる部分に突っ込んで喜んでる蜀厨毒患者って……
665無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 13:40:08
>>663
真面目な話、周瑜のミッションの難しさは「曹操を退ける」ことよりも、「呉が荊州に進出する」ことまでしなきゃならないことだよな
666無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 13:43:36
>>663
周瑜がいなければ曹操軍に陸口は抑えられてたよ
その時点で江南にも曹操軍が入り込んで
孫権軍得意の水上戦に持ち込むのは厳しい
667無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 13:57:11
>>663は「劉備がいなくても」の間違いなんだよ
668無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 15:07:39
前も夏口がどうのこうのとか関係ない話で揉めてたよな。
仕様ですか?
669無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 15:18:23
周瑜がいないなら呉が降伏してる可能性が高いが
670無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 15:29:10
赤壁のなんだかよく分からん勝利よりも
江陵を正攻法で攻めて曹仁を撤退させた方が凄いように思う。
671無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 15:29:55
そうだね。呉が魏に帰順してたら劉備は挟み撃ちにされて抹殺され三国時代はなかった
もっとも騒乱が終わるからそのほうが良かったという人もいるしな
672無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 16:02:16
>>671
某国の人なら
周瑜がもう少し早く死んでいれば、曹操は中国統一していた。
事実上、曹操も中国を統一した一人と言えるだろう。
・・とまで、話をふくらませてくれるのだが。
673無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 18:36:01
>>672
曹操がもっと早く死んでいれば袁紹が中国統一していた
674無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 18:41:18
袁紹は無理
675無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 19:21:40
むしろほぼ間違いなく袁紹が統一するであろう状況を覆したのが曹操だが
676無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 19:34:28
袁紹陣営は内部の結束がボロボロだから、俺も遅かれ早かれ解体してたと思うな。

多分子飼いの中核軍の不在と、名士連中のまとめ役が居なかったのが原因だと思うんだが…
本人の指導力不足もあったかもしれない。
677無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 20:09:19
指導力不足を指摘するのはいいとしても、袁紹は曹操ほど反乱を起こされないだろ。
そういうのに目を瞑るから贔屓と言われるんだ。
678無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 20:22:58
内部崩壊は親父が死んだ後の後継問題に乗じて曹操が突っかかってきたからグチャグチャになったんだ
袁紹が生きてる間はあまり表面化していない
679無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 20:25:27
>>677
キクギよろしく内部の揉め事は結構あるんだよ。
むしろ不穏分子はズパッときるリーダーシップで抑えてたんだ
680無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 20:26:56
袁紹だと馬超や孫権を平らげる前に寿命が尽きると思うが
特に、馬超はカクの計略が見事だからあんなにあっさりいったわけだし
681無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 20:28:18
家柄だけ威厳があっても指導者が弱ければ力ある士大夫の反乱が起こるだろ
反乱処理もできないで後漢末の再来だ
682無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 20:28:51
>>13
誰もガンキャノンを操れないから無理
オブジェで終わる
683無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 20:38:39
>>678
いや袁紹生前から讒言飛び交う素敵な職場だったようだけど。
684無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 20:40:19
カクの計略であっさり曹操がいく可能性もあった訳だが。
イク水の戦いはかなり間抜けだったぞ。
685無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 21:48:01
むしろ袁紹は豪腕タイプなんだがな
うまく調整するんじゃなくてリーダーシップを発揮して強引にまとめて行くタイプ
他の人も言ってるがね
686無名武将@お腹せっぷく:2008/10/04(土) 22:27:38
今日は演義厨がおとなしくて静かだな
687無名武将@お腹せっぷく:2008/10/13(月) 20:52:39
落ちた
688無名武将@お腹せっぷく:2008/10/14(火) 13:34:07
age
689無名武将@お腹せっぷく:2008/10/14(火) 20:26:48
やっぱり誠意をもって足繁く通う、馬を人間の女のように扱って頭を下げる、これが落とすコツでしょ
690無名武将@お腹せっぷく:2008/11/09(日) 13:58:49
>219年、蜀の関羽が樊城を攻め、最初干禁の援軍を破るなど優勢だったが、

いまさらこれに突っ込むのも相当恥ずかしいが

干禁を破ったというより、干禁が大水でにっちもさっちもいかなくなって、
本来は敵の関羽に、降伏する形で助けを請うたというべき
691無名武将@お腹せっぷく:2008/11/14(金) 05:56:10
過疎age
692無名武将@お腹せっぷく:2008/11/14(金) 20:06:01
>>690
予め船を用意していた関羽
まさか、大雨が降って洪水するとは〜!な于禁

戦況をある程度予測できたもの、できなかったものという実力差です。
693無名武将@お腹せっぷく:2008/11/14(金) 20:29:45
荊州は河が多い。樊城近くにも当然河は流れているから、船を用意
していても全然不自然でない。荊州で関羽が水軍を率いて、と言う
記述自体他にもあるし、曹操が呉と戦う時頼みにしたのも荊州水軍。
つまり予測して船を用意した、と言うのとはちょっと違う。

援軍で陸路を来訪してきた干禁に船が無いのもこれまた自然の流れ。
わざわざ船かついで戦争に行く訳じゃないんだから。

実力差と言うには無理があるね。
694無名武将@お腹せっぷく:2008/11/14(金) 22:54:28
樊城近くも何も、なんせ漢水が樊城と襄陽に挟まれるかたちで流れているしね
695無名武将@お腹せっぷく:2008/11/14(金) 23:34:35
>>692
あらかじめ用意してたっていうか、地域性だろ。河多いし。水軍強いし
ウ禁は陸路で攻めてきたからなくてもしょうがない。
696無名武将@お腹せっぷく:2008/11/15(土) 00:29:35
まあ、それでも結局于禁は良いとこなしで負けてるしな。
697無名武将@お腹せっぷく:2008/11/15(土) 08:49:08
良いとこなしと言うのはまぁ、間違ってないが、戦って負けた訳じゃ
ないからね。実際に雨が降ってなかったらどうなってたかわからんよ。

と言えるぐらい実力に差は無かったと思いますね。
698無名武将@お腹せっぷく:2008/11/15(土) 11:43:44
戦に形なんてもんが決まってたら
呂蒙は中国人の言うように下劣な卑怯者のままだな
699無名武将@お腹せっぷく:2008/11/15(土) 21:35:06
実際関羽は荊州の件がラッキーパンチ認定されるとほとんど司令官としての実績ないからな
関羽派としては譲れねえよ
700無名武将@お腹せっぷく:2008/11/16(日) 09:37:15
いや、楽進と徐晃には敗れているけど干禁は降伏させているし、やっぱ
魏最強の五将とは勝ち負けするぐらいの将才は持っていると考えられる
ので、充分すごいと思いますよ。演義のせいで不当に魏将は矮小化され
ちゃってますからね。

張飛は張コウを一度破ったと言う実績がありますし、馬超はその張コウ
に負けてますが、一度は曹操を追い詰めるぐらいの所まで言ってるし、
黄忠と趙雲は軍を率いて直接魏の五将と対峙したということはないです
から、まぁ格としてはやっぱ少し落ちる感じですか。

そう言えば、曹魏の親族武将+五将に対する蜀の上記3人と考えると国力
比が綺麗に出てるように思いますねぇ。
701無名武将@お腹せっぷく:2008/11/16(日) 12:03:09
正史のせいで蜀将も不当に矮小化されちまってるがな
702無名武将@お腹せっぷく:2008/11/16(日) 16:34:03
いや、やっぱり凄いのは劉備なんであって関羽、張飛は部隊長でしかないな。
703無名武将@お腹せっぷく:2008/11/16(日) 17:26:10
>>701
おまえ一回正史ちゃんと読んだほうがいいよ
704無名武将@お腹せっぷく:2008/11/16(日) 18:45:52
>>703
お前もな
705無名武将@お腹せっぷく:2008/11/16(日) 19:00:58
>>704
じゃあ蜀の将のどこが矮小化されてるなんて思ったんだよw
むしろ蜀なんてかなりいい感じに書かれてるじゃないか
706無名武将@お腹せっぷく:2008/11/16(日) 19:05:30
>>705
諸葛亮に手柄取られてる極一部の人たちじゃないか?
まあ、それでも他に見せ場あるしなあ。
707無名武将@お腹せっぷく:2008/11/16(日) 19:18:56
>>705
>>正史のせいで蜀将も不当に矮小化されちまってるがな
まさによく考えもしないでオウム返し的に対抗したってだけのレスだな。

正史において
劉備はただの名君なだけじゃなく侠気ある親分肌で、曹操の討伐隊を撃破したりして自分で軍を率いることのできる武将
孔明は演義みたいな魔術師じゃなくて非凡な才能をもつ軍政家
関張は演義と同じく万夫不当の誉れを戴く豪傑
という評価なのにな

「臨機応変は諸葛亮の得意分野ではない」「関張は性格があだとなって身を滅ぼした」
なんかはまさに妥当な批判だし
むしろ陳寿はよくこれだけ持ち上げたもんだよ。
708無名武将@お腹せっぷく:2008/11/16(日) 19:27:08
>>707
評価って言うのは都合の良い所だけで判断するんじゃないよ。
正史なんて酷評受けてるのが多いんだし、演義はほとんどが正当化されてる。
709無名武将@お腹せっぷく:2008/11/16(日) 19:36:40
蜀だけ不当に酷評されてる気はしないけど具体的には?
710無名武将@お腹せっぷく:2008/11/16(日) 19:50:37
>>707
てか、そこらへんの評価を知らない癖に正史好きを公言する奴も多すぎだな。
正史なら諸葛亮、関羽、張飛などはそこまで大したことはないと思ってるにわかオタが
なにかと「正史ならそこまで出来たか?」などと言いすぎ。
正史でも蜀の有名大将は一代を代表する豪傑、名将揃いだしな。
711無名武将@お腹せっぷく:2008/11/16(日) 19:58:33
>>707
関羽の力に対して否定的になりすぎてる故の不満からかもしれんぞ。
その手の鸚鵡返しネタは。
関羽が曹操に遷都を考えさせるほど戦略的な勝利を上げたのは事実なのにも
関わらず洪水がなかったら、于禁戦はどうなってた分からんだのと意味の分からん事を
ネタにしたがる傾向が強い。
712無名武将@お腹せっぷく:2008/11/16(日) 20:03:08
>>710
まあもっとも、陳寿のいう名将、大人物がそろってるのにもかかわらず
歴史の流れをみると評価ほど大したことはできてない、と言われればその通りかもしれないけどね。

どちらにしろ正史においても相応の評価を受けていたというのは事実
713無名武将@お腹せっぷく:2008/11/16(日) 20:18:45
>>710
ただ、関羽がその荊州戦以外目立った実績がないのも事実なんだよな。
関羽は当時の人間からもすごい高評価を受けていたにもかかわらず、これと言った活躍が少ない。
逆に于禁は曹操の陣宮に加わったころから活躍していて、功績も大きかった。
それで洪水というイレギュラーのおかげで大した戦いもせずに勝てたわけだから、実力を疑問視する声があるのもまた仕方がないだろう。
曹操が遷都を考えていたのも関羽そのものを危険視したわけじゃなく、頻発する反乱を懸念してとの見方もある。

事実は事実でも、内容を分析していくとフロックとして見られる要素を孕んでいるのも仕方がないかもしれない。
714無名武将@お腹せっぷく:2008/11/16(日) 20:22:28
>>710
豪傑と名将を一緒くたにしてはいかん
715無名武将@お腹せっぷく:2008/11/16(日) 20:54:39
>>711
意味わからんもなにも、
その「曹操が遷都を考えました」と書かれた直後に、
「いや雨にやられただけで戦に負けたわけじゃありません云々」という進言が残ってるんだから、
ある意味当然出てくる疑問の一つでしょ。

…ところで遷都についてはどのへんを読んだ?
716無名武将@お腹せっぷく:2008/11/16(日) 21:02:56
関羽が日頃から同僚と仲良くしていればよかった。
717無名武将@お腹せっぷく:2008/11/16(日) 23:39:53
>>715
運もあってこその戦
だから、あんなに強い関羽も最終的には負けてしまった
718無名武将@お腹せっぷく:2008/11/16(日) 23:48:39
関羽の場合勝ったのは天災っていう千載一遇のラッキーのおかげでも
負けたのは特別アンラッキーがあったわけではないよ
719無名武将@お腹せっぷく:2008/11/17(月) 00:29:15
その天災も船を持ち込まなければ自分も同じような立場だったんだけどね
先が読めたとは言わんが、力押し一辺倒に頼らない器用さを垣間見る事もできる
それに千載一遇のいけるほどのもんでもないとも思うけどね
720無名武将@お腹せっぷく:2008/11/17(月) 01:14:16
器用というか、北上するなら漢水等の河を渡らにゃならんから関羽は河渡るつもりで船用意してたんだろ。
河渡るのに船持ってこないバカいるか?
于禁らは陸路で援軍にきたから仕方ないとしても、地元に近い関羽らが船持ってんのは当たり前じゃねえの?
別に関羽をどうこういうつもりはないけど、戦の上手い下手を語れるような戦じゃないとおもう。

氾濫に関しては関羽は予期していたわけではないだろうし、ラッキーとしか言えないだろう。
于禁らの陣は流されちゃってまともに戦えなかったみたいだし
721無名武将@お腹せっぷく:2008/11/17(月) 01:37:09
曹操が関羽の北上に脅えて遷都を考えたと言うのは家康が大阪城に真田が
入城したと聞いてガタガタ震えたって言う話に似ているね。

良く関羽を畏れたがタメに干禁、徐晃、そして夏侯惇や張遼をつぎ込んだ、
と言う話を聞きますがコレは微妙に違うと思います。

相手が如何あれ、軍をある程度、一極に集中させて叩き潰すのが曹操軍の
セオリー。そういう意味で考えると、関羽だからつぎ込んだのではなく、
曹魏軍の戦い方としてそういう形になったというだけだと思います。

誤算としては干禁単独でケリをつけられると思っていたのが予想外の事態
で敗北してしまった、ので徐晃を急遽回す必要が出た。そのため最初の内
徐晃軍は兵力的に不利な状況だった、と言うことなのでしょう。

後の夏侯惇と張遼の参戦は呉方面が動かないとわかったから、でしょうね。
722無名武将@お腹せっぷく:2008/11/17(月) 16:25:25
>>家康が大阪城に真田が
  入城したと聞いてガタガタ震えたって言う話に似ているね。
それ「親か子か!?」って聞いて「子です」って言われたら「なんだ子か…ビビらせんじゃねえよ、ケッ」って話だよな、確か

夏侯惇らはもともと孫権の牽制にあたってたからな

つうか考えてみりゃ曹操自身が出てくるのも曹操軍の戦い方としてはよくある形だよな
723無名武将@お腹せっぷく:2008/11/17(月) 18:50:02
関羽荊州戦はもう完全にifの世界で楽しんでるなw
どっちの言い分にも一理を感じる
724無名武将@お腹せっぷく:2008/11/17(月) 22:37:48
つーか、呉に喧嘩売っといて裏切られたっていうのは違うけどなあ。
725無名武将@お腹せっぷく:2008/11/17(月) 22:41:48
 
726無名武将@お腹せっぷく:2008/11/17(月) 23:11:52
>>724
うん、それもよく「孫権が関羽の影響力を恐れて〜」なんて論調の意見を目にするが
実際は自分が原因で起こした内輪もめなんで弁護できん。
一番デリケートな問題なんだが…まあ関羽だけじゃなくアフターケアをしなかった劉備にも問題があるけどな

曹操にしたら「めっけもん」だろう
まあ上でも出てるように夏侯惇の二十六軍がいたから仮に孫権が敵対しても対応はできたんだろうけどな
727無名武将@お腹せっぷく:2008/11/18(火) 00:14:12
その二十六軍も役に立つか否かは未知数のまま終わったんで
あればどうなるとも言えんけどな
728無名武将@お腹せっぷく:2008/11/18(火) 07:58:11
長江は呉にとって最重要防衛ライン。

呉の危惧:関羽が少勢で魏へ特攻→敗退→魏が荊南奪取→逆が長江の上流から侵攻→呉滅亡

現実:関羽が少勢で魏へ特攻→徐晃、曹仁に苦戦、魏軍大増援→このまま行けば、荊南も魏によって陥落

呉の思惑:荊南陥落が必至ならば、呉が領有して天下三分維持が最善→魏に対して臣下の礼はとってるものの、少勢なら魏呉即開戦もあり得る→大軍で荊南を奪取する

推論の根拠として、呉滅亡の過程及び夷陵の戦い後の速やかな同盟復活。
ショクにとっても、魏が荊南を領有するよりも呉が領有した方がまだまし、よって同盟復活と。
729無名武将@お腹せっぷく:2008/11/18(火) 17:09:47
>>727
わざわざ割いて独立させて防衛を任すんだからかなりの精鋭なハズ
それに張遼も指揮下に入ってる
730無名武将@お腹せっぷく:2008/11/18(火) 18:49:11
夏候惇は微妙でも張遼が居るならかなり精強かもな
731無名武将@お腹せっぷく:2008/11/18(火) 18:50:27
あんだけ毎年のように戦争してた地域の兵が弱いとは思えんしな。
青洲も近いし、臧覇もいるな。
732無名武将@お腹せっぷく:2008/11/18(火) 18:53:43
まあ、予想の範囲でしかないから
これはこれであれこれ考えるのも面白いけどね>二十六軍
733無名武将@お腹せっぷく:2008/11/18(火) 19:31:44
>>730
つうか司令官がわざわざ現場に出る必要もない
優秀な指揮官がいるのだからなおさら

そもそも夏侯惇の評価が微妙なのが納得いかん
唯一曹操に拘束されず独自に動くことが許されてた部下だぞ
信頼度だけでつけるポジションではない
734無名武将@お腹せっぷく:2008/11/18(火) 19:34:17
しかし、実績がね・・・
夏候惇は正史になると急に萎む
735無名武将@お腹せっぷく:2008/11/18(火) 19:35:56
>>734
エン州の時は惇がいなかったら相当ヤバかったな
736無名武将@お腹せっぷく:2008/11/18(火) 19:36:56
三城死守はファインプレイだよね
737無名武将@お腹せっぷく:2008/11/18(火) 19:37:57
惇は演義の方が良い評価されてるかもな
738無名武将@お腹せっぷく:2008/11/18(火) 19:57:38
>>737
まごうこととなき咬ませ犬です、本当にry

>>734
夏侯惇は中央の統治を長い間勤めていた。
首都圏ってのは大概様々な地域の出身者が住んでいるから治安が悪く、クーデターもおこりやすい。
そういう所を任せる人材としてはやり手の政治家かつ絶対的に信頼できる人物でないと駄目なハズ。
ボンクラに首都圏なんて任せたら、遠征している間に乗っ取られるw

つまり実績からいって相当優秀な管理官だったことは十分推察できる。
そして大軍の司令官を任せるならまさにそういう人材がうってつけ。
なにも槍振り回すだけが軍人じゃないからな。つかむしろそういう活躍の仕方するのは下っ端が多いぞ。
739無名武将@お腹せっぷく:2008/11/18(火) 20:03:41
でも、戦は弱かったよね夏候惇。
740無名武将@お腹せっぷく:2008/11/18(火) 20:25:46
741無名武将@お腹せっぷく:2008/11/18(火) 21:09:22
>>738
当時の河南洛陽というと焼けた後
治安どうこうのレベルじゃあない
742無名武将@お腹せっぷく:2008/11/18(火) 21:45:12
つか正史になると実績がなくて…とかいったら関羽立つ瀬ないぞ
やたら凄そうなこと書かれてる割にはあまり実績がない。
743無名武将@お腹せっぷく:2008/11/18(火) 21:56:10
蜀書だからな
744無名武将@お腹せっぷく:2008/11/18(火) 22:01:44
>>742
しかも結構負けている…
>>743
なんで蜀には史官いなかったんだろうな
745無名武将@お腹せっぷく:2008/11/18(火) 22:40:22
>>738
現場指揮官としてのキャリアもあるから適任だな
そう考えると関羽の場合適材適所とは言い難い
まあ関羽以外に任せられる人間もいないが…
746無名武将@お腹せっぷく:2008/11/19(水) 13:31:50
>>744
「諸葛亮時代まで」というのが真相らしいとも
747無名武将@お腹せっぷく:2008/11/19(水) 18:38:25
>>742
顔良斬りがあるじゃん
あんな事やっちまったので万人敵とも言われたんじゃないかな
748無名武将@お腹せっぷく:2008/11/19(水) 19:15:54
顔良斬りは曹操の作戦が見事で、別に演義のように関羽が単騎駆けをしたわけでもないしなあ。
749無名武将@お腹せっぷく:2008/11/19(水) 19:30:20
出たよw
オレサマ解釈。
750無名武将@お腹せっぷく:2008/11/19(水) 20:11:36
曹操というより荀攸な
単騎駆けじゃないが大将首とるのは十分な実績だよ
軍率いても夏候惇よりは上じゃね?
二十六軍とあたるのは厳しいだろうけど…
751無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 00:36:41
>>749
このスレまで荒らす気か?
それならいい加減張遼の軍と関羽の率いてた兵は何をしてたか教えてほしいもんだねえ
まさか関羽の特攻を日がな一日ボサッと見てたわけじゃあるまい?

>>750
孤立して混乱した顔良の部隊を撃破しただけだからどうだろな。
どっちにしろ戦功第一には違いないけどね。
ただ、大将首を取ってくるってのは指揮官のスキルじゃなくね?
752無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 00:39:35
>>750
まあ夏侯惇の3城死守と比べてどうだろな。関羽のがハデだが
でも大将首獲るのって兵の指揮ってこと考えたら評価外じゃね
753無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 01:03:18
>>752
夏侯惇らのほうも曹操が大軍引っ張ってっちゃった時に反乱と呼応して呂布が攻めてきてるから実は難易度高いからな
関羽も逆にいえばそれくらいしかないからなあ。

まあ荊州もラッキーパンチとはいえお手柄には違いないし現場の能力は気持ち関羽のが上なんじゃね
どっちにしろドングリだけどな。
754無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 13:14:02
何故か三城死守が(軍事的に?)夏侯惇珠玉の手柄のように扱われているが、
普通に考えると程cと荀ケの働きによるものでしょ?ほとんど荀ケや韓浩の引き立て役状態。
だから武帝紀にも「荀ケと程cが守った」と書いてあるのだと思ってた。
つまりあえて特筆するほどでもなく、あの件においてはキン允あたりに近いのでは…

あと「優秀な指揮官がいれば司令官は凡庸でいい」
「むしろ夏侯惇は相当優秀な管理官だったので、大軍の司令官を任せるならうってつけ」
についてだけど、

実際に于禁・李典という「優秀な指揮官」を引きつれ大軍を任された時、
「優秀な管理官」であるという夏侯惇は、部下である李典の進言を無視して劉備に大敗したという一件があったはず。
やはりこと戦闘に限れば、司令官・管理官としての実力に疑問符がつくかと。
755無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 14:01:51
>やはりこと戦闘に限れば、司令官・管理官としての実力に疑問符がつくかと。

博望の夏侯惇でいうなら、司令官というのはまだしも菅理官という言い方は
語弊がある気がする

夏侯惇の本領は部隊指揮官ではないのはたしかだけど、居巣での役割を
思えば「統帥者」ってのがいちばんしっくりくる気がするわ

本人に特別秀でた能力はなくても、群を抜いた信頼性と、属官に人を得ていれば
十二分に役割を全うできる
夏侯惇以外では代用がきかない存在感ってのがあるとでもいうか
756無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 15:42:43
何か違いがあるの?
757無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 17:08:06
最前線の限定的な現場で要求される能力と、そういう連中を総轄する者の
違いってことだろう

26軍を率いる様な人間に前者のような役割や能力は絶対に必要ってんじゃないし
758無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 18:39:15
どっちにしろ荊州を全滅させちまった関羽よりは上っぽいけどな
759無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 18:42:08
曲論だな
760無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 18:43:18
>>754
部下の進言を無視して大敗ってのはそれこそ曹操クラスでもやっちゃってるんで、
マイナスポイントには違いないが、二十六軍の統帥に関しては上手くいったんであまり特筆しすぎるのもどうかと思う
761無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 19:29:08
>>751
その張遼云々が既にお前の自論に過ぎないことにも気がついた方がいい。
あの記述では単騎特攻と取れてもおかしくない。
ただ、それに疑問を持つ事も可能。
完全な結論など、どう考えても出せない。
オレサマ解釈と関羽派の人間から言われてもしょーがない。
世間一般では大概単騎系メインの小説も多いしな。
そういうものを少しは認めてもいいのでは?

同じように夏候惇には大甘の援護をするんだから。
762無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 19:39:07
>>761
>世間一般では大概単騎系メインの小説も多いしな
そりゃそうだ。演義を引用してんだから。
完全な正史解釈本には関羽単騎駆けなんて持論載せてる馬鹿学者なんていないしな。
763無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 19:43:15
完全な正史解釈本とは?
764無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 19:57:23
そもそも夏侯惇は二十六軍の都督となってから、その実力を試されるような機会はなかったように思う。

ここでいう「統帥」に失敗した代表例とも言える関羽だって、
荊州を任されてから実際に裏切られたのは5年以上後。

逆説的には関羽もそれまでの5年程は表面上特に問題なく運営を続けていて、
樊攻略に関連した一大事業の遂行にあたって初めて顕在化した問題と言える。

二十六軍の都督を任されてから死ぬまで確か3年ほど、
この期間がどれほどの評価に当たるべきなのか、中々難しいところじゃなかろうか。


夏侯惇は名声と実情があまりにかみ合わないので、思わず史料の散逸を疑ってしまう。
765無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 19:58:57
>>763
論文やら正史訳本やら色々あるが、どうした?
766無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 20:02:45
>>765
で?その具体的なものは?
お前の妄想資料の類は要らんぞ。
ちくまは完全ではないと思うしな。
767無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 20:04:01
>>766
ちくまが完全ではないをkwsk
768無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 20:10:15
翻訳家のセンスにもよるからじゃねえの
「完全」なんてあるかな
769無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 20:14:36
二階堂義弘は道教の神を紹介する本で関帝の項を書いたとき
史実の関羽評で、一騎で万衆に押し入り〜と書いたりしてるしな。
770無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 20:27:55
二階堂義弘って宗教史の人だろ。
キリスト教の人間見れば分かるけど、平気で歴史で奇跡を起こしたって書くからな。
771無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 20:32:30
>>770
根本的な勘違いをおこしてないか?
宗教史の人でも、史実解釈には史実を読んで解釈するのだから
あからさまにいい加減な事など書かないと思うが。
それになんで、キリスト教の人間?
772無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 20:35:52
何を争ってるのか知らんが、「万人の中」とあるんだから周りに大勢の人間が居たのは間違いなく、
「親」とか「自」の文字こそないが、「顔良の麾蓋を発見すると馬を巡らせ顔良を刺し、首を切って還る」とあるから、
本人自ら率先して行ったと見て良いだろうし、「張遼と共に先鋒と為って之を撃つ」からして当然軍を率いても居たんだろう。

まとめると先鋒を率いる関羽が、自ら顔良の陣を目指して突っ込み、実際に首を切って帰還しました。
これは十分大戦果と言って良い。

「龐徳が自ら郭援を討ち取りました」という時に、
その時周りに馬騰軍が居たかどうかなんて一々問題にならないでしょう。偉業に変わりはないから。
773無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 20:42:56
ちくま解釈関羽伝抜粋

建安5年(200)、曹公が東方征伐を行い、先主は袁紹の元へ逃亡した。
曹公は関羽を捕虜にして帰り、偏将軍に任命して、大変手厚く礼遇した。
袁紹は大将の顔良を派遣して白馬にいた東郡太守の劉延を攻撃させたが
曹公は張遼と関羽を先鋒にして、これを撃った。
関羽は、顔良の[車につける大将の]旗しるしと車蓋を望見すると
馬に鞭うって[馳せつけ]大軍のまっただ中で顔良を刺し、その首をとって帰ってきた。
袁紹の諸将のうちで相手になれる者はおらず、かくて白馬の包囲は解かれたのである。

単騎と取れなくもないな。
まあ、否定したのならそれでもいいかもしれんが。
774無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 20:44:20
>>771
キチガイ宗教だと殺されるんだよ。
聖母マリアの実像かなんかの映画を撮ろうとしたときもやばかったの知らんのか?
チャンコロの宗教だぞ。客観的に見れて批評を受けれると思うのか?
775無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 20:47:20
>>774
酷すぎる偏見と無知だな。
それになんでキリスト教の話を持ち込むのよ。
776無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 20:48:23
>>774
とりあえずオレの友達の華僑の人に謝ってくれ。
777無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 20:50:04
>>774
その理屈だと、チャンコロの史実も客観的に見て批評を受けられんな。
そしてお前のあまりのモラルの無さに呆然。
778無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 20:50:58
>>774
中国史愛好やめれば?
779無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 20:51:24
>>775
層化と犬作のほうが分かりやすいか?w
780無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 20:53:01
>>779
だからどんな関係が?
781無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 20:54:26
宗教全般=創価、キリスト教みたいなもの

こんな考えの時点でアホw
782無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 20:57:01
>>774
もう色んな人に謝ってもらいたいな・・・
783無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 20:58:01
話しが見事に脱線してるが、元は関羽と夏侯惇の軍功比較だっけ?
まぁ正直似たり寄ったり…
784無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 20:59:44
>>783
すまんね、ちょっとモラルの欠片もない馬鹿が居てね。
785無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 21:09:37
そもそもみんな関羽の大手柄自体は認めてるのに
一人のバカが一騎で大軍に特攻したとかの誇大解釈をのたまっているだけです
786無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 21:11:07
>>781
まあそうだが
少なくとも中国の宗教観念はかなーりダイナミックですよ?
あの国見てたらわかるでしょ。
787無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 21:12:51
>>786
「中国」っていう国名と中華思想の時点でもうね
ま、ネーミングセンスはいいと思うけど
788無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 22:25:57
でお前等のその話何の関係があるの?
789無名武将@お腹せっぷく:2008/11/21(金) 00:15:36
>>786>>787はもう中国の文化そのものを誤解しまくってるな。
790無名武将@お腹せっぷく:2008/11/21(金) 19:28:13
>>一騎で大軍に特攻したとかの誇大解釈をのたまっているだけです

これなあ、最近たまに見るけどさ、やりすぎだろ。
どう考えたってそんなことあるわきゃない、
どっかの書籍で見たのを鵜呑みにしてんのか関羽が誉められないのが悔しいのか知らんけども
暴論の類だろ。正史の文面だけ見ても周りに大勢人がいるってだけでそれ以上の状況はわからないし、そもそも記述の誇張の可能性も全く考えてないし
明らかにやり過ぎだ。いい加減自重したほうがいいんじゃねえかなあ。関羽の見せ場には変わりないのにかえって胡散臭く見える。

>>783
思ったんだが曹操みたいな天才型の連中が異常なんであって普通はケースバイケースで勝ったり負けたりするもんなんじゃないの
だから関羽と夏侯惇みたいな一見したらイマイチな連中でも実際はそういうもんで、特別能力的に芳しくないわけじゃないんじゃない?とか思ってみたり

まあ史書から溢れたような功績がたくさんあったのかもしれないし。
関羽は一度劉備から離れてるのにずっと劉備につき従ってた張飛よりいいポストについてるし
夏侯惇は夏侯淵とか曹仁とか親族で他にもすごいのいたのに一番厚遇されたし
なにかしらあったんじゃなかろうかね
791無名武将@お腹せっぷく:2008/11/21(金) 19:44:42
>>どう考えたってあるわきゃない

そう思ってる人にはまあ、生涯理解できんだろうな。
結局否定的な考え方。
792無名武将@お腹せっぷく:2008/11/21(金) 19:54:03
非現実的なだけ。
そういう一騎うんたらって解釈も別に勝手だけどな俺関係無いし
793無名武将@お腹せっぷく:2008/11/21(金) 19:58:36
なら、いちいち噛み付くなよw
794無名武将@お腹せっぷく:2008/11/21(金) 21:51:29
ここまでの纏め

関羽厨

・夏侯惇二十六軍の実力が不明だと言い張る
・張遼を含む対呉戦線の精強大部隊と書かれると夏侯惇個人の資質を疑う
・夏侯惇と関羽の比較で「夏侯惇はヘボい」と言い張る
・関羽と比べても遜色なく、やや軍政家として政の実績が多いとわかると関羽の個人武勇を強調しはじめる
↑いまここw


関羽厨がもっとも触れられたくない点
・二十六軍以前に徐コウに負けてるじゃんw

関羽厨のキメセリフ
・アンチ蜀厨は自分の縄張りでやれよ。蜀スレまできて魏マンセーすんな。
795無名武将@お腹せっぷく:2008/11/21(金) 22:29:47
>>関羽の個人武勇を強調しはじめる

素朴な疑問なんだが
単騎駆けできるなら徐晃戦でなぜ出さなかったのか?
796無名武将@お腹せっぷく:2008/11/21(金) 22:31:17
>>792
バカか?
勝手に同一人物扱いしてるアホ登場
797無名武将@お腹せっぷく:2008/11/21(金) 22:32:03
アンカーミス
>>793
バカか?
勝手に同一人物扱いしてるアホ登場
798無名武将@お腹せっぷく:2008/11/21(金) 22:36:45
>>794
まぁ待て、俺は>>754>>764で夏侯惇の軍人としての資質に疑問を呈したが、
ことさら関羽の武勇を強調した覚えはないぞ。
799無名武将@お腹せっぷく:2008/11/21(金) 22:55:05
>>798
ここに来るのは別に君だけではない
800無名武将@お腹せっぷく:2008/11/22(土) 00:34:30
関羽アンチってどうしてこんなに必死なの?
801無名武将@お腹せっぷく:2008/11/22(土) 00:42:32
実証できるものがないからだろ
厨房扱いすればいいと思ってるだけ
802無名武将@お腹せっぷく:2008/11/22(土) 14:14:58
正直極端な奴はどっちもどっち。
803無名武将@お腹せっぷく:2008/11/23(日) 19:36:23
>>関羽の個人武勇を強調しはじめる
別に関羽がどーたら言うつもりはないが、少なくとも個人武勇は必要ないよな。
ドヨしかり孫ピンしかり、満足に槍働きのできないようなヤツらでも優れた軍人はいるし。
特に関羽や夏侯惇みたいな国の幹部級の大物なら、いらんでしょ。後方で何万の人間を操る立場なんだから。
まあ若い頃のゲリラ戦の時には曹操も最前線に出てたくらいだから、自衛くらいには役に立ったかもしれないけど。
804無名武将@お腹せっぷく:2008/11/23(日) 20:20:16
まぁ数万を率いる大将でも陣頭指揮を好むタイプもいるし(高いリスクと士気効果を天秤に)、
その場合個人武勇(があるという『評判』)は効果を高めてはくれるでしょう。

なくても全然問題ないけどね。後方指揮がスタンダードだし。
805無名武将@お腹せっぷく:2008/11/23(日) 21:01:07
士気高揚の度合いは未知数だが、少なくとも晩年の関羽や夏侯惇クラスの大御所なら、そんな評判もあんま関係ないと思うよ
「物凄く偉い人」とか「超有名な将軍様」とか、下っ端にとっては偉い人過ぎて実感沸かないだろうから。
そもそもあったことないヤツらが大勢だろうし、実態のよくわからない風聞の類があんまり効果あるとはおもえないし。
何十人規模の範囲なら陣頭で一人で頑張れば周りも奮起してくれるかもしれないけどね。

ただ「一騎当千の鬼将軍」っていうのはロマン感じるね。
806無名武将@お腹せっぷく:2008/11/23(日) 21:18:08
そもそもあったことないヤツらが大勢居るから、むしろ風聞の類の影響が非常に大きくなる(なってしまう)ものだが、
そこ以外は概ね同意。この場合「地位の高い人間が矢面に立つ」ということが一番大きい要素だったりするし。
807無名武将@お腹せっぷく:2008/11/23(日) 21:26:28
風聞ってもそんな大層なもんじゃないじゃん。ようは噂だもの。
頼りになる親分が前線で切った張ったしてるならわかるが姿もわからない将軍様の噂の影響が非常に大きくなるとは考えにくい。
つか荊州戦みたいな何万もの人間が戦う戦では全体を把握しきれないし。
808無名武将@お腹せっぷく:2008/11/23(日) 21:28:49
>>807
仮に将軍様が実際に戦ってたとしてもそれとは全然関係ないところで戦ってる兵士がたくさんいるわけだしねえ
809無名武将@お腹せっぷく:2008/11/23(日) 21:52:13
>>807
現代実証主義の申し子である我々でさえ、やれ血液型がどうしたとのたまう方が大勢居られるのに、
当時の思想・情報面において噂の影響力は軽視できない。

というか殆ど口コミ以外の情報源を持たないだろう当時の一般大衆の、
風評以外に広大な影響力を持つ媒体が想像できないよ。
810無名武将@お腹せっぷく:2008/11/23(日) 22:08:07
>>809
演義に影響されすぎ。
普通に細かく関羽は負けてます。
811無名武将@お腹せっぷく:2008/11/23(日) 22:18:30
>>809
口コミの浸透はともかく、実際にそれについて戦の士気がどうこうってほどではないと思うよ
そりゃいくばくかの効果はあるかもしれないが、絶大な効果とは言い難いと思う。

俺らがそういうモノをとりあえず鵜呑みにはしても別にそれで生活習慣を変えたり心の底から信じないのと同じように
たとえそれ以外に信用する者のない当時の人たちでも対して実感のない風聞にそこまで左右されるとは思えない。
一部に入るかも知れんがね。あくまで少数だと思うよ。
これが宗教的概念を持ってくると宗教戦争のような例外も生まれてくるが
812無名武将@お腹せっぷく:2008/11/23(日) 22:50:17
>>810
何にがどうだと言いたいのか漠然としていてちょっと判断できないのだが、
「細かく関羽が負けてると、士気高揚があるとは認められず、そういった考えは演義の影響だ」
とこういう意味?ならこの三部分の因果関係を説明して貰いたい。

>>811
現代の我々が結婚式に仏滅を避ける時、そこに実感的な裏づけがあると思います?
1966年、つい半世紀前の出生率の極端な低下を「風評」以外に説明のつけようがあるのだろうか。
多くの場合経験的裏づけがないだろう、という点では同じ。

貴方が「宗教関連だけは特殊だ」と思うのは、
そこだけは今現在でも実証主義的な考えが持ち込まれてないというだけだろう。
813無名武将@お腹せっぷく:2008/11/23(日) 22:56:56
>>812
俺のほうが意味分からん。
そんなに影響力を力説しといて何があったんだ?
むしろあまり影響力がなかったエピソードならあるが?
814無名武将@お腹せっぷく:2008/11/24(月) 18:56:00
そもそも、正史の記述は絶対の真実ではないので
それを鵜呑みにしすぎるのもおかしな考え方。
815無名武将@お腹せっぷく:2008/11/24(月) 19:05:50
>>814
そうだよな
鵜呑みにして万人敵だの単騎駆けだのありえねーな
816無名武将@お腹せっぷく:2008/11/24(月) 19:21:01
まあ、それもそうだな
しかしそれならマイナス面ばかりを強調するような書き方もありえない
817無名武将@お腹せっぷく:2008/11/24(月) 19:29:12
>>816
「性格が災いして身を滅ぼした」くらいだよ
べつにマイナス面ばかり強調するような書き方じゃない
818無名武将@お腹せっぷく:2008/11/24(月) 21:48:00
>>816
前にも同じ様な意見を見たが何でマイナス面ばかりを強調するような書き方だと思うの?
功績部分はきちんと書かれてるし性格悪いって書かれてる奴は他にも大勢いるよ。

正史の記述は絶対の真実ではないのは当り前だけど
記述に異論を唱えたいなら根拠を書かないと意味が無いよ。
819無名武将@お腹せっぷく:2008/11/24(月) 22:00:20
その割には顔良斬りを単騎駆けっていうとやたら五月蝿いのが居るような気がする
820無名武将@お腹せっぷく:2008/11/24(月) 22:37:51
単騎駆けと書いてないからじゃね?
821無名武将@お腹せっぷく:2008/11/24(月) 22:39:02
単騎駆けって書いてないからだろ
822無名武将@お腹せっぷく:2008/11/24(月) 22:39:52
かぶってるww
823無名武将@お腹せっぷく:2008/11/24(月) 22:42:43
演義では単騎にアレンジされてるからな。
当時から単騎でやったとも解釈されてたのでは、と考えてみる。
824無名武将@お腹せっぷく:2008/11/24(月) 23:29:18
単騎なんていう不自然な状況なら孫堅や孫策の死に際みたいに明記するだろ
過大描写満載の演義で考えたら単騎駆けが当り前の世界にはなるが…
825無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 00:08:46
「単騎」じゃなく「万衆」なのがミソですな
826無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 00:20:56
これからは単騎駆けやめて万衆刺しでいいじゃないか
827無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 01:03:06
まぁ当時の一般平民で構成される兵卒からしたら

雲の上の立場である「猛将軍」とか「万人敵」とか言われる人が自分の軍の指揮とってたら士気に影響するだろうな。

陳瞬臣もいっているが、儒と礼は士大夫のみ適用されて平民には適用されない。
いわば人間の中の別種族同士。
その被支配階級である兵卒からみたら「将軍様」「太守様」ともなると
一生に一回言葉を掛けて貰うことがあるかないかくらいの「お上」であるわけで、
その将軍様の中でさらに評判として「なんだかわからんが凄いらしい」となるとほぼ信仰の対象だろう。
(夏侯惇が兵卒に混じって治水工事をやったという伝聞が記録されていることが証拠だろう)


ただそれ(士気・精神力の類)は兵力・錬度・作戦戦術・後方支援がほぼ互角の場合に勝負を決する要素であって、
士気が上がるからとして「〇〇のほうが優秀」と決めるのは短絡すぎる。

828無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 18:24:17
>>827
大小さまざまだが「信仰の対象になる」というほどではないだろ。
みんな黄巾党や、十字軍みたいになっちゃうもの。
そいつら宗教上の結束があるやつの中でも実際に信仰心のもとに結束してたのは一部で、実利で動いてた連中もいるし。
そういうお上や将軍様を本気で崇拝してるのも一部だろうし、それこそ声掛けてもらったりとか近くで一緒に戦ったりとか
大半の連中にとってそれほど影響があるとは思えんなあ。言ってみりゃただの役人だもの。

まあよくわかんない奴よりは「なんかすごそう」ってヤツのほうが、兵士もなんとなくやる気になるのは確かだろうけどね。
指示が的確で迅速に動けるよう上手く纏めてくれれば意欲もわくだろうし。
ただそれって下々に取ったら近い上司である現場監督ってか、そういうヤツの影響のが大きくないか?
829無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 19:02:51
義侠の徒なら、いつまでも子分の面倒見のいい兄貴肌だったんじゃないのかな。
後世で民衆に大人気を得たのも、そういう身近さに親近感を感じたのかも。
830無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 19:09:25
いや、上司仲が悪いから民衆、兵士からすれば最悪だろうな。
兵士からすれば
無駄に兵士を殺さない名将>>>>越えられない壁>>>>猛将だし。
831無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 19:30:52
身分の低いものには優しかったんだぜ、関羽は。
勿論、俺達みたいな雑魚にも。
832無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 19:34:20
立場の弱い奴はイビッてたけどな
要は生まれの悪い奴とは仲が良くて、生まれの良い奴は嫌いってだけ
833無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 19:40:45
士大夫層嫌いだったのは一庶民として好感が持てる。
今の高級官僚みたいなもんだろ?
834無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 19:47:14
まあ、そうだな。
頭が良くってそれでいてエゴ持ちで、高給取りで>士大夫=高級官僚
835無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 19:59:29
あれは身分の低い者に優しいと言うより、自分のシンパに対してだろ。
いくらなんでも、荊州を取られてまったく不満が起きなかったのは異常だし。
836無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 20:01:35
また正史にも書かれていない珍言を喚く輩がw
837無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 20:08:03
>また正史にも書かれていない珍言を喚く輩がw
もはや正史がろくに読めなくて反論できない奴の常套句だな
838無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 20:19:19
身分の低いものに優しいってのを勝手に「自分のシンパだけ」に自動変換した
無知は叩かれないのかw
839無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 20:22:45
>>837
ろくに正史を読んでない>>835向けの意見ってことでおk?
840無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 20:25:11
>身分の低いものには優しかったんだぜ、関羽は

これが善い事か悪い事かの判断は、現代の価値観で見てるかぎり出来ないんじゃないか?

徴兵された息子の足にできた膿を口で吸って看病した将軍の行動を聞いて、
母は息子が恩義のため命をかけて戦うだろうからきっと死ぬだろうと泣いた故事。

国家という統治システムからみたらその将軍は卑しい身分まで慈愛をかけた「有能な」将軍だろう。
しかし民からみるとその将軍が「いい人」であればあるほど、
自分達の利益とはほとんど関係ない戦闘で塵芥になる可能性があがるわけで・・・
841無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 20:32:36
ネカティブな方面に妄想しすぎだろw
身分の低いものには優しい=庶民的で馴染みやすい人物
とも取れるじゃないの。

それに戦闘で塵芥になるのは、どんな軍でも変わりない事。
842無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 20:34:25
>>838
いやいや、あの訳を>身分の低いものと訳すあなたには勝てません。
843無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 20:37:17
>>842
もうやめとけよw
強引すぎるのはみっともないぞ。
844無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 20:40:25
>>841
関帝信仰も始まりは民間信仰系からだしな。
大衆に親しまれた現在にまで残る証拠だな。
845無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 20:48:14
>>837
>>840
>>842
関羽憎し一心のネガキャンだけは勘弁。
846無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 21:07:01
関羽マンセーじゃなければ、憎し一心のネガキャンと思う神経が怖いわ。
847無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 22:57:12
>>840
それって関羽のエピソードだっけ?

つか下々と一緒に現場で働き貧しいものに私財をばらまいた夏侯惇
前線の部隊のために少数で自分から出てって柵の修復を手伝ってた夏侯淵

関羽の信仰が>>844のいうように民草に慕われたからだというのならこの二人との差はなんだ?
848無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 23:06:53
関羽の方がより庶民的だったからだろ。
帳簿を作ったのも関羽と言われている(そろばんは諸々の説があるが)
現代においては偉大な英雄神という基本をベースにその功績から
商業の神としても崇められている。
849無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 23:09:30
>>848
じゃあどこが庶民的だったのさ?
むしろアウトローの成り上がりの方のイメージが強いけど

帳簿はあくまで伝説の一つに過ぎないし神として位が上がっていったのは後世の信仰で本人関係ない
850無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 23:26:28
たしか最初は祟り神からだろ。
馬忠とかと違って正史には死んだときに祀られたと明記されてるわけでもないし。
851無名武将@お腹せっぷく:2008/11/25(火) 23:29:59
義侠の繋がり、すなわち
忠を持って尊貴だと思える人に尽くし
魏を持って仲間との繋がりを大切にする。
そんな誰にでも分かる人の和を持っていた人物だったからじゃないか?
まあ、関羽のみではないと思うけど。

関羽信仰は元々、民間が発祥。
つまり一般人に押し上げられていったもの。
よって大いに一般大衆との関わりもある。
成立道教の神のように道教の派閥が創造したような格式の高い神として
元々存在していたわけじゃない。
852無名武将@お腹せっぷく:2008/11/26(水) 00:03:49
「関帝信仰」でググってトップに出てきたページが関帝信仰の変遷について詳しいな
てか下位とはいえ曹操や劉備も神になってたのか
853無名武将@お腹せっぷく:2008/11/26(水) 00:29:01
>>850
あんだけすんなり裏手が落ちたってことは、目をかけてたはずの身分の低いやつらもすぐ手のひら返したってことだからな
そういう意味で魂や怒りを鎮めるために祭ったのが最初かもしれないね
854無名武将@お腹せっぷく:2008/11/26(水) 00:38:44
その後、御霊になり霊験を現すようになって武神となったんだけどね。
855無名武将@お腹せっぷく:2008/11/28(金) 16:59:28
曹操が関羽と別れたのはよく美談で語られるが…
曹操から見れば面倒で、しかも謀反人である劉備の所にわざわざ返したんだから
ひょっとしたら「別にリリースしてもいいや」って思われていたかも?
856無名武将@お腹せっぷく:2008/11/28(金) 17:05:56
そういう正史の記述を捻じ曲げた推論はただの馬鹿アンチにしか見えないからやめとけ
857無名武将@お腹せっぷく:2008/11/28(金) 18:05:09
まぁ危険だと思われてたら殺されてたよな。
関羽は結局自らのミスで刑州奪われたわけだし。
もっと手堅くいく人物ならあんなあっさり刑州とられなかっただろうっていうのが最近の見解。
858無名武将@お腹せっぷく:2008/11/28(金) 18:08:18
各地で祀られてる関羽の土着信仰はいつから始まったかはっきりせず、
経典に名前が出たりするのは北宋より後、つまり講談や演劇で三国志の人気が出た後だとされている
関羽は三国時代に現代のような評価をされてた武将じゃない
当時は地方勢力の一地方を失策で奪われた武将とされている程度だった
859無名武将@お腹せっぷく:2008/11/28(金) 18:10:04
あれは身分の低い者に優しいと言うより、自分のシンパに対してだろ。
いくらなんでも、荊州を取られてまったく不満が起きなかったのは異常だし。

呂蒙が素晴らしすぎたから
860無名武将@お腹せっぷく:2008/11/28(金) 18:12:17
>>827
マンガ見過ぎ
猛将とか名将だから勝ったんじゃなくて
勝ったから後世に名将とか譬えられるわけで

当時、猛将なんていわれてた武将はごまんといた
861無名武将@お腹せっぷく:2008/11/28(金) 18:13:57
>>858
関羽の神格化って戦いそのものよりも別次元だよな。日本人だけ盛り上がってる
さらに中国では岳飛や劉基の方が人気もあるしな。
862無名武将@お腹せっぷく:2008/11/28(金) 18:20:34
>>857
関羽伝くらい読めよ、曹操は関羽の能力だけじゃなく人柄も高く評価してたわけ
その義心に関心して帰してやったとはっきり書かれてる
本当に大したことないと思ってたならわざわざ張遼に気持ちを確かめさせたり
引き留めようとして個人的に贈り物をやったりしない
863無名武将@お腹せっぷく:2008/11/28(金) 18:24:44
殺し合いしてるのに人柄云々いってる場合でもないと思うけどな
危険だとされて殺された武将がいっぱいいるのに
864無名武将@お腹せっぷく:2008/11/28(金) 18:26:32
>>858
知ったか乙
865無名武将@お腹せっぷく:2008/11/28(金) 18:31:12
>>863
正史に書いてあることを勝手な妄想で否定されてもな
866無名武将@お腹せっぷく:2008/11/28(金) 18:39:41
人として素晴らしいのと荊州を失ったのは全く関係ないだろ。
関羽を慕ってる兵士が死に物狂いで戦っても大勢は変わらないだろうし。
867無名武将@お腹せっぷく:2008/11/28(金) 18:58:07
>>858
関羽は唐代では既に武神となって祀られてたよ。
その後、神格が上がっていったのが宋代からというわけ。
更に時代を上って、隋代には仏教から伽藍菩薩として祀られた。
寧ろ、三国志の人気が上がっていったのは国民的英雄である関羽のような人物に
虚構要素を盛り込むことによって生まれたようなもの。

それに正史もちゃんと読んだ方がいい。
868無名武将@お腹せっぷく:2008/11/28(金) 19:57:16
>>855
ここでもでた「人柄を評価した」まさにこれ

つまり主に忠節を尽くす有能な武将をあえて「見逃す」ことにより自分の器の広さをアピ−ルする、という側面があったことも考えられる
加えるなら関羽の評判も誇大に吹聴したものなのかもしれない。関羽が大人物であるほど、それを見逃す曹操の株も上がるから。まあこれは曲解だが
どちらにしろ「見逃していい」という判断なら、曹操の関羽評価に疑問を持つ余地も出てくる

そういうべつの側面から考えるのも面白いね。「ただの馬鹿アンチ」で終わらせるにはちょっともったいない話題
869無名武将@お腹せっぷく:2008/11/28(金) 19:59:02
>>865
「正史がすべてじゃないよ」という最近の流行フレーズ
870無名武将@お腹せっぷく:2008/11/28(金) 20:28:12
そうやって裏を追って行けば他人の評価なんてどうとでも考えられそうだがなあ
まあ個人的に疑問を持つだけなら勝手だけどね
871無名武将@お腹せっぷく:2008/11/28(金) 21:20:21
>>867
神になるだけなら隋唐では遅いくらいでしょ。
ただ隋以前に関羽もしくは関索物語が民間伝承されていて
祟り神として一定の知名度は持っていたと推測できる。

平話演義以前に元帥として高い神格+人気を有していたのは確かだけど
関羽が神となる過程で既に虚構要素が盛り込まれてるから
三国志の人気が関羽に虚構要素を盛り込んだからというのは違うね。

演義以後は関羽人気と演義人気の相乗効果で
現在のように信仰されるようになったのは演義なしではありえないかと。
872無名武将@お腹せっぷく:2008/11/28(金) 21:49:48
すべては孔明の術中よ
結局曹一族では天下を手中に収めることは叶わず
司馬一族も早々と露と消え
三国志は魏呉蜀で終わりを告げる
孔明はすべての流れを見切っていたと思われる
だがしかし、俺は光栄三国志は蜀で統一
これが王道





酔っぱらいの書き込みなので許してね
明日が忘年会
今日は前夜祭
873無名武将@お腹せっぷく:2008/11/28(金) 22:53:54
まあ死後300年以上経って神になった事と荊州戦は関係ないね

11月の忘年会は仕事のこと忘れられないから嫌いだ
874無名武将@お腹せっぷく:2008/11/29(土) 00:31:15
>>871
関羽の死後の伝承を追うと
民間道教や民間信仰の根強さを感じるやね。
関羽は終いには成立道教の神の仲間入りを果たしてしまうのも
延々と続く関羽愛を官民問わず併せ持ってたんだなと実感するよ。
勿論、演義あっての相乗効果であることは間違いだろうね。
なんといっても民衆は三国演義でその時代のヒーロー達を認識、興味を持ってたんだから。


875無名武将@お腹せっぷく:2008/12/01(月) 01:33:19
とりあえず元の議題から考えると
夏侯惇の抱える二十六軍は精鋭
夏侯惇は少なくともそれの総括者として足る人物
夏侯惇は戦闘の能力に関してはやや疑問符が付くが、それは関羽にも言えることであり自分よりはるかに数の勝る大軍を破ることの出来うる理由にはならない
また仮に撃破できるとして曹操の本隊が迫っている
そもそもそれ以前に曹仁の立てこもる城を落とせていなく、除晃によって一時撤退している

こんなところか
とりあえず孫権との友好関係は必須だよね。味方につけることができればなにかの楔にはなるかもしれない
876無名武将@お腹せっぷく:2008/12/01(月) 11:03:53
孫権が国策として魏に臣従してるわけだから、
それを変えないといけないとなると関羽の権限ではどうしようもない。
しかしそれは荊州の返還を意味するわけだから劉備は実行できない。

関羽に出来る最善の行動といえば「俺に手を出すと酷いことになるぞ!」
という抑止力をなんらかの手段で保ち続けることと、攻めてきた場合すこしでも粘ること。
両方とも北上指令によって無効化されたけどね・・・

関羽という地方司令官が現場レベルで「友好」しても、トップがそうでない場合はほとんど無意味。

「攻めてきた場合少しでも粘る」という方針を考えると留守番のビホウや士仁を、
節鉞という裁判権で脅した関羽がどうみても悪い。
877無名武将@お腹せっぷく:2008/12/01(月) 19:07:57
そ何が起こるか分らない戦争で机上の空論を並べ立てるのも
不毛な限りだけどな。
878無名武将@お腹せっぷく:2008/12/02(火) 01:02:39
そういうスレだが

そう思うならなぜ書きこむ?
879無名武将@お腹せっぷく:2008/12/02(火) 19:16:27
机上の空論スレでも既に語り飽きた話題だな。
関羽信者VS関羽アンチの平行線だし。
880無名武将@お腹せっぷく:2008/12/02(火) 20:04:33
関羽のマイナス点を淡々と述べただけで関羽信者が発狂してるだけ。

アンチ関羽など存在しない。信者が作り出した虚像。

人間だれにしも欠点があるのに無理やり関羽を欠点なき「最上位」に押し上げようとする動きがキモい。
881無名武将@お腹せっぷく:2008/12/02(火) 20:13:38
その割には顔良斬りを関羽単騎駆けだったというと
確証もなく「そんなことはない」と喚く奴もいる。
この論に対するアンチらしき人間の否定っぷりは根拠、確証(個人的な感覚など証拠にはならない)も
なく垂れ流される傾向が強いと思うが?
882無名武将@お腹せっぷく:2008/12/02(火) 20:25:46
顔良斬りは別に万衆に一騎で突っ込んだと捉えてもおかしい解釈ではないしな。
883無名武将@お腹せっぷく:2008/12/02(火) 20:28:33
>>876
羊コと陸抗ほどの「友好」を結ぼうが、なんだかんだでバリバリ矛を交えてるからね。
仲が良いから必ずしも攻めてこないというものでもない。

でも二人は本心から仲が良かったわけでもなく、戦略的に相手国内での信望を高めようという行為だから、
やはり効果はある、と見るべきなのかもしれない。
884無名武将@お腹せっぷく:2008/12/02(火) 20:35:20
>>881
>>882

そのネタも既に三戦板関羽ネタの伝統と化しつつあるなw
あの正史評をどう取るかで簡単に1000まで消化された日も懐かしい限りだ。
885無名武将@お腹せっぷく:2008/12/02(火) 20:45:02
顔良単騎斬り問答

関羽が単騎で云々・・・(肯定派)

常識的にありえない(否定派)

その根拠は?(肯定派)

関羽信者ウゼー(否定派)

こんな酷いレッテル張りになる場合のが多くなかった?
886無名武将@お腹せっぷく:2008/12/02(火) 20:52:00
>>878
どうしたら落せたか?なif話なのに「絶対無理」に
仕立て上げようとしてるから、そこから話が進展していない。
魏オタもプライド曲げて、落せるための架空話になってれば
新鮮な流れになると思うよ。
887無名武将@お腹せっぷく:2008/12/02(火) 21:15:23
>>886

「どうしたら落とせたか」という範囲を関羽より上の権限まで含めたら話は広がるよ。
たとえば関羽の兵は3万だけど、もう1〜2万あれば守備に割くもよし・大動員して総攻撃もよし・
別働隊で使うのもよしだから話がかわってくる。呂蒙も守備に2万もいたら速攻できなくて先に寿命を終えるだろし。

でもこういう他力本願的な流れは「関羽は」という文がいらなくなるでしょ?「劉備は」とか「蜀は」とかね。
つまり関羽は関羽の裁量にあるリソースだけでは、どうやっても落とせない(維持できない)
というのがほぼ宿命付けられているという結論なんだよね。

別に関羽を貶めているわけでないの。
888無名武将@お腹せっぷく:2008/12/02(火) 23:06:30
>>881
ありえないとは言ってない。信憑性は薄い、と言ってるだけで。
そもそもそんな特殊な状況なら普通に「単騎」と書かれる。わざわざ「万衆」としてあること、軍を率いて張遼と並んで攻めたことから単騎とするには状況的に不自然。
結果として単騎であった可能性は低いのではないか?という主張になる。見てきたわけでもないから関羽信者が単騎説を主張する時みたいに「絶対あった!」なんて風に言いきれないしね。

>>887
いっそ荊州を放棄して孟達の所まで退くというのは?
それか曹仁、除晃と戦わずに退いて呂蒙とあたるか
たとえ速攻で曹仁、除晃を倒して樊城を取ることができてもすぐに撃破されてしまうだろう。
もう勝つのは諦めて全滅をさける方法を考えたほうがいいと思う。

守備兵まで投入してる上に蜀としても限界まで導入してるんだから戦力的にはこれ以上望めないだろう。
889無名武将@お腹せっぷく:2008/12/03(水) 07:56:58
アレクサンドロスすら戦闘状態で対峙する軍に一人で攻撃をかけたという記録はない
890無名武将@お腹せっぷく:2008/12/03(水) 12:47:54
そもそも張遼と2人で部隊を指揮して顔良部隊を破ったとあるのに、
関羽一人で切り込んで顔良を討ち取ったというのは無理がありすぎる。
定軍山の黄忠も同じ書かれ方をしてるが、夏侯淵を単騎で斬ったわけじゃない。


曹仁や張遼は明確に少数で多勢に突入して斬り殺しまくって敵を畏怖させたという描写がある。
これが紛れもない「個人武勇」の記述のしかただろう。
891無名武将@お腹せっぷく:2008/12/03(水) 17:00:36
曹操ですらひとりで何十人も斬って敵をビビらせたという記述があるのに
892無名武将@お腹せっぷく:2008/12/03(水) 18:57:37
>>890
それが単なる妄想だといってるのよ。
893無名武将@お腹せっぷく:2008/12/03(水) 18:59:18
1・曹操の武勇伝が眉唾である可能性がある
2・1を除外しても、敵の軍中に突入するのと、叛乱した賊徒が襲い掛かってくるのは違う
3・関羽が顔良を討ち取るまでの道筋にいる軍は、賊何十人に匹敵するものではない
4・曹操がそうだから関羽もそうだ、という理論は通用しない
  曹操が関羽より上という意味ではなく、賊と軍相手じゃ状況が違う
5・張遼なにやってたん?

こっからは個人的な評価だが、関羽が率いてる軍を用いず、敵軍に単身突入するほど脳筋とは思えない
いくら武勇に自信があっても、減らせるリスクを減らさないほど頭が弱いわけないだろう
もしそうなら、逆に将としての評価が低くなる
関羽が好きな人間としては、あまりそう思いたくない
894無名武将@お腹せっぷく:2008/12/03(水) 19:00:39
ごめん3は間違い
賊何十人如きが匹敵するものではない だな
895無名武将@お腹せっぷく:2008/12/03(水) 19:15:00
見事な脳内妄想ですね、有難うございました。
てか、正史記述はおおまかな記録なんだから
ありえる、ありえないとかどこまで行っても平行線だろ。
896無名武将@お腹せっぷく:2008/12/03(水) 19:25:06
張遼「顔良は敵陣奥深くに居るなあ・・・」
関羽「じゃあ、ちょっくら首取ってくるわ。」
張遼「一人で?」
関羽「うん」
張遼「マジで?」
張遼「嗚呼、いっちゃったよ、あのヒゲ。」
喚声が上がり衆群が避ける
関羽「ただいま、顔良の首取ってきたよ。」
張遼「・・・(な、なんだよ、このヒゲ無双w)」

こんな妄想でも全然アリな記述だしな。
897無名武将@お腹せっぷく:2008/12/03(水) 19:34:15
正史の特色は記録なんで
演義のように決められた出来事とは言いがたいのもポイントだな。
まあ、その分どこでも議論は白熱するが・・・ちょっとね。
898無名武将@お腹せっぷく:2008/12/03(水) 22:22:09
ビルの五階から飛び降りて無傷で済むのかって話だな
結論から言うと高さを成文化していない以上済むこともあるが済まない事もあると言える
しかし平均的なビルの五階の高さから飛び降りればまず死ぬだろう
今回に関しては対峙する軍隊がすでに潰走状態であった場合や乱戦状態にあった場合(俺は中国の戦争史は詳しくないからそうなりうる状況下だったかは知らんが)
などの状況下で往々にしてそのような事態も起こりうることは否定できない
だがいわゆる一般人にイメージされている単機駆け、すなわち自然状態で接敵機動に入った軍隊に対し一人で前進し指揮を取ってる人間を殺すこと、は現実的に不可能だろう
899無名武将@お腹せっぷく:2008/12/03(水) 22:43:56
>>893
6:そもそも関羽の記述も眉唾の可能性がある
7:味方がどれくらいいたのか、顔良の突出具合によって曹操と比較した場合の難易度は変わる
が抜けているよ

6は言わずもがな、7は>>898の意見と同じ。程度がわからん以上何ともいえん。
極端な話はぐれた顔良を味方何十人かで囲ってなぶり殺したことも考えられる。>>896の状況から俺の言う状況まで考えられるケースは千差万別

個人的には下半分に同意。関羽がそんな頭の悪い人間だとは思いたくない
もし本当にそんな将軍なら味方の指揮をほっぽらかして危険にさらす最低の将軍だから。
そもそもそれができるんなら除州で曹操を直接殺せば済むことだし、樊城で除晃を殺して一人脱出するなり戦略的敗北の責任とって自害するなりできたはずだった。
900無名武将@お腹せっぷく:2008/12/04(木) 00:20:52
現実的にも何も実際に見たわけじゃないしなあ。
901無名武将@お腹せっぷく:2008/12/04(木) 00:40:59
だからだろ。非現実的だったら曖昧な書き方なんかせずにハッキリ書くだろ。
曖昧ゆえにそういう可能性があると言うよりも、そうではないから曖昧に書いてるんだろ。
902無名武将@お腹せっぷく:2008/12/04(木) 09:53:17
実際に見たわけではないが、もし仮に>>898に書いた定義による単機駆けが可能なのであれば、これほど有効な戦争手段はない
要するに軍の指揮系統を乱すことが一人で可能なのだからあらゆる会戦で運用されるだろう
しかしそういった一騎打ちという物は一般的な戦争形態から言えば初期の初期に見られる儀式のようなものであり、おおよそ200年当時の中国に当てはめられるものではない
戦争の規模が拡大すれば当然そういった行動に対し対応するため指揮系統の頭というのは基本的に先頭には出ないことになる、つまり一騎打ちは集団戦闘の発展と同時に廃れる
もちろん指揮官が戦闘の最前面に突出する例外は戦争史上存在し、今回の場合もそうだとする考えについては否定できないが
少なくとも一般的にそのようなことは無く、通常の接敵機動状態の軍に対し一人で対峙すれば即殺されるのは歴史的に見れば明らか
よって一般人の考えるような単機駆け、居並ぶ敵兵をなぎ倒し〜というようなのはやはり存在自体無理があるというのが妥当だろう
903無名武将@お腹せっぷく:2008/12/04(木) 19:17:09
肝心な事が抜けてね?
兵士ってさ、人間なんだから
関羽に正面の兵が薙ぎ倒された時点でなんらかのも恐怖も感じてると思うんだよね。
それでいて力が鈍ったり、己の命がやっぱり一番可愛いと思うのが人間としても当たり前なので
道を開けたり、逃げ出そうとしてやられたりもしてるんじゃねえの。
何しろ、集団戦のセオリーを無視しても押してきてるんだから相当な脅威を感じたと思う。
顔良を討ち取った後の「誰もかかってくる事ができなかった」という記述は
そういう兵士達の関羽の武威に対する畏怖を表してるような表現なんじゃねえかな?
904無名武将@お腹せっぷく:2008/12/04(木) 19:42:13
>>903
抜けてないな。
どんな時代でも立身出世を狙う奴はいるし、袁紹軍が殊更弱軍だという記述はなし。
さらに顔良は猛将で雑魚兵士でも士気は上がってるし、近習まで逃げるなんて
ありえない。
905無名武将@お腹せっぷく:2008/12/04(木) 19:50:08
兵士だってモノじゃねえだろ?
弱軍でなくとも、恐怖は感じるはずだ。

喧嘩してても、とんでもなく強い奴が一人で仲間をノシまくってる時は
何人でやっても勝てねェって思ったぞ。
そういう心境に似てるんじゃねえかな。
906無名武将@お腹せっぷく:2008/12/04(木) 19:54:18
それは素手だから。
飛び道具を持った人間の心理を理解していない。
907無名武将@お腹せっぷく:2008/12/04(木) 19:54:30
喧嘩も行き過ぎたら取り返しの付かない事にもなりかねないからな
圧倒的な力に無意識のストッパーがかかるのは自然な事かもしれんね
908無名武将@お腹せっぷく:2008/12/04(木) 20:01:20
ろくに訓練をしていないキモオタ10人対ミルコを素手同士でやったらそうなるかもね。
ただそのキモオタ全員にボウガンでも持たせても同じ結果になるかな?
909無名武将@お腹せっぷく:2008/12/04(木) 20:06:22
キモオタ1匹がぶちのめされたら逃げ出すだろ。
倒せるかもしれんが、その間に確実に2〜3匹はスクラップにされる。
その2〜3匹が自分かもしれないと思うと、まず逃げ出す。
910無名武将@お腹せっぷく:2008/12/04(木) 20:13:32
>>906
飛び道具持って強気になってる時点で
支えがなくなったらすぐにでも逃げ出しそうなヘタレ臭を感じるぞ。
911無名武将@お腹せっぷく:2008/12/04(木) 20:16:24
>>909
殺す事に躊躇がなければそんなことはない。
むしろ殺さなきゃ殺されると思う。
だいたい逃げれば命が助かる保障がなければなおさら。
912無名武将@お腹せっぷく:2008/12/04(木) 20:18:33
入蜀したときの序列ってどうなってたっけ?
ビジクが一番なのは知ってるんだけど、その後がわからん
913無名武将@お腹せっぷく:2008/12/04(木) 20:21:18
>>911
殺すことに躊躇しなくてもたとえ、急所に命中しても
鬼の形相で突っ込んできたら・・・
常人の常識をしばしば超えてることがあるのがその手の超人。

そう考えると逃げる方が得。
914無名武将@お腹せっぷく:2008/12/04(木) 20:39:33
>>913
無理だろうなあ。
10人が必ず手の届く位置にいるわけでもないし、一撃必殺であれば躊躇して突っ込めなくなる。
915無名武将@お腹せっぷく:2008/12/04(木) 23:38:57
接敵機動から人一人突っ込んできただけで崩壊する軍なんて聞いたことがない
傭兵、民兵ならまだしも(今回の戦闘を詳しくは知らんが)威力偵察のような別働隊であったと記憶してる
すなわち錬度・兵装においてそこそこ充足していることは容易に想像できる
916無名武将@お腹せっぷく:2008/12/04(木) 23:54:10
>>913
敵前逃亡したら処刑だけどな。加えて何千人もの人間がひしめき合う密集。
逃げ場がない。

それでなくとも兵卒といってもそこらのヒッキーと違って一通りの訓練を受けた軍人であり、前線や顔良の供回りを務めるような兵なら相応の精鋭だろう。実戦経験者も比較的多いはず。
たった一人に人間にビビって身動きできなくなるような部隊なら演習の時点で解体してるだろうな。
さらに言うならあからさまに大将である関羽の首を獲れば報償は間違いない。意気の上がるやつもいるだろうな。

四本足の獣ではなく人間だからこそ、全員が逃げるなんてことはあり得ない。猛将と名高い顔良の部隊ならなおさらだろう。
人間が皆そう簡単に怯える生き物ならそもそも戦争の歴史はないだろうな。
917無名武将@お腹せっぷく:2008/12/05(金) 00:23:49
つまりそんなとこに単騎で突っ込んだ関羽は物凄いってことですね。
918無名武将@お腹せっぷく:2008/12/05(金) 00:55:59
話聞こうぜ
919無名武将@お腹せっぷく:2008/12/05(金) 09:16:46
要はどちらに信を置くかだろう
書いてあるから全て事実とするのもいいだろう
しかし三国志というのは不明瞭な部分や超能力の類を多分に孕んでおり
また歴史というのはローマとカルタゴの関係などに挙げられるように過度の虚飾が付き物であることはここに述べておく
920無名武将@お腹せっぷく:2008/12/05(金) 18:48:21
書いてある限りでも単騎とは書かれてないんだけどな
921無名武将@お腹せっぷく:2008/12/05(金) 19:27:47
共を率いてとも書いてはいないがな

まあ、それより
討ち取った後に誰もかかって行く事出来なかったという記述の方に凄みを感じるな。
相当な事をやってのけたと、思うには十分な記述
922無名武将@お腹せっぷく:2008/12/05(金) 19:44:30
単騎がけで大将首を掻っ攫う、という華やかな武勇譚を
はっきりと分かる言葉で書かない、というのはちょっと考えにくい
・単騎がけではなかった
・単騎がけであるかないか判断しうる資料を、陳寿が探し出せなかった
可能性としてはこの二つかね。個人的にはぼかした書き方からして後者なんじゃないかと思ってる
正史の程普伝による孫策救出が、二騎で行われてると明記されてたりするからね
程普伝でそんな風に書いてるから、関羽のそれで単騎と明記されてない事に疑問を感じるんだ
923無名武将@お腹せっぷく:2008/12/05(金) 20:09:57
共を率いてとも書いてはいないのかは知らんが、200年中国の戦争体系はすでに集団戦闘に移行しており
そのことから原則的に軍事行動は幾らかの集団で行われる事は明白である
924無名武将@お腹せっぷく:2008/12/05(金) 20:24:22
明白じゃないよ。
正史は簡素な記録だし。
925無名武将@お腹せっぷく:2008/12/05(金) 20:30:21
どっちでもいいじゃないという割には
単騎突撃否定派はいつまでも噛みついとるなw
926無名武将@お腹せっぷく:2008/12/05(金) 21:18:53
正史は簡素な記録とあるが、なぜ簡素な記録であるという前提が軍事行動が集団ではないという結果に落ち着くのだろうか?
927無名武将@お腹せっぷく:2008/12/05(金) 23:59:07
張遼
==個人武勇==
・800人で10万人の孫権陣営に突入
・将2名を含む数十人を斬殺
==部隊指揮==
・孫権が撤退すると8000人以下で再度突入
・?統を瀕死の重傷に追い込む
・牙門旗を奪い取る
・孫権は単騎で逃亡


928無名武将@お腹せっぷく:2008/12/06(土) 00:21:09
張遼マンセースレではないはずだが・・・
929無名武将@お腹せっぷく:2008/12/06(土) 01:22:37
マンセースレではないが
関羽を神懸かったような部将だという奴には有効
関羽以上の部隊指揮と個人武勇を持つ人間が魏にはいるってことで
930無名武将@お腹せっぷく:2008/12/06(土) 01:24:57
許チョや曹仁、李通を忘れるな
931無名武将@お腹せっぷく:2008/12/06(土) 12:06:47
なんだ、単なる魏オタの嫉妬か。
932無名武将@お腹せっぷく:2008/12/06(土) 13:24:55
そもそも個人武勇とは軍事史においてどれほどの価値があるのか?また優れている人間とは一般と比較しどの程度の差があるのか?
例えばアレクサンドロスはそういった面でも有名だが大王のいくつもの勝利は個人の武勇によるものではないだろう
933無名武将@お腹せっぷく:2008/12/06(土) 16:06:20
>>772
>>922
のように正史の記述なんて簡潔ゆえになんで関羽の場合だけ
「親」「自」「身」のような字がないのか?
三国時代以外でもこれらが書いてないけど単騎だった人物っているの?
934無名武将@お腹せっぷく:2008/12/07(日) 01:36:03
>>924
そもそも関羽は自分の兵を率いてるんだから集団だったに決まってるだろw
935無名武将@お腹せっぷく:2008/12/07(日) 19:04:05
今更そんな使い古しのネタを
936無名武将@お腹せっぷく:2008/12/08(月) 01:24:02
まあ、もし本当に単騎だったら、曹仁なんかが敵陣に取り残された味方を
少数で救った際に「天上世界のお方だ」と言われてますが、それどころじゃ
ないぐらいのことが言われるはずですからね。

それにもし本当に単騎だったとしたら個人的武勇はともかく部隊指揮官と
してはちょっとウーン、な評価になっちゃいますね。
937無名武将@お腹せっぷく:2008/12/08(月) 01:52:07
つうかこと戦闘においては他の追随を許さない項羽が
「剣なんぞ強くても戦には役に立たん。一人しか相手に出来ないんだから」と言ってるからな

戦争における一人の強さはそういうもんなんだろう
宮本武蔵も「小の兵法、大の兵法」と区別しているね
938無名武将@お腹せっぷく:2008/12/08(月) 16:39:35
>>937で結論だな。
関羽が大将として優れていればいるほど「単騎」という行為は控える。
仮に非常時にそうせざるを得なかった場合は、必ずそれは特筆に価する行為として記録される。

そうでないのに「単騎で顔良を斬った」と主張するのは苦しいだろう。
関羽が個人武勇に長けていたのは間違いないとおもうよ。部隊指揮も優れていただろう。
でないと張飛と並んで万人敵とか言われないだろうしね。

でも関羽好きが嵩じて神格化する動きは正直引くわw
939無名武将@お腹せっぷく:2008/12/08(月) 16:46:15
神格化で思い出したけど関羽って神様なんだよね
すんませんwww

でもここは関羽の部将としての働きを分析するのがスレタイに沿う議論の要であって
やっぱり冷徹に部将としての評価や分析を進めて行くべきだと思うよ。

関羽は敵に畏怖されるほどの名将だった。
だが魏という質実ともに圧倒する敵には敵わなかった。
しかしその生き様は伝説として後世に残った。
これでいいじゃない。
940無名武将@お腹せっぷく:2008/12/09(火) 19:25:50
曹操がビビッて遷都を考えるくらいの名将だったしな。
941無名武将@お腹せっぷく:2008/12/23(火) 03:24:48
過去関連スレ
関羽の北上はどうしたら成功したのか?
http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1213352111/
942無名武将@お腹せっぷく:2008/12/24(水) 19:40:01
保守
943無名武将@お腹せっぷく:2008/12/25(木) 12:09:09
話し戻ってスレ違いで悪いけど
演技には正史には見えない史実を隠してる側面があるとおもうんだな〜
失われた伝承とか史料、明だったっけ?の時代には残ってて現代では失われてるなにか。

リジュとかさ演技ででてきて正史にはでてこない。
でも後漢書?だったかにはでてくんべ。
実在はするわけさ。

オレはね〜樊城近辺旅行したことあるんだが樊城よりかなり北の地に
カンさんの石碑とかあるわけよ。え?ここまできてたの???みたいな〜。
でもそれが本当にカンさんの軍が来た証拠なのか、
あとの時代にできたものかはわからん。

何が言いたいかわからなくなってきた。
944アゲ厨:2008/12/25(木) 12:41:22
あとな。オレ様はむかーし八王子でヤンキーしてたのですけど(照
先輩に「アパッチ」てよばれてたすげーのがいたのよ。。
立川との抗争が激しくてオレもちょくちょくいってたんだけど
アパッチ超有名なのね。アパッチと一緒だと3人くらいで20人倒せるw
もうね相手びびるとアパッチ近づいただけでもう腰引けちゃうのさ。
戦う人間の心理なんてそんなもの。
ましてや三国志の時代なんて兵卒の心理?迷信、恐れ、道教
現代の軍で単騎がけなんてむり。でもな昔の戦いでは全然ありえたと思うんだな〜。
弩兵なんてものはうつ準備に時間かかる。
隙を突いて恐怖を利用するとそういうことも出来たんだと思うわけ。
カンウが単騎で倒したとか言ってるわけじゃなく、
ありえないことでは全くないといいたいのですよ。

そもそもな戦術というのは地形や陣を利用して有利な状況を作り
最終的になにが目的かといえば「士気を高める」ことなんだよ。
この時代は特にな。
士気が高いと少数でも大きな軍に勝つことがある。
人の恐怖をどうコントロールするかが戦術なわけですよ。それが勝敗の鍵。
それが兵法よ。背水の陣とかな、なんでもそう。
カンウみたいに名前が知れ渡ってるとそれだけで相手の恐怖を煽る。
それがもう戦術になってる。
でもなケイシュウはほぼ・・・それだけでもってた。
あらゆる不利な面を抱えてもカンウの名前だけでもってた。
それだけ人材と兵力が足りなかった。蜀の国力の限界がすべてだな。

長くなったが呉ともう少しうまく付き合えば・・・樊城はおとせたな。w
その先はわからん。w

しっかしつっこみどころ満載のカキコだなwwwwwwwww
945無名武将@お腹せっぷく:2008/12/25(木) 13:33:27
>>943
ヒント
劉表の代のときに居候した場所
946無名武将@お腹せっぷく:2008/12/25(木) 13:44:46
>>943
宮本武蔵の墓なんかも生家とされる故郷から遍歴した場所、没した霊厳洞や息子伊織はじめ様々な武蔵ゆかりの人間の所に点在する
偉い人の墓ってそういうもん
まして関羽クラスだったらどこに祀られたり石碑があっても不思議じゃない
世界中に廟があるからな
だから関羽の軍が来た証拠というよりはその近くで没した関羽にあやかって後世で作られたもんじゃないだろうか

演義の場合何何という文献を参考にしました、みたいな資料が明確に残ってればそういう考察にもなりえるんだろうけど
そこに現代に現存していない三国志の資料が確認できれば、明代まで残っていて現存していない資料→三国志の失われた文献か?
という仮説も成り立ってそこから新しい切り口を検証することもできるんだが
そういうのがないからなあ
947無名武将@お腹せっぷく:2008/12/25(木) 13:45:48
>>945
ああ、そういう説もあるね
気付かんかった
948無名武将@お腹せっぷく:2008/12/25(木) 19:00:30
>>946
俺は1800年も前の事に事実なんてもんを求める事自体が無謀だと思うけどね。
949無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 00:08:23
>>948
そう思うなら歴史モンになんて手を出すな
950無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 00:28:34
事実無謀だけどな。
史料の足らな過ぎる三国時代の事実を求めるなんて。

歴史を知るからこそ分る事だよ。
比較的新しい時代の日本の戦国時代を調べるのとは分けが違う。
951無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 03:28:05
ゲームバランス的には魏>蜀なんだから
関羽>五将、姜維>郭淮、陳泰くらいの方が燃える
魏が防御側であれだけ被害が出たのは
関羽、姜維(の部隊)が殺人マシーンだったからだろう
952無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 03:29:32
ゲームバランス的には魏>蜀なんだから
関羽>五将、姜維>郭淮、陳泰くらいの方が燃える
魏が防御側であれだけ被害が出たのは
関羽、姜維(の部隊)が殺人マシーンだったからだろう
953無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 03:30:08
ゲームバランス的には魏>蜀なんだから
関羽>五将、姜維>郭淮、陳泰くらいの方が燃える
魏が防御側であれだけ被害が出たのは
関羽、姜維(の部隊)が殺人マシーンだったからだろう
954無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 03:40:22
バイバイキーン
955無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 03:42:08
バイバイキーン
956無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 03:45:09
バイバイキーン
957無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 03:56:30
バイバイキーン
958無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 03:59:53
バイバイキーン
959無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 04:04:05
バイバイキーン
960無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 04:07:43
バイバイキーン
961無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 04:09:11
バイバイキーン
962無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 04:11:27
バイバイキーン
963無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 04:12:51
バイバイキーン
964無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 04:13:39
バイバイキーン
965無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 04:15:59
バイバイキーン
966無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 04:20:18
バイバイキーン
967無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 04:32:24
バイバイキーン
968無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 04:40:48
バイバイキーン
969無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 08:53:59
バイバイキーン
970無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 08:57:31
バイバイキーン
971無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 09:00:32
バイバイキーン
972無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 09:02:17
バイバイキーン
973無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 09:07:06
バイバイキーン
974無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 09:08:43
バイバイキーン
975無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 09:09:54
バイバイキーン
976無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 09:11:14
バイバイキーン
977無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 09:14:01
バイバイキーン
978無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 09:16:20
バイバイキーン
979無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 09:23:33
バイバイキーン
980無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 09:24:39
バイバイキーン
981無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 09:25:43
バイバイキーン
982無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 09:27:12
バイバイキーン
983無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 09:28:30
バイバイキーン
984無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 09:29:02
バイバイキーン
985無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 09:29:33
バイバイキーン
986無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 09:31:14
バイバイキーン
987無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 09:32:38
バイバイキーン
988無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 09:34:03
バイバイキーン
989無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 09:35:00
バイバイキーン
990無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 09:36:42
バイバイキーン
991無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 09:37:39
バイバイキーン
992無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 09:38:41
バイバイキーン
993無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 09:39:31
バイバイキーン
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umenn
1000無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 09:47:08
1000
10011001
  立  新   /   ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、    ,r';;r"           _ノ  と   何
  て  し    L_ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ ,';;/             )   申   と
  ね  い   //;;/´         `' 、;;;;;;;;,,l;;'            /ヽ  す  1000
  ば  ス   /.,';/              ヽ;;;;,l;L_      .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;i  か   を
  い  レ   l |;|┌--‐フ  ┌----、、   |;ヾr''‐ヽ,  ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;く  !!    超
  か  ッ   i  |l ~~__´ 、   ``'__''''┘  |;;;;;l rO:、;  ´ ィ○ヽ    'i;;;;;厶,     え
  ん  ド   l _|. <,,O,> 〉   <,,O,,>    |;;;;;| `'''"/   `'''''"´     !;;;;;;;;ヽ   た
  の  を  ._ゝ'|.    /   、       |; ,'  /   、        |;;;;;;;;;;;;;レ、⌒Y⌒ヽ
  う     「 | |    (    )       .ソ l  ,:'   _ ヽ       .|;;;;;;;//-'ノ
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人_,、ノL_,iノ!  . ',   :i゙''''''''''`l'  ` _人__人ノ_ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\       ,'  ト、,
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ハ ワ  {.      ヽ.  -、、、、 '  ノ  き き 了. ゙, ,ヽ===-'゙ ,'     ,   // ヽ
ハ ハ   ヽ.    ハ        )  ん 込  |  ',.' ,  ̄ , '    ノ  //三国志・戦国板
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