横山光輝板の 項 羽 と 劉 邦 酷 す ぎ

このエントリーをはてなブックマークに追加
64無名武将@お腹せっぷく:2007/06/16(土) 17:09:51
最悪な女だな・・・呂公って
彭越は出来れば故郷の昌邑へ帰って隠棲したいと望み、呂后に泣きついてその願いを高祖に伝えてもらえるように頼んだ。
彭越の前ではその頼みを快く引き受けた呂后だが、高祖に会うと彭越のような危険な人物を生かしておくのは危険だから殺してしまえと言い、高祖もこれに押し切られて彭越は処刑された。
彭越の死体は呂后によって醢(かい、輪切りにした後に塩漬けにして、ハムのような状態にすること)にされて、諸侯に贈られたと言う。
65無名武将@お腹せっぷく:2007/06/16(土) 17:10:56
呂公⇒呂后ね
66無名武将@お腹せっぷく:2007/06/16(土) 17:20:20
おいおい

息子の好きな女を、目玉と両手両足を切り落として便所の底に沈め、「見てごらん。人豚がいるよ。」
あんな母親がいたら、息子はグレるだろう・・・
67無名武将@お腹せっぷく:2007/06/16(土) 17:35:37
>64
まあ酷い女は酷い女なんだけど、私怨でも何でも戦争時代の家臣を全部
殺しまくったおかげで漢王朝が長く続いたのもまた事実なわけで

ただ、やっぱり後で史記を読んだときは驚いた
しかし劉邦は楚漢戦争に勝てた理由として挙げられている理念と全く逆の
ことを漢王になってから行って、結果長年続く漢王朝を築いたのだと考えると
不思議な男だと思う
68無名武将@お腹せっぷく:2007/06/16(土) 18:14:58
>>66
息子の好きな女?
劉邦の側妾なんじゃ?
69無名武将@お腹せっぷく:2007/06/16(土) 20:02:15
>>68
そうだね、劉邦の晩年のお気に入りであった戚夫人のことだね。
>>66
グレるどころか酒に溺れて体を悪くして死んでしまったからねー
70無名武将@お腹せっぷく:2007/06/19(火) 05:19:27
>>64
北方異民族や地方反乱に親征して、しっかり維持したのは凄まじいが、
漢の基盤自体は劉邦崩御の後の参謀たちの頑張りだと思う。
また三代皇帝、四代皇帝と賢帝を選出できたのも帝国の継続を確かなものにした
71無名武将@お腹せっぷく:2007/06/19(火) 22:44:13
項羽と劉邦って、どっちもすかんという人も多そうだ
72無名武将@お腹せっぷく:2007/06/19(火) 22:56:32
そんな人には田横(宮城谷昌光氏の香乱記でも嫁)
73無名武将@お腹せっぷく:2007/06/20(水) 21:15:05
>>72
毎日で連載してたときに読んだ。
74無名武将@お腹せっぷく:2007/06/23(土) 16:59:55
中国では、項羽は三国志の英雄達を上回るほどの人気があると聞いたことがある
75無名武将@お腹せっぷく:2007/06/23(土) 17:11:55
中国本土じゃ中国史は日本みたいに三国志しか人気がないわけじゃないからな。
76無名武将@お腹せっぷく:2007/06/23(土) 18:51:05
三国志もゲームやら漫画やらでブームを作ったのだろうから
漢楚戦が人気になることもあるんでない?
ただ勧善懲悪じゃないから、子供向けの話は作りにくかろうが
77無名武将@お腹せっぷく:2007/06/23(土) 18:52:04
三国志は勧善懲悪じゃないけど、善玉悪玉にわける伝統があるから
78無名武将@お腹せっぷく:2007/06/26(火) 13:01:28
まぁ、日本でいえば源平みたいなもの。














最大の功臣が、粛清されるとこも含めて。
79無名武将@お腹せっぷく:2007/07/01(日) 23:54:29
劉邦 頼朝
呂后 政子 
韓信 義経 
張良 大江広元
項羽 義仲
虞姫  巴御前

源氏 漢 
木曾 楚
平家 秦
藤原 斉

当てはめるとこんな感じか
平家物語は楚漢をモデルに書かれたとも聞いた
80無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 21:05:37
>>78
いや、信長〜秀吉〜家康あたりじゃね?
81無名武将@お腹せっぷく:2007/07/04(水) 14:54:37
昔の日本では三国志より楚漢のほうが知名度は上だったらしいよ
82無名武将@お腹せっぷく:2007/07/14(土) 03:33:21
なんたってあの史記に載ってる話だしね。
しかもそれまでは諸王の世の中だったのが無名の寵児が天下を駆け回るスペクタクルになる時代。

>>9
好きだったガイドライン板の鍾離昧スレが落ちたてしまった…
83無名武将@お腹せっぷく:2007/07/31(火) 05:32:32
人間に魅力が無いのは同意。あと、たかが質激浪時代の感心の昔話がまるで当時の
中国人みんなガ知ってるみたいなんは白けた。
前半はそれでもそれなりに面白かったんだが、後半になると、人間同士のぶつかりが
ほとんど描かれず、バトッてばっかでワーワーになって、ありゃもう読めない。
どうせ漢が連戦連勝するなら、もちっとバトルは削っても良い。だらだら。
84無名武将@お腹せっぷく:2007/07/31(火) 05:43:07
項羽の人情って、身近な極一部の人間にだけだろ・・・。
どっかの城落とした時、大量生き埋めしてたじゃねーかよw
85無名武将@お腹せっぷく:2007/07/31(火) 17:15:34
そんな項羽の人間くささが人気なんじゃねーの?
部下が病気になった時に家族みたいに心配するけど、
いざ金の話になるとしぶったりw

横山版、オレは結構すきだけどな。韓信の軍事バカ的なとこも含めて。
86無名武将@お腹せっぷく:2007/08/03(金) 12:43:24
最終巻だったか、四面楚歌の作戦を張良が韓信に伝えるシーンで

「ふむ、おもしろい」
って言ってる韓信がおもしろい顔をしている件
87無名武将@お腹せっぷく:2007/08/09(木) 14:33:06
韓信の義兄弟になった辛奇はもっと活躍すると思わせておいて・・・
そういう事をふまえた上で印象に残る漫画だ。
88無名武将@お腹せっぷく:2007/08/09(木) 14:48:22
大漢風オモロイ
89無名武将@お腹せっぷく:2007/08/09(木) 21:34:04
劉邦「夏侯嬰 夏侯嬰」
90無名武将@お腹せっぷく:2007/08/09(木) 23:11:36
>>87
韓信の最期を思うと、戦死で済んだのは良かったかもしれない。
91無名武将@お腹せっぷく:2007/08/10(金) 00:31:47
三国志の後に描いたんだから、
張良、司馬コウ、夏侯嬰の子孫についても触れて欲しかったな
92無名武将@お腹せっぷく:2007/08/11(土) 21:33:56
夏侯嬰「誰だ!」
93無名武将@お腹せっぷく:2007/08/13(月) 20:27:25
>>86
ワロタ
94無名武将@お腹せっぷく:2007/08/14(火) 00:19:10
韓信といえば…
趙を平定して駐軍中、お忍びで逃げてきた劉邦と寝所で会ったときの会話

韓信「〜出迎えにも参らずこの罪、万死に値いします…」
劉邦「じゃ、死ね!」

対人描写が減ってきた時期だったため衝撃的だった。
95無名武将@お腹せっぷく:2007/08/30(木) 16:39:14
ムムム
96無名武将@お腹せっぷく:2007/09/03(月) 03:14:48
項羽→すぐまわりに当り散らすバカ。
少しはハンゾウ(漢字出ない)の言う事聞けよ!
よくそれで天下取れると思ったな?
でも情に厚くて喧嘩最強

社長→すぐまわりに当り散らすバカ。
少しは副社長の言う事聞けよ!
よくそれで上場できると思ったな?
でも情に厚くてなんだかんだで仕事もデキル


中小企業の親父だな
97無名武将@お腹せっぷく:2007/09/11(火) 21:28:59
周の平和な時代を語る老人に
「はっきり言ってやろう!秦の政治で世の中が悪くなっている!」「なぜ逃げるのだ」
と散々言っといて、いざ賛同者が来たら
「しーっ、声が大きい」
という若いときの張良。
98無名武将@お腹せっぷく:2007/09/28(金) 19:18:41
劉邦と項羽の最大の違いは・・・・・・
・劉邦:ありとあらゆる人間を使いこなした。
・項羽:氾増(漢字出ない)一人さえ使えこなせなかった。
これに尽きる。
99無名武将@お腹せっぷく:2007/09/28(金) 22:25:19
司馬遷乙
100無名武将@お腹せっぷく:2007/09/28(金) 22:42:24
同じ横山光輝先生の作品でも「史記」のほうが面白い
101無名武将@お腹せっぷく:2007/09/29(土) 12:36:13
史記ももっと細かく描写して欲しかったな。
秦のハンショ・ショウ王以降はそこそこ描写されていると思うが、それ以前がとびとび。
102無名武将@お腹せっぷく:2007/10/01(月) 14:47:25
劉邦に関してはむしろあの情けないところが好きだったけどな
中盤以後の項羽の描写が酷いのは同意
103無名武将@お腹せっぷく:2007/10/02(火) 19:15:34
アジャジャダビダビウジャジャ

ばーっ
104無名武将@お腹せっぷく:2007/10/09(火) 09:10:35
史記も項羽の時代を書いたマンガだっけ?
何で2度同じのを書こうと思ったんだろ
105無名武将@お腹せっぷく:2007/10/15(月) 20:08:56
おいおい項劉の時代は史記のほんの一部だぞ。
106無名武将@お腹せっぷく:2007/10/18(木) 19:43:12
まあ戦国〜秦〜漢は伝がかなり多い箇所ではある

ところで「すこし気分がいい」と言った氾ソウが次のコマで死んでいたのがショック…
107無名武将@お腹せっぷく:2007/10/29(月) 02:12:20
一番悲惨な死に方をしたのは
インガイの処刑中止の詔を持っていったレキイキの従者だと思う
108無名武将@お腹せっぷく:2007/11/01(木) 00:09:09
義兄弟の契りまで交わした武将が死んだのに一切スルーの韓信
こいつは冷血漢だと思った
109無名武将@お腹せっぷく:2007/11/01(木) 00:10:50
ばばあ、酒だ!酒持って来い!
110無名武将@お腹せっぷく:2007/11/01(木) 01:13:49
既出だが、「史記」の中の項羽と劉邦パートの方が面白い
111無名武将@お腹せっぷく:2007/11/01(木) 09:36:58
あとがき読むと「項羽と劉邦〜若き獅子たち」は脚色全開でいく予定だったらしい。

史記はコンパクトかつ淡々としてかなり客観的だな
陳渉は司馬センの史記も含めて伝に止まる程度だけど、
時代背景としては最大のキーパーソンだったりするし
112無名武将@お腹せっぷく:2007/11/01(木) 16:51:36
斉の田氏の場面が辛かった。
韓信の野郎め。
113無名武将@お腹せっぷく
英布が格好いい
項羽とも打ち合えるほどの猛者
しかし項羽が死んだとこで終わったのは英断だね
三国志は孔明死後に一巻費やしたけど