938 :
某研究者:2009/02/24(火) 01:01:39
>朝鮮出兵は準備怠慢。真冬なのに草履で凍傷した奴等が多数。
九州でも冬は可也寒いだろうから
果たして何も備えは無かったのかだが
−20度等と言う状況には耐えられたのかどうかだが
939 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/02/24(火) 01:23:09
外征として朝鮮以外の選択しは当時なかったわけ?
教えてエロい人!
狙いは中国です。
半島は通路の予定でした。
普通にチンカスだろ
>>939 東南アジアって選択もあって、秀吉も一応書状出して無視されてる
ただ、本当に実戦になると、多分風土病に悩まされたはず
南米より大分植民地化が遅れたのは、あのあたりのマラリアとかのおかげだからな
ハワイで井伊じゃん
944 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/02/26(木) 20:46:29
遠すぎて水軍が全滅する
逆転の発想!
ハワイまで橋を架ける
これで水軍は必要ない
947 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/08(日) 17:06:09
戦国時代は中々強いよね
宣教師が占領して植民地化するのを避けた程度には強いみたいだな
経済的あるいは地勢的な理由も大きいけどね。
当時の西洋からみて、航海術的にも、
ジャワやフィリピンや台湾などとは違って、日本は「終点」で、中継点・拠点には不向き。
つまり、植民地化する上で採算があいにくい。
大航海時代の水準で、南蛮紅毛の視点で、キリスト教化以外で日本を植民地化するメリットがあるかということ。
その上で、土着人の激しい抵抗が想定される、という事実が意味をもってくる。
抵抗が激しくとも利潤が大きければ万難を排して支配するし、
近場であったり抵抗が弱ければ、中継点にでもなりうるから支配する意味はある。
その意味では日本は植民地にはなりえなかったということ。
なるほど
951 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/26(木) 18:26:59
戦闘力なら十分に通用する…たぶん当時最強かも。
ただ、日本人は内弁慶…。
つまり、問題は兵站だな。
白村江・文禄慶長・日清・大東亜…どれもこれも、
結果的には兵站に問題があった…上記の遠征において、飢えなかった軍は一つも無かったのでは?
守備では最強の防備となる日本海が、遠征では最大の足枷となったな…
兵站を軽視する姿勢が伝統的にあるんだろうね。
しかも、その失敗を指摘すると、顔を真っ赤にして
「いや失敗していない」とか「飢えてない」とか、もうね、あほうかと。
そういう反省のなさだから、同じ失敗をいつまでも繰り返すんだよな。
文禄慶長兵站崩壊って(笑
あれで崩壊なら、兵站なんて言葉はいらないな
十全でなければ失敗とまではいわないが、
十全に満たなくてもそのままでいいという感覚は失敗だ
完璧ではなければ、崩壊という感覚の方がおかしい。
少なくとも太平洋戦争では崩壊していたな
物資自体はあるところにはあったんだから
必要なときに必要なところへ届かなかったのが問題であったわけで
秀吉の朝鮮は知らん
講談レベルでは不足していたという話がないでもないけれど、それを鵜呑みに出来ない
とはいえ、じゃあその反対を鵜呑みにするというのは目くそ鼻くそなワケで
実際のところ不足していたとも足りていたとも読み取れる史料を知らない
太平洋戦争で兵站が崩壊したのだから、文禄慶長も兵站が崩壊していなのはおかしいという理論はおかしい
958 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 09:45:15
ドラ「その理屈はおかしい」
959 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/22(水) 11:01:41
ところで戦国時代というが本当の戦国時代って全ての軍が統一されてないからかなり烏合の衆なんじゃないの?
秀吉の朝鮮出兵がよく出てきてるけど、あの頃って厳密にいうと戦国時代じゃないよね?
>>957 きっとだれもそんなことをいっていないとおもうんだ(ぼうよみ)
>>959 >1をはじめとするお気の毒な方々にはその辺の区別は無意味でしょうとも
どうも文禄の役で釜山から先の兵站線が破綻していたという資料があるようなんだが?
抜け駆けまでは責任もてねーよ
釜山〜漢城間の陸路で補給がままならないのが抜け駆けが原因とな?
抜け駆けが補給欠乏の原因だというなら、
それはそれで兵坦の失敗以上につまらないミスじゃないか?
部隊間の意思統一も統制もメチャクチャだったと言っているのと同じよ?
ま、実際、加藤と小西の例は典型だけど。
それでも、しかもアウェイであるにも関わらず、会戦では戦勝を重ねてこれたんだから、
個々の部隊単位での戦闘力は、明や朝鮮を圧倒していたのはたしかだね。
確実に当時の東アジアでは最精鋭。
だが、まさっているところはまさっているけど、しょぼいところは本当に酷い、
と認識することが、兵法でいうところの「己を知る」なんだが。
身びいきな自己の過大評価が、秀吉の唐入り〜朝鮮出兵がポシャった根本原因だし、日中戦争が泥沼化した原因だし、太平洋戦争で詰んだ原因。
いわば諸悪の根源。
個々の部隊単位で兵站が確保されていればこその精強さだろうに
勝因を部隊の精強ではなく、外地であるにも関わらず整った兵站の確かさ故だろ?
つか、兵站の重要性を説きながら、勝因に部隊の精強さを上げるなんて
「己を知らない」 いわば諸悪の根源の初歩ではないか。
それに、この時代のどこに10万単位を海を越えて、兵站を崩壊させずに上陸させるだけの
確かな軍隊があるというのか。
兵站こそを褒めて、格司令官の統率の無さこそを未熟とすべきじゃないのか?
抜け駆けは戦争の華とは言うけれど
>兵站を崩壊させずに
もうこれは平行線だね。着目している側面が違いすぎるし、
きっと「ああ、何でここの側面を見ない」とお互い思っているだろうけど、
この溝を埋めることにもはや意味は無い気もしてきた。
多分、文献とかじゃなくて、古戦場とか倭城跡とか陣地跡とかで考古学的に決定的な証拠でも出れば別なんだろうけど、
なにぶん、戦場が「あの変」、もとい、「あの辺」なので、どっちの結果が出てもやっぱりあてにならない気もしてきたしw
ただ、一言。
「それ」をやったばっかりに、政権は傾いた。
多分、他のところも、やって出来なくはなかったかもしれないけれど、政権が傾くから自発的にやろうとはしなかったのではないか?
ちなみにとばっちりうけたのは、付き合わされて国庫にダメージを与えた明の万暦帝。
もっとも、コイツの場合、基盤となる内政の乱れに加え、自身の奢侈がアフォすぎたことのほうが問題としてはデカイけど。
スレは埋めよう
>>3 ほとんど密集陣形を取らない戦国期の軍隊に、果たして砲撃はどれほど有効か?
>>964 >しょぼいところは本当に酷い、
一番酷かったのは、戦略目標設定。
あの出兵は何が目的なのか、傍目には全く意味不明。
たとえ何回会戦に勝ったとしても、撤兵せざるを得なかっただろう。
戦略目標が判らないんだから。w
明土征服の為に朝鮮通過制圧じゃね?
>>970 明のどの都市を制圧下に入れて…とか具体的な目標がまるでないでしょ。
それに制圧できたとして、兵隊を明に貼り付けるの?これは物凄い負担だよ。
(もっとも、秀吉としては、危険な武将を全部中国送りにしてしまう意図なのかも知れない。w)
16世紀後半
ヨーロッパの重装備の鎧は大筒つかえば楽に潰せるし
ヨーロッパの剣は軽い。重くて3キロ程度。日本刀の大太刀8キロに及ばないくらい
おまけに日本はのろしによる情報伝達がすごく指揮系統は世界一。
おまけに動員数も凄い。ヨーロッパ人が戦国日本軍に勝つなんて夢の話し。
>>911 余裕で戦国軍勝利。個人装備で勝ちだよ。
槍にもなる大太刀をもち銃も〜大型(大筒)とあり
のろしも読めるから個人の現状把握能力も凄い。
個人レベルでこのレベル。どうやってヨーロッパ軍が勝つのか?
1521年まで、メキシコにはアステカ文明が栄えていたのだが、
スペイン人コルテスの侵略に屈した後は、鉱山開発で過酷な労働を強いられ、天然痘などの流行もあって人口が激減した。
さらにキリスト教宣教師が固有の宗教を破壊し、経済的にも教会が国の資産と土地の3分の1を占有した。
人種の混合政策がとられ、スペイン人の血の濃さに従って、複雑な階層に分化した。
こうした過程で、アステカ文明は根絶やしにされたのである。
実はこれは日本人にとっても他人事ではない。
戦国時代にスペインやポルトガルからキリスト教の宣教師がやってきたときに、
日本が信長や秀吉や家康のようなすぐれた人物に恵まれず、
また民族的なエネルギーも不足していたら、メキシコ人と同じ運命をたどった可能性があった。
現実にアジアでもフィリピンがそうなっている。
イエズス会の宣教師たちは、日本を占領するつもりで来たのだが、
武士の戦闘能力とその動員数、そして鉄砲が日本全土で10万丁も普及しているのに驚き、
本国に「日本占領をあきらめるべし」という手紙を書いた。
そのかわりに狙ったのが、西国の大名を改宗させ、それを手下に使って、
九州の神社仏閣を破壊し、日本の中にキリスト教区を作ろうとした。
さらに明の侵略にも使おうとしたのである。
豊臣秀吉は、明がスペイン人に征服されては、いずれは日本にも魔手が伸びると考え、
バテレン追放令を出し、さらにスペインの明への侵攻を牽制すべく先手を取って明に向かったのである。
それは文禄の役のときフィリピン総督府あてに脅迫的な手紙を出していることでも明らかだ。
歴史の教科書では、こうしたスペイン人の侵略を伏せている。
これではキリシタン弾圧も、明征伐も、秀吉の狂気の沙汰としてしか描けない。
>>959 初期倭寇(日本人の商人が交渉決裂と同時に武力行使するごろつき)
といえばまさに烏合の衆なんだがそんな連中ですらこの程度の連携はしていたらしいね
鄭若曾「等潅図編」
(日本人は)その兵を用うるや善く埋伏し、しばしば巡って我が軍の後ろに出で両面を討ち、
常に寡を以って衆に勝ち、塁を劫かし、華人たやすくその術中に堕つ。
その未だ戦わざるや、団結分散、三々五々にして、一人扇を揮うや伏兵四方に起る。
これを胡蝶陣という。
馮夢龍「三言二拍」
倭寇の軍はしずしずと千変万化の陣構え
法螺貝の音に胡蝶飛び一列にならび長蛇走る
軍扇さっと打ち振れば全軍たちまち影もなく
また忽然と現れてあたり一面の刀の花
禍に乗じて中華をさわがす
馮夢龍「楊八老越国奇逢」
倭寇の布陣は変化が多く、
法螺が鳴ると、胡蝶の陣となって突撃するかと思ったら、たちまち長蛇の陣に変えて去っていく。
頭目が扇をふるうと、兵卒が息を潜めて姿を消したかと思ったら、
忽然と刀を振りまわして切りこんでくる。
>>969 スペインが明および日本の侵略に興味を失った段階で
戦略目標の三分の一は達成しているわけだが
佐倉家
七海かい
ジューコフ元帥
海浜幕張
東西線
京葉線
総武線
市川塩浜
至高
ラピットスタート
ゆっくりだが確実に
接地端子盤
経済産業省
だいぶやった・・・後よろしく。
1521年まで、メキシコにはアステカ文明が栄えていたのだが、
スペイン人コルテスの侵略に屈した後は、鉱山開発で過酷な労働を強いられ、天然痘などの流行もあって人口が激減した。
さらにキリスト教宣教師が固有の宗教を破壊し、経済的にも教会が国の資産と土地の3分の1を占有した。
人種の混合政策がとられ、スペイン人の血の濃さに従って、複雑な階層に分化した。
こうした過程で、アステカ文明は根絶やしにされたのである。
実はこれは日本人にとっても他人事ではない。
戦国時代にスペインやポルトガルからキリスト教の宣教師がやってきたときに、
日本が信長や秀吉や家康のようなすぐれた人物に恵まれず、
また民族的なエネルギーも不足していたら、メキシコ人と同じ運命をたどった可能性があった。
現実にアジアでもフィリピンがそうなっている。
イエズス会の宣教師たちは、日本を占領するつもりで来たのだが、
武士の戦闘能力とその動員数、そして鉄砲が日本全土で10万丁も普及しているのに驚き、
本国に「日本占領をあきらめるべし」という手紙を書いた。
そのかわりに狙ったのが、西国の大名を改宗させ、それを手下に使って、
九州の神社仏閣を破壊し、日本の中にキリスト教区を作ろうとした。
さらに明の侵略にも使おうとしたのである。
豊臣秀吉は、明がスペイン人に征服されては、いずれは日本にも魔手が伸びると考え、
バテレン追放令を出し、さらにスペインの明への侵攻を牽制すべく先手を取って明に向かったのである。
それは文禄の役のときフィリピン総督府あてに脅迫的な手紙を出していることでも明らかだ。
歴史の教科書では、こうしたスペイン人の侵略を伏せている。
これではキリシタン弾圧も、明征伐も、秀吉の狂気の沙汰としてしか描けない。