1 :
無名武将@お腹せっぷく:
2 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/09(金) 19:27:29
李通の話だ
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/09(金) 20:17:12
楽進の話じゃないのか?
>>2-4 李通が長生きしてたら楽進以上に出世したんだろうなー
干禁した可能性もなきにしもあらずだが
正解
曹真様のスレだ!
専用スレへどうぞ
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/10(土) 12:20:59
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/10(土) 18:12:41
魏随一の名将が夏侯惇であることに異論はない
惇兄は行政官としても活躍していた事を評価したい。
他にそういう事やってる人には誰がいますか?
四征将軍レベルは皆そう?
11 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/12(月) 02:45:36
張コウの長所、短所を語って下さい
12 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/12(月) 09:18:06
郭嘉がいれば赤壁の戦いは負けてなかった!らしいよ〜
張遼なんかよくね?
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/12(月) 14:06:02
張遼はただの猪じゃないか?
あまり名将という感じじゃないな。
>>14 十万を八百で追い払うなんて真似がただの猪にできると君は
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/12(月) 15:53:03
寡兵で大軍を撃退するのがスゲーって発想自体が猪。
実際それをやってのけるのが偉いといえば偉いと思うが。
17 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/12(月) 15:54:37
※命令したのは曹操です
18 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/12(月) 16:09:55
ただの猪武者と言われて最初に思いついた反論が、それ。
彼が智略に秀でていたことを示すもっとましなエピソードはなかったのか。
そんなものしか出せないなら猪呼ばわりされても仕方ないな。
おれだったら長社の反乱を鎮めた一件を参照するけどね。
>11 死に方が情けない所。 たぶん悶え苦しんで死んだんだろうな〜
22 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/14(水) 15:46:18
>>14 張遼は猪武者じゃないだろ
本人の武力が強調されているから猪武者っていうのは短絡的だと思うぞ
支援
25 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/15(木) 05:08:46
>>23 うん、だから張遼が単なる猪武者でない証拠を出せばいいわけ。
証拠が出ないうちに名将の列に入れるのは時期尚早かと。
曹真だな
とりあえずお前の言う名将の列というのを知りたいな
張遼クラスでただの猪にすぎないなら魏で文句無しに名将と呼べそうなのは
曹操・司馬懿・トウ艾くらいしかいないと思うんだが
まずどう言った理由で猪武者だと思ったか
その辺を言ってもらわんと…
29 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/16(金) 00:42:10
いや、張遼を名将と見なす根拠の方が先だろ。流れから考えて。
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/17(土) 18:02:16
いや、だから名将の定義なら張遼を名将だという人に聞いてくれって。
猪武者でも名将に入れていいってんなら別にそれでもいいよ。
32 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/17(土) 18:09:09
張遼は名将ってよりは猪武者じゃね?
曹真だな
猪武者
思慮を欠き、向こう見ずにがむしゃらに突進する武士。また、そういう人。
大辞林より。
張遼伝より、
張遼は曹操の命令と偽って昌霸(昌豨)とあい、降伏を勧めた。
昌霸が承知すると・・・・(云々)
ここから、思慮が欠けていたとも思えない
同じく、大辞林より
名将
すぐれた武将。名高い将軍。
合肥での奇襲は明らかに優れていなければ出来ないものだ。
36 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/17(土) 19:28:37
奇襲が800人で打って出たことを言うなら、あれは曹操の指示だ
ただ、孫権退却時の追撃は張遼たちの判断だな
>合肥での奇襲は明らかに優れていなければ出来ないものだ。
というよりも
>合肥での奇襲は明らかに優れていなければ成功出来ないものだ。
実は李典の活躍で成功した
>>36 そんな細かい指示ではなかったと思うが
「楽進は城を守って戦うな、張遼と李典は打って出ろ」
こんな感じじゃなかった?
>>31 俺は張遼が猪武者とは全く思わないけど
ぶっちゃけ猪武者でも名将に入れていいと思うぞ。
沮授や旬イクにはっきり猪武者認定された顔良さえ
「袁紹配下の名将」と呼ばれてるわけだし。
顔良と比べるのはさすがに失礼かもしれないけど
41 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/17(土) 20:36:23
顔良も勇猛さを称えられた猪武者
まさに張遼と同タイプ
はいはい
43 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/17(土) 21:03:15
しょうきの件を見ろよ。猪ならあんなこと思い付かない。
44 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/17(土) 21:18:40
張遼か、少なくとも猪っていうほど脳筋ではないが、それほど知勇に優れた名将っていうイメージはないな。
頭脳はいい意味で平凡、寡兵で多勢を打ち破る猛将じゃないか?良くも悪くも西涼武者。
魏将を名将・良将・猪武者に分類してみないか?
張遼はとりあえず猪武者にしといて
叛乱を起こした首謀者を即座に斬った話とか、
昌キを自分の判断で降伏させた話とか合肥の戦いと記述とか見ると
少なくとも並の将に比べれば頭は良かったと思うぞ。
特に頭を使った描写がほとんど無い奴だって大勢いるんだし
楽進よりは頭を使っているが、徐晃よりは頭を使ってないという感じ
頭使っているのは徐晃より張コウじゃないか
徐晃ってそんなに頭使っているエピソードあったっけ?
戦前に必ず物見を出したり、慎重だったり、関羽戦でのエピソードとかで
張遼より頭を使ってた記述があると思うってだけで
別に張コウ>徐晃とか言ってるわけじゃないぞ
あ、不等号が逆だな
まあどちらにしろ張コウ、張遼、徐晃はみんなそれなりに頭使ってたと思うよ
楽進は記述少なすぎ
楽進は、楽して進。
頭は頭突き用。
張遼が猪武者って言う人いるけど、戦史上、寡兵で大軍を撃退する人って
猪どころか部下の掌握と統率力に優れた目配りの利くタイプが多い
部下の掌握なんて猪武者の指揮官が武勇を揮えば奮い立つと思ってる人が
いるけど、そんなに簡単にいくわけもない
53 :
14:2007/02/18(日) 17:23:27
張遼が猪武者って言ってるのはおれなんだけど、
彼は勇猛かつ機転のきく下士官クラスって感じなんだよな。
下士官としては優秀だが将校には上がれないっていうね。
そして無視される于禁
56 :
14:2007/02/18(日) 19:05:02
そうだったか?
張遼が単独で一方面を任されたことはなかったように思ってるが。
そもそも単独で一方面を任された人なんているのか?
単独で一方面任されないと将校じゃないっていう理屈も凄いけど
そもそもお前の猪武者の定義がよく分からないんだって。
機転がきくって言う時点で猪武者とは言えないと思うんだけど
>>35の定義のように思慮にも欠いてないし
どういうところが猪武者だと思ったんだ?
59 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/18(日) 21:54:14
張遼は優秀な猪武者
これでいいじゃないか
【猪武者】いのししむしゃ
猪のように恐れを知らず勇敢に敵に向かって突進する猛将のこと
なんだ、釣りだったのか
トウトツは曹純が斬ったんですよね
張遼が捕らえて曹操が斬りました
>>35や
>>60によると、猪武者と名将は矛盾しない/両立しうるなw
つまり、両単語ともこのスレなりの定義づけを行わなきゃ議論が始められないって事だ
66 :
14:2007/02/19(月) 03:51:05
>単独で一方面任されないと将校じゃないっていう理屈
えー、そんなこと言ってないじゃん。
官職と能力は比例しない。
しかし名将というからにはまず将校であることが前提条件でしょ。
語の定義から言えばすぐれた将校を名将と呼んでるわけなんだから。
だったら名将と評価するためには将校として実績が必要だろって話。
張遼は前将軍まで上がったけど中央軍に編入されちゃって
戦略レベルでの実績は積んでないよ。
機転が利こうがIQ高かろうが下士官や中央軍の一郭程度じゃあね。
将校としての能力はあったかも知れないが実践がなければ評価できない。
>>64 違うよ。
>>14の言ってる猪武者ってのが一同さっぱり理解不能。
周囲の空気読めずに猪突猛進を繰り返す
>>14こそが猪武者というオチか。
53 :14:2007/02/18(日) 17:23:27
張遼が猪武者って言ってるのはおれなんだけど、
彼は勇猛かつ機転のきく下士官クラスって感じなんだよな。
下士官としては優秀だが将校には上がれないっていうね。
55 :無名武将@お腹せっぷく :2007/02/18(日) 18:56:41
>>53 いや、実際上がってるだろ
(これは「将校に上がっている」ってことだろ?)
56 :14:2007/02/18(日) 19:05:02
そうだったか?
張遼が単独で一方面を任されたことはなかったように思ってるが。
(張遼は一方面を任されたとこがない、だから将校ではないという主張に至ったんだろ?)
少なくとも「そう捉えられかねないぞ」とはいっとく。
遼来遼来
71 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/19(月) 15:43:16
張遼もすごいと思うが張遼が不安の中で「国家のためだから私事は捨てるよ」
って張遼に言った李典もすごい。蒋欽とか祁奚とカブるけど
将って軍師系も入れるの?
73 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/19(月) 20:05:48
んー、まあ言い方が悪かったのは認めるけどさ。
結局、戦略レベルで実績がない人物を名将と呼べるかどうかだよね。
本当は張遼を名将だと言ってる>13の方が
先に名将の定義をはっきりさせないといけないんだが、
話が進まないので、おれの方から言わせてもらうと、
戦略において非凡な資質を持つ軍人ってとこかな。勝敗は関係なく。
張遼は下士官として優秀だったとは思うが、
戦略レベルで実力を試されたことはないからね。
>>73 戦略レベルだろうと戦術レベルだろうと
高い功績をたてた将は名将って事で良いと思うんだけど
ただ単に君の「名将」の定義が独特なだけじゃないのか?
それから君自身猪武者の定義には答えて無いじゃん
他人にどうこう言う資格は無いと思うぞ。
さらに言うと張遼に戦略レベルでの実績が無いっていうのも微妙だけど…
どの辺りから戦略レベルの実績と呼べるのかよく知らないので
とりあえず突っ込まないでおく
諸葛亮の北伐に対して張郃が明帝に進言したりしてるが、その類のことじゃない?
戦略レベルなんて、魏でも両手で足りちゃうくらいしかいないんじゃない?
国境防衛ラインである合肥の守備に対して過小評価し過ぎじゃないのか?
確かに寡兵でもって大軍を打ち破ったことのみを取り上げて名将とはやすのもどうかと思うが
>>14の言うような一方面を攻め取る戦略で動く司令官を名将と呼ぶというならかなり見識狭いかと。
戦略>戦術が将器の評価ポイントの一つにするという点においては同意するよ。
しかし戦略上の要衝を防衛しかつ撃退するのは猪武者レベルにできることか?
戦略の意味において防衛に敗戦は許されない。なぜならその後の戦略に大きな支障をきたすからだ。
さらに呉において「泣く子も黙る」という張遼の威名は数値で測ることはできないにしても
防衛上最も必要なオプションの一つであると思うけどな。
79 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/20(火) 00:31:24
こりゃ新たに「名将と猪武者の違い」みたいなスレ立てた方が良さそうだね
>>79 それいいなあ
三戦板で是非おねがいしたい
81 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/20(火) 04:46:33
>75
このスレで戦術レベルの功績があれば名将と呼ぶってんなら
おれは別にそれでもいいよ。
ただ、えらく価値の低い名将だなと思うけど。
>78
張遼は下士官としては優秀だと思うよ。
本当は戦略的にも高い見識を持ってたかも知れないが、
でも実戦で試されてない以上、下士官としてしか評価できないわけでさ。
下士官がどんなに優秀で戦略眼を持ってても
それはそうじゃないのと全く同じことだからね。
おれが猪武者と言ってるのは戦略的思考への不関与なんだ。
下士官として求められる以上の知性を備えていたとしても、
それは将校として優れていたということにはならないよね。
82 :
名無しさん:2007/02/20(火) 07:53:32
カクは良いよ、あいつメチャ使える
名将とは他人からの評価、
猪武者は評価に使われることもあるが、基本的に
人間の性格を現す単語だろ。
そもそもはじめから用法が違う言葉なのになんで比べようとする。
張遼崇めてる奴って蒼天の見すぎだろw
魏の名将は間違いなく曹操
それ以外いない
横光三国志で名前が出てきた魏の将は全員名将。
86 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/20(火) 09:05:15
>>81 下士官ってのがまず違うのではなかろうか…
>>81 つまり国家戦略に関与していない人は皆猪武者だと言いたいわけ?
それともここでいう戦略っていうのは1つの戦闘レベルも含まれるのか?
88 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/20(火) 09:33:11
>>87 現在の将官クラスでも国家戦略に関与していない人の方が多い
しょせん方面司令、部隊長クラス
>>81 「名」という言葉がインフレを起こしてるってのは同意できるが、
それにしても君の定義は独自性が強すぎるな。
張遼は魏国対呉方面ローカルレベルの名将でいいと思うが。
>>78だが
>>83の言が正鵠を得るものだと思う。
結局ここでいう名将やら猪武者の定義がみんなバラバラで感覚的な意味合いが先行しがちだね。
いつの間にか名将か凡将かという議論にすり替わってる気がする。
しかし張遼が赤壁で曹操の殿軍を任されたことや合肥で古参の李典と楽進を副将につけて
対呉戦略上の拠点を任されたことを考えると国策レベルにおいて最重要レベルの任であったと思うのだが。
戦略的思考の不関与と言うがその論拠自体があやふやだからいまいち同調できない。
三権分立的なところを例に出すと行政よりも立法のが重要だろと言ってるように聞こえるんだわ。
戦略を立てる事は重要だが実行者とのインタラクティブな関係あって初めて成立することじゃないか?
張遼が防衛失敗したならばともかく、成功を収めたことを考えると名将と称えられることに異論は少ないだろうさ。
なにも三国一の名将を決めるってわけじゃないんだから魏国の一武将としては名将であると思うけどな。
92 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/20(火) 20:16:21
張遼が最重要任務の一端を担い、その責務によく応えたことは否定してないよ。
ただ、それが下士官としての実績であって将校らしいそれではないってこと。
あと立案者と実行者のどっちが重要かという話はしていない。
戦術面で功績があったからといって戦略面を評価することはできないってだけだね。
下士官として一地方での戦闘に活躍したのを名将と呼ぶというなら
おれは採用できないけど、その定義は否定しない。
でもそれは彼が戦略面でも秀でていたとは説明できないと思う。
94 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/20(火) 20:32:41
「おれ」的なのは語の定義だけだろう。
>>92ははやくみんながツッコミを入れているのは
名将の定義ではなく猪武者の定義だということに気づけ。
みんな張遼が名将でないと言うから反論してるんではなく、
張遼を猪というから反論しているのだ。
>>92 少なくとも荀攸の計略にひっかかった文醜とかに較べれば
そういう失敗が無い以上、「猪武者」とまでは言えない。
確かに個人の性格には難有りで、楽進・李典などとの亀裂もあったようだが、
それは「猪武者」とはいえない。
俺はお前の定義は最低限尊重してやれるけれど、いつまでも論点からズレたこといわないでくれ。
97 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/20(火) 23:06:21
君主の親族以外で一方面任されるって滅多にないんじゃなかったっけ?魏で誰かいる?
98 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/20(火) 23:29:58
中国人のレスが欲しいな
誰か居ないか
相手の領土を削り取ることだけが戦略ではないと思うのだが。
何度も繰り返すが重要拠点を防衛することも一つの戦略であり、
この点において実行者たる張遼が下仕官なんぞと貶められる理由がさっぱりだ。
これまで何度も発言があるが
>>92の定義に当てはまる魏の名将を具体的に挙げてほしいもんだ。
あまり張遼張遼となるとスレ的にかなり狭い議論になるので他の魏の将について語りましょうや。
夏侯惇って名将なんでしょうか?個人的には好きな武将だけど客観的な評価だとみなさんどうでしょう?
>>99 夏侯惇は荒れるから後回しにしませんか・・
徐晃とかどうよ徐晃
>>100 確かに荒れそうだw
徐晃いいっすねぇ。「彼を知り己を知れば百戦百勝危うからず」って感じの
兵法のいろはを体現してる武将というイメージだなぁ。
派手な戦績こそないが確実に任務をこなすという意味で計算できる魏の名将だと思う。
関羽とも友誼があったことを考えると人としてもなかなかスケールの大きい人物だったのかもね。
102 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/21(水) 00:31:33
103 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/21(水) 00:34:27
下士官と呼べば貶めたことになるという>99の感覚が理解できねえ。
下士官に謝れよw
>>103 部長に向かって係長さん!と呼びかけたら十分貶めたことになるだろう。
張遼は下士官ではなくもっと上の役職なのだから。
張遼は下士官を連呼している人はまだいるの?
>>103 かりにも征東将軍にまで昇った将に対して下仕官という表現が妥当かどうかの話が理解できないのか?
これまでの文脈の流れを読めば下士官そのものを貶めた発言ではないことぐらいわかろうもんだがな。
論点のズレた反論する前に読解力つける努力しようぜ。
トウ艾って強いイメージあるけど相手が弱かっただけだよな?
AHO
>97 李通? いや任されてないか。
一方面ってどの程度?
任されてるってどの程度?
夏侯淵クラスの奴でいいんじゃね?
あんまりいなそうだけど。
諸軍事クラス
夏侯淵は巴郡の平定に際し、征西将軍に昇ってる。
征西将軍は魏においては長安に駐屯し擁州と涼州の刺史を統べる名実ともに一級の高級仕官。
ちなみに張遼は前出したが征東将軍であり基本的に同格の将校といえる。
征東将軍は寿春に駐屯して青州・エン州・徐州・揚州の刺史を統べる。
征西将軍と征東将軍のどちらか重要かという議論は面白いが不毛であると思う。
赤壁敗戦以後は南方よりも西に勢力を伸ばす戦略に転換が計られたのは歴史が明らかにしている。
この急先鋒の任にあたったのが夏侯淵であり、漢中平定まではよかったが定軍山での敗死と
漢中の失地は魏国にとっては大きな損失だった。
張遼の場合は国策上、対呉に際しては防衛が第一任務であったから比較しづらいと思う。
統治規模から言えば断然張遼ということになるが、当時平定されたばかりの擁州、涼州の治安維持と
異民族征伐の任の両方を任されていたことを考えると負担とかけられた期待は最大級かもしれんね。
孔明死亡までは西の方が最重要拠点、その後は東
大将軍2人が雍涼諸軍事やってる
鐘会は関中諸軍事なんだよな
117 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/21(水) 20:39:31
>>113 大嘘ばっかりだな
夏侯淵にしろ張遼にしろ都督○州諸軍事にはなってないだろ
仮節などがある以上、その地の他の将軍に対する監督命令権はあるかもしれないが、州を統べるような権限はないということだ
魏が禅譲を受ける前に都督諸軍事にまでなった曹・夏侯以外の将は臧覇だけだ
>>117 まぁそこまで大嘘とおっしゃるなら逆に教えを請いたいが、
都督諸軍事の臧覇は夏侯淵や張遼や曹仁よりも上の将校なのか?
将軍職についての解説は研究上明らかになったことを述べたまでのこと。
実際に刺史の政務に対して口を出していたかどうかまでは手元の資料では判別つかない。
しかし役職の定義の上では各州の刺史を統べることとなっている以上、
あながち大嘘とも言い切れんと思うのだがね。
知らないから教えてほしいのだが都督諸軍事の臧覇は蜀や呉を攻める際に夏侯淵や張遼を指揮下に
置いて総指揮をとったのか?
一体どれくらいのイニシアチブを発揮したのか教えてくれ。
>>118 臧覇は鎮東将軍、徐州刺史、都督青州諸軍事
そういったことは起こらなかったが、青州での戦いであればそこの太守、将軍を指揮することになったはず
あと漢制では鎮東将軍、征西将軍といった位は四方(前後左右)将軍より下で雑号将軍の上でしかないんだが
夏侯淵や張遼が征東将軍等になったのは漢の時代で、まだ特別な地位を確立していない
彼等が司令官的な働きをしているのは仮節と四征>雑号という地位の上下があったからで、四征将軍が諸州まで指揮するような権限を与えられていたからではない
いきなり見当違いのこと言って噛みついてるwwww
>>118 >将軍職についての解説は研究上明らかになったことを述べたまでのこと
これって筑摩に載ってる官職表じゃないの?
まあ清の何某の研究には違いないんだろうけどその書き方はマズイだろ。
でその官職表を見てみれば分かると思うが
張遼は征東→前将軍となるわけで表を信じれば降格人事になる。
実際には転任なんだがこれは漢と魏(九品)では序列が違うから。
要するに張遼の征東将軍(前将軍より下)は漢の制度のもので
筑摩の官職表(魏)の征東将軍(前将軍より上)とは別物ということ。
ちなみに臧覇が都督諸軍事になったとき曹仁は車騎将軍で別格、夏侯淵は死んでる。
臧覇とほぼ同格なのは曹真(鎮西将軍・都督諸軍事)になる。
>>119 漢では鎮東も征西将軍も雑号じゃなかった?
雑号だね
123 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 16:20:58
>106
官位は高くても方面軍を掌握したことがないんだからどうしようもないよ。
大将以外全員、下仕官なわけないだろ。
もうほっとけ。
彼の心の中では張遼は下士官でいいじゃないか。
病気になった下士官を皇帝が見舞うとかあり得ないよね
まぁ、文句つけようと思ったら誰にでも文句つけようあるしなw
曹操は晩年が駄目だったり大軍率いると弱いから名将とは言えないとか
トウ艾は自己の危険を全く察知できない凡将とか
夏侯淵は自分の立場が分かってない危機管理0の二流将軍だとか
張コウは長生きしただけの爺さんだとか
司馬懿・曹真・郭淮は圧倒的に兵の数や物量が劣る蜀の攻撃を
ただ防いだだけだから大したことはしていないとか
張遼に限らずイチャモンつけようと思えば誰にだって文句つけようがある。
まぁ、俺はこいつらも張遼も十分名将だとは思うけどな
128 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/23(金) 05:27:52
将官として実績を挙げているかどうかって話だろ。
129 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/23(金) 06:07:17
個人的には軍人やってて長生きしていたらそれだけで名将扱いして良いと思う。
無能なのに長生きしているならそれはそれで大したものだ
奴はバケモノだ
>>128 だから実際挙げてますって、
こういうとまた「一方面を〜」とか「戦略を〜」とかループするんだろうか
なんか先週あたりから張遼のことを猪とか言っちゃってるやつがいるけど、
頭大丈夫か?
相対的に考えることを学べよ
張遼が猪なら夏侯惇とかはいったい何になるんだよw
前線の愚将だろwwwwwwwwwwwww
夏侯惇が曹操に信任されてらのが不思議。
短気だし、14歳で人殺ししてるし、戦に弱い武将なのにね・・・。
夏侯惇死後、魏は落ち着いたよね。
>>136 基本的に人当たりが良くて兵卒とか同僚とうまくやってける性格だったからじゃないか?
キレるとアレだが普段はさ。そういう折衝役としてはすごく役に立ったとか。
将軍ていうより文官的な意味で役に立つっていうか。
それにやっぱ普通に幼なじみとして仲良かったんじゃないかとも思う。
能力の問題じゃなくて、こいつなら絶対裏切らないっていう安心感があったとか。
みんな張遼じゃ困るだろうし。
それって対偶じゃないやん
>夏侯惇死後、魏は落ち着いたよね。
そら単に曹操死後、ってことじゃないのか。
3ヶ月しか違わないわけだし。
どっちかいうと夏侯惇が死んだことの影響より曹操が死んだ影響のがでかいだろ。
曹操の死は確かに大きい。
しかしながら、最も大きく影響してるのは曹丕の治世。
好悪の激しすぎる点を改め、広大無辺の度量を持ち合わせていたら最高の君主とされる彼の政治のおかげ。
皇族や外戚の勢力の拡大を防ぎ、反乱の種を捥ぎ取り、その他当時の社会問題を法で取り仕切った事績は無視できない。
>>141 それは曹操が死んだから曹丕の治世が来たわけで、結局同じ事を違う側面から
見てるだけでないかな。
まあ結局は夏侯惇が死んだこと自体は魏が落ち着いたことについては特に意味
がないってことなんだが。
あれ、なんか文法変だな。
まあ結局は夏侯惇が死んだこと自体は魏が落ち着いたことについて特に意味を
持たないってこと…です。
>>142-143 いや、夏侯惇が死んで、彼がもっていたポストが実力ある人物に渡るようになったことが大きい。
しかし、曹丕が跡を継ぎ皇族・外戚の権力を弱め司馬一族等、実力がある人物が権力を握れるようになった。
曹丕はその舵をとる役目・・つまりヒトの体でいう小脳や大脳のような役割を果たしていた。
だけど曹丕死後、その舵をとれる人物がいなくなり曹家の権力虚弱化がすすんだんだ。
明帝もすごいお
曹叡も優秀だったけど、曹丕がもう少し長生きして、
曹叡がもう少し成長してからバトンタッチできていたら
どうだったろうね。
曹叡は軍事面において多大な事績を残した人物。
だがしかし、防衛費が魏の財政を圧迫し、
これらの戦いにより司馬一族の魏における功績と権力が大きくなりすぎてしまった。
戦わずして守り、功臣の力を削ぎ、安定させるのが名君だと思う。
つまり劉邦様が最強ということか。
149 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/24(土) 21:55:44
>131
だからその「実際」を挙げなさいっての。
劉邦は対外戦をやって負けてるな。
>>149 正史三国志もろくに読めないならこなくてもいいです。
152 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/25(日) 01:02:29
迷将、王双を忘れないでくれ。
君主だけで比べると、三国の中で相対的に優れているのは間違いなく曹操だと言える。
実績を見ればそうなるだろうな。
なんで曹操は、皇帝にならなかったんだろ。
やろうと思えばできただろうに。
死んだからだろ
後宮での仕事に興味が無かったんじゃねーの
年だったし
158 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/27(火) 12:52:27
>151
読んでます。つか、はやく実例をあげろって。
>>155 統一してないのに皇帝になってもなんだかな、って感じじゃね?
>>158 呂範撃破とか、孫権に警戒されたエピソードとかは違うのだろうか?
てか、張遼を名将といってる人は、このスレにはそんなに多くないのだがね。
張遼が名将ってのは違和感あるな
猪武者じゃね?
歴史は繰り返す
猪武者が方面官ですか、凄いですね^^
別スレでも見かけたな。張遼猪の人。
前世が孫権で張遼に恨みでもあんじゃね?
とうに終わったネタをわざわざアンカー付けて穿り返すとか
まともじゃないよね
>>161 張遼ふぜいが猪武者じゃ、
治世にも功績を残した張飛に失礼だろ。
>>155 そもそも全土統一する気も
なかったのかもね。
若かりし頃の曹操の夢は征西将軍になる事だったっけ?
とりあえず漢の忠臣になる事が夢だったみたい、最初は
天下統一する気は満々あったと思う
そこに向けて着々と戦略を進めた様に見える
月並みだけど、赤壁で決定的に頓挫して、その後は維持路線
維持路線とはいえじりじり帝位へと迫ってるけどな。
そのおかげで曹丕は曹操の死後一年も経たないのに即位できた。
天下統一する気はあったかも知れんが自ら皇帝になる気があったんのかな。
チャンスは幾らでもあったと思うが。
age
173 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/03(土) 19:21:49
>>171 袁術のような自爆路線でない限り、そんなにチャンスはない
荊州から追い出され、揚・荊・益州が従わない状態では「天下を再統一した聖人であり天子にふさわしい」とは言えないから
呉(揚、荊州)が一応従った最晩年になって初めて条件が揃ったといえる
もしかすると一段落したら即位するつもりで準備を始めていたかもしれないし、蜀を討ってから即位するつもりだったかもしれないが、いずれにしろ寿命が先に来た
自分を周の文王と言い息子の即位を示唆したのは、死期を悟ったための発言だろう
>>166 >治世にも功績を残した張飛
そうだっけ?
徐州の守りを任されたときに内乱起きたイメージのが強いんだがなあ…
張遼は呂布配下時代に魯国の相をやってたね。
>>171 皇帝になる気はやっぱなかったんじゃね。全土統一する気はまんまんだったんだろうけど。
まあ途中でこけたけど。
全土統一を果たしての即位とそれ以外では権威の重みに違いがあるからだろうね。
177 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/04(日) 14:01:18
全土の統一を目指すことと皇帝を目指すことは一致するんだよ
もし曹操が統一を果たしたら、彼は劉邦や劉秀に並ぶ功績を果たしたことになる
劉邦が義帝の後継者を立てたわけではなく自分が皇帝になったように、「全土統一し復興させた」→「劉氏より皇帝にふさわしい」となる
もし本人に皇帝になる気がなく、(ありえないが)権力を献帝に返したとしたら、曹操に待っているのは韓信のような末路しかない
皇帝になるのを待望されるような臣下を放置は出来ないからな
つまりいずれ皇帝になるしかないんだよ
問題はいつなるか
赤壁で負けたというケチがついてる以上、劉備か孫権のどちらかを破った後でないと、
皇帝になんかなれんだろ
滅ぼさなくてもいいけど、それなりに大きい勝利が必要だ
そう考えると劉備って本当に曹操にとって天敵だよな
183 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/04(日) 21:42:41
ちょっとスレタイからずれてきたね。
満寵ってどうなの?
某漫画では曹操軍の護衛をやって活躍してた。
185 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/06(火) 10:27:32
蒼天だと一番活躍した時期まで描かれてないんだよな。
保守
デカい戦で劉備絡みだと、負けてるからじゃないの?
赤壁しかり漢中しかり
官渡は勝ってる。
赤壁は劉備なんもしてない。
漢中は一郡の争奪戦に過ぎない(魏視点)。
劉備は中原に居られなくなるほど曹軍に負けてる。
曹操は自分の代で天下統一できなくなっただけの話。
どっちの言い分でも通じるけど、曹操を焦点にあてれば赤壁、漢中の敗北は大きい
劉備をブッ殺せば良かったのに、何やってんだか・・・・・。
いや、赤壁では「何もしない」ということを「やってる」だろ。
戦力の温存で魏呉を争わせろくに働いていないのに最大の利を占める。
これ以上の結果があろうか?
>>193 ろくに働いていないというのは言い過ぎ。
曹操にとって明確に敵対している戦力が
そこに居るというたけで立派に牽制の役割を果たしている。
おいおい、劉備はちゃんと戦ってるぞ。
赤壁での火計の時に水軍としては参加してないかもしれないがな。
>>190 いや、逆だろ。
曹操からみれば赤壁も漢中も田舎の支配に失敗しただけ。
負けたところで土台は揺るがない。
孫権や劉備からすれば独立を保つための絶対に負けられない戦い。
197 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/13(火) 04:13:48
あげ
劉備が皇族なんだってことを完全に忘れてるだろお前ら?w
系譜が嘘か真かは別にして皇帝に謁見した際に
皇帝自身に認められた劉皇淑様だ。
魏にとっての後ろ盾は皇帝そのものだが
劉備が味方についたことによって
曹操が皇帝を傀儡化しているという名分をたてることができるから
逆賊扱いにならずにすんだことが呉にとって大きいんだよ。
>>198 賊扱いしたら建前から言って完全に討たなきゃならない。
そう簡単に割拠してる勢力を賊認定なんて出来ないだろ。
よほど勝てる算段でもないと。
劉備が皇帝お気に入りの皇族、というのはあんまり関係ないと思われ。
200 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/13(火) 12:24:00
献帝の朝廷に入った劉備を気に入って重く用いたのは曹操自身だよ
>199
呉を完全併呑するための南進だったのに何言ってんだw
袁紹の最大勢力時に曹操が戦いを挑んだとき以上に
呉と魏の勢力差は大きかったんだよ。
だから降伏論の主張のほうが強かったんだろ?
呉には後ろ盾となるものが何もない。
だが魏には皇帝という大きな大きな後ろ盾がある。
皇帝を擁しているということで
全ての大義名分が魏には成り立つんだよ。
賊ということになったら何よりも人民が呉の敵となるし、
名士たちが呉に与するのを避けてしまう。
戦うつもりなら呉としてはなんとしても避けたかったとこだろ。
人民を味方にするための名声として劉備を利用したんじゃねえか。
そうじゃなかったら劉備を味方にするメリットなんかまるでないし、
戦力としてなら対等に同盟など組めるはずがない。
皇族様と一般諸将という差があるから組めた対等同盟だ。
>200
劉備を配下、もしくは最低限同盟勢力として使うためだったからな。
しかし最終的には利用されたのは曹操側になってしまっている。
その名声を利用しての荊州滞在だし、呉と同盟を組みやすくなっていたのも
そのおかげ。益州から援軍要請がきたのも同族だからこそだ。
>>201 呉を攻める前段階ですでに皇族の劉表・劉備コンビを攻めるために
兵を起こしている。もちろん賊扱いなどしていない。
だいたいいくら皇帝擁してるからといってそう簡単に
何にもしてない奴に朝敵の汚名をかぶせられるものかね。
あと当時の劉備勢力は劉キを取り込んで結構大きいぞ。
呉は異民族とかいっぱいいて前線に全軍置くことが出来ないし、
大戦にあたって劉備の戦力は十分に貴重だったはずだ。
さらに、劉備と呉はそれほど対等な同盟でもないんじゃないか。
後でけい州貸したのなんのと問題が発生するわけだし。
「な、何をするっ?」
「……」
徐晃は、無言で張遼の両肩を押さえつけている。
「珍しいこともあるのだな」
張遼は、いつもとは違って積極的な徐晃に微笑んだ。
「なぜ、拙者は何も……」
言いながら、顔を近づける徐晃。
「う、うん…………うぁ…ん……」
長い口付けをされ、張遼の口から堪らず息が漏れる。
「は、離して…」
のしかかる徐晃の体を押し上げて、弱く言った。だが、声は届かない。
再び唇が塞がれ、逃げても逃げても押し付けてくる。
「うぅ…んっ…んっ…うんっ……」
左手で張遼の顎を捉え、右手を胸元に忍び込ませる。
「……!…ひやっ…い…や」
徐晃の手はいつも温かい。そして、こちらの感じ方を探るように触れてくる。
>>201 皇帝を擁してる>>>ひとやまいくらの皇族を擁してるだから、劉備と同盟を組んだとて正当化にはならん。
劉備は中原で武名が鳴り響いてた、皇族かどうかはぶっちゃけ関係ない。
たとえ劉備の実力は曹操に劣ることが周知の事実でも、はなかなか強かったのも周知の事実だった。
さらに関張の武威を程イクらが評価していたのはご存知の通り。
当時単なる会稽太守に過ぎず辺境の地でしか名が轟いていない孫権一党にとって、劉備一党の看板は魅力的だったろう。
そこらへんは程イクが赤壁戦の前から分析しているが、劉備が皇族云々は言及していない。
>>204 孫権一党も親父の孫堅・兄貴の孫策は中原でも勇名轟いていたし、張昭・周瑜あたりは名の通った存在だったと思うが。
堅はともかく策も瑜も実質的に呉楚地方でしか戦功ねーんだ、これが。
そもそも堅も策も既に死んでるわけだし。
昭もあくまで政治家として著名だっただけで、戦場での勇名は全く無いに等しいし。
漢中戦の当たりから両者の力関係が逆転してる気がする。
法正、孔明補正のおかげかなあ。
まあ呉の横槍でギリギリで勝ち逃げしたけど。
>>206 馬超も殆どローカルな戦功しかないけど武名は曹操と戦う以前から高かったし。
戦功が呉楚地方でしかないとなにか問題でもあるの?
呉歴によると、曹操は孫策を狂犬呼ばわりしたらしいが、
如何せん孫策の相手が相手だからなぁ・・・・・。
厳白虎はともかく、劉ヨウ・王朗は軍事に関しては門外漢だと思うけど、違う?
210 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/14(水) 15:45:36
軍事に関して門外漢って、どこでそんな区別ができるの?
>>209 劉ヨウより厳白虎を高く評価することの方にむしろ驚きだが。なんで?
劉ヨウは戦略に関しては相当優秀だよ。
事実、江東の主権は彼が握り掛けていたし。
それを破ったのに得点を与えるべきだろう。
全盛期に近い頃の袁術の江東への攻撃に対して1年近く耐えたしな
>>208 馬超は鐘ヨウの指揮の下、中原の司隷で袁軍相手に活躍してたんだぞ・・・
216 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/22(木) 04:31:15
映画の赤壁ってどの勢力の視点が中心になるの?
217 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/22(木) 07:57:16
見てみたい一騎打ち…
☆黄忠&黄蓋のじーさん対決
☆馬超&張遼の降参しちゃった対決
☆周喩&陸遜の本当はどっちが頭良い?対決
218 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/22(木) 08:00:41
黄忠が勝つに決まってる
李厳と引き分けちゃってるけどなw
それは李厳が強かっただけだ
逆に考えるんだ、関羽と互角だったと考えるんだ
221 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/29(木) 21:35:23
関羽の方が弱いんだよー
222 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/29(木) 23:28:42
てゆうか見たいのはやはり関羽VS張飛でしょう。プロレスで言えば馬場VS猪木みたいなもの。
保守しなくても大丈夫になってる?
224 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/07(土) 00:19:46
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このスレやたら惇兄を過小評価してるな
>>226 どういう点が?評価しにくいタイプの人物だとは思う。
過小評価してるんじゃない。そもそも評価すらしてないだけだよ。
まぁ、戦は下手だな。
戦より政に地味に活躍してたって感じだな
あと曹操の超オキニって印象ばっかだ
いや、惇兄が死んだら魏は安定したとか死んだ方が役に立つ無能みたいな言い方されてるじゃん
それはねーよ、と
d兄にそこまでの影響力はねーよw
惇好きだが・・・
夏侯惇が死んだら魏が安定したって1人しか言ってない。
スレの総意じゃないし「やたら」でもない。
234 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/17(火) 20:39:23
曹操が死んだら魏が安定した
と言い換えられるよね
しかし短期的な統一の見込みも無くなった、とも言える。
開祖と王室への求心力が微妙な状態で禅譲された為に、魏は短命政権で終わったのではないだろうか?
創業期は不安定なのが当たり前。
創業未だ為らず状態で、守成に入っても長く保つことは出来ない。
236 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/18(水) 01:17:47
>>235 統一を果たした晋はグダグダながら王朝は長く続いてるからな
五胡の多くも晋皇帝には一応敬意を払い、宋になると舐めまくったそうな
237 :
黒眉:2007/04/18(水) 12:42:21
前提を決めろよ。決めないとなんでも覆るんだからさ。
まぁ妄想の類で決められても困るが。れっきとした根拠を述べ、それを前提に話進めようや
>>236 そりゃ献帝だって敬意払われていたしな。
生え抜きっていうか、降将でない将卒ってどれぐらいいますか?
時期によって違ってくるじゃない
それだけ言われても誰も答えようがない
李典は間違いなく名将
どうしてかといえば目だったミスがほとんどないから
夏候淵や張郃、張遼はたしかに凄いけどノーミスではない
事績の大きさでは張郃等は凄まじいけど、長年コンスタントに完璧に仕事をした李典はやはり魏随一の名将だ
>>241 それならば楽進も同等の将として挙げられる。
李通もでは?
李典は30代半ばで亡くなったからなぁ
あと20年くらい生きてれば張コウ・張遼と肩を並べたのではないだろうか
朱霊ってどんな人物だったんだろうね
正史を見る限りではやたら神出鬼没なイメージだが
朱霊は曹操に嫌われた人物として有名だけど、かなり出世してるよね
曹操に私怨の壁を乗り越えて重用されてたってことはそりゃもうそれなりの人物だったんだろうな
しかし、無双には出てこない。
朱霊はどうもわからないところがある人物だね
大物なんだけど、まともに立伝されてないんで足跡を辿りにくいし、
なにより曹操に嫌われていたという理由がはっきりとみえてこない
保守しておきます
孟達は魏の将としてはどう?
曹丕はえらく寵愛してたらしいが
252 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/30(月) 16:43:35
>>251 夏候尚とも仲が良かったり、何かと魏の皇族と縁があるな
処世術に長けた人物だったのかね。
張泉ってどうやって長楽衛尉にまで上り詰めたの?
誰かが推挙してくれた?
255 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/03(木) 19:58:01
張繍の娘って曹操の子の嫁なんかい。
その割には下手打ったもんだな張泉
一門が冷遇されてた時代だから?
_、_、_、、、、、 _______ ___._______________________
/○° ヽ ヽ:|三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三 / / / 三|
/ 从人从........|:|三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三./ / /.====|
/ 从人从人从.人|三三三三三三三三三三三三三三三三三三三 ./ / /.三三三|
| 〓〓〓 从人从人从..从:|三三三三三三三三三三三三三三三三三三./ / /.三三三三|
| -・=- .... 从人从人 从 .:|三三三三三三三三三三三三三三三三三/ / / 三三三三三|
/ `  ̄ ´ /∴∵从人从人从从.:|三三三三三三三三三三三三三三三三/ / / 三三三三三三|
/ / ∵ 从人从人从从 |三三三三三三三三三三三三三三三 / / / 三三三三三三三|
し_ゝ |∴∵..∵从人从人人从.:|________________/ / 三三三三三三三三|
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| ̄ |∴∵∴∵∴人 /从 _|・______.・______.・______・______.・_______・|
ι |∴∵∴从人 !l_/ /⌒ヽ;;;;;;;//⌒ヽ;;;;i、-ヾ---o----,、ヾi;;;;;;i;;;;;;;;;;;;;;;;iヾ. /__//⌒ヽ.ヽ‐!;iー――'
! ̄= [二] = ̄~ !二二|」;i ($).i二tiii ($).i;;;;|三||三三三三三||三三三三三||三;;;;;;|ii ($).i;;;;|二二二l]
 ̄ ̄ ̄ゞ;三ノ ̄~ゞ;三ノ''ゞ_,ノ 'ゞ_,ノ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ゞゞ;三ノ ̄ ̄ ̄  ̄ゞゞ,_ノ
258 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/04(金) 12:38:01
露昭は?
路招?
曹操たんとチュッチュッしたいよう
261 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/04(金) 18:25:24
魏の武将呉。
262 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/04(金) 18:26:30
A:アタタタター!
B:お前はもう生きている
A:元気元気
263 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/04(金) 18:27:32
曹植のアナルの臭いがええわあ
ウホッ
266 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/08(火) 16:40:40
俺が魏の武将の中で好きなのは夏侯尚
268 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/09(水) 20:00:36
僕魏の武将呉、僕魏の武将呉
はーっはーつは、わしは曹二じゃ
270 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/10(木) 01:38:21
松本が曹操
高須が夏候d
271 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/12(土) 14:41:02
僕魏の武将呉、僕魏の武将呉
あはーんあはーんあはーん
荀ケスレ落ちたのか?
移転してのかな スレでも散々話題になったし
276 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/14(月) 10:52:05
スーパーピヨピヨ
277 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/20(日) 10:44:39
魏で諫言をしていたような人物ってどんなのがいる?
もしかして大抵が誅殺されてる?
あ、曹操とか曹丕に諫言するって意味ね
横山光輝の三国志見てるけど、あれだと、曹操って運がいいだけにしかみえない。
七星剣で切る時失敗した後、捕まって、陳宮が助けなきゃ次の日、死刑でアボンだったし、
長安の董卓軍に追撃したところ、罠で、瀕死の重傷だったし、
張済にも罠で、悪来まで死んで、自分は大火傷だったし、
袁術攻めて、軍隊が餓死寸前だったし、
関羽にも逃がしてもらったし、
そもそも、死んでてもおかしくないでしょ。実に運がいい。
こんな駄文を馬鹿みたいにコピペしてる奴はなんなの?
281 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/20(日) 17:10:03
うるせーカス
>>278 王朗が狩りに出て帰りが遅くなった曹丕に対して諫言(というのか?)はある。
そのときは王朗に対しては特に何も無かったと思った。
曹丕の代で諫言で不興を買って死んだのは鮑クン(員力)位しか思いつかない。
探せば他にもあるかも。
283 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/23(水) 00:34:25
三国時代のレベルの高さは曹操が証明している。
春秋時代は匈奴に負け続け
漢の初代皇帝劉邦は匈奴にぼろ負けして服属
その漢を倒した王莽は匈奴にぼろ負け
後漢の初代皇帝劉秀はき匈奴に敗北
三国時代の魏建国者曹操は騎馬民族に勝利し、ほとんどを服属させた。
魏の方面司令官夏侯淵も戦果を挙げた。
後漢末時代の公孫伯珪は異民族を討伐した。
後漢末の袁紹は異民族を服属させた。
三国時代の魏はササン朝を服属させた。
三国時代の呉初代皇帝孫権は山越を討伐して服属させた。
三国時代李漢張嶷は南蛮を服属させた
西晋は異民族によって中原を追われた。
隋唐宋は異民族政権
宋は異民族によって陥落
明は日本にぼろ負けw
清、中華民国は語るに及ばず
中国はアメリカ、ソ連、ロシアに勝てない
つまり
三国時代>>>>>>>>>>>他の時代
蒙恬
ありゃ蒙恬がすごかったんじゃなくて、始皇帝の着眼点が凄まじかったんだけどな。
長城が築かれたおかげで、騎馬民族は長城が築かれていない所を狙うようになった。
これによって、秦は騎馬民族に対して面防御ではなく点防御が可能になった。
何処から攻めてくるのか分かってれば、騎馬民族を破るのは大して難しくも無い。
西晋が騎馬民族に対して無防備だったのは、以下の理由が上げられる。
羌族の進入には障害物が無かった。
鮮卑の進入に対しては…晋皇帝が自ら招きいれてしまった。
大地に境界を引くこの長城、なんと壮大なる愚かしさよ
定住民族が騎馬民族を銃無しに防ごうと思ったら、
それこそ国を傾ける勢いで戦わなきゃダメだってことだな。
288 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/23(水) 10:06:25
そのための方策が
「夷をもって夷を制す」
他の異民族と戦わせて中国は漁夫の利を得る
漢が匈奴に対抗するため月氏や烏孫と結んだのがこれ
曹操は鮮卑に対しての防壁となりうる烏丸を滅ぼし内地に移してしまったので、それ以後鮮卑の南下・攻勢を抑えるものがなくなった
晋が鮮卑に苦労したのはそのせい
戦って勝てば良いってモンじゃないのね。
290 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/23(水) 11:02:39
>>289 そう
曹操のやったことは時間がかかってるのでわかりにくいが、北宋が遼を倒すため金と結んだが遼を倒して後に金に滅ぼされたというのと構図は似ている
敵(烏丸)が背後に別の敵(鮮卑)を抱えていれば強い攻勢に出られなかったわけだが…
背後に広がるのは広大なツンドラだからなぁ。
争わせて利を得る
それで夷狄の統一が進み、強大な統一政権が出来て、
中華に攻め入って取り返しの付かない結果になるんだけどな
293 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/23(水) 12:25:23
>>292 統一しないように一方(弱い方)または両方に肩入れしてやったり仲を引き裂いたりする必要はあるよ
この時代なら多分袁紹の政策が中長期的に妥当で曹操のようなやり方は短期的には良くても時間とともにどんどん苦しくなる
結果的にみれば曹操(中原)が歯なら烏丸は唇の関係ってとこかな。
こういった対外関係の図式は大小を問わず古代からいくつもあるけど。
でもねぇ袁尚と袁熙を放っておくわけにもいかなかっただろうしねぇ
296 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/24(木) 20:32:39
>>295 烏丸の強制移住は余計だったっしょ
打撃を与え、袁氏を討った上で烏丸はそのままにしてりゃ良かったじゃん
仮にそのまま残っていたとしても結局は鮮卑に喰われてたんじゃないだろうか
袁氏を滅ぼす段階で相当やられて弱体化してるだろうし
それは思ったんだけど、ていうかたぶんするだろうけど
いやね、そう都合よく上手いこといくかなぁって思ったのね
烏丸の話とは関係ないんだけど、魏は宗室を冷遇した結果、司馬氏に乗っ取られたじゃない
それでそれじゃいかんてことで晋はその逆をやったら八王の乱でしょ
烏丸が居ようが匈奴が居ようが鮮卑の勢いは止められなかったんじゃないかなぁ
300 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/24(木) 21:45:23
>>299 一つだけ
皇帝の血族を冷遇するのは前漢からの伝統で魏の特色じゃない
晋の皇族への分権は魏に対する反省によるものとは違うよ
301 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/24(木) 21:55:29
そうだったのか
ありがとう
適当だなぁ俺は
302 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/24(木) 22:01:36
>>301 たしかに一般的にはそう説明されるけどな
つまり誤解されてるんだよね
曹操の異民族内徙は兵力不足を補う+辺境の当面の敵がいなくなるという、初めから「長期的展望なんかシラネ」な場当たり的な策だった気がするよ
303 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/28(月) 00:47:23
>300 理由は何ですか?
304 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/28(月) 12:40:11
>>303 既に魏が各地の都督州軍事や中央軍の将などの要職に曹氏や夏侯氏という皇族待遇の者を起用している
晋はそれに沿ったものと言える
各地に小軍閥が乱立したり、反乱や離反が相次ぐ時代にあっては赤の他人に全て任せるなんて危険は冒せないから、魏晋の措置は別に不思議ではない
魏が彼等を王にしなかったのに対し、晋は王にしていた。また人数も晋の方が多かった。その差はあるけど
それは魏の、というより曹操の血縁者優遇が遠因って事でしょうか
306 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/29(火) 16:09:43
赤壁で黄蓋の投降が胡散臭いと
曹操に程イクが進言したのって正史で有ります?
>>306 ないと思う…というか赤壁に誰が従軍したのかすらはっきり判らない状態。
んじゃ最近の漫画で赤壁で曹洪とかが軍を率いたのを幾つか読んだけど
何を資料にしたんだろう? 何か類推できる資料や箇所があるのかな
赤壁は敗戦だったんでそもそも魏側に詳細な記述がない。
これは夷陵なども同様。
資料・演義なんじゃね?
ただの漫画家が中文の資料まで集めてる訳ないだろうし
赤壁での配置は、中国歴代戦争史が元だと思う、胡散臭いけどね
それだと曹洪は後方の襄陽支軍になってるけど、
これは万が一の時に荊州からの撤退を援護する重要な兵力なので前線に出ることはない
311 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/02(土) 22:54:26
赤壁に向けて池を作って水軍を教練したという話を聞きましたが
具体的にはどれ位の規模でどういう内容だったのでしょうか
魏は中途半端に強いだけで頭の悪い武将が多いよな。
徐晃とか張紘とか許仲康とか典韋とか。
>徐晃とか張紘とか許仲康とか典韋とか
はあ?
単に演義系しか知らんのだろう
自分も経た道だ、気長に3年くらい待ってやらなあかんな、と思う
(コウの誤字はまぁおいとく)
関羽や超雲は知勇兼備なのに、魏はダメダメ
こんなところで太公望に会えるとは思わなんだ
張紘には悩みましたよ。
もう少し分かり易い変換ミスをお願いします。
318 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/05(火) 17:05:31
え? 張紘しばらく曹操の元にいただろ?
中途半端に強い将=張郃
どうでもいいが張遼とセットで、魏の二張って感じがするがどうだろう?
暫く居ただけなら関羽もか。
華キンはそのまま曹操に仕え、張紘は孫権の元に戻った
この両者の判断の違いはどこから来たのだろう?
322 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/05(火) 20:04:44
やっぱり張紘は孫策との繋がりでしょ。
>>321 華キンは予章か何かの太守で、そこから孫策に降伏したんじゃなかったっけ?
その辺も両者の違いかな。張紘は孫策に招かれてるし。
ただそのせいで華キンは演義じゃ極悪人にされてしまったけどな。
正史じゃ善人なのに。
>>318 それは知ってるけど、
「中途半端に強いだけで頭の悪い武将」
にはどう考えても当てはまらないだろ。
>323 反三国志じゃ焼かれて食われてたなあ
326 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/10(日) 06:31:15
生え抜き(って言うのか?)の楽進も李通も李典も既に死んでいた時期に、
曹丕が老将の于禁が心労を起こしそうな事をしたのは何でだろう?
生え抜きか降将か、どうかなんてのは二代目にはどうでも良いのか
>>326 曹丕は司馬懿を妄信してたからなぁ。
自分の子飼いが居る以上、先代からの古参はうざかったんじゃね?
曹操に疎まれた朱霊なんかは優遇してるけど、
曹丕時代の張コウ、徐晃なんかは戦いっぱなしで中央に召還された事も無いっぽいし。
むしろ徐晃や張儁乂は腕っ節より、アタマの良さ(戦術)で活躍したといっても過言じゃないだろ?
張儁乂は60過ぎた歳で、諸葛亮軍の包囲を自ら矛を振るってぶち破って脱出した点、化け物じみてるが。
その古強者も、その諸葛亮の軍勢によって戦死させられているわけだ。
330 :
マ狂:2007/06/11(月) 04:02:48
でもそれ、司馬懿のせいじゃね?
331 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/12(火) 02:13:34
司馬懿が張コウを謀殺する意味が見出せないな。
たとえそういった意図があったにせよ、
それまでにも何度も窮地に立たされていながら生還していたわけだし。
もし排除したがっていたとするなら、以前からずっと計画していたと考えるのが自然なんだろうな。
司馬懿に謀殺されたっていうと牛金とかがそうか。
332 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/12(火) 02:22:38
牛が馬を越えるとか訳のわからん噂話
で処分されたらしい
333 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/12(火) 02:35:40
曹操も「馬が槽(えさ箱)からメシ食ってる夢」を見て、
「槽」は「曹」に通じるから、馬氏が曹氏を排除するんじゃないかと思って
姓が馬の人物は遠ざけたって話を聞いた事あるな。
徐晃の話題を振って
>>99と
>>101で一瞬にして終わってるのにワロタw
どこまでも地味な徐晃が大好きです。
336 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/12(火) 09:42:54
歴史の真実なんて当事者にしかわからんわ
作られた歴史を真に受けて語って何が楽しいのか。あほくさいわ
まさに孫権のように占いや祈祷が世を混乱させるため処罰すべしと同じよ
お前は何を言ってるんだ
338 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/12(火) 11:37:33
340 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/17(日) 12:26:29
>>137 間違いなく前者
各国の参謀のレベルが他の時代に比べ高すぎるし、人材が豊富すぎたために
お互いで身を削りあった結果、彼らの後継者の代にしわ寄せがきて
自滅のような形になっただけで、彼らが別々の時代に生きていたら
それぞれが余裕で統一していただろう
341 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/17(日) 23:18:59
漢と魏だと、同じ官位でも違ったりするんだろうか
342 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/23(土) 04:58:29
曹操の部下としての関羽って実際にはどうだったんだろう?
侯に封じられているけど 実務には就いていないんだよね?
顔良ぶっ殺してるじゃん
不意討ちで
兵は詭道なり。
正と奇を操る上で不意打ちこそ至上とする。
もしも関羽が力攻めで顔良を撃っていたなら、後世に武名を残す事はなかっただろう。
つうか、呉書に残る荊州での動きといい、
正史関羽って演義と違って汚い印象が強いよなぁ。
不意討ちも何もねーよな
関羽が軍勢引き連れてるなら、それに打ち破られたことには変わりないし、
演義みたく近づいて一刀だと言うなら、一騎打ちで関羽がスゲーにしかならない
347 :
マ狂:2007/06/25(月) 14:02:15
だから不意打ちも何も大軍同士の乱戦中に斬ったんだって
一騎討ちじゃないけど斬った関羽スゲーって話しなだけ
って>346と言ってる事変わらねーじゃねーかorz
>>347 一騎打ちなら一騎打ちでまたシュールだよなぁ。
自軍本陣で圧倒的多数で関羽を囲んでるはずだろうのに、快く一騎打ちを快く受ける顔良
そんなところに一人ノコノコ突っ込んでいき、やぁやぁ我こそはと呼ばわる関羽
何やってんだお前等。みたいな。
349 :
マ狂:2007/06/26(火) 00:34:38
>348
そんで大将斬られてうろたえる大量の兵士
最早喜劇じゃねーかw
もはやコント
顔良が加トちゃんで関羽が志村か。それはいい。
関羽=ヒゲ
志村=ハゲ
353 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/26(火) 15:10:28
顔良は関羽が友軍だと思っていたら突進されてきて、
乗っていた車ごと倒されて討ち取られたんだろ。
于禁やホウ徳との戦いはどういうのだったんだろう。
ホウ徳は関羽の顔面を矢で射抜きまでしていたようだが
>顔良は関羽が友軍だと思っていたら
これは演義の最初期の設定でその後は削除されてるみたいだから
実際どう評価していいか微妙だな
関羽の演技力を知力として評価するか?
ぶっちゃけただの猪武者としては空前絶後の大戦果。
ステータスに「演技力」を追加
カクが100、蔡中が1
そろそろ魏将に戻ろうか。
つーことで、文稷について何か語りたい。無理か。無理だな。ごめん無理だ。
荒ぶる鷹のポーズをママさんオリジナルだと思っている奴を見かけたが
あれって映画のベストキッドが元ネタだよな?
もっと以前のがあったらすまんが
だー盛大な誤爆orz
_
'´ ヽ
ノi><iヽ i iノリ)))〉
♪..((ノ(ノリノ)λ .ヽ!・∀・.ノ! イッチゴジャムー♪
♪ .(ミ(・∀・∩)) ⊂)i水つ イッチゴジャムー♪
(( ⊃ ム) く/_|l
し'し' し'ノ
_
_ '´ ヽ
,',i><iヽ 〈((((リノi i
♪ /((ノノリノ)) 从・∀・.|ノ
♪ ((∩・∀・)ミ) ⊂水i(つ イッチゴアジーノスッパゲッティー♪
(ム ⊂ )) l|_ヽ> イチゴモイッパィハイッテルゥー♪
`J`J `JJ
_ _
,',i><iヽ .'´ ヽ
♪ /((ノノリノ)) .〈((((リノi i
♪ ((ミi*''゚д゚)ミ) 从゚д゚.*!ノ ウオォ〜アンマァエアウエァ〜♪
((と__つつ)) ⊂⊂__つ クハッ♪キャハ♪ケヘァ♪カハァ♪
だー盛大な誤爆orz
362 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/28(木) 17:53:44
たまには路招の事も思い出してあげてください。
364 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 01:23:11
惇兄とか呼んでるやつキメェ
趙厳のことも・・・
良スレ
367 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/06(金) 10:38:06
>>364 トン兄は使い易いぞ。
なんでああなったのかは摩訶不思議だけどね。
369 :
Michael:2007/07/08(日) 10:47:22
三国時代を終わらせたトウ艾が、政戦両略で最強なんじゃね?
政戦の現場指揮官としては最強でいんじゃねーの?
カリスマの無さは致命的な気がするけど
MS-TACTICS 2CH
http://2ch.ksdc.jp/cgi-bin/2ch_mst/index.cgi?mode=mstinit 色々なモビルスーツに乗って戦う、ガンダムのフリーゲームです
登録したら、まずザクI(旧ザク)に搭乗してショルダータックルを装備、
シミュレーションで適当な相手をやっつけて、お金(ポイント)を貰います
お金が溜まったらフラナガンに行って能力を上げよう
能力が高くなったらアナハイムで強い機体を買って鍛えよう、SEED機も沢山あるよ。
強い機体の買い方をチャットで色々質問したら優しいお兄さん達が教えてくれます。
シミュレーションで上位を倒せるようになったら、優勝戦に出て力試しをする時です。
強くなったら勢力の勧誘も来るので参加したり、勢力を作ったりして遊びましょう
それまで個別戦で遊んだり、トーナメントを建てたりするのもいいかもしれませんね
374 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/09(月) 20:23:10
郭嘉なんてどうよ!俺的にはかなりの名将だと思うのだが。
そろそろ于禁の降伏を再評価してみようぜ
于禁が抵抗してたら関羽死ななかったかもしれないよね
376 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/16(月) 10:07:37
377 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/17(火) 17:19:47
満寵は地味ながら良将だと思う
普通に良将でしょ。
379 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/19(木) 16:13:12
郭嘉は名軍師でしょ。
>>375 今更だがなぜ、その結果になったのか聞きたい。
もうトウ艾でいいじゃん
382 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/19(木) 23:53:51
あげ
虎彪騎って鉄騎なの?
烏丸と戦う事や、長坂での追撃とか考えると軽騎としか思えんのだが
親衛隊なんだから状況にあわせて装備を変えるのでは?
ウ禁は降伏はしたが死を選ばず
西洋的な論理志向の人だったんだろうな
むしろ評価すべき
黄権の様に降伏しても旧主からの信頼を失わない人物もいます
西洋的倫理志向も何も関係ない、ただ無様なだけ
それ以上に、劉備と黄権の間にはあった信頼関係が、于禁と曹操・曹丕の間には無かった事が大きいような。
捕まって降伏してそのまま裏切ると単なる軽い奴
降伏後も裏切らずに生き延びることが合理的
捕まった時にはお互いまだ主従の関係でなかったしなぁ
微妙だよね
于禁は兵卒出身の成り上がり。黄権は益州の豪族。
その出自で差別された可能性は考えた方がいいと思う。
ホウ徳が潔く死んでるのに、譜代の于禁が降伏してるとか、どう考えてもねーよ
失敗して責任を部下に取らせてのうのうとしてる上司とか最悪
あれは別に責任取らせてるわけでもないし、
そもそもハラキリ思想は無いと思うが
第二次世界大戦でも日本側の艦長はあっさりと死を選んだため人材不足に米国は捕虜になっても死ぬことを禁止してた
曹操は儒教に根ざした発言かホウ徳が死んだのに于禁は何をやってるんだと思ったかもしれないが
于禁は降伏しただけで曹操を裏切ったわけではなく
于禁からすれば生きる道を選んだ合理的な方法だったんだろう
394 :
.:2007/07/24(火) 07:55:05
ホウ徳って形式上曹仁の部下じゃねーの
ホウ徳に及ばなかったと言われてるんだから、合理的とか関係なく曹操を失望させてんだろ
>>391 死ぬことを潔しとする価値観はどこから持ってきたんだ?
死んだら責任取れないだろ。
曹操の判断が必ずしも正しいわけではなく
だからこそ今改めて于禁を見直してみないとな
于禁は死を選ばなかったからといって評価を落とすべきではない
死ねばそこで終わりだけど、生きていればまた貢献できる可能性があるわけだしな。
399 :
.:2007/07/25(水) 05:07:58
降伏する裏切り者は評価落ちるだろ、特に上司からの評判は
可能性で言えば結果的に勝ち戦になって孫権経由で戻ってきたけど、
負けてたらそのまま劉備に仕えてた可能性もあるんだから
七軍と土地を失った責任はあるけど、
劉備に仕えてもそれで曹操に対する別の責任は発生しないよ。
わけ分かんね。
で、生き残って貢献出来たのか?
402 :
.:2007/07/25(水) 06:09:29
視点をどこに置くかにも寄るが、そうやって裏切る可能性のあるやつは武将としての評価が下がるべ
上司としては降伏されるより死んでくれるほうがいいからこそ、曹操も文句つけてるんだろ
曹丕も復帰後の安遠将軍は悪くはないが、悲惨な諡にしてるし、廟庭にも配饗されてない、
陳寿が何で他4人と並べたかが不思議だ
蜀書で言えば劉封や魏延の所みたいなところに列伝されるべき人物だな
>>402 >蜀書で言えば劉封や魏延の所みたいなところに列伝されるべき人物だな
そういえばそうだな
将来的に裏切る可能性が予見されるならそりゃ評価を下げるだろうが、
お前が言ってるのは降伏した部将が評価できないってことで、全然別の話だ。
降伏するより死んだほうがいいって、どこから出てきた価値観だろ?
お前の信念以外の根拠を出してくれ。
405 :
.:2007/07/25(水) 07:48:58
>>404 曹操のホウ徳との比較や諡みりゃわかるべ
降伏は裏切ることになるのか?なんか違うと思うけど
死ぬことを潔いと考える人がいるが
人間本来の目的は生きることであり生きる選択を選ぶと裏切るとか情けないとなるのか
歴史上捕虜になって人物は多くいるが彼らは全員ダメな奴らになるんだろうか?
407 :
406:2007/07/25(水) 08:15:32
>歴史上捕虜になって人物は多くいるが彼らは全員ダメな奴らになるんだろうか?
歴史上捕虜になった人物は多くいるが彼らは全員ダメな奴らになるんだろうか?
408 :
.:2007/07/25(水) 08:22:49
捕らえられるのと降伏は別な
捕虜にされた後開放されてもう一度もとの陣営で活躍するよりは、
そのまま裏切る可能性のほうが高いんじゃね
>>408 裏切る可能性が高いと推測しても現実は裏切ってないのでそれを元に語るしかないな
廖化
関羽が呉の呂蒙と戦って処刑されたとき、呉に投降するが、
劉備のもとに戻りたい一心で自分が死んだという情報を流し
、周りの人をそう思いこませてから老母をつれて西方に向かい、
呉征伐に出ていた劉備と出会い帰参を果たす
こういう人もいるぞ
411 :
.:2007/07/25(水) 08:42:41
可能性を考慮しないならば降伏した後、魏に戻っても何の役にも立たずに死んで、
さらに侮辱的な諡を送られたってのが現実だわな
一方死んだホウ徳は子供も引き立てられ本人もいい諡がついた
一旦、敵の虜囚となると、大抵降格人事というかほとんど身の破滅だよな。
裏切らない限りは。
君主の場合は勢力興亡に関わる。
司馬光は『資治通鑑』でむしろ曹丕を批判してる
使える君主を間違ったかもしれん
捕虜から帰ってきた于禁をどうするかは曹丕次第な所はあるが
温かく迎えてやれば徳のある君主になる
嫌味な対応だと家臣たちも戦場で捕虜になる可能性はあり
その時は死を選択しないといけないのかってことになる
どちらに仕える方がいいかとなれば前者の方が良くないか
ホウ徳と比べられるから于禁がヘボく見える
降伏して呉で何かしたかと言えば、虞翻に馬鹿にされただけ
魏に戻って何かしたかと言えば、曹丕に馬鹿にされただけ
他人の降伏はともかく于禁は死んでた方が良かったねとなる
魏の法では、100日包囲されて援軍がこなければ投降しても家族は罪に問わないとある
基本的に降伏OKな軍隊なんてない
厳しい法で強い軍隊を維持してるんだから
>>411 関羽が曹操に降伏して将軍号までもらって、
その後、曹操を裏切って劉備のもとに戻ったことはどう評価するつもりなんだろ?
潔く死ね?悪諡を付けられるのが当然?于禁なみでホウ悳以下?
>>415 中二じゃないんだから、馬鹿にされるかどうかなんて、どうでもいいよww
>>417 関羽の場合は劉備が敗れて本拠地から逃走しちゃったわけで。
劉備の生死もわからぬ状態でもあるし、降伏は止むを得ないんじゃない?
于禁の場合は新参の龐悳は降伏せず討ち死に。
曹仁は樊城を守り抜き、徐晃は関羽を破り包囲を解く。
そうした中で降伏してしまった古参である于禁は貧乏くじを引かされてる面はあるな。
ただ于禁は昌豨の降伏を許さず軍法に則って斬ってしまった過去もある。
他人に厳しい分、それが評価に跳ね返ってしまっている面もある。
捕虜になって何年も繋がれたけど、帰国して最後には宰相にまで登ったような
人物だっている。
武士道精神に照らして考えすぎな人もいるんじゃないの?
>>416 その法のソースはある?
于禁は戦争に負けて捕虜になっただけで特におかしい所はないと思うがね
>>418 昌?は反逆したので明確な裏切りだろ
于禁は戦争で負けて捕虜になっただけ
それなら関羽は死んだのに投降した廖化はなんで死ななかったんだと責められるのかな?
421 :
417:2007/07/25(水) 21:41:37
>>420 晋書陶コウ伝にあるね。
呉晋絡みで他にもあったと思うけど、いま思い出せるのはそれだけ。
422 :
417:2007/07/25(水) 21:48:06
>>420 そういえば蜀の習珍ってやつも関羽が死んだとき呉に降伏してるな。
あとで劉備が来たときすぐに寝返ったふてえ野郎だ(笑)。
しかしそんな習珍でも太守職を追贈されてるし、子孫は呉で重用された。
呉に降ったといえば潘濬もそうだよな。九卿の筆頭太常まで出世してる。
>>422 そういうのは探せば多くあるだろうね
于禁は戦争に勝てばそれに越したことはないけど
残念ながら負けて捕虜になった
この一連の流れは特におかしくない
曹丕の君主としての度量に問題ありだろ
>>420 別に責めてねえよ。
そういう面からの評価もあるんだろうって話だ。
> それなら関羽は死んだのに投降した廖化はなんで死ななかったんだと責められるのかな?
あのなあ、その時点の魏において于禁>>>>龐悳、その時点の蜀において関羽>>>>廖化。
求められるものが違うだろうに。
新参者が戦死、しかも敵の降伏の呼びかけを拒否した上で戦死してるのに、古参の重鎮が不利におちいったので降伏。
その上、
>>418に書いたように曹仁は篭城しきり、于禁と同じく救援に向かった徐晃は見事関羽を撃ち破ってる。
こういう状況では于禁の評価が下がっても仕方がない。
関羽の降伏、廖化の降伏と比較するのは適当ではない。
あくまで龐悳、曹仁、徐晃らと比較すべき。
ところで于禁の降伏を責めてるのって誰?
曹丕は陰険なやり方で責めていたが他にいる?
曹操は残念がってはいたが責めてないような気がするが……
>>424 曹操陣営で于禁の評価が落ちるのはしかたないが
今現在考えれば
>>423にもあるが于禁は特におかしくないんじゃないかと語ってるわけで
>ところで于禁の降伏を責めてるのって誰?
これは今まで何回か名前が出てきてる曹丕だろ
426 :
417:2007/07/25(水) 22:17:45
>>424 そこで戦死を美とし、降伏を醜とする根拠が分からない。
おれも(たぶん他のみんなも)その根拠を聞いてるのに…。
古参とか篭城とか廖化とかホウ悳とかはひとまず置いといて、
とりあえず降伏を醜とする根拠だけ答えて。
>>426 儒教だろ。
あと単純に「戦死を美とし、降伏を醜」って話じゃない。
儒教にそんな主張あったっけ。
于禁と龐悳の場合、節を曲げて降伏と節を貫き戦死との比較で美醜が論じられている点を忘れてはいけないと思う。
現代戦なら下級兵が捕まるのを嫌がって死を選んで
上官が捕虜になっても別段誰も否を唱えないよな
つか、そもそもホウトクも降伏して曹操に仕えたのに・・・
>>429 伯夷・叔斉は簒奪者の食を口にしないで死んだんであって、
捕虜になることを恥じて自殺したんじゃないよ。
>>430 その節を曲げてというのが理解できない。なんの節だよと。
発想を変えよう
曹操は降伏した兵士を皆殺しにした
つまり曹操的には「降伏したって全員殺されるかもしれないんだから抵抗して市ね!」が本心
張遼も張コウも文聘も臧覇も降将出身だよ。
>>435 時と場合による
曹操は降伏者を快く受け入れて勢力を拡大した
>>436 兵士を引き連れてくる奴は優遇
兵士を無駄にした奴は冷遇
それだけだよ
忠義とか言ってるのを真に受けるからわからなくなる
結局、何が言いたいんだ?
現代の我々が降伏も仕方ないしと思うのはありだが、
当時の人がホウ徳は死んだのに于禁は降伏かよm9(^Д^)プギャー
と思ってたのは覆らないだろ
本当に当時の人がみんなそう思ってたのか?
曹丕がそう思ってたらしいのは推測できるが、曹操や陳寿の立場は微妙だし、
覆らないと言えるほど確かとは言えないと思うが。
>>439 そうそう、于禁は当時はともかく今は再評価できるんじゃないかと言ってるわけ
じゃ、誰も擁護してくれない友達のいない寂しい奴
敗戦責任の軽重と、降服の美醜がごっちゃに語られてる気がするな。どっちも。
たとえば悪諡が贈られた理由がどっちなのかは史書見るかぎり判断できんよ。
負けたのは本当は仕方ないけど、防衛成功した徐晃や曹仁に責任かぶせるわけにもいかないし、派遣した曹操を罰するわけにもいかない→魏の世論としては于禁一人の責任っぽくなる
悪諡→曹丕のただのイジメ
>>444 于禁は負けたけど総合的に見れば魏の勝利だろ
446 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/25(水) 23:18:26
>>445 兵を大量に失い、呉に対しては面目を失った
勝利したからって全く責任問題が発生しないというならザル国家だろ
だから敗戦責任の軽重と、降服の美醜を(ry
>>446 兵は何人死んだんですか?
呉の面目って何ですか?
降伏するしないは個人の思想だからどうでもいい
450 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/25(水) 23:24:58
実際過去の事なんてどーでもよくなってきた。
賈信の件みたいに、「いつまでに降伏すれば許す」みたいな規定があったみたいだね
452 :
.:2007/07/27(金) 11:00:51
曹操、曹丕時代に敗戦で責任取らされた奴なんかいたっけ?
やっぱ降服したからこその低待遇だろ
>>420 そもそも于禁の降伏について虞翻が
「北方では軍の慣例的に、于禁を返しても法令の定める通りに処刑したりはしないだろう」
と言ってることから、
1.法律としては自ら降伏→捕虜は罪人。量刑的には死刑が妥当?
2.とはいえ、それをあえて主君が許してやることがままあった。
この二点が窺える。
さらに上でも誰かが挙げていた例よれば、于禁自身が自分を頼って降伏してきた昌キに対し、
「諸君は公(曹操)の常令を知らんのか?『包囲されて後の降伏は赦されない』とされている」
と明言している。于禁はこれを根拠に(曹操に判断を仰ぐこともせずに)斬り殺した。
当時の法なんて権力者の恣意的判断によってしばしば曲げられちゃうものだから絶対ではないし、
例えば曹丕が表立って表明した立場としては、『古の故事に基づき天子としての寛容さを示すためにお咎めなし』
となっちゃうくらい融通が利くものだから、別に当時の感覚としても絶対死刑にならなきゃおかしいなんてことはないだろうけど、
(于禁本人がやっていたように)法に厳格な判断をすれば死刑が妥当なんだろう。
特に于禁は法に厳格なことで知られて、そのために一部の部下に嫌われた程だったわけで、
あえてそこを見込ん今まで重用してきた曹操からしたらがっかりの振る舞いだっただろう。
曹操は司馬法を引用して「利を失えば免官、軍を敗れば断罪」と言っている。
軍を敗るってのは、将兵の生命を失うこと。
降服することが死罪にあたるかどうかは今のところ不明だと思うよ。
あと昌霸の件は、降服したのが鍔際だったかどうかが論点になってる。
降服自体の是非は問われてないよ。
昌豨の降伏は敵の降伏であり、于禁の降伏は敵国への降伏。
全然違う。
あと于禁は罰せられてはいない。
曹操はがっかりし、曹丕は陰険な仕打ちをしたがね。
>>454 曹操の司馬法の引用といえば「将軍は退却の責任をとって死罪にする」、これでしょ?
これでなんで降服することが死罪にあたるかどうかが不明になるのさ。
曹操はこの引用を用いて、
「趙括の例によれば、古代将軍が国外で戦いに敗れれば家族までもが連座して罪を受けた程である」
「将に命じて討伐に赴かせる以上は、功だけを評価してその罪を罰しないのでは国家の規範が損なわれる」
とした上で、
「よって諸将に出征を命じた場合、『利を失えば免官、軍を敗れば断罪』すべきだ」
と結んだんだ。
これはどう読んでも「出征に赴くときの将軍の責任の重さ」を説くものであって、
どうしてこれから「降服することが死罪にあたるかどうかは今のところ不明」が導き出されるのか判らない。
まさかその『軍を敗るってのは、将兵の生命を失うこと』という貴方の解釈を元に
「将兵の生命を保つために降伏は推奨される」とかそんな結論ではないとは思うけど…
どうでもいいよ
降伏しようが、死のうが、関羽に負けたことには変わりなし
> 曹操の司馬法の引用といえば「将軍は退却の責任をとって死罪にする」、これでしょ?
> これでなんで降服することが死罪にあたるかどうかが不明になるのさ。
それって原文は「將軍死綏」で、綏の解釈がちょっと割れてんだよね。
退却とする説が有力だけど、ここで解釈が割れてる部分を援用すべきじゃないよ。
この記事で確実なのは、曹操が「利を失えば免官、軍を敗れば断罪」と認識してることだね。
あー、それと。
単に戦いに負けただけの場合と、さらに敵軍に降服した場合とを分けて考えてくれ。
いまは戦いに負けることとは別に、
降服すること自体が、罪になるのかどうかが問われてるんで。
>>458-459 俺はその「綏」の解釈の別れを知らないが、一体どこでどういった解釈に別れていて、
どう解釈された場合は今回問題になるっていうんだ?
俺には曹操の前後の文脈から考えても明らかに
>>456で言ってるような主旨の発言に思えるし、
これがまるで違う意味になるような場合前後が通じなくなると思うんだが。
漢文の知識に乏しい俺が趙括の母の例から逆算するだけで、
あれが「敗走、敗北、失敗」などの類であることは容易に想像がつく。
あんたは一体この「將軍死綏」をどう解釈すべきと思ってるわけ?
その意味が(多少のズレじゃなく)
>>456の内容が当てはまらなくなるほどズレてる可能性があると?
なら例えばそれはどんな解釈なの?
解釈云々でいえば『利を失えば免官、軍を敗れば断罪』という一文だってそれなりに解釈のしようがあるだろうけど、
別に「軍を敗れば断罪」の一文が「多くの将兵の生命を失ったら」でも「戦に負けたら」でも貴方の主張は変わらないでしょ?
それと同じことよ。
第一俺が
>>453で言及してるのは
>>420の「于禁は戦争に負けて捕虜になっただけに」に対して、
虞翻のまさしく当該行為の違法性の指摘や、
昌キの件について、于禁の行動の根拠となった主張の引用。
それぞれに
「于禁は軍破れ自ら降伏したこと自体が、当時でも厳密に言えば罪に当たるよ(でも免除されることもままあるよ)」
「昌キは『包囲されて後の降伏』だから赦されないというのが于禁の主張(裏切ったからなどではなく)だよ」
とキッチリ対応してるはず。
なんで俺が分けて考えてないことになっちゃうのさ。
もしかして
>>453の(于禁本人がやっていたように)辺りから混同してると思ったの?
于禁と昌キの件は別件ではあるけど、于禁自身は「敗戦の罪」と「(包囲後の)降伏の罪」を兼ねているわけで、
決して混同ではないでしょう。
于禁は罪人として戻ってきたわけではないので、軍法的にはお咎めなしだったのであろう。
しかし、色んなことが絡み合い評価を思いっきり下げた。
そして面目を失い憤死した。
曹操が存命であったらもう少し違う展開が待っていたかもしれないが……
解釈の分かれている文言を論拠に使うことはできないという陳腐な指摘なんだけど…。
> 「多くの将兵の生命を失ったら」でも「戦に負けたら」でも貴方の主張は変わらないでしょ?
変わるよ。ぜんぜん意味が違うから。
それが于禁の評価にどうつながるかは分からないけどね。
> なんで俺が分けて考えてないことになっちゃうのさ。
曹操の司馬法引用の文脈に関しては敗戦責任の総体しか問題にしてなくて、
降服の是非について検討できないはずなのに、
>>453で区別せずに語っちゃってるよね。
あの曹操の発言が降服の是非を読み取れるかい?
あと、
>>456でも退却が死罪だから降服も死罪にあたると言ってるよね。
>>453では論旨が散漫で読み取りきれなかったけど、この
>>456発言から、
>>453でも、敗戦責任の重さと降服の是非が混同されてると読んだんだよ。
464 :
無名武将@お腹せっぷく:
歴オタってキモイ