1 :
無名武将@お腹せっぷく:
山上に陣取ったもん勝ちだろうが
上杉謙信は妻女山に陣取って何で負けなかったのだろうか
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/06(水) 16:30:42
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/06(水) 16:44:34
つ 兵力差
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/06(水) 16:47:17
ケースバイケース
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/06(水) 16:47:12
6 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/06(水) 17:16:46
2万5000対数十万
>>1 中国人「アイヤー失敗したアル」
こう想像すると、納得いく。
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/06(水) 19:16:06
1だけど兵力差があればなおさら山の上から
攻めないと平地では勝てないと思うけど。
何かほかに敗因があるはず。俺なら百パーセント
勝てるね。
10 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/06(水) 19:33:13
足止め程度の兵力で勝とうとしたからじゃね?
おーへーの言うことを聞かないからだよ
12 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/06(水) 19:39:07
水をたたれたからだよ
>12で結論が出たので
終了。
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/06(水) 21:00:05
坊やだからさ
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/07(木) 01:51:00
王平に横柄だったからだよ(ダジャレ)
凄いんだけど、外からの刺激に悪影響を受けやすい人なんだろうな。横柄だから助けたい気にはならないけど、連れ合いぐらい選べるといいのにね。教師になりたい割にはそれらしき人達を遠ざけちゃうんだよな、今の彼は。
>>9 うむ。なんか変な話なんだよね。
あっという間に厚く取り囲まれてしまったはずで、それなら当然何倍もの兵力差が
あったことになる。
それじゃ平地で普通に対峙して勝てるはずがない。
どうすれば勝機があったというのだろう?
19 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/07(木) 02:27:39
>>18 馬謖はなんのために派遣されたのかな?
そこからかんがえれ。
日本では山上に陣取るのは兵法としては基本中の基本だと思うが
水が断たれて負けたって中国は日本とは何か違うのか
長期戦の準備をしてるかどうかでしょ。
日本の戦国大名の戦なんて、ヤンキーの果し合いの延長みたいなもんなんだから。
力比べみたいなもんだよ。
川中島の戦いだって数日で終わってるでしょ。
武田、上杉双方、長期戦の準備をしてなかったから、山に陣取っても水をたたれて兵糧攻めにされなかったんだよ。
いちいち長期の水や食料を用意して喧嘩するヤンキーいないでしょ。
武田だって、兵力と兵糧に余裕があれば、山を包囲して、水を絶つよ。
戦術レベルで争っていた戦国大名(信長や秀吉は除いて)と、戦略レベルで戦っていた魏と蜀では事情が違う。
>>3 ヽ、 / 思 佳
務 今 そ ! ! い き
め 宵 な ! | つ こ
よ. の た | !, い と
伽 ノ l′ た
を ゙! ___ 丶
,,ノ' ´ ` ' /=ミ
/ 彡ll'''´
} 彡lll
ノ|L_ ! ___ {彡lノ
'- 、.....、r‐''´ }f'tr'i ''^'tォー` }j/i',|
ヽ l.| ´ |  ̄ vijソ.!
丶 └、 Fイ l′
/ ',''゙ ,,、二''‐ ,イ ケ|
, ,/. ヽ `''"´,/ ! ^|ー、
/ / _,,」、'....ィ' '|. \、__
. /./ ,. ‐'''"´ ! / , _」__ヾ',
.,'.,' /´ └ 、_ ノi ノ (、_ ``ヾ!
,'/ / ヽ、 ` ''ー 、ィ-─'' r`'^ `
l| ! リ `ぅ ー=、_
| | サ 〉
ト ′ ./''ー- 、,.._
| ヽl / ヽ、
| !,、 ! / ∠_
,イ ヾ' ィ 、 . / ,,ィ'´
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/08(金) 23:09:13
>>19 それじゃ話が続かんじゃろうが!!! ウニューっと蘊蓄をタレなさい。
勝つ戦いじゃなくて
負けない戦いを諸葛は求めてたんじゃないっけ?
張コウにしてみたら
道道道
道山道
道道道
こういう場所で中央の「山」を包囲するのは楽だけど
道道道
山道山
道道道
こういう場所で中央の「道」を包囲しようと思ったら
敵の目の前で山登りをしないといけないわけで
張郃伝の記述から、馬謖の拠った山の麓には城砦、恐らくは、
漢代に街泉県城として用いられた城があった事が分かる。
城と山、双方に十分な兵を置いて支えとし、
街道全体を扼するように配置すれば、少なくともあっさりと包囲はされなかっただろう。
高地は見通しを良くするし、火力の効果を増加させる上、
高所から見下ろすという事が味方の気を大きくし、
低所から見上げるという事が敵の気を削ぐ。
でも高地に全軍を押し込めたんじゃ、前進や後退に難渋するので、
攻撃や撤退を効果的に行う事はできないし、
麓を監視されて補給を断たれては、敵の突破が難しいので欠乏する。
山を利用するのであれば、その効果を得られ、
且つ自由に動ける程度の兵力だけ置けば良かったと思う。
>>25 街亭の地形図(当時の想像図)ってどこかにないかな?
見れば分かるんだけど。
>>26 地形図は見た事ないな。現在の街亭の写真は見た事あるけどね。
あとは各種の地図や史料から類推してくしかないと思う。
三国志軍事ガイドとかだと、「当時は鬱蒼とした森林が広がってた」とか書かれてるけど。
街道、山、麓の城砦の位置関係が分かれば、色々と考えやすいだろうけどね。
>>19 馬謖がなんのために派遣されたかって微妙じゃね?
馬良伝に馬謖が負けたから諸葛亮は拠点を失って退却したってあるくらいで
具体的な指示は分からないと思うんだが…
29 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/10(日) 02:32:45
張コウが戦死した状況って詳細わかる?
諸葛亮の軍勢に射殺されたって事だけ?
30 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/10(日) 02:47:49
せめておれが副将についてれば…
無念だ
補給線断たれた時点でとっとと突破突撃かまして山を降りゃ良かったのに
何でギリギリまで頑張ってたんだろ?
状況が変っても自分の戦略を曲げるのがイヤな程、バカなプライドを
抱えてたのかねぇ?
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/23(土) 17:40:24
孔明にいいとこ見せたかったんじゃない?
元々張コウ軍の時間稼ぎの意味もあったと思う。
ヤツが俺を包囲してる間に時間を稼ぎ、この大天才俺様の機略を持って機を
掴み山を下り大破 戦功は多いほどいいぜぇ。とか考えたんじゃね?
むしろ狭きに誘導すれば正面の数は常に少ないので〜と孫子あたりに
あった。
山に挟撃用の部隊を配置するのはいいだろう。
24の図だとしたらまさに絶好の地形。天然の関。 普通に待っていれば
少ない兵士数でもやり合える。孔明が経験のない馬謖でもここなら
やれるだろうという部分じゃないのかな。
それに反して山に総動員して登った馬謖。
全軍で上りきったらさ。水源も確保せず・・ こいつは陳余レベルの
口だけ兵法、軍功狙いすぎだと罵られるに値する。
補給線ルールの無い、地形効果絶対のSLGばかりで遊んでたのが
馬謖の不幸。
かつて、前漢の時代に街泉県があったのだから、
街道に沿う形で、少なくともその近くに、街泉県城があったのだろう。
また、張郃伝に拠れば、馬謖は南山に拠り、「麓」の城に拠らなかった、とある。
更に三国志軍事ガイドに拠れば、当時の街亭は鬱蒼とした森林が広がっていた、とある。
城を街泉県城とすれば、
林道林
山城林
林道林
という感じかな。はっきり言って、ほぼ全軍を山に置く必要性が感じられない。
山に十分な兵と指揮所を置き、そこを支点として全戦線にわたって防御するか、
何処かに戦力を集中して突破を図るかした方が良いと思う。
>>36 本人は奇策のつもりだったんだろうなぁ…。
上手くいかなくても、いざとなれば囲みなんて全軍突撃でいつでも破れるって
思ってたんだろうな……。
>>37 >>25でも
>>36と同じような事を書いたんだけど、なんで城を捨てたのかが分からないんだよね。
推測される地形からは、城を保持する事が交通線の防御に繋がる事が分かる。
交通線が重要だってのは、ジョミニやリデルハートはおろか、
マハンやらの大抵の戦略理論家が言ってるんだよね。
古代の中国であろうと、軍隊の後方の交通線が退却や補給に用いられる事に変わりはないので、
程度の差こそあれ、戦略上重要な要素だってのは変わらないと思う。
その防御を考えようとしなかったのが理解できない。
その無防備さが、張郃をして伏兵を疑わせる結果になったんだろうし。
ある意味空城の計だよ。
馬謖の学んだ兵法には、そういった事は述べられてなかったんだろうかねぇ?
孫子の
『軍は高きを好みて下(ひく)きを悪(にく)み、云々…』あたりが座右の銘だったりして…。
そして、他の部分を読んでないか、完全に忘れてると…。
当時の孫子がどういう形だったかは分からないけど、
現在伝わっているものでは、確かに「連絡線を防御しろ」みたいな文はないんだよね。
むしろ、「補給はコストがかかるから略奪しろ」と書かれてるし。
でも、補給は置いといても、退路を断たれる事が軍隊にどういう影響を及ぼすかは、
少しでも戦史を学んでりゃ分かる事だと思うんだよね。
戦争の経験を補うものは戦史の研究だが、馬謖はその辺を怠ってたのかもしれないね。
確かに孫子流の『城攻めは下策なので、まず戦わずして勝つべし』という局面だと
馬謖は才能を発揮してますな。
(孟獲の件や、司馬懿を左遷させた件)
ただ、融通の効かない教条主義者だったので、現場指揮官(特に、状況変化に
即応しなければならない先陣担当)としては最悪の部類の武将だった……という
のが真相なんですかねぇ。
城を捨てた件も、孫子の『兵糧は敵から奪うべし』を鵜呑みにして(というか絶対視して)、
今、自軍は兵糧の手持ちが少ない
↓
城を空けておけば、敵が持久戦用の兵糧をいっぱい溜め込んでくれる
↓
そこで、山から降りて奇襲で兵糧ごと城を奪って(゚Д゚)ウマー
……とか、とんでもない机上の空論を考えてたのではないかと……w
42 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/28(木) 17:33:45
〇∧〃
/ > でもそんなの関係ねぇ!
< \ そんなの関係ねぇ!
〇/ はい!
/| オッパッピー!!
/>
44 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/29(金) 22:08:07
▼▼▼
▼ ▼▼ ▼▼
▼▼▼▼▼ ▼▼
▼▼ ▼▼
▼▼▼▼ ▼▼ ▼▼ ←曹軍
――――― ――――――
/ \ /
/ | |
| | |
| 山 |△| 山
| |△|
\ / \
――――――― △△△  ̄ ̄
↑蜀軍
45 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/29(金) 22:14:53
●●● ●
● ●●●●● ●●●● ●● ←曹軍
●● ●●●● ●●● ● ●● ●●●●●
●● ――――― ●●●●―――――― ●●
/ \●●/
/ ○ |●| ○
| 蜀軍○ |●| ○蜀軍
| 山 |●| ○○○ 山
| |●|
\ /●●\
――――――― ●●●● ̄ ̄ ●●●●
● ● ●●● ● ●● ●● ●●●●
●●● ●● ●●
↑ ● ●●●●●
曹軍→ ●●●
46 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/30(土) 23:24:22
城はどうした
47 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/30(土) 23:29:45
>>1 いやいやいや、謙信公と馬謖では差が違いすぎる。
そもそも経験が浅い馬謖を唐突に任命した孔明にも非がある。
多分、王平が指揮官だったらまだ上手くやれてたかも。
そもそも、両面から山がせり出したような狭隘な地形だったのだろうか?
山と、その麓に城があった事くらいしか記述からは察せ無いように感じる。
現在の街亭の写真は見た事があるが、そこまで狭隘な地形ではなかった。
これに関しては、二千年の間の風化や河川による浸食の作用が計り知れないので、
どこまで信じて良いのか分からないけどね。
49 :
維水の戦い:2007/07/01(日) 14:07:18
△△
△△←蜀軍本隊
○○←呉班・馬忠・張ギョク・呉イ
○○
○○←王平
○○○ ○○←張翼
○ ▲ ←張コウ ○○←リョウ化
関興 ▲▲▲ ○○←姜維
↑
▲▲▲▲▲▲▲
▲▲▲▲▲
↑ ▲▲
▲ ▲ ▲
■■ ←本陣
■■
50 :
維水の戦い:2007/07/01(日) 14:10:10
△△
△△←蜀軍本隊
○○←呉班・馬忠・張ギョク・呉イ
○○
○○←王平
○○○ ○○←張翼
○ ▲ ←張コウ ○○←リョウ化
関興 ▲▲▲ ○○←姜維
↑
▲▲▲▲▲▲▲
▲▲▲▲▲
↑ ▲▲ ←司馬イ
▲ ▲ ▲
■■ ←本陣
■■
こうやってみると、芸術的ともいえる戦法だな。
サッカーで言うところの見事なカウンター狙いというか
>>47 経験が無いから経験させる為の抜擢だろ?
作戦案授けて、経験豊かな副将つけて、
これだけお膳立てしてる諸葛亮に非があるのか?
というか王平じゃ格が足りない。
この撤退戦で頭角を表すのだし
52 :
維水の戦い:2007/07/01(日) 14:23:09
△△
△△←蜀軍本隊
呉班
▽▽
▲←張コウ
○▲▼▲○ 馬忠
↑ ○○ ○ 張ギョ・
関興 呉イ
張翼 王平▽
▽▽ ▽▲▲
▼▼▼ ▼▲▲▼▼
▲▼▲▼▼
↑ ▼ ▽▽リョウ化
▼ ▽▽姜維
▼ ←司馬イ
▲ ▲ ▲
■■ ←本陣
■■
お前らゲーム脳の集まりか?
55 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/01(日) 15:15:29
>お前らゲーム脳の集まりか?
ん?戦略というのは一つのゲームなんだが
56 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/01(日) 16:03:12
>>51 でもなあ、現に敗れてるんだしさ。
それに劉備だって生前、「馬謖は大言壮語の癖があるから重用しない方がいい」
と孔明に忠告してるわけだし。
さらに言えば、かのユリウス=シーザーも信頼していたブルータスに裏切られて殺害されるけど、
その瞬間までブルータスが裏切るとは思いもよらなかったであろう。
つまり、どんなに優れた人物でも人を見る目を曇らせる事もある、という事。
最後に一言
「バショクショックッ!!」
57 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/01(日) 19:11:43
ブルータス。お前もかっ!
劉備の眼力凄くね?というエピソードだけど
張飛に徐州預けて取られたり、カンヌに荊州任せて取られたりと
劉備も劉備で致命的なチョンボが多いんだよな
諸葛亮は馬謖に自分を見たんだろうなぁ
後継者にと育て (´;ω;`)ぶわっ
馬謖は山頂に陣を取ってなぜあっさり囲まれて、その後も何もしなかったの
高所が有利なら囲まれた後も何とかならなかったのかな
やっぱ数でもう負けてたか
60 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 09:06:01
鹿と謖を書き間違えるぐらいだから負けて当たり前だろうが
>>59 山を囲んだなくくく・・・早く攻め上ってこい・・・まだかよ・・・早く来いよゴルァ
やべえ水絶たれた・・・味方脱走しまくり俺オワタ
みたいな展開かと
張コウ「山頂に布陣したら水源絶たれるとか考えなかったのか?」
馬謖「…坂落とししたら絶対に驚かせられる!って思い付いたらそれ考えるのに一生懸命で」
馬謖「それ以外は…あんまり…」
王平「お前は出たての芸人か」
孔明「しかも天然系だ」
にしてもなぜ高い場所にいながら簡単に囲まれたのか
見通しが悪かったら意味ないよな
良スレ
_ ∩
( ゚∀゚)彡 山頂夫人!山頂夫人!
⊂彡
68 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/03(火) 00:01:16
よく、北伐における孔明の戦略自体批判されるが、自分が光栄の三国志関連のゲームやっても
大抵、長安に攻め込む前に天水とか安定を取ってから、長安に攻め込むのが定石だよな
仮に長安を取ったとしてもその後がもたない。
う、うん、そ、そうだね
70 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/03(火) 00:04:49
↑蒼天呂布ハケーン。
71 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/03(火) 00:08:24
大体5千程度の兵力で長安奇襲しても落とせるのか?
まず西涼方面を取って、内政に力を注いで、軍備増強し、満を持して長安に攻め込む。
これ以外にありえないだろ。
漢中と西涼から二方面攻撃すれば長安攻略は容易。(背後を固まった上で)長安が落ちれば、とりあえず魏は遷都するかしか無いだろうし
三国時代は蜀優位に進むだろうな。
72 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/03(火) 00:24:07
結局、魏と蜀の底力の差が出たと言う面はあるだろ。
バショクじゃなくても、魏の反撃を防ぐのは容易じゃなかったはず。
多分、ギエンやチョウウンを派遣しても守りきれなかったんじゃないか
73 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/03(火) 00:28:04
バショクと似たような立場に居たのが関羽だろう
関羽が尻尾を巻いて蜀に逃げ帰ってきたとしたら、劉備は泣いて関羽を切っただろうか。
多分、謹慎処分とかだろうな。
74 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/03(火) 00:31:07
バショクショックッ!!
75 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/03(火) 00:34:25
指令官が無能だから
落とせると思ったんじゃないの?
76 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/03(火) 00:50:47
仮に長安を落としたとしても、漢中と長安を結ぶ線はかなりか細いものがあるだろう。
増員した曹軍が20万程度だとして、北伐軍は5万ぐらいだろう。
図に示すと
街亭
安定
<西涼地方>ーーーーーーー長安ーーーーーー洛陽
天水 |
キ山 |
/
/
漢中
/
/
/
/
成都
長安防衛に力を過ぎ込みまくると、洛陽からの別働隊に漢中を落とされるわけだから
北伐軍が5万程度だとしても最低3万は防衛に残さなくてはならないだろう。
もし漢中を落とされたら、北伐どころじゃないからね。
孔明じゃなくてもキ山を取るほうが戦略的に妥当だろう
>>68 ニコニコの三國志Wプレイ動画思い出した
長安の人口総動員して曹操を押し返すのが見物だったよw
人材が豊富だったからその後も凌いでた
ある意味神プレイかもしれんw
78 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/03(火) 01:12:32
やはり仮に長安をとっても、シバイあたりが荊州の軍勢を率いて漢中を攻撃し、蜀軍瓦解、蜀滅亡となる
公算が高いと思うな。
「線」を「面」にしようと言う孔明の軍略は正攻法だと言える。
ただその隙に呉が荊州に攻め込んで、蜀と魏がゴタゴタやっているうちに、北方の異民族と組んで、魏に攻めあがってくる可能性は低くは無いな。
そうなると蜀は息を吹き返し、魏と呉がゴタゴタやっているうちに、漢中奪回。
呉の側面を突いて、荊州奪還・・まぁそこまでの体力は無いだろうから、地方政権でとどまって、魏と呉の戦いの勝利者に服属するか責め滅ぼされると
79 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/03(火) 10:51:52
81 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/03(火) 20:00:43
「アレ国志」ならバショクの敗北はある意味ではコーメーの責任だったともいえる。
だってあの漫画だとコーメーはやんちゃだし、バショクは苦労人だし・・・。
82 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/03(火) 20:25:23
俺も話に参加したいんだが、記憶が曖昧なんだよな…
功明が漢中に呼び出されて馬謖に街亭の守備を任して帰った
そして功明は川沿いの平地に布陣しろと言ったが、近くに見晴らしのいい丘を見つけた馬謖さんは王平の言葉を聞かず丘に布陣して曹軍に囲まれて、水を絶たれ士気低下あぼーんでおK?
83 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/03(火) 20:38:31
>>82 孔明が祁山を攻めたので張郃出陣。
孔明は馬謖を先鋒にして張郃と街亭で戦わせた。
馬謖は下にある城に入らず山に登る。
馬謖は孔明の指示に反し行動は不適切だった。
王平は水路を捨てて山に登り
メチャメチャな指示を出す馬謖を諌めたが無視される。
張郃は水路を絶ち馬謖大敗。
王平配下の千人が踏ん張り張郃は追撃を中止。
孔明は拠点を失い漢中に撤退。
馬謖と二人の将軍を処刑、数人の将軍を処分
孔明自身も右将軍に降格、王平は昇進。
一連の正史の記述はこんなものだと思う。
>王平配下の千人が踏ん張り張?は追撃を中止。
王平がかっこよすぎるw
86 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/04(水) 07:45:08
孔明ってたったの一度の失敗で切り殺すなんて
よっぽど短気なやつだったんだな。
蜀をのっとった挙句こんなこと奴に支配されたんじゃ勝てなくて当たり前。
孔明にのっとられた蜀を劉禅も嫌だったんだろうよきっと。
87 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/04(水) 08:29:09
>>86 正史には馬謖は逃げたとの記述があるようですよ
孔明が逃がしたんだよ。
そして馬謖はモンゴルに落ち延びて匈奴の王となり、晋を討ち滅ぼしたのです。
89 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/04(水) 08:47:15
李厳は責任転嫁しようとしたし、諸葛恪は専政を振るってごまかしたし。そして馬謖は孔明の指示に従わず、挙句に
>>87の言うとおり逃げたのか・・・。
90 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/04(水) 10:44:21
馬謖の気持ちになって考えてみよう
馬謖「おっ!いい山があるじゃねぇか! よし、ここに布陣しよう」
王平「馬謖様、功明様は違う場所に布陣しろと言ったのでは?」
馬謖「なに言ってんだよww 俺は功明様も嫉妬する程の天才だぜw 功明様だって地図でしか確認しなかったからこんないい山を見逃したんだよww」
王平「そうでしょうか?功明様はあえて山頂に布陣することを諦めたのでは?」
馬謖「ぐだぐだ言うならてめえの配下だけでやれよ。 とっさの機転が利かないバカはこの戦いが終わったら降格させてやんよ。」
王平「………。」
そして馬謖さんは曹軍に泣かされて逃げ帰る
91 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/04(水) 10:57:29
姜維が加わったことも、馬謖を慌てさせた原因の一つかも。
新参者に揚げ足を取られるのが屈辱的なのは現代でも同じだし。
向朗伝によると、街亭の後に、常日頃から親交の深かった馬謖が逃亡した際、
それを黙認したために向朗は諸葛亮に罷免されたって記載があるよね。
ちなみに向朗は、諸葛亮没後に復帰・累進し、左将軍・顕明亭侯となっている。
┌─‐「][] _,ィ ´ ̄`ヽ、
 ̄ ̄} | _ /:.ゝ-─‐<>
r─' ノ 「Y {´ ̄`ン':.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:}{
 ̄ Lハj_, ィ'´⌒⌒ヽ、:.:.:.ィ、ハ
[[] 「} _/∠二ニニニ¬、_ハ:.:.:.ヽヽ',
rー'_ノ //´ 了~~~⌒~`ヽ.弋゙Tl:.:.:.:_j」 l
>>1糞スレたて
{ { { j} }士ぅ'´:.:_〉|
い、__ >、___ __, ィ人 ヽく_:./:.〉ゝ おーめでーとさ━━━━ん!!
ィ ⌒ >'/ い 〉~~〉T~~T< ヽハ 〈_:.く
( _ イ `7 ハ⊥__j_i___〉 ,}イ 〈_/
( _) ハ__厶>ー‐一_7 /´
ゝ ___,ノ /ーY):::ノ ` ̄´厶.、/_
{::::::::/ /⌒ー'::::::}
 ̄´ {:::::::::;: ィ´
>>92 その言い方は語弊があるだろう。
向朗は免官された後に、光録勲としてまた官を授かったが、これは諸葛亮存命時の事。
諸葛亮が生きている間は復帰できなかったかのように書くのは良くない。
>>87 >>84にあるように馬謖だけでなく他にも将軍が2人処刑されてる
3人も逃走したとは思えないんで処刑は街亭の敗戦のせいじゃないか?
指示に背いたことと大敗したことの2つが重なったのが原因だと思う
96 :
87:2007/07/05(木) 12:44:15
97 :
92:2007/07/05(木) 13:58:50
>>94 ごめんよ、悪意があったわけではないのよ。
「後に復帰、諸葛亮没後には累進し」とすべきだったね。
98 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/05(木) 15:14:50
王平「なんだ!?この街亭の山頂………光り輝く部分があるぞ
あ…ぁぁ…ふ…布陣だ 布陣に適した場所がある!」
馬謖「あぶない副官!ここでなにをしているッ!
その山の頂に布陣するんじゃない!」
王平「なに! きさま! 邪魔をするな!」
馬謖「王平ッッ!!」
ピシィ!
王平「あうっ!? あれ?私は何を…な……なんだこの山は!」
馬謖「う!? うあっ!ぐああっ! 王平ッ逃げろ――ッ!! ぐあっあっ!!」
王平「ああッ!」
馬謖「この山に…ち…近づくなッ!私はもう駄目だ…!こ…これはこいつらのワナなんだ!
近づく者の生兵法を利用し後世の格言とするワナなのだ!!」
99 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/05(木) 15:35:11
結局勝とうとしたからいけないんだろ?
勝つ戦と守る戦は必然的に違う
勝つにはばしょくがやったように高いとこに布陣しながら逆落としをしかけてくしかない
ただ長期戦の準備ないなら水の手は死守する策をこうじなきゃまけるだろ
守る戦ならば狭隘の地らしいし、山、城に布陣しつつ、街道を通さないようにしながら別動軍による遊撃などで時間を稼げばいいだろ
さすがに十倍程度相手だから厳しいがかなり地の利があるからなんとかならぬこともない
100 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/05(木) 17:51:27
バショクショックッ!!
>>99 張郃を撃破するにしたって、何も山に軍を押し込める必要はないと思うよ。
山には、恐らく優勢だったろう火力部隊を重点的に配置する程度で良いと思う。
城と山には、相手を支えるに足るだけの戦力を配置して、
残った翼に戦力を集中してそこから突破を図ったりする方が賢明だと思う。
102 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/05(木) 23:44:50
孔明が張郃にキレた本当の理由って馬謖の事があったからか?
思ったんだけど、山に魏軍が陣取って逆落としされたらどうすんの?
>>103 包囲して補給を絶とうにも蜀兵は少な過ぎるし…
まぁフツーに意気揚々と坂落としが決まるんじゃねーの?
105 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/06(金) 10:08:13
「山に布陣する」という兵法の基本にこだわった馬謖が悪いのか、
それとも馬謖の失点を見抜きそれを突いた張郃が凄いのか?
107 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/06(金) 16:57:18
>>106 後ろ足を取られる、でもいい。
ハッキリ言って姜維の方が馬謖より優れている。
108 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/06(金) 20:00:32
魏の五大将も凄いんだぜ?
ってことで張コウのために見せ場つくってみました。
ちんず
109 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/06(金) 21:01:05
はーい、ディスプレイの前にいるよい子のみんなもお爺ちゃんもお婆ちゃんも
お兄ちゃんもお姉ちゃんもお父さんもお母さんもみんなで叫ぼう!!
バショクショックッ!!
逆落しってさ、登って来る敵にしか通用しないんじゃね?
息せき切っておりて平地で戦争しても意味ないっしょ?
113 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/07(土) 00:32:45
両者の戦力的状況を考えて、敵の撃破を急ぐ必要があったのはどっちなのかを考えた方が良いね。
蜀の方は、既に天水・南安・安定の三郡が降り、馬謖の援軍として諸葛亮の本隊もある。
また、隴西郡は1ヶ月間魏軍の隴西侵入を防げば降伏する旨を、諸葛亮に伝えている。
更に、隴山を越え街亭に出た張郃に対し、蜀に寝返った安定郡は、その側面を押さえる位置にある。
張郃の方は、期待できる材料は皇帝の親征による早期の援軍が見込める事だね。
個人的には、敵を撃破したいというインセンティブは、張郃の方に強く働くと思う。
だから蜀としては、相手の攻撃を拒止し易く、且つ、攻勢に転じやすい配置をするのが良い。
最初の防御で敵の戦力と戦意を削り、機を見て攻勢に転じるのが一般的に思う。
115 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/07(土) 09:53:13
ひょっとして…、定軍山の戦いの真似がしたかったんか?
う、うんこ出そう・・・・・・
117 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/07(土) 17:41:56
バショクショックッッ!!
118 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/08(日) 00:34:20
意外に「張コウが強かったから」って理由が挙げられていませんね。
>>116 王平お母さんの「早く起きなさい」という言葉を無視しし
ギリギリ間に合うと駆け込み乗車したら、便意
ギリギリまで我慢したけど、途中下車しても間に合わず
臭い状態で会社休みますって泣きながら電話
これが馬謖の気持ちだ
わかったか!
>>119 お母さんは大切だ。
大切にしないからおもらし小僧になった。
122 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/08(日) 09:35:47
いみ不明
123 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/08(日) 09:45:08
124 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/08(日) 16:32:17
あった
>>118 張コウが強かったから、とか、馬謖が弱かったから、で終わったら、考察にならないからね。
両者がどういう判断のもとどういう行動に出て、それがどうであったのか、
とか、色々考えた方が話も膨らむしね。
「結果は失敗に終わったものの、判断自体は悪くなかった」という結論も得られるかもしれないし。
127 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/10(火) 12:36:22
か?
つまんね
130 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/11(水) 12:16:04
敗因は兵力差
要するに兵力差→国力差→劉備と曹操の差
それで斬られた奴はたまったもんじゃないな
着られたって仕方ないだろう。
裙子の形状から考えて。
133 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/11(水) 22:26:53
戦い自体が間違いだったんだと思う
孔明は自分がやっても勝てないから誰かに負けの汚名を
着せたかっただけだと思う
孔明は、卑怯者でプライドだけ高い、口先だけのダメ宰相ってこと
誰かに責任押し付けんと規律が保てないくらい追い詰められてた
>>132 破くべし
中心へ向かって突撃すれば、何かしら戦果は得られたはず
戦果・・・・・・熟れたみずみずしい果実・・・・・・
青い果実ハァハァ
梅の林・・・ゴクリッ・・・
汚れなき聖域
聖少女
孔明の言うとおりにしてれば、たとえ負けても斬られる事は無かったのでは
張コウに斬られてたけどね
143 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/18(水) 12:18:00
戦いなんてその場その場で変化するんだし
いくら机上の空論を孔明が押し付けたとしても
実際大軍に周りの山を囲まれることを恐れたのでは。
勇気がいると思うよ。孔明の作戦実行するには。
本人は臨機応変に対処したつもりだったが、
状況が思ったとおりになってくれなかったってとこかな。
それでも、大将が歴戦の雄だったら多少状況も違っていただろうけど、
実戦経験の乏しいエリート様だったから士気も上がらなかったのかな?
はぁはぁ
はぁはぁ
はぁはぁ
147 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/22(日) 00:21:03
あげ
,,,-‐''"~ ~゙ヽ、,,----、.,,,,_
.,,r''~ ゙ヽ、 `ヽ、
/ ゙i, `ヽ、
/ i, ゙i,
~~'''''‐-= / i ゙、
i' ;ヘ, .:.::::i':::.. ゙,
i /./ .:.::::/.:.:.:.. i
ノ / / .:::::::/:::.:.:.:.:. i
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メ;;;;;;;i, .:.:.:.:.:.:.:、 ゙'ー‐-、,,;---、ゞ ゙''''''i'/ /
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149 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/23(月) 21:15:12
そもそも
馬謖は魏よりも早くきていたのだろうか?
150 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/23(月) 21:28:00
俺も横山三国志を読んで馬謖に切れた。こんなマヌケな馬鹿初めて見た。
こいつの所為で・・・と思うと怒りに震えて酒を飲んで飲みまくったさ。
しくじりが無ければ
魏延を率いる身分になってたのかなぁ
152 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/24(火) 23:46:34
ガンキャノンが有れば、馬謖は勝てた!
しかしどの正史にも立伝もされていないのに、ここまで有名な人物も珍しいな。
153 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/25(水) 01:25:11
>>152 そりゃまあ
よくわからない「名せりふ」のだしにされたからな
154 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/26(木) 10:25:43
ふと気付いたんだが、馬謖と馬良以外の兄弟はどうして出て無いんだろうか?
「馬家の五常」と言われてるくらいなのだからあと三人、いるはずなのに。
155 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/26(木) 10:40:20
泣いちゃったから
ぷっぷっー
蜀には仕えなかった=魏では埋没したんじゃね?
長男・馬順伯常
蜀。馬良の補佐的存在。劉備の東征以前に死去。
二男・馬統仲常
魏。江夏太守。のち、若くして隠遁生活を送る。
三男・馬安仁叔常
蜀。長兄の死後、馬良の要請で補佐を務め、馬良と共に戦死。
という真偽不明の情報が出回っている。
159 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/26(木) 16:05:19
>>158 それが確かなら二男しか生き残らなかったわけだな。
二男
162 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/27(金) 17:11:31
というか水絶たれて負けたのならコンビニ行ってジュース買ってくればよかったんじゃね?
そのコンビニが街亭城内にあったんだよ。
164 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/27(金) 20:01:45
コンビニが山頂にあるわけないだろ
人
(__) ウンコー
(__) (´⌒(´⌒
(・∀・ ) (´⌒(´≡
O┬O ノ` ≡≡≡(´⌒;;;
◎┴し-◎ (´⌒(´⌒;;
166 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/28(土) 12:07:33
なんで直接長安を攻めなかったの?
孔明アホすぎ
167 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/28(土) 12:51:21
兵站がつながらないから
関中と挟み撃ちにされるから。
「水が無いなら酒を飲めばいいじゃない」 By馬謖
オイオイ>164日本の生駒山の山頂には遊園地があるんだぜ
中国の山頂にコンビニがないわけがないだろ
>168
逆に考えるんだ
関中を挟み撃ちにしていると考えるんだ
それは違うな。
遊園地すらあるのだから、ましてやコンビニがないはずがないという理屈だが、
それはコンビニの方が遊園地よりも山頂に作られやすいという思いこみを元にしている。
しかし、日本にかぎっても、コンビニのある山より遊園地のある山の方が多かろうぜ。
街亭の南山にはコンビニがなかった可能性が高い。たとえ遊園地があったとしても!
馬謖は水不足を解消するため雪を溶かして飲んだというが、
もし山頂にコンビニがあったなら、なぜ森永ICEBOXを溶かそうとしなかったんだ?
なるほどな、だが森永ICEBOXはそのまま食べた方が美味しいから溶かそうとしなかったと思うぜ
またコンビニも遊園地の近くに建てられている事も多く一概に無かったとは言えない
むしろ一気に万単位の人間がコンビニに押し寄せた為、供給能力が間に合わなかったと見るべきでは?
更に遊園地まであった場合張コウに包囲されているのに馬謖が遊んでいた為、
軍の戦意低下を招いた可能性も否定できないと思うが
お前等何の話してるんだよwww
山頂に遊園地があったとすれば、諸葛亮はそれを用いて魏軍を足止めするつもりだったんだろう。
蜀軍が先に遊んでたら、そりゃいくら収容人数に余裕があったところで魏軍は入りづらいわな。
いや、馬謖が観覧車乗ったのは敵軍の状勢を物見するためだし。
コースター乗って、一気に坂道かけくだる作戦だったのに、
バカな兵士どもがビビってコースター乗らなかったのがぶっちゃけ敗因だろ。
177 :
マ狂:2007/08/02(木) 17:48:41
でも王平も言ってたけど
レールなきコースターは死地、途中で転倒したら戦う前に敗れますぞ
やっぱりあれは生兵法だって
北京ダック君(当然ドナルドのパクリキャラ)の着ぐるみで兵を隠していた王平は、
やっぱり賢い。
あれがなければパーフェクトゲームになっていたかもしれない。
>バカな兵士どもがビビってコースター乗らなかったのがぶっちゃけ敗因だろ。
日頃あの桟道をトロッコで爆走する蜀兵がそんなことでビビるとは思えないな。
おそらく馬謖はメリーゴーラウンドに乗っての突撃命令を下していたんだろう。
おお、なんと…。
メリーゴーラウンドで突撃したら、行っては帰りしてしまうではないか!
口惜しや、馬謖どの。
181 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/05(日) 18:58:11
兵糧が続かないっていうが
そこが孔明の浅はかなところだと思う
じゃあ何とか兵糧を調達すればいいだけのこと
自分の都合のいいようにしか考えない愚か者それが孔明
孔明のかわりに兵糧を調達する手段を教えてくれ。
戦争はゲームとは違います
184 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/06(月) 00:37:03
たくさん兵糧もっていけば長くいられると思う
足りなくなりそうになったらまた盛ってくればいいと思う。
185 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/06(月) 03:35:43
自分をショウカにたとえてる…
たくさん持っていくにしても、あとで持ってくるにしても、
兵糧を運ぶためには、輸送路と輸送手段の確保が必要なわけだよ。
あと、そもそも輸送すべき兵糧をどこから調達するのか、これも問題。
184は空想じゃなく、現実的な解決策を提示すべき。
187 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/06(月) 10:24:52
俺は自分を王莾に例える。
馬謖って失敗したから斬られたんでなく、
孔明が敗戦の原因を自分に押し付けようとしてると知り、
逃げようとしたから斬られたって記述が正史にあるんだよな。
案外、山頂に布陣したのは孔明の指示だったりして。
孔明が敗戦の原因を自分に押し付けようとしてると知り?
190 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/06(月) 15:04:22
では誰が適材だったかな?オウヘイのみで行かせた方がよかったかな
魏延だろ
192 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/06(月) 16:03:54
>>189 今伝わっている歴史は物凄く歪曲している、これは日本も中国も同じだろう
あと一歩で勝てたのにって情報をウ飲みにはできない
戦国時代も後の徳川幕府に都合のいいように書き換えられてる
我々はそれを元に実際の情景を思い浮かべなければならないんだ
>>188はたぶん元々蜀に勝ち目はなかっただが劉備の意思等もあり
北伐しないわけにはいかない(家中が纏まらない古参が黙っていない)から
出陣はするがソフトランディングさせる必要がある、そこで馬食
平地に布陣してもチョウコウを防げないのを孔明は知っていた
孔明「馬食チンデネw」って事ではなかろうか
馬食としてはたまったもんではなかろう死んでも死に切れん、
そりゃあ逃げて真実を伝えたいと思う事もあるかもしれんしないかもしれん
えーと。
釣りなのかな。
ソース→「きっとそうに違い無い」
クールきっとクル〜
196 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/07(火) 20:49:56
下がりまくりだなぁ
きっとクルきっとクルきっと佝僂
198 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/08(水) 18:17:19
Cool Kit Cool
おまいらクールだぜい!!
お題目は懐かしいが、中身は全く別物だなw
馬謖の言う事は全て出鱈目。
202 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/14(火) 16:24:29
\
お そ .い ヽ
か の や |
し り ` ,. -──- 、
い .く / /⌒ i'⌒iヽ、 高きによりて低きを視れば
つ / ,.-'ゝ__,.・・_ノ-、ヽ 勢い竹をさくが如し
は i ‐'''ナ''ー-- ● =''''''リ _,....:-‐‐‐-.、
l -‐i''''~ニ-‐,....!....、ー`ナ `r'=、-、、:::::::ヽr_
 ̄ \ヽー' !. t´ r''"´、_,::、::::} ノ` ,.i'・ ,!_`,!::::::::::::ヽ
ヾ、 ゝゝ、,,ニ=====ニ/r'⌒; rー`ー' ,! リ::::::::::::ノ
i`''''y--- (,iテ‐,'i~´,ゝ'´  ̄ ̄ヽ` :::::::::::ノ
.| !、,............, i }'´ _ 、ー_',,...`::::ィ'
●、_!,ヽ-r⌒i-、ノ-''‐、 ゝ`ーt---''ヽ'''''''|`ーt-'つ
( `ーイ ゙i 丿 ;'-,' ,ノー''''{`' !゙ヽノ ,ヽ,
`ー--' --'` ̄ `ー't,´`ヽ;;;、,,,,,,___,) ヽ'-゙'"
(`ー':;;;;;;;;;;;;;;;ノ
``''''''``'''''´
そもそも数十万を迎撃するのに2万ておかしくね?
じゃあ趙雲なら1騎でやらされるのかよってことになるんじゃね?
そもそもこの役目は関家か張家のやつにやらせるべきだったんじゃね?
204 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/15(水) 00:26:16
205 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/19(日) 04:38:09
元々守れやしなかったんだよ
罪を着せたかった
負けて無いよ!
207 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/19(日) 14:24:46
馬謖が孔明を拒絶しなければ死ななくてすんだ。
日本の山だと雨が降ってあっさり解決
横光みたいな火も使えなくなるし、馬謖が勝ってただろうな
209 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/20(月) 06:47:29
日本じゃねえしw
裸山でない山上に陣取ったら
火をつけられておしまいじゃね?
羅山の智慧を生かすことができなかった。
>>209 いや、三国志には雨が降って水を得る描写があるよ。
司馬昭も逃げ込んだ山を姜維に包囲され、全滅しかかったが全くの幸運で雨が降って凌ぐことができた。
じゃあ馬ショックはついてなかったって事で
お師匠さん真似て雨乞いでもすればよかったじゃん
215 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/25(土) 08:59:37
演義だけの話かも知れないけど
孔明に糾弾された時に「王平が何ほざいたか知れないけど
あんなんじゃ誰がやったって負けるに決まってますよダンナ」
みたいな事言ってたって事は負ける可能性を考えてなかったし
負けても孔明にかわいがられてるから大した処罰受けないと
思ってたんだろうな
容赦なく万座の前で恥辱した孔明先生はえらい
まあ夏侯惇みたいに自縛してきて責任は感じてる分
出征を頓挫させる大罪を犯して助命されておいて
また孔明先生からお声がかかることを期待してる李厳よりはマシだが
孔明「幼常、そこに陣取るのだ!」
馬謖「し…しかし丞相、お言葉ですがそこは平地でございまする」
孔明「平地!そうだ…だからなおさら押さえねばならぬ
「張?の麾下の兵」は山頂で戦ったら強大な天敵となるやもしれぬ!
水源はあっという間に取られる」
馬謖「うう……」
孔明「できぬのか幼常!…そうか
おまえにできぬというのならば、では見本を見せてやろう
こうやるのだ!幼常ーッ」
孔明「幼常!やつは登山家としてあまりにも純粋すぎた!
それが弱さにつながったのだ!!
残るはこの孔明独りか…だが頂点に立つ者は常にひとり!」
>215 最初は向朗に逃がして貰ったけどな
219 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/25(土) 12:03:49
まあ、馬謖は劉備に可愛がられてたので孔明が陥れたんだろうな・・
基本的に戦は兵の数だろ??
馬謖テラかわいそす。
やっぱり蜀の国力を考えると北伐なんて無謀だったんだろ?演義の別働隊が一気に
長安を抜くとしかしらないのだが、史実ではどうなってるんですか?
この時代、日本の戦国時代みたいに麦刈りや乱捕りの為に出陣とかって
しないっすよね?
>>221 >麦刈りや乱捕りの為に出陣
麦の収穫や柔道の練習のために出陣するの?
223 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/28(火) 09:59:55
タイムマシンでも出来たらねぇ
う
ん
こ
225 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/28(火) 15:18:57
ご飯ですよが飛んで益田
226 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/29(水) 16:58:51
所轄量が書かせた歴史書が本人のことを悪く言うわけがない
すべて人のせいにするに決まってる
227 :
529:2007/08/30(木) 13:29:02
諸葛亮が書かせた歴史書って何?
HN欄に変なもんが残ってたな。無視してくれ。
馬謖は反乱鎮圧作戦で劉備と居た間に、こいつはダメだと見抜かれたん
だろうな。口だけってのは別に馬鹿という意味じゃなく確かに作戦能力
はあるが、指揮官として部下を統率する能力がない、将軍は無理と見られ
たんだろ。
街亭は言い訳できないが馬謖の部下がなぜか皆殺しになってるのを見れば
彼だけの責任とは言い切れない。若い馬謖が参軍らに押されてあぁなった
とも見れる。馬謖単独の責任であれば、ああも擁護する人間(刑州人以外も
居た)も出てこないだろうし、馬謖だけの責任じゃないから敗戦で死罪は
キツイて世論があったんだろうな。
ただ諸葛亮は、時に私的感情優先で人材を登用、解雇処罰するのがなぁ。
>>229 > 反乱鎮圧作戦
って?
馬謖は蜀入りに従事として従軍して、緜竹、成都の令を経て越巂の太守に回されている。
その間、好んで軍略を論じてたらしいから、それで見切られたんじゃね?
ただ劉備の人物眼も絶対視できないけどね。
>>230 恐らく
>>229が言ってるのは、越スイでの高定の反乱の事だろう。
李厳伝の、高定が軍を派遣して新道県を包囲した、ってやつ。
これを越スイ太守ではなく、犍為太守の李厳が鎮圧した事から、
(当時越スイ太守だったかもしれない)馬謖の能力を、劉備が疑ったって事と思う。
確か、ニセクロさんか誰かが言ってたと思う。
ただ、個人的には、この件は馬謖の能力を問うものと判断はできないと思う。
高定は軍を派遣しただけで、自分から新道に行ったわけではないから、
高定の本隊にも対処する必要があるし、新道県なんて犍為との郡境にあるような場所まで手が回らないだろう。
第一、実際にこの時、馬謖が越スイ太守だったかは分からんし。
しかし、尻拭いた高翔や王平はえらいな。
馬謖は趙括にそっくりだな。 趙括は机上だけの男で才能が無いことを
歴戦の将軍の親父は見抜いた(馬謖の場合劉備)
呉壱、魏延を使えという諸将軍の声(趙でいえば藺相如)を無視し起用した
諸葛亮(孝成王)
この時の諸葛亮は孝成王そっくり。孝成王はじっと力を蓄えれば秦にもまだ
対抗できたのにあせったばかりに、決戦し判断を誤り趙括を起用し壮絶
な大敗をし国を弱体化させた。(まるで夷陵や北伐)
諸葛亮は孝成王より優れているのは間違いないけどね。
>>232 高翔、尻拭けてないよ。
郭淮にしっかりやられてるし。
確かに郭淮伝には蜀将高翔破ったと書いてるけど、俺は善戦して退却したの
かなと思ってさ。
街亭の関係者は参軍込みでぶっ殺されてるけど(王平除く)敗戦の処分
を受けず厚遇されてるし。
郭淮相手に正面勝負でも勝つのは難しい上、総崩れの中の退却戦だから
やられるのは当然かなて。
>>234 なんとも記録が少ないので断言しようがないが、
> 確かに郭淮伝には蜀将高翔破ったと書いてるけど、俺は善戦して退却したのかなと思ってさ。
それはわからんね。
王平の例を見れば、あるいはそういう可能性はあるかもね。
ただ、
> 郭淮相手に正面勝負でも勝つのは難しい上、総崩れの中の退却戦だからやられるのは当然かなて。
というのはどうかな?
「馬謖を街亭へ派遣し高翔を列柳城に駐屯させ(遣將軍馬謖至街亭、高詳屯列柳城」とあるように馬謖と高翔は別口だと思われるので同一戦線とはみられないと思うが……
まあ、高翔は2回記述があって、あとのもう一回は劉備の漢中制圧時に陽平関で曹真だったかに敗れたというもの。
つまり、撃ち破られたという記述しかない割りには後将軍(一説にはその後大将軍)まで上る出世を遂げた人物だからね。
出自だけじゃなく戦闘でも記録には残ってないがそれなりに才能があったのかもね。
236 :
235:2007/09/02(日) 12:38:55
>>235を訂正。
注ではあるけど、231年の北伐に参加し、鹵城の戦いで魏延・呉班らとともに司馬懿を打ち破るという記述もあったね。
237 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/09/04(火) 06:47:41
上げとくか。
四川出身者はなんせ人材が乏しいから普通にやれる将軍でも重宝なのかもね。
晋の何カクなんか蜀出身というだけで雑魚扱いされてるの見ると当時の
評価が伺える。呉人も同じようなもんだけど要職についてる人間は圧倒的
に多いし。
上の魏延は刑州(刑州は科挙の時代なんか秀才が多いという地域で知られた
くらい人材面が豊富)、呉班や親父の呉いも元は中原出身。
元流刑地で犯罪者が流された地域の益州。遺伝子工学の分野だと
犯罪者の血縁を調べる調査をすると一般人より犯罪者が出る確率が
非常に高いというのを読んだことがある。
俺的には、正史を読んで行動に問題がある人物が異常に多い益州出身者
というのを見るとこの地域の限界を感じるな。
諸葛亮が刑州人材群の馬謖に期待したいのも分からなくないな。
結局は上の趙括の流れなんだけど。
うわ、優生論者あらわる!これはびびった。
悪意の定向進化ですよ!
241 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/09/08(土) 21:06:05
遺伝子云いは極端だなw しかし 諸葛亮は街亭で食い止めた後
どういう作戦を取るつもりだったんかな?
未来を知る俺たちは南朝の北伐が、北南の人口肥沃度が逆転しない限り
不可能(最高でも一瞬占領〜遷都だと言ってみるが速攻で撤退、撤退時の
打撃大)という不可能ですというのが分かるんだけど当時の孔明はどこまで
可能だと踏んだんだろね。 魏延の言い分を退けた事から見て戦略眼は
優れてそうだけど・・・
242 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/09/11(火) 13:17:46
孔明は忠たつよりはるかに劣るんだから馬食のせいじゃないだろ
孔明は何もできなかった
せいぜい挑発するのがやっとじゃないかな。
243 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/09/11(火) 18:28:10
適性が違った
244 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/09/13(木) 21:41:38
>>241 @持久戦
A内部反乱を待つ
B打ち破る
Cその他
クルクルパーだろ
246 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/09/14(金) 05:28:10
お前らバショクバショクってバカにしすぎだぞ!!
バショク本当はすげえんだぞ!!ちょっと運がなかったから負けただけなんだ!!
バショクに謝れお前ら!!!
247 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/09/14(金) 09:35:21
泣いて馬稷に謝罪
>>246 どこがどう凄いのか、皆を納得させられるだけの論陣を張って下さい。
めくそはなくそ
八戸のぶながを受け入れなさい
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252 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/09/15(土) 09:19:13
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`ヽ、i )__r'´ )__|;::::::::::::::/ なんでバショク山登るん?
. ヽ、__、/< ヽ、__、- /^゙-、;;;;/
{ ' ' '-'~ノ
λ ____ /-'^"
ヽ,_ `ー─''´ (
/`''丶、 , - /^l
/ /( ノ `'''''''´~ _, - ' ~ ゙i、
{ / /| ̄ ̄ ̄ ̄ _,-'^¨ }
{/ / ゙ー────'~ \|
/ ヽ \
八戸のぶながを味方につけることができなかったから
>>253 ,、 '";ィ'
________ /::::::/l:l
─- 、::::;;;;;;;;;`゙゙''‐ 、 __,,,,......,,,,_/:::::::::/: !|
. : : : : : : `゙'ヽ、:::゙ヾ´::::::::::::::::::::::`゙゙゙'''‐'、. l| またまたご冗談を
、、 . : : : : : : : : r'":::::::::::::::::::::::::,r':ぃ::::ヽ::::::::ヽ! ,、- 、
.ヽ:゙ヽ; : : : : : :ノ:::::::::::::::::::::;;、-、、゙::: rー-:'、 / }¬、
. \::゙、: : : :./::::::::::::::;、-''":::::::::: ,...,:::,::., :::':、 _,,/,, ,、.,/ }
ヽ:ヽ、 /::::::::::::::::::::::::: _ `゙''‐''" __,,',,,,___ /~ ヾ::::ツ,、-/
`ヽ、:::::::::;;;、、--‐‐'''''',,iニ- _| 、-l、,},,  ̄""'''¬-, ' ''‐-、 .,ノ'゙,i';;;;ツ
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255 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/09/29(土) 03:05:05
馬謖に罪を擦り付ける説が正解だな
そもそも中国では孔明はそんなに評価が高くない
むしろ馬謖のような人材をあっさり殺したり
人材をうまく活用できなかったとしておろかな宰相として
有名。
劉備より馬鹿だったんじゃないのかと思う。
256 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/09/29(土) 03:39:23
馬謖は生兵法だったんだろうな。
謙信は山上に陣取ったが、善光寺の補給部隊そのものが囮だった。
信玄が善光寺を狙うなら、春日山の留守部隊を出して妻女山の謙信本隊との
挟撃を考えていたんだろう。
もちろん信玄も途中でそれに気づいて、海津城に引き上げてるけどな。
信玄から動かざる終えなかったのは、妻女山の陣取った謙信本隊が信玄軍より遥かに兵が少なかったから。 自領内に陣取った数の少ない軍に対して
動かないわけには行かなかった。
恐らく謙信は妻女山布陣の段階でここまで予想して、信玄が動かざる終えなくなることまで読み通していたはず。
敵地で戦うは士気が固まって良しも孫子にあるように、兵法理解も馬謖とは
比べ物にならないと思うね。
馬謖は山上は勢いあって良しをそのまま実行しただけ。
257 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/09/29(土) 17:29:04
馬謖「山が俺を呼んでいる、だから俺は登るのさ」
昔から馬○と煙は高い所に上りたがるものだ
>>256 馬謖の拙さを語るのはいいんだけど、
そのために架空の戦いを引用するのは、それこそ空理空論になっちまうよ。
261 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/10/01(月) 00:30:18
諸葛亮も馬謖が命令聞いた上で負けてれば罪に問わないと思うが。
263 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/10/01(月) 00:55:18
>>262 その場合馬謖を罰する理由が何もないだろ
斬られはしないけど大敗したら国にとっては同じ
臨機応変に0%より10%の勝率を取ったんじゃないの?
そうでも考えなきゃ死罪を覚悟してまで上に逆らう理由が見当たらんと思う
>>264 シバイは奇襲を狙って分捕ろうとしたわけで
孔明の目的からすれば勝たなくても守りきれば良かった
無理に殲滅させて勝とうとしたのが馬謖の失敗だろ?
演義ならね。
正史では司馬懿は絡んでこないし孔明の目的も不明。
267 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/10/01(月) 21:26:38
確かになぞだな
実は街亭って最前線だったりしてな
270 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/10/03(水) 08:21:45
何つーの…
研究班の出世頭に法人営業を任せたようなものか?
八戸のぶながを受け入れなさい
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272 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/10/03(水) 19:30:50
274 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/10/04(木) 11:46:45
馬謖「なぜ山に陣取るのかって?そこに山があるからさ」
格好良い事抜かしやがってこのヤロー
276 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/10/06(土) 04:24:04
>>256 >動かざる終えなかった
っておかしくない?
動かざるをえなかったじゃね?
山で孔明の毒キノコ咥えたから
馬謖が兵法書を暗記してそのまま動くような馬鹿だったから負けたんだろ
兵法書はそれを応用しないと意味がない。
相手だって兵法書を読んでるんだろうし張ゴウも
馬ショクが山に布陣したのを見て笑ってるし
演義ベースで話をすすめると、それ以上言うことがなくなっちゃうんだよな…。
とりあえず、そうだねとしか言えない。
280 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/10/09(火) 09:03:09
>>278 本当に笑ったのかな?
横山三国志や小説三国志なんて武将の細かな反応は書き手の着色だと思うけど
笑ったなんてどこに書いてあるの
相手の張儁乂が名将すぎただけ。
このあたり演義で過小評価されすぎてるから、矛盾が生じてるんだよな。
諸葛亮の北伐失敗は曹真の存在も大きいだろうし、郭淮から見れば姜維など問題外だったろうし。
283 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/10/11(木) 17:27:05
馬謖「なぜ山に陣を張ったのかって?ちょっとハンデつけてやったのさ」
まぁ、山城にも言えることだが、山に陣を張る事自体は間違いではない。
ただ水と兵糧の確保と、城じゃないなら短期決戦が大前提だけどね。
287 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/10/12(金) 10:59:51
要は地形をよく見て高みに陣取れっちゅう事だ。
>>282 そうそう。
なのに「姜維に早く軍権を渡していれば北伐は成功していた」とかほざく姜維厨w
ま、それは置いといて、
彼我の国力差がある上に指揮官の能力も高く、その経験も豊富だったんだから、
馬謖でなくても実戦経験の乏しい将では厳しい戦いになっていただろうね。
費文偉が死んで姜維の権限が拡大したから滅亡が早まったのにな。
戦争屋って感じ。
それはともかく、そもそも諸葛亮の戦術が机上の空論で人を見る目も
なかったもんだから、劉備でさえ評価しなかった馬謖や人材不足とはいえ
姜維を後継者にしてしまったんだろうな。
>>289 降伏後も速攻で反乱しちゃうしなw戦争屋ww
北伐自体が間違ってるから、それに賛成している馬鹿を後継者にしないとダメだからじゃねw
坊やだからさ
軍人や哲学者の多くが言ってるように、いくら書物を読んで知識を得ようとも
自らの理論を構築できなきゃ意味が無いうえに危険。っていうのの典型じゃないかな。
まぁ彼が理論を構築したうえで山頂に布陣した可能性は否定できないが。
なんにせよ、初陣でこんな重要な役目を担うってのは可哀想だ。しかも相手が悪過ぎるうえに
これが最初で最後になるなんて酷い話だ。
>>289 姜維はほんとに戦争屋だよなw戦術レベルではいい成績も残してるが、それ以外の
分野はまるで駄目だね。と言っても国内で除け者にされて戦争屋になるしかなかった
のかもしれないが。
>劉備でさえ評価しなかった馬謖や人材不足とはいえ
劉備でさえってのはおかしくないか?馬家の評価は一般的には高かっただろうし。
劉備だからこそ評価しなかったんだろ。いや、話の流れ的に些細なことだが。
>>292 学問ができたってだけでそれなりの評価がされてしまうからな。
事前に応用が利くかどうかは、相当の人を見る目が必要だと思う。
仮にそれが備わっていても、相手は歴戦の勇将だし、相手が悪かっただけかもしれないが。
だから抜擢ってのは危険も常に伴うんだよな。
むしろ名将と呼ばれてる将は理論は実戦で覚えたような人が多いような気がする。
姜維は自分の才能に些か自信があったんだろうな。
費イの「国力を蓄え、人を待つ」という方針が気に入らなかった可能性もある。
「ここに俺がいるではないか」と。
降伏後の叛乱なんて見ると、演義の魏延よりも反骨心がありそうだしなw
姜維=戦争屋
のぴったり具合は異常w
>>293 あの時代で学問が出来る人材なんて限られてるからね。
将軍に登用する人間を選ぶことの困難さはクラウゼヴィッツも言及していたね。
あと実戦を経験しているのといないのとでは雲泥の差があるとも。
やはりあの時点で馬謖を選んだのは諸葛亮のミスだろうね。指揮経験無しの馬謖
に率いられた兵は戦う前から相当混乱していたみたいだし。
如何に有利な場所に陣取ったとしても勝ち目はなかったように思える。
>費イの「国力を蓄え、人を待つ」という方針が気に入らなかった可能性もある。
まぁ実際は国力を蓄えるどころか、人口は減少しまくりでどうしようもなかったのも確かだけどね。
かといって戦争しまくりじゃ益々国は弱るし。このあたりのバランスは一番難しいところだね。
姜維は軍隊さえ強ければ敵国を倒せる、という子供じみた考えを持っていたようにも思えるんだよな。最近。
シビリアンコントロールがあるわけでも無いのに、内政にまったく干渉しなかったり、配下の兵はやたら強かったり
するのがこれを裏付けてくれているようなw
まぁここまで馬鹿では無いだろうが、とにかく不器用なんだよな。
陸遜みたいな例もあるから抜擢が悪いってわけではないんだけど、
先鋒はやはり臨機応変の歴戦の将のほうがいいだろうな。
蜀の場合、ひたすら守りに徹して20年単位くらいで人口増加策とかすべきだったかもな。
北伐なんてする必要もなかった。
諸葛亮にしても姜維にしても劉邦の再現を夢見ていたんだろうけど、事情があまりにも違ってたな。
軍事活動は政治・外交の一環だってことを理解できないのが、まさに戦争屋なんだよな。
諸葛亮はそれも自分の軍事的才能のなさもわかりつつ、自分の代でなんとかしようとしたんだろう。
ある意味不器用だったのかもな。
おっと、ここは馬謖スレだったなw
登用したのがいずれも諸葛亮ということで、共通点はあるよな。
陸遜は抜擢といっても山越討伐や荊州侵攻で下積みがあるから馬謖抜擢とはかなり状況が違う
孫権の凄いところは呂蒙が後継者に推薦し孫権自身お気に入りの朱然ではなく陸遜を大将に選んだことだね
馬謖の場合は初めての実戦で相手は張郃
しかも寡兵で戦わなければいけなかったから陸遜より圧倒的にハードルが高かった
確かに。陸遜の例は適切ではないな。
>>296 >蜀の場合、ひたすら守りに徹して20年単位くらいで人口増加策とかすべきだったかもな。
たしか北伐は国外の住民を拉致して、国内に移住させてたはずだから、立派な人口増加策だったのでは?
それに戦争がなくなれば、住民は平和で豊かな魏に移住すると思うが、どうだろうか?
長安急襲だが、長く漢中太守としてその付近を調べ上げた魏延は
付近の兵糧庫や砦の位置など細かく把握しており、作戦の成功率は
そう低くなかったのでもないかと言う説もある。ただ、失敗した場合
魏延を失うことになるので、それを諸葛亮が恐れた、とか。
どっちかといえば官僚タイプの諸葛亮に博打は打てなかったと
いうことなんだろうけど、西域が魏側なのはあくまで打算・利害の上な訳で
長安が落ちたとなれば雪崩のごとく蜀側へ寝返る筈だから、どの道ジリ貧が
見えてるなら乾坤一擲の大博打を打ってみてもよかったような。
というかトップが諸葛亮じゃなくて劉備なら多分やってる気がする。
300 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/02(金) 12:16:51
>長く漢中太守としてその付近を調べ上げた魏延は
>付近の兵糧庫や砦の位置など細かく把握しており、作戦の成功率は
>そう低くなかったのでもないかと
漢中から長安までの行軍距離を考えると絶対に成立しない。
砦の攻略なんかより、まず現地に予定通り到着するための方法を考えろ。
>>300 同意。あの距離を行軍して急襲なんざ不可能だろう。
何キロぐらいあるの?
>>302 たしか800里くらいだったと記憶してる。だから日本列島を端から端までの距離以上ある。
そのうえ子午谷は相当な悪路。いったい何ヶ月かかることやら。
《Re:馬は起きて見せる節度に背
いて》は悪魔が剣・風の跡を流します (2006-05-10 00:05:43)
馬は起きて主要なの敗けて、従って南山を阻んで、水源が断ち切られることを招きます。
これは諸葛孔明の命令に背きます。
私は今日自国の文字に先生を聞いて、先生は節度が管理し調整すると言って、命令の意味があります。
街のあずまやの地形に関して、私はすぐに理解したいです。
張〓は伝わります: 起きて従って南山を阻んで、城によるとおりません。〓絶対にその汲、 打って、大いに破れますの。
街のあずまやのあの城、水源の側で建てるのですか?やはり大通りの上で建てますか?
>>304 長安から洛陽でさえ半月。道があって半月だ。子午谷のような道なき道を行軍するなら、一月程度では
済まないと思うが。
307 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/02(金) 18:06:38
308 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/02(金) 18:07:31
>だから日本列島を端から端までの距離以上ある。
ないよ
>>308 あれ?3000kmくらいじゃなかったか?
>>306 ニュアンスの問題かもしれんが「何ヶ月かかることやら」いう言い方だと「4、5ケ月以上は平気でかかる」と暗に言ってるようにみえたのでね。
311 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/02(金) 18:16:40
800里 = 3 141.81818 キロメートル
ではない
>>310 ああ、すまない。書き方が悪かったな。
>>311 昔の一里と今の一里は違うんだっけか。失礼。
230年に曹真が子午道経由で漢中へ向かった。
この時は8月に長安を出発したのだが30日以上の長雨もあり道が寸断されて足止めを喰らい9月に引き返してる。
漢籍電子文献で検索かけてみたけど、特に子午道の長さについては書いてなかったな。
調べ方が足らんのかも知れんけど。
通典と水経注にも、思い当たる所には無かった。
後漢書の注釈には、斜谷道が700里(約300km)とあるから、それとそうは変わらないとして、
2百数十〜3百数十kmって所だろうね。
地図上でもそんなもんだし。
鍾会の征蜀の動きを見てると順調に行けば長安から漢中まで1、2ヶ月くらいという感じだね。
子午道が他の道に比べても格段に険道であるならその限りではないかもしれん。
「典軍校尉の夏侯淵、三日で五百里、六日で一千里」
公孫淵討伐の時、司馬懿は四千里を百日。
率いた軍の規模や状況、里単位が違う可能性もあるが、行軍のスピードは通常1日五十里から百里とみていいんじゃないかなあ?
子午道の行軍速度を通常の半分と見た場合、七百里/二十五里で二十八日。
以上、いい加減な計算でした。
>>316 魏の武将の行軍速度は異常だから、なんとも言えんな。それに夏侯淵も司馬懿もかなり行軍速度が速い武将だし。
俺は二ヶ月はかかるんじゃないかと思ってるが。
馬謖「いやだってさ、本当に戦い仕掛けてくるんだもんマジ焦るし
あの時はまさか本当に自分が直接戦うなんて思いもしませんでした
仕方ないじゃん机上論者なんだから俺実戦はど素人よ
しかもこの重要な地を奪われたら蜀的にも俺の立場的にもやばいってゆぅか?
だからもうどうしたらいいか分かんなくて、んで山に気付いたらもう登る以外の選択肢なくなっちゃって
思わず登ってみました。そしたらこうなりました」
319 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/02(金) 21:32:17
1800年前の事を語るってロマンだなあー
320 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/02(金) 21:36:23
記憶力が優れてても実際の応用が利かない秀才だったんだろ馬食
単なるガリ勉
321 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/02(金) 21:57:58
>>317 ナポレオン戦争の頃の軍隊の行軍距離は、規模に応じて1日15〜20km。
古代ローマでは、道路の整備もあって1日8時間の行軍で2,30km程度。
孫子などでも、1日の行軍距離は1舎(30里)とされてるし、
>>316の、50里〜100里を標準とするのは少し大きいけど、
30里から50里程度、大体15〜20kmなら進めただろうと思う。
実際の子午道の長さは分からんが、350kmとしても1ヶ月程度で行けると思うよ。
行軍縦隊の先頭と後尾の距離、すなわち行軍長径が20kmとかに達するような、
数万もの大軍による前進であれば、当然もっとかかるだろうけどね。
ただやはり、魏略にあるような、10日で踏破するなんてのは無理だろうね。
通常の道路ならまだしも、険しい山道や桟道の続く道を、日に40km近い強行軍で10日も進めば、
到達した時には戦闘ができるような状態じゃなくなってると思うよ。
1ヶ月も経っちゃうと、曹真あたりの援軍が、先に到着しちゃうんじゃないの?
曹魏がいつ気づくかにもよるが。
324 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/03(土) 08:27:09
街亭
五丈原
325 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/03(土) 08:42:05
馬謖はことわざを残すために生まれただけ。
というわけで落合が山井を降板させたのも
将来は 泣いて山井を斬るってことわざにならんかな?
しかし、『三国志演義』での諸葛亮は、何故泣くのかを蒋エンに聞かれ、「馬謖のために泣いたのではない」と答えている。
諸葛亮は、このとき既に亡くなっている前主君・劉備に、「馬謖を重く用いてはならない」という主旨の言葉を残されていた。
そして、その言葉を守らなかった自分の不明を嘆き、泣いたとされている。
328 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/03(土) 09:09:32
馬謖を斬った後
三階級降格
329 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/03(土) 09:33:18
頭がいい=知識を記憶する事に長ける
頭が切れる=知識を応用する事に長ける
学者なんかは頭がいいタイプに多いが、英雄や優れた政治家、軍人、商人などは皆頭が切れるタイプ
馬食も公明も所詮学者タイプ
330 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/03(土) 09:47:58
公明の十万本の矢は知識を記憶
331 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/03(土) 09:53:09
応用
332 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/03(土) 17:08:16
孔明の十万本の矢は知識を応用
334 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/03(土) 19:19:46
仮に馬謖がちゃんと平地に陣取ったとして、
その後はちゃんと張儁乂を撃退できたんかな?
分からん。
何らかの理由で平地の城では防衛に不可能になり、
あわてて山に布陣したと考えられなくもない。
結果、急ぎの作戦変更で指揮命令が煩雑になり、
水源の確保を忘れるという凡ミスをやった…
という推測もできなくはない。
336 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/03(土) 19:36:19
高いところからだと遠くの敵も分かると山に布陣
>>335 あのあたりは山上ぐらいしか布陣できる場所が無かったという説あり
馬謖の部将二人も処刑されてるんだよね。
もしかしたら最初に山登ったのこいつ等かも。
339 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/03(土) 20:05:17
いくら孔明先生が戦争オンチったって、事前に地形調査なんかはするだろうし、
行ってみたら布陣不可、なんてあり得るのかな?
340 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/03(土) 20:09:56
街亭 列柳城
341 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/03(土) 20:20:57
列柳城に高翔
街亭の後詰めに魏延
>>310 斥候みたいな単独での移動でなく、10万単位の軍隊の移動だからなぁ。
夏侯淵の行軍速度が讃えられてるのは、早く行軍するための統率力なんだよな。
> 街亭の後詰めに魏延
これは何が元?演義?
>>339 あの時は孔明も切羽詰まってたから、もしかしたら街亭の地形にまで目がいかなかったのかも
345 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/03(土) 21:11:19
かも。
かも
「馬謖がマヌケでポカやらかした」の方が単純でいいじゃん。
347 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/03(土) 23:35:15
公明の10万本の矢は知識以前に作り話
348 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/03(土) 23:42:32
……坊やだからさ
>>346 それだと、このスレの存在理由が無くなってしまうじゃないか。
考察できるかぎり徹底的に議論しようぜ。
350 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/04(日) 00:07:15
そりゃお前、あんな所に
陣取ったら圧迫されるだろうが!
色々な意味で
351 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/04(日) 00:17:22
>>349 「馬謖がマヌケでポカやらかした」でも、
三国志の前後の記述と比べてまったく
矛盾が発生しないのだからそれでいいんじゃね?
シンプルで矛盾がないのであればそれは有力な説と言える。
オッカムの剃刀。
352 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/04(日) 00:42:55
口先達者な名将は存在しないふうにできてる法則だから仕方ない
>>351 いや、そりゃあ歴史の大筋をはっきりさせたいのなら、その方法でいいだろう。
でもこのスレで議論されていることとは方向性が異なるだろう。有力な説を導き出したいわけではないし、
三国志を考察したいわけでもない。馬謖がなぜ負けたかについて、議論の余地があるならやろうという話。
当然、興味のない者からしてみれば、不毛な議論で馬鹿馬鹿しく感じることだとは思うが。
354 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/04(日) 01:18:26
>>351はオッカムの剃刀という言葉を知ったので
使って知的ぶろうとした厨二病患者
355 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/04(日) 01:43:12
古来名将で口先才子の弁論家などいない、春秋戦国漢楚の名将でも孫武、孫ピン、楽毅、項羽、韓信と一目瞭然
「馬謖は結構有能だった」という説を立てると、
諸葛亮には人を見る目はあったが不運だった、ということになる。
つまり、人を見る目のあったはずの劉備の馬謖評が間違いになる…
と、色々修正しなきゃならなくなるんだが。
陣頭での仕事と、帷幕での仕事と、役所での仕事は別ですから。
>>356 馬謖が将軍として有能だったかではなく
街亭の戦いは勝ち目があったのかというのが疑問なんじゃない?
馬謖のミスがなければ勝てたなんていう簡単な戦ではないでしょ。
359 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/04(日) 07:38:51
うん
相手が悪い。張コウ以外だったら勝ってた。
水源の確保も無いままで勝てたというのは難しくないか
歴戦の張コウが相手でなければ、山を駆け下りる際の突撃で崩せる。
少なくとも惨敗はしないはず。
>>358 じゃあ本当の失敗って一体なんなんだよ。
諸葛亮のせいか?
>>358 あった。
馬謖の敗戦の一番の要因は指揮が下手だったこと。
山上布陣は水源の確保と別問題と考えればさほど問題はなかったと思われる。
366 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/04(日) 16:21:21
ないよ。
水源確保を忘れるという大ポカは、やっぱ山上布陣が原因じゃね?
街亭は山岳地帯の多いあの近辺で、数少ない大軍を展開できる拠点だったからです。
しかし、山を囲む形で張コウの軍が布陣したそうじゃないか。
一軍ぐらいなら入れるんじゃないか?
371 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/04(日) 17:31:16
むむむ・・・。
そもそも街亭自体が要塞化されてるのに、なんでわざわざ放棄したんかね?
そんな馬鹿な。要塞があるなんてどこに書いてあるんだ。
街亭は拠点とできる地。
そこが敵に占められていたので諸葛亮は軍を返した。
街亭は攻めにくく守りやすい地。
生兵法な馬謖じゃなく実績のある武将が守備していたら街亭は陥落せず、蜀は隴西を得ていた可能性が高い。
でいい?
>>373 >>372じゃないが、街亭の地は、前漢に街泉という県が置かれていた場所で、
後漢の頃でも街泉亭として、完全にか不完全にかはともかく、その県城が残っていた。
張郃伝でも、馬謖が南山に拠り、その麓の城に拠らなかった事が書かれているし、
何らかの防御施設があったのは間違いないでしょ。
馬謖マヌケ説を採らないなら、馬謖が南山によった理由としては、
県城が老朽化していてとても使い物にならなかった、という推測が可能だな。
この場合、王平は孔明の命令をバカ正直に守る武将になってしまうが。
もし県城が使えないのであれば、平地で守るということはあの張コウ相手に野戦をする羽目になる。
馬謖は足りない頭で必死に考えたんだろう。
378 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/05(月) 00:08:44
379 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/05(月) 00:30:56
蜀の管仲、楽毅こと諸葛丞相=総力戦を何度も起こし何一つ戦果なく、失敗は部下に押し付け蜀の滅亡を早めた。
管仲=斉に使え、政治、行政、外交、軍事で才を発揮し斉を覇者に導いた。
楽毅=戦国時代に弱小の燕に使え、秦と斉の2強と時代といわれた一方の強国斉を滅亡寸前まで追い込んだ、以後秦の一強になり秦が中国を統一。
380 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/05(月) 00:47:15
>>378 あのさ、
>>36は麓の城が使えたか使えなかったかについては
一言も書いてないんだけど?
381 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/05(月) 07:10:22
県城が老朽化していてとても使い物にならなかった、という推測が可能だな。
383 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/05(月) 12:23:48
馬謖は南山をたよりとして抵抗し、
下におりてとりでにたてこもらなかった。
県城には井戸がなかったんだよ
385 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/05(月) 12:33:24
演義では「魏軍が出てくるものか」と
山だと見える罠
街亭というか、蜀と関中の間って
あんまり整備されてないような印象がある。
本で得た知識だけではなく、実際に現場で働いて経験を積む事が大事だった。
その点現場の経験が豊富な王平はさすがだな。
頭でっかちのアホの言うこと聞かなかったから。
↑こいつスッゲーアホ
↑
馬職たん乙
390 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/05(月) 18:09:51
↑
馬鹿たん乙
391 :
迷軍師:2007/11/05(月) 18:30:08
孔明から送られてきた衣装を
つい試着してしまったシバイを見て
つい萌え萌えしてしまった馬謖君なのら〜!
392 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/05(月) 18:33:21
それで、脱獄したの。。。
>>391 せめて時系列くらいは把握してくれよ……
394 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/05(月) 18:49:18
投獄されて死に
うんこまみれで氏す
やはり呉懿に任すべきだった。
高いところに陣取ったほうが有利なのは確かだが、糧道や扱道が確保できることが前提だからな。
それをせず包囲されたらそりゃ負けるわ。
つまりは論語読みの論語知らず。
↑こいつスッゲーアホ
>>397 それは包囲軍側に兵站の問題がなければという前提で成りたつ話だよね。
魏軍は自国領内とはいえ大軍を遠路行軍させてるわけで、
馬謖がそれを魏軍の決定的な脆弱性と見たとしてもそう不思議な話ではない。
兵站以前に馬謖の指揮能力の問題。
>>397は指揮能力なんか問題にしてないんだが。
つか、現存史料のどこ読んでも馬謖の指揮能力なんて分かりゃしないよ。
>>401 謖舍水上山、舉措煩擾、平連規諫謖、謖不能用、大敗於街亭。(王平伝)
謖違亮節度、舉動失宜、大為郃所破。(諸葛亮伝)
「舉措煩擾」、「舉動失宜」の部分な。
戦略云々、戦術云々以前に軍隊を動かす能力に欠けていたと見るのが妥当。
それ陳寿が書いた文だよ。そんなもので馬謖の資質が分かると思ってるの?
なにか信仰でもなけりゃそんなこと言いきれないよ。
405 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/23(金) 17:57:09
>>401を晒しage
正史にきっちり書かれてるっての
馬謖は命令を煩雑にして(本来軍命ってのはアホでもわかるように簡単にしないといけない)
さらに慌ててしまって大失敗(モチツケ)
>>403 文字史料は必ず誰かの主観によって書かれるのでお前の主張は
「歴史書なんて全部信用できない」って言ってるも同然
アホか
お前に歴史関係に関わる資格ねぇよ
>>405 すげー粗雑な認識だな。
史料が主観を経て書かれてることを理解してるんなら、
複数のソースから書かれた複数の史料を付きあわせて、比較検討し、
その中から事実を見いださなきゃならんのだが、
お前は、主観を廃することは不可能だから全ての史料を盲信すると言ってる。
まさに信仰。
お前は歴史に関わる資格ねえよ。
仲良くしろよ
409 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/24(土) 10:21:16
>>384 山に水源がなく山を囲まれると兵が乾上ってしまう
水道のある街亭城を捨てて南山に登り
411 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/24(土) 19:18:41
複数のソースから書かれた複数の史料を付きあわせて、比較検討し、
主観を廃することは可能か。。。
運に恵まれなかった。
413 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/24(土) 19:44:28
>>411 主観×主観=客観
という不思議な方程式をすっからかん脳で組み立てちゃうかわいそうな子なんだろw
ところで
>>405は歴史に関わる資格がどうとか言ってるけど、史学科かなんかか?
だとしたら、かなりあれだと思うんだが。
歴史学的には
>>406の言ってることは間違ってない
主観を廃することは可能なんて曲解もいいとこ
ただここは趣味カテゴリの三戦板だぞw
そもそも三国志なんて専門にしてる研究者が少ないし史料も多くない
もし
>>406が馬謖の資質について持論があるなら煽ってないで説明すればいいだけ
418 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/25(日) 19:30:50
>>417 ちったぁ三国志読めば?
三国志以外の話題は板違いだよ
まあ板以前に気が違ってるようだけども
>>418 三国志以外の話なんか出とらんじゃろが。
420 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/25(日) 19:53:52
421 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/25(日) 19:57:16
馬謖は実戦経験がないって言うけど、益州侵攻と南中平定に従軍してるんだよな。
実際に部隊を率いて戦ったわけじゃないだろうが、そこで何も学ばなかったのか。
423 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/26(月) 07:57:31
うん
山の水汲み場周辺で布陣すればよかったんじゃね?
426 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/26(月) 12:16:42
どこ?
しょせん馬食は東大を出たが頭がいいだけのニート
それにひきかえ副将の王平は中卒だが現場叩き上げの経験豊富な軍人
傲岸不遜の馬食とは反対して王平は冷静沈着、現場で行う事を
よーくわかっていた。
つまりニートを指揮官にするなって事。
王平「はうぅ〜…、何で馬謖さんは山頂に布陣なんてしちゃうんだろ…これじゃぁ負けちゃうよぉ‥ッ><」
429 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/26(月) 15:23:58
聞いてるだろ!!!!!!
>>427 士官候補生とベテラン下士官みたいな話だよな。
王平・・・若い頃から戦場を飛び回っており、勉強する暇がなかったようで
読み書きができない人間だった。
出世してからも、知っている文字は10にも満たなかった。
命令書を作成する時は、王平が口で喋ったことを部下が書いていた。
しかし、その命令書はいつも筋が通っていたという。
字が書けなかっただけで、頭が悪かったわけではない。
人柄も真面目で礼儀正しく、パッと見では軍人に見えなかったらしい。
街亭の戦いでは、馬謖の軍が総崩れする中、
彼の部隊だけは壊滅することなく踏みとどまり、
敵の大軍を、盛んに陣太鼓を打ち鳴らして受け止めた。
伏兵が潜んでいるかもしれないと思った敵の張郊軍は、追撃を躊躇した。
この活躍によって、蜀軍は被害を最小限にとどめることができた。
馬謖・・・子供のころから一生懸命勉強していたので知識は豊富で頭の回転も速い。
馬謖が書物から得た知識をふりかざす一流大学卒の新人キャリア将軍とするなら、
王平は中卒で字も書けないが現場経験豊富な叩き上げのノンキャリア副官。
諸葛亮を見つけ出し、人を見る目には定評のある劉備は諸葛亮に
「馬謖は口先だけの男。くれぐれも重要な任務にはつけるな」と注意した。
街亭の戦いで山上に布陣する蜀軍を見て、敵軍の張郊は、
「敵の将軍。ありゃアホだな」とあざ笑った。
434 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/27(火) 16:21:18
張郊って誰?
436 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/27(火) 20:15:07
平生長戎旅、手不能書、其所識不過十字、而口授作書、皆有意理。
使人讀史・漢諸紀傳、聽之、備知其大義、往往論説不失其指。
遵履法度、言不戲謔、從朝至夕、端坐徹日、[小畫]無武將之體、
陳寿曰:王平忠勇而嚴整
437 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/27(火) 21:38:47
たしかに現場を知る王平のような下士官も貴重な存在だけど、
かといって戦況を大局的にみるべき士官の代わりは務まらないんだよね。
だから王平を賞賛することによって馬謖の欠点を示唆するというやり方は、
実はあんまり適当でなかったりする。
それよりも誰が馬謖の代わりを務められたのかを検討する方が有効。
439 :
431:2007/11/27(火) 22:27:32
王平は最終的に関中の全軍の部隊の指揮をして、
曹ソウの大軍を防いだりしているから、
十分統帥レベルの仕事もできると思うけどね。
ただ参謀に実戦の指揮をさせるべきではないな。
辻ーんをみてもわかるように、机上の空論や奇策を現実に実行したりする。
させるのなら、十分に将軍の一人としてこき使ってからにすべきだった。
馬謖が何故負けたのかってスレだから
>それよりも誰が馬謖の代わりを務められたのかを検討する方が有効。
ってのは見当違い
442 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/28(水) 08:26:56
>それよりも誰が馬謖の代わりを務められたのかを検討する方が有効。
王平
諸葛亮が守ればよかった
444 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/28(水) 12:04:49
( ´`ω´)シシシ
(つ444⊂
446 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/28(水) 12:11:27
447 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/28(水) 13:00:52
>>445 自論を展開することができないからって、ナントカの一つ覚えは…
前年から大軍を率いて漢中に滞在していた孔明は、年が明けるとすぐに軍を動かし、
国境を超えて涼州の祈山を攻めた。
孔明は蜀軍の先鋒に馬謖を任命した。
このとき蜀軍の中には魏延はじめベテランの将軍が何人かいたのだが、
彼らを差し置いて馬謖をその重要な任務に抜擢した。
このとき孔明が馬謖に与えた任務は
「先鋒隊として街亭に布陣し、後に駆けつけてくる敵軍を防ぎとめること」だった。
街亭は敵軍がくる場合は必ずここからくるであろうという戦略上の要である。
目的はあくまでここを死守することであった。
孔明はこの作戦を親切丁寧にレクチャーし、くれぐれもと念を押したが・・・・
ここで自分の軍略の才能に絶対の自信がある馬謖はつい色気を出した。
彼は孔明に指示された場所であるはずの街道には布陣せず、
大軍に対して守り易く、突撃をかけるのにも有利な山上に陣を構えた。
しかも、自分の兵法の知識をフル動員したのか、兵たちに複雑な指示を与えた。
このとき同じ軍にいた、
ニート指揮官よりもずっと戦場経験の豊富な王平は何度も諫めた。
が、ニートは聞かなかった。
やがて予想通りに敵軍が押し寄せてきたが、山上に布陣する蜀軍を見て、敵将の張郊は、
「敵の将軍。ありゃ、アホだな」とあざ笑った。
張郊はまず水の手を断った。そうしてしばらく山上に馬謖たちを放置した。
疲弊したのを見計らい、それから攻撃して馬謖軍を散々に打ち破った。
馬謖と孔明はニート仲間だったのか
頭がいいインテリニートを自分の立場に置き換え保護すんなよ
中卒がバリバリ働いててインテリの自分がニートだからって王平を攻撃すんなよ
456 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/28(水) 17:44:02
司馬懿、張合βが関を出て陣を布くと、諸葛亮が諌めるのも聞か
ず馬謖が誓紙をしたためて迎え討つと進み出た。丞相は心許なく思って
王平を付けて2万5千の兵を与えて出陣させた。さらに丞相は高翔、魏延
にも出陣を命じた。
馬謖は、街亭に至って、
「こんな山里に魏軍が来るはずがない。」
と笑って、
「道の上に陣を布く法はなく、この山に茂っている木々は天然の要害じゃ。」
と言いうが、王平が諌めて
「道に陣を布いて壁を築けば一兵も通ることは出来ますまい。」
しかし、聞き入れずに陣を山頂に布いた。そして、聞き入れない王平に5千
の兵を与えて好きなようにさせた。
457 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/28(水) 17:55:02
司馬懿は、馬謖の陣を見ていたく喜び、張合βに王平の進路を遮
らせた。そして、水を汲むための水路を断って、申耽、辛?に山を囲ませ、
自ら大軍を率いて押し寄せた。
これを見た蜀軍は肝を潰して斬り下る元気もなく、怒った馬謖は自ら斬り
たったが、揺るがず山に戻り加勢を待った。
王平は張合βと数十合いしたが、兵が力つきたのでやむなく退いた。
馬謖は、山に火をかけられて西へ逃れた。司馬懿は張合βに馬謖を
追わせるが、途中で魏延と渡り合い張合βは逃げ出した。魏延は後を追
って街亭を取り戻したが、左右から司馬懿の伏兵に襲われ斬り抜けることが出来
なくなった。そこに、王平が加勢に来て彼を助けた。
461 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/29(木) 17:38:46
たとえ馬食が失敗していなくとも、蜀軍が魏の都に攻め入るためには
長安という土地を通らなければならず、そこは旧都があった場所で
人口も多く産業も栄えており、この土地が魏軍のものとなっている以上、
蜀の北伐は成功しなかったと思われる。
長安は成都から遠く、兵糧の支給問題が必ず生じ、孔明は色んな発明器具を
駆使してこの問題を解決しようとしたが、結局根本的な解決策は見出せないまま
曹真と芝居に苦戦し撤退を繰り返していた。
ゲームの三国志をプレイすると、この場所が必ずキーポイントになるんだよ。
天水・武都あたりは攻略できるんだけどね・・・。
漢中が魏から遠く離れた場所で兵糧問題がおきて取るのが難しい場所なら
長安以降の魏の領土も兵糧の支給問題で攻めるのが難しい場所だ。
だから呉と協力して、呉が荊北あたりを攻め、魏が軍勢をそちらへまわした隙に
蜀が長安を奪取し一気に魏領に攻め入るのが最善の策。
攻めるのが一路だけなら相手も一路に集中すればいいわけだし、北伐は
蜀のみの力でやろうとしたことが、失敗だった。
馬食ウケタw
馬を食えば食料問題解決ということかwwww
とりあえずしばらく人材・内務・防衛を主軸に漢中を死守→司馬師・昭らが専権を握る→カン丘倹や曹・夏候氏などが来る→晋建国後、孫皓の暴政→呉からも亡命者が来る→晋が呉を滅ぼす→呉の旧臣が来る→さらに守る→晋で八王の乱→長安、さらに洛陽に攻め込む→蜀漢統一
468 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/30(金) 22:33:11
何で包囲されてすぐに逆さ落とししなかったのだろうか
そうすれば普通に勝てたのに。
469 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/01(土) 07:55:55
逆さ落とし(さかさおとし). 背後から接近して投げ掴み.
470 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/01(土) 08:40:55
義経が70騎を率い、険阻な一の谷の背後(鵯越)から攻撃を仕掛けたことが分る。
471 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/12/01(土) 10:55:04
>>457 誤: らせた。そして、水を汲むための水路を断って、申耽、辛?に山を囲ませ、
正: らせた。そして、水を汲むための水路を断って、申耽、申儀に山を囲ませ、
472 :
無名武将@お腹せっぷく:
謙信は何日間も妻女山にこもってたのに食料とか水が
不足しないのだろうか