1 :
甘寧 興覇:
長江の闇は俺の闇 俺の果てしない戦場さ
孫呉の旗は俺の旗 俺の死に場所の目印さ
殿よ、明日のない策と知っても 殿は天下を二分したがっていた
俺も孫呉を守って戦うのだ 命を捨てて俺は生きる 命を捨てて俺は生きる
2 :
甘寧 興覇:2007/03/05(月) 16:22:26
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/05(月) 16:49:49
「在日特権」が
「在日孫権」に見えた・・・orz
…我は、金持ちのボンボンなるぞ…
今後ともよ魯粛…
それはむ陸遜
ハーロックが新しくなったな
今度は孫権がトチロー扱いかよw
宇宙の海は俺の海
本隊が来るまで保守の時間だ
甘寧って人殺ししまくった大悪人なのに大往生したのが意外
古今東西見渡しても大悪人というものはロクな死に方しないもんだけど
曹操だって大往生だぜ?
いやいや、曹操の人殺しと甘寧の人殺しは種類が違うよ。
「甘寧」でグーグル検索すると正史の記述がいっぱい出てくるから見てみてよ
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/08(木) 17:23:15
>>12 甘寧の場合は、腹立ったから叩き斬るみたいな不頼の徒的な要素が濃いからな。
同じタイプだと孫策、張飛、とかかな。二人とも恨みを抱いた小物に殺られちまった事も似てる。
ちょっといない間に前スレ埋めやがって…
小物は余計だぜ!
前スレ埋めは最低だな
「うめ」だけで10レスも使ったことだろう
魯粛と劉曄がどうして親しくなったか気になる。
下手すりゃ、荀イクからはじまる推挙リレーの中に入ってたかもしれないし
>>18 魯粛は故郷で親の金ばら撒いて名士からの歓心を買おうと努めてたから、その時の知り合いだろう。
呉に居たので周瑜に融資した話しが有名だけど、似た様なことを劉曄にしててもおかしくないし、
実際彼は孫策死後北方に鞍替えしようとしてました。
前スレで
「実際、孫策死亡直後には周瑜を担ごうという動きがあったし」とか
「張昭が周瑜を訝しんでいたという話」って俺聞いたことないんだが、出典は何処?
三国志Zでもやってんだろ
俺も知らないよ
___円__
/  ̄ \
/ /⌒ヽ/⌒ヽヽ
ミ| ( θ|θ ) |彡
>>1 乙やで
,'´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
ヽ ̄ ̄ ̄ ̄ ノ
/  ̄ヽフ ̄ ヽ
朝からオバQ乙
1000 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2007/03/08(木) 15:47:24
1000なら次スレの主役は魯粛様
24 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/10(土) 23:50:10
魯粛様あげ
なんだ魯粛人気ねーなw
人気ならあるさ!俺は呂蒙オタだが。
いや、ここ最近は魯粛ネタで進行してたよな
呂蒙好きならネタ投下してくれ
>>27 ネタと言われても…うーん。
例えば呂蒙は手柄を立てた報酬として二度、多額の錢や金を賜ってるんだけど、
これって結構特殊な恩賞で、三国時代に現金で貰った上に金額まできっちり判ってる例は入蜀時の関張と孔明法正と呂蒙ぐらいしかないと思う。
ちなみに蜀の四人は5000万錢で、呂蒙の二度目は一億錢。
勝ったw
関羽死後も呂蒙が元気だったら・・・
劉備は呉に攻めてきただろうか?
攻めてきたとして劉備を討ち取れてたかな?
30 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/14(水) 08:38:20
↑手堅く迎撃しちゃって戦線が膠着しちゃったんではないだろうか?
無名無冠の陸遜だからこそのイチカバチかの賭けがあった訳で。
呂蒙では皆の信望も厚いから、皆やる気満々でガップリ組んでる間に魏にガッピから攻め込まれそうだ。
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/14(水) 08:43:05
いや、陸遜を副官として連れて行くだろうから、やはり献策されて同じ作戦にしたかもね。
リュウビは攻めて来るさ。いずれにしても、関張との契りと漢室復興だけが彼の看板とアイデンティティーなんだ。
その片方がもがれては何か行動を起こさねば生きて行けない。
最前線からの叩き上げで兵法マニアだからなぁ
安直な手にでるとは思えん
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/14(水) 10:15:41
魯粛が自分の墓を壊されたのを怒って幽霊になって現れた話は笑えるよな…
怒って出てきて「そんなことをしてはいけませんよ。」とか言って
墓を壊した奴が反省して直してあげましたって話ならほのぼのしていいんだけど
呪い殺すからなw
やっぱ当時は魯粛は墓荒らしを呪い殺すようなやつだと思われてたんだろうか
>>34 今でも正史派の奴はそんな感じじゃね?ww
ガタイのいい武闘派文官だもんなw
39 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/15(木) 01:03:44
魯家の狂児カコイイよ狂児wwww
しかし前スレのおはかの話で魯粛が一番人気というのにはびっくりした。
ぜったい周瑜様だとおもってたんだけどなーw。
周瑜様は一部の男から反感を買ってるんじゃないか?w
男からも慕われてこそ周瑜って感じだが
お墓の話を持ってきた自分にも予想外>魯粛の人気
周瑜の遺書を読んだら男でも惚れるよ・・泣ける・・・
>>33 左右の者に目配せしてバシバシ殴らせたのにはワロタ
バイオレンス文官魯粛は自分で殴っててもおかしくないよなwww
公瑾の遺書はいつ読んでもナケル゚・(ノД`)・゚
嫉妬のしようがない。完璧すぎて。
俺が勝てるのなんて寿命だけさ…
そんなことないおー
完璧じゃないというのもだいじなことさー
おまいいいヤシだな…
完璧じゃないから惹かれるというのはある
呂蒙とか
呂蒙も甘寧料理人事件以外は周瑜には及ばないにしても
性格も能力も申し分の無い完璧具合なんだけどな。
凌統もそうだけど甘寧絡むとどんな性格の良い奴でもどこかおかしくなる気がするw
50 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/16(金) 00:28:56
晒し揚げ
>>28 一億銭ってすごい額なんだろうなー。曹嵩が一億銭で太尉のくらいを買ったんだよね。
劉備と孫権じゃ、サイフのおおきさが違うような気もするけどw。
でも没するまえに財産をぜんぶ倉庫にしまって孫権にかえすんだから、呂蒙はえらい。・゚・(ノД`)・゚・。
昔の中国の億ってのはたいした今の億ほどではなかった気がする。
アモーえらいよアモー
今でいえば、中卒が東大入るようなもん?野放しからのあの成長ぶりは。
中卒が東証一部上場企業に派遣で入ってそこで正規採用
さらに部長になるようなもんだな
今まで実務の経験だけでやってきて、上司から勉強もしろよーとか
言われちゃって、さらにがんばる呂蒙たん…
えらいなー、好きなだけじゃなくて見習わないとなー…
>>52 後漢の延平年間(106年)の時の官僚の給料支給額で
中二千石(三公より下の大臣クラス)に支払われた現金が月九千錢だから
単純計算で926年分の給料だ
当時は現金と穀物が半々で支給されていたらしいから
その穀物分を現金換算しても463年分の給料ってことになる
結構でかい数字みたいだよ
まあ、董卓による五銖錢廃止後だから後漢当時と同様の貨幣価値はないだろうけど
57 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/17(土) 15:07:57
いやだから昔は今のように○百万、○千万という言い方がなくて
一十百千万の次の桁が億(つまり十万と併用されていた)だった時代があるから、三国時代の通貨の単位はどういう書き方だったのかって話じゃないの
>>57 あ〜そういう意味だったのか
すげー勘違いレスしてスマン
確かに億の表記が一億としてるのと一億萬としてるとあるみたいだな
曹嵩の売官額は一億萬とあるから千萬の上なんだろうけど
上からの報奨金の表記には一億とされることが多いみたいだから
実際の支給額より多く見せるために億で表記された可能性もあるんだろうなぁ
59 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/17(土) 15:55:39
大銭で支払われた報酬なんだろうね
孫権に愛されてたんだなあ呂蒙…
長生きしてたら、呂蒙こそ老害孫権のストッパーになってくれたかも…
61 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/18(日) 13:36:31
801系
電車?
63 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/18(日) 14:28:36
ちんぽから溢れ出る精液
呂蒙の過労ぶりから考えて、早死には必然だろ。
命削って働いてたんだよ。
65 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/19(月) 17:19:17
というか呉の人って何か随分短命だよね。
実は毒殺だったり、食料事情が他より悪かったりしたわけ?
長いスパンで見ると呉が特別に短命とも言えない
周瑜→重傷を負ってるにも関わらず群栄の中を閲見して周るという無理しすぎのパフォーマンス→死亡
呂蒙→重病を負ってるにも関わらず城内をめぐり歩いて家々を訪問するという無理しすぎのパフォーマンス→死亡
過度のパフォーマンスはいけないね。
食料は豊かそうなイメージ。
ただのイメージだけど。
魚うまそうだ〜
寄生虫がこわい
まあ三国時代の人間なんて寄生虫持ち珍しくないだろうが
珍しくないどころか、寄生虫装備はデフォだろ。
しかしそう考えると、呉には寄生されると死を吐く症状が出る寄生虫がいたんじゃないかって気がしてくるな。
今じゃちゃんと駆除する技術はあるけど、当時は気にしてなかったのかな〜
でも加熱すれば死滅する筈だけど…。
なんか胃腸強そうだよね。
蒼天曹操も呉の河魚食べて死にかけてたな
それは孔明の罠だ
確かに小さい頃からヤバめなもの食べてた人間は胃腸強い気がするな
呉は酒とか米とか魚とか美味いものいっぱいで楽しそうだなあ
涼州なんかは確実に飯マズそうだもんなww
ところで、よく飯がマズいほど軍隊は強いっていうけど、三国志においてはどうなんだろうな。
この俗説によると、呉なんかは弱兵揃いってことになりそうだが。というか、呉の飯が本当に美味かったかどうかは知らんけど。
この辺は文学スレの人達に聞くと、色々教えてくれそうだが。
なんかの本で長江より南は米で北は麦だから
南は何もせんでもうまい米が食えるから無理に侵略しなくていい
北はまずい飯しかないから必死に他国を侵略する
まぁこの本では、だから長江より南の出身者だか支配者は統一できないってなってたけど
軍隊の強さ云々もこんな理由かねぇ
南北で必要な兵科が違う
北で有効な兵器や馬などは北でしか生産できないが
南で有効な船は北でも作れる
79 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/23(金) 12:33:42
北で有効な兵器や馬などは北でしか生産できないの?
81 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/23(金) 14:05:18
馬は暑いの得意じゃないけど
繁殖できないとか駄馬になるとかそういうことはないです。
82 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/23(金) 14:54:05
北=長城以北
北〜南=中原
南=長江以南
だと思うが。中原勢力は船も馬も中途半端。
そう解釈すると判り易い。
それは違うな
判ったような気がするだけだ
そうかなあ?
秦嶺淮河線で支那本土のみを南北真っ二つに割るよりも、
長城以北の蒙古高原も東アジア全体として含め、長城以北の草原地帯の遊牧文化と、
水郷地帯の農耕文化の緩衝地帯として中原というエリアを捉える方が、
歴史的地理的風土的な理解としては正しいと思うのだが。
ごめん、初歩的な質問をさせてくれ。
長城以北には河北は入るのか? というか長城は何州にあったの?
>>82を見ると黄河に沿って長城がある風に読めちゃうんだけど。
ベン州や幽州、キ州は長城以南だよな?
軽くググってみたんだが、イマイチ分からんかったから質問してみた。
86 :
83:2007/03/23(金) 17:53:53
北:長城周辺、なぜか遊牧民族を帰化させると子の世代でただの人になるので移住は長期的には効果が薄い
中原:歩兵中心、というかだだっ広い平野に点在する城市をいかに攻めるかが重要
南:実は山がちで長江を離れるにつれ船が特色とも言いにくくなる
だと思う
>>86 遊牧民族の「帰化」って「定住」を意味してたからだと思う。
子どもの頃から日常の足として馬を使ってたことが、「騎馬民族」としての強さを支えてたからじゃね?
>>85 東アジア文明圏を満蒙、中原、江南の3つの文化圏に分けて考えると、
満蒙は騎兵中心、中原は歩兵中心、江南は水兵中心と見れる。
火器による武装化以前では騎兵は絶対的な存在だったし、満蒙に限らず中原でもその打撃力は圧倒的だった。
ただ南に行けば行くほど要塞や河川などで騎馬の地理的な制約が増え、
相対的に歩兵の戦力が高まる為に、南の勢力は北と対峙できるのである。
89 :
83:2007/03/23(金) 18:35:07
うん
モンゴル人は女真などを小馬鹿にしてたんだけど、それは素早い行動に適さない豚などを飼っていたことと、簡単ながら農耕をしていたことが理由で、実際モンゴル人の方が強いから女真は頭が上がらなかったらしい
家畜が馬かそれ以外かってだけでも兵としての適合性が違ってくるのに、親父の手柄でぬくぬく育った二世が使えるはずもなく、ゲームみたいに馬を買えば攻撃力アップみたいな話にはならないね
だから厳密には遊牧民族の強さは馬に由来するものではなく生活習慣が実戦向きだとも思う
その馬も火力の向上であまり強くなくなってしまったな
>>76 そこでぴぃ(曹丕)様のブログで美味い物チェックだw
>>91 ぴぃ様ブログ、甘いものしか書いてないじゃんww
ぴぃ様のうまいもんブログ珍しい果物の話だらけじゃねえかwww
何晏ちゃんのちょっとイイ話も確認してみたんだが米以外は果物ばっかw
むしろイイ人参の情報提供してそうな男だったの忘れてた・・・
こりゃもっと脂ぎった士人のブログを見つけないと駄目だな
うまいもんブログってドコー?
孫権が帝位についた時
「子敬の言う通りになった、子敬は正しかった」と手を打って喜んだらしいけど
考えたら魯粛の立場ってあの頃ですら微妙だったってことだよな・・・
孫権のお人好しエピソードで俺は気に入ってるんだけどさ
みんな人形劇見てる?
見てる見てる
呉贔屓にはつらいよな。
功績的には陸遜>魯粛>周瑜>呂蒙かな
呂蒙は記録より記憶に残るタイプだったに違いない。
>>101 能力とかなら人によって色々な考え方の違いもあるし
魯粛の方が周瑜より優れてるというとらえ方もあるだろうが
流石に功績は周瑜の方が魯粛より上なんじゃないか?
四人の功績を比べるのは難しいな…誰が居なくても呉はすぐに滅んでいただろうから。
一応建国までならやはり周瑜が一番なんだろう。孫権も度々「私が帝位に就けたのは周瑜のおかげである」と述べてる。
その功績は張昭ら多くの群臣も認めるところで、衆に抜きん出ていたのだろう。
孫権は魯粛のこともケ禹に比せられるとし、帝位に就いた時も「魯粛は私が帝位に就くことを予見していた」とその先見の明を褒めていたが、
厳oは心中密かに「褒め過ぎじゃね?」と思っていたり、万人が認める功績という面では四人で一番劣るかもしれない。
実際に共に事を謀った孫権にこそ魯粛の凄さが解ると言うか…
呂蒙は受けた恩賞・主君からの寵愛は正しく破格の待遇といえるものなんだけど、
周囲や後世の評価としては「周瑜に迫る」に留まっているんだよね。
単純に獲得した領土の広さなら呉臣で随一、揚州を統一した孫策にすら匹敵するんだけど。
陸遜は国を支えた期間が最長、且つ政戦両面に渡る活躍で、文字通り国を支えた大黒柱。
陳寿からの扱い的にも、呉の全期間を通して一番は陸遜だ、ということなのだろう。
なので個人的には陸遜>周瑜≧呂蒙>魯粛だったのかなぁ…と。
陸遜も周瑜も呂蒙も、結局は魯粛が立てた大戦略の元で動いてるんだが。
長江以南をとって北に対抗しましょうという。
>>105 ×魯粛
○張紘
結局識者の考えることは皆似通ってくるということですな。
張紘のは孫策が聞いたのみで孫策の戦略になってもいない
孫権に長江防衛を意識させ戦略としたのは魯粛でいいんじゃないか?
ケ禹タイプであることは孫権の股肱の条件だからな
名士とも甘寧や蒋欽などの子飼いの部下とも
仲良くできる人間じゃないと困るし
ところで厳峻って魯粛が後継者に指名してたよな
大都督になってたらさぞ魯粛を褒めそやしたことだろうw
>>108 指名してないよ。
孫権が就けようとしたんだよ
俺も魯粛の遺言(残ってないけど)だと思ってた
呂蒙より厳峻の方が都督に就けるの簡単そうだ
>>107 しっかり孫策の基本戦略になっているし、魯粛のだって陸遜も周瑜も呂蒙も聞いたなんて書いてない。
なんで魯粛のだけ全部魯粛のものが発祥みたいな考え方するの?
魯粛だけじゃなく呂蒙もだけど
きわどい策を献じた軍師が過小評価されがちだから、功績をはっきりさせたいんじゃないかな?
まあ都督が替わる度に政策も変わってるし公正な評価はできないと思うけどな
処遇については4人共破格なんじゃないかなあ
周瑜と陸遜はもともと名家の出だから目だって見えてこないけど
残りの2人はどちらもありえない昇進速度、抜擢ぶりだし
このあたりについては後世に寵臣とか言われててもしょうがない気はするw
/ニYニヽ
(ヽ /( ゚ )( ゚ )ヽ /)
(((i ) /::::⌒`´⌒::::\ ( i))) wwwwwwwwwwwwwww
/∠_| ,-)___(-,|_ゝ \
( ___、 |-┬-| ,__ )
| `ー'´ /´
| /
117 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/04(水) 10:45:29
だからはんぎょどんだと
118 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/06(金) 14:07:43
人形劇周瑜死亡記念あげ
test
キャッチコピーを考えてみた。
・天才
・異能
・怪物
・至宝
…イマイチ
121 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/16(月) 22:01:06
>>120 それはやっぱりスレタイの名前の順な訳か?
呂蒙 怪物か?
122 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/20(金) 00:21:45
123 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/20(金) 01:30:41
結局ここは演義厨のスレなんだな…
丁奉も入れてやれよ!
124 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/20(金) 20:39:27
>>123 丁奉こそ演義で過剰に持ち上げられていっぱしの将帥みたいな扱いだが、本来は人に使われてなんぼの突撃隊長じゃん。
クーデターに参加して出世してからは全然光らない。大局的にどうこうしたわけでもない。
何故丁奉?まだ陸抗とかの方がそれっぽい。
126 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/21(土) 13:26:21
丁奉クーデターに参画する前から左将軍なんだけど…。
>>127 「丁奉クーデターに参画する前から左将軍なんだ」けどなんなの?はっきり言わなきゃ何言いたいのか判んないっしょ?
まさか左将軍だから突撃隊長じゃないとかいうつもりではないだろうけど。
まさに丁奉が左将軍に昇格した時の手柄ってのは何?潘璋の官職は?
いちいち説明せにゃならんのか…。
丁奉は演義が持ち上げようが持ち上げまいがクーデターに参加しようが参加すまいが
すでに間違いなく左将軍、いっぱしの将帥扱いだってことだね。
孫チン誅滅と孫皓擁立を輝かしくないと評価するのはまあおまいの勝手だけど、
それが大局的でないとなると、なにをもって大局的とするのかなかなか興味深いよね。
> 何故丁奉?まだ陸抗とかの方がそれっぽい。
>>123的には、丁奉が軍師職に就任したことを言ってんだと思うよ。まあ確かに陸抗は軍師じゃないし。
> まさか左将軍だから突撃隊長じゃないとかいうつもりではないだろうけど。
つーか、それ以前におまいのいう突撃隊長ってのが意味分からんよ。
> まさに丁奉が左将軍に昇格した時の手柄ってのは何?
昇格した時の手柄なんてどうでもいいんだよ。
三年にいちど考課があって、それに三回合格すれば昇進するのが通例なんだから。
> 潘璋の官職は?
最終的に右将軍までなったんじゃなかったかな。
>>129 突撃隊長の意味がわからん、昇進した時の手柄が関係ない、昇進は自動的…そんな馬鹿な。
丁奉が左将軍昇進までの手柄
・部隊長として甘寧・陸遜・潘璋らの軍に属してしばしば戦功を挙げ、いつも敵将を斬ったり軍旗を奪ったりして我が身に傷を負っていた。
・諸葛格率いる東興の攻撃に参加し、先陣として敵を奇襲して大破。
・孫峻の軍に従い文欽を迎え入れに行き、敵の追っ手に自ら馬に跨り矛をを持ち突撃、大量の首級を挙げる。
・朱異らの寿春救援に加えられ、丁奉は突撃隊長となり奮戦、功績を挙げた。
これのどこがいっぱしの将帥扱い?常に誰かに従軍し先陣を切る爪牙として活躍・重宝されてるじゃん。
左将軍なら全て間違いなくいっぱしの将帥なんて理論がおかしいだろ。
丁奉、あるいは潘璋の例は少数を率いて先鋒を担当する人間達でも左将軍ぐらいまでなら昇進できるってだけ。
甘寧とか凌統あたりも呉が皇国になるまで活躍してたらそのぐらい出世しただろう。
訳文に従い突撃隊長と表記したけど、
>>125の「人に使われてなんぼ」とかを読んでも理解できないみたいだし、
先鋒とか先陣とかアンタでも理解できる単語に置き換えてかまわないよ。
ようするに全軍の指揮を任され戦場全体を見る立場と、一部隊を任され先陣を切って戦う立場の違いを理解できているなら、
丁奉はクーデターまで常に後者だったてこと。わかる?
ついでに軍師職って右大司馬左軍師のこと?名前に軍師とついた役職に付かなきゃ駄目って意味ならスレタイの四人からしてアウトじゃん。
そうじゃなくて、丁奉にあって陸抗にはない軍師職って何?
丁奉は周瑜、魯粛、呂蒙、陸遜のように一方面のトップを任された経験が無い。
丁奉は正史での扱いが上4人に比べて見劣りするからな
まぁ周瑜、魯粛、呂蒙、陸遜が破格なだけだが
> 昇進は自動的
そんなことは誰も言っていない。幻聴かな。
> 左将軍なら全て間違いなくいっぱしの将帥なんて理論がおかしいだろ。
理論がどうこう以前におまいの定義をはっきりさせなよ。
> ようするに全軍の指揮を任され戦場全体を見る立場と、一部隊を任され先陣を切って戦う立場の違いを理解できているなら、
> 丁奉はクーデターまで常に後者だったてこと。わかる?
全軍の指揮を任され戦場全体を見る立場じゃなかったことを証明してから言いなよ。
> スレタイの四人からしてアウトじゃん。
だから
>>123はそう言ってんだろ。
釣りにマジレスするのは格好悪いが、見当外れのマジレスはもっと格好悪いよ。
>>133 >>129に
「昇格した時の手柄なんてどうでもいいんだよ。三年にいちど考課があって、それに三回合格すれば昇進するのが通例なんだから」
とあるじゃん?手柄立てずとも軍人として昇進できる制度が三国時代にあったとは初耳。
それを自動的と表現するのが嫌なら「考課に三回合格」に言い直しても全然かまわないけど、どっちにしろ有り得ない。
丁奉は
>>130で挙げた手柄によって昇進するさまが残されてるし。
以後言い直すとケチつけるみたいだから引用すると言いたいことは「昇格した時の手柄なんてどうでもいい」が有り得ないってこと。
定義をはっきりしろって、
>>125をちょっと読めば「人に使われてなんぼ」なのが「突撃隊長」であり、「いっぱしの将帥」がそれに対比するものだと判るだろし、
「大局的にどうこう」することが「いっぱしの将帥」カテゴリーなんだろうなともわかるはず。
これだけでもピンときそうなものなのに、
>>130では
「常に誰かに従軍し先陣を切る爪牙」「少数を率いて先鋒を担当する人間」「一部隊を任され先陣を切って戦う立場」
と幾度も言葉を変えて定義し直され、具体例まで列挙してあるのにまだ定義があやふやだと思うってどういうこと?
アンタの何倍も言葉を尽くして丁寧に説明してるじゃない。ワザと理解してないわけ?
「全軍の指揮を任され戦場全体を見る立場じゃなかったことを証明」ってまさしく
>>130じゃん。どういうこと?
クーデター以前に
>>130で挙げた以外の丁奉の活躍なんて何処に残ってるの?むしろあるなら素直に教えてほしいくらいだわ。
残された戦功が全て誰かの指揮下「一部隊を任され先陣を切って戦う」ものだったからそう言ってるわけで。
確かに見当外れのマジレスは非常に格好悪いね。心から同意するよ。まさしく見当はずれ。
> 手柄立てずとも軍人として昇進できる制度が三国時代にあったとは初耳。
そんなことは誰も言っていない。またしても幻聴かな。
軍功を立てればその直後に功績の大きさに応じて昇進の沙汰がある
と思っているようなので、それは違うよと言っている。
三考は古制であり孫呉の時代にも続いていたとは限らないので「通例」は撤回する。
それでも昇進の根拠を直前の行為に求めるのは間違いだってことの分かりやすい例だろう。
むしろ昇進の契機としては帝の即位など、国家の祝日の方が大きい。
> 「人に使われてなんぼ」なのが「突撃隊長」であり、「いっぱしの将帥」がそれに対比するものだと判るだろし、
> 「大局的にどうこう」することが「いっぱしの将帥」カテゴリーなんだろうなともわかるはず。
おまいが人に使われてなんぼの突撃隊長と、
大局的にどうこうするいっぱしの将帥が対極に位置すると認識してることくらいは分かるが、
んで結局、人に使われてなんぼの突撃隊長っての自体の定義が分からない。
大局的にどうこうするいっぱしの将帥の定義も分からないね。
戦場の立場なんて
>>130で初めて出てきた語句なのに、
それを
>>125から読み取れってのがムリだろ。
> 「全軍の指揮を任され戦場全体を見る立場じゃなかったことを証明」ってまさしく
>>130じゃん。
証明になってないよ。
全軍の指揮を任され戦場全体を見る立場の者が、
同時に(矢石を冒して)先陣を切って戦うことはなにも矛盾することではない。
>
>>130で挙げた以外の丁奉の活躍なんて何処に残ってるの?
おれにないことの証明を迫らないでくれよ。
ただし、おまいは全軍の指揮を任され戦場全体を見る立場じゃないことを主張しているのだから
その立場じゃなかったこと、その実績がなかったことを証明しなければならない。
「その立場じゃなかったこと、その実績がなかったことを証明」って「そういった事例が残ってない」以外のどういった証明手段があるんだ?
>>130で各々戦の指揮官、「全軍の指揮を任され戦場全体を見る立場」の人間を既に挙げてるし、
丁奉はそれに従軍して指示を受ける立場だったわけで「全軍の指揮を任され戦場全体を見る立場じゃないこと」は明白じゃん。
これが「その立場じゃなかったこと、その実績がなかったことの証明」じゃなきゃなんなんだ?まずそれを説明してくれ。
>>135 横からで悪いが、東興は様々な記述で「諸葛恪が防いだ」とされているし、
文欽らの救援でも、「孫峻に従い」とある。
諸葛誕の救援に関しては、「また丁奉と黎斐を遣わして包囲を解かせ」とあるものの、
丁奉伝以外ではこの解囲軍の指揮官を朱異としているし、
丁奉伝でも彼が全軍の指揮を執ったようには書かれていない。
失敗の責任を取らされているのも朱異だしね。
これで、丁奉が全軍指揮を任されていた、と考えるのは無理があると思うよ。
> 「そういった事例が残ってない」以外のどういった証明手段があるんだ?
証明手段なんかないんだよ。
証明できないことを主張するな、と言っているわけ。
> 明白じゃん。
証明できないことは明白じゃないよ。
> これで、丁奉が全軍指揮を任されていた、と考えるのは無理があると思うよ。
東興戦役において丁奉が全軍指揮を任されていたなんて言ってないよ。
>>125が「丁奉はいっぱしの将帥じゃない」と言うから、
その根拠を求めてるだけだよ。
立場と実績がごちゃまぜになってるな。どっちも。
内容はどう見てもスレチだから他所でやれと言いたい。
呉オタって凄いなw
魏オタでも蜀オタでも(いろんな意味で)凄い奴いるだろw
張悌のほうがそれっぽいけどなぁ
ほっすほっす
呂蒙に後を託された朱然は何でこのポジションで語られることがないの?
前の三人と一緒じゃないから?
朱然は指名を受けたけど、実質後任になったのは陸遜だからじゃね?
148 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/29(日) 16:19:52
>>146 それだと魯粛をうんこ臭がっていた厳峻のことも語らなきゃならねえ
>>147 というより、朱然が受けた指名は「自分の代わりに(江陵を)守るべき人物」であって、
前任者たちのように荊州方面の総責任者的位置ではないからだろう。
逆に朱然クラスの名将を特に選んで指名したことから、呂蒙(呉)が江陵を重要視してたことがわかるし、
麋芳なんぞを配した蜀は江陵を軽視してたか、よっぽど人材が居なかったんだろうなと思う。
周瑜と程普は仲が悪くて江陵攻めの時にもめたことがあるようだけど
何があったのかな?微妙にスレチな話題だけど。
>>151 両者の名誉に関わるせいか、あんまり具体的にはわからんのだよね。
程普が周瑜に侮蔑的な態度をとったこと、それに対し周瑜が穏便な態度を取ったこと、
意見が割れたが最終的には全て周瑜が決定権を持っていたこと。
これくらいかな?
>151-152
両者の伝には何も書かれてないね。
周瑜の伝の注に、程普がのちに周瑜に敬服したと書かれてあるけど
江陵攻めって、赤壁の後だよね?周瑜の晩年じゃないか〜。
相当長い間程普にいびられてたのか周瑜・゚・(ノД`)・゚・。
154 :
無名武将@お腹せっぷく :2007/05/01(火) 22:49:18
徐盛さんは
対魏戦で陸遜と遜色ない活躍をしたのに
陸遜ほど長生きできなかったのが残念。
徐盛さんが水軍を指揮して曹丕の大軍を火計で大破したのは、意外にも呉に理不尽と言われる演義の創作なんだぜ。
>>150 麋芳って本来裏切るはずのない人間じゃん。
劉備の親族だし軽視してる訳が無い。
あれほど粘りの無い指揮を見せたのが間違った結果なだけだ。
>>151 呂蒙のその後の苦言から考えて、同格だったため指揮系統が混乱しただけじゃないの
>>156 じゃあ人を見る目が無かったんだな。呂蒙が見込んだ朱然の粘りと比べると。
攻める余裕の無い連中が無理した結果じゃないの?
捕虜の食い扶持を考えると抗戦など無理だったのかも。
また麋芳には周苛、紀信、来歙、岑彭のような生贄としての死に方をするほど、
劉備に心服もしてなかったし、漢朝を崇拝していた訳でもなかったのだろう。
徐州時代からくっついてきてるんだから劉備というより
関羽・麋笠の伝にあるように関羽に反感を抱いていたからなんじゃないか
麋笠てなんだよ麋竺じゃねーかorz
>>156 たしかに麋芳は南郡太守であり最前線の最重要地を任されていたわけだが、そもそも公安には関羽が董督荊州事としていたわけで。
呂蒙や朱然に比すべきは関羽であって麋芳ではない。
最重要管区の総督:関羽vs呂蒙⇒陸遜
最重要拠点の太守:麋芳vs朱然
と対比した訳だが。
まぁ便宜上呉とはゴタゴタしてなかった時の大守と蜀魏両方をかなり警戒しなきゃならなかった時の大守じゃ重要度が違う罠
朱然・陸遜ら名将を見出したことは呂蒙の隠れた功績かもね。
166 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 14:32:03
朱然てホビット?
167 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 16:03:49
信長「ほう…小喬…呉の孫策の元に参じたいと…この信長の下離れると申すか…」
小喬「もうここにいるの飽きたもん!周ユ様の元に帰るんだもんね!」
信長「そうか…それもまた良かろう…クク…」
小喬は周ユの元に向かうのだった
そしてその頃…
周ユ「小喬…どこにいるのだ…これでは寂しくて一人エッチをしてしまうではないか…」
孫策「周ユ俺がいるじゃねえか!」
周ユ「孫策!やはり君しかいないか!さあ受け取ってくれ私の思いを!」
孫策「周ユ!いくざおらああああああああああ!」
周ユ「ぐっ…ふおぉおおおお!君っのっモノ…っはいつだって固いな!」
孫策「そりゃそうさ!俺の息子は硬度10のダイヤばりだぜ!周ユ!楽しもうざあああああ!」
周ユ「孫策…君はいつも楽しそうだなっふおおおっうっあああああ!」
それを見ている者がいることを二人は知らなかった…
大喬「(孫策様あんなに楽しそう…私とする時はいつも黙ってるのに…)」
大喬は決意した
その夜…
大喬「周ユ様…少しお話があるのですが…」
周ユ「大喬ではないか。珍しいな。何か用か?」
大喬「小喬のことでお話が…」
周ユ「そうか!では私の部屋に行こう。」
部屋に到着
大喬「小喬どこに行ったんでしょうね…?心配です。」
周ユ「そうだな…早く会いたいものだが…大丈夫であろうか…」
大喬「周ユ様!私心配で心配でもうどうしようもありません!」
大喬泣きながら周ユに抱きつく
周ユ「大喬っ…だだ大丈夫だ!あああの小喬がどうにかなってることはない!」
周ユ「(先程孫策に一方的に出されただけで私は一切出していない…ああ大喬なんていい香りなんだ…辛抱堪らん!)」
よくこの四人を優劣つけて語ろうとするが、
周瑜と陸遜じゃ時代が違いすぎるんだよね。
169 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 19:22:38
周ユ…藪宏太
魯粛…山下翔央
呂蒙…鮎川太陽
陸遜…八乙女光
周瑜・魯粛・呂蒙は同時期に活躍してるし、
周瑜と魯粛、魯粛と呂蒙、周瑜と呂蒙でそれぞれ逸話があるけど、
陸遜って呂蒙としか会ったことなさそうだよな。
陸遜と周瑜、創作物では時々会ってるよな(北方とか)
孫策の娘を妻にもらってるし、私的には接点多かった気がするのだが
__
,,ィ ` '``' 、
,. _ ,ィ'' :ヽ
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r′.: ;'-ーヽi′,'. i ',," ::/ 'kヮ、 ゜::::::::i
i ::. / :'゙ヽィ ゙ `ヾi `' .:::::::/ もはや自治新党転覆しかない
| ゙ ノ i ''-=ミヽ. .:/
l // 、 ヽミ`、ゞ :::::::::ソ-
j i;;;| ヽ_ ″ .::::::/ノタl゙
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し_ゝ |∴∵..∵从人从人人从.:|________________/ / 三三三三三三三三|
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! ̄= [二] = ̄~ !二二|」;i ($).i二tiii ($).i;;;;|三||三三三三三||三三三三三||三;;;;;;|ii ($).i;;;;|二二二l]
 ̄ ̄ ̄ゞ;三ノ ̄~ゞ;三ノ''ゞ_,ノ 'ゞ_,ノ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ゞゞ;三ノ ̄ ̄ ̄  ̄ゞゞ,_ノ
人
(__) ウンコー
(__) (´⌒(´⌒
(・∀・ ) (´⌒(´≡
O┬O ノ` ≡≡≡(´⌒;;;
◎┴し-◎ (´⌒(´⌒;;
糞小説の話は板違い
陸遜たんのお尻は美味しい
>>171 孫策の娘を貰ったのは孫権政権に入って暫くしてからだし、
陸遜の任地は主に会稽などの南方、周瑜は主に荊州方面の前線、接点はむしろ薄そうじゃないか?
周瑜が長生きしてたら大将軍になって、丞相陸遜とで天下をとれたかもね!
周瑜が長生きしてたら孫登に周瑜の娘を嫁がせたりしなさそうだな
>>179 周瑜存命状態なら丞相以前に陸遜の出世が危ぶまれるよ。上が空いたから大出世を遂げたわけで。
>>180 孫登の付近は常に当時の有力者の縁者で固めてあるんで、生前なら尚更周家との関係性を軽んじることはないでしょう。
孫登側の事情と言うより、周瑜側の事情で
周瑜の娘を嫁入りさせていただろうと言う話では?
183 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/10(木) 11:42:14
鋼鉄とドラゴンデスティニーでは扱いがいいね。
あんなの見る気も起こらないんだが…一騎当千とどっちが酷いの?ってレベル。
もっとこう…普通に作った方が人気出そうなもんだ。
そういや映画の赤壁の周瑜は期待できるんじゃないか?
この四人が続いたのは運命なのか、はたまた孫権によっぽど見る目があったのか…
孫権がいなかったら、孫策亡き後の江南は果たしてどうなってたんだろうね?
孫翊を張昭・周瑜が担いで大勢に変化なし…だったら孫権の立つ瀬無いなw
まぁ赤壁で降伏してたかも。
たぶん、纏まりは悪かっただろうな。
>>186 呂蒙をクラスチェンジ、りっくん二階級特進、陸抗に大しては父の件を反省し重用
全くの偶然ではないわな
孫策が長生きしてたら劉備や曹操と肩を並べてたかな?
官渡で全てが上手く行くと曹操は壊滅的な打撃を受け、多分西に引っ込む
中原に足掛かりを確保した孫策と、どう動くか予測不能なトリックスター劉備を抱えた袁紹、この両雄がいつまで仲良くできるかだな
仲違いが始まれば曹操が盛り返すかも知れないし、孫策は手薄な楊州を黄祖劉表に狙われる不安があるぶん少し不利だろう
孫策にとって官渡は少し背伸びした状態だから
劉備はもしかしたら台頭してこれなかったかもしれないな。
結局曹操の一人勝ちになりそうな気がする。
>>190 呉は優秀な人材が推挙しあうから、それを受け入れる度量が君主にある時は輝くよな。
孫権は(幾つかの失点を除けば)流石に一方の雄に相応しい度量の持ち主だったね。
失点も大きいけど統一できなかったから言われるだけで
統一している皇帝だってもっとひどいことやってるからなぁ
>>193 劉備はまたまた徐州に返り咲いたり
孫策、または意表を突いて曹操と脈を通じたりするかも
曹操は官渡の時は先進的な内政がようやく軌道に乗り始めた時期で、一度でも大敗すると天子奉戴前後の状況まで転落しそう
孫策はたぶん直轄領を拡大して揚州最大の豪族にのし上がったが、暗殺されたことで専制君主になりそこねた
孫権はその状態からなかなか脱却できないまま基本は守勢という方針を取ったけど
孫策がこの時期に他の豪族に対し懸絶した勢力基盤を手に入れればどうなっていたかな
孫策が生きていたとして、曹操と赤壁の戦いをすることになったとしたら、
やはり孫策が勝っていたのかな。
案外曹操側は孫策が相手のほうが用心して、手抜かりなくやってくるかもしれないな。
>>197 勝つも負けるもそもそも戦ってないからな。
孫策が生きてたとしても曹操撤退で終了なんじゃね?
郭嘉伝の注に
「南方に流行病があることから、つねに『わたしが南方に行けば、
生きて帰れまい』といっていた」
とあるんですが、荊州には深刻な風土病でもあったのかな?
「やーね、野蛮な土地ってw」って感じ?
孫策が死ななかったら孫権と周瑜は位は周瑜の方が上になってたね、きっと
>>199 『住血吸虫病』;和名『日本住血吸虫病』のことかと・・・
>寄生虫から感染する風土病です。
曹操が赤壁で大敗した要因の一つとされてるものですね。
・・・そのころ郭嘉はもう生きてないけどね・・・(´・ω・`)
今でも四川省の一部には撲滅されずに感染地域に指定されてる所が
あるらしいですよ。
204 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/25(金) 02:41:18
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!警告!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
このスレは腐女子やキモオタの妄想話を禁じます。
もし、狂ったように萌え談義を始めたり、無理矢理ホモ関係に話を誘導する輩を発見したら
住民総出で叩き、スレから追い出して下さい!!!!!!!!!!!!!!!
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もし、狂ったように萌え談義を始めたり、無理矢理ホモ関係に話を誘導する輩を発見したら
住民総出で叩き、スレから追い出して下さい!!!!!!!!!!!!!!!
昔何かの三国志本で読んだけど、著者が伝染病だか風土病だかのチェックをして
地図を塗り潰して行ったら、揚子江の周りが真っ黒になったとか…
まぁ2000年位たってるけど、当時はもっとすごかったんだろうね。
やっぱ土地の人は強いのかな?
>201
周瑜はそんな僭越なことはしないぞ。臣下のケジメはちゃんとつける漢だ。
だからこそ呉夫人は「周瑜を兄と思いなさい」と策亡き後、権に言ってる。
普通なら、わが子かわいさのあまり有力な臣下を亡き者にするのにね。
家督を継いだばかりの君臣も充分についていない
若き孫権に率先して臣下の礼をとったのは周瑜と張昭ですものね。
孫権に宛てた遺書からも周瑜の人柄がよく出てて
最後まで謙虚で忠実だったのがわかりまする(`・ω・´)*
逆にいうと、そこまでされた孫権は周瑜に頭が上がらないかもしれないね。
三法師を擁立した羽柴秀吉みたいに。
周瑜に抜けられたら困ったのはむしろ孫権の方だろう
>>205 揚子江周辺は亜熱帯に属してて、しかも湿地でもあるから
細菌が繁殖しやすく不衛生になりがちで疫病の原因となる蚊
も多し・・・と悪条件が重なって特に感染率が高かったのでしょうね。
その土地の人たちは病に対して強かった・・・というよりも
伝染の原因をつきとめ、伝染の抑制法に詳しかったのではないかと
思われるです。早い話が感染るときは感染ってしまっていた
ということです・・・(。A 。 )
>>208 >三法師を擁立した羽柴秀吉みたいに。
その例だと傀儡にする気満々だろ。
筋からいったらすでに成人している信孝の方が跡継ぎに相応しい。
そこをあえて幼少の三法師をかついだわけで、秀吉の方が野心にあふれている。
>>209 確かに。
でも孫権は周瑜の子孫に対しては冷遇だったらしいな。
まぁ次男坊の周胤が元凶なんだろうけど。
魯粛たちは流罪を亡き周瑜に免じて・・と引き止めたらしいが
孫権は周瑜の名を汚してはなるまいと刑を執行させた。
・・・複雑だったろうな・・・孫権。
年をとるにしたがって自分の権力が強くなって
それを失いたくない(子孫にも)ために
孫策や周瑜の子を恐れるようになったんだろうか?
>>206 功績をどんどん立てる周瑜の方が武力をあまり期待できない孫権より
自然と位が上になると思ったんだよ。
孫権て戦闘の腕はイマイチだったのかしらん?
脇を固めてる奴らの方が優秀だったのは間違いない
>>212 本当に冷遇してたら周家に自分の娘を嫁がせたりはしないだろ。
もっとも、まともなのは長男だけだったのかもしれないが。
権坊は戦よりも虎狩り。
>214
彼らと全く面識もつながりもない無い2000年後の我々ですら、
権<周瑜だと感じるくらいだから、当時の人々はなおさらそう
思ったろうね。(曹操や劉備もイヤミ言ってるし)
周瑜には、自ら覇王となるつもりは全くなかったようだから、
謙譲の態度を必要以上に示すことで自分に野心が無いことを
アピールせねばならなかった、ということかな。
>>219 というか元は「孫策が長生きしたら」でしょ?
孫策が長期政権を築くなら、孫権は宗族の中での有力者ってだけで、
孫呉のナンバー3である周瑜の方が出世するだろうって話しなんじゃ。
堅パパスレが知らない間に落ちてた(´・ω・`)
孫策が筆頭だったら
周瑜呂蒙陸遜朱然>>孫権になりそう
魯粛は孫策にどんな扱いされるのか想像できない。
>223
孫策はやっぱ武功重視なのかな
でも魯粛って、すごくユニークな人物だから気に入られると思う
あくまで想像だけど
むしろ魯粛の方が孫策をどう評価してたのか気になる
孫策が存命だったら、一番気になるのは太史慈なんだがスレ違いだった。
>>223 魯粛が孫権に、
<漢王室の復興はもう無理だから貴殿が帝王の位に就きなされ
って進言してる時点で孫策とは合わないだろう。
張昭も怒るよそりゃ。
その場合魯粛は郭嘉の後任として曹操に馳せ参じるか、
諸葛驢馬の伝手で蜀に仕官と見た。
どっちみち孫権は蚊帳の外だなww
孫権は政争で勝ちそう
皇帝になれたかもしれない男と実際になった男との差は大きい
孫権は劉備や曹操と違ってなんかイマイチなんだよ。
劉備や曹操と比べていまいちじゃない人物なんて三国時代にいるのか?
孫策や陸遜や司馬懿ですらこの二人の生き様に比べたらイマイチに感じるぞ。
>>231 俺にとって呂蒙はオンリーワンの輝きだぜ?
劉備なんてただの詐欺師だろ
曹操は評価するが、劉備なんて演義の影響が大きいと思う。
>>233 だよな。劉備は徳の将軍だとかゆわれてるけど
動き方追ってみるとずる賢いとしかいいようがない。
その点曹操は戦略といい政治、文学の方でも才能を発揮し、
まさに英雄と讃えられてるのがうなずける。
あと周瑜も。馬超と同盟結ぶとこまで生きてたら
歴史の流れかわってたろうな。
でも二人とも孫権に振り回されっぱなしなんですけど
>>236 だから嫌われちゃうんじゃない?
俺の大好きな曹操(劉備)がこんな程度のヤツに!みたいな。
三者三様だけど、俺は劉備が一番姑息で嫌い。
その小狡いとこが劉備の魅力
そんでその男が最後に「俺の代わりに皇帝になってもいいぞ」と遺言するから最高
239 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/28(月) 22:47:30
劉備はずるかっこいい
孫権の話題になりそうだったのにやっぱ全然違う話になっていく…
劉備は「好き」とか「嫌い」になるのに対して
孫権はちょっとどうでもいいと思っている人が多そうだからなぁ。
俺は結構好きなんだけど。
孫権俺も好きだけどなあ
前から陸遜が好きだったから知識が浅い頃は嫌いになりそうだったけど
孫権の話は呉総合スレの方でやってはどうか?
陸遜は俺も好き。
ここのスレタイの4人は全員好き。
>235 まさか本気で言ってないよな?
246 :
235:2007/05/29(火) 21:17:24
演義でも正史でも期待を裏切られ「劉備くん、きみって奴は…」と思いつつも本やゲームに劉備が出てくると「おおっ?!」と思ってしまう
刷り込まれてるのもあるだろうけど
孫権は曹丕並みかな、と冷静に見てしまうよ
劉備は国を興すタイプの人間だと思う
国を運営していく手腕は孫権のが上じゃないかな
ずうずうしくて狡猾であざとくないと劉備みたいに上手いこと出来ないものだな。
250 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/30(水) 21:03:41
'"⌒j
'"~´ ̄ ̄⌒~ヽ. i、r"~ ̄◎ ̄~゙'/|
/^'──‐蒙 'ミゞ.__陸___ィミ/
,r' .,,,,、、). /.,,,,、、 ,ヽ ヽ
. { -== \/ ==/ .,==- !
(6ゝ .......... ''''' ) (´ ),(_,、ノ( "",,ノ:: 6)'
:::::::::::::::::::::::::::::::::::3ε ^ン ...::::: |/
/〔#;;;:::::::::::::::::::::::::ヽ::::. .::.. ::...::::::/ λ
#;;;:::::::::::::::::::::::)::::::::::::::// . λ
__ノ  ̄|
だから劉備の話はもういいって。
こらぁ![250]!!
ビール鼻に入ったじゃねーかっっ。
やめれぃ。
>246 何で反論されてないのか驚いたぐらいだ。
劉備が徳人かどうかは判断しかねる部分もある。
乗っ取りも謀殺も騙まし討ちも何でもやってる。
でも曹操は輪をかけて酷いじゃないか。おまけに虐殺までやらかしてる
曹操の戦略や行政って基本的には人を殺すか追い出すか連れ去るかだろ。
劉備や孫権を殺すか、完全に取り込んでしまえていたなら
もっとマシ(な政策を打てて中原をまともに出来た)だろうがそれすら出来ていない。
手放しで賞賛する気になるのは文才ぐらいだな
いや、曹操の美点や長所は幾らでも判っているよ。 だけど近頃、
曹操だけが英雄で孫権や劉備は邪魔ばっかしていたとか国賊とか
そういう事を言い出す連中が増えているような気がしてなあ。
>[250]!!
コレ何?
255 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/31(木) 11:13:39
>>253 劉備が逆賊とは言わないが、正直現在の英雄観からは外れていて、
小狡く見えるのも仕方無い気がする。
劉邦の様に何年も続く王朝の礎を築けばまた評価は全然変わるだろうが…
あと曹操の再評価が目立つというより、曹操を否定してしまうと
三国時代がどうしようもなくヘボい乱世という事になるからだと思う
256 :
235:2007/05/31(木) 13:39:14
>>253 >曹操だけが英雄で孫権や劉備は邪魔ばっかしていたとか国賊とか
そういう事を言い出す連中が増えているような気がしてなあ。
今は何かと当初の状況に詳しい文献が広く出回ってて
定番の演義との世界観を見比べる人は少なくないだろうから
そういう意見が増えるのは仕方がないことだろう。
ただ、劉備のことを侮辱じみた形で書き込んでしまい
気を悪くさせたことは謝る。すまんかった。
乙!
いいじゃん。劉備のことなんか。
ここは一応呉のスレですよ。
名族(周瑜)と豪族(陸遜)の違いはなんですか?
あと、魯粛はただの富豪で豪族でも名族でもないんですよね。
呉本スレの86-92らへん。
呂範って男前だったって本当?
>>261 男前且つ美人の嫁さん持ちのプチ周瑜ですがなにか?
(;゚Д゚)プチ周瑜ってなんだ…
話題をもどしーの、呂範は色男って実話??
>>263 ?いやだから262で「男前だ」って言ってるじゃん?実話かどうか疑うなら呂範伝の冒頭でもチェックしてください。
>>238 最後の最後で陸遜を死なせちゃった孫権はその辺比べちゃうとアレだよね…
>262
美人且つ金持ちの嫁さんだもんな。
やっぱ人間、顔は大事なのか・・・。
>266 陸遜も死んだ時にけっこう年だったし、
生きてたとして権勢だけ強くなっても扱いに困るだろうから こう言っちゃなんだが
ちょうどよかったと思うけどね。 孫権が陸遜を死なせたってんなら
曹操も荀ケを死なせてないかね。
ないない
孫権は面罵してるけど曹操はしてないし
個人的資質や感情に収斂するんじゃなくって、
当時の二人の置かれた立場に注意しないといけないよ。
陸氏は江東の有力豪族で、陸遜自身が望むと望まざるとにかかわらず、
孫氏にとっては政権運営に支障をきたしかねない権臣だったんだ。
面罵したかどうかは大した問題じゃない。
まあ孫権が戦下手なのが問題なんだよ。
夷陵の大功を家来に譲ってる時点で、
乱世の指導者(しかも非士大夫)としては失格。
もし劉備に伍するほどの将才があれば、
合肥攻めも三度以内に成功するだろうし、入蜀だって自分でやったはず。
立ち回りを一歩誤れば破滅だし、誤らなくてもその政治基盤は脆弱で何時崩れ落ちても不思議ではない。
>>270 張昭・周瑜と孫権の立場なんて陸遜と孫権どこじゃない力関係だったはずだが、
「孫氏にとっては政権運営に支障をきたしかねない権臣」か?
この2人が居たからこそ政権運営が支障なくいったんだと思うのだが。
曹操と孫権の比較には興味はないが、陸遜を指しての批評として問題があると思う。
周瑜が権臣かと問われれば一も二もなく権臣だよね。
陸遜どころじゃない力関係だというなら、それが権臣じゃなくて何なの。
張昭は在地豪族ではないのでそこまでの力はないと思うよ。
それより顧雍・全ソウの方が孫氏政権にとっては危険。
爺さんは北来名士の代表者だよ。
自立する力は無くても助力を受けることが出来なければ大きなデメリット。
275 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/03(日) 14:41:14
陸遜失脚の理由については、陸遜にも問題があるよな
表に出るはずのない皇帝の密談の内容を、よりによって丞相が知っていたわけだからなあ
陸遜は陸遜で素直に白状したら皇太子に嫌疑が及ぶ(実際に皇太子が犯人だが)から言えないし
後ろ暗いところがあるのに正論を通そうとしたら失脚もするよ
>>273 どう読んでも「政権運営に支障をきたしかねない権臣」か?ということを聞いてるようにしか
読めないように書いたつもりだったんだけど…
「ブッシュはアメリカの歴史に大いなる汚点を残した大統領ですか?」と聞いているのに
「ブッシュが大統領じゃなかったら今の大統領は誰だと思ってるわけ?」と返してくるくらいふざけた返し方だと思う。
つまり、政権運営に支障をきたしかねない権臣と、
政権運営に支障をきたさない権臣との区別があると思っていて、
そのうえで周瑜や陸遜がどちらに該当するのかという問いなわけ?
それは、そういうこと聞いてるようには読めないよ。
権臣ってのは強大な権力をもち、君主権をおびやかす臣下ということなので、
陸遜や周瑜は政権運営に支障をきたしかねない、で合ってるよ。
張昭に対しては孫権が「みんな俺よりお前を敬ってる!」とブチ切れてたね
そこら辺も彼を丞相にしなかった理由のひとつだろうね
張昭がいなかったら誰が孫権のお守りをしたんだろう。
>>278 三国志11で孫権の嫌悪武将に張昭が指定されていてふいた
虞翻じゃヤバいし、顧雍じゃもの足りないし、
となると呂範あたりかな
張昭はけっこう武官相手にも言い負かされていたけど
もしかして相手を立てるためにわざと譲っていた部分もあったんだろうかな。
だとしたら孫権よりも好感を抱いていた人もいるかも。
しっかしだとしたら張昭は孫権にも配慮してやれよと思う。
二人とも長生きし過ぎだし
>>281 呂範はきっちりしてるところが窮屈で孫権は苦手なんじゃないか
高く評価はするけど側には置きたがらないような気がする
孫権の好みは男前で仕事ができる893で10歳以上歳が離れてない男だろw
このスレの4人は除くとして・・・男前じゃないけど諸葛謹くらい?
>>280 単なる嫌悪ともまた違うと思うんだけどな。
この二人。
孫権と張昭の関係を一言で表せるような言葉ってあるのかな
287 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/04(月) 00:31:23
トムとジェリー
そうきたかw
孫権と張昭の間には、緩衝材になるような人物がいないので
二人の関係が把握しにくいのだと思う。
>286
アニマル浜口と京子
バカの土壁
みんなおもしれーなぁ!もう(*´д`*)言いたい放題www
孫権はやっぱり何しても怒らない諸葛謹になついてただろう。
『謹、謹〜』ってかなり親しげに名で呼んでたみたいだし。
※呉名物:飴【諸葛謹】と鞭【張昭】
…これじゃぁ孫権がただの駄々っ子じゃねぇか…(゚Д゚ )
実際そうだろ
資質はあったけど20そこそこで人君になったんだから我侭は当然なくならんよ
だけど関羽の下乳の揺れ具合には負けるな
>>294 んだな〜。しかも酒乱だし。
皮肉を言われても最後まで面倒見続けた張公に
座布団5枚!!( ´∀`).。.:*・
魯粛「ともかくこれで一安心だ やっと開戦にこぎつけた ああゆう頭のゆだったやつはどうとでもなるが 張昭のじじいは慎重だからな…難儀したぜ」
諸葛亮「…ですね しかしちょっとかわいそうっていうか…」
魯粛「ん…?」
諸葛亮「あいつ跡を継いだばかりで右も左も判ってないでしょ どっちかっていうと」
魯粛「ククク…そりゃそうだ…だってよ…さっきオレが『曹操に降伏しても家臣たちは重く用いられるが、あんたの立場はかなり微妙なもんになるぜ』って言ったとき あのとき…あいつたぶん オレのこと”いい人”だと思ったと思うんだよ」
諸葛亮「いい人ですか…?」
魯粛「ククク…ああゆうバカが主君だから縦横家は何でもできるんだ 魯家の狂児が”いい人”のわけねえじゃねえか…!」
魯粛「…ククク…話にならねえ甘ったれ…呉宮廷じゃ ああゆうウスノロはいのいちに餌食…食い物…」
なんかキメェw
腹黒魯粛!!((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
孫権「まさか…兵を出せ…って言うんじゃあるまいな… 言っとくがな…ないぞ…出す意思は…!」
諸葛亮「よせよ…!あるとかないとか…やめようぜそんな話…知ってんだよ…!こっちは…!
あんたが今数万…周瑜に訓練させて待機させてる事…!」
孫権「ぐっ…!」
諸葛亮「出さなきゃあんただって破滅だ…!迷うような事じゃない…出せっ…!」
孫権「ふざけるな…!疫病神…!冗談じゃねぇんだよ…!この降伏勧告は…オレの最初の命綱…
これで撤退させれなきゃ待ってるのは地獄じゃねーか…!そんな命綱を…おめえらみてぇな運無し…
肝心要…勝負どころで…徐州も荊州もとれねえクズ野郎… そんなゴミに注ぎ込めるか…!」
ガッ
諸葛亮「吐かすなっ…!屁みてぇなことを…!それがどうした…?負けたから何だってんだ?あ?
自刃すりゃいいだろ…!そん時は…!覚悟しろよそれくらい…!第一…今降伏して…仮に助かったとして…
どんないい事がある…?閑職について…ひたすら曹操の目を恐れる日々…!
それってそんなにいいことか…?何があるっ…!?そうやって逃げた先に…!
酒浸りで…兄貴の顔を驢馬だとか馬鹿にして…そんな半ボケ人生が関の山っ!
そんな未来が…望みかよっ!違うだろ…!あんたの望みは、望みの未来はそんな暮らしじゃないはずだ…!
わかれよっ…わかってくれよ…!迷ったら、望みに進むのが気持ちのいい人生ってもんだろっ…!」
wwwおぁ!熱血孔明!!!! o(孔・∀・)つ☆(権.;)3`)アブッwww
こういう福本変換するの、面白いね。
専用スレありそうだと思って探してみたが、
ないっぽいね。
同人っぽいね。
>>302 上の二つをテンプレにしてスレ立て権返って来たら立ててみるわ
>>282 陸遜、その頃から美少年に描かれてたんだね。
さすがコーエー。あざといぜw
いつから同人スレになったんだよ
>>281 張紘。その死後は潘濬や李衡で。
諸葛瑾や朱然や呂範は武辺や軍務一辺倒って印象が何故かあるな。
そもそも張昭って具体的にはどんな事してたの?
どうも官職名だけだと実務が見えて来ない。
>>307 孫策の長史として文武の事、一切を委ねられた。
孫策の死後、孫権に長史として前の如き任を委ねられた。
長史としてだから209年(多分、末頃)に孫権が車騎将軍になったとき
車騎将軍軍師になったから196年頃から209年末頃まで、
おおよそ13〜14年、呉の宰相格として政治を見ていた。
また孫策伝では参謀、張紘伝には参謀と留守居を務めていたことがかかれており、孫策の参謀でもあったようです。
陸機は弁亡論で張昭を師傅としており、孫策と呉太后は張昭に後事を託していることから
孫権にとっては後見人でもあったようです。
つまり張昭の実務は、
前半は長史として政治を取り仕切り、孫策の時は参謀役または留守番。孫権の時は後見役。
後半は後見役、ご意見番。
事跡の方は、孫策が死んだとき、諸将をまとめ、漢朝に連絡し、
引きこもりの孫権を社会復帰させるなど危機において大車輪で事を収めた。
韋昭の呉書では、孫策が死ぬと士人や民に離反を抱く者もいたが、
張昭が輔弼にあたると百姓は慰撫され、食客や身を寄せてきた者達も用いられる場を得た。
呉録では、滕胤らとともに朝儀を制定したとあります。
他には厳oを推挙したり、呂蒙を部将に推挙したりもした。
ちなみに、このスレタイの四人を陸機は、弁亡論で(孫権の)腹心、股肱と評している。
>>308 いやあっぱれ!勉強になりますた(`・ω・´)*
ちなみに赤壁前に降伏論を主張した張昭でありますが、
これは元後漢の朝臣であったため漢王朝の正統性に拘らざるを
得なかった結果とみてよろしいのでせうか??
だとしたら帝位即位後、孫権に皮肉られた張昭があまりにも
カワイソス...(´・ω・`)
310 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/05(火) 20:19:15
張昭も漢王朝なんてどうでも良かったと思うよ
ただ、軍事的に敵を過大評価し味方を過小評価してしまっただけ
そういや張昭、魯粛と諸葛亮って徐州出身だけど、交流があった可能性ってあります?
312 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/05(火) 20:30:46
孫策だったら張昭は降伏を勧めてないだろう。
孫翊の件からしても、やっぱり孫権を買ってなかったんだと思う。
ところで孫策時代の魯粛って何を考えていたんですかね?
過大評価つーか、長年自分たちと伍してきた劉表一党が一瞬で消し飛んだのに動揺しない方が変だよ。
弱点を恐ろしい精度で衝いたけど、こんなのマグレに近い。
最初からそれを当てにするのは運営者としてどうかしてる。
赤壁の快勝は周瑜の分析力がおかしいだけ。
彼我の戦力を比較すれば、漢朝に帰順という形をとれるうちに降服というのも、
あの段階では選択肢の一つでしょうね。
それにしても周瑜は見事だよね。
魯粛も会戦に向けて奔走していたけど、戦前において勝算を言及できたのは周瑜だけで、
魯粛も諸葛も感情論で訴えることしかできなかったわけだから
魯粛って演義では散々な扱いだけど史実では必殺仕掛け人なんだな。
>長年自分たちと伍してきた劉表一党が一瞬で消し飛んだのに動揺しない方が変だよ。
もっともだ
>315
まってたよ!その言葉!!
曹操も『孤不羞走』:私は(周瑜に負けたのだから)敗走しても
恥ずかしくない。
といったぐらいだから。
逆に張昭が主戦派だったらどうだろう?
孫権は降伏に傾いたかな。
強弩の末魯縞を穿つ能わず、と諸葛亮は言及してる。
勝とうが負けようが、戦いは軍を弱める。
感情論のみというのは正しくないな。
>>320 諸葛亮伝を確認したよ。
確かに勝算と言うには不足だけど感情論のみは間違いでした。
>>319 それは無いだろうなぁ。
孫権が張昭に不満を抱くようになったのは、赤壁で降伏論を唱えたからだし
それ以前からだろ。
ただ小言をいわれるのが不満の原因だろ。孫権が幼稚なだけ。
>>323 それ以前からだとする記述は無いんだよな。
はっきり口から出された恨み言は「張公の言うとおりにしていたら、今の私は無かっただろう」の一言。
もともとそんなに好きじゃなかったけど、
決定打は赤壁ってことじゃね?
赤壁以前はむしろ尊敬していたっていう記述のほうが多いからなぁ。
尊敬はしているけど
性格的に素直に好きになれないってこともあるよね
周癒って孔明に全く歯が立たず死んだあほでしょ。
そんな名前のヤツはおらん。
>>328 君は1800年くらいRomればいいと思うよ!
>>328 いまだにおんのか。こーゆーやつ。
ちゃんと史実的文献も読んでから物申せ。
見てるほうが恥ずかしい。
>>330 そういえば来年は赤壁の戦いから1800年だな
>>327 性格の不一致で憎んだという記述は存在しないが、
赤壁の事で憎しみを恨んでいたとする記述は存在する。
この場合どちらを取るべきかは明白じゃないか?
ちなみに孫権が性格の不一致で憎んでたのは虞翻と留賛だな。
虞翻と孫策は仲良しさんなのにねぇ。
やっぱ孫権に問題ありだよ。
>332
1800年前っつったら日本はその頃弥生時代…石器が主流…
青銅も使い始めてたけど鉄なんて知らない時代…
そう考えると中国の文明発達レベル高ぇな。
仲良しさんというか孫策がスルーしてただけだろ。
嫌味を言っても右から左に抜けるだけ。
孫権はスルーできなくて激怒してしまったんだな。
孫権は真に受けやすいタイプだったんだなwww
>>334 孫策と虞翻の関係もわりと微妙だぞ。
虞翻はそもそも孫策が王朗を討つまで仲間じゃなかったから付き合いが短い。
また、虞翻が巻き狩り諌めても、孫策は「正論だが、思う所があっての事だ」と相手にしてない。
虞翻も虞翻で、
孫策が曹操の所に出そうとしたら「帰って来れないかもしれないから行きたくない」だしなぁ。
虞翻が、それ言った三日後には故郷に帰らせてる。
「蕭何の役目を務めて欲しい」とは言っていますが、役職も無くどう見ても左遷です。
本当にありがとうございました。
根が純情と言うかクソ真面目と言うか…。
家臣が死ぬたびにやたらめったら泣きまくってるし。
死に方考えたら孫策の方がどうみてもヤバい
15:What is a Pretence? 2/5 :2007/04/08(日) 00:28:56 [sage]
6曲目は、4曲目と似た感じの軽快な曲だ。
歌詞を聞き漏らすまいと、楊儀と太史慈がイヤホンを耳に捻じ込んでいる。今回は李典は一旦お休み。
この手を紅く染めるたび 閉じ込めたこの想い
果てしなく続く絶望に 瞳を閉ざして 涙も枯れてた 空っぽの私でも
ああ 広い宇宙で出会えた奇跡だけを 握り締めてまた翼広げる
この手を紅く染める度 閉じ込めたこの想い 硬く結ぶ唇 零れ落ちた切なさ
そう貴方を守るため強く誓う 今この時を戦い抜く そして光満ちた未来抱きしめる
永遠に続く哀しみを 背負い歩いてる 誰かを傷つけ汚れきった翼でも
ああ 触れた指先忘れられずに今も 記憶の中温もりを求める
叶わぬ願いなど無いと突きつけたナイフさえ 戸惑い震えている溢れそうな愛しさ
そう 貴方と描いてく新たな世界へ羽ばたこう 振り向かない 決して 紡ぎ出す未来輝かせる
この手を紅く染める度 閉じ込めたこの想い 硬く結ぶ唇 零れ落ちた切なさ
そう貴方を守るため強く誓う 今この時を戦い抜く そして光満ちた未来抱きしめる
果てしなく続く絶望……。楊儀がげんなりした顔になる。
だが、全体の内容は大切な誰かの為に手を汚すという崇高な歌のようだ。
なんだこれ
剛直の烈士が多いとされる孫呉だが
その中でも柔和な対応をしていた諸葛瑾が
「諸葛子瑜之驢」では息子に関して本音を漏らしたのが気になる。
もしかして腹の中では色々と渦巻いていたのだろうか?
>>344 孫権の性格はある程度把握してたみたいだけど、、、
…孫権のことだからやっぱり度がすぎることも多々あったろうから
ストレス溜まってたと思うよ。。。
フォローしてくれた息子に思わず本音こぼしてもおかしくないと思うよ。
なんか読み違えてないか
でも実際ストレス溜まってそう>諸葛瑾
諸葛子瑜之驢で諸葛瑾が漏らした本音
「息子が家を栄えさせるが、滅ぼすのも息子だろう」
っていう以外になんかあったっけ?
主公の諧謔さえ臆せずにやりこめる。
それはそれで凄いが、思いつきで行動しただけとも言える。
概して知恵と勇気が勝ちすぎて他人への情けと自分への厳しさが追いついていない。
これでは君側の奸として寵を専らすることはあるだろうが、社稷の臣として府中の尊敬を集めることは到底無理。
故事に明るい人間なら、その手の類の人間は必ず終わりを良くしないことを知るだろう。
それはそれとして、諸葛驢馬ってのはほんとはマゾだったんじゃ…
350 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/07(木) 19:31:46
>>338 左遷なのか?
難治の会稽を制御するのにジモティーの虞翻を使ったんじゃないの?
実際、孫策死んだ時に会稽の動揺を鎮めた功績は並みじゃない。
まぁ確かにデカい役職にはついてないけど、
華キン降伏させに行ったり、信頼の大きさが窺える。
それに孫策の警護をしたり徒歩でヒョコヒョコついていったり、
虞翻は無茶苦茶、孫郎LOVEだ。
孫策相手なら、権坊の時みたいにモロ喧嘩売ったりはしなかったと思う。
張昭といい虞翻といい、孫策の代で臣下になった文官は
孫権には厳しい感じがする。
役職も無く、って、会稽の功曹だと明記されてるのに…。
会稽太守の孫策が国元を空けるので郡政の仕切りを全面委任されてるんだよ。
まー、仕えていた主君が代替わりし、その主君が全く別タイプだったら仕方ないかと思う。
先代・先々代が早死にしすぎてるから、守る意味でも厳しくなったのかもしれんし。
>>351 孫策と彼らは君臣関係というよりはむしろ同盟関係に近いからね
一応神輿に孫策を乗せてはいるものの協力し合う関係
そりゃ代替わりしたって最初はその意識なんだから強い事も言うさ
先代からの人間それも単純な臣下に収まらない盟友に近い関係の人間の
存在ってのは時代や国を問わず、どこか鬱陶しくも感じるもの
孫権が周泰や凌統、呂蒙の様な名声・門閥に無縁なほぼ子飼いの軍人を
愛していたってのもわかりやすいといえばわかりやすいでしょ
356 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/08(金) 10:11:13
>>353 局長が上岡龍太郎から西田敏行に替わった時の喪失感みたいなもんかな
357 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/08(金) 11:07:52
>356 なるほど、孫呉はよく関西に例えられるからな
関西ローカルのナイトスクープならわかりやすい
西田も涙もろいしなw
キダタロー=張昭
362 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/08(金) 23:11:47
確かにタモリ倶楽部の司会がいきなり中井正広あたりになったら俺見ないだろうな
>>361 ぬぉっ!
では張昭どのはカ●ラということに・・・(゚Д゚ )
孫策の妻って大喬ってなってるけど正室とは記述にないから
別にいたって考えて正論??
大喬娶った年齢からするとすでに嫁もらっててもおかしくない歳だしなぁ・・・
>>364 いやまともに考えろよ
孫策の子の数と娶った時期と婚姻関係を結んでからの歳月、そして孫策がどれだけ戦場にいたか
計算すれば答えはでる
いや、劉備→諸葛亮のあれって孫策→張昭のパクリ?
それとも流行り?
流行だろう
ただ政権のご意見番とはいえ確たる基盤の無い張昭に言うのと
丞相で自己の派閥もがっちり固めてる諸葛亮に言うのでは危険性が全然違う
368 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/11(月) 08:46:30
派閥厨乙
色んな厨があるものよの
ハンカチ王子=周瑜
マー君=孫策
マー君は全然孫策っぽくないぞ。
ハンカチ王子も別に周ユっぽくもないしな。
ただのミーハーか?
>371
唐突過ぎてわらた
無理やり共通点を探すとすれば、ハンカチもマー君も才能ある同い年って
ことだけじゃ。誕生日が一ヶ月違いってわけではないだろうけど。
長江周辺の疫病についてなんだけど、あれって河水に極力触れないように
しないと駄目らしいんだが、調練中とか大変だったろうな。
そういや黄蓋は赤壁の時ドボン!といったが何ともなかったのかの?
寄生されてるどころじゃないがw
原住民と侵略者を一緒にするもんじゃない
原住民…と言えば、程普って、かなり北の出身だよね?
どういういきさつで堅パパの配下になったのかなぁ〜。
程普伝によると黄巾討伐の官軍に参加。
以後、孫堅個人に仕えるようになったようだな。
>375 ある漫画で、黄蓋が帰順させた原住民に
疫病(の巻貝)を操っている一族がいてそれを周瑜が利用するというのがあったな。
>>375 しかもその後トイレに投げ込まれてたな。
>>379 へえ〜!そんな漫画あったのか。一度見てみたいかも。
>>380 確か気づいて助けたのは韓当だよな。
まさに命の恩人だなw
孫権が孫策を殺した説にはびびった
>>382 そんな説あるのか
てかそれ孫策死後の周りの状況考えたらただのバカだよなw
官渡に備えたい曹操の頼みを仲のいい孫権が叶えたと
いっそ曹操か孫権のどちらかを女にして、色でたぶらかしたと言うことに
熟女曹操が少年孫権をたぶらかしたんだったら、ちょっと怖いな。
>381 >384 あれ面白いのに単行本化されてないんだよなー。
充血吸虫(の巻貝モノアラガイ)って日本以外のアジアでは根絶されてないけど、
呉も魏も対策を講じようとはしたんだろうか。 向こうの川は濁ってて深くて長いから大変だっただろうな
>>388 怖いけど見てみたい!!熟女曹操www
>>389 ミヤイリガイなら聞いたことあるがモノアラガイってのもいんのか!?
別名???
>>389 モノアラガイって絶滅してるはずなのか。
小学生のころ学校の実験用ため池に居て、感染症にかかったことがある。
>>387 当時の曹操って確か50手前だっけ
横光三国志のせいで官渡までは若武者ってイメージがあるが実は結構いってるんだよな
黄巾のとき30だからな。
老将のイメージが強い厳顔のわずか4つ下
黄巾の乱当時の皇帝より1個上。意外だ
(ともに肥三国志のデータによる)
当時の30って、ある程度もう自分の将来行き着く先(最終官職)とかが見えてくるところだよね
スレの本題に絡めると、確か夷陵当時の陸遜も結構いい年だよな
軍人としては十分に若造の青二才だとしてもさ
そして孫策旗揚げ当時の周瑜が二十そこそこだっけ
>>396 孫策、周瑜ともに数えで19のはずだな。孫権が兄の後を継いだのも19。
398 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/19(火) 21:12:54
息子をもつなら孫仲謀。
濡須口で曹操がいってたな。
400 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/19(火) 22:50:41
>>395 逆だ
孔子が「三十にして立つ」と言ったように、当時は栄養状態が劣悪だったから30歳前後でやっと生殖能力が機能する
30まではまだ子供扱いだったんだよ
>>400 ギャグなのか釣りなのかマジレスなのかはよく分からないが
貴様のセンスに脱帽した
>390
つ【鋼鉄三国志】
曹操がアデージョwww
>>390-391 しまった、ミヤイリガイでした。 日本ではほぼ根絶か、
或いは吸虫がいる個体は確認されなくなったそうですが
調べてみると山梨県などには未だ棲息しているそうです。
赤壁の疫病は吸虫の他に、チフス説などがあるようですね。
主な違いとしては、吸虫は水から感染して チフスは小さな虫に血を吸われると感染します。
チフス以外にも蚊などの虫が媒介する伝染病の可能性もあったかも知れませんね。
一種類の疫病というよりは様々な病気に悩まされていたのだとする方が
自然な解釈なようにも思えます。
>>407 発疹の方のチフスは赤壁じゃなくても多々あったと思うぞ。
衛星状態の悪化から虱が大量発生することによって起こるから。
それに一般的には寒冷な山岳地帯に多い疫病らしいぞ。
長江あたりは亜熱帯だからチフス説よりもマラリア説の方が
しっくりくるんじゃないのか??
409 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/23(土) 04:56:17
司馬朗や陳琳が病死した疫病は何?
腸チフスだろ。発疹チフスとはまた別。
411 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/26(火) 15:07:00
張機の著した傷寒論の傷寒ってチフスの事じゃないのか?
>>411 今の中国ではその通り、ただあの時代でもそう言ったかは知らない。
鋼鉄以上のトンデモ三国志「恋姫無双」では孫権と孫策を忘れられない周瑜の仲が険悪だったのに笑った。
413 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/26(火) 23:28:55
秦檜と楊儀は憎むが呂蒙は憎めない。
414 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/28(木) 17:30:09
良スレ
__________
<○√
‖
くく
しまった!ここは糞スレだ!
オレが止めているうちに他スレへ逃げろ!
早く!早く!オレに構わず逃げろ!
ヽ、
ハ i ヽ
i i i. i
i ヽ / i
i ヽ、 __ / i
ヽ ヽ/ /  ̄/ /
ヽ// / ヽ_ノ
/ / / ヽ
/__|__|__ ___i
<_____>ヘ. ヽ
//G; ,っ ヽ_ノヽ
-‐+--./ _,,, .--- i ヽ
ニキ=! (つ ==ニー i___ノヽ
/ ヽ `-┴--' / >
\ \_ \ /
ヽ __j、 _,,.-‐' /ヽ/
/ ヽ`====‐'''"/ ヽ.
/ ヽ / , i
l | ヽ/ | 〉 周瑜
418 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 19:15:06
諸葛謹は軍師に入らんの?
そこそこ活躍してポストも得たように思うが・・
まー、ここは過去レスを見る限り
その4人と言うわけではなさそうだけど。
脱字スマソ
○4人だけのスレと言うわけでは
×4人と言うわけでは
421 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/03(火) 03:25:59
陸遜の後任は諸葛瑾ってわけでも無いんだよね?
422 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/03(火) 08:11:38
>陸遜の後任は諸葛瑾
>陸遜の後任は諸葛瑾
>陸遜の後任は諸葛瑾
>陸遜の後任は諸葛瑾
>陸遜の後任は諸葛瑾
無双か夢想中なのか?
423 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/03(火) 08:38:00
正史の中の周瑜の鬼才ぶりは異常
424 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/03(火) 19:46:49
425 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/03(火) 21:18:09
↑1000年以上も前の捏造大陸の系譜なぞ知るか馬鹿wてめーで中華大陸に渡って調べろ
>>424 陸遜の兄弟の子孫はいるはずだぜ
傍流でいいならたっぷりいそうだけどなぁ。
そんなら俺は周瑜の子孫
おれはメガネっ娘エロ軍師様が一番好きだな
>>424
陸遜の直系の孫である陸機は謀反の疑いで処刑された
二人の息子、二人の弟も同様に処刑されてるので直系の子孫は文献上は存在してないことになる
>>429 直系は途絶えていても子孫がいないとは限らんよ。
424のはうさんくさいけどな。
陸機と陸雲は三男と四男だったはず
長男の陸安は戦士したんじゃなかったかな?
>>430 その中国人は嫡流だと主張してるらしいし陸遜の血筋は文献上では完全に途絶えてるだろ
子孫ならいくらでも傍流がいるだろうさ
妾一杯いるだろうしな
陸機・陸雲・陸耽と陸機の息子は処刑
陸晏・陸景は戦死、陸玄は早世したから陸抗の息子は東晋までに皆死にますた
ただ陸機の娘が生き残っていたと読みとれる箇所が晋書にあり且つ又陸抗にも娘が
いたということを昔読んだことがある
つってもその娘らが子供を産んでいたとしても別姓じゃまいか
娘が生んだら傍流だわな
なにかを勘違いしてるアホが多いな。直系や嫡流ってのは万世一系とは別物だぞ。
娘が生んだら傍流とかどこのアホだよw
例えば、俺の先祖は二代目で一度、断絶してただ一人生き残っていた娘が男子を生んだ。
その男子が一度、断絶した家を再興して三代目になっている。これも嫡流。
つまり血筋云々でなく、本家を継げば嫡流なんだよ。
極論を言えば、何百年前かに陸家の宗家が断絶していると聞いたそこらへんの権力者が、
どこの馬の骨とも知らん自称陸家の傍系に、お前が宗家の継嗣となり、先祖の霊を祭れと言えば、
それが陸家の嫡流なんだよ。
>>435 んでどこに娘の産んだ子が本家を継いだと書いてあるんだ?
娘が生んだら中国ではもう陸氏の子ではなく嫁ぎ先の子だろ?
陸家を継いだっていう記述がない限り傍流だよな
>>435 アホはお前だ。
424の内容は「陸遜の嫡流」と言い張ってるんだよ。「陸家の嫡流」の話じゃない。
陸遜の死後は陸家としては弟がいるわけだし、「陸家の嫡流」が「陸遜の嫡流」には
成り得ない。
うわさでは彼の国には周倉の子孫がいるらしい…
それを思えば陸遜の嫡流が十や二十存在しても不思議ではないw
そいつに正史を読ましてやりてぇな
もし、そいつと喧嘩してもアイデンティティを揺るがすような罵倒はしないことをお勧めする。
精神的な殺人と一緒だからね。
独裁国で民主主義をうたったらアボーンする
民主主義国で独裁をうたったらあぼーんする
何の事は無い、空気読めるか読めないか
>>438 陸遜の血縁での直系子孫ではないけど、陸家の流れを汲む人間が嫡流を継ぐことはありえるけどな
(自称にしろ外の権威による認定でもどっちでも大差はない)
下手すりゃ、その家に直接関わりのない氏族の出が滅びた名家の名跡を継ぐ
なんてこともざらにあるし、嫡流を語るのに血にこだわる意味がわからんわ
>>444 いや、だから。陸家の嫡流を継いでる人は現存するかもしれないが、
陸遜の嫡流はありえんだろって話だ。
自称でいいなら誰でも言える。
>>424のはその手だろうけど。
そもそもの話題からそれた話をまだ続ける意味がわからんわ。
446 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/12(木) 21:01:24
陸遜の嫡流はありえなくないよ。
なにを根拠にありえないと言ってるのかしらんけど。
陸遜の血を直接継いでなくても嫡流はありえると言ってるのに
何を勘違いしてるんだ?
>>445馬鹿なのか?
陸遜と全く関係ない人が継いだ場合、
それは陸遜の嫡流?それとも陸家の嫡流?
この辺がよくわからんのだけど
個人の嫡流というのがおかしい。
うむ。陸家の嫡流というのが正しい。
陸遜は出身の血だけで言えば、陸氏の傍流だけど宗家となって陸氏の嫡流になってるからな。
そこから陸氏宗家の嫡流を追いかけていけば、それも陸遜の嫡流になる。
陸氏嫡流と別に陸遜を鼻祖とした別の流れの陸家が興きたと見なして陸遜嫡流を名乗るのもありえる。
そもそも江南の四姓といわれた陸氏が斉威王の流れ、孟嘗君の従兄弟を鼻祖とする陸氏の正統な嫡流か
傍系が興した家の嫡流なのかは俺も知らんが、
>>445は嫡流という言葉をなにか勘違いしてるのは確かだな。
452 :
448:2007/07/12(木) 23:13:38
なるほど、理解した
さんくす
陸績の家系は結局どうなるんだ
>>442 中国人は水滸伝の豹子頭の子孫だって言う奴とかいるしなぁ
455 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/13(金) 18:35:57
あれ?こいつら軍師なの?都督でしょ
そもそもその4人のスレってわけでもなくなってきているような…
>>455 役職じゃなくて役割としての軍師でしょ
魯粛は都督になってたっけ?
>>457みたいなのが何でこの板いるの?
じゃあ周ユの後の都督は誰よ?
本当になw
>>458 周瑜の後と言われても都督って常設じゃないし一人しかなれないわけでもない
周瑜死後の魯粛は校尉に任命されて周瑜の兵と所領をついだってだけでしょ?
周瑜は赤壁の時に程普と並んで左右の督に
呂蒙は曹操が攻めてきた時に濡須の督に
陸遜は夷陵の時に大都督になってるけど魯粛はあったかなと思ったんだけど…
督≠都督という説もあるらしいから周喩と呂蒙も都督じゃないかも?
>>460 他に、周瑜は江夏攻めの時に前部大督
呂蒙は荊州攻略の時に大督になってる
スレタイの4人は全員大都督だと思ってたけど違うのね(´・ω・`)
4人の共通項は蜀との国境を担当したというだけなのか?
4人の共通点は性格が良くて人気者ということ。
四人の性格についての記述ってどんなのですか?
今更だがスレタイの4人以外でこのスレで語るにふさわしい人物って誰だ?
諸葛瑾?
瑾は軍師でなく文官じゃね?
陸抗?
>>469 君主、軍師、武官、文官の区分しかできない子ですか?
じゃあ472が468の問いに答えてあげたらいいんじゃね?
自分は諸葛瑾はよくしらん。
>>473 諸葛瑾が軍師じゃないというのは軍師の定義にもよるが間違ってないと思う。
ただ大将軍にまで昇り何度も軍を率いている人間を文官という言葉で括るのは間違い。
太守など文武ともに要求される官職が多くあるから
基本的に文官・武官という言葉で括るのはやめたほうがいい。
>>468 諸葛瑾が優秀なのは確かだが4人と比べると功績が地味すぎるので却下。
なんと地味すぎるからと申すかw
諸葛均は軍功が……
って魯粛も似たようなもんかw
477 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/18(水) 09:58:18
478 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/18(水) 11:34:42
みんな、闞沢さんを忘れちゃ困るぜ
479 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/18(水) 14:13:51
呉の軍師て魏、蜀の軍師にくらべて影薄いよな・・・
陳寿のせい
甘寧のせい
ところで諸葛瑾と諸葛靚ってつながりがあるの?
諸葛亮のところから戻ってきた諸葛喬の子攀の子辺り?にしては年代が近すぎるかな?
>>482 諸葛誕のことを調べてからもう一度おいで
>>482 同じ氏性だと、必ず子供なのか?
族人っていう考え方は存在しないのか?
お前は馬鹿か?
>>483 諸葛誕の子供だったか。
一つ勉強になった。
>>484 別にそういうわけじゃないけどね。
ただ諸葛瑾は一族で孫権に仕えたのではなかったと記憶してたのと他に諸葛氏を聞かなかったのでね。
蜀から戻ってきた諸葛攀の縁者かなあと思った次第。
486 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/18(水) 23:38:15
>484
レキオタは知識をひけらかすから
人間的に成長できないんだよな。
>>486みたいな人間は学ばないから成長できない上に余計な煽りレスしちゃうんだよな
>>485 掲示板で聞く前にぐぐれば?
ある程度の事はそれでわかるでしょ
東晋に宰相になってる諸葛導は誕の系譜
東晋は瑯耶の王氏の政権といっていいほどけど、もととも諸葛氏も瑯耶の豪族だし
同じ派閥だからとも言える。荊州に避難した諸葛氏の方が傍系だわな
東晋元帝の祖母が諸葛氏かもしれんのよね
調べるのが面倒、、、2ちゃんできく、、、、たまに答えがくる。
僕はこれで十分満足。他はしらん
左軍師 :丁奉、全j
右軍師:朱然
軍師 :張悌
副軍師 :諸葛セイ
呉で軍師と名の付く官職にあったメンバーはこれだけ
いや、だからさ…
>>492 分かる範囲ではという注釈くらいは付けようや。
>>492 史料作成乙!丁奉はよく分からんけど、あとは豪族か名士ばっかだな。
>>494 文句言うだけで史料提供できない間抜けはすっこんでろ。
まぁ、呉には呉範のほかに軍師はおらぬ。
498 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/03(金) 18:25:42
三国職官表って電子化されてるんか?
まあいいではないか
何日も人いないより
501 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/04(土) 18:51:20
蒼天でゴサンってのが出てくるけど
コイツは何者?
503 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/04(土) 19:54:50
おお、ありがとう
優しさに惚れそうになったZE!
質問厨とwiki厨
夏だなぁという俺は
夏だな厨
一句詠んでみました^^
夏だの厨だののみしか言えないならスルーを覚えようぜ。
吾粲といい陸遜といい、孫権の晩年の行動の被害者多すぎだよな。
一番脂の乗った時期に死ぬと英雄扱いされるし、孫権も早死にすれば
呉の評価ももっと上がってたんだろうか。
呉が潰れとるわ
507 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/04(土) 23:35:52
いや。五年くらい早く死ぬべきだったな。
>>506 一概には言い切れんわな。
孫権が呉王になってしばらくした後くらいの地盤なら
他の血族が継いでも酷いgdgdにはならなかったと思う。
509 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/05(日) 00:31:06
二宮の変だけを見ると、むしろ契機を作ったのは太子派の方らしいんだよな。
太子派のほとんどが地元の有力豪族の出身なのはかなり示唆的だよ。
まあ、どっちも政治権力をめぐる派閥争いで似たりよったりなんだが。
契機をつくったのは魯王派の大虎でしょ
孫権がしっかりしてれば問題無かったとは思うが…
陸遜が死ぬ羽目になったのは太子派の隙だな
512 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/06(月) 13:07:05
陸遜いい年だったけどな。まあ病死のキッカケ以上になった可能性は高い。
陸抗は頑張ったし結果的には良いんでないか?
孫権が史実より何年か早く死んだら、陸遜らが傀儡政権立てないかね
ageてるの同じやつか?
二宮並立のことは結局最後まで解決されてないよな
皇后問題のときと同じなあなあのまま当事者が死んだ
孫権はわりとそういうところある
>>513 解決されてるじゃん
魯王派が魯王を捨てて実質勝利
>>514 魯王が死ぬまで孫権は二宮の並立を放置していたという意味
>>515 放置は違うんじゃない?
少なくとも皇太子孫和廃嫡に向けて着々と話を進めていたじゃん
朱拠みたいな反対者がいたからすぐには決着つかなかっただけで
反対者のわりに朱拠は重用されてないっけ?
二四九年に丞相代行してたような
>>514 大物の被害者が多いのは皇太子派だけど
孫権が後事を託した中には皇太子派では諸葛恪が魯王派では孫弘がいるから
魯王派の実質勝利というわけでもない。
諸葛恪が孫弘を殺したのも二宮と無関係ではないかと。
>>516 二宮の対立から数年間は孫和の廃嫡を迷っていたわけだし
着々と話を進めていたってことはないんじゃない?
朱拠の反対はその後の話でしょ。
みんな詳しいな。
240年代は孫登の死から始まって重臣がバタバタと倒れてっただけに張休、顧譚、顧承を失ったのは痛いね
孫和にすんなりと帝位が移ってれば権力も安定して諸葛恪は暴走しなかったかも…
>>520 その場合、いわゆる魯王派がなんらかの形で暴発すると思うよ
孫和が後を継ぐっていうのは、魯王派の不満が頂点に達するということだから
>>521 そもそも魯王派なんてのが出来たのは、
孫権が太子と変わらない位の待遇を魯王に与えたからで、
孫登の遺言を忘れず太子を尊重していれば魯王が対抗馬に挙がることはなかったと思われる。
張昭の死後、孫権は呂壱を中書に据えて国を巻き込む形で臣下と権力を争うようになった。
二宮の変も、そう言った皇帝の権力強化が国政の大事に飛び火したふしがある。
張昭がいた頃は、公孫淵の件を例に取ると、真っ先に張昭が孫権と争ってくれたため
太子の孫登や顧雍、陸遜らが孫権が衝突するようなことがなかった。
こうして考えると、孫権と家臣団の間に張昭という長老がいることが重要だったんだと思う。
>>522 魯王派は呼称の上の話しで、実際には魯王がいなくても孫登や孫和が継承してもそういう一派が派閥を形成して主流派と対立していくのはもう必然でしょ
魯王派は主に主流派(皇太子派)の一段下に扱われていたであろう連中なんだから
>>523 反主流派が誕生するのは分かるけど、
本命馬に対する対抗馬は、やはり魯王が太子に匹敵する待遇を受けたから誕生したんだと思うよ。
魯王が一諸王としての待遇しか受けてなかったら、反主流派は、あくまでも反主流派のままで、
拮抗する二つの派閥による国政の混乱という事態はなかったと思う。
525 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/15(水) 23:04:06
魯王派の歩シツも全ソウも、冷や飯食わされたので一発逆転を狙う反主流派とかではないように思う。
孫権がしっかりしてればこの二人は問題なかったんじゃなかろうか。
526 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/16(木) 12:45:39
二宮の変事につけ込んで国境を侵されたりしたの?
527 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/18(土) 23:34:40
りっくんが居なくなった自転で仲謀は終ってた、仲謀がもっと大事にりっくんを扱ってれば・・・。
陸遜自体はまだいいんだよ、流石に老い先見えてたし。
問題は倫理的にも正しく、少なくとも保身を捨てて忠言したような連中に対する奴らを酷刑に処した挙句、
道理を捨てて私欲に走った連中をよしとすることがままあったところ。
そんなんでどうして臣下が孫呉に忠心を尽くそうなんて思うのか…
元々が人間的結びつきで持ってるような政権なんだから、そりゃ魏晋に走る人間も増えるよ。
孫権は呉の建国に関して果たした役割は大きかったけど、
結局後の呉の政局の混迷の大本の原因でもあると思うな。
…ぶっちゃけ全公主ごときに踊らされてる時点でどうしようもないクズ、と断じてしまいたいくらい。
あらあら、太子派の書いた史書を鵜呑みにして踊らされてる人がいるよ。
呉歴の陸胤の話だけでも見れば、どれが正しいにしろそこまで単純な話じゃないことぐらい感じそうなものだが
呉録にある孫権の側近が孫権と楊竺の密談を孫和に報告した件?
まあ報告した孫権の側近の態度は問題かもしれないがそれだけ孫和に人望があったんでしょ。
後継者問題は命に関わるし国の乱れにも繋がるから陸遜を頼むのもおかしい話じゃないし陸遜らが孫権を諌めたのも当然。
注をつけた裴松之は厳しい倫理観(偏ってるけど…)を持ってるが孫和を非難してはいない。
仮に呉書が出鱈目で全公主に踊らされてなかったとしても。
後継者問題を引き起こしたことについては孫権に問題があるのは確実。
"どうしようもないクズ"とまでは言わないが"後の呉の政局の混迷の大本の原因"というのは当たってると思う。
>>526 王昶が「呉は後継者のことでgdgdしてるから攻めるべき」と上表し侵攻した(250年)
王基も「いまの呉は孫権の存在で何とか均衡を保ってるだけ」的なことを言っていたような
>>528 孫権が陸抗に謝罪したのは政治的配慮だろうね
つーか呉書には孫弘はともかく歩シツ、呂岱、呂拠らが魯王を支持していたらしいことに
まったく触れられてないよね。全ソウも息子と嫁に責任が押し付けられてる感がある
>>529-530 その「大子派の書いた史書に踊らされたわけではない複雑な考察」とやらを詳しく書いてくれないか?
倫理面に関してか、私欲に走り云々か、その辺りだとは思うが、はっきり書いてくれないと。
534 :
529:2007/08/19(日) 14:24:34
あらゆるバイアスから自由であると保証される解釈なんてありゃしないんだよ。
だから少なくとも自分がバイアスを抱えていることくらいは自覚しなきゃね。
単なる「万人が持つであろうバイアスの存在の指摘」ではなく、
明らかに「誤った、間違った偏見に基づいた意見だ」という種類の非難が込められたレスに見えたんだけど、
>>529はそういう意図ではなかったと?
もし、初めはそういう意図だったのに、後から何らかの理由で考えを改めたのにも関わらず、
「お前の読み解き方がなってないんだよ!」というようなことを言うつもりなら、
責任転嫁だと思う。
こちらも推測で非難するようなことを言い、違ったら申し訳ないが。
536 :
529:2007/08/19(日) 16:58:20
>単なる「万人が持つであろうバイアスの存在の指摘」ではなく、
>明らかに「誤った、間違った偏見に基づいた意見だ」という種類の非難が込められたレスに見えたんだけど、
前者と後者の違いがよく分からないな。
万人が持つであろうバイアスの存在に
>>528があまりにも無自覚だと言ってるつもりだ。
二宮の変には嫡庶問題の他、豪族間の派閥党争としての側面もある。
それぞれに言い分はあったのだろうが、
太子派は嫡庶の別をもって自派の主張を正当化した。
>>528はまず事実認識において太子派の言い分を鵜呑みにしているし、
そのうえ嫡庶問題に転嫁する太子派のアジェンダセッティングを疑わず、
それに依拠している(太子派=嫡子=善=無私、魯王派=庶子=悪=私欲)。
ここに事実認識とその解釈との二重のエラーがある。
もちろん魯王派が正しいと言っているわけではない。
対立する双方のうち一方の言い分にのみ耳を傾け、他方を疎外するそのスタンス。
太子派のイデオローグを無批判に継承するナイーブさに問題がある。
言うまでもないが、
>>533が、あらゆるバイアスから免れえた解釈を要求しているとすれば、
そんなものはありはしないし、バイアスフリー信仰がそこにあると指摘せざるをえないな。
>>536 それぞれに言い分があり、倫理上善悪が割り切れないと言うなら、
「太子派は嫡庶の別をもって自派の主張を正当化した」に対応するであろう、
『魯王派の正当性を支える論拠』とやらを出してくれないか?
それが無いなら倫理上善悪の判断は大子派の主張が正しく、魯王派の行動に理はないと断ぜざるをえないでしょうに。
貴方は「双方のうち一方の言い分にのみ耳を傾け、他方を疎外するそのスタンス」と言うが、
その他方の言い分とやらがうかがい知れないから聞いているわけで。
538 :
529:2007/08/19(日) 17:18:12
だれも倫理上の善悪なんか問題にしてないだろう。
むしろ太子派のアジェンダに依存して善悪の問題にすり替えるなとすら言ってるのに。
>それが無いなら倫理上善悪の判断は大子派の主張が正しく、魯王派の行動に理はないと断ぜざるをえないでしょうに。
おいおい、いくらなんでもそれはひどすぎるだろ。
魯王派の意見を知らないからって太子派の主張を全肯定かよ。
北朝鮮国内には金正日批判がないわけだが、
それは金政権が正しいことを意味すると思ってるのか?
魯王派の主張が伝えられていないことと、魯王派の主張の是非を混同すんなよ。
539 :
529:2007/08/19(日) 17:32:42
まあ、太子派の設定するアジェンダ(嫡庶問題)に無批判に依拠しているうちは
事実は永久に見えてこないだろうね。
それにしても、太子派が嫡庶を問題にしているからといって嫡庶をもって太子派に理があるとするとは、
なんたるトートロジーの極み。
難しい単語を並べているけど、結局まともな資料批判には成りえていない件について。
とりあえず横文字入れておきたいルーマニアの人たちなんだろ
いたずらに長幼の序を乱すデメリットに対して、魯王を太子に挿げ替えるメリットは特に無いと思うけど。
廃嫡には、魯王が北伐でもして淮南・山東あたりを切り取るくらいの実力証明が必要なはず。
根回しが足りぬゆえに人心を得ず、もっとも簡単な手段である戦功を挙げる努力も無し。
そんな体たらくで、女の戯言だけを頼みに正面から太子に喧嘩を売る思慮の無さが、そもそも相応しくない。
魏の王昶伝にも
「孫権流放良臣、適庶分争」
とあるように他方からも後継者問題とされており、太子派独自の言い分ではない
「太子派のアジェンダセッティング」とするのは
529が議論を自分に有利にするためのアジェンダと言うことかな?
>>538-539 「伝えられていないだけで、実は倫理上正式に立てられた太子廃嫡するに足る十分な理屈があったに違いない」
とするという意味なら、その方が無理があるでしょ。
陳寿が参考にしたと言われる呉の人韋昭の書いた呉書、晋の陳寿自身の書いた呉書、
宋の裴松之の引用した多数の野史類。
現在の日本の我々が参照できる範囲と言うのは一般的にこの程度だと思うが、
少なくともこれだけの精査を経た結果、尚窺いしれないという問題を、
北朝鮮に比すことができるとお思いか?
「それでも完全にゼロとは言えず、そのために我々は善悪の判断ができないのだ」というのであれば、
それはもうニヒリズムなんじゃないかと。
俺には当時の魯王派の行動を正当化する主張というのを史書の中から発見することも、
あるいは自身の中でそれに値するような理論を組み立てることができないから、
俺の見解として「魯王派の行為は正当化できないだろう」と結論付けた。
何も史書の中にそのものずばりの主張が発見できなくても、
貴方が「(大子派の正当論に対する)魯王派の正当性の根拠となり得る理論」でも提示してくれれば、
俺もその理論にさらに反論するなり認識を改めるなり、次ぎのステップに進むさ。
難しいことはよーわからんけど少なくとも自分は魯王派が利益のため以外に魯王につく理由が見出せない
待て、最早スレタイとだいぶ離れてきてる…コレは孔明の罠だ!
陸遜が何故死ななければならなかったかを考えるに、
非常に重要な出来事だろう。
陸遜は流罪に関係なく病死じゃなかったっけか?
>>548 流罪は嘘だけど憤死だから二宮と無関係ではないね
550 :
529:2007/08/19(日) 19:45:51
>太子派独自の言い分ではない
独自かどうかは問題としていない。一方のアジェンダに無批判に拠るなということ。
>529が議論を自分に有利にするためのアジェンダと言うことかな?
有利かどうかは知らんが、これもアジェンダの一つであることは間違いない。
>「伝えられていないだけで、実は倫理上正式に立てられた太子廃嫡するに足る十分な理屈があったに違いない」
>とするという意味なら、その方が無理があるでしょ。
だれもそんなこと言うとらんがな。
むしろ逆に太子派の誘導に乗って嫡庶問題に固執するなと言っている。
>「それでも完全にゼロとは言えず、そのために我々は善悪の判断ができないのだ」というのであれば、
そんなこと言うとらんがな。そもそも善悪の判断をする必要がないだろ。
太子派には太子派の言い分があり、魯王派には魯王派の言い分がある。
後世のわれわれは、そのいずれからもフリーな立場で歴史を見ることができるはずなのに、
わざわざ太子派の設定するアジェンダに乗っかる必要はないっつー話だ。
>貴方が「(大子派の正当論に対する)魯王派の正当性の根拠となり得る理論」でも提示してくれれば、
魯王派の正当性なんか、だれも問題にしてないだろ。
一方のアジェンダセッティングを無批判に受容するスタンスを問題にしてんだよ。
>>548 陸遜は病死とは書いてない。憤って死ぬに到った、とあるだけ。
憤死というのは具体的に何ぞ?
>>550 > 太子派には太子派の言い分があり、魯王派には魯王派の言い分がある。
その魯王派の言い分は何よ?って聞かれてるのわかる?
あったろうけど史書には載ってないので知らん。でも太子派の言い分だけで論ずるのはいけない。
……無意味な相対化はやめようよ。
両方とも跡目争いの敗者。
太子にしても「あがり」は呉帝になることだし。
どっちが正しいかなんてどうでもいいことだよ。
書かれてもいないことを横文字連呼で揣摩憶測するのは非常に見苦しい
>>553 >どっちが正しいかなんてどうでもいいことだよ。
大いに意味あるだろ。元々の発端が孫家の求心力問題についてなんだから。
簡単に言えば正しい事をする奴より人を蹴落とす野心家を尊重する国家なら、
誰が馬鹿みたいに愚直に国家に仕えようかって話し。「君に忠たれ」を守るのはどんな人間か。
横文字連呼が見苦しいってのは同意だが。
555 :
529:2007/08/19(日) 21:49:07
>その魯王派の言い分は何よ?って聞かれてるのわかる?
頭悪いな。魯王派の言い分なんてどうでもいい。
とりあえず太子派とか魯王派とかいう言葉を忘れろ。それから聞け。
対立する一方のアジェンダに無批判に乗ることそれ自体が問題だと言ってるんだよ。
一方の言い分はあくまでも一方の言い分に過ぎない。
>大いに意味あるだろ。元々の発端が孫家の求心力問題についてなんだから。
俺が問題にしてるのは、一方のアジェンダに乗ることについてなので、
その場合、孫家の求心力は関係ないんだわ。
もっと、大きな、一般論としての指摘ね。
ところでアジェンダって”計画”という意味で使ってると考えていいの?
アジェンダ【agenda】
1 計画。予定表。議事日程。協議事項。
2 教会の礼拝定式。
>>555 嫡庶問題を太子派のアジェンダセッティングとする論拠は何なの?
二宮の変が嫡庶問題として歴史に残ったのはそれ以外に大したアジェンダがなかったからとは考えられないの?
>>556 協議事項(議題)だと思う
>>555 一方のアジェンダに無批判に乗らない為に魯王派の言い分が必要なんだろ
二宮の変について語るなってことかw
>>555 頭悪いなあ。
対立する勢力があり、互いに言い分があるなら、どちらにより正当性があるかを検討するのは当然だろ?
太子派の言い分に無批判に乗るなというのなら、じゃあ魯王派の言い分はどうなのよ?と問われるのは当たり前だろうに。
魯王派の言い分「俺たちが今後の呉を支配するのがふさわしい。大義名分?勝ってから決めるけどそれがなにか?」
561 :
529:2007/08/19(日) 23:43:18
>>556 アジェンダセッティングでぐぐった方がいいと思う。
>>557 太子派が嫡庶問題をアジェンダにしてることから説明することが必要かい?
第一、そんなことよりも、
ここの住人が嫡庶問題にアジェンダセッティングしてることの方がよほど深刻な問題だよ。
>>558-559 アジェンダセッティングの意味が通じてないっぽいね。
嫡庶の別を論点(争点)にすること自体が、太子派の説得に乗るってことだよ。
そりゃ、その論点なら太子派に分があることは自明だからね。
一方のアジェンダが何であるかを知らなくても、
もう一方のアジェンダに無批判に受容することが間違いであることは明白なんだが。
>>561 だから嫡庶でない魯王派の言い分は何か?ってことなんだけど……
わかってるのかな?
>>561 >太子派が嫡庶問題をアジェンダにしてることから説明することが必要かい?
うん、お願い
そこが分からないと
>>529からの貴方の主張が無意味になっちゃうでしょ
564 :
529:2007/08/19(日) 23:58:29
>>562 魯王派がどうアジェンダを設定してるかなんて、
今のところ、限られた資料からは読みとれんよ。
まさか、魯王派のアジェンダが読みとれないから
太子派のアジェンダセッティングに盲従していいとは思ってないよな?w
ところで「太子派の書いた史書」ってなんですか?
566 :
529:2007/08/20(月) 00:04:26
>>563 こんなんでどうかな?
陸遜「太子正統、魯王藩臣。」
粲、遭二宮之変、明嫡庶之分。
朱拠「臣聞、太子国之本根。」
567 :
529:2007/08/20(月) 00:05:08
>>567 あ、そうか。太子付きの何かだったっけ。
忘れてた。サンクス。
>>566 ん?ゴメン大きな勘違いをしていたようなんだけど
太子派が嫡庶問題をアジェンダセッティングしたというのは
韋昭が呉書を記す際に孫晧の意向を受けて二宮の変の問題点を
太子派に有利な嫡庶問題に誘導したという意味ではないの?
二宮の変当時の話なら嫡庶問題を引き起こしたのは魯王派だから
嫡庶問題をアジェンダセッティングしたのは魯王派ということにならないの?
呉書が信用できないというかもしれないけど
嫡庶問題というのは大抵嫡子と敵対関係にある側からおこるものだよ
571 :
529:2007/08/20(月) 00:22:04
>韋昭が呉書を記す際に孫晧の意向を受けて二宮の変の問題点を
>太子派に有利な嫡庶問題に誘導したという意味ではないの?
史書にどう記すかだけではないよ。
抗争当時からすでに太子派が嫡庶問題にアジェンダ設定してたのは確実だから。
韋曜は太子和の子晧の勅命で「呉書」を書いたから、太子派の論点を継承するのは当然。
陳寿は韋曜の丸写し、裴松之も儒家だから嫡子を支持するのは当然だね。
で、結局魯王派の論点設定は不明のままだ。
魯王派にも嫡庶以外での論点があったはずなんだが。
>二宮の変当時の話なら嫡庶問題を引き起こしたのは魯王派だから
>嫡庶問題をアジェンダセッティングしたのは魯王派ということにならないの?
魯王派が嫡庶の別を論点設定したとは寡聞にして知らないんだけど、
それが窺える資料があるなら紹介してください。
>>571 >>530で出てるけど陸胤伝の注
孫覇に才能があるから太子にすべきと魯王派の楊竺が勧める話
魯王派のこういった動きが発端で嫡庶問題が論点設定されるわけでしょ?
573 :
529:2007/08/20(月) 00:47:43
それは誤解ですよ。
嫡庶の別を論点設定するというのは、
嫡子と庶子のどちらが後継者にふさわしいかを論点にするということ。
太子派と魯王派が抗争することは論点設定とは呼ばないよ。
楊竺が主張したのは魯王に「文武英姿」があるということで、
嫡庶の序はべつに論点にしてないね。
嫡庶の序に基づく正統性で敵わないから、
実力や将来性を強調して対抗馬に仕立て上げるというのは常套手段の一つだよね。
語るのを忘れたのではなく、そこを論点にしたら必ず負けるからだ。
>>573 なるほど
ただ”孫覇に才能があるから太子にすべき”というのが魯王派のアジェンタなのは間違ってないでしょ?
後はその事を考慮してもらって検証してもらえばいいと思うのでそろそろ寝ます
太子派の主張に正論で太刀打ちできないのであの手この手を使って陥れました
577 :
529:2007/08/20(月) 01:19:57
>>574 そういうことです。
太子派は「嫡庶の序」を論点にした。その方が自派にとって都合がいいから。
一方、魯王派は「嫡庶の序」を論点にしたら、論争に負けてしまうから、
なにか別の論点を用意したはず。「文武英姿」とかね。
現代のわれわれは別に太子派でも魯王派でもないわけだから、
どっちかに肩入れする必要もないし、真実を知るためにはそうしない方がいい。
なのに、わざわざ太子派の「嫡庶の序」論点に乗っかっちゃうスタンスが、
太子派の主張する事実や解釈に惑わされる結果を招くと批判してるわけ。
578 :
529:2007/08/20(月) 01:25:35
>>575 そう。太子派と魯王派では何を論点にするかが違うということです。
太子派の論点を無批判に受容するということは、
太子派の主張したい事実や解釈を無批判に受容することと同じ。
>>576 大体それであってる。
ただ、何をもって「正論」とするかがアジェンダ設定の問題。
「嫡庶の序」を正論としたのが太子派。
「文武英姿」を正論としたのが魯王派(楊竺)。
現代のわれわれは、どちらも正論と見なす必要はないし、してはならない。
んじゃコテハン終わり。
>>566 陸遜「太子正統、魯王藩臣。」
粲、遭二宮之変、明嫡庶之分。
朱拠「臣聞、太子国之本根。」
↑だけでなく、本来の嫡流である孫登の遺言があるじゃん。
あれこそ太子派の最高の大義名分かと。
それに支那の古来より伝わる価値観からすれば、
一度立太子したら落ち度もなしに廃嫡するのは主権者である孫権の落ち度になるし。
あといい加減レスに内容が無さ過ぎるアジェンダ厨が煩わしいぞ。
ただカタカナ語を使って優越感に浸りたいだけなんじゃないのか?
枝葉末節をぐだぐだ揚げ足取りするだけで、論敵を納得させようという議論の基本に関わる部分がまるで感じられない。
自分だけの価値観を盾に人の話をまるで聞かないが、
その内容は問われても決して明かさない。これでは話にならない。
>>578 ようやく貴方が何を言いたいのか判ったので、
>>579後半部の罵倒は取り消す。
>現代のわれわれは、どちらも正論と見なす必要はないし、してはならない。
だが↑の主張は全く理解出来ないのだが。
「現代においては既得権益を占める人間の都合の良い価値観に従って、どちらかを是とする」の方が正しくね?
相手を納得させる努力が欠けていたというのなら分かるが、
枝葉末節の揚げ足取りというのがよく分からんな。
批判するときは具体例を挙げないと、
相手を納得させる努力をしてないなと思われるだけだよ。
>>579 お前のレスがせめてあと2分早ければ(つД`)
太子派:無難で一般的な長子相続
魯王派:例外的で投機的な指定相続。将来的に利権からあぶれる連中の予防的反抗
の対立ってことね。
呉の勢力拡大に対魏戦争の勝利とその為の一極集権が必要である以上、
孫権以上の指導者が望まれるのはある意味当然かもな。
問題は魯王にそれがつとまるとは到底思えない点だが。
袁紹のところよろしく正式に跡取が決定される前に兄弟それぞれに取り巻きがついて
派閥形成というのならともかく、二宮の場合はそうじゃないのがなあ
指定相続だと競争相手をぶち殺すどころか長子の系統を根絶やしにするしか、
将来的に後腐れが残る羽目になるからなあ。
そもそも
>>528は当時の人々の心理について語ってるんだから現代のわれわれは関係ないだろ。
まあ現代のわれわれからみても
「嫡庶の序」は孫和に致命的な欠陥でもない限り正論じゃね?
「文武英姿」はもし孫覇が文武英姿だったとしても孫和に致命的な欠陥でもない限り暴論じゃね?
要するに次期社長に内定していた人間を突然すりかえるようなものだろ。
さらにいえば孫和に致命的な欠陥があったことも孫覇が文武英姿であったことも
正史はおろか野史にすら残っていないのにどちらも正論と見なす必要はないし、してはならないっておかしくね?
魯王派の論点設定は不明だよ。「文武英姿」と言ってるのは楊竺だけだし。
中国の歴史をざっと見ると、おおむね嫡子を正統としてる。儒家の思想に従ってね。
ただ、庶子が歴史の勝者になったときには、
いろいろ理由を設けて庶子を正統化する。唐の太宗とかね。
だいたい孫権からしてそうだろ?
論点を「嫡庶の序」に設定すると見えなくなってしまうものがある。
たとえば
>>536で示唆した豪族間の派閥党争なんかがそう。
その論点に従えば、魯王派は正統性のない庶子をかつぐ私欲の固まりでしかない。
そこからは豪族間の派閥党争を見いだすことは不可能だ。
もし、あなたが豪族間の派閥党争も見えているとするなら、
それはあなたが「嫡庶の序」以外の論点に気付いてるということ。
嫡庶の別以外なら後継者個人の資質問題を持ち出す以外に何かあるの?
589 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/20(月) 13:07:55
孫和は太子として優れて資質があったと記載されてるな。
問題は魯王派が正当論では勝てないので太子派の人間を誹謗中傷したこと。
そして孫権がそれを結構聞き入れたこと。そして争い審判を喧嘩両成敗と
したこと。否は正当性を無視した魯王派にあり、太子派を処分するのは間違った
処分。この場合は魯王派だけの処分が妥当。否のない皇太子を誹謗中傷して
太子の地位から引きずり下ろそうという考えは過信としてあるまじき行い。
太子を守り立てるのは家臣として当然の行動。これを喧嘩両成敗としたこと
自体が問題。
太子にしたものの孫権が迷うくらいの落ち度が孫和にはあった。
だから「二宮の変」は必ずしも孫権の落ち度、(資質の劣る孫和を太子にしてしまったのは別にして)、とは言えない。
そういう可能性も実はあるんじゃないか?
ということを
>>529は言いたいのかな?
591 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/20(月) 14:18:39
正史では孫和は跡継ぎとしての資質があったと書いてあるが、孫覇は特にそうした記述がない。
孫権の娘の孫和と太子派への悪口を真に受けた孫権の不明への批判は避けられない。それに太子に
したからには尊卑のけじめはつけるべき。やはり孫権は老いて狂ったとしか言いようがない。
曹操が寵愛していた曹植を太子とはせず、それなりに皇帝の資質があった曹否を跡継ぎにして混乱の
芽をあらかじめ摘んだ曹操の処置との違いは明らか。
記述がないから素質がなかつたとは思えないが、
この時期はもう、乱世と言えないほどに国が落ち着いてしまったこと原因のひとつだろう。
最終的に幼帝が就いてしまったことは、素質よりも孫権が国を割った両派を
裁ききれなくなったことだろう。
老い狂ってたかどうかはともかく、もとは孫権が何故か太子と王を同等の扱いにし
二つの宮を並立させたことが発端であることは、呉書ではなく通語に書いてある。
将来皇帝になる太子とその藩屏たる王とを同等に遇することが問題視されたから
一番手っ取り早くわかり易い嫡庶の別をもって諫めるのは道理と思える。
しかし同じ上表を幾度か受けても孫権は二宮を並立させたまま数年が経過し、
結局はどちらを立てても禍根が残るとして二人とも退けた挙句に8歳の末子を擁立した。
孫権の意図が何であったにせよ老い先短い身で幼児を太子にしたのはまずかったね。
本人もそれを理解していたから陸抗に謝罪して豪族との関係修復をはかったとも取れる。
孫覇の次の弟の孫奮もこの措置は不満だったろう。まあこいつは素行不良で論外だがw
>>587 まるで「豪族間の派閥党争なら庶子をかつぐことが私欲の固まりではない」というような論調に驚きだ。
それこそモロに(事の正否ではなく)自己の野心に基づく行動以外の何物でもないじゃないか。
で、アジェンダセッティングとやらに何か問題があるのか?
魯王派のやったことは無用の混乱を招く行いでしかないと思うが。
動機自体に正当性が無いし、結果論で言えば間違い。
596 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/20(月) 16:08:20
孫覇はやはり皇帝としての素質はないだろ。
庶子なら兄を立てて、佞臣の言葉を受け付けず、自ら尊卑のけじめをつけたよ。
それが自ら立太子の野望を膨らまして国を混乱させたのだから英邁だとはとても
言えない。
597 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/20(月) 16:13:56
ところでお前等に問題だ
07214□451919
上の数字は、ある法則によって並んでいる。
□に入る数字は何だろうか?
599 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/20(月) 17:37:22
本伝には書いてないけど、歩篤や呂岱みたいな重臣が魯王に与した人間がいたのは
酷い話しだ。もっとも重臣クラスが与しなければ闘争にはならなかったとは思うけどね。
魯王に与した重臣は功績があっても道理をわきまえない佞臣としか言いようがない。
>>597 5だったら軽蔑する。
>>599 歩隲、全j、呂岱は揃って全公主の親類縁者だからな…
そうでなかったら組することもなかったろうけど。
おなにーしこしこいくいく
603 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/20(月) 20:33:49
大当たり
オナニー大帝
孫登さえ死ななければ
606 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/21(火) 06:52:34
それは言えるね。
607 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/21(火) 09:13:26
オナニーで妊娠させちゃいました
608 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/21(火) 09:15:12
( ´w`)<呂蒙の本を読もう、ナンチテ
609 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/21(火) 15:05:49
>>600 呉の家臣はどうも魏や蜀の家臣達よりルール無用みたいなところあるよな。
あんまり需学思想に染まっていないところが。
>>609 魏は豪族の力もあろうが、その地理的歴史的要因から中央の権威もそれなりに効く。
蜀は国土も狭く劉焉や劉璋の代の弾圧で豪族が中央では力を失っていた。
こんな感じだね。
611 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/21(火) 19:26:32
魏は親族には冷淡な王朝だったからね。
蜀も劉禅以外は跡継ぎになりそうな人いなかったのも大きいね。
>>611 諸葛亮が劉封を処断させちゃったからねえ。
613 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/21(火) 19:53:10
親族に冷淡なのは漢の伝統
呉は時代を先取りしてたんだよ
時代を先取るニューパワー
615 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/21(火) 21:15:21
八王の乱の先取りですか?
そだ |------、`⌒ー--、
れが |ハ{{ }} )))ヽ、l l ハ
が |、{ ハリノノノノノノ)、 l l
い |ヽヽー、彡彡ノノノ} に
い |ヾヾヾヾヾヽ彡彡} や
!! /:.:.:.ヾヾヾヾヽ彡彡} l っ
\__/{ l ii | l|} ハ、ヾ} ミ彡ト
彡シ ,ェ、、、ヾ{{ヽ} l|l ィェ=リ、シ} |l
lミ{ ゙イシモ'テ、ミヽ}シィ=ラ'ァ、 }ミ}} l
ヾミ  ̄~'ィ''': |゙:ー. ̄ lノ/l | |
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:.lヽ ヽ ー_ ‐-‐ァ' /::ノl ト、
:.:.:.:\ヽ 二" /::// /:.:.l:.:.
:.:.:.:.:.::ヽ:\ /::://:.:,':.:..:l:.:.
;.;.;.;.;;.:.:.:.\`ー-- '" //:.:.:;l:.:.:.:l:.:
そういや劉備に嫁した孫権の妹は呉に帰ってからどうなったの?
618 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/30(木) 17:14:17
公式記録はないね。
619 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/30(木) 17:55:12
陸遜との恋仲説なかったっけ?
620 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/30(木) 18:38:25
ちんこ
趙雲との恋仲説なかったっけ?
オレとのry
演技では孫権の妹は劉禅を呉に連れて行こうとするぐらいだから
劉禅の面倒もそれなりに見てたのかね?
そうすると劉禅は呉に育ての母あり、魏に嫁の親戚ありとけっこうすごいことになるな。
諸葛瑾は蜀に兄弟あり、魏に親戚ありとけっこうすごいことになるな