1 :
無名武将@お腹せっぷく:
荊州という豊かな土地を治めながらもどことなく地味な感じのする
劉表と劉表配下について語るスレを創設しました。
三国志ファンの皆さん劉表自身のこと、劉表配下のこと、また荊州のこと
でもOKです!みんなで語り合いましょう。
長い間気になってたことがあるんだけど
劉表の142年生まれ説の出所ってどこからでしょうか?いきなり質問でごめん。
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/08(木) 01:13:07
>>3 私自身、三国志にはかなり興味はあるのですがその説の出所はわかりません。
ただ参考までにコーエーの三国志シリーズにおいては三国志Uから142年生まれ説
を採用している。初代三国志では189年の時点で38歳となっている。(151年生まれ?)
私も昔初代三国志をプレイした後に三国志Uをプレイした時に同じ189年なのになぜ
年が違っているのかと疑問に感じたことがある。
ちなみに、三国志大戦(カードゲーム)での劉表の生年は不明となっている。
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/08(木) 01:26:44
黄忠、魏延、カイエツ、上手くすれば馬家に諸葛亮、ホウトウ
天下取れたな、
>>4 有難うございます。
ちなみに手持ちの書籍では『三国志全人名事典』(徳間出版)だけが
劉表(142〜208)となってました。
王暢が南陽太守の時に劉表は17歳だったように記憶してますが、この辺りからなんでしょうかね…。
7 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/08(木) 09:41:37
>>5 確かに荊州の優秀な人材をもっと活用し、劉表自身にもう少し積極性が
あれば歴史は変わっていたかもしれない。
どうだろう?
豪族連合の上に成り立っていた不安定な地位だったから、
積極的に動こうとしても内部分裂を起こしてしまったかもね。
専守防衛が基本ラインだったからこそ、
豪族も現状維持に満足し、文化人も集まってきたんだろうしね。
文聘って劉表の代の記述が無いよね
後に江夏太守といえばこの人と言えるくらいにまでなるのにな
劉表の版図ってかなり広いよな。
荊州:襄陽郡、南陽郡、南郡、江夏郡、長沙郡、桂陽郡、零陵郡
上庸・西城方面はよくわからん?
宜都や新城もしかとはわからん。
武陵郡はなんか違う感じ。
交州:蒼梧郡
劉表に積極性があっても、蔡瑁がそれを認めないことには動けないぞ。
イマイチ一枚岩じゃないようなところは孫呉っぽい気もする。
でも乱世には向かなかったんだろうね……。
>>12 何をもって一枚岩じゃないと感じたのかなあ?
そもそもある程度の規模を持った組織が一枚岩なんてことがありうるのだろうか?
長沙張氏について
誰も天下を狙おうという気概がなかったということかな
たとえば黄祖は孫氏と組んで兵を引き入れれば、簡単に長江流域を征服できたんじゃないか
17 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/08(木) 20:57:09
>>16 確かに。
荊州豪族たちの中にそういう気概のある人が多数いたならば、劉表死後
あっさり曹操に降伏しなかったと思う。
>>17 孫権とこだって周瑜と魯粛がいなけりゃあっさり降伏だろ。
孫権の決断とかも大きかったけど。
荊州も曹操南下が劉表死後すぐじゃなかったらわからん。
南下前に自分から降伏した可能性も大きそうだがw
19 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/08(木) 21:43:12
荊州は降伏派が権力握ってたが反対者も多かったでしょ
みんな劉備を支持してる
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/08(木) 21:56:18
初期劉表はめっちゃ拡大意欲あるんだけどな
荊州支配したら満足しちゃったのかな
21 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/08(木) 23:44:26
>>20 劉表自身が満足したというよりは蔡瑁たち荊州有力豪族が満足したという感じだね。
大体、蔡瑁たちが一番望んでいたのは荊州の安泰と繁栄。荊州を支配したらあとは荊州の
安泰と繁栄に努めたかったのではないだろうか。
>>13 蔡瑁や黄祖のイメージが強いからか、どうも君主の権力が弱い気がして。
いや全くのイメージで行ったんで大した根拠はないんだけども。
そこに劉備が来た訳で、揺れるのも無理はないよなぁと思った。
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/09(金) 00:46:45
三國志劉表伝の構成の問題だが、
官渡の頃は実は張羨の乱平定に全力を傾けてた
劉備が来てからは曹操の方から攻めてきてた
曹操が烏丸征伐した頃は孫権が江夏を攻めていた
劉表は打って出たくても出にくい状況だった
24 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/09(金) 00:47:30
蔡瑁たちを押さえれない所が劉表の弱さだな
まぁ〜蔡瑁いなけりや荊州とれなかったろうがな
25 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/09(金) 01:09:31
でも、よく考えたら荊州って三国時代のみならず、
何時の時代でも戦乱の地だよな。
三国時代にしても、結局ある意味では、この地で決着が付いた。
そのような要衝の地は勢力を伸ばす時に必要な踏み台であるが、
そこから天下を狙うには、それはそれでなかなか難しいではないか。
戦国時代の魏国のように、各国の真ん中に位置するから、なかなか強くなれない。
26 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/09(金) 01:14:01
劉備は曹操が赤壁の大敗で弱体化した隙を突いて益州に進出したわけだしね
俺が言いたいのは、劉表たちは攻める気がなかったんじゃなく出来ない状況だったということ
北に機があると南から攻撃され
南に機があると北から攻撃される、
28 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/09(金) 06:16:45
さ〜盛り上がってまいりました
劉表にせよ、曹操に評価され魏の高官となった後継ぎの劉jにせよ、
地方行政官としての能力は優秀だったんだろうね。
30 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/10(土) 19:05:53
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/10(土) 23:42:46
皆さんは劉表軍にどんなイメージをもっていますか?
自分は堅実でマイペースなイメージを持っています。
ある意味自分の性格とかぶるところ有り。
そんな自分は劉表ファン。
劉表はかなりやり手。
着実に支配地域を広げていったが、それを使って攻勢には出られなかった。
知力や政治能力は十分だったが、軍事的才能は見られない。
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/11(日) 05:34:02
劉表は部下の意見まとめるのにくろうしたイメージ
34 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/11(日) 18:32:06
あげ
劉表は孫権に防戦していたが、攻めこむ事はなかったのだろうか?
>>34 孫権を江夏で防ぎつつ、桂陽・長沙・零陵へと南下して支配圏を拡大させていったんじゃなかった?
対外的な要素が絡んだとは言え孫堅を殺しちゃったのは良くなかったなぁ。
でも、あの頃から孫家があそこまで大きくなるとは中々思いつくことでもなかったんだろうけど。
そのときの孫堅は袁術の一武将だもんな。
38 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/11(日) 20:30:48
そもそも
劉表は孫堅を倒した後に南下したのだろうか?
孫策の頃はもう地盤固めていたのだろうか?
黄祖が対応してたのだが他にもっと優秀な武将はいなかったのだろう?
>>38 > 劉表は孫堅を倒した後に南下したのだろうか?
対董卓の同盟を結んだ時に既に荊州刺史。
孫堅を撃退すると長沙太守張羨が反乱、平定まで数年を要する。
張羨の反乱を平定(平定した時は張羨は病死しており、息子の張懌が主導)すると、そのまま零陵郡・桂陽郡も掌握。
> 孫策の頃はもう地盤固めていたのだろうか?
上のとおり。ほぼ同時進行?
> 黄祖が対応してたのだが他にもっと優秀な武将はいなかったのだろう?
黄祖は十分優秀。
孫策の頃からしばしば劉磐が豫章へ侵攻してる。
孫策はその対策に太史慈をまわすほど。
40 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/11(日) 23:46:15
黄祖がもっと甘寧を重用していれば…
41 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/12(月) 16:23:23
42 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/12(月) 23:21:17
>>36 でも孫堅を殺していなかったらどうなっていただろうか?
おそらくは戦上手な孫堅軍に滅ぼされていたのではないだろうか。
43 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/12(月) 23:33:47
>>42 どうかな
孫堅よりも袁術がどうでるかだな
>>42 じゃあ、逆に袁術の一部将でしかない孫堅を抱き込んでしまっていたら
楽しい方向に行ったかも知れないなぁ。
元々劉表対孫堅ってカード自体が袁紹対袁術の仕組んだような背景が
あるんだから、あるいは出来たかも、なんて思っちゃう。
一気に形勢が袁紹側に傾いたりして、劉表孫堅連合が勢力拡大!
じきに袁術が呂布なんかと手を組んだりして……って。
劉表は董卓に派遣されて、袁術と孫堅が支配する荊州を切り取りにきたんだよ。
劉表は南陽に入ろうとしたが袁術がいたから南下して襄陽に入ったの。
で、袁術と孫堅の悪政で荒れていた襄陽を豪族55人騙まし討ちによって制圧。
袁術と孫堅は劉表を追い出そうとして攻撃を仕掛けた。
だから劉表vs孫堅には袁紹はノータッチ(たぶん)。背景は董卓vs袁術だからね。
孫堅が劉表に寝返るようなことがあれば、むしろ董卓の力を強めることに。
むむむ、ありがとう。
てっきり袁紹対袁術の前座マッチみたいな目で見てた。
しかしそうなるとちとスレ違いな感はあるけど、孫堅が
劉表に勝ち目はあったのかなって疑問に思う。なんせバックは董卓だし。
そう言えば一時期劉表は張繍とも連携してたんだっけか。
47 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/13(火) 00:12:46
カイ良とカイ越の区別がつかない件
当時は袁術もかなり強大だったから十分に勝算はあったかと。
なんせ配下に朱儁とかいた時代だしな。
それに孫堅の攻撃は、劉表が赴任してからたった1年しか経ってない。
そんなにすばやく地盤を固めていたわけはないだろうし、
「劉表が切り取りかけた荊州を奪い返す」って次元なら楽勝だったんじゃないか?
ただ、ホントに不運で孫堅が落命しちゃったってだけで。
ただ、董卓死後に李カクが袁術派と結託したことで劉表・袁術の争いが沈静化したから、
(劉表にとって李カクは「味方」。李カクの味方の袁術は、劉表にとっては「味方の味方」)
孫堅が劉表に寝返っても寝返らなくても、荊州は順調に育ったと思われ。
>>46もともと劉表と張繍は同じ董卓の配下ですから(劉表はちと違う)
族父の張済が劉表に戦いを開始したときだけかな対立してるのは(曹操に降伏するまで)
族父の張済が戦士したら直ぐに和睦して宛城を手に入れてるみたいだし(張済が生きてる時は手に入れてないようです)
50 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/13(火) 21:19:49
あげ
劉表が攻勢に出ないというのは演義の虚構
劉表は北部を山に囲まれた南陽盆地を対北への防衛ラインとして南東方向に勢力を拡大してた
特に南部への進出は目覚しく、南海貿易を手中にしようとしていた節が見られる
復活しとく
53 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/15(木) 13:17:42
劉表軍には実力があった。
しかし、劉表死後曹操の南下に対し、無抵抗のまま降伏してしまったのは
もったいない気がする。
蔡瑁はなぜ劉備をあれほど嫌ったのだろうか。
本当に荊州の民のことを思うならば、劉備軍と劉表軍がひとつになって荊州を
守り抜こうという気にならなかったのだろうか。
また蔡瑁にとって劉表が築き上げたものはどうでもよかったのだろうか。
降伏後も今からでも遅くないから劉備を追撃する曹操に攻撃しようって論はあった
でも降伏派の方が強かったんだよね発言力
>>53 蔡瑁は曹操との交友があったから、あえて敵対する理由がなかっただけだと思う。
現に、彼自身や劉jは魏でも高位に取り立てられて、天寿を全うしたようだしね。
56 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/15(木) 21:40:23
演義じゃ速攻で殺されてるけどな。可哀想に。
演義みたいに蔡瑁殺してたら、荊州が一気に反曹になって曹操も帰る場所なくなって死ぬ。
蔡瑁は超が付く程有力な豪族だからな
>>53 >本当に荊州の民のことを思うならば、劉備軍と劉表軍がひとつになって荊州を
>守り抜こうという気にならなかったのだろうか。
この部分がよくわからないのだが。
曹操に降伏することがなぜ荊州の民のことを思っていない行為になるの?
だよな。徹底抗戦しても民を死なせるだけだろ。姜維と同じ。
蔡瑁の降伏は英断だよ。
ただ、あの降伏の早さは尋常じゃないから、
あらかじめ曹操に荊州を売り渡す算段はつけてたんだろうが。
ある意味一番時勢を見れていたな、
しかし赤壁が予想外すぎた
曹操の目の敵であり、荊州でも決して小さくない力を有していた劉備が、
劉gを担いで不穏な行動に出る前に先手を打ちたかったのかもね。
むしろ、長坂で劉備を殺せなかったのが痛いというか……。
そういや、蔡瑁って諸葛亮と姻族なんだよね。
蔡瑁のもう一人の姉が黄承彦の奥さん。
黄承彦の娘が妾腹でないとは限らないんで諸葛亮と姻族とは断言はできないけど可能性はあるね
黄夫人が妾腹の子でも、諸葛亮が黄承彦の義理の息子であることに変わらないんだから、
姻族なのは確実では?
それは黄氏の姻族であって蔡氏の姻族ではないよ
姻族ってのは普通嫁なり旦那なりの血族で嫁の父の妻の血族ではない
67 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/17(土) 16:47:00
また、「演義」では蔡瑁の弟として蔡勲、従弟として蔡和・蔡中がいる。
和・仲は演義限定だったのか。妙に扱いがヒドいと思ったらw
でも結局荊州は劉備の手に落ちて蔡瑁の読みは外れたな
周瑜が江陵を奪った後、南四郡を劉備が占領しただけで、
その後色々あったけど、北の方は最後まで魏の領土だったわけだし
あんまり荊州が劉備の手に落ちたってイメージはないな
71 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/18(日) 23:31:28
>>70 同感。
その後、荊州は三国の争点になった。
最終的に劉備は荊州を失ったわけだし。
72 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/19(月) 23:02:57
荊州といっても広い。
僕の持っているイメージは、北部は中央に近く発展しているというのに対し、
南部はどちらかといえばローカルといったイメージかな。
73 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/20(火) 01:34:12
北は技術、南は農耕
みたいな、
なんか荊州は揚州と似ているな。
北は文化・技術的に発展している直轄地。
南は豪族がウヨウヨと。
さらに南にいくと貿易ができるようになる。
75 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/20(火) 22:37:37
武陵には武陵蛮と呼ばれる蛮族がいる。
76 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/20(火) 23:36:12
中国に旅行に行ったけど荊州・益州広すぎ
77 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 09:33:19
あと劉表軍のイメージで思いつくのは文官が多いことかな。
蒯良・蒯越・韓嵩・傅巽などがいるね。
その中では傅巽だけが荊州出身じゃないな。
だから魏内でのエピソードも多いわけか。
荊州出身以外で劉表の元にきた人材って、黄巾以降の中原の戦乱を避けて
逃げてきた人だから、中原が落ち着いたので戻って魏に仕えたって感じの人が多いね。
傅巽もそうだが、韓曁、裴潜、和洽なんかも荊州平定後にスカウトされて出世した連中だな。
80 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/23(金) 05:39:19
韓曁はたしか荊州出身じゃなかったかな。
戦国の韓の末裔なんだろうな。
外州からの賓客というと、ほかに王粲、杜襲、孫賓碩、梁鵠あたりがそうかな。
三国時代、兵士の供給先は乱雑で、募集もあれば、徴兵もあり、甚だしい場合にはさらっていた。
さらに一群の私家兵(個人が所有する軍隊)があり、部曲と呼ばれた。魏・蜀・呉の三国はすべてこれらの兵士を基礎とし、
自己の軍隊を編成していた。
国家の軍隊もまた中央と地方に分かれ、中央軍の首都に駐屯するものは中軍となり、首都以外に駐屯するものは外軍となった。
また、地方軍は州郡に属し、外軍と地方軍の矛盾を解決するために、外軍・地方軍がすべて州刺史・太守によって主管され指揮される政策をだんだんと実行し、
地方の役人の勢力が大いに増し、社会不安定の重要な素因となった。三国の政府はさらに軍隊を単独で軍籍に入れ、そうして軍隊に対する統制を強化し、
ここから世兵制が出現したわけ。
だから、荊州のようなシステムでは侵略戦争は難しかったと思う。
劉表は人望深く、博識家で、頭も非常に良かった人物だからこういった特殊なシステムでないところでならば
この時代の覇者にもなりえる人物だったんじゃないかと思う。
劉表が覇者になったら、
どのくらいでかい牛を飼うんだ?
覇者になってもまだ牛なのかよ。
84 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/25(日) 00:18:56
さて荊州で思いあたることの1つとして(特にコーエーの三国志シリーズをやり込んでいる人なら
ご存知だと思いますが)赤壁の戦いの頃に荊南で太守をしていた韓玄・金旋・趙範・劉度の4人や
その配下たちについてみなさんはどういうイメージをお持ちですか?
超優秀な辺境経営手腕の持ち主
経営手腕も何も、
曹操が荊州掌握後に派遣された太守じゃないのかあいつら。
それが、赤壁での敗戦で中央と分断され、
孤立したところを劉備に襲われたってイメージ。
金旋の息子さんは後に魏で叛乱起こしてたよね。
金旋なんかは辺境の異民族や賊の多い地域を上手く治めてた実績があるし「経営手腕も何も」とは酷い言いようだな
そんなことは気んせん(気にせん)でもいい
曹操が襄陽に入ると劉巴を使者として長沙(韓玄)、零陵(劉度)、桂陽(趙範)を帰順さすべく赴かせたが、
三郡が劉備に平定されたため復命することが出来なくなった。
このことからこの三人は曹操に送り込まれた人物と考えるよりは追認と考える方が自然。
武陵(金旋)はもともと劉表の版図ではなく、早くから中央(漢朝)と通じていたと思われる。
武陵蛮と呼ばれる異民族が跋扈する難治の地であり、南方へ向けて膨張する劉表に飲み込まれなかったことを考えると金旋は意外と能力が高かったのではないかな?
「武陵蛮と呼ばれる異民族が跋扈する難治の地」だから劉表も直轄地にしたくなかったんじゃないか?
92 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/26(月) 00:17:06
でも金旋は攻めてきた張飛に対し迎撃するものの、張飛に一喝され戦意喪失。
城に戻ったところで配下の鞏志にに射殺された。
それを考えるに金旋は能力はともかくとして強気な性格であったと思われる。
これに対して鞏志は冷静に物事を考えるタイプ。張飛が攻めて来た時、金旋に降伏を
勧めたが受け入れられず、最後は金旋を見限り射殺。
はたしてこの2人は日ごろから上下関係がうまくいっていただろうか?
鞏志って誰
>92
うまく行ってたとしたら鞏志は無茶苦茶怖い性格って事になるなw
95 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/26(月) 01:00:04
>>93 ググれ
知らんヤツはこのスレくるな。
恐志w強志w
鞏志って演義だけの人物じゃなかったっけ?
武陵蛮とか金旋と朝廷との関係とか、正史的な話をしているのに
鞏志を持ち出してくるのは不適当だと思うが。
別に鞏志の話をするのが悪いって言うんじゃなくて、
正史の金旋の話題に鞏志を繋げるのがって意味でね。
97 :
92:2007/02/26(月) 01:14:20
>>93 鞏志は金旋の配下で武陵郡の従事。
張飛が武陵に攻めてきた際のことについては
>>92にかいた通り。
その後劉備によって後任の武陵の太守になった。
>>96 演義の人物だろう
たしかに「でも」といきなり演義に繋げてフォローしなかった
>>92もよくない
ほんとに知らない人もいるだろうし
というか
>>92が演義の人物だということを知らなかったんじゃないだろうか
あんまりいじめてやるな、泣くぞw
武陵太守と言えば黄蓋だよな。
武陵蛮の反乱を鎮圧して首領を斬首、それ以外の者は赦免。
劉表もその気になれば武陵を直轄することも可能だと思うんだがな?
102 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/01(木) 20:50:27
王威って何者なんだろうな。官名も分からないし。
104 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/04(日) 21:39:03
劉表が死んだとき荊州時代の部下が作った劉鎮南碑というのがあるんだが、
あれ見ると劉表けっこうすごいんだよね。
劉表が領民に慕われてたんだなってのがよくわかる。
保守
106 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/10(土) 03:11:22
107 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/10(土) 16:04:49
劉鎮南碑で検索すれば一部を日本語訳してるブログが出てくるよ。
このスレの最初の方で出てくる142年生まれの説もこっから。
和洽伝を読んでたら、ここでも武陵は劉表の勢力下ではなかったと思われる記述があった。
流れとはちょっと違うので恐縮だが。
>>107 Thxです。おもすれー! よく読んでみよう。
110 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/11(日) 00:17:48
劉巴の父の劉祥は何故孫堅に呼応したのだ
111 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/11(日) 03:29:28
ていうかこのスレ誰が参加するの?(笑)
112 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/11(日) 12:14:00
劉表のお気に召さなかった禰衡が黄祖のところに行ってるね。
あまり重視はできないと思う。
保守
しかし禰衡生存中、孫策は黄祖を討ててない不思議
115 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/03/21(水) 00:14:27
呉書には黄祖が負けた記述ばっかり出ているが、
史書に載らない黄祖側の勝ち戦も結構あったのではないかな
だって呉書は手前味噌じゃん。
連戦連勝でも落とせてないし。
117 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/09(月) 01:50:11
袁術スレと違って人気ないな
118 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/09(月) 01:54:19
劉表が領内まとめ終わった頃ってもう曹操が迫りそうな頃なんだよね
何故かよく平和を享受してたような印象で語られるけど
119 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/10(火) 06:53:56
そんなものだろ
120 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/29(日) 16:20:26
121 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/30(月) 14:52:31
上げ
122 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/30(月) 14:54:01
黄祖-CF-そびえ立つ前線基地
文聘-ST-コンスタントに結果を残す、計算出来るFW。精度の高いFKも売り
カイ良-OH-攻撃を統制するコントロールタワー
劉磐-WB-機を見て敵地侵入、守備もまずまず
黄忠-WB-無尽蔵のスタミナ、高精度クロス
張允-DH-使い走り役
蔡瑁-DH-極悪ハードタックラー、後方のゲームメイカー
王威-CB-責任感が強く、時に無謀なチャージも
伊籍-CB-密着マークに奔走する小兵DF
劉表-SW-自分のプレイエリアに絶対的な安定をもたらす
カイ越-GK-この人なしではこのチームの守備は崩壊
主なSUB:甘寧(CF、干され気味)-呂公(ST、スーパーサブ)-王粲-韓嵩-呉巨-蘇飛-劉キ
123 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/30(月) 18:50:38
曹操って韓玄を得たとき「幽州を得たより厳しい」と
言ったとか言わなかったとか。
124 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/02(水) 03:08:46
>>110 孫堅にぬっころされるから嫌々だろ
だから息子がぐれて張飛が無視されまくったかも
孫堅軍がそこまで猛威を振るっていたなら
住民にあっさりぶっ殺されないんじゃないの?>劉祥
__
,,ィ ` '``' 、
,. _ ,ィ'' :ヽ
,i,.:' i .:' .::`
/ !゙ _、/ _;;-=ェ;、 .::i!
, '′,/ ,r;;.,i `tiゝ.:: ,, .:::::i
, '":` ,/ ,iY'i '" .' ::/゙ '''ミ::, .:::::|
r′.: ;'-ーヽi′,'. i ',," ::/ 'kヮ、 ゜::::::::i
i ::. / :'゙ヽィ ゙ `ヾi `' .:::::::/ もはや自治新党転覆しかない
| ゙ ノ i ''-=ミヽ. .:/
l // 、 ヽミ`、ゞ :::::::::ソ-
j i;;;| ヽ_ ″ .::::::/ノタl゙
,,,,,,、ノ .ノ;;;i ヽ,,_ ,゙、::::::::::ノ.イ"
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.,i;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ ノ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ
128 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/20(日) 00:24:11
蒯越はホントに
「荊州を手に入れた事より蒯越を手に入れた事のほうが得だったわ」
と曹操に言われたほどの人物だったのであろうか?
単に、曹操にとって都合のいい降伏論を劉jに説いたからに過ぎないと
思うのだが・・
そういう評は重要視する意味はほとんどないと思う。
そうまで言われたら、懺越頑張っちゃうしな…
何かやったっけ?
まぁ裏切らないか。
いや当時は入手優先度が人物>>>>土地なんで
つーか豪族getは土地getもついてくるけど土地getしても豪族getできない
だから〜を得られたのは〜でどーのってのは一部の例外以外は土地ゲットズサーって喜んでるんだよ
王威。はにまる。
134 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/23(土) 17:04:15
劉宋に蒯恩という猛将がいるけど、蒯越・蒯良と同族かな?
カイ恩は宋書に立伝されてて蘭陵出身なので別系統ですね。
136 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/28(木) 18:01:00
劉表と黄祖の関係ってどうなんだろうな。
周瑜伝だったか、孫家では悪事の首謀者は黄祖だと言ってて、
なんか劉表より黄祖の方が発言力が強かったみたいな言い方だ。
良スレ
139 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 14:26:12
呂布の養父の丁原って
たしか荊州じゃなかったっけ?
140 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 15:07:30
丁原は并州出身説が有力。
で、この話が出てくるといつも思い出すのが、司馬懿の大芝居。
李勝の前で荊州と并州を聞き間違える老耄ぶりを演じた例の逸話のことだけど、
たぶん一部で丁原が荊州刺史だとされているのは、この類の間違いなんだろうな。
141 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/02(月) 15:08:38
>>139 丁原はヘイシュウ刺史だった希ガス・・・
丁原が荊州刺史だったら呂布とか張遼も荊州にいたことになる
丁原を荊州刺史としてるのは演義だね。
演義は劉虞と間違えて劉焉を幽州太守と平気で記しているぐらいだしね。
細かい間違い…というか無理な設定はいろいろあるべさ。
いや、あれは間違えてんじゃなくて劉璋に会うまでの伏線だよ。
いや、だから「無理な設定」と言い直してるんだが。
>>144 >劉虞と間違えて
にツッコんでるじゃないかね
148 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/21(土) 08:32:09
細かい間違い…というか無理な設定はいろいろあるべさ
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劉虞と間違えて というか が重要
俺、劉キって劉備に暗殺されたんじゃないかと思うんだけど。
劉備はまるで死神みたいなもんで、こいつが身を寄せた相手は
陶謙も呂布も劉表も劉キもみんな死んでんだよな。劉璋も追放されたし。
でも劉キの場合、すでに劉備が実権を握ってたので、
わざわざ暗殺しなくてもいいんじゃないかと思うんだ。
死体同然の頭が一つ横にあるのはジャマ。