前スレ議論
248 :無名武将@お腹せっぷく :2007/02/10(土) 21:49:32
北伐して負けても全滅しなかったし、名将ではあると思う。
ただ、名声ほどの天才性は疑問
249 :無名武将@お腹せっぷく :2007/02/11(日) 00:48:05
一流ではあるけれど、天才では無い
250 :無名武将@お腹せっぷく :2007/02/11(日) 00:48:29
全滅するほどの決戦はしてないからね。
まあ賭けに持っていかない面では評価出来るかも。
ただ軍事行動による目的が遂行されていないため及第点での一流かな?
間違っても超一流ではない。
251 :無名武将@お腹せっぷく :2007/02/11(日) 02:03:22
袁紹相手に滅亡をかけて戦い勝った曹操
252 :無名武将@お腹せっぷく :2007/02/11(日) 02:37:22
諸葛亮は機動戦や決戦がなかったり撤退戦も余裕があるうちに引いてるしなあ。
秀才ではあるけど軍事の天才のイメージがないなあ。
253 :無名武将@お腹せっぷく :2007/02/11(日) 02:50:06
決戦は孔明の望むところだが、魏がそれを避けている
253 :無名武将@お腹せっぷく :2007/02/11(日) 02:50:06
決戦は孔明の望むところだが、魏がそれを避けている
254 :無名武将@お腹せっぷく :2007/02/11(日) 03:04:30
諸葛亮は決戦を望んでないが?
あくまで自分が有利な状況か相手が崩れるのを待ってただけ
本当に決戦を望んでいたなら魏が陣に篭る前に攻撃してるしチャンスもあった。
255 :無名武将@お腹せっぷく :2007/02/11(日) 04:24:21
孔明は根本的に政務を司る人物。
書物に通じていた故、戦略的視点で軍事を語る事が出来
それを応用する事で、実戦指揮に臨む事は一応出来た。
だが、所詮は従軍経験の無い、書生の学問レベルであり
だからこそ孔明本人も、軍事に精通した者が居た頃は、それら武将を
従軍させ、本人は自分の能力が最も発揮される内政関係を担当していた。
根本的に戦術、戦闘レベルで指揮を行うタイプではない。
目的に臨んで、所持した戦力を配分し、戦術目標を明示した後の
裁量は現場指揮官に任せていた観が強い。
北伐に関しては、自身が前線に出る事での督戦といった意味合いの
他、確実に信用できる軍司令官が存在しなかった点が挙げられるだろう。
孔明が、自身の軍才に対して過信を抱いていた節は見受けられず
出ざるを得ない状況だったからこその出陣であった。
その点、自己分析、状況判断は的確であり、残った資料から見た場合
本人の軍歴、蜀漢と魏の国力差を考えれば、指揮官として
十分評価させるべきである。
ただ、内政家としての能力はそれを上まって居た事も間違
282 :無名武将@お腹せっぷく :2007/02/11(日) 22:53:11
結論から言うと孔明に軍事の才能は無いといえば語弊になるだろうが、
司馬イや前任者に比べれば役不足。
政治力やリソースの配分能力、輜重面では才があり、物事のひとつひとつにまで
自ら決済しないと収まらない誠実な面は広報任務に向いているが裏を返せば
まとまりすぎており、敵軍や人の裏をかくのにはあまり向いてない。
北伐にしてもオーソドックスだし、向こうが持久戦でくるのは目にみえていたはず。
彼は秀才であって、法正やホウトウ、馬兄弟のような機略を編み出す参謀では
ないんだよね。戦の基本には忠実だが良くも、悪くも想定内。
283 :無名武将@お腹せっぷく :2007/02/11(日) 23:01:16
>>275 漢水は進みやすく退きがたいからね。
一戦して敗北すると退くに退けなくなるから手を出さなかったんじゃないかな?
諸葛亮の最初の構想では孟達を抱き込んで上庸を手に入れ、漢水からのルートを作ろうとした。
しかし司馬懿の速攻により上庸を抑えられてしまい漢水ルートを断念したと思われる。
('A` ) プウ
ノヽノ) =3'A`)ノ ヒャー
くく へヘノ
6 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/27(火) 11:36:35
2get
7 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/27(火) 12:46:01
死ね馬鹿めが!
こんなレスさっさと潰れちまえやボケがぁ〜
孔明はちゃんと才能あるからな!
てめえなんかと比べもんに、ねんねんだからな
ゲームばっかりやってんじゃねーよちゃんと本読めやボケェー
(怒)(怒)(怒)(怒)(怒)(怒)(怒)(怒)(怒)(怒)(怒(怒)(怒)
火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火
火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火
中英板でやれ
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/27(火) 16:22:23
('A` ) プウ
ノヽノ) =3'A`)ノ ヒャー
くく へヘノ
11 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/27(火) 17:49:42
('A` ) プウ
ノヽノ) =3'A`)ノ ヒャー
くく へヘノ ←10
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/27(火) 18:29:08
>>12 でもカッコの中に「怒」を入れて、それを大量に書くなんて以外に
マメな性格だよね。普通ならめんどくさいし。
それと前スレの続きを再開させたい。
15 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/27(火) 19:24:32
当たり前だけどお前らサッカー経験者だよな?
アンチ孔明にひとこと
「他の時代の人物と比較するな」
孔明マンセーにひとこと
「同時代の人物と比較してみろ」
997 :無名武将@お腹せっぷく:2007/02/27(火) 15:11:54陳寿が贔屓してるから
というか 朱子学やら劉基等より前より陳寿を筆頭に諸葛亮ファンは多い
若くして丁重に取り立てられ、天才と実績を唱われ、非業の死
主人公にするにゃ十分ですな
諸葛亮ファンは多いのは当然だろうな
劉基の戦術の凄さを演出の材料に使っただけだし
朱子学は思想と諸葛亮の後年の行動が当て填まるから人気に拍車がかかっただけの話だろ
何で諸葛亮の人気の話になってんだ?
ここは軍事の才能について語るスレだろ。
劉基は名前が馴染みにくいから、日本人には馴染まないよ
>>18 広い目で見れば諸葛亮の後世の評価の問題から、
軍事についての評価の問題に結びつくかもしれんし、
カリカリせずに、多少の脱線は多めにみようや。
同じ話を何度もループさせてるよりも、違う話題があったほうが楽しいしな。
どうしても許せんのなら、文句ばっか言わんと、自分で話題ふって誘導するんだ。
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/27(火) 21:10:44
>>19 同意
見てて腹立つ時が多々ある
糞なレスでウダウダ言い合うなら話し合わないほうが予程マシ
21 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/27(火) 22:27:20
腹が立つなら見なければ良いだけの話だと思うが…。
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/27(火) 23:36:47
当たり前だけどお前らサッカー経験者だよな?
マターリと、な
25 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/28(水) 00:52:11
まあ、もう議論する必要はないんじゃない?
孔明が神の様な智謀を発揮するは、漫画と小説の中だけって皆分かってるわけだし。
26 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/28(水) 09:04:14
>>25 確かに。ですがそうなると暇になってしまう・・・。
ここはかなり有意義な議論が出来てとても楽しいです。
どこか他に良いスレは無いでしょうか?
教えたいけど荒れたら嫌だしな
>>25 「諸葛亮が」というより
「神の様な智謀」は漫画や小説にしか出てこないんだと思います
30 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/28(水) 10:59:46
>>27 そう言わずに・・・。
僕なんか芸術板の「シュールな殺人者」ってスレで議論してたんですが、
あまりにも人が来ないのでVIPの住人を荒らしでもいいから来てください
と誘ったのですが、誰も来てくれませんでしたよ・・・。
と言いつつ宣伝してみる。
真面目そうなスレタイを端からクリックすれ
>>30 >あまりにも人が来ないのでVIPの住人を荒らしでもいいから来てください
人が来ないからってそういう呼びかけはしないでくれよ
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/28(水) 15:38:20
このスレも終わりだな。
孔明が無能なのが証明されてしまったからな。
34 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/28(水) 15:39:56
>>32 もちろんここはそこに比べて活発ですからその様な事はしません。
>>33 お前の煽りはそのパターンばっかりなので
つまらん
36 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/28(水) 17:02:25
なんで戦力不足なのに泣いて馬謖を斬ったんですかね?
37 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/28(水) 17:12:56
38 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/28(水) 18:28:18
>>36 厳格な自分に酔ってたんだろ。
まあ俺は馬謖なんか、いてもいなくても一緒だったと思っているが。
>>33 孔明を無能というのはいいけど、
その理由も書かなきゃスレが盛り上がらない。
40 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/28(水) 19:15:08
孔明は全て自分で処理して他人を信用してないから、上に立つには不向きな人材。
指導者の副官か、現地の一部隊長、もしくは単なる官僚が適職。
高級官僚に一番向いてるのは衆目の一致するところだろうが、他もソコソコこなせる。
このソコソコがどこまでなのか?がポイントなんでしょ。
例えば同時代に陸遜がかなり近いポジションに居たけど、こいつとくらべるとどうか?とかね。
>>40 考え違い
諸葛亮は君主ではなく代理君主の位置
魏延等と君臣の交わりを交わしているわけではない
彼らに公平であると信頼されなければない
身を律するに厳であったのはどのため
魏延やヨウギ等灰汁の強いキャラクターを代理として
纏めて動かす為には並大抵ではない
周公旦なんかも見てみればわかる
43 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/28(水) 19:54:08
>>36 軍においては規律は絶対
規律を軽んじていては、極限状態の戦場で兵士は思うように動かない
しかも間違いの許されない重要な任務において勝手な行動をして
大損害を招き軍を敗北に追い込んだなら重罪ですよ
これを許せば、今後、他の武将も勝手な行動をしかねない
大戦中の日本軍は満州ノモンハンなど高級参謀が暴走しても処罰が軽く
代わりに現場が詰め腹切らされたとかそういう事例を見ると
孔明のやったことはあながち間違いでもないのかもなと思ってしまう
厳格な軍規を定めて強い軍隊を作るのは、古代でよくあること
46 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/28(水) 20:21:29
>>42 一応孔明は方面軍司令官だろ。
それなりに部下を上手く使いこなさなくてはならない立場。
しかし多くの雑務まで自分でこなし、人を使う術を知らない孔明は、
やはり無能と言わざるをえない。
戦場にあって、細かく領地経営の指示をしていたヴァレンシュタインは無能wwww
>>41 陸遜は丞相時代は結構短いし、どっちかというと政治もこなせる軍人タイプで、軍事もこなせる官僚タイプの諸葛亮とは微妙に違うような…
2人共政治・軍事共に一流の域に達してると思うが、軍事なら陸遜、政治なら諸葛亮が一枚上手じゃなかろうか。
>>46 魏延とヨウギとか不仲な人間を同時に使ったりできたのは
厳格なまでに公平だったから
>>49 そりゃ流石に根拠のないこじ付けじゃね?史書にあるのはむしろ費禕の仲裁のおかげとなかったっけ?
>>50 魏延もヨウギも灰汁が強い性格
諸葛亮死亡したら速攻仲違い
讒言合戦もするが、諸葛亮はそれを無視して
公平に扱ったとある
52 :
名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2007/02/28(水) 22:21:56
嘘だろ。蜀内部はドロドログチャグチャ鉄血政策だったんだよ。
北ベトナム解放戦線のように共産ゲリラみたいな感じだったから。
53 :
名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2007/02/28(水) 22:23:55
と言いつつ、俺はホーチミンは好き。
>>48 しかし、陸遜は陸遜で派手な戦績はないなぁ・・・・。
夷陵で劉備を撃退したのとか、石亭で曹休を破った、とか・・・・。
軍の強さでは諸葛亮、センスでは陸遜?
軍政改革と軍隊指揮の両方が出来てこそ軍事の天才
アレクサンドロス然りグスタフ然り
>>51 魏延と楊儀が互いに我が強く、不仲だったのは幾つも散見できる。
諸葛亮死後、その対応を巡ってついに武力衝突にまで及んだのも周知の通り。
けど、「讒言合戦を行い、諸葛亮はそれを無視して公平に扱った」という記事は多分ない。
一番近いのが「諸葛亮は楊儀の才能を愛し、魏延の剛勇を頼みにしてたので、
2人が不仲であることを惜しみ、どちらか片方を罷免するのに忍びなかった」
どちらかが諸葛亮に対して相手の讒言を行った様子は俺が知る限りないし(罪をでっち上げたのは諸葛亮死後)、
仲が悪いからといってどちらかを仕事から外すには惜しい才能だったという逸話。
費禕の伝には「諸葛亮が死ぬまでの間2人が力を発揮できたのは費禕の力によるものだった」と明記されてるし、
やはり諸葛亮が厳格なまでに公平だったから2人を使いこなせたとは断言できないと思う。
>>54 その二つ、三国志の中ではかなり派手な部類の戦績と言えると思うが…
諸葛亮は、兵の質をあげたから、軍が強くなって、戦術的には魏に優ることになった。
けれども、臣下の分を超越した行動
(軍政になんでもかんでも手をつけ、劉禅を実質的に傀儡化する
【こういっちゃ聞こえは悪いが、劉禅は必要以上の権限を行使出来ていない】)と
臣下の分を弁えた行動
(魏延の潼関合流案を採用せず、あくまで正攻法でいき、最悪の事態を避ける)を
同時に行なうという矛盾したことを行なっていたのがダメだ。
いや、そんなことならば曹操も行なっているけれど
(許昌への遷都や、皇后の殺害。それに対して「周の文王になりたい」発言など。)
彼はあくまで世の中が乱れた中で行動した為に、まかり通ったし、
彼の性格や英雄的才覚がそれを可能とした。
しかし、諸葛亮に関しては、劉備に仕えたときから天下の趨勢は決まりかかっていた。
乱世ではどうにか名を保ちきれた(曹操の徐州虐殺ですら辛うじて)けれど、
天下三分という膠着状態では、総力戦になるのが常であったから、下手な失敗は出来ない。
馬謖を殺したのも、法の徹底という観念からだった。
けれども、彼が徹底出来たのは、法の運用と蜀における政治であって、
簒奪者・権臣の謗りをうけてでも、魏を打倒せんとする勇気、
本来掲げておいても良かったイデオロギーを放棄してまで忠臣であろうとする純心。
これらが中途半端に諸葛亮の心中を牽制しあっていたと思う。
>>57 彼の軍事的才能は優れていると思うけれど、
二つの戦績は寧ろその知略によるところが大きいと思う。
夷陵も序盤は劉備相手に戦術的には苦戦していた。
陳寿の諸葛亮評の最後で
「思うに、臨機応変の将略は彼の得意とするところではなかったのではあるまいか」
としているけれど、陸遜はその点で諸葛亮に優っていたと思う。
火計をしかけ、一気に攻勢に出たり、
周魴の奇策に乗じて朱桓・全jとともに攻撃したり
(恐らく対曹休に関しては、呉書の方が誇張あるだろうけれどね)
彼は無名時代も山越討伐に明け暮れていたから、戦の感覚は肌で知っていただろうし、
その点では、本格的に大軍を動かしたのが劉備没後になる諸葛亮より優れていたと思う。
60 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/28(水) 23:20:17
諸葛亮に軍事の才能がなければ北伐できなだろう。
逆にすべてにおいて諸葛亮が決裁しなければいけないほど、
人材不足だったから、適材適所に配置できなかっただけで、
総司令官としては優秀だと思う。
足りないのは策を思いついてくれる参謀だろ
総司令官としては十分優秀
>>61 >策を思いついてくれる参謀
魏でいうと、荀攸とか、賈クとか?
確かに蜀には能吏はいたが、そういう人はいないよなぁ。
だから馬謖を重用したのかもしれないけれど、
馬謖は兵法書の一部だけ取り上げて負けた
視野の狭い融通のきかない男だったし・・・。
思えば漢高祖の劉邦も、
張良・蕭何・韓信というそれぞれ得意分野の異なる三人の才人(+α)を用いて
皇帝にのしあがることが出来た。
諸葛亮はそれを一人で背負おうとしていたが、
やはりそれは人材不足によるところが否めないのだろうな、嘆かわしや。
64 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/01(木) 02:28:12
やはり劉備あっての諸葛亮か・・・・
水は魚がなくても存在できるがそれだけでは寂しすぎる
65 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/01(木) 03:20:09
>>61 魏延さんの策を自分でけってるだろw
学問としては勉強してても軍事的センス(直観力)はないんだろ
66 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/01(木) 03:23:02
孔明は知識はあっても才覚はない
頭がいいタイプであって頭が切れるタイプじゃない
魏延のは策じゃなくて、ただの願望だろwww
>>66 うんうん。それが正解
小中学校のテストで常に100点をとるタイプ、逆にいえば100点しかとれない。
確実に一番のはずなのに
なぜか字が上手いとかいう理由で120点とかとるやつがいるから負けるときもある。
負けたっていっても孔明が間違えたわけじゃないっていう。
>>67 とも言い切れんよ
地力で劣る相手には無謀な博奕に出なくちゃ逆転はできないし
勝算は極めて低いが長安急襲策自体は軍人としてはあって然るべき発想
孔明は有能だったとは思うが発想が堅実に過ぎこじんまりとしていて天才とは言い難い
というよりも結局武官ではなく文官の発想だったんだろうな
>>62 「山に布陣して逆落としで大勝利!」ってのは、
劉備が漢中争奪戦でやったことそのままなんだがね。
馬謖の頭にあったのはこの成功例だろう。
>>69 諸葛亮に、目の前の敵を破ることだけを考える、一軍人程度の発想で行動されても困ると思うが。
別に諸葛亮を天才とあがめるつもりもないが、
勝算の薄い博打に安易に国家の命運を委ねるのは名将とはいえんぞ。
しかし、魏延は漢中太守として対魏の最前線にあった現地司令官なわけで、
そういう人間の意見を「一軍人程度」で退けるのはいかがなものか。
>>71 魏延の構想は「目の前の敵を打ち破ることだけ」なんて小さなモンじゃないよ
多分、魏延は長年前線に身を置いていた経験上、
戦が生き物で、確率や統計を越えて勝敗を決するものがあることを知ってたんだろう
諸葛亮は文官だったからその辺のことが理解できなかった
どっちが優れてる劣ってるということではなく、視点が根本的に違ってたのだな
まあ、北伐に関しては軍事的制圧が目的ではなかったという説もあるから一概には言えんが
>>73 いいや、統計や計算の問題だね。
・蜀からの兵站が確保されていない
・長安の守将は夏侯楙だが、長安に駐屯する兵力は単独で蜀の全軍に匹敵しており、無抵抗で降伏する可能性はほぼない
・曹叡が第一次北伐に呼応して親征を開始しており、豊富な援軍が急行中
>>74 つまりそれが文官的発想だと思う
俺も同感だから別に悪いとは言わんけど
>>73 たとえ長安を落とせたとしても、そこから先の明確な展望が魏延にあったか?
長安を落とすこと以上に、その後の長安を維持することが困難なことは散々指摘されてるね。
そうしたことまでしっかりとした考えが及んでない以上
「目の前の敵を打ち破ることだけ」というのは妥当な評価。
そもそも長安陥落自体が無理。
魏延の奇襲作戦は、五万以上の兵力が篭る長安を、補給難の五千〜一万の兵力で、
曹魏の本軍到着前に陥落させようというものなわけで。
これなら、ひとまず漢中方面の要衝を奪って防御を固め、涼州・擁州と手を組んだ上で孫呉と連携した方がマシ。
魏延が前線前線て
長安を奪取できるかもしれないし百戦錬磨かもしれん
でも所詮、魏延の策を延長した戦略は
「目の前の敵を倒していけばいづれ魏を倒せる」って程度の無双的発想
敵を全部倒せば敵はいなくなるってレベル。
まあ立場的に魏延は目の前の敵を倒せればそれでいいんだろうが
諸葛亮の立場は国家の運営だから政略レベルで考えなきゃいけない
要するに魏延は「勝てる姜維」であってそれ以上ではなく、
それゆえにいち軍人ていわれるんだよ
まあこれは魏延厨に当てはまることで、
魏延にしてみれば「おれは敵を倒す、あとはよろしく」って感じで
諸葛亮の能力を評価し信用していたからこそ無茶な作戦を提案したんだろうけど
魏延は確かに軍才があったのだが、それって
劉備や諸葛亮の統帥に従っていた時代の話なんだよね。
諸葛亮が死んでようやく自分の考えで行動し始めた後の拙劣さを見たら、
とても諸葛亮より才能があったとは思えない。
決済不満が出ないようにするためには
諸葛亮がやるしかなかったんじゃないかな
81 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/01(木) 10:44:08
孔明は軍才あるよ。
俺は株やってるから孔明の考え方を相場の読み方に照らし合わせてみると
分かるのだが一度もギャンブルをしない。
そして、怪しい雰囲気があれば即損切りが出来る。
リスク管理が出来ない魏延とは雲泥の差。
魏延何か信用二階建てで乗るか反るかでしょ。
成功したらいいけど、失敗したら追証樹海ツアーへGOだよw
つ【空城の計】
仮に魏延の奇襲が成功して、曹魏の援軍が到着する前に諸葛亮本軍が長安に入城できたとしよう。
糧食に関しては長安の備蓄で対応するからそれなりに持久が可能…可能なのだが…。
問題は、諸葛亮と全軍がいなくなった漢中及び蜀を誰が防衛するのかってことだw
>>40 いや、それが末期の蜀は人材枯渇しすぎて全部孔明がやってたのよ。
だから体壊して死んだわけ
だからってこともない気がするんだけど。
享年54くらいじゃなかったっけ?
87 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/01(木) 11:17:57
って言うか仮に、劉備、関羽、張飛、黄忠、馬超、趙雲、龐統が
生きていたとしても魏を倒し全国統一なんて無理だろw
魏延の方が諸葛亮より軍事経験豊富って話があるけどさあ、あれ嘘じゃね?
正史の記述を見る限りでは、北伐以前の魏延の戦歴は入蜀のみで、
しかも地位が低いことを考えればせいぜい小部隊を指揮していただけ。
劉備の漢中争奪戦や夷陵戦、孔明の南征にすら名前が出てこない…。
入蜀のときにはすでに張飛や趙雲と同格で、
一軍の指揮を任されていた諸葛亮とははっきり言って比べ物にならんのでは?
89 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/01(木) 11:24:52
>>84 最高責任者の孔明が細かい事までやるから
後進が育たなかった(もしくは世にでてこれなかった)だけ。
孔明を小さくしたような人材は出てきてる事からも、蜀に人材がいなかったのではなく、
孔明の政策が悪かった事が分かる。
こんな会社たまにあるよね。
90 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/01(木) 11:25:54
北伐以前の諸葛亮の軍事経験
・長阪の戦い
・赤壁の戦い
・荊州制圧
・入蜀
・南征
魏延の軍事経験
・入蜀
あとは漢中でお留守番。
どう見ても諸葛亮の方が経験豊富です。ありがとうございました。
93 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/01(木) 12:08:44
人を見る目がないといっても魏延や王平を重用したのは孔明だし…。
劉表配下の時に少しくらい実戦あったんじゃね?
そのころは何歳くらいだっけ?
入蜀以前の戦歴はよく分からん。
あったとしても伝に載るほどのものではなかったと思われる。
97 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/01(木) 12:24:44
・長阪の戦い 関羽と共に脱走
・赤壁の戦い 周瑜の知略を見物
・荊州制圧 劉備と共にのんびりと政務
・入蜀 趙雲、張飛の運搬係
・南征 本当の出来事か不明
>>95 劉備に仕えたのが27歳くらい。
それ以前はただの農夫。
劉表に仕えてたってのは初耳だが?
>>99 で、曹魏の軍と戦ってたわけ?
北伐以前に。
101 :
名無しさんの次レスにご期待下さい:2007/03/01(木) 12:34:07
>>93 無理。有能なのが7人増えた位で統一出来るほど世の中甘くない。
魏には倒しても、倒しても豪傑、智謀の士が沸いて出てきてた。
>>100 普通に考えて、小競り合いくらい日常茶飯事だろ。
住民の呼応も気にしなくちゃならないし。
成都でのんびりしていた孔明なんかとは比べ物にならねーよw
>>97 >・長阪の戦い 関羽と共に脱走
曹軍の南下に気づかなかったのは痛いが、その後の脱出計画を練ったのは孔明。
>・赤壁の戦い 周瑜の知略を見物
劉備軍も曹軍を追撃してますってば。
>・荊州制圧 劉備と共にのんびりと政務
孫呉が荊州から軍を引いた後に劉備軍が全面制圧したんだよ。
だから怒った孫呉と衝突寸前までいったわけ。
>・入蜀 趙雲、張飛の運搬係
蜀の各地を制圧してますよ。
>・南征 本当の出来事か不明
確かに七度助けて七度解き放ち…みたいなことはフィクションだろうね。
104 :
名無しさんの次レスにご期待下さい:2007/03/01(木) 12:37:46
饅頭を発明した功績がある。
>>102 漢中争奪戦以降、曹魏が漢中に手を出してきてたことなんてあったっけ?
仮にあったとしても、孔明が指揮したような戦略レベルの大規模な戦闘ってあったかね?
曹真と曹爽の漢中侵攻があるんじゃん
107 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/01(木) 12:43:35
10年間最前線で頑張ったのが魏延。
たまに出てきて荒れるさせるだけ荒れさせて撤退してたのが諸葛亮。
109 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/01(木) 12:48:24
孔明に人を見る目はないw
子供にすら
莫学孔明択婦 止得阿承醜女
(真似するな、孔明さんの嫁選び。承さんの醜女をしょいこんだ)
と囃される始末。
魏延の漢中太守就任は219年で、孔明の北伐開始が227年。
北伐開始後は孔明の指揮下に入るので、
魏延が小競り合いをやってたというのはこの8年間ということになるね。
で、この時期に曹真や曹爽が漢中に侵攻してきたの?
>>109 それ政略結婚だし。
地元の有力者黄承彦の娘婿だということが重要で、
女の容貌なんかどうでもいいんだよ。
農夫の結婚を政略結婚と言われても・・・。
孔明はよそ者だったからね。
地元の有力者とくっつく必要があったんだよ。
>>112 諸葛亮は農夫というよりは隠者だし、カン沢とか農夫の出身だが出世してる。農夫なめんな。
>>59 軍事的才能と智謀を別ける必要性をあまり感じないが…
夷陵の前半に劉備の進軍を止め計略を看過したのも戦術的判断力だろうし、
隙を見つけて一気呵成に攻め立て大勝なんて戦術の妙でしょ。
さっきからやたら魏延持ち上げてる奴は
たぶん魏延厨じゃくて魏延アンチなんだろうなと予想
>>115 謙遜も入ってるんじゃないか?
生粋の農夫にしては大した苦労もせず学問の研究をしたり、しまいにゃ遊学までかましてる金の出所が不明すぎる。
それなりのボンボンが隠者気取りで僕は自給自足で農業もやってますみたいな空気を感じる…
>>118 孔明は徐州出身の戦災難民。
経済状態がいいのは嫁のおかげ。
>>114 ニートを自主研究の学者と言うようなもんだなw
>>119 諸葛亮が留学したのが建案年間の初めなので難民になる前後ぐらい。奥さんはあんま関係なさそうじゃない?
親父が劉表の知り合いでそれを頼って襄陽まで行ったんだがら、襄陽でいきなり貧乏農夫生活には普通はなるまいよ。
>>120 でも名前知られてたみたいなんで現代でいう自宅から研究論文を送って学会誌にのっかるぐらい学のあるニートみたいなw
よほど金に余裕なきゃ無理だべ?
諸葛瑾だって仕送りくらいしてやってたとおもうよ
>>117 アンチとか信者とかじゃくてただの釣り
本気で諸葛亮と魏延が同じ立場で軍事を考えてたなんておもってるやついねーよww
123 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/01(木) 13:39:29
>>118 俺の事かな?
普段はデイトレードで稼ぎ、食い物は家の畑で作り、平日の午後は近所の高校で
野球を教え、土日はシニア、リトルで野球を教えるネオニート。
124 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/01(木) 13:40:14
>>122 今の時代と違って仕送りできるような安全なシステムねーだろw
>>121 >名前知られてたみたいなんで
水鏡とか徐庶とかにだけだぞ。
ハッキリ言って限りなく無名に近い。
諸葛一族ならエリートなんじゃろ
書生時代
琅邪郡陽都(現在の山東省臨沂市沂南県)が本貫だが出生地は不明。
身長は、8尺(後漢の頃の1尺は23cmで8尺は184cm、魏・晋の頃の1尺は24.1cmで8尺は192.8cmになる)もあった。
その祖先は前漢元帝の時の司隷校尉(首都圏長官)の諸葛豊で、父は諸葛珪。
泰山郡の丞(郡の副長官)を勤めた人だが、諸葛亮が幼い時に死去している。
生母の章氏も同様に幼い時に死去していたが、父は後に後妻の宋氏を娶っている。
年の離れた兄には呉に仕えた諸葛瑾、弟には同じく蜀漢に仕えた諸葛均がいる。他に妹がいる。
『呉志』「諸葛瑾伝」の注釈に「諸葛氏は元は葛氏であったが、
陽都に移り住んだ際に現地に既に葛氏がいたために諸県の葛氏ということで諸葛氏と呼ばれるようになった。」
という話を載せている。
まだ幼い頃、徐州から弟の諸葛均と共に従父の諸葛玄に連れられ南方へ移住する。
この時期に起こった曹操による徐州での大虐殺が原因かとも考えられる。
後に呉の重臣となる兄の諸葛瑾と継母の宋氏はこの頃に別れたと思われる。
この時の行き先については『三国志』の内、陳寿の本文では従父・諸葛玄は
袁術の命令を受けて豫章太守に任命されるが、後漢の朝廷から朱皓(朱儁の子)が
豫章太守として送られて来て、その後劉表の元に身を寄せたとなっている。
これに対して裴松之注に「『献帝春秋』曰く」と言い、
朝廷が任命した豫章太守の周術が病死したので、劉表が代わりに諸葛玄を任命し、
朝廷からは病死した周術の代わりに朱皓を送り込まれ、朱皓は劉繇の力を借りて諸葛玄を追い出し、
諸葛玄は逃れたが途中で民衆の反乱に逢い、首にされて劉繇に送られたとなっている。
諸葛玄が敗れた後に劉表を頼るのだから最初から劉表の下にいたと考えるのが自然だが、
豫章は現在の江西省南昌であり、劉表の根拠地である荊州襄陽(湖北省襄樊)からはかなり遠く、
そこの太守を劉表が任命したとするのは無理がある。
何故、敗れた後に袁術を頼らなかったのかと言えば、その時に既に袁術が滅んでいたか、
或いは滅びかかっていたからであろう。
即ちこの出来事の年代は袁術が皇帝を僭称した197年以降の事と考えられる。
その後は荊州で弟と共に晴耕雨読の生活に入る。
この時期には自らを管仲・楽毅に比していたが、その事は周りは認めず、
親友の崔州平や徐庶だけがそれを認めたと言う。また好んで『梁父吟』を歌っていたと言う。
管仲・楽毅・あるいは梁父吟に謡われる晏嬰、この三人は全て君主に仕えて大ならしめた人であり、
自ら英雄になるのではなく、誰かの補佐になりたいと言う諸葛亮の志望が見える。
また、ある説では諸葛亮が生来、病弱のために27歳になるまで仕官ができなかった事情も窺うことができる。
この時期に地元の名士・黄承彦の娘の黄月英を娶ったようである。
これは裴松之注にのみ見える話で「『襄陽記』曰く」と書いて
黄承彦は「私の娘は色が黒くて醜いが、才能は君に娶わせるに足る。」と言って
諸葛亮はこれを受け入れた。
その後、周囲ではこれを笑って「孔明の嫁選びを真似てはいけない」と囃し立てたという。
これ以降、不器量の娘を進んで選ぶことを孔明の嫁選びと呼ぶようになり、
毛利元就の次男の吉川元春などが嫁選びの際にこう言われるようになった。
諸葛亮より世間の評判が下な従兄弟の諸葛誕が曹魏に仕えてる件
「諸葛亮は龍、諸葛謹は虎、諸葛誕は犬」
などと評されたかわいそうな従兄弟のことか。
誕ちゃんは誕ちゃんなりに頑張ってたのに
公孫述
生年不詳 - 36年、前漢末から後漢初頭にかけての軍人。扶風郡茂陵の人。
赤眉の乱の混乱の中、漢中から四川にかけて、宗成と王岑が割拠していた。
公孫述は漢将軍・蜀郡太守・益州牧を称し、22年宗成らを討って、この地に割拠。
25年には蜀王を号し、国号を「成家」とした(王朝名は成都を首都としたことによる)。
漢中、南鄭、陳倉などに進出し、隴西の地で割拠していた隗囂を従属させ隆盛を誇る。
しかし劉秀(後の光武帝)が中原を平定し荊州方面から侵攻を開始したため成は守勢に入った。
36年、後漢の大司馬呉漢・臧宮らが長江を遡って四川へ侵入し、ついに成都が陥落。
公孫述は一族共々誅殺された。
>>131 三族皆殺しになっちゃうけどね。
そういえば諸葛謹の一族も…。
諸葛誕ってかなり高い地位についてるよな
つーことは諸葛亮が少なくとも無能でない証拠
中原に覇権が確立していない状況ならば、
公孫述程度の才覚でも蜀を支配下に置き、周辺を脅かすことが出来る。
公孫述は12年間の皇帝の座についていたが、
前後計算すると公孫述は28年西南部を治めたことになり、その最大支配地域は蜀漢を上回る。
ちなみに白帝城は公孫述が築いた城。
漢(楚)の時代に3回蜀に独立勢力が起こったが、
漢 (劉邦) 中原を制覇
成 (公孫述)蜀を支配、漢中、南鄭、陳倉まで進出し、隴西を間接支配
蜀 (劉備) 蜀、漢中を支配(蜀漢成立時、荊州は喪失していた。)、陳倉、祁山まで進出
と、蜀に拠って天下を制したのは劉邦のみ。
>109
黄夫人は肌が黒く髪が赤かったと正史に記述がある。
日焼けしていたのか、南蛮系の血を引いていたのかまではわからんが、
古代中国人は黒い髪、白い肌を美人とするので
その容姿ではだめだったのだろうという説がある。
その条件さえ除けば美人だったのではとも言われている。
>>133 でも、誕の子のセイは呉に落ちのびて右将軍とかに出世。結構活躍してるよ。
呉が滅んだら晋に降って、セイの子も尚書令になってるし。
亮の孫の京も、晋に降って江州刺史に。
どこ行ってもわりと優遇されてるように見える。
諸葛一族名士説だな
何かの本で劉備に仕える前の孔明は別に隠居暮らししてたわけじゃなく
あの辺りの農民たちの地主的存在だったとかいう説を見たことがあるが
140 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/01(木) 17:12:06
そりゃ名士しか歴史に名は残らないからなw
流れ者だし地主はないだろ
黄氏と縁戚になったことでいろいろと評判にはなったんだろうが
さすがに地主というのは言い過ぎだと思うが、
ただの農夫ではなく、それなりの財産は持ってた名士ではあるだろう。
だいたい、ただの農夫だったら、黄承玄も娘はやらんだろ
隠遁して晴耕雨読してる知識人って大体は農夫の真似事とかやってんじゃないの?
前秦の王猛や明の劉伯温なんかも田舎で草庵に籠もったし
三国志時代は人口が減ってて土地あまってるから何とかなったんじゃないの。
>>128の記載通り確か黄承玄が諸葛亮の才能に惚れ込んで
貰い手の無い娘を貰ってくれる様に勧めたんだろ
で娘が才女だったから見た目関係無しに嫁にもらったんじゃなかったか?
>>137 肖像画があるみたいだけどかなり不細工だった様な記憶が
黄氏に関しては伝説的な部分が多くてわからんね
流行り歌までできたぐらいだからブサイコだったのは間違いないんだろうけど
それにしたって孔明へのやっかみとかがあったのかもしれないし
黄夫人が考案した水車を原動力に石臼を自動運転させる発明品を
諸葛亮が見たのが結婚の決め手となったと俺が読んだ書籍に載っていた
それと木牛流馬のアイディアも黄夫人が出したとその書籍に記載されてた
あと孔明へのやっかみじゃなく本当に不細工なんだよ
色黒で背が低い醜女って言われているをだし
なんて本?
149 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/01(木) 21:16:10
諸葛豊の子孫だしそれなりの名士だったんだろうな
>>148 諸葛兵法か諸葛孔明の生涯
この二冊のどちらかに記載されてた
孔明の奥さん、さんざんブサイク言われてるけど、
漫画やゲームでブサイクな黄夫人見ないよな。
152 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/01(木) 21:50:14
猿そっくりな秀吉ですらなかなか見ないけどな。
わざわざ不細工描きたくないし見たくない
ストーリー的には、不細工でも実は美人だったーでもどっちでも展開できるけど
>>150 「諸葛孔明の生涯」には
ある本に次のような話が見えている
妻が木で作った人形で臼を廻していたの見、これが後の木牛流馬のヒントとなった
もとより真偽のほどは疑わしい
とあるが、これは結婚した後の話だね
それにあれだ、今の美人の価値観と昔の美人の価値観は同じとは限らないという奴だ
156 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/02(金) 03:42:45
結局孔明は軍才はないんだよ
曹操も周湯も名将あつかいなのは国力で負けてる中、強国相手に負ければ滅ぶ戦いで勝利したからすごいんであって
攻めに出ずに防衛戦やってれば天才で済んだのにな
158 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/02(金) 04:05:52
>>151 いや、三本組のアニメDVDの黄氏はひどかった。
なんかジャイ子みたいだった。
159 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/02(金) 08:24:06
うp
160 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/02(金) 08:24:21
結果がすべてだろ
軍才ないよ
161 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/02(金) 09:23:48
>>156 >強国相手に負ければ滅ぶ戦い
そういう戦いをする事自体疑問
>>157 それは蜀の宦官レベルの発想
諸葛尚って孔明の孫だけど、
諸葛センと黄夫人の息子ってまじで?
黄夫人は息子とセクロスしたん?
いや、まぁ古代はそういうの多いってのは理解してるんだが。
>>156 呉と魏の共同攻撃に耐えてるよ!
天候のお陰にされてるけどな
魏は負けると基本天候(病)のせいになるのな
>>164 呉と魏の共同攻撃って何時よ?天候云々からすると230年ぽいが別に呉は関係ないし…
確か演義では魏呉同時侵攻があったけど、こっちは天気が関係ない…
>>162 匈奴や鮮卑族ならまだしも漢人の場合そんなことが許されるはずがない
127 :無名武将@お腹せっぷく :2007/02/22(木) 23:23:17
まぁ、文句つけようと思ったら誰にでも文句つけようあるしなw
曹操は晩年が駄目だったり大軍率いると弱いから名将とは言えないとか
トウ艾は自己の危険を全く察知できない凡将とか
夏侯淵は自分の立場が分かってない危機管理0の二流将軍だとか
張コウは長生きしただけの爺さんだとか
司馬懿・曹真・郭淮は圧倒的に兵の数や物量が劣る蜀の攻撃を
ただ防いだだけだから大したことはしていないとか
張遼に限らずイチャモンつけようと思えば誰にだって文句つけようがある。
まぁ、俺はこいつらも張遼も十分名将だとは思うけどな
この人の意見はこのスレの孔明にもあてはまるな
>>167 曹操は官渡の曹操軍も十分大軍だし、晩年に大軍を指揮して兵10万を指揮する馬超を破ってる。
張コウは長生きしただけなんて文句になってないし、司馬懿はそいつが対蜀戦しかしらないだけ。
そういった明らかにおかしいのを除けば逆に無視できない問題なんで適度に考慮されてしかるべき。
勝手に他者を過剰に取り上げて逆に欠点を隠すような論法は取りたくないものだ。
張郃は魏随一の高給取りだからな。
張飛に敗北したことと
最後の死に様が張郃らしくないよな
この2点がなければ非の打ち所がない武将だったんだけど
>>168 結果だけ見て才能がないとか言うアホがいるから変な話になるんだろが
>>169 危険を訴えたが聞き入れられずに待ち伏せじゃなかった?
>>170 結果すら公正に見てないような言説に比べればそっちの方が遥かにマシだと思うがね。
wikiには、張郃の追撃は司馬懿の命によるもので、やむなく行われたって書かれている。
手元にある正史の資料には、張郃は詔勅を受け、木門まで諸葛亮を追ったところで飛来した矢にあたり、その傷がもとで死んだと書いてある。
>>172 多分wikiのは張コウ伝註魏略の記事だと思う。その「手元にある正史の資料」に裴松之の注釈は載ってないのかな?
>171
孔明を非難してる連中が一番結果をみていないがw
劉備を蜀の皇帝につけたという功績を
小さく見すぎている。
流浪の軍の長にしか過ぎなかった劉備を
皇帝にするなんて誰に可能だったろうかね。
そのときには劉備軍には有能な将も揃っていたから
まさに魚が水を得た状態だった。
北伐時には馬超、趙雲が死んだあとは
姜維、魏延、寥化、陳式、張翼、王平、馬岱、夏侯覇、馬しょく、李厳。
・・・。
姜維とおまけで魏延をのぞき、なんという小粒状態。
馬しょくは才能はともかく、実際に重要な役を任されたときに
いきなりおおぽかをやらかしたので評価は微妙だが。
これで魏の名将たちと渡りあったんだから勝てるわけねえよな。
この状況で張コウを討ち、司馬イには陣にとじこもり
させたんだからすごいもんだ。
孔明の能力は非常に高いというところは同意だけど
馬岱はほとんど記述がないので力量は推し測れないと思う
あと、馬超は能力というよりも掌握してた兵権が大きかった
趙雲は古参の将だから軽視できなくて重要なポストにおいてたって感じ
李厳・呉懿といった優秀な人材をもっともっと上手く活用できてればもう少し良くなってたかも
李厳の役割って漢楚で言うと蕭何じゃないの?
策を帷幕の中に巡らし、勝ちを千里の外に決する張良と
軍を率いて戦いに勝つ韓信の役割は、孔明が一人で負担してたけど。
>>175 wikiによると、馬岱の戦績は、牛金に敗れて千程の被害を出して退却したとしか書いてないらしい。
惇兄並みかもしれんぞw
>>174 > 姜維とおまけで魏延をのぞき、なんという小粒状態。
これは酷いw
>>174 もし仮に「劉備が皇帝になった」という結果だけしか見ないなら、そりゃ抽象的に言って劉備が偉大だということにしか繋がらないんだが…
「劉備が漢中で勝った」なら劉備が漢中を奪うという功績を立てた、「劉備が夷陵で負けた」なら劉備は夷陵で大敗をきすという失点があった。
軍事的にこれだけ成功し、あるいは失敗したから劉備の軍事能力はこうこうこんな感じだと思われる…
結果だけみて判断するってのはこういうことだろ?こういう観点は見落としも出てくるが、シンプルだし大きくは外れない。
そうじゃなくて、劉備戴冠までの流れの中で、諸葛亮がどういう働きをして、その個々の事例がどのよな能力に繋がってるのかを判断した時にのみ、
劉備戴冠に関して諸葛亮の能力をアレコレ言える。その場合は細かい事柄も論理で結びつけて評価するんだから、欠点や失敗だって論ってアレコレ追求される。
結果だけを見ると言いながら恣意的にこじつけたら公平でもなんでもないじゃない。
>>174の文章ってわかり難いよな。
孔明が凄いって言いたいのはわかるけど
>>178 おまえは彭越についてちゃんと分かっててないことがよく分かった
そういえば、話は変わるがコーエーのゲームに「樊噲」が登場しない理由を知ってるかい?
彭越と樊カイは過小評価されがちな傾向にあると思う。
>>180 俺は174本人じゃないけどいいところも悪いところもちゃんと見て評価してるぞ
北伐が芳しくない結果に終わったからって諸葛亮に軍才が無いなんて思わないし
アンチは一点だけ見て諸葛亮に軍才が全く無いと言っている様に聞こえるが違うか?
>>182 そうか?
劉禅政権下において李厳は彭越みたいなもんだぞ。
自分の権勢を広げることしか考えておらず蜀全体のことを考えて行動してるとは思えん。
>>185 北伐時には小粒な武将しかいないと言ってる辺りはアチャーだぞ。
>>185 >俺は174本人じゃないけど〜
だからどうしたの?って感じなんだが、ならそのアンチにでもアンカーつけてそいつに言ったら?
そうじゃなくて、
>>167からの議論で意見があるならどちらの意見の何処がどうだと言ってくれないとこっちだって答えようがないと思わない?
諸葛亮・周瑜・陸遜・陸抗・司馬懿
これらの人物は並べて例えられても不思議じゃない。
この5人と夏候淵や張郃、菊ギ、別時代の武将なんかを比べるとおかしことになる。
そもそも蜀という池方は割拠する分にはいいが、天下を狙うとなるや、
それこそ不利過ぎる。
「劉邦のような人物VS項羽のような人物」って展開でも無ければまず無理じゃないか?
「項羽が天才韓信を手放す」真似を曹操・曹丕・曹叡がしなかったのも
諸葛亮が魏を打倒出来なかった理由の一つかと。
蜀の人材不足は致命的で、
諸葛亮は政に関しては陳寿のように「管仲・蕭何」の才を持っていた思うし、
軍才も水準以上で、当時では高い能力だったと思うが、「専門家」ってほどではなかったと思う。
実戦に身を投ずる、というよりも計画立案向きなのだろうね。
大体、「負けたから軍才ない」というのも随分高レベルの批判じゃないか?
批判に晒されるであろう第二次北伐も、
曹真・張郃・夏侯尚が朱然の篭る江陵をおとせなかったことを考えれば、
能力を著しく低くみることはない。
更に北伐は全体通して兵站問題があったし(第四次北伐・第五次北伐ではある程度解決したが)
蜀は明らかに天下をとるには不利な地なんだよ。
だから諸葛亮の天下三分計は、劉備に荊益両州をとるよう進言しているし、
夷陵の戦いのとき劉備を諌めなかったのも、第一次北馬に際し孟達を勧誘したのも、
そういうところがあったんじゃない?
>>180 家臣から見放たれつつある劉璋から益州を奪い荊州と併せて割拠し、
呉と同盟をして自力を溜めるという策を具体的に説明し、
劉備に受け入れられ、旧家臣団の不満が出る程の若年にして厚遇を受ける
そしてビジョン通りに進んで劉備は皇帝になる
●呉と対等の同盟を結び、奇策と賞賛される
●連れて行った家臣団だけでは益州制圧に時間が掛かった為、軍事的に参加し圧勝する
●蜀科を定め富国を進める。厳法なのに民から愛される
●兵站を整え、漢中を制圧(基本No2の仕事、後任は諸葛亮政権時のNo2李厳)
●劉備を皇帝になるよう奏上し、皇帝へ
192 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/02(金) 18:06:51
李厳を単なる補給部隊長としか見てない人がいますねw
役割的には
李厳=蕭何
だけど責務を果たせなかった時点で
李厳<蕭何
李厳は過大評価、劉備も耄碌してたな
諸葛亮と李厳の対立もあったはず
責任を人に転嫁するのは超一流ですな。
孔明が見誤った事は、一切不問にすると。最高権力者だから仕方ないか。
>>191 「結果だけを見るやり方」
>>170の是非についての議論で、
過程をアレコレ吟味するような、結果論以外の論法を
>>180に示してなにが言いたいのかわからないけど、
奇策と賞されるのは諸葛亮ヨイショ書物の諸葛氏集の一文だったり、
征蜀の援軍として敵を圧倒し武勲を立てたとされるのは主に張飛(ついでに趙雲)だったり、
蜀科の制定は法正・諸葛亮・劉巴・李厳・伊籍の共同作業であり、
兵站を整え、劉備の漢中の制圧を助けたと言うべきところを恐らくワザと省略し
劉備を皇帝になるよう奏上したのも同様に多数居たりするなど、
これ単独で見ても公正とは程遠いね。
>>197 旧家臣団を飛び越し裏切りによる大功績を持つ法正を抑え宰相へ
軍事も政治も団体作業ですので、複数人存在するのは当然です
関わって功績があると記述があるのに無視するのが君の公正なのですか?
仮に張飛のみに軍事的功績が求められるのであれば
漢中は黄忠のみの功績でありましょうか?
違いますね。
よいしょ文章とはいえども、王様に敵国の宰相ですがこんなに立派です。見習ってください。という文章。
客観性が無ければとても敵国の宰相を賞賛は出来ないと思うが?
>>193 李厳=蕭何というのがわからん。
劉備の遺詔はともかく、実際には中央政権からは外されてるとしか思えん。
李厳は望んで江州赴任したんじゃねーの?
都督なりたーいで
甘寧についても話し合いたい。
しかし、適したスレがない。
甘寧ほど殺人を好み、大悪人でありながら往生した人物はいないと思うのだけれど。
スレ違いですまsn
>>200 望んだかどうかは知らんが、対呉の最前線の鎮撫を職掌としたが諸葛亮が呉と同盟を再締結してしまい、やることがねえから自分の勢力を強固なものにしちまおうという方向に行ってしまったとしか思えない。
>>198 法正を抑えて宰相へという意味がちょっとわからないが、法正の死亡年数と、劉備の皇帝即位の年数だと後者の方が後だよ?
そして漢中王就任時なら、尚書令は法正だったんだけど。
このまま結果論云々から離れて議論するつもりなのね?
なら「劉備の戴冠が諸葛亮の功績」という
>>174の意見とは別個のもの?
それが「諸葛亮独自の功績」という意味ではないなら、他人を省いて書くのも問題ないかもしれないが。
よいしょ文章の修飾語句まで客観性に富んだ正確な記事だと本当に思ってるわけ?弁亡論とかも全て?
陸遜と並び称された李厳を、単なる文官としか見てない奴ワロスw
廖立は龐統と並ぶ良才。
習貞は龐統に次ぎ馬良より名声があった。
孟達は「天子を補佐する大臣の器です」と言われた。
全くの虚名ではないが、評に適う実績は残せなかったな。
陸遜と並び称される人物が仕事の失敗を誤魔化し、あまつさえ責任の押しつけですか?
陸遜もたいしたことねーなwwwww
楊洪が長生きしてれば、彼に補給業務任せるのが良かったんじゃね
210 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/02(金) 20:07:29
>>208 天下の大才に下らない仕事を与えたからだろ。
孔明の人を見る目のなさがなせるわざだよ。
兵站の重要さも理解できない権力欲だけは強い男に任せた孔明の不覚だな
>>188 >>167が言いたいのは失敗の部分だけクローズアップして諸葛亮を叩くから
他の武将だって欠点とか叩かれる要素があるじゃないかと言いたいんだろ?
俺にはそう見えるけど
アンチの件についてだが諸葛亮は所詮蕭何じゃんとか言ってる奴がいるけど
蕭何はそもそも戦場に立ってないし、軍を指揮したこともないだろが一緒にして考えるな
馬謖はともかく黄夫人のことまで引っ張りだして諸葛亮に人を見る目がないて判断するのはとか明らかにおかしいだろ
なんでもかんでも諸葛亮を叩く材料ににするなと言いたい
あと諸葛亮の用兵の本質を無視して北伐の成果が芳しくない点だけをクローズアップして
諸葛亮は軍才がないって決めてるアホがいるだろと俺は言ってるだけなんだけど
おかしいかこの意見・・・
諸葛亮は劉邦配下でいうところの、
張良・韓信・蕭何の役割を一人で担おうとしていた節がある。
これは彼の自負心や、自己の能力に対する自信(楽毅・管仲エピソード)もあるだろうが、
人材が不足していた以上、そちらの理由もあったと考えるべきである。
大体、軍才なしとか、おかしいだろ。
本当に軍才ないってのは夏侯楙級(こいつは実戦経験無かったけれど)であって、
魏軍を戦術的に打倒した諸葛亮を評するものとして不適切だろ。
陳寿の諸葛亮評「思うに、臨機応変の将略は優れていたとはいえない。」というのを
拡大解釈して、「諸葛亮は戦争下手だ。」とするのが不明。
臨機応変のところをいってるだけで、司令官・将軍としての才能が劣っていたとはいえないんだよね。
確かに陳寿は諸葛亮オタだから「その陳寿が『長ずるところとはいえない』といってるのだから・・・・」
と解釈しがちだが、漢文を見てほしい。最後の字は、明らかに嘆息を意味するものだ。
てかアンチ諸葛亮・魏延オタが増えたのはこいつの罪だろうな、
演義と正史の知識ごっちゃにしてるのに厨房を洗脳することは得意なんだ。
http://homepage3.nifty.com/ten-en/ten-retuden/sihyou/03-syoku/sihyoui-gien.htm
>>197 季漢輔臣賛でも諸葛亮赤壁前後の評価は
「長江のほとりで策を捧げ、呉を引き寄せて蜀と連盟させ、わが朝を正統の地位につける算段をした。」
とある通り、諸葛氏集にだけある評価ではない。
>>199 202
江州への移動は漢中へ出兵する諸葛亮の後事を任された為、
(元々は慰撫に当たっていた永安には陳到が派遣されてる)
さらには曹真が侵攻してくると漢中へ詰めたり、
そのまま出兵する諸葛亮に代わり漢中の政務を取り仕切ったりと
中央政権から外されるどころか目茶苦茶重用されてるし、やる事が無いとかとんでもない。
>>213 そのページは酷いね、作者が悪意を持ちすぎて捏造しまくってる。
>>214は季漢輔臣賛の書いた人物とかワザと無視してるのかな
217 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/02(金) 20:48:22
>蕭何はそもそも戦場に立ってないし
反乱軍時代から補給一筋だとでも思ってるのかね、こいつは。
>>212 蕭何で絞り込んだ結果、
>>63、
>>176、
>>190、
>>193…
どれが「諸葛亮は所詮蕭何じゃん」とか言ってる奴?
どれが軍を指揮したこともないことを無視してるやつ?
諸葛亮の用兵の本質を無視して北伐の成果が芳しくない点だけをクローズアップして
諸葛亮は軍才がないって決めてるアホは具体的にどいつのこと?
そいつらはどれだけ多いわけ?
韓信を治粟都尉から大将軍へと抜擢させて大活躍させた蕭何。
李厳を補給係にして不貞腐れさせ、軍事行動に齟齬をきたした諸葛亮。
二人の差は歴然だね。
>>214 > 中央政権から外されるどころか目茶苦茶重用されてるし、やる事が無いとかとんでもない。
重用されてるけど、中央からは外されてるじゃん。
漢中に出張ってる諸葛亮に変わって朝廷を取り仕切っていたというならともかく。
それに諸葛亮に王位に就くことを進めたり、巴州刺史にしろと迫ったりしたのは永安や江州にいた時。
で、あまり不満ばかり言うんで仕事しろよと(もちろんそれが理由の全てではないがw)漢中に移されたわけで。
南征で諸葛亮は軍事的に失敗してるじゃん。
反乱軍を表面的に叩いただけですぐにまた反乱されて。
>>221 それは政治的に失敗したというべきで軍事的には失敗してないだろw
それに北伐の物資を十分に賄うことが出来ているので必ずしも失敗とも言い切れないし。
アホですか?
孔明が南中征服した後は、中央から大軍を派遣するような反乱はおきてない
また物資の供給、五部など精鋭兵の供給、モウエンやモウカクらの高級官僚の排出など
南中はがっちり蜀漢に組み込まれてます
アンチ孔明じゃないけど、孔明の2回の人事ミスは見逃すことが出来ないミスだと思う。
だけど、これと軍事才能の結びつきをどう考えるかだなぁ
周瑜やら陸遜は孔明ほど細部にいたるまでの人事を行ってないからな
>>223 一度張翼の手にも余るような反乱が起き、中央から馬忠が派遣される事件があったはず。
まぁ辺境問題が一度の征討で埒があくなら呉は山越問題にあれだけの労力は割かないし、
後に反乱が起きたからってその時の征討が失敗かどうかとは別問題だとは思うが。
>>224 陸遜と比べるなら例えば夷陵の時、諸将は包囲された孫桓を至急救援するように訴えたが
陸遜は「孫桓は兵士の心をしっかり掴み、城は堅固で食料十分。全く心配はない」と断言し、実際そうなった。
こういった判断力も軍才の内と言えるでしょう。江陵戦の時の呂蒙の進言なんかもそうか。
周瑜も魯粛を推挙し甘寧を庇い呂蒙を重用するあたりポイント高い。
ちなみに同じ軍務上の人事において、諸葛亮は馬謖の失敗が印象強すぎて忘れられてるが、
当時俊才と名高かった親戚の諸葛格の欠点を正確に見抜いてわざわざ手紙を送ったくらいで、
中々の見識の持ち主。馬謖の件は、ホント、なんだったんだろうって感じ。
荀ケやら陸遜、周瑜といった優秀な人物が、人材を推挙したって話はよく聞くけど
諸葛亮が優秀な人物を推挙したりって話はあまり聞かないな。
まぁ、したんだろうけど先述した3人ほどじゃないよね。
>>227 推挙というか抜擢なら、諸葛亮は普通に多いぞ。
>>227 陳寿さんは諸葛亮の人事は誉めてる
ネットワークを持つ荀ケには劣るが
他の二人と比べて劣るとは思えない
230 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/02(金) 22:04:05
>>216 楊戯に何か問題でも?
あの記述は蜀側から見れば諸葛亮は間違いなく蜀成立の流れを作った
第一人者だったっていう証左でしょう。
あと、蜀に韓信が居たとしても大将軍抜擢は不可能だろう
何故なら諸葛亮は代理君主的なポジションではあるが君主ではないから
精一杯幕下に加えて参謀にするにとどまる。
そして軍を纏められるのは諸葛亮だけなので司令官は替わらないだろう
諸葛亮の軍に韓信がいたとしても、韓信の策は採用されそうにないよね。
魏延の件と、晩年過労死するくらいクソ真面目な性格から考えて、奇想天外でイチかバチかの策よりも手堅い策をとりそう。
>>230 楊戯の経歴調べておかしいと思わないのか?
なんで益州奪取の前の事を詳しく書いてあるか。
>>234 いやそこはいいだろw聞き伝えでもなんでも…
問題にするなら諸葛氏集が「諸葛亮ヨイショ文章」なら季漢輔臣賛は「蜀の人物ヨイショ文章」な点と、
奇策という修飾表現の問題から蜀成立の流れを作った云々に論点がすり替わりつつあるとこかと。
>>231 諸葛亮の推薦さえあれば劉禅が任じて大将軍就任でしょ。
ついでに諸葛亮は「他に任せるべき人材がいないから」自ら赴くんだと部下に語ってるくらい。
韓信がいたら喜んで任せて支援に徹するだろう。
>>234 まさか本当にそんな理由で楊戯が信じられないと思ったのか?
その論法だと陳寿の書いた正史も信じられないし、その他の史書全部
信用できないって事になるが?流石にちょっと呆れたわ…
>>235 奇策じゃないけど、「長江のほとりで策を捧げて〜」とあるとおり、
諸葛亮が策を献じた事は書かれてる、蜀の人物ヨイショではあるけど、
蜀からみた場合の諸葛亮の立場が分かるから、蜀内部での比較や
視点を考察する場合は結構役立つと思う。
>>236 だよな第一、韓信はイチかバチかの策なんか採らないし
趙での背水の陣はやむえず採った戦術だしあれは特例
>>236 いや、韓信が劉備時代から居るのであれば問題無いが
君主のお墨付き無く抜擢は越権すぎて周囲の支持を得ない
代理故に絶対権を持って居ないのだ
>>237 あほだな。
当時そこにいないんだから誰かから聞いたか諸葛氏集と元が一緒か
どちらかが流用した可能性が高いだろ。
>>217 おいおい、戦場に立つのと戦場に付き従うとは意味が全然異なるだろが
それに蕭何は補給一筋なんて一言も言ってないしアホだろオマエ
>>218 明らかに結果だけ見て軍才が無いと評価してる奴は
>>108>>156>>160辺りがそうだと思うが
それとクローズアップしてた奴と諸葛亮は所詮蕭何じゃんって奴は前スレの記憶とごっちゃまぜになってたスマン
でも前スレにいただろ諸葛亮は所詮蕭何wとかただの文官とか言ってたアホが
>>240 誰かから聞いたというのは悪いのか?じゃあ史料の殆どの部分は駄目だなw
しかも諸葛氏集と元が一緒かもしれないという指摘は根拠が無い。
>>237 そういう観点なら、俺も諸手をあげて賛同します。
あたかもそれが非常に客観的な賞賛みたいに言われると突っ込みたくなるけど。
>>242 史料というより人物表だからな。
人からの伝聞だけで自分だけの表ができるはずがない。
その証拠に潘濬の例がある。
>>239 ・・・
逆逆、形式としては「諸葛亮らの推薦もあり、劉禅によって任命された」となるんじゃないかっていう意味です。
さすがに諸葛亮の一存で勝手に決めちゃえるは思いません。
>>245 王平の例にあるように下積み時代を経て、功績を挙げれば可能
何も無い所からの抜擢は不可能
馬謖ですら、功績は挙げているわけで
>>244 おいおい、正史でも最後に人物評があるし。
俺等の諸葛亮評も伝聞での人物評だぞ、誰かに聞いても
その人物の行動さえ把握できていれば問題ないだろ。
んで潘濬は蜀側から見ればああいう風に写るって事で例としてあってないぞ。
>>246 丞相府内の人事程度ではすまないから「大将軍は無理、参謀なら」ってことでしょ?
さすがに王平の人事とは一緒にできまいて。
>>241 そいつらは一言指摘するなり、スルーでいいじゃない。わずか3つの変なレスをアンチがあーだこーだ言うのもどうよ?
諸葛亮の益州前は楊戯は知らない分けだしそれを全部正しいとする根拠はなんだ。
251 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/02(金) 23:05:17
>>231 おいおい。
君は簫何と夏候エイが君主だったと思っているのか?
>>250 >>237は「蜀からみた場合の諸葛亮の立場が分かるから、蜀内部での比較や視点を考察する場合は結構役立つと思う。」
という至極穏当な判断しかしてない、
>>191や
>>198とは既に見解が異なる別人でしょう。
ここらで手打ちにしておいたら?
>>250 周りに聞くなど調査すれば良いだけだろ、
当時その場所にいない=書けないのかい?
そのお前さんの理論だと正史はどうなる?他の史書は?
そしてお前さんが正しくないとする具体的な根拠は?
諸葛亮の呉への同盟は、入閣したばかりで功のないため劉備が抜擢のための
誇大広告だと思ってるからね。
その証拠に呉側では劉備の同盟はそこまで重視されていないし。
>>251 簫何と夏候エイが韓信を大将軍に任命したと思っているのか?
>>251 >>255 お互い無理に喧嘩すんなよ。部下が推薦して主君が任ずるなんて理屈は皆わかってるだろ?
>>250 史書に書かれてれば正しいとしか読めないが?
>>254 呉がどう思おうが関係ないよ。
劉備にとっては呉との同盟は非常に重要なもの。
それを諸葛亮がとりまとめたのなら功績は十分。
また諸葛亮伝に「於是與亮情好日密、關羽・張飛等不ス。 先主解之曰『孤之有孔明、猶魚之有水也。願諸君勿復言』羽 ・飛乃止」とあるように劉備がバックにいる以上、誇大広告の必要はない。
おいおい現代じゃないのにいくら劉備でも功がないのに大抜擢できるはずないだろ。
>>244 人物評だから…、史料だから…、というのは良くわからない
国選の正史だって国を裏切った人物は、例外はあれども概して評価は落とされるもの
何も季漢輔臣賛に限ったことではあるまいに
ていうか、季漢輔臣賛は注釈として加えられたものでもはなく、
陳寿が正史にそっくりそのまま採録した立派な「史料」だと思うが
>>259 いつの時代でも主権者の力が強ければ功なんかなくても抜擢はいくらでも出来る。
>>258 劉備側から見た観点としては同意なんだが、劉備が推挙したからこそ結果が付いてきてくれないと劉備の面目が立たないとか、
考えようはいくらでもあるでしょ。
あと今気付いたけどその言葉って周瑜を表彰した孫策の言葉に似てるよね。関係ないが。
反発はめちゃめちゃくらうだろうな
特に俗に言われる「抵抗勢力」なんかが力を持っている組織ならばね
>>262 失敗したなら切るでしょ。廖立みたく。
逆に言えば切らなかった=功績を挙げた→誇大広告の必要はなかったとならんか?
また新しく版図に組み入れた零陵・桂陽・長沙の三郡を任せてるわけだしね。
つーか、韓信がいたら抜擢できたか?
なんて無茶なifで喧嘩するなよ。
>>264 才能があって期待してるから、直ぐに高位につけるためにも最初だけ下駄を履かせたとかそういうことでしょ。
諸葛亮が出世してから期待に答え続けたのは周知の通りだけど、
>>254も最初の抜擢に言及してるし。
むしろ失敗してたら抜擢失敗で本来なら必要なかったことになるな。
あくまでこういう考えもできるってだけね。
>>266 最初の抜擢は新野時代。
なんで赤壁後に改めて下駄を履かせなきゃならんのよ?
268 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/02(金) 23:52:17
>>255 劉邦に任命させたのは明らかにその二人なわけだが…。
それとも君は、劉邦自らが韓信を探し出して抜擢したとでも思っているのか?
↑まあまあもちつけ
専門外なら知らないこともあるわさ
>>267 …と思うでしょ?
実は新野時代は「交友日に日に深まる」とか「上客として待遇」とあるわりに官職を授けた形跡がみられないんだぜ?
当たり前だろ馬鹿wwww
当時の劉備はただの客将だぜ
>>271 まあそれでも劉表を頼った時に麋竺や孫乾、簡雍といった古株連中には左将軍従事中郎につけたりしてるからな。
このレベルの官爵なら与えても良かったとは思うけどね。
まあ関羽や張飛といった連中もこの時期に特になんらかの官爵を与えられた様子もないからそんなもんと言ってしまえばそれまでだけどね。
>>271 客将である以前に劉備は将軍号やら州牧やらもってるわけだが。
>>272 関羽らは別部司馬らの職についてるよ。趙雲が主騎。
>>273 > 関羽らは別部司馬らの職についてるよ。
それは平原時代でしょ。
その後、関羽は曹操の元で偏将軍に任じられ、張飛は呂布討伐のあと許に赴いた時に中郎将に任じられている。
しかし、劉備に帰参したあと特に何らかの官職が与えられた記述はない。
どちらも一応朝廷から与えられた官職だからそちらを持ち続けていただけかも知れないが。
新野の小城しかないし、役職つけても別にやることないじゃん
客将の分際で地元の名士を召還して役職に付けまくるなんて
劉表に討伐してくれと言ってるようなもんだ。
逆に言えば麋竺・孫乾・簡雍(孫乾は微妙だが)しか役職を貰っていない
のだから、諸葛亮が役職を貰わなくても別に不思議は無い。
従事中郎って単なる補佐程度の意味でしょ
あってもなくてもいいような官位だな
>>204 174では無いが、諸葛亮の功績として劉備の戴冠がある事が間違ってるようには見えないが?
というか、なんで一々個人の功績を書く時に複数名かかなきゃならんのか意味がわからん
というか修飾語句で文句言われるとは思わなかったな。
賞賛の仕方を記述通りに書いたのだが、陳寿の修飾語句が過剰だと功績にならなくなるのか?
君のように「諸葛亮の場合」は功績はみんなのもの、失点は個人のものと書かなきゃならんのかね?
戴冠までにどのような功績があったか具体的記述があるが
なんでそれを無かった事にしたがるの?
('A` ) プウ
ノヽノ) =3'A`)ノ ヒャー
くく へヘノ
280 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/03(土) 03:32:55
ただ単に皇帝を称するぐらいなら袁術ですらやってる。
国を統一出来てない皇帝なんて皇帝じゃねーよw
>>225 張翼の失敗は、ガチガチの法家だった張翼自身の性格によるものだよ。
異民族統治には法よりも威光と恩徳が大事だからね。
孔明に才能あろうがなかろうが蜀は勝てねーよ。
つーか孔明が評価されてるのはもともと軍事じゃねーだろ。その人生だろ。
1つや2つデカイ功績残したヤシよりも一生国や歴史に関わった人物の方が評価される。
>>228 根本の原因は、蜀による税の取り立てや兵の徴発などの負担への反発。
劉冑の反乱の時期を見ると、まさに北伐での南中の負担が想像できる。
これは、張翼一人の責任というレベルではない。
演義の南征の顛末は、完全蜀美化のフィクションなんだよ。
威光とか恩徳とか、奇麗事で片付いてると思ったら大間違い。
285 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/03(土) 07:23:45
つまり結論は孔明は文治に優れていたが
人事、軍事、戦略、臨機応変さにかけてたということ
でしょう
(∀゜)(・⊥・)(´ゝ`)(゜∀)(ΦД)
>>285 >人事、軍事、戦略、臨機応変さにかけてたということでしょう
臨機応変さはわかるが人事、軍事、戦略は別に欠けてないだろが
その書き方じゃ人事、軍事、戦略能力がかなり低い様な印象を受ける
人格に多少の問題が有っても才能が有る人間を抜擢、登用をするのは
平時はともかく乱世に於いては当り前のこと
先ず隗より始めよと言う。
孔明の如き若造にも礼遇を取らされる、これ以上の羞恥プレイは無い。
だが、荊州に敷かれていた土地支配のネットワークとノウハウを三顧の礼ごときで頂ける。
これは流れ者の集団にはデカい。デカすぎる。
それらエスタブリッシュメントに目立った戦功など不要。立てる必要さえないのだ。
何故かと言うと、孔明らがいなければ先主の勢力は本来競争にさえ参加出来ない。
これは不戦の功臣とでも呼ぶしかない。寒門の軍人たちとは家柄が違う。
もちろん史書に載らないような汚れ仕事もやっているだろう。
総帥自らが陣頭指揮を執る北伐が異常なだけ。
自分以外に戦功を立てさせたくなかっただけではなかろうか?
事実北伐時の孔明配下は末期ほど人材が枯渇していた訳ではない。
使わなかっただけだ。
だからこれは政略の次元の話だと思う。
所詮蜀漢は孔明の箱庭国家に過ぎないし。
人事がダメってことなら、魏延・王平・張翼の重用や、後任の蒋エンも失敗人事?
>>284 反発が高まってるときに法で縛り上げても逆効果だって。
>>288 馬謖・姜維・楊儀の重用は、明らかな失敗だろな
つまり人事に関しては功罪ありということで。
どうでもいいが、司馬氏を重用した曹一族の人事って最悪じゃない?
>>287 >荊州に敷かれていた土地支配のネットワークとノウハウ
土地のものでもない諸葛亮がそこまでできるなんて
どんだけすごいんだよ諸葛亮
孔明が所属していた司馬徽ネットワークは人材の宝庫だよ。
劉氏にも曹氏にも優秀な人材を輩出しているからね。
>>292 曹操は司馬懿を警戒して、それほど重要しなかった。
使いどころに慎重になってた。
だがしかし、曹操死後どんどん重用されはじめた。
296 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/03(土) 09:54:45
孔明は水鏡一派の中でも異端児だったと思うのだが。
徐庶なんて明らかに演義に脚色されて贔屓の引き倒しになってる人物の一例だと思うけど。
>>295 曹操こそ渋る司馬懿を無理やり出仕させたんだが?
だいたい、曹操時代の功績がなかったらその後に重用されるわけがないだろ。
孔明は仕官前と仕官後じゃ人物像が違うよね
仕官前のエピソードをみると、自分の才能をかいかぶり、身の丈以上のものを望んでる野心家って感じ
だけど、仕官後は謹厳で真面目な執政官
>>291 そりゃそうだろ完璧な人事配置なんて無理だろ?
それに人選の失敗は諸葛亮だけではあるまい
>>298 無理やり出仕させたけど重用しなかった
あえて重用しなかったと正史にも記されている
>>301 曹操の存命中に丞相文学掾、太子中庶子までいってるけど?
司馬懿に関しては、警戒されて曹丕にかばわれて救われたという記述あり。
出世と権威は必ずしも一致するわけではい
>>302 それは重要な役職なの
司馬懿って確か閑職につけられてたような
書庫の整理係みたいな仕事させられてなかったっけ?
>>302 閑職だけで物事判断するな。
しかも文学掾ってww
稚拙な知能でモノを語るな馬鹿
じゃあそういう地位がなくても司馬懿は出世できたと?
>>302 ついでに太子中庶子は何を行うか知っているかな?
文書奏事についてちょっと述べてごらんよ。
曹操もさっさと首を切ればよかったのに何をやっていたんだかw
後に危難を残した点では諸葛亮より劣るな。
司馬懿の出世は曹丕の時代に入ってから。
曹丕死後、曹叡の補佐を任されてどんどん出世した
曹叡の時代には反乱等が起きたことによって司馬一族の活躍の場が増えた
結果、司馬一族の功績と権限が大きくなってしまった
司馬懿を狸にたとえるような話があるが、これは的を得たものでよくいったものだと永楽帝が関心したという逸話がある
閑職にまわすならそれこそ交州あたりに飛ばすべきだったな。
それを後継者候補の曹丕に貼り付けるとは一体何を考えていたんだか。
曹操にしては果断さが足りない。
曹叡の時代における、武の面での事績のほぼすべてが司馬懿によるもの。
これらが晋建国への布石となったことは否めない
曹操時代の功績はあまりに小さい
しかし曹操時代がなければそもそも司馬懿は存在していない。
ちなみに太子中庶子とは、
諫議を行い文書奏事などを行う職
そして奏事とは、天皇に申し上げること。
文書奏事には、家柄の良い節度を弁えた文官が用いられやすいんだけど、それほど要職であるとは言い難い
曹操が司馬懿を警戒してたとか、
後の晋の建国とか受けての後付けの話のようなきがするな。
>>312 いくら僻地に飛ばしても司馬懿は油断できないと判断したんだろう
だったら手元に置いて飼い殺しにしたほうが得策
曹丕の太傅にしたのは博識さを買ったまでよかったが詰めが甘かったのは事実だな
殺すにしても強かな司馬懿がボロなんか出さないだろうし
仮に罪を捏ち上げて抹殺したらそれ以後、曹操の元に人材が寄り付かないし
第一、曹操が自分で自分を首を絞める事になる
それは「諸葛亮が姜維を重用したのは涼州人士への影響を考えてのことだ!」と擁護するのと同じ。
司馬懿がものすごく役に立つ忠臣だったのは事実。
彼自身は帝位への意思はなかったようだからね。
つまり漢王室にとっての曹操のような存在だw
若い頃も年食ってからも仮病で逃げるのが好きだから地方に出すとサボるよ
司馬懿はたちまわりが上手くて、利口だから傍においておきたいと思ったんだよ。
司馬懿ほど狡猾な人間性を曹丕にもってもらいたかったんじゃないか
てか、司馬懿を重用しないことと、司馬懿を曹丕にくっつけたことって多少矛盾してるけどな
別に姜維を重用したことは間違いじゃないし。
司馬懿も曹植に付けられてたら、楊脩のように折を見て処断されてたかもしれない。
上手くかわしたかもしれない。
で、スレタイに戻るわけだが、
「諸葛亮に軍事の才はあったが、大勢をひっくり返すには至らなかった」
で終了でいいだろ。
以降はじゃあどのくらいの才だろうか?という考察でよろしく。
軍事以外の能力その他についての考察は別スレで。
ここで続けるなら、次スレを立てる時にスレタイを変更。
326 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/03(土) 11:44:28
327 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/03(土) 12:02:09
合戦に及んだ時の事績を見るに戦術能力は優秀といっていい。
戦略に関しては王道には沿ったものだが、奇策を用いる能力に欠ける。
戦略能力は良の上。
330 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/03(土) 13:01:50
王道を採用する事が敵にバレている時点で素人レベルなんだけどな。
趙活と良い勝負だと思う。
素人に痛い目にあう司馬懿
自分も所詮素人なのに、
>>330みたいに
「○○は素人レベル」とか自慢気に断定しちゃってる人みると、
なんだか痛々しいな。
333 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/03(土) 13:38:20
名将じゃなければ批判出来ないってか?w
馬鹿じゃね?w
ホント痛い子だね
その上
>>330は趙括及び長平の戦いについて詳しくないご様子
いつもwを付けてる
>>333もかなり痛いよ
大丈夫かねコイツ
336 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/03(土) 13:42:44
とりあえず
劉備に仕官してしばらくの頃は奇策の孔明だったのをみんな忘れてないか?
南蛮平定以降、一か八かの策をとれなかったのは相手方を警戒して、又は効率を考えてだろ?
いや、孔明じゃないから真実はわからんけどさ。
もし、そんな才能が無かったのなら何故、現代になっても崇められるのかね?
>>337 > 劉備に仕官してしばらくの頃は奇策の孔明だったのをみんな忘れてないか?
具体的には?
隆中対以外になにか進言してた?
それにその手の話題はもうスレ違い。
局地戦はホント強いな
野戦に限定されるかもしれないけど
南征において高定元を大破した
229年に王双斬った
木門道で張郃を伏兵でもって撃破した
五丈原で味方の孟琰の陣を攻撃してきた司馬懿を撃退(水経注・太平御覧)
>>336 自分がアホなの指摘されてムキになってるのもよく分かった
俺のどこが無知なの?
趙括は馬謖と同類と言うなら話もわかるが
諸葛亮のどこが頭でっかちの兵法丸暗記くんと言うんだ?
諸葛亮は敵方の情報戦略に何時はめられ大敗を喫したんだ?
>>336は予程博学みたいだな
だったら無知な俺にも分かる様に説明してくれよ
北伐において奇策を打てなかったのは劉備のせい
て、いうか魏のように完成された国家を蜀ほどの田舎政権が破ることは不可抗力でもあるのだが。
歴史上、こういったケースを覆した人物はいない。
小説かぶれが陳慶之とか言い出しそうだけど、カレは戦争には勝ったけど、滅ぼしてない
永楽帝も父の代の粛清があってこその事績
曹操が袁紹に勝ったのももちろん比較できない
>>342 確かにあの状況でしかも蜀じゃまず無理だ
仮に陳慶之に限らず名将と呼ばれてる人物が蜀にいたとしてもね
大体王朝を滅ぼした人物ってその王朝が傾いている或いは混乱状態で
尚且つその王朝の中枢に食い込んで尚且つ兵権を握ってる人物が大半じゃん
司馬懿や楊堅・朱全忠なんかがそうだし
軍事の才能を語るのに国家を滅ぼすことは関係ないだろ
陳慶之と比較できる程の軍才でもないし…
全盛期の国がぶつかり合うというのがまずないしなぁ
隆中対自体が他国を当てにした破綻した戦略だからなあ。
>>290 姜維・楊儀は別に失敗じゃないだろ、
楊儀は事務では非常に役立ったし、北伐の最後の撤退も見事にこなしたし、
楊儀の人格面を考慮した後継者選びも見事に嵌った。
姜維も軍事面で才能があり、費イ生存中は役に立った、
費イの横死&姜維の暴走まで予見しろなんて無茶だと思うけど。
>>347 >姜維の暴走
姜維の北伐は暴走だったの?
諸葛亮の意志を受け継ぎ彼なりに成果を出そうと奮戦したんじゃないのか?
というか、諸葛亮は、後継者としては蒋エンと費イしか指名してないんだよね。
姜維のことを「馬良以上」と評価はしていたが、そもそも馬良という人自体、
「白眉」の故事の元でこそあるものの、目立つ事績といえば武陵蛮との交渉くらい。
結局、嘗て劉備に
「私は黄権を失ったが、かわりに孤篤を得た!」と喜ばれた
馬忠も後に南蛮にまわされ、
文武に優れる忠臣張嶷ですら南蛮統治にまわっていた、という現実は
蜀の人材不足と地の利の無さを良くあらわしていると思う。
北伐にまわった呉班は魏延らとともに張コウを破っているし、
陳式も第三次北伐で功績を挙げたことを考えれば、名将かどうかは判断しかねるが、
無難な良将。
>>438 奮闘は奮闘だけども、結果がああも伴わないで国が疲弊しては暴走の類でしょう。
それでも有能ではあったし、権力を握る前までは良かったので、
諸葛亮が抜擢したのは人事の失敗ではないと思うね。
>>350 じゃあ北伐を支持して孔明を専制指導者として認めた蜀の人士は全員暴走していたのかね?
彼は彼なりに頑張ったのに結果が伴わないから暴走の類って
可愛そうだな姜維って…
少なくとも俺は姜維に同情したい
結果として失敗でも、孔明が立てた戦略には妥当性があったわけ。
だからこそ部将も人民も彼に従ったと考えるべきでは?
ごめん。暴走ってのは孔明のことじゃなくて姜維だったのね。
忘れてくれ。
>352
有害無益な戦をさせられる蜀の人に同情したい
孔明死去後、権力闘争で有能な武将が次々消えていったのが痛いな。
殺された魏延も、嵌めた方の楊儀もクビになってるし。
しっかりとした後継者を育てなかったのも、孔明の罪かな。
だから孔明に戦略といえるような戦略なんてないから〜
あったとしても孔明の脳内でしか通用しなかった絵空事
ハッキリ言って軍事や外交は素人学程度
統率力と内政面に関しては認められるが
>>349 さすがに三代先まで指名はやりすぎだろw
>>356 こういう過去のレスを全く無視していい加減な思い込みだけのレスを見るとうんざりする……
人を無知扱いしてなんの解答も帰さない奴を見るとうんざりする…
>>358 お前はさ、歴史上の人物に対する最低限度の敬意をもった上で、
その評価をしているの?それにしたって随分低い評価だぞ?
劉備は諸葛亮の天下三分の計に則って行動して、
ようやく安定した根拠地が得られたわけだ。
こんなこといってしまってはなんだが、
ホウ統の益州攻略の上中下三策でさえ、諸葛亮の戦略を飾るものでしかないんだよ。
よく「天下三分の計は魯粛のをパクっただけ」みたいにいう、
どこかの洗脳者の受け売りみたいな話をする奴をみかけることがあるが、
そもそも魯粛の天下三分計は周瑜・甘寧の天下二分計を
もっと現実に近づけたもので、いずれは蜀の地を奪って曹操と対峙する、
という考えなんだよね。
363 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/03(土) 17:50:34
>>361 皆がお前みたいに暇とは限らないだろうに…。
364 :
回答万:2007/03/03(土) 17:57:18
孔明信者の言い分を論破
1 孔明は一国の宰相だったからリスクが取れなかった
回答
「乱世の雄はきわどい一瞬を勝ち抜いてきたから英雄なんです、自国より国力が大きいからリスクをとれないじゃ一族もろとも滅びるのみ」
2 天下三分の計について
回答
「当時特別珍しい意見でもなんでもない、実行するのが難しいのです。成功に導いたのは法正やら多くの家臣と劉備自身であって、孔明が特別何かしたわけでも蜀漢とりの主役でもない」
3 呉との同盟について
回答
「呉も劉備との同盟を必要としてた、利害関係が一致しただけの話」
>>358 更にだ、孔明が軍事に関して素人ならば、
それらに戦術面で苦戦していた司馬懿や張コウの面目はどうなるんだ?
司馬懿も張コウも、当時の魏将としては名将というに相応しい。
大体諸葛亮の戦略は途中まで通用していただろ。
劉備が益州攻略にてこずって、張飛・諸葛亮・趙雲らを呼び出したことで、
関羽が孤立して、219年には関羽が暴走(軍を率い北上)し始めたんだよ。
劉備の軍は蜀討伐や漢中攻略で連年連戦であったから、
劉備からの援軍など期待出来ないであろうに関羽は北伐を開始した。
于禁を破ったのでさえ、洪水の影響が大きい。
それとも、お前は劉備でさえ統御し切れなかった関羽のこの行動を
諸葛亮に止めさせたいのか?
諸葛亮と折り合いがうまくいかなかった人物としては魏延が挙げられる。
彼は兵士を良く育てたが、周囲の人間からは煙たがられていたとのこと、
同僚に対しては関羽のように傲慢な性格だったようだ。
恐らく諸葛亮が苦手としたのはプライドが高い有能者であって、
彼らに対する処遇に困ったからではないか?
「馬超ってどんな奴?」ってきいてきた
関羽へ諸葛亮が手紙を送ったところ、関羽は内容に喜んだそうだが、
これは彼の自尊心をうまく刺激してあげたわけであって
別に人間関係が良好であることを示すものでもあるまい。
珍しい意見でも何でもないとは初耳だな
疲れる…
>>364 マス目までそろえて頑張って書いたんだな。乙。
しかしながら、1の件は孔明以外のどの人物でも成しえるのは難しいと思う。
一体どこの誰と比べてるのやら・・。
2と3は極例すぎ。
蜀奪取よりも、とったあとに保持することの方が大変だし、法の整備なんかは関羽や張飛といった武官には到底できない。
その後の事績もみたほうがいい
あと、内容が薄過ぎ
もっと具体的に
後継者に関しては2代先まで指名して、その2名ともよく任にこたえた。
これで十分。
逆に聞きたいが後継者をしっかり育成したと言える人物の例を挙げて欲しいな。
>>364 1について。
まず、様々な三国志系サイトやらで
曹操の集めた将軍が「曹操配下」と表記されることはあっても、
「劉協配下」と表記されることがないことを知って頂きたい。
曹操と諸葛亮は、位としては丞相だが、その立場は随分違う。
董承らを殺害して殆どの勤皇派から敵視されていた曹操と、
先主から遺嘱された諸葛亮を同列にすることは出来ない。
だから、「曹操の官渡みたいな果断さがない」との反論も出来ないぞ。
2は、逆にいえばホウ統も法正も彼の戦略通り動いたにすぎないってことだ。
3?周瑜が劉備を呉に留めようとしていたのをしらんのか?
370 :
回答万:2007/03/03(土) 18:20:52
>>367 1 孔明以外の人物がなしえるのは難しい
回答
「現に孔明死後も後継者がなしえてます、孔明生前より死後の方が蜀の歴史はながい、姜維なんかも何度も北伐してる」
2 天下三分の計
回答
「当時知識人の間じゃどうやって魏に対抗するか討論されていたでしょうし、当時の劉備の立場からしたら天下を2部するなんて不可能だったわけで、残るは魏と呉に属さない荊蜀に身を寄せる以外行き場所がないんだから当然の行動でしょう」
3 呉との同盟
回答
「曹操に対抗する為には、曹操に敵対する勢力の力を結集するのは戦略の常套手段、敵の敵は見方の論理」
回答きめぇーwwww
>>370 そもそも北伐自体が博打。魏延の進言なんてDQNの発想。
魏と呉に属さない、なんていうのもねぇ・・・・・。
当然の行動、とはいうが、劉備は諸葛亮を得るまで荊州は得ていない。
周瑜の件を、っつってんだろ!呂範も劉備を敵視していたし。
373 :
回答万:2007/03/03(土) 18:36:03
孔明信者を見事なまでに論破してしましたか
当時の劉備は劉表の客将で恩義のある身な上に同族ときたもんだ、
その劉備に対してあろうことか荊州こそが劉備に用意された土地だと進言し、
同じく同族の劉璋の蜀をも奪えと言ってる諸葛亮の戦略はかなり画期的だと思うよ。
劉備には劉表に兵を借りて曹操か孫権へと攻撃に向かうという選択もありえたのに、
曹操・劉表・劉璋・孫権の各勢力を的確に分析して、曹操にはかなわない、
孫権も呉は内部が充実していて攻めるべき相手ではないと判断を下し、
劉表・劉璋の弱点を的確に見抜いてる辺りは凄いと思う。
>>370 なしえてるって、姜維なんか北伐で大敗して国力低下してるじゃん、
単にリスクを冒せばいいってもんじゃないだろう。
荊州には劉表が、蜀には劉璋がいるし荊蜀は空き地じゃないんだが、
また劉備は劉表に身を寄せる身で劉璋とは同属、
呉を同盟相手に選ぶというのは消去法によるものじゃないね。
敵の敵は味方理論ならば荊蜀を奪うのは理論に合わない、
呉との同盟は勢力として3者を分析した結果のもので、常套手段という程じゃない。
2chで論破は敗北宣言だろ
回答万より迷答万にコテ変えたら?
やっぱもういいから一生ROMってろ
諸葛信者どころか誰も論破出来てないけど逆に論破されてるし・・・
>敵の敵は見方の論理
それは劉備側が都合のいいように使ってる理論であって
孫呉は別に同盟など積極的に望んでないんだけど・・・
寧ろなんで劉備なんかと同盟組まなきゃならんのだって考えなんだし
魯粛だけだろ劉備を敵の敵は味方の理論で話を奨めているのは
どうでもいいけど敵の敵は見方の論理ってなんだよ
見方ってそもそも【見る方法。考え方。見解】って意味だし
379 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/03(土) 19:32:32
>>372 周瑜や呂範が劉備を危険視したのは赤壁後だから諸葛亮はそれほど関係ないかと…
同盟自体に反対を唱えていたわけでもないしね
>>368 諸葛亮に責任があるとはいわんが費褘は駄目だろ。
>>382 実質的にトップにいる人間があんな最期じゃ駄目だろ。
>>374 荊州取るのは無理じゃね?
曹操から逃げる途中にも襄陽攻めようって言ってるけど
ここら辺は判断ミスとしか思えん。
降将によって殺された例は少ないんだし、
警戒してなくて当然だと思うよ。
386 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/03(土) 20:12:36
孔明が指名した二人って「無難」の域を出ないよね。
自分の部下は性格の悪い人物ばかり扱ったのに。
最期はともかく政策的にはまずいと思わない
殺されたことを非難するのはポイントがずれてると思う
>>381 費禕のことを学べ
彼が存命中蜀は揺らぐ気配がなかった
>>386 正史を読む限りこの二人は必ずしも大人しい性格ではあるまい
390 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/03(土) 21:56:16
孔明みたいな上司っているよね。
確かに有能なんだけど、全部自分で出来るから
ほとんど部下が手伝うことが出来ず、手持ち無沙汰なのでいらないことを考え出す。
そして後進は育たず、益々上司一人に仕事や責任がのしかかっていく悪循環。
>>388 費褘が横死しないで後継者を指名できてれば
内部分裂する可能性はかなり薄くなると思うがな
>>390みたいな部下っているよね。
無能で、仕事できないから、上司はほとんど部下に任せることができず、
全部上司が自分がやらないといけなくなる。
そして、部下は文句ばっか一人前で、調子こいて働かなくなり、
益々上司一人に仕事や責任がのしかかっていく悪循環。
少しは管理職の苦労も考えろってんだ、この駄目社員が。
つまり諸葛亮の部下はそんなのばっかりってことか…
>>392みたいな同僚っているよね。
明らかに無能で、人の揚げ足ばかりとるし
ほとんど同僚に手伝ってもらって、自分じゃなにもできないくせに愚痴ばかりでいらないことを考え出す。
そして上司・同僚・部下に迷惑かけて、益々会社に負担かけるばかりで悪循環。
>>384 用心深い諸葛亮が攻めろと言ったのだったら何か勝算はあったんだろうとは思うが、
実行に移されてないから勝算の程は分からんね・・・。
396 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/04(日) 00:12:48
座して待てば自滅するだけだから、一種の賭けに出たはずの北伐だったのに、
安全策しか採用せず、みすみすチャンスを見逃した孔明は痛い。
形だけ攻めていたなら劉禅に対する背信行為だし、
真剣に攻めていたにしては中途半端。
お前はゲームのやりすぎだ
隆中対で孔明の戦略性のなさが分かるじゃん。
>>396 > 一種の賭けに出たはずの北伐だったのに、
根拠は?
今は国是のための形式的な出兵ってのが主流だとおもうんだけど。
なのに賭けとかってアホだよね
>>398 諸葛亮が出てきたとたんに劉備が飛躍したことをどう説明する。
>>364 1.>きわどい一瞬を勝ち抜いてきたから
滅亡同然の劉備が文字通り起死回生してる
"危険を冒す必要がない"のに危険を冒すやつはアホでしかない、
というか高名な人物でそんなのこと実行したやつなんていない。
2.
それ以前にいくらでもチャンスがあった劉備がいつまでも飛躍しないのはなぜ?
「追い込まれなきゃ力が発揮できないって漫画の主人公的なとこがあった」以外の回答があるのか?
3.>利害関係
呉が劉備と組む利ってなんだよ?
(俺もこれには異論はないけど、お前は知らなそうだから。)
別に諸葛亮が出たとたん飛躍しとらんが
呉との同盟はすでに魯粛が来てるし、劉備が本当に飛躍したのは京城の会談から
だいたい何の担保もなしに他国を信用する策がまともに思えんが?
肝心の劉備本人が納得し、魚にとっての水とまで言わせる程に
諸葛亮を認めるきっかけとなり、その後の戦略の基盤となった天下三分がまともでないと?
何言ってんだかw大体当時の劉備が呉に対して担保なんて取れる訳無いだろ。
同盟の件も魯粛が孫権に劉備との同盟を薦めたのは、劉表の遺児と劉備が結託するならっていう前提付きで、
争っていたらどっちも征服しろと言ってる、なので劉備に会いに来た時点では曹操が既に到来して
劉備は劉jと結託できてない訳だから完全な越権行為で同盟を結ぶ権限はなく、
魯粛がやったのは実は劉備に同盟を薦めたのみ(ただしこれは劉備にとっては大分前からの大前提であまり意味は無い)
そして実際に使者として孫権に劉備との同盟を認めさせたのは諸葛亮で、
魯粛は孫権への説得工作なんか全然行っていないんだよ。
んで京城以前に荊州南部を抑えて、南郡の一部を割譲されてるからそれ以前から
雄飛は始まってる、少なくとも以前の劉備では考えられない状態。
逆だ馬鹿ww
なんで劉備が孫権から担保をとるんだよ。
すでに南郡を借りてる状態で劉備側はなんも同盟強化してないんだよ
それでどうやって隆中対の呉と協力すんだよwww
>>400 担保は劉備の名声と地位
影響力の大きさは荊州人士が劉備に付いて来た事からも判るでしょ?
あとは
>>401の言い分に同じ
別に呉を無条件にアテにした戦略ではなく、呉が早期に荊楊益の三州を奪るのは不可能なタイミングで、今なら益州に滑り込めますよ、という話だろ
劉備が周ユを牽制している所からも同盟初期から微妙な駆け引きがあったのは間違いないし
今日になっていきなり過疎ったんだけど、これって何て現象?
まぁ、いままで自演で続いたスレだったから仕方ないか。
406 :
回答万:2007/03/04(日) 19:15:51
しかし諸葛厨は論破されても同じ論理で孔明凄い凄いとw
共産党並みの恐ろしさだよこれは
>>401 > 魯粛は孫権への説得工作なんか全然行っていないんだよ。
魯粛の説得は出立前にやったので十分だよ。
魯粛の出立前の主張は曹操に対抗するには荊州が必要というもの。
曹操が魯粛の思惑より早く南下してしまったから選択肢が劉備との同盟しかなくなっただけ。
曹操が早く南下してしまったために曹操と対決するという大前提が崩れ
孫権は曹操に帰順か劉備と同盟して曹操と対決かの二択を迫られる。
ここで決定的な影響力を持ったのは魯粛でも諸葛亮でもなく周瑜。
>>396 魏と蜀の国力差を知っているかい?
同じ〜2倍程度なら官渡曹操みたいになんとかなるがそれを遙かに越える
兵数、兵糧、領土、有能な武将数、装備すべてにおいて劣っている蜀
蜀からみたらそのままなにも考えずに北伐なんてすれば国力差で勝てるはずもなく、なにもしなければジリ貧
同盟国の呉からの魏侵攻も大してあてにならない
諸葛亮が行った北伐は天命だったにせよ大博打になんか出れないしそもそも形勢逆転の大博打自体ない
410 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/04(日) 21:05:24
装備なんかは蜀のが上だった可能性が高いぞ
銅、鉄生産力は魏領では貧弱だったらしいから
411 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/04(日) 21:08:21
将や兵の強さなら魏や呉より蜀の方が上だろw
人材も普通にいるしどこが人材無しだよw
演技見すぎwww
漢代では装甲率40%くらい、官渡の袁紹軍が14%くらい、
三国の中では装備開発に熱心だった蜀漢が一番装甲率が高かったのではと篠田先生は言ってます
>>411 え?将の強さって何?
装備は
>>412の言うとおり。
有能な人材は中央に集まるもので、蜀に人無しとはいわないが、魏や呉を凌駕するとは言い難い。
司馬懿・ケ艾・陸遜・陸抗クラスの人物なんて諸葛亮くらいしかいなかったけど。
>>406 少なくともオマエに誰も論破などされてないけどw
しかもそれに気付いてないんだからある意味凄いよwww
しかし持論を示せば示すほど自爆してるとこはまさに民主党並みだな
この回答万ってアホコテはwwwwww
しかもそれに気付いてないんだからある意味凄いよ
406は高次機能障害だろ
知覚・運動・記憶・思考・推理能力が著しく低い
LDっぽい雰囲気も漂ってるしヤバイよ
中枢神経やられちゃってるねコイツは
416 :
回答万:2007/03/04(日) 22:25:08
何一つ論理的に反論できず
必死に意味不明なことを書き込み話をそらそうとする
諸葛厨って哀れだづすな 笑
あ〜ぁ俺、我慢してたのに
ヴォケにヴォケと言っても分からないからヴォケなんであって
諸葛亮の無能ならそれもいいが、思い込みと思い付きで言ってるから前提となる知識が間違ってますよ、って指摘を受けて「同じ事を」と言うのは要するに自分の進歩の無さを嘲っているわけです
こちらが唸るほどの史料の読み込みと考察を聞かせて欲しいもんだが
まで書いて気付いた
待て、これは孔明の自演だ!
418 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/04(日) 22:28:53
>>418 まだ次スレにいくには早すぎるし、そっちの板に迷惑
中英板にも迷惑だが回答万って支離滅裂なお馬鹿さんも俺たちには迷惑!!!
回答万は村八分にしようぜ
つーことで諸兄おK
>>417 うーむ、回答万の馬鹿な意見に答えることで、
諸葛亮を偉大とする根拠が提示され、
回答万を憎むことで、このスレ住民の意志は一つとなる。
全ては奴の読みどおりにことが運んでいるというわけか。
諸葛孔明、なんとも恐ろしき策士よ。
回答万=孔明
かもよ
>用兵の法を部下に研究させてたりする。
>もし孔明に軍事の才能がなかったら、そんなことはさせないと思うんだが…。
えーとそれで成果があったの?
中国史は西洋史と違って資料が残っていないので証明しようがないんだけど。
ハンニバルすげーと孔明すげーじゃ全然違うよ。
>>422 だとしたら回答万の権謀術数おそるべし (((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
>>424 >中国史は西洋史と違って資料が残っていないので
も意味不明。「史料を読んだことがないので」の間違い?
428 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/05(月) 00:25:02
分かった
>>424がみんなや回答万を錯乱させてた元凶だ
>>407 十分じゃないでしょ、魯粛は孫権に提示した同盟の条件を全然守れてないのにも関わらず、
劉備に勝手に口約束を交わして使者である諸葛亮と共に帰ってきてる。
そこで問題なのが曹操に降るという選択肢がある孫権が劉備の使者を引見してるという点、
これは後々になればこれを口実に曹操に何かされるかもしれないほどの越権行為、
その越権行為に対し魯粛は説明を孫権に行わず、諸葛亮が公式の場でそのメリットを説いて孫権に認めさせた、
この同盟締結に関しての諸葛亮の功績は大。
>ここで決定的な影響力を持ったのは魯粛でも諸葛亮でもなく周瑜。
周瑜は決定的と言えるほどの影響力は持ってない、確かに周瑜の意見を孫権は喜びはしたものの、
時系列で見ればこれは魯粛帰還前、実際には周瑜の意見以後も諸将協議は続いており降伏論が多かった、
孫権が実際に行動を起こしたのは諸葛亮が使者として赴き同盟のメリットと曹操軍の詳しい内情を孫権に伝えて
同盟締結させた後の事で、諸葛亮の影響力が非常に大きかったことが分かる。
参考URL
ttp://www.geocities.jp/kaysak864/chu-shokatsu.htm 以下一部抜粋。
●北伐の目的
北伐の目的は選挙運動である。
後漢以降の中世中国は、士大夫の世論が世界の帰趨を決める時代であった。
そのために自国の体制のすばらしさを訴えることが、北伐の目的であった。
従って、戦場で仲達をうち破る必要などいっさいなかった。
●北伐成功の可能性
呉との連携、鮮卑の軻比能、遼東公孫淵、西羌の援助、南蛮軍の追加、反曹派の名士など、
全世界を巻き込んだ包囲網を作り、持久戦に持ち込んで魏を破綻させるのが孔明の戦略構想であった。
魏にも、明帝の浪費、仲達の忠誠心の欠如、大将軍級の名将の不足などつけ込む隙は十分にあった。
呉軍の北上に際して明帝自身が親征したが、このことは大将軍級の人材が仲達以外に既にいないことを暴露している。
もしも、上記の多方面の軍団が同時に動いたなら、もはや魏には打つ手がなかった。
以下、それぞれの進行状況を見てみよう。
●呉との連携
●鮮卑の軻比能
●遼東公孫淵
公孫淵の挙兵は、237年である。
●西羌の援助
これは本来馬超に期待されていた。これが姜維へと受け継がれたわけである。
●南蛮軍
南征の結果、勇猛な部隊が北伐軍に加わっていた。
●反曹派の名士
すなわち、これが旧清流派であり、仲達らである。
孔明の死後5〜10年あれば、すべてが反魏のもとに動く可能性は十分にあったのである。
>>430 いやあ、むしろすごいのは魯粛のようなw
お前ら釣られすぎ
434 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/05(月) 11:43:35
>>431は概ね正しい認識だと思うが、
関羽北上時の于禁軍団壊滅並みのショックは必要だろう。
第三次北伐後の曹真遠征がチャンスだったのだが…
>>430 魯粛が荊州に着いた時点で同盟の条件も荊州征服の条件もなくなってる。
だからといって何もしないで帰るわけには行かない。
>>407にも書いたが魯粛の主張は曹操に対抗するには荊州が必要というもの。
出立前には曹操に降るという選択肢がなかったのだから越権行為でもなんでもない。
魯粛が何の説明もせずに諸葛亮が孫権に会えるわけもない。
裴松之が指摘しているように周瑜の説得は魯粛帰還後。
孫権の意志はもともと対決しようというものだったが群臣の反対が強かった。
諸葛亮や魯粛のような無官の人物が影響力を発揮できる状況ではない。
だから魯粛は便所で説得しなくてはならなかったわけだが…
周瑜が孫権と群臣の居並ぶ前で説得した事で孫呉が一致して曹操に対抗する事が決まった。
437 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/05(月) 12:06:36
>>431の考え方だと、孔明は蜀の武将と兵士全員、
それに劉禅すら騙している不忠者になるわけだが・・・
曹魏を倒せるなら問題ない。
>>431は因果関係無視、時系列無視のトンデモだな
>>436 周瑜は一言も劉備に言及しておりませんが
同盟援軍成立は無官の人物で影響力を発揮でき無い諸葛亮は関係無い事になりますが?
影響力を発揮でき無い状況下での同盟成立であるからこそ諸葛亮の功績が大きいわけで
これは諸葛亮伝でも記述を大きく割いている証左でもあり
陳寿絶賛の根拠でもあると思いますが?
>>440 周瑜が鄱陽から帰ってくる前に
曹操に帰順か劉備と同盟して曹操と対決かの二択になってたからね。
同盟締結の使者として行ったんだから全く関係ないとはいわないよ。
問答だって立派にこなしてるんだから使者としては十分な仕事をしてる。
但し劉備との同盟は魯粛の提案で孫権もその必要性を理解していたし
曹操との対決を決定的にしたのは周瑜ということ。
諸葛亮が
>>401のいうようなことを成し遂げたわけではない。
本人の伝で活躍が誇大化されるのは当たり前のことだし
陳寿が評で絶賛してるのは政治と人格。
>>441 外交ってのは政治と人格じゃね?
それに奇策と絶賛してるのは外交結果だし
401じゃないけど、十二分に意志決定のきっかけとしての
役割もこなしていると思うが?
というか劉備がいれば漢の丞相に対抗する為の
大義名分が立ちやすいという降伏派の反論への説得力にもなるし
周瑜の一言がなければ決まらないとしても
意志決定への役割は卑下することはない立派な功績だと思うが
つか、本人の伝は誇大化なら周瑜の一言も誇大化にならね?
同盟に関しては呉志だと別に諸葛亮でなくても劉備でも成立すると思うが。
呉は豪族集団だから、孫権が本心どうであれ世論の流れを変えないと駄目だと思うのよ
わざわざ陳寿が同盟に長文を費やしているのは、諸葛亮以前・以後で流れが変わったと言いたいんじゃないか
魯粛の便所も「ここで諸葛亮に乗っかって」ってカンペみたいなもんだとオモ
>>442 すまんが奇策と絶賛してるのがどこか分からない。
>>440が同盟締結したことが陳寿絶賛の根拠のひとつと書いているから
諸葛亮伝の評の事だと思ったんだけど
諸葛亮集なら読んだ事ないから分からないorz
あの頃の劉備じゃ大義名分としての説得力は大したことなさそう。
劉gならありだが諸葛亮がそれを主張出来たかは微妙だと思う。
意志決定にどれだけの役割を果たしたかなんてのはぶっちゃけ分からない。
ただ
>>441に書いたこの部分は無理なく推測できる。
> 劉備との同盟は魯粛の提案で孫権もその必要性を理解していたし
> 曹操との対決を決定的にしたのは周瑜ということ。
だから
>>401の言ってることはおかしいと主張してる。
伝の内容が食い違えば周瑜伝も疑ってかかるのが当然で
何で周瑜が決定的な役割を果たしたと思うかというと
周瑜の影響力の大きさと反対派の群臣がいる場での発言だから。
>>436 既に前提が覆ってるのに、独断で何かしていい訳が無い。
特に劉備との同盟は降伏という選択肢が残っていた孫権にとっては死活問題で、
これを勝手に纏めようとして魯粛の行動は完璧に越権行為、なので本来ならば魯粛は
この同盟の有用性を公式の場で語る必要がある。
しかし魯粛がそういう事をした形跡はないので、内々で諸葛亮を紹介したか、
連れてきたもの仕方が無いという判断でしょう。
その裴松之の指摘は時系列がおかしいんだよ、
周瑜伝ではこの話し合いの時期に劉備と魯粛が遭遇したと書かれており、
魯粛は未だに帰ってない時期の話し合いなのにも関わらず、既に魯粛が周瑜を呼び返せと進言した後になってる。
それから諸葛亮は劉備の使者としてきてる訳で、孫権配下でもないのに官位が重視される理由が無い、
元々孫権自体が大した官位でもない上に配下も下級役人クラスの官位であるのに、
孫権配下でそれ程官位が重要視されたかは疑問だが、無官の魯粛を劉表の慰問に行かせたりしてるし、
劉表の遺児&劉備との同盟結ぶ使者にもしてる、官位が重要だったら失礼極まりない行為だよ。
魯粛の便所での説得は周りが反対派である以上は孫権と直接交渉が有効だからでしょう。
裴松之の指摘がおかしいというのを踏まえて時系列を推察してみるとこんな感じ。
・魯粛荊州へ出立。
・曹操到来、劉j降伏。
・孫権が話し合ってる時期に、劉備と魯粛は遭遇(周瑜伝)
・周瑜は命令を受け鄱陽へ(魯粛が帰還すると今度が周瑜がいないのでこの時期に行ったんだろう)
・諸葛亮、使者として呉に訪問&魯粛帰還(呉主伝・周瑜伝・諸葛亮伝)
・魯粛、孫権に周瑜を召し返すように進言(魯粛伝)
・進言を受け周瑜に軍務遂行を委任し、魯粛に戦略立案を補佐(魯粛伝)
・諸葛亮が使者として孫権に会談し、その結果周瑜と程普を派兵(呉主伝・周瑜伝・諸葛亮伝)
呉書では周瑜も魯粛も諸将が降伏論を唱える中、一人主戦を唱えた事になってる、
裴松之はこれを手柄を盗む行為だと憤慨してる訳だが、並べてみると分かり易い。
早い話が魯粛と周瑜は同時期に孫権の下には居なかったという事、
周瑜が主戦論を唱えてる間は魯粛は劉備と遭遇しており、その後は周瑜は前線に近い鄱陽で軍を備えていたと思われる、
で魯粛が帰ってくると今度が魯粛が便所で周瑜を呼び戻せと孫権を説得、
そうこうしてる内に諸葛亮と会談して曹操軍の内情+同盟のメリットを公式の場で諸葛亮が説き、
孫権はそれを受けて派兵を決定、魯粛を補佐に任じて周瑜に軍務を委任し、劉備と合流という流れに。
>>445 大義名分は会談で主張してるじゃん
そして劉備の名分の大きさは荊州人士への影響力と
孫権の階位を上げた事でもわかるじゃん
>>446 周瑜伝は先に周瑜の発言を持ってきて
魯粛が劉備と同盟して諸葛亮をつれてきたことは後に記述しているが
その文頭に「時」とつけているから、必ずしも時系列的に後とは断言できないと思う
仮に、時系列的に魯粛が帰還する前の発言なのだとしたら
この周瑜の意見は呉が開戦を行う決定打にはなりえていないことになる。
魯粛伝では彼が帰還したときまだ会議は続行中で
降伏派が大勢を占めていたんだから。
ここは裴松之の指摘の方が妥当だと思うけどね
方針も決まってないのに二大巨頭の一人が外に行くものか?
>>449 文を見るならば後ではなく劉備と魯粛が出合ったのと同時期ぐらいでしょう、
そこから魯粛と諸葛亮は呉へと出立するわけだから自然と会議より後という事になる。
>この周瑜の意見は呉が開戦を行う決定打にはなりえていないことになる。
実際なりえていないでしょう、孫権に対して諸葛亮が同盟の利を説く必要があり、
この会談の後に初めて孫権は周瑜と程普を督に任じて派兵する訳だから、
周瑜の意見で開戦が決定済みならば諸葛亮の話は聞くまでも無い話であるし、
魯粛帰還後であるならば周瑜が同盟の件について全く触れていないのは不自然であり、
裴松之の意見は腑に落ちない点が多い。
>>450 諸葛亮が赴く頃には孫権は柴桑に居る訳だから、かなり近い。
そもそも魯粛が帰ってくるまでに孫権が今まで周瑜を呼び寄せていない事が有り得ない。
>>451 周瑜伝の時系列から外れるから"時"を使ってるんじゃないの?
劉備が曹操に破れたとき…という意味でしょ
だから裴松之が突っこみいれてるんだと思うけど
>>451 周瑜の発言は同盟を考慮した上でのものじゃないか?
彼は夏口まで派遣してくれるよう要請しているが
当時夏口は劉キの領地なのだから
そこまで呉が軍を出せることを前提にしてる時点で
劉備(劉キ)との同盟を前提にしている可能性が高いだろう
>>452 そうはならんよ、「時〜」から始まる文章は「〜遇於赤壁.」で終わりなんで、
時〜の部分を時系列から外れてるとするならば赤壁進軍までが外れてる事になるが、
それは有り得ないし、既に書いたように不自然な点が多い。
この部分の裴松之の突っ込み自体がそもそも冷静な突っ込みとは言い難いので、
時系列を誤解したまま勢い余って書いちゃったじゃないのかな。
ここの「時」は「遣諸葛亮詣権」までにかかる語じゃないか?
裴松之の注での指摘をまとめると
○抗戦論の口火を切ったのは魯粛で、周瑜はその後呼び戻された。
○周瑜本文では、満座降服論を唱える群臣の中で、
あたかも周瑜一人が抗戦論を唱えたような書きぶりで、魯粛には言及なし
○以上より、これでは魯粛の功績が無視され、周瑜一人が抗戦に導いたように見える。
これでは魯粛に対してあんんまりだ
ということ。
その後の本文の「時に〜」以下は、場面を移して魯粛が劉備との共同体制を用意していた等、
戦前の状況を説明したもの。
時系列的に、周瑜の説得の後の事と並べたわけではないことは明らかであり、
裴松之も当然それはわかっていたであろう、これを問題にしたわけではない。
つまり、裴松之は陳寿の記述を誤解したわけでもなく、
陳寿の記録の時系列に齟齬があるわけでもない。
>>453 劉備との同盟が前提ならば共同戦線を張る筈の劉備に対して言及があっても良いし、
諸葛亮と対談後は即座に派兵に応じてることからこの会議の時点で同盟は未だに未定、
荊州の大部分を支配していた劉jが降伏したいたんで、、夏口まで無理矢理進軍するつもりだったんじゃないのかな。
>>455&456
原文では「〜遇於赤壁.」が文章の区切り、
なので時劉備為曹公所破から始まる文章は赤壁まで進軍するまでを一連の流れとして捉えてる。
ところがこの一連の流れに周瑜の説得は入っておらず、呉主伝でも諸葛亮が使者として到来→派兵の流れ。
裴松之は魯粛の手柄が無視されてる事のみに目を向けすぎたんだろう。
それに魯粛に言われるまで会議に最後の最後まで周瑜が呼び出されないという事態のおかしさという矛盾もある。
>魯粛に言われるまで会議に最後の最後まで周瑜が呼び出されないという事態のおかしさという矛盾もある。
これについてあるサイトでは周瑜だけでなく他の軍部の人間も最初の会議に
いないらしく遅れて着たか、軍部の人間を無視して先行しての会議らしい。
>>458 あそこか、軍部の人間が居ないっても諸葛亮来た&魯粛が帰ってきた時は
孫権は柴桑に軍勢を率いて駐屯してて、事の推移を見計らってる段階なのに、
軍部が居ないor無視しての会議というのは有り得ないし、
周瑜は命令を受けて鄱陽に居たらしいが、降伏論者ばっかりで困ってるのにも関わらず
一回も周瑜を呼ばないでいたというのが意味不明すぎる、距離にしたら大したこと無い距離だ。
それは情報を集めていたでいいと思うが
発言権が大きいからこそ下手なことを言えないから
降伏論者を納得できるだけの情報を集めていたんでしょ。
461 :
460:2007/03/06(火) 01:06:06
追加で諸葛亮が情報を持っていたとしても自分達の裏打ちのない情報に
国家の存亡なんか賭けられるはずがない。
>>460 周瑜が鄱陽に居たのは孫権の命令を実行してたからであって、
本人の意向じゃないし、諸葛亮のもたらした情報と比べると見劣りするので
情報を集めてたという線も無いと思うよ、場所的に一体鄱陽でどんな情報が得られるんだって話だし、
結局は諸葛亮の会談で派兵が決定したんだから。
>>462 鄱陽は前線に近く反乱の多い地だから情勢を見極める必要はあるよ
>>463 それは鄱陽の情勢であって、降伏論者を喝破するための情報を得る場所じゃないでしょう。
情報収集がしたいならば柴桑でも出来る、つーか降伏論者を説得しながらより前線に近い
柴桑でやった方が効果的な訳で(諸葛亮からも情報収集できるし)
それに鄱陽の情勢を見極めるだけならば何も周瑜だけでやる必要は無いし、
それよりは会議に一回も出席したことが無いというならそっちの方が重大でしょう。
降伏論者を論破するにしても段階がある。
むしろ、他国の諸葛亮だけの情報で戦争なんかできるはずがない。
>>464 降伏論者を喝破する前に曹操に勝てるかを考えるのが普通でしょ。
孫権も周瑜も勝ち目が無いのに戦おうとするわけが無い。
巨大な敵と争うのに足元が不安定ではどうしようもない。
情報収集じゃなければ何で孫権は周瑜を鄱陽へ行かせたと思うの?
>>465 だったら柴桑で段階を得ればいいだけの話、むしろ一回も出席しない方が悪影響。
それと諸葛亮の情報だけで戦争しろと言ってるんでなくて、諸葛亮の情報も入手しつつ、
より最前線である柴桑に居た方が情報収集できる。
この様に周瑜が今まで会議に出た事がないという説は非常に不自然な点が多い。
>>466 降伏論者を喝破するためには曹操に勝てる方法を考える必要があるから、
それはほぼ=でしょう、そして柴桑は前線に近く、降伏論者を説得しながら情報収集できる。
そして足元を固めるのも大事だが、当時の鄱陽に反乱の兆しはなく、
周瑜が一回も会談に出た事がないならば何も周瑜に掛かり切りにさせる程の重要性は無いでしょう。
周瑜が鄱陽に行った目的ねえ、大方軍備を整えるとかそんな所だと思うな、
実際には記述されてないんここは推測の域だけどもね。
降伏論者が多いが孫嫌の内意は決まっていたようなんで、内々に指令を出していたとかあるかもね。
それから逆に問いたいけど、一体柴桑からさらに後方の鄱陽で一体どんな情報が得れると言うのかね?
その情報は柴桑に居る時よりも有益な情報を得られるとでも?
別に不自然とは思わないが、
むしろ確固たる情報もなしで会議をやれば議論に負ける
それなら最初は会議に参加をせず情報を集めてからのほうがいい。
孫権も国家の2の周瑜がいなければ決められないと逃げることもできる。
>降伏論者を説得しながら情報収集できる。
えらい矛盾だな降伏論者を説得するために情報収集なのに
情報がまだ集まってない状態だと根性論でも説くのかな?
471 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/06(火) 06:50:38
孔明なんて地方政権の小物論じても仕方ないだろ
歴史的事業をしたわけでもないし
>>469 >それから逆に問いたいけど、一体柴桑からさらに後方の鄱陽で一体どんな情報が得れると言うのかね?
>その情報は柴桑に居る時よりも有益な情報を得られるとでも?
>>470 何処が?
より前線で情報収集しながら説得工作、両立出来るが?
会議自体は何日も行われてるみたいだし。
473 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/06(火) 10:32:08
孔明厨の長文君はニートで会議や人の集まりが苦手みたいだな。
474 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/06(火) 10:45:25
475 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/06(火) 10:46:24
某日、歴ゲー板に「無双シリーズ史上最悪の失敗点」というスレが立つ。
しかし良スレだったスレは三国無双2信者によって中盤から荒らされ大変なことに・・
しかし荒らし達はカズ子なるコテが犯人だということにしようとしたものの
明らかに自分達がスレの混乱を招いた張本人であることがバレバレw
好評な無双シリーズの他作品に対するすさまじい嫉妬から、いつもの如く
気持ちよくスレを荒らしてたゴキブリ共であったが
スレ住人らに自分達の厨行為を正当化するのが無理であることを思い知らされ突如豹変。
自分達のスレでコソコソ陰口叩きつつも恥ずかしいログを流すべく、
怒涛の連投で失敗点スレを埋めていくのであったw
この日を境にものすごい勢いで2信者は暴れ出し今も無双関連スレを荒らしてるが、
失敗点スレで論破されたという恥ずかしい過去は消えるのだろうか・・・
彡川三三三ミ
川川 ::::::⌒ ⌒ヽ
川川::::::::ー◎-◎-) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
..川(6|:::::::: ( 。。)) < 2こそ最高w
川川;;;::∴ ノ 3 ノ \__________
ノ\_;;;;;;;;;;;;;;;;ノ ゲプッ
( * ヽー--'ヽ )
(∵ ;) ゚ ノヽ ゚ ):) ○三国無双2信者
(: ・ )--―'⌒ー--`,_). ○36歳
(___)ーニ三三ニ-) ○歴ゲー板の荒らし(そろそろ2年目に突入)
(∴ ー' ̄⌒ヽω ). ○無職
`l ・ . /メ / ○中卒(議論で瞬殺される凄まじい低能ぶり)
ヽ ∵ /~- / ○童貞
(__)))))_))))) ○好きな行為『2を誉めてくれないスレへの荒らし』
. ○嫌いなコテ『カズ子』
476 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/06(火) 10:47:26
内容を見ず長文だってだけで拒絶するのは自分が低能だって言ってるようなもんだからな。
赤壁の戦い勝てたのは
孔明のおかげだと思うけど・・・
>>477 そう断言する根拠は?
演技に書いてたつーうオチはやめてねw
そもそも美丈夫は元々回答保留だろ?
さいそうにいたのだって、呼ばれてないから水軍の訓練をしてただけだろうし。
美丈夫を説得したから孔明の功績って大きいんでないの?
つか、孔明と周瑜は会ってないんじゃないの?
つか、周瑜のこと美丈夫って代名詞使って呼ぶ奴はじめてだよな
>>479 仮に孔明が周揄を説得したとしよう
それがなぜ大きな功績になるんだ?
周揄が回答を保留にしてのは曹操に勝つ自信はあったが
孫権を説得できるか迷ってただけだろ
そもそも孔明が説得しなくても遅かれ早かれ孫権を説得したんじゃないか?
美丈夫は本当に曹軍100万に勝てると思ってたのか?
普通に考えたら無理だろ?
そして開戦にもっていって新野から敗走した劉備軍のために時間を稼げたってだけで
外交官としても優秀だろ?
>>482 479ではないが
張昭の影響力に対抗できるのが周揄ぐらいだからじゃね?
まぁそれは良いとして諸葛亮が孫権を説得しなかった場合
劉備と同盟を結んで戦争という選択肢がハズされる可能性が高い
魯粛ががんばって同盟という選択肢が残ったとしても
とても対等の同盟なんて形にはならなかったと思う
どちらかというと劉備は客将扱いとなるだろう
そういう意味では、劉備陣営から見た場合
諸葛亮が孫権を説得したという功績は大きい
劉備軍がそれなりに頼りになるという認識を孫権が持つことも対曹操共同戦線を結ぶ上で重要な要因となる。
ぶっちゃけ赤壁で劉備軍は何もしてないからな。
本当に孔明にはしてやられた。
>>486 活躍したのは周瑜と黄蓋だけで劉備軍と程普は見てただけ、かw
程普は周瑜との主導権争いに敗れて窓際扱いだし、
劉備は周瑜から「なんかこいつやばそう」と警戒されて
「あんたなにもしなくていいからね!」と言われてしまうし。
>>477 >赤壁の戦い勝てたのは孔明のおかげだと思うけど・・・
この話からかなり脱線した結論に達してないか?
つまり赤壁の戦い勝てたのは別に孔明のおかげてはない
孔明は劉備の為においしいとこへ持っていく為に活躍したということだろ?
第一、曹操軍が100万なわけないないだろ!!
>>483はその数字を本気で信じてるのか?
>>489 正直なんでそういう結論になったかは別として
>>482で言う「孔明が周揄を説得した」場合
赤壁の戦いが存在したのは諸葛亮のお陰って事になり
この戦争は諸葛亮いたからこそとなるな
ま、孫権自身も開戦に傾いていたようだから、どうかと思うがな。
降伏派の力を弱める効果の一つにもなったろうな。
劉備孫権同盟を結ぶ上で諸葛亮が果たした役割は大きい。
ただし、その同盟の価値は劉備側と孫権側では重みが違う。
劉備にとっては「うはwwww、利用しつくしたれwwww」
孫権にとっては「まあ、ないよりマシかな?→ちょwwww、調子乗りすぎwwwww」
孫権も利用し尽くしたれモード
でなきゃ江夏乗っ取らない
494 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/06(火) 17:08:13
赤壁の戦いってホントにあった話なの?
厳密にはない
が、この頃の劉備と孫権と曹操らのとった軍事行動が三国時代の起点となったのも事実
>>495 「厳密」て何だよw
赤壁で行われた戦闘はあったよ。
497 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/06(火) 18:06:51
孫権と周揄の不仲説って本当ですか?
正史にはどういった記述がされてるのでしょうか?
流れが読めないんで的外れな意見になれば申し訳ないが、
呉主伝によれば
魯粛が曹操に敗れて逃走中の劉備に会う。 ↑
夏口まで来て諸葛亮を使者に送る。 |この当時、朝論は降伏派が圧倒的だった。
周瑜・程普が派遣される。 ↓
周瑜伝によれば
9月に曹操が荊州を降し、群臣は恐れ戦いた。 ↑この当時、魯粛は当陽で劉備と会い、夏口まできて諸葛亮が派遣された
周瑜は抗戦を主張。 ↓
↓
こういった情勢をみて、孫権は周瑜らを派遣した。
魯粛伝によれば
劉表の死亡直後に、孫権と協議して二案をたずさえて出発。 ↑
南郡まで来た時に荊州は降伏。 |この時、周瑜は使いで外に出ていたので魯粛が呼び戻す。
当陽で劉備と会い、夏口まできて諸葛亮が派遣され、魯粛も帰還 ↓
↓
周瑜らが派遣される。
諸葛亮伝によれば
夏口まで来て諸葛亮が派遣される。
諸葛亮が孫権に抗戦論主張。
周瑜らが派遣される。
この時だのこの当時だのがどこに入るのかは不明だし、
江表伝を合わせて考えれば周瑜の発言によって孫権は開戦を公式に決定し、
その夜の個人会談の発言と合わせると既に水軍三万を揃え、魯粛・程普と直ぐに出発してくれとあるんだから、
魯粛が呼び戻すように良い、周瑜が決戦論を説いて派兵が決定した流れでいいと思うのだが。
魯粛との内々の話し合いもあり、交戦の方針でいきたいなあ。
でも大勢は降伏に傾いているし、言うこと聞いてくれなかったらどうしよう?
よっしゃ、ここは魯粛を前線に派遣して、こいつらを説得できる材料を集めさせよう。
お、帰ってきたな。ってか周瑜も帰ってきた!武の重臣のこいつも交戦を主張してくれてる!
おし、ここで一気に交戦の流れに持っていくぜ!
というのが孫権の真実。
東南の風を吹かせたのは誰なの?
503 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/06(火) 19:37:18
>>502 そんなもん人間がどうこうできるはずがないだろ
演義で孔明が東南の風を吹かせたのはフィクション
本気で信じてないだろうな…
っていうか赤壁は普通にスレ違いだろ。
スレタイと関係ないじゃん。
東南の風、というのは8月頃に吹く偏西風のこと。
地元の漁師などは、当時、何十日かに一度、偏西風が、つまり東南の風がふくことを知っていた。
孔明は書籍でそのことを知っていたって話だろ?
>>502 祈ったのは孔明だが吹かせたのはその演義の世界の神様。
吉川三国志ではその時期そこに必ず出る自然現象として偏西風が吹いたことになってる
507 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/06(火) 20:11:14
てか孔明の祈祷って
どれくらい効果があるんだろ
延命の時は魏延に邪魔されたけど・・・
あれはむしろ寿命を縮めたと思う。
510 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/06(火) 21:03:48
511 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/06(火) 21:19:27
>>510 どなか知りませんがありがとうござぃます。
孫呉をよろしくお願いします。
512 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/06(火) 21:25:54
ちなみに無料アドレスしかない方は、面倒ですが携帯で認証できます。
携帯に送られてきた認証ページURLをパソコンで開き認証キーを入れればOKです
神に頼る前に滋養つけて休養でもとったほうが寿命縮めずに済むのにな
食事も取らずぶっ通しで祈祷してればそりゃ体壊す
演義を楽しむことを批判しないが、考察やってる途中に演義を持ち込むのはやめないか?
おそらくわざとやってんだろ
東南の風はともかく祈祷は話題となんら関係無いし悪意があるとしか思えんが
516 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/07(水) 11:42:37
風伯
>515
演技で言うなら劉備の黄巾賊討伐時のエピソードが前ふりになってるだろ。
祈祷は兵士達に納得させるための見せかけ。
孔明はその時期に東南の風が吹くことを知っていたと見るべき。
>>517 俺が
>>515で言ってる祈祷は孔明が寿命を延ばすために七日間祈っていた話のこと
あと東南の風を吹かせたとみせかける為に行なった祈祷はフィクションだろ
論議と全く無関係じゃん
つーかごっちゃにして考えるなよ!!
>>500 既に書いたが、周瑜伝の記述は
>この当時、魯粛は当陽で劉備と会い、夏口まできて諸葛亮が派遣された
だ区切る文章ではなく、赤壁まで進軍した所までを一区切りの文章となる。
なのでここの部分は時系列を抜き出したものではないでしょう、これは直後の「時曹公軍眾已有疾病」
という文章が時系列に沿った記述である事からよけいにその可能性が高い。
また諸葛亮伝によれば「諸葛亮の会談後にすぐさま周瑜らを派兵した」とあり、
呉主伝でも諸葛亮と会談→派兵の流れの記述である事を見れば周瑜の会議での発言は諸葛亮以前の事でしょう、
「江表伝」は呉賛美の傾向がある上に、諸葛亮との会談で既に派兵を決定した孫権が、
再び会議を開いて既に諸葛亮が述べた意見を周瑜から聞いて安心するという展開というもので不自然な点が多い。
まあ前のレスに結構書いてあるから読んでくれるとありがたい。
>>519 一つ聞いていいか?
519は原文をどこで確認してる?
漢籍電子文獻?それとも別の書物?
自分の持っている、中華書局版の原文だと該当箇所は
「遣諸葛亮詣權」で句点が打たれていて一旦切られているんだが、
漢籍電子文獻を今確認したら
そこで切らずに「遇於赤壁」までを一文扱いしてるんだよな。
どうも519との文解釈の違いがもともとの原文の句読点の違いで
余計混乱してる気がしてきたんだが
521 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/08(木) 07:57:14
原文に句読点はない
後から打ったものだ
>>521 いや、それはわかってるよ。
要は大本の文章を
中華書局版のように「遣諸葛亮詣權」で一旦区切る解釈もあれば
漢籍電子文獻のように「遇於赤壁」まで一文として続ける解釈もあるわけだけど
519は「遇於赤壁」まで一文という解釈に断定しているようだから
確認している原文の句読点がそうなっているから断定しているのかと思ってね。
523 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/08(木) 12:00:19
524 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/08(木) 12:42:38
>>523 多分ネタなのだろうが、マジレスすると、
その手の八陣図を根拠に孔明が軍事に明るいというのは
演義を根拠に話すのと同レベルだぞ。
序の部分読んだだけで、孔明に仮託したものだとバレバレ。
晋の馬隆が孔明の兵法学んで対鮮卑で戦功上げている
このスレの成果@
・孔明に祈祷の才能はない
このスレの成果A
・孫呉国に仕官することはいいことだ
諸葛亮に軍才はあるが実に偏り過ぎて虚の部分が足りないだけだろ?
530 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/09(金) 02:58:24
>>520 横レスすまないが、
>>519の回答が無いようなので、該当の文について
結論からいえば、「時に〜」は「遣諸葛亮詣權」までと解釈するほうが妥当。
周瑜の説得により、孫権決断。これは伝の主役、周瑜の記事。
「時に〜」で、一旦視点を変え、その頃魯粛により、劉備との協力体制ができたことを説明。
視点を再び周瑜に戻し、上の事を踏まえ、周瑜が孫権の命で出陣するという記事。
再び「時に〜」で視点が変わり、曹操軍の状況
つまり、この伝の主役は周瑜であり、
周瑜の事跡を追いながら、「時に〜」を挟んで、場面転換し状況説明を行なっている。
この場面の、こうした文章の構成さえ理解できれば、そう難しい問題ではない。
>>530だが、連投スマヌ。
漢籍電子文獻のためにフォローしておくと、
漢文のテキストの句読点は、必ず日本語の句読点と重なるわけではない。
文章に大きな切れ目が来るまでは読点で済ます場合が多々あり、
日本語訳する場合には、適宜各自で句点で切ったほうが、文章的に理解しやすくなる場合も多い。
なので、該当文も、漢籍電子文獻の句読点のままでも
「その頃〜ということであったので、孫権はその結果〜である」
と、やや文章が不味いが、文意は特に変化が無い。
漢籍電子文獻の句読点が間違っているとは言い切れない。
原文を利用するなら、句読点の位置は随時自分で判断するべしという例。
532 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/09(金) 11:07:20
司馬懿の評価をなんか勘違いしてるやつがいるけど、
伏兵を配置すべき場所に配置するのは定石だけど、詭計に変わりはないんだよ。
正攻法のみってのは定石ばかりって意味で、
虚実まじえた用兵が出来ないってことじゃあないんですよ。
兵法ってのは基本と理論の積み重ね。
兵法にないものは奇策といわれる。
孔明は基本にものすごく忠実だっただけだろ。
基本を「全て」守れるやつなんて居ないんだよ。
必ずどこか抜けていたりするものだが
孔明にはそれがなかった。
将棋でも指すように相手を追い詰めていける。
だから恐れられたんだろ。
それはあまりに物語的すぎると思う
まぁ、強い軍隊で戦争に勝つのを目指した人だな
>>533 兵法をマニュアルか何かと思ってないか?
奇策もまた兵法通り
ただ、意外な方法で兵法の定石を踏襲するだけ
なんかアク禁になってる間に話しが進んじゃってて出る幕ない感じだけど、
>>519-531を踏まえて考えると、500の解釈でも良さそうってことだよね?
あと江表伝を「呉賛美の傾向がある」なんて言うのだったら、そもそも蜀書や呉書自体も大いにその傾向が強いんだから
個々の伝だって十分疑えるよね?ぶっちゃけ諸葛亮伝のセリフは陳寿が呉書読んでパクッたのかもしれないし、
逆に呉書が諸葛亮の発言を頂いたのかもしれない。俺はあんまりこういった論法は好きじゃないし、そもそもそんなこと言ってたら議論にならないよ。
大体諸葛亮が先にしても後にしても、孫権の気持ちは既に魯粛会談の頃から、あるいはそれ以前の人質交換の時から抗戦だったはずだし、
既に諸葛亮が述べた意見を周瑜から聞いて安心するというのが会議のことなのか夜のことなのかわかんないけど、
どちらにしろ周瑜の主張はより正確だったし、しかも孫権はそれを聞いてからようやく安心したなんて書いて無くないのでは?
会議なら周瑜が賛成したことによって決断できた(できる流れになった)。夜なら周瑜が孫権と心を一つにしてるのを喜んだって展開だと思うのだが。
>535
兵法は理論なのだからマニュアル化は可能だろw
奇策というのは人の心の油断をつく代物。
そんなものをマニュアル化はできない。
才能のなせる業だ。
基本を全て守ったということは孔明に対して
「奇策を弄することが不可能」だったということだ。
もし魏延の言った戦法を孔明がとったなら
相手はいくらでも奇策をしかけてきたことだろう。
孔明は兵法の基本を守りながら常に奇策もおりこませてはいるよ。
その奇策に惑わされないようにとったのがシバイの引きこもり戦法だろ。
相手の兵糧が尽きるまで待つという。
出てこない相手にはそりゃ何も仕掛けられん。
だから孔明は基本を忠実に守っただけにしか見えなくなる。
孔明がへぼいのではなく、シバイの打った手が
最善だったというだけの話だ。
引きこまれれば正攻法しかとる方法がなかったんだろ、孔明にも。
けどシバイの戦法は蜀軍を撤退させるためだけのものであり、
蜀軍に勝つための代物ではなかったよな?
シバイにはまともにぶつかりあって
孔明に勝つ方法を思いつけなかったということだ。
婦人服とか策と言えば策だな
後代に婦人服で籠城側をおびき出して撃破した例も残ってるし
たぶん軍事を装備と理論で裏打ちするという意味では武霊王以来の名将だろう
>>537 途中まではごもっともだが、
司馬懿は領土を守りに行ってるんだから引っ込んでれば被害もなく守りきれるなら、まさしく最善手なんだから
「司馬懿にはまともにぶつかりあって諸葛亮に勝つ方法を思いつかなかった」は酷じゃないか?
>>528だけど
>>532が言ってる司馬懿の評価を勘違いしてる奴って俺のこと?
ああいう書き方したけど諸葛亮に奇策は出来ないという意味ではないからね
諸葛亮は自軍を有利な状況に常に置き升目を一つ一つ埋めていく様な
戦術を得意としてると俺は思ってるんだよね
まあ奇策を余り好まない様な印象を俺は持っているだけで
諸葛亮に虚の部分が全くないとは当然思ってなどいないのをわかってほしい・・・
孔明>>>>>>>>>>シバイ>周楡>曹操
童貞歴な
544 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/09(金) 21:22:53
正攻法、奇策云々と言うより、例えば、司馬懿と初めて対戦した時の事だが、蜀軍が上ケイ付近で郭准を破った際、司馬懿は強行軍で救援に来た時のこと。
この時の司馬懿軍は、強行軍のため装備は軽装、輜重は最低限と言った具合で、すぐに蜀漢軍と対戦できる状況ではなく、救援軍を出現させる事で、蜀漢軍の動きを止め、郭准軍の壊滅と上ケイ失陥を防ぐと言うもの。
司馬懿は諸葛亮の性格、あるいは用兵指向から、上ケイ付近へ自軍を展開する事で前記の目的を達成できると読んでいたが、蜀漢軍が攻勢に出るのを恐れてもいた。
諸葛亮の当面の戦略目標は魏軍主力の撃破のはず。まず、郭准の先鋒軍を破ったのは幸先の良い事で、次ぎは司馬懿軍、っと思ってたろう。
が、司馬懿軍の出現が、その強行軍のため当初の見込みよりかなり早かったのだろう。
本来であれば、戦略目標達成の機会であるから、司馬懿軍の存在を知った段階で会戦に向かうはずだが、司馬懿軍との遭遇が思っていたより早い、と言うだけで開戦を躊躇してしまう。
当初計画が破綻すると「堅実に」撤退するしか無い、と言うのは軍事的には不向きだあったとしか言いようがない。
>>541 >諸葛亮は自軍を有利な状況に常に置き升目を一つ一つ埋めていく様な
>戦術を得意としてると俺は思ってるんだよね
お前は俺か
しかし諸葛亮に言いたいのは
そういうように自軍を余りに有利に、敵軍を不利な状況に置いてしまうと
そもそも会戦が発生しなくなる(非常に発生しずらくなる)わけなんだが
そういう状態に持ち込んで会戦の発生を望むのは余りに都合が良過ぎねーかよ亮ちゃん?
ということなんだが。
「だって負けたら困るじゃんwwwwwww」
>>546 まぁ、そうなんだけどさ
結局そうなった時にどうやって敵を釣りだすかというところに係るわけで。
応変の将略が欲しいところですな
「だから前に『運籌策於帷幄之中、吾不如子初遠矣。若提枹鼓、會軍門、使百姓喜勇、當與人議之耳』って言ったじゃんwww」
「そんなに求められても出来ねえもんは出来ねえしwww」
「ならやらなきゃいいじゃんってのは無しね」
あの世に行ってから
「しまった、死んだふりがあったか」
と気付いたらしいよ
給料日まで10日 所持金2000円
でも明日はデートの日だ
訳を話してやりくりして無理をしないのが諸葛亮
万馬券を買うのが魏延
そもそもお金に困ってないのが司馬懿
そんなやりとりを横で見てる独り者が孫権
>>550 くだらい比喩がいっぱいあったけど(サッカーとか)、
これには納得してしまったw
お金がなくても楽しませられる才能が足らなかったってとこかな。
>>552 それだと、諸葛亮だけでなく、魏延も司馬懿も、
お金がなくても楽しませられる才能が足らない
ということになるのだが。
相変わらず、アンチは話を妙な方向に持っていこうとするんだな。
孔明は馬鹿正直かつ誠実な人物だったということでいいの?
>>550 新聞どおりに買って紙吹雪に変えるのが馬謖だな
お金がなくても楽しませるのは劉備か
557 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/10(土) 01:40:53
>554
内政以外たいしたことない人
金が無いなら女から吸い上げるヒモが袁術
そこらのチンピラを狩って金を巻き上げるのが曹操
ここまで来ると脱線以外何もでも無いけど
金がない敗因を女に説明"は"できるが逆にウザがられる馬謖
金がないと女に泣きつけるのができるのがヒモ劉備
友だちと金を出し合っていつの間にか自分のものにするのが曹操
かつあげしているヤンキーを説教した挙げ句に授業料を貰うのが孫堅
ヤフオクで家財を売り払うのが孫策
お兄ちゃんの友だちが見兼ねてなんとかしてくれるのが孫権
親に仕送りが貰えるのが袁紹
日本人全員に1円づつ貰ったら1億円じゃね?と思うのが袁術
女にそーゆーのをまったく期待されていないのが逆に強みの呂布
なんでそんなに週末の朝から脳味噌フル回転なんだ
金が入っても酒に変えてしまうのが張飛
踊りで稼ぐのがチョウセン
ギエンの破産っぷりを横目で見てるのが馬岱
金が生る木を出せるのが迂桔系仙人
鐘が鳴ったら
げぇっ!関羽!
1週間無利息消費者金融を積極利用の綱渡り魯肅
お金が無くても楽しいよとハンサム顔と手料理で説得しちゃう周瑜
絶望した!世の中に絶望した!荀イク
前回デートで既にこの状態を予告していた郭嘉
次の彼女を探す賈ク
>>560 仕事前のささやかな現実逃避
真面目なネタも
代理君主というのは自身に権限の無い状態での運営
品行方正で清廉公平でなければ運用できないのだから
思いきった手が打てないのも事実
そして張昭には周瑜が居たが諸葛亮には魏延しか居無かった
魏延と周瑜を比べた場合、戦術としたらあるいは互角かもしれないが
嫌われている相手を懐柔できる柔軟な周瑜と脅して泣かせる魏延では
将器の差が大きく違った。
結果、代理君主、宰相、将軍、参謀を総てを兼ねなければ成らず
大変だっただろうと想像できる
いわば魏延はミニ関羽。
魏延の事績を見ると関羽よりも優れた将で、智勇に優れていたことがわかる。
そもそも関羽は兵法を知らなかったわけで
>>565 > 魏延の事績を見ると関羽よりも優れた将で、智勇に優れていたことがわかる。
> そもそも関羽は兵法を知らなかったわけで
工エエェェ(´д`)ェェエエ工
劉備が魏延に与えた役どころが関羽と同じ。
入蜀のときには関羽が本拠地かつ最前線の荊州を守り、
関羽の弔い合戦のときは魏延が漢中を守った。
兵法って、兵の扱いだけじゃなくて人の心にも触れてるじゃん?
関羽は呉に対する守備をといただけじゃなくて、仲間にも裏切られている
将兵の統率ができてない証拠だ
それを言ったら魏延も似たようなものじゃんw
諸葛亮が死んだ後に反逆者として殺されちゃうんだから。
魏延と関羽の比較なら別スレ行け
三戦って役職だけで能力を妄想するのばかりだよな
孔明、司馬懿、曹操、陸遜とかこの辺は、資料がそれなりにあるので、
妄想戦場でもこう動いただろうとか出来るけど、魏延じゃそれはできねー
三国志は戦記じゃないからしょうがないさ。
月日や兵隊の数もいい加減だし、
相互に矛盾する記述を平気で載せてたりするし。
日本が農耕にヒィヒィ言ってた頃に、中国ではこんな偉大な国家システムが成り立ってたってことが凄いよな
てか、中国は紀元前から三国時代に同等に近いレベルのものがあったってこともね
農村部のトイレ状態は未だ三国時代とも言える中国は雄大な国だ
576 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/10(土) 15:33:37
>>574 春秋戦国と三国志の頃がピークという珍しい国だからなw
魏延との比較なら黄忠とじゃないかな。
黄忠は劉備が諸葛亮の説得を振り切って後将軍に任用して魏延より出世頭。
魏延の漢中太守は大抜擢ではあるが、魏延が一人で息巻いたってだけで別にエピソードはない。
それに入蜀時居残りは第2陣の張飛・諸葛亮軍も考えると、
守る土地の広さ・居残り兵力とか考えて魏延の漢中太守より厳しそうなんだがw
魏延の場合も最大の出世株である諸葛亮が成都で後方支援に徹してることから見て、
状況はあまくなさそうだけどな。
2段目イマイチ意味が分からないんだが
入蜀時に黄忠が荊州を守ってたという解釈でいいのか?
それなら間違いだぞ。
ついでに黄忠と魏延はスタートラインが違う。
黄忠は劉備配下の前から将軍だった。
580 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/10(土) 18:03:12
黄忠への人事って単に冥土への餞だろ。要するに単なる名誉。
大事な実務を仰せつかった魏延とは全然違うタイプの人事。
581 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/10(土) 20:29:38
> 魏延の事績を見ると関羽よりも優れた将で、智勇に優れていたことがわかる。
> そもそも関羽は兵法を知らなかったわけで
チョwwww当たり前な事言いすぎwwwwそんな事俺でも分かるよ。
これが魏延厨というものか
>>581 お前は馬鹿
しかしながら、魏延>関羽は同意
魏延厨うざい
スレ違いだっちゅーに
血縁はなかったけど、関羽は古参で身内だからな。
魏延は叩き上げ。実力で上り詰めたんだから、かなり優れた武将だったと思うよ。
だからこそ孔明の死後真っ先に排除されたんでしょうね。
それはねーよw
単に協調性がなかっただけ
587 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/11(日) 00:04:59
諸葛亮の死後仲良しこよしでしかなくなるからな。
これだけでも諸葛亮の素晴らしさがわかるってものだな。
588 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/11(日) 01:05:41
>>587 通常の場合、そいつの死後騒乱が起こった場合、死んだ奴は2流というのが普通。
1流や超1流は、自分の死後まで考え的確な手を打つので、大抵の場合騒乱は起こらない。
孫権なんかはFランク君主になるな。
生きている間に後継ぎ争いを起こし、重臣の専権とクーデターの原因を一から十まで揃えて眠るように死んで行ったぜ。
590 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/11(日) 02:26:02
>>589 生前の功績を考えるとBクラスが妥当。
そんなにいくつもランクを作る必要もないし。
>>588 桓公も始皇帝も漢高祖も唐高祖、太宗も明太祖もみんな二流ですものね
>>591 誰でも知ってるが、その中に上げられてないヤツが一流。
昭烈帝万寿!
魏文帝マンセー
>>591 自分が死んでから謀反を起こされたりしないように先に諸侯を潰した漢の高祖も一流だろ
>生前の功績
呉滅亡の遠因を作ったのも生前の功績ですね
597 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/11(日) 16:49:37
>>595 でも奴は呂一族を潰せなかったからなぁ。
むしろ諸葛亮は遺言によって最小限に被害を留めてる方だろう、
騒乱っても魏延とその将兵の一部をあっさり排除できたのだから
被害は少ないし、ショウエンは問題なく政権を引き継げた。
>>597 実質的に呂氏を打倒した陳平らを大臣にするのは高祖の指名
高祖は呂氏対策も怠ってはいなかった
恵帝の後ろ盾としては呂太后を排除するわけにはいかなかったから、高祖としては当時取りうる最善の策を取っていると言っていい
600 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/11(日) 19:59:50
>>599 劉邦はその2代目を、あまり気に入っていなかったと記憶しているのだが。
>>600 気にいっていなかったが、後継者と定めた以上はそいつのために体制を整えてやった
何か問題でも?
602 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/11(日) 20:29:01
単に恐妻家だっただけだろw
高帝:豪放
恵帝:文弱
呂后:冷酷
どうやればこんな個性的な一家になるんだろうか?
足して三で割ればよかろう。
ちょっと豪放でちょっと文弱でちょっと冷酷。
そこいらのチンピラか小金持ちで終わるな。
と、ちょっと豪放でちょっと文弱でちょっと冷酷な奴に言われてもなぁ
>>599 実質的とか言うのなら
実質的には一時的に王朝が呂氏に乗っ取られてル
その後の活躍は実質的には家臣団の活躍であって
劉邦の処置では無い
むしろ実質的には優秀な家臣を粛正してしまった為に起きた事件と言える
項羽という異常な暴風雨が消えた。
高帝は単なる反項羽連合の盟主に過ぎない。
もし彼の死後、海千山千の豪傑が反乱を起こしたらどうなるか?
その場合、指導者が恵帝だろうが趙王如意だろうが一族皆殺しにされるだけ。
あの時点では「粛清するデメリット>粛清するメリット」だった。
判断としては妥当。
平城の戦での国辱は当時の国力を考えれば当然だろう。
むしろ陳平を粛清しなかったことを誉めてやれ。
「粛清するメリット>部下を失うリスク」に訂正しといて。
610 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/11(日) 22:50:42
幼馴染みや長年の親友まで「反逆者だ!」って言ってた奴に、
計算も何もないだろw
義兄弟のハンカイやら長年尽力したショウカまで粛清対象にしていた時点で何をかいわんや
>>592 おいおい・・、始皇帝より上手な人物って誰だよ。
晩年不老不死を夢見て水銀などで知能の衰えが激しかったようだが、
それをさっぴいても並ぶ人間すらそういないだろ。
死後の権力紛争と言っても・・重鎮でもなんでもないし趙高の乗っ取りが原因だからなぁ。
まぁ起用したのは始皇帝なんだが。
613 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/12(月) 13:31:13
始皇帝は、当時圧倒的に優位な立場であった強国秦を上手く相続しただけ。
他の有名な君主みたいにほとんどゼロからのし上がった人間じゃない。
俺は、奴を死後の権力争いとかを抜きにしても二流だと思っている。
他の有名君主より、辛い立場からのし上がったと思うのだが
傀儡から富国強兵まで、あんま寝ずに激務を続けるなんて
よくやったと思うぞ?
>>587 あの諸葛亮にして魏や呉が羨ましいと嘆いていましたからな。
まあ、時代を変えれば、諸葛亮以上の人材など、それこそ一杯いるわけで。
2000年の歴史でいっぱいの基準ってどれくらい?
618 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/12(月) 15:04:27
一つの国で2桁いれば十分多いんじやね?
>616
中国では諸葛亮以上の天才はいないという評価ですが。
演戯人気も含まれてるのは確かだけどね。
621 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/12(月) 17:16:33
>>613 ゼロからのしあがった人間じゃないと評価できないというのも、凄い基準だな。
二代目以降はどんなに頑張っても一流と評価されないわけか。
622 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/12(月) 17:34:32
>>620 孔明以上の軍事の才能を持った奴が最低10人いれば十分多いって事だろ。
何で最大数で語るのか分からん。
冗談にしてもつまらないし…。
623 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/12(月) 17:37:06
>>621 どんなに優れた2代目でも史上最高の人物とは評価されないだろ。
>>622 マジデか?ギャグじゃなく?
中国2000年(4000年?)の歴史で
ベスト10に入らないと軍事的才能はへたっぴ呼ばわり?
10人だと晋含め三国志の人物が入るかどうかも怪しいぞ?
>>623 史上最高でなけりゃ、二流扱いか。
この人も随分極端な評価だね。
>>624 おい孔明厨、少しは過去ログ読め。
このスレの人間は、スレタイはともかく孔明の軍事が微妙と言っている奴は多くても、
才能皆無と言ってる奴は煽りをのぞいたら極少数。
>>625 お前の日本語の読解力の無さほど極端じゃねーよw
>>626 微妙でもなんでもいいけど
ベスト10に入らないと評価されないのかと
聞きたい
629 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/12(月) 18:30:11
孔明の軍事才能なんて山県有朋程度だろw
>>628 少なくとも演技の神扱いほどは評価されないだろうな。
>>632 というより
演義の神扱い(結構負けてるけど)じゃないと
軍事の才能が微妙という所からコンセンサスを取ろうじゃないか
634 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/12(月) 19:30:34
孔明は正攻法にたけた理論家だが
表裏正奇おりまぜた策略機略家ではない
軍事は政治の一つの選択肢として
採用している正攻法は政治状況からの選択肢で
個人の裁量が奇策を好まないってわけじゃなさそうだが
その断言は実績主義ですか?
>>632 でも孔子と同様に子孫が現代にも居るんだからすごいよな
関羽の子孫は唐王朝に仕えていたりするし
>>635 まず諸葛亮が奇策を好んだという証拠を提示してもらわないと
何とも言いようがないだろ。
行った事から察すれば、奴が奇策が苦手か嫌いだった事は明らかなわけだし。
>>638 苦手だったソースキボン
あれか?得意の実績主義ですか?
奇策を好むは(出世の一発逆転要素の濃い)劉備陣営に着いた事からもわかるし
自らを楽毅に準える事からもわかる。
実践でも相手の裏をかく戦術は多用している
ただ、壊滅か勝利かという薄氷の戦術は戦力事情からも使えないのではないかな?
イリョウが無ければ事情も違うだろうが
641 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/12(月) 20:11:35
奇策って別に奇抜な作戦とかじゃねーだろ
臨機応変さがないってこと
642 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/12(月) 20:13:33
孫子の兵法にも戦争はルールのない騙しあいって書いてるが
孔明はそんな才能はない
奇策は普通に奇抜な作戦の事だぞ?
臨機応変は普通に臨機応変の指揮能力だ
>>642 騙しあいは相手が居てからこそ
同程度のギャンブラー同士の戦いで
資金力が弱い方が互角の戦いをしているのに
騙しあいが下手とはこれいかに?
>>644 互角の勝負がしたくて戦う奴なんかいない件について
>>639 お前が同じ苗字の先祖を探して子孫を名乗れば、今日からでも名族の仲間入りが出来るぞ。
何なら別の苗字を名乗れば良い。
諸葛一族だって別に何の証拠もないんだから。
あと関羽の子孫が唐に仕えていても、何も驚くような事じゃない。
日本にだって西欧にだってそんな例ぐらい五万とある。
三国志に関連する話題だと大喜びするお前の神経が分からない。
>>645 司馬ちゃんは互角の戦いしてたら資金繰りから撤退させれるのをしってるので
互角に戦う事を目的にしました
>>646 ちなみに以前オレの住んでた町内に諸葛さんがいた。
649 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/12(月) 20:50:27
淳于さんに会ったことあるが鼻は普通だったし酒好きでもなかった
つ ←これの使い方を知らない間抜けが一人いるようだなw
>>647 それは互角じゃないだろ。
元から優勢だから、優勢を維持したまま居続けるという戦法。
諸葛さんという中国人を見て感動する日本人・・・。
外人が武田真治を見て「武田信玄の子孫」って思うようなモンか。
ただの馬鹿じゃんw
諸葛さんなら普通に韓国の姓だけどな。
日本ではどうだか知らんが感動するような話でもないよ。
なんでもかんでもwを最後に付ける奴もかなり間抜けで馬鹿じゃん
>>655 《牛の角が左右ともに長短・大小の差がないところから》双方の力量が同じ程度で、優劣の差がないこと。また、そのさま。五分五分。「―の勝負」「―にわたりあう」
戦術上、互角で十分なので引き分け狙いをした司馬っちゃん
何かおかしいか?
661 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/12(月) 21:39:19
双方の力量(国力)は同等ではないのだから、
互角の戦いということはメチャクチャ押されてることになる
>>660 普通の日本人はそれを「引き分け」ではなく「優勢勝ち」って言うんだ。
ネイディブじゃない君には分からないと思うけどね。
>>661 戦わないうちに疲弊してさらに司令官が過労で死んで撤退する軍隊と、飯食ってたいしたことするでも無く目的を果たせる軍隊は
互角の戦いをしてるとは言わない。
, ..--、_
,‐'"〃ゞ、::ヽ、
_,ィ:::::::::::::::::::::ヽ `i、
,r"::::::::::::::::::::::::::::::Z、 _\
,!::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ_,,彡、
ィ::::::::::::::_,,,、、 ,,_,,..::::::::::::`i彡ヽ.
{::::::ミ/  ̄ `ヽ、:::::ヽ、ヒ',
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{:::゙} く__,.ヽ /:::::::::ソ
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ゞ、:ヽ ー /::::::ノ
i''";;;;;;ヽ、 __,-‐''l;;;;;|
_,, -‐''";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ、,r‐'";;;;;;`‐- 、
'';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`'' ‐- 、
アン=カーミス[Mrs. Anne Karmis]
(1842〜1885 アメリカ)
665 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/13(火) 02:29:20
国力抜きにしても戦場で負けてるからな孔明は
負けたッヶ?
また晋書マンセー君
>654
織田信成や真田裕貴は?
あれは本物の子孫だから日本人だって
感慨深げに思ってるやつは結構居ると思うのだが。
その諸葛さんが子孫と名乗ってるなら
普通は感動ものになる。
まあ丞相をやって
首都で君主の補佐をしてるのが最強だったんだろうな
君主の代理は・・・人任せにするのが苦手で、自分に負担&部下が育たない
戦場での司令官は・・・ここ一発の大勝負ができない
韓信+孔明ならよかった
軍師が将軍に向かないのは張良からの伝統
>>670 もしそうだとしても、諸葛亮はそもそも軍師タイプじゃないし、
軍師として働いてたわけじゃないから、別にここでは関係ないんだけどね。
普通に軍師(政策秘書官)として働いているし
軍師として認められたから内政統治権限を与えられたし
その証拠に内政統治権限が与えられたのは赤壁より後だし
というか軍師ってなんだと思ってますか?
張良とか戦下手ですよ?
孔明のフェラはすごい
空城の計のハッタリを擁護できん。
あれは神の如き知恵などで擁護など必要ない
批判するほうが馬鹿
676 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/13(火) 14:24:17
まだ400年前の人物なら子孫は比較的少ないが(それでも数百人はいる)、
1800年前の人物なら子孫は腐る程いる。
感激する奴はただの馬鹿。
>676
馬鹿でもなんでもいいよw
世間からの感覚とずれてるのはお前だからw
俺、源氏の子孫
俺は足利尊氏の子孫
イエスキリストの生まれ変わりである又吉イエスはまた都知事選に出るんだろうか。
調べてみたら7月の参院選に出るみたいね。
あいつ地主で金持ちなのか。
金の使い方間違ってるだろ。
俺は菅原道真の子孫
俺はミトコンドリアの子孫
>>665 ていうか、戦術レベルで郭ワイにも張コウにも曹真にも行動を見破られてる。
特に張コウは手ごわい。
孔明が一度司馬イを野戦で散々に撃破したことがあった(実際に戦いを指揮したのは魏延たちだが)ときも、
司馬イが張コウの進言を無視したせいだし。
魏の総司令官である司馬イが時々ポカをする奴だから、孔明が得をした面もある。
686 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/13(火) 22:43:28
559 :_[sage]:2007/03/13(火) 01:31:49 ID:AunpoEE20 寝た時間
587 :_[sage]:2007/03/13(火) 13:50:04 ID:AunpoEE20 真昼間になぜか深夜と同じPCから書き込みw
Ronaldo de Assis Moreira ★RONALDINHO GAUCHO★ 6
78 :_[sage]:2007/03/13(火) 13:51:12 ID:AunpoEE20
イケメンな選手等について語るスレ
522 :_[sage]:2007/03/13(火) 13:52:12 ID:AunpoEE20
687 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/13(火) 22:44:41
637 :;:2007/03/13(火) 22:40:00 ID:Gf0tMQRH0
今更聞けない!海外サッカー初心者質問スレ69
642 :_[sage]:2007/03/13(火) 14:10:07 ID:AunpoEE20
フェルナンド・ガゴ
670 :_[sage]:2007/03/13(火) 15:55:56 ID:AunpoEE20
印象的一発退場劇を挙げてみましょう。
92 :_[sage]:2007/03/13(火) 16:08:07 ID:AunpoEE20
まさに1日中2chww
史料として参考にするものが陳寿のそれ以外なにがあるの?
陳健一の炒飯とか
691 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/13(火) 23:07:31
こんなネットで孔明に軍事の才能が無いのなんの言っててむなしくね?
孔明の軍事の才能よりおまえらの5年後の方が心配だわ
>>690 あれこそ司馬懿のせいじゃなかった?張嶷が戦死したからって彼が徐質に遅れをとったとはいえないし。
まあここで孔明に軍事の才能があるって言おうが、才能無いって言おうが
世間での孔明の才能の評価に変化が無いのは事実だが。
694 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/13(火) 23:30:26
日本語でおk
>>690 太股に流矢が当たって死んじゃっただけさ。
お爺ちゃんだから体が弱ってたのかもね。
孫堅とかホウ統とかもそうだが、矢は当たるときには当たるから。
696 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/14(水) 01:08:41
孔明は負けない戦いをしたとか言ってるけど
一回目からボロ負けしてるな
697 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/14(水) 01:45:04
中国ならともかく日本で孔明ファンなんてあんまりおらんだろ。
どいつもこいつも魏ファンばっかり、曹操とか司馬懿とか荀ケとか
>>697 最近の子は蒼天航路しか読んでないから、
こういうこと言い出すのかなあ?
釣られるなよw
俺の学生の頃の友達も蜀好きはあまりいなかった、いても関羽とか法正とかだった。
劉備とか諸葛亮はむしろ嫌われてたな。支那人の判官贔屓がウザかったらしく
701 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/14(水) 07:34:45
一般人は孔明なんて何やったかなんてしらねーだろ
>>695 いろいろ小説読んでるが流れ矢って、出てくると命中率100%なんでないの?
分家の子孫など子孫とよばん。
本家の直筋だから子孫だろ?
>>704 必死に亀レスしてるのワロスw
本家しか子孫と認めないなら、織田信成も子孫じゃないし、諸葛一族も子孫じゃないだろうな。
>>705 その亀レスにムキになってる奴ってかなり痛いな
笑いどころかため息が・・・
この議論の哀しいところは、陳寿の評を批判する為の材料を陳寿の書いた文面から拾うしかないところ。
709 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/14(水) 23:35:17
ホウトウの死がある意味孔明限界の始まりだったんじゃね?
彼が生きてたら、わざわざバショクを起用しなくてもすんだろうし、激務自体してないだろ。
無知なりに考えてみたが。
もっと考えましょう
孔明も腸から出血とかしたのかな
孔明は痔だった
痔じゃなければ北伐も成し得た
孫権との対話が好きだな
諸葛挌のこと注意するやつ
陸遜にも言われてたような
孔明が先主の長所を伸ばすタイプなら、
士元は先主の欠点を補う唯一の人間だったと思う。あの入蜀の際の諌言に魏徴の雰囲気を感じた。
孔明さん
武の第一の部下 魏延 まあ、これはよしとしよう一流だ・・・・しかし同LVの将がいない
政の第一の部下 楊儀 ・・・・・なんじゃそりゃ、小物にもほどがあるだろ
>>714 ウホ統は「あなたの人物評は誉めすぎで正確とは言えない」と言われて「豚もおだてりゃってやつよ」と答えた(意訳)
正史のとおりに訳すと普通に「いいひと」だが裏読みすると結構ひねくれた奴と思える
劉備も彼の上げて落とすに引っ掛かったひとりだな
>>715 小物というなら2人共小物だと思うけど…孫権にも馬鹿にされてるらしいし(この記事自体、信憑性が薄いが)
第一2人とも軍事の専門家で、政治の方は費禕などじゃないか?
>>718 いや、むしろ孫権の方は他国においても大抵の場合評価高いぞ。
「孫権など取るに足らない小物」系の評価は聞いたこと無い(俺が知らないだけで探せば普通に見つかるかもしれんけど…)。
又吉イエスって本気で自分がキリストの生まれ変わりだと思ってるらしいな。
やはり子供時分に甘やかしてはいけない。
>>716 もちろん、そういう考え方もあるだろう。
だが、自分の評論家としての信用よりも、
切り捨てられるはずの人間への発破を優先する感性に君子の度量がある、と思う。
それに第一に劉璋を捕らえよ、という進言にも、
避けられる戦火をなるべく少なくしようと心掛ける注意が窺えるのだ。
兵者凶器也、という原則を理解していたからこその発言。
三策を提示して決断を丸投げしたのも戦勝の祝宴での皮肉も、
最初の提案を却下されての抗議の意を暗に含んでいる。
先主の謝罪への返答も主人の顔を立てるように見えるが内心舌を出していたはずだ。
1、「君臣」ともに間違っている。
2、しかし「臣」は間違っていない。
3、だが、「君」が間違っているので、1となる。
というような論理構成が彼の脳内で張り巡らされていたことだろう。
俺も安っぽい「いいひと」とは思わないが、「ひねくれている」とも思わない。
この時に筋の通らないことをやって調子に乗ってしまったのは先主なのだから。
まあ酔いが醒めてから、悔悟して諫言を受け入れ謝罪することが出来るだけ、彼もまた一流であると言えるだろう。
直言を疎んじる人間に碌なのはいない。
もう少し長く見ていたいと思ったコンビではあった。
>>715 二人とも腕前一流人柄三流。
指導者に成り得ないのも無理は無いが小物は不適当だろう。
大物だが「小人」ってとこ。
>721
付け加えとくとようぎも魏延も
諸葛亮の下にいてこそ本来の力を発揮できるタイプだよな。
諸葛亮の下に居なければ二流だったと思う。
まあ、二人とも手綱つけてなくちゃ際限なく暴走しそうなタイプだからな
724 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/15(木) 20:20:57
魏延は劉備の元にいた時が一番活躍しているわけだが…。
魏延の劉備へ忠誠はよどみないしな
>>724 魏延さんの歴史に残っている功績の70%は
諸葛亮とのコンビですが?
727 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/16(金) 01:56:17
>>726 例えば?
劉備が上司の時は蜀攻略やら漢中の太守やらで功績をあげているわけだが。
>>727 漢中太守になって具体的な功績ってあったけか?
益州攻略で頭角を表したってだけで具体的功績ってあったけか?
諸葛亮時代は費瑤・郭淮と戦って大いに撃破したり、張コウ討ち取ったりと
派手に活躍して、副総司令官の地位に居ますが?
>>695 太腿に矢が当るってのがどんだけヤバいかわからないのか
動脈も静脈もあるからちょっと大きな傷を太腿に負うと処置が遅れれば即座に出血多量で死亡だぞ
魏延が蜀攻略や漢中で何故か具体的活躍してるサイトでもあるんじゃねーの?www
一隊長から漢中太守にまで出世するきっかけになった戦いで、
何も活躍してないと考える奴は知恵遅れの阿呆。
その活躍が郭淮や張コウを撃破したのより華々しいといいですね
無双で千人斬りでもしたのかな?
演技厨ウゼ
スレタイと関係ない内容ワロスw
魏延は名前で損してるってだけで、有能だったのは間違いでしょうね
>>735 名前でどう損してるんだい?
有能だったけど性格に問題有り有りだし
孔明は人材がいないと嘆くだけの馬鹿。
魏は良い人材なら上へ吸い上げる度量がまだあり、
常に良い人材に恵まれた。
蜀を事実上孔明が治めてから新たに出てきた人材は文官ばかり。
武官は縁故採用だけ。
これで良い人材が出てくるわけがない。
>>728 確か、三国志にも資治通鑑にも華陽国志にも、
張郃を討ち取ったのが魏延の部隊だとは書いてなかったはず。
魏延の部隊が張郃を討ち取ったのは演義じゃないかな?
>>739 作戦行動の副司令官役として携わってるね
諸葛亮の戦術の冴えは魏延に生うところが多い
諸葛亮存命の時のこのコンビは十二分に機能している
>>736 おそらく、
諸葛亮「魏延=魏を延ばす。うーむ、こんな不吉な名前の奴を使えるか。
よし、魏延の作戦却下。」
ということを言いたいのじゃないかな。
すると、名前で得してそうなのは武安国か。「武にて国を安んずる」なんという豪傑。
>>738 まずは知らない土地で
どうやって縁故だけで人材構築をしたという
所を教えて貰おうか
魏で縁故じゃないって根拠も教えて欲しいな
有名無実化した制度の事ですか?
楊儀は性格さえ良ければ能力・功績十分あるし諸葛亮の後を継げたくらいの大人物
ただ性格がどうしようもない救いようの無いカスなのが難点
才能面で言えば関羽や劉備にすら買われた男だからな。楊儀は。
劉巴と上手くいかなかったので左遷されたが……
>>740 別に魏延と諸葛亮のコンビが機能してないと言うつもりも、
魏延は劉備時代の方が功績が大きいと言うつもりも無かったんだが、
使持節前軍師という、諸葛亮に次ぐ立場であったとは言え、
張郃を討ち取った事をさも魏延のおかげのように書くのはどうかと思ってね。
あと、諸葛亮の戦術的功績は魏延に負う所が大きい、と言うのは、何処からの判断?
高翔と共に司馬懿を撃破した事や、使持節前軍師征西大将軍と言う事から?
>>745 諸葛亮が軍人出身ではないこと
これは魯粛もそうだが、長考できる軍事戦略は別として
素人が軍事戦術のタイミングを計るのは容易ではない
もうひとつは諸葛亮に次ぐ軍師(顧問?)という地位と共に
節を持ってる事が大きいかな
軍隊内で全権代理人に近い役職であったと見るべきだと思うが
魏延がただの剛勇の士ではなく、指揮権に関わるなにかを
もっていたと考えるべきかと
>>746 そりゃ飛躍しすぎじゃないかな。
あのケ艾だって、249年に南安太守になるまでは直接兵を指揮する立場になった事はないし、
零陵先賢伝の記述ではあるが、諸葛亮自身、作戦立案より指揮の方が得意だと述べている。
御飾りであった劉琰を除けば序列的にはNo.2だし、使持節も持ってるので副官の立場ではあったろうが、
それが戦術レベルの指揮を魏延が担当していた証左とはならないだろう。
司馬懿を迎撃する際に督前部の高翔と共に行った所を見ると、
当然軍全体の作戦に関わってはいたが、前軍師は基本的には前軍の指揮を行う為のものだろう。
敵に真っ先に当たるので、諸葛亮が魏延を戦術レベルにおいて高く評価していたのは確かだろうけど、
諸葛亮の戦術レベルの功績の大部分を魏延に帰すには、根拠として弱いと思う。
魏延は名前で損してると言うより出自で損してる感じ。
蜀の中央を支配してた荊州士大夫の誰もが魏延の擁護はしなかったし、
楊儀が魏延を侮蔑したって話もある。
地位・功績から見るに有能と言える人間だけど、
地位や実績に反して士大夫からの援護射撃が皆無で謀反とされた人物。
後世の評価で損をしてないわけがないと感じる。
ただそれでも蜀を掌握してる諸葛亮に比べたら小さいと思う。
魏の明帝は諸葛亮死後覇者気取りの暴政をしているが、
その時期でさえ諌言を行う家臣を一切処罰せず、他の重臣の諌めを振り切り、
公孫淵の乱を司馬懿の意見を通し処理したと言う優れた統治能力、
そして情報選別能力を見せてる。
諸葛亮の名前がそれだけ圧力があったというでしょう。
>>747 大部分を帰す気なんてねー
役割分担の話
武人ではない諸葛亮を魏延は補っていたし
戦術レベルの冴えは魏延無しでは語れないと思うのだが
逆に魏延だけだ、戦術の為の戦略になり
国家が危うくなっていた可能性も高いがなー
その前に軍隊が纏まらず士気が上がらず
戦争の前に瓦解しそうな気もする
赤煉瓦が艦隊司令官に任命されても
いきなり指揮はできないわけで
クッションである経験豊かな参謀長(副司令官)が居て
初めて有機的な軍事行動ができると思うのですよ。
魯粛における(謙虚じゃない)呂蒙みたいなもので
>>749 軍人出身じゃないからと、諸葛亮に戦術レベルの敏速な判断ができないと決め付け、
戦略は諸葛亮、戦術は魏延という役割分担をしていた。
だから戦術レベルの活躍は魏延のおかげである、と、こう主張しているように思える。
そもそも軍人出身、と言うのが分からない。
諸葛亮は212年の益州攻略における張裔撃破など、戦術レベルの指揮を以前から執っている。
軍人出身と言うのは部隊長出身という事なのか?
個人的には戦局を読む眼と言うのは、天性の才能も大きな比重を占めていると思う。
西洋ではク・ドゥイユなんて言うが、確かナポレオンなんかも、
このク・ドゥイユは天性のものだと言っていたはず。
断定口調ではなく、そういう可能性もある、という程度に主張した方が良いと思うよ。
751 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/16(金) 23:35:44
孔明は戦略家とも戦術家ともとてもいえないでしょ
天下三分の計は戦略じゃないの?
753 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/17(土) 00:40:52
それは政略
754 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/17(土) 01:04:53
天下三分の計=単なるパクリ
>>750 確かに君は断定口調を続けているが
俺のどの書込みが断定になっているのかがよくわからないのだが
んで、益州攻略では張飛等を率いているわけで
何をもって断定的に役割分担を否定しているのですか?
>>755 「諸葛亮の戦術の冴えは…」の部分だね。
そこから話が始まっているわけだし。
それと、自分は「役割分担していなかった」と主張しているわけではなく、
「役割分担していたとは限らない」と主張している。
あと、自分は一貫して推定でしか述べてないと思うのだが。
断定口調に取られてしまったのなら、こちらにも落ち度があったのだろう。
あやまっておくよ、すまなかった。
益州攻略では張飛等を云々は、張裔の話に関連しているのかい?
諸葛亮が張飛と分かれ、徳陽で張裔を破った事は、華陽国志劉先主志にあるよ。
最後に、断定していないのであれば、別に論争する気はない。
一意見として聞いておけばいいのだからね。
絡んで悪かったね。
757 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/17(土) 03:07:13
あれが孔明でなく楽毅だったら、
蜀漢は天下統一してただろうな。
758 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/17(土) 04:59:06
>孔明に軍事の才能はない
ないという事はないだろ?
常識的に考えて・・
>>757 そう言い張る根拠は?
荊州無い状態じゃ無理じゃねぇ?
760 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/17(土) 07:49:59
内政の手腕は天才的だと思うけど
軍事的なセンスに目をむけるとやはり首をかしげてしまう
楽毅は大国斉相手に勝ち続けたけどあらゆる状況が違うからなんともいえないと思う。
孔明が魏を倒せなかったって歴史を楽毅なら変えれるってのは共感できないなぁ。
国力差がありすぎだし、共同作戦で消耗させるにしても、
歴史ではがんばって欲しい同盟国の呉が全く踏ん張れてない。
対魏の場合蜀単独の力も少なくとも孔明の時より強くしないとなんともならなさそう。
孔明の性格からいって羅馬軍みたいなシステマチックな軍隊を作りそう。
>749
諸葛亮は安全策を取りすぎるから
相手と真正面戦闘にしかならかっただけだろ。
自分も相手も勝つための戦じゃなく、
まず負けない戦をしたから膠着状態だったんだ。
しかし、それにじれて突っかかってきた相手は
ことごとく撃退されてるだろ。
それのどこが戦術に冴えがないことに?
魏延は孔明指揮下において勝手な行動権は許されてない。
全て孔明の指示どおり戦っただけだ。
勝手なことしたのはバショクだけ。
>750
魏延は北伐時には蜀軍の中ではベテランだ。
そのため魏延は高位にいただけで
能力的には王平、馬岱、張翼、寥化
あたりの蜀将と大差ない気がするのだが。
魏延の功績自体は結構華々しいものがあるが、
魏延が参戦したというだけで相手を
畏怖させたりしたことは一度もねえだろ?
関羽や張遼クラスの将だと旗見ただけで相手は恐れるのに。
魏も呉も諸葛亮一人しか恐れとらん。
ということは結局魏延は諸葛亮の言うとおり戦って
そのおかげで勝って来た。
その程度にしか見られてないってことだ。
魏延は多少の槍働きは有るものの相手を畏怖させるほどの武将ではない
つーことでおK
むむむ
>王平、馬岱、張翼、寥化
この4人の能力にはけっこう差がありそうだが
演義の話じゃないか?
>>763 だからさ、諸葛亮が安全策的な戦術を構築した時に
それを運用する時の将校が魏延なわけで
戦争は集団で行うモノで、チームワークを無視した
個人万能主義万歳するのは如何なものか?
というか、これらのチームワークがあるからといって
総帥諸葛亮の軍事的資質が如何ほども損なわれるわけではないのだしな。
たしかに魏延で無くとも、副司令官的立場の替えはあったとは思う
張翼あたりでも無難にこなしたかもしれないが
劉備が抜擢し、諸葛亮が節を与える程信任したのだから
蜀にあって戦術全般の魏延の能力は飛び抜けていた可能性は高い。
>>768 馬岱は一騎打ち王平より強いしな、魏延と互角だし
そういった話はよそでやってくれ
魏延なんて
「しゃあねえなぁ」「他の連中よりややマシかぁ〜」って程度だろ?
必死になって持ち上げる奴の気持ちがわからん、、、
必死になって持ち上げてる奴がいるのは同意だが
君のその認識はやや過小評価だと思う
実質蜀攻略から、しかも低い地位からの参加であの出世の早さは異常。
魏延は蜀では二番目の出世頭
一番目は諸葛亮だけどな
李勣、薛仁貴
孫権に小者って言われてるし、他国の認識はあんまり良くないね、
蜀は関羽・張飛・馬超と他国に名を轟かした武将がいるから余計に。
小説に書いてあるだけで、孫権は実際そんな事言ってないだろうけどね。
関羽・張飛は君主の義兄弟、馬超は馬騰の息子。名声があるのは当たり前だからなぁ。
いやいや、董允伝注釈の襄陽記にちゃんと書かれてるじゃないか。
むしろ>関羽・張飛は君主の義兄弟、ってのが小説じゃん、
おまけに2人の名声は彼等の力によるとろが大きいし、
馬超も馬騰の息子だから名声がある訳じゃない。
民間人出身で准尉になる出世と、
20代で中佐になるエリートとどっちが出世したっていえるの?
781 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/18(日) 00:27:33
ナボレオンの有名な言葉
軍事と売春婦は時々素人の方が恐ろしい
世界大戦でもイギリスの文官出身の首相ロイドジョージや伍長どまりのヒトラー、昭和天皇なんて
軍事作戦にばんばん口を挟んで成功している局面も多いよ
わりと素人でも口出しがしやすい分野→軍事作戦
伍長殿はどっちかというと口出して足引っ張ってるイメージだが…
パリ占領の電撃戦は伍長の指示だぞ
他の閣僚は猛反対
で、結果は伍長の大勝利
以後、調子に乗りすぎてポカが目立つようになるまで
元帥クラスの閣僚すら伍長に口出しはしなかった
軍事で大事なのは基本の強い兵士、強い装備、計画的な兵站確保であって作戦部分は大筋さえ何とかなってりゃ大抵勝つからね
素人は軍人だとコストパフォーマンスやしがらみで動けない部分を無視して効率よく動いちゃうこともあるしなぁ
軍人はそういった素人に勝って始めて軍人だと言える気がする
何に関しても、革新的な発見や進歩をさせるのは素人的発想って事だろ。
玄人と称される人間は、固定観念が強すぎるから進歩が無い。
なるへそ、作戦は素人が立てたほうが恐ろしい戦果をあげる可能性がある、か
なんか今やってるコードギアスとかいうアニメでもそういう話があったな
アインシュタインを始め、アルキメデス、ナポレオンや韓非子、孫子
革新的な発見や発明は固定観念を脱した玄人が行っている
分野における基礎教養が無くして、革新は得られない。
素人の柔軟な発想という美名の
稚拙な発想は玄人へのヒントになったりするのが精々
>>785 典型的な、素人の専門家へのひがみ発言だなあ。
よく、小説化やアマチュアの人が、専門歴史研究者への批判に使ってるね。
>>787 ナポレオンは素人に近い部下を元帥にしておりますが・・・。
韓非子の著書を採用した始皇帝は素人に近いし、
孫武の出身は貴族と言うが大した証拠は無い。
またアインシュタインの相対性理論は、
彼が発見しなくてもそのうち誰かが発見したと言われている。(つまり革新的なものではない)
数学で言えば、定理の証明には学問と根気が何より必要だが、
定理を発見する事は学問以上に発想力や直感力が重要、というだけの話。
素人が上とか玄人が上とかの話ではない。
少なくともアインシュタインは十分革新的
ド素人には分からんだろうがな
ナポレオンの大砲を使った戦術だって十分革新的だったんけど・・・
アインシュタインのすごいところは
数式でそれを証明してることだろ?
他の人間は、その数式の応用でもっと詳しい数式を作っただけ。
発見よりも立証のが難しいんだぜ?
795 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/18(日) 18:24:33
プロ叩きする気はさらさらないが、歴史的に見れば素人科学者の発見って侮れないよ
>>794 ラマヌジャンよりもハーディの方が優秀だと仰るわけですね?
>>797 少なくともラマヌジャンはフィールズ賞を取れそうにないなあ・・・
>>789 >またアインシュタインの相対性理論は、彼が発見しなくてもそのうち誰かが発見したと言われている。(つまり革新的なものではない)
大抵の発見はそうだろ…
てか1年で分野バラバラな大理論3つも出してんじゃん
アインシュタインの凄いところは光が重力で歪んでいる事を理論でなく直観的に認識した事だと思うよ
それができなきゃいろいろな発見はまだまだ先だったっしょ
もはや孔明の軍才とかけ離れたスレと化してるなw
803 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/18(日) 22:32:31
軍事に関しては確かに素人が介入しやすい分野だと思う
2chの軍事板のえらそうにうんちく垂れているやつも殆ど素人でしょ
まして古代中世なんて
字も読めないような農村の村娘がリーダーになって
百年戦争のけいせいひっくりかえしたなんてこともあるしな
804 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/18(日) 22:38:29
いや、科学なんかも今は専門家オンリーだけど昔は普通に素人が大発見したんだよ
ダーウィンやメンデル、ライプニッツみたいな
へー、それは知らなかった
>>803 ジャンヌ・ダルクか・・・
まあ実際の戦闘指揮は青髭やらがやってたんだろうが
今時恥ずかしくて漫画にも出来ないような設定が現実に起こる不思議
俺も当時の一兵卒なら
可憐な少女が最前線でガンバレーって言いながら旗をブンブン振ってたら
ありえないパワーで突撃してしまうな
807 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/19(月) 02:20:12
>もはや孔明の軍才とかけ離れたスレと化してるなw
分かったぞ。これは孔明の罠だ!
>>806 あれは違うよ
誰もがやれば強いと思った、タブーを破っただけ
何故タブーをやぶれたかと言うと
素人の柔軟な発想ではなく
タブーを破る事に宗教的権威でグダグダにしてしまっただけ
柔軟な発想ではなく、大義名分としての価値があった
宗教がかった兵士ほど怖いものはない。
何せ奴ら死すら恐れないからな。
死んでも天国に行けると思ってる。
イスラム強硬派のテロリズムみたいなもんさ。
聖戦だってな。戦争に正義もくそもあるか。
どんな大義名分があろうと一般市民を巻き添えにして何が正義だ。
目的が手段を正当化することなんてない。
政治的にお前ら衆愚とは圧倒的に正義の俺がやるのだから正義なのだ。
>>806 時として、一頭の獅子が率いる羊の群れは
一頭の羊が率いる獅子の群れを駆逐するという。
それが宗教じみているなら尚更…
812 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/19(月) 18:36:21
イギリスに宗教意識がなかったとでも思っているのか?
>>812 当時までは戦争に宗教はもちいてなかった。
宗教は戦争自体を否定してたからな。
>>811 その例え、獅子ではなく狼では?
狼の率いる羊の軍隊は羊の率いる狼の軍隊にまさる。
仁に過ぐれば弱くなる。義に過ぐれば固くなる。礼に過ぐればへつらいと
なる。智に過ぐればうそをつく。信に過ぐれば損をする。
by伊達政宗
獅子に率いられた羊 の検索結果 約 13 件
狼に率いられた羊 の検索結果 約 17 件
ライオンに率いられた羊 の検索結果 約 24 件
オレは狼の方を知らなかったわ。
817 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/20(火) 15:51:16
狼の率いる羊 で検索した結果 約28,000件
獅子の率いる羊 で検索した結果 約3,350件
ライオンの率いる羊 で検索した結果 約21,200件
818 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/20(火) 16:36:24
兵は脆道なり、と孫子は喝破するけれど
田単のような素人のほうが実際突拍子もない戦術を思いつくものなのかな
いや臨機応変に奇策を用いた将も数多くいるが
ファラデーとかプリ−ストリーみたいなアマチュアのほうがとんでもない発想をする例は
たしかに科学の分野には多い感じはする
819 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/20(火) 16:57:09
玄人・・・英才教育を施された貴族
素人・・・独学や実地に学んできた庶民
この定義なら納得。
田単は実戦経験は皆無だったけど、兵法書を読み、知識はあったってあるよ。
田単を素人の一言で言い切るのは不適切だと思うけど。
趙活も似たようなもんだから、結局は基礎となる知識と、それを基にした
臨機応変に考えられる頭脳を持ってないと生かせないんだろうな。
実戦経験が無い=素人
と定義づけするなら別だけど。
兵の動かし方、纏め方、定石等、知識として理解してる時点でそれは素人じゃないと思う。
>>820 そんな事言ってたら殆どの奴が素人じゃなくなるだろ。
ふと思った。
「素人」と「玄人」ではなく、
「アマチュア」と「プロ」の括り方の方が良いかもしれない。
823 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/20(火) 19:43:52
生兵法はケガのもとって言うけれど
田単は知識をきちんと実戦に生かして国を救い
趙括は稚拙な戦闘をやって命を失ったばかりか亡国を招いた
二人が置かれた戦闘局面はむろん異なるが、この違いはどこからくるのだろう
やはり個人の資質が大きくモノを言うのだろうか
824 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/20(火) 20:09:12
どうでもいいことだけど台湾海軍は最新鋭のフリゲート艦に「田単」の名を与えてるよな
ほかに「岳飛」「子儀」「班超」なんかもあるけど現代でも少なくとも台湾では英雄だということか
ちなみに「田単」だけは他の7隻と違い数々の新機軸を盛り込んだ強化型
曹操南下時に劉そう攻めを進言してるよね。
これが意味するところは?
@不可能を可能にする男、孔明。天才的軍略の証明。
A成功率0%。軍事センス、戦略眼ともに皆無の妄想狂。
B孔明は奇跡は起こせないし、起こせると夢想もしない。つまり孔明マンセーの捏造。
C拒否した劉備がへたれなだけ。余裕で荊州奪取可能。
Dその他。
>>822 それはおかしい、アマチュアでも運が無くてプロに慣れない才能アル人も多い
アマチュアでも基礎教養を独学し、プロ顔負けの功績をたてる人も多い
その後、実績ひっさげてプロになるわけだしね
得に軍事は学んでも実践してない人は当たり前だけど多い。
専門として学んでいるか学んでいないかだと思うよ。
>>824 国際社会での台湾の置かれた立場からすると、
戦国七雄の中で孤立し滅亡の危機にあった斉を救った田単には思うところがあるのだろうな…
829 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/20(火) 22:45:32
ちなみに台湾海軍フリゲート艦「田単」のシンボルマークは「火牛」
艦橋と煙突にしっかり描かれている
830 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/20(火) 23:52:57
>>827 何であろうが100%素人なんて人間は極めて稀なので、このくくりかたの方が分かりやすいと思うがね。
山頂布陣系の役立たずのプロもいれば、
袁崇煥みたいなハイパーアマチュアもいる。
セミプロと言っていいんじゃね?
>>832 そんな訳のわからん括り方をしてるのは、
昔の英国か今の日本の野球ぐらいだろ。
>>825 これに関してはAだな。劉そう攻めれば恩を仇で返す張本人。
劉キが受け入れれば、反乱の片棒を担ぐ輩として名を貶めることになる。
入蜀みたいに3年も戦線が維持できるかと言われればもう100%無理。
Dその他。
攻め取ることもできたのにあえてしなかった我が君マジ仁君wwww
…という世評を広めるための芝居。
劉備は劉備で「恩人の領土を奪うことはできぬ」と返しているあたり、
この2人ノリノリである。
演義厨しかいないのか?
劉備と孔明はやってる
これはもう確実
劉備「俺は関羽とも張飛も喰っちまう男なんだぜ?」
人肉を喰う男だからな・・・
5だろ
蔡氏ともそれなりにパイプの有る諸葛亮は劉ソウだけ討ってしまえばいけると判断したんだろう
劉備は荊州をそのまま奪っても曹操に対応出来ないだけでなく
曹操をぶっ殺すために荊州奥地に強引に誘引している
諸葛亮は荊州の名士なんですね!
諸葛亮は俺だよ俺
違うよ俺だよ俺俺俺俺
>>841 >曹操をぶっ殺すために荊州奥地に強引に誘引している
してねえよ。
曹純の攻撃だけで、妻子を置いて逃げ出さなければならないほど、ぶっ殺されかけた。
>>841 どう考えても蔡氏と劉ソウのパイプの方が激太
諸葛亮のパイプなんて曹操より細いだろ
847 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/24(土) 11:50:53
孔明は荊州時代、知り合い数名にしか名を知られていない無名の農夫。
だからこそ劉備の三顧の礼に感激した。
>847
違うw
孔明の才能を見抜いてるやつが少なかっただけ。
黄氏の娘と結婚したことによって
孔明は名士の仲間入りをしている。
孔明の名前では誰も動かんが、
黄氏の名前を出せば蔡一族ではないにしても
それなりの力があった。
>>848 さらに言うと諸葛亮の義父黄承彦は蔡氏から嫁貰ってる
諸葛亮と蔡氏は親戚関係
>>846 >>850で言う通り蔡氏は諸葛亮と親戚関係
曹操とは蔡瑁の個人的交誼でしかない
どっちが太いかはわかるな?
852 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/24(土) 21:01:59
>>850 自分の身に置き換えて考えてみろ。
そんな遠縁の親戚と交流してるか?
妻の叔父が遠縁というのはどうかな。
死んだら通夜くらい行くだろ。
>>853 適当に挨拶して帰るだけの付き合いに何の意味があると?
>>854 名族の縁を建前だけでも大事にする中原社会で、
交流がないというほうが不自然じゃなかろうか。
で、地元の名士の親戚の親戚に何の肩書きや権限があるんだ?
大体そんな奴腐るほどいるだろ。
諸葛亮自身が言ってるように、
確かなのはただの農夫だったという事だけ。
貶める発言ばかりなのもどうかと思うが、
必要以上に持ち上げる奴ばかりなのもどうかと思う。
持ち上げてないけどさ。
>>848には納得できるよオレは。
南方では割りと名が通ってたんじゃない?
本人が言うほど優秀とは認めてなくてもさ。
日本とは規模と感覚が違う。
当時は同郷というだけで友人扱いじゃないのか?
劉邦と同郷の奴は、殆どが敵みたいなもの。
861 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/25(日) 03:45:16
397 : :2007/03/25(日) 03:09:52 ID:SeS5Blmb0
ここの経験者は「権威なし」「論理なし」「マイノリティ」。無力そのものだ。
三つのうち一つでも否定できなきゃ話にならんぞ。
↑サッカー未経験者の秋葉ww
司馬徽ネットワークの人材は、あらかた曹操陣営か劉備陣営に登用されてるわけで、
荊州での名望はもとより、中原でもそれなりに名は通っていたと考えるべきでは。
>>854 昔の人間は人間的繋がりが濃いんだよ。
今みたいに車もなければ飛行機もない、
一度別れたら次に会えるかどうかも分からない。
まさに一期一会の世界。
だから親族や縁戚関係は大事にする。
>>862 たんに司馬徽ネットワークで猟官活動して失敗した人が歴史に残らなかっただけではなく?
就職率120%の根拠はなんでしょうか?
>>863 その程度の繋がりで、自分が苦労して擁立した劉[王宗]の敵討ちや
保身として曹操に下る誘惑よりも強いの?
「その程度」じゃない。ほとんど持って生まれた財産と一緒。
逆に言うとそれを傷付けられる以上の特権を保障しないと登用できないということだ。
とかく今と当時の常識と一緒にするのは頭がおかしい。
同じだとしても葛藤が無い訳ないだろう。
866 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/25(日) 10:06:49
そもそも軍事能力がないやつが数倍の国力に突っ込んでいって
まがりなりにも五分の戦いは出来ないだろ。
つーか劉jと諸葛亮だって親族だろ
諸葛亮は親族や縁戚関係を大事にしなかったのか?
縁故は大事だ。
だが、それ以上に社稷は大事。
大局の判断を誤る当主を引き摺り下ろすのは、
先祖に対して孝であるし、祖国に対して忠である。
何ら間違っていない、我々は正しい、逆賊(曹操)とその与党は正しくない。
正義を行うことは正義、という論理構成。
まあ自分たちで運営したいだけだよ。
>>868 それじゃ蔡瑁は靡かないんじゃないか?
蔡瑁も大局の判断を下した側だろ
870 :
_:2007/03/25(日) 16:23:11
孔明を讃えてる奴のセリフって、大抵の場合何の根拠もないよね。
最近の風潮に乗って関羽や馬超、諸葛亮を不当に貶めるゴミよりゃましだ。
そんな奴らは根拠が無いと言うより、
史料の一部を又聞きで齧って演義のイメージと合わせて非難してるようにしか見えない。
>>869 その通り。
だから蔡瑁には死んでもらうしかない。
蔡瑁個人を靡かせるのは無理でも、
蔡氏全体を劉備の新興軍閥の出資者として参与させるのがその計画の目的なのだから。
まあ当時の情勢を考えれば降伏は妥当な判断だと思うし、劉備が献策を斥けるのも頷ける。
873 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/25(日) 17:48:10
孔明も地下で、血縁や小説の戦いじゃなくて、
実際に行った政治について評価してくれと思っているだろうな。
人脈を作るのも才能の一つですよ?
875 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/25(日) 19:42:16
>>874 へぇ、君は諸葛亮が人脈を作って喜んでいる人物に思えるんだ?
必要悪というものを知らんのさ。
第一、孔明は荊州閥という人脈の筆頭だろうが。
だが人脈とか派閥が悪事の温床だという偏見、
それは強ち間違ったものでもないのも確かだ。
なぁ、荊州閥ってあるの?
なんで背景が無名に近い、若造の諸葛亮がトップ?
穿ってみて諸葛亮派閥ってのは理解できるのだけど
諸葛亮は派閥によらず、
君主の寵愛(信頼)を受けて国政を司ってるとしか思えないんだが
派閥→役職ではなく
役職→派閥(例:小泉チルドレン)だし
少なくとも劉備の入蜀以降蜀の人間は派閥の長、実際に政治権力のある地位にはならなかったな
法正などの積極的に協力してた人間はともかく
乱世においては古今東西問わず主権在軍。
軍閥の総大将が意思決定をする。
それとは別に長年に渡って形成されていた、土地ごとの顔役が存在する。
顔役が総大将の決定に服従するなら一々変える必要も無い。
そして、その決定に企画段階から協力して旨い目を見る方がはるかに利口。
その企画に参加出来ても新参が古参より冷遇されるのは当然。
当時の荊州集団としては曹操に降伏しても第二第三以下の待遇でしかない。
「それで良いのか?良くねーよ」ってのが劉備の軍閥に加わった連中。
まあハイリスクハイリターンな戦略だとは思うよ。
妄想好きな人間がこのスレにいる事は分かった。
882 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/26(月) 00:08:49
サッカー未経験の秋葉だろなそれw
>>855 数倍といっても、魏の軍事力は対呉、対蜀、対北方民族に分散してて、
蜀漢軍は公称10万、魏軍は最も兵力を増強した時は曹叡が親征した時の5万なんだから、
これらの数値は実数に程遠いのだろうけど、それでも実際に衝突してる兵力は国力ほどそんなに差は無いと思うぞ。
>>884 まあ数字上激突する数に雲泥の差は無いかもしれんが
継戦能力の差が圧倒的だからなあ
かたや毎日肉ばかり食べてるアメリカ人
かたや松の皮食って凌いでる北朝鮮人てとこか?
>>875 人脈に有能な人材を多数持っていた曹操と劉備を比べてみれば?
>荊州閥ってあるの?
これは歴史的無知なレス。
何読んだら
>>878みたいな結論に至るんだろうか。
ベースは演義なんだろうけど酷すぎ。
無知が無知を無知と罵るスレはここですか?
つ鏡
889はラーの鏡を使った。
しかし888は鏡を覗き込みたがらない。
>>885 まあ、だから結局、劉備死後蓄えた国力(+異民族からの搾取分)を孔明が使い切っちゃって、
孔明死後以降、しばらく攻めに出られなかったんだろうね。
魏はその後も公孫攻め、朝鮮攻めに成功してるのに。
>まあ、だから結局、劉備死後蓄えた国力(+異民族からの搾取分)を孔明が使い切っちゃって
まあ根拠も何も無いわけですが…
少なくとも孔明死後当面北伐ほど大規模な軍役は出来なくなったのはある
戦争で一番負担がかかるのはいつの時代も一般民衆
>>879 董和、劉巴、黄権など劉備入蜀以後に入ったが普通に高位高官について実権も握ってたし、
そんな偏向人事をしていたとしたら、先主伝の記述に矛盾するように思うのだが。
>>893 あたかも諸葛亮が一般民衆に負担をかけまくったせいで
軍事行動不可能みたいに言ってるが、根拠のない発言乙。
896 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/27(火) 14:03:04
まあ根拠がないのは孔明信者も同じだがな。
r1 | ! /7、
Y;ニ-=ミ'、,!
i!'”;、” K' ま、私のことなんてどうでもいいんですけどね
ゝ'二,,ノ'
,ィ'二ミヽ`"、|,y'7r/7ri,r')、
/ r'Y^V // / / / /7
/ /fl y / / // / / /7:'フ
/: : ,' l: y/ ノ ノイ /r ノ / /rァ
/: : . .:/ ゞ!{ ノ / ノ ノ イノ ィ/つ
,': : : . \ |:トr〜')_ノ //_,.ィゝ
{ : : : . //ヽゞ)_゚,..)-‐≠ ̄
゙; / /:;f '''"ヽ,r-‐'''"!|
| //:::/ヽ、ミソ -|::| i:l |
レ ノ ノ ゞ'' | ::|! l :゙、
ヾ∠.イ | : :!i l ',
,': : : . | ::i l iヾ',
/:: : : : | : :ヾ、i ト、
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/: : : : | : : i l |
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!:: : : : !: : ::l:::i、ヽ
,':: : : : i: : : ::i::: :\
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ir-- ‐- ニニニニ' :: : : :: :|〜 彡' >
,!'''" ̄` ' ' 'F''''"´;: : : : : :|_,、,,.r'"
/ └-- .i,.L. _;、 _;; _ハ_i
/ ノ ノ ; ;; :: :; ;',
ん ,. ' ,.' , ,; 人 ヽ ヽ
ヾこ-r'⌒ 〜 彡〜rー r〜<`-ヘ
レ⌒:j"´ ヾ-'ヾミ:;_ )
898 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/27(火) 17:24:59
ついでに孟達と法正は蜀ではなく擁州の出身
>>898 出身で言うなら孔明は不明(徐州という説が有力)だぞ。
>>887 ごめん、僕が持ってる正史には書いてないわ
荊州閥ってどこに載ってるの?
>>895 一般民衆に負担かかってないわけ無いだろ…
軍事がどれだけ大変だと思うんだ。
三国志の人物は出身州の派閥に必ず所属してるんだぜ
趙雲「おれ孔明党だからー派閥とか関係ないからー」
>>902 搾取されたり、兵役に狩り出されるのは一般人の役目(?)だしね。
ただ、民に強いた負担を(目立った)不満に転化させなかったことは、
諸葛亮の為政者としての優秀さの証だろうね。
蜀が地元の豪族が益州閥と言われる。
徐州時代から付き従ってきた豪族は徐州閥。
でもって諸葛亮・費禕・蒋琬・最初の北伐のメンバーの中枢且つ大多数を占めるのが、
劉備が荊州時代に得た人材である荊州閥と言われる連中。
出師の表のメンバーが一人除いてほとんど荊州系のグループだったかな。
日本風に言えば譜代大名が徐・荊州閥と外様大名益州閥って感じ。
馬超だけは涼州士人だが蜀漢の対魏戦略での馬超の重要性から別格扱いで地位は高い。
死んじゃったけどね。
伝が立てられてる人の中で益州出身者。
張裔、楊洪、王平、李恢、馬忠、張翼くらい。
あとは学者連中。
908 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/28(水) 16:48:13
楊戯も忘れてた。
学者連中って所属が魏呉だったら名前も残ってないんじゃないか。
蜀書の体裁を整える為に無理矢理載せた感があるがどうだろう?
魏呉には彼ら程度の学者は縄張りからいって山ほどいたと思う。
>>902 一般民衆に負担が掛かるのは当たり前、
だがそれを=「孔明死後当面北伐ほど大規模な軍役は出来なくなったのはある」
みたいに根拠の無い論理に飛躍するなと言ってるんだが。
誰が何時一般民衆に負担が掛かりませんって言ったんだか。
しばらく北伐できなくなったのは事実じゃん。
利益無き戦いしてたのに、備蓄が激減しない訳無いって。
孔明なら戦争してても国が潤ったままだ、と考えてるなら、それは神格化し過ぎだ。
238年に北伐を再開するよう詔勅が出てるけどな。
四年ほど経ってるんで、しばらくと言えばしばらくかもしれんが。
それって完全にポーズだけだよな。
曹叡病気で仲達は遼東に行っててチャンスだったのに、漢中から全く動かなかった…
司馬懿は9月には公孫淵を撃ち破って帰途に就いているので、
蒋琬が漢中に駐屯したのとほぼ同時期に都に戻っているよ。
もっとも、曹叡の病のお陰で、本来長安に直行するはずだった司馬懿が都に入り、
その後も長安入りしなかったので、チャンスと言えばチャンスかもしれないが。
ただ、どの道、漢中に来てすぐ出兵を行うというわけにはいかないと思うけどね。
成国渠や臨晋陂の整備も済み、関中の生産力と輸送能力が向上しているので、迂闊に関中には出れない。
また、諸葛亮が231年に祁山に出て以来、隴西には一度も出ていないので、
魏軍の配備や防御施設の状況も不明瞭なので、隴西への作戦も立て難い。
その辺を懸案して、240年に姜維を隴西に出して威力偵察を行ったんだろう。
明帝紀の注釈に拠れば、蒋琬の漢中入りの数ヶ月前に、廖化が魏へと軍を進めたが、
これがどういう目的だったのかも、実際にあったのかもよく分からん。
この明帝紀の注釈以外に記述がないし。
要するに、体力的にも人材的にも魏と構えるのが厳しくなってたんだろうな。
魏はそんなに甘い相手じゃないし、蜀は大して豊かな国じゃないし。
人材でみるなら魏もいいかげん枯渇気味だけどな。
将帥レベルでまともなのは司馬懿ぐらいしか残ってない。
むしろ、豊かでない国に余所者が乗り込んできて支配してるんだから、
国内的にも国外的にも蜀の戦争には大義名分がある事を宣伝して、
積極的に戦争を継続しなければ荊州閥の支配を維持できなかったとか。
不安定な独裁政権が外に敵をつくる事で国内の引き締めを図るみたいな。
篠田先生は、孔明の死で軍から逃亡する兵が出て動員兵力が下がったと言うけど、
実際はどうなんだろうな
孔明で駄目だったんだからという諦めムードはあっただろうけど
荊州閥の支配ってのがよくわかりません。
外来政権の維持ならわかります。
諸葛亮の権力得る過程を鑑みるに
荊州閥であるという意味合いは少ない
むしろ荊州閥である可能性も少ない
ここで言う荊州閥の定義の幅が大き過ぎる
●荊州人でなくとも荊州時代で得た人士。
●荊州時代に参加していなくとも荊州出身。
これらが権力を得ていない諸葛亮を推戴する理由が無い
諸葛亮があくまでも派閥政治をやったというなら
劉備の寵愛を受けた権力から得たコミュニティだろうな
諸葛亮は小泉における平蔵にすぎないのであるから
権力基盤は酷く脆い
すると、諸葛亮の専制独裁は自らの手腕だけで成し遂げたものなのか。
荊州閥・益州閥というのは、むしろ諸葛亮死後に表面化していったイメージがあるなあ。
>920 918だけど流れで荊州閥って出てきてたから不用意に使ったけど
外来者による政権って意味でいいです。
まあ、一つ言うと劉焉以来(あるいはもっと以前から?)、ずっと外来政権。
>>917 郭淮・陳泰・王昶 王基・ケ艾・鍾会・諸葛誕・羊コ・杜預・王濬・王渾などなど、
と以後も十分まともな将帥が出て来ていたと思うが。枯渇はあまり感じられない。
927 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/29(木) 14:53:02
光栄厨、演義厨ばっかりね…
<魏>
初期:夏侯惇(対呉)、夏侯淵(対蜀)、曹仁(対関羽)
中期:曹休(対呉)、曹真(対蜀)、司馬懿(対孔明、陸遜)
後期:多士済々
<呉>
初期:孫策、周瑜、魯粛、呂蒙
中期:諸葛瑾、陸遜、朱然
末期:陸凱、陸抗
<蜀>
初期:劉備、関羽
中期:諸葛亮、魏延
末期:姜維
総大将劉備、先鋒黄忠、参謀法正のユニットが最強。
930 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/29(木) 16:02:09
>>915 曹叡が死んだ直後に孫権が攻め込んでるけけど撃退されてる。
>>917 あの頃の仲達は秀吉死んだ後の徳川家康みたいなもんだよ。戦歴・キャリアとも
コレに並ぶものがいないという。曹操以来の重臣となると残り少ない状態。曹
真が早死にしたのが魏にとっては運のつきだった。
>>922 先帝の遺勅(蜀の憲法みたいなもの)と南蛮遠征を背景にしてしまったのだろう。
それにある程度、苦しかった経済を建て直したみたいだしな。
931 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/29(木) 16:04:21
>>928 人口の多さ=人材が出てくる可能性の高さに比例してるのだろう。
>929
その構成を決めたのは軍師団の長である孔明になるわけだが。
ほうとうが死んだのでその代わりとしての法正。
しかし結果的には法正の才能はほうとうに劣らなかった。
ということだがな。
その構成を決めたなんてのは、お前の妄想
じゃあ総大将劉備、先鋒黄忠、参謀法正、兵站諸葛亮に修正
魏後期の連中は小粒。
初期中期の先輩の遺産もあるが、
長年の死闘と昏君の暴政で呉蜀の地力が底を尽きて自滅しただけ。
>>935 そもそも魏の前中期の連中だって呉蜀に攻め込めば敗戦ばかりで、それは呉蜀も一緒。
三国鼎立してしまえば相手の自滅でもない限り攻めて勝つことは元々困難だった。
後期だけ小粒なわけじゃなかろうに。
小粒とかゲームのやりすぎじゃね
そもそも前期にも気の利いた武将なんて僅かしかいないじゃん
司馬懿クラスのがぽこぽこ沸くようだったら苦労しないわな
>>926 鍾会は、蜀攻略作戦の立案から言って軍事能力は素晴らしいが…。
郭淮やケ艾は名将と言えるね。
939 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/29(木) 20:21:57
>>938 評判はイマイチだったんだろう。辛憲英とかにコイツ危ないんでないか
と言われてるくらいだから。司馬昭は鍾会を粛清するために行かせたのかもな。
そもそも、ケ艾と鍾会では身分と動員できる兵力がクロス状態(身分はケ
艾が上で動員兵力は鍾会が上)で現地でトラブルにならないわけはないだろう。
とかく蜀討伐戦に限らず呉征討戦でも方面軍司令官単位で揉め事が続出したらしいし
そういう軍功争いだのといった揉め事はそういう征討戦をする際は日常茶飯事かもしれん
>>931 人口云々より曹操が国中から有志集めまくってたじゃん
司馬慰もあれこれ言い訳して拒んだか最後には身の危険を察知して出仕したんだし
942 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/29(木) 22:32:41
>>940 杜預の「破竹の勢い」ってのもその揉め事から生まれたのだな。揉めたのは特に
あの当時は対外遠征が少なかったからでないか?特に北方民族は曹操時代に結構やら
れてるから抑止力が効いてたっぽいし。
943 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/29(木) 22:34:59
>>941 曹操は才能あれば多少の瑕疵は問わないとか言ってたけ?逆に呉は既存豪族に
蜀は劉備陣営の古参の連中や益州の豪族という「抵抗勢力」を抱えててそういうのが
できんかったのかな?それとも儒教という呪縛が縛ってたのかもしれんが
三国の国力差ってどれくらいあったんだろう?
地図だけ見ると三等分に見えるんだが・・・
>>944 なんだかここ2000レスくらいの議論が無に帰した感じがします
>>943 呉は手柄さえ立てれば殺人罪さえ帳消しになる無法国家だぞw多少の瑕疵どころじゃない。
947 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/30(金) 02:08:21
>>946 魏ー能力=行政手腕
呉ー能力=山越討伐の武力
という意味でない?それに呉の場合は人口少ないので兵隊狩りしてるくらい
だから瑕疵もくそもない状態でw
○州閥の主語ってその構成員じゃなくて劉備本人だろ。
諸葛亮は徐州出身だが登用されたのは荊州だし。
徐州閥=傭兵隊長時代の仲間
荊州閥=髀肉之嘆〜荊南割拠
益州閥=入蜀〜滅亡
949 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/03(火) 14:41:26
>>948 馬鹿なオイラにも分かる様に言ってくれ
劉備自身が入ってて派閥も何もないと思うが?
950 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/03(火) 15:27:07
>>949 派閥が、出身地別じゃなくて、
劉備が放浪してる時のどの時代に仕官したかで形成されている
って事じゃねーの?
今、中国に孔明がいたら、日本はどうなるんだろ?
>>952 何も変わらない。
孔明が必死で中国の悲惨な内政に取り組むだけ。
孔明が民政家官僚なら今の中国のほうが性分にあった仕事が多そうだ
諸葛亮は反体制的位置なので
きっと中部農村部の軍閥あたりに潜り込んで
内戦の準備中です
ひょっとしたら日本に外交交渉にくるかもしれませんね
孔明は戦争なんかしないだろ・・・常識的に考えて・・・
共産党員にはならないだろ。
漢朝復興を目指してんだから。
現代の科学や国際事情などが分からずに無能を晒して終わり
961 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/04(水) 15:45:19
農民の地位向上につとめるだろうな。
962 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/04(水) 15:50:30
誰も三顧してくれないから、永遠に晴耕雨読してるとおもう。
言葉が通じないので終了
それでは味気ないので、現代に適応できるよう勉強開始
10年経過
そして老衰
孔明が今の中国にいたら、発明王として大活躍してるさ。
965 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/04(水) 18:28:22
966 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/04(水) 19:06:47
967 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/05(木) 00:13:15
軍事の才能がない奴という奴は
人を見抜く力がない奴。
968 :
無双ファン ◆.IjycOFqtg :2007/04/05(木) 00:44:58
難解だな
つまり台湾に居て、巻き返しを画策してるわけですね
日本海で大海戦ですか?
>>949 確かに三国を分けたらそう思うかもしれないが、当時の人口や経済、生産力
とか綺麗に分けることは無理。
単純に日本を3つに分けてみてみ。真ん中は東京周辺から大阪辺りになる
と思うが、この地域が一番人口や経済、生産(これは微妙か)で他の二つを
圧倒しているから。魏はこんな感じ。
ごめん。上はアンカーミスった。
>>944です。
すみません。
1が本物の魏延だったら、絶対こんなことは言わないな。
戦略・戦術に不満があっただけで
軍の統率においては現実、雲泥の差があったわけだから。
それに伝説化されたというが、すでに東晋の頃にはすでにその伝説はあったわけで
太古の人物ならともかく、100年前程度の人物が全く実体がないのに美化することは
考えにくい。(幕末・明治維新なら、小栗上野介や勝海舟、近藤勇に近いポジションか
美化されてはいるかも知れないがそれなりに優れた人物だろう)
伝説もある程度は本当かも知れないし、八陣図など独自の戦闘陣形を本当に考えたのか
も知れない。もし、そうなら、一良将に過ぎない魏延とは比べものにならない
才能の持ち主だ。戦術が巧みなだけの司馬懿とも才能では比較にならない。
(陣形の変革を時代(兵器)の変化にあわせて行った軍事家が偉大であることは
西洋史に詳しい人なら分かるだろう。ハンニバルもナポレオンも勝利した
最大の理由はそれだ)
973 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/08(日) 00:33:31
>>972 >100年前程度の人物が全く実体がないのに美化することは考えにくい
つ西郷隆盛
974 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/08(日) 02:59:15
孔明の偉大さは蜀で徴兵制を成功させたこと。
軍事に才能がなければ仲達も走ったりしないよ
坂本龍馬ならわかるが西郷隆盛とは
977 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/09(月) 18:34:09
>>975 奴が走ったのは孔明を恐れてではなくて、魏の皇族や重臣を恐れて。
下手に大功たてると殺されるからね、シナでは。
よしっ
ロウソク倒しちゃえw
仲達自身が言ってるじゃん。
1攻める
2守る
3走る
4降る
5死ぬ
と。
圧倒的に有利な条件でありながら、
仲達に攻めることを許さなかったほど戦術面では孔明の方が上だった。
そして戦略では守ることが大局的な勝利に直結したので守った。
孔明の病死により自動的に蜀は破滅に。
どうしてこのようなスレが立つのか不思議だ。
政略:孔明≧仲達
戦略:孔明≦仲達
戦術:孔明≧仲達
まあほとんど伯仲してるよなあ。
孔明が独裁権を確立できたのは小国ゆえにだし。
圧倒的優位な状況で
時間任せな戦略しか立てられない仲達の政略が優れているとはおもえんが
結果論を出されると何もいえないから歴史は面白いよね
いや曹爽を排除する時の手腕は神だよ。
勝負を掛ける時の果断さは分野を問わず非常に優れている。
983 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/09(月) 21:47:37
>>982 そんなので称えられるなら、
始皇帝が死んで権力を握るまでの趙高の一連の策略ですら
称えなくてはならなくなるな。
984 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/09(月) 21:53:11
>>983 称えていいんじゃない?善悪ではなく優劣という意味ではさ。
孔明を早々に倒してたら曹爽の出番なんてなかったとおもうんだがな
良くも悪くも事を為すには知恵が要る
いわゆる悪事に使う場合にも善行を為す場合にも
>>981 圧倒的な優位な状況だから時間任せで勝利が転がり込んでくるならそれが最上手だろ?
んなわけないだろ
長く前線にいるってことはその分政局についていけなくなるんだから
それに地力の差が圧倒的から相対的に勝てるってだけで
自国の領土まで攻められてるんだから長引くほど魏だって国力は低下する
むろん負けるのは問題外だが
時間任せなんて「勝ち」の中では最低の作戦
>>989 そもそも戦争状態にならずに有利に事を進めるのが最上。
その次に被害なく勝てるのが良い。
勝ち方に拘って被害を出すのは下の下の下の下。
孔明ほど政権内での権力が子の師・昭の時代ほど絶対的じゃないんだよ。
保身を第一に考えると、しょうがない面もある。
狡兎死して猟狗煮らる、と言うでしょう。
明帝の時代から蜀を滅ぼしていたら、司馬氏は功臣止まりで、曹氏の天下は絶対のものになってたと思われる。
長い三国鼎立が彼らの存在感を育んだのだから。
杜預とて征呉戦で大功を立てても、賈充のような奸臣に頭を押さえつけられていた。
当時の仲達がどうしてケ・鍾の末路を辿らないと言えようか?
無理攻めして戦えば必ず勝てるとも思わないが、戦う必要が無いなら戦わない。
敗戦の責任で首を吊るのは御免だろうしな。
何の話をしてるのだ?
仲達がしてたのは防衛戦だとおもってたけどあれは蜀に攻め込んでたのか?
>>990 被害の全くない戦争なんてあるのかよ
ばかじゃないの?
馬鹿が吐き出す言葉には怒りしか感じない。
持論を否定されたからと言って軽々しく他人を侮辱する人間に屑以外の何者がいよう。
こいつは兵法を知っているのだろうか?
外の敵と戦うだけが戦争と思っているのか?
まさか身内に敵には大人しく刺されろと?
己の存在価値が外の敵によって支えられる相対的なものならば、
絶対的な価値を手に入れるまで時間を稼いだとしても責められることではない。
ことに戦時における有能な人間の存在価値は平時に入れば容易く「有益」から「有害」に転ずる。
一度名将として人気を集めたが最後、「無益」とか「無害」とか殺す価値もない人間らしい安穏とした人生を送ることは許されないのだ。
そんな必死にならなくてもw
孔明存命時の西部戦線はそこまで魏が優位だった訳でもないじゃん
こういう議論になった時、いつも陳舜臣の解釈をもちだし、
『仲達は手柄を立てないために、わざと勝たなかった』と持ち出す人間がかなりいる。
それなら、曹真はどうなる? 張コウはわざと討ち取られたのか?
(いやいやの出撃とはいえ、退却ではなく、戦死というところに孔明の軍事才能は証明されないか?)
いや、大体、仲達は張コウを使い、追撃させたのだ。全く、勝つ気がなかったとは思えない。
張コウほどの名将ならば、凡庸な相手なら危険はあれど追撃が成功する可能性が大であるのは明白だ
追撃が無謀ならば、蜀軍は相当に強かったということになる。
張コウを始末するための策略? なんでそんなことをしなくてはいけない。
張コウが生きて帰る可能性は高い。そこで、仲達の無能を中央に訴えたらどうなる?
中央も無視はできない。仲達か張コウ、どちらかが罷免される。
張コウが罷免されても、そうなれば、仲達の中央と軍への求心力がぐっと下がる。
一武人に過ぎず、政敵になる可能性もほとんどない張コウを殺すために、
なぜ、そこまでリスクを払わねばならない。
答えは簡単。仲達は蜀軍の兵糧が切れるのを待ち、追撃して勝とうとしたができなかった。
孔明は、魏軍が多数に頼み、出撃するのを待ち、破るつもりであったが、
出撃してこなかった。それを何度も試みたが失敗した。
こんなところじゃないの?
>>992 なるべく被害を出さないようにするという話しなのでは?
998 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/10(火) 21:20:30
>>996 それが大多数が納得しうる正答だろう。
次スレは立てない方針で。
999 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/10(火) 21:23:43
1000
終
1001 :
1001:
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