今の中国関連のニュースで分かると思うけど、
三国志って所詮は馬鹿中国人が作り上げたものなんだよね。
単純な馬鹿が揃うから奇跡みたく大逆転も起こるし
欲ばかりの馬鹿中国人の国取り物語ってだけ。
後付で綺麗な話に修正してある小説や、
日本人的なキャラになっている漫画などで
三国志が美しく見えてしまうけど、やっぱり本当は野蛮人達の話。
こういうこと言う奴もあまり中国人と変わらない
B型がいっぱい
お箸も中国人が作ったんだから野蛮ということだな。
演義と正史は別物
昔から中国は我々漢民族は優れてる、偉大、誇り高い、素晴らしいって喧伝するための工作をいろいろやってる
三国志もその過程で産み出されたもののひとつに過ぎない
7 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/30(水) 09:41:44
別によく考えなくても中国人の話だよ
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/01(木) 01:09:54
今でも優れてるよ
悪評立ててるのは米国とネトウヨの陰謀
11 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/01(木) 04:43:36
今の中国は最悪だろ。後先考えれない無能の塊で優秀な人材育成にまったく向かない糞国家。日本もダメだな。
二千年くらい前の人間と今の人間を比べること自体頭わるい。
>>1みたいなツルツルてんのゆとり教育でまったく使ってない脳みそだからその程度しか思いつかないし知識もないのに否定批判できる高慢さには失笑するよ。
>>1みたいに目的も目標もないニートと当時の人間の能力は雲泥の差。今の中国人も同じ。生きる為に必死な人間は頭脳も肉体も素晴らしい。だからこそ何十万の人間を束ねれるカリスマがあるし魅力がある。
現代人があの時代にいったら殆どの現代人が1ヶ月以内にしぬんじゃないのか?
今の日本人が先進国にいっても殆どが死ぬとおもうけど。
当時の人は素晴らしいだろうね。
12 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/01(木) 05:46:29
昔は良かったということなんだよ中国は
最盛期が紀元前後だったというだけ
最盛期は日本が最も影響受けた時期でもある唐、宋時代だな
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/01(木) 06:45:07
最盛期は普通に清の乾隆前期だろう
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/01(木) 21:40:20
あかんやん
17 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/03(土) 00:05:17
最盛期はモンゴル帝国時代
18 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/03(土) 08:03:57
イタリアだってローマ時代が一番輝いてたろう、民族が今とは大分違うけど
19 :
八戸のぶなが ◆M911CbdudQ :2008/05/03(土) 08:06:36
1の様な短絡思考馬鹿ネット右翼は日本の恥。
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/03(土) 11:36:30
それでも三国志が好きです
21 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/03(土) 12:52:07
でもぞうさんはもっと好きです。
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/18(日) 15:49:32
中華料理は好きだ
んまぁ、そこは一種の例外的存在ってことで大目に見ろや(゚ω゚三゚ω゚)
24 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/20(火) 05:31:23
むむむ...
何がむむむだ
このスレタイにしてこの
>>1・・・ありえん!
ありえんが、ありえん故に三戦板のスレか・・・
マジレスすると
日本やアメリカといった歴史の浅い国は
技術や流行など最先端のものを海外から取り入れ
先進国として日々進化することを美徳としている。
一方、歴史の深い中国は昔からある伝統や文化を大事にすることを美徳とし
海外の国々と技術や流行で争っていくことを美徳としない。
よく中国を小バカにするのが一般化されているが、そもそも争ってる土俵が違う。
伝統や文化を大事にする国が文革なんかやるかよ
29 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/22(木) 15:02:55
3つのまま統一しなきゃまともな国だったんじゃないの?
30 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/23(金) 12:45:33
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/24(土) 18:15:30
孫文、袁世凱、蒋介石、毛沢東の4代にわたる愚民化政策により中国人は支那賊に
成り下がりました。
難しすぎてわからん^^
関羽=麻原彰晃
34 :
曹操:2008/05/28(水) 19:59:12
麻原とイコールだと・・・?
おい、虎痴!
>>33の首をちょん切ってまいれ!!!
べ、別に羽たんのことがす、好きでいってるんじゃないからっ
魏にも羽たんファンがたくさんいるから
代表していってるだけなんだからっ
というか官僚制の成立があまりにも早すぎて
文明の進化が止まったってのが真相だな。
37 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/06/02(月) 15:07:02
>>1 単に激しい戦いがあったというだけの共通点で
今の中国と古代中国を一緒にするなよ。
文化も言語も人種も習慣もぜんぜん違う。
言語は似て非なるもの。
38 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/06/10(火) 23:56:38
中国人は、とにかく《嘘》ばかり!人間として終わっています(^.^)b
後付けで美談にするのも、なんら心が痛みません(>_<)
きっと古代から脈々と…
39 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/06/12(木) 16:55:17
戦国時代なんて名古屋人や山梨人、薩摩土人の話ですよ。
40 :
聖天使ザビエル∬》´_ゝ`》つ† ◆xkuRWb/JKo :2008/06/12(木) 18:17:53
中国人は昔から体が強くてうらやましいよ
毒ギョーザを普通に食うし
未知のウイルスの免疫ももってる
銃など使わず剣やら矛やらで戦争した時代なら
優れた民族として栄えて当然だろうwww
41 :
陳Q ◆XFJwG4Gv6o :2008/06/12(木) 18:25:48
>>1は無知
劉備の正体が邪馬台国から来た男なのは今や常識中の常識
42 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/06/24(火) 17:40:11
っていうか、国が変わるごとにトップ・知識人の血族は根絶やしでしょう?
賢人の血は残ってないよ、現代には。
44 :
43:2008/06/24(火) 18:58:03
45 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/06/24(火) 20:47:46
46 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/06/24(火) 21:59:56
華雄も日本人だし張飛は童貞
昨日気になって漫画喫茶行ったけど覇ですかね?
置いてなくて蒼天航路読んで帰りました。
48 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/06/25(水) 11:42:34
劉・関・張の3人は女で、色仕掛けで乱世を渡っていったと聞いたが、違うのか?
49 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/06/25(水) 13:42:13
51 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/09(土) 23:23:47
異民族弾圧や言論統制は秦の時代からやってんじゃんw
「昔の中国はよかった」とか言っちゃっているやつはなんなの?
今の自分と直接関係ない過去の歴史物語だから好きなんだよw
そんなこともわからないやつはなんなの?
53 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 15:52:14
中国の話だから面白い
54 :
最上義光@金孝允の落胤 ◆YDZMRwaU/U :2008/11/20(木) 15:56:14
中国は当時と今ではまさに雲泥の差
( ゚Дメ) 55
56 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/22(土) 11:32:02
民衆のレベルはそんなに大差ないとは思うけどな
57 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/27(木) 12:45:06
こんなに定着してる話はなかなかない
目標は聖書に取って変わることです><
聖書よりは100倍ましだな。
遅いんじゃね
いや聖書も唯一神が人間にボコられたり
人殺しをした人数が神>>>>>>>>>>>>>>>>>人類全体>悪魔だったり面白い部分は結構ある
62 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/03(水) 15:54:03
耶蘇がなんだと言うのですか。
63 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/05(金) 12:58:15
すくなくとも中国人が高度な戦法や兵器で近代国家で戦っている時日本人は
麻原もどきの女王のもとで中国からパクった技術で作り上げた銅の剣で集落
の中で小競り合いをしていた蛮族。
>>63 文献史料は少ないが日本は紀元前10世紀には米作を始めてて
三国時代にもなると結構でかい規模の国になってるがな
65 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/06(土) 17:32:40
>>64 当時の日本列島にパルティア、ローマ、カルタゴ、秦漢のような国はないよ。
結構でかい規模の国になってるのなら、魏呉晋が知らないはずがない。
>>65 3世紀には魏と国交持ったりしてる
さらに遡って前漢の頃にも漢が金印を与える程の大国だった
縄文時代でさえ高さ数十メートルと思しき神殿を作ったりしてる
木造だから滅多に見つからないんだがね
出雲大社とかは滅茶苦茶でかい古代の超高層建築だったと言うこととかも最近の研究発掘等で判明しつつある
67 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/06(土) 17:44:39
>>66 国交を持つこと、金印が与えられることは大国である証拠にはならない。
>>思しき神殿を作ったりしてる
パルテノン神殿やコロセウムのように目に見える形での証拠がない。
大規模な古墳が作られるのは5世紀頃から
3世紀の頃にはまだ大規模な古墳など作られてない。
現在に残された古墳の出土品から考えてもおよそ大国とは思えない。
倭の領域だってハッキリしてないし、
カルタゴ、ローマ、パルティア、秦漢の領域がハッキリとしているのに対して
倭の領域はハッキリとわかってない。
領域すらハッキリとわからない国家がどうして大国か?
>>67 文字記録が残ってないからね
君は漢代の匈奴が大国でなかったと思ってるの?
69 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/06(土) 17:48:04
>>68 匈奴は国というより部族的な集まりだろう。
領域もハッキリとわかってないし、領域そのものがわからない。
国家に領域と人民は絶対だから、それでは大国とは言えない
70 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/06(土) 17:51:08
カルタゴ、ローマ、パルティア、秦漢、マガダ辺りの国は既に貨幣を発行し、
文字による記録も残されている。
しかしながら倭の場合は貨幣も作ってないし文字による記録もない。
古事記も8世紀に成立した史書。3世紀のものではない。
>>69 近代国家の定義を古代にまで適用するのは無理だよ
特に文字記録が発見されてない民族の歴史を語るなら大事なのは
考古学的な手法に頼らざるを得ない
それと匈奴が部族的な集まりだろうと「大国」であることは否定できない
それが王国かどうかということを考える上では重要だがね
>>67 金印は大国の証明なんだが
漢の印綬では外国の王に与えられる最高のものだろ
お前ら中国文化をさんざんパクッてきた先祖に謝れw
74 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/06(土) 17:56:55
>>71 当時の大国であるカルタゴ、ローマ、パルティア、秦漢、マガダと倭を比較して、
倭がカルタゴ、ローマ、パルティア、秦漢、マガダと同列に扱えるような国だと思うか?
貨幣も発行してない、文字による記録も残されてない、
カルタゴ、ローマ、パルティア、秦漢、マガダには明確な戦争の記録まであるが、
倭に明確な戦争の記録なんてあるか?
例えば第二次ポエニ戦争、カルエラの戦い、垓下の戦いのような
どこで、誰が、いつ、戦ったような記録がだ
倭にはそんな記録がない。倭国の大乱という記録があるが、
どこで、誰が、いつ、戦ったような記録まではない。
75 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/06(土) 18:02:26
>>72 金印を与えられる事自体が、大国だと見られていないんだと思うが・・・
対等に扱ってない証拠だし、見下されているようなもの
もし倭が大国なら、金印なんてむしろ与えない。
なぜなら倭が力ある大国なら、与える事なんてむしろできないからだ。
金印を与える事は対等に見ていない証拠
76 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/06(土) 18:04:07
古代は中国が優位なのは認めるが
日清戦争に勝負ついてからは圧倒的に日本が上
まあ関羽マンセー、将軍様マンセーの単純思考国家だから
弱小島国?に負けるのは当然の結果だがw
77 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/06(土) 18:04:08
文字たけが国家の証明だっていう偏狭さをまず捨てろや
第一小国だったら漢は金じゃなくて銀以下の印綬を寄越すわい
中華思想で回ってる国が、対等な付き合いなんて認めるものかよ。
遣隋使を送ったときに煬帝が不快感を示したのも、勝手に天子を名乗る奴が来たから。
( ゚Дメ) 80
81 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/06(土) 18:59:08
>>77 文字の有無はでも大きいよ。
なぜなら文明の先進度合いや文化水準が判明するから
>>79 ぼくは現実を述べているだけだよ。
倭が大国かと言えば、そうではない、としか言えない
82 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/06(土) 19:13:54
先進的かどうかと大国かどうかは相関関係ない
特に古代は先進的であっても大国であるとはか限らないケースがあるし逆もまたある
古代日本は中華文化圏内では最高の蛮夷として扱われてたし、周代の礼法を知る国として丁重に扱われたと主張する人もいる
眉唾物ではあるが
>>81 文字資料が残っていないから大国ではない、というのも変な話のような気もする。
その点のみで言えば、大国であったかも知れないし、そうではなかったかも知れない、としか言えないのでは?
84 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/06(土) 20:34:23
現在、一般的に考えられる大国の条件として
人口の多さや領土の広さ、経済力、軍事力、科学力、技術水準、
文化水準があるわけだが、倭の領域なんてローマや秦漢ほど明確には判明してないし
人口すらもわからない。
また倭は貨幣を発行してないし古墳から出土した遺品を見る限りでは、
軍事大国とも言えない。
そう言うわけだから大国かどうかと言われたら大国でもなんでもない、
としか言えないでしょ。
>>82-83 いんや文字を使うか使わないかは文明水準に大きな影響を与えている。
古代エジプトやローマ、ギリシャ、秦漢のように文字を使う地域は
ピラミッド、コロセウム、パルテノン神殿、兵馬俑に見られるように
目で見える形の遺跡を現在に伝えている。
特に古代エジプトなんかはアブシンベル大神殿やスヒィンクスのように国力がないと
作れないようなものをたくさん、残した。
メソポタニア一体もペルセポリスのように都市遺跡などが数多くある
現在でも識字率は文明に最も影響を与える概念だ
文字の有無はエジプトに見れるように大きい
85 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/06(土) 20:38:37
3世紀頃の倭は少なくとも大国ではない
仁徳天皇陵に見られるような大規模な古墳を作り始めるのは5世紀頃から
>>84 文字を使わない南アメリカの文明もあった
文字がないからと言って大国でないという事は成立しない
日本では土器等に色々な巨大建築物の絵もある
>>85 では何故金印を?
中国視点で大国だから銀印ではなく金印を渡してるんだよ
実際に大国であったかどうかは別として、
中国側が、倭国には金印に見合った実力がある、と認識していたという事だな。
( ゚Дメ) 88
89 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/07(日) 19:22:31
>>86 >>大国でないという事は成立しない
それだけ立派な大国ならパルテノン神殿やピラミッド、
兵馬俑やアブシンベル大神殿、コロセウムのような
大国でしか作れないような建築物・遺産があってもよさそうだけど、
ないのはなぜ?
ローマや秦漢が古代の大国だったという話は聞いた事があるが、
倭が古代の大国だったという話なんて聞いた事がない。
そもそもそんなご立派な大国なら中国の史書も無視しないし、
大国であると伝えるはず。近隣諸国として存在は無視できなくなるからな。
しかし中国の史書に倭が大国であるかのような記述はなし。
>>土器等に色々な巨大建築物の絵もある
普通に証拠にはならないと思うけど
実際、5世紀頃に作られた古墳以外に巨大建築物なんてないぜ
大体、そんな凄いものが作られていたら普通に記録に残るし、
ピラミッドやパルテノンのように現在に残ってないとおかしい
>>では何故金印を?
ローマやマガダには金印が送られなかったが、
ローマやマガダは大国ではないのかな?
金印は根拠にはならんよ
パルティアは秦漢では安息と知られているし、
パルティアの存在は秦漢に認知されていたが
パルティアに金印とか送られた事実がない
>>87 だから金印は根拠にならんよ
パルティアは金印すら送られてないし
関帝廟参りが日課となりつつある俺には中国、中国文化は愛すべき隣人。
91 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/07(日) 19:33:51
ローマやカルタゴの領域が明確に判明しているのに対して
倭の領域は明確に判明していない。
邪馬台国の所在地すら正確に解ってないのに
どうして倭の領域が正確に判明できるのだろうか?
人口と領域すらわかっておらず、その上、貨幣すら作ってないんだから経済力は無いし、
アレクサンドロス3世の頃のマケドニアやアショーカ王の頃のマガダのように
戦争や合戦の明確な記録が存在しないから、軍事力も判明のしようがない。
埴輪や土偶を見る限りでは技術水準なんて秦やギリシアと比較すると低すぎるし、
文字すら使われてないのに文化水準が高いわけがない。
ギリシアにはアリストテレスやヘロドトス、アリスタルコスがいたけど
倭に著名な科学者なんていない。
蔡倫、孟子、荀子、孔子とかいたけど倭には誰もいない。
人口、領土、経済力、軍事力、技術水準、文化水準、科学水準と
あらゆる点で見ても大国の条件にあてはまらない。
>>86 木造建築が多いから残り難い
土器などに木造の高層建築の絵はいくつもあるから建造物がなかったというわけではなさそうだ
それから「大国」だから建築技術に秀でていたと言う事はないから
大国=建築技術に秀でた国家ではない
そこのところ勘違いし過ぎ
中国の史書に「金印」を与えたというだけで古代日本は大国だという描写だぞ
パルティアは中国の冊封体制化に入ったことないぞ?
印が送られるのは冊封の体制化に入ったと中国が認定した場合のみ
それに安息国だの大秦国だのと存在の噂をメモっただけじゃねぇか…
第一金印が贈られれば大国と中国が認めた事になるけど
世界すべての大国に中国が金印を贈ったなんてアホな事はないよ
金印が贈られる=中国に大国と認められる(子分扱いだが)
金印が贈られない=中国が子分の大国と認めない、認めない理由は小さい、知らないなど様々
>>91 ではお前は南米のシカンは小国だとでも言うのか?
古代において文字記録を残さない国は例え大国であってもその領域や実態が定かではない事がよくある
少なくとも当時、近隣にあった中国は日本を金印に値する大国と認めているのだ
お前の妄想なんぞよりもよっぽどアテになると思うが?
94 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/07(日) 19:58:34
>>93 ピラミッドを作るにしても、
多くの人員を必要とするし、高度な技術水準も必要になってくる。
現実にスペースシャトルなんて作られる国は限られている。
金もかかるし、それだけ人員も必要になるし、高度な技術水準も必要になるからだ。
パルテノン神殿やコロセウムを作るだけでも多くの金、多くの人員、高度な技術水準が必要になるから、
そんなものが作れるのはすなわち、大国以外はあり得ない。
小国にそんなものは作れない。
貨幣すら発行できない国にどうやって大規模な建築物が作れるのさ?
スペースシャトルを作るにも多くの金と多くの人員と多くの技術がいる。
結論から言えば大国ではないのだ。
実際、金印だけでは根拠にならない。
なぜならそんなに圧倒的な大国なら、邪馬台国の所在地すらわからない、
なんてあり得ないからだ。
普通に想像してみればよい。
人も行き来も生まれるはずだし、無視なんてあり得ない。
それだけ記述も多くなるだろうしな。
>>94 誰が圧倒的な大国だと?
俺が言ってるのは「中国に金印を与え足らしむ程の大国」と言っている
少なくとも東アジア史において古代日本はパワーバランスに多大な影響を与え得る大国だった
あと邪馬台国の所在地自体は判ってる
所在地じゃなくて中心がどこにあったかで揉めてるだけだ
しかも当時は日本列島のみでなく沖縄からもっと南方までの交易などで
日本はそちら方面にも多大な影響を及ぼしてたということが判ってきている
さらに最近の研究によって三国志中には「長里」と「短里」が同じ「里」として登場しているために
距離の推測が難しくなっていることがわかっている
これらは今後の研究によってどれが長里、どれが短里であるかを判別できるようになってからが勝負で今はまだ研究段階だよ
96 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/09(火) 12:05:01
いやいや、邪馬台国なんてどっからどう考えてもアジアの東北に浮かぶ蛮族の国だろ。
古代日本の優位性を認めようとするのは例えばイギリス人などがケルトの国々が古代
ローマなどの南ヨーロッパ勢力と対等だというようなもんだろ。
中世以降では日本は東アジアではかなりの先進国家だけど、文明の歴史が中国や朝鮮より
圧倒的に短いのは認めなければいかんだろ。
>>96 文明の歴史?
染色とかに限っていうと縄文時代の日本は先進国だよ
染色は文明に入らないかね?
日本の文明の長さはガチ
誰も古代中国と古代日本が対等だ、なんて言ってないと思うのだが。
中国王朝が、中華思想にのっとって、古代日本を周辺の属国の中ではかなり出来る子、と認識して金印をプレゼントしたんじゃないの?
>>98 匈奴にも金印渡してたりするから、外交上は最上の扱いという程度の認識のがいい
属国とはまたちょっと違う
100 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/10(水) 00:19:16
|
|q・∀メ)100Yahoo!
101 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/10(水) 12:55:43
鉄製の武具もなく稲作ですら始めたばっかりの国のだぞ?
日本が古代中国の属国にならなかったのは海によって隔てられてたってだけじゃなくて
属国にするほどの国家だとは思われてなかったのもあるんじゃないのか?
103 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/11(木) 13:05:59
日本の稲作が紀元前10世紀ってホントか?
朝鮮の歴史は5000年的な誇張話じゃなくて?
現代の人間の感覚からすると、猛獲の南蛮国や騎馬民族の匈奴なども三国志を
読んでいると野蛮な後進国として感じてしまうだろう。
それでも弥生時代の日本よりはずっとか文明も技術も進んだ国なのは間違いない。
104 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/11(木) 14:53:24
向こうが倭と認めたくらいだから、当事それなりの国として認められただろう
中国の中華思想だど一文字の国は一等国だし
105 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/11(木) 14:59:07
>>103 匈奴なんかが野蛮な後進国って?
漢王朝を建てた劉邦は自らひれ伏し弟になったくらいだが
三国志は、うそをうそと(ryって事だろ
まあ、歴史のほとんどが想像でしかないんだけどね〜
>>103 日本の陸稲栽培は6000年前の地層から稲のプラントオパールが発見されてる
3500年前の土器の中からも発見されてる事から
「6000年前には日本に稲があり、3500年前には陸稲栽培がなされていた」ということはほぼ確定的
つまり日本の稲作は前10世紀どころか前15世紀まで遡る
前6世紀、つまり春秋戦国時代と同時期の遺跡より現代とそう変わらない水田が発見されている事から
水田耕作技術が洗練された段階であった事が伺える
水田はそのもっと前から使用されてたと見るべきか、技術が急速に発展したと見るかは議論の必要があるにせよ
春秋戦国時代の日本は高度な水田耕作技術を保有している集団が存在していたことは間違いがない
108 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/11(木) 20:36:59
まあ色々あるにせよ2〜3世紀の日本が中国とどうだって比べるのが話にならないんだけどな。
当時の大陸の人々からすると倭人ってのは19世紀のヨーロッパ人と開国したばかりの明治政府
くらいの文化差があったんじゃないのか。
>>108 それだと2世紀の日本は文化大国なんだが
110 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/11(木) 22:31:59
>>108 開国時の文化差というが日本はペリー来航数年で黒船作ってるし
当事の一般日本人の識字率は西洋以上だぞ
111 get
112 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/12(金) 23:16:29
でもその後欧米並みの戦艦を製造できることは明治ではなかったじゃないか。ほとんど欧米の払い下げ。
識字率とか藍染文化がとか言い出したら否が応でも日本の科学力が世界トップクラスみたいな屁理屈になっちゃうんじゃないか。
>>112 トップクラスだよ?
軍事部門に転用できるものとかは少なかったけど
金の精製技術とかはとても高度
佐渡金山とかで金を取った鉱石を現代の精製技術で金取り出そうとしてもほとんど出てこない
すれと数学も江戸時代辺りの日本はトップクラス
関孝和による円周率計算とかは当時としては異常なほどの正確さだった
なんで
>>112識字率が高いのが文化的じゃなくて
戦艦作れるのが文化的なの馬鹿なの死ぬの
115 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/13(土) 14:09:16
秀吉は世界史的に見て指折りの名将なのは間違いない。
あの当時で補給や戦略の上手さわかってるし。
晩年のボケてたか、大名たちの粗雑さか、三成のサボタージュの朝鮮出兵を除けば
補給戦略が抜群に上手い。
昔のヨーロッパやモンゴルも現地徴発や行き当たりばったりの略奪補給で
奪うもんが無くなったら移動するで戦略もクソもないからな。
戦争の天才の様に言われてるヴァレンシュタインやナポレオンとかも同じ。
当時であそこまでやれたのはよくできてる。
日本を必死になって貶めたいホロン部の方が書き込んでいらっしゃるようで
ナポレオンは、最初に物資の現地調達を組織的にやった人だ。
ただの略奪補給とは訳が違う。
118 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/18(木) 23:38:13
倭国が大国って・・・。なんか朝鮮最強説みたいなことを日本人が自分たちで
言ってるようでこっぱずかしい。
文句だったら中国王朝に言ってくれ。
奴らが「東方の島国は金印を授与するに相応しい力を持っている」と認定したのが悪いんだから。
120 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/19(金) 22:38:08
その金印ってのがどのくらいの価値があるのかがわからん。
ただ魏志倭人伝時代の日本が半島よりでかいってわけはどう考えてもおかしいだろう。
古代日本がアジアの中でも大国って話はそうあってほしいっていう願いが強い説だろ。
>>120 朝鮮は前近代まで属国の中の属国もいいところで
中華帝国から銀印しかもらえてなかったんだよね
だから、倭の大国認定は俺達がしてるわけじゃないだろ。
古代中国王朝がそう認識していたって話であって、実際に大国だったかどうかはわからん。
ずーっと考えてたんだけどさ外交の時て言葉ってどうしてたんだ倭国に向こうの言葉話せる奴なんていたのか?
>>123 微妙な行き来はあったし、古代東アジアでは漢文が現代の英語のように共通言語として機能してた
特に漢字の優れたところは、方言や発音の差異が地域ごとにあっても
漢字にしてしまえば意味が通じるところだし文法もかなり制限が緩くて簡単に使える
筆談で使者同士が話し合ったというのは江戸時代にも結構顕著に見られる例だ
所詮
>>1 日本人は中国人を誤解してる↓
http://www2.crosstalk.or.jp/ryugaku/people.htm よく私たちは「誤解された」といって憤慨することがありますが、そのような人は自分の考えをはっきりと発言しているのでしょうか。
自分の意見を明確に発言もしないで、誤解されたと憤慨するのは、
自分で一言も発言しないで「俺の考えていることを当てて見ろ」と言っているのと同じことではありませんか。
お互いに自分の意見をもっとはっきり言うべきだと思います。
自己主張をするときに最も注意すべき点は、感情的にならないことです。 感情的になったら、勝ち負けを争っていることになります。
主張するときは冷静で、しかも論理的に話すことが求められます。
自分の常識が相手にも通じる時代は終わったのです。 自分と相手の常識は違うのです。 よく言えば価値観が多様化してしまったのです。
127 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/22(月) 19:47:08
まあ古代日本でも弥生時代と飛鳥時代の文明の発展の仕方は、同時代の中国の魏〜隋の文明の開きよりでかいだろ。
128 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/22(月) 20:31:43
>>127 何故一番の停滞期と比べるんだ?
中国は戦乱だとまるで発展しないぞ?
129 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/22(月) 21:01:43
>>108 別に古代の倭が大国だったとする発言に組みするわけではないが、
マジツッコミすると比較対象が悪いってか最悪。
和算はかなりの部分で近代欧州の数学に匹敵するものがあったことが分かっているし、
先物取引や国債制度などの金融技術、土木、水利技術や一部の精密器械技術は高度だった。
奇形的で、今の系統に連ならない技術が多くはあるけどね。
その後、国力で追い付くことが出来たのはなんら偶然でも奇跡でもなんでもないわけで。
それこそ秦漢に対するパルティア等の方が近世日本に近い。
その当時の最大の繁栄を極めた文化とは別系統の文化の周縁部にあって華開いた大国。
>>128 春秋戦国の世は発展しなかったんですね
さすが
>>127さん、そこに痺れる憧れるぅ
戦乱でも発展するときゃするし、しないときゃしない
隋唐の時期は中国から異民族入り中国への変遷期だから文明そのものは発達するわけがない
と反論すべきだ
131 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/22(月) 22:47:43
どの民族どの国であろうと
国家の規模の大小にかかわらず
歴史を学びて
今の生活、今の仕事に
役立てたい。
たぶんそれが正しい歴史の取り扱い方だと思ふ
>>131 なんとなくお前は俺と違ってえらいやつだ
春秋から戦国にかけて各思想も増えたし
経済発展して森林伐採が進んで荒野も増えたな
環境破壊のパイオニアだが文化と生活の水準は上がってる
戦乱で人口が激減したのは黄巾の乱から続く一連のぐだぐだが代表例だな
人口十分の一に減少して異民族に乗っ取られるという、事実上漢民族の滅亡
最初から漢民族なんていねーけどな
周からして西方の蛮族だからね
そ、夏を中華とするなら、殷も周も夷狄戎蛮の類いなわけで
そもそも「漢民族」なんてのは日清戦争後に、
同じくフィクションである日本の天皇〜大和民族を取り入れてからだし
別に中国を貶めてるわけじゃなくてな
日本人も溯れば文化的にも民族的にも半島系・大陸系が混じってるわけで
136 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/24(水) 20:37:00
はじめて知ったんだけど
「中華」って
「漢民族こそアジアの中央の華」
っていう意味なんだってね
>>136 「中華」とは世界の中心に開いた華
つまり中とは「世界の中心」であり華とは「そこに咲く偉大な文明」ってこと
アジアどころか世界の中心だよ
>>136 お前さんは半年ROMれ。そんな常識を書き込むなら、
その中華思想が色濃く芽生えたのが契丹に屈辱的な条件で和議を結ばされた北宋で、
そこの司馬光が書いた資治通鑑が後世に影響を与えて今も通念としてある、
くらい付けたしてくれ。
139 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/25(木) 22:22:24
141 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/27(土) 10:23:36
ちょっと話それるけど、中国って王朝がつぶれると同時に皇帝もその時一番強いヤツがなる
みたいな歴史だけど、日本の天皇が千年以上続いてるのはなんでなんだ?
>>141 日本の政治史をつぶさに見てけばわかるけど
掻い摘んで説明すると、日本は天皇と実権が早期に分離してた
つまり実権を握ったものが権威を身に付けるべく至高の位に就く中国の皇帝と違い
権威は他所にあるので実権だけを握り、その実権を天皇の権威によって裏付けて貰えば
それで天下を握ったも同然だった
始めは藤原氏が、皇族との姻戚関係を深め、外戚としてそれを行い、次に平氏が真似た
彼らは皇族の権威を借りるために自らも皇族と縁続きになる必要があった
この外戚関係による権威の借用は、権威の源泉が天皇個人との血縁的紐帯によって発生するがために
代替わりによって容易に引っ繰り返る事が起こり、しばしば政争の元になった
朝廷の外にいた源氏はその欠点を解決しつつ権威を借りる方法として、外戚とならず開幕することによって
「戦時の臨時裁定機関」という名目で権威の借用に成功する
この将軍職および幕府は天皇個人に依拠したものではなく、
朝廷の官位とその官位に与えられた権限を超拡大解釈、拡大的運用することだったので
天皇の代替わりとは全く無関係に権力に権威の裏打ちが可能だった
143 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/27(土) 16:22:53
天皇の権力が、少なくとも中国的な意味で実態を伴っていた期間が少なく、
世間の常識として権威と権力が乖離しちゃったのが大きいよな。
おかげで天皇に仕える幕府の執権なんていうマトリョーシカみたいな体制が出来上がっちゃうわけで。
周王朝と似てるよな
145 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/01/04(日) 01:08:44
要は天皇は実権が無い傀儡ってわけか。歴代の将軍達が天皇を殺さず第二の地位にいたのは
曹操が行っていたことに似てるな。
146 :
大司馬司馬氏:2009/01/04(日) 02:49:45
>>142 長々書いているが、中途半端ですね
橘三千代が原点である
147 :
大司馬司馬氏:2009/01/04(日) 02:51:40
>>146 間違った
なんとか氏を
鎌足と大兄皇子が
大化の改新で暗殺したっけな?
148 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/02/20(金) 15:38:15
葛城だお
保守