2 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/28(木) 23:14:33
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/28(木) 23:28:57
>川中島第四回合戦の史実といわれているのは、こんな感じらしい。(改訂版)
新たに関東管領となってブイブイ言わせたい上杉政虎、ここらで信濃の所領を
武田から分捕って旧領主たちにばらまき、大いに名を上げたい。かつて第2回
川中島合戦、通称「二百日の対陣」のにらめっこで粘り勝ちし、和平合意の際に
武田から土地を奪うことに成功した経験に味をしめていたので夢よもう一度と
武田の領地の奥深く深〜く入り込んで、妻女山にたてこもる。これで信玄が
真ん中あたりの境界線で手を打ちましょうと申し出てくれれば万々歳。
軽い気持ちで和議の使者を待っていた。
しかし管領になった政虎を警戒し、義元亡きいま南に矛先を向けるためにも
川中島の小競り合いに決着をつけておきたい信玄はいつもの慎重居士とは
違っていた!「土地なんか一カケラもやらんずぉおおお」と気合いをほとばしらせ、
逆に越後国境戦近くの茶臼山に入り込んで越後勢の退路を断つ意地の張り合い。
和議を申し込んでくる気配なんててんで無いことに気づいた政虎はさあ大慌て。
功成り名を遂げたいま、生きるか死ぬかの大決戦なんてする気はこの新人
管領にはサラサラない。とはいえいまや事実上包囲された銀行強盗状態で
逃げるに逃げられない。
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/28(木) 23:30:40
信玄は「寝起きに不便で困る」と海津城に移動してくれたものの、まだ上杉軍は
糞尿処理もままならない山の上で立ち往生。下から丸見えなのでうかつに下山
しようとすると袋叩きに遭う。困っていたところへありがたいことにこの季節特有の
猛烈な濃霧が発生!帰国命令にやれうれしやと上杉軍はいっせいに帰り支度。
まっすぐ北の越後を目指し、山を降りたら一気に川越えを狙ってやる気満々。
ところが妻女山と海津城は目と鼻の先。大きな声なら会話も出来たという至近距離。
鎧兜や鍋釜をガチャガチャやっていればすぐばれる。武田軍はたちまち臨戦態勢。
まっすぐ北を目指すであろう上杉軍の前に立ちふさがるべく、横一列の鶴翼の陣を
敷けとの命令に海津城から兵が繰り出される。しかし30センチ先も見えない霧で
上杉軍はウロウロ下山の道を誤り、武田軍もどこを守っていいものかわからず、
お互い川の水音だけを頼りに手探りの暗闇布陣劇になった。
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/28(木) 23:31:32
かくして夜が明けてみると、両軍は犀川沿いにおいて、陣構えもろくに出来ていない
状態でまともに顔を合わせてしまった。かくして上杉勢は川を越えて越後を目指す
ために渡し場に殺到し、うっかりその近くに移動してしまっていた諸角虎定、山本勘助、
典厩信繁といった、本来なら下っ端兵など寄せ付けないはずの重臣の陣地がいきなり
バーゲンコーナーのように人が殺到する場になってしまい、気の毒に彼らはその気も
なかった越後の「復員軍団」にひき逃げ同然に押し潰され殺されてしまう。
ハッキリ言ってそのまま放って置けばよかったのに、ここで政虎に恥をかかせて
新管領にミソをつけておきたい信玄は無駄にやる気満々。様子を見てきた斥候が
「越後勢は戦う気がありません。わが軍の陣地をよけるように走り抜けていきます」
と報告しても、ここで兵達が傍観しちゃたまらんと「バカモノ、それは相手が大きな
車輪のようにグルングルン回りながらわれらを皆殺しにしようとする車懸かりの陣と
いう必殺技だっ。殺られる前にやらないとおめーら死ぬぞ。行けぇーッ」と、その場
しのぎの口からデマカセで兵を鼓舞して無理やり迎撃させる。
6 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/28(木) 23:32:28
しかし天罰テキメン、そう言っていた信玄もバーゲンセール軍団の通過コースに
乗ってしまい、通り過ぎたいだけの乱入軍団に行きがけの駄賃と切りつけられる
ブザマな醜態。一方の政虎も敵中突破、いつの間にやら護衛とも離れてしまい
管領ともあろう者が自分で武器を振り回さなければならない惨めな逃避行。
かくしてこの全然関係ない二つの場面が合体して「三太刀七太刀」の名場面が
デッチ上げられる事になった。ついでに言うと霧の中で救援に駆けつけられずに
いた遠方待機の小山田郡内勢が昼過ぎにもなってようやく現場に駆けつけ、
半日近くもカバディのように通すの通さないのとせめぎあい疲れきっていた
上杉勢に襲いかかり、オヤジ狩りのように大活躍。これが何をどうしたのか
「啄木鳥戦法」と語り継がれることになる。
7 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/28(木) 23:33:16
かくして越後勢は指揮官クラスはまんまと渡河に成功して全員脱出。しかし
兵はかなり無駄死に。ほとんどインパール作戦のごときアホらしい顛末。
いっぽうの武田軍は当時の戦争の常識では考えられないほど指揮官クラスが
バタバタ無駄死に。だもので「はぁーとてつもない激戦だったんだねえ」と
誤解が誤解を呼んで伝説の闘いになってしまった。
政虎は結局タダ働き。だもので頑張った部下にも「よくやった。あげられる
土地は全くないが、俺の気持ちを受け取れ」と感状だけ押し付け、信玄は
「まったく高い買い物になったわいトホホ」と言いつつちゃんと土地を分配。
以後上杉勢は川中島に近寄らなくなったので実質的に武田の完勝。
文献やらを照合するとこういうことになるらしい。「甲陽軍鑑」の信玄の言葉が
あまりに状況とぴたりと一致したので調べていた時は驚いたものだw
ま、現実なんてこんなものでしょ。
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9 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/29(金) 15:39:45
今年の大河は、これからだなー。
さぞかしロケに力のこもった合戦シーンにしてくれるんだろうな。
10 :
天機老人:2007/06/29(金) 23:37:32
武田信玄と上杉謙信の神格化に伴って、
持ち上げられてしまった戦いじゃのう。
>>3 >通称「二百日の対陣」のにらめっこで粘り勝ちし
>夢よもう一度と武田の領地の奥深く深〜く入り込んで
政虎は当初、二百日対陣をもう一度するつもりだった(?)のに
>和議を申し込んでくる気配なんててんで無いことに気づいた政虎はさあ大慌て。
「和議を申し入れてくる気配が無い」と思うには早過ぎるんでない?
信玄が茶臼山に布陣してから二週間も経ってないじゃん
>横一列の鶴翼の陣を敷けとの命令に海津城から兵が繰り出される。
最初は魚鱗の陣でなかったっけ?
>上杉軍はウロウロ下山の道を誤り
先行させた直江の小荷駄隊のみアッサリ渡河して丹波島まで到達できたのか
ガチャガチャ音を立てながら迷子になったとしたら
そこまで到達出来ないのでは?
直江は一体どこで謙信本隊と分かれたんだろう?山の中?
>>5 えーっと・・・まず3重臣が上杉軍に殺されてから
「越後勢は戦う気がありません。わが軍の陣地をよけるように走り抜けていきます」
の報告が信玄本隊に入ったと。 ナルホド、濃霧だし仕方ないね。
使い番もウロウロ迷子になってたのかもしれない。
そして遂に信玄本隊が避けていた上杉軍を追いかけるべく突撃〜。
これで合ってる?イマイチ訳分からんけど
>信玄もバーゲンセール軍団の通過コースに乗ってしまい
随分狭い鶴翼の陣だなあ
上杉軍は縦隊で、しかも武田軍を避けながら渡河してたんでしょ?
やっぱ信玄本隊が自ら近付いていったのかね?
>ついでに言うと霧の中で救援に駆けつけられずにいた遠方待機の小山田郡内勢
>昼過ぎにもなってようやく現場に駆けつけ、
武田軍の約半数だよね?
相手がガチャガチャ音を立てたのに気付いて、海津城を出たんでしょ?
遠方待機って・・・何処に居たの?何をしに?
まず上杉軍が山中で迷子になり、八幡原でも川の音を求めて手探り状態だったと。
ガチャガチャ音を立てたら川の音が聞こえない。よって全隊止まれ〜!ながらの行軍だよね?
そして遂に渡し場を塞ぐ信繁、諸角、勘助らと激戦しながら渡河を開始→彼等を虐殺
まだ渡りきれていない残りの上杉軍は、武田軍を避けながら渡し場へと殺到→渡河を継続
そこに追いかけてきた信玄本隊と激突っと・・・かなり時間が経ってるようだが
別働隊はまだ現れない。 城を出た後、一体何をしに、何処へ出掛けたのだろう?
>>7 >かくして越後勢は指揮官クラスはまんまと渡河に成功して全員脱出。
「かくして」って夕刻?
六千〜八千の上杉軍が朝7時、「渡し場」に到達したのに
その渡河が完了するまでに時間が掛かり過ぎじゃない?
上杉軍って実は八十万人だったりして
>しかし兵はかなり無駄死に。
指揮官クラスが無事なら無駄死にでもないでしょ