時代:現代⇒近現代⇒近代⇒中世⇒古代⇒神話
地区:北米、南米、アフリカ、欧州、西アジア、南アジア、中央アジア、北アジア、東アジア、東南アジア、オセアニア、南極
39 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/21(火) 18:59:08
>>29 ヨーロッパでさえそうなんだし、
日本と周辺国の場合は、絶望的に無理だろうね。
>>39 お前バカだろ。せめてsage進行でやるくらいの謙虚さは持て。
このスレの住人としても迷惑だ。
123 名前:心得をよく読みましょう[sage] 投稿日:2006/11/21(火) 21:01:45 ID:b6VBDbJC
ちはっ!
西洋スレ、三戦に入れたいんでー、西洋の歴史おkつー文言、ロカルー
に入れといてください。
できるだけ早くたのんますっ。あとー、西洋
も語る板っつーことが分かるようにー、板名も変えといてください。そいじゃ
124 名前:心得をよく読みましょう[] 投稿日:2006/11/21(火) 21:21:45 ID:rQ2nVelA
スレッドを立てるのに許可はいらない
125 名前:心得をよく読みましょう[sage] 投稿日:2006/11/21(火) 21:39:31 ID:Bfr2oL33
>>123 ここじゃいろいろと手続きに時間がかかるから、
自分なりに解釈して、良心に従って立てたいスレを立てればいい。
自治スレで、西洋スレ立てについて、OKが出ました。
誰も来なかったのか
始計篇第一
孫子曰、兵者、国之大事、死生之地、存亡之道、不可不察也。
故経之以五事、校之以計、而索其情、一曰道、二曰天、三曰地、四曰将、五曰法。
道者、令民与上同意、可与之死、可与之生、而不畏危也。
天者、陰陽、寒暑、時制也。
地者、遠近、険易、広狭、死生也。
将者、知、信、仁、勇、厳也。
法者、曲制、官道、主用也。
凡此五者、将莫不聞、知之者勝、不知者不勝。
故校之以計、而索其情。
曰、主孰有道、将孰有能、天地孰得、法令孰行、兵衆孰強、士卒孰練、賞罰孰明、吾以此知勝負矣。
将聴吾計、用之必勝、留之、将不聴吾計、用之必敗、去之。
計利以聴、乃為之勢、以佐其外、勢者、因利而制権也。
兵者、詭道也。
故能而示之不能、用而示之不用、近而示之遠、遠而示之近。
利而誘之、乱而取之、実而備之、強而避之、怒而撓之、卑而驕之、佚而労之、親而離之。
攻其無備、出其不意、此兵家之勝、不可先伝也。
夫未戦而廟算勝者、得算多也、未戦而廟算不勝者、得算少也、多算勝、少算不勝、而況於無算乎?
吾以此観之、勝負見矣。
作戦篇第二
孫子曰、凡用兵之法、馳車千駟、革車千乗、帯甲十万、千里輸糧、
則内外之費賓客之用、膠漆之材、車甲之奉、日費千金、然後十万之師挙矣。
其用戦也貴勝、久則鈍兵挫鋭、攻城則力屈、久暴師則国用不足。
夫鈍兵、挫鋭、屈力、費貨、則諸侯乗其弊而起、雖有知者、不能善其後矣!
故兵聞拙速、未見巧之久也、夫兵久而国利者、未之有也。
故不尽知用兵之害者、則不能尽知用兵之利也。
善用兵者、役不再籍、糧不三載、取用于国、因糧于敵、故軍食可足也。
国之貧于師者遠輸、遠輸則百姓貧、近于師者貴売、貴売則百姓財竭、財竭則急于丘役、力屈財費、中原内虚于家、百姓之費、十去其七、公家之費、破車罷馬、甲冑矢弩、戟楯蔽櫓、丘牛大車、十去其六。
故知将務食于敵、食敵一鍾、当吾二十鍾、稈一石、当我二十石。
故殺敵者怒也、取敵之利者貨也。
故車戦、得車十乗以上、賞其先得者、而更其旌旗、車雑而乗之、卒善而養之、是謂勝敵而益強。
故兵貴勝、不貴久、故知兵之将、民之司命、国家安危之主也。
謀攻篇第三
孫子曰、凡用兵之法、全国為上、破国次之、全旅為上、破旅次之、全卒為上、破卒次之、全伍為上、破伍次之。
是故百戦百勝、非善之善者也、不戦而屈人之兵、善之善者也。
故上兵伐謀、其次伐交、其次伐兵、其下攻城。
攻城之法、為不得已、修櫓、具器械、三月而後成、距煙、又三月而後已、将不勝其忿、殺士卒三分之一、而城不抜者、此攻之災也。
故善用兵者、屈人之兵、而非戦也、抜人之城、而非攻也、毀人之国、而非久也。
必以全争于天下、故兵不頓、利可全、此謀攻之法也。
故用兵之法、十則囲之、五則攻之、倍則分之、敵則能戦之、少則能守之、不若則能避之。
故小敵之堅、大敵之擒也。
夫将者、国之輔也、輔周則国必強、輔隙則国必弱。
故軍之所以患于君者三、不知三軍之不可以進、而謂之進、不知三軍之不可以退、而謂之退、是謂縻軍。
不知三軍之事、而同三軍之政、則軍士惑矣。
不知三軍之権、而同三軍之任、則軍士疑矣。
三軍既惑且疑、則諸侯之難至矣、是謂乱軍引勝。
故知勝者有五、知可以戦与不可以戦者勝、識衆寡之用者勝、上下同欲者勝、以虞待不虞者勝、将能而君不御者勝、此五者、知勝之道也。
故曰、知彼知己、百戦不殆、不知彼而知己、一勝一負、不知彼、不知己、毎戦必敗。
軍形篇第四
孫子曰、昔之善戦者、先為不可勝、以待敵之可勝、不可勝在己、可勝在敵。
故善戦者、能為不可勝、不能使敵必可勝。
故曰、勝可知、而不可為。
不可勝者、守也、可勝者、攻也。
守則不足、攻則有余。
善守者、蔵于九地之下、善攻者、動于九天之上、故能自保而全勝也。
見勝、不過衆人之所知、非善之善者也。
戦勝、而天下曰善、非善之善者也。
故挙秋毫、不為多力、見日月、不為明目、聞雷霆、不為聴耳。
古之善戦者、勝于易勝者、故善戦者之勝也、無知名、無勇功。
故其戦勝不忒、不忒者、其措必勝、勝已敗者也。
故善戦者、立于不敗之地、而不失敵之敗也。
是故勝兵先勝、而後求戦、敗兵先戦、而後求勝。
善用兵者、修道而保法、故能為勝敗之政。
兵法、「一曰度、二曰量、三曰数、四曰称、五曰勝、地生度、度生量、量生数、数生称、称生勝」
故勝兵若以鎰称銖、敗兵若以銖称鎰。
勝者之戦、若決積水于千仞之谷、形也。
兵勢篇第五
孫子曰、凡治衆如治寡、分数是也。
闘衆如闘寡、形名是也。
三軍之衆、可使必受敵而無敗者、奇正是也。
兵之所加、如以碬投卵者、虚実是也。
凡戦者、以正合、以奇勝。
故善出奇者、無窮如天地、不竭如江河、終而復始、日月是也、死而復生、四時是也。
声不過五、五声之変、不可勝聴也。
色不過五、五色之変、不可勝観也。
味不過五、五味之変、不可勝嘗也。
戦勢不過奇正、奇正之変、不可勝窮也。
奇正相生、如循環之無端、孰能窮之哉!
激水之疾、至于漂石者、勢也。
鷙鳥之撃、至于毀折者、節也。
是故善戦者、其勢険、其節短、勢如張弩、節如機発。
紛紛紜紜、闘乱、而不可乱也。
渾渾沌沌、形図、而不可敗也。
乱生于治、怯生于勇、弱生于強。
治乱、数也。
勇怯、勢也。
強弱、形也。
故善動敵者、形之、敵必従之、予之、敵必取之、以利動之、以実待之。
故善戦者、求之于勢、不責于人、故能択人任勢、任勢者、其戦人也、如転木石、木石之性、安則静、危則動、方則止、図則行。
故善戦人之勢、如転図石于千仞之山者、勢也。
虚実篇第六
孫子曰、凡先処戦地而待敵者佚、後処戦地而趨戦者労。
故善戦者、致人而不致于人。
能使敵人自至者、利之也、能使敵不得至者、害之也。
故敵佚能労之、飽能飢之、安能動之。
出其所不趨、趨其所不意、行千里而不労者、行于無人之地也、攻而必取者、攻其所不守也、守而必固者、守其所不攻也。
故善攻者、敵不知其所守、善守者、敵不知其所攻。
微乎微乎!至于無形、神乎神乎!至于無声、故能為敵之司命。
進而不可御者、衝其虚也、退而不可追者、速而不可及也。
故我欲戦、敵雖高塁深溝、不得不与我戦者、攻其所必救也、我不欲戦、雖画地而守之、敵不得与我戦者、乖其所之也。
故形人而我無形、則我専而敵分、我専為一、敵分為十、是以十攻其一也。
則我衆而敵寡、能以衆撃寡、則我之所与戦者、約矣。
吾所与戦之地不可知、不可知、則敵所備者多、敵所備者多、則我所与戦者寡矣。
故備前則後寡、備後則前寡、備左則右寡、備右則左寡、無所不備、則無所不寡。
寡者、備人者也、衆者、使人備己者也。
故知戦之地、知戦之日、則可千里而会戦。
不知戦地、不知戦日、則左不能救右、右不能救左、前不能救後、後不能救前、而況遠者数十里、近者数里乎?
以吾度之、越人之兵雖多、亦奚益于勝哉?
故曰、勝可為也、敵雖衆、可使無闘。
故策之而知得失之計、作之而知動静之理、形之而知死生之地、角之而知有余不足之処。
故形兵之極、至于無形、無形、則深間不能窺、知者不能謀。
因形而措勝于衆、衆不能知、人皆知我所以勝之形、而莫知吾所以制勝之形、故其戦勝不復、而応形於無窮。
夫兵形象水、水之形、避高而趨下、兵之形、避実而撃虚、水因地而制流、兵因敵而制勝。
故兵無常勢、水無常形、能因敵変化而取勝、謂之神。
故五行無常勝、四時無常位、日有短長、月有死生。
軍争篇第七
孫子曰、凡用兵之法、将受命于君、合軍聚衆、交和而舍、莫難于軍事。
軍争之難者、以迂為直、以患為利。
故迂其途、而誘之以利、後人発、先人至、此知迂直之計者也。
故軍争為利、軍争為危。
挙軍而争利、則不及、委軍而争利、則輜重捐。
是故巻甲而趨、日夜不処、倍道兼行、百里而争利、則擒三将軍、壮者先、疲者後、其法十一而至、五十里而争利、則蹶上将軍、其法半至、三十里而争利、則三分之二至 。
是故軍無輜重則亡、無糧食則亡、無委積則亡。
故不知諸侯之謀者、不能予交、不知山林、険阻、沮沢之形者、不能行軍、不能郷導者、不能得地利。
故兵以詐立、以利動、以分合為変者也、故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山、難知如陰、動如雷霆。
掠郷分衆、廓地分利、懸権而動、先知迂直之計者勝、此軍争之法也。
軍政曰、「言不相聞、故為金鼓、視不相見、故為旌旗」
夫金鼓旌旗者、所以一人之耳目也、人既専一、則勇者不得独進、怯者不得独退、此用衆之法也。
故夜戦多火鼓、画戦多旌旗、所以変人之耳目也。
故三軍可奪気、将軍可奪心。
是故朝気鋭、画気惰、暮気帰、故善用兵者、避其鋭気、撃其惰帰、此治気者也。
以治待乱、以静待譁、此治心者也。
以近待遠、以佚待労、以飽待飢、此治力者也。
無邀正正之旗、勿撃堂堂之陣、此治変者也。
故用兵之法、高陵勿向、背丘勿逆、佯北勿従、鋭卒勿攻、餌兵勿食、帰師勿遏、囲師必闕、窮寇勿迫、此用兵之法也。
九変篇第八
孫子曰、凡用兵之法、将受命于君、合軍聚衆、圮地無舍、衢地合交、絶地無留、囲地則謀、死地則戦、途有所不由、軍有所不撃、城有所不攻、地有所不争、君命有所不受。
故将通于九変之利者、知用兵矣。
将不通于九変之利者、雖知地形、不能得地之利矣。
治兵不知九変之術、雖知地利、不能得人之用矣。
是故知者之慮、必雑于利害、雑于利而務可信也、雑于害而患可解也。
是故屈諸侯者以害、役諸侯者以業、趨諸侯者以利。
故用兵之法、無恃其不来、恃吾有以待之、無恃其不攻、恃吾有所不可攻也。
故将有五危、必死可殺、必生可虜、忿速可侮、廉潔可辱、愛民可煩、凡此五危、将之過也、用兵之災也。
覆軍殺将、必以五危、不可不察也。
行軍篇第九
孫子曰、凡処軍相敵、絶山依谷、視生処高、戦隆無登、此処山之軍也。
絶水必遠水、客絶水而来、勿迎于水内、令半済而撃之利。
欲戦者、無付于水而迎客、視生処高、無迎水流、此処水上之軍也。
絶斥沢、惟丞去勿留、若交軍于斥沢之中、必依水草、而背衆樹、此処斥沢之軍也。
平陸処易、右背高、前死後生、此処平陸之軍也。
凡此四軍之利、黄帝之所以勝四帝也。
凡軍好高而悪下、貴陽而賎陰、養生虚実、軍無百疾、是謂必勝。
丘陵堤防、必処其陽、而右背之、此兵之利、地之助也。
上雨水沫至、欲渉者、待其定也。
凡地有絶澗、天井、天牢、天羅、天陥、天隙、必丞去之、勿近也、吾遠之、敵近之、吾迎之、敵背之。
軍旁有険阻、沼沢、蒹葭、林木、翳叢者、必謹覆索之、此伏姦之所也。
敵近而静者、恃其険也。遠而挑戦者、欲人之進也。
其所居易者、利也。衆樹動者、来也。衆草多障者、疑也。鳥起者、伏也。獣驚者、覆也。
塵、高而鋭者、車来也。卑而広者、徒来也。散而条違者、樵採也。少而往来者、営軍也。
辞卑而益備者、進也。辞強而進駆者、退也。軽車先出其側者、陣也。
無約而請和者、謀也。奔走而陳兵者、期也。半進半退者、誘也。
仗而立者、飢也。汲而先飲者、渇也。見利而不進者、労也。
鳥集者、虚也。夜呼者、恐也。軍擾者、将不重也。旌旗動者、乱也。
吏怒者、倦也。殺馬肉食者、軍無糧也。懸鍋不返其舎者、窮寇也。
諄諄翕翕、徐与人言者、失衆也。数賞者、窘也。数罰者、困也。
先暴而後畏其衆者、不精之至也。来委謝者、欲休息也。
兵怒而相迎、久而不合、又不相去、必謹察之。
兵非貴益多、惟無武進、足以併力料敵取人而已。
夫惟無慮而易敵者、必擒于人。
卒未親付而罰之、則不服、不服則難用。
卒已親付而罰不行、則不可用。
故令之以文、斉之以武、是謂必取。
令素行以教其民、則民服、令不素行以教其民、則民不服、令素行、与衆相得也。
地形篇第十
孫子曰、地形有通者、有挂者、有支者、有隘者、有険者、有遠者。
我可以往、彼可以来、曰通、通形者、先居高陽、利糧道以戦、則利。
可以往、難以返、曰挂、挂形者、敵無備、出而勝之、敵若有備、出而不勝、難以返、不利。
我出而不利、彼出而不利、曰支、支形者、敵雖利我、我無出也、引而去之、令敵半出而撃之、利。
隘形者、我先居之、必盈以待敵、若敵先居之、盈而勿従、不盈而従之 。
険形者、我先居之、必居高陽以待敵、若敵先居之、引而去之、勿従也。
遠形者、勢均、難以挑戦、戦而不利。
凡此六者、地之道也、将之至任、不可不察也。
故兵有走者、有弛者、有陥者、有崩者、有乱者、有北者、凡此六者、非天地之災、将之過也。
夫勢均、以一撃十、曰走。
卒強吏弱、曰陥。
大吏怒而不服、遇敵懟而自戦、将不知其能、曰崩。
将弱不厳、教道不明、吏卒無常、陣兵縦横、曰乱。
将不能料敵、以少合衆、以弱撃強、兵無選鋒、曰北。
凡此六者、敗之道也。
将之至任、不可不察也。
夫地形者、兵之助也。
料敵制勝、計険阨遠近、上将之道也。
知此而用戦者、必勝、不知此而用戦者必敗。
故戦道必勝、主曰、無戦必戦可也。
戦道不勝、主曰必戦、無戦可也。
故進不求名、退不避罪、唯民是保、而利于主、国之宝也。
視卒如嬰児、故可与之赴深渓、視卒如愛子、故可与之倶死。
厚而不能使、愛而不能令、乱而不能治、譬若驕子、不可用也。
知吾卒之可以撃、而不知敵之不可撃、勝之半也、知敵之可撃、而不知吾卒之不可撃、勝之半也。
知敵之可撃、知吾卒之可以撃、而不知地形之不可以戦、勝之半也。
故知兵者、動而不迷、挙而不窮。
故曰、知彼知己、勝乃不殆、知天知地、勝乃可全。
火攻篇第十二
孫子曰、凡火攻有五、一曰火人、二曰火積、三曰火輜、四曰火庫、五曰火隊。
行火必有因、煙火必素具。
発火有時、起火有日。
時者、天之燥也。
日者、月在箕壁翼軫也。
凡此四宿者、風起之日也。
凡火攻、必因五火之変而応之、火発于内、則早応之于外。
火発而其兵静者、待而勿攻。
極其火力、可従而従之、不可従而止。
火可発于外、無待于内、以時発之。
火発上風、無攻下風、画風久、夜風止。
凡軍必知五火之変、以数守之。
故以火佐攻者明、以水佐攻者強、水可以絶、不可以奪。
夫戦勝攻取、而不修其攻者凶、命曰費留。
故曰、明主慮之、良将修之、非利不動、非得不用、非危不戦。
主不可以怒而興師、将不可以憤而致戦、合于利而動、不合于利而止。
怒可以復喜、憤可以復悦、亡国不可以復存、死者不可以復生。
故明君慎之、良将警之、此安国全軍之道也。
用間篇第十三
孫子曰、凡興師十万、出征千里、百姓之費、公家之奉、日費千金、内外騒動、怠于道路、不得操事者、七十万家。
相守数年、以争一日之勝、而愛爵禄百金、不知敵之情者、不仁之至也、非人之将也、非主之佐也、非勝之主也 。
故明君賢将、所以動而勝人、成功出于衆者、先知也、先知者、不可取于鬼神、不可象于事、不可験于度、必取于人、知敵之情者也。
故用間有五、有郷間、有内間、有反間、有死間、有生間。
五間倶起、莫知其道、是謂神紀、人君之宝也。
郷間者、因其郷人而用之。
内間者、因其官人而用之。
反間者、因其敵間而用之。
死間者、為誑事于外、令吾間知之、而伝于敵。
生間者、反報也。
故三軍之事、親莫親于間、賞莫厚于間、事莫密于間、非聖知不能用間、非仁義不能使間、非微妙不能得間之宝。
微哉、微哉、無所不用間也。
間事未発而先聞者、間与所告者皆死。
凡軍之所欲撃、城之所欲攻、人之所欲殺、必先知其守将、左右、謁者、門者、舍人之姓名、令吾間必索知之。
必索敵間之来間我者、因而利之、導而舍之、故反間可得而使也。
因是而知之、故郷間内間可得而使也、因是而知之、故死間為誑事、可使告敵、因是而知之、故生間可使如期。
五間之事、主必知之、知之必在于反間、故反間不可不厚也。
昔殷之興也、伊摯在夏。
周之興也、呂牙在殷。
故明君賢将、能以上知為間者、必成大功、此兵之要、三軍之所恃而動也。
九地篇第十一
孫子曰、用兵之法、有散地、有軽地、有争地、有交地、有衢地、有重地、有圯地、有囲地、有死地。
諸侯自戦其地者、為散地。
入人之地而不深者、為軽地。
我得則利、彼得亦利者、為争地。
我可以往、彼可以来者、為交地。
諸侯之地三属、先至而得天下之衆者、為衢地。
入人之地深、背城邑多者、為重地。
山林、険阻、沮沢、凡難行之道者、為圯地。
所由入者隘、所従帰者迂、彼寡可以撃吾之衆者、為囲地。
疾戦則存、不疾戦則亡者、為死地。
是故散地則無戦、軽地則無止、争地則無攻、交地則無絶、衢地則合交、重地則掠、圯地則行、囲地則謀、死地則戦。
古之所謂善用兵者、能使敵人前後不相及、衆寡不相恃、貴賎不相救、上下不相収、卒離而不集、兵合而不斉。
合于利而動、不合于利而止。
敢問、敵衆整而将来、待之若何?
曰、先奪其所愛、則聴矣、兵之情主速、乗人之不及、由不虞之道、攻其所不戒也。
凡為客之道、深入則専、主人不克、掠于豊野、三軍足食、謹養而無労、併気積力、運兵計謀、為不可測、投之無所往、死且不北、死焉不得、士人尽力。
兵士甚陥則不懼、無所往則固、深入則拘、不得已則闘。
是故、其兵不修而戒、不求而得、不約而親、不令而信、禁祥去疑、至死無所之。
吾士無余財、非悪貨也、無余命、非悪寿也。
令発之日、士卒坐者涕沾襟、偃臥者涕交頤、投之無所往、則諸歳之勇也。
故善用兵者、譬如率然、率然者、常山之蛇也、撃其首、則尾至、撃其尾、則首至、撃其中、則首尾倶至。
敢問、兵可使如率然乎?
曰、可也。
夫呉人与越人相悪也、当其同舟済而遇風、其相救也如左右手。
是故、方馬埋輪、未足恃也、斉勇若一、政之道也、剛柔皆得、地之理也。
故善用兵者、攜手若使一人、不得已也。
将軍之事、静以幽、正以治、能愚士卒之耳目、使之無知。
易其事、革其謀、使人無識、易其居、迂其途、使人不得慮。
帥与之期、如登高而去其梯、帥与之深、入諸侯之地而発其機。
若駆群羊、駆而往、駆而来、莫知所之。
聚三軍之衆、投之于険、此将軍之事也。
九地之変、屈伸之利、人情之理、不可不察也。
凡為客之道、深則専、浅則散、去国越境而師者、絶地也、四達者、衢地也、入深者、重地也、入浅者、軽地也、背固前隘者、囲地也、無所往者、死地也。
是故散地吾将一其志、軽地吾将使之属、争地吾将趨其後、交地吾将謹其守、衢地吾将固其結、重地吾将継其食、圯地吾将進其途、囲地吾将塞其闕、死地吾将示之以不活。
故兵之情、囲則御、不得已則闘、逼則従。
是故不知諸侯之謀者、不能預交、不知山林険阻沮沢之形者、不能行軍、不用郷導者、不能得地利、此三者不知一、非覇王之兵也。
夫覇王之兵、伐大国則其衆不得聚、威加于敵、則其交不得合。
是故不争天下之交、不養天下之権、信己之私、威加于敵、故其城可抜、其国可堕。
施無法之賞、懸無政之令、犯三軍之衆、若使一人。
犯之以事、勿告以言、犯之以利、勿告以害、投之亡地然後存、陥之死地然後生。
夫衆陥于害、然後能為勝敗、故為兵之事、在于順詳敵之意、併力一向、千里殺将、是謂巧能成事。
是故政挙之日、夷関折符、無通其使、侍ー廊廟之上、以誅其事、敵人開闔、必丞入之。
先其所愛、微与之期、賎墨随敵、以決戦争。
是故始如処女、敵人開戸、後如脱兎、敵不及拒。
58 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/23(木) 12:52:18
ナポレオンは孫子を愛読していた→×
ナポレオンは孫子を愛読していた→○
学生時代、彼は軍事ヲタで、様々な軍略、戦争史を
愛読、というより、没頭して読み漁ったとのこと
食費削ってね
三戦も、そういう奴多いんじゃないか
61 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/23(木) 14:34:28
>>59 石破っていう国会議員。あいつくらい没頭してたと思う。
フランスではアンケートで自国の歴史上の「偉大な人物」でも「嫌いな人物」で
もかならず1〜3位にナポレオンの名が挙がるらしい。
63 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/24(金) 18:59:24
削除依頼がでているらしい。
いつ消えるかな?
>>63 削除は多分当分はない。
削除されたら、また立てればいいだけだし。
66 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/28(火) 15:29:49
フランス革命の頃、欧州で孫子の抄訳をしたフランス人宣教師は
オメオでいいのかな?
67 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/11/28(火) 21:33:56
そんな人いるんだね
>>63 知名度なら日本の信長以上だろうね
あと誰?ルイ14世?ドゴール?
あとジャンヌダルクか
70 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 23:05:55
ワーテルローでどうやったら勝てたか教えて!
タレイラン
72 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 23:08:42
コルベール
カンブロンヌ
ネイサン・ロスチャイルド
>>70 あの時グルーシーが砲声を聞いてちゃんと来援してれば・・・
76 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/12/17(日) 03:27:07
パリにダブーを残してこなければグルーシーのような失態は犯さなかっただろう
彼ならワーテルローの方向から砲声が聞こえてきたならば必ず来援したに違いない
もっとも他にパリに残せるような人材が払拭し尽していたからなあ・・・
1815時点で軍政出来そうな奴、他にもう残ってないだろ。
ベルチェは投身自殺してるしな。
グルーシーは砲声を聞いていたはず。
ただナポレオンがいつも通り勝つと思っていたから前日の指示通りの行動をしただけだろう。
戦場音楽が聞こえているなら向かえば良かったのに
追撃してるはずのプロイセン軍はワーテルローに突進したというに
イギリス軍(6万8千)⇒←フランス軍本隊(7万2千)⇒←プロイセン軍本隊(4万5千)……←フランス軍別働隊(3万)
ナポレオン戦争後のフランスの外交力は凄まじいものがあるな
日本も同じくらいうまくやってれば・・・
戦術家としてどうこう以前に人として終わってるね。
≪戦争の大義名分≫
1権利
2平和
3正義
4名誉