パロディがオリジナルを超えるのは難しいよな
266 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/16(月) 15:59:44
誰が誰をパロったの?
劉備が劉邦を
268 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/04/18(水) 16:30:30
諸葛亮が曹操を
かと思った
天才同士、思考が似通うんだろう
曹操と孔明を“天才”と言ってはいけません
立証不能な気分だけのそんな言葉を口にするから
俺様を喝破できぬのです
劉備が劉邦を真似たってのも、明確に記述があるの?
たまたま同じ領地を得ただけじゃないの?
273 :
マ狂:2007/04/20(金) 01:13:13
あれじゃね、けだし高祖がどーたら
暗渡陳倉の故事だろ。
予期しない時点で抵抗の少ない地点に奇襲を掛ける、この発想。
孔明は一身にして三傑を兼ねようとした男。
ただ、そのどれもが中途半端に終わった。
支那史を通してみると三国時代は上から下までボンクラぞろいだ。
キチガイ度で南北朝よりマシなのだが、
当時の崩壊した社会基盤では本来天才など出ようはずがない。
むしろ劉邦を真似たのは袁術説
276 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/01(火) 01:10:37
諸葛亮スレッドは無いの?
277 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/09(水) 09:58:51
ネタが浮かばん
ネタが無い?
それなら放っておこうよと思うが、
カンヨウなんかどだ?
マンコ好きそう
呉征伐でほぼ総指揮を任された馮習、張南って何者なの?
>>280 馮習 字は休元。荊州南郡の人。
中郎将として蜀征服戦に参加、益州諸郡を攻略。
成都入城後は揚武将軍に任ぜられる。
漢中攻防戦では張飛に従って張コウを破る。
劉備が皇帝に即位すると鎮東将軍・建昌亭侯。
夷陵の戦いでは領軍・大督として、全軍を指揮したが、
敵を侮って深入りし敗北した。
張南 字は元進。荊州南郡の人。
中郎将として蜀征服戦に参加。
成都入城後は建忠将軍に任ぜられる。
漢中攻防戦では劉備に従って夏侯淵と戦う。
劉備が皇帝に即位すると征虜将軍・都亭侯。
夷陵の戦いでは前部督として、先鋒を指揮したが、戦死した。
282 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/11(金) 16:17:04
蜀将のランキングをつけるとどうなる?
不毛な燃料はけっこう
>>282 自由奔放No1:簡雍
兵が上司にしたくないNo1:張飛
文人が上司にしたくないNo1:関羽
愚痴りたくない相手No1:馬超
容姿の優れない嫁No1:孔明の嫁
帰りが一番早い官僚No1:費倅
>>281 二人とも夷陵の戦いで急に出てきた印象があったけど、荊州時代からなら長いこと従軍してるんだな
馮習
> 成都入城後は揚武将軍に任ぜられる。
> 漢中攻防戦では張飛に従って張コウを破る。
> 劉備が皇帝に即位すると鎮東将軍・建昌亭侯。
張南
> 成都入城後は建忠将軍に任ぜられる。
> 漢中攻防戦では劉備に従って夏侯淵と戦う。
> 劉備が皇帝に即位すると征虜将軍・都亭侯。
これらのソースは?
あと両者の入蜀の際の官職、張南の夷陵時の官職のソースも。
287 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/12(土) 22:20:28
流れ豚斬りですが
劉盾が蜀でどれくらい出世できたのかが気になって仕方ない。
劉備が乗っ取りに来なければ、
蜀の皇帝ないし悪くても魏帝国の蜀王になれたポジションだろうし。。
ちなみに劉樟は呉帝国で益州牧に任じられたよね。
>>281 確かに良く見ると入蜀直後の揚武将軍といえば法正だし、でっち上げ臭いな…
>>287 奉車中郎将に任命された後の消息は不明。
>>289 行方不明とは資料に名前がそれ以後出てこないの?
>>290 そう。劉循の名前は奉車中郎将に任命されたところで史書から消える。
>>287 無能ならそれなりの地位を与えて厚遇しただろう。
が、劉循は正史じゃ劉備を寡兵で年をまたいで防いだ訳で。
用いるのには優秀すぎて、自分の基盤を脅かすと考えたんじゃないかなぁ。
293 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/13(日) 09:24:07
孔明死後の蜀は人材不足だったんですか?
もっとマシな武将いなかったのかね
>>281 そりゃ負けるわ
夷陵には孫呉は主力陣を大量投入してるしな。
馬良ってどういう死に様だったんだろ?
諸葛亮の生前から、
国家のTOPが二足の草鞋履いて外地に遠征し、ろくに都に帰ってこれない程度には乙ってた。
これは才能云々より、自覚の問題による所が大きいんだけどね…以下列挙。
・諸葛亮は国のTOPでありながら、部下の諫言を退けて全ての仕事を自分でやった結果、過労死。
・劉備から諸葛亮と共に後事を託された李厳は、利殖と権力闘争に明け暮れた結果、諸葛亮死亡以前に失脚。
・魏延と楊儀は、諸葛亮の遺命をやらかした挙句、双方とも私怨の果てに破滅した。
・呉懿・呉班は軍の重鎮だったけれども、劉禅の弟・劉永の伯父であり、劉永は後主に憎まれていた。
・蒋エンは、蕭何の後を継いだ曹参よろしく諸葛亮時代の法制を維持したけど、運悪く病に倒れた。
諸葛亮の北伐で疲弊した国力と兵力は取り戻せた物の、現状回復しか出来なかった。
姜維に北伐させ、自らは漢水を伺う北伐計画も、機会には恵まれながら病と世論の反対の結果頓挫した。
・費イは、実務能力は素晴らしく、蒋エン時代の状態を維持したけれども、足元がお留守だった。
魏延と費イに信頼され、止められる唯一の人物でありながら、かえって彼らを追い詰める行動をしている。
大赦を乱発して安易な人気取りに走り、張嶷に諌められながらも降将と無闇に交わった結果、刺された。
また、董允がその生前決して宮廷に近寄らせなかった、陳祇とその金魚の糞黄皓を宮中に入れてしまった。
・姜維は、内政を省みず外征を繰り返した結果、一時の勝利を得たものの人心を失い、兵力も失った。
諸葛亮以後の指導者では最も軍事的才能に恵まれた様に思うが、外に目は向いても内は見えてなかった。
結果、宮廷の権力は陳祇と黄皓に掌握され、蜀滅亡以前に政治生命は詰んでしまっていた。
このように、蜀の人材は他はともかくTOPレベルで見ると先細りだった。
誤:魏延と楊儀は、諸葛亮の遺命をやらかした挙句、双方とも私怨の果てに破滅した。
正:魏延と楊儀は、諸葛亮の遺命に反して、内ゲバやらかした挙句、双方とも私怨の果てに自滅した。
→諸葛亮は魏延に命令に従えと遺命を下したが、魏延は従わなかった。
楊儀も楊儀で、諸葛亮は魏延を置いて、さっさと帰れとは命じていたが、一戦交えろとは言ってなかった。
(内紛で兵が減る事、魏の介入という最悪の事態を考えれば、諸葛亮の命令は至極当然であるのだが。
・呉懿・呉班は軍の重鎮だったけれども、劉禅の弟・劉永の伯父であり、劉永は後主に憎まれていた。
追加:その結果、彼らは重んじられながらも、周囲から常にはばかられた。
(張コウを破るなど大功を立てた呉班は、諸葛亮氏誤直後とは言わずとも本来後事を託されて当たり前。
それが行われ無かったのは、同僚はおろか、劉永を警戒した劉禅の警戒感が有ったとも考えられる。
李厳(劉備、そして相方の諸葛亮は、左右両輪の働きを望んだが、李厳本人は脱輪する事を望んだ)
諸葛亮(部下「丞相、ご自愛なさってください」 諸葛亮「なぁに、これしき」→アボーン)
→魏延・楊儀(諸葛亮は自分と李厳に出来なかった事を彼らに託したが、土台無理な相談だった)
→蒋エン(諸葛亮に劣る事を自覚し成すべき事は心得ていた…が、死ぬまでに仕事を完遂できなかった)
→費イ(能力では恐らく蒋エンの上を行くが、想像力は貧困で、忠臣の言を退け、悪臣を近くに侍らせた)
→姜維(軍事的才能では上記二者に勝ったが、TOPに必要なバランス感覚が欠如していた)
これじゃあねぇ。
物事は表裏一体だし、その裏ばかりを列挙しても・・・
>>298 表の部分は演義読めば大体分かると思うんで、裏の部分を列挙してみた。
補え合えば異様に濃い連中だし、
個々の力を上回っただろうに…
301 :
素人考えですが、、:2007/05/13(日) 20:19:37
諸葛亮⇒馬謖
魏延⇒夏侯覇
李厳⇒楊儀
蒋苑⇒ケ芝
りょうか⇒姜維
こんな感じでスムーズに役割交代していけたらよかったのにね…
やっぱ、すべてをまとめるカリスマが欲しいね
やっぱり、街亭では馬謖の初陣飾らせるなら飾らせるで、呉懿か魏延を付けるべきだったな。
強権を発動してでも。
>>302 もう一人でも人事のバランス感覚に秀でた人材がいれば違ったかもね。
個々の能力は決して低くないのに、互いに潰し合うもんだからなあ…
305 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/13(日) 23:54:11
なんだかんだで孔明は才能のある人だったんだな
もしも孔明が劉備が死ぬ以前にどっかの段階で死んでたら、政権はアッサリ崩壊してただろうな。
劉備生前はともかく、死後はまとめられる人間がいないもんなあ
ところで陳祗は性格はともかく才覚はなかなかのものだったと思うんだよ
>>307 その才覚を何故国に捧げないのか、というのは確かに酷ではあるんだよな。
陳祇は宦官に接近したのは、つまる所、費イが横死した事に起因する。
費イ以外に後ろ盾が無く、董允に嫌われ、その後を継いだ呂乂からも忌み嫌われていた。
であるから、官位はその才覚と比べても、政権を運営するのにも、あまりに低かった。
つまる所、宦官と結託する以外、費イの死後、姜維に対抗する手段が無かった。
また陳祇以外にはそれを思いつく奴も、やった所で政権をマトモに運営できる人物も居なかった。
しかし、その陳祇自身も早死してしまった。
黄皓自体が糞なのはどうでも良い。
奴に期待してる奴なんて、初めから何処にもオランw
姜維にバランス感覚が無く、費イが横死した時点で、蜀は既に詰んでるんだよな。
あの丞相の息子もそっち側だよなあ
外戚まで…
姜維ある意味凄い
ベクトル間違ってる気もするが
陳祗は単なる佞臣じゃない
あの状況で自分なりに蜀と劉禅を守ろうとはしてたんだろう
もちろん自分の利権も重視してただろうが
視野もなく方策もなくただ劉禅におもねっていたのとは違う
費禕が暗殺さえされなければそのサポート役として違った形で歴史に名を残せただろうに・・・
>>310 費イはなんだかんだで濃い連中をくっつけるもんなあ
切り捨てる時はえげつないが
費イ最大の失敗は、降将・郭循という悪臣に気を許し、傍に置いてしまった事だな。
呉に埋伏した陰藩は計画半ばで失敗した事を考えると、費イの対応はちょっとなぁ。
313 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/22(火) 18:58:35
姜維が最後っ屁みたいなやり方で鍾会とケ艾を誅殺させたのはけっこう好きだ。
劉?や張翼を巻き添えにしたのは頂けないが
314 :
無名武将@お腹せっぷく: