1 :
無名武将@お腹せっぷく:
最悪だな劉備は
ムカつくわ
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/19(土) 06:42:00
最低
ウンコ
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/19(土) 10:25:21
ちんこ
縮れ毛
体毛濃い
水虫
インポ
10 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/19(土) 17:52:30
アンチスレはやってんのか
下手くそ
12 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/19(土) 18:11:16
耳ぐそ
鼻毛はみ出てる
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/19(土) 18:29:55
なんかあったのか
メタボ
鼻クソ食ってる
痔
ワキガ
乳輪が毛だらけ
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/20(日) 02:48:09
手長猿
21 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/20(日) 02:51:32
自己紹介乙
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/20(日) 03:24:09
ひでえスレだな
寄生虫
【これが劉備のイメージです】ってスレじゃねぇの?
親子そろって馬鹿
26 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/20(日) 18:53:04
やたらほくろがあって一ヶ所に集まってる
ザンギエフを扱わせたらプロ級の腕前
屁が臭い
ポークビッツ
30 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/21(月) 10:09:36
劉備ほど支那人らしく生きた香具師はいない。
袁紹から狙われた際、曹操を頼って逃げ延びた劉備。そこで劉備は、曹操を暗殺する計画や、曹操から逃げる手段を考えていた。
後に、曹操から狙われ、敵対していた袁紹の元に身を寄せる。関羽は顔良、文醜を殺し、劉備達は好きをみて華北から脱出。
その袁紹は、過去に劉備達を迎え入れた公孫賛を殺している。
死に際の陶謙から託された国を、不意打ちで呂布に奪われる。
劉表の下に落ち延びた際は、国を乗っ取る。
>>30 せめて、事後系列を順序立てろよ(*´Д`)
32 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/24(木) 17:17:57
漢の血を引くと自称して久野を乗っ取った後建てた国は
蜀
漢王朝の血を引いているのではないのかね?
劉備を史上最大の逆賊なんて、過大評価もいいところだ
史上最大の詐欺師なら、少し説得力は出る
34 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/24(木) 23:26:11
>>33 中国争乱の元
劉備が居なければ中国は今頃平和の国
35 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/24(木) 23:30:46
36 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/24(木) 23:55:56
>>32 蜀とか 蜀漢は
後世の呼び名で、一応国号は漢ですよ。
37 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/25(金) 00:00:48
当時から蜀漢は使ってたはず
38 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/25(金) 01:14:14
>>32 そもそも「後漢」なんて国もないということを理解するんだな。
39 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/25(金) 01:15:48
後漢の正式名称は漢だな
歴史的区分を分かりやすくするために後漢と呼んでるだけだ。西晋とかと一緒だな
蜀漢も漢だが、漢帝国と比べてあまりにも貧弱な領土のため、後ろめたさから当事者たちですら蜀漢と呼んでたと聞くが
蜀では後漢のことを中漢と呼んでいた
42 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/25(金) 14:27:34
後世の呼び名じゃなくて当初から蜀
もっと中国の歴史を勉強しなさい
>>42 当時は蜀は漢
彼らは自国季漢と呼んでいたようだがね
もっと中国の歴史を勉強しなさい
陳寿が苦肉の策で蜀にしたんだよ
44 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/26(土) 15:07:28
なるほど
45 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/26(土) 18:42:00
46 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/26(土) 18:48:55
蜀の正式な国号はあくまで「漢」
ただ「漢」というと後漢朝と紛らわしくなるため、「蜀漢」や「季漢」と言ったりもした。
ちなみに蜀漢を後漢の後継者と認めない魏では、ただ単に蜀と呼んでたみたい。
47 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/26(土) 18:55:37
48 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/26(土) 19:02:03
一説では痴漢とも呼ばれていた。
「季漢輔臣賛」が楊戯自ら名付けたものなのかねえ?
劉備「呂布が裏切りの連続で領地を奪い取ってきた事をお忘れ無く」
後世の人々「オマエモナー」
52 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/03(土) 08:54:35
53 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/05(月) 22:37:02
劉備は天才
55 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/15(木) 08:41:52
ニート右将軍
56 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/18(日) 08:02:08
劉備は英雄
劉備がいなかったら中国は曹繰によって滅ぼされていた
魏延のサマソで曹操の首をばスパーンとな
age
60 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/11(月) 21:12:18
劉備いなかったら平和だったかも
曹操あたりがあっさり天下統一してるれたかもね
>>60-61 劉備がいなけりゃ赤壁は起こらなかった
曹操は荊州保持したまま水軍を有し、呉と国力を開ける
呉以外の諸侯はあっさり魏に帰順し、呉もまた正史以上に国内が割れる
統一は時間の問題だったろう
63 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/16(土) 00:50:27
曹操が統一したよ。
孫権は殺害。そんなに甘い孫権ではない。
ただし孫権の部下達には甘い褒賞を与える。
いや、魔玉が統一していたな。
諸葛亮 < 呂布の場合は裏切りの他に主人殺しをやっています。これは決して許される事ではありません。劉備殿と呂布を同格に扱う程愚かな行為はありません。
はっきり言ってひどい理屈だよなw
勝てば官軍でいいじゃん
67 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/19(火) 13:09:47
主人殺しなんて戦国時代の日本じゃ当たり前。
諸葛亮 < 日本に私はいません。劉備殿や曹操もいません。
69 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/19(火) 19:28:06
曹操は勝っても逆賊か。
>>69 徹底的に勝ちきって、史実を今以上に思う存分改竄しないといかんな。
71 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/19(火) 19:43:14
やった事は間違いなく逆賊だからな
漢朝400年の歴史は
周朝800年に続く長寿王朝だからな
これに巻くを降ろしたのが曹氏なんで
そら、恨まれもするわな
未だに自分達を漢民族と呼んでる事も
曹操には永遠の逆風となりそうだ
素朴な疑問だが漢王朝を奉戴する曹操に自分が正統だと主張して刃向かった「劉備」はなぜ逆賊じゃないんだろう
「漢王朝復興」で済ませりゃラクだがそうは解釈しないヤツもいただろうに。
いや逆賊だろ劉備は
>>72 天命の去った王朝にかわり新たに天命が降りた王朝が建つのは少なくとも当時の常識で、恨まれるワケがない
曹氏にかわって司馬氏が台頭したのもまた同様。もっともこっちは漢以来の名家で士大夫の支持があったが。
しかし曹操も司馬氏も石勒がボロクソに(ry
77 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/19(火) 23:25:10
劉備の敗因は世の中の流れについていけなかっただけ
78 :
紫の上:2008/08/19(火) 23:34:18
虫の霊の人かも知れない・・・・・・・・・・・・・・・!!!!!!!!!!!
79 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/19(火) 23:36:50
曹操はどうみても君側の奸だから
それを除く劉備は逆賊に解釈されないだろう
>>79 それ右翼とか北の将軍様のキケンな考え方だぞw
「俺はヒーローやから漢を再興せなあかんねん。だから俺以外に漢にぎっとるヤツがおったら誰だろうと逆賊やねん。問答無用で」
っていう勘違いヤローw
劉備ってどんな状況でも虎視眈々としぶとく覇権を狙ってる抜け目無いタイプだと思う。
どっちにしろどう考えても横山三国志のおめめキラキラな劉備ではないな
官軍に刃向かいながら何度も鞍替えして一事はその曹操の所にも転がり込んで一応世話になった恩人の暗殺まではかってるのにどの口が大義じゃw
あんなヘタレじゃなくて腕っ節の強さであっちこっち渡り歩きながらタイミング窺ってたんだと思う。実際蒼天劉備の方が結構実情には近いんじゃねえか?
82 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/20(水) 00:50:26
蒼天劉備はあたりにも正史と違うぞ
漫画のキャラとしては魅力的だが、同じにみるのは良くない。
83 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/20(水) 00:51:26
あまり、だな。
84 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/20(水) 15:42:01
>>80 諸葛亮 < 曹操こそ漢の逆賊に他なりません
逆賊董卓の擁立した正当でない帝を担ごうとする劉備一党こそが漢の逆賊。
86 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/20(水) 16:18:43
その理屈だと曹操も逆賊じゃん
87 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/20(水) 16:29:31
そう。
偽帝を認めないと公言した袁紹のみが真の英雄。
88 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/20(水) 16:37:31
争点航路の劉備は、演技劉備ヲタをあまり刺激しない程度に上手に皮肉ってる劉備像を描いていたな。
ああいった中途半端さがかえってアンチテーゼを逆説的に煽ってしまったような気がしないでもない。
>>1はそんな歪んだ社会風潮の濁流に呑まれてしまったある意味気の毒な存在なのかもしれない。
蒼天の劉備のほうが魅力的なんだけど
それだけ異常に善人化された劉備が日本で蔓延し続けてきたってこったな
91 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/20(水) 17:21:56
要するに覇の入れ代わり前の劉備が真実ってこと?
92 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/20(水) 17:27:15
真実かどうかはわかんないけどね
我々も所詮史料から推測するしかできない立場なんだし
93 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/20(水) 17:30:49
覇の入れ代わり後の劉備が真実だよ
94 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/20(水) 17:31:17
>>91 あれが真実なら正史であれほど評価されないんじゃないかな
95 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/20(水) 18:50:28
諸葛亮 < 曹操は先祖の相国曹参以来漢の知行を食むこと四百年、しかるに天子をないがしろにして、己の野望を満たさんとしている。天子は我が主君劉備殿と董承らに曹操を討てという密詔を下されたのです。これを逆賊といわずして、何を逆賊というのか。
曹操は漢の丞相として、その生涯を全うしたなら
関羽、諸葛亮並の好漢として語れたかもしれないのにね
「魏王僭称」これによって、単なる簒奪者に成り下がってしまった
97 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/20(水) 19:23:26
献帝が曹操を討てと密詔が下された時点で何をどう言っても
曹操が逆賊って事は覆らない
>>95 さすがは丞相!!
ですが、正論につき無視します
99 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/20(水) 21:37:31
漢を無くしたのは親父でなく息子だから
真の逆賊は曹ヒ
逆賊に負けたのは民や名士や軍の味方が足りないから
曹操のが総合的に人望あった
>天子は我が主君劉備殿と董承らに曹操を討てという密詔を下された
ふんっ、たしかに董承への密詔はあったが、そこに劉の字の名前はなかったはずだがな。
董承からの誘いに筵売りが乗っただけだろうが。
その上、自分だけは袁術討伐と称して真っ先に逃げたくせに。
103 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/20(水) 22:30:21
曹操信者必死過ぎ
スレタイを考えれば当然の主張ジャマイカ
後漢書だと曹操が丞相とか魏公とかになったのは全部「自」ってついてるんだよね
つまり献帝の意志に関係なく自分でなった、というわけで、献帝に全く判断をさせていないということなんだよな
皇帝として奉じている相手に対して、これはものすごく不遜で不義で不忠な行為です
国の宝は民であると考える。
その民の暮らしを落ち着けるよりも己が野望を果たさんがために離合集散を繰り返し、
中原・河北・荊州・揚州・益州・漢中とかき回して次々と戦乱に巻き込んでいった。
権力争いにおいて逆賊呼ばわりされるよりもよほど酷いと思うが。
曹操が漢丞相の立場なら、劉備を漢の逆臣呼ばわりも出来たんだけどね。
俺も魏王に上った時点で単なる野心家としての野望を剥き出しにしただけだと思うよ、曹操は。
それに漢献帝健在の時期に、そんな野心を見せてしまっては宗族の劉備に
格好の大義名分を与えてしまったようなもの。
晩年の曹操は本当に往年の士気が萎えて色んなポカやっちゃってるよな。
丞相の理屈だと勅命を反故にした劉備殿も逆賊という事になってしまいます
それに真に漢の復興を願うなら何故山陽公に封じられた劉協殿をお迎えしなかったのか!!
皇位を降ろされたとはいえ献帝のご存命くらいすぐに発覚されたであろう!?
111 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/21(木) 00:06:08
曹操は三国志で董卓と1、2を争う程の逆賊だから
必死に劉備を貶めても曹操以上の逆賊にはできんよ
>>109 その理屈なら漢の下魏国を建国した曹操より献帝が生きてるのに勝手に漢皇帝名乗っちゃった劉備さんのが問題では…
つってもまあ、自分に権力が集中するように制度を作り変えて前漢の丞相制を復活させた時点で曹操は野心剥き出しだが
でも諸葛先生も同じ事やってますよ。漢皇帝である劉禅を差し置いて権力独裁。
劉禅が無能だから、といわれりゃ当然劉協にも同じ事が言えるわけで。
実力あるヤツがトップに立つのは当たり前。別に曹操も劉備も悪くない。むしろ劉協は曹操暗殺とか企てながら天寿をまっとう出来ただけまだ幸せな方だよ。
ヘタすりゃ長安のゴタゴタで野垂れ死にしてたかもしれんしな。
>>111 演義厨乙
…っとあぶねェ、釣られる所だったぜ。
114 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/21(木) 00:20:07
曹操の都合の悪い事はみんな演義だとでも?
曹操厨乙
>>112 生きてても皇帝の座を守れないような奴は漢帝国の面汚し
表立っては言わないが、帝位を奪われた時点で劉備と同じ土俵に立ったわけで
同じ劉邦の末裔として劉備>>>劉協であるなら、劉備の方が皇帝にふさわしい
というりくつなわけだす
みんな曹操が逆賊というのは認めてるんだね
曹操はなぜ帝に実権を握らせなかったのか
と言っちゃうとじゃあなぜ今の内閣は天皇に実権を握らせないんだ?と言うの同じだもんで
ノウハウが無い皇帝に大政奉還したら国滅びます確実に。漢朝の大義の下国がまとまるならそもそも乱世になりませんし。
また曹操に反対する派閥も多いもんで実権手放しちゃうと好き勝手に働けなくなるって側面もありますね。
最悪司馬イのように左遷なんてことも…
118 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/21(木) 00:29:32
献帝が逆賊だと勅旨を出したら。反論の余地はないからな
>>112 劉備は漢の宗族と名乗っても説得力があるからね。
曹操は漢丞相の利権を利用しきればよかったんだよ。
漢の最高権力者という立場に、正統な皇帝を擁しているならば
いかに劉備が宗族と喚こうとも曹操の方に世論も傾く。
しかし、勝手に王座などに上がり漢朝をないがしろにしてしまったので
今までの大義名分すべてが単に自身の天下取りの野心に過ぎなかった事が露見。
一躍、逆賊の仲間入りを果たしてしまったのよ。
>>117 全然違うよ
それはジャイアンの理論だ
今の天皇と違って、あの時点での皇帝は代々親政するのが普通
していないのは幼少だったり外戚や軍閥が実権を握っちゃってて出来なかっただけ
事実、先代霊帝は手法の良し悪しは別として親政していた
献帝だって少なくとも成人してからは親政できただろう
それだけのノウハウはあったわけで、今の天皇とは全く違う
ただ、後半はその通りで、実権を手放した瞬間に左遷どころか殺されるに決まってるから出来ないというのもまた事実
だから、一旦皇帝を傀儡にして自分が全ての決定権握った以上は、もう王朝交代まで突っ走るしか安心できる道が無いというのが実情
本当に漢に対する忠臣ならそもそもそんな道しかないような形で傀儡を立てるはずがないので、その道を選んだ曹操は漢にとっての逆賊なのは揺るがない
>>116 曹操が逆賊かどうかは結局の所一度ぶっ壊れた漢朝にどのくらいの大義を見出すか?って言う話になる。
殆どイチから曹操が回復させた漢王朝なのにそこまで偉そうなこというんかいと考えるか
漢は絶対なんだからタマヌキ野郎のクソ息子はでしゃばってくんなよと言う考え方か
>>115 その考え方だとまごう事なき逆賊な気がする。それでいいのか漢王朝。
というかそれだと易姓革命の論理を使えば曹ヒさんにも順番回ってきますぜ。
実力的にはどうしても魏>>蜀ですから。
>>114 曹操の悪名は所々に見られるが少なくとも善玉劉備、悪玉曹操という図式はすべて演義に還るかと。
ていうかそもそもそういうコンセプトの作品だしね演義って。勧善懲悪の武侠モノ。
>>120 幼帝のままトウタクに拉致られ長安を命からがら脱出しまた曹操に拉致られた献帝にノウハウなんてあるはずもなし
基本曹操の漢室奉戴もジャイアニズムだけど歴代の王朝殆どそんなもんですよ。
なんやかんや難癖つけて旧王朝倒しにかかるんだから。後漢末期も例外でなく各地が無政府状態になってる混乱状態なのでなおさら大義がどうとか言ってる場合じゃないのでは。
>>121 天下に混乱は招いたが悪政三昧だったわけではない漢の献帝から位を奪った曹氏には徳が無い
易姓革命の論理で言えば、正義なき力しかない曹氏に皇帝の資格は無いので、天下は漢の世が続くべきである
しかしヘタレ献帝にも皇帝の資格が無い
となると、劉氏最強の実力者である劉備にこそ皇帝たる資格がある、ということになる
後漢の光武帝が結局前漢の血統に帝位を返さないのと同じ理屈なんだよ
そう。
民の暮らしを立て直し、国に活力を蘇らせる。
為政者たるもの、それを第一に考えなければ。
結局曹操も劉備も逆賊にゃー変わらんってことっすね。
ていうか曹操派はそこは否定しないのに劉備派は大義に生きるヒーロー像を守ろうとしてるトコがウケるw
126 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/21(木) 00:52:00
>>121 易姓革命なら漢の火徳は劉備に移ったと考えるんじゃないか?
127 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/21(木) 00:52:50
大儀に生きるなんて誰も言って無いが?
>>122 個人の能力や経験じゃなく、システムとしてそうなってる
侍中みたいな側近やらが大量に設けられているのも皇帝が政治を執るため
曹操が逆賊と呼ばれちゃうのは、結局天下統一のような皇帝にふさわしい実績を示せなかったから
劉邦や劉秀が比較対象な時代だからな
曹操のお陰で以降はずいぶんハードル下がったけどね
>>123 「天子に力が無ければそれに変わる新しい英雄が皇帝になってくだちぃ」という考え方
で、それを実行するためには天命が移り変わった証明が必要。
その根拠って災害とか自然現象とかが使われる事が多い。例えば日食は天命が去ったことの象徴で龍が出たら天命が降りたとか…
馬鹿馬鹿しいけど当時の常識だったりする。で、実質的には曹氏が台頭してきてるので天命は曹氏に降り新王朝が開かれる…
まあこじ付け臭いけど当時的にはこれでいいんだよね。建前の世界だし。ようするに実力。
同様に勢力的には貧弱な劉備が劉氏最強の実力者として皇帝たる資格がある、というのはかなりムリがあったりする。実力、という点ではどうしても劣ってるので。
光武帝が帝位を返さなかったのもまさに力があったからこそで、劉備の場合は中原に進出しないと正統を主張するのは難しいかと。
>>128 石ロクや劉裕も統一してませんけど…ああ、曹操のせいなのかい?
どっちにしろ劉備に正当性はないっすね。晋が統一したから。
というか辺境の地方軍閥なのに正統を主張する方が無理がある
曹操自身は帝位に就かなかったのに「統一できなかったから逆賊」理論は成り立つのか?
132 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/21(木) 01:15:41
蜀の地だからこそ劉邦の地である蜀から
漢王朝を復興させるという大儀名分も成り立つんだが
>>129 劉備側の論理ではそもそも、天下は乱れたけど漢の天命は終わってない
だから、献帝から劉備ってのも劉氏内部での皇位継承だから、曹氏との実力比較はそんなに問題にはならない
問題なのは劉備が劉氏の中では一番の実力者だということ
もちろん君の言うとおりそれだって建前でしかないけど、劉備側の論理としては首尾一貫している
光武帝もそうだよ
劉氏の中で最大の実力を示したから帝位を返す必要がなかった
>>130 東晋以降、真面目に後漢→蜀漢→晋と正統が続いたという論も出てきてるよ
晋は蜀も魏も滅ぼしてるから、どっちが正統でも自分が正統を主張できるので困らない
建前としては、劉備側にも矛盾は無いってことだ
>>131 劉備は漢王朝の次の皇帝と称している
曹氏は漢王朝を滅ぼした王朝
この差を無視するからそういう疑問が出る
新たな王朝の開祖には天下全体の賛同とか、天下統一のような大事業といった全国レベルの成果が要求されるんだよ
でも劉備は新たな王朝の開祖ではない
それだといつまでも決着はつかないと思う
曹操が漢に取って代わろうとした簒奪者、というのは分かる気がするが
蜀に閉じこもってた劉備が漢の継承者、というのはどうも納得がいかん。
その理屈だと洛陽くらいはとらないとダメだべ。
というか前王朝を復活させたのは光武帝しかいないし統一しないで皇帝に即位したのはいっぱいいるけどな
少なくとも曹操は皇帝じゃないし。
北魏隋唐が天下取ったので魏が正統
137 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/21(木) 02:14:52
つか劉備の場合ある意味自己満足に終始している感がある
138 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/21(木) 11:58:06
なにはともあれ曹操が漢の逆賊という事実は否定しようがない
139 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/21(木) 12:21:49
やたらとそのセリフが繰り返す人がいるけど、
そもそもそれはここで否定されていないよね。
↑そうか?
曹操が逆賊である事から話しを反らす意見ならちらほら出てるぞ
易姓革命の認められてる中国で、形式的でも禅譲させた曹氏は正統
形式的に劉氏であるから漢の正統と主張する蜀と同様
むしろ中原を保持せず、皇帝を僭称した劉備の方が分が悪い
いわゆる蜀漢正統論は中原を奪われた南朝時代に出来た屁理屈
後付けの正統論だから、これで正統性の根拠とするには弱いですな
142 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/21(木) 16:56:18
ていうか曹操は簒奪者だの逆賊だのと言われるが王公に就くのがそんなにマズイか?
王・公国って感覚的には帝国の中にある国だから実情はともかく形式的には漢の下についてるのは変わりない。
もっとも後漢末期の場合その領土はすべて曹操が回復させたものだから完全に漢は形骸化するけどな。
皇帝をないがしろにするからどうだといえばそんなもん曹操が帝を拉致った時からなんだから今更だしな。それ以前からもう実質的には「漢」は何の力も持っていない。権威はともかく。
袁紹が面倒がって保護しなかったくらいだし。
ともかく曹操逆賊論でも別にいいがそれだと漢帝国の皇帝を勝手に名乗った劉備も結局逆賊、と言う結論に行き着くよな。曹操は皇帝にはならなかったんだから。
>>137 まあ皇帝を名乗った時点で蜀は地方の独立政権にならざるを得ないからね。
それでもただのパンピーだった劉備が皇帝にまで成り上がった。蜀漢の意味ってきっとそれだけで十分だったんだろうよ。
>>133 >>真面目に後漢→蜀漢→晋と正統が続いたという論も出てきてるよ
それはいくらなんでもムチャクチャっすよ。
だって蜀漢は晋を正統じゃないとして抗戦してるんだから。
晋からすれば前王朝の時代から自分達の正統性を認めないで自分達こそ正統と唱えて戦いを挑んできた国。
晋帝国を認めずに自分等で勝手に帝国を称して対立した国が晋の前王朝になるなんておかしな理屈だ。
じゃあ晋はどっから天命を引き継いで帝国を名乗ってたんだよ?蜀と戦ってる時。
蜀を正統としたら晋はどう考えても成り立たん。
145 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/21(木) 17:55:32
伏皇后殺して自分の娘を無理やり皇后にしたりとか結構好き勝手やってますな曹操は
146 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/21(木) 17:59:33
他にも献帝の側近等を勝手に誅殺とかしてる
>>145−146
完璧に暗殺絡みで曹操に口実を与えてる献帝サイドのミスです
余談だが献帝に曹操の娘何人か嫁いだけどなぜか長女じゃなくて次女を皇后にしてる
別にどうと言う訳でもないが、押し付けに見えてちゃっかりえり好みしてます
こういった一連の行動によって漢朝支持の士大夫達の反感を買ったのは間違いないだろうね。
>>143 帝あっての帝国だからな。
幾ら力を失い形骸化しようが漢の民は、漢帝国こそが絶対の価値であり
人民の帰依する場所。
当時はこれ皆、常識として考えていたことだよ。
何の力もないから奪ってよし!この考えこそが人民の総意に反した逆賊の考えであるとは思えんかな?
荀ケという忠良な賢臣の真っ当すぎる諫言さえも、曹操の野心には届かなかったな
151 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/21(木) 21:25:45
まさか自分の野心のために荀イクさえも手にかけるとは…
劉備も似たようなことしていたよね。孫権は張紹に嫌味たれただけだが
>>143 無茶苦茶も何も現にあるじゃん
『漢晋春秋』ってそういう思想のもと生まれた書名だよ
あと蜀漢がある間、晋は帝国じゃない
まだ魏王朝がかろうじて存在していた
蜀が戦ってたのは魏だから、晋の側からはいくらでも言い訳が効く
問題は、魏の正統性はこのようにものすごく脆いものだったということ
>>153 いや、それは知ってるけど普通に考えてムチャだって事
漢を滅ぼして台頭したのが魏なのでここで漢は完全に滅んだ、と言うのが当時の一般的な認識。
後漢を中漢として蜀こそを後漢、とする考え方もあるけどこれはあくまで蜀の人間が言ってただけの事。
大義名分という点では屁理屈でもなんでも正統性を唱えなきゃならないからね。基本的には蜀が漢を継いだとも魏に滅ぼされた漢を復活させたとも思われてないよ。
大体晋にしたらあえて敵国の事をムリに正統にする必要ないしね。どっちにしろ魏に蜀が降伏した時点で「漢」と名の付くものは消えてなくなったんだから。
そもそも言い訳でムリヤリ穿って見なきゃいけないものを正統と言い張るのはどうよ?
漢帝国を滅ぼした大義に逆らう魏を滅ぼし正統な漢の後継王朝となった…とでも解釈しようか?随分強引だと思うけど。
さっきも言ったけど蜀を漢と仮定しても魏に降伏し、漢の名前はキレイに消えたんだ。今更亡国である漢が出てくる余地はないし、そんな必要も無い。
異説として頭に留めて置く必要はあるだろうが、やっぱり荒唐無稽だよ。100歩譲って蜀を漢としてもどの道、後漢→蜀漢→魏→晋だしね。
連投でスマンが。
>>150 自殺説は個人的には悲劇性を増すための創作だと思うけど…
まあどっちにしろ晩年は曹操と荀ケのソリが合わなくなってたことは確かだろうね。死ぬ何年か前は何したか殆どわからないし。
>>149 そのネックである権威を否定するために「易姓革命」というこじ付けが存在するんだけども。
上でも誰かが言ってたが当時の常識では天命が新王朝に移ったことが証明されれば晴れて皇帝を名乗れる。
だから手続きさえきちんとやれば新王朝バンザイでいいんだよ。だからこそ袁術が僭称しても誰も従わないし劉備が血筋だといえばそれなりに信用されるんだ。
余談だが民なんぞ安泰であれば漢だろうが晋だろうが秦だろうが宋だろうが気にしねえよ。
気にするのは知識人階層。で、そいつらを納得させるために易姓革命って建前を使う。建前が通ったんだからいつまでもグチグチ言う余地ないんだ。
歴史上殆どの王朝は禅譲と言う名の簒奪なんだから。放伐でもいいけど。少なくとも放伐が認められてるってことは究極、形さえ繕えれば黄巾みたいに力ずくでもいいってこった。
禅譲は理知的かつ陰険なやりかたなだけ。
>>154 別にどう思っても構わんが実際にそういう考えがあったからなあ、歴史上に
>>156 キミはなんで頑なに定説を否定しようとするんだい?
158 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/21(木) 23:24:05
漢朝側としては光武帝の例もあるから
まだ終わってないって考えもある
ていうか蜀の正式な国号は「漢」なんだけどね。
魏の側はこれを認めず蜀と呼んでたりしてるみたいだけど。
>>158 劉秀の場合は確固たる地盤を持ってからの即位だから
劉備に当てはめるのはやはりちょっとキビシイんじゃね?
>>157 東晋(習鑿之)には早くもそんなこと言う奴も実際に現れた、って言ってるだけじゃん
まあ、それだけ魏の「正統性」は当時から疑問視される状態だったということは言えると思うんだが
蜀も呉も一向に滅ぼせていないという正統王朝の面子丸潰れが継続した時点で言うまでもないことだが
>>158 蜀は積極的に劉備と劉秀を重ね合わせてるよ
光→昭
武→烈
帝→帝
っていうように
吉川先生は荀ケの死に関して、陳寿は曹操に憚って荀ケの死が自殺だったとはっきり書けなかったのだみたいなことを言っていた。
そして范曄は曹操に憚る必要がなかったから後漢書の中で荀ケの死は自殺だったと断定しているのだと。
>>160 蜀を漢と呼ぶのも蜀の人間だけっすけどね。
後の世まで「蜀」、ないし「蜀漢」で呼ばれてるのがなによりの証拠でわ。
というか何故曹操だけ特別簒奪者なんだろう?
石ロクなんか成り上がりで既存の帝国を南に追いやったんだからこの理論で行くと大逆者だが。
まあ俺としては曹操が義憤に燃えてたタイプだとは思えないんだけど、劉備が正統になるんだったら曹氏のが正統だよねえ。
王や公になっただけで簒奪者なら周公旦も簒奪者だなw
>>162 …その理論だと中原から追いやられて山奥で勝手に王様なのった蜀ってどうなるんすかね?
それはさすがにヒドイ。無理矢理劉備を善玉にしようとしてるとしか思えない。
>>164 陳寿は別に命ぜられて正史を書いたわけじゃないから曹操に事実を曲げてまで憚る必要あったかね?
それでなくとも陳寿は正史のなかで結構曹操に毒吐いてんのに。
168 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/21(木) 23:42:53
魏は晋に即効滅ぼされたのが痛いとこだな。
劉秀が皇帝に即位した時はまだ支配地域は全然狭かったし基盤も大して安定してない。
そういう前例もあるし劉備の漢王朝の再興という主張はそれなりに説得力を持ってるよ。
中原を制してる時点で魏が正当だろ
形はどうあれ禅譲という形をとって漢から魏に正統は移ったわけだし
そして晋も魏から禅譲で正統性を得てるんだしな
そんな意地になってまで蜀が正統なんて主張することか?
>>167 なんか、蜀とか魏とか贔屓だけで語ろうとしてない?
別にどっちが善玉でもいいよ
というか善玉なんかいないよ
ただ、新たに統一王朝を建てるっていうのは案外ハードルが高くて、コケれば白い目で見られるよ、ってことだよ
(秦、新、隋なんかのように)
魏も実はそっちの側に片足突っ込んでるってことだよ
172 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/21(木) 23:47:25
歴史の流れでは一番強かった魏が正統だが、蜀漢も亡国の正統さがあるから三国志になるんじゃ無いか
漢晋春秋の価値感が今だ圧倒的に上回ってる事を考えると
どう考えても正史の価値感に拘る方がおかしくないか?
時代に取り残されている偏屈といい、現在の総意に従わない我侭さ加減といい
時代の流れに正統を求めるのなら、魏を正統と呼ぶ考え方は当の昔にひっくり返ってるじゃないの
総意って意味わかって言ってるのか?w
176 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/21(木) 23:51:59
滅ぼした国の論理と滅ぼされた国の論理だから、どっちも正しいんだよね。
どっちも善玉と悪玉をやってるから三国志は面白いと思うよ。
>>173 曹操の政治を、絶対法治主義の狂人である商鞅に準えている
この人物を優れた政治家の例えに引き出すのは結構無理があると思う
>>165 異民族に中原を取られて南に逃れた時も彼等は異民族を「簒奪者」と呼んだ。
同じ漢民族がやったのなら革命といえる状況でも、無教養の蛮族どもがやったのではそれを正統とは認められない。
だから彼等を簒奪者と呼んで、南に追いやられた前王朝の縁者を建てて正統と言い張ったわけだ。
曹操と劉備はちょうどその関係に似てる。成り上がりの血と旧王朝の血。
異民族を何とかして簒奪者にしたいから同じようなケースの曹操も認めるわけにはいかない。なんとか劉備を正統にしたい。
そういう政治的な背景もあったと思うよ。
羅漢中のおかげでそれがいよいよ決定的なイメージになったがね。無論演義は傑作だし羅漢中に悪意は無いが。
曹操自身がやったことは特別悪いといわれるような事じゃない。けど曹操が悪者にされるのは必然性があった。
曹操に取ってマイナスな資料:「そんな雑書は当てにならん!」
曹操に取ってマイナスな発言をした人物:「英雄の何たるかを知らん雑魚、蛮族」
こういう決め付けを強引に通そうとされてもなあ。
>>168 実は五代と秦が二代と続かなかった事を考えたら結構続いてる。
…のワリには45年しか続いてない。コレは文帝明帝と早死にだから。
それ以降は皆幼帝で、周りに権力を握られちゃう。後漢後期と全く同じ状況なんだよね。
そんなこといってないのにね、誰も
商鞅は優秀な政治家だろ
商鞅のおかげで秦は強くなったのだし
183 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/22(金) 00:05:29
五代十国時代は入れ替わりが激しくて面白すぎるよね。
何故か日本じゃうけないけど
>>179 >>こういう決め付けを強引に通そうとされてもなあ。
曹操は逆賊っていう「決め付け」ですね、わかります。
>>182 儒教的にいうと決して褒められた人物ではないから曹操を褒めようとするならあえて商鞅には例えない。
185 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/22(金) 00:08:58
決め付けも何も献帝に逆賊だと言われたら仕方ないわ
>>155 易姓革命は強欲な権力者の道具として使われてしまった時点で
その本義を失ってるよ。
元々、堯から舜へと移り渡ったような理想的な政治交代
(天下が割れることなく無用な乱世とも無縁で万民なんの憂いも平和を謳歌している世)
の事を意味している。
つまり、世も定まらず民は服せず抵抗勢力が居るような状態で易姓革命による定めによって
正統な王朝を引き継いだ、なんて言っても単にその言葉に覆い縋って居るだけの事。
天下をあまねく治めることの出来なかった人物への言い訳の口実にすぎないよ。
>>185 あれれ?>>生きてても皇帝の座を守れないような奴は漢帝国の面汚し
なんじゃなかったの?
>>187 本義もクソもねえよww中国史上ずーっと続けられたプロセスなんだから。
その本義の禅譲とやらを達成できた王朝が史上どれだけいるんだ。
>>187 建前だらけの古代中国で鵜呑みにされても困ります。
>>187 石勒も劉裕も統一してないけど皇帝になってるな。その易姓革命で。
191 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/22(金) 00:16:54
それは別の人が言ってた事ですが?
帝の座にあった時に出た密詔だから価値は十分
>>187 政治に利用いた時点でもうその人物の底が見えてるってことだろ。
「易姓革命」そんな言葉に頼らないといけなくなったんだから。
>>188 違う
殷周革命は放伐
秦も放伐
劉邦は誰からも禅譲を受けていない
劉秀も
あと王莽も実際には「後継者は赤ちゃんだし臣下も民も俺にやれっていうし天は瑞祥とか下すし高祖の霊もやれって言うし」っていう理由で即位してる
禅譲じゃない
実は曹氏による禅譲が禅譲=簒奪の実質的な最初の例なんだ
ずーっとじゃないんだ
天命を改めるなんてのは基本言い訳の口実ですぜ
195 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/22(金) 00:22:39
この後は魏に習って禅譲=簒奪が大流行になる。
最初の被害者が魏というのは歴史の皮肉だ。
>>192 それが普通だけど。政治に利用しないで何に利用するんだ。
>>188 統一王朝には易姓革命なんて言葉に頼らなくても
正統と言い切れる強みがあったよな。
無論、言うまでもなくすべてにおいて他を圧倒したからなのだが。
易姓革命なんて言葉に全力で縋ってるような弱々しい国家には無理もないことかもしれんが。
そもそも堯舜時代の聖徳溢れた世なんて誰の目にも理想の理想で
現世にはなしえないものだと分かりきってる。結局は、権力者が国を建てるんだから。
そんな幻想甚だしい言葉に自身の正統を上乗せしてる時点で天下の信を得られないような人物だったってことだろ。
>>195 司馬氏は何度も丞相とか国公とか九錫とかを固辞してるんだよな
曹氏の例を反面教師としたわけで、逆に言うと曹氏がさっさと九錫とか魏公とか貰ったのは当時あまり良く思われてなかったという証拠だと思う
ルール守った上に皇帝にもならなかった曹操のにここまで難癖付けられる曹操可哀相だなw
またアンチは「それだけの事をした」とか言い出すんだろうけど。
>>199 可哀想とかアンチとか言う考えはどうかと思うけど、
本人がならなかっただけで皇帝になる準備は着々と進めてたから、なったならなかったの話ではないと思うぞ
>>200 そこが大きな問題だよな
漢丞相の時点で、既に自分と並ぶ権力者などなく
上には飾り物の皇帝が居るのみ
これで何が満足できなかったのかと
魏王に上ったのはわざわざ簒奪者の汚名を被るような愚行でしかない
>>197 天下の信を得てるからこそ皇帝に薦められるしなっても文句が出ないんだけど。
それはあまりの言いがかり。易姓革命に頼るもクソもやらなきゃいけないことだから。
てか曹氏の場合は漢が風前の灯火だったのを理由はどうあれからがら生き延びさせたのにこれ以上なにを望むのかね?
まあ薦められる→何回も断る→それでも!→じゃあしょうがねえなあ
っていう決められた形式があるんだけどねww
今となっては寧ろ可哀想なのは、漢の忠臣の一人だった曹参。
未来の子孫(血族と呼べるか微妙だが)がまさか漢を転覆させてしまうとは。
劉兄に顔向けできんだろうなあ。
>>202 あんたは正論で言い返されるたびに「それはあまりの言いがかり」ばかりだなw
205 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/22(金) 00:41:00
一番強大な国だから簒奪者の汚名を着ても
統一したら問題無いとでも思っていたのかな?
残り二国の反抗が思ったより激しかったのと
司馬一族に乗っ取られるのは目論見違いだったと
>>201 だから王になっただけで何故簒奪者?っていう話に還るけどな。王って皇帝の臣なのに。建国者だけど
>>202 >漢が風前の灯火だったのを理由はどうあれからがら生き延びさせたのにこれ以上なにを望むのかね?
曹操は臣下なんだから、皇帝に兵や権力を委ねて一臣下として生きるべきだよ
ちょっとの間生存させたらあとは何やってもいいとでも?
>>206 漢の高祖は劉氏以外は王にはなっちゃ駄目!と決めてます
実質曹操は自作自演で王になってるので、完全にこれに違反してる
>>204 それ正論だと思ってるの!?
だからそんな事言い出したら中国の王朝殆どそうなんだって。
あんたは儒教的概念や名士の意向をすべて無視して文字通り「簒奪するべき」と言っているんだよ。
統一する・しないとは問題は別の所にある。
210 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/22(金) 00:50:04
祖法でそうなっていようと守らせる実力が献帝にはないんだから
どうしようもない。
そもそも漢に限ってなんでこんなに擁護されてるんだろうか
もうトウタクが皇帝握った時点でトドメなのは誰の目にも明らかなのに
>>210 そうだな
守らせることができない献帝は弱い
そして守らない曹操は悪い
少なくとも当時の知識人たちにはそう見えるということだ
>>177 あそこで商鞅を例えに出したのはむしろ褒めてる感じなんだけど。
まあ褒めてるにせよ、貶してるにせよ毒を吐いているというのとはちょっと違う気が
214 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/22(金) 00:54:51
幼帝の頃からずっと傀儡で大人になっても権力を与えずに権威だけは揮って好き勝手にやる
これが逆賊じゃなくて何?
>>211 擁護というか、統一王者の座からすべり落ちたとしても真の後継者が出てくるまでは暫定王者であるということ
漢オワタでいち早く行動に移した袁術がどうなったかを考えれば、そりゃなかなか次の一歩に踏み出せないわ
曹操は成り上がりの血統であり、中央集権や強引に汚職撤廃を進めたりしたから敵も多かった。
それが元で当時の名士に悪く言われちゃったから他と同じことしても大悪人のように言われるんだろうね。
加えて上でも語られてたように政治的な背景から時の権力者を呪詛するように曹操も嫌われた、と言う側面もある。
曹操の生きた後漢末期には漢はもう滅ぶべくして滅ぶ王朝だった。
ほかの亡国と変わらないのに中国人が今でも漢民族と称するのもそういう背景だろうな。
曹操は事跡がどうのじゃなくて、思想とか政治背景によって憎まれ、物語によって悪人像が根付いてるんだと思うよ。
>>215 袁術の勢力じゃーしょうがないでしょ
>>214 諸葛亮「それは劉禅殿を漢皇帝にたてながらすべての実権を握っていた私へのイヤミでしょうか…」
あと曹操が嫌われたのは徐州大虐殺を引き起こしたり、
名士を強引に殺すなど残酷な行いが多かったというのもあるだろう。
同じ政治機構でも曹操は悪、孔明は善
演義はほんとに偉大やね
220 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/22(金) 01:11:20
別に諸葛亮は妊婦の皇后殺したり、献帝に対するほど
劉禅に酷い扱いをしてない。それに王にもならず最後まで臣下でいたからじゃん
演義と正史は関係無く曹操のやり方が悪い、もっと批判をかわさないと
中国の歴史は弱肉強食で成り立ってるわけでこれの繰り返し
漢の政治が腐敗してたから魏が取って代わっただけの話
漢の官僚だった者で魏に仕えた者も多数いる
逆賊だの簒奪だの言ったところで負け犬の遠吠えに過ぎんよ
>>218 そりゃーあんたクーデター企てたり経歴だけで仕事しないで反抗してくる社員はクビ切るしかしゃーないわー
というのが曹操の理屈だろう。
徐州ジェノサイドに関しては弁明の余地なし。
あえて言うならあのくらいの虐殺は誰でもやってるしそれ以降虐殺はしてないからそこまで言われる事か?というくらいだな。
あと親の敵なんで徹底的にやり返さないと逆に評判を落す事になる、という所か。
徐州人にはたまったもんじゃないだろうが。
別に曹操のやってることは当たり前のことなんだけどな
謀反人に対して3族皆殺しは
>>221 その通り。
だから晋を逆賊だ簒奪だと言う人間もいない。タナボタとはいうかも知らんが
225 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/22(金) 01:16:00
>>218 中でも孔子の直系を殺したのは不味すぎる。金でも保護したのに。そりゃ名士に嫌われるのは当たり前だ
今の価値観とちがうからね。劉備の人食いも美談だし
さすがに一般市民を無意味に大虐殺するっていうのは中国史上でもそんなにしょっちゅうあるわけじゃないよ。
そしてそういうことをやった奴は大抵後世の評判が悪い
>>225 孔融ね。
まあ言う事聞かねーでちょくちょく刃向かうかしゃーないっちゃーしゃーないかもな。
益州を騙し取った劉備はどうなんだ?
曹操が逆賊だの言われてるが劉備の場合は同族を裏切ってるわけだが
230 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/22(金) 01:22:03
貴人に振舞う事が出来ないから妻を切って差し出す。
劉備は知らずに食うが後で知って涙するって話だから
日本人にはなかなか感覚的に受け入れらないわな
231 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/22(金) 01:29:27
>>229 異姓ならよくあるが同姓だがら言い訳のしような無いだろう。劉備のやった最大の酷い事だな
曹操は気分で人を殺しすぎ
233 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/22(金) 09:08:05
曹操は残虐
劉備は薄情
三国志って漢の逆賊ばかりだよな
>>218 徐州大虐殺は不思議なことに武帝紀の他は呉側の資料にしか見えないんだよね。
蜀側の資料(上奏文)にも、陳琳の檄文にも出てこない。
それがごく当たり前のことだったのか、あるいは呉の捏造だったのか定かでない。
たぶんにこの件は眉唾もの(誇大表現)だと思う。
漢朝だけを必要に擁護してるんじゃなくて
次代の王と呼ぶには曹操も弱すぎたんだよ。
当時の群雄の中では抜群の勝率だが、天命に添い易姓革命の元に
正式に次代の天下を受け継いだと言い張りたいのなら、蜀も呉も瞬時に撃滅させて
天下にあるは魏一国のみ。天命まさに魏を祝福せり。
とありあり証明できるくらいの強さが必要だった。
先代の威など、軽々吹き飛ばすくらいの完璧さをね。
しかし、実際には赤壁で呉に負け、漢中で蜀にまで負け
挙句の果てに一介の将軍率いる地方軍に過ぎない関羽軍の
猛攻に押され、遷都まで考え呉と同盟まで締結しようやく撃破。
その後も戦績はとんと上がらず、蜀をようやく併呑した時には
既に天下の実権は司馬氏のもの。
こんな弱々しい国を正統な王朝継承の図式に並べては
恥辱とも思うんだろう。
漢の簒奪者と言われるのは曹魏が漢代の全盛期、威光に遥かに及ばないので
人々が漢代中華の強大さを今だに親しんでいるからでは?
中華全体の歴史から見ればそういうことなのかもな
天下取りの大事業に乗り出した勇気は買えるが、創業をなし
より良く守成に切り替え長寿の大帝国を築けたか否か?
これなくてしては、前王朝の簒奪を企てた鼠賊と罵られてもしょうがない
劉備はあくまで「蜀漢」を起してるしな
漢の逆賊とは言えん
>蜀も呉も瞬時に撃滅させて
すげーゲーム脳だなw
魏の正統性は歴史が証明している
蜀ヲタだから魏が嫌いっていえばいいのに
変に屁理屈こねるよりはね
曹操が逆賊だの簒奪者だの言われるのは呉や蜀に正統性がないから
正統性を得るために言ってるに過ぎないただの負け犬の遠吠え
呉も蜀も袁術の皇帝僭称と同レベル
240 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/22(金) 19:38:32
蜀漢が袁術と同じだと思うのはいくらなんでも勉強不足
後世で袁術並に叩かれてるとでも?
同じ僭称だろ
漢から禅譲されてるわけでもなし
>>238 その正当性は今や失われて何千年以上たつと思ってんだ?
歴史の流れを知りたまえ。
自ら皇帝を騙ってる時点で漢への大逆
魏、呉、蜀はどの王朝を一時期の時代の正統と言っても
後世の歴史にズレは生じないしな。
結局は晋が全土を統一して次代へ行くんだから。
>>242 漢→魏→晋へと帝位は禅譲された歴史が残ってるわけでw
そんなことも知らないのか?
>>245 蜀漢正統論というものがあってだね。
曹魏王朝の正統性などというものは、後世早々と消滅してしまったんだよ。
益州のみの蜀が正統は苦しいだろ
結局蜀は魏に滅ぼされてるんだし
漢→晋という考え
>>235 唐代の大成された時代に比べたら三国時代って本当に霞むよな。
三国志演義という傑作小説がなかったら相当にマイナーな時代だったかも。
>>246 蜀漢正統論って異民族に中原奪われたからでっちあげたものだろw
>曹魏王朝の正統性などというものは、後世早々と消滅してしまったんだよ
よくこんなでたらめいえるな、お前の脳内でだろ消滅したのは
「漢晋春秋」という正統論
中原も取れない地方政権が正統ねぇ・・・・
漢晋春秋 朱子学 三国志演義
魏オタが涙目なって必死になるワード
>>253 中原が再び中華の手に戻っても
蜀漢は正統と見なされてたけどなw
三国志演技w
蜀ヲタはこれと正史をごっちゃにして語るから困る
蜀漢が正統とかまだ妄言垂れてるのか?
>>235 今のところ、かなり頷きたくなる意見。
やっぱり統一王朝って何に置いても偉大だしな。
三戦板伝統の一戦
正史厨VS演義厨 開幕
蜀漢正統論に基づいた『続後漢書』は正史とはなりえなかったわけだが
三国志演義は清代で国家の経典に。
現代においても三国志といえば演義が一般の常識。
演義で書かれてることを元に三国志を語られても・・・・・
通俗歴史小説なわけだし、三国志演義って
>>261 中国の三国志を扱ったホームドラマも
つい先日の日中友好企画「大三国志典」もすべて蜀漢、演義あってのもの。
大昔の常識、正史に縋る事でなんとか自我を保ってる彼らの事も考えて発言したまえw
>>262 一介の歴史小説ってレベルじゃないけどな。
インテリでもよく桃園結義の話題に耽ったりするそうな。
演義w
正史でもない小説で正統性を主張するって苦しすぎるw
266 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/22(金) 20:22:50
毛利元就の三本の矢みたいなもんだな
>>264 それはあくまで歴史小説として楽しんでいるんだろう
268 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/22(金) 20:25:04
恥ずかしい奴だな
263 :無名武将@お腹せっぷく:2008/08/22(金) 20:16:52
>>261 中国の三国志を扱ったホームドラマも
つい先日の日中友好企画「大三国志典」もすべて蜀漢、演義あってのもの。
大昔の常識、正史に縋る事でなんとか自我を保ってる彼らの事も考えて発言したまえw
>>267 ごちゃ混ぜにしてるみたいだよ
別にそれを気にしてることもないみたいだし
一昔前はガチガチの正史学者でさえ
隠れて演義を読み、その面白さや正当性に酔いしれた事もあったらしいしな
>>269 中国旅行にいった厚顔な日本人客が知ったかぶって
関羽は「巨大な青龍刀に赤い馬に跨ってるなんて全くの虚像」とか
抜かしたら「お前は中国行ってどこにも通用しないそんな空論を振り回す気か?」と
冷静に言われたりもしたらしいな
今の価値って大事だよな
272 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/22(金) 20:43:24
劉備の欠点を一つ。
一人っ子ゆえのマザコン。
今の価値というよりそれは演義でできてしまった三国志のイメージだろ
三国志の歴史を語ってるときに演義を持ってくる奴は笑われるぞ
それに中国人よりも日本人のほうが三国志正史について詳しい場合は多々ある
274 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/22(金) 20:50:04
一般人は気にしないって話だろ。 そんなの気にするのは歴史オタぐらいだ
孔明の神算鬼謀は真っ赤な嘘!
関羽は虚構だらけのアイテムを持たされてる!
こんなこと声を大にして語っても
「あっそ」で終わらされるだろうしな
歴史を研究することを生業にしている者もな
中国人は三国志演義ばかりで史実を全く知らない
っていうのも日本人の酷い思い込みだな
史実より演義の方が語る価値があるから優先して語ってる
史実と演義はちゃんと区別しようぜ
279 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/22(金) 21:05:40
一般人にはあんまり関係無いから仕方ない。
日本人でも戦国大名関連で物語の話を本当だと思ってる人も多いし
演義は大衆向きに書かれた歴史小説だからな、一種の娯楽だ
演義だとわかって語ってる場合はいいが
問題なのは史実について語ってるのに演義の話を持ち出す輩だ
>>255 どこの正史に正統とかかれてますか?
野史は正史とはみなされないのであしからず
一般価値で演義の方が上なら普通は演義メインで話だろ
なんでもかんでも史実だと思って話すなよ
そんな糞マイナーで重度な歴オタにしか支持されてないようなもの
>>269 日本人だって、戦国時代の人物像やエピソードのどこからどこまでが史実でどこからが創作なのか、なんて分からずに(気にせずに)いるからな
普通に真田幸村とか言うし、それにいちいち文句付けてる奴なんていないしな
2chは現世と隔離された閉鎖空間じゃないですか・・・
正史と演義は分けて考えるのは当たり前
価値観とかは関係ない
288 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/23(土) 20:48:14
まあ、北方三国志の劉備は確かにいっちゃっているがな。
289 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/23(土) 22:08:56
あれはハードボイルド風ギャグ小説だからな
そりゃ仲間内で集まって「ゲームでもやるかー」って感じで三国無双ワイワイやるなら演義をスタンダートで語ってもいいよ。
むしろ史実のウンチク語っても「ふ〜ん」だし度が過ぎればKYだ。
でもここは自他共に認める歴史オタが史実について語り合うスレだろ?そんな所で演義や異説の類を主観点として持ってこられても困る。
こぼれ話、四方山話としては面白いよ?けどそれを正統だの史実だのと言ってるのはこういっちゃ悪いけど頭おかしいとしか思えない。
少なくとも定説くらいは押さえておくべき。初心者だとしても最低小説と歴史書の区別ぐらい付けろよ。基本中の基本だろ。
演義の話してる時正史持ってくんのもヤボだが正史の話してる時に演義もってくんのもルール違反だ。荒れる元だからね。少なくともさも史実のように語るのはやめるべき。
あと個人的に「蜀漢正統説」の人にも言うけど諸説として挙げるならともかく尤もらしく正論のように語るのはやめた方がいい。
よしんば語ったとしても魏の正統性が消滅したとか蜀を正統とする学説が主流とかありもしない事をを正しいように語るのはやめるべき。
少なくとも後漢末から統一までの流れで主流とされているのは陳寿の正史だし、学説としても魏→晋と王朝としてつながったというのが定説。コレは事実。
ココを押さえて語るならいいけどそれが出来ないのであればハタから見てアナタは単に暴れてるだけです。
説としても魏が中原を掌握してる以上実質的には単なる地方分権だし、魏に戦って滅ぼされてもいるので正統とするには弱い。
またすでに言われてるが、「異民族に中原奪われたからそいつらの正統性を認めないためのプロパガンダとしてでっちあげられたモノ」としての側面があることも否めない。
いずれにせよ諸説として存在するのはともかく定説とするのは苦しいと思う。
度が過ぎるKYが現われました
その返され方は予想してなかったわw痛いトコつかれたね
293 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/24(日) 08:33:15
このスレは正史云々を語るのではなくて、
劉備の逆賊っぷりを語るスレなんでなの?
294 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/24(日) 17:45:52
「蜀漢正統説」と言ってもな…後漢から正式につながっているというよりも、
勝手に劉備が皇帝を僭称しているだけだからな。
少なくとも、ローマ帝国⇒ビサンティン帝国や、ティムール帝国⇒ムガール帝国のような
繋がりは全くない。
まあ今日的には魏と蜀のどちらが正統かという正閏論はあまり意味がないけど、
劉備が皇帝に即位したのは全くの僭称とは言えないと思うよ。
当時としてはそれなりの説得力を持ってたんだと思う。
>>295 当時の世論は劉備が漢朝立て直すのと思ったら
皇帝僭称したので識者は失望した・・・とあるよ
297 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/24(日) 20:23:59
劉備は魏を滅ぼしたら、劉協を再度皇帝に復帰させて漢王朝を
復興するつもりだったらしいよ。劉備が蜀漢の皇帝になったのは
あくまで魏の皇帝が正統なものでは無いことを万民に知らしめる
ためだったらしい。
というのが、北方三国志の解釈・・・
298 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/24(日) 20:44:06
>>290 でもここは自他共に認める歴史オタが史実について語り合うスレだろ?
ここはスレ名が中国史上最悪の逆賊劉備を語るスレだぞ。
こんなの人に言ったら一般人には笑われ、歴史知ってる奴には白い目で見られるよ
。
299 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/24(日) 20:59:34
しかしね、魏書の中で曹操の謀臣たちが何人も、
劉備は雄才だとか英雄の器とかいって警戒している
のを過大評価や陳寿の配慮と言い切れるだろうか。
劉備はかつて陳登と秘策を語らっていたらしいが
なにをするつもりだったんだろう。
漢朝復興の志は、まああったんじゃないの?
それなりに人もひきつけて警戒されてたんじゃないのかなあ。
>>298 でも彼の言ってる事って全くの正論なんだよね
書き方が気持ち悪いだけで
>>296 ナポレオンに失望したベートーヴェンのようだな
>>298 歴史ヲタに白い目で見られるのは演義準拠で語る奴だけどな
演義は演義で分けて考えろとな
気持ち悪くはないが読みづらい。
一行30字程度でまとめてもらいたいものだ。
言ってることはマトモだから。
304 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/24(日) 21:10:12
歴史オタに史実として中国史上最悪の逆賊は劉備なんて言ったら。白い目で見てくれって言ってるようなもんだ
305 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/24(日) 21:20:00
>>299 まあ、関羽、張飛、趙雲や諸葛亮を中国の英雄に
育て上げたのが劉備なんだろうな。
そういう意味で、劉備は監督としての才能はある。
つまり、名監督は決して名選手である必要がないのと一緒だな。
306 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/24(日) 21:38:01
正史の劉備は三冠王を取る程では無いけど
十分名選手だと言えるレベル。
でも本領は監督って感じ
>>299 警戒されたのは漢朝復興の志云々じゃなく能力的なものだと思うぜ。
いろんな所に転がり込んで受け入れ拒否されてないし、なかなか見過ごせない人物だったんだろう。
というか彼には中央集権化の意志は無かったんだろうか?
>>304 少なくとも蜀の正統性や演義と正史の話をしてる所でスレタイを持ってくんのは空気が読めてないことになる。
308 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/25(月) 00:28:40
三戦板で野球の話をし出す奴も空気読めてないけどな
だから五輪で恥晒しの試合で最終五輪が終了したりする
309 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/25(月) 05:01:55
結局、「漢」から見たら魏と蜀は逆賊だったんじゃない?
劉備も曹操も、お互い違う立場から見れば逆賊に見えるだろうし…。
俺は初心者で皆さんみたいに詳しくないけど、三國志は「権力大好き連中の覇権取りレース」って感じで読んでる。
>>309 貴様!
初心者じゃないなっ
というくらい正鵠を得ているw
でも、その場合は劉備は「漢」の逆賊じゃないな。
宗族だし、立てた国の名も蜀漢。
>>311 その理屈が通るなら劉淵(南匈奴)の立てた漢(前趙)も逆賊じゃないよな?
劉淵も漢帝国スキーだったしな。
それもありかも。
>>312 劉邦以来の漢が完全に消えた時代なんだから当たり前だ
劉淵も後漢と蜀漢の流れをくんで、漢と号してるあたりは
この時代もまだまだ漢の影響力はあったんだな。
前趙にせずに漢のままだったら面白い展開だったかも
形はどうあれ漢から禅譲受けてますから魏の場合
劉備の場合、本当に血縁かどうかも胡散臭い
>>316 禅譲とかの形式を備えていても、「むりやり強奪したようなもんじゃん」と思われるようでは意味がない
例えば王莽がそうだ
魏はそこまでではないが、結局「漢は滅んでない!」と主張した蜀、さらに「魏も蜀も偽者!」と主張した呉、どっちも打倒できなかった
この時代は、「仮に」魏が正統王朝の系譜に入れられているようなもので、実質的には正統性という点では勝者無しなんだよ
だから、魏の創始者が簒奪者と言われたり、正統自体が否定されたりする
>>316 今時、劉備の血縁が胡散臭いとは
劉勝の血族なんて劉備の時代では数千から下手すれば
万はいるかも知れないと言われてるのに。
当時は劉姓の詐称は罪が課せられてたし、詐称するほど希少じゃ無いのだが
それに祖父は県の県令に推挙されてるし、父親も役人だから怪しむ理由も無いんだけど。
蜀や呉が皇帝僭称した時点で魏を非難する事なんて出来ないがな
それと蜀は魏に滅ぼされてますが何か?
国が変わるときは常に「むりやり強奪したようなもんじゃん」てなことが行われてる
この漢から魏への禅譲は漢の臣下も数多く関わっている
それだけ漢という国が終わっていたということ
それに正史で魏が正統と扱われてるから仮も何もない
>>318 それだけいれば誰でも劉勝の血縁名乗れるってことだろ
それに万はいないと思うぞ、あの時代は人口が減ってるし
>>319 なんでそんな魏の正統に固執するのか分からないけど、魏呉蜀お互いに自分の帝位だけが正しいんだから、非難するさ
つうか実際にしてるんだから、ここで否定しても仕方ない
あと蜀を滅ぼしたのはどう考えても司馬氏だと言うしかないでしょ
後漢末の混乱を収めたのは漢と言わずに曹操だと言うだろ
同じこと
「正史で魏が正統」その通り
でも何で習鑿之や朱子はそれを否定したの?って疑問があるよね
隋唐革命なんか強奪そのものだけど、正統性は誰もケチつけない
何が魏と違うのかというと、禅譲とかの手続きの問題じゃなく唐は混乱を収め天下を統一し長期政権を樹立したから
手続き的には問題無く見えても、統一や長期政権などの実績を挙げられなかった魏がショッパイ評価しかされないのは仕方ないことなんだよ
中国の王朝の正統は実力主義
ここを勘違いしてはいけない
322 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/25(月) 23:06:37
魏(曹操)は漢王朝を廃して、自ら新たな王朝を築こうとする思想。
つまり天皇を廃止し、自らが日本の王になろうとした織田信長と同じような発想だな。
一方、蜀(劉備)は漢王朝の皇帝を頂点に立て、その下で天下統一した覇者が政を行う
という思想。天皇から政を切り離して、幕府を築いた徳川家康に近い考えだな。
そして、呉(孫権)は揚州と荊州のみを治めて、長江を十分に活かした地方政権を
築こうとする思想。日本の戦国武将で言えば、中国地方の統一のみでよしとした
毛利元就みたいな考えか?
>>321 周、漢、唐、明、清
これらの完成された統一国家はまさに「正統」と呼ぶに相応しいが
三国時代の魏呉蜀なんて、まず国が分かれてる時点で未熟だからなあ。
どこを正統と呼んだところでドングリの背比べってところだな。
関羽や諸葛亮のような後の国家的英雄が居たというのが、せめて挙げられる特徴のようなもんだね。
その他は全部、三国志演義によるメジャー化が大きいね。
>>322 取りあえず、もう少し三国志を勉強した方が良いんじゃないかな〜。
>>317 曹丕「劉協から禅譲された俺が正統」
劉備「簒奪者が何をほざく。社稷を守る我輩こそが正統となったので、取りあえず荊州取り返すわ」
劉備「ウボアー」
孫権「陸遜よくやった。荊州もゲットしたし、なんだか知らんが俺も即位すっから」
こんな感じだろ
>でも何で習鑿之や朱子はそれを否定したの?って疑問があるよね
中原を取られた負け犬の遠吠えだろ
なんで正史にも魏の正統は認められているのにそれを認めないのか分からない
まあ、自分の考えのほうが正史より正しいとか思ってる馬鹿に何を言っても無駄か
正史にも蜀は魏に滅ぼされたとある
それに曹操と司馬昭を一緒じゃない。
前者は王にまで登っている、ここが決定的な違い
ま、ある意味『三国志』っていう正史の名称が魏の正統性のゆらぎを如実に表しているよな
悪の蜀を再起不能にした陸遜は素晴らしい
331 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/26(火) 22:25:15
332 :
328:2008/08/26(火) 22:25:22
補足
>前者は王にまで登っている、ここが決定的な違い
曹操は一代で王にまで登った、
司馬昭は親兄弟から魏での権力を受け継ぎその魏の力で蜀を滅ぼし魏での権力を盤石のものとした
晋王になったのもその後だしな
曹操と司馬昭じゃ全く違うよ
>>332 司馬氏は蜀を滅ぼす前から王公の位を辞退してる
つまり早々に王公となり帝位への野望を剥き出しにしたくせに天下統一も果たせなかった曹操を反面教師とし、蜀を滅ぼした上で即位することと決めていたということだ
確かに違うが、どちらも実質的な主権者であるという点では変わらない
>>329 本紀があるのは魏書だけですよ
『三国志』は後からつけられた名称だし
>つまり早々に王公となり帝位への野望を剥き出しにしたくせに天下統一も果たせなかった曹操
魏アンチ丸出しだなw
天下統一も果たせなかったって・・・・・そんなに簡単に出来るもんじゃないし
それに曹操だって寿命には勝てない。
一から魏を興すのにどれだけ時間がかかると思ってんだ
魏は弱いというより国がこれからという時に曹ヒ、曹エイが続けざまに死んだのが痛かったな
魏の基盤をそっくりそのまま受け継いだ晋が統一したのも魏が強大だったからだろうし
>>336 だから、当時の人間がそういう感想を抱いたから司馬氏は何度も丞相や王位を辞退してるんだろ
最初の機会で飛びついた曹操
蜀を倒すまで待った司馬昭
という対比だ
謙譲を美徳とする当時の士大夫がどちらを上に感じたか、だ
ジュンイクが何と言って魏公に反対したかも思い返すといい
漢晋春秋や朱子学でオフィシャルに正統の価値も覆されたのに
何故、いつまでも魏の正統を訴えてるのか・・・。
熱狂的な魏ヲタほど世の中の事実は受け入れがたいのだよ
>>339 なんか、曹氏の生まれ変わりかと思うような熱狂的なアレだよな
蜀は糞
人をいっぱい殺して善人ぶった悪い国
正閏の基準なんて御都合主義で決まるものだし
何レスも費やす必要のある話題だろうか?
/\ l
\ヌ ̄ヽ 使 l
, o \', 者 l _ ご
レ、ヮ __/ しに.l / \ ち
/Yヽ よ謁.l {@ @ i そ
_/ | l ヽう見 l } し_ / う
しl/ i i l > ⊃ < さ
l ート l / l ヽ ま
 ̄ ̄¨¨~~ ‐‐‐--─| へ、 / /l 丶 .l
___ |/ (_/ | } l
/ニュ トーイ | (⌒) ヽ、 l !
ヽ廿' .`廿' | (´`ヽ、 ヽし! ガタッ
n .____ | ヽ ノ ヽ、
三三ニ--‐‐' | /|
 ̄ ̄ ¨¨¨ー─‐‐--- ,,, __ ______// _____
|__| | ┐ _ ̄¨¨` ┐
/ `、 | 落 荊 | _| な 関
/ ヽ .| ち 州 / ヽ. .さ 羽
/ ● ●l | ま は l @ @ l い 殿
l U し U l | し 呉. l U l ま が
l u ___ u l | たの ヽ, ー ノ. .し 討
>u、 _` --' _Uィ l : 手 / \ / ヽ、 た 死
/ 0  ̄ uヽ | : に / /l Y l ! └ に
. / u 0 ヽ|└ ___| i_l_/__l l__
/ | / し' ソ |
ト'
朱子学の蜀漢正統論がいつ魏の正統を復したのだろうかw
蜀ヲタは蜀漢正統論なんて馬鹿げたもの持ち出して必死だな
益州一州の弱小の蜀が正統なわけないのに
三国志演義で曹操=悪役というのが刷り込まれているのでどうしても認めることができないんだろ、魏を
349 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/27(水) 23:41:18
>>325 三国志の勉強って・・・
普通の勉強しろよ
魏を押したいのは分かるが
あんたらのは単なる愚痴になってるんだよなあ
急激に話のレベルが低くなってしまった・・・
蜀を押してるやつはもう感情論になってるんだが・・・・・
正史よりも蜀漢正統論なんてものを妄信してるし
漢晋春秋や朱子学、清代の三国志演義の経典化などに
よる立場の逆転を持ってきたのはいいネタだったよ。
感情論というよりは、真っ当すぎて反論の余地をなくしてしまった。
だからこそ、魏ファンは蜀ファンへの
誹謗中傷を並べ立てる程度の事しか
できなくなってしまったのかもしれんけどね。
寧ろ、三国志正史一辺倒の価値ばかりを重視して
歴史の推移による価値の変化に対しては馬耳東風の如く聞き流してしまう
魏ファンの方が感情的になりすぎてるね。
にわか三国志ファンなのでよく分からんが、魏も蜀も「正当性」はないんじゃねーの?
時代が時代で、国が混乱して、みんながその混乱に乗じて火事場泥棒みたく戦って、
力や運で残ったのが魏呉蜀だっただけで。
正史よりも朱子学、三国志演義などを優先してる時点でおかしいと思うがな
そういった見方もある。
結局は統一王朝が晋になってしまったから
勝者不在の時代とも英雄のいない時代とも書かれる事も。
三国志好きだとちょっと辛い
中原だけ持ってても意味内が
当時の長江流域の田舎っぷりを考えると
その時代の「正統」は魏なんだろうがな。
蜀漢正統論は中国の重心が移ってからの話しだし。
まあ互いに相手を感情的と非難するのはそれこそ感情的。
漢晋春秋
おおまかな分け方です。
>朱子学の蜀漢正統論
中原を異民族にとられたいいわけです
>清代の三国志演義の経典化
正史から派生した歴史小説にすぎない
歴史の推移というより演義によりゆがめれたイメージが根付いたんだろ
それを言ったら誹謗中傷などと詭弁に走るしな
>>354 正史を盲信してる時点でもう既におかしいと思うが。
どっちも権威主義。
>>357 朱子学は明、清の代になっても依然として盛況を誇っていたわけだが?
中原が中華の手に戻った明代でも国家教学とまでなってるしな。
とてもじゃないが、「中原を異民族に取られたいいわけ」とは言いがたい。
三国志演義を重要視した清王朝は異民族国家。
その国家にとっては有難い統治政策にもなったんだよ。
逆にマイナーで、何の影響力もなかった正史など糞の役にも立たなかった。
歴史小説に過ぎない、なんて見方もかなり貧相だねえ。
歴史を語っているのに正史を基準に語って何が悪い?
蜀漢正統論なんてものはもう言われてることだが言い訳に過ぎない
歴史の推移による評価というなら毛沢東により曹操は再評価されているが?
毛沢東は三国志演義大好きな人
正史がくその役にも立たなかった?
その正史をもとに演義は書かれているわけだが
現代の評価だと演義と正史は分けて考えるものなんだがな
それをごっちゃにして考えてる時点で論外だろ
>>361 そりゃまあ大成できた劉備みたいな人物だし。
>>362 各地の民間伝承をつぎはぎしたというのは聞いたが。
毛沢東は儒教的な古い考えが大嫌いな人
だから合理主義な曹操を評価している
毛沢東が演義大好きでもそれはあくまで物語として読んでいるから
「正史」とは、陳寿の『三国志』に記述されている事柄のことであり、
『三国志』が王朝公認の歴史書(すなわち正史)に認定されたことから使われる呼び名である。
しかし、三国志の物語として知られる事柄は少なからず
明代の白話小説である『三国志演義』によって創作されたものである。
『三国志演義』は三国時代の治乱興亡について歴史小説として高い写実性をもって描いており、
読者の多くが『三国志演義』の記述が史実であると思い込む傾向がある。
しかし、『三国志演義』には少なからず説話本や雑劇から取り込まれた部分あるいは作者自身による創作が含まれている。
また、登場する地名・官職名・武器防具などは三国時代の時代考証からみて不正確なものも多い。
>>364 正史をベースに民間伝承などを取り込んだものが演義
「正史」の『三国志』という名称こそが当時の正統が実質的に無かった、魏の正統は怪しい、という表明みたいなもんだけどな
便宜上と晋への配慮から魏を正統にしているものの、蜀と呉にも正史の体裁(本紀と伝。呉蜀の皇帝の伝は実質本紀と同じ作りになっている)を与えてる
「魏の皇帝だけが特別扱いだから正統」なんじゃなく、「僭称者として扱ってもいいはずの呉蜀を魏と一段しか変わらない扱いにしている」ということだな
皇帝が同じ時代に三人いたという異常な事態だから三国志としたのだろう
正統とされる晋が魏を認めているのだしやはり三国の中では魏が正統だろうな
日本史的な観点からみても魏が正統
魏から親魏倭王を卑弥呼が任じられている
>>370 それがどうかした?
じゃあベトナム史的な観点からは呉が正統なワケ?
>三国の中では魏が正統
選択肢がある時点で、天命を受け天下を治める天子の正統としては微妙な話だ、ということ
魏は三国の中での強い弱いや善悪ではなく、誰からも後ろ指さされない完全な正統性を獲得できなかったから、後世に正統性剥奪という議論が出たりする
正統な天子の禅譲はキレイな禅譲、正統でない君主の禅譲は簒奪というわけで、元から正統性が疑われがちな魏の禅譲は簒奪と呼ばれ創始者は逆賊と呼ばれることになった
殷⇒周⇒秦⇒漢⇒魏⇒晋⇒趙⇒…⇒秦⇒…⇒魏⇒周⇒
隋⇒唐⇒梁⇒唐⇒晋⇒漢⇒周⇒宋⇒…⇒明⇒順⇒清
曹操が王に即位したのは…多分自力で統一する気は無かったからだろうな。
もちろん呉蜀は漢に敵対する逆賊という建前なので名分的には残しておくと面白くないが
実質的には河隔てた先のド辺境。しかも山や湿地ばっかだから人間がいる場所や支配力の及んでる範囲は「三国県立」のイメージよりずっと小さい。
つまりすぐに潰しにかからなきゃならないほど厄介でもない訳だ。
だからこそ固定化した状況を無理に押してまで老いぼれたジジイが長期の遠征して出張るよりは、さっさと内を固めて引き継ぎ体制を整えておくスタンスに切り替えたんじゃないかな。
誤算といえば曹ヒがあまりにも早死にしすぎた事だが…さすがにいい感じに脂の乗ってきた太子が引き継いで10年たたん内に死ぬとはプランにも入ってなかっただろうしな。
というかまさか本気で「曹操は漢から王朝を分捕った簒奪者、劉備こそ正統」なんて大河ドラマみたいな事考えてるヤツいないだろ?
>誰からも後ろ指さされない完全な正統性を獲得できなかったから
これは抜きんでた勢力をもった曹操に対する蜀や呉の誹謗だろう
その後演義により完全に悪役にされた
さらに言うなら国の移り変わりに綺麗も汚いもない
>>373 よく呉蜀を辺境だから無視した、的な論を見るけど、係争の地荊州は後漢光武帝や功臣の故郷、呉は項羽らの挙兵の地、蜀は高祖劉邦最初の根拠
いずれもそれまでの歴史上で重要な意味を持ったこともある地
それらを支配できていないというのは正統性や象徴的な意味では極めて厄介だよ
俺は別に誰が正統でもいい、というか今の俺たちが正統を決定しても意味がないと思ってるが、当時やそれ以後の人々が当時の正統をどう考えたかは興味ある
曹操が簒奪者かどうかはどうでもいいが、簒奪者と呼ばれる背景は気になっている
蜀は併呑されたのちは放置されてたがな
三国の時代から400年も前の価値観持ってこられても・・・・・
それに魏は漢の都長安統治してるしね
普天の下、王土に非ざるなく、率土の浜、王臣に非ざるなし
の原理主義から言うと魏は若干マシという程度。
呉・蜀は論外。だからといって魏ヲタが調子こいていい理屈はないが。
>俺は別に誰が正統でもいい、というか今の俺たちが正統を決定しても意味がないと思ってるが、当時やそれ以後の人々が当時の正統をどう考えたかは興味ある
>曹操が簒奪者かどうかはどうでもいいが、簒奪者と呼ばれる背景は気になっている
今のおれたちが正統を決定しても意味がないなら正史にしたがってればいい
王朝公認の歴史書だし
正史について語ってるのに魏ヲタとレッテル張りされてもね
魏>烏丸
呉>山越
蜀>西南夷
と分裂期にも関わらず三国ともに異民族を合併してるのは異常事態だな。
人口減少が激しかったからね、この時代
だからこそ異民族から兵を徴収したのだろう
人口減少だけでなく豪族の割拠もあっただろうな。
そんな状況じゃ国内からは引っ張ってこれない
呉が日本に人攫いに来るぐらいだからね。
人口の少なさは凄かったらしい
妙な厨房は仕切りに正史こそ絶対無二の史実とか言い張るから鬱陶しい
王朝公認なら王朝の都合のいいように曲筆されるのが当然だろうが
>>385 その曲筆がない(少ない)から三国志は評価が高い
王沈の魏書と比べれば判るだろう
少なくともこの問題に関しては魏ヲタ以上に蜀ヲタ、呉ヲタには発言力無いと思うよ
つーか、ケンカするなら蜀オタは「中国史上最悪の逆賊曹操を語るスレ」でも立てて、
そっちで話せばいいんじゃないのかなと、初心者の自分が言ってみる。
蜀漢正統論が引き合いに出す漢晋春秋は
曹操が最大限に評価されてるんだが(毀誉褒貶はあるにせよ)
曹操によって統一されれば強力な王朝が出来上がって、
その後の中国の疲弊は無かった(異民族に支配されることはなかった)と惜しまれてる。
ちなみに漢晋春秋最大の逆賊は魯粛。
演義を正史より上に参考にしてる人と議論してもしょうがないって
蜀漢正統論なんて妄信してるやつがいるとはな
独りで何を言ってるんだろうか。
関羽・諸葛亮は中国を代表する英雄だが
魏呉蜀の三国はドングリの背比べな地方国家
どれもこれも正統とは呼び難し
現在の正論ならばこれだと思うのだが?
>>392 基本はそのスタイルだと思うが
スレタイがスレタイなだけに魏オタ、蜀オタ入り乱れての
混戦と化しているのよ。
そして呉は完全に蚊帳の外。
普の頃からだがな。
禅譲も血縁も無くノリだけで皇帝になったのに叩かれすらしない。
395 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/28(木) 22:45:23
それは三国時代の後じゃないの
献帝からすれば劉備が正統なわけないが
腹子のいる奥さんをぶち殺してくれる曹操の方がヒドイやつだろうな。
劉備に関しては天子の勅を実行しなかった時点で逆賊なんじゃね?
というと、密に行われた勅は無効とか言われそうだけど。
それはいくらなんでも無茶苦茶
断った訳でも無いし計画が途中で発覚したから実行出来なかっただけ
なーなーになっちまったもんでな
まー腹子のいる奥さんをぶち殺してくれたのは当時の常識だからしゃーねー
三族皆殺し
まあ、三族皆殺し程度ですんでよかったんじゃね
司馬の外道兄弟なら間違いなく廃位or殺害だっただろうな、帝といえど
実際にこいつらはやってるからな
>>399 発覚する前に逃げ出してるじゃん
天子と曹操に対する二重の裏切りだよ
危険に対する嗅覚はすごいけどな
403 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/29(金) 06:22:44
正史は本当の事ももちろん書かれているけど,都合の悪い事は曖昧にしてる部分が多すぎる。演義は演義で確かに正史を元にしてるけど,一応今で言う噂みたいなもの。中には本当のこともあると思う。まあ誇張しすぎてるけど。
演義を軽んじて正史をごり押しするやつは,今で言うテレビのニュースをそのまま信じる奴。つまりバカ。
実際にこの中であの時代を自分の目でみてる奴なんていないから本当の事はわからないよ。それぞれの考え方があっていいと思うし,否定する権利はない。
個人的には呉が嫌いだけど
友達(日本人)に、気を付けの姿勢で膝に手が届く奴がいます。
そのままちょっと肩の関節を下にずらせば、膝をコリコリと掻くことも出来ますw
自慢げに見せてくれた時は、唖然とした後にゲラゲラ笑いましたw
自分も気を付けをしてみましたが、間が20cmもあって驚きました。
俺より背が高く178cm位かな?バランス良くしっかりとした体付きなのに
何かずんぐりして見えて、面白いというか愛嬌があります。
よく太っている人といると、安心するって人がいますが、腕が長いと
包容力みたいなものを感じますね。
腕を水平に上げるのには、もの凄い力を使っていると中学の頃に教わりました。
人間の体(骨や肉)は結構重いものだから、長い分かなりの力が付くのでしょう、
その友達も見た目以上に、凄い腕力があります。
素行の悪い奴じゃないのですが、腕が長いと喧嘩で有利だと言ってました。
あと座ったままで、遠くにあるリモコンやタバコが取れると、自慢げに笑ってました。
耳は普通だったと思いますが、オールマイティな感じはします。
目上の人間には尽くすし、年下には優しく接していて、慕われてますね。
雪国の出で、自分の家の雪かきが終わったら、ついでに年寄りしかいない家や
公民館の雪かきまでも、自発的にしていたらしいです。
結構短気なのに、自分から喧嘩を吹っ掛けたりせず、無言で我慢するタイプ。
コピペだけど案外劉備の実像に近いかも、「短気なのに無言で我慢するタイプ」に受けたw
>>403 演義は正史と裴注を元に歴史の流れを換骨奪胎して劉備主人公に作り変えてる。
無論元の資料にもない記述が多数あり、書かれた時期も遠く隔たっているので情報ソースとしては無意味。
歴史を論じるスレで正史資料の検討と批判はあっても、演義はない。
>>397に同意
劉備は献帝生きてるのに勝手に帝位についたから孫権と同レベル
でも一番の逆賊は簒奪者曹操であるのは間違いない
臣下の分際でありながら、皇后とその子供達を殺したのは世の反発を買っただろうな。
その後に自分の娘を皇后にしてるところから見ても、曹操の野心は明らかだな。
誰が奉戴しようが同じことになると思うがね
それどころか董卓が立てた帝として群雄は認めようとせずに
別の帝を立てようとした袁紹、自ら帝位についた袁術など
逆賊はいくらでもいる
無論、この逆賊の中には劉備、孫権も含まれる
>>408 漢の皇帝そっちのけで、ひそかに皇帝ごっこしてた
劉焉、劉表もな
漢献帝=絶対の正統
群雄達=どれもこれも逆賊
>>408 歴史にIFはナンセンス
ただ一つ確かなのは曹操親子が簒奪したということ
そしてそれを口実にまだ献帝が生きているにも関わらず
皇帝を僭称した劉備
413 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/29(金) 21:06:46
魏を正統と認めない為には、漢王朝を復興させる為にも皇帝を立てる意味があるからな。黙ってたら相手を認める事になる
そして呉蜀同盟の都合上、何となく即位した孫権
>>412 劉備には献帝が殺られたという誤報が入ったらしいのでそこは差し引いてあげるべきかもな
曹丕が皇帝を名乗った以上、魏への対抗上劉備も皇帝を名乗る必要性があった。
そこで献帝殺害という誤報を故意に流布させ、皇帝誕生への布石を打った。
その策略に劉備自身の意思があったかどうかは別として。
417 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/29(金) 22:09:05
実は呉もこっそり魏を認めず、魏の年号ではなく建安の年号を使い続けるという地味な反抗をしていたことはあまり知られてない
実は南宋も同じジレンマに陥ったことがある
金は北宋皇帝から位を譲り受けたわけではなく従って現職にありながら南宋は成立したわけで
劉備よりはるかに重罪だがあの時南宋が成立していなかったら夷どもに全土が屈していたろう
名乗った時点でが逆賊だがな、士大夫の多くは劉備に対して失望してるし
しかもよりにもよって蜀漢
>>402 徐州で兵を挙げてるので
献帝に対して裏切ってはいない
密詔が下されて事で曹操は逆賊になった訳で
公私混同をしないとすれば劉備が裏切ったので無く
曹操の身から出た錆
>>418 高宗の欽宗に対する処置と金の中原占拠の黙認もそうだろうな。
岳飛はそこら辺の空気を読めなかったので殺された。
殺した秦檜はいい面の皮である。
>>418 南宋はあの時点で就かざるをえない、
皇帝が連れさらわれてどうしようもなかった。
南宋の不味さはその後の前皇帝の扱い
423 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/30(土) 10:53:14
>>420 献帝自体にも問題有ると思うがな。
自分の力で諸侯を従えた訳でもないのに、
皇帝という立場だけで権力を得ようとしたのだから。
現在の天皇のように、自らは国の象徴としてだけ振る舞っていれば良かったのにな。
幼い頃から董卓〜曹操という忠義という言葉を知らぬ
権力の暴獣共に「何もさせてもらえなかった」悲劇の皇帝が
漢献帝。
彼には一抹の落ち度さえもないと思うが?
たかが、臣下の分際で権力の専横に走った連中にすべての責任がある。
>>423 空論過ぎる
権力闘争なしに成立した象徴天皇制があると思ってるのか?
日本だって何回も天皇による武士に対する権力奪回運動が行われてようやくなんだぜ?
426 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/30(土) 17:42:06
>>424 自らで何かをしようと思わなかったのが問題。
例えば、劉備のように一度原野に落ちて、そこで同志を募るとかね。
何の苦労もせずに権力を手に入れようなんて、後漢末期〜三国時代は
そんな甘い時代じゃないような気がする。
>>426 献帝は長安から脱出して洛陽へ行ってますが(この時献帝を助けたのがかの白波賊)
>>426 臣は臣、王は王だよ。
無用な野心を持てば全土は兵乱の巷と化す。
>>426 理屈から言えば皇帝は神の子的な存在でもあり、全ての人民・兵士の頂点に立つ存在
それは宗教的・精神的なものだけじゃなく世俗的な権力も含めての話
それを無体に扱い、本来するべき政治さえさせないってのは大罪
そう思わせないようにせめて体裁だけでも取り繕わないといけないわけだが、曹操の魏公になるだの皇后を殺してから娘を皇后にするだのといった行為は到底取り繕うことも出来ない
だから逆賊と言われる
>>426 戦争ってのはゲームじゃないんだぜ?
それに何かしようとはしたが、悉く曹操に封殺されたじゃないの。
そこで曹操が自らを省みて漢王朝の良臣となるように励めば良かったが
結局は帝を恨むという畏れ多い筋違いを起して世の中を更なる乱世に染めていった。
431 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/30(土) 19:25:06
>>426 だから、その皇帝が覇者(曹操)の元に庇護されるんだったら、
権力を持とうなんて考えずに、国の象徴として振る舞っていれば
何も問題なかったのではないの?
変に自らが政権を持とうして、邪魔な曹操を討とうとするから逆に曹操から憎まれるのでは?
自らが政権を担いたいなら、曹操や劉備並の戦いや苦労を自らで繰り広げていかないと。
苦労せずに国の政権を担うことなんてできないよ。
俺からすると、献帝は足利義昭とほとんど同じ人物と見てとれる。
>>431 皇帝の存在理由からいけば、権力を我が手に取り戻そうとするのは義務みたいなもんだよ
完全な自由意志から権力や兵を曹操に預けたわけでもないし、擁立してくれたはいいが権力などを皇帝に返上したわけでもない曹操は、皇帝目線からは所詮は権力の亡者、野蛮な反乱者でしかない
将軍の権威・権力を取り戻そうと奔走した義昭と近いというのは褒め言葉だな
434 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/30(土) 19:46:28
>>432 民からすれば、無用な戦が生じていい迷惑。
結局、皇帝目線では民衆の立場に立った政治なんてできないよ。
後醍醐天皇が良い例。
だから、現在のように皇帝や国王や天皇といった類は国の象徴としてだけ
の存在であった方が良い。泥にまみれた民衆の中から出てきた人物が政権を
担った方が、国としては成功する。
>>434 無用な戦を生じないためにも
臣は皇帝に仕えるのがその立場だと思うのだが?
漢献帝が放蕩三昧な暴君ならば、他の人物がそれを廃して
万民の平和と秩序を保つ新政権の樹立を打ち立てても文句は言わないだろうし
中国伝統の言葉を借りれば、天命思想による王朝の転換とも言える。
しかし、曹操の場合は漢献帝の権限をすべて取り上げて
自分中心の王朝政治を執り行っていたから各地の諸豪族が
漢朝復興の大義名分を掲げ、天下取りの野心にも拍車がかかった。
その挙句やっとこさ出来た曹魏政権はなんとも歪で未熟な王朝だったじゃないの。
>>434 それは一つの考えであって、現代ではそれで良いかも知れないけど後漢末には難しい考え方だ。
曹操が大人しく臣従してた方が争いは少ないと思うぞ。
437 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/30(土) 20:16:53
>>435 俺は漢献帝が万民の平和と秩序を保つ国を復興されられる人物だとはとても思えないけどな。
最終的には自分の保身を優先させるような気がする。
で、仮に曹操が倒れたとしても、第二第三の曹操が現れて結局同じ事になるだろう。
>>437 霊帝にそういうのなら分かるが、献帝にそりゃないだろ。
439 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/30(土) 20:35:10
>>438 そうか?
だったら、自分の腹心や奥方が処罰された時に、もっと毅然とした態度をとってもよさそうなものだが・・・
それに献帝は董卓の元に居たときは何もしなかったのに、何故曹操の時はあれこれ討伐を検討したのか?
董卓の方がよっぽど民を苦しめたのに。
440 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/30(土) 20:38:29
年齢考えて
>>439 聡明な曹操にならと一抹の期待もあったんじゃないの?
結局、董卓に劣らずな専横行為に泣かされたわけだけども。
442 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/30(土) 20:47:22
>>440 確かに年齢の差はあるが、それでも董卓が呂布に討たれる直前には、もう大人になっていたのではないの?
それに、自立心の高い人物だったら若年でもそれなりの行動はすると思うがな。
>>441 民のことを第一に考えれば、董卓には反抗しても、曹操には反抗すべきではないと思うのだがな。
けど曹操のとった政策は国を豊かにしたんだよな
董卓の様な暴政じゃなくて
>>442 民の事を考えれば臣はより良く王に尽くせばいいのだよ
余計な野心が乱世を呼ぶ
それに曹氏もそこまで誉れある王朝を作れたわけじゃないしな
結局、外戚の奴等がおもしろくなかったんだろう曹操という存在を
漢丞相時の曹操は紛れもない国難の危機に立ち上がった救国の英雄
しかし、魏王の上り自分の天下を夢見た時点で単なる逆賊
漢中王を勝手に名乗った劉備も逆族だな
同族の劉ショウから蜀をだまし取ったりな
しかし、紛いものであっても宗族という武器があるからな
劉備の漢中王僭称は中々のナイスプレイ。
曹操に負けず劣らずあざとい。
449 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/30(土) 21:06:31
曹操が王にならなかったらなれなかったな。 曹操の野心が劉備の利になった。
しかし劉備は漢朝復興という目的を忘れ私怨に走り呉征伐に出て返り討ち
451 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/30(土) 21:28:01
ここは献帝、足利義昭の隠れファンのためのスレですか?
452 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/30(土) 21:43:54
いいえ 曹操ファンのスレです
曹操は孔明になることも出来たがそうしなかった
逆賊の謗りを免れるのは無理でしょう
ガキの頃に祭り上げられて操り人形になった献帝にどーにかしろというのも酷だが
権力闘争の勝者である曹操に逆賊でどーたらと因縁付けるのもヒドい話。
戦いに勝って権力を握ったら中央集権に勤め独裁体制を整えて国を掌握。軍事国家のセオリー。
大体そんなこといったら奴隷であり漢民族でもないのに皇帝になった石勒という極悪人がいるじゃないかw
455 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/30(土) 22:51:32
逆賊云々は因縁じゃ無いだろ。
曹操は配慮が足りないので下手を打った。もう少しは献帝をマシに扱ってれば良かったのに
>>455 献帝の場合殺されないで少なくとも曹操存命中はずっと皇帝でいられたんだからまだいいほうだよ
>>456 それは五十歩逃げた奴が百歩逃げた奴を臆病とののしるようなものだ
最後に権力を献帝に返上したのでもなければ同じことだよ
>>457 じゃあなんで他の皇帝、権力者は旧王朝に帰依しなかったのかな?
ねえ、どうして?その理屈だと戦争なんて起きるわけ無いんだけど
>>457 とりあえずそんなヤツは多分有史以降にはいないと思う。
半分伝説化してる周王の話くらいじゃないか?
武王だって簒奪者にかわりない
>>458 誤解してるのか曲解してるのか分からんけど、皇帝への忠誠うんぬんは建前の話だよ
しかし曹操はその建前を貫くことが出来なかった
魏という皇帝への忠誠の建前も貫徹しない、しかも天下統一も出来ない権力者でも皇帝になってもいいという前例があったから、以後の王朝はどんどん簡単に交代するようになった
あと、例えば漢の劉邦は暴君の秦を滅ぼし、旧主の義帝の仇を討つという二重の正統性があった
曹操は漢の名の下に天下を平定しようとしていたはずなのに、漢の皇帝を粗略に扱い権力を返さなかったんだから、前時代的な感覚からは逆賊と呼ばれても仕方なかったと思うよ
そこは現代人の感覚で見てもどうにもならん
462 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/30(土) 23:43:36
長期王朝を建てないと色々言われるのは仕方ない。
>>459 >>460 周は簒奪じゃなく放伐
つまり武力で滅ぼしてる
でも批判されないのは、少なくとも経典に書かれる伝説では殷が暴虐で、周はギリギリまで忠誠を尽くそうとしていた、とされているから
漢の劉邦は実際に秦を滅ぼした将であった上に主である義帝を殺した逆賊項羽を倒し、当時の諸侯全員の推戴を受けて皇帝になった
体裁上は、立てるべき主がいない上に周囲の要望で皇帝になったわけで、誰に対しても不義はしていない、ということになる
これらはあくまでも建前上のことでしかないけど、こういうのを理想とする当時の知識人が曹操をどう思ったかは想像に難くない
しかし知識人の中には曹操を評価する人間もたくさんいた。
そしてそれらが中心となって曹操を押し上げていった
漢朝は腐りきっていてすでに命運は尽きていた。
治世の能臣、乱世のカン雄とはよく言ったもの
>>463 でもそれだと漢だって汚職と専横でぶっ壊れた王朝なんだから文句言えないよね。
>>465 曹操は献帝を立てるべきではなかったことになるな
自分から立てた以上はそれは言えなくなる
>>464 ただ、次代の世があまりにも曖昧すぎてな。
隋まで「正統」なんて王朝はなかったんじゃないかな。
この時代は大乱世の時代として三国志演義のような読み物として楽しむには
絶好のネタではある。
太史慈が死ぬ前の言葉
「大丈夫という者がこの世に生まれたからには、七尺の剣を帯びて天子の階を登るべきを、その志が実現できぬうちに死ぬ事になろうとは」
綺麗ごと言ったって群雄は皆このような志を持っている
後漢の次の正統王朝は唐
>>464 確かに知識人の間でも意見は割れている
魯粛の発言などは完全に漢を見切ってる
しかし曹操は献帝を擁立して大きくなった、つまり献帝を是とする者が多く集まっていたわけであるから、献帝=漢王朝を乗っ取ろうとしているように見える行為があれば失望する者は少なくなかっただろう
吉本の乱などはその一例だし、ジュンイクが心配したのもそういった知識人の失望だろう
英雄たるもの男なら皇帝になるぐらいの気概をもてということだな
始皇帝の巡業を見た劉邦や項羽もこう言ったとされる
劉邦「男たるものああありたいものだな」
項羽「いつかは俺がとってかわる」
>>468 そうだよ
だから、そういう志を奇麗事で飾れなかった曹操が逆賊呼ばわりされるのは仕方ないんだよ
群雄同士の間でなら裏切りも正当化できようが、皇帝に対してはそうもいかない
曹操は最初は献帝を認めず、後になって献帝を詐術で奪い、その後も一度も政治・軍事の権力を与えるでもなく傀儡にし続けた
それでも魏公になりたい、九錫が欲しい、娘を皇后になんてやり出さなければまだ言いつくろえただろうが・・・
劉備はそれを批難して自分のやったことは棚上げだけどねw
劉備はそれを批難して自分のやったことは棚上げだけどねw
劉備も皇帝僭称しといて綺麗ごとで飾れなかったな
逆賊度
劉備>>>孫権>>>超えられない皇帝僭称の壁>>>曹操
>>474 劉備にとっては魏が漢の皇帝を滅ぼしたから即位したわけだから、劉備としては僭称ではない
もちろん魏を滅ぼせなかった以上正統性は無いわけだが、結局それは魏も呉も似たようなもの
>>472 本当に綺麗事が好きだねw
漢があるのに自分の国を建てるには漢をつぶすしかない
しかし、蜀の人間以外蜀漢なんて認めてないけどな
魏は禅譲をしての正統で大義名分もある
名士たちの支持も九品法の制定ですでに得ている
>>477 だろうな。
シンプルな正論だが途方もない目標。
結局、曹操も劉備も孫権もなしえなかった事。
劉備たちが魏を逆賊ということでしか批難できないからな
すでに大義名分は魏にあるからね
それが劉備のアイデンテティ
大義名分があるというのは逆にプレッシャーかもしれんけどね
名分はどうあれ、結局は3すくみだったのが当時の実態
正統の威厳を示そうとするにも苦しい戦ばかりしてたね
本当に曹操が嫌いなんだなw
なんかすぐ好き嫌いの問題で済まそうとする子がいるな
484 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/31(日) 01:11:38
本当に曹操が好きなんだなWとでも書いて欲しかったのか?
苦しい戦いって魏が蜀に負けたのは漢中取られたぐらいだが?
鳥のあばらの漢中をね
あとは北伐で魏の辺境の二群をとったぐらいか
大雑把にいえば
>>485 蜀を攻めて何度か撃退されてるよな
正統王朝なら僭称者なんてとっとと倒せて当然なんだよ
それが実質司馬氏の時代まで倒せず、それどころか攻め込まれて領土奪われたことまであるなんて恥さらしだぞ
現代日本で言えば北海道が独立して青森県占領までしてて、東京の政府が自衛隊派遣したのに負けて戻ってきた、みたいな面子丸つぶれ
三すくみというより実際は蜀はほぼ放置されてた
イリョウで蜀を支える将兵が多く死に蜀はその回復を待たねばならなかった
魏としては曹操死後の国の内乱、呉への備えに忙殺されてたしな
漢代には罪人の流刑地的な側面もあったからなあ<蜀
現代日本で言えば北海道なんて非じゃないくらい面倒な遠征
補給も続かんしな
蜀は険しいサン道に守られ攻めがたい
諸葛亮も北伐を行うさいにこのサン道のために
兵糧をいかに戦地に運ぶか頭を痛めていた。
司馬イはこれを見抜いていたので蜀とは真向勝負せずに守りを固め蜀の疲弊を待った
蜀って最初から負けてたんだな
ケイ州取られた時点で天下三分の計は崩れてたしね
もう少し呉とうまいこと付き合えてたら関羽はあんな死に方しなくてもよかったんだがな
>>487 史実では曹真や曹爽が普通に攻めて普通に失敗してるよ
曹操が漢を簒奪しても統一王朝を築く実力があれば問題なかったろう
しかし半端な能力しかないくせに皇帝廃して王朝立てていいという変な前例作っただけに終わった
五胡十六国、五代十国の騒乱を見ると単に義だけに止どまらずこの点で曹操の罪は重い
>>464 新のときも知識人が「王モウ様を皇帝にしよう運動」を起こしてるけどな
荀イクみたいなのばかりじゃなく権力者に媚びへつらって栄華を望む者は
いつの時代にもいるってことじゃないの
荊州の対関羽戦も大国の戦には見えなかったけどな。
同格と思われた荊州の司令官は早々に篭城に追い込まれ
援軍として相当な大軍と良将2人を付けても完敗、足元を脅かされ遷都まで考える始末。
結果、呉に頼り挟撃においてようやく撃破。
魏が群を抜くといえるほどの強国なら鎧袖一触の勢いで
他国にも頼らず問題なく蹴散らせるはずだよ。
>>492 曹操を一時代の英雄というのならば頷けるが、魏を正統と呼ぶのは甚だ疑問な結果だった。
後世で蜀漢正統論なんてのが持ち上がるのもしっかりした結果の残せなかったからかもな。
蜀に対いて本格的に攻めたわけじゃないから失敗したのだろう
なんといってもこの時代は人口が少ない
力を持っていたとしても大量の兵を動員をできないし
しっかりとした結果が残せなかったのに蜀漢正統論がおかしいとは思わないんだな
蜀漢正統論が持ち上がるのは民衆に浸透していった劉備を正義、曹操を悪として書いた
演義のため、日本で言う判官びいきだろう
籠城は元より援軍をあてにした戦法
それに洪水の被害もありウキンは投降、ホウトクが虜になり斬首
新野の樊城が落とされたら許都はそこから目と鼻の先
また漢中からの劉備と合流すれば侮れないものがあるしさらに同盟国の呉まで
それに加わればと考えれば遷都を考えるのはあたりまえ
しかし、呉蜀の同盟にひびを入れ関羽の後方を遮断し撃退したのはこれ以上ない戦果だろう
その結果、ケイシュウを取られた蜀は大打撃を受けその上イリョウで劉備は呉に大敗し病死
蜀の将兵もこの戦により多く死んだ
戦とはいかに犠牲を減らし労せず敵を倒すことにある
まあ魏から見て荊州戦役最大の被害は呉の伸張を許したことだからな
>>496 違う
東晋や南宋のように、「半分敵に奪われたけど俺の方が正統」と言うためには、国土は少なくても漢の名を継ぐ蜀漢こそ正統と考えた方が都合が良かった
演義の方が後から出てきている
>>496 むしろ魏正統論こそがお国の押し付けだったんじゃないか?
北方謙三も陳寿の時点で既に蜀正統論に至る下敷きは出来ており蜀正統論は必然的だったと感想を書いている
北方謙三は演義を基にした歴史小説家だろう
小説ゆえに話を膨らます傾向がある
しかし、蜀が正統というのは誰が考えても苦しいな
東晋や南宋の場合はまだ天下の半分を領土といて持ってたわけだろ?
益州1州では蜀漢正統論なんて笑い話にしかならんよ
蜀漢正統論なんてものが出たのも
>>498のような事情があるわけだし
三国の中でどれが正統性があるかといえば魏の正統性がやはり第一だし
>>501 正統性は「第一」なんて順位が付く物じゃない
どれかが絶対で、他は全て偽者
しかし三国時代は順位がつく程度の説得力しかない
つまり、正統性という意味では勝者無しということ
しかし、正史でしっかりと残ってるんだよな
504 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/31(日) 14:33:18
魏が一瞬でも統一してれば正統だったろうがね。
蜀を併呑して2年後には自らも消え去るとか
どう考えてもそれ以前から形骸化してます。
>>500 北方の言ってることは何となく分かる
蒼天で後半から劉備パートの方が面白かった俺としては
正史の時点で既に覆うことの出来ないウケの良さはあったんだろうと思える
そりゃ物語なんだから受けはいいだろw
どっちにしろ漢が滅び山奥に引っ込んだ辺境軍閥が「自称」していると言うだけ。その自称正統王朝すら滅んでる。
旧王朝の名残が完全に消滅してる以上晋に引き継がれるまでどっかを正統にしなきゃいけないからやはり魏を正統にするしかない。
漢→晋も成り立たない。禅譲してる上に蜀も滅んでるから。そもそも蜀の人間が言い張ってるだけで魏の時代から仕えてる晋の人間だって誰も蜀漢が正統だとは思っていない。
ド田舎の軍閥モドキに限らず、
短命王朝が自らの正当性に疑義を呈されるのは当然
秦、新、魏、隋、順……
秦:放伐
新:放伐
魏:禅譲
隋:禅譲
順:放伐
魏と隋は正統ということで
510 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/31(日) 20:26:29
魏の正統論なんていつまで続いたんだろうな。
早々、蜀漢正統論に取って代わられたのが歴史の流れじゃないか。
何よりも中国人は愛国心に溢れた人物を今も昔も好むからなあ。
関羽、諸葛亮が時代を超えて愛されるのもそういう部分が大きいんだろうな。
正統か、否かということを一介の歴史書程度のもので決め付けるのはあまりよくないと思う。
そもそも『三国志』って名前が正統不在(三分)を表明してるようなもんだ
中身も本紀こそ魏だけだが、蜀も呉も体裁はほとんど同じだから、魏と呉蜀の差が一等しかないということが嫌でも伝わる
関羽や孔明が愛されたのはしょーもないレベルの人間が簒奪を繰り返すのが続いたからでしょ
逆に曹操みたいな奴の価値が低下した
514 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/01(月) 00:29:04
>>513 どう考えても、そのしょーもないレベルの人間による簒奪のトップランナーが曹操
>>513 権力者ってやっぱりどの時代でも清くは見えんしな
さらにしょうもない人間が皇帝を僭称したトップランナーが劉備と孫権
袁術もか
関羽や孔明は演義により神格化されたから今日がある
それに蜀漢正統論なんてものは益州一州の蜀では説得力がまるでない
>正統か、否かということを一介の歴史書程度
歴史を語る上で正史は重要、一介の歴史書などではなく歴史書として価値があるから残っている
>>518 王沈などの「魏書」が残らずに陳寿の「三国志」が残ったということは、蜀漢正統論が一定程度の説得力があったということになるな、その論法だと
魏や晋などの家臣の主家乗っ取りぐらいで済んでたならまだしも
その後南北朝、しかも北と南それぞれで曹操や司馬昭みたいなのが続出したらうんざりするよ
関羽孔明が偉くなっていったのは歴史の必然だったってことだな
情けない話だ、臣が臣として普通に仕えることが称賛されるようになるとは
「君、君たらずんば、臣、臣たらず」
「君、君たらずとも、臣、臣たり」
「君、君たりとも、臣、臣たらず」
お好きなのをどーぞ
>>518 演技で神格化されたんじゃなくて神格化されてたから演技がああなったんだよ
タマゴが先か、ニワトリが先か…
陳寿の「三国志」で正統は魏とされている
正当論なんかどうでもいいよ。
自分にはどっちにもないと思ってるが、どっちかにあると思うならあると各々思ってればいい。
ここは国の正当性でなくて、逆賊劉備を語るスレだろ。
と誰も言い出さないのが不思議。
こんなにスレチが続いているのに。
実はこのスレ、自分以外に二人くらいしかいないんだろうか。
劉備は逆賊ではないと言う正論を誰も突き崩せないので
話が横道にそれただけだよ
>>518 中国文化に不変の価値が備わってるとすれば
それは「忠義」「愛国」のみに限られる
歴史の中の正統王朝などその当時の価値感で幾らでも変わっている
当時の史書のみに固執してるのは視野狭窄というものだ
関帝、諸葛武候は悠久の時を経て現在でも以前変わらぬ光芒を放つ中華の大英雄
>>525 中国史上最悪の逆賊が劉備ってのはありえないで落ちがついてる
中王、蜀帝と僭称した時点で劉備は逆賊です
忠義、愛国はそれは治める側にとっての価値で綺麗事
確かに忠義、愛国といえば聞こえはいい
しかしその国が忠義、愛国に値しない場合は常に取って代わられてる
実際中国の歴史は放伐 、禅譲 の繰り返しでできている
綺麗事ばかり並べてても国はおさまりはしない
正史はそれを書いている。
そんなことも知らない方が視野狭窄だろう
実際孔子も言ってんだよな
治めるにとるにたらなければ取って代われって
無能なやつが治めたところで困るのは民なんだし
民のことを考えれば優秀な人間がトップに立った方がいいしな
諸葛亮がいい例だろ、司馬昭にまで同情されてるし
なんか魏バカが無限ループさせてるだけみたいだな。
>>526 夢見てないで現実を直視しましょう
後世にいかに人気が出ても正統性とは別次元の問題なんだよ
皇族でないものが帝位を僭称する
一番やっちゃいけないことを劉備はやってしまったんだよ
王も帝も先に魏が全部僭称してるのに何言ってるんだろう?
曹丕が帝を廃して僭称したので。漢朝復興側も帝をたてないと曹丕を認める事になるんだよ。
劉備も手続き取ってますが何か?
つまらない野心を起す輩が絶えないから
放伐 、禅譲の悲劇の分裂劇は延々と繰り返される。
実際に放伐されるべきに値した世など限られている。
三国時代にあっては、結局国が分裂して大乱世と化しただけに過ぎない。
奇麗事を抜かして、天下の統一も図れないようではそれこそ民が大迷惑しただけ。
忠義に厚いとは「裏切らない事」
愛国心とは「国を大切に思う事」
だからこそこの信念はいつの時代でも不変の価値なのだよ。
>>532 その妄想は、既に後世の歴史学でもひっくり返されてると
散々に言われつくされてるはずだが?
今の世なら魏は欧米、日本
蜀は中華
ってことだろう。
劉備は手続きとってないだろw
気に入らないから皇帝僭称しただけ
忠義に厚いとは「裏切らない事」
愛国心とは「国を大切に思う事」
そういう綺麗事に騙されて踊らされたのが日本人なんだよなw
魏オタは悉く中国の伝統思想や文化を否定しとるなw
>奇麗事を抜かして、天下の統一も図れないようではそれこそ民が大迷惑しただけ
漢の痴政により民は困窮にあえいでいたわけだが?
そして漢はすでに国としての価値を失っていたから群雄割拠していた
その漢に取って代わり魏が善政を敷きその基盤を基に晋が統一した。
民があっての国なのに民をないがしろにする国など滅んで当然
>民があっての国なのに民をないがしろにする国など滅んで当然
なるほど、だから魏も滅んだのか。
魏が善政を敷き?痴政やって司馬一族に乗っ取られたのに何言ってんだ
>>542 くそっw
認めたなくないが、座布団1枚w
>中国の伝統思想や文化
禅譲や放伐が繰り返されたのは事実
これは中国に限らず世界のどこの国にも言えること
魏の数々の政策により国は豊かになってるだろ
蜀
愛国心だか忠義だかの自己満足で勝てもしないのに無茶な北伐を繰り返し
国を疲弊させた
>>545 もっと中国の歴史を学べってことだろう
・漢晋春秋も否定
・朱子学も否定
・清王朝の三国演義経典視も否定
・関帝信仰も否定
・諸葛武候も否定
・忠義双全の英雄観も否定
・おまけに漢代における劉氏の価値も否定
こんな否定ばかりしててどうするよ?
三国時代の価値だけで、世の正統なんていえんだろう。
魏は数々の政策でのミスが出て結局は国が滅んだけどな
魏
野心で簒奪してみても統一する事も長期王朝を築く事も出来ずに
晋に同じ遣り方で簒奪された国
蜀ヲタが言ってることが綺麗事ばかりだろう
綺麗ごとじゃ通用してないんだよ実際
そもそも、漢においては宗族の劉備は逆賊とは言えない。
これで終わるはずなんだけどな。
正史を引っ張り出してきて、国家の正当性がどうのこうの
好き勝手に脱線させてんのは魏オタじゃねえか。
それでいて、正論で叩き潰されたらしょーもない文句三昧とはな。
>正論で叩き潰されたらしょーもない文句三昧
それが魏オタのクオリティなんです。
勘弁してやってください。
554 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/01(月) 20:42:35
なんか、手続きとさかんに言ってる子がいるけど、周は放伐だし漢なんか諸侯の推戴なので禅譲でも放伐でもない
手続きさえあれば正統なんじゃないぞ
全国みんなの支持があって初めて正統
支持しない奴がいたらねじ伏せる
それができて初めて正統王朝だ
>>554 三国時代は結局、正統王朝なんてないんだよな
三都賦なんてものまで出回ってたし
556 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/01(月) 20:47:57
>>554 それは間違い。
後代に著された正史で正統王朝だと見なされなきゃだめだよ。
まあお前の言ってるような事をやってればまず間違いなく正統だと見なされるが、
その言い方だと三国時代に正統王朝がなかったように読み取れてしまう。
後世の史書で魏が正統とされてるのは事実だろ?
557 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/01(月) 20:48:55
そういうこと
蜀ヲタは評価が0か100だから極端すぎる
そのくせ益州しかとってない蜀を蜀漢正統論なんてものを持ち出して
正統なんてばかげたことまで言い出す始末
正論で返しても忠義だの愛国の綺麗事でごまかすし、現実を見ようとしない
559 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/01(月) 20:51:00
>>556 三国志って呼び名の時点で正統はもう曖昧じゃん
>>556 だから、そんなも後世で覆されたと何度も言われとるだろ・・・。
馬の耳に念仏ってのは始末に終えないな。
蜀を民情に訴える奇麗事ばかりとか言ってる癖に
魏が力づくで天下を取れなかった事には
正史という言葉を使って正統といいたいのか。
それこそ、奇麗事以外の何物でもねーじゃねえか。
魏が正統王朝なら新も正統王朝なんだろうか? 新は正統王朝扱いされてないけど
562 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/01(月) 20:54:04
>>559 陳寿が三国それぞれの皇帝に使った呼び名を知ってる?
歴史書で皇帝に使うべき呼び名が使われた国は魏だけ。
蜀帝に使われた「先主」「後主」は陳寿自身が蜀出身だから気を遣っただけで、
呉帝に至っては「孫権」とか本名をそのまま使ってるんだよ。
>>558 正統というには100%でなければ意味がない。
それぐらい大きい言葉だよ。
564 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/01(月) 20:55:37
>>560 俺はそんな主張をした覚えはないがな。
統一王朝晋が魏からの禅譲を受けて成立したことで、
魏の正当性が定まったとは考えてる。
>>562 そんなこといったら、関羽なんていまだに関羽とは呼ばれず
尊称をこめて「関公」と呼ばれとるわw
いまだにな。
566 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/01(月) 21:00:19
>>565 それは尊称だね。
さらにいえば関羽は後世で神格化されたから、それも当然のこと。
いま俺が出したのは、歴史家がその皇帝を歴史書の中でどう呼んだかの話だよ?
魏オタは悲しい事に三国志正史のみを
三国志を取り巻く文化のすべてだと思ってるんだな・・・
>>559 同じこと繰り返してるな
三国志の名称はたしか隋代につけられた後付けの名称
著者が魏に正統性を置いて、後代もそれに従ってる
ただ元蜀臣のため多少蜀贔屓なことろを
南北朝時代に蜀漢正統論に利用されただけ
569 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/01(月) 21:02:48
>>567 そうとは思ってないし、別に魏オタでもないが
あくまで正統王朝だと扱われる国は正史に従って認識すべきだと言ってるの。
>>567 現代どう評価されてるかは無視ですか?
蜀漢正統論なんて学問の分野では皆無ですよ
とりあえず歴史版で蜀漢正統論のべて笑われてこい
ていうか三国時代に真の意味での正統王朝って無いよ
>>569 正統なんてのは、統一王朝あっての正統。
三国横並びな時代に正統も糞もないよ。
だから、その時代には蜀漢正統論なんてものまで生まれてくる。
絶対の統一王朝がなかった故にね。
100%でなければ正統とはいえないんだよ。
大体、劉備はまだ生存してる献帝に諡を贈って
その後継者を名乗ったからな・・・
劉禅の子孫を皆殺しにして蜀漢の後継者を名乗った劉淵と同じ事してるよ
>>570 歴史板で笑われて来いってw
2chなんて単なる雑談場だぞ?
>>570 現代評価?
間違いなく三国志演義あっての三国志と言われますよ
576 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/01(月) 21:09:22
>>572 どの王朝が正統と扱われるかの問題には、前後の時代も絡んでくる。
一つの時代だけをとりあげて判断することはできないよ。
統一王朝でない魏が正統性を保ちえる理由は、
前後400年続いた漢から禅譲を受けて成立し、
その後の統一王朝である晋に譲位して滅亡したこと。
魏は確かに中国を統一できなかったけど、広い中国史の流れのひとつと見れば
充分に正統王朝だということができる。
>>575 一般層の意見じゃなく、史学界での現代評価ってことだろ・・・
>>576 しかし、その意見だと蜀や呉も正統と見られるんだよな。
魏の行なった行為は禅譲という名の簒奪とは誰からも言われてることなんだから。
所詮は力ない国の言い訳にすぎないよ。
どんなきれいごと並べようと中国の歴史は弱肉強食で出来ている
今も昔も変わらない価値は「力こそ正義」
580 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/01(月) 21:14:10
>>578 蜀は魏の武力によって滅亡したし、呉は晋の武力によって滅亡した。
たとえ実体はどうあれ、禅譲という手続きが中国でどれだけ重いかは、
調べてもらえればわかると思うけどね。
俺の意見の根幹は禅譲による国家の系譜に重点を置いてるんだよ。
どうして俺の意見が蜀や呉の正統性を示すことになるのか、教えてくれる?
正統を得るために禅譲なんてことをわざわざやっている。
力があるからこそ禅譲ができるんだよ
>>577 史学界でなんて、そんなもんが世の中に通用するわけないだろ。
一般論あっての世間常識だよ。
昔も儒家は隠れて演義を読んで勉強してたりもしたからな。
正史一本では中国の歴史に置いて、統一王家と呼べない国に正統となど
今も昔も言えないし、見苦しい見解と思われるだけ。
それこそ漢晋春秋や朱子学、清における三国志演義の経典化などの事例を
持ち出されて史学界でも叩き潰されるがオチだよ。
583 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/01(月) 21:17:38
>>582 学問の最先端を行くのは学界だって知ってる?
>>580 それが堯から舜へと委譲された本来の禅譲の形であれば
禅譲とは神聖かつ絶対の重みを持つものではあるがね。
後世の権力者、特に禅譲を簒奪の形として使ったのは
実は魏が漢から権力を奪ったのが始まりだったんだよ。
禅譲という言葉を真に地に貶める愚行だね。
>堯から舜へ
それは神話の話だろ・・・・
三国志演義は秦の時代の経典としての価値だろ
史学的には価値はないよ
>>584 それなら、南朝の四王朝とか全部逆賊だな・・・
手続きが大切なのに
×秦 ○清
589 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/01(月) 21:27:35
なんつーかエライ先生がたが
「何故」そう言ってるのかを論じなければ話にならないだろう。
「エライ先生がそう言ってた」だけで勝利宣言してるようにしか見えないが。
オーソリティに頼る割に細部は本当に正史読んだのか?みたいな首をかしげる部分が所々にある。
>>562 それこそ、蜀の皇帝を姓名ではなく特殊な呼び方をすることで蜀にもいくばくかの正統性があった=魏の正統性には瑕疵があったとみなされていたことの証拠だ
>>568 間違いだよ
華陽国志陳寿伝や宋書裴松之伝で既に三国志の名が出てる
それで話が終わったと思ってるのは君だけだ
この辺の話からも、「書類上の」正統なら確かに魏だが、晋でさえ「ああ、魏ね。一応正統だよ。一応・・・」みたいな微妙な扱いだったことが良く分かる
>>580 それって、後漢から陳までしか続いてないな
短いな
前漢も禅譲じゃないし、北魏(唐に至る系譜)も禅譲じゃないはずだ
魏が伝統的な統一王朝モデルに対してより正統というのは分かるが
朱子学と蜀漢正統論の否定の仕方が不味いような気がする。
分裂状態では「実力」より「血統」の方が大事というのがそいつらの主張だったはず。
統一するだけの実力を見せ付ければ、血統のいかがわしさも昇華されるという論法。
ま、劉備の血統が本物かどうかは知らないが
劉協が皇叔認定してしまってるのでそういうことになっているよね。
朱子学を否定してるんじゃなくて蜀漢正統論を否定してるんだろ
全土を統一しないと正統とは認められないみたいなこと言っておいて
蜀漢正統論なんてものを出して蜀が正統とかどれだけダブルスタンダードなんだよ
>>592 なんで
魏の正統性が怪しい=蜀が正統
になるの?
蜀正統論もあるよ、つまり魏は正統なんて言っても怪しいものだよ
と言っているのと、
蜀漢こそ正統也!
と主張するのは全然違う
多くの人は前者を語ってると思う(俺含め、「三国時代に真の正統なんかない」的なレスは見る)んだけど、どうして後者に取ろうとするんだ?
「全土を統一した血統」の残党だから「正統」なんだろ。
要するに中原を持ってる魏(≒金)が気に入らんと。
>>590 >蜀の皇帝を姓名ではなく特殊な呼び方をすることで蜀にもいくばくかの正統性があった=魏の正統性には瑕疵
屁理屈
正統性うんぬんの問題じゃない
陳寿個人の問題をすり替えてる
蜀漢正統論なんて笑い話にしかならんのにそんなものださなくても・・・・・
俺も三国時代はお互いの正統を押し付けてるが
真の正統は無いと思ってるけど
>>593 まじで言っちゃってるやついるだろ
後世で正史での正統は蜀漢正統論はふくされたとかな
秦、西漢、東漢、西晋、隋、唐、北宋、明、清
先秦時代と分裂時代に正統はないだろ。
600 :
598:2008/09/01(月) 22:06:22
訂正
まじで言っちゃってるやついるだろ
後世で正史での正統は蜀漢正統論によってふくされたとかな
>>595 そういう表記をしていながら張華のような元は魏の人間が大いに評価して司馬遷・班固以上とまで言われ、夏侯湛が負けを認めた
当時晋の政界、知識人の間でこれだけ評判になった書なんだ
陳寿個人の問題に矮小化することこそすり替えだ
>>598>>600 覆(くつがえ)された、だろ
漢字が読めるようになってから歴史を語った方がいいと思うが。
ふくされた ってなんだ?
まさか「覆された」か・・・?
史学の学者が言ってることは何の価値もないんだろ、蜀ヲタには
演義の方が正史より価値があるらしいし
まさか現代の史学者が魏が正統とか蜀が正統とか言うと思ったりしてないよな?
禅譲という手続きを踏んでいる以上魏が正統だろう
正統をあげるとすれば
諸王朝正統度ランキング
A:西漢、東漢、西晋、唐、北宋、明、清
A-:秦、新、隋、武周
B:魏、北朝、五代、金
C:蜀漢、東晋、南宋
こんなとこか。
呉は無視かw
呉はSSSぐらいの正統度
ざっと見回してみたが
>>392の意見が最もな正論だな。
魏後蜀の三国がそれぞれに王朝を立てたので三国時代。
それ以外の意味もない。
そこのどれを正統と言い張るのは断じて史学の見方じゃない。
単なる拘りによる偏見だ。
史学の面で見れば魏が正統?
なんじゃそりゃ
古より使われてきたこの言葉を使うときが来たか
自 演 乙
史学はいつから「天命」という宗教を盲信する学問になったのかkwsk
>>613 魏オタの苦し紛れから生まれた大いなる誤解でございます。
>>613 天命云々というか晋が魏から禅譲を受けてる以上魏を正統とするのが一番自然だろう。
逆になぜそこまで頑なに否定しなければならないのかkwsk
曹操=太祖、公
孫権=権
劉備=先主
とこんな感じだっけ。
魏書に本紀があるといっても
項羽や呂后がそれによって正統であったことなんて一度もない訳だが。
どういう理屈なんだろうか?
>>611 どうやら、
「正史」では魏が正統だとしている(魏帝の本紀を立てている)
→「正史」を研究するのは史学者
→→史学者は魏を正統としている!
という面白論法らしい
その「正史」で「蜀が僭称者として扱われていない」という指摘は華麗にスルーという視野狭窄ぶり
>>615 魏を確固たる正統と呼ぶ必要もないけどな。
蜀や呉にも皇帝は居たんだから。
易姓革命によって誰にでも皇帝なる権利があるのなら
禅譲という行為にそこまでの意味はない。
>>618 魏よりマユツバなのが呉と蜀なんだから魏を正統にせざるを得ないだろ。三国時代の場合。
蜀から禅譲受けるわけにも行かないし放伐だと主張するにも滅ぼした時点ではまだ魏だし。だったら魏からもらうしかないだろが。
意味がないというならあえて魏を正統でないとする理由も無いと思うけど。
漢晋春秋や朱子学の蜀漢正統論
清王朝の三国志演義経典化を完全に無視して
正統がどうのこうのいう低レベルな史学談義など
聞いた事もないな。
そういう論を、更なる証拠や論を提出して話し合うのなら分からんでもないが
意地になってるだけとはね。
魏が正統以外の答はないとかたくなに信じてる人は日本の南北朝をどう捕らえてるのか気になる
なくてもわかるだろう。
魏が漢より禅譲を受けた上で正統となっているんだから
勝手に名乗ってるんだから蜀と呉は僭称
>>621 三種の神器を持っていた南朝が正統!それしか認めない!
なんじゃない?
>>622 しかし、歴史がそのようには言っておりませぬ。
>>621 だって少なくとも皇帝がいるのに王朝が無いって話には出来んでしょ
だったらいる奴等のなかから求める以外ないやん
>>625 皇帝がいて王朝はあるけど正統王朝は無い
それでおk
王莽の時代は正統性を否定されてるので、皇帝がいて新王朝はあるけど正統王朝は存在していないよ
魏は正統王朝晋の前ということで特別に正統扱いにしてもらえた、って感じだな
>>625 春秋戦国の頃には皇帝はなくても国は運営されておりました
(東)漢と(西)晋が正統というだけで蜀漢は別物だろと思う俺。
魏だけをなにをそこまで正統に仕立て上げたいのかが疑問だな
一番正統臭いのが魏と言うだけの話だ
どこも説得力に欠けるっていう見方もアリだと思うよ。
ただ蜀漢正統は間違いなくないw
>>628 別物だよ
蜀を本気で正統とか思ってたらちょっとアレだろ
ただ、歴史上そういう論が出て一時はそれが公式に成り代わるほどになるというのは魏の正統性の無さ故だというだけのことだ
魏ヲタのエゴがここ数日下痢便のように垂れ流されてるな。
蜀漢正統論が蜀の正統を保証する訳ではないが
そんなものが存在する時点で魏の正統性というのは疑問符がつく
東漢の残りカスを朝廷にでっち上げ禅譲させ
西晋にさらに禅譲した前座王朝だから正統でもいいんじゃね?
>漢晋春秋や朱子学の蜀漢正統論
漢→魏→晋と禅譲を行っているのにそれはおかしい
>清王朝の三国志演義経典化を完全に無視して
あくまで経典として清は扱っている、史書ではない
蜀漢正統論なんて馬鹿げた物持ち出した揚句
演義を清が経書にしてるから歴史考証にいれろなどと馬鹿なこと言うなよ
大体、魏によって潰されてるだろ蜀は
簒奪は正義とのことです、ハイ。
他人のバカさは分かるのに自分のバカさがわからないのは何故ですか?
どこにそんなこと書いてる?
流石に蜀漢正統論は苦しいよ、言ってて無理があるなぁと思わないか?
漢字が読めるようになったのか?フクサレタくん。
愛国心やら忠義やらの道徳を持ち出すからな、歴史を語ってるときに蜀ヲタは・・・・
話にならない
自分、中世日本文学を研究している者(まだ卵)だけど、
正史→吾妻鏡
演義→平家物語
にちょっと似てると思った。
勝利者側に立って書かれた記録とその時代を背景にした物語という点において。
もちろん歴史学者は両方読み込むけど、前者は史料、後者は参考。
前者には眉唾物の話も含まれてるし、後者の内容が史実通りの場合も、また史実かどうかを検討する場合も当然ある。
三国志はまだまだ初心者なんだけどちょっと考えたのでした。スイマセン。
魏(220-265):人口443万人:幽州、并州、冀州、青州、エン州、徐州、予州、司隷、涼州、揚州、荊州
呉(229-280):人口230万人:揚州、荊州、交州
蜀漢(221-263):人口94万人:益州
どれが正統王朝たる東漢の再現率が高いかというと魏以外ありえないだろう。
だからか、西晋や北宋のような統一政権も当初は漢⇒魏の正統性を支持した。
しかし異民族に押されて東晋なり南宋になれば蜀漢正統論をほざきだす始末。
ま、結局王朝の正閏論はご都合主義でコロコロ変わるものでしかないということでわ。
蜀ヲタ黙ってしまったな。。。
壊れたレコードだなコリャ。
まだ音飛びでループ続けるのか?
643 :無名武将@お腹せっぷく:2008/09/02(火) 04:44:33
蜀ヲタ黙ってしまったな。。。
魏バカ=ニートということでFA
大学生には見えないし。
346 :無名武将@お腹せっぷく:2008/08/27(水) 21:25:39
朱子学の蜀漢正統論がいつ魏の正統を復したのだろうかw
598 :無名武将@お腹せっぷく:2008/09/01(月) 22:05:13
>>593 まじで言っちゃってるやついるだろ
後世で正史での正統は蜀漢正統論はふくされたとかな
600 :598:2008/09/01(月) 22:06:22
訂正
まじで言っちゃってるやついるだろ
後世で正史での正統は蜀漢正統論によってふくされたとかな
フクシタフクサレタ人の学歴を拝聴したいもんだ。ニヤニヤ
>>642 地盤:魏>呉>蜀漢
看板:魏(簒奪、後継の晋が統一)≒蜀漢(劉氏、僭称)>呉(僭称)
くらいじゃないかと。
>>642 再現率が高い、では駄目なんだよ
だって、魏呉蜀とも後漢があるうちは少なくとも皇帝僭称はせず後漢の正朔は奉じていたんだから
図式としては
後漢:全州
魏:10州とちょっと
と明らかに減っている
これなら魏にならなければ良かった、後漢の方がマシだった、ということになる
名分に関しては実質簒奪、勢力については北半分となると流石に正統を名乗るのは苦しいな
司馬家が天下を取ってくれたから正統になったけど、その後晋とゆかりも何もない政権が立った時点で終わりだね
劉淵は自分が正統だと思ってた。
石勒は劉邦、劉秀より一段下として曹操、司馬懿を意識してたが、劉備は無視。
だったよね?
あれ?石勒って曹操や司馬親子をろくでなしの盗人と評してた筈だが。
石勒は曹操以下の勢力で曹操をボロクソにけなし、自分は劉秀と同格だと思ってる子です
能力的な問題じゃなくて思想的な問題だろ。
つってもその観点で言ったら若い頃リアルで野盗やってて異民族でありながら天下を掠め取った石勒が一番のロクデナシだけどw
>>642 歴史の流れによる価値感の推移を認めない事には歴史は語れないよ。
しかし絶対の正統はその程度で揺らぐ事がないくらいに完全なもの。
漢や唐などね。
曹魏を正統と呼ぶには窺わしいの部分も沢山あるので
後世では蜀漢正統論なんてものを持ち出されてしまう。
しかも、それが浸透してからは元、明、清〜現代と
蜀を正義と見立てた見方には今だに変わりがない。
一部の歴史学者が曹魏の正当性を喚きたてているが
はるか古来から続くその逆転の価値は揺らぎさえ見せない。
蜀には関羽、諸葛亮というニ大英雄が居たための後押しと
考えられなくもないがね。
歴史的に考えれば、あの時代は確かに漢という名は廃れていた。
魏はケチを付けられるだけの落ち度がある。が、呉と蜀は論外
と言う所か
>>654 いまだに蜀を正義だなんていう学説俺は聞いたこと無いんだけど
ていうかキミの脳内では定説になってるの?
上の方で「史学」に置いては魏の正統は証明されている。
蜀漢正統論なんて言ったら笑われるぞ!
とか言ってる奴が居たんだけど、史学の考証なら
なお更、漢晋春秋や朱子学の考えを交えての考察も必要なはずだが・・・。
>>655 蜀の場合、現在なら民間での圧倒的人気による後押しだろう。
だからと言って、歴史に置いても魏が正統などとも呼ばれていないが。
勿論そんな学説もないしな。
>>657 別に魏がどうのとはいってねー
当時の統一王朝に正統の扱いを受けてた(一応歴史において正統と呼ばれてることになるけど)
ってことだけで実情がどうだったかは別問題だ
>>656 実際に蜀が正統って意見はあるけどそれはあまりにも苦しいからじゃないかい?
>>656 史学の価値感で見たら三国時代なんて
春秋戦国、五胡十六国、五代十国時代並の分裂期でしかないよな。
当然、正統などない。
>>659 皇帝の概念があって旧王朝が禅譲させられた事実があるからどこが正統かでモメてるんだろうが
分裂期だとしても。
>>660 易姓革命の概念があるからな。
禅譲云々にそこまでの意味はないだろう。
魏は旧体制の破壊者の癖にそんなもんに縋る意味はあるのかね?
>>659 つーかこれ「曹操は不義簒奪の輩だ」といかいうのに対して
「じゃあ皇位僭称はいいのかよ」っていう返しに対して蜀漢正統論とか持ってきたって話だからw
そういう毛色の話ではない
少なくともコレに関しては曹操が漢を乗っ取って独裁してたのは確かだが、
曹操が逆賊なのに劉備が正統だから劉備はイイっていうのはどう考えてもおかしいw
別にどっちも権力闘争の結果だから言いも悪いもないが、
道義と言う点なら勝手に王になった曹操より勝手に皇帝名乗った劉備のが筋違いだわw
>>662 それが間違ってるんだよw
まず劉備は漢の宗族なので「漢」の逆賊とは言えない。
そして、これも何度も言われつくされてるはずだから
もう語るのもめんどくさいけど
漢丞相として位人臣を極めた曹操が更にその上を求め「魏王」を名乗り
正統王朝の漢をないがしろにしたから曹操は逆賊なわけよ。
劉備はその曹操に対抗して漢の正統を守ろうとしたとも取れる。
そして、そういう大義名分を与えてしまったのも曹操。
曹操が劉氏に代わって正統と呼ばれるには、漢の伝統すべてを根絶やしにして
曹家一色に漢土を染め上げなければならなかったのよ。
後世の歴史でも、異論のはさみようもないほどな正統を示せるほどの完全さをね。
>>661 実利で言ったらそれこそ儒教なんて無視すりゃいいじゃんって話だろ。
建前は重要なんだよ。
別に旧体制の破壊者でもなんでもねえ。制度は確かに後漢から変わったけどね。基本概念は同じ。
>>664 そんなこと言ったら、袁術も正統になっちまうな。
建前さえあればいいんだろ?
>>663 それが理解できない魏オタは
毎度毎度、再生テープの如くループを繰り返すんだよな
漢の命脈は尽きてたから取って代わられただけの話
漢の宗族だろうが正統な献帝がいるのに漢中王を名乗った時点で逆賊
大体、臣民降下したような血筋で傍流も傍流、本当に血が繋がってるかも疑わしい
曹操は献帝を奉戴することによって大義名分を得、そしてそれに刃を向けるものを逆賊という
早速、再生テープがw
>>667 曹操はそんな絶好の大義名分を得ていながら天下統一も出来なかったろ?
正統か否かなんてのは0か100かで計るもんだ。
だから、漢の宗族である劉備側にも正統論は浮き上がるんだよ。
>>663 宗族なら旧帝が生きてるのに勝手に皇帝になって言い訳ねw普通その論理なら献帝建ててどうこうって話だろ。
「皇帝に力がないなら新しい皇帝になっちゃえよ」って孔子の言葉に従うならこの場合劉備じゃなくて曹操じゃん。
そもそも「王」って帝の臣じゃないの?王名乗っただけで逆賊なら周王も逆賊だな。w
簒奪王朝の魏には異論をはさめてその簒奪王朝に滅ぼされた自称正統王朝は正統で通るってことか?
なんか前に劉備は劉氏で一番力があるから皇帝になったってレスあったが
魏と戦する大義名分のためにはこっちが正統だって言い張るしかなかったって事情があったから皇帝にならざるを得なかっただけだろ。対抗してなった以上なったものは後に退けんし。
そういう事情を認めないで魏が簒奪で蜀が正統だって言い張るからこじれるんだろ。
その理屈で皇帝僭称の道理が通っちゃうと皇帝簒奪だって力ずくとはいえ禅譲で皇帝になったんだから通っちゃうだろうが。
魏の場合確かに乗っ取りだが、劉備も人のこといえない。本当の意味で魏の簒奪を認めないなら劉協建てるしかないじゃない。
>>665 バカじゃねーのお前。
漢が残ってんのにいきなり皇帝名乗ったら袁術は簒奪だろ。論外だよ。
魏の場合は形だけは手順踏んで漢が滅亡してるから問題になってんだよ。
>>669 少なくともそれだと献帝生きてるのに皇帝名乗った劉備も100じゃねーぞ。
それどころか中原に進出できないままその簒奪王朝に降伏した国じゃん。
>正統か否かなんてのは0か100かで計るもんだ。
0か100なら劉備の正統なんてあるわけないだろ
>>665 建前もなく、袁紹の子分だった曹操に討伐された袁術を引き合いに出すとはなw
さ、さすがに自演は濃すぎないか・・・。
魏は乗っ取りというよりとりあえず正統という看板を付けたかっただけだな
もはや漢は名前だけで中身はないも同然だしな
>>663の意見を全く聞いてないなw
ようは天下統一できなかったら、領土が大きかろうが狭かろうが
正統なんて呼べないんだよ。
多分、魏オタは捉え方が極端なんだな。
当時の魏に確固たる正統性がなかったので
後世に蜀漢の正統論なんてものが出てきたと何度言われれば分かるのか。
劉備も同じ穴の狢だが、曹操も決してそこから逸脱した存在ではない。
司馬氏の場合だと乗っ取りだが曹操の場合だと一から領土を回復させてるってスタンスだからな。
王になった時点でその回復させた領土が曹操のものに、つまり漢は完全に名前だけ上についてる状態になったわけだが…
曹操の家は代々漢に仕える家柄で曹参の末裔だから
やはりその家に育った曹操もやはり漢の臣だったから禅譲という形を取らせたんだろうと思う。
献帝も禅譲した後もいろいろと優遇されてるわけだしな
>漢の伝統すべてを根絶やしにして
>曹家一色に漢土を染め上げなければならなかったのよ。
それをしたら まさに逆賊だろ
曹操がほしかったのは大義名分だけだし
力づくで天下を取れなく、細々とした手段で女々しく正当性をアピールしてたから
石勒も曹操や司馬氏にはあんな台詞を吐いたのか。
なんとなく分かる気がするw
>>679 少なくとも蜀漢正統なんていってるヤツよりは周り見えてると思うけどな。
漢が滅んだのは権力闘争の結果で漢なんて皆ないがしろにして地方で独立してたんだから国賊なんてものはない。
あえていうなら曹操は逆賊、劉備はもっと逆賊。ただそれだけの話。
>>682 代々そうやって天下の形成は変わってきたんだよ。
元王朝などまさにその好例だろう。
蜀ヲタの考え
統一しなければ正統とは言えない!!
蜀漢正統論はこの考えとはまったく真逆の考えなのに主張する
矛盾してないか?
>>683 つ652−653
彼が一番人のこと言えない
>>685 元は異民族の王朝だから考え方そのものが違うだろ
>>686 ツンデレなんだよ。劉備が大好きで曹操なんて大嫌いって素直にいえないんだ
>>684 蜀漢正統論はあくまでも後世の考え方だよ。
それを盾に劉備のみを正統とは言ってない。
少なくとも俺はな。
しかし、そういわれてしまう隙が確かにあったのも事実。
あの時代は三国並び立つというのがスタンスなのに
何故か、魏のみを正統と言い張る意地っ張りがあれこれループな意見を言ってるだけだよ。
>>688 しかし、過去の式微を丸々ぶっ潰して天下を立てたのには変わりないがな
天下取りのレースなんてのは、シンプルに強いか弱いかでしかないんだよ
>>690 俺は蜀オタが「曹操は簒奪して〜劉備はそれを正そうとし〜」って言い始めたと記憶してるけど?読み返してみな。
魏のみ正統、というか三国の中ではまあ魏が一番説得力ある、と言うだけの話だって。
正史で魏が正統になってるという単純な話だろ
それは事実なんだしな
てか、蜀ヲタなんてどこに居るんだ?
皆々、あの時代に魏のみを正統と呼ぶには違和感があるという話から
それなら後世には蜀を支持した学説もありますが、と言ってるだけだと
思うのだが。
>>691 少なくともそれだと蜀が一番弱くて魏が一番つよいんじゃんって話に還るだろ
>>692 誰がそんなこと言ってんだよ。
見た事ない。
>>695 それはない
所詮は三国時代は分裂の時代
蜀漢正統論なんてもの出すから笑われるんだよ、蜀ヲタは
>>698 なるほど、あなたの中では
漢晋春秋も朱子学も低俗な書や学問に過ぎないというわけですね。
>>392 グローバルスタンダード
キリのない最近の意見応酬より
よっぽど説得力あるわw
>>699 朱子学の蜀漢正統論を批判しているのであって朱子学すべてを否定してないよ
ここで蜀ヲタがよく言ってるだろ、統一しなければ正統じゃないとか言ってる割に
蜀漢正統論なんてもの出すから滑稽だという話だ
702 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/02(火) 20:48:27
だから三国時代に正統王朝など無いと何度言ったら…
>>694 俺は60あたりからいたがこのスレの歩みは
「曹操なんて逆賊。それを除こうとして立った劉備こそ正義!」
↓
「じゃあ勅無視して逃げてしかも皇帝僭称したことはどうなんねん」
↓
「縁者だからいいんだよ!曹操は漢から王朝を簒奪して劉備は漢を続けるために皇帝になったんだよ!」
↓
「一応禅譲されてるが…それなら献帝建てろよw大体史書で魏から禅譲を受けて晋が成ったとあるじゃないか」
↓
「いや、漢晋春秋では蜀が正統という考えが…」
となって今に至る。
その後演義こそ正史だとか、正史は信用ならないとか、正史以外は考慮に入れても仕方がないとかカオスな流れではあったが話はすすんどらん。
一回上からバーッと見てみ。
>>700 全くだな
それぞれの王都を褒め称えた三都賦などのものもあると
考えたらどれが正統なんていえんよ
魏に住んでたら魏、蜀に住んでたら蜀、呉に住んでたら呉
民の心だってその郷土に寄るだろうしな
三つの王朝があって三人の皇帝がしのぎを削っていた時代
どこに優劣があるのやら
>>702 いい加減黙れようるさいな。お前マジで空気読めてない
>>703 つまり三者三様ってことだろ。
どこも上ではなく下でもないってこと。
>>704 今分裂期の時代の話してんのにそんなえらそうな事言われて達観した気になられても困るね。
んなことは分かったんだよ。だからどこそこが正統じゃないならここはどうなる?って話になればどこが一番説得力あるか?ってはなしになるだろ。
どこにも正統性ない、の結論で終わるなら今の話題じゃお呼びじゃないんだよ。
>>707 ガキ見てえだなw
うるさいですって注意されたらお前の方がうるさいだろって言うのか。
>>708 皇帝が三人いる特殊事態ならではだよな、それ
>>708 だから正史の価値感もあれば、後世では逆転の価値もあると
散々言われ尽くしたろ?
それ以上に話題を広げられる知識もないのならいちいち噛み付くな。
正史→漢晋春秋
もう、こんな会話ばかりでお腹一杯。
なんか新鮮なネタはねーのか?頼むぜ、天才。
誰が一番の逆賊かって話の延長だからなあコレ
そして呉はカヤの外w
本来、皇帝は一人なのに三人いるという異常事態
絶対に他の皇帝を認めてはいけないというのに蜀は呉を認めちゃってんだよな
それどころか祝福さえしてる。
この二国が正統であろうはずがない
>>711 は?いきなり方向の違う話題ふって偉そうなカオしてたのおめーだろ。
なんでそんなでかい態度とられて指図されなきゃなんねーんだ?
>>712 呉は後世、葛洪の神仙伝などで面白い話題があるけどな。
左慈の弟子の葛玄と孫権が仲良しだったとか、介象という仙人が
蜀から瞬時に呉に私用のお届けものを持ってきたとか。
孫策はあれだけ道術嫌いだったのに、孫権の懐は非常に大きく画かれてるのは
面白かったよw
>>713 あそこまで事態が固定化してくると細かい事どーでも良くなってくるんじゃない?
>>714 クールダウンだ、落ち着け。
確かにここんところループばかりだ。
無駄な罵りあいは避けよう。
呉
魏から呉王に任命される
その後、皇帝を僭称
蜀
漢中王を僭称する
その後、皇帝僭称
逆賊度でいえばやはり蜀がトップだな
発狂してる奴がいるな
>>715 南方地域は神仙、霊威が篭るような話や場所も結構多いよな。
スレは安定したかと思うとすぐに
>>719みたいのが現われる。
ループするカオスな流れは避けたいんじゃなかったっけ?
>>723 まあまあ、正統から逆賊になっただけ一歩前進と思おうぜ。
726 :
718:2008/09/02(火) 21:16:21
南北朝時代は晋から禅譲を受け以降継承していった南朝を正統とする説もあれば、
北魏北周と後の隋唐王朝に繋がる北朝を正統とする説もある。
はっきりいって今日的に言えばどちらも明確に正統王朝とは言えないだろう。
三国時代も同じようなもの。魏も蜀もどちらもはっきりと正統王朝とすることは出来ない。
漢の受けた被害を考えたらやっぱ魏が最大の逆賊だな
>>715 そういう如何わしい連中と付き合うことはマイナス評価されるんだよ
陳寿はどうみても孫権嫌いの孫策好き
ボケた孫権の悪行逐一記してるのに、孫策の士大夫虐待は殆ど書かれてない(注には断片的にある)
漢の受けた被害も何も命がながらえたんだがな、漢の場合
それに禅譲を行ったことでそれほど人の血を流さずにすんだ
普通、国が変わるときというのは大量に人の血が流れる
孫権の場合、張昭がいたからある程度制御ができたんじゃないかと思うんだよな
張昭は憚らず諫言するし、孫権も張昭には頭が上がらなかったようだし
蜀はもともと正統じゃないだろ
>>731 傀儡にするのは命を永らえさせたとは言わない
あと、禅譲に反対するであろう者を吉本・魏諷の乱で殺しまくってるからかなり血が流れてるよ
>>731 傀儡であろうが形骸化した漢の命を長らえさせたのは事実だろう?
漢なんてそれぐらいしか利用価値なんてないしね
禅譲は放伐に比べれば犠牲者は少ないもんだろう、吉本・魏諷の乱で殺した数なんてたかが知れてる
それに放伐だと皇帝まで殺しちゃうしよっぽど平和的だよ
>>730 もっと広い目線と見識を持ったらどうだ?
葛洪は道教の大功労者でもあるんだぜ。
孫権は他方からはいい評価も得ているということだろう。
三国志正史のみにしか目線を当てないってのは
もはや2chのみの珍現象だな
後世評価の価値感は皆が思ってる以上に浸透してるぞ
「蜀漢正統論は苦しい」
という意味不明な反論。何が苦しいのかと。
僻地に逼塞しようが正統は正統という趣旨だろう。
それが正しいのかどうかはともかく、
晋の母体になっただけの魏に正統性なんかないという意見の反論にはなってないと思うが。
朱子学や蜀漢正統論を語れるだけの教養に欠けるので、苦しいということですかねぇ?
>>735 強盗殺人がただの強盗で済んで良かったね、というのは納得しがたい論理だわ
漢→魏→晋と禅譲を行ってるから正統という話だろう
1「魏が唯一絶対の正統!!蜀は僭称!」
2→「いや、蜀漢正統論ってのがあってね」
3→→「これだから蜀ヲタは・・・」
の繰り返しか
2は「蜀漢正統論」は正統論の一つとして挙げて1の間違いを指摘しているのに、3の脳内では2が「蜀漢正統論があるから蜀が正統!!」とまで言い切ったことになっている
3の脳内が補正されないとマトモな議論はできそうにない
>>738 南方に追いやられた漢民族の戯言だのなんだの
言ってる無学な輩も居たが、中原が異民族支配にあっても
心の拠り所であり正統でありたいと思ったのは
蜀漢と思っていたからこその正統論なんだよな。
寧ろ、漢民族から支持を受けなくなったのはそれこそ正統の価値を失ったものに思えるな。
益州一州の蜀が正統というのはおかしいということだろ
>>739 さきっぽしか入れてないからレイプじゃない、的な見苦しい言い訳だな
天下統一できなければ正統とか言えないとか言ってるバカが
蜀漢正統論など言うなよw
蜀ヲタの理論は蜀=正義 魏=悪というのが根底にあるからな
>>719 劉備の王、皇帝の自称は魏のそれに対抗したものだから
やっぱ最初にやった奴が一番悪いということになると思うが
誤解しないでもらいたいのは比較してより逆賊なのは曹操って言いたいだけだからな
何が何でも認めたくないんだろ、魏の正統を
天下統一=正統と言ってみたり
蜀漢正統論を持ち出してみたり忙しいこった
1「魏が唯一絶対の正統!!蜀は僭称!」
2→「いや、蜀漢正統論ってのがあってね」
3→→「これだから蜀ヲタは・・・」
やはり3の連中が悔し紛れとしか思えない事ばかり抜かしてるな。
バカだなんだと誹謗中傷する前にしっかりとここからのプロットを動かせる
良い意見を期待したい。
でも僭称だろ、劉備は
だから異民族に中原を取られたことから蜀漢正統論なんてものが生まれたんだろ
それ以前は主流の考えではないんだしな
何度も言われてるだろ
>>749 無理だな。
漢晋春秋も朱子学も知らない連中なので
それ以上の話ができない。
清王朝の三国演義化の経典視の話を出しても
経典視と史実の価値は違うんだと。
知らない話は馬耳東風で聞き流すので
こりゃ、話し合いになんぞなりませんw
魏が正統
・統一王朝である東漢から禅譲された、統一王朝である西晋に禅譲した
・領土が11州
蜀が正統
・魏の横暴に対抗する為に群臣に推戴された
・領土は一州だがその社稷復興に賭けた姿勢が後世から正統とされている
みたいな感じか?
これを片や簒奪、片や僭称といって
逆賊の汚名を擦り付け合ってるのが今までの流れ。
>>748 実質簒奪でも実力が伴ってたら文句は出ないということだろ?
むしろ統一出来てりゃ蜀正統論なんか出なかったろうにと同情してあげてんのに
>>751 ならばそれが時代の流れだ
当時のままで価値で語るなよ
三国演義と正史は分けて考えろよw
当時にしても魏の正統に異を唱える者は沢山いたわけだし、
魏の正統性も完全なものとは到底言えない
前代の王朝にあやかった国号なんてもんは別に蜀に限らず一杯あるが
その中で何で蜀だけ正統論が唱えられるかという理由って判明してる?
>>745 蜀は漢の後継者を自認してるからちょっとだけ事情が違う
漢はのちの魏呉蜀全てが一応は認めていた正統王朝
その後継者だから蜀漢も正統王朝
だから蜀漢側の理論では自分の正統性は天下統一など以前の問題
ということになる
魏の禅譲は王莽のそれと同じで、手続きは踏んでいても偽りだということだな
あ、誤解されないように言っとくと、だからって「蜀が正統!」とか言いたいわけじゃないから
本紀が立てられ統一王朝の前王朝である魏の正統が覆され蜀が正統に成り代わる背景を述べてるだけだから
魏は実質的には蜀を滅ぼせなかったのが正統性の大きな傷だったな
実質的に魏は蜀を滅ぼしてるだろ
魏の兵権は司馬昭が握ってるんだしそれを行った
蜀征伐は魏の政策の一つだったんだしな
>その後継者だから蜀漢も正統王朝
勝手に後継者を僭称してるだけ
>>758 個人的には清王朝の三国演義経典視を持って完全になったものかと思う。
異民族王朝であるが故に政治政策に使ったという面もあるが、官民一体になった
この頃の関帝信仰も物凄いものがあったし、乾隆帝には自身が劉備の転生かと
言わんばかりのエピソードもある。
その後もその流れは継続し、毛沢東までも三国演義をバイブルのように扱っていた。
劉備が漢の血筋を引いていなければ、蜀漢正統論が起こることも無かったろうけどね。
>>761 逆でしょ
名目上が魏が滅ぼしているが、実質的には司馬氏が滅ぼした
「魏皇室主導の蜀征伐は全て失敗したのに司馬氏の征伐が成功した!スゲェ!」
ってのが晋への禅譲を強く後押ししたのは間違いない
>>762 そうだね、魏の視点からはね
>>759 それは蜀側の理論だろ
魏としては禅譲を行い正統を得たという論法
そして晋も禅譲を行い正統としてるんだし
新だって禅譲されてるがそれを放伐した後漢が正統になってるからあんまり関係ない
>>765 魏の蜀への対応は守りを固め蜀の疲弊を待つと云うのが基本
>>766 蜀側の理論では
ってちゃんと言ってるだろ
魏側は蜀側の理論を力で潰さなければ正統性を証明できなかったのに、実質的には潰せなかった
だから後の時代に「あれ?蜀漢の方が正統なんじゃね?」って言い出す輩が何度も出てきた
後漢の場合、前漢が新に禅譲した正統を放伐により正統を取り戻しただから違うだろ
>>766 そういうことだね。
蜀から見れば蜀が正統だし、魏から見れば当然魏が正統。
そして呉からみれば、論拠は弱いけど呉が正統ということになる。
つまり三国時代にはどれか一つの定まった意見というのは無かった。
従って三国時代には誰からもケチを付けられない完全な正統王朝というのは無かったんだよ。
>>768 曹真や曹爽が実際に蜀攻めに失敗してる
実情はどうあれ、曹氏は失敗、司馬氏は成功という結果になったでしょ
>>773 じゃあ何で自分の兵馬は簒奪に反対しなかったのさ?
蜀オタはなんでさんざん魏オタに対しさんざん無学だの見識が狭いだの罵ってるのに
蜀が山奥に引っ込んでた事
とりあえず今ん所一番信憑性ある資料の正史では魏の正統が唱えられてる事
蜀は魏の代にすでに滅んでしまった事
そもそも当時から蜀を正統だと言い張ってたのは蜀の人間だけで、なにより覇権を握った晋が魏を正統王朝としている事
みたいな自分等の論に都合の悪い事は頑なにスルーするんだろう?
蜀漢正統論もいいし魏の正統性の穴をつくのも結構だがそれがすべてではあるまい。てかむしろそっちのがマイナー意見だろうに。
>>774 兵馬はあくまで魏の軍隊であり簒奪云々は上の者のやることで関係ない
トップが代わればそれに従うだけ
>>736 いや俺自身の見解ではないんだが勘違いさせてスマソ
中国は伝統的に宗教嫌いだからね
特に士大夫
特に後漢は宗教反乱が頻発したから、その手の連中に対する風当たりも強かったんだよ
魏の王宮で左慈とか仙人連中を囲ったのも、民衆を惑わさぬよう飼殺しした・・・という説もある
>>775 蜀オタ、魏オタとかいまだに言っている時点でスルー推奨なんだろうな
でもそれはこれまでに既に何らかの反論がされていることばかりじゃないかな
>蜀が山奥に引っ込んでた事
漢の高祖創業の地に居座り、関中を窺った
これは山奥に引っ込むどころか軍事戦略上もイメージ戦略的にも高祖の再現を狙ったものだろうな
蜀側からすれば「漢は滅びず」という宣伝になり、自分の正統性の正しさを高める小道具だったのだろう
>とりあえず今ん所一番信憑性ある資料の正史では魏の正統が唱えられてる事
・「とりあえず」程度の扱いだよね
・大体書名が「三国志」ってのも「正統なし」の主張みたいなもんだよね
・蜀が「先主」とか特別扱いされてるよね
>蜀は魏の代にすでに滅んでしまった事
実質的には晋公になろうと思えばなれる状態だった司馬昭がやってるので、それにより正統性が高まったのは晋
>そもそも当時から蜀を正統だと言い張ってたのは蜀の人間だけで、
そりゃそうだ。
「そもそも当時から魏を正統だと言い張ってたのは魏の人間だけで」とも言える
>なにより覇権を握った晋が魏を正統王朝としている事
その晋が正統なしと書名で主張する「三国志」を認め、後には晋の人間が蜀漢正統論をぶち上げるまでに至った
>実質的には晋公になろうと思えばなれる状態だった司馬昭がやってるので
なれないっていうか反対者が続出する状態だったよ、司馬昭は
皇帝殺しをやっちゃってるからな、これには伯父の司馬フも号泣してるし
>漢の高祖創業の地に居座り、関中を窺った
>これは山奥に引っ込むどころか軍事戦略上もイメージ戦略的にも高祖の再現を狙ったものだろうな
>蜀側からすれば「漢は滅びず」という宣伝になり、自分の正統性の正しさを高める小道具だったのだろう
ケイ州を取られた時点でそんなものはない
ケイ州があってこその天下三分の計、ケイ州からなら直接中原が狙える
北伐は無謀ともいえるものだった
>蜀が山奥に引っ込んでた事
その山奥の雑魚の僭称を拱手する魏の実力や如何?という理屈。
以逸待労はいいとしても自分とこが骨抜きになってたら世話ない。
>とりあえず今ん所一番信憑性ある資料の正史では魏の正統が唱えられてる事
著者が晋の家来だから当然。
蜀漢の二主を例外的に避諱しているのは
内心では魏の正統など認めていなかった証拠だろう。
>蜀は魏の代にすでに滅んでしまった事
何故その魏は二年後にあっさり滅んだのか?
それは蜀が滅ぶ以前から魏は司馬氏のものと化していたからだ。
>そもそも当時から蜀を正統だと言い張ってたのは蜀の人間だけで、なにより覇権を握った晋が魏を正統王朝としている事
その覇権を一時握った晋は
後漢及び蜀漢の後継者を名乗る劉淵に南に追い払われた。
なんと言うか俺かて蜀が正統だなんて言い張ろうとは思わんが
魏をエコ贔屓して推すせいで甚だ不公平な論調だ。説得力に欠ける。
正史が正統としてるから、即魏の正統が正しいとは言え無いんだよね。
例えば南北朝時代を例にすると宋書では宋が正統扱いだけど、
魏書では宋を島夷呼ばわりして北魏を正統としている。
このように立場によって正統王朝というのは異なってくる。
現在の我々の立場からすれば、どこが正統王朝かというのを論ずるのはあまり意味の無いことかもね。
>>778 >>「そもそも当時から魏を正統だと言い張ってたのは魏の人間だけで」
それだけでも蜀の何倍いるかわからんな。やっぱ中央と辺境の差って大きいよ。
>>その晋が正統なしと書名で主張する「三国志」を認め、後には晋の人間が蜀漢正統論をぶち上げるまでに至った
それは中原を異民族に取られたから自分等を正統にするためのいい訳だろう?蜀漢正統はその考え方のための余波
「ぶち上げる」なんて大きな顔して言えるほどの論か?
>>781 別に魏をエコ贔屓してるわけじゃないけどあまりにも蜀正統の人たちがヒドイと思ってね。
朱子学どーたら言うならここら辺はどうなるの?と
>>779 むしろ皇帝殺しをしたにも関わらず大きな反乱も起きず、その後も司馬昭の指揮のもとの蜀攻めも成功させている
それくらい反対者が少ない状態じゃないの?
当時の人口
魏 約443万人
呉 約230万人
蜀 約94万人
>>784 だから、
>蜀正統の人たち
ってくくり方しないでくれ
あえて言うなら「当時は皇帝が乱立して正統がなかった」とまとめてくれないか
>>785 反対者も何も明帝崩御後は幼帝で周りの人間が権力握ってんだものw
ちょうど後期の後漢と同じだ。それ以前のレベルw首脳陣皆司馬氏の息のかかった奴らなんだから。
>>787 俺だって大きな目線でいえばそのくくりだもの。
ただあえてどれが一番正統として説得力あるんだろうと考えたら魏よりかな?ってだけで
結論でたね。
「三国時代には正統王朝は無かった。」
これが一番妥当なところでしょう。
呉ヲタの勝利
司馬昭の心は、路傍の人も皆知っているってぐらいだから
それほど名士たちの評判は悪いよ
司馬昭之心、路人皆知 ってことわざがある
意味は顔に書いてある、みんなお見通し
正史では魏を正統としているからいいんだけどね
こんなところで正統が決まるわけじゃないし
俺が言いたいのは曹操が逆賊になるなら劉備も逆賊になるということだけだ。どっちもどっちだと。
>>794 後の時代には諺となってるけど、最初にこれを言ったのは高貴郷公だな
魏皇帝からの評判が悪いのは間違いないが、名士からの評判が悪かったのかどうかはイマイチピンとこないな
じゃあこのスレ的には孫権が唯一無二の正統O者でいいよ。O型っぽいし。
>>779 諸葛誕の反乱を最後に反抗勢力は片付けてしまってるじゃないか
嘘はいかんな
>>797 伯父の司馬フは号泣したというし司馬昭の腹心陳泰ですら
実行犯の首謀格 カ充を殺せというぐらいだから相当だろ
一族や腹心でもこうなんだから他の物なら尚更だろう
>>799 それだけじゃないだろ、司馬昭の専横に我慢している人間はいくらでもいるだろうし
それらが結束したら厄介だし
自分の子孫にも泣いて呆れられるくらいだしなあ。
鍾会も蜀で反乱してるし司馬昭の専横とは無関係ではないだろう
805 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/03(水) 00:53:01
うめ
>>796 スレタイを見ろ。
どっちもどっちだから史上最悪とは言い切れないと云うのがそもそもの起こりだ。
>蜀漢の二主を例外的に避諱しているのは
陳寿が蜀出身だから分けて書いてるんだろ
ログ読んだがもう何でもいいから正史での魏の正統を否定したいから蜀漢正統論が出たって感じだな
それを言ってる人すらそんなもの正しいとは思っちゃいないようだし
それを言うなって
やっと収まったんだからw
正史正史というが三国志は魏書だけではないのだが。
そこらへんわかってんのか?
酷い自演だな。
>>802 >>804 実際には結束なんてしなかったじゃん
鐘会なんか論外。将軍たちが誰もついて来ずに失敗してるし
逆にこの時点で司馬昭の権力に揺らぎがないことが証明された
>>796 献帝から見て劉備は別に救世主でもなんでもなかったろうが
一番絞め殺したいやつは曹操だろうな
逆賊度では曹操のほうが上だと思う
その感情は娘曹節のいたいけなボディに叩きつけられたと思う俺
どぴゅ
たかが県令の息子が光武帝になって逆賊にならんどころか正統名乗れるのなら
蜀正統を名乗れても不思議じゃないが実力が伴わないのが劉備の不幸だったのかな
光武帝は父を早く亡くし農作業に勤しんでいたような人
ハッキリ言って劉備並に出自は怪しい
>>817 劉秀は血筋は正しいんだよ。儒学を修めたインテリだし。
ただ貧乏だったってだけで
>>813 じゃあ李確よろしく脱走すればよかったのにな>献帝
少なくとも自分がどこに行っても権力の無いただの傀儡だって自覚してた分彼は賢いけどね。だからうまく立ち回って生き延びた。
後漢時代も更始帝と光武帝と赤眉の立てた皇帝とが並び立ってたことがあったが三国志なんて呼ばれない
やっぱそこらの飛沫皇帝と呉蜀とは違う
>>818 インテリで儒学があるから血筋が正しいってのはさすがに意味不明
>>821 別にインテリだから血筋がハッキリしてるとはってないよ
血筋は血筋で劉発の子孫としてるだろ。
出自が怪しいって言ってたからきっちり学問修めた知識人だろう、っていったんだ。
そういえば貧乏だったのは牛で出陣したエピソードで有名だけど遊学する余裕はあったんだよな
熱烈な魏オタは三国志正史以外の
史料や説に排他的過ぎるんだよな。
歴史の置ける正統の価値感など時代時代で推移するものだと言われてるのに
一貫して「いつの時代でも、三国時代の正統は魏だ!」と
それらの論に対しての明確な意見を返せぬままに自らの意地一点張り。
>>824 三国志正史以外を知らないのだからしょうがない
無駄な意地を張られるのも確かに困りものだね
正史より蜀漢正統論、演義を重んじるような無知の蜀ヲタ
蜀=正義 魏=悪 とか本気で思っちゃってる馬鹿だから本当に話が通じないから困りものだな
言ってもアーアー聞こえないだからな、蜀ヲタは
早速、無知な魏ヲタが群がってきたかw
>>824 正史の事をあーだこーだ言っても
現代ではあんまり意味もないしな
正史は単なる歴史上の記録で、正統かどうかなんていうのなら
現代人は現代の価値に照らし合わせればいい
359 :無名武将@お腹せっぷく:2008/08/28(木) 00:35:55
>>357 朱子学は明、清の代になっても依然として盛況を誇っていたわけだが?
中原が中華の手に戻った明代でも国家教学とまでなってるしな。
とてもじゃないが、「中原を異民族に取られたいいわけ」とは言いがたい。
三国志演義を重要視した清王朝は異民族国家。
その国家にとっては有難い統治政策にもなったんだよ。
逆にマイナーで、何の影響力もなかった正史など糞の役にも立たなかった。
歴史小説に過ぎない、なんて見方もかなり貧相だねえ。
正史など糞の役にも立たないそうですから、蜀ヲタはw
でたよ蒼天ヲタww
>>829 蜀漢正統論なんてものをあーだこうだ言ってもしょうがないんじゃないかw
異民族に中原取られて発生したのが蜀正統論って何度も言われてるのにな
蜀ヲタは何を見てるんだろう
>>830 その論には誤りらしき部分が見出せないのだが・・・
三国時代に限った事だが正史は糞の役にも立たないとは
辛辣だが的を射る意見でもあるな。
三国時代は三国志演義によって現代まで語り継がれてきたと言っても
過言ではない上、三国志正史にも怪しげな虚実入り乱れた疑惑はあるので
官民の総意によって経典視までされた三国志演義を重視した見方には
それといった間違いはないと思うよ。
>>834 認めたくないだけでしょ
そういう歴史を知らない、知ったところで認めたくないから
どうしようもない意地を張る
大三国志典にもケチをつけ、きっとレッドクリフにもケチをつける
とことん、魏オタは日中友好の弊害となってるねえ^^
なんだ暴れてたのは正史知らない中国人か
>>834 自分の書き込みだからって擁護するなよw
その糞の役にも立たない正史をベースに民間伝承や講談などを取り入れたのが演義だろ
劉備や諸葛亮を正義とするためそれに敵対する者は徹底的に悪く書かれたり
他の者の功績を諸葛亮のものにしたりとひどい脚色があるのに歴史を語るのに演義は役には立たないだろう
趣味で話をするのならいいんだがな、演義は
現代では正史など糞の役にも立たんとは確かに頷ける
>>837 それが歴史の推移よる価値の変化というものだ。
諦め給え。
全角wは全部同一。
蜀漢正統論も現代では全く役に立たんがな
>>839 歴史の推移の価値を認めるなら、
現代では蜀漢正統論は学問的に殆どみられないことを理解するんだな
>>842 中国での価値感は清代の演義から
止まったままですがなにか?
どこの学説よ、それ?
漢晋春秋を書いた習鑿歯なんて裴松之によく説を否定されてるからあてにならないよ
>>841 現代で役に立つのは関帝信仰のご利益だな
>>843 俺の脳内に決まってんだろ!!
くたばれ、蜀ヲタ!
>>841 そらそうだ
魏正統論も蜀正統論も現代じゃ意味を成さないさ
>>839 正史には周倉なんて人物いないけど演義でいるから実在するってことか
正史で関平は関羽の実子だけど演義では養子だから演義の方が事実ということか
それが現代の価値観というならそういうことになるのか?
他にも色々と突っ込みどころ満載だがな、演義は
>>843 どこのアフォだ?
創作物と学問を混同してるのは
三国志を引き合いに出したら出典が演義だったので失笑買った話も知らんのか
その清代で三国志正史も大いに見直されてるんだよ
>>848 無粋な奴だな
そういうものは正史とは違うと分かりながらも認めるのが中華テイスト
正史に絶対の価値を求めなかったから周倉のようなキャラクターも生まれる
その上、周倉には立派な墓まであるしな
>>849 清代でどのように三国志正史が見直されたのかな?
曖昧では困るよ。
>>843 それはおかしい
文化大革命により価値観はかなり変わってるのに何言ってるの?
>>849 しかし、現代で
関羽は青龍偃月刀を持ってなかった+赤兎馬なんてのにも乗ってなかった
なんて言ったら間違いなく失笑されるだろうな
関係無いけれど、中国には繁体字と簡体字がある。
これは、中国人が従来の漢字(繁体字)の画数と種類が多すぎてついていけなく
なった結果簡体字を作ったため。だから、簡体字は確か多くても9画(12画だったかも)
以内で作ろうという目標のもと作られた(簡体字でも目標画数を超えたものも存在する)。
中国は日本と違って教育の水準が均等ではない。だから簡体字が作られ、
また現在では繁体字も見直されつつある。そう考えると中国で演義重視というのも頷ける
気がしてくる。
小難しい歴史より、血湧き肉躍る物語のほうが誰だってわかりやすいし、面白いからだ。
>>853 正史絶対主義の日本と中国では価値感にブレがあることに
イマイチ気がついてない人も多いな
三国志演義の影響によって悪役としての評価はほとんど定着してしまったといえる曹操であるが、1950年代以降に入ってからは逆転、急速に再評価が進んでいる。
特に近年、中国が西欧の進出に対してその劣位が明白になり、幾度となく近代化を目指しては失敗した背景に、
思想的な儒教・華夷思想への偏重などがあったと反省され、思想的な枠組みを超え、合理性を追求した曹操の施策が、
多くの知識人によって再評価された。
魯迅も曹操のことを積極的に評価する旨の記述を残している。
特に曹操再評価を盛り上げたのは毛沢東で、彼の主導の下、曹操再評価運動が大々的に行われた。郭沫若が戯曲において曹操を肯定的に評価したのも、この頃である。また、文化大革命の時の批林批孔運動でも、曹操は反儒教の人物として肯定された。
おかしいな、演義の価値は清代から変わらないって言ってるのに変わっちゃってるのはどういうことかな?
>>858 会心の言をウィキから見つけてきたところで
申し訳ないが、現代のホームドラマや三国志を扱う映画などは
依然として三国志演義の隆盛が見受けられ(三国志演義は制作期間4年、100億円の巨費と投じて作られた)
関公や諸葛武候も変わることなく至尊の立場に居るのだが?
曹操再評価の中心を担ったのは毛沢東という認識は、中国国内外共通のものだと思う。
似たような感じの現象だと2006年頃に『大明王朝』というドラマが中国で
熱狂的なブームを起こしたことがある。日本では明代の歴史は他より軽視されつつあり、
中国でも他の時代に押されつつあって影が薄かったというのに。なぜか。
それは、西欧などへ対する中国の劣等感が浮き彫りになり、焦った中国が
「我が中国が一番輝いていた時代に戻るのだ。再確認だ」と躍起になって作ったのが
この『大明王朝』だから。中国人はこのドラマを見て、ああ自分たち中国はこんなにも
素晴らしい時代があったんだなあと自己満足に浸っていたという。
京劇の世界も似たような現象が文化大革命時代にあって、このときは伝統的な演目は
否定されてほとんど現代の「同志が」とかそういう内容の演目ばかりだったらしい。
中国という国自体、社会的主流の思想に学術が左右されやすい国だと個人的には思う。
魯迅の「魏晋の気風および文章と薬および酒の関係」でも読んどけよ
>>858 三国演義の曹操を褒めたんだろ
毛沢東は三国演義大好きだったんだぞ
それにその論には正統か、否かなどとは語られていない
今までの評価ではあんまりだ、ということでお情け程度のプラス点を加えてやっただけだよ
それを曲解してしまった陳舜臣みたいなアホな学者(かな?)せいで
曹操スゲー!曹魏は正義!みたいな流れが日本にはこびりついたのよ
毛沢東は『紅楼夢』も大好きだった。
代表的な紅迷だった。
思い立ったら一途な人だったのかもしれない……。
その世界にのめり込むというか。
毛沢東や魯迅が魏のみを優等の如く褒めたと思ってる奴がいるみたいだな。
>>863 陳先生は小説家
まあ、陳先生も影響あっただろうけど、やっぱ日本での「曹操スゲー」は蒼天航路の影響が甚大じゃないかな
演義や吉川三国志の「凄くて悪い」悪役曹操から「悪い」を抜いたからな
>>865 石勒が曹操を褒め称えたと思ってるくらいだから話にならんよ。
>>848 平話にも周倉なる人物は登場する
演義は既に当時広まっていたイメージを取り入れているところが多であり
どこまでが演義の作者のオリジナルの創作なのかはなかなか線引きが分からないね
>>867 褒めたじゃないか
「よるべない孤児の皇帝を傀儡にして皇帝の威光を笠に来て好き勝手やるなんて俺には考え付きもしない策だ」
(意訳)的な
思想に囚われない曹操の合理主義をほめたたえてるんだろ
清の時代から中国では演義の価値観は変わらなかったんじゃないの?
演義のせいで悪というイメージが付いた曹操がえらく評価されてるようだけど
>>869 大丈夫たるもの事を行うに、小さなことにこだわらず日月のようにはっきりしていなければならぬ。曹操や司馬仲達親子のように、孤児や寡婦を騙して天下を盗み取るようなことはできぬ。
思い付かないということではなくてプライドが邪魔をして出来ないと言う意味
>>869 孤児を騙して盗みを働く小悪党って意味だぞ?
まさに恥の上塗り。
>>869ってどうかんがえても蜀オタが皮肉っただけだろw
ていうかお前らマジでバカなんじゃねーの?演義によって三国志の価値観が変わったとかすでに史実として認識されてるとか
その感覚で言うと100年後には三国無双やら蒼天やらが三国志のスタンダートとなって三国志の絶対的な価値観として認識されるようになるって事だぞ。
熱くなるのはいいけど自分の言ってる事一回考え直した方がいいよ。
まあここではその価値観を批判したらすぐ正史盲信者認定みたいだから言っても無駄だと思うけどね。
てかそんな意見がまかり通るのが不思議だよw中国史における後漢末の話してんのに。
876 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/03(水) 22:20:26
>>875 わかってきたじゃないか
後漢末なら漢の時代なんだから、傀儡にして権力は渡さず、さらに皇后殺しなどの蛮行のあった曹操は逆賊と呼ばれても不思議じゃない
結論でたな
漢魏晋北朝隋唐が正統でございます
>>876 そして勅を受けてそれに従わず旧帝が生きてるのにもかかわらずそれを擁立しないで自ら皇帝を名乗った劉備はそれ以上の逆賊。
おまけに散々鞍替えし挙句の果てに厚遇してくれた同族を攻めてその勢力を奪った甚だ道義に悖る漢民族の風上にも置けない人物だな。
って返されるんだよ。そういう偉そうな態度とると。
>>879 劉備は逆賊じゃない、なんて一言も書いてないわけだが
見えない敵と戦ってる状態になってるみたいだな
もうすぐスレも終わるから、少し休んだ方がいいな
マジで
>>見苦しいぞ魏バカ。
ほらな、演義を褒め称えないとすぐこういう扱いになるんだろ。
こんなスレでまともな話なんざできんよ。同じ事を感じてるヤツが両サイドともに何人もいるんだろうけどな。
>>880 仮に蜀オタが皮肉で言ったとして何故それをお前が説明するんだ?
つまりそういう事だ。
>>881 あれえ?おれも曹操が逆賊じゃないとはどこにも書いてないけどw?苦しくなってきたの?
>>882 魏バカ≠魏オタ
魏バカは石勒が曹操を褒め称えたとか言ってるお前一人の称号だよ。
>>884 881は半分は冗談だったが、このレスで本当に884の精神状態が心配になった
>>883 つまりそういう事だってどういう事だw
皆が話してた事に関してこうなんじゃね?って言っちゃいけないの?
888 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/03(水) 22:33:54
個人的には呉で曹操が君臨し、軍師が諸葛亮になって欲しかった。
>>886 こういう場合先に仕掛けたお前の方が悪い…と思うよ。
891 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/03(水) 22:37:55
まるで董卓だなwwwwwwwwwwww
>>890 だって相手がそこまで悪い状態だなんて思わないじゃない
894 :
889:2008/09/03(水) 22:39:33
>>891 だって自演じゃないのに自演扱いされてんだもの。信用してもらうしかない。
>>893 文体はともかく彼のいってることは間違いじゃないからねェ。第三者的に
>>898 お前自身がわざわざ恥の上塗りを望まなけりゃ二度と現れないよ。
>>897 え?
>曹操が逆賊じゃない
とは
>>881のどこでも言及してなかったのに、
>>884ではそれが見えちゃってる
だからコレはマジでマズイ、と思ったんだが
901 :
869:2008/09/03(水) 22:46:37
呼んだ?
>>893 >>劉備は逆賊じゃない、なんて一言も書いてないわけだが
見えない敵と戦ってる状態になってるみたいだな
もうすぐスレも終わるから、少し休んだ方がいいな
マジで
と書いて
>>あれえ?おれも曹操が逆賊じゃないとはどこにも書いてないけどw?苦しくなってきたの?
と返されたら冗談でした、だからな。
少なくともキミは884よりまともかもしれんが884よりコスイよ
904 :
889 :2008/09/03(水) 22:53:41
>>899 じゃあお前は俺が現れるたびにそうおもってなよ。別にかまわないから。
>>901 絶対本人じゃねえだろw
てかこれも901氏には自演に見えるだろな。
905 :
901:2008/09/03(水) 22:55:31
本人だというのにみんな疑い深いな
906 :
897:2008/09/03(水) 22:55:40
んーと…?君876じゃないの?
もうだれがだれやら
907 :
902:2008/09/03(水) 22:57:12
もう全員今から番号入れろ。俺も入れる。
908 :
893:2008/09/03(水) 22:57:25
ここに来て数字コテブームというのは想像しなかった事態だ
909 :
1:2008/09/03(水) 23:00:00
スレをここまで荒廃させるとは、最低だな劉備は
910 :
902:2008/09/03(水) 23:01:03
>>908 てかキミあのタイミングであんな書き方したら876と思われても不思議じゃないだろ。
889もそうだがiDでないんだから紛らわしい事すんな。キミらも不当に自演扱いされたら嫌だろう。
911 :
893:2008/09/03(水) 23:03:14
912 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/03(水) 23:09:03
ここは南蛮軍の集まりですね
913 :
902:2008/09/03(水) 23:15:22
>>911 曹操逆賊ってしっかり言ってるじゃないかw
>>曹操が逆賊じゃない
とは
>>881のどこでも言及してなかったのに、
>>884ではそれが見えちゃってる
だからコレはマジでマズイ、と思ったんだが
は詭弁だろう。肝心の
>>884どこ行ったかわからんが
>>912 同じ無法者ならせめて匈奴と言ってくれw
914 :
893:2008/09/03(水) 23:18:45
915 :
902:2008/09/03(水) 23:26:13
少なくともキミもキチガイ呼ばわりできるほど真っ当ではないなw
さあ、またここいらで
>>392の至言でも投下しとくか。
917 :
902:2008/09/03(水) 23:42:39
>>916 …KYって…言われません?
ていうか当時的には正統だったからそれだけで意義としては十分なのかもね<魏
>>916 正確な事実のみを伝えてるな
こういうのを書き込んだ人は
こんなスレに長々粘着したりしないんだろうな・・・
917の方がKYじゃないかと思うけどな
920 :
902:2008/09/03(水) 23:57:20
>>919 だってそれで済むんだったらスレの意味無いじゃん
>>920 スレそのものに意味がない
それに気がつくんだ
こんな場所で気持ちよくオナニーぶっこいたところで
何が変わるんだ?
お前みたいな思考停止の頑固者が居るんで
話し合いになんぞならん
そろそろ蛍の光だのう
923 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/04(木) 00:36:10
粘着魏バカくんの主張をまとめると
正統度:魏>蜀
逆賊度:魏<蜀
これで終わりだもんね。
924 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/04(木) 05:23:47
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アンチ孔明の時の腐女子でも居るのか?それとも馬鹿か?
皇帝権威を犯したのは魏→蜀の順なんだから魏の方が逆賊度は高い
東晋や南宋など敵への対抗上から緊急避難的に立てた王朝と同様、情状酌量の余地もあるしね
同族を攻めたのは確かに不味いんだがそれは朱子学で論議になることなんだよね
朱子学の倫理も含めて論議するの?
いや、朱子学は理解できそうにない。
三國初心者だが、元々皇帝の権威ってのは犯され続けたんじゃないの?正当性云々は置いといて…
928 :
902:2008/09/04(木) 15:30:50
>>921 だって言ってしまえば時の王朝の解釈で変わるじゃん。
晋の時は漢から姓を改めて新たに建てられた王朝として魏を正統とすることでクーデターによって覇権を握った自らの正統性を強め
東晋の時は漢の名を継いだ蜀を正統とすることで異民族に南に追いやられた自分達の正統性を強調しようとした。
こんなの誰だってわかるよ。そんな全員最初からをわかりきってる事をまるで新説を発見したかのように言われても困る。
思考停止もクソもそれが一番の基本だよ。その上であえて優劣つけるなららどこだろう?って話を皆してんじゃん。
当たり前の事だろ。ひょっとして言われるまでそんなこともわからなかったのか?
>879 :無名武将@お腹せっぷく:2008/09/03(水) 22:26:25
>
>>876 >そして勅を受けてそれに従わず旧帝が生きてるのにもかかわらずそれを擁立しないで自ら皇帝を名乗った劉備はそれ以上の逆賊。
>おまけに散々鞍替えし挙句の果てに厚遇してくれた同族を攻めてその勢力を奪った甚だ道義に悖る漢民族の風上にも置けない人物だな。
>って返されるんだよ。そういう偉そうな態度とると。
これが返しになってると思うのだろうか?
そして、そういう的外れな批判をする人間が「当たり前のこと」を分かってるとは思えないのだが。
どっちもクソというのなら分かるが……まあなんというか魏バカ乙とでも言えというのか?
>>928だけならマトモなんだがな。通してみるとクソという。
930 :
902:2008/09/04(木) 16:38:30
>>929 オメーなんのために数字コテ入れてると思ってんだよ。バカじゃね?
931 :
879 :2008/09/04(木) 16:43:31
>>後漢末なら漢の時代なんだから、傀儡にして権力は渡さず、さらに皇后殺しなどの蛮行のあった曹操は逆賊と呼ばれても不思議じゃない
結論でたな
俺にしたって蜀バカ?が同じようなこといってたから同じような返し方しただけだけど
蜀バカ乙とでも言えばいいの?自分が先に吹っかけたんだから人のせいにするのやめようね。
932 :
902:2008/09/04(木) 16:50:27
>>931 皮肉られた事すらわかんねーんだよ。
自分から吹っかけたクセにってのもそうだけど最初っから天下統一して無いと正統じゃないとかいっときながら蜀が正統といって見たりするし支離滅裂。
人をバカ呼ばわりすんのも勝手だけど自分等の事を棚に上げんなって感じだよな。
自演臭い流れだなw
IQの低そうな文体が瓜二つなんだが。
どっちにしても
>>879に道義を云々出来る公正さが身についてないというのは事実だと思うよ。
基本的に劉備は戦争以外で余計な殺しはしない。
すでに魏王に即位していた曹操陣営に対抗する為の漢中王僭称や、
すでに簒奪していた曹ヒ陣営に対抗する為の帝位僭称に
反対する
>>902のようなKYなやつを処刑したり投獄する程度。
準備不足のクーデタに見切りをつけるのと不出来な雇い主たちの間を転々とするのは非難に値しない。
弁護不可能なのは劉璋をセコイ手段で裏切ったことと
献帝殺害が誤報であったのを誤魔化したことくらいだろう。
だとしても、かなり手前勝手な理由で徐州大虐殺を行ったり、
周不疑、華陀、崔琰、楊修などを横死させる曹操に比べれば残虐度ははるかに低い。
931−932
それで正しいと思ってんだから相手にするだけムダ
935 :
902:2008/09/04(木) 17:21:36
>>933 言うに事欠いて自演扱いして発狂しやがった
そもそもそれがあるからコテ入れることにしたっちゅうのに。
おまえらの書き込みと俺らの書き込みどっちがIQの低そうに見えるかね?
てか文体の区別が付く位のIQあんのかも微妙だけどw
>>933 それ劉備の方がひどい気がすんのは俺だけ?w
曹操は親を殺されてるから徐州攻めなかったとしても評判落したろうね。
てか呉書と魏書にしか書かれてないから実体がわかんないんだよな。
魏の方にはサラっと書かれてるだけだし呉書は逆に天地開闢以来の悪行のような書き方だから。まあ虐殺ってだけでいただけないけどね。
周不疑、華陀、崔琰、楊修などを横死させたのは劉備と同じような感じなんで大して変わらんでしょう。
劉備も若い頃自分をバカにした奴等を出世した後に罪を着せて殺したって話があるし。
あ、俺は自演臭い二人じゃないからね、念のためw
937 :
902:2008/09/04(木) 17:58:59
>>936 自演乙
てかコテなんて全く無意味。
節穴の方が遥かにマシ。
>>932 蜀漢正統論が支離滅裂に聞こえるらしいが、
曹操と劉備の実力の差が明らかなのと同様に、
劉氏と曹氏では皇族としてのネームブランドに雲泥の差があるという事実を忘れている。
曹氏は贅閹の遺醜と創業者の曹操が揶揄されるほど微妙な門地で、
まあ、結局、一度も統一出来てない。
三国鼎立が解消されたのは結局司馬氏に大権を握られてから。
それだとしても、常識的には漢⇒魏⇒晋の流れで正統を名乗れるものだ。
にも関わらず難癖を付けられるのは、
劉備の背負った看板である劉氏が28代約400年もの期間、
支那の大地にまがりなりにも君臨した血統だから。
しかも一度滅んで再統一するというウルトラCのオマケつき。
劉備自身の実力は野望の割に魯鈍で何度も地盤を失い、同盟国との外交破綻を回避出来ず
亡国レベルの大敗で大失態を晒すようなしょっぱいレベルだが、
「劉氏である」「魏の簒奪は認めない」というその2つだけで
正統性以外に何らの価値をもたない亡命政権のシンボルとしての機能は十分に果たしている、
ということになる。
ただ、劉備が建てただけの史官も置けないようなちんけな国と魏を比較していたら
蜀漢正統論の主張する内容は理解出来ないと思うよ。比較となる対象の時間軸が違いすぎる。
>>938 蜀漢には後世での追い風というのもあるからな。
まあ、そうでなくてもあの時代に確固たる正統なんてもんを
求めることに無理がある、とは中国の歴史全体を学べばわかりそうなもんだけどね。
それでもあえて選ぶなら魏ということだがな
お前はそうなんだろうな
魏 12州
呉 3州
蜀 1州
じゃ流石に蜀を正統と呼ぶには苦しいな、
たとえ、血を引いてたとしてもこれじゃ地方軍閥にすぎないし
後世で蜀漢正統論なんてものがでてもあまりにも弱小すぎて話にならない
三国志を語るとき蜀を正式名称の漢と誰も言わないところから誰も漢の後継国なんて思ってないだろ、本心は
蜀なんて呼び方は蜀を認めない魏で使われた呼ばれ方だしね
>>942 それは北海道が日本で一番デカいから
当然、首都は北海道にあるべきだよね。
と言ってる様なもんだぞ。
所領が多かろうが、統一されて一個の国になってなければ
どこも所詮は同じだ。
実際に三つの国に三人の皇帝が居たんだから
三国並び立つと見るのが一般的だろ。
>>944 北海道と違って魏は人口は多いし文化も栄えてる
その例はおかしい
蜀漢:所領は1州のみだが、劉備は漢の宗族であり
漢高祖発祥の地を根拠地に押さえている
後世では史学面からも蜀漢正統論が起こり、漢民族とは未だに使われている言葉
曹魏:当時の最大の所領を誇った大国
国家を討ち立て、皇帝につくなど縁もゆかりもない家柄だが
中国の伝統である易姓革命の概念もあり
当代最高峰の天才曹操による統治のスタイルも完璧
もう、どっちでもいいんでね?
日本で例えればこんなもんか?
魏 本州
呉 九州
蜀 四国
魏:関東を除く本州+北海道
呉:関東
蜀:九州
こんな感じじゃね。
強引に位置を当てはめてみると。
>>942 正統は州の数や単純な軍事的実力以外で判断されてるでしょ
話にならないって言っても実際に朱子とかはそれを大真面目に話したわけで、自分の感想を語ってもなんにもならない
951 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/04(木) 21:55:42
超イケメン説が絶えない龐統。
>>938 蜀漢正統説そのものはそれなりに筋は通ってる。
よくわからないのは一方では正統のためには統一が絶対条件とかいいながらまた一方で血統があるから亡国になっても蜀が正統という矛盾した見解の連中。
このスレの蜀オタだけど。
>>944 キサマ札幌は日本の五大都市だぞと主張する道民の最後の反抗
>>952 別に俺は蜀オタじゃないが、発想を柔軟にしてみたほうがいい
魏は成立段階でも途中からでも天下を統一したことがない
もちろん呉も
しかし、蜀を蜀の言うとおり漢とみなすなら、漢は天下を統一したことがある王朝
しかもその矛盾した意見を同時に魏正統論に対して使うからな
>>954 それだと少なくとも周りは認めないだろう。
そんな強引な理屈じゃ当時的にも正統だとは言えないと思うぞ。
蜀って魏に潰されてるだろ
いろいろと見解はあるが魏の軍隊によって
>>956 当時はそりゃあお互いに自分しか認めないんだから当たり前じゃない
後漢の劉秀は劉備と同じで一応皇帝の血筋ってレベルだけど全土を統一したから
誰からも認められてるけど劉備の場合はただの地方軍閥だからなぁ・・・・・
それから中華の理念は昔から今でも「中華はひとつ」じゃなかったっけ?
それでいまも台湾は認められてないわけだし中国に
>>959 そう、だから「当時正統は無い」と言ってるわけで
じゃなんで蜀漢正統論なんておかしな考えがまかり通るんだ?
中華はひとつなのに
異民族に取られた言い訳って意見には無学だのなんだの中傷が絶えないしこのスレ
>>960 当時は晋が定めたから魏が正統だぞ。
現代の価値観で解釈すると分裂の時代だからそうなるが。
蜀が正統ならエミシも正統だなw
965 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/04(木) 22:50:45
>>963 でも蜀正統論の出所って、魏正統の立場からは単なる僭称者扱いでいいはずの蜀と呉を諸侯以上の存在として扱った陳寿『三国志』にあるような気がしてならない
>>965 まあそこは公平だから歴史書としてはいいんじゃない?蜀に関しては同郷ってのが多分にあるが
>>966 陳寿の動機が同郷の身びいきだとしてもそれが晋の首脳陣や『魏書』を書いていた元魏人にまで認められていたという事実が重要
孫権は皇帝なのに呼び捨てだしな、陳寿
>>968 でも呉書内ではちゃんと皇帝扱いしてる
時には即位前のことでも
先主、後主とあるのは陳寿が元仕えてた国の主だからそう呼んでいるんだろ
それは事実だし目くじら立てるほどのことじゃない
新王朝成立からいくばくもなく成立する前王朝を記した史書ってのは、一番の目的は現王朝の賛美や正統性の主張にある
三国志にとっては晋の賛美と晋の正統性の主張ということになる
魏から禅譲を受けているのだから、魏を正統扱いするのは当然
しかしその一方で、前王朝が駄目だから現王朝に交代したということになっている以上、魏が非の打ち所のない正統王朝でも晋からすると少々都合が悪い
「魏は微妙だったので晋になって天下泰平になりました。」というストーリーになっていないとマズイ
「魏は凄い!」→「じゃあなんで王朝が交代してるの?」って疑問持たれちゃう
だから、こっそり蜀漢の地位を高くしている陳寿の『三国志』は晋の目的と偶然かもしれないが合致していた
今だから言おう。
このスレに蜀オタなどいない。
魏は正史においては正統と呼ばれた
しかし、後世では蜀漢正統論というものも生まれた
この流れを言ってるだけ。
>>972 それを蜀オタとレッテル張る子が約1名いるだけなんだが、それ言っちゃうと面白くないな
もうスレも終わりだからいいけど
呉皇帝と魏鎮南将軍を同じ呼び方は陳寿に不満
他は特に魏志呉志蜀志に不満はない
俺はなんにも不満はない
正史も演義も伝承も愛すべき三国志の形だ
王双が多すぎるのが不満かな
蜀ヲタと言われてるやつは天下統一をしないと正統とは言えないとほざいておいて
蜀漢正統論をも唱えるような馬鹿だから蜀ヲタといわれてもしょうがないだろう
演義の方が正史よりも歴史を語る上でも重要らしいしな
>>971みたいなやつを蜀ヲタっていうんだろ
都合のいいように解釈する
自分で自分のことを蜀ヲタと認めるわけないだろう。
蜀ヲタなどいないと言ってるやつがまさに蜀ヲタだろう。
統一をした劉氏と司馬氏が正統なのは確実。出来てない曹氏はそれより下。
劉備や蜀は微妙な地方政権だけど、劉氏の季漢としてなら名分で魏より上。
という論理だろう。
「異民族に中原をとられた言い訳」とか「所領が1州だから苦しい」とかで
観念論をまじめに語ろうとするから凹られる。
劉備だけならまだしも劉邦劉秀の七光りつきのdでも理論の前には曹操も霞む。
強引すぎる話だがそれに騙される先生方が後世には山ほどいた訳。
英雄度でも逆賊度でも曹操に引けを取る劉備だが詐欺師度だけは上という話。
一方的に言って勝利宣言するだけだからな
>「異民族に中原をとられた言い訳」とか「所領が1州だから苦しい」とかで
>観念論をまじめに語ろうとするから凹られる。
結局だれも納得してないだろ早く無知だの煽る以外で答えろよ、今度はぼこられたとか言わずに
異民族に追われたから蜀漢正統論なんてものがでたのにまた詭弁を弄して逃げ回る
939 :無名武将@お腹せっぷく:2008/09/04(木) 19:09:33
>>938 蜀漢には後世での追い風というのもあるからな。
まあ、そうでなくてもあの時代に確固たる正統なんてもんを
求めることに無理がある、とは中国の歴史全体を学べばわかりそうなもんだけどね。
940 :無名武将@お腹せっぷく:2008/09/04(木) 19:46:34
それでもあえて選ぶなら魏ということだがな
940が魏バカというのはわかります。空気嫁バカ。
なんつうかもう…蜀オタと呼ばれてる連中、どうしようもないな。
俺自身劉備アンチなのわかってたから今まで極力R0Mってたけどもうスレ終わるから言いたいこといっちゃうけどさ
統一も出来ないで辺境に粘られた魏は正統じゃないとかいっときながら血筋があるからたとえ降伏しても正統だとか
じゃあ易姓革命でいいじゃんって言われたら今度は正史なんて嘘っぱちだ、演義だけ知ってりゃいいって言い始める始末。
もう何でもいいから劉備の敵役は徹底的に悪者にしたいのな。
今度は曹操の非を述べだして劉備にもダークサイドはあるだろって正論で返されたら
魏バカ?だの自演だのただの悪口で返す。しかも粘着して個人攻撃する暴れっぷり
本当にどうしようもないっすわな
劉邦劉秀からしてみたら天下統一もできないヘタレが漢を名乗るなって感じじゃないか?
献帝・劉協は漢の最後の皇帝として認められてるし劉禅が漢最後の皇帝なんて言われることないしな
>>984 それは結果論的だから仕方ないけどさ。
少なくとも劉協が廃位されてる以上劉備が名乗った所で縁もゆかりも無いわ。劉姓なんてごまんといる
劉協をもっかいたてたとかいうなら話変わってくるけどさ
>>981 異民族を追い返した明では蜀漢正統論を唱える朱子学が官学だったのは知ってますか?
陳寿が蜀漢を正統にしなかったことの批判があったのは知ってますか?
27 名前:蔡京 ◆GtkPmKwSp2 投稿日:2006/11/12(日) 22:34:02
やれやれ
困ったものだ
>>20(三国志時代の正統はやっぱ曹操の子孫たちなの?)
そもそも中国史を通観する上で、各王朝を正統非正統に分別すること自体が無意味だ。
後漢から直接禅譲を受けたことで魏を正統の王朝とするならば、
魏は晋に、晋は宋に、宋は斉に正統性を伝えたこととなり、
陳を最後に中国史における政権交代の正統性は断絶したこととなる。
実に馬鹿げた形式主義というより他ない。
むろん蜀漢正統論にも何ら客観的合理性は存しない。
東晋や南宋のような亡命政権が、存続上のアイデンティティを確立するために、
蜀漢に自己を投影して理想像に仕立て上げたというだけの話だ。
宋学の大義名分論にマッチしたという事情もあるが、
蜀漢のような取るに足らない小政権を「正統」視すること自体が惨めな有様だ。
三国時代は、古代社会の秩序が完全に崩壊した後に出現した不毛の時代だ。
文化面でも社会制度の面でも、優れた点は皆無に等しい。
であるからこそ後世の人間が恣意的な粉飾を重ねるには都合がよかったのだと言える。
朱子学=三国志じゃないけどな…むしろ煽りを食ってるかんじ
>>陳寿が蜀漢を正統にしなかったことの批判があったのは知ってますか?
批判のない歴史学説なんてねえよ。それこそお得意の蜀漢正統論のように
>>984 支那の皇族には祖法という破ってはならない不文律があってだな。
「劉姓以外の者を王にしてはならない」という祖法を破った劉協より劉備の方がマシという見方も出来る。
禅譲も不可抗力だが、それをもって劉備を逆賊呼ばわりはいくらなんでも不当だろう。
>>989 ああそう。
じゃあ「蜀漢正統論は負け犬の論理」というのは不適当ということで。
>>991 別に蜀漢正統論は悪いわけじゃないよ。
ただその学説の裏にあった背景は考えなきゃならないし禅譲による魏の革命論も当然頭に入れなきゃならないってことだ。
最後まで
・蜀を正統とする論があった
・それが発生する理由の一つは魏の正統性の弱さ
これをこちらが言うだけで脳内で「蜀が正統!魏は逆賊!」と言ったことに変換する人は変わらなかったな
>>993 実際にいただろそういう蜀ヲタ。ログ読み返してみ
>>986 重祚なんて唐中宗、睿宗、明英宗以外ほとんどない。
実力がある皇族なら暗黙の了解として緊急避難的な即位も許される。
例としてあげるなら光武帝、東晋元帝、唐玄宗、北宋太祖、南宋の高宗といった連中。
隋煬帝、唐太宗、北宋太宗、永楽帝みたいかなり強引で胡散臭い即位をやったのもいるしな。
劉備はヌルい方に部類する。
ここ一ヶ月で900近く消費か。
まあ口論としてはそれなりだったよ。
392 :無名武将@お腹せっぷく:2008/08/28(木) 18:34:59
関羽・諸葛亮は中国を代表する英雄だが
魏呉蜀の三国はドングリの背比べな地方国家
どれもこれも正統とは呼び難し
現在の正論ならばこれだと思うのだが?
おつかれさま
1001 :
1001:
立 新 / ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、 ,r';;r" _ノ と 何
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ね い //;;/´ `' 、;;;;;;;;,,l;;' /ヽ す 1000
ば ス /.,';/ ヽ;;;;,l;L_ .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;i か を
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