>>511 その気持ちはわかる。だが、やはり最初は、私と孟徳は盟友と言う関係であった。
あれほど有能な男が我が配下となっておれば…それが、返す返す惜しい。私はそう思っておる。
そもそも、私にとっては、大きな障害とは成り得なかった…はずであった。それほどまでに、私と孟徳との間には、
決定的な戦力差があったからな。故に、勝利した後は、遺恨を忘れ、我が配下に加えてやろうと思っておったが…
となっては、詮無き事であるな。
>>512 なるほど、その気持ちもわからんでもないな。
なにしろ、当時の中華は儒家社会で、仁義が重要視されておったからな。
その志は立派とも言えるかもしれん。そういえば、日本の戦国時代にも、似たような将がおったらしいな(注:1)。
だから、私から言う事はない。お主がそう選択したのも、仕方の無い事なのだろう。容認はできんがな。
お主と私で大事なものが相反する以上、和解できぬ事が少々残念ではあるがな。
それと、代書係が一言あるそうだ。聞いてやれ(注・2)。
>>513 …珍しく、まともな戦略論を語っておるのぅ。明日吹雪でも吹かねば良いが。
にしても、相変わらず名士には弱いのぅ。一つ、私にも紳士的に振舞わんか?私だって名士であるぞ。
>>514 そういう男臭い話はお主がむいておるかもしれんなぁ。
にしても、孟徳は気前がいいな、確かに。優秀な人材と見れば、過去の恨みを平気で忘れる辺りは、流石に真似できんな。
(注:1…ここでは、浅井長政を指す。ただ、臧洪が盟友を選び主家に敵対したのとは逆に、長政は逆に主家を選んだが。)
(注・2…臧洪のような、一般的に知られていない名将を上げられるのは、実に喜ばしい事である。
勝ち負けなど無いのだから、また書き込まれれば私としても幸いである。)