1 :
無名武将@お腹せっぷく:
語ろう
2 :
八戸のぶなが ◆M911CbdudQ :2008/07/08(火) 05:30:12
良し語ろう
3 :
五稜郭新館自宅警備員、うんぴ ◆9xUXn28CPE :2008/07/08(火) 05:33:12
(,_´v`) 土方歳三と斎藤一がかっこいい
4 :
1:2008/07/08(火) 07:10:13
せっかくスレ立てして最初に来たコテがうんぴか…
あーあ、空気読めよ
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/08(火) 07:14:04
最初に来たのは八戸だろw
6 :
1:2008/07/08(火) 08:06:06
あ、本当だ
よかった…
>>1 ローカルルール違反のスレを立てるな。
日本史板とか日本近代史板や歴史難民板に行け!
8 :
八戸のぶなが ◆M911CbdudQ :2008/07/08(火) 11:58:34
歯痛中目罰として谷三十郎について3000文字以上のレポートを貸す!
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/08(火) 12:13:41
宮部鼎蔵、吉田稔麿ってどの程度の人物だったんだろ
全回見た初の大河ドラマが2004年の新撰組
面白かった?
池田屋の回だけ見たんだけど、沖田吐血の所の演出で見る気失せた
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/08(火) 23:56:00
あれは脚本が三谷幸喜だったよね
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/09(水) 00:05:14
ドラマよりテーマソングの印象が強い
一回だけみた回が「池田屋大騒動」だった件。
毎週結構面白く見てた記憶が
中学の先生が幕末史好きで、
勧められたので初回から見てた
興味を持って図書館で新選組関連の本を借りたりしてました
土方と山南のキャスティングが素晴らしかった
近藤が死んだところで終わったんだよな
2004年の新撰組終了後に 五稜郭での土方歳三を描いた、
特別版も放送したな。
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/09(水) 22:44:33
21 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/09(水) 23:30:48
山南に泣いた
22 :
中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/07/09(水) 23:33:42
大河の井上源三郎には泣いた
23 :
小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2008/07/09(水) 23:34:54
新選なのか新撰なのか新鮮なのか
どれよ
24 :
中野区民憲章(トリ変え) ◆1Ixlm5F0XU :2008/07/09(水) 23:36:19
新田義貞直系の子孫、新田俊純の醜さに泣いた
25 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/09(水) 23:36:41
小銀玉が板違いスレに書き込んでいる!
26 :
小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2008/07/09(水) 23:37:26
そんなのは日常茶判事だ
小学校の修学旅行で函館に逝ったときは土方の存在自体知らなかった。
そんな漏れは関帝廟に逝こうとして何故かレンガ倉庫群にたどりついていた。
28 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/09(水) 23:43:22
まあ近いっちゃ近いからな
色合いは似てるからな
30 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/10(木) 00:52:05
関帝廟って北海道にもあるんだ
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/10(木) 00:55:01
横浜にもあるんだよな確か
32 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/10(木) 01:02:40
バンコクにもあった
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/10(木) 02:21:18
新選組って具体的に何したの?
教養ある三戦民なら教えてくれるよね
34 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/10(木) 02:28:31
戦争に行く道中に出身の村があって
泊まった際に誘いに負けてどんちゃん騒ぎをしてしまって
結局戦いに間に合わず、しかも味方が負けてた
35 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/10(木) 03:38:54
芹沢鴨の暗殺も油小路の騙し打ちも許せる新撰組贔屓の俺でも勝沼の戦いだけは弁解出来ん
36 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/10(木) 08:23:00
37 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/12(土) 18:14:27
?
38 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/13(日) 20:03:44
燃えよ剣の土方は最高にかっこいい
谷三兄弟もだけど山崎烝が好き
40 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/14(月) 11:34:08
俺は藤堂派
41 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/15(火) 20:19:58
新撰組の隊士ってみんなキャラ立ってるよな
それは昭和の映画のおかげ。
43 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/19(土) 15:14:15
永倉神
44 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/19(土) 16:01:38
池田屋の永倉はかっちょいい
45 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/19(土) 21:35:32
蟻通勘吾
46 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/22(火) 00:03:17
ここ数日毎日泣いていた
昨日は源さんが死んだ
そして、今日は最終回…
元気なスマップの香取慎吾を見て安心したい気分「生きてて良かった」って
オレ、武士のように生きたい
47 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/22(火) 04:23:22
再放送してるの?
DVDでございます〜
49 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/26(土) 04:45:18
そっちか
レンタルしてみようかな
一瞬歴史難民開けたのかとおもた
51 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/10(日) 07:41:16
難民にも新撰組スレあるね
DVDで一気に見るのイイよ
しかし、キャスティングもぴったりだし、本当に面白かった
三谷幸喜って才能すごいと思った
篤姫もDVD出たら見よう!
大河はいろいろキャラ設定で議論があるようだが最近の映画では登場しないような隊員がいっぱいでてきて面白かった。
あと実際に新撰組の屯所に使った場所でロケしたってのもよかった。
史実にこだわらずあくまで創作ものだと言うことをしっかり理解してみれば結構面白い作品だな。
できれば今度やるならもう少し笑い要素は押さえて欲しいがな。
山南総長
山南はたしか実際には終始筆頭副長だよな。ドラマじゃ総長ってことになっとるが。
何でそんな嘘つくの?
山南総長説は西本願寺家来の西村兼文の記録にしかない。その西村の記録ってのは信憑性にいまいちかける割にはこれまで重要視されてきたのでそれを基にした小説などで広まった。
しかも西村は同じ記録の中で近藤勇を総長としている。同時代史料や後年記録の多くに彼の役職は局長助、副長とあり、序列では常に土方の上近藤の下に位置。
池田屋事件あたりから病で引きこもって任務から離れていたので実質的副長の任務は土方主導で行われ、山南は副長職を離れていた可能性があるが新たな役職を用意された様子は無い。
しかし新選組って美化されまくりだな
ただ食うに困ってたチンピラの集まりだろうよ
本当に強かったかもあやしいもんだ
人気だけはあるよな
もし自分が当時の人間だったら、こんな奴ら支持しないだろうな
チンピラが規則設けてわざわざ大真面目に昼夜市中見回りに出向き日夜文武稽古に励んで、命がけの戦に赴くわけもないんだがね。
実際、当時の庶民感覚からすれば特別好きだって人はいなかったんだろうね。当時の感覚で警察の新撰組も政治犯の勤王の志士も。
幕府やら会津にしたら1ヶ月で2、30人検挙する実力と浪人ならではの身軽さを多方面で大いに役立てるつもりで重宝したわけだな。
新撰組否定派もある意味では新撰組人気の現れだよな。研究者以外に全く触れられない歴史のジャンルが多数あるにも関わらずこれだけ肯定・否定派がいるのも珍しい。
壬生義士伝が漫画化されてた。
写真に残ってる土方歳三の服ってかっこいいね
あれってどっかの国の士官の制服なのかな?
幕府はフランス軍とかなり親密だったからその伝で購入したとかなんかの本で読んだ気がする。
64 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/18(土) 16:08:04
見てたな
もう4年前か
てか土方の肖像画、ジャッキーチェンに似てない?
66 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/22(水) 10:31:29
w
67 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/22(水) 10:48:44
新撰組は強かったよ
真剣で襲ってきた薩摩兵5人を木刀で撲殺したくらいだから(一人でwww)
68 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/26(日) 00:24:33
歴史系としては
ここが新選組の本スレということでいいのかな?
ミステリ板で見つけた痛いサイトだが
どうしたものかな
↓
ttp://blogs.yahoo.co.jp/shimaneko5628/44620494.html >携帯もEメールもない時代に生きている人間が、その時点の所在を確実に
>掴めているわけでもない二桁の人数を、直前の連絡で集合させようと考える
>とは、そもそも思えないんですねえ。 おそらくは1日以上前に収集の連絡は
>付け始めていると思います。
池田屋会合の1日以上前といったら
その時点では古高俊太郎はまだ捕縛されていないし
乃美織江もまだ吉田稔麿に潜伏志士の説得を要請していないわけだが
どうでもいいわ
72 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/26(日) 20:20:38
>>68 新撰組も池田屋事件も知らない人が
思いつきで書いているな。
史実どころか
TVの時代劇でも池田屋事件を見たことがないんだろう。
73 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/27(月) 19:49:13
>>68 面白そうだから
コメント欄で揚げ足とってみた。
>>68 思いっきり定説否定しておいて
「私の感覚と断っています」かよ ┐( ̄ヘ ̄)┌ ヤレヤレ
何いってもダメぽ。関わらなくていいよ。
75 :
無名武将:2008/10/30(木) 00:43:37
なんだかよく分からんが
面白くなってきたな
78 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/01/02(金) 13:45:18
誰か松原忠司の詳しい伝を
79 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/01/10(土) 11:34:26
断る
流れぶった切るが
土方といえばやはり栗塚旭だろ
近藤といえばやはり舟橋元だろ
沖田といえばやはり島田順司だろ
そして、
斉藤といえばどうしたって左右田一平だろ
松原忠司
生年不詳。播磨國小野藩出身。安政期に大坂へ出て柔術道場を開く。一説には「紙砲」なる武器に通じていたともいう。
文久三年5月ころ壬生浪士に参加した。文久の政変には坊主頭で長刀を担ぎ行進したので弁慶に例えられたという。
池田屋事件では屋外を守備、15両を賜る。さらに元治元年末の再編成で七番組頭に出世している。しかし、翌年5月には小荷駄方へ降格。
さらに9月には謎の死を遂げた。その経緯は諸説あるが何らかの「失策」による自殺未遂を原因とした病死ということだけは確か。
一時は四番組頭兼柔術師範であったともいうが、四番組頭については誤りで、実際の四番組は斎藤一が統率している。
壬生に残る口伝では山南敬介と並び明るい親切な人柄だったとも言われる。
局長 近藤勇
副長 土方歳三
組頭 一番 沖田総司
二番 永倉新八
三番 井上源三郎
四番 斎藤一
五番 武田観柳斎
六番 谷三十郎
七番 伊東甲子太郎
八番 藤堂平介
目付 山崎丞
服部武雄
芦屋登
篠原泰之進
三木三郎
吉村貫一郎
新井忠雄
勘定方 原田左之助
酒井兵庫
岸嶋芳太郎
参考・「英名録」「新撰組人名録」「取調日記」「新選組金談一件」「第二次行軍録」「第一次行軍録」
時期は慶応元年十月頃。ちなみに、あくまで個人的な予測です。
83 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/01/17(土) 10:19:33
84 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/01/25(日) 08:06:15
原田左之助は十番隊隊長でなかったのか
>>82 この時期の編成については研究者によって多少のバラつきはあるが概ねこんなとこだったらしいねー。
まあ、相変わらず一般向け雑誌なんかじゃ十番隊制を事実として紹介してけど。百年間も史実として信じられてきたんだから無理もないか。
新選組のような江戸幕府の味方は全て神
尊敬すべき偉大な軍隊だと思う
まじで?
89 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/02/01(日) 17:38:56
土方歳三って局長もやってたのか
土方は副長しかやってないだろ〜。近藤勇亡き後は新撰組そのものから離れてるし。一部記録じゃ新撰組のオーナー格として扱ってたりはするが。
91 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/02/05(木) 23:26:48
>>89 鳥羽伏見前に近藤が負傷して指揮取ってるから実質的には局長だね
新撰組という機能的組織を作り上げ、最後まで新政府と戦い戦闘指揮者としても相当優れてたようだから新撰組の逸材といえば土方だろう
>>91 土方は現場で活躍する人間って感じだね。そこへ近藤勇の外交力・政治的手腕が加わって新撰組は幕末期に空中分解することなく存続できた。
2人のどちらかが欠けてもあの新撰組の活躍はなかったろうね。いいとこ江戸の新徴組に吸収されるのが落ちだったろうに。
93 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/02/13(金) 23:00:56
誰か土方の遺骨を発見して下せえ
94 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/02/14(土) 00:53:13
物語では穏やかで人のいいオジサンとして描かれている井上源三郎て、
実際は極太木刀振り回して戦う猛者で、率いる三番隊も特攻隊みたいな役割を担ってたらしいね。
年齢も近藤とそんなに変わらない。
>>94 特攻隊かどうかは知らないけど武勇伝は結構ある人だよな。流派の免許取得してるし。稽古熱心過ぎて沖田とかにウザがられてたらしいが。
井上より年上は沢山いるね。島田魁、水口市松、中村玄道などなど。戦死時四十歳の井上は年長っちゃ年長だけどさ。
>>94 血風録じゃ井上隊は半端者揃い。井上も無能な割に独断専行するお騒がせキャラ。人柄と同門のこねで幹部やってるし実年齢よりかなり老けてる。
執筆当時は資料も少なかったろうし、物語という性格上人物像の脚色はやむを得ないんだろうけど冷静に読んだらかなり酷い扱いだよな。
ついでに井上以外にも同じく小説じゃ散々な扱いの武田や谷もかなり有能な人物だったようだな。
>>96 実際の武田も谷も結構な武闘家だね。沖田や永倉たちと同じくらいかそれ以上ってくらいに実戦経験つんでる。
武田については本当に性格悪かったみたい。谷はよくわからない。
98 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/02/22(日) 00:51:57
本当に武田や谷を斬ったのが斎藤なら斎藤一最強
99 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/02/26(木) 16:09:30
武田が殺害された時にすでに斎藤一は新選組から離局していたので手を
下した可能性は低いな。ちなみに殺害の実行犯は複数人だったという。
谷の殺害説は全く根拠のないもので、実際は過度の飲酒が原因の病死。
隊士たちが周囲へその話を避けたというのも死体が成り行きとはいえ
街中に晒されたのを不名誉なものと考え、身内の恥を部外者にあえて
話す必要はないと判断したためと考えたほうが自然だな。
ちなみに谷の人格についてはやっぱり定かではない。いい奴だったとも
悪い奴だったともいえない。
100 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/03(火) 21:54:51
谷三十朗が強いんじゃなくて、その弟の万太郎が強いって説もあるよな。
101 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/03(火) 22:02:31
万太郎は新撰組大阪支局々長
名簿の一つに万太郎の役職は一番組伍長だと記したものがある。それ以外は特に特定の役には就いた様子はないね。
新撰組は1から2組を交代で大坂に駐留させてた時期がある。支隊とするならこちらの方か。
万太郎の場合は支隊長っていうよりも大坂在住の協力者とか密偵役といった方がいいな。そうした出張隊の衣食住の世話役みたいな。
彼の他にも尾関弥四郎なんかが易者に化けて大坂で密偵をやってた。
103 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/05(木) 02:22:32
尾関もか〜
山崎がよくテレビ、小説で出るから尾関は旗持ちくらいかと思ってた。
上の方の井上源三郎は免許の腕前とあるが、目録じゃないっけ?
104 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/06(金) 21:48:38
尾関っつっても兄貴のほうな。大河出演は弟の雅次郎。兄弥四郎は勘定役
として会計処理の他にたまに大坂へ出向いて隊士勧誘とかスパイ活動を
やってたようだね。だだ、慶応元年に不治の病で死亡しちゃうが。
弟は伍長や調役を歴任し、一時期は旗役にも任じられている。こちらは
最後まで新撰組に従い函館まで向かい明治後期まで存命。
井上が免許というのは本当で証明書みたいなのも残ってたはず。井上を
目録としたのは司馬遼太郎「新選組血風録」で、執筆時まだ井上の免許
状は発見されておらず目録しかなかったため。
井上は現在イメージされるよりも相当強かった様子で外交面でもちょく
ちょく活躍。池田屋事件や鳥羽伏見戦争でも数人殺害する働きをしている。
105 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/07(土) 02:26:52
やはり永倉最強なのでしょうか?
沖田斎藤より剣の修行がちょっと進んでいるだけで強さは変わらんと思ってますが。
106 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/07(土) 07:08:41
最強は池田屋での近藤だと思うよ
>>105 それ、通説と化してるけど、実際そう証言してるの1人だけ。しかも永倉と親しかった芹沢派および伊東派の阿部十郎の証言。少しは贔屓もあったかもね
ただ永倉が強かったことはその働きぶりから確実だが。永倉自身はやはり沖田がそうとう強く兄貴分の近藤をも凌駕する実力を秘めてるように伝えてる。
永倉以外にも沖田はこの先修行すれば達人になるとした記録類が複数残るが、彼は若くして病死。どうやら近藤を超えるまでは行かなかったよう。
近藤は股間に竹刀挟んだ状態で試合しても負けなかったそうな。何だかアホらしい感じだが、そんぐらいの伝説が残るくらい強かったっぽい。
109 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/07(土) 20:04:53
>104
サンクス
>108
ワロタww
実際のところ天然理心流系幹部の実力って概ね近藤・沖田・山南か井上・土方って順だったと予想。勿論腕前なんて普遍的なものじゃないが。
あくまでも流派内の序列とか活躍ぶりで総合的に判断。ってか土方は意外に京都時代の戦闘記録少ないのね。
いつぞや刀傷ついた土方の鎖帷子を博物館で見たし芹沢暗殺とか実際斬り合いを経験してるのは事実だけど。
111 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/09(月) 15:18:23
残虐テロリスト集団
112 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/09(月) 16:24:59
釣り?
113 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/09(月) 19:16:17
テロリストならもっと無秩序に攻撃する筈だが
114 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/09(月) 22:05:11
釣りにレスしてどうする
115 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/09(月) 22:07:56
少なくとも幕府が政権を天皇陛下に奉還する以前までは彼らはテロリストでは
なく逆にテロリストを取り締まるもの。あたりまえだがね。
あえてテロリストとするなら北関東から函館の戦いまでに至る旧幕脱走軍時代
からであろうよ。その時には完全に反逆者扱い。
まあ、長州にしたって禁門の変をはじめとしたテロ行為を繰り返していたし薩
摩にしてもそんな長州に加担したり江戸で他藩の屋敷焼き討ちしたり民家襲っ
て女子供を平気でぶっ殺し乱暴した。
どんな形にしろ権力さえ握れば数多の庶民が殺戮され何人の人が不幸になろうと
正義の味方を気取れるしその犠牲も無視されるってこったな。
新撰組の京都での行為もある意味庶民にとって不逞浪士側と大差ない迷惑
なものだがそれは彼らが幕府権力を背景にしていたから許された。
116 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/09(月) 22:11:05
117 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/10(火) 00:13:05
誰を庇うわけでもなく。
会津藩士もいつかの戦いの時、略奪や火を放つことしてたらしいよねえ。
新撰組の近藤、土方もお偉方の前ではニコニコしてたらしいが、裏の顔は暗殺者だし。
118 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/10(火) 03:24:36
新撰組=特高警察
こんなもんをありがたがってる奴らの気が知れない
119 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/10(火) 08:09:40
世の中にはアルカイダ信者やタリバン信者もいる事ですし
新撰組は新撰組。存在した時代は江戸時代末期。明治以降から終戦まで存在した憲兵や特高と時代背景はじめ根本的に違う。
類似点を考察するならまだしも、活動の一端を引っ張ってきた大まかなイメージだけで雑に両者を繋げて新撰組=特高とか同一視すんのはどうかしてる。
一々新撰組なり薩長なりの非行ばかりあげてもしかたないだろうに。戦争で火付けくらい珍しくもないだろうに。
>>118 あがめるって宗教じゃないんだからWWWまあ、対象がなんであれ変な方向でなければ歴史に興味もつこたいいこった。
122 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/11(水) 00:45:03
123 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/11(水) 08:03:43
箱館まで残った生え抜きは土方歳三と島田魁ぐらい?
124 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/11(水) 17:08:32
他に3人
>>123 京都時代経験者は約20名。ただしその内半分くらいが末期の入隊。んでその内数人は土方の側近として配置されてる。
純粋に新撰組に参加してるのは島田魁や尾関雅次郎など僅かなメンバー。その時多数派だったのは桑名や唐津の藩士たち。
彼らは函館行きの船の定員に危うく漏れそうだったのを減少していた新撰組を補充するため土方が参加させた連中。
127 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/11(水) 19:48:50
殺伐としてるなw
>>125 函館ともなると浪士組時代経験者は土方だけかあ〜。京都での幹部クラスもみんな離脱しちゃってるし。
129 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 11:20:16
しかも幹部のほとんどが死んでるしなあ
>>129 新撰組が崩壊した直後の明治三年までに芹沢系幹部六人は平間以外死亡。近藤系九人は永倉、斎藤以外死亡。その外の助勤経験者も尾形と三木以外死亡。
やっぱなんだかんだですげー状況下で生きてたんだな。しかも日常が微妙に映画のバトルロワイアルみたいな感じだし。
外にも内にも敵がいて、ちょっとへますりゃ切腹とかもあり得る。入ったが最後みたいな。
131 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/13(金) 16:39:38
>>118 別にありがたがってる訳ではないでしょう
新撰組と言うより隊士達の生き様に何か引き付けるものがあるのだろう
あと刀による対侍戦闘ってのが好かれる要因の一つだと思われ
戦国時代の戦での武士とはまた違った魅力がある
町中で戦う侍って感じでさその辺が妙にリアルでもある
>>131 気にするな。単に不勉強な人だから。会話についてけないからああやってちょっかいだして存在感をアピールするしかない。
新撰組の入隊って実際どんな手順でやったのかな?
134 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/17(火) 01:51:43
あげ
135 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/17(火) 01:53:29
新撰組マンセー=捏造会津史マンセー=薩長憎しの基地害
136 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/17(火) 08:01:08
>>130 やっぱり原田佐之助が満州で馬賊になった話は嘘だったのでしょうか?
>>136 十中八九嘘っていうのが大方の見解のようだ。現実的に考えて外国へ渡るためのあてがない原田が海外へ渡るのはかなり難しいからね。
噂の出所は龍馬暗殺犯とされた原田に少しでも英雄的な逸話を与えてやりたいと考えた地元伊予松山の新聞社や親族ともいうが定かではない。
但し原田が後に故郷へ帰ってきたってのは簡単に嘘とは言えない部分もあるとか。ちなみに藤堂も似たような逸話がある。
138 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/18(水) 02:44:51
怪しまれずに港へ向かうにも取り締まりは厳しいだろうし
船を手配してくれる知人なんてものやら資金力やら語学力
もなかったろうからな・・・。
藤堂にしても死体を実見した人は大勢いるからまず生存説
は否定できるな。大名の隠し子だったかはわからないがW
139 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/18(水) 07:52:26
永倉辺りが密かに出国を手配してくれないものか
永倉自体も東北から江戸に逃げ帰るだけで変装繰り返したり何度も尋問受けて相当苦労してるからのう。
そういや彰義隊脱走兵の話を読んだことがあるけど、わざと退路が用意されているだけあって山から逃げる分には割と簡単だった様子。
だけど、江戸市中から出るのはそこら中に検問所があってかなり厳しかったという。
141 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/18(水) 18:23:06
昔の関所は緩くて簡単に通れるイメージw
人相書あっても写真なかったし
142 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/18(水) 20:41:07
確かに西郷隆盛の指名手配の人相書きとか見ると取り逃がしてもおかしくないレベル
143 :
◆x9XLyonDQQ :2009/03/18(水) 21:06:52
あ
144 :
◆yukIJRd7nY :2009/03/18(水) 21:07:44
新選組のファンだったりする
145 :
◆yukIJRd7nY :2009/03/18(水) 21:09:05
146 :
◆yukIJRd7nY :2009/03/18(水) 21:10:00
おかしいな
147 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/18(水) 22:41:27
まあ今現在でも写真あっても捕まらない人いるけどな
指名手配犯とか
今は指紋照合とかあるが江戸時代は無さそうだし
>>141 関所通るにはしかるべき所から通行手形を発行してもらわんといけないし、関所さけて山を通るにも山賊やら自然の危険があるからねぇ。
それに各藩が各所に交通警察みたいな感じで配置されてるからやっぱり厳しいっちゃ厳しいよな。
149 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/19(木) 12:36:40
なるほど サンクス
150 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/19(木) 20:42:21
安宅の関だってバレてたのを見逃してくれただけだしな
151 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/20(金) 20:28:00
あの頃って山賊出るほど物騒だったの?
>>151 結構でたっぽいよ。山賊専門っていうのは少ないだろうと思うけどね。何かしらの副業もちみたい。元気のよすぎる狩人とかそんな感じの人たち。
いきなり斬りつけたりってより土地勘がなくて迷い込んだりした人たちに近づいて助けてやるとか恩着せて金を巻き上げたりって手法もよくあったって話しだ。
153 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/20(金) 21:07:23
斉藤一しかいない。抜刀斎と互角にやり合えるのは。
154 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/20(金) 22:13:50
サンクス 思った以上に物騒だな
155 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/21(土) 12:55:38
るろうに剣心の斎藤一って、有名な肖像画の斎藤一よりも
写真の斎藤一に似てると思うのは私だけ?
156 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/21(土) 13:08:58
>>155 だからなに?
漫画の作者がなにを資料にしたかなんてどうでもいい
157 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/21(土) 13:50:47
斎藤一の肖像画は確かに写真とは別人
158 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/21(土) 17:04:07
新選組の強さ比較するのにマンガで評価する人いるよねw
>>157 あれは斉藤の孫を書いたと言われているってのをどっかで見た。
斉藤本人じゃないよ。
本人に似せて描いただけらしい。
晩年の斎藤一の印象は背が高く眉毛のふさふさした眼光の鋭い爺だったそうな。若い頃は酒のせいででっぷりしてたなんて説も聞いたことがある。
ちなみに沖田は背が高くやや猫背気味の肌が浅黒い青年。若い頃の永倉はどっしりとした感じの青年だったと伝わる。
土方は現在では小柄な人だが当時の平均身長より10センチくらい高い。近藤も平均よりは若干高い筋肉質のマッチョ。
160 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/21(土) 18:46:17
確か藤堂は背が低かったが、相当腕と勇気があり、斎藤・永倉・藤堂・沖田と近藤四天王と呼ばれてたらしい
原田の背が高いって記述あるっけ?
うろ覚えだが
161 :
うんぴ ◆BMWhZ4BQa6 :2009/03/21(土) 22:28:57
原田ってデブじゃなかったっけ?違った?
原田は美男子で腹に切腹傷あるって以外は具体的な容姿についての情報がないような。デブってのは司馬遼太郎の創作で根拠はないと思う。
でも息子の写真は顔立ちがスッキリしてる一方ぽちゃっとしてるからあながち間違いではないかもしれないな〜。
163 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/22(日) 13:46:22
原田の息子の写真か
見たことねえな〜
基本的に歴史小説の登場人物って大柄だよねw
164 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/22(日) 18:47:29
近藤、土方、永倉、斎藤、谷三兄弟、
他に写真が残っている隊士はいる?
165 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/22(日) 21:55:20
沖田らしい写真は見たことある
あのオタフクみたいな顔じゃない奴 何か普通の顔だった
あとは島田魁と晩年の池田七三郎くらいか?
他に根岸友山、阿部十郎、篠原泰之進、加納鷲尾、三木三郎、松本捨助、井上泰助、田村銀之助、中嶋昇、森常吉、相馬主計なんかが写真ある。
肖像画がある有名どころは伊東甲子太郎。あと隊員の横倉甚五郎が残した「戦友絵姿」に錦絵風の隊員肖像画が描かれてる。
>>165 ちなみに沖田総司の写真は明治中期に撮られた役者さんの写真で後に研究者が誤解したかなんかで広まった偽物だってさ。
十年くらい昔の本にはそういう由来不明の写真を平気本物として載せる傾向があったそうな。
168 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/23(月) 12:06:52
あれ偽物かよw
京都時代の土方のダンダラ姿の写真もあるよね
>>168 あ、あれも偽物なんだよな!?なんか本物っぽく作ってるから何も知らずにみるとついつい騙される・・・。
170 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/23(月) 18:59:17
マジか…
びっくり通り越してへこんだよ…
確か背景もしっかり写ってたよな〜
あれはコラかなんかなの?
数年前に雑誌の企画で作成されたものだそうだ。似たような感じで近藤勇と沖田総司のもある。
173 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/25(水) 21:31:34
サンクス
ふっくりしてるなww
174 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 19:12:18
普通は新撰組みたいな浪人集団のトップつまり局長みたいな幹部って
支配する側の会津とか幕府の役人が付くべきだよな?まあ、組頭とか
実働部隊の長は浪人でもあり得るだろうけど。
実際新徴組はそんな感じだが、新撰組は、組織編成だけ見るとまった
く幕府から出向してくる役人の名前が見られないな。
一応市中見廻りの任務についてるわけでしかるべき役人が派遣されて
てもおかしくないと思うんだが。
175 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/02(木) 22:49:39
>>174 今でいう請負会社みたいな感じでは新撰組は?
>>174 新徴組みたいに何百人もいないし滞在期間もあやふやだからわざわざ役人派遣する必要がないと判断されたんじゃね?
177 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/09(木) 04:54:57
すまんがなぜ新選組ってこんなに人気があるのか教えてくれない?
俺の曖昧な記憶だと時代が変わり始めているのに、変わろうとせず
世の中を変えようとしている人たちを弾圧したイメージしかないんだが、
彼らは何か150年たった今も客観的にみて評価されるような立派な
ことをしたの?それとも何となく格好いいからみんなから好かれてるの?
178 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/09(木) 09:46:48
子母澤寛の小説で人気出たからでは?
>>177 一般的にはそれまで冷徹な賊軍・悪役のイメージが定着してた隊員が極めて人間的に描かれた作品が戦後大量に出現したおかげで人々の人気を得たと思う。
あと、新撰組は時代遅れや敗者と言われるが、それは結果的な話しで、実際のところ幕末維新の変革の典型的存在でもある。
例えば浪人が前例の少ない幕府による公募で集まり地方行政にまで深く関与する存在になったことは極めて興味深い。また彼らのような全国的有志組織は意外に珍しい。
幕末維新期の身分解放、浪人問題、民間登用、畿内行政の在り方を研究するには大変興味深いな。
ただ、現状では小説や漫画の影響が強すぎて史実と虚構の区別をつけにくい人が多い状況にあるし、志士との斬り合いや内部抗争にしか注目がいかない場合が多い。
似たようなことは戦国とか幕末っていうジャンルではありがちだけどね。
180 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 10:51:12
すげえ
181 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 11:02:27
どう正当化しようと所詮は唾棄すべき残虐テロリスト集団
日本を変えようと頑張っていた人たちを殺しまくったクズなのは明白
こいつらのせいで維新が遅れた
現代社会でもいるよな、時代の変化を受け入れられずに古い価値観ゴリ押ししてくる低脳中年w
そんな奴らと同類だろw
またお前か
>>181 新撰組が維新を遅らせたとはこれまた古風な意見だね〜・・・実は新撰組マンセーだろWWW?。
ってか逆にテロリスト取り締まってたって何回教えられたら理解できるんだこの糞袋WWW
池田屋事件で大量に志士を殺害したことで逆にさらに長州側の倒幕意識高めさせてしまったんだよな。
185 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 10:55:33
晒しあげ
今日知人がとある研究者から見せてもらった幕末の学者の来訪者を記載した記録に新撰組の名前がわんさか出てきてびっくりしたらしい。
発見されてけっこうたってるものなんだが、未発表らしい。発見されても発表されない資料ってあるんだな。
ま、学者さんも色々他に仕事があってなかなか解読研究者に手が着けられないんだろうけどさ。
187 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/16(木) 20:14:19
発表しろよ
188 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/17(金) 02:07:28
新撰組信者の9割は明治政府を肯定できないブサヨ
九割がまともじゃないとか決めつけるお前が言えたことじゃないだろうがバカたれWWW
190 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 12:32:43
>>186 研究に暇がないのなら、公表して大勢に解析してもらうのが世の中の為でないかい?
191 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 13:56:48
昭和まで生きた隊士は、いますか?
192 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/18(土) 17:11:59
新撰組(笑)
集団で襲い掛かるくせに最強とかいう始末(苦笑)
信者は『あの生き様が〜』ばっかいうしwww
>>190 それが可能な人材と資金があれば、可能なんだろうけどな。下手に公開して素人仕事で下手な情報が出まくったら大変だろうし。環境的に恵まれた研究者は一握りだし。
>>191 池田七三郎…昭和13年
井上泰助…昭和2年
佐久間銀太郎…昭和8年
佐々木一…昭和元(大正15)年
高木剛次郎…昭和8年
没年がわかってる人たちは以上。没年不明者はたくさんいるからもしかしてもっといたかも知れないけど。
維新から終戦まで約80年だからかなり高齢だろうがいても不思議ではないかも。
194 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/19(日) 23:28:43
すげえ
195 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/21(火) 21:24:28
そういう連中は飛行機や車の時代を経験したわけか。
今から70年くらい前だったら直接話した経験のある人もまだ生き
てるかもな。
196 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 11:11:19
最後の元勲 西園寺公望
ペリー来航あたりに誕生して太平洋戦争回戦まで生きてたんだっけ。伊藤博文の後継者、桂園内閣で有名な人だな。
198 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 20:30:17
1845-1940
近藤勇の亡くなった日
近藤勇の愛刀だったという虎徹は真贋をめぐって諸説色々あるが、虎徹はどれだけ値がはったものなんだろ。
池田屋以後ならともかく資金力の乏しかったころの近藤が自腹で帰るくらいの値段ではないだろうけど。
けいおん
202 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/29(水) 00:03:58
大河だと虎鉄は贋作だよね
血風録でもだけど
203 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/30(木) 07:52:01
藤堂平助の刀が一番高そう
近藤勇の池田屋事件を報告する手紙には
沖田の刀=切っ先が破損
永倉の刀=中程で折れる
藤堂の刀=刃こぼれでボロボロ
ってあるな。普通は刀と刀が何度も力任せにぶつかり合ったりすると如何なる名刀でもこうなるだろう。
それでも自分の刀は無傷だったって近藤の報告は疑わしいけど、他の連中みたいに修復不能なまでに破損しなかったってことなのかも。
皆さんお勧めの史料本はあるかな?
自分でも結構揃えたんだが、まだ読んだことないのあったら読んでみたい。
206 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/04(月) 23:43:15
『新選組日記』(木村幸比古、PHP新書)「浪士文久報国記事」と「島田
日記」の全文を翻訳し原文と解説も収録。
『新選組証言録』(山村達也、PHP新書)「史談会速記録」にある新撰組
関連の記事を抜粋し解説付きで収録。
以上の二冊は古い文体に馴染みのない自分でも読みやすかった。ただしどっ
ちの内容も基礎的な新撰組情報としてちょくちょく雑誌なんかで引用されて
るし、情報の多くは詳しい人にとって目新しいものじゃないかもね。
他に、日野市にある新撰組関係の博物館めぐって刊行物を見てみると結構面
白い史料が原文と解説付きでたくさん載ってたりするんだがけっこう高価で
直接出向くか博物館に連絡しなきゃ購入できないのが難だ。
207 :
205:2009/05/05(火) 14:56:06
>>206 d
「新選組日記」は自分が持ってる「新選組戦場日記」とは違うものみたいだね。
これも浪士文久報国記事の翻訳なんだけど、島田魁日記は載ってなかったし。
2冊とも見つけたら読んでみようと思う。
史料と言えば、山崎丞の取調日記と新選組人名録の隊士名が知りたい。
全部掲載されている本って今のところ「続・新選組史料集」だけ?
取調日記は2004年発表で人名録はいつだか分からないけど、両方新しい史料だった気がする。
値段が高くて手が出せないでいるけど、隊士名知るにはこれ買うしかない?
人名録は収録されてないみたいだけど…
>>207 >>206ですが、山崎名簿は「続〜」意外にも発表当時はいくつかの安価な雑誌に掲載されてた。でも残念ながらどれも今は購入不能。
人名録はたしか2003年の歴史読本(信長の子孫の特集だったような)に掲載されてる。これも購入は難しい。
ただ「土方歳三」(相川司、扶桑社)や「原田左之助」(菊池明、新人物往来社)などそれらを参考にした本はいくらか出版されてて購入可能。
どうしても全文読みたいなら大きめの図書館にいくしかないかも。
209 :
205:2009/05/05(火) 18:12:05
>>208 重ね重ねdです。
>人名録はたしか2003年の歴史読本(信長の子孫の特集だったような)に掲載されてる。これも購入は難しい。
!! 言われて探したら本棚の奥にあったわ、これw
頭の片隅に読んだような記憶があったが、人名録がこれのことだったとは。
ここには慶応3年初期の名簿と書いてあるね。人名録は慶応2年のだと思ってた。
>「原田左之助」(菊池明、新人物往来社)
取調日記の名簿部分の写真は掲載されているから読みにくい字は他の名簿と照らし合わせて
推測で読んでみようかな。
今後全文が翻訳された本とか出ればいいのに。
210 :
208:2009/05/05(火) 18:33:25
>>209 訂正。人名録は当初慶応3年のものと発表されたものの、
後に慶応2年末作成の名簿だと明らかにされたのね。
隊長…近藤勇
副長…土方歳三
参謀…伊東甲子太郎
組頭
一番…沖田総司
二番…永倉新八
三番…井上源三郎
四番…斎藤一
五番…藤堂平助
六番…山崎蒸
七番…原田左之助
八番…三木三郎
番外?…尾形俊太郎
ってのが人名録記載の幹部だな。山崎以下は病死した松原と谷、離脱した武田、昇格した伊東の後任ってとこか。
>>211 尾形俊太郎とかいまいち階級安定してないね。平から急に組頭なったと思ったらまた急に目付役とか、そんで会津ではほとんど平扱い。
イメージではひ弱な学者っ感じだが一応京都時代に長く幹部扱いだし他の幹部連中がみんな武芸練達者で、彼だけ文学一辺倒ってわけでもなさそうだが。
>>212 一説に尾形は維新後に故郷熊本の警察で剣術師範やってたともいうしそれなりに武にも長けてたんだろうと思われる。
新撰組って実際どうやって見廻りとかしてたん?映画とかテレビじゃ例のど派手な羽織り着てゾロゾロ歩きまわってるが。
意外に本とかにはその辺が載ってない気がするんだが。
>>213 その説って女性研究家の本だっけ?
>>214 どうやってって聞きたいことが漠然としててどう答えていいかw
ダンダラ羽織については芹沢鴨の死亡以降の目撃談はなくて、
本当にわずかな期間しか着用されなかったみたいだよ。
それも将軍の警護や政変出動時など公式の場がほとんどだったから
制服着て町を巡察して回るのは映像作品ならではだと思う。
>>214 羽織りは知名度に乏しい壬生浪士(製作期は新撰組の名はまだない)の存在をアピールするための宣伝用グッズ。
古老のによれば黒ずくめといえば新撰組だったとか。実際近藤勇や伊東甲子太郎は黒を好んだし、幕末武士全体の流行でもあったらしい。
新撰組の見廻りは20〜30人で徒党を組み見回ることもあったけど通常は2、3人でバラけて活動してた。
話し変わるが新撰組の方向性がいつ定まったかっていえばやっぱり8月18日の政変〜芹沢派粛清の辺りだと思うんだが。
あの辺で公武合体思想と官僚的機能がメインって方向性に固まった感じ。反幕勢力予備軍も芹沢派の粛清と大量脱走でかなり減少したんじゃないかな。
芹沢派主導のままの流れだったら場合によってはどうにでも転びそうだし天誅組とかに呼応して挙兵してそう。
>>217 たしかにそうだが、長く見れば池田屋事件までは新撰組そのものの方向性や存続をめぐりかなり不安定でどう転ぶがわからん状態だったな。
近藤勇も実権握ったはいいが遅々として進展しない攘夷と見回りに明け暮れる現実に嫌気がさし胃腸病になったり解散まで覚悟したようだ。
池田屋事件により半強制的に引き返せない立場にっなって、続く長州征伐に彼らは存在意義を見いだしていったわけだ・・・。
壬生の屯所見てきたけど案外狭いね。ドラマとかだと何部屋もある感じだったから意外。
しかも、もともとの住人も一緒に住んでたんだからすっごい窮屈そう。
220 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 16:05:11
新選組一の剣の遣い手は斎藤一でよろしいですか?
221 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 16:12:22
いまだにドラマとかで総司をそうしと発音しているのを見たらその場でチャンネルを変えてしまう
>>220 そういう証明しようもない話しは適当な歴史雑誌みりゃのってるよ。妄想でしかないが。
>>199 壬生屯所は何軒かに分宿してたのが実態みたいだな。西本願寺に引っ越してからは一堂に雑魚寝してたみたいだが、幹部は個別に宿舎を保有。
224 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/15(金) 20:34:27
>>224 そう、休息所(妾宅)。多くの幹部は屯営近くに住んだ。調べたら田内知とか島田魁なんか平士でも休息所があったし、幹部限定ってわけでもなかったみたい。
226 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/16(土) 02:24:15
>>226 田内は休息所に帰った所を妾の不倫相手にバッサリ。命からがら屯営に逃げ帰り手当てを受けたが「法度」によって切腹したという。
勿論、『新撰組始末記』以外には記載がないし、真意は不明ながら、在隊中に死亡してるのは事実。ちなみに田内は入隊から死ぬまで仮同志。
228 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/17(日) 02:52:19
松原も確か妾と心中したとか
>>228 壬生心中の話しか。些か創作臭い部分もあるが似たようなことはあったらしいね。
松原は慶應元年の4月くらいには七番組頭から平士に降格してるが事件があったのはその辺かもね。
新撰組が憲兵だとかっていうスレに比べてここは変な方向にいってなくて安心したWWW
些細な疑問だけど観柳斎って具体的にはなぜに殺されたの?手元にある本じゃ単に脱走しようとした所を見破られてバッサリとだけあるが。
まだまだ幕府が倒れる時期ではないし、無論小説みたいに頭いいやつは必ず裏切るなんてめちゃくちゃな理由で抜け出したとは思えないし。
>>230 武田が脱走したのは慶応2年10月。理由は諸説あり洋式調練導入により古軍学を売りにしていた武田の立場が苦しくなったためとも。
無断脱退説の一方で許可をとった円満脱退説もあり。なら何故新撰組から命を狙われたかというと、
脱退後も京都市中に留まって某寺の僧侶と結託し独自に倒幕活動を行っていたため。因みに武田の処分と同時に武田同志の僧侶と新撰組内同志一名が粛清された。
薩藩や伊東派との結託の話しは同時代史料にまったく見られず後年の創作臭は捨てきれない。
武田の話しが出たからだけど、新撰組には学者が少ない(しかも皆最終的に裏切った)なんていうがそれってマジなんかい?
>>232 まあ、学者肌だからといって必ずしも反抗的というわけでもないがね。
例えば尾形俊太郎は会津まで戦い抜いたし。山南敬介だって主流派に反抗的だったという証拠がないし。
全体的には近藤勇以下武だけでなく文にも優れた人物は存在してるね。
234 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/30(土) 23:47:22
517 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2009/05/26(火) 23:10:30
新撰組オタクの会津崇拝者率は異常
つまり会津捏造観光史観と新撰組人気は密接に繋がっている
518 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2009/05/27(水) 16:16:13
新撰組ヲタは会津が好きだし
会津ヲタも新撰組が好き
会津では会津新撰組まつりという
朱子学独裁藩主の藩とゴロツキ浪人を
褒め称え、薩長人をぶっ殺す祭りを毎年やってるしね。
519 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2009/05/28(木) 04:20:21
京都人も新撰組大好きだよ\(^o^)/
520 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2009/05/28(木) 13:28:56
一部の無知な京都人ね。
あと香取のドラマで騙された
ジャニオタくらいだろ。
235 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/05/30(土) 23:48:08
260 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2009/05/29(金) 16:09:55
【会津新撰組まつり】
>突いた刀を力づくで抜くと、まだ突然の突きに放心状態で立ち尽くす
>長州人の背中をやおら左足で蹴り飛ばす!
福島県で行われてる薩長人惨殺怨念祭。
観光史学を史実と刷り込んでる福島では
毎年薩長人を殺す演目のある祭が開催され
薩長人をぶっ殺す際の台詞はなんとアドリブなんだそうだ。
>「馬鹿め薩長!wwwww」「馬鹿め薩長!wwwww」
と、叫びながら昼間の公道で、会津観光史学を称える拍手喝采。
こういった祭を見させて子供や観光客や歴史的無知に刷り込んで行くんだろうね…。
http://blogs.yahoo.co.jp/kulika_naga/50698473.html
そういや会津で新撰組は再編成されてるがその頃の名簿に器械方っていうのがいるんだが任務は何だろうか?
>>236 役割を明記した史料がないからはっきりしないけど多分大砲や小銃の整備や管理係と輸送部隊を兼ねたものだったのかも。
斎藤秀全ってたしか斎藤一とにた別名あった人だよな。
238 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/06/01(月) 07:33:30
会津関連スレ晒しage
239 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/06/01(月) 09:22:36
新撰組ヲタ=アルカイダ支持者
>>237 斎藤秀全は一諾斎ともいった。仙台で降伏し故郷に帰って寺の住職しながら教育者として活躍したらしいのう。
241 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/06/14(日) 22:22:49
>>235 さすがに民度が低くて萎えるな
若松市内で蒲生氏郷の墓を尋ねても市民は誰も知らないという話を会津に行った友人から聞いた事がある
242 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/06/14(日) 22:25:53
だって会津バカ松だし
243 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/06/14(日) 23:53:59
新撰組ヲタと会津信者はお互いにリンクしているからな
両方股にかけてる奴も多いだろう
どちらも無知なくせに声だけはでかいから、幕末史を語るうえで非常に邪魔な存在だ
244 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/06/15(月) 00:43:07
しかしそもそもこの板は幕末史を語るところではなかろう
245 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/06/15(月) 00:45:44
>>244 このようにテロリスト集団新撰組&会津捏造史観の信奉者は不利になるとスレチを理由に逃げます。
246 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/06/15(月) 00:51:21
スレチじゃなくて板違い
247 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/06/15(月) 00:52:44
>>246 反論に窮して逃げているという事実に変わりはありませんね。
248 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/06/18(木) 09:59:15
★のお友達、鈴木荘一著
『勝ち組が消した開国の真実〜新撰組の誠と会津武士道の光跡〜』
またまた笑える観光史学小説を発見。
日本が幕末に欧米の植民地にならなかったのは
「徳川幕府と会津藩が開国を成し遂げたことと
京都守護職と新撰組が攘夷運動を抑えたから」
「無能な幕府に代わり薩摩、長州の若者が明治維新を成し遂げたというのは
嘘で、日本の近代化の礎を築いたのは幕府と会津藩」
おいおい〜w ツッコミどころ満載だ。
子供の頃、2年くらい会津に住んでいたらしい。
HPでも薩長差別書きまくり。
これからしこたまデタラメ怨念小説で金儲けってところだろう。
249 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/06/28(日) 16:37:44
新選組?新撰組ではないのか?
250 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/06/28(日) 16:42:48
ゴロツキヤクザスレ晒しage
251 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/07/13(月) 21:45:55
新撰組なのか新選組なのか。どうやら公式には新撰組のようだな。
実際に新撰組はもともと会津藩の一部隊の隊名だし、守護職から
新撰組、あるいはその逆の場合の手紙にも圧倒的に撰の字が使われ
てるし。対して新選組は俗な使いかたのようだのう。
もっと突っ込めば平時の役方的な立場では新撰組で、戦時の番方的
である種独立した戦闘部隊としての立場では新選組と名乗ったとも
できるな。
(参考:『新選組の論じ方〜新選組史料フォーラムから〜』)
252 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/07/26(日) 18:21:27
新撰組ネタのお勧めのマンガはありますか?
253 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/07/31(金) 18:28:13
新選組は公式の記録じゃほとんど斬ってないけど実際はどうなんだろう?
254 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/08/08(土) 14:34:20
ひじからとしぞう
255 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/08/12(水) 21:28:47
>>253 新撰組は斬るより捕まえるのが主任務だしね。公式記録(会津藩の日記・近藤の手紙など)だけだと殺害は10数人ってとこか。
非公式記録(当時の町人の日記・遠隔地に伝わった噂など)に見えるものも含めてどんなに多く見積もっても20人足らず。
その代わり検挙率は相当高い。ちなみに周辺地域の裁判にも介入してて奉行所役人が仕事がまわってこなくなったとぼやいてる記録がある。
ついでに仲間内(離脱組との抗争も含む)への殺害行為は30人余りだが、全国的でしかも幅広い階層・思想に門戸を開いてたこと、
幕末の激しい政治的・思想的な変化で隊の方針も何度か変わったことから差ほどビックリする話でもないな。
256 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/08/29(土) 10:52:05
杉村義衛と藤田五郎の墓に行ったことが有ります。
257 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/07(月) 22:33:29
大久保大和の墓は?
258 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/13(日) 13:19:46
近藤勇の墓って複数存在するよね。東京に二カ所くらい、愛知に一カ所、会津に一カ所だっけ?。どれもそれぞれ興味深い謂われがあるね。
会津のお墓は見てきたが結構な山奥だった。それ以外に墓参した新撰組の墓は、
土方歳三、井上源三郎、壬生寺に埋まる前期の死者一同の墓、光縁寺に埋まる後期の死者一同の墓。
伊東甲子太郎一派が好きだからそっちが見たいんだけどなかなかたどり着けない。
259 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/09/19(土) 18:35:55
内藤隼人の遺骨を見つけたいのですが…
>>249 どちらでもよい。近藤勇自身も両方の字を使っていた。(Wikiより)
261 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/08(木) 02:20:46
>>260 最新の研究によれば「新撰組」が正しいらしいな。会津藩から新撰組に、或いは新撰組から会津藩に出した公式文書も基本的に撰が使われてる。
逆に「新選組」の方が正しいという人もいて、理由は選の方が字の意味合い的に正しいかららしいが、それは現代的感覚での考えで正しい見解では無いらしい。
その辺は、マツノ書店から出版されてる『新選組の論じ方』に詳しい考察は載ってるが、マニアックな書店だから一般的本屋には置いてない。
まあ、飽くまで学術的に正しいのが撰って事で、一般的に使う分には撰でも選でも大して問題は無いね。要するに好みの問題か。
印鑑?は新選組なんだっけ?
263 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/18(日) 14:52:18
264 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/10/26(月) 20:56:55
内藤隼人 = 土方歳三
265 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/11/07(土) 18:23:28
大久保大和 = 近藤勇
266 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/11/16(月) 20:32:44
藤田五郎 = 斎藤一
267 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/11/23(月) 13:16:07
永倉新八 = 杉村義衛
268 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/11/24(火) 10:05:17
坂本金八 = 武田鉄矢
269 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/16(水) 01:47:41
ウルトラの父 = ケン
270 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/12/29(火) 19:07:02
スレタイからすると
新撰組の話題はNGでしょうか?
271 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/04(月) 17:02:37
>>270 そういうアホな質問をするあなただけは対応が面倒なのでNGということで。
272 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/10(日) 06:25:51
大河板の新撰組オタのスイーツ達は
新撰組を「組!」とか言っててイタかった
273 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/01/21(木) 19:17:36
大久保大和の首はどこいった?
274 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/02/06(土) 01:23:43
見つけたら大スクープ
275 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/02/10(水) 18:39:05
関係ないぞスクープ
えのもとたけあき
板違いもはなはだしい
278 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/02/20(土) 10:34:01
鈴木
三木
どっちが正しい姓なんだ?
279 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/02/20(土) 11:24:28
死ね
280 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/02/22(月) 12:24:56
生きるっ
281 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/03/07(日) 19:04:28
>ついでに仲間内(離脱組との抗争も含む)への殺害行為は30人余り
日本赤軍みたいだな
282 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/03/07(日) 23:24:07
基地外残虐テロリスト集団、それが新撰組
283 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/03/08(月) 12:53:39
おいおい、ハゲw
誰がモー娘。の全キャリアがファンタスティック!!だなんて言ったんだよって、チンポ猿野郎が!!ww
285 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 20:06:57
286 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/03/29(月) 20:20:54
認めん!!
287 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/04/11(日) 18:45:11
288 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/05/01(土) 11:16:46
新撰組一の美男子は?
289 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/05/06(木) 11:56:05
それはもちろん、人それぞれだ。
誰か函館新撰組メインの小説書いてくんないかなあ
291 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/05/27(木) 15:25:43
断る
292 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/08(火) 21:54:25
293 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/10(木) 21:01:22
いや、相馬主計視点だよ。
近藤勇の剣の腕は大したことがない。いつも相手を後から斬っていた。
295 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/14(月) 17:45:04
それが本当なら大したことあるだろ。
いつも相手の後ろをつけるって余程のことだぞ。
297 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/26(土) 09:30:35
>>295 モンハン2Gみたいにお供アイルーに囮にさせれば簡単
298 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/06/30(水) 13:36:14
近藤勇は偽名まで使って生きようとした卑怯者
しかし香川敬三はそれをゆるさなかった
299 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/02(金) 14:56:43
新撰組とか単なるゴロツキだろ
土方の写真が残った弊害だな
300 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/02(金) 15:26:50
ゴロツキどもの分際で長州の優秀な人材が何人も殺した
それだけでも大罪だろ
こんな連中をマンセーしてる奴らは反日ブサヨ確定
301 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/05(月) 15:05:26
>長州の優秀な人材が何人も殺した
日本語を正しく使えない奴こそ反日だろw
302 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/06(火) 16:29:32
ワロタw
303 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 12:54:30
>>298 桂小五郎は、幕末の汚れ仕事で使ってた名前を捨てて、木戸孝允と名乗り始めた
桂が、本当に何の私欲も無く、純粋に国のために汚れ仕事をやってたと言うなら、維新後もそのまま桂小五郎を名乗り続ければよかったんだ
304 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/23(金) 18:58:58
勝海舟もその口か
305 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/29(木) 07:14:32
>>241 >さすがに民度が低くて萎えるな
若松市内で蒲生氏郷の墓を尋ねても市民は誰も知らないという話を会津に行った友人から聞いた事がある
戦国武将の墓を知ってるかどうかにこだわる人間は、民度が高いんじゃなくて、ただのキモオタじゃん。
市民が観光名所にやたら詳しいのを見ると、かえって商売っ気を感じて、興ざめする。
306 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/29(木) 10:06:03
民度が低いと思ったのは氏郷の墓を知らなかったからじゃなくて
>>235みたいな頭の悪い祭りをやってるからでしょ
307 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/07/29(木) 11:30:03
幕末板できればいいね
いちおう板ちがいに当たるんだなここ
近藤さんはたしか小さい頃から関羽が好きだったんだっけ
310 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/14(火) 18:59:46
じゃあ、捕らえられ打ち首っていう関羽と同じ最期は本望だったろうな。
311 :
北部尉里人 ◆Q/3JK0v2WI :2010/09/14(火) 19:01:04
会津に近藤勇の首だったかの墓あるんだぜおまいら
312 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/09/18(土) 13:15:55
さすがに会津に近藤勇の墓はあっても中身が
313 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/10/15(金) 02:24:51
近藤勇の胴体は東京、首は京都(推定)。
土方歳三は北海道函館市内。
沖田総司は東京に埋葬されている。
314 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/10/18(月) 21:53:18
土方の遺骸は五稜郭説
315 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/11/05(金) 17:53:37
永倉新八は北海道小樽市
斉藤一は福島県会津若松市
ここ寂しいな!!!
会津観光史学連呼したりひたすら特高だナチスだと喚くような基地外すら寄りつかないとはね・・・
317 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/11/30(火) 14:16:32
俺は土方が最後まですじを通したところに惹かれるんだが。
テロとかそういうのって今の人の見方だろ。
318 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/11/30(火) 14:32:57
>>316 あの基地害会津アンチここ半年くらい見ないな
あいつの見事なブーメランっぷりには毎回笑わしてもらってたわww
>>317 土方みたいに幕末で死んじゃった人も興味深いが、十人十色で長い後半生を送った人たちも興味深いね。
元新撰組が平凡な公務員や会社員として毎日鉄道に乗って出勤したり、商店街のおじさんとして日常生活を送ってた。
そんな光景が曾祖父曾祖母の青春時代には当たり前のように広がってたと思うと何だか感慨深い。
320 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/12/02(木) 14:19:30
>>319 中島昇がそんな風に暮らしてる小説読んだな。ずいぶん前に。
なんだったかなあれ。
321 :
無名武将@お腹せっぷく:2010/12/04(土) 19:21:57
俺もうろ覚えだが『明治新選組』とかいう小説だったようななかったような。
少年時代は幕末維新の動乱、青年時代は文明開化に自由民権運動、壮年時代に日清・日露戦争の勝利、
老年時代に大正浪漫・昭和恐慌・世界大戦を経験した世代がいても不思議じゃない。
世の中が刀で喧嘩やってる時代の少年少女たちは、まさか爺さん婆さんになって空から爆弾降ってくるとは誰も想像しなかったべな。
322 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/01/04(火) 22:07:33
世の中が人力車で移動している時代の少年少女たちは、
まさか爺さん婆さんになって空を飛行機が飛んで移動するとは誰も想像しなかったべな。
323 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/01/28(金) 23:45:09
324 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/02/15(火) 19:11:58
くれまんそー
325 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/02/26(土) 20:12:53.06
以下銀魂の真選組を語るスレ
土方氏ね^^
327 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/03/09(水) 23:43:56.54
328 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/03/19(土) 12:43:48.88
大幹部
芹沢鴨 新見錦 近藤勇 山南敬助 伊東甲子太郎 土方歳三
幹部
沖田総司 永倉新八 斎藤一 松原忠司
井上源三郎六番隊隊長 谷三十郎 藤堂平助
鈴木三樹三郎 原田左之助 山崎烝監察方
その他
武田観柳斎文学師範
>>328 新撰組の職位区分の仕方は色々あるだろうけど近代陸軍の階級と比較すれば大体以下のように整理できるな。
士官:局長・副長・参謀・副長助勤(組頭)
准士官:調役・勘定方
下士官:伍長(組長)
兵:平士(平組)・仮同志
厳密に言えば勘定方(小荷駄方)は部署名であり役職名としては勘定方取締・勘定方手付とさらに細分化されてたみたい。
また、この基本的職制以外にも臨時設置の役職も色々伝わってるけどそれは省略。
某同時代史料によれば組頭以上は10両に対して調役以下は2両(慶応年間)。組頭は裏金の陣笠着用や騎馬が許されたとかで
同時代的には組頭以上が幹部という認識だったらしいな。
しかし武田がその他ってwww
武田先生=教えたがりw
331 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/04/24(日) 04:18:34.68
武田鉄也???
a
335 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/06/04(土) 16:42:45.20
>>334 いや・・・三戦版的にはどうでもいいスレっぽいのだが。。。
336 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/06/21(火) 16:09:16.41
新選組で一番強いのは毛谷右京だよ
近藤なんか屋台で飲みながら『あんたらは古くからの同志をだまし討ちにした。』なんて油小路の一件を
毛谷にからまれて(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル で何も言い返せなかった
337 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/10(日) 21:54:59.15
毛谷右京って誰?
338 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/18(月) 07:24:38.50
そんな人間はいませんがな。
高級料亭で飲み食いしてた近藤が酔っ払いに絡まれるような屋台で飲むなんてこともないがな。
339 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/24(日) 03:51:19.30
340 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/07/24(日) 15:52:03.98
大昔のドラマネタか。18歳の私には流石に分からないwww
341 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/08(月) 10:46:40.70
近藤も最初は小物だったのに大物ぶって
処刑されたのも自業自得でござる
342 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/10(水) 15:21:02.64
大物か小物かって次元の話は小説家先生に任せろ
343 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/10(水) 18:00:31.65
新選組と新撰組の違いは?
普通の人間か吸血鬼かで決まる。
345 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/08/11(木) 04:51:44.17
www
真面目な話
撰なのか選なのかは正式には撰が正しいようだな
公的文書や幹部の文書では殆ど撰で統一されてる
当時の意味的にも撰は選よりも高貴な意味の漢字
もっとも私的文書の類には選も氾濫してるけどね
よく知られているように当て字に寛容な時代だし
現代では選はヒト撰はモノをエラブと使い分ける
しかし幕末時点ではそういう使い方はされてない
近藤勇印鑑に選を使ったのがあるから正しくは選
ってな意見も多いがそういう字の意味を考慮する
あえて高級な撰の字を使うのを憚って選を使った
って考えた方がよいかもね。
ちなみに撰を使った印鑑もちゃんと発見されてる
新撰組万歳な研究者やフアンの多くが選を使って
図らずも格下の兵として表記してるのは滑稽やね
土方は隊長格の中で一番弱い
なのに剣客みたいな書かれ方してるからイメージだけが一人歩きしている
でも、2,3年で中極意まで行ってるんだぜ?
彦五郎のような特例を除けば最速クラスじゃないか。
確か、中極意まで到達するのは5,6人にひとりぐらいだったっけ。
348 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/09/20(火) 06:52:38.91
>>346 土方が一番強いとも一番弱いともきかないけど剣客ではある。
そりゃ流派内の階級なら先輩の沖田や井上より下だろうけど。
ちゃんと剣術の心得はあったわけだし。
土方がいつも道場で稽古つけてたって八木為三郎がいってるし
まして戦闘集団のなかでリーダーシップを発揮できたとなると
人並み以上に喧嘩は強かったんだろうよ。
349 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/09/20(火) 21:32:09.69
結成メンバーでは色んな意味で永倉がしぶとそうだ
350 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/09/20(火) 23:04:35.74
あぁ
ぐっさんしかイメージできん
351 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/09/21(水) 15:21:27.27
大河のぐっさん永倉はかっこよかったねぇ。いまだ記憶にある。
最近の血風録のキャストが誰だったかもう忘れたってのにwww
352 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/09/21(水) 15:26:54.08
大河の原田は攘夷志士になってしまったなww
353 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/09/21(水) 16:32:26.66
この前行ったセルフサービスの「はなまるうどん」で高校生ぐらいのガキあほや!!
席にうどん持って行く時に、手滑らせて若いねーちゃんの顔面と腕に熱湯スープ炸裂させとる!!
発作か〜!!
即行ねーちゃんが
「熱い!!ギャーーー!!」絶叫して飛び上がった瞬間
即行ガキが猛烈にダッシュして逃げとる!!
発作か〜!!
即行周りにおった客が
「お前何逃げとんじゃー!!待たんかー!!」
わめいて
ガキに襲いかかってボコボコにして取り押さえて、
警察に通報しとる!!
なお、ねーちゃんは顔面と腕に、重度のやけど負って病院に搬送されとる!! 今頃このガキは賠償と謝罪の日々で人生終わっとる!!
当然の報いじゃ!!
あの大河は色々と失敗だったぬ
復刊された『箱館戦争史料集』を入手した
収録されている「函館戦記」は大野右仲の記したものかと思ってたら
彰義隊某人の方で拍子抜けしたでござる( ゚Д゚)エ・・・!?
356 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/09/24(土) 13:23:10.81
当時は大河ドラマ離れが騒がれ出した時代だったしな
新選組!は良くも悪くも色々無理した感じがする。
結果的にはあれを境に今に至るまでゲームやマンガが
大量に世に出るようになって若い世代での知名度は定着した。
しかし同時に益々歴史と創作の境が曖昧にもなった。
功罪色々あるドラマやね。
357 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/10/23(日) 10:31:50.53
大河がなければ永倉とか一般に知られてなかったよ
土方は我流の構えだと
異常な強さを発揮したらしいよ。
つまり実戦(斬り合い)向き。
359 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/11/03(木) 17:48:53.97
北辰一刀流以下幕末時代の江戸市中で台頭した殆どの武術流派は
一揆や強盗からの自衛手段を必要とした地方名望家の子弟相手に
東日本各地の田舎巡りをして実力向上&門人獲得するのが基本。
新撰組幹部の習っていた天然理心流もやってることは同じわけで
理心流自体特に田舎剣法だったとか実戦的だったわけではないが
なかでも土方が実戦的で喧嘩的な型破りな強さを発揮したのなら
きっと流派云々と違う別な理由、実戦経験があったんだろうな。
でなきゃ上洛して1年そこらであれほどの武闘集団をつくりあげ
リーダーシップを発揮したのは知識的にも実力的にも準備不足で
どうも不自然な印象をうける。近藤勇にしても土方歳三にしても
大河みたいに京都にいってから「強面」になっていくのではなく
既にそれ以前からかなり修羅場をくぐっていそう。
実戦向きだったみたいだね
かなり場数も踏んでる
当時の剣術のセオリーを無視して
徹底して下段(脛や腱)を狙い、
動けなくしてから息の根をとめてたとか
361 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/11/04(金) 09:00:42.56
幕末期の流派自体みな実戦的で例えば脚部狙いの技は甲源一刀流で重んじられたみたいだね。
当時は意外と他流同士の試合が盛んだったようだから土方もそういう機会を利用してたかも。
屯所家主の息子八木為三郎の証言だと道場でいっつも稽古をつけていたのは土方だったとか。
というか結成メンバーは全員強くて怖そうだ(笑)
テレビとかゲームだと学者的イメージの山南敬助も史料からはけっこうな武闘派と分かるな。
362 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/11/04(金) 10:33:13.83
水【22】家政婦のミタ 19.5__18.7__19.8__19.5
日【21】南極大陸.... 22.2__19.0__16.9__
363 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/11/04(金) 14:10:00.27
北辰一刀流以下幕末時代の江戸市中で台頭した殆どの武術流派は
一揆や強盗からの自衛手段を必要とした地方名望家の子弟相手に
東日本各地の田舎巡りをして実力向上&門人獲得するのが基本。
新撰組幹部の習っていた天然理心流もやってることは同じわけで
理心流自体特に田舎剣法だったとか実戦的だったわけではないが
なかでも土方が実戦的で喧嘩的な型破りな強さを発揮したのなら
きっと流派云々と違う別な理由、実戦経験があったんだろうな。
でなきゃ上洛して1年そこらであれほどの武闘集団をつくりあげ
リーダーシップを発揮したのは知識的にも実力的にも準備不足で
どうも不自然な印象をうける。近藤勇にしても土方歳三にしても
大河みたいに京都にいってから「強面」になっていくのではなく
既にそれ以前からかなり修羅場をくぐっていそう。
364 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/11/04(金) 16:09:46.55
/ ̄ ̄ ̄\
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/ ( ●)(●) |
| (__人__) }
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ヽ_| ┌──┐ |丿
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土方が強かったのは間違いないだろうが
変幻自在のケンカ殺法というイメージは
司馬遼の影響なのだろうか?
剣さばきが器用だと小島さんが評していたようだが
そこにヒントを得たのかねぇ・・・
イケメンだしなw
367 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 08:33:21.55
新八さんが一番強かったと思う。沖田は天才みたいな事を新八さん発言してるけど
自分が二番組頭だった手前の弁明みたいに感じる。何か負けず嫌いな性格。
顛末記も微妙に自分自慢に話持ってってるし。そこが又好いんだけど。
368 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/11/23(水) 00:06:00.47
強いと言われる割には不用意な怪我も多い永倉
369 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/11/26(土) 07:21:41.69
沖田の話は子母澤さんの創作ってゆうか新選組の話ほとんど
皆々様御承知だろうがw
370 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/11/26(土) 22:07:39.14
沖田は現代の感覚ではブサイクだったらしいからなあ
土方は美男子
371 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/12/01(木) 03:44:06.97
もう歳なんで調べる暇と根気がないんで解る人教えて欲しいんだけど。
一さんの例の写真ね。団体で写ってるやつ、あれが本人だって云う証明は有るの?
根拠とゆうか。どこかであの写真について論じてるのが有ったような記憶はあるのだが‥。
お願いします。
372 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/12/03(土) 10:32:01.30
>>371 晩年の身内の結婚式の集合写真は本物らしい。裏に名前が入っているので。
警察の集合写真は不明。ただし親戚が斉藤一がこれと確認したという話もあるような。
373 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/12/04(日) 21:54:27.04
>>327 有り難う。
思い出した。有ったね集合写真。頭がハゲあがって両サイドに髪が残ってる写真だよね。
少しはにかんで微笑んでる感じの。あの写真も何か自分のイメージと違うんだよね。
穏やかすぎる好々爺と云うか。
警察時代の写真はやっぱり確証が無いのかな。
374 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/12/04(日) 21:56:10.86
375 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/12/11(日) 11:24:28.52
武田観柳斎の写真ありませんか?
平助命日
377 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/12/13(火) 20:54:41.66
新八無念‥
378 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/12/24(土) 22:13:14.60
キャラのイメージは、
芹沢―董卓
山南―諸葛亮
土方―周瑜
近藤―劉備
沖田―呂布
永倉―関羽
原田―張飛
慶喜―孫権
って感じかな?
379 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/12/27(火) 23:33:26.52
一番肝心な観柳斉がいないぞw
はーらだぁー! (゚∀゚ ) はーらだぁー!
381 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/12/29(木) 17:32:37.56
>>379 そう言われると、三国志にはホモのキャラは見当たらないなあ。
382 :
無名武将@お腹せっぷく:2011/12/31(土) 03:04:20.02
武田観柳斎は軍師です
383 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/01/02(月) 11:32:17.28
龐統・・・あたりかな?
観柳斎は郭図の匂いが
385 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/01/02(月) 14:44:07.82
嫌われ者だったってのに観柳斎人気だなwww
386 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/01/02(月) 14:46:43.32
似た名前の天狗党党首よりも大人気の観柳斎に嫉妬w
387 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/01/05(木) 19:37:49.56
斎藤一とかがよく謎の隊士とかいわれるけど
名前と入隊時期しかわかってないような隊士のほうがよっぽど謎だな
388 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/01/06(金) 12:41:14.31
吉村貫一郎の活躍って創作なんだな
当たり前だろ?
劣等種トーホグヒトモドキが幕末のような激動の時代に活躍できるわけがない。
390 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/01/12(木) 11:53:55.13
>>387 幹部なのに肖像画残っていない副長助勤の方が俺的に謎
松原武田谷藤堂原田とか
大阪北部
平野部北端でまだ田畑も残ってる。小学校脇の水路にメダカがいるのよね。
毎年地域の運動会(10月)に水路を覗き込んで「今年も居る!」って
喜んでたのよ。
今年、メダカの群れにヒメダカとシロメダカも混じってるのを確認!
てっきり厳しい環境を生き残ってくれてたと思ってたんだけど
小学校が飼育してた教材メダカの放流なんだな。
392 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/01/14(土) 21:57:58.34
>>390 藤堂平助は確かに幹部でしかも結成メンバーのなかでは特別に謎が多い男だな
出自も顔も新選組時代のこともあんまりよく分かっていないっぽい
大名の隠し子を自認するくらいだから武家に奉公に出た町娘の子だったのかも
393 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/01/16(月) 15:34:27.40
谷の写真が残っているのはすごいね。
あれっていつ撮って誰が所持していたものなんだろう。
395 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/01/16(月) 20:59:51.69
>>393>>394 あの写真は谷三十郎じゃなくて弟の万太郎ですな
京都の掘与兵衛という写真家が慶応年間に祇園で撮影したものらしい
写真は万太郎の子孫が保存されていたものだそうだよ
我が拳は我流 我流は無型
by土方
>>395 おお、レスありがとう。万太郎だったね、アレ。
撮った人までわかっているのか。
398 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/01/18(水) 22:43:49.04
谷三兄弟写った写真無かったっけ?
有名な万太郎の写真の向かって左に三十郎
向かって右に周平が一緒に正座しているアレ
399 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/01/19(木) 00:05:48.87
写真は万太郎のしか存在しないな
400 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/01/23(月) 00:16:54.30
>>399 インターネットでは確かに。
文献だと谷三兄弟の3人写っている写真がある。
何で万太郎しかうPしてないんだろう?
401 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/01/23(月) 00:57:52.04
>>400 自分はクロガネヒロシとかいう漫画家がそのような並びで
谷三兄弟を想像して描いたマンガは見たことあるけど
写真は子孫の方の情報提供を基に描いた研究書にも無いし
聞いたことないな
402 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/01/27(金) 21:46:37.84
403 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/01/29(日) 23:09:44.70
ほう・・・・
404 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/02/13(月) 06:17:49.95
おれが聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしい
もう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそうだ
その世界では有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報だよ
まあお前ら頭の良い連中には、今さらなくらいのネタだね、
お前らからすればもう常識的なくらいの知識だろ?
406 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/02/26(日) 20:45:25.27
などと供述しており・・・・
407 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/03/16(金) 09:04:34.50
408 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/04/29(日) 09:32:20.95
409 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/05/12(土) 23:59:01.20
410 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/05/28(月) 21:08:46.03
411 :
無名武将@お腹せっぷく:2012/06/23(土) 20:50:26.33
412 :
無名武将@お腹せっぷく: