2 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/20(木) 17:23:26
糞スレ立てんな芋虫氏ね
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/20(木) 17:40:02
魏の武将って呉や蜀に比べるとなんか職人って感じがする
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/20(木) 21:43:31
夏侯淵はもっと評価されるべき
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/21(金) 01:54:47
だから李典と楽進だって
6 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/21(金) 04:09:02
↑二人とも病死で若死にだろ?
曹操をフルボッコした張繍
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/21(金) 11:59:25
裴茂って魏将と考えてもいいのかな?
諸将を率いて李カクを倒したならけっこう強いと思うんだけど
鄴
10 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/22(土) 02:50:46
曹操に降ってから活躍してない
張繍、ゾウ覇、高覧
11 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/22(土) 02:54:15
李典って李通と並んで評価されてるな。
二人とも長生きしてたら于禁や楽進と並んでたと思う。
>10 臧覇ほど優遇された外様もいないけどな。
張繍だって短い期間で出世してる
朱桓に生け捕りにされた王双と諸葛亮に斬られた王双って同一人物?
曹仁が好きなんだけど、
どうして朱桓ごときに負けたのか理解出来ない。
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/23(日) 03:46:54
そりゃ君の感性が鈍いって事だな
顔良にあっさり殺された魏続とソウケンのどうでもよさは異常
陳珪・陳登は大活躍してるのにね
魏は八戸のぶながを用いるべきであった。
19 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/24(月) 01:45:54
張コウ最強説
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/24(月) 06:54:12
伏兵の矢でお股を射られた状況がどうだったか知りたい。
陣没や戦死ならまだよかったのに
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/24(月) 10:36:47
そこらに埋まってる石でもひっくり返したらいるんじゃね?
ダンゴムシかよw
徐晃こそ職人といわざるをえない。
寝技職人
>>18 ハ,,ハ
( ゚ω゚ ) お断りします
/ \
((⊂ ) ノ\つ))
(_⌒ヽ
ヽ ヘ }
ε≡Ξ ノノ `J
カクカがもう少し長生きだったらなあ
きっと部屋が汚くてホコリ吸い込んで死んだんだろうね
29 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/25(火) 22:58:59
曹純をもっと評価して欲しい
送信は?
ハ,,ハ
( ゚ω゚ ) お断りします
/ \
((⊂ ) ノ\つ))
(_⌒ヽ
ヽ ヘ }
ε≡Ξ ノノ `J
曹家は皆優秀
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/26(水) 07:11:40
曹爽とかも?
35 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/26(水) 23:38:35
なんで朱霊って立伝されなかったんだろ?
五大将軍に次ぐぐらい活躍してるのに
八戸のぶながには劣るということか
朱霊に限らず「〜に次ぐ」ってことで評価されてるやつは微妙な扱い多いね
陳到とか句扶とか
38 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/27(木) 00:33:47
陳寿の好みということか
陳好
高覧って魏に降ってからなんか功績ってあるの?
鉱石
>>41 .| ,. '"::::::::::::::::::::::::::::::::::::`ヽ、
失 や 精 |´::::::::::::<::::::╋::::::>:::::::::::::::::ヽ.
せ る 神 |::::::::_,.-─‐-ァ-─-::、::::::::::::::::ヽ
ろ か 安 |,. '" / `ヽ、::::::::::〉
ら 定 | / / i ハ ヽ 、 ヽ::/
. 剤 ノ/ /.ゝ!、ハ i ! ,!ィ! ハ !ハ
ヽ i ハ ハ' ヽ! レ '! / i
`''ー---‐'^ヽ!/ ヽハ .!' ● ● レ' /
ほ 〈ヽ、 ! 、_,、__, /! rイ
れ ヽ. ヽ.ヽ、 ヽ、_} ,.イノ ノ
〉ヽ、ヽ.>.、.,,___' ,.イハイ
ヽ/ ´ ̄`ヽーr‐'"i´ ̄:::ヽ、
__ rイ、__、___ iヽ--‐ヘ::::::ヽ:::ヽ.
と__ ̄`ヽ、ニ、 ヽr」/ . 十::::`ヽ.::::::::::::>、
,. '", θ:..`ヽ、!,イ . 十::::::::::!、_r:、_rン
/./7 ,. . !ン ` - ''^:::::::-イ、 ヽ.
`´ / /7 ハ !ヘ 十::::::::iィ´ ノ
うむ
>>14 曹仁は所詮野戦将軍
大将の器じゃなかったってことさ
曹仁は曹仁伝だけ読めばかなりの名将なんだがな
奴の成長ぶりは張飛とかぶる
どっちも戦闘に間しては一流の名将だろう
てか臧ハって異常に優遇されてるけど、実はめちゃくちゃ有能だったんじゃないか
もちろん投降者への影響とかあるだろうけど張遼なんかと比べたら異質だよね
臧覇は呂布とかと同じような一群雄だからね。
勿論有能な人物だったんだろうけどね。
48 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/28(金) 21:54:30
曹操軍中、一番強かった武将は誰?
49 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/28(金) 22:01:21
最後の戦死さえなければダントツで淵
ルパン三世
ハ,,ハ
( ゚ω゚ ) お断りします
/ \
((⊂ ) ノ\つ))
(_⌒ヽ
ヽ ヘ }
ε≡Ξ ノノ `J
樂進と李典どっちがつおいの??
54 :
.:2007/12/29(土) 00:26:27
>>46 張遼の口ぞえで張遼より後に節をもらってるんだから張遼と比べて優遇ってのはどうかのぉ
>>53 戦績ならば楽進の方が圧倒的に上だろう。楽進は初期の主要な戦いで毎回活躍してる。
56 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/29(土) 01:52:51
でも臧覇は元々張遼の上司の呂布と同格(むしろ格上?)で
降伏してからも青州あたりに多大なる影響力持ってたんだろ。
統治者としても優秀だったんじゃないか。
対呉戦線とかでも武功を挙げてるそうだし
高順厨としては高順が生きていたらどう活躍したか気になる。
意外と大した活躍もなかったりして
>>49 イメージ的には淵は統治するタイプってより相手を攻める方が向いてそうだな
最強コンビは李典・楽進に間違いない
>>59 最強かどうかは意見分かれそうだが
極めて安定してそうなコンビだな
両方病気で早死にでは
ゲインズパックンは?
コンビなら、張繍&賈[言羽]でガチ
甄姫が最強
65 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/30(日) 07:15:36
カクは処生術に関しては間違いなく三国志TOPだわ
しぶとさでは劉備かw
曹操も死にかけてるし、やっぱ運も重要だな
最近「運」パラなくなったけど復活してほしい
高いと戦闘で死にやすくなるとか捕まりやすいとか
+馬なら張遼最強。次点廳徳。
67 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/30(日) 20:27:17
ゾウ覇が呂布と同格とか格上とかは言い過ぎ。
陶謙>ゾウ覇≧呂布?
豪族=群雄じゃあるまいて。
夏侯淵&張コウは疾さと堅さを併せ持った最強コンビ
と言いたいが二人とも戦死だな。
徐晃&朱霊かな。
甄姫可愛い
70 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/30(日) 22:58:23
魏の将なんてどいつも小粒。
顔良、文醜にも劣る
甄姫可愛い
72 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/31(月) 20:59:23
公孫淵討伐に従軍した陳珪って
陳登の親父のか?
甄姫可愛すぎ
74 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/31(月) 23:50:28
>72
そうだとしたら年齢120ぐらいいってないか?w
甄姫可愛い
76 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/01(火) 18:17:43
蔡?って美女だったのかな?
略奪されたって事は
生で見るとそうでもない。
オーラはあったけどね。
いいなー、著書にサインして貰ってきたんだろ?
79 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/01(火) 21:10:58
沢尻エリカみたいな態度で萎えちゃった
曹操は親族武将に頼り過ぎたな
だから外様武将が育たなかった
いや、あたりまえだろ
82 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/06(日) 05:15:26
張遼に会いたい
ソースは? 正史ではそれほどでは無いが
過去スレ見たけどここでは張コウの評価がやたら高いな
86 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/07(月) 14:23:26
実際、中々良い線いってるだろ?
最期が戦死なのと、官渡の敗戦は間違いなく汚点だが
戦死も寝返りも汚点ですらないと思うが
官渡は責任あるとは思わんが、戦死と漢中はでかい汚点じゃね
「戦死」という死に方自体か「張こうの戦死」の経緯や結果なのかがわかりにくい言い回しだな
90 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/07(月) 16:07:39
徐晃好きは前田智徳好きという法則
93 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/08(火) 03:03:44
脚に矢が刺さって死んだって、
太い血管切れたのか破傷風でも起こしたか
股間に矢がジャストミートしたら即死するのかなー
苦しい、助けて……
だが断る
97 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/09(水) 14:34:56
魏で強弓兵の扱いに長けた人物っている?
カク昭は?
確証を持って発言するように
100 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/10(木) 04:17:10
うわぁ………
101 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/10(木) 05:53:59
せいぜい夏候淵くらいだろ
囲う円
103 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/10(木) 13:13:43
夏侯淵って本人が弓の達人なだけだろ?
弓の名手が弓兵を率いる事は多いだろうが
そもそも演義の話?
夏侯淵が弓の名人ってのは演義の話だったような気がする
105 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/12(土) 01:45:03
>>92 いぶし銀なところか?
というか広島ファンはそんなにいないぞ。
広島ファンをなめるな!
107 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/12(土) 08:42:38
徐晃公明(じょこうこうめい)
魏の将軍。河東郡の人。元は郡の役人で楊奉に従い献帝を保護。
楊奉が曹操に討伐されると曹操に仕えた。対袁紹戦では輜重部隊を攻撃
したり、易陽の令韓範は降伏させたりするなど功を挙げた。対馬超戦でも
敵の夜襲を撃退した。関羽とは、お互いに敬愛していたが樊城で戦った際
国家のことと私情を挟まず、関羽を撃破した。後に曹操より周亜夫にも
勝ると評された。
前田智徳(まえだとものり)
広島東洋カープの外野手。熊本県出身。89年ドラフト4位で入団。
1991年、2003年、2007年以外はすべて3割をマークする好打者。
もともとは中堅手であったが1995年にアキレス腱を断裂し、戦線を
離脱。以後怪我に悩まされる。マスコミ等に対しても物静かなため
侍または求道者として評されることが多い。
広島カープ vs 魏軍
魏に張遼あらば、カープに緒方あり!!
カープのは軍師がいない。小早川は無能だし。
つーか、魏将で野球チームつくろうや
ピッチャーは誰や?
1 楽進(中)
2 李典(ニ)
3 夏侯トン(三)
4 許チョ(一)
5 徐晃(左)
6 曹仁(右)
7 張コウ(遊)
8 張遼(捕)
9 夏侯淵(投)
控え 典イ ホウ徳 干禁 曹洪 曹ヒ トウガイ 辛ピ 曹真
オーナー 司馬イ 球団本部長 カク
選手兼監督 曹操
ヘッドコーチ カクカ
三振は処刑ね
>111
スコアラーも頼みます
し ん ど い
117 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/15(火) 02:37:58
俺的に張遼は捕手より抑えの絶対神な感じ
カクカ「曹休殿が昇進いたすならば虎豹騎の将が空きまするが?」
曹操「代打、俺。」
漢籍から趙ゲン伝を訳してるが…李通や徐晃との絡みでのこの人、男前過ぎるだろう。
ちょっとフリーダムだがwww
趙儼の汚点って杜畿と比較された事ぐらいか?
涼州の人々をだまくらかして強制連行させるあたりも、人によっては好みが分かれるだろうな。
123 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/15(火) 23:12:10
広島カープは魏とは渡り合えない。
せいぜい公孫サンくらいがいいところ。
チェッカーズ魏
125 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/17(木) 16:54:03
吉川晃司呉
126 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/20(日) 06:38:26
銀蠅蜀
>>111 二番李典に萌える漏れ参上
蒼天の発明家より、演義の抑え役の方がイメージに近い
尤も、真の実力は、多士済々の一家に拠るのだが…
128 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/20(日) 21:50:27
夏侯淵はコントロール重視のピッチャーだろうな。
むしろ連戦に次ぐ連戦という淵の正史における記録から
先発完投型、高回復の熱血ピッチャーだと思った俺は逝って良し
130 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/20(日) 22:57:37
>>129 権藤権藤雨権藤でつか?
それとも稲尾氏でつか?
>>129 剛速球だがコントロールとメンタルに難があるタイプじゃないかと思う
防御率は非常に良いのに、勝ち星がついて来ない投手と見た。
一番楽進はピッタリだなw
>>132 Cの黒田さん程には勝ち星を落とさせられては無いと思うw
八戸のぶながは神だ!
/\
/ .八 .\
< ∞ >
\ .戸 /
\/
最近、曹仁って意外と良将なんじゃね?と思い始めた。
結構負けてるのにしっかり生き残ってるしな
>>121 杜畿って長生きしてたら三公まで昇ってたかな?
140 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/22(火) 23:32:27
>>
スカウト部長 荀イク
>>140 そこは徐晃スカウトしたという実績持つ満チョウだろw
142 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/23(水) 00:02:11
>>137 実際名将でしょ
負けた相手はカンウやシュウユといった名将ばかりだし
143 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/23(水) 00:03:16
関羽には負けてなくね?
145 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/23(水) 01:02:31
赤壁直後の防衛戦では曹仁徐晃負けてる
援軍の李通も失った
その十年後には逆に撃退したけど
147 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/23(水) 01:50:11
蒼天では「逃げ上手を不敗とほざく駄法螺の大将」とまで評されていたな
>>145 まるで李通が戦死したみたいジャマイカ
李通は呉の包囲網突破して曹仁救出したんだよ
その帰途途中の病死な
149 :
ASO:2008/01/23(水) 05:54:20
ギ、最大のミスはキョウイを裏切り者と勘違いしてしまったこと
魏に姜維がいても大した足しにはならなかったが、
蜀にとっては(それなりに)重要な人材になった。
姜維自身にとっては蜀への移籍はプラスになったろうね。
少なくとも、「諸葛亮の後継者の一人」として名が残った。
魏にいても、徐庶より更に目立たず終わったかもしれん。
優秀な人材はどんな所にあっても輝きを放つ、
なんてのは出世した人間へのゴマスリでしかないしな。
夏侯覇や王平のが問題なような気もするが。
王平は何で埋もれてたんだ?
153 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/23(水) 09:35:02
こう言っちゃなんだけど、魏も蜀も曹操や劉備が死んだあたりから
人材が先細っていっている気がする。
郭淮とか廖化にすらしてやられた事もあるし
でも王平や魏延は張コウにも比する名将ではないか?
>>152 読み書き出来ない→上奏文がかけない→意見を上が取り上げる事もない
→計画を立てられない→功績なんて立てようもない
むしろ蜀で順調に出世した事の方が異例やとおもう。
>>154 や、さすがに
張コウ>魏延>王平
だろう。それぞれ有力な将だったのは間違いないと思うけど。
あと、人材の先細りイメージはしょうがないんじゃないかね。
動乱期の人物は、平時の人物より大物に見えちゃうもんだよ。
まして、三国鼎立までの数十年があれだけ派手だとねぇ。
後年の連中を比較するのはかわいそうだ。
157 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/23(水) 11:40:10
王平と李典は名将な気がしてすきだな。
李典は俺も大好き。
楽進とのコンビはもっと好き。
王平と李典は並べて語るような感じはしないが・・・
このスレ、妙に李典推しな人がいるが
李典の子孫か何かか?
いや、功績篤い人物だと思うが早死にし過ぎなので
どうも偏見が・・・
蜀で言ったら霍峻あたりかね。 これも偏見だが
>李典の子孫か何かか?
落ち着け、この考えになるのは2ch脳手前まで来てるぞ
李典は俺の嫁状態の脳じゃさすがにイカンな
>>152 215年、曹操が漢中を平定したので杜濩・朴胡について洛陽に赴き校尉に任じられる。
219年、劉備が夏侯淵を斬り漢中を得ると曹操が再び漢中に侵攻。王平はこれに付き従うが、劉備に臣従、牙門将・裨将軍に任じられる。
別に埋もれてたとかのレベルじゃないだろ。
広島から西武に移籍して活躍した福地みたいなもんだ。
ポジション的にも。
それを言うなら、ボストンレッドソックスに行った岡島。
岡島ほど大活躍ってわけでもないと思う。>王平
>>165 228年の街亭、231年の祁山と2度にわたり張郃に苦汁を舐めさせ、234年の諸葛亮没後には南谷口で魏延の軍を瓦解させ、244年には曹爽の侵攻に最前線であたりこれを食い止める。
こんだけ仕事すれば十分だろう。
俺は張嶷、馬忠あたりは名将と判断してるが
お前ら的にはどんなもんだ?
168 :
167:2008/01/24(木) 01:59:05
はしょり過ぎて変な文章になった・・・
俺は張嶷、馬忠あたりは名将と判断してるが
魏だと張郃まではいかないが李典くらいの器だと思ってんだが
お前ら的にはどんなもんだ?
と聞きたかった
その二人は田豫、郭ワイ、文ペイ、牽昭と同等だと普通に思うよ。
>169 満寵や臧覇が入ってないけど、その連中より上だと考えてる?
まあ三公だしな
蜀で張コウに比する人物っていない気がするんだよな・・・
張飛や馬超ぐらいじゃないと太刀打ちできてないような。
いっそ廖化や張翼あたりなのかな。 やっぱり蜀って人材が不足してるな
馬忠はともかく、張嶷は杜畿とかその辺じゃないか。
まあ末期蜀は精鋭をほとんど失ってるし。
一見すると人材不足を感じるがそれも軍の弱さから来てるんだろう
>>170 張コウと馬超じゃ比べ物にならんでしょ。
関羽、張飛クラス。
>>170 満寵は伝の記述に不明瞭な点が多すぎる事と奇襲の采配が鮮やか過ぎる事で評価し難い。
臧覇は曹丕の代における態度を見ると、最後まで群雄だったような気もせんでもない。
双方ともに169で上げた人々と並べては語れない。
174 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/24(木) 20:35:24
>172
馬超は夏侯淵を撃退した際に張コウも一緒に倒してるのかと思ってた
それを入れても勝ち負けだけ見たら馬超は張コウに及ばないが
>173
満寵の伝の記述には怪しい部分があるんですか?
175 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/24(木) 23:24:03
王平=川相昌弘=堅実 イメージはな。
李典→張遼:エン州攻めてんじゃねーよこの盗人野郎
楽進→張遼:後から来ておいてでかい顔するんじゃねーよ
李典→楽進:ケッ、この小役人野郎が
楽進→李典:お高くとまってんじゃねーぞ
張遼→李典:しねこのガキ
張遼→楽進:しねこのチビ
こんな3人を組にする曹操スゴス
>>176 きっとお互いのバースデーパーティーを開くくらい仲良かったんだよ実は
178 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/25(金) 01:46:29
李典は豪族出身者だから他のたたき上げの二人と比べると、気位は高かっただろうな
>>177 李典「張遼の誕生日か・・・今日」
張遼「あぁ!?オマエラなんぞに祝って欲しくねぇよ!」
楽進「誰が祝ってやるなんて言った」
張遼「じゃあなんで俺んち来たんだよ!」
楽進「は?好きで来たわけじゃねえし。勘違いすんなよ。」
李典「じゃあ俺帰るかな。」
張遼「ちょ・・・待てよ!・・・まぁあれだ、酒でも飲むか・・・。」
李典は豪族の子で儒学を学んだボンボン
それでいて叔父さんが呂布に殺されてたり、一族挙げて曹操に早い段階から協力していたり
楽進のことは学のない小役人と内心馬鹿にしてただろうし、呂布の部下だった張遼は一族の仇
それにしても800人で斬り込んだ時って李典も一緒だったのに目立たないなあ
>>182 張遼は兵卒数十人を斬って将校(恐らく騎乗者)を二人斬ったとか、敵が誰も近寄ってこなかったとか、
まさに蒼天航路のごとく鬼神となって突撃したという記述があるからね〜
孫盛も解説してるけど、楽進と張遼が一緒に出ると、もし突撃に失敗したときに勇猛な将が二人も損なわれる可能性がる。
これだと李典一人では挽回が不可能になる。
楽進と李典の組み合わせは突撃自体はいいとしても、張遼が留守番になってしまう。
張遼を留守番にすると、一番血気盛んで越権行為をやる可能性がある将を城に残すことになる。
一番慎重と見做されている李典は突撃のサポート役だったんだろうなぁ。
184 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/26(土) 06:45:46
李典の親戚の仇が呂布だから、
その部下だった張遼を嫌うというのが
曹操が朱霊を嫌ったのと同じくらい分からない理屈なのですが。
李典棍や李典盾ってほんとにあったの?
わからねえら
>>183 三国志本文によると楽進は護軍薛悌を守ったという
つまり重要度では
薛悌>>>軍人の壁>>>李典>>>捨て駒の壁>>>張遼
だったという現実
>>189 こういう斜めの解釈しか出来ない人って寂しいね
楽進がなぜか好きで好きでしかたがない俺。別に蒼天とか読んでないんだぜ?
だから合肥の戦いで楽進も出撃して華々しい活躍をしていたらなあ、なんて思っている。
ところで、彼は合肥城を守っていたらしいけど、敵は城に攻め寄せてきたりしたのかな?
相手が城じゃないからなw
敵が城だったら楽進の出番だ!
>>191 俺も蒼天読んでない(読んでみたいが)クチだけど同じような感じで李典が好き。
194 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/27(日) 15:01:25
楽進にしろ李典にしろ、蒼天なんぞより圧倒的に横山のがかっけーぞ
張遼は見た目だけなら蒼天のが良かった
195 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/27(日) 18:17:03
蒼天の李典は最悪だった
知性の欠片もねえ
196 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/27(日) 20:19:35
反動的に蒼天を蔑む奴いるよな。
横山は描き分けとか微妙過ぎるやん。
蒼天で特に好きなのは張コウ、李通、朱霊、郭淮あたりだな。
>>197 発明おじさんと言えば、橋さんも最近またテレビで見かけるようになったなあ。
199 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/27(日) 22:50:37
反動的というか実際問題吉川参考にした横光とやりたい放題の蒼天は比較対照にならない
横山で官渡の戦い、それ以後の河北の戦いが描かれてなかったのには衝撃をうけた。
あれを描かずに魏は語れないだろうと。
だって魏を語ってないもの
だれがうまいことまとめろと・・・・
203 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/28(月) 23:22:48
張遼、楽進、于禁、張郃、徐晃、朱霊、夏侯惇、夏侯淵、曹仁、
曹洪、曹純、李典、李通、臧覇、文聘、満寵
あたりをランク付けするとどんな感じになるかな
>>203 何のランクなのかによって全然違ってくるが
205 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/28(月) 23:29:27
軍事オンリーでお願いします
>>203 張コウ>徐晃=曹仁=淵>張遼>トン>曹洪>朱霊>李典=楽進>満チョウ>
もうめんどくせ
なぜ楽進が朱霊より下やねん
張コウ>徐晃=曹仁=淵も納得いかね
張遼=徐晃>淵>張コウ=曹仁>楽進=于禁>臧覇>李典=朱霊>>>惇
「格」
SS 夏侯惇
S 夏侯淵 曹仁 臧覇
A 楽進 于禁 曹洪
B 張遼 張郃 徐晃
C 朱霊 曹純 李典 李通 文聘 満寵
「武勲」
SS 張遼
S 張郃 徐晃 曹仁
A 夏侯淵 楽進 于禁 満寵
B 李通 朱霊 曹純 臧覇
C 曹洪 李典 夏侯惇 文聘
「功績」
∞夏侯惇・・・絶対裏切らないという位置付けにあり、一癖も二癖もある将軍連中を束ねた・・・評価不可能
A夏侯淵・・・初期は兵糧輸送など地道な役割を担ったが、後期において関中涼州制圧に大活躍した
S曹仁・・・・・初期から別働隊として大活躍し、強敵ばかりを相手して期待に背かなかった
B曹洪・・・・・曹仁と同じく初期から軍を率いたが、やや監督役という感じ
C曹純・・・・・勇猛で信頼され、助言も頼りにされたいたが若死(曹休や曹真のほうがランク付けに相応しい気がする)
S張遼・・・・・ほとんど完璧超人、陥陣営襲名、呉を封じきった
SS張郃・・・・同じく完璧超人だが、張遼とは少し方向性が違う、蜀を封じきった
S于禁・・・・初期中期はこの人が魏の代表将軍、参加した戦闘が大杉、功建て杉
S楽進・・・・于禁と同じく戦闘参加し杉、功建て杉
S徐晃・・・・関羽戦以外目立たないと思いきや、実は従軍歴凄杉
A朱霊・・・・正史の評価通り、五将軍に次ぐ
S満寵・・・・張遼亡き後の戦神
S臧覇・・・帰属豪族で最大の規模、徐州の汚点は臧覇の存在で±0になった
B李通・・・・・これまた大規模な帰属豪族、しかも武勇に優れていたが惜しくも病死
B李典・・・・・規模こそ劣るも、帰属豪族で忠誠心は間違いなく李通と一、二番を争う磐石さ
C文聘・・・・・荊州平定後に離反や降伏に追い込まれた太守が多いなか、唯一実力と忠誠で江夏を守った
(SS張繍・・・・間違いなく最大最高の帰属勢力、曹操キラーが帰順した意味は計り知れない)
虎豹騎の指揮官曹純とか、ものすごい財力で兵を集めた曹洪とか、エン州の大豪族で一家挙げて曹操に従った李典とかは、そこいらの将軍とは別格だよ
>>211 曹休曹真も虎豹騎の指揮官だし、
曹洪が独自の財源を持っていたというソースないし(あくまで曹操政権下で金集めたということ)
李通も汝南の大豪族でしょ。
別格別格っていってたら全員なんらかの別格になるだろ。
つうか臧覇の立ち位置は太史慈のそれにちけぇような。
あと、朱霊の序列は普通に5将軍の次だべ。
>>210 夏侯惇が将軍連中を束ねたなんて記述正史にあったっけ?
あと夏侯淵はSでもいいと思うよ。曹操配下の将の中で最も多くの領土を切り取ってるしね。
>>214 対呉の魏軍、二十六軍の総大将。勿論張遼も含まれる。
于禁七軍が三万(捕虜)なのだから、単純にみると十二万以上の将兵の長。
>>212 李典は帰属の時期が早く、また曹操の本拠地エン州で重要な役割を果たした
それと一族のギョウへの移住を率先して申し出た
曹洪は曹操が司空の時点で既に曹操自身の家より財産が多かったと言われているし、早い段階で「家兵千余」を率いたという記述もある
曹操政権下だけの話じゃなく、それ以前からの蓄積であることは疑いない
曹純はおそらく虎豹騎最初の指揮官だし、曹氏の将の中で孝廉に推薦されたのは曹操と彼だけ
別格だよ
>>217 曹純は虎豹騎の最後の指揮官なわけだが・・・
李典勢力の帰属は李乾→李整→李典の順番だから、帰属の早さは李典の手柄じゃない。
(かといって功が損なわれるわけでもないが、李典の特筆する功ではない)
曹洪も私兵をもっていたけど、曹仁も同じく私兵をもっていたことをお忘れなく・・・
別格(特殊性)をつけてたらきりがない
>>218 いや、虎豹騎は曹純→曹操→曹休→曹真だろ?
曹純伝に曹休→曹真→曹純→曹操とはっきり書かれてるぞ
>>220 ないでしょ
あるのは曹純が死んだ後曹操が後任を指名せず自分で指揮することにした、という注の魏書だけじゃん
曹純伝には先に曹休や曹真が率いていたと分かるような箇所は無いと思うのだが
曹操が後任を選ばなかったのは曹純が死んだ直後であって、その後ふさわしい人物(休・真)が出てきた、って流れだろ?
>>221 ちゃんと正史読んでる・・・?
注の魏書に
魏書曰:純所督虎豹騎,皆天下驍?,或従百人将補之,太祖難其帥.純以選為督,撫循甚得人心.及卒,有司白選代,太祖曰:「純之比,何可復得!吾独不中督邪?」遂不選.
太祖難其帥.純以選為督
太祖難其帥.純以選為督
太祖難其帥.純以選為督
太祖難其帥.純以選為督
休と真の後任に誰にするか悩んだが純を選んだと書いてあるだろう・・・
>>222 どこにも「休と真の後任に」なんて風には書いてないと思うんだけど
全然読めてないじゃん
>>223 どうやら真性のようだな・・・
曹純が指揮した虎豹騎は天下の精鋭を集めた部隊で、百人長から選ばれたりもした。
曹操は(休と真の)後任を誰にするか悩んだ。
(結局)曹純が選ばれ、配下の心を掴み労わった。
曹純が死去した後、後任を誰にするか曹操に聞くと
「曹純に比する者を再び得られるはずがない、今後私が指揮を自ら取るが不満かね」
といって遂に後任を選ばなかった。
「難其帥」は「その指揮官を誰にするか悩んだ」だろ
どうして「後任」と限定できるんだ?
限定できない以上、一世代上の曹純が先と考えるのがごく自然だと思うのだが
なんでそこまで自信満々なのか理解に苦しむ
最後に「遂不選」とあるだろ?
つまり、曹操死去まで後任が居らず、曹操が指揮を取ったとこが確定してるわけだ。
そして曹休は190年に子供と表現されてるから恐らく12歳未満、
曹純が虎豹騎の指揮を取った記述があるのが南皮包囲戦の204年だが、
その前年までの虎豹騎司令官の可能性は恐らく25歳〜21歳で別に時代の矛盾は発生しない。
同じく曹真は「若い時に虎を射て武力が認められて虎豹騎を任された」とあって同じく、若さは問題とされない。
そういうことで、その一文「難其帥」は休と真の後任の人事であると明快に推理できる。
貴方は「遂不選」という決定的な一文を覆すだけの時系列ソースをださないといけないわけだが、みせてくれ。
ああ、自己レス
>>226 曹休は十数歳で父を亡くして呉に渡って、それから荊州を伝って曹操の元にやってきたとあるから、
やって来た時の年齢が15歳とすると、203年には28歳。
「子供と表現〜」は忘れてくれw
「曹操が我が子のように扱った」だったw
228 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/29(火) 02:10:02
その「遂不選」て、曹純が死んだ時に後任を選んでと言われた時に曹操が「ついに選ばずに自分で率いた」ということだろ
そもそも曹操が死ぬまで後任を置かなかったとは言ってないんじゃない?
曹純と曹休たちのどっちが先かは確定できないことになるが、活躍しだす年代や世代から考えたら純→休の方が可能性は高いだろ
世代でいえば純と休はほとんど変わらない。
曹仁が167年生まれで
弟の純が曹操に帰属した時が20歳(恐らく190年)つまり170年生まれ
休が190年時に15歳だとしたら175年生まれでほとんど同世代。
同世代の純と休の活躍の時代が違うのは、
純は曹一族でもかなり有力な一族で財と兵を持っていたことがあったことから、軍を率いた。
一方、休は曹丕と同じ扱いで内親族の扱いだから初期中期は軍とはほとんど無縁。
真もおなじ扱いだけど、この三人の中では間違いなく最年少だろう。しかし「若いころに率いた」と間違いなく書いてある。
この頃に10歳未満だとしても、同じく203年にはおそらく23歳〜18歳なんだから「若い頃」との記述とピタリと一致する。
>>そもそも曹操が死ぬまで後任を置かなかったとは言ってないんじゃない?
これはちょっと苦しいだろ・・・後任を遂に選ばなかった まる
そう書かれれば、ほかに解釈のしようがない。
一人はソースを示し続けてるのに一人は揚げ足取りに終止。
どちらが説得力あるか考えて見たらどうかね。もう一人の方は。
231 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/29(火) 02:38:40
世代と言った俺が悪かった
輩行とでも言えば良かったか
曹純は曹操らの従兄弟の関係
曹休は曹操の甥世代の関係
年齢じゃないよ
あと「遂不選」はこの三字だけで曹操が死ぬまでと断定する方が苦しい拡大解釈じゃないかな?それだけが解釈の拠り所だから認めないだろうけど
議論に水を差すようで悪いが、
そもそも
>>203の面子で虎豹騎の初代指揮官というのがそこまで別格になれる要素か?
結局は曹操がつくった部隊だし「初代」ということにそれほど価値があるんだろうか
呉の韓当が致死軍&解煩軍を率いてるから別格、
とか言っても鼻で笑われそうだが、魏の虎豹騎だと特別視する人が多い。
やはり知名度の違いってやつかな。
騎兵隊だと強そうに聞こえるからな。
呉に騎兵なんて多くいたのか
実は交州が馬の産地だったらしい・・・
士ショウが表向き帰服してから馬がよく届けられてる。
それまでは貴重品だったんでしょ。曹仁から馬数百奪ったって嬉しそうに書いてるもん。
夏侯惇 の検索結果 約 1,360,000 件
夏侯淵 の検索結果 約 134,000 件
曹仁 の検索結果 約 454,000 件
曹洪 の検索結果 約 279,000 件
于禁 の検索結果 約 364,000
楽進 の検索結果 約 88,300 件
徐晃 の検索結果 約 419,000 件
張遼 の検索結果 約 265,000 件
張郃 の検索結果 約 75,200 件
李典 の検索結果 約 238,000 件
郭淮 の検索結果 約 92,000 件
陳泰 の検索結果 約 68,900 件
ケ艾 の検索結果 約 50,100 件
郭嘉 の検索結果 約 612,000 件
荀ケ の検索結果 約 290,000 件
荀攸 の検索結果 約 217,000 件
程c の検索結果 約 72,600 件
劉曄 の検索結果 約 35,500 件
賈詡 の検索結果 約 58,100 件
鍾繇 の検索結果 約 11,500 件
韓浩 の検索結果 約 12,700 件
陳羣 の検索結果 約 31,300 件
司馬懿 の検索結果 約 322,000 件
金旋 の検索結果 約 57,200 件
韓玄 の検索結果 約 20,100 件
劉度 の検索結果 約 9,560 件
趙範 の検索結果 約 7,970 件
夏侯惇が圧倒的な件について
>>235 袁紹を破った時の曹操の騎兵が600騎、鐘ヨウが送ったはずの馬が2000頭、
全軍で10万を超える袁紹軍の騎兵が称して総勢一万と、純正騎兵隊なんてどこも少数では?
軍馬は超高価・貴重だっただろう。
今で言うと戦闘機くらいに。
他の馬に影響されない。
叫び声などの騒音に怯えない。
ちょっとの傷で混乱しない。
こういう馬は子馬のころから調教しないといけない。
さらにその軍馬を乗りこなすことが出来る人は能力もだが、身分も限定される。
その中で騎乗射撃が出来る人となれば、今で言うところの戦闘機エース。
遠くまで名が鳴り響いただろうね。
>>236 yahooで検索したら全く違う結果になったんだが
何で検索したんだ?
再び検索したら
夏侯惇 の検索結果 約 472,000 件
に減ってた
4時間の間にいったい何があったんだ
侯を候にして検索したんじゃね?
243 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/01/31(木) 02:47:37
夏侯淵 何で氏んだの
夏侯惇って曹操からの信頼も厚いらしくて
最終的には大将軍まで昇進してるし、武功も高いらしいとまではわかるんだけど
具体的に何をしたかイマイチよくわからないんだが
誰かわかる人説明してくれ
>>244 実は俺も。
軍を仕切れば負け戦ばかりというのは知ってる。
>>244 一応勝ち戦もあるけどね・・・河東反乱の鎮圧
殆どカキの手柄だが
長く河南尹として洛陽を統治してたけど
洛陽復興の音頭をとってたのが夏侯惇だったと推測してる
リョフ戦を境にして前線から一歩下がってるよね。
ざっと眺めるに諸夏侯伝で人格のことを褒め称えられてるのは彼のみ。
性格が統治監督向けのエリート型だたんじゃないだろうか。
年齢的にも血縁的にも最も近くいて曹操不在の際には代理として曹夏侯一族を取り仕切る。
淵や仁は年齢的にも上下が出来るが、親友と遇して臣下の礼も問われない。
バランスの取れた長男という印象。
才能実績に誉めるところがなかったと言われるかもしれないがw
片目を射抜かれたことがトラウマになり前線に出るのが怖くなった。
No2にいてこれほど嬉しい存在はないと思う。
>>244-247 張魯を下した漢中戦役で久々に前線出てる様子が描かれてるよね
許チョと一緒に前線を観に出てる様子が書かれてる
その後26軍を統べてることから見ても曹操が色々考えてdを引っ
張りだした様子が窺える
個人的に夏侯惇の戦線復帰は212年後半からじゃないかと思ってる
荀ケが寿春に引っ張り出されて死んだ頃からね
この辺りの曹操‐荀ケ‐夏侯惇の三角関係は穿ってみると面白い
夏侯惇は曹操によって帝都と荀ケを守る盾として、また同時に
荀ケと朝廷を掣肘する重石として許に据え置かれたと思うと色々
感慨深い。小説的な妄想だけどね。
251 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/01(金) 01:27:13
正史の惇も好きだけど、やっぱ演義の猪突猛進だけど猛将な惇のが好きだなー
何気に関羽とも互角に戦ってるし、魏では許チョと典イに次ぐ強さなイメージ
官渡に連れてけば関羽の出る幕なかったかもなw
どうも
兵卒の惇です
253 :
244:2008/02/01(金) 03:45:47
>>245-250 なるほどなあ
大きな武功を上げてるのが、細かく記載されてるわけじゃないんだね
ということは初期の頃の戦はともかくある程度基盤が固まってからは
最前線ではなく、大きくなった領土を監督する立場として優れてたってことだろうか
少なくとも人格的には相当優れていた人のようだけども
演義じゃ、片目を失ってから
学問とかするようになったって言うじゃないですか。
でも鏡を見たら打ち砕くほどのコンプレックスでもあった。
255 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/01(金) 15:55:48
>252
蒼天の惇はムカつくだけ
まだ横山のがマシだわ
臧覇はもっと評価されてもいいはず。
>>256 臧覇は少なくともこの板では結構評価されてる気がするぞw
258 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/02(土) 18:08:01
マイナー武将を上げて俺すげえw厨はウザイ
横山で書かれていた郭ショウがかっこよかったよな
カク昭か郭シかハッキリしてくれんか
262 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/02(土) 23:33:32
カク昭だと予想
>>259 この板でましてやこのスレならむしろ主役級
満寵とかもね
張既のことも
思い出してあげてください・・・
265 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/04(月) 20:51:17
王雄が評価される時代が来たな
吉茂のくずっぷりが半端ない。
267 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/05(火) 19:24:37
張既がアリなら鍾ヨウも。
75歳で愛人に子を産ませて三公を追贈される。
こんな人生送ってみたい。
張既ともどもイケメンだったんだろうか
268 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/06(水) 12:47:35
ヒント 男は顔じゃない
269 :
リンリン大友 ◆OOTOMO7f0Q :2008/02/06(水) 12:56:54
ハッキリ言って鐘だ
@@
271 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/06(水) 18:45:30
郭嘉
どうもスレタイがわかってないバカが多いな。
将なのに軍師とか挙げるやつはなんなの?
俺は曹仁を推す。
そもそも名を上げるだけで語ってない気が
>>272 曹仁はなんか中途半端なのな
大将になってから
周ユ相手に粘ったのも凄いし、関羽相手に持ちこたえたのも凄いけど
頓珍漢な戦術で窮地に陥ったり、長雨による洪水対策とってなかったりと
将としてアンバランスな感じ
終始イケイケモードで最終的に戦死した夏侯淵よりはややマシ?って程度
275 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/06(水) 19:28:13
エン州兵を率いたテイイクは将でいいね
テイイクイクナイ
277 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/07(木) 01:45:57
魏は蜀や呉に比べると文官武官の区別がはっきりしてるよな
そもそも文官とは何か?
武官とは何か?
音官についてどう定義するか?
話はそこからだ。
朝廷でミュージックを担当する官吏
常考
魏音祭り
改行厨はほんとどこでもウザイな
魏ハーモニー
フルートを担当しそうな魏将って誰だよ?
李典
ソプラニーノクラリネットは張遼しかいねーよな
和太鼓は楽進な
トランペットは誰よ?
ドラムは許チョ
魏フィルハーモニー交響楽団結成へ
292 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/08(金) 13:03:55
ボーイソプラノは曹植
魏フィルハーモニー交響楽団 vs 呉ロマンド管弦楽団
蜀十二楽坊
・・・十二人もいるかな・・・
カストラータも山ほどいるぞ
296 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/13(水) 21:49:09
万億の突破力は異常
周喩の包囲網突破して幾重もの柵引っこ抜いて
曹仁救出だもんな
陸戦なら李通>>>周喩
そこは李通>>>曹仁と言うべきでは?
李通>>>関羽じゃないか?
李通>>>周喩曹仁関羽で解決
301 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/14(木) 02:02:48
李通も李典も張繍も病には勝てなかったがな
むしろ当時老衰で死ねた人のが極少数だろ
病が最強の名将という結論でよろしいか?
徐晃の話しようぜ
堅実すぎて語るとこがない。
名称だが
名勝だが
名松だが
張遼 張郃 楽進 于禁 徐晃 李典 李通 満寵 朱霊 臧覇 張繍 趙厳
VS
関羽 張飛 馬超 黄忠 趙雲 魏延 陳倒 劉封 孟達 黄権
10万vs10万で野戦したら勝ちそうなのはどっち
魏側、人数が多いから
魏側には、惇淵仁洪etc・・・が控えております。
蜀側にも糜芳、士仁etc・・・が控えてるぜ!
それは呉側の間違いでは?
>>297 これで思い出したが
孫策の許都襲撃はどう考えても無謀だよな
徐州に陳登、汝南、淮南に李通が待ち構えてて
遊撃隊として曹仁・徐晃、さらに満寵がいる状態で
当時の呉の兵力で長江超えて遠征・・・しかも後方が固まってない状態で
俺は孫策より周喩の方が上だと思ってるから
騎兵有利の中原で孫策がまともに戦えたとは思えない
満寵ってそんなに凄かったの?
315 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/14(木) 18:58:41
満寵は野戦で役に立ってたっけ?
>>314 官渡時にたった500の兵で袁紹シンパの汝南の諸勢力を攻略
20余の砦を落とし、戸数2万、兵2千を手に入れた
317 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/14(木) 23:11:39
李通が関羽より優れているとは思えん。
個人の武力だけだろ。李通は
>>317 関羽が李通ぐらいの戦功が残ってたらいいんだけどね
李通は魏でも早死にした分記録は薄い方
それでも凄さは伝わるんだが
李通が関羽と比べるとか張遼を夏候淳と比べるくらい無理
張遼って合肥以外に目立った活躍ってあったっけ?
関係ないけど高順とは仲よかったのかな。
陳蘭・梅成討伐とかトウ頓を討ち取ったりとかいくらでもあるだろ。
てか張遼や夏候淳ってよく引き合いにだされるなあ
あんま例えに適さないと思うんだけど
李通と関羽を比べるのはそのぐらい無理があるということを言いたかったんだが・・・
324 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/15(金) 12:42:21
張遼は所詮曹操指揮下の中でしか動けなかった部将だろ。
合肥も曹操の作戦だし。それも李典の後押しがなければ何もできなかった。
独立した軍を率いて功績を立てたといえば夏侯淵。
辛ピってどうなの?
名称としてもいいと思うんだけど。
>>324 張遼は局地での判断力が素晴らしい
独立した軍を率いた将なんて魏じゃ数えるほどだろ
親族連中とソウ覇と司馬一族ぐらいだ
327 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/15(金) 19:51:07
生命の誕生
曹操は張バクの裏切りがよほど堪えたのか、極端に武将に軍を任せない。
何かというと自分で打って出る。任せても親族。
>>329 でも赤壁後は珍しく内政に専念してて
反乱討伐は部下に任せてるな
ぐらついた求心力を押させるため必死だったんだろうなぁ
331 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/16(土) 05:37:04
司馬遼太郎が最強の軍師
そういえばここしばらく会ってないなあ
>>324 夏侯淵は独立した軍を率いて失敗した例だろ
唯一成功したのが反乱鎮圧だけ
辛ピはWiki見ると名称っぽいね
>>334 夏侯淵は守備に失敗しただけ
それまでにどんだけ功績挙げたと思ってる
切り取った領土は曹操以外では最大だぞ
338 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/16(土) 20:46:33
でもその漢中での失敗が痛いよな
それまでの功績を帳消しにするほどの失態だよ
340 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/16(土) 23:44:38
>>338 大したことじゃないよ
曹操は漢中を放棄するつもりだったんだから
捨て石のつもりだから不安視されてても夏侯淵を代えなかった
曹操的にはさして痛くない敗戦ってこと
というか、漢中と一緒に夏侯淵を失ったことが痛かったんだろうな、きっと。
なあに、夏侯尚がいる
なあに、河口賞がいる
は?
歯?
346 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/17(日) 12:49:57
>>334 二州の反乱を鎮圧してるし、涼州もおさえた。充分だろ。
こうみると曹操陣営はナポレオン軍みたいなもので、小粒な将軍しか育た
ない陣営だったんだな。
大物が揃っていたのは呉だな。これは曹操と孫権の人使いのやり方の違いだろう。
大粒も小粒も大量にいるのが魏だよ。
>>346 曹操が一番の大物だからな
けっして戦上手とは言えない孫権とは事情が違うべ
それに温恢、趙儼が小粒と申すか?
呉に居れば都督級の人材だろ
温恢は東里コンのような小人と親交を結んでいた点だけが未だに理解できない。
理解できないのはお前だけ
351 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/17(日) 16:40:54
やっぱこの時代の人たちって下半身とか息臭かったのかね?
曹爽は臭く無さそう名前的に
353 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/17(日) 20:42:40
やっぱ、甄姫様
>>348 曹操自身の性格故か、荒廃しきった漢土故かはわからんけど基本的に自分以外に大兵持たせなかったし
制度上も持たせられる形になってなかったからな
355 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/17(日) 22:47:27
李厳と李通はどっちが上?
李儒だろ。
李典かな
李異しかおるまい
ノ ./:::ヽ、 l
r''"´ 〈::::::::::`丶、__,,,.. -ォ 、 \
l /´ヾl「 ̄ ̄`Τ´ ,' \ ヽ
ノ ノ::.r'7^゙、 l: ,'\ l:....:. ヽ:.....:./
. / ゙y´ :{ ヽ /ヽ ...}イ |:::::λ:l::::::j
. 〈 {l N-‐''゙ 〈 〉 ヽl::::/リノ::: (
ヽ!: リ、| ,.-‐-、. `Y:| ィ'" ̄ヽリノ /:::::::: i
|l: / ヽ_イ......._ノ |:l ヾー┬''゙ /:::::::::: | <キタぁーーーー〜!!!
|l ∧ ``T´ |! _,」 〈:::::::::::: ',
. }!. { l', ゙r──‐┬'"´ レ''"`7!::::: :: ヽ
ノ::. l ドf ̄`ヽl ,_,. ===-、, 。 ,'::|!:: \
(:.:::::} ト-゙、 {l::r'"`:i:'"`lリ ゚ ノ::::'、: ',
. ヽ::l: !:::::::ヽ ヾ、__,〃 ,イ:::::::::\ ト、i
/:::|:: | l:::::::r=辷_、 `二二´ /_」`!::::::::〈` | リ
./::::::::|:: |{ |::::::::ト----:\ ,ィ'゙二..イ::::::::::::ヽ ,'
.{_|:::::::l:::. ヾ`ー':::l:.:.:.:.:.:.:.:.:.、`''''''''i゙| 「:/| :.:.!:::::::::::::_ノ /
`>::ヽト、 `ー、::|:.:.:.:.:.:.:.:.:.:ヽ\:.|.| |(_」:.:.|::::::::::f´:::::::'- 、
(:::::::::::::`ヽ l{く:.:.:.:.:.:.:.:.:rへノ:.|.| |:.:| /:.: ̄`ー!、_:::::::::、_)
`ヽ;:;: -''"|ノ`ー.:.:.:.:.:.:.:.\「:.:.:|.| |:.l/:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:`'':: 、|
,. -''":.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:|_|」:.:.::.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:``''::..、
何がキタの?
八戸のぶながが来るんだろう
便秘だったんだろう
363 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/18(月) 18:04:05
曹操が部下に大軍の統率を任せなかったのはなぜなんだろうか
>>363 ひとつ、自分が一番優秀だった
ふたつ、張バクの裏切り
肉親同様の親友に裏切られたのが堪えたんだろ
365 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/18(月) 18:36:34
曹操はたとえ相手が子供でも信用できないと判断すれば
容赦ないからな
>>365 妾の連れ子は能力なくても可愛がったけどなw
魔王だな
能力がない子供ほどかわいいんじゃないのか。ああいう立場の人は。
将軍としてかなり有能な曹彰への愛情は溢れてるけどなw
全部読んだが、キョチョの話がまったく出てなくてワロタ
許チョは将としてなら話しにならん
一度の戦いで五桁も首級上げるって、将としてもけっこうなもんだと思うんだけど
374 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/23(土) 21:37:11
許楮は馬超と同等の武力、つまりTOP5に入る強さの持ち主ってだけでお腹いっぱい
でも、一軍の大将というよりは、親衛隊長というイメージが強いな。
376 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/23(土) 21:59:27
戦績に乏しいよな。
蜀の趙雲も似たようなポジションだよな
張繍の先鋒のを破った時許チョが率いていた軍って元々持ってた一万を数千で防いだ精鋭でしょ?
要はそういうことだと思うんだ
・・・にしても五桁の首級は大げさすぎるな。
二度目の張繍戦は戦に敗れたが、
追撃戦で于禁曹仁李通許チョがそれぞれ大活躍。
・・・一体張繍は何万の軍勢率いてたんだw
多分に誇張されてると思うぞ。
楽進と曹操はどちらも小柄だったそうで……
お互いに通じるものとかがあったのかもなあ
380 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/02/29(金) 18:27:57
チビ同士って仲がいいもんねw
381 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/03(月) 03:29:08
淵てザコだな
382 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/03(月) 09:19:29
演義だと曹洪レベルだが正史だとかなりの名将だぞ
曹仁しかり
逆に夏侯惇は…
給料がすべてを物語ってる、淵は親族じゃなきゃ列伝されないクラス
384 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/03(月) 11:53:26
>>378 中国人に数を数えろって言う方が無理な話し・・
まあ、3の倍数で馬鹿に成ったり、5で犬みたいに・・・
給料が西方での功績後でも800戸だったらしい。
えーと、建安?20年だから西暦216年の時点では、親族にしては相当少ない。
于・楽の左右両将軍はともに1200戸で終わっているけれど、
于禁は捕えられていなければ、楽進はもう少し長生きしていれば、二人はもっと戸を領有していただろうなあ。
386 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/03(月) 15:04:19
給料?
曹仁、曹洪は曹操が死んで曹丕が後を継ぐ直前あたりで(220年ごろ)
それぞれ1500戸、1100戸くらいでしょ?
夏侯淵も順調に行ってれば曹仁、曹洪並にはなったんじゃない?
夏侯惇があまりにも別格すぎるけど。建安12年で2500戸。
388 :
.:2008/03/03(月) 16:31:09
216で800じゃ曹仁には全く届かないだろ
曹仁なんか曹操がもう少し長生きしてりゃ封邑がさらに増加されてたんだろうし
戸数=功績って訳でもないけどな。
こいつなら多少ケチっても問題ないとか、政治的な配慮からこいつに奮発しないとダメだな・・・とか
曹仁はもともと曹操とは別軍団、曹洪はケチだったから多少奮発したんだろ。
夏侯惇は国家の重鎮だったからだけど、
夏侯淵は曹操にとって惇と並ぶもっとも親しい親族で、姻戚にあるから戸数上げる必要もそれほど無かったんじゃないか?
というか、曹操が魏王になった前と後を比較しても意味ないだろうに・・・
216年に曹操が魏王に封じられてからの4年間、夏侯淵が生存してたなら
普通にちょっとずつ加増されて曹仁、曹洪並になってたような気もするけどなあ
392 :
.:2008/03/03(月) 18:24:38
曹操生存時の曹洪と淵の加増チャンスはさほど変わらんだろ
曹仁は最後の加増前に曹操が死んだから+2000のジャンプアップだったんだろうし
曹操生存時か否かが問題じゃなくて、
王となって上奏せずに戸を増減できるようになったのが問題じゃねーの?
夏侯淵はその機会を逃してるから「少なく」感じるわけで、
魏王前で1000戸以上超えてるのは
・夏侯惇
・張繍
・荀イク
・カクカ(死後)
こんくらいじゃね?
>>391 あれ?淵の没年って219年じゃね?
3年は生きてるぜ
淵の子で一番出世したのは…7男・和の太常か。
不遇じゃない事を考えると、きちんと姻戚として扱われてるんだな。
建安21年(216年)に300戸加増で合わせて800戸になった
で、そのあと建安24年(219年)に戦死するまで加増はされてないのかいな。
>>393 魏王になったのって216年ごろだよね。
確か五将軍も全員越えていたと思うよ。
>>397 楽進、于禁はほぼ確実。
張遼、徐晃、張コウは確証無し。
399 :
.:2008/03/03(月) 19:53:54
張遼は加増前が1600だからほぼ確実に超えてるだろ
結局、淵は曹操からみてそれほど戦力になる武将じゃなかったんだな
政治的な理由ありといっても、時期を考えると張繍の戸数は凄いな
>>400 夏侯氏宗家というか本家が夏侯惇だって事だろ
淵はあくまでも夏侯氏の本流ではないからあんま上げすぎると惇に悪いしな
上げすぎどころか明らかに低いから雑魚なわけで
その「低い」ってどういう意味で?
親族にしては低い なのか 絶対量として低い なのか。
405 :
.:2008/03/04(火) 11:58:49
216に功績を挙げて500→800じゃ親族としても低いし、軍を率いる武官としても低いかな
というか雑魚しかいえない奴を相手にする意味があるのかと
>>401 カクの狙い通り
弱ってる時に味方したからですよ
>>405 当時夏侯惇が2500戸で淵が500戸なら族子としては充分だし
800戸になると今度惇の1/3くらいの数になる
さらにその直前に征西将軍としてなんと惇を追い越す官位を得てしまってる
これでは惇に悪いので、食邑をそれ以上あげるのは難しいんじゃないかな
409 :
.:2008/03/05(水) 05:33:55
同時期の族弟の例としちゃ207年に荀ケ、荀攸が2000、700か
でも荀攸の207年文官で700ってのは荀ケは別格として文官の中じゃトップクラスだろうからなぁ
惇が2500になった時、500の淵よりゃ差がないな
それはともかくあの時期の征四将軍ってのは冠位ってより役割じゃね、もちろん上位者にしか与えられてないが
410 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/05(水) 07:18:48
>>407 荀攸の方は文官じゃなくて武官じゃ?
征西将軍が役目だったとしても曹仁のように行を付けたってよかった筈
それをしないのはやはり褒賞の意味があったんでは?
411 :
.:2008/03/05(水) 08:59:37
行が付くかどうかってのは魏王即位前か後かじゃね・・・漢中後なら微妙に前か
でも魏王になる前に四征って任命できないような
荀攸は微妙だけど、人材不足のころ以降はバリバリの指揮官てわけでもないべ
412 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/05(水) 11:13:57
>>411 魏国成立後は魏の尚書令になるけども
それ以前は軍師として軍務を大いにこなしてるよ
曹操から「出るな」的な手紙もらっておきながら結局カッカして出てって首落とされて…なにが妙才だよ
このスレには馬超がいる。
それはそうと、劉備が一枚上手だったんだよ。仕方ない。
>>413 張コウを守る為に自分の兵士を割いて死んでるのだがな
ただ突っ込んでるわけじゃねーし
>>415 裏切りの前歴がある張コウは守ってやらないとまた裏切るかもしれないしな
ただ、そうするしかない状況に追い込まれた時点で総大将のミスだわな
417 :
.:2008/03/09(日) 18:27:02
そもそも守るほうが山の周りを囲むような状況がよくわからん
> 2 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/19(月) 22:54:27
> 215年
> ・7月、曹操、張魯討伐。張魯は巴中に逃亡。
> ・劉備、この事態を聞き、孫権との荊州を巡る争いを中止し和議を結ぶ。
> ・11月、張魯、曹操に降る。
> ・劉備は黄権の進言をいれ、張魯を迎えに黄権を派遣するも時既に遅し。
> ・12月、曹操、漢中に夏侯淵を留めおき、帰途に着く。
> 216年
> ・2月、曹操、鄴に到着。
> ・夏侯淵、下弁の氐族や羌族を討つ。(この辺、時系列がちょっと微妙)
> ・張郃、巴中を荒らすも張飛に撃退される。
> 217年
> ・法正、漢中侵攻を進言。
> ・劉備、張飛・馬超・呉蘭らを下弁に派遣し、曹操はこれに曹洪を当てる。
> 218年
> ・劉備、漢中に進軍。
> ・呉蘭が曹洪に打ち破られ、張飛らは漢中に撤退。
> ・劉備は陽平関に布陣し、張郃は廣石に布陣す。
> ・劉備、張郃の陣に夜襲をかけるも防がれる。
> ・7月、曹操、劉備討伐の為、鄴を出発。
> ・9月、曹操、長安に到着。
> 219年
> ・正月、劉備、高翔を留め置き南進。沔水を渡り、山に沿いつつ前進し定軍山・興勢に布陣。
> ・同月、夏侯淵、定軍山に攻勢をかける。
> ・法正、これを討つべしと進言。劉備、黄忠を高所に配す。
> ・劉備、夏侯淵の陣に火を放つ。東を守る張郃が不利になったので、夏侯淵は兵を分けこれを助成させる。
> ・劉備、黄忠に攻め立てさせ、夏侯淵らを斬る。
> ・夏侯淵の司馬郭淮は敗軍の兵を集め、張郃を立て漢水を挟んで劉備と対峙。
> ・曹真、陽平を守る高翔を破る。
> ・3月、曹操、陽平に到着し劉備と対峙、曹真は下弁の曹洪らを回収。
> ・劉備は山に立てこもりこれに抵抗。
> ・5月、曹操、軍を引き上げ長安に帰還。
> ・秋(7月〜9月)、劉備、漢中王即位。
> 補足
>
> ・山に立てこもる劉備は劉封に山を下りて曹操に戦いを挑ませた。
> →上庸侵攻中の孟達のもとに派遣されたのはこの後?
> ・趙雲の黄忠・張著救出、曹操の大軍に対して空城の計などの活躍。
>
> 上二つはいずれも注ながら劉備も単に山に立て篭もっていただけでなく、結構やってたのが窺える?
> 建安二十三〜二十四年にかけての漢中攻防戦における両陣営の参加武将
>
> 劉備側
> ☆確実
> 劉備、法正、黄忠
> ☆まず確実
> 張飛、馬超、呉蘭、任夔→下弁攻略失敗の後、漢中へ。なお呉蘭、任夔は戦死。
> ☆多分
> 劉封→任城威王彰伝注より。
> 趙雲、張著、張翼→趙雲伝注より。
> ☆可能性あり
> 魏延、楊儀、劉巴、黄権、呉懿、呉班
>
> 曹操側
> ☆確実
> 曹操、張郃、郭淮、曹真、徐晃、夏侯淵(戦死)、曹洪、曹休(曹洪と曹休は下弁)
> ☆まず確実
> 張既
> ☆多分
> 楊脩→武帝紀注より。
> ☆可能性あり
> 劉曄、于禁
> ・劉備陣営
> 高翔
> 陳式
>
> ・曹操陣営
> 趙顒
> 杜襲
> 夏侯栄(淵・五男)
> 可能性としては朱霊も。
421 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/12(水) 03:57:45
結局、新政権樹立直後の劉備に漢中奪われるんだもんな。
まして曹操が到着するまで持ち堪えられないって将として不適格
最期で評価ってだいぶ変わるよね。
人生は如何にして死ぬかだという人も居るしな。
初め有らざるは靡し 克く終わり有るは鮮し
という言葉もあるしね
425 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/14(金) 23:32:25
郭睡っていいよな。
誰かわからないや
かく・・・つば・・・?
428 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/22(土) 07:29:06
俺、どっかの国の軍師になりてんだけど
曹仁
やっぱ攻防共に功績あるって評価高くなるよね
曹洪
433 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/23(日) 23:01:48
曹洪
統率84 武力87 知力51 政治30
夏侯惇
個人的に司馬孚が好き。親戚の誘いを断ってまで魏に忠誠を尽くしたところに感動した
436 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/25(火) 00:10:10
司馬朗と司馬孚は良い奴だな。
司馬孚はそうでもないような。
なんだかんだ言ってシバイの後を受けて司馬師、司馬昭への権力受け渡しをやったのは司馬孚
439 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/26(水) 03:57:34
司馬防って厳しく躾けたどころか生きてる間は息子を管理していたようだけど
それって何のためにやってたんだろ。漢王朝に尽くせる人格者を育てたかったのか。
司馬懿が権力掌握したのって契機は自衛目的なんだよね?
司馬懿はいろんな手違いから「権力を握ってしまった」人だと思う。
魏の文帝、明帝のどちらかが長生きしていたら、
名臣として生涯を終えたんじゃなかろうか。
441 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/26(水) 22:57:54
曹操が言ってたようにもともと野望高かったと思うがなー
明帝が生きている時から大臣からは警戒しる、って言われてたんだよ司馬懿は
まあ彼が特に野望の士だったというよりは、大きな軍事的権限を持つ臣下ってのはそれだけで危険な存在だから
手違いで済む問題ではないんだよね
どちらにしろ文帝あるいは明帝がもうちょっと生きてればああいった結末にはならなかっただろうね
夏侯威、曹真らが長生きしてれば、まだ対抗できたかもねぇ。
それにしても長生きしたな 司馬懿は
キッチリ体制整えてから亡くなるあたりは
袁紹や劉表と大違い
446 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/27(木) 21:46:34
徳川家康とすごい被る
司馬懿って司馬朗が死んだ跡に「私は人格に関しては兄に勝てなかった言ってたよな」
そのことを考えると司馬朗ってすごい人なんだなと思う
ごめんミスった
お前ら于禁はどうした!?
あれも強いぞ。
NGワード:裏切り 寝返り 降伏 投降
于禁は宇野みたいなもんだな。
あそこで降ったことで評価が決まっちまった。
宇野もあの珍プレーひとつで「ヘディングの人」になってしまった。
ほんとはもっと評価されるべき選手なのに。
まあ、そういうことと俺は思っている。
NGワードも回避したぜ。
的確すぎわろた
曹操の生前に四方将軍になったのは、
左将軍于禁と右将軍楽進、前将軍夏侯惇だけなんだよな。
于禁も関羽に降らなかったら、
夏侯惇並みとは言わないまでも、
それに次ぐ地位に就くことができたのかな?
車騎将軍とか、諸大将軍とか、四征将軍とか。
>>452 魏王国での四方将軍と、漢王朝での雑号将軍ではどっちが上かわからんよ
ほとんど差がないか、漢の雑号将軍の方が「皇帝の直臣という意味では曹操と同格」という点で格上だったかもしれない
于禁は曹操の血縁ではないから、健在だったとしても四征将軍止まりだろう
血縁除いたら、たぶん1番の将軍だろうな。
次いで楽進か。
>>454 功績の分、張遼の方が上になる可能性もあるが、于禁と楽進は曹操の子飼いだから魏の時代になれば外様より優遇されたかもな
456 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/30(日) 00:54:15
于禁と楽進は曹操の下での活躍の期間が長かったから張遼等より将軍位が上だっただけじゃないの?
しかし張遼って濃い人生送ってるよな
生きてさえいれば李典は相当高い地位に昇ったのではないかと思わないでもない
李典は絶対にセカンド
460 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/30(日) 02:04:33
文聘だよ!文聘!
李通は名将だ
高覧って魏に降ってから活躍してないよな
463 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/03/30(日) 18:14:25
片割れは大活躍なのにな
降って間もなく死んだんじゃない?
そう言えば、袁紹死後に曹操に降伏した袁氏配下の将軍って、
降伏後活躍した奴が一人もいないんだよな。
なんでなんだろ?まともな奴は官渡でみんな死んじゃったのかな?
つ牽招
467 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/01(火) 00:38:15
地味だな
>>468 郭援は曹操に降伏してないやん。
高幹は一度降伏してから背いて、
曹操配下としての活躍はまったくないし。
エイプリルフールじゃないの
名将といえば徐晃
真の良将…徐行
冷静さを絶賛…手禁
曹操談
473 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/02(水) 20:36:59
徐晃は演義でいうところの趙雲みたいな感じじゃないの
骨進は魏の将でおk?
斬り殺されたことくらいしか知らない
わかった。
なんで将軍に拘るんだろうか
>>481 文官は崔エンとか、陳琳とかいるじゃん。
将軍はどうしたのかを知りたいわけよ。
兵を率いる人物全てが将軍位にあるもんではないけどね。
「将官クラスで」ってことなんだろうけど、死後ならほぼ皆無だろうし、
官渡で降った張コウだって中郎将。
そんなもんだろうよ。
于禁があらかた穴埋にしちまったからなぁ。
あの曹操軍だかが七万を埋め殺したって奴か?
7万は実数かどうか知らないが、20数将を捕らえて、後にそいつら埋めたっぽいからなぁ。
于禁が埋めたというのはどこに書いてあるの?
そこに突っ込むのか。
袁紹の将校二十数名とその率いる兵を捕らえたのは于禁ですが、埋めたのは曹操軍です。
と言っておけば于禁ファンも納得なのかな。
490 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/05(土) 11:42:20
魏の名将と言えば張合βかな
袁紹の将校二十数名とその率いる兵を捕らえた戦いは、于禁伝では官渡で曹操と袁紹が対峙する
前に書かれてるし、楽進伝でも淳于瓊戦の前に書かれてるし、殺したり、捕虜にした数も千人単位だから
七万を埋め殺した戦いとは別の戦いじゃないの?
白馬・延津〜烏巣に到るまでの総計で数万と見るべきかの。
しかし、捕らえに捕らえたりって感じだ。
魏では戦果を10倍にして報告するのが慣例になってたらしいから
実際は埋め殺したのは七万じゃなくて7千人くらいだろう。
その考えでいくと于禁が殺したり、捕虜にしたのも数百人だろう。
袁紹の将校二十数名を捕らえたとあるが、これもほとんどは最下級レベルの
将校なんだろうな。
それが本当かどうかは知らんが、袁紹戦の第一功績者は于禁だよなあ。
守備が上手過ぎる。
すると捕らえた将校は二人くらいか
496 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/04/07(月) 02:38:42
10倍? 5倍じゃなかった?
国淵伝見たけど、10倍であってる
10倍ってのもまた極端な表現だよなw
孔明が集めた矢は一万本か
当時の中国の人口も過大に欠かれているのに違いないから、
大陸全体で100万人くらいかな…
当時の10億円に相当する
ほ
503 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/04(日) 19:41:58
牽招って、一度は平虜将軍・都督青徐諸軍事にまで出世してるのに、
どうして曹丕の代に右中郎将・雁門太守に左遷されてしまったんだろうか?
>>503 平虜将軍・都督青徐諸軍事じゃないぞ
平虜校尉・督青徐郡諸軍事
曹操時代も曹丕の代も特に出世はしてない感じだが左遷というわけでもないだろうな
505 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/05(月) 00:43:40
平虜校尉だったか、スマソ。
将軍になっていてもおかしくなかったのに、
どうして中郎将止まりだったんだろうな。
雁門郡は歩度根が投降してきたこともあって、匈奴の監視のための要地であるし、
>>504氏の言うように左遷ではないと思うよ。
このころの〜中郎将に、北中郎将・都督河北諸軍事の呉質がいるね。
特に将軍という位でなくても問題ないのかも。
どっちにしても将軍でなくて中郎将である理由が気になるがw
507 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/06(火) 21:55:45
将軍よりも中郎将の方が「中央から直接派遣された」という印象になるかもしれない
>>506 呉質は後に振威将軍に昇進しているね。
官制上の序列が中郎将<将軍なのは確かなようだ。
ここでまた疑問。どうして牽招は将軍になれなかったんだろう?
当時の郡太守は皆将軍号を帯びていたらしいし、
功が少ないわけでもないし、
田豫のように讒言を受けることもなかったのに。
>>508 劉備と仲良しだったという過去が足を引っ張った説
この場合、位階のうえでの将軍>中郎将ってのはあまり問題ないとも思うけどね
たとえば魏において辺境地帯での対異民族の司令官は、匈奴中郎将とか、
烏丸校尉、鮮卑校尉というように将軍位ってわけじゃない
それよりも問題なのは中央から遠隔地の辺境地域にあっては急変に際しての
迅速な対応がとれることの方が重要なんで、そのための処置としてとしての節の
持す権限を与えられる事の方が重要じゃないかな
牽招の場合、処罰の権限としての節と軍事指揮権を意味する都督号を有して
いるんで、将軍号は大きな問題とも思わないなあ
雁門太守が左遷というより、異民族に備える司令官としての匈奴中郎将や
烏丸校尉、鮮卑校尉に与えられる権限は大きくなるってことじゃないかなと
しっかし、夏侯淵ってのはよくわからん奴だな
表面的には冷静な戦術ぶりを発揮している感じでも、曹操に猪突猛進な面を
「白地将軍」と注意されたり。
個人的な感情を戦では押さえ込んでたってことか
(゚ω゚三゚ω゚)
>>511 太平御覧だと「夏侯淵は兵法下手」ってバッチリ書かれてるから
豪傑型司令官ってことじゃあないかな?
夏侯淵って、戦下手と言われてるわりには、
韓遂と戦った時に、韓遂に味方する羌の集落を攻撃して、
戦わずして韓遂を撤退に追い込んだり、
後方支援で力を発揮したり、
結構智将ぶりが目立つんだよね。
于禁の件といい、曹操は最後を全うできなかった奴には、
過去に功績があっても、厳しい目で見てるっぽい。
夏侯淵は用兵下手だったから白地将軍と呼ばれてたらしいね
後方支援が多かったのは用兵下手だったのも大きいかもな
夏侯淵は用兵下手で後方支援や知略に優れた智将と、演義とイメージが違うな
夏侯淵が討ち取られたのは、勇敢すぎたというのもあるだろうな
勇者だったのかもしれないが、後方から指揮するのは得手ではなかったんだろうな。
むしろ前線指揮のほうが苦手そう
将軍としては涼州征伐で実績があるんだが、この時は野戦では後方指揮が多かったと思う
夏侯淵は防衛戦が苦手そうなんだよな
防衛戦だと得意の機動力も発揮しにくいだろうし
夏侯淵は領土を切り取るには向いた将軍だったが、
保持するのには向いてなかったんだろうなあ。
涼州刺史韋康が殺された時も、援軍に向かって、馬超に撃破されてるし。
韋康が殺害時は、涼州人士の諫言を聞き入れずに兵を引き上げた曹操が悪くねぇ?
520 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/17(土) 18:01:58
曹操は結構判断ミスが多いからな。
夏侯淵等の配下の将達も苦労しただろう。
夏侯淵はむしろ優れた総大将のもとで一武将として動いたほうが力を発揮するんじゃね?
李典マンセー
李典は長生きしていればいわゆる五将軍より上位になっただろうにな
李典は守りに力を発揮して、攻めに強い楽進を組ませたら強かったらしいな。
一族13000を率いて曹操に仕えるなんて普通じゃない。
李典は学問があって、仕官した当初は文官扱いだったから、
三公や驃騎将軍・車騎将軍・衛将軍の地位も狙えたかも。
>>524 合肥では楽進がお留守番で李典が800で打って出てるけどな
合肥では楽進は援軍で来たんだっけ?
あと張遼や楽進より一世代若いんだよな李典。
洞察力に優れる名将ではあると思うけど
五将軍と比べると戦績が少ないのがちょっとアレだな
>>528 合肥では、楽進は護軍薛悌とともに城を守り、
張遼・李典が出撃した。
>>530 この時の戦いで張遼ばかりが持ち上げられるのは納得いかない
>>531 全軍を指揮した薛悌や張遼と一緒に打って出た李典があまり評価されないよな
実際呉側の記述だとまるで張遼しか活躍してないみたいな扱いだし半分仕方ないと思う。
しかし李典はもっと評価されていいな。薛悌は何したか分からんが
>>533 薛悌は曹操のエン州時代からの腹心
護軍というのは軍のお目付け役で、降将を含む3将を監視し指揮するのは実質的にはこいつだったはず
薛悌はおそらく調整役も兼ねてたんだろう
三人の守将は曹操に仕えるまでの経歴も性格も三者三様で、それに李典は
ともかくも、張遼と楽進はともに節を仮され位階もほぼ同格
まかり間違えば衝突する可能性もあるし
薛悌は曹操に仕えたなかでも古参に分類できる位置にあり、性格も寛容で
度量も大きい
曹叡の代にいたるまで信頼され続けた人物で、有能ではあっても統一感のない
三将の目付けとしては適任だったのかもね
合城の城を建てた満チョウ自信は合肥に駐屯してなかったのには理由があるの?
要塞都市は政庁を置くに相応しい場所じゃないって所だろうな。
既に州の治所として寿春があったので、敢えて最前線に行政組織を移す必要はないという事だろう。
合肥はともかく、合肥新城は要害であり、大軍を常時駐屯させる必要はなく、
また、大軍を合肥新城に置くとなると、淮水流域の穀倉地帯から遠ざかる事になり、
その大軍を賄う食糧を後方から輸送しなければならない。
普段は軍を寿春に置き、有事の際に、必要に応じて合肥等に繰り出すと言う方が合理的という事だね。
そういえば州の治所ってたまに移されてるけど、
ほとんど呉との国境に面した州でやってるね。
やっぱり軍事上での便宜を図るのが目的なんだろうか?
そうだろうな。州の治所は軍隊の主要な駐屯地だし。
>>531,532
合肥の戦いは、合肥を守り抜いたのはもちろん重要なポイントなんだけど、
その後の追撃戦の方が意味が大きいと思うんだよね。自国に次ぐ強国の君主
に、いうならトラウマを植えつけたようなもんだし。この戦の第一殊勲者は
やっぱり張遼でしょ。
>>541 それはみんな分かってるだろ
別に李典>張遼とは誰も言ってない
ただ、李典たち「も」もっと評価されてもいいよね、って言ってるだけじゃん
まぁ、でも曹操の武功は「五将による所が大きかった」とある于禁らに次いだ、
とされる朱霊よか、李典の方が普通に能力高いからなぁ。
>>543 それを言って何になるんだ?
能力と功績が比例しない例なんて、世の中掃いて捨てるほどあるだろ。
能力的には地味でも、長く貢献した人物と
将来を期待されつつも若死にした人物。
どっちが「功績の大きさ」を賞されるか、悩むようなこともなかろうに。
>>544 他が低い状態でこれ以上、李典だけ上げてもなぁ、って思っただけ。
546 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/28(水) 20:24:39
李典より朱霊の方が有能だと言う論拠は?
単純に陳寿の評価で
裴註にあるのに、陳寿の評価も何も…
はあ? 巻末の評を言ってるんだが
李典より功績が大きいというのが能力が高いという何の論拠にもならないの?
じゃあ先に李典の方が能力が高いという確かな根拠挙げてくれよ
何か頭の中で色々ごっちゃになってないか?
つうか、何でそんな喧嘩腰なん?
評価が低すぎなのは薛悌だろ
いいから挙げてくれよ
つうか
>>543以外で、朱霊より李典の方が能力高いって誰か言ってるか?
おや。ほんまや。ageに釣られてるんだな。
てか
>>544もじゃないか?
違ったらスマンがそういう風にも読めるぞ
558 :
544:2008/05/29(木) 12:49:52
>>557 うーん、確かにそうとも取れるな。思うところは違うんだが。
あくまで功績にのみ着眼した意見なんだ。
仮に、だよ。李典の才能が朱霊以上だったとしても、
朱霊の方が長く曹魏に貢献しているわけで、より評価されるのは当然でしょ、と
そういうことを言ってみただけなんだ。
敵将李典、うちとったりーーーー
>>543 ゲームの話ですか
李典は演義で活躍してるから、能力値も高いのだろうね
朱霊も結構古参だけどな。韓浩といい薛瑩といい、曹操軍は派手なのから地味だけど実は、ってのまでホント人材多いな。
王必ってなんで誰も評価しないのだろう
563 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/05/30(金) 23:19:25
>>561 ちょっと待て。薛瑩は呉の人だ。
>>562 評価されるだけの功績が無かったからじゃね?
歴史を動かさないところで地道に実績を重ね、
丞相長史まで上り詰めた感じ。
>>563 許での反乱を負傷をものともせずに鎮圧した功績が忘れ去られているのが哀しいな
兵を持って曹操留守の許を監視していたんだから、曹操から絶大な信頼を受けていたことは伺えるんだがな・・・
>>563 恐らく、薛悌と間違えたんだろう。
>>564 立伝されてないから忘れられるんだと思う。
それでも、吉本の乱を鎮圧した事は武帝紀にあるから、
指摘されれば思い出す人は多いだろうけど。
>>565 俺もそうだが、どうしても立伝されている人物の方が覚えてるし重要人物だったんだろうと思うわな
しかし薛悌とか韓浩とか王必とか、就いていた地位や役割からすると曹操政権の超重要人物なんだと思うんだが、イマイチそう思われていない感じがするのが残念だ
韓浩も無理やりイケメンにして三国無双とかに出てビーム打てばいいんだよ
史渙「俺だって…」
変換がめんどくさかったから
徐晃や張遼に史渙とか薛悌がついてたのは、アレお目付け役だよな
曹操は裏切り将軍を監視してたんだよな
徐晃と史渙と言うと、眭固の撃破と、故市における輜重攻撃だな。
故市で袁紹の輜重を焼いた事はさらっと流されてるが、
実際、これは重要な事だったと思う。
故市に基地を置かれ、韓荀が雞洛山まで進出してきているという事は、
官渡と許都との連絡は断たれようという状況であり、
劉備が汝南に進出している事を考えると、許都そのものも危うかった。
これらの機動は許都に対する前進とも取れ、許攸の進言を実行していた可能性もある。
とするならば、韓荀の撃破は許攸の見通しが外れた事を意味し、
彼の袁紹軍での立場を危うくし、その投降を促したと言える。
>>571 この韓荀って、他に韓猛、韓若、韓シュンなどの表記も存在するし、
更に烏巣で曹軍に襲撃された淳于瓊ら五人のなかの韓キョ子とも
同一人物だとする説もあるみたいだし、わかりにくい…
>>572 他はともかく、韓莒子は無理があるように思えるんだよね。
韓莒子の名が見える、武帝紀注の曹瞞伝では、許攸が烏巣と故市の二ヶ所を挙げている。
この曹瞞伝を信じるならば、許攸は投降した時点では故市の壊滅を知らなかった事になる。
雞洛山の戦いから故市焼討までが、烏巣奇襲と結構な間があるなら、
韓荀=韓莒子というのも成り立つけど、曹瞞伝を見る限りは、
両者は時系列的に接近していると考えられるから、韓荀と韓莒子は別人だと思う。
574 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/06/27(金) 12:35:26
なんで朱霊って列伝立てられなかったんだろ
54 :ザビエル(゜ゝ゜)⊃†:2007/03/21(水) 01:59:28 ID:GR6D1FKY
八戸のぶながを人質にとって立て篭もるHISAHIDE!!
576 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/06/28(土) 00:05:07
>574
どの国にも有力なのに伝が立ってない人いるし
それなりの地位にいたらしいのに全く記録が無い賈信なんかよりはずっとマシ
でも、マイナーな三公経験者よりは、
まだ朱霊の伝を立てた方が良いと思われ。
常林の伝記とか、マジイラネ。
579 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/06/29(日) 22:43:03
そう思うのは光栄三国志の愛好者くらいのもんで、陳寿や当時の人々にとっては、重要度は
知識人で家柄もしっかりした官僚>>>脳筋の武人連中
なんだよな、残念ながら
うむ。むしろ裴松之のように軍人の記述が少ないことを嘆く人の方が少ない。
そう言えば、他の時代の建国に活躍した武将って、
字が伝わって無い人物が多いんだよなあ。
清史稿に立伝されている武将ですら、
字が伝わってないケースが多い。
中国の史書は伝統的に
儒教官僚>>>軍人>>>民衆
なんだろうなあ。
張郃は戦死した時、遺体は蜀に取られたのですか?
張郃自身は反対したけど、上司の命令で追撃して戦死は悲しいですね。
首を取られてなければいいんですが・・。
この時は脾に受けた矢傷が元で亡くなったようなので、戦死と言う
よりも戦病死のような感じじゃないでしょうか。
この時の戦闘自体がかなりの激戦だったようで(晋書の方ではこの
追撃戦で魏が大勝した、というような記述があったような気が・・)
一方的に蜀側にやられた、と言うのとは状況が違うかと思います。
敢えて死地に飛び込むような状況で、最善を尽くしたであろう点に
張郃の意地が微妙に感じられますね。総司令官が司馬懿でなく曹真
であればまた違った結果になったでしょうねぇ。司令官としての器
と言う点で曹真はかなり優れた人物だと個人的には思います。
張郃自身は古い書物に書かれてる言葉を自分の字にするぐらいです
から(書物の名前忘れた〜〜)武人としてはかなり異質でしょうね。
軍事面における資質は五将軍の中で、一番曹操に近いのではないで
しょうか。
>張コウ自身は古い書物に書かれてる言葉を自分の字にするぐらいです
あ〜!だからシュンガイなんて珍しい字だったわけか!
納得した。
張郃伝の注釈にある魏略の、「歸軍勿追」って何に載ってるんだろうか?
撤退する敵軍に追撃をかけるのはセオリーのように思えるが。
586 :
583:2008/07/04(金) 01:02:20
>585さん
アレは孫子の軍争編に載ってますね。
孫子では(わざと)逃げる敵を追ってはならない、とあります。
また本国へ戻ろうとする敵を追ってはいけない、ともあります。
この場合、蜀軍は前哨戦で魏軍を破っていますし、敗走と言う
状況ではありません。しかも陳倉の攻防時もその帰途に追撃する
魏軍を打ち破っています。
戦に負けて敗走する部隊ではないのですから、伏勢等がいる可能性
が高い。日本でも島津家がよく釣り野伏せと言ってわざと敗走した
ふりをし、深追いした敵を包囲殲滅する、と言う作戦を良くとって
います。
587 :
583:2008/07/04(金) 01:17:00
ちなみに撤退する敵を追撃するのはセオリーと言うのは国土の狭い
日本国内だからこそ通用する戦法だと思います。日中戦争時の日本、
ロシア遠征時のナポレオンなどは兵站面の問題を解消しきれず、相手
に逃げられています。
相手国へ戻る敵を追撃すると言うのは、ソレが壊走でもない限りは
かなりいろんなリスクを抱えていると見た方が良いですね。
日本国内ではそういう逃げられる心配、と言うのはほとんどありま
せん。だから追撃が成り立つのです。
そういう意味では日本で蕭何のような人物は評価されないでしょう
ねえ。石田三成とかもしも中国に生まれてたら、もしかしたら相当
高い評価だったかもしれませんね。
帰師勿遏ね。孫子は久しく読んでないから忘れてた。ありがと。
ただ、張郃の追撃はそれほど大規模な追撃でもないし、
ナポレオンを引き合いに出すのはいいが、それならばロシア遠征だけでなく、
イエナの戦いの後のベルリンまでの大追撃も述べるべきだと思う。
日本だから追撃が通用する、というのはちょっと違うだろうね。
ロシア遠征だって、どちらかと言うと広大な国土を有する国に対する大攻勢と、
それに伴う兵站上の困難、というのが問題であって、追撃を否定する例には相応しくないと思うし。
防御というのは強力な戦闘形式だけど、その崩壊以降に被害が加速度的に増加する。
対して攻撃は、相手の防御を崩した後の追撃が無くては、
それまでに払った犠牲に見合うだけの戦果を得られるものではない。
だから追撃、或いは連絡線の遮断が重要になってくる。
張郃の行った追撃は、敵を撃破してのもではないにせよ、
木門の位置を考えれば大規模なものとは言えない。精々半日か、1日程度のものだろう。
鹵城の堅固な陣地を放棄した敵を前にしたのだから、追撃の判断自体はそう責められるものでもないと思う。
589 :
583:2008/07/04(金) 07:14:47
追撃をしない方が、と言うのはちょっと一般論に偏りすぎてたかな。
失礼。
ただ、この時の追撃戦に関して言えば、蜀軍は無策で退却する訳では
ないのは以前からの戦いを考えても充分理解できることだし、何より
この時、緒戦で魏軍は蜀軍の敷く防衛網を破れたわけではない。
相手が余裕ある状態で退却されている訳なのでやはり判断としては
間違っていたと思いますね。
ただ、例えば兵勢編では敵と対峙する時はまずは正攻法で当たり、
敵を破る時は奇襲を用いる、とあります。そういう意味では確かに
退却時と言うのは蜀軍に一番隙ができるタイミングであり、判断
としては、そう間違ってはいないことになる。
ただ、違っていたのは相手の退却時の対策までがきちんと練りこん
であった、と言う点が司馬懿の予想を上回っていた、と言うことで
しょうね。逆に何度か戦火を交えていた張コウはその辺りの予測が
ついていた。
>>588 漢晋春秋では魏が大敗、晋書では魏が大勝、と勝敗が分かれてますよね。
張コウと司馬懿のものと似たやりとりが呉書朱桓伝にもあって、
初戦における大敗の帳尻合わせををするため、無謀な突撃を提唱する全ソウに、朱桓が反対しています。
>>589 一般論こそ追撃を是とするもんだと思うけど。
まぁ、その事はスレ違いだから良いとして、張郃の事だが、
そもそも彼の行った追撃がどういった命令によるかが不明。
諸葛亮撤退時の状況を考えると、司馬懿らの位置は祁山東方、
上邽より少し西へ行った辺りであり、その時点では、
諸葛亮が鹵城の陣地を棄てて後退した事しか分からず、祁山の包囲もどうなってるか不明。
従って、魏軍は少なくとも祁山までは前進する必要があった。
仮に全軍を挙げての猛追であるならば、張郃だけが派遣されるのはおかしいので、
これは限定的な追撃であったと見るのが自然。
司馬懿は敵国領内への前進までは言及してないし、その準備も無いので、
普通に考えれば、敵を追撃しつつ国境まで追い散らす、という程度の命令だろう。
張郃が敗れた位置も祁山からそう遠くなく、徹底的な追撃ではなかった可能性が高い。
敵が敗れての撤退ではないとは言え、どこまで後退するかも確かめず、
態勢を整える暇を与えるのも変だし、敵後衛と接触保たせたまま、
自軍の前衛を前進させる方が理に適っているだろう。
陳倉では、王双は敗れて死んだが、国境を越え故道の険しい道を追うのと、
自国領内、重要拠点である祁山周辺で追うのでは、敵の備えだって当然違うと考えるのが普通。
また、張郃には敵の後衛の抵抗が頑強であるならば追撃を中止する選択肢もあったはず、
彼が敗北した事を以って、責任の全てを司馬懿に求め、追撃自体を非合理とするのは結果論だろう。
>>590 朱桓伝の記述って、嘉禾六年のか?
だとしたら、今の話とは違うだろう。
あれは、敵の誘引に引っかかって六安まで行ったものの、
敵城を目前にして敵の策が露見したので撤退したというものだろう。
その撤退する際に、敵を奇襲するべきかどうかという話が出たので、
撤退する敵を追撃するかどうかの話ではない。
むしろ、諸葛亮がやったのと同様な事をやるか否かを議論していた。
それに、あの戦いが大敗だったなんて記述は知らない。
いちいち長文にしないでくれたのむから
594 :
583:2008/07/05(土) 08:55:15
まぁ、追撃論の是非は多分言っても理解してもらえんようやね。
ちょっとがっかりだ。
張コウの場合、先の陳倉攻防でも諸葛亮軍の兵糧の不足を指摘していたし
(それもかなり正確に)今回もその点を指摘している。だからこそ正面
から当たるのではなく、奇襲部隊を編成して敵の後背を脅かすような動き
をしろと助言している。そういう意味ではかなり蜀軍の状況を少なくとも
張コウは把握している。
そう考えると、蜀軍の撤退がどういったことを意味しているのか、張コウ
は理解していたと思いますよ。張コウが理解していたぐらいなので司令官
の司馬懿は当然知っていたと思うし、知っていないと困る。
そういった敵軍の状況を把握していたからこその発言と捕らえないと、
張コウの場合、単に孫子を暗読できるだけの武将でしか無くなりますし
魏の五将として評価されるモノでは無くなります。
わざわざ史書に変化の法則をわきまえ〜〜と書いてあるのは何故か?
ここで敵が撤退なのか、単に陣地を後退させただけなのかが分からない
状況で下手な動きをする方がヘンだと思います。
そういう意味で敵の態勢云々と言うのは根本的に考え方がずれていると
思います。
595 :
583:2008/07/05(土) 08:56:39
キ山周辺の状況にしても、Jominianさんがわからない、と言うだけで
当然当時の魏軍はその辺りの状況も判断して追撃するべきか否かと言う
のを判断してるでしょう。そういった事をわからないから、と推測も
しないで追撃云々を議論することこそ意味が無い。
孫子にもあるように戦いと言うのは常に動いており、一定の形をとる
ものではありません。いかに相手の情報をつかみそれを元に作戦を
練るか。そもそも一般論では追撃するべきと言うのは、すでに偏った
思考の持ち方だと思いますね。
追撃するのがベストか否かはその時の状況次第でいくらでも変わる訳
ですから、と思いますよ。
長文失礼
まぁ、日本人の大半は馬謖だろうさ。
>>596 多分、何を話しても俺とあなたの意見が合う事は無いだろうし、
やりとりを嫌がってる人もいるようだから、もう何も言うつもりは無いが、
一言だけ言わせてもらうと、「偏った思考」などと簡単に言われたくないし、
そういう余計な一言は、余計ないさかいを生むのでやめた方が良いと思うよ。
>>597 俺は
>>596だが、正直すまんかった。
だが、何か貴方が色眼鏡で見てるみたいなんで、それについては言っておかなければならない。
>>595の人は一貫して自分のレス番をメル欄に
>>583として入れてるじゃん。
なのに、自演していると決め付けて、そういう書き込みをする神経ってどうなんだろう。
あなたの眼は、いま相当に曇ってるよ。
599 :
598:2008/07/05(土) 10:31:54
アンカーレスのつけ間違いか。
曇っておったのはワシの眼だったようじゃ…半年ROMに戻るわ。
孫子と一般論でごっちゃになってんな。
>撤退する敵を追撃するのはセオリーと言うのは国土の狭い日本国内だからこそ通用する戦法
これは俺もよく分からない。日本はそんな地理的に特別なのだろうか?
高度な戦術である偽装退却で返り討ちにあったり、焦土戦術を使われると追いきれなくなるだけで、
追撃戦ほど戦果を挙げるチャンスもないだろうと思うが。
司馬懿も決断をミスすることもあるだろう。
単なる失敗ではなく張コウの戦死まで行ったのが予想外の痛手なだけで、
追撃さえ掛けないというのは恐れ戦くにも程があると思うが。
602 :
583:2008/07/07(月) 07:32:14
>597さん
ちとカチンと来てた部分があったので少し言い方がきつくなってました。
申し訳ない。
>601さん
追撃論の是非についてはその時の状況によって変わると言うのは散々上
で書いていますが、日本の場合是となりやすいのは一つは兵站の心配が
ほとんどないからです。焦土戦法と書いていましたが、そういった要素
が日本の狭い国土の場合はほぼありえない。
追撃するか否かの判断をする場合に、否定側の要素が一つ無くなること
になります。つまりそれだけ追撃する側に意見が傾きやすくなるのです。
まぁ、今回の北伐時の追撃とは意味が違うだろって話になるのですが、
思考パターンが追撃に傾きやすいと言うのは、そう言った国土の特徴と
言うのも関係していると思うのですよ。
603 :
583:2008/07/07(月) 08:13:38
後、百戦百勝は善の善なるに非ず(だったっけかな)とあるように、
100回戦って100回勝つことが最上ではありません。
要はその時の魏軍の状況として追撃をかける意味があるかないかと
言う部分ですが、私自身は追撃の必要性はまるで無いと思ってます。
この時の魏の状況としては蜀軍を追っ払えばいい訳です。そこで更
に追撃と言うのはこの場合蛇足になりかねない。戦果云々と言うの
であれば、その前にいくらでも仕掛けるチャンスはあったはずです
し、張コウもそれを進言している。
それらを全く行なわないことの方が、むしろドンだけ蜀軍を畏れて
いるんですか、と言う話になる訳です。
大事なのは相手の死角を突くことです。退却時と言うのは確かに追撃
のチャンスでもありますが、そこは相手も追撃してくるだろうと言う
ことで備えがあることなどが充分考えられます。
追撃するならするで、相手の備えを無効にできるような状況になれば
良い訳です。そこが出来てないのに追撃することこそ愚の骨頂です。
良いサンプルとして、賈詡の曹軍追撃などがありますね。
あの時、賈詡は最初は追撃するなと言ってるのに、最初の追撃が失敗
したのを見て、すぐに追撃しろと進言している。ああいうのが柔軟な
思考であり、追撃の是非を論ずる際、参考にできるかと思います。
604 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/07(月) 19:06:09
1 撤退する敵を追撃するのは日本国内だからこそ通用する戦法。
2 臨機応変に追撃すべきだ。
3 魏軍首脳部には岐山周辺の情勢が正確には分かっていなかったが、それは違うと思う。
4 司馬懿の判断は間違っていた。張コウは正しかった。
5 追撃は無駄。張コウの言う通り、連絡線遮断などのアプローチを積極的に仕掛けるべきだった
1 作戦期間、行動範囲の調節、交通ルートの選択でどこでも適用出来る。また日本国内でも通用しないケースがあるだろう。
2 正しい。
3 実際どうだったのかは、よくわからない。
4 張コウ戦死の責任は司馬懿が負うべきだが、追撃の判断自体は責められないとは思うが。
5 追撃の対策をしてる敵が、連絡線遮断の対策をしていないとする根拠はない。後者の方がより実行者がリスキー。
常に情報が正確とは限らないし戦争は博打の要素が大きい。
孫子の語る理想論は追求し考慮すべき要素ではあるが、
権威主義に陥って教条主義的に行動すると趙括や馬謖みたいになるわな。
606 :
583:2008/07/09(水) 02:17:29
>604さん
もちろん国内で追撃が通用しないと言うケースはいくらでもあります。
ここで言っているのは意識としての問題で、兵站の問題を中国人ほど
重要に捕らえてる人物が少ないため、追撃に傾きやすい思考が日本人
の場合あるのでは?と言ってるのです。常に追撃なんてそれこそバカ
の一つ覚えですよ。
後、連絡線遮断の対策を〜〜、と言う部分に関しては確かにある程度
のリスクを伴います、がそれとても、待ち構える敵の正面から戦いを
仕掛けることに比べたら余程リスクは低かったと思います。
それに退却時の追撃は相手も無事に帰国したいという意識がある分、
普段よりも勇敢に戦う(まぁ逆に指揮官がヘボいと意識が帰国の方を
占めて甚大な被害を食らうこともありますが)可能性もあり、一概に
どちらのがよりリスキーとは言えないですよね。
607 :
583:2008/07/09(水) 02:37:27
>605さん
そうですね、孫子というのはそんなにたいそうなものでは無いと思うの
ですよ。
言うならば碁や将棋で言う定石のようなものであって、基本的に知って
いるのといないのでは知っている方が有利になれる(はず)。
でも実はそこに罠があって、それら定石は実戦で充分に培われることが
可能なので、別に孫子を読んだことがないとしても戦争に強い人は充分
強い。
逆に孫子を読んでいても、実戦でそれらを臨機応変に使うことができな
ければ、論語読みの論語知らずであり、結局は孫子を理解していないこ
とになる。
そう考えた場合いろんな状況を想定してその結果追撃は危険と判断した
張コウの主張を、張コウの戦死はただの結果であり、追撃自体は間違い
とはいえない、の一言で済ますのはどうかともちょっと思います。
少し思うのが諸葛亮とそのライバルと言われてた司馬懿の2人の戦術眼
は張コウの上を行っていないとおかしい、と潜在的に思ってるのかなぁ
と感じてしまいます。
>>606-607 調べてみると日本における補給の特異性については貴方の言うとおりであった。
まあ、だからといって「日本国内でしか追撃戦は通用しない」と結論してしまうのは暴論すぎるが。
どんな軍隊でも撤退戦では進行方向と戦闘正面がまったく逆になる。
この状態で追撃を受けるのは、数ある戦闘行為の中でも一番危険。
帰国で兵の士気が高揚していて、殿や伏兵を置いて備えていたとしても
臨戦態勢で陣地に篭ったり、正面に敵を見据えて進撃する状態より安全ということは先ずありえない。
一般論で追撃が是とされる、というのはそういうことじゃないの。
結果論ではあるが当時の蜀の政情・補給の不安や、
緒戦から押されっぱなしという魏軍内部での司馬懿の政治的な事情というものを考慮すれば、
やはり追撃の判断自体はそれほど非難されることとは思えない。
張コウが犬死するような生温い追撃なら、やらない方がマシだったというのだけは分かるがね。
また張コウの反対にしても正確な蜀軍の事情を推理する訳でもないから、
その反対はただの勘であり、それをどのように説明するかを
兵法の権威主義にあやかっただけだから司馬懿を翻意させるに至らず、
自身も伏兵を見抜けずに死んで、皮肉にもその勘の正しさを証明してしまった、と取れなくも無い。
もちろんこれは過小評価した場合であるから実際そうなのか分からない。
まあ、司馬懿と張コウの情報理解や戦術眼に大した差があるとは思えないので一応書いとく。
>>606 少数の兵を派遣して連絡線遮断をするのは、大兵力を有する魏にとってリスクは
低いでしょうね。失敗しても牽制にはなるだろうし。
>>607 全面的に同意。
当時の司馬懿は諸葛亮や張郃に比べて経験が足りなかった気がします。
>>608 追撃戦は大成功する事もあれば失敗する事もある、ハイリスクハイリターンな
戦術だと思います。敵が余力を持って撤退した時の追撃戦は特にハイリスクだと
思います。それに諸葛亮が撤退戦の天才だったのが魏にとって不幸でしたね。
敵が負けて余力がない時の追撃戦はローリスクハイリターンだが
敵が余力を持って撤退した時の追撃戦はハイリスクだね
>敵が余力を持って撤退した時の追撃戦はハイリスクだね
でもハイリターンだろう。
大兵力で多士済々の魏にとって失敗して最悪張コウの部隊が全滅するだけで
戦線維持が不可能になるほどのリスクはないし、事実なかった。
>>611 > 敵が余力を持って撤退した時の追撃戦はハイリスクだね
しかも、敵の将士を討ち取れる可能性も極めて低いしな。
利益はほとんど見込めない。
張繍はそれで痛い目にあったなぁ
615 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/09(水) 20:20:06
諸葛亮に対する追撃はハイリスクローリターン
張コウ>司馬懿
616 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/15(火) 23:15:38
戦場の霧をまったく考慮してないのに吹いたw
617 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/07/21(月) 00:07:19
魏というか曹操の軍は規律が厳しくて略奪などが行われなかったとか
まことしやかに言われている漫画なんかを読んだ事がありますが
実際の所はどうだったんでしょうか?
于禁の伝に青洲兵が略奪を働いたとありますが
こいつらは正規の兵では無かった?
青州兵や烏丸騎兵の部隊はあまり規律は良く無かったでしょうね。
>>617 于禁伝に言う「于禁は敵の財物を私しなかった」という評価は、逆に言うと于禁以外では財物を私することは珍しくなかったということ
于禁伝にある青州兵の略奪もさることながら、曹操直下の兵でさえ規律はそういうレベルであり、それだけに謹厳であった于禁が特筆されたと思われる
于禁に特筆すべき点がそれくらいしか無く、
仕方なく書いたのかも知れない
>>620 それくらいなら書かないよ
そういう編集方針なら楽進伝とかもう少し賑わいがあっただろう
>>617 攻め取った国の武将の妻とかは、よく奪っていたけどな
食邑が大して多いわけでもない曹洪が金持ちだったのは、
戦利品を着服しまくったからかな?
>>623 祖父の代からの遺産だよ
大物宦官のおこぼれに預かった曹一族の中でも、曹洪の一族が一番やり手だったんだろう
それだけ曹氏は富み栄えていたんだよ(贈収賄収奪横領搾取の嵐だったともいう)
>>623 利殖に励んでいたとあるから、当時の士大夫層が手を付けない商売に匠だったんじゃないかね。
曹ヒに「金貸してくれ」って頼まれたの断ったせいで
それを恨まれて後年に処刑されそうになったってのは本当の話?
>>627 サンクス
しかしケツの穴の小せえ野朗だな曹ヒw
>>628 曹洪が金を貸さなかったことを恨んでいた曹ヒは
曹洪の部下が罪を犯したことを口実に曹洪に死罪を宣告。
だがこの場は曹真と卞太后により死刑は免れる。
しかし領地や官職は剥奪されてしまう。
そして曹ヒの死後、曹叡により名誉回復。領地も位も戻り待遇はより良いものとなった。
曹ヒはなんか陰湿なイメージが凄く漂うよなあ。
司馬イと気があうのもわかる気がする。
嫌いじゃないんだが。
于禁への仕打ちもそうだよな。
絶対上司にしたくないタイプだ。
一番ひどいのは鮑クンへの仕打ちだろうな…
632 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/21(木) 00:28:24
そのソウヒ君に面と向かって「曹沖死んでお前はラッキーだな」なんて言っちゃう父親はかなり酷いと思う
あれじゃ性格も捻じ曲がるさ
>>633 思いやりから発せられた言葉を恨んで殺害ってのがな…
635 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/21(木) 19:50:34
曹洪も負けず劣らず性格悪いから嫌い。
卞太后が取りなした時に
褒め称えた彼の武功って具体的には何の戦いなんだろ?
曹洪は二度曹操を救っている。
蓄財や曹丕の件で「ケチだった」って言われてるが実際の所はどうだか…
曹丕の逆恨みであることないこと吹聴されたのかもしれないし
司馬懿に交際申し込んだら仮病使われたの恨んで曹操にチクった、てのもあるな。
まあこの場合はどっちもどっちだと思うけど
>>632 ショックでおかしくなってる曹操に何か言ったのかもしれん
奥さんのシン夫人を着飾らせていたが
質素派な曹操&卞夫人に怒られた途端
「だってあいつが勝手に着たんですよ」と言い訳をした
そんな逸話なかったっけ
急に切り替わって申し訳ないが曹純って割と地味な人?
有名ではないような
642 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/22(金) 10:33:47
でも兄より優秀だったろ
もっと長生きしていれば国家の元勲級までなっていたかもね。
>>642 何を言うか
兄のことわかってないだろ
あの張遼以上の評価なんだぜ?
例の武勇云々はおいておくとしても、曹純以下にはならんよね
虎豹騎を率いた曹純だけど
後に、曹操→曹休→曹真と引き継がれるよな。
曹休ってそこまで優秀だっけ・・・
すまん・・・大司馬にまでなってたんだな・・・
でも、俺らにわかる範囲の情報では
曹真>>曹休
な感じだけどな。比較する相手が悪いのかな。
最後の相手が悪かったからしようがないね
北伐を抑えた曹真と石亭で騙されて大敗した曹休
それ以前で評価すれば二人とも同じくらい優秀
曹休は石亭までは二世親族として順風満帆といってもいい戦績だったしな
息子の曹肇が司馬懿との政争(というか孫資・劉放からの妨害)に敗れていなければねぇ。
司馬氏に屈した曹氏というイメージが払拭されて、後世の評価ももう少しUPしていたかもね。
張遼の合肥大暴れは正史のほうが詳細なんだってね。
演義が簡単に済ましてるのはやっぱり
「魏の将軍の活躍なんて書けるか」っていう蜀至上主義のせいかな
>>653 正史と演戯の李典の扱いの違いに泣ける。
詳細ってそりゃ確かに詳細かもしれんが万人受けする詳細じゃないぞ
でも演義だと太史慈を討ち取ったのは張遼の軍になってるんだよな。
658 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/08/26(火) 18:08:24
正史だといつの間にか陳武が魏軍に敗死している
演義では張遼は射殺されたのは何といっても無残だが
>>655 そうか?
正史の中では比較的万人受けする内容だと思うけど
>>659 呉ファンの人にとっては悪夢そのものじゃないのかw
カクってなんであんなに生きられたんだろうな。
カクこそ最強の策士だと思うのだが。
董卓、李カク、段?、張繍そして曹操。
優秀な洞察力と構想力
意図を過不足なく伝える表現力
あまり目立とうとしない処世術
この辺りが彼を生き延びさせたんじゃないかね>カク
能力があっても悪目立ちすれば楊修みたいになるし、
言いたいことを的確に伝えられなければ田豊みたいになる(あれは袁紹にも問題あるが)
>>660 正史だとあの戦いで株を上げた呉将もかなりいるじゃないか
陳武と徐盛のファンにはアレだが
_ ∩
( ゚∀゚)彡 遼来!遼来!
⊂彡
親「遼来々!」
子供「俺が追い返してやんよ」
後の陸コウである
しかし劉淵にはボロ負けした
>>666 劉淵と陸抗は戦ってないっての。
なんでそんな勘違いしてる奴が多いんだ?
徐晃が大斧振り回してたってのは演義だけの話?
669 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/06(土) 13:41:03
うん
そもそもこの時代の武器ってどんなものがあったの??
鉄が貴重なこの時代、一般兵士まで鉄製の武具を装備していたとは思えないし…。
それにいくらこんな時代でも、斧っていうのは余りに実用性に欠ける気が。
実際に使っていた武器なんて、弓と槍に集約されちゃうでしょ。
槍を開発したのは孔明と言う伝聞を信じるなら、槍はあんまり一般に使われてないと思う
戟とか鉾とかか?
調べてみたら、当時の中国の製鉄技術って物凄かったらしいね。
かなり高度な水準で武器も製造されてた筈!
鉄製武器の質が高いと言われてたのは蜀だな
魏は武器の質が良くなかったらしいよ
晋代になってから、魏時代の質の悪い武具が云々、なんて話がある
そういう意味では魏は国力が高いから勝って当り前みたいな論調はちょっと違うのかな?
さすがに装備一つで国力ひっくり返せるほどの差じゃないと思う
竹槍で戦車に立ち向かう訳じゃないんだし
677 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/06(土) 22:58:29
というか、斧が兵士の主武装であったケースがない。
使い易さやリーチで勝る武具はほかにいくらでもあったわけで。
もちろん、小野が役に立つ局面もあったし、特に工兵的な任務・・・橋の破壊のような、もあったわけで、
斧を装備していなかったわけではないが
戦場で主兵装として用いるには斧はあまりバランスの良い武器ではない。
破壊力こそあるものの、特に密集隊形では、弧を描く動きが味方との連携の妨げとなるし、
振りの大きさから慣れない者が使っても隙だらけで命がいくつあっても足りない。
武器の質だが、良い鉄を鍛造する技術と、その量産技術とは同義ではない。
量産された武器が質において劣るのは当然だし、
一定の品質の武器になると量産が難しいのも理だ。
まあ近代ならともかく200年時点での装備の差ってのは大した事なかったろうなと思うけど
鉄がロクになかったとかいう話は聞いた
>>678 ヨーロッパとの差は歴然だよ。
中国では戦国時代に既に鉄の鋳造技術が確立していたのに対して、ヨーロッパでは14世紀になってやっと始まった…。
漢の時代にはもう大量生産が可能だったみたいね。
鉄器ってヒッタイトが滅んでから各地に鉄器が広まったって世界史Bでやったが違うの?
深くは勉強してないから知らんが・・・
>>681 鉄そのものの使用は確かにそうだけど、鋳造(鉄を溶かして加工する)の技術は中国が発祥。
まあ、たたらの事だね。質のいい鉄を大量生産する事が可能!
中国では鉄器使用以前から行われていた技術だが、ヨーロッパでは14世紀に入るまで鉄を溶かす技術がなかった。
で、どうやってたかというと、鉄を熱くして叩いて加工する。
もちろん不純物を多く含み脆い鉄製品しか出来ない。
さかのぼって春秋戦国時代では
青銅器時代から鉄器時代への過渡期ということもあって、
早々と鉄製に切り替わった農具に対して、
武具はかなり長い間青銅を用いていたわけで。
理由のひとつには、青銅器の品質が高すぎた、ということがある。
西洋では英仏百年戦争のころにようやくまともな鉄器が武具として用いられるわけだが、
製造コストや手間、資源そのものの希少性などのため、
普及率は今ひとつで、貴族の甲冑とうでは比較的早くから広まっていたが、
消耗品の矢じり等には従来の粗悪な鉄が用いられた。
そこで、最近の研究では、
矢そのものの重騎兵に対する有用性が疑問視され、
へースティングスの戦いで英王が仏軍を破ったのは
長弓兵の力によるものでないという説の論拠となっている。
684 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/07(日) 22:20:00
685 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/08(月) 01:20:04
曹操はIQ8万で宇宙拳法の使い手
その曹操を前世に持つにしてはバカ過ぎるからウソ確定
この世には、曹操が前世という人が、八百万人はいるらしい
いや、実際に800万人という意味でなく、いっぱいいるぞーという意味のやおよろずね
欧米でも、
前世がナポレオンだとか、むしろオレがナポレオンだ
とかいってる人もいるしね。それも複数。
まあ、地球規模で人口爆発しているので、
前世がかぶるのも仕方がないんだろうなw
でも、それって、なんか中身が薄まってそうだなw
投石や投槍はそれほど用いられなかったのだろうか
688 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/15(月) 19:17:12
魏の最大動員兵力ってどれくらいだったんだろう?
隘路で上から石を落とすのは
広い意味での投石だろう
690 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/09/22(月) 22:58:21
関羽と一騎打ちで死ななかった夏侯惇だろう
実直なまでに楽進。
地味に活躍している曹仁だろ
曹仁が地味だなんてにわかもいいとこだな
ねえねえ、関羽に降った時って
どんな気持ちだった?
∩_曹丕_∩ ∩_曹丕_∩
♪ | ノ ⌒ ⌒ヽハッ __ _,, -ー ,, ハッ / ⌒ ⌒ 丶|
/ (●) (●) ハッ (/ "つ`..,: ハッ (●) (●) 丶 どんな気持ち?
| ( _●_) ミ :/ 于禁 :::::i:. ミ (_●_ ) | ねぇ、どんな気持ちだったの?
___ 彡 |∪| ミ :i ─::!,, ミ、 |∪| 、彡____
ヽ___ ヽノ、`\ ヽ.....::::::::: ::::ij(_::● / ヽノ ___/
/ /ヽ < r " .r ミノ~. 〉 /\ 丶
/ /  ̄ :|::| ::::| :::i ゚。  ̄♪ \ 丶
/ / ♪ :|::| ::::| :::|: \ 丶
(_ ⌒丶... :` | ::::| :::|_: /⌒_)
| /ヽ }. :.,' ::( :::} } ヘ /
し )). ::i `.-‐" J´((
ソ トントン ソ トントン
ここは博識な人が多いみたいだからお尋ねしたい。
曹操の生存中に四征将軍以上に任じられたのは夏侯惇、曹仁、張遼の3名以外に誰かいるのだろうか。
もう一つ、曹ヒ即位時の四方将軍は前:張遼、右:徐晃、左:張コウだが、後将軍は誰だったのか?
情報求む!
>曹操の生存中に四征将軍以上に任じられたのは夏侯惇、曹仁、張遼の3名以外に誰かいるのだろうか。
夏侯淵が征西将軍に任命されている。
>後将軍は誰だったのか?
朱霊
漢王朝存続中でも曹操が魏王になってからは官位の序列も変更されてたのかね
魏王朝成立直後の呉との関係って面白いな
呉が降伏→関羽を倒す→禅譲→呉から襄陽奪い返す→いったん仲直り→決裂
って流れなんだな
699 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/14(火) 15:41:12
禅譲といえば「司馬孚」って魏の忠臣と思わない? だって魏の皇族を最後まで見捨てられなかったほどだから。
みんなは、どう思う? スミマセン、ゴメンナサイ、ゴメンナサイ。こういう人に憧れます。
参考文献:『三國志[武将ファイル』シブサワ・コウ監修 Koei
700 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/14(火) 17:28:50
司馬朗は善人だったんだろうな
701 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/17(金) 17:40:29
やっぱり魏と言えども名門出身じゃないと
位人臣を極められないのかな?
高柔みたいに曹操のデスノートに載っていながらその才能ゆえに取り消され、三公を歴任した例は有る
袁家に連なる名門だから意味ないかもしれんが
>>653 蜀でも霍峻や張嶷とか名将ゴロゴロいるけど孔明至上主義で影薄い。
演義はメジャーとマイナーの差が大きすぎる。
張儼が好きなんだが。この人オールラウンダーっぽくて素敵。
↑趙儼です。ミスりました
田豫とか劉備の旗揚げから登場させて
後に泣く泣く曹操に降り 辺境で活躍するとか実に美味しい人生だと思うが
706 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/19(日) 12:13:59
>>706 徐庶が魏で大した役職与えられてないとか孔明が嘆く割に後から行った黄権は出世してるんだよな。
能力の問題か、元々のポジションの問題かな?
当時のトップが曹操か曹丕かの違いもあるかと
能力でしょ
ちゅうか徐庶も出世してるじゃねぇか
自分の同輩がたいした地位についていない(ということにする)→魏は人を見る目がない(ことにしたい)
だけでしょう
ありゃ、徐庶を軽んずる魏という国を侮ったんじゃなくて、徐庶でもあそこまでしかいけないのか、と、
魏という国の強大さに、蜀の前途への不安を感じたってことじゃね?
711 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/28(火) 02:33:26
黄権は周囲に気に入られてたようだからな。
陳羣って最初から曹操に仕えたかったんだろうか
>>707 元々のポジションの問題だろ。
魏に仕えた時、徐庶は無位無官で寒門出身。
黄権は蜀漢の重鎮で鎮北将軍の高位にある。
対外宣伝のためにも黄権は優遇する必要があるが、
徐庶はただの布衣なので能力や名声がない限り優遇する必要はない。
孟達も曹丕に気に入られてたんだよな。
同じ性格に問題ある者同士気が合ったんだろうか
孟達は性格に難があったとは思えないけどな。
蜀を裏切ったのは、劉封に迫害されたのと、
関羽に援軍を送らなかった件の処罰を恐れてのことだし、
魏に反旗を翻したのも、申儀の讒言にあって進退窮まったからだ。
気が小さかっただけで、そんなにひどい人間ではないと思う。
猛達の裏切りを予測してしっかり追っ手をおくる司馬イは流石だと思う
>>711 陳グンは確か最初は劉備に仕えてたはず
献策が全く用いられないから早々と劉備を見限った
>>715 孟達には「お前のことは皇帝も信用している」とか書面送って懐柔のふり見せて
陛下の許可など後回しと電撃戦だからな。
まったくもって狸だぜ
>>716 しかも受け入れなかったせいで徐州の劉備勢力は衰亡してってるしな。
2500戸もあってその殆どを人にやってた夏侯惇は
劉備よりよっぽど人格者な気がする
>>718 陳羣の策を受け入れたら受け入れたで、徐州は袁術のものになってしまうんだが……
しかし曹操と戦うなら避けて通れぬ道でもある。
当時の規模として、袁術>>曹操でしょ
陳群って呂布に尻尾振ったり曹操に尻尾振ったりして他の奴から呆れられてるよね
袁紹につくか袁術につくかくらいの選択肢しかないし。
726 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/10/31(金) 18:09:54
呉から魏に降った人物って……結構いるか。
その逆は?
文欽くらいしか思いつかんなあ
全一族
唐咨
諸葛セイ
馬茂
正史では討ち取られて死んだわけではないのに演義だと
討ち取られて死んだ事になっている魏将がいるというのを知って泣いた。
郭淮…
李通とかもそうだな
メジャーどころでは張遼、除晃あたりもか
史渙とか、半ばそれに近い楽進とか、朱然や潘璋も
736 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/13(木) 14:30:30
戦死シーンがあるのは優遇
バトル漫画で「闘って死んだ」と「いつの間にか引退して病死してた」のどっちが扱いがいいか考えてみればいい
737 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/13(木) 14:37:14
演義こそが真実なり
738 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/13(木) 16:22:01
蜀が主役で魏が悪役なのが演義だという事を踏まえたら
郭淮や李通や他の五大将軍はマシだと思う
張遼以外
>>736 でも誰かの戦績にされるのはくやしいなぁ…
五大将はまだいいけど李通とか郭淮の扱いは完全に噛ませだろ
その程度で悔しいとかいうならあらゆる創作物を見ないほうが良い。
いや、まあたいして重い意味もなく「悔しい」って言ってるだけなんだろうけどね。
なんかときどき真面目に「悔しい」って言う人居るから。
>>719 人格者という意味では夏侯惇は三国志の中でも最高かもね
上からも下からもこれだけ信頼された人は珍しいのでは?
745 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/15(土) 10:18:52
楊沛の人格が好きだ。
特に曹洪が嫌いなんで溜飲が下がる。
>>744 珍しいと思う。下に人気があると、クーデターを起こすのではないか?と
上から疑われることが多いのに。
猜疑心が強くなっていただろう最晩年の曹操から、寝室にまで出入り
自由の許諾を得ていたというのは、物凄い信頼の高さだと思う。
これで戦に強かったら最強だな夏侯惇
748 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/16(日) 01:57:42
夏侯惇は演義でのやられ役キャラはともかくとして、正史でも戦場での具体的な功績はあまり描かれていないんだよね
不思議な人だ
縁の下の力持ちは得てして功績残らんからなぁ。
>>748 戦場以外での功績が大きかったんじゃないの?
河南尹としての仕事とか、軍政とか、曹・夏侯一族の取りまとめ役とか。
戦下手なのに二十六軍の総司令官を命じられ、個性の強い将軍たちを
従わせていたところをみると、将軍たちからの信任もあった模様。
豊臣秀長みたいなタイプだったのかも(秀長は戦下手ではないけど)。
>>750 けっこう酷いことになっていたはずの洛陽を魏は都にした
洛陽は河南尹の管内
これだけでもどれだけ大事な功績があったか分かるってもんだ
曹操としては血縁者で朝廷にいて(河南尹は単なる太守ではなく朝臣扱い)、皇帝の近辺で不穏な動きを見張ってくれるだけでもありがたい
>>752 戦下手とは言われてないが戦功の記載皆無ってのが気になるところだね
どっかのサイトで夏侯惇は防衛戦やしんがり役だったのでは?って推測を見たことあるけど
どーなんだろ?
>>752 正史に「戦下手」という言葉が載っている訳ではないよ。
けど戦関係で載っているのが、張バク謀反の時の人質になった件と、
李典の反対を押しきって劉備を追撃して苦戦を強いられたり敗れたり
した件の2つなので、残念ながら戦がうまかったとは言えないかと。
>>754 うろ覚えだけど、確か206年の衛固と范先の討伐から215年の張魯
討伐までの間は、戦に出たという記録自体が無かったと思う。
記録が無い=戦に出てないとは限らないけど、軍人としてより政治家
として動いていた時期だったのかもしれない。
曹操が魏公になったり曹操の娘が献帝の皇后になったりするまでの
間は、751が書いているように朝廷工作に忙しかったりして。
戦は下手だけど部下や同僚からの信頼が厚くて
「俺らが頑張ってくるんでここで待っててくだせえ!」とか
「惇様のために勝利を勝ちとるぞー!」「おー!」とか
そういう展開が多かったんじゃね?
そんでそんなに人任せばかりじゃいけないと思って
「今回は俺も・・・!」って出陣して負ける
これが健気な女の子だったら完璧でした
曹操が陶謙討伐した時も留守番役だね
留守番の大将という事は、言わば曹操の代理
何かあったら自分の判断で動いて良いって事だから凄い信頼されていたんだろうね
呂布の部下の策にはまって人質になったのは失敗だけど、その前に1日で城内で謀反を企ててる者を捉えて処刑したというのは功績だよね
>>756 寝室に出入り自由だから、実は女性だったという説が出てきても、
おかしくないかもw
>>759 留守の間に謀反される危険性だってあるから、「コイツは自分を絶対に
裏切らない」と思える相手にしか、任せられないよね。<留守番
それに、万が一他の人間が謀反した時にも、冷静に対処出来ないと
駄目だし。759が書いている、張バクが裏切った時みたいに。
曹操も、そこまで信頼できる重要な人間を、でかい戦の前線になんか置かないよな。
ポックリいったら話にならんw
762 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/18(火) 23:19:38
なんか、夏侯惇が奥さんが可愛すぎて仕方なくて、酒の席まで連れてって自慢した話なかったっけ?
>>762 夫人に宴席に出ることを命じたら、部下のエイシンにマナー違反だと
咎められた、という正史の記述かな?
ただ、ここで言う「夫人」が夏侯惇の奥さんなのか、他の人の奥さんの
ことなのかはハッキリ書いてないらしいよ。
前者だと考えた時、その理由として「自慢したかったのかも」とか、
「ちょっと調子に乗っちゃったのでは」とか、色々言われているだけ。
後者だとしたら、理由も違ってくるだろうし。
一方で、曹丕が奥さん(甄氏)を宴会に出させて挨拶させたという
一件もあるから、こっちと話が混ざっているような。
古代じゃ君主が臣下を労う宴に夫人も出席させていたとは聞くけど
766 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/19(水) 23:35:55
767 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/20(木) 03:46:55
>>766 何故かこういう手合いって必ず大きな功績のある人を挙げるよね。
前世がロウアイとか言い出すなら、その世間のモラルや常識に反逆したセンスに感動し尊敬するんだが。
オレの前世は寥化らしい。
769 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/21(金) 23:48:50
俺は前世でやぐらの下敷きになった。
割と痛かったな
遅いなぁ
771 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/11/30(日) 10:19:08
>>761 前線に出てたから矢傷を顔面に負ったんじゃないのか
>>771 当時(194年)は人材不足で、惇のことも前線で使わざるを得なかった。
前線で使ったら負傷した
こりゃやべぇ!ってことで留守番に
774 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/02(火) 19:22:20
部下だけど、唯一の親友みたいな?
775 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/02(火) 20:59:08
許チョとかとは気安い仲じゃなかったんだろうか
許チョは慎み深すぎて、信用はできるけど気安い仲にはなれないタイプ
゚Дメ) 777
778 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/02(火) 22:04:20
うおー夏侯惇かっけーふじこ!!
>>777お前じゃねー!!
>>774 そんな感じだと思う。従弟というから、子どもの頃より気心は
知れているだろうし。
権力者になればなるほど孤独になっていく中で、個人的な
相談事も出来た(だろう)相手は、曹操にとって貴重な存在
だったのでは。
河南尹の仕事を長年任せていたくらいだから、政治家としては
有能だったようだし。
>>775 素顔を見せられる相手だったかもしれないけど、親族ではないし、
どこまでいっても部下だからねぇ。
780 :
夢歌:2008/12/05(金) 14:03:43
自分が占い師の方に前世曹操と言われそう書き込んでいたブログの持ち主です。
なんかすみませんね…5件も前世占いに行って5件とも曹操だったんで
友達とかと「今日聞いた前世書き込むの約束な!」ってなっちゃって…;
自分が好きなのは関(羽)雲長です。魏で言えばやはり夏候惇が好きです。
あと自分はとにかく曹操大っ嫌いなんで;なんか性格がむりです;
だから尊敬なんかまずしてないですよ;
781 :
夢歌:2008/12/05(金) 14:10:40
前世曹操と自分のブログに書き込んでしまい…
気分を害した方がいるなら謝ります…すみませんでした…。
まあ自分は曹操が嫌いです…。どちらかと言えば関羽や孫策などの
蜀派や呉派なんで…。まあ魏で好きと言えばテンイと夏候惇ですね。
783 :
夢歌:2008/12/05(金) 19:18:00
釣りじゃないですって…。本物ですから。
とりあえずこのまま自分のブログを笑い物にしたり
批判するようなら刑事告訴も考えときますんで。
そのつもりでお願いしますね。
784 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/05(金) 19:39:36
誰もお前の自分語り聞きたくないんだけど…
785 :
夢歌:2008/12/05(金) 19:40:58
なんかすみません…前に勝手にURLを貼られ荒らされたことがあり、
そのことを思い出して上の書き込みで「刑事告訴」なんて言葉を使って
しまいました。自分はただ前世占いに行って「曹操」と5件の人に言われて
そう書き込んでるだけです。本気で自分の前世が曹操だなんて思いませんしね。
とにかくもう自分の所のブログには来ないでください。お願いします。
それと自分のブログのURLを勝手に貼り付けるのとかもやめてください。
あなた達は話せばわかる方々だと思い此処に書き込ませてもらいました。
とりあえず自分は、あなた達を信じています。
とりあえず、お前が思ってる程みんな眼中無いのでみっともない長文晒さないで下さいよ
788 :
曹操:2008/12/06(土) 01:11:56
そうそう
( ゚Дメ) 789
唯才って言ってるけど、その反動なのかな。
才能重視で行くからこそ、最重要の役職には能力より信頼性を取ると。
そうする事で、裏切りの心配なく才能のある人材を使うことが出来たんじゃない?
>>790 唯才は儒教倫理的にはアウトな人を使うための方便
夏侯惇とかな
つまり現状の追認をしただけで別に画期的な布告でもなんでもない
採用の建前を増やしただけ
792 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/12(金) 19:53:17
唯才とか言っても
自分の都合で排除した人物は数多い
婁圭や周不疑が真っ先に思い付いた
朱霊も曹操を慕って自発的に子飼いの兵も提供したのに疎まれるし
>>791 夏侯惇は儒者受けしそうな武将だと思うが。
夫人を宴席に連れてくるように命じて衛臻に反対された件を除けば、
ほぼ儒教道徳に則って行動している。
極端過ぎる事を言えば、隻眼って時点で儒教的倫理観から逸脱してしまうのかも
>>794 つっても生まれつきでもわざとでもないからな、隻眼は
「儒教倫理的にアウト」なのは曹操やジュンイクのほうだ
796 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/12(金) 21:56:31
>>794 清の李学宗のように片腕でも「儒将」と評された人がいるから、
身体の欠損は儒教的倫理観からは逸脱しないと思う。
夏侯惇、かなり道徳的な人間に思うけど、儒教から来てる観念じゃなくて、彼は根本的な性格がそうなんじゃないか?
謙虚で質素なのは、かなり人間できとらんとね。
798 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/13(土) 10:47:36
殖産って反儒なの?
利殖に励んで施しをしないのは身を慎まない人間のすることとして忌み嫌われた。
キリスト教でもそうだね。
>>798 農業の殖産はそんな問題じゃないけど、商業や金貸しは忌み嫌われる
だから土地を兼併し流民を農奴化する豪族の所業は儒教的にはアリだが、豪商は低い地位のまま
>>798 殖産自体はok
ただしそれのみを目的にする奴は死ね
ちゃんと社会に還元しろ
ってのが儒教
伝を見てると大抵の奴は「金が余ると周囲に分け与え〜」「死ぬ時に衣服しか残らず〜」みたいなのが
テンプレとして入ってるな。
あまりにも皆入ってるのでうそ臭いw
三国時代の人間からしてみれば、
家が1世代で使い捨てだったり、施しをしなくとも白眼視されず、恋愛結婚までまかり通る、
そんな現代が嘘くさいんだろうぜ。
夏侯惇は一目見ておきたかった
>>802 夏侯惇の墓には剣が一振りしか埋葬されていなかったから、
(テンプレであったとしても)史実通りなのが確認されている。
喜捨に相当する文化や思想はたいていのところにあると思うが
夏侯惇の墓って今もあるのか!?
行きてえええ!
>>808 石油貯蔵庫を作る工事のために潰されてしまいました。
剣が出てきたのは、その時の話。
そういや白帝城って残ってるの?
もうダムの底??
むしろ副葬品がたくさん出て来た方が資料としても現地民としても有り難いんだよな。
朱然なんて公園になってるだろ
812 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/15(月) 15:46:52
「曹洪」って名前がでるたびに「またなにかやらかしたのかこいつは」と思う様になった。
別に曹爽みたいに敗者になったわけでもないのに何故これほど評判が悪いのか。
国破れて山河在りってか
あのーすいません、賈クって赤壁の時なにしてましたか?
夏侯惇の墓もうないのか……がっかり……
曹植の墓は残ってる
>812
金の無心をした方が叩かれず、断った方が叩かれる儒教の恐ろしさ。
イスラム教か。
>>814 一軍を率いて長沙に駐屯し、
柴桑の孫権本軍に圧力をかけていました。
>>817 そうだったんですか、ありがとうございます。
漫画やゲームだと賈クの初めて敗戦とか書かれてて変だなと思ってました。
>>809 ひ、ひどいよ中国(ry
一振りの剣せつなす…
夏侯惇の墓に埋葬されていた剣は、曹操からもらったものなのかな。
>>820 なんか切なくなってきた…
でもド派手なうさんくさい墓があるよりはいいかなぁ…
カクは最強であり最凶でなんか反則カードみたいな印象
>>820 想像したら涙腺ゆるんだぞこのやろう
たしか白帝城ももうダムの底だったな…
泣ける……。
早く誰か金持ち、土地買い占めれ!
まだ何か見つかるかもしれん
景観はかなり変わっただろうけど白帝城は沈んでないはず…
5,6年前に三峡クルーズいったが次の放流で階段部分が水没して
楽に登れるようになるという話をガイドの人がいってたよ
おおまだ白帝城あるんだ!
行きたいけど、今は中国は無茶苦茶治安悪そうだしなあ…。
>>812 正直「金貸してくれや」って断られたのをネチネチ根に持って
殺そうとまでする曹丕のほうが問題ありすぎだと思う。
まぁ、孫権なんかは「法をねじまげなかった」として呂範などを称揚してるしなぁ。
周谷も曹丕に仕えていれば重用されたんだろうなあ。
832 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/23(火) 04:50:12
曹操より金持ちだったとか記されてる人間は何人かいるようだが
大抵そういう手合いは排除されてるような
曹丕は周谷も曹洪もまとめて切るタイプ。
834 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/24(水) 05:19:29
曹洪は張飛と馬超を下しているのが凄いな
実質的な司令官は曹休だったらしいけどね
半ば公然と「本当の責任者はお前な。曹洪はお飾り」って言われてるってかなりアレだよな
名指しで猪武者ぶりをたしなめられる奴といい、親族は問題児ばっかだわ
王様の親族で問題児ってのは派閥を作って公然と歯向かってきたり、後継者争いをしたりする奴だろ。
やる気がありすぎて猪突します、なんてのはかわいい方じゃないか。困り者ではあるが深刻ではない。
>>836 親族だからこそ厳しい評価を下した方が、血縁以外の武将に
示しがつくのでは。曹操の人遣いのうまさだと思うけどな。
それに何だかんだいっても、親族の武将たちの一致団結した
協力が無ければ、曹操はあそこまでのし上がれなかったんだし。
839 :
無名武将@お腹せっぷく:2008/12/26(金) 02:33:48
蘇則は曹丕に嫌われたけど殺されてはいなくて良かったね。
曹彰とか張繍とかは毒殺したみたいにも言われてて酷い
>>836 純粋な武人に大軍を指揮する能力があるわけないしな。
それを無理やり総司令官に据えるから無理が出る。
お飾りに徹した曹洪はまだしも、その位置に満足できず暴走した夏侯淵は・・・。
>>840 いや、逆
曹洪は世が世なら高級官僚
夏侯淵は武人だが
>その位置に満足できず暴走した
>>840 漢中方面に駐屯していた時の夏侯淵はお飾りじゃありませんよ。
配下に名将を多く擁していましたが、
あくまで最高指揮権を握っていたのは夏侯淵です。
どんなに高位に昇っても、節を生涯与えられなかった曹洪とは違って、
節を与えられていましたし。
>>843 >あくまで最高指揮権を握っていたのは夏侯淵です
それ言うなら曹洪だって最高指揮権握ってただろ。
その上で曹休に指揮を任せていただけで。
節のあるなしは無茶苦茶大きいと思うが
劉備が定軍山で夏侯淵を斬った報を聞いて浮かれる自軍に
「一番の大物(張コウ)を逃がした、こんなことで喜んでどうする」って
吐き捨てたってのは本当の話かね
軍中を引き締めるためのハッタリだろ?
漢中戦後の黄忠の出世ぶりを見ると、
内心では小躍りしながら万歳三唱を叫びたいぐらい
大喜びしてたと思われ。
しかし実際問題夏侯淵が討たれた事による大勢への影響は殆どないからな。
討たれた当初こそ動揺があったが、大物さんが代わりに指揮官になって立て直した。
ハッタリかそうでないかは、その後の展開から一目瞭然
>>848 結局漢中奪われたわけだから影響は大きかったと思うが、壊滅的被害を避けえたのは張コウたち残された者の力量だろうな
>>843 節=指揮刀?を貰うことがどういう意味を示すのかは知らないが
状況から考えて、夏侯淵は実際の指揮をとってないと考えるほうが自然では?
>>851 自ら前線に赴いて野戦築城の補修したりしてる男が実際の指揮執ってないとか面白すぎる
>>852 いや、851はそういう行動を知ってて夏侯淵が張コウの部下として働いていたと考えているんだろ
じゃあ張コウが司令官だったというはっきりした根拠挙げてくれ
張コウ伝にも夏侯淵伝にもそれらしい記述は見られない
・劉備が陽平関に陣を敷いたため夏侯淵は諸将を統率してこれを防ぎ〜
・夏侯淵は張コウに東の囲いを守らせ〜
・総指揮官を失ったところで劉備につけこまれるのを心配して全軍みな色を失った
・張コウを押し立てて軍の総大将とした→諸将は張コウの指示を受け、人々の心はやっと安定した
むしろ普通に夏侯淵が司令官だったという記述の方が多い
司令官だったからこそ曹操も常々軽率さを戒めていたんだろ
そもそも、節=指揮刀、ってどこからそんな推察が…
曹操も夏侯淵の猪突猛進気にしてるんならそれを智でサポートできる
幕僚付けてやればよかったのにな。
郭淮や杜襲じゃ結局サポートしきれなかったわけだし。
>>856 無能でやる気のあるトップは殺せ、っていう実例なんだから仕方ない
部下が優秀でもトップがちゃんと従わないと意味はない
>>852 どういう意図で書き込んだのか解しかねるが
>自ら前線に赴いて野戦築城の補修したりしてる
これは軍の指揮放棄してるのと同義だぞ。
>>854は尚意味不明…。なんだよ張コウが司令官って
節の意味も知らない人間に得意げに語られてもなぁ。
鸚鵡返しって見苦しい…
>>858 夏侯淵が無能っていうんなら魏の連中の2/3くらいは無能になっちゃうよ…
なんでそうなるw
お前馬鹿だろ
なんか最近他人煽って喜んでるだけの奴が居ついてるなあ
前からだろ。
長文だろうが一行レスだろうが煽りと芝抜きでできない奴な
知識以前に人間性に欠陥があるんだろうが
奴らがこの神スレをつまらなくした
で、お題くれ。
張特が張飛と同郡同姓なことについて
許チョと典イどっちが強いか
許チョってやっぱ軽い自閉とかかな?
いや悪い意味でなくて、才能発揮の面で。
すこぶる真面目すぎるからさ。
逆に常人じゃ無理過ぎる
漢中攻防戦で酒に酔って兵糧輸送してて
張飛に奇襲されて肩突かれたってのは演義だけの話?
左様
>>873 演技だけの話。
そもそも許チョは身辺警護が仕事なので兵糧運搬なんかしません。
>>872 公私を混同せず職務を忠実に黙々とこなすSPのトップを自閉症というのか?
プロ意識が非常に高かっただけだろ
>>872 許チョは身一つで曹操に仕えたのではないからね
一族数十だか数百人を引き連れて曹操配下になった
それだけの一族が許チョの双肩に運命を託しているのだから
すこぶる真面目になるし、必死で仕事もするだろ
曹操の死を吐血して嘆いたってんだから個人的な忠誠心もあっただろうけどな
どんな体の構造してんだよって感じだけどな。
胃潰瘍?
ごめん自閉ていう例えが悪かった!
なんつうか、弟が軽い学習障害なんだけど、一級国家資格、さらりと取っちったからさ。
ちょっと気になったのよ。
自閉の人って常人じゃ考えられない能力を発揮するっていうね。
昔は神のお告げを聞くものとして大事にされたらしいが
虎痴って言葉も言われて見れば謎めいてるけど、なんせドジ踏んでないからな
「弟が学習障害児だったから歴史上のアイツもきっとそうなんじゃないか」
お前の方が医者が必要だろ。
いちいち煽んなや糞が
>>878 応援団とかに所属してたことある?
一日中全力で声を出すと血ぃ出るよ
理由は喉が乾燥して粘膜に傷が付くから
まあそれでも選手達の為に応援するんだけど
葬式の礼法の中に「哭」ってのがあって、泣き叫ぶわけだな
これを許チョはかなりの勢いでやったのか、あるいはのどが弱い体質だったのか、どちらかなんだな
>>885 60過ぎたジジイが日がな一日全力で叫べば血も出るさ
第一この時代の60代ってのは現代で言えば70〜80も同然のおじいちゃん
そんなじいちゃんが全力号泣してみろ
老いて弱った喉の粘膜なんか簡単に破れるぞ
吐血は消化器から出血が見られるときに使う
この場合は喀血が厳密には適切
>>887 んなもん三国志で区別されてない
「喉が破れたんじゃないか?」という話してるだけだな
原文だと「欧血」
んなこと知らん
上述された応援団どうこうに関して適切なのは吐血でなく喀血と言っている
>>889 応援団云々言ってる人は「吐血」じゃなくて「血も出る」としか言ってないぞ?
877 無名武将@お腹せっぷく sage 2008/12/29(月) 03:46:10
>曹操の死を吐血して嘆いたってんだから個人的な忠誠心もあっただろうけどな
878 無名武将@お腹せっぷく sage 2008/12/29(月) 18:25:13
どんな体の構造してんだよって感じだけどな。
胃潰瘍?
886 無名武将@お腹せっぷく sage 2008/12/29(月) 21:18:14
>>885 60過ぎたジジイが日がな一日全力で叫べば血も出るさ
第一この時代の60代ってのは現代で言えば70〜80も同然のおじいちゃん
そんなじいちゃんが全力号泣してみろ
老いて弱った喉の粘膜なんか簡単に破れるぞ
>>877において吐血したという事実が提示されて
>>878でその吐血は胃潰瘍ではないかとの疑問が示される
それに対し
>>884において応援団〜との主張がなされるが
前二者は吐血という前提に沿って話をしているが後者は厳密に定義すれば吐血ではなく喀血であるから
今回の件において
>>877の提示した吐血という前提に基づいて話をするなら適切ではない
こう言えばよろしいか
>>891 もう
>>886の時点で「胃潰瘍による吐血」ではなく「別の部位からの出血」という話に切り替わっているので
そもそも「それなら喀血」という指摘自体が的外れ
>>892 お前ホント他人の揚げ足とるの好きだな
延々と煽りレス付けてるのお前だろ
演義の華キンみたいな奴なんだろ
讒言大好き
>>893 揚げ足取りって喀血云々と言い出したヤツじゃね?
だって消化器からの出血と気道出血じゃその事実がもたらす要素がまるで違うんで
これを揚げ足取りだと定義する人はこの言葉の違いの重要性を理解していない
華キンじゃないな
このねちっこさと執念深さはむしろ法正
>>896 大声出してて出血するのは気道でも消化器でもなくその↑の声帯の辺りだよ
その事実がもたらす重要性がまるで違うね
消化器からならヤバイね。
曹操の死を嘆いてっていうか、もっと別の病気だろ…。
なんつーか、風が吹けば桶屋が儲かるの典型例を見てる気がする
901 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/01/01(木) 07:19:38
許チョは曹操死後も長く生きてるよな
華子魚とか法正とか冗談だろ。
黄皓レベルのクソだ。
臭い
池◆◆◆田◆◆◆大◆◆◆作の本名はソ◆◆◆ン・テ◆◆チ◆◆◆ャク。
小◆◆泉◆◆純◆◆一◆◆郎、小◆◆沢◆◆◆一◆◆朗は朝◆◆◆◆鮮◆◆◆人。
9◆◆◆11では小◆◆◆型の水◆◆◆爆が使用されている。
http://r◆◆◆i■ch◆◆◆ardk◆◆◆osh■im◆◆◆izu.at.we◆br◆y.in◆f◆o/
創◆◆◆価の◆◆保◆◆◆険金殺◆◆◆人事◆◆◆件。
オ◆◆◆ウ◆◆◆ム事◆◆◆件は、統◆◆◆◆一・創◆◆◆◆価.北◆◆◆朝◆◆鮮の共◆同犯行である。
C◆◆◆I◆◆Aが監◆◆修している。
http://www15.o◆◆cn.ne.jp/~oy■◆◆ako■◆◆don/kok_web■site/ir■ig◆◆◆uc■hi.h◆◆◆tm
与◆◆◆◆党も野◆◆◆◆党もメ◆デ◆◆◆ィ◆◆アも全◆◆部朝◆◆◆鮮◆◆◆人だった。
http://jb■bs.li■vedo■or.jp/b■◆◆bs/read.c◆gi/ne◆◆◆ws/20■◆◆92/11◆◆57◆94◆■13◆◆06/
2◆◆チ◆◆◆ャ◆ン寝るは「■とう◆◆◆◆一■教■■会■」が 運◆◆◆営して「個◆◆◆人じ◆◆ョ◆う◆ホ◆◆う」を収集してる。
駅◆◆前で「■手◆◆◆◆◆相を見せてください」 と「カ◆ン◆ゆう」してるのが「■と◆う◆◆◆一◆◆■教■■会■」。(カ◆◆◆◆ルト宗■教)
ユ◆ダ◆ヤ権◆力の◆子◆分→2◆ち◆ゃ◆ん運◆◆◆◆営=「とう◆◆◆一◆教◆会」上層部=層◆化◆上◆層◆部=自■民党清■和会=野党の朝■鮮■人ハーフの政治家=
与党の朝◆鮮◆人ハーフの政治家=金◆正■■日(キ◆ム・ジ◆ョン◆◆◆イル )=読◆◆売サ◆ン◆ケ◆イ=小◆◆◆沢◆十◆朗。
毎◆日■■■新聞◆◆◆スレを荒◆◆◆らしてる◆奴◆◆らも「◆とう■■■一■教■■■会◆」。
荒らしは洗◆◆◆脳するために「ネ◆ト◆ウ◆◆◆ヨ」などのレ◆◆ッテ◆ル◆付◆けレ◆スを何◆千◆◆回もする。
現◆◆◆実には「ネ◆ト◆ウ◆◆◆ヨ」などは存◆◆在し◆◆ない。
http://c◆ha◆ng◆◆◆i.2ch.net/te◆◆st/r◆ea◆d.cg◆i/m◆◆s/12◆30◆36◆◆◆33◆8◆5/
乂1000取り合戦場乂
1000取り合戦、 /
いくぞゴルァ!!/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄
\∧_ヘ
/\〇ノゝ∩
""" /ニ√゚Д゚)ノ
/三/|゚U゚|\ """
U(:::::)
""" //三/|三|\"""
∪ ∪
""" """
\オ―――ッ!!/""
"" ∧_∧∧_∧∧_∧
( ) ( )
"∧_∧∧_∧∧_∧_∧
( ) ( ) )
ケンカすんなクズどもが
三戦板過疎りすぎw
ネタくれ
それじゃあ
演義の漢水の戦いで徐晃に自分の意見認めてもらえなかったからって
趙雲と黄忠に挟撃される徐晃を援護もせず敗戦を自分の責任にされそうってことで
陣に火付けて蜀に寝返った王平って孟達並みの不義理野朗じゃね?
そんなこと無いよ
自分の意見が容れられないのはともかく敗戦の責任を押し付けられるのは十分逃げる動機になる
王平は少数民族出身だとかいう話をどこかで聞いた
そのへんの差別や外様感情もあったかも知れんね
なんだかんだ言っても所詮演戯
青洲黄巾党出身の名のある人とかいないの?
将軍にはなれないものなの?生え抜きで・・・とか
>>915 討難将軍李楊や将軍裴英、蔡憲、彭周などの名が史実に残っている。
三国志集解によると、輔国将軍劉若、屯騎校尉任福は青州黄巾の出身だったっぽい。
李異とかは違うのかねぇ。
魏の名将トップ5は誰だろう(曹操抜きで)
司馬懿、曹仁、ケ艾、張遼、徐晃って感じ?
夏侯惇 満寵 カン丘倹 郭淮 陳泰
この5人かな
張コウは入らないのね…
似たようなタイプの徐晃がいるからね
曹仁、徐晃、満寵、陳泰、ケ艾、かなぁ。
張遼
楽進
于禁
張コウ
徐晃
基本ですよ先輩
曹真を忘れてもらっては困る
930 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/01/18(日) 10:19:36
田豫
呂虔、許チョ、于禁、曹丕、劉曄
殺した人間の数ならこう?
司馬懿、鍾会、曹仁、張遼、満寵
933 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/01/26(月) 18:14:02
曹仁は入らんだろ。
朱桓と争ってるのがお似合い。
白地将軍・夏侯淵もない。
臧覇も活躍したのは統治面。名将じゃない。
鍾会もどうだろうな?
典型的な策士策に溺れるタイプだし義理人情のかけらもない
野心だけは司馬一族並みだが
935 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/01/26(月) 19:37:14
そう考えると、意外と魏は優秀な武将が少ないのかもしれないな
逆じゃね?
多すぎて決められない
許猪好きだから、個人的には鍾会嫌いなんだが、都督として十分能力あったんじゃない?
なにかとケ艾と比較されてしまうけど。
vs呂布194:夏侯惇&荀ケ&程c
vs袁氏200:曹操
vs関中十部211:賈詡or徐晃
vs呉215:張遼
vs関羽219:曹仁&徐晃
vs公孫氏238:司馬懿
vs蜀256:ケ艾
>>937 能力はあったと思う。
ただ自分の才能を鼻にかけて邪魔者は容赦なく讒言やらで排除する
諸葛恪をさらにタチ悪くしたタイプだと思う。人望も乏しかったそうだし
親父は書道史における重要人物なので評価は甘くなる
鐘ヨウ何かやらかしてるっけか?
>>942 魏の初代丞相になるほどの大物政治家だよ
董卓のころって中央にいたんだっけ?
ずっと長安とか擁州にいてる気がするんだけど・・・
漢詩スレッドで陸雲が語る鍾ヨウの話が載ってた。
陸雲はどういう縁でそんな事を知ったんだろう?
戦乱の世長過ぎだな。
すまん、誤爆
>>937 諸葛誕の乱の鎮圧を参謀として実質的に魏軍二十六万の指揮を取って完勝してるし
蜀討伐も司馬昭と計画を練って、軍を率いて陽安関を落としてるしね
そもそも名将って基準が難しいよな。
武名なんか戦歴なのか地位なのか・・・
個人的には名将って響きが個の人物的なものの気がする。
950 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/02/22(日) 13:42:16
曹彰や曹純は突撃隊長みたいに前線に出てたのかな?
よく白地将軍呼ばわりされなかったな
951 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/02/23(月) 18:26:23
鍾会とか満寵ってどのぐらいの能力かなあ?
この二人は地味でイメージがわかないんだよね・・・。
智謀に優れて武力は微妙?
曹彰・・・不勉強なので曹操に読書を義務付けられるが、武勇・腕力に優れ、参謀の提案に素直に従い
騎馬民族に大勝した勇将。
曹純・・・勉強好きで18歳で黄門侍郎になった秀才。曹操によれば、曹操軍最高の騎馬軍団を統率者。
袁譚戦で参謀としても活躍。
鍾会・・・クーデター以外の全ての謀略を成功させたと自称する知将。
満寵・・・孫権を伏兵、奇襲で撃退した知将。背は高いらしい。
4人とも三大将軍クラスの名将だろうな。
鍾会は39か40で三公になってる脅威の出世スピード
司馬昭時代は魏の政治を仕切っていたらしいから、政治力も凄かったんだろう
蜀に亡命した夏侯覇が「鍾会が蜀・呉を滅ぼすかもしれない」と言ってるから、若い頃から評価は高かったんだろうな
曹彰は霍去病とキャラが被ってる
>>950 曹彰は追撃線で、直接戦闘に加わり、弓を射るたびに敵が倒れ
自分の鎧にも矢が刺さったとか書いてあるから、突撃隊長みたいに
前線に出るタイプだろうね
>>953 家柄と能力が共存してるんだから出世しない方がおかしい
956 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/02/27(金) 04:24:17
三大将軍って誰だ?
大将軍、驃騎将軍、車騎将軍
大将軍をその2つと並べちゃダメだろ…非常職なんだからさ
959 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/02(月) 01:33:49
衛将軍
960 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/02(月) 03:52:38
天公将軍
将軍はエロい
962 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/31(火) 04:20:36
カコウハの行軍速度の具体的な記録はありますか?
963 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/03/31(火) 08:39:24
>>953 演義読んでたとき、
曹丕:リーダー格
曹彰:武力抜群
曹植:天才詩人
と、この三人が曹操亡き後の敵になるのか、とか思ってたよ。
天才詩人がどう敵になるのかスゲー気になるwwww
965 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/03(金) 06:01:38
>962
夏侯淵じゃなくて?
千里将軍だっけ?あだ名。
スレチだが卞氏の世説新語の逸話の意味が分からん。だれか教えて。
↓
卞氏は病を重くした曹丕を見舞いにきた。すると、曹丕は亡父の側室たちをすべて自分が引き取っていた。
その場に居る者の話を聞くと既に曹丕は亡くなっており、
嘆息して「あなたが食べ残したものは、狗も鼠も食べようとはしないでしょう」
と言い、墓へ行っても哭礼の弔いをしなかった。
>>967 たしか親父が亡くなった後、親父の側室を自分のものにして
卞ちゃんあきれた。って話じゃなかったっけな?
"引き取っていた"って「面倒を見てやった」のか「自分の側室にした」
のかどっちなんだYO!
>>970 原文で「取」という字を使ってる。
「我が物とする」「娶る」という意味の字なので、後者だろうね。
夏侯淵の行軍速度なんて具体的な記述ないと思うよ
赤兎馬の件だってあいまいなんだから
後漢単里説を採るか否かで大きく変わるでしょ
虞翻の件もまたしかり
本人は不用心で白痴将軍とまで揶揄される夏侯淵は息子達が粒ぞろいでそれなりに優秀
本人は陣内でも本を読み、勤勉だった夏侯惇の息子達は投降したり刑死したりで
まったく皮肉なもんだ
>>971 曹丕は自分の義母を室にしてたってことか。王昭儀とかも手つけてそうだな。
司馬懿の方が夏侯淵より速そうだけどな、
孟達や公孫淵の時凄かったって言うじゃないか。
>>972 夏侯淵の息子達:俺は親父の名誉を取り戻す。親父と同じ失敗はしない。じっちゃんの名にかけて!→大成
夏侯惇の息子達:俺は親父とは違う。戦場でも活躍してみせる!→分をわきまえず失敗
などという妄想が浮かんだ。
白地ってのは白痴をかけたものじゃなく「なんとなく」って意味だと書いてあったが
なんとなくジェネラルと申したか
>>973 正室2人の年齢から考えると、年上の女が好きみたいだからな
「アメトーーク!」の熟女芸人の回を何度も見て激しく同意をする文帝陛下。
ウドちゃんくらい熟女好きなのかな
>>974 >親父と同じ失敗はしない。
夏侯淵の息子も誰か鹿角の修繕に行って死にそうになってなかった?
危ないところで命は助かってたが
981 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/13(月) 13:37:00
次スレの準備を
982 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 00:30:54
沈むで
985 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 11:17:04
曹丕に負かされたケ展が哀れだ
奮威将軍なのに
986 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 18:22:01
徐晃の生きざまには共感するんだよなぁ〜
仕えるべき主君に出会えたことに感激してるとこや、派閥に加わらないとこなんかが
単にボッチだっただけかもしれんが
うめ
この先に埋めの木があるぞ
989 :
無名武将@お腹せっぷく:2009/04/14(火) 21:35:17
じゅん!じゅわぁ〜!!
990 :
無名武将@お腹せっぷく:
曹操のマス