1 :
無名武将@お腹せっぷく:
どんなに悪く言われようが気楽に生きて天寿を全う
これってすごくね!?
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/31(月) 22:16:08
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/01(火) 07:16:49
劉禅は勝ち組
劉禅はプロニートの先駆け
わからんでもないw
ちゃっかり八王の乱が起こる前に逝ってるしな。
これほど運のいい無能というのも珍しい。
6 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/01(火) 11:34:16
劉禅は世渡り上手
現代のニート、ヒッキーも学ぶ所多し
7 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/01(火) 11:43:06
劉禅は美人の奥さんを二人ももらった。
しかも妻の親はヒゲを生やしてドングリ眼の酔っ払い。
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/01(火) 11:45:18
劉禅の国防意識は徹底抗戦のベトナム型ではなく、
すぐ参ったと降参するチェコ型。
これはある意味賢いかもしれない。
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/01(火) 11:58:22
彼を批判する香具師って単なる僻みじゃね!?
10 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/01(火) 12:00:31
三国志演義で最後に笑ったのは劉禅
正史でもな。
結局、一番安全なポジションに居て
豪遊三昧だった勝ち組。
12 :
果物キラー ◆HsllULLyvA :2008/01/01(火) 19:18:11
さて、この三戦板に、劉禅より有能な人間は何人いるのかな。
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/01(火) 23:18:38
有能?バカじゃね?
しかも対象が板かよWWW
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/02(水) 05:17:53
誰も有能だなんて言ってませんがwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
しんどい生き方して後世でいくら誉められてもなぁ
結局、生きてる内に楽しく暮らした奴が勝ちかもしれんな
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/02(水) 07:51:59
劉禅の生き方は世界初のプラグマチズム(実用主義)として、
現代に生かされている。
崇高な理想を説く前に、人間はまずメシが食えないと生きてゆけない。
これを地球上の歴史で一番最初に実践したのが、劉禅。
任侠のような世界で生きていた親から、このようなセガレが生まれるのは実に奇跡である。
17 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/02(水) 09:25:51
劉備はヤクザの親分
劉禅は現実主義者
18 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/02(水) 10:37:38
一人の勇者の物語…
19 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/03(木) 10:57:49
劉備になって苦労するより、劉禅になって楽したい。
名誉欲より腹が満たされて平和が一番。
星彩に中出しできる権を持ってるってだけで
充分過ぎるほどの勝ち組
21 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/04(金) 05:36:16
司馬昭「蜀が恋しいと思いませんかな?」
劉禅「いや、ここは楽しい。恋しいとは思いません」
欲正「陛下、ああいう質問をされた時は、もう少し悲しい顔をなさいませ。・・・さすれば蜀に帰れるかも知れませぬ」
あくる日、
司馬昭「蜀がお懐かしいでしょうな」
劉禅「(泣きながら)はい、死んだ将兵の墓もあり、蜀のことを思い出さない日はありません」
司馬昭「これは欲正の言ってたこととそっくりですな」
劉禅「(驚いて)いや全くその通りで。実はこれは彼の入れ知恵でして」
一同大爆笑wwwwwwwwwww
司馬昭「何という男じゃ。これでは孔明が生きておっても蜀の運命はどうにもならなかったであろう。まして驚異では」
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/04(金) 05:39:43
>>21 その話、実は全て劉禅の自演だったらしいよ
それで自らの身を守った
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/04(金) 10:19:49
欲正w
やっぱりヤクザの鉄砲玉、中東の自爆テロ、大日本の特攻隊と
違って賢い。
無能といわれても生きてる方が最終的には勝ち。
25 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/04(金) 16:23:09
もう三国志の主人公でいいんじゃね!?
影のw
._、_
(<_,` )
27 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/05(土) 08:40:44
三国志主人公ってなんだ?
28 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/05(土) 10:19:33
趙雲に守られ劉備に預けた時に放られる。劉禅がこうなったのは仕方あるまいて
29 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/05(土) 16:24:19
三戦板では劉禅はネ申
30 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/06(日) 02:25:27
いつ殺されるか分からない三国時代においてよく甘い汁を吸い続けて生涯をまっとうできたもんだ
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/06(日) 07:10:21
劉 禅 最 高
劉 禅 最 強
>>21 庶民となってでも故郷に帰りたいと泣きついたために、
かえって族滅を招いた彭越のこととかを思えば、
あの司馬昭の猜疑の目をかわしただけでも、
やはり賢明な人物だったことを偲ばせるエピソードだと思うけどな。
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/07(月) 20:52:39
蜀が滅んだのは黄皓と脅威のせい
劉禅は悪くない
34 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/07(月) 20:58:03
現代人は曹操なんかより劉禅の渡世術を見習うべきであーる!
劉禅の保身は、なんの為だったんだろう
生きるため、だろ
劉姓を出来るだけ長く残すことが目的だったとか?
38 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/08(火) 21:44:39
とりあえず、劉禅の素状がよく知られていないのに、勝手に無能と決め付けてバカ呼ばわりする輩氏ね
39 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/08(火) 22:26:19
暗愚と罵られようが安楽に生きた勝ち組だからな。
大愚は大賢の如しとはよく言ったもんだ。
40 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/09(水) 20:00:30
劉禅様!劉禅様!
41 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/09(水) 23:42:54
無用の用を実践した男だな。
42 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/10(木) 22:22:44
劉禅「無能で何が悪い!」
wwwww
43 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/10(木) 22:53:22
44 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/11(金) 01:10:52
>>21 良く劉禅の無能もしくは処世術の上手さの引き合いに出される話だが
処世術の根拠として「本気で郤正の言うとおりにしてれば恐らく命は無い」
という事が言われる。
良く考えたら郤正もその可能性を考えてはいなかったのだろうか?
またはその可能性を考えた上で劉禅に発言を促して、それを聞いた司馬昭が
劉禅を処刑するように仕向けたのでは?
という説を提唱してみる
45 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/11(金) 01:12:42
劉禅はニートにとって理想のポジションだな
ウラヤマシス・・・
46 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/11(金) 05:56:25
学生の頃は嫌いだったのに、社会人になってからはチョト羨ましくなった
47 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/11(金) 10:28:03
>>44 司馬昭の立場で考えてみると、まだ敵国・呉が存在している以上、
旧主・劉禅を処刑して蜀の地において余計な反感を買うリスクは避けたいはず。
賈充と郤正との事前の会談により劉禅個人には危険性が全くないことを確認した司馬昭が、
劉禅と打ち合わせてシナリオを練った上で、酒宴において群臣の見守る前で大芝居をやり、
「劉禅は暗愚だから生かしておいても害はない」という世論を作り上げた…というのはどうかな?
魏にとっても、この話が広まれば前述のとおり蜀の旧臣に反感は買われないし、
こんなヘタレ劉禅を担ごうとする不穏分子も現れないという利点が見込める。
「郤正の意見をもっと聞いていれば」と後悔したというエピソードもあったよね
49 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/11(金) 22:31:14
あの戦乱の世の中でものうのうと生きてた、その図太さは見習うべきだな
50 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/12(土) 09:37:33
>>49 人間、馬鹿にされてもコケにされても、まったり生きた方が勝ち。
「モーレツ社員」がすぐに死語となったのと同じ。
51 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/12(土) 21:11:31
劉禅は「無能」の代名詞で語り継がれてるけど、
案外「プロ野球での落合」みたいかも知れないぞ!
あの張本が「とぼけたツラしてるけど采配はスゴイ」とテレビ(喝)で言ったように。
夢蜀って正史じゃなかったっけ?
これを知った時には、かなり有能だと思ったんだが。
460 名前:代打名無し@実況は実況板で[sage] 投稿日:2008/01/13(日) 11:46:28 ID:OGTcNgGX0
阿斗里はもしどこかに移籍したら
「ここは楽しくて横浜のことなんて思い出しません」って言いそうで不安。
462 名前:代打名無し@実況は実況板で[sage] 投稿日:2008/01/13(日) 11:51:17 ID:9Angh36O0
不安になるの早すぎw
活躍できるかどうかが問題だろw
463 名前:代打名無し@実況は実況板で[sage] 投稿日:2008/01/13(日) 11:52:05 ID:b//sdfXm0
>>460 移籍の心配より、1軍で試合に出れるか心配した方がいいぞ
464 名前:代打名無し@実況は実況板で[sage] 投稿日:2008/01/13(日) 12:11:55 ID:HxvLITAU0
>>460  ̄フ 才,_ ──,`` ┼- γ⌒ヽ | /
 ̄ ̄フ /|/ ) / ┼- 、.| | |.<
(_ .| (_ ヽ_ ヽ_ノ .ヽ___ノ. | \
466 名前:代打名無し@実況は実況板で[] 投稿日:2008/01/13(日) 12:27:58 ID:zJidH3uj0
>>460 それなんて劉禅?
467 名前:代打名無し@実況は実況板で[sage] 投稿日:2008/01/13(日) 12:29:32 ID:0BXThkvq0
>>466で気がついた
>>460は阿斗の言葉か
プロ野球板でも存在感発揮中w
家臣に全政権を委任し、自身は家臣の才能に嫉妬せず自由きままに生きる
孔明にとっても最も仕えるに値する君主ではなかっただろうか、ある程度の諌言は聞き入れてくれるし
趙王の嫉妬で殺された李牧や上杉定正の嫉妬で殺された太田道灌の最期を考えると
孔明は良い主君に恵まれたと思うよ。国力不足と人材不足のせいで過労死しちゃったけど
孫皓よりは良い君主だと思うけどな
重税を貸したわけでなく宮殿造営とかもしなかったようだし
すぐに降伏したおかげで蜀の民衆が戦に巻きこまれることもなかった。
もう孫皓なんてハーレム惨殺酒池肉林宮殿造営重税と
暴君の鏡みたいな奴なのに最後は安楽な晩生だったようだし
孫皓は非業の人生を歩まされた両親の仇討ち的な思いがあったかな。
エピソードを拾っていくと、優秀な人物だったようだし。
晋国、司馬一族寄りの正史「三国志」でも劉禅は暗愚とは書かれておらず
白い布のようだと書かれている。 名臣が揃っていたら名君に、悪逆な家臣が揃っていたら愚君になると
良く言えば素直でお人よし、悪く言えば優柔不断で周りに流されやすい
君主としては悪くない御仁であったが孔明を筆頭に名臣達が次々と早死にしたのが痛かった
諸葛亮 54歳
蒋エン 50代半ば〜後半?
費イ 60歳前後?
言いたいことは伝わるが、早死ではないと思うぞ。
>>57
けど敵討ちのために巻きこまれた呉の国民はたまったもんじゃないよな・・・
劉禅が普通のニートなら孫皓は家庭内暴力をともなうニートだ
61 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/20(日) 01:28:38
劉禅の生き方に憧れます。
だって宴会好きだもん。
62 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/20(日) 17:18:22
劉禅が主人公の三国志が読みたいw
食っちゃ寝、食っちゃ寝…エンドレス
〜完〜
64 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/27(日) 16:54:47
>>62-63 お主は戦乱の世で食っちゃ寝、食っちゃ寝やってるのと、
名誉のために戦死か良くても身体障害者になるのと、
どっちを選ぶ?
お前何言ってるんだ、
食っちゃ寝に決まってるだろ!
戦乱の世を鎮める為にあっさり降伏して無駄な犠牲者を出すのを避けた劉禅
鍾会と組んで謀反を起こして、再び戦乱を招いた挙げ句
最期にはトウ艾の部下に切り刻まれて死んだ姜維と
どちらが哀れなのか
無駄な犠牲者云々言うのなら、娘婿を迎撃に出すなよ…。
実戦経験皆無の者が魏軍屈指の名将に当たる…それこそ無駄死にじゃねーか。
68 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/29(火) 17:35:50
>>67軍事の最高責任者で自分より長いこと働いてたキョウイには逆らえなかったんじゃないか?
呉でも孫権より周喩のほうが全然発言力あったからな。
キョウイと周喩じゃ比べ物にもならないがww
キョウイが事ある毎に『これは孔明の遺言』と称していたからこそ劉禅も逆らえなかった節もあるな
とある家臣が『孔明の死は国家安泰を意味する』と発言したら
お人好しの劉禅も流石にキレて処刑してしまった故事もあるほど
孔明を信仰に近いほど信頼していたし
逆に、襄陽記の記載では「諸葛孔明廟」の建立を頑なに拒否してたけどね。
最終的には根負けしたけど、それでも成都には建てさせなかったし。
マジレスすると
人によって評価の違う人物だろうな
プライドをとるか自分の身の安泰をとるか
今の日本だとやっぱり後者が多いと思う
>>70 それも劉禅が独断で反対していたのかどうか
見方によっては「廟の建立は照烈帝と同格に扱う事」と家臣達の猛烈な反対に遭っていた可能性も捨てきれん
おぅ間違えた。劉備は照烈帝じゃなくて昭烈帝ざます
74 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/31(木) 19:44:42
>>70「諸葛孔明廟」を立てなかったのは諸葛亮が「薄葬にしてくれ」って言ってたのを守ってたんじゃねーの?
確かにそう取れるんだけどね。
ただ、成都での建立を許可しなかったことの説明がつかなくない?
76 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/31(木) 21:02:54
最初に定軍山に墓を作ったのは魏をいつまでも監視できるようにって意味でだって話があるから
諸葛亮の遺志を酌むと内地の都に作るのはいやだったのかも
77 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/31(木) 21:40:57
そんなに敬愛していたのに、その遺志を継ごうという気概すら見せなかったとは…。
下手にそんな気概やプライドを持つと転じて家臣の才能に嫉妬し名臣を殺しかねない
また自分の力量を知っていたからこそ無駄な抵抗もせずに晋国に屈した
劉禅は臆病者だったかも知れないが同時にドライにも似た冷静さを持ち合わせていた
一番性質が悪いのは臆病なくせに短気、キレやすい性格
こういう人間が君主だと敵にとっても味方にとっても害悪そのものになりかねない
79 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/01(金) 12:37:29
要約すると 何もしなかった ですね。
モノは言い様だなあ。
まあ実際そういう結論にも達するのだが
今で言えば。ヒラリーを大統領にするのと猫を大統領にするのとではどちらがマシか
劉禅タイプの成功例が長州の毛利敬親
「そうせい侯」ではあったが、愚人や佞人を近づけなかったと評される毛利敬親。
董允の死後宦官を重用し、彼らの政治的権力の増大をも黙認した劉禅。
そこが大きな違いだね。
83 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/02(土) 20:48:03
>>77継がなかったってよりは、できなかったんだろな
北伐ってそもそも中国史上で数えるほどしか成功してない
補給とか環境とか民族性とか社会体制とかいろいろ問題があって、北に攻めあがろうとすると大抵無理な戦になる。ぶっちゃけ劉禅の代の蜀の状態からだと不可能に近い
正直劉禅は天下統一とか漢室復興ってビジョンにはついていけなかったんじゃないか?
だから孫権と同じように現状維持を選んだと
子供の頃に母を亡くし16歳で父を亡くすのは羨ましくない。
85 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/04(月) 15:01:03
三国の皇帝の中では比較的ましだったと思う。
余計なことをあまりしなかったというだけでも。
86 :
ふぁるこん:2008/02/04(月) 16:43:56
諸葛亮を始め蜀に愚直だった人の気持ちを考えると…劉ぜんは最悪
87 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/04(月) 17:07:01
国家を長持ちさせようとして北伐を繰り返すなんて、民の立場からすればそれこそ最悪。
理由が北伐のためであっても、民政に力を入れてくれた諸葛亮だけは別格だろうけど。
日々の劉禅の目が民の暮らしに向いていたとは思えないが、
徹底抗戦をしなかった最後の選択だけは民のためになったと言える。
88 :
ふぁるこん:2008/02/04(月) 17:42:33
趙雲が幼き阿斗を助けずあのまま死んでいたらどうなっていたんだろうな
89 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/04(月) 19:04:47
劉封が処刑されずに跡継ぎになったんじゃない?
それでもあんま変わらんかったと思うけど
90 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/05(火) 05:00:14
お尻の穴に異物を挿入したら
抜けなくなった。
91 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/05(火) 11:32:06
92 :
売国企業マルハン:2008/02/05(火) 13:26:11
劉璋も劉禅も似た様な生き方してるけど、全くもって無能じゃない。
この二人の親である劉焉と劉備くらいの評価はもっていいと思う。
うん、どうせ劉備は別格って言う人いるかもしれないけれども。
でも、劉備ってそんないい事してない。
民に対しては最良の将軍だったけれども。
裏切りに近い形で色んな将軍の元離れたりしてる(董承の時が一番最低)。
94 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/07(木) 16:39:27
劉備はほとんどヤクザの頭って感じだからな。やってることは呂布とかと大差ない。
むしろひどいかも知れん。正直儒教の精神からは程遠いことをやってる
ただそれでも呂布みたいに嫌われずに愛されてたってのが恐いとこなんだよなぁ
ともかく何の後ろ盾もない一介の平民が皇帝にまでなったってだけで、別格といえると思うよ
劉エンも中央と無縁の政権をつくりあげ、無駄な戦争をしなかったことで評価できる
ここらへんがただ跡を継いだだけの二人と違うところでしょ
もちろん最後の最後で民に負担をかけない選択を取った、劉障と劉禅も評価できるけどね
劉備ってそれほどひどいことやってるか?
あの時代ではまだしも良心的な方だろ
曹操や孫策みてみろよ
96 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/07(木) 16:58:27
裏切り行為を是とするか非とするかでしょうな。
残忍とか非道ってほどではないが誉められた人間じゃないことは確か
でもそんな奴だからこそあそこまでのし上がることができたんだろう
98 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/07(木) 19:59:58
劉備のやってる行動ってのは、言うほど酷くはないというレベル。
ぜんぜん酷くないというわけではない。
問題なのは、普通であれば多少は落ちるはずの人気がなぜか衰えないところ。
曹操陣営や呂布からしたら「なんでだよ!」と思うほど理不尽なことだろうな。
99 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/07(木) 21:05:10
劉備が蜀取ったときは孫権怒っただろうねえ
100
純粋でお人好しで腕のいい武将はたくさんいたかもしれない
しかしいつ暗殺されるか分からないという時代を生きていく為には
多少の演技力や腹黒さそういう能力も必要だったのだろう
劉備や曹操は寿命まで生き延びて後世まで名を残している点はすごいと思う
個人的には洞察力や読心術も含めそのへんのうまさが一番あったのは司馬一族かなと思う
102 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/13(水) 03:14:03
こんなところでも親父にスレを乗っ取られる劉禅カナシス
103 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/16(土) 15:29:52
>>102 しょーがねーよ
実際には親父の後継いだだけだもん
104 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/17(日) 09:41:01
105 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/21(木) 23:13:30
( ^ω^)憧れるお
漢帝国の時代が長く続き、漢民族としての統一意識みたいなのがある時代だったから降伏も
ありだったんだろうな、とは思う。
秦の前の戦国時代の頃だったら蜀の民はレイプだの奴隷化だの散々だったんじゃないか。
107 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/22(金) 09:18:09
そういえば三国志に奴隷の記述ってないな
108 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/23(土) 14:46:56
まあ、劉禅が女好きで子孫を家康並みに作ってたら尊敬するが・・
劉禅の子供は男7人女2人なはず
同じ三国時代の曹操にも勝てません
劉禅=徳川慶喜
111 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/25(月) 15:28:20
>>110 ばっかもん!!
徳川慶喜は、15代将軍の中でも一番の見識家だ!!
112 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/06(木) 23:44:24
>>111 そうだ。
確かに徳川慶喜は、太平洋戦争を企てた大日本帝国陸軍のDQNと大違いだ。
良く言えば徳川慶喜は、日本の国力を過信してなかった。
悪く言えばチンタマがチョット小さかった。
113 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/07(金) 23:00:46
劉禅じゃ物語になんないじゃん…
114 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/09(日) 00:36:53
>>113 お兄さん、それを言っちゃあ〜おしめぇ〜よぅ〜。
劉禅メタボ&ポークビッツ
116 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/10(月) 15:17:25
まあ、劉禅も魏に行って一歩間違えば曹家もシバシも潰れて
魏の王に成ったかも知れない・・
117 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/10(月) 16:27:30
劉禅て最後には巫女さん萌えの境地に達したらしいな
俺と互角じゃん
118 :
とあるコテ3:2008/03/10(月) 20:58:53
巫女はもともと売春婦も兼ねてたらしいからな
日本男児が巫女装束に欲情するのは本能なんだろう
120 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/11(火) 16:31:53
横山三国志の巫女に萌えるのは無理がある。
それと恥を承知で聞くが劉禅が巫女の言葉を信じて安心しきったというのは演義の創作だろうか?
121 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/11(火) 16:45:23
日本でも昔の巫女さんは遊女の側面があったからね
123 :
とあるコテ3:2008/03/11(火) 19:46:37
為になるなぁ
劉禅て姉妹両方に手を出したんだってな
二次元なら俺も解るよその気持ち
>>120 酒色に溺れて政治が混乱したとは書かれてる。
>>94 >何の後ろ盾もない一介の平民
劉備の祖父・劉雄は中央官僚や県令などを歴任した名士で、
父も役人(若くして死んだので小役人止まりだが、長生きしてたらどうだったろう)。
>劉エンも中央と無縁の政権をつくりあげ、無駄な戦争をしなかったことで評価できる
蜀制圧後も地元豪族や異民族との紛争に明け暮れているし、
豪奢な生活ぶりで民衆を圧迫していたようだ。
また劉ショウは益州の豪族だった甘寧を駆逐、荊州へ追い払った。
126 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/12(水) 20:19:56
なんだかんだ言っても劉禅は人気あるなぁ
>>124みたいなこと俺もしたい
127 :
94:2008/03/13(木) 19:10:53
>>125 >劉エンも中央と無縁の政権をつくりあげ、無駄な戦争をしなかったことで評価できる
ムリな外征しなかったことを考えたら評価してもいいと思うんだが。
>何の後ろ盾もない一介の平民
太学に通ったり親のコネがあったりして中央官僚とのパイプがあった連中とくらべれば
十分バックボーンのない平民じゃない?もちろん孫堅とか曹操も州牧任されてヤツらからすれば十分逆境だけどさ。
どっちにしろポンと後継いだだけの二代目達よりは十分評価できると思うな。
劉禅が降伏したのって正しいよな。
負けるの分かっててまで戦争する必要なんてない。
成都が無血開城したおかげでどれだけの民衆が
戦火から救われたか。
名より実を取ったわけだ
まあ後世の連中に賞賛されても仕方ないしな
ただのバカ殿ではないっちゅうのは確かだろうね
ただ親父や丞相サマが人気あるからそれを水の泡にした君主としてヘタレにされとる
たまたま滅びの刻が劉禅の代で来たってだけなのにな
劉表も劉璋も劉埼もみんな平和を望む人間だった
血筋的に空気読まなかった劉備がおかしいとか言っちゃってみる
演義で悪く書かれ過ぎたのが悪いよな。
史実上では特に無能とは書かれてないのに、
諸葛亮マンセーの為の道具にされてしまった。
>>131 平和主義論なら空気読んでねーのは蜀の連中もだが周喩や魯粛もだな
曹操に帰順するのが一番中国が疲弊しない選択
>133
疲弊した挙句の果てに異民族の侵略で晋も滅んでしまうんだよなあ。
劉禅って有能無能以前にその能力を発揮する場があったんだろうかが疑問だな。
そもそも臣下は劉備の子飼い・荊州派・巴蜀派・涼州派で派閥争いし
そこそこ有能でカリスマ的な家臣がいるため人望がそっち行ってる。
調整しようにも利害関係の複雑な政権であるため無理すると崩壊する可能性あり。
非現実的な目的と自分への大きすぎる期待と打算。
自分が劉禅の立場でも現実逃避しそうだ。つーか覚めた目で現実を見るようになるな。
立場的に、昭和天皇に似ているような気がする。権限の弱さと象徴としてのみの価値。
強硬派抑えての降伏という結末もかぶるし。
北伐も臣のしていることであり朕のかかわりのないこととでも思ってたんじゃないかな。
孔明は「3国で天下を分けることでパワーバランスを安定させる」と
言っていたのに、蜀を取ると事あるごとに侵略戦争しまくって国力を
大きく衰退させた。
まあ蜀にしてみりゃ陸の孤島の地方軍閥だろうと一応独立を保っとかなきゃならんからな。
魏に帰順すると国としての意味がなくなるから
へたに漢王朝の復興なんて掲げるから…
そのスローガンさえなければ
魏帝国の中の蜀王国で収まっただろうに。
そうすれば呉も王国で平和になる。
しかしそのスローガンがなければ
あんなチンピラ集団が国を成り立たせることなんて
出来んのです。
>>136 独立勢力として保つのなら、尚更侵略なんかしてないで
国力の補充に集中するべきじゃない?
漢中GET〜イリョウの辺りで有能な人間バッタバタ死んでて
人材もいないし。
油断せずしっかり守ってさえいれば地形的にいきなり滅ぼされるなんて
ことはないしさ…
横から申し訳ないが
>>120 正史の姜維伝に、姜維は「鍾会が蜀に侵攻しようとしていますから、
応戦の準備をしてください」と上表したが黄皓は巫女の言葉を信じて
敵は絶対に来ないと考え、劉禅に姜維の上表を取り上げないよう進言
した。そのことを群臣は知らなかった、といった記述がある。
とすると、巫女のお告げを受けたのはあくまで黄皓で、劉禅はその黄皓
の言葉を信じて初動態勢の遅れという救いようのない事態を招いたこと
になる。
>>138 首脳陣なんてほとんどヤクザだしな・・・劉備ふくめ
142 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/28(金) 23:45:28
脱力脱力だよ。
劉禅は以外にも、したたかな知恵者だったんだよ。
ただあの戦乱の世では評価されなかっただけだ。
143 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/29(土) 10:05:11
劉禅は肝臣を用い臣下をコントロールすることもできず国を疲弊させました もし降伏したことが評価対象になるなら劉備も孔明その他いろいろを否定することになります だったら始めから全員曹操に下れば平和だったんですから あほらし
「肝臣」をぐぐると、「もしかして: 奸臣」 って、言われるんだけど、「肝臣」でもOKなの?
肝臣=姜維でしょ
ああ、そういうことか、掛詞みたいなもんか
143が勘違いをしてるのか
ひょっとして、正しい中国語では「肝臣」って書くのか
どっちだろうと思ってた
>>143 確かに劉備や孔明その他いろいろがいないと三国志って歴史は存在しないんだけど
ここは単品として考えたら劉禅って権力者としてどーなのよ
ってスレだから
わざわざ遡る必要ないわな
劉備たちの時代と劉禅の時代とじゃ状況も完全に変わってるんだし
例えばこんな調子で福田が中国や北朝鮮あたりに無条件降伏したらどう思う?
日本のが強くね?まだ
日本→蜀
劉禅→
姜維→日本軍
魏→アメリカ
こう仮定するとこのスレは荒れる
結構的を射てない?それ
条約を結びながら攻めてきたソ連が呉か
>>151 皇帝のコントロールが効かんところで軍隊が暴走し
圧倒的に国力差がある大国と戦争やって国が滅びたと
言うはかなり近い
当時の日本の(軍含む)官僚の派閥抗争のすさまじさと無責任体質は異常。
156 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/07(月) 19:09:23
ニート乙
, ‐'´ _ ヽ | ー十
∠ -‐,'´‐' ´ i レ ⊂ト
, ‐'´ _ , l
∠ -‐'/,.ィ /|. 、 |
| ー十 /
` ∧_∧
( ・ω・)=つ≡つ
(っ ≡つ=つ
/ ) ババババ
( / ̄∪
159 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/03(土) 11:32:29
正直に言います
「うらやましい」
160 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/13(火) 20:34:34
酒池肉林とまではいかずとも、似たような生活してるニートは国内だけでも数万人規模
>>151 横山光輝版の原作にあたる吉川英治版『三国志』の執筆が始まったのは1938年。
降伏して国土を全うして生き残った劉禅を非とし、自害した息子を是とした態度に
は、後の本土決戦や一億玉砕の影響があったのでは・・・という気もしますね。
日本が降伏した際、自害した軍人がいましたし。
「愚将」と呼ばれる牟田口以下はしっかり生き残りましたが。
劉禅の馬鹿扱いは昔からでしたが、吉川が見直してもよかったこと。
しかし、実際にはそれをやらず、馬鹿扱いを増長させた。
本当の馬鹿は姜維なのにねw
姜維はもう少し早く生まれていたらね
164 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/06/09(月) 16:11:41
劉備たちってなんでチンピラ扱いされるの?
>>164 チンピラというか、ヤクザだから。
劉備が親分、張飛・簡雍が子分、関羽は他所で犯罪を行い逃げて来た客分。
一家を挙げて義勇軍に参加し功績を挙げ役人になるも、巡察に来た官吏に暴行して逃亡、
以降、旧知の公孫サンに拾われるまで賊討伐と職放棄を繰り返しながら流浪する。
166 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/06/09(月) 17:52:55
ヤクザというか仁侠の人だから
167 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/06/09(月) 18:08:42
まあ武闘派傭兵集団ってところだよな
血筋に乗っかった優しいだけの人じゃなくて
酸いも甘いもかみ分けた仁義の人たちだったらカッコイイな
169 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/06/10(火) 00:04:24
>>168 実際そうなんじゃないの?
昔ながらのヤクザ映画みたいな集団だって
なんとなく思ってるんだけどね
170 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/06/10(火) 00:38:40
現代の劉禅は釣り馬鹿の浜ちゃんだと思う
毛沢東「人民は阿斗になるな」
……おめーが言うな。
北方は結構擁護してるな。
民政は結構できる平時の時の人物とみなしてるし。
だから孔明死去後のゴタゴタが心底嫌だったんだろうな。
特に姜維は何かにつけて「孔明様の遺志」だと持ち出すので心底嫌いだったんだろう。
174 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/06/20(金) 23:59:16
心の中では
「伯約ごときに孔明の心根が理解できるわけがなかろう。
彼は常に頭のどこかで民のことを考えて行動していた。
なにが『丞相のご遺志を継いで』だ!」
と思っていたに違いない。
・田舎ヤクザの社会のダニ
・粋でいなせな任侠集団
おんなじこと言ってても言い方一つでこんなに変わるんだな
晩年は、姜維の一発逆転狙いのギャンブルに付き合わされただけじゃね
177 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/06/21(土) 04:25:18
諸葛孔明の後の蜀は全然興味なかったけど
姜維は蜀の国力を疲弊させたんだな
>>134 >強硬派抑えての降伏という結末もかぶるし。
いや蜀には保持してる兵力を1年食わす兵糧も残ってないんで
179 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/06/23(月) 06:35:51
劉禅は自国の兵士の命、他国の兵士の命を大切にした良将。
姜維は、馬鹿。
姜維の悪口を言うと某コテが飛んでくるかもよ
姜維の軍事行動を非難するってことは、当然、
支那、北朝鮮への備えなんかいらないという考えを持ってるんだよな?
姜維は暴走しすぎ。少しは張翼の言うこと聞けば良かったのに
まあ彼は軍事にしか権限がなかったから焦ってたのかもしれない
軍事の責任者になりながら一行に成果が出せず周りからも孤立…失脚しないためにはなんとか目に見える成果を出さなきゃならなかったろうから
姜維の自己満足の結果、
騒乱に巻き込まれて殺された元・皇太子は気の毒としか言いようがないな…
>>183 国政に関与する機会も地位もあったが何分にも政争下手で中央政界から早急にドロップアウトしてるのに?
だからだよ。その上軍事もダメとなればいよいよ後が無いじゃんか。
まあとはいえ大局を見る目が乏しかったのは事実だろう。いわゆる「非凡」な人ではなかったんじゃないかな
けど劉禅と姜維の評価は完全に逆転したよな。
惰弱な暗君という評価の劉禅が民の事を考えての降伏をした人物に対して
姜維は何かにつけて「丞相のご遺志」と言い訳しての行為が
どこまで蜀漢を疲弊させたかと空気嫁な最低な人物になってしまったからな。
別に逆転はしていないだろw立場も違うんだし
以前は両者ともに極端だった評価が、是正されつつあるってだけだ
だね。
それだけ三国志が読み物としてだけでなく冷静な視点で語られることが増えた証なのかも。
190 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/19(土) 13:08:29
劉禅の子孫はどうなったのかね?
一人くらい名のあるヤシにならなかったのか?
>>190 八王の乱で全滅したといわれている。
弟・劉永の系統だけが生き延びたとか。
概出かもしれんが今も昔も生まれてきた環境は人の性格や生き方にかなり色濃くでるけど、劉禅の良かった所は恵まれた環境にもかかわらず、自身の万能意識や自尊心が強くなかった所だな。
昔の事を今の事に全て当てはめるのは気が引けるが、職業上見てるとDQNと言われてる奴の大部分は親の常識欠如とかだしな。
三國志[では万能タイプの劉禅
195 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/27(水) 19:29:39
過疎上げ
196 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/05(日) 13:35:14
>>192 ひきこもりやニートの親も常識の無い人ばかりだよ。
天下は既に動かし難く、頼れる人材だった孔明も
攻勢防御思考な北伐を繰り返し、最終的に陣没。
残った人材は蜀出身の保守派と、自己保全の為に
積極攻勢をしたがる少数派。
国土は守勢に向くも、盆地のせいで、効率的な発展に乏しい。
こんな状態で、積極策を取れる訳も無く。
少なくとも、孔明死後、十数年に渡って
蜀を維持しているだけでも評価出来る。
198 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/06(月) 23:37:56
麻生総理大臣と似ているよな。
地方の金持ちのボンボン。
>>192 その一点だけで憧れるとか全肯定に走る考え方のやつも居てやれやれとは思う。
后が張飛の娘だったのは、国内の結束を図るためだろうけど
ひょっとしたら魏に滅ぼされた時の事も考えて
夏候家の血を入れておこうとしてたのかな。
>>193 鍛えればオール100も夢じゃないんだけど、勇猛が0だから大喝くらうとすぐ怯んでしまう困ったちゃんです。
202 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/22(土) 12:56:01
特に蜀滅亡後は楽そう
203 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/04(木) 10:45:01
お気楽さん
>>202 けど滅亡前は不安だったんじゃない?
あんな訳の分からんド田舎の弱小国譲り渡されて
さぁ頑張れと言われても不安しか残らない。
親父のせいで国力も人材も減りまくってたし。
>>202 滅亡前どころか在位中は心が休まる事はほとんど無かったんじゃない?
しかし何でこの人は無能、無能言われてるのかさっぱりわからん。
むしろ冷静な現実主義者といったイメージなんだが。
本当に有能な人間ってものは無能を演じるものなのさ。
劉禅は孤高の思想家だったのさ。彼は老荘思想に通じていたのかもしれない。
無能じゃないがヤクザの親分やる器じゃなかったってことだろ
兄貴の方が向いてたんだろうけどなぁ
義兄?
209 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/07(土) 12:59:18
無能じゃないさ だって人間だもん。
210 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/07(土) 13:15:53
お前らが劉禅になっていたら、即位と同時に毒殺されていたな。
211 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/07(土) 13:35:47
孔明先生がそんなこと許すもんか
212 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/07(土) 13:41:43
じゃあ北伐と同時に毒殺されていたな。
213 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/07(土) 13:53:26
>>165-169 ホントにヤクザみたいな集団なら人徳の劉備なんて言われ民衆や世間から慕われないべ。
214 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/07(土) 14:00:09
君は日本でも仁侠の人が庶民に人気があったのを知らんのか
今でもたしか住吉会だか山口組の本部だかは地域住民と仲良くやってたはず
>>214 そりゃお前が何の被害にもあってないからそう感じるだけだ
216 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/07(土) 14:17:15
217 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/07(土) 14:55:57
ヤクザみたいって現代のヤクザじゃなくて清水のジロチョウみたいな仁侠だろ
この現代で誰が直接被害を受けてるんだ
218 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/07(土) 14:59:00
官の方が酷かったからヤクザまがいの連中の方がマシに見えたんだろ
219 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/07(土) 15:13:14
現代日本のヤクザとは意味合いが違うよ
ヤクザってのは劉備一派の繋がりが任侠的ということだろ
というか劉禅は三国志\の能力換算で
武力1 知力70 政治70 統率1
これくらいはあってもいいと思う。どこぞの孫家のお家騒動やら
晩節を考えたら被害を最小限に食い止めて降参した劉禅が暗愚なわけないって。
実際のところは現実主義者で無謀な北伐を繰り返した自称知将よりよほど知力が高いと思う。
>>220 劉禅個人の能力のみではないだろうがあの弱小国を何十年にも
渡って維持したのはそれなりの政治能力を有していたと考えるのが
妥当だよな。
深く考えるとこの人は親父の失敗が約束されてるような夢想に人生を
潰されたわけで降伏後に「今が楽しいですw」と放言した気持ちも
わからんでもない。
政治80
実は、諸葛亮の能力を見抜いて全権を任せる程の器量を持ち、
魏に降伏したのは民衆を戦に巻き込まないようにする為、
司馬昭の質問には、危険人物視されないための演技をした
・・・男なのかもしれない。
あれ?親の世渡り上手さだけを受け継いだ!?